零の土地

 

序、その土地の名は

 

アーランドだけではない。世界中の各地には、今だ汚染がひどすぎて、長く留まることさえ出来ない土地が多数存在することを、トトリは知っている。アーランド人なら常識だし、緑化作業に関わるようになってからは、なおさら意識するようになって来た。

通称、零ポイント。

多くの場合、地面が円形にえぐれていて。湖になっている場合が分かり易い目印になっている。

こういった場所の近くは、完全に荒野になっているか。

なっていなくても、人間が入る事が出来ない地獄の森ができあがっているか。その、どちらか、である。

アーランドに戻ってきたトトリは、王宮に呼びつけられる。

現在、トトリは西の修道院への補給路作成作業を命じられていて、その骨子の計画がやっと出来たところだ。

まずはキャンプスペース予定地を造り。

緑化作業すべき荒野を選定し。

貸してもらったホムンクルスの部隊と。この間の戦いで世話になった悪魔族の戦士達に声を掛けて。作業を、ようやく始めたところなのだけれど。

普段王宮のカウンターにいるクーデリアさんは姿を見せず。

フィリーさんが、不安そうに話をするのだった。

「トトリちゃんには、今の仕事が終わった後、するようにって言われたの。 でも、何だか不安で……」

子供みたいな表情で、フィリーさんが言うには。

次の仕事は、砂漠の更に東。

通称、東の地獄と言われる地域の調査と、生還だというのだ。出来る事なら実態を把握し、道を作れとも言われていた。

一瞬絶息するけれど。

すぐに、心理的な態勢を整える。

色々な噂を聞いている。

砂漠の東は、もはや人が住める場所では無い。アーランド人でさえ、踏み込めば容易には生きては帰れない。

亜人種達が逃げ込む、光が絶えない謎の森があり。

見た事も無い植物が生える不可思議な、森ともいえないおぞましい土地があり。

洞窟の中には、得体が知れない鉱物が存在し。

謎の生態系と。

国家軍事力の実力を持つ戦士でも、安易には手を出せない化け物が、多数潜む悪夢の地も存在しているのだとか。

あくまでこの次の仕事、だ。それも、オフレコでの話である。

今の時点ではまだ帰ってきていないロロナ先生に相談するか、同行を願うとして。今のうちに準備をしておかなければ、調査どころか、生還もおぼつかないだろう。

「トトリちゃん、無理はしないでね。 今の若い子達の中でも、トトリちゃんは出世頭で、私も本当に心配しているんだから」

「大丈夫です、とは言えないですね。 じっくり準備して、備えておくとします」

それにしても、これは。

本当に難事だ。

とにかく、あらゆる準備をしなければならないだろう。

アトリエに戻ると、ちむちゃんが指示しておいた調合を進めておいてくれていた。有能なこの子は、調合も出来るし、その不思議な力でものも増やせる。若干品質が落ちてしまうのが玉に瑕なのだけれど、それでもこの能力。非常に便利で、どうにか再現できないだろうかと、トトリはいつも考えてしまう。

今、ちむちゃんには、一番難しい中間生成液の複製と。逆に、一番簡単で手間が掛かる調合を任せっきりにしている。

ただ、流石に現場には連れて行けない。

更に難しい行程指示も出来ないので、簡単な作業を命じておくことしか出来ないのが、もったいないところだ。

どうしてロロナ先生は、ちむちゃんから言語機能をオミットしてしまったのだろう。意思疎通は出来るのだけれど。トトリ以外が指示をしてもあまり理解している様子は無いし、逆にちむちゃんの言うことも、トトリ以外には通じていない様子だ。話していると、ミミちゃんなんかは、珍獣でも見るような目で、やりとりを見守っていたりする。

「トトリ、来たわよ」

アトリエに入ってくるミミちゃん。

ソファで、少しゆっくりしてもらう。その間、するべき調合を進めながら、トトリは先ほどの話をした。

ミミちゃんは嘆息。

ちなみに彼女は、まだランク4から上がる気配がない。

中堅ランクになると、相当な業績が、昇格には求められる。ミミちゃんは頑張ってお仕事をしているけれど。

無意味にハイランカーばかり増えても仕方が無いと、アーランドは考えているのだろう。実際、ハイランカーの戦士の実力は圧倒的。ハイランカー相当の34さんの戦闘力を間近で見ているトトリとしては。安易にハイランカーを増やすことには反対だ。

「断りなさいよ」

「無理だよ。 それに、私にも、ミミちゃんと同じで、したいことがあるの」

「急いで社会的地位を上げるのには、無理が必要なのは認めるけれどね。 トトリ、貴方は私よりも生き急いでいる様に見えるわ」

「ふふ、そうかも知れないね」

インゴットを、炉から取り出す。

しばらく熱を冷ましてから、隣に持っていくのだ。

その間に、ちむちゃんには、ティファナさんの雑貨屋さんにお使いを頼む。てきぱきと動きながら、トトリは背中を向けたまま、ミミちゃんに言う。

「一段落したら、また現地に向かおう」

「そのつもりよ。 まずはキャンプスペースから仕上げないとね」

修道院に詰めている悪魔族の戦士達が、緑化作業に協力してくれる約束はとりつけている。

これにジェームズさん達が加わってくれれば鬼に金棒なのだけれども。

流石に其処までは、トトリも上手く行くとは思っていない。

いずれにしても、数ヶ月単位の仕事だ。

この仕事が終わる頃には、トトリは十五歳になって。次の年を迎えることになるだろう。冒険者になって、二年でランク6。

トトリに嫉妬する若者が出ているという噂を聞いているけれど。

それも、仕方が無い。

身を守ることだけは、考えておかなければならないだろう。

調合が一段落。

ミミちゃんと一緒に裏庭に行って、軽く稽古をこなす。

まず型を全て。

昔とは比べものにならないほど、はやくスムーズに出来るようになってきている。どの型が、実戦でどうつかうか。それが身に染みてわかってきたから、だろう。型は実戦で作り上げられた、実用的に体を動かすためのもの。これを完全にものにすれば、それだけ実戦で綺麗に動く事が出来るのだ。

続けて、軽くミミちゃんと手合わせ。

流石にミミちゃんは相当に強い。というよりも、正面からの戦いでは勝てない。

今回、トトリは幾つかの隠し球を仕込もうと考えて、実際に調合もしているのだけれど。手段を選ばなければともかく、棒術で現時点のミミちゃんには勝てないだろう。

ミミちゃんも、相手を殺す事で、実戦で一線を越えた。

その結果、大幅に力を増している。

手合わせを終えた後、残心。

二人で礼をして、手合わせの終了を、心身ともに確定させた。

「強くなったわね、トトリ」

「ミミちゃんも。 雷鳴さんの所には、まだ行っているの?」

「ええ。 時々見てもらっているわ。 マッシュの所にも行って、実戦形式での訓練を付けて欲しい所だけれどね」

ミミちゃんは、十人を超える達人に、教えを請うている。

トトリはそれを知っている。

才能があると自負しているミミちゃんだけれど。実際には、誰よりも努力の人だ。きっとミミちゃんは、内心ではわかっているのだ。自分の才能が、平均的。あくまで、アーランド人としての基準としては、ではあるが、ということに。

だから、人の十倍努力する。

才能は、後天的に目を覚ますこともある。

それに期待をしているのだろう。

ちむちゃんがもどってきたので、コンテナに荷物を詰め込んで、あらかじめ作っておいたお薬や、買い込んで置いた耐久糧食。それに緑化作業用の栄養剤を、荷車に詰め込んでいく。

そろそろ、馬車並みのサイズの荷車が欲しい。

一度に輸送できる物資の量が増えるし。

ロロナ先生が使っていた、内部にアトリエを持つあの馬車。トトリも欲しいなと、今思っているのだ。

お仕事の後、貰える報奨金が、最近は桁外れになって来ている。

実のところ、おうちくらいなら、もう一軒二軒建てられるくらいの貯蓄はある。勿論本気で錬金術につぎ込むとあっという間に消し飛ぶ程度のお金でしかないけれど。それでも、最悪の場合、ドロップアウトしても、後は余生を過ごせると思う。

でも、そうはさせない。

ちむちゃんに後を任せて、荷車を引いて、馬車の乗り合いに。

既に調べてある西行きの馬車に乗って、後は途中までのんびり行く。現地で働いてくれているホムンクルスの一個小隊と合流してからが本番だ。メルお姉ちゃんは気まぐれだけれど、今回は途中の村で合流してくれる事になっていた。

馬車を乗り継いで、其処からは歩く。

街道が整備されない場所になると、其処は荒野と隣り合わせ。もう、労働者階級の人が歩ける場所では無くなってくる。

アーランドの近辺は急ピッチに緑化が進んで。土地の保水力と生産力が増してきているけれど。

それでも、少しでもアーランドを離れると、あっという間にこの通りだ。

メルお姉ちゃんと合流した後。荷車を引きながら、歩く。

この荷車も、前より二回りほど大きくなって。油紙の幌でより厳重に保護できるようにも改良している。

この間の悲惨な撤退作戦で、色々と思うところがあって。

ハゲルさんと相談して、改良を重ねたのだ。

結果、荷車自体も、軽く引いて動かせるようになり。

車軸には高額な金属を使う事によって、より素早く引けるようにもなった。

頑強さについても、今まで使っていた荷車とは比較にならない。

今度のは要所に金属を入れているので、下手な攻撃なら防ぎきるくらいの強度がある。全体的には重いのだけれど、その代わり引くことに関しては、軽くなるように工夫の限りを凝らしているのだ。

ただし、かなり高値だった。残念ながら、利便性には、経済という犠牲は必要不可欠なのである。

二日で、現地に到着。

既にキャンプスペースは、形ができはじめている。近くにある川から用水路も引いてあるけれど。

水質を見て、トトリは眉をひそめた。

「ミミちゃん、見てこれ」

「飲める水じゃないわね」

ミミちゃんが即答。

蒸留すればどうにかなるけれど。火を熾すにしても、薪がいる。この周辺の状況を考えると、厳しい。

これはかなり本腰を入れて、周辺を緑化しないと厳しいだろう。

そう言う意味では、まずは修道院の一番側のキャンプスペースからだ。

そこなら、悪魔族の戦士達が、緑化作業にもっとも協力してくれる。其処から順番に、アーランド王都に向けて、緑化とキャンプスペースの設置をして行けば良い。

立ち入り禁止の札を立てて、柵を植え込んで、此処は一旦終了。

ホムンクルスの部隊を率いている71さんが、小首をかしげた。小隊長となると、二桁ナンバーのホムンクルスが珍しくない。

「此処は良いのですか?」

「土地の汚染がひどくて、キャンプスペースには出来ないです。 それに……」

トトリとしては、白骨の野も処理したいのだ。

彼処に埋まっている人達を、できる限り尊厳のある埋葬をしてあげたい。

作業を並行して行うにも、それが一番だろう。

ホムンクルス達と一緒に、西に。

途中のキャンプスペース予定地点も、手だけは入れておく。何処も汚染がひどくて、水を引いても飲める状態では無さそうだ。

やはり、緑化から、腰を入れていくしかない。

そもそもこの辺りの土地を見る限り、あまりにも緑が少なすぎる。アーランドから離れているからと言うのもあるのだけれど。

たとえば、リス族の居住区ともなる森を作り上げて。周辺の保水力を上げ。その周辺に村を作って、森や草原を管理。

それだけで、アーランドの実質的な支配地域は拡大する。

勿論人が増えてくれば、相応の問題も出てくるだろうけれど。

アーランドの人間の数は少なすぎる。

いや、世界そのものがそうなのだ。

スピアが今、世界的な大虐殺をしている事もある。とにかく、人が住むための場所を早急に作り上げて。

国の力を上げていかなければならないのである。

四カ所目のキャンプスペース予定地に到着。

丁度、白骨の野の南だ。

この辺りには小さなキャンプスペースがあるのだけれど、文字通り休むだけの機能しかない。

トトリは見渡す限りの、いにしえの文明の亡骸に黙祷すると。

皆に、作業開始を告げた。

ある程度実績を上げれば、アーランドが増援を派遣してくれる。

勿論、修道院とも連携しての作業になる。

以前行った緑化作業を、おそらく規模的には四倍ほどにして、実施していく必要があるだろう。

この辺りの採取地を散々廻って、栄養剤も作る必要があるけれど。

今回は、ちむちゃんという強い味方もいる。

それに、悪魔族は、緑化作業のスペシャリストだ。きっと、上手く行く。

まず、白骨の野に分け入って、骨を掘り出して、積み上げていく。ホムンクルス達には、できるだけ丁寧に扱うように指示。

色々な骨がある。

砕けているもの。潰れているもの。それらも掘り出して、積み上げていく。本当は洗って上げたいけれど。出来るかどうか。

「これ、意味がある作業なの?」

メルお姉ちゃんが、それこそ山のような量の骨を運びながら、涼しい顔で聞いてくるけれど。

トトリは、寂しくほほえむだけだった。

これに意味がなかったら。

きっと、人の尊厳にも、意味がないと思う。

その間に、ホムンクルスの一人に、悪魔族の増援手配を頼む。この位置なら、もし修道院に敵が攻撃を仕掛けてきても、充分対応が出来るだろうし、来てくれるはずだ。

丸三日を掛けて、骨を掘り出していく。

アーランド人の身体能力。ホムンクルス達の身体能力。それに悪魔族の魔力。全てをあわせて作業をして行く。

予想通り、かなり深い地点まで、骨が埋まっていたけれど。

ある一点から、骨が出なくなった。

東側には、土の山。

西側には、骨の山が出来ていく。本当に何十万人という亡骸が、此処にあったのだろう。悲しい話だ。

修道院を管轄している戦士が来た。

なんと雷鳴である。どうやら隠居していた所に、此処を任せたいと言われたらしい。それだけ、上級士官の人材が不足している、ということだろう。

雷鳴は年老いたおくさんと一緒だ。

上品そうな老婦人だけれど、昔は超一流の使い手だったのだろう。何となく、雰囲気でわかった。

「白骨の野を、処理していると聞いたが。 錬金術の作業の一環かね」

「人の尊厳を守る作業です。 それと……」

白骨の野周辺は、土地の起伏がひどく、移動するのに難儀しがちだ。いっそのこと、全て土を一度剥がし。悪魔族に処置して貰って、埋め直す。そうすることで、この辺りを一気に緑化できる。

修道院の背後を森にしてしまい、新しく逃げてきたリス族に移住して貰えば。

前線基地である修道院は背後に、心強い補給拠点を得ることにもなる。

これは、実のところ、白骨の野を処理していて、途中で思いついた事だ。でも、有用なはずである。

雷鳴は説明を受けると、頷く。

「なるほど、さすがは多くの二つ名を得ている若き錬金術師だ」

「有り難うございます」

ぺこりと頭を下げると、協力して貰って、白骨の野を処理していく。

そして十日目。

多くの人と悪魔族、ホムンクルス達の手を借りて、白骨の野に埋まっていた骨を、全て掘り出し終えた。

東側には、相当量の土の山が出来ている。

これは、悪魔族に浄化をお願いする。同時に、トトリが持ってきた栄養剤を、全て渡してしまう。

「ジェームズさんがいれば、心強いですけれど」

「彼奴は今、アーランド南西部の緑化作業を進展中だ。 君が中心になって基礎を作った場所だよ。 最終的には、アーランドの南へ延びる街道の沿線全てを緑化することが可能かもしれないと言っていた」

「凄いですね!」

「ああ。 此処も是非、そうしていこう」

アーランドの北西部は、どうにも緑が少ない。北部は街道に沿って森もあり、湖もあるのだけれど。此方は貧弱だ。

積み上げた白骨は。

大柄な悪魔の戦士に力を借りて、空中に浮かせる。

トトリは今日、一つだけ湧き水の杯を持ってきた。キャンプスペース用では無くて、緑化作業用のものだ。

これから出る水をくみ上げて、骨を洗っていく。

空中で回転している骨に水を混ぜて、ある程度綺麗にした後。

全てを荼毘に付す。

その前には、積み上げた骨は、見違えるように綺麗になっていた。

みんな、苦しかっただろう。つらかっただろう。

お母さんと会えなかった子供達。恋人と離ればなれになった人達。大事な存在と、引きはがされてしまった人達。

動物の骨もある程度あったけれど。

これも一緒に荼毘に付す。

これで、楽になれるよ。ちょっと乱暴に扱ってしまって、ごめんなさい。でも、もう野ざらしでは無くなるんだよ。

トトリは、誰にも言わず、心の中で、そう思った。

火を付けるのは、雷鳴の奥さんにやってもらった。

燃え上がる骨の山。

そして、完全に骨を燃やしきった後。ロロナ先生が大穴を開けた山に、全てを埋葬した。浄化した一部の土を、それに使い。

埋めた土の上には、墓石を持ってきた。

辺りにあった巨大な石を、雷鳴が凄まじい手際で加工したのだ。それを、メルお姉ちゃんが運んで、土の上に載せた。

それにしても、メルお姉ちゃん、凄いパワーである。知っていたけれど、こういうときは、とても頼もしい。

過去の諍いで亡くなった人々、此処に眠る。彼らは尊厳を取り戻し、今は安らかな世界に旅立った。

そう墓石にはきざまれていた。

修道院にいる人達。悪魔族。ホムンクルス達も。皆で黙祷を捧げる。

そして、その後は。

全てが綺麗に片付いた白骨の野の名前をどうしようかと、トトリは思った。いずれにしても、国が決めるのだろうけれど。提案くらいは自由なはず。

浄化が終わった土から、悪魔族が元の場所に戻し始めている。土地を耕し空気を入れて、更にまずは汚染にも負けない強い植物を入れるのだ。栄養剤も同時に入れ、少しずつ、土地を浄化していく。

長い長い作業になる。

しかし、これが終わったとき。

この修道院の周辺で行われた一連の恐ろしい戦いには。きっと、意味が出てくる。そうトトリは確信していた。

 

1、見てはいけないもの

 

どうやら、話通りらしい。列強の一つ、ミギア王国に所属する五千前後の軍勢が、スピアが放棄していった研究施設。なかば土に埋まっているそれを、包囲しているけれど。包囲するだけで、それ以上は何も出来ずにいた。

何しろ、どうみてもオルトガラクセンと同じ、古代の遺跡である。半端な攻撃で破壊することそのものが出来ないし。内部がどれだけ拡がっているかさえわからない。

遠目に見ていたロロナの所に、くーちゃんが戻ってきた。

パラケルススちゃんも一緒だ。

「どうだった?」

「どうもこうもないわよ」

吐き捨てるくーちゃん。滅茶苦茶に機嫌が悪い。

理由は何となく見当がつくけれど。ロロナは聞かなければならない。そういうものだからだ。

「特殊部隊を突入させては、無駄死にさせているようね。 内部から感じる気配、尋常じゃないわ。 私とあんた、それにパラケルスス。 三人がかりでどうにか出来るか、という実力よ」

「うわあ……」

思わず声が漏れる。

当然の話だ。それほどの実力となると、ジオ陛下と同等か、それ以上になってくる。やっぱり、陛下にも来て貰うべきだったのでは無いのか。

しかし、今は時間が無い。

此処でもたついていると、体勢を立て直したスピアの軍勢が戻ってくる可能性が高い。そうなると、浮き足立っているミギア王国の軍勢は蹴散らされ、せっかく進めた前線を全て取り替えされるどころか、却って領土を削り取られかねない。

ムキになっているミギア王国には悪いけれど。

ここは、一気に決めてしまうしかないだろう。

支援についてきたホムンクルス達に、ロロナは発破を渡しておく。使用する地点も指定。

「私達が、閃光弾を使ったら、これを使うんだよ。 起動ワードについては教えたとおりだからね」

「わかりました、マスター」

生真面目にこたえたのは。

顔中に目がある、スピアから三年ほど前に降伏してきたホムンクルスの戦士。腕は四本。そして胸の辺りに口がある。上半身は裸だけれど、これは口が隠れてしまうため。下半身には普通にズボンをはいている。もっとも、生殖器はなく、性欲ももたない様子だ。

非常な異形だけれど、極めて性格は紳士的で。部下達を殺さず救ったロロナを見て、全幅の信頼を注いでくれている。

彼は以前はロットと呼ばれていたのだけれど。これはただ、適当にランダム生成された名前らしい。

今はロロナに名前を欲しいとねだったので。センと呼ぶようにしていた。

千の命を救える戦いが出来るように、という意味である。

意味がある名前を貰ったとき。センの無数の目は、明らかに喜びを湛えていた。

「いい、ミギア王国の軍勢を傷つける事は避けて。 それと、スピア連邦の軍勢が来た場合は退避してね」

「わかっています、マスター」

「そろそろ行くわよ」

「うん」

くーちゃんに促されて、ロロナは行く。この三人なら、厭戦気分に囚われ始めているミギアの軍勢を出し抜いて、潜入することくらいは難しくも無い。

気配を消して、進む。

神速自在帯は、出来るだけ使わないようにするつもりだ。今の時点で、である。

アーランドの戦士と比べると、雲泥としか言いようが無い実力の兵士達の間を駆け抜ける。誰も、それには気付かない。

本陣には、天幕があって、怒鳴り声が聞こえてきていた。

責任のなすり合いでもしているのか。

さっさと一度兵を引いて、善後策を考えれば良いのに。

兵士達の間を抜けて、遺跡の至近に。

爆発物で破壊しようとした跡が、たくさん残されていたけれど。こんな程度の爆発物で、オルトガラクセン級の遺跡を壊せるなら、苦労などない。しかもこの手の古代遺跡は、だいたい自己修復機能も備えているのだ。

内部にいる邪神は、きっと一なる五人に掌握されてしまっていると見て良いだろう。

くーちゃんが動く。

見張りをしている兵士達の延髄を背後から手刀で一撃。これは普通、余程技量がないと上手く行かないけれど。ここら辺の列強兵士の身体強度で、くーちゃんの肉弾戦技量があれば、この通り。

気絶した兵士達を物陰に運んで、縛り上げて猿ぐつわを噛ませる。舌を噛まないように、工夫する気配りも忘れない。

入り口から、堂々と中に入り込む。

血の臭いが凄まじい。

辺り中、トラップだらけだ。パラケルススちゃんに最後尾を任せる。ロロナは身につけている生きている鎖と、生きている縄を、全て稼働させる。皆感覚器官を備えていて、ロロナの力量による気配探知を後押ししてくれる。

坂を下っていくと、死体の山。

トラップに掛かって串刺しになったり。周囲にいるモンスターに殺されたりしたのだろう。

周囲には、もはや身を隠す気もないモンスターの大群。

どれもこれもが、洗脳モンスターだ。余程この先には、行かせたくないのだろう。

「皆殺しにして良いですか?」

「体力は温存なさい」

好戦的な笑みを浮かべるパラケルススちゃんに、くーちゃんがたしなめる。

三人、同時に地を蹴る。散って戦闘開始。

同時に、多数の敵が、一斉に襲いかかってきた。

まだ、神速自在帯は使わない方が良いだろう。飛びかかってきた狼の頭を蹴って跳躍すると、上空で短縮詠唱。拡散型の魔力砲を、真下にぶっ放す。

爆裂した魔力の光が、敵の手足を吹き飛ばし、引きちぎる中。真横に、翼あるモンスターが迫る。

見ると、魔族の戦士と、何か他のモンスターをつぎはぎしたようだ。対応できる状況では無い。必殺の間合い。

でも、ロロナは慌てない。

こういうときのために、サブウェポンを仕込んでいるからだ。

鎖が動いて、敵の顔面を強打。

怯んだときには、もうロロナが、砲撃。消し炭に変えていた。

着地。

走りながら、連続して杖から射撃。時には杖で敵を殴り倒す。この杖は、以前賢者の石に用いたハルモニウム。打撃力に関しても、生半可な名剣に劣らない。今のロロナなら、充分使いこなせる。

しかし、である。

近接戦では、くーちゃんが一番凄まじい。残像さえ作らず、片っ端から敵を吹き飛ばしている。昔使っていた重圧弾スリープショットを、今のくーちゃんは平然と連射できる。火焔弾もしかり。

パラケルススちゃんは大剣を振るって、迫る敵を実に嬉しそうに、そして楽しそうに輪切りにしているけれど。

明らかに力量が劣る相手に、希望を見せながら殺しているのが気になる。

戦いと言うよりも、殺しが好きなのだ。

師匠の心の闇は、この子の心に、明らかに大きな影響を与えている。いずれにしても、この数が相手だ。

今はどうにでもなるけれど。

長時間戦うと、絶対にミスが響いてくる。

やはり、少しずつ手傷が増え始める。

消耗も。

敵は無尽蔵に湧いてくるし、これ以上此処で戦うのは得策では無い。

くーちゃんが、数体を立て続けに爆破。道を作った。其処を一気に駆け抜ける。

辺りは人間とモンスターの死体がミンチになって混ざり合い、もはや臓物と肉片の展覧会場だ。

足を滑らせないように気を付けながらも。

ロロナは、ひどいと思った。

長い坂を駆け下りつつ、時々振り返り、砲撃。

追撃してくる敵を消し飛ばす。

前衛のくーちゃんが、立ちはだかる敵は皆殺しにしてくれるから、問題ない。もう、ロロナとくーちゃんの連携には、言葉はいらない。

事前にちょっとした打ち合わせをして。

状況を見れば、それで連携が理想通りに成立する。

坂を下りきる。転送装置があったけれど。その側にシャフト穴がある。転送装置に発破を放り込んで、ロロナは即時爆破。くーちゃんに続いて、シャフト穴に身を躍らせる。壁を交互に蹴って、ジグザグに降りていく。

パラケルススちゃんは、ついてくる。

流石だ。

「一気に最深部まで行くわよ」

「うん。 行くよ!」

ロロナは途中で詠唱開始。

そして、頃合いを見て、真下に砲撃。下の方にあった待ち伏せている大型モンスターの口の中に、破滅の一撃を叩き込んだ。

トンネルそのものと化していた巨大モンスターが、文字通り光によって貫かれ、そして粉々に。

内部から爆裂したモンスターの死骸が、トンネルの狭い空間を反響しながら噴き上げてくる。

くーちゃんが大きめの塊を手で払う。ロロナは其処まで出来ないけれど、腰に付けている鎖が同じ事をしてくれた。

トンネルの途中に横穴を見つけたので、一度足を止める。壁に張り付いて、停止。

気配は其方の方からする。

もう、此処なら、ロロナにもわかる。相当に強い相手だ。

体力の消耗は、できる限り抑えることが出来たけれど。敵にして見れば、戦力を削るためだけに配置したザコを幾ら削られても、痛くもかゆくもない、というところなのだろう。命などどうでもいい。

そう考えている相手のことを、ロロナは良く知っている。

それにしても、だ。

これでは、ミギア王国の兵士に囲まれても、平然としているわけだ。五千の兵が突入しても、死体が五千できるだけだっただろう。

横穴に砲撃を叩き込んだ後、踊り込む。

中は非常に広い空間になっていて。其処には、あまりにも、想像を絶する代物が鎮座していた。

最後に入ってきたパラケルススちゃんが、笑顔のままいう。

「何ですか、これ」

ロロナは、それについて、こたえたくなかった。

其処にあったのは。

あまりにも、巨大な装置。ガラスで出来たドーム状のものであり、中には。恐らくは、スピアが殺したり捕縛したりしただろう人間やモンスター、悪魔族の。

脳みそが、あまりにも大量に、浮かんでいたのだ。

それらは全て機械類で結びつけられていて。

まだ、生きているのがわかった。

気配の正体は、これだ。

強い敵がいたのでは無い。あまりにも多くの気配があったから、それをくーちゃんでさえ、強者と誤認したのだろう。

ドーム状空間の周囲全ての壁が開き。

モンスターが姿を見せる。

なるほど、此処から生かして帰す気は無い、という事か。もっとも、それはどうでもいい。

この機械を止めなければならない。

ロロナには、これの正体が分かる。

これは、記憶装置。

つまりこれによって得た記憶を、ホムンクルスに直接移植している。今生かされている脳みそは、きっと記憶を吸い出す過程のものだ。

その証拠に。

ドーム状構造の水底には、用済みになったらしい脳みそが、ピンク色の溶肉となって沈殿していた。

当然、敵はバックアップも取っているだろう。

今これを壊しても。

敵は、ホムンクルスを生産できなくなるわけでは無い。でも、これ以上、敵のホムンクルスを、強化する必要は無い。

そして、何よりだ。

この最悪の檻に閉じ込められた人達の尊厳を、守らなければならなかった。

「お願い」

「時間は稼ぐわ」

ロロナが本気で怒っていることに、くーちゃんは気付いたのだ。周囲から怒濤の勢いで攻めこんでくる敵を、パラケルススちゃんと一緒に、防ぎ始める。

ロロナはコンソールらしい装置の前に出る。

前に、オルトガラクセンでみたのと、同じ規格だ。調べて見ると、操作できる。データを送信している先は。

既に無い。

つまりこれは、もう敵に見捨てられた装置。

恐らくは、ミギア王国の軍勢を引きつけるためだけに。敵は此処に浮かんでいる、おそらく数千に達する脳みその持ち主の尊厳を踏みにじったのだ。

大きく。長く。

ロロナは、息を吐いた。

こういうときこそ、冷静に。冷静に怒れ。そして、この人達を、尊厳のある死に導かなければならない。

「今、楽にしてあげるからね」

ロロナが取り出したのは。

最大級の火力を持つ発破。テラフラム。それを極限まで小型化したものだ。これを使って、このドームを爆破するのでは無い。爆破した瞬間に、最大火力の砲撃を叩き込んで、ドームの内部を瞬時に蒸発させるのだ。此処まで小型化すると、テラフラムの火力は限定的になる。ただし、このドームを貫通するのには、充分だ。

ちなみにゼッテルに吸着の魔法陣を付けているので、投げたところに固定される。

テラフラムを放って、ドームに接着。

詠唱開始。

ロロナが、全力での。魔力を全力まで上昇させる、本気の詠唱をし始めた事を悟った生きている鎖が、床にアンカーとなって突き刺さる。戦闘の気配は後方であるけれど、気にしない。

くーちゃんが、攻撃を通すわけがない。

ロロナは、くーちゃんを信頼している。それだけのことだ。

杖を、テラフラムに向け、詠唱を続け。そして、目を見開いたとき。ロロナは、起爆ワードを、口にしていた。

同時に、砲撃。

ドームが一瞬で内側から吹き飛び、中にあった脳みそ全てが、蒸発した。

呼吸を整えながら、凄まじい蒸気が辺りを満たしていくのを、ロロナは見る。くーちゃんは此方を見たけれど、首を横に振る。

まだだ。

此処にある、敵に有利になるデータは、全て破壊し尽くしていくか、回収していく。明らかに浮き足立った敵を蹴散らしながら、くーちゃんは吼えた。

「どきなさい! 死にたくなかったら、好き勝手に逃げるのよ! 路を塞ぐなら、皆殺しにするわ!」

 

人の業が詰まり果てた遺跡から出る。

ロロナにはわかっていた。一なる五人は、人としての思考を働かせて、こういうことをしていると。

トトリちゃんは、多分こう思っているだろう。

どうして、一なる五人はこういうことをするのだろうかと。

ロロナにも、正直わからない。

でも、はっきりしていることは。

彼らは神でもなければ、超越者でもない。思考は人間の域を超えておらず。それでいながら、人を完全にみくだしているという事だ。みくだしているというのは、少し違うかもしれない。

人を、自分と同じ存在だとは、思っていない。

それが正しいだろう。

珍しい思考では無いと聞いている。エスティさんに聞いたのだけれど、いわゆる殺人を好むようなサイコパスと呼ばれるタイプの人は、いる。そう言う人は知能が高い場合が多く、にもかかわらず、このような異常思考を持つ事が珍しくもないのだとか。

遺跡の外には、ミギア王国の軍勢が勢揃い。

全員が、武器を此方に向け。反包囲したまま、陣形を組んでいた。

「止まれ! 貴様らは何者だ!」

「どうします?」

パラケルススちゃんが、半笑いのまま言う。全身血まみれ。途中から逃げに転じた敵も、容赦なく殺しまくって、散々返り血を浴びたのだから当然だ。

ちなみに、返り血ばかりでは無い。

これだけの数の敵と戦ったのだ。

三人とも、相応の手傷を受けていた。特にロロナは、魔力が残り三割を切っている。この数と戦うのは、かなり厳しい。

「相手にせず、行くわよ」

「だれがいかせるか!」

「ロロナ」

頷くと。

ロロナは、地面に閃光弾を叩き付けた。

その一瞬だけで充分。

更に、合図通り、爆発が巻き起こる。

勿論兵士達は巻き込まないけれど、今までの事が事だ。彼らも大慌てして、冷静さを失う。

元々充分だった隙が、これで完璧なまでに拡大した。

兵士達の視界から逃れて、遺跡の上部に跳躍。其処からは跳躍を繰り返して、敵の視認速度外で動き、包囲を抜けた。

ミギアの兵士達は、これから遺跡に入るだろう。

トラップはできるだけ潰した。

更に、スピアの実験データも、回収できる分は回収。残りは全て壊した。

ちなみに邪神は、いるにはいた。

最深部にいた邪神は、既に壊されていて。同じ事をずっと喋り続けていた。四角い箱からは、意思も感情も感じられなかった。この世界を、緑に包みます。この世界を、緑に包みます。この世界を、緑に包みます……。

いたたまれなくなったロロナが壊して、脱出。

そして、今にいたる。

合流地点に到着すると、センが待っていた。

予定通りの行動である。

渡された薬を口にする。少しだけ持ち出していたメンタルウォーターだ。センは顔中にある目を動かしながら、ロロナに問いかけてくる。

「これから、如何なさいますか」

「すぐに引き上げるよ」

「かしこまりました」

忠実なセンは、恭しく礼をする。

くーちゃんは、まだセンを信用していないようだけれど。ロロナは、センを信じたい。彼らにも、心があって。使い捨てにされたことを、苦しみ、悲しみ。そして怒って、降伏したのだから。

途中、セン達に、ロロナが見たものを話す。

「それは、きっと我々を、作ると同時に戦闘兵器として「一人前」にするための道具だったのでしょうね」

「そうだよ。 だからこそ、許せない」

「マスターはお優しい。 だからこそ、私は貴方についていきます」

「……」

高速移動を繰り返しながら、他のホムンクルス達が待っている中継地点に到着。

ホムンクルス達が運び込んだ物資を回収。

耐久糧食を口にして、ようやく一息ついた。

此処は、岩山に穿たれた洞窟。ずっと昔の戦争で。何処かの列強に属していた勇者が放った攻撃魔術が、岩山に大穴を穿ち。

其処に雨水が流れ込んで、出来た洞窟らしい。

この間の修道院の、最終局面みたいだなと、ロロナは思う。事実、似たような事が起きたのだろう。

くーちゃんは黙々と食事をしていたけれど。

ある一点で、不意に会話のために口を開いた。

「おかしいわね」

「守りが薄すぎた?」

「いや、今回の情報の出所は問題ないでしょうね。 多少怪しいことは怪しいけれど、正しい情報だったという事よ。 そして、敵が戦略上の観点で、ミギアの軍勢を引きつけるための捨て石にするために、あの遺跡を放棄したことも事実でしょう」

「……ひょっとして、ホムンクルスの生産設備がなかった?」

くーちゃんが頷く。

確かにその通りだ。

あの設備は、言うならばホムンクルスに注入するデータの取得設備。ホムンクルスの生産設備では無かった。

でも、おかしい。

設備をわざわざ分けるのはどうしてだろう。

スピアの深奥に、ホムンクルスの一大生産拠点があるのか。

今までも、小規模生産拠点は何度も見つかっているけれど。

オルトガラクセン級の遺跡をまるまる使った設備で、あれだけの戦力を警護に廻してもいたのだ。

どうして、彼処にホムンクルスの生産設備が、無かったのだろう。

見つけられなかっただけとは考えにくい。

更にあの場所にいたのが、洗脳モンスターが大半だったことも、ロロナには気になっていた。

「どう思う?」

「設備が彼方此方にたくさんあるとしても、それにしてもあの遺跡になかったのは、確かにおかしいね」

「かといって、彼らに聞いてみても、生まれたという場所はまちまち」

センを、くーちゃんが視線で指す。

さて、これはどういうことなのか。

そういえば、砂漠の戦いの後の事だ。

彼方此方をステルクさんやエスティさんが探したという事なのだけれど。ホムンクルスの生産設備は、小規模なものがわずかだけしか見つからなかったそうである。

何かがおかしい。

幾ら大陸の北東を全て制圧しているスピアであっても、オルトガラクセン級の遺跡を、十も二十も支配下に置いているとは考えにくい。

しかもここ数年の戦いで、見つけ次第エスティさんやステルクさんが、それらを潰しているのだ。

一体何が起きているのだろう。

転送装置を使っているにしても、一カ所に生産設備を集約するのは、あまりにもリスクが大きすぎる。

現在、師匠が時々オルトガラクセンを解析しているようだけれど。

スピアからして見れば。最悪の場合、其処から逆襲を掛けられて、一気に本陣にアーランドの国家軍事力級戦士達がなだれ込むケースも考えられる。

そうなると。

「絶対に突き止められない自信がある生産設備を持っていて、他は枝葉に過ぎず、ホムンクルス達、洗脳モンスター達は其処から転送されている」

「くーちゃん?」

「それが連中としては一番現実的な筈よ。 そして一なる五人は、典型的なサイコパスの集団だけれど。 サイコパスはむしろ知能が高くて、なおかつ合理的に動く事が多いものなのよ」

くーちゃんは。

あれだけ憎んでいた父であるフォイエルバッハ元公爵と、最近は口を利くようになっているという。

複雑な事情があったことを理解はしていたけれど。

最近は、ようやく感情がそれに追いついてきた、ということなのだ。

兄姉達とは未だに和解が出来ていないようだけれど。これに関しては相手に問題がより大きいし、くーちゃんのせいではないだろう。

つまり、普通の人間は、そういうものだ。

戦闘時は合理性の塊として動けても、である。

一なる五人は、違う気がする。

いや、本当にそうなのか。

何か、見落としているのでは無いのだろうか。

不安が大きくなってくる。

ロロナは無意識的に。昔自分が作り上げて。今はレーションの決定版となっている耐久糧食を口に入れていた。

「一度、アーランドに戻ろう」

「……そうね」

ロロナは立ち上がると、皆を促した。あまりもたついて、レオンハルト本体にでも捕捉されると面倒だ。勝てないとは言わないが、この疲弊した状況では、損害は無視できなくなるだろう。

ジオ陛下には、急ぎで許可を取ってある。ステルクさんには怒られると思うけれど。今回の戦果は大きい。

敵がバックアップを取っていたとしても。あれだけの大規模設備、幾つも用意できるとは考えにくい。

そうなると、敵がホムンクルスのバージョンアップを行う事は、もう出来ない。

それだけでも、味方は有利になったのだ。

釘付けになっていたミギアの軍勢も、我に返るだろう。もたついていると、勢力を盛り返したスピアの軍勢に逆撃を喰らう事になる。そうなれば、勝利は帳消し。このままだと、敵の焦土作戦にまるごと潰されることになる。

作戦は成功した。

しかし、それは本当に。

成功しても、敵の損害は。本当に、もう敵は、情報をバージョンアップ出来ないのか。

不安が大きくなる一方。

きっとロロナは。

人の業をまた目にしてしまって。心が乱れているのだ。

未熟だな。

それを改めて思い知らされて。ロロナは苦笑いもせず。ただ、荒野を走り続けたのだった。

 

2、いにしえの森

 

四ヶ所のキャンプスペースの完成。

緑化作業の実施。

四ヶ月にわたる事業が終わって、トトリがアトリエに戻ると。すぐに、王宮に出頭するように、呼び出しがあった。

一瞬だけ、何かまずい事をしただろうかと思う。

いつも何かするときは、クーデリアさんに鳩便を飛ばしていたし。実際に二週間と少しで戻ってきたロロナ先生に、アドバイスももらった。

ちむちゃんによる栄養剤の複製はとても役に立って、非常に手間を減らすことが出来たし。

重要な防御施設となった修道院への補給路は確立。

亡命してきたリス族の戦士達が森を守ることも決まり、労働者階級の人が御者となった馬車が、大きく西へ活動範囲も広げた。

砂漠のときほどでは無いけれど。

それなりに、成果は上げたつもりだ。

それに、多分。あの件だろうと思い直す。フィリーさんに、既に話は聞かされているのだから。

鏡の前に立つと、トトリは髪を整え直す。長い灰色の髪は、相変わらず忙しくて、なかなか手入れできない。

気を抜くと長い分、すぐめちゃめちゃになってしまうので、気を遣う事も多かった。昔はこれに気付けなかったのだけれど。最近は少しずつ、身だしなみにも気を遣うようになりはじめている。

ロロナ先生に貰った錬金術師の衣装を整え直して、正装完了。

作業を続けているちむちゃんに、出かけて来ることを告げて、アトリエを出た。

ここに最初に来たときに比べると。

少しだけ、視点も高くなった。

十五歳になったトトリは、少しだけ背も伸びたし。体つきも、確実に大人っぽくなってきている。

ただお胸はあまり大きくならない様子で、それは少しだけ悲しい。一方、ロロナ先生もクーデリアさんも、さっぱり老けない。

これはアーランド人だからと言うのもある。四十を過ぎても若々しい人は、アーランド人には珍しくもないのだ。

王宮に着くと、クーデリアさんが待っていた。

カウンター席にいる彼女は、機嫌が悪そうではなかったので、トトリはほっとする。この人が本気で怒った場合、王宮が塵芥に化すくらいの戦闘力がある事を、トトリはもう知っている。

冒険者ランク9のロロナ先生であれなのだ。

国家軍事力級の使い手であるクーデリアさんが、それに劣るはずがない。

「正装も様になってきたわね」

「はい、おかげさまで」

「これで晴れて冒険者ランク6よ」

冒険者の免許を渡す。

手慣れた様子で、免許を操作。クーデリアさんは、片手間に作業をしながら、幾つか説明してくれる。

「わかっていると思うけれど、冒険者ランク6はベテランの中でも上位に入ることを意味しているのよ。 貴方の場合は戦闘能力が評価されてそうなったわけではないし、若手の中ではずば抜けて出世も早い。 その分恨みやねたみも買う事になる。 当然、貴方を色眼鏡付きで見る者も出てくる。 気を付けなさい」

「はい」

それについては、実は誰よりも慣れているつもりだ。

弱かったから。

トトリは、村一番弱かった。だから、価値が無い。みそっかす。無能。散々、周囲に馬鹿にされてきた。

どれだけ努力しても、最弱からは抜けられず。

錬金術という武器を手にしても、なお心が強さを持ち始めるまで、随分時間が掛かってしまった。

指定通り、講習を受ける。

冒険者ランク6となると、流石に講習に出てくる人も違う。なんと国家軍事力級の使い手の一人だという。

そして、実際に講習室で会ってみると。

見覚えがある人だった。

「あっ、貴方は……!」

トトリが声を上げると、凄く怖い顔をしたその人は、不審そうに眉をひそめた。

この人は。

トトリがジーノ君と最初にアーランドに来た時。今になって思えば、スピアの脳改造されたモンスターか、ホムンクルスだったのだろう。それに襲われたとき、相手を一刀両断した人だ。

伝説の英雄みたいだと思ったので、覚えていたのである。

それからも、時々お仕事の時に見かけることはあった。名前も聞いたことはあったのだけれど。

実際にこんな近くで顔を合わせるのは、初めてだった。

「私がどうかしたのかな」

「前に、アーランドの近くで、助けていただきました」

「すまんが、全く覚えていない」

「そうですよね。 私達の顔も、見ていなかったようですし」

当たり前の話だ。

それに国家軍事力級の使い手ともなると、いちいち誰かを助けたことなど、覚えていないだろう。

咳払いすると。

もの凄い強面のステルクさんは、授業を始める。

冒険者ランク6は、押しも押されぬベテラン。これ以上になると、いわゆるハイランカーとして扱われる。

言うまでも無いが、ハイランカーは国家で言う高官と同じだ。

それは、高官に相応しい責任と行動を求められる、という事も意味している。

「基本的にランク5までは、余程のことがなければ降格はなかった。 しかしこれ以上のランクになると、あまりに失態が目立つ場合は、降格もある。 そうなると、周囲からの目も厳しくなる。 気を付けるように」

「はい。 気を付けます」

多分この人は、若々しい見た目だけれど、おそらくもう三十路の筈だ。一人称も、きっとわざわざ分別のあるものに変えているはず。

それにしても、この気配。

メルお姉ちゃんはランク8で、相当な強者だけれど。

それとも、段違いだ。

この人の実力は、多分クーデリアさんさえ僅差で凌ぐだろう。この国の頂点に位置する使い手の中でも、更に上位に食い込むに違いなかった。

色々と説明を受けた後。

ステルクさんは言う。

「これからは、君には更に難しい任務に従事して貰う。 その際は、私が直接護衛に入る事もあるだろう」

「本当ですか!? 心強いです」

「そうか」

不器用そうに笑うと、ステルクさんは講義を締めた。

その後、別の人が来る。

メリオダス大臣。

この国の支配者階級の中では、珍しい労働者階級の人間として、有名な存在だ。非常に剣呑な雰囲気を漂わせている人だけれど。

トトリは見抜く。

この人、仮面を被っている。

雰囲気で隠しているけれど、多分この人は、周囲に自分の姿を見せていない。

「まだ若いのに、もう冒険者ランク6か。 さっさと講義を始めるぞ」

「はいっ!」

元気よく返事。

そして、トトリは、この人の様子から見抜く。

この人、トトリを知っている。

おそらく、ずっと前からトトリが予想していることに合致することだけれど、それは今は良い。

講義の内容は、冒険者ランク6というものが持つ実際の権限について。

冒険者ランクが6になると、酒場などでかなり機密の高い情報が廻して貰えるようになるという。

更に、ここからが重要なのだけれど。

戦略級の戦力として、判断されるというのだ。

「お前さんの場合は、戦闘能力ではないがな。 今後は国家戦略に大きく関わって貰う事になるし、戦争の際には優先的に声も掛かる。 覚悟は決めておくように」

「……はい」

「どうした?」

いや、それは今更だと思ったからだ。

砂漠の道を作ったときも。今回の修道院の補給路整備だってそうだ。いずれもアーランドの国家戦略に関する事ばかり。

やはり、トトリが想像したとおりのことが、水面下で動いているのだろう。

でも、それは別に構わない。

講義は続く。

流石にランク6のスターター講義という事もあって、その日はまるまる潰れてしまい、夜中にアトリエに帰る事になった。

アトリエにつくと、ロロナ先生がいた。

裏庭で、猪を吊って捌いている。近くの森で仕留めてきたものを、譲り受けたそうである。

機嫌が良さそうなロロナ先生は、トトリのことにも気付いていた。

「血抜きは終わっているから、燻製を手伝って」

「はい!」

てきぱきと、猪を解体していくロロナ先生。

ちむちゃんも、良く動いて、それを手伝う。

アーランド戦士でも上級者になると、魔術でそのまま猪を焼いて、まるごと食べるらしいのだけれど。流石にそれほどのワイルドさは、トトリにはない。猪はかろうじて外の世界で生きていける程度の力しか無い生物なので、この大きさのものは貴重だ。アーランドの森でも、大事に生息数を管理しているという。

内臓を取り出して、中身を洗う。

腸詰めにするのだ。

血も加工した後、色々な食品にする。

更に、一部は錬金術を使って、加工。お肉は、ロロナ先生がパイにしてくれた。

何度か食べたのだけれど、ロロナ先生の作るパイは、普通にお店で売れるレベルの代物だ。

それも、かなり人気が出るレベルの。

サンライズ食堂で、厨房を取り仕切っているイクセルさんと最近知り合いになったのだけれど。

料理全般はともかく、パイ作りに関してだけは、ロロナ先生に及ばないという。あれだけ美味しいお店の若主人がそう言っているのだから、この実力は本物である。しかも、錬金術で作っているのがまた凄い。

夜中になってしまったけれど。

しばし、三人でパイを頬張る。

大体のお肉は燻製にして、コンテナに保存するけれど。

余ったお肉は、明日周囲に配る。それくらいは残しておいた方が、周囲に迷惑を掛ける可能性があるこのアトリエとしては、丁度良い心配りなのだ。

「冒険者ランク6、おめでとう」

「ありがとうございます」

「ちーむ!」

「ちむちゃんも、ありがとう」

小さな手を振るい上げて、万歳をするちむちゃん。この子は可愛くて、見ているだけで和まされる。

さて、問題は、次に来るお仕事だ。

また国外に出るのか、それとも。

国内にある、危険地帯に、道を作るのか。多分後者、アーランドの北東部の開拓が次の任務だろうことは、十中八九間違いない。

遅くなったので、寝ることにする。寝室は二つ。ロロナ先生は、前に師匠が使っていたという部屋を使っているようだ。

トトリは、ちむちゃんと一緒に寝る。

小さな子は体温が高い。それはホムンクルスも同じようで、一緒に寝ていると、とても気持ちが良い。

今くらいは、過酷な仕事については、忘れたい。

絶品だったお肉のパイが、良い夢を見せてくれるはずだ。

 

翌日。

王宮に出向くと、クーデリアさんがスクロールを渡してくる。なんと、蜜蝋付き。

いうまでもないけれど、この蜜蝋の刻印は、王様が決済しているという事を意味している。

今まで以上に過酷な仕事である事は、間違いないだろう。

すぐにアトリエに戻って目を通し、その後は焼却処分するように。そう言われて、戦慄も覚えた。

もし誰かに奪われでもしたら、文字通り首が飛ぶレベルの品だ。

急いで戻る。

その途中で、マークさんを見た。

子供達に、人型の歩くオモチャを見せているようだ。横目に見ながら、ほほえましいなと思う。

あの人は筋金入りの変人だとは思うけれど、

少なくとも、悪い人では無いのだ。

アトリエについて、ドアを閉めて。ようやくため息。

炉を一瞥したのは、すぐにくべるためだ。

蜜蝋を切って、スクロールを読む。

それには、結構難しい仕事について、書かれていた。

砂漠の砦から更に東。海岸線への地域を調査せよ。精密な地図を造り、住み着いている者達との接触を図れ。

これは、また厳しい仕事だ。フィリーさんにオフレコで聞かされていた内容通りである。

トトリでも知っているのだけれど。砂漠の北東は、文字通りの未開地域である。危険すぎて踏み込めないのだ。

零ポイントによってねじくれた恐ろしい森。

リス族やペンギン族の中でも、一族の中で禁忌を犯したものが逃げ込む地域でもあると聞いている。

更に、過酷極まりない環境。

当然住み着いているモンスターの実力も。今までトトリが相手にしてきたモンスター達とは、段違いだろう。

ステルクさんが護衛をしてくれるかもしれないのが心強い。

ロロナ先生も来てくれれば、鬼に金棒だろう。

でも、二人ともこの国の高官だ。ロロナ先生も、ふらっと何処かに消えて、しばらく戻ってこないことが多くて。そういうときは、トトリ以上に難しい仕事をしていることが、確実だ。

まずは、人員集めからだ。

と思って、考えを変える。

此処は、リス族やペンギン族に話を聞きに行くべきだろう。何しろ、彼らにとっての禁じられた土地なのだ。

幸い今回の任務、期限は指定されていなかった。

それにアランヤ付近の採取地にも行きたいし、たまにはおうちにも帰りたい。スクロールを炉に放ると。

トトリは、書き置きを残す。

ちむちゃんには、以前作ったある道具の複製をして貰う。リス族の居住区は、以前行って知っている。

ペンギン族についても、それは同じ。

皆廻って戻ると、多分二週間と少しだろう。

事前の情報収集には充分。

一緒についてきてくれる人もいた方が良いけれど。

ミミちゃんがいれば充分か。

最近、雷鳴の所に戻ってきたというジーノ君でもいい。今回は、それほど危険とは思えないからだ。

ミミちゃんを探しに行くと、いた。

丁度ジーノ君と話しているところだった。ジーノ君は、また背が伸びている。昔はトトリと背丈も変わらなかったのに。

今では明確に、トトリよりもかなり背が高かった。

「よお、トトリ!」

「ジーノ君、たくましくなった?」

「おう! 師匠にスゲエ人がついてくれたんだよ! いや、雷鳴もすごい人なんだけどよ、現役の国家軍事力級のおっさんなんだぜ!」

「おっさん?」

あきれ果てた様子で、ミミちゃんがジーノ君を見る。

そのおっさんというのが、あの強面のステルクさんだと聞いて、トトリはあまりの言動に愕然とした。

国家軍事力級と言えば、文字通りこの国の戦士としては頂点。

今では正式には使われなくなったらしいけれど、実際にはみんなが使っている呼び名。勿論、最大限の畏敬を込めたものだ。

その称号の持ち主を。

よりにもよって、おっさん呼ばわり。

相変わらずジーノ君は何というか。

トトリとは別の方向でブッ飛んでいる。ミミちゃんがその話を聞かされていたのだとすれば、呆れるのも当然だろう。

「まさか、本人にもそう言ってるの?」

「最初はそうしたんだけどよ、そうしたらげんこつもらってな! せめて師匠って呼べって言われて、そうするようにした!」

「うん、それだけで済んで良かったよ」

「どうしてだ?」

「何でもない」

ジーノ君には悪気がないし、それでステルクさんも本気で怒る気にはなれなかったのだろう。

もしあの人が、本気で怒っていたら。

あまり、結末は考えたくない。

二人に改めて話を聞く。

護衛任務なら、問題ないという。これからアランヤに向かって、リス族とペンギン族に話を聞きに行くというと、ジーノ君は目を輝かせる。

「何だ、殴り込みか?」

「違うよ。 これからアーランドの砂漠の東にある地域を調査するようにって言われていてね。 あの辺りは、亜人種の中でも、一族の掟を破った者達が逃げ込む場所なんだっていう話を聞いたの。 だから、本人達に、詳しいことを聞こうと思っただけ」

「何だよ−、つまんねーな」

「仕事だよ。 ちゃんとお給金も出るから」

口を尖らせると。

ジーノ君ははいはいと言って、仕事を受けてくれた。

すぐに荷車を出してきて、馬車の乗り合いに。

倍のペースで運行するようになったからか。乗合馬車のスケジュールは、以前より遙かに増えていて。

利用する人もしかり。

労働者階級の利用者も、以前とは比べものにならないほど、多く見かけられるようになっていた。

昔は、危なくて彼らはアーランドから出られなどしなかったのだけれど。

街道限定なら、馬車に乗っていればほぼ襲撃の危険はなくなったし、襲撃されたとしても警戒に当たってくれているリス族や、キャンプスペースの駐屯戦力がどうにかしてくれる。

それが浸透して。

彼方此方にお仕事を求めに出て行く労働者階級が増えた、というのが実情らしい。

今日の夕方に出る馬車を確認。

これで途中まで行って、まずリス族の集落に。

其処で話を聞いた後、乗り継ぎ。

乗り継ぎ表を見る限り、多分ペーターお兄ちゃんの馬車だ。これでアランヤまで戻った後、一日だけ休んで、ペンギン族の戦士達に話を聞く。

どちらの種族も、トトリに称号までくれて、良くしてくれている。

きっと快く話をしてくれるはずだ。

それらの説明をしていると、退屈そうにジーノ君があくび。ただ、ジーノ君の実力は、側で見ているとわかるのだけれど、半年くらい前までとは、比較にもならないほどにまで上昇している。

これはおそらく、ステルクさんに厳しくしごきあげられたか。

いや、違う気がする。

何というか、性格が以前よりも更に好戦的になっている気がするし。ひょっとすると、少し前にアーランドの東西で起きた大会戦に参加して、多くの敵を直接斬ったのかも知れない。

そうなれば、実力が増すのも当然か。

「馬車が来たわよ」

「ちぇっ、面倒くさいなあ。 ミミ、お前途中で組み手につきあえよ」

「別に構わないけれど」

「ありがとよ。 それで少しは退屈が紛れそうだな。 ステルク師匠も時々国のお偉いさんと難しい話をしていたんだけどよ。 本当に眠くなるのを我慢するのが大変でさ。 やっぱり戦っているに限るよな」

ジーノ君がそうしている様子が、目に浮かぶようで。

トトリはくつくつと笑ってしまう。

いずれにしても、今はまだ前段階。

とはいっても、大戦争の後だ。国内が緩んでいるかも知れないし、周囲には気を付けるべきだろう。

馬車に乗り込むと。

トトリは咳払いをした後、雰囲気を改めた。

「これから行く場所は、アーランドでも重要な所です。 下手なことをすると、外交問題にも発展します」

「どうしたの、トトリ。 改まったりして」

「彼らは国を追われたり、多くの戦士を失ったばかり。 くれぐれも、非道な言動だけは慎んでください」

わざわざトトリが敬語で言った意味を、ジーノ君はわかってくれただろうか。

わかってくれたのなら、良いのだけれど。

何とも、トトリには自信が無かった。

 

数日、馬車に揺られて。

目的の村に到着。

近くには、大げさなキャンプスペースがある。キャンプスペースでは、できるだけ人間とは接触したくないと広言するものも多いらしいリス族の姿が、少なからず見かけられた。これはおそらく、此処がリス族の現時点での本拠に近く。

近くに駐屯している冒険者達やホムンクルス達と緊密な連携を取る必要があるから、だろう。

トトリの推察は当たったようで。

聞こえてくる会話は、あまり穏当なものではなかった。

リス族の中で、中年以上の男性を見かける。

見かけの年齢がわかりにくいリス族だけれど。以前見分け方を聞いたのだ。彼らは口ひげを長く蓄えるのだけれど。年齢とともに、先から白くなっていく。

三分の一以上が白かったら、中年とみて良いそうだ。

「あの、すみません」

「うん? おお、貴方は! 先神様!」

「さきがみ?」

「黙ってなさい」

ジーノ君を、ミミちゃんが肘で小突く。

トトリは頷くと、長老に会いたい旨を説明。相手は快く受けてくれた。

すぐに数名のリス族戦士が集まる。

彼らの中には、人間の言葉を話せるものも、増えているようだった。まあ、当然の話で。アーランドからして見れば、戦士達の負担軽減。

リス族からして見れば、住居の確保と交易の確立。

ギブアンドテイクが成立している関係なのだ。

である以上、こうやって関係を取り持ちできる存在が、どうしても必要になってくるのである。

案内されて、西にある森の中に。

かなり綺麗に管理されている。

大型の獣も見かける。

これらも、数が厳重に管理されて。森の生態系を保つための重要な要素になっているのだ。

彼らはこれに関しては、アーランド人以上のスペシャリスト。

事実、森はとても生き生きと、なおかつ青々としているように、トトリには見えた。

案内をして貰いながら、ジーノ君はできるだけ喋らないようにしてくれているようだった。

この辺りは、とても嬉しい。

さっきの馬車での話を、きちんと聞いてくれた、という事なのだから。

「先神様、何かこの間起きたという大会戦に関連することですか?」

「今回は違います。 ただ、なにぶん政治的にデリケートな問題ですので」

「わかりました。 聞かないようにしましょう」

「お願いします」

相手が敬意を払ってくれるのだ。

トトリもそれにこたえなければならない。

敬意や忠誠心は、放置しておけば勝手に生まれるものではない。相応しい行動を重ねて、作っていくべきものなのだから。

トトリはせっかく生まれた敬意を、踏みにじるような真似をしたくなかったし。

リス族の事が今では好きだから、彼らを悲しませたくもなかった。

森を抜けて、岩山に。

その一角に、巧妙に偽装された穴。

中に入ると、かなりの数のリス族が、行き交っていた。そういえば、少し前の会戦で、スピアから逃げ込んできたリス族が相当数いると聞いている。彼らは元からいるリス族達が、同胞として快く受け入れた。物資が現在では足りていて、医療班の数も充分だからかもしれない。

それに、土地もあるのだ。

各地の森に順次振り分けられているらしいのだけれど。

此処にいる彼らは、まだ行き場が決まっていない人もいるのかも知れない。

アーランド戦士もいる。

きっと、監視を兼ねているのだろう。こればかりは、仕方がない事である。

一方で、アーランドに逃げ込んできた人々は、リス族ばかりでは無い。人間の方はというと、問題をかなり起こしているという。

そのため、アーランド王都には一旦入れず。前線の砦で、しばらく様子を見ているそうだ。

この辺り、何というか。

北部列強の民と、南部の「蛮族」の差がうかがえてしまう。

洞窟に入ると、奥の方に、少し負傷者がいたけれど。

前にトトリが来た時のような、悲惨さでは無い。リス族の所にある物資と医療チームだけで、充分に対応できる様子だった。

長老が来る。

トトリを見ると、破顔した様子である。

というのも、表情は読めるようになって来たけれど。もう年老いているリス族の表情となると、少し読みづらいからだ。

顔中毛だらけになっていて、目鼻もほとんど判別できないからである。

「おお、先神トトリ。 何用でありますかな」

側に来てくれた通訳が、解釈してくれる。

トトリは立ち話もなんだからと、別のに移動。

其処で、世間話をしてから、本題に切り出すことにした。リス族長老も、その辺りのクッションについては、理解してくれている様子だ。

だから、トトリがお薬の在庫。医療魔術師の数について確認した後。

アーランド北東部の禁忌の土地について切り出したときも。長老は、驚く様子がなかった。

いきなりその話を切り出しても良かったのだけれど。

当然、相手は興奮しただろうし。

それを捌く力が、トトリには求められた。

側で見ているミミちゃんが、無言のまま警戒を強めている。ジーノ君が非常に退屈そうなのとは、好対照だ。

「なるほど、あの森のことですか」

「これから、調査を行います。 場合によっては、切り開いて、集落を作る手伝いや、汚染を除去する作業が必要になるかも」

「悪い事は言わん。 先神である貴方であっても、あの穢れた土地には近づかない方が良いだろう」

「それほど危険なのですか?」

通訳が、長老の言葉を、順次訳してくれる。

何でも、アーランド北東部は、以前悪魔族が、実験的に緑化作業を重点実施していた場所なのだという。

当時はスピアも存在しなかったし。

アーランドにしても、砂漠の存在があって、其方にはどうしても手を出しづらいという状況があった。

そして、何よりも、だ。

おそらく大陸一汚染されている、最悪の零ポイントだというのである。

「昔、いにしえの時代。 あの一帯には、世界最高の栄華を誇った文明が存在していたのだという。 だからこそ、なのだろう。 世界が滅ぶときには、あまりにも執拗に、攻撃が行われたのだ。 全てを焼き尽くす炎の兵器。 そして、自分たちが気に入らない相手を選んで殺す、恐ろしい毒。 全ては、断片的に伝わっている伝承だが。 先神である貴方には、教えても良いだろう」

そうか。

つまりこれから向かう先は。

人類が昔、もっとも栄えていた、夢の果て。そして今では、悪魔族が手を入れたとは言っても、その後は。

「悪魔族は、どうしたんですか?」

「一部の汚染の除去には成功したとかで、其処には貴重な自然と、美しい緑が拡がっているそうだ。 しかし問題は、それ以外の大半の土地でな。 あまりにも醜く歪んだおぞましい緑と、もはやアーランド戦士でさえ容易には勝てぬ異形と化した生き物たちが、多数住み着いているという。 我等リス族の中でも、禁忌を犯した者達が逃げ込むのが、それが理由だ。 そのような場所、命知らずの戦士達でさえ、足を運ぶのを避けるからな」

当然の話だが。

そのようなところに逃げ込んだ者達が、永くも生きられる筈がない。

多くの場合、一時的に逃げ込みはするけれど、すぐに逃げ出してきて。安全な森に待ち構えていた戦士達に捕縛されてしまうと言う。

そうならなかった場合は、まずモンスターの餌だ。

どれだけ周囲を怖れさせる悪漢であっても。

此処に住まうモンスターは、あまりにも次元違いの存在だからだ。

リス族の長老の話によると、ドラゴンもいるという。

それも、アーランドでも良く知られた、一般的なドラゴンでは無い。世界の法則が壊れた場所で実力を磨き抜いてきた、文字通り生物という範疇を外れた存在としての、規格外の怪物が、である。

このほかにも。

緑化作業の過程で、心が壊れてしまったり、体が致命的におかしくなってしまった悪魔族の成れの果てや。

アーランド戦士の中でも、同じように逃げ込んだ犯罪者もいるのだとか。

もしも、この人外と言うも生やさしい、悪夢そのものの土地で。

生き延びているとしたら。

その実力は、正直な話、計り知れないという陳腐な表現以外が、当てはまることは無いだろう。

細かい話も幾つか聞いたので、全てメモを取る。

トトリは額の汗を拭った。

ステルクさんか、ロロナ先生には、絶対に来て貰わないといけないだろう。メルお姉ちゃんやナスターシャさん、マークさんも、できれば。

これは、この間の地獄の撤退戦と同じか、それ以上の悪夢になる。

どれだけの戦力を整えても、きっと足りると言う事はないだろう。

でも、この未知の領域をしっかり調査して。そこに人が入れるようになれば。その時は、その成果は計り知れない。

きっと、人類にとって、大きな力になるはずだ。

 

リス族の所を離れて、馬車で南に。

ジーノ君は抑えていたらしい大あくびをした。完全に話を聞いていない所か、興味も無い様子だった。

「ジーノ君」

「んだよー。 強そうな奴に稽古を付けて貰うわけでもないし、強いモンスターの話を聞かされるにしても、具体的な話なんかなかったじゃないかよ。 強いドラゴンなんて、大陸中どこにだって噂があるだろ」

「相変わらずの脳筋ね」

「ああ、そうだよ。 俺にとって大事なのは戦いだからな」

ミミちゃんの皮肉も。

ジーノ君には、良い方向にしか受け取られなかった。

二人は相変わらず仲が悪くて、でも致命的な争いにはならなそうな雰囲気もある。それにトトリが見たところ、前より少しは改善しているかもしれない。

トトリ自身も小さくあくびをすると。

アランヤで一日逗留してから、今度はペンギン族の集落に行くことを告げる。

ペンギン族には青き鳥と呼ばれているトトリは、其方でも話を効率よく聞けるはずだけれど、問題が一つある。

多分ミミちゃんとジーノ君は、立ち入りを許可されない。

そういう種族なのだ。

以前色々とあったとはいえ、心を開いてくれている相手の数はあまり多くない。元々彼らは閉鎖的な戦闘的種族。

過分な呼び名を貰ったトトリではあるけれど。

それでも、彼らと相対するときは、気を遣わなければならないだろう。

アランヤ村に、到着。

ミミちゃんはトトリと一緒におうちに。

お姉ちゃんと話しているときは、露骨に声のトーンが変わって、表情もとても柔らかくなるので、非常にわかりやすい。

犬だったら、尻尾をぱたぱた振っているだろう。

トトリも、久しぶりにお姉ちゃんの美味しい料理に舌鼓を打つ。サンライズ食堂の料理も美味しいけれど。

やっぱり、家庭の味が一番だ。

トトリも手伝いたいところだけれど、お姉ちゃんが張り切っているから、止める。

それにしても。

お姉ちゃんの気配、強くなっている。

トトリも実戦で力を上げているはずなのに。お姉ちゃんの力の差が、縮まった感触がしないのだ。

元からお姉ちゃんはとても強かったけれど。

それでも、例えば雷鳴などは、以前あった時と最近あった時では、明確に力の差が縮まっているのがわかったほどなのだけれど。お姉ちゃんに関しては、それが全く感じとれない。

多分お姉ちゃん。

外で相当な実戦を積んでいるはずだ。

でも、それを指摘しても意味がないし。指摘する気が、そもそもトトリには無い。だから、食事の間も、黙っていた。

お父さんはと聞くと。

近海に出る船の修理を、毎日していると言う。

とはいっても、そんな船は、多寡が知れた小舟ばかり。

お父さんの腕ではすぐに治ってしまうし。

正直、仕事のやりがいがないだろう。

家族の団らんを、ミミちゃんを加えて、しばし楽しんだ後。

翌朝には、アランヤを出た。

ジーノ君は不機嫌だった。

家族に、あまり良くない事を言われた様子だ。この辺り、トトリにとっては一番一緒の時間を過ごした幼なじみだから、よく分かる。

「何を言われたの?」

「何でもないといいたいけどな。 お前とつるむのを止めろとか言われたよ」

「え?」

「どうせろくでもない方法で出世しているからだろうってさ」

その次の瞬間には手が出そうになったけれど。

ジーノ君はどうにか抑えて。家を出ることで、我慢したという。

だから昨晩は、砂浜で眠くなるまで陸魚を狩っていたそうだ。村に売りに行って、そのまま来たのだとか。

そういえば、血の臭いもする。

きっと、余程頭に来ていたのだろう。八つ当たりをされたその辺のお魚には、気の毒で仕方が無かった。

完全にとは行かないけれど。

リス族の護衛により、安全が格段に向上を見せている街道を行く。途中、彼方此方の草原や森によって、荷車に採取物を詰め込んでいく。

こうやって採取できるときに物資を採取しておかなければ。

後で、錬金術の材料が足りなくて、泣きを見る事になる。

木を登っては、小さな実を切り出して、落とし。

野草を確認しては、ロロナ先生のレシピを見て、使える物かどうかを判断。出来る場合は、採取する。

その間、ミミちゃんとジーノ君には、周囲を警戒して貰うけれど。

この辺りは、余程のことがない限り、大物モンスターは出ない。

もうリス族がかっちり管理してくれているし。それにベテラン以上の冒険者による巡回も、行われているからだ。

問題は、その余程のこと。

以前遭遇した、暗殺者レオンハルトや。

潜り込んできたスピアのホムンクルスによる攻撃を受ける場合。

想定しておく必要があるのだ。

いつ、どのような強敵に遭遇しても、生き残ることが出来る方法を。

ペンギン族の集落まで、もう少し。

いにしえの森の情報を、もっと集めなければならないと、トトリは思う。リス族の集落での話は。

あまりにも、話半分で聞き飛ばすには、危険すぎる代物だった。

 

3、黒き土地

 

ペンギン族集落との境に到着。ケニヒ村の監視人員が来ていたけれど、トトリを見ると、無言で帰って行った。

彼らにして見れば、複雑な気分なのだろう。

境の辺りからは、ペンギン族も意図的に距離を置いている。

以前と違って、それほど激しく境界も主張はしていない様子だ。

これはおそらく、争いが一段落したことによって。互いを牽制し合う行為が、ある程度馬鹿馬鹿しくなったから、だろう。

ただし境界付近には、きちんと監視の要員がいる。

この辺り。ペンギン族も修羅の世界で生きてきた種族だ。

油断は微塵もしていない。

「錬金術師トトリです! お話を聞きに来ました!」

向こうの縄張りに向けて、声を掛ける。

ジーノ君はまた不満げだ。

戦いたい。そう顔に書いてある。

でも、途中の採取地で、何度かモンスターとの戦闘はしている。中型のドナーン五匹に取り囲まれたこともあった。

勿論余裕を持って撃退したけれど。

それくらいでは、ジーノ君の戦闘欲求は、満足できないレベルになっているのだろう。

すぐに、ペンギン族の戦士が来る。

トトリを見ると、彼らなりの方法で、敬礼してきた。

「青き鳥トトリよ。 今日は何用か」

「はい。 少し難しい話があって来ました。 貴方たちに不利益な話では無いのですけれど、少し政治的に難しい内容で」

「なるほど、承知した。 今、族長を呼ぶ」

戻っていく戦士。

ジーノ君が、口を尖らせた。

「新しい師匠、すんげえ強いんだけど、俺が戦うと嫌そうな顔するんだぜ。 だから欲求不満でよ。 雷鳴みたいに、どんどん戦わせてくれれば嬉しいのにな」

「典型的なアーランド戦士になりつつあるわね」

「おうよ。 俺は英雄になるんだ」

はっきり言い切るジーノ君。

ジーノ君はそう言う子だ。昔から、確かにそんなところがあった。ほほえましくもあるけれど。

多分、それは。

ふるくから続いている、凶猛なアーランド戦士の性質を、色濃く残しているから、なのだろう。

文明によってかなり温和になったけれど。

昔のアーランドと言えば。それはもう住民みんなが凶猛で、血の臭いが絶えない地獄のような土地だったそうなのだから。

ペンギン族の長が来る。

以前、世話になったモンク級の戦士。日暮れの時に住まう四番目の男さん。この近辺の、ペンギン族の族長になった人だ。

後で話を聞くと、他にも何名かの長老格がいて、彼らの意向を完全に無視することは出来ないらしいのだけれど。

それでもこの人は、務めて理性的に。

人間族との和平を、堅持してくれている。

「おお、青き鳥トトリ殿。 よう来られたな」

「はい。 お世話様です」

「歓待したいところだが、急用のようだな。 手短に話を済ませるとするか」

「私達は此処で待っているわ」

ジーノ君を、ミミちゃんが視線で制止。

頷くと、トトリは日暮れの時に住まう四番目の男さんについていく。

砂浜に入ると、凄く周囲が綺麗になっていた。

砂浜そのものが、とてもよく手入れされている印象である。ゴミ一つ落ちていない。これは、戦争に裂いていたマンパワーを、色々別に活用できるようになった証左だろうと、トトリは思った。

「あの辺りが良いだろう」

砂浜の一角。

ぽつんと岩があって。

トトリから見えるほど、強い魔力が立ち上っている。どうやら、音を外に漏らさない結界が張られているらしい。

なるほど、確かに話をするには良い場所だ。

岩の側に立つと、周囲を念入りに見回す族長。

「すまぬな。 色々と難しい面もあるのだ。 トトリ殿に対する敬意では皆一致しているが、それでも邪推する輩はいてな」

「大丈夫です」

「そうか。 それで、今日はいかなる要件か」

「はい、実は……」

トトリが用件を話していくと。

見る間に、日暮れの時に住まう四番目の男さんの顔が曇っていくのがわかった。毛皮を、敢えて被り直したほどである。

「まさか、あの地に出向くのか」

「はい。 そのつもりです」

「如何に貴殿でも無謀すぎる」

ストレートに、危険を告げる言葉が飛び出す。

そうなると、余程に危ない内情を知っている、という事だろう。出来るだけ詳しくと聞くと、話してくれた。

「アーランド東の砂漠に、トトリ殿が偉大なる道を通したという事は、我々も既に聞いている。 しかし問題は、砂漠とは比較にならないほど、アーランド北東部の未踏地域は危険だと言う事だ」

ペンギン族は、海を渡って移動することもある。

だからこそ、彼らにとってのタブーとなる土地が、幾つかある。

その幾つかの中には、宗教的な理由もあるそうだけれど。

問題は、そうではない場合。

純粋に、危険すぎる場所が、そうなるのだ。

大型のベヒモスが闊歩している孤島。

島が大きな山になっていて。無数のグリフォンが集い、繁殖地にしている場所。

周辺が大渦だらけで、近づくだけで命が危ない場所。

様々な危険地域の中でも。

アーランド北東部は、特級の不可侵地域だという。

幾つかの危険については、リス族の長老が言っていたとおりのものとなった。つまり、これは本当だとみて良い。

更に、日暮れの時に住まう四番目の男さんは。

より恐ろしい情報も、知っていた。

「噂だが、いにしえの時代の恐るべき兵器が、生きて動き回っているという話だ」

「!」

「時々遺跡などにも姿を見せるガーディアンという奴だな。 ものにもよるが、もっとも強大な存在となるとその戦闘能力は圧倒的で、姿を確認しただけで、ドラゴンでさえ交戦を避けると聞いている。 貴殿の先ほどの話によると、国家軍事力級の使い手が同行するという事だが……それでも、危ないかもしれないぞ。 いにしえの兵器の中には、空を自在に舞う巨大な人型もいるそうだ。 それらの中には、自動で敵に飛び爆発する鉄の棒を無数に放ち、恐るべき殲滅の光をうち込んで来る奴もいるのだとか」

聞いているだけで、恐ろしすぎる。

そんなとんでも無い存在が、これから向かう土地にはいるのか。そして高い確率で、戦わなければならない。

良くアーランドは魔界と言われるそうだけれど。

それさえ凌ぐ、超特級の、人外の土地ではないか。

「幾つか、地図がある。 大恩ある貴殿には渡しておこう。 悪用はするなよ」

「はい。 必ず」

「うむ」

戻っていった日暮れの時に住まう四番目の男さんが、すぐに地図を持ってきてくれる。古びているけれど、とても見やすいものだ。

写しを即座にとって、返却。これは彼らの宝。写しを取るだけでも、とても信頼されている証なのだと、トトリは説明。

返却された地図を見て、日暮れの時に住まう四番目の男さんはとても嬉しそうに目を細めた。

「青き鳥よ。 かの地獄でも、貴殿が羽ばたけることを、祈っているぞ」

 

ペンギン族の縄張りから出ると、ミミちゃんが待っていた。

退屈そうに、砂浜近くの野原であくびをしているジーノ君と違って、周囲をきちんと警戒してくれているようだった。

もっとも、である。

この辺りは、遠巻きにペンギン族とケニヒ村の戦士が、監視し合っている。余程のことがない限り、何かしらの存在に奇襲を受けることは無い。そしてジーノ君もこんなだけれど。警戒そのものはしていて、手から剣は離していないし。戦意も解いていないのが、今のトトリにはわかった。

「終わったのか?」

「うん。 地図も貰ったよ」

「そうか。 じゃあ、アーランドに戻ろうぜ」

「もう一カ所だけ、寄るところがあるの」

露骨に嫌そうな顔をするジーノ君だけれど。

ミミちゃんが、咳払いをした。

「それで、何処に寄るわけ?」

「アーランドから北に行って、三つ目の村を少し西に行ったところに、緑化作業をしている所があるの。 其処に、ロード級っていうえらい悪魔族の人が来ているらしくて、話を聞くつもり」

「おっ! 戦えるのか?」

「戦えないよ」

ジーノ君に、流石に今度は呆れて、トトリも釘を刺す。

本当に残念そうに肩を落とすジーノ君。

ただ、ジーノ君は残念に思ったり、苛立ったりしても。その怒りをいつまでも引きずらない、からっとしたところがある。

其処が多分、ミミちゃんに決定的に嫌われない理由の一つなのだろう。

アランヤ村に戻って、一泊。

ペーターお兄ちゃんの馬車に乗って、途中まで。ペーターお兄ちゃんは、アランヤを離れるトトリを見て、もう何も言わなかった。年々アランヤにいない時間が増えていることを、ツェツェイお姉ちゃんはあまり喜んでいないと、以前言われた事があるのだけれど。トトリの冒険者ランクは既に6。

ベテランとしても充分で。

もうすぐハイランカーとしてカウントされる階級なのだ。

今更子供扱いも出来ないと、考えているのかもしれない。

ただ、以前より、ぐっと口数も多くなった気がする。

「ジーノ、稽古を見てやろうか」

「マジか!? 次の村で頼むぜ!」

「いいぞ」

まさか、ペーターお兄ちゃんから、武術の稽古を申し出るとは、トトリも思っていなかった。

これはもう、完全に。

トラウマは克服できたのだと見て良さそうだ。

事実、次の村で、軽く稽古する二人を見たのだけれど。

専門外の剣を使っているにもかかわらず、ペーターお兄ちゃんの動きは実に見事。他のベテラン冒険者と、何一つ劣るところはなく。ジーノ君を軽々とあしらい続けていた。

ジーノ君の嬉しそうなこと。

昔は、ペーターお兄ちゃんを慕っていたのだ。

ヘタレと呼ばれる事を、内心本気で怒っていた節がある。周囲にも、それに甘んじているペーターお兄ちゃんにも。

そういえば、ペーターお兄ちゃんは背筋も伸びているし。動きそのものも、ぐっときびきびしている。

これはもう、完全復活したとみて良さそうだ。

「次は私も良いかしら」

「いいだろう。 君は槍だな」

「ええ。 我流ですけれども」

「多くの天才的先人の中には、我流で技を磨いたものも珍しくない。 ただ、流石に近年は、技が研究されつくしている」

訓練用の棒を取るペーターお兄ちゃん。

ミミちゃんと相対すると。

雰囲気が変わった。

軽く、稽古をする二人。村の人達も、面白そうに、遠巻きに見ていた。二人の実力が高いことが、一目で分かるからだ。

何度かやり合っている内に、ミミちゃんが三本取られる。

ジーノ君同様、一本も取らせては貰えなかった。

「我流と言うよりも混合流だな。 様々な技を自分に取り込んでいるという点で、名高いクーデリア氏と似ている」

「……っ!」

「あの人は、最近では最も若くして国家軍事力級にまで上り詰めた努力の人だ。 いずれ、稽古を受けてみるといいだろう」

地雷を踏み抜いたことに、ペーターお兄ちゃんは気付いていないらしい。

ミミちゃんは、未だに。

冒険者免許取得の時のことを、恨んでいる。

クーデリアさんが圧倒的に強い事は認めているし。何処かで気付いてもいるのだろう。自分と似たところがある人だとも。

でも、それでも。

感情的に、理解し得ないものもあるのだ。

案の定、それからミミちゃんは、無言になって。

稽古の礼を言うと、さっさと自室に引き上げていった。ジーノ君は村にいる師範の所に、稽古を付けてもらいに行く。

馬の世話を始めるペーターお兄ちゃんに。

トトリは、ミミちゃんの事情を説明していく。

そうすると、ペーターお兄ちゃんは。

知っていると、こたえた。

「えっ! わざと言ったの!?」

「そうだ。 あの娘は、今壁に直面している。 我流と言っているが、実際にはプライドが邪魔をして、特定の師匠につけていない。 その証拠に、型は基礎がしっかりしているが、応用が散漫で、槍が専門では無い俺でもどうにでもなるような実力になってしまっている」

ミミちゃんは、少なくとも今はかなり強い。

でも、元からベテランの実力があって。そして今、それを完全に取り戻しているペーターお兄ちゃんから見れば、そうなのだろう。

「この辺りで師匠をしぼらないと、実力が頭打ちになるぞ、あの娘。 お前からも言ってやれ。 親友なんだろ」

「うん、でも……」

「若い頃に負けたことは恥じゃあない。 むしろ俺のように、負けて立ち上がれなくなる事の方が恥なんだよ」

自分の事だからか。

ペーターお兄ちゃんは手厳しい。

トトリに背を向けているからか。

その表情は、ついぞ見えなかった。

宿に戻ると、ミミちゃんはベッドに潜って、一言も喋らない。何も言わないミミちゃんを、少しトトリは心配したけれど。

下手に声を掛けるのは、逆効果だと知っている。

だからトトリは、ずっと黙って、ベッドの隣に座っていた。

「冒険者ランク5はね……」

ミミちゃんが不意に言う。

トトリは、返事を求められていないと悟って、黙っていた。

「壁が厚いわ。 貴方と組んでいないときに、色々な難しい仕事もこなしてきたのに、まだ昇格できていないの。 まさか二ランクの差を付けられて。 その差を埋められる気がしない時が来るなんて、思いもしなかったわ」

「……」

「でも、シュヴァルツラングの家名に掛けて、必ず追いついてみせるわ。 貴方に同年代最高の地位を、いつまでも渡しておいてなるものですか」

それはきっと。

トトリへの宣戦布告では無く、自分への戒めだ。

だからトトリは、何も言わず。

じっと、ミミちゃんの独白を聞き続けていた。

 

目的の、緑化作業地点に着く。

既に土地は耕し終わり。

栄養剤は国から提供されたものを入れ始めている様子だった。ジェームズさんがいるので、手を振ると。

隻腕の老戦士は、此方に気付いた。

「おう、トトリ。 元気にやってるか」

「はい、おかげさまで」

「背が伸びたな。 後、戦士としての力も、大分ついてきた。 前は飾りだった棒が、ちゃんと武器として機能してるじゃねーか。 それに……人も殺したな」

「はい」

人だけでは無い。

モンスターも殺した。

自分の手で、とどめも刺した。

あれはホムンクルスだったとか、そんな言い訳はできない。実際に殺した感触は、手に濃く残っている。

人を殺したことがえらいなんて事は、絶対に無い。

だけれども、戦士として。

殺し殺される世界では、それが通過儀礼である事も、トトリは知っていた。

軽く雑談をした後。

周囲を見て廻りながら、悪魔族の出来るだけえらい人について話を聞く。

川から水が引かれた当たりは、既に雑草が繁茂している。繁茂した草はその度に切り取り、焼いて肥料にしていくのだ。

耕した土には、もう虫も入れられている。

トトリが手を出さなくても。

此処の緑化作業は、年内には確実に終わるだろう。

「かなり広い土地を緑化したんだって?」

「はい。 あの時のノウハウが生きました」

「そうか。 錬金術師じゃなかったら、俺の後継者にしたいくらいだがな。 まあ、それには生憎、先約がいるんだ」

ジェームズさんが視線で指した先には、素朴な顔立ちをした女性が、土いじりをしていた。帽子を被ったラフな格好で、黙々と土を弄り続けている。

話を聞くと、労働者階級の出身者だという。

ここら辺にも、馬車で安全に来られるようになって。更に、労働者階級の人間が、働ける下地が出来てきた、ということだ。

土いじりの才能があるとか言う事で、ジェームズさんが是非後継者にと考えているらしい。

ただ普段は厳しく接しているとかで。

できるだけ、甘い顔も見せないようにしているのだとか。

歩いていると、悪魔族の戦士が見えてきた。

見上げるような巨体だが。

雰囲気は、若干温和だった。恐ろしげな容姿でも、何も皆が雰囲気からして怖いと言うわけでは無さそうである。

側に行くと、その人は振り返る。

文字通り、見上げるような巨体だった。頭からはねじくれた角が五本も生えていて、額にも目がある。

しかも目には瞳がなく。

四角い顔は、薄紫の肌もあって、威圧感抜群。

戦ったら、さぞや強い事だろう。

ジェームズさんが、紹介してくれる。

トトリが礼をすると、腰を落として、握手をしてくれた。巨大な手で、それこそトトリを握りつぶしそうな大きさだったけれど。

握手は成立するのだ。

不思議な気分である。

エンドネアと名乗った悪魔族の男性に、事情を説明する。エンドネア氏は、しばらく考えた後、教えてくれた。

「我々悪魔族は、基本的に土地を浄化することには興味があるが、その後は興味を無くしてしまう。 ましてや今の悪魔族には、それこそ長老達の頭脳くらいしか、外付けの知識蓄積媒体がない。 アーランド北東部、砂漠の更に東の話は我々も聞いているが、詳しいことは長老達に聞くくらいしか無いだろう」

「難しそうですか」

「いや、長老ならいる」

気がつく。

エンドネア氏の肩に乗っている、小さな小さな影。

まさか、その人か。

「長老。 聞いての通りです。 知っている事を、教えてやっていただきたく」

「ふむ、我等にとっても大恩あるロロナ殿の弟子の質問だ。 無碍にも出来まい」

「お願いします」

頭を下げたトトリの前に降り立ったのは。

幼児ほども背丈がない、悪魔族の男性。全裸だけれど、やはり生殖器の類は見当たらない。

ただ、凄まじい魔力を感じる。

やはり、悪魔族の長老と言われるだけのことはあるのだろう。

「黒き土地に行きたいのだな」

「そう呼んでいるのですか」

「其処よりは近い場所にも、零ポイントを無理に緑化して失敗した場所がある。 通称黒い大樹の森。 お前達の中でも、手練れなら知っている魔境だ。 黒き土地は、我等が零ポイントを緑化するノウハウが無かった頃、失敗してしまった場所なのだ」

自分たちの恥でもあるだろうに。

長老は、話してくれる。

トトリはその言葉をメモしながら。これから行く場所が如何に危険なのか。話を聞くだけで、思い知らされていた。

 

4、混沌の姿

 

レオンハルトの元へ、続々と敗報が届く。

大陸全域で展開していた戦力は、合計で十二万。これはいずれも、人類が激減して以降、この大陸で一度に動員された数としては、最大だ。

しかし、その内半数が戦死するという壊滅的敗北。

特にアーランド戦線での損害が大きすぎる。

其方ではせっかく投入した手練れが多数失われたこともあり。トトリという錬金術師を殺し損ねたことを、今更ながらにレオンハルトは歯ぎしりするほど怒っていた。

あの子供が。

まさか、砂漠に道を作り上げ。

それが原因となって、これほどのスピア連邦の大敗北につながるとは。

各地の戦線は押されていて、再構築を進めているけれど。

列強の連中は放置するとして、危険なのはアーランドの国家軍事力級戦士だ。特に何を考えているのか知らないが、一なる五人がわざわざ誘引したロロナとクーデリアは、手厚く守らせていた古代遺跡を容易く陥落させ、ホムンクルス用の知識蓄積装置を完全破壊、データも奪取していったという報告が来ている。

分身達も、かなり減っている。

いくらでも増やせるとは言っても。あまり良い気分はしなかった。

レオンハルトは、控えている将軍達を下がらせる。

将軍と言っても、全部使い捨ての指揮官級ホムンクルスだ。能力にも差がない。ただ数で押すだけの戦略が、まさか此処で破綻しようとしているのか。

もしも、敵の戦略構築が。

此方の戦力増強を上回った場合。

雪崩を打つように、大きくなりすぎたスピア連邦は瓦解する可能性がある。レオンハルトとしては、それは面白くなかった。

一なる五人の所に出向く。

この件をどうするつもりなのか。

場合によっては、頃合いかもしれない。

勿論、レオンハルトには、一なる五人に、人間を超越した存在にしてもらった恩があるけれど。

それ以上に、野心もある。

レオンハルトの野心は、極めて単純なもの。この世界を支配して、自分の好き勝手にするというだけのもの。

事実上寿命がなくなっている上。世界最高峰の実力。自分には劣るにしても、好き勝手に動かせる多数の分身。

これだけ揃えば、時間さえ掛ければ世界征服は可能。

利害が一致しているから、一なる五人とつるんでいるが。

ここのところ、連中の思考がどうにも読めないのだ。味方の被害ばかり、増やすようなことをしている。

勿論味方など全て駒に過ぎないけれど。

駒だって、失えば不利になるのである。

ある古代遺跡に出向く。其処に今、一なる五人がいる。

レオンハルトが地下に出向くと。

複雑な行程を経て。光が溢れる空間に、案内された。

もう、一なる五人は。

人の姿をしていない。

レオンハルトも知っている。それが、どれほどおぞましい存在になり果てているか。そして、その存在の正体が、何を意味しているかも。

光の前に、跪く。

一なる五人は、言う。

「どうした、レオンハルト。 造反でもするつもりか」

「ご返答によっては。 ここのところ、著しくあなた方の指揮がまずすぎるように思えてなりませんでしてね」

「ふむ、そろそろ頃合いか」

先に言われた。

目を細めて、立ち上がったレオンハルトは。

雷に打たれたように、動きを止めてしまう。

全身を冷や汗が流れていくのがわかる。

知っていた。

知ってはいたというのに。

何だ。

これは、一体。

自分は一体、何を相手にしている。何を目の前にして、立ち尽くしている。

額に何かうち込まれた感触がある。

同時に、造反の意思が、消えていった。

野心も。

「多少能力は落ちるが、この方が使いやすかろう。 次の作戦を伝える」

「仰せのままに」

嗚呼。

自身が人形になり果てたことを悟っても、どうにもならない。まさか、ホムンクルス達も、このような意識の中で、動いていたのか。

長く長く生きてきて、そして知る。

絶望などと言う言葉も生ぬるい存在が、この世にはあると言う事を。

レオンハルトは、一なる五人に最敬礼して、その前を離れる。

そして、命じられるままに。

トトリという錬金術師を殺すべく。アーランドへ向かった。

 

(続)