泥啜りそれでも生を

 

序、豪雨

 

枯れ果てて。緑もなく。栄養もない大地に、ただ雨だけが降り注ぐ。

雨が流していく土からは、虹色の毒素が流れ出て。その辺りに散らばっている死体からも。血の気が見る間に消えていく。

モンスターは、雨でもお構いなしに活動しているけれど。

どれだけ屈強でも。

アーランド戦士であっても、人間には代わりは無い。

豪雨の中、容赦なく体力が奪われていく。全員が大なり小なり負傷している状態で。生命線とも言える荷車を引き。その荷車には数名の負傷者も乗せている今となっては。雨は、身を隠す盾であると同時に。

地獄へと引きずり込もうとする、死神の手でもあった。

既にぐっしょり濡れている全身。

温めて乾かしたいけれど。負傷している悪魔族の戦士達以外には魔術を使える者も存在しない。

トトリは、豪雨の中。

霧が掛かったような山を見上げる。

これから此処を突破し。

追撃を振り切り。

アーランドに逃げ込みつつ。

途中で襲ってくるモンスターを、全て撃退しなければならないのだ。

普段なら、どうでも良い相手も。

今は、いずれもが恐るべき敵になっている。

此方は負傷者ばかり。それに対して、相手は地の利を得ている上に、気力から何から充分なのだ。

見回すが、みんなひどい状態だ。

ホムンクルスの34さんが一番元気だけれど。それでも多少の手傷を受けている。この雨に打たれ続ければ、いずれ傷口も悪化するだろう。

油紙をかぶせている荷車だって、かなり重く感じるようになっている。

悪魔族のひどく負傷した戦士は、意識があるけれど。

眠っている、青い髪の女性は、未だに目を覚まさない。まつげがとても長い、陶器細工のような美しい女性で。

顔の造作は兎も角、意識がなくても何とも言えない気品があった。着ている服も、汚れてはいたけれど。

どう見ても、上物。

トトリ自身がとどめを刺したスカーレットの戦士が、言っていた。

戦略的に、重要な存在だと。

途中、休む事はほぼ絶望的。

これから、雨が降っている間に。

できる限り追撃部隊を引き離さなければならない。

トトリは、手を叩く。

かじかんでいて、凍るように冷たい。

「これから、山越えになります」

「無茶だってわかっているけれど。 他に手はなさそうね」

ミミちゃんの声に、うめき声を上げる負傷者。

今、戦えるトトリと34さん。1112さんと891さん。それにミミちゃんを除いた数名が、皆いつ倒れてもおかしくない状況なのだ。

「追撃部隊とモンスターは可能な限り我々で撃退します。 とにかく荷車を中心に、防御態勢をとり続けてください」

「とはいってもよ……」

恐れを知らないはずの悪魔族の戦士が、呻く。

この豪雨の中。かじかんだ手で、どれだけ戦えるというのか。トトリだって、それは同じだ。

荷車の中には発破もあるけれど。

この苛烈な湿度の中。

どこまで、火力を発揮できるかはわからない。

雨は止む気配もない。

意を決して山道に入り込む。殆ど川のようになっている濁流が、山の上から流れてきている。

足を取られるし。

下手をすると、土石流に巻き込まれる危険もある。

トトリは荷車からロープを取り出す。これは、以前作った生きている縄だ。悪霊を憑依させることで、ある程度の意思を持っている。

荷車と、負傷者達をこれで結ぶ。

パニックを起こして逃げたり。

或いは濁流に流されないようにするための処置だ。

34さんが先行し、すぐに戻ってくる。手招きしているのは、この先はまだ行ける、ということだ。

後方は完全に川。

しかも、汚れきった、虹色の水さえ混じっている。汚水そのものの。

あのような中に入ったら、屈強なアーランド戦士さえ、どうなることか。

「できる限り急いで、小休止できる場所を見つけましょう」

ミミちゃんが言う。

そう言う彼女だって、手にしている矛に、どれだけ力が入るかはわからない。敵の追撃部隊だって、いつ姿を見せることか。

絶望が侵食する。

それでも、トトリは。

前に進む。

一人、負傷者が転びそうになった。

生きている縄が蛇のように伸びて、荷車にくくりつける。一旦足を止めて、トトリが手をさしのべた。

ぐっと体を引き起こして。

そして、声を掛ける。

その悪魔族の戦士は。目に、どうしようもない絶望が宿り始めている。

「大丈夫です。 行きましょう」

「あんたは、なんで大丈夫なんだ」

「私は……」

「その子は、砂漠に道を作った張本人よ。 私も護衛で何度も一緒の仕事をしたけれど、炎天下も極寒も耐えながら、オアシスを人工的に作り上げて、とうとう砂漠に通れる道を作り上げたのよ」

皆が目を見張る。

話を知っていたのか。

「あんたが、あの当代の旅の人、ロロナの弟子か。 確かに錬金術師とは聞いていたが……」

「希望が出てきたかもしれん!」

年かさの負傷者が、声を張り上げる。

きっと、蛮勇だとしても。そうすることで、皆が勇気を得られると、とっさに判断したのだろう。

山道を行く。

途中、滝のようになっている場所もあった。

34さんが岩を担ぎ上げると、無理矢理投げ込んで、流れを変える。その隙に、皆で渡る。

一人だって、これ以上は死なせない。

「もう少し行けば、遺跡があります!」

地図上では、そうだ。

だから、それを希望にする。

勿論遺跡の中には、モンスターだっているだろう。山の上に放置されている遺跡なのだ。下手をすると、ドラゴン級が潜んでいるかもしれない。それでも、今は少しでも、希望が必要なのだ。

皆で、声を張り上げる。

1,2,1,2。

荷車を引きながら、険しい山道を歩く。

大きな岩があった場合、34さんが。

場合によっては、891さんも1112さんも手伝って、どける。トトリも、棒をてこにして、どける事もある。

道なんて、ない。

山羊が住むような斜面になっている場所もある。

雨が止まない以上。

いつ、上から巨岩が降ってきても、おかしくない状況だ。

それでも、行くしか無い。

ミミちゃんが、後方を見て、叫ぶ。

「追撃部隊! まだ遠いけれど、数は二百を超えているわ!」

「追いつかれたら終わりだ!」

「そんなことさせません!」

トトリは発破を取り出す。

追撃部隊の位置を特定。

起爆と呟くと。

崖下に放った。

「急いで、あの辺りまで走って!」

残り少ない体力を駆使して、必死に走る。後方で、爆発。

一気に土石流が巻き起こる。

追撃部隊が巻き込まれたかはわからないけれど。これで、退路は塞がれたはず。遅れそうになった負傷者の一人は。別の負傷者が肩を貸して、無理矢理走らせる。生きている縄も。力の限り、皆を引っ張った。

一人が足を踏み外しかけた。

生きている縄が支えている内に、ミミちゃんが手を伸ばして、引っ張り上げる。

それを見ながら歩いていたトトリは、ざくりと、嫌な音とともに、脚に激痛を感じる。

踏みしめた際に、岩を踏んだのだ。脚をかなり手酷く傷つけたと見て良い。

そもそも、何度も何度も追撃部隊とやりあう内に、ハイランカー相当の実力を持つ34さんでさえ、負傷しているのだ。

トトリも左の二の腕、左右の股、右脇腹、左肩に、何より今ので左足の裏に、それぞれ傷を受けている。特に左肩は毒矢が掠めた。処置はしているけれど、酷く痛い。しかもこの雨だ。傷口がどうなっているかは、正直考えたくない。

荷車の中で、身じろぎ。

青髪の女性が、目を覚ましたらしい。

良かった。

だけれど、今は。構っている暇が無い。負傷者の一人である悪魔の戦士が、声を掛けてくれているようだ。

もうろうとしている意識。

今眠ると、もう目覚めないかもしれない。

起きていろ。今、皆で逃げている。アーランドにまで逃げ込めば、助かる。そう言い聞かせているようだった。

リーダーシップなど取っていないのに。

皆がいつの間にか、一丸となっている。

トトリが何かをしたわけではない。

追撃されている。

しかし希望がある。

この条件が、危ういバランスの上で、皆の団結を作っている。勿論トトリが、皆を治療した事も大きいのだろうけれど。

それでも、少しでも皆の信頼が崩れたら。

一瞬で、この悲惨な逃避行は、崩壊する。

「敵です!」

34さんが叫ぶ。

崖上に、数頭のモンスター。

小型の山羊型のモンスターだ。山羊は元々険しい山道に適応した生物で、モンスターと呼ばれる種族の中には、肉食性が強いものもいる。

それが、まるで崖から飛び降りるようにして、凄まじい勢いで雨を弾きながら降ってくる。

ミミちゃんが矛を構え。

891さんが跳躍。崖を逆に登り上がりながら、一体をすれ違いざまに斬り伏せた。1112さんとトトリは、それぞれ棒とハルバードを構える。34さんはおもむろにトンファーを取り出す。トトリが叫ぶ。

「崖際に荷車を! 皆で固まってください!」

さっと、皆が崖際に固まる。

駆け下ってきた山羊共を迎撃。山羊の目は人間と構造が違っていて、非常にこういうときは不気味に感じる。それがただの主観だとわかっているけれど。今はそう割り切る余裕が無い。

歯をむき出しに、躍りかかってくる山羊。

トトリは息を吸い込むと。

型を、綺麗になぞりながら動いた。

飛びかかってきた力を受け流すように。弧を描いて、山羊の腹を突いて、空中に投げ出す。

流石に、この険しい山で。空に放り出されては、山羊も無事では無い。

雨の中、遙か崖下に、落ちていった。

狭い崖をジグザグにステップしながら、ミミちゃんに飛びつく別の一頭。対応が遅れる。かじかんだ手が、反応速度を遅らせたのだ。

ずり落ちそうになる。

ミミちゃんは壮絶な表情を浮かべると、肩に噛みついてきた山羊ののど元に、サブウェポンとして持っていた腰のナイフを突き刺す。何度も刺している内に、辟易した山羊が、ミミちゃんのおなかに蹴りを入れる。

他の皆は、それぞれ単独若しくは複数の山羊と交戦中。

トトリも、新手の一体の猛攻を受け流すので精一杯。

山羊が口を開けると。

ミミちゃんの喉に噛みつこうとする。

白い喉が。

山羊の、妙に並びが良い歯に、食い裂かれようとしたその時。

とっさだったのか、或いは。

でんぐり返しをするようにして蹴りを上に叩き込んだミミちゃんが。山羊を、空に放り出していた。

崖下に落ちていく山羊。

肩の傷を抑えながら、呼吸を整えながら、ミミちゃんが立ち上がろうとしたときには。

他の皆も、山羊を仕留め終えていた。

「二体は確保してください。 荷車の空いているスペースに乗せて」

勿論、食糧にするためだ。

全員が、更に手傷を増やしていた。負傷者に近づかせないだけで、精一杯だった。1112さんにいたっては。連戦での金属疲労が祟ったのだろう。ハルバードの柄が、折れてしまっていた。

「ミミちゃん、大丈夫?」

「平気よ。 それより、今の、見た?」

「うん。 誰か達人に教わったの?」

「巴投げというそうよ。 マッシュに教わった切り札。 あの戦士、とても使える技を教えてくれたわ」

立ち上がりはしたけれど。

ミミちゃんはもう、戦えそうにない。

急ぐ。

まだまだ。山頂にまで、到達するには遠い。

 

1、迷走退路

 

どれだけ、豪雨の中を歩いただろう。

狭い道が、まるで満ち潮の海のようになっている場所もあった。川状になっていて、全員で荷車を押さなければならない箇所も。

ミミちゃんはもう、矛を持つことを諦めて、背中に括っている。

悲惨なのは、雨宿りを出来る場所が見つからない、ということだ。油紙で保護しているとは言え、荷車のなかだって、いつまで湿気から守れるかわかったものではない。このままだと、本当に立ち往生の末、全滅する。

砂漠の方に抜けるべきだったのか。

いや、それもまた、微妙だ。

何しろ平野を進まなければならないのだ。追撃を受ける頻度だって増えるだろうし、その先では交戦が行われている。

味方が支援してくれる可能性もあるけれど。

それ以上に、敵と真正面から。それも、凄まじい数の敵と出くわす可能性が、決して低くないのである。

もうトトリの手は、感覚がない。

山道の途中に。

大きな蛇が、とぐろを巻いている。

34さんが進み出ると、蛇は鎌首をもたげて、威嚇音を立てた。此処を抜けないと、とてもではないが、先に進むことは出来ない。蛇の背中には翼もついている。全長は、どうみてもトトリの背丈の十二倍以上はあるとみて良い。

人間を簡単に餌にできるサイズだ。

おもむろに発破を取り出す。

残りもかなり減ってきたけれど。もう惜しんでいる余力は無い。

放り投げて、爆破。

蛇は驚いて、崖下に滑り落ちるようにして、逃げていった。

今ので、土砂崩れが起きるかもしれない。

急いで。

トトリは皆に声を掛けて、走る。その走る速度も、もはや歩くのと、そう変わらなくなりつつあった。

負傷者の一人が、倒れる。地力で立ち上がれない。

別の負傷者が肩を貸して助け起こす。しかし、これでは。もはや、逃げるのは不可能だ。

「34さん!」

「もう少しです! 遺跡がある筈です!」

冷静なはずのホムンクルスの声に、明確な焦りが含まれている。

今がどれだけ苛烈な状況か。それだけでも、明らかすぎるくらいだ。

幸いなのかはわからないけれど。

雨が、少しずつ、小降りになって来ている。しかし、後方を見ると。この辺りは遮蔽物もない。

つまり、山の麓。

スピア側から、トトリ達が丸見えになる、という事も意味している。

勿論更に苛烈な追っ手が掛かることだろう。

これが雪だったら、更に最悪な事態だっただろうけれど。冷たいけれど、雨なのが幸いだ。

また一人、倒れる。

負傷者の一人が肩を貸す。助け起こす。

みんなで身を寄せ合う。せめて、火を熾せる場所があれば。体力の限界が近い。しかも、それを見越して、モンスターが姿を見せる。

崖の後方から、気配。

前方からもだ。

34さんが前に。

891さんと1112さんが後ろに備えた。トトリは発破を取り出そうとして、気付く。もう、殆ど在庫がない。

後数回戦闘をしたら、尽きる。

食糧はある。

ただし医薬品とリネンがかなり厳しい。遺跡があるとして。其処で応急処置をしたら、尽きてしまう。

アーランドまでにげこめば。

国境警備の砦で、治療を受けられるはず。

前後から姿を見せたモンスターは、普段トトリが見ている狼よりも、三周りも大きい巨大な個体だ。

いわゆる山狼である。

魔術によって空中機動を行うとかで、落としても死なないだろう。その場で殺さない限り、いつまででも執拗に追ってくる。

きっと、トトリ達にはずっと気付いていて。

弱り切るのを、待っていたのだ。

前方には三体。

後方からは六体。

崖際に身を寄せて、必死に凍える手で武器を構える負傷者達。彼らに近づけさせたら終わりだ。

この中で最強の戦力を持つ34さんだって、もう力は半減してしまっている状況。手は、一つしか無い。

「891さん!」

「はい!」

「後方を一人で支えてください、お願いします。 1112さん! 34さんと一緒に、前方の敵を駆逐!」

危険は大きいが、それしかない。

トトリも、棒を構えると、34さんの隣に並ぶ。

頷きあうと、敵に向けて、地面を蹴った。

躍りかかってくる巨大な狼の群れ。後方では、891さんが、六体を相手に決死の立ち回りをしている。

踊り込んできた1112さんが、折れたハルバードを手に、それでも果敢に敵に食いついていく。

34さんのトンファーが。

飛びついてきた狼の頭を砕く。

しかし、同時に腹に食いつかれてもいた。

もう一体が、34さんの脚にくいつき、味方の死骸ごと振り回そうとする。しかし、横に回り込んでいたトトリが。

気合いとともに、耳の下に一撃。

棒の力を一点に集中した、自分でも驚くほどに綺麗な打撃が入る。

狼が、たまらず離れる。

34さんが、トンファーを振るい上げ、狼の顎を下から砕き。返す刀で、頭を上から粉砕。

トトリの後ろ。

壁を蹴った上。空中で真下に向けて軌道を変えた狼が。巨大な口を開けて、襲いかかってくるが。

一瞬早く、1112さんが、体当たりするようにして、敵ののど元に、ハルバードを叩き込む。

そして勢いのまま、壁に縫い付けた。

そのまま、後方に走る。

891さんが、数体を同時に相手にしているが。パリィの態勢をとったまま、守るのが精一杯だ。

其処に、負傷者の一人からハルバードを受け取った1112さんと。腹も脚も噛まれても闘志を捨てていない34さん。

それに、荷車からなけなしの発破を取り出したトトリが加勢する。

トトリは敢えて、かなり敵の後ろに発破を投擲。

岩が崩れて、敵の退路を塞ぐ。

後は、一方的な戦いになった。

だけれども。それで負傷が少なくなるという事は無い。

最後の一体の頭を34さんが砕いたとき。

既に全員が血まみれ。

もはや、戦闘どころでは無くなっていた。

噛まれた箇所を、すぐに処置。犬科の動物は、狂犬病を持っている事が多い。アーランド人には普通致命傷にはならないのだけれど。今は皆が弱り切っている状況だ。すぐに手当てして、消毒を済ませる。

しかし、豪雨の中だ。

どれだけ治療が効果を持つか。

既にネクタルの在庫も尽きている。

次に、本格的な敵の攻勢があった時。

もはや、支えるすべは無い。

曲がり角を抜けて。

トトリは、口を押さえた。

城のような。砦のような。よく分からない四角い建物がある。それも、すぐ側に。

あれが遺跡に間違いない。

「雨宿りが出来る!」

わっと、みなが歓喜の声を上げる。

そして、最後の力を振り絞って、遺跡に逃げ込んだ。

 

遺跡の中はひんやりしていた。

構成素材がよく分からない。麓にあった修道院と同じで、土のようで土では無く。煉瓦でもない。

間近で見ると、その四角さはますます謎だ。

飾りっ気がないと言うかなんというか。建物としての用途が見えない。中はすっからかんで、鹵獲できそうなものもないし、逆に片付けをする必要もなかった。獣の糞や毛の類も、幸い無かった。寝床にされてはいないということだ。

負傷が少ない1112さんに見張りに立って貰って。

まずは火を熾す。

悪魔族の戦士の一人に、火を使える術者がいた。しけっている薪ばかりだけれど、どうにか火がついたので、暖を取る。

幸い、遺跡は彼方此方が崩れていて。

地下もあるようだけれど、其処への入り口は塞がってしまっていた。何度も崩落した跡があるので、無理もない事だ。

服を脱いで下着だけになり、乾かす。

温まって人心地がついたところで、やっと手当を開始。

やはり長時間の豪雨にさらされて、皆傷がひどく悪化していた。惜しみなく薬を使って、手当をして行く。

たらいがあったので、お湯を沸かす。

同時に、手が空いている人は。

汚れてしまっているリネンを、洗って貰った。

「手際が随分良いな」

「リス族の時とペンギン族の時に、見て覚えました」

負傷者の一人。悪魔族のシェリさんが、感心したように頷いてくれる。トトリの他人に唯一誇れるのは理解力だ。

実際にあの時は手も動かしたし。

今でも、身についている。

傷薬は、どうにか足りそうだけれど。

しかし、次がない。

此処では調合のしようも無いのが、厳しい所だ。

先ほど仕留めた山羊を、すぐに解体。動けるメンバーで手分けして、吊して血抜きをして、その血そのものも皿に受ける。

腹を切って内臓を取り出し。

さきほど湧かしたお湯で、消化器の中を洗う。

食べられるところから、順番に火を通していき。疲弊がひどい人から、順番に口にして貰った。

温めた後、血も飲む。

美味しくは無いけれど。

蚊などが吸うように。血は栄養の塊だ。ただし、火は通さないと危ないが。

皮そのものは、その場でなめしてしまう。

これから豪雨が更に続く場合。これを被ることで、多少は緩和できる。

てきぱきと作業を進めていく。

疲れ切っている人には、その場で寝て貰った。891さんも疲れがひどそうなので、1112さんに代わって貰う。

34さんは、複数箇所の傷がとにかくひどい。

見張りをするという彼女を寝かせて。トトリは順番に、傷の処置をしていった。

「回復術を使える人はいませんか」

いるわけがないことをわかった上で、トトリは声を掛けるけれど。

悪魔族の戦士達は、皆口惜しそうに顔を背ける。冒険者の若い男性も、回復術は使えないようだった。

そんな中。

挙手した人がいる。

意識を少し前から取り戻していた、青い髪の女性だ。

まだつらそうだ。

あれだけの暴力を受けたのだし、当然である。しかし、悪魔族の戦士に肩を借りながら、荷車から降りる。

「少しではありますが、心得がございます」

「貴方は」

「リクレット=メギド=フォン=ガウェイン。 メギド公国の公女です。 ガウェインとお呼びください」

メギド公国。

聞いたことが無い。

ミミちゃんが知っていた。手当を受けて寝かされていた彼女が、トトリに教えてくれる。

「大陸北西部の小国よ。 確か今、激しい戦いの渦中にあると聞いているわ」

「はい。 現在は、アーランド王国の皆様のおかげで、一息つくことが出来ていますが、それでも危険な状況です。 妾はこの状況を打開すべく、公王からの命を受けて、アーランドに向かう途中でした」

そうか、それでスカーレットさんは。

スカーレットさんはと聞かれたので。トトリは少し悩んだ末に、全てを話す。美しい長いまつげをふせると。青い髪の公女は、そうですかと悲しげに言う。

ただ、彼女も疲弊がひどいのは一目で分かる。

少し悩んだ末、トトリはまず34さんの手当から頼むことにした。

今の時点で、命に別状がある人はいない。

衰弱が皆ひどいけれど。お肉を食って休んでいれば、回復できるレベルのダメージだ。それならば、主力となり得る34さんの回復を急ぐのが定石。発破も残りは殆ど無いし、なにより回復薬がもう底をついているのだから。

一段落したところで、皆に耐久糧食を配る。

流石に、アーランドで生きてきている人々。

肉を食べ。

治療を受け。

一休みすれば。

全快とまではいかないにしても。かなり、目に見えて状況が良くなってきた。

この遺跡という小さな建物が、実際にはモンスターの住処になっていないことだけは幸いだった。

しばらく、無心に休む。

トトリも言われて、仮眠を取らせて貰った。

何度か仮眠を取りながら、治療を進める。

雨はかなり止んできていて。雲間には、光も見え始めている。動けるようになっている891さんと1112さんは周囲を偵察して来てくれていた。

34さんもそうするというけれど、止める。

彼女にはできるだけ力を蓄えて貰い。

最後の突破戦力となって貰わなければならないからだ。

ミミちゃんは。

肩の傷がかなりひどい。消毒はすぐにしたから、多分狂犬病の恐れはないとは思うけれど。

疲弊がひどくて、戦わせられない。

山羊の内臓を切って、その辺りから集めて来た野草と一緒に鍋にしたものを、少しずつ食べて貰う。

此処で可能な限り回復してからこの先に進みたいけれど。

残念ながら、まだ此処はスピア領。正確にそうかはわからないけれど。アーランドの増援が来るかは保証できない位置。

更に、遺跡から確認してわかったけれど。

スピア側から、此処は丸見えだ。

完全に雨が上がった場合、炊煙から、ここにトトリ達が潜んでいることは、相手に丸見えになるだろう。

さっきまでは、此方を散々苦しめていた雨なのに。

これが止んでしまうと、完全に詰みだ。

敵には空を飛ぶ者もいるはずで。一気に此処までこられた場合、もはやなすすべがないのである。

891さんが戻ってくる。

先ほど殺した狼を担いでいた。

捌いて食べてしまおうと提案されたので、それを受け入れる。狼の皮はとても分厚くて、暖を取るには最適だ。

「他の狼の死骸は」

「既に食い荒らされていました」

「そうですか」

さっさと、死骸を処置する。

肉を焼き始めると、皆が俺も俺もと群がってくる。それなのに。トトリには、一番美味しい胸肉をくれた。

冒険者の青年、シラットさんが、躊躇うトトリに言う。若いのに無精髭だらけなのは、身繕いする余裕さえ無いからだ。

「あんたにはこれを喰う権利がある」

「でも、これは」

「私は大丈夫。 そろそろ動けるようになります」

34さんが顔を上げる。

少し悩んだ後。

トトリは炙った狼の肉を、口にした。

 

小ぶりになっていた雨だったのだけれど。

途中から、また本降りになりはじめた。

34さんは歩けるまで回復。ミミちゃんもそれは同じだ。これは、ガウェインさんが回復術を掛けてくれたおかげである。

しかし、彼女は素人。

一応の教育は受けているようだけれど。アーランド戦士と同じにしてしまっては酷だろう。回復術を使う度にへとへとになっていて。かなりつらそうだった。

「体力がないな」

「申し訳ございません。 妾には、これが精一杯なのです」

シェリさんが不満げに言うけれど。

額の汗を拭っているガウェインさんに、これ以上の無理強いは出来ない。そもそもアーランド人と北方の列強の民では、身体能力にも魔力にも差がありすぎるのだ。

負傷していた戦士の中でも。

肉を食べて。どうにか動けるようになってきている者が何名かいる。シェリさんもその一人。

シラットさんも、そろそろ行けるかもしれない。

34さんはまだかなり厳しいが、その穴を埋めることは出来そうだ。

二人に優先的に回復術を掛けて貰う。

その間にトトリは、他の皆の様子を確認。リネンを洗って乾かし、魔術が使える人に乾燥を促進して貰う。

他の動ける人にも手伝って貰って、可能な限りリネンを清潔に。

洗って煮沸消毒して。

それだけで、随分違うのだ。

さて、残りの道は、どうだろう。

1112さんが戻ってくる。あまり良い報告では無さそうだ。

「悪い知らせが二つあります」

「順番にお願いします」

「一つは、この遺跡に大型のモンスターが向かっています」

一気に緊張が走る。

正確には、この遺跡群、というべきだろうか。

先ほどから偵察して貰ってわかったのだけれど。この遺跡の周囲には、似たような建物が幾つもある。

それに住んでいるのだろう。

ただし、だからといって。

此処にいるトトリ達に気がつかないとは思えない。

ちなみに大型のモンスターは、得体が知れない種族だという。多分グリフォンの一種らしいのだけれど。頭が鳥ではなくて、蛇になっているそうだ。

「もう一つの知らせは」

「敵の追撃部隊です。 数は1000を越えているかと思います」

それは、危険だ。

到着までの予想時間を急いで割り出さないと行けない。トトリも外に出て、1112さんと状況を確認。

多分雨が小降りになった時、炊煙を確認されたのだろう。

まだ相手は山裾。

それほど質が高い兵には見えないけれど、半日もあれば追いついてくるだろう。つまり、そろそろ切り上げなければならない、ということだ。

そして前方から来る大型モンスターも、どうにかして蹴散らす必要がある。

いや、本当にそうか。

少し考え込む。

遺跡の中に戻り、地図を広げた。かなり迂回することになるけれど、ひょっとすると。

食糧は。

先ほど、かなりの肉を得たから、まだどうにかなる。今、食べ残しはせっせと燻製にしている状況だ。

耐久糧食も保たせられる。

34さんのそばで地図を広げる。ミミちゃんと、シラットさんにも来て貰う。

「このルート、どうでしょうか」

「なるほど、此処だと、最終的に、医療チームがいる修道院へ到達できるわけだな」

「この辺りが遮蔽になって、敵の視界からも隠れることが出来ます」

よしと、シラットさんが立ち上がる。

彼はグレートソードを扱う戦士だ。さっき聞いたところによるとランク6。充分戦闘では頼りになる。

「俺は賛成だ」

「右に同じ」

シェリさんも同意してくれる。

34さんも、行けそうだと言ってくれた。

トトリは決断。

立ち上がると、手を叩いて、皆に促した。

「撤収の準備をします! リネン類は全て回収! 燻製に出来なかったお肉は、その場で食べてしまってください! 後、排泄は今のうちに済ませて! 半刻後に出ます!」

慌ただしく、全員が動き出す。

こういう指示の出し方は。

クーデリアさんのやり方を見て覚えた。

出来る事は、どんどんやっていかなければならない。トトリに出来る事があり。それで人が救えるのなら、なおさらだ。

すぐに、遺跡を出る。

雨がまた激しく降っている中歩くのは嫌になるけれど。少し休んで、気力も回復できた。へとへとになっているガウェインさんは、荷車に乗って貰う。

少し生臭いかもしれないけれど、我慢してと言うと。平気ですと、少し青ざめながらも言う。

彼女も、スカーレットさんと捕まったとき、酷い目に遭わされていた。

本当だったら、叫び出したくなるくらい怖いだろうに。

気丈に振る舞っているのは、好感が持てる。

でも、それにも限界がある。

生きている縄で、またみなを荷車と結びつけたとき。一本に言い含める。もしもパニックを起こしてガウェインさんが逃げ出しそうになったら、抑えるようにと。

崖を、降る。

今まで来た方向とは違う方へ。

殆ど滝のようになっている雨水の中、駆け抜けるようにして走る。また一瞬で服がずぶ濡れだけれど、先ほどまで充分体は温めた。

一気に進む。

追撃部隊が、あの大型モンスターと鉢合わせてくれればしめたものだけれど。

其処までは期待出来ないだろう。

千名規模の追撃部隊が来ているという事は。

敵はトトリ達を明確に把握しているという事。

何があっても、逃がすつもりは無いに違いない。

ひょっとして、ガウェインさんが原因だろうか。だが、だから何だ。そのような事、関係無い。

崖を降り終えると、今度は谷をひたすら走る。

既に周囲は川も同然。

荷車も半分近く水没している。

耐水加工をしているから、中にまで水は入ってきていないけれど。これではいざというときに、素早く身動きが出来ない。

「濁流に足を取られないように気を付けて! 深みがあるかもしれません! その時は慌てないで! 生きている縄が助けてくれます!」

「声を掛け合って行くぞ!」

「応っ!」

「全員で生きて帰るぞ!」

負傷もある程度癒えたシラットさんが、若々しい声を張り上げてくれる。まだ余力がある悪魔族の負傷者達も、それにこたえる。

豪雨は更にひどくなってきているけれど。

その声は、皆の中に通る。

一人が、足を取られて転ぶ。水の中に落ちるけれど、生きている縄が絡んでいるから、流されることもない。

ミミちゃんが助け起こす。

そのミミちゃんだって、肩の傷がひどくて、あまり他人に構えない筈なのに。それでも頑張ってくれている。

トトリが此処で、屈するわけにはいかない。

崖を抜ける。

幾つもの水の流れが、交わりあって濁流に。幾多の死が流れ込んでいるかのように、渦が巻いていた。油紙の屋根の中で、ガウェインさんがふるえているのがわかった。

「あ、アーランドでは、このような恐ろしい所を、平然と通るものなのですか」

「今日は特別です」

「貴方はまだ十四五歳に見えます。 貴方のような若者が、こんな」

「恐れながら公女殿下。 アーランドでは十四歳になると、戦士として一人前として扱われます。 ましてやこの娘は、国家錬金術師の愛弟子です」

ミミちゃんが捕捉してくれる。

戦慄したのだろう。顔を青くするガウェインさん。

別にトトリが特別なわけでは無いのだけれど。

やはりよそとアーランドでは、世界が違うのだなと、トトリは思った。

とにかく、もたついている余裕は無い。

また、崖を上がる。

どうにか大型モンスターと鉢合わせるのは避けられたようだけれど。とうてい油断はできない。

彼方此方の岩からは、水がしみ出している。

いつ土石流が起きてもおかしくない。勿論追撃してきている敵の危険もある。

遅れている負傷者に手を貸して、引っ張り上げる。

悪魔族の手は子供のようだったり大人のようだったり、鳥のようだったり蜥蜴のようだったり。

様々で。それが彼らが、あまりにも多様な変化をしている種族だと、雄弁に告げている。

洞窟を見つける。

あまり中は広くない。休んでいる暇が無いのが口惜しい。本当だったら、此処で服を乾かして行きたいのに。

シラットさんに、いきなり突き飛ばされる。

トトリが一瞬前までいた地点に、複数の矢が突き刺さっていた。

即座に反応した34さんが、小石を投擲。

うなりを上げて飛んだ小石が、崖の向こうにまで来ていたスナイパーの脳天を砕く。相手が慌てた隙に、更にもう一投。

濁流に、頭から落ちていく敵。

もう、此処まで追撃が掛かっていたのか。

「シラットさん!」

「大丈夫だ」

シラットさんが、二の腕から矢を引き抜く。

ボウガンの矢だったらしく。矢は貫通していた。これは治療をきちんとするまで、もう戦えないだろう。

急いで洞窟に入って貰い、まだ動ける悪魔族の戦士に、火を熾して貰う。

傷口を、すぐに湯で洗い。

もう残り少ない乾いたリネンで、縛った。

もはや使える薬もない。

「急いで! まだ敵が来る!」

慌ただしく荷車に、残った物資を詰め込む。

頭を抱えて、荷車の中で、ガウェインさんがふるえている。今の矢が、至近を掠めたらしい。

如何に帝王教育を受けていても。

至近に死が迫る環境で。冷静でいられる人は、あまり多くはないと言うこと。少なくとも、ガウェインさんは違うらしかった。

山道を行く。

今の射手達に仲間がいたかはわからない。

だが、はっきりしているのは。

もう、休む暇もないと言うことだ。

 

2、執拗

 

雲間から光が差している。

雨が一時的に止んだのか、それとももうしばらくは降らないのか、わからないけれど。はっきりしているのは。

もはや、敵から身を隠す雨の覆いは存在しない、ということだ。

峠を越えたけれど。

敵は追跡を掛けて来ているのが確実。

それも、兵力は、どれだけかもしれない。モンスターと鉢合わせたりして、かなり削れている事を期待したいけれど。

そんなものは楽観論だ。

トトリでさえ、そんな楽観に基づいた行動をすればどうなるかは、わかりきっている。

既に全員、泥のように疲れ切っているけれど。

ぐしょ濡れの服から水を滴らせながら、後方を見てきた34さんが、予想より遙かに悪い事実を告げてくる。

「追撃部隊です。 数は五百以上。 多分先鋒に過ぎないでしょう」

「くそっ! どれだけしつこいんだよ!」

シラットさんが呻く。

早く傷口の手当てをしないと、壊死する可能性が高い人も多い。手足を失う事になれば、アーランド人でも、悪魔族でも、どうにもならない。

トトリだって、全身に受けている細かい傷が、決して良い状態とはいえないのだ。

他の負傷者に到っては。

ミミちゃんだって、とても戦える状況にないのである。

「俺をおいていってくれ」

泣き言を漏らしたのは、悪魔族の中でも、最年長の戦士。深い傷を受けていて、ずっと仲間に肩を借りて歩いていた。

傷が痛んで仕方が無いらしい。

トトリは唇を噛む。

「それともいっそ、殺してくれ!」

「この山を下りれば、もうアーランドです。 アーランドまで行けば、あんな数の敵、一気に蹴散らせます」

「本当にそう思うか?」

老戦士の言葉は、正論だ。

今、アーランドの戦線全域で戦いが行われている。正直な話、王様が無事かどうかはまったくわからないし。

ロロナ先生のいた修道院も、敵の攻撃を受けている可能性がある。

そう言う状況だ。

希望なんて、あるはずもない。

でも、トトリは。

それでも、彼を叱咤する。

「今、泣き言を言うより、歩きましょう。 その方が、みんな助かる可能性が、高くなります」

「強い子だな」

「私は……」

トトリは、弱い子だ。

少なくとも、ずっとそう言われて育って来た。

他の子よりも、実際に明らかに弱かった。強さが最低限の価値である世界で、最弱と言う事が、何を意味するか。

それを、嫌と言うほど知っている。

でも、生き延びてきた。

弱くても、知恵さえ使えば、スキルさえ生かせば。

生きることは出来るのだ。

休憩終了。

できる限り、崖を急いで降る。

雨で滑るから、本当に危険だ。荷車は特に、下手をすると一気に滑落してしまう。そうなると、残り少ない物資も。

ガウェインさんも、身動きできない負傷者も。

みんな失う事になる。

34さんが沈鬱に言う。

「我々が残って、敵を削りましょうか」

「その後生き延びる保証が無いのに、そんなこと、許可できません」

「しかし我等ホムンクルスは」

「此処はスピアじゃありません!」

トトリが言い切ると。

891さんも、1112さんも、驚いたようにトトリを見た。

良くない傾向だと思う。

彼女らが人間だと言う事は、トトリが一番良く知っている。それなのに、彼女らは。自分たちを消耗品だと思ってしまっているのか。

そんなこと、許せない。

アーランドだって歪んでいる。

でも、今は悩むよりも、生き残るための手を尽くすときだ。

激しく曲がりくねった岩の道を、降る。

遠くから、声。

明らかに敵だ。

この辺りから、そろそろ味方の領地になる筈なのだけれど。流石に敵が侵入して、即応できるほどの態勢は無いはず。

そして、最悪の事態が訪れる。

先頭にいた891さんが、慌てて皆を制止。

トトリが覗き込むと。

其処には、敵の一部隊がいた。

かなりの数だ。100名以上はいる。今から戦闘すれば、勝てるかもしれないけれど。その時には敵の増援が来るか、味方に死者が出る。

迂回するしかない。

しかしそうなると、西にぐっと行くしか無い。

西に西にと行くと、多分山を突っ切ったあげく、修道院の辺りに出る。修道院にまで逃げ込めば、ロロナ先生がどうにかしてくれるとは思うけれど。

これほど至近にまで敵が迫っているとは、流石に想定外だ。

ハンドサインを出す891さん。

出来るだけ音を出さないように、岩陰を行く。この有様では、もはや敵に見つかれば、その時点で終わりと見て良い。

敵だって必死なのだ。

此方を捕虜にするよりも、殺す事を選ぶだろう。

雨がまた降り出す。

ミミちゃんが、肩を押さえながら呻いた。

「あらゆる全てが、私達を殺しに来ているかのようね」

「頑張って、もう少しだから」

アーランドの国境警備は。

来たら、この程度の敵、一瞬で蹴散らしてくれるはず。でも、来ないものは来ない。期待している暇があったら、歩くしかない。

どうにか、敵の視界から逃れたとき。

後方で、大きな羽音がした。

何かが舞い降りてきている。

見ると、大型のグリフォンに似た存在だ。魔物かと思ったが、違う。敵の中に、平然と降りているからだ。

敵と何か話している。

断片的に、トトリにも聞こえてきた。

「見つかりません」

「まずいぞ。 そもそも、敵の哨戒部隊が来たら、我等の戦力では対応できん」

「しかし、もしも取り逃がしでもしたら、レオンハルト様が」

「……なんとしても探せ」

グリフォンが舞い上がる。

上空から見つけられたら、必死の覚悟の敵が迫ってくる、という事だ。

だが、良いこともある。

敵は明らかに、少数。

哨戒部隊が来たら、どうにもならないと、判断している。つまり、ひょっとすると。追撃の脚を鈍らせることが出来るかも知れない。

照明弾を取り出す。

クラフトと組み合わせて、時間差で起爆するようにセット。

ハンドサインをして、その場を離れる。

グリフォンに見つからないように、岩陰を急いでいきながら。トトリは充分は慣れたところで、起爆と呟く。

照明弾が打ち上げられる。

これで、味方の哨戒部隊に、この状況を知らせていると、相手に錯覚させることが出来る可能性がある。

上手く行くかはわからないけれど。

そうなれば、時間くらいは稼げるはずだ。

それにひょっとすれば、本当に味方の哨戒部隊が気付くかも。勿論、其処までは、トトリも期待はしない。

急いで。

皆を促して小走りに。

空に敵の目がある以上。

もはや小雨しか降っていない今。あまり長く、逃れ続ける事は出来ないだろう。

此処から半日ほどまで、修道院は近づいていると、34さんは教えてくれた。それならば、其処まで逃げ込めば。

「見つかった!」

シラットさんが言う。

此方を明らかに見ている、グリフォンぽい生物。

甲高い叫び声を上げる。

これは、もはや、敵の追撃を逃れる事は出来ないだろう。

もう、発破の在庫もない。

先ほど使った照明弾も、先にはぐれた時に使ってと渡したもの。クラフトに到っては、不発弾だ。

もはや手もなく薬もない中。

怒濤のごとく、背後から迫ってくる敵。

洞窟を発見。

逃げ込むしかない。

入り口に、34さんが陣取る。891さんと、1112さんも。

「下がりながら、敵を削ります」

「……ミミちゃん、シラットさん、洞窟の出口を探すよ!」

「わかっているわよ」

「応!」

一気に、全員が洞窟に逃げ込む。

かなり広い洞窟だ。

ひょっとすれば、抜け穴があるかもしれない。

後方では、既に戦闘の気配がある。

叫び声。

戦いの音。

負傷がひどい三人では、あまり長くは持ちこたえられないだろう。敵の先鋒はどうにか出来るかも知れないけれど。

必死に追撃してきている敵の後続部隊までは、どうにもならないはずだ。

その場で倒れてしまう負傷者。

もう、助け起こす余力も無い。

トトリだって泥だらけ。

生きている縄も、ずっと酷使してきているから、すり切れそう。

体力も、そろそろ。

限界が近い。

トトリは行ける。

数名の軽度の負傷者は、何とかなるだろう。

だけれど、負傷がひどい他の人達は、どうにもならない。ミミちゃんもシラットさんも、本来なら絶対安静で寝かせていたいくらい。

これ以上消耗すると、死ぬ。

モンスターがいないことを、祈るしかない。

洞窟の中はひんやりしていて、彼方此方に結晶体がある。強い魔力を帯びているけれど、これは何だろう。

水晶か。

低下している判断力で、気付くのに遅れる。

この洞窟、ひょっとして。

後で来たら、一攫千金が狙えるかもしれない。

「トトリ!」

ミミちゃんに叱責されて、気付く。

思考がトリップしかけていた。目を乱暴に擦ると、ランタンで辺りを照らす。手招きして、荷車を此方に。

まだ、戦闘音は遠い。

敵を食い止めてくれているのだ。

洞窟はかなり深くなってきているけれど。しかし、地底へつながっている、という雰囲気では無い。

彼方此方で、水が流れている。

つまり、水が入り込む場所があると言う事。

上手くすれば、脱出できるかもしれない。

風は。

風が通っているのを確認できれば、其方に行けば、逃げる事が出来る。呼吸を整えながら、足下を確認。荷車が通れるほどの幅が、洞窟の中はあまり多くない。

「蝙蝠がいないわね」

ミミちゃんが呻く。

後ろからついてきたシェリさん。負傷の度合いが低いので、前方と後方の繋ぎをしてくれている。

「まずいぞ。 敵の増援が来た。 押されている」

「……」

乾ききった唇を、トトリは舐めた。

もう後がない。

追いつかれたら、ひとたまりもなく皆殺しにされる。出口を急いで見つけないと。焦りばかり募る中。

先ほど、泣き言を言った年かさの戦士が。

トトリの肩を掴んだ。

「彼処だ!」

光が、差し込んでいる。

しかし、かなり遠い。荷車を、彼処まで持って行けるか。

希望が湧いてくる。

彼処を抜ければ、敵も簡単には追撃が出来ないはず。何度か深呼吸すると、皆を励まして、荷車を押す。

シェリさんには、頃合いを見て、34さん達に引き上げるよう、伝言を頼む。

狭い通路で戦いながら下がることくらいは、やってくれるはずだ。

敵だって、消耗しているのだから。

荷車の車輪が、道を踏み外しそうになる。

落下しそうになるのを、全員で支えた。生きている縄が辺りの鍾乳石を掴んで、引っ張ってくれる。

一気に持ち直すけれど。

その時には、生きている縄は切れてしまっていた。

ごめんなさい。本当に助かりました。

トトリは黙祷すると、急ぐ。

ジグザグな道を何とか抜ける。途中、通れそうもない細い所もあったけれど、其処は皆で力を合わせて、無理矢理通した。

負傷者達は、既に手の感覚もないはず。

今、この場で倒れてしまっても、不思議では無い。

後方で、爆発音。

いや、違う。戦闘音だ。

「急いでください!」

トトリが叫ぶと、わんわんと洞窟の中で反響する。

これ以上は、此方も急げない。

もし、あの光の先が、敵の群れの中だったら。そんな事を考えるけれど。しかし、頭の中から追い払う。

希望が、今は必要なのだ。

一気に、最後の段差を押し切る。

そして、穴を無理矢理抜けた。

呼吸を整えながら、トトリは見た。

修道院が、見える。

しかし、その修道院は。

数千はいるだろう敵に、既に囲まれていた。

 

膝が砕けかける。

ミミちゃんが、耳元で叱咤する。他の誰もが、何も言えない中。彼女だけが、トトリに言う事が出来た。

「まだよ!」

何が、まだなのだろう。

ミミちゃんは、更に言う。

「まだ、私達は死んでいないわ!」

穴から、34さんが飛び出してくる。891さんと、1112さんも。

三人とも血だらけだ。

返り血だけでは無い。

皆、手傷がひどい。

戦闘できる状態には無いはず。

トトリは、ぼんやりとする頭で、彼女たちを見る。34さんは冷静に、岩を無理矢理動かして、穴に放り込む。

下から悲鳴。

追撃部隊は、死体の山を築いているだろう。

そして今、洞窟を介しての追撃手段も失った。あの洞窟にモンスターが住み着いていたのかはわからないけれど。

少なくとも、突破は出来たのだ。

トトリは、麻痺しかけている脳を、必死に動かす。

「どう、しよう」

修道院を見捨てて、南下するか。

しかし、その場合。

もう、体力がもたない。

白骨の野を越えて。

更に、敵が気付いた場合、数百以上の部隊が此方に来るのは、確実だ。

くつくつと、誰かが笑い始める。

気をしっかり持て。シェリさんが、頬を張る。もう、限界だ。あの敵の群れを、どうすれば。

修道院に逃げ込んだところで。

あの敵の包囲を、抜けられるのだろうか。

とにかく、今は岩陰だ。へたり込んだまま、トトリは、皆を見る事も出来ず、言う。少し、休んでくださいと。

その場に倒れてしまう皆。

戦闘が、修道院周辺で行われている。

まて。

少しずつ、頭が冴えてきた。

修道院は、屈していない。

考えてみれば、当たり前だ。ロロナ先生が中にいる。それだけではない。確か、今回の戦いで主力となった戦力だって、負傷者としてではあるけれど、いる。

ロロナ先生は、馬車も持ち込んでいた。

その馬車は大きくて。

ひょっとすると、アトリエの機能もあるかもしれない。

胸に手を当てて、少しずつ、思考を整理していく。

麻痺していた脳が。

わずかずつ、回復を始めていた。

閃光が、その時。

目の前を走った。

思考的な、比喩的な話では無い。修道院の入り口から、超高出力の魔力砲がぶっ放されたのである。

それは直線的に敵の一部を蒸発させながら驀進し、爆裂。

凄まじい。あれは、おそらく。ハイランカー魔術師による攻撃魔術。ロロナ先生か、それに匹敵する使い手の技だ。

それも、一撃では無い。

もう一撃が、敵陣に叩き込まれる。

修道院から出てきた何か。遠目に見ると、大砲だろうか。そうだ、自立思考して移動する大砲があると、トトリは聞いた。

それらが一斉に火を噴き、混乱している敵に容赦ない追撃を浴びせる。

わっと、敵が逃れる。

だけれども、数が数だ。すぐに包囲を再構築。

まるで、手で小さな石を包むように。修道院の周囲を、再度固めてしまった。

修道院の中からは、ひっきりなしに攻撃が行われている様子だ。ロロナ先生は、少なくとも無事とみていいだろう。

それも、諦めるどころか。

引きつけた敵を、徹底的に叩き潰すつもりでさえいるかも知れない。

思考が、生き返ってくる。

トトリは、思わず頬を、両手で叩いていた。

「残った照明弾を、出してください」

それしか、ロロナ先生に、此方の居場所を知らせる手段は無い。しかし、使うタイミングが重要だ。

下手なタイミングで使うと、敵の一部が此方に来る。

もう此方には、戦闘力は残されていないのである。敵が二十体も来たら、詰みだ。

しけっている照明弾が、幾つか手元に。

トトリは手に息を掛けて温めると、分解開始。組み直して、大きな閃光が起きるように直すのだ。

その間、皆には休んで貰う。

直線距離で。

あの修道院まで、走る。

それだけを、皆に考えて貰う。

再び、敵の一群が、修道院に攻撃を開始。上空から、炎の雨を降らせている。魔術によるものだろう。

爆発が連鎖して、修道院に何度も直撃。

しかしいにしえの技術による建物だからか、壊れない。或いは、防御魔術が掛かっているのかもしれない。

上空に、メテオールが打ち上げられる。

衝撃波に羽を叩き折られた敵が、ぼとぼとと落ちていく。慌てて距離を取ろうとする敵に、また修道院の中からぶちかまされた閃光の一撃が、直撃。炸裂しながら、敵の一群を薙ぎ払った。

数の差はあるけれど。

堅牢な修道院と。

一騎当千の使い手が籠もることで、戦闘は味方有利。少なくとも、現時点では、陥落の恐れは無い。

後は、どうにかして。

敵が一瞬でも引いた隙をついて、彼処に逃げ込みさえすれば。

ロロナ先生は、かなりの物資を持ち込んでもいた。きっとお薬だってある。医療魔術師もいる筈だ。

ゆっくり、時間を掛けて、それを説明。

自害さえしようとしていた負傷者もいたけれど。皆の目に、少しずつ、光が戻ってくる。

その間、限界まで、ガウェインさんには、回復魔術を使って貰う。

今回は、弱っている人を中心に。

走れるようにする必要がある。

どうしても無理な人は、荷車に。もう荷車に乗せているリネン類は、最悪捨ててしまっても良い。

荷車を極限まで軽くする必要があるからだ。

「彼処に逃げ込めば、助かります!」

皆の希望を後押しするためにも。

トトリは、敢えて。

そう断言した。

 

3、光への突破

 

ミミちゃんが、トトリの手を引く。

トトリはすぐに意図を察した。

既に周囲は真夜中。

星が瞬く天蓋の下。数千に達する敵は布陣を続行。味方のまとまった戦力が支援に来るまで、まだ時間が掛かる筈。

負傷者の手当をしないと、命に関わる。

待つことは出来ない。

時間との勝負だ。

だけれども。好機は、きっと来る。そう信じて、待っていて。ついに、それが訪れたのだ。

敵が配置換えを始めている。

大型の敵が前衛に出ている。何か盾のようなものを持ち出しているが、あれはロロナ先生の砲撃を防ぐためのものだろう。強い魔力を感じる。

敵の戦士達は、散らばり始めていて。混乱しながらも、攻撃に備えて、動いているようだ。

好機。

紛れれば、一気に近くまで行ける。

無言で、全員にサイン。

残ったリネン類をみんなで被る。人相を消すためだ。

そして、出来るだけ音を出さないようにして。坂道を下り始める。敵は配置転換で夢中で、此方の動きには気付かない。

否、簡単には気付けない。

でも、敵だって無能じゃない。

絶対に、途中で気付かれるはず。

其処からは、時間との勝負。

気付かれた瞬間、組み直した照明弾を放って、後は全力で逃げる。ロロナ先生が気付くのが早ければ、敵をたたいてくれる。

そうすれば、きっと。

生き延びることが、出来る筈だ。

あくまでしずしずと、闇の中を行く。荷車は此処だけでは無い。敵の補給部隊の中にもある。

不審そうに此方を見る者もいるけれど。

何しろ暗い。

それに、忙しく周囲が動き回っている状況だ。あまり構っている余裕は無いのだろう。その隙を突いて、さっさと行く。

既に、敵陣の中。

敵はかなりの数が散開していて、如何にロロナ先生かそれに匹敵する使い手の砲撃に悩まされたかが、ありありと見える。

何も言わず、誰も口を開かず。

荷車の中では、ガウェインさんが、祈りを捧げ続けているらしく。遠い国の祈りの言葉が、ずっと聞こえている。

半分を、過ぎた。

もう少し。

修道院の入り口が見えてくる。かなりバリケードが積み上げられているけれど。向こうから、此方は見えているはず。

照明弾を使うべきか。

いや、ギリギリまで待つ。

後、三分の一。

傷だらけの脚を動かして、力を温存しながら。全員脱落しないと誓って、歩く。全員助けると、トトリは決めた。だから、歩ける。

楽観に頼らず。

希望を作れる。

残り、四分の一を、過ぎたところだった。

「止まれ!」

声が掛かる。

側にいるミミちゃんと、顔を見合わせる。

もう少し、行けるかと思ったけれど。

いや、此処は、少しでも逃げ切る可能性を挙げるべき。もしも敵が一斉に包んできたら、どうにもならないのだから。

此方に近づいてくるのは。

指揮官級らしい敵。いかめしい黒い鎧を着込んでいて、人相はうかがえない。

「何だその荷物は。 それにどうして顔を隠している」

「極秘任務です。 あの修道院の前に、爆薬を積み上げろと言われていまして」

「ハ。 良くも此処まで潜り込めたものだな。 皆の者、くせ者だ!」

ばれた。

トトリは閃光弾を投げつける。

払おうとしたそれが炸裂して、指揮官級は流石にぎゃっと悲鳴を上げる。爆裂した閃光の凄まじさは、筆舌に尽くしがたい。それが眼前で炸裂したのだから、しばらくは目が見えないはずだ。

周囲が騒ぎ始める中。

トトリは走る。

そうか、修道院がまずかったのか。多分敵は、あの建物が、修道院だと言う事を知らなかった。

だから、ばれてしまったのだろう。

殺せ。包め。

周囲から声が聞こえはじめるけれど。

敵の動きは鈍い。

閃光弾で、味方も気付いた様子だ。バリケードの上に人影が見える。

あの至近まで、行けば。

味方が支援砲撃を開始してくれる。

大砲が一斉に火を噴き、敵陣に爆裂。更に、魔術の光がきらめくと、続けて敵陣に炎が巻き上がった。

手を振っている。

早く、急げ。

そう叫んでいるのだ。

だけれど、此方はもう最後の力を振り絞っている状態。どうしても、全力で走れない者もいる。

必死に皆を励ましながら、それでも走る。

バリケードを開けてくれた。

あの中に、逃げ込めば。

34さんと891さん、1112さんが、それぞれ武器を取って、左右に展開。

ようやく殺到してきた敵を捌く。

でも、そう長くは保たないはずだ。みんな、負傷がひどいのだから。後ろからも、追撃が来る。

大型の敵が、凄まじい足音を響かせて、追ってくる。

追いつかれたらおしまいだ。

あと少し。

もう、手が届く先に、バリケードが見える。

一人が逃げ込む。

もう一人。

次々逃げ込んでいく。

足を止めたトトリは、手を振って、遅れている人達を叱咤。

891さんが、転んだ一人を抱えると、飛ぶ。

敵から、矢が飛んで来始めた。

34さんが、次々に弾く。

殺到してくる敵に、修道院の内側から攻撃が続けられるけれど。何しろ数が多すぎる。捌ききれない。

最後の一人。

荷車から落ちてしまったガウェインさんが、必死に此方に来る。

トトリが手を伸ばして、立たせて。

その時。

トトリの脚を、矢が貫いた。

あ。

横転する。

34さんが来ようとするが、無理だ。更に殺到してくる矢の雨を、トンファーで弾くので精一杯。

行って。

トトリはガウェインさんに叫ぶと、這ってでも、バリケードへ向かう。でも、わかる。多分今の矢には、毒が塗られている。

全身がしびれてきた。

視界が霞む。

ああ、これは。死ぬ。

ロロナ先生、ごめんなさい。私は、駄目な弟子でした。結局みんなを助けられずに、此処で終わるようです。

殺到してくる敵の大群。

ふと。トトリの前に、誰かが立つ。

今まで、ずっとそこにいたかのように。

そして、その人は。杖を振りかざすと、叫ぶ。

「きゃのんちゃん達、ファイエルッ!」

一斉に、周囲で爆音が轟いた。

敵陣に炎の花が咲く。更に、杖を構えたその人は。凄まじい大火力の魔力砲で、敵陣を薙ぎ払う。

まるで、光の筒。

敵陣を撫でるようにして、通り過ぎる。

爆裂。

大砲などよりも、遙かに強烈な破壊がもたらされ。

敵陣が灰燼に帰すのが見えた。

勿論、敵の全てを焼き尽くすのは無理。だが、此方に殺到していた敵の先頭部隊を消滅させるには、充分。

薄れる意識の中で、トトリは見る。

自分を抱えて、悠々と下がるその人を。

ロロナ先生だ。

ああ、やっぱりロロナ先生は凄いな。

そう、トトリは思った。

 

気がつくと。

トトリは寝かされていた。

起きようとすると、止められる。側には、ガウェインさんが座っていて。泣きはらした目をしていた。

「何という無茶苦茶をなさるのです!」

「……みんな、無事でしたか?」

「はい」

強い怒りを込めた返答。

トトリはそれでも、嬉しくて。だらしがない笑みを、にんまりと浮かべた自覚があった。

何となく、わかる。

此処は修道院の中。

どうやら、間に合った。ロロナ先生が気付いて、おそらく自分自身で助けに出てくれたのだ。

起きようとして、出来ない。

脚がかなり手酷くやられたらしい。矢が貫いた感触があったし、毒も塗られて射たのだろうから、当たり前だ。

周囲は、どうなっているだろう。

横を見て、思い知らされる。

此処も、決して安泰な場所では無い。

周囲には無数の負傷者が寝かされている。手酷く傷ついた戦士。うめき声。嘆きの声。此処まで届く。

額の汗を拭いながら働いているのは、医療魔術師。

あれ、見覚えがある人だ。

目があって、向こうは驚いたようだった。

「トトリさん?」

「カテローゼさん」

リス族の一件の時、医療魔術師として来てくれた人だ。

見ると、冒険者ランクが5になっている。

いつの間にか、トトリと並んでしまった。

手際よく医療を続けている彼女は、一礼すると、その場を離れる。雑談をしている余裕など無いのだろう。

ロロナ先生は。

ミミちゃんは。

周囲を見回すけれど、ガウェインさんは悟ってくれない。勿論、居場所についても、教えてくれない。

それにしても。

改めて見ると、思ったよりずっと広い建物だ。

内部は非常にひろびろと作られていて、特に天井はドーム状になっている。あれで崩れないのか、見ていて心配になる。

壁側の一角に、祭壇のような何か。

その後ろには、昔は鮮やかな色彩だっただろう何かが描かれていた。いや、違う。アレはおそらく、ガラスによるもの。

綺麗なガラスを並べることで作った絵か。

今ではすっかりくすんでしまっているけれど。

この修道院がまだ施設としてきちんと動いていたときは。あれも美しい色彩を、周囲に誇っていたのだろう。

床は平らにされていて、おそらく元あったものだろうがらくたは、外に運び出された後だろう。

と言うのも、床を見ると、彼方此方に不自然なへこみがある。

今はベット代わりに使われているようだけれど。

昔は彼処に何があったのだろう。椅子か何かかもしれない。

「寝ていてくださいまし」

「……はい」

ガウェインさんが、いい加減その長いまつげを涙に濡らしそうだったので、トトリは言われるままにする。

脚の痛みは、今のところは無い。

きっと、ロロナ先生が、処置してくれたのだろう。

しばし眠って。

目を覚ますと、半身を起こす。

かなり楽になっている。脚をやられたとはいっても、他の体の傷はそれほどひどくもなかったのだし。

衰弱が問題だった今。

おそらく、何かしらの形で栄養を投与された状況。トトリは、何とか体が動くのを確認できて、少し嬉しかった。

脚の方を見る。

分厚い棒のように、包帯が巻かれている。

体を起こしたことで、周囲が寄り遠くまで見回せる。

寝かされている負傷者は、ざっと二百から三百。

トトリが助けた人達も、或いは寝かされているかもしれない。少なくとも、あの敵の大軍に包囲されたとして。逃げ切れたかどうかはわからない。

見ると、移動している人達の流れからして、修道院には地下がある様子だ。

此方に気付いて、歩いて来るのは、カテローゼさん。

前と変わりが無いようで、嬉しい。

彼女は寝るようにトトリに促すと。側に座った。

「ようやく一段落しました。 外での戦闘で、ロロナさんが大暴れして、敵が一旦再編成のために兵を引いたようです。 このまま国境まで下がってくれると良いのですけれど」

「ロロナ先生、強いですね」

「噂ですけれど、ドラゴンを倒したそうです。 単純な戦闘力でも、多分アーランドで上位に入ると思います」

まさか、それほどまでとは。

ドラゴンスレイヤーは、あまりアーランド戦士の中にも多くない。勿論多人数でドラゴンをねじ伏せる事はかなり多いけれど。

此処で倒したと言っているのは、おそらく十人以内での戦闘のこと。

国家軍事力級の使い手でも、ドラゴンは油断できる相手では無いと聞いている。ロロナ先生の実力は、逃げ込むときに見た砲撃の火力でも明らかだけれど。格闘戦を含めても、凄く高いとみるべきだろう。

傷口を確認した後、カテローゼさんが回復術を掛けてくれる。

かなり体が楽になる。

「毒は、大丈夫、でしたか」

「ロロナさんの毒消しが効いていますから」

「……凄いなあ」

本当に。

今のトトリでは、とうてい追いつけない背中。

圧倒的な戦闘力も。

錬金術の腕前も。

そして、恐らくは、判断力でも。

トトリが閃光弾を炸裂させたとき。修道院で籠城していた人達が気付いたとして。即応してくれなければ、多分追いつかれて全滅していた。

ロロナ先生は即応してくれた。

判断力も、今のトトリより、ずっと高い。

トトリは本当に。

こんな人に追いつけるのだろうか。

少なくとも、ランク9くらいにならないと。お母さんの足取りを追うような情報は、得られないかもしれないのだ。

そもそも、国家軍事力級の使い手だったお母さんが、どうして行方不明になって、誰もそれについて知らないのか。

誰も言わないけれど。

トトリは、きっとそれには、何かしらの国家機密が絡んでいると考えている。それなら、社会的な地位を上げるしかない。

つまり。

力量でも、ロロナ先生に、追いつくくらいでないと。駄目なのだ。

悶々としているのに、気付かれたからだろう。

目を閉じるように言われた。

そういえば、いつもの錬金術の服では無くて、白衣を着せられている。その白衣を脱がされて、触診されている感触があった。

くすぐったい。

「内臓は問題なし。 バイタル正常。 まだ十代半ばだし、当然ですね。 後は脚の方さえどうにか出来れば、きっとすぐに歩けるようになります」

「今、外はどうなっていますか」

「援軍が来るまで、あと三日と試算されています」

包囲される直前に。

足が速い戦士が何人か、南に逃れたという。

その内一人はハイランカーだ。

敵に不覚を取るようなこともないだろうと、カテローゼさんはいう。確かにトトリもそれには同感だけれど。

嫌な予感がする。

服を戻されて、目を開けて良いと言われる。

少しだけ体を起こして貰って。口にかゆを入れられた。

物資は、どれくらいあるのだろう。

不安だけれど。

この人数が三日籠城するだけのものはあると、信じたい。

希望の中に入ったはずなのに。

また新たな絶望が全身を浸すのを、トトリは感じていた。

 

4、光の中に闇。

 

叩き起こされたのは、外の轟音で、だ。

他の負傷者も、身じろぎして、音がした方を見ている。壁に、何か強力な攻撃が直撃したのだろう。

見ると、壁の方には、数人の魔術師がいて、魔力で補強している。

得体が知れない材質の壁とは言っても。

流石に、現在の攻撃魔術や、ハイランカー相当の戦士の攻撃を浴びてしまうと、ひとたまりもないから、だろう。

入り口の方で、騒いでいる。

どうやら、戦闘が起きているらしい。

声が、トトリの所にまで聞こえてきている。

「ロロナ殿が外で戦っているが、かなり戦況が厳しいらしい」

「あの強力な道具、なんていったか。 とにかく加速するあの道具で、無理矢理に敵中で暴れ回っているらしいからな。 いい加減、無理が来てもおかしくない」

話をしているのは、入り口の辺りを固めている、冒険者達。

悪魔族の戦士も、普通に会話に加わっている。

「出る事を許してくれ! あの人を見捨てることは許されない!」

「そうだ、あの人が来なければ、俺たちは更に百人以上は確実に死んでいたんだぞ」

「駄目だ。 そのロロナ殿が、負傷者を出すなと言っている」

「だが、敵の数は圧倒的だ! 囮にでもなれれば、少しは……」

爆発音。

魔術師の一人が倒れるのが見えた。

負荷がひどくなって、支えきれなくなったのだろう。

音からして、発破か何かのようなものを、敵が飛ばしてきていると見て良い。ロロナ先生がそれを潰していないと言う事は。

数が多いか。

それとも、ロロナ先生を押さえ込めるだけの使い手が、敵にいるか。

敵だって、あれだけの数がいるのだ。

雑兵だけだとは、考えにくい。

外に出たい。

しかし、トトリの考えを見越したかのように。34さんが来る。彼女は、既に気力を回復しているようだった。

「私が見てきます」

「34さん!」

「大丈夫。 おかげで、もう動く事には支障ありません。 それに私も、ロロナ様の事は好きです。 彼女がどうにかなることは、我慢できませんから」

他にも数名のホムンクルスが、34さんについていく。

また、傷が浅い冒険者の中でも、手練れらしい人も。

悪魔族の戦士も同様。

出るなと言われているのに。

トトリは、カテローゼさんに、無理を承知で、頼む。

「肩を貸してください」

「出来ません」

「お願いです。 見届けることだけは、させてください」

「……私が肩を貸すわ」

後ろから、声。

其処に立っていたのは、ミミちゃん。

シラットさんと、シェリさんもいる。

「俺たちがなんとしても此奴は守る。 だから、許可してくれ」

「戦闘だけは、絶対に駄目ですよ」

「わかっているさ」

シラットさんも、ミミちゃんも。

一目で病み上がりと分かる状態だ。

だけれど、ミミちゃんとシラットさんが、二人で肩を貸してくれる。シェリさんが、前に。

如何に頑丈な悪魔族だって。

あんな豪雨の中逃げてきて、無事なはずがないのに。

修道院の入り口に近づく。

外が見えた。

それは、あまりにも、凄まじい光景だった。

見渡す限り、敵。

数千の敵というのは、これほどの威容なのか。修道院をかこんでいる数百だけではなく。山から此方にかけて、その十倍以上が布陣している。

その中に、大砲が見えた。

なるほど、先ほどから聞こえていたあの音は、大砲か。

ロロナ先生は。

杖で体を支えて、やっと立っている状況。

周囲を守っているホムンクルス達も、満身創痍。

敵に、強い奴がいるのか。

いや、違う。

波状攻撃をずっと繰り返して、休ませないようにしているのだ。

ロロナ先生が、砲撃。

山に布陣している大砲の一つが、消し飛ぶ。周囲にいた敵兵もろとも、瞬時に木っ端微塵だ。

だが、敵は。

全く気にする事も無く、新しい大砲をすぐに据え付け始める。

それどころか、ロロナ先生を遠巻きに、魔術や矢で、間断ない攻撃を続けているでは無いか。

既に、自立行動する大砲は、動きを止めている。

砲身が焼き付いてしまっているのだろう。

味方は、守りを固めるので精一杯。

敵はエースであるロロナ先生に集中的に波状攻撃を浴びせつつ。アウトレンジからの猛攻を、途切れる事無く修道院に仕掛けている、ということだ。

「此処までだ。 下がるぞ」

「でも、ロロナ先生が!」

「たかがランク5、それも錬金術でなりあがって、武術はせいぜい並程度の貴方が外に出て、何をするって言うの! 錬金術で使える道具も無いのよ!」

ミミちゃんが叱責。

弾かれたようにトトリは動きを止めると。

うなだれるしかなかった。

ロロナ先生が、下がってくる。

敵はそれを見ると、更に大砲を運んできていた。あの大砲、きっと、敵国の内部で生産して、輸送してきているものだ。

大砲の弾くらい、一発や二発ではどうにでもなる。

でも、それが五十なら。

或いは、二百なら。

見えている大砲の数は、どうみても百をくだらない。山一杯に敵は布陣して、おけるところ全部に大砲を置いている。それが連続して射撃を続けているのだ。

修道院の壁が如何に堅牢でも、どうしようもない。

ロロナ先生の魔力砲の火力がどれだけ桁外れでも。

この数を、どうにかするのは、無理だ。

「後退!」

無数の矢からロロナ先生を守っていたホムンクルス達も。もっている盾は、もうハリネズミも同然の有様。

多分あの様子だと、盾の取ってまで鏃が抜けて、手を傷つけもしている筈だ。それでも、彼女らはロロナ先生を守っている。

修道院の塀の内側まで、ロロナ先生達が下がる。

敵は遠巻きにしたまま、波状攻撃を続行。

修道院を覆っている魔力の壁が、見る間に削り取られていくのがわかる。

もし、これを抜かれたら。

修道院は瞬時に崩壊。

中にいる人は、全員が生き埋めだ。

あと三日なんて、支えられるはずがない。敵は一体、何が目的で、此処までの事をしようとしているのか。

ロロナ先生が、修道院の中にまで下がって来た。

ひどい状態だ。

全身傷だらけ。

魔力の消耗もひどい。

いや、違う。

見てわかったけれど。先ほど小耳に挟んだ加速能力の代償なのだろうか。おそらく魔術を使った事によるフィードバックダメージが、ロロナ先生の全身を著しく傷つけている。トトリを見て、ロロナ先生は苦笑い。

顔中血だらけ。

額の血管が破れて、血が出ているのだ。

「恥ずかしいところをみせちゃったね」

「恥ずかしくなんて……」

「中に戻って。 まだしばらくは、支えられるから」

ロロナ先生が、ホムンクルス達に言って、修道院の中に避難させていた馬車から出させたのは。

禍々しい色の薬だ。

「これはね、メンタルウォーターを特別に調整した液体」

メンタルウォーターなら、トトリも使ったことがある。精神力を回復するためのものだけれど。

これは明らかに、体に良いものではないだろう。

壁を作っている魔術師の所に、ホムンクルス達が、禍々しい色の液体を持っていく。脂汗を流しながら彼らはそれを口にして。

再び、修道院を守っている壁を、分厚くする。

ロロナ先生は、その場にへたり込んでしまう。

「負傷の手当、急いで!」

34さんをはじめとして、ロロナ先生を守っていたホムンクルス達は。或いは体中傷だらけになり。ひどい人は、矢を何本も体に受けていた。

ドカンドカンと凄まじい音が、修道院の中に響き来る中。

絶望は。

更に加速していく。

 

クーデリアは、一人アーランド国境を走っていた。

走ると言うには、少し語弊があるかもしれない。

旧時代の人間が見たら。

影が飛んでいるように、見えたことだろう。

もはや、生物として存在が違う。道無き道を、はね飛びながら。その速度は、既に視認限界を超えている。

アーランドでも、現在速度においては三位。

あのエスティとジオ王に次ぐ速度を誇るクーデリアは。今、その全速力を、フル活用していた。

ジオ王が連れていた部隊の救援に、ロロナが成功。しかし敵の追撃部隊が、国境を越えてロロナが拠点としていた修道院を包囲。

敵の数は、およそ一万五千。

周囲に展開しているだけで五千八百。

ジオ王は、おそらくレオンハルトの分身多数、もしくは洗脳処置したドラゴンなどの強力な敵に囲まれて、支援どころでは無いとみて良い。

ステルクとエスティは、今砂漠の砦の周囲にいる敵に猛攻を加えている最中。

クーデリアが、やるしかない。

できる限り手練れを連れてきたかったのだけれど。クーデリアほど早く動ける人間が、他にいない。

手練れ百五十からなる精鋭が、今現地に急行しているけれど。

おそらく彼らが到着した時には、修道院は蹂躙される。ロロナと手練れが十名以上いるとはいえ。

いくら何でも、今回ばかりは敵の数が多すぎるからだ。

豪雨の後だから、地面も滑りやすいけれど。

今のクーデリアには、そんなものは関係無い。

ひたすら走りながら、クーデリアはあらゆる事態を想定して、頭の中で戦術を構築する。ロロナを助けたいという思いはあるけれど。

それ以上に、如何に効率よく敵を殺すか。

頭をきちんと冷静に保ち。

敵を殺し尽くすことが出来なければ。

守りたいものだって、守る事はできやしないのだ。

国家軍事力級と呼ばれる使い手にまで成長して、今更にクーデリアは理解したことが一つある。

どんなに優れていても。

戦闘能力には、限界がある。

あのジオ王だって。

最強ではあっても、無敵では無いのだ。

ただ、クーデリアが辿り着けば。ロロナと協力して、突出した敵を壊滅させる自信はある。

そうなれば、スピアが受ける損害は計り知れない。

ロロナの話によると、おそらく敵がこうも躍起になっているのは、どうにか国内をまとめ上げたメギド公国の公女が、トトリに保護され。

そして、国境を抜けたことが原因であるらしい。

メギド公国は小国だが、大陸北西部の列強と渡りがつく上に。その戦略的価値は計り知れない。

それを上手く利用すれば。

アーランドと。ずっと南部諸国を蛮族と忌み嫌っていた北部列強が、連合できる可能性が出てくる。

此処に、今進めている道の作成が加わったとき。

スピア連邦は、守勢に立たされる可能性が出てきているのだ。

そして領土を広げすぎた上に。

ジェノサイド政策で恨みを買いに買ったスピアである。もし崩壊するとなると、その速度は凄まじいものになるだろう。

如何に一なる五人が国内で悪夢のような統治を行おうと。

或いは、いにしえの伝承にある悪しき兵器をよみがえらせようと。

もはや、その崩壊は、誰に求められなくなる。

あのレオンハルトが全力で動いても無理だろう。それだけ、崩壊の規模は途方も無いものになるはず。

メギドの公女には、意味がある。

問題は、大した素質を持たない盆暗だという話だが。

それに関しては、政治的に利用するだけのこと。

本人も、民の税金で生きてきた存在だ。

人形として使われることくらいは覚悟しているだろうし。していなかったとしても、力で躾ければいい。

クーデリアはそう言う思考が出来るようになっている。

途中、道程の山頂に停止。

一旦足を止めると、耐久糧食を立て続けに口に放り込み、飲み下す。

今までの加速で、かなりのパワーを消耗した。

急いで動けば、それだけ疲れるのだ。あのアーランド最速のエスティも、同じように、高速機動を続けた後は、相当に食べるという。

逸る心を抑える。

如何に早く到着しても。到着した時、疲弊しきっていては意味がないのだ。敵を蹴散らし、ロロナを救出するには、コンディションを保つ必要がある。

今回、レオンハルト本人は警戒しなくて良い。

奴は今、大陸北西部の列強を相手に、激しい陰謀戦の真っ最中だ。此方に手を回す余裕は無い。

しかし、敵の物量には気をつける必要がある。

その上、敵は。

命を惜しまないのだ。

気付く。

近づいてくる気配。

敵では無い。

クーデリアが見ている先に、そいつは姿を見せる。

ロロナの師匠のまた師匠。あのアストリッドが歪んだ原因となった女性とうり二つのホムンクルス。

ホムンクルスを束ねる長。

パラケルススだ。

「何かしら、こんな所に」

「助力するようにと言われて来ました」

「……」

誰の差し金だろうと思ったけれど。

考えてみれば、アストリッドに取ってみても、今回の件は痛手になる。ロロナを今や嫌っているアストリッドであっても。

ロロナが造り出した労働専門のホムンクルス「ちむ」には大きな興味を抱いているようだったし。

何より、ロロナがいなくなれば、この国は滅ぶ。

「それならば、この山を越えて、敵の背後で攪乱戦を実施しなさい。 私は正面からロロナを助けに行くわ」

「わかりました。 敵の斥候を皆殺しに、補給部隊を寸断すれば良いですね」

「出来るものならそうしなさい」

此奴は、造り主に似ている。

というよりも、似てきた。

最近は冷酷さが表に出るようになって来ている。まあ、それはアーランドの存在である以上仕方が無いが。

他のホムンクルスは無機質に見えて、心優しい者も多い。

此奴の人間くさい冷酷さは、明らかに異質だ。

パラケルススが消えるのを見送ると、クーデリアは腰を上げる。そして残像を残して、その場を離れた。

ロロナが籠城している修道院まで、此処から半日。

勿論、これは邪魔が入らなかった場合の計算だ。

敵も必死だが、此処をぶち抜けば、一気に戦況は味方有利に傾く。おそらく敵のホムンクルス生産拠点や、モンスターの洗脳拠点も、叩くことが出来る筈。そうなれば、無限とも言えた敵の物量を、崩せる。

ロロナやトトリが死ぬ思いをしてきたプロジェクトが。

一気に進展。

彼女たちの味わってきた地獄を、無駄にせずに済むのだ。

走りながら、クーデリアは銃を確認。

この特注の銃は、ロロナが賢者の石を作ったハルモニウムと同じ材質で作ってあり。どれだけ弾丸をぶっ放しても壊れない。

数百発に達する弾丸でピンホールショットを叩き込むことさえ今のクーデリアにはできるのだけれど。

その技を支えているのが、この特注の銃だ。

さあ、もう少し。

待っていなさい、ロロナ。

私が絶対に、貴方を助けてみせる。

心中で呟きながら。

クーデリアは、更に速度を上げた。

 

(続)