巨影佇立

 

序、化学少年

 

昔から、その価値観には疑問があった。

強い奴がえらい。

確かに、厳しい世界で生きていくためには必要だ。自分自身としても、強い戦士であることは、悪い事では無いと思う。

でも、それが全ての価値観になってしまうのは、おかしいと。ずっと思い続けてきた。

それに、強い戦士であればあるほど。

アーランドに満ちている機械について、質問しても答えられないことが多かったのだ。

野人の、いや蛮族の世界から。

文明の世界に、人間達を引き上げた立役者は、いうまでもなく機械。

機械を闇から引きずり出したのは、伝説の偉人である「旅の人」だけれど。その後、アーランドを支えてきたのは、旅の人の残した技術を受け継いだ錬金術師よりも、むしろ機械達だ。

生活を劇的に向上させることで、多くの人間が、労働を簡略化させることが出来。

全てのものが改善され。

そして、戦士と奴隷という絶対の壁が、今では戦士と労働者という、かなり低いものにまで改善されてきた。

だが、その恩恵を誰もが分かっていない。

いつの間にか。戦士として立身することよりも。機械を研究して調べる事の方が。好きになっていた。

起き出す。

幾つか作られた掘っ立て小屋から這い出すと、あくびをしながら、海から上がりつつある陽を拝む。

労働者階級十名とホムンクルス達が働いている事で。アランヤ村は、一気に活気づいていた。

給金は、国から出る。

その中でもマークは、冒険者としてよりも。技術者としての力を買われて、この場に来ている。

既に起き出していたらしい船大工。グイードが、難しい顔をして、資材置き場から此方に来る。

普段は温厚な男なのだけれど。

船に関する事になると、人が変わる。マークとも、今まで何度か口論に近い議論をして。その度に、相手を認め合ってもいた。

「おはよう、グイードさん」

「おはよう」

普段の温厚なグイードとは、既に目つきも違う。

今まで何度も一緒に仕事をしてきた若き錬金術師、トトリの父親である彼は。娘とは、何もかもが違って見えていたけれど。

最近、ぶち切れたトトリを遠目に見る機会があって。

ああ、やはり親子だったのだなと、少し納得した。

「どうだね、状況は」

「試験的に装甲と、中枢のブロックを作り始めようと思う」

「そうだね。 そろそろパーツだけだと、僕もモチベーションが上がらないからね」

「ふん、よく分からないが。 とにかく、このままだと完成がいつになるかしれたものではないからな」

口調もかなり激しい。普段はゆっくり喋るし、とにかく穏やかに見える男なのだけれど。仕事になると、人が変わるのだ。

マークは入れ替わりに資材置き場に行く。

図面に従って、今の時点では部品を試験的に作っている状況だ。トトリが量産しているプラティーンと呼ばれる金属は、非常に頑強かつ軽量で、錆びないという強力な特性を持っている。

剣の材料などにも使われる金属だけれど、国によっては国宝扱いされる場合があるほどの品だ。

それを作って船を作るのである。

勿論、倉庫には魔術によって強力な防護結界が張られていて。常時ホムンクルスが見張りについているけれど。

大国だったら、賊がひっきりなしに忍び込んだかもしれない。

港には、アーランド王都から持ち込んだクレーンもある。古代の遺物であり、重いものを運ぶのに用いる。

今の時代の人間は、いにしえの人間とはパワーが比べものにならないし。ホムンクルス達はアーランドのベテラン戦士並みの身体能力があるので、クレーンが必要になる場面はあまり多くは無い。

ただ、いずれは必ず使う事になる。

パーツを確認。

マークの担当である、可動部分に関するものもある。

スクリューと呼ばれる装置は、帆船とは根本的に違う仕組みで、船を動かす。列強では採用されているという噂がちらほら聞かれる装置で、マークも見た事は何度かあった。これによって、非常に速い船を作る事が出来るのだけれど。

しかし、これでも勝てるかどうか。

武装に関しても、相当に工夫する必要があるだろう。

何しろ、相手は。

生きた島とでもいうべき存在なのだから。

トトリが持ち帰った図面は、若干おおざっぱではあったけれど。ポイントを抑えていて、再現するのは難しくなかった。

要は理屈さえ抑えていれば良いのである。

ただ、プラティーンも、内部に使う木材も、何もかもがまだまだ足りない。何しろ貴重な金属なのだ。

金属装甲のグレードを落とす事は、マークには提案できない。

相手が相手なのである。どれだけ強固な装甲でも、正直頼りないほどなのである。

まあ、実際には、主な戦闘は、乗せる国家軍事力級の使い手達がすることになるのだろうけれど。

それでも、その間は、船が無事でなければならない。

彼ら、或いは彼女らの支援が出来るくらいでなければ、技術者としての腕が泣くというものだ。

まだ朝早いのに。

トトリが、港に来た。

初めて会ったときより、大分背も伸びて、顔からも幼さが消え始めている。引いている荷車には、プラティーンのインゴット。

一緒に住み込んで働いている小型のホムンクルスが二人になって、単純に労働効率が倍増した、というのだろうか。この間納入してきたときに比べて、かなり間隔が短い。

とにかく、プラティーンが、以前より遙かに多く届けられるようになったのは事実だ。

実に助かる。

「おはようございます、マークさん」

「おはよう、トトリくん」

プラティーンを受け取った後、軽く話をする。素材の何が後どれくらい必要か。今後、どれだけの労働力が必要になるか。

今は、まだ本格的に状況が動いていないけれど。

船体を組み立て始めたりすると、一気に忙しくなる。多分、もう十人くらいはかかりっきりの労働者が必要になる。出来ればホムンクルスの退役者が望ましいだろう。

木材も、プラティーン以外の金属も必要だ。

何もかも金属で作っていたら、重くて浮かばなくなる。

設計図を見る限り、幾つも浮く工夫はしているのだけれど。それでも、全部プラティーンの塊にしてしまうと厳しいだろう。

必要な素材を、トトリがメモしている。

かなり手慣れてきていて。

最初に出会った時の、臆病で不慣れな様子は無い。一方で、この間からくらいだろうか。明らかに暗い表情も見せるようになっていた。

この子は、良い意味でも、そして悪い意味でも。大人になりつつあるのだろう。

「それでは、お願いします」

「ああ、何とかするよ」

マークの方も、細かい部材を今は作っている状況だ。手練れの鍛冶がいれば、もう少し楽になるのだけれど。

それについては、いきなり解決した。

朝礼が終わった後。

良く知る人物が来たのである。

「何だマー坊! お前もここに来ていたのか!」

「ハゲさんじゃないですか!」

豪快に笑いながら近づいてきた筋肉質の大男。

マークが知る限り、アーランドでも屈指の腕前を持つ鍛冶士。ハゲルだ。年齢はかなり離れているが、以前から色々な装置を作る際に手伝って貰った縁があり。その事から、随分と仲良くしている。今では、マー坊、ハゲさんと渾名で呼び合い、時々酒を飲みに行く仲だ。

咳払いするグイード。

改めて、自己紹介するハゲル。

「ハゲルだ。 見ての通り時代遅れの鍛冶士だがな。 役に立てるよう頑張るぜ。 金属加工なら、何でも任せてくれ」

マークは少し控えめな紹介が終わると、労働者達の間から安堵の声が上がる。特に労働者階級の人間は、それが顕著だった。

やはり彼らには、不慣れな金属加工は不安だったのだろう。

早速、マークが図面を渡す。

「何だこりゃ。 何に使う機械だ」

「この船の動力部分ですよ」

「なんだ、あの海竜とやり合うって聞いていたが、こりゃあまるで列強で使ってる高速船じゃないか」

「しかも、それより更に上の技術ですよ。 それにアーランドの魔術と、トトリくんの錬金術を加える」

面白そうだと、ハゲルが唸る。

これは、いい人が来てくれた。すぐに仕事道具を取り出して、作業に取りかかってくれる。

マークはと言うと、実験を開始だ。

部材の耐久力などを確認しながら、図面を修正。戦闘が行われることが大前提だから、とにかくタフな船にしなければならない。

勿論、動力部分もそれは同じ。

フルパワーで動き続けても、どれだけ酷使されても。

必死に食らいついて、動き続けるくらいの元気な子じゃなければ駄目だ。

そういえば、トトリが丁度そう言う子だ

皮肉である。

あの子によく似た船を、作るというのだから。

 

よく働いて。夜にはお酒も飲みに行く。

今回は国の仕事。しかもマークは実績を上げている技術者と言う事で、かなり良いお給金も貰っている。

勿論、オーバーテクノロジーではあるけれど。

これでも、遺跡から出てきた発掘品を自分なりに調べて。その機構などについては、かなり詳しいつもりだ。

勿論、解析しきれない仕組みも多いけれど。

それでも、どうにかしてみせる。

科学者を自称しているのだ。それくらい出来なければ、名前負けというものだ。

思えば、両親は。戦士であることに反発して、機械を良く知りたいというマークに、あまり良い顔をしなかった。

二人とも古くからのアーランド戦士で。どちらも実力的にはベテランの中でも平均的。結局戦士の中では芽が出ず、あまり強くなれなかった。

だから、子供であるマークには、期待していたのだろう。

ちなみにマークの妹は、真面目なアーランド戦士として、今も前線で頑張っているけれど。

皮肉な話である。

彼女も、極めて凡庸な資質の持ち主。きっと、アーランドを支える存在には、なれないだろう。

ハゲルと酒を飲む。

この豪快な親父さんは、誰とでも簡単に仲良くなれる。アランヤのマスターは、どういうわけかハゲルと声がよく似ていているのだけれど。雰囲気がまるで違っていて、それでいながら何か通じるものがあったのだろう。

まだここに来て数日だというのに。

すっかり仲良しになっていて、酒の席では楽しそうに雑談もしているのだった。

「マー坊よう。 時にオメー、あの機械」

「何かありましたか、ハゲさん」

「おう。 ちいと力が足りないかもしんねえな。 でも、力をだそうとすると、構造が複雑になるんだよなあ」

「そうなんですよ。 何しろ戦う相手が相手だ。 船は速い方が良い。 でも、速くすると、構造が気むずかしくなる」

典型的な二律背反である。

しばらく無言で飲んでいたハゲルだけども。

不意に、言い出す。

「調べて来いよ。 此処は俺がやっておくからよ」

「そうですねえ。 アーランド側にあるオルトガラクセンに潜れば、何かヒントが見つかるかもしれない」

「どうせしばらくは、俺も外郭の成形で手一杯だからな。 それにまだまだプラティーンの絶対量が足りねえ。 この仕事は半年か、それ以上は確実に掛かる。 一月くらいは、此処を離れたって問題ないぜ」

「よろしくお願いしますよ」

酒瓶をあわせる。

樽ごと飲みそうなハゲルほどではないけれど、これでもマークはそこそこ行ける口だ。しばらく馬鹿騒ぎをしてから、宿舎に戻る。

酔ってはいるけれど。

仕事の話に関しては、きっちり覚えている。

翌朝には、準備を終え。

そして、グイードに断って、アランヤを出た。

そのまま、乗り合いを捕まえて、アーランド王都に向かう。向こうで、ある程度腕が立つ冒険者を雇って、オルトガラクセンに潜るつもりだ。

科学者として、立身したい。

そう言う野望は、確かにある。

だけれども、今は。それ以上に、技術というものに触れる喜びが、マークの全身を満たしていた。

今は、アランヤとアーランド王都の往復で二週間弱。

かなり馬車も速くなっている。

どのみち、資材の不足は深刻なのだ。トトリも、アランヤを出て、彼方此方に出かける筈。

それを考えると、マークだって、同じように仕事のため、外出するのは充分にありだろう。

この仕事は、腰を据えて掛からなければならないものだ。

そして、充分な準備をしなければ。

怪物、生きた島とも言えるフラウシュトライトには勝てない。

勝つために、あらゆる努力をする。生き延びるための努力は、どれだけしたって恥ずかしくは無い。それは当然の事で。アーランド戦士のあり方に疑問を持つマークでも、このことだけは絶対に守り続けていた。

アーランド王都につく。

冒険者ギルドに顔を出すと、丁度クーデリアが来ていた。随分年下だが、何しろ国家軍事力級の使い手である。それにトトリを裏から守る仕事で、彼女からはかなり仕事も貰った。

そう言う意味では、見知った仲だ。

「どう、進展は」

「動力が少しパワー不足かもしれませんでね。 少し手を貸して欲しいのですが」

「オルトガラクセンか何かで調べるのね」

「お察しの通りで」

少し悩んだ末、クーデリアは、何人か冒険者を紹介してくれた。

オルトガラクセンは、今でも一級の危険地帯だ。今ではあのアーランド北東部ほどでは無いにしても、深部に潜ると、国家軍事力級の使い手でも手を焼く存在が姿を見せる事があるとか。

勿論今回は、其処までは行かない。

パワーパックの知識くらいなら、比較的に少し浅い層で漁ることが出来るのだ。

すぐにギルドを出て、紹介された冒険者と合流。

さて、やるとするか。

独りごちると、マークは。即席のパーティを組んで、歴戦の冒険者しか入れない、アーランド王都すぐ側の遺跡に潜るのだった。

 

1、ふたりのちから

 

トトリの所に、新しいちむちゃんが来た。

今度は男の子だ。ロロナ先生から、男の子のちむちゃんも作る事が出来ると聞いていたので、不思議な話では無い。

名前について聞くと、首を横に振る。

どうもちむちゃん同士は、臭いか何かで互いを判別しているらしい。トトリのことも、そうかも知れない。

かといって、耳が聞こえないわけではないらしい。

少し悩んだ末。トトリは、名前を付けて上げる事にする。

「そうだねえ。 じゃあきみは、ちむどらごん君ね」

「ちむっ!?」

「? 男の子だし、強そうで良いかな」

頷くトトリ。

青ざめているちむどらごん君。可哀想なものを見る目のちむちゃん。よく分からないけれど、とにかくお仕事だ。

まず、二人に仕事を割り振る。

此処からは、ちむちゃんはプラティーンの作成に従事。ひたすら、プラティーンを複製し続ける。

これに対して、ちむどらごん君は、ウィスプストーンの複製だ。

そして複製されたウィスプストーンを、トトリがプラティーンに変える。この作業を、ひたすら続けていく。

説明をすると、すぐに二人とも飲み込んでくれる。

本当は出来ればもう一人は欲しかったのだけれど。ロロナ先生の方にも、事情があるのだと思って、諦める。

実際問題、向こうも大軍を目の前にして手一杯の筈。

一人廻してくれただけでも、良しとするべきなのだろう。

手配が終わった所で、酒場に出向いて。

アーランド王都に、鳩便を飛ばして貰う。現在必要な物資と、充足分についてだ。

トトリが自前で集めなければならない物資についても、少し前にまたお父さんにまとめて貰った。

正直、現状では足りない物資が多すぎる。

木材にしても、トトリが手持ちで抱えていた在庫では足りなさすぎるのだ。これについては、リス族の所を回って、木材が貰えないか交渉するつもりだ。森を荒らさないようにするためにも、木材の切り出しは最小限にする必要があるのだ。

クーデリアさんからの返事の鳩便も来ていたので、目を通しておく。

此方に回せる人材について。

ハゲルさんが来てくれているのは嬉しい。後、腕利きの魔術師が必要だけれど、これはもっと船が完成してから。

マークさんは、少し前から港で見かけない。

パワーパックに問題があるとかで、アーランド王都まで調べに行っているのだという。そうなると、多分オルトガラクセンに潜ったとみるべきだろう。アーランド王都では、機械についてあまり調べられないはず。列強の首都にでも見に行くか、再びジュエルエレメントさんの所にでもいくしかないけれど、どちらも時間や人員の面で厳しい。そうなると、アーランド王都側にあるいにしえの遺跡、オルトガラクセンに潜って調査するのが、一番早い。

状況を把握したので、パメラさんのお店による。

彼女は少し前から船を作り始めたことを、もう知っていた。まあ、小さな村だ。みんな知っている事だが。

「あのひよっこ錬金術師が、巨大ドラゴンと戦うお船を作るお仕事何てねえ。 時間が流れるのって、本当に早いわあ」

「えへへ、有り難うございます。 時に幾つかお薬が欲しいんですが」

「在庫以外のもの?」

「はい」

トトリとしても、自前で作れるものに関しては、作っているのだけれど。

どうしても、素材などの点で、他人が作ったもので我慢せざるを得ない品も幾らかある。トトリが名前を挙げた薬品は、アーランド近辺では素材が稀少すぎて入手できない代物である。

ちなみに、お船の動力部分で、使う可能性が高い。

そのまま使うのでは無い。

薬品を加工して、積み込んで出向するのだ。

この薬品が高価で、正直トトリのポケットマネーでは手に入れられそうにない。多分、クーデリアさんに請求する事になるだろう。

「聞いたことが無い薬品ねえ」

「もし手に入れられそうなら、お願いします」

「分かったわあ」

嘘をついている。

何となくだけれど。パメラさんは、今の品を知っているとトトリは悟った。幾つかの根拠があるのだけれど。

いつもにこにこしているパメラさんは、時々不意に鋭い表情を見せることがある。

先が、その時だった。

アトリエに戻ると、ちむちゃん達の仕事を確認。

問題なく出来ている。

後は、木材か。忙しくならないうちに、見つけてしまった方が良いだろう。先ほど、酒場にミミちゃんがいたし、声を掛けて出かけよう。

そう決めて、少しだけ休んでから、すぐにアトリエを離れる。

ミミちゃんは、多分視線を送ったことで、気付いていたのだろう。トトリを待ってくれていた。

「今度はどこに行くの?」

「近場の森だよ。 リス族と会いに行くの」

「木材?」

「うん。 後は運ぶための荷車だけれど」

今回は、出来るだけ木材のあらゆる部分を無駄にしたくない。いっそ、根っこから引っこ抜いて持っていきたい位なのだけれど。

流石にそれは無理だ。

トトリとミミちゃんでは、腕力的にも厳しい。メルお姉ちゃんがいれば簡単なのだけれど。最近見かけていない。

アランヤの酒場には、冒険者もあまり訪れないし、人手を確保するのが大変だ。

それに、今回使用する木材は、かなり絞られている。トトリは勿論、レシピから控えてきているけれど。

ひょっとすると、近場の森では、見つからないかも知れない。

「色々とガバガバね」

「ごめんね。 でも、ちょっと必要な素材が多すぎて、どこから手を付けて良いかも分からない状態から、此処まで整理したんだよ」

「分かっているわよ。 とにかく、人手が足りないなら、現地で徴募しましょうか。 貴方なら、声を掛ければ、動く冒険者が結構いるのではなくて?」

ミミちゃんはちょっと気取ってそんな風に言う。

トトリは苦笑い。

何だろう。少し前に本気で殴り合いをしてから。ミミちゃんとは、前よりずっと、距離が縮まったような気がする。

すぐにアランヤを出て、近場の森に。

リス族はすぐに気付いて、トトリの所に来た。以前通訳をしてくれたお爺さんでは無い、もっとずっと若い戦士が出てくる。

多分、人間との会話を円滑にするため、若い世代に言葉を教えているのだろう。

「先神トトリ! 何か問題か」

「はい。 実は欲しい木材があって」

リストを見せる。

リス族は、顔をつきあわせて数人が話し合っていたけれど。通訳が、残念そうに、首を振る。

「あるにはあるが、森にとって大事な若木だ。 切り倒せない。 先神がどうしてもというのであれば、相談はする。 しかし、森が悲しむ」

「分かりました。 他も当たるので、大丈夫です。 何か、手に入れられそうな場所に、心当たりはありませんか」

「もう少し西の森が、時々豪雨に見舞われる。 木も倒れる。 倒れた木は早めに処分しないと、周囲の木々まで痛む」

西の森か。

豪雨に追われて、岩山を駆け下りたことを思い出す。

頭を下げて、リス族達の前を離れる。ミミちゃんが、何度か後ろを見ながら言う。

「無理にでも貰っておけば良かったんじゃないの? 貴方を先神なんて呼んで慕ってくれているのよ」

「駄目」

「強情ね」

「あの人達が私を信頼してくれるのは、嘘をつかずに、約束を守ったからだよ」

信頼の対価として、無理を押しつけるわけにはいかない。

ただでさえ、リス族と人間の友好関係は、まだまだ日が浅いのだ。きっと、トトリ以外の人間とは、摩擦だって起きているはず。

此処でトトリが不誠実なことをしたら、きっとリス族は悲しむし。心だって、離れてしまうだろう。

アーランドのためにも、そんな事は出来ないのだ。

それだけ話すと。

ミミちゃんは、ちょっとむっとした様子で、口を引き結んだ。

「随分考えてるじゃないの」

「何だかおかしいね」

「はい?」

「こういうのって、きっと貴族の仕事なんだよ。 でも、この国では、冒険者のランクが上がってきたら、しなければならないんだね」

ちょっと失礼な話ではあるけれど。ミミちゃんは正直、ものをあまり考える方ではないように、トトリには思えている。

だから、後先考えずに仕事に集中することが出来るし。

一方で、効率の良い方法で名前を売ろうとかは考えない。

多分一番近道なのは、悪い事をして稼ぐことだ。勿論国に捕まったら全てが台無しだけれど。

お金があれば、出来る事は増える。

クーデリアさんの先代の公爵は、とにかく悪名高かったそうだけれど。お金がたくさんあったから、周囲はあまり文句も言えなかったらしい。

そういうものだ。

ミミちゃんはもう冒険者ランクも5。社会的地位も大人と同等で、その気になれば、手段を選ばずお金だって稼げるはず。

そうしていないと言う事は。

ミミちゃんが、それだけ良い意味でも悪い意味でも、考えていないと言う事だ。

でも、だからこそ、トトリはミミちゃんを信頼しているのだけれど。

キャンプスペースで一泊。

もう手慣れているし、何も問題は無い。行き来している冒険者や旅人に話を聞いて、周囲の状況を確認。

今の時点で、危険なモンスターが出たという話もない。

翌朝は早くから出て、昼には目的の森に到着。

この森も、既にリス族が管理を任されていて。トトリが踏み込むと、すぐに代表者らしい、顔が毛だらけのリス族が出てきた。かなりの高齢らしい。

「おお。 貴殿は知っているぞ。 先神トトリだな」

「初めまして。 実は、お願いがあって来ました」

「何だね。 貴殿の願いであれば、可能な限り叶えたい」

「此方の木材を探しています。 もしも出来るのであれば、お譲りいただきたく」

覗き込んだ老リス族は、難しい顔をする。

しばらく考え込んだ末。

首を横に振った。

「駄目だ。 これは譲れぬ。 一応何本か生えているのだが、どれも森の柱要となる重要な木でな。 今斬り倒せば、森が悲しむだろう」

「分かりました、他で探します。 何処か、心当たりはありませんか」

「そうさな……。 おお、そうだ。 最近先神トトリが開拓したという半島の近くに、老木があると聞いている。 ひょっとすると、天寿を全うした頃かもしれない」

それは、願っても無い言葉だ。

礼をすると、すぐにその森を出る。

ケニヒ村にまず向かって、其処で人手を頼む方が良いだろう。彼処は歴戦の冒険者が複数いる。勿論、屈強で、腕力も問題は無い。

ただ、半島近辺となると、国境近くだ。

場合によると、国境を越えるかもしれない。そうなると、色々と面倒な事が生じかねない。

ケニヒ村に到着すると、トトリは宿に直行。

酒場に行かないのかというミミちゃんに、笑顔で机につきながら答えた。

「まずは鳩便を出すの」

「何、どういうこと」

「国境近辺で活動するから、それをクーデリアさん達には告げておかないと。 多分問題にはならないとは思うけれど、万が一に備えてね」

「……」

呆れたように、ミミちゃんが口を歪める。

何というか、汚い大人の世界を見て、嫌な顔をする子供みたいな表情だ。もうミミちゃんだって、既に大人と同じ地位に立っているのに。政治が嫌とかは、言っていられない年だというのに。

まあ、其処が可愛いから、トトリは別に気にしない。

さて、此処からだ。

問題を起こさないためにも、国境付近の森には、リス族は移っていない。いるにはいるけれど、完全に現地の住民で、アーランドが植林した森にガーディアンとして移り住んだ人々では無い。

今までのように友好的に接してくれるかは分からない。

鳩便が出来たので、酒場に向かう。

冒険者を雇うのは其処でだ。護衛も兼ねて貰うし、何より木材の輸送についても手伝って貰う。

少しばかり、お給金をはずまなければならないだろう。

 

酒場には、以前からお世話になっているベテラン冒険者のサルクルージュさんがいるかと思ったのだけれど、今回は所用で留守にしていた。腕利きの冒険者だ。彼方此方で、色々活動していてもおかしくない。

代わりに、以前トトリに厳しい目を向けていた若い冒険者が、協力を申し出てくれる。ペンギン族とのいざこざから、時間が経っているからか。前よりも、随分たくましくなったように見えた。

「アーザスだ。 よろしく」

「よろしくお願いします」

握手を交わす。

赤毛の大柄な青年で、筋肉質。これだけたくましい体なら、木材の切り出しや運搬は問題ないだろう。腰にぶら下げているのもハンドアックスで、用途に合致する。

話をすると、頷く。

「何だ、木こりの真似事か?」

「大量に丈夫な木材がいるんです。 木材の品種も限られていて」

「何だよ、面倒だな。 だけど俺には丁度良い小遣い稼ぎだ。 やらせてもらうぜ」

本当に面倒くさそうにするので、申し訳なくなってしまう。

ミミちゃんが咳払い。トトリも恐縮してばかりでは駄目だ。いずれにしても、この人はランク4。ミミちゃんとあわせれば、護衛としては充分な戦力だろう。

すぐにケニヒ村を出る。

目指す森は西。国境付近にあるものだ。

この辺りは汚染が比較的弱く、森が豊富にある国も存在している。いずれにしても森を貴重な資源として考えていて、どこの国でも大事にしている事には変わりが無い。辺境では、森の存在は、本当に生命線なのだ。

森にはすぐ到着したけれど。

中に入った瞬間、気配が濃くなった。

モンスターがかなりいる。それも、強いのが相当数。

失敗だったかもしれない。

今のミミちゃんは昔とは比べものにならないほど強くなっているけれど。アーザスさんは正直分からないし。木を運び出すのは、更に厳しくなる。

森に入る前に、軽くハンドサインは決めてある。

それに、この森は、以前探索した黒い森ほどの危険地帯では無い。確かにかなりモンスターはいるようだけれど。彼処までの魔境ではないと、トトリは判断。

運び出すのが難しそうなら、増援を呼べばよい。

それより、まずは適した木があるかどうか、確認することが先だ。

苔むした腐葉土を踏んで歩く。

最近はトトリも、かなり音を消して歩けるようになって来た。自分の周囲の音を排除すると。

耳は目よりも時に鮮やかに、周囲の事を知らせてくれる。

少し離れて、ドナーン数頭が此方を伺っている。ミミちゃんも気付いていて、時々殺気をぶつけて、牽制している。

あれは、大丈夫だろう。

問題は、それじゃあない。少し先の方から、強い気配が漂ってきている。

縄張りに踏み込んだらただではすまさない。

そう、露骨に攻撃的な意思を、示していた。

アーザスさんが足を止める。手をハンドアックスに。

「いるな。 どうする」

「縄張りに入ったら攻撃してくるつもりでしょう。 もう少し進むべきです」

「……まあいい、好きにしな」

手振りを交えて、無音で会話。ハンドサインで決めて無い部分は、手振りでやるしかないのだから、仕方が無い。

木の密度はそれほどでもないのだけれど。

枯れて倒れている木は、殆ど見かけない。老木もあるけれど、こういう所で、倒して良い木には、明確なルールがある。

木として死んでいる事。

つまり、枯れ木になっている事だ。

これを破った場合、窃盗と同じである。勿論明確な犯罪で、最悪の場合、戦士としての階級を剥奪されて、しかも捕まる。

辺境の定義は色々あるのだろうけれど。最低条件は、森を大事にすること。

それを破る辺境国は存在しない。

木に身を隠しながら、少しずつ進む。足下を蛇が通っていったけれど、別に毒を持つ品種でもないから、無視。

今はおなかも空いていないし、捕まえる理由だって無い。

見えた。

いや、見せていると言うべきか。

縄張りの主がお出迎えだ。少し高台になっている所から、此方をじっと見ている。縄張りに踏み込んだら攻撃する。そう告げているのだ。

かなり鮮やかな金色の羽毛を持つグリフォンである。

森に馴染む種族だとは聞いていないのだけれど。あの様子からして、空よりも陸での生活を選び。

そして、森に居場所を作った個体なのだろう。

一本目、見つける。

しかし、まだ生きている木だ。斬り倒すわけにはいかない。

リストにある中の一種。非常に黒い色をした木で、とにかく頑強な素材として珍重されている。

別の国では、黒檀とも呼ぶそうだ。

グリフォンの縄張りを避けながら、じっくり森を歩いて行くけれど。夕刻が来た時点で、探索打ち切り。

森をまっすぐ出る。

荒野に出ると、ため息。これで不意打ちされる可能性はほぼ無い。ケニヒ村に歩きながら、話す。

「あのグリフォンは? 森の中での生活を選んだグリフォンというのも、珍しいですね」

「三年くらい前から居着いているらしいぜ。 縄張りに踏み込まなければ攻撃はしてこないから、村では問題視してねえけど」

「ふうん」

ミミちゃんが、何か言いたそうに鼻を鳴らす。

何だか、アーザスさんと馬が合わないようで。どうにもミミちゃんとの間に、ぎすぎすした空気がある。

一度、ケニヒ村に帰還。

明日は、別の森を調べると言うと。アーザスさんは好きにしろと言って、家に戻っていった。

ミミちゃんはそれを見届けてから言う。

「彼奴、信用しているの?」

「何度か、隙は見せたよ」

ミミちゃんが驚いたように、顔を上げる。

トトリとしても、相手がまだ自分のことを恨んでいる可能性については、想定済みだ。当たり前の話で、親兄弟を殺された恨みに、トトリが水を差したのである。それを恨んでいない保証は無い。

人の恨みは、簡単には消えない。

それは理不尽に心を燃やしもする。

トトリ自身が、つい最近思い知らされた事だ。理不尽だと分かっていても、どうしようもない時は、あるのだ。

「だから、早い段階で、何度か隙を見せたの。 攻撃してくる気配はなかったよ」

「それで……。 妙に隙があると思ったのよね」

「とにかく、明日はまた慎重に行こう」

「言われるまでも無いわ」

先に宿に戻るミミちゃん。

さて。

既にトトリは気付いているのだけれど。ミミちゃんはどうなのだろう。一応、外を覗き込む。

気配が引っ込んだ。

多分メルお姉ちゃんだ。おそらく、トトリが巻き込まれているプロジェクトの人員として、影から護衛してくれているのだろう。

この間の一件以来。トトリの勘は以前とは比べものにならないほど冴えている。だから、多分メルお姉ちゃんを含めて、四人くらいの護衛がいる事は分かっていた。多分レオンハルト辺りからの護衛としてついているのだろう。

この様子から見て。

レオンハルトは、死んではいなかったとみるべきだ。

酒場で、情報を集める。

森の情報を聞いて、危険なモンスターがいないか確認。何人かの冒険者に聞くけれど。今の時点では、強力なモンスターの話は出てこない。

この辺りかなと思って、引き上げようとしたとき。

不意に、声が掛かる。

「あんた、青き鳥とかペンギン共に言われてるトトリだろ」

酒臭い声。酒場に入ってきたのは、薄汚れた中年男性。とにかく格好もしっかりしていないし、露骨に酔っていた。

周囲の人間達が、さっと離れる。

鼻つまみ者なのだろう。

ただ、気配からして、かなり強い。これはサルクルージュさんと互角か、それに近い実力者だ。

「はい、それがどうかしましたか」

「余計な事してくれやがったなあ。 彼奴らは俺が全部ぶっ潰すつもりだったのによ!」

「ジェイク、いい加減にしろ」

「うっせえ!」

マスターが苦言を呈するけれど。ジェイクと呼ばれた赤ら顔の男性は、気にもしない。

長身で、筋肉質だけれど。相当に酒に溺れている様子だ。でも、トトリは別に、その程度の事で怖れない。

もっと怖いものを、間近で散々見たからだ。

「とっとと出てけ!」

「お断りします。 まだ、する事がありますから」

「んだとコラ……」

ジェイクという男性が、腰の武器に手を掛ける。

小型のピックである。

見た目以上に殺傷力がある武器で、この男性の技量で考えると、かなり危険。でも、トトリは動じない。

流石に周囲のベテラン達が、押さえ込んだからだ。

「いい加減にしろ! お前の功績を考えて今までは黙っていたが、これ以上は看過できん!」

「うるせえ! てめーらも殺すぞ!」

「連れていけ」

マスターが指示すると、数人がかりで飛びかかってジェイクを押さえ込み、連れていく。外でも暴れていたけれど。やがて、静かになった。

ため息をつくマスター。

「すまんな。 しばらくは牢に入れておくよ」

「どうしたんですか、あの人は」

「昔は良い腕だったんだがな。 弟をペンギン族との抗争で失ってから、すっかりおかしくなってな」

そうか。それはとても気の毒なことだと思う。

でも、ペンギン族だって、アーランド戦士との諍いで、同胞を大勢失っているのだ。此方だけ被害者だと主張することは出来ないだろう。それが、部外者の意見で。理性が必ずしも心を抑えられるとは限らないと知っていても。そうとしか、言えない。

戦いは、彼方此方で血の海を作る。

それが蒸発する日は、まだ遠いだろう。

宿に戻る。

先に休んでいたミミちゃんの隣に座ると、明日の仕事について考える。探すべき森は、まだ幾つもあるのだ。

 

朝、トトリとミミちゃんがケニヒ村の入り口で待っていると、アーザスさんがかなり遅れて来た。

ミミちゃんは露骨に不機嫌だけれど。

どうやら、あの後ケニヒ村でまだ一悶着があった様子で。それで、時間を取られていたのだろう。

「すまん。 遅れた」

「昨日の夜の騒ぎですか?」

「ああ、起こしちまったのか。 その通りだよ」

「?」

ミミちゃんは、宿で寝ているときは、本当に深く眠ってしまう。外でキャンプに出ているときとかは、きちんと交代で眠ったりは出来るのだけれど。人間の勢力圏では、注意が削がれるタイプなのかもしれない。

正直、寝ているときは悪戯のし放題なので。

メルお姉ちゃんとかは、結構酷い事をしていたりもするのだけれど。まあ、あくまで冗談の範疇で、だ。あまりにもまずそうなときは、トトリが止めている。

とにかく。

昨晩、多分夜半過ぎ、だと思う。かなり大きな声が外で上がった。

おそらく、ジェイク氏が脱走したのだろう。でも、すぐに取り押さえられた様子で、獣のような雄叫びが引きずられていくのが最後には聞こえた。

お酒で、脳がやられてしまったのだ。

話には聞いたことがある。あまり若いうちから、アーランド戦士がお酒を飲ませて貰えない理由。

あまりにも早い内からお酒を飲んでいると、脳が壊れてしまう。

そうなると、どれだけ強い戦士でも台無しだ。

あの人は、家族を失った悲しみに耐えられなかった。しかも力がなまじ強いから、タチが悪い。

トトリを恨む事で、かろうじて保っていた自我が。トトリ自身が来たことで、ついに壊れてしまった、という事なのだろう。

これからアーランド王都に連れて行かれて。きっと魔術で拘束されて。牢屋に入れられて、悲しい余生を過ごすのだろう。

治療が出来るのかどうかは知らない。

でも、お酒で脳が壊れてしまった人が、無事に戻ってきたという話は聞いたことが無いから。きっと、難しいのだろう。

「正直な、俺もあんたには色々思うところがある。 でも、あんたがやった事が正しいって事も分かってるんだ。 だから、ジェイク兄のことは謝るが、恨まないでやってくれないか」

「分かっています」

「そうか、すまねーな」

三人で、出る。

村の人数が減っている。手練れのジェイク氏を連れて行ったのだ。逃亡を防ぐためにも、相当人数が必要、という事だったのだろう。

森へ、まっすぐ向かう。

トトリとしても、出来るだけ作業を急ぎたいのである。アランヤでは、ちむちゃん達が、プラティーンを増やしてくれている。

負担を出来るだけ減らしてあげるためにも。

もたついては、いられないのだ。

森までは半日ほど。

この森も、国境近くと言う事で、アーランドに保護を受けたリス族は移り住んでいない。というよりも、近辺の森は殆ど天然物だ。

アーランドが緑化作業を行わずとも、元から残っていた森で。

これらの森が、辺境各国に豊かな大地の恵みを約束しているのである。

噂によると、国全体が森で包まれている国さえもがあるそうだけれど。

辺境とは言っても、森は所詮例外的な存在。あまり広くもないし、それほど強固でもない。

近辺の緑化には、いずれ着手しなければならないだろう。

森に入り込むと、空気が変わる。

ハンドサインで互いに意思疎通しながら、奧へ。

いきなり、入ってすぐに。黒檀の木を見つけた。しかし、かなりの若木で、斬り倒すわけにはいかない。

気付くと、周囲に無数の影。

現住のリス族だ。

「止まれ」

「森を荒らしに来たわけではありません。 話を聞いていただけますか」

「その容姿、覚えがある。 アーランドの同胞を救った先神トトリだな。 アーランドの同胞が世話になったとは聞いているが、特別扱いは出来ない」

「大丈夫です。 不要な木材があったら、分けて欲しいと思って来ただけです」

随分と警戒されている。

昔、ケニヒ村や、周辺の村の人達が、何か悪さをしたのだろうか。

リス族の一人が進み出てくる。かなり威厳のある、筋肉質な男性だ。小柄なリス族だけれども。

それでも、最近は強さが見て判別できるようになって来ている。

この人は、見かけだけではなく、強い。

「枯れ木を引き取りたいという訳か。 何故だ。 商売か」

「いえ。 アーランド東の海に住み着いた、ドラゴンと戦うためです。 フラウシュトライトという名前に、聞き覚えはありませんか」

「風の噂に聞いている。 ……そうか。 まあ良いだろう」

リス族の屈強な男性が顎をしゃくると、数名が出てきて、監視に付いた。

森の中はかなりモンスターがいるけれど。リス族とは上手に棲み分けをしている様子で、仕掛けてくる事は無い。

やはり彼らは、森を管理するスペシャリストだ。

黒檀の木で、枯れたり、枯れかけているものはないか。

聞いてみるのだけれど。どうにも、芳しい応えはない。

「枯れ木は換金できる。 つまり森を豊かにする資材を交易で手に入れられるし、そう言う観点では我々だけではなく動物たちにとっても大事な資源だ。 貴殿には同胞達が世話になったと聞いているが、ただでは譲れぬ」

案内された先に。

トトリが思わずため息を漏らすほど、立派な黒檀の老木があった。既に枯れ始めていて、葉も茂っていない。

「どうにか分けては貰えませんか。 お金だったら交渉に応じます」

「そうさな。 貴殿の名を見込んで、こなして欲しい事がある」

「内容次第です」

「……この森に、少し前から住み着いている厄介者がいてな。 面倒な事に、アーランド戦士では無く、かといって我々には、隣国とのパイプがない。 一応モンスターは近づかないようにしているが、何故あのような奴らを守らなければならないと、不満を漏らしている一族の者達が多い。 出来るだけ急いで解決したい」

更に、案内された先。

森の奥で、どんちゃん騒ぎをしている一団がいた。周囲の森を荒らし回っている上に、手当たり次第に獣も殺している様子だ。周囲にある品から、それが判断できる。

アーランドでは考えられない行いである。

森は財産であり、国どころか世界の宝。それはアーランド人なら、幼児の頃から叩き込まれる言葉である。

森の富をどう分けて貰って、生活に生かしていくか。その技術も学ぶ。

緑化が進んで、アーランドの荒れ地が確実に減りつつある今も、その状況に代わりは無い。

彼らの行為は、アーランド人から見れば、許しがたい冒涜的なものだ。

ひどいなとトトリは思ったけれど。

彼らにして見れば、そんな悪意は無いのだろう。

茂みに身を隠して、状態を確認。

相手の数は十名ほど。どうやら、アーランド人では無い。隣国の、ブルグヘイムの住民らしい。

というのも、以前ブルグヘイムの将軍、カリアナさんと共闘したとき。

彼女が連れて来た兵士達と、同じ服装をしている者が混じっているからだ。

これは厄介だと、トトリは悟る。

ブルグヘイムとの国境条約は結んでいるはずだけれど。この森は、その国境に掛かっている。

多分ブルグヘイムは、リス族と条約を結んだりはしていない。彼らにして見れば、国境線で警備をしているとでも言い訳が可能だろう。

アーランドとしても、此処のリス族とは、まだ話をしていないはず。

つまり、国同士の隙間を上手く利用して、彼らは好き勝手をしている事になる。

森の資源を荒らすのも、接し方を知らないから、なのだろう。

「どうするの?」

「ミミちゃん、ちょっと遠回りするけれど。 カリアナさんに会いに行こう。 後、鳩便を飛ばす」

「其処までする意味があるのかしら」

「あるよ。 確かに北の国境での事でアーランドは今一杯一杯だけれど、南をしっかり固めないと、こういうことが起きるもの。 小さなことでも、いずれ大きな禍根につながりかねないなら、取り除かないと」

肩をすくめるミミちゃん。

すぐに森を出る。リス族には、アーランドの上層部と話を付けるので、動かないようにと依頼。

ケニヒ村に戻ると、鳩便を手配。

そのまま、出来るだけの速度で、西に向かう。真夜中の街道だけれど、今は時間を惜しんではいられない。

丁度今出れば、ブルグヘイム国境の砦に、昼前くらいにつくのである。

無茶をするなと言っているのにと、ミミちゃんは文句を言う。

それにこの辺りは、街道と言ってもまだ未整備。夜中には、モンスターだって出る。それも、かなりの頻度で。

キャンプスペースには手練れが張り付いているけれど。

それも、そうしないと、死者が出るからだ。

でも、トトリがそうすることで、無意味な紛争を避けられるなら。少しくらいの無理なら、我慢できる。

だいたいこれも、必要な布石なのだ。

お母さんを奪った海竜を殺すために。

今は、ただ走る。

トトリにとって、とにかく重要な事は。船を作る事に、集約されていた。

 

2、一歩の先

 

カリアナ将軍はトトリを快く出迎えてくれた。実際問題、ブルグヘイムには以前国使としても出向いたのだ。

一緒に戦った仲と言うこともあるけれど。

それ以上に、トトリを邪険には出来ないのである。

トトリが直接来たのを見て、カリアナ将軍はすぐに何かあったのだと悟り。国境付近の森で部下が好き勝手していると聞いて、大きく嘆息した。

「すまん。 これも我が国が豊かでは無いせいでな。 兵士の安月給では家族を喰わせられないと、悪しき行為に手を染める者も多いのだ」

「ごめんなさい。 それでも、百年の禍根を別種族と作るよりはましです」

「分かっている。 彼らにはきつく言って聞かせるが、アーランドとの交易が開始されても、すぐ生活が豊かになるわけでもない。 すぐには、愚か者はいなくならない可能性が大きいだろう。 出来るだけ取り締まりはするが、迷惑を掛ける」

カリアナ将軍が頭を下げてきたので、恐縮してしまう。

アーザスさんは、それを見て、本当に驚いていた。

「お前、本当にランク7……なんだな」

「はい。 でも、責任も重いですよ」

「そうだろうな。 あんな大人ともまともにやり合わなきゃ行けないんだろ。 大体あんなおっかなそうな戦士が素直に言うこと聞いてるんだ。 余程の恩を売ったって事だろうしな……」

意外に理解と飲み込みが早い。

カリアナ将軍は、すぐに直属の部下を連れて森に向かう。

トトリは、休みなく、ケニヒ村に。鳩便の返事が来ていた。何しろ急を要する話だ。すぐにクーデリアさんも決済してくれたのだろう。

文官を廻して、森のリス族に対する協議と。それに、森を無為に荒らさないようにするための条約を結んでくれるという。

アーランドとしても、今後有力な同盟者になるブルグヘイムと、下手なことでもめ事を起こしたくないし。

ブルグヘイムとしても、今後の交易で得られる富を考えると、アーランドのへそを曲げる訳にはいかないのだ。

利害は特に調整しなくても一致している。

しかし問題は、現場で働いている兵士達だ。彼らの給料が改善されないと、今後も同じようなことは起きるだろう。

ケニヒ村で手続きを終えると、流石にくたびれた。

二日ほど不眠不休で走り回ったくらいでばてるのだから、まだまだだ。ミミちゃんは多少余裕があるようだけれど、トトリはもう無理。

ベッドで横になって、そのまま眠る。

ケニヒ村に、カリアナ将軍が訪ねてきたのは、その翌日だった。

 

カリアナ将軍は、ブルグヘイムでは十二人いる将軍の一人であるらしい。アーランドで言うと、ランク9冒険者くらいの立ち位置にいる存在、と言うわけだ。

彼女の願いもあって、一緒に森に出向くことにする。

比較的ブルグヘイムは森が豊かな国ではあるらしいのだけれど。

アーランドほど徹底的な管理をしている訳では無く。森の周辺に住んでいる民に、管理は任せっぱなしにしている場合もあるのだとか。

「森が重要な存在で、この世界にとっても貴重な場だと言う事は、我が国の民もわかっているのだがな。 どうしても目先の利益が必要だったり、明日の生活費のために森を荒らす者はいる」

アーランドだって、豊かな国ではあるけれど。民の全てに、富が行き渡っているわけでは無い。

森は厳重に管理されているけれど。

荒らされないのは、幾つか理由がある。最大の理由は、特にリス族が管理していない場合は、モンスターがたくさん放たれていて、単純に危険だと言う事。アーランド戦士は森への接し方を知っているので、荒らしたりはしない。労働者階級は森への接し方を知らなくても、危なくて近づけない。

そして、リス族が管理している場合は。彼らと管理のやり方を徹底的に細部に到るまで条約で決めて、それに従わない場合は国が動くからだ。

リス族が来る。

彼らは、既に森の狼藉者がいなくなった事を評価してくれている様子だった。あの屈強な戦士が出てくるけれど。前と違って、剣呑な戦気を放っていない。

「先神トトリよ。 礼を言うぞ。 不作法な者どもは、森より帰って行った」

「良かった。 荒れた森の復旧については、どうでしょうか」

「それに関しては問題ない。 約束通り、貴殿には黒檀の枯れ木を持ち帰る権限を与えよう」

頷くと、黒檀の所に。

おもむろに、槍を構えるミミちゃん。カリアナ将軍も。

すっと、二人が動くと。

綺麗に、黒檀の根元に切れ目が入る。

アーザスさんがハンドアックスを振るって、切れ目を拡大していく。何度か、それを繰り返すと。

他の木を傷つけないように。

黒檀の枯れ木が、倒れ伏した。

まず、枝を全て落としてしまう。落とした枝は、順番に荷車に積み込んでいく。カリアナ将軍は罪滅ぼしのつもりなのか、全ての作業を手伝ってくれた。森の外に待機していた彼女の部下も、一緒に作業をしてくれる。

ミミちゃんが、黒檀の木の幹を分解しながら、呻く。

周囲はリス族が固めてくれている。モンスターも近寄ってこないから、喋ることは問題もない。

「恐ろしく堅いわよ、これ」

「他にも軽い木もいるんだけれど、これもいるの。 軽い木は他の場所から、国が手配してくれるのだけれど。 黒檀だけは充分な量が用意できそうになくて」

「面倒な話ね。 随分遠回りしたような気がするわ」

「でも、みんな幸せになれたから、良かったよ」

今回は、運が良かった。

利害が一致していたし、処理も速かったからだ。

もししびれをきらしたリス族が、ブルグヘイムの民を攻撃したりしていたら、どんな災厄になっていたか。

リス族は仲間意識が強く、アーランドのリス族もみんなこの森の同胞に荷担したかもしれない。

当然、ブルグヘイム側も黙ってなどいなかっただろう。

報復合戦が始まったりしたら最悪だ。

暴走した事態は、収拾がつかなくなっていただろう。

本当に、トトリがこの場所に立ち会えて、良かったのだ。

以前見たけれど、カリアナ将軍の剣の腕はなかなかのもので、黒檀を易々と切り分けていく。

アーザスさんも、パワーが籠もりやすいハンドアックスを上手に使って、枝を落としたり、幹を適切な長さに切ってくれた。

順番に運び出して、荷車で一旦ケニヒ村に運ぶ。

其処で業者に手配して、アランヤに全てを運んで貰う事にする。枝は森を出た時点で、適当な長さに裁断して、まとめた。

実のところ、黒檀はまだ足りないのだけれど。

足りない分は、トトリかちむちゃん達で増やしていけば良い。

後は、森の幸を幾らか分けて貰う。

リス族の好意だ。有り難く受け取らせて貰う事にした。中には貴重な栄養価の高い木の実もあり、錬金術の素材として有益だ。

申し訳なさそうにしているカリアナ将軍と、ケニヒ村で別れる。

何でも彼女は、これから来るアーランドの文官達を砦で出迎えるという。今回は大臣クラスの文官が来るらしくて、カリアナ将軍ほどの人が出迎えに来るのは、それだけブルグヘイムがアーランドとの関係を重視しているというアピールにもなる。

「今回は世話を掛けたな。 また何かあったら、すぐに話をしてくれ。 できうる限り力となろう」

「はい、お願いします」

握手を交わして、礼をすると。カリアナ将軍は、部下達を率いて、根城である国境の砦へと引き上げていく。

ようやく全てが片付いて、トトリは脱力した。

「お前、凄いわ。 見てて分かった。 今の俺じゃ、お前にはとうてい及ばない。 決めたぞ。 俺の目標は、今からお前な」

何だか、ちょっとえらそうにアーザスさんがいうので、トトリは苦笑いして、ミミちゃんは呆れた。

でも、そんな風に言ってくれる人がいるのは。

とても嬉しい事なのだと、トトリは思った。

 

一度、アランヤに戻る。

トトリが留守にしている間も、ちむちゃんたちはせっせとプラティーンを作ってくれていて。自分たちで、納品までしてくれていた。荷車の荷物を全てコンテナに移すと、ミミちゃんとはその場で解散。

トトリは、港へ向かった。

アーランドからは、魔術師が何名か来ている。

加工に魔術を使ったり。部品に魔術を掛ける必要がある場合があるからだ。いずれも、専門職の魔術師で。皆、戦闘向けには見えなかった。

アーランドでは、魔術を使う戦士は珍しくもないので。攻撃にしろ回復にしろ、一芸だけでのし上がるというパターンは珍しい。ロロナ先生にしても、攻撃魔術が一級品だけではなく、充分に格闘戦もやれるのだ。道具の補助があるとしても、である。

今見ている魔術師達は、多分労働者階級の出身者だ。

見た感じ、魔力も強くなくて、スキルだけで勝負しているタイプに見える。

そうなると、やはり今回の件は、彼らにとっては人生のチャンスにさえなっているのだろう。

労働者階級出身の冒険者もいるにはいるらしいけれど。

やはりアーランド戦士との身体能力差もあって、前線には出づらい。

ならば、後方支援の仕事なら。

或いは技術職なら。

そう考えて行くと、労働者階級の出身者にも、充分に出番がある。事実、回復魔術を専門で学んでいる労働者階級出身の冒険者もいるそうだ。

お父さんが、港の端で、難しそうな顔をして、図面とにらめっこしている。

トトリが出向くと、図面から顔を上げた。

眉間には深い皺が刻まれていた。

「お父さん、ただいま」

「ああ。 どうだ、素材は」

「うん。 プラティーンはこれから生産速度を更に上げるよ。 それと、黒檀は七割くらい調達できたから、使って」

「そうか。 何にしても、品質次第だな」

まだ、宅配業者は、此処まで黒檀を届けていない。ただ、第一陣は、明日にはつくという報告を受けている。

届くのは、三回に分けて。

それを報告しておくと、お父さんはそうか、とだけ言った。

「仕事の邪魔になる。 お前は戻って、資材の調達を続けろ」

「何か、作る部品はある?」

「そうだな……」

魔術師達を、お父さんが呼ぶ。

彼らはいわゆるエンチャントで、柔らかい木材を加工した部材に魔術を掛けていたけれど。

見た感じ、正直魔力は、トトリとあまり変わりが無い。

「資材の調達に余裕が出来てきたら、そいつらに話を聞いて、必要な部品を作ってくれるか」

「うん、任せておいて」

「……」

顔を見合わせる魔術師達。

仕事を取られると思ったのかも知れない。

アーランドにとって非常に重要な戦略級兵器の建造とはいっても。彼らにも生活がある。ましてや労働者階級の出身者となれば、なおさらである。

「今の時点で、一番簡単な部材から作ってください」

「それは構いませんが、我々は何のために来たのか……」

「大丈夫。 このお仕事が早く終われば、それだけお給金も出ますから。 それに、私の方でも、今は資材の調達で手一杯です。 皆さんのお手伝いをするのは、それからになります」

それでもまだ不安そうにしていたけれど。

後ろで、お父さんが低い声を張り上げた。

「とっとと仕事に戻れ! 遊んでるんじゃねえんだぞ!」

力はそれほど強くないと言っても、アーランド戦士。

ひっと悲鳴を上げた魔術師達は、作業に戻る。トトリも首をすくめて、アトリエにすごすごと戻る事になった。

アランヤの村は、いつもより活気づいている。

何より、労働者達が落とすお金が、もろに村人の懐に入っているのが大きい。それに、村人の中には、労働を手伝って、小遣いを稼いでいる者もいるようだ。

少し前から、役人も何名か来ている。

彼らは金の動きを管理しているようだけれど。

仕事には、口出しはさせない。トトリとすれ違うとき、挨拶をして来たので、鷹揚に応じる。

さて、此処からだ。

アトリエで、資材を作る。

そして、それが一段落したら。部材の作成に移行だ。

 

丘の上から、トトリのアトリエを見下ろしていたメルヴィアに、竹筒を差し出したのは、ツェツェイである。

頷くと、受け取り。

一息に、中の水を飲み干してしまう。

「メル、どうしたの。 機嫌が悪いわね」

「あの子、そろそろ護衛してるときの私達の気配に気付いてるけど、分かってる?」

「そうね。 元々しっかり基礎を重ねてきていたものね。 今の力量なら、気配の探知くらいは出来るでしょうね」

ちょっとまずいかもしれない。

言うまでも無く、その認識は二人の間にはあった。

今、ペーター兄は、単独で動いている。メルヴィアも一応聞かされてはいるのだけれど、確かアーランド北部での任務だそうだ。

その代わり、あの気まぐれなナスターシャが、必ずメルヴィアの近くにいる。

今も、側のキャンプスペースで、マイペースになにやら魔術を使っているけれど。正直、何をしていても興味は無い。

「トトリ、多分このプロジェクトにも、もう気付いてるんじゃないの」

「かもね」

「で、どうするわけ?」

「どうにもならないわ」

ツェツェイは。

あの日。ギゼラ姉が消えた時から、トトリの母代わりになると決めた。だから甘やかしもしたし。それ以上に厳しくも接した。

時々槍の技術を生かして、稽古を付けてやっていたのを、メルヴィアも知っている。

トトリの棒術に、ツェツェイの技が見えるのも。それが理由だ。

ナスターシャが来る。

舌打ちしてこの場を離れようとしたが、どうやら向こうは、メルヴィアに用がある様子だ。

「そう邪険にしないの」

「何?」

「鳩便が来たわ」

つまり、近々動きがあると言う事だ。

続きを促すと、書状を見せてくれる。受け取ったのはツェツェイ。ペーター兄がいない状況では。この護衛チームを仕切っているのはツェツェイだ。

そして、今回の任務では。

メルヴィアが、重要な役割を果たす、という事なのだろう。

トトリの護衛は大丈夫なのだろうか。今の時点では、まだベテランにかろうじて届いたという力量のミミが側にいるだけ。

それを考えると、トトリの側を離れるのは、気が進まないのだが。

「……なんですって」

「どうしたの?」

「レオンハルトの復活を確認。 国境で分身との交戦あり。 おそらく、トトリを見境無しに狙ってくる。 注意されたし」

舌打ち。

今、此処にいる三名の他、五人の手練れと、八名のホムンクルスが、周辺に散って警戒している。

いずれも優秀な戦士ばかりだけれど。

レオンハルトの分身が来るとなると厄介だ。しかもトトリは、あの腐れ暗殺者に、完全にマークされている節がある。

馬車が街道を南下してくる。

気配で分かったが、ペーター兄だ。向こうも此方に気付いて、街道側で馬車を止めた。

すぐに、馬車に駆け寄る。

挨拶もそこそこ、ペーター兄は緊迫した様子で切り出した。

「話は聞いていると思う。 向こうは今回本気だ。 今、トトリの周囲には、ロロナ殿もステルク氏もいない。 我々だけで、どうにかする必要がある」

「厄介ね」

「そうだ、厄介だ」

ツェツェイに、言葉短くペーター兄が答える。

おそらくこの様子だと、国境付近で、レオンハルトの動向を探るチームと一緒に行動していたのだろう。

もしも奴が仕掛けてくるとしたら、いつか。

「レオンハルト本体は既に潜入しているの?」

「まだ分からん。 今、クーデリア殿が全力で狩りだしている所だ。 しかし、それでも分身しか撃破できていない。 分身も一体何体がアーランドに潜入したのかも分からない」

「相変わらず厄介ね」

広い国境。

警備不可能な地域も多い。

そういう所を抜けてくるレオンハルト。そして、アーランドの内部で、何処の警備が薄いかも、奴は熟知している。

流石にアーランド王都に侵入してくる度胸は無い様子だけれど。

それでも、アーランドの荒野などの空白地帯を抜けて、アランヤにまで迫る事は、難しくないだろう。

他のチームメンバーも集める。

情報共有のためだ。

此処にいるメンバーは、二人がかりくらいなら、レオンハルトの分身を充分に倒せる実力の持ち主ばかりだ。

しかし問題は、本体が出てきた場合。

ランク9相当の戦闘力を持ち、国家軍事力級に迫る実力を持っていたロロナが、差し違えるのがやっとだったほどの相手である。

しかも、一度倒されて、復活したという事は。

以前より、更に強くなっている可能性も、否定出来ないのだ。

更に言うと、厄介なことも起きている。

「レオンハルトは、姿を変えた可能性が高い」

「何ですって!?」

ツェツェイが驚く。彼女はトトリのこと以外では、滅多に声を荒げたりしない。それだけ衝撃的、という事だ。

元々レオンハルトは、その圧倒的な実力で知られている。つまり、変装などする必要がないのだ。

相手に姿を見せたときは、すなわち殺戮の時間。

しかし、今はトトリも力を付け始めている。レオンハルト本体に遭遇しても、一瞬で倒されるのは避けるかも知れない。以前でも分身の攻撃を、一瞬だけ凌いだことがあったのだ。今の力量なら、本体相手でも。

それに、メルヴィアもツェツェイも、何よりペーター兄も。

以前とは比べものにならないほど、ここしばらくの任務で腕を上げた。今なら、奴と五分以上に渡り合えるかもしれない。三人がかりなら、だが。

「というわけで、しばらくはフォーマンセルで行動。 各自、絶対に油断するな。 アランヤには、怪しい奴を一人としていれるなよ」

「提案があります」

ホムンクルスの96が挙手。

二桁ナンバーだから、かなりの古株だ。

「今、黒檀が輸送されてきています。 その業者に紛れてアランヤに忍び込まれると厄介です」

「分かっている。 一チーム、輸送業者に張り付いてくれ」

「それなら俺たちが」

挙手したのは。サルクルージュと、悪魔族の混成チーム。サルクルージュは、以前ケニヒ村を巡るいざこざで、トトリと関わった冒険者だ。ハイランカー相当の評価を受けており。同様の理由でトトリに恩義を感じている悪魔族の戦士数名と、今回はヘルプに来てくれている。

「よし、頼むぞ」

「村の中には手練れもいるけれど、奴をいれてしまうと危険が大きくなるな」

「結界を張っておきましょうか」

不意にした声に、メルヴィアが振り返ると。

其処には、パメラが。

此奴が普通の人間とは違う存在だと言う事は、メルヴィアも知っているけれど。心臓に悪い登場だ。

「今回に備えて、ロロナちゃんが用意してくれた道具があるの。 村に結界を張って不審者をあぶり出すくらいは、容易よ」

「分かった、頼めるか」

「ええ。 代金は国の方につけておくわ」

しっかりした女だ。

此奴は見かけと裏腹に、実情はかなりの使い手。こうして味方として行動してくれれば、相応に助かる。

後は見張りのフォーメーションについて話し合った後、一旦解散。

フォーマンセルに別れて、周辺に散る。

クーデリアとぶつかり合えば、流石にレオンハルトも無事では済まないだろう。クーデリアが奴と分身を狩終えるか。それとも、奴がここに来て、トトリを仕留めるか。時間との勝負だ。

それにしても一度完全に消滅したはずなのに、復活とは。

ますます化け物じみている。

メルヴィアも、少し前までなら。化け物との戦いはむしろ望むところと喜んだかもしれないけれど。

今は、正直しんどいと感じる。

おそらく戦士として落ち着いてきたから、なのだろうが。

それにしても、少しだけ情けないとも思って。自嘲してしまうのだった。

改めて、トトリのアトリエを見やる。

熱心に作業を進めて、装甲に使う金属を生産している様子だ。トトリには、船造りに、徹底的に集中して貰いたい。

間違いなく。トトリだけが、ギゼラ姉の敵を討つチャンスを作れる。

そのために。

メルヴィアは、体を張って。トトリを守るべく、見回りを続けるのだった。

 

3、山積噴出

 

プラティーンのインゴットが仕上がったので、ちむちゃん達から受け取って、荷車に。

ずっしりと来るけれど、金属としては軽い方だ。ペースは三倍増。トトリがプラティーンを造り。ちむちゃん達二人がそれを増やす。そうすることで、見る間にプラティーンのインゴットは、造船中の港へと運ばれて、資材に変わっていった。

更に言うと、ちむちゃん達もコツを掴んだのだろう。

プラティーンのコピー速度が明確に上がっている。

こうして、以前より遙かに納入速度が上がったのだけれど。港を見に行く限り、船の建造が上手く行っているとは、言いがたい様子だった。

納入されたのは、プラティーンだけでは無い。

黒檀や、他の木材もだ。

まだマークさんは戻ってきていないけれど。部品に関しては、お父さんが指示して、アーランドから来てくれたハゲルさんが、次々に作ってくれている。

しかし、それにしては仕上がりが遅い。

船の喫水域より下の部分をガードするための装甲も、着実に作られているのだけれど。全体を見ると、まだ船は形にもなっていない。

帆船などでは竜骨と呼ばれる、中枢部分がある。

この大型戦闘艦でも、似たような仕組みを導入しているのだけれど。それを作るためのプラティーンが足りていないし。

細かい部品を作るための資材も足りない。

倉庫を覗きに行くと、いつも何が足りないという話が飛び交っているし。お父さんと顔を合わせると、同じ話をされる。

国から廻して貰える資材はいい。

問題はそれ以外のもので。

そして、トトリが出来る事にも限りがある。ロロナ先生が、もう一人くらいちむちゃんを廻してくれればと思う事は、何度もあったけれど。

あれだけ優しいロロナ先生が、一人しか廻せなかったのだ。

きっともっと上位の存在。

たとえば、王様とかが、ストップを掛けたのだろう。

ため息をつきながら、アトリエに。

今回は何というか、必要資材が膨大すぎて、雲を掴むような状況だ。トトリがどれだけ苦労しても、まるで先が見えてこない。

そしてこの先が見えない状況は、トトリを随分と疲弊させる。

何度も顔を洗っては、気合いを引き戻して。

ひたすらプラティーンを増やす。

ちむちゃんが増やしてくれた鉱石が減ってきたら、シフトを変更。ちむちゃんの一人。大体は新しい方のちむどらごん君に鉱石を増やして貰って。トトリはその間、部材の作成に移る。

毎日港には足を運んでいるのだ。

何が足りないかは、重々把握している。それに加えて、基本的に労働者達は作成難易度が低い部材から着手している。トトリはだから、作成難易度が高い部材から着手して、部材が被るを避けるのだ。

既に、過酷な作業が開始されてから、二月が経過。

まだ、先行きは、まるで見えない。

一眠りして、起きる。

ちむちゃん達用のパイをお姉ちゃんに頼んでいたので、アトリエから居間に移動すると。少し疲れた様子で、お姉ちゃんがパイを焼いてくれていた。

あまりのパイをトトリも食べる事が多いので。

最近は、パイばかり食べていた。

ロロナ先生は、全ての食事がパイでも大丈夫だと言っていたし。ちむちゃん達も、その影響を強く受けているのだろうけれど。

流石にトトリは其処までのパイ好きでは無い。

ロロナ先生がお姉ちゃんに技を教えていったので、普通のお店に出せるレベルのパイが毎日食べられるけれど。

それでも、どうしても飽きが来る。

ちむちゃん達はパイ以外は受け付けないので、どうしても仕方が無い部分はある。料理は結構な重労働で。如何にお姉ちゃんが料理が好きだと言っても、負担を掛けすぎるのは問題だ。

それに、トトリは知っている。

お姉ちゃんは、外出も多い。

きっと、このトトリが巻き込まれているプロジェクトに関係しての事だろう。或いは、何かに備えての事か。

レオンハルトだろうか。

可能性は、きっと低くないはずだ。

「待っていてね。 今できるから」

「うん。 いつもごめんね、お姉ちゃん」

「良いのよ。 トトリちゃんの笑顔が、私の力になるんだから」

そう言われると嬉しいし、ちょっと恥ずかしくもある。トトリはお姉ちゃんに何も出来ていないから。

だからこそ、いつかはこの苦労に報いられる事をしたい。

それに、トトリは知っている。

お姉ちゃんは、トトリがフラウシュトライトと戦う事に反対だ。そして今も、その意見に代わりは無いはず。

どんなに優しい家族でも。

意見がいつも、一致するとは限らない。

それを知っているからこそ。トトリはお姉ちゃんに、あまり負担を掛けすぎないように、いつも考えて行かなければならない。

ちむちゃん達が起き出してきた。

パイを見ると目を輝かせて、食べ始める。

小さな姿なのに。まるで成長期の子供のように、パイを平らげていく様子は、小気味よくさえある。

ちなみに、食べなくても大丈夫だけれど。

その代わり、仕事もしてくれなくなるそうだ。

この辺りは、ロロナ先生に聞いている。

ちむちゃん達は、食事を得られない場合、体内にある休眠炉というものを使って、長期間の冬眠に近い状態になるという。

その間は動きも極端に鈍くなるし。

お仕事も出来なくなる。

ものを増やす以外のお仕事も同じ。

お給料を払わなければ、働かない。こういう点では、小さくても立派な労働者、というわけだ。

ちむちゃん達が、パイを平らげて、アトリエに戻っていく。

お皿を洗い始めるお姉ちゃん。

トトリは、その背中から、声を掛けた。

「ごめんね。 もう少しで、きっと楽になるはずだから」

「大丈夫よ。 それにトトリちゃんが決めたことでしょう」

「うん……」

「気にしないで、胸を張りなさい。 貴方にしか、出来ない事なんだから」

 

お姉ちゃんはああ言ってくれるけれど。

トトリはやはり、気が重い。

アトリエでプラティーンの鋳造を行っていると、不意に人が来た。ドアを開けて出てみると、ハゲルさんである。

「どうしたんですか?」

「これから竜骨の制作に入るんだがな」

アトリエを見せてくれと言われたので。頷く。

中に入ったハゲルさんは、炉を見て、難しそうに唸った。

「この炉だと駄目かもしれんな」

「? ええと?」

「より高品質のプラティーンを作れるか? それとも、もっと強力な金属」

「……っ」

それは、厳しいかもしれない。

特に、より強力な金属となると、ハルモニウムくらいしか思い浮かばない。あれは伝説の金属。

しかも、素材がない。

ドラゴンから取れるという話もあるけれど。今のトトリの実力では、かなり厳しい。

トトリの表情を見て、嘆息するハゲルさん。

「同じプラティーンでも、加工次第でかなり変わるはずだ。 他の金属と混ぜる、とかな」

「でも、色々調べて見ましたけれど、どうも良いデータがなくて」

「なければ作れ」

ぴしゃりと言われる。

硬直するトトリに、今までになく険しい表情で、ハゲルさんは言った。

「強さが均一だと、如何に強い金属でも駄目なんだよ。 芯になる部分がいる。 コストが掛かっても良いから、作るんだ。 炉だったら、これから俺が強化してやる」

アトリエから追い出される。

中では、様々な部材を壊し、作り直している音が聞こえた。不安になる。このアトリエは、ロロナ先生がトトリのために作ってくれたものだ。

ハゲルさんが、ロロナ先生のアトリエの作成にも関わっていることは聞いているけれど。それでも、寝所を踏みにじられるような、いい知れない不安感がトトリの身を満たすのである。

所在なげに立ち尽くすトトリ。

まるで小娘のようだ。

歴戦を重ねて。多くの社会的事業を成功させて。ハイランカーにまで上り詰めたトトリだというのに、

不安に手を揉む様子は、とてもそれには見えないだろう。

ちむちゃん達は庭に座って、ぼんやりとちょうちょを見ている。

あれくらい気楽だったら、どれだけ楽か。

結局、その日は何も出来ず、港の方に出向く。プラティーンの加工には、皆が四苦八苦をしているけれど。

明らかに、加工のペースは上がって来ていた。

竜骨に当たる部分が出来れば、もっとペースは上がるのだろうか。この船には、まだ命が入っていない。

船には女性名がつけられることが多いけれど。

それは、昔から、それだけ船が擬人化されてきた、ということだ。

ホムンクルス達が、数人がかりで、装甲板を持ち上げて、運んでいく。

装甲板と言っても、一枚ずつが形状も大きさも異なる。

喫水域の下を守る部分をフルガードするこれらの装甲は。最終的には組み合わせて、なおかつ溶接する。

山のように積まれている装甲板を見ると。

これらが組み合わせって、船になって行くのだと、少しずつ実感でき始めていた。

装甲板を、ホムンクルス達が降ろす。

魔術師達が、詠唱を開始。数人がかりで強力な魔術を掛けて、防御力を更に上げるのだ。故に溶接の時は、かなり大変らしいのだけれど。それでも、部材事に防御力を高めておくことで、いざというときに全てが一瞬で拉げる事態を避けるそうだ。

船はブロックごとに作られている。

これも、同じ。

一瞬で全てが壊れるのを避けて。ダメージコントロールという作業によって、少しでも生還率を上げるための仕組みらしい。

ジュエルエレメントさんの所で見て、その時はぴんと来なかったのだけれど。

実際に動いているのを見ると、なるほどと思えてくる。

何事も、実際に見ないと駄目だ。

そう思うと。

少しずつ、気力も、戻ってくるのを感じる。

頬を叩く。

これでも、トトリが用意してきた資材なのだ。それらが、こうもたくさん使われて、船になろうとしている。

まだ、一部しか出来ていないけれど。

やがてこれらが、アーランドの未来を担う、希望の船になって行くのだ。

ちむちゃん達の手を引いて、アトリエに戻る。

ハゲルさんはまだ作業を続けているから、居間に。お姉ちゃんはいない。いつもお姉ちゃんがいるわけではないし、今日はお父さんだって。

でも、寂しくは無い。

自分で決めたことなのだ。

例え、最初は巻き込まれたのだとしても。今、トトリは、自分の脚で、この場所に立っている。

だったら、責任だって自分のもの。

そして、その先にある場所を踏むのだって、最初はトトリだ。

お母さんの仇を討つ。

夢物語だったそれも。今や、手が届く場所に来つつある。それなのに、どうして逡巡していられようか。

ひょいと、アトリエから、ハゲルさんが顔を出す。

「後丸一日はかかる。 採取なんかで、必要な素材を集めておきな」

「あ、大丈夫です。 それと、今日は残りの時間、プラティーンを増やすことだけに集中しますから」

「そうか。 出来るだけ急いで仕上げるから、待ってな」

再び、大きな音が響きはじめる。

トトリも、負けてはいられない。

持ち出したプラティーンのインゴットを、ちむちゃんと一緒に増やし始める。複製のスキルは便利だ。

そして、これらが終わったら。

ロロナ先生の参考書を、一からチェック。プラティーンを更に強くする方法について、何かヒントが載っているかもしれない。

まだまだ、希望は消えていない。

時間だって、まだ残っている。

足踏みは。

こんな所では、してはいられないのだ。

 

4、滅びの予兆

 

炎上する港。逃げ惑う労働者達。

スピアが新たに建造していた戦闘艦が、根こそぎやられたのだ。さぞや一なる五人は、地団駄を踏んでいることだろう。

そう、楽観的に考えたい。

遠く離れた山の中腹からその様子を見ていたエスティの側に、来るのはロード級と呼ばれる階級の悪魔。

同階級の悪魔は、ほぼ間違いなく巨体を誇るものなのだけれど。

此奴に関しては、背もあまり高くない。戦闘能力も、である。

それなのに、どうしてこんな過分な階級を得ているかというと。悪魔族にとって切り札になる得る存在、海王を自在に操ることが出来るからだ。

彼はスティングレイというのだけれど。

その周囲には、いつも手練れが、交代で見張りと護衛についていた。

「エスティ殿。 如何ですかな、成果は」

「これで建造中の艦船がまた全滅、と。 スピアもやきもきしているでしょうね、といいたいのだけれど」

今まで、海王が潰してきた敵の港は、枚挙に暇がない。

対策をしていない筈がない。

実際問題、海王のデータを敵に取られたのも、そんなタイミングだった。

海王自身を殺すのは、いかにも難しいとエスティも思うのだけれど。一なる五人がどんな手に出てくるか分からない以上、油断は禁物だ。

海王は、アーランド東に住み着いているスピアの生物兵器、フラウシュトライトとほぼ同等。

島ほどもある巨体を誇る、超大型のウミヘビだ。

天候をある程度好きにする力を持ち、長年の研究で、操作する事もそれほど難しくは無い。

スティングレイが捕らえられたときは、すぐに自死を選ぶように暗示も掛けられていると聞いている。

幾つもの機密があって。

それを乗り越えた先に、海王の操作が実現している。

見ると、海王は労働者が逃げ出した艦船のドッグや生産設備を、根こそぎ蹂躙して回っている。

その破壊力は、正に生きた天災だ。

機械類が徹底的に滅茶苦茶になり。

ドッグさえも、完全に破壊されて復旧不可能な状態になるのを見届けてから、海王は海に戻っていく。

労働者達の死者は、最小限に抑えることが出来たはずだ。

スピアで彼らの寿命が長くは無いとはいっても。無為に殺戮する事態だけは、やはり避けたい。

「エスティ様」

ホムンクルスが、気を失った男を一人引きずってきた。

おそらく逃げる最中、街を飛び出して、迷ってしまったのだろう。そのままでは、確実に死んでいた所だ。回収しても、何ら問題は無い。

一応念のためにバイタルなどを確認後、催眠術を掛ける。

しばしして。

目がとろんとしたまま。ろくに身繕いもせず。上半身裸で、しかも非常に不衛生。顔中髭だらけでやせこけ、目だけがぎょろりとした痩躯の男は、話し始める。

「次に、何処で、働けば、いい」

「強い暗示が掛かっているわねえ」

既に、スピアは人が動かす国家では無いと、エスティも聞いてはいるし、実際に目で見て知っているが。

それでも、働かされている人達はいる。

面白い事に、スピアにとって、人間なんて全部同じ。従うのなら奴隷。従わないなら皆殺し。

老若男女関係無しに。この扱いは変わらない。

悲惨だと思えるし、実際その通りなのだけれど。

不思議な事に、その扱いには、差別がないのも事実だった。苛烈すぎて、誰も生き残れないのがネックだが。

昔、いにしえの時代の神を調べていた研究者が言った。

「昔の神は、人などどうでも良いと想っていたようだ。 神が人を虐げる神話が、これでもかこれでもかと出土する。 地方も関係が無い」

今の時代も、実質それは変わらないとエスティは思う。

神がいたのなら。

どうして、このような暴虐を放置するのか。居眠りどころか、職務怠慢も良い所では無いか。

少しずつ、催眠を深めて、話を聞いていく。

この男はスピア首都から連れてこられ、後は洗脳されて、ひたすら無意味に働かされ続けていたという。

無論給金は食糧だけ。洗脳されてぼんやりした頭で、最低限の栄養だけを取り。働いた。働けなくなれば、それは死に直結した。もう最近では、スピアでは役に立たなくなれば殺されると言う事は。たとえば洗脳されていても、知っている事のようで。この男も、ふるえていた。

今、働いていないからだ。

もし、スピアの軍勢に見つかったら、その場で殺されかねないのである。

だから、洗脳を振り切って、逃げてきたのだろう。

逃げ散った全員を保護できるわけでは無い。一緒に来ている列強の精鋭部隊に尋問が終わった彼を引き渡し、残った港を徹底的に破壊し尽くす。

機械類の内、鹵獲できそうなものは運び出す。

使えそうなら、アーランドに運ぶためだ。

この戦いは完勝だけれど。

スティングレイの表情は、浮かなかった。

「いくら何でも、港の生成速度が凄まじすぎますな。 この港にしても、半年前に潰したばかりなのに」

「だというのに、大型戦闘艦を最低でも四隻、同時に作っていたわね」

「ええ。 一体どこから、このような資源を……」

エスティは答えない。

破壊し尽くした列強の国々から、物資をそのままローラー作戦で集めている事は想像できても。

戦士として真面目に戦って来たこのような男に、悪夢の内容などは告げられない。

しかも、エスティが見るところ、それだけでは説明が着かない事が多すぎるのだ。

幾らかの機械を、そのまま運び終える。その頃には、ホムンクルス達も、塵芥と化した港を、更に徹底的に破壊し終えていた。

 そして、ここからが、エスティにとっては本番だ。

「敵の前衛が現れました! 数は二千を超えています!」

「大盤振る舞いね」

だが、押さえ込むだけなら。エスティだけで充分だ。

部下達やスティングレイ、それに同盟軍を引き上げさせる。そして此処からは、エスティが可能な限り暴れて、時間を稼ぐ。

エスティの戦闘力で、二千の敵を全滅させられるかと言えば、微妙だけれど。

そのような事はしない。

というのも、後続が控えているのが確実だからだ。削るだけ削って、それで引く。戦略的な判断を、エスティは誤らない。

既に海王も、海上に退避ずみ。

その上、敵の戦略拠点は、文字通り更地だ。

此処で敵と命のやりとりをする意味は無い。

押し寄せてくる洗脳モンスターの群れ。そういえば敵のホムンクルスが、ここのところ著しく減っているような気がする。

まさか。

スピアは、とうとうホムンクルスまで、用済みと判断し始めたのか。

だとすると、一なる五人は一体。

何を考えているのか。

 

押し寄せるモンスターを三百ほど斬ったところで、エスティは港の跡地から撤退。これでも大陸最速を自称するエスティだ。一旦撤退するとなれば、もはや敵に影など踏ませない。

火力が小さいものの、速いという事は、それだけで様々な有利を産む。

エスティは戦士として成り上がる過程で。多くの戦いを経験しながら、それを知った。

敵地を離れると、既に決めておいた合流地点に向かう。

それは、少し複雑な盆地の一角にある洞窟。

自然のものではない。

スピアと戦っていた国が、避難所として作っていたものらしいのだけれど。エスティの部下が発見したときには、内部では殺戮された人骨が転がっていた。だが、血の量から考えて、殺された人数はもっと多かったはず。

他の死体は、おそらく運び出されて、ホムンクルスの材料にでもされたのだろう。

煉瓦で固められた壁や床には、血の跡が残っていて。

殺された者達。勿論老人や子供も含む彼らの無念を、現しているかのようだった。

だから、此処で働くことは。彼らの無念を晴らす事にもなる。

入り口の歩哨に敬礼して、中へ。

少し複雑な洞窟の経路を進んで、らせん状に降りていくと、広い空間に出る。其処では、既に撤退を終えた悪魔族と味方の諜報部隊が、せっせと働いていた。

空間転送の術式を使って、悪魔族が鹵獲した機械類を、アーランド前線の砦に飛ばしている。

アーランドには機械が絶対的に不足している。どんな機械でも、少しでもあれば、それは有り難い。

列強にはかなりあるようなのだけれど。

条約を締結するとき、物質的な対価は要求しなかったのだ。

部下達から報告を受ける。

古参の諜報員が、地図を広げ、指を走らせながら説明してくれる。

「敵の一群、およそ五千が、北部列強同盟の国境に向かっている様子です」

「目指している地点は具体的には分かる?」

「メギド公国にも見えますが、実態は分かりません。 他には、前線にいる敵が活気づいているようには見えます」

ひょいひょいと、駒を地図上に並べていく部下。

頭の中に、敵の配置が完全に入っているのだ。

叩ける敵の戦力は、叩いておく。

五千だったら、列強で充分に追い返せるはずだけれど。何か嫌な予感がする。出鼻を挫く方が、良いだろうか。

しかし、此方をおびき寄せる罠という可能性も否定出来ない。

「もう少し様子見よ。 それよりも、アーランドに定時連絡を入れておきなさい」

「分かりました」

今回、得た労働者の捕虜は五十名ほど。

彼らはいずれも徹底的に身体検査をした後、アーランドに送られる。スピアも巧妙になって来ていて、労働者の中に洗脳されたホムンクルスを混ぜたり、或いはレオンハルトの分身体をいれたりしているのだ。

勿論、そんな連中を、そのままアーランドに入れない。

だから、悪魔族が空間転送でアーランドに運ぶ前は、必ずエスティが目を通すようにしているのである。

不安そうにしている捕虜達を確認。

一人を、無言のまま捕らえる。

どうも気配が妙だ。

ついてきていた医療魔術師に、意識を奪わせ、麻酔を掛けさせる。その後開腹して調べて見ると、爆弾が仕込まれていた。

外道。

吐き捨てたくなる。

おそらく、周囲の労働者達を掣肘する意味もあって、こんな事をしていたのだろう。逆らう場合、グループごとドカンというわけだ。

勿論、エスティだって、ダーティワークは散々やってきた。拷問だってして来たし、麻薬を販売して利益を上げていた村を滅ぼしたこともある。

だが、それでもこれは流石に度を超している。

人は白か黒かでは無い。

しかし、これを命令している一なる五人は。もはや黒さえ通り越した、その先にある領域に踏み込んでしまっているとみて良いだろう。

「念のために全員をチェック」

「分かりました」

散る部下達を見送ると、エスティは自身偵察に出る。

今の時点で、この秘密キャンプは見つかっていない。だが、その状況だって、いつ覆るか分からないのだ。

「エスティ殿」

不意に後ろから気配。

息を切らした様子で、悪魔族の部隊を率いているロード級の悪魔が、声を掛けてきたのだ。

「どうしたのですか」

「急報です。 動いていた敵の五千ほどが、不意に姿を消したようです」

どういうことだろう。

撤退中の列強の部隊は大丈夫か。すぐに精鋭に声を掛けて、其方に向かう。勿論このキャンプに関しても、それは同様だ。

急行した先で。

味方部隊は、特に襲撃も受けていない。

しかし、指揮官は五千もの兵が、突如姿を消したと聞いて、良い顔をしなかった。

「五千もの兵を見失うとは」

「そうではありません。 突然、忽然と姿を消したのです」

「ふん、信じられませんな」

列強の人間が、アーランド人を蛮族と蔑視する風潮は、こういう所で向かい風になる。

むっとしている部下達を制する。

今は、喧嘩などしている場合では無いからだ。

「とにかく、前線に通達を。 一体何が、いきなり起きるか分かりません」

「分かった分かった。 手配する」

この男、港の制圧も、全部自軍の手柄とするつもり満々のようだが。それは正直、どうでもいい。

ジオ陛下が正当に評価してくれれば、なんら問題は無いからだ。

しばらくは、何も起きない。

念のためエスティは現時点での拠点を引き払い、移動。より列強の国境に近い地点まで移動したのだけれど。

驚愕は、その翌日起きた。

列強の一つが、軍勢をいきなり前線から下げたのである。

少なからず混乱が発生し、攻勢に出た敵を、エスティは精鋭達と捌く。勿論他の国の軍勢も、慌てながら敵を迎撃。

少なからぬ犠牲を出しながら、どうにか撃退した。

エスティが連れてきている、諜報用に鍛え抜いたホムンクルスにも死者が出たし、手練れの冒険者にも。

深手を負った者も多く、周囲の列強の将軍達も、何名か鬼籍に入っていた。

勿論、許されることでは無い。

しかし、前線から大慌てで引き揚げて行ったその国。アルマズ柱国は、文字通り前線を完全に放置。情報が得られない状況にもあったのだ。

戦闘が終わって、エスティが、突如引いたアルマズの首都に出向く。メギド公国のガウェイン公女が前線に出てきて、味方の綱紀を引き締めてくれていたから、出来た事だ。更に言えば、首都までエスティなら、一日で到着可能だからだ。

エスティ自身も、かなりの手傷も受けた。

あれだけの軍勢と長時間やり合ったのだから当然だ。場合によっては、相当にきつい灸も据えるつもりでいた。

しかし、その国の王都に到着して、今度は愕然とさせられるはめに陥っていた。

散らばっている、無数の死体。

まだ燃え続ける首都。

アルマズは列強の中でもかなり強力な国で、首都も大きい。首都の防衛部隊も、相当数に及んでいたはず。

「馬鹿な……!」

この間、姿を消した五千が。

この国の軍勢と、ほぼ相打ちになったのは、確実だった。被害は王都の中にまで及んでいて、インフラは滅茶苦茶、城壁の内部は地獄絵図だ。

一緒に来ていたホムンクルスの精鋭部隊ほぼ全員に、すぐ救助を行うように指示。

エスティはまだわずかに残っている敵の残党を見つけ次第殺しながら、燃え上がる、瓦礫と化した街の中を急ぐ。

柱国は、一種の宗教国家。

自らを柱と称する支配者層が神官を兼ねて、神殿に住み着いている。その神殿が、いにしえの時代の遺跡である事は皮肉極まりない。

そして、その神殿も、燃え上がっていた。

防衛機構が根こそぎやられている。

余程に手酷い奇襲を受けたのだろう。しばし唖然とした後、それでもすぐに意識を切り替える。

ついてきていた冒険者達も、全員救助に廻した。

側には、二名だけホムンクルスが残る。二人とも初期からのメンバーで。特に一人は、ナンバー8。つまり、最初期からいるホムンクルスだ。しかも、今や三人しかいない、前線で活躍している一桁ナンバーホムンクルスである。

剣を抜くと、神殿の中に。

点々としている、防衛部隊の残骸。

いずれも悲惨な死に方をしていて。中には食いちぎられたり、喰い漁られたものも散見された。

真横から飛びついてきた、敵の生き残り。獅子のような姿をしたモンスターを、一刀に斬り伏せる。

その口は真っ赤に染まっていて。

遺跡の今では解析も出来ない素材の壁は、人肉と内臓で彩られていた。ついさっきまで、此奴に喰われていた誰かの亡骸だろう。

「だ、誰か、いるのか」

か細い、情けの無い声。

怯えきった中年男性が、機械類の影に隠れていた。

8が言う。

「以前一度見ました。 柱国の王です」

「そう」

この情けない男が、宗教で国をまとめ、富国強兵策でスピアに抵抗し続けていたのか。それとも、側近達が凄腕の政治家だっただけかもしれない。

助け起こす。

他にも生存者がいないかと、出来るだけ優しく聞くが。大小を漏らしてしまっているようで、ひどい異臭。

目の前で護衛か家族か分からないが。今の獅子に喰われているのを、なすすべなく見ているしかなかったのだろう。

怯えきっている王は、まともに受け答えも出来なかった。

「8、何があっても守りなさい。 陛下、今は危険です。 単独行動しない方がよろしいでしょう。 一緒においでください」

「……」

がくがくとふるえるばかりの王。

悲惨なスピアとの戦いでも、前線に出たことは無かったのか。この太った体型からして、自分だけは豊かな食事に塗れて、平穏に暮らしていたのかもしれない。アーランドでは考えられないと、エスティは思ったが。

しかし、この方が列強の支配者層としては普通なのだと言う事も知っている。だから、ため息だけを漏らした。

もう一人ついてきている16と一緒に奧へ。

途中見かける生存者を集めながら、敵を掃討。

四刻ほど掛けて、遺跡の中から、モンスターを全滅させることに成功した。

遺跡を出ると、流石にエスティも疲れていた。

周囲では、散らせたホムンクルス達や冒険者達が、生存者を集めている。柱国の首都は壊滅状態だ。これでは、首都を移動させるしかないかもしれない。

しかもこの国の軍勢は、致命打を受けている。

スピアの軍勢にも大打撃を与えたが、敵にして見れば大した損害でも無い筈。補填はそう難しくないだろう。

この国は首都と主力部隊を失ったのだ。

当面、立て直すどころでは無い。

エスティの部隊も、打撃は決して小さくない。援軍を廻して貰わないと、当面の活動にも影響を及ぼすだろう。

医療魔術師達は、過労死しかねない状況だ。

薬もたくさんいる。

渡されている通信装置を使って、すぐに連絡。クーデリアは、状況の過酷さに、流石に眉をひそめた様子だ。

「どういうことかしら。 空間転移にしても、五千に達する軍勢がいきなりというのは、考えにくいのだけれど」

「以前、アーランドのオルトガラクセンで、魔物が湧いたときと同じ現象は考えられない?」

「それこそ考えにくいわね。 あれでも、一度に多数の軍勢が移動するのは難しいし、何より今では、列強各国が遺跡に対する監視を強めているはず。 かといって、空間転移については、正確な座標が必要になるわ。 ましてやこんな大規模な軍勢を一度に転移させられるとは思えない。 ……内通者を疑いたくは無いけれど」

誰かが、手引きした。

そう考えるのが、確かに一番現実的だ。しかしそれは、せっかくまとまった列強に、ひびを入れかねない考えでもある。

無事だったらしいアルマズの将軍が来る。

彼も、流石に愕然としていたが。王が無事だったことを聞くと喜んだ。列強の人間には珍しい豪傑で、背も高く体格もがっしりしている将軍は。おそらく、戦士としてのあり方を好まれず、後方に下げられていたのだろう。

「陛下を助けていただき、感謝する。 後は任せていただけるか」

「状況が落ち着くまでは此処にいます。 それよりも、前線が心配です。 かき集められるだけの軍勢を集めて向かってください」

「……そうさな。 分かっている」

二千ほどの軍を連れていた将軍は、半数を前線に向かわせ、残りが首都の敵掃討と救助活動に取りかかる。

エスティは8と目配せ。

彼が裏切り者では無い保証は、何処にも無い。

だから、敢えて此処は任せない。これでもエスティは、人間の暗部を、嫌と言うほど見てきているのだから。

瓦礫の除去と、生存者の救出を続けている内に、前線に残していた部隊が連絡に来る。

案の定、敵が攻勢に出たという。

アルマズの軍勢が激減したこともあって、味方は苦戦。押し返すことには成功しているが、それも何度も保つかどうか。

前線を下げることも、検討しなければならないか。

そう考えている内に、さらなる情報。

王宮を単独で調べていたホムンクルスの一人が、見つけたのだ。放置されていた国家機密文書を調べている内に、である。

行方不明になったこの国の幹部の一人が、スピアと通じていたらしい。

どうもレオンハルト、もしくはその分身の工作らしいのだが。

奴の手で前線の一部に穴が開けられて。五千の兵が、其処を通って首都を直撃したらしいのである。

勿論そいつはスピアに逃亡。

もっとも、無事でいられるとは思えないが。今頃ホムンクルスの材料か、モンスターの餌か。

まずい。

エスティは素直にそう思う。

かろうじて、敵を支えていた北部列強が、内通者を抱えている事がはっきりした。しかもこの行方不明になった奴だけとは考えにくい。周知はしているはずなのだ。スピアに下った所で、権勢など得られないと。

何を餌に釣った。

いずれにしても、前線に戻る必要がある。敵の動きには、これ以上もないほど、注しなければならない。

援軍が期待出来ない現状。

更に戦線の維持が過酷になるのは、目に見えていたが。

それでもやるしかない。

アーランドに掛かる圧力を少しでも減らすためには。此処で踏ん張るしかないのだ。

「ガウェイン公女と協議する必要があるわね」

レオンハルトは再び行動を開始。

また、エスティが過労死しかねない日々が始まる。失った戦士達の分も。この恐るべき敵と状況と。

戦い続けなければならなかった。

 

(続)