消え果てた村

 

序、新しい仕事

 

山深くなってきた道を、荷車を引きながら歩く。辺りは枯れ木ばかり。岩も多い。そして、それらの影から、此方を伺う殺気も多数。

既に、ケニヒ村を過ぎてから、三日。

アーランドの国境も越えている。

トトリは、丘を越えたことに気付いて、足を止める。そして手をかざして、霧に沈んだ山々を見つめる。

まだ、目的の場所は先のようだ。

此処は、アーランドの友好国の一つ、エンデラ。一応王国の体裁はとっているけれど、人口はわずか千百人。

幾つかの村が山中に点々とし。

王宮とは名ばかりの砦があるだけの、寂しい国である。

辺境の国だけあって、アーランドほどでは無いけれど、戦士はみな凶猛。強い事がえらいこととされる、古い時代のアーランドみたいな国なのだけれど。

此処が少し前から、おかしな事になっていると言うのだ。

トトリがするべき事は。

何が起きているかを確認し、場合によっては解決してしまうことである。

ロロナ先生が、後ろから歩いて来る。

一緒に歩いているミミちゃんは、どうにも勝手が崩されるようで、辟易していた。

「貴方が、本当に当代の旅の人だなんて、信じられないわ。 確かに強いのは認めるけれど、ふわっとして、威厳がなくて、まるで子供みたいじゃないの!」

「そうかなあ」

「そうよ! 貴方がアーランドの国力を倍増しにして、周辺諸国でも名を知られているなんて! どういうことなの! 神様は居眠りでもしているんじゃ無いのかしらね!」

さんざんな評価だけれど。

ミミちゃんは、ロロナ先生に、ずっと興味を持っていたようだった。一つ前の世代の、伝説中の伝説。

力を若くして極め挙げたクーデリアさんもすごいけれど。実際には、クーデリアさんくらいの年で、国家軍事力級まで実力を高め挙げた人は、アーランドの歴史上、珍しくもない。たとえば今生きているジオ王もその一人。あの人に到っては、十代で国家軍事力級と呼ばれるまで力を付けていたそうである。

一方、業績という点で、同年代でロロナ先生に並ぶ人などアーランドの歴史上でもそうそう存在しない。

だからそれこそ、女神のような、超絶的な存在を想像していて。

そして実物を見て、裏切られた、ということか。

もう一人、ついてきているのは。

ふらりとアーランドに戻ってきていたメルお姉ちゃん。すっかり怪我も治って、今では以前のように、飄々とつかみ所がない笑みを浮かべている。

「トトリ、どう? 道は」

「ううん、完全に迷ったっぽい」

「やっぱり?」

けらけらと笑うメルお姉ちゃん。

笑い事では無い。

エンデラ王国は、人口さえ少ないが、領土はそこそこに広いのだ。今回はたまたま、メルお姉ちゃんにロロナ先生というもの凄い布陣で守られているから良いようなものの。下手をしたら、既に死んでいたかもしれない。

辺りは山と言っても、木々は枯れ果てて。

水も殆ど得られそうにない。

自分用に湧水の杯を持ってくる訳にもいかないし、これは困った。此処は道があって、キャンプスペースで休めるアーランドでは無いのだ。

夜になれば、星が出る。

星を見れば方角はわかるけれど。問題は現在の地点が、さっぱり分からないと言うことなのだ。

ベンチマークになるものが存在しないし。

霧で視界が悪くて、山々の何処に村があるのかも、よく見えない。

気配を読めれば良いのだけれど。

この辺りの村だって、過酷な生態系の中でしのぎを削ってきた辺境の民がくらしているのだ。

住民の気配が安易に読めるとも限らないのである。

「これは本腰を入れた方が良さそうだね」

「ちょっと、私の話を」

ひょいとミミちゃんをあしらいながら、ロロナ先生が手をかざして周囲を見る。

これは、ミミちゃんとは流石に役者が違うか。

いずれにしても、もうこれ以上は無理だ。

夜になったら、星を見ながら、東に移動。アーランドに抜ける。それから、もっと精密な地図を貰って、出直すしかない。

一度、天幕を張る。

山頂近くだから、周囲から見つかりやすいけれど。

幸い、この辺りのモンスターは、さほどの強豪では無い。かなり強いのもいるけれど、メルお姉ちゃんとロロナ先生がいて、対処できないほどの相手はいない。

天幕を張りながら、ぶつぶつ文句をまだ言っているミミちゃん。

トトリは、辺りを見て廻る。

周囲の霧は、晴れる気配もない。何か蠢いているものも、殆どいない。いるとしても、露骨に遠目からもモンスターとわかるような者達ばかりだ。

山彦を使って、呼びかけてみる。

おーい。

何度か声を掛けてみるけれど。

遠くから、返事があるような事も無い。

落胆したトトリは、キャンプに戻る。

荷車に積んできた水と食糧はそれなりにあるけれど。もしも数日以上迷ったら、それも尽きてしまう。

一度ケニヒ村にまで戻って、補給は必須だ。

夕方になると。

遠くで、狼が吠えているのがわかった。

狼は何処にでもいる。

砂漠では流石に見かけなかったけれど。山では、かなり強靱に進化した狼が闊歩している地域もあると聞いたことがある。アーランドの西北部なんかはそうらしい。その辺りは有用な鉱石がたくさん取れることもあって、命がけを承知の上で、山に行く労働者階級の人間さえいるのだとか。

キャンプに戻ると、ロロナ先生がたき火を熾していた。

薪さえ積んでしまえば、火種はいらない。

ロロナ先生は、魔術に関して、アーランドでも上位に入る使い手。指先を薪に向けるだけで、すぐに着火できる。

ぼんと火花が散って。

たき火が明々と燃え上がるのを見ると、手品みたいだ。

「魔術が使える人がいると、便利ですね」

「私はまだまだだよ。 パワーはあるけれど、それだけ。 回復系の魔術は苦手だし、防御はもっと駄目」

「それでも出来るだけいいですよ」

「トトリちゃんも、魔力依存の特殊スキルは備えているんだけどなあ」

ロロナ先生の向かいに座る。

村の師範にも、それは言われたことがある。ただ、トトリの力があまりにも弱すぎて、まだまだ発動できないのだと。

でも、今はどうなのだろう。

これでも、色々経験は積んできた。

歴戦を重ねて、少しでも力は伸ばしてきたはずだ。手を見る。ひょっとしたら、今なら、そのスキルを発動できるではないのか。

「ロロナ先生」

「どうしたの?」

「そのスキル、今、発動できる、でしょうか」

「練習してみようか」

腰を上げたロロナ先生。

そのまま、トトリの隣に座る。

まず、魔力の練り上げ方から。これに関しては、武術における気の練り方と殆ど同じ。というか、トトリは他の人にも聞いたことがあるのだけれど。どちらもほぼ似たようなもので、単に呼び方を変えているだけなのだとか。

座禅の組み方と、魔力の流し方を教わる。

体の中を、気が流れるのがわかる。

ただし、それはとても微弱。

武術の時は、それを一点に集中させ、爆発させるようにして、打撃とともに叩き込む。棒術などはそれが特に顕著で。一撃に集中させる流れは、今までどうしても上手く出来ず。この間の砂漠の主にとどめを刺したとき。ようやく、コツがわかった。

ロロナ先生の教え方は、何というかとてもたくさん擬音が入ってくるので、非常に独特だけれど。

トトリには理解できる。

だから、別に問題は無い。

「うん、其処で、掌に力を集める」

「こうですか?」

「うんうん。 上手だよ」

トトリが目を閉じて、言われるままに、掌を胸の前で向かい合わせ。その間に、力を集中していく。

そして、ゆっくり目を開けると。

光の弾が、できあがっていた。

ただし、殺傷力も回復力もない、ただの魔力の塊。

これだけでは、何も出来ない。

魔術師は、この状態から、魔力を色々と変えていくことで、攻撃に転用したり、回復したり、色々と出来るのだけれど。

トトリには、彼ら彼女らが幼い頃から、息をするように出来ていたことが、いまやっと出来たのだ。

本当に、非才なのだと、こういうときは苦悩してしまう。

でも、ロロナ先生が、肩に手を置く。

「大丈夫。 トトリちゃんのスキルは、固有のものだからね。 魔術は発動できないかもしれないけれど、トトリちゃんの真似は、誰にもできないんだよ」

「本当に、そうでしょうか」

「うん。 私が保証する」

ロロナ先生に、そう言われると、とても嬉しい。

前から、不安は大きかったのだ。

自分がやっていること何て、誰でも出来る程度の事。ロロナ先生の七光りによるもので、実際には何一つ成し遂げていないのでは無いかと。

砂漠の道だって、そうだ。

クーデリアさんが人員を手配してくれなければ、三つ目までのオアシスだって、作れたかどうか。

リス族やペンギン族だって、トトリと仲良くしてくれたとは思えない。

緑化計画だって同じ。

今や量産されている栄養剤を、苦労しながら自分で作っただけ。確かに生産量が追いついていなかったかもしれないけれど。

別に、トトリでなくても、出来たはずだ。

だけれども、ロロナ先生の言葉で、かなり肩の力を抜くことが出来た。

言われるまま、魔力の制御を行う。

夕方になった頃には、少しは安定して、光の弾を造り出す事が出来るようになっていた。これも、散々繰り返してきた、棒術の鍛錬の成果の一つ。気と魔力は極めて似ているから、体を動かすのをしっかり覚えていけば、魔力も練り上げやすくなる、という事か。

「お二人さーん。 そろそろ行くわよ?」

メルお姉ちゃんが、にやにやしながら、指さした先は天。

星が出始めている。

ミミちゃんは、既にキャンプをたたみ始めていた。

空を見ると、星だけはアーランドと全く同じだ。これなら、時刻と季節を考えれば、方角がわかる。

この程度の事は。アーランド人なら誰でも出来る事だ。勿論、トトリにだって出来る。当然である。

どの山中に入ってしまったかはわからないけれど。

とにかく東だ。

そうすれば、アーランドには出られる。

エンデラ王国の領土はそれなりに広いと言っても、その東の果てがアーランドという事は、地図上で確認が取れているのだ。

それにしても、この迷いやすい地形はどうだ。

砂漠ほど過酷ではないにしても。

外から入った旅人は、皆苦労しているのでは無いのだろうか。

丸一晩中歩き続けて。

気がついたときには、アーランド南西部の海岸線に出ていた。

ペンギン族の縄張りの印を見て、安堵の声。

縄張りに向けて声を掛けると、すぐにペンギン族の若い人が出てきた。

「おお、青き鳥トトリではないか! 何か用事か」

「はい。 隣の国に入ったら、迷子になってしまって。 情けない話ですけど、此処からどういけば、集落に出られますか」

「貴殿ほどの英傑でも、エンデラ王国では迷ってしまうか。 青き鳥たる存在も、完璧では無いのだと知って安心した」

馬鹿にされるかと思ったのだけれど、すごく紳士的な対応をしてくれたので、トトリは却って恥ずかしくなった。

ケニヒ村への行き方を教えて貰う。

その後、何か困っていることがないかと聞いたけれど。今のところ、ペンギン族の集落は、すごく上手く行っているという。

人間との軋轢がなくなったことで、それだけマンパワーも他の事に費やせるようになったのだ。

「今年はとても魚が良く捕れた。 交易で、色々なものに変えられる。 富が増えれば、子供も増やせる」

「良かった。 何か困ったことがあったら、すぐに私に連絡してください」

「もちろんだ。 青き鳥よ、頼りにしている」

手を振って送ってくれるペンギン族の戦士達に礼をすると、ケニヒ村に急ぐ。

朝、日が出たころには。

村に到着。

その時には、流石にへとへとになっていた。

宿に入る。部屋は二つに分けた。どうするか悩んだのだけれど、ミミちゃんは寂しそうにしているので、二人の部屋にする。

ロロナ先生はメルお姉ちゃんと丁度話があるとかなので、其方も二人の部屋にして貰うことにした。

ベッドに転がると、やっと一息付ける。

服を脱いで、ぬれタオルで体を拭いて、リフレッシュ完了。

さて、此処からだ。

「ミミちゃん、ちょっと休んでいて」

「貴方はどうするつもりかしら」

「うん。 酒場に行って、エンデラ王国についてもっと詳しく聞いてくるよ」

「少しは休めば?」

呆れたように、ミミちゃんは言う。

砂漠の仕事が終わって、すぐに馬車を使ってアランヤにとんぼ返りして。殆ど休まず、新しい仕事を請け負っているのだ。

確かに疲労は消えきっていないけれど。

それでも、トトリは今、体を動かしたい。

ロロナ先生が来てくれたという事もあるし。

何より、仕事に充実を感じているのだ。

「うん。 心配してくれて有り難う、ミミちゃん」

「雇い主を守るのは、当然でしょう。 冒険者としての査定にも響くんだから」

照れ隠しなのか、或いは本音なのか。

そんなちょっと突き放した言い方をするミミちゃんだけれど。その言葉の奧には思いやりもある事が今ではわかっている。

部屋を出ると、メルお姉ちゃんと出くわす。

ロロナ先生との話は、終わったのだろうか。

「メルお姉ちゃん、お話、終わった?」

「ええ。 トトリはどうするの?」

「酒場で情報収集」

「丁度良いわね。 おなかがすいていた所だし」

二人で行くと、多少は心強い。屈強な冒険者達が屯している酒場は、まだ時々気後れしてしまうのだ。

ましてや此処ケニヒでは、前に随分と色々な事もあった。

トトリを逆恨みしている人がいないとも限らないのである。

「ロロナ先生と、何を話していたの?」

「トトリのスリーサイズとか、後そろそろ子供が産めそうだとか」

「ええっ!?」

「冗談よ」

メルお姉ちゃんは何というか、時々よく分からない冗談を言うので、困る。

それにアーランドでは、伝統的に、仕事に生きる人間は婚期が遅れがちだ。トトリもその点では、三十を過ぎても結婚出来ないかも知れないと、ある程度は覚悟を決めていた。それに結婚するにしても、相手もいない。

メルお姉ちゃんはこのつかみ所がない所が妙にもてるらしくて、彼氏の噂は時々聞くけれど。

いずれも、アランヤ村の人間では無い辺りが面白い。

ペーターお兄ちゃん辺りはどうだろうとトトリは思っているのだけれど。それは、多分余計なお世話だろう。

くだらない話をしている内に、酒場に到着。

さて、此処からだ。

意識を切り替える。

此処からは、仕事なのだから。

 

1、失われた村へ

 

酒場で話を聞く際は、料理を驕るのがマナーとされている。

相手は大食い揃いの冒険者達。

出費はそれなりにかさむけれど。こればかりは、仕方が無い出費だ。

以前お世話になったサルクルージュさんがいたので、彼も交えて、数人に話を聞くことが出来たのはありがたい。

お酒も驕ることになったけれど。

トトリは不思議な事に、この村でも一応は尊敬されているらしくて。絡まれる事は無かった。

一方メルお姉ちゃんは、遠くから時々こっちは見ているけれど。

カウンターで、山盛りの肉料理を注文して、それをもりもり平らげ続けている。何か問題が起きるまでは、介入してくるつもりは無さそうだ。

さて、エンデラ王国についてだけれど。

場が温まったところで話を聞いてみる。ベテランの冒険者達に話を聞いてみると、それは当然だと言われた。

「あの国は、昔から得体が知れねえんだよ。 国境付近に幾つか分かり易い村があるにはあるんだがな」

サルクルージュさんが言う。

この様子からすると、入った事がありそうだ。

「詳しく聞かせてください」

「ああ。 アーランドに認められている交易で、国境近くの村に行くことは昔から時々あるんだがな。 毎回、村にいる連中が違うんだ」

「村の人が、違う?」

「そうだ。 アデン、お前、確か面白い事聞いたって言ってたよな」

おうと、声を上げたのは。

一緒に料理を奢っている、隻眼の人。

禿頭だから、すごい迫力だ。

背丈もそれほど高くは無いけれど。全身はごつごつした筋肉。肩の肉なんて、鋼鉄よりも硬そうである。

「三年くらい前だったかな。 交易用の小麦を持って、国境を越えて少し行ったところにある村に行ったんだけどな。 そうしたら、廃墟になっててよ」

「廃墟!?」

「本当だぜ」

「信じます。 続けてください」

吃驚したけれど、疑ってはいない事をすぐに示す。

おうよと頷くと、アデンさんは不思議な話について続けてくれる。

「だけどな、村を探していると、不思議な気配がずっとする。 廃墟になっているっていっても、井戸は生きているし、家も朽ち果ててねえ。 人間がいなくなると、大体モンスターが押し寄せてきて、すぐに滅茶苦茶にされるのにな」

「そ、それで、どうなったんですか」

「どうもこうもな。 その村を出て、隣村に行くと、そんな筈はねえって言われる。 もう一度村に行くと、ちゃんとあるんだよ。 人間もいる」

それは、面白い。

魔術による幻覚か何かだろうか。

だけれども、アデンさんは違うと言う。

「俺はこれでも、攻撃魔術についてはこの村で上位に入る使い手なんだよ。 下手な幻覚ぐらいだったら、すぐに見破れる」

魔術が使える戦士は、アーランドでは珍しくもない。

アデンさんもそうだとすれば、不思議な話では無いだろう。

良い事が聞けた。

他にも、何か変わった事は無いかと聞いてみる。最近エンデラ王国で起きていると言う異変についても聞いてみるけれど。

これについては、道すがらの彼方此方の村で聞けた話と、あまり変わりが無かった。

曰く、彼処は昔から変な国で。

今更ちょっとやそっと、何かが起きたくらいでは驚かない、というのだ。

なるほど。

地図についても、幾つか見せてもらう。

アーランドからの鳩便で届いた小さな地図よりずっと正確だけれど。あまり、他と違うとは思えない。

一番大きな地図を、譲って貰えないかと交渉。

サルクルージュさんは、ただでは駄目だと、当然の返答。何でも、ここのところ、村の北にある畑の調子が悪いから、其処をどうにかしてくれれば譲るとか。

それくらいなら、どうにかなると思う。

すぐに畑を見せてもらう。

「確かに、作物の出来が悪いですね」

「だろう」

「栄養はちゃんとあげていますか?」

「その筈なんだがな」

頷くと、すぐにロロナ先生を呼びに行く。

ロロナ先生にも見てもらう。多分、栄養が偏っているのだろうと、先生も言う。トトリも同じ意見だ。

すぐにアランヤにとんぼ返りして、資料を探す。

良いのが見つかる。

何でも作物も、栄養が偏ると、育ちが悪くなるパターンがあるらしいのだ。サルクルージュさんに言われた肥料を確認して、足りていない栄養を特定。

港で廃棄されていた、痛みかけているコヤシイワシを使って、発酵による栄養剤を作る。

発酵の手順は、さほど難しくない。

まず、材料を徹底的にきざんで、ソース状にする。この時に火を入れてはいけない。

その後、発酵に使う種を準備する。

この種は、色々様々な素材から得ることが出来るのだけれど。今回は、小石の裏などにある苔から得たエキスを用いる。

そして、準備しておいた中和剤と一緒に、ソース状の腐肉と、エキスを混ぜ合わせ。

丸二日を掛けて、ゆっくり熱を加えながら、混ぜていく。

最初は腐臭がひどかったけれど。

すぐにそれも、まろやかな香りへと変じていく。発酵が進んでいるのだ。

中和剤による親和性の向上と。エキスを適温で温めて、活動させたことにより。悪い毒素が抜けていって。少しずつ、良い成分に変わっているのだ。

レシピを見ながら、釜で混ぜ合わせ続け。

完成。

後は、すぐに持っていく。

ちょっとアトリエがお魚臭くなったけれど。それくらいは、別に構わない。すぐにケニヒ村に戻って。肥料を試してみる。

流石に一日や二日で結果は出ないけれど。すぐに対応したトトリを見て、サルクルージュさんは、満足してくれたようだった。

地図だけは、貸してくれる。

これで、前よりは、少しはマシになるはずだ。

少し遠回りしたけれど。

前回より倍増しで、補給用の物資を荷車に積み込んで、エンデラ王国に出向く。

国境はあるし、一応警備もいるのだけれど。殆どザル。

通る際に通行証は見せる。

ランク5のトトリを始め、ランク9と8、それに4という面子を見て、警備の人は目を剥くけれど。

通行証が本物である事は確認して貰っているし。

それで、通してくれる。

ただ、前回もそうだったけれど。何が起きたのかと、不安そうに聞かれる。それだけ、国境の人でさえ。エンデラ王国が、得体が知れない国なのだろう。

霧が出始める。

すぐに方向感覚がわからなくなる。

地図を見ながら、慎重に。

今回は、秘密兵器として、方位磁針も持ち込んでいる。ただ、どうも針の様子が安定しない。

場所によっては、方位磁針は機能しないと聞いたことがあるけれど。

此処が、その場所なのかもしれない。

そうなると、影の方向を見定めて、慎重に行くしか無い。

国境からすぐの場所に、地図にある村があるのが幸いだ。

モンスターは少ない。

ただし、何だかおかしな気配がある。途中から、メルお姉ちゃんが、殆ど笑わなくなった。

ロロナ先生もである。

二人が、辺りを気を付けてうかがっているのを見ると。

やはり、危険が近いのは、間違いなさそうだ。

荷車を引きながら、丘に出る。

霧が深くて、辺りを見渡しづらいけれど。人の声が複数聞こえる。おそらく、近くに集落があるとみて良いだろう。

だけれども、である。

地図通りに進んで、愕然とさせられる。

アデンさんが言っていた通り。

其処には、誰もいない、廃墟が広がっていたのである。

 

廃墟を、見て廻る。

モンスターはいない。しかし、話に聞いていたとおり、周囲は廃墟でも、朽ちている様子は無い。

井戸に近づいてみる。

くみ上げの仕組みが生きている。そればかりか、新鮮な水がちゃんと出てくるほどだ。

村の周囲には、木々も繁茂していて。

とてもではないけれど。手入れしていない状況だとは、思えなかった。

分散するのは危険。

そうメルお姉ちゃんが言ったのも頷ける。

これは罠か何かとしか思えない。

絶対に、此処には人がいる。ただ、どういうわけか、いないように見えているだけなのだろう。

或いは、今人が皆、何かしらの理由で退避しているのか。

家の屋根に登ったミミちゃんが、降りてくる。

小柄な彼女は、最近は特に身軽だ。

多分その身軽さを生かして戦うべきだと、稽古を付けてくれている人達が、教えているのかもしれない。

「村全域に人影無し」

「やっぱり」

トトリは肩を落としてしまう。

アデンさんの言葉通りである。

異変が起きているらしいと言う曖昧な言葉のまま来たけれど。しかし、これでは以前も起きたことがある不可思議現象が再現されただけ。

もっと何か、大きな出来事が起きていると言う、証跡を探す必要がある。

一度村を出る。

霧の中に、沈み込むようにして溶ける村。

本当に不気味だ。

これは、人が暮らしている場所なのだろうか。いや、そうでなければ、彼処まで家の構造物が、保存されたまま残っている筈も無い。

この近くにも、村がある。

とはいっても、半日がかりで到着する距離だけれども。行って見る価値はあるだろう。地図には、王宮の位置も記されているけれど。

この有様だと、全ての村が、廃墟になっていてもおかしくない。

一体この国は何なのだろう。

そして、この異常な有様が、どうして今頃になって、問題視されたのだろう。それが、わからない。

黙々と、霧の中を歩く。

不意に、メルお姉ちゃんが足を止めて、手を横に出す。

とまれというサインだ。

霧の中から、ぬっと現れたのは、巨大な狼。アランヤの周囲にいる狼よりも、明らかに数段大きい。

だけれども、驚いたのは、狼の方。

此方の戦力を一瞥だけすると、飛び退くようにして逃げていった。

勝てないと判断したのだろう。

おかしいのは、その後だ。

「どうして、あんなに近寄ってきたんだろう」

ぼそりとトトリが呟く。

これは無意識からの言葉だけれど。多分、みんなが思っていたはずだ。

周囲を見回す。

霧は深くなる一方。

一体此処では、何が起きているのだろう。

まずはそれを確認する必要があるかもしれない。それには、何処かしらの村に辿り着かなければならない。

霧の中を、急ぐ。

次の村まで、もう少し掛かる。

途中から、完全にみなが無言になった。

どれくらい、経っただろう。

不意に、ロロナ先生が、大きな声を出したので、全員足を止める。

「ああっ!」

「きゃあっ!」

「何、今の可愛い悲鳴」

まあ、悲鳴は多分ミミちゃんだろうけれど。それはそうと、ロロナ先生が見ている方を見て、トトリは顎が外れるかと思った。

さっきの村だ。

方角はきちんと確認しながら進んでいたはずなのに。いわゆるワンダリングを起こして、戻ってきてしまったのか。

さきと同じ村というのも。

先ほど、村を出るときに。近くにあった木に、余ったリボンを結びつけておいたのである。

そのリボンが、ちゃんと残っているのだ。

頭を掻きながら、メルお姉ちゃんが嘆く。

「何よここ……」

「そろそろ夜になっちゃうし、一度此処に泊まろうか」

ロロナ先生が、苦笑いしながら、手を叩く。

ミミちゃんはその間、ずっと顔を真っ赤にして、そっぽを向いていた。

 

廃墟の村に入って、周囲を確認。

失礼しますと声を掛けたのは、どう考えても人がいるから。ただ、此処にはやっぱり、人はいないような気がする。

超高度なハイド技術を、村の人全員が持っている、というのを一瞬だけ考えたけれど、却下。

あり得る話では無い。

そんなハイド技術があったとしても。生活しながら身を隠すのは、流石に無理だ。此方にはハイランカーの冒険者が二人もいるのである。それには劣るにしても、ミミちゃんだっている。

村の全員が身を隠しながら、生活なんて、出来るはずもない。

そうなると、魔術だろうか。

しかし、専門家がないと言っているのだし、考えにくい。

魔術による幻覚の類は、どうしてもおかしな部分が出てくるという事も聞いている。今まで、四人が揃って行動しながら、何かしら矛盾に満ちた言動などが、あっただろうか。いや、それは考えにくかった。

此処では、何が起きているのだろう。

廃屋の一つ。

近くにキャンプを張る。井戸から水を拝借して、口にしてみると、ひんやりしていて美味しい。

一瞬だけ。

昔、死者の国に迷い込んだ人が、その国の食べ物を口にしたら帰れなくなったという話を思い出したけれど。

ここに来てから、死者なんて目にしていない。

考えすぎだろうと思って、もう一口、水を飲んだ。

「ねえ、トトリちゃん」

「はい、ロロナ先生」

天幕を仕上げると、ロロナ先生が話しかけてくる。

言われるままついていくと。物陰に、不意に引っ張り込まれた。

「な、何ですか」

「いるよ。 でも、いない」

「……何となく、わかります。 でも、どうしたら姿を見せてくれると思いますか?」

「それを探すのが、トトリちゃんの仕事じゃないのかな」

頷くと、ロロナ先生は、物陰を出て行く。

困ったトトリは、物陰で膝を抱えたまま、考え込む。

この村に誰かが住んでいるとして、家を壊して廻ったりするのは、出来れば避けたい。住んでいる人が可哀想だからだ。

しばらくじっとしていると。

人の話し声が聞こえてくる。

間違いない。

誰かが、話し込んでいると見て良さそうだ。

話の内容まではわからない。

ただ、アーランドと使用している言葉は同じように思える。ロロナ先生やメルお姉ちゃんの会話が流れてきているのかなと一瞬思ったけれど、多分違う。時々拾える単語が、どうも二人が口にしているとは思えないものばかりだからだ。

一体、何を話しているのだろう。

トトリが小首をかしげていると。

もっと、色々な音が聞こえはじめていた。

足音や、衣擦れの音。

話し声にしても、遠くだったり、うんと近くだったりする。

霊的な現象というのは。確かこの世にあると聞いているけれど。魔力があると、ある程度は自然に見えるらしい。

そうなると、これは違うと見て良いだろう。

誰かしら生きている人達が、すぐ近くにいて。活動しているのだ。だけれども、それが何かしらの理由で、発見できない。

隠れてみていると。

目の前を、小さな女の子の足が、歩いて通っていった。

声が出そうになる。

何しろ、ふくらはぎの上から、霧に紛れて見えなかったからである。冷静になっていなかったら、絶対に幽霊と勘違いしていただろう。

キャンプに一度戻った後。

たき火の側にいたメルお姉ちゃんに告げておく。

「私、しばらく近くの物陰にいるから、何かあったら声を掛けてね」

「うい。 しかし不気味な村ねえ」

「……」

苦笑い。

そのまま、さっきの物陰に移る。

既に夜の筈なのだけれど村は明るい。というか、明かりが家々でついていて、生活しているとしか思えない。

だとすると、どうしてトトリ達には、生活している人が、認識できない。

いや、本当にそうなのだろうか。

ひょっとすると、此処は。

村にいる人達も、此方のことが、認識できていないのでは無いのだろうか。

また、足が、トトリの目の前を通っていく。

不気味な現象だけれど。

多分、幽霊の類では無いとわかってからは、怖くは無くなった。そうなると、どうすればコミュニケーションを取れるか、だけれど。

思い出す。

アデンさんやサルクルージュさんたち、ケニヒ村の人達の話を総合する限り、とにかくこの国の人達は、得体が知れない、という事だった。

という事は、価値観が、根本的に違うのかもしれない。

辺境の過酷な生活環境で生きてきた人達だ。

あまり変わる事は無さそうだとは思っていたのだけれど。それもひょっとしたら、違うのだろうか。

もしそうだとしたら。

一体何が違う。

気がつく。

膝を抱えて、此方を見ている視線。トトリの至近だ。

トトリは、出来るだけ、笑顔を作る。

霧の中。

相手も、ほほえんだのが、何となくわかった。

手を伸ばしてみる。

すっと、相手が逃げてしまう。

恥ずかしがり屋さんなのだろうか。しばらくは、膝を抱えて、相手の出方をうかがうことにする。

時間はいくらでもある、とはいわないけれど。

焦ったら負けだ。

暑い中、砂漠の砂に掘った穴の中、じっと過ごしてきた事に比べれば、この程度はそれこそ天国に過ぎない。

ふと思い出して、皆の所に戻る。

ミミちゃんは天幕の中で、もう白河夜船。

荷車から取り出すのは、耐久糧食。一つを口に入れて咀嚼した後、もう一つを持っていく。

ひょっとしたら。

食べ物だったら、釣れるかもしれない。

相手が人間だろうと言う事はわかっているけれど。それでも、一つずつでも、試していきたいのだ。

しばらくすると、やはりまた、気配が近づいてきた。

前より鮮明にわかる。

多分、トトリと同年代の女の子だろう。

もう少し、幼いかもしれない。

此方に気付いていて。なおかつ、興味があるのは、気配からわかる。それならば、少しずつ相手を尊重して。距離を詰めていけば良い。

霧の中。

浮かび上がってくる姿。

やはり、トトリと同年代の女の子。黒髪で、お団子みたいに結んでいる。顔はとても童顔だけれど。そばかすだらけで、周囲の目が気になるお年頃だと、コンプレックスになるかもしれない。

出来るだけ、脅かさないように。

耐久糧食を、伸ばす。

「食べる?」

しばしの沈黙の後。

相手は、それを受け取ってくれた。

 

2、霧に沈んで

 

物陰に二人で座り込んで、しばしじっとする。

外は夜闇の筈だけれど。

村の人達は、勿論見えないけれど。おそらく、かなり活発に動き回っているようだった。

ひょっとすると、外ではお昼なのだろうか。

耐久糧食を口にすると、黒髪お団子の女の子は、素直に喜んでくれる。やっぱり同性で同年代の方が、人間は打ち解けやすい。

相手の格好は、すぐ側だから何となくわかる。

いわゆる貫頭衣で、細部はかなり凝っている。一方で手足の先は、厳重に獣の皮でガード。

これはおそらく山での生活が主体だからだろう。

アーランドではあまり見られない格好だけれども。そう言うことを言い出したら、トトリだってこの錬金術のお服は、他の誰もが着ていない。ロロナ先生だって、もう少し落ち着いた格好なのだ。

しかもこの服、破れてもその内勝手に治っている。その上、最近知ったのだけれど、丈を自動で調整までしているようなのだ。

多分何かの魔術でも使っているのだろうけれど。それでも、あまり正体を知りたくは無かった。

まず、名前を聞こうと思ったのだけれど。

どうも、相手には音が伝わっていないらしいことに、すぐにトトリは気付いた。だから、棒を使って、地面をひっかく。

筆談をするべきだと判断したからである。

言葉は、通じた。

まずは名前から。

相手はサラというらしい。正式なスペルはサラステーヌと読み取れるが、トトリと同じく省略しているのだろう。

長い名前を省略して、半ば正式名にすることは、よくあることだ。

ロロナ先生でさえそうだ。

先生の本当の名前は、ロロライナと言う。

さんとかちゃんとかは止めて、サラと呼んでと言われたので、そうする。

トトリの名前も、地面に書いて説明。

一応、相手に通じてはいるようだ。というよりも、サラの書く文章と文字。ものすごく綺麗で、見ほれてしまう。

辺境の村でも。

しっかり読み書きを教えている場所はあるんだなと思って、トトリは感心してしまった。

トトリはたまたま、錬金術に必要だったから、ロロナ先生に教わって、読み書きを熱心に習った。

錬金術には複雑な専門用語が出てくるし。文盲のままでは、とてもではないけれど極められないからだ。

話によると、ロロナ先生が錬金術師の弟子を増やそうとしたとき。

年齢をそこそこ重ねているのに、読み書きがあまり複雑に出来ない人が来ると、かなり悲しい思いをしたそうである。

順番に、話をしていく。

まずこの村は、何なのかと聞いてみた。

この村は、入り口の村、だという。

エンデラ王国の中でも、アーランドに対する入り口になるからだろうかと思ったのだけれど、違う。

なんと、全ての国境に対して、入り口になる村なのだとか。

昔、この国にも、錬金術師、旅の人は来た。

産業も無く。

人口も少なく。

そこそこ優秀な戦士達がいても、どうしても外界からの脅威を防ぎきれない山の中の国。それを哀れんだ旅の人は、弟子達と一緒に、ある工夫をしていったという。

その工夫の一つは、学問。

多くの学問を国に浸透させることで、いつかこの国が立ち上がるときのために、備えてくれたそうだ。

なるほど、それでか。

複雑な読み書きが出来る理由は、それで確かに納得がいく。

それに、旅の人の話は、世界中にあるのだと、ロロナ先生が教えてもくれた。若い娘にしか見えない存在だった旅の人だそうだけれど。いなくなるまで、世界中で同じ容姿のまま、何十年も、下手をするとそれ以上の年月。活動し続けていたのだろうとも、冗談交じりに教えてくれた。

冗談じゃあない。

トトリも実際にやってみてわかったけれど。人海戦術を駆使しても、砂漠に道を通すだけで、まるまる半年かかったのだ。旅の人という存在は、魔神か何かだったとしか思えない。

代わりに質問される。

お仕事はと聞かれたので、錬金術師と返答。

サラは口を押さえた後、目をきらきらと輝かせる。

だから、すぐにまだやっと一人前になったばかりで、お師匠様にはだめ押しされてばかりだと追加。

そのお師匠様とは、あの人かと、サラが地面に書いたイラストは。

とても、ロロナ先生によく似ていた。

「うん、その人。 可愛いけれど、すごい人なんだよ」

「知ってる。 うちの国の王宮にも錬金術師がいるけれど、あの人とは何というか、オーラが全然違うもの。 大した事も出来ないのに威張り散らすばかりで、みんなだいっきらい」

「う……ごめんなさい」

「トトリが謝ることでは無いわ。 せっかくアーランドがくれたお水が出る道具も、王宮で独占して、バカみたいな使い方をしているみたいだし。 みんな、本気で頭に来ているんだから」

湧水の杯か。

確かに、あれは国の資産として管理しているという話もあった。そうなると、ひょっとして。

外交用の道具として、この国にはある程度の数が、渡されていたのか。

確かにあれが一つ二つあるだけで、山に張り付くようにして暮らしている人達には、どれだけ生活が楽になるか、わからないほどだろう。

水が好きなときに手に入る。

それが如何に凄いことなのかは、砂漠で散々トトリも思い知らされたのだから。

順番に筆談していく。

そもそも、一番気になるのは、この村の仕組みだ。

それについては、サラはわからないという。ただ、今は。霧と昔旅の人が作った仕掛けで、外からの人をみんな追い出すようにしているのだとか。

肩を落とす。

流石に旅の人が作った仕掛けが相手では、トトリではどうにもならない。ロロナ先生でも、どうにかなるかどうか。

とにかく、だ。

トトリは今回、この国の様子を見てこいと言われている。

出来れば王様にも会っておきたい。

錬金術師だと言う事を告げれば、きっと王様の顔を見ることくらいは出来るはずなのだけれど。

それに、この村の人達にも出来れば話をしたいけれど。

それは難しいかもしれない。

もしも王宮で、錬金術師がおかしな事をしていて。軍隊とかを掌握していた場合。この村に、大きな迷惑を掛ける可能性がある。

「他の人は、私達に気付いているの?」

「ええ。 でも世界がずれているから、相手にする必要はないと思っているみたい」

「……サラはどうして、私と接触できるの?」

「ふふ、今度は私の質問」

すぐには、サラも全てにはこたえてくれない。

まあ、当然だろう。

アーランドについて聞かれる。

凶猛な戦士達の国。でも、今は社会が豊かになりつつあって、多くの新しい出来事が国を変えている。

トトリは、戦士の国であると言う事の、負の面を見ながら育ったけれど。

錬金術に出会ったことで、道を開く事が出来た。

才能はロロナ先生に比べれば、まだまだ全然だけれど。今は、錬金術のスキルのおかげで、国にとても良くして貰って、幾つもの事業に参加させて貰っている。

トトリは、リス族との和平や、ペンギン族との和平、緑化事業への参加、砂漠の道の設立を、自分で「成し遂げた」とは思っていない。

プロジェクトの稼働には中心的に関わったけれど、それだけ。いずれも、クーデリアさんが国の力を動員してくれなければ、とても完成はしなかったものばかり。トトリに出来るのは。プロジェクトの初動をうまく生かせることくらいなのだ。

説明をすると、サラは羨ましいという。

とても厳しい仕事のスケジュールに、いつも追われていると説明するけれど。それでも羨ましいと。

「私達はね、モンスターにも見えないずれた世界で、ずっと身を潜めて生きているし、何よりこの国の少ない人間と貧しい土地では、出来る事も限られているの。 せっかく旅の人がみんなに学問の種をまいていってくれたのに、それも今の国の状況を見たら、嘆くでしょうね。 私なんか、小麦の粉ひきだけして一生を過ごすことになりそうよ」

「そんな……」

「トトリが、羨ましい」

「……ね、サラ。 もう一度来るから、その時のために、また会う方法を教えて。 此処に来れば、会ってくれる?」

サラはハイと地面に書く。

頷くと、握手をして。トトリは立ち上がった。

 

一旦村を出て、東に向かう。

村から充分に離れたところで、状況を説明。世界からずれているという事に関しては、トトリもまだよく分からないけれど。

ただ、幾つか、分かったことがある。

この霧は、人為的なもの。

それも、下手をすると、旅の人が残した錬金術の道具によるもの、ということだ。

確かにおかしな点があまりにも多かったのだ。

山の中で生きているようなモンスターまで、至近に人間が接近するまでわからなかった位である。

そんな霧。生半可な技術では、作る事など出来ないだろう。

更にもう一つ、気になる事がある。

この国の錬金術師による専横がほぼ確実だとして。一体何をもくろんでいるか、だ。

たとえば、湧水の杯を見て、アーランドを危険視しているとか。既得権益を侵されるのがいやだとか。

そんな理由だったら、まだ良いだろう。

もしスピアと通じていて、アーランドを攪乱するためにこのようなことをしている、とかだったら。

下手をすると、サラは処刑されかねない。

「一度ケニヒ村まで戻って、鳩便を飛ばすつもりです」

「もう一つ気になる事があるのだけれど」

「はい、ロロナ先生」

「トトリちゃんはどう思う? そのサラって子は、どうしてトトリちゃんと接触できたのかな」

その通りだ。

ロロナ先生が言うとおり、トトリもそれが気になっていた。聡明なサラは、見た感じ十代半ば。トトリと同じくらいの年齢に見えた。

どうして、あの子だけ。

明確に接触することが出来たのだろう。

幽霊の類、という事は無さそうだ。だって、サラはトトリが見ている前で、耐久糧食を食べる事が出来たし。

握手したとき。

その手はとても温かかったのだ。

ただし、手はとても硬くて。

仕事をしている女の人の手だったけれど。

いずれにしても、判断を仰いだ方が良いと思うという事で、結論。鳩便を出せば、二三日でアーランド王宮に意思疎通は出来る。クーデリアさんと話をしてから、どうするかを決めたい。

そういったら、ロロナ先生が、咳払いした。

「その場で話せるよ」

「えっ!?」

「今回の件、どうして私がついてきていると思っているの? スピアが絡んでいる可能性もあるから、だよ」

それは、予想していたけれど。

でも、その場で話せるというのは、どういうことなのだろう。

とにかく、霧を抜けて、国境に出た。

前よりは、国境の砦に近い。

霧から不意に現れるトトリを見て、国境を固めていた戦士は度肝を抜かれたようだけれど。

ロロナ先生が、小屋の一つを貸してと言うと、はいはいと平伏して、明け渡した。

凄い影響力があるのだと、こういうときにも見ていてわかる。

小屋の中は、雑然としていて、書類が散らかっていた。

メルお姉ちゃんは、外で見張り。

ミミちゃんは、勉強のためにと、中にロロナ先生が手を引いて入れた。ミミちゃんは若干迷惑そうにしていたけれど。

「少し待っていてくれる? お道具をとってくるから」

「はい、それは構わないですけれど」

「その間、二人で状況について整理しておいて。 ミミちゃん、トトリちゃんの補助をお願いしてもいいかな」

「構わないわ」

懐からどっさりゼッテルとインクを取り出すと、その場に残して、ロロナ先生は小屋を出て行く。

トトリは聞いた話をまとめながら、ミミちゃんに見せる。

順番に内容を整理して。

そして予想される危険がどのようなものか、二人で話し合って、ピックアップしていった。

「まずは、外交官権限が必要ね。 あののんびりもののロロナさんがいるから、それは大丈夫だろうけれど」

「ミミちゃん、ロロナ先生は」

「わかっているわ。 さっきの話を聞いていても、あの人が水準以上の知性を普通に備えていることは理解できたから。 私としても、気持ちの整理がつかないの。 察して欲しいわね」

「ミミちゃんって、本当に不器用だね」

五月蠅いと、ミミちゃんはそっぽを向く。

其処が可愛い。

二人で話してこれからどうするかを整理していくが。やはり一番良いのは、王宮に直接乗り込むことだ。

これがたとえば、何十万人も人口がいる大陸北部の列強並の強国だったら、話は違うのだろうけれど。

エンデラは千百人程度しか人もいない。

手練れがいると言っても、かなり限られた数だろう。

トラブルが起きたとして、ロロナ先生とメルお姉ちゃんがいて、脱出できないとは思えない。

もしもトラブルを起こして、誰かが傷ついたことが伝わりでもしたら。

それこそ、ひとたまりもなくアーランドに潰されてしまうほどの戦力しか、備わっていないのだ。

だから、此処は多少強気に出るべき。勿論相手の自尊心を理不尽に傷つけない程度に、だ。

問題は、である。やはり、エンデラの錬金術師だろう。

サラに聞いた話によると、エンデラの錬金術師は、五十代半ばの男性。何でも代々錬金術師としての地位にある家系だそうで、これといった業績を上げているとは聞かないとか。

家系で錬金術師になったのかと思うと、ちょっと小首をかしげてしまう。

というのも、錬金術は手順さえ踏めば誰にでも出来るけれど。

同時に、色々な事を覚えないと、出来ない。

読み書きにしてもそうだし、ある程度魔術の知識も必要になる。

おそらく家系で錬金術師になるのは失敗だと、トトリは思う。出来る事なら、才覚のある人が継承していくべきだと思うのだけれど。

とにかく、この人との接触は必須。

今回の状況を解決するための、絶対条件だ。

「それにしても、世界がずれているというのが気になるわね。 一体何が起きているのかしら」

「私にはわからないよ。 ロロナ先生なら、わかるかもしれないけれど」

「呼んだ?」

ひょいと、ドアからロロナ先生が顔を出す。

もう戻ってきたのか。

ロロナ先生は、水晶玉と何か色々な機械を組み合わせたような道具を手にしていた。どんと、机の上に置く。

「それ、何ですか? どこから出したんですか?」

「これはね、遠くの人とお話が出来る機械。 お話をするには、これと同じ道具が、もう一つ必要だけれど」

「凄いですね!」

「で、私はアトリエをこの近くにも持ってるの。 其処に急いで出向いて、持ってきたんだよ」

嬉しそうに言うロロナ先生。

幾つもアトリエを持っていて、おそらくトトリのアトリエと同じく、コンテナを共有させているとしたら。

ロロナ先生の機動力は、おそらく予想を遙かに超えるものなのだろう。

流石に、アーランドから特別待遇を受けている国家錬金術師だ。

すぐに、まとめた内容を見てもらう。

ロロナ先生は笑顔混じりでゼッテルを見ていたけれど。これで問題無さそうと、太鼓判を押してくれた。

水晶玉の使い方を教えて貰う。

触ってから、接続と言う。

すぐに、水晶玉は反応。

最初に水晶玉に写ったのは、慌てた様子のフィリーさんだった。

「あれ、フィリーさん?」

「へっ? トトリちゃん?」

フィリーさんは食事の最中だったのか、口の周りがちょっと汚れていた。恥ずかしそうに口を拭うフィリーさんには、いつものように親近感を覚える。

咳払いすると、クーデリアさんを呼んで貰う。

ここからが、本番だ。

クーデリアさんは、すぐに水晶玉に写る。クーデリアさんも多分食事中だったのだろうけれど、居住まいはしっかりしていた。

「エンデラ王国の件ね」

「はい。 現地に潜入してきた、第一報告です」

「聞きましょうか」

説明を開始。

勿論、サラに嘘八百を吹き込まれている可能性もあるかもしれないけれど。トトリには、サラが嘘をついているようには思えなかった。

一通りの説明を終えると。

クーデリアさんは、腕組みして考え込む。

「妙ね……」

「何か、おかしな事がありましたか?」

「エンデラ王国では、確か少し前に国家錬金術師が死んでいるはずよ。 暗殺とかではなくて、流行病か何かで。 おそらくそのサラという子が言った錬金術師というのは、その死んだ男の事ね。 今の錬金術師は、まだ三十代の男だと聞いているけれど」

「年齢から言って、息子さんでしょうか」

他にも、幾つか微妙におかしな事があると言うけれど。

とにかく、王宮に乗り込むことについては、賛成してくれた。

ロロナ先生に代わって欲しいと言われたので、水晶玉の前からどく。

少しロロナ先生とクーデリアさんが話し込んでいたけれど。結論が出るまで、そう長い時間は掛からなかったようだった。

切断とロロナ先生が言うと、映像が消える。

通話が終わると、ロロナ先生が、咳払い。

「全権大使は、私が務めるね」

「はい、お願いします」

「今回は早く決着がつきそうね」

「うーん、どうかな。 まずは王宮に行ってみないと、何ともいえないね」

苦笑いしたロロナ先生が言う。

確かに、この後どうなるかわからない。最悪の事態に備えるべく、クーデリアさんは手を打ってくれたようだけれど。

それでも、現地に行ってみないとわからない。

フィールドワークをしてきて、トトリが散々思い知らされた事だ。

まず、入り口の村に出向いて。

サラに王宮への行き方を聞いて。

全ては、それからだ。

 

3、無能錬金術師

 

エンデラ王国に入ると、以前より更に霧が深くなっているように感じた。物資を補給した後だから、ちょっとやそっとは迷子になっても平気だけれど。それでも、出来るだけ急いで、サラに会っておきたい。

歩いていて、気付く。

明らかに、前より村に着くまで、時間が掛かっている。

ひょっとして、錬金術師のしわざだろうか。

だとしたら、無為なことをしていないでほしい。旅の人の英知を、どうしてこんな事に用いようとするのか。

村に到着したのは、すっかり夜も更けた頃。

相変わらず、中には誰もいない。

廃墟の村。

しかし、人の気配はある。隠しきれるものではない。

頷くと。

トトリは、サラと話した茂みに行く。

膝を抱えて、しばらく待っていると。

気配が、近づいてくるのがわかった。

サラだ。

顔を上げると、此方を覗き込んでいる、理知的な黒髪の娘。見かけは、前と変わっていない。

色々と怖い想像をしてしまっていた。

トトリにこの国のことを話した事がばれて、処刑されたりしていないだろうかと。変わらぬ姿を見て、一安心である。

また、筆談を始める。

まず第一に、王宮に出向きたいと話をする。

「王宮に?」

「うん。 この霧のことを、錬金術師さんに聞かないと」

「そんな事をしても、きっと鼻で笑われるだけよ」

「大丈夫。 ロロナ先生が来ているから。 ロロナ先生は、アーランドの国家錬金術師なんだよ」

それを無碍にするという事は。

アーランドを無碍にするのと、同じ事だ。

錬金術師の正体については、敢えて口にしない。王宮に出向こうとして罠に填められたら、その時はその時だ。

「霧が、晴れるかもしれないの?」

「うん。 そうしたら、モンスターにも会うようになるかも知れないけれど。 その代わり、私達とも話が出来るはずだよ」

「……その方が、きっといいよね」

「私、サラと、直接話したいな」

サラがトトリを見る。

そして、視線をそらして、しばらく黙り込んでいたけれど。筆談を続けた。

「私も。 前みたいに、外から来た人とお話もしたい。 それに、本当は、この村だって出たい」

「何も無いから?」

「それもあるけれど、窮屈で息が詰まりそう。 一年中ずっと霧に覆われていて、ろくに外がどうなっているかも見えない。 こんな世界はもういや。 トトリ、王宮への行き方なら教えるわ。 だから、どうにかして」

「わかった。 約束するよ」

指切りをして、立ち上がる。

サラに案内して貰うのが一番なのだろうけれど。今は、その言葉を信じる。教えて貰った道順を、まず試すことにする。

皆の所に戻って、村を出る。

此処からは、速さの勝負だ。

村人が、おかしな事をサラにする可能性もある。

また、あまり考えたくないけれど。

サラが、おかしな事をする可能性もある。多分無いとトトリは思うけれど。皆を巻き込む可能性がある以上。考えないわけにはいかなかった。それに、サラ自身は、嘘をついていないと考えている可能性も考慮しなければならない。

村を出た後、まずはまっすぐ北に。

しばらく北に、峠に出るまでは歩き続ける。

最初の峠で、今度は西に。

次の峠で、南に。

次は西。

つまり、峠に行き当たる度に、ジグザグに西へ向かっていくのだ。

よく分からないけれど、これで王宮にたどり着けるらしい。

もし騙されていたとしても、これなら最終的にエンデラを抜けて隣国まで行くし。その隣国はアーランドの友好国だ。

おそらく、問題は無いだろう。

村を出て、三日。

ひたすら、峠に出る度に曲がりながら、歩き続ける。

「そろそろ、ついてもよい頃なんだけれど」

笑顔のままメルお姉ちゃんが言うけれど。目は笑っていない。場合によっては、メルお姉ちゃんは凄く怒るだろう。

その時は、トトリが止めなければならない。

闇の中から、不意に浮かび上がる影。

村と、規模はたいしてかわらない。

城壁と呼べるものなのか。一応、それなりの規模の壁。ただし煉瓦の類では無くて、木組みのものだ。

山の中腹にあるそれは。

おそらく、人口千百ちょっとの国としては、相応の王宮。

これが、この国の首都なのだと、みて良いだろう。

城壁に沿って歩いて行くと、人影。

霧も、心なしか薄いような気がする。

向こうが、此方に気付く。

背格好からして、戦士だろう。

他の国で言う兵士かもしれない。中肉中背の若い男性で、若いのに口元には無闇におひげを蓄えている。

視線は、どうみても歓迎的では無かった。

「止まれ! 何者だ!」

槍を向けてくる人影に。トトリは一礼すると、自分の身分を告げる。錬金術師だというと、人影は慌てて居住まいを正した。

「失礼しました!」

「今回、アーランド王国からの特使として来ています。 国王陛下にお会いしたいのですが、よろしいですか」

「わかりました! ただちに取り次いで参ります!」

慌ただしく、見張りの戦士達が動く。

とりあえず、安心した。

戦士達の様子からして、彼らは少なくとも、今日トトリがロロナ先生達と来る事は、知らなかったようだから。

つまり、この時点で罠は無い。

でも、中に入ったらどうなるかはわからない。

それほど大きな砦でもないし。取り次ぎというのは、それほど時間も掛からないと見て良いだろう。

しばらく、立ちっぱなしで待たされる。

メルお姉ちゃんを見ると、妙に目つきが鋭い。何かを警戒している様子だ。

「どうしたの、メルお姉ちゃん」

「中に変な気配があるからさ」

「変な気配? 強い戦士とか?」

「わからない」

この中で、純粋な戦士として一番力量があるのはメルお姉ちゃんだろう。ロロナ先生もかなり強いらしいけれど、気配を察知したりするのは、メルお姉ちゃんが多分一歩先を行っているはず。

しばらくすると、先ほどの男性が戻ってきた。

「陛下がお会いになられます。 此方へどうぞ」

「開門っ!」

兵士の一人が内側に声を掛けると。

杭を並べて作ったらしい戸が開いていく。多分来客の時は、全開にするのだろう。それはそれで、何というか面白い風習だ。

中に入ると、かなり手狭だ。

庭も狭くて、畑が作られている。畑に植えられているのは、多分シダの一種だろう。こういう場所でも、育つのが早い植物だ。

中に入ると、驚かされる。

狭い通路の左右に部屋があるのだけれど。多くの部屋に本棚があるのだ。

「凄い数の本ですね」

「エンデラは小国ですが、知識の量ならば、他の国々にも負けていないと自負しております」

何も、それについては言わない。

サラが言っていた通り、錬金術師旅の人がこの国に知識をもたらしたのだとすれば。この国の人にとって、それは誇りなのだろうから。

正直、この程度の数の本では、アーランド王宮にある図書館にも及ばないのが事実だけれども。

それでも、この国の人達のよりどころになっているなら。

トトリはそれで良いと思うのだ。

地下に入る。

剥き出しの岩壁。

階段を下りていくと、ひんやりした空気。かなり広い空間に出る。

地下には武器庫の類も多いが、此方にもある程度の本があった。本を読んでいる人も目立つ。

一角に、さび付いた工房。

錬金術の釜もあるけれど。使っているようには見えない。

最深部。

十人ほどの武装した戦士が左右に並ぶ奧に。

くたびれた、初老の男性が、玉座についていた。

玉座も小さいが、王としての正装も、かなり窮屈そう。被っている王冠も、錆が浮かんでいるのが見えた。

戦士の一人が、声を張り上げる。

地下だから、わんわんと反響した。

「エンデラ王国国王陛下、ゼルバルニ=エンデラ王である!」

さっと、跪く。

一番上手に出来ていたのはミミちゃんだ。きっとこういうのは、昔から練習を続けていたのだろう。

ロロナ先生が頷くと、前に出る。

「アーランド共和国、国家錬金術師、ロロライナ=フリクセルです」

「おう、高名は常々耳にしておる。 今代の旅の人と言われているそうだな。 ようきた、若き錬金術師どの」

「有り難うございます。 本日は、アーランド共和国王、ルードヴィック・ジオバンニ・アーランドより書状を預かって参りました」

「うむ」

思わずロロナ先生を二度見する。

そんな書状なんて、持っていたのか。

持っていたのだろう。

多分トトリの性格などを考えて、ぎりぎりまで言うのを控えようとしていた、というわけだ。

ロロナ先生も狸である。

でも、怒る気はしない。

トトリの場合、どうしても口がちょっと軽いところがある。そしてこの件は、口外するわけにはいかない内容なのだ。

恭しく差し出したスクロールには、蜜蝋の封印。

王の隣にいた、年老いた人が、ぶきっちょに蜜蝋を外す。

宰相か大臣だろうか。

しばらく、老人がスクロールを王に見せていたけれど。王は咳払いすると、目を細めた。

「ジオ陛下は、さらなる連携を求めているようだが。 正直見ての通り、この国には対外的に支援をする余裕など無くてな。 スピア連邦が如何に恐ろしい敵かは理解はしているが、それでもない袖は振れぬ。 申し訳ないが、ジオ陛下には、現状維持以上の事は出来ぬと伝えてくれ」

「それについて、一つ。 このトトリから、話がございます」

「ふむ、そなたの弟子か」

「アーランド東の砂漠に、道を通した自慢の弟子にございます」

王が目を剥く。

周囲が凄いと、視線を交わし合っている。

顔から火が出そうだ。

何とか体勢を立て直す。ロロナ先生がああ言ってくれなければ、王様はとてもではないけれど、トトリの話なんて聞いてはくれなかっただろう。

必死に、口から言葉を絞り出す。

此処で臆していては。

何もかもが無意味になってしまうのだ。

「と、トゥトゥーリア=ヘルモルトにございます。 陛下には、大変ご機嫌麗しゅう」

「うむ、気負うでない。 面を上げよ」

「はい」

顔を言われたとおり上げる。

老いているし、あまり気力も無さそうだけれど。少なくとも、悪い人では無さそうだと、トトリは思った。

順番に、話を進めて行く。

まず、霧の話だ。

その話をすると、王様は嫌そうに、眉をひそめた。

「ああ、あの忌々しき霧か。 確かに、外国には迷惑を掛けているかも知れないが、今の時点で解除をする予定は無い」

「理由を、お聞かせ願います」

「少し前、とはいっても十年ほど前に、スピアの諜報員のレオンハルトとやらがこの国に来てな。 余を殺して、この国をスピアの傀儡にしようともくろんだのだ。 奴めはどうにか退けたが、我が国でも多くの犠牲を出した。 それ以来議論はあったのだ。 この国を、大陸を巻き込む動乱から守るには、どうしたら良いかとな。 そして、先代の錬金術師。 既に死んだが、錬金術師インバルトが出した結論が、この国を閉ざしてしまえば良い、というものだ」

そう言うことだったのか。

更に、追加で教えてくれる。

元々入り口の村は、この霧の特性を利用して、持ち回りで行っていたらしい。来る度にいる人が違うと言うのは、それが理由だ。そんな事まで出来るのかと、トトリは驚いたけれど。

何しろ、人間をいないように見せる事が出来るほどの技術だ。出来ても不思議では無いだろう。

それにしても、どうだろうと思う。レオンハルトに殺された人達には気の毒だし、その理由についても、分かる事はわかる。

しかし、クーデリアさんに聞かされている。

この国は、今。

迷路と同じになっている。

この国が協力しないことは、別に構わない。

しかし、この国を少なくとも通れるようにしたい、というのだ。そうしないと、幾つかの国との連携が、極めて取りづらいというのが、クーデリアさんの話。

前回の砂漠でもそうだった。

トトリは、道を作ることをどうやら求められているらしい。

この国も、その一つ。

此処を抜けられるようになると。

アーランドの西に、一気に高速での通信が出来るようになる、というのがクーデリアさんの話だった。

国家戦略に関する仕事。

これが錬金術師の背負う重みだと、トトリはまだ割り切れ切れていないけれど。そう言うものだと言う事だけは、何とか理解できている。

一つずつ、順番に説明していく。

王の顔が曇るけれど。

トトリの説明がわかりにくい、という事は無い様子だった。

「通ることだけは認めろ、か」

「お願いします。 それに、出来れば、霧から出たいという人は、出してあげて欲しいです」

「……少し相談させて欲しい」

退出するようにと言われ、トトリは一礼すると、謁見の間を出た。

とはいっても、一本道の通路の最奥。

途中にあった部屋の一つに入るように言われて、其処で待つように促された。

慌ただしく出入りする人々。

見張りらしい兵士の人に聞いてみる。

「あの、つかぬ事を聞きますが、よろしいですか?」

「何なりと」

「お客様は、良く来るんですか?」

「いいえ、滅多に。 というか、十年前のあの事件以来、私が知る限り初めてのように思います。 いや、もう一回……確か以前、数年前にアーランドから使者が来たような気がしますが、それくらいですかね」

やはり、そうか。

余程に大きな衝撃を与えた事件だったのだろうと言う事は、容易に想像できる。あのお爺さんが来たのである。手練れを揃えても、被害は小さくなかっただろう。

その後、この国は決めたのだ。

恐怖から離れると。

故に、霧という鎧を造り出して、其処に引きこもった。

それを責められようか。

大陸の覇権を巡る攻防から離れていた国なのに、一方的な暴力によって蹂躙され。その理論を押しつけられたのだ。

そしてアーランドだって。

場合によっては、スピアと同じ立場にもなる。

それならばいっそ。

壁を作って、全てを閉ざしてしまえばいい。

そう言う考えも、理解は出来なくもない。

でも、それでは、閉じ込められた人々は、どうなるのだろう。ずっと壁を見上げ続ける日々。

それは、鳥籠に入れられた、飼い鳥と同じ。

「ロロナ先生、もしも霧の解除を依頼する場合、アーランドから支援をする必要があると思いますが、どうでしょう」

「そうだね、具体的には」

「安全維持のために、戦闘タイプのホムンクルスを何名か、とか。 後は幾つかの村を、対外折衝用に霧からだして、重点的に護衛するとか」

メルお姉ちゃんがあくびをしている。

それが何だか、トトリを咎めているようだったので、咳払いしてしまった。確かに、トトリみたいなひよっこが、えらそうにする話では無い。業績を上げたとは言え、まだまだ経験が浅い事に代わりは無いのだ。

「うん、後でまとめておいてね」

「でも、良いんですか? 交渉はこれから……」

「大丈夫、すぐには決着しないから」

ロロナ先生が、手招きする。

かなり太った三十代くらいの男性が、汗を拭き拭き、慌てて此方に来るのが見えた。多分あの人が、今代の、この国の錬金術師だろう。

太っていることは別に良い。

問題は、錬金術師としての雰囲気が無いことだ。

ひょっとして、調合とか、したことが無いのではあるまいかと、疑いたくなる。魔力も体から感じられない。

アトリエをどうしてあんなままにしているのか。錬金釜の錆をどうしてとらないのか

呼び止めて、そう言いたくなってしまう。

トトリだって、まだ錬金術師としては、それほど大した力がある訳では無いし、ロロナ先生にこの間だめ出しだってされたけれど。

王様の所に出向いた錬金術師が、何か話を始める。

流石に聞き耳を立てるのは失礼だけれど。

きっと、話は紛糾するだろう。

事は国防だけでは無い。

あの錬金術師にとっては、死活問題になる事も、含んでいるはずだから。

見張りをしている兵士の人に、聞いてみる。

「あの、今の方がこの国の錬金術師ですか?」

「情けない話ですが、そうです。 跡を継ぐまで、遊び暮らしていた男で、錬金術の秘儀などほとんど身につけていないようです。 国の恥をさらすようで、本当に情けないことです」

悔しそうに、兵士が言う。

やはり、そうだったか。

先代の錬金術師は強欲だったけれど、それでも一応の奇蹟の技は持っていたのだという。だがあの少し太ったおじさんは、蓄財と権力の確保だけに興味を示して、錬金術には一切触れずに来たのだとか。

なるほど、戦闘タイプの能力者でもなく。

あの容姿である。

やはり、トトリの危惧は、正しかったのか。

「最悪の場合は、力尽くで突破するわよ」

笑顔のまま、メルお姉ちゃんが言う。

トトリは苦笑い。

ミミちゃんも、それに備えて、矛から手を離さない。

兵士は聞かないふりをするか。その場合は道を空けるので、お逃げくださいとまで言ってくれる。

或いは。

余程、あの太った錬金術師に、腹が据えかねているのかもしれない。

蓄財は別に良いだろう。

錬金術を利用して、お金を稼ぐというのは、確かに一つの手だ。でも、それを私利私欲に用いるのでは、旅の人がきっと化けて出る。

ましてや、錬金術を使わないで、親の遺産だけでそれをするなんて。

怒りよりも悲しみが湧いてくる。

あの人は、錬金術には、何も思い入れや、感動がないのだろうか。

 

しばしして、再び王様に呼ばれた。

王様の隣には、ふんぞり返った、あの太った男性。見た感じ、宰相らしいお爺さんと、同格の地位があるようだった。

トトリが見たところ、あまり周囲から良く想われているようには感じ取れない。

だけれども。

何しろ、国防を握る「霧」を管理しているのだろうと思うと。皆も、あまり強くは出られないのだろう。

王様は、咳払い。

ほろ苦い雰囲気だった。

「さっそくですまぬが、霧の一部解除には反対意見が出ていてな」

「反対意見、ですか?」

ロロナ先生が、じっと太った錬金術師を見る。

露骨にたじろいだので面白い。

見かけこそ、ロロナ先生はわかわかしくて、ふんわりしているけれど。その実は、歴戦に歴戦を重ねた戦闘のプロフェッショナルだ。ランク9冒険者という肩書きは、戦闘に関する実績でも得ているのである。しかも噂によると、色々と煩わしいので、敢えてランク10になっていないという話もある。

ロロナ先生の場合、この国に残した業績から考えて、当然だろう。

「な、何だ! 暴力には屈しないぞ!」

「ウラガ、黙っていなさい」

「し、しかし、陛下!」

キャンキャンと、太った人が、宰相の制止に子犬のように吼える。

悪い意味での威厳さえ備えていない。

これでは、反感を買うのも当然か。

そして、一つ。

トトリには、気になる事がある。

先ほどロロナ先生にも敢えて言わなかったのだけれど。この人の実物を見て、はっきり確信できたことがあったのだ。

「アーランドとの友好関係を切ってしまうのは惜しいが、事は国防に関する事でな。 すまぬ」

「あの、一つ構いませんか?」

「何だね」

トトリが挙手したので、王様が顎をしゃくる。

トトリは、敢えて。

たまたま、思いついたかのように、口にした。

「ひょっとして、錬金術師の方。 霧を制御する装置を、扱えないんじゃないですか?」

見る間に、その場が凍り付く。

特に錬金術師は、完全に図星を指されたという顔をしていた。

やっぱり、そうか。

錬金術の秘儀を受け継いでいないと聞いた時点で、その可能性は想定するべきだったのだ。

先代の錬金術師から、何も受け継がなかったか。

それとも、国宝たる装置の制御方法を、単純に理解できなかった、というのが真相に思えてくる。

政治的な軋轢とか。

錬金術師としての権力の保持とかも、考えていたのだけれど。

先ほど、錬金術師の実物を見て、考えが変わった。

この人の場合、もっと初歩的なことで。国に、大きな大きな迷惑を掛けているのでは無いのだろうか、と。

「そ、そんなことはない! あるはずがない!」

「出来るとしても、装置を動かすか止めるかしかできないんじゃないですか? 細かい調整は、とても出来ないとか」

「……そ、それは」

完全に固まる。

そうか、そうだったのか。

ロロナ先生が、あきれ果てて、助け船を出した。

「国家錬金術師である私から提案です。 あくまで非公式に願いますけれど、装置の使い方、解析します。 これに関しては、無償で」

「……そうか」

口元を振るわせている王様。

知っていたのだろう。

そして、国の恥をどうやって隠すか、ずっと悩んでいたに違いない。

「貴様っ!」

屈強な武人の一人が、ウラガさんの襟首を掴む。

鼻水と涙を流しながら、情けない悲鳴を上げるウラガさん。流石に、少しばかり、気の毒だ。

「えらそうなことを言って、結局何も錬金術の秘儀など受け継いでいなかったのだな!」

「村の人間達が、どれだけ不便をしているか、わかっているのか! 本来国境の一部だけ霧で封鎖しておけば良かったものを、急に全域をとか言い出すから、おかしいとは思っていたんだ!」

もう一人の武人に到っては、剣に手を掛けている。

恐怖で言葉を発する事も出来ないらしいウラガさん。

王様が、助け船を出す。

「やめい」

「しかし、陛下!」

「やめよと言っておる」

その言葉は、大声では無かったけれど。

その場にいる誰もを黙らせる、確かな力があった。助け船を出そうとしていたトトリでさえ、釘付けにされたくらいである。

戦士の国の王。

くたびれているように見えても、今でも現役の戦士であり。それも超一流だからこそ出せる迫力だった。

「ウラガ、しばし独房にて反省せよ。 エイバ、ジャーキン。 そなた達が、ウラガを見張れ」

「ははっ!」

ウラガさんをつるし上げた二人が、同時に敬礼した。

情けない悲鳴を上げながら、連れて行かれるウラガさん。この国の錬金術師の伝統は、これで潰えたのだろうか。

ため息が漏れてしまう。

理由はどうあれ。

とどめを刺したのは、トトリなのだから。

「すまぬな、解析を頼めるか」

「わかりました。 トトリ、行きましょう」

王様の前だからか。

ロロナ先生は、そんないつもとは似つかわしくない言葉で、トトリを促した。

 

装置は、砦の一角にあった。

見かけ、球体を組み合わせた、不思議な物体。オブジェというか、何というか。芸術作品に見える。

ただ、彼方此方に不思議なメーターがついていて。

複雑なボタンがあり。

何より、強い魔力を感じる。

これがオブジェでは無い事を、それらの全てが示していた。

この国の秘宝。霧を造り出す装置が、これか。

「メルさん、ミミちゃん。 見張りをよろしく」

「おう」

ロロナ先生に促され、メルお姉ちゃんが、見張りについてくれる。ミミちゃんは手伝うつもりだったようなのだけれど。メルお姉ちゃんに引っ張られ、しぶしぶ見張りに立った。

勿論、エンデラの人も、見張りについている。

具体的には宰相のお爺さんだ。

「それにしても、国の恥に、いつ気付かれました」

「ウラガさんの実物を見たときです」

そうトトリはこたえるけれど。

ひょっとして、という思いはある。

ロロナ先生は、全部最初から気付いていたのでは無いのだろうかと。

確かに、今考えてみると、王様の返事はおかしかった。きっと王様は、全て知っていたのだろう。

装置は今もグオングオンと動いている。

マニュアルを探していると。

ロロナ先生が、見つけてきた。

「はい、トトリちゃん」

「良いんですか」

「勿論、私も解析するよ。 二人でやった方が早いでしょ?」

そう言うと、ロロナ先生は。

マニュアルを開きながら、凄まじい勢いで写し取っていった。

ロロナ先生は確か、絵が凄く上手いと聞いたことがあるのだけれど。ひょっとすると、形状を写し取って、アウトプットするのが得意なのかもしれない。見る間に移し終えて、マニュアルが二つになる。

目を剥いたのは、宰相さんだ。

「凄まじいですな……」

「……トトリちゃん、解析を始めていて。 私、このアトリエ、綺麗にするから」

どうしてだろう。

褒められた途端、ロロナ先生の心に壁が出来た気がする。先生はお掃除道具を取り出すと、アトリエを見るまに綺麗にしていった。

錬金釜も、炉も。

それなりに良いものがあるのに。

埃を被り、蜘蛛の巣がはり。

とても使える状態ではなくなっていた。

「何から何まで、申し訳ありません。 何しろ我等、錬金術は秘匿の学問とされていましたからな。 掃除をするにしても、どこをどうさわったものか、わかりませんで」

「それも、マニュアル化しますね」

「有り難い」

今頃、ウラガさんは、おっかないおじさん二人ににらまれて、泣いている事だろう。

可哀想だけれど。

でも、入り口の村の人達の不便な様子を見ると、あまり同情できない部分も大きい。それに、霧を解除しないというのも、立派な判断の一つなのだ。

レオンハルトに蹂躙された後となれば、なおさらだろう。

マニュアルは、かなり複雑に書かれていて。

誰でも扱えるようには、敢えてしなかったことが、一目でわかった。

これほどの力だ。

戦略兵器として用いる事も可能だろうし、妥当な話である。

止め方と動かし方については、すぐにわかった。

問題は、細かい制御方法である。

「どう、何とかなりそう?」

「何日か、お願いします」

「うん。 じゃあ私は、王様と話をしてくるから」

掃除を終えたロロナ先生は、ひらひらと手を振ると、アトリエを出て行く。

トトリは気合いを入れ直すと。

机に向かい直し、マニュアルとの格闘を開始した。

 

時々、差し入れを貰って。

食事を片手に、マニュアルを解読していく。

細かい制御については、ボタンを使って行うのだけれど。これがやたら複雑で、同じボタンでも押す回数によっては逆の効果があったり、大変である。

それよりも、何よりもだ。

マニュアルを読み進めていくと、この装置の底知れない恐ろしさが、わかってくる。

この装置は。

正式名、次元歪曲装置。

世界そのものを歪めることで、霧のようなものを発生させ、場合によっては全てを遮断する、というものらしい。

湧水の杯と同じように、世界に存在する確率を操作して、そのような驚天の奇蹟を引き起こしているようなのだけれど。

仕組みそのものは、よく分からない。

ただ、下手に弄ると。この国は、永遠に霧に沈むか。下手をすると、この世界から存在する確率がなくなる、というのが真相だろう。

宰相は残っていたので、時々話を振られる。

メイドさんらしい中年の女性が、お茶を淹れてくれたので、有り難くいただく。ミミちゃんとメルお姉ちゃんも、お相伴に預かっていた。

「それにしても、どうやって貴方たちは此処に」

「色々試している内に、です」

「ふむ。 さすがは本職の錬金術師ですな」

サラさんの事は、流石に口に出来ない。

それに、サラさんについては、気になることもある。

その事は、今は言わない方が良いだろう。

部分的に霧を消す方法を確認。

実験をしたいので、村などがない箇所の霧を、一度消す。この国の人達に見に行ってもらうと。

確かに霧は消えていた、という返事があった。

もう一度操作、今度は霧を出す。

霧が復活したと、報告。

数日がかりで、こういう地道な作業をやっていく。何しろ、場合によっては国ごと消滅する機械だ。

遊びで使ってしまってよいものではない。

ロロナ先生は時々様子を見に来る。

アドバイスはくれるけれど、それだけ。ひょっとすると先生は、もうとっくに、解析を済ませているのかも知れない。

いや、済ませている筈だ。

アドバイスが非常に的確で、いつもなるほど、と思わされるのである。

完全に内容を理解していなければ、無理だろう。

何回か試して、霧を出し入れする方法は確認した。場所の調整も、多分上手く行く。座標というのを設定して、それで霧の出し入れを決めるのだ。

問題は、霧を出し入れしたとき、人に危険がないか、だけれども。

これはモンスターか何かを捕らえて、それで実験するしかない。

可哀想だけれど、人命には変えられないのだ。

メルお姉ちゃんに頼んで、適当な狼を数匹捕まえてきて貰う。その間ロロナ先生とミミちゃんには、見張りをして貰った。

指定の場所に、狼を配置して。

戻ってきたメルお姉ちゃんを確認してから、霧を消す。

狼の様子を確認。

怪我をしたり、死んだりしていることは無い。

今度は霧を出す。

狼は無事だ。

多分、この様子なら、人体に影響も無いだろう。

胸をなで下ろす。

王様の所に出向いて、状況を伝えると。王様は、安堵の声を漏らした。

「そうか、すまないな」

「此処から、本当に交渉という形で、よろしいですか」

「良いだろう。 この国の主な者を集めるから、待っていて欲しい」

その間、トトリは。

宰相をはじめとする何人かに、装置の扱い方を教える。以前と同じ、つまり国境だけを霧で覆うやり方も説明した。

以前、それでレオンハルトによる突破を許したので。

王宮の周囲にも、霧の壁を作った方が良いかもしれないと、アドバイス。

マニュアルを整備していたので、説明もそれほど難しくは無かった。

引き継ぎが終わった頃。

王様との交渉も、終わっていた。

ロロナ先生が、謁見の間から出てくる。ロロナ先生によると、どうやら全て、上手く行ったらしい。

入り口の村を含む、国境地帯を霧で覆い。

そして王宮の周囲にも、霧の壁を作る。

これによって、侵入者を防ぐ。

同時に、新しいもくろみもする。

入り口の村の半分を、敢えて霧から出す。それによって、対外交渉が出来る場所を作るのだ。

此処には、この国の精鋭を配置。

ロロナ先生がアーランドからホムンクルスの部隊を出そうかと提案したのだけれど。それは却下された。

恩を受けすぎるのも、後で良くない結果につながるから、というのが理由らしい。

まあ、この国は。実力で、レオンハルトを退けたのだ。

霧から出ている部分には、覚悟を決めている人が入れば良いだろう。それで、帳尻も合う。

後は、霧の中をどう歩けば良いのかだけれど。

これについては、その日その日で変えるようにすれば良い。そうすれば、たとえば誰かしらがさらわれて拷問され、吐かされたとしても。暗号方式で変えてしまえば、それも無意味になるのだ。

「何から何まですみませんな」

「いえ。 これで、悲劇が避けられるなら」

「悲劇、ですか」

「リス族やペンギン族の事を考えると、もう二度と繰り返したくないんです」

きっと、宰相さんも、彼らの事を知っていたのだろう。

黙り込むと、しばらくしてから。

そうですなと。

一言だけ、寂しそうに言った。

 

4、霧の化身

 

暗号を設定した後。

それに沿って、入り口の村まで出る。霧が出ていないと、本当に歩きやすい。それに、山々の間に村もあって、普通に人が暮らしているのも見る事が出来た。

村の人達は、みんな霧が消えて喜んでいる。

やはり、不便で仕方が無かったのだろう。

王宮は、霧に包まれていて。

霧を出ると、もうすぐに場所がわからなくなる。

これでいい。

王宮にいる人達がヘタを打たない限り、大丈夫だ。

入り口の村に到着したのは、二日後。

王宮から案内で来ていた兵士達が帰るのを見届けてから。半分だけ霧から出た入り口の村を見て廻る。

既に通達は出ていたらしく。

屈強な戦士が、かなりの数いる。

霧から出て生活している人達も、いずれも肝が据わっている人に見えた。

宿を貰って、休みを手配した後。

トトリは一人で、外に出る。

サラさんは。

やはり、いない。

幽霊だったのだろうとは、思っていない。

でも、あの人は。

きっと、現在の人間では、無かったのだろう。

言っている事も、色々とおかしな事があったし。何より、霧から村が出て、よく分かった。あの特徴的な貫頭衣、似たようなものを、誰も着ていないのだ。

霧が出ている辺りを歩く。

ふと、気付くと。

霧の中。

サラさんの影が、浮かんでいた。

笑顔を浮かべているのがわかる。

手を伸ばそうとしたけれど。向こうが首を横に振る。しばしの沈黙の後。サラさんは、霧の向こうから、声を掛けてきた。

今度は、ちゃんと聞こえた。

「良かった。 トトリ、貴方のおかげね」

「サラさんは、いいの? 外に出なくて」

「私はね。 この霧が出る装置を不用意に触って、世界から切り離された、十二代前のエンデラの国家錬金術師なの」

ああ、それで。

色々と、納得がいく部分もあった。

あの霧に閉ざされた世界で、どうしてトトリと接触することが出来たのか。何より、どうして霧の中の歩き方を知っていたのか。

この人は。

きっと、霧そのものなのだ。

「私の事故があってから、後続の錬金術師達は、みんなあの装置を疫病神みたいに扱うようになったのよ。 おかしな話よね。 道具は、道具に過ぎないのに」

「……」

「私はもう霧と一つだから、貴方の世界には行けない。 でも、これだけは言わせて」

この国を救ってくれて、ありがとう。

笑顔のまま、サラさんは霧に溶けていく。

トトリは立ち尽くしたまま、彼女が行くのを、見送るしかなかった。

いつの間にか、ミミちゃんが側にいた。

「あの人が、王宮への行き方を教えてくれた幽霊?」

「知ってたの?」

「動きがおかしかったから、何となく変だとは思っていたの。 確信したのは、実物と話している今だけれど」

ミミちゃんも、トトリみたいな事を言う。

もう、サラさんは、トトリの前には姿を見せないだろう。

いずれにしても、この国はもう大丈夫、

アーランドには鳩便を飛ばした。もしも不足があるなら、クーデリアさんが飛んできて、すぐに処置してくれるはず。

「さあ、帰りましょうか」

ミミちゃんに促されて、トトリは頷く。

結局今回も、徹夜作業になってしまった。二週間も、あのアトリエで、缶詰になって翻訳を続けたのだ。

その時、マニュアルもしっかり確認している。

あれは旅の人が、この国のために作った装置。

この国の領土を越えて霧が展開する恐れはないし。無意味に人を害することもない。サラさんのような犠牲も出たことはあるけれど。錬金術師の秘宝であろうとも、道具はあくまで道具。あくまで、使うべきものなのだ。

それを再確認できたので。

今回は、大きな収穫があったとも言える。

一度アランヤに戻って。

お姉ちゃんの所で、ゆっくり休みたかった。

歩いて行くと、ロロナ先生が手を振っている。メルお姉ちゃんもいる。

霧の中から、帰ってきたんだな。

そうトトリは実感して。

どうしてか、ひどく嬉しかった。

帰りに、ケニヒ村の肥料が上手く行ったことだけは確認しなければならない。全てが片付いたら、今度こそ、少しは休めるかもしれない。

 

(続)