邪なる顔の神

 

序、出陣

 

ホープ号級二番艦の建造用物資が集められ始めている港は、かなり手狭になっていて。漁船用の港を、増設すべきと言う声も上がっていた。

アランヤ村は。

以前より、確実に活気に満ちている。

労働者の中には、アーランドの民では無い者も見受けられる。流れ込んできた難民の中で、労働意欲が高い者が、此方に回されてきたのだろう。

トトリは風に髪を撫でさせながら、歩く。

既に、船に乗り込む人達は、勢揃いしていた。

邪神、イビルフェイス。

以前アーランドが総力を挙げて倒した邪神、死の王の実力は。それこそ、人智を越えるものだったという。

今回も、同等の実力を有している可能性を考慮し。

以前、フラウシュトライトを屠ったのと同じ。国家軍事力級戦士二人。それにロロナ先生が支援に来てくれるという、万全の態勢だ。

しかも今回は海上戦では無い。

切り込み隊長としては、ステルクさん。

そして、その後を、ロロナ先生とクーデリアさんが抑えてくれる。

この三人が主力となって、イビルフェイスを叩く。

しかし、イビルフェイスが根城の守りを疎かにしている筈がない。罠だけではなく、モンスターの軍勢が迎え撃って来る可能性を否定出来ない。

そのために、ホムンクルスの一小隊。

それに悪魔族十六名が、今回支援をしてくれる。

更に、ペーターお兄ちゃんとメルお姉ちゃん。ナスターシャさんと、お姉ちゃん。この四名が、ベテラン勢として側に。

ミミちゃんとジーノ君。

そして、切り札として、マクヴェリオンを操作するマークさんも、来てくれる。

それに、医療魔術師が三名。

以前お世話になったリオネラさんは、今産休だとかで、流石に参加は出来なかったけれど。

この三名は、いずれも実績がある術者。

背中を預けることは、問題なく出来るだろう。

それに以前非常に心強い戦力として活躍してくれたベイヴさんも来てくれている。他にもランク6から7のベテラン勢が数名。

合計して、トトリも会わせて五十六名。

更に、ロロナ先生の近衛のホムンクルス部隊、十五名もこれに加わる。合計して、七十名を越える大部隊だ。

アーランドの軍事行動で、七十名オーバーというと、相当な規模である。

顧問として、控えてくれているのが、パメラさん。

ジオ陛下の推薦があったので、連れていくのだけれど。

相変わらずマイペースな様子で。

整列している皆の中でも、ふわふわしている様子が、妙に目立っていた。106さんなどは、露骨に不機嫌そうにしている。

ステルクさんとクーデリアさんが、トトリの左右。少し後ろに立つ。

ロロナ先生が、他の人達の前に。

トトリは、用意された台の上に乗った。

港の一角に整列している戦士達の視線が集まる。しかし、今更もう、物怖じするようなことはない。

「これより、アーランドを。 いや、この世界を脅かす邪神、イビルフェイスの討伐任務を開始します。 目的地は東の大陸。 恐ろしい極寒の地での戦闘ですが、幸い幾つかの経験があります。 既に準備は完了。 みなさんが全力を尽くせるようにしてあります」

心置きなく戦ってください。

そう言い終えると。

ステルクさんが、後ろで声を張り上げた。

「敵は大陸中の魔力を吸い上げ、邪な目的に用いようとしている。 それを阻止できれば、スピアの野望を大きく後退させることが可能だ。 勿論相手はいにしえの時代から息づく邪神。 簡単な相手では無いが、此処には交戦経験がある人間が三名もいる。 必ず勝てると信じている」

おおと、ステルクさんの言葉に感嘆の声が上がる。

クーデリアさんは黙ったまま。

声を出す必要がないと判断しているのだろう。

「それでは、出航します! 各自、ホープ号に乗り込んでください」

「おおっ! 戦だあ!」

心底嬉しそうに声を上げる戦士がいる。

黙々と、船に乗り込んでいくホムンクルス達。

元々この船は、百名以上の人員を乗せて航海できる規模を有している。七十数名程度なら、どうにでもなる。

更に、念のために。

今回はちむちゃんを二人連れていく。

二人には途中、足りない物資や、持ち込んだ物資の複製をして貰う。

なお、料理要員として、労働者階級の人を四人連れてもいくが。これでも、合計で八十名は越えない。

文字通りの大戦力だけれど。

恐らく、二度はない。

スピアだっていつまでももたついていないだろうし、一なる五人の計画は、想像以上に進んでいるはずだ。

今回、邪神を倒せなければ。

これだけの戦力を揃える事も。もう出来ないだろう。

全員が乗り込むのを見届けてから、トトリも乗船。既に準備万端なバリベルトさんに声を掛ける。

備品のチェックは、集会の前に済ませてある。

命綱になる六分儀や羅針盤。それに湧水の杯。甲板や装甲の状態。何より、もっとも重要な炉の状態も。

既に、確認済みだ。

「出航してください」

「よし! 動力炉、魔力注入!」

「魔力注入開始!」

船が。ホープ号が動き出す。

この大陸最大の戦闘艦が。波を蹴立てて、海原に。

艦橋から、港を見ると。お父さんがいた。二番艦の建造が始まった事で、また荒々しい側面を出し始めている。

手を振られたので、振り返す。

向こうには見えていないとしても。これが今生の別れになる可能性も高いのだ。儀式として、やっておきたかった。

向こうに着くまで、二週間。

その間に、やっておくべき事が、幾つかある。

まず最初に、ロロナ先生に言われていたことをこなす。パメラさんに、話を聞いておくことだ。

ロロナ先生によると、パメラさんは、歴史の生き証人。

世界が滅び。

そして、再生する過程を見た存在だ。

そう言う意味では、ジュエルエレメントさんとも近いけれど。あの人はあくまで、世界再生については、受け身の立場だった。

パメラさんは、具体的にどうやって世界が再生していったのか、知っている人間だというのだ。

一日ほどは、トトリも忙しい。

書類の作業もあるし、他にも様々な雑事をこなさなければならない。

それが済んだ後。

パメラさんに貸している、部屋の一つに向かう。

既に知っている。

彼女が一種の死者で、体が借り物である事は。

だから、彼女の体に流れている魔力が異常な事や。ずっと年を取らないことに関しても。

おかしいとは、思わなかった。

「どうしたの?」

「ロロナ先生に言われて来ました。 世界の再生に、貴方が関わっているから、話を聞いておくようにと」

「その通りだけど。 どうしたのかしら、ロロナちゃん。 トトリちゃんはもう国家機密を知らせて良い立場にはなっているけれど」

何だろう。

もの凄く、嫌な感覚が背筋を走った。

ロロナ先生は、何かを予知しているのだろうか。

あの人は、アーランドでも屈指の魔力の持ち主だ。そして、魔力が強い場合は、大体勘も鋭いのである。

これはトトリでも知っている、鉄則中の鉄則だ。

だから魔術師として大成している人間は、だいたいの場合遺産分配などで困ることがないという。

いざというときに備えて、早めに遺言などを残しているからだ。

早い段階で自分の死を知れば、心の準備も出来るし、ある程度遺産分配についても話をする事が出来るのだから。

椅子を勧められたので、座る。

パメラさんは、いつもはマイペースに笑っているけれど。

恐らくは、機密を話すからだろう。

雰囲気が変わる。

部屋には、防音の結界を、事前に張って貰った。これは、シェリさんをはじめとする信頼出来る悪魔族数人に、作業を担当して貰ってある。シェリさん達も、快く受け入れてくれた。

「まず、どこから話そうかしら。 そうね、世界はどうして滅びたかがいいかな」

「是非、お願いします」

頷くと、パメラさんは、話し始めた。

 

昔々。

世界には、それこそ星の数ほどの人が溢れていた。

人は圧倒的な最強の勢力だった。個々は脆弱だったけれど。過剰なまでの威力を誇る武器を使いこなし、身に余りすぎるオーバーテクノロジーを持ち、何よりその異常な数で、どのような存在も敵しえない存在だった。

どんな獣も暴力でねじ伏せる事が出来。その圧倒的な実力で、何もかもを好き勝手に食い散らし。世界を我が物顔で闊歩した。

環境の保全も、当時は圧倒的強者の立場から、「してやっている」ものであって。現在の切実な行動とは根本的に違い。

趣味で、気が向いたら、やってやっている。

その程度の行動に過ぎなかった。

トトリは流石に唖然とする。

アーランド人としては、考えられない事だからだ。そして、何となく分かる。世界がこのようになってしまったのも、無理からぬ事だったということも。

やがて、あまりにも多くなりすぎた人々の中で。

ある愚かしい思考回路を持つようになった人達がいた。その思考回路というのは、自分は優れている、というものだ。

優性思想。

世界を滅ぼすことになるその思想は。

世界中に、あっという間に浸透していった。

「自分は、優れている、ですか?」

「特別だと言い換えても良いかしら」

「特別……」

「この思想の味噌はね。 自分は特別だから、全てを独占するべきで。 劣った存在は、駆除しても良いと言うものだったの。 数が増えすぎた人間がひしめく世界では、多くの人が鬱屈を抱えて生きていた。 だから、誰かに言って欲しかったのでしょうね。 お前は特別な存在で、優れているから、何をしても良いのだと」

ぞくりと、背中に悪寒が駆け上る。

たとえば、それは。アーランド戦士が、世界最強だと自負するのとは、違っているのだろうか。

違う。

これは、単純に現実的な認識で。世界最強だから、何もかもを独占して良いとか、好き勝手にして良いとか、そういう思想とは結びついていない。或いはそんな風に考えている人もいるかも知れないけれど。それはあくまで、例外の筈だ。

やがて、優性主義者達は、カルト化。同時に、爆発的に、その数を増やしていった。

そして、彼らは実行に移す。

世界を独占するための行動を。

既に多くの科学者や政治家も抱き込んでいた優性主義者達は。様々な理論武装をしながら、同時に実際の武装もしていくようになった。

彼らは、発明してしまう。

「優秀な存在」以外を、根こそぎ排除するための武器を。

それこそが、劣性形質排除ナノマシン。劣悪形質排除ナノマシンという呼び方もある。いずれにしても、目に見えないほど小さく、自己増殖し、ありとあらゆる生物を殺しつくしていく、最強最悪の存在。

世界を荒野に変えた、悪夢の兵器である。

そして、優性主義者達は、歓喜の声とともに。世界を滅茶苦茶にすると知りながら、その兵器を用い。

まず、自分たちが、排除されることになった。

「これは後から分かったことなのだけれどね。 ナノマシンを制御するために造り出した邪神が、暴走したの。 邪神にして見れば、最も劣っている存在と言えば、今目の前で騒いでいる、自分を優秀だと思いこんでいる人間達だったのだから。 劣っている存在を皆殺しにしろ。 そう命令されて、何をするかと言えば。 決まり切っていたのね」

「何て愚かな……」

「でも、その程度で、彼らの愚かさは止まらなかった」

世界中が、恐ろしい兵器の火に包まれ。

ありとあらゆる場所が、汚染されていった。

パメラさんは。

そんな時代に生を受け。

地下で暮らしながら、必死に世界を再生するための研究に従事した。

ばたばたと倒れていく仲間達。

その中には、パメラさんが地獄のような世界の中で、心を許した人達の姿もあった。

何もかもが、滅びていく中。

パメラさん達は、二つの研究を、主に進めて行くことになる。

一つは、劣悪形質排除ナノマシンを、この世界から除去していく研究。

体の中に、劣悪形質排除ナノマシンを取り込み、無力化する仕組みを作り出していった彼らは。

やがて、悪魔族と呼ばれるようになった。

その人とは明らかにかけ離れた姿。

そして、ジュエルエレメントさんからも聞いた事がある内容。確かに、話は一致している。

悪夢のような現実。

でも、パメラさんは、それを自然に受け入れている様子だ。そして、パメラさんの口調からも、分かった。

きっと、パメラさんの大事な人は。

悪魔族となる事を決めて、彼女の前を去ったのだろうと。

世界を回復させるために、己を犠牲にした一族。それはとても悲しい事なのだろうけれど。

ようやく、人は。

己の手で傲慢に搾取していた世界と。

一緒に生きることを、考えられるようになったのだ。

そして、もう一つの研究は。

世界にいる生物を強くすることで。この悪夢の時代を乗り切ることを根底戦略とするものだった。

あらゆる生物が強くなれば。

どれだけ悲惨な悪意に世界が満たされていても。きっと生き延びることが出来る筈だと。

その研究を提唱したものは、考えたのである。

「そうして開発されたのが、神の酒、ネクタルよ」

「……!」

「回復薬としてはあまりにも桁外れだと気付いていたのでしょう? アーランド人はね、このネクタルを最も濃く摂取しながら、強く強く進化していった一族なの。 アーランドの水にも土壌にも、私達が開発したネクタルが流れ込んでいて。 アーランド人は幼い頃から、ネクタルを摂取しながら生きて、強くなっているのよ」

ネクタルは今でも生産され続けていて。

それが故に、アーランド人は強い。

そう聞いて、トトリは思わず天を仰いでしまう。そうか、このアーランド人の戦闘能力は。

他者の手によって、作られたものだったのか。

「私は、そのネクタルが作り出される工場の監視システムとして、人を止める事を決意した存在なの。 でもね、監視のために作られた機械は、長い間が経つうちに、眠り続ける私を哀れに感じるようになったのでしょうね。 私が眠るのに用いていた媒体を、ある事件で、ロロナちゃんに託したのよ」

なるほど、全ての合点がいった。

そして、ロロナ先生の意思も分かった。

自分に何かあったとき。

パメラさんを守って、研究を引き継げ。

そう言っているのだ。

でも、トトリだって、ロロナ先生を死なせたりしない。今は、トトリだって、無力な子供では無い。

地位を手に入れた。

ランク9といえば、アーランドの幹部級。

地位と人脈を兼ね備えた、機密だって知る事が出来る立場の人間だ。絶対に、ロロナ先生を守り抜ける。

「パメラさん」

「なあに?」

「ロロナ先生に、危険が迫っているかもしれません」

「どうしてそう思うの?」

可愛らしく小首をかしげるパメラさん。

長い年月、人を見守ってきたのだろうけれど。この人はそれ故に。あらゆる事を、優しく見守る事が出来るのだろう。

「ロロナ先生は、トップクラスのアーランド戦士です。 それなのに、私にこんな事を託すなんて、よほど良くない予感があるに違いありません。 そして、ロロナ先生の桁違いの魔力を考えれば、それが笑い飛ばせないことも、理解していただけるかと思います」

「そうね。 それで、私はどうすれば良い?」

「いざというときには、協力してください」

「そうね。 私もロロナちゃんがいなくなったりしたら、寂しいもの。 協力はするわ」

頭を下げると、出る。

ひょっとすると、パメラさんは。

何か知っているのか。

でも、トトリだって、多くの経験を積んできて、人脈だって増やしてきた。何かあったとしても、簡単には好き勝手などさせない。

させてたまるか。

お母さんだけでも、こんなに苦しいのだ。

ロロナ先生まで、悲惨な亡くしかたをしたら。トトリは、きっと発狂してしまうだろう。そうなったら、お父さんやお姉ちゃんが、どれだけ悲しむだろう。

頭を振って、全ての悪夢を追い払う。

外で待ってくれていたシェリさん達が、防音の結界を排除。

トトリに、心配そうに声を掛けてきた。

「何か、とんでも無い事があったのですか?」

「ううん、大丈夫です」

「……いざというときは、我等悪魔族の本拠である夜の領域においでください。 貴方ほどの錬金術の使い手が迫害されることを、悪魔族としては見てはいられない。 ましてや貴方は、命がけで一緒に戦って来た戦友だ。 我等が主ロードの名にかけて、悪魔族は貴方の味方です」

「ありがとう。 本当に、嬉しいです」

嗚呼。

トトリは、今までやってきた事が、無駄では無かったのだと。こういうときには、切実に感じる。

でも、ロロナ先生の予感している悪夢は、きっとそんな程度で回避できる運命では無いのだ。

自室に戻ると、トトリは目尻を拭った。

何となく、分かってしまうからだ。あらゆる手を尽くしても、絶対の回避はおそらく不可能だろうと。

きっと、イビルフェイスとの戦いが要因では無くて。別の事が要因となって、引き起こされる悪夢。

回避するためには。

それこそ、トトリが全てをなげうつ必要がある。

でも、トトリは、今の話を聞いてしまった。絶対に、世界は、個人のエゴでどうこうして良いものでは無い。

一度そうしたことで。

世界がこうなってしまったのだと聞けば、なおさらだ。

世界を無茶苦茶にした人達と同じになっては、絶対にいけない。それは、世界に対する冒涜。

いや、アーランド戦士という生き方を、不器用ながら続けてきたトトリの、今までの全てを侮辱することだ。

クーデリアさんの所に行ったのは。彼女は、ロロナ先生の事なら、何でもしてくれるという確信があるから。

ステルクさんは、どうしよう。

少し英雄願望が強すぎる所はあるけれど。ステルクさんも、きっと話を聞いてくれるはずだ。

ロロナ先生は、二人に相談するなとは言っていない。

巻き込まれる事を悲しむかもしれないけれど。この二人を味方に引き込んでおけば、悪夢から回避される選択肢だって、絶対に幅が拡がる。

トトリは意を決すると。

二人の部屋へと、脚を伸ばすことにした。

出来る事は、出来るだけやっておく。例え悪夢が、回避できないものだとしても。へたり込んだままみているのは、もう嫌だ。

 

1、塔の口

 

二度目の、東大陸に到着。

前回ほどの苦労はない。既に防寒着も用意してあるし。キャンプを構築するための物資だって充分だ。

前回よりも、かなり西。

補給拠点として使う事が出来る、生け贄の村の近くにホープ号を接舷。わずかな防衛要員だけを残して、戦闘要員は全員が降りる。

念のため、ホープ号は海上に退避。

戦況を見やすいように。

邪神イビルフェイスがいる塔の近くまで、移動して貰う。

イビルフェイスのいる塔の近くの海岸は、険しいリアス式になっていて、接舷が出来ない状況だ。

浅瀬も入り組んでいて、下手をすると座礁の恐れさえある。

そんなところで危険を冒すわけにはいかない。

上陸を済ませると、まずは雪の排除。ロロナ先生とナスターシャさんが、黙々と熱の魔術で雪を排除し。その後結界を展開。

全員が防寒着を装備。

そりも、既に作ってきてある。

マクヴェリオンも起動。

キャンプが出来。火が熾きてから、手を叩いて、トトリは皆の注目を集めた。

「はい、これからのスケジュールについて、説明します」

とはいっても、何度か会議で話し合いはしているから、単なる事実関係の確認に過ぎないのだが。

まず、これより。

全部隊は一丸となって、生け贄の村を目指す。

物資は足りているけれど。其処で軽く交渉して、特に食糧や防寒着に予備がないかは確認。

これは帰りに、恐らく防寒着がダメになっている場合が予想されるからだ。

情報収集も、此処で行っておく。

それら作業が済んだら。

いよいよ、邪神イビルフェイスが住まう塔へ、進軍することになる。

塔の中は、恐らく、ほぼ確実に空間が歪められていて。広い構造の中、多くの敵が迎撃してくる可能性が高い。

重要なのは、首魁を確実に打ち倒すこと。

そのためには、国家軍事力級戦士であるステルクさんとクーデリアさん、それに近い実力を誇るロロナ先生を、確実に敵の最深部へと届けること。

その邪魔を、確実に排除する事が重要になる。

「私達の役割は、露払いです」

勿論、露払いが終わったら、加勢する。

事実この中には、メルお姉ちゃんをはじめとして、既にハイランカーになっている冒険者が大勢いる。

マクヴェリオンによる支援もある。

きっと、三人だけではなく。全員で、最後は邪神に相対することが出来る筈だ。

時間も、あまり気にしなくて良い。

敵の大物モンスターがたくさん出てくる場合は、全てを各個撃破していく方針。

今回に関しては、それでいい。

全員で袋だたきにして行けば、それだけ戦力の消耗も抑えられるのだ。時間がないときは、押さえだけを置いて、奧へ戦力を送り込む、という選択肢もあるけれど。今回は、それに当てはまらない。

全力で、敵を必ず殺す。

その態勢を、トトリは作り上げた。

「何か、質問はありますか?」

質問は、とりあえず無し。

補給物資も充分。

隊列を整えて、出発。

周囲には、既にモンスターの気配があるけれど。仕掛けてきたら、叩き潰すだけのことだ。

悪魔族には、上空に展開して貰う。

そうすることで、奇襲をより防ぎやすくするためである。

しばし、無言の時が続く。

マクヴェリオンが雪をかき分けて進む。マークさんが、様々な装備を追加してくれたおかげで、更に作業がやりやすくなっている。

マクヴェリオンの肩に乗ったペーターお兄ちゃんが、監視も続行。

敵を近づけさせない。

ほどなく、生け贄の村に到着。トトリが数名を連れて、交渉に出る。その間に、本隊は、塔へ向かって貰う事にする。

此処で足踏みしていても、仕方が無いからだ。

ピルカさんは、トトリを見ると。驚いたように顔を上げる。

「また来たのだね。 ピアニャは元気にしているかい」

「はい。 アランヤで、錬金術を勉強しています。 とても飲み込みが早くて、いずれアーランドで名を知られる錬金術師になる筈です」

「そうかい。 すまなかったね、色々と迷惑を掛けて。 それにこんな村ではなくて、大きな国であの子の才覚が知られるようになるのは、良い事だ。 今後も頼むよ」

そう、何度も頷くこの村の長老。

トトリは、一旦言葉を切ってから。切り出す。

今回は、イビルフェイスを、殺しに来たと。

流石に愕然としたらしい長老だけれども。トトリの表情を見て、それが本当だと、悟ったらしい。

しばらく震えていたけれど。

ようやく、声を絞り出す。

「止めるんだ。 あのギゼラ=ヘルモルトでさえ、塔に押し返すのが精一杯だった存在だよ……」

「分かっています」

「ならば何故」

「今、アーランドにおける最強の戦士を二人。 それに匹敵する魔術師が一人、此処に来ています。 みな、邪神との交戦経験を持つ凄腕です」

トトリを見て、悟ったのだろう。

本気だと。

「それに、邪神には、ある危険な要素がある事が判明しています。 アーランドにとっても、です。 捨て置くわけにはいきません」

「……そうか」

「はい。 死にに行くつもりはありません。 必ず、生きて戻ります」

「そうしておくれ。 これ以上、よそから来た勇者の墓を作るのは、たくさんなんでね」

視線を背けたお婆さん。

物資の補給についての話をすると、持って行けと言われた。

此方からは、医薬品を幾らか提供。

その代わりに、食糧と防寒具を幾らか受け取る。これらはあくまで保険だ。

生け贄の村を出る。

村中に、不安が広がっているのが分かる。でも、トトリは。彼女らに頭を下げる事しか、出来なかった。

 

塔に到着。

既に夕暮れである。

大気も肌を切るように冷たい。しかし塔の前には、既にロロナ先生が、結界を展開して、気温を保っていた。

パメラさんが作業を開始する。

固く閉じられた、塔の入り口。

パメラさんはそれに手を当てると、目を閉じた。

解析を開始したと見て良いだろう。

事前に聞いたのだけれど。運が悪いと、三日以上掛かるという。勿論上手く行けば、一瞬で終わるという事だ。

いつ戦闘が始まってもおかしくない。

パメラさんの側には、クーデリアさんが常時張り付いている。

他のメンバーは少し距離を取って、陣地を構築。火を熾して、今のうちに温まっておくことにする。

メルお姉ちゃんは、本当に気の毒なほど寒そうにしていたけれど。

火に当たって、やっと人心地がついたのだろう。胡座を掻いてだらんとしていた。

「全く、冗談じゃない」

「メル、気を抜きすぎだ」

「わかってる。 ペーター兄、しばらく扉は動きそうにないんだろ」

「それもそうだが、陣取っている我々に、モンスターが仕掛けてくる可能性も小さくは無いからな」

勿論、それにも備えてある。

塔の防衛機構が死んでいる事は既に確認済みなので、その上層、制空権は既に抑えた。悪魔族の戦士達のうち数名が、上空から周囲を監視中だ。

また、陣地には、生きている大砲を数門据え付ける。

これも、防御のためのもの。

敵を殺すためではなく。仕掛けてきた敵を怯ませる、或いはダメージを与えることによって、足を止めるためのものだ。

足さえ止めてしまえば、アーランド戦士の敵ではない。

既に周囲のモンスターの中で、危険度が大きいものに関しては、お母さんが駆除し尽くしているし。

今日も念のためにクーデリアさんがここに来る前に辺りを調べて。めぼしい奴は全て狩つくしてくれているのだ。

ロロナ先生が、パメラさんの横に。

技術的な話をしている様子だ。

巡回から戻ってきたミミちゃんが、トトリの隣に腰を下ろす。

既に夜中。

一旦、交代で休憩を取って貰っている。勿論、塔のすぐ側では危ない。塔から少し離れた所に、休憩用の第二キャンプを作ってあるのだ。

生け贄の村に迷惑を掛けないために。

トトリは今回、二重三重の防護策を講じている。

最悪の場合でも、邪神とは必ず差し違える。

此処にいる戦力なら、それが可能なはずだ。

「今の時点では、異常は無し」

「お疲れ様、ミミちゃん」

「高くつくわよ」

冗談めかして言うと、ミミちゃんは休憩用の第二キャンプへと姿を消す。トトリも休んだ方が良いかと、思った時だった。

ロロナ先生が、振り返る。

「開きます!」

「照明弾を!」

すぐに、戦士達が展開。

ステルクさんも、扉の側に張り付く。

ミミちゃんには悪いけれど。休憩中の戦士達も、すぐに起こして貰わなければならないだろう。

思ったよりも、ずっと早かった。

最後の戦いが、これから始まる。

そう思うと、怖くもある。

それに、トトリが生きていくのなら。これは最後の戦いでは無い。この後も、ずっと血塗られた道を行く事になるだろう。

展開していた戦士達が戻ってくる。

扉のすぐ前に立ったのは、マクヴェリオン。扉の内側から、大威力攻撃があった時の備えだ。勿論、できる限りの魔術による防御も掛けてある。

全員が揃い、突入の態勢を整える。

パメラさんが頷くと。

手を、扉に当てた。

「lasdfahfsdhfa」

それは恐らく、いにしえの言葉なのだろう。

少なくとも、トトリには聞き取ることが出来なかった。

今まで、ロロナ先生の砲撃でさえびくともしないと明言されていた扉が、左右に開き出す。

戦いが始まる。

トトリはその光景を見ながら、嫌でも悟っていた。

内側からの攻撃はない。

照明弾を内部に放り込むと、マクヴェリオンがまず先頭に立って入り込む。それからステルクさん。クーデリアさん。

「GO!」

クーデリアさんが、手招きする。

入り口付近に、罠は無しという事だ。

悪魔族の戦士達が、入り口を幾つかのつっかえで固定。これは出立前に、調達できたハルモニウムのインゴット。

加工はしていないけれど。

その硬度は折り紙付きだ。何があっても、以降これで、扉が閉まることはない。何しろ、物の根元たる状態が崩壊する熱に直面しても、壊れないという超金属だ。

マクヴェリオンが、ゆっくり進む。

その後方、左右の安全を確認しながら前進。魔術による防御壁も、逐次展開。

それにしても、奧は広い。

所々に、照明弾が光源を作っているけれど。

これは、確かに。明らかに外から見ている遺跡よりも。内部の方が、格段に広いのだと分かる。

不意に、マクヴェリオンが動く。

両手を広げて、受け止めたのは。灼熱の火球。

爆裂。

マクヴェリオンさえ赤熱させる火球を放ったのは。前方の上部。階段の上に陣取っている、赤い鱗を持つドラゴンだ。

その巨体、正に世界に冠たる強者の一族。

しかも、それだけではない。

進み出てくる、二体の巨影。

一体は、マクヴェリオンによく似た姿の人型。これは恐らくは、ロロナ先生が言っていたガーディアンだろう。

そしてもう一体。

ドラゴンに勝るとも劣らない巨体。超特大サイズのベヒモスだ。全身は青黒く、野生の個体とはとても思えない。

「邪神の近衛か」

「攻撃を開始してください!」

「敵、多数出現!」

警告の声。

周囲に、無数の影が浮き上がる。

どうやら、敵も防衛のために、本腰を入れてきたようだった。

「全員で生きて帰ります! 総力戦用意!」

トトリが叫ぶと同時に。上からも左からも右からも前からも。

後ろと下以外の全ての空間から。

雲霞のような敵が、殺到し始める。

最初に動いたのは、クーデリアさん。真っ正面に突貫すると、ドラゴンの至近に出現。ブレス第二射を放とうとしたその顔面に。特大の一撃を叩き込む。

爆裂。

ブレスが誘爆したドラゴンが、怒りの雄叫びをあげる中、クーデリアさんが上空高々と跳躍。

その残像さえ切り裂きながら。

ステルクさんが、雷撃の青を、横一文字に振り抜いていた。

「そのまま天に散れ!」

一撃は、文字通りの神域。

無数の雑魚モンスターを薙ぎ払いながら、ドラゴンとガーディアン、大ベヒモスに直撃、爆裂した。

勿論、この程度で倒せるとは、トトリも思っていない。

「防御円陣! まずは敵の頭数を減らします!」

「了解っ!」

ホムンクルス達が左に。右に悪魔族の戦士達が展開して、壁を作る。

そしてその内側から、魔術による攻撃と射撃を浴びせ、敵を確実に削り取っていく。

先ほど展開していた魔術の防御は、既に喰い破られている。敵の数が多すぎるのだ。塔の外に出る手もあるけれど。今はその手は使わない。

敵が集中している間に。

可能な限り、削り取る。

塔の外に、この邪悪を漏らすわけにはいかないのだ。

邪悪。

本当に。

頭を振って、邪念を追い払う。

完璧な槍衾を作ったホムンクルス達が、押し寄せたモンスターの群れを、ファランクスのごとくはじき返す。

隙が出来た瞬間。

其処にメルお姉ちゃんが突貫した。

「寒くて機嫌が悪いから、手加減しないよ?」

特大のバトルアックスを、敵のど真ん中で振り回し始めるメルお姉ちゃん。更に、槍をしごいて、お姉ちゃんも其処に加わる。

同士討ちを怖れて攻撃が鈍る敵ではないけれど。

こうなると、背中合わせに戦う二人のコンビネーションは、完璧だ。

煙が晴れてくる。

再び、火球を放ってくるドラゴン。

マクヴェリオンが、力尽くでガード。しかし、金属混じりの足音を立てながら、突進してきたのは、ガーディアンだ。

やはり、ステルクさんの一撃にも、耐え抜いていたか。

ロロナ先生が、ここぞと砲撃を叩き込む。

突貫してきた、ガーディアンに直撃。その歩みが、止まる。しかし、直撃で消し飛ばない。凄まじい頑強さだ。

しかしその隙に。

「GO! マクヴェリオンっ!」

マークさんが絶叫。

なんとマクヴェリオンの右腕が外れ、火を噴きながら、敵に突進。よろめいたガーディアンの右頬に、拳が直撃したのだ。

拳が戻ってきて、腕に装着されると。

今度は、全身で、マクヴェリオンが突進していく。

「パワープレスだ、マクヴェリオンッ!」

多分、あんまり意味はないのだけれど。気分の問題なのだろう。マークさんは叫びながら、コントローラーを弄っている。

体当たりをぶちかますマクヴェリオン。

しかし、ガーディアンも踏みとどまる。鉄の巨人が二体、がっぷり四つに組むと、凄まじい力比べを始める。

右に、殺気。

今の瞬間に回り込んでいた大ベヒモスが、拳を振るい上げていた。

槍衾の至近に、もう来ていたのか。

だが、ミミちゃんとジーノ君が即応。

「通すかよ、ボケっ!」

ふくらはぎに、ジーノ君の一閃が走り。

大ベヒモスの全身を、ミミちゃんの斬撃が抉り取っていく。そして、上空に跳び上がったミミちゃんは。

頭上から、正中線を抜く一撃を、切りおとす。

しかし。

拳を振るった大ベヒモスが、二人を容赦なく吹っ飛ばす。

その顔面に、鉄球が直撃。

ベイブさんだ。

「ひゅう、堅いねえ」

「火力を集中してください!」

負傷者も、出始める。

真上に展開した敵が、急降下攻撃を開始。悪魔族に、上空に上がって貰い。右側の壁には、ロロナ先生の近衛に入って貰う。

敵の群れの中で暴れるハイランカー冒険者達が、確実に敵を削ってくれているけれど。それでも、敵の数が多すぎる。

ステルクさんは、ドラゴンの至近に迫り、丁々発止の駆け引き。ブレスが彼方此方に飛び火しているのは、流れ弾だ。

マクヴェリオンとガーディアンは、堅く組み合ったまま。

モンスターの群れと味方は、ほぼ互角。

ロロナ先生も時々砲撃で削っているけれど。敵はまだまだ数が圧倒的。くずれるほどではない。

クーデリアさんが戻ってくる。

残像を造りながら、弾丸を再装填。

「さて、どうするかしら」

「均衡を崩すには、一点集中が必要です」

「同感ね。 で?」

「あのドラゴンを、仕留めに行きます」

トトリは、エリキシルを取り出す。

危険すぎる、超圧縮ネクタル。

それに、暗黒水。

様々な廃棄物を最大限に圧縮した、禁断の猛毒。

ロロナ先生のレシピを見て、以前作って。まだ試す機会がないものだ。

まずは暗黒水を試す。

駄目なようなら、エリキシルでいく。

ドラゴンを最初に叩きに行くのは、明らかに一番強いからだ。ステルクさんの消耗も、出来るだけ減らしたい。何より、あの遠距離からのアウトレンジ砲撃。マクヴェリオンが防ぎ切れたから良かったものの。一撃でも浴びたら、味方が半壊するくらいの火力だ。放置するのは、危険すぎる。

トトリが取り出した薬壺。

ロープを巻き付けたのを見て、クーデリアさんは、策を悟ったようだった。

クーデリアさんが、ロロナ先生にハンドサイン。

それだけで意図が通じる。

頷くと、トトリは。

ミミちゃんに声を掛けた。

突貫。

叫ぶと、走る。

敵の群れが防ごうとするけれど、横殴りに飛んできた大斧が、まとめてなぎ倒す。敵中で暴れ回るメルお姉ちゃんのアシストだ。ブーメランのように飛翔した大斧が、壁にぶちあたって跳ね返る。それを空中でキャッチしたメルお姉ちゃんは、更に地面に向けて、斧を投げつけた。

爆裂。

濛々たる煙。乱戦の中、確実にそれでも敵だけを打ち砕いていくメルお姉ちゃんは、大したものである。

棒を振るい。

立ちはだかる敵をなぎ倒しながら。

トトリは、ひたすらに前進。

もっとも、トトリは精々ベテランの中堅程度の近接戦闘能力しかない。どれだけ集中していても、無傷とは行かない。

爪がかする。

槍が脇腹を抉る。

肩口を、矢が掠める。

乱戦だ。

当然のダメージ。その程度、トトリは気にしない。

ミミちゃんが追いついてきた。トトリの後ろに回っていたホムンクルスらしい敵を、一刀で斬り伏せた。

トトリも、前にいた相手を、棒で突き崩し、更に走る。ドラゴンが、近づいてくる。ドラゴンは、真っ赤な全身を躍動させ、ステルクさんと丁々発止にやりあっている。何度かブレスを放とうとしているけれど、その度にステルクさんの雷撃を貰い、苛立って反撃に出ていた。

階段。

辺りは血だらけで、下手をすると滑る。

飛びかかってきた一体。人型のホムンクルスに見えるけれど、顔はまるで虫だ。踏み込みながら、棒を一閃させ、地面に叩き付ける。しかしその背後から、床と水平に。今の奴を死角にしながら、蛇のモンスターが、飛びかかってくる。

まるで生きている投げ槍。

トトリが愕然としている間に。その槍は、見る間に距離を詰め。

ミミちゃんも間に合わない。

かろうじて、ステップだけはするけれど。蛇の速度が速すぎる。

もろに、直撃。

吹っ飛ばされ、床にたたきつけられ、バウンドしたトトリに。獲物を巻殺すべく、蛇が瞬時に絡みついてくる。

締め上げが凄まじい。

ミミちゃんが、蛇を切り伏せ、胴をかっさばいたときには。

トトリは、骨を数本やられたのを、感じていた。

乱戦の音が、遠くに聞こえる。

「トトリっ!」

無言で、そのまま取り出したのは、ネクタル。

飲み干すと、体が熱くなる。流石に瞬時に骨は治らない。ただ、肉離れした部分くらいは、回復する。

意識も、はっきりしてくる。

立ち上がる。骨が回復していくのは分かるけれど。今は、全快を待っている余裕が無いのだ。

「いける!?」

無言で、ミミちゃんの手を引く。

直撃したのは、ドラゴンの尻尾。トトリが間に合わなければ、ミミちゃんはミンチになる所だった。

見上げた先には。

ステルクさんと激しくやり合いながらも。尻尾を叩き付けるだけの行動に出てきた、ドラゴンの圧倒的巨体。

尻尾が階段の下にまで届く上に。

その体にある鱗は。未だ、殆どが無傷。

更に、ドラゴンは戦況も見ている様子で。時々飛んでくる魔術や弓矢に関しても、確実に対応を続けていた。

此奴は、強い。

安易に毒を口に放り込めるとは思えない。

しかし、それが逆に隙になる。

今度は、尻尾を横殴りにドラゴンが払ってくる。邪魔だとでも言わんばかりだ。事実その通りなのだろう。

あの巨体にとっては。ステルクさんくらいの使い手でもなければ、後は全部雑魚に違いない。

ミミちゃんが今度は、トトリを抱えて、横っ飛び。

死体を薙ぎ払いながら、尻尾が飛んできて、掠める。

凄まじい勢いで、二人して吹っ飛ばされる。

風圧だけで、これか。

床にたたきつけられて、嫌な音。

また、骨が折れたらしい。

でも。

接触の瞬間、トトリはやった。

ドラゴンが、凄まじい絶叫をあげる。

カウンターになる形で投げつけた、暗黒水入りの薬瓶が、奴の背中辺りに直撃していたのだ。

鱗が溶け、煙が上がっている。

あの様子なら、肉にまで食い込んでいるはずで、その痛みは尋常では無い筈。

ここぞと、ステルクさんが、剣を降り下ろし、肩口から左前足の手首の辺りまで、一気に斬り下げる。

鮮血が、大量に噴き出す。

しかし。

猛烈な勢いで、此方に突進してくる大ベヒモス。他の全員が、乱戦で、此方に構っている余裕が無い。

ロロナ先生が砲撃を叩き込むけれど、それはドラゴンがとっさに放った小規模ブレスによって、中途で迎撃され、爆裂。

気絶しているミミちゃんを庇いながら立ち上がろうとしたトトリは、その爆発に吹っ飛ばされて、壁に叩き付けられていた。

吐血。

視界が、真っ赤に染まる。

更に、スピードを落とさず突っ込んでくる大ベヒモス。

ああ、これは死んだかもしれない。

そう思うけれど。

トトリは、倒れているミミちゃんに手を伸ばす。骨が何本やられているかも分からない。

それでも。

見捨てられない。

エリキシル入りの瓶を、思わず懐から落としてしまう。だから、それは偶然の結果。薬瓶が割れて、揮発した危険すぎる薬が。トトリを包む。しまったと思ったけれど。その時には、既に。

獲物を襲う熊のような姿勢で。

大ベヒモスが、その巨大な前足を振るい上げていた。

気付く。

体が、軽い。

ペーターお兄ちゃんが放った矢が、大ベヒモスの前足を、連続して貫く。一瞬だけ動きが鈍ったこともある。

トトリはミミちゃんを抱えて、横っ飛びに。

何だこれは。

全身のダメージが、凄まじい勢いで回復していく。これほどに、圧倒的な効果がある薬だったのか。

いや、違う。

パメラさんの言ったことを思い出す。ネクタルは、アーランド人にとって、命の源。その強さの根本。

だから、今トトリは。

その全ての原初に立ち返って。全身が沸き立っているのを、感じ取っているという訳か。

体が、速く動く。

ミミちゃんに、デュプリケイトを発動。今浴びたエリキシルを再現。少し浴びるだけで、充分だろう。

壁際に寝かせると。

何が起きたと、此方に振り返る大ベヒモスを見上げる。ミミちゃんは、すぐに目覚めるはず。どのみちこの乱戦だ。抱えたままでは、いずれトトリもやられる。それならば、こうするのが最善手だ。

大型のぷにぷにが、触手を飛ばしてくる。

無言で杖で弾き、二本目は絡め取ると、反射的に引きちぎった。悲鳴を背中に、トトリは進み出る。

大ベヒモスが咆哮。

残像を造り、跳躍。

空中で、ブレスを此方に放とうとした。そんな能力も、備えているのか。

トトリが取り出したのは、メテオール。

ブレスの方が、発動が早いけれど、どうでもいい。空中に向け、放り投げる。ブレスを、叩き込もうとする大ベヒモス。

その横顔に。

クーデリアさんが、全火力を、瞬時に叩き込んでいた。

流石に、態勢を崩す大ベヒモス。

其処に、メテオールが炸裂。

爆発の威力の悉くを受け止めることになった大ベヒモスが、態勢を崩し、ぷにぷにを押し潰しながら、床に激突、バウンドして、向かいの壁にまで吹っ飛んでいった。

さあ、もう一度だ。

ドラゴンを見やる。傷は、既に全快。恐るべき回復効果だ。デュプリケイトの消耗も、ほぼ無い。

いや、むしろ。

今はどんどん溢れる力が、体をオーバーヒートさせかねない。一気に使って行かないと、却って危険だ。

ミミちゃんが目を覚ますのを横目に、トトリは走る。

手にしたのは、以前作り上げたN/A。本物は荷車の中。あふれかえる魔力を使って、記憶を元にデュプリケイトで再構成したのだ。

走りながら、ステップ。体を旋回させ、紐付きのN/Aを振り回し始める。ドラゴンが、此方に気付く。

尻尾を振るおうとするけれど。

その動きは、鈍い。

突進したミミちゃんが、ドラゴンの背中に。傷ついている鱗を抉るようにして、走りながら、矛で一気に切り裂いた。

鮮血が、噴き出す。

噛みつこうとしたドラゴンに、ステルクさんが即応。雷撃の束を、振り上げながら、顎の下より叩き付ける。

トトリが、N/Aを投げつけたとき。

二人が、ドラゴンの体の、死角に入る。

トトリ自身は、爆発の寸前。

死んでいるモンスターの体を蹴り挙げて、その影に入り込んだ。

轟音が、ホールを包む。

爆炎が、辺りを覆った。

ドラゴンが、それでも、煙の中で、立ち上がろうとするのが見えたけれど。

その時、ミミちゃんが仕掛ける。

相手の周囲を旋回しながら連続して斬り付け、跳躍。

最後に、上空からのフィニッシュを見舞う、あの一撃。

完璧に、決まる。

だが、ドラゴンはそれでも死なない。着地したミミちゃんを、前足を降るって、吹っ飛ばす。

しかし、パワーが足りていない。

ドラゴンが、忌々しそうに、此方を見て、小威力のブレスを放つ。今度はそれが、悪手になる。

ロロナ先生が、完璧にタイミングを合わせ。

放った瞬間、口元に魔術砲撃をぶち込んだのだ。

爆裂。

凄まじい勢いで床にたたきつけられたドラゴンは、見ただろう。

トトリが二つ目のN/Aをデュプリケイトで出現させ、放り投げている光景を。

そして、天井近く。

ステルクさんが、全力までため込んだ雷撃を、放っている光景を。

雄叫び。

邪魔しようと突貫するベヒモスの前には、クーデリアさんが立ちはだかり、問答無用にクロスノヴァを叩き込む。

爆炎の中。

ベヒモスは、それでも突貫しようとし。

そして、その時。

二発目のN/Aが、ドラゴンの無防備な腹の直上で、爆裂した。

トトリが吹っ飛ばされながらも、受け身。何度かバウンドしつつ、その度に受け身を成功させる。

顔を上げて、確認。

ドラゴンが、N/Aとステルクさんの一撃の十字砲火を浴びて、完全に沈黙。更に、ステルクさんが首を叩き落とし、完全なとどめを刺していた。

これで、形勢が変わる。

マクヴェリオンを、ついに力で上回るガーディアン。一気に、投げ倒そうとするけれど。その横顔に、メルお姉ちゃんが投げた大斧が、直撃。

今度は、マクヴェリオンが攻勢に出る。

雄叫びを上げる大ベヒモス。

奧から、更に増援らしきモンスターの軍勢が現れる。しかし、その前に、ステルクさんが立ちはだかった。

「此処はとおさん」

一人で、モンスターの群れを、相手取るつもりか。

戦略を切り替えるしかない。

集中攻撃で、一体ずつ倒すのは基本だけれど。消耗を抑えるより、今は確実に全員が生き残ることだ。

ミミちゃんは壁際で、身動きできずにいる。

さっきの渾身の一撃で、力を使い果たしたらしい。始めて成功したのだし、無理もない。もう戦力としては、数えられないだろう。

それでもかまわない。

ミミちゃんは、充分すぎるくらい、やってくれたのだから。

トトリは呼吸を整えながら、突っかかって来る雑魚を右に左に薙ぎ払い、ゆっくり大ベヒモスへと進む。

体が無茶苦茶に軽い。いつもより数段強い。

でも、後のフィードバックも凄まじいだろう。今のうちに、可能な限り、敵を削らなければならない。

あれだけ攻撃を浴びながらも、まだ余裕を持って立ち上がる大ベヒモス。

大したタフネスだけれど。

トトリが、再び暗黒水を入れた瓶をデュプリケイトするのを見て、大ベヒモスは飛び下がる。

見て覚えていたか。

だが。

乱戦は、既に。ドラゴンがいなくなった事で、味方が圧倒的有利になりつつある。敵の増援は、ステルクさんが防いでいるし。上空に展開した悪魔族は、既にドッグファイトを有利な状況に。一部の悪魔族戦士は、上空から爆撃を開始、残った敵を処理に掛かっていた。

ベヒモスが吼える。

魔術の爆撃を、魔力で押し返し、吹っ飛ばす。

その体が、二回りは大きくなったように見えた。リミッターを完全解除。全力で戦うつもりなのだろう。

だけれども。乱戦を警戒して、此奴が力を抑えていたのは、既に予想済み。

トトリは、ハンドサインを既に出し終え。

何人かが、それに反応していた。

 

2、目覚める修羅

 

ミミは、何度か体を動かそうとして、失敗する。

さっきは、異常に体が軽くなった。トトリがデュプリケイトした、得体が知れない薬の影響だろう。

今まで、ほぼ成功もしなかった、アインツェルカンプが、綺麗に入ったほどである。あのジオ陛下から授かった秘儀。

完璧に決まれば、ミミの技量でも、ドラゴンに決定打をいれられるほどのものだった、ということだ。

しかし、その反動か。

体が上手く動かない。

階段の向こうでは、ステルクが全力で戦闘し、増援の敵部隊を、一人で食い止め続けている。

階段の下では。

トトリが、メルヴィアや106と一緒に、大ベヒモスとの戦闘中だ。トトリも、あの得体が知れない薬の影響だろう。

異常なくらいに、体が動いていた。

あれは、危ない。

多分フィードバックが、凄まじいはずだ。下手をすると、死ぬかもしれない。でも、そんな事は、絶対にさせない。

トトリが放った瓶を、大ベヒモスが風圧で弾く。

毒液が床にかかった瞬間、盛大に溶ける。

大ベヒモスが、ブレスの態勢に入るけれど。一瞬で態勢を変え、飛んできたロロナの砲撃を腕を振るってはじき返し。残像を作って、上空に。其処から、無数の魔術による槍を、広域に降らせた。

爆裂。

視界が、煙に覆われる。

拳を固めた大ベヒモスが、叩き付けた先には、メルヴィア。

メルヴィアも負けておらず、一撃を受け止める。床に、巨大な円形のへこみが出来、罅が縦横に走るけれど。

力比べは、一瞬。

大ベヒモスは飛び下がりながら火球を乱射。

その過程で、側面に回り込んだ106に拳を叩き込み。106も、双剣で数度の斬撃を浴びせ、互いに弾きあう。

早い上に、途方もなくタフ。

口元を拭う大ベヒモスは、不敵に笑っているようにさえ見えた。

しかし、その時。

煙が晴れてきて、分かる。

既に、他のモンスターは、全滅。

増援はステルクが防いでいる状況だ。

更に、ガーディアンも、マクヴェリオンに押さえ込まれている状況。完全に、大ベヒモスは、孤立した。

中途半端に押さえ込んでいた理由がこれだ。

トトリのハンドサインは、ミミも読んでいた。頭の方まで、徹底的に冴えまくっている。悔しいけれど、ミミは思い知らされる。

彼奴には、勝てない。

ミミを親友だと思ってくれているトトリだけれど。知っているのだろうか。トトリが抱えている闇を、ミミは受け入れきれない。時々恐怖さえ感じていて。そして、嫉妬もしていると言う事を。

途中からは、冒険者ランクに、決定的な開きが出た。

そして、ミミにだって分かる。

この一件を解決したら、トトリは確実にランク10。文字通り、国家の最上層に躍り出る。

それに対して、ミミは。

生涯頑張っても、ランク10になれるかどうか。

今まで雑魚を散らしていたジーノが、先頭に立って、大ベヒモスに躍りかかる。それを皮切りに、全戦力が、集中攻撃を開始。マクヴェリオンが押さえ込んでいるガーディアンは見向きもせず、一方的な攻撃を開始していた。

こうなると、如何に早くて強くてタフでも、どうにもならない。

空中に逃げた所で、悪魔族の集中攻撃を浴び。

ブレスを吐こうとすれば、ロロナに押さえ込まれ。

どんなに速く動いて包囲を逃れようとしても、クーデリアにはかなわない。

小技に出ようとしても、ペーターが即応して、矢を叩き込んでくる。

一瞬ごとに傷が増えていく。

えげつないと、ミミは思った。

そして、動けるようになったことで。自分も参戦しなければならないという事も、自覚した。

トトリは中距離を保って、回転させている。毒入りの薬壺を。

大ベヒモスは、あの威力を知っているから、トトリに注意を払い続けなければならない。その結果、リンチにあって、見る間に消耗していくのだ。

ついに、片膝をつく大ベヒモス。

ミミは、その間に、奴の上空に。

反応。上空に向けて、素早く手を伸ばしてくる。掴むつもりだろうけれど、その反応が狙い。

トトリが放った薬瓶が。

大ベヒモスの腹を直撃。

全員が、その場を跳び離れる。ミミも、その中の一人だ。

おぞましい悲鳴が上がる。

のたうち回る大ベヒモス。あの毒、ドラゴンの鱗を溶かし、肉に致命打をいれるほどの代物だ。

より強靱さで劣るベヒモスでは、どうにもならないだろう。

大斧を振るい上げたメルヴィア。

容赦なく、頭を砕く。

脳みそをブチ撒け、痙攣しているベヒモスに、更に何度か。頭を完全に潰して、ベヒモスを葬った。

後は。ガーディアンだけだ。

「マークさん!」

「おうとも!」

マークが、コントローラーで指示。

拮抗していた状況が、一気に変わる。マクヴェリオンが蹴りを思った以上に早くいれて、ガーディアンを吹っ飛ばしたのだ。

其処に、ロロナが。

フルパワーでの砲撃を叩き込む。

至近距離からの砲撃。

流石に、ひとたまりもない。

更に、其処へ悪魔族が一斉に集中砲火を浴びせ、一気に装甲をぶち抜き。そして跳躍したベイヴが、上空から鉄球の一撃をいれていた。

胸に。大穴があくガーディアン。

しばらくスパークを放っていたけれど。

ほどなく、動かなくなった。

マークが念のために、だろう。マクヴェリオンを操作して、その巨体を塔の外に運び出していく。

ガーディアンは、遺跡の外では活動できない。

完全停止させるための措置だ。自爆装置などがあっても、マクヴェリオンが盾になってくれるだろう。

後は、ステルクが防いでいる敵増援だが。

これは、ホムンクルス達の無事な戦力と。ロロナの近衛達が、音もなく、処理に向かう。トトリが、声を張り上げていた。

「損害報告!」

「我々の損害は、負傷十三! 重傷者がその内三!」

自身も左腕に裂傷を受けているシェリが応える。円陣の内側には、既に重傷者が庇われていた。

悪魔族に死者は出ていない。

非常に危険な状態になったものには、即座にあの圧縮ネクタルが投与されたのだろう。以前ミミも、あの薬品が、どう考えても助かりそうにないロロナを蘇生させるところを見ている。

冒険者達も、数名が重傷。

ホムンクルスも、七名が。

ロロナの近衛からも、重傷者が出ていた。

ステルクが戻ってくる。

結局の所、戦死者だけは出なかったけれど。全員が大なり小なり、負傷はしている様子だ。トトリは奧へ行く前に、態勢を整え直すことを指示。

ひどい負傷をしたメンバーは、一旦下げる。

ネクタルを中心とした強烈な医薬品を用いて、軽傷者も回復させる。アーランド戦士達なら、この程度の負傷は平気だろうけれど。

それでも、数は半減。

重傷者は、万が一のために後衛に。

そして、作戦の肝になるステルクとクーデリア。それにロロナは。

かなり消耗している。

予想よりも、状況は悪いかもしれない。

トトリは。

ミミは心配だ。だけれど、見たところ、今の時点では、大丈夫に見える。でも、先のフィードバックダメージ。ちょっと霧を浴びただけでも、しばらく動けなくなるほどだったのだ。

まるごと浴びたらしいトトリが、無事で済むとは、とても思えない。

「ミミ」

「何かしら」

「威力偵察。 ジーノ、貴方も来なさい」

クーデリアに言われて、嫌々ながらも、ついていく。地位的に逆らうわけにはいかない。トトリの様子が不安だけれど。

敵がどれだけの備えをしているか、確認する必要もあるだろう。

先ほどまで、ステルクが抑えていた扉の辺りは、ホムンクルス達が数名で防備に当たっている。

其処を抜けると。

トトリのアトリエにあるゲートのように。

異様な感覚があった。

戸を抜けた先には、無数のカプセル。中には、裸の人体が収められている。カプセル一つにつき、一つずつ。

以前、別の遺跡でも、見た光景だ。

「なんだろ、これ」

「いにしえの時代の人々よ」

無駄口を叩くなと視線で刺されて、ジーノも黙る。

迷い無く歩いて行くクーデリア。ひょっとすると、似た構造の遺跡を、攻略したことがあるのかもしれない。

敵影はない。

何かの、円筒形の機械にクーデリアが歩み寄り、操作する。プシュンと音を立てて、その機械が沈黙した。

何をしているのかは分からないけれど。

ミミはその間、ジーノと一緒に、周囲を見張る。いつどこから敵が現れても、おかしくはないのだ。

ハンドサインを出してくる。

次。

同じようにして、円筒形の機械を黙らせていくクーデリア。

人通り、周囲で似たような作業をした後、戻る。ゲートを抜けて、入り口に出ると。既に、手当は終わっていた様子である。

トトリは。

無事だ。苦しんでいるようなこともない。

ロロナが此方に来る。パメラも、である。クーデリアと何か、専門的な話を始めるけれど。

難しい以上に、知らない単語が多くて。何よりトトリのことが気がかりで、殆ど頭には入らなかった。

階段の下に降りると、座り込んで、休憩にする。

槍を抱えていると。不安も少しは紛れる。お母様と、一緒にいるような気がするからだ。何もかも。戦士としても魔術師としても三流だったお母様だけれど。この槍を丁寧に保管してくれていた。それだけで、ミミには充分だ。

トトリが、此方に来る。

「ミミちゃん、大丈夫?」

「私はね。 貴方こそ、もろに攻撃を何度も浴びていたでしょう?」

「私は平気だよ。 エリキシルの回復効果もあったから」

「……そう」

トトリには。何だろう、どうにも近づきがたい空気が生じている。だから、それ以上は、何も言えなかった。

程なく、トトリが号令を出す。

無事だった面々が前衛に立って、次の階層に。同時に、更にその次に、威力偵察。勿論、少数が入ったときには起動せず、本隊が入ってから動く罠というような、タチが悪いものが仕掛けられている可能性もある。

パメラさんが、護衛と一緒に、最初に入り。

ゲートを完全に安定させ。

更に、まだ生きている機構を、順番に沈黙させていった。

無数にあるカプセルには触らないようにと、念を押される。あのカプセルは、他とはレベルが違う最重要セキュリティで守られているという。

下手に触ると、その瞬間、何が起きてもおかしくないそうだ。

トトリからも、周囲に念を押す。

どんな罠が現れてもおかしくない。緊張が周囲に走る中。それでもホムンクルス達は率先して展開。

防御の魔術を、ロロナ先生が展開。壁も床も、罠が出てきても防げるように、コーティングしていった。

一通り、状態が落ち着いたところで。

トトリは、パメラさんに聞いてみる。

「此処は一体、何なのですか?」

「恐らくは、軍事施設ね。 優性主義者達の手によって、世界が滅茶苦茶になって行く中、各国の政府の中には、軍事施設に避難する民衆を受け入れたものもあったの。 劣悪形質排除ナノマシンの猛威はどうにもならず、人々は冬眠カプセルに入って、対処法が確立するまで眠る道を選ぶ事になったのでしょうけれど」

「それが、この人達、ですか」

「ええ。 全員が高濃度の劣悪形質排除ナノマシンに汚染されていて、このままカプセルから出せば、すぐにみな死んでしまうわ。 それに、治療を施したとしても。 今の世界では、生きてはいけないでしょう」

そうか。

それはあまりにも、悲しすぎる眠りだ。

四角い箱に向かって、操作をしていたパメラさんが、顔を上げる。

どうやら、この遺跡の構造を、解析し終えたらしい。

この階層は、完全制圧完了。

問題は、次だ。

クーデリアさんが、いささか慌てた様子で、ゲートをくぐって戻ってくる。強烈な敵部隊に遭遇したのかと思ったけれど、違うようだ。

「この先は罠だらけよ。 とても通れそうにないわ」

「其方の通路自体が罠みたい」

「何ですって!?」

骨折り損をしたクーデリアさんが、パメラさんに詰め寄るけれど。

パメラさんは、涼しい顔だ。

「誰も死ななかったんでしょう。 それなら良しとしましょう」

「……! あんたねえ!」

「落ち着いて」

ロロナ先生が、クーデリアさんをたしなめる。それも計算して、パメラさんは余裕を保っていたのだろう。

見た目はふわふわしているけれど。

思ったより、この人はずっとしたたかだ。

たんと、鋭い音を立てて、パメラさんが操作を終えると。壁の一角に、四角い穴がいきなり出来る。

彼処か。

「あの少し先に、中枢コントロールシステムがいると思うわ」

「邪神イビルフェイスね」

「そう、今の時代はそう呼んでいるのよね。 実際には、人が造り出した、単なるAIなのだけれどね」

寂しそうに、パメラさんがまつげをふせる。

AIというのが、何なのかはよく分からないけれど。ロロナ先生も何か知っている様子からして。

或いは、何かしらの、因縁があるのかもしれない。

すぐにホムンクルス達が展開。

先ほど、クーデリアさんが向かった通路を、バリケードで塞いで。ロロナ先生が、防御の術式を掛けて、封印してしまう。

後で、溶接してしまった方が良いかもしれないと、ロロナ先生は言っていた。

確かに、この攻略が終わった後、盗賊か何かが入り込む可能性も低くは無い。このカプセルに手でも出したら、大変なことになる可能性が高い。

応急処置をしたマクヴェリオンを先頭に、新しく出来た通路に入り込む。ここから先は、人外の戦場になる。

まずは、最精鋭が入り込み。

手に余るようなら、一旦撤退して、波状攻撃を行っていくのが良いだろう。

そう決めると、後は早い。

ステルクさんとクーデリアさん。それにロロナ先生が、先に入る。マクヴェリオンを操作するマークさんも。

遅れて、トトリも。

ミミちゃんやジーノ君、メルお姉ちゃん達は、後方で守りを固める。この遺跡が、何処にどんな戦力を出してくるか、分からないからだ。

遺跡の外にあるキャンプだって、安全かは分からない。

何しろ、この遺跡は移動する能力を有しているようなのだ。どのような危険があるか、しれたものではない。

第一陣に遅れて。トトリも、空間の壁を抜ける。

そして、見る。

其処は、あまりにも、広い空間。

何も無い。

壁も天井も、あまりにも高い。機械で覆われているようなこともなく。ただ、正体が分からない、黒い壁だけがあった。

前から歩いて来るのは。

人間大の、得体が知れない存在。

道化師のようにも見える。

きざったらしくシルクハットを被り。妙な意匠の燕尾服を着こなしている。

この気配。

まさか。

「レオンハルト……」

「ご名答」

シルクハットをとって、慇懃に挨拶する、最悪の暗殺者。その頭部は、完全に円形になっていて。

目も鼻も無く。ただ、鋭い牙が並んだ、口だけがあった。

「色々試しはしたのですが、この採集形態が一番戦闘に向いているようでしたのでね」

「採集形態……!? 何を集めると言うんですか?」

「此処の邪神は、お前達が見てきただろう、寝ているグズ共が暮らせるようにするために、あらゆる手段を用いて、環境改変をしようとしていたのですよ。 明らかに強力な外来種を、物理的に排除したり。 或いは、環境そのものを変えて、繁殖しづらいようにしたり」

そうか。

何となく、それで分かった。

此処の邪神イビルフェイスは、あのカプセルに眠っている人達が生活できるようにするために。

現在の強力すぎる人間を、皆殺しにしようとしたのだろう。

それが出来ないと判断すると。恐らくは、此処を極寒の地と変える事で。人々が暮らしにくい環境へと、切り替えて行ったのだ。

嗚呼。

何という、ボタンの掛け違いか。

今生きている人達だって、人間だ。それを認識出来ず。おそらく、いにしえの人間だけを、人間と見なし。今生きている人間を害獣だとしか判断できなかった、可哀想な機械。

その全ての思考回路が、所詮は機械故の柔軟に欠けたもの。

機械の限界が。

何もかも。悲劇の元凶となったのだ。

「時々外に出て人間を喰らっていたのは、繁殖している人間のデータを得るため。 所詮は機械。 その行動はただの反射。 実に愉快。 実に愚かしい。 人間という生物は、その創造物まで、ゴミの山だと言う事ですね」

「黙れ下衆」

ステルクさんが剣を抜く。

クーデリアさんは、非常にわかりやすい動作で、銃に弾を装填。

「貴様が此処にいると言う事は、この遺跡も一なる五人に汚染されているという事で、間違いなさそうだな」

「ステルク、それは違うわね。 レオンハルト、貴方、一なる五人に用済みとして捨てられたのでしょう」

ステルクさんが驚いたようにクーデリアさんを見て。

そして、今まで余裕綽々だったイビルフェイスの雰囲気が、瞬時に変わった。凄まじい殺気と怒気が、全身から吹き上がる。

「何十回と殺され殺され続けて。 その意識が、憎悪と絶望に塗りたくられるまで、一なる五人に調整され続けた。 恐らくは此処の邪神と融合させ、単純な兵器として活用するためだけに」

「黙れ……」

「そのノウハウも技術も全て吸収済み。 用済みとなった出がらしが出来るのは、足止めの捨て駒くらいですものね」

「黙れと、言っている!」

人型をしていたイビルフェイスの身が、巨大にふくれあがるかのよう。

勿論、錯覚に過ぎないのだけれど。

それだけ、圧倒的な怒気と殺意が、周囲を覆っていた。

「奴の火力は押さえ込む。 押し切れないようだったら、分析してくれるか」

「はい!」

トトリの理解力を、ステルクさんが信頼してくれているらしい。

トトリ達の前に、ロロナ先生が立ちはだかる。

まずは二人がかりでイビルフェイス=レオンハルトを押さえ込み。

そして、その後に。

とどめを刺すべく、総力での攻撃をいれる。

それが基本の戦略になるだろう。

しかし、その考えは、文字通り初手で崩壊した。

一瞬。

何が起きたか、分からなかった。

吹っ飛ばされたのは、マクヴェリオンの巨体だ。あの巨体が、冗談のように中空を舞って、地面に叩き付けられる。

イビルフェイスは、動いてさえいない。

マークさんが、唖然として。

それから、叫んでいた。

「マクヴェリオン!」

「この私を怒らせたことを、後悔させてやろうぞ、若造共。 この世界のどの戦士よりも永く生き、全ての生死を手のひらの上で動かし、幾つもの国を劫火に沈めてきたこのレオンハルトを、どの愚物共もバカにしおって……!」

ステルクさんも、クーデリアさんも仕掛ける。

しかし、最初にステルクさんが、もろに吹っ飛ばされて、遙か遠くに。クーデリアさんは初撃こそ避けたものの、目にも見えないほど速く動く左手の拳から放たれる、拳圧の弾幕に阻まれて、近づくことさえ出来ない。

愕然とする中。ロロナ先生は、詠唱を開始。油断すると、死ぬ。今、修羅は目覚めた。以前見たレオンハルトとは、比較にもならない。

恐らくは、邪神の持つ身体スペックと。

レオンハルトの性能が合わさって。

文字通りの、究極の怪物が誕生してしまったのだ。

 

3、死線

 

ステルクさんが、剣を振り抜く。

青い光を伴った一撃が、確かにレオンハルトを切り裂いたように見えたけれど。しかし、勿論それは残像。

瞬時に動いた化け物が、上からステルクさんに、蹴りを叩き込む。

訳が分からない材質の床が、ごっそり凹み、円形のくぼみが出来る。

話に聞く、アーランド国家軍事力級戦士最強のタフネスを持つステルクさんが、くぐもった悲鳴を上げた。

横殴りに叩き付けられる、クーデリアさんの蹴り。

ドラゴンさえ揺るがせるそれを。

事もあろうに、中空にバックステップしながら、右手だけで捌いて見せる地獄の道化師。薄ら笑いを浮かべている余裕の現れ。

イビルフェイスが、飛び退く。

しかしその至近。

背後に、ロロナ先生。

恐らくは、神速自在帯による機動。

砲撃。

だが、その特大火力の一撃を。イビルフェイスは、気合いの一喝だけで、打ち消してみせる。

立ち上がったステルクさんが、反対方向から雷撃を叩き込むけれど。

拳を振るって、地面に雷撃を叩き込むようにして、かき消す邪神。

冗談じゃない。

強いとか、そう言う次元では無い。

「この世で一番強い存在とは何だか知っていますか? それは、今のこのワタシノコトダ!」

甲高い笑い声が続く。

文字通りの鉄壁の防御力。

それ以上の火力。

何より異常すぎる速度。

強すぎる。

トトリは幾つかの手札を確認。まだ前衛の二人が耐えてくれているけれど。それがなくなったら、文字通り即死だ。

しかし、何という力か。

あまりにもその度が過ぎる力を前に。ステルクさんも、クーデリアさんも、ロロナ先生も。

傷が増える一方だ。

今、味方を投入するのは、自殺行為。

数が増えれば増えるほど、死者が出るだけ。

強いなどと言う次元では無い。

アレは文字通り、神域の存在。邪神という言葉を体現する、怪物の中の怪物だ。

何か、弱点はないのか。

吹っ飛ばされるクーデリアさん。もろに直撃が入った。地面に叩き付けられ、何度かバウンドして、転がる。

彼女らしくもなく、苦痛の表情を浮かべている。それだけ、甚大なダメージということだ。

どうすればいい。

何か、いい手は。

トトリはとっさに、N/Aを投擲。飛び退くステルクさん。何も無い空間のど真ん中で、炸裂。イビルフェイスは。

余裕綽々の様子で、煙を拳で払う。

文字通り、腕を一閃するだけで、煙が吹っ飛んだのだ。

勿論ダメージを受けている形跡も無い。

気付く。

これは流石におかしい。

N/Aは、あのフラウシュトライトの頭さえ木っ端みじんに消し飛ばした火力を有していた。勿論あれはフラウシュトライトが弱って、魔力による防御が消し飛んでいたという理由もあるけれど。

それを差し引いても、直撃を喰らって、無傷で済むはずが無い。

飛び退き、距離を取りながら、観察を続ける。やはり違和感が増幅していく。ステルクさんの雷撃も、ロロナ先生の砲撃も通じない。それどころか、ロロナ先生の加速に余裕でついていき、直撃を叩き込む。

ロロナ先生が吹っ飛ばされ、しかしかろうじて踏みとどまる。クーデリアさんが、イビルフェイスに横殴りの蹴りを叩き込んだからだ。しかし、カウンターの一撃をもらって、クーデリアさんがまた叩きふせられる。

真っ黒な床に。

血が飛び散っているのが分かった。

レオンハルト=イビルフェイスが右手を上空に向けると。

巨大な黒い球体が出現。

避けろ。

ステルクさんが叫ぶが、遅い。辺りを、無数の黒い杭が、地面からつきだし、蹂躙していた。

「ヒャハハハハハハ! このパワー! この魔力! 今までの屈辱、百倍にして返してやる!」

トトリは、脇腹を抉られ、はみ出した腸を掴んで、無理矢理戻す。吐血。回復が凄まじい勢いで進んでいるけれど。痛みだけはどうにもならない。呼吸を整えながら、それでも、トトリは、立ち上がる。

デュプリケイトで、もう一回、N/Aを具現化する。

力がついてきた今でも、本来はごっそり削られる危険な行為なのだけれど。しかし、あのエリキシルの霧を浴びた影響だろう。

体の奥底から。

異常なまでの力が、わき上がってくるようだ。

もう一発、投擲。

鼻で笑いながら、レオンハルトが避ける。

しかし、三発目をトトリが取り出した時。流石にレオンハルトは、不可思議そうに、眉をひそめた。勿論そんなものは無いけれど。そう言う雰囲気に、巨大な口を歪めた。

「何をしている……」

横殴りに、クーデリアさんが、レオンハルトにドロップキックを叩き込む。拳でガードしたレオンハルトだが。

その真正面に、ロロナ先生が。

神速自在帯を使った、詠唱の短縮。

砲撃。

流石に上空に逃げたレオンハルトに、雷撃の束が直撃。全身血だるまになっているステルクさんが、肩で息をしながら、放ったものだ。

「おのれ……何っ!」

更に、その体が吹っ飛ぶ。

マクヴェリオンの右拳が、体から分離して、レオンハルトを直撃したのである。それでも致命打にならないけれど、残像を造りながら、レオンハルト=イビルフェイスも面倒くさげに避ける。

それだけの時間が出来る。

三発目のN/Aが爆裂。

またハンドサインを出す。

もう少し、敵を抑えてくれ。

全員が、それを読み取って、さらなる猛攻を仕掛けてくれる。

レオンハルトに効いている様子は無い。しかし、考えてみれば、それ自体が異常なのだ。

幻覚か。

それとも、或いはもっとなにか別のものか。

いずれにしても、この妙な部屋が関係していることは、間違いない。四発目のN/Aを造り出し。

そして同じ場所に投擲しようとするトトリを見て。

イビルフェイス=レオンハルトが、凄まじい形相を浮かべた。

「小娘がああああああっ!」

トトリの投擲と同時に。イビルフェイスが腰の剣を抜き、剣圧を放ってくる。避けきれないけれど、別にどうでも良い。

爆裂。

吹っ飛ばされる。

半身を起こして、気付く。

トトリ自身は、もろに袈裟の一撃を浴びていた。傷口からは、鮮血が噴き出している。内臓にも届いている。でも、エリキシルの影響か、高速で傷が治っていくのが分かる。

本来だったら、致命傷だ。

何度か、血を吐く。

しかし、異常なくらいに、体の調子は良い。

ロロナ先生に貰ったこの綺麗なお服、ダメにしちゃったな。血で真っ黒だし、ズタズタだ。

自嘲する。

私が弱いからだ。でも、これで、敵の不可解な守りは破れた。

周囲の状況が、一変している。

真っ暗で何も無い空間は消え失せ。

辺りには、無数の配管と機械類。

床に、大きな穴。

機械の配管が、激しく損傷しているのが見える。

奧には、円形のドーム。その中には、巨大な肉塊が、液体の中に浮かんでいた。肉塊は脳みそのようにも、内蔵のようにも見え。

その全面に、無数の一抱えはある眼球がついている。

間髪いれず、ロロナ先生が、それに砲撃。ガラスで守られた肉塊に、直撃。更に曖昧だった空間が、機械だらけの遺跡らしい場所へと、変貌していく。

いつのまにか、パメラさんがいた。

「認識阻害と、力を弱めるためのパワーフィールドね。 それも幻術なんかじゃなくて、空間を直接操作して、現実に一部干渉している手の込んだものだわ」

「どうりで魔力による干渉も感じなかったし、気配さえ察知できなかった訳ね」

クーデリアさんが、口の血を拭いながら立ち上がる。

かなりのダメージを受けているけれど。冷静にネクタルを飲み干している様子は、流石に百戦錬磨の猛者。

国家軍事力級の名にふさわしい、強豪だ。

ロロナ先生が、その側に立つ。

彼女もボロボロだけれど、まだ魔力は体から周囲を焼き払わんばかりに溢れている。それに、目は全く戦意を失っていない。

きっと、気付いていたのだ。

この空間が、偽りに過ぎないと。

「でもそれも、機械そのものにダメージを与えた事で崩れた」

「おの、れ……!」

呻く邪神。

砕けたガラスのドーム。

肉塊が致命打を受け、死んでいくのが見て取れる。

その前にいる邪神は。大きく姿を変えていた。

燕尾服など着ておらず。

無数の肉塊が。ミミズのような糸状の肉が。絡み合って、かろうじて人型になっている、哀れな姿。

顔面部分は、巨大な口。牙が並んでいるその口は、むしろ戯画的で、滑稽でさえある。

そして、触手が、ゆらゆらと揺れ続けているその姿は。

神と言うにはあまりにも哀れな。

強いていうならば、零落した伝説だった。

「小娘ェ! 何故この空間が、偽りだと分かった!」

「あれほどの強さ、謀反の可能性があります。 一なる五人が、負けがかさんで、恨みも抱いているだろう貴方に、そんな力を与えるはずがないと思いました」

「……っ!」

分かる。

図星を突かれ、絶句する有様が。

もはや人とも呼べぬ、邪神の残骸と組み合わさったその姿。とてもではないけれど、崇拝の対象になるような存在とも、世界を変える者とも思えない。

何より、トトリは看破した。

「お母さんのつけた傷、残っています! 邪神イビルフェイスがあまりにも致命的な打撃を受けていたから、貴方を補助として組み込んだんですね」

「……おのれ! 余計な事ばかり看破しおって!」

「だから欠陥品をネジこんで、無理矢理修復したと。 種が分かれば、どうということもないわ」

傷だらけのクーデリアさんが銃弾を再装填。露骨に分かるように、見せる。

ロロナ先生も、頷きながら。

ステルクさんも。

絶望の、叫び。

無数の触手を伸ばして、レオンハルトが襲いかかってくる。

しかし、飛んできた大斧が、それをまとめて両断。

壁に突き刺さった斧が、派手に機械をぶっ壊し、スパークをあげた。

「そろそろ参戦と行こうかしらね」

メルお姉ちゃんだ。

地面から、不意に飛び出してくる触手。

しかし、左右で、息を合わせて、斬り伏せる二人の影。

ミミちゃんとジーノ君。

部屋中から、無数の触手が湧きだしてくる。しかし、それらを、後から突入してきたメンバーが、片っ端から押さえ込みに掛かった。

雄叫びを上げながら、イビルフェイスが再び右手を天にかざそうとするけれど。

ステルクさんが、一刀に、その手を切り飛ばす。

そして、蹴りを叩き込んだ。

瞬時に手を再生させるイビルフェイス。口から稲妻を放って、ステルクさんを吹き飛ばす。

だが、その時には。

ロロナ先生が、砲撃の準備を整え。

容赦なく、撃ちはなっていた。

トトリは、その間に、走る。

空中で、かろうじて致命的な砲撃を回避する邪神。

周囲に無数の黒い球体を出現させ、周囲にぶっ放す。

辺りが爆裂。触手も関係無しに、まとめて噴き飛ばしに掛かる。だが、それは自殺行為だと、トトリは見抜く。

後ろ。

クーデリアさんが、邪神の後頭部を蹴り飛ばし、更にクロスノヴァを叩き込んだ。爆裂の中、触手を二本の巨大な腕のように伸ばし、クーデリアさんに反撃する邪神だけれど。加速を使って、至近に迫ったロロナ先生が。がら空きの腹に向けて、零距離の砲撃を叩き込み。

更に、上空では、ステルクさんが、雷撃をまとった剣を、振るい上げていた。

「ぉおああああああああああっ!」

「貴様は所詮影のもの。 表に出れば、その力など、所詮は霞に消える運命だ!」

砲撃。

残像を造り、逃れるイビルフェイス。完璧なタイミングの、ロロナ先生の砲撃をかわすのは、さすがは最強の暗殺者。

でも。

それを見越していた、ステルクさんの雷撃までは避けきれない。

直撃。

絶叫を上げながら、全身を焼け焦がされる邪神。

更に、その全身に、ペーターお兄ちゃんが絶妙のタイミングで放った矢が、突き刺さる。バランスを崩した所に、マクヴェリオンが放った右拳が、直撃。

吹っ飛び、壁にめり込む拳に、突き刺される邪神。

「ごぎゃあああああっ!」

爆散する肉体。

しかし、それでもなお。

その一部が瞬時に再生しつつ、壁を沿って下に。まるで蜘蛛のように手足を展開し、這って逃れる。逃れながらも、再生を続けていく。何処かのんきに。乱戦の中、どうしてか被弾しないナスターシャさんが言う。ちなみに彼女は、要領よく攻撃を続けて、的確に戦果を上げ続けている。多分側にいるホムンクルスの子の、危険感知も利用しているのだろう。

「レオンハルトのようにしぶといわねえ」

「邪魔よっ! この!」

ステルクさんもロロナ先生も、最大火力を展開した直後。クーデリアさんは、触手数本に纏わり付かれ、支援どころでは無い。

再生していく、邪神の肉体。

その顔が、笑ったように、トトリには見えた。

そう、すぐ間近で。

邪神が、愕然として、顔を上げる。

其処には、いるのだ。見下ろしている、トトリが。真顔で。恐らくは、笑みどころか、表情など浮かんではいないだろう。鏡を見なくても分かる。

今、トトリは。

この大陸で、もっとも静かに。相手を殺せるはずだ。

お母さんを殺した邪神。今、殺せる。

「動きを読み切りました。 終わりです、レオンハルトさん」

トトリの血だらけの手には、暗黒水が入った瓶が。

手を離さない理由なんて、一つも無い。

瓶を、大口を開けている邪神イビルフェイス=レオンハルトに落とす。

それは、無情なほどに。

邪神の口の中に、飛び込んで。破裂した。

悲鳴さえ上がらない。

全身から、煙を上げながら、邪神がのたうち回る。必死に吐き出そうとするけれど。トトリは無言で杖を振るい、その体を叩きふせた。

一度、二度、三度、四度、五度、六度、七度。

ぐしゃ。どしゃ。ぐちゃり。

やがて、肉を潰す音が。

肉塊を砕く音へと変わっていく。

おぞましいまでの毒が、再生を妨げていく。トトリは杖を降り下ろして、邪神の体をひびが入った床に突き立てると。

デュプリケイトを使って、暗黒水を直接生成。

その肉体の上に。雨のように降らせ始める。

「ごぎゃああああああああああああっ!」

「再生なんてさせません」

自分でも驚くくらい。

その冷たい言葉が出ていた。力が続く限り、暗黒水を生成。邪神のズタズタになった体に、掛けていく。

不意に、後ろから羽交い締めにされた。

誰がやったのかは、分かっている。

「もう充分よ! やめなさい!」

「どうして。 この邪神は、私のお母さんを殺したのに。 殺させてよ。 殺させてよ、ミミちゃん」

「もう動けないわ! 放って置いても死ぬ! だから、もう無茶はしないで!」

引きはがされる。

気がつくと。

其処には、もはや再生能力を完全に喪失した。哀れな肉体と。

もはや、役割を果たすことがかなわない邪神の残骸が。想像を絶するほど汚染された液体に塗れて。転がっていた。

羽交い締めにしているミミちゃんは。

どうしてだろう。

泣いているようだった。

 

4、破裂する刻

 

完全に沈黙した遺跡。敵性勢力は全滅。重傷者はかなり出たが、どうにか全員が生還を果たしていた。

ただ、手足を失った戦士もいるし。負傷の度がひどい人もいる。

医療魔術師達は、黙々と治療を行う中。パメラさんは、遺跡の無力化を行うべく、作業を続けていた。

トトリは、呆然としている。

何だろう。

全身に、力が入らないのだ。

ロロナ先生は、非常に難しい顔をすると、すぐに外に出て行った。何か薬を取りに行っている様子だ。

なんでだろう。

「レオンハルトの言っていた通り、この遺跡は。 保護した人間達を守るために、外敵を排除しようとしていたようね」

「外敵、か」

「今の時代の人間は、いにしえの人間から比べると、それこそ怪物も同じなの。 身体能力も耐久力も比較にもならない。 邪神の中には、今いる人間を、人間だと認識出来ない存在もいる。 それが、悲劇の源泉だったのね」

パメラさんが、まつげをふせる。

普段はのんびりしたマイペースな人なのに。そうしていると、ひどい悲しみを背負って、ずっと生きている人に見えるのだった。

レオンハルトの意識を見つけたと、パメラさんがいう。

機械の一部がせり上がってくる。

其処には。

脳みそだけが、収められていた。

「まだ、生きているの、それ」

「ええ」

パメラさんが表示するのは、レオンハルトのデータ。

生まれる事を誰にも望まれず。

ただ兵器として育てられ。

あらゆる全てを使い捨ての道具として扱われ。世界の悪意を受け、育った怪物。

怪物が育ち、周囲の言いなりにならなくても良くなったとき。その悪意が、誰に向くかは、明白だったのかもしれない。

悪かったのは、レオンハルトだったのだろうか。

むしろ、レオンハルトを怪物にした、周囲に問題があったのでは無いのだろうか。パメラさんは、淡々とデータを提示。トトリに、対応を決めるように促す。

「もう、無力なんですね」

「ええ、こうなってはなにもできないわ」

「ならば、殺す事もありません。 完全に他と隔離して、眠らせてあげてください」

「……ええ。 そうするわ」

スタンドアロンモードに設定。

そう言うと、パメラさんは操作を続行。

周囲の瓦礫が片付けられていく。トトリはミミちゃんに座らされた。どうしたのだろう。少しずつ、周囲が暗くなっていく。

何だろう。

寒くなっていくようにも思えた。

周囲の指示は、クーデリアさんがしてくれている。ステルクさんは、力仕事で、遺跡の内部を片付けてくれていた。

パメラさんの動きが速く見える。おかしい。別に、速く動いているはずはないのに。

「ポータルは全て封鎖完了。 妙ね。 この遺跡には大量の魔力が蓄積されているけれど、この大陸にある「根」は全て潰されている様子よ」

「どういうこと」

「この大陸の遺跡にある、一なる五人の作った根が、全て死んでいるという事よ」

クーデリアさんが、大きくため息。

彼奴の仕業だわと呟くと、トトリから離れていった。

どういうことだろう。

そして。

その時が、来た。

破裂したのだと、自分で理解できた。

 

ミミの目の前で、トトリが吐血した。

そのまま、横倒しに倒れる。

「トトリ殿!」

気付いたシェリが此方に来る。医療魔術師も、此方に走ってくるのが見えた。

見る間に、体温が下がっていく。

分かっていた。

ミミだって、さっき凄まじいフィードバックがあったのだ。今までのトトリの異常な動き、明らかにおかしかった。あんな動きをして、反動が来ないはずがない。ましてやトトリは、邪神との戦いで、悲惨なほどに、傷ついて、再生するのを、繰り返していたではないか。

「だめっ! 回復魔術は逆効果っ!」

ロロナの声。

駆け寄ってきたロロナが、何かを持っている。薬だと言う事はわかるけれど、それ以上は分からない。

回復魔術を掛けようとしていた医療魔術師を押しのけると。

ロロナはその薬を口に含み。

トトリの口に、無理矢理口移しでねじ込んだ。

二度、三度と繰り返す。

完全に青ざめているトトリは、目も瞳孔が開ききっている。非常に危険な状態だと、一目で分かる。

「手を握っていてあげて!」

ミミは言われるまま、腰を落として、トトリの手を握る。

何度も怖いと思った。

この子が秘めている才覚は本物で。理解力と分析力に関して、ミミでは足下にも及ばなかった。

武術だって、正直な話、いつも追い越されそうだと、冷や冷やし通し。

冒険者ランクが完全に引き離されてからは。嫉妬することだってあった。

嗚呼。

なのに。

手が冷たくなっていく。

また、薬を飲ませるロロナ。どうやら、あのエリキシルの効果を、中和するものらしい。少しだけ、体温が戻ったか。

馬乗りになると、胸をリズミカルに押し始めるロロナ。

確か、蘇生技術の一つの筈だ。

トトリの呼吸が戻る。

気づく。呼吸が、止まっていたのか。涙が流れてくる。トトリは恐らく、こうなることを、知っていた。

「こんな危険な薬を、何故……」

「トトリちゃんだったら、的確に使えると判断したから! でも、最後の最後で、こんなドジを踏むなんて!」

「ドジ……」

なんでだろう。

現実感が、全く無い。

そういえば、トトリは戦闘時、なんだかんだでいつも非常に的確に動いていた。ミスをする事はあっても、致命的な失敗は、まずしなかった。

気付くと、側に。

トトリを支えてきた人が、皆集まっていた。

トトリの姉のツェツェイ。姉貴分のメルヴィア。兄貴分のペーター。幼なじみのジーノ。

悪魔族として、トトリと何度もともに戦ったシェリ。ホムンクルスとして、ここしばらく一緒に戦い続けた106。

刺激をいつも受けていると言っていたマーク。

「作業を続けなさい」

他のメンバーに、冷え切った声を投げかけるクーデリア。

あんたには感情がないのかと叫びたくなるけれど。だけれど、此処は今も何が起きるか分からない場所だ。

パメラも、ずっと作業を続けている。

ステルクも。

悪魔族もホムンクルス達も、皆心配そうだけれど。作業については止めない。いつ生き残りの敵が奇襲を掛けてくるか分からない状況。皆が混乱しているわけにはいかないのだ。

わずかな反応。

トトリの手が、ミミの手を、握り替えしてくる。

体温が上がってきた。

でも。

「……峠は越したよ。 でも、しばらくは、目を覚まさないと思う」

ぶちゅりと、嫌な音。

トトリの傷口が開いたのだと分かった。

鮮血が、床に流れていく。

その分、体が高速再生している。何だこれは。異常すぎる状況に、全身の鳥肌が立つ。

「担架! 一旦外のキャンプに移して、私が処置を続けるよ」

ロロナが指示すると、106がホムンクルスを急かして、担架を造り。トトリを担いで、外に運んでいく。

追おうとしたけれど、ミミはへたり込んだまま動けない。

いつの間にか側に、ナスターシャがいた。

「ついに限界を超えて破裂したわね、あの子」

呆然と、その冷酷な顔を見上げるけれど。

ナスターシャは、いつも連れている子供の手を引くと。ふらりと、塔を出ていった。

涙があふれ出てくる。

トトリ。

あんたは、こんな所で死んではいけない。

だって、あんたのお母さんは。

聞こえていたのだ。パメラとクーデリアが会話している内容が。だから、トトリは、死んではいけないし、死ぬはずが無いのだ。

手を引かれる。

106だった。

「撤収します。 此処を封印して、二度と悪用されないようにしないといけませんから」

「……」

「ロロナ様は、トトリ様は「しばらくは」目を覚まさないと言いました。 いずれ必ず、あの人は戻ってきます。 だから、起きてください」

言葉が見つからない。

答えられない。

強引に手を引かれた。

「悲しいのは貴方だけではありません。 貴方が腑抜けていては、私も張り合いがありません」

見ると。

106も、涙を流していた。

ミミは、自分がトトリを誰よりも大事な親友だと認識していて。

そして、今その絶望に立ち会って泣いているのだと。

今更ながらに、思い知らされていた。

 

(続)