未だ遠く

 

序、空白の棺

 

ホープ号に乗って、帰路につく。

戻る前に必要なサンプルは回収できるだけ回収したけれど。トトリは、まだ時々わき上がってくるどす黒い感情を、身近に感じていた。

お姉ちゃんがしっかり止めてくれたけれど。

それでも、まだ完全に克服は出来ていない。

自室で、毛布にくるまって、ぼんやりとする。出来る作業は、全てした。最悪、後はみんなに任せて、ホープ号に揺られながら、待っているだけでも良い。

一度、クーデリアさんには、通信装置を介して、連絡も入れた。

口頭での要点報告だから、それほど細かくは説明できなかったけれど。

一応、重要点は伝わった。

騙していたのかとは、トトリも言わなかった。

これでも、一応国家の仕組みは理解しているつもりだ。機密をほいほい口にするわけにはいかない。

トトリは戦闘力だって高くない。

お母さんが、東の大陸で活動しているなんてのは、最高機密だっただろう。それに、トトリがそれを口にでもしたら。お母さんの身に、直接危険が及ぶ可能性だって高かった。

その辺りは、理屈では分かっている。

だから、怒りの源泉は。

お母さんが、理不尽に殺された、という事だろう。

気力が戻らない。

仕事をしているときは、集中できるのだけれど。仕事を終えると、途端に頭が真っ白になるような感覚を覚えるのだ。

吐きそうになった事もある。

まだ、修行が足りないと思う。

トトリは、結局の所。

ロロナ先生のように、強くはなれなかった。

これが、トトリとロロナ先生の差なのだろう。強くなろうとはしてきた。それでも、もうこれ以上は。

勿論、これからも努力はしていくけれど。

本当に、強くなれるのか。あまり、自信は無い。

ドアがノックされる。

ミミちゃんだろうか。トトリを心配して、時々来てくれるのだ。勿論そうだとは、絶対に口にしないけれど。

しかし、気配が違う。

「おい、司令官」

「はい、空いています」

声はベイヴさんのものだ。他の冒険者達をまとめてくれているこの豪壮な戦士は、普段は部屋になんて来ない。

緊急の用事があった、という事だろう。

ドアを開けたベイヴさんは、少し居心地が悪そうに、入ってきた。

「ちょっとした騒ぎになってやがる。 甲板に来てくれるか」

「はい。 大雪ですか? いや、違いそうですね」

「密航者だよ」

「はいっ!?」

思わず、聞き返していた。

歴戦の猛者が乗り込むホープ号に、どうやって潜り込んだのか。そもそも、一体誰が。密航者という言い方をしたからには、人間なのだろうけれど。とにかく、急いで行かないと。

いそいそと身支度をすると、廊下に。そのまま、ベイヴさんについていく。

その途中で、なるほどと理解。

たぶん、手引きした人間がいたのだろう。

そしてそんな事が起きると言う事は。恐らくは。

甲板に上がってみると。

木箱の影で震えている、小柄な人影。寝かされているマクヴェリオンとは逆方向の甲板。船尾の方である。

困り果てた様子で顔を見合わせているお姉ちゃんとマークさん。

ホムンクルス達が数人、もう少し距離を取って様子を見ていた。

106さんが、トトリが来ると、顎をしゃくる。

「どうします? 死なない程度に無力化するのであればすぐにでも斬りますが」

「ダメです、そんな事。 私が話します」

あの小柄な人影、見覚えがあった。

生け贄の村の女の子。利発そうだったから、覚えていたのだ。ピアニャちゃんである。

トトリが歩み寄ると、身を竦ませるピアニャちゃん。たぶん、ずっと隠れていて。ひもじい思いもして。

怖い思いもしたのだろう。

何しろ、此処に乗っているのは。故郷の村周辺にいたモンスターなんて、片手でなぎ払えるような戦士ばかり。

「大丈夫ですよ。 酷い事はしません」

「……」

じっと此方を見つめている。

いや、見ているのは、ホムンクルス達だろう。同じ背格好の女の人達は、不気味に見えても不思議では無いか。

咳払いすると、もう一度、腰を落として。視線を同じ高さにして、出来るだけ笑顔を作って、此方に来てと言う。

おそるおそる、ピアニャちゃんが此方に来た。

手を掴んで、引き寄せると、一息。

海にでも落ちられたら、大変だった。

後ろから来たのは、エゼットさん。やはり、彼女だったか。村を出るとき、荷車にでも隠していたのだろう。

そして魔術で隠蔽したのだ。

歴戦の戦士達も分からない巧妙な魔術。彼女以外には、使い手は考えられない。

あの村に結界はあったけれど、パワーといい精密さといい、歴戦のアーランド戦士の目をごまかせる力は無かった。

廊下を歩いている内に。

トトリにも、結論は出てきた。

「ああ、見つかっちまったか」

「エゼットさん、どうしたんですか、この子」

「死にたくないっていうもんでね。 ついつい仏心をね。 すまん。 処分は、好きなようにしてくれ」

死にたくない、か。

確かに、分かる。この子は生け贄の村の、一番若い世代だ。捨てられて間もなかったのか、或いは数少ない男性との間に生まれた子供なのか。いずれにしても村長さんをおばあさまと慕っていた事から考えて。村を出るのにも、随分悩んだはずだ。

そして、死にたくないと考える事は、恥ずかしい事では無い。

邪神イビルフェイスの餌になる事を定められた、生け贄の村。お母さんがダメージを与えたとは言え、奴は死んでいなかった。

という事は、また姿を見せるとみて良い。

この子には、分かっていたのだ。

だから、死にたくないと思って。必死の願いを、エゼットさんにぶちまけた。最初で最後の好機だと、思ったのだろう。

商人がたまにくるだけの秘境。

話によると、その商人でさえ。命がけで、お母さんがある程度安全にしたとは言え、モンスターが住み着いている地域を渡って来ているという。

きっと、彼らには、断られたのだ。

だから、他には手も無かった。

トトリには、弱いことの悲しみは、痛いほどよく分かる。だから、この子を見捨てる気も無いし。

ましてや密航者だからと言って、海に放り込むつもりもなかった。

「良いですよ、私が身柄を引き取ります」

「そうかい。 すまないね」

「ちなみに村長のピルカさんは、このことをご存じで」

「ああ。 頼むと言われたよ」

まだ、ピアニャちゃんは震えている。

大丈夫だからねと、もう一度言い聞かせると。トトリは海から遠ざけて。手を引いて、自室に向かった。

自室に入ると、まずまだ泣いているピアニャちゃんに、言う。

「分かっているね。 みんながどうして怒っているかは」

「はい。 ごめんなさい」

「いいんだよ。 でも、ちゃんと言ってくれれば、受け入れていたの。 次からは、きちんと物事は、順番にするようにしてね」

「はい……」

この子は賢い子だ。

泣き落としで不正が通るのだと思わせるのは最悪の結末を招く。いずれ、どんどん好き勝手をするようになるからだ。

見たところ、まだ七歳か八歳だろう。

魔力は非常に強い様子で、これならば鍛え抜けば、アーランドでも魔術師としてやっていけるかも知れない。

しばらく此処で待っているようにと指示。

窓はしっかりはまっているから、其処から出られる恐れはない。

来ていた106さんに耳打ち。

「逃がさないようにお願いします」

「その場合は斬りますか?」

「其処までしなくても大丈夫です。 ただ、おしりは死なない程度に叩いた方が良いかもしれないですね」

「分かりました」

106さんは、逃げ出してきた彼女のことを良く想っていない。

だから事前に言っておかないと、本当に斬ってしまう恐れがある。これは、事前に必要な作業だった。

艦橋に出向く。

106さんには、後で説明する。

トトリは此処の代表として出向いてきているのだ。だから、事情について、説明する義務があるのだ。

集まっている皆。

説明を順番にして行く。

最後に、トトリが受け入れるつもりだけれど。密航した罰は下働きという形で受けて貰うと話すと。

皆、納得してくれた。

それに、誰もが言わなくても分かったのだろう。

あの子は将来有望だ。

きちんと育てて恩義を掛けておけば。アーランドのために活躍する人材に化けるという事を。

ロロナ先生が、挙手。

「私に預けてくれる?」

「錬金術を教えるんですか?」

「うん」

流石にそれは。

でも、ロロナ先生は、くつくつと笑った。

「大丈夫。 簡単なのから、様子を見ながら教えていくから。 それに、アランヤに帰ってからね」

「それならば、安心しました」

要するに、それまでにピアニャちゃんをもっと良く見極める事が出来る、という事だ。もしも問題があるような子だったら、他の魔術師に預けて、頑張って貰えば良い。

結構シビアな話し合いをしているなと、トトリは思う。

でも、トトリも、重大な責任を背負ってきている。

その責任が、多くの命に直結することを知っているから。

私情で好き勝手なことだけは、してはならないのだ。

 

ホウワイを抜けた頃には。

すっかり天候は安定し。気候も湿潤なものに戻っていた。ピアニャちゃんは、最初もこもこの毛皮を着込んでいたのだけれど。この辺りになってくると、流石に暑くなってきた様子で。廻りの様子を見ながら、脱いでいた。

改めて見ると、ピアニャちゃんは、ホワイトブロンドの髪が綺麗な、とても可愛い子だ。毛皮で隠れていて分からなかったけれど。長い髪はお下げにして、顔の左右にぶら下げてもいる。

額につけているのは、結構高価そうな宝石つきのヘッドドレス。

聞いてみると。

いざというときは、これを売って、生活費に変えろと、言われていたらしい。

的確な判断だけれど。

アーランドでは、数年前にロロナ先生が宝石の大量生産に成功。宝石の価値は、相対的にぐっと下がっている。

それに、この子は一旦お姉ちゃんとロロナ先生に面倒を見てもらうつもりだ。

今の時点では、問題行動を起こしてはいない。

トトリが知る限り、性格がねじ曲がった子は、色々と悪さをするものだけれど。しかも賢い場合は、非常に巧妙にそれをやるものなのだけれど。

見た感じ、そんな事をする気配もなかった。

非常にお行儀が良い。

聞いてみると、驚くべき事を言われた。

「おばあさまに、悪い子が先にイビルフェイスに食べられるって言われたの。 だから、少しでもお行儀は良くしろって」

「……」

案外、たくましいものだ。

実際におぞましいまでの脅威だったイビルフェイスを、道徳に組み込んでしまうものなんて。

武力が足りなくて、対抗できなくても。

こんな形で、たくましく生きることは可能なんだなと、少し感心してしまった。

読み書きを教えていくと、真綿が水を吸い込むように学習していく。興味があるから、だろう。

そしてこの子は分かっている。

いずれ、それらの技術が。

生きていくために、必要だと言う事も。

「次は何を覚えればいいの?」

「うん、じゃあね……」

教えるには、三倍は知らないとダメだという話がある。

トトリはそれは本当なのだと思い知らされながら。生きたいと願って、生け贄の村を飛び出してきたこの子に。

少しでも可能性を掴んで欲しいと思った。

 

1、わずかな平穏

 

アランヤに到着すると。

一旦スタッフは解散。

塔を探索した後、トトリ達はすぐに帰ったのでは無い。キャンプを中心に、様々な地域に探索の手を伸ばしたのだ。主に悪魔族の部隊に、生け贄の村で得られた情報を元に、上空からの偵察を頼んだのだけれど。

結果、二つの街と接触に成功。

その周辺十二カ所で軽く戦闘を行って、人々を脅かしていたモンスターを駆逐、撃滅した。

死者は出していない。

モンスターの質は決して低くなかった。

洗脳されていたから、戦意も高かった。

ただし、数が少なかったのだ。

これは恐らく。お母さんが蹴散らして、散々間引いてくれていたから、だろう。お母さんはがさつでいい加減だったけれど。自分の手柄を誇張することはなかったらしい。つまり、本当にたくさんの洗脳モンスターを蹴散らしてくれていたのだ。

安全域を大きく広げたところで、今回はここまでと判断。

帰港することにしたのである。

これまで、一月弱。

そしてアーランドに戻るまで、二週間を有した。

いずれにしても、成果は充分。周辺の街などでも情報収集は行って、一なる五人についての情報も集めた。

その結果。

少し前まで、一なる五人の派遣したらしいホムンクルスがかなりいたらしいこと。

今では、ほぼ見かけなくなったこと。

モンスターは各地にまだ存在しているけれど。いずれもが、組織的な行動に出るそぶりがないこと。

等々の事実が、分かってきた。

その辺りの事は、既にレポートにまとめてある。帰りには、時間もあった。帰ってきてからレポートを書いても良かったのだけれど。

ピアニャちゃんの事があってから、気力も戻っていたし。

作業をすることに、不足もなかった。

やはりトトリは、仕事人間であるらしい。仕事をしていると、ある程度気分も落ち着いてくる。

動いていないと死ぬ魚の一種みたいだ。

自嘲しながらも、レポートを仕上げて。そして、家に到着。

ピアニャちゃんは、お姉ちゃんに預ける。

そしてトトリは、ロロナ先生と一緒に。ゲートをくぐって、アーランド王都へと移動。そのまま、王宮へと向かっていた。

一旦、此処で別れる。

ロロナ先生には、忙しい中来て貰っていたし。幾つも、こなさなければならない仕事もあるのだ。

そしてトトリにも。

王様が何というかは分からない。

イビルフェイスを撃破するべきか。放置するべきか。

トトリは、殺したいと今でも思っている。

しかし、国の状況を放置してまで、そんな事は出来ない。一旦受付に出向くと、居眠りしそうになっているフィリーさんが、船を漕いでいた。

しばらく見ているけれど、トトリには気付かない。

困ったなあと思っていると。

いつの間にか受付にいたクーデリアさんが、スパンと痛烈な音を立てて、フィリーさんの後頭部を張り倒す。

受付のデスクに顔面をぶつけたフィリーさんが、恐怖に見る間に顔を歪ませるのが分かった。

「ひっ! せ、先輩!」

「仕事しなさい」

「た、ただいま!」

涙目になるフィリーさんが。元々戦士であった能力をフル活用して、作業を開始するのを横目に。

クーデリアさんは、此方に意識を向けてくる。

「お帰りなさい。 レポート提出して」

「はい、此方になります」

「ん」

目を一瞬で通すクーデリアさん。

元々異常なレベルにある身体能力を、フル活用しているのだ。この辺りは、どうしても、トトリには真似が出来ない。

残像を作るつもりもないらしく。一瞬で作業は終わった。

「此処と此処と此処、直してきて」

「はい」

「それと、終わったら会議。 提出したら、地下に直行」

また、クーデリアさんが消える。

フィリーさんは涙目で作業を続けているので、声を掛けるのも気の毒だ。トトリは一旦王宮内のフリースペースに移ると、持ち込んでいるインクとペンを使って、レポートを修正。

提出して、すぐに地下へ。

ランク9のトトリは、もうこの辺り、咎められることも無い。今回の会議は。前回トトリが招集を希望したときほどでは無い。

前線のメンバーも、王様はいたけれど。

ステルクさんはいないし、アストリッドさんも。

その代わりと言ってはなんだけれど。

疲れきった様子の、エスティさんはいた。

戻ってきているという事は、大陸北部の戦況が一段落したのだろうか。だとすると、良い事なのだけれど。

しかし、予想は最悪の更に上を行く。

会議が開始されると。

最初に、エスティさんが爆弾を投下した。

「北部の列強連合の戦線で、幾つかの大きな出来事がありました」

「説明せよ」

「はい。 まず第一に、どうやらレオンハルトはネタが尽きた様子です。 劣化していくレオンハルトを数十回ほど殺した後、出現しなくなりました」

「数十……」

愕然としているのはトトリだけではない。他の参加者も、一様に唖然としている様子である。

あの老人が、人間離れしていることは、トトリにだって分かっていたけれど。

そしてにしても、あまりにも凄まじすぎる。

ただ、もう現れなくなったというのは、良い事だ。もっとも、それがいつまで続くやらとぼやきたくなるが。

「その一方で、列強連合は戦線の幾つかを放棄。 民を避難させて、戦線を縮小。 戦線の空白地帯にはモンスターが流れ込み、大きく戦線の図が変化しました」

「これは……」

うめき声が上がる。

大陸の北部海岸線は、ほぼ一なる五人の手に落ちた。敵の勢力は、更に拡がったことになる。

しかし、こうしないと、戦線の維持は不可能だった、のだという。

書状を差し出すエスティさん。

王様がさっと目を通した後、鼻を鳴らす。

「ガウェイン公女からだ。 北部列強は、今更南部の諸国と同盟を結ぶ動きに出始めたらしい」

「今更ですか」

ロロナ先生が呆れたように声を上げる。

他のメンバーも、何を今更と。異口同音に批判していた。

だけれども。

遅かったとは言えども、ようやくそうやって、連携が取れる状況になったのは良いことの筈だ。

トトリは黙って、推移を見守ることにする。

「まだしばらく、戦線の後退は止まらないはずです。 大陸の北半分は、敵の勢力圏に落ちるかもしれません」

「それほど被害は大きいのかね」

メリオダス大臣が聞くと。エスティさんは頷く。

元々、戦士の質は、南部の列強とは比べものにならないほどに低いのだ。数だけは多いけれど、それだけ。

「他には」

「必死の調査の結果、幾つかの事が分かってきました。 その中の一つがこれです。 スピア領内にある幾つかの遺跡の正確な位置について、突き止めました」

「でかした」

陛下が立ち上がる。

皆が注目する中、陛下は、周囲を睥睨した。

「既に分かっているとおり、これは戦争などでは無い。 独善と狂気に落ちた個人との闘争である。 敵には指揮官と呼べる存在はおらず、人材も然り。 その個人さえ叩けば、敵は瓦解する。 また、遺跡を中心に敵は戦力を稼働させていることも、既に判明している」

つまり、それらの遺跡を叩き潰し。

中に住まう邪神を葬っていけば。

一なる五人の戦力は、目に見えて減衰する、という事だ。

「エスティ」

「はい」

「お前はこれから大陸北部に戻り、戦線の後退を食い止めよ」

「御意」

一礼するエスティさん。

要するに、遅滞戦術を行って、敵の浸透を可能な限り遅らせるという事だ。非常に過酷だけれど。

彼女ならば、それこそ数年単位の任務にも、耐え抜くだろう。

「すまんな、そなたには婚姻の願望があると聞いているが。 まだまだ当分願いは叶えてやれそうもない」

「大丈夫です。 これでもアーランド人ですから」

「それもそうだな」

笑いが会議に満ちる。

アーランド人は、長命長寿。それに若い時期も長い。

四十くらいだったら、充分に若々しいし。子供だって余裕を持って産む事も出来る。結婚願望があるエスティさんだという話だけれど。

はて。

横顔を見ている限り本当にそうなのかと、疑問は浮かぶ。

まあいい。

今のは、場を和ませるだけで、充分だ。

「余はこれより前線に向かい、敵を牽制する。 トトリ」

「はいっ!」

まさか、自分がいきなり呼ばれるとは思わなかった。

いつの間にか、手元に蜜蝋つきのスクロールがあった。五つも、である。

「これより、辺境各地の主要各国と同盟を強固にする。 来るべき時に備えて、戦力を整える必要があるからだ。 アーランドを中心として、スピアの大軍を迎え撃つ準備をする」

その際には。

逃げ込んできた北部列強の軍勢との共同戦線が必須になる。

今のうちに。

協調態勢を、徹底的に整えなければならないのだ。

「対応は全て任せる」

「御意!」

責任は非常に重い。

恐らく、各国を回るだけで、二ヶ月程度は必要になってくるはず。しばらく、東の大陸に出向くことは出来ないだろう。

でも、これを果たせば。

イビルフェイスを討つべきと言う提案を、する事が可能だ。

そして功績から言っても。

陛下は、無視できなくなるはず。

こういう小賢しい計算が出来ることを、あまりこのましく思わない人もいるかも知れないけれど。

できる限り確実に邪神を倒し。東大陸の人々を救い。そして、味方にもするのだと思えば。

投資としては、決して悪くないはずだ。

それに、多くの人が、無意味に争うのは、トトリだっていやだ。出来る範囲では、仲良く出来る態勢を整えたいし。それを自分が出来るのだというなら、光栄の極み。

「クーデリア」

「はい」

「そなたはロロナと、その近衛。 ホムンクルスの精鋭部隊を率いて、判明した敵遺跡を確認。 敵性勢力を見つけ次第全て撃滅せよ。 一兵たりとも生かしておくな」

「御意!」

クーデリアさんが、ロロナ先生と視線を交わし、頷き会う。

この二人のコンビネーションは、文字通り世界最強だ。

そして、今までクーデリアさんは、外交関係などの器用さが要求される作業もこなしていて、身動きが取れなかったはず。

此処で、一気に状況が変わる。

一戦士として、本来の実力を、クーデリアさんがフル活用できるようになる。

そして拠点である遺跡を潰されれば。

一なる五人は、それだけ動きを鈍化させることになる。

上手く行けば、一なる五人本体を、屠ることが出来るかも知れない。

判明している遺跡は四つ。

その全てを潰せば、確実に敵の戦力をしばらく行動不能に出来ると言う試算も出ている様子だ。

陛下自身は、前線で、敵の主力部隊と相対するという。

これには、歴戦のアーランド戦士達が加わる。ステルクさんとアストリッドさんも、此処に配置される予定だ。

更に幾つかの案件が、エネルギッシュに解決される。

誰も異議を唱えるものはいない。

建設的に。

会議が終わった。

解散。

陛下の声が掛かると、皆が会議室を出て行く。ロロナ先生は、咳払いすると、トトリを見た。

「大丈夫?」

「何が、ですか?」

「しばらくは東大陸に行けないよ」

「平気です。 それに、この交渉を全て成功させたら。 功績は無視できないものになるはずです」

ロロナ先生は、笑顔を崩さない。

クーデリアさんが、代わりに肩をすくめた。

「したたかになって。 まあいいけれどね」

「マークさんとお姉ちゃんには、アランヤに残って貰うつもりです。 その代わり、ミミちゃんやジーノ君、それにメルお姉ちゃんとペーターお兄ちゃんに、護衛としてついてきて貰おうと思っています。 ナスターシャさんは分からないので、本人に聞いてみます」

「その辺の人事は任せるわ。 聞いているけれど、あのメルヴィアも寒い中ではすっかり萎縮していたんですって?」

「はい。 分厚く服を着て、丸まってました」

あの獰猛な脳筋がね。

そう言うと、クーデリアさんはくつくつと遠慮無く笑った。

お姉ちゃんをアランヤに残すのには、意味がある。一つは、ピアニャちゃんの様子を見てもらうこと。

しばらくはどうせ、土地に慣れて貰わないといけないのだ。

それに、ホープ号はすぐに彼方此方に出る事になる。今回の交渉についても、アーランドから南下して、西にホープ号で行く。その間、アランヤには一人か二人くらい、手練れがいた方が良いだろう。

既にホープ号の二番艦を建造するべく、物資の蓄積が始まっているのだ。

レオンハルトの脅威が消えたとは言え。

どんな脅威が迫るか、わかったものでは無いのだから。

これにマクヴェリオンも加えて残しておく。まさか、この戦力で、生半可な相手に遅れを取ることも無いだろう。

今やアランヤは、相応の重要拠点とかしている。

ちむちゃんは一人だけ連れて行く。

今回は、まず交渉に行く国のデータを調べ。交渉に必要そうな物資をアーランドに提供して貰う。

ないなら作る。

その後に、交渉を始めることになるのだけれど。間に合わない可能性もある。

陸路だと限界があるし、何よりホープ号の威容は、スピアの軍事力に恐怖している国々に、勇気を与えるはずだ。勿論使い方を間違えると萎縮させてしまうだろうから、気を付けなければならない。

それらのことをまとめて話すと。

クーデリアさんは頷いた。

「大丈夫そうね。 後は任せるわよ」

「はい、行ってきます」

「ロロナ。 あたし達も行くわよ」

「うん。 行こうか、くーちゃん」

二人が、肩を並べて歩いて行く。その圧倒的な安心感。確かに二人揃ったときの戦闘力は、あの陛下さえ上回るという話も、大げさではないように思えた。

此処からだ。

全てを片付けて。

そしてあの邪神イビルフェイスも殺す。

自分の中で、決着を付ける意味もある。確かにある。

でも、今は。

トトリは、多くの責任を背負って。そして、その責任で出来る事がある。仕事をしていれば、己の中に渦巻く黒い感情を押さえ込めるという意味だってあるけれど。それ以上に、片付けなければならない。

出来る事を。

自分の出来る範囲で。

そして、その範囲は。

とても、広いのだ。

 

アランヤに戻ると、一週間ほど掛けて準備を進める。アーランドと行き来しながら、物資を蓄積。

これから向かう五つの国は、沿岸部に二つ。内陸部に三つ。ある港町を経由すると、かなり早い。

更に、五つの国と交渉する過程で、通る三つの小国にも、挨拶だけはしておきたいところだ。

これについても、陛下に許可を得た。

二日目には。もうロロナ先生とクーデリアさんは、放たれた矢のように、精鋭と近衛を連れて、アーランド王都を離れていた。

フットワークが軽くて羨ましい。

たぶん、二人が帰ってくるのと。トトリが戻るのは、時期的にもそう変わらない筈だ。

二人が負けるはずがない。

これは希望的観測では無い。

レオンハルトがもういない。強力なモンスターもホムンクルスも前線に出払っている。その状況で、二人を止められる戦力は、流石にスピアにもないはず。

更に支援として、三人の国家軍事力級戦士が、敵前線を圧迫する。敵もこれなら、手札を出し尽くす筈だ。

問題は遺跡に潜む邪神だけれど。

あの二人と、アーランドの誇る精鋭なら。きっとどうにでも出来る筈だ。

被害は出るかも知れないけれど。

それは、トトリにはどうにも出来ない。

あの二人なら、勝てるだろう。

それは素直な計算から導き出される答えだった。

トトリの方も、準備が整う。

その時には、ホープ号も、再出航の準備が終わっていた。元々、それほどの消耗はなかったのだ。

船員を発表。

今回も、106さんや悪魔族の戦士達には、引き続き来て貰う。

人間の戦士は、かなり目減りする。

これは前線の状況が厳しいので、向かって貰うためだ。医療魔術師は一人だけついてきてもらう。

エゼットさんは、ピアニャちゃんの様子が心配だというので。此処に残って貰う。

元々、アランヤの医療魔術師はそれほど腕も良くなかったし、それでいい。きっと、助けになる筈だ。

ピアニャちゃんも、エゼットさんの事が好きなようだし、大丈夫だろう。

これで、誰も不幸にはならないはずだ。

「じゃあな。 色々と楽しかったぜ」

「またお願いします」

大きな手と握手を交わす。相手はベイヴさんだ。

彼の鉄球には随分助けられた。東の大陸でのモンスター退治の際も、ミミちゃんやジーノ君と同数以上の敵を潰していた。

他の人達にも、トトリの判断で、お給金に色をつける。

今の時点で、冒険者達の昇格人事に関して、トトリには権限がない。これは王宮にいる文官達が、情報を総合して行う。

一通り、船から下りる人達の作業を手伝った後。

出航する。

まずは、南に。

そして、海岸に沿って、西に行く。

アーランドも、スピアに負けぬ技術力を持っている。これはそれを示す意味もある行動だ。

敵は戦争などしていないけれど。

此方は、違う。

こういった行動の一つ一つに意味がある。そして、意味がある以上、無為にはせず使いこなしていきたい。

闘いは、いつでも側にあるからだ。

まず、最初の国が見えてきたのは。

出航から、一週間後。帆船だったら、その四倍の時間が掛かるけれど。ホープ号なら、この通り。

結局ナスターシャさんはついてきてくれたので、炉を任せる。

彼女の魔力なら、炉が枯渇することもない。

港に到着すると。

かなり大きな騒ぎになっているのが分かった。アーランドがホープ号を建造したことは、伝わっているはずなのだが。

港には、兵が出てきている。

それならば、海に迎撃の艦隊でも出せば良いのに。反応が遅い。

此処は辺境と言っても、海から攻められた経験もないのだろう。煮え湯を飲ませるようで悪いけれど。

肝を冷やして貰うには、良い機会だ。

最初にホムンクルス達が展開し。次にトトリが降りる。兵士達は油断なく槍を構えていたが、アーランド戦士に比べるとかなり質が劣る。それでも、スピアの二線級モンスターが相手なら、対応は出来そうだ。

「何者だ!」

「アーランドの国使として来ました。 トゥトゥーリア=ヘルモルト。 錬金術師です」

「……すぐに陛下に伝令を」

指揮官らしい、大柄な男性が、後ろに指示。

さて、まずはこの国からだ。

道程は最終的に二ヶ月ほど。

この任務をこなすことが。

トトリの道の。

一つの結末の、到着条件だ。

 

2、轟音烈波

 

ひたすらに荒野を走る。

ロロナの近衛達である、センをリーダーとするホムンクルス達。くーちゃんが連れてきてくれた精鋭。その中には、師匠が貸してくれた、パラケルススちゃんも混じっている。

パラケルススちゃんは、106ちゃんと同じかそれ以上に感情豊かだけれど。

不器用な軍人という風情の106ちゃんとは、かなり違う。

何というか、若干サイコパス気味なのだ。

一丸となって走る三十と六名。

最初のターゲットの遺跡まで、五日。

くーちゃんだけだったらもっと早かっただろう。この一団がたどり着ける限界の最短時間が、五日なのだ。

途中、敵の斥候を、見かけた端から根こそぎ処理。

十や十五程度の少数部隊は、敵ではない。

即座に押し包んで、殲滅。

ロロナとくーちゃんは、見ているだけで良い。セン達も自分たちで鍛え上げてきているから、安心して闘いを見ていられる。

四回の戦闘を実施。

その過程で、移動速度を落とすことはほぼ無かった。

遺跡に到着した時には、雨が降り始めている。辺りは白骨だらけの野。ひどい異臭もしている。

これは。

旧時代の人々の骨が、何らかの理由で集まったいわゆる白骨の野に。スピアがモンスターの死骸や、虐殺した人々の中で、使えない部分を捨てたりしたのだろう。

遺跡は、その中央。

入り口は閉じているけれど。ロロナとくーちゃんですぐに周囲を調べる。

結果、一カ所に隠し扉を発見。

内部を見ると、当たりだ。洗脳モンスターが、わんさかいる。数は千体近い。しかも迷路状の空間だから、砲撃で一撃必殺ともいかない。

「パラケルススちゃん」

「はい」

舌なめずりしながら、最強のホムンクルスが進み出る。

他のメンバーには、周囲を固めることと、取りこぼしの処理を指示。皆が頷く中、挙手したのは、34さんだ。

彼女は修道院方面の防御についていたのだけれど。其方の戦況が落ち着いたので、今回来てくれている。

トトリちゃんと一緒に地獄の撤退戦も経験した彼女は。

既に二桁ナンバーホムンクルスの中でも、最上位層の実力者と評判だ。

「敵の軍勢が現れる可能性も想定するべきかと思います。 その場合は、死守ですか?」

「ううん、撤退で大丈夫」

「……分かりました」

最悪の場合、ロロナとくーちゃんなら、どうにでもなる。敵中突破くらいは、どうにかしてみせる。

この時のために、色々な道具類も持ってきているのだ。

それに、陛下と師匠、それにステルクさんが、前線で大暴れもしている。かなりの敵を、引きつけてくれているはず。

中枢部分を叩けば。

この遺跡を沈黙できる。

邪神が出てきた場合は、その時は仕留める。幾つか、大型の発破も持ってきているし、不可能では無い。

GO。

くーちゃんの叫びと同時に、三人、遺跡に踊り込む。

わっと襲いかかってくるモンスターの群れ。全部洗脳されているから、奇襲は通じない。驚かないのだ。

生きた兵器の群れと言っても良いだろう。

走りながら、片っ端から魔術を放ち、焼き払う。くーちゃんが飛びかかってきたバザルトドラゴンの顎を蹴り砕き、天井近くまで放り上げた。射撃射撃射撃。炎が敵の群れを焼き尽くし。命を削り取っていく。

爆炎。

向こう側から、敵影。

体が焼けることも。死ぬ事も。まるで意に介さず、迫り来る、命なき獣の群れ。あらゆる種類のモンスターがいて。中には、人間やホムンクルスの頭に器具を付けた個体も見受けられた。

助ける術は無い。洗脳や、初期のホムンクルスにつけられていた思考制御装置ではない。そもそも、思考などさせず。意の通りに動く機械とするための装置だ。頭から外せば、その時点で死んでしまう。

一なる五人という名前の意味。

自分たち以外は、どうでも良いという意思表示というのが、ロロナの説だったけれど。それはあながち、嘘では無さそうだ。

同じように、旅の人の思想を受け継いだはずの錬金術師だというのに。

何がどうして、こうなってしまったというのか。

押し寄せてくるモンスターの数が多い。

蹴散らし、打ち抜き。

体力も削られながら進んでいく。勿論、無傷でも済まない。血しぶきが飛ぶ。飛んできたナイフをかろうじて避け。或いは生きている鎖がはじき返す。

前よりも更に楽しそうに戦うパラケルススちゃん。今度手にしている武器は、非常に造りが良い大剣だ。殆どパラケルススちゃんの体長以上もある。武器を選ばない子だけれど。これは、いつも以上に強い。

あれは、たぶん全部をハルモニウムで作っている。

そういえば、一部のちむちゃんがハルモニウムを渡されたと聞いているけれど。

量産に、成功していたのか。

ひょっとすると、トトリちゃんが持ち帰った、フラウシュトライトの鱗が材料かもしれない。

だとすると。今後は。

アーランドの一線級戦士の武具に、ハルモニウム製が普及するだろう。

「ハアッ!」

満面の笑みを浮かべて、敵を斬り伏せるパラケルススちゃん。

くーちゃんは眉をひそめるけれど。ロロナは気にせず、後方に砲撃。通路に密集した敵を、根こそぎ焼き払う。

生きている鎖が動き、飛んできたナイフを弾く。

十字路に誘い込まれ。

四方から、敵が押し寄せてきていた。

迎撃。

力尽くで押し返し、押し潰し。

トラップの数々を潰しながら、ひたすらに進む。

敵が途切れたのは、ずっと戦い続けて、八刻も過ぎた頃だろうか。

呼吸を整えながら、状況を確認。

流石にくーちゃんと一緒だし、負ける気はしないけれど。それでも、体力の消耗がひどい。

最初の遺跡でこれでは、後が思いやられる。

だけれど、やらなければならない。エスティさんが、必死の思いで探し出してきてくれた場所なのだから。

今は、たぶん十二層か、三層か。入り口から潜ったはずだ。

地下に入れば入るほど、機械が生きていて、稼働音も大きくなってきている。

発破はかなり使ったし、持ち込んだ薬品類も。

くーちゃんに耐久糧食を渡して、ロロナも頬張る。傷口に、薬を塗り込む。かなり深手の傷もある。メンタルウォーターを飲み干すと、バッグに容器をしまう。

「見て、ロロナ。 妙な構造体があるわ」

「今行く。 ちょっと待ってて」

応急手当が終わったロロナがくーちゃんに追いつく。

先行していたくーちゃんが見上げているのは。

どうやら、遺跡の支柱らしい構造。

大きさと太さから考えて。そろそろ、この遺跡の中枢は近いとみるべきだろう。

凄まじい雄叫びが聞こえた。

進み出てくるのは。無数の肉が混じり合った、巨大な影。ベースはドラゴンのようだけれど。

人。食肉目。海獣。鳥。ドナーン。ベヒモス。

あらゆる肉を取り込んで、巨大化した様子である。

おぞましいと言うよりも、痛ましい。

「少し、時間を稼いで」

「ん」

くーちゃんが前に出る。

ロロナは詠唱を開始。

後方からも、敵の一団が来る。其方は、パラケルススちゃんに任せる。彼女は大喜びして、敵の群れの中に突入していった。

前後から凄まじい戦闘音が響く中。

ロロナは集中して詠唱を続ける。周囲に展開される無数の魔法陣が、ロロナの魔力を更に高めていく。

杖を振るい、構え。

それと同時に、くーちゃんが飛び退く。

生きている鎖が床に突き刺さり、金属音を立てて。

そして、突貫しようとする巨体に向け。

ロロナは、大威力の魔術砲撃を叩き込んでいた。

光の筒が、巨体を押し返す。蒸発する肉から吹き上がるのは、酸か。体内を酸で満たしているのか。

全力で、砲撃を続行。

嘆きの声を上げながら。暴力的な光の一撃に、肉塊が溶け消えていく。

爆裂。

くーちゃんが、クロスノヴァを発動。周囲の壁床を連射して、爆風の壁を造り。酸の霧が押し寄せてくるのを、防ぐ。

砲撃が終了した、虚脱の瞬間。

ロロナの背中から、一撃が抜けた。

引き抜いたそれは、小型の槍のように見えたけれど。振り向くと、どうやらパラケルススちゃんが最後に仕留めた一体が。断末魔の一撃として、ロロナに放り投げた、体の一部らしかった。

冷静に、傷口を消毒。

薬を塗り込む。

再生が開始されるけれど、念のためにネクタルも口にした。飲み干しながら、呼吸を整える。

内臓にダメージがあったけれど。

まだ、戦闘は続行可能だ。

「ごめんなさい。 最悪のタイミングで、其方に攻撃が行ってしまって」

「もういいわ。 それよりも、大丈夫」

「何とか。 でも、少し休ませて」

「どのみちしばらくは進めそうにないわ」

くーちゃんが顎をしゃくる。

通路の先には、酸で壁も天井もひたひたになった通路。

別の道は、おそらく無い。

死んだ後どうなるかも計算した上で。あのモンスターは、出てきたと言うことだ。逆に言うと、どうしても、ここから先は、通したくないという意思表示でもある。

もう一杯、ネクタルを飲む。

少し無理をするけれど、此処は強制的に突破した方が良い。

酸を中和する薬剤はないけれど。

短時間なら、防御術式で、弾くことが可能だ。

くーちゃんにまず行って貰って、奧に行けるか確認。

その後、ロロナとパラケルススちゃんで行く。

壁に背中を預けたまま、くーちゃんに防御術式を掛けていく。攻撃術だったらアーランドでもトップクラスに入る自信はあるのだけれど。防御術式はそこまで得意じゃないから、苦労する。

りおちゃんがいたら、少しはマシなのだけれど。

今彼女は、妊娠八ヶ月だ。流石に此処に連れてくるのは無茶である。

防御術式が完了。

くーちゃんが残像をつくって、奧へ行く。ロロナはその間、ずっと体を貫かれた痛みに耐え抜いていたけれど。

回復するときが、一番痛いのは、今も同じだ。

呼吸を整えながら、パラケルススちゃんを見上げる。

「もう少し、力を出してもいいよ?」

「やだなあ。 全力ですよ」

「嘘ばっかり」

この子、既にランク9の冒険者並の実力を持っているけれど。その力を意図的に抑えている節がある。

たぶん師匠の差し金だろう。

最近大人しくしていた師匠だけれど。少しおかしな動きをし始めているという話もある。ステルクさんに、気を付けるよう釘を刺された。

でも、今の時点では。この場所に介入してくる余裕は無いだろうし。何より、パラケルススちゃんを失う選択肢は選ばないだろう。

くーちゃんが戻ってくる。

防御術式を解除。

床が、じゅうじゅう音を立てている。酸が防御術式が作った膜の外側に追いやられ。高濃度に圧縮されて、激しく反応しているのだ。

「奧にシャフトがあって、其処をぶち抜けば最下層に行けそうよ」

「じゃ、行こうか」

「大丈夫でしょうね」

「うん」

内臓のダメージは、既に回復。

問題は体力だけれども。それもまあ、どうにかなる。

痛みに関しては、仕方が無い。皮膚に穴が空いている状況だ。血はどうにか止めたけれど。まだしばらくは痛いだろう。

防御術式を全員に掛ける。

GO。

かけ声とともに、酸が満ちる通路へ。

神速自在帯の能力をフル活用して、くーちゃんに続いて走る。

シャフトが見えてきた。

飛び込み、砲撃一発。床を貫通して、真下に。パラケルススちゃんは、ちゃんとついてきている。

シャフトを駆け下って、床に。瓦礫が落ちてくるより先に跳躍。くーちゃんに続いて、巨大なホールに出ていた。

無数のカプセルが、そのホールの壁を埋め尽くしている。

入っているのは、人だろうか。

たぶん、いにしえの時代の人だ。みな眠りについて、自分たちが暮らせる世界の到来を待っているという所か。

真ん中には、巨大なドーム。

ガラス状のそのドームの中では。

何かが、胎動していた。

歩み寄ると、声がする。

「ほう。 三個連隊の防御をかいくぐったか。 さすがは国家軍事力級の戦士だ」

「一なる五人……」

いきなり当たりだったか。

けらけらと笑い声。

「これほどの防御を敷いていたということは。 これが根の一つね」

「ご名答。 もっとも、世界中にまだまだたくさんあるからな。 失っても全く痛くはないが」

「ロロナ」

「うん」

周囲のカプセルに傷をつけるのは好ましくない。

ドームの上に上がると、詠唱を開始。上から下に砲撃を叩き込み、ドーム内部の有機体を焼き尽くす。

破片はくーちゃんが始末してくれるはず。

それにしても、この根というのは、何だろう。

目が合う。

ガラス状のドームの中にいる何かが、巨大な。それこそ人体より巨大な眼球を、同時に無数に見開いたのだ。

その目の構造は、人間と同じ。

赤黒い肉塊の中に浮かぶ、無数の目。

ロロナは構わず、砲撃。

ガラスを貫通して、内側に通った砲撃が。

瞬時に内部を焼き尽くし。一瞬で、有機体を滅ぼした。

跳び離れる。

煙が上がる。おぞましい肉の臭いを含んだ煙だ。これで、此処は片付いた。もっとも、一なる五人の様子からして。本当に、一つや二つ、やられたくらいは何とも思っていない可能性が高い。

後は、あの根の正体だけれど。

あまり考えたくない。

でも、敢えて考えるのだとすれば。この世界にいる生命の全てを根絶させるために必要なもの。

生物兵器だろうか。

いや、それには限界がある。いにしえの技術を見る限り、たぶん今の時点では生物の方が強いとしても。最終的には、兵器の方が強いだろうからだ。

そうなると、あれは一体。

もう少し、資料がいる。出来れば此処をもっと調べたいのだけれど。もたついていると、一個師団規模の敵軍勢に囲まれかねない。

くーちゃんが、必要そうな資料を集めてくる。

ドームを降りると。

パラケルススちゃんが言う。

「いっそ、この遺跡、ドカンってやっちゃいません? 内側からなら余裕じゃないですかね」

「ダメだよ。 あの人達の生命維持をどうするつもり」

「あんな自分たちだけ寝て、後は好き勝手にどうなればいいとか思ってる連中なんて、どうなったって」

「あんたねえ」

「くーちゃん」

流石に苛立ちを覚えたらしいくーちゃんの手を、ロロナは止めた。

パラケルススちゃんは、サイコパス気味な精神構成をされている。怒っても、仕方が無い。

それに、彼女の意見にも一理あるのだ。

いずれにしても、此処と一なる五人の関係は、徹底的に断っておく必要はあるが。

最下層に降りる。

ポータルを全部潰して、更に情報もスタンドアロン化する。

これについては、師匠がそうするためのキーを組んでくれたので。中枢にある電算装置に組み込めばいい。

最後の作業を終えると。邪神が目覚めた。

「第四十七コールドスリープカプセルセンター、再起動」

「此奴、攻撃を仕掛けては来ないでしょうね」

「たぶん大丈夫だよ」

機械群が出てくるけれど。

ロロナにもくーちゃんにも。パラケルススちゃんにも興味は無い様子だ。

そのまま、壊されたり。

或いは一なる五人に後付けされたりしたらしい設備を、掃除しに掛かる。

先ほどの酸を浴びていた通路に関しては、電算機近くのモニターが、真っ赤に表示されている。

操作については、これでいい。

後は、同じ経路をたどって、出るだけだ。

 

遺跡の、封じられていた入り口が開くようになっていたので。帰路はそれほど大変でもなかった。酸の道も通らなくて良かったのは有り難い。ひょっとすると此処の邪神は、ロロナ達を人間として認識してくれたのかもしれない。

邪神、死の王。以前戦ったあれは、明らかに人間を見下していた。人間という存在を下等なものと見なし。痛めつけるのを楽しんでいた節さえある。

自分が与えられたルールの中で、どれだけ悪逆を行えるか。そんな試行実験さえしていたようだった。

今度の邪神は、どうしてか違った。

ひょっとすると、本来の邪神はああいうもので。

人の悪意を受けて、変わってしまうのかも知れない。

問題は、遺跡を出てからだ。

入り口の、大型ドアが開く。

既に、気配から分かっていた。

二百ほどのモンスターが、既に来ている。一なる五人が派遣してきた部隊だろう。当然前衛で、もっと多くがいるのは確実である。

「疲れてるって言うのにね」

くーちゃんが呆れたように言う。

でも、此処さえ乗り切れば、別に構わない。

遺跡が沈み始める。

再度の干渉を嫌ったのか、或いは。

もしくは、一なる五人の手先として軍勢を認識。身を守るためかもしれない。

「さあ、後一仕事よ」

「うん!」

少し体は痛むけれど。此処を抜ければ、休める。

そう思えば、この程度の苦難。

苦難の内に、入らなかった。

躍りかかってくる敵の軍勢。同時に、此方の味方も姿を見せる。

一気に叩く。

くーちゃんが最後の一匹の首を蹴り折ったとき。

ロロナはまた爪でざっくりと一撃を浴びていたけれど。致命傷は避けていたし、大丈夫だ。

無言で、薬を塗り込むロロナ。

くーちゃんは、一瞬だけ心配そうな目を向けたけれど。平気。

「さあ、行こう」

心配もさせたくないので。敢えて笑顔を作って。そう、ロロナは、皆に言った。

 

二つ目の遺跡は空振り。

内部は完全に死んでいて。野生のモンスターがちょっと住み着いていたくらい。ちなみにカプセルの類も無く。いにしえの技術も、盗賊に荒らされたのか、ほとんど残っていなかった。

たぶん列強が無事だった時代に、見つけられて。内部に侵入された遺跡だったのだろう。盗賊どころか、国が主導で資源を漁ったのかもしれない。

最深部の痕跡を探ったところ、どうやらただの食料庫だったらしい。

得るものは、無かった。

ただ、この遺跡に行く途中。帰る途中で、スピアの軍勢と、六回にわたって遭遇。その内一回は千五百を越える規模。

逃げ切るのは無理と判断し。殲滅するしかなかった。

当然、消耗も激しくなり。

重傷者も出た。

ネクタルはこういうとき、本当に便利だ。死の闇に落ちそうになった者も、すくい上げることが出来る。

高濃度に圧縮し。ちむちゃんたちが増やしたネクタルは、六回にわたってそういった者を死からすくい上げたけれど。

結果として、物資が尽きたので。一旦ロロナは戻る事にした。

最前線の砦に到着。一応行程に関しては、予定よりだいぶ前倒しになっている。少しくらい休んでもいいのだけれど。ただ、今は何が起きるか分からない状況だ。

出来る事は、出来るだけ前倒しにしたい。

くーちゃんと一旦別れて、負傷者を施療院に。部隊も一度解散。

ロロナは、レポートを手に、師匠の所に向かう。

師匠は相変わらず、研究室と前線を行き来する日々。

研究室には、ホムンクルスの中で、PTSDを煩ったり、戦闘向けでは無いと判断された者達が、手伝いに廻されているけれど。

今は、文官の一部も、協力しているようだった。

師匠は。

あれから、ロロナと視線も合わせてくれない。

今回も、師匠に取り次いで欲しいとホムンクルスに声を掛けて、待ったけれど。師匠は、とにかく冷たかった。

「これ、お願いします。 遺跡の一つで発見した資料です」

「そうか」

サンプルを受け取ると、すぐに研究室の奥に消えようとする。

昔は。色々とおかしな人ではあったけれど。

それでも。

うつむく。こればかりは、国家の重鎮になった今でも、どうすることも出来ない。師匠がどうして憤っているか。その相手が誰なのか。分かっているからこそ、ロロナには、出来ることがない。

研究室を出て、用意されている宿舎に。

既に二十歳を過ぎて、随分経つ。

それでも、出来ない事がたくさんあると、思い知らされる日々ばかり。

勿論、出来る事はずっと増えた。

自分の力で、守る事が出来るものだって。

それでも、限界がある。

今のジオ陛下の立場になっても、きっとそれは同じだろう。権力を得ても、出来ない事は、出来ないのだ。

ベッドで横になると、大きくため息。

体中が痛い。

だけれど、明日には、また物資を補給して、遺跡攻略に出る。

部屋に、くーちゃんが来た。

「少し飲む?」

「そうだね。 そうしようか」

お酒は、痛み止めにもよい。

心の痛み止めにも。

きっと、それを察して、くーちゃんも来てくれたのだろう。しばし、あまり好きでもないお酒を、二人で無言のまま飲む。

こうしていると。

何もかも、現実が非情である事を忘れられて、良いなとロロナは思うのだった。

 

3、根の力

 

最初の国では、それほどひどい扱いは受けなかった。アーランドの正式な国使、という事もあるだろう。

それ以上に、トトリが相手に対して最大限の敬意を払って、出来るだけ高圧的にはならないように、振る舞いには気をつけたと言うこともある。

むしろ、文官達の方が、冷や冷やものだった。

アーランドでは、あまり扱いが良くないからだろう。傲慢に振る舞う様子が、見て取られたのである。

最初の国を出たとき。

トトリは、バリベルト船長に相談。

たぶん年長者の中では、彼が一番相談できそうだと思ったからである。この場にロロナ先生がいたのなら、真っ先に彼女にしたのだけれど。

「難しい問題だな。 たぶん納得しないと、行為が陰湿化するだけだろうし。 かといって、文官共の鬱屈も分からなくはねえ」

「そうなると、どう納得して貰うか、ですけれど」

「頭ごなしにしかることだけはやめとけ」

「それは、分かっています」

トトリも、勿論そんなつもりはない。

連れてきている文官は六名。彼らのリーダーであるシャムシャさんが、一番日頃の鬱屈が大きそうだ。だから、まずは彼から説得する。

トトリが呼びつけると。

シャムシャさんは、最初から青ざめていた。

アーランドでは、労働者階級は、戦士階級には勝てない。それは本能のようなものとして、身にきざまれている。

「シャムシャさん、先ほどの態度はあまり褒められるものではありませんでした。 アーランドの立場が相手国よりも良いからと言って、して良いことではありません。 次からは、控えていただけると助かります」

「……」

「私も、実はアーランドの仕組みの中で、苦しんできた一人です。 私は凄く弱くて、棒術も芽が出なかったし、魔術も使えなくて。 だから、シャムシャさんの気持ちは、分かるつもりです」

分かってくれるだろうか。

トトリも同じなのだ。

だけれど、相手が弱い立場だからって、強く出ようとは思えない。何故か。それは、相手が弱ければ、何をしても良いという理屈が如何に醜悪で。世界をどれだけ乱すか、知っているからだ。

そんな風に考えるのでは、おしまいだ。

自分の理屈を暴力で押しつける。相手の思想を暴力で否定する。そんな事をしていたら世界には誰も残らなくなる。

どれだけ不快であっても、相手の話は聞くようにしていかなければならない。

それは、トトリが学んできた事だ。

そうすれば、絶対に和解が不可能なのか、出来るのか、判断できる。相手のことを尊重しなければ、そもそも和解が出来るのか出来ないのかさえの場所にも、立つ事は出来ないのである。

「トトリ様は、それでも戦士階級でしょう。 しかも、その若さで、ランク9の冒険者」

ひやりとした声。

明らかな拒絶。

そうか、こういう所でも。自分に対する敵意の目は、出てくるのか。気を付けるようにと言われていたけれど。

それでも、どうしても。トトリがこの若さで、地位を獲得したのは、事実なのだ。

そして今では、ベテランのアーランド戦士並みの実力もあると、太鼓判を押されている。勿論国家軍事力級の戦士達と比べると、まるで勝負にならない程度の力だけれど。それでも、労働者階級の人達に比べれば。

「我々は、いつあなた方にミンチにされるか分からない環境で生きているんです。 この年になっても、それは変わらない。 だから、少しくらい横暴に振る舞うくらい、許してくれませんか」

「それは、あなた方を苦しめた人達と、同じになると言う事です」

「だからなんですか。 理屈が正しいのと、実際にそう振る舞えるのとは、別の話だと言う事です」

「誇りを捨てるんですね」

心に纏う、最後の壁。誇り。

これを捨てるようになると。人は、どんなことでも、平気で出来るようになる。ロロナ先生に、前に言われた。

だから、誇りだけは、捨てないようにしろと。

「貴方が、誇りを捨てないことを期待します。 メリオダス大臣のように、労働者階級であっても、国家最上層で頑張っている人のようになるには。 きっと、そんな考えでは、だめだと思います」

無言のまま。

シャムシャさんは、部屋を出て行った。

 

翌々日。二つ目の国に到着。

此処を突破した後、後は陸路で、残り三つの国を回ることになる。此処からだと、距離的に、一番楽なのだ。

今回は、相手の国の対応が早かった。

海上で艦隊を展開して、ホープ号を防ごうとしたのである。ただ、どの艦も帆船で、とても実際には防げそうには無かったけれど。それでも、対応の早さは立派だった。

トトリは舳先に出て、じょうごを使って声を拡大。

戦意は無いこと。

アーランドの代表として交渉に来たことを告げて、艦隊と一緒に入港。

港に降りると。向かえに来た武人と握手した。

トトリとあまり年齢も背格好も変わらない、女性の武人だ。この年でこんな大役を任されているという事は、相当な才覚の持ち主とみるべきだろう。トトリの場合は、お膳立てがあっただけだ。

肌はかなり濃く焼いていて、その一方で肌の露出は押さえ込んでいる。古風な金属鎧を身につけているけれど。

気配で分かる。この人は、相当に強いとみるべきだろう。

「ミルガア王国の騎士、アンナだ」

「アーランドの国使として来ました。 錬金術師トゥトゥーリア=ヘルモルトです」

「噂には聞いている。 その年で、ペンギン族やリス族との同盟を締結した立役者になり、悪魔族にも顔が利くそうだな」

この国の親愛の示し方は先に調べてある。挨拶をした後、再び握手を交わす。それが最敬礼の代わりになる。

その後は、案内をして貰った。

ホープ号に興味があるらしく、途中で話を聞かれる。あんな大きな船をどうやって作ったのかとか、乗り心地はとか。

船に興味津々。理由は知っている。

この国は、大きな港が首都になっていて。幾つかの離島をつないで、国家となっている、一種の連邦国家だ。

そのために海軍に力を入れていて、騎士というと船を一隻任されている地位を示しているらしい。

そのため、騎士の地位は高く。

王様が騎士団長を兼ねているのだとか。

アーランドでは既に騎士という階級は消滅したけれど。この国では、軍事の要職として残っている、と言うわけだ。

この人の話を聞いていると、この国での騎士は船と切っても切り離せない職業だと言う事が、よく分かる。

「此処が王宮だ」

案内された先は、船を模した形状。

非常に特徴的な構造の建造物だ。笑おうとした誰かを、ミミちゃんが視線でたしなめる。色々な文化があるのだ。こういう文化があっても、良いだろう。

「しばらく待っていてくれ。 陛下にお会いできるよう調整する」

「お願いします」

中に入って、すぐにある待合室に。

今回船を下りたのは、トトリと文官六名、ミミちゃんとホムンクルス一分隊。残りのメンバーは、船に残してきた。

万が一に備えての措置だ。

ほどなく、謁見の準備が整って。謁見の間に案内された。

玉座が見下ろす形になっている謁見の間は。かなり徹底している。玉座そのものが、船を模した形になっているのだ。

この国が、どれだけ船を重要視しているか、それだけでも分かる。

そればかりか、王冠までもが船の形をしている。

王様はもう引退しているようだけれど、分厚い筋肉とがっしりした骨格は今でも健在。この国では、騎士団長を王が兼ね。それは船を全て統括する立場であると言う事を、示しているかのようだ。

公文書であるスクロールを渡して、交渉開始。交渉の内容自体は問題が無い。今後の来るべきスピアとの決戦に備えての連携強化。それから、北部から流入してくる難民の扱いについて、だ。

いずれも、問題が起きるような内容では無い。

順番に合意を取って、その後は歓迎式典に案内される。

質素な規模だったけれど。

少なくとも、トトリが見ている範囲内では、文官達は文句を言っていなかった。胸をなで下ろしているトトリの所に、アンナさんが来る。

「トトリ殿。 しばらくあの巨船をこの港に停泊させるというのは本当か」

「はい。 此処からは陸路を北上して、三つの国との交渉を行います」

「そうか。 そ、その。 中を見せて貰えないか」

「国家機密になるので、重要な場所は見せられませんけれど。 少しなら」

子供みたいに目を輝かせているアンナさんの夢を奪うのも良くない。

それにこの人は、いずれこの国の上層部に行く人だ。今のうちに、良いコネクションを作っておくことは、有益である。

それに本音としては、お酒が入る式典は苦手だ。

アンナさんと一緒に外に。慌てた様子で、106さんがついてきた。今の実力なら、トトリも簡単には暗殺されないけれど。それでも軽率に過ぎるというのだろう。

「困ります。 主賓がそれでは」

「大丈夫、すぐに戻ります」

「困りましたね。 最低限、私の護衛はお許しください」

「お願いします」

困り果てた様子の106さんが気の毒でもあるし、正論を言われていることも分かったので、護衛を許可。

そのまま、少しだけホープ号の中を案内した。

金属で周囲を覆われている船、というだけでも驚きらしい。もっとも、船底にはそれでも、フジツボや汚れが付着するので、時々潜って掃除しなければならないのだけれど。

重要施設は見せられないけれど。

部屋や通路を見せるだけでも、アンナさんは満足してくれたようだった。

「我が国にも欲しいな」

「まだ、我が国における主力戦闘艦ですし、当面は厳しいです」

「分かっているさ。 だが、いずれ作ってみせるぞ。 こんな船を乗り回すことが出来たら、ミルガアの騎士としては誉れだ」

そろそろと、106さんに釘を刺されたので、戻る。

文官達も、幸いなことに、大人しくしてくれていた。この間少し話して、ある程度此方の意思を理解してくれたのだとしたら嬉しい。

問題は起きず、ミルガアを後にする。

此処からは陸路。

山に入って、モンスターも出ることがある街道を行く。ホープ号はしばらく停泊。陛下は、快くしばらくの停泊を許可してくれた。

持ち込んだ小型の馬車に、文官達は乗って貰う。荷物も其方に積み込んでしまう。この辺りはアーランドほどではないにしても、モンスターも強い。また、この辺りから、リザードマン族が姿を見せるという噂もある。

出来れば、一度話をしてみたい。

トトリは思いながら、陸路を急ぐ。

文官達は、船でも青い顔をしていたけれど。馬車に乗って移動するというのに、それでも不満そうだった。

ふと、シャムシャさんを見る。

馬車の隣を歩きながら、トトリは話しかけてみた。

「昨日は有り難うございます。 丁寧な対応をしてくれていたようで、助かります」

「何、本来の任務以上の外交までしている貴方を見ると、流石に小さな事ばかりはしていられないと思っただけですよ」

そうか、アンナさんの事、知っていたのか。

そしてあれが将来を見据えてのことだと言う事も、理解していてくれたのか。

良かったと、胸をなで下ろす。

無駄にならなかった。今後のためにも、少しでも、話はしておきたい。

次の国は、かなり小さな国だけれど。戦略的に見て、非常に重要な地点を幾つも占めている。

決して傲慢な態度で接して良い相手ではない。

だが、言い聞かせなくても、大丈夫だろう。

先行していたミミちゃんが戻ってくる。矛に血がついている様子からして、小競り合いがあったのか。

「少し先に、モンスターの群れよ」

「馬車停止! 106さん、ジーノ君、来てください」

他の数名のホムンクルス達に、馬車の周囲を固めて貰う。

そしてトトリは、ミミちゃんとジーノ君と106さんと一緒に、敵を排除するべく、先行した。

「どうしたの、嬉しそうにして」

「お、戦いの楽しさが分かってきたか?」

「違うよ、ジーノ君」

久々に、良い事があっただけ。

トトリは、そう、短く告げた。

 

五つ目の国を周り終えて。

ミルガアに戻った時。既に、予定通りの時間が経過。これからホープ号に乗ってアランヤに戻れば、全ての任務達成だ。

全ての国で、ジオ陛下に言われたとおりの交渉は完了。

元々、国交の確認と、無理のない条約締結だったので、別にトトリでなくても出来ただろうけれど。

この辺りは、トトリが出る、という事に意味があったのだろう。

つまり、クーデリアさんの後継として、真剣に考えられている、という事だ。

それに、辺境の国家の中には、亜人種と密接に結びついている所も珍しくない。リス族とペンギン族に顔が利くトトリは、そう言う意味でも有利だ。

文官達は横暴に振る舞うこともなかった。シャムシャさんを抑えられたのが、意味を持ったらしい。アーランドは辺境最大の国家だけれど、今後横暴に振る舞うことがあってはならない。

何しろ、相手は。

国家でさえない、文字通りの怪物。それこそ、全人類が団結しなければ、戦える相手ではないのだから。

港では、ホープ号の見物客がかなりいた。なんと、隣の国からも、話を聞きつけて来た人がいたらしい。

アンナさんが、人垣を整理してくれる。

「戻ってきたか。 仕事はどうだった、トトリ殿」

「全て片付きました。 後は帰るだけです」

「流石だな。 また、この国に来てくれ。 今度は飲める年になってからな。 私も飲めるようになっておく」

笑顔で握手を交わす。

これで、どうにかなったか。しかし、そう思った時。通信装置に、連絡が入る。今回は、交渉が終わったタイミングで、定時連絡をするのにしか使っていない。何かあったということだ。

「トトリちゃん、今どうしてる?」

「ロロナ先生?」

急いだ様子で連絡してきたのは、ロロナ先生だ。

何だろう。

でも、嫌な予感はしない。

「イビルフェイスの討伐許可が下りそうだよ」

「! 何か、あったんですか」

「詳しくは戻ってからね。 でも、それまでに心の整理はしておいて」

「……はい」

そうか。

何があったのかは分からないけれど。お母さんを直接死に追いやったとはっきりした邪神を、仕留める事ができるのか。

あふれ出そうになる。

闇が。

無理矢理押さえ込む。右手が震えているのが分かる。左手で、無理矢理掴んで、抑えた。

呼吸を整える。

殺してやりたいという気持ちは、どうしてもある。でも、理性で抑えろ。そうしないと、負けるかもしれない。

ぎゅっと唇を噛んだ。

血が出そうなほど。

気がつく。

ミミちゃんが、心配そうに、側で見ていた。

「ごめん、ミミちゃん」

「少し休みなさい」

「うん。 でも、出航の指揮をしなくちゃね。 その後」

艦橋に出向くと、主要メンバーが揃っていた。

文官達はへとへとだったけれど。それでも、今回上げる事が出来た成果は小さくない。彼らにも、きちんと仕事は果たして貰った。

ミミちゃんやジーノ君は充分に余裕がある。何回か戦闘もあったのだけれど、二人とも問題なく敵を蹴散らしてくれた。既に実力はベテランと同等。もうすっかり立派なアーランド戦士だ。ただ、ミミちゃんも、いやジーノ君はもっとだけれど。敵に対して、妙に大技を試す傾向がある。

何か、焦っているのかもしれない。

特にミミちゃんは、相手の廻りを回ってから、頭上から一撃、と言う大技でフィニッシュを決めたがる。

以前もこの動きを見たけれど。トトリから見てもまだ無駄があって、ちょっと冷や冷やさせられる。

一方、ナスターシャさんは余裕過ぎて退屈そうにあくびをしていた。奇襲を防ぐためだけについてきてくれていたようなもので。それも、今は皆の実力が充実しているから、気にする必要も殆ど無いのである。

一方ペーターお兄ちゃんは、船に残って貰って、毎日のように忍び込みたがる人達をつまみ出して貰っていた。

悪魔族の戦士達は、船の専守防衛をして貰っていたけれど。みな、退屈そうだったので。後で気晴らしを用意したい。

ちなみに定時連絡で聞いたのだけれど、ミミちゃんとジーノ君は、冒険者ランク7に昇格確定だそうだ。

それぞれに、任務についての報告をして貰う。

全て聞き終えた後。出航を指示。

港では、多くの人達が、手を振っていた。

トトリも甲板に出て、笑顔を出来るだけ作って、手を振り返す。この船で港を蹂躙するのでは無くて。

希望を与える事が出来て、良かった。

この船は、容易に希望を踏みにじる悪夢になり得るのだ。心ない使い方をすれば、それこそ一瞬で。

トトリには。

この船を産み出した責任がある。

だから、使い方には、細心の注意を払うつもりだ。

後は、自室に戻ると。ミミちゃんに見張りをして貰って、休む。

寝付くまで、時間が掛かる。

おなかの中で。黒い闇が、渦を巻いて。ずっと存在を主張し続けていた。

寝返りを打つ。

人々に対しては。弱き物に対しては。こんなにも、考えて動く事が出来る。悪意があってはならないと、最初に押さえが働く。

それなのに。

自分の弱さを嫌と言うほど理解しているから。

トトリは、悲しい。

復讐を楽しみにしている意識を、自覚しているから。ただただ。苦しかった。

 

アランヤに到着。

船を下りると、クルーを解散。悪魔族の戦士達には、今回は警護以外の作業をさせられなくて、悪い事をしたと、下船時に謝る。ホムンクルス達は元々こういう仕事が本職だから仕方が無いけれど。

悪魔族の戦士は、そもそも自然を回復させるのが、一族の使命だと考えている人々なのだ。

だけれども、彼らは、それほど怒ってはいなかった。

シェリさんは、気を悪くした様子も無い。

「何、今回は気晴らしになりました。 それに交代で港町に出て、街の人々に話も聞きましたし。 いずれ環境を回復しに出向く際には、スムーズに動けると思います」

「そう言っていただけると嬉しいです」

「それに、港町だけあって、酒も魚も美味かった」

そうか。

思ったより、彼らも「休暇」を満喫していたのか。

船には、最低限の護衛だけを残す。護衛を残すのは、スピアの間諜を警戒しての事だ。これは、106さんに任せる。たぶん二日以内に戻る事を告げると、彼女は頷いた。

「三交代で船の警護を続けます。 はっきり分かりましたが、この船は使いようによっては、容易に絶望の悪夢へと変わる。 絶対に悪用はさせません」

「お願いします」

「お任せを。 貴方ならこの船を正しく使える。 そう信じています」

106さんの信頼が、両肩に掛かるのが分かるけれど。

此処まで信頼してくれたのは、今までの戦いで、トトリの行動を見てくれていたから、だろう。

トトリも、106さんを信頼して、この船を任せられる。

「よーし、ミミ! 修行するぞ。 つきあえよ」

「いやよ。 メルヴィアにでもつきあって貰いなさい」

「実力が近い方がやりやすいだろう」

「……っ!」

なれなれしい絡み方をするジーノ君に、ミミちゃんが苛立っているのが分かって、ハラハラする。でも、結局ミミちゃんは、ジーノ君の修行につきあうようにしたようだった。

冒険者達、それにバリベルトさんが下船して、酒場に向かうのを確認してから、トトリは自身も下船。

レポートは、既に何回か文官達とまとめてある。家に戻ると、お姉ちゃんに軽く状況を説明。

「多分大丈夫だとは思うけれど、ホープ号には注意を払ってね」

「うん、分かってる。 もうすっかり頼りになるわね」

「ありがとう」

そういえば、ピアニャちゃんは。

お姉ちゃんに聞くと、ロロナ先生に渡された参考書を熱心に読んでいるとか。読み書きは元から出来たそうで。今は知識を詰め込むのが楽しくて仕方が無いらしい。

軽く会話をしている間に。お姉ちゃんの料理が出たので、文官達と一緒に楽しむ。お父さんはもうすっかりいつもの穏やかなお父さんに戻っていて。船を作っているときの荒々しい雰囲気は、なくなっていた。

それに。お父さんも、お母さんの最後については、なんとなく理解していたのだろう。

今は、すっかり、受け入れているようだった。

食事を終えて。ちむちゃん達の様子を見て。生産する物資について、指示を出した後。

文官達と一緒にゲートをくぐる。

流石に、ロロナ先生の驚異の錬金術を見て、文官達も驚いていた。トトリはテクノクラートと言うよりも、文官としての仕事も出来る錬金術師としての側面が強い。これは、この地位について、良く理解できた。

「なんと面妖な!」

「錬金術とは、神の御技か!」

「はい、注目してください。 此処で解散とします」

アトリエを出ると、トトリは文官達とも解散。

皆がいなくなると、ようやく落ち着いて、ため息をつくことが出来た。

誰にも言わないけれど。

トトリは、究極的には、一人でいるときが一番落ち着ける。

無言で顔を叩くと、王宮に。クーデリアさんが待っているはずだ。ひょっとすると、ロロナ先生も。

でも、タイミングが悪かったのか。二人はまだいなかった。代わりに、ランク9の冒険者の仕事として、幾つかの決済をさせられる。

仕事の内容を見る限り。

トトリに期待されているのは、道を作ること。

そして、大陸南部に。そればかりか、東の大陸にも。

トトリが作ったノウハウは、道を作りつつある。

少し資料を見せられたのだけれど。トトリが開発した砂漠の道を作る方法が、既に他の国に輸出されて、作業が開始されている。

これによって、二カ所に道が出来ると。

一気に、大陸南部の流通が活性化。アーランドから、増援部隊を送り込むことも。逆に、アーランドに増援が来る事も可能になる。

有機的に、大陸南部の複数国家が結びつくのだ。

更に、アーランドが共和国になった事で。

幾つかの小国が、傘下に入るのでは無いかと言う話が出てきている。

今まではアーランドが王政で。なおかつ、貴族が形骸化しているという理由もあって、他の国を併合するのは難しかった。現在は共和国として複数国家が結びつく土台が出来ている。

事実、来年中に。

二つの国家が。そして早ければ、再来年には三つの国家が。アーランドとの併合を望んでいるようだった。

勿論軍事力の行使は必要ない。

スピアの圧力に耐えかねた彼らが、自主的に申告してきたのだ。

今までは、結びつきが弱く。何より、アーランドの本隊が到着することを、期待出来なかった。

今後は違う。

トトリのしてきた事が。

此処で、大陸南部全域に、広まりつつある。

よく分からないプロジェクトが、実を為す事で。トトリも、その狙いが、ようやく理解できていた。

クーデリアさんが来た。

「まずは五つの国との条約締結、お疲れ様」

「はい。 でも、今回はそれほど大変でもありませんでした」

「そうね。 今までノウハウはしっかり見せていたからでしょうね。 ロロナは後から来るわ。 その前に」

ざっと、資料が見せられる。

レポートだ。

クーデリアさんとロロナ先生は、ここ二ヶ月で、四カ所の遺跡を攻略。その内の二カ所で、根と呼ばれる正体不明の肉塊と遭遇した。

そして、その肉塊の情報とサンプルは、前線にいるアストリッドさんの手に渡り、分析され。

結果が、これだ。

ざっと目を通す。

戦慄が、背中を走った。これは、本当だとすれば、由々しきことだ。

「土地の魔力を全て吸い上げる研究、ですか」

「そうよ。 あの無様な肉塊は、土地から根こそぎ魔力を吸い上げて、一なる五人へと送っていた様子ね。 遺跡の分布比率から考えて、東大陸にも最低でも数カ所はあるはずだわ」

「最悪ですね……」

あの、東大陸の異常気象。

邪神の仕業にしても、後を引きすぎていると思っていた。

ひょっとすると、既に一なる五人の作った根が、同様の作業を行い。土地の気象を乱している結果では無いのか。

他にも、世界には大陸がある可能性が高い。

それらの大陸でも、一なる五人の作った根が、悪さをしているとなると。

「世界を滅ぼすほどの力も、手に入りうる……」

「そうね。 そして、恐らくはだけれど。 貴方が報告してきた、イビルフェイスの塔が、その中継地点になっている可能性が高い」

図を見る限り、各地で集積された魔力は、中心となっている一点へと送り込まれているようなのだ。

東大陸の要がそうだとすると。

一なる五人は、強固な守りをイビルフェイスに任せて。後は高みの見物をしているだけで。

目的に到達する、という事だ。

勿論、この大陸にいるという、一なる五人本体も、早急に見つけ出さなければならないだろう。

最悪の場合、他の大陸から集めている魔力がなくても、目的に達する可能性もある。他の大陸が、陽動か、保険に過ぎない可能性もあるのだから。

「前線の様子はどうなっていますか」

「あたしとロロナが散々引っかき回した事もあって、敵は守りを固めている状態で、強襲を掛けて来る余裕はないでしょうね」

それなら。

準備が整い次第、仕掛けられる。

クーデリアさんから視線を背けたのは。狂気がぐっと強く、鎌首をもたげたからである。

滅私の態勢に入れ。

闇に喰われるな。

そうでなければ、トトリは。ただでさえ、元から強くなど無いのだから。

クーデリアさんは、トトリの苦悩苦闘を知ってか知らずか。淡々と続ける。

「そうね、あたしとステルク、それにロロナは作戦に出られるでしょうね。 後のメンバーは、あんたが決めなさい」

「……はい」

「それと。 遺跡を本格攻略したことがないでしょうから、言っておくと。 遺跡の内部は空間が操作されていて、外から見るよりもずっと広いわよ。 内部での戦闘は激戦になるのがほぼ確実。 可能な限りの人員を連れていくべきでしょうね」

トトリが頷くと。

クーデリアさんは資料を残して、一旦受付に。

今日分の仕事をしてしまうつもりなのだろう。相変わらず忙しい人だ。あれだけ凄まじいスピードで動き回っていると、もう鍛錬なんて必要ないのだろう。

部屋で一人になったトトリは、椅子になつく。

邪神を殺す。

お母さんを奪った邪神を。

そう考えると、笑みを浮かべてしまう。どうしても。

思い出せ。

フラウシュトライトを殺したときのことを。あの時フラウシュトライトが、ただ縄張りを守って静かに暮らしたいだけの動物だと分かって。その動物に、思うままの殺意と憎悪をぶつけて。どうだったか。

分かっているのに。

どうしても、この暗い感情は消えてくれない。

トトリは弱い。

ロロナ先生と比べると、どうしても。

情けなくて、涙が出てくる。

しばらく、机に突っ伏して。トトリは、己の闇と、無言での戦いを続けた。

 

4、決戦前夜

 

根についての、情報展開の会議に、トトリも出る事になった。

大陸中の魔力を吸い上げ。

一なる五人へと、変換するおぞましい機構。

そして、東大陸でも、その仕組みがあり。恐らくは、イビルフェイスが潜む塔が、その集約拠点となっている。

出来すぎた話にも思える。

だけれども。

放置も出来ないのが、つらいところだ。

まだ会議には、数回しか出ていないトトリだけれど。今回の件は、重要度が違うのだろう。

空気が、いつもより、遙かにぴりぴりしていた。

「思った以上に、由々しき事態であるな」

ジオ陛下が言うと、周囲にさらなる緊張が走る。

恐らくは、戦意。

トトリも、これでもアーランド戦士だ。ジオ陛下の圧倒的な戦士が、周囲を滾らせている事くらいは、感じ取れる。

「トトリ」

「はい」

「アランヤから、最精鋭をイビルフェイスが潜む塔まで往復させるのに、どれくらい掛かるのだったか」

「最短のコースで、一月。 戦闘がある事を想定すると、一月半あれば充分かと思います」

それならば、どうにかなるか。

陛下が言いながら、立ち上がった。

「これより、スピアに、いや一なる五人に対して、反攻作戦を開始する。 まず反撃の鏑矢として、イビルフェイスが潜む塔を、最精鋭を集結させた戦力にて強襲、撃破する」

会議参加者の多くが、おおと声を発する。

参加メンバーには、クーデリアさん。ステルクさん。ロロナ先生。それにトトリ。

意外なメンバーが、此処で読み上げられた。

「アランヤで地下工場を構築中のパメラにも同道させろ」

「御意」

クーデリアさんが言葉短く同意して、書類を作り始めた。

なるほど。

おかしなポジションの人だと思っていたけれど。

それにしても、地下工場とは何だ。後でロロナ先生に聞くことにしよう。

ある程度の見当はつくけれど、話はしっかり聞いておくべきだからだ。

「前線は今の時点では安定しているが、それでも念のためだ。 ランク9以上の冒険者は、全員が前線に出る配置とする。 しばらくは敵の総反撃を警戒し、総力戦態勢に入る」

陛下の声は、戦士を奮い立たせるものが、確かにあった。

平然としているのはアストリッドさんやロロナ先生くらいか。老齢の戦士達でさえ、目に戦意を燃え立たせているのだ。

冷静沈着な雷鳴さんですら、例外では無かった。

この人は、王としての責務を果たし続け。

そして、今ではそのやり方を完璧に身につけている。

そんな存在。

勿論、辺境の荒くれが揃うアーランドの王として、完璧にチューニングされたという事情もあるだろう。

「この戦いに敗北は許されぬ。 一人万殺の覚悟で当たれ!」

陛下の檄が飛び、喚声が上がった。

それで、今回の会議は一旦解散。恐らく、この余熱を用いて、作戦を行うためだろう。

クーデリアさんは、ロロナ先生とトトリを、順番に見回して言う。

「あたしとステルクはランク9以上の冒険者が、前線に出る準備を整えてからアランヤに向かうわ。 あんた達はゲートを使ってアランヤに行って、出航の準備を。 今回は会議でも分かったと思うけれど総力戦よ。 可能な限りの人員を揃えておきなさい」

「はい!」

そうなると、フラウシュトライトと戦った時のメンバーを揃えたい。

だが、ガンドルシュさんはダメか。

ただ、シェリさんがいるから、その代わりは埋められる。後は近場の冒険者で、手練れを出来るだけ呼びたい。

お姉ちゃんも来てくれるだろうか。

来て欲しい。

ミミちゃんも、出来れば。

二人がいれば、きっと。トトリの中で蠢く邪悪な闇を、押さえ込むことが出来る筈だから。

出航までの準備を整えるのに、一週間はかかる。

その間に、人員を揃える。

また、錬金術の道具も、使えそうなものは出来るだけ増やしておくべきだろう。

ロロナ先生が、アトリエにつくと。

ちょっと待っていてと言って。奧の戸棚から、古い本を取り出した。

「これ、出航前につくって」

「何ですか、これは……」

「通称エリキシル。 ネクタルを更に圧縮した、究極の回復薬。 普段は強すぎて毒になるけれど、霧状に散布することで、回復を極限まで促進する薬だよ」

これは。

一目で分かる。極めて危険な薬剤だ。

恐らく下手に使えば、毒どころか。一瞬で肉体が過剰にふくれあがって、爆発してしまうだろう。

それくらい危険な代物である。

かといって、薄めると、ネクタルと変わらない薬になってしまう。

使い所が極めて難しい。

敵に対して投与するか、或いは。

本当に死にかけた人間に対して使うか。そのどちらか二択だろう。

「禁断のレシピですね」

「幾つか、大事なことを確認しておくよ」

ロロナ先生が、非常に真剣な表情で振り返る。幼さがどうしても消えないこの人だけれども。

歴戦の勇者でもあり、トトリなど及びもつかない天才でもある。そして、最強の魔術師でもある。

だからこそに。

背負うものは大きく。本気になると、その存在は、とても力強い。

「この世界は、多くの悪意にさらされて、一度壊れてしまったの。 それを今まで、悪魔族も、アーランドをはじめとする辺境の人達も。 それに、世界を再生させようと、身を粉にして働き続けた人達も。 みんなが一丸になって、必死に回復させて、ようやくここまで来たんだよ」

世界の人間は。

一時期、元の一万分の一にまで激減したという。

それを、やっと此処まで回復させた。

強い者も弱い者も。それぞれのやり方で、必死に世界を復興させようとして。それで、ここまで来たのだ。

世界はほぼ荒れ地しかなかった。

だけれども。多くの悲しみの涙と。希望の光が大地を照らし。何より、必死の努力が重なって、今では、アーランドでは緑化の技術が確立させ。悪魔族とも同盟を組んで、各地の汚染を除去する作業が進んでいる。

それを、全て台無しにする一なる五人の行為は。

文字通りの、凶行以外の何物でも無い。

「パメラさんはね、そんな古い時代の存在なの。 今回来て貰うのは、その知恵を借りるためだよ」

「……」

「トトリちゃん。 トトリちゃんの中に、強い闇がある事を、私は知ってる。 でも、トトリちゃんなら、その闇ともやっていけると信じているよ」

弱い者。

闇を抱えた者。

時には、邪悪でさえあるもの。

そんな存在とも、手を取り合わなければ。この世界を回復させることは、出来ない。ロロナ先生の言葉は痛烈だ。

「最終的に、一なる五人の計画は絶対阻止するけれど。 彼らと和解が出来るのなら、そうしたいね」

嗚呼。

この人は、こんな所でも、トトリより上なのか。

涙を拭う。

どうしても、トトリは、此処までの境地にたどり着けない。それにロロナ先生は、相手に事情があっても、戦う時は容赦なく殲滅する。戦士としても、覚悟をしっかり決めている人なのだ。

「まだ、私は未熟です。 どうしようもないほどに。 でも、ロロナ先生。 最後には、貴方に並び立ちたいです」

「大丈夫。 そう思い続ける限り、トトリちゃんはきっと、最高の錬金術師になれるよ」

ロロナ先生の言葉は、ひたすらに温かく。

そして、優しかった。

 

最前線。

敵の大軍勢を見下ろすアストリッドの隣に、並び立ったのは。ステルクだった。

「どうした」

昔、肌を重ねた男であっても関係無い。

今、アストリッドにとって、周囲の全ては拒絶するべき相手だ。誰が相手でも、関係はなかった。

「そろそろ、ロロナ君を許してやれ」

「私が憎んでいるのは、愚民という存在そのものだ。 許すことがあるとしたら、師匠が生き返って戻ってきた時くらいだろう」

「無茶な事を言うな。 ロロナ君が、どれほどお前のことを案じているか、知っているだろう」

「関係無いね」

会話が途切れる。

昔、此奴は。アストリッドと同類かと思えたときもあった。だから、一時期は恋人になったりもしたのだろう。

今は知っている。

此奴は違う。

此奴は、闇の住人じゃない。光の側の存在だ。アストリッドは、どうしても、人間という生物を許すことが出来ない。それに対して、ステルクは、今ではすっかり人間の中に溶け込んでいる。

「お前の心は分かる。 だがその氷をどうすれば溶かす事が出来るのか、私には分からぬ」

「誰にも溶かす事など出来ないよ」

「そうか」

大きく嘆息すると。

ステルクは、これから決戦に出向くと言った。

そうかと、アストリッドは答える。

「この世界を壊す気は、ないな」

「私は一なる五人ほど、信頼する存在がいないのでね。 私一人が世界の頂点に立っても、どのみち破滅するだけだ。 一なる五人は、互いを完璧に信頼している。 だからこそ、五人だけでも、世界を動かせると思っているのだろう」

「……そうか。 気が変わったら、いつでも話は聞く」

「変わらんよ」

ステルクが、前線を離れる。

何一つ、心が動くことはなかった。

アストリッドの中にあるのは。恐らくこの世界でも最も深い黒。一なる五人でさえ、この闇を上回る事は無いだろう。

さて、トトリがロロナと一緒に前線に出向く。

その後、する事がある。

王から言われているのだ。

ロロナは既に、役割を果たした。計画を次に進めるように、と。

アストリッドとしても、異存はない。アーランドが最終的に勝つためには、神が必要だ。そしてロロナは、神の器として最適に、調整が完了している。

問題はクーデリアだが、それも押さえ込むことは難しくない。

利害は一致している。

だから、行動に、異存はない。

くつくつと、笑い声が零れる。

アストリッドの強さは、背負うものがないということにある。可愛いと感じるホムンクルス達でさえ、代用が幾らでも利く。殺されれば腹も立つが、別に世界の全てを呪うほどでもない。

さあ、何もかも、壊れてしまえ。

ただ、狂気だけが、其処にあれば良いのだ。

 

無数の意識が混じり合う中。

既に一なる五人として、個になっている私は思う。

もう少しだ。

アーランドは餌に食いついた。

イビルフェイスは所詮捨て駒に過ぎない。この間に、更に大陸北部での殺戮を進めることで、計画は前進する。

最終的に、あれを起動し。

この星のコアに致命打を与え。

一度、この星を、熱の海に戻すのだ。

その後、完全なる意味で、神となった一なる五人が、全てを再構成し、そして本当の意味での、世界を作り上げる。

其処には、邪魔で無駄な他者は存在しない。

融合した五つの自我が混ざり合った、個だけがある。

「何もかもが、予定通りに進んでいるね」

「順調すぎるときが一番危ない。 気を引き締めねばなるまいな」

「その通りだ。 皆、気を抜くな。 計画は現時点で完璧に動いているが、一つのボタンの掛け違いが、全てを台無しにすることは、よくあるのだ」

浮き足立たないように、気を引き締め直すと。

計画を、もう一度見直す。

予定は一部前倒しになっているほどだ。特に蓄積魔力は、充分すぎるほど。この星そのものを乗っ取るのに充分な魔力は、既に溜まりつつある。

後10年も掛かるまい。

何もかもが終わったとき。

人間という不要な種族はこの星から駆逐され。

そのほかの雑多な存在も全てが消え去り。

この世界には、美しい静寂と。完璧な秩序のみが現れるのだ。

邪魔は、誰にもさせない。

というよりも、この計画には、誰も到達など出来ない。

全てはいつの間にか進行し。

そして終わっているのだ。

この世界が、一度滅びたときのように。

二度はない。

今度こそ。

一なる五人の手で。この猥雑で、愚かしい世界は。

終焉を迎えるのだ。

 

(続)