屍山退路

 

序、反撃開始

 

砂漠を横断する補給路作成に成功したアーランドが、不意に砂漠の果てに戦力を集結させた結果。

西側への攻勢を強めていたスピア連邦は全域における戦略の見直しを図られ。その結果、各地で混乱が生じていた。

もとより、あまりにも進撃の速度が速すぎた、というのもあるのだろう。各地に拡がりすぎた前線の何カ所かで、反スピア連邦の国家による、或いは連携しての。或いは単独での。反撃作戦が開始されていた。

ただし、戦況は一進一退。

浮き足立っているとはいっても、元々スピアは兵力が異常なほど多いのだ。景気よくスピアの軍を撃滅した戦場がある一方。返り討ちに遭った国もある様子だ。

だが。

今まで、スピアに対しては、有効策を打ち出せなかった各国は、確実に今回の一件で、勢いづいている。

それを後押しするように、アーランドも動き出す。

まず、砂漠の砦の完成を急ぎながらも、此処に国家軍事力級の使い手が三人集結したのである。

一人はエスティ。

今一人は、クーデリア。

そしてステルク。

ジオ王は現在、北方の戦線を悪魔族の部隊とともに転戦し続けており、敵の混乱を加速させている。

この隙に。

今回、場当たり的に敵が配置してきた押さえの部隊に打撃を与え、更に混乱を広げるのが目的だ。

砦には、他にもアーランドを代表する精鋭が集まっている。

人員は二百名ほどだが。それでも、その中にはランク8が30名、ランク9が11名と、考え得る最強の布陣だ。

ホムンクルスの部隊は、逆に国内に重点的に配置。

レオンハルトが侵入し、逆撃をかけて来る事を警戒して、要所の重点的警備を行っている。

アストリッドが守る砦にも、今回、数年前の会戦以後最大規模の戦力が集まっていた。

砦の城壁の上。

手をかざして、遠くを見ていたステルクの所に。エスティとクーデリアが来る。

今回、三人が精鋭三個小隊を連れて敵中に潜入。

ヒットアンドアウェイで、敵に可能な限りの打撃を与えるのが、戦略上の目的になる。二万五千程度の戦力では、此処の砦を抑えることが不可能。

そう思い知らせるのが、戦略上の目標。

そして目標達成の暁には。

スピアは更に多くの戦力を、この砦の抑えに廻さなければならなくなる。砦に攻めこんで来でもしたら、まさに思うつぼだ。それこそ、六万の兵を失った数年前の会戦を再現させてやるだけの事である。

この辺りの事は、既に六回の会議で話し合い済み。

これから、仕掛けるのである。

敵は現在、四つの砦に、それぞれ一個師団ずつを配置して、警戒に当たっている。今回狙うのは、左から二つ目。

七千の敵兵が詰めている砦だ。

兵といっても、人間の戦士はもはや一人もいないのだが。

まず、作戦は簡単。

連携を断つ。

此方の砦を囲む四つの砦には、それぞれ六千程度の敵兵がいる。これに対して、ステルク、エスティ、クーデリアが、単独で攻撃を仕掛ける。

単独で、である。

勿論、相手の数が数だ。

しかも、要害に依っている状態である。敵を殲滅するのは不可能だ。

だが、敵の砦に対して、攻撃を続ける事により。相手の耳目を引きつける事は、容易である。

問題はレオンハルトが分身を連れて出てきた場合だが。

それに関しては、問題ない。

今、スピアと大陸北西側列強との間で、大規模な会戦が行われており、レオンハルトは其方に出向いているという報告がある。

分身なら少しはいるかもしれないが。

もはや、国家軍事力級の使い手の前に、レオンハルトの分身が一人や二人では、害することは不可能だ。

そして、敵が充分に混乱したところで。

砂漠の砦に控えている本命の戦力が。

攻撃目標の敵砦を蹂躙する。

二百対七千の戦いだが。

この場合、アーランド戦士の質。敵のまとまりのなさを考えると、此方が有利である。

勿論、砦を落とされないために、わずかな兵は此処に残る事になるし。作戦が失敗した場合には、砂漠の退路から、敗残兵を下がらせることになる。その場合も、砂漠の砦が、圧倒的な盾となり杭となって、敵の侵攻を食い止めるだろう。

作戦は、既に話す事も無い。

クーデリアが咳払いして、自身の武器である銃の状態を確認しながら言う。

「幾つかのイレギュラーについては、想定しておかなければならないわね」

「君はどのようなイレギュラーを想定できる?」

「たとえば、一なる五人が姿を見せる。 以前現れた、強化改造ドラゴンが姿を見せる」

そうだ。

強化改造ドラゴンは、今の時点で、敵の中にあまり多くは見られない。

スニーシュツルムにしても、フランプファイルにしても、相当な手強い相手であったのに。

戦力として温存しているのか。

或いは、何かしらの目的があって、わざと戦場には出さないのか。

わからないけれど、確かに警戒する必要はありそうだ。

そして、一なる五人。

以前、オルトガラクセンでジオ王が交戦した以外は、謎に包まれている使い手達。連中のリーダーは、ジオ王と互角に渡り合ったという話で。もしもそのレベルの使い手が五人いるのだとすると、かなり危ない。

だが、どうしたことなのか。

ここ数年、連中の目撃報告は無い。

何処かに隠れているのか、それとも。

此方も、何かしらの目的があってやっているのか。

「いずれにしても、我々の目的は陽動だ。 無茶はせず、危ないと思ったら、すぐに引き上げて欲しい」

「ステルク君、質問」

「何ですか、エスティ先輩」

「もし、敵に大規模な援軍が現れた場合は、どうする?」

今の時点では、それは考えにくい。

だが、もしもその場合は、攻撃部隊を撤退させるしかないだろう。如何にアーランド戦士が強いと言っても、数の暴力はそれを凌ぐ破壊力を有しているからだ。

他にも、幾つか細かい打ち合わせを終えると。

三人は、その場で姿を消す。

それぞれ、高速移動で、目的地へ向かったのだ。

移動しながら、ステルクは剣を抜く。

戦いはいい。

無心になれる。

アストリッドを救う事が出来ず。ロロナを過酷な運命から助け出すことが出来ず。騎士どころか、自分を殺戮者なのでは無いかと思うこともしばしある。

そんな毎日の中。

戦いに身を置いているときだけは、無心になれる。

鎖に縛られたアストリッドが、血まみれで此方を恨めしげに見ている夢。そんなおぞましいものを、ステルクは時々見てしまう。

ロロナが彼方此方からのびた鎖に絡め取られ。

地面で痛い苦しいと呻いている姿を、夢に見てしまう。

それが、自分の罪悪感から来る事を、ステルクは理解していて。

故に、どうすることも出来ない。

二人を救いたい。

特にアストリッドは、一度愛した女だ。どうにかして、永劫の地獄から、解放してやりたい。

だがその方法が、どうしても思い当たらないのだ。

彼女を苦しめたのは、民衆の業そのもの。研究としては、この国を支えたのに。わかりにくいという理由だけで、アストリッドの大事な人を迫害した愚民達。アストリッドが、そんな民を許すはずがない。

そして決定的にその感情がこじれたのは、ロロナの存在だ。

ロロナ自身も、わかりにくい研究を行って、わかりにくい成果を上げたのに。周囲はそれを受け入れた。

アストリッドの師匠の方が。明らかに、この国へ貢献する研究をしたのに。

それが理解できない民衆という存在が。アストリッド自身を縛る鎖になっている。かといって、民衆に何をすれば、アストリッドの師匠が再評価されるのかは、わからない。ホムンクルス達の産みの親は、何しろアストリッドだ。実は違う人間が中枢部分を完成させていたと今更言ったところで、評価が覆るだろうか。

何より致命的なのは。

アストリッドの師匠が迫害の末に孤独死したと言う事。

ホムンクルス達が、アストリッドの師匠に非常によく似ている事。特にリーダー格のパラケルススに到っては、うり二つと言う事。これがそもそも、アストリッドがどれだけの鬱屈と歪みを抱えているか、良い証拠になっている。

走る。

色々な人に相談もした。しかし、誰もが解決策を思いつかなかった。

鎖を断つ方法が、どうしても思いつかない。

それが歯がゆくてならない。

砦が見えてきた。

敵の数はおよそ六千。

人に似た者も。そうで無い者も。多数が群れているが、何とも隙だらけだ。多分配属されたばかりで、誰もが何をすれば良いのか、よく分かっていないのだろう。数だけ揃えたという雰囲気である。

容赦をする理由は無い。

ステルクは剣に魔力を貯めていく。

雷の魔術に関して、ステルクはこのアーランドでも随一の使い手だ。剣と組み合わせた戦闘技術は、二十年後にはジオ王に届くかもしれないとさえ言われている。その技術を惜しむことなく。

まだステルクに気付いていない敵の頭上から。

無慈悲な稲妻の群れとして、叩き付ける。

そうされた敵の大半は。

自分が何をされたかもわからないうちに、消し炭になる。

轟音。

遠くで、クーデリアが戦いはじめたか。

あの娘は、ここ数年で自分の火力を極限まで高め挙げた。単純な火力に関しては、ステルクさえも凌ぐ。

走りながら、ステルクは敵の群れに、もう一度雷撃を叩き込む。

すぐに敵も、混乱から立ち直る。

群れになって、押し寄せてくる。

四方八方からの飽和攻撃で。対応する暇も無くして、ステルクを屠るつもりだ。判断としては、間違っていない。

間違っているのは。

ステルクには、この砦を落とす気が無いと言うこと。

走りながら、稲妻を何度も投擲。

敵を焼き払いながら、じりじりと砦から距離を置き。敵が追撃を緩めようとした瞬間、敵陣に稲妻を降らせる。

そうすることで、敵の追撃を、強引にさせる。

追撃を誘いながら、敵を攻撃し。

その過程で、嫌でも飛んでくる無数の魔術や矢が、ステルクを掠める。今の時点ではクリーンヒットは無いが、それも時間の問題。

敵はそれこそ、雲霞のように押し寄せてきているのだから。

事前に打ち合わせしていた、谷に走り込む。

此処なら、一度に多数を相手にしなくても大丈夫だが。しかし、頭に血を上らせた戦闘用ホムンクルスや、洗脳モンスターが、怒濤のように押し寄せてくる。

中には、かなり質が高い者もいる。

今の時点で、エスティとクーデリアの気配は戦地にある。

二人とも、それぞれ六千の兵を引きつけて、激しく戦っているのだ。そして、そろそろ、本隊が動くはず。

突進してきたのは、脳改造されたベヒモス。小柄だが、それでもステルクの背丈の四倍くらいはある。

味方の死体を踏みにじりながら、突進してくるベヒモスを。ステルクは大上段に振りかぶった剣で、一刀両断に。

鳥のようなモンスターが、急降下攻撃を掛けてくる。

今の一撃で出来た隙を突かれ、わずかに掠めて、切り裂かれる。

勝てる。

敵はそう思っただろう。

谷を、さらにステルクは下がる。

追いすがってくる敵を斬り伏せながら、そろそろかなと思う。だが、まだ味方の合図はない。

何か、問題が発生したのかもしれない。

味方の総指揮は、砂漠の砦を任せているマッシュが行っている。

老練な男だ。

まさか、ミスをするとは思えないが。

攻撃魔法が、多数飛来。

爆発が連鎖。

ステルクの堅い守りを、一部が貫いて、体を切り裂く。少しずつ、消耗がひどくなってきている。

無限の時間持ちこたえるのは当然不可能だ。

エスティやクーデリアも、今頃はそろそろ、苦戦に転じ始める頃だ。ステルクは既に敵を三百以上は倒したが。それでも、敵はまだ九割以上が無事なのである。

どかんと、凄い音。

狼煙である。

どうやら、ようやくだ。色を見ても、攻撃開始の合図に間違いない。

敵が不審そうに狼煙の煙を見ているが。その隙に、駆け寄ったステルクが。敵の指揮官級の首を、刎ね飛ばしていた。

お前達の相手は、私だ。

そう言うまでもなく、ステルクを取り囲んだ多数の敵が、一斉に躍りかかってくる。

しばし、殺戮の舞踏は続く。

 

呼吸を整えながら、砦に戻る。

どうやら、味方の勝利であったらしい。敵の砦には壊滅的な打撃を与えたと、マッシュから報告を受けた。

砦そのものも、破壊し尽くしている。

しかし、どうもその報告に、妙な点がある。

「味方の被害が異様に小さいな」

「原因はあちらですな」

顎をしゃくるマッシュ。

なんと、敵から降伏してきた一団が、砦の中で膝を抱えている。どれも人間型ホムンクルスばかり。

数は五百を軽く超えているだろう。

「敵の造反戦力です。 砦を攻撃する少し前、此方の砂漠砦に姿を見せまして」

「乱暴にはしていないな」

「勿論ですよ。 どうやら砦の中で何かがあったらしく、今尋問の最中です」

エスティと、クーデリアも戻ってくる。

クーデリアは左腕から、鮮血がしたたり落ちていた。彼女が三人の中で一番実力的には劣ることを示しているかのようだ。

とはいっても、エスティもステルクも負傷している。

戦いにつきものの、時の運もあるのだ。

話を聞いていたエスティが、尋問を変わると言って、城壁を降りていく。ステルクは、クーデリアに、どう思うと聞いてみる。

自分で手当を淡々としながら。

クーデリアは、降伏してきた敵の一団を、一瞥した。

「慎重に対応する必要があるでしょうね。 少なくとも、味方の戦力としてはカウントできないわ」

「それは同感だ。 どうすれば良いと思う」

「一度後方に下げて、ロロナにでも対応は任せましょうか」

「それがよさそうだな」

戦場を見ながら、ステルクも城壁を降りていく。

敵の損害を、今のうちに分析しておく。

ステルク達三人が、合計で千二百ほど殺した。

目標だった七千の敵は、壊滅。生き残った兵力は一割もいないと言う話だったから、これが六千と考える。

そうなると、二万五千が、一万八千にまで減ったことになる。

しかも、負傷者の数を考えると。しばし戦闘は不可能になると判断して構わない。敵の無力化には、成功したのである。

城壁を降りると、降伏した敵の様子が明らかになってくる。

ホムンクルス達は、みな痩せていて。露骨に虐待を受けたとわかるものもいた。

エスティに尋問されている指揮官級は、分厚い鎧を着込んでいて、騎士のよう。素顔も人間とあまり変わらないことを、ステルクは知っている。

これは、どういうことなのか。

エスティが此方に気付いて、咳払い。尋問を切り上げる。

「先輩、これは」

「一種の奴隷兵ね」

「奴隷兵?」

「奴隷を戦士階級として扱ったものよ。 他はともかくとして、スピアでの待遇は最悪のようね。 おそらく戦闘向きでは無かったようなホムンクルス達を無理矢理武装させて、捨て駒として使うつもりだったのでしょう」

瞬時に、噴火しそうになる。

卑劣な。

一なる五人がゲスの集まりだと言う事は知っていたが。連中の本性を知れば知るほど、和解は不可能だと思えてくる。

砦に留守居で残っていた味方の戦闘用ホムンクルス達が。思考制御に使っている機械がまだ埋め込まれていないか、丹念に調べて廻っている。

時々見つけて、力尽くで引き抜いているようだ。

その度に血がしぶく。

幸い、ホムンクルスは、その程度では死なない。

味方の負傷者の手当は、もう終わっている。

ステルクも一旦地面に座ると、他が終わって此方に来た医療魔術師に、回復を任せる。

見ると以前プロジェクトMに関わったリオネラだ。夫である騎士も、一緒に戦場に来ている様子である。

回復をしてもらいながら、ステルクはもう一戦行けるかと考える。

既に、今回の戦いでは、今年に入ってから最大規模の交戦が行われている。このまま戦闘を続ければ、敵も本腰を入れてくる可能性が高い。

だが、壊滅させた砦が、敵の連携中枢になっていたから。今なら、他の砦も、ダメージは大きく。

集中攻撃を掛けていけば、一気に叩ける可能性も高い。

敵をそれだけ削り取れば。

敵が無限では無い以上、スピアに苦しめられている人々を、それだけ多く救えることになる。

クーデリアが来た。

腕には軽く包帯を巻いているだけだ。

深刻な表情をしていると言う事は、何かあったのだろう。

「どうした」

「緊急事態。 ジオ王が率いていた悪魔の部隊が、敵の奇襲により大きな打撃を受け、国境近くまで引き上げて来ている様子よ。 今ジオ王が殿軍になって、敵を食い止めているけれど、このままでは大きな被害が出るでしょうね」

「援軍が必要か」

頷かれる。

そうなると、此処での攻勢は一旦中止にした方が良いだろう。

「ロロナに指示して、トトリを連れて行ってもらうわ。 それと、待機している医療術師を中継地点に連れていくわね」

「くれぐれも、気を付けるように連絡をしてくれ」

「……」

クーデリアは、ステルクを一瞥。

あまり、好意的な視線では無かった。

無理もない。

ステルクは、結局。クーデリアが誰よりも大事に思っているロロナを過酷な運命にあわせ続け。

そして救う事が出来なかったのだから。

治療と尋問が一段落したところで、ステルクはエスティの所に行く。

「エスティ先輩。 陛下が担当している戦線は敗退しましたが、此処での敵への攻撃は続行するつもりです」

「攻撃と言っても、これから敵の増援が出るのは確実よ。 陛下の方の戦線が思わしくないと言うから、クーデリアちゃんは遊撃に廻す必要があるし、私が敵の増援を押さえ込むとして、攻撃はステルク君一人で?」

「ええ。 断続的な攻撃を続けて、敵の内通を望む勢力の離反を促します。 それに戦闘が断続的に続けば、スピアはそれだけ此方に戦力を回さざるを得なくなる。 他の戦線が、有利になります」

この戦い方は、むしろジオ王に近い。

自分の圧倒的な実力に自信があるジオ王は。機動力を駆使して、多数の敵を翻弄するのを好む。

ステルクは、其処まで好戦的では無いが。

しかし、悪を撃つと自分に言い聞かせれば。

戦う事で、頭を真っ白にも出来る。

だから、それで良かった。

「わかったわ。 此方は戦力を整えておくように指示しておくから。 それとこの子達は、順番にアーランド王都に向かわせて、ロロナちゃんに後で処置させるわね」

「お願いします」

まだ、負傷は癒えきっていないが、それもまた一興。

ステルクは城壁に出ると。

虚空へ身を躍らせ。敵に向け、殺意を全開にした。

 

1、慌ただしい出立

 

エンデラから帰還して、数日はトトリもゆっくり出来たけれど。

その間も自分のペースで棒術の修練をして。ロロナ先生に教わった魔力の練り方も試して。

錬金術の勉強もしていると。

あまり、休む事はできなかった。

ただ。野宿や徹夜作業に比べるとぐっと楽ではあるし。

何より緊迫感が段違い。

失敗が非常に危険な事態を招く状況にいる時と比べると、やはり気が緩んでしまうのを、トトリも感じる。

しかし、その緩やかな時間も。

四日で、終わりを告げた。

慌ただしく、ロロナ先生が戻ってきたのである。丁度酒場に、お仕事を探しに行っているという話だったのだけれど。

つまり、鳩便で、急用を貰ったのかもしれない。

「トトリちゃん、アーランドのアトリエに急いで来てね。 私は先に行って、準備をしておくから」

頷くと、すぐにロロナ先生は飛び出していった。

トトリも後を追う必要がある。

今回の件、あの慌てようからして、かなり危ないと見た。

酒場に行く。

メルお姉ちゃんはいない。多分、ロロナ先生が連れて行ったのだろう。

ジーノ君とミミちゃんは。

いるなら、声を掛けたいところだけれど。

ジーノ君は少し前に、アーランドに戻ったという。やはりあちらの方が、戦闘関連の仕事が多いから、というのが理由だそうだ。

ミミちゃんは、いた。

声を掛けると、すぐに無言でついてくる。ロロナ先生が行ったのを、見ていたのだろう。

歩きながら、話す。

多分知っているだろうと推察するのは良いのだけれど。一応声を掛けておく方が良い。経験的に、トトリはもうそれを知っていた。

内容のすりあわせをする。

途中、ふとパメラさんのお店を覗く。

今回厳しくなるかもしれない。回復薬は、たくさん仕入れた方が良いだろう。

かなりお値段が張るけれど。

伝説のお薬である、ネクタルもこの辺りで入手しておくか。

実は、ロロナ先生のレシピにあったのだ。ネクタルの作り方が。まだ材料が揃っていなくて作れないけれど。

本物を見て、参考にするくらいはありだろう。

パメラさんは、アランヤに来る度にお世話になる。

年齢不詳のきれいなお姉さんだけれど。どういうわけか、ミミちゃんはいつも不安そうにパメラさんを見るのだった。

軽く話をして。近況などを説明した後。商談に移る。

荷車に二十人分のお薬を積み、すぐにアトリエで、コンテナに移す。荷車には、コンテナから出した数人分だけを入れる。

これは移動中に、何かあった時のためだ。

その後は、馬車のスケジュールを確認。

明日には来る。

そうなると、来るのを待った方が良いだろう。その間に、出来る準備は、全てしておこうと、トトリは決めた。

ミミちゃんには、明日アランヤを出る事を告げる。

居間にいるお父さんとお姉ちゃんにも。

お姉ちゃんは寂しそうに眉をひそめたけれど。お父さんは、それについては、もう何も言わなかった。

後は、アトリエに籠もって、ひたすら調合。

夜が来るまでに、ヒーリングサルブを三十セット作成した。

ロロナ先生にはだめ出しされてしまったけれど。

一応、慣れてはいるのだ。

これくらいなら、特に苦労もせず出来る。

作業を済ませた後は、早めに寝る。

ベッドで横になると、すぐ眠れるようにもなっている。これは野宿同然の過酷な環境で、過ごし続けたから、だろう。

早朝に、起き出すと。

荷車を引いて、すぐに馬車の所に。

ミミちゃんはもう待っていた。

ペーターお兄ちゃんは。何かを此方に投げて寄越す。青いリンゴ。途中で通った村の、特産品らしい。

「味見してくれるか」

「うん。 ……! す、すっぱい!?」

「だろうな。 サワーアップルというそうだ」

「これ、そのままじゃ、食べられないよ」

と言いつつも、トトリはしっかり食べきる。ペーターお兄ちゃんは、前より少しは感情表現が豊かになって来ているけれど。

今日は笑わない。

「何かこれを特産として売り出す方法はないか」

「そのまま食べるのは無理だよ。 料理するとか、或いは錬金術の素材にするとかなら……」

「良い案があれば教えてくれ。 後で一箱くらいはやる」

口の中のもの凄い酸っぱさが消えてくれない。

渋い顔をしたまま、馬車に乗る。

前と違って一週間でアーランドにつくけれど。その分凄く早くなったから、眠っているうちに到着とはいかないのが厳しい所だ。

しばし、馬車に揺られる。

その間、色々な人が乗ったり降りたりしていった。

森の中から、視線を感じる。

リス族が此方を見ていることが多い。森の警護を、相当量彼らがやってくれているのは、とても心強い。

相手が気がついた場合は、笑顔で手を振る。

そして、自分でも気付く。

相手が気付いていることに。気付けるくらいに、いつの間にかトトリは、感覚を研いでいたのだと。

 

アーランドに到着。

ロロナ先生のアトリエに行くと。ロロナ先生が、見慣れない機械を運び込んでいた。何だか、四脚がついた箱のようだ。

「ロロナ先生、それは?」

「うんとね。 トトリちゃん、妹と弟なら、どっちが欲しい?」

「え……?」

またそれは、唐突な質問だ。

ただ、トトリの場合、末っ子だったので、妹がいたら良いなあとは思う。弟に関しては、いい。

というのも、年下の男の子が何人か村にいたのだけれど。

彼らは、ジーノ君が咎めなければ、確実にトトリを迫害する側の人間だった。事実、酷い事もたくさん言われた。

今は、もう。

流石に、トトリに何か酷い事を言う人はいなくなった。

業績が知られたかららしいのだけれど。

トトリとしては、あの頃のことは、まだ覚えているし。できれば、思い出したくもないのである。

「妹、です」

「そっか。 じゃあ、近々作ってあげる」

「え? 作る?」

「じきにわかるよ」

ロロナ先生は、アトリエの外に大きな馬車みたいな荷車を着けると。何人かのホムンクルスと一緒に先に行ってしまった。

34さんが残る。

彼女が、行き先に案内してくれるのだろう。

普段とは違って、本当に忙しそうだ。

ミミちゃんが呆れたように、ため息をつく。

「これは、今回も地獄よ」

言われなくても分かっている。

そして、多分だけれど。

前回、エンデラで行った作業については、冒険者ランクを上げるにあたわずと、クーデリアさんが判断したのだろう。

しばらくはランク5だ。

ランク6にむけて、ちまちまと作業をして行くしか無いのである。

トトリも、自分用の荷車に、お薬をつみながら、34さんに聞く。彼女は、今回の仕事について、かなり辛辣なことを言った。

「今回は、敗残兵の救援です」

「敗残兵、ですか」

「少し前に、敵地で作戦行動中の部隊が奇襲を受けました。 その時に負傷した者達が、今国境近くの廃修道院に逃れてきています。 先発隊が保護してはいますが、回復が追いつかない状況です」

なるほど、そう言うことか。

敵地というと、間違いなくスピア連邦だろう。味方が負けたというのなら、とても心配だけれど。

しかし34さんによると、むしろ今回の戦いは、一連の中で負け戦もあるけれど。全体的には圧勝ムードだとか。

それはむしろ危ないのでは無いかとトトリは思ったけれど。

ミミちゃんと手分けして、ついてきてくれる人を探す。

酒場に出向いて、医療魔術が使える人はいないかと声を掛けたけれど、誰もいない。ジーノ君も、今回はお仕事に出た後で、捕まえられなかった。

ナスターシャさんはいたけれど、マークさんは砂漠の砦からまだ戻っておらず。

結局、34さんとナスターシャさん。それにナスターシャさんが連れている、フードを被った子供で現地に向かう事になった。

何が起こるかは分からないけれど。

今のこの戦力ならば、あるいは。

気になるのは、王宮にクーデリアさんがいなかったこと。普段トトリが出向くときは、だいたいいるのに。

トトリの耳には入っていなけれど。

余程大きな事が起きている事は、ほぼ間違いがなさそうだった。

ロロナ先生に言われていた場所は、まずアーランドから北の街道に出る。その後、コルコットという村まで行って、其処から西の街道へ。

三つ目のキャンプスペースから北へ。

この時、かなり危険な荒野を横切ることになるらしいので、注意するようにと、念を押された。

北に二日ほど進むと。

其処には、旧時代の建物が残っている。

仕事は其処で行うと言う。

とにかく、だ。

ロロナ先生が先に出ていると言っても、油断は出来ない。

以前からお薬を負傷している人達に納品しているとき。散々に思い知らされたからだ。手数はあったほうがいい。

どれだけ一人で頑張っても。

手数が足りないときは、どうしようもなくなるのだと。

もたもたはしていられない。

おそらく今回起きているのは、相当な大事。

敗残兵の救助だと34さんは言っていたけれど。きっとそれだけでは収まらない気がしてならない。

準備が整い次第、王都の東門から出る。

北への街道は、人もまばら。

いや、違う。

どうも全体的に、彼方此方の警備に人が殆ど見られない。戦闘用ホムンクルスばかり、見かける。

つまりこれは、人が殆ど出払っている、ということだろうか。

今、この国が戦争をしていることは理解はしていたけれど。

これは、予想以上に大きな戦いが、あったのかもしれない。

もし今回のお仕事が。

その大きな戦いによる負けが原因だったら。

34さんは、戦闘そのものは全域で圧倒しているという事を言っていたけれど。トトリを心配させないためかも知れない。

心なしか、急いでしまう。

それに、今のうちに、覚悟を決めておかなければならないだろう。

今まで見てきた以上の地獄が。

其処には、あるのかもしれないのだから。

 

途中、短距離を、乗り継ぎ馬車で代用することが出来て。予想よりも、少しだけ移動するための時間が短縮できた。

焦りばかり募るけれど。

皆に言われて、睡眠だけはしっかりとった。

お薬を満載した荷車を引いて、現地に急ぐ。

多分ロロナ先生は、とっくに現地に到着しているはずだ。ロロナ先生だけで全て片付くなら良いのだけれど。

事はそう簡単では無いだろう。

「トトリ」

ミミちゃんが、袖を引く。

見ると、荒野の先で、蠅が集った巨大な死体がある。何の死体かはわからないけれど、悪魔でもベヒモスでも、ドナーンでもなさそうだ。

何とも原型がよく分からない形状で。

上下を真っ二つにされて、朽ち果てていた。

異臭がひどい。

死体から零れている体液は、薄白いようだ。雰囲気的には、モンスターではなくて、凄腕の戦士に殺されたのだろう。

正体は分からないが、急ぐことにする。

更に行くと。

荒野で、点々と死体があるのを見かける。

たまに、大型小型のモンスターが、しがいを漁っているけれど。

それも、トトリと戦おうとはしない。

近づきさえしなければ、しがいを漁るのに夢中で、警戒音さえ立ててはこなかった。

よく考えると。

この辺りも、戦場になったのかもしれない。

まだアーランドの領内だというのに。

いずれにしても、状況がよく分からない現状、安易な判断は危険だ。

出来るだけスカベンジャー達は相手にしないようにして、先に。もう少しで、ロロナ先生が指定してきていた。合流地点である。

荒野に起伏が出てくる。

この辺りは、ほぼ緑化作業もされていないようだ。

それに、気付く。

何というか、もの凄く寒いのである。

ぱきりと、音がした。

気がつくと、骨を踏んでいた。

しかもこれ。

どう見ても、古い時代の人骨だ。

「こ、これは?」

「白骨の野」

ナスターシャさんが、知っていた。彼女は笑顔を作るでも無く。淡々と、この場の悲劇について言及する。

古い時代が、何かしらの理由で滅びたのは、誰もが知ることだけれど。

この近辺は。

その古い時代の人々が、何かしらの理由で逃げ延びてきて。そして何かしらの理由で、皆殺しになった場所だと言う。

人為的な殺戮ではなかったのではないか、という研究もあるらしい。

多くの白骨を調べたところ、どうやら外傷らしきものがなかったから、というのがその理由だ。

その一方で、である。

骨そのものが、非常に劣化しているケースも多かったという。

古代、此処で何が起きたのか。

今や、誰も知る者はいない。

時々人骨をどけながら、トトリは急ぐ。まだ形が残っている人骨もかなり多くて、思わず目を閉じてしまう。

子供の人骨も、たくさんある。

苦しんで死んでいったのだろうか。

それとも、みんな楽に死ぬ事が出来たのだろうか。

理由はわからない。

本当に一体、この世界で昔、何があったのだろう。

誰かがこの悲劇を引き起こしたのだとしたら、それは絶対に許されることでは無いと、トトリは思う。

丘を越えると。

巨大なくぼみが、地面に出来ていた。

水が溜まっているような事も無い。トトリも知っている。これはいわゆる零ポイント。汚染がひどすぎて、緑化作業さえされていない土地だ。

迂回しながら、北へ。

零ポイント周囲にさしかかった辺りから、骨が殆ど無くなってきた。

それだけは、幸いかもしれない。

もうキャンプスペースがないから、休むときは野宿するしかない。荒野だから、周囲には何も無い。

見晴らしが良い反面。

此方に対して攻撃をもくろむ存在からは、丸見えでもある。

交代で見張りをしながら、今日は休む。

34さんに聞いてみると。

彼女は、あと一日くらいで、現地に着くはずだと教えてくれた。それなら、ようやくという所か。

此処は、地獄だ。

現在進行形では無いけれど。あの膨大な白骨の数。

ひょっとして、アーランドの人口なんかよりも、ずっとずっと多いかもしれない。古い時代に、人間は一体、世界で何をしていたのか。

悲しみを覚える。

だけれども。ナスターシャさんは。

天幕の中で寝付いている幼子を時々視線で確認しながら。とても悲しい話を、トトリにするのだった。

皆で囲んでいるたき火が、ナスターシャさんの顔に、強い陰影を作る。

「世界的な観点で見るとね、あの手の白骨の野は、珍しくもないようなのよねえ。 私が知る限りでも、アーランド以外でも七カ所にあるのよ」

「ひどい、話ですね」

「本当に一体、古い時代の人間共は、何をしていたのやら」

他人事のように、くつくつ笑うナスターシャさん。

先に休んでいるミミちゃんが聞いたら、苛立ちのあまり食ってかかったかもしれない。34さんは、そもそもトトリとナスターシャさんの会話には、入り込もうとしない。黙々と、持ち込んでいる燻製肉を炙っていた。

丁度良いあんばいに焼けたので、34さんが肉を差し出してくる。

複雑な感情に翻弄されながらも。

肉だけは美味しいのだから、世の中は色々と不思議だ。

「ナスターシャさんは、ああいうひどい光景を、他にも見た事があるんですか?」

「あるもなにも。 私の村は、白骨の野のすぐそばにあったのよ。 白骨の野といってもね、指輪とか高価な品を身につけている死体もあるし、売り払えばお金になる。 そう言うことを考えて集まってきた連中の村だったから、とにかく色々と過酷でね」

もはや人骨である事なんて、お構いなし。

いらないのはすてる。

場合によっては、砕いて脇に寄せてしまう。

お宝を抱えた骨は、宝だけ強奪して、同じようにする。

まさに、浅ましいこの世の業が、凝縮されたような光景だったと。愉快そうに、ナスターシャさんはいうのだ。

「多分偶然だろうけれど。 そのせいか村の連中はみんな寿命が短くてね。 幽霊がきた、大勢が此方を見てるって叫びながら、発狂死する奴もいたわ。 住んでる奴が揃いも揃ってあれな奴らばかりだし、まあ仕方が無いかな」

けらけらと笑う。

一緒に笑う気には、トトリにはとてもなれなかった。この人の蓮っ葉っぽい不思議な言動の影にあるものが、何となく見えたような気がしたからだ。

白骨の野は盆地になっていて、彼方此方から水が流れ込んだ跡が露骨に分かるくらいである。

つまり此処でたくさん人が死んだのでは無い。

きっと、此処には。

たくさんの亡骸が、押し流されて集まったのだ。

伝承ではたくさんの人が殺されたと言うけれど。それはおそらく、あまりに凄惨な死体の山を見た人が、そう伝えたに違いない。

悲惨な光景を想像して、トトリは口を思わず押さえてしまう。

伝説に出てくる地獄は。

きっと、過去にあった出来事が、伝わったものなのだとさえ思えてきた。

一晩此処で過ごしてから、その場を離れる。

アーランドの国境付近になると、森があるか荒野か極端だというけれど。トトリが向かっている先は、完全な荒野。

それも、険しい山々が連なっている地域だ。

くだんの修道院は、其処にあるという。

足取りが重くなるけれど。

もたついていると。

救える命を、大勢取りこぼすことになる。

 

修道院という建物は、なんというか。現在アーランドにあるものと似たような形状をしていた。

ただ、建材がわからない。

土なのか泥なのか。少なくとも煉瓦では無くて。

外から見ると、一枚の岩で作り上げたかのように、ぴっちりと組み上がっていた。それでいながら、土で作った家のような、質感がないのである。

そしてその壁には。

もの凄い高温で、焼き付けられた跡が、露骨に残されていた。

建物の一部は砕けた跡がある。

ただ、今は其処に覆いが掛けられていて。風雨が吹き込まないようにはされているらしい。

建物の周囲には、申し訳程度の塀。

これは、外敵を防ぐためのものとは思えない。

何しろあまりにも薄く、背が低いからだ。

それに堀もないし、敵の侵入を防ぐための返しや、銃座の類も付けられていない。戦闘目的の建物ではないのだろう。

それに建物の周囲の塀はより被害が大きくて。どこもかしこも崩れたり、拉げたりしていた。

修道院という建物だとすぐに特定できたのは。

以前見たような悪魔族の戦士が、見張りについていたからである。ホムンクルスの戦士も、何名かいる。

彼らは一瞬だけトトリに警戒したが。

修道院の奧から、ひょいとロロナ先生が顔を出すと、警戒を解いてくれた。

ロロナ先生の使っている馬車が、よく見ると修道院の側に横付けされている。積み木細工のような形の建物は巨大で。

大きな馬車も、子供のオモチャのようだった。

「トトリちゃん、こっちこっち!」

「ロロナ殿、知り合いか」

「うん。 私の弟子だよ」

ロロナ先生の側にいるのは、左腕がない大柄な悪魔族の男性。肌は青く、上半身は剥き出し。たくましい筋肉は見るからに頼もしく。額から生えている三本の角は、どれもねじくれていた。

ガンドルシュと名乗った悪魔族の男性は、ロロナ先生の四倍も背丈があるけれど。

先生を素直に尊敬している様子で、トトリにもある程度の敬意を払ってくれた。

修道院とやらの中に、案内されて入る。

むっとした血の臭い。

中に点々と寝かされているのは、悪魔族達だけではない。ひどく負傷したホムンクルスの戦士もいる。

医療魔術師も既にいる様子だけれど。

手が足りていないようにしか見えない。

ロロナ先生が、せっせとお薬を調合しては、周囲に配っているようだけれど。それも、いつまでもつかどうか。

「ひどい有様ですね」

「トトリちゃんの持ち場は、此処じゃないよ」

「えっ……」

「薬を用意しておくから、此処から北に向かって。国境を越えた辺りに、幾つかの部隊が足止めを喰らって、立ち往生しているの。 彼らに医療を施して、此処まで来られるようにするのがお仕事」

流石に、戦慄が背中を駆け抜ける。

それは、今までの仕事の比では無い危険度だ。

34さんが言っていたように、これは戦争の結果。しかも負け戦の結果なのだ。つまり敗残兵の救出と言う事は。

追撃に来ている敵部隊と、遭遇する可能性が高い。

しかもスピア連邦の追撃部隊となると、どれだけ残忍非道か、見当もつかない。

脚が震えるのがわかる。

でも、ロロナ先生は、ほろ苦い笑みを浮かべた。

「私と専属のスタッフは、此処にいるメンバーを救うので手一杯なの。 今、援軍を呼んでいるけれど。 それが到着するまでにもたついているだけで、助けられない命が大勢出るの」

「ちょっと、そんな無茶な命令を、精々中級ランクの冒険者に……!」

ミミちゃんが食ってかかるけれど。

ロロナ先生が顎でしゃくる。

34さんと、それに今ロロナ先生の側に控えている猛者、ガンドルシュさんがついてきてくれるという。

34さんの実力は、トトリも良く知っている。

ガンドルシュさんはわからないけれど。悪魔族は魔術も格闘戦も、生半可な力量では無いと聞いたことがある。

一緒に来てくれれば、確かに心強い。

それにロロナ先生は、幾つか凄い薬を分けてくれた。

トトリがパメラさんの所で買い込んだ超回復薬。死者さえ蘇生させるという噂がある、ネクタルである。

「それと、敵の追撃部隊は、思ったよりも少ないと思う」

「どうしてですか?」

「アーランド最強の戦士が、片っ端から倒しているから」

ロロナ先生の言葉に、ミミちゃんが背を心なしか伸ばす。

多分それは。

恐らくは、アーランドの王様。

ジオ王だろう。

トトリも知る、通称世界最強。この大陸において、右に並ぶ者無き武人と言えば、アーランドの誇りたるジオ王である。

既に五十代だという話だけれど、その圧倒的な実力にはまるで衰えがなく。単独で一軍を容易に蹴散らすとか、ドラゴンさえ凌ぐ実力を持つとか。

アーランドに何名かいる国家軍事力級の使い手の中でも、更に図抜けた戦士。

文字通り、戦士の中の戦士。

最強の中の最強だ。

「急いで。 如何に陛下でも、万を超える敵をいつまでも支える事は出来ないと思うから」

「わかりました!」

まだ乗り気では無い様子のミミちゃんの腕を引く。確かにこれは、時間との勝負だ。

怖くないと言えば、嘘になる。

修道院を出ると、北には険しい山道が続いている。

荷車を引いて、トトリはすぐに山道に入り込んだ。

此処からは、おそらく。

今までとは比較にならないほど、厳しい状況になる。

「味方の位置は、大まかに私が分かる。 一番遠い味方から、救助していこう」

「わかりました。 場所を教えてください」

頷くと、ガンドルシュさんは、大股に歩き出す。

それだけで、トトリが全力で走っているかのように、早かった。

 

2、退路血流

 

強行軍で、山道を急ぐ。

アーランドの国境地帯の一つであるこの山道は。少数の兵力で防衛が容易と言うこともあり、守りは薄い。

その代わり、敵地に攻めこむにも不便なため。過去に使われたことはあまりないという。

今回は、その隙を突いて。

敵中で、大いに暴れて。敵の大軍勢を蹴散らしたそうなのだけれど。

問題は、その後だったそうだ。

敵が他の戦線からさえ、戦力をかき集めて来たのだとか。気がつくと、圧倒的すぎる戦力に、包囲されかけていたという。

後は悲惨な追撃戦の開始。

ジオ王が最後尾に残って、敵を可能な限り蹴散らし続けたが。

それでも、一人ではどれだけ圧倒的に強くても、限界がある。

四方から迫る敵の波状攻撃に、悪魔族の戦士達は次々に倒され。各地で孤立しながら、必死に撤退。

下手をすれば、全滅しかねない状況だった。

それでも、六割以上は、既に撤退を完了。

戦死したと思われる二割は仕方が無いとして。二割ほどが、スピア領の国境付近各地に、潜んでいるという。

先行したロロナ先生が、敵の追撃部隊を叩いて、主力の救出には成功。

修道院で手当を受けていたのは、その主力だそうだ。

しかし、救助が終わった後も、手が回らないのが事実。

トトリがするのは、ロロナ先生が救いきれない分の少数を、助ける仕事になる、ということである。

それはスピアに侵入することを意味する。

つまり、今回は。

トトリが以前、マッシュに言われた事を、実行する、と言うわけだ。

スピアの現実を見てくるように。

そうすれば、この戦いがどういうものなのか、わかってくる。

歴戦の強者であるマッシュは、そう言っていた。少なくとも、マッシュはスピアに対して、強者に対する敬意を払ってはいなかったように思える。

つまり、敬意を払う相手では無かった、という事だ。

山を越える途中。

逃げてきた、十名ほどの悪魔族の戦士に遭遇。瀕死の者もいた。全員、戦える状況ではない。

すぐに全員に手当。

瀕死の戦士には、ネクタルを投与する。飲むだけの薬なのだが、効果は強烈。見る間に傷が塞がっていく。

ただ、体力の消耗も凄まじい様子だ。傷も塞がったが、息も絶え絶えの様子は、変わっていない。

どんなに凄い薬であっても。

万能ではあり得ない、という事だ。

「この先に避難所があります。 急いで」

「わかった。 恩に着る」

悪魔族は、姿もまちまち。

子供ほどの背丈に翼が生えている者もいれば、人間とはまったく似つかないものもいる。ただ、今の一団の中には、ガンドルシュさんのような大型の悪魔はいなかった。

「隊長が戦死して、必死に逃げてきたのだろうな」

「負け戦なら仕方が無い事よ」

「その通りだ。 そしてここ数年、我等は貴殿らアーランド戦士の助力もあってずっと敵を押していた。 きっと何処かに、油断があったのだろう」

ナスターシャさんとガンドルシュさんが話している横で。

ミミちゃんは側にある枯れ木に登って、手をかざして周囲を確認。今の時点で、他の人影はないという。

更に山道を上がっていく。

途中で道が消滅。

まあ、国交があるわけでもないのだし、当然だろうか。このみちも、多分アーランドがつくったものではなくて。

他の国が作った道が、今まで残っていた、だけのものかもしれない。

そうなれば、手入れされなければ、消滅するのは当然だ。

いき倒れているホムンクルスを発見。

まだ息がある。

「悪魔族だけではなく、ホムンクルスの部隊も陛下に同行していたんですか?」

「数が足りないのだ」

「……」

悪魔族については、トトリも色々と聞いている。

34さんがすぐにバイタルをチェック。薬を投与した後、すぐに戻ると言って、抱えて戻っていった。

このまま先に行けば。

更に悲惨な光景が続くことは間違いない。

早く増援が来てくれないと。

助けられる人数は、更に更に減っていく。

岩だらけの道を進んでいく。途中、岩陰に倒れている人影を発見。トトリと同じくらいの背丈の悪魔族の戦士だが。左半身をごっそり抉り取られていた。この状態で、ここまで逃げてきたのか。

既に息は無い。

拳を振るったガンドルシュさんが、地面に穴を開ける。

爆砕した穴の中に、ガンドルシュさんが、遺骸を丁寧に埋めた。

「本当は、他のやり方で弔うのだが。 今回は仕方が無い」

指を弾くと、魔法陣が出現。

何かしらの呪術を唱えるガンドルシュさん。皆で、黙祷して。此処まで逃れてきた戦士の最後を悼む。

弔いの儀式が終わると。

ガンドルシュさんは、遺骸が付けていたタグを、大事そうに腰に付けているポーチにしまった。

恐らくは、遺族なり、一族なりの所に返すのだろう。

先に進む。

血の臭いが、一歩ごとに、濃くなる気がする。

 

峠を越えて、トトリは思わず息を呑んでいた。

死体の山だ。

いずれもが、悪魔族でも、アーランドのホムンクルスでもない。人型だったりモンスターだったりするけれど。

皆、見た事も無い異形ばかりだ。

ナスターシャさんが連れている子供が、ぎゅっとしがみつくのが見えた。

此処で、戦闘があったのだろう。

死骸がある程度どけられている所と。かなり痛んでいる所から見て、これはおそらく、戦闘が本格的に開始する前の小競り合いの結果。

おそらく、攻めこむ際に蹴散らした、敵の防衛部隊だろう。

動く影があった。

戻ってきていた34さんが、即座に取り押さえる。悲鳴を上げながら、死体に混じっていた者は、情けない懇願をする。

「まった、待ったっ! 俺は人間だ、殺さないでくれ!」

「アーランド人ではありませんね」

「俺はスピア連邦軍に所属していた者だ! 階級と名前を言おうか!? だから、殺さないでくれ!」

「所属していた?」

死体に隠れていたその人は。

まだ若々しく、二十代後半に見えた。

粗末な戦闘用の衣服と。ぼろぼろのサーベルを腰にぶら下げているけれど。それ以外に武装は見当たらない。

怯えきっている様子は、気の毒でならない。

「もう、スピアでは人間の兵士はお払い箱なんだ! 他の奴はいつの間にか失踪したり、戦闘で使い捨てにされたり! 俺は家族もいないし、殺されるのも嫌だから、逃げてきて、それで戦闘に巻き込まれて! 一緒に逃げてきた奴らは、みんな死んで! た、たのむ、降伏するから、許してくれ!」

顔をみなと見合わせる。

殺そうと言ったのは、ガンドルシュさん。

ナスターシャさんは、肩をすくめた。

トトリに任せるという意思表示だ。

ミミちゃんはというと、知らんふり。ただ。34さんに押さえ込まれている捕虜を、あまり良い目では見ていない様子だった。

「拘束して、連れていってください」

「わかりました」

「間諜の可能性が高い。 殺すべきだ」

「見たところ、ただの人です。 ひょっとしたら、スピアの内情がわかるかもしれません」

過激なことを言うガンドルシュさんに、トトリは静かに反論。

多分、ロロナ先生に、トトリには従うようにと言われていたのだろう。ガンドルシュさんはそれ以上何も言わず。黙々と、行軍に戻った。

死体の山が、増え始める。

これは、国境警備を、文字通りぶち破って、スピアに侵入したのだろう。緒戦だけで、おそらく千から二千の敵を仕留めたはずだ。

ガンドルシュさんが、手招き。

意識を失ったまま倒れている悪魔族の戦士を発見。息はある。意識を失っているだけで、命に別状は無さそうだ。

小柄な種族だ。確か事前にアポステルという種族だと聞いているけれど。彼らだろう。悪魔族の中でも、メジャーな集団だという。

薬を使う必要はないと判断。

「ミミちゃん、お願い。 連れて行ってくれる?」

「わかったわ。 すぐに戻るから」

戦力を分散せざるを得ないのが苦しい。

敵中に孤立している部隊と合流できるのなら兎も角。このままだと、救助者をひろう度に、戦力が削られていくことになる。

しかし、修道院の様子を見る限り、助けを寄越せとは言えない。

彼処は本当の修羅場だ。

それにトトリが派遣されている此方以外でも、味方が徹底してきている戦線はあるに違いない。

そう考えると、とてもではないが。兵力が欲しいなどとは、言えなかった。

死体の野を歩き回っていると。

ナスターシャさんの連れている子が、指さす。

駆け寄ってみると、呻きながらもがいている人影。

アーランド人でもないし、おそらくスピアのホムンクルスだろう。トトリと同年代の女の子に見えるけれど。

袈裟から斬られて、殆ど瀕死だった。

助からない。

こういう状態の人がいると言う事は。まだ戦闘は散発的に行われているという事だ。トトリがここに来るまでの時間を逆算すると、半月くらいかけて戦闘を繰り返しながら転戦し、そして今は撤退している、という事なのだろう。

目を背けそうになるけれど、我慢。

トトリは棒を構えると。

死にかけている子に、言う。

「ごめんなさい。 これしかできません」

「はやく、ころして……」

「……」

相手の胸の上に棒を当てると。トトリは気合いとともに、一撃を入れる。

苦しんでいた相手が、絶息する。

目を閉じて上げると。

トトリは、大きなため息をついた。

この死骸の山も、余裕が出来たら、どうにかしてあげたい。また、ガンドルシュさんが手を挙げる。

数人の悪魔族の戦士が、死体の影に隠れていた。

影というのも、おそらくベヒモスだ。非常な巨体は、胴体から真っ二つにされていて。下半身は近くに無造作に転がっていた。

長い長い腸が、大蛇のように横たわっている。

腐敗が始まっていて、ひどい臭いだけれど。

逆に、隠れるにはうってつけだったのだろう。

「風の牙族、第三部隊であります。 隊長を失い、此処で後続部隊を待っておりました」

「生存者は」

「四名です。 戦闘の中で、死亡を確認したのが二名。 三名は、散り散りに逃げましたが、まだ気配があります」

「わかった。 動けるものは」

ガンドルシュさんが尋問を進めていく。

二人が挙手した。

確かに軽傷だ。

トトリは座るように促すと、手当。残りの二人には、手当をした後、修道院への道を示す。

頷くと、二人は、足を引きずりながら、地獄を離れていった。

まもなく、34さんとミミちゃんが戻ってくる。

戦場を離れると。

新しく加えた二人とともに、ついにスピア領に踏み込む。

ここからが、本番だ。

 

ガンドルシュさんが、地面に魔法陣を書いて、周囲を確認。

流石に全身から迸る魔力が凄まじい。トトリが見ても、青白い魔力が、立ち上るのが露骨に分かるほどだ。

これほどの魔力があるのなら。

決死の探索班に、加えられるはずである。

山を下りてみたが、この辺りは起伏が激しく、彼方此方に洞窟がある。敵も味方も、潜んでいる可能性が極めて高い。

分散して行動するのは危険だ。

「一番遠いのは、あの辺りだ。 数人が固まっている。 ただし、敵の気配がある」

「突破するしかないんじゃない?」

「行きましょう」

ナスターシャさんに、トトリは即答。

少しだけ、蓮っ葉っぽい戦闘魔術師は、驚いたようにトトリを見ていた。

時間が、とにかく惜しい。

急いで身を低くして駆ける。

やはり、彼方此方に死骸が転がっている。この辺りでも散発的に戦闘が行われたのだろう。

殆どはスピア連邦の戦士らしい死骸だけれど。

やはり、味方の死骸も、少なからず残っていた。

「遺骸だけでも、引き渡しは出来ないのでしょうか」

「スピアのやり方を知らないな」

ガンドルシュさんに一蹴される。

この巨大な悪魔は、おそらく相当な戦歴を重ねてきたのだろう。そんな人が、其処まで言うほどの相手だ。

余程に話が通じない相手なのだと、判断する方が良いだろう。

途中、生存者を二人確認。

一人は悪魔族で。もう一人は戦闘タイプホムンクルス。ホムンクルスの戦士は無事だったけれど、悪魔族は立って歩くことも出来ない様子だった。すぐに手当をして、後送して貰う。

風の牙族の悪魔の一人に付き添って貰ったのは。

無事だったホムンクルスの戦士、1112さんが、傷も少なく、充分な継戦能力を残していたからだ。

丘に出た。

身を伏せるように言われたので、地面に這いつくばる。

敵がいる。

かなりの数だ。二十。いや、三十はいるとみて良いだろう。

「敵の一個小隊だな」

「あの人数で、ですか」

「そもそも、アーランドとは小隊の基準が違うのだ」

納得できる話ではある。

見ると、雑多な姿のヨロイを着た人間やら、どうみてもモンスターにしか見えない者。或いは、モンスターそのもの。

様々な姿がいるけれど。

統率しているのは、鎧をいかめしく着込んだ、大柄な男性らしい。

「あの化け物が戻ってくる可能性もある。 急いで残敵を探し出せ」

「しかし、この辺りには、敵の増援が来ているという話もあります」

不安そうに言っているのは、首が四つもある蛇のような姿のモンスター。人間型よりも、ずっと理性的に話しているのだから面白い。

「敵のベテラン以上の冒険者が増援に現れた場合、不意を突かれると危ないです。 此処は味方を集めて、それからしらみつぶしにした方が……」

「敵を見つけました!」

不意に割り込んでくる声。

首をすくめたトトリの視線の先で。

後ろ手に縛り上げられた、血まみれのホムンクルスが連れてこられる。見た感じ、負傷がひどくて、抵抗できる状況ではなかったのだろう。

他にも悪魔族が数名、槍を突きつけられている。

「殺しますか」

「そうだな。 そうしろと言われている」

トトリは、皆を見回した。

やれると、ナスターシャさんは無言で頷く。

ガンドルシュさんとナスターシャさんが、同時に呪文詠唱開始。

地面に座らされる味方の捕虜。

青竜刀を取り出すと、首を刎ねようと、振り上げる敵の指揮官らしい鎧。

だが。

その上半身が。

ナスターシャさんの放った、魔術の雷撃によって、消し飛んでいた。

「突貫っ!」

トトリと風の牙の戦士、ミミちゃんと1112さんが飛び出す。更に、後ろからガンドルシュさんが、無数の氷の槍を放つ。

槍に串刺しにされて、悲鳴を上げる敵には構わず。

生き延びている敵に、四人で躍りかかる。

「逃がしては駄目です!」

トトリは叫ぶと、棒を振るって反撃に出ようとした、中年男性に見える(しかしながら角が生えている)相手に対して、渾身の突きを叩き込んだ。胸の中央に綺麗に吸い込まれた棒が、相手に蹈鞴を踏ませる。

更に踏み込みながら、相手に向けて背中を見せるように半回転しつつ、棒を捻り挙げて、顎を砕く。

この間、ベヒモスを殺してから。

トトリは、棒を、今までとは比べものにならないほど使えるようになっていた。

更に、左から飛びかかってきた、鋭い爪を持つ虎のようなモンスターの額に、一撃を見舞いつつ。

懐から取り出した発破を、投げる。

起爆。

ワードを受けて炸裂した発破が、数体の敵を巻き込んで、粉みじんにした。

真後ろ。

身を低くしながら、滑り込むように相手の懐に入り、棒を旋回させて相手の胸を横殴りにする。

肋骨がへし折れる手応え。

トトリの上を、冗談だろと顔に書きながら飛んでいく相手を見送ったときには。

他の皆が。

敵の殲滅を完了していた。

まだ息がある敵がいる。それを出来るだけ急いで縛り上げる。

他の死骸は、ナスターシャさんがその場で焼却。

ヒトの形をしている死骸も多かったので、少し気が咎めたが。殺し合いは、今までも散々経験している。

それに肋骨を折った相手は、心臓に一撃が入っていた。

殺したのは。

トトリだ。

ああだこうだという資格は無い。

「味方が近い」

「此処で、敵の増援を警戒してください。 私はガンドルシュさんと、様子を見てきます!」

「気を付けなさいよ」

手際よく、倒した敵を本縄に縛り上げながら、ミミちゃんが言う。

状況は、予想以上に悪い。

それにしても、起伏が富んだ地形だというのに、この荒んだ光景はどうだろう。死体をあるなしにしても、である。

くぼみに溜まっている水は虹色で、とても飲めるようには見えない。

草も殆ど生えていない。

土が極限まで痩せていると言うよりも。零ポイントに近いレベルで、汚染されているとみるべきだろう。

貧しい土地だから、他を侵略するしかないのか。

いや、違う。

話によると、北部列強は昔の時代の文明を一部残しているとかで、インフラにしても生活水準にしても、アーランドをはじめとする南部の「辺境民族」とは比較にならないと聞いている。

それなのに、これはどういうことか。

ひょっとすると。

土地から、搾取を続けているのだろうか。

このような有様になった今でも。

もしそうだとすると、おろかしいを通り過ぎて、あまりにも悲しすぎる。世界をこれだけ無茶苦茶にした反省どころか。その時と同じ事を、未だに繰り返しているのだから。

洞窟を発見。

先に、ガンドルシュさんが、聞き取れない甲高い音を立てた。

多分、人間には聞き取れない音域なのだろう。

すぐに、似たような音が戻ってくる。

「いる。 内部には十四名。 うち、二人が瀕死だ」

「すぐに対処しましょう」

洞窟に入る。

中では、槍を構えた、凄まじい形相の悪魔族の戦士が、最初に出迎えてくれた。まだ警戒を隠せないのか。

いや、違う。

あまりに悲惨な撤退戦で、恐怖が極限を超えてしまっているのだ。

「だ、誰だ! 何者だ!」

「アーランドの援軍です。 錬金術師トトリといいます」

「た、たすかった、のか」

槍を取り落とすと。

戦士は、涙をぼろぼろこぼし始めた。人間とはかなり違う、鳥に近い姿の戦士だけれど。それでも、恐怖のあまり、泣くことはあるらしい。

中に案内して貰う。

あまり広くもない洞窟の中。

悲惨な怪我をした戦士がたくさんいた。手足を失っている者も。その中に、かなり大柄な戦士がいた。

トトリの背丈の五倍くらいある。ガンドルシュさんよりも、かなり大柄な戦士で。非常に長い髭を蓄えていて。全裸だ。

ただ、腰の辺りに性器は見当たらない。

そういえば、思い出す。

悪魔族は魔法陣を使って、子供を生産する。

過酷な生活の中、悪魔族は育てば育つほど、性別を失っていくのだと。

少し前に、ロロナ先生に何かの雑談をしているとき、聞かされた話だ。

「ガンドルシュ、無事であったか」

「クレランデル族長。 ご無事で何よりです」

「無事なものか。 一族の手練れを、大勢失ってしまった。 スピアにはそれ以上の打撃をくれてやったが、損害率では此方が上。 今回の戦いは負けだ」

ガンドルシュさんの上司だったのか。

とにかく、雑談をしている余裕は無い。

すぐに、応急処置。トトリが手当をしている横で、二人がわからない話をしている。

「空間転送は出来ないのですか」

「あれは、それぞれの座標がわかっていないと使えない。 この敵地で、しかも逃げ込んだ洞窟の中だ。 こんな所で空間転送など使ったら、石の中にでも転送しかねない」

「そうですか。 いずれにしても、味方の増援も長くは保ちません。 急いで撤退を」

「まて。 実は奥地に、まだ何名かが取り残されている」

そうだろうと思った。

王様がどれだけ暴れ回っても、負け戦なのである。味方の被害が、ちょっとやそっとで済むはずも無い。

重傷者にネクタルを投与した後、動ける人に応急処置。

ほぼ無傷の人もいたので、手伝って貰う。

ある程度手当が済んだところで、一度戻る。ミミちゃんと34さんが、待ちくたびれたと顔に書いていた。

十四名を追加で救出。

その内十二名は、持ち込んだリネンなどを使って担架を造り、修道院へと戻って貰う。無事だったホムンクルスの戦士891さんと、悪魔族の戦士一人には残って貰う。

また、魔法陣を書き始めるガンドルシュさん。

時間との勝負だ。

それに、取り残されているという数人についても気になる。

危険を承知で、手を分けるべきか。

いや、それはまずい。

此処は敵地だ。兵力の分散は、それこそ味方を各個撃破される好機を作り出しかねないのだ。

「あちらに二人、あちらに一人。 あちらの一人は、かなりの重傷だ」

「重傷者から助けましょう」

すぐに、動く。

岩陰に、一人を発見。左肩から先を、ごっそり抉り取られ。自分で服を裂いて止血したらしいホムンクルスの戦士だ。

意識ももうろうとしていて、とても動ける状況にない。

ネクタルを投与。

見る間に在庫がなくなっていく。これは、一度戻って、ネクタルを補給するのもありかもしれない。

服を脱がして、傷口を一旦確認。

ひどい状況だ。壊死が進んでいて、このままだと命が危ない。

ナスターシャさんが、指先に炎を宿す。

「抑えていて」

ミミちゃんと一緒に、ホムンクルスの戦士を抑える。

そして、傷口を焼く音。

びくりと、華奢な体がはねるのがわかった。口に布を噛ませていなかったら、舌を噛み切ってしまったかもしれない。

焼いた傷口を処置。

残りが減ってきているリネンを使って担架を造り。

悪魔族の戦士二人に、運んでいって貰った。

まだまだ、周囲には多数の要救助者がいる。

 

とっさにガンドルシュさんが盾になり、浴びせかけられた矢を全身で受ける。流石の巨体。少々の矢など、者ともしない。

891さんと1112さんが先頭に、反撃開始。

トトリも発破を放り込む。

メテオールと呼ばれる、一瞬滞空してから、上空で爆裂するタイプのものだ。広域殲滅に向いていると言うことで。この間ロロナ先生に教えて貰ったレシピを見ながら、作成してみたのだ。

爆裂したメテオールが、丘の上にいた敵の射手をまとめて薙ぎ払う。

手足が引きちぎれて吹っ飛ぶのを見て、トトリは唇を噛む。

残った敵は、すぐに蹴散らす。

出会った敵は皆殺しにするか、捕虜にして一カ所に集めるしかない。

降参した敵を、ミミちゃんが尻を蹴飛ばして、連れてくる。

手際よく縛っていくが。

これで、一連の状況で、戦闘は八回目。捕虜は三十七名を越えた。

ガンドルシュさんには横になって貰い、矢を抜く。その後薬を塗っていく。

まだガンドルシュさんがいうには、周囲に隠れている味方は十名以上。そして、先ほど洞窟で聞いた数名は、かなり離れている。

最悪なことに、敵は増える一方。

おそらくは、王様が後退して、此方に近づいているのだろう。その分敵も、前線を押し上げている、という事だ。

かといって、捕虜を殺すわけにも、逃がすわけにも行かない。

救助を続けた結果、更に四人の悪魔族が、戦闘要員として加わってくれている。

トトリは決断した。

この四人に、捕虜を全員連れて、一度戻って貰う。

そうしないと、身動きが取れないのである。

「殺してしまえばいいものを」

包帯を巻き付けたまま立ち上がったガンドルシュさんが、捕虜に殺意を込めた視線を射込むけれど。

トトリは首を横に振った。

「駄目です」

「理由を聞かせて欲しい」

「色々な情報が得られるかもしれません。 それに殺したら、相手と同じです」

「……確かに此奴らと一緒になるのは勘弁願いたいな」

舌打ちしながらも、ガンドルシュさんは納得してくれる。

すぐに、捜索を再開。

負傷がひどい人から、順番に救助していく。34さんに戻って貰ったりも最初はしていたけれど。もうその余裕は無い。

辺りには、目に見えるほどに、敵の先鋒が現れ始めていたからだ。

ナスターシャさんの連れている子は、ずっと反応しっぱなし。

この様子だと、もたついていると。この辺りに潜んでいる負傷者は、皆殺しにされてしまう可能性が高い。

急がないと。

焦りは禁物だとわかっていても。

どうしても、気が逸ってしまう。

また一人負傷者を発見。

トトリと同じくらいの背丈の、悪魔族の青年だ。ただし背中に翼があり、体中に棘とかが生えている。

幸い怪我の度合いはさほどひどくないけれど。左腕の傷口に、泥水を浴びてしまっている。消毒しないと、破傷風になるかも知れない。

傷口を焼いて消毒した後。

傷薬を塗る。

戦えるかと聞いたところ、頷かれた。実際には戦闘要員よりも、むしろ負傷者や捕虜を後送するための人員として動いて貰う事になるだろうけれど。それでも、今はいないよりはましだ。

日が暮れる。

同時に、周囲の気配が一変した。

おそらく、野良のモンスターが活動を開始したのだ。

何しろ周囲は死体だらけ。文字通り、ごちそうの山なのだから。負傷の度合いがひどい人から順番に助けていったから、命の危険がある人は、もう少ないと見たいけれど。

それはあくまで、希望的観測に過ぎない。

敵の一団を発見。

数名が集まって、わいわい騒いでいる。

岩陰から引っ張り出されたのは、二人。

一人は多分、民間人の女性だ。どうして民間人の女性が此処にいるのかはわからないけれど。アーランド人だとしたら労働者階級だろう。戦士だとは思えない。

もう一人は悪魔族の戦士。

アポステルらしいのだが、全身が赤い。

ガンドルシュさんが、解説してくれる。

「あれは忌み子だな」

「忌み子、ですか」

「通称スカーレット。 突然変異として生まれる、戦闘力が高い反面、寿命も短いし、何より年をとればとるほど狂気に陥る。 理性がなくなると、体が巨大になっていって、ドラゴン並みになることもあるそうだ」

敵数人は、わいわいと騒いでいるが。

此処まで、内容が聞こえない。

いずれにしても、黙って見てはいられない。

「攻撃開始します」

「任せろ」

3,2,1。

0。

声と同時に、全員が飛び出す。

今は数の有利も、此方にある。民間人らしい女性を何度も調子に乗って蹴っていた敵兵は、トトリが辿り着く前に。既にガンドルシュさんが振るった豪腕によって、上半身を失っていた。

わっと逃げ出す敵の背中に、トトリは容赦なく発破を投げ込む。

爆裂。

消し飛んだ敵の死骸は、もういい。

周囲の敵が集まってくるかもしれないが。もはや、それどころではない。

というのも、辺りには、無数の光る目が、現れ始めていたからだ。

モンスターである。

「負傷者の状態を確認しろ!」

ガンドルシュさんが構えを捕る。

おそらく、探索部隊の敵も、モンスターに彼方此方で遭遇しているのだろう。爆発音が、聞こえはじめる。

それなら、此処がばれるおそれも小さそうだ。

ぐったりしている民間人の女性は、髪の毛が青い。何というか、とても珍しい髪色だ。足下まである非常に長い髪の毛で、着ている白い服もエキゾチックだ。

スカーレットの悪魔の戦士は、左腕と右足を半ばから失い、既に息も絶え絶え。

彼は薄く開けた目のまま。言う。

「殺してくれ」

「まだ、助かります! 気を強く持って!」

「そうじゃない。 俺はもう、正気を保てなくなりつつあるんだよ。 スカーレットに生まれた宿命でな。 どのみち、この戦いを最後だと決めていた。 その女は、よく分からないが、政治的な価値があるとか聞いている。 連れていけば、きっとあんたの、大きな手柄に、なるぞ」

もう一度、殺してくれと言う。

ミミちゃんが、肩に手を置いた。

「時間がないわ。 彼の望むとおりに」

「……わかったよ、ミミちゃん」

棒を相手の胸に当てると。

気迫と共に、一撃。

満足した様子で、スカーレットの戦士は、絶息した。

残りの見方を助けて廻るのは、此処からは持久戦になる。走って走って走って走って、救助と治療を同時にしなければならない。

891さんと1112さんがモンスターを防いでいる。幸い、大した相手はいないようだけれども。

数が数だ。

「ガンドルシュさん、次は!」

叫ぶ。

最悪の場合、負傷者は荷車に乗せていくしかないなと、トトリは思った。

 

3、夜闇の血風

 

洞窟に逃げ込んで、どうにか一息。

救助した人達は、担いだり荷車に乗せたり。歩ける人には歩いて貰ったり。とにかく、洞窟の入り口には、まだ興奮したモンスターが、数十匹ほど群れている。ガンドルシュさんが攻撃魔術で蹴散らしているけれど、とても減らない。

当然の事だろう。

この辺りで、考えられない規模の戦いが起こったのだ。

餌を求めて、四方八方からモンスターが集まってくるのは、自明の理である。

ただ、洞窟の入り口は、ナスターシャさんとガンドルシュさんが固めてくれている。突破されるおそれはない。

洞窟の中で、負傷者に横になって貰って、手当を続ける。

後は、孤立しているという数人を救助すれば終わり。

ぎりぎりだったけれど、どうにかガンドルシュさんが発見できていた負傷者は、全員を救い出すことが出来た。

スカーレットの戦士を、除いて。

手には、まだ感触が残っている。

彼は自分で死を選んだ。

人間としての、というと変だろうか。とにかく、自分の尊厳が守られる形で、生きて、そしてその終わりを迎えたいと願った。

何より、その体は、もはや限界だった。

トトリが殺さなくても。

モンスターに喰われるか。狂気に陥りながら、死んでいったのは目に見えていた。

死骸は、側にある。

出来れば、後で埋葬して上げたい。

辺りには、うめき声が漏れている。

医薬品も、リネンも、もう目だって少なくなっていた。

一方、スカーレットさんが救った女性は、意識を取り戻さない。ひょっとすると、意識をこのまま取り戻せないかもしれない。でも、捨て置くわけには行かなかった。荷車に乗せて、運んでいく他ない。

朝になればモンスター達も散るだろう。

それまでに、隠れているという数名が生きていてくれる事を、願うしかない。

「トトリ、貴方は大丈夫?」

「え?」

ミミちゃんに言われて、気付く。

そういえば、思ったより大丈夫だ。

乱戦で敵を何度も殴り倒して。

激しい状況の中、判断をずっと続けて。介護もして。

そして今も。

重傷者の応急処置が終わって、ようやく一段落。後の事は、ホムンクルス二人に任せてしまうべきかもしれない。

「ごめん、ミミちゃん。 何かあったら起こしてくれる?」

「ええ。 そうやって休んでくれると、此方も気が楽だわ」

実は、いつも先にミミちゃんを休ませているから、とは言えない。

血の臭いしかない洞窟の中で、壁に背中を預けて、目を閉じる。しばらくこうしているだけでも、随分リフレッシュできる。

しばらくすると。

外が静かになった。

多分お日様が出たのだろう。

外に出てみると、凄まじい数のモンスターのしがいだ。しかも、その大半が食い荒らされている。

死ねば同胞も餌。

こういう過酷な世界では、仕方が無い理屈である。

疲れ果てている様子のガンドルシュさんだけれど。それでも、魔法陣を書いて、状況を確認してくれる。

「良かった、まだ生きている」

「すぐに救援に向かいましょう」

そう、トトリが言った矢先である。

雨が降り出す。

しかもそれは、すぐに豪雨となった。

洞窟に水が流れ込んでこないように、ホムンクルス二人が、すぐに使い終わったリネンを利用して、土嚢を組む。

洞窟の中に退避。

濡れることなどどうでも良いのだけれど。トトリも連戦で傷を少なからず受けている。傷口に汚水がかかるのは好ましくない。

雨は止む気配どころか、更に強くなって行くばかり。

「まずいな」

「まずいね」

ガンドルシュさんと、ナスターシャさんの意見が合う。

トトリも同意見だ。

この雨は、身を隠すには最適だ。しかし、気温が非常に低い。負傷者の体力を、これでもかと奪い去って行くことになる。

しかも此処には、多数の負傷者がいる。

現状は、いい。

問題は、此処が敵地だと言う事だ。

陛下がどれくらい暴れているかはわからないけれど。昨日の様子からして、敵兵は更に此方に数を回してくるだろう。

つまり、である。

豪雨が続いた場合、負傷者を救助して、この洞窟に連れて来た後。

敵の本隊が来る前に。

あの峠を越えて、国境の内側まで逃げ込まなければならない。

この二つをこなす必要があるのだ。

頭を抱えたくなるけれど。

これが現実である。

ナスターシャさんに、子供が耳打ちしている。頷いているナスターシャさんの顔が、見る間に曇っていく。

「どうしたんですか」

「敵の捜索部隊。 ざっと三百」

「……っ」

「まともに戦ったら全滅するわねえ。 ついでにいうと、後続がどうせわんさか押し寄せてくる」

頃合いだと、ナスターシャさんはいう。

現在、取り残されている数人を見捨てて、今なら全員で逃げればどうにかなると。

トトリは、生唾を飲み込んだ。

全員の視線が集まる。

負傷している戦士達の中には、露骨に反発を覚えるものと。

致し方無しと、あきらめの視線を湛えている者に別れる。

ミミちゃんは、反対の様子だ。口にはしないけれど。

34さんはいつも通り、意見を口にしない。

ガンドルシュさんは、隻腕の拳を、ぎゅっと握りしめていた。きっと反対なのだけれど。ナスターシャさんの言葉に、反論する言葉が見つからないのだろう。

判断が遅れると。

此処にいる者達さえ、取り残されることになる。

ジオ王の支援を宛てには出来ない。

多分、想像を絶する数の敵と、戦い続けているのだろうから。

かといって、修道院側の戦力は、支援に来てくれるだろうか。

これも、難しい。

今、トトリがわざわざこんな難しい局面に派遣された意味を考えると。何かしらの大きな問題が起きていて、手が回らない可能性が高い、とみるべきなのだ。

クーデリアさん辺りが来てくれれば、三百や四百の敵くらい、片手間に片付けてくれるだろうに。

人間の数は無限ではない。

アーランド戦士も、全員が国家軍事力級の使い手ではない。

此処にいる戦闘要員。トトリとミミちゃん、ナスターシャさんとガンドルシュさん。891さんと1112さんで、どうにかする方法を、考えなければならないのだ。

「で、どうすんの?」

ナスターシャさんが、判断を促してくる。

幸い、負傷者は、動かせる状態になっている。

危険だけれど。

方法は、一つしか無い。

「ガンドルシュさん」

「応」

「動ける人達と一緒に、先に脱出してください」

「……っ!」

トトリは、取り残されている人達を助けに行く。

来てくれる人は。

見回すと、34さんが挙手。891さんと1112さんも、参加してくれる。ナスターシャさんは少し悩んだ後、言う。

「一緒に脱出するわ」

「お願いします。 その子の能力があれば、きっと敵から負傷者を守って逃げられるはずです」

ミミちゃんが、かみ殺しそうな表情を浮かべたけれど。

ナスターシャさんは、涼しい顔だ。

すぐに、負傷者の運び出しが始まる。300に迫る敵部隊が近づいているのだ。しかも、それは敵のごく一部に違いない。

下手をすると、万を超える敵に追い回されるかもしれない。

ガンドルシュさんだけでは、荷が重いはずだ。

ミミちゃんは。

「私はトトリについていくわ」

「死ぬよ?」

「名誉の死は望む所よ」

トトリは、本当は、ミミちゃんには撤退組に入って欲しいのだけれど。しかしそれは、個人の意思を尊重することにはならない。

すぐに、皆が動き出す。

負傷者には、使用済みのリネンをかぶせて、背負い。

或いは肩を貸して、洞窟から出る。

急げ。

ガンドルシュさんが先導。その肩には、フードを被ったままの。ナスターシャさんが連れている子供が乗せられていた。

魔術による攻撃が得意なナスターシャさんは最後尾。

一糸乱れぬとまでは行かないけれど。

負傷したホムンクルスと悪魔族の一団は、雨の中、消えていく。

トトリは、自身も血のついたリネンをフード代わりに被る。荷車の油紙の状態をチェック。悪路に備えて持ってきていたものをかぶせて、リネンや薬品が塗れないようにする。トトリが荷車を引いて、先頭を34さん。これは、この中で一番戦闘力が図抜けていて、敵の接近も察知できるからだ。それに、ガンドルシュさんが指定した座標も、頭に入っているという。

最後尾にはミミちゃん。

荷車の右に891さん。左に1112さんがつく。

二人に、トトリは渡す。

クラフトに似ているが、光を出すだけに調整しているものだ。ロロナ先生のレシピに書かれていた。

照明弾である。

「はぐれた場合は使ってください」

「わかりました」

「それと、これを」

トトリは、少し悩んだ後、取り出す。

グナーデリング。

以前、自身のパワー不足を補うために、レシピから造り出したもの。これを、丁度全員分揃えている。

とはいっても、能力が全般的に上がるトトリ用のものではなくて。一世代前の、パワーだけが増すものだ。

不揃いで、みな形が違う。

更に、二つ以上付けても効果が増幅しないことがわかったので。この場合は、皆に分けてしまった方が良い。

ミミちゃんのは兎に似た意匠。34さんには花。891さんには、蔓。1112さんには、お魚。

「差し上げます。 決死の任務ですし、切り札は惜しみません」

「有り難うございます」

891さんと1112さんは嬉しそうに目を細めて、互いのリングをみせあいっこしている。

そうだ。

見かけが変わらない戦闘用ホムンクルス達は、確か個性を欲しがっている風がある。実際、ネックレスを嬉しそうに付けている人を見たこともある。

そうか、こうすれば、少しは喜んで貰えるかもしれない。

咳払い。

34さんが促してきたので、トトリも頷く。

雨の中に、飛び出す。

荷車が、泥を蹴立てて、車輪がぎしぎし鳴るほど急いだ。

 

4、撤退戦

 

慌ただしく、フードを取る。

洞窟の中で身を潜めていた数人は、飛び込んできたトトリ達を見て、慌てて槍を取ったけれど。トトリが人間であるのを確認して、安堵の息をついた。

悪魔族が三人。

それに、今回の作戦に参加しただろう、冒険者の若い男性だ。

いずれもひどく負傷していたけれど。広くもない洞窟の中身を寄せ合って、恐怖に震えていたらしい。

「助けに来ました!」

「ほ、本当か!」

「もう駄目かと思っていた」

悪魔族は、三人ともアポステルと呼ばれる小柄な種族に見えるけれど。34さんが、違うと言う。

黒の悪魔と呼ばれる種族で、かなり強い力を持つ一族だそうだ。

トトリには見分けがつかないけれど。

確かに、強力な魔力を感じ取れる。

すぐに雨水だらけの油紙を取って、医薬品を取り出す。傷口を見せてもらうけれど、案の定良くない。

一人は傷口が化膿している上に壊死しかけていた。

「傷口、焼きます」

「やってくれ」

「ミミちゃん、抑えて!」

悪魔族の男性に横になって貰い、火を熾す。

そして、傷口を焼く。

じゅっと凄い音がして、身じろぎするけれど。戦士としての誇りからだろうか。悲鳴一つあげなかった。

薬をすぐに塗り、応急処置完了。

今手当てしたばかりの人は、荷車に乗って貰う。

他の三人は、身動きが取れるという。

ただ、負傷がひどいので、戦って貰うのは無理だろう。結局、戦闘要員としては、カウントは出来ない。

外の雨は、ひどくなる一方。

山道は、特に突破が地獄になる筈だ。

洞窟の外から、34さんが飛び込んでくる。

殆ど感情が見えないホムンクルスの彼女の顔には、ありありと焦りが浮かんでいた。

「非常にまずい事になりました」

「何が、起きたんですか」

「退路を遮断されました。 おそらく一個師団以上の戦力が、山道付近に展開。 おそらくアーランド軍も出てくるでしょうが、突出して此方を救助に来る余裕は無いはずです」

一個師団。

確か、六千とか、八千とか。そう言う数の筈。

そのまま、めまいを起こして、倒れそうになるけれど。どうにか踏みとどまる。三百どころでは無い。

その二十倍だ。

アーランドに攻めこまれる心配は、多分無い。

ロロナ先生を始め、かなりの使い手達が、修道院にはいたのだ。

「王様は……」

「敵の展開の様子から見て、恐らくは既にアーランドに脱出したものと見て良さそうですね」

「見捨てられたのか!?」

「いや、恐らくは、私達のことをそもそも知らないのだと思います」

声を上げる悪魔の一人、シェリさんに、トトリがフォロー。

孤独な戦いを続けていたのなら、トトリ達が負傷兵を救援して廻っていたことなど、知るはずもない。

或いは、孤児院に戻ったときに、聞かされるかも知れないけれど。

それはそれ。

救援に来てくれるかは、微妙だろう。

選択肢は、幾つかある。

此処に籠もって、救援を待つ。

でも、おそらくスピアにも、探知系の能力者くらいはいるはず。ホムンクルスも色々な種類がいるのだ。魔術が使える者や、固有スキル持ちもいても不思議ではない。

つまり、これは下策だ。

もう一つは、別ルートからの脱出。

山道は別に、来るときに通ったものだけではないはず。

アーランド国境さえ越えてしまえば、警備部隊くらいはいる。当然、全員がベテラン以上の使い手で、下手な戦力なら余裕で返り討ちに出来るだろう。一個師団もの戦力が追撃に掛かれば、アーランド側も察知する。

つまり、追撃そのものは、敵も少数で行わざるを得ない。

時間との勝負になる。

悩んだ末に。

トトリは、決めた。

「34さん、来るために通ったルート以外の脱出路はありますか」

「ありますけれど、かなり厳しい道程になります」

「やるしかありません」

しばし悩んだ末。

荷車から、地図を取り出す34さん。全員で覗き込む中、34さんは、地図上に、指を走らせた。

「通ってきた山道が此処です。 今、この辺りを塞ぐようにして、敵の大軍勢が展開しています。 おそらくこの部隊の目的は、ジオ王率いる部隊が再侵入するのを防ぐためのものでしょう。 一個師団ですが、この背後には、更にそれより遙かに多い敵が展開しているとみて良いでしょうね」

「それで、我々は、どうすればいいですか」

「此方に行きます」

ぐっと、東に。

34さんが指を動かして、山脈をも横切る。

此処は。

驚いたことに、砂漠の砦だ。

つまり、トトリが作った砂漠の道により実現した砂漠の砦へ、逃げ込む、ということになる。

問題は、その砦の周辺にも、敵の砦があると言う事。

「皆さんには言っていませんが、この周辺では今、激しい戦いが行われていて、敵は相当に苦戦しています。 その隙を突きます」

トトリは素早く計算する。

耐久糧食の残りを考える。一日一食にまで抑えたとして、それでも戦闘が想定される日は、二つ以上はそれぞれが食べたい。

水に関しては、どうにかする。

水を濾過する装置は積んできている。水さえあれば、どうにかはなる。

「こっちはどうでしょうか」

トトリが指定した退路は。

砂漠の砦よりかなり西。敵の砦があると34さんが指定した場所の、一日半ほど手前だ。腕組みして、34さんは考え込む。

「此処の山道は過酷です。 確かに通り抜けさえすれば、もはや敵の追撃は考慮しなくても良いでしょう。 ただし、この山道には、ランク5相当の冒険者が相手にするモンスターが生息しています」

「負傷者を守りながら、強敵と戦わなければならないんですね」

「そうなります」

でも、だ。

残りの食糧を考えると、此処を突破する方が、まだ現実的だ。此方にはハイランカーに相当する34さんを始め、ベテラン並みの実力者である891さんと1112さんもいる。問題は、山道で迷わないか、だけれど。

それに関しては、大丈夫だという。

今は積雪も無く、見渡しも良い。

逆に言うと。

それは、敵からも丸見え、という事を意味している。

山道の近くまで移動して、そこから一気に駆け抜けるしかない。

このルートにする。

トトリが決める。

反対意見は。見回すけれど。反対する者は出なかった。

まだ、雨は激しく降り続いている。今はこの雨が、体力を奪う悪魔であると同時に、身を隠すための神の盾にもなる。

洞窟を飛び出す。

先ほどと同じ編成だ。ただし、34さんの後ろに負傷者三人。荷車には、重傷者を乗せる。

音が消えるのもありがたい所だ。

モンスターに出くわす前に、さっさとこの場を離れる。敵の一個師団も、今頃周囲に群れているモンスターの大軍勢に辟易していることだろう。追撃してくる余裕は無いと、信じたい。

しかし。

その甘い予想は、簡単に裏切られた。

「敵です。 追撃部隊。 数は二十」

891さんが、淡々と言う。

トトリは、雨水の中、声を張り上げた。

「反転! 殲滅します!」

「逃げなくて良いんですか?」

「此処にいられることを知られたり、追撃を受け続けるよりマシです! 手強いようなら、すぐ逃げます!」

荷車を止めると、トトリは棒を取る。

雨水の中。おそらく轍を追ってきたらしい敵の小隊は。いきなり反転して攻撃してきた此方に、面食らったようだった。

敵の指揮官の喉を、ミミちゃんの槍が貫く。

乱戦は、すぐに終わった。

全員、負傷が増えている。

しかし、敵は既に、動く者も無かった。

ごめんなさい。

言い残すと、トトリは皆を促す。

まだ、退路は長い。雨は更に激しくなってきていて、退路に川があった場合、洪水になるかも知れない。

一秒も。

無駄にしている時間などは、存在しなかった。

 

手をかざして、ペーターは敵の様子を確認。豪雨でも、一流の弓手であるペーターには、それが可能なのだ。

敵は山道を塞ぐようにして展開している。先ほどから豪雨の中、必死に探し廻っているのは、おそらくトトリでは無くジオ王だろう。

弓を握る手に力がこもる。

ジオ王は、どうにでもなる。

数万に囲まれても、脱出する事は容易だろう。逃げてきた戦士達の話によると、単独で残ったという事だから、足手まといも周囲にいない。

戦略上の目標の一つである、メギド公国の公女の保護は、トトリが行うのを確認した。それに実のところ、今回の戦いの余波で、スピア内に孤立していたリス族や他の種族が、アーランドに脱出を加速させている。

負け戦にはなったが、何もかもが駄目だったわけでは無い。戦略的に、拾うものは拾えたのだ。

後は、敵を攪乱すれば良い。

メルヴィアとツェツェイ、それにマークが戻ってくる。

今回、トトリを後方から支援しろとロロナに言われて、この四人で動いていたのだ。ペーターは既に、弓を引くとき、手が震えなくなっている。

メルヴィアとツェツェイと一緒に戦うのは、久しぶり。

戦況は極めて悪いが。

それでも、高揚さえ覚えていた。

「ペーター兄、どうよ状況は」

「トトリ達の追撃は少数だ。 後は、撤退中の味方の背後だけ守れば良さそうだな」

メルヴィアは仲間内の時は、ペーター兄と呼んでくる。村の人間がいるときは、そうしない。

これはペーターが、弓が引けなくなったことで、村での立場が悪くなったためだ。ヘタレとまで言われていたし、そんな状態のペーターと仲良くしたりすればそれだけで周囲からの心証も悪くなる。だからメルヴィアには、親しくしないようにと敢えて告げていた。あまりいい顔はしなかったけれど。今ではツェツェイ以外のアランヤ住人がいる時は、呼び捨てもしない。

ツェツェイは心配そうにしている。

トトリの支援に廻りたいのだろう。

「向かっている先は、恐らくは北方遺跡近辺よ。 あの辺りは結構危険なモンスターもいるし、負傷者を抱えて山越えするのは危険だわ」

「だが、そろそろ我々でフォローするのも、限界じゃないのかね」

ツェツェイの懸念に、マークが返す。

舌打ちしたメルヴィア。実のところ、仲間内だけの場合、メルヴィアはかなり口が悪くなる傾向がある。

飄々とした外面は、作っているものなのだ。

実情のメルヴィアは、むしろ男っぽいしゃべり方さえする。

「トトリを信じよう。 此方は我々で遅滞作戦を行う」

「それしかないか」

豪雨は、ひどくなる一方。

敵の斥候を先ほどから何部隊か処理し、山道へは近づけていない。トトリが逃がした負傷兵と、捕らえた捕虜は、修道院までたどり着けるはずだ。

後は、できる限り、トトリに目が向かないように、敵の本隊を引きつけていけばいい。

山道も危険だが、其処を越えられるはず。

何しろ、あの砂漠の過酷な環境に耐え抜いたのだから。

「やれやれ。 村全体からはあまり良く想われていないが、家族には大事にされているだけあの子はマシなのかもしれないな」

マークがぼやく。

敵の軍勢が。

豪雨の向こうから。雲霞のごとく、迫りつつあった。

 

(続)