切実烈火
序、追い詰められて
ミミちゃんに手伝って貰って、遺体の片付けを始める。
主に、戦いで死んだ後、放置されていた遺体だ。いずれもが非常に手酷く腐敗していて、衛生的に良くないと判断できたからである。
ペンギン族の葬儀のやり方を聞いて、その方法でする。
海流が、海に向かっている場所がある。
其処へ流すのだ。
砂浜では、沖に一気に海流が向かっている場所が、必ず彼方此方にある。これは潮水が、此方に押し寄せているから、帰らなければならない場所があるからである。その流れを利用するのだ。
空から見放された鳥の子孫は。
海に帰ることで、ようやく地上から離れられる。
それが、彼らの信仰。
死んでしまった後は、人類の敵も何も無い。
ペンギン族も、トトリとミミちゃんが、砂浜に、すなわち縄張りに入る事を、止めなかった。
死体を動かす度に、まるまると太った蛆虫がこぼれ落ちる。
だけれども。
どうしてだろう。汚いとか、嫌だとかは、思わなかった。
周囲にあった死体を全て片付けた後、煮沸した水で体を丁寧に綺麗にする。マークさんはその間も、ずっと周囲に目を光らせてくれていた。
また、営巣地から一人、けが人が運ばれてくる。
死の境から戻ってきたのだろう。
流石にアーランドで暮らしている亜人。生命力のタフさは折り紙付き。薬を惜しまず使って、医療が出来る魔術師が処置さえすれば。死を免れることが出来る者も、多いと言う事なのだろう。
モンク級の戦士は、既に営巣地に戻っている。
あちらでも、亡くなった人を、同じように海に流しているのだろうか。
蛆や蛹を焼いていると、ミミちゃんが呻く。
「臭いが鼻について消えないわ」
「これを使って」
トトリがその辺りで採取したハーブをミミちゃんに渡す。
勿論適当に採取したものではない。
レシピを見て確認した、殺菌作用のあるものだ。薬草として使えるので、採取した後すりつぶして、ペースト状にしておいた。
一度沸騰させたお湯にハーブを入れて、それでゆすぐ。トトリも同じようにして、臭いを取り除いた。
作業を続けている医療魔術師が、声を掛けてくる。
「丁寧に手足は洗ってね。 特に爪は綺麗にして」
「はい」
何度か、同じ事を繰り返して。
少なくとも、見える範囲にあった死体は、全てを処理し終える。
見ているのは、ケニヒ村の戦士達。
彼らは、手伝ってくれることは、ない。
でも、邪魔さえしなければ、それでいい。あまり良い視線を此方に向けてくれてはいないが。
ペンギン族の若い戦士が一人来る。
背がみんな低いから、年はわかりづらいけれど。
毛皮に隠れた顔は、若々しい。
トトリと同じくらいの年齢かもしれない。
「あなた方のおかげで、半分くらいは、助かりそうだ」
「良かった」
「でも、最盛期の四分の一も残らなかった」
悔しそうに言う若者。
彼は、此方を見ているだけのケニヒ村の戦士達を、恨めしそうに見つめる。でも、トトリは咳払いした。
「駄目だよ」
「どうしてだ。 彼奴らは、あんたと違って、何もしてくれていない」
「いい、貴方が新しい世代のペンギン族なら。 彼らへの恨みを残しては駄目」
言い聞かせる。
必死に。
トトリだって、同じ子供だけれど。だからこそ、彼には言わなければならないのだ。
「ずっとケニヒ村の戦士達と、ペンギン族は争い続けてきて。 その恨みと悲しみの結果が、あの行動なの。 でも、このまま上手く行けば、もうケニヒ村とペンギン族は、争わなくても良くなるの。 そうすれば、次の世代には、殺した殺さないの関係は持ち込まなくても良くなるの」
勿論、そんなに簡単に行く話では無い。
それくらいは、トトリだってわかっている。
憎悪は連鎖し、受け継がれる。
敵意はいつまでも尾を引き。形のない怪物となって、皆の心を縛り続ける。それくらいは、わかりきっている。
でも、少しでも。
今は憎悪を取り除かなければならないのだ。
「なら、誰を恨めば良い」
「貴方たちをこんなに殺した人を」
「あの爺か」
少年の目に、怒りと殺意が浮かぶ。
本当は、きっとそれも間違っているのだけれど。トトリは、少年を腰をかがめて抱きしめながら、目を閉じて。
そうだよと、頷くしかなかった。
マークさんが呼ぶ声がする。
見ると、何処かで見た、魔術師の女性がいる。あの穏やかそうな美しい女性は、見覚えがある。
思い出す。
冒険者免許を貰ったときに会った。
「貴方は」
「リオネラです」
もう一人、屈強そうな男性と。ホムンクルスらしい女性が三人。
これは、一気に状況が改善するとみた。
でも、どうして急に。
わからないけれど。これは、更に多くのペンギン族を、助けられるかもしれない。
「リオネラさん、有り難うございます! 見ての通りの惨状で」
「トトリ!」
ミミちゃんが手を振っている。
どうやら、鳩便の結果、とうとうお薬が輸送されてきたようだった。割高になってしまうけれど、これで当座はしのげる。
それに、この屈強そうな男性とホムンクルスの部隊。
生半可な相手に遅れを取るとは思えない。
「こちらの方は」
「ハルヴェルトだ。 こちらのリオネラの夫になる」
「あ、よろしくお願いします」
親くらい年が離れているように見えるけれど。リオネラさんの落ち着きぶりから見て、珍しい事では無さそうだ。
よく見ると、リオネラさんの左手首には、美しい装飾付きの腕輪がある。模様からして、人妻である事を示している。
アーランドで、浮気は最大の悪徳とされる。
これは、社会的地位を高めれば、四人まで配偶者を得られる仕組みがあるからだ。浮気をするくらいなら、地位を上げて配偶者を増やせ、というのである。
そのため、男よけの意味もあるのだろう。
リオネラさんは、早速ホムンクルス達に指示を出して、治療を始める。
先に来ていた医療魔術師の女性も、額の汗を拭って、嘆息した。
「これで一段落ね」
「はい。 一気に進められそうですね」
「もう此処は良いから、貴方たちは一度戻りなさい。 お薬をとってくるにしても、一休みをして構わないからね」
ようやく、これでトトリ達を休ませられる。
医療魔術師の顔には、そう書かれていた。
お言葉に甘えて、ケニヒ村に。
一週間以上、殆ど休まずに看護を続けていたから、へとへとだ。村に入ると、非常に敵意が籠もった視線が、複数飛んでくる。
でも。
その視線を塞ぐように。
大柄な男性が現れる。背中にバトルハンマーを背負っている姿は、見覚えがある。
サルクルージュさんだ。
「おう。 大活躍だったらしいな」
「はい。 おかげさまで。 でも、大活躍だったのは、私じゃなくて」
「あんただよ」
「え……?」
咳払いすると、サルクルージュさんは説明してくれる。
実は、ペンギン族が壊滅的な打撃を受けていたことは、とっくの昔にケニヒ村に伝わっていたのだという。
なるほど、思い当たる節がある。
酒場のマスターの様子も、それで説明がつく。積年の恨みがある相手が壊滅していると聞いても、反応が妙に落ち着いていたからだ。
つまり、この村の人達は。
ペンギン族を見捨てる判断をした、ということだ。
其処に、トトリが割って入った。
多くの人が、余計な事をしやがってと思ったのだろう。
その気持ちも、よく分かる。
わかるからこそ、悲しい。
長年積み重ねられてきた憎悪の連鎖を、簡単に断ち切れるはずがないのだ。
「あんたが出てこなければ、ペンギン族は全滅していただろうな。 その後、多分別のペンギン族が、あの砂浜には進出してきただろう」
「え……」
「実はな。 二百年ほど前にも、そう言うことがあったんだ。 ペンギン族は住める地域が決まっているそうでな。 空いた場所があると、海を渡って押しかけてくるそうだ」
一度、全滅させたペンギン族が。また戻ってきて。
疲弊していたケニヒ村が、一気に現在の境界線まで追い返された事があったのだとか。
多分、このままでは。同じ歴史が繰り返されたのだろうよと、サルクルージュさんは笑いながら言う。
「他はともかく、オレはあんたを認めるよ。 聞いてるな若造ども! 聞いての通り、オレはこの新しい錬金術師先生の味方だ! 何かこの先生に起きたら、オレが許さないから、そう思え!」
悔しそうに、視線が幾つか消える。
今は、こんな解決方法しかないのかもしれない。
でも、次の世代になれば、きっと。
次の世代まで争いが起きなければ、或いは。
「今は休みましょう」
ミミちゃんに、腕を引かれた。
トトリは頷くと。
きっと、あまり歓迎はしてくれない宿に、向かう事にした。
戦士サルクルージュは、錬金術師トトリが宿に入っていくのを見届けると、無言のままケニヒ村を出た。
ペンギン族との縄張り境に向かう。
途中、何人かの戦士が追いついてきて、苛立ちをぶつけてきた。
「おい、サルクルージュ兄!」
「何だ」
「錬金術師の味方をするのはいいさ。 ロロナ殿には本当に世話になったからな! 弟子のトトリにだって、ある程度の敬意は払う! だが、ペンギンどもに荷担するのは、どうしても納得がいかん!」
皆、若い戦士だけれど。
いずれも、ペンギン族に因縁がある者達ばかりである。
サルクルージュ本人がそもそもそうなのだ。
だけれども。
此処は、誰かが憎悪を忘れて動かなければならないのである。
「荷担しろなんて言ってない。 相手の弱みにつけ込むな、と言っている」
「でも、全滅させるチャンスじゃねえか!」
「さっきも言ったが、全滅させればお代わりが来るぞ。 聞いた話によると、前の戦いの時に、ペンギン族の所には、複数部族から増援部隊が来ていたそうだ。 西にあるペンギン族の王国とやらからも、ひょっとすると増援が来ていたかもな。 今いる連中が全滅したら、そいつらが来るぞ。 負けるとは言わないが、ケニヒ村は大損害を受けるだろうな」
損害が何だ。
若い戦士が叫ぶが。
サルクルージュは、そいつに拳骨をくれた。
「今、最大の敵はペンギンどもじゃない! アーランドの領地内で好き勝手をする、スピアのクソどもだろうが!」
黙る皆。
それでいい。
気付かなければならないのだ。目の前にいる者ではなく。更に危険で、強大な相手のことに。
納得は仕切れないにしても。
黙り込んだ若造達が戻っていくのを見送ると、境に。
働いている医療魔術師。彼女の他に、まだ若い女が、あくせくと負傷者の治療をしていた。
サルクルージュが近寄っていくと、医療魔術師は気付いて、立ち上がった。
「サルクルージュ」
「どうだ、様子は」
「見ての通りよ。 リオネラさんの腕前は私より上だし、この様子ならもっと多くの負傷者を助けられるわ」
ペンギン族に、更に負傷者を連れてくるように、医療魔術師が叫ぶ。
彼女は親友である。
昔は恋人同士だったこともあったけれど。何処の村でも必要とされる医療魔術師である。彼女が彼方此方を点々とする内に、関係は消滅した。
今では、親友である事が、丁度据わりが良い関係になっている。
何か手伝うかと聞くと。
医療魔術師は、少しばかり老け始めている顔に、ほろ苦い笑みを浮かべた。
「彼処で何もしないで見ているだけの連中を、村に帰してちょうだい。 あの子達、必死に働いているトトリさんにまで迷惑を掛けて、本当に見苦しかったのよ」
「そう言ってやるな。 憎悪は理解できる」
「でも、今はそれを超えなければならない時よ」
「わかっている」
頷くと、サルクルージュは、ふてくされている若造達の所に行く。
サルクルージュの目が黒いうちは。
馬鹿な事をする奴は出させない。
あれだけ、命がけで働く錬金術師を見たのだ。それで考えが変わる奴が、一人か二人くらいはいても良いではないか。
サルクルージュはそう思う。
そして自分がそうなれるのなら。
それもまた、一興だと思うのだった。
1、後片付け
移動指揮車に戻ってきたロロナが、栄養凝縮剤をごくごくと飲んでいると。ドアがノックされた。
顔を出すと、くーちゃんである。
手紙を見せられる。
トトリちゃんが、アーランドの王宮に出したものだ。
「目を通してみて」
「いいの? くーちゃんからでなくて」
「いいのよ」
きっと、気を利かせてくれたのだろう。
此処数ヶ月、本当にトトリちゃんは苦戦を続けていた。何度も危ない目にあってもいた。此方がレオンハルトの分身と、彼が連れて来た戦闘タイプのホムンクルスを制圧している間に。
何度もアランヤとペンギン族の縄張りを行き来して。
お薬を届けたり、交渉を続けたりしていたのだ。
その結果。
今ケニヒ村の南にいるペンギン族の新しい長となった、「日暮れの時に住まう四番目の男」が、アーランドと交渉したいと言ってきているそうだ。
彼はモンク級と呼ばれるペンギン族の猛者。
下手なベテランアーランド戦士以上の実力を持ち、確固たる信念を持つ強い人物だという。
本当に苦労したんだな。
それがわかって、ロロナは思わず目頭を押さえてしまった。
「くーちゃん、交渉は任せても良いかな」
「良いわよ。 此処を足がかりにして、他のペンギン族集落とも、同盟とまではいかないにしても、不可侵条約を結びたいものだけれど」
「本当にトトリちゃん、やり遂げたんだね」
「……」
ロロナはツェツェイさんから報告を受けて知っている。
トトリちゃんはアランヤに戻った途端、疲労がピークになって、倒れてしまったらしい。数日は高熱を出して寝込んだそうだ。
でも、起き上がると、すぐにまた調合をはじめて。
難しいお薬にも挑戦して。
荷車にお薬を満載して、ペンギン族の集落に向かったらしい。
繰り返すこと、四度。
ケニヒ村の中からも、トトリちゃんに協力する戦士が出たことで、状況が改善に向かい。最終的に、可能な限りの数が助けられたそうだ。
それで、ペンギン族も、ようやくトトリちゃんを信頼してくれたらしい。
今なら、アーランドと、ペンギン族の間に、不可侵条約を結ぶことも出来るだろう。今は敵にならないだけでも、充分以上に有り難いのだ。
思えば、トトリちゃんがプロジェクトに組み込まれてから、これで一年と少し。
充分以上な成長を見せてくれている。
ロロナも、自分がプロジェクトに組み込まれたときは、本当に苦しくて、何度も弱音を吐いたけれど。
トトリちゃんは自分以上に頑張っていると思うと、誇りだと感じる。
弟子が師匠を超えたら、それは誇りだ。
まだまだ、ロロナを超えるほどではないけれど。
「じゃあ、後は任せるわよ」
「うん、頼むね」
「任せておきなさい」
手を振ってくーちゃんを見送る。
此処は、アーランド王都近くの森の中。
数ヶ月がかりの、レオンハルト分身の駆逐がようやく終わったのは、つい二週間ほど前。散々引っかき回されたけれど、ステルクさんが加わってくれたこともあって、どうにか排除が出来たのだ。
倒せたわけでは無い。
ただし、排除が確認できた。これは大きい。
また、アーランド王都近くに潜伏していたレオンハルト本体も、エスティさんが追い払ってくれた。
勿論、レオンハルトにしてみれば、一時的な戦術的撤退に過ぎないだろうけれど。
それで出来た空白は、最大限利用しなければならない。
ロロナは、既に完成した、労働専用のホムンクルスを、ガラス瓶の中から出す。裸の女の子に、ひらひらの、出来るだけ可愛く作ったお洋服を着せてあげる。目を見開いた女の子は、ロロナを見て、小首をかしげた。
「ちむー?」
「おはよう、ちいさなほむちゃん」
ぎゅっと抱きしめる。
この時、ロロナは。
ついにホムンクルスの作成に、成功したのだ。
小さなほむちゃん。通称ちむちゃん。
見かけは五歳から六歳程度の子供の姿。ただし、ホムンクルスである事をしめすかのように。
また、師匠が作ったホムンクルス達と同系統の存在である事を示すように。
顔立ちが、幼いだけで。
師匠のホムンクルス達とそっくりである。
彼女らは、戦闘力はほぼないけれど。腕力そのものはそれなりにあり。人間の大人が持ち上げられる程度のものなら、余裕を持って運ぶことが出来る。また、師匠のホムンクルスと違って、男女を作っていく予定だ。
師匠も、その気になれば男子のホムンクルスを作れるのだろうけれど。
未だに、作っているという話は聞いていない。
ちむとしか喋ることが出来ないけれど。
意思疎通は出来る。身振り手振りを使う程度の知能はあるし。人間の言葉も、理解する事が出来るようにしてある。
労働については、殆ど何も嫌がらない。
その代わり、食糧として、パイを要求する。これはロロナの影響だろう。パイさえ与えれば、大体の仕事はこなすように作った。
後は、実地で働かせてみて、性能を見るだけだ。
錬金術の手伝いだけではなくて、単純労働でも、このちむ型ホムンクルスは、アーランドにとって、大きな力になる。
また、最大の特徴として。
敵意を買わない設計にしている。
色々なホルモンや、高度なハイド技術などを複合して保有することにより。余程の無茶をしない限りは、モンスターに襲われることもない。何よりこんないたいけな子供に、積極的に暴力を振るう者もいない。
ただし、人さらいなどには気をつける必要がある。
アーランドの内部ではまずあり得ないけれども。今後は、国境や、更にその先まで動かす事が出るかも知れない。
そう言う場合、人さらいなどには気を付けなければならない。
故に、幾つかの自衛手段は仕込んである。
最悪の場合は、それらを使って逃げるようにも。
問題は、もう一つある。
労働者階級の仕事を奪いかねない、という事だ。
これに関しては、プロジェクトの会議で何度も話し合っている。導入には、慎重に動かなければならないと。
幸い、今は何処でも人手が全く足りていない状態だ。
むしろ歓迎されるだろうと、ロロナは判断しているけれど。
それも実際に動かしてみないと、何ともわからない。
「ちむ?」
不思議そうに、悩んでいるロロナを見て、小首をかしげるちむちゃん。
とても可愛らしいけれど。
彼女は、働くために産み出された存在だ。勿論、ギブアンドテイクであるけれども。それでも、倫理に抵触している存在である事は間違いない。
外に出ると、ホムンクルスの一人に、手紙を持たせる。
「すぐに陛下に届けて」
「わかりました。 直ちに」
これで、ロロナの方も、最大の案件をクリアできた。
後は、トトリちゃんのお手伝いに廻りたいところだけれど。そう簡単には、状況そのものが許してはくれないだろう。
しばらく、ちむちゃんと一緒に、様々な作業をする。
思った以上に手先が器用で、黙々と動く。食べるパイの量も観察。予定通りだ。一日パイ一枚も与えれば、充分すぎるほどに動くとみて良いだろう。
お裁縫をさせるけれど。
ロロナよりも器用なくらいである。幾つかの技法を見せるが、その全てを即座にマスターしてしまった。
すごいなあと思う。
これも、師匠のノウハウと。師匠の師匠の作り上げた仕組みと。それに、敵から鹵獲した技術を組み合わせた結果だ。
特にフォックス型ホムンクルスの技術が大きい。
フォックス型ホムンクルスの高度なハイド技術は、解析すればするほど非常に役立つことがわかる。
勿論敵に回ると面倒だけれど。
せっかくなら、味方に最大限使用する。
そうすることで、此処までの成果を上げる事が出来るとなれば。ロロナとしても、問題ないだろうと思える。
幾つかの作業をさせていると。
また、指揮車のドアがノックされた。
顔を出すと、なんとステルクさんである。
最近ステルクさんは、ますます顔が怖くなっているけれど。ロロナは、昔色々あったし、もう慣れた。
「どうしました、ステルクさん」
「労働用ホムンクルスが出来たそうだな」
「はい。 今、性能試験中です」
「どれ」
指揮車に入ってくるステルクさんを見て、ちむちゃんはぴゃっと小さな悲鳴を上げて、ロロナの後ろに隠れる。
苦笑いである。
確かに、ステルクさんの顔は怖いかもしれない。
街を歩いていると、荒事になれているアーランド人でさえ、避けて通ると聞いている。子供達に到っては、泣き出すことさえあるのだとか。
「その小さいのが、そうか」
「はい。 ちむ型ホムンクルスと名付けました。 正確には、ちむ型労働専用ホムンクルスとなりますけれど」
「そうか。 まあ、何でも良いが、あまり無理はさせないようにな」
「はい。 大丈夫です」
少なくとも、この子は戦うための存在では無い。
ただ、試験運用が軌道に乗ったら、トトリちゃんの手伝いをさせようとは思っている。これだけ器用に何でもこなせるとなると、すぐにでもそうさせても良いくらいだ。
軽く、ステルクさんと話す。
西の国境がきな臭くなってきているという話をされた。どうやらレオンハルトが、隣国で暗躍しているらしいのだ。
まだ戦争云々という話は出てきていないけれど。
そうなると、少し面倒だ。
アーランドには、複数の戦線を抱えて処理するほどの底力はないから、である。
そして、もう一つ。
トトリちゃんの、次の仕事が決まったという。
内容を聞いて、ロロナは愕然とした。
候補にある事は知っていたし、くーちゃんからも聞かされてはいた。でも、他にも候補は挙がっていたし、どうしてこれが来たのか、わからなかったからだ。
「灼熱の荒野の踏破!?」
「ああ、そうなるだろう」
「……」
唇を噛む。
灼熱の荒野。ネーベル湖畔のずっと東にある、超危険地帯である。アーランドにある砂漠地帯の中で最大で、いつでも灼熱が全体を覆い、中に入る人間をむしばむ。屈強なアーランド戦士でさえ入る事を拒むほどの場所であり、街道などは当然此処を避ける形で通っている。
難所中の難所だ。
しかし、もしも此処を通ることが出来れば。
幾つかの街と街の間の移動時間を、劇的に短く出来るのも事実。今までに調査隊が何度か入っている。
彼らの中には、踏破に成功した者もいるけれど。
問題は、誰もが安心して通れる道にするほどの調査は出来なかった、ということだ。
選ばれし屈強な戦士だけが通れるのであれば、それは道ではない。
労働者階級の人間でも通れるくらいでないと。
道としては、意味を成さないのだ。
もしも灼熱の荒野を通る路が開発できれば。幾つかの国境にある砦に、容易に兵力と物資を届けられるようにもなり、アーランドの守りは飛躍的に強化される。
「危険、過ぎませんか」
「今回の一件が評価されて、トトリ君の冒険者ランクは4になる。 そうなれば、特に危険とも言い切れまい。 それが王の判断だ」
「それは、あくまでも錬金術師としての活躍と、ネゴシエイトの土台を作ったからで」
「わかってくれ」
無茶をしなければ。
今、アーランドはそれだけどうしようもない状況にある。
スピアの侵略速度は速すぎる。去年も幾つかの国が陥落し、大陸北部は確実にスピアの魔手によって侵食されつつある。
複数箇所に戦線を抱えても余裕で処理できる能力が、スピアには備わっている。
何年か前に、六万からなる侵攻軍を全滅させられても。スピアには事実上、打撃を与えられなかったのだ。
急いで道を整備して。
アーランド国内を、物資を自在に行き来できるようにし。
周辺諸国とも同盟を更に強化し。
最終的には、大陸南部で大連合を結成。スピアの大攻勢を跳ね返さなければならない。
スピアは、今まで存在した人類の国家とは、ものが違う。
国家でさえないかもしれない。
一なる五人が作り上げた、全てを食い尽くす怪物だ。それとやり合うためにも。手段は選んでいられないのだ。
ロロナだって、それくらいはわかっている。
だから、ステルクさんの言葉には、反論できなかった。
ステルクさんが帰ると、ちむちゃんは、怖い人はいなくなったかと、視線で訴えかけてくる。
ふるえている。
きっと、ロロナを虐めているように見えたのだろう。
目尻を拭うと、ロロナは。
ちむちゃんに、もっと色々な事を教えていこうと思って。次の道具を取り出すことにした。
医療用の薬品を満載した荷車を引いて、ケニヒ村に到着したところで、トトリはクーデリアさんに追いつかれた。
鳩便を出しておいたので、近々来てくれるだろうとは思っていたのだけれど。思った以上に早かった。
流石としか言いようがない。
以前もあまりに凄まじい機動力だったけれど。それに陰りは無い、という事だ。
「クーデリアさん、わざわざありがとうございます」
「何、これがあたしの仕事よ」
ぺこりと一礼。
クーデリアさんは、やはり相当な有名人らしい。ケニヒ村の荒々しい戦士達でさえ、クーデリアさんが来ると、緊張したのが一目でわかった。
国のお偉いさんというだけではないだろう。
戦士として格上の存在と、この村の荒くれ達でさえ認めている、という事だ。
まだ若いのに。
ミミちゃんは、クーデリアさんが来たのを見ると、ついと視線を背ける。まだ、会話するのは無理というのだろう。
気持ちはわからなくもないけれど。
そろそろ、ミミちゃんは、大人の対応を覚えるべきじゃないのかなあと、トトリは思うのだった。
村を出る。
荷車を引いて歩きながら、クーデリアさんはいう。マークさんは飄々としているけれど。ミミちゃんは、少し離れて、後ろからついてきていた。
クーデリアさんは、それについて、何も言わない。
「今回も立ち会いなさい」
「わかりました」
「後ろの、貴方もよ。 今回はネゴシエイトの経験を積むのに良い機会だし、見ておくと損にはならないわよ」
「わかって、いるわ」
苛立ちを込めながらも、ミミちゃんも同意。
いきなり争い始めるようなことはなくて、安心した。
今回の件は、結構大きな反響を、アーランド内で起こしていると、クーデリアさんは、歩きながら説明してくれる。
長年問題を起こし続けてきたペンギン族との接触。
それだけではなくて、交渉成立。
勿論同盟とまではいかないにしても、である。これは最初の一歩としては、充分すぎるほどのものだという。
更に、ペンギン族は、横の連携が強い。
複数の部族が、海を渡って情報や人員をやりとりしているという。
それを考えると。
一カ所とでも交渉をもてたことは大きい。他の部族とも、今後は連携を取っていけるかも知れない。
勿論すぐには無理だろうが。
縄張りの境が見えてきた。
医療魔術師さんが此方に来たので、一礼。クーデリアさんと、話を始める。少し話の内容が聞こえてきた。
どうやら、ペンギン族は、北東にある集落から、かなりの人数を追加したらしい。
おそらく其方で余剰人員になっていた者達が、此方に来たのだろう。
それで一気に最盛期の状態にまで復帰。
ただし、新しい族長の意向で、トトリと、今回医療に携わった者達に関しては、敵対しないと決めているそうだ。
それで充分。
クーデリアさんは言うと、護衛らしいホムンクルス達と、砂浜に。
杭の側には、まだ痛々しいけが人達が、寝かされている。リオネラさんが手当を続けているが。もうそろそろ、全員の手当が終わる頃だろうかと、トトリは思った。実際見ていると、以前ほど状況は深刻では無い。
砂浜も完全に片付けられていて、死体もない。蠅がたくさん飛び交っているようなこともないし、むしろ涼しげで穏やかな砂浜になっていた。
ペンギン族の、この砂浜を縄張りとする一族の新族長は。
いた。
最近は、トトリにも見分けがつくようになって来たのだ。
「おう、錬金術師どの」
そう気さくに挨拶をしてきたのは、「日暮れの時に住まう四番目の男」さん。ペンギン族では、詩的な名前を付けるらしく。それが本名だそうだ。
お薬が足りているか。
負傷者の状態は。
順番に聞くと、新族長はかなり状態が良いと、喜ばしく教えてくれた。
「既に、けが人は此処に寝かされている者達だけだ。 錬金術師殿が呼んでくれた者達が見張りをしてくれているおかげで、危険も排除された」
「それは良かった」
「それで、其方の強き戦士は何者か」
流石に、一目で相手の実力を看破するか。
クーデリアさんが名乗る。
アーランドの戦士としても、トップクラスの実力者であるクーデリアさんが直接来たという事は。
流石に新族長さんも、意味は理解できただろう。
「なるほど。 アーランドは、我等と交渉したい、というのだな」
「ええ。 同盟関係は流石に無理でしょうけれど、不可侵条約を結ぶことは可能かしら」
「不可侵条約」
「互いに領土を侵さない、という約束事よ。 もしも破った者がでた場合、互いにわかるように処罰する」
腕組みして、考え込む。
新族長さんの体には、彼方此方凄まじい傷が出来ていた。
いずれもが、この間の戦いの際についたものだろう。モンク級と呼ばれる手練れの中の手練れである彼でさえも、だ。
何事かと、他のペンギン族も集まってくる。
怪我をしている者達も、顔を上げて其方を見ようとしたので、リオネラさんが困っていた。
「ふむ、詳しく話を聞こう」
「それでは、此方に」
机が準備される。
ペンギン族は文字を持たないかと思ったけれど、違った。くさび形の組み合わせで、文字を作っているようだ。
それについては読めないけれど。
新族長が翻訳してくれた。
彼の言葉なら信頼出来る。
順番に、約束を決めていく。
本来この辺りはアーランドの領土ではあるが、ペンギン族の土地として認めるというのが最初の一項。
かなりの譲歩だなと、トトリは思った。
ただ、この一項は、ペンギン族が広義ではアーランドの民となる事も意味している。一種の自治を認める約束になる。
現状を考えると、無茶な話では無いし。
ペンギン族には、むしろ良い話でもあるだろう。
その後、幾つかの約束事が決められていく。
「あなた方、物資は足りているかしら」
「食糧や医薬品か。 足りていない分もあるが、それは西にある我等の本国から、物々交換で買い付ける事も出来る」
「ならば、我等との取引は必要ない?」
「そうだな。 本国の状況次第では、必要になるかも知れない。 本国は多くの民がいるが、それでも物資が常に溢れているわけではない」
クーデリアさんが、提供できる物資を指定。
その代わり、何を供出できるかを確認。
話を詰めていく。
流石に族長は詳しく、どういう物資をどれだけ供出できるかを、すらすらと話す。素早く計算を済ませながら、クーデリアさんはこれくらいでどうかと提案。何回かの交渉の末、妥協点が見いだされた。
すごい。
立て板に水を流すように、問題が解決していく。
リス族の時よりも、早いかもしれない。
更に、交渉が進む。
最大の問題は、縄張りの境について、だ。これについては、現状の維持で話がまとまった。
現時点で杭が植えられている地点から、進出もしないし、侵略も許さない。
これは、大きい。
つまり、ペンギン族は杭の内側に入り込まれなければ、手出しをしないということだ。今まで街道を通るときに味わっていた緊張感を、旅人は味合わなくても済むようになるのである。
罰則についても決められる。
最初、死罪という提案がされたが。クーデリアさんは交渉。やがて、物資の支払という形で決まった。
勿論、不正がないように、相互監視の仕組みも必要になる。
順番に、一つずつ、問題が解決されていく。
側でメモを取っているホムンクルスの手の動きが速すぎる。凄まじい勢いでメモが取られていくので、其方に注意が向いてしまいそうだ。
「一度クールダウン。 次の交渉は、小休止後」
「承知した。 強き人クーデリアよ。 貴殿のように話がわかるものが来てくれて助かる」
「どういたしまして」
握手を一端交わすと、クールダウンに入る。
見ると、馬車が来ていた。
中に休憩スペースがあるほどのものだ。しかも、文官が何人か乗り込んできているではないか。
多分労働者階級の人達だろう。
今の交渉について、ああだこうだと言っている。
馬車に入れて貰う。
クールダウンの時間にも、こうやって交渉についての戦略を確認し。戦術を練っていくのだ。
これはおそらく、リス族と違って、危険性が強い相手だから、だろう。
「この条約は、まだ時期尚早なのでは」
「いや、今のうちに明文化しておきましょう。 棚上げすると後が面倒な事になるわ」
「それはそうですが、此処の条約から派生しまして」
「ならば、そうできないように、釘を刺しておきましょうか」
やりとりは丁々発止。
専門家である文官達にも、一歩も引いていない。
元々こういう文官は、余程のことがない限り労働者階級の人間がすると聞いている。彼らは唯一戦士階級と渡り合える分野だからと、必死に働くとも。つまり、本職として誇りを持って、日々切磋琢磨している文官と。クーデリアさんは知識面でも劣ることなく、渡り合えているという事だ。
トトリは頷きながら、やり方を一つずつ覚えていく。ミミちゃんはというと、無言のままである。
休憩時間終了。
ミミちゃんが、嘆息した。
「話には聞いていたけれど、凄まじいわね」
「何が?」
「才覚の多彩ぶりよ。 あの人、確かに今の私ではあらゆる面でかなわないわ」
悔しそうにミミちゃんが言う。
でも、それを認められただけでも、すごいことだと思う。そして今かなわないなら、いずれ勝てるように努力していけば良いのだ。
トトリが呼ばれた。
此処から此処の交渉を任せると言われる。
前にリス族の時も、似たような事を言われたけれど。今回はずっと内容が多くて、文官達も不安そうにしていた。
でも、トトリは頷く。
「わかりました。 やってみます」
自分で掴んだ平和の切っ掛けだ。
最低限でも、出来るだけの事はしたい。
そして、その結末を見届けたい。
行為に対する責任。
錬金術師だろうか。そのようなものが気になるのは。或いは、出来る範囲で。やった事の結末を見届けたいから、というものもあるかもしれない。
交渉の場に戻る。
此処から此処までは、トトリが交渉するとクーデリアさんが言うと。新族長さんは、少し居住まいを正した。
「恩ある人トトリよ。 誠実な交渉をしよう」
「はい。 お願いします」
内容については、頭に入れている。
とても難しい内容だけれど。それでも、少しずつ妥協点を見つけていかなければならない。
クーデリアさんが腕組みして、厳しい表情で交渉の過程を見ている。
トトリはまず、相手がどれだけの条件を望むかを確認。それから、続けて此方の希望条件を提示していく。
新族長さんの、眉が曇る一幕もあった。
トトリもそういうときは、悲しくなる。
なぜなら、何となくわかるからだ。この人は、多分トトリの提示してくる条件なら、飲むつもりだと。
それが、彼なりのけじめの付け方なのだろうとも。
だから、丁寧に交渉を進めなければならない。
どちらにも禍根を残してしまうからだ。
二刻ほどもたっぷり掛かって、トトリの分の交渉終了。クールダウンしてから、続きになる。
冷や汗を拭うトトリを見て、文官達は驚いていた。
「この子、本当に十四歳ですか」
「しっ。 この子、例の錬金術師」
「あ……」
文官達が口をつぐむ。
なるほど。今の反応で色々疑惑が確信に変わる。でも、黙っておくことにする。トトリが騒いでも、誰も幸せにならないからだ。
クーデリアさんが、とても怖い顔で見ているのに気付いて、文官達が黙り込む。
咳払いすると、今の状況についての、意見を言わせた。
文官達は、おおむね合格だという。
「気後れのある相手に対して、充分な交渉内容です。 相手側も納得するまで、良く粘り強く話していると思います」
「正直、以降の交渉も、全て任せて構わないのでは」
「いや、それは駄目よ。 まだ流石に経験が足りない。 今回の残りは、あたしが全て処理するわ」
前よりずっと多い交渉を任せて貰った。
それだけでも、トトリは満足だ。
渡されたのは、耐久糧食。トトリは頷くと、口に入れる。いつもよりも、ずっと力が湧いてくる。
「これは……?」
「アーランド人には命の源になる一種の水があってね。 それがとても濃くなっている特注品よ」
「美味しい、ですね」
「力もつくけれど、あまり食べ過ぎると悪影響が出るわ。 食べるときは、気を付けるようにね」
肩を叩かれて、交渉再開。
既に周囲では、篝火が焚かれている。
そして、新しく群れに加わったペンギン族の長老格も、何名か様子を見に来ているようだった。
ミミちゃんも見稽古はつらいだろうに、ずっと側で立って、歩哨をしてくれている。
やはり、よそから来た長老格は。新しい族長について、あまり良い印象がないらしい。交渉も、厳しい目で見ているようだった。
しかし、それでも。
クーデリアさんが交渉を捌いていくのを見ると、文句を挟むのを差し控える。
彼らでもわかるのだ。
能力の高さが。
新族長もトトリの時より、ずっとやりやすいようだった。
「ふむ、強き人よ。 問題がどんどん片付いていくのは、小気味が良いものだな」
「もっと早くに、この交渉を持ちたかったわね」
「本当だ。 だが、それは無理だっただろう」
悲しげに、新族長は言う。
ペンギン族が攻撃を受けて。外敵による壊滅的な打撃を経て。昔から、人間に憎悪を滾らせている多数の戦士が命を落として。
そして、トトリに個人的な恩義がある新族長が就任して。
ようやく、この交渉の場が持たれたのだ。
また、新族長は、モンク級という己の立場を生かして、横からの口出しを全て封じている。
交渉の結果が不十分なら、問題も生じただろう。
だが、どうにかしてけちを付けてやろうと考えている長老格も。クーデリアさんとの丁々発止の交渉には文句を挟んでこなかったし。くやしいけれど、納得しているようだった。
明け方。
クーデリアさんも新族長も、まだ交渉を続けている。
歩哨さえ何度か交代しているのに。二人ともすごい体力だ。このままだと、数日がかりで、寝ずの交渉をするかもしれない。
でも、それも無くなった。
最後の案件が、片付いたからだ。
「書記官!」
クーデリアさんが、指示。
最初から、合意案件について、一つずつ確認していく。いずれも、協議の末の合意案件だ。
結論としては、ペンギン族は今後、形式上アーランドに編入される。ただしその縄張りは自治領として認められ、現状の彼らの土地は保持される。
互いに不可侵が認められるのだ。
物資の交換については、柵際にいる者達が、合意の末で行う。交換のレートは、細かく定められ、誤魔化す場合は処罰を受ける。
また、双方が傷つけ合うことも禁止。
領土への無断侵入。
または殺害に関しては、それぞれの合意に従った刑罰を。双方から見える位置で行う事になる。
外交官としての権限があるらしいクーデリアさんが、大きなハンコを、合意書にぽんと押す。
そして新族長も、朱肉に手を入れて。
クーデリアさんが押したハンコの隣に押した。
歴史的合意の瞬間だ。
周囲は必ずしも、温かい雰囲気では無いけれど。
拍手も起きた。
トトリは、拍手する。ミミちゃんも、マークさんも、拍手をしてくれた。メルお姉ちゃんが此処にいたら、きっと拍手してくれたと、トトリは思いたい。
新族長が、合意が終わった後。
トトリの方を向く。
「恩ある人トトリよ。 貴殿を青き鳥と呼びたいのだが、よろしいか」
「青き鳥、ですか」
「なっ! 新族長! 確かに多くの薬を提供し、この場を持つきっかけを作る存在であるとは聞いているが! いくら何でもそれは」
「黙られよ!」
凄まじい一喝に、長老格達も黙り込む。
背は低くても。新族長は、アーランド戦士のベテランと互角以上の使い手だ。その威圧感は、尋常では無かった。
「もはやこの営巣地の長はこの私である! そして彼女が果たした役割は、この営巣地の存続だけでは無い! 我等ペンギン族の未来にも関わる事を忘れたもうたか!」
「そうだな。 日暮れの時に住まう四番目の男。 貴様の言うとおりだ」
「済まなかったな、騒がせて。 青き鳥とは、空にあこがれを抱く我等が、大きな功績を挙げた者に対して送る称号だ。 この称号を持つ者は、我等のどの営巣地でも、恩人として歓迎しなければならない掟がある」
「そんな名誉な称号を? 有り難うございます」
握手を交わし、礼をする。
此処まで頑張って来て、良かった。
色々と、酷い目にもあった。
恐怖や悲しみが、何処か線が切れてしまった事で、いびつになりもした。でも、歴史的な平和が作られて。
そして、今此処で、それに立ち会うことが出来たのだ。
しばらくは、境でホムンクルスの護衛部隊が駐屯するという。ペンギン族も、境での見張りを強化するそうだ。
これは、どうしても、こういった合意に同意できない阿呆がでるからだという。
そういった阿呆は、条約に基づいて処理。
勿論、相手の領内に踏み込むことがなければ、それぞれの法と戦力によって、処理することにもなる。
ペンギン族の縄張りをでると、肩の力が抜けた。
そのまま腰砕けになりそうになる。
すかさず、ミミちゃんが支えてくれた。
「大変だったわね」
「うん。 でも、良かったよ」
「そう」
複雑そうな、ミミちゃんの表情。
うらやんでいるような。同情しているような。不思議な目だった。
2、ひとときの休息
クーデリアさんに、アーランドに来るようにと言われたけれど。
少しは休んで良いとも言われたので、言葉に甘えることにする。
ペンギン族にお礼だと言われて、珍しいものをたくさんもらった。というよりも、彼らにとって価値が無いもののなかから、トトリが欲しいものを分けて貰ったのだ。
主に、砂浜の漂着物がそれに当たる。
機械類の残骸のようなもの。精密な歯車。何に使うか良く我からない、光る円盤などもあったけれど。
トトリが嬉しかったのは、木の実の類だ。
特にムカシヤシと呼ばれる木の実は、かなり状態がいいものもたくさんあって。これに加えて、今のアランヤでは入手しづらい海の幸も手に入れることが出来た。いずれも干物に加工済みで、保存に関しては気にしなくても良い。
荷車がかなり重くなったけれど。
こればかりは仕方が無い。
帰り道、足が少し軽くなる。
それだけ、嬉しかった。
ただ、油断は出来ない。この間のお爺さんは、結局逃げ延びたという話なのだから。
「それにしても、冒険者になってから一年でランク4とはねえ」
マークさんが羨ましそうに言う。
トトリは実感が無くて、少し照れてしまったけれど。その時、ミミちゃんは、自分の表情を見せなかった。
「そんな、お仕事に恵まれただけです。 それにランク4には、まだなっていませんし」
「それでも大したものだ」
「私、戦闘能力を高めたいです……」
ランク4といっても、まだまだ駆け出しの戦士程度の力しか無いことは、トトリ自身が一番よく分かっている。
この国にとっての功績を考えると、妥当なところなのだろうけれど。
それでも、実感が湧かないのも、事実だ。
途中で、メルお姉ちゃんが入院していた施療院がある村による。
メルお姉ちゃんは、もう退院していた。
少し前から、施療院を抜け出しては外でモンスターと戦ったりしていて、とても困ったとか、色々文句を言われた。
きっと、ありあまった力を、どう発散して良いか、わからなかったのだろう。
メルお姉ちゃんらしいと思って、トトリは嬉しい。
無事に復帰出来たなら、何よりだ。
そのまま、アランヤまで帰る。
馬車が来るまで、四日。
それまでは、ゆっくり過ごすことにした。
とはいっても、寝て過ごすわけにはいかない。
ロロナ先生のレシピを見て、出来そうな調合はこなしておく。個人的に気になっているのが、グナーデリングと呼ばれる装飾品だ。
この指輪は、一見するとただの指輪なのだけれど。
付けた人間の力を、外付けで強化することが出来るのである。
丁度材料も揃っている。
まず、第一に。手元にある何種類かの鉱石を、炉を使って純度の高いインゴットに変える。
最初はハンマーで砕いた後、細かい破片をそれぞれ指定の熱量にて溶かす。
この時、使うお皿は特殊な耐熱皿で。
炉は、中和剤の力を借りて、とても高温にする事になる。
危険な作業だけれど。
前々から、レシピを見ながらやってきた作業でもある。今までに何度か、試作品のインゴットも作った。
今度は本番だ。
鉄鉱石は、この間、ペンギン族がとても良いのを譲ってくれた。これに、指定分の炭を加える事で、鋼鉄になる。
ただし、熱して溶かして。
水につけて一気に冷やして。
そして叩いて伸ばす。
この作業の繰り返しが、非常に大変だ。途中、様子を見に来たマークさんにも、説明して手伝って貰う。
付ける水も、ただの水では無い。
レシピによると、蜜を中心として、様々な素材を加える。
特に、骨の粉が良いそうだ。
それだけではない。
魔法陣を床に書いて、其処にろうそくを何本も立てる。そして魔術を使用して、此処に悪霊を呼び込むのだ。
呼び込んだ悪霊は、インゴットに憑依させる。
そして憑依させた悪霊の意識から、戦闘に関する知識を引き出して、指輪の所持者に加える。
これが、力が増す理由だ。
悪霊の憑依は、上手く行く。
だけれど、インゴットの加工が、中々難しい。火箸をマークさんに抑えて貰って、トトリは上半身さらしだけになって、ハンマーを振るう。
体が細い事が、こういうときにはとてもハンデになる。
ハンマーが重くて仕方が無かった。
「厳しそうだね。 変わろうか?」
「大丈夫、です」
このハンマーだって。
労働者階級の人には、持ち上げられないと聞いている。トトリはそれだけでも、随分恵まれているのだ。
叩く回数まで、レシピには指定されていて。
そして回数叩いたら、すぐに水につける。
じゅっと凄い音。水煙が、黙々と上がる。汗を拭いながら、またインゴットを炉に。あと一日ほど、作業は掛かる。
炉でインゴットを暖めている間に。
ろくろを使って、宝石を磨いておく。
これも、ペンギン族の砂浜に、良い宝石の原石が流れ着いていたので、譲って貰った。多分ルビーだろう。
綺麗に磨き抜いた後。
これにも悪霊を閉じ込める。
此処に入れる悪霊からは、意識の統一を図って貰う。
つまり、トトリが効率よく力を引き出せるように、個々の悪霊にコアとなって頑張って貰うのだ。
元々のグナーデリングは此処まで複雑な仕組みでは無かったそうだけれど。
ロロナ先生が改良したレシピを見る限り、相当に試行錯誤を加えている。そしてその試行錯誤の過程が。本当に意味不明なのだ。
どうしてこんな発想を出来るのか。
何度も頭を抱えて悩んでしまった。
心の何処かが壊れてしまった今でも。こういうときは、新鮮な刺激と驚きを得ることが出来るのが、不思議でもある。
マークさんにも、レシピを見てもらう。
普段は飄々としているマークさんだけれど。
レシピを見ると、まるで別人のように険しい表情で、黙り込む。
「これを書いたのは、君の師匠かね」
「はい。 ロロナ先生です」
「これは本物の天才だから書けるレシピだ。 前にあった時は、紙一重に見えたのだがなあ」
マークさんが嘆く。
異能の科学者を自称しているだけあって。天才を目撃すると、刺激と敵対心をくすぐられるのだろう。
炉から、インゴットを取り出す。
赤熱しているそれを、ハンマーで叩いて成形していく。
ここからが、一番難しい作業だ。
まず、一部を切り離す。
残りは、また別の機会に使うので、取っておく。
切り離すのは、指先の爪程度のサイズ。
これを伸ばしてまず棒状にして。それを、曲げていくのだ。
ちなみに切り離した方に悪霊が移動するように。切り離し作業は、魔法陣の上で行わなければならない。
この時、既に冷やしてある棒を使って、それを包むようにして曲げていく。棒には特殊なニスを塗っておいて、冷やしたときすぐに取り外せるようにしてある。
ひょいひょいとロロナ先生は加工していたのだろうけれど。
トトリには一苦労だ。
まだ熱いうちに加工しないと、大変になる。金床も、痛んでしまうかもしれない。汗が落ちたりしたら台無しだ。
どうにか、指輪の部分完成。
後は、宝石をくっつける。
この作業は、もっと難しい。
本職の鍛冶屋になると出来るのだろうけれど。トトリは出来ないので、ちょっとしたズルをする。
指輪の一部にくぼみを作っておく。
これだけはどうにかなる。
このくぼみに、膠を利用した、特殊な接着剤を付けて。そして、其処に宝石をはめ込むのだ。
この宝石は、吸い付くように台座に入る。
悪霊同士で、恐らくは呼び合うからだろう。
そもそも宝石も、昔はとんでもない貴重品だったと聞いている。ロロナ先生が水晶の大量生産を可能にして、今ではすっかり値が下がっているらしいけれど。それがなかったら、トトリにこんな道具、作れたかどうか。
とても恐れ多くて、宝石の原石を、自分で加工しようなどとは思えなかっただろうから。
こういう所でも、ロロナ先生の足跡の偉大さを思い知らされてしまう。
一通り作業が終わると、三日が過ぎていた。
さて、仕上がりはどうだろう。
人差し指に入れてみる。特に変わった感じはないけれど。訓練用の棒を握ってみると、そこからが、露骨に変わった。
お姉ちゃんに、組み手をして貰うのだけれど。
棒があまりに軽すぎる。
その分、体も速く動く。
勿論お姉ちゃんはトトリなんて及びもつかない使い手だから、クリーンヒットが入るようなことはなかったけれど。
それでも驚いていた。
「どうしたの、トトリちゃん。 急に強くなって」
「うん。 ロロナ先生と、ペンギン族の人達のおかげ」
「よく分からないけれど、それなら普通のモンスターなら、対処できそうね」
「……そうだね」
錬金術師なのだから。
足りない力は、道具で補えば良い。
ある意味、それに気付けただけでも、大きな進歩だ。
それからトトリは、夜遅くまで。
新しくついた力を使いこなせるように、一人で棒を振るい続けた。
3、砂漠へ
ペーターお兄ちゃんの馬車に乗って、アーランドに向かう。
丁度帰る用事があったというミミちゃんも一緒。一方、マークさんはしばらくアランヤ周辺で仕事があると言う。
そういえば、馬車がかなり速くなっている気がする。
無言で馬車を操作しているペーターお兄ちゃんに聞いてみると、意外な事を言われた。
「改良を今進めている」
「改良!?」
「そうだ。 アーランド周辺の、馬車が通る辺りの地域では、今後馬車を高速で運用する計画が出ていてな。 多分、今までの倍くらいの早さで、馬車が行き来することになるだろうな」
それは、すごい。
ミミちゃんが顎でしゃくったので、外を見る。
森の中で、リス族が警備しているのが見えた。
「リス族が、すっかり森を管理してくれているようになっているのよ。 今までベテランがフォーマンセルで巡回していたのを代行してくれているから、他に仕事を回せるようになっている訳。 勿論、全部の仕事を任せているわけではなくて、順番交互にやっているようだけれど」
「そっかあ」
「貴方の行動の結果よ、トトリ」
「……あ」
そうか。
リス族を助けた結果が、回り回って、こういう所に影響を及ぼしたのか。
少し考えてしまう。
トトリに出来る事は、予想以上に大きいのかもしれない。錬金術というのは、それだけ膨大な力を生み出す仕事、という事だ。
ロロナ先生の業績でわかってはいたけれど。
今後も、冒険者ランクが上がると。
トトリも、同じように。
多くの発明品をつくって、社会を変えていくのだろうか。
馬車が速度を上げる。
一日に、二つも村を廻るのはすごいとトトリも思った。ただ、あまり早くなると、事故の可能性も上がる。
御者の負担も増えるから、色々と思案のしどころだ。
前は二週間掛かったけれど。
今度は、一週間と少しで、アーランド王都に到着。最終的には、六日と半日くらいで、アーランドとアランヤを行き来できるようになるという。
ミミちゃんとは、王都で一端別れる。
まず、トトリはアトリエに。
中はかなり片付いていて、しかも使用した形跡がある。ロロナ先生が、まず間違いなく帰ってきていたのだろう。
置き手紙でも、すれば良かったかも知れない。
荷物を置いて、近くにある銭湯に。
基本的にお湯にゆっくり浸かる習慣がないアランヤに生まれたトトリは、このたくさんあるお湯に入ると言う行為がどうしても不安だったのだけれど。一回使って見ると、本当にリラックスできて、やみつきになった。
今では、アーランドにいるときは、しょっちゅうお風呂に行くほどだ。
お風呂に入っていると、色々な人が来る。
手足がない人もいるし。
年かさの戦士ほど、すごい傷が体にたくさんある場合も珍しくない。
一方で、殆ど傷がない、体が綺麗な人もいる。そう言う女性は極端な凄腕か、あまり戦いに恵まれなかったか、どちらかだろう。
お風呂から上がると、ミルクをいただく。
冷たくて美味しい。
リフレッシュできたトトリは、アトリエに戻ると。準備だけ整えて、王宮に向かう事にした。
王宮では、相変わらず忙しそうに、クーデリアさんが働いている。
見ると残像を残しながら書類を処理したり。
片付けの類も、並行にこなしたりもしているようだった。
化け物じみている。
やっとモンスターと戦えそうになったトトリとは、根本的に立っている場所が違うのだと、見るだけでわかる辺りがつらい。
気弱そうな人は相変わらず。
アーランドにいるときは、雑作業を彼女から受注することが多い。小遣い稼ぎとしては、かなり有用な仕事をくれるのだ。
フィリーさんという彼女は、トトリより大分年上だけれど。
不思議と、同年代の女の子と話しているかのような安心感があるのだった。
お客さんを捌き終えると。
クーデリアさんが、トトリを手招きする。
ああ、この様子だと。もう大変な仕事が準備されているんだなと、言われなくても分かってしまった。
悲しい。
「来たわね」
「はい。 その、冒険者免許の更新ですか?」
「それもあるわ。 はい、免許出して」
手慣れた様子で、ランクの更新をしてくれるクーデリアさん。
これで、ついにランクが4。
冒険者になってから、一年と少し。それで此処まで上がれれば、上出来だと、クーデリアさんは褒めてくれた。
「この制度が導入された当時は色々混乱もあったけれど、一年で此処までのランカーになったのは流石よ。 以降は中堅の冒険者として活動して貰うからね」
「中堅……」
全く実感が無い。
それに、トトリの戦闘力は、文字通りのへっぽこだ。グナーデリングの力が追加されて、ようやく多少はマシに戦える、という程度でしかない。
まず、クーデリアさんが言うとおりに、研修を受ける。
研修に来たのは、とても気むずかしそうなお婆さん。超一流の魔術師とみた。それこそ、この道五十年以上の大ベテランだろう。
鷲鼻で、目ばかりぎらぎらとして。腰は曲がっているけれど。
全身から立ち上る魔力が凄まじい。
支援専門の魔術師としては、今でも充分に前線にたてる筈だ。
「これはまた、ちっこいのが来たね。 本当にランク4になったのかい?」
「はい、お願いします!」
「と、なんだ、錬金術師か。 じゃあ、仕方が無い」
妙な方向で納得された。ただ、話を聞いてみると、合点がいく。ロロナ先生の、知り合いであるらしいのだ。
ちなみにロロナ先生は、現時点でランク9。
その気になれば10に何時でもなれるそうだけれど。本人が煩わしいからと、9で止めているのだとか。
「煩わしい、ですか?」
「何しろ国家錬金術師だからね。 色々と複雑な事業にも関与していて、権限も大きくてしんどいんだろうよ」
今も、何だかわからないけれど、大きな作業に従事しているらしい。
なるほど、それではランクアップどころではないだろう。大変だなと、他人事のように、トトリは思ってしまった。
雑談はこれくらいで。
お婆さんが、本題に移る。
幾つかの注意事項について触れられた。
まず、中堅所の冒険者になると、国内では凶悪なモンスターが出現する所以外は、事実上入る事に制限がなくなる。
つまり、何処にでも行けるようになる、という事。
中堅の冒険者が入る事が許可できないような場所は、それこそランク7以上のハイランカーが出向いて、危険を排除する必要があるのだとか。
「今の時点では、あんたが知る必要がないような場所も多い。 気にしないで、国からの仕事をこなすんだね」
「わかりました!」
他にも、色々と説明がある。
ランク4以上になると、国から貰う仕事も、更に難しくなると言う。これ以上難しくなるのかと思うと、ぐっと構えてしまうけれど。
それでも、もっと権限を拡大しないと。
知りたい事にも、手が届かない。
彼方此方で、それとなく聞いてはいるのだ。
お母さんは、彼方此方で知られてはいるけれど。
でも、誰も行方については知らない。
本当にどこに行ってしまったのか。それこそ、先ほど話に上がったハイランカーにでもならないと。わからない場所なのだろうか。
説明が終わって、部屋を出ると。
クーデリアさんが、手招きしていた。
仕事だと言う事だろう。
予想は当たった。
「砂漠での、安全移動ルート確保、ですか!?」
「そうよ」
思わず、くらっと行きかけた。
砂漠。
トトリでも知っている、世界に幾つもある超危険地帯だ。夜は非常に寒く、昼は焼け付くように暑い。
そればかりか、水を得ることも出来ず、危険なモンスターが多数群れを成して闊歩する、人外の土地。
アーランドにも何カ所かあるとは聞いている。
しかも、確保するように言われたのは。その中でも、最も危険な、北東部にある灼熱の荒野だ。
ドナーンの繁殖場になっているだけではない。時々ドラゴン並みのサイズのドナーンが現れる事さえあるという。異常な大型ドナーンは時々各地に現れるが、出身は此処では無いかと言う説さえあるのだとか。
かなりの数のベヒモスもいる。
勿論、過酷な環境で鍛え抜かれているから、その戦闘力は高めだという。つまり、トトリは、いきなり強いベヒモスと相対する可能性があるわけだ。
上空を舞うのは、獲物を狙う上位種のアードラ。
死者の末路は言うまでも無い。
そして、大物だけでは無い。
致命的な毒を持つ蛇や蠍も、多数徘徊しているという。
まさに。この世の地獄だ。
「今までも、此処を突破した奴は多数いるし、踏破した人間もいる。 でもね、トトリ」
「はいっ!?」
「貴方がするべき事は、此処の踏破じゃない。 安全に通る事が出来る経路の構築よ」
青ざめた顔をしているはずだと、トトリは自分でも思う。
これは、ひょっとすると。
ペンギン族の時よりも、数段厳しい課題かもしれない。
ジーノ君の所に、様子を見に行く。
彼は今も雷鳴の所にいた。他の弟子達と一緒に、時々雷鳴や先輩に連れられて、モンスターの退治に行ったり、訓練を付けて貰っているそうだ。
「何!? もうランク4かよ!」
「しー! ジーノ君、声、大きい!」
周りが此方を見る。
トトリは話によると、同年代での最高位ランカーだという。それだけ色々な実績を積んだと判断されているそうだ。
そう判断してくれるのは嬉しいけれど。
周囲がどう見るかとなると、話が変わってくる。
当然嫉妬も受ける。
そうなると、仕事をとてもしづらくなってしまうことも考えられるのだ。
「ペンギン族との紛争を解決するきっかけを作ったって話は聞いていたけど、やるなあ」
「うん、でも、そんなに強くはなってないよ。 グナーデリングで腕力は増したけど、それだけ」
「錬金術師だからいいんじゃね?」
あっけらかんと言うジーノ君。
そう簡単に割り切れるジーノ君が、羨ましい。
トトリの中では、やはり今でも、強さへのあこがれはある。それも、かなり強く、である。
お母さんが修羅集うこの国でもトップクラスの戦士だったこと。そのお母さんが大好きだったことも理由としてはあるけれど。
やはり、傷があるのだろう。
弱いという理由で、周囲からみそっかすにされていた事が、心の傷になっているのだ。
「それで、次はね、砂漠の安全経路を探さなければならないの」
「砂漠!? 安全経路!?」
「うん」
「無茶だなー」
けらけらわらうジーノ君だけれど。トトリは自分の事なのだ。笑って済ませられる筈がない。
凶悪なモンスターに、過酷な気象条件。
そして目印もなく、迷ったら即死確定の地形。
どうすれば良いのか、正直見当もつかないというのが、本音だ。
とりあえず、手伝ってくれそうな人を探す。
ナスターシャさんはいない。あの人は。基本、トトリが冒険に出るときには姿を見せるけれど、それ以外の時は何処にいるのかよく分からない。
マークさんはしばらくはアランヤにいると聞いている。
ミミちゃんは。
探しに行くと、裏路地にいた。誰かと話しているけれど、あまり身なりが良さそうな相手では無い。
多分、荒事専門の冒険者だろう。
見るからに剣呑な雰囲気を放つ男性で、チンピラにも見えるほどだ。
「冗談はよせって。 あんたまだランク2だろう?」
「これをクリアすれば3よ」
「だからってなあ。 俺たちにも、仁義ってものがあるって知ってるだろう? 死ぬとわかりきってる奴を、連れてはいけねーんだよ」
「私はこれでも……」
男性が槍を手に取る。
ミミちゃんは意図を察して、構えを取った。
裏路地で、二人が向かい合うけれど。勝負は一瞬だった。ミミちゃんがくぐもった声を上げて、膝をつく。
男性は、ダメージさえ受けていない。
「俺だってギリギリの仕事なんだよ。 経験と力量が劣る戦友を先に死なせるのは、アーランド戦士の恥だって知ってるだろ。 ましてやそんな噂が流れたら、なけなしの仕事もこなくなるんだ。 諦めて、地道に腕を磨きな」
大股で男性が行く。
あの人、多分ランク5以上の実力、それも戦闘専門で、くらいはあったはずだ。そんな人がギリギリだという仕事に、無理に参加しようなんて。
ミミちゃんは立ち上がると、口の辺りを拭っていた。
そして多少ふらつきながらも、裏路地に消える。
きっと、難しい仕事を探しているのだろう。トトリと一緒に来ているのも、その一つなのかもしれない。
声を掛けられる雰囲気では無い。
いたたまれなくなって、トトリはその場を離れた。しかし、そうなると、どうすればいいのだろう。
いずれにしても、まずは情報収集だ。
仕事として。しかも、国の仕事として来たものなのだ。
こなせれば、一気にチャンスを掴める。今までも無理な速度で冒険者ランクが上がってきているけれど、更に加速できるかもしれない。
逆に断ったりしたら。
今までの業績が、全部パーになりかねない。
一度、アトリエに戻る。
今回の件は、念入りな調査と、準備が必要だ。
助けて貰えるなら、出来るだけ多くの人に護衛も頼みたい。
そもそも、過酷すぎる環境を、どうやって安全に通り抜けるか。これが非常に難しい。何か、妙案がないか、調べて見る必要もあるだろう。
現地に行く前に、やる事はそれこそいくらでもある。
アトリエについてから、トトリはまず顔を洗った。
引き締めないと、この仕事は死ぬ。
本当に危険な仕事だ。
でも、まだトトリの冒険者ランクはたかが4。まだまだ、これからずっと先に、お母さんはいるのだ。
壁に並べられている本棚。
多数の参考書。
どれもこれもが、今は読むべきものだ。
トトリにとっては、いずれもが命綱に等しかった。
二週間ほど、情報を調べた後。
トトリは、ジーノ君とミミちゃんを誘って、東に出向くことに決めた。一端、砂漠に近い地域に足を運んで、情報を集める必要があると判断したからである。書物で得られる知識は得た。
これに、実地での情報を加える。
それで初めて、実地で通用する知識を得られる。
ましてや今回、トトリが見た限り、砂漠で生活できる錬金術の産物などと言うものは、レシピにはなかったのだ。
つまり今までとは、根本的に状況が違う。
天才、ロロナ先生の造り出してきたレシピに、頼ることは一切出来ないのである。
真にトトリが試されているのは、ここからとも言える。
アーランドをでると、街道を東に。
今までも、近場に出かけたことは何度もあった。ジーノ君に誘われて、グリフォン狩りに出向いた事もある。
グリフォンはそれほど強くは無かったけれど。それでも、トトリ一人での討伐はとても無理だっただろう。
低ランカーの冒険者数名が動きを止めて。
その間に、トトリが爆弾を投げつけて、羽をへし折り。
もがいている内に、よってたかってなぶり殺しにすることで片を付けた。むせかえるような血の臭いと、舞い散る羽の中で。
トトリは、以前ほど死に動揺しなくなっている自分に気付いて、不思議な気持ちを味わっていた。
あの時の事は、あの時の事。
これからは、更に強いモンスターが、うようよいる場所に出向くのだ。
街道の東は、馬車も少ない。主に馬車は、西と南にでている。これは、それだけアーランドの西と南に、人間の勢力が強く及んでいることを意味している。
北はすぐ近くが国境で、街道を行く馬車は軍用のものだ。
冒険者の中でも、軍務に携わる一部と。戦闘タイプのホムンクルス達が、鈴なりに馬車に乗って出かけていくのを、トトリも何度も見た。
北にある国境では、今でも小競り合いが絶えないらしい。
一方東は。
これから出向く砂漠だけでは無く、様々な脅威が目白押しだ。
零ポイントに出来た、生きているかのような恐ろしい森。内部は他では見られない奇怪な生物でてんこ盛りだという。
旧文明の名残か、夜でも明るい不思議な森。
此処も、おぞましいまでに凶悪なモンスターの住処で、異常発育したモンスターや、亜人種の中でもならず者中のならず者が逃げ込む場所だと言う。
これらの地域については、ランク4になる時の講習で聞かされた。
そして、絶対に入らないように、とも。
入った場合、助けには行かないとも言われている。
まあ、当然の話だろう。
ベテランでさえ、死を覚悟しなければならない地域なのだから。
途中、キャンプスペースで、一端足を止める。
たき火を囲んで、軽く雑談。
ジーノ君は、ランク3に、少し前に昇格したという。ミミちゃんはまだランク2のままだそうだ。
「何だ、お前俺と同じくらいの実力なのに、まだランク2かよ」
「五月蠅いわ」
「雷鳴のじいちゃんの所で、みんなと一緒に行動すればいいんだよ。 結構強めのモンスターも狩りに行けるんだぜ。 ただ、毎回けが人が出るけどな」
けらけら笑うジーノ君が、左手を見せてくれる。
薬指が、再生途中だ。
第一関節から先が、吹き飛ばされたという。
まあ、この程度の怪我なら、その内勝手に再生する。それがアーランド人の肉体というものである。
「この間、中級のグリフォンと戦ったんだよ。 十人がかりでも、結構危なかったぜ」
「……」
「で、先輩の一人なんて、爪を袈裟に貰ってさ、ざっくりばっさり。 トトリの師匠の、ロロナって人だっけ。 その人が作った薬がなかったら、命が危なかったかも知れなかったって言ってた」
しゃあしゃあと、ジーノ君は言う。
もう、完全に死を怖れず、戦いを楽しむアーランド人そのものだ。この辺りは、戦いになれてくれば、嫌でもそうなる。
そういえば、背も少し伸びたかもしれない。
何しろ伸び盛りの男の子だ。
雷鳴の所で栄養豊富な食事をして、体を動かして。危ない目にもあって、戦士としての行き方をまっとうに進んでいれば、嫌でも背は伸びるだろう。
「次、雷鳴のじいちゃんの所に来いよ。 お前だったら、すぐランク3になれるぜ」
「余計なお世話よ」
「なんでだ?」
少しずつ、空気が悪くなってくる。
でも、トトリは止めない。
空気が悪くても、いちいち動揺しなくなってきている自分に、少し驚くこともあるけれど。
それはきっと成長だと思って、受け入れるようにしているのだ。
「雷鳴のじいちゃんに聞いたけどよ、王様みたいな特別の例外でさえ、最初は色々周りに手伝って貰って強くなってるって話だぜ。 ましてやお前、天才でも英雄でもなんでもないだろ。 俺と同じ盆暗戦士なんだから、最初は先輩のやり方を見て、強くなって行くのが普通だろ」
「……」
「相変わらずバカだな−、お前」
言いたい放題である。
でも、ジーノ君の言う事にも一理あるし。
何となく、ミミちゃんの気持ちもわからないでもないのだ。
路地裏での一件を見て、気付いてしまった。ミミちゃんは背伸びを必死にしているし、できる限り最大の速度で成長したいとも思っているのだろう。
先に寝てしまったジーノ君。
天幕に移ろうかとトトリが促すと。ミミちゃんは、うんざりした様子で嘆息する。
「あいつ、嫌いよ」
「正論ばっかりいうから?」
「そうね。 私だってわかっているわ。 でも、今は英雄では無くても、いずれそうなるつもりよ」
家のためなのだろうか。
ミミちゃんにとっての貴族は特別なものだ。実際に世間で貴族なんて道楽に過ぎないと言われているこの時代でも、だ。
理由を話してくれるまで、トトリは待つことにする。
せっかく、少しずつでも、ミミちゃんは信頼してきてくれているのだから。
翌日から、更に東に。
カタコンベと言われる遺跡を左に見ながら、更に行く。
あのカタコンベは、良質なお薬の素材が取れるという。ただしアーランドで指定している危険地帯で、少なくともランク6になるまでは入れない。その内、実力がついたら、出向くことにするべきだろう。
そして、もう少し東に出向くと、大峡谷と言われる場所に出た。
水が岩盤を掘り進んで。
谷の中を、川が流れている。
川そのものは、さほど激しい流れではないのだけれど。崖の高さが凄まじく、水が長年でどれだけ岩盤を掘り抜いたのか、一目で分かるほどだ。
谷には吊り橋が架かっていて。
その両端には見張り場所。ホムンクルスの一分隊が、常に駐屯している様子だ。
冒険者免許の提示を求められる。
ランク4の冒険者だと告げると、無表情なホムンクルスは。トトリを少し見下ろしながら、告げてくる。
「此処から東に二日ほどで、砂漠地帯が始まります。 大峡谷のすぐ東は、もう岩石砂漠になっています」
「岩石砂漠というと、砂では無くて、岩が転がっている場所ですね」
「そうです。 その岩が熱によって砕けて、砂になります。 風は基本的に東に向いて吹くため、東が砂漠になっています」
淡々と告げられる。
これは、事前に仕入れていた情報通りだ。今回の目的の一つは、この岩石砂漠での採取にもある。
かなり環境が厳しい地域で、荒野としても危険な場所に分類されるのだけれど。
今回は、更に先に進むことを想定して。此処で採取を行い、危険度を体感する事も目的の一つにしている。
吊り橋を渡る。
ジーノ君は大はしゃぎだ。高い所が平気なのだろう。
ミミちゃんはというと、平然としている。
トトリは高い所はあまり得意では無いのだけれど。二人とも落ち着いているので、あまり恐怖は感じなかった。
いや、どうなのだろう。
そもそももうこの程度では。恐怖など、感じなくなっているかもしれない。
崖の下は、遙か遠くに川。
一部、崖がくりぬかれていて、川にまで降りられるらしい。
帰りに寄ってみようとも、トトリは思った。
吊り橋を抜けると、辺りにはかなりモンスターのしがいが増えた。しかも、蠅が集ることもない。
空気が異常に乾燥している。
植物も、ほぼ見当たらない。
一種類だけ。
葉が異常に分厚い植物がある。剣先アロエと呼ばれるものだ。この葉の中に、水分を蓄える。
ただしこの水分、とてもではないが苦くて飲めたものではない。
このアロエそのものには、様々な使い道がある。
辺りに散らばっている死骸の大半は、おそらく駐留しているホムンクルスの部隊が片付けたものだろう。
中には明らかに巨大な死骸もあった。
「これ、ベヒモスね」
「うひゃあ。 噂には聞いてたけど、ホムンクルスの奴らつええなあ」
「一緒に任務に出たこと無いのかしら?」
「一応あるぜ。 雷鳴のじいちゃんがでられないときに、引率でホムンクルスの戦士が来ることがあるんだよ。 でも、大体は手出しする前に終わるな。 それだけ、安全を考えているって事だろうよ」
年齢的には、あまりジーノ君と変わらないように見えても。
戦闘力は桁外れなのが、見ていてわかるという。
ベテラン戦士と同格だと聞いているけれど。ジーノ君の生々しい話を聞く限り、それは事実なのだろう。
辺りで、無心に採取を行う。
骨を割ってみると、小さな虫がうよっと出てくる事もある。骨の中にわずかに残された水分を目当てにしているのだろう。
ミミちゃんが可愛い悲鳴を上げたので、思わず笑みが浮かぶ。
「虫苦手?」
「生理的に駄目だわ。 良くそんなおぞましい骨触れるわね」
「でも、お魚を捌いたりすると、よく分からない寄生虫がうようよ出てきたりもするし、気に何てならないよ」
「ひ……!」
ミミちゃんが青ざめる。
多分前にお姉ちゃんと料理をしたとき。きっとお姉ちゃんは気を利かせて、虫が湧いていないようなお肉を渡していたのだろう。
採取の傍らに、辺りも調べる。
やはり、乾燥が異常だ。
何か知っているかもしれないと思って、ホムンクルスに聞いてみる。彼女らも、あまり詳しいことは知らなかった。
ただ、分隊長らしい、少し年かさに見えるホムンクルスだけは、少し違う答えを返してくる。
「此処から東に、最後の村があります。 其処に以前、ロロナ様が訪れたことがあります」
「先生が?」
「その時、最後の村で水が簡単に得られるように、色々な処置をして行かれました。 村の人に聞けば、何かわかるかもしれません」
「有り難うございます!」
ぺこりと一礼すると、不思議そうにホムンクルスの113番さんは、小首をかしげた。
その動作は、まるで幼い子供のようで。
ミミちゃんみたいで可愛いなと、トトリはちょっと失礼なことを考えていた。
もう、この辺りは街道も途切れがち。
キャンプスペースもない。荷車を引いていると、街道にもかかわらず、石を結構踏みつける。
モンスターも、此方を明らかに見ている。
隙があったら、襲ってくるつもりだろう。
アランヤの北や、アーランドの西では考えられない事だ。
ただ、最初に馬車に乗ったとき。アーランドのすぐ南で襲われた事も考えると。此処で、モンスターに襲われるのも、可能性は零では無い、くらいに考えるべきなのだろう。
やがて、村が見えてきた。
既に、周囲は砂ばかり。
環境は、極めて厳しい。
空気の乾燥は異常だし、何より温度がおかしい。夕方になってから、冷え込みが尋常では無い。
そういえば、資料で見た。
昼と夜とで、寒暖差が異常で。それが故に岩が砕けるのだと。
村の周囲には、乾燥に強そうな植物がたくさんあるけれど。それは多分、砂よけだろう。
辺りには、砂丘が幾つもある。
街道は、砂に埋もれてしまいそうである。
村に、入る。
入り口で、歩哨に冒険者免許を見せると、目的を聞かれた。今回はこの辺りの調査だとこたえると。
頭に布を巻いて、比較的軽装の戦士は、不可思議そうに眉をひそめた。口元の髭がすごくて、唇が見えないくらいである。肌も、メルお姉ちゃんより更に濃く焼いている。
「調査って、前に来た錬金術師の先生みたいな事を言うな」
「ロロナ先生は、私の師匠です」
「おう、それはそれは! 歓迎する!」
不意に態度が変わるので、苦笑い。
同時に、ロロナ先生が、この辺りの人にも、助けになっていたことがわかって、少し嬉しい。ホムンクルスが言っていたことは、事実だったのだ。
家屋の形状も、アーランドとは大分違っている。
いずれも丸っこくて、煉瓦を積み重ねて作った土まんじゅうのようだ。
ホムンクルスの数がかなり多い。
見た感じ、戦士のようだけれど。動きが少しおかしい。ひょっとすると、PTSDで戦場にいられなくなった者達だろうか。
彼女らはほうきのような道具を使って、ずっと砂を掃いている。
特に、村の外郭辺りにある土の壁の辺りは、丁寧に砂を掃除しているようだった。風が吹く度に、砂が動くので。その度に、掃除を続けている様子だけれど。
村の中が、わっと湧く。
砂漠から戻ってきた部隊らしい。巨大な荷車に、まだ生きている大きなドナーンが、縛り付けられている。
今日はごちそうだ。
みんなが嬉しそうに騒いでいるのが見えた。
それにしても、とんでもなく大きなドナーンだ。もう観念しているようで暴れる事もないけれど。
普段トトリが荒れ地なんかで遭遇する奴の、軽く三倍以上はある。
何もかもが、アーランドともアランヤとも違う。
メモを取るのに忙しい。
「トトリ、こっちに面白そうなのがあるぜ!」
「ジーノ君、まって」
「ほら、荷車をおいていかない」
ミミちゃんが、荷車を引いてついてくる。
向こうでは、ドナーンの首筋を切って、血を流し出していた。その血も全て受け止めている。
加工して、水分にするのだろうか。
ジーノ君に言われてついていくと、なんとオアシスになっている場所がある。
しかし、よく見ると違う。
大きな杯があって、其処から水が延々と流れ出しているのだ。その水を、ため込んでいるらしい。
杯は幾つもある。
「聞いたことがあるわ。 湧水の杯と言うそうよ」
ミミちゃんが言うには、錬金術の道具の中でも、最近量産に成功した、とても素晴らしいものの一つだという。
水が勝手に湧いてくるとかで、水に困っている各地の村では引っ張りだこだとか。
そういえば、トトリの村にもあったはずだ。
感心してメモを取る。
これは、使えるかもしれない。
オアシスに溜まっている水を飲んでみると、冷たい。しかし、とんでもなくまずい。思わず無言になってしまうトトリ。
見張りに立っているまだ若い戦士が、苦笑いした。
「まずいだろ、その水。 贅沢言ってられないから、仕方が無いんだけどな。 ロロナ様にはみんな感謝してるが、それだけはどうにもなんねーんだよなあ」
「ロロナ先生も、万能では無いんですね」
「そういうこったな。 あんたも錬金術師か?」
「はい、トトリと言います」
カシムと名乗ったまだ若い戦士は、握手を求めてくる。
握手すると、思ったより、ずっと力強かった。
「俺がまだこんな小さかった頃、ロロナ様が村に来てな。 この杯を置いていってくださったんだよ。 それから村では子供が死ぬ事も減ったし、水でいつでも体を綺麗にしたり、砂を洗い流せるようになった。 村の大人なんてよ、ロロナ様を神様の一種だって考えてるくらいなんだぜ」
そういうカシムさんも、すごくロロナ先生を尊敬していることが、口調から丸わかりだ。ロロナ先生が褒められるのを見ていると、自分まで嬉しくなってくる。
幾つか、聞いておきたい事がある。
向こうでは、ドナーンの解体が始まっていた。あれは十日分以上の食糧になるだろう。美味しい部分は、もう焼いて食べているようだ。香ばしい臭いが、此処まで漂って来る。
「いいなあ。 当番で狩りにでた奴が、一番美味しい肉を食べられるんだよなあ」
「砂漠、熱砂の荒野には詳しいんですか?」
「俺はまだまだだよ。 砂漠って言っても広いからな。 多分抜けるには、歩いて四日くらいはかかるぜ」
「そんなに」
俺はまだ行ったことは無いが。そういって、カシムさんは人なつっこく笑った。
他にも、幾つか聞いておく事がある。
砂漠でどうやって過ごすのか。
方角の見極め方。
何をしてはいけないか。
どんな危険があるのか。
順番に、メモを取っていく。勿論、詳しい人についても、教えて貰った。色々な人に、話を聞いた方が良いからだ。
ドナーンは既に骨まで切り分けられて、調理が進んでいる。
大半の肉や内臓は、そのまま燻製にして、保存できるようにするようだ。
トトリが錬金術師だという話は、もう歩哨から伝わっているらしい。
ドナーンの方に行くと、長老らしいゆったりした服を着た人が来る。
「おお、錬金術師どの。 良く参られた」
「あ、あの、まだ私、見習いで」
「見習いでも構いませぬ。 いつか立派になって、この村にまた幸福をお授けください」
本当に拝まれた。
カシムさんの言う事は、嘘では無かったらしい。困惑してしまう。ロロナ先生が作った人脈がどれだけ偉大か思い知らされて。
宿が取れたので、宿泊することにする。
二階建てでは無くて、平屋だ。それも、出来るだけ風が吹き込む作りになっている。ただし、夜はその風を防ぐようにしているようだった。
理由は、すぐにわかった。
本当に、とんでもなく寒くなるのだ。村の途中にあった街道のキャンプスペースでも寒かったけれど、其処より段違いに寒い。
毛布を二枚被っても、足りないかもしれない。ジーノ君は見栄も張らず、完全に震え上がっている。
ちなみに、別々の部屋は取れなかった。
というか、無かったのだ。
ミミちゃんとくっついて、同じ毛布を使う。正直これは、余裕が無い。
これから、今すぐでは無いけれど。砂漠に出向くのだと思うと、ぞっとする。眠れない様子のミミちゃんに、話す。
「あのね、ここに来た目的なんだけれど」
「何となく想像がつくわ。 砂漠の安全経路を確保すること、じゃないのかしら」
「……その通りだよ」
「バカね」
ストレートに言われる。
死にたいの、とも。
確かに、トトリも無謀だと思う。でも、此処から先は、人類にとって危険すぎて踏み込めない領域だ。
もしも、安全経路を確保できたなら。
きっと、大きな意味がある。
ミミちゃんが顎でしゃくる。
人型の像があった。手に棒を持っている、女の人の像だろうか。粘土で作ったようで、非常に素朴で、だけれど暖かみがある。
壁に大事そうに置かれている。周囲には、多分珍しいだろう花を、乾燥させたものが飾られていた。
「あれ、何だと思う」
「え、わからない」
「貴方のお師匠様よ」
「……っ」
確かそれは、アーランドでは禁止されているはず。特定人物の偶像崇拝化に抵触するはずだ。
でも、それを摘発しようという気には、とてもトトリにはなれなかった。
素朴で、真摯な信仰がうかがえたからだ。
毎日の生活も苦しいだろうに。丁寧に手入れされて、埃一つ被っていない。それだけ大事にされているという事だ。
「他の村でも、似たような信仰を見た事があるの。 豊富な水をもたらしたと言うだけで、貴方のお師匠様は、それこそ神々と同列に扱われても不思議では無いのよ」
「……きっとロロナ先生、喜ばないよ」
「そうでしょうね」
ロロナ先生は恥ずかしがるだけだろう。それについては、確信もある。
それにしても、此処の環境の厳しさはどうだ。そして、こんな所でも、人は生きていける事がすごい。
トトリは、一緒に毛布を被って丸まっているミミちゃんに聞いてみる。
「これから、やっぱり砂漠に挑むつもり。 勿論一度戻って、準備をしっかり整えてからね。 護衛、してくれるかな」
「良いわよ、別に」
「本当?」
「それだけ冒険者としてもポイントが稼げるもの」
まあ、そうだろう。
トトリにとってもそうだけれど。ミミちゃんにとっても、冒険者として駆け上がることは急務なのだ。
もう何人か、協力を仰ぎたい。
少なくとも、あの巨大なドナーンくらいは倒せるメンバーでないと、砂漠越えなんて、とても無理だろう。
それに、熱と寒さ。
水分。
幾つもクリアしなければならないものはある。
「これから、二日くらい此処に逗留して、調査をするの」
手伝ってと言ったけれど、返事無し。
見ると、もうミミちゃんは、寝息を立て始めていた。そうか、眠いのに、無理してつきあってくれていたのか。
必ず、砂漠を越える道を見つけ出して。
みんなのためになるように、努力しよう。
そう、トトリは決めた。
5、黒の会合
レオンハルトが出向いたのは、現在一なる五人が本拠としている場所。ホムンクルス達さえ知らない、秘密の場所だ。
それは一見すると、砂漠の一角に開いた穴にしか見えないが。
内部には、旧い時代の人間共が、シェルターとして作り上げた都市の残骸がある。
一なる五人が見つけ出したときには機能を停止していたのだけれど。邪神などから得た知識によって再生を行い、今では再起動している。
ちなみに、再起動の際に労働を担当させた人間もホムンクルスも。全てレオンハルトが殺した。
入り口を抜けると、セキュリティが幾つもある。
網膜や指紋、カードなどを要求され。
通り抜けると、最深部に。
一番奥に入ると、エレベーターと呼ばれる昇降機があり。それで、一気に大深度地下まで降りるのだ。
そして、闇の中の闇。
凍り付いたような、空気の中。
それはいる。
一なる五人である。
姿は見えない。だけれど、どのような有様になっているか、レオンハルトは把握できるつもりだ。
「到着しました」
「結果は?」
冷厳な声が響く。
一礼すると、説明を順次していく。
作戦は滞りなく成功。アーランドに侵入し、連中が進めているプロジェクトの概要は把握した。
その中心人物がトトリと呼ばれる見習いで。
周囲は、トトリに気付かれないように、注意深く護衛を行い。
そして、その目的は、おそらく道の確保だろうと言う事も。
「なるほど。 そう言うことか」
「……」
レオンハルトは、跪いたまま次の指示を待つ。
一なる五人は、おそらくアーランドの目的を把握したのだろう。レオンハルトには、それこそどうでも良いことだが。
そもそも、此奴らの目的を知っている以上。
どんな作戦も、意味がないと言える。
「次の命令を伝える」
「はい。 なんなりと」
「西にあるメギド公国に手練れが集まっている。 おそらく列強が、精鋭をかき集めたのだろう。 四度に渡って、ホムンクルスの攻撃部隊が撃退された。 これを処理せよ」
「わかりました。 直ちに」
メギドそのものは多寡が知れた小国だが、
確かに此処の攻略に手間取ると、次の対象への攻撃が遅れる事になる。それに、メギドのすぐ東には、今度ホムンクルスの生産工場を作る予定だという。
ちなみに材料は。
メギドの人間だ。
レオンハルトは知っている。
一なる五人は、殺す人間を決めて国を攻撃している。殺した人間は全部タンパク質にまで分解して、ホムンクルスの素材にしているのだ。
勿論、人間だけが素材では無い。荒野にいるモンスターや、各地の植物なども分解して、素材にしている。
殺戮ローラー作戦の、原因の一つはこれだ。
勿論、これが全てではなく。一なる五人の狂った目的は、更に上にあるのだが。それさえ、レオンハルトにはどうでもいい。
暗殺に生き。
暗殺だけを己の全てとして。
ただひたすら、闇に生きてきた男にとって。最終的な目標は、一なる五人とさえ違う。
今は目的が合致しているから、手を組んでいるだけだ。
一なる五人が潜む穴をでると、外に。
超高速で、しばらく行く。
ほどなく、合流地点の廃墟に到達。半年ほど前に滅ぼし、住民を皆殺しにした国の首都だ。
その朽ちた王宮。玉座の間で手を叩くと。
分身達が現れる。
その内一体は、アーランドから生還した個体だ。ちなみに、此奴しか生き残ることは出来なかった。
「お呼びですか、主」
「これよりメギドの攻略に出向きます。 列強がかき集めて来た精鋭がいるという話ですから、多少は手応えがあるでしょう」
「おお……」
歓喜の声が上がる。
皆、殺しが大好きなのだ。
軽く作戦会議をした後、解散。
さあ、楽しい楽しい。
仕事の時間だ。
(続)
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