血海決戦

 

序、手札

 

海竜と戦うための情報を、トトリは順番に公開していく。今までに得られた敵の戦闘能力についての情報。様々な人から聞いた、戦いの経緯。そして実際に回収してきた鱗。至近で攻撃が炸裂する様子を確認してきてくれた106さんの話。

順番に手札を並べていくのに等しい。

たき火を囲んで、ロロナ先生と、クーデリアさんと、それにステルクさんに、全てを順番に話していくと。

最初に挙手したのは、ステルクさんだった。

「この情報。 縄張りから出ると、一切攻撃をしてこなくなると言うのは、本当か」

「はい。 追撃が明らかに有利だった状況でも、足を止めました。 他にも、この日誌にも、似たような事が記載されています」

そう言って出したのは、滅びてしまった村から回収した日記だ。

中身を見ると、後半の方に、書かれていたのだ。

フラウシュトライトが破壊した帆船からどうやって逃げたのか。その、細かな経緯が。

恐らくは、もう死期を悟っていたからだろう。

帆船を破壊され。

物資も交易も台無しにされた怒り。

それ以上に、これ以上被害者を出したくないという切実な思いが。この人に、恐怖の体験を記すべく、筆を動かさせたのだ。

怖かった事だろう。

トラウマになっている事を、日記に書くのだ。

弱った体では、本当につらかっただろう。

文字を見ていても、それがよく分かる。時々ふるえていて、明らかにのたくっているのだ。

日記に書き下ろすだけで、恐怖が体を縛った。

何度も中断したのだろう。

段落がずれていたり。

インクのにじみが出来ていたり。涙か何かが零れたらしい跡も、残されていた。

痛々しいと思うと同時に。

この人の思いを、無駄にしてはいけないとも感じる。でも、それは本当なのかという声が、何処かで聞こえてくるのも事実だ。

「縄張りの外から、アウトレンジ攻撃、というわけにはいかなさそうだな」

「はい。 ブレスも強烈で、射程距離も水平線の彼方までという代物です。 実際掠っただけで、プラティーンと儀式魔術で固めた装甲が、赤熱したほどです」

「君の砲撃と良い勝負なのでは無いのか」

「私のは時間が掛かりますけれど。 多分フラウシュトライトのは、ノータイムで放ってくるのでは?」

ロロナ先生が苦笑い。

実際に海竜のブレスはノータイムではないけれど。溜めはたしかに著しく短かった。心臓の鼓動で言うと、平時での十拍くらいだった気がする。ただ、連射は流石に出来ない様子だったが。

それについても伝えておく。

クーデリアさんは呻く。

「近接戦闘に持ち込むしかないわね。 深海に逃げ込まれたら手も足も出ないし、嵐の中での海上戦闘は厳しいわよ」

「其処で、足場としての小型艇を周囲に動かします」

「大嵐に等しい状態になるのだろう? 大丈夫か」

ステルクさんに、大丈夫と答える。

実際、106さんも、ブレスが至近を掠めなければ、致命打を受ける事も無かったと証言している。

つまり、海竜さえよく見て。

敵の体当たりやブレスさえもろに喰らわなければ、小型艇はおそらく平気だ。

三人の国家軍事力級およびそれに準ずる実力の持ち主の内。ロロナ先生は、ホープ号甲板に固定して、主砲になって貰う。

ステルクさんとクーデリアさんは機動戦。

三人での連携で、敵に打撃を与え、弱らせていくのが、戦いの基本になる。

海竜の全長が、如何にホープ号の十倍近いとしても。

顔はホープ号の艦橋より少し大きいくらい。無限の大きさでは無いし、アーランド戦士の中でもトップクラスの実力者が集えば、倒せる。

この世界で最強は。

現時点では、人間なのだから。

大まかな方針が決まったところで、細かい戦術に移る。ロロナ先生は、幾つかの魔術を込めた道具をもってきてくれていた。

トトリも作ってはいたのだけれど。

前線で戦う戦士達に、配って欲しいと、トトリに渡された。いずれもが、貴重な品ばかりだ。

「神速自在帯、増やせたら凄そうですね」

ロロナ先生が腰に付けている、加速のための道具。その凄まじい破壊力は、トトリだって知っている。

これがもっとあったら。

しかし、ロロナ先生は、首を横に振る。

「これは私専用なの。 体への負担が大きすぎるし、何よりね」

「ロロナ」

「うん、分かってる。 もう少しトトリちゃんが大人になったら教えてあげる」

そう言われると、黙るしかない。

実際問題、過分な地位を貰ったとしても、まだまだトトリが経験不足なのは、事実なのだから。

それにしても、クーデリアさんは秘密を共有しているという事なのか。竹馬の友だという話は聞いていたけれど。

本物の親友なのだなと言うのがうかがえて、羨ましい。

ただ、見ていると、妙な違和感もある。まだ情報が少なくて、何とも言えないのだけれど。

一旦たき火の側を離れ。

貰った道具類を配っていく。

また、余ったプラティーンを加工して、ハゲルさんが剣や槍を作ってもくれていた。これらの武器も、戦闘では活躍してくれるはず。

ちなみにステルクさんの剣を見せてもらったけれど、見事な細工を施したハルモニウム製だ。

流石に、国家軍事力級戦士が使っているだけのことはある。当然のように、国宝だという事である。

同じように、最強として名高いジオ陛下やあまり会ったことは無いけれど国家軍事力級戦士のエスティさんも、ハルモニウム製の剣を使っているとか。

そしてこのハルモニウム。

ロロナ先生が、鋳造したものだそうである。ジオ陛下だけは、元からハルモニウム製の武具を使っていたらしい。

コピーさせて欲しいと思ったけれど。

いずれにしても、後である。全ては、海竜を打ち砕いたその後だ。

クーデリアさんが、戦術的な話をしている。元からこの三人、古い仲らしい。話を聞く限り、戦闘での息はぴったり。特にロロナ先生とクーデリアさんが揃うときの破壊力は、言語を絶するとか。

トトリも話を聞いておく。

そうすることで、ある程度自分で作戦を立てるための参考にするのだ。

夜半を過ぎた頃だろうか。

クーデリアさんが、立ち上がった。

「此処まで。 後は各自解散して、出航まで休憩」

「分かりました」

それぞれが、さっとたき火の側を離れる。

トトリも、アトリエに戻るとちむちゃん達と一緒に眠ることに。

しばし、目を閉じていると。

やはり疲れが溜まっていたのか。すぐに、眠ることが出来たのだった。

 

夢を見る。

帆船を破壊されて。それでもなお、戦い続けるお母さん。

顔は覚えている。

とにかく力強い人で。

着込んでいる服も、重さを極力減らしたいと言う事からか、軽装。

戦っている相手は、勿論フラウシュトライトだ。

海には点々としている魔物の死骸。他の戦士達は、既に撤退している。押し返されたフラウシュトライトとお母さんだけが、延々と戦い続けているのだ。

悲鳴を上げたのは、フラウシュトライトのほう。

お母さんが振るった、鉄塊としか言いようが無いサイズの大なたが、顔面を派手に切り裂いたからである。

こんな鉄塊で、ものを斬るなんて。

だけれど、海竜も黙ってはいない。

荒れ狂う周囲の海の中で、二つの怪物はただひたすらに争いを続け。そして、最後には、双方ともが沈黙した。

お母さんの姿はなく。

全身を手酷く傷つけられ。

特に顔面に巨大な傷をつけられたフラウシュトライトは、深海へと潜っていった。その様子は哀れで。

とても、邪竜などと呼ぶ存在では。

目が覚める。

陽が昇り始めていた。

ぎゅっと、毛布を掴む。

どうしてこんな夢を見たのか。分かっている。トトリにだって、本当のことが、理解できているからだ。

でも、トトリは。

その真相を、認めたくない。

分かっている。頭では分かっているのだ。でも、感情では、どうしても理解できない。全てが分かっていても。

許せる事と、そうで無い事が、あるのだから。

外に出ると、棒を振るう。

型をこなした後。

一番上のちむちゃんだけの手を引いて、船に連れていく。他の子達は、みんなお父さんに面倒を見てもらう。

一応念のため、パイの在庫はたんまり用意してあるし。

もしも帰らなかったときに備えて。ちむちゃん達をどうすればいいか、書き置きだって残してある。

トトリが帰らなかった場合。

ちむちゃん達は、国に引き取られることになる。そして、色々なものを複製したり。手先の器用さを生かして、働く。

もしもトトリだけじゃなくて、ロロナ先生やクーデリアさん、ステルクさんまで全滅した場合は。

その時はもう、アーランドはおしまいだと判断して良いだろう。

その場合については、もうちむちゃん達を気にする事は無い。アーランドは、スピアの軍勢に遠からず飲まれて、全滅確定。

王様が如何に最強でも。

手札の国家軍事力級戦士が二人に、柱石であるロロナ先生がいなくなったりしたら、後を支えられるわけがないのだから。

船に乗り込むと、既に船長の席には、バリベルトさんがついていた。

お姉ちゃんは厨房に。

ホムンクルスの戦士が十六名。悪魔族の戦士同数。他にも同数程度の人間の戦士。合計して五十名ほどの人員がいる。

料理をしてくれる人が来てくれるのは、嬉しい。

料理をする背中を見ながら。

トトリは、お姉ちゃんに語りかける。

「有り難う、お姉ちゃん」

「どうしたの、急に」

「もう分かってるから、いいよ。 ずっとペーターお兄ちゃんやメルお姉ちゃんと一緒に、影から守ってくれていたんでしょう」

「それ、私の前以外で言ったら駄目だからね」

お姉ちゃんの、吃驚するくらい怖い声。

それはそうだろう。

国家機密に属すること。

そして、トトリは知っている。お姉ちゃんが、ランク8。つまりトトリと同等の冒険者として、カウントされていることも。

しかもお姉ちゃんの場合は、槍を使う戦士としてだけの評価。つまりガチンコで、それだけ強いという事だ。

メルお姉ちゃんも、少し前にランク9に。ペーターお兄ちゃんは、随分前からランク7になっているそうだ。

いずれもロロナ先生が、教えてくれたことだ。内緒だと言われたけれど。あまり、驚くことは無かった。

みんなが影から守ってくれていたことは知っていた。

おそらくマークさんや、ナスターシャさんも、その同類なのだろう。

「手伝うよ」

厨房に入ってきたのは、ロロナ先生。

笑顔で、腕まくりを始める。

「一度、弟子と一緒に料理、してみたかったの」

仕方が無い。

単純な料理なら、トトリはそこそこに出来る。錬金術を使った料理は若干苦手なのだけれど。

五十人からなる人員。

悪魔族は、それほど食べないけれど。食料庫にあるもののうち、新鮮な野菜は出来るだけ早めに片付けた方が良いし。

何より、出航前の景気づけだ。

船の外で待機しているメンバーや。

甲板で既に見回りに入っているメンバーにも、作った料理を配る。お姉ちゃんの料理は、お店に出せるほどの腕前だ。

ロロナ先生も、吃驚するくらい上手だけれど。

やっぱり、パイしか作らなかった。

出航の時間が来た時には。

みんな、嬉しそうにしていた。

悲壮感も緩んで。戦いに赴く心の準備が出来たのだ。そして此処からは、おそらくこの場にいる全員にとって、史上最強の敵が待っている。

船が、出る。

もう、引き返すことは出来ない。

アーランドという国が、総力を挙げて作った時間と、人員だ。もはや次はない。この戦いで、フラウシュトライトを仕留めないといけない。

アーランド東海上の制海権を奪還したら。

その時には、トトリは、ランク9冒険者に昇格だという。まあ、業績から言って、当然だろうか。

これ以上のランク上げはもうあまりしないと聞いているから。

余計に、その意味が重い。

ただトトリは。

この先出世することよりも。お母さんを殺した海竜を、絶対に仕留めて。人生に、区切りをつけたかった。

 

1、世界の裏側

 

まどろんでいる一なる五人の所に、次々と情報が入ってくる。

まず、アーランド方面に展開していた五万の戦力が、壊滅的な打撃を受けて後退した。使用している連結頭脳の弱点を突かれたのだ。

誰かが、見抜いたのだろう。

一つの頭脳で、巨大な群れを統率していることに。

連続して攻撃を続ける事で、頭脳の負荷を極限まで増やし。そして、止まったところに、総攻撃。

いくら何でも、出来る筈がないと思っていた。しかし、アーランド人はそれをやってのけたのである。

この敗北で、最終的には三割の戦力を喪失。

残った戦力の内、五千ほどは復旧不能と報告が来ていた。まあ、これは生き残りの三万のエサにでもして、再利用すれば良い。

別にこの程度の負け、痛くもかゆくもないのである。

一方で、北部の戦線は押し気味だ。

必死に足並みを整えようとしているガウェイン王女と、アーランドの間諜エスティの苦労を嘲笑うように、味方の大戦力は有利に動いている。

既にレオンハルトも其方に投入しているが。

分身共々、四回も倒されて、戻ってきていた。

実力が落ちたことが、露骨に響いているのだ。

良い傾向だ。

殺されて負けて屈辱をため込み続ければ良い。

彼奴の過去については、把握している。奴隷として生を受け、暗殺者としてだけの教育を受けて育てられ。

そして、道具として使い潰されることに耐えきれなくなって。

飼い主を殺し。

雇い主の国を滅ぼして。

以降、野に放たれた狂気の獣。

その行動の原動力になったのは。自分は強いという、歪みきった自尊心。そして、敵を確実に殺してきたという、実績。

その二つともを踏みにじられたとき。

あれは、最高の材料になる。

既に精神は破綻し掛かっている。そろそろ、潮時だろう。何度も何度も屈辱的な死を経験させて、充分に熟成は出来た。

確保してあるあの遺跡の邪神。

通称、イビルフェイスを完全起動するのに、丁度良い素材となったとみて良い。

無数にある端末の一つに。

接触してきた存在がいる。

配下として放っている、使い捨てのホムンクルスの一体だ。

ちなみに、レオンハルトはその存在さえしらない。

奴は一時期、スピアの軍権を全て把握していると錯覚していたようだが。一なる五人に言わせれば、正に笑止だった。

「一なる五人様」

「如何したか」

「アーランドの精鋭が、前線を離れました。 恐らく報告にあった装甲艦に乗り込み、東に向かったものかと思われます」

「フラウシュトライトを討伐に向かったか」

御意と、頭を垂れるホムンクルス。

丁度良い。

元々、イビルフェイスの性能実験はしておきたい所だったのだ。フラウシュトライトはどのみち、もう使い物にならなかった。蓋としての役割しか出来ていなかったのだ。

そもそも、海王が。

あのような存在だと、どうして思えただろう。

完成させてみて、非常に一度がっかりして。それから、皆で大笑いしたのが、記憶に新しい。

これが、最強の現実。

「捨て置け」

「分かりました」

端末から、ホムンクルスが離れる。

さて、レオンハルトだ。

どのみち、フラウシュトライトを即時で仕留められたとしても。いきなりあの遺跡に、連中が到達できる可能性は零だ。

船に誰が乗り込んでいても、同じ事である。

イビルフェイスを面白おかしく調整する時間など、いくらでもある。

アーランドはフラウシュトライトを倒すために、かなり無理をして時間を作った。連中は知らない。

あれが失敗作であり、もはや一なる五人としては、単なる蓋くらいでしかないということを。

そして、イビルフェイスでさえも。

最終的には、データを取るための、素材に過ぎない。

この星を統べるべく一なる五人が動き出すときには、既に遅い。あのジオが十人いたところで。

最終的な行動を開始した一なる五人を止められる存在など、いはしないのだ。

全ては、手のひらの上。

後は満を持して。待ち続ければ、それだけで良い。

 

剣を振るって血を落としながら、エスティは舌打ちした。話には聞いていたが。レオンハルトが著しく弱体化し、再生速度がその代わり非常識な次元にまで上がったのを、現実に目にしたからだ。

既に四回も殺したというのに。

奴は何度も何度も、前線に出てくる。

北方の列強の軍勢なんて、個々の実力で言えば、アーランドの戦士の足下にも及ばない。奴を指揮官に近づけさせるわけには行かず。

出てくる度に、潰しに行かなければならなかった。

此処は、列強達の軍勢が布陣している地域から、かなり離れた山の中。敵の動きを予想して待ち伏せて。そして、レオンハルトと分身達を、エスティ一人で迎え撃ったのだ。とはいっても、実際には奇襲だったが。

レオンハルトは、明らかに焦っていた。

と言うよりも、自暴自棄になっていた。

奇襲を受けて、分身達を斬り伏せられると。以前の狡猾さはどこへやら。エスティに盲目的に襲いかかってきたので、その場で首を刎ね飛ばしたのである。

弱体化した此奴など、正面からやり合って、遅れを取るはずも無い。

それにしても、妙な話だ。

死んでも平気という状況で。レオンハルトは、どうしてこうも、自暴自棄に陥っているのだろうか。

死骸を踏みにじって、完全に命を奪ったことを確認すると。

連合の支柱として活動してくれている、ガウェイン公女の様子を見に行く。

手練れを四人も側に付けているから、今の時点では大丈夫。レオンハルトが著しく弱体化した今。

皮肉にも、ガウェイン公女の周辺だけは、守りきる自信があった。

公女は現在、前線の砦の一つ。山の中腹にある、守りが堅い砦に寄っている。彼女の祖国であるメギドからかなり離れた前線であり。海千山千の狸共を相手にするには、丁度中間となる地点だ。

メギドから派遣された兵力が、公女の周囲を固めているが。その戦力そのものは、あまり多くない。

疲弊している様子が、ありありと分かる。

スピアがばらまいた疑心暗鬼で、列強の連合が、がたついている中。

必死にまとめている公女は、休む暇も無い有様なのだ。

エスティが出向くと、彼女は顔を上げる。もう、疲れを取り繕う余裕も無い様子で、周囲に控えている侍女達は、心を痛めている様子だ。

ガウェインは絶世の美女では無いけれど。土台は悪くないし、相応の身繕いは常にしている。

しかし今は、化粧と演技で疲弊を隠す必要があるだろうに。

それが出来ていないというのは。この権力者としての責任感を持ち合わせている女性が、どれだけ心身に負担を受けているかが、ありありと分かるのだった。

エスティが、玉座の前に跪くと。

疲れ切った声で、ガウェインは言う。

「勇敢なる戦士エスティ。 恐るべき暗殺者を、またしても退けたと聞いています」

「すぐにまた姿を見せるでしょう。 公女の周辺だけは何があっても守れますが、他の地点で工作をされる可能性が高く。 巡回にすぐに出ます」

「無理はなさらずに。 今貴方を失うわけにはいきません」

「有り難き幸せ」

それは此方の台詞だ。内心で思うけれど。

跪いたまま、エスティは白々しく、無難に答えた。そして、すぐに辞して、公女の前を離れる。

砦の外に出ると、ひょいひょいと跳躍。

周囲を一望できる大岩の上に腰掛けた。

このままだと、愚痴か何かを言い出しかねない。それは流石に辟易する。

アーランドの近くでは、味方が決定的な勝利を収めたらしいのだけれど。

此方の戦線では。

絶望的な戦況に、何一つ変化はなかった。

部下達が来る。

状況を一つずつ聞く。

此処にずっといさせるのも気の毒なので。部下達は何度かアーランドに戻し。交代の人員と変えている。

エスティだけは、此処を離れられない。

負傷者を帰還させて。新しく来た人員と、戦い続けるだけ。

ホムンクルスだって、今の倍は人員が欲しい。悪魔族の戦士達も、消耗にうんざりしている。

アーランド東の制海権を奪回したら、少しは楽になるのだろうか。

そうとは、とても思えない。

それが、アーランドを中核として。

周辺諸国を道を介して繋ぎ。

大連合を結成。一気にスピアを押し返すための計画の一端だという事は分かっていても、どうしても。頭には、入ってこないのだ。

砦に、護衛を伴った、太った男が来る。

何処ぞの列強の重要人物だ。名前は覚えているが、どうでもいい。

今、列強は腹の探り合いに終始していて、下手をするとガウェイン公女を殺して、主導権を握りたいと考えるものが出かねない。

そんなごたごたをしていたら、列強の連合などと言う不安定なものは、見る間に瓦解してしまうだろう。

幸い、暗殺は警戒しなくても良い。

周囲につけている専門家達は、列強の温い環境でぬくぬくとしてきた連中とは、くぐった場数がまるで違う。

暗殺にしても毒殺にしても、絶対にさせはしない。

部下を信頼出来る。

それだけは、エスティにとっても。良いことなのかも知れなかった。

部下の一人が来る。

体中に傷がある、ホムンクルスの戦士である。

「敵の軍勢が動き始めました」

「数は」

「およそ六千。 ただ、前線から後退しています。 恐らくは、此方を引きずり込むための罠かと」

「……」

うんざりして、髪の毛を掻き回す。

これで、また列強の首脳部は揉める。戦いは膠着状態。どの国も軍勢を出し続けることと、それを維持すること。何より出続ける犠牲で、ヒステリックになっている。

引いた敵をたたいて決定的な打撃を与えたいと考える一派と。

戦線を維持して、体勢を立て直したいと考える一派。

別れるのは目に見えている。

その面子も、容易にエスティには、想像できた。

「すぐに公女に知らせなさい。 私は威力偵察で、可能な限り敵をたたくわ」

「無理をなさってはいませんか」

「貴方たちまで、そんな事を?」

「……」

エスティの機嫌が悪い事に気付いたのだろう。

ホムンクルス31は、頭を下げると、ガウェイン公女の所に報告に向かった。

どいつもこいつも。

拳を大岩に撃ち下ろすと、罅が縦横に走って、砕けてしまう。ぎゃあぎゃあと兵士達が騒いでいるのが見えた。

失敗した。

岩から飛び退く。

それと同時に、岩は分解。

砕けて落ちていく岩を見下ろしながら、エスティは、大きなため息をついたのだった。

せめて、銭湯に入りたい。

此処しばらくで浴びたのは、血と臓物ばかり。

ぬれタオルで体を拭くことはあっても。豊かな湯に浸かって、疲れを癒やす機会は。とんとなかった。

慌てて此方に来たのは、連れてきている冒険者の一人だが。

そいつに、言っておく。

「前線に出るわ。 後はよろしく」

「エスティ殿!?」

「これはその、不可抗力よ。 適当に繕っておいて」

見ると、さっきの太った男が、青ざめて此方を見ていた。

アーランドの戦士は、化け物揃い。

彼らがそう噂しているのを、エスティは知っているけれど。彼らからすれば事実以外の何物でも無いし。

今更、弁解しようとも、思わなかった。

私が支えている内に。

みなが、状況を改善してくれるのか。改善してくれるとしたら、それはいつなのか。

返答してくれるものは。

何処にもいない。

 

2、決戦開始

 

目を覚ましたトトリは、ベッドから起き出すと、棒を手に取った。

揺れが小さい。海がそれだけ、安定しているという事だ。

複数のベッドが並んでいる部屋である。ミミちゃんやメルお姉ちゃんは、もう起きているらしく、ベッドはカラ。

棒を振るって、かるく型をこなしてから、部屋を出た。

敵の縄張りにつくまで、三日。

実際の戦闘が何日かかるかは分からない。ただ、国家軍事力級のアーランド戦士同士が戦う場合。一瞬で勝負がつくときと、数日にもわたって消耗戦になる場合と。二パターンがあるそうだ。

今回は、その数日間の戦いが続くことを想定するけれど。

例え勝った場合でも、一度ホープ号はアランヤの港へ引き返すことになる。

それから先は、被害や状況を見て、改めてトトリに指示が出るそうである。まあ、この辺りは、当然だろう。

アーランド東の制海権を、一気に奪回すれば。

戦略などにも、大きな影響が出る。

たとえばこのホープ号は、恐らくスピアも含めて、現在この大陸における最強の戦闘艦だ。

この船一隻で、乗せる人員によっては、小国を蹂躙できるほどである。

勿論、スピアの港を劫火に包むことだって出来るだろうし。昔噂に聞いた海賊のように、スピアの各地を海上から蹂躙していくことだって出来るだろう。

当然ながら、他の小国に、睨みを利かせることも出来る。

トトリだって子供じゃない。

この船は軍事力で。

それは必ずしも、一つだけの目的に使われるとは限らないという事くらいは、理解しているのだ。

ダーティワークだって、出来るだろう。

トトリに、そう言う仕事が来る可能性もある。或いは、東にあるという別の大陸を調べろと言う話になるかもしれないが。

いずれにしても、此処にいるメンバーだけでは、決められないだろう。

クーデリアさんにしても、国政に大きな影響力を持つにしても。自分で国政を動かしているわけではない。

艦橋に出ると。

バリベルトさんが、クーデリアさんと話をしていた。

意外にも雑談だ。

「あんたの噂は聞いているよ。 あのフォイエルバッハ公爵から、実力で相続権をもぎ取って、兄や姉を全員決闘で追い出したってね」

「昔の事よ」

「昔、か。 儂は昨日のことのように思い出せるよ。 あの後、あんたの事は、アーランド中で噂になっていたからな。 実際あんたのことを見に行こうっていう話もあったくらいなんだよ」

「迷惑な話ね」

凄い話が聞こえてしまった。元々傑物めいた人だったけれど。そんな激しい過去があったのか。

アーランド戦士が、争いを最小限に抑えるため、立会人付きの決闘をすることは、トトリも知っていたけれど。

クーデリアさんがまさか、それによって相続権を奪い取って、今の地位に就いたなんて、想像も出来なかった。

のし上がってきた人だと言う事は知っていたけれど。

それにしても、凄まじい人生だ。

「来なさい。 立ち聞きは趣味が悪いわよ」

「ごめんなさい、聞こえてしまって」

クーデリアさんが、此方を見ずに言う。当然の事だけれど、トトリがいる事は、分かっていたらしい。

水平線から、太陽が上がっているのが見える。

何度も調べたが、この辺りは完全に安全圏だ。既に漁船や商船も、行き来を許可されているらしいけれど。

アーランドは当然として、他の港から出た船も見かけない。

それだけ、フラウシュトライトが怖れられている、という事だ。

「バリベルト、この子はどうかしら」

「ふむ、本人の目の前で言うのかね」

「そうよ」

「……そうさな。 あんたとは似ていないし、当代の旅の人とも似ていない。 危なっかしいし、戦闘力は低いが。 アーランド戦士の魂は、きちんと宿していると思うが」

そう言われると、ちょっとこそばゆい。

ただ、トトリ自身は。アーランド戦士の基準である、強いという事から外れ続けて、苦杯をなめ続けてきた人生だった。

だから、こそばゆくあっても。ちょっと複雑でもあった。

「指揮能力は」

「それについては問題ないな。 既に一月以上一緒に過ごして、この船の総指揮を任せているが、不満が上がったと聞いたことが無い」

「……そう」

「ちょ、止めてください。 恥ずかしいです」

流石に面と向かって褒められると、こそばゆいを通り越して、恥ずかしい。それに、周囲の人達も見ている。

朝早くとはいえ、艦橋には他の人もいるのだ。

「トトリ。 フラウシュトライトとの戦いは、今までにないほどに激しくなるわ。 事前に言ったとおり戦闘指揮に関しては任せるし、盾にも矛にもなるから、躊躇なく使いなさい」

「……はい」

「少し休むわ。 後は任せるから」

艦橋を後にするクーデリアさん。

バリベルト艦長は、大きく嘆息した。

「おっかねえなあ」

「貴方ほどの、ベテランの戦士から見ても、ですか?」

「わからんか。 あの娘さんはな、誰も信用していないんだよ。 多分当代の旅の人以外の全ての人間をな。 いざというときは、即座に相手を殺すつもりで接してる。 話すときも、いつもずっとそうだ。 あんたくらいの実力だと、そろそろ分かると思うがな」

「……」

確かに。

時々クーデリアさんからは、ぞっとするような殺気を感じる。そしてあの人は、いざというときに、躊躇うという事がないだろう。

クーデリアさんが全力で戦う所は、今まであまり見たことが無いけれど。トトリも力がついてきて、分かってきた。

国家軍事力級の渾名は伊達では無い。あの人の実力は、文字通り桁外れだ。ミミちゃんが冒険者として登録したとき。コテンパンに伸されているのを見たけれど。多分その時でさえ、本気なんて微塵も出していなかったのだ。

更にその強さの秘密は。

いつでも、誰とでも、戦う覚悟。

恐らくは、ロロナ先生を守るために。

比翼の友というには出来すぎているし。たまに同性同士で恋人になるという話もあるけれど、少し違う気がする。

あの二人。

何か大きな秘密を共有していて。それが故に、非常に強い結びつきが、根底であるのかもしれない。

昔、その友のためなら、首を刎ねられても良いという関係があったらしい。確か刎頸の友というそうだけれど。

少なくともあの二人は、互いをそう思っているのだろう。

羨ましいかと言われると、そうは思わない。

だって、あまりにも。何か秘めている根底の事情が、痛々しいものでしかないように思えてならないからだ。

甲板に出る。

一番高いところに、ミミちゃんがいて。ガンドルシュさんと話している。

メルお姉ちゃんは、大きな訓練用の斧を振るって、訓練用の槍を振るうお姉ちゃんをひたすら攻め立てていた。

実戦形式の訓練だ。

そしてお姉ちゃんも。メルお姉ちゃんの猛攻を、十二分に防ぎ続けている。

文字通り、丁々発止の名勝負。

囲んでいる悪魔族の戦士達は、わいわいと騒いでいた。

「参考になる」

「俺も組み手を頼むとしよう」

そんな声が聞こえる。

皆、戦士として、熱心なのだ。

大きな波がぶつかったのか、船が少し大きく揺れて。その隙に、メルお姉ちゃんがインファイトに持ち込む。

膝打ちからの腰当てに、流れるように移行したけれど。

棒でがっちり防がれて。

そればかりか、零距離からの打撃を浴びて、跳び離れた。

一本だ。

二人とも、残心をして、礼。

拍手した悪魔族の中から、大柄な戦士が進み出る。稽古をつけてくれ、というのだろう。

悪魔族と言っても、実力は千差万別。

ここに来ている人達は、少なくともお姉ちゃん達には、及ばないと見て良さそうだ。少なくとも、格闘戦オンリーであれば、だが。

ホムンクルス達は、騒ぎに興味を見せない。

彼女たちは黙々と仕事をこなしていて。非常に機械的でさえある。

ただし、此処にいるホムンクルス達は、106さんの影響もあるのだろう。感情が豊かな方だ。

他のホムンクルス達の部隊とも色々仕事をしてきたトトリだから、分かる。

むしろ、違和感があるほどだ。

106さんが来た。

この様子だと、会議だと見て良さそうだ。

「トトリ様」

「はい、どうしましたか?」

「クーデリア様がお呼びです」

「すぐに向かいます」

案内されて行くのは、艦橋では無い。

艦橋から一端廊下に出て。其処から、更に階段で下に。船底に近い場所にある、会議室だ。

ちなみに戦闘が開始されると、立ち入り禁止になる。

基本的に机と椅子しかない部屋で、ダメージコントロールに使う事も想定されている場所だ。

最悪の場合、水が流れ込んできて、溺れ死ぬ事になるのである。

戦闘時に立ち入り禁止になるのも、当然だろう。

既にステルクさんとロロナ先生はいた。クーデリアさんも、遅れて来る。106さんとバリベルト船長。

それに甲板にいたガンドルシュさんが揃って、会議が始まった。

内容は、実戦における動きの確認だ。

何度もやるのは、訓練代わりに、座学で叩き込む為である。色々なフラウシュトライトの動きを想定して、迅速に動けるように、皆の頭に入れておく必要がある。

会議自体はそれほど時間も掛からない。

終了すると、外に。

まだ、敵までは距離がある。

しかしそれも、着実に縮まりつつある。

甲板に出ると、ロロナ先生がいた。どうやら、装甲の魔力を、強化して回っているようだ。

ロロナ先生の所に行くと、一緒にやろうと言われた。

トトリはとても魔力が低いけれど。一緒に出来るのなら。

二人で、部材のチェックをしながら、見て回る。トトリが一生懸命調達した部材が使われているこの船。

思い入れも、ひとしおだ。

一通りみて回る。

流石にお父さんが作った船。殆どミスはない。魔力が若干消耗している場所があったので、補充したくらいだ。

いつの間にか、夕方。

接触までの時間が、更に縮まった。

もう少しで、またフラウシュトライトの縄張りに接触することになって。今度こそ、殺し合いになる。

自室に戻ると、ミミちゃんがもう毛布に潜り込んでいた。

戦いの前に、出来るだけ英気を養うのは重要だ。

トトリもそれに見習うことにする。

毛布を被る。

揺れが小さいこの船では。

戦いの前でも。不思議なくらい、よく眠ることが、出来る。

 

ついに、フラウシュトライトの縄張りに到達。

甲板に出た悪魔族の戦士達が、探索の魔術を掛け始める。既に、全船は臨戦態勢。それも総力戦態勢だ。

奴は、基本的に深海に潜んでいる。

既に小型艇は出発。

三派に別れた小型艇は。それぞれが、106さん、ミミちゃん、ジーノ君が操船している。

ジーノ君はここに来るまで、小型艇の練習をして貰ったのだけれど。

これが才能があるのか、あっという間に身につけて、106さんに太鼓判を貰ったくらいである。

動力室には、ナスターシャさんとマークさん。それに悪魔族の戦士数名。

動力に魔力を注ぐためと。それに、メンテナンスのためだ。

更に甲板にメルお姉ちゃんと、お姉ちゃん。それにペーターお兄ちゃんも出て貰っている。

ペーターお兄ちゃんは、敵を早期発見するため。

そして、船の先端にステルクさん。

艦橋の上に、ロロナ先生と、近衛のホムンクルス達。彼らの中には空を飛べる者もいるらしく、砲撃の際は手伝いを頼むとか。

そして、艦橋の下に、クーデリアさんが待機。

ロロナ先生との連携で、一気に敵を葬るべく、牙を研いでいる所だ。

上空に影。

モンスターが数体。

多分、船に興味を持って、姿を見せただけ。旋回すると、去って行った。船に乗っている戦力が強力すぎて、手を出す気にはなれなかった、というのもあるのだろう。

「今のところ、敵の反応無し!」

伝声管から、ガンドルシュさんの声。

定期通信だ。

今の時点で、フラウシュトライトは姿を見せていないけれど。最悪の場合、海中からブレスでアウトレンジ攻撃を仕掛けてくる可能性もある。

その場合は、海水がクッションになって、一撃での致命打は避けられるだろうとは試算されていたけれど。

それでも、油断は出来ない。

可能な限り、何時でも備えられるようにしておかないと、危険だ。

徐々に、奴の縄張りに。深く入り込んでいく。

前回の小競り合いで見たブレスの破壊力は尋常では無かった。あの火砲を避けるためにも、敵を先に発見するのは、必須事項だ。

今回は誘き寄せのための蛇行はしない。

蛇行中に、先制攻撃を浴びた場合のリスクが大きすぎるし。何より、動力炉に負担を掛けたくないからだ。

緊張が高まる中。

ついに、第一報が来る。

「見つけたぞ! 少し先の海中を、ゆっくり移動中! 前回と反応が同じ! 間違いなく奴だ!」

「すぐに攻撃を開始! うおクラフトで攻撃後、海上に上がったところに、総攻撃を一度行ってください」

ふうと、息を吐き出したのは。

冷静を失うわけにはいかないから。

今回の作戦指揮を任された以上。

トトリは、絶対に勝つ。

うおクラフトの発射機構、一から十番までが解放され。生きた発破が、空中に投擲される。

海面に突き刺さると、深海へと驀進。

そして。

直撃した。

海竜が、上がってくる。

ロロナ先生は、既に詠唱完了。船長が、慌てて指示を出す。海竜が、此方に向けて、高速で突進してきているのが、明白だったからだ。

「動力炉! 加速準備!」

「早速出番かい!? いいよ、行くぞ!」

マークさんの嬉しそうな声。

同時に、訓練通り。全員が、周囲にある何かに、掴まった。

全身が、ぐんと、後ろに引っ張られる。何とか踏みとどまるが、とんでも無い加速だ。甲板にいる者達が心配だけれど。何度も訓練しているのだ。簡単には落ちたりしないと信じたい。

ぐっと舵を取りながら、一瞬の差で。

ホープ号は、深海から飛び出してきたフラウシュトライトがかみ合わせた牙から、逃れていた。

海面を蹴散らし、空中に躍り出る大海竜。

その牙は、一瞬でも遅れていれば、ホープ号を確実に捕らえていただろう。しかも、である。

恐らく、避けられることを想定していたのか。

口の中には、既に光が。

しかし、即応した人がいる。

ブレスを吐こうとフラウシュトライトが、此方に頭を向けた瞬間。

その頭上から、途方もない光が降り注ぎ、爆裂。無理矢理口を閉じさせられた海竜の頭上には。

一瞬で其処まで移動を果たしたクーデリアさんが、二丁の拳銃を下に構えていた。

話に聞いていた、クロスノヴァ。

超加速による連射の弾幕で、敵を爆殺する奥義。

それが、海竜がブレスを放つ前に、炸裂したのである。

更に、ロロナ先生が、砲撃をぶっ放す。

殆ど間を置かず、ステルクさんが、剣に溜めていた青い光を、稲妻にして、敵に全力投擲。

極太の砲撃が、海竜の無理矢理閉じさせられた顔面を直撃、ブレスとの誘爆を引き起こし。

更に、其処へステルクさんの雷撃が、直撃した。

海上に、キノコ雲が上がる。

余裕の態で、甲板に戻ってくるクーデリアさん。空中機動くらいお茶の子さいさいなのかと思ったけれど。

見ると、ロロナ先生の直衛の一人。空を飛ぶホムンクルスに、飛行そのものは任せて。反動を利用して、此方に飛んできたところを、キャッチして貰ったようだった。

さて、どうだろう。

一瞬で、国家軍事力級戦士の奥義二つに。敵の軍勢を瞬時に爆散するロロナ先生の砲撃の直撃が入ったのだ。

無事で済む筈がない。

それでも、高速で距離を取るのは。

上空に、見る間に雨雲が広がっていくから。フラウシュトライトが死んでいたら、こんな現象、起きるはずがない。

「被害報告!」

「全員無事! 小型艇も、距離を保ったまま併走しています!」

「初撃は順調、か」

バリベルトさんが、額の汗を拭う。トトリはじっと海面を見ていたけれど。すぐに、探索の魔術を掛けている悪魔族の戦士が、伝声管に声を叩き込んでくる。

やはり、奴は死んでいない。

「少し後方の海中、此方を追尾してくる影あり!」

「うおクラフト、発射してください」

まだ切り札を使うには早い。一気に左に滑るように海上を進みながら、ホープ号は追尾機能持ちの発破を海中にばらまく。

海中と言っても、それほど深くない。

水柱が、次々上がるのが分かった。

さあ、ダメージはどうだ。

水面をぶち抜いて、海竜が姿を見せる。恐怖の声が上がったのは、無理もない。海竜の顔面は、目に見えるほどのダメージが、存在しない。

馬鹿な。

思わず呻きたくなる。あの火力の斉射を浴びて、無事で済む筈がない。

どうやってダメージを緩和した。

ましてやブレスは、自分の口の中で炸裂したのだ。即死とはいかなくても、顔の一部がえぐれるくらいのダメージが来ていても、おかしくなかったのに。

「フラウシュトライト、速度を上げます! こ、これは! 追いつかれます! は、速すぎる!」

「動力炉! どうなっていますか!?」

「巡回速度ぎりぎりだよ! 加速はまだしばらく使えない! 炉が焼き付いてしまう!」

マークさんの声にも、戦慄が含まれる。

海竜は速度を上げて、ホープ号との距離を、見る間に詰めてくる。

生きている大砲が砲撃を開始。

甲板にいる悪魔族達も、攻撃魔術を放ちはじめるけれど。ものともせずに、突っ込んでくる。

巨大な口を開けると。

水面から躍り出るようにした巨竜が。

真上から、船に食らいついてくる。

回避、出来ない。

しかし、その時である。

一喝。

「ぬるい!」

その横面が、強烈なビンタが如き撃に張り倒される。

爆炎が上がっていた。

位置からして、ロロナ先生では無い。見ると、クーデリアさんだ。相手の動きを読んで、先回りしていたか。

一瞬の虚脱。

その隙をついて、大きく旋回したホープ号が、相手の下を抜ける。

海面に激しく叩き付けられたフラウシュトライトの巨体が、大波を造り出し。ホープ号が、せり上がる海面に、一気に押し出された。

雷が、至近に落ちる。

大雨が、降り注ぎ始めた。

海面でウミヘビそのものの動きでのたうち、体勢を立て直すと、フラウシュトライトは、凄まじい雄叫びを上げた。

後方から飛んでくる、音の暴力。

トトリは、伝声管に叫ぶ。

「クーデリアさん!」

「どうしたのかしら?」

「どうですか、手応えは」

「あまり効いているようには思えないわねえ。 頭への打撃を、何かしらの方法で緩和しているのかしら」

いや、そんな筈は。

思い出す。奴の顔には、お母さんがつけた、大きな傷が残されている。

そういえば。お母さんの攻撃を浴びていた筈の奴が、あの程度の傷でどうして済んでいたのか。

106さんは、攻撃が効いていないとは思えないと言っていた。

何か、からくりがある筈だ。

「クーデリアさん、ステルクさん。 機動戦、開始していただけますか」

「応!」

ステルクさんが、海上に飛び出す。

後は二人が小型艇を拠点に、飛び交いながら敵にインファイトを挑んでいく。そしてロロナ先生が、隙を見ながら砲撃を叩き込み、削っていく。

その間、生きている大砲で攻撃を続行。

切り札を使う前に、可能な限り敵を削り取る。

少なくとも、敵の切り札を見極めるまでは。札を温存しなければ、勝てる戦いも勝てなくなる。

クーデリアさんは、しばし躊躇したようだけれど。

それでも、海上に躍り出る。

荒れ狂う海。

まるでその黒い海面を怖れる事も無く飛び込んだ二人は。

当然のように水面を蹴って走り出す。

人間の極限。

海竜は当然、此方を再び追尾し始めるけれど。

二人がその先に立ちふさがる。

「次の手は」

バリベルトさんが、操船の指示の合間に聞いてくる。

トトリは。

まず、相手が二人の国家軍事力級のインファイトに、どう応じてくるか、見極めたい。

「しばし支援攻撃に徹してください」

「応、任せておけ」

もう、向こうでは。激しい稲妻が、海上に迸り始めていた。

早速ステルクさんが仕掛けたらしい。寡黙で強面な自称騎士。まあ、元騎士であり、現在も騎士と呼べる活動をしているのだから、別に違和感はない。

あの高出力の雷撃は、固有能力らしいのだけれど。

それを至近から浴びても、海竜はへこたれる気配がない。荒れ狂う海は、ますますひどい有様になって来ていて。

甲板から、悲鳴が上がっていた。

「海の状態が悪すぎて、探索の魔術が機能しません!」

「一度切ってしまってください。 しばし力を温存することに注力を」

「分かりました! くそっ!」

巨大な三角波が、ホープ号に横殴りに躍りかかってくる。

巧みな操船で転覆は避けるけれど。

艦橋の外面にも、凄まじい勢いで波が叩き付けられた有様は。内側から見ていても、背筋が凍るかと思った。

被害報告。

伝声管に叫ぶ。

今の時点では、被害は出ていないけれど。これは、甲板に出ているメンバーも。小型艇で戦っているメンバーも、負担が大きすぎる。

衝撃。

どうやら、ピンポイントで船に落雷が直撃したらしい。

恐らく、海竜の仕業だろう。如何に外が荒れ狂っているとは言え、此処まで見事に船に直撃が来るとは、思えない。

ロロナ先生が、仕掛ける。

砲撃が海を蹴散らしながら、驀進。

回避運動を行った海竜だけれど。容赦なくホーミングして、首筋の辺りに直撃、爆裂。

更に、その辺りに、ステルクさんと、クーデリアさんが、完璧なタイミングで奥義を叩き込む。

勿論この間も、悪魔族による魔術の支援攻撃と、生きている大砲による支援は続けているのだが。

やはり海竜は、再び水面下に潜り。

元気に平然と泳ぎ出す。

「敵の速力、落ちません!」

「化け物が!」

バリベルトさんが叫ぶ。

この人数のアーランド戦士を相手に、どれだけ戦うというのか。

今、トトリは。

アーランド戦士が歴史上直面した中でも、最強の敵とやり合っているのかもしれないと、自覚し始めていた。

 

3、怒濤猛攻

 

荒れ狂う海。波は更に高くなる一方。

ミミが操船している船の後方が、激しく揺れた。誰かが乗ってきたのだ。気配で分かる。ステルクである。

前に何度か仕事を一緒にした事があるが。

どうやら上流階級の女性が好きらしく、妙に紳士的に振る舞われた記憶がある。

悪い気はしなかったけれど。

実際には、ミミの立ち振る舞いは、周囲に対する威嚇として身につけたものだ。

元々の生活は、それほど豊かでもないし。母が命を落としてからは、赤貧と言える時代を過ごしたことだってある。

だから本当は、トトリのように対等に接してくれる方が、ずっと気が楽なのだ。

「すまんな。 少し休憩する」

「ええ、どうぞ。 これが今回の任務ですもの」

「うむ……」

巨大な波が来たので、乗り越えるようにして、飛ぶ。

いきなり、至近に海竜の巨大な顔が来たので、ひやりとしたけれど。まるで稲妻のような蹴りを直接クーデリアが叩き込んで、ぐらついた所を、一気に横を駆け抜ける。もう二隻の小型艇も周囲を忙しく回りながら、隙を見て攻撃をうち込んでいるようだ。

ステルクが、閃光弾をあげる。

意外にも、クーデリアが先に下がりはじめる。

その代わり。前線に、メルヴィアとツェツェイ、それにペーターが出てくる。

ペーターはこれほどの機動が出来ないようなので、小型艇に乗って、其処から射撃支援を。

残りの二人が、今までやっていたような、インファイトを行う。

それにしても、何というタフな化け物か。

ステルクが無言のまま、船の後方から消えた。

代わりに、ペーターが乗ってくる。

そして、乗ると同時に、数発の矢を。それも、かなりの魔力が乗った奴を、立て続けに放つ。

矢が海竜の鱗の隙間に突き刺さり、どずんと重い音が聞こえたのを、確かにミミは感じ取った。

次の一撃は、鱗を割り砕いて、その下の皮膚にまで刺さる。

鱗が禿げている箇所に刺さった矢に到っては、全体が見えなくなるほど、深く敵に突き刺さって潜ったほどだ。

此奴、始めて出会った時は、かなり鈍っていたのに。

ヘタレとさえ言われていたらしいのに。

もはやアーランドでも、上位に入るほどの弓使いでは無いのか。

「効いてはいるんだがな……」

荒れ狂う船の上で、しっかりバランスを取りながら、また速射するペーター。

確かにミミが見ても、効いてはいる。確実に敵にダメージを与えている。相手が巨体であっても、防御力そのものは無敵でもない。

更に言うと、傷ついた部分が修復している様子も無い。

何が一体、この怪物を、此処までタフにしているのか。

ステルクが、海竜の頭上に乗った。

振り払おうと暴れる海竜の横っ面に、メルヴィアが蹴りを叩き込む。パワーだけなら国家軍事力級と呼ばれる褐色肌の女の力は凄まじく。ぐらりと、海竜が態勢を崩す。

更に、至近距離から、ステルクが雷撃を叩き込む。

周囲の視界が、真っ白になるほどの一撃だ。

流石に動きが止まった海竜に、船から飛んできた砲撃が直撃。爆裂しながら、海竜を後ろに吹っ飛ばす。

しかし、である。

海面に叩き付けられて、沈んだその巨影は。

すぐに、少し離れた所から浮かび上がり、雄叫びを上げた。

舌打ちしてしまう。

あんな奴、どうやって倒せば良いのか。

心がへし折られそうだ。

「波が来たぞ。 回避しろ」

「分かっているわ!」

苛立ち紛れに、ドリフトするように、丘のような大波を回避。渦に突っ込みかけるけれど、動力炉をふかして、驀進。小さな波を蹴り飛ばしながら飛び、渦を越えた。

矢を放つペーター。

二度、三度。

その全てが、敵の体に吸い込まれる。

面倒くさそうに、此方を見る海竜。目の色が変わったことを、ミミは直感的に、悟っていた。

やばい。

回避運動に入る。

同時に。

空に向けて、海竜が光を放ち。それが無数に分裂しながら、辺りの海に着弾。爆発を繰り返したのである。

必死に操船するけれど。

もろに、波しぶきを浴びる。

コントロールを失いかける中。ミミは、見る。

ホープ号から、煙が上がっている。

 

突如放たれた広域攻撃が、甲板の数カ所に直撃。

爆裂して、一部は装甲を貫いた。

ブレスを、こんな形でも放つことができたのか。警告音が鳴り響く中、トトリは伝声管に叫んでいた。

「被害報告!」

「負傷者出ています! 医務室に運びます!」

「甲板にて損害! 生きている大砲二門大破!」

ロロナ先生が、伝声管に飛びつくのが見えた。

これは、ちょっとばかり、まずいかもしれない。

「一人、海上に投げ出されて、今から救助に行くからね。 私、しばらく相手のブレスに対するカウンターに徹するから、トトリちゃん、気を付けて」

「分かりました!」

ロロナ先生の側に控えているホムンクルス達が、見られない。

ブレスを敵が此方に放とうとした瞬間、砲撃を浴びせて、そらすことだけに専念するのだ。事前の打ち合わせて、決めておいた事である。

被害報告がまとまる。

待機中だったホムンクルス二名と、悪魔族三名が負傷。

貫通された装甲は、応急処置を始めているけれど。海が荒れ狂っている今、かなり状況は厳しい。

また、海竜が、頭上に向けて、ブレスを放とうとする。

この攻撃、見境無しの全域攻撃だ。

回避していても、いずれは命中する。距離を取れば、今度はピンポイントを狙ってくるブレスへの、対応が難しくなる。

どうする。

奴には、何が有効だ。

切り札を使うか。

しかし、あれは。最大出力でぶっ放しても、ロロナ先生の砲撃に、わずかに届かない程度の火力しか出ない。

使うべき場所を間違えると。

文字通り、完全に無意味になってしまう。

焦りが浮かぶ中。

ふと、気付いたことが、一つある。

海竜がブレスを吐こうとするのを、戻っていったクーデリアさんが止める。一撃を受けた後、海竜は、海に潜っている。

まさか。

いや、しかしそうだとすると、全ての不可解な現象に説明もつく。むしろ長期戦は、此方にとって、有利にもなる。

ステルクさんが、代わりに戻ってきた。

伝声管越しに、トトリが指示を出す。

「ステルクさん。 あの海竜を、潜らせないようにすることは、できますか」

「……詳しく聞かせてくれるか」

「大きめの一撃を受けた後、海竜は必ず潜っています。 あれはひょっとすると、海で魔力を補給する能力を持っているから、ではないでしょうか。 わざわざ潜っているのは、頭なり全身なりを、海中に没させないと、それが使えないから、ではないでしょうか」

少しばかり判断が早急だけれど。

しかしそうでないと、あのタフさに説明がつかないのだ。

更に言うならば。

海竜の体そのものに蓄積している傷は、回復していない。それなのに、奴がどれだけ攻撃を浴びても平気なのも不思議なのだ。

つまり海竜は。

魔力を補充することで、体を無理矢理動かしながら、戦っているのでは無いのだろうか。

あのブレスなどは特に顕著で、あんなもの、自然界の原理で放てるはずもない。明らかに魔術の類だ。

そして、如何にあの巨体とは言え。

此処まで桁外れのブレスを、何度も何度も放てるはずがない。

そもそも、海竜が何故深海を好む生態なのかも分からなかったけれど。それも、この件で説明がつく。

深海で魔力を吸収することで、身の安全を守り続けていたのだ。

恐らくは、自身の安全確保を最優先に。

攻撃を浴びせると、海面に上がってくるのは、攻撃を浴び続ける事が危険だと、本能的に知っているため。そうでなければ、回復力にものを言わせて海底に引きこもっていればいいのだから。

出てきている時点で。奴には攻撃が有効だという結論が出るのだ。

ふと、気付く。

どうして、こんな結論が出る。奴が邪悪で殺戮を好むドラゴンなら、こんな消極的な生態を持つはずがない。

それなのに。

「頭が冴えてきたようだな」

「ステルクさん、お願いできますか」

「任せておけ」

甲板から、海に飛び降りるステルクさん。

凄まじい勢いで、敵へ向かっていく。

これから前線では、敵を潜らせないことに、全力を尽くす戦いが開始されるはずだ。そして、それが上手く行けば。

この絶望的な戦況も、覆すことが出来る。

不意に、海竜が、小威力のブレスを、上空に放つ。

それはホーミング性能を見せつけながら、周囲に着弾、次々と爆裂する。

ホープ号の甲板には直撃しなかったけれど。側面装甲の二カ所に被弾。船が、ぐらりと傾く。

それでも、見事な操船で。バリベルト船長は、立て直してみせる。

動力炉は無事だ。

トトリは、伝声管に叫ぶ。

「敵との距離を詰めます。 動力炉には無理をさせますので、お願いします」

「正気かね!?」

「実は」

手短に、先ほど出した結論を、マークさんにも告げる。

マークさんはしばし唸っていたけれど。それでも、納得はしてくれた。

どのみち、このままではじり貧だ。

トトリはこの件で、指揮官に抜擢された。その観察力と理解力が、並外れていると評価されたからだ。

そして恐らくは、もっと前の段階から。能力を買われて。このよく分からない国家事業に、抜擢されていたのだ。

ならば、その能力を、今は全力で信じる。

幾多のアーランドにいる子供の中から抜擢されたのだ。他の誰よりもこの能力だけは優れていると信じて。

どれだけ訓練しても、格闘戦闘能力は芽が出なかったけれど。

その分の力が、こっちに行っていたのだと、信じる。

ロロナ先生の側に、いつの間にかホムンクルス達が戻っていた。海に落ちた要救助者が、医療室に担ぎ込まれていくのが分かる。

船が加速。

一気に、敵との間を詰め始める。

海竜も、恐らくは。此方が差し違える覚悟で積極攻勢に出たことに気付いたのだろう。雄叫びを上げて、全身を海上に踊らせる。

尻尾の先までその姿が見えると。

圧倒的な巨大さに、驚かされるばかりだ。

海面に叩き付けられる巨体。

巨大な波が、辺りを蹂躙する。

でも、小型艇の心配をしている余裕は無い。

伝声管に、叫ぶ。

「ロロナ先生、零距離からの砲撃、お願いします」

「良いけど、多分チャンスは一回だけだよ」

「お願いします」

トトリの口調で、悟ったのだろう。

次で、決着を付ける覚悟だと。

そして、トトリは。

動力室に、伝声管で頼む。

「主砲の発射準備を」

「おう、随分と速いね」

「接射します」

「……! 分かった。 どうやら、此方も腹を据えるしか無さそうだ」

全火器を、出し惜しみせず斉射。

うおクラフトも、今使える分は、根こそぎ放ってしまう。少しだけ残しておくのは、いざというときのための分。それは連れてきているちむちゃんにでも増やして貰えば良いのである。

前線でも、ステルクさんとクーデリアさんを筆頭に、総力での猛攻が始まっている。

勿論、海竜も黙っていない。

海面を切り裂くように、一条の閃光が走る。

小威力のブレスで、辺りを薙ぎ払ったのだ。爆裂する海面。一部が、ホープ号の側面を抉る。

「装甲、被害大! 負傷者多数! 次に攻撃を受けたら、船がもちません!」

「構うな、此処からは引いた方が負けるぞ! 臆するな、突っ込めっ!」

バリベルト船長が、伝声管に叫ぶ。

もう、ここから先、やるかやられるかだ。

海竜が、此方を見る。

明らかにその目には。怒りでは無く。

恐怖が、宿っている。

トトリは、知っていたはずだ。此奴が実際は、ただの力が強いだけの動物であって。悪竜でも、邪竜でもないことを。

破壊の権化でもなければ、殺戮を繰り返しだけの化け物でもない。

繁殖する相手さえもおらず。

同胞も存在せず。

ただ縄張りの中で、静かに生きたいと願うだけの。ただの、哀れな生き物に過ぎないと。

今までの、あらゆるデータがそれを示していた。

そもそも帆船を攻撃してきたのも、必死だったからだろう。何しろ、自分を徹底的に追い詰めた相手が乗っていたのだから。帆船を見るだけで恐怖が先に立って、見境無しに追い払おうとして。

その結果、多くの船が沈んだのだ。

理解はしていたのに。感情が、その理解を、妨げていたのだ。

国家軍事力級の戦士二人と。それに近い三人の実力者に纏わり付かれて。もはや水面下に逃げる事も出来ない海竜が、近づいてくる。

海は凄まじい荒れ狂いぶりを見せつけているが。

こちらだって、地獄のような環境で鍛えに鍛え抜かれてきたアーランド戦士だ。その程度で、尻込みするか。

青白い稲妻を纏った剣を振るって、ステルクさんが、海竜の頭上に躍り出る。

迎撃しようと顔を其方に向けかけた海竜の顎の下から、メルお姉ちゃんが、痛烈な拳を叩き込んだ。

岩盤を蹴り砕くメルお姉ちゃんの一撃だ。

巨体が、もろに一瞬、浮き上がる。

其処へ、ステルクさんが、一刀両断と言わんばかりに、一撃を降り下ろす。

海から出ている部分が、もろに。高出力の雷撃に包まれ、鱗がはじけ飛び、肉が焼けるのが分かった。

それでもなお。

海竜は、即座に体勢を立て直そうとする。

しかし、その時。

ペーターお兄ちゃんの放った矢が、四発連続で、ほぼピンホールショットとなって、同じ場所に食い込み。

更に跳躍したお姉ちゃんが。

槍を振るって、無数の突きを、海竜の頭から首に掛けて、叩き込む。

凄まじい雄叫びを上げる海竜は、気付いただろうか。

至近に、ホープ号が、迫っていることに。

巨大な波を盾にしながら近づいたホープ号が、躍り出る。

海竜が、ようやく気付く。

「主砲、発射準備は!?」

「完了しています」

「では……発射してください!」

まるで、敵船に突撃するようにして。

船首から、特攻する。

同時に、ロロナ先生が。準備していた、最大威力の砲撃を、放ちに掛かる。

ホープ号の主砲は、艦首に備えられている。

これは複数の発破を爆発させて、その火力を反動に変え、巨大なプラティーンの弾丸を放つものである。

インゴット数個を使った巨大な機構。

それに、インゴット一つをまるまる砲弾にした贅沢な造りで。

しかも一発放つと、冷えるまで使用できない。そんな尖った武器だ。それでいて火力は、ロロナ先生の砲撃よりずっと小さいのだから、使い所に困る。今の時代の人間が、どれだけ強いか、という見本のような存在なのである。

海竜が、かっと口を開ける。

ブレスで、迎撃するつもりなのだろう。

でも、その至近に。

クーデリアさんが躍り出る。

そして、ブレスの光が集まる口の前に、怖れる事も無く躍り出ると。恐らく数回連続で、クロスノヴァの全火力を解放。

ブレスと相殺するようにして、叩き込む。

のけぞる海竜に、とどめを刺すようにして、ロロナ先生が、全力での砲撃を叩き込み。

そして、ホープ号も、主砲を艦首から、揃って叩き込む。

閃光が、海上に走る。

そして、音が消えた。

思わずトトリは、耳を塞いでいた。

船へ、今までで最大の衝撃が来たのは、その直後。

流石にトトリの身体能力では転びそうになったけれど。しかし、側にいたホムンクルスの誰かが、即応して支えてくれたようだった。

耳が酷く痛む。

鼓膜が破れたかと思えるほどだ。

目も、しばらく見えなかった。

あまりにも途方もない閃光を、浴びてしまったからである。

呼吸を整えながら、心を落ち着かせる。

そして、聞こえてくる音に、必死に耳を傾けた。

「被害報告!」

「海に数名投げ出されました! 今、救助しています!」

「船そのものへのダメージは!」

「現在確認中! 二カ所で浸水しています!」

応急処置急げ。

バリベルトさんが叫んでいる。

くらくらする頭を支えながら、トトリは見る。

体の一部をごっそり抉られたフラウシュトライトが、必死に逃げている。しかしその速度は遅く、しかも深海に潜る力も無い様子だった。

大量の血が、辺りに流れている。

そして、急速に。

荒れ狂う海が、静まり始めている。

「バリベルト船長」

「どうした」

「動力を停止。 スクリューに、要救助者が巻き込まれる恐れがあります」

「……そうか、分かった。 動力炉、停止! スクリューを止めろ」

見ると、トトリを支えてくれていたのは。

以前、106さんを助けてと叫んでいた、455さんだった。

そうか。

トトリに恩義を感じてくれていたのか。

「船は、保ちそうですか」

「今の時点では、沈むことはないだろう」

「それなら、救助を優先にしてください。 応急処置は、それからでも」

「そうだな。 ……だが、良いんだな。 それだけ、追撃が遅れるぞ」

構いません。

トトリの口からは、はっきりとそう出ていた。言った後で、トトリ自身が驚いたくらいである。

トトリ自身も、外に出る。

そして、備え付けてある生きている縄を海上に放る。生きている縄には、浮き輪もついているのだ。

海は既に、かなり落ち着き。

空にあった黒雲も、急激に減りつつあった。

雲間から光が差し込む中。

修羅場は、別方向にシフトしつつあった。

 

激突の瞬間。

ミミは、海に投げ出されていた。強烈な閃光の後。音の壁に、張り倒されるようにして、吹っ飛ばされたのである。

主砲と総攻撃のタイミングは分かっていたのに。

どうしてもその瞬間。

備えることが、出来なかった。

本来なら、海に投げ出されても、大したダメージにはならなかっただろう。しかし、今の瞬間、ミミの視覚と痛覚は、完全に麻痺していた。戦いの最初から最後まで、小型艇で味方の支援を続けて。

時には矛も振るって敵に肉薄し、通りざまに肉を抉って。

気がつかないうちに、集中力も、ごっそり持って行かれていた。その最悪のタイミングで、あの爆発が起きたのだ。

海に落ちて、気付く。

こうも、海は暗かったのか。

視界が潰されているからとはいえ。

上も下もわからなくなると言うのは、初めての経験だ。

着衣泳の訓練はしたし。実際に、何度か海上で試してもみたのだけれど。これは、それとも状況が違う。

耳も目も元に戻らないまま。

そればかりか、何もかも。方向感覚も上下感覚も分からないまま。ただ、自分が急激に死に近づいていくのを悟り。ミミは、恐怖が大きくなっていくのが分かる。

冗談じゃあ、ない。

フラウシュトライトを仕留めるという大規模作戦に参加して。

生き残ることで、ようやく道が開けたのだ。

これでランク7。

名実共に、ハイランカーになる事が出来る。

そうすれば、ずっと差をつけられていたトトリにだって、追いつくことが出来る。

お母様の名誉だって。

誰にも見向きもされず。爵位しか、誇るものがなく。

魔術師としては二流以下。

アーランド戦士としては、もはや比べるものさえいないほど、才覚がなくて。父が早死にしてからは、心のよりどころがミミと爵位しかなかった、可愛そうな人。病弱で、トトリが若い頃なんて比較にならないほど、ひどい扱いを受け続けてきた。アーランド人社会に巣くう唾棄すべき闇の犠牲者。

名誉を、やっと、取り戻す事が出来ると思ったのに。

もがく。

矛だけは、絶対に手放さない。

例え溺死したとしても。父の形見であり。唯一母から受け継いだこの武具だけは。命に代えても、なくすわけにはいかないのだ。

視界が戻ってくる。

そして、戦慄する。

周囲は、既に真っ暗。

かなり沈んだことは分かっていても。これほど、海が暗くなるなんて、知らなかった。恐怖が爆発し、一気に息を吐き出してしまう。

もがく。

でも、上も下も分からない今。

もがいたところで、何がどうなるだろう。

助けて。

助けてお母様。

悲鳴を上げそうになる。

ミミはまだ、時々子供である自分が情けなくなる。宿では、一人になった後、泣くことだってある。

心細くて。

自分の才覚がないことが情けなくて。

分かっているのだ。ミミには、才覚という点で、致命的に劣ったところがある。平均なんて、どうでもいい。

ミミが見ているのは、同世代のトップだ。

悩みも何も無い、文字通り天然戦士のジーノや。何よりも、錬金術という最大の武器を持ち。高い理解力を持つトトリ。

彼奴らに負けて、そして。

深海で、死ぬのか。

涙が、零れるのが分かった。

もはや、打つ手がない。意識が、急激に遠のいていく。

不意に、その時。

手を引かれた。

もうろうとする意識で、それでも矛だけは手放さない。

恐怖の中、顔を上げようとするけれど、出来なかった。急激に、体が、上に引っ張られていく。

光。

圧力の消失。

海上に出たのかなと、ぼんやり思った。

転覆していなかったらしい船に、引っ張り上げられる。頬を叩かれたり、応急処置がされているのが分かった。

とても手慣れている。

激しく咳き込み、何度も呼吸をして行くうちに。やっと、周囲が、少しずつ、見えてきた。

船の上に引っ張り上げられたらしい。

そして、ミミを見下ろしているのは。

ホムンクルスの、106だ。

「これで、借りを返しましたよ」

何だろう。

涙が出てくる。此奴でさえ、不器用に笑顔を作っているのに。ミミと来たら、トトリの前でくらいしか、素直な感情を示すことが出来ない。しかもだいたいの場合恥ずかしくて、思っている事と逆の憎まれ口を叩いてしまうこともしばしばだ。

呼吸を整えながら、半身を起こす。

左耳が、聞こえていない。

鼓膜が破れたらしい。

回復術を使えば、すぐに治るけれど。周囲を見ると、負傷者が多数。阿鼻叫喚の有様だ。手当は、後回しだろう。

全身だって、酷く痛い。

何度か、フラウシュトライトの一撃が、至近に直撃したからだ。必死に押さえ込んできたけれど。気が抜けかけた今。痛みは、嫌と言うほど、自己主張を始めていた。

「ありがとう……」

106に、礼を言っていた。

相手は、目を細めて。

何があっても矛を放さなかったミミは、立派だと言った。

 

トトリは、胸をなで下ろしていた。

海竜を逃がしたというのに、不思議なものだ。今、気分が、驚くほど落ち着いているのである。

海竜がその途方もない魔力で、無理矢理乱していた海は、急激に落ち着きつつある。

船の側面に、小型艇が着く。

先ほどの衝撃で落ちたらしい悪魔族の戦士が、ずぶ濡れになって乗っていた。ミミちゃんが、上がってくる。

手酷くやられていた。

そしてこのずぶ濡れよう。恐らくは、海に落ちたのだろう。落ちたタイミングは分からないけれど、もし最後の激突の時だとしたら。きっとその場では復帰出来ずに、誰かに助けて貰った筈だ。

でも、ミミちゃんだってアーランド戦士。

もう、地力で動けるその様子は。やはり、頼もしかった。

「海竜は、クーデリアが追撃していったわよ」

「そう。 今は、救助に優先して」

「……そうね。 分かっているわ」

安心したように、ミミちゃんが目を伏せる。

それかも、トトリはまず医療品を倉庫から引っ張り出してくる。そして、甲板で、負傷者の応急処置を続けた。

手酷く負傷している面子は多かったけれど。

それでも、死者はいない。

画期的な勝利だと言えるだろう。

ただ、ホープ号は、ドッグにいれて、根本的にメンテナンスをしなければならないだろうが。

甲板も、装甲も、ひどいやられようだ。

見ると、会戦が如何に激しいものだったかを示すように。

ずっと船の上で砲撃を続けていたロロナ先生や。敵の至近での攻撃を続けていたステルクさんをはじめとして。

無傷の人は、誰もいなかった。

全員の生還を確認した所で、ようやく船の応急処置に入る。

破られた装甲の修復。これは、応急処置用の部材があるので、それをマークさんがその場で組み立てて、つける。

勿論応急処置だから、今後戦闘になったら、すぐにコケ落ちてしまうだろう。

更に、破れた場所から入っていた海水を外に出す。

これに関しては、ポンプが動いてくれている。しばらく不安定だった船も、間もなく安定を取り戻した。

小型艇は、追撃していった一隻を除いて、戻ってきているけれど。

二隻とも手酷く傷ついていて。

しばらく、動かすのは躊躇うレベルだ。

ありがとう。

大波の中、頑張ってくれたね。

小型艇に、お礼を言う。この小型艇が足場になってくれなければ、ステルクさんもクーデリアさんも。

お姉ちゃん達も。

無事に帰ってくることはなかっただろう。

船の応急修理が終わったとき。

既に、開戦から、八刻以上が経過。

真夜中になっていた。

 

ようやく、敵への追撃を開始する。

ジーノ君が操船している小型艇には、クーデリアさんだけが乗っていることが分かっている。

ロロナ先生が、艦橋に来た。

側に控えているローブを被ったホムンクルスだけれど。乱戦で、ローブが破れたのだろう。或いは、ロロナ先生を庇ったからかもしれない。ローブの裂け目から、誰もが息を呑む異形の姿が見えていた。

でも、彼は、ロロナ先生の忠臣だ。それは、見ていて痛々しいほどに、トトリにも分かっていた。

スピアから降伏したホムンクルスが。本国でどういう目に会っていたかは、トトリだって知っている。

だから、可能な限り、差別はしないようにしようと、思っていた。

「トトリちゃん」

「分かっています。 もう海竜は、長くは生きられそうにない、ですね」

「うん。 砲撃を叩き込んだとき、手応えがあったよ。 これは追撃と言うよりも、死体を探し出すだけだと思う。 勿論、くーちゃんが不覚を取るわけが無いって言う信頼もあるけどね」

頷く。

勿論、それでも油断はしない方が良いだろう。

相手は、あれだけの攻撃に耐えた、規格外の化け物だ。断末魔に、此方にとって致命打になる攻撃を放ってこないとも限らないのである。

動力炉は、現時点で出力を抑えさせている。

というも、戦闘時にかなり無理をさせ続けて。今、マークさんが修理しているけれど。かなり部品にも痛みが出ているらしいのだ。

何度か加速も使ったし。

この船には、あらゆる点で無理をかなりさせてしまった。

本当なら、出来るだけ急いで港に戻りたいくらいなのだけれど。

海竜の死だけは、きちんと見届けなければならないし。

何より、ジーノ君とクーデリアさんを、回収しないと帰れないのである。

ひょっとするとクーデリアさんは。

トトリに迷いを払わせるため。敢えて、無茶をしてでも、追撃していったのかもしれない。

もしも一番ひどい負傷をしているとしたら。

最前線でずっと接近戦をしていたクーデリアさんである事は、疑う余地が無いだろう。

海上には、血の跡が残っていた。

どれだけ大量の血を、海竜が流し続けているかという、良い証左だ。これをたどっていくだけで良い。

途中で、見つけたのは。

千切れた海竜の腕。

海竜も、一応はドラゴンで。小さいけれど、手足があった。

戦闘時に活用している様子は無い、退化したものだったけれど。それでも、千切れて痛くない筈がない。

大きさにしても、下手な帆船のマストくらいはあった。

フックを引っかけて、曳航していこうかと思ったけれど。

既に多数のふかが群がって、肉を貪り始めている。

これだけの血が流れ出ているのだ。

それは、ふかが集まるのも、当然だと言えるだろう。

既に海竜の力が完全になくなったことを示すかのように。空は完全に晴れ渡っている。

偽装の可能性は低い。

弱ったフリをして不意を打つ事も出来るだろうけれど。

これだけの血を流し。

腕まで引きちぎられている海竜が、そんな事をする余裕があるだろうか。

再生力に関しても、限界がある。

竜族の中には、高い再生力を保つ者がいると聞いたことがあるけれど。それには、膨大な魔力が必要なはず。

クーデリアさんに追撃を受け続けている今。

海竜に、そんな事をしている余裕があるとは、思えなかった。

ましてやクーデリアさんが、安易な罠にはまるほど脆弱な訳もない。

黙々と、船が進む中。

ガンドルシュさんが、最終的な被害報告をまとめてきた。

やはり、甲板も側面も、装甲はかなりやられている。

生きている大砲も、手酷い損害を受けていたし。うおクラフト発射口も、三つある内の一つが大破していた。

死者が出なかったことが、不思議なくらいの戦い。

負傷者のリストも見せてもらう。

ミミちゃんの名前もあった。鼓膜を破られて、かなり無理をして歩いていたらしい。そういえば、つらそうだった。

最後の攻撃の時、余波を喰らって海に落ちて。

106さんに救助されたのだとか。

そうか。

106さんはホムンクルスとしては例外的に感情豊かだけれど。きっと、心に関しても、同じだったのだろう。

だから、貸し借りにこだわって。

それが、結果的に良い展開へと結びついたのだ。

後で、友人を助けてくれて有り難うと、礼を言わなければならないだろう。

今は、ミミちゃんは、医務室で治療を受けていると言いたいところだが。

廊下を見ると、応急処置だけ終わった戦士達が、うめき声を上げている。医療魔術が、とても追いつかないのだ。

他にもひどい怪我をしている人も多いし、鼓膜をやられているくらいでは、順番待ちだろう。

いずれにしても、この負傷者の数。

戦死者が出なかったことが、不思議なくらいの有様。

此方も、激しい戦いは、もう出来そうにない。

ぴんぴんしているのは、メルお姉ちゃんくらい。

ステルクさんでさえ、壁に背中を預けて、仮眠しているほどなのだから。

「海に流れている血が濃くなってきたな」

バリベルトさんが、冷静に言う。

つまり、フラウシュトライトが、近づいてきているという事だ。

どのような悲惨な状況なのか。

或いは、ぴんぴんしていて、最終決戦を挑んでくるのか。

しばし、無言が続く。

程なく、照明弾が上がるのが見えた。

クーデリアさんが、打ち上げたものに、間違いなかった。

 

4、血塗られた結末

 

其処には。

瀕死の巨体が浮かんでいた。

もはや深海に逃げる事すらかなわず。

抵抗どころか、生きているかさえ怪しい有様。

周囲には、血と死の臭いを嗅ぎつけた無数のふかが、群れている。

クーデリアさんは、既に銃を構えて。フラウシュトライトの巨体に跨がっていた。その巨体も。鎌首をもたげることさえ出来ず。口を半開きにしたまま、左半身を海上に浮かばせて。時々、痙攣しているだけだった。

近づくと、惨状が更に見えてくる。

首筋の辺りから、ごっそりと腹辺りまで、肉が抉られている。

頭部も、半分以上なくなっていた。

怒濤の猛攻で。

特に、最後のロロナ先生の砲撃と。ホープ号の主砲がクロスファイヤとなって、情け容赦なく、体を抉ったのだ。

元々、ステルクさんやクーデリアさん。

メルお姉ちゃんや、ペーターお兄ちゃん。それにお姉ちゃんの猛攻を受け続けていたのである。

無事で済んでいる筈など、ある訳もなかったのに。

何故、トトリは。

この現実を、視認してようやく理解できたのか。

体の側面は、ごっそり肉がなくなった結果、骨や内臓が露出している。海鳥も、集まり続けていた。

ご相伴にあずかろうというのだろう。

野生の掟としては当然で。

トトリだって、何度も見てきた光景の筈なのに。

どうしてだろう。

胸が痛む。

クーデリアさんが見ている。此方に来いと、告げているのだ。

トトリは無言で艦橋を出る。

それを止める者はいない。

廊下には、まだまだ負傷者がたくさん寝かされていて。応急処置だけされて、痛みと悲しみに呻いている。

トトリが取り出したのは。

今回持ってきた中で、最大級の威力を持つ発破。

ロロナ先生に作り方を教わった中でも、特に圧倒的な破壊力を持つ代物。N/A。大きさは一抱えほどもある球体で。起爆ワードを告げてから、しばしして爆発する。本来は紐をつけて持っていき、ハンマーを投げるようにして遠心力を使って投擲するのだけれど。今回は、そんな風な気分には、なれなかった。

小型艇で、いそいそと海に降りる。

ミミちゃんが乗っていた奴は被害がひどすぎたので、結果的に106さんので。106さんも、無言で操船を請け負ってくれた。

血の臭いが濃くなってくる。

水面下は、大きなふかがたくさん。

血の臭いで興奮しているのが、一目で分かった。

普段は必ずしも手当たり次第に獲物を襲うわけではないふかだけれど。血の臭いを嗅いで興奮すると、話が変わる。

クーデリアさんは。

フラウシュトライトの、死につつある巨体の上で、待っていた。

船を接舷させる。

ジーノ君もいたけれど。戦いがあまりにも楽しかったらしく。非常に上機嫌だった。

「スッゲー戦いをありがとうな、トトリ! 帰ってから家族に自慢できるぜ」

「そう。 よかったね」

「ん? どうしたんだよ。 此奴をブッ殺したくて、仕方が無かったんだろ? どうして喜んでいないんだ」

無邪気なジーノ君の言葉。

背は伸びて、力もついたのに。

こういう所で、ジーノ君は相変わらずだ。

でも、責める気にはならない。

「先に戻っていてくれる? クーデリアさんは、この船で一緒に帰るから」

「おう、分かったぜ。 それにしてもクーデリアさん、凄かったんだぜ! 火力とか、師匠にも全然劣って無くて、動きも速くてさあ」

「後で聞くね」

「何だよ、分かったよ」

トトリの笑顔を見て。

流石に、ジーノ君も察してくれた。

とりあえず、今はそれだけでいい。それ以上は、望むのは、贅沢というものだろう。

小山のような、巨体に登る。

既に鱗の殆どははげ落ちてしまっている。幾らかは回収しておくけれど。ハルモニウムに加工できるかは分からない。

青黒い鱗は、殆ど全てが痛んでいて。

肉が露出している場所も、多かった。

クーデリアさんは、血まみれ。

勿論自分の血もあるだろうけれど。

見るからに、返り血の方が多かった。

追撃しながら、散々攻撃を繰り返したのだろう。ただ、魔力の消耗がひどいのが、一目で分かる。

流石に国家軍事力級戦士も。

これほどの相手を前に接近戦を続けていたら、消耗をするのは避けられなかった、ということだ。

「どう、感想は」

クーデリアさんは、顎をしゃくる。

今まで、トトリが。フラウシュトライトに向けていた憎悪と怒りは、正当だったのか。そう聞かれているのだと分かっていても。

しばらく、言葉は出なかった。

アーランド戦士なら。

分かっていたはずだ。

弱い弱いと言われ続けても。これでも、アーランド戦士として、生きてきたトトリなのだ。

分かっていなければ、ならない事だった。

戦いは。殺し合いだ。

其処には、生きるか死ぬか、しかない。

人間同士の殺し合いについては、ルールがある。そうしないと、最終的には、どちらかが皆殺しになるしかないからだ。だから色々な約束事を決めたり、戦争に負けたら色々な手続きをして、勝者に従わなければならない。

本来、人間と動物の間の殺し合いだってそう。

自然が著しく減り。

荒野に覆われてしまったこの世界で。際限の無い殺し合いなんてしていたら、すぐに何もかもが枯渇してしまう。

一なる五人がやっているようなことは、だから阻止しなければならないのだ。本人達に理由を聞いて、その考えを思いとどまって欲しいとも、トトリは思っていた。

でも、フラウシュトライトに関しては。

大好きなお母さんを殺したという事で。どうしても、感情が全てを邪魔して、まともに思考できずにいた。

戦場の外では、ルールを作って。

戦場での殺し合いでは、何をしても良いけれど。その代わり、勝っても負けても恨みっこ無し。

殺し合いをする以上、死ぬのは仕方が無い事だ。

勿論、フラウシュトライトは、あまりにも多く人間に被害を出し過ぎた。

駆除をしなければならない存在だったのは分かっているけれど。個人的な憎悪をぶつけて、悪の権化として糾弾し。その全ての存在と行動を否定して良かったのかと言われて。

今のトトリには。

イエスと返答することは、出来なかった。

嗚呼。

お母さんだって、今のトトリには呆れているだろう。

「私、バカだったと、思います」

「それが分かれば充分よ。 苦しんでいる此奴に、とどめを刺してやりなさい。 貴方の仕事よ」

「はい」

頷くと。

ふかに集られて。魚にも体中を囓られて。

全身を抉られて。

内臓をぶら下げて。

引きちぎられた体から、血を流し続けながらも。

まだ死にきれずにいるフラウシュトライトの頭に。持ってきたN/Aを、仕掛けた。

頭の一部は骨が割れて、脳が露出している。

これでも死にきれないのだ。

余程ため込んだ魔力によって、生命力を増しているのだろう。そしてそれが故に。此処まで無惨な姿になっても、死にきれないのだ。

クーデリアさんと一緒に、ボートに乗る。

周囲は文字通り血の海。

臓物も肉片も浮かんでいる中。

狂乱したふかが、ひたすらに血肉を貪っていた。

かなり大きなのが、辺りを泳いでいるけれど。クーデリアさんが喝と一言叫ぶだけで、ふか達は凄まじい殺気に恐れをなして、瞬時にいなくなった。

船を進ませる。

クーデリアさんがいなくなれば、再び狂乱の宴が始まるけれど。

トトリは、充分な距離を取ると同時に。

発破を起爆した。

キノコ雲が上がる。

辺りに、血の雨が降った。

頭が完全に消し飛んだことで。

フラウシュトライトの生は、終わりを告げ。

そして、アーランドの制海権は。特に、東の大陸に行くために絶対に必要なこの海域の制海権は。奪還されたのだった。

 

ホープ号で、フラウシュトライトの残骸から、目立つものを回収する。

大きめの骨は、そのまま加工して、ハルモニウムに出来そうだ。持ち帰った後、ハゲルさんに頼んでみようと思う。

割れた頭蓋の一部が浮かんでいたので、拾って持って帰る。

頭の形が良く分かるので、倒した証跡としては充分だろう。

巨体が見る間に骨になっていく。

それだけの凄まじい数のふかが集まっているのだ。

やがてあの死骸は深海に沈んでいって。

その周辺にいる生き物たちの住処にも食糧にもなり。ゆっくり時間を掛けて、分解されていくのである。

甲板に、皆が並ぶ。

ステルクさんが。この場にいる最強の戦士である彼が、提案したことだ。

そして、それが全員を動かした。

甲板に並ぶと、何をするかはわかりきっている。

トトリも、その行動を、もう嫌だとは思わなかった。

ステルクさんが、声を張り上げた。

「偉大なる敵に、敬礼!」

全員が、敬礼をして。

沈み行く、巨大な海竜の亡骸を見送る。

トトリは、どうしてだろう。

自分の愚かさを思い知らされたからか。戦う相手をただひたすらに邪悪な存在と決めつけたり、尊厳を否定することがどれだけ無惨な結果を招くか改めて叩き込まれたからか。死んだフラウシュトライトが、気の毒にさえなりはじめていた。

彼奴にお母さんが殺されたことに代わりは無い。

それでも、今のトトリは。

海竜に、恨みを感じなかった。

ホープ号のダメージは深刻だけれど。海竜の残骸の一部を引きずって、そのままアランヤに凱旋するくらいは平気だ。

ただ、魔力供給を行っていた悪魔族の戦士達はみなグロッキーになっていたし。

動力炉は、相当に消耗して、戻ったら部品を幾つも交換しなければならない。既にどの部品がダメかは、マークさんがリストアップしてくれていた。

そして、重要な事だけれど。

制海権が戻ったことで、アランヤに活気も戻る。

勿論ホープ号もメンテが終わったら、この海域の支配権を確立するべく、出撃を繰り返すことになるだろう。

トトリが任されていると言っても。

この船は、アーランドの海上における戦略兵器だ。

私物化することは、許されない。

しばらく甲板で、じっとフラウシュトライトの死んだ辺りを見つめていた。

流石にホープ号は速くて。

あっというまに、残骸は見えなくなっていく。

気付くと、ミミちゃんが、コートを掛けてくれていた。

「風邪を引くわよ」

「ありがとう」

「元に戻ったようね」

「……ごめんね。 私、色々とバカだった」

肩を叩くと、ミミちゃんは戻っていく。

トトリは天を仰ぐと。

風邪を引いても仕方が無いと思って。もう一度だけ、自分が仕留めた生涯の敵の最後の場所を見送ると。

艦橋で今後の事を話し合おうと思った。

船の中に戻ると。

戦勝に沸き立っている。

酒も振る舞われているようだ。

そんな中、艦橋だけは、バリベルトさんが空気を引き締めている。スピアの派遣するモンスターに、奇襲されるかもしれないのだから、当然だろう。

トトリは戻ると、伝声管に向かう。

「皆さんのおかげで、今回の勝利を拾う事が出来ました。 既に楽しんでいる方も多いようですが、相手は物量を誇るスピア連邦。 油断だけはしないようにしましょう」

「何が来たって、ぶっ潰してやるぜ!」

「応っ!」

誰かが調子よく叫んだ。応じたのは、声からしてジーノ君だろう。

トトリは、笑顔を保ったまま、続ける。

「三交代で、じっくり楽しんでください。 お酒を飲むのも許可します。 ただし、見張り中の人や、仕事中の人に勧めるのはダメです。 本格的に羽目を外すのは、アランヤに戻ってからにしましょう。 鳩便を飛ばしておきます。 アランヤでは、きっとたくさんのお酒と、保存食じゃない美味しい料理が待っていますよ」

さりげなく、釘も刺しておく。

トトリは咳払いすると。

万感を込めて、伝声管に言う。

「本当に有り難うございます。 これで、この国は劣勢を跳ね返し、新しい戦略を立てることも可能になります。 それに、私自身も。 これで、人生に、一区切りをつける事が出来そうです。 そして、最後に。 偉大なる敵手の冥福を祈って、乾杯」

トトリ自身はまだ酒が飲めない。

でも、106さんが、用意良く杯に入れたライムのジュースを用意してくれていた。

飲み干すと、船に喚声が満ちる。

トトリは、目の辺りを何度か擦ると。

アランヤに戻ったら、何をしようかと、思いをはせた。

 

(続)