異形動森

 

序、驚異の土地

 

トトリが砂漠の砦を訪れるのは、前回から実に五ヶ月ぶり。自分が切り開いた砂漠の路によって大規模改装された砦は。もう街と言って良いほどに、巨大化していた。

周囲を覆う城壁は分厚く。

その中に作られた街は、急ピッチで拡大が進められている。

インフラの整備も行われていて。

背後に砂漠があるとは思えないほど、豊かな水が、街の中に美しい水路を作っていた。最終的に、この水路が、物資輸送の手段になるのかもしれない。

水路の周囲には、たくさんの成長が早い植物が植えられている。ある時は陽を遮る隠れ場所になり。ある時は食糧を確保するための手段に。そして当然、建材としての利用も想定されているのだろう。

一方で、城壁の上は。

ホムンクルスや手練れのアーランド戦士が、巡回を常にしていて。

自動で動く大砲も、多数が設置されているのが見える。

トトリが歩いて廻ると、とにかく喧噪が凄い。アーランドから来たらしい労働者階級の人達も、多数見える。

その一方で、柄が悪い人達も見かけた。

感触としては、アーランド人では無い様子だ。巡回が来ると、すぐにこそこそと逃げて廻ってしまう。

労働者階級に目をつけて、盗みをするような人達だろうか。流石にアーランド戦士にスリなど仕掛けて無事で済む筈もないので、彼らと能力が変わらない労働者階級を狙うような人もいると聞いている。

ひょっとすると。北部の列強から、逃げ込んできた人達かもしれない。

純朴なリス族や、単純に戦闘民族であるペンギン族と、利にさとい北部列強の人々は、元から違うと聞いている。これは、色々と軋轢が、これからも生じることだろう。

色々と、此処を指揮しているマッシュさんは大変だなと思いながら。今回ついてきてくれた、ロロナ先生とステルクさん。それにミミちゃんとジーノ君の様子を見る。みんな、それぞれに、街の様子に対しての反応が違う。

ロロナ先生は、多分水について興味があるのだろう。

どうしても此処では水が確保できないから、湧水の杯を使うしか無い。ロロナ先生も相当数を作っているはずで、自分が作ったどれが使われているのかが、興味津々なのかもしれない。

また、水路の造りについても、気になっているようだけれど。

聞いてみて驚いた。

設計はロロナ先生だという。

ただ忙しすぎて、此処で直接建設には加われなかったとかで。現地で運用されている様子を見て、安心しているのだとか。

水路は純粋な移動路にもなっているけれど。

下水と混じっている流れもある。

そう言う場所には蓋がされていて。厳重に柵などが設けられて、子供などが入らないように監視もされている。

この都市は、とても凄い。

少しばかり暑いけれど、アーランド王国第二の都市になりうる存在なのかもしれない。北部には未開拓の荒れ地も拡がっているし、潜在能力は極めて高い。ロロナ先生が、設計に関わるのも、無理がない事なのだろう。

ランク10冒険者にこの間昇格したという話だけれど。

それは、これだけの権限を持っていると言うこと。

文字通り、国政を左右できるのだ。

ステルクさんは警備態勢が気になる様子だ。

街の中を見て、時々姿を消す。

おそらく、悪漢の類を捕らえて、警備に突きだしているのだろう。ステルクさんの戦闘力は、あのクーデリアさんを凌ぐとトトリは見ている。目をつけられたら最後、どんな悪漢だって、逃げる事も抵抗することも出来ない。

事実、三回目に姿を消したとき。戻ってきてから話を聞くと、その通りだと言われた。やはり、この町は出来たばかりだから。よからぬ輩も、相応の数が、潜り込んできているのだ。

「スピアの各地に潜伏していた人々と言っても、全てが善人というわけでは無い。 生きるために悪事を重ね、それが習慣として染みついてしまっている者達もいる。 それはそれで悲劇だが、秩序を乱して良い理由にはならない。 幸い、今は犯罪者の更生方法が充実しているから、それらを用いて彼らを真人間にする事は可能だ」

ステルクさんは、悪人だからと言って、即座に切り捨てる、というわけでは無い様子だ。

勿論、情状酌量の余地がない相手については、そうするのだろう。

ただ、ホムンクルスの戦士も含め、この国の強者が多くいる、砂漠の街である。

大手を振って悪さを出来る、北部列強出身者など殆どいないだろう。事実、悪しき組織やネットワークは、片っ端から潰されている様子だ。

ジーノ君は目を輝かせっぱなし。

強そうな冒険者を探しては、稽古を付けて貰おうとしているのだろうか。時々、声を掛けようとしているのを、ステルクさんが止めていた。

「良いから、少し落ち着け」

「でも師匠、あのおっさん、強そうだったぜ!」

「此処にはハイランカーが現時点で五十人からいる。 強そうな戦士が大勢いるのは当たり前だ。 稽古なら後で私が付けてやるから、お前は落ち着きを身につけることに集中しろ」

「わかったよ、もう」

口を尖らせるジーノ君。

ほほえましい事だ。

宿に到着。

早速稽古だと言って、ジーノ君は裏庭に小走りで行った。ステルクさんも殆ど表情を動かさなかったけれど。

強面に、不器用な微笑を湛えたような気がする。

ミミちゃんは非常に大人しい。

多分、これから向かう人外の土地のことが、不安でならないのだろう。これについては、トトリも同じだ。

聞いた人皆が言ったのだ。

彼処にだけは、絶対に行くなと。

宿を二部屋取る。

女衆と男衆とで。

どうせジーノ君は、ステルクさんに、英雄としての話を色々とせがむことだろう。今夜は眠れるのかどうか。

ロロナ先生は、トトリを促す。

「この町の、お偉いさんに会いに行くけれど。 トトリちゃんも来る?」

「ええ、是非お願いします」

「ミミちゃんも、来てくれる? 護衛という名目だけれど」

「……わかったわ」

ミミちゃんは、あまり良い気分では無い様子だけれど。

冒険者ランクは、厳然として、社会的地位を現してもいる。まだランク4のミミちゃんは、やっとベテランに片足を踏み入れたところなのだ。

荷車を片付けるとき、ロロナ先生が、複数のセキュリティを施していく。盗もうなどとしたら、仕込まれている生きている縄に、その場で縛り上げられてしまう。また、荷車を認識しづらいようにも、魔術を掛けられているようだった。

錬金術師だけではない。

魔術師としても、この国トップクラスの実力者。

冒険者としてもランク10。

やはりこの人は、トトリの目標だ。

錬金術の技量についても、今ではまだまだ遠く及ばない。この人が造り出す道具の数々は、トトリでは理論を理解するのではやっとだ。ミミちゃんには魔法の類だと言われる始末である。

前にあった、粗末な砦は、全て取り払われていて。

街の北端には、それなりに立派な省庁が立てられていた。

その前には噴水もあって、

水は四方に小さな水路となって流れ出している。それぞれが、水路に流れ込んで、小さな滝を造り出しているのだ。

美しい光景だし。

この町では、水を盗む必要がないという、象徴でもある。

炊き出しが行われているのが見えた。

また、噴水の近くでは、仕事の斡旋についてもしているようだ。身なりが極めて不潔な人々が、集まっている。

「今日は西地区だ。 力仕事だが、腕力がない奴には、魔術での補助がある。 食事と賃金も出るぞ」

「東地区の水路整備は、体が小さい奴を求めている! かなり汚い仕事にはなるが、風呂代は出すし、食事も出す!」

声を張り上げているのは、労働者階級出身の文官達だろう。

側には護衛らしいホムンクルスの姿もある。

その中に、以前トトリと一緒に、砂漠での仕事をした、1304さんの姿があった。向こうもトトリに気付いて、手を軽く振ってくる。

その時、笑顔を浮かべてくれていた。

トトリは嬉しくて、自分も笑顔で手を振る返す。

通りすがる一瞬の事だけれど。

それでも、これほど嬉しい事はあっただろうか。

「前に一緒に働いた子?」

「はい。 砂漠のお仕事で、とてもお世話になりました」

「そう。 砂漠のオアシス管理の仕事はローテーションで廻していて、この砂漠の街の仕事も回ってくるらしいの。 きっとそれで、ここに来たんだね」

確かに、ずっとオアシスの警護と、緑の道の保持だけでは、心もくさくさしてしまう。国としても、ホムンクルスを消耗品として考えず。人としての心を尊重して、仕事を変えてあげたりしてあげている、というわけだ。

消耗品どころか、モノ以下として扱われているスピアのホムンクルス達の悲惨な現状を考えると。

これは、嬉しい。

ただし、アーランドにだって闇はある。

いずれも、解決していかなければならない問題だ。トトリがもっとえらくなっていったら。

その時には、解決の糸口を、探していきたい。

街の東口の辺りを見ると、複数の人々が、固まっていた。皆座らされて、質問をされている様子だ。

おそらく、あれは。

アーランドに逃れてきたばかりの人達だろう。

まずは色々な情報を取得した後。

この町で暮らすための情報を、教え込まれ。

そして、生活のために働いていく。場合によっては、別の村や町に行くこともあるのかもしれない。

いずれにしても、此処は陸の孤島では無い。

来る途中に通ったけれど。砂漠の道は、既に多くの人が行き交う、流通の要所となっている。

そうそう、砂漠の村は、とても潤っていた。

多くの人々が行き交うことでお金も落ちるし。

明らかに、生活している人々の身につけている衣服や装備も、前より良くなっていた。

以前一緒に働いたカシムさんも、凄くよい剣を、大事そうに腰に付けていた。

みんな豊かになっていければいいのだけれど。

でもやはり。

先ほど街で見かけたような、悪漢に落ちてしまう人もいるのだろう。難しい問題だ。

省庁に入る。

此方でも、前に仕事を一緒にしたホムンクルスと会う事になった。331さんである。砂漠で大山羊と戦った時に、一緒に随分と苦労した。

ロロナ先生が、奧にいる役人と、話している間、軽くあれからの事を聞いてみる。

「オアシスの警護をして、それから此方に来ました。 何度か、隊商を狙うモンスターとも、戦闘をこなしましたし。 オアシスでのトラブルも、仲裁しました」

「仕事は楽しいですか?」

「そうですね。 私としては、戦う方が性にあっていると、ここに来てから気付きましたね。 いずれまた、書類仕事から、警護の任務に廻して欲しいものです」

そうか、ホムンクルスも色々だ。

ロロナ先生が戻ってきた。

ミミちゃんと一緒に、奧に。

マッシュさんがいるかと思ったのだけれど。どうやらマッシュさんは、北の方の砦に行っているらしい。

此方に向かっている途中で立ち往生してしまった難民達がいるらしく。彼らを保護しに行ったのだとか。

留守を預かっているのは、非常に気むずかしそうな、労働者階級の役人さん。

ただ、筋金入りのハイランカー冒険者であるロロナ先生を前に、居丈高な態度を取るほど、えらそうでは無かったけれど。

やせぎすの中年男性で、モノクロームを掛けている。

口元に髭はなく。

この街では珍しく、アーランドの労働者階級のように、スーツをしっかりと身につけていた。

初対面の高官同士という事もある。

ロロナ先生は、敬語で相手に接している。

留守居の人も、それに応じてはいた。

「我々での救援任務は必要ですか?」

「有り難い申し出ですが、砦の北部は中立地帯で、かなりの数の斥候も出ています。 おそらく危険は無いでしょう」

「わかりました。 宿に我々はいますので、何かあった場合はすぐに連絡をしてください」

「その時が来ないことを祈ります」

後は、トトリを紹介してくれる。

礼をすると、こんなガキがと、相手は露骨に視線の奧に感情を宿したけれど。砂漠の道を作った本人だとロロナ先生が言うと、思わず眼鏡を取り落としそうになった。

「あ、貴方が!?」

「え? あ、あの」

「そうか、貴方のような子供が、これほど偉大な事業を。 錬金術とは凄まじい。 私の子供にも、機会があれば覚えさせたい」

その言葉の節々には。

おそらく、顔に刻まれた皺のように。長年続けてきた苦労が、宿っていた。

 

宿に戻る。

ステルクさんとジーノ君は、まだ裏庭で訓練を続けている様子だ。果敢に攻めこむジーノ君だけれど、ステルクさんは同じ地点で棒立ちのまま、軽々と攻撃をいなし続けている。後ろから攻めこまれても同じだ。表情一つ変えるどころか、汗も掻いていない。

それなのに、ジーノ君はへとへと。

力に差がありすぎる。

「師匠、体力が尽きるって事がないのかよ」

「鍛え方が違うだけだ。 お前もこれから鍛えていけば、これくらいは簡単にできるようになる」

「おおっ! 本当か!? じゃ、頑張るぜっ!」

トトリが側で、耐久糧食を差し出すと。

サンキュと言って、ジーノ君は耐久糧食をもりもり平らげる。そして、また、棒立ちのままのステルクさんに攻めかかっていった。

ミミちゃんは無言でその様子を見ていたけれど。

表情は、複雑だった。

「ミミちゃんも、稽古を付けて貰わないの?」

「途中、何度か付けて貰ったわ」

「どう、感触は」

「……」

難しい表情だ。

ペーターお兄ちゃんが言っていた。

ミミちゃんは、多くの達人の技をミックスして、強くなってきている。基礎がしっかりしているから強いけれど。

しかし問題は、その先だという。

このままだと、壁にぶつかって、それを超えられない。

誰か、特定の師匠が必要だ。

そう、ペーターお兄ちゃんは言っていた。

その言葉を裏付けるように。専門外の槍だというのに。ペーターお兄ちゃんは、訓練とはいえ、ミミちゃんをまるで寄せ付けなかったのだ。

ロロナ先生に促されて、宿に入る。

なんと銭湯があるという。

水路を作るほどの水があるのだ。銭湯があっても、不思議では無いだろう。

三人で、銭湯に出向くことにする。

何にしても。

湯船に浸かってゆっくりする贅沢は。アーランドに入ってから覚えた事だけれど。この幸せは、筆舌に尽くしがたい。

流石にアーランドにたくさんある銭湯ほどではないけれど。

中はそこそこ繁盛していて。

番頭代わりに、顔にひどい向かい傷のあるホムンクルスがいた。彼女は左腕にも大きな傷を受けているようで。多分PTSDで、戦闘任務から外されたのだろう。ただ、此処でも荒事は想定される。戦える人材が番頭をするのは、おかしなことではない。

お風呂に入って、砂漠の疲れを流す。

ミミちゃんは前より少し背が伸びているけれど。

このままだと、トトリが追い越すかもしれない。

ロロナ先生は小柄で。

それでいて、体型はきちんと大人のものだ。出る所は出ているし、ひっこむところもしかり。

もっとも、ロロナ先生は、戦闘を含む任務を、連日こなしている。国家の最重鎮の一人として、である。

太る暇など無いだろうけれど。

しばし湯船に浸かっていると。

溶けるように、疲労が消えていく。

でも、明日からは。

地獄に、足を運ばなければならない。今日の内に、物資を更に補充して。立ち往生したときに備えておかなければならない。

時に、丁度リラックスしているときだ。

ロロナ先生に、聞いておきたい事があった。

「ロロナ先生、コンテナのことなんですけれど」

「ああ、アーランドとアランヤのと、私の馬車のがつながっている件ね」

そう。

あれから、ロロナ先生が使っている馬車ともコンテナがつながったらしく。中に、ロロナ先生が使わないようにとゼッテルを貼った、いかにも高級そうな素材が入っている事が増えたのだ。

それと同時に、使って良いよと書かれた素材も。

トトリも難しい調合をすることが増えてきた。お薬のレパートリーもここしばらくで倍に増えたし。爆弾類についても、破壊力の向上から、様々な変化を起こすように。更に、一緒に冒険してくれる人のために。錬金術で作った道具類も、作るようになってきている。

以前配ったグナーデリングだけではない。

今回の探索で使おうと思っている道具類も、荷車には積んできている。

いずれにも、ロロナ先生がくれた材料が、ある程度は使われている。

だから、気になるのだ。

あのコンテナは、どうなっているのだろうかと。

「あれはね、簡単に説明すると、空間同士をつなげてるの」

「空間、ですか」

「そうだよ。 理論はまだ説明してもわからないと思うから言わないけれど、簡単に言うと、くるっとしてがちゃって感じかな」

「……」

隣でぽかんとしているのはミミちゃん。

理解不能と、顔中に書いている。

でも、それでいい。トトリには何となくわかったし、いずれは自分の技術にしようと思ったからだ。

「いずれにしても、移動中のものどうしだと使えないからね。 馬車のコンテナも、その場その場で調整する必要があって」

「なるほど。 私には、いつ出来るようになりますか?」

「当面はお勉強かな」

はぐらかされた。

それもいい。

ロロナ先生に当面追いつけない事なんて、わかりきっているのだから。でも、いずれは。お母さんを探しに行くためにも。

もっと、冒険者としてのランクを、あげなければならないのだから。

 

1、異形の土地

 

砂漠を出て、北東に。

途中、砦があった。建築様式からして、おそらくアーランドのものではないだろう。恐らくは、スピアから、この間の話に聞く砂漠北の戦いで奪ったものに違いない。規模もかなりのものだけれど。補修されていない外壁や。露骨にきざまれた戦いの爪痕が目だった。

歩哨も多い。

砦に近づくと、すぐに一個小隊のホムンクルス達に囲まれる。

ステルクさんが名乗ると、すぐに敬礼して、砦に入れてくれた。

入り口でも、一悶着がある。

簡単には通せないと言うのだ。

ステルクさんがいる事がわかると、最終的には通してくれるけれど。此処の指揮官をしている名前二桁台のホムンクルスは、不安そうに言う。

「ここから先は、ステルク様でも危険だと聞いています。 ロロナ様がいるとはいえ、大丈夫ですか」

「問題ない。 その危険な場所も、いつか誰かが踏み込まなければならないのだ」

「わかりました。 それなら、此方の書類にサインを」

幾つもサインを書かなければいけないのは大変だけれど。

それはすなわち。

ここから先が、特級の危険地帯だと言う事をも示していた。正直な話、未熟な冒険者なんて、入ったら即座にモンスターの餌、というレベルなのだろう。

此処の調査が、今回のトトリの仕事。

今回は多忙なステルクさんとロロナ先生についてきて貰っているけれど。今後は、もっと人員を減らすか、質を落として、来る事もあるだろう。

そういったときに備えて。

少しでも、この先を、知らなければならない。

起伏に富んだ土地を行く。

周囲は見るも無惨な荒野で。それこそ、草一本生えていない。砂漠にあった覇王樹でさえ、この辺りは無理なようだ。

水たまりがたまにあるけれど。

色は見事な虹。

そうでなければ、蛍光色。

臭いも異常だ。

たとえば、アーランドの近くでも、オルトガラクセンなどの側には、異常な色の植物の実があったりして。それはアーランド人の食卓にも上る。

でも、これはそれともレベルが違う汚染である。

とてもではないけれど、口に出来る水では無い。

ここに来る前、情報を集めたとき。

ある悪魔族の族長に聞いた。

むかし、世界では。愚かな者達が、ある勘違いをしたのだという。自分が優秀だと。そして、優秀な自分が何もかもを独占できないのは、おかしいと。

そして、その愚かな者達は。二つの破滅の引き金を引いた。

一つは、恐ろしい武器が飛び交う戦争。

その武器は世界中を吹き飛ばし、人間の文明を粉々に消し飛ばした。

そしてもう一つは。

「優秀では無い」者達を、皆殺しにする恐怖を世界中にばらまいたこと。その恐ろしい邪悪、「劣悪形質排除ナノマシン」により、世界は今もむしばまれ続け。

その邪悪を排除することこそ。

悪魔族が長年続けている事なのだという。

恐ろしい話だった。

大きな業績を上げたトトリだから教えた。他の誰にも言わないように。族長は、そう言っていたけれど。

状況から言って、おそらくロロナ先生は知っていると見て良いだろう。

「おい、トトリ」

荷車を引いているトトリが、ジーノ君の声に顔を上げると。

向こう。

地平の先に、見えてきたものがある。

森だ。

だけれど、異常なほど黒い。

悪魔族が、土地を浄化しようとして失敗した場所には、幾つもの恐るべき魔境が誕生したというけれど。

あれも、その一つだろうか。

一度、キャンプにする。

今回は、クーデリアさんに許可を貰って、湧水の杯を持ってきている。それこそ、いつまともな水が飲めるかわからないからだ。

これに加えて、蒸留用の装置もある。

あくまで保険だ。

つかうのに色々と手間が掛かるけれど。それでも、無いよりはマシだろう。

色々持ってきたため、荷車は二連の構造。

前から構想している、馬車のような居住空間つきの大型荷車もいずれはと考えているのだけれど。

それはまた、先の話だ。

見張りは、ロロナ先生と、ステルクさんが、交代でやってくれるという。

火種も準備してきてある。

炉で圧縮して作った、火力を上げた薪だ。

一部のお薬を作るためには、火力を念入りに調整する必要があって、薪の量だけではどうしても難しい。

このために、火力を上げる薪が必要になる。

森から離れているし、周囲は全方向警戒が可能。

その上、地中から敵が来る場合にしても、ステルクさんとロロナ先生がいる。二人が気配の接近を見逃すようなこともない。

火を熾せない場合も、これからは出てくる。

暖を取りながら、砦で買った干し肉を焼いて。皆で口にする。黙々と少し堅いアードラのお肉を食べていると。

ミミちゃんが、不安そうに言う。

「ジーノ。 貴方、前の修道院の戦いの時、こっちにいたんですって?」

「ああ、そうだぜ。 お前達も大変だったらしいな。 負傷者を援護しながら、大雨の中を逃げたんだろ」

「ええ。 地獄というのも生ぬるい状態だったわ。 たくさん殺しもした」

「俺も殺したぜ。 師匠と一緒に戦って、敵をたくさん」

あくまで淡々と。

ジーノ君はそう言う。

それが、ミミちゃんと、ジーノ君の違い。

トトリにはわかるのだけれど。ミミちゃんはやっぱり無理をしている。武術の腕前は優れているし、努力も欠かしていない。

でも、きっとだけれど。

根本的な所で、戦いが嫌いなのでは無いのか。

一方ジーノ君は、根っから戦いが大好きだ。

これは言動を見ていればよく分かる。相手を殺す事だって躊躇しないし、強くなることにも極めて貪欲だ。

十五年後には、国家軍事力級の座を狙える器かも知れない。

そう、いつか誰かに言われた気がする。

誰だったかは覚えていないけれど。

根っから戦いが好きだというアドバンテージは大きい。何しろ戦いに対して、それだけ積極的になれるし。

勉強だって、欠かさないからだ。

「師匠が凄くてなあ。 文字通り、バッタバッタと……」

「その師匠、ステルク氏は、楽しそうだった?」

「? 妙なことを聞くな。 そういえば、あんまり楽しそうじゃなかったぜ」

後は、無言が続く。

ロロナ先生が戻ってきた。周囲に大きな気配はないという。そのまま天幕に潜り込んで、眠り始める。

見張りになれている証拠だ。

しばらくすると、今度はステルクさんが戻ってきて、ロロナ先生と交代。

その時には、たき火は残したまま。

周囲の天幕で、トトリもミミちゃんも横になっていた。

ロロナ先生と、ステルクさんが話しているのが聞こえる。

「森の中の気配、尋常じゃないですね。 ステルクさんは、どう思いますか」

「少しずつ、実態を調べていくしかない。 黒き大樹の森の時だって、随分苦労を重ねたのだ。 いずれにしても、一瞬も油断は出来ないだろうな」

「何かあった場合、あの子達をお願いします」

「君が先に死ぬ事は許さん。 代わりがいる私と、錬金術師の君は違うのだからな」

ロロナ先生は何か言いたそうだったけれど。

そのまま、見張りに戻っていった。

三人がかりなら、見張りが出来るだろうか。

明日、提案してみよう。

でも、先ほどの会話。

二人は知り合いなのは当然だろうとして。やはり、ミミちゃんが勘付いているように。ステルクさんは、きっと戦いそのものが、あまり好きでは無いのかもしれない。

もしも、そうだとすると。

いずれにしてもだ。

まだ、分からない事が多すぎる。

悪夢の森には、これから踏み込むのだ。

 

森が近づいてくるに連れて。

その異常な有様は、嫌でも見えてくるようになった。

そもそも、生えているのが、本当に植物なのだろうか。それさえもが分からないと言うのが、事実なのだ。

中には、遠目でもわかるほどに。

うねうねと、蠢いているものさえある。

植物のモンスター。たとえばマンドラゴラなどのなかには、そのように動くものもあるけれど。

森全体がもしモンスターだとしたら。

確かに、入る事そのものが、ぞっとしない。

地面が黒ずんできた。

異常な臭気が、辺りを包んでいる。これは、砂漠よりも危険な状況だと、遠目にもわかる。

中に入ったら。

それこそ、半端な冒険者なんて、一瞬でおだぶつだろう。

生唾を飲み込む。

ロロナ先生が、荷車から取り出したのは、生きている縄。トトリも作った事があるけれど。それより遙かに高性能なようだ。

「各人、これを腰に巻いておいて。 いざというときは自動反応してくれるから」

「はい!」

「それと、森に入ったら私語禁止。 周囲の何が次の瞬間敵に化けるかわからないし、私達でも気配が察知できるかわからないからね」

恐ろしい場所だ。

わかりきっていても。

改めて念押しされると、その恐怖が、浮き上がってくる。

辺りに、雑草が見え始めた。

黒ずんだ土地に生えているのだ。本当に雑草かはわからない。出来るだけ近づかない方が、良いかもしれない。

森と言っても、いきなり高木が生えているわけでは無い。

周囲は異常な臭気を放つ黒い土に満ちていて。其処から草が。やがて低木が目立ちはじめる。

生物も出始めた。

無数の目がある百足のような生き物。体の大きさは、かなり大きい蛇ほどもある。それが、無数の体節をくねらせながら、木々の間を進んでいく。

空を舞っているのは、アードラの一種だろうか。

大きく旋回しているそれには。

首がないように見えた。

近づけば構造がわかるのだろうけれど、正直な話、出来れば此方に近づいてきて欲しくない。

ステルクさんが足を止める。

ロロナ先生が無造作に杖を向けて、間近の地面に魔術を叩き込むと、巨大な鯰みたいな生物が、飛び出してきた。

巨大な口は、数人まとめて丸呑みにしそうだ。

ロロナ先生の射撃に驚いたからか、慌てて這いずって逃げていく。そのまま進んでいたら、一体どうなったことか。

向こうに、ぷにぷにがいる。

色が虹だ。

しかも、常時変色し続けている。

あんな体色のぷにぷにがいるのか。それもそいつは、触手を伸ばして、大きな狼のような生物を絡め取り、今正に、凄まじい音を立てて食いちぎり、咀嚼している所だった。いつ、ああなってもおかしくないのだ。

幸い、磁石は動く。

ペンギン族に貰った地図もある。

入る前に確認してきたけれど。この辺りは、禁忌の土地のほんの端。

地獄が本格化するのは、この先だ。

ミミちゃんもジーノ君も、完全に無言。

トトリも、いつ襲われても対応できるように。常に荷車の状態と、自分の杖を、チェックし続けていた。

沼地に出る。

色が虹を通り越して、多彩なのにもかかわらず、もはやどす黒くさえ見える。

ひしゃくのようなものをロロナ先生が取り出す。

「トトリちゃん、サンプル採取」

「あ、はい。 すぐやります」

こういうときのために、幾つか容器は持ち込んでいたのだ。ゼッテルに魔法陣を書き込み、厳重封印できるようにしたもので包んだガラス瓶。サンプルを入れた後、密封。

同じように、雑草らしきものも採取していく。

今回は、あくまで偵察だ。

いきなり最深部まで行くわけでは無い。何度も行き来しながら、少しずつ、詳細を明らかにしていく。

無理をするのは絶対に禁止。

何しろ、此処は。

命知らずのアーランド人達でさえ、入るのを嫌がり。

どんな土地でも緑化してきた悪魔族達でさえ。禁忌としたいほどの土地なのだから。

沼を回避した後、森の方へ。

途中、やはり見た事も無い生物がたくさんいる。

リスのようだけれど。顔中に目がある生物。しかも口から長い舌を伸ばして、虫を補食していた。

蛇のようだけれど、それはただの疑似餌。

中型の猫に似た生物が蛇らしきものに食いつくと。途端に本体が。地面の中から、先ほどの鯰のようなのが姿を見せて、ぱくりと一口。また、地面の中に潜っていく。

ぞっとしてしまう。

こんな所、アーランド戦士でも危ない。

労働者階級の人なんて、入り込んだら。それこそ、瞬く間に餌にされてしまうだろう。文字通りの、人外の世界だ。

高木が増え始めた。

ロロナ先生とステルクさんが、周囲を警戒している間に。

トトリがナイフを取り出して、木の枝や、木肌を採取。いずれにしても、見た事も無い素材だ。

向こうの方に、たくさん生えているものがある。

何だろう。採取を進めながら近づいていくと、その正体を知って、驚く。

竹だ。

竹は、各地に生えている、極めて成長が早い植物の一種。特にその芽は、タケノコと呼ばれ。驚くべき成長速度とおいしさで、珍重されている。ただし、一部の管理されている森で、厳重に育てられている。

成長速度が異常すぎるからだ。

タケノコに関しては、王族が楽しむ珍味とさえ言われているほどだとか。アーランドでは比較的高値でなら手に入れることは出来るけれど。あまりたくさんは見つからない。

竹の林の中には、大きな熊のような生物がいたけれど。

頭が二つあり、体中から触手が生えていた。

大きさも、小さなベヒモスほどもある。

でも、ステルクさんがひと睨みするだけで逃げていった。

ロロナ先生も、先ほどから顔が怖い。周囲を警戒するのに全力を注いでいる、ということだ。

小型のリスのような生物が死んでいたので、死骸を採取。

持ち帰って解析する。

たとえば虫が湧くにしても、どのようなメカニズムでそうなるのか、確認しておきたいからだ。

竹林に入る。

地面がしっかりしていたけれど。

竹が黒い。

こんな色の竹ははじめて見た。触ってみると、頑強さにしても、尋常では無い。ステルクさんに頷くと。何本か斬り倒してくれた。

太さにしても、トトリの胴ほどもある。

倒れてきた竹を更に寸断。

適当な部所を荷車に積み込んだ。

「一旦出るぞ」

周囲の気配が強くなってきたからだろうか。ステルクさんに促されて、この悪夢の土地を離れる。

これは、次に来るときには。

専門家である悪魔族に同道を頼みたいかもしれない。

 

翌日もサンプルを採取。

途中、小物のモンスターに関しては、戦闘を許可して貰った。ミミちゃんとジーノ君が足止めしている間に、トトリが発破を投げつけて爆破。

倒したところで、体を解体。

中を調べて見ると。

例外なく、巨大な寄生虫が元気よく蠢いていた。ミミズのような姿のものが大半だけれど、どれもこれも小型の蛇くらいある。

どんな生物も、こんな有様である。

此処は文字通り、地獄でさえ生ぬるい。この世の最果ての最果て、という事だ。

地面に落ちている石なども、かなり変質している様子がある。生息している生物が巨大ということは特にないようだけれど。

それは、此処が魔境の辺縁だからかもしれない。

魔境から出ると、普通の荒野に戻るけれど。

それで、わかる。

体に、とんでも無い異臭が染みついてしまっている。どれだけ凄まじい場所なのかと、トトリは戦慄してしまった。

サンプル類を確認。

いずれも、厳重に調べる必要がある。アトリエに戻ったら、丁寧に調べていく必要があるだろう。

「今日から、見張りは私とロロナ君だけではなく、君達にも加わって貰う」

サンプルを整理していると、ステルクさんがいう。

ジーノ君はステルクさんと一緒に見張りをしたいようだけれど。残念ながら、ステルクさんが指示したのは、ミミちゃんだった。

ジーノ君は、ロロナ先生と。

トトリは、サンプルについての一次調査を進めるように、とロロナ先生は言う。

確かにそのために来たのだ。

仕事なのだし、当然だろう。

ロロナ先生は、比較的先ほどまでに比べると、表情も柔らかくなってはいるけれど。それでも、まだ警戒を緩めていない。

完全な安全地帯だと、ほわほわして優しい一面も見せてくれるのだけれど。

此処は戦場だ。

修道院でも、見せてくれた戦士としての顔。

戦士として超一流であるロロナ先生が。戦場でだらけているはずもない。

チーム内でのムードメーカーなどになる場合がある使い手でも。実戦では、強くなればなるほど、戦闘マシーンに近くなるという。戦いとはそういうもので。それが現実だ。

翌朝には、この魔境を離れる。

そして、砂漠の砦に到着した頃には。

ようやく、皆の雰囲気も、柔らかいものにもどっていた。

 

アーランドに戻った後。

ロロナ先生は、すぐにふらりと何処かに出かけていった。恐らくは、お仕事だろう。トトリには、聞く権限もないし。プライバシーを侵害する意図もない。

それに何より。

トトリには、これから非常に重要な仕事があるのだ。

持ち帰ったサンプルを調べていく。

やはり、沼の液体は、高密度の毒。

これを使えば、今までに考えられないほどの、凶悪な毒素を作れるかもしれない。そのままではだめで、毒としての不純物を全て取り除く必要があるけれど。

言うならば、暗黒水、だろうか。

いずれにしても、まだ実験段階だ。

それと、進めておかなければならないことがある。

悪魔族の戦士の中で、調査行動に同道してくれそうな人について、調べておく必要があるだろう。

調査の結果と成果物を、一日掛けてまとめる。

今回は、魔境の入り口を少し調べただけだけれど。

得られた成果物の中には、かなり興味深いものも多かった。特に植物の類は、ひょっとすると、だけれど。

零ポイントでさえ適応し。

緑化作業を、著しく進められるものがあるかもしれない。

あくまで可能性の話だ。

今回持ち帰った雑草の中に、そんなものがあるかはかなり微妙だけれど。調べて見る価値はある。

サンプルは数十種類。

いずれもが、ロロナ先生のレシピにもないし。アトリエの棚にある本にも、記載がないものばかり。

おそらくは、どれもこれも突然変異とみなされて、資料価値を見いだされなかったのだろう。

それも頷ける話だ。

トトリ達が足を運んだくらいの場所なら、調査隊も同じ事をしているだろうし、当然生還くらいはお茶の子の筈だ。

ステルクさんが同道した今回ほどでは無いにしても。

相応の戦力を準備して出向いたのは想像に難くない。

彼らにはこう見えたのだろう。

毒によって何もかもが歪んでしまった場所。此処には決まったルールも、特定の生態系もないと。

だが、それは。

本当に、そうなのだろうか。

持ち帰った動物の死骸を調べて見る。

やはり、中からは例外なく寄生虫が出てくる。虫だろうが、小型のリスに似た動物だろうが、同じ事だ。

寄生虫も何種類かあって、厳密にはどれも姿形が違う。

いずれにしても、危険な存在だ。

ピンセットで扱い、標本を採取した後は、消毒。

死骸から生きたまま出てくる寄生虫もあって。

中には、死骸を調べようとしたら、もう寄生虫に食べ尽くされてしまっているというケースもあった。

人によっては、生理的嫌悪感を刺激される姿をしているかもしれないけれど。

アランヤでは、お魚を捌けば、かならず寄生虫が出てきたし。

姿もこれに似ていた。

大きさもあまり違いは無い。

だから、別にそれほど、トトリとしては、驚かされる要素はなかった。

様々な検査用の薬品に付けていく。

資料を見ながら、検査をして行くが。

やはり、特定の毒にどの生物も高濃度で汚染されている。いずれもが食用には、とてもならないだろう。

いや、本当にそうか。

たとえば、寄生虫などもそうなのだけれど。

あらゆる生物の血肉から、この毒が検出されるのだ。

それはすなわち。

あの魔境の生き物は、むしろこれらの毒を力にして、生きているのでは無いのだろうか。もしそうだとすると。

文字通り、別世界の住人。

今、アーランド人が生活に欠かさない存在としている緑とは、全く別の基盤によって生きている、文字通りの異邦人だ。

考え込んでしまう。

そうなると、あの魔境は、文字通り彼らにとっての楽園。

そこに踏み込むことは、侵略になるのではないのだろうか。

成果物をまとめたあと。

アーランドの王宮に持っていく。

どういうわけか、マークさんが来ていた。マークさんは、クーデリアさんに、なにやら掛け合っている所らしかった。

「だから、迷惑は掛けないし、むしろ皆が喜ぶ! 許可して欲しい」

「駄目よ。 どうしてもやりたいなら、冒険者ランクを上げて権限を得て、なおかつ未開拓の荒野に許可を得てから実験場を造り、そこで実施しなさい」

「……わかりました」

「はい、次」

とぼとぼと帰って行くマークさん。

あの飄々としたマークさんが、珍しく本気で落ち込んでいた様子を見て、少しばかり心配になったけれど。

トトリはとりあえず、今の仕事を済ませなければならない。

一日がかりで調べたレポートを、まずクーデリアさんに提出。

彼女は流石で、トトリが一生懸命書いたレポートを、あっという間に読んでしまった。しばらく頷いていたけれど。

やがて、此方をしらけた目で見てくる。

「これはあくまで一次報告という認識でいいわね」

「はい。 これから更に内部に踏み込んでいく予定です」

「それにしても、毒をむしろ力にしている可能性あり、か」

「あくまで可能性です」

トトリだって知っている事だけれど。

動物には、どうしても異常な形質を持った存在が、一定数生まれてくる。場合によっては、それが新しい時代を切り開くこともあるようだけれど。

実際には、殆どの場合。

不利に働いて、死につながっていく。

あの恐るべき魔境にいた生物たちは、どうにも全てが異常形質の持ち主なのだとは、思えないのだ。

あの場所で、しかるべく生を謳歌するべく。

生き延びていって、ああなったのではないのか。

つまり、あの異形こそ。

魔境では、むしろ普通の姿なのでは無いだろうか。

それが、トトリの結論だ。

勿論、この結論は、あまりにも貧弱。これからデータをたくさん集めに集めて、調べていかなければならない。

そしてこの仮説が正しいとなると。

あの魔境で、ひょっとすると、貴重な何かが得られるかもしれない。

何しろ異質極まりない世界なのだ。

其処には、想像を絶する可能性が埋まっていても、おかしくは無いだろう。

「面白いわね。 調査を続けて、その可能性を確実なものにしていきなさい」

「はい!」

「それと、今回の目的はあくまで調査よ。 アーランドにとって戦略的に有利になり得るものを探し出すのが最大の目的だと言う事は忘れないように。 たとえば、あの広範囲に拡がった魔境に居住できる可能性や、国境を抜ける方法、それに有益な技術。 いずれにしても、判断は任せるけれど。 支援が欲しければ、必ず成果は上げなさい」

「分かりました。 行ってきます」

一礼すると、トトリは王宮を出る。

肩を落として歩いているマークさんを発見。

声を掛けると、よれよれの白衣、無精髭だらけの顔のまま。マークさんは、残念そうに振り返った。

「何だ、トトリくんか」

「どうかしたんですか?」

「私の新しい計画を、却下されてね」

却下された。

どうにも、そうとは思えなかったけれど。市街地でやるなと言われたように、トトリには見えた。

いずれにしても、火に油を注いでは仕方が無い。

マークさんがとぼとぼ歩きながら言うには。

二足歩行のオモチャを、本格的に作りたいそうなのだ。

しかも、それを今たくさんいるホムンクルス達や、モンスターなどと並ぶほどの能力を持つ存在にしたいのだとか。

「古い時代には、そういう存在。 ロボットと言われていたようだけれどね。 それがたくさんいたらしいんだよ。 今は各地の遺跡などで、ガーディアンとして一部が生きているだけだがね」

「それを、有用な存在として、活用したいんですか?」

「その通りだよ。 事実、少し前にオルトガラクセンでは、この巨大版が、アーランドの最精鋭部隊と死闘を繰り広げて、かなり良い勝負をしたらしい。 もし敵が先にこれを実戦投入したら脅威になるし。 味方が実戦投入できれば、スピアを簡単に押し返せるかも知れない」

無邪気に言うマークさんだけれど。

トトリは、全面的に同意する気にはなれなかった。

まずそもそもが。

技術的に難しすぎる。

多分、アーランドの、発掘してきた技術を使っているだけの現状では、とても再現など出来ないだろう。

何より、それが暴走した場合。

むしろ、味方に大きな被害が出る。

クーデリアさんが、荒野で実験をしろと言うわけである。

最悪の場合は、自分の心身で責任を取れ、というわけだ。

「とにかく、私は近場の遺跡で、生きているロボットがいないか、調べて廻るつもりだから、いざというときは協力を頼むよ」

「はい、それは構いませんけど」

「分かっている。 君の仕事も、必要に応じて手伝うさ」

マークさんが戻っていく背中を見送ると、アトリエに。

前回分かったことだけれど。

今回のお仕事、拠点をアーランドにしていると、あまりにも効率が悪すぎる。もしも本格的に調査をするなら。

砂漠の砦にも、アトリエが欲しい。

アトリエでなくてもいい。

ロロナ先生に、空間をつなげる方法を聞いて。

回収したサンプルだけでも、安定環境に送り込む仕組みを、作っておきたいのである。

アトリエに戻ると、調合を開始。

次の探索に出るまでに、必要な物資は、全て揃えておかなければならない。

自身も鍛えておいたほうが良いだろう。

あの魔境だ。

ステルクさん並の使い手がいても、入り口近辺でさえ、あれほどまでに危険だったのだ。

それと、悪魔族の中から、任務に同道してくれる人を探しておきたい。

これに関しては、クーデリアさんに話してある。

一週間ほどで準備をするとして。

その間に、出来る事は、全てやっておかなければならなかった。

 

2、毒の世界

 

砂漠の砦に、小さな家を買った。

今の資産なら、別に難しくも無い。問題は、錬金釜や炉を揃える事は出来なかったことだ。

資材がないと言うよりも。

許可が下りなかったのである。

多分、アランヤにアトリエを開くときは。ロロナ先生の口添えがあったのか、或いは手続きをしてくれていたのだろう。

普段トトリが常駐するわけでもなく。

しっかり治安が安定しているアーランドでもない場所で。

国家機密が詰まったアトリエを造り。

しかも、そこにトトリが常にいるわけでもない、という状況は。正直、許されるものではなかった、というわけだ。

仕方が無いので、次善策に移行。

小さな家の改装を実施。

地下室を作って、面積を二倍以上に拡大。ロロナ先生のレシピを見ながらゼッテルを作って、それに魔法陣を書き込み、保存の仕組みを整えたのである。つまり、此処を物資の集積拠点とするわけだ。

これらの一連の作業を砂漠の砦で進めて。

一段落したところで、アーランドに戻る。

王宮に申請していた、悪魔族の協力者について。どうなったか、聞きに行く必要があったからである。

今回の件、入念な準備が必要だと言う事はわかっていたけれど。

作業を一つずつ進めていくと、時間がすっ飛んでいくのが分かる。

アーランドに戻ると、調合を進めて、必要な機材や薬剤も作り上げなければならない。これも、時間が予想以上に掛かってしまう。

ちむちゃんが手伝ってくれるけれど。

それでも、万全とは言えない。

そもそも、あの魔境と言える場所を、どう調査して。そして、場合によっては更に内部に踏み込めば良いのか。

見当がつかないのである。

困り果てながらも、トトリは王宮に出向いて。

難しい顔をしたクーデリアさんが、ロロナ先生と話し込んでいるのを見て、思わず身を隠してしまった。

二人とも。

戦闘をしている時のように、非常に怖い顔をしていた。

多分、音を遮断する結界を使っているのだろう。此方まで、話している内容は聞こえない。

隣にいるフィリーさんがあくびをしている事から見ても、それは明らかだ。フィリーさんが仕事が出来る方では無いことをトトリは知っているけれど。それにしても、話の内容が聞こえていたら、もっと違う反応をするだろう。

ロロナ先生が頷くと、指を鳴らす。

結界を解除したようだった

ロロナ先生がこっちに来る。

トトリは知っていた。

多分、最初から気付かれていたと。

「どうしたの、トトリちゃん」

「その、空気が怖くて、つい」

「難しいお話だったからね。 大丈夫、分かっていたと思うけれど、外に聞こえるようには話していないから」

そういうロロナ先生は。

いつもの優しくて、ほわほわした雰囲気に戻っている。戦闘時の厳しく、敵に容赦も呵責もしない苛烈なロロナ先生の片鱗は。少なくとも、今は見ることが出来なかった。

そもまま、アトリエにロロナ先生は戻っていく。

クーデリアさんも、あまり此方を好意的では無い視線で見ていた。まだまだ、トトリなんて、冒険者ランク6。

国家の柱石からして見れば、問題にもならないくらい、地位が低いのだ。

「こんな程度の事で怖がっていないで、さっさと要件を言いなさい」

「はいっ!」

此処で、一緒にフィリーさんもびびるのが面白いけれど。

トトリには、それを楽しむ余裕なんてなかった。

それにしても、フィリーさんの、クーデリアさんに対する恐怖の抱き方は尋常では無い。

噂によると、姉である国家軍事力級戦士の一人、エスティさんが。クーデリアさんに、妹を徹底的に、遠慮無く血も涙もなく鍛え上げろと言ったらしいのだけれど。それは、見る限り、寸分の違いもなく実行されているのだろう。

「アーランド北東部開拓の件で、協力してくれる悪魔族の話ですが」

「名乗り出てきたわよ」

「本当ですか!?」

「分かっていると思うけれど、悪魔族と人間族は、過去も今も色々と軋轢が大きくて、この国が「同盟を結んでいる」状態に過ぎないの。 悪魔族の中には、錬金術師には好意的でも、普通の人間は毛嫌いしているものも珍しくないわ」

クーデリアさんが、釘を刺してくる。

理由は言われなくても分かる。

スピアとの戦争に、修道院周辺で参加したとき。

色々と、見てはならない悪夢のような光景を見た。

あれで人間を恨まずにいられる悪魔族は、あまり多くないだろう。スピア連邦はもう人間の国と言えるのかは、かなり微妙だけれど。彼処を支配している一なる五人と呼ばれる錬金術師の話は、トトリだって知っている。

その人達は、人間の筈だ。

「くれぐれも、関係には気を付けなさい。 ちなみにトトリ、貴方の師匠が悪魔族との同盟には、一枚噛んでいるの。 師匠の顔を潰さないようにするためにも、慎重に行動しなさい」

それは、確かに大事だ。

トトリが愚かな事をしたせいで、ロロナ先生が積み上げてきた苦労を無駄にでもしたら、それこそ泣くに泣けない。トトリのせいでロロナ先生が悲しむ姿なんて、絶対に見たくない。

悪魔族の人は、砂漠の砦の東部にある荒野で待ってくれるという。日時も指定されたけれど、二日ほど後にアーランドを出ないと、合流に間に合わない。

準備はあらかた済んでいるけれど。

少しばかり急だ。

前回一緒に来てくれた、ステルクさんとロロナ先生。それにミミちゃんとジーノ君に声を掛けようと思ったのだけれど。

ミミちゃんは留守にしていていなかった。

何でも、近場で大物のドナーンが群れを成して暴れているらしく、討伐依頼がくだったのだという。

ミミちゃんは十人ほどのベテランと、掃討任務に出向いたそうだ。

ジーノ君はここのところ、ステルクさんに師匠師匠と纏わり付いて、いつもべったりなので、問題は無かった。

国家軍事力級の実力者であるステルクさんと。それに近い実力を持つロロナ先生がいれば心強いけれど。

これから出向く場所は、かなり危ない。

出来れば、人数は確保したい。

ナスターシャさんは。彼女も今回は見当たらない。よく分からないけれど、アランヤの方に出向いたと、近くに住んでいる人が教えてくれた。

メルお姉ちゃんは。

元々気まぐれな人だし、見つからなかった。

ただ、マークさんがいた。

そしてマークさんは、アーランド北東部の未開地域と聞くと、目を輝かせて、飛びついてきた。

そういえば、以前聞いていた。

旧時代の文明が、まだ残っていて。

恐るべき兵器が、闊歩していると。

マークさんにしてみれば、是非最高のサンプルに触れたい、というところなのだろう。気持ちについては、よく分かる。

こうして、一応の人手は確保できた。

後は現地に向かって。

その途中で、待ってくれている悪魔族の戦士と、合流するだけだ。

 

荒野で待ってくれていたのは。

見覚えがある、大柄な隻腕の悪魔族の戦士だった。ガンドルシュさんである。修道院の攻防戦で、トトリが逃げ遅れた人達を救助して廻っていたとき。一緒に戦ってくれた人である。

シェリさんもいる。

此方も悪魔族の戦士で、修道院の攻防戦で、随分とお世話になった。

二人がいるのであれば、心強い。

調査が進んだら、ホムンクルスの部隊を動員することも、クーデリアさんは、きっと許可してくれる筈で。

もしそうなれば、更に手数は増える。

如何に特級の危険地帯といえども。

情報さえ手に入れれば、その危険度は、幾分か緩和することが出来るのだ。

今回は、前回よりかなり補給という観点。更に、継続して調査が出来ると言う点で、かなり有利である。

砂漠の砦に買い込んだ家の中に、物資を蓄積してある。

更に、国が指定している輸送業者も雇ってある。これに、サンプルを預けて、アーランドのアトリエにまで運んで貰える。

受け取りはちむちゃんとハゲルさんに頼んだ。

お隣さんであるハゲルさんとは、色々な道具類を作る時に。細かい作業を頼むことも多いし。ロロナ先生とも、昔から縁が深かった間柄だ。

ハゲルさんがいない時は、ティファナさんに頼む。

隣の雑貨屋をしているティファナさんは、昔は高名な魔術師だったらしくて、今も色々な魔術が掛かった道具を売ってくれる。

取引という点でも大事なお隣さんで。

荷物が届いた場合。ちむちゃんと一緒に、適切に処理してくれるという事なので、心強い。

問題は、コンテナについて。

ロロナ先生に、空間をつなげる方法を聞いてみたのだけれど。

まだトトリちゃんには早いと言われて、教えて貰えなかった。こういうとき、ロロナ先生は、とても厳しい側面を見せる。

つまりそれだけ危険な技術だと言う事で。

今のトトリに触らせるには、早すぎるという判断をしているのだろう。

二連に連ねた荷車を引きながら、地獄に。

黒ずんだ地面が見えてくると。ガンドルシュさんが、呻く。

「一族の歴史の汚点だな」

「汚点、ですか」

「汚染を浄化できなかったのだ。 一族は決して手を抜いていたわけではないし、努力も欠かさなかった。 しかし、結果は見ての通り。 汚染は消え去らず、住み着いたのは魔族もかくやという異形の者達。 しかも、だ」

ガンドルシュさんは、隻腕で指さす。

その先に見えるのは、蛇のように巨大な百足だ。

「彼らは、此処の毒に満ちた土地でしか、生きていくことが出来ない。 この土地の毒が如何に強力でも、いずれは消えていく定めだ。 つまり、我等が造り出してしまった狭き地獄でしか、彼らは生きられぬ。 何という罪深きことか」

巌のような悪魔族の戦士の顔には。

寂寥とも悔恨とも言えない表情が浮かんでいた。

まず、するべき事は。

この土地の調査だ。

この辺りは、とにかく危険と言う事で、碌な地図がない。以前悪魔族の人達に貰った地図を見ながら、少しずつ汚染されている地域を調べていく。

どれだけの地域が黒ずんだ地面になっているのか。

当然の事ながら、その面積は相当に広い。

踏み込むと戦闘を覚悟しなければならないので、まずは周囲を確認するべく、荒野を行きながら、地図を埋めていく。

彼方此方、湖がある。

どれも正円系。

典型的な零ポイントだ。

「あれは、いにしえの文明の兵器が着弾した跡だな」

ガンドルシュさんが教えてくれる。

なるほど、いにしえの時代では、人間より兵器の方が強かったのか。トトリは感心して頷いてしまう。

今の時代は逆だ。どれだけ強い兵器でも、まず人間には勝てない。アーランド戦士の頂点に立つジオ陛下に到っては、多分これくらいの破壊力、単独で苦労もせずに出せるだろう。

キャンプの食糧はたくさん持ってきてある。

それに、危険地帯から離れてしまえば、普通の荒野だ。

モンスターも住んでいる。

ドナーンやアードラのかなり大型種もいるけれど。今トトリと一緒にいる面子であれば、それほど対処は難しくない。

数日掛けて、荒野を進みながら、地図をまず作る。

黒い森が見えてきた。

その深さ、尋常では無い。

それも、内部が明らかに発光している。手をかざして見ていたマークさんが、行ってみたいと言うけれど。

トトリは許可しない。

「駄目です」

「どうしてだね。 蛍のように光る生物なのか、それともいにしえの産物なのか、どちらにしても見てみたくはないのかね」

「とにかく駄目です」

危険すぎる。

まずはじっくりどれくらいの広さが汚染されているのかを確認してから、全てはその後だ。

残念そうにするマークさん。

森からある程度距離を取って、キャンプを張る。

今日はここに野営だ。

ロロナ先生が、キャンプの周囲に魔法陣を書いていく。シェリさんが手伝う。

書いてある文字は、トトリには難しすぎて解読できないけれど、多分気配を消すためのものだろう。

ガンドルシュさんがマークさんと一緒に、周囲の岩を持ってきて、テントの片側に置く。奇襲を防ぐための工夫だ。

更に鳴子も仕掛けておく。

気休め程度だけれど。あるとないとでは、大分違うのだ。

キャンプが整う内に、食事の準備も出来る。

ステルクさんが、ジーノ君と一緒に、荒野に住み着いていた大型のドナーンを狩ってきた。

肉を切り分け、内臓を取り出して。

焼いて燻製にして。

皆で分けて食べた。

しばらく食べていると、ステルクさんが提案する。

「まずは東に、海に行き当たるまで行ってみよう」

「この地図だと、海に行く前に、かなり危険地帯が拡がっているようですけれど」

「その実態を確認する」

「なるほど」

ジーノ君が小首をかしげていたので、説明をする。

つまり、だ。

東にずっと進んで、汚染地帯に突き当たったら、今度は南下。南下しながら、海に行き当てる場所を探していく。

そうすることで、現状荒野になっている地点と、汚染されている地点が、切り分けられるのだ。

汚染地帯沿いに行けば、思わぬ道が海に開ける可能性もある。

実際問題、アーランド東端の村は、此処からかなり南に行ったところで。現地の住民は、歴戦の猛者揃いにもかかわらず、北には絶対行かないという話である。

それだけ、この周囲は。

文字通りの、禁じられた土地となっているのだ。

其処を解析していくのは、意義のある行為だ。

ロロナ先生は、トトリが聞くまで、基本的に何も答えてくれない。ただ、キャンプなどは、積極的に張ってくれる。

これだけの強力な戦力が同行してくれているのは。

この辺りの禁じられた土地が、それだけ広大な中立地点になっているからで。砂漠の砦から東が、誰も手が付けられない場所になってしまっているという事が大きい。これは勿論スピアもだけれど。これだけの土地を遊ばせておくのはもったいない話だ。

トトリでなくても分かる。

砂漠に補給路を通すことで、アーランドは事実上、戦略上の幅を大きく広げる事が出来た。

此処で、この禁じられた土地を解析して。

兵を安全に通す事が出来る場所を見つけたり。

或いは、作る事が出来たら。

その戦略的優位は、更に大きくなる。ただでさえスピアは今追い込まれ始めているのである。

一気に、王手を掛けられるかも知れない。

更に、数日掛けて、東に。

砂漠の砦を出てから、七日目。

トトリは、険しい山岳地帯に出ていた。

正確には、非常に起伏が激しい荒野、というべきだろうか。しかも彼方此方に汚染地帯が点々としていて、非常に危険だ。

迷路に等しい地形である。

地図に大まかな事は書いてあるけれど。

これは、現時点では、役に立たないとみて良い。

ステルクさんも思わず腕組みしてしまっていた。

方角は分かるけれど。

あまりにも地形の起伏が激しい上、汚染されている地点が入り組みすぎているのだ。その上、沼地になっていたり森になっていたり。

ひどい場所では、荒野のように見えて、実は茶色い猛毒が何処までも地面を覆っている場所さえあった。

ガンドルシュさんに引き留められなければ、思わず脚を突っ込むところだった。

試しに、棒を突き刺してみると。

見る間に腐食していくのを見て、震え上がってしまう。

これはもう、人間が迂闊に入り込める場所では無い。

地元の人が、怖れるわけである。

周囲を見回せる丘に出たので、其処に長期的に過ごせるキャンプを作る。

トトリが荷車から出したのは、測量用の道具。

これから、マークさんに手伝って貰って、この辺りの地形を地図にしていく。食糧は、一月分用意してある。これは湧水の杯と耐久糧食。それに周辺の荒野で取れるモンスターの肉を計算に入れているので、実際には更に早く引き上げなければならない可能性もある。

ロロナ先生がシェリさんと魔法陣を周囲に書いていき。

柵を張って、守りを固めることにするけれど、流石に木が無い。

少し危険だけれど、近くの黒い森に入って、枯れ木を探し。其処から、薪を切り出す。木に見えても生物であることも多いし。足を踏み入れそうになったところが、強酸の沼になっている事も珍しくないので、何度も冷や汗を掻いた。

何とか枯れ木を見つけ出して。

ステルクさんが一刀両断。

切り分けて、ジーノ君とマークさんと、トトリで分けて運んでいく。その間、ずっとステルクさんは護衛。

丸太を運び終えると、更に細かく切り割って、柵にして周囲に並べていく。数本分の枯れ木が、柵に変わっていって。

その間に、天幕をきちんと固定。

湧水の杯を設置し。

また、排泄などを行う、隠れるためのスペースも作った。

これで、此処にしばらくは居着くことが出来る。

後は、徹底的に、周囲を確認していって。

あわよくば、この迷路のような場所を抜けて、海に出るか。それとも、綺麗な森が拡がっている場所でも、探し出せれば。

其処を拠点に。

更に、探索を進めることが出来る。

遠くには、海の空が見えている。これでも港町の出身者だ。海の上の空が、どのような色をしているかくらいは分かる。

この迷路を焦らずに抜ける事が出来れば。

アーランドは、大きくまた、前進することが出来る筈だ。

そうなれば、トトリも。

また一つ評価を上げて。お母さんの情報に、近づくことが出来る。

キャンプの設営が完了。

周囲の状況は、ステルクさんに指導を受けながら、丹念にジーノ君と仕上げていった。ジーノ君も、かなり真剣だ。

当然の話で、彼が教わっているのは、アーランド最強の戦士の一人なのである。勿論最強の戦士と言うだけでは無く。こういった場所で、生活できるだけの知恵と経験も備えている戦士なのだ。

湧水の杯を設置したことで、水の心配もなくなる。

後は、此処に残って守りを固める要員と。

周囲を探索して廻る要員に、別れる必要がある。

ここからが、探索本番だ。

 

3、縦横迷路

 

地面が、綺麗な赤色に染まっている。

赤茶けた荒野とは、露骨に違う。血のような色と言うよりは、むしろ花びらのような鮮やかさで。

それが故に、危険だと一目で分かる。

このような土地が、何処までも拡がっている、おぞましき場所。足を踏み入れれば、どうなるか分からない。

サンプルを取っていくけれど。

ガラスが溶けかねない土が拡がっている場所もあって。

トトリも、サンプル採取には、本当に気を遣わなければならなかった。

それに。汚染されている場所は、何処もかしこも、環境が違っているのだ。それは、歩いてみて、よく分かった。

周囲を確認していくと、住み着いている異形の生物も、それぞれが異なっているのである。

遠くを、巨大な人型が歩いて行く。

ベヒモスではないようだけれど。

あれは、戦って見たいとはとても思えない相手だ。歩き方も、何というか。重量感がなくて、ひょい、ひょいという雰囲気である。

「うわー、スゲーのがいるなあ」

「ジーノ君」

手をかざして、無邪気にそれを見て喜んでいるジーノ君をたしなめる。

探索班は、ステルクさんとトトリとジーノ君。それにシェリさん。

居残りは、ロロナ先生とマークさんと、ガンドルシュさん。

このうち、ステルクさんとロロナ先生以外はメンバー可変だ。ロロナ先生は、やはり守備に長けている。これに対して、ステルクさんは攻めが本領。そうなると、探索はやはりステルクさんが。キャンプの守備はロロナ先生が、というのが本筋だろう。

ただ、ロロナ先生は、修道院で見せてくれた超火力の魔力砲撃などの、攻撃手段も豊富に持っている。

決して攻めの力が劣るわけでもない。

単なる適材適所だし。

先生がもし行きたいと言うなら、ステルクさんと代わって貰うのもありだろうと、トトリは思っていた。

荒野が、袋小路に出る。

シェリさんがかがみ込んで、首を横に振った。

「駄目だな。 引きかえそう」

「進めないのか、この土」

「脚が溶けて無くなるぞ」

シェリさんの脅しに、流石のジーノ君も青ざめて固まる。そしてその脅しが、決して嘘では無い事は、今までの全てが証明してくれている。

一旦キャンプに戻ると。

ロロナ先生が、燻製肉を使って、スープを作ってくれていた。

実のところ、料理の腕でも、ロロナ先生はトトリよりずっと上だ。ほんわりしているように見えて、錬金術で料理をしろと、ロロナ先生のお師匠様に無理押しされたせいで。料理を散々研究して、いつの間にか腕が上がっていたらしい。

野草に関しても、油紙に包んで持ってきたものだ。

良い香りに、おなかが鳴る。

一旦休憩。

みんなが鍋を囲んでいる間。トトリは耐久糧食をくわえながら、地図を広げて、今見てきた地点を書き加えていた。

本当に、まるで迷路としか言いようが無い。

汚染された地域と、そうで無い地域が、非常に複雑に絡み合い。

まるで軟体生物が組み合っているかのように。辺りの地形が、ぐちゃぐちゃになっているのだ。

これでは、確かに掟を破った亜人達が逃げ込むわけである。

此処に逃げ込んだら、追うことなど不可能だ。

「迷路みたいで面白いなー! 師匠、こういうのを冒険って言うんだろ!?」

「お前はいつも脳天気だな」

「そうだろ!」

ステルクさんが呆れて言うと。

満面の笑顔でジーノ君が答える。

敬語を最初を使わせようとしていたステルクさんだけれど。もう最近は諦めた様子だ。まあ、仕方が無い。

ジーノ君には悪気はないと、ステルクさんも分かっているのだろう。

食事を終えると、ジーノ君の訓練を見始めるステルクさん。型を一通りやらせた後、まずいところを指摘。

その後、ステルクさんが、自身で型をやってみせる。

遠目に見ていても、もの凄く綺麗な型だ。棒術をやっているトトリとは専門が違うけれど。まるで次元違いの動きだというのが、一目で分かる。

パワーやスピードの問題では無い。

この人は、多分スピードが倍の相手にも引けを取らないだろう。

武器より人間が強いこの時代。

ステルクさんの実力は、圧倒的な技術と。鍛え抜いた体によって裏打ちされ。経験が更にそれを伸ばしているのだ。

マークさんが、持ち帰ったサンプルを、自分なりに調べている。

生物標本や、植物。

それに、危険極まりない土。

幾分かはわけてあげるという話を最初にしたし。何しろ科学者を自称しているのだから。マークさんだって、無茶はしないだろう。

色々な機材を使って、サンプルを見ているようだけれど。

ずっとマークさんは、難しい顔をしていた。

「これは何というか、試行錯誤の跡なのだねえ」

「分かるんですか」

「ああ。 毒の種類が、どれも違うんだよ。 どうやって毒を消すか、頑張って色々試している内に、おかしな方向に行ってしまった。 そして長い間を掛けて、浄化されてきている。 そんな感じだねえ」

何というか、悲しい話だ。

悪魔族の話は。

少し前に、聞いている。

彼らは、土地を浄化するために、異形となる事を受け入れた種族。土地を浄化するために生き。

死すときも、汚染された土地を少しでも浄化するために、土に帰っていく。

ここら辺の土地は、試行錯誤の結果。今更、確立された方法を用いても、簡単には浄化できず。

恐ろしい歪み方をした生物とは言え。

毒に適応した存在がいる以上、安易に排除することだって倫理的に許されることでは無い。

そう言うことを平気で出来るのは。

スピア連邦を思い浮かべて、トトリは頭を振る。

一なる五人に会わないと。ちゃんと話して、どうしてあんな事をしているのか、聞き出さないと。

会いもしない人を。先入観で決めつけてしまうことになる。

「抜けられそうな道は、ありますか」

「今の時点ではないねえ。 ただ、この辺りを進んでみると、案外活路があるかもしれないねえ」

マークさんが地図上で指を走らせる。

その辺りは、汚染が比較的緩い地域。

汚染地域を確認して分かったことがあるのだけれど。あまりにも汚染がひどすぎると、歪んだ黒い森さえ出来ない。

黒かったり赤かったりする地面が拡がった、毒沼のような荒野ができあがる。

汚染が比較的弱いと、黒い森ができあがる。

其処には異形を極めたような植物と動物たちが闊歩し。

彼らにとっての楽園を作り上げている。

マークさんが指さしたのは、そんな森が複雑に入り組んでいる一角。此処を突破出来れば、或いは。

しかし、もう少し、この迷路を調べて見てからでも遅くないだろう。

食事を終えたところで、次の探索に出向く。

もう少し地図を作り上げないと。

少なくとも、クーデリアさんは成果を認めてくれないだろうし。ホムンクルスの部隊も出してくれない。

そうなると、手数が足りなくて、これ以上の探索は無理筋になる。

かといって、焦れば失敗するのが目に見えている。

冷静かつ慎重に。

それでいながら、できる限り急ぐ。

両立が難しいけれど。今まで難しい仕事をこなしてきたのだ。きっとできると信じて、作業を進めていく。

 

キャンプに入ってから一週間。

地図は複雑怪奇になる一方。

ますます訳が分からない地形の錯綜が重なり、もはやこの周辺を調べる事は、無意味にさえ思えてきた。

海にさえ、出られれば。

しかし、この様子だと、かなり難しい。

迷路のように入り組んだ地形だから、かなり東に進める汚染されていない土地もあるのだけれど。

それも、最終的には、黒い森に行き当たったり。

酸の沼に突き当たったりしてしまう。

皆で、地図を見る。

探索の度に、半日以上歩いているのだけれど。右手法を使って調べていっても、どうしても限界がある。

マークさんは、ある一角に興味津々。

森が、異常に強い光を放っている上。中に、遺跡らしきものが見えるのだ。

確かにマークさんの立場としては、見に行きたいだろう。しかし、黒い森の中にある上、周囲には訳が分からない、見た事も無いモンスターが群れを成しているのだ。

その中には、明らかに毒に汚染されて変異したらしい亜人の成れの果てらしい姿も見受けられたし。

下手をすると、元人間の犯罪者では無いかと思える姿さえあった。

どちらにしても、放っている気配が異常すぎて、近づけなかったのだけれど。

また、一角は洞窟になっている。

内部には非常に強い毒沼が拡がっていて。

深部には、これまたとんでもなく強い気配がある。

ステルクさんが、入るのは止めようと即断したほどである。つまり、国家軍事力級の戦士が、出来れば戦闘を避けたいと考えるほどの相手が、奧にいると言う事だ。

「僕はこっちを攻めたいねえ」

マークさんは、光を放つ森を指すけれど。

トトリは、どうしてもそれには同意できない。ロロナ先生に意見を求めると。彼女は、腕組みした。

「本当だったら、総当たりで調べたいけれど、そろそろ帰路の食糧が心許ないし。 このままだと帰った後怒られそうだね」

「ひえっ……」

クーデリアさんが怒る所なんて、想像したくない。

トトリはこれまで成果を上げてきたけれど。

それでもあの人の機嫌を損ねたらどうなるか、容易に想像がつく。怒らせたわけでもないミミちゃんが、どんな目にあったか。アレは仕方が無い事だったとは言え。トトリにも、同じ運命が降りかかりかねない。

「なあ、いっそ此処から少し戻って、南のなんだっけ、レジオ村だっけ、其処を目指さないか」

不意にジーノ君が提案。

確かにその手もある。

補給も出来る。

でも、その場合、一つ大きな問題があるのだ。

「そろそろ、サンプルもコンテナに入れたいんだよ」

「あー、そうか。 痛んじまうか」

「うん……」

防腐処置はしているけれど。

どうしても、生物標本などには、限界がある。出来るだけ早めにコンテナに入れる方が良いのは、目に見えているのだ。

そして、南にある村に物資補給に行くと。

多分、サンプルの痛みが、無視できなくなる。元々南にある村は、街道からも少し遠く、馬車が都合良く出ているとは考えにくい。更に砦としての要素もある。何しろ、砂漠の東では、アーランド最東北端の村なのだ。精鋭も詰めているけれど、逆に言うと流通面は色々問題が大きい。

この辺りは、来る前には調べて出てきている。

トトリだって、成長しているのだ。

散々酷い目にあった事で。下調べをすることが如何に大事かは、身に染みて分かっているのである。

とにかく、あと一日。

ロロナ先生が、釘を刺した。

魔術とお薬による保存で、サンプルが帰路も考えて、保つ日数である。コンテナにさえいれてしまえば、本格的な保存が出来るので、問題ない。

今回がラストチャンスでは無いけれど。

ロロナ先生とステルクさんを揃って連れ出せるのは、あまり機会が巡ってこない可能性が高い。

何か、一つでも、成果を手に入れたいのだ。

土や汚染の研究に時間が掛かる以上、この周辺の詳細マップが一番それには望ましく。その地図で有益と言えるのは、やはり汚染の具体的な範囲と、安全な地域だ。

考えた末に。

トトリは、地図上の一点を指さした。

「此処を攻めてみましょう」

「此処かね」

マークさんが唸る。

ロロナ先生は首を伸ばして、地図を覗き込んだ。

ステルクさんは何も言わない。ジーノ君は、ずっとわくわく野し通しのようだ。

手を挙げたのは、シェリさん。

「今日が最後となるのなら、キャンプは畳んで、全員で行くべきだと思うが」

「賛成」

言葉短く、ガンドルシュさんも言う。

彼らは、この悪魔族にとっては禁忌とも恥とも言える場所への探索に、トトリとの縁を理由につきあってくれている。

言葉を無視することは出来ないし。

尊重もしなければならない。

トトリは頷くと。

キャンプを畳んでから、出かけることに同意した。

 

トトリが目指すことにしたのは、此処からほぼ完璧に南下して。其処から「西」に行くルートである。

当然海からは離れるのだけれど。

この辺りは、地形が滅茶苦茶に入り組んでいて、荒野と、毒沼がぐちゃぐちゃになっている。

むしろ、一度迂回する方が、ひょっとすると活路につながる可能性が生じるかもしれない。

そして、ガンドルシュさんに聞いたのだけれど。

海は、汚染されていない。

今まで、悪魔族は、多くの場所で汚染を取り除くために尽力してきたけれど。その亡骸は、地面に埋められるか、海に流される。

今は、地面に埋められることが多いのだけれど。

昔は、海に流されていた。

これは、そうすることで、少しでも汚染が除去できるから、だという。

そして長年の努力が実り、海の汚染に関しては、最小限に押さえ込むことが出来ているし。

これ以上、汚染される恐れもないという。

つまり、である。

海周辺は、汚染が少ないのである。結果論だが。

逆に言えば、一旦海にさえ出てしまえば、其処の周辺は、汚染されていない地域が広がっている可能性がある、という事だ。

荷車を引いて、全員で行く。

先頭に立つのはステルクさん。

トトリは荷車の一つ後ろ。荷車は、シェリさんが引いてくれている。最後尾はロロナ先生だ。これは、守りに長けているから、である。

「此処を西に行くんだな」

「はい」

ステルクさんが、少し悩みながらも、曲がりくねった細い安全路を行く。

毒の沼地状態の周辺からは。

得体がしれないと言うか。形容も出来ない生物たちが、此方を伺っているのが見える。彼らには、トトリがそう見えているはずだ。

相容れない世界。

いずれ、滅びていく毒の土地。

それはきっと、悲劇の筈。

彼らを醜いとかおぞましいとか、そういう形容は出来ないと、トトリは思う。

時々測量をしながら、進んでいく。

何度、曲がり角に立っただろう。

磁石を使って方角を確認しながら、マッピング。これは下手をしなくても迷う。分岐路も幾つもある。

もはや、総当たりで調べていくしかない。

トトリの勘は、魔力が強いわけでもないから、別に当たらないけれど。今回は、当たるかもしれない。

理由は、先ほどのロロナ先生の反応だ。

トトリが示した地点に、強い興味を示していた。

言うまでも無く、ロロナ先生は、この国最強の魔術師の一人。その膨大な魔力は、以前の修道院攻防戦でも見せつけられた。

そして魔力の強さは、勘の強さに直結する傾向がある事くらいは、魔術に疎いトトリでも知っている。

ちょっとずるいけれど。

ロロナ先生は、ひょっとすると。自分の反応を読まれたことに、気付いているかもしれない。

怒るだろうか。

でも、ロロナ先生の方を見ても。

トトリを見て、にこりとするだけだった。

 

予想よりも、ずっと頭が良いことは少し前から気付いていた。ロロナは、内心でまずかったかなと思った。

くーちゃんに、散々釘を刺されていたのだ。

余計な手助けはしないようにと。

事実トトリちゃんは、元から賢い子だった。だから自分を追い詰めてしまってもいたのだけれど。

しかし冒険者ランク6となった今は。賢いというよりも、世間で言う「したたかさ」を身につけている。

先ほどの行為もそうだ。

ロロナが直感的に正解を見抜いたことに気付いた。

元から観察力と理解力に大変優れた人材で。故にこの悪夢のようなプロジェクトに抜擢されたわけなのだけれど。

こうして側でその成長を見ると。

将来は、錬金術師としては追い越されるかもしれないと思えてくる。

才能の問題ではない。

まあ、今回は怒らない。

トトリちゃんもかなり追い詰められていたわけだし、実際今回成果を出せなければ、くーちゃんもそろそろお小言を言う、ではない。おそらく、トトリちゃんに探索プロジェクトの見直しを迫っただろう。

そうなると、時間のロスが尋常では無い。

少なくとも、海に抜けて。

更に北上し、国境に至れる可能性があるくらいの抜け穴は見つけておかないと。ホムンクルスの部隊を貸し出してはくれないだろうし。

当然、国の物資だって提供してはくれないはずだ。

くーちゃんは地位を得て、大変シビアになった。昔から厳しい所はあったけれど、ロロナの前では心を見せてくれてもいた。

今のくーちゃんは、昔以上に心を見せない。

でも、ロロナはそれで良い。

くーちゃんは、ロロナの比翼の友。刎頸の友。くーちゃんのためなら死んだって良いし、くーちゃんだって、ロロナの事をそう考えてくれている。

だから、それでいいのだ。

狭い、曲がりくねった道を行く。

潮の香りが、強くなってきた。

どうして、こうやって浄化された道が出来たのかは分からないけれど。確かに、道はつながったのだ。

丘を抜けると。

砂浜に出る。

勿論、汚染されてなどいない。

青い海が、何処までも拡がっていた。周囲はおぞましいまでに汚染された毒の大地と、黒く染まった闇の森だというのに。

その間を縫うようにして抜けた先には。

これほど清浄な砂浜が存在していたのか。

「すっげー!」

ジーノ君が、素直な喚声を挙げた。

悪魔族の二人。ガンドルシュさんとシェリさんは、立ち尽くしていた。

トトリちゃんは、海の側まで行くと、辺りを確認。北に抜けられそうだと言う事を、めざとく確認している。

声が聞こえないように、指を弾いて結界を張ってから。

ロロナは、二人に話しかけた。

「どうですか、トトリちゃんは」

「流石に貴方が自慢の弟子だと言うだけの事はある」

ガンドルシュさんは、ロロナより、ジオ陛下より。いや、アーランド戦士の誰よりも長生きしているはずだけれど。

それでも、素直な感動を、言葉に湛えていた。

でも、釘を刺しておく。

「でも、あまり面と向かって褒めては駄目ですよ。 トトリちゃんは、成果を上げることになれてしまっていますから」

「あれだけの逆境を味わったのだし、それくらいはいいのではないのかな」

「駄目です。 あまり褒めると、逆効果になります」

自分でも厳しい事を言っていることは分かっているけれど。

ロロナは知っている。

甘やかされた結果、おかしくなった子達の事を。

厳しくしすぎるのも問題だけれど。やることなすこと全て肯定していたら、きっとスポイルされてしまう。

「俺はあの娘の側で、何度も奇蹟を目にした。 今も奇蹟を目にしている」

シェリさんは、そう言う。

確かにシェリさんは、トトリちゃんと一緒に、地獄の撤退戦を生き抜いた一人だ。トトリちゃんに、崇拝に近い感情を抱いていても不思議では無いだろう。

面と向かって言っては駄目ですよ。

そう釘を刺しておく。

それに、トトリちゃんは。あの汚染された森や土を、浄化する方法を見つけ出すことが出来るかも知れない人材だ。

苦労は、今のうちに、できるだけさせておきたい。

「ロロナ先生!」

トトリちゃんが、手を振っている。

いつの間にか隣に来ていたステルクさんが、ロロナの肩を叩いた。

「行ってやれ。 君が褒めることが、今は大事だ」

「一言だけですよ」

「君は、大人になったな」

ステルクさんは、その強面に。

不器用な笑顔を、一瞬だけ浮かべていた。

 

4、神の剣

 

満身創痍のミミが家に戻ると。書状が来ていた。

無理をして、ランク7冒険者が行くモンスター討伐任務に混ぜて貰ったのだ。ミミだって、もうランクは4。中堅所として判断される実力であり、しかし。

今回行った先には、おそらくスピアが放った洗脳モンスターが待ち構えていた。

凄まじい強さのモンスターで。死者は出なかったけれど。討伐チームは壊滅的な打撃を受けた。

勝ちは勝ち。

敵は殺した。

でも、ミミは袈裟に一撃大きいのを貰って。

無理矢理縫合して、トトリの傷薬を塗って。そして、文字通り這うようにして帰ってきたのである。

医療魔術師に治療を受けろ。

そう言われていたけれど。今は、動く気力さえも残っていない。だから、ベッドに転がると。

体が二つに裂かれるような痛みに眉をひそめながら、書状を開いた。

クーデリアからだ。

あの国家軍事力級の使い手。アーランドの冒険者を事実上管理している元締め。国家軍事力級と呼ばれるようになったのは一番最近で。その実力も、現時点での同階級戦士の中では最弱と言われている様だけれど。

実際には、それほど差は無いという噂も聞いている。

いずれにしても、因縁の相手だ。

現実をミミに叩き込んでくれたという事では恩人でもあるのだけれど。あの時の事は。絶対に忘れられない。

体中が酷く痛いし、だるい。

腹から腸が零れかけるほどの傷だったのだ。当たり前の事だ。

本当だったら、医療魔術師の所に一直線で行かなければならないのだけれど。何だか、これを後回しにするのは癪だ。

それだけの理由で、ミミは。

酷く痛む全身に鞭打って、無理矢理王宮に出向いた。

当然血も止まっていない。しかし実のところ、冒険者を始めてから、この程度の傷は日常茶飯事である。

トトリと会うときは、身繕いをきちんとして。怪我を治してから会っている。

そういえば、この間の地獄の撤退戦の時も。

いち早く心身を立て直せたのも。こうして、自身が傷をたくさん受ける経験をしているからだと、ミミは思っていた。

王宮に到着。

クーデリアはカウンターにいて。ミミを見て、眉をひそめた。

「明らかにランク上の仕事を受けているとは聞いていたけれど。 そんな事をしていると、死ぬわよ」

「要件をお願いするわ」

「はあ、まあいいわ。 リオネラ」

奧から出てきたのは。

何度か顔を見た事がある、非常に美しい人妻の女性魔術師。だけれど、美貌には強い影があると、ミミは前から思っていた。

彼女はミミを無理矢理受付近くのソファに寝かせると、回復魔術を掛け始める。

非常に手慣れている作業で、あっというまに楽になっていった。

これでも、ミミもアーランド戦士だ。

此処まで治れば、傷なんて残らない。

もう良いと言って、起き上がると。

クーデリアに、ついてくるようにと促された。

冒険者と言うよりも。

アーランド戦士での上下関係は、やはり強さで決まる。勿論年長者も尊敬はされるけれど。どうしても、最も最優先にされるのは強さだ。

そしてアーランド戦士は衰え始めるのが遅いこともあって、三十代四十代になっても、体力が落ちないことはザラだ。

その辺りに、最強の戦士が集中している時代が多いのも、無理からぬ事だろう。

ちなみに現在、国家軍事力級と呼ばれる使い手の内、ジオ国王陛下と、このクーデリア以外のメンバーが、その法則に当てはまっている。

ミミが知る限り。

数年前に失踪したもう一人の国家軍事力級が生きていても、それについては変わりが無い。

王宮の中庭に出る。

其処では、上品な口ひげを蓄えた初老の男性が。剣を抜き、身を確認しながら待っていた。

「陛下、こちらが」

「ふむ、そなたがミミか」

「……っ!」

ミミも、貴族としての誇りを持つために。

真似事であっても、作法の類は全て身につけた。だから、王の前に出たと知ったときには、自然に跪いていた。

何故、王が直接。

ミミは所詮、中堅に入ったばかりの冒険者。大した実力は備えていない。

そして、この国において、貴族なんてものはお飾りの称号。誇りの厳選にしていても。その事実は、ミミだって分かっている。

ましてやこの国は、現状は共和国。

王が国家元首だけれど。

政務を執るのは貴族では無い。ただ。これに関しては、ずっと昔から、貴族が政治に関わっていなかったので、変わるのは容易だったという事情もあるようだが。

ミミを上から見下ろしていたジオ陛下は。

剣を鞘に収めると、顎でしゃくった。

「まずは、槍を取れ。 型を見せよ」

「陛下の仰せのままに」

立ち上がると、矛を手に。

少し緊張する。

それに、体のダメージもある。

もっとも、戦場では、そんな言い訳を敵が聞いてくれる筈がない。ベストコンディションを保つのも、戦士のつとめの一つだ。

矛を振るって、一通り型をしてみせる。

思った以上に、綺麗に出来たけれど。

腕組みして見ていた陛下は、当然のように、駄目出しをした。

「才能が感じられるわけでもないが、一方で基礎はしっかりしているな。 ただ、色々な達人の技が混ざりすぎて、自分の力が発揮できていない」

「その通りです。 故に陛下。 頂点の力を」

クーデリアが。

とんでも無い事を言う。ミミは思わず、青ざめてその場で固まってしまった。

何が、起きているのだ。

頷いたジオ王は、訓練用の槍を取る。

この人は、ミミどころか、アーランド人なら幼児でも知っている、文字通りの世界最強である。

一なる五人でさえ、本気になったジオ王の前にはかなわないのではないかと言われているだけではない。

あらゆるモンスターを加えても。その最強は、揺るがないとさえ言われているのだ。

そして、その実力は。

何も、剣だけで発揮されるのでは無い。

陛下が槍を手に取ると、するりと動いた。あまりに早すぎて、ミミには追うのがやっとだった。

それが、全ての型を一通り流して。

そして一瞬で綺麗に固めたのだと気付いたとき。

この世には、次元違いの化け物が実在するのだと、ミミは思い知らされ、その場に立ち尽くす。

今まで教えを請うてきた達人とさえ、更に次元違いの魔人。

それが、このアーランド王だ。

「少し稽古を付けてやろう。 そして、余の技を、一つだけそなたに貸し与えておこうかな」

「技、ですか」

「そうだ。 アインツェルカンプ。 余の秘剣の一つ。 勿論、槍で使う事も出来る大技だ」

背筋が凍りそうになる。

その技は、王が使うとき。敵が確実に死ぬという、最強の奥義の一つ。どういうことだ。どうしてミミなんかに、そんなとんでも無い技を。

だけれども。

陛下は、ミミに槍を持ち、向かい合って立つように指示。

言われたまま、稽古を始めた。

 

一本取るどころでは無い。

以前、クーデリアに無謀な挑戦をしたときよりも、更に高い壁を、ミミは感じる事になった。

勝てるとか、そういう状況ですらない。

戦いにさえならないのだ。

動きが、完璧に読み取られてしまっている。

おそらくミミが槍を振るう際の予備動作が。先ほどの型を見せたとき、全て見抜かれてしまったのだろう。

何度も突き転ばされて。

その度に立ち上がって。

何度かは、リオネラに回復術を掛けて貰った。

呼吸を整えながら、槍を構え直す。そうしている内に、気付く。少しずつ、槍の動きが、滑らかになっている。

「達人から教えを請うことは大事だ。 だがそれ以上に大事なのは、それを自分の中で再構成して、自分用に調整することだ」

お前にはそれが出来ていない。

ミミは、はっきり言われた。

これから、それを調整すると。

何度も突き転ばされる。

訓練と言う名のリンチにも見えるけれど。ミミには分かる。少しずつ、自分の動きが良くなってきていることが。

もう一度。

叫んで、立ち上がる。

たっぷり、四刻以上、王に訓練槍で突き飛ばされ続けただろうか。

全身痣だらけになり。

その度に回復術で無理矢理治していたミミは。いつの間にか、以前より遙かにスムーズに動けるようになっていることに気付く。

もう一度、型をやってみるように、言われる。

言われたままに型を流し。

そして、あまりにも綺麗に動く事で、自分でむしろ驚いてしまった。

これが、本来の力なのか。

「達人達が口を揃えて言っていたはずだ。 実戦で経験を積めと。 だがお前は、不器用だから、どうしても経験を積む効率が悪かった。 余がその効率を少し矯正した。 それだけだ」

陛下はそう言う。

ミミは最敬礼すると。クーデリアに促されて、中庭を出た。

力が、わき上がってくるかのようだ。

今までとは、確実に一皮むけた。勿論、いきなり強くなったわけでは無い。今後の努力が必要だけれど。

しかし、その効率が、確実に段違いになる筈だ。

そして、陛下が最後に見せてくれた動き。

シンプルにして、実に鋭利。

あれが、アインツェルカンプか。

動きは、覚えた。

そして、今後の努力次第で、再現できる。あくまで借りるだけだが。それでも、ミミにとっては、大きな力になるはずだ。

手を見る。

病弱だった母とは違う、健康的な手。

今、力強く槍を握る手は。

今までより遙かに強い力を震える事に。喜びの震えを生じさせていた。

 

(続)