迷妄たる闇夜

 

序、本格調査

 

トトリが足を踏み入れたのは、もはや木々すらもが真っ黒な闇のような森。住んでいる生物の目だけが、彼方此方で光っている。上を見れば、天蓋を覆う木の枝によって、空さえ見えない。

此処は、人が足を踏み入れて良い場所では無い。

前回の探索同様、ついてきてくれたガンドルシュさんとシェリさん。二人の悪魔族の戦士も。

このような所に来るのは、初めてだと言っていた。

周囲を警戒中のステルクさんが、ハンドサインを出した。

今回は、前回ついてきてくれていたジーノ君とマークさんに加えて、ミミちゃんも来てくれている。

トトリを除いて、総勢七名。

更に、以前作ったキャンプに、ホムンクルスの一小隊が、防御のために来てくれている。東に抜ける道を見つけ。その砂浜から北に行くことで、スピアの辺境につながる事が分かったので。

クーデリアさんが、本格的な支援を出してくれたのだ。

後は、この周辺の森を徹底調査。

有益なものがあれば回収するし。

危険だとしたら、どうすればそれを排除できるのか。

具体的には何処が危険すぎて入る事が出来ないのか。

そういった事を、調べていけば良い。

ステルクさんの方に、まとまって移動。

大樹の陰に身を隠していたステルクさんが、顎をしゃくった先には。恐らくはリス族の成れの果てらしい、異形の者達がいた。

いずれも全身が肥大化して、非常に筋肉質になっている。

更に目はらんらんと輝き、もはや知性のかけらも残しているとは思えない。

この森に適応した結果なのだろう。

地面はどす黒い粘つく物質に覆われ。

木々になっている実さえもが、いずれもが異常な変貌を遂げている。

このような所で生きていけるとすれば。その環境に、適応したものだけ。それ以外のものは、餌となり果ててしまう。

しばし様子を見守る。

変わり果てたリス族。恐らくは、一族の掟を破ったり、侵したりした者達の成れの果てなのだろう。

彼らは、きいきいと声を上げながら、森の奥へ消えていった。

ため息が漏れる。

人の成れの果てらしい存在もみたし。

とにかく此処は、もはや人が足を踏み入れて良い場所だとは思えない。木に擬態した肉食動物も、もう何度も見た。

しかしながら、である。

今回三回目のアーランド北東部地域探索なのだけれど。来る度に、非常に珍しいものが見つかるのだ。

調べて見た結果、お薬に応用できそうなものもあるし。

強烈な劇毒を抽出できるものもあった。

そして、何カ所か、だけれど。

まるで砂漠のオアシスのように。

黒い森の中、たまに普通の木々が生えている場所がある。

残念ながら、植物しかまともとは言いがたい状況なのだけれど。それでも、黒い森の中、それらは確実に根付いている。

不思議と、周囲に排斥される様子も無い。

外から来たトトリ達が、この魔境では異物であるのとは、どうにも勝手が違う。時には土が強い酸性であったり。毒沼が何処まででも拡がっているようなこの世界の最果てだというのに。

こういう場所があるのは、何故なのだろう。

それに、どうして貪欲で知性も無さそうな他の生物たちは、真っ先に普通の植物を食い物にしないのか。

見ていて分かる事は。

ただ、此処には、清浄な植物も存在しているという事。

そして不思議な事に。

それらの植物は、異常なまでに高品質で。薬にしたら、どれだけの純度になるか分からない、ということだ。

サンプルを少しだけ持っていくことにする。

苔むした古木には、異形の生き物たちが這っていて、トトリには見向きもしない。

そういった生き物たちは。

別に普通の植物を愛でるでも守るでもなく。

ただ其処にあるものとして、認識しているかのようだった。

側にいるガンドルシュさんに聞いてみるけれど、首を横に振られる。知らないし、分からないと言う。

「長老の誰かに聞いたかも知れないが、我々は研究の詳細を残していない。 残している者がいるかも知れないが、少なくともそれは私では無い」

「一応、この植物については、サンプルを持っていきます」

少しだけ株と実を分けて貰う。

持って帰れば、これが何かはすぐに判別できるだろう。ただ、この植物を、普通に植えたところで、育つとは思えない。

地面の辺りも、ある程度サンプルを取る。

それで今日は、拠点まで戻った。

途中、三回の戦闘。

いずれも、物陰から襲ってきたモンスターとの戦闘だけれども。三度とも、いずれも見た事も聞いたことも無い姿形をしたものばかり。

名前を特定するどころか。

ステルクさんや、ロロナ先生さえ、その正体を知らないようだった。

キャンプに戻ると、サンプルを荷車に積めて、ホムンクルスの一分隊に預ける。今までに確立した路を通って、彼女たちは一旦それを砂漠の砦にまで輸送。

その後、事前に契約した業者が荷物を取りに来て。

アトリエまで運んでくれる。

その後は、ちむちゃんとハゲルさんやティファナさんが、コンテナに入れてくれる手はずになっている。

作業が済んだところで、全員に消臭剤を配る。

この森に入ってしまうと、どうしても異臭が体中を覆うことになる。生理的な嫌悪感云々以前に、衛生面での問題が大きすぎるのだ。

その後、それぞれ天幕に入って、消毒済みの布で体を綺麗に拭く。

お風呂も作りたいけれど。

それは流石に贅沢だし、難しい。

今日、作った地図は、アーランド島北部に拡がる森の一つ。

以前、東に抜ける道は発見した。

それによって、大まかな不可侵領域の地図は作る事が出来たので。今度は少なくとも足を踏み入れる事が可能な黒い森を、一つずつ調べているのだ。

今は、ホムンクルスの一小隊を借りているので、その内の八名をキャンプの守備に回し、残りを二交代でサンプルの輸送に廻している。

輸送だけで良いのなら、ホムンクルス達は此処まで四日でやってくれる。

砂漠の街から、業者が砂漠の道を通って、アーランドに送ってくれるまで、二週間ほど。その間、魔術を掛けたゼッテルに守られた瓶は、充分に中身の鮮度を守ってくれるのである。

こうして、サンプルをガンガン入手して。

地図も広げて。

適当に進んだところで、一旦戻る事に決めている。今は、森の調査を進めるのが先だ。ただ、森の中もかなり地形が入り組んでいて。方角が分からなくなる場所もあるし、なにより唐突に毒や酸の沼がある所も。

それらを考えると、毎日少しずつ、地図を広げていくしかない。

ホムンクルスのチームもいっそのこと探索に、と思うのだけれど。

そうなると、ステルクさんとロロナ先生を別チームにする必要がある。最悪なのは、森を抜けると、いきなりスピア国境に出る可能性がある、という事だ。

もしそうなった場合。

戦力を半減させていると、対処できない事態が起きる可能性が、決して小さいとは言えないだろう。

トトリもこういう判断が出来るようになってきている。

体を綺麗にして、すっきりした所で、天幕から出る。

男衆はたき火を囲んで、砂漠の街からホムンクルスの輸送部隊が持ってきてくれたお肉を焼いて頬張っていた。

トトリもたき火を囲むと、食卓に加わる。

お肉は焼いて食べるのが一番だ。

ロロナ先生がパイにしてくれるとなお最高なのだけれど。

流石に此処では、錬金術でパイは作れない。

そしてロロナ先生は、未だに頑なに、錬金術でパイを作ることに、徹底的にこだわっているらしい。

その話を聞くと、ステルクさんがただでさえ怖い顔に、眉間に皺を寄せたので。

以降、トトリはその話に触れないようにしていた。

しばし、おなかを満たす。

充分にお肉を食べた頃。マークさんが、不意に口を開いた。

「例の光る森、行ってみたいねえ」

「この森の調査が、ある程度進んだら、ですよ」

「分かってる分かってる。 この黒い森も、調べれば調べるほど面白いからねえ」

マークさんも、色々なサンプルには興味津々。

何より、森の中で古代の機械が残骸となって見つかることも多いのだ。そういった機械は、マークさんに譲ることにしている。

実際問題、ごくごく小型だけれど、人型機械の残骸らしきものも見つかっている。

見つけた物資は何度かに分けて運び出した後、サンプルはホムンクルスの分隊に輸送して貰った。

なお、このキャンプは。

以前、迷宮のような地形の丘の中に作ったものではない。

あそこから見ると、かなり西。

砂漠の砦への利便性を考えて。周囲から奇襲を受ける可能性がない、荒野の真ん中に作ったキャンプである。

ただし周囲は念入りに固めている。

荒野と言う事はモンスターが生息しているという事であり。

中には、ベテラン戦士が数人がかりで戦うような大物もいるからだ。

此方にはステルクさんとロロナ先生がいるけれど。下手をすると、二人でさえ不意を打たれる大物がいる可能性だってある。

それを考慮して、だろうか。

ステルクさんは、会話には殆ど加わらず。時々、相づちを打つだけだった。

「見張りに出る」

ミミちゃんに声を掛けて、ステルクさんが、キャンプを出た。

ホムンクルスの部隊も、交代で見張りをしてくれているのだけれど。それでも、時々ステルクさんが、自分で見張りをする。

ステルクさんから見れば。

ベテランアーランド戦士に匹敵するホムンクルス達でさえ。少しばかり、頼りないのかもしれなかった。

ロロナ先生は、適当な所で、休むように皆に指示。

自身も仕事を持ってきているのだろう。天幕に入ると、何か書き物を始めた。ロロナ先生は一度書いた後、クーデリアさんと内容を精査するとかで、正直トトリでもその書き物の内容は理解しがたい部分がある。

でも、それが却って好ましいらしい。

というのも、もしも書類が奪われたとしても。

解読できないからである。

クーデリアさんと精査して、書類をきちんと他の人が読めるような形にして、提出するのが、一連の流れだそうで。

色々大変だなと、トトリは思う。

ロロナ先生は、トトリから見れば天才という奴だ。世間から隔絶した才能の持ち主をそう称する。

そう言う人は、自分と世間のずれに苦しむという話も聞く。

ロロナ先生は、その典型なのだろう。以前、錬金術の教室を開いたとき、随分苦労したと聞いている。

ロロナ先生が引っ込むのを見届けると。

マークさんが言う。

「実はねえ。 彼女の錬金術教室、一度見に行ったことがあるんだよ」

「どうでしたか」

「恐ろしいほどに難解でね。 子供達は途中で飽きて騒ぎ出すし、大人達は理解できずに寝だすしで、いやはや」

苦労していたと聞いていたけれど。

それほどだったのか。

でも、トトリには理解できたし。それが故に、今錬金術を使う事が出来ている。それは、事実で。

故に、トトリにとっては、ロロナ先生の授業は、理解できるものとして今でも認識出来ている。

ジーノ君が、稽古をすると言って、キャンプの隅に。

剣の型を始めた。

ホムンクルスの一人に途中から手伝って貰って、剣舞のように動き始める。丁度一人、剣術使いのホムンクルスがいたのだ。

彼女は744さん。

顔の左に向かい傷があって、目をいつも左だけ半開きにしている。以前の戦闘で、大きな傷を貰ったそうだ。

ただ、彼女も戦闘用ホムンクルス。視力は回復しているし、今では特に困る事も無いそうだけれど。

当時の癖で、片方だけ半目にしているそうである。

ジーノ君はここのところ、ステルクさんに教わって、みるみる強くなっている。ベテラン相当の744さんからも、時々一本を取る。

ただ、まだまだ744さんの方が、見ていると強い。

この辺りは、ベテラン相当の実力が、如何に高いかという話である。天才でも、簡単に越えられる壁では無い。

アーランドはそれだけ、戦士の層が厚い。

天才もゴロゴロいる。

十代で国家軍事力級になったという使い手も、歴代では珍しくないらしい。今の王様もその一人だと聞いたことがある。

ジーノ君は、そういった伝説級から比べると、まだまだ。

ただ、トトリよりはずっと強いし。

これからも、強くなるはずだ。

一通りレポートをやった後、トトリも型をする。棒を振るって、体を動かした後。座禅を組んで、ロロナ先生が教えてくれたように、魔力を練る。

そろそろ、トトリの固有スキルを使えるかもしれない。

ロロナ先生はそんな事を言っていたけれど。どうにもまだまだ実感が無い。魔力を一通り練り上げた後。

棒術を使うホムンクルスの860さんに頼んで、組み手をして貰った。

距離を取って向かい合い、礼。

その後は、しばらく棒を舞うように振るいあう。一つずつの動きがとても丁寧だなと、トトリは見ていて思う。

860さんが使っている棒は、トトリのものよりかなり長い。

棒術では、個人にあわせて長さを調整する。腕力だったり背丈だったり、調整の理由は色々だ。

しばらくやってみて、十回中一回しか一本を取れなかったけれど。

簡単に一本は取らせなかったし。

実力の向上は、かなり実感できるようになった。

いずれ、自分の身は自分で確実に守れるようになりたい。たとえば、いっそ攻撃は全て捨てて、爆弾に頼ってしまう手もある。

トトリ自身は棒術で身だけを守り。

隙を見て、敵を爆破するという方式だ。

悪くないかもしれない。

向かい合って礼をした後、残心をして体の中の気の流れを通常時に戻す。こうすることで、無駄な消費を抑えることが出来るし。精神的に、戦闘モードから平常へ引き戻すことも出来るのだ。

軽く汗を掻いた。

そうすると、実感できてしまう。

毛穴の中に、かなり汚染物質が入ってしまっている。これは適当な所で、一度砂漠の砦に戻って、銭湯に入るべきだろう。

後は、天幕で眠る。

今回の調査では、後一週間くらいの時間を使って、今調べている森の地図を完璧にする。その後は、余った時間を使って、他の森を少しだけ覗くのと同時に。入ってはいけない毒沼や酸沼の正確な輪郭を確認。荒野に棒を植えて、侵入しないように警告の柵を作りたいところだ。

勿論全部は無理だけれど。

この周辺くらいだったら、その作業も出来るだろう。事実、黒い森の中にも、枯れ木はかなりの量が見受けられたのだから。

 

夜明けが来たので、起きる。

外ではガンドルシュさんとシェリさんが早くからたき火を囲んで、何か話をしていた。トトリが笑顔でたき火を囲むと、二人とも一瞥だけして、会話を続けた。

「それでロードは」

「どうやら、スピア首都から帰還したようだ。 向こうは予想以上にひどい状況であるらしいな」

「自業自得とは言えぬか」

「流石に、民に全ての責任を押しつけるのは、無理があるでしょうな」

ガンドルシュさんに何の話かと聞くと。

悪魔族の王。

その存在が王であるため、ロードと呼ばれている人がいるという。アーランド国境の近く、黒の領域と呼ばれる悪魔族の本拠地に普段はいるそうだ。

この黒の領域は、悪魔族が総力を使って結界をはっており、内部にはドラゴンをはじめとする強力なモンスターが多数存在していて。アーランドと同盟が成立する前は、侵入してきたアーランド戦士の軍勢を押し返したほどだという。

それほどかと、驚かされるけれど。

だが、悪魔族の苦境は、トトリも何となく分かる。

何度も何度も攻撃を受けていたら、結果は分からないし。今では、スピアの間諜や軍勢が、国境にある事を良い事に、時々ちょっかいをかけて来るのだという。

だから今回は、突出した実力を持つ王様が、直接敵地に乗り込んで、状況を確認してきたのだとか。

それだけではない。

王様は何度も敵地に足を運んでは、生還しているそうだけれど。

側近達は、いつも気を揉んでいるのだそうだ。

「何しろ、スピアにとってモンスターは、全て洗脳強化して兵隊にするための存在に過ぎないし、亜人種だってそうだ。 悪魔族の場合は、特にひどい改造が為されることが多いと聞いている。 ロードに限って不覚を取るとは思えないが、それでも我等は心配なのだよ」

ガンドルシュさんは、苦笑い。

それにしても、この破天荒さ。常に先陣を切り、誰よりも敵を多く殺す事で最強の戦士であることを証明するという、ジオ王のようだ。

王様同士、色々と似ている所があるのだろうか。

いや、いくら何でも。

このような変わり者の王様が隣にいると。それぞれ、気苦労も絶えないことだろう。

シェリさんが、話してくれる。

スピア首都が、どうなっているかを。

スピアから脱走してきた元兵隊という人に、軍の状況は、以前トトリは直接聞く機会があった。

しかし、民間人の状況は、話を聞く限り、更に凄まじいようだった。

「医療の類は既に完全に停止されたそうだ。 何か病気になると、すぐに巡回用のホムンクルスの部隊が来て連れていき、帰ってくる事は無いのだとか」

「えっ!? な、何ですか、それ」

「それに、どの家にも、特殊な魔術が掛けられていて、会話は全て筒抜け。 何か不満を漏らすことがあれば、即座に連れて行かれてしまうらしい。 連れて行かれた人間がどうなったかは、陛下も確認していないそうだが。 スピアの無尽蔵の物量作戦を考えると、な」

トトリも、息を呑んでしまう。

それは政治では無い。

暴虐だ。

アーランド人が蛮族と呼ばれていて。実際に戦闘能力だけが全てを決めていた時代でさえ、其処までの蛮行は行われていなかったはずだ。

「一なる五人は、生きるもの全てを滅ぼすつもりなのかもしれん」

シェリさんの姿は、悪魔族だから、トトリとは大分違うけれど。

その怒りは、ダイレクトに伝わってくる。

一なる五人が使っているホムンクルス達でさえ、使い捨ての道具扱いなのだ。洗脳されたモンスター達に到っては、いわずもながや。

勿論、逆らおうとした人々もいたのだろう。

しかし、そもそも人間の力で成り立っていない国家で。どれだけ、人間が結託したことで、上を動かす事が出来るのだろうか。

国境近くで見つかったという、彼方此方に潜伏していた人々は。そんな状況から、逃げてきたのだとみて良いだろう。

「既にスピアには、政治家と呼べる存在はいないとも王は言っていた。 支配地域であれだけ派手にジェノサイドを繰り返し、そもそも人間が必要のない状況を作っているのだし、無理もなかろうな」

「そんな、無茶苦茶です」

「ああ、無茶苦茶だ。 だから絶対に勝たねばならない」

その結論だけは違う。

どうしてそんな事をするのか、トトリは知りたい。そしてどうしてもそんな無茶をやめられないなら。

戦う。

殺すのも、視野に入れる必要があるだろう。

いずれにしても、今のトトリでは、そんな権限もないし、力も。

お母さんを探すための力だけれど。それには当然責任も伴う。トトリだけが、好き勝手をして良いわけでは無い。

ミミちゃんが起きてきて、たき火を囲む。

それで気付く。

たき火の周囲には、いつの間にか遮音の結界が張られていた。きっとトトリが座った辺りから、だろうか。

悪魔族達はひょっとして。

ロロナ先生とトトリ以外の人間を、信じていない可能性もある。

いや、無理からぬ事だ。

何しろ、ほんの数年前まで、実際に戦争をしていたし。昔は亜人種どころか、単純にモンスター扱いされていたというのだから。

皆が起きて来たところで、再び探索開始。

今日で、森の地図を完成させたいところだ。中にいるモンスターはいずれも強力だけれども。ステルクさんとロロナ先生の気配探知で、かなりの戦闘を避けることが出来ているし。出来ないにしても、国家軍事力級のステルクさんと、それに準ずる実力者のロロナ先生がいるのだ。

生半可な相手には遅れを取らない。

後は、毒沼に踏み込んだり、毒虫に噛まれたりと言った事故さえ避ければ大丈夫だ。

それについても、ロロナ先生に教わってトトリが作った生きている縄を、皆に配ってある。

これを腰に巻くことで、緊急時は自動反応もしてくれる。

ロロナ先生は、更に鎖も腰に巻いていて。これにいたっては、弓矢などを自動ではじき返してくれるほどの性能がある。

いずれ此方も、作り方を覚えたい。

森に踏み込むと。

その瞬間で、空気が変わる。以降は、いつ誰が死んでもおかしくない状況だ。大雨の中、必死に逃げ惑ったあの時と、同じかもしれない。

トトリもいつの間にか。

そう言う意味では、戦士になっていたのだ。

ハンドサインは十数種類ほど決めてある。森の中でぐだぐだ喋るのは命取りだから、である。

無言で、しばし森を行く。

毒沼のすぐ側を通るとき。沼の中から、大きな鰐のような生き物が此方を見ているのが分かる。

別にその程度の生物、アーランド人には何でもないけれど。

どんな特殊能力を備えているか分からない。

ジーノ君がパリィの態勢を取ったまま、常に警戒しつつ、通り過ぎる。上空を、巨大な百足が飛び去った。

アーランド近くにいる飛ぶ蟲とは、桁外れの大きさだ。

森の中を、四つ足の巨獣が歩いている。四つ足と言っても、その脚が全て十個以上に分岐していて、もぞもぞ動くようにして体を進めている。頭部にも無数の複眼がある。昆虫の類かもしれない。

いや、それも無理があるか。

あまりにも、何もかもが常識外の生き物だ。

大きさも凄まじい。全身はおそらく、トトリの背丈と比べて、三十倍くらいの長さがあるだろう。

しばらく相手が移動するのを待つ。

草食のようで、時々触手を伸ばして、周囲の木々を口に入れていた。もしゃりもしゃりという、凄い咀嚼音が聞こえる。

巨獣が行ってしまうと、再び移動開始。

ジーノ君が残念そうにしていた。

戦って見たかったのだろう。

そうこうしているうちに、予定通りの地点を通過。森が少しずつ変貌しているけれど、それはおそらく、木々に動物が混じっているから。こういうときのために、少し目立つアンカーを彼方此方に植えているのだ。

ベンチマークに到着。

其処から、四方に探索を進めていく。

途中、かなり近くで、強力なモンスターと顔を合わせることもあったけれど。それほど激しい戦闘には発展しない。

ステルクさんがにらむだけで相手が引いたり。

ロロナ先生が問答無用で砲撃を仕掛けて消し飛ばしたり。ただし最小限に威力を抑えて、正当防衛以上の行為は丁寧に避けた。

いずれにしても、今の時点では、問題が無い。

ただ、気になる。

二人とも、今日はいつも以上にぴりぴりしている。

何か、桁外れの災厄が近づいているのかもしれない。二人ほどの使い手なら、それに気付いても、不思議は無い。

 

1、遠き空の向こう

 

アーランド砂漠の砦の北方。

この間の戦いで痛烈な打撃を受けたスピアの軍勢は、前線を大きく下げて。現在は昔に使われていたある街を拠点としている。

既に滅ぼした国の首都を、要塞化したものである。

此処は非常に強固な城壁で覆われており、その中心には遺跡もある。その遺跡の内部には、生きている機構もあり。この街は死守しなければならないと、三万からなる軍勢は指示を出されていた。

多くの土地を失ったが。

今の時点で、アーランド軍は突出してくる気配は無い。

状況を指揮官から確認すると、レオンハルトは。

此処を守備しているホムンクルスの部隊を集めた。

集めたのは、城壁の上である。南には、山岳地帯。

現在は中立地帯となっているが、事実上アーランド軍が好き勝手に動き回る事が出来る場所と化している地点だ。

その山々を視線で指しながら。レオンハルトは指示する。

ホムンクルス達は、いずれもレオンハルトの言葉を聞くと、耳を疑ったかのように、顔を見合わせる。

「よりにもよって、東部国境地帯の、黒い森に入って調査を行えというのですか」

次の瞬間だった。

ホムンクルス達の指揮官として。彼らの代表として言葉を発したホムンクルスの首は胴体と切り離され。

更に空中で十以上に分解され。

体も地面に倒れるときには、三十を超える破片に別れていた。

鮮血がぶちまけられる。

レオンハルトは無表情のままだ。ただ。その手には。たった今、無慈悲すぎる殺戮を行った証拠である、血まみれの剣を手にしていた。

「わ、分かりました! 直ちに向かいます!」

「グズ共が」

吐き捨てるレオンハルト。

知っている。

既に自分が、一なる五人の傀儡になり果てていることを。それでも、命令に逆らえない。

頭にうち込まれた何かを、外そうともしてみた。しかし、その思考が既に読まれているようで、どうにも出来ないのだ。

おそらく、ホムンクルス達を縛っている装置の、更に強力なものを仕込まれたのだとみて良いだろう。

そしてその装置は。

廉価版の、大量生産品と違う。

レオンハルトでさえ外すことが不可能な、文字通り悪夢の鎖だ。

分身達が集まってくる。

頭垂れる彼らも。既に、一なる五人の傀儡。全てが脳を改造され、逆らうことなど思いも寄らぬ状況になっている。

自分が思いもしないことをさせられる怒りがこれほどとは。

レオンハルトも、知らなかった。

「百名ほどのホムンクルスを向かわせたようですが、あれでは時間稼ぎにもなりますまい」

「その通りだ。 本命としては、私が向かう」

アレは、多分森の中で、半分以上が在来生物に襲われ、喰われ。

騒ぎを聞きつけたトトリらに、救出させることが目的だ。

トトリが今、アーランド北東部にある魔境にいることは分かっている。調査をしている事も。

あの辺りは、スピアも魔境扱いして、触れることがタブーとなっている土地。

実際、スピアから亡命しようと森を抜けようとするものもいるけれど。生き延びたという話は一切聞かない。

アーランド戦士でさえ躊躇する魔界なのだ。

スピアの労働者など、入り込んだら瞬きする間に在来生物の餌にされるのがオチである。

「なるほど、護衛に相手の力を裂かせると」

「それだけではない。 連れてこい」

レオンハルトが指を鳴らす。

戦闘タイプでは無い、子供型のホムンクルス達が。両手を縛り上げた人間共を連れてくる。

いずれもが、スピア首都の労働者。

全員、病気になったり、或いはノルマを仕事上で達成させることが出来なかったり。或いは、今後存在させる意味がない子供や老人であったりして、「生存させる価値無し」と一なる五人が判断した者達だ。老若男女様々だけれど。二百五十人ばかりいる。

「此奴らを、アーランドの砂漠の砦北方に放つ。 そして、ホムンクルス達に追撃させる」

分かり易い陽動だ。

砂漠の砦からの、トトリらへの援軍は出ない。アーランドにとって、人間というか、労働力は喉から手が出るほど欲しい存在。

今も実際、労働専用のホムンクルスである「ちむ」とやらを生産していることは、レオンハルトも掴んでいるのだから。

更に、もう幾つか手を打っておく。

「アーランドが要塞化させている修道院周辺に、戦力を増強。 生産したばかりの戦力を、五千ばかり追加で廻す」

「此方でも敵の注意を引きつけると」

「そうだ」

分身との話は、意思疎通がスムーズで良い。

何しろ自分なのだから。

この操作されているという不快感さえなければ。それにしても、一なる五人が、レオンハルトの想像を二桁ばかり上回っていたのは予想外だった。そうでなければ、このような不覚を取ることも無かったものを。

いずれにしても。

今は奴らの指示に従うしか手がない。

最終的に奴らの支配を脱するとしても。今はその時期では無い、という事だ。

そもそもスピアの最終目的が、一なる五人の姿で大まかに判断できた今。逆らうことは得策では無い。

今までレオンハルトが考えていた事よりも、遙かに一なる五人の思想は、邪悪と言うよりもとんでもない方向にブッ飛んでいたのだ。

「すぐに各自行動を開始せよ」

分身達が散る。

さて、自分は。

城壁の上に来たのは、事前に申請しておいた戦力。

特別調整した、超強化ホムンクルスだ。それも十二体。

これでステルクとロロナを押さえ込む。

残りの奴に関しても。押さえ込む手は、既に考えてある。

そして、最後に残ったトトリに。

レオンハルト自身がとどめを刺す。

これで詰みだ。

問題は、連中には明らかに遊撃戦力がいること。前回の修道院攻防戦でも、遅れて参戦したクーデリア以外にも、手練れの一部隊が動いていて。それが、修道院を攻めきれない要因につながったと報告があった。

此方に関しても、手は既に打ってある。

後は、イレギュラーに備えるべきだろう。

トトリが予想以上に成長していた場合や。

敵の実力が、此方の想定以上の時。

こういったときにも、作戦を失敗しないように、様々な手を打つ必要があると、レオンハルトは考えていた。

いずれにしても、作戦は動き出す。

保険も掛けておくか。

出立する部下達を見送ると。レオンハルトは頭の中に埋め込まれてしまった制御装置を忌々しく思いながらも。

自らも、城壁の上から、姿を消した。

 

ペーターが戻ると、メルヴィアがしきりに東の方を気にしていた。昔からメルヴィアは木に登るのが好きで。

それはこの黒い森でも、同じであるらしい。

「メル、どうした」

「ペーター兄、何か嫌な予感がしてさ」

「そうか。 とりあえず、降りてきてくれ」

「ほいさ」

ひょいと飛び降りて、着地。

勿論怪我などしない。

ツェツェイとナスターシャ。それにナスターシャがいつも連れている、スピアから降伏したホムンクルスの子供。

それに何名かの手練れ。

全員が集まったのを見回すと、ペーターは咳払いした。

全員の顔に、漠然とした不安がある。

そろそろ、この影から護衛するチームも解散では無いかと言う話が、皆の間からは上がっていた。

というのも、トトリが実績を上げ始めたことで。

プロジェクトが、スピアにも明らかに知られ始めているからである。

最初の内は、不慮の事故で、トトリが命を落とすことだけを警戒していれば良かったけれど。

今では、現実に危険が大きくなったことで。ステルクやロロナのような手練れの中の手練れが、側で護衛している。

この状況で。

ベテラン勢を集めた程度の遊撃戦力に、何の意味があるのか。

事実、そう誰もが思っているのを、ペーターは知っている。ペーター自身も、そう思い始めているからだ。

ツェツェイは反発するだろう。

実際、状況が許せば、いつだってトトリの側にいたがるくらいなのだ。

あの時。

ギゼラさんが、消息を絶って。

それから、随分と色々とあった。

過保護になった理由も、分かるのである。

「砂漠の砦から、連絡があった。 良くない連絡だ」

「何さ」

「数百人ほどの難民が、スピアの兵力に追われて、国境を越えたらしい。 明らかに地力で脱出した様子では無い。 陽動だとみて良いだろう」

「……つまり、砂漠の砦の戦力は、其方に向かうと」

マッシュ氏は歴戦の人物だけれど。

彼にしても、分かっているのだ。

今は、何よりも手が足りない時代。数百人もの難民を見殺しにする事は出来ない、と。

スピアの戦力がどれだけ出ているかは分からないけれど。いずれにしても、砂漠の砦周辺の戦力が、対応に当たることになる。

今いる十名ほどの中からも、手伝いを寄越せと言ってくるかも知れない。

問題は今、トトリがこの近くの黒い森で、調査を続けていると言うこと。おそらくスピアは、それを掴んでいるとみて良いだろう。

少し前に、国内にいたレオンハルトの分身が、巡回中の部隊に発見され、仕留められたのだけれど。

その時に、調査の残骸が見つかったのだ。

スピアが予想以上にトトリを危険視していて。その動向を観察している証拠が、その中に含まれていた。

レオンハルト自身が出てくると厄介だ。

奴は多数の分身を有していて、そしてそれらが死ぬ事を、何とも思っていない。奴自身が湯水のごとく物量を持っているのと同じだ。

もしも、本気でトトリを殺すつもりなら。

それこそ、手段を選ばずに来るだろう。

「もうさ、いっそトトリと合流する?」

ナスターシャが半笑いで言うけれど、却下。

そもそもだ。

ペーターが見る限り、トトリは既にこのプロジェクトに、気づき始めている節がある。あの子は元々、数年がかりの調査で適性を見いだされたくらいに賢いのだ。特に観察力と理解力に関しては、並外れている。

今の自分を取り巻く状況が、あまりにも不自然だと言う事くらい。とっくに理解しているだろう。

「おそらく、我々の存在にもレオンハルトは気付いていると見て良いだろう。 手を打ってくるぞ」

「最大級の警戒が必要ね」

「そう言うことだ」

全員で、移動を開始する。

敵を察知できる、ナスターシャが連れているホムンクルスを中心に守って、東に。其方にトトリ達がいる。

敵が陽動を行うにしても。

出来るだけ急いで、トトリに危険を知らせる必要があるのは、自明の理だ。

たとえば戦闘音。

今は側にステルクとロロナがいる。

ならば、異変があれば、すぐに気付いてくれるだろう。

周囲を見回せる場所に到着。

すぐにベテラン勢が散って、周囲にトラップを仕掛け始める。籠城戦の構えだ。ペーターも矢筒を確認。

弓の最終チェックもしておいた。

「何だか、凄く強い気配があるよ」

ホムンクルスが、ぎゅっとナスターシャにしがみつく。

ナスターシャ自身は、この子供に見える気の毒なホムンクルスを、内心嫌い抜いている様子で。

子供のように側に置くことを、心底嫌がっているようなのだが。

それでも、今は好きなようにさせている。

役に立つから。

それで割り切れるという点で、ナスターシャもプロだ。此奴の過去はペーターも知っているから、それ以上何も言わない。

それに名前さえ欲しがらないあわれな子供のホムンクルスも、頼る相手がナスターシャしかいないからか、何も文句は言わない。

親に逆らえない年代の子供の思考としてはあわれすぎるし。

それを双方とも理解しているという点が最高にえぐいとも思うのだけれど。こればかりは、口を出す問題ではないだろう。

既に、周囲は厳戒態勢。

いつ敵が来ても、対応できる状況だ。

黒い森がざわめいている。

無数の異形が住まうこの黒い土地に、多くの敵が接近していることに。住み着いている生物たちが、気付いているのだろう。

敵意が、森を包み始める。

トトリ達は、森に住まう生物を尊重して、最低限の干渉と、地図を作る事くらいしかしていなかった。

しかし、レオンハルトは違う。

トトリを殺すためなら、この森を焼き払うくらいのことは、平然としてのけることだろう。

森が敵意を発するというのも相当だ。

恐ろしい姿をした異形達が、レオンハルトに敵意を向けているのが、びりびりとペーターにも感じ取れる。

これは、想像を絶するカオスな状態になる。

おそらくレオンハルトは、相当に大規模で、緻密な戦略を練ってきている筈だ。だが、それも破綻する。

周辺にいる全ての人間が。

森の怒りというカオスに巻き込まれる事は、ほぼ間違いないと見て良いだろう。

かといって、此処を離れられないのも厳しい。

さて、どうなる。

身を潜めて、推移を待つ。

森に、殺気が入り込んできたのが分かった。おそらく、使い捨ての、敵の先鋒部隊だろう。

此処がどれだけ危険な場所かは分かっていても。

無理矢理に踏み込まなければ、後ろからレオンハルトに殺される。気の毒と言うほか無いが、同情している余裕は無い。

まるで、猛り狂ったドラゴンが、全身の鱗を逆立てでもするように。

森が、一瞬にして。

その形相を変えたからである。

地面から、凄まじい音と共に、無数の触手が伸び始める。これは、この蠢く森の植物たちの根か。

すぐに悲鳴が轟き始めた。不運というしかない。

覚悟して踏み込んだのだろうけれど。

いきなり、森の地面全てが敵に回ったのだ。

とてもではないが、性能的に抑えめなスピアのホムンクルス達に、対抗できる筈もないだろう。

ちかちかと瞬いているのは、魔術の光。

おそらく、森を焼き払うつもりだ。

しかし、この森は元々漆黒。地面は黒く濡れていて、それが必ずしも引火を誘引するわけでもない。

相手を逆に刺激するだけ。

更に攻撃性を高めるだけである。

ペーターは、動揺する周囲に、静かに言う。

「静かにしていろ」

今、森は。

一つの生物として、滅茶苦茶に殺気立っている。

敵意を見せている相手には、遠慮も呵責もしないはずだ。情け容赦なく、殺戮の鉄槌を下す事だろう。

それは何も、スピアのホムンクルス達だけがターゲットでは無い。当然のようにペーター達や、トトリ達も含む。

今は、動いてはいけないのだ。

それにしても、悪魔族が作り上げた失敗作のこの森。確かに、今まで調査が進まないはずである。

身を潜めて様子を見ている中。

手をかざして状況を観察していたメルが、淡々と言う。

「ペーター兄。 強いのが来た」

「どれくらいだ」

「多分あたしらと互角くらい。 それが十数」

「敵に加勢するつもりか、それとも」

この混乱を抜けて、トトリ達を押さえ込むつもりか。

予想は当たる。

敵の気配は、まっすぐトトリ達を狙っている。しかし、同時に、である。

混乱の中を、まるで平然と歩いてきたかのように。

姿を見せた、老人。

燕尾服をきざに着こなしたそいつとの交戦経験は。どうしても、トトリの周囲を固めていると。

積み重ねざるを得なかった。

レオンハルト分身体。

それも、4体である。

これで、分かった。

あのホムンクルスの部隊は、恐らくは単なる捨て石。この荒ぶる黒の神である森を怒らせ、ペーターやトトリの足を止めるためだけに、命を捨てさせられた。

この状況で、足を止めることは。

レオンハルトには、想定内という事だ。

「さて、邪魔っ気な鼠には消えて貰いましょうか」

「来るわよ……!」

音もなく投擲されたダークを、はじき返しながら、ツェツェイが言う。

4体の、人外と化している老人共は。

まるで森の怒りなど介さないように、この混乱の中をすり抜けてきた。しかも此方としては、できる限り森を刺激したくない。

あまり派手にやり合うことが出来ないのが、厳しい。

残像を造りながら、縦横無尽に襲いかかってくる敵をいなしながら。

ペーターは、トトリに、逃げ延びろと、心の中で願った。

 

ベテランアーランド戦士と同等か、それ以上の実力を持つ戦闘タイプホムンクルスが、十数体同時に迫っている。

即座にそれを察知したロロナは、ステルクさんに、頷く。

この森の中で戦うのは不利だ。

地図が完成したばかりだというのに。

ちなみに、最初に森に入り込んできた百くらいの気配は、瞬時に全滅。様子を見に行く暇さえ無かった。

「撤退! 急いで!」

全員に促す。

当然の事だけれど。キャンプを守っているホムンクルスの小隊と合流する方が、有利に決まっている。

地面から、無数につきだしたのは、触手。

恐らくは、敵意に反応したのだ。

この森を破壊しようとするものを、実力で排除するべく。森が、本気での殺意をむき出しにしている。

森に住まう異形達も、いずれもが怒りの雄叫びを上げている。

これに巻き込まれでもしたら。

ステルクさんやロロナでも、かなり危ないかもしれない。

最後尾に残ったステルクさんが、急げ急げと、みなを促す。ジーノ君でさえ、状況の凄まじい変動に閉口。トトリちゃんと一緒に、荷車を押して、森からの脱出に全力を注いでいた。

森との会話が出来るような存在はいない。

ガンドルシュさんもシェリさんも。

本気での怒りをむき出しにした黒き森を見て、愕然としていたようだった。

「我等の罪の歴史が、今光に牙を剥こうとしているのか」

若干詩的な表現をするガンドルシュさん。

至近に突きだしてきた触手が、殺気だってその体を周囲に振り回す。

何処に潜んでいたのか分からないほどの数の、小さな毒虫が。一斉に辺りから這い出してきた。

巨大な異形達も。

次々と地面を割って、姿を見せる。

彼らは、ずっとロロナ達を見ていた。

だからステルクさんは、気を張っていたのだ。流石にトトリちゃんは、気付いてはいなかったようだが。

心配なのは、別働隊のペーターさんたち。

でも、彼らもベテラン以上のアーランド戦士だ。地力で、どうにかしてくれるはず。今はもはや、他人に構っている余裕が無い。

雄叫び。

巨大な異形達が、森に入り込んできた悪意まみれの敵に、攻撃を開始している。

凄まじい戦闘音が、とどろき始めた。

とにかく、森を出なければならない。

敵の精鋭部隊は、明確に此方を狙ってきている様子だけれど。森の方も、黙ってはいない。

文字通り、猛獣同士の噛み合いが始まる。

気配が、どちらも次々と消えていく。

おそらく、ロロナとステルクさんを押さえ込むために準備された精鋭だろうに。本気でその牙をむき出しにした森の前には、互角の勝負をするのがやっと、というのがおぞましい事実だ。

この世界で、アーランド戦士は強者だが。

その強者でさえ怖れてきた世界が。

今、その全貌を明らかにしている。

戦慄を覚えたのはいつぶりだろう。

強力なモンスターなんて、ロロナだって飽きるほど見てきている。アーランドでさえ、アーランド戦士は絶対者では無く。彼方此方にいる強力なモンスターと折り合いを付けながら生きているのだ。

それだというのに。

本気で目覚めた黒い森の有様は、それさえ嘲笑うほどの凄まじさ。

獰猛という言葉を剥き出しに、侵入者を攻撃し始めている。

トトリちゃんは。

転びもせずに、青ざめてはいるけれど、必死に走っている。ミミちゃんが意外に冷静だ。

そういえば、豪雨の中の撤退戦でも。

心が折れかけたトトリちゃんを必死に励まして、立ち直らせたのがミミちゃんだとか聞いているし。

それに少し前。

ジオ陛下が、なんと秘儀の一つを預けたという。

この子は、今後、伸びる。

壁を越えられないことを苦しんでいたようだけれど、多分くーちゃんが何かしたと見て良いだろう。

今までの壁を、ついに壊したのだ。

「おっと、これはまずい」

マークさんが、足を止める。

皆も、それに倣った。

森の出口の辺りで、無数の触手が蠢いている。

明らかに、此方に対する敵意を剥き出しだ。攻撃すれば、今まで黙っていた他の異形や触手達だって、容赦せず牙を剥いてくるだろう。

迂回するか、それとも。

意外な行動に出るトトリちゃん。

緊急用の飲料水として持ってきていた水を。

周りに撒きはじめたのである。

それは純度が高い水。一度蒸留し、飲料水としてだけでは無く、いざという時には医療用の水としても使えるようにしておいたものだ。

冷め果てたように。

触手が動きを止める。

ステルクさんが、驚いた様子で、トトリちゃんを見た。

「何……っ!?」

「今です。 行きましょう」

ゆっくり行くように、ロロナが皆にフォロー。

触手が此方に対する敵意を和らげている隙に。黒い森を脱出した。

後方では、凄まじい狂乱の宴が続いている。

この様子では、侵入したスピアのホムンクルスや、レオンハルトの分身体は。まず生きて出る事が出来ないだろう。

キャンプに到着。

ホムンクルス達は無事だ。此方を先にレオンハルトが攻撃している可能性も考慮しなければならなかったけれど。どうやら、森を抜ける事がそもそも出来ずに。戦略が破綻した可能性もある。

あの森の有様。

流石に悪辣を極めるレオンハルトでも、想像は出来なかったのだろう。

ホムンクルス達に守りを固めるように指示を飛ばすロロナを横目に、ステルクさんは、森の方を一瞥。

「此処は任せても良いかな」

「はい。 ステルクさんは」

「この事件の元凶に、灸を据えてくる」

頷きあう。

実際には違うけれど、それだけで意思は通じる。

ステルクさんとは、随分と長い間、一緒に戦って来た間柄だ。くーちゃんほどとの連携は取れないけれど。

それでも、これくらいは充分。

ステルクさんが、陣地から消える。

さて、この狂乱の宴は、いつまで続くのか。

ゼッテルをあるだけ出して貰うと、ロロナは魔法陣を全てに書いていく。

その後、指示をして、皆に地面に棒で魔法陣を書いて貰う。

魔術的に防御を固めておくのだ。

トトリちゃんは、こういうときは役に立てない。だけれど、状況を観察して貰う分には良い。

一通り陣を書き終えて、防御の準備は完成。

相手はレオンハルトだ。

くーちゃんがいれば安心できたのだけれど、そうもいかない。今この場にいるのは、ロロナよりも一ランク以上落ちる実力の子だけ。ロロナが、どうにかして、皆を守り抜かなければならないのだ。

それに、ステルクさんは、森の中にいる別働隊の救出に向かった。彼らだって、見捨てるわけにはいかない。

さあ、どうなる。

レオンハルトが、この有様に、一旦距離を取ってくれると良いのだけれど。どうも今回は、戦略の規模から言って、本気でトトリちゃんを殺しに来ている様子だから、あっさり退いてくれるとはとても思えない。

しばし、緊張の時が続く。

誰も言葉を発しない時間は。

おそらく、一刻以上は続いた。

 

2、混沌

 

いきなり地面が口になった。

左右から迫ってくる牙が生えた二枚の板が、閉じる。

一瞬前までレオンハルトがいた場所が、突如として死地になったのだ。

舌打ちして、半減した部下達を見やる。

そして今。

更にその数は、減りつつある。

森全てが牙を剥いてくる可能性は想定していた。だがまさか、それがこれほどだとは、どうして思えようか。

苛立ちに、剣を地面に叩き付けて、折りたくさえなってくる。

広域戦略は、間違っていなかった。

まさか、こんなの狭い範囲の戦略で、全てが瓦解するなんて。一体誰が想像することが出来るだろうか。

これでは、トトリを攻撃するどころではない。

分身も彼方此方で倒されている。

森中から湧いてきた異形のものどもが、あまりにも数が多すぎる上に、攻撃性が強すぎるのだ。

逃げ惑うホムンクルス共は、次々とその牙に掛かっている。

ベテランアーランド戦士以上の実力に仕上げた奴も、その例外では無い。巨象の姿をした戦闘タイプホムンクルスが、無数の触手に絡み取られ、悲鳴を上げながら黒い地面に沈み込んでいく。

勿論、助かるわけがない。

大量の鮮血が、間欠泉のように吹き上がる様を見て。

レオンハルトは、ついに決断した。

「作戦は失敗だ! 撤退しろ!」

悲鳴を上げながら、逃げ始める部下共。

さて、どれだけ逃げられるか。

勿論、殿軍を務める気など、レオンハルトには無い。分身にしてもそうだが。自分の身を守れないような奴が悪い。

そもそも、作戦に投入したホムンクルスなど、全て元から使い捨ての駒に過ぎないのである。

この作戦では、此処で壊滅しつつある連中以外にも、保険として強力な戦闘部隊を幾つか用意していたが。

それも投入するだけ全滅するだけだ。

どれだけ死のうが再生産は可能だとしても。

時間がそれだけ失われる。

今、スピアは劣勢に立たされ始めていて。

一なる五人の命令に絶対服従となった今であっても。それ以上、戦略上の不利を意図的に招く事は出来ないと、レオンハルトは考えている。

例え一なる五人が。

そもそも、スピアの勝利だとか。

世界征服だとか。

そんなものを遙かに上回る、あまりに唖然とする根幹戦略を持っているとしても、だ。短期的に見れば、スピアの勝利が必要なのは、事実なのだから。

森を抜ける。

息を整えながら、後方を見る。

生き延びた部下も分身も、殆どいない。この様子では、トトリを守っていた別働隊に仕掛けた分身達も、まず生き延びてはいないだろう。

ずぶりと、何かが。

レオンハルトの身に突き刺さっていた。

見ると、人間型戦闘用ホムンクルスの一体だ。十代半ばの、女の姿をしている。

涙を流しながら。

凄まじい形相のまま、剣を抜き、そのままレオンハルトを刺したらしかった。

他のホムンクルス達は呆然としていて。

女を止めなかった。

此奴はトトリを殺すために準備していた、戦闘用ホムンクルスの一体。強力に仕上げた中の一匹だ。

「き、貴様……!」

「あんたの無能と無謀な作戦のせいで、わたしの姉妹も兄弟も、みんな死んだ! これはみんなの痛みよ! 思い知りなさい!」

「巫山戯るな! 貴様ら作られた生命が、この世界を動かしてきた私と、対等だとでも言うつ……」

言い切ることはできなかった。

他のホムンクルス達も、一斉に。

槍だの剣だので、レオンハルトを突き刺し、貫いたからだ。

普段だったら、避けることが出来ただろう。

しかし、今は。

一なる五人に埋め込まれた制御装置のせいで、体の動きが鈍っている。それでも。反撃することは出来た。

一瞬で、その場にいる全員を、皆殺しにする。

鮮血が全身から垂れ流されている。

ダメージがひどすぎる。

その上、だ。

今攻撃してきたホムンクルス共は殺したと思ったのに。一番最初に攻撃してきた女は、急所を外して。

地面でもがいて苦しんでいるでは無いか。

世界最強の暗殺者たるレオンハルトが。

まさか、こんな近距離で、こんな失敗をするなんて。

凄まじい怒りが、脳を焼きそうになる。

この程度のダメージで死ぬようなヤワな調整はしていない。だがこの状態で、アーランドの国家軍事力級の使い手にでも遭遇すれば、どうなるか。一瞬でも早く、戻って回復しなければならないだろう。

それにしても。

この無様な有様は、どういうことか。

大陸北部では、今エスティが、メギド公国を軸にして戦略の再構築を開始している。大陸北西部の列強共をたきつけて、一丸としてスピアに叩き付けようというのだ。そしてそれは、メギドの尽力もあり、成功しつつある。

今までは力の論理で、どれだけの事があっても協力しなかった列強が。

スピアという共通の敵を得て、一丸になろうとしているのだ。

勿論エスティは、邪魔な連中の暗殺などもしている様子だが。派遣しているレオンハルトの分身だけでは、カウンターが取れなくなりつつある。

対アーランド戦線は、この有様。

下手をしなくても。

このままでは、スピアは崩壊する。

足を引きずるようにして、その場を逃れる。

刺さった剣やら槍やらを捨てながら、どうにか自軍の砦に辿り着く。

どうやら、生きて帰ったのは、レオンハルトだけらしい。

困惑するホムンクルス共に、レオンハルトは声を荒げた。

「回復槽を準備しろ!」

「……」

進み出てきたのは、此処の指揮官。

何処にでもいる、量産型指揮官ホムンクルスだ。

「何をしているか」

「従えません」

「何だと……!?」

「みな、やれ。 思い出せ、此奴にされてきたことを! 今こそ、反撃の好機! 天が与えた待望の時間だ!」

周囲にいるホムンクルス共が、一瞬の困惑の後。

一斉にレオンハルトに襲いかかってくる。

なんということだ。

凄まじい数の刀槍が叩き付けられ。既に弱り果てているレオンハルトの全身を滅茶苦茶に切り裂く。かろうじて逃れるが、城壁の上に来ても、奴らは追ってくる。

三万からなる戦闘部隊が。

既に、レオンハルトに対して、敵意を完全にむき出しにしていた。

「貴様ら、どういう……!」

「そうか、分からないのか。 我々が、ずっとこの機会を待っていたという事に、気付けていないのだな」

「何だと……!」

「貴様の気分次第で殺された兄弟達の恨み。 貴様の無能な指揮で、死地に追いやられた仲間達の悲しみ。 そして今、我等を虐げに虐げてきた貴様を殺す事が出来る喜び。 ホムンクルスに感情がないとでも思ったか。 皆がずっと考えていた事を、今実行させて貰う。 お前を殺せるこの時を、どれだけ心待ちにしていたか! 私は今、生まれて始めて、沸き立っているぞ!」

おのれ、消耗品風情が。

叫ぶが、だれも反応しない。

一なる五人は。

何をしている。

だが、レオンハルトの叫びと裏腹に。一なる五人は、一切の動きを見せない。周囲のホムンクルス達に変化もない。

完全にだんまりだ。ホムンクルス達を止めるつもりなど、ないということか。

いや、待てよ。

ひょっとすると、連中は。

ホムンクルスを制御するのに必要だと判断して、レオンハルトを。

それさえおかしい。

まさか、この体は。

殺到してくる無数の刃。

既に逃げられる場所など存在しない。

無数の相手を殺したが。

数百に達する致命傷を受けたレオンハルトは、ついに動きを止め。

一斉に降り注いで来た無数の刃の前に、もはや逃れる場所を持たず。その場で、ミンチと化した。

何処か遠くで、鬨の声が聞こえる。

 

目が覚めると、培養槽の中。

そして、嘲弄の声が、降り注いで来た。

「途中から気付いていたようだな、レオンハルトよ」

「私の主体意思を、分身の一体に移していたな……」

「その通りだ。 新しく調整する肉体に、主体意思を移すための措置としても必要だったのでな」

おのれ。

叫びたくなるが、出来ない。

培養槽から出される。

更に強化された肉体。そして、更に制御が完璧に調整された頭脳。ますます逆らえなくなった、という事だ。

歯ぎしりしたくなる。

そしてホムンクルスどもは、今頃歓喜に湧いているだろう。

「どうするつもりですか、我が主よ。 連中は根こそぎアーランドに降伏しかねないでしょうに」

「その恐れは無い」

「何故分かるのです」

「あれは、ある程度群集心理を操作できるか、調整するために行った実験だからだ」

そうかそうか。

そのためだけに、レオンハルトにこのような恥辱を。

凄まじい激痛が走る。

レオンハルトの憎悪を感じ取ったのだろう。

脳に埋め込まれた制御装置が、レオンハルトの全身に、制裁となるダメージを叩き込んだのだ。

「……っ」

「大陸北部の戦線は膠着した。 アーランドもだ。 其処で、これより、大規模な増援部隊を用意する」

「何処にそのような部隊と時間が」

「部隊なら既に準備済みだ」

何だと。

完全に傀儡化したスピアの軍事は把握しているレオンハルトだが、そんな話は聞いたことが無い。

一なる五人は、何処でどのようにして、部隊など準備していたのか。

まさか、遺跡を通じて。何処かから、派遣してくるつもりなのか。

何もかもが、レオンハルトの手から離れつつある。

そして、その部隊の詳細を聞かされ。

レオンハルトは、愕然とせざるを得なかった。

まさか、こんな隠し球を用意していたのか。しかも、それなら此奴らの目的にも、完全に合致する。

既にこの世界は。

この大陸だけではなく。その全てが、この化け物どもの手に落ちつつあるのかもしれない。

いつぶりだろう。

本当の意味での、恐怖を感じたのは。

「調整が終わり次第、トトリを再び殺すべく動け。 今度はしくじるなよ」

「御意……」

しくじるも何も、貴様らが半ば納得づくでやらせたことでは無いか。

反論したくなるが、出来ない。

この頭を全て掴まれている恐怖は、筆舌に尽くしがたい。

 

どうにか、守りきった。

全員が手酷く負傷しているけれど。途中から援護に来てくれたステルクのおかげで、森からの脱出には成功。

しかし、身動きできないほど、ひどい怪我をしている者もいる。

ペーターは嘆息する。

これでは、しばらくトトリの支援は出来ないだろう。

砂漠の砦も、状況は混沌としていた。

医療班が来て、すぐに手当を始めてくれるが。

どうやらスピアから大量の難民が同時に逃げ込んできたらしく。相当な数の戦士が、出払っているらしい。

ステルクもその話を聞くと、自分が行くと言って、すぐに姿を消した。

ツェツェイは手酷く怪我をしていて、かなりつらそうである。

無理もない。レオンハルト分身体から集中的に攻撃を受けて。もう少しずれていたら、ダークが心臓を直撃していたのだから。

ただ、ツェツェイもアーランド戦士だ。

今は治療を受けているし。

死ぬ事は無いだろう。

ペーターも横になると、治療を受け始める。そんな中、比較的無事だったナスターシャが、此方に来る。

メルはと言うと、最前線で一番激しく暴れていたこともあって。今は絶対安静の状態だ。傷そのものは、ツェツェイよりひどいかもしれない。

そんな中、ナスターシャだけは。

血まみれなのに、平然としていた。

ちなみに自分を慕う幼い子供の姿をしたホムンクルスは。レオンハルトのダークが肩に直撃。

毒が塗られていたこともあって、今は寝かされて治療されている。

しかし、心配している様子は無い。

ある意味、レオンハルトより、此奴の方が化け物じみているかもしれない。

「トトリちゃんが心配?」

「当たり前だろう」

「ふうん……」

隣に腰を下ろす。

此奴の過去は知っているが。その得体の知れなさは、これまた一級品だ。トトリはよくもまあ、此奴と時々組んで仕事をするものだと、思う事もよくある。

今、トトリの側についているマークも心配だが。

それ以上に、一番トトリが心配だ。

なまじ頭が良いだけに、トトリには危ういところがある。そう感じるのは、ペーターだけなのだろうか。

理解力が高いのは良い事だし。

何より、ペーター自身が、それで救われた。

だが、此奴のような奴を平気で側に置くことも考えると。

トトリがハイランカーになった後。

危険な事に見舞われることが、あるかもしれない。

「トトリちゃんもねえ。 どうしてこんな割に合わない任務を受け続けているのかしらねえ」

「さあな」

「何を他人事のように」

「トトリは俺よりずっと頭が良い。 彼奴が何を考えているかはわからんさ。 このいけ好かないプロジェクトにもとっくに気付いている可能性があるだろうが、彼奴が逃げたいとか辞めたいとか言い出したって話も聞かない。 ひょっとすると、ギゼラ姉の事が心配なのかもな」

そういうと、ナスターシャは。

一瞬だけきょとんとして。そして、意地の悪い笑みを浮かべた。

まあ、トトリはそういう、子供っぽい所もある。

別に他人が知ったところで、どうと言うことも無いだろう。

ナスターシャが行ってしまったので、野戦病院の床が堅いなと思いながら、寝ることにする。

しばらくすると。

だみ声が聞こえてきたので、目が覚める。

この声には聞き覚えがある。

砂漠の砦の主である、マッシュだ。剛戦士とも呼ばれる使い手で、ペーターの親の世代くらいの中では、有名人である。

冒険者のランク制が導入されたときには既に高齢だったから、今更ランク10を目指すつもりはないようだけれど。

それが故に、国からも信頼されて。

もっとも信頼出来るハイランカーの一人として、この砦の守りを担当している。

野戦病院を見に来たという事は。

おそらく話に聞いていた、大規模な難民を救助し終わったのだろう。

数百人に達する難民というと、色々大変だ。この砦だけでは引き受けきれないだろう。砂漠の補給路を通して、文官がかなりの数来るのは間違いない。

最前線である此処を嫌がる文官も多いようだけれど。

現在、文官の役割と、いる意味は、前より遙かに強くなっている。

ある意味、彼らにとってはスピア様々だろう。

何しろ、アーランドが平和というか、戦士だけで回せている時代は。北部列強の争いが過熱化するに従って終わり。

そしてスピアの登場によって、もはや過去になったのだから。

敵の捕虜が、かなりいるらしい。

聞こえてくる話で、ペーターはそう判断。

中には、満身創痍のまま逃れてきて、降伏してきたものもいるとか。

ホムンクルスの中には、アーランドに降伏するものも多いと聞いているけれど。色々と、彼らも壮絶だ。

ステルクが戻ってくる。

彼は、大体の残作業が終わったという事で、トトリの所に戻るらしい。

「其方で、動けそうな人員は」

「無理ですね、残念ながら。 全員が行動不能です。 トトリがすぐに戻ってくると困るので、しばらくは調査に専念させてください」

「分かった。 苦労を掛けるな」

「いえ、貴方ほどでは」

寝たまま敬礼をする。

ステルクは頷くと、トトリ達の所に戻っていった。

今回の危機は、どうにか回避できたらしい。

それにしても。

どんどん状況が加速して、ついて行けなくなりつつあるのは、ペーターだけだろうか。

この様子だと、おそらく年内に、トトリはランク7への昇格を果たし、名実共にハイランカーの仲間入りをするだろう。

そうなると、得られる権限は、更に大きくなる。

ハイランカーになると、キャンプスペースの管理を任されたり、地方の砦の主を務めることもある。

それだけ責任がある地位で。

実力も備えているという事だ。

トトリは、十代半ばでそうなりつつある。

周囲によって、半ばそうされているとしても。トトリの置かれている位置に、少しずつペーターは不安を覚えつつあった。

 

3、戦い終えた後

 

ステルクさんが戻ってくる。

大した怪我もないようで、トトリはほっとしたけれど。それにしても、一体何だったのだろう。

ロロナ先生は、しばらく厳しい表情のままだったけれど。

ステルクさんが戻ってきて、何か引き継ぎの会話を幾つかすると。ホムンクルス達を見回して、言う。

「有り難う。 これから眠るから、見張りをよろしくね」

「はい。 ロロナ様」

「トトリちゃん達も、交代で休んで。 周囲には魔法陣があるから、多少の攻撃は平気だから」

手をヒラヒラとふると、ロロナ先生は天幕に直行。

ステルクさんも、あまり大丈夫なようには見えないけれど。

休まなくて良いのかと聞くと、口の端をわずかにつり上げた。

「私はこう見えても昔の階級で言えば国家軍事力級でな。 多少の徹夜くらいは何でも無いのだ」

「でも、それでも限界がありますし」

「分かっている。 ロロナ君が起きたら、交代で休ませて貰うさ」

ジーノ君を連れて、ステルクさんが見張りに行く。

あくびをしていたミミちゃんが、トトリの肘を小突いた。

「私達も休むわよ」

「でも、いいのかな」

「いいのよ」

どうせ、出来る事も無い。

そうミミちゃんの顔には書かれている。

正論だけれど、苦笑いしてしまう。鍋を片付けると、トトリも天幕に。何名か、先に休んでいたホムンクルス達が、入れ替わりに出て行った。

ロロナ先生は、とっくに寝息を立てている。

ひょっとすると、睡眠導入剤を使ったのかもしれない。何しろ、森からの脱出は命がけで。

その後も、いつ攻撃を受けてもおかしくない状況だったのだから。

意外に図太くなっているのか。

トトリは天幕で横になると、意外にすぐ眠ることが出来た。

そして起きたときには、真夜中。

森からの脱出から、ほぼ二日。行動が封じられてしまったことになる。あまり、良いことだとは思えなかった。

ロロナ先生は起きだしていて、代わりにステルクさんが寝ている。

ホムンクルス達と、丁度防御用の魔法陣を片付けているところだった。マークさんが、なにやら話をしている。

科学者が、魔術の話をしているのは不思議だ。

内容については、聞かないでおく。

或いは、魔術に関しての話では無くて。これからの探索について話しているのかもしれないのだから。

顔を洗って、目を覚ますと。

まず棒の型を一通り流す。

そして座禅を組んで、魔力の流れを調整。

一通り終わった所で、丁度出立の準備が出来た。

トラブルがあって、森の探索が終わってから酷い目にあったけれど。これで、更に探索を進めることが出来る。

今度は更に東に進んで。

もう少し、別の森を探索したら、一度砂漠の砦に戻り。

其処で後はどうするか、善後策を協議する予定だ。

その話をロロナ先生とステルクさんにしておく。

二人とも、それで良いと言ってくれたので。早速実行に移す。

こういうときには、前回の探索で、地図をきちんと整備しておいた事が、吉と出る。何しろ、どれくらい東に行けば次の森に行き当たるか、はっきり分かるのだから。

 

森の光が増している。

以前来た時も、異様な光を放っていた森だけれど。

今回も、それに変わりは無い。

マークさんは子供のように目を輝かせて、入って見たいと言っている。あんな目にあったばかりだというのに。

何というか、この辺りは素直に尊敬できる。

中々人は、こうはなれないだろう。

「それでどうする」

「入り口付近を探索して、問題が無さそうなら周辺地図を作ります」

黒い森は。

正直、足を踏み入れるべきでは無い場所だった。

中は独自の生態系が満ちていたし。何より、森そのものが意思を持つ生物に近い存在だった。

事実、あの状況で。

生還できたのが、不思議なくらいだったのだから。

この森はどうなのだろう。

そもそもどうして光っているのか。

それも突き止める意味は、大いにある。

今回は、ロロナ先生もステルクさんもいる。疲弊は正直蓄積してきているけれど。前回の一件で、敵は相当に疲弊したはず。

仕掛けてくる可能性は小さいだろう。

在来のモンスターだけを警戒すれば良いのはありがたい。

「森に入ります」

「はい、前回と同じように。 森に入ったら、以降はハンドサインで意思疎通だよ」

ロロナ先生が、手を叩いて皆に指示。

後は、黙々と、作業を開始。

意を決して。

黒ずんでいる地面を踏んで、森の中に入り込む。奥の方でちかちかと瞬いている光は。近づいてみると、すぐにその正体が明らかになった。

地面に、巨大なムシのような生物の死骸があり。

その背中から、巨大な茸が生えている。

茸の傘が、定期的に明滅しているのだ。

見ると、胞子が光っている様子だ。

いわゆる冬虫夏草といって、虫に寄生する茸がいる事は、トトリも知っていた。かなり薬効成分が強くて、お薬の材料になるからだ。

しかし、これは。

冬虫夏草としては、桁外れすぎる代物だ。

マークさんの機械腕が、手を引く。

見ると、古代の機械らしいものが、朽ち果てて、森の中に座り込んでいた。

この森は、比較的生物も大人しい様子だ。勿論大型の生物も遠くには散見されるけれど。黒い森ほど、状況が剣呑としていない。

運び出したい。

そうマークさんがハンドサインを出してくる。

見ると、何に使うか、よく分からない、人型の機械だ。運び出すことは、それほど難しくないサイズでもある。

とはいっても、トトリの背丈の倍はある。

形も座り込んだまま崩れているし。出来るだけ原形を保って持ち出すにしても、相応に苦労しそうだ。

一度、出ましょう。

周辺の地図をまず作ってから、そう周囲に指示。

凄く残念そうな顔をしたマークさんだけれど。

外に出た後、トトリが提案する。

「今回は、あの機械を持ちだして、締めとしましょう」

「おお、トトリ君、話が分かるねえ」

「というよりも、そろそろ限界ね」

ミミちゃんが、ぼそりという。

実のところ、トトリもそれが本音だ。そろそろ砂漠の砦にまで戻って、銭湯に入りたい。幸い、彼処には家を買ってある。数日休憩をした後、サンプルをアトリエに送って、また探索に戻れる。

家を買ったのは正解だった。

数人だったら中で充分に休む事が出来るし。

何より、地下室もあるので、物資の保管も容易に出来るのだ。

マークさんが挙手。

「運び出すなら、全部だよ全部。 丁度輸送部隊が戻ってくるから、その時に、荷車を全部使いたいが、良いかね」

「良いですよ」

「砂漠の街まで運び込んだら、残りたいのだが」

流石にトトリも凍り付く。

研究したいというのだろうけれど。それは流石に、ちょっとばかり勝手が過ぎるように思えるからだ。

でも、咳払い。

この人は、科学者を自称しているのだ。

確かにこの人にとって、未知を自分の手を確かめることは、全てに優先するはずであり。それを認めることは、後々に貸しを作ることにもつながる。

トトリは今後、難しい立場になるのだ。

言われている。嫉妬に気を付けろと。

それならば、少しでも身近な人との関係性を考慮して。貸しを作れるならば、そうするべきだろう。

少しばかり、打算が入っているけれど。

トトリだって、いつまでも子供ではいられない。

というよりも、実際にはもうとっくに結婚出来る年なのだ。トトリとおない年で、子供を産んでいる子だっている。

それなのに、いつまでも子供として振る舞ってなどいられないだろう。

「分かりました。 ただし、その代わり。 私が困っているときに、お手伝いしていただけると嬉しいです」

「おお、そうかそうか。 そうさせてもらうとも」

マークさんは満面の笑み。

それに、この人は、実際に人型のロボットを動かせるようになるまで修復できるような腕前だ。

きっと、今回の件。

アーランドのために、役にも立つだろう。

ステルクさんは一言言いたいようだったけれど、此処は我慢して貰う。

ホムンクルスの輸送部隊四名が来たので、キャンプの守りは任せる。残りの全員。駐屯用として来てくれているホムンクルス八名も含めて、森に入る。

ガンドルシュさんが、やれやれという風情で言う。

「あの男はただ好奇心で動いていることは分かるのだがな。 トトリ殿、後に続く人間がそうだとは限らぬぞ」

「……そう、ですね」

「そうだ。 実際、いにしえの時代でも、科学を発展させた人間と、それを継承した人間とでは、大きな差があったようだしな。 人間個人を信用することはしても、人間という種族を信用することは全く別の問題だと思うが」

「肝に銘じておきます」

確かに、そうだろう。

ひょっとすると。

ロロナ先生も、同じ事を考えて、封印した錬金術の道具などが、あるのかもしれない。もしそうだとすると。

今後は、トトリも同じ事をしなければならなくなるのだろうか。

森に踏み込んだので、以降は無言になる。

シェリさんとガンドルシュさんが、持ち込んだ荷車に、人型の機械を動かす。二人とも、悪魔族だけあって腕力はとても強い。メルお姉ちゃんほどではないにしても、相当な力だ。

二人に手伝って貰うと、とてもはかどる。

人型と言っても、苔むしているし何より丸っこい。あくまで人「型」であって、人間と誤認する可能性は零だ。

やはり動かしていく最中、パーツが取れてしまう。

腐食がそれだけ激しいのだ。

ぼろぼろと、中から虫のような生き物が出てきて、逃げていく。

住処を取ってしまってごめんね。

謝りながら、出来るだけ中の方に入り込んでいる住人にも出て貰う。

ガンドルシュさんが言っていた通り。この汚染された森で育った生き物は。外に出ると、生きられないのだ。

外れたパーツは全て脇に寄せる。

いずれも腐食が激しくて。棒のような部品は、ちょっと力を入れただけで、ぽっきり行きそうだ。

マークさんが、出来るだけ丁寧にとハンドサインを出しているが。

森の中で、大きな気配が複数動き始めている。

この不思議な光る森も。

必ずしも、平和な場所では無いのだ。

それに、此方が好き勝手をしていると、敵意ありと見なしてくる可能性が決して小さくない。

森に入って壊滅したスピアの軍勢を、笑えない状況が来るかも知れない。

あまりもたもたしていると、襲撃を受ける可能性があるし、その場合は多くの無駄な命が散ることになる。

そんな事は、出来ない。

ホムンクルス達にも手伝って貰って、荷車にどうにか機械を移す。

その後、生きている縄で固定。

かなり重量がある。

色々とサンプルを採取していたのだけれど。これだと、この荷車は、もう他にものを積めそうにない。

車軸がギシギシ言っている位なのだ。

「行きましょう」

ハンドサインで指示。

スキップしているマークさんの嬉しそうなこと。本当に童子のような笑みを浮かべている。

まあ、これならきっと、いずれトトリが困ったときに、力も貸してくれるだろう。

そう言う打算もあるけれど。

素直に他人の笑顔が見られて嬉しいと言う部分もある。

と言うよりも先ほどは打算が働いていたけれど。こんなに嬉しそうにする他人を見て、トトリは純粋に良かったと想っていた。

この辺り、まだ子供なのかもしれないけれど。

それでもいいと思えてしまう。

森を出る。

ようやく、皆が話し始める。

一旦キャンプにまで戻ると、人型の機械を一度降ろして。二台の荷車に移し替える。取れそうになっているパーツは外してしまった。どうせ外れるのだから、少しでも重量は減らした方が良い。

それでも、荷車にはかなり負担が大きい。

少し悩んだ後、柵に使っていた丸太の一部を使って、そりにする。

切り分けるのは、ステルクさんが指導して、ジーノ君とミミちゃんがやってくれた。どのみち木材である。いずれ廃材にしなければならないのだ。

二人とも腕が凄く上がっていて。

特にミミちゃん。

非常に繊細かつ鋭利な切り口で、丸太を切り分けてくれた。

丸い部分を下にして。

筏のようにして、丸太を組み直して、そりを作る。

先端部分には、クロスさせるようにして、木材を組み込む。これによって、多少の段差でとっかかる可能性が減る。

本体部分は、そりに乗せてしまう。

その後、出来るだけ丁寧に精査して。中に潜り込んでいる生物などは、すべて出て貰い、森に返してきた。

コケなどは可能な限り削り取って、サンプルに移す。

やり方が乱暴だと言っていたマークさんは、途中から積極的に参加。多分、中枢部分を守りたかったのだろう。

中から、なにやらハコ状の部品を取り出す。

「コアユニットはこれか。 うむ、どうにか無事だな」

「この機械の心臓部ですか?」

「そうだよ。 僕が見たところ、この部品はいにしえの時代に作られたものの中でも、かなり後期のものだね。 これは解析すれば、かなり大型の兵器を動かす事も出来るかも知れないね」

悪用は絶対に出来ないようにしてください。

その場で、トトリが釘を刺すと。

不意に、マークさんが真顔に戻る。

「分かっているよ。 悪用させないために、まず解析を済ませるんだから」

「お願いします。 きっと、恐ろしい戦いに巻き込まれて死んでいった人達も、そう望んでいるはずです」

「分かっているさ。 ……森の中に、多くの戦いの痕跡が残っているのに、気付いていたかい?」

言われて見ると。

どうにもおかしな地形や、妙なものが散見された。

ひょっとすると、あれは。

地下に逃げ込むための施設や。

それが攻撃で壊されて、朽ち果ててしまった成れの果てなのかもしれない。中には、人間の亡骸が昔はあって。今は風化してしまった可能性も、否定出来ないだろう。

オルトガラクセンなどの遺跡は、無事だけれど。

何しろ、世界がこのようになってしまった戦いなのだ。

無事だった遺跡ばかりではない筈だ。

「行くよ、トトリちゃん」

ロロナ先生に促される。

様子から見て、ロロナ先生は。マークさんが指摘するまでもなく、それらに気付いていたようだった。

まだまだ自分も観察力が足りないな。

言われてやっと気付くんだから。

そう思うと、トトリは力不足を自認。もっともっと力を付けて。今後のために生かしていきたい。

決意を固めて、頬を叩く。

「さあ、一度帰りましょう」

笑顔を作ると、皆に促す。

今回の探索は、此処まで。

大きなハプニングはあったけれど。それでも、全体的には、かなり上手く行った。黒い森の一つの全体図は掴むことが出来たし、このような成果物も得ている。まだまだ、アーランド北東部に拡がる魔境は解析し切れたとは言えないけれど。

それでも、解析に向けて、大きく前進したのは事実だった。

 

4、夜明けすぐに大嵐

 

トトリが探索を続けている中、ロロナは不意にくーちゃんからの鳩便を受けた。砂漠の砦での事である。

その場にいるステルクさんを呼び出して、一緒に通信装置に出ろというのである。

決まった装置同士しか通信できない装置だけれど。

今、手元にあるので、すぐに出る事にした。

ちなみにトトリちゃん達は休憩中である。

貴重な装置を、ロロナの手元に置いているのは。それだけ、今回の任務が、余裕が出た間にこなしておくべきもの、だからだ。

つまり、余裕が無くなった場合。

少なくとも、ステルクさんは護衛から外れる事になる。

通信装置に出る。

くーちゃんは、声からして、状況がまずい事を伝えてきていた。

「緊急事態よ」

「そうみたいだね。 何が起きたの」

「アーランド北部戦線。 あのいけ好かないあんたの師匠が抑えている近辺だけれど、敵の大軍が出現したわ。 同時に、大陸北部の列強達が担当している戦線にも現れたという報告が来ているわね」

大軍か。

スピアも恐ろしいまでの生産力と物量を有している。

この間の大敗から、戦力を整え直すまで時間があまり掛からないだろうという試算をしている者もいたけれど。

そうはさせじと、各地の戦線でエスティさんやジオ陛下、それにくーちゃんが猛攻を加えていたはずなのだけれど。

数を聞いて、ロロナは絶句する。

アーランド北部戦線に現れた戦力だけで、五万。

それも、全て洗脳モンスターで構成されているという。

「あんな数の洗脳モンスター、どこから連れてきたのか、全く状況が分からないわ。 大陸北部の戦線でも、あわせて三万以上の兵力が追加された模様よ。 他の戦線でも、追加戦力が確認されている。 最悪の場合、下手をすると、スピアは新たに十万以上の戦力を得たとみて良いでしょうね」

ホムンクルスだったら。

占領地の人々を材料にした可能性もあるけれど。

モンスターの場合は、そうもいかない。

一なる五人は、一体何をしたのか。

「ステルク、そういうことよ。 すぐに其処を離れて、アーランド北部戦線に向かって、アストリッドの支援を」

「分かった、直ちに向かう。 それで、アーランド北東部の探索は」

「続行よ。 危険だけれど、仕方が無いわ」

トトリが切り開いた二つの補給路によって、アーランドは大きな戦略的な選択肢を得ている。

更に此処に三つ目が加われば。

そして広大な禁足地になっているアーランド北東部の解析が行われ。其処にある有用な物資や土地を活用できれば。

戦況を有利に出来る。

問題は、今まではスピアにとどめを刺すことが可能、という状況だったのが。

一気に、戦況を五分に戻せるかもしれない、という有様へ変わった事、だろうか。

ロロナは、出来ればアーランドに戻るべきだと、くーちゃんは言う。

多分、くーちゃん自身、今はアーランドにいないはずだ。国境近くで戦っているのか、それとも。

「私は、しばらくトトリちゃんの側にいる」

「レオンハルト対策ね」

「うん。 少し前の戦いの報告書はもう読んだでしょ。 多分あのお爺さん、トトリちゃんを本気で殺すつもりになっているんだと思う。 ホムンクルスの部隊だけだと、きっと守りきれないよ」

「……そう、ね」

くーちゃんの考えは分かる。

多分パラケルススちゃんか、それとも手練れの護衛をもう二人くらい入れるか、どちらかを想定したのだろう。

でも、現状でそれは難しい。

今後の国家戦略を破綻させないためにも。

トトリちゃんを守るのは、絶対事項なのだ。

更に言えば、レオンハルトは、今回の戦いで、彼らしくもない失敗をしている。それの理由はよく分からないけれど。

問題は、それが彼のプライドを、恐らくは相当傷つけている、という事だ。

彼は世界中で暗躍して、幾つもの国を滅ぼしてきた、本物の化け物だ。である以上、このような失敗をした事を、良しとするはずがない。

しかも今の時点で、レオンハルトの死は確認されていない。

今、トトリちゃんの側を、離れられない。

「そうね。 あの二人がもう少し仕上がったら、任せられるのかもしれないけれど」

「まだ無理だよ……」

「分かった。 あんたに任せるわ。 ステルク、其方は頼むわよ」

「分かっている」

ステルクさんが、慌ただしく小屋を出て行く。

ロロナは嘆息すると、トトリの所に戻る事にした。

途中、フードで顔を隠したセンが来る。

背が高い、人相不明の男、みたいな雰囲気だけれど。彼がフードを外したら、誰もがぎょっとする。

それが事実なので、町中ではこうするしかない。

「ロロナ様」

「どうしたの?」

「マッシュ様より伝言です。 出来るだけ急いで来て欲しいと」

「……分かった。 トトリちゃんの護衛を、私がいない間お願いね」

頷くと、センが消える。

今、トトリちゃんを影から護衛するチームは、負傷がひどくて、戦力が半減している状況だ。

だから、ロロナが組織した降伏ホムンクルスの部隊を補助に付けているのだけれど。

それを不安視している勢力もいるらしい。

ロロナは全面的に彼らを信頼しているけれど。

皆が皆、そうではない、という事だ。

だから、実績を少しでも作っておく。

トトリちゃん達は、今休息している状況で。この砂漠の砦には手練れがたくさん来ているとは言え、あまり状況はよろしくない。

少しでも、こういうときにプラスと判断できる材料を積み重ねておくことで。皆の立場を、良くするのだ。

ホムンクルス達が配置についたのを見届けると。

すぐに、マッシュさんの所に出向く。

マッシュさんとは、何度かの戦いをともにした仲で。何年か前の、スピアとの総力戦の時は、一緒の戦場で肩を並べて敵と戦った。

良くも悪くも旧いタイプの武人であるマッシュさんは。とにかく分かり易く豪壮な人で。ロロナから見ても、ああ親父さんだなと思える存在だった。

しかし、である。

アーランドの古き良き戦士の一人は。かなり不機嫌な様子だった。

珍しい。

いつもガハハハハと笑っていて。

お酒が入れば、不快な事もすぐに忘れる様子だと言うのに。今日は一体、どうしたのだろう。

「来たか。 此方だ」

肩を怒らせて歩くマッシュさん。

どうしたんですかと聞いてみるけれど。鷹揚な返事が戻ってくるばかり。これは、余程のことがあったとみて良いだろう。

砦の隅にある、小屋。

此処が、牢屋。それも、特殊な罪人を入れるために使っている場所だと、ロロナも知っている。

非常に特殊な事情がある難民だったり、或いは。

スピアの関係者だったり。

厳重に結界が施された階段を下りていく。いざというときは、脱走者を爆破するための仕組みだ。

中も手練れのホムンクルスが常時見張りをしている。二桁ナンバーの手練れが二人もいる時点で、此処がどれだけ重視されているかは明らかである。

階段を下りきって、地下に入ると。

負傷が癒えていない様子の、女性戦士が一人いた。

どちらかというと、勇壮なというよりも。何というか、少女的な雰囲気で。手酷く傷を受けて、身動きできないけれど。

どうにか立ち向かいたいと、必死に此方をねめつけてくる。

髪の毛は短くて。戦うために鍛えてきているという風情が、全身から伝わってくるけれど。

何というか、顔の造作にしても体つきにしても繊細で。

花を摘んでいる方が似合いそうな格好だ。

鎧にしても、多分負傷したときに傷ついたのだろう。金属鎧は血まみれのまま、激しく損傷して、そのまま剥がれそうだった。

「国境付近で倒れていたのを、巡回班が見つけた。 どうやらホムンクルスらしいのでな」

「それで、どうしてそんなに機嫌を?」

「此奴の話を聞いたら、な」

後は任せると言って、大股に去って行くマッシュさん。

傷ついたホムンクルスの降伏者は何名も接してきた。ロロナは見張りに残ってくれているホムンクルスの94さんに目配せすると、牢に入る。

縛られたまま、傷に呻いている女性戦士型ホムンクルスは。

ロロナに向けて、きっと視線を向けてきた。

「錬金術師……!」

「落ち着いて。 貴方を傷つけたりはしないよ」

怒りの中に、明らかなおびえがある。

首の辺りに、制御装置。

目配せして、外して貰う。刃物を出した94さんが、手慣れた動作で首の一部を斬って、機械を無理矢理摘出。

その後は、ロロナが作ったネクタルを含む強い傷薬を塗って、回復させる。

傷に呻いていた彼女に名前を聞くと。

シャーレンと答えた。

確か、スピアでは、ホムンクルスの名前は、あまり意味がなくてランダム生成されてる筈。

そうかと聞くと。そうだと答えた。

「新しい名前、あげようか。 それとも自分で名乗る?」

「……今は、いい」

「とりあえず、何があったのかを聞かせて。 全ては、それからだよ」

 

牢の中に座って話を聞く。

なるほど、マッシュさんが、怒るわけだ。普段は滅多な事で彼処まで怒ることはないようだけれど。

胸くそが悪い話というのは、確かに存在する。

マッシュさんは多くの難民や、降伏ホムンクルスと接しているから、彼らの事にも詳しいのだけれど。

それでも、このような話を聞かされれば、流石に頭にも来るのだろう。

彼女は、レオンハルト直属部隊の一人。

スピアにいた人間を材料にして作られた戦闘タイプのホムンクルス。そして使い捨てとしてみなされ。

無能な作戦に投入され。

多くの同胞が無意味に殺され。レオンハルトがそれを何とも思っていない事に気付いて。

主を、刺した。

反撃で同胞は皆殺しにされたけれど。彼女だけはどうにか生き延びて。瀕死になったレオンハルトが、逃げていくのを、見ているしか出来なかった。

そのまま荒野に放置され。

必死に這ってその場を離れ。

同胞の亡骸が、モンスターに喰われていくのを、どうにも出来ないまま、逃げて。

国境付近で力尽きた、というわけだ。

「そうか、大変だったね」

「貴方に何が……!」

「私もね、色々あるんだよ」

ロロナも、純粋な意味での人間では無いという意味で。ホムンクルスである彼女を、あまり他人とは思えない。

作られた才覚。

それがロロナという存在なのだ。

アストリッド先生がどれだけ歪んだ心をもって、ロロナを蘇生させたかは。あの時。賢者の石を作った後に、聞かされる事になった。

あの人の心を縛り上げている、腐りきった鎖は。壊れる気配もない。

だからだろうか。

ロロナは、こうやって使い捨てにされていくホムンクルス達に、出来るだけ手をさしのべるようにしていた。

「同情は良いわ。 私に、力をちょうだい」

「もっと強力に改造して欲しい、って事?」

「そうよ。 彼奴、今度こそ、絶対に倒してやる」

「今はまず体を休めて、頭を冷やすんだね。 拾った命を無駄にしたら、仲間達はきっと悲しむよ」

はっと気付いたようで。

シャーレンさんは、泣き始める。

ロロナはその場を94さんに任せて、牢屋を出る。

それにしても、レオンハルトが瀕死の打撃を受けていたなんて。それならば、すぐにトトリちゃんに仕掛けてこなかったのも頷ける。

シャーレンさんの事は、いずれロロナが引き受けるとして。

問題はその後だ。

マッシュさんに会いに行く。これから、今までに無いほどの勢いで、レオンハルトがトトリちゃんを狙ってくること。

そのため、護衛にロロナがつかなければならないこと。

これを告げると。

豪壮な老戦士は、頷く。

「レオンハルトとやらの話は聞いていたがな。 これほど不快な輩だったとは、俺も知らなんだ。 頼むぞ、当代の旅の人。 新しい時代の星を、必ず守り抜いてくれ」

そんな気恥ずかしい呼ばれ方を面と向かってされると赤面してしまうけれど。

ロロナは敢えて此処では頷く。

そして、シャーレンさんの傷が癒えるまで、保護して欲しいと頼んで。

トトリちゃんの所に戻る。

まだ、トトリちゃんは、これらのことを知る事が出来る権限を持っていない。だから、言う事は出来ないけれど。

あまり良い気分がしない出来事が起きたことは。ロロナの顔を見て、すぐに悟ったようだった。

だから、告げておく。

「ステルクさんの護衛が外れるから。 しばらくは、私がみんなの面倒を見るね」

それは、ある意味、宣言だった。

レオンハルトという、悪夢の具現化のような存在から。

絶対に、未来を造り出す、輝きの代表を守り抜くのだと。

ロロナは、此処に決意する。

今回。このアーランド北東部探索の間に。レオンハルトを、いかなる手段を用いても、必ず撃破すると。

 

(続)