連なる乾山
序、天の水傘
砂漠を、昼間でも歩けるためにする道具。
トトリは着想から、ついに実行に移していた。
まず最初に作ったのは、水を入れておくための容器。これに関しては、ツボのようなもので問題ない。
砂漠を移動するための荷車に乗せて使うのだ。
人が持ち上げられなくても、大丈夫である。
一抱えもある大きなものだから、装置として作らなければならないのが大変だが。それでも、作る意味は大いにある。
水の質は、別にどうでもいいのである。
問題は、水を噴出する仕組みだ。
幾つか参考資料を見て、確認すると。ツボなどに入れている水を、自動的に噴出させる仕組みは、幾つもある。
機械を利用する大がかりなものから。
それこそ、非常に簡単に作る事が出来るものまで。
此処で必要とされるのは、簡単かどうかでは無い。
堅牢さだ。
砂漠の過酷な環境で、すぐ動かなくなるようでは意味がない。寒暖差にもびくともせず、必要なときにすぐに水が出るようにする仕組み。
幾つかの候補の中から、トトリが絞り込んだのは。
井戸水をくみ出すための仕組みだ。
簡単なレバーを使う事で、水を引っ張り出す。
検証作業をしてみた結果、メンテナンスも難しくない。交換用の部品に関しても、既存の工場生産品でどうにでも応用できる。
水がかなり重くなるけれど。
それについては、人工オアシスで補給すれば良い。
水を噴出する仕組みを作った後は。
陽光を遮る仕組みと。
それに、間断なく水が配給される仕組みの構築だ。
レシピを見ながら、何度も試行錯誤しながら、作業を進めていく。並行して、インゴットを作っては、ハゲルさんに加工して貰って、湧水の杯に変えていく。いずれも、簡単な作業では無かった。
三週間ほどで、どうにか試作品が出来る。
旧くなってしまった荷車と組み合わせた。そこそこ大がかりな仕組みだ。
荷車の中央には、水のタンクであるツボ。
上には笠状に張り出した皮。
この皮に関しては、砂漠に生息している大型ドナーンのものを使用する。他にも、悪魔の使いの皮も試してみたのだけれど。熱耐性はドナーンの方が強そうだったので、採用は此方にしたのだ。
それと、荷車も新調。
痛んでいたし、この間の砂漠での長期逗留で、もう完全に無理だと判断。長く頑張ってくれた荷車だけれど、これで終わり。
とはいっても、車軸を変えて、少し荷台を手入れして、それで終了である。
新しく零から買うよりは安くつくので、問題ない。
それにしても。
一人で生活するようになってから、お金にがめつくなってきているのが、実感できる。これはきっと、トトリがたくましい生活能力を身につけてきたから、なのだろう。
一月ほどで、砂漠にまた出かける準備が完成。
クーデリアさんの所に出向いて、状況を説明する。勿論、レポートも書いて一緒に提出した。
以前に、成果については説明していたけれど。
厳しいクーデリアさんの事だ。
何処まで此方の要求を呑んでくれるかは、正直わからない。しかし、である。クーデリアさんが手を叩くと、戦闘タイプのホムンクルスが二人、姿を見せる。
1099さんと、1221さんだそうである。
二人とも、実力的にはごく平均的な戦闘タイプホムンクルス。つまり前回のオアシス作成作業と、同じように護衛をしてくれる、という事だ。
これは、有り難い。
今回はこれに加えて、砂漠の村で、案内役を借りるつもりだ。以前に世話になったカシムさんに、オアシスを作るのに適した場所へ案内してもらう。
後は、冒険者の護衛が三人は欲しい。
事前にジーノ君とミミちゃんには話しているけれど。今回は、ナスターシャさんが来られないかもしれない。
まだメルお姉ちゃんはふらっと消えたまま戻ってきていないし。
そうなると、どうしたものか。
マークさんがいればいいのだけれど。あの人は、メルお姉ちゃん以上に神出鬼没で、何処にいるかさっぱりわからない。
とりあえず、待ち合わせの日時を1099さんと1211さんには伝えて、王宮を出る。外に出てから、困ったなあと思ったけれど。
サンライズ食堂の前にある、少し広い場所に出たとき、驚いた。
マークさんが、子供を集めて、何かしているのだ。
ゼンマイを利用した、人型のオモチャを動かしているらしい。歩くオモチャを見て、小さな子供達が歓声を上げていた。
相変わらずのよれよれ白衣で。
顔中髭だらけだけれど。
マークさんの顔には、確かな笑みも浮かんでいた。
「おじさん、猫はつくれないの?」
「猫かい? そうだねえ。 次にでも作って来るよ」
人型のオモチャより、可愛いのがいいらしい小さな女の子に言われて。マークさんは安請け合い。
見ていて、トトリの方が心配になった。
子供達が行ってしまうと。マークさんは、とっくに気付いていたらしく、咳払い。
「子供はいいものだね。 そう思わないかい」
「はい。 でも、意外でした」
「私が子供が好きだって事がかね」
「それも、ですけれど」
あの人型のオモチャ。
無駄な技術の集積体に思えたからだ。
オモチャのネジを巻きながら、マークさんは言う。
「これはね、オルトガラクセンから発掘されたものなんだよ。 正確には、そのコピーを私が作ったんだけれどね」
「オルトガラクセンから」
「つまり旧時代の文明では、こういう無駄な技術の塊を、子供の遊びに転用する余裕があった、ということさ」
それだけじゃあないと、マークさんはいう。
人型のオモチャを折り曲げると。
あっという間にそれが、別の形になる。
魚か何かだろうか。
ちょっとトトリには、判断が出来なかった。とにかく、人型だったのに、あっという間に別の形だ。
「この折り曲げる仕組みだって、解析するのに、随分手間暇がかかった。 何もかもが、あまりにも余裕に満ちていたって事さ。 こんなオモチャに、これほどに色々なギミックを仕込めるんだからねえ」
「……」
「僕の願いは、今の世界でも、こういう技術を無駄にする所まで、科学を解析することなのだけれどね。 まだまだ無理だって事はわかっている。 今はとにかく、少しずつ出来る事をこなしていくしかないね」
マークさんは、埃を払いながら、立ち上がる。
そして、護衛の任務なら受けられるよと、言ってくれた。
いそいそとオモチャをしまうと、路地裏に消えるマークさん。そのしまうときの動作が、とにかく大事なものにたいするそれで。ひょっとするとこの人、子供を楽しませるのも好きなのだけれど。こういうオモチャそのものが好きなのかもしれないと、トトリには思えてしまった。
それはそれで好ましい。
あの偏屈な自称異能の科学者が。
そういった点では、子供みたいな所があるなんて。何というか、親しみやすいと思うからだ。
とにかく、これで護衛の人員は確保できた。
後は、アトリエに戻って、準備だ。
今回は二つ目のオアシス作成に加えて、道の確保を行う。
天の水傘の試験が一つ。
もう一つは、少し前に思いついた事を試すのだ。
この二つが綺麗にこなせれば。既に、砂漠は怖い存在ではなくなる。ただしメンテナンスが大変だ。
その負担を減らす工夫も考えなければならないだろう。
いずれにしても、やるべき事はいくらでもある。
今回は、トトリの力そのものが試されているのだ。
準備が終わったのは、夜中。
大きくあくびをすると、当面入れないベッドに潜り込んで、ゆっくり睡眠を取る。これからしばらくは、砂漠に掘った穴の中で、モンスターによる襲撃を警戒しながら、眠ることになる。
この仕事が終わるのは、いつのことになるのだろう。
オアシスを十個作るのだから。その全てにトトリが関わるとなると、一年くらいはかかってしまうはずだ。
もしも途中でノウハウが確保できて。
クーデリアさんが手を貸してくれれば、その半分くらいで済むかも知れないけれど。それでも、ノウハウを確保するまでは、アーランド王都から離れる事が出来ない。
当面、家には帰れない。
お姉ちゃんのご飯が懐かしい。
でも、トトリには、それ以上にやるべき事がある。
こんな所では、躓いていられないのだ。
気がつくと、朝。
外に出ると、井戸水で顔を洗う。
荷車と、天の水傘システムの確認を実施。どちらも問題なく動く。一つは、ホムンクルス達に運んで貰うつもりだ。
ただ、今回はいざというときに備えて。
荷車にギミックを付けている。
連結できるのだ。
連結して、少し長くなった荷車を引いて、合流地点である街の東入口に急ぐ。まだかなり朝早いけれど。
早く出られるなら、その方が好ましい。
待っていたのは、ホムンクルスの二人。
一人は手にハルバードを。もう一人は、腰に二本剣をぶら下げていた。形状からして、双剣だろう。
前に、人工オアシスで作業をしているときに聞いたのだけれど。
ホムンクルス達の中では、こうやって武器を使って、自分たちの個性をアピールするのが、密かなブームなのだとか。
元々大体の武器は使えるように調整されているとかで。
それなら、周囲と被らない武器を使って、少しでも自分という個を確認したいのだという。
彼女らは、生まれこそ特殊だけれど、人だ。
それが、こういったことからも、うかがえて好ましい。
決して量産品でも、使い捨てでもない。
トトリは、そんな風に扱う気は無い。
「おはようございます」
トトリが挨拶すると、二人とも同じように挨拶した。
状況を確認。
二人とも、当面の食糧は、自前で用意してきてくれていた。
荷車に、荷物を入れる。
その後、天の水傘システムについて説明。知らないものに関しては、流石にホムンクルス達も、興味を引かれるようだった。
「こうやって、使います」
「なるほど。 水はオアシスで補給するのですね」
「ただ、堅牢性に問題がありそうですね。 モンスターの攻撃を浴びないように、どうにか守り抜かないと」
その通りだ。
ミミちゃんが来たのは、少し後の事。
待ち合わせの時間とほぼぴったりだ。
ミミちゃんは、天の水傘システムを見て、面食らったようだった。訳が分からないものが出てきたと、顔に書いている。
使い方と、用途を説明。
そうすると、納得はしてくれたけれど。
まだ得体が知れないものを見目に代わりはない。
「大丈夫だよ、ミミちゃん。 噛みついたりしないから」
「そんなこと警戒していないわよ!」
「でも、何だか怖がっているみたいだし」
「怖いわけないでしょう!」
相変わらず、怒りっぽいミミちゃんである。
ほどなく、待ち合わせの時間。
ジーノ君とマークさんが、連れ立ってきた。どういうわけか、二人はものすごく意気投合している。
よく分からないけれど。
マークさんはひょっとすると、男の人の方が、仲良くするのが得意なのかもしれない。それとも、ジーノ君が子供だから、だろうか。
遅れたことは、敢えて責めない。
そんなに長時間遅れた訳では無いし。
今から出ても、あまり変わらないからだ。
全員揃ったところで、トトリは今回の仕事について、改めて説明する。
今回の仕事は。
前回作った人工オアシスから北東に移動し、次の人工オアシスを作る事にある。
前の仕事が終わったとき、カシムさんに聞いて、適当な場所がある事は確認できている。案内人としてカシムさんに現地まで案内して貰うけれど。その後は、此方で作業を行う事になる。
つまり今回は。
問題が起きても、村からの支援はまず来ない。
南西にある人工オアシスから、331さんと419さんが手伝いに来てくれるかもしれないけれど。
それは期待しない方が良いだろう。
本当の意味で、孤立無援の場所に近い。
「ほほう、中々にスリリングな仕事じゃないか」
「もう二つ、今回は試したいことがあります」
マークさんとジーノ君にも、天の水傘システムについて説明。これが、砂漠を普通の人が渡るための、切り札になる。
マークさんは眼鏡を直しながら、システムについての説明を聞いていたけれど。
改良が出来そうだなと、ぼそりと言って。それだけだった。
出発する。
砂漠の村に辿り着くまでが、まず相応に時間が掛かってしまうし。その分の食糧だって、バカにはならないのだ。
一度や二度くらいなら、失敗も出来るけれど。
あまり失敗がかさむと、それだけ時間も浪費するし、信頼も失っていく。
モタモタもしていられない。
アトリエでの調合では、まだまだ失敗が多いトトリだけれど。それでも、本番は何とか一発で成功させたい。
さあ、此処からだ。
まだまだ、トトリが行く先には。
多くの壁が立ちふさがっている。一つずつ崩していかないと。お母さんを探すなんて、とても無理なのだ。
ならば、一つずつでも。
確実に崩していくつもりだ。
1、闇の中の戦い
メギド公国。
現在スピア連邦と戦っている国の一つ。大陸北西部にある小国の一つだけれども。大陸の背骨と呼ばれる山脈の一角にあり、交易の要衝でもあったため、幾つもの戦いの舞台にもなった。
名前からわかるように、元は王国でさえなく。
ある王国の傘下一地方領土だったのだけれども。今はその主君である王国が既にスピアに滅ぼされてしまっており、上に立つ存在がいない。つまるところ完全な独立国家だ。
幾つかある前線要塞は、いずれも地獄。
連続して波状攻撃を仕掛けてくるスピアの大軍の前に。援軍として来ている大陸北部の列強の精鋭も、流石に手を出しあぐね、閉口しているようだった。
ステルクが出向いたのは。
そんな要塞を見下ろす山の中。
ホムンクルスと手練れ冒険者から構成された、医療チーム一分隊および戦闘チーム二小隊とともに、スピアの攻勢を削り続けていたエスティと、合流するためだ。
ちなみにジオ王は、ふらりと消えて、それっきり。
どうやら敵陣に入り込んで、指揮官を消してくるつもりらしい。まあ、ジオ王の事だ。ヘタを打つことも無いだろう。
無数にある洞窟の一つが、指揮所となっていて。
其処でエスティは、難しい顔をして、ホムンクルスの報告を聞いている所だった。ステルクが出向くと、少しだけ、冷徹で有能な先輩は嬉しそうにする。
「あら、ステルク君。 ようやく来てくれたのね」
「状況の説明をお願いします」
「相変わらずね」
苦笑いするエスティ先輩。
奧に移動する。其処にはホワイトボードと、血の臭い。連日の小競り合いで、損害が増えるばかりらしい。
今回、ステルクは二分隊を連れてきているけれど。
既にエスティ麾下の戦力は三名のホムンクルスが戦死。
八名が行動不能になっていて、戦力は半減している。二分隊を連れてきても、せいぜい元の戦力を回復できた、というところらしい。
何しろ相手は大陸最強を誇る間諜レオンハルトと、その分身達。
その上倒しても倒してもきりが無いとなれば、疲弊もやむ無しというところだろう。
「現在、確認されているだけでスピアの軍団は十二個師団。 数は合計で七万を少し超えるくらいね」
「七万……」
ちなみに、メギドの戦力はその一割程度だ。
今は各地の要塞が連携して必死の抵抗をしているけれど。相手は命を捨てることなど惜しまない、洗脳モンスターとホムンクルス。いつまで抵抗できるかは、ステルクにさえ保証できない。
これに、レオンハルトが加わるのだ。
正直、まだメギドが持ちこたえているのが、奇蹟に等しい。
「何か対策はありませんか?」
「難しいわね。 レオンハルトの分身は既に七体仕留めたけれど、それでも本体が出てくると、その子達では手に負えないし。 何より、メギドの要人が立て続けに暗殺されて、その中には歴戦の指揮官も含まれている。 メギドの公王が殺される前に、何とか敵を瓦解させれば、或いは押し返せるかもしれないけれど」
「つまりそれには、どうにかレオンハルト本体を発見する必要がある、という事ですね」
その通りだと、エスティは頷くのだった。
いずれにしても、厳しい状況だ。
ジオ王が来る。
手にぶら下げているのは、どうやら指揮を執っているホムンクルスの首らしい。それも三つ。
ちょっとした手土産、と言う所か。
地面に放り出すと、解析するようにと告げて、ジオ王はエスティに顎をしゃくる。状況を説明させると、ジオ王は手を清水で洗いながら、言う。
「レオンハルトは、お前達で何とかせよ」
「陛下は」
「敵の足止めに徹する。 敵の指揮官級を片っ端から殺せば、敵の前線は多少は混乱することだろう」
「……」
ステルクとエスティが顔を見合わせるけれど。
ジオ王は、不敵に笑うばかりだった。
「すぐに次が来る事くらいはわかっているさ。 だが、それでも再編成までの時間くらいは稼ぐことが出来る」
「いくら何でも、危険でありましょう」
「誰に向かってものをいっておる」
「……失礼いたしました」
ホムンクルス達によると。
ジオ王が殺してきたのは、敵の前衛にいる第四師団の指揮官と副指揮官、参謀の首であるらしい。
いずれも指揮官用ホムンクルスだが。
当然、代わりなどいくらでもいる筈だ。
ただ、第四師団はすぐには動けないだろう。そしてジオ王の事だ。これからまた出て。第四師団の首脳部を、あらかた殺し尽くすくらいは、平然とやってのけるはず。
時間は、稼げる。
王が出て行くのを見届けると。
ステルクは咳払い。
「それで、レオンハルトの居場所に、心当たりはありますか」
「おそらくメギドの領内でしょうね。 何しろ入り組んだ地形の複雑な国だから、何処に潜んでいてもおかしくは無いわ」
「それならば、いっそメギドに表立って協力する手も」
「それが出来ないのよ」
メギドに協力している列強の中には、ゴリゴリの民族主義国家もある。南部の「蛮族」など、人間だと見なしていないような連中だ。
そういった者達の高級士官がいる以上。
エスティが表立って姿を見せ、協力を要請したら。せっかく危ういバランスで防御が出来ているメギドの前線は、瓦解してしまう。
難しい状況なのだ。
報われない戦いだと、ステルクは思う。
ただ、見境無しに繰り返されたジェノサイドで、兵士達がみな必死になっているのは、此方にとっての追い風だ。
スピアはジェノサイド政策などするべきではなかった。
快く敗者の降伏を受け入れ、ある程度の保証をしていれば、此処までの抵抗は招かなかっただろう。
「私はこれから、動ける戦士を連れてレオンハルトの探索に向かう。 ステルク君は、此処を守ってくれるかしら」
「わかりました。 命に代えても」
「ん。 それじゃあ、行くわよ」
手を叩いたエスティが、出撃を告げる。
出撃する戦士の中には、軽傷が回復しきっていないものもいる。
医療チームは殆ど不眠不休の作業を続けているし、戦闘力がないものもいる。誰かが此処を守らなければ、補給と情報集積システムが瓦解してしまう。歯がゆいが、誰かが守らなければならないのだ。
それにしても、手数の少なさが口惜しい。
数年前に行方不明になったギゼラ=ヘルモルトが生きていたら。少なくとも、もう少し味方は手数を増やせただろうに。
あまりホムンクルスの性能を上げられないという事情がある以上。
国家軍事力級にまで実力を高め挙げた戦士は、いくらでも必要なのだ。
そして新しく国家軍事力級にまで実力を伸ばした戦士は。ここ数年では、クーデリアしか出ていない。
人材が足りない。
それ以上に、人間の数が少なすぎるのである。
暗闇の中にいると、時間の感覚もなくなってくる。いつレオンハルトの分身が、此処に攻めこんできてもおかしくない。
壁に背中を預けて、目を閉じていると。
ジオ王が戻ってきた。
また幾つか、手元に敵の生首をぶら下げていた。
「どうだ、状況は」
「エスティ先輩が、レオンハルトの探索に向かいました」
「そうか」
ジオ王が言うには、敵の前衛にいた部隊の指揮官は、根こそぎ殺してきたという。まあ、この人なら、それくらいやっても不思議では無い。
すぐに、残っていたホムンクルス達が、持ってきた生首の解析を開始。
確かに敵前衛にいる第四師団は、壊滅状態のようだ。
しかし敵はいくらでも首をすげ替えてくるだろう。文字通り、どれだけ殺しても、時間稼ぎにしかならないのだ。
耐久糧食を口に入れると、ジオ王は愛用の剣を抜き、砥石で磨き始める。
こういった、自分の武器を手入れする作業を、王自らがする事は他国では少ないと聞いている。
だが、アーランド戦士の場合。武具の微調整は、どうしても自分の手で行う慣習がある。これは武具が生命線なのだから、当然の事でもあった。
王が拠点にいるのだから、任せても大丈夫だろう。
洞窟を出ると、手をかざして、状況を確認。
確かに、メギド公国の最前線であるシオン砦に攻めかかっていたスピア連邦第四師団は、完全に動きを止めている。
此処で追撃に出れば、大きな損害を与える事が出来るのだろうけれど。
残念ながら、もはやメギドには、その余力さえない。
今、スピアの前線部隊は、どうするか会議を行っているはず。
或いはもう結論が出ているかも知れない。
王が、洞窟から出てきた。
「敵の第二陣も蹂躙してくるとするか」
「あまり無理はなさらずに」
「うむ……」
王がかき消える。
同じ国家軍事力級と言っても。流石にこの人は、別格の使い手だ。数年で、更に力が増しているのさえわかる。
問題は、その作った時間を、何処まで生かせるか、だが。
そればかりは、ステルクにもどうにも出来ない。
丸一日。
動きを完全に止めていたスピア連邦の軍勢が、再び動き出す。
片っ端からジオ王が指揮官を殺して廻っている筈だが。動きを再開したという事は、何かあったという事だろう。
エスティが戻ってくる。
連れている戦士達は、かなり負傷者が多かった。
「やられたわ」
「罠に填められたんですか?」
「ある意味、そうとも言えるわね」
エスティが、すぐに負傷者を手当てするように指示。エスティ自身も、大小の傷をかなり受けていた。
洞窟の内部で、手当を始める。
血の臭いが、更に濃くなった気がする。
エスティの話によると。
どうにか、メギド公王の暗殺は、防ぐことが出来たらしい。しかしながら、その時に、である。
十体以上のレオンハルト分身と、同時に交戦する事になったそうだ。
つまり、此方の動きを知った上で。
封じるための手だけを打ってきた、という事になる。
それこそいくらでも分身を作り出せる、レオンハルトらしい戦術だ。
兵などどれだけ失っても構わない。
動きさえ止められれば。
後は、数にものを言わせて、押し潰すことが出来る。というわけである。
虫酸が走るようなやり方だけれど。
それが有効なのは、口惜しいが認めざるを得ない。事実エスティ自身も負傷し、連れてきている部隊は半壊状態だ。
シオン砦への攻撃が開始されている。
ジオ王はどうしたのだろう。
と思っていると。王も戻ってきた。
かなりの手傷を受けている。
「此方もやられたのか」
この程度の傷など、遊びに過ぎない。そう言いながらも。ステルクは、戦慄を覚えていた。
この最強の男が。
これほどの手傷を受けたのを見たのは、ステルクも初めてだ。
「何があったのですか」
「レオンハルト本体だ。 分身十五体とな」
「……!」
何だその無茶な物量は。
敵の部隊指揮官を潰していたジオ王の元に現れた敵の主力。分身は全滅させ、レオンハルトにも手傷を負わせたという事だけれど。
それでも、王の負傷は手痛い。
何より、レオンハルトの分身は使い捨てだ。
どれだけ死んだところで、また雨後の竹の子がごとく湧きだしてくる。倒しても倒しても、きりが無いのだ。
それだというのに、この有様。
味方の戦力は、既に半減も良い所。敵がいつ攻勢に出てきても、おかしくは無いだろう。少なくとも、これから此方が攻勢に出る余裕は無い。
医療班も限界だ。
「お二人は此処で、防衛に徹してください」
「ふむ、ステルクよ。 お前が出るか」
「はい。 シオン砦に攻撃している敵部隊に、全火力を叩き込んできます」
ただでさえ、王に蹂躙されたばかりだ。
攻撃をもろに浴びれば、しばらくは動けなくなるはず。その間に、味方が少しでも体勢を立て直せば。
しかし、である。
その考えは、脆くも崩れ去る。
洞窟を出たステルクは、愕然とした。
敵が編成を変えているのだ。今まで後衛にいた無傷の部隊が、シオン砦に攻撃を開始している。
当然指揮系統も無事だろう。
これは、まずい。
ステルクは剣を引き抜くと、山を駆け下りる。
シオン砦が落ちると、またメギド公国は不利になる。一気に前線が瓦解する可能性さえある。
そうなれば、最悪の場合。
一気に数国が、スピアの魔手に陥落する事さえありうるのだ。
絶対にそれだけは看過できない。
ステルクの能力は、雷撃。
剣に青い光をため込んだステルクは。跳躍。
雲霞の如き敵の群れの中枢に。
全力で、己の持つ稲妻の力を、叩き込む。
爆裂。
走り回った青い光が、敵百体以上を、瞬時に焼き払う。
もし、レオンハルトが仕掛けてくるなら、このタイミングだ。それはわかっているから、警戒もしている。
着地。
走りながら、片端から敵を斬り伏せ、雷撃を放つ。
必死に戦っているメギドの兵士達が、あれは何だと、指を指しているのが見えた。そんな事をしている暇があるなら戦え。少しでも敵を撃て。ステルクは口中で呟きながら、走り、敵を斬り伏せる。
鮮血がばらまかれ。
吹き飛ばされた生首が空中で黒焦げになる。
四方八方から飛んでくる矢と魔術。
ステルクでも、流石に全ては避けきれるものではない。
だから、まとめて焼き払う。
ひたすら、力尽きるまで雷撃を放ち。敵陣を焼き。
そして、頃合いを見て、戻った。
呼吸を整える。
満身創痍になっていた。
敵の一個師団と、まともにやり合ったのだ。勿論メギド公国の兵士達と戦っている横腹をついたわけで、此方に向かってきている敵一個師団を、全て相手にしたわけでは無い。だが、それにしても。流石に敵の数が多かった。
敵が引いて行くのが見える。
どうにか、また時間を稼ぐことが出来たか。
しかし、それには、あまりにも犠牲が大きかった。
洞窟に戻ると、医療班が来る。
すぐに寝かされて、治療が開始された。
「頃合いだな」
王が言う。
確かに、これ以上、まともにスピアとやり合うのは無理だ。せめてレオンハルトさえこの国から追い払えれば、まだ勝機はあるのだけれど。
それも、この状況では。
望むべくもない。
翌日。
負傷を押して出撃したジオ王が、戻ってくる。
また敵前衛を襲い、指揮官の首を刈り取ってきたようだけれど。流石に最強の男にも、疲弊が見え始めている。
せめてシオン砦に援軍でも入れば話は別なのだろうけれど。
敵の攻勢は、他の砦にも行われている。
何より、メギドにだけ攻撃が行われている訳では無いのだ。他の国も、今スピアの猛攻に晒されていることに、代わりは無いのである。
人が足りないのは。
何も、アーランドだけではないのである。
寝かされているステルクの側に、ジオ王が座る。
すぐに医療魔術師が、回復魔術を掛け始めるけれど。こんな無茶は、長続きしないだろう事は。
わざわざ言うまでも無かった。
「敵がちと多すぎるな」
「これ以上は無理でしょう。 撤退しますか」
「そうしたいところは山々なのだがな。 メギドが陥落すると、大陸北部をスピアの手に更に容易に明け渡すことになる」
列強などと言っても、各国にもはや余力は無い。
既に大陸の四分の一以上を支配し。
無尽蔵の戦力を投入できるスピア連邦の圧力は、あまりにも超絶的。
残る国が大連合を組んでも、なおも兵力ではスピアの方が上だろう。それもちょっとやそっとではない。
圧倒的に、である。
こんな状態でも、なおも手を組めない人間の愚かしさには、ステルクも腹立たしいが。今は憤るよりも。
現実を少しでもマシな方に動かさなければならないのが、厳しい所だ。
エスティが来る。
かなり、凄絶な表情をしていた。
「メギド公国の協力者から、情報が来ました」
「ふむ、聞こうか」
「このままだと状況打開は不可能と判断したメギドの首脳部は、一か八かの大規模攻勢を計画している模様です」
「馬鹿な!」
思わずステルクが立ち上がろうとして、止められる。
だが、わざわざ言うまでも無い。
あまりにも、無謀すぎる事だ。
現状でも戦力差は十倍。いや、レオンハルトのことを考えると、それ以上。
メギドの兵士達が、全員アーランドのベテラン戦士並の実力を備えていれば、話は別だろう。
この程度の敵は、充分に蹴散らすことが可能。
だが、現実はそうではない。
ジオ王は、周囲を見回した。
「これより、出撃を禁じる」
「陛下?」
「その代わり、全員が身動きできるようになるまで回復を急げ。 メギドの攻勢に乗じて、敵陣を粉砕する」
口をつぐむステルク。
確かに、それしか無いかもしれない。
だが、それには。
大きな犠牲を伴う事が、ほぼ確実だ。
一体何人が、此処から生きて帰れるのか。
ホムンクルス達は無口で無表情だが。皆痛みを感じるし、苦しむ。その証拠に、戦場でPTSDを煩う例も、枚挙に暇がない。
ここに来ているアーランド戦士達だってそう。
どれだけのベテランだって。
死は怖いし。
痛みだって感じるのだ。
一方で。ジオ王の判断は苛烈だが、それしか手がないことも、ステルクにはわかっている。
せめて敵の主力さえ叩ければ。
最低でもしばらくの間、メギドへの攻勢は、控えさせることが出来るだろう。いくら何でも、七万もの軍勢が壊滅したら、スピア連邦とて考え直さざるを得ないのだから。
数日、穴に籠もる。
その間も、ジオ王は。軽傷だからと言って、敵陣に出かけてきては、指揮官の首を刈ってきた。
それでも敵の攻勢はとまらない。
一週間が過ぎた頃。
ステルクは動けるようになった。
エスティも。
洞窟から出て、敵陣を伺う。
攻撃は相変わらず散発的に行われているが。敵の軍勢は、流石に少し動きが鈍くなっているようだ。
王が片っ端から司令部を潰しているのだから、無理もない。
流石に辟易しているのだろう。
メギドの方は。
シオン砦に、かなりの兵が集められているのがわかる。敵の攻勢をはねのけた隙をついて、一気に攻撃を開始する予定、というわけだ。
無謀すぎる。
敵の陣を一つか二つくらいは破れるかもしれないが。
相手は人間では無く、死など怖れていない軍勢だ。一カ所を切り崩して、混乱を波及させるような作戦は使えない。
エスティが、ホムンクルス達の中で、動けるものを呼び集めている。
「此処の守りは頼むわ」
後の守りを託したのは、一緒に来たアーランド戦士達。
出撃は、ステルクとエスティと、ジオ王。
それに十名ほどの、身動きできるホムンクルスの戦士で行う。
ステルク達は兎も角。
出撃するホムンクルス達は、殆ど生きて帰れる望みがないだろう。これでは、スピア連邦と何が違うと言うのか。
「では、余が最初に出る」
ジオ王が、前に一歩進み出た。
戦いの時、王は常に先陣を切る。
そうすることで敵の注意を引きつけて、味方の損害を減らすことも出来るのだけれど。しかしながら実態は、単純に王が戦いを好むと言うところにもあると、ステルクは判断している。
アーランド戦士達の王なのだ。
戦いを好むことは、仕方が無い事なのだろう。
スピア連邦の先鋒が、一度引き始める。
そのタイミングで、シオン砦の門が開け放たれる。
そして、どっと兵士達が、躍り出た。
無謀にもほどがある。
だが、彼らには、運が味方した。
剣を高々と振り上げるジオ王。
「突撃!」
アーランド戦士の中でも頂点に位置する三人が、一気に斜面を駆け下りる。その後ろからは、ベテランアーランド戦士並みの実力を持つホムンクルス十名が続く。
敵陣に切り込む。
密集地点に、ステルクが雷撃をたたき込み、まとめて吹き飛ばす。
そうして出来た亀裂に、もはや視認さえ出来ない二人の死神が。殺戮そのものの権化となって、切り込んだ。
殺戮と破壊の嵐の中。
ステルクは、もはや帰らぬ覚悟で、荒れ狂った。
敵はまるで雲霞のよう。
だが勢いづいたメギド公国の兵士が押し出す。
敵が少しだけ、其方に気を取られる。
その隙に、敵の密集地点に、次々とあらん限りの力で雷撃を叩き込む。
殺戮。
焼却。
皆殺し。
走る。敵の群れに向けて。
人間に似ている者もいる。モンスターそのものの姿をしたものもいる。脳改造されたモンスターも。
いずれも、恐怖に目を見開いていた。
阿鼻叫喚が、どれだけ続いただろう。
わずかなメギド公国の助力も、ほんの少しだけ役に立ったかもしれない。丸二日の乱戦の中で、ステルクはどれだけ敵を焼き殺し、切り裂いたか覚えていない。
ただ、気付いたときには。
司令部を完全破壊された敵が引いて行くのが見えた。中枢の部隊に切り込んだステルクとジオ王が、徹底的に殺戮の刃を振るったからだ。
化け物。
そんな声さえ聞こえた。全くの事実なので、反論できなかった。
ジオ王でさえ満身創痍で立ち尽くす中。
一万を超える敵の屍の中。ステルクは、立ち尽くしていた。
完全勝利だ。
敵は合計で二万以上を喪失。
その代わり、メギド公国の戦力も半減している。敵を追い払う事は出来たが、再建できるかはわからない。
追撃していったエスティが、後どれだけ敵を削れるか。
ステルクは、呆然と立ち尽くしていたり、真っ赤に返り血を浴びて狂気の笑いを挙げる兵士達を無視して。
必死に戦った、味方ホムンクルス達を探した。
一人、見つける。
ズタズタになって死んでいる。おそらく至近から、ベヒモス並みのモンスターに、一撃を浴びてしまったのだろう。それも、何度も。
頭は半分しか残っていなかったが、死体を集めてやる。
呼びかける。
今回の戦闘に参加したホムンクルスの名前は、全て覚えている。呼びかけていくと、反応があった。
左腕を失い、全身朱に塗れているが、立っている。
「ステルク、様。 94は、無事、です」
「そうか。 良く戦ってくれたな」
腰を落として抱きしめると、医療班の方へ行くよう指示。
ふらふらと歩き去る一人を見送りながら、ステルクは他のホムンクルス達も探した。
結局、生きていたのは三人だけ。
残りは全て今回の大乱戦の中で命を落とした。
生き残りに手伝って貰って、死骸を集める。殆ど肉片になってしまっている者もいて、ステルクはやりきれない思いを味わった。
死骸を埋葬するか、持ち帰るか悩んだが。
元々ホムンクルス達に、帰る家はない。
一度洞窟にまで戻ってから、其処で埋葬することにした。
メギド公国の兵士達も、暴れ狂うステルク達の事には気付いていたようだが。多分神々か何かが荒れ狂っていた、と自分を納得させることにしたらしい。
それに、メギド公国が、地力で敵を追い払った、ということにでもしておけばいい。アーランドの動きを隠蔽できるからだ。
ジオ王とエスティが戻ってきたのは、戦闘終了後、丸二日が過ぎてから。
二人とも更に傷が増えていた。
おそらく、徹底的な追撃戦を仕掛けていたのだろう。
「陛下。 戦果は、いかがでしたか」
「もう敵部隊が再建する事は無いだろう」
それだけ、殺したという事だ。
エスティは、無言のままである。すぐにでも風呂に入りたい気分かもしれない。ジオ王は、周囲を見回すと、手を叩いた。
「大きな犠牲は払ったが、戦略的な目標は達成した。 負傷者の手当が終わり次第、アーランドに帰還する」
「アーランドに栄光あれ!」
皆で唱和。
わかっている。
本当にこれで、戦略的な目標は達成できたのだろうか。
メギド公国は今回の戦いで大きな打撃を受けて、おそらく十年やそこらで戦力の再編は出来ないだろう。
メギドを守るために派遣された精鋭も、相当な打撃を受けていたと、エスティから聞いている。
つまり、次は無い。
それに対して、スピア連邦は、またいくらでも軍勢を繰り出せる。
何しろ、軍勢を生産しているのだから。
材料がなければ、枯れ果てた大地に息づいている生命を、いくらでも刈り取っていけば良い。
連中は民の安寧どころか。
おそらく一なる五人以外の生命を、全て道具として見ているとしか思えない。
錬金術の極北。
悪夢の思想。
戦っていて、わかるのだ。
敵には誇りも何も、与えられる余地が無い。ただ使い捨ての道具として作り上げられ、消費されていると。
事実上、敵の駒として活動できているのはレオンハルトだけだが。
奴はいくらでも分身を作り出せる上、能力が非常に高い。
その上、一なる五人は何処で何をしているかさえもわからない。
悪夢とは、このことだ。
三日ほどで準備を整えて、撤収。
後には、この戦いで命を落とした者達の墓だけが残った。
洞窟から出ると、むっとした死臭が周囲に満ちている。
合戦場からだ。
ステルクは、戦場跡を見て、思わず口を押さえていた。
死骸を誰も片付けようとしていない。どうやら、見せしめ代わりに残しているらしい。そればかりか、死骸が身につけていた装備の類は、全て剥ぎ取られているようだった。
尊厳とはなんだろう。
無論、敵を殺しに殺したのはステルクだ。
だが、それでも。
首を振る。
戦いの結果は知っている。何度も何度も見てきた。だが、理想の騎士であろうと考えるステルクに。
この結末は、少しばかり苦しかった。
2、苦闘苦悩
やはり、何もかもが、いきなりは上手く行かない。
トトリは砂漠に入ってから、作り上げた天の水傘を起動したけれど。やはり、効果は今一つだ。
上空からの直射日光は防ぐことが出来る。
しかし、熱をそれほど効率よく吸ってくれないのである。
水はちゃんと出ている。
しかし、どうにも、その場しのぎ程度にしかならない。これなら夜に出歩いて、水は飲料水にした方がましかもしれなかった。
「改良の余地があるねえ」
マークさんが楽しそうに、手をわきわきさせている。
トトリが作ったとは言え、機械は機械。
これを直せるのなら、嬉しくて仕方が無い。そう顔には書かれている。
いずれにしても、これはまだ実戦では使えない。そう判断したトトリは、夜の内に前回の作業で作った第一オアシスまで移動。
コテージに入ると、備品の確認と。常駐してくれている331と419に、状況を聞いた。
二人とも、ほぼ完璧に、管理をこなしてくれている。
既に澄んだ水を湛えたオアシスが、圧倒的な存在感を砂漠の中に作り出していて。
防砂林はしっかり育って、もはやその威容は遠くからも見えるほどだ。
そして、以前悪魔の使いをおびき寄せるために、遠くに植えた砂漠椰子だけれども。
どうやら419が時々水をあげているらしくて。
今でも枯れず、青々と葉を茂らせていた。
やはり、あれは使えそうだ。
案内に来てくれているカシムさんも交えて、会議をする。トトリと、護衛三人。それに現地常駐する事を想定したホムンクルス二人。此処に常駐しているホムンクルス二人と、それにカシムさん。合計で九人もの会議だけれど。
このコテージはかなり広く作っている上、そもそも複数の隊商が宿泊するのを前提としている。
手狭に感じる事は全く無かった。
砂漠の地図。
とても広く感じるそれには、幾つか点が付けられている。
方角だけで位置を把握するのだから、大したものだ。
「この北東に、オアシスを作るのに丁度良い場所がある。 岩が盛り上がっていて、コテージの土台にするにも最適だ。 俺たちも狩りをするときには、時々キャンプを此処で張っている」
カシムさんの話によると。
其処は水が不足しているだけで、それ以外はおおむね揃っているという。それならば、最適と言える。
問題は、である。
このオアシスが、その地点から見えない、という事だ。
だが、それに関しては、トトリに秘策がある。
まずは、辿り着く事が第一。
「今日の夕方に出ると、明日の明け方には到着しますか?」
「それは余裕で。 ただし、それから作業をするとなると、かなり厳しいかなと感じますが」
カシムさんは、トトリには敬語を使う。
これは村の人達に、厳しく言われているから、らしい。
実際オアシスを作ったという驚天の奇蹟の担い手なのだ。あくまで、村の人達から見れば。
ロロナ先生ほどでは無いけれど、これから神として、砂漠の村を繁栄に導いてくれるとか。
そんな、非常に恥ずかしい話も聞かされていた。
つまり、それまでに。
この天の水傘を、ある程度改良しておく必要がある。
オアシス作成の工程は、前回の作業で、既にノウハウがある。モンスターに対する備えさえあれば、どうにでもなる。
後は、作業中の、負担を減らす工夫だ。
会議が終わった後、コテージの中に、天の水傘を引っ張り込む。
勿論荷車から降ろした、基幹部分だけだ。
マークさんは、ざっと全体を見たあと、ずばりと言う。
「おそらく、水が傘の部分全体を覆っていないねえ。 ほら、傘の中でも、かなり偏った場所しか、水が伝っていない。 跡が残っている」
「どうすれば良いですか」
「廻してみたらどうだね」
廻す。
言われて見て、納得した。
かさをくるくる廻すようにすれば、確かに全体に水が行き渡る。というよりも、恐らくは。
水を噴出する地点を回転させればいいのではあるまいか。
元々仕組みは極めて単純。
マークさんが取り外して、ハンマーを振るい始める。調整を終えた頃には、トトリも機械部分を調整していた。
セットし直して、水を出す。
やはり、回転させると。
かなり傘全体に、水が行き渡る様子だ。
問題はもう一つある。
水が少しばかり、心許ないのだ。
「昼に歩いて行くとすると、この備蓄では、多分足りなくなってしまうねえ」
「それなら、ツボをもっと大きいものに変えるしかないですね」
「多分ツボじゃなくて、樽の方がいいのじゃないのかな。 アーランドでもたくさん製造されているし、何より堅牢だ。 ツボはちょっとした衝撃で壊れる可能性があるし、その後治る見込みがない」
流石に専門家だ。
頷きながら、意匠に取り入れる。幸い樽だったら、砂漠の村にもある。
何も今日いきなり、実用に移すことを要求されている道具では無い。実際問題、夜に厚着をして移動するのであれば、問題ないのだから。
一通り話が終わった後、皆で休む。
コテージがあって、直射日光が遮られると、これほど快適なのだとわかると、とても嬉しい。
勿論アーランドに比べれば暑いけれど。
前に砂漠の穴の中で地獄を味わい続けた事に比べれば、この程度ははっきりいって何でもない。
一眠りして、夕方。
陽が沈んでから、出かける。
カシムさんに案内されながら、七人の大所帯が歩く。トトリとホムンクルスの1211さんが荷車と天の水傘を引いて、砂漠を行く。
風が吹くと、目に見えて砂丘が動くのが見える。
大きなモンスターにとっても、夜はむしろ狩りの時間。
遠くで断末魔の絶叫。
大型モンスター同士で、戦って。どちらかが勝って。獲物にしたのだろう。
時には、大きさが違う同族で喰らい会う事もある。
それが、砂漠に住まう生物の、修羅の宿命だ。
「カシムさんは、この辺りを何度も行き来しているんですか?」
「まあ、この辺りは狩りで通る道ですから。 狩り場に行くときには、どうしても行くし、星の位置で大体の場所もわかります。 最悪の場合は、南にずっと行けば、砂漠を抜ける事も出来ます」
なるほど、確かにそれは真理だ。
ただし、砂漠で迷子になって、熱射に晒されたとき。普通の人間は、そんな判断なんてできっこないだろう。
地元の民だからこそ、出来る事なのだ。
黙々と歩き続ける。
皆の息が白い。
ミミちゃんの持っている矛の刃先が、結露しているのが見える。神経質なミミちゃんが、後で必死に磨くのが想像できるようだ。
星を見ながら、ひたすら歩いて。
途中休憩を二度挟む。
敵の奇襲を受けないように、砂丘の近くでは無い。全周囲を見回せる場所での休憩。
持ち込んだ干し肉や保存用に乾燥させている野菜。それに耐久糧食を口に入れながら、この辺りの事について、カシムさんに聞く。
やはり、砂漠での生活は、過酷だという。
屈強なアーランド人でも、寿命は短くなりがちだそうだ。
だから、老人はそれだけで尊敬される。
この過酷な世界で、その年まで生き延びた、という事なのだから。
「アーランド王都に引っ越そうとは思わないんですか?」
「若い人の中には、そうしたがる者もいます」
ただ、砂漠では何しろ人手がよそ以上に足りない。
ホムンクルスが頑張ってくれている今でも、である。
だから、砂漠では人手が大事にされる。
故に、アーランドから戻ってきてしまう人も、決して珍しくは無いのだそうだ。
そう言う話を聞くと、思わず唸ってしまう。
この世界は単純には出来ていないとわかっているけれど。
誰もが幸せに生きられる、なんてのはきっと幻想なのだろう。
砂漠の人達は相応に無理をしている。
アーランド王都に生活している人達だって、それは同じ。
「だから、トトリ様には期待しています。 この過酷な生活を、少しでも楽にしてくれると、みな信じています」
そう言われると、照れてしまう。
それに、使命感で、ぎゅっと押されるようだ。
休憩終わり。
ひたすら歩いて、予定通り、明け方前に現地に到着。
確かに、一カ所、地盤が盛り上がっている場所がある。この辺りなら、オアシスを作るのに最適だろう。
まず、陽が出る前に穴を掘る。
皮の幕を穴の入り口に張って、避難できる態勢を整えなければならない。そうしなければ、あっという間に日干しだ。
七人がかりで穴を掘って。
湧水の杯を設置。
水を確保し、日光を遮る態勢を作り上げる。
穴が出来上がる。砂を避けて、皮の幕を張った。
その間、あふれ出す水の様子を確認。
砂漠が思ったより水を吸わないことは、前回の人工オアシス作成の際に、知ってはいたけれど。
今回は、前回以上だ。
排水の仕組みを作らないと、穴の中が洪水になりそうだと、トトリは思った。
「これは困ったねえ」
マークさんも苦笑い。
段差を作って、低い方に水が流れるようにしているのだけれど。其処が、あっという間に水浸しになる。
多分、岩盤があるからだろう。
途中でトトリは、水が出るのを止めた。
やり方は簡単。
湧水の杯を、分解すれば良い。生きている縄に指示を出して、緩めるだけで、お水は出なくなる。
太陽が出始めると、あっという間に周囲は地獄に変わる。
今回もイレギュラーがたくさんある中。
作業開始だ。
夕方になって、冷え始めてから動き出す。
岩場をまず把握する必要がある。
ひょっとするとこの辺り、大きな一枚岩かも知れないからだ。そうなると、岩を上手に利用しないと、何もかもが台無しになってしまう。
ジーノ君とミミちゃんに、測量用の棒を持って貰って。
ガントレットを付けたホムンクルスの1099さんが、岩をがつんと殴った。彼女の武器はハルバードだが。このガントレットは支給されたものだそうだ。
衝撃波が、周囲に拡がる。
砂に耳を付けていたマークさんが、もう一度と叫んだ。
もう一度、同じ事が為される。
場所を変えて、同じ作業。
何度か繰り返して、そして結論が出た。
「一枚岩だね、これ」
「そうなると、この岩をくりぬいた方が良さそうですね。 砂もどかしてしまえば、より効率よくオアシスが作れます」
「その通りだ」
「まず砂をどかすところからね」
ミミちゃんが言う。
皆、やるべき事がわかっていて大変スムーズだ。
ただし、砂を無計画にどかしても、昼間に隠れる場所がなくなってしまう。まずは、岩の形状を把握する必要があるだろう。
何度か測量をし、こぶしを岩に叩き込みながら、衝撃波の伝わりを確認。
その間、ずっとゼッテルにメモをしていたマークさん。
一日目は、岩の測量で全てが終わった。
陽が砂丘の向こうに顔を出すのを確認してから、穴に戻る。
既に、生活するための準備と。周囲を警戒するための幾つかの仕組みは、夜の内に完成させていた。
今の時点で、モンスターも姿を見せていない。
此処は人間が多く姿を見せる危険地帯だと判断しているのだろう。
交代で休みを取りながら、皆で地図を広げて話す。
マークさんの書いた地図は正確で、一目で分かるほど精密だった。
「とりあえず、水路を作るなら、まずこういう経路で作るべきだね」
マークさんが、地図上で指を走らせる。
多分それが一番良さそうだと、トトリも思う。
この一枚岩はどうせ成形する。その過程で削り出す岩片はたくさんあるので、それを使って水路を調整することも可能だ。
水路を作って、防砂林の態勢を整えてから。
防砂林の成長を見ながら、切り出した岩片を置いて、砂がオアシスに吹き込まないようにする。
コテージを設置する場所。
それも、すぐに決まった。
しかしながら、一枚岩を利用してオアシスを作るとなると、別の問題も出てくる。更に、未解決の問題も、幾つもある。
その一つを、ジーノ君がずばりと指摘してくる。
「トトリ、どうすんだ。 帰り道、わからないぞ」
「うん。 だから今回から、砂漠の道を作るよ」
「砂漠の道?」
「水を時々あげれば、砂漠椰子や覇王樹が、とても永く生きられることはわかったでしょ?」
つまり、それを利用する。
カシムさんと夜の間に、此処までの経路に、椰子やさぼてんの種を植えてくるのだ。そして水をあげる。
問題は、植えた場所がわからなくなりそうだという事だけれど。
それについては、切り出した岩片を目印に使えば良い。
ただ、芽が出るまではかなり大変だ。砂丘に飲み込まれてしまう可能性もあるし、一筋縄ではいかない。
幸い今回は、補給物資を村から輸送することが出来る。
椰子やさぼてんの株は、いくらでも向こうにある。元々特産品としてもあまり売れず、在庫が余っている品なのだ。
此方で使えるかと交渉したら、大喜びで渡してくれる事になったくらいである。
いずれの作業も、簡単にいかないことはわかっている。
前回以上の力仕事で、過酷な行程になるだろう。
それでも。
トトリはやらなければならない。
三つ目以降、人工オアシスの作成には、クーデリアさんが更に人員を派遣してくれる可能性が高い。
この間話をしたときに、実績があれば手助けが出来ると言って。その例として、示してくれたのだ。
今回が山場だ。
此処を乗り越えれば、後はどうにかなる。
夕方が来ると同時に、作業を開始。
班を幾つかに分ける。
ジーノ君とミミちゃんは、見張り。
星空の下、互いに背中を向けて視界をカバー。岩の上に立って、モンスターの接近を事前に察知する。
見張りがいないと危なくて作業ができない事は、前回の行程で把握済み。
下手をすると、至近にモンスターが接近してきた場合。一気に今までの行程が、パアにされかねないのだ。
岩の切り出しは、パワーのあるホムンクルス二人にやってもらって。
トトリはマークさんとカシムさんと、水路の作成。
今回は、岩が水をほぼ吸わないので、水路の作成は楽だ。砂をどかすだけでいい。更に、居住空間にも水路が通るようにして。岩に開けた穴の中に設置した湧水の杯を起動。
水が流れ出す。
水路をまず水が満たし。
生活空間にも、流れ込み始めた。
水路の脇に、防砂林になる椰子を植えていく。更に今回は、少し離れた地点に、覇王樹も。
順番に作業を進めていく間にも、予定通り、ホムンクルスの二人は、岩を砕いて、成形を続けてくれていた。
一日目が終わる。
作業は、今の時点では順調。
問題は、これからだ。
水路が出来た後、次にするべき事は、道の作成。
カシムさんとマークさん。それにホムンクルスの1221さんに護衛についてきて貰って、帰り道を歩く。
途中で、岩を置くと。
其処に覇王樹の子株を植えた。
比較的広い間隔で、覇王樹を植えていって。
その間に、椰子を比較的短い間隔で植えていく。
場所がわかるように、何カ所かに岩の欠片を突き刺して、帰る。何しろ距離と作業量が大きい。
拠点にしているオアシス作成地点に辿り着いた頃には、明け方近くだ。
これから数日間、此路を行き来して。水をあげて。なおかつ、砂丘などの処理もしなければならない。
モンスターが来た場合は、撃破する必要もある。
いずれもが、難作業と言えた。
更に、問題が起きていた。
オアシス建設予定地点に近づくと、ミミちゃんが手を振っている。嫌な予感がして、駆け寄ると。
予想は当たった。
岩に、巨大な亀裂が走っているのだ。
「ややっ! これは」
マークさんが呻く。
多分、ホムンクルスの拳が強烈すぎた、というのは理由では無いだろう。見て、トトリにも原因がわかった。
この岩、元々内部に大きな空洞があったのだ。
岩陰に入れていた湧水の杯はどうにか無事だけれど。
成形途中だった岩が、かなり崩れている。
「いやー、吃驚したぜ! 1099が岩殴ったらよ、いきなりぐらっときて、なあ」
「もう少し語彙を増やしたらどうかしら」
興奮して嬉しそうに話すジーノ君と、冷ややか極まりないミミちゃん。ミミちゃんは多分、岩が崩れたとき結構怖かったんだろうなと、トトリは推察したけれど、敢えて口には出さなかった。
いずれにしても、図面を引き直しだ。
1099には、なんら責任は無いのだから。責めるわけにも行かないし。責任があった場合だって、そうする気は無い。
とりあえず、今日はここまで。
穴に避難すると、流れ込んでいる水をまず飲む。相変わらずまずいけれど、砂漠では水を飲まないと、文字通り干涸らびてしまうのだ。
暑くなり始める中。
図面を開いて、協議する。
疲れが溜まっているミミちゃんとジーノ君には、先に休んで貰った。
マークさんは図面を前に腕組みする。
こういうとき。
マークさんの表情は非常に強い陰影を帯びて。本職だと言う事が、嫌でもわかってしまうほどだ。
「水路を少し変えないと、この罅から水がかなり流れ込んでしまうね」
「いっそ砕いた岩を少し加工して、この辺りにつないで。 水路の底にしてしまいましょうか」
「その手もあるが、少し時間が掛かるよ」
「それでも、水路を変えると、防砂林が機能しなくなる可能性がありますし」
話し合いが続いて、いつのまにか昼近く。
諦めて、一端休む事にする。
罅の幾つかから、岩の内部空洞についてはわかっている。ならば、空洞を埋めた方がいいという結論も出たので、一度岩のひび割れている部分は、壊した方が良いと皆で決めた。
今回も、イレギュラーだらけだ。
だけれども。
それを乗り越えてこそ。
トトリは、クーデリアさんから、支援を引き出せるのだ。
一眠りすると、もう明け方。
少しずつ体力がついてきているからといって、無理は禁物だ。今日は、カシムさんと1221さん、それにマークさんだけで、道の途中の水やりをしてきてもらう。
トトリはオアシスに残って、不測の事態に対応だ。
まず、皆で協力して、岩を砕いてしまう。
内部に空洞があるなら、潰してしまう方が良い。途中で崩落されると、危険だからだ。崩れ方次第では、水路が台無しだけれど。
それも仕方が無い。
作業を始めたばかりなのが、幸いだ。
トトリが発破を仕掛けて、皆に退避を指示。
爆破。
岩が、途中から、かなり派手に崩落。
砂煙を上げて、崩れ落ちた。
被害状況確認。
かなり派手に崩れているけれど、どうにか水路がある辺りは無事。ただし、湧水の杯は、設置し直す必要があるだろう。
図面を見比べて、線を引き直す。
別の場所に穴を開けると、改めて湧水の杯を設置。
岩の成形は此処までだ。
これ以上崩すと、また別の空洞につながる可能性もある。そうなると、最終的には、とんでもない事故が起きるかも知れない。
崩したことで、岩の欠片はいくらでもある。
これを使って水路を補給したり。防砂林を調整したり出来るのは、何よりだ。作業を進めて、順番に問題を処理していく。
どれもこれも問題は大きい。
対処も大変だ。
だが、決して対処しきれない問題ではない。
だから、一つずつ、確実に処理していけば良い。
明け方、マークさん達が戻ってくる。
爆破した岩を見て、マークさんは楽しげに笑った。
「ハハハ、派手にやったねえ」
「でも、これでもう、崩落の恐れは無いと思います」
「一応岩を固める処理をしたいけれど。 そんな手段は、誰も持ち合わせていなさそうだね」
トトリも、そんなものは流石に持ってきていない。
ロロナ先生だったら、或いはと思うと悔しい。
ただ、これで問題の一つが解決したのも事実だ。手持ちのカードを切りながら、問題を処理していくしかない。
まだ、椰子の芽はでてこない。
前の状況を考えると、三日は出ないと見て良いだろう。
次の段階に進むまでに。
できる限りの問題は、片付けておきたい。
3、砂漠の傘
水路が安定した。
どうにか加工が間に合ったので、岩の罅を埋める事が出来たのだ。もっとも、崩落している地点も多くて、それどころではなく。結局、水路をかなりの箇所、作り直さなければならないことが後から発覚したが。
いずれにしても、こののろわしい岩は。
これから、オアシスに生まれ変わる。
既に作業開始から五日目。
椰子の芽は既にでているが。幾つか、結局芽が出ない椰子があった。多分岩を砕いたりしたごたごたで、種が傷んでしまったのだろう。水路から、過剰に水が供給されてしまったのかもしれない。
水路をまず完成させて。
防砂林が出来た後。
岩を埋めていた砂を掘り捨てる。
順番に作業を進めていく中。帰り道の、木の状態も確認したい。あらゆる作業に、手が足りない。
やはり、出来れば。
昼も交代で動き回りたい所だ。
天の水傘。
改良を重ねているけれど。まだ、実用出来る段階にまでは到っていない。
水を放出して、熱を緩和する仕組みについては問題が無い。マークさんと修正と調整を重ねて、どうにかまんべんなく水を放出して、熱を緩和できるようにはなってきた。
問題は水だ。
どう考えても足りない。
オアシスとオアシスの間を行き来するだけでも、現状のタンクでは、とても足りないのである。
それだけ砂漠の熱射が苛烈で。
下手をすると、一瞬で水分をみんな持って行かれるから、というのがある。
さて、どうしたものか。
そろそろ、太陽が上がってくる。
マークさんが戻ってきた。
かなり機嫌が良いところから見て。帰路の木の道は、上手く行っているという事だろう。
「良い感じだねえ。 順調に木は育っているよ」
「動物に荒らされていませんか」
「それがねえ。 どの獣も、驚くほど大事にしているんだよ。 囓ったりすることはあっても、食いちぎったりはしないねえ。 水や実だけもらって、後は大事にしている感じだね」
それは、意外だ。
実際問題、前に植えた囮としての木が、今でも残っていることから考えて。砂漠の動物は、案外予想以上に、植物を大事にするのかもしれない。
大事にすれば、水が得られるから。
食べてしまえば、それまでである。
確かに合理的な考えだ。
勿論動物がそう考えているわけでは無いのだろうけれど。そういう習性を持つ動物が、生き延びられた、ということだ。
これは追い風だ。
此処での作業を始めて、いきなり大きめのトラブルに見舞われて内心凹んでいたのだけれど。
こういう追い風が来てくれれば、少しは持ち直せる。
「で、此処からは、後の部分もやっていくつもりだが、いいかね」
「是非お願いします」
「問題は管理だねえ」
マークさんが嘆息する。
実際、この木の道は、水を与える事が維持の絶対条件になる。そうなると、水を与えて砂漠を歩き回るチームが必要になる。
戦闘用ホムンクルスで、ツーマンセルとして、二チームは最低でもいるだろう。シフトでの休日を考えると、三チームはいる。
つまり、六人は最低でも必要になってくる、ということだ。
最終的に、十個のオアシスを造り。
その管理に、一カ所二人ずつのホムンクルスを配置するとする。
これも休日を考えなければならないから、一カ所三人。
更に、最悪の事態の遊撃を考えると、フレキシブルに動ける人間の冒険者や、予備の人員もいる。
それに、これから仕組みを稼働させるとなると、どう考えても、様々な人員が他にも入り用になってくるだろう。
合計して、五十人くらいだろうか。
でも、砂漠を安全にわたれる人員を、五十人と考えると。
それはそれで、かなりコストパフォーマンスが優れているかもしれない。
それに、開発が進んでいなかった砂漠だけれど。
この機に、開発した場合。
有用な資源を、たくさん発見できる可能性も、決して小さくは無いのだ。
事実、アーランドの工場だって。資源がなければラインを稼働させられないのだから。砂漠は未知の世界。未開拓の世界。
此処で開発できれば。
有用な資源も、発見できる可能性が大きい。
さて、問題がもう一つある。
マークさんたち三人が、前に作ったオアシスと、明日から此処を往復することになるとして。
此処を守るのは、四人だけになる。
1099さんがいるからまだ良いにしても。
悪魔の使い複数が現れた場合、トトリとミミちゃん、ジーノ君で、処理できるだろうか。
結論から言えば、無理だ。
出来るだけ急いで、作業を済ませる必要がある。
そのためにも。
天の水傘の完成を、急がなければならないだろう。そうすることで、日中での作業効率が上がる。
頭に水を含ませた布を被って、作業をしなくても良くなるし。そうすることでの消耗も削る事が出来るのだ。
トトリは指を折って数える。
そうすることで、消耗と作業効率を天秤に掛けられるようになっていた。
そして、気付く。
いつの間にか。自分を極限まで酷使する癖が、ついている事に。
夕方、マークさん達三人が出るのを見送った後、穴を這い出す。
ミミちゃんに、服の袖を掴まれた。
「ちょっと、大丈夫でしょうね。 少しは眠った?」
「平気だよ。 三刻くらいは眠ったし」
「……本当でしょうね」
「なんか最近、トトリってみんなが寝てる間も、何か考えてるみたいにみえるんだよなあ」
珍しく、ジーノ君がミミちゃんに賛同。
ちょっと困ったけれど。ただ、今は正直な話、ぐっすり眠っている余裕が無いのも事実だ。
まず、水路の状態を確認。
そろそろ、水路は良いだろう。防砂林も、かなり育って来ている。
星明かりが今日はかなり弱い。
雲が出ているのだ。
雨にはつながりそうにないけれど、この様子だと朝方にかなり湿気が出るかも知れない。こういう湿気は、砂漠で水が無い場合は生命線になるということだけれど。トトリには、湧水の杯があるので、心配はしなくても良い。
緑の道の方を見る。
点々と生えている椰子と覇王樹。
かなり芽が出て、わかるようになって来ている。後は砂にさえ埋まらないように管理していけば、砂漠を行く人が迷う可能性は無いだろう。
ジーノ君とミミちゃんは、相変わらず見張り。
トトリは、1099さんと一緒に、次の段階へと、作業を進める。
砂を掘り出して、オアシスとして此処を確立させるのだ。水路の行く先の水を誘導して、ため込む。
今回は、それをかなりやりやすいとは言え。
やるとなると、居住用に作っていた穴を変える必要も出てくる。
「トトリ」
ジーノ君に言われて顔を上げると。
緑の道の方に、ドナーンが来ている。大型の二足歩行蜥蜴は、しばらく覇王樹の芽を囓っていたが、食いちぎったり倒すようなこともなく引き上げていった。水だけ吸っていったのだろう。
「なあ、あれってひょっとして、砂漠のモンスター引き寄せてないか」
「そうだね。 護衛がどうしても必要になるね……」
モンスターにしても、餌が少ない砂漠である。どうしても、見つけた餌は逃がしたくないだろう。
オアシスには近寄ってこない。
リスクよりも、水を得たいのだろう。
それにしても、成長が早い椰子は実に頼もしい。覇王樹は頑丈だけれど、殆ど成長しない。
これは或いは。
椰子の方を主体に、植えていくべきかもしれない。
掘り出した砂を、風下へ移していく。
風が吹くと、勝手に砂が流れて行ってくれる。
しかし一方で、風上からは砂丘も来る。防砂林と岩の壁がある程度食い止めてはくれているけれど。
それも毎日でも完璧でもない。
できる限り、急いで処理無ければならず。
毎日、かなりの負担となっていた。
二日がかりで、どうにか岩のくぼみから、砂を除去完了。膨大な量だったので、正直1099さんがいなければ、とても無理だっただろう。
パワーにしても、ベテランアーランド戦士にまるで劣るところがない。
全て終わって一息ついていると、1099さんが意外な事を言った。
「これで、失敗は補填できましたか」
「失敗なんてとんでもない。 1099さんは、すごく良くしてくれています」
「それは良かった。 貴方にお払い箱にされたら、私は行き場がありません。 本当に良かった」
目を伏せる1099さん。
その表情は、とても寂しそうで。
ホムンクルスにも、感情があるのだと。トトリは、改めて思い知らされる。
マークさんが戻ってくる。
水を入れている荷車には、何か別の荷物が載せられていた。側まで来ると、マークさんは、水が注ぎ込まれ始めているオアシスを見て、口笛を吹いた。
「これは壮観だねえ」
深さは、多分トトリの背丈の四倍くらいはあるだろう。
どれだけの数の隊商が来ても、水を全て賄うことが出来るほどだ。勿論、水が全てたまったら、だが。
多分水が溜まるまでには、かなり時間が掛かる。
その間に、コテージを作る必要があるだろう。
「その荷物は?」
「ああ、村の人達からの差し入れだよ。 焼いたドナーンの肉を、燻製にしたものらしい」
「良かった。 最近耐久糧食ばかりで、少し飽きてきていたんです」
「すぐに火を入れて食べよう。 見張りは私がするから、君達は先に食べているといい」
マークさんが、こういうときは大人らしい気の利かせ方をしてくれる。
まだ陽が昇るまで、少し時間がある。
荷から取り出した、串に刺した燻製肉を、たき火で炙る。すぐにジュウジュウと油が音を立て始め。香ばしい肉の旨みが、周囲の食欲を誘い始める。
みんなで分けて食べる。
ドナーンの肉はあまり美味しいイメージはなかったのだけれど。
口に入れてみると、意外に悪くない。
普段食べているものよりも、むしろ肉がまろやかなくらいだ。
「砂を噛まないように気を付けろよ。 歯が欠けるぞ」
「わかってるわよ」
ジーノ君とミミちゃんが、とんちきなやりとりをしている。どうもジーノ君は、正論をミミちゃんに言っても無駄だと思ったらしく、かなり厳しいものいいをするようになりはじめていた。それでミミちゃんも反発して、いがみ合ってばかりなのだけれど。
どうしてだろう。致命的に仲が悪いようには、見えない。
しばらく久しぶりの美味しいお肉に舌鼓を打ち。
陽が上がりはじめるのを見て、穴に避難。
まだまだ、きっと問題は起きるだろうけれど。
これで、一段落はしたはずだ。
おなかが膨れると、随分眠くなってくる。砂の壁に背中を預けて眠り始めるのに、時間は掛からなかった。
夕方。
マークさん達三人が出かけていくのを見送った後、二手に分かれる。
資材を組み合わせて、コテージを作り始める1099さん。これについては、分からないところがあったらトトリに聞いて欲しいと言ってあるのだけれど。以前従軍時に作業経験があるらしく、見たところ全く問題が無い。
もっとも、トトリにしても、コテージの作成なんて、簡単にはできない。理屈を知っているだけだ。
ましてや此処で使うコテージは、皮などを使った折りたたみの品。
最終的には、もっと本格的な奴を使う予定だけれど。それは、此処のオアシスが完成した後に、資材を運び込む事になる。
もう一つの作業は、オアシスの完成だ。
水を流し込んだだけでは、オアシスは出来ない。
変なところから水が溢れないように確認しなければならないし。何より、今回は一枚岩のくぼみに水をためる。
変なところに穴が開いていると、其処から水が漏れるかもしれない。
もっとも、砂漠の砂は思ったより水を吸わない。
多分大丈夫だろうと、トトリは見ていたが。
人工オアシスを覗き込む。
とても澄んだ水が、既に結構溜まっている。これは予想よりも、溜まるのが早いかもしれない。
水路を調整して、もう少し距離を伸ばす。
伸ばした沿線に、椰子の種を植え。
そして、オアシスの状態を確認。今の時点では、大丈夫そうだ。
コテージの方はというと、もうだいたい出来た。軍などで昔から使われているものだけあって、構築も簡単。
ついでに、用事が終わった後、折りたたむのも簡単だ。
ただ、本格的なコテージになると、それこそ馬車で資材を運び込む必要があるくらい、木材やらなにやらが必要になる。
堅牢さで言うと、其方の方が良いに決まっているので、いずれ変えなければならない。その時はその時で、色々と作業が面倒な事になりそうだ。
水が、オアシスの喫水線まで来る。
流れ出す水。
確認すると、予定通りの方向へ流れ出している。
せっかくなので、これも水路を作って、椰子の種を植えることにするけれど。今日は、此処までだ。
ミミちゃんが、トトリを手招きしている。
何か気がついたのだろうか。
「どうしたの?」
「そこ、泡が出ているけれど」
「ほんとだ」
良く気がついたなと、感心してしまった。
確かに水面の一点で、泡が出ている。つまり、底の一カ所に穴が開いていて。空間が下にあると言う事だ。
まあ、この岩の中に空洞がある事はわかっている。
一度崩落したくらいなのである。
次に崩落したとき、コテージを巻き込まないように、慎重に配置したのだ。今更、これくらいは想定内だ。
コテージの設営が終わった1099さんが、此方に来る。
「私が調べてきましょうか」
「素潜りするって事?」
「ええ。 泳ぎは得意ですが」
「もし下に大きな空洞があった場合、下手をするとまずいから、放置しておこう」
ちょっとやそっとで死ぬほど戦闘タイプのホムンクルスが柔では無いことくらいわかっているけれど。
それでも、万が一の事態は避けたい。
1099さんが一礼すると、下がる。
これで、居住用の穴とはおさらばだ。コテージに入ると、ジーノ君が伸びをした。
「ふいー、しんどかったなあ。 立ちっぱはやっぱつらいぜ」
「最低でも、後一カ所はオアシスを作らないとならないよ」
「マジかよ。 わかってはいるけど、大変だな。 でもこうやってオアシスをつないで行くと、砂漠を楽に越えられるようになるんだろ?」
「うん……」
今の時点では。
まだ、楽に越えられるとは断言できない。
少なくとも、天の水傘はまだ、完成に到っていないからだ。
多分ジーノ君は、その辺りには気付いた上で言ってくれているのだろうと、良い方に解釈。
トトリは、放置していた天の水傘の設計図を開く。
マークさんと話し合って、何処を改良すれば良いかは、もう決めている。幾つかの資材を調整して、回収を開始。
見張りは三人に任せて。
トトリは、作業にひたすら没頭。
気がつくと、マークさんに見下ろされていて、ちょっと驚いた。そんなに時間が経っていたのか。
カシムさんがいない。
そういえば、当然か。そろそろいる意味もないし、戻る頃合いである。
「どうかね、天の水傘は」
「まだ実験をしていません」
「ちょっと見せてご覧」
コテージの外に出す。
そろそろお日様が上がり始める時間帯だ。コテージの中は水も確保できるけれど、外は灼熱地獄に変わりない。
南を見ると、ずっと続いている木の道が、すっかり存在感を保っている。後は時々水をあげて、砂丘を避けてあげれば良い。
同じように、最初のオアシスから村へも、同じような木の道を作る予定だけれど。
それに関しては、まだ人員が足りない。
次に出るときは、ホムンクルスの一分隊四名を最低でも要請したかった。勿論、冒険者でも構わないが。
外に出て、作業を続ける。
陽が上がってきた。
傘を開いて、水を撒き始める。傘の中に入ると、少しはマシだけれど。やはり、まだまだ、少しはマシ、程度でしかない。
撒くお水の量を増やす。
かなり涼しくなる。日射病はこれで避けられそうだ。熱に関しては、かなり暑い日、くらいになる。
それならば、歩き回ること自体は出来る。
「これを大型化すれば、多分荷車を中心に数名をカバーできるね」
「はい。 でも、ちょっと値段が張りそうですけれど」
「オアシスごとに何機かを配備して、それを使い回せば良いんだよ。 どのみちこのオアシス、一人や二人が常駐する規模じゃあないからね」
確かに、マークさんの言うとおりだ。
調整を続けて、思い切って相当量の水が出るようにすると、どうにか暑さは不快感がないレベルにまで緩和することが出来た。
このくらいで、完成とみて良いだろう。
ただし、母体のシステムは、だ。
これから荷車と組み合わせて。接続する樽をどうするか。そういった問題がまだまだ残っている。
第一、砂漠を行くと、荷車が大変激しく傷むのだ。
これだけ大きな装置を持ち運べば、更に痛む事になる。そうなると、トトリがお金を出して試作した機体がもし駄目だった場合。
ダメージは計り知れないことになる。
「荷車のダメージを緩和する仕組みが必要ですね」
「いっそ、荷車を大型化するという方法もある。 連結型にして、後方に水の樽を設置して。 前方は荷台も兼ねるとか。 でもそうなると、数人がかりで動かす事が前提になるねえ」
「問題は山積みですね」
それでも、解決しなければならない。
なぜなら、これは。
人間にとって、大きな一歩になり得るからだ。
他の砂漠でも、この方法は利用できる。
そうなれば、砂漠で暮らしている人達が、今よりもずっと楽に過ごすことが出来るようになる。
最終的には、スピア連邦との戦争が終わった後にでも。この技術で、世界中の砂漠を、通れる場所にして行きたい。
いずれにしても、それは遠い先の夢だ。
トトリには、まだ手が届かない。
幾つかの案を出し合った後、残りの作業はアトリエでやる事にする。
今回は引き上げだ。
引き上げる前に、鳩便を出す。
今回の作業が上手く行ったこと。
木の道を維持するために、二名のホムンクルスが追加で必要なことを記載。ノウハウは1221さんが知っているので、オアシスまで派遣して貰えれば、問題ない事も追記しておいた。
これで、後は。
このオアシスが、問題ないか。一週間ほど、経過観察して終了。
今回は十二日で終わった。
次回はトラブルがなければ、もっと短く済むだろう。
作業で苦労したことが、後で無駄にならないことは嬉しい。
多分身軽なツーマンセルであれば、トトリ達が経過観察している間に、オアシスに来るだろう。
いっそのこと、今回の作業で。村までの木の道を作ってしまうのも、良いかもしれない。いや、それも良いだろう。
アトリエまで往復する時間も、バカにならないのだ。
今のうちに作業をしておけば。
後々までの手間を、かなり短縮することも出来る。
ノウハウも作れる。
ミミちゃんが、いつの間にか、コテージを出て。心配そうにトトリを見ていた。
何かあったのかと聞いてみるけれど、知らないと拗ねられた。
可愛いけれど、時々不安になる。
何だかわからないけれど。
ミミちゃんは、トトリの何を見ているのだろう。そして、何を不安視しているのだろう。
4、渇き行くもの
木の道の維持要員が来た。
流石に身体能力が抜群に優れている戦闘タイプのホムンクルスである。わずか三日での到着。実に頼もしい。
ノウハウを1221さんから引き継いで貰って、後は作業を全て任せてしまう。
此処も、1099さんと1221さんが常駐で見張っていれば、まず問題は起こらないだろう。
新しく来たホムンクルスの二人が、手紙を持っていて、手渡された。
トトリ宛てのものだ。勿論差し出し主は、クーデリアさんである。内容は、色々な意味で、予想通りである。
帰ったらレポートを出すように。
なおかつ、自身が状況を全て説明するように、ともある。
うわと、思わず声が漏れてしまった。かなり厳しい状態だけれど、やらなければならないだろう。
正直クーデリアさんはかなり怖い。
今でもそれに変わりは無い。
面と向かって説明するのはしんどいけれど。これもお仕事。今回の作業が成功したら、報奨金もかなり大きいはず。
そうなれば、次の仕事で、使える手札も増えてくる。今、こんな所で、足踏みはしていられない。
一端、最初に作ったオアシスに移動。
ほぼ一日がかりだけれど。
木の道をそのまま通っていけば良いので、星を見る必要さえない。此処さえ外れなければ大丈夫と言う安心感は、尋常では無かった。
途中、砂丘などを崩したりもしたけれど、それくらい。
一緒に新しく来た二人に作業して貰って、余計に手間は省けた。
それにしても、椰子の成長があまりにも早い。なおかつ、ちょっとやそっとお水を与えないくらいなら、平然としている。この様子なら、放って置いても、一月や二月なら、大丈夫かもしれない。
「今回ので二カ所目だろ。 後八カ所も同じようなことをするのかよ」
「多分、そこまではしなくても大丈夫だよ」
ジーノ君がぶつぶつ文句を言っていたので、トトリがフォローする。
おそらく、後一カ所くらいオアシスの作成に成功したら、国が動いてくれる。一気に人海戦術で、今までのノウハウを生かして、砂漠の向こう側まで道を作ってくれるはずだ。そうなれば、トトリも一応参加はするけれど。それほど苦労はしないだろうし。何よりも、作業そのものが評価されれば、後は引き継ぎが主体になる。
「後一回オアシス作れば、大丈夫だと思うよ」
「本当かよ……」
「ジーノ。 今は見守りましょう」
「……そうだな。 わかったよ」
おや、ミミちゃんがジーノ君を名前で呼んでいる。
今までは嫌がって滅多に名前さえ呼ばなかったのに。いつの間にか、結構仲良くなっているものである。
明け方に、最初のオアシスに到着。
昼の間は休んで、夕方から行動開始。
木の道を作るまで、多分一週間ほどかかる。勿論、それだけ帰りは遅れるわけだけれど。
別にトトリがアトリエにいなくても、誰も困らない。
それよりは、少しでも作業の時間を短縮して。
今のうちに、出来る事を、可能な限りやっておきたかった。
すぐに、木の道の作成に取りかかる。
今回はトトリも、最初から最後まで、面倒を見るつもりだ。オアシスの方は既に大丈夫なので、気にする必要もない。
村に到着。
今日は休んで、明日はまた夕方から、オアシスに向かって、木の道の整備をする事になる。
村長はもうもみ手で大歓迎してくれた。
「二つ目のオアシスも完成したとか。 この様子で、今年中には、砂漠を抜ける道が出来ると言うことでしょうか」
「まだわかりませんけれど。 此処からオアシスまで、木の道を作ったら、一度アトリエに戻って、善後策を協議します。 国がこの作業の有用性を認めてくれたら、人海戦術で一気に状況が動くと思います」
「それは頼もしいですな」
「最善を尽くします」
宿で、毛布にくるまる。
カシムさんがきて、何か手伝えることはないかと聞いて来たので。三つ目のオアシスを作る時に手伝って欲しいと言うと、すごく嬉しそうな顔をした。
みんな、すごく期待している。
砂漠を抜ける道が出来ると、確かにこの村は最辺縁では無くなる。人の流れが出来ると言う事で、それなりに重要な場所になる可能性も高い。
夕方、出る前に、トトリは村長さんと話をして、コテージの資材を注文しておく。一番近くにあるオアシスは、まだ軍などで使う折りたたみのコテージなのだ。これを、熱にも強いしっかりした造りのものに変える必要がある。当然資材が必要になる。村を通じて注文しておけば、後々やりやすくなると、トトリは判断した。
大喜びで、村長は対応してくれる。
後は、木の道の作成に注力しながら。
天の水傘を、完成させるだけだ。
アトリエに到着。
結局、最後までの時間をカウントすると、前回の作業とあまり変わらなかった。木の道の維持をする専門の二人が来てくれた事で、かなりやりやすくはなったけれど。それも、次回三つ目のオアシスを作ったら、人員の追加を要請する必要があるかもしれない。いずれにしてもこの道を作る作業、人員がかなりいると、改めて思い知らされる。
でも、アーランドから伸びている街道だって、それは同じだ。
各地のキャンプスペースには、常駐要員のベテランが必ずいる。これは近場でモンスターに襲われる可能性があるからだ。
街道そのものだって、巡回班がいる。
これも理由は同じ。
そして巡回班がいても、襲われる人は襲われる。
今は、モンスターだけを、脅威としてカウントすれば良いけれど。もしももっと安全になって人が増えてきたら。
あまり考えたくは無いけれど。
人を、脅威として考えなければならないのかもしれない。
ミミちゃんと連れだって銭湯に行く。
しばらくお湯に浸かっていると、疲れが流れていくようだ。砂漠では水浴びは出来るけれど、お風呂は無理。
そして現状では、水浴びをする余裕も無い。
ミミちゃんも相当疲れているようで。湯船で溶けていたけれど。
寝てしまうと前みたいに、周りから怒られる。
適当な所で切り上げて、お風呂を出た。
アトリエに歩きながら、ミミちゃんと話す。
「砂漠を抜ける道ね。 確かにすごいけれど、砂漠の向こう側って、典型的な無法地帯でしょ」
「未開拓地域じゃないのかな。 後、砦もあるって」
「……そう」
何か腑に落ちたようで、ミミちゃんがため息をつく。
トトリだって、その可能性はわかっている。
何も無いのに、人手がかつかつなアーランドが、手を貸してくれるはずもない。ちゃんとメリットがあるからこそ、手を貸してくれるのだ。
道が、砂漠に出来れば。
最前線に備えた要塞都市の建設に弾みがつく。
今、リス族とペンギン族の問題がどんどん解決して。特にリス族との問題が解決したことにより、各地の街道の巡回や監視が非常に楽になっているとトトリは聞いている。その空いた手を使って、新しく前線基地に人員を廻せば。それだけ、対スピアの戦略には幅が出る。
特に、砂漠を越えた先の砦に大戦力を集結できるようになると。
噂によると、スピアの国境を突き抜いて、兵を送り込みやすくなるとか。
少数精鋭、一騎当千がアーランドの強みだ。
守りに関しても、それほどの数を配備しなくても良いのが大きい。
そう考えると、トトリがこの国に果たした事は大きいし。
これから果たす意味も大きいのかもしれない。
「あまり無茶はしないようにね。 周囲の人間が悲しむわよ」
「私が死んで悲しむ人なんて、いるのかな」
「いるに決まっているでしょう」
ミミちゃんの声が若干冷ややかになるけれど。
トトリには、どうにも実感が無い。
幼い頃からみそっかすだ役立たずと罵られ続けてきたし。周りからも、ずっとバカにされ続けてきた。
今、国にすごい仕事を廻して貰っているのも。
ロロナ先生の弟子だという事が理由。決して、トトリがすごいからではない。それは、トトリ自身が一番よく分かっている。
アトリエに戻ると、マークさんが待っていた。
意外だ。
多分、天の水傘に興味があるのだろう。
それだけではない。なんと、ハゲルさんも一緒にいる。
「どうしたんですか、二人揃って」
「ああ、ここのマー坊がな。 嬢ちゃんが面白いものを作ってるっていうからよ」
マー坊。
苦笑いが零れそうになる。
だけれども、心強い。
二人が手を貸してくれるなら、きっと今度こそ、ちゃんと実用に適したものが作れるはずだ。
トトリが試作品を出してくると、ハゲルさんはまるで子供のように目を輝かせる。
クーデリアさんにレポートも提出しなければならないけれど。
まずは此方を完成させてしまう方が良いかもしれない。
ああだこうだといいながら、早速図面を引き始める二人を横目に。トトリは、次の作業をどう廻すか、考え始めていた。
(続)
|