竜の背骨

 

序、やるべき事

 

ハゲルさんに炉を強化して貰って、トトリの作業は更に効率が上がったけれど。しかし、まだ言われた事は出来ていない。

より強力な金属を作れ。

竜骨に当たる部分には、他より更に強い金属が必要だ。

別に、基本となるのは同じプラティーンでも良い。

更に頑強に、更に強い金属。

合金だったり、或いは構造を工夫した部材。

今生産を続けているプラティーンほど大量には必要ない。

船の中枢を支える部分に、どうしても必要だというのだ。

ちむちゃん達に、プラティーンを量産して貰いながら。トトリは炉に砕いた鉱石をいれて。熱している間に、参考書を確認。

強力な合金の作り方。

プラティーンを遙かに上回る最強の金属、ハルモニウムについて。

どちらも、今のトトリでは、手が届きづらい。ハルモニウムに到っては、使用している道具が悉く国宝クラスという代物。材料もドラゴンの一部で貴重なため、在庫はほぼ期待出来ない。

そうなると、合金だけれど。

此方にしても、相当な技量が必要になる。

今、試験的に作っているのもその合金だ。プラティーンを基準にして、色々な金属を混ぜ込んでいるのだけれど。

どうにも上手く行かない。

ロロナ先生にも相談はしているのだけれど。先生も、参考書を紹介してくれる以上の事は、してくれなかった。

魔術による強化についても考えたのだけれど。

元々プラティーンは強力な魔力を帯びていて、下手な魔術を掛けても強くなどならないのである。もしもやるのなら、数日がかりでの、儀式魔術が必要だ。

炉から出した合金。

しばらくハンマーで叩いてみるけれど、あまり強度は変わっていない。

ハゲルさんには、最低でも倍は強度が必要と言われている。

プラティーンが、そもそも相当に強力な金属なのだ。これの倍となると、正直ハルモニウムしかないかもしれない。

そうでないとすれば、魔術による強化。

手間暇は掛かるけれど、やはりこの方が正しいかもしれないと、トトリは思う。

魔術による強化は、まだ勉強不足だ。徹底的に調べなければならないだろう。

しばらく悩んだ末、トトリはちむちゃん達に、出来たインゴットを持っていって貰う。

こういうときは、最初から参考書を見直しだ。

しばし、参考書に没頭していると。

いつの間にか、ちむちゃん達が戻ってきていた。

「ちむ! ちむー!」

「うん、ご飯だね。 ちょっと待っていてね」

二人とも、しっかり働いてくれた。労働には対価を払うのが当たり前だ。

台所に行くと、多分ちむちゃん達の腹具合を察していたのだろう。もうお姉ちゃんが、パイを焼いてくれていた。

ちむちゃん達の世話は、お姉ちゃんに任せてしまう。

元々母性豊かなお姉ちゃんは、子供が大好きだ。ちむちゃん達も、しっかりお姉ちゃんになついていた。

さて、問題は此処から。

参考書をめくりながら、調べ物を続けていく。

多分ドラゴンの素材は、入手が難しい。

今、トトリと組んでドラゴンを狩りに行けるほどの冒険者がいない。ミミちゃんとジーノ君、それにメルお姉ちゃんを誘えたとしても。ドラゴンを相手に戦うのは、少しばかり厳しいかもしれない。

それくらい強大な存在なのだ。

ドラゴンというモンスターは。

その全てが魔物に分類されるほどの力を持ち、者によっては人の言葉を解するとさえ言われるというほどの化け物。

勿論魔術も、生半可な魔術師より遙かに使いこなせる。

せめてロロナ先生か。出来ればステルクさんがいれば。

しかも現状、別に人に害を為して暴れているドラゴンはいない。特に問題を起こしてもいないドラゴンを狩るのは、倫理的にも問題が大きいだろう。アーランドからも許可が下りない可能性が高い。

それに、ドラゴンそのものが、そもそも人間を避けて生活している。

他の冒険者はどう思うか知らないけれど。

少なくともトトリには、そんなドラゴンを狩りに行くことは、正しいとは思えなかった。あくまでトトリには、だが。

色々考えた後、決める。

やはり魔術を付与して、強度を上げるのが望ましい。

色々試してみたのだけれど。元々プラティーンは非常に安定していて、合金としてもあまり強度は上がらない。上がっても一割かそこら。強度をあげたところで、むしろ脆くなったり、欠点が出てきてしまう。

堅くなっても脆くなっては意味がない。

粘り強さも、重要なのだ。

それなら、元から帯びている強い魔力を利用して、強力なエンチャントを施した方が良いはずだ。

トトリは魔術の専門家では無いけれど。

此処しばらく、プラティーンの鋳造をする合間に参考書を徹底的に読み込んで、魔術の道具についてはかなり知識を得た。

それに、実際にハゲルさんが強化してくれた炉で調べて。合金では限界がある事も良く分かった。

ハゲルさんの炉は、新しい合金を造り出す役には立てなかったけれど。「合金では厳しい」という現実をトトリに教えてくれただけで、充分な意味があった。それに炉が強くなったことで、より効率的に、プラティーンを製造できるようになったし。用途に合わせて、加工も出来るようになったのだ。

実験的に、色々作ってもいる。

これらに関しては、今後実戦投入する予定だが。それにあわせて、竜骨に付与する魔術についても、研究を進めるべきだろう。

食事を終えて、アトリエに戻る。

ちむちゃん達は、すでに作業を始めていた。トトリはデスクに向かうと、手紙を書く。

もう一人か二人、ちむちゃんを廻して欲しい。

出来れば二人。

一人は、お姉ちゃんの負担を減らすために、パイを生産して貰う。これに関しては、前から考えていた事だ。

もう一人は、トトリの補助。

二人とも永続的では無くても良いから、とにかく廻して欲しい。

竜骨を早めに作っておきたいのである。

そうすることで、港の方でも作業のモチベーションが上がるし。何より、完成に向けて大きく前進できる。

マークさんもそろそろ戻ってくる頃だ。

いい加減、決定的な進捗が欲しいのである。

鳩便を酒場に頼むと、すぐにアトリエに戻る。さて、ロロナ先生は、無理難題を聞いてくれるだろうか。

此処からは、知識についても、いつも以上に蓄えなければならない。

プラティーンを炉で温めている間。出来るだけ、参考書を読み込んで、知識を増やして。空いた時間を使って、実際に色々作って見る。

姿をある程度隠せるマント。

ものを浮かすことが出来る絨毯。

二つとも実現に成功。

絨毯は実用性があまり無さそうだったので、荷車に組み込む。こうすることで、非常に軽くできるのだ。

重い荷物も、楽々と運ぶことが出来る。

絨毯については、量産も出来そうなので、アーランドに納品する。こうすることで、今まで苦労していた馬車や荷車の運用に関しても、かなり楽になるはず。ロロナ先生が中途まで研究していたものをトトリが完成させたのだけれど。実際に荷車に組み込んでみたところ、プラティーンのインゴットが羽のように軽くなったので、トトリ自身がびっくりしたくらいである。

他にも、色々と作っていく。

ロロナ先生が使っている、生きている鎖。

実際にトトリも作って見たのだけれど。最初は身につけるだけで、ごっそり体力を奪われる代物が出来てしまった。

浮かぶ絨毯のように、何でもかんでも上手くは行かないか。

でも、時間はある。

試行錯誤していく内に、少しずつ強いものが出来てくる。

元から魔力が次元違いのロロナ先生とは、魔力の弱いトトリは立っている土俵が違っている。

だからその分、工夫を凝らさなければならない。

半月ほど掛けて、試行錯誤を繰り返し。

出来た鎖は、ロロナ先生が参考書に載せているものの、半分程度の力しか出せなかったけれど。

しかし、それでも。

実際身につけてみると、かなり状況が変わる。

お姉ちゃんと組み手をして見たのだけれど、今までとの差は明らかだった。

筋力を補助して上げてくれるし。いざというときは超反応して攻撃も緩和してくれる。攻防ともに、相当に強化されていると判断できる。

勿論魔術やブレスはどうにもできないけれど。

これは、身につける意味がある。

もっと強化すれば、或いは。

あのレオンハルトが相手でも、短時間ならしのげるかもしれない。

試作品は、全て国に納品しておく。

ロロナ先生の作るものほどではないにしても、身につけて損は無い品ばかりだ。魔術の道具は作るのが難しく、高値で取引されるとも聞いている。

身につけることで、戦闘で助かる人が出るかも知れない。

それならば、願ったりだ。

トトリの作業は続く。

気がつくと、船を作り始めてから。

四ヶ月が経過しようとしていた。

 

ロロナは地下工場から出ると、まっすぐ政庁に向かう。今日は会議の比では無いのだけれど。

ジオ陛下が、前線に出てきているのだ。

正確には戻ってきている、と言うべきか。

少し前に、エスティさんから急報が来た。大陸北方での戦況が激変。列強の中で一つ、内通者を出して軍が壊滅した国があったのだ。

支援のために、ジオ陛下が密かにスピアの国内に潜入。幾つかの軍事拠点に攻撃して回ったのである。

勿論その間に、敵も前線を進めてきたけれど。

此方も想定の範囲内だったので、出鼻を挫く形で逆撃を加え、打撃をある程度与えている。

勿論時間稼ぎに過ぎないけれど。

どうにか、敵の浸透はこれで食い止めることが出来た。

北方の戦況は依然厳しいけれど。それでも、これ以上の悪化だけは、どうにか避けられた形である。

だからジオ陛下は戻ってきていて。

それが故に、直訴の好機であった。

ロロナは既に、二百五十を越えるちむちゃんを生産。ちむちゃん達には、各地で足りない労働力を補って貰っている。

新しく作る内の二人、もしくは三人をトトリちゃんの所に廻したいのだ。

戦闘艦の建造が遅れているという事情もある。

それ以上に、トトリちゃんが今、魔術の研究を熱心にしていると言う報告が来ていて。ロロナにはそれが、竜骨を作るためのエンチャントを研究する一環だと言う事が、即座に判断できた。

つまり、トトリちゃんが研究に集中できるようにしてあげたいのである。

出来ればロロナが直接トトリちゃんの所に行きたい位なのだけれど。

それが出来ないから、労働力を廻してあげたい。

ジオ陛下はとにかくトトリちゃんを鍛えたくて仕方が無いみたいだけれど。今回に関しては、意見が異なる。

どうにか、陛下を説得しなければならなかった。

政庁に入ると。まだ血の臭いを全身から放っている陛下が、食事をしているところだった。

大暴れしてきたからだろう。

相当な量の肉と野菜を、もの凄い勢いで口に運んでいる。

勿論テーブルマナーはしっかり守った上で、である。

戦士としての経験が浅い人間から見れば、テーブル上の食物が、次々と消えているようにだけ見えるかもしれない。

ある程度、食事が進む所まで待つ。

ジオ陛下も、ロロナが直接来たのだ。直訴なのだと言う事くらいは、理解しているだろう。

二十皿ほど片付けたところで。

ジオ陛下が、ようやく口を開いた。

「何かね」

「トトリからの鳩便が来ています。 戦闘艦の建造に関してのものです」

「聞こうか」

「竜骨の作成に関して、苦労しているようです。 ハルモニウムを用いるか、今量産しているプラティーンを強化するか。 このうちハルモニウムに関しては、材料の在庫がない状態で。 暴れているドラゴンも、現在確認されていません」

頷くジオ陛下。

この人は時々ぞっとするような冷酷な判断をするけれど。

根本的にはアーランド戦士だ。

森を財産として考え。荒野を緑化し。戦士としてのあり方を守り。世界を再生へと導く。

故に、戦いを好みながらも、無益な殺戮はしない。

現状、わざわざ殺しに行くドラゴンがいないことは、誰もが知っている。そして、逃げ回るドラゴンを無意味に殺す事は、アーランド戦士の誰もが賛成しないだろう。

「現在、ちむ型ホムンクルスの生産は軌道に乗っています。 二人か三人、トトリの所に追加で廻す事を許可していただきたく」

「研究に没頭させてやりたいという事か」

「はい」

「ふむ……」

実際問題、ちむちゃんは師匠が作っている戦闘タイプに比べると、其処まで絶対必要、という存在では無い。

勿論アーランドの国力を底支えするという意味で重要だけれど。現状では、二人か三人なら、どうにかなるというのが、ロロナの結論だ。

むしろ、前線で戦える戦士の数が足りなさすぎることの方が問題である。

しかし、戦闘タイプホムンクルスは。増やしすぎると師匠がどんな馬鹿な事をするか分からない。

それが悩みの種でもあった。

「君から見て、トトリはどう思う。 手数さえ増やせば、成果を上げられると思うかね」

「事実、あの若さで、国家的事業を幾つも成功させています。 私の時よりもお膳立てが整っているとは言っても、彼女の才覚は本物だと思います」

「そうだな……」

労働者達が、追加の食事を運んできた。

これを食べ終えると、またジオ陛下は、前線を抜けて、敵地に入り込んで暴れてくるのだ。

ロロナも、半分ほどいただく。

敵の前線が上がって来ている。これからステルクさんと組んで、叩きに行くのである。此処の守りは、くーちゃんと師匠が担当する。

もう一人くらい、国家軍事力級の使い手がいれば。

しかし、此処以外の前線も、今は非常に厳しい状況だ。他の辺境各国と今までにないほど連携が出来ていて。援軍も来ている今だけれど。

それでも、戦士は足りなさすぎるのだ。

料理が消滅していくのを見て、労働者達が目を見張っている。化け物でも見るかのような視線。

実際、それくらいの力の差があるのだ。

彼らの恐怖も、仕方が無い事なのかもしれない。

「もう少し貰おうか」

「ただちに!」

逃げるように、労働者達が皿を下げる。

ロロナも食事を終えたので、話を続けた。

「お願いします。 私が出向けない以上、せめてちむ型の増援だけでも」

「アーランド東海上の制海権を取り返すことは、我が国にとっても重要だ。 それだけではない。 どうにも様子がおかしいと噂を聞く東の大陸についても、実際に確認する必要がある。 彼奴だけでは、どうにも心許ないからな」

「腕は確かですが、性格面にむらがありますからね」

「その通りだ。 ……よし、三日後には戻る。 その時には決断しておくから、それまでは通常通り行動せよ」

ジオ陛下が運ばれて来た次の食事に手をつけ始める。

礼をすると、ロロナは席を立った。

城壁の上に出ると、ステルクさんが、パラケルススちゃんと一緒に待っていた。他にも手練れが十名ほどいる。

「遅かったな」

「陛下と話をしていました。 トトリちゃんの所に、どうしても増援を廻してあげたくて」

「戦闘艦の建造か。 いずれにしても、あの敵戦力を、もう少し削らないと、海上戦も出来そうにない。 我々も尽力する必要があるな」

敵の前衛、一万ほどが来ている。

堅固な陣を張られると、追い返すのが厄介だ。だから、これから出鼻を挫く。今までとは比べものにならないほど手強いけれど。

此処に陣取ったくーちゃんから、秘策も貰っている。

敵に大打撃は与えられないかもしれないけれど。追い返すことだけなら、出来る筈だ。

頷きあうと、城壁を飛び降りる。

着地と同時に加速。

何波かに別れて、一気に敵への距離を詰める。

これ以上、好き勝手をさせない。

そう考えているのは。少なくとも、この場にいる全員。意識は、統一されている。そう、ロロナは思いたかった。

 

1、中心罅

 

竜骨。

主に木造船で、船の背骨になる部分。

いにしえの船でも、船の中心となる強固な構造は存在していて。形状はかなり異なるにしても、重要な部材として、どうしても作らなければならなかった。

どうにか、竜骨を作るぶんのインゴットは揃う。

ロロナ先生がきっと無理を言ったのだろう。

二人ほど廻してくれたあたらしいちむちゃん。男の子と女の子が一人ずつ。男の子にはちむまるだゆう。女の子にはちむみゅと名前をつけて。二人とも凄く悲しそうな目を何故かしたのだけれど。

とにかく、二人とも、しっかり働いてくれて。

それで、ようやく、材料が揃ったのだ。

勿論、まだまだ資材は足りていない。だから一人にはパイを生産して貰って、お姉ちゃんの負担を減らし。

もう三人に、トトリの代わりも兼ねて、資材を徹底的に作ってもらう。

そしてトトリ自身は。

竜骨を、まずプラティーンで、形だけ作って欲しいと、ハゲルさんに頼んで。それが出来上がったと聞いて、今日港に出向いたのである。

二人が追加されて、既に一月以上経過していたけれど。資材の準備は軌道に乗ったし、これなら、竜骨さえ出来れば、船の完成は見える。

港の一角に、それはあった。

巨大な魚の骨のような形状。インゴットにしても、相当数をつぎ込んだのは間違いない。加工には、本当に苦労しただろう。

ハゲルさんは、トトリが出向くと、すぐに手を振って来る。

「おう! 来たか!」

「予想以上に格好いいですね!」

「だろ? どんな荒波でも、此奴の前には……といいたいがな。 作ってはみたが、まだ強度が足りないままだ」

それは、最初から分かっている。

元々、倍の強度を実現しろと言われていたのだ。

構造を工夫して、単純な板よりかなり堅くはしているようなのだけれど。それでも全然足りないのが実情だろう。

魔術師達を集める。

そしてトトリは。

今まで此処に漂着した、フラウシュトライトの被害を受けた船の残骸を、集めて貰っていた。

「まずは、砂浜に移動させます」

「おう! 手が空いている奴、集まれ!」

巨大な竜骨は、既に形が固まっている。

壊すわけにも、分解するわけにも行かない。これ一つで、成形されているから、である。勿論生半可な攻撃で壊れるほど柔では無いけれど。それでも、アーランド戦士が本気で壊そうとしたら、保たないだろう。

現状はその程度の堅さだと言う事だ。

ホムンクルス達と、労働者達が、てこところを使い、港から砂浜へ移動させ始める。アランヤの人達は、首を伸ばして、それを見つめていた。

トトリは集まった魔術師達に、言う。

「私達は先に、砂浜に出ます。 そして、この魔法陣を作ります」

「これは、エンチャントですが……なんと複雑な」

「正直、私も理解がやっとです」

苦笑いしてしまう。

此処一月以上掛けて、やっと解析したのだ。ロロナ先生が作った参考書を見ながら、必死に魔術の。特にエンチャントの理論を勉強して。

そうして、どうにかこうすれば、出来ると判断。

竜骨を一つの素材と見なし。

其処に、フラウシュトライトに殺された人達の怨念と無念を宿らせる。そうすることで、ただの金属の塊に、命を宿す。

元から圧倒的な魔力を含有しているプラティーンだ。

悪霊との親和性は極めて高いはず。

此処で重要なのは、悪霊達に、これからあの海竜を殺しに行くため、助力して欲しいという意思を伝えること。

心残りなく、この世を離れている人達は。もう思念を残していない。

あの邪悪な竜に命を奪われて、無念だと思っている人は。きっと、みんな協力してくれるはず。

ひょっとして、お母さんもその中に。

いや、それは今は考えずにおく。

とにかく、竜骨を強化すること。それだけが、今は絶対事項だ。

砂浜に先回り。

まずは砂浜をならす。動物たちを傷つけたくないので、慎重に。ヤドカリさんや蟹さんには、どいてもらう。ごめんねと言いながら、トトリは魔術師達に協力して貰って、彼らを移動させた。

そして、中和剤を使って、魔力を込めた水を流しながら、砂浜に巨大な魔法陣を書いていく。

同時に、魔術師達に協力を頼んで、エンチャントを実施。

魔法陣を、固定する。

巨大な円を幾つも描いて、重ねて重ねて。

それに文字を書き加えていく内に、竜骨が来た。

とんでもなく大きな魚骨に見えるそれは、威圧感も充分。遠くから、陸魚やカモメたちも、興味深そうに此方を見ているのが分かった。

竜骨を、魔法陣の中心に。

労働者達も、かなりへばっているけれど。

本番は、これからだ。

エンチャントには、数日以上はたっぷり掛かる。労働者達には、港に戻って貰う。

魔法陣の各所に、媒体となる残骸を配置。

これらに悪霊が宿っているわけでは無い。

媒体として、海にいる悪霊達を、此処に呼び込むのだ。

何、此処にいるのは、アーランドで鍛え抜かれた人々。労働者階級でも、それは同じである。

悪霊に引きずり込まれて、闇の世界に行ってしまうようなヤワな存在は、一人としていない。

トトリもそれは同じである。

詠唱を、開始。

この日のために準備しておいた道具をフルに使って、トトリもそれを支援する。

見る間に、相当数の悪霊が集まり始める。

それらは魔法陣が造り出す魔力の奔流によって集められ。魔法陣に書き込まれた文字によって、此方の意図を理解していく。

悪竜に復讐を。

あの邪悪なウミヘビめに、正義の鉄槌を。

おお。

悪霊達が、歓喜の声を上げるのが、トトリにさえ聞こえた。無数の悪霊が、竜骨へと宿っていく。

見る間に、禍々しい色に、竜骨が染まっていくのが分かった。

こうして、数日かけて、悪霊を竜骨へ固定していく。そして文字通り、竜骨を生きた金属へと変える。

それにより、倍以上の強度を実現するのだ。

元々プラティーンは美しい白銀色なのだけれど。

魔力が悪霊によって倍以上に増幅され。そして悪霊自体が依り代としていくことによって、赤紫へと変わっていく。

魔術師達には詠唱を続けて貰い。

トトリはその間に、色々と作業をしていった。

まず、魔術師達に配る、メンタルウォーター。

以前使って酷い目にあったのだけれど。今回渡しているのは、改良して、体への負担が小さくなったものだ。

現時点で、ここに来ている二十名ほどの魔術師だけれど。三チームに分けて、交代で詠唱に当たって貰う。

最初に、悪霊を一気に集める作業を終えた後は、十三人に一旦離れて貰って、休憩をしてもらう。

その後は、三交代で廻すのだ。

港の方では、既に内部の構造体まで作り始めている。

マークさんが戻ってきてからは、動力部分に関しても、だ。

いずれにしても、トトリが此処で竜骨を仕上げれば、一気に船の完成が近づいてくるのである。

砂浜の空気が変わっていく。

今まで、フラウシュトライトにどれだけの人が殺されたか、と言う話である。それに、それだけではない。

近隣の古戦場からも、悪霊が集まっている様子だ。

これは、ちょっとばかり、魔法陣を強力に作りすぎたかもしれない。でも、強くて悪い事は無いはず。

準備してきた中和剤を、竜骨に掛けていく。

こうすることで、魔力の伝導率を、更に上げるのだ。

一旦その場を離れて、コンテナに。

準備しておいたものを、順番に取り出す。荷車を軽く運べるように工夫しておいたのが功を奏したというのか。

一気に、たくさんの道具類を運べて便利。

騒ぎを聞きつけて、ミミちゃんも来る。手をかざして、砂浜の方を見ていた彼女は、トトリに気付いて、小走りで来た。

「トトリ! 何よあの禍々しい儀式は! 何を始めたの!?」

「竜骨をパワーアップしてるんだよ」

「へ、へえ」

「ミミちゃんも近くで見る?」

青ざめていたミミちゃんだけれど、しばらくして、好奇心が勝ったのか。頷いた。この辺り、可愛いミミちゃんのままだ。

少し前に、ミミちゃんはかなり凶暴なベヒモスの退治に成功したとかで、ランク6に近づいたとか。

この分だと、船が出来る頃には、ミミちゃんはランク6冒険者になっているかも知れない。

ただ、トトリはこの船が完成すると、ランク8確定だと聞かされているので。

その時には、またランクが二つ離れてしまうことになる。

ミミちゃんが必死に苦労しているのは知っているので、その辺りは少しばかり複雑な気分だ。

ミミちゃんに手伝って貰って、荷車を砂浜へ。

砂浜に住んでいる生物たちは、多分身の危険を感じたのだろう。自主的に、魔法陣から離れているようだ。それでいい。謝りながら、どかさなくてもすむし。実際に危険だろう。

無数の悪霊が、上空を飛び交っているのが見える。

それらは全てが魔法陣に吸い込まれ。竜骨に入り込んでいくのだ。

禍々しい輝きが、強くなって行く。

竜骨に触ると熱い。

それだけ、強烈な魔力を帯びている、という事だ。

「大丈夫!? 爆発とかしない?」

「このプラティーンは、理論上この十倍くらいの魔力なら蓄えるはずだから、全然平気だよ」

「……そう」

「それよりも、悪霊さんたちを固定する術式の準備を始めないといけないかも。 ちょっとたくさん集まりすぎたかなあ」

トトリが笑顔で話していると。

どうしてか、ミミちゃんがどんびきしていた。

理由は分からないけれど、わずかにおびえを湛えた様子は、可愛くてならない。

 

一日が経過。

集まってくる悪霊はだいたい一段落。殆ど新たに増える事も無く、魔法陣にキャプチャされて、竜骨へとほぼ入り込んでいった。

ここからが、本番だ。

魔法陣の外側に、更に円を書き加えて。文字を追加していく。こうすることで、竜骨を核に、悪霊達を固定化するのだ。

こうして、悪霊達は、怨念がなくなるまで、竜骨の中にいる。

怨念がなくなれば自然にこの世からは離れるので、別に気にしなくても良いし。

その時には、彼らが蓄えた魔力は、そのまま竜骨に残るから、気にする必要はその方面でもない。

魔術師達は結構疲労しているけれど。

メンタルウォーターもあって、倒れる者は出ていない。

トトリが書き加えていく魔法陣について、精査もして貰うけれど。彼らの知識は、トトリと同じかそれ以下。

渡した手順書を見て、一致しているかどうか、確認するかがやっとだ。

でも、こうやってチェックを二重にしていく事は、大きな意味がある。トトリだって、ケアレスミスはするのだ。

ハゲルさんが見に来た。

その時には、竜骨はすっかり赤紫になり。禍々しい魔力が、トトリから見てもはっきりするほどだった。

「おう、仕上がってるじゃねえか」

「ハゲルさんも見えるんですか?」

「あたぼうよ。 これでも魔力が籠もった武器は、前々から作ってるからな。 まあ、こんなに凄い数の悪霊が宿った金属の構造体ははじめて見るがよ」

うめき声。

怒りの声。

いずれも、竜骨から漏れてきている。

はやくあの悪竜を殺させろ。

食いちぎりたい。

そんな声も聞こえてきている。

これはいわゆる邪法の一種なのかもしれない。でも、悪霊達から見ても、あの邪悪な巨竜は許せぬ存在の筈。

利害は一致しているのだ。

彼らに協力して貰う事が、倫理的に間違っているとは、トトリには思えない。むしろ、悪霊達がどれだけ願っても、邪竜を殺す事が出来ない現状。彼らにとっても、良いことだと結論できる。

勿論、この思考が。トトリの後ろ暗い部分を後押ししていることも分かっている。

トトリ自身が、矛盾を抱えている事も分かっている。

でも、今は止める気が無い。

この件だけは。

誰にも、絶対に邪魔はさせない。

「それで、どれくらいで出来そうだ」

「あと二日ほどで、定着の魔術を行使して。 それから様子を見て、完成と判断します」

「そうか、思ったより早く仕上がりそうだな」

「其方はどうですか」

ハゲルさんがいうには、船体の装甲については、おおむね出来上がったそうだ。後は一月ほどかけて、内部を仕上げていくことになるという。

その後は武装だけれど。

組み込みやすいように、ブロック式でくみ上げているらしいので。後から色々と追加できるそうだ。

燃料についても、準備は進めている。

マークさんが調べてきた事により、かなり効率よく動かせる動力炉が出来た。魔力を注ぎ込むことによって、高速で動き回れるし。此処にいにしえの時代に燃料として使われていた液体を注ぐことによって、更に爆発的なスピードを実現できるという。

海上で邪竜とやりあうには、充分なスペックが実現できるだろうと、ハゲルさんは太鼓判を押してくれた。

武装については、今の時点で色々考えているけれど。

ただ、とどめを刺すのは、多分人間の手だ。

今の時代、どうしても兵器より人間の方が強い。

この船は、あくまでキャリア。兵器は勿論積んでいくけれど。それは牽制以上の役割を果たせはしないのだ。

「とにかく、最後の頑張りだ。 船が出来るまで、半年と半月と言う所だろうな」

「その後は試運転を一月ほどはする予定です」

「そうなると、海竜とやりあうのは、その後か」

「はい。 ただし、必勝の態勢で臨みます」

この戦闘艦は、スピアの海軍と比べても、桁外れの存在になるはず。おそらく制海権を、これ一隻で掌握できるだろう。この船さえ出来てしまえば、スピアはおそらく、海軍を製造しても無意味になる。

そう言う意味でも、戦略的に大きな意義がある。

勿論スピアとしても、好き勝手を許したくは無いだろう。

でも、トトリは知っている。

今、アランヤの周囲は、かなりの数の手練れが固めているし。周辺には、妙な結界が張られている。

如何にレオンハルトでも、簡単に出入りはできないどころか、近づくことだって容易では無いはずだ。

邪魔なんて、させない。

魔法陣が出来た。

魔術師達全員に集まって貰い、悪霊のキャプチャを全力でやって貰う。周囲の悪霊を根こそぎ吸い上げて、プラティーンに吸着。

これで、一段落。

後は、プラティーンそのものに悪霊を固定化し。外側からコーティングする作業を開始。作業は大変だけれど。

失敗する気はしなかった。

何しろ、トトリにとって、夢まで見た瞬間なのだから。

 

ほぼ徹夜の作業が続く。

体力がついてきたので、トトリもかなり徹夜できるようになって来た。勿論隙を見て眠るけれど。

昔だったら、絶対に無理だっただろう。

空いている時間を使って、棒の型もしっかりこなし。

座禅を組んで、魔力も練る。

ミミちゃんが来たので、組み手につきあって貰う。無心に体を動かしていると、嫌なことを忘れることが出来る。

砂浜では、魔術師達が、交代で固定の魔術を続けてくれている。

メンタルウォーターの在庫は充分にあるし。

足りない場合は、ちむちゃんに増やして貰えば良い。今の時点で、トトリがわざわざ着手する作業は、無い。

むしろ、そろそろプラティーンの製造をストップして、燃料の生産に切り替えるべきかもしれない。

魔力で動く動力炉と言っても。

やはり、いざというときに加速するための燃料は、必要になるからだ。

ミミちゃんは加速度的に腕を上げているけれど。

トトリもコツを掴んだからか、簡単に一本は取らせない。しばらく組み手をしてから、礼をする。

守りに特化したトトリは、とにかく攻めづらい。

そう、ミミちゃんは素直に言ってくれた。

此処に実戦では、更に魔術で作った鎖などが加わる。敵は攻めるのがより困難になる。もっと攻めにくくなるように。もっと敵が嫌がるように。守りを固める手段を考えて行きたいところだ。

砂浜を見下ろせる場所に座ると。

ミミちゃんが、此方を見ずに言う。

「トトリ、あなたどんどん性格が悪くなっていないかしら?」

「戦いになると、どうしても強い方が勝つもの。 仕方が無いよ」

「……そうね。 でも、不名誉な戦いはしたくないわ」

「ミミちゃんは心底からアーランド戦士なんだね。 最近は、特にそうなんだなって思えるようになってきたよ」

そう言うと、ミミちゃんは複雑な顔をした。

きっと、ミミちゃんが貴族にこだわっていることに、関係しているのだろう。だから、敢えて踏み込まない。

朝日が昇り始める。

ミミちゃんはお仕事だと言って、その場を離れた。

そういえば、ジーノ君はどうしているだろう。前線でステルクさんに鍛えられているらしいけれど。

しっかりやれているだろうか。

魔術師達の交代の時間が来た。トトリは軽く引き継ぎをした後、状況を確認。そろそろ、固定は充分かもしれない。

港に出向いて、起きて来たお父さんに話をする。

明日には竜骨が仕上がるというと。お父さんは、久しぶりに。職人モードに切り替わってから、それこそ何ヶ月かぶりに。

わずかに、笑みを見せてくれた。

「やったな、トトリ」

「はい。 お父さん、後は任せるね」

「任せておけ。 今回は、絶対に沈ません」

そうか。

それで、分かってしまった。いつも以上に、お父さんが厳しかった理由が。

きっとお母さんが帰ってこなかった理由を、自分の船が駄目だったから、だと思っていたのだ。

ならば、絶対に今度は勝てる。

今度の船は、いにしえの時代の技術を詰め込んで。あの邪悪な竜に命を奪われた人達の願いを込めて。

そしてトトリの怒りと。

お父さんの悲しみを乗せた船なのだ。

休むように言われたので、頷く。

アトリエに戻ると、ベッドがきちんと整えられていて。お日様をすって、とても温かくて気持ちが良かった。

しばらく無心に、惰眠を貪る。

後、少しだ。

絶対に、船の完成を見届けなければならない。

 

メルヴィアが岩を地面に叩き付ける。

吹っ飛んだ死骸は、もう原形もとどめていなかった。

呼吸を整えながら、岩を踏み、にらみつけた相手は。以前の老人では無く、若者になった化け物。間違いなく、レオンハルトだが。

どうしてだか、以前より、動きが鈍くなっているような気がした。

負傷者は、後方に下げる。

味方の被害も大きいが、敵はもうレオンハルトだけ。ツェツェイもペーター兄も、他の戦士達も。気合いの入り方が違った。

レオンハルトの分身共は既に駆逐し終え。

奴が連れて来た洗脳モンスターも、既に片付けている。

後は、奴だけ。

包囲を整えたまま、此方は油断しない。メルヴィアに向けて、レオンハルトらしき化け物は言う。

どう見ても、余裕は無い。

明らかに弱体化したと見て良いだろう。

「戦力が足りなかったようですね……」

「あんたが弱くなっていなければ、此処を突破されただろうけれどね」

そうメルヴィアが指摘すると。

おそらく図星だったのだろうか、それとも余程に気にしているから、だろうか。レオンハルトは、顔を怒りで真っ赤に染めた。凄まじい形相だが、もう底は割れている。しかも、敵に増援が期待出来ないのに対して。此方は、近隣から、増援が確実に来る。

残像を作って、レオンハルトが消える。

反応したペーター兄だが、多分最後の力を全て使ったのだろう。矢が敵を貫いた様子だけれど。

敵は止まらず、そのまま消えた。

逃がしたか。

まあ、襲撃は乗り切った。あの矢傷ではもう同じようには動けないだろうし、後は国境付近で網を張っているクーデリアの仕事だ。

ペーター兄が、声を張り上げた。

「損害の確認! 負傷者の手当急げ!」

「!」

爆発。

どうやら、レオンハルトの分身の一体に仕込まれていた爆弾が、炸裂したらしい。自分の分身に爆弾を仕込むとは、流石だ。

だが、味方は充分に警戒していた。

この下劣な手にも、被害を出さずに済む。ただ、負傷者は更に増えたが。

傷だらけのツェツェイが来る。彼女は最前線で、最初から最後まで戦い抜いた。今回の件で、ランク8になることが確実だ。

ただし、左の二の腕が抉られるような深い傷を受けていて、ずっと手で押さえている。流石にこれは、跡が残るかもしれない。

後方に下がっていた医療魔術師が来て、手当を始める。

ツェツェイは横にされて、傷の消毒から始められた。とにかくひどい傷だけれど、命に別状はなさそうである。

「大丈夫?」

「平気よ。 トトリちゃんに彼奴を近づけさせなかったのだもの。 平気のへっちゃら」

「そうだね……」

レオンハルトは逃げた。もう一度、事実を確認する。

奴はここ二ヶ月ほど、散発的に分身をアランヤに送り込んできていて。恐らくは、戦闘艦の完成が近い事を掴んでいたのだろう。

ついに、今日。本気で仕掛けてきた、と言うわけだ。

ペーター兄の指示で防衛線を張って迎撃。敵を真っ向から撃破に成功。

真っ向勝負を挑んだのは、相手が搦め手の専門家だから。むしろ、力勝負の方が、ずっとよい戦いが出来ると言う判断の下である。

そして、防衛線の後方にも、アランヤの戦士達が控えていた。

まあ連中は最後の保険だったけれど。敵の侵入はどのみちパメラの結界で察知できる状態だったし、現状侵入は許していない。パメラの結界は、アランヤに戦闘音を伝えない意図もあったので。トトリも状況にうすうす気付いているとしても、夜間の戦闘までは多分察知できなかったはずだ。

それにしても、どういうことか。レオンハルトは確実に弱体化している。さっき戦ったレオンハルト本体も、此方が腕を上げているとは言え、前だったら結果は違った可能性が高い。

それに、弱くなったという事を、レオンハルトは明らかに気にしていた。歴戦の戦士が彼処まで露骨に感情を剥き出しにすることは滅多にない。当然の話で、弱点をそのままさらけ出すようなものなのだから。

袈裟に斬られたホムンクルスの戦士が運ばれてくる。

虫の息だが、手当が早くて、更に医療術師の腕が良かったことと、最近生産量が増えてきたネクタルのおかげで命を取り留めそうだ。話によると、ちむ型が増やしているらしい。この医薬品のおかげで、命を救われた戦士は多い。

手当が順調に進む中。

ナスターシャが来る。

どうやら、レオンハルトが捕らえられたらしいと言う事だった。

「向こうで照明弾が上がったわ。 おそらく増援の部隊と正面から出くわしたんでしょうね。 内容からして、捕らえはしたけれど、その場で自害されたみたい」

「どういうことだ、奴ほどの間諜が」

「さあ」

肩をすくめるナスターシャ。

此奴の飄々とした態度は、メルヴィアのそれとは別物だ。メルヴィアはあくまで普段仮面としてそうしているけれど。

此奴のは、得体が知れないのである。

だから、メルヴィアは此奴を嫌い抜いていたし。

良くしたもので、ナスターシャもメルヴィアとは最低限のコミュニケーションしか取ろうとしなかった。

とにかく、これでトトリの邪魔はいなくなったけれど。

どうにも釈然としない。

一体何が起きているのか、どうにも把握できないのは、気持ちが悪くて仕方が無かった。

メルヴィアは自分が脳筋に近いことは理解しているけれど。それでも、戦況を読むことは考えるし、戦略や戦術にも興味がある。

レオンハルトほどの使い手が、何もせずに、こんな無様な戦いをするとは思えないのだ。一体何が裏で起きている。

間もなく、運ばれて来たのは、レオンハルトの死体。

アーランドから来た増援部隊を率いていたのは、パラケルススだ。何度か共闘した、最強の戦闘型ホムンクルスである。

他と違って感情豊かで。

嗜虐性の強い性格には、眉をひそめる者も多いようだった。

一方で、アーランド戦士らしい性格だと、高く評価する者もいて。人によって、評価がかなり変わる奴でもある。

「かなり被害を出したようですね」

「レオンハルトとまともに戦ったのだし、仕方が無いわよ」

「その通りです。 防衛は我々で代わります。 しばらくは休んでいてください」

「……そうさせて貰うわ」

ナスターシャも嫌いだが、此奴も嫌いだ。

向こうもそれを悟っているらしく、鼻を鳴らして、メルヴィアがきびすを返すのを見守った。

この国も、一枚岩じゃない。

分かっていても。気分が良いものではない。

アランヤに入ると、自宅に戻る。横になって寝ることにする。負傷がそれほどひどくないし、ツェツェイがいなくなってメルヴィアまでとなれば、トトリだって流石に露骨すぎると呆れるだろう。

船は、もうすぐ出来る。

竜骨が仕上がるというのだ。後は装甲を取り付けて。内部の構造を仕上げて。そして、組み立てるだけ。

随分と長引いたけれど。レオンハルトを退けた今、何の不安要素があろう。

それなのに。

メルヴィアは、自宅のベットで、あくび一つ出ず。寝苦しい夜を過ごすことになった。

 

2、因果応報

 

目を覚ましたレオンハルトは、流石に不快感に歯ぎしりしていた。

慣れぬ体による戦闘。

普段だったら倒せた相手に負ける屈辱。

そればかりか、渡された分身共の性能の劣悪さ。いずれもが、レオンハルトを激高させるには充分だった。

一なる五人は。

そんなレオンハルトを、無数の目で見下ろしている。奴らが新しく作り上げたレオンハルトの肉体は、またしても若々しい。

どうして慣れた肉体で戦わせてくれないのか。

膨大な蓄積経験を武器にするには、慣れた体以外には無いのに。

「これでは勝てぬ」

素直にレオンハルトは言う。

トトリの周囲を固める護衛は、手強くなる一方だ。今回も、本当は仕掛けるつもりはなかった。

しかし、一なる五人から、命令が来たのだ。

無理にでも攻撃せよと。

全滅するだけだと反論したけれど。無理矢理やらされて。結果はこの有様である。これでは、正直バカらしくて嘆きの言葉も漏れない。

だが。

レオンハルトの非難を。

真っ正面から、一なる五人は笑い捨てた。

「捨て石にしたのだから当たり前だろう」

「な……」

「お前がアーランドに姿を見せている間に、そいつが一働きしたのだ」

まだ体が培養液に濡れているレオンハルトの前に姿を見せたのは。

嗚呼、どういうことか。

レオンハルトそのものの似姿。しかも、老人の姿をしている。最も動かしやすい体だ。こんな分身がいるとは、聞いていない。

分身の目には感情がない。

機械的に動く肉人形のようだが。いや、そんな筈はない。

一なる五人が、実に愉快そうに教えてくれる。

此奴の働きにより、列強の内部崩壊工作が成功。アルマズ柱国に致命打を与え、その軍勢を半壊させた。

列強連合は内通者の存在を疑って反目。

メギドのガウェイン公女が必死に自壊を防いでいるが、前線での動きは露骨に鈍くなりはじめている。

つまり、敵も味方も。

損害が増えて行っている、という事だ。

「感情があるお前より、感情がないお前の人形の方が、動きが良いなあ。 心なんかいらないという証左だな」

「ふ、巫山戯……」

凄まじい痛みが全身に走る。

一なる五人に逆らおうとすれば、こうなることは分かっていたのに。それでも、我慢できなかった。

もがくレオンハルトに、嘲笑が浴びせられる。

「最初からお前がトトリを暗殺できないことは分かっていた。 アーランドが強固に防衛線を引いていることは確実だったし、どのみち脱出も出来ないだろう事も目に見えていたからな。 連中は無能じゃあない。 特にクーデリアは、お前の行動パターンを分析し尽くしている。 もう、お前より、明らかに強い」

「そ、そんな事は」

「だからお前を有効活用する方法は、何度死んでも問題ない捨て石として、ということだ」

絶叫したレオンハルトを、また痛みが叩きふせる。

けたけた。

笑い声が、周囲全てから浴びせられた。

「私は優しいからなあ。 お前にはまだまだ感情を残してやるし、利用してやるとしようか」

絶望などと言う言葉も生やさしい恐怖。

そしてレオンハルトに。

逆らうという選択肢など、存在しない。

笑い声の中、服を着て外に出ると、ずらりと揃っている分身達。合計で三十体ほどだが、どいつもこいつも非常に質が低い。

以前の分身と比べると雲泥だ。

意思疎通も、完璧に出来ていない。

この辺り、一なる五人は、わざとやっている。

どんどんレオンハルトを弱体化させ、劣化コピーとし。狂った戦略の一助にしている。奴らの戦略が如何におかしいかはレオンハルトも分かっているのに。逆らう術が存在しないのだ。

今度は、アーランドの前線の砦に出向いて、徹底的な破壊工作を行えという指示を出された。

出来る訳が無い。

あのジオ王に加えて、アーランド屈指の精鋭が集まっているのだ。

五万の抑えがいるからといって、そんな化け物共の間に入り込んで、無事に工作など出来るはずもない。

しかも、前線の砦には、ロロナとクーデリアが揃っている。

レオンハルト対策は、徹底的なまでに施しているはずだ。

歯ぎしりするが、逆らおうとするだけで電撃に等しい痛みが全身を襲う。その上、痛みにさえ逆らえないほど、精神が弱体化させられている。

暗殺者として生まれ。

闇の中で、ただ人を殺すことだけをしてきたレオンハルトは。当然痛みに逆らう術も、生まれながらに叩き込まれてきた。

しかし、一なる五人は、その記憶を弄り。

レオンハルトの武器である、痛みを操作する能力を、自分たちの与える痛みには逆らえないように、上書きしてしまったのだ。

暗殺者としてのレオンハルトの人生は、人間としてのものではない。

周囲にたくさんいた兄弟は、どれも奴隷として飼われてきた者達ばかり。いずれもが過酷すぎる訓練の中で、ゴミのように死んでいった。

生き延びたレオンハルトは、誓ったのだ。

いつか此奴らに復讐すると。

そして、凄まじい訓練の中で、それでも自我を保ち。

ある一線を越えた瞬間。

自分を育てた者達と。その国を裏切り。

壊滅させた。

それからは闇を渡り歩き。スピアの前身となる国に流れ着いて。多くの歴史の闇に、手をつけてきた。

正に、人間の中の怪物。

その怪物としての歴史を、レオンハルトは誇りにしていたのに。

脳を完全解析され、その全てを好き勝手に弄られて。嬉しいはずも無い。レオンハルトにとっての財産こそ、年老いながらも徹底的に調整を重ねた体と。それに最適化した記憶だったのに。

全てが台無しにされたのである。

分かっている。

一なる五人は、最初レオンハルトに好意的だった。利害も一致していた。しかし、レオンハルトは、自身をホムンクルスの肉体にさせ、強化させた辺りから、見誤っていたのかもしれない。

自分を越える化け物がすぐ側にいて。

そいつが、舌なめずりしているという事実を。

「これより、アーランドに向かう。 目的地は、奴らの最前線。 夜の領域の隣にある砦だ」

「彼処の守りは知っている筈です。 如何に我々でも全滅するだけかと」

「そうだ。 全滅しに向かう」

分身達は逆らわない。

もはやこうなったら。何もかもが、やけくそだ。一なる五人が考えている事など知らない。

奴らが、とにかく多くの命を奪いたがっていること。

つまり、大陸中で行われている戦いを徹底的に泥沼化し、人間の絶対数を決定的な段階まで減らしたがっていることなど、レオンハルトにはどうでもいい。

もはや、自分の精神が、完全に破綻していることを悟りながらも。

レオンハルトは、狂った機械のように。

ただ、言われるまま、驀進を続けた。

 

城壁の上で剣を振るい、血を落としたステルクが眉をひそめたのは。

クーデリアがあまりにも容易くレオンハルトを仕留めたからである。

周囲には、点々としているレオンハルトの分身。

どれもこれも、ステルクや、周囲にいる精鋭冒険者が打ち倒した。

この間より復活も異常に早いが。

それ以上におかしいのは、そのあまりにも弱体化した有様だ。

死体を引きずってくるクーデリア。

ロロナが張った結界で、あっさり察知されたあげく。練りに練った防衛網に捕らえられ、片っ端から分身を潰され。

本人は城壁を越えたところでクーデリアに捕捉され。

そして、今なぶり殺しも同然の目にあった。

「弱すぎるわ」

死体をステルクの前に放り捨てたクーデリアが吐き捨てる。レオンハルトの、異常に若々しい死骸は。凄まじい形相で死んでいた。無念そうと言うか、何もかもどうでも良いというか。

とにかく、形容できない。

「弱すぎる」

もう一度、クーデリアが繰り返す。この聡明な娘が、そんな事をわざわざしているという事は。意味がある。

勿論、意味など決まっている。おかしいと言っているのだ。

ステルクもそう思う。レオンハルトと言えば、ここしばらく、大陸全土を振り回してきた化け物のような間諜だ。こんな雑魚の筈がない。

クーデリアは確かに腕を上げている。

ロロナが作った結界も、超一流の魔術師による、隙が無いものだ。

だが、今までだって、それに匹敵する人材が奴を迎え撃ちながら、散々苦労を重ねてきたのである。

如何に対策を練っていたからと言って。

こんなに弱くなるはずがない。

間諜は所詮闇の住人。表に出てしまえば、こんな程度の存在。そう判断するには、早計すぎる。

何かおかしい。

罠があると考えるのが、妥当だった。

ジーノが城壁に来た。此奴も今はランク6冒険者相当にまで腕を上げてきている。前線で散々鍛えた結果だ。

そろそろ、技の一つも授けてやろうかと思っているタイミングで。

此奴も、レオンハルトの分身を一人、仕留めていた。

「師匠! 倒したぜ!」

「ああ、立派だったな。 だが、あまりにも弱すぎると感じなかったか?」

「へ? あ、うーん、なんというか。 伝説の間諜と言うには、何というか、手応えがなかったかなあ、って」

「前に戦ったこれの分身は、今日姿を見せた奴の十倍は強かったわよ」

クーデリアが死体を蹴りつける。

目には憤怒が浮かんでいた。

「何をもくろんでいる……!」

「分身の質を落として、数で押すつもりだろうか。 実際、この間に比べて、復活が著しく早い」

「その可能性は無いな」

不意に、場に入り込んでくるのは。

アストリッドの声だ。

いつの間にか、クーデリアの足下にある、レオンハルトの死骸を調べている。ステルクも、いつ側に此奴が来たのか、判断できなかった。

「これを見ろ。 ホムンクルスの生成に、非常に貴重な素材を用いている。 これは使い捨てとは考えにくい。 使い捨てにされたが、戦略的な意図があるとみて良いだろう」

「たとえば?」

アストリッドと反目しているクーデリアが声を荒げる。

思わせぶりでは無く、まず意見をと言っているのだ。

勿論、クーデリアは幾つも仮説を既に立てているだろう。だが、この一件は、あまりにも得体が知れなさすぎて気味が悪い。

それに、まるで巫山戯ているかのような攻撃をして、勝手に自滅するという有様だ。苛立ちを隠せない気持ちも、よく分かる。

「おそらくこれは、陽動だ。 レオンハルトが出てきているのだ。 如何に弱体化していると言っても、これが重要な作戦だったと示すには充分。 本命は何処か別で動いているとみて良いだろう」

「トトリに対する攻撃や、この砦に対する攻撃が陽動だとして。 本命は?」

「恐らくは列強だな」

また、エスティ先輩から良くない報告が来ている事を、ステルクも知っている。

列強の混乱が加速している。メギド公国がやっとの事でまとめたのに、また内部分裂を始めて。収拾がつかなくなりつつあるらしい。

どうやら、また内通者が出たらしいのだ。

今度はかろうじて事前に食い止めたそうなのだけれど。捕らえたそいつは、薬物で精神を破壊されていて、何を聞いても要領を得なかったという。

どうしてそんな状態になるまで、高官が好き勝手をされたのか。

護衛は何をしていたのか。

戦力が落ちているエスティ先輩の諜報部隊では、出来る事が限られている。近いうちに前線を下げざるを得ないかもしれないと、嘆いていた。

しかし、これ以上其方に戦力も回せない。

まだ五万の敵兵が、砦の前面にいるのは事実で。

悔しい事に、アストリッドが言うように。捨て駒としてわかりきっていても、レオンハルトが攻撃してきているくらいなのだ。

国家軍事力級の使い手は、回せない。

ジオ王が来る。

敬礼して、状況を説明。しばし鷹揚に頷いていた王だけれど。辛辣なことを言い出す。

「何かおかしいな。 皆、根本的な所で間違っているとしか思えん」

「非才の身ではお言葉を理解しかねます。 分かり易くお願いいたします」

「クーデリア。 お前から説明してやれ」

「……陛下はこう言っているのよ。 これはレオンハルトが考えた作戦とも思えないし、一なる五人が領土を広げようとしているとも思えない。 何か、おかしな出来事の前触れじゃないかってね」

かといって、今まで調べた結果。

ホムンクルス達は、全部一なる五人に操られて動いているし。洗脳モンスターに到っては、意思など有していない。

レオンハルトが著しく弱体化している理由はよく分からないけれど。

確かに、何かとんでも無い勘違いをしているのかもしれない。

「近々攻勢に出る」

王が顎をしゃくると。

城壁に上がって来たロロナが頷いた。

クーデリアが言うように、敵の攻勢を挫くことは出来るけれど。画期的な勝利を得るのも、また難しい。

敵の頭数を減らすだけならステルクや王が前線に出て暴れれば良いけれど。

それでも、敵が補充される速度の方が早い。

だが、ロロナが来ているのだ。

何か策があるとみて良いだろう。

「敵の数を減らした後、戦闘艦にて海上に出て、制海権奪還作戦を開始する。 クーデリア、ステルク、ロロナ。 備えておくように」

「はっ!」

敬礼して、王を見送るけれど。

困り果てたステルクは、ロロナを見た。クーデリアも。

「どういうことだ。 説明して欲しい。 敵の動きを確実に止める方法など、思いつかない」

「あるじゃないの、一つ」

「……?」

「あのアストリッドと陛下が、敵に対して張り付いて、徹底的に嫌がらせの攻撃を続けるのよ。 アーランド最強の陛下と、アーランド最高の「天災」が猛威を振るうの。 敵の足止めくらいは出来るでしょうね」

それは、非常な負担を伴うが、良いのだろうか。

更に言うと、それでも敵の頭数を削りきることは出来ないだろう。トトリの戦闘艦建造は上手く行っていると聞いているけれど。多分、タイミングを合わせることが、相当にシビアになる。

クーデリアは完全に自棄になっているように見える。

これは、もう敵も味方も、無茶苦茶をしている状況、という事だろうか。

しばらく黙っていたジーノが口を開く。

「で、師匠。 俺、どうすれば良いの?」

「トトリ君が船を完成させるタイミングで、アランヤに向かう。 可能な限りの戦力で海竜フラウシュトライトを殲滅するが、その際一緒に来て貰う」

「おおっ! 楽しみだなあ!」

「単純なオツムで羨ましいわ」

吐き捨てると、クーデリアは城壁を降りていく。

これは、何か勘付いたか。

しかし、まだ喋る気は無いのだろう。まだまだ波乱が起きて。それが収まる気配も無さそうだと、ステルクは苦笑いした。

 

3、組み上がる希望

 

ラストスパートに入る。

竜骨が出来た事で、一気に船の建造も加速。トトリはちむちゃん達と、足りない部品に必要な資材を増やしたり、自分自身で錬金術を使ってくみ上げたり。とにかく、大忙しの日々を過ごした。

途中、お姉ちゃんが一週間ほど姿を消した。

心配はしていたけれど、きっとトトリを守ってくれていたのだろうから、何も言わない。もう、お姉ちゃんも、トトリが気付いている事は察知しているようで。ああだこうだと、何も言い合うことはなかった。

船を作り始めてから、半年と少しが過ぎている。

船の装甲は、既に完成。

内部は、ブロック構造という仕組みになっている。これは一カ所に穴が空いても、ダメージコントロールという手法で、一気に沈没するのを避ける仕組みだ。他にも色々と、優れた技術が導入されていて。

いにしえの技術と。

現在の魔術と。

錬金術の全てを投入した、最強のドラゴンスレイヤーとなるはずの船だ。

これに、武装を積むことになる。

トトリがメインで作っている発破は、うおクラフト。

少し前に、竜骨を仕上げるとき、大量の悪霊を集めた。その時に、少しおこぼれが出たので、ついでに大量に作ったのだ。元から作っていた発破だけれど、あればあるほどいいから、この機会に増やしたのである。

これを大量に搭載する事を決めている。

他にも、幾つもの発破を搭載するけれど。

実際には、一度フラウシュトライトの実物を見に行くつもりだ。そうしてから、本格的に交戦についての戦略を練る。

というのも、トトリが調べた限り、フラウシュトライトと戦って戻ってきた戦士達も、あまり具体的な能力について把握できていなかったのである。

何名かは、実際にクーデリアさんが探し出してくれた。

しかし、彼らに直接話を聞いてみると。戦いの経緯は覚えていても、どういうスペックをもっていて、どんな風に攻撃してくるのかといった、戦略に役立てられそうな情報を持ってはいなかったのである。

この船は、トトリにとっても。アーランドにとっても。希望となる船だ。

絶対に、無茶な戦いをして、沈めるわけにはいかない。

あのお母さんが不覚を取ったほどの相手。緒戦で勝てるとは、トトリだって思っていない。絶対に勝つためには、どんな手でも使う。

まず動く事を確認。

しばらくは港の近くで試運転。

そしてフラウシュトライトの性能を確認してから。実際に戦うための戦略と戦術を練る。この段階で、進めて行く予定である。

自分が慎重すぎるくらいだと、トトリ自身が驚いている。

あの邪竜に対する怒りは、今でもおなかの中で煮えたぎっているのに。確実に殺すために、順番に段階を踏んでいこうと考えている自分が、確かにいるのである。これはきっと、トトリが相応の経験を積んだからだろう。

色々苦しい思いもしたし。

絶望的な状況から、生還するために散々あがきもした。

それらの経験が生きて。

トトリの精神にしっかり鎖をつけて。いざというときも、冷静に考えられるようにしてくれているのだ。

プラティーンのインゴットが出来たので、港に運んでいく。

ちむちゃん達には、パイを食べていて貰う事にする。軽くなるように改良を加えた荷車を運んでいくと、港で小さな騒ぎが起きていた。

お父さんとマークさん、それにハゲルさんが、顔をつきあわせて、かなり深刻な話をしている様子だ。

船はもうしっかり形が出来ていて。

帆船とは違う、矩形のその姿を見せつけている。

当然帆はなく、甲板も滑らか。形状は非常に特徴的で、流線型の帆船とは、その外観からして違った。

強いていうならば、大きな鎚のようである。

プラティーンで覆われた白銀色の、ドラゴンキラーだ。

その傍らで、お父さんは、かなり不機嫌そうに叫んでいた。内容は、トトリの所までは、良く聞こえない。

労働者達は離れている。

戦士階級の諍いに巻き込まれたらどうなるか、良く知っているのだろう。

「だから、この状態では、まだ水には入れられない!」

「どうしてだね。 浸水対策は万全だ。 スクリューの動きを見るには、水に入れるのが一番だろう」

「私の勘だ。 このままだと、恐らくは船が分解する」

「勘では分からん!」

お父さんとマークさんが、激しく言い争っている。

時々、ハゲルさんも、それに加わっているようだった。

「俺が思うにな、具体的にまずい場所が分からないと、対策のしようが無いぜ。 今更分解する暇も無いしな」

「分解するべきだろうな」

「正気かよ。 下手すると、全部やり直しになるぞ」

「それでもだ。 この船が全て無駄になるよりマシだ!」

かなり、ヒートアップしてきている。

トトリが無言で三人の間に割り込むと。お父さんは顔を真っ赤にしたまま、何をしに来たと怒鳴った。

首をすくめてしまう。

これに対して、憤ったのはハゲルさんである。

「オイてめえ! 何もしていない娘に何してやがる!」

「此処は私の職場だ! 土足で踏みにじるな!」

「俺の職場でも、マー坊の職場でもあるだろうが! テメーが優秀な船大工だってのは分かってるがな、横暴にもほどがあるぞ!」

「そうだそうだ! 勘じゃなくて、しっかり問題箇所を指摘してくれたまえよ!」

腕まくりをし始めるハゲルさん。お父さんも一歩も引かない。

勿論殴り合いになったら、体格から言っても戦闘経験から言っても、お父さんに勝ち目はないだろうけれど。

それでも、お父さんが引くビジョンが見えなかった。

トトリはもう、仕方が無いと判断。

出来るだけ冷静に。

声を低く絞った。

「喧嘩を止めて」

ぴたりと、喧嘩が止まる。

こんなに低くて、怒りを込めたトトリの声。三人は、聞いたことが無かったのだろう。トトリも、腹の底から煮えくりかえる憎悪を、今は抱いている。殺意と悪意に満ちた声くらい、出せる。

「お父さん、本当に船、壊れてしまうの?」

「間違いない」

「でも、分解は駄目だよ。 みんなで手分けして調べよう」

「調べても、見つかる可能性は……」

いや、トトリなら。

これでも、観察力には自信があるのだ。

船は今、ころに乗せられて、港にある。その全長は、トトリの背丈の八十倍くらい。いにしえの時代の等級で言うと、フリゲートと呼ばれる船だけれど。今の時代で考えると、桁違いの戦闘艦だ。

スピアが軍艦を繰り出してきても、これなら勝てる。

しかも、乗せるのは、国家軍事力級の使い手二人。それに近いロロナ先生。文字通り、艦隊を蹴散らすことだって出来るだろう。

側面から甲板に上がる。

木材も要所に使われていて、踏むととても心地よい音がする。

中に入るには、船体の前面から。

其処に扉が作られているのだ。

内部に入ると、まずは廊下に出る。中央部より少し後ろに、艦橋と呼ばれる設備。此処に船の機能が集約されている。

船の後方には、マークさんが作ったパワーパック。

側面の装甲板は、敢えて外せる構造になっている。武器を搭載するためだ。

いずれも、船の中に通されている通路を使って、到達できる。ちなみにパワーパックは徹底的に守りが固められていて、装甲が分厚い。しかもスクリューは、三本つけられている。

一個壊れても、他が代替出来るようになっているのだ。

そして、重さのバランスを取るために、前方には敢えて倉庫が作られているのと、装甲が厚くされている。

これによって、いざというときは体当たりで、敵にダメージを与える事が出来るのだけれど。

流石に、この船の十倍近いというサイズを誇る邪竜を相手に、体当たりをするのは気が進まない。

その代わり、船首には、ロロナ先生と相談した、ある兵器をつける予定だ。

通路の脇には、船室が幾つかある。

船員達のためのものである。この船には、三十名ほどが乗り込んで動かす事になる。基本、パワーパックに魔力を注げば動く。ただ、それでも様々な雑事で人手はいるし。戦闘時には、できる限り多くの人がいた方が良い。

最後尾のパワーパックがある部屋から、更に床板を外して、船底に。

薄暗くて、ひんやりしている。

禍々しく輝いている竜骨。

早く邪竜めの喉を食い裂いてやりたい。そう叫んでいるかのようだ。トトリだってそうしたい。

だから触れて呟く。

もう少し待って。

きっと、仇は討ってあげるし。絶対に邪竜は食いちぎってあげるから。

暗い笑みを浮かべているはずだ。

でも、それでも構わない。トトリはどのような手を使っても、奴を倒すと決めたのだから。

船が沈むとしたら、やはり問題があるのは船底だろう。

確認して回るけれど。

どうにも、おかしな所は見当たらない。後から入ってきたハゲルさんが、驚いたように言う。

「明かりがいらねえな」

「強い魔力で、竜骨が輝いていますからね」

「禍々しい光だ」

不機嫌そうに、ハゲルさんが言うけれど。トトリは苦笑い。というのも、同士だと思っているので、悪くは感じないのである。

この辺り、トトリは闇に大分心が傾いているのかもしれない。

でも、別にそれで構わない。

船底は、何カ所かに分けられていて、其処に機械がついている。水を外に出すためのものらしい。ポンプと言うそうだ。

つまり、船底が一カ所破られても。

断じて船体には水が届かないというわけである。

逆に、バランスを取るために、水を入れることもあるそうだ。その時もポンプは活躍するそうである。

これだけ堅牢な造りだ。

どうして、船が壊れてしまうと言うのだろう。お父さんは、何を危惧しているのか。ハゲルさんとマークさんが怒るのも分かる。

実際問題、トトリにも、何がまずいのか、分からないのだ。

彼方此方を叩いて調べて見る。

プラティーンの装甲は強固極まりなくて、叩くととても澄んだ音がする。この装甲、鋼鉄の数倍どころか、十数倍は強固だ。アーランド戦士の攻撃さえ防ぐことが出来るほどなのである。

勿論ステルクさんなどの特級は例外だけれど。

それでも、この船なら、一撃や二撃は耐え抜くだろう。

船底を見終えてから、パワーパックの所に。

時に、これはどれくらい重いのだろう。見ると色々なパイプが絡みついた複雑な機械で、絶対に触るなとマークさんが落書きしている。魔力を注ぐときには、近くにあるハコ状の装置に触れる。

主に、ロロナ先生にやって貰う予定だ。

あの人の魔力量なら、一回触れば十日は動かせるとか、マークさんは言っていた。

勿論、ロロナ先生は忙しい。先生がいない時には、誰か魔術師に来て貰う予定である。

「ちょっと良いですか?」

「何だ?」

「つり上げてみませんか? それで問題があるなら、分かるかもしれないです」

「……そうだな」

外に出て、クレーンを動かす。

船に何カ所か頑強なロープを結わえて、釣り上げるのだ。遺跡から発掘したクレーンのパワーは凄まじく、船が確実にせり上がっていく。

しかし、トトリは見る。

後半部分が、妙に動きが鈍い。

「下げてください!」

叫んで、クレーンを止める。ころの上に降りた船は、相変わらず、不動に見えたけれど。トトリは考え込んでしまった。

ちょっと、船が頼りなく感じたのだ。

多分、お父さんが感じた不安は、これだ。

「後ろが妙に重くありませんか?」

「パワーパックが重いのさ。 何しろ、船の動力だからね」

「多分、船の真ん中くらいに、負担が掛かりすぎると思います」

「……それか」

船の前面と後方に、負担が大きすぎるのだ。しかし、設計はしっかりお父さんがやっているはずだ。

船を外から見て回って、気付く。

ひょっとして、武装をいれるための穴か。なるほど、これは多分後付けで、しかも武装を積んでみないと分からない。竜骨に、妙な負担が掛かってしまっているとみるべきだろう。

武装を積むことで、船が弱くなるのでは、本末転倒だ。

いっそのこと、この船の機能は、キャリアとしてのものだけに絞るか。国家軍事力級の戦士達が、邪竜と心置きなく戦うための足場としてだけの存在。

でも、この船は。

少し、考えたい。

お父さんは腕組みして、じっと黙り込んでいた。

多分、今のトトリの言葉だけで、ハゲルさんもマークさんも、問題は把握したようだったから。

此処から、喧嘩にはならないだろう。

専門家に、後は任せるべきなのか。

それとも。

トトリは顔を上げる。これはトトリが見つけたことだ。少しだけ。周囲に、我が儘を言いたい。

「武装を減らしましょう。 確かに武装を追加して支援をしたいですけれど。 この船に戦略的に要求されるのは、速度と頑強さです」

「……そうだな。 やはり強度を上げるべく、少し設計を調整しよう。 武装を積みたいのは分かるがな」

「やむを得ないか」

マークさんが残念そうに肩を落とす。

全体のバランスを崩すことで、竜骨に負担が掛かりすぎるのでは意味がない。この船は、まず頑丈である事が第一なのだ。

まだ少し、プラティーンがいるとお父さんに言われる。

他の物資も、船を完成させるためには必要だ。

結局の所、専門家の指摘は正しかった。

まだ、船を完成させるために。こなさなければならない苦難は、残っていた。

 

それからも、幾つかの調整が入って。

結局、船を海面に降ろしたのは、それから二週間後。陸で出来る検証作業を済ませて、ようやく船は、水に入る事になった。

港の一角に、巨大な戦闘艦が降ろされると。

一瞬だけ、水面が上がったような気がした。

勿論気のせいだ。

そんなに水面が上がるほどの重量なんてない。だけれど、多分一瞬だけなら、或いは。

勿論、これで完全に完成したわけではない。

さっそく船に乗り込んで、最終調整を始める。

中に入って水漏れが起きていないか。

船の下に潜って、異常が無いか。

お父さんも、それに村の人達も。手慣れた様子で、作業を進めていく。トトリにも、手伝いを頼まれた。

船の中に入って、機能を一つずつ確認。

試験も幾つかやっておく。

水が入ったときの排水性能確認。装甲に穴を開けるわけにはいかないので、内部に水を注いでみて、出せるかどうか確認するのだ。

船が浮かぶ分には問題ないと、結論は一日がかりでだせる。

また、排水機能についても、ある程度確認。多分大丈夫だろう。実際に、きちんと排水することが出来たし、船も傾いたりはしなかった。後は訓練で、如何に迅速に対応出来るように練習するかだ。

全自動化出来れば最高なのだけれど。

流石に、其処まではマークさんも出来ない様子だし、仕方が無い。自動で調整できないのなら、人力でするしかない。

お父さんがテストのスケジュールは作ってくれていたので、それにそって、順番にこなしていく。

ちなみに、まだ船に武装は搭載していない。

まずは、問題点を全てクリアしてから。

武装を搭載するのは、最後の最後だ。

動力に、燃料を注ぐ。

魔力で動かす実験と、燃料で動かす実験を、続けて行う。こうすることで、最悪の事態に備えるのである。

トトリとマークさんが、立ち会う。

最悪の事態に備えて、来てくれたナスターシャさんが、防爆の結界を張ってくれるけれど。

もしも大爆発が起きたら、それでは耐え抜けないだろう。

一応、パワーパックをいれている区画は、非常に強力な装甲で防爆を施しているけれど。もしも助かったとしても、船の沈没は免れない。

勿論船に搭載する前に、散々実験はしている。

爆発する恐れはないとは分かっていても。最初に動かすときは、緊張した。

船の舵は、お父さんに取って貰い。

動力を起動。

スクリューの回転が始まる。

徐々に回転数が上がり始め。

船が進み始めると、喚声が上がった。

「おお!」

「この巨船が、軽やかに!」

アランヤの人達が喜んでいるけれど。トトリは一緒に喜ぶ気にはなれない。

この人達にはあまり良い思いがないし。

この船を作るのだって、トトリが持ってきた仕事なのだから。でも、表面上は、笑顔を作る。

そして、一緒に喜んでいる風を繕った。

船は実に軽やかに海面を進み始め。しばらくしてターン。

ゆっくりと、港に入っていく。

動力を落として、スピードを下げ、接舷。

しっかり止まることも確認できた。

まずは、最初の関門をクリアという所か。

マークさんも、冷や汗を拭っている。自信家のこの人でも、流石に今回ばかりは、緊張したのだろう。

「ふう、どうにかなったねえ」

「次は燃料を使っての起動ですね」

「此方は此方で難関なんだよ」

今日中に、実験は済ませてしまいたいとマークさんはいうけれど。しかし、起動実験にしても、十回こなすことにしている。それくらい、何度もやっておかないと、いざというときに何が起きるか分からないからだ。

夜中近くまで掛けて、順番に試験をこなしていく。

船を下りたときには、すっかり空は星だらけ。

そしていつの間にか。

視察の役人が来ていた。

文官達は、小声でひそひそと話し合っている。トトリが彼らの前に出向くと、一瞬だけ彼らの顔に、おびえが走る。

彼らの顔は、雄弁に語っていた。

こんな恐ろしい兵器を、この年で開発するなんて。化け物だと。

「視察、お疲れ様です。 クーデリアさんには、これからレポートを鳩便で飛ばしますので、あなた方もお願いいたします」

「分かりました。 それで、この船ですが」

「まだ試験中です。 実際に兵器を搭載して出陣するのは、一月くらい後になります」

「一月後……ですか」

前は、横柄な態度を取ることが多かった文官達だけれど。

トトリがハイランカーになったから、という理由もあるのだろう。いつの間にか、敬語で接するようになっていた。

正直どうでもいい。

でも、一応トトリは、表向きは、笑顔で取り繕う術を覚えていた。

加速度的に自分が汚い大人に近づいている事を、トトリは気付いているけれど。それをどうとも思わなくもなっている。

全てを思い出したとき。

トトリはきっと、本当の意味で大人になった。

そして今は、更にその先に行こうとしているのだろう。

希望の光が見える。

でも、それは昔思っていたような、純粋なものではなくて。色々な欲望を交えながら、ぎらぎらと輝いているように、トトリには思えていた。

 

4、完成へ

 

船に乗って、其処から様々な試験を視察する日が増えた。今日もそうだ。

武装の取り付けが開始された。

同時に、発破も積み込みが始まる。いずれも、慎重に行われていく。

プラティーンの装甲だ。生半可な攻撃ではびくともしないし、多少の爆発で壊れるほど柔では無い。

実際に、実験もした。

魔術師達に、攻撃魔術を遠慮無くうち込んで貰ったのである。

ナスターシャさんも含めて、威力を少しずつ上げながら実験していったのだけれど。事実、多少表面が傷つくくらいで、びくともしなかった。

勿論、高位の攻撃魔術師が本気を出したら話は別になるだろう。ロロナ先生が以前見せた砲撃だったら、おそらく容赦なく装甲を貫通して、この船も撃沈されてしまうだろうけれど。

それはそれ。

あの砲撃は、桁外れの代物だ。

海から、お父さんが上がってくる。

喫水域の下を確認していたのだ。

水に入れてから一月。

フジツボなどがつかないように、特殊な魔術を掛けてある。それらが落ちていないかの確認と。

勿論、水漏れが起きていないか。

何処かしらが、不慮のダメージを受けていないか。

そういった確認作業をしていたのだ。

「今の時点では問題なし。 予想通りの速力も出ているな」

「スクリューには気を付けてね」

「分かっているさ」

お父さんの雰囲気が、少しずつ柔らかくなってきている。

恐らくは、お船が出来たから。

職人としてのお父さんから。ただのお父さんに、戻りつつある、という事なのだろう。

後はマークさんの仕事だ。

武装を順番に積み込む作業をしている。仮の装甲を何カ所かで外して、其処に取り付けているのだ。

生きている大砲を十二門。

うおクラフトを放出するポッドも、甲板近くに四門搭載する。

いざというときの脱出艇も準備してあるけれど。これに関しては、あくまで保険だ。邪竜との戦いに敗れた場合、きっと脱出艇なんて使っても、逃げ切れるとは思えない。

勿論脱出艇にも、小型の動力炉とスクリューは装備してあるけれど。

それでも、これを使う事は無いだろうと、トトリは思っていた。

ただし、それは脱出艇としては、だ。

上陸用には使えるし、戦闘時には小型で小回りが利くことを生かして、攪乱戦も出来るのである。

船を下りる。

港を歩いていると、ミミちゃんが来た。

「もう完成のようね」

「うん。 みんなのおかげだよ」

「それよりも、貴方に客よ」

「……すぐに行くね」

誰かはわかりきっている。進捗状態は、毎日鳩便で送っているのだ。となれば、文官だけが視察に来る訳がない。

酒場に出向くと。

既に来て待っていたクーデリアさんが、トトリに気付いて手招きした。

向かいの席に着く。

文官達がメモを取る準備を始める中。クーデリアさんは、最初に、免許を出すように言った。

「アーランドに戻るのも面倒だし、此処で手続きをするわよ。 異例だけれど」

「え? 良いんですか」

「正式なランク8承認は勿論後。 今、ロロナが、貴方のアトリエとアーランド王都のアトリエを接続する準備をしているところ。 それが終わったら、実験がてらに王都に来なさい。 ランク8の研修を受けて貰うから」

そうなると、政治的な判断か。

この戦闘艦を完成させたトトリに対しての、褒美を先に出すことで、信賞必罰の態勢を示している、と言うわけだ。

実際問題、この戦闘艦は既に話題になっていると言う。確かにこの規模の戦闘艦、スピアにも存在しないだろう。

問題は、現在の兵器は、人間にかなわないという事で。

今後、この戦闘艦がどういう活躍をするかに、注目が集まっている。

ただの資源とお金の無駄遣いに終わるか。

それとも、画期的な兵器として、世界に注目を浴びるかは。トトリがどうこれを運用するか次第、というわけだ。

勿論、別の人間の手に渡ることも、トトリは想定していたけれど。

クーデリアさんは、明言する。

「早速だけれど、この船を用いて、近隣の幾つかの島を調査して貰うわよ。 海竜に制海権を抑えられてから、状況が分からなくなっている島が幾つかあるの。 場合によっては、住民を救出して貰う可能性もあるわ」

「分かりました。 船の試運転には丁度良いと思います」

「時に、船の名前は決めた?」

「いえ、国家事業ですし、私が一人で決めて良いとは思わなかったので」

クーデリアさんは目を細めて見ていたけれど。好意的な視線とは思えなかった。妙な知恵をつけて、と言っているように感じた。まあ、事実なので仕方が無い。

トトリだって、自分の性格が悪くなってきていることは理解している。

きっとミミちゃんが時々非難するような目を向けているのも、それが理由だと言う事も、である。

だけれども、今更どうしようもない。

「陛下からの指示よ。 船の名前は、貴方が決めなさい」

「良いんですか?」

「この国家事業を成功させたのは間違いなく貴方。 アーランドは、トトリ。 貴方にそれだけの期待をしている、という事よ」

「分かりました。 今日中に決めて、申請しておきます」

それから、軽く説明される。

アーランドとアランヤの空間を接続するという話が先ほどされた。

これは今までつながっていたコンテナだけではなくて、アトリエそのものをつなぐことになるという。

非常に便利だけれども。

しかし、もとよりロロナ先生でも、簡単には使えないレベルの大魔術に、強力な錬金術の道具を必要とする作業だ。

簡単に終わるとは、トトリだって思ってはいない。

しばらくは、先ほど命じられた船での、近海の小島を調べていく作業に終始しなければならないだろう。

地図を渡される。

制海権を落とされる前の、アーランド東海上の了解についての図だ。

アランヤの東にある小さな島々が、ごっそり灰色に変えられている。国籍無所属の地域である。

アーランドどころか、他の国でも、危なくて踏み込めない状態なのだ。

近くを知らずに通っただけで、撃沈される危険地域なのである。こんな危険な場所で、領土を広げようとする阿呆など、存在しない。

島には村があるものも幾つかあったけれど。

苦労しているはずだ。

海はあの邪竜が抑えているのである。

漁が出来なければ、孤島での生活は干上がってしまう。本当に大変な生活をしている事は、容易に想像がつく。

場合によっては、島からの脱出を促し。

そうで無い場合は、まず補給物資を輸送する。

これが、現時点での、最初のトトリの任務。

そしてこの船を使って、行う最初の仕事。

いきなり邪竜と戦うのは、国としても認められない、という事を案に示されたことも意味している。

確かにろくな試運転も無しに、国家軍事力級の使い手を退け、今も好きかってしている化け物とやりあうのは、無謀すぎると言える。

「補給物資については、此方で手配するわ。 その間にロロナに作業を進めさせておくから、貴方は物資が来るまで、テストを継続。 物資が届き次第、すぐに海に出て、作業に当たりなさい」

「はい」

頷くと、満足げにクーデリアさんは帰って行く。

いや、本当にそうだっただろうか。

何だか、いつもと少し、違ったような。だけれども、きちんとやるべき事をしてくれたのも事実だ。

これで、心置きなく、海に出られる。

邪竜とやり合うには戦力が足りないから、まだ直接干戈を交えるわけにはいかないけれど。

それでも、此処からは。トトリとしても、ついに念願の邪竜を殺すための時間。奴を滅ぼすために、全力を尽くすことが出来る。

港に戻ると、マークさんとハゲルさんに相談。

できる限り、予備のパーツを作っておきたい。

滅多な事で錆びないプラティーンの部品は特に、作っても損が無い。今のうちに、出来るだけ増やしておくべきだろう。

「それに、二番艦や三番艦を作る時に、応用も出来るかと思います」

「そうだな。 今回のノウハウは、大きな進歩になる。 この船は多少の荒波ではびくともせんし、下手をすると東の大陸とやらにまで辿り着く事も可能だろうな」

「もっと性能を上げたいし、その時の換装パーツにもなるねえ」

二人とも、とても夢がある事を言っていて、トトリまで嬉しくなる。

とりあえず、今はテストだ。

そして、テストが終わったら。

全ての根源である邪悪を滅ぼすべく。海に、第一歩を記したい。

 

補給物資が届く。

湧水の杯と、当面の医療物資。医療魔術師とスタッフ。ちなみに医療魔術師はリオネラ夫妻だ。

今回は、国家軍事力級の使い手は来ないけれど、メルお姉ちゃんが同行してくれる。これにミミちゃんとマークさんが加わってくれる上、魔術師としてナスターシャさんも来てくれることになった。

船を動かす要因として、悪魔族の戦士が七名、乗り込んでくる。

大柄な戦士が二名。

その内一人は、ガンドルシュさんだ。

なじみの人が来てくれると、とても嬉しい。シェリさんは残念ながら、今回は国境の警備任務で、来られないと言うことだけれど。実際問題、心強いのは確かだ。悪魔族は魔力も強く、様々な魔術的サポートも期待出来る。

これに加えて、ホムンクルスが一小隊。

船には詰め込めばこの四倍は乗り込める。

船を動かすだけならこの人数で充分。戦闘要員も兼ねるので、少しばかり忙しくなるけれど、それは構わない。

港に停泊して、しばらくの間テストばかりをしていた船。

トトリは自分で名付けないで、皆に名前を応募した。そして、最終的に、一つの名前に絞った。

ホープ号。

おそらく、これ以外の名前はないだろうと思う。

トトリにとっての希望。

そして、この国にとっても。

勿論、トトリは自分の復讐のために、この船を使うつもりだ。しかし同時に、この国の利益のためにも、全力で船を動かすつもりだ。

人助けだってできる限りはする。

それが、ギブアンドテイクという関係だ。

この船は、物資と良い労働人員と良い、トトリだけではとても作り上げる事などできなかった。

予算だって、工場が出来るくらいの金額はつぎ込まれていたはず。

ロロナ先生が進めた錬金術もふんだんに盛り込み。

いにしえの技術もたくさん使った、最強の船の一番艦。

毎年この船と同等規模のものを作るのはとてもではないけれど無理。それは分かっているけれど。

それが故にこの船は。

道を切り開く存在として、希望の灯火にならなければならないのだ。

完全な意味での、進水式が開始される。

港には、村の人達が、全員集まっていた。

村の人達は正直どうでも良いけれど。お姉ちゃんやメルお姉ちゃん。ペーターお兄ちゃんや、お父さん。

それに、お仕事をくれる際にお世話をしてくれた酒場のマスターや、トトリに根気よく武術を教えてくれた師匠は、来てくれたことが嬉しい。

マークさんが動力炉を動かす。

最悪の事態に備えて、ちむちゃんも一人だけ連れて来ている。食糧が尽きそうになった時や、他の物資が不足したとき。増やして貰う事で、かなり重要な命綱として機能するからである。

甲板に出たトトリは、港に向けて手を振る。

でも、多分だけれど。

その心は、港には向いていない。

きっと自分は作り笑顔を浮かべているだろうなと、トトリは思った。

回り道が、ようやく目的の場所へと、近づきつつある。

これから孤立した人々の救助という回り道があるけれど。それさえ越えてしまえば、いよいよ奴との。

邪竜との戦いだ。

この時のために生きてきたという気さえする。

遠ざかっていく港から視線を外すと、トトリは大きく嘆息。

甲板を歩いて、周囲全てに拡がる海を見つめた。

大型の魚が、おもしろがって併走してくる。仲間と思っているのか、それともおこぼれにあずかろうとしているのか。

どちらにしても、ほほえましい。

カモメも来る。

いさなの一種と考えているのか。

いずれにしても、白銀の巨船は、海原を行く。まず行くのは、東にこれから進んで、大渦を幾つか突破した後。

多少の渦くらい、この船はびくともしない。

帆船とは違うのだ。勿論、それで沈んでしまうようでは、とても邪竜には勝てない。試験運転も兼ねているのである。

ミミちゃんが甲板に上がってくる。

「揺れも小さいし、恐ろしく動きも速いし滑らかだわ。 昔乗った事がある帆船とは、何もかもが段違いよ」

「船乗りに苦しんでいる人はいる?」

「今の時点では大丈夫ね」

「酔い止めは用意してあるから、見かけたら使うように言ってね」

 幾つかある部屋の一つは、医務室だ。

其処ではリオネラさんが、ずっと詰めていてくれている。ハイランカーの医療魔術師という事もあって、とても頼りになる。

丸一日、海原を行って。

そして、見えてきた。

瓢箪のような形状をした、小さな島だ。集落が見える。孤立してしまっている集落に、まずは足を運ばなければならない。

流石にこの距離を泳ぐのは、アーランド戦士でも無理だ。途中には渦もあるし、海原の真ん中で溺れることは、そのまま死を意味する。

マークさんが甲板に上がって来た。

船の捜査をしてくれているのは、今回応援に来てくれている人員の一人。別の港町で、大型帆船の船長をしてくれている人だ。こんな大きな船を動かすのは初めてだという話だったけれど。中々どうして、見事に動かしてくれている。

「二刻後に、港に着くという話だ。 戦闘も想定されるらしいから、準備を進めてくれ」

「見た感じ、村からは炊煙が上がっています」

「元の村の住民とは限らない、という事なんだろうね」

言われて見れば、その通りだ。何が起きているか分からない以上、油断は出来ない。スピア辺りが前線基地を作っている可能性もある。

現在、充分な戦力が船に乗っている。悪魔族の戦士達も頼りになるし、ホムンクルスの皆だって強い。

仲間達の実力は、皆それと同等かそれ以上だ。

スピアの軍勢なんか、この島に潜んでいても、一ひねりだろう。この島の大きさから考えて、大した戦力を維持できる訳がないからだ。

勿論それは油断だとしても。

余程愚かしい真似をしない限り、馬鹿な事にはならないはずだ。

遠めがねを使って、マークさんが島の方を確認している。船長が、伝声管を使って、トトリを呼んだ。

「水深が浅い! 島の周囲を回って、接舷できそうな場所を探すぞ!」

「いっそ、小型艇を出しますか?」

救助艇を兼ねる小型艇が、四隻搭載されている。

勿論これは、戦闘時にも攪乱として用いるつもりだ。

上陸時にも使える。

喫水が深い分、この巨船は下手な所には接舷出来ないのである。

「いや、万が一を考えて動く」

「分かりました。 判断はお任せします」

船長は経験を積んだ人間だ。素人が口を出すべきでは無い。トトリは、伝声管から口を離すと、海の方を見た。

誰にも見られたくなかったからだ。

自分の顔を。

 

5、壊れるお菓子の家

 

困惑した様子のガンドルシュを見て、ミミは胸を痛めた。

「どうしたのだ、トトリ殿は」

「ごめんなさい。 普通に接する分は問題ないと思うわ。 だから、あまり騒がないであげてくれるかしら」

「トトリ殿の親友である貴殿がそういうならそうするが。 しかし、以前のトトリ殿では、明らかにない。 有能である事は事実だし、能力は落ちていない。 だが、何というか、怖いのだ。 儂はあの娘に未来と希望を見た。 しかし今は、それが血に染まっている光景を、幻視してしまう」

以前、一緒に戦ったこともあるミミである。ガンドルシュは、多分何か事情を知っていると思ったのだろう。

だからこそ、ミミには何も言えない。

トトリのことを深く知ったからこそ。

そして、ガンドルシュの言葉が、的を得ているからこそ。

ミミは、知っている。誰よりも、知っているのだ。

あの子は、トトリは。

聖人じゃない。

観察力と理解力に、天才的な。いや、恐らくは天賦の才と言って良いものをもっているのは事実だ。

しかし心は年齢以上に幼くて。

それ以上に、強烈すぎるトラウマを抱えて。歪んで育ってしまった、壊れた花だ。

ミミだって、もう分かっている。あの子の周囲にいる異常な優秀すぎる人材。あまりにも過酷すぎるミッションの数々。お膳立てされた成功。そして若くしての成り上がり。偶然なわけがない。

どんな天才でも、運が味方しなければどうにもならない。トトリの場合、その運が、明らかに準備されている。

伸びしろはあった。トトリは最高の伸びを見せた。それは事実だろう。だけれど、伸びる環境は、明らかに用意されていた。

あの当代の旅の人、ロロナが本気でトトリを守ったのも、理由がある。

そしてそれらの理由が。

トトリの心をゆっくりと壊していって。今、取り返しがつかない事になりつつある。

錬金術は、魔の学問か。

ミミはぎゅっと船の縁を掴んで、唇を引き結ぶ。

知っている。

先々代の錬金術師が、どのような魔人として、今君臨しているか。世界を今混沌に陥れているのも、錬金術師である一なる五人だ。

そして、ロロナだって。

あの人と接してみて、優しいと思ったし、良心的だと思ったけれど。

同時に、これ以上無いほど、人間としてぶっ壊れていると、ミミは素直に感じた。ひょっとすると、人間でさえないのかもしれない。

ロロナの親友のクーデリアだってそうだ。

最初接していたときは、たんに優秀すぎて、弱者が見えていない人に思えた。だから反発もした。

今は印象が違う。

優秀な上に、手段を選ばない人、という印象がある。

ロロナを守るために、あらゆる事を、全く躊躇わずにする。激情家の顔も実は仮面に過ぎず、本当は冷酷すぎるほどのリアリストでは無いのか。

ミミも、少し前から、明らかに周囲がおかしくなっている。まさか王が技を授けたのも。これまでの苦境も。

全て、あの人の手のひらの上で、計算されていた事だったとしたら。

背中に震えが来る。

人外の園だ。

錬金術師の周囲は、魔境そのものだとしか言えない。あのアーランド北東部の黒い森でさえ、恐れを成して逃げ出すような。

トトリも、人ではなくなりつつあるような気がする。

自分のルーツに気がついたとき。あの子の中で、何かが壊れた。

ちょっと抜けてはいたけど、優しくて良い子だった。少し前までは、掛け値無しに。そんなだから、ミミは少しずつ、トトリに惹かれていった。

まるで、お菓子の家みたいな子。

だけれど、そのお菓子の家の扉は、血で錆びたかんぬきで封じられていて。

そのかんぬきが壊れた今。

お菓子の家からは、腐敗した臓物があふれ出し。鮮血で塗り固められた拷問部屋に代わろうとしているのでは無いか。

スムーズに動いていた船が、速度を落とし始める。

魔術で水深を測っていた悪魔族達が、手を振っている。中空に浮いている者もいる。

此処なら接舷出来るというのだろう。

間もなく、岩に擦ることもなく、上手に船は岸壁に寄せていき。そして止まった。

小さな島だ。船の脇にあるはしごを使って、降りる。

集落はある。

その集落が、どういう状態になっているのか、調べるのが大事なのだ。

最初にホムンクルス達が降りる。半数ほど。残りは留守番だ。

タラップを使わず、飛び降りるメルヴィア。身体能力的に、この程度の高さ、屁でも無いのである。ミミは一応平気だけれど、タラップを使う。

飛べる悪魔族の半数ほどが、周囲の上空で旋回。

トトリが降りたときには、既に奇襲を受けたところで、びくともしない状況が整っていた。

八名のホムンクルスと、探索組に出た悪魔族四名、それにメルヴィアとミミを見回して、言う。

「攻撃があった場合は、排除を。 ただし、やりすぎないようにしてください」

「へいへい」

メルヴィアが先頭に立って、歩き出す。

此奴は、トトリの変貌をどう思っているのだろう。どう変わろうとトトリだと判断して、受け入れているのだろうか。

ミミは周囲を警戒しながら、思う。

このままだと、トトリは、きっと人ではなくなる。

その時、ミミは。

変貌した友人を、受け入れられるのだろうか。

間もなく、村人達が見えてくる。

臨戦態勢に入るホムンクルス達。制止するトトリ。おそらく、瞬時に見抜いたのだろう。彼らが戦闘要員でもなく。戦う力も無いと。

彼らはおそらく、元からの住民と、フラウシュトライトに船を破壊され、生き延びた者達だ。

「なんだね、あの巨大な船は」

「スピアの軍隊か!?」

「アーランドから来ました。 錬金術師のトトリです」

トトリは進み出ると、笑顔を浮かべる。

どうしてだろう。

その笑顔に、計算し尽くしたものを感じて、やはりミミは怖いと思ってしまう。

村人達は、理性的なトトリの言葉と、この島から救出しても良い。勿論食糧などは援助して、故郷に帰る手助けをするという言葉に、沸き立っていた。

一瞬だけ、トトリの横顔が見える。

暗い表情が、一瞬だけ浮かんで。

小さく悲鳴が零れそうになるのを。ミミは、こらえなければならなかった。

 

(続)