砂漠の魔獣

 

序、壁の向こう側

 

トトリが砂漠に出て、三日目。一日目と二日目は、それぞれ木の道を通った。その上で人工オアシスのコテージで休んだから、さほど無理はしていない。問題は、ついさっき、発生した。

砂漠の村の住民であるカシムさんに案内され、オアシスの作成予定地に到着したトトリは、異臭に気付く。

其処には、巨大な死体が横たわっていた。

恐らくは、大型の草食ほ乳類だろう。悪魔の使いかと思ったけれど、判断できない。毛皮の色が違っているし、何より死体が原型をとどめていない。

此処まで激しく食い荒らされた死体だ。

複数のモンスターによる攻撃の結果かと思ったのだけれど。冷静に死体を見ていたカシムさんが、違うと言う。

「これは主の仕業だ」

「主ですか?」

「そうです。 砂漠には、主と呼ばれる大型のベヒモスがいます。 恐らくは、奴の仕業でしょう」

相変わらずカシムさんは、トトリには敬語。

それにしても、これは。

死体の側には、巨大な糞の山もある。明らかに、マーキングだ。この死体は俺の食事だから、近寄ったら殺す。そうベヒモスが言っているのが、目に浮かぶようである。

今回、この場にいるのは七人。

トトリと、護衛のミミちゃんとジーノ君、それにマークさん。

カシムさんに、ホムンクルスが二人。ホムンクルスは、クーデリアさんが派遣してくれた人員である。

ちょっとばかり、まずいかもしれない。

オアシスの作成予定地は、岩盤になっていて、風が吹き込まない地点なのだ。当然、強力なモンスターが、ねぐらにしている可能性も、想定はしなければならなかったのだ。今回、最大の危機だと、トトリは今更ながらに把握。

むしろ、今まで、この類の危機がなかったことの方が、不思議だったのかもしれない。

幸い、死骸は岩盤の上では無くて、少し離れている。

また、岩盤を見ると、得体が知れない毛や喰い跡がたくさんのこされている。ただ、カシムさんの話によると、主とよばれるベヒモスが、此処に住み着いていた事例は、過去にはないという。

つまり、最近来たという事だ。

ミミちゃんが、死体をどかし始めるホムンクルス達を横目に、カシムさんに質問をする。

「良いかしら」

「何だ」

「そのベヒモスの戦闘力は?」

「このメンバーなら、多分ギリギリ勝てるとは思う。 ただし相手は、砂漠になれた狡猾な相手だ。 以前二体の悪魔の使いを撃退したと聞いている貴方たちでも、簡単に勝てる事は無いだろう」

カシムさんは、ミミちゃんには敬語を使わない。

だから、だろうか。

ミミちゃんは、カシムさんを、あまり好いてはいないようだ。

考え込むミミちゃん。

マークさんが、手を叩いて、皆に促した。

「まず、生活用の穴を作ろう。 このままでは日干しになってしまうからね」

「問題は、確実にベヒモスとの戦いになる事ですが」

「それも後で考えよう。 此処には戦闘タイプのホムンクルスが二人に、私。 それにベテランほどでは無いが、一人前になっている君達四人もいる。 多分どうにかなるさ」

リーダーシップを取ってくれるのはありがたい。普段から飄々としているマークさんの、こういう所には、随分助けられる。

避難用の穴を掘り、日射よけの幕を張る。

湧水の杯を設置して、水を確保。陽が出てくる前に、作業はどうにか終わった。問題は、此処からだけれど。

陽にじりじりと焼かれていく死骸。

腐臭がしていたのは、最初だけ。すぐに肉は乾いていった。

見ていると、巨大な獣は姿を見せない。

恐らくは、既に此方に気付いていて、様子をうかがっているのだろう。ベヒモスにとって、天敵と呼べる存在は、ドラゴンや、人間。

最強ランクのベヒモスになってくると、ドラゴンを返り討ちにする例さえあるらしいけれど。

カシムさんの話を聞く限り、幸い砂漠の主は其処までの超大物では無い様子だ。

それだけは救いか。

もしそんな大物だったら、国家軍事力級の使い手でもいない限り、大きな被害を出す事だろう。

勿論今の此処にいる戦力で、勝てる相手では無い。

穴に潜ってから、人工オアシス作成の行程を立てる。こういう計画は、現地に行かないと作れないのが厳しい。何しろ砂漠の村の人に聞いただけでは、図面もなにも作りようがないからだ。

見た感じ、今回は二回目の人工オアシス作成の時と違って、かなり岩場が広がっている。一枚岩かどうかはわからないけれど、砂さえどければオアシスを簡単に作る事が出来そうだ。

また、岩場にそう形で水路を作っていけば。

防砂林の作成も、難しくは無いはず。

後は、木の道だけれど。

ホムンクルスの二人は、今回は1293さんと1304さん。そのうち、1304さんが、袖を引いてきた。

彼女は珍しく、首からネックレスを掛けている。

格好にしても見かけにしても、殆ど同じホムンクルス達の中では、珍しい個性だ。何でも前に任務に行ったとき、一緒にいた女性戦士がくれたものだそうである。

「トトリ様」

「はい、何ですか」

「どうやら現れたようです」

瞬時に、空気が変わった。

全員で穴から顔を出す。既に陽が出始めてからかなり時間が経っている。砂漠は灼熱地獄の筈だが。

その砂漠でも、圧倒的な存在感を放つ巨影が、立ち尽くしている。

ベヒモスだ。

トトリも何度か実物は見た事がある。二足歩行で歩くこともある、巨大なモンスター。姿は熊や狼ににていない事も無い。だけれど、全体的にはそのどれとも違う。彼方此方の環境に適応し、砂漠でも氷山でも姿を見せる、モンスターの中でもトップクラスに危険な存在。

文字通りの、獣の王。

暴虐の権化にして、戦闘という概念を突き詰めたような生物だ。

古い時代は、このベヒモスに殺される人間が、本当に多く。アーランド戦士でさえ、油断できない相手として認識していたのだとか。今はアーランド戦士の質が上がり、何より対抗戦術が確立された事もあって、ベヒモスに殺される人間はまずいない。

ただし、それもベテラン以上の戦士が戦う場合の事だ。

此処にいるベテラン勢を二手以上に分けたりした場合。戦況がどうなるかは、正直誰にもわからない。

ベヒモスはじっと此方を見ていたが。

やがて、これは俺の食事だと言う事を主張するように、死骸の山に頭を突っ込み、貪り始めた。

食事の音が、此処まで聞こえてくる。

平然としていると言うよりも。

此方を侮っているのだろうか。

「あのベヒモスに遭遇したとき、砂漠の村ではどうするんですか?」

「普段は追い払います」

「……妙ですね」

トトリが知る限り。大体の猛獣は相手の実力を把握することが出来る。この近距離だ。穴に隠れているトトリ達の総合的な力くらい、砂漠の主には分かっている筈だ。

勝てるかどうかは微妙だとしても。

侮ることが出来るかどうかは、判断できない筈もない。

ただ、今は何しろ、地獄の直射日光の下。

ベヒモスに仕掛けることは難しい。

ただ、ひょっとすると。それを計算して、あのベヒモスは、動いているのかもしれない。

骨だけを残して、綺麗に死体を片付けるベヒモス。

トトリは一瞬だけ。

穴の外に配置してある、天の水傘を見る。

改良を重ねた結果、何とか実用にはこぎ着けたのだけれど。これの下に入ったまま戦うのは流石に厳しい。

これはあくまで、砂漠の日中、歩き回るための道具。

砂漠で戦える道具では無い。

ベヒモスは骨もかみ砕き始めた。

この獲物が少ない乾ききった土地だ。骨でも、その中の軟骨でも。残している余裕は、ないのだろう。

ほどなく、糞の山だけを残して、死体はなくなる。

自分と同じくらいの体積だろうに、大した食欲だ。

でも、恐らくは、これでしばらくは食事をしなくても良いのだろう。過酷な環境で生きている存在だ。一気にたくさん食べ貯めして、後はじっくり獲物を待つという事も出来るはずだ。

そうあって欲しい。

「監視は続けます。 皆さんはお休みを」

ホムンクルスの1304さんが、寝るように促してくる。

トトリは頷くと、砂壁に背中を預けて、目を閉じる。

すぐ側にベヒモスがいるのだけれど。こういうときは、眠らなければならない。しかし、寝ようとした瞬間。

静寂が打ち砕かれる。

ベヒモスが、横になると。

凄まじい寝息を立て始めたのだ。

此方を嘲笑っているかのようである。

当然、眠るどころでは無い。

「これは、おそらく意図的にやっているねえ」

マークさんが、珍しく苛立ちを顔中に浮かべている。ミミちゃんに到っては、矛を手に穴を飛び出しかねない雰囲気だ。

二人をどうにか押しとどめると、トトリは対策を考える。

今日の夕方以降を一端潰すか、それとも。

今、攻撃して、追い払うか。

どちらにしても、リスクを伴う。戦いを前提とするなら、夕方以降の方が望ましい。何しろ、今は敵のホームグラウンドにいるのと同じなのだから。

「しばらくは我慢してください」

トトリが周囲に叫ぶように言うと。

みな、不満を飲み込んで、黙り込む。

相手のいびきは、此方を挑発するように、大きくなる一方。これでは、とても眠るどころでは無い。

不快感が全力で押し寄せる中。

時間だけが、容赦なく過ぎていく。

気がつくと、夕方。

そしていつの間にか。ベヒモスは、いなくなっていた。

死体の形に凹んで、腐汁がしみこんだ砂と。乾燥したベヒモスの糞の山だけが、そこに魔獣がいたことを示していた。

馬鹿にしている。

怒り出したのはミミちゃんだ。

トトリも気持ちは良く分かるけれど、今は抑えて貰わなければならない。

見張りをミミちゃんとジーノ君にして貰う。

ジーノ君は大きくため息をついた。

「良いけどよ、彼奴多分、陽が出たら戻ってくるぜ」

で、またあの辺りに眠り始めて、此方の力を削ぎに掛かると言うわけだ。

トトリは頷くと、発破を取り出す。

いずれも、遠隔から爆破が可能なものだ。これを、ベヒモスが横になって、此方を舐めきった態度で寝ていた辺りに埋めていく。

もしも、今日と同じ事をしたら、爆破。

殺す事が出来るかどうかは微妙な所だが、もしも発破の上に寝た場合、爆発の威力の全てを体で受け止めることになる。

如何に強靱なモンスターでも、相当なダメージを受けるはずだ。

作業を開始。

まずは、岩場の状態を確認。

砂を掘り出して、風下に捨てていく。岩の状況を完全に把握してから、水路を作りたいのだ。

砂を捨てていくと、変な悲鳴が上がった。

砂の下から、死体が出てきたのだ。

今度は原形をとどめている。恐らくは、ドナーンの一種だろう。それも、頭から上だけが残っている。

腐臭がひどい。

「どかしましょう」

1293さんが、手際よく死体を運び始める。多少腐っていても、気にするつもりはないのだろう。

だが、死体はそれだけでは済まなかった。

その辺りに、バラバラに千切られた死体が、幾つも埋められているのだ。どれもこれもが、ベヒモスが殺したものに間違いない。

これは、厄介かもしれない。

「ベヒモスって、こんなに食欲旺盛なんですか」

「いや、これはおそらく、保存食だろう。 秋などに、リスなどの小型齧歯類が、同じように木の実を地面に埋める事がある。 大型の肉食獣も、似たような事をする事があると、私も聞いたことがあるよ」

マークさんが解説してくれるけれど。

正直、全く嬉しくない解説だ。

砂を掘っていくと、死体が出るわ出るわ。うんざりするくらい、死体が出てくる。その全てを、ホムンクルスの二人が運び出していく。

そして、トトリが指示して。

さっき、発破を埋めた辺りに、積み上げて貰った。

前にペンギン族の腐乱死体を葬ったときとは、根本的に状況が違う。ただ悲しかったあの時と違って、何ともやるせない。

ベヒモスはどうしているのか。

遠くから、此方を伺っているのだろうか。

だとすれば、憤っている筈だ。

せっかく蓄えた食糧を、散々あらされて、台無しにされているのだから。

砂を掘り出し終え、水路を作り始めた辺りで、マークさんが不意にトトリに声を掛けてくる。

「この辺りで休もうか」

「えっ? で、でも」

「砂漠の主が戻ってきて、昨日と同じ事をしたら、体力が保たない。 都合良く発破を仕掛けた辺りに眠ってくれるとも限らないからね」

確かに、その通りだ。

唇を噛む。

口惜しいけれど、無理は出来ない。というよりも、トトリが無理をするのならともかく、皆にそれを強制できない。

それなら、皆の力を集中して、岩場に積もっている砂だけをどける。

水路は明日からだ。

そうしてみると、かなり深いくぼみが出てきた。しかも、底の方はかなり湿っている。ひょっとすると此処は、オアシスだった場所が、埋まって出来たのかも知れない。砂が吹いてくると、別に水を吸わなくても、最終的にこういう悲劇は起こると言う事だ。

死骸は既に、山となっている。

此処は、二番目のオアシスを作った場所に比べて、かなり風も強い。

防砂林も、念入りに作らなければならないだろう。

作業が終わったところで、休憩開始。

トトリもミミちゃんも、先に休ませて貰う。ホムンクルスの1304さんも、眠るように言われて、穴の底に入った。

しばらく、音がない時間が続く。

そして、叩き起こされた。

穴の中の空気が、緊迫している。

やはり、最悪の事態になったらしい。

穴から顔を出すと、ベヒモスが来ている。死骸の山には見向きもせず、全然見当違いの所に横たわって、寝息を立て始めているでは無いか。

「此方の手を読んでいるようだね」

マークさんが、ほろ苦い表情で言う。

これは、まずいかもしれない。

明らかに此方の消耗を狙っている。完全に、狩るものの態勢だ。普段戦力を整えた人間を襲うことはあまりないだろうベヒモスなのに。縄張りを荒らされたことが、よほど腹に据えかねているのだろうか。

寝息は今日も凄まじく、とてもでは無いが、寝るどころでは無い。

耳を押さえながら、ミミちゃんはトトリの肘を小突く。

攻撃させろと言うのだろう。

トトリは、首を横に振る。

戦うなら、陽が落ちてからだ。挑発に乗ったら、相手の思うつぼ。ただでさえ厳しい状況なのに。

これ以上相手に有利な条件を作って戦う必要も理由も無い。

そして、その日も予想通り。

ベヒモスは、夕方間近に姿を消した。

 

1、意地と意地

 

多分徹夜よりも、相当に消耗がひどいはずだ。

トトリは水路を掘りながら、眠いと素直に思っていた。少しばかり、状況が悪すぎる。これでは、ベヒモスと戦うにしても、全力なんてとても出せない。

横になるように言われて、頷いて。穴に戻る。

水路をどう掘るかは、事前に決めてある。

ベヒモスがいい気になって横になっている間。どうせ眠れないからと、皆で図面を引いたのである。

トトリが穴の中で静かに眠っていると。

いきなり、遠くでドカンと凄い音がした。

カシムさんが来る。

「な、なんですか、今の」

「……恐らくは、砂漠の主ですね」

ベヒモスの習性の一つ。

自分の縄張りを誇示するために、時々大きな音を立てることがあるのだとか。その音は、地平の向こうにまで届くという。

という事は、少なくとも。

地平の向こうより近くで、ベヒモスが活動している、という事だ。

流石にベヒモスも、縄張りからは安易に出ないだろう。

下手に縄張りから出て、村から来た狩りにでも遭遇してしまったら、ひとたまりもないからである。

もう一度、寝直す。

どちらにしても、仕掛けてくる事は無いだろう。そう思っていた、矢先。また、ドカンと凄い音がした。

無理矢理に、叩き起こされる。

今度はマークさんが、穴を覗いてくる。

「まずいねえ。 これは、なりふり構わず、此方を消耗させに掛かって来ているよ」

「……」

確かに、その通りだ。

交代で眠っている間に、丁度眠り込むくらいのタイミングで、大きな音を立ててくる。此方の弱みを、把握しきっているという事だ。

これは、つがいを上手く利用して此方の消耗を狙ってきた悪魔の使いよりも、更に手強いかもしれない。

穴から這い出すと、湧水の杯を設置。

水路に水が流れ始るのを確認した。

その後は、水路に沿って、覇王樹と椰子を植えていく。岩を彼方此方成形して、砕いた分を防砂林の近くに配置する。

前二回のノウハウがあるのだ。

今回は、ずっとスムーズに作業が出来る。

でも、時間が足りない。

中途半端な所で、穴に戻るしかない。口惜しいけれど。今回は、色々とハンデがあるのだから、仕方が無かった。

無理にでも、少し眠る。

そして起き出すと、やはり今日もベヒモスが来ていた。

微妙な距離を取って、横になって眠っている。此方を挑発するように、背中まで見せて。攻撃されても、一撃では仕留められるどころか、致命打にもならない自信があると見て良いだろう。

「攻撃させなさい」

キレ気味に、ミミちゃんが言う。

ホムンクルス二人も、賛成のようだ。

ジーノ君はと言うと無言。疲れていて、寝る方が良いやという感じらしい。カシムさんは発言しない。

トトリの判断を、待っているようだ。

耳栓の類を使う手もあるけれど、危険だ。ベヒモスは此方を挑発するためにああいう行動に出ているのであって、本当に寝ているのでは無いとみて良い。或いは本当に寝ているのかもしれないけれど、日中の戦闘では、初手をくれてやっても勝つ自信があると見て良いだろう。

勿論その自信の根拠は、人間は日中の砂漠で、満足に動けない。ということだろう。

そして夜間に戦うにしても、現在皆の疲弊が大きい。

この状態なら、遅れを取らない自信があるとみて良い。

「どうするね。 このままだと、疲弊が蓄積するばかりだよ。 一度戻るという手もあるが」

マークさんが穏当な案を出してくる。

それも確かに手の一つだけれど。おそらく戻った場合、ベヒモスは作業の全てを潰して、この岩場にまた居座るだろう。

そして戦力を整えて戻ってきた頃には、また此方を翻弄するべく、色々な悪知恵を働かせてくるに違いない。

水で濡らした布で頭を巻いて。

活動できる時間で、ベヒモスを屠る手もあるけれど。

それも、あまり自信が無い。

本当にそれで勝てるなら良いけれど。おそらく、勝率は五割を切るはずだ。下手に消耗すると、更に敵に有利になる。

議論が紛糾する中。

ジーノ君が、ぼそりと言う。

「その、天の水傘って使えば良いだろ」

「でも、これは戦うのには」

「それ以外は出来るんだろ? ちょっと危険かもしれないけれど、ベヒモスの奴、多分直接攻撃が入るまでは「寝て」るぜ」

言われて見れば、確かにそうだ。

戦闘そのものは、頭に濡れた布を巻き付けておけば、短時間は出来るのだ。逆にベヒモスに対して、嫌がらせの攻撃を仕掛けるための道具としては、充分に使い道がある。確かに、良い案かも知れない。

「マークさん」

「おうとも」

念のため、水で濡らしたタオルを頭に巻き付けて。マークさんと一緒に外に出ると、天の水傘を起動。

出る前に、改良を重ねて、やっと実用的な所にまで昇華させたのだ。

此処で使わなくて、いつ使うというのか。

大きな荷車に、樽二つをくくりつけ。中央部分には、井戸水をくみ出すポンプを改良した仕組み。

上には大きく分厚い黒い傘。

この傘を回転させながら、大量の水を撒く。

そうすることで、水のスクリーンを造り出して、周囲の温度を一気に引き下げる。充分に、日中の砂漠でも活動可能になる。

荷車の左右に樽をくくりつけているため、かなり重いけれど。荷車そのものを、車輪四つのタイプに変えて安定度をましているため、問題もクリア。特に砂漠で移動する分には、不便も無い。砂漠用に車輪を広いタイプにしているので、なおさらである。

この下に入って同時に移動できる人数は五人ほどだけれど。

考えてみれば、砂漠を日中に横断すること自体があまりない。四つもあれば、二十人をカバーできるし、稼働時間に関しても、木の道を使って、オアシス間を移動するには充分なものを確保できている。

「もし、戦うそぶりを見せたら、すぐに仕掛けてください」

「よし、任せとけ!」

あるだけの発破を荷車から出すと、天の水傘に積み直す。

そして、ベヒモスの背後から、近づいていく。

緊張の一瞬。

もしもベヒモスが飛び起きて、仕掛けてきた場合。守りに入ってくれるのは、マークさんだけなのだ。

ベヒモスは動かない。

マークさんの実力はベテラン相応。もう一人のトトリはザコも良い所。多分、一撃でとどめは刺せないと判断しているのだろう。

トトリは何度かに分けて、ベヒモスの体の下に入り込むように、発破を投げていく。

十発ほど投げ込んだところで。

手を振って、その場から離れる。

ベヒモスは動かない。此方を侮りきっている証拠だ。魔術師が此方には今いないことも、侮る要因になっているのだろう。

だからこそ、此処で。

その傲慢を突く。

「起爆!」

十個以上の発破が。

トトリの発した起爆ワードに反応。

同時に爆裂した。

その破壊力は凄まじく、爆発と砂煙で、ベヒモスの姿が、瞬時にかき消えるほど。穴に向けて走る。

トトリとマークさんを、砂埃の風が、追い越していく。

目も耳も、一瞬使い物にならなくなるほどの猛威だ。

穴に飛び込んで、向こうを伺う。

既にホムンクルス二人は臨戦態勢。ミミちゃんとジーノ君、カシムさんもである。

さあ、どうでる。

砂煙が収まった後、ベヒモスの姿はない。

ただし、その場には、膨大な血痕が残されていた。

つまり、皮を完全に爆風が貫いた、という事である。しかも背中側の皮だ。装甲が厚いとは言えない場所で、体に決して軽くないダメージが入っているはず。

追い払う事に、成功したのだ。

「やった!」

「いや、喜ぶのはまだ早い」

ミミちゃんに、カシムさんが冷静に声を掛ける。

やっぱりトトリの時と露骨に扱いが違うからか、ミミちゃんはカシムさんの事が嫌いらしく、むっとするのがわかった。

「どういう意味よ」

「相手は手負いの獣だ。 放置すると、無茶な事をしかねない。 夕方になったら、全員で出て、奴を仕留めるべきだ」

「それが良さそうだね」

いつの間にか、また穴を出たマークさんが、手招きしてくる。

言われるまま、天の水傘に入ってついていくと。

膨大な血が流れた跡が、遠くへと続いていた。

思ったより、ベヒモスの傷は深いのかもしれない。そうなると、報復に来る可能性が高い。

また、体を回復させるために。

無茶な狩りをする可能性もある。

今まで作ったオアシスが襲われると厄介だ。複数の戦闘タイプホムンクルスが常駐していると言っても、不意を突かれれば危ない。

「砂漠の主の、分かっている事を、全て教えてください」

カシムさんに、できる限りの事を聞いておく。

戦いになったら。

此方も相応に消耗している以上、総力戦になるのは、確実だった。

 

夕方。

留守は残さず、穴を出る。

全員が耐寒装備に身を固めているから、多少動きも鈍る。この夜中に、勝負を付けてしまうつもりだ。

水路の整備もしたい。

昼間の爆破で、相当に砂が水路に入ってしまっている。まだ水は流れているとはいえども、色々と面倒だ。

血の跡は、既に砂で消えていた。

ただ、続いていた方向は覚えている。

問題は。ベヒモスは、砂に潜って、此方をやり過ごすと言う戦術を使う事。そして、場合によっては、帰路を考えなくてはならないような場所まで、逃げていることを想定しなければならない。

砂漠で人間がどう動くか。

巨体になるまで成長したベヒモスである。

それくらい、把握していて当然と言う事なのだろう。

最前列と最後尾に、ホムンクルス達を配置。

真ん中には、マークさんに入って貰う。

これで、奇襲をできる限り防げる筈だ。

トトリの側には、カシムさんがつく。何があっても、トトリを守りきれと、村長に言われているらしい。

その気持ちは嬉しいけれど。

ジーノ君やミミちゃんの機嫌が露骨に悪くなるので、ちょっと困る。どうして二人の機嫌が悪くなるのかは、トトリにはよく分からない。

時間を計るために、マークさんが大きめの砂時計を、荷車に積んできてくれている。

最悪の場合に備えて、天の水傘も持ってきているが。このため、荷車二つを連結した大所帯だ。

ホムンクルスの二人に聞いたところ。

ベヒモスが近くにいれば、砂に潜っていても気がつくという。

今まで、散々近くで挑発されたのだ。

気配は覚えた、という事なのだろう。

砂丘を越えると、もう遙か遠くまで、岩場が離れている。岩場を襲われて、今までの作業を全部台無しにされる可能性も想定しなければならない。ベヒモスの知恵がかなりある事は、今までの事でわかっている。

それに、血の跡も残っていない現状。

どこから敵が来るかも、わからない。

先頭にいた1304さんが足を止める。

「います」

「展開! 戦闘態勢!」

マークさんが叫ぶ。周囲に皆が展開して、戦闘に備えた。トトリも、発破を取り出して、いつでも使えるようにする。

さあ、何処にいる。

緊張の瞬間は、それほど長く続かない。

あまりにも自然に。

それが、姿を見せたからだ。

砂丘が崩れて。ベヒモスに代わったような衝撃。砂の中に潜ると言うよりも、砂丘そのものに擬態していたとでも言うのか。

違う。砂丘のように、砂を被って待ち伏せていたのだ。

思わず耳を抑えた。

至近距離で炸裂した雄叫びは、爆風も同じ。吹っ飛ばされなかっただけ、マシだとも言える。

疲弊は此方もしているが。

相手は負傷している。

勝負は、五分だ。

躍りかかってくるベヒモス、砂漠の主。

跳躍した1304さんが、最初に仕掛けた。

 

分厚い毛皮。

屈強な肉体。

トトリが呼吸を整えている先で。逃走していくベヒモス、砂漠の主。追撃を仕掛けるべきなのに。

足が動かない。

がくがくとふるえている。ミミちゃんが、此方に向けて、叫んでいるのがわかった。

「手当! 急いで!」

荷車から、慌てて薬を取り出す。

倒れているのは、1293さん。何度か斬撃を浴びせたとき、もろに前足での一撃をもらって。吹っ飛ばされたところを、全力でのボディプレスを喰らったのである。まだ生きているけれど、状態はかなり悪い。

ホムンクルス達は、メイド服なのか何なのかよく分からないヒラヒラを共通で着せられているけれど。それを謝りながら、剥ぎ取る。

そして、薄白い肌の状態を確認。

口を思わず押さえた。

トトリなら、即死しているような有様だ。

すぐにヒーリングサルブを傷口に塗り込み、口には耐久糧食を入れる。ゆっくり噛んでと言い含めて、下にシーツを入れて、担架にする。

出来るだけ揺らさないように、担いで、穴へ戻る。

これでは、追撃どころでは無い。

ミミちゃんもジーノ君も、カシムさんも、皆軽くない負傷をしていた。トトリだって、かなり危ない場面があった。

至近で腕を振り上げられて、死んだと思ったけれど。

割って入ったマークさんが、背中の箱から機械の腕を出して。一撃を受け止めたのだ。

代償として、その腕は粉砕されてしまったが。

穴に戻った。

安定した環境で、1293さんの手当を続ける。これは、正直、当面前線には立てないはずだ。

カシムさんが状態を確認。

今夜が峠だと言う。

トトリは思わず、天を見上げた。

もう少し、トトリに力があれば。こんな被害は、出さなくて済んだかも知れないのに。悲しくて情けなくて、頭を何度も振ってしまった。

持ち込んでいる、あらゆる医薬品を投入。

明け方近くには。

どうにか容体は安定した。

痛がっていた1293さんも、すでに静かになっている。骨も何カ所も折れていて、彼方此方固定しているから、見かけからして凄惨だ。

ただし、ベヒモスにも致命打を浴びせた。

あれだけの打撃を受けたのだ。

無事では済まないはず。

とにかく、今晩からは、作業を再開できる。問題は、木の道の構築だ。これに関しては、どうにもならない。

「一度、前のオアシスまで戻るべきだと思うね」

マークさんがいう。

ミミちゃんとジーノ君も、それに賛成した。

正直、トトリも賛成したい。しかし、此処でこのオアシスを離れると、おそらく全てが元の木阿弥だ。

かといって、此処でスムーズに作業が終わらないと。

クーデリアさんは、人海戦術の開始を決断してくれないだろう。

悩ましいところだ。

負傷者を出している時点で、戻るべきだというのは、頭ではわかっている。しかし、作業のコストも考えてしまうように、いつの間にかトトリはなっていた。

しかし、決断する。

「戻りましょう。 今晩には」

「ごめんなさい、足を引っ張ってしまって」

「そんなことない! ……お二人がいなかったら、多分死者が出ていました」

トトリは口惜しさに、頭を下げる。

涙が零れそうだった。

ベヒモスを侮ったのではないけれど。その戦力が予想以上だったのは事実。追撃よりも、待ち伏せを選ぶべきだったのかも知れない。

昼の間は、ゆっくり過ごす。

天の水傘を使うにしても、リスクの方が大きい。容体がやっと安定した状況だ。出来れば、無茶はさせたくない。

夕方になってから、穴を這い出す。

そして、見てしまう。

ベヒモスだ。

此方に、足を引きずりながら、歩いてくる。その全身は血だらけ。傷だらけ。憎悪をまき散らしながら、此方に来るのが見えた。

1304さんが前に出て、武器を構える。

此処は、戦うしかない。

それに、此処で決着を付ければ。この岩場を荒らされることは、もう無いだろう。どうして今、このタイミングでベヒモスが来たのかはわからない。

いや、わかる。

恐らくは、獲物を逃がしたくないと判断したのだ。

致命打を浴びせた1293さんを獲物と判断しているのだろう。熊なども、似たような行動を見せる事があると聞いたことがある。

ふつりと、トトリの中で、何かが切れた。

許せない。

勿論、動物の習性だと言う事はわかっているけれど。此処は、許すわけには、いかない。絶対に仕留める。

「此方も負傷者が多い。 条件は良くないねえ」

マークさんが、素直に現状を言う。

だけれども。引くという選択肢は、もう無かった。

雄叫びを上げるベヒモス。

後ろ足だけで立ち上がると、その背丈はトトリの十倍近くある。完全に化け物。人が勝てる相手では無いようにさえ見える。

だが、国家軍事力級と言われる戦士達は。このくらいの相手は、片手間に片付けてしまうのだ。

それがアーランド。

そしてのし上がるのには。

どのような道具を使うにしても、この程度の相手は、仕留めなければ話にならないのである。

だけれど、今は。

そんな事は、完全に頭から抜け落ちていた。

先陣を切ったのは、1304さん。

姉妹とも言うべき存在をあんなにされて、一番怒っているのが、目に見えた。真っ先に斬りかかると、足下に一撃。後方に抜けながら、更に一撃。

更にミミちゃんが続くけれど。

しかし、足を引いたベヒモスが、ミミちゃんの至近に降り下ろしてくる。爆裂するように砂が吹き上がり、吹っ飛ばされるミミちゃん。

その砂を斬り破って、カシムさんとジーノ君が躍り出るけれど。

既にベヒモスがいない。

跳躍したベヒモスが、拳を降り下ろしてくる。

トトリが横っ飛びする寸前。さっきまでいた場所に。

トトリを狙っているのか。

更に、拳を振り上げて、追撃に掛かろうとするベヒモスだけれど。

背中に飛び乗ったミミちゃんが、矛を突き立て、走りながら一気に背中を切り裂く。更に立ちふさがったマークさんが、機械を操作。背中の箱から、小型の何か飛ぶものが発射されて、数発がベヒモスの顔面に炸裂。爆発した。

破壊力はトトリの発破ほどでは無いけれど。

それでも、ベヒモスを怯ませる。

其処にトトリも、あわせて発破を投げつける。爆破。視界を塞がれたベヒモスが、竿立ちになって悲鳴を上げる。

其処に反転してきた1304さんが、膝に蹴りを叩き込み、股を斬りながら垂直に駆け上がる。

其処までは出来ないけれど。

ジーノ君が、敵の膝裏に剣を突き立て。

アキレス腱を、カシムさんが切った。

雄叫び。

全身から魔力を放ったベヒモスが、纏わり付いていた全員を、同時に吹っ飛ばす。

着地に成功した1304さんが、愛用の武器である大薙刀を構え直す。ジーノ君とミミちゃんは着地に失敗。

かろうじて着地に成功したカシムさんも、息が上がり始めていた。

「次が決着だね」

マークさんが機械を操作。

背中から、たくさんの機械の腕を出す。

その全てに、恐ろしい武器が握られていたり、腕そのものが武器になっていたりした。トトリも、発破を取り出す。

じりじりと、間合いを詰め合う。

敵は満身創痍。

もう、長くは戦えないはず。

それでも、此処で倒しておかないと。万が一の可能性もあるのだ。手負いの獣がどれだけ危険かは、トトリも熟知している。

絶対に此処で。

決着を付ける。

ベヒモスが態勢を低くする。そして、突進してくる。

二足から四足への変更。

それにより、目に見えて突進力が上がった。

1304さんが、それでもベヒモスに追いつく。

背中に飛び乗ると、薙刀を突き込んだ。

明らかに、頸椎に食い込んでいる。

致命傷の筈なのに、それでもベヒモスはとまらない。

カシムさんが、飛びつく。

同じようにして、傷口を抉るようにして、何度も斬るけれど。それでも、なおベヒモスは、突進を止めない。

トトリが発破を投げ、顔面に炸裂させた。

だが、戦慄する。

顔面をぐしゃぐしゃに潰されながらも。

なおもベヒモス、砂漠の主は、此方への殺意をみなぎらせ、突撃を止めないのである。何故、死なない。

いや、もう死んでいるのに。

執念と殺意だけで、体が動いているのか。

背筋を恐怖が這い上がる。

だが、同時に。

杖を握り直す。

飛び出したマークさんが、全ての機械の腕を動かして、敵を迎撃。凄まじい馬鹿力どうしが、真正面から激突する。

ミシミシと音がしているのは、マークさんが展開している腕の方。

このままだと、押し切られる。

その時。

トトリが。既に命を失っているのに動いているベヒモスの頭の上に。跳躍して、降り立っていた。

今までの修練を、全てつぎ込む。

ずっと訓練してきた棒の技を。

一点に集中。

脳天に。突き降ろした。

水面を、優しく叩いたような反響。

そうか、本当に完璧に技が決まると、こんな感触なのか。トトリは、どうしてだろう。とても静かな心境の中で、そう感じていた。

ベヒモスの動きが止まる。

マークさんが、押し返していく。

トトリが、砂に降り立つ。

前のめりに倒れ伏したベヒモスの体からは。

鮮血が流れ。

血の池ができはじめていた。

痙攣さえない。

どれだけ無茶苦茶な状態で、体が動いていたのだろう。それを思うと、戦慄する以上に、悲しみさえ覚えてしまった。

獣だった。

でも、何故、此処まで戦いに固執したのだろう。

砂漠の主だからか。

そうなのかもしれない。この辺り一帯を自分のものだと認識していて。支配している自負があったから。

人間による侵略を、許せなかったのかもしれない。

もしそうだとすると。

このベヒモスは、むしろ同情すべき存在だったのかもしれなかった。

ミミちゃんとジーノ君が来る。

二人とも、ひどく傷だらけになっていた。ミミちゃんに到っては、びっこを引いてさえいる。

「終わったよ、二人とも」

「念のために、手足を切りおとすべきでは無いかしら」

まだ、恐怖がさめやらないからだろうか。

ミミちゃんは、そんな事を言った。

トトリはたしなめようかと思ったけれど。

息絶えているベヒモスを一瞬だけ見るにとどめた。実際、前衛であのベヒモスと戦い続けた恐怖は否定出来ない。

だが、それ以上に。

今は、この偉大な獣に、敬意を覚えていた。

勝手な感情かもしれない。

でも、あまりこの獣の王を、汚すような真似はしたくなかった。

 

2、確立ノウハウ

 

一度、前のオアシスまで戻る。

無惨な姿の同胞を見て、ホムンクルス達も、色々思うところがあるようだった。命に別状は無いと言っても、当面これでは戦闘どころでは無いだろう。

木の道の巡回班の一人が、代わりに護衛をしてくれる事を提案。

もう一人が付き添って。1293さんを連れて、アーランド王都に戻っていく。

こういうとき、予備の人員がいるのは嬉しい。

それに、木の道は、数日手入れしないくらいでは消えることも無い。勿論砂丘の処理はしなければならないが、それもしばらくは大丈夫だろう。

鳩便を使ってすぐに人員追加の依頼もする。

クーデリアさんも、状況の厳しさはすぐに理解してくれるはず。ただ、追加の人員がすぐに来るかはちょっと判断が出来ない。

いずれにしても、もう此処にいても、出来る事は無い。

砂漠の村の人達がわいわいと来て、ベヒモスの亡骸を解体して持って帰って行く。その時、ベヒモスから取り出した心臓を、トトリに渡していった。

何でも、砂漠に住むベヒモスの心臓は。例え死んでも動き続ける、極めて強靱なものだという。

そういえば、トトリが手にしたあとも、時々痙攣している。

ひょっとすると、これがあの不死身の原因かもしれなかった。

研究すれば、色々と役立てる事が出来るかも知れない。

三つ目のオアシスに戻る。

疲れ切っていて、しばらくは身動きできなかった。更に、残作業の整理も、色々こなさなければならない。

何より、ベヒモスがいなくなっても、砂漠が安全にはならないのだ。ベヒモスの縄張りが空白になれば、別の大型モンスターがそこに入るだけの事。

それに、今までの作業の処置もある。

落ち着くまで、二日かかった。

当然水路も岩場もそのまま。

積み上げられていたベヒモスの糞は、いつの間にかわらわら集まってきた虫たちが、あっという間に処理していったけれど。

それ以外は、殆ど全部、トトリ達で処理しなければならなかった。

三日目に、三人ホムンクルスが来る。二人は木の道の維持要員。もう一人は、1293さんの代わりに、護衛に入ってくる。

名前は1321さん。

手にしているのは、大型のフレイル。

それ以外は、1293さんや、1304さんと、何ら見分けがつかなかった。

これで、やっと作業が再開できる。

色々と、手酷いイレギュラーがあったけれど。

もう、流石に、これ以上はないと思いたい所だ。

今までのノウハウを生かして、作業を進めていく。後はもう、無駄が出来るだけでないように、てきぱきと。

ある程度オアシスが形になったところで、木の道にも着手。

大幅に遅れた工期だけれど。

十二日ほどで、形になった。

オアシスが出来る。

木の道も、出来ていた。ホムンクルスの木の道維持班にも、此方を巡回路として見てもらう。

数日おきに見れば良いから、三つくらいのオアシスの間の木の道を、一つの巡回班に任せてしまって大丈夫だろう。

そして今回は。

天の水傘を実戦投入できるようになったのが大きかった。

昼間も作業がやりやすくなったこともあって、作業の効率がぐっと上がった。工期の遅れを取り戻すことが出来たのも、天の水傘のおかげだ。

これで、三つ目のオアシス完成。

そろそろ、クーデリアさんが、動いてくれるはず。

そう信じながら、トトリは後の処理をホムンクルス達に任せて、帰る事にした。

帰り道で、レポートの文面について考える。

思えば三回のオアシス作成は、いずれも様々なイレギュラーに見舞われた。手練れがいて、人海戦術すれば解決は可能なものばかりだったけれど。それでも、対処法は全て残した方が良いだろう。

他の砂漠では、モンスターがどのように生態系を作っているのかは、よく分からないけれど。

多分、生活が楽な世界では無いだろう。

レポートはしっかり作っておいて、損は無い。

そう考えながら、砂漠の村にまで戻ると。

クーデリアさんが来ていた。

ちょっと驚かされる。

トトリを見つけると、クーデリアさんは、前置きもなく本題から入る。

「そろそろ三つ目のオアシスが完成したと思うのだけれど、どうかしらね」

「はい。 今、それで戻って、レポートを書くところでした」

「視察するから、つきあいなさい」

クーデリアさんは、ホムンクルスの一個小隊、十六人を連れていた。一分隊が四人で、それが四部隊である。更に、たくさんの工作用器機。コテージの材料らしいものを、複数の荷車に分けて乗せている。

また、荷車には、多分国で資産扱いしている、湧水の杯も乗せているようだった。多分ロロナ先生が作ったぶんか、それとも国で生産しているものだろう。

そのまま、砂漠にとんぼ返りか。

ミミちゃん達にはもう帰って良いと言おうかと思ったのだけれど。三人とも、しばらく護衛につきあうという。

ひょっとすると、冒険者としてのポイントを稼いでおきたいのかもしれない。

そうだとすると、ちょっと現金で、面白かった。

 

結局カシムさんも、村で休む事無く、そのまま砂漠へとんぼ返りにつきあってくれた。

皆で砂漠に行く。人工オアシスを視察しながら、クーデリアさんはメモを丁寧に取っていく。

手際はとても良くて。

この人が国の中枢にいるべくしているのだと、見ているだけでわかる。

それに、トトリの力がついてきたから、だろうか。

わかるのだ。国家軍事力級と言われる使い手の、底知れない実力が。

この人がいたら、あのベヒモスも。殆ど苦労する事無く、一瞬で片付いてしまうに違いなかった。

文字通り、怪物も形無しである。

「このコテージは悪くないけれど、将来的にはもう少し拡大するか、もう一棟建てる手もありそうね」

「わかりました。 検討します」

書記官についているのは、フィリーさんではない。人間の文官だ。それが、六人いる。

多分みんな労働者階級の人だろう。

奇しくも、今回砂漠を誰でも越えられるようにするという計画を、身でもって試すわけだ。

日中帯、せっかくなので天の水傘も試して貰う。

たしかに活動可能になると、彼らの評判は上々だ。

良かったけれど。

クーデリアさんは、腕組みして唸っていた。何か気に入らない箇所があるのかもしれない。

ちょっと緊張する。

二つ目のオアシスを通って、三つ目のオアシスに。

此処で、資材を使って、コテージを仮のものから本組みにしてしまう。戦闘タイプホムンクルスだけで十六人もいるから、その場ですぐに組み上がる。

文官達は、此処に残して。

ホムンクルス部隊を連れて、次のオアシス作成の現場に。

カシムさんに案内されて、北北西に。

到着した地点は、とても他から見てわかるとは思えない、砂しかない場所だった。此処でオアシスを作る事で、ノウハウを見せる事が出来るだろう。

まず、避難用の穴を作成。

夜明けまでには、三つの穴が出来る。二十人以上いるけれど。それでも全員がすぐに入る事が可能だ。

その後、天の水傘を使いながら、外で作業。

人数がいるので、人海戦術に訴えることが出来る。

前のオアシス作成地から持ち込んだ岩を使ったりして、湧水の杯を設置する場所を作り上げる。

クーデリアさんも手伝ってくれる。

水路を掘り、それが終わると防砂林の作成。その間、オアシスを作るべく、砂をひたすら掘っていく。

同時進行で、木の道の作成にも取りかかる。

人数がいるので、とても容易い。

わずか三日で、形が出来た。ただし椰子の木が育ち始めるまで少し時間が掛かるので、その間のタイムロスはあるが。

既に水路には水が通り始めていて。オアシスにも、なみなみと水が湛えられ始めている。この辺りも、砂は思ったほど水を吸わない。

定期的に水さえ供給されれば、きちんと池になる。

勿論、岩場になっていれば、更にオアシスの作成は容易だ。

防砂林にする椰子が芽を出して、育ち始めるのを見て。クーデリアさんは、アーランド王都にだろう。鳩便を飛ばしていた。

「後は、此処で数日滞在して、椰子が育つのを確認したら次に行きます」

「なかなかの手際ね。 大体十日ほどかしら」

「本当だったら、もう少し掛かるんですけれど。 人手がとても多いので」

「すぐに次の人工オアシスも作るわよ」

既に、木の道もかなり形になっている。

砂漠で迷うこともなく。

熱射病でさえ、確実な死をもたらさず。そればかりか、多数の人間が、比較的安全に通ることさえ出来る。

トトリは、モンスターよけの意味も兼ねて、木の道の外側に木を植えることも考えている。

其処で充分な餌を得られた砂漠のモンスター達は、人間を襲うリスクを天秤に掛けて、距離を置くはずだ。

勿論、異常気象などで。例外が生じることは、常に警戒しなければならない。

何事も、上手く行きすぎると、危ないのだ。

クーデリアさんはかなりの物資を運んできているし、何より食糧も充分にある。そればかりか、夜になると彼女は一人で出かけてきて。巨大なドナーンを一頭仕留めて戻ってきた。

勿論かすり傷一つ受けていない。

それどころか、あの巨体を余裕で引っ張って来たのである。

ホムンクルス達に調理させながら、クーデリアさんは、余裕の面持ちで言う。

「最悪の場合、大きめのモンスターは駆除してしまう手もあるわね」

勿論、それはあくまで冗談。

生態系がどれだけ重要な存在か、知らないアーランド人はいない。クーデリアさんだって、その一人なのだ。

コテージが出来た事で、昼も夜もかなり快適である。

アーランド王都に比べればそれは環境が厳しいが、トトリはもう慣れた。

時間が空くので、その間にクーデリアさんに指示されながら、レポートを書く。何しろ、時間はそれなりにある。レポートを丁寧に作る余裕なら充分にあった。用意がいいクーデリアさんは、最小限の筆記用具しかトトリが持ち込んでいないことを見越しているかのように、かなりのゼッテルとインクも持ち込んでくれていた。だから、作業には、全く不足がなかった。

数日が過ぎて。

椰子が充分に育つのを見届けると、次のオアシスに。

カシムさんはその間、一度村に戻って、物資を整えて帰ってきていた。村長も来たがっていたと聞いて、苦笑してしまう。

クーデリアさんは伝説だ。

彼女より若くして国家軍事力級と呼ばれるに到った戦士はそれこそいくらでもいる。でもクーデリアさんの場合、若い頃は非才を周囲に嘲られ、迫害まがいの扱いまで受けていたという。

それが努力を重ねて力を伸ばし。

この国でも最高位ランクの実力者にまで上り詰めたのだ。

そんな出自だから、下々の苦労も知っているし、貧民の希望の星とまで言われているらしい。

砂漠の村の村長も、その輝きに魅せられた一人、というわけだ。

おかしな話だなとも思うけれど、トトリは何も言わない。

問題なのは、クーデリアさんが実際にはとてもお金持ちだと言う事なのだけれど。別にわざわざ、それを声高に言う気は無い。

人の夢を壊しても、意味がないからだ。

椰子が充分に育ったのを見てから、オアシスを出立。管理要員を二人残していった。次のオアシスで、木の道の維持をする者も含めて、四人を残す予定だ。

五つ目のオアシスの作成に着工。

今までは、一つオアシスを作るだけで、一月がかりだったのに。

ペースは、実に三倍に上がっていた。

これから、残り六つのオアシスを、このペースで仕上げると、二ヶ月。多分アトリエを出て、最も長く外に逗留した記録が出来る。

これが終わったら、一度アランヤに戻ろう。

お姉ちゃんの手料理が食べたい。

そう、もこもこの毛皮に身を包んで、星が降るような夜の砂漠を歩きながら、トトリは思っていた。

 

既に、砂漠の北端が見え始めている。

その向こうにあるのは、小さなアーランドの砦。何でも、ベテランの戦士数名と、戦闘タイプホムンクルスが五人だけ詰めているという、国境の端の端だ。

だが、それも。

今日で終わりである。

十個目のオアシスが、ついに仕上がろうとしていた。

この辺りは砂漠の端という事もあり、今までに比べると環境も随分と優しい。これならば、今のトトリなら、平然と過ごすことも出来るだろう。

クーデリアさんは途中何回か姿を消したけれど。数日以内には、確実に戻ってきた。新しい物資と人員が、四回もアーランドから送り届けられて。途中の人海戦術での工事は、まるで困る事無く進んだ。

椰子が充分に育ち、根付き。

砂漠に穿たれた木の道も、しっかりとしるべとなっている。

オアシスはなみなみと青い水を湛え。

水路は防砂林に守られ、その美しい流れは、小鳥を誘うかのよう。砂漠に出来た奇蹟の泉は。十の連なりの結果、ついに魔の乾燥地帯を貫いたのである。

砦とつながった木の道は、まるでゴールを示すかのよう。

花道だと、トトリは思った。

後方に連なっているのは、砂漠を越えてきた物資の山。スピアの国境を横切っていくよりも、遙かにこの方が、物資を安全に届けることが出来る。

道が、今できた。

クーデリアさんに、促される。

「最初にこの道を越えるのは貴方よ」

「はい」

感無量だ。

砂漠が、岩石だらけになり。

砦の入り口近くまで続いていた木の道が、途切れて。其処で、五人の戦闘タイプホムンクルスと。

巨大なバトルアックスを持った初老の戦士。いかにも強そうな魔術師。何人もの手練れが見守る中。

トトリは、砦の正門まで歩ききった。

初老の戦士が、岩みたいな手をさしのべてくる。

「おめでとう、若き錬金術師殿」

「有り難うございます」

戦士は全身が筋肉の塊のようで、髭が口も鼻も覆ってしまっていて。髭もじゃの毛むくじゃら。髪には白いものが混じり始めているようだけれど。その圧倒的な威容は、歴戦の戦士の名にふさわしい。

少し前に、聞かされた。

彼こそ、砂漠を独力で越えた戦士の一人。

「大斧」マッシュ=ベルグ。

トトリの後からついてきた荷駄と、文官達。護衛のホムンクルス達も続く。

クーデリアさんが目を光らせているという事は、この辺りはかなり危険なのだろう。それはそうだ。

あの悪名高いスピアの国境線なのだから。

大きな団扇のような手で、マッシュがトトリの肩を叩く。その度に、地面に埋まってしまいそうになる。

「これからすぐに戻るのだろう?」

「あ、はい。 その、村に帰って、少し休みたい、です」

「ガハハハハ、まあそうだろうな。 だがせっかくだ。 少し此処で休んでいけ。 みなにお前さんの奇蹟の技について、語ってくれ」

ジーノ君が、羨ましそうに見ている。

多分、マッシュがトトリに最大限の好意を示しているのが嬉しいのだろう。だけれど、マッシュは年老いているだけあって、きちんとその辺りも理解しているようだった。

寂れた、小さな砦の中に入る。

十人ほどしか暮らしていない砦は質素で。新しく運び込まれた物資を持ってしても、その寂しさは隠せない。

ホムンクルス達に料理を作るように指示すると。

マッシュは、ジーノ君と、ミミちゃんを、顎でしゃくった。

「お前達、稽古を付けてやろう」

「えっ! ほんとうかよ!」

目を輝かせるジーノ君。

マッシュ氏は、トトリでさえ小耳に噂を挟んだことがあるほどの使い手。多分実力は、かの雷鳴に勝るとも劣らないだろう。

ミミちゃんも嬉しそうに立ち上がる。

これは、二人とも、苦労の甲斐があったというものだ。

マークさんはというと、あまりこういうのには興味が無いらしい。むしろ砦を見て廻っている。

其方の方が楽しそうだ。

一方でクーデリアさんは、文官達と、もう砦の改装について話し始めていた。

「しばらくあたしも常駐するから、その間にこの砦に、二百のアーランド戦士が詰められるよう改装をしなさい」

「はい。 物資については……」

「あたしが手を回すわ」

トトリは、今回は何も口を挟むことが無いかと思ったけれど。

クーデリアさんに手招きされる。

そして、砦の上に出た。

砦の屋根は、砂漠を背にして、北部の荒野を見渡すことが出来る。荒野は山々や深い森にも覆われているけれど。

やはり、乾ききった土が、圧倒的な存在感を示していた。

それに森も、まともな森だとはとても思えない。

黒ずんでいて、見るからに禍々しい。

「此処の砦を強化することで、アーランドの戦略は一気に進展する。 二百人のアーランド戦士が常駐できるという事は、スピアのモンスターなら二万に匹敵すると言う事よ」

つまり、それだけの戦力が。常時此方に睨みを利かせなければならない、という事だ。

更に此処から、敵の前線を強行突破すれば、敵国の奥深くまで、一気に突入することも出来ると言う。

今までも幾つかあった突破路が。

今回、一気に拡大したのである。

それだけではない。

この砦を、村にする計画もクーデリアさんは立てているという。そうすることで、更にアーランドの実質支配地域は拡大する。

そしてスピアに、プレッシャーを与える事が出来るのだ。

しかもこの砦には、アーランド王都から、主力部隊をいつでも急行させることが出来るようにもなった。

兵力の分散では無い。

戦略の拡大である。

それらを、あくまで淡々と、クーデリアさんは語る。

今後、アーランドの発展に役立つことをした事は、トトリもわかっていたけれど。同時に戦争の片棒を担いだことも、嫌でも理解せざるを得なかった。

その夜は、酒盛りになる。

トトリやミミちゃん、ジーノ君の三人には、流石に酒が出ないけれど。

それ以外の全員は、見張りの半分を除いて、全員が酒にありついていた。勿論ホムンクルス達もである。

ホムンクルス達はザルなのかなと思っていたのだけれど。

意外な事に、かなりの個人差がある様子だ。

ころりと酔ってしまう人もいれば、平然と淡々と飲み続けている人もいる。何処で差が生じるのかは、トトリにはよく分からない。

意外な事に、マッシュさんは酒盛りに参加しない。

今日が一番危ないから、というのが理由らしい。

また、見張りの内半数ほどは、砦の増設に取りかかっている。アーランド王都から持ち込んだ、自動で敵を撃つ大砲も、据え付けられているようだった。

外はそう言うことで、かなり喧しい。

酒盛りの席で、上座に据えられたトトリは、少し肩身が狭いとは思ったけれど。この席に、トトリがいなければ始まらない。

この日のためにととってあったらしい燻製肉を口にしながら、不幸が起きなければ良いなあと思い続けていた。

ジーノ君はすごく嬉しそう。

多分、昼間にマッシュさんに稽古を付けて貰ったのが理由だろう。何でも、ミミちゃんと二人がかりで、実戦形式の稽古をしたという。二人をたたきのめす度に、マッシュさんは的確なアドバイスをくれて。それがとても良かったそうなのだ。

ミミちゃんは整然と、完璧なテーブルマナーを見せている。

とはいっても、床に小さなテーブルを置いての酒宴だ。

それこそ手づかみで肉を食べても、誰も文句など言いはしないのだろうけれど。

マッシュさんがくる。

「どうだ、楽しんでいるかな」

「はい、とても」

「その割りには肩身が狭そうだな。 ガハハハハ、正直でよろしい」

ばんばんと肩を叩かれる。その度に、地面に埋まりそうになる。まあ、それもこの人の親愛の示し方だ。

幾つか、話は聞いておく。

実は以前、ロロナ先生がここに来たことがあるのだという。それで砦の状況を、劇的に改善してくれていったのだそうだ。

「此処は砦と言うよりも、もう最前線の見張り小屋という有様でな。 スピアもそれをわかっているから、兵力もろくに貼り付けていない。 おそらく、砦が大規模改装されているという話は、既に敵の本国に行っているはずだ。 遅くても数日以内には、砦の規模に見合った軍勢が来るだろうな」

此方にはクーデリアさんもいるし、マッシュさんもいる。

簡単には攻められない。

だからこそに、相応の軍勢が来るだろう。

逆撃を掛けられて、領内を荒らされでもしたら、スピアにとってはたまったものではないはずだからだ。

「戦いがありそうで、何も無い。 それがこの掘っ立て小屋でな。 ずっと此処に張り付いていた連中も、その状況が変わることを喜んでいる。 かくいう俺も感謝しているよ」

「そんな、私は」

「嫌でも、戦争は持ち込まれる」

トトリの考えを見越したかのように。

マッシュさんはいう。

いつの間にか。

その顔は、とても真剣なものになっていた。

「一度、何かしらの方法で、スピアの領内に足を運ぶとよい。 リス族の件で、スピアの侵略が如何に残虐かは知っているようだが、実際にそれを見た方が良いだろう。 そうすれば、もはや手段を選んでいられないと、錬金術師どの。 貴殿にもわかるはずだ」

席を立つと、マッシュさんはクーデリアさんの方に行く。

クーデリアさんはちびちびとお酒を飲んでいたが、全く酔う気配がない。かなりお酒には、強い方なのだろう。或いは、何か飲み方のコツでもあるのか。

何か難しい話を、二人が始めている。

専門用語が混じっているが、多分戦略の話だ。

二人ともこれは専門家中の専門家。トトリが首を突っ込める内容では無いだろう。

マークさんはずっと消えたっきり。

きっと砦の彼方此方を、子供みたいに無邪気に目を輝かせながら、見て廻っているに違いなかった。

夜半過ぎまで、酒宴は続き。

案内されたあまり大きいとは言えない小屋で、トトリはミミちゃんと、何人かのホムンクルスと休む事になった。

ホムンクルス達は、疲れきった様子で寝こけているものも。平然と、酔いつぶれた同僚を介抱しているものもいる。

明日から、帰路だ。

砂漠を行く際には、護衛のホムンクルスが二人ついてくれるという。

半年がかりだった今回の仕事も、これで終わり。

そう思うと。

多少は感慨に近いものも、トトリは覚えるのだった。

 

3、翼の先

 

なにやらアーランドがおかしな動きをしているとは知っていたが。急報を受けて駆けつけたレオンハルトは、思わず呻いていた。

かなり大規模な砦が、いきなり出来ている。

しかも背後は砂漠。

その砂漠に補給路が確立され。しかも砦には、百を超える手練れが入り込んでいるようなのだ。

アーランド戦士の手練れ百人は。正直な話、他の国の軍勢で言えば、万に匹敵する。それも、増援をいくらでも送り込んでくることが可能な状態。

一なる五人も危惧するはずだ。

何しろ、連中の本体は、此処から意外なほど近くにある。

その気になれば、アーランドは此処に、国家軍事力級の手練れどもを集中させ、猛攻に出てくる可能性さえあった。

一気に攻勢を掛けて、今のうちに潰してしまうか。

そう思ったけれど、即時に断念。

砦に、強烈な気配がある。

恐らくはクーデリアだろう。奴は、以前遊んでやっていた頃とは、実力でも頭脳でも比較にならない。

レオンハルトでも、相当に手こずることが確定の相手だ。

最悪なのは、おそらく此処を拠点に、エスティ辺りがスピア内部への侵入と工作を容易に行えるようになる、という事。

今、一方的に攻勢に出ている部隊を。

相当数、此方に引き抜いて、守りに廻さなければならない。

もしくは、今生産中の戦力を、あらかた此方に回して、牽制に当てるか。

いずれにしても、戦略の大転換が必要だ。

分身共に此処を任せる。

敵の戦力が戦力だ。安易に攻撃を仕掛ければ、下手をすると返り討ちどころか、前線の戦力が崩壊しかねない。

すぐに一なる五人の所に出向く。

連中は、少し前に移動し。

今は、此処から北に、レオンハルトが全力で移動して一日ほどの距離。既に滅びた国の王都地下。

いにしえの文明が残した、機械の都市の中にいる。

廃墟の都市の中に入ると、崩れ落ちた家の中に。床板を剥がして、下に降りて、下水道へ。

既に機能していない下水道だ。水も止まっている。

その中を歩いて行って、何の変哲もない一角で足を止めた。

壁に手を触れると、横にずれて、通路が出来る。

しかも、その通路に入ると。光が通って、レオンハルトだと言う事を確認。確認後、勝手に通路が下に動き出すのだ。

しばし待つと。

動きが止まる。

辺りは、すっかり滅びた文明の機械都市。規模としては、オルトガラクセンよりも大分小さい。

此処にいた管理用の邪神は、既に一なる五人に滅ぼされ。

モンスターの生産設備は、連中の手に落ちていた。

此処からの経路が複雑なのだ。

黙々と、代わり映えのしない暗い機械都市を歩く。明かりは生きていたり死んでいたりで、暗かったり明るかったりまちまち。自動で動いている機械もまだあるけれど。それは、どうでも良いから放置されているだけ。有用なものは、最後の一つまで、一なる五人が回収していった。

大きな建物に入る。

まるで墓石のような形をした、巨大なそれは。

今は、一なる五人の、体の一部とかしている。

内部に入ると、天井からシャンデリアがごとくぶら下がった巨大な眼球が、レオンハルトを見据える。

眼球の周囲には神経が絡みついているが。その中には、明らかに生態部品では無いものも混じっていた。

「報告せよ、レオンハルト」

遙か遠くから声。

直接謁見しなくても、この眼球と話すだけで。会話が成立するのは、ありがたい所だ。

状況を説明。

すぐに、一なる五人は、状況の悪化に気付いたようだった。

「ふむ、もう一カ所、大規模な戦線を作る必要があるな」

「御意」

「しかし、西への攻勢は、今の時点で鈍化させるわけにもいかない」

少し前の戦いで。

破れたとは言え、メギド公国と、西側の列強に、当面回復不可能な打撃を与えたばかりなのである。

此処で攻勢を強化しなければ、打撃を回復される可能性がある。

そうなると、本末転倒だ。

その時の戦いでは、アーランドの国家軍事力級の使い手が三人も加わっていたという事は、レオンハルト本人も理解している。

それだけの大事な戦いだったのである。

如何に圧倒的な戦力を有していると言っても、兵力は無限では無い。

それに、思いも寄らない方向から、水を差されたような形だ。

奇しくも、アーランドの戦力も、活動を活発化させている。

今のところ、大規模なホムンクルスの生産拠点、洗脳モンスターの育成拠点は潰されていないが。

この機に、敵が大規模攻勢に出る可能性は否定出来ない。

「今回の件、裏を探ったか」

「現在、分身が動いております」

「それにしても、砂漠を抜ける補給路を確立するとは……」

一なる五人も、流石に唖然としているようだった。

アーランド人の強靱さは彼らも知るところだが。文字通り、空を通ってでも来ない限り、砂漠に補給路など作れない。

一体どうやったというのか。

一なる五人の前を辞すると、レオンハルトは国境に向かう。

アーランドに潜入して。

何が起きたか、確認する必要があるだろう。

今回は破壊活動では無いから、最小限のことしか出来ないが。状況を確認するまでは、帰れない。

数日かけて移動、隙を見つけてアーランドに潜入。

アーランドは、俄に活気づいていた。

アーランド王都の東門から、かなりの物資が荷駄となって出立している。護衛がついていて、手出しできる状況ではない。

まっすぐ東に続いている荷駄を追うと。

砂漠に、何の躊躇もなく、入り込んでいるでは無いか。

それだけではない。

砂漠に道が出来ている。

正確には、木が連なって、道になっている。覇王樹や砂漠に生える成長が早い椰子を利用しているようだった。

荷駄も、夜の移動が基本だが。

昼間も、人間が行き交っている。

どうも荷車に、水を噴出して熱を効果的に遮る傘を組み合わせたものが、それを可能にしているらしい。

モンスターは、突如現れた人間の大群を、遠目に見守るばかり。

仕掛ける者がいるとしても。護衛の戦力が強力で、返り討ちに遭うのが関の山だった。

これは、完全に想定外だ。

砂丘に潜みながら、レオンハルトは舌打ちする。

状況から考えて、おそらくこれを成し遂げたのは、錬金術師。そのうち国境に張り付いているアストリッドは除外できる。今、小型の労働用ホムンクルスの量産に掛かっているというロロナも除外して良いだろう。

そうなると、残りは。

一度、殺し損なった、まだ顔に幼さを残した娘のことを思い出す。

トトリ。

トゥトゥーリア=ヘルモルト。彼奴に間違いない。

歯ぎしりをしてしまう。

まさかこれほどのことを成し遂げる才覚があったとは。今までは、ロロナの七光りを利用して、小賢しく動いているだけの奴かと思っていた。

この業績は、違う。

見ると、オアシスを人工的に作り上げ。それを拠点に、砂漠を越える道を造り出しているでは無いか。

そんな事、一なる五人にだって簡単では無い。

いや、出来ないだろう。

勿論、その才覚をアーランドがフルに活用している、というのはあるだろうが。いずれにしても、これはもはや、放置してはおけなかった。

次は、必ず殺さなければならない。

以前は分身がしくじった。

そうなると、レオンハルト本人が出向く必要があるだろう。

それにしても、しばらくアーランドから諜報の手を引き上げている間に、このような事になっていたとは。

いっそのこと、西側の列強など放置して。

全軍をアーランドに向けて、決戦を挑むべきでは無いのだろうかと、レオンハルトは思った。

このままだと、アーランドは脅威になる。

今なら、全軍を叩き付ければ、勝てる。

勿論、列強に相当な領土を奪い取られるだろうが、そんなものは後から取り返せば良いのである。

国境を抜けると、レオンハルトは一なる五人の所に戻る。

報告を聞くと。

流石に一なる五人も、面食らったようだった。

「オアシスを人工的に造り、間を木で作ったしるべの道でつなぐだと……!」

「成し遂げたのは、恐らくはトトリでありましょう」

「以前報告にあった、アーランドの最新世代錬金術師か」

一なる五人が。

珍しく、怒りを感じているようだ。

ちょっと小気味が良い。

神を気取る悪魔共が、こうも感情を乱す有様は。レオンハルトも、滅多に見たことが無かった。

「此処はもう、全力をアーランドに向けて、総力戦を挑むべきかと。 現在なら、そうすれば勝てまする」

「貴様らしくもない、安易な結論だな」

「トトリはまだ十四歳だと言う事を忘れてはなりませぬ。 国のバックアップがあるとは言え、本物の才覚を持つものだとみて間違いないでしょう。 今はまだ荒削りですし、簡単に殺せますが、それも今だけです。 成長していけば、単純な戦闘力でも油断ならない相手になる可能性が高うございます。 言うならば、ロロナがもう一人増えるようなものです」

だが、一なる五人は、首を縦に振らない。

勿論比喩の問題だが。

「ご決断を」

「とりあえず、砂漠方面の押さえとして、これから西に廻すはずだった戦力二万五千を投入せよ」

「それでは、一時しのぎにしかなりませぬ。 それにメギドの攻略が一年以上は確実に遅れまする」

「多少時間は掛かっても、まずは確実に西側の列強を滅ぼす。 全てはそれからだ」

阿呆が。

内心で、レオンハルトは呟いたが。

それ以上は、逆らわなかった。

地下都市を出る。

集まってきた分身達。かなりの数のホムンクルスもいる。もしも一なる五人が許可するようなら、これからレオンハルトが動かせるだけの戦力を投入して、あの砂漠の砦を潰すつもりだったのだ。

レオンハルト自身も命が危ないほどの戦況になっただろうが。砦を今ならまだ陥落させられる可能性があった。砦さえ潰してしまえば、アーランドが作ったオアシスも木の道も全て叩き潰し、元の木阿弥にしてしまうことが出来たのだ。

それも、これでご破算である。

指揮官級のホムンクルス。黒い鎧を着込み、大げさなバトルアックスを手にしているそいつが、恭しく言う。

「レオンハルト様、如何なさいますか」

「まずは幾つかの砦に兵力増強。 二万五千を投入して、敵の出鼻を押さえ込む」

「それでは時間稼ぎにしかならないかと」

「我等が主の命令だ」

それで、後はもう言う事も無い。

ホムンクルス共は、命令を実行するべく、粛々と各地に散っていく。文字通り、時間稼ぎのための駒となるために、移動していくのだ。

その様子を見ていて、レオンハルトは今までに無い不快感を味わっていた。

予言でも何でもない。

これからトトリは強くなる。

業績を上げたから、ではない。やり遂げた事があまりにもばかげているからだ。はっきりいって、生半可な根気で成し遂げられることでは無い。普通の人間だったら、速攻で投げ出してしまうか、或いは考えようともしないだろう。

そして時間が掛かれば掛かるほど。

トトリの実力は錬磨され。

いずれ、レオンハルトでも簡単に暗殺など出来ない相手になっていく。ロロナがそうであったように、だ。

何だろう。

味方は、圧倒的に勝っていた。

数においても戦力においても。

総力で掛かれば、如何に魔界と言われるアーランドでさえ、蹂躙することは難しくなかった筈なのだ。

たかが戦略上の一点にほころびが生じただけに過ぎない。

それなのに、どうしてだろう。

背中に、薄ら寒いものを感じるのは。

ひょっとしてレオンハルトは。

化け物の誕生に立ち会ってしまったのでは無かろうか。それこそ、人類の歴史を変えうるレベルの化け物の。

自分だって、化け物だと言われて来たはずなのに。

大きく嘆息すると。

久しぶりに酒でも飲むかと、レオンハルトは思った。

そして、もはや酔うことも出来ない体に成り下がったことを思い出して。苛立ちに、地面を蹴りつけたのだった。

 

少しばかり遅れて砂漠の砦に到着したエスティは、口笛を吹いていた。

本当に、砂漠の砦が、著しく強化されている。このままインフラが整えば、街を作る計画さえあるそうだ。

それが実現されつつある。

砂漠に通った、一筋の緑。

連なるオアシスがなしえた、砂漠を人間が安全に通れるようになるという奇蹟。勿論労働者階級の人間にはまだまだ護衛が必要だが。絶望的な無人地帯だった其処は、今や人が通ることが出来る場所と化した。

道が出来たのである。

砦に入ると、忙しく働いている数多い人間。

労働者階級の者達も、ざっとみて二百人以上いる。砦を拡大して、更には城壁を作り、その内側に街を作る。

幾つかの場所には、湧水の杯が設置され。

水の弁という最悪の弱点は、完全に克服されている。この砦が、水攻めによって陥落する事は無いだろう。

建物も急ピッチに作られ始めていて。

中央にある砦も、完全に一度崩されて。屈強に作り直されているようだった。

蠍さえ嫌がる荒野だったこの場所が。

一転して、アーランドでも屈指の重要戦略拠点と化したのである。仕事をしている面子の中に、トリスタンを発見。

父のメリオダス大臣に言われて、此処で指揮の経験を積むために来たのだろう。

見回すが、既にトトリもクーデリアもいない。

大斧マッシュがいるし、手練れもかなりの数がいるから、生半可な敵に遅れを取るとは思えないが。

一応、しばらくはエスティが周囲の守りを固めるつもりだ。

働いている中に、マッシュがいた。

老いても衰えが見えない鋼の肉体を誇示するように、巨岩を軽々と運び上げては、周囲に移動させている。

場合によっては、拳で岩さえ砕いている。

若い頃は更に強かったと言うが、それも当然か。何しろこの男、あのジオ王の訓練相手を務めた一人なのである。

「大斧マッシュ、少し良いかしら」

「応、エスティ殿。 いつ来られたか」

「丁度今よ」

顎をしゃくって、城壁の外に移動。

護衛は、必要ない。

エスティの配下は今周囲に散って、慌ててスピアが派遣してきている敵戦力の確認中だ。

面白い事に、スピアは今回の件で、二万ないし三万の戦力を、此方の抑えに動かしているという。

その結果、各地の戦線に露骨な隙が出て。何カ所かでは、ついに西部列強が反攻作戦を開始したそうだ。

もっとも、総合的に見れば、スピアの戦力が圧倒的な事実に代わりは無い。生産力も、元々異常なのだ。

油断は出来ない。

ただ、リス族の亡命を加速させたり、他にもスピアから逃れる事を望むものを手引きするなら、今だろう。

この砦は、受け皿の一つになる。

「なるほど。 俺は逃げてきた奴らに、温かいメシと寝床を与えて、アーランドの奥地に逃がしてやればいいんだな」

「お察しの通りよ。 勿論彼らは善人でも聖人でもなく、人間だから、油断はしないようにね」

「わかっているわい」

ガハハハハハと、豪快に笑うマッシュ。

好ましい。

この男がいる限り、如何に建設途上で隙があっても。砦が落ちる可能性は絶無だと断言できる。

「トトリの方はどう?」

「帰る前にちょっと棒術を見てやったが、結構出来るようになってるな。 多分同年代の平均以上には出来るぞ」

「そんなに?」

「砂漠で、ベヒモスを殺したらしいんだが、その時に何か得るもんがあったんだろう」

大器晩成型の使い手には、よくあるらしい。

ある程度までで随分伸び悩むのだけれど。不意にある一点を超えてコツを掴むと、其処からはするすると伸びるそうだ。

トトリ自身も、自分がこれほど出来るとはと、驚いていたとか。

とりあえず、トトリの方は、しばらくは大丈夫だろう。

「そろそろ、ロロナの嬢ちゃんやステルク坊とも、一緒に行動させてはどうだね」

「今、検討中よ」

「うむ……」

マッシュの言う所によると。

トトリは見れば見るほど覚えるタイプだという。

確かに圧倒的な理解力という武器がある。基礎の力がついてきた今、そろそろ戦闘においても錬金術においても、スペシャリストの力を見るのは有益なはずだ。

今までは、トトリ自身の力が足りなくて、むしろ有害になってしまったが。

今後は違う。

他にも幾つかの話をした後、エスティは砦を後にした。

街になりつつある砦は。

この枯れ果てた世界に、明かりが点ったかのように。

健康的な喧噪に満ち。

良い意味での混沌が溢れていた。

 

4、再会

 

アーランド王都に戻ったトトリは、すぐに王宮に呼ばれた。レポートを正式に提出して、そして。

冒険者ランクの上昇である。

ランク5。

押しも押されぬ中堅だ。

すぐに研修を受けた。ランク5ともなると、かなり難しい仕事が優先的に来ると言うことで、気合いを入れるようにとも、研修で念を押される。

トトリだって、不安だ。

本当にこんなランクに、自分がついてしまってよいのだろうか。

だが、実績があると言われる。

砂漠に道を通すなどと言う途方もないプロジェクトを発案し。基礎部分を自分で完成させた。

その時点で、充分な実績だと。

そう言われると、むしろこの昇進人事を受けないのは、失礼に当たるのかもしれない。努力を評価してくれたのだ。

評価を、無碍にしているのと同じなのだから。

アトリエに戻ってから、流石にその日はすぐに寝て。

翌日は、朝から銭湯に出向いて、汗と砂を流した。やはりというか、オアシスの水で体を拭っただけだと、落ちない垢も多い。

ましてや三ヶ月に達する砂漠の逗留だったのだ。

銭湯で丁寧に体を洗っていると、すごくたくさん汚れが落ちたので、周囲に見られるのでは無いかと思って、赤面してしまった。

湯船に浸かって、しばし体を休める。

ぼんやりしていると、隣にミミちゃんが入ってきた。

「お疲れのようね」

「ミミちゃん。 うん、疲れたよ」

「今のうちに休んでおくことだわ。 すぐにまた、過酷な仕事が来るのだからね」

言われるまでも無い。

というよりも、研修の時に言われたのだ。

元々、錬金術という固有スキル持ち。すぐに次の仕事が来ても、おかしくは無いだろうと。

それも、極めて困難な、である。

しばらく、茹だらない程度に、お話しをする。

ミミちゃんによると、マッシュ氏にトトリが知らないうちに、何度も稽古を付けて貰ったそうだ。

非常に荒々しい実戦形式だったらしい。

トトリも稽古を付けて貰ったのだけれど。

確かに見かけに違わぬ、非常に激しい稽古だった。

ただ、面白い事に。

稽古の内容は苛烈でも、その後マッシュさんは必ず褒める。何が出来ているとか、どうすればもっと良くなるとか。

叩いてから、褒めることで。それでより、稽古を付けた相手を伸ばす事が、彼の得意技らしい。

ちなみにマークさんは、砦に残った。

しばらくは、アーランドには戻らないつもりらしい。

砦の方でも大歓迎だろう。

技術者は一人でも多い方が良いはずだ。これから城壁から何から、大改装をするのだから。

「それで、これからどうするの?」

「クーデリアさんには伝えてあるのだけれど、出来れば一度アランヤに戻りたいなって思っているの」

「……そう。 それなら私も一緒に行くわ」

「良いよ。 お姉ちゃんも喜ぶと思うし」

そういうと、ミミちゃんも一瞬だけ表情が柔らかくなる。

分かり易くて可愛い。

風呂を上がると、そのまま連れだって、乗合馬車に。

話には聞いていたが、前の倍速で動いている様子だ。ペーターお兄ちゃんの馬車は、来るのが二日後。

それなら、丁度良い。

王宮から、次の仕事についての通知も、明日くらいにはあるだろうから。

 

馬車に乗って、アーランドを出る。

今回、ジーノ君も一緒だ。久しぶりに里帰りをするつもりらしい。ジーノ君は砂漠で捕まえた蠍の死骸とか、珍しい形の石とか、よく分からないお土産を、たくさんたくさん手にしていた。

こういう所は、とても子供で。

昔のままのジーノ君で、安心できる。

ただ、背はめきめき伸びている。

前はトトリとあまり変わらなかったのに。

今では、トトリより、もう明確に背も高くなっていた。剣の腕前についても、もう一人前と呼べるレベルの筈だ。

馬車に乗るときに見せてもらったけれど。

ミミちゃんとジーノ君は、冒険者ランク4に昇格。

ここに来るときに、王宮で手続きを済ませてきたらしい。ただ、二人とも、鍛錬を重ねるようにと、念を入れて言われたそうだ。

まだ、戦闘タイプの冒険者としては、若干頼りないのかもしれない。

でも、それはトトリも同じ。

たまたま大きな仕事に恵まれて、それをこなしてきたから、もうランク5になっているだけのこと。

きっと実力は、同年代に錬金術師がいたら、あまり変わらない筈だ。

実際アトリエで、ロロナ先生のレシピを見るけれど。

まだまだ再現できないものは山のようにある。理解できない理論だって、同じ以上にたくさんたくさんある。

馬車がかなり速くて、窓から見る光景が、すっ飛ぶように後ろに流れていく。

ペーターお兄ちゃんはそのせいか、以前以上に無口だ。

多分油断すると、事故を起こしてしまうからだろう。

確かにこの速度では、無理もない。

以前は二週間掛かった旅路も。

一週間に短縮された。

アランヤに到着する前に、寄った村々で、お土産も買っていく。今回のプロジェクト成功で、あり得ないくらいの報酬が出たのだ。ちょっとお土産を買うくらいなら、罰もあたらない。

アランヤに到着した時には。

荷車が、珍しい品で、一杯になっていた。

「買い込んだなー」

「うん。 錬金術の素材も多いけれど、家の備品で、駄目になっていたのも多いからね」

「そっか」

村の入り口で、解散。

ミミちゃんは酒場に、仕事を見に行くと言う。

ジーノ君は実家に直行。

その後酒場に出て、身の丈にあった仕事がないか、探すつもりのようだ。戦闘に絞れば、良い仕事があるかもしれない。

でも、これから中級冒険者として分類されるのである。

そろそろベヒモスの討伐や、それに匹敵する魔物の相手もしなければならなくなってくるはずで。

二人とも、厳しい局面になる筈だ。

もっとも、それはトトリも同じだが。

クーデリアさんからは、次の仕事は鳩便で出すと、アーランド王都を発つときに言われた。

場合によっては、此処には数日しかいられないだろう。

村を見て廻りながら、家に。

ふと、気付く。

家の前に、とても懐かしい姿がある。

何年も会っていないのに。

どうしてか、その姿は、前と全く変わっていないように見えた。

「ロロナ、先生!?」

「トトリちゃん、おひさしぶり」

小柄で。

子供のようにも見えるその人は。

紛れもない、天才錬金術師。

地に落ちていた錬金術師の名声を、一気に引き上げることに成功。数々の業績を残して、この国の力を倍増しにしたという、この国の人間なら誰もが知る英傑。

ロロライナ=フリクセル。

当代の旅の人、などという渾名さえあるほどの人だ。

思わず掛けよって、飛びつこうとする自分に気付いて、驚く。涙が出てくるかと思った。

錬金術師になってから、この人がどれだけの怪物だったか、何度思い知らされただろう。実際に自分でやってみるまでは、ただちょっととろそうな雰囲気の人だなとさえ、思っていた事さえあったけれど。

今ではわかる。

錬金術師として、トトリがどれだけ背伸びしても、とてもかなわない境地にいて。

戦士としても、限りない高みにいる。

「ど、どうして、此処に?」

「ちょっと近くに寄ったからね。 トトリちゃんの活躍は聞いているよ。 砂漠に道を通したんだって?」

「は、はいっ! 何とか出来ました!」

「すごいね。 歴代のどんな錬金術師にも出来なかった快挙だよ」

そんな風に言われると、顔が真っ赤になって、破裂しそうだ。

ロロナ先生に促されて、家に入る。

この、お母さんの次に尊敬している大錬金術師と、久しぶりに会うことがで来たのだ。一体何を話せば良いのだろう。

お姉ちゃんも、ロロナ先生には驚いたようだけれど。

すぐに、てきぱきと、昼食の準備を始めてくれた。

ロロナ先生と、テーブルに向かい合って座ると。咳払いした先生は、さっそく本題に入る。

そうだろうと思った。

こんな多忙な、国のVIPが、トトリにわざわざ何の用事もないのに、会いに来るはずもないのだ。

「次の仕事だけれど、すぐに来るよ」

「ひょっとして、内容を知っているんですか?」

「うん。 だから来たの」

ロロナ先生は、笑顔を崩さない。

この人の笑顔に、底知れないものを感じたのは、初めてだ。

でも、元々この人は、世界でも上から数えた方が早いくらいの偉人である。色々な経験も積んでいるだろうし、これくらいは当然なのかもしれない。

「じゃ、詳しいことは明日話そうかな。 それよりも、錬金術の腕前、見せてくれない?」

「は、はい! すぐにでも!」

「楽しみだなあ」

こういうときは、童女みたいな無邪気な笑顔を浮かべるのだからずるい。

お姉ちゃんに、ご飯が出来たら呼んで欲しいと声を掛けると、アトリエに移動。ロロナ先生が笑顔で見守る中、幾つかの調合を見せた。

薬については結構自信があったのだけれど。

ロロナ先生は、笑顔をそのまま、全く崩さずに維持し続けた。

あ、これは。

駄目だしだなと、思った。

「すごく上手になったね」

「はい……」

「でも、わかってると思うけれど、自分のものに出来ていないね。 もっと練習をした方が良いかもしれない」

そういって、ロロナ先生が、レシピを出してくる。

明日までに、目を通して置いて。

そう言い残すと、居間の方に戻っていく。

ロロナ先生は優しい人だったけれど。時々、こういう風に、妙に厳しいときもあって。それで、緩急がついていて。

トトリは、ついていくのが、いつも楽しみだった。

言われたまま、新しいレシピに目を通す。

どれもこれも、トトリが挑戦さえしたことが無い技術ばかり。それも、今まで見てきたレシピとは難易度が段違いだ。

でも、だからこそ、やりがいもある。

デスクに向かうと、参考書を読み始める。

一つの大きな壁を越えたトトリは。

また今、更に大きな壁に直面した。

でも、それは悲しいものではなく。

とても温かいものだった。

 

(続)