明星

 

序、壮観

 

これは、軍勢というものの、新しい形なのかもしれない。

そうステルクは、あまりにも凄まじい光景を見下ろしながら、思っていた。隣にいるアストリッドは、腕組みしたまま微動だにしない。

城壁に並べられた、生きている大砲達も。

戦闘に備えて厳戒態勢を取っている戦士達も。ホムンクルス達も。

皆、固唾を飲んで見守るばかり。

アーランド最北端。

いわゆる夜の領域の隣に作られた砦のすぐ北に、敵の大軍勢が集結している。その数は、以前に聞いたとおり、五万を越えていた。

元々スピアは、此処に二万五千の備えを置いていたのだけれど。

それが一気に倍増した計算になる。

大陸中の対スピア戦線が恐慌状態に陥っているという話を聞いていたけれど。なるほど、確かにそれも頷ける。

この数はそもそもが異常だし。

見る限り、敵はあまりにも統率が取れている。これは正直な話、真正面から総力でぶつかると、危ないかもしれない。

一瞥したアストリッドに聞いてみる。

「どれほど殺せる」

「さあな。 私とお前でも、殺しきれないだろう」

当たり前の事を言うなと、吐き捨てたが。

まるでこたえている様子が無い。アストリッドは何というか。前のプロジェクトの末期。あの賢者の石の一件以来、明らかに更に頑なになっている。そしてこの頑なになった心を、溶かす方法が思いつかないのが歯がゆくてならない。

重要人物が二人、来る。

一人は、北方で暴れ回り、少し前に戻ってきたジオ陛下。

陛下はステルクの隣に立つと、騒然たる洗脳モンスターの大軍勢を見て、満足そうに頷いていた。

「これほどの数、数年前の大戦を思い出すな」

「あの時よりは少ないですが、しかし敵の質は上がっているように見受けられます」

「今、ロードも来る」

「いや、もう来ている」

ステルクを挟んで、王と逆側に具現化したのは。

特徴のない、平凡な顔の娘。

背丈も平均的で。とにかく、目立たないという事に、全力を尽くしているとしか思えない容姿。

それも当然だろう。

実際に、そういう意図を持って構成された偽装なのだから。

悪魔族の王。王の中の王であることから、ただロードとだけ呼ばれるもの。どうやらスピアに潜入捜査をしているところを、急いで戻ってきたらしい。

後ろには、重鎮である長老達が、全員揃っていた。

今回の戦。悪魔族も本気だと言う事だ。

「敵が仕掛けてくるなら、即座に叩く」

ジオ陛下がそう言うけれど。

敵は近いとはいえ、其処から動こうとしない。これがまた、攻撃を敢えてせず、消耗を誘っているようにしか見えない。

一応、近隣諸国への援軍も打診はしてあるが。

さて、間に合うかどうか、

今回はあらゆる動きが、あまりにも早すぎた。特にスピアの軍勢は、全体的に数を利用した平押しをしてくる事が多かったのに。今回に関しては、その数を極めて有効に活用もしている。

エスティ先輩から連絡が来ているが。

大陸北部の戦線も、どうにか支えるのがやっと、という状態にまで不利になった様子だ。メギドを軸にして、北部の列強が連合を組んでいなければ、一体どういうことになったのか。

想像もしたくない。

「モンスター共の中に、明らかに指揮官がいるな」

ロードが言う。

確かにそう考えるのが自然だろう。ホムンクルス達の量産型指揮官とは、どうにも手練れの度が違う。

しかし、洗脳されたモンスターの中に。

そんな都合が良いものがいるというのは、どういう事なのだろうか。

敵ホムンクルスの部隊もいるけれど、後方で予備戦力として控えている様子だ。ロードは其方をじっと見ていたが。

ジオ陛下に、顎をしゃくった。

「少しばかり、単騎で敵の後方を掻き回してくる」

「ふむ、相変わらずだな」

「危険ではありませぬか」

「いや、このまま戦う方が、余程危険だ」

ロードが姿を消す。

長老達が顔を見合わせている。ロードの行動はいつも彼らの気を揉ませているとは利いていたけれど。

確かに、間近で見ると、非常に破天荒だ。

しばらく戦況を見守る。敵の後方で、二度、三度と爆発が起きる。だが、敵が明らかに冷静に対応している。

陣が崩れる様子も無い。

少数部隊、もしくは単騎による奇襲だと、即座に見抜いた様子だ。

「出来るな……」

ジオ王が呻く。

ステルクもそれに同意だ。とにかく、安易に仕掛けるのは、非常にまずいと言わざるを得ない。

ロードが戻ってくる。

殆ど、戦果を上げることは出来なかった様子だ。この有様では、敵の守りが、極めて堅かった、ということなのだろう。

「如何でしたかな」

「此処にいる国家軍事力級の精鋭が全員がかりでも、敵の補給路を断つことは出来そうにもないな。 敵は極めて堅実に補給をしている。 敵の本陣も魔術によって頑強に守りが固められていて、近づくのは困難だ」

「ならば、単騎での突出はお控えを」

「うむ……」

長老達にたしなめられたロードが、これ以上は無理だと顔に書いている。確かに、無謀だとしか言えない。

城壁の上から見下ろすと。

大小様々な魔物がいるにも関わらず。

連中の組んだ整然とした陣が、まるでいにしえの歩兵が組む戦列にさえ見えてくるほどだ。

あまりにも、美しい陣。

全てが理にかなっている。

敵指揮官がどういう奴かは知らないが。ジオ王が言うとおり、出来る奴である事は、ほぼ間違いないだろう。

時に、レオンハルトはどう動いている。

これだけの規模の作戦だ。何処かの前線から国内に潜入して、暴れていてもおかしくはないだろうが。

今の時点で、各地からの報告は無い様子だ。

ロロナから少し前に、レオンハルトは相当なダメージを受けた様子だと言う話もあったけれど。

あの化け物が、即座に回復しないのも妙だ。

分身さえ、敵陣には姿が見えない。

一体、スピアに何が起きているのか。

「余も、敵陣を見てくるとするか」

ジオ陛下が、ゆらりと動き出す。

止めようと思ったけれど。

やめておく。

ロードと同じ結論が出るだろうけれど。それでへまをするほど、うちの国王は腹立たしい事に柔では無いからだ。

再び、敵陣で小競り合いが始まる。

やはり、大きく混乱させる事は出来ない様子だ。

腕組みして、戦況を見守るしかない。敵の数を多少は減らせるかもしれないけれど。この有様では、大きな打撃を効果的に与えるのは、文字通り不可能だ。

さて、どうする。

このままでは、あまりにも数が違いすぎる。

そのまま過ごしているだけで、圧力で味方が減殺されていく。最終的には、国内になだれ込む敵の大軍を、見やるしかなくなるだろう。

ジオ陛下が戻ってきた。

あまり、良い表情では無い。

戦いとしても楽しくないし。敵にもつけいる隙が無いと、口を開く前に、顔に既に書いてあった。

無言で、時が流れる。

 

クーデリアが、ハイランカー二十三名とホムンクルス二百五十を連れて到着。

ステルクがその報告を聞いたとき。戦況は完全に膠着状態に陥っていた。敵は進むでも引くでも無く、ただ陣を整然と展開して、適当な距離を保ったまま、此方の出方を見ている。

敵の弱点かと思われる、後方のホムンクルス部隊への攻撃も上手く行かない。

敵の指揮官が、何処にいるかさえも分からない。

そんな中。

相応の戦力を集めて到着したクーデリアは。戦況を聞いていたらしく、真っ先に城壁の上に来た。

手をかざして、敵陣を見る。

「壮観ね……」

「君ならどう攻める」

ステルクが、戯れに聞いてみるけれど。

クーデリアは答えず、じっと敵陣に視線を送り続けている。おそらく、何かしらの対策がないか。今まで来た情報とあわせながら、考えているのだろう。

更に敵が増強されていることも告げておく。

後方から、敵のホムンクルス部隊五千ほどが加わっている。

これは質から言っても、今まで戦って来た連中とあまり変わらない。敵の研究施設で生産されたものと同じとみて良いだろう。

このまま行くと、敵の数は更に増える。

どうにかして敵を削らない限り。

反スピアの急先鋒となっているアーランドが、真っ先に陥落しかねない状況だ。

敵の圧力が凄まじい。

つけいる隙が、ない。

苛立っているステルクを見かねてか。城壁から敵陣を見つめながら、クーデリアがようやく口を開く。

「おそらくこれ、敵の指揮官、いないわよ」

「何……!?」

「異常よ。 もしも名将と呼ばれる存在が指揮をしていて、部下がそれを慕って整然たる陣形を組んでいるとしたら、こうも機械的な陣形になると思う? 全体が一群として、有機的に活用する仕組みが導入されているのではないのかしら」

「確かにその可能性は否定出来ないが」

しかし、だ。

そうなると、敵は一体、何をしてどのようにそのような事を。

クーデリアが肩をすくめる。

「おそらく、あのいけ好かないアストリッドは、もうこれに気付いているのでは無いのかしらね」

「……陛下に進言してくる」

「好きになさい。 多分あれが大軍だと考えているから、どうにもできないのだとあたしには思えるけれどね」

クーデリアは、ロロナを支えていた頃からそうだが。

参謀としては、おそらくこの国最高の人材だ。

頭のキレが最近は特に違う。

ステルクはどうしても一戦士の域を脱することが出来ない男であるし。自分でも脱するつもりがないが。

戦闘力で劣るクーデリアが。最近非常に高い評価をされている事を、あまり苦々しくは思っていない。

国に総合的に貢献できるのは、むしろクーデリアの方なのだと、ステルクが内心で認めている証左かもしれない。

ジオ陛下は、ロードと省庁のある建物で休んでいたけれど。

ステルクがクーデリアの到来と、彼女の見立てを話すと。興味深そうに、目を輝かせた。

「なるほど。 つまり敵は巨大な一体の敵と考えるべきだと」

「恐らくは。 全体を見ると極めて堅固ですが。 逆に言うと、指揮官を狙って一発逆転というのは難しいように思えます」

「どう思う、ロード」

「ふむ、一理ある。 敵の動きがおかしいとは、余も思っていた」

おかしいとは思えても。

結論に至れない辺りが、仕方の無いところではあるのだろう。

アストリッドに関しては、ホムンクルスの護衛の一人に声を掛けて、呼んでくるように促す。

城壁の上に全員で上がると。

クーデリアは、既に銃を手入れしながら、此方を待っている状況だった。

陛下に形だけの儀礼と挨拶を尽くすと。

城壁の上に展開したホムンクルス達と、精鋭ハイランカーの部隊を一瞥しながら。クーデリアは言う。

「敵を撃退する策なら、おそらく正面からの平押しでは無理かと思われます」

「そうだな。 敵は一群として、これ以上もないほどに優秀な……」

「敵が動き始めました!」

不意に、会話を中断させる叫び。

見ると、敵の一部。一万ほどが、この砦に向けて、前進を開始している。今まで黙り込んでいたというのに、急にどうしたのか。

とにかく、臨戦態勢に入る中。

敵は今までのだんまりが嘘のように戦意を滾らせ。陣形を保ったまま、此方に進軍を開始していた。

「余とロードが前衛を務める。 ステルクは守りを固めよ。 クーデリア、中距離から支援せよ。 アストリッドは好きに動け。 お前はそれが一番やりやすかろう」

「了解……」

いつの間にか。

すぐ後ろに、にこりともせず、アストリッドが立っていた。

まるで幽鬼のような形相で。

周囲にいるハイランカー達が、一番驚いていた。

ステルクが、嘆息するけれど。

アストリッドは意にも介さない。もう、喋るのも面倒くさいという雰囲気が、全身からにじみ出ていた。

敵が勝ち鬨のような雄叫びを上げ始める。

動くのはあくまで前衛の一万だが。それでも、今までの戦いとは、比べものにならない圧迫感である。

敵の戦力が、尋常では無いことは。

ただ、近づくだけで、感じ取ることが出来た。

城壁を飛び降りるジオ陛下とロード。

自動大砲が動き始め。

ステルクとクーデリアも、それぞれ麾下の精鋭を周囲に展開する中。

戦いは、無慈悲に始まった。

敵の前衛にいた無数のモンスターが、一斉に火球を放ったのである。それは流星雨のように、王とロードの上を飛び越え、うなりを上げながら砦に襲いかかってきた。

ステルクが一薙ぎ。

更に、クーデリアが速射。

連射しながら、火球を多数叩き落とすが、何しろ敵前衛だけで二千を超えている。凄まじい火力が、正に圧殺するべく、襲いかかってくる。

ハイランカー達、ホムンクルスの部隊も、皆それぞれの魔術や武器で迎撃するけれど、防ぎきれるものではない。

一波が着弾。

城壁の上に、流星群が直撃した。

一部は砦の中にも飛び込む。

爆発が連鎖する中、それぞれがそれぞれ、生き延びるべく動くしかない。

ジオ陛下とロードが、敵陣に突っ込む。

クーデリアが城壁を飛び降りる。

ステルクはその場に残ると、詠唱しながら剣に触れる。どうやらこれは、出し惜しみをしている状況では無さそうだ。

第二射。

既に敵の最前列は、王とロードの凄まじい暴虐に曝されているけれど。それでもまだまだ秩序を保ち。

更に射程圏内に入った敵第二群が、攻撃を開始したのだ。

火球が先以上の数、降り注いでくる。

ステルクは己の火力を全解放。

青い稲妻の一撃を、虚空に向けて放っていた。

そのまま、天に散れ。

火球が、いずれも青い稲妻の絨毯爆撃に焼かれ、爆裂する。その中で、攻撃をかいくぐった火球の群れが、砦の城壁に着弾。

爆裂。

砦が揺動する。

凄まじい火力。今までの敵とは、格が違う。前衛の一万でこれか。

クーデリアも敵陣に突入した。

冷めた目で様子を見ているアストリッドは、面倒くさそうに飛んできた火球を払っただけ。

だが、流石にこの状況で動かないのも問題だと思ったのか。

残像を作って、姿を消した。

守りは、ステルク一人が担当するしかないか。

ハイランカー達に、声を掛ける。

「防御の術式を使える物は、出し惜しみするな! 敵は今までとは……」

「敵が後退を開始!」

舌打ち。

見ると、本当に敵が引き始めている。

しかし、整然たる動きで、暴れ狂う二つの光。ジオ王とロードの凄まじい攻撃にも動ぜず、陣形を崩さず下がっていく。

横殴りに、恐らくはクーデリアが火力を解放して叩き付けているのだろう。光の束が連射されているのが見えるけれど。

それにも、陣形が崩れる様子は無い。

程なく、追撃を断念。

敵は陣に戻った。

さほどの被害も無い様子だ。おそらく八百程度。

それに対して、此方は。

砦の中で、火災が拡がっている。ステルクは、すぐに指示を出して、鎮火に当たらせる。城壁の様子も、あまり良くは無い。

あまりにも整然と火力が統一されていたからだろう。

今まで不敗を誇ったこの町が。

たった一万の敵に、一瞬にして、此処まで傷つけられるとは。

王とロードが戻ってくる。

クーデリアも。

何か言いたいところだったけれど。クーデリアには、妙に余裕があった。

「見ての通りです、陛下。 敵を引き下がらせるには」

「確かにそれが良さそうだな」

「妙案が見つかったのですか」

「敵を全滅させることは不可能だが、敵の攻撃を停止させることは出来そうだ。 前衛で、余も見た」

ロードが、王の言葉に頷く。

ステルクの位置からは、何が起きていたのかは分からなかったが。敵をまさか意図的に下がらせたというのか。

でも、楽勝とは行かない様子である。

まあ、敵の動きが明らかにおかしいのだ。スピアも、ここに入って、本腰を入れてきたとみるべきなのだろう。

「一度、作戦会議を行う」

王に促されて、悪魔族の重鎮達と一緒に、省庁へと降りる。

周囲は彼方此方が燻っていて、さんさんたる有様だ。被害を受けた労働者階級の人間も、決して少なくは無いだろう。

勿論、戦いが始まる前に、避難は勧告してある。

だがそれでも、色々な理由があって、残った者達は多かったのだ。

しかし、希望もある。

クーデリアの言葉に、王二人が納得していたのだ。ひょっとすると、敵の大軍を崩す効果的な方策があるのかもしれない。

いずれにしても、アーランドの主力は、当面此処から動く事が出来ない。

ロロナと、何よりトトリが心配だが。

しかし、ステルクは、当面此処に根を生やすしか無さそうだった。

 

1、闇のオアシス

 

騒がしくなりつつある砂漠の砦を出る。

トトリは、話にだけ聞いた。

西の方にある国境で、大きな戦いが始まったのだと。敵は、どう考えてもスピア連邦と見て良いだろう。

それも、今までに無いほどの大軍だそうである。

大丈夫なのだろうか。

不安はあるけれど、トトリに課せられた任務に関しては、変わっていない。アーランド北東部の調査。

後、幾つかの要所を調査すれば。

大まかな探索記録を、提出することが可能だろう。

五回目の探索になる今回までに、既に四つの森の地図を作り上げ。十二の毒、酸などの危険物質に満ちた沼の測量が終わっている。

黒い森は幾つもあり。

その性質は全て違っていて。詳細に起こした地図に、その内容も書き込み終わっていて。いずれも、提出を済ませてある状況だ。

普段のサンプルと違い、これらの重要機密に属する物資は、マッシュさんに預けてある。マッシュさんの方で、専門の手練れを用意して、其方からアーランド王都へと輸送してくれるそうである。

いずれにしても、トトリは。

今日も汚染されきった森に出向いて。

少しずつ、その解析を進めていくだけだ。

今回は、アーランドの最北端。

迷路のようになっている部分の北にある、特に強い光を放っている森を調べる事になる。

ステルクさんがいなくなって、不安も大きいけれど。

ホムンクルスの一小隊十六名が、一緒に来てくれているのだ。

大きな戦争が起きている状態で、最大限の期待をされているとみて良いだろう。それならば、期待にこたえれば。

きっと、大きな成果として認められるはず。

戦略的に、アーランドに貢献できる可能性も、決して小さくは無い。

二連につなげた荷車を引いて、東に黙々と歩く。

マークさんは、砂漠の砦に、自分の研究施設を作った。給金をはたいて買ったらしい家を、色々改装したらしい。

この間持ち帰った人型の機械を、解析しているのだろう。

昼夜ともに明かりが途切れる事は無く。

ずっと、何か作業をしている音が、途切れる事がないそうだ。

マークさんの穴を埋めるように。

ふらりと現れたナスターシャさんが加わってくれている。

元騎士団にいたというこの人が。相変わらずつかみ所のない笑みを浮かべて、時々トトリに話しかけてくることを。

ミミちゃんは、決して良く想っていない様子だった。

途中、今までに作ったキャンプの跡地を作り直して。

其処で、休憩をしながら、東に行く。

いずれこれらは、キャンプスペースとして、恒久的に使える場所にしたいけれど。トトリとしては、まず砂漠の砦の周囲に拡がる荒野を緑化して。その緑化した緑を、東に進めていきたい。

人が入ってはいけない黒い森の周囲は、毒沼か荒野だ。

その辺りは、やりようによっては、環境改善が出来る筈で。

今、過去にないほど増えているアーランドの人口を養うためにも。村を作る必要がある現状。

大きな貢献を果たしてくれることは、間違いが無いとも思っている。

予定通り、五日目に目的地に到着。

ホムンクルス達と共同して、キャンプを設営。すぐに四名の部隊が戻る。そして時間差を置いて、もう四名も戻る。

交互に入れ替わりながら、此方に物資を運ぶ。

そして、サンプルを回収する。

借りているホムンクルス小隊十六名の動きは、前回と変わりが無い。ジーノ君だけは、師匠と崇めているステルクさんがいなくて、少し機嫌が悪かったが、それくらいだ。ステルクさんがいなくなって、戦力は半減したと見て良いけれど。

それでも、探索を続けるには充分。

あまり楽観的に考えたくはないけれど。

敵も、今はトトリに構っている暇などないと、信じたい所だ。

前回作った地図を広げる。

皆で覗き込んで来る中。トトリは大きく円を描くように、指を地図上で動かした。

「今回の探索では、この辺りからこの辺りについて調べていきます」

「おや、随分広いな」

悪魔族のガンドルシュさんが言う。

隻腕の巨躯を持つこの悪魔族の老戦士は。若き悪魔族の戦士シェリさんと一緒に、トトリの側に付き従ってくれる。

時々、すごく敬意を払ってくれるのが分かって、気恥ずかしくもなるけれど。

行動を全面的に称賛したりと言った、相手を駄目にするようなことはしないので、信頼感もある。

ロロナ先生は黙って見ている。

トトリがすることに問題があれば、口を出してくるのだろうけれど。

今の時点では、気にする事も無い、というのだろうか。

「この辺りは、此処。 ステルクさんが入るなと言った、この山を中心に、幾つかの川がある事が分かっています。 流域には毒沼が拡がっている可能性も高いので、気を付けて探索をして行く必要があります」

「質問」

ミミちゃんが挙手。

頷いて、発言を促す。

「この辺りを探索し終えると、次はどうするのかしら」

「私としては、砂漠の砦の周辺を、緑化作業していきたい所だけれど……」

「なるほど、広大な荒野を緑化することができれば、確かにアーランドは戦略的に見て、大きく力を増すことが出来るでしょうね」

ミミちゃんも頷いてくれる。

事実、近年の緑化作業の加速によって、新しい村が幾つも生まれている。森の周囲に作られ。

森を守り、そこから産み出される富を享受することで、寄り添って生きていく村の存在は。

言うまでも無く、アーランドにとっては、民を増やし富を増やす意味で、非常に大きな意義がある。

この辺りの荒野に関してもそうだ。

危険地帯さえ避けながら、植林をして、荒野を緑に変えていけば。

その辺りに村を作って、多くの人が移り住んでいくことが出来る。亡命してきたリス族が森を守ってくれれば、更に安全に街道を行き来することも可能だ。

勿論、森には適切な数の猛獣を住まわせ。

場合によっては、黒い森も少しは利用するようにして。

戦士の質を保つことも出来る。

国家全体として、遊ばせていた荒野を活用できるという事は。それだけ大きな意味を持っているのだ。

土地の保水力を上げることで、周辺から豊かな実りを得られるという意味もある。

無論、今後更に人が増えていけば、色々な問題はわき上がってくるのだろうけれど。

今は空白地帯となっているこの近辺を解析し。

可能性を見いだすことが出来れば。

大きな国家的戦略上の業績を造り出す事が可能だろう。

そうなれば、トトリにとっても。冒険者ランクを引き上げることが出来て。そして、最終的には、お母さんを探す手がかりを見つけ出すことにもつながるのだ。

細かい説明に入る。

前回の探索で、山裾を縫うようにして森を調べる中、遠めがねなどを駆使して、周辺の地形の起伏に関しては調べてある。

スピアの国境に抜けないように気を付けながら、黒い森を調べていき。

最終的に、海岸線まで到達した後は。その辺りを中心に、また調査を進めていく。

海岸線に、スピアへと抜けられる砂浜が続いていることは、既に調べがついている。最初の探索の時に、見つけた抜け穴だ。

敵は守りを殆どおいておらず、小さな砦が一つあるだけ。

余程自信があるのか、或いは、

アーランドと同じように、この森を越えることが不可能だと考えていたのか。

どちらにしても、探索を進めていけば、それも明らかになる。

更に言えば、スピアはこの間、森に軍勢を野放図に進めた結果、壊滅するという悲劇に遭わせている。

余程のことがなければ、軍を森に入れようとは思わないだろう。

一通りミーティングが終わると、一旦休憩。

皆が設営の終わっているそれぞれの天幕に入り。ホムンクルス達が、どう周囲を警戒するか、相談を開始する。

ホムンクルス達は、彼女ら自身に全てを任せる。

任せると、却って良く動いてくれる事が多いのだと、トトリはここ最近の観察で、分かってきたからだ。

無表情で無感情で、みな同じに見えるホムンクルス達が。

実は心もあるし、それぞれ個性を見つけようと苦悩しているし。戦いで怖い思いをすればPTSDにもなるし、トトリに対して感謝もしてくれる事が分かった今。トトリにとって、彼女たちホムンクルスは、血の通った人間と何ら変わりが無い存在だ。

天幕に入って休んでいると。

ロロナ先生が、入ってきた。

「トトリちゃん」

「どうしたんですか、ロロナ先生」

「一つ、渡しておくものがあるから」

渡されたのは。

高純度の、ネクタルが入った瓶。

以前も何度か用いた、死者さえよみがえらせるという、奇蹟の薬。実際に死者がよみがえるわけではなく。それだけの薬効がある、特効薬と言う事だ。

しかもこれは、普段施療院などで使われることがあるネクタルとも、純度という意味で格が違っている。

本当に飲めば、奇跡を起こせるかもしれないレベルの純度だ。

「いざというときは、躊躇わずに使うんだよ」

「はい。 でも、急にどうしたんですか、こんな貴重なものを」

「ネクタルはね。 土地を再生するために、各地の遺跡で生産され、撒かれているものなんだ」

え。

そんな話は、初耳だ。

ロロナ先生は、おそらく魔術による結界で、周囲に音が漏れないようにしている。つまり、それだけ、今重要な話をされているということだ。

「本当はね。 この世界の動物がとても強くなったのは、このネクタルのおかげだと言う事もあるの。 世界の破滅に曝されて、淘汰の中で強くなって行った部分もあるんだけれどね」

「それは、ええと」

「幾つかの遺跡では、まだネクタルが自動で生産されて、土地に注がれていて。 その周辺では、とても豊かな自然が。 豊かすぎるくらいに拡がっているの。 アーランド人も、みんな生まれてから、知らず知らずのうちに、水や食物に混ざったネクタルを摂取していて、それで回復力が高いの。 本当だったら、アーランド人だって、此処まで強靱ではなかった可能性も高いんだよ」

「……」

そんな話が。

トトリは息を呑む。

ロロナ先生は、全く笑みを浮かべていない。

普段の優しい先生じゃなくて。本当に大事な話をしているのだと、一目で分かった。

「この世界は、多くの悪意で壊されて。 多くの願いでよみがえったの。 今、少しずつでも蘇り続けているこの世界を、少しでも良い方向に導くのは、トトリちゃん。 トトリちゃん達、若い子なんだよ。 私達も頑張るけれど、それでも限界があるから。 だから、この薬は、今渡しておくね」

「ロロナ先生、何か危ない事があるんですか?」

「これから、トトリちゃんはもっと危ない事に脚を踏み込むことになるから。 私でも、守りきれるか分からないから。 だから、薬を渡しておくよ。 本当に大事なときだけ、これは使って。 私でも、そうそう作れるものじゃないから」

ロロナ先生でも、簡単に作れないレベルの薬。

それはひょっとして、場所によっては秘宝として継承されるレベルの品では無いのだろうか。

天幕を出ていくロロナ先生。

トトリはしばし呆然としていたけれど。

絶対に落とさないように、今の薬瓶を、いそいそとしまった。本当に大事なときにしか、これは使えない。

使ってはいけないものだ。

それにしても、今の話。

ロロナ先生は、どうやって知ったのだろう。

そしてトトリに聞かせたのは、何故なのだろう。

ひょっとして。

何か、とても大きな危険が、近づいているのでは無いのだろうか。だとすると、今度の探索。

何かの山になるような気がしてならない。

不安がわき上がってくると。

それは、際限なく拡大を始めた。

 

朝早くに、キャンプを出る。

守りはホムンクルス達に任せる。今日から、強い光を持つ森と、毒の沼の測量を、順次進めていくのだ。

森に入るときには、敵意を買わないように、細心の注意を払う。

何度かの探索で、よくよく分かったことである。

ステルクさんが指示したように、中ではハンドサインを使って会話。トトリを中心にして、最前衛はシェリさん。側にはガンドルシュさんとロロナ先生。

少し散るようにして、ミミちゃんとジーノ君。

わずかに後方に、ナスターシャさんと、彼女が連れている幼子。まだ名前を教えて貰っていない。

気配探知のために、この子の力は重要だ。

ハンドサインについても教えてあるけれど。使いこなせるかどうか。

森に入ると。

光が、凄まじい。

以前見た、巨大冬虫夏草とは、また違った光源だ。

棒のようなものが生えていて、其処の頂上部が光っている。触ってみる限り、恐らくは金属による構造物。

文明の産物とみて良いだろう。

周囲は不自然なほどに暗い。

光が点っている周囲だけが、異常に明るい。天蓋が森の木々の枝で覆われているにしても。

この森の暗さは、異常だ。

ジーノ君が、ハンドサイン。

何かを見つけたらしい。

見ると、木の枝に、妙なものがついている。その周囲は、明らかに光が差し込んできていない。

光を、吸い取る装置か何かなのだろうか。

そんなものがあるとしたら。

一体どうやって作っているのか、見当もつかない。

周囲の気配も濃い。

モンスターが非常に多いのが分かる。しかも、トトリ達に気付いて、監視している。余計な事をしたら、即座に襲いかかってくるだろう。

外敵として、みなされている証拠だ。

息を何度か、ゆっくり吐いて、吸う。

自分だけでも、とにかく落ち着かないと。

この黒い森、光が差し込んでいる場所と、そうで無い場所の落差が大きすぎる。しばらく地図を作った後、一旦外に。

出た後、皆が愕然としていた。

「此処は何!? 今までとも露骨に違いすぎるわ」

ミミちゃんが呻く。

これはひょっとして。人間が足を踏み入れて良い場所どころではない。この世とは違う世界と考えるべきなのかもしれない。

あまりにも、大きな違和感。

そして異なる世界の理さえ感じられる。

ガンドルシュさんが、森を振り返りながら言う。

「どうにもおかしいな。 ひょっとすると此処は、我等が先祖が、手を加えた場所ではないかもしれない」

「元からこうだったと言うんですか?」

「おいおい、マジかよ」

呻くジーノ君。

トトリも驚きだ。

ナスターシャさんは目を細めて、キャンプに歩きながら話している面々を見ている。困惑している様子が、楽しくて仕方が無いらしい。

ロロナ先生は最後尾につくと、最大限の警戒を開始。

一言も喋らない。

キャンプにまで戻って、ホムンクルス達と合流。天幕に入って、消毒された布で体を拭って。

それで、ようやく一息付けた。

森そのものは、それほど広いとは思えない。

だが、何なのだろう。

非常に息苦しいというか、なんというか。言うならば、建物の中。それも、あまり良くない用途で作られた。

そう言う場所に入り込んで。

周囲からの悪意が体中を突き刺している。

そんな印象なのだ。

最前列で歩いていたシェリさんが、疲れ果てた様子で横になっている。ナスターシャさんが、回復術を掛けていたので驚いた。

使えたのか。

いや、使えるようになったのだろう。

この人も、ハイランクの魔術師だ。それくらい出来るようになっても不思議で無い。ただ、回復術は特性が必要だとかで、誰でも使える代物では無いとも聞いているのだけれど。或いは、今まで使えるのを、黙っていたのか。

たき火を囲んで、今回の探索について話す。

やはり、異常だという意見が、大勢を占めていた。

「ここには入らない。 それで良いと思うけれど」

いきなりミミちゃんが言う。

それにシェリさんも賛成。

ジーノ君は意見を言わない。ガンドルシュさんもじっと黙っていた。

「此処は周辺を確認して、どれだけ拡がっているかを調べるだけで良いと思う。 調べるにしても、ステルクが戻ってからにするべきではないのかしら」

呼び捨てで良いと言われてから。

ミミちゃんは、ステルクさんを呼び捨てしている。完全に格上の戦士であるにも関わらず、である。

これに関しては、ロロナ先生によると。良いそうである。

ステルクさんは、話によると、自分を騎士として考えている。このため、お嬢様などに手下のように呼ばれると、むしろ喜ぶのだとか。

妙な性癖だけれど、双方が納得しているのなら別に構わないだろう。

一方。

ミミちゃんが話し終えてから、ガンドルシュさんが口を開く。

内容は、反論だった。

「此処はむしろ今、重点的に調べるべきだと思うが」

「何故に」

「此処はおそらく、いにしえの戦争で世界が終わる前の、何かしらの技術がそのまま残っている可能性が高いからだ。 特に中枢部分は、その傾向が強いように感じ取れた」

「……そうだね」

今までだんまりだったロロナ先生が、其処をフォローする。

ロロナ先生によると。

幾つかの遺跡と同じ空気だというのだ。

いにしえの時代の技術が封じられた遺跡が、地上で生きている姿。それが、この森なのかもしれないと言う。

なるほど、それは興味深い話だ。

しばし議論が続くけれど。

最終的に結論が出る。

トトリは、探索で決めた。此処を探索し尽くせば、相応の成果が上がる可能性が高いからだ。

既に探索を始めて三ヶ月近くが経過している。

砂漠の砦と此処を行き来する生活も、限界が近い。砂漠の砦に戻ったときには銭湯に入れるけれど。

アーランドの生活水準にはどうしても及ばないし。

何より、過酷な荒野での寝泊まりは、天幕があっても消耗が大きいからだ。

此処と、後南東部の迷路のようになっている地帯をもう少し調べたら、探索を切り上げたい所である。

実際問題、足を踏み入れてはいけない地域の地図が出来るだけでも、相当に有意義なのだ。村を作る時に、これ以上の情報は無いだろう。荒野を緑化して村をその周囲に作る時、トトリの調査は無駄な犠牲や争いを、最大限削る事が出来るはずだ。

スピアへの抜け道も見つけてあるし。

これ以上の事を望まれても、トトリには困る。

ただもう一声、成果が欲しいと言われるのも、分かるのである。アーランドの国力を上げるためにも。

此処で、この最も不可解な森を調べ上げることは、大事だろう。

ただし、探索には効率が必要になる。

今までこの地方の森の探索で、散々思い知らされてきたことだ。

今日の探索で、大まかな森の大きさは分かった。何かがありそうな位置を絞り込んで、其処を重点的に調べた後、周囲を順番に見て廻る。

もし何かあるなら、地下に埋まっているだろうというのは、分かる。

何しろ、森から出ていたら、外からでも見えるのだから。

地形の起伏を利用して、樹冠の辺りも観察はしているけれど。どうしても、そんなものは見えなかった。

つまり森の中に、何かがあるとしたら。埋まっているか、それとも。埋もれているのか。どちらかになるだろう。

ロロナ先生は、探索の準備は自分たちでやるようにと言い残すと、さっさと天幕に引っ込む。

仕事が忙しいのだろう。

事実、輸送部隊にはいつもかなりの量のレポートを渡しているのだから。

でも、何か妙だ。

ロロナ先生は、何を焦っているのだろう。

 

翌日。

再び、光る森の中に入る。

一定距離ごとに生えている、光る仕組み。ひょっとして機械か何かかと思ったのだけれど。

そうだとすると、今になっても光っている仕組みが分からない。

アーランドにもガス灯の類は存在しているけれど。

手入れが必要だし、放置しておけば必ず壊れてしまう。

この森にある光る何かは。

壊れるどころか、ずっと存在していて。そればかりか、根元の辺りを除くと、苔むしてさえいないように見える。

理解しがたいことだけれど。

自然物と考えるよりは。やはり機械の一種だと考える方が正しいように思える。

触ってみると、ひんやりと冷たい。

ガンドルシュさんがハンドサインで促してくる。

奥の方に、妙なものがあるという。トトリは頷くと、小走りで急ぐ。周囲の地面が突然モンスターになる可能性にも備えなければならない。だからトトリにとって此処は、急ぎつつも、慌ててはいけない局面だ。

ハンドサインを出し合いながら、状況を確認。

丘になっていて。

その先にある盆地が、少しおかしい様子だ。

トトリは首を伸ばして、最前列にいるシェリさんの肩越しに、向こうを見やる。

そして、思わず変な声を出しそうになった。

洞窟がある。

口をぽっかりと開けた、非常に大きなものだ。崖などに空いている穴では無くて。地面にそのまま空いていて、地底に何処までも通じているようだ。

その周囲が、露骨におかしい。

あまりにも空気が清浄。

植物も、非常に純度が高いものばかりが生えている。

勿論、異形では無い。

小川が流れているので、調べて見るけれど。酸でもなければ、毒も入っていない。ちょっと湧かせば、飲めるくらい綺麗な水だ。

足を踏み入れる。

青草の感触が、此処が普通の森だと告げてくる。

手入れはされていないから、若干ブッシュになってしまっているけれど。それでも、此処で普通の生物が暮らすことは、可能だ。

こういう場所は、今までも何度か、黒い森の中で見たけれど。

此処は少しばかり、規模が違いすぎる。

ドーナツ状に、光る森があって。その中心部は、まともな森になっている。あまりにも、不可思議な構造である。

周囲をロロナ先生が警戒している。

このブッシュ、奇襲にはもってこいだろうからだ。ガンドルシュさんも巨体の背を伸ばして、辺りを見回している。

その様子を見ていると、まるで何かの肉食巨大獣のようだ。

彼らが広義の意味での人間の亜種だとは、どうにも思えないかもしれない。失礼な話ではあるが。

この洞窟に何かあるのは、明らかすぎるくらいだ。

ロロナ先生が覗き込んでいる。

闇の深淵には、何があるのか。

此処を突破出来れば、一息に探索が進むのは間違いない。地下には、遺跡がやはりあって、ネクタルが生産されているのだろうか。

不意に、ロロナ先生が此方を見る。

ハンドサインを読んで、トトリはむっと思った。

一旦此処は後回し。

周辺を確認して、地図を作る事を優先。

最終的に此処を調べる。

そう言う内容だったからだ。

だけれども、確かに中核となり得る場所があっさり見つかった今。それが一番、合理的なのかもしれない。

一旦黒い森のオアシスとも呼べる場所を離れて。

そして、再び闇の中に光が放たれている、不可思議な森の探索に戻る。

やはり、上から光が差し込んでくる様子は無い。

周囲を見回すときはランタンと。

そして皮肉な事に、森の中に光を作っている、不可思議な棒状構造物だけが頼りだ。

しばし見回った後、帰還。

地図は作ったけれど。

もう数日は、この森の外縁を廻りながら、調べていく必要があるだろう。

森を出ると、やっと一息付ける。

追撃がないことを、ロロナ先生が確認している中。

トトリは疲れがどっとでて。つい、気を緩めそうになった。

キャンプまでは、休まない。

気も抜かない。

それが生き延びるための最低条件。

これでもトトリは、既にベテランとしてカウントされる冒険者ランクを得ているのだ。それなのに、こんな事では駄目だ。

キャンプに到着して、天幕に入って、やっとため息をつくことが出来た。

ロロナ先生は、キャンプの入り口辺りで、じっと森の方を見つめている。何か、強力な気配でも、察知したのだろうか。

戻ってきたので、聞いてみる。

ロロナ先生は、何だろう。

今回の探索が始まってから、一度も笑っていないのでは無いのだろうか。そう思えるほど、表情が険しかった。

「あの穴、何かいそうですか」

「いるね」

「やっぱり、それを警戒していたんですか?」

「……」

ロロナ先生は、首を横に振る。

そして、先に休むと言って、横になってしまった。

すぐに寝息を立て始める先生。

トトリは、明日からの探索については、一眠りした後で良いかと思い直し。そのまま、横になった。

だけれども。

途中で、不安が高じて、目が覚めてしまう。

嫌な予感が止まらない。

何だろう。

どうしてこう、非常に不安が大きいのだろうか。

半身を起こして、ロロナ先生を見る。

ずっと笑わないロロナ先生なんて、はじめて見た。あの修道院の籠城戦でも、時々トトリを不安にさせないようにするためか、無理にでも笑っていたのに。

今の探索は、無理をせずに、引き返すという選択だってあるものだ。少なくとも、籠城していても、命の危険が大きかったあの時とは違う。

何をロロナ先生は、焦っているのか。

それがただ。

トトリには、不安でならなかった。

 

2、宝石王

 

森の中を調べて見て分かったことは。

光る構造物は、一定の距離を保って、放射状に並んでいる、という事。しかも放射状に並ぶ配置がとても美しくて。

まるで、魚の鱗のようだ。

地図には、最終的には五百を越える光源も書き込んだけれど。

それでますます分からなくなる。

例の巨大穴の周囲には、一つも光源構造物が存在しないのである。

まるであの穴は、人工物であるかのような構造。

少なくとも、以前探索して、スピアの軍勢を壊滅させた森のように。森そのものが生物も同然の存在ではないようだけれど。

あの中に入るのは、緊張する。

そして、今日。

穴の中への探索を開始するのだ。

地図の整備は終わったので、穴に入る事に関しては、全く問題が無い。

問題があるとすれば。

この先に、凶悪なモンスターが控えていた場合。ガンドルシュさんやシェリさんも言っていた、古代の兵器が生きている可能性だってある。

どちらにも警戒して、最大限の装備をして行かなければならないだろう。

何度か、打ち合わせ。

キャンプの防備にはホムンクルス四名のみを残して、残り四名には探索についてきてもらうと言う案も出したけれど。

ロロナ先生が却下。

結局、トトリ達だけで、探索に向かう事に決定した。

ロロナ先生が、何故そんな決定をしたのかは、トトリには分からない。少なくとも、見ている限りは、何とも判断できない。

森に入る。

周囲の空気が、ぴんと張り詰めているようだ。

すぐにトトリも気付く。

リス族の成れの果てらしい人達が、遠くから此方を伺っている。今の時点で、攻撃の意図は無い様子だけれど。

定距離を保ったまま、此方を遠巻きに包囲しているのが、見て取れた。

ハンドサインで会話。

もし襲ってきたら、蹴散らす。

ガンドルシュさんが言うけれど。

可能な限り交戦は避けるようにとも、念押ししてハンドサインを出す。

ただ、及び腰になると、味方に被害を出す可能性が高くなる。その辺りは、いざというときは決断もしなくてはならない。

ロロナ先生は平然としていて。

遠巻きにしているリス族達を、気にもしていない。

どのみち言葉は通じないだろうし、攻撃してきても蹴散らすのは難しくない程度の数と装備、それに能力だ。

問題は。

やはり、トトリも気になる、穴の奥に潜んだ存在だろうか。

穴に到着。

周囲のブッシュを刈り取ろうかと思ったけれど、少し考えて辞めた。

この辺りも、天井はしっかり防がれているのだ。

それでいながら、定間隔に植えられた構造物のおかげで、足下まで見える明るさが保たれている。

ならば、このブッシュも想定通りのものである可能性が高い。

下手に傷つければ、森の怒りを買うかもしれない。

洞窟の側に立つ。

一角が坂になっていて、緩やかに奧に通じている構造で。壁も天井も、とても自然物とは思えない。

シェリさんを先頭に、足を踏み入れる。

トトリも中に入って実感する。

此処は自然の洞窟では無い。

明らかに、人工物だ。

壁も天井も。土のようなのだけれど。あまりにも整いすぎている。更に言うと、定間隔で、やはり光る構造物が、壁から生えている。

それは外にあるものに比べると、十倍も小さいけれど。

放っている光は同じように見えるし。

何より、光が自然のものとは思えない。恐らくは、同じ技術によるものだろうと、トトリは推察した。

マークさんが来ていてくれれば、その辺りも分かるだろうに。

こればかりは、どうしようもない。

最後尾を歩いているロロナ先生が、非常に後ろを気にしている。

リス族が、洞窟の入り口辺りに集まってきているらしいのだ。

それだけではない。

中に入ると、ある一点から、急激に空洞が広くなった。

その広い空洞も。壁や床に、光る構造物がたくさん植え込まれていて、まるで外の夕方くらいには明るい。

そして、行き交っている生き物たちは。

アレはおそらく、ペンギン族の成れの果てでは無いのか。そうとしか思えない姿が、散見される。

黒いドナーン。

確かバザルトドラゴンと呼ばれる品種だ。

それが家畜化されているようで。壁につながれている。

多数並んでいるのは、家屋だろうか。

恐らくは、木々を加工して作った家屋に、複数の人影。人間の成れの果てらしき姿もある。

彼らは、明らかに侵入者であるトトリ達に気付いている。

しかし、攻撃を仕掛けてくる様子は無い。

複雑な構造をしているけれど。何処か機械的で。明らかに人工物だと分かる坂を下りていく。

最深部まで降りると。

其処では、リス族。人間族。ペンギン族。

それだけではなく、恐らくは悪魔族も。

森の汚染に適応し。相当に全身が歪んだ人々が、垣根を作って、此方を待っていた。

武器を手にしているものも多いけれど。

予想ほど、相手の反応は、殺気立っていない。

言葉が、通じるかもしれない。

トトリが、構えているシェリさんとミミちゃんの間を進んで、一番前に出る。

「初めまして。 アーランド共和国の錬金術師、トゥトゥーリア=ヘルモルトです。 争う意思はありません。 武器を収めて貰えませんか」

「……」

「お願いします」

ぺこりと一礼。

この礼の角度については、ロロナ先生に教わりながら、散々練習した。相手に不快感を与えないための礼は、結構難しいのだと、その時に知ったのだけれど。

トトリが顔を上げると。

しわしわの木の実に似た、ひょろっと背が高い姿が前に進み出てくる。

元人間だろうか。

ペンギン族のように毛皮も被っていない。

粗末な、スーツの慣れの果てらしい切れ端を被った、枯れ木のような老人である。

髪も口髭も等しく真っ白。

相当な高齢らしいけれど。足腰は、しっかりしているようだった。

ただ、既に外見が人では無い。

彼方此方の細部が隆起していたり、変色していたり。森の毒気に適応した結果、人とは言えない存在に、既になり果てている様子だ。

恐らくは、ここに来る前には。

既にこうなっていたのだろう。

「アーランドは共和国になったのかね」

「はい、数年前に。 貴方は」

「此処のまとめ役をしているフリンだ。 四十年前、ある罪を犯してアーランドを逃げ出して、この森に逃げ込んで。 それ以降は、周囲にいるような、森に入ってきた連中を助けて。 ジュエルエレメント様に此処に住まうことを許して貰って、今暮らしているのだよ」

「ジュエルエレメント、様?」

何者だろう。

エレメントというのはあるけれど、それは魔術用語だ。そもそも意思や思考を持たない存在で、魔術を発動する際に、高度なものだと媒介にする場合がある。

ただ、それを名前に関するというのは、聞いたことが無い。

「貴方たちの、更に上に立つ存在なのですか?」

「いにしえの時代から生きておられる神に等しいお方だ。 ジュエルエレメント様は、あなた方の到来も既に見抜いておられたよ」

「不思議な事じゃないわ」

ミミちゃんが言うと、退屈そうに隣でジーノ君があくびをしていた。

シェリさんとガンドルシュさんは、所在なげに顔を見合わせて。

ナスターシャさんは、子供の手を握ったまま、後ろで事の推移を見守っている。ロロナ先生だけは、少し外側に出て、全然別の方を見ている。

話を聞いていないというわけでは無いようなのだけれど。

ただ、何か、別のものを気にしているようである。

ミミちゃんは咳払いすると、言う。

もし此処が遺跡で、古代の技術が生きているなら。

中から外を確認するのも容易なのでは無いか、と。

トトリもそれは思う。

しかしそうだとすると、古代から生きているというジュエルエレメントとは、何者なのだろうか。

「その方に、会わせていただけますか」

「そう来るだろうと思っていたよ」

「……」

「ジュエルエレメント様は、奧におられる。 其処の、もう一人の錬金術師の。 あんたも来なさい」

フリンさんが促してくる。

ロロナ先生は、此方に来るけれど。

途中、ガンドルシュさんとシェリさんを手招きして、何かを耳打ちしていた。

何だろう。

分からないけれど。

とにかく此処からは、実際に何が出てくるかを、見て確かめなければならない。

 

更に、まるでワインのコルク抜きのような螺旋の坂を降っていく。

地下は深くて。

それでいながら、やはり床にも壁にも光源があるから。全くというほど、明かりには不自由しない。

しかもこの辺りの坂には、手すりまで付けられている。

此処がいにしえの遺跡だと言う事は、よく分かった。

やはり、下手をしなくても。

外の森までもが、遺跡とリンクした存在なのだろう。

「失礼なことを聞きますが、フリンさんも、何か悪い事をして、アーランドにいられなくなったのですか?」

「当時儂は若くてな」

振り返らずに。

すっかり、見かけからして人では無くなっている老人は言う。後頭部から見ると、異様に隆起した様子が一目で分かる。

「自分の力を示したくて。戦士の掟を幾つも破った。 特にまずかったのは、国が管理もしているモンスターを、散々必要以上に殺して廻っていたことでな。 最終的に、儂から戦士としての資格が取り上げられる事になった。 儂は最初、その事を見くびっていてな、自分を過信もしていたから、未来のアーランドを背負う儂から、戦士としての地位を取り上げること何て出来る訳が無いとか、高をくくっていた。 その結果、本当に戦士としての地位を取り上げられて、両親からも勘当されたとき、どうしていいか分からなくなった」

それで、逃げ出して。

気がついたら、アーランド北東部に迷い込んでいたのだという。

この辺りは、当時から魔境と言うも生やさしい悪夢のような土地。誰も興味を持たないから、アーランドの領土という事にされている、というような場所だった。

確かに、此処なら追っ手は来なかったけれど。

フリンさんは思い知らされることになった。

自分が如何に狭い世界で満足し。

弱いモンスターを狩って悦に入っていたのかを。

近隣の黒い森にいるモンスター達は、とてもではないけれど、フリンさんの手に負える存在では無いようなものも多く。

日々逃げ回りながら、必死に森の中で生きていくうちに。

どんどん自分が人間では無くなっていくことに気付いたという。

恐怖と狂気に身をむしばまれ。

気がついたときには。ぼろぼろの服を着たまま、言葉を発する事も忘れて。ただ獣とかして、生きていたのだそうだ。

だが、そんなフリンさんの所に、光が降臨した。

それが、ジュエルエレメントと名乗る存在。

その存在によってこの洞窟に導かれ。

同じように、掟を破って一族の元から逃げてきたリス族やペンギン族、悪魔族などをとりまとめることを要求され。

この年まで、果たしてきたのだそうだ。

なるほど、事情は分かった。

確かに若い頃己の戦闘的本能を抑えられない人はいる。事実ジーノ君も、どちらかと言えばその傾向が強い。

トトリは幸い、それほど戦闘本能は強くなかったけれど。

このお爺さんの苦悩は、よく分かるのだ。

これでも、アーランド人だから。

「アーランドは良くなったかね」

「今は戦争で大変です。 スピア連邦と言う大きな恐ろしい国が、様々な災厄を世界中にまき散らしていて」

「スピア? 北部にある列強の一つだったはずだが。 そうか、アーランドに接触するくらい、領土を広げていたのか」

「今は、大陸の北東部四分の一がスピア連邦です」

おぞましいまでの肥大化。

フリンさんは、そうかそうかと、何度も頷きながら、坂を下りていく。トトリはロロナ先生を時々気にしながら、その後ろに着いていった。

最下層につく。坂が終わったのだ。

一番下には、平らな地面が拡がっていて。

壁の一角に、扉がある。

あそこから先は、二人だけで行って欲しい。そう言い残すと、フリン老は坂をゆっくり上がり始める。

脚は動いていない。

どうやらあの螺旋坂、上がる時は自動で進むようなのだ。見ていて、凄いなと思わされる。

「オルトガラクセンにも、同じ仕組みがあったよ」

「ロロナ先生は、見た事があったんですね」

「うん。 此処のと違って、直線のが殆どだったけれど、まだ生きている機構も存在していたし。 私のお師匠様が、直して動くようにもしていたしね」

ロロナ先生は言うけれど。

上の方をしきりに気にしている。トトリの周囲よりも、其方が気になる様子だ。一体、何を見ているのだろう。

分からないけれど、聞き直しても、答えてくれるとは思えない。

奥の方にある扉に行く。

近づくと、勝手に左右に開いたので、流石に変な声が出そうになった。でも、我慢して押さえ込む。

此処も、床が動く仕組みのようだ。

トトリが乗ると、勝手に床が動き始めて、奧へ体を運んでいく。

黙って立っていると。

いつのまにか、かなり奧へと来ていた。

若干明かりが弱いかもしれない。

この辺りの明かりの中には、既に光らない部分もある様子だ。突起物が壊れたのだろうか。

床が止まった。

トトリは、ロロナ先生と一緒に、大きな扉の前に立つ。

やはり扉は。

何もしなくても、左右に勝手に開く。

扉の中には、かなり広いドーム状の空間が拡がっていて。其処には、多数の四角い箱が林立。

その一つの前に座っているのは、白衣の影。

雰囲気からして女性だろう。

ただ、背中に翼が生えていて。髪の毛も、若干緑っぽい。

ゆっくり、此方に向けて振り向くその女性は。顔立ちは人間だったけれど。首筋の辺りに毛が生えているのが分かった。

着込んでいるのは、白衣だけれど。

その下がどうなっているかは、正直分からないとしか言いようが無い。

「貴方が、ジュエルエレメント、ですか?」

「いかにも私がジュエルエレメント。 宝石の精王である」

声はかなり低く。

重苦しい威厳を含んでいるけれど。

やはり少し聞くだけで、女性のものだと分かる。

「アーランドは何用か。 少し前に西の森で起きた、大規模な戦闘と関連する事なのか」

「はい。 この周辺を探索しています。 国家戦略に役立てられる情報を集めている所です」

「出来れば、この周辺でもめ事を起こしてくれるな」

「……そうですね。 そうしたいです」

トトリとしては。

このジュエルエレメントという人が、どういう存在か、見極めなければならない。

そもそも此処は、各地の犯罪者が逃げ込んで出来た集落だ。相応の報いを受ける事も無く、ぬくぬくとしている人もいるという点で、許せないと考える人だっているはずだ。

「そもそも、貴方は何者ですか。 フリンさんは、いにしえの時代の存在だと言っていましたけれど」

「私はな。 悪魔族の中でも、かなり旧い形態を保ったまま、生きることに成功した存在なのだ」

「……っ」

悪魔族は。

この大地の汚染を排除するために、異形と化した種族だと、以前聞かされた。

つまりそれは。

昔の悪魔族は、人間に極めて近い姿をしていて。彼らが亜人種と言うよりも、人間そのものである証左に。

この人は、生きたままなっている、ということか。

「そもそも、此処は」

「此処はいにしえの文明で作り上げられた、擬態化要塞だ。 恐るべき火力の武器が飛び交う戦場で、それらの的にならないように、幾つもの案が考え出された。 この要塞は、その結論の一つ。 森ごと偽装してしまえば、見つかる理由は無い。 そういう戦略の下、シェルターを兼ねた要塞が、森ごと偽装されたのだ」

だが、実際には。

その偽装は意味を成さなかった、のだという。

恐るべき全てを破壊する武器をどうにか退けた後は。劣悪形質排除ナノマシンが働き。結局、この要塞に立てこもった人々も、ばたばたと倒れていった。何しろ、地下に隠れていても、空気や水だけは循環させなければならない。

どんなに高精度な技術を持っても。それらに入り込んだナノマシンを、排除は出来なかったのだ。

ナノマシンは悪辣で。狡猾な技術によって作り上げられていた。

森ごと偽装して、地面に潜っていたはずの空間にまで染み渡り。中にいる人々を襲って、殺して行ったのだ。

勿論、慈悲などある訳も無い。

劣悪だから殺す。それだけの機械だったからである。

正確には、殺すべきターゲットが、この地獄を巻き起こした存在が、劣悪だと考える存在だったから、だが。

文字通り、周囲の人々は、意味も分からず殺されていった。

恐怖と絶望が支配していた様子を、ジュエルエレメントさんは語る。

大人達はヒステリックに声を上げて毎日喧嘩。子供達はいつも泣いていて、咳き込んでいた。

いつ死んでもおかしくない。

幾つか、別の場所でも、生きている施設があって。それらともやりとりはしていたようだけれど。

何処も、地獄であるという点には、代わりは無かった。

そして、その中のただ一人が。

劣悪形質排除ナノマシンにも、激烈に体をむしばまれず。少しだけ体調が悪い、位で生きることに成功していた。

それこそが、ジュエルエレメントさん。

そして、此処で暮らしていた人達は。もはや生き延びるのは無理だと判断。

次々と長期的冬眠を行い、未来、恐るべき毒が消え去るまで、眠りながら待つことに決めたのだいう。

ジュエルエレメントさんも、無論そうすることになった。

そしてこの要塞を調べに来た悪魔族に、コールドスリープしているところを見つけられ。起こされた、のだという。

他の人達は未だに眠ったまま。

たまたま抵抗能力があったジュエルエレメントさんが起こされたのは。後に根掘り葉掘り聞かれて分かったけれど。

カルテが残っていて。其処に、症状が書かれていたからだとか。

だけれども、目を覚ましたジュエルエレメントさんは。

既にからだが彼方此方変位して、人とは呼べぬ姿になっていた。

その時のショックが、どれほどか。

トトリには分からない。

しかし、身繕いに時間を掛ける年頃の女の子が、あまりにも変貌した自身を見て。平静でいられるとは思えない。

悪魔族、正確にはその先祖になる集団は。此処の設備を確認すると、そのバックアップを受けて、幾つもの実験を重ねるようになった。

話がつながる。

その実験こそが、汚染された土地の緑化計画。

その成果こそが、周囲に拡がっている魔境なのだろう。

マークさんが言っていた通り。

此処は、試行錯誤の結果、出来た魔境だった、という事だ。

悪魔族はやがて、幾らかの成果を上げて、此処を去って行った。ジュエルエレメントは、一人残された。

非常にひどい姿になっていたジュエルエレメントさんは、他の人達と同じく、悪魔族になる事を選んだ。

生物として異常な状態になる。

おそらく子供を孕むことも産む事も出来なくなる。

外部的な手段で、子供は作るしかないだろう。

そう言われても、決意は固かった。

孤独になりたくなかったのかもしれない。

いずれにしても、最初期の悪魔族の一人に、ジュエルエレメントさんはなったのである。そうして、どうにか今の、人に近い姿に戻る事が出来たのだという。

自分に、爆発的な力が備わっていることは、既にジュエルエレメントさんには分かっていた。

人である事を辞めてしまった代わりに、年齢を重ねても体が弱らず老けなくなっていた。

不可思議な魔術を、幾つも使えるようになっていた。

森の外に出ても。

猛獣たちは傅いてくれる。

どうしてだろうと思ったけれど。

知能も増していたジュエルエレメントさんは、マニュアルを読んで理解する事が出来た。ちなみに、トトリには、何故なのかは教えてくれなかった。

いずれにしても、この世界に満ちているモンスターは。

ジュエルエレメントさんを見分けることが出来て。殺そうとはしない、という事なのだろう。

だからいつの間にか。

ジュエルエレメントさんは、外に時々出て、森に逃げ込んできた者達を救うようになった。

彼らの希望となるべく、大仰な言葉遣いや振る舞いを身につけ。いつしか、それが本物となっていった。

不思議な話だ。

そして、大発見でもある。

形さえ変わってしまっているけれど。この人こそ、いにしえの時代の生き残りの一人。古い時代、世界を闊歩していた、か弱い人間と言うことではないか。

大発見であるのに、ロロナ先生はあまり興味を示さない。ひょっとして、似たような存在でも知っているのだろうか。

いずれにしても、トトリにとっては少なくとも大発見である事に間違いは無い。

思わずメモを取り始めるトトリ。怪訝そうにそれを見ていたジュエルエレメントさんは、大きく嘆息する。

「それで、どうするつもりだ」

「まず、アーランドに報告します。 今回は調査のお仕事です。 その後どうするかは、アーランドの上層部が決めると思います」

「そうか。 此処のことを黙っていて欲しいと言っても、聞いてはくれぬか」

「ごめんなさい。 どのみち此処は放置していても、スピアに見つかると思います。 そうなったら、もっとひどい地獄になると思いますから」

スピアのホムンクルス部隊がなだれ込んできたら。

此処にいる人達はみんな捕まって。

そして、ジュエルエレメントさんも。

それは地獄というものだろう。

だから、こそに。

アーランドに、このいにしえの生きている遺跡については、知らせなければならないのだ。

知っていさえすれば、対策も取れる。

敵が軍を出してくれば。

その横腹を突くことだって、可能だろう。

「ジュエルエレメントさんには出来るだけ不自由を掛けたり、この森の自治が脅かされないように、交渉します。 これでも私、ランク6の冒険者です。 報告の際に、それくらいのことは出来ると思いますから。 その、森に逃げ込んだ犯罪者をどうするかについては、これから協議を重ねたいです。 少なくとも、森に入り込んで異形化した人達については……もう罪を充分に償っているように、私には思えます。 出来るだけ、それについても善処するように、話をしてみます」

「……」

「出来るだけ急いで、国に結論を出して貰いますね」

不安そうにしているジュエルエレメントさん。

既に人ならぬ身となっていると言う点では、この人も悪魔族だけでは無い。この森に逃げ込んできた亜人種や、人間達と同じ。

それに、いにしえの人と言っても。

その時代は、子供で、何一つ出来る環境には無かったという話もされたのだ。気の毒に思うことがあっても。排斥しようなどとは考えられない。

トトリだって、突然生活の全てが消え失せて。

家族がみんな死んでしまったりしたら。

怪訝そうな顔をされて、気付く。

どうやら、涙をこぼしそうになっていたらしい。

慌てて笑顔を作って取り繕う。

「錬金術師は、しばらくアーランドでは名を聞かなかったが。 君と、それ以上の手練れが来ていることを見る限り、相当に数を増したのか?」

「いいえ、私の師匠であるロロナ先生が凄い人で、それで」

「トトリちゃん」

「あ、はいっ!」

いきなり、ロロナ先生が。

背中を向けたまま、言う。

どうしたのだろう。

完全に戦闘モードに入っている。

「しばらくは、外に出ようとは考えないで」

「えっ!? で、でも」

「考えないで。 今のトトリちゃんだと、足手まといになっちゃうから。 そんな理由で、負けるわけにはいかないの」

何か。何かいる。

とんでもない存在が。

 

3、闇の男と星の錬金術師

 

壁も地面も何もかも越しに。

ロロナ先生は、おぞましすぎる何かとにらみ合っているようだった。

まさか。この人ほどの使い手が、これほど警戒する相手は。

ロロナ先生の姿が消える。

とんでもない高速で移動したのだと分かる。錬金術の道具をたくさん身につけているロロナ先生は、前に噂で聞いたのだけれど、高速機動を可能にしているとか。ジュエルエレメントさんが何かの画面に向かい、操作して、状況を確認。

入り口付近の画像が、其処に出ていた。

ロロナ先生の声が聞こえる。

それと向かい合っている、悪意の塊の姿も。

「入り口を閉めてください、ジュエルエレメントさん」

「ふむ、私の気配に気付くほどに成長したか、あのはな垂れの錬金術師が」

「急いで」

ロロナ先生が、向かい合っているのは。

あのレオンハルト。燕尾服を嫌みに着こなした、暗殺者の老人。大陸最強とさえ言われる、おぞましき生きた闇そのもの。

しかも、このプレッシャー。

おそらく分身体では無い。本体だと見て良いだろう。

ぞくりと、背中を悪寒が這い上がった。

様子がおかしかったのは、これが理由か。きっとレオンハルトの本体が、来ている事に気付いていたのだ。

そして仕掛けてくるタイミングを見計らって、自分から迎撃に出た。

部屋に飛び込んでくる、ジーノ君とミミちゃん。

シェリさんとガンドルシュさんもいる。ナスターシャさんと彼女の側にいる子は、姿が見えなかった。

「何があったの! 急に大きな音がしたけれど!」

「ミミちゃん、ロロナ先生が」

「っ!」

隔壁閉鎖。

無情な声とともに、洞窟の入り口が閉じていく。

嗚呼。嘆きの声が漏れた。トトリには分かってしまった。此処にいるメンバーで迎え撃てる相手では無い。

ロロナ先生の足を引っ張るというよりも、大勢の死者を出す事になる。

むしろ、ロロナ先生が単独で、総力で迎え撃った方が、良い戦果を上げられる。最悪の場合でも。差し違えたレオンハルトは、これ以上の攻撃を諦めるくらいには。

だからロロナ先生は。

あの難敵を、一人で迎撃する事を選んだのだ。

ステルクさんは、ここには来られない。敵の大軍が西にいるという話だし、アーランドの主力の中で、ロロナ先生がいてくれるだけでも奇蹟に等しい状況なのだ。

ジュエルエレメントさんが、聞いてくる。

「あの男は、何者だ。 知っているのか、トゥトゥーリア」

「はい。 あの人は、おそらく、レオンハルトです」

「彼奴が……」

長生きしていれば、知っているのだろう。

大陸最強の闇。高位の悪魔族でさえ及ばない圧倒的な実力は、モニター越しでさえびりびりと伝わってくるほどだ。

ロロナ先生は動じていない。

ただ、入り口を閉じることが出来た事で、安堵しているようだった。

「分身は連れてきていないんですか」

「この間の戦いで全滅して、今再生産中だ」

「へえ」

「そんな事を言っても大丈夫なのかという顔をしているな、当代の旅の人。 何、問題などないさ」

あ、この人は。

余裕が全身に満ちている。その理由は、おそらく死ぬ事を何とも思っていないし、殺す事も心底好きだからだ。

ロロナ先生も、レオンハルトも。

武器を構える様子さえ無い。

おそらく、戦いは一瞬で最高潮に達し。そして、終わるときも一瞬だろうと、トトリは悟った。

「隔壁を開けなさい!」

「駄目だ」

「どうして!」

ジュエルエレメントさんに詰め寄るミミちゃん。でも、トトリが二人を引きはがす。トトリに文句を言おうとしたミミちゃんが、押し黙る。

トトリは口を引き結んで見つめただけだ。

「今は駄目。 少なくとも、レオンハルトに致命打が入るまでは」

「レーザー砲台、試してみるが。 効きそうにも無いな」

白衣を直しながら、コンソールに向かうジュエルエレメントさん。光を放っていた突起物の幾つかが緩慢に向きを変えて、光の魔術のようなものを放つけれど。

レオンハルトはその場から微動だにせず。

勝手に、突起物が全て真っ二つになって、沈黙した。

ガンドルシュさんだけは、今の動きが見えたらしい。戦慄を含ませながら呻く。

「速いぞ……!」

「ロロナ殿は当代の旅の人と呼ばれるほどの使い手だが、大丈夫なのか?」

「知るかよ! でも、トトリが、今はまだ駄目だって言うんだろ!?」

ジーノ君が、シェリさんにヒステリックに応じる。

トトリは呼吸を何度か整えると。

コンソールを見つめているジュエルエレメントさんに、言う。

「決着がついたと判断したら、洞窟の入り口を開けてください」

「私の判断で構わないのか」

「お願いします」

ミミちゃんの服の袖を引く。

入り口近くで待機していれば、きっと勝負がついたときには、すぐにロロナ先生を助けられる。

あんな相手、楽に勝てる訳がない。

幾らロロナ先生でも。

少なくとも、無傷でどうにか出来るはずもない。きっとひどい怪我をするはずだ。

動く坂を上がっていく。

もう、戦いは始まっているはずだ。

そしてそれは、絶対に、すぐには終わらない。

キャンプのホムンクルス達は大丈夫だろうか。行きがけの駄賃に、レオンハルトに殺されていないだろうか。

いや、それはリスクが高い。

ベテラン相当の実力を持つホムンクルス八名だ。一人でも逃したら、その時点でロロナ先生への攻撃が失敗する可能性が高い。いや、本当にロロナ先生への攻撃か。どうも、あのレオンハルトという人の考えは分からない。

狙っているのは、ひょっとして。

私、なのか。

集落の辺りまで来た。

異形と化した住人達は、皆不安そうにしている。レオンハルトが押し入ってきたら、この人達も容赦なく殺されるだろう。

逆に言えば、ロロナ先生が簡単に負ける訳がないし。

もしも負けたとしたら、その時はトトリ達だって生きてはいられない。

入り口の近くまで来ると。

外での戦闘音が聞こえてくる。

ナスターシャさんは既に、入り口近くの坂に座っていた。側では、明らかに青ざめてふるえている、フードを被った子。

「遅かったね」

「外は、どんな様子、ですか」

「押されてるかな」

「……」

そうかも知れない。

少なくとも、簡単に勝てる相手では無いのだ。

ガギンと、凄い音がする。

地面と此処を遠ざけている蓋が、斬り付けられたのだろう。思わず首をすくめる。実力的にも、ステルクさんと互角に近い存在なのでは無いのか。それが、今外で、猛威を振るっている。

ロロナ先生、頑張って。

今は、祈ることしか出来ない。

でも、祈る時間が終わったら。

その時は、トトリが。

戦わなければならない。

 

ロロナも、あのプロジェクトが終わって。その後ずっと努力を重ねてきた。神速自在帯の改良も進めてきたし、自身の魔術の腕も。肉体強度も。苦労を重ねながら、高めてきたのだ。

そして今は。

くーちゃんと一緒なら、あのジオ陛下とも互角に渡り合えると自負するほどまで、力を付けた。

それでも、今相対している化け物は。

ロロナの実力の、更に先を行っているのが確実だ。

いきなり、レオンハルトが動く。

ロロナの前の地面。洞窟を塞いでいる鉄の隔壁を斬り付けたのだ。そして、一息に半分ほどまで、抉り抜いていた。

とんでもない剣腕。

「流石にいにしえの技術、というところだな。 でも、邪魔をしないと、その内真っ二つになるぞ」

「トトリちゃんを、そんなに殺したいですか? レオンハルトさん」

「ああ、殺したいね」

「やっぱり」

ため息をつくロロナ。

そして、首を狙って飛ばされた斬撃を、そのまま跳躍してかわす。

鎖の補助を用いた稼働加速。

元々、ステルクさんや、更に速いくーちゃんとも一緒に戦って来ているのだ。見切ることは出来る。

問題は動けるかどうか。

そしてその稼働補助を見たレオンハルトが、対応する前に。

神速自在帯を発動。

空中で詠唱開始。

レオンハルトが、左にずれていくのが見える。加速していて、これだけ速く動いているように見えるのか。

一体どれほどの力を持っているのか、この人は。

数回、斬撃を見舞ってくるけれど。

小規模な爆発を起こして、空中で姿勢制御。強引に地面に着地すると、レオンハルトと併走。

加速終了。

再加速。

その一瞬の間に。

至近の真後ろにまで迫ったレオンハルトが、間近で剣を振り上げていた。

真顔のまま。

殺意を滾らせている方が、まだ怖くなかったかもしれない。

振り返りながら、杖で剣を受け止め、弾く。そして顔面に、既に詠唱が終わった砲撃を向けるけれど。

レオンハルトは、本気を出したのだろう。

加速しながら、飛び下がる。

ゆっくり、砲撃の焦点を合わせていく。

しかし、ロロナの技術でも、当てられない。そう判断させるほどに、レオンハルトの動きが速すぎ、しかも異常なのだ。

まるで軟体生物のように体をくねらせ。

ロロナの砲撃軌道から、身をそらす。

それでも、ロロナはあわせた。

砲撃。

掠る。それでも、かなりの打撃は与えた。

吹っ飛ぶレオンハルトを追撃することは諦める。というのも、吹っ飛びながらレオンハルトが、実に三十を超える斬撃を此方に放っているのが見えたからだ。

横滑りに移動しながら、その大半をかわす。

地面が爆裂していくのが見える。巻き込まれたら、流石に今の鍛えたロロナの体でも、かなり危ない。

加速終了。

跳躍。

さて、何度の連続加速で仕留められるか。

殺気。

今の瞬間で。

自分が放った斬撃の軌道に潜り込んで。ロロナの真下に近い位置まで、レオンハルトが来ていたのだ。

此処なら、かわせまい。そう言っているかのように。

レオンハルトが、上空に向けて。

数百に達する斬撃を繰り出す。

ならば。

詠唱を完了させ、真下に砲撃をぶっ放し、斬撃を全て消し飛ばす。衝撃波を押さえ込むほどの火砲だ。

レオンハルトも、距離を置かざるを得ない。

着地。

呼吸を整えながら、目を閉じる。

それで、気付く。

日光が、入り込んできている。森の天蓋が、今吹き飛ばした以外の斬撃の余波によって、消し飛んだのだ。

一瞬の虚脱。

その隙を突いて、レオンハルトが至近に来る。鎖が反応。斬撃の一つと相打ちになって、半ばから消し飛ぶ。

至近。

レオンハルトが、ロロナを胴斬りにしようと、剣を振るった瞬間。ロロナが、加速。

剣先を逃れ、衝撃波に吹っ飛ばされる。

地面で数度バウンドして、血を吐きながら、木に叩き付けられ。

そして見る。

もう、鼻の先にいるレオンハルトが、満面の笑みを浮かべて、ロロナを袈裟斬りに、二つにしようとしている光景を。

でも、それを、待っていた。

気付いただろうか。

ロロナが杖を、鎖に預けていることに。

そしてロロナ自身は、手に魔力を集めて。

レオンハルトに触れた。

冷たい。

なるほど、そう言うことか。この人はもう、ホムンクルスでさえない。だから、こんなにも強くて。

そしてぬくもりさえないのだ。

全力で、砲撃。

杖を使わない砲撃なんて、いつぶりだろう。

敗北を悟ったレオンハルトが、叫ぶ。

光に包まれながら。老いた顔を、凄まじい形相に歪めていた。

「おぉおおのれえええええええええっ!」

魔力を、叩き付ける。

レオンハルトは逃れられない。

この至近距離。

しかも、現時点でアーランド最強の魔力量を誇るロロナが、そのフルパワーを叩き込んだのである。

圧力が、レオンハルトの斬撃も、レオンハルト自身も消し飛ばす。手応えは、ある。でも。

レオンハルトの残骸が、空の彼方まで消えていくのを、見送った時。

ロロナは、斬撃を殺しきれず、地面に叩き付けられていた。

これでも、守りは固めてきていたのに。

斬撃は、今の砲撃のショックで、かなり削り取ったし。とっさに動いてくれた鎖達が、かなりカバーもしてくれたのに。

ロロナの体を、容赦なく抉り。

今地面に叩き付けられたダメージもあって。ロロナは、盛大に吐血していた。

しかも、問題はそれだけじゃない。

脚に、右の太ももに突き刺さっているナイフを抜く。手が震え始めているのが分かる。間違いなく、毒だ。

解毒しないと。

持ってきていた薬は、トトリちゃんの所だ。

魔術による回復は、苦手。多分、こんな難しそうな毒、お薬無しじゃ絶対に死ぬ。

地面が柔らかかったのが幸いだけれど。

それでも、差し込んでいるお日様の下。

土砂に半ば埋まったロロナは、体が急激に冷えていくのを、これ以上ないほどリアルに。絶対の死が迫っていることを、鮮明すぎるほどに。感じていた。

また激しく吐血。

死は安らかじゃない事は、幾つもの死を見てきて。そして、何より自分自身で一度味わって知っていたけれど。

激しく、苦しく。

そして暗い。

弱音を漏らしても良いのかな。

怖いかも、しれない。

側にせめてくーちゃんがいてくれたら。でも、戦略をしっかり組んで、誰も助けられないようにしたのはレオンハルト。アーランドは、トトリちゃんを守る戦力を、戦略上の敗退で出せなかった。

そしてこの探索も、止めさせるわけには行かなかった。

一秒でも早く、この地域の実態を掴まなければならなかったから。

意識が、薄れてくる。

師匠の事を、助けてあげたかったな。素直に、そう考えた。

師匠が憎み抜いている、愚民と呼ぶ人々が、「更正」すること何てあり得なくて。世界が師匠に冷たいことも変わりなくて。師匠が愛した人が、再評価されることも絶対なくて。業績が認められることは、もっとあり得なくて。

世界がどれだけ残酷だと分かっていても。

師匠が救われる道を、どこかに。

探したかった。

 

培養槽の中で目を開けるレオンハルト。

どうやら、「本体」が消し飛んだらしい。

だが、それはどうでも良いことだ。

もはや、それより大きな問題なのは。この培養槽を包み込んでいる巨大な肉塊が、これ以上もないほど不快だと言う事だろう。

培養槽から出される。

今度の体は、かなり若くなっている。

そういう体にだけはするなと、前から言っているのに。どうやらレオンハルトの苦情を聞く気など、もう無いらしかった。

年老いながら、作り上げていった技と実力だ。

年老いた体にあっているからこそ、強い。

故に分身も皆老人のままにさせていたのに。ついに、このように若き日の体に、年老いた記憶と技が住むというアンマッチな状態になってしまった。

腹立たしい。

ロロナとの戦いの記憶が、ゆっくり思い出されてくる。記憶の中で最後の部分だから、再生が大変だ、という事だ。

服を着終えた頃には。

体の確認を開始。

やはり性能が下がる。年老いた体にあわせて、完璧にチューンしている技術なのだ。この化け物共は、何処かがやはり阿呆なのだろう。

だからこんなとんでも無い事を思いつく。

「またトトリを仕留め損なったか」

「ロロナに関しては、行動不能。 あの状態から助かったとしても、半年、いや一年は身動きできない。 それで不服ですかな」

「ああ不服だね」

一なる五人が言う。

ペナルティでもくれるのか。

皮肉混じりに言うと、答える。

その体が、ペナルティだと。

怒りに、全身が燃え上がりそうになる。此奴ら、分かった上で、やっていたというのか。あまりにも、あまりにも度しがたい。

「体が馴染んだら、すぐに殺しに行け」

「しばらく好機はないでしょうな。 今の軍勢も、一段落したところで、一旦引いて、長期戦に持ち込むんでしょう?」

「わかっているでは無いか。 だからこそお前の存在が意味を持つ」

アーランドに潜り込んで、殺せ、か。

まあいい。

此奴らの考えているおぞましい計画に、ロロナとトトリが唯一の障害になる可能性がある。

だからこそ、こうも躍起になっているのだろう。

考えが読まれることは想定済みだ。

レオンハルトは、分身の部隊が出来るまでは、諜報任務は控えめになると申請。それだけはいれられた。

ロロナの奴は、死んだだろうか。

最後の斬撃をもろに浴びたら、真っ二つだっただろうが、奴は耐え抜いた。地面に叩き付け。更に毒つきのナイフも喰わせてやったが。それでも毒消しくらいは持ち込んでいるはず。

助かる可能性はある。

だが助かっても、しばらくは身動きできないだろう。

当代の旅の人を、殺したか、最低でも半年以上は身動きできない状態にしたのだ。敵の国家軍事力級戦士より、ある意味厄介な奴を、である。

だから、一なる五人も、レオンハルトをよみがえらせたのだろう。

しかしこのペナルティは不快きわまりない。

ロロナが身動きできず。

国家軍事力級の奴らが戦線に釘付けになっている今は好機だ。分身の部隊ができ次第、仕掛けに行く。

それでいいと、レオンハルトは思った。

若々しい体を見る度に、怒りが迸る。

それだけは、どうにも出来なかったが。

 

4、内の光

 

緩慢に開いていく扉。

ロロナ先生が勝ったことはわかっていた。レオンハルトの気配がなかったから。戦いは、多分三十秒も掛からなかっただろう。

しかし、外に出て、絶句する。

地形が、一変していた。

国家軍事力級に近い使い手と。恐らくは、国家軍事力級の使い手が。全力でやりあうと、こんな無茶苦茶になるのか。

ブッシュは完全に消し飛んでいて。

闇夜のようだった森には、光が差している。

そして、ロロナ先生は。

いた。

倒れている。

荷車を引いて、駆け寄る。

大木に叩き付けられ。

そのまま、地面に叩き落とされた様子だ。

ただし、カウンターで砲撃を浴びせて、レオンハルトを消し飛ばしたのだろう。

袈裟に一撃。

内臓が露出しかねないのを貰っている。

そして、脚にナイフが刺さった跡。側に禍々しいデザインのナイフが落ちていた。

ナイフの傷口を見ると、変色している。間違いなく、毒だ。

バイタルが急激に弱っていくのが分かる。

トトリはネクタルを。事前に渡されていたものを口に含むと、躊躇なくロロナ先生に、口移しで飲ませた。

その間に他の人達には、処置の準備を進めて貰う。

まずは、生命をとりとめることだ。

一口分。

落ちかけていた命が、踏みとどまるのが分かる。ロロナ先生は意識もないけれど。少しだけ、バイタルが持ち直す。

流石に奇蹟の薬だ。

しかし、もう一口飲ませて、悟る。

足りない。

貰った薬だけでは、明らかに足りない。

此処で、錬金術の薬を作る事は、出来ない。トトリは悲鳴を上げそうになる。既に周囲では湯を沸かし。リネン類を展開。ロロナ先生の治療をする準備を整え始めているのに。その前提まで、たどり着けない。

もう一口、ネクタルを飲ませる。

何とかロロナ先生が、死の寸前で耐え抜く。

その間に、傷口に毒消しをねじ込む。

非常に危険な毒物を叩き込まれたようだけれど。幸い、ナイフそのものは、ロロナ先生が最後の力で抜いたのだろう。毒は最小限しか体に入らなかった様子だ。それに加えて、毒消しは、非常に強力なものだ。アーランド人の生命力もあって、普段だったら大体の毒なら確実に消せる。

ただし、それも体力があれば、のこと。

今のロロナ先生を救うには。

ロロナ先生が作ったこのネクタルが、今の三倍はいる。

ナスターシャさんが来た。

無言で回復術を掛け始める。傷口も消毒液で処置。見ると、幸い内臓にまでは少ししか傷が届いていない。この程度のダメージなら、アーランド人なら平気だ。傷は縫合して、出血は停止。

その間にトトリは、決める。

今こそ、固有スキルを、使うときだ。

ちむちゃんを見て、知ったことがある。

あれは固有スキルで。

強い魔力があって、始めて出来る事。トトリは今まで鍛錬が決定的に足りていなくて、同じものは使えなかった。

そうだ。

トトリは、棒術の師匠に、言われていたのだ。

お前の固有スキルは、おそらく複製だと。

ちむちゃんに先に行かれていたこの技術も。ちむちゃんという実例を散々見て。修練の合間に魔力を練り上げた今なら。

やりかたは、ちむちゃんのを見て、知っている。

薬瓶の半分まで減ったネクタルを見て。

トトリは、決断した。

「ミミちゃん、メンタルウォーター、あるだけ出して」

「いいけど、これ体に負担が掛かるんでしょう! 何をするつもり!?」

「大丈夫。 見ていて」

薬瓶を掴み、念じる。

詠唱開始。

詠唱そのものは、難しくない。トトリは魔力が足りなかった。だから、何度やっても、出来なかった。

今なら。

完了した詠唱。

目を見開いたトトリは、最後のキーワードを呟いていた。

デュプリケイト。

がくんと、全身の力が抜ける。

全身の魔力が、根こそぎ吸い上げられていくのが分かる。

悲鳴が零れそうになる中、必死に唇を噛んで耐え抜く。がくがくとふるえる体。瓶を必死に握り。その中の白い液体を見つめながら。トトリは、増えて。増えてと、念じ続けた。

増え始めたのは、その時。

ネクタルが、本当に嵩を増し始め、瓶の八割ほどまで。いや、更に増えて、満杯になる。複製が、成功したことを、トトリは悟る。質は落ちるかどうか分からないけれど。それでも、この奇蹟の薬だ。効果が悪化することはあり得ない。

がくんと、その場に倒れそうになる。

ミミちゃんが支えてくれた。

「うそ、でしょ……」

「……」

答える余裕も無い。

ロロナ先生の所まで這っていくと、再び口移しでネクタルを飲ませる。まだまだ全然足りない。少しずつ回復している。でも、全くというほど足りないのだ。

半分までまた飲ませてから。

トトリは、メンタルウォーターを一気に飲み干した。

全身が今度は、内側から酸で焼かれていくような感触だ。魔力を無理矢理引き戻す代わりに、体へのダメージが凄まじい。

吐き戻しそうになるのを、必死に耐える。

「バカ、やめなさい! 死ぬわよ!」

ミミちゃんが、耳元で叫んでいる。

唖然として立ち尽くすばかりのジーノ君。

ガンドルシュさんが、てきぱきと担架を作っていた。ロロナ先生を、砂漠の砦まで運ぶためだろう。

シェリさんも最初は右往左往していたけれど。

頷くと、その作業を手伝い始める。

でも、まだ駄目だ。

多分今の状態では、本格的に治療を開始するまで、ロロナ先生が保たない。

ロロナ先生が、うっすら目を開く。

意識が戻ったのか。

かなり不安定な様子だけれど。それでも。ネクタルが、効き始めているのだ。

もう一度。

詠唱開始。

ミミちゃんが凄まじい形相で唇を引き結んで、肩をふるわせているのが分かった。どうして、そこまで。

トトリなんかを、心配してくれるのだろう。

完了した詠唱。

気付く。

額から出血している。魔力を使いすぎた反動だ。

デュプリケイト。

キーワードを呟いて、ネクタルを増やす。今度の反動は、さっきより、更に凄まじかった。

背中から槍を突き刺されて。おなかに抜けたかと思った。

歯を食いしばるけれど。

その場で倒れて、瓶の中身を零しそうになる。

でも、ふるえながら。

どうにか耐え抜く。

呼吸を整える。視界が定まらない。肉体のダメージが滅茶苦茶で、魔力も使い切ったのだから当たり前だ。

今度は、ロロナ先生は。

口移しでなくても、ネクタルを飲めるようだった。

少しずつ、ゆっくり飲んで貰う。

半分まで、じっくり時間を掛けて。

その間にトトリは、またメンタルウォーターを無理矢理口に入れる。全身を覆う激痛は、先ほどのダメージなど、遊びに過ぎないといわんばかりの悲惨さ。何だか、体中が、酸で焼かれているようだ。

もっと、魔力があったら。

こんな苦しい思いは、しなかったのかな。

呼吸を整えながら。

多分、虚ろな目をしているのだろうと、トトリは自嘲。ふるえる手で、また瓶に触る。半分ほどまで、飲んで貰ったのだ。

後二回。

デュプリケイトを成功させれば。

ロロナ先生の容態は、安定する可能性が高い。

そう言い聞かせながら、ロロナ先生に、ネクタルを飲んで貰う。意識が定まらない様子のロロナ先生は、涙を流しているようだった。

痛いのだろうか。

違う。

少しだけだけれど、声が聞こえる。師匠、どうしたら貴方の鎖を、解くことが出来ますか。

貴方を助けてあげたいけれど。

ばかな私には、どうしても方法が思いつきません。

嗚呼。

ロロナ先生の願いは、そういうものだったのか。きっと、この国なんて大きなものじゃない。

誰か身近な人の悲しみを、解きほぐしてあげたい。

絶望から、解き放ってあげたい。

そうか、それで。

やっと、全ての合点がいった。

半分まで減らしたネクタル。

躊躇なく、トトリは。

更にメンタルウォーターを煽った。

 

目が覚める。

どうやら、荷車で運ばれている様子だ。少し遅れて、ロロナ先生を寝かせた担架が、ついてきているらしい。

身を起こそうとして、止められる。

「トトリ!」

必死の形相のミミちゃんがそうしたのだと分かって、どう反応して良いのか、よく分からなかった。

隣を歩いているジーノ君が、教えてくれる。

「森の地図、あのジュエルエレメントってねーちゃんがくれたよ。 少なくともあの森については、問題ない事もガンドルシュのおっさんが確認してくれた。 あと、アーランドのえらい人と話もしたいってさ」

「ロロナ先生は……」

「意識は戻ったり戻らなかったり。 だけど、何とか踏みとどまったよ。 それよりも、トトリ! お前、十二回もあの固有スキル使ったんだぞ。 心臓麻痺起こしても不思議じゃなかった。 下手したら、死体を二つ運ぶことになってたんだぞ」

そうか、其処まで無茶をしたのか。

今は寝ていなさい。

そうミミちゃんに言われて、その通りにする。というよりも、体が満足に動かない。本当に無茶苦茶をやったんだなと、苦笑いしてしまう。

でも、出来た。

ロロナ先生を救ったし。

レオンハルトは、今頃歯ぎしりしているだろう。

それに、あの森にいた人達も。きっとアーランドのえらい人、たとえばクーデリアさんがどうにかしてくれるはずだ。

闇の森の南に拡がる荒野や毒沼は、今回の調査で大まかな概要も分かった。今後は重点的に開発して、緑化していく事も可能だろう。

成し遂げられたのだ。

これからしばらくは、体が動かないだろうし、散々ミミちゃんにもジーノ君にも怒られるだろうけれど。

ロロナ先生は死ななかった。

トトリがしろと命じられていたことは、出来た。

少しずつ、余裕が出てきたので、周囲を確認。先頭をシェリさんが行っているのは森の中と同じ。

背中の羽を動かして、少し浮いたまま、移動しているようだ。悪魔族ならでは、である。

荷車と担架の周囲を、十二名のホムンクルス達が固めている。これは、補給部隊と途中で合流したのだろう。

砂漠の砦に着いたら、マッシュさんに、クーデリアさんへの伝言を頼まないと。

それから、それから。

気付くと寝てしまっていた。

今回で、一度嫌でもアーランドには戻らないといけないだろう。そしてその後は、アランヤにも戻っておきたい。

ロロナ先生は、瀕死のうわごとで、誰か大事な人の事を話していた。

そしてトトリにも。どうしても探し出したい、大事な人がいる。

絶対、死ぬわけには行かない。

今回頑張ってくれた周囲の人達の苦労を無にしないためにも。

トトリはこれからも。

この過酷な戦いを、続けていかなければならなかった。

 

(続)