劫火消えず

 

序、闇の中の闇

 

アランヤ村の北。

ロロナは、トトリちゃんのいるヘルモルト家を一瞥だけした。今いる丘からは、彼女の家が見えるのだ。

周囲に展開しているのは。辺りからかき集めて来た、ホムンクルスの部隊。それに、ツェツェイさんをはじめとする、手練れの戦士達。

トトリちゃんには、知らせない。

此処で、これから。死力を尽くした戦いが始まることは。

斥候のホムンクルス数名が、既に連絡を絶っている。

レオンハルトが来ていると見て良いだろう。

しかも、生還した斥候の話によると、敵は超がつくほどの、強力な戦闘タイプのホムンクルス、恐らくは一個小隊を連れている。その上、レオンハルトの分身も、一人では無い模様だ。

トトリちゃんの周囲には、メルヴィアさんとマークさんを付けてある。

更に遊撃として、エスティさんの所にいたこともあるナスターシャさん。

それに、ずっと一緒に戦って来た仲間の一人であるりおちゃんもいる。

りおちゃんは少し前に結婚したけれど。中々、ゆっくりと結婚生活を送らせてあげるわけにはいかないのが悲しいところだ。

その代わり、彼女の夫である元騎士、ハルヴェルトさんにも来て貰っている。

ハルヴェルトさんは見るからに屈強で、長身で、口元に髭を蓄え。手元には実に強そうなハルバード。目元には強い意思の力があり、この国を愛しているという、見本のような優等生の騎士だった人だ。

今も冒険者としてはハイランカーとして、この国の中枢で働いている。

りおちゃんとは16歳も年が離れているけれど。とても良くして貰っているという事で、りおちゃんから悪い話は一切聞いていない。実際、とても仲が良い夫婦と言う事で、周囲からも評判だそうだ。

残念ながらまだ子供はいないけれど。

その内、この様子なら出来るだろう。

それに、夫婦になってから、二人はとても息があったコンビになってもいるという。

守りをりおちゃんが固めるなら。

ハルヴェルトさんには、攻撃を担当して貰いたいところだ。

34さんが、闇の中から戻ってくる。

「敵部隊、西に移動しています」

「此方に気付いたみたいだね」

「追撃しますか?」

「ううん。 引きずり出す」

ロロナは位置を少し変えると、杖を持ち直す。

少し前に作った、生きている鎖が、地面に連続して突き刺さる。これは、体を固定するためのものだ。

詠唱開始。

敵の位置は分かっている。

ならば、わざわざ側に出向く必要もない。

ロロナの周囲に、複数の魔法陣が展開。ふくれあがる魔力が、ちりちりと、スパークを引き起こす。

もう、二十歳を過ぎた頃からか。

ロロナも、いちいち魔術砲撃をするときに、叫んだりはしなくなった。

全力で、光の一撃を。

敵が移動している辺りの森へと、ぶっ放す。

勿論、効くとは思っていない。

凄まじい勢いで、砲撃が拡散。

爆裂もせず、消えていく。

元々、発火性の術では無い。

相手の対応能力を測るために放ったものだが、念には念だ。

観測していたツェツェイさんが叫ぶ。

「敵ダメージ無し!」

「対応方法は」

「恐らくは、高速の剣技か、それに類するものだと思われます!」

遠矢など、通用しない。

相手が嘲笑っているようだ。

だが、最初から通用すると思って撃っていない。だからロロナは、別にどうとも思わなかった。

作戦通り、西に追撃を開始する。

敵は森に入ったまま、西へ。森の内部地形はわかっている。追撃が、深追いになるような事は無い。

ロロナを中心に、部隊は陣形を維持したまま、西に。

昔ならともかく。

今のロロナは、彼らに遅れるようなことも無い。身を低くして走りながら、気付く。

斬り伏せられ、死んだ味方ホムンクルス。

まるでモズのはやにえのように、枝に突き刺されて、事切れている。

恐らくは、挑発のため。

彼女は偵察から帰らなかったホムンクルスだろう。

レオンハルトは時間稼ぎのためだけに、こんな残酷なことをしたと言う事になる。どのような事でもする奴だとはわかりきっていたけれど。不愉快に、胃液が逆流する思いを、ロロナは味わっていた。

「34さん、降ろしてあげて。 後で分析するから」

「承りました」

追撃続行。

今の時点で、敵は反撃には出てこない。

ロロナの砲撃を斬り散らす実力がある事を見せつけた上で、追撃戦に応じているのだから。おそらく、何かしら考えがあるとみて良いだろう。

そのまま、半日。

追撃を続行。

連中は、事前に知らせてあるリス族が、分厚く布陣している森を避けて、南下。

更に。街道沿いを西に、高速で進むと。

ある遺跡がある岩山に入り込み。其処で籠城の構えを見せた。

ロロナも足を止めて、敵を見上げる。

この状況で、敵を力攻めするのは厄介だ。

もう一度砲撃を叩き込んでみるけれど。やはり、何かしらの剣技で切り裂かれて、消えてしまう。

勿論、本気でうち込めば話は別だけれど。

消耗に見合うかと言えば、それはノーだ。

くーちゃんには、単独で無理追いはするなと言われている。ロロナは元々戦略家でも戦術家でもない。

大ベテランであるハルヴェルトさんがいるけれど。

頼り切るのも問題だろう。

それに対して、敵はそれこそ老獪という言葉をそのまま人間にしたような相手だ。いや、もう人間さえ止めているとみて良い。

「フォーマンセルで、敵の周辺に展開。 一人、リス族に使者を出して」

今警戒するのは。

敵が岩山に此方を引きつけておいて、別働隊を出す事だ。

この間の戦いで、相当なダメージを受けたペンギン族をそのまま襲撃するか、それとも。トトリちゃんを襲うか。

どちらにしても、実施はさせない。

くーちゃんが率いる本隊が来れば、勝ち。

ロロナがするのは、それまでレオンハルトの分身を逃がさないことだけれど。はてさて、上手く行くかどうか。

せめてステルクさんがいれば。

この辺りの判断は全て任せる事も出来るし。

むしろ、岩山に強攻を仕掛けることだって、出来るだろうに。

アーランドには人材が足りない。

それをこういうときには思い知らされる。

レオンハルト本人がアーランド王都の側で暴れている以上、エスティさんは其方に掛かりっきり。

王様も何かの任務で出向いている以上。

くーちゃんが来るまで、ロロナがどうにかするしかないのだ。

りおちゃんが、じっと目を閉じている。

小さくしたアラーニャとホロホロを、敵陣に飛ばしているのだ。昔出来なかった技。今はそれだけ、技術が上がっているのである。

「ロロナちゃん」

「何かわかった?」

「あまり良くないかも知れない。 敵のホムンクルス部隊はそのまま布陣しているけれど、レオンハルトの姿がないよ」

「……!」

それは、少しばかりまずい。

レオンハルトの分身が、敵に何人混じっているかはわからないけれど。一人でも、トトリちゃんには充分すぎる脅威になるのだ。

勿論メルヴィアさんとマークさんが、そうそうに遅れを取るとは思わないけれど。

相手は暗殺の専門家である。

何をやってくるか、わからないのが実情だ。

トトリちゃんは今、調合に夢中になっていると聞いている。改良したヒーリングサルブを、荷車一杯作っているそうだ。

でも、今のトトリちゃんの腕前なら、一日で充分だろう。

付帯薬品、化膿止めやら解熱剤やらを作るとしても。二日以上は掛かるとはとても思えない。

それまでに、一端勝負を付けないと危ない。

かといって、敵ホムンクルス部隊を無視もできない。

無視できる戦力ではないのだ。

「我々が、護衛につきますか」

「ううん、周囲の警戒を続行」

ハルヴェルトさんが申し出てくれたけれど、やんわりと謝絶。彼には、しばらくこの周囲を見張っていて欲しい。

レオンハルトが、いきなりロロナに仕掛けてくる可能性も、小さくは無いからだ。

とにかく、である。

岩山にアラーニャとホロホロがいるのは好機。

ロロナは上空に杖を向けると、魔力を集中。詠唱を開始。

りおちゃんとタイミングを合わせ。

砲撃を、ぶっ放した。

上空に向けて撃ち放たれた光の槍は、そのまま驀進。邪魔されずに、岩山上空にまで到達。

其処で炸裂すると。

光の矢の群れとなって、敵陣に降り注ぐ。

全てにホーミング性能があり。

二十を超える敵ホムンクルスに、それぞれ襲いかかる。

さあ、どうでる。

上空に躍り上がった敵ホムンクルス。

カマキリのような姿をしている。

そいつが、凄まじい斬撃を浴びせかけて、光の矢の大半を撃墜した。

更に、他の奴も急いで一カ所に固まると、魔術でシールドを展開し、防御に掛かる。

三度目の砲撃も、効果は無し。

だけれど。

その瞬間、りおちゃんが動く。

アラーニャとホロホロが光になると。

上空からの一撃を防ぎ抜いたカマキリに飛びつき。一気に巨大化。愕然とするカマキリを、押さえ込んだまま、地面に叩き付けたのである。

「手応えあり」

「よし、もう一撃行くよ!」

構えを取り直すロロナ。

アラーニャとホロホロは、即座に光に戻して、上空に逃がす。

そしてロロナは、今度こそ全力で詠唱を開始。カマキリが身動きを取れない間に、敵陣に全力での砲撃を叩き込む事で、最大限のダメージを与えるのだ。

味方が、動く。

ツェツェイさんが、槍を振るって、ロロナの真後ろから飛んできたナイフを弾いた時には。

上空で、ハルヴェルトさんが。

月を背中に躍りかかってきたレオンハルトと、渡り合い。

数体のホムンクルスが血しぶきを上げて倒れる中。

34さんが、別の角度から躍りかかってきたレオンハルトの一撃を、体を張って受け止めていた。

これで、二体。

そして。

地面を滑るように接近してきていた三体目のレオンハルトが。

目を見開く。

彼が繰り出したナイフの一撃は。

ロロナの残像を抉る。

上空。

ロロナが、地面に向けて、杖を振るい。

その先端には、既に光が宿っているのだ。

閃光が、炸裂。

レオンハルトは、光の中に消えた。

着地したロロナは、既に34さんとハルヴェルトさんが、敵を退けたことを確認。でも、ホムンクルス数名が重傷。

34さんの怪我も、浅いとは言えない。

やはり、ロロナを必殺のタイミングで狙ってきたか。

ツェツェイさんが、遅れて飛んできたナイフを弾く。

逃れたと見せかけて、時間差で投げつけてきたナイフさえ、ロロナを正確に貫こうとする。

流石だ。

今、一体の分身を倒したけれど。

残り二体は、おそらく作戦行動中。

そればかりか、それだけで相手が済むとはとても思えない。

「点呼! ダメージの確認! 負傷者の状態を確認後、支給している傷薬、場合によってはネクタルを用いて!」

一人が、肩からおなかに掛けて、ずんばらりと切り裂かれ。更に、刃物には毒がぬられている。

ひどい怪我だけれど。

ネクタルを飲ませた後、服を脱がせて処置を開始。

手慣れているホムンクルス達の手際は流石だ。

ロロナは、もう一度岩山の敵を、手をかざして確認。

敵は包囲が完成する前に、距離を取り始めていた。

追い切る余裕は無い。

「フォーマンセルで偵察! くれぐれも気を付けて」

「私がでます」

「お願いします」

ハルヴェルトさんが、三人のホムンクルスを率いて、追撃してくれる。

勿論、距離を保って、敵の位置を確認するだけでよい。この斥候をレオンハルトが狙ってくる可能性もある。

無理は禁物だ。

くーちゃんがホムンクルスの一個小隊も連れてきてくれれば、攻勢に出られるけれど。

レオンハルトが何人分身を投入しているかわからないこの状況。

決して油断は出来ない。

そして、最悪のタイミングで、連絡が来る。

トトリちゃんが、アランヤをでた、ということだった。

早すぎる。

「どういうこと?」

「伝令によると、薬はパメラ様の所で購入したとか」

「そうか、そうだった」

支援用に付けていたパメラが、丁度リス族の時に扱った薬があったのだ。今もリス族の所には、難民支援用の薬を量産して届けている。それを考えると、在庫があるのは当然の話。

トトリちゃんはこの間、ケニヒ村とペンギン族の全面衝突を止めたことで、報奨金も貰っているはず。

それだけでは無くて、そもそも栄養剤納入の件でも、まだまだ報奨金が山のように残っている筈だ。

性格的に、お金で代用できるなら。

使わないはずが無い。

ペンギン族との交渉の切っ掛けとして、カードとして薬を使う。

トトリちゃんなら、当然やると想定するべきだった。

「私が支援に廻ります」

「気を付けてね」

ツェツェイさんが、ホムンクルス一分隊を率いて離れる。

これで、味方の戦力は半減だ。

非常にまずい。

敵は半分は偶然とは言え、ちょっとした動きだけで、此方の戦力を半減させた。しかも半減している直衛戦力の内、数名は負傷者である。

周辺に歩哨を立たせて。

ロロナは、自分で直接けが人を診る。

状況は、予想以上に悪い。

くーちゃんが到着するまでに、どれだけ被害を抑えられるか。

それが、状況の肝になるだろう。

周囲を警戒しているホムンクルス達も、緊張している。

味方が劣勢である事は。

彼女らも、はっきりと把握しているようだった。

 

1、厳の景色

 

まずは、信頼を作るところからだ。そう、トトリは考えている。だから今回の接触では、相手の営巣地まで行けるかはわからないと判断している。

幸い、ペンギン族は戦士らしい存在。

こういう形で恩を作っておけば、無碍にはしないだろうとも思うけれど。

何しろ、色々とおかしな事があった後だ。

まず間違いなく、此方を警戒しているだろう。

アランヤをでた辺りから。

どうしてだろう。

メルお姉ちゃんが、もの凄くぴりぴりしているのがわかった。

普段は飄々としているマークさんも、露骨に口数が少なくなっている。二人とも、あまり話しかけられる雰囲気では無かった。

怖いけれど。

今は、お仕事が優先だ。

街道を西に。

森が妙に静かだ。リス族が、普段は詰めているはずなのだけれど。不安になった。何しろ、あんな事があった後だ。

荷車に積み込んだお薬は、ペンギン族の数を考えれば、充分な量になる筈だと、トトリは思う。

ただ、状況が状況だ。

何が起きても平気なように、備えておかなければならないだろう。

夕方まで、歩いて。

キャンプスペースに到着。

此処から南に直進して、ペンギン族の縄張りへ、最短距離で向かうつもりだ。

キャンプスペースに入っても、二人のぴりぴりはそのまま。

それだけじゃない。

警戒に当たっているベテランの戦士達も、みんな緊張しているのがわかった。つまり、何かの危険があるのだ。

たき火を囲んで座る。

お肉を炙りながら、口に入れる。

味がしない。

「メルお姉ちゃん」

「何」

身を竦ませる。

口調が普段よりもぶっきらぼうだ。

かなり気配も怖い。

メルお姉ちゃんはハイランカーだけあって、戦士としての力量も相当に高い次元にある。そんなメルお姉ちゃんが、これだけ緊張しているのだ。余程、とんでもない危険があるとみて良いだろう。

ぎゅっと身を縮める。

不安に、トトリは心臓をわしづかみにされていた。

不意に立ち上がると、メルお姉ちゃんが、たき火の側を離れる。その頃には、既に周囲は真っ暗になっていた。

「早めに休みなさい」

「あ、はい」

トトリは、不意にマークさんにそう言われて、立ち上がる。

借りている天幕に入り込むと、横になった。

何だろう、このいい知れない不安は。

がばりと顔を上げたのは、何故かお姉ちゃんの声が聞こえたかのように思えたから。

まさか、そんなはずは無い。

疲れているのだろう。

いや、本当にそうだろうか。

この間漠然と感じた不安。トトリの周囲で起きている不可解な出来事に対する、あまり考えたくない事。

もし、それにお姉ちゃんも、一枚噛んでいるとしたら。

あり得ない事じゃない。

毛布を被ると、トトリは震え上がった。最悪の場合、家族さえ疑わなければならないという事なのか。

そんなの、嫌だ。

トトリはお母さんを探したいだけ。

それなのに、どうしてこんな怖い目に会わなければならないのだろう。

暗闇の中に一人でいると、時々凄く不安になる。でも、怖いからといって、泣いてもいられない。

この間、ついに十四歳になった。

それはつまり、アーランド人としては大人になった、という事だ。

この年を過ぎて、親に甘えることは許されない。

軽蔑されると言うよりも、唾棄される対象になる。

そういうものなのだ。

トトリだって、もう十四歳になったのだから。以降は、一人で何でもしていかなければならないのに。

どうしてだろう。

不安で怖くて、泣きそうになる。

身を縮めて、声を殺して嗚咽を封じ込める。

みんなが、トトリの周りで。トトリだけが知らない事を知っていて。それで動いているだなんて、信じたくない。

でも、状況を見る限り。

その結論が、どう考えても、一番正しい。

眠れない夜が過ぎて。

朝が来た。

それでも、どうしても眠ってしまうのだから、やっぱりまだ体は子供を抜け切れていない。

もうこの年で結婚して子供を産む子もいるのだとトトリは知っている。

そう言う子は、素直に凄いなあとも思うけれど。

今は、自分の背丈にあったことを、していかなければならない。

棒を振るって、肩を順番にこなしていく。

あくびをしながら、メルお姉ちゃんが来た。

あれ。

怪我をしている。

「んー? どうしたの、トトリ」

「メルお姉ちゃん、その左二の腕、どうしたの」

「ああこれね。 昨日、キャンプスペースの側に、ちょっと強めのモンスターが来ててさ、一発貰っちゃった」

けらけら笑うメルお姉ちゃん。

何でも、サラマンダーだという。

ドナーン族でも上位に来る、赤い鱗を持つ強力なモンスターだ。ブレスを吐く能力を有していて、熱に対する耐性も強い。

そんなのが、キャンプスペースの近くにいたのか。

震え上がるトトリだけれど、気付く。

メルお姉ちゃんの雰囲気が柔らかくなっている。少なくとも、昨日よりは、危険が遠のいている、という事か。

どういうことだろう。

サラマンダーみたいな強力なモンスターがいる状況よりも、昨日は危険だった、という事なのか。

「型、見てあげる」

「あ、うん」

言われるまま、棒を振るう。

幾つかのアドバイスを貰いながら、型をやりきった。

メルお姉ちゃんも、斧の型を見せてくれる。斧と言っても、手斧では無くて、ハルバードだ。

ポールウェポン系統の型は、棒術と似てくる。

だからわかるのだけれど、驚くほど綺麗だ。

がさつなイメージのあるメルお姉ちゃんだけれど、実戦を嫌と言うほど経験しているから、だろうか。

型はとんでもなく綺麗。

感心して、何度も頷いてしまった。

「棒術で、もっと私に出来そうな型、ない?」

「もうちょっと経験積んでからね」

「んー」

ちょっとそう言われると悔しい。

マークさんが起きて来たので、軽く準備を済ませてから、キャンプスペースをでる。南に直進すれば、夕方には次のキャンプスペースにでる。

そのキャンプスペースには、櫓もある。

理由は簡単。

少し前のペンギン族との衝突は、周辺の村々でも知れ渡っているからだ。

それだけ、大きな衝突だった、という事である。

夕方には、到着したけれど。

その間、メルお姉ちゃんは、一言も口を利かなかった。

 

朝早くに、ペンギン族の縄張り境界線に到着。

うち込まれている杭には、腐敗した肉塊がぶら下げられていた。あまり正体は考えたくないけれど。

多分、アードラだろう。死骸に見られる特徴が、アードラによく似ているからだ。

霧が出ている。

ペンギン族の縄張りの内部は、もやが掛かったように見えない。

この間と同じ状況だ。

マークさんに、じょうごみたいなものを貸してもらう。

自慢げにマークさんは、メガホンだと教えてくれた。

「トトリです! ペンギン族のみなさんに、お薬を持ってきました!」

反応は、ない。

だけれど、多分聞こえている筈だ。

しばらく待つ。

果たして。

しばしすると、以前見かけた、腰の曲がった長老が姿を見せる。周囲には、露骨に屈強なペンギン族の戦士が数名。

その中の一人。

右側にいる戦士は、被っている皮が違う。多分熊のものをなめしたのだろう。迫力からして、段違いだった。

メルお姉ちゃんと互角か、それ以上。

前少しだけ小耳に挟んだ、モンクという階級の戦士かもしれない。

「おう、本当に来たのか」

「はい。 お薬、持ってきました」

「助かる。 恩には着る」

だが、まだ信用するわけにはいかない。

そう、長老ははっきり言った。

はっきり言われると、トトリとしても、それで納得できる。いきなり相手に全て信用しろとは、トトリも言えない。

少しずつ、信頼関係を構築していかなければならないのだ。

「この間のお薬は、どうですか」

「実に良く効く。 だが前の戦いで、色々と問題が起きていてな」

「話していただけませんか。 力になれる事があれば、力になります」

「いや、今の時点では止めておこう。 トトリどの。 貴方の事を信頼したいのは山々だが、此方もまだ色々としがらみも多い。 恩を仇で返すようで悪いが、今日は帰ってくれるかな」

頷くと、トトリはメルお姉ちゃんとマークさんに促す。

その時だった。

北の方で、どかんと凄い音がした。

一気に、その場にいる全員が、戦闘態勢に入る。

前にも似たような事があったけれど。

考えてみれば。明らかだ。

あれは確実に戦闘音。誰かが、近くで戦っていると見て良い。

「何だろう。 サラマンダーかな」

荷車の中身を確認。

護身用に持ってきた爆弾は充分な数がある。慌てて周囲を見回すけれど、困ったことに、身を隠せる場所がない。

ペンギン族の戦士達も、戦闘態勢に入っている。

「ふむ、ふむふむ」

「何かわかりそうですか」

「日暮れの時に住まう四番目の男が言っておる」

それは、名前だろうか。

もの凄く詩的というか、逆に実用的というか。何だか、変わった雰囲気の名前だ。

「以前、営巣地を襲撃してきた連中と、同じ気配だと」

「! 私達は良いですから、営巣地に戻ってください!」

「そうさせてもらおう。 此処で襲撃されると、色々面倒だ」

ペンギン族達が、霧の中に消える。

キャンプスペースに急ぐしかない。彼処なら、ベテランも数人いるし、守りもかなり堅い。

ちょっとやそっとのモンスターに襲われても、凌ぎきれるだろう。

そう、この時は。トトリも思っていた。

しかし、愕然としたのは、直後のことである。

キャンプスペースに走り込んでみると、もぬけの空になっているのだ。

辺りに血が飛び散っているようなこともない。これは戦闘が発生して、そのままみんな其方に向かったとみて良いだろう。

つまり、戦闘は、まだ続行中という事か。

身軽に櫓に登ったマークさんが、手をかざしている。

「これは、急いで此処を離れた方が良いかもしれないねえ」

「どうしたんですかー?」

「此処のすぐ北で、かなり激しい戦いが行われているよ。 下手をすると、巻き込まれるだろうね」

ぞくりとした。

飄々淡々としているマークさんだからこそ。その言葉が、どれだけの危険を意味しているか、わかるというものだ。

逃げるとしたら、少し迂回して、東に。

そのまま北に行って、次のキャンプスペースだろう。

其処まで辿り着けば、村も近い。

いざというときには、増援も来てくれるはずだ。

でも、問題は。既に夕方が近い、という事。

街道とは言え、夜中に小走りで行く事になる。勿論休憩なんてしている余裕は無いだろう。

この間の諍い事でみた死体を思い出す。

あれがもしも、スピア連邦のホムンクルスだとして。

今戦っているのも、そうだとしたら。

あまりにも、トトリが相手にするには、荷が勝ちすぎる。もしその場合、戦っている相手が何かはわからないけれど、十中八九アーランドの諜報部隊だろう。

戦いに巻き込まれでもしたら、死ぬ。

それこそ、ゴミのように蹂躙されて、自分でもわからないうちに、命を落とすだろう。

どうすると、メルお姉ちゃんが促してくる。

いっそ、此処に籠城するのも手だ。

此処は籠城するだけの物資と設備がある。北で戦っている人達も、戦闘が一段落したら引き上げてくる可能性が高い。

一緒に守りを固めれば、そうそう遅れを取ることも無い筈。

でも、戦闘が劣勢ならどうなるだろう。

押し込まれたら、当然敵は此処を包囲してくる。近くの村から救援が来るとしても、それは随分後の筈。

最低でも数日は。

此処で耐えなければならないだろう。

援軍の宛は無い。

「ちょっと東に迂回して、北に行きます」

トトリは、そう決めた。

まず、其方に村があるのが大きい。最悪の場合、村に逃げ込めば、滅多な事ではどうにかなるような事も無い。

キャンプスペースもある。

籠城するなら、まだ援軍が来る可能性が高い、其方の方がマシ。

問題は、夜道を徹夜で走らなければならない、という事だけれど。

それは、どうにかする。

耐久糧食を荷車から取り出すと、配る。

トトリ自身は、すぐに口に入れた。

これから、嫌と言うほど、走らなければならないからだ。

キャンプスペースを飛び出す。

ペースを考えて走るにしても、それでも次のキャンプスペースには、よくいっても到着は明け方。

更に言えば。

街道から外れて、荒野を行くから。モンスターの襲撃がある可能性も決して低くはないだろう。

この辺りは、海岸線が近い。

海を渡って来た外来種の珍しいモンスターがいる可能性も否定出来ない。

それでも、行くしか無い。

走る。

北西の方から、戦闘の音が、まだ聞こえてきている。どかん、どずんと、人間が戦っているとはとても思えないような音だ。

「長引くわねえ」

「どっちも、力が伯仲してるんだね」

「……」

トトリが言った言葉に、メルお姉ちゃんは目を細めるだけ。それ以上は、何も言わない。走りながら、見ると。

ちかっと、凄い光が、空に向けて瞬いた。

砲撃か。

魔力を用いて、圧倒的な破壊力をぶちまける大技。誰が使っているかはわからないし、そもそも味方かもわからないけれど。

凄い使い手が、戦闘に参加している、という事だ。

喚声が聞こえてくる。

その声を聞くだけで、すくみ上がりそうになる。

トトリが勝てる筈もないような使い手が、何十人も、彼処で戦っている、という事なのだから。

荒野にはいる。

街道から外れて不安だけれど、今はそれどころじゃあ無い。

荒野は、意外にもというべきか。

殆どモンスターの気配がなかった。

時々荷車が大きめの石を踏むけれど、気にしないで走る。荷車はどうせかなり軽くなっているし、ちょっとやそっとで壊れるほど柔じゃ無い。それよりも、北西から西に移り始めた戦場が、此方に飛び火して。被害を受ける方が、余程に怖い。

また、光が瞬く。

薙ぎ払うように、光が走った。あれは、直撃を受けたら、死ぬだろう。それだけ殺気が籠もった応酬が為されている、という事だ。

あんな砲撃が、此方に飛んできたら。

あれ。

走っていて、気付く。

モンスターのしがいだ。中くらいの大きさのドナーン。黒いぷにぷに。鋏飛び虫。一カ所にまとまっているわけではなくて。点々と散らばっている。

それも、その死骸は全て。

一撃。

あまりにも精密極まりない刺突で、仕留められていた。

はて。この一撃、見覚えがあるような。

「急いで!」

メルお姉ちゃんの叱責。かなり低い声で、怖かった。

トトリは促されるまま、急ぐ。

呼吸が乱れるけれど。その度に水と耐久糧食を、口に押し込んだ。これでもアーランド戦士だ。

弱くたって、持久力はある。というよりは、嫌でもついてきたと言うべきなのだろう。連続の過酷な作業が、トトリを鍛え抜いたのだ。

いつのまにか、戦闘は。

西から、南西に変わりつつある。

つまり側背だ。

距離も、少しずつ、開きはじめていた。

だが、まだ安心できるとは限らない。

息が切れてきた。

後ろでは、まだ戦いが続いている。

 

明け方。

キャンプスペースに逃げ込む。

流石に此処には、ベテランの戦士が何人かいた。ただ彼らも、激しい戦いについては、気付いているようだった。

「またスピアの連中だって?」

「王都から来た精鋭が戦ってるらしいな」

「じゃあ、俺たちには声が掛からないかな」

「わからんぞ」

ベテラン達が、実に嬉しそうに話している。

戦いたいと言うのが、一目で分かる。トトリは呼吸を整えながら、柵の内側に。たき火の側に来ると、へたり込んでしまった。

メルお姉ちゃんとマークさんは余裕綽々。

あまり健康そうに見えないのに、マークさんは流石ランク6の冒険者。これだけ走り回っても、平然としているのは凄い。

柵際で、手をかざして様子を見るマークさん。

トトリはまだ、呼吸を整えるので精一杯だ。荷車から耐久糧食を取り出す余裕さえない。まだまだ弱いなあと、自分を嘆くばかり。

何度か深呼吸。

呼吸を整えて、やっと耐久糧食に手を伸ばすことが出来た。

今までに無い長距離の耐久走。

相当に消耗した。

しっかり食べないと、足腰が立たないだろう。

たき火を熾そうとした、その瞬間だった。

メルお姉ちゃんに突き飛ばされる。何が起きたかわからない。顔を上げると、メルお姉ちゃんが、脇腹を押さえて、倒れていた。

刺さっているのは、ナイフか。

「ぐ、うっ……!」

「メルお姉ちゃん!」

「ふむ、流石ですね。 この状況でも、手練れを警備に就けているとは」

何だろう。

この、嫌悪感しか湧いてこない、老人の声は。

見ると、手にナイフを鈴なりにしている老人が。メルお姉ちゃんの側に立っている。ナイフを投げたのは、あの人。燕尾服を着こなしている、しかし目が異常で、紳士だとはとても思えない化け物じみた表情。

あれ。

あの人、確か。

ペンギン族が持ってきた死体の中にあった。

そうなると、可能性は一つしか無い。あれは、ホムンクルスか、それに類する存在だと見て良い。

立ち上がろうとするが、出来ない。

疲労。

それ以上に、獰猛すぎる殺気が。トトリの足を、縛り付けていた。

無造作に、ナイフが投げつけられる。

それが、妙にゆっくりにみえた。

死ぬ。

完全に詰んだ。

目を閉じる暇も無い。眉間に向けて投擲されたナイフが、見る間に迫ってくる。避ける手段もない。

嗚呼。お母さん。おねえちゃん。お父さん。思考が、ぐるぐると、トトリの脳内で、周り巡り。

そして、ナイフが弾かれた。

不意に、正気に戻る。

見ると、マークさんだ。背負っている四角い箱から、無数のギミックが伸びている。その一つが、ナイフを弾いたのだ。

全く人間味がない動きで。

老人が、マークさんを見る。

メルお姉ちゃんは身動きが取れていない。あのタフなお姉ちゃんが、ナイフ一本で動けなくなるはずがない。

毒か。

必死に這いずって、距離を取る。気付いたベテラン達も、集まってきた。

「気を付けろ、相当な手練れだ!」

「毒を使うぞ!」

「さすがはアーランド戦士。 雑兵でもこの質ですか。 まあいい。 一端引くとしましょうか」

老人がかき消える。

マークさんが、へたり込む。もの凄い汗を掻いているのが見えた。

「ふう、助かった。 とんでもない使い手だね、あれは」

「メルお姉ちゃん!」

今更ながら、メルお姉ちゃんに這い寄る。立ち上がる事も出来なかったから、赤ちゃんみたいにハイハイしていくしかなかった。

メルお姉ちゃんは地力でナイフだけは抜いたけれど。

脂汗を掻いたまま、蹲っている。

どれだけ攻撃を受けても平然としているメルお姉ちゃんが、此処まで青ざめているのは、はじめて見た。

慌てて荷車から、毒消しを出す。

ペンギン族に渡した分だけではない。わずかに手元に残しておいたのだ。

瓶から取り出して、傷口にねじ込む。

青ざめているメルお姉ちゃんを仰向けに寝かせると、トトリは口元に耳を寄せた。呼吸を確認したのだ。

一応、呼吸はしているけれど。

かなり厳しい。

「医療魔術師はいますか!?」

「今、村に呼びに行っている!」

「……」

それは、そうだろう。

自分自身が一番焦っていることにトトリは気付いて、情けないと思った。

メルお姉ちゃんは普段とは裏腹に、本当に弱々しくて。一秒ごとに、命がこぼれ落ちているのがわかる。

トトリなんかを守ったから、こんな事に。

涙が零れてくる。

情けなくて。

メルお姉ちゃんの事が悲しくて。

トトリは、何もする事が出来ないことを、今また徹底的に、思い知らされていた。

 

医療魔術師が到着。

どうにか治療を始めてくれた。

まずは魔術で毒消し。でも、毒消しをした時点で、メルお姉ちゃんの生体反応は、相当に弱っていた。

腕利きの医療魔術師がいてくれて良かった。

担架に、メルお姉ちゃんを乗せる。担架から零れた手が、地面を擦っているのを見て、慌てて担架に乗せ直す。

其処まで弱っているのか。

話しているのは、マークさんか。

トトリが膝を抱えて、意識ももうろうとしている間。大人としての役割を、きちんと果たしてくれている。

本当に、トトリは。

まだ子供なのだと思い知らされて、悲しい。

もう、大人として認められる年齢なのに。体だけでは無い。心も子供なのだと思い知らされるのが、悲しすぎる。

「状況は」

「マンドラゴラの毒を凝縮して、複数の毒素を加えたものね。 放置していたら、鯨でも死ぬわ」

「アーランド戦士の中でも、屈強な彼女だったから助かった、か」

「まだよ。 毒は抜いたけれど、体へのダメージは深刻。 今夜が峠ね」

トトリは、マークさんに促されて、立ち上がる。

抜けてしまっていた腰は。どうにか立ち上がれる所までは、回復していた。

「ほら、荷車を」

「ごめんなさい……」

「しっかりするんだ。 君は強い子だ」

何だか、よく分からない慰めをされたけれど。トトリは、自分が強い子だなんて、とても思えなかった。

キャンプスペースから北に移動。

どう歩いているか、わからなかった。担架で先に運ばれて行ったメルお姉ちゃんは、大丈夫だろうか。

ちょっと気を抜くと、取り乱してしまう。

おかしな話だ。

敵だって殺した。

爆弾でバラバラにしたし。アシストとは言え、他の人が殺す手伝いだってした。血も、散々目の前で見た。

まだ、トトリは。

目の前で、友達や家族、大事な人が死ぬ事を、現実として認識できていなかったのかもしれない。

愚かしいと、今更ながらに、自分の馬鹿さ加減が悔しくなる。

戦っていれば、そうなるのは当たり前なのに。

何処かで、しっかり認識が出来ていなかったのだろう。

散々、幼い頃から、死は間近で見てきたはずだったのに。

気がつくと、村に入って。宿の前にいた。

マークさんが処置を色々してくれる。

無精髭だらけでよれよれの白衣を着ていて、髪の毛だってぼさぼさなのに。ちゃんとトトリと違って、大人なのだと、こういうときに悔しいほど思い知らされる。ベテランのアーランド戦士なのだ。如何にエキセントリックでも、こういうときに取り乱さないだけのものがあって、当然なのだ。

メルお姉ちゃんとあまり仲が良くないと言うのは、理由にはならないだろう。

「ほら、宿を取ったよ」

「メルお姉ちゃん、は」

「大丈夫。 今、医療術師がついてる。 ちょっと値は張るが、助かるさ」

「……」

促されるまま、寝室に連れて行かれる。

ベッドに横になると、マークさんは出て行った。

ぼんやりと、天井を見つめる。

泣いていては駄目だとわかっている。

此処で踏ん張らないといけないとも、理解している。

それなのに。

体が、動いてくれない。

 

2、闇の中に立つ

 

辺りには、累々たる死体。

荒野で、くーちゃんが布陣する中に、敵を追い込んで、挟撃の体制を整えても。レオンハルトはなおも手強かった。

激しい戦いの末、敵の半数は打ち倒したけれど。

レオンハルトの分身は確認できただけで三人。

その内一人は倒したが。

討ち漏らした内の一人が、トトリちゃんに肉薄。メルヴィアさんに瀕死の重傷を負わせた後、離脱。

味方も、死者を出していた。

負傷者も多数出ている。

敵ホムンクルスも、相当な打撃を受けているはずだけれど。

何しろ敵は諜報戦の専門家。

それに、以前敵がオルトガラクセンでやっていたような手段で、増援を呼び出さないとも限らない。

負傷者の後送を急ぐように命じているくーちゃんの所に、ロロナは歩み寄る。

「どう、状況は」

「良くないわね」

くーちゃんが連れてきた手練れの部隊でも、敵を潰しきることは出来なかった。

敵はちりぢりに逃げたように思えたけれど。多分それは、予定通りの行動だ。そもそもこの荒野で、綺麗に捕捉できたことがおかしいのである。

「今、手分けして相手の退路を断つべく動いているけれど。 レオンハルトは分身でもやっぱり強いわ」

「それよりも、トトリちゃんが心配だね……」

「いつかは通らなければならなかった路よ」

それは、わかっている。

戦いが続けば、身内だって傷つくし、死ぬ。

敵だけ死ぬなんて、都合が良い話がある筈もない。

これはトトリちゃんにとっての試練だ。

誰にも、手助けは出来ない。

ツェツェイさんが来た。かなり、凄絶な表情をしている。

彼女がトトリちゃんを影からずっと守ってきたことは、絶対に知られるわけにはいかない。

だけれども。

やはり、苦境に落ちた妹を見て、何も出来ないのはつらいのだろう。

「トトリちゃんの所に行っても良いですか」

「駄目よ。 こらえなさい」

ロロナよりさきに、くーちゃんがぴしゃりと一言。口を引き結んだツェツェイさんは、くーちゃんを刺し殺しそうな目をしていた。

作戦指揮は、問題が無かった。

何より、レオンハルト分身を打ち倒したのはくーちゃんだ。もう、レオンハルト本体でなければ、くーちゃんを斃す事は出来ないだろう。

今、村の周囲には、手練れの諜報部隊が張り付いている。

流石のレオンハルトも、此処から侵入することは無理だ。

だが、奴の目的が、本当にトトリちゃんだけかというと、多分違う。

現状、フォーマンセルでの偵察隊を出しているけれど。負傷者の回復が間に合っていない。敵が戦力をまとめて逆襲してきた場合、逆に此方が苦境に陥る可能性さえあった。

りおちゃんが急ピッチで負傷者の手当を進めているけれど。

それでも、全員の回復をいきなりするのは無理だ。

しばらくは、身動きが取れない。

「せめて、敵の目的をはっきり絞れれば」

「目的は二つ。 トトリちゃんの暗殺と、ペンギン族への攻勢強化、だね」

「後者が問題なのよ」

くーちゃんが説明してくれる。

そもそも、ペンギン族をスピア連邦が攻撃することは、意味があまりない。むしろ同盟を結んで、アーランドを後方から引っかき回すことの方が、大きな効果を上げる事が出来る筈なのだ。

それなのに、どうしてかレオンハルトは、ペンギン族を叩いて戦力の弱体化を図っている。

「考えられる可能性は二つ。 一つは、スピア連邦の強力さを見せつけて、恐怖を植え付けることで、配下に下すこと」

「……もう一つは?」

「単純に皆殺しが目的の場合」

うえっと思うけれど。だが現実だ。

スピア連邦領内での凄まじいジェノサイド政策については、ロロナも聞かされている。リス族は氷山の一角。

降伏を即座に受け入れない場合、街ごと皆殺しにすることなど、日常茶飯事。

国ごと、という例さえあるようだ。

領内の人間が幸福に過ごしているかというと、そんな事も無い。もはや完全にインフラを抑えられた民衆は、何も出来ないまま、ただ恐怖の内に支給される最低限の食糧と仕事をこなしながら、殺されないように息を殺しているのがやっと、という有様らしい。

何年か前に、スピア連邦を乗っ取った一なる五人は。その時に国内の支配体制を根こそぎ乗っ取り、自分で作ったホムンクルスにすっかり首をすげ替えた。

その後も、ずっと恐怖政治は続いている、という事だ。

軍役がなくなったことを喜んでいる民衆はいないという報告も受けている。

それどころか、密告制度が奨励されていて。

もはや、暗黒の時代というのも生やさしい有様のようだ。

「そんな奴らにトトリちゃんが苦しめられているなんて。 許せない」

ぎゅっと強く槍を握るツェツェイさん。

くーちゃんは平然としている。

世の中のあらゆる悪徳を見てきたから。多少の事では、今更動じることもないのだろう。

「トトリを助けたいなら、今の仕事を出来るだけ完璧にこなし続けなさい。 それが一番の近道よ」

しばらく黙り込んでいたけれど。

ツェツェイさんは一礼すると、闇の中に消えた。

りおちゃんが、代わりに来る。

薬が足りないという話だ。すぐに在庫から支給する。指揮車両は持ってきてあるから、最悪の場合その場で調合しても良い。

今はまず、態勢を整える。

レオンハルトを本格的に叩くのは、その後だ。

 

ドアがノックされる。

いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。

情けないと思いながら、重い体を引きずり起こす。ドアを開けると、医療魔術師だった。まだ若い女性だ。魔術師が良く着るローブを着込んいて、手元足下までかなりゆったりとした服装だ。

顔立ちはあまり整っているとは言えないけれど。トトリから見てもわかるくらい、体から立ち上る魔力が強烈である。

「目を覚ましたわ」

「メルお姉ちゃん、無事ですか……?」

「ええ。 流石にね。 峠は越えたし、後はどうにかなりそうよ」

言われるまま、ついていく。

昨日は寝間着に着替えることさえしなかった。体を濡れた布で拭くことさえしていない。情けないし、女として終わっているとも思うけれど。

今は、それに優先することがある。

村の一角にある施療院で、メルお姉ちゃんは寝かされていた。

他にも怪我をしている人が、何人も寝かされている。

手指を失っているくらいならまだいい。アーランド人なら、指くらいは失ってもその内再生するからだ。

問題は手足を失ってしまっている場合。

それは、どうにもならない。

うんと幼い頃なら、どうにかなる場合もあるらしいけれど。大人になって、体が固まってしまってからは無理だ。

そういう患者が、周囲に散見された。

きっと、昨日遠くで行っていた戦いの結果だろう。

多くのけが人は、同じ顔をした女性ばかり。多分、みんな戦闘用ホムンクルスだろう。

相当な規模の戦いだった。

そして、あの戦いの中。

恐らくは、アーランドに敵対する誰かが、トトリを狙ってきた。

目的はわからないけれど。

あの殺気は本物だった。今でも、恐怖で全身が竦んでしまいそうだ。

「此方よ」

奧の部屋に案内される。

ベッドに寝かされたメルお姉ちゃんは、とても弱々しく見えた。普段の、殺しても死にそうにない姿とはかけ離れている。

こんなに弱った姿を、見る事になるなんて。

「どうしたの、トトリ……」

手を伸ばしてくる。

ベッドの側に座ると、手を掴んだ。

「ごめんなさい。 私のせいで、こんな」

「ばかいってんじゃないの。 これが、護衛の、仕事よ……」

おなかには、まだ包帯。

換えたばかりに見える。

あれだけのとんでもない毒を喰らったのだ。毒消しが、少しは効いたのだろうか。わからないとしか、言えない。

医療魔術師が、素早く状態を確認。

順番に、幾つかの回復魔術を掛けていった。

それで、ようやく気付く。

彼女は冒険者の免許を、魔術師用ローブの胸元に付けている。ランクは、8。なるほど、この腕前も納得である。

「二月くらいは動けないわよ」

「うわー、今までで、一番ひどい怪我だわ」

「……」

「ほら、泣くな。 あたしはね、仕事をして、その結果の怪我をしたの。 だから……いつっ! だから、ね。 あんたは笑って、あたしが生きていた事を、喜んでくれれば、いいのよ」

頬を撫でられる。

メルお姉ちゃんの、褐色の手はとても硬くて。女の子の手と言うよりも、歴戦の戦士のものだった。

促されて、外に。

もう、此処にいて、出来る事は無い。

施療院を出ると、マークさんが待っていた。

「どうするね、これから」

「一度、アランヤに戻ります」

「少し此処で過ごした方が良くないかね」

「私に出来る事、何もありません。 それならアトリエに戻って、ペンギン族の信頼を得るために、お薬を作りたいです」

説明をすると。

マークさんは、大きく嘆息した。

「子供みたいに泣きわめいても良いと思うがね、君は」

「そんな事している暇、ありません」

どうしたのだろう。

トトリは、驚くほど自分が冷静なことに気付いていた。今更、だけれども。あれほど、さっきまで取り乱していたのに。

何処か、頭の線がキレたのだろうか。

ありうる話だ。

何かショックなことがあると、人は体の一部を壊すことで、身を守るという話を聞いたことがある。

トトリは何か。

心の何処かを壊して、自分で立ち上がったのかもしれない。

「戻る途中の護衛をお願いします」

「かまわんが、大丈夫かね。 昨日狙ってきた奴のことを考えると、もう一人くらいベテランがいた方が良いと思うんだが」

「それなら、私が?」

不意に割り込んでくる声。

相変わらず神出鬼没のナスターシャさんが、そこにいた。あの小さな女の子も、側に連れている。

露骨に嫌そうな顔をするマークさん。

それに対してナスターシャさんは、悪魔そのものの笑みを浮かべた。

「ああら科学者先生。 私がお嫌い?」

「君と言うよりも、魔術師全般がね」

「何を馬鹿な。 科学者先生も、魔術の力は使っているじゃないですか」

びしりと、空気が帯電するのがわかった。

トトリは咳払いする。

「護衛、お願いします。 マークさんも、出来るだけ仲良くしてください」

「わかったよ。 それで、その子供はどうするんだね」

「勿論連れていきますよ。 高いハイドスキルを持っていますから、重宝しますしね」

「重宝、ね」

やはり、空気が悪い。

トトリは一度施療院に戻ると、これから一端アランヤに帰る事を、メルお姉ちゃんに伝えて。

それから、宿で準備。

昼少し前には、村を出た。

東にしばらく行けばアランヤだ。メルお姉ちゃんも、リハビリが終われば、地力で帰ってくる事が出来るだろう。

行く途中、ナスターシャさんはかなり話しかけてくるけれど。

マークさんは無言。

ナスターシャさんが連れている女の子も、終始無言で。フードを何度か直している以外、殆ど目だったことはしなかった。

あの合戦があったとは思えないほど、周囲は静か。

街道を通っていることもあって、時々巡回らしい戦士が通り過ぎるけれど。彼らも、そう緊張しているようには見えなかった。

アランヤ村西の森が見えてくると、ほっと一息。

ここまで来れば土地勘もある。

でも、昨日のことを思い出す。

あのお爺さん。

とても、今のトトリがどうにか出来る相手では無かった。下手をしなくても、マークさんが割って入らなければ、殺されていただろう。

トトリは、一体何に巻き込まれているのだろう。

アランヤ村が見えてきた。

周囲を、もう一度見回す。

特に、危険な気配は無い。トトリには、少なくとも感じ取ることが出来ない。村に入るまでは、安心できないけれど。

急ぎ足になる。

もしも、仕掛けられるなら。

多分、油断する瞬間だろうと思うからだ。

ナスターシャさんが後ろを見る。

「少し、急いだ方が良いかな」

「わかりました」

促されるまま。

トトリは、早足になった。

今回は、途中での最終作業も、最小限にしている。色々な素材を手に入れてはいるけれど、それもあまり多くは無い。

失う事ばかりが。

あまりにも多かった。

門を、くぐる。

一瞬だけ、背中にぞわりと殺気を感じたけれど、それだけ。振り返っても、何も其処にはいなかった。

村の広場で、ようやく安心して、トトリは嘆息した。深呼吸をしていると、前から来たのは、パメラさんだ。

「あらー。 どうしたの、トトリちゃん」

「……何でもありません」

「?」

パメラさんは、相変わらずの優しいふわふわした笑顔のまま。

護衛の二人と別れると、そのままアトリエに帰る。

しばらくは、何も考えたくない。

今朝までのように、おいおい泣いたりするほど、心は乱れていないけれど。

しかし、同時に。

体も心も。ひどく傷ついているように感じた。

 

3、砂浜に

 

酒場に出ると、マークさんと、意外な人がいた。

ミミちゃんである。

彼女はトトリを見ると、何ら遠慮することなく、席から立ち上がって、まっすぐ此方に来る。

「どうしたの、その顔」

「どうもしていないよ」

「……」

じっと真正面から見られる。

ミミちゃんは子供っぽいけど。だからこそに鋭いところもある。ひょっとすると、話は聞いていたのかも知れない。

「この辺りでアーランド諜報部隊と、スピア連邦の部隊との交戦があったらしいけれど。 その影響?」

「鋭いね」

「少し休みなさい。 今は仕事よりも、そっちが優先よ」

「そうはいうけれど」

昨日、調合を続けて。

たくさんお薬を作ったのだ。

少しずつ、難しい薬も、作れるようになってきている。解熱剤や解毒剤も、更に精度が上がるように練習した。

マークさんも、ほろ苦い表情で、ミミちゃんの言葉を首肯する。

「僕も同意だね」

「……ミミちゃん。 前にリス族の集落に行ったときのこと、覚えている?」

「ええ、地獄だったわね」

「ペンギン族は、今攻撃を受けているの。 現在進行形なの」

トトリに出来る事は、しておきたい。

そういうと、ミミちゃんは。

納得はしてくれたようだった。

「ただし、今日は休みなさい」

「どうして、もう元気だよ?」

「鏡あるかしら」

「これでいいかい?」

マークさんが箱からウィーンと伸ばしてきたアームの一本には、鏡がついていた。前も似たような事があった。

見せられた顔は。

確かにひどかった。

憔悴しきっていて、目の下に隈もある。栄養状態が悪いことが、一目で分かるほどにひどい。

「此処の酒場じゃ、きっと栄養価という点で良い食べ物はでないわね。 貴方の家に行きましょう」

「ミミちゃん、痛いよ」

「だって掴んでおかないと、逃げるでしょう」

マークさんは肩をすくめると、マスターに注文を始めた。

多分ついてくる気は無いのだろう。

ミミちゃんに引っ張られて、家に帰る。大股で歩きながら、ミミちゃんは辛辣なことを言う。

「貴方に出来る事は限られてるって、わかってるわね」

「うん、それはもう」

「それなら、少しでも出来る事を増やせるように、休みなさい。 そうしないと、ただでさえ出来る事が、更に減るわよ」

言われるまま、家に。

ミミちゃんは、前もお姉ちゃんにでれでれになっていたけれど。今日も、それは変わらなかった。

台所で料理をしているお姉ちゃんは。

どうしてだろう。ちょっと疲れている様子だったけれど。

今は、それよりも。ミミちゃんがはしゃいでいる様子が、ほほえましくて仕方が無い。

「トトリってば、見ての通りひどい有様で。 少したくさん食べさせたいんですけれど、いいですか?」

「トトリちゃんを心配してくれているのね。 ありがとう」

「そんな、当然のことをしているだけです」

まるで恋人でも見るかのようなミミちゃんの様子。

いや、違う。

あれは、多分幼い子供が、母親を見る目つきだ。

そういえば、気になっている事がある。クーデリアさんとミミちゃんでは、同じ貴族でも、考え方が違いすぎる。

どちらかと言えば。現状から言えば、おかしいのはミミちゃんの方だけれど。

どうしてミミちゃんは、あんなに貴族にこだわるのだろう。

でも、あの時。

クーデリアさんに食ってかかったときの様子からして、きっと聞き出すには、今よりもっともっと信頼を得ないと駄目だろう。

まず、蜂蜜湯が出てきた。

この蜂蜜は、トトリが近くの森で取ってきたものだ。リス族の人達も、採集に協力してくれた。

昔は、蜂の巣を丸ごと潰して蜜を絞っていたらしいのだけれど。

今は簡単な遠心分離装置で、蜂の巣と蜜を分けている。

ただ、幾つかの村では、昔ながらのやり方で、蜜を絞っているそうで。昔ながらのやり方の方が、味そのものは濃くて力も出るらしい。

しばらく蜂蜜湯を飲んでいると、体が温まる。

それで改めて気付く。

こんなに体が消耗していたのか。

それから、サラダが出てきた。ついでお魚の肉。揚げ物。順番に、おなかにあまり優しくない食べ物が出てくる。

ミミちゃんが見張っているので、全部食べないといけない。

ただ、トトリとしても、食べる事で、力が戻ってくるような気はしたし。お姉ちゃんの料理は大好きだから、嬉しくもあった。

アーランドにいるときは外食の比率が多かったし。

こうやってお姉ちゃんのお料理を食べられるのは、とても嬉しい。

「メルが大けがをしたんだってね」

後片付けをしながら、お姉ちゃんが言う。

ミミちゃんが、そうだったのかと一瞬顔に書いたけれど。何も言わない。むしろ席を立つと、お姉ちゃんがお皿を洗うのを手伝い始めた。

「もう、錬金術師も冒険者もやめる?」

それは、悪魔の囁き。

お姉ちゃんは善意で言っている。トトリが悲しい思いをしているのを、見てみぬふりが出来ないから。

そして今。

凄くその提案を、魅力的に感じてしまう自分がいる。

でも、トトリは。

魅力的な悪魔の囁きを、振り切った。

「ごめん、お姉ちゃん。 怖いし、ひどいと思うものもみてきたけれど。 怖いと思う目にもあってきたけれど。 やっぱり私、冒険者を続けたい」

「そう。 本当に、良いのね」

「……うん」

後片付けは終わったので、もうトトリにする事は無い。

お姉ちゃんは何時でもお嫁に行けるだろう。そう思えるくらい、手際が良くて、羨ましくて仕方が無かった。

外に出ると、ミミちゃんがついてくる。

そしてトトリが訓練用の棒を手に取ると。ミミちゃんも、同じようにして、棒を取った。

やることは、わかっている。

そのまましばらく、型の稽古につきあって貰う。

ミミちゃんは、トトリが知らない型を、幾つか知っていた。多分、教わっていた達人に伝授されたのだろう。

一つずつ、教えて貰う。

少しでも体を鍛えないと。

体力を付けないと。

でも、焦りは不思議とない。

やはりメルお姉ちゃんが大けがをしたとき。トトリの中で、何かが切れたのだろう。

「明日、村を出るのよね」

「うん。 ペンギン族の人達に、少しでも信頼して貰わないとね」

「私も行くわ」

「有り難う。 でも、とても危ないところを通ると思う」

平気よ。

ミミちゃんはそう言いながら、鋭く棒を突き出す。ミミちゃんも、多分最初は棒術から始めたのだろう。

二人連れだって、師範の所に行く。

久しぶりに、棒術を見てもらった。ミミちゃんの方は、槍術だけれど。

師範のアドバイスを受けて、すぐにミミちゃんは言われたとおりにする。飲み込みが良いのか、師範が感心していた。

「うむ、うむ。 色々な達人が後ろに見える」

「有り難うございます」

一礼するミミちゃん。

きっと、多くの達人に学んだ事が、誇りになっているのだろう。

トトリも、棒術の型を見せるけれど。師範は、難しい顔を、ずっと続けていた。

「かなり進歩したな。 多分同年代の棒術使いとなら充分にやり合える筈だ」

「本当ですか?」

「だが、技術だけだ。 力が決定的に足りないから、モンスターと渡り合うとなると厳しいだろうな。 技術を磨けば、不足している力を補うことも出来るだろう。 まだ基礎を続けなさい」

また、同じ事を言われた。

結局一人前になるのはまだ先か。

でも、肩を落とすことは無い。昔に比べて、強くなったから、だろうか。そうとも思えない。

家に戻ると、またたくさん食べさせられる。

そして、かなり早い時間に、寝るように言われた。

居間の方では、ミミちゃんとお姉ちゃんが、ずっと何かを話している。トトリがいなくなった後、不意に声色が変わったような気がするけれど。

トトリには、わからない。

ただ、疲れも溜まっているのも事実。

布団に入って、しばらくすると。

いつの間にか、もう眠りに落ちていた。

 

翌朝。

かなり体が軽くなった。

体が若い事が、こういうときは有利に働く。食べて寝ていれば、動けるようになるのは道理だ。

朝早くに外に出て、顔を洗う。荷車にお薬を積んで準備していると。酒場で待つこともないと思ったのか。ミミちゃんが来るのが見えた。

朝ご飯を、しっかり食べてから、出かける。

酒場にマークさんもいたし、誘う分には問題ない。ミミちゃんはマークさんのよれよれな格好に文句を言うことも無かったけれど。無精髭だらけで、汚れまみれの白衣については、あまり見ていて良い気分はしないようだった。

ただ、ナスターシャさんとマークさんの時ほど、空気は悪くないのが救いか。

前回と同じルートで、ペンギン族の縄張りに向かう。

というのも、メルお姉ちゃんの事が心配だからだ。村の方も、お薬が足りているかわからない。

お見舞いに行って、損は無いだろう。

荷車はかなり重い。

大量のお薬を見て、ミミちゃんは思うところがあるようだけれど。それについては、何も言わない。

トトリが調合した分だけでは無い。

パメラさんの所で、量産分を買い込んできたのもある。

「随分積み込んでいるわね」

「これでも、足りるかはわからないよ」

「それで、ぼったくられるかもしれないけれど、どうする気?」

「少しずつ、相手に信頼して貰うつもり。 そうしないと、そもそも交渉も出来ないから」

前、ペンギン族が引いてくれたのは、単純に縄張りの維持が出来ないから。

別にトトリを信頼してくれたわけではない。

トトリが命じられたのは、紛争の調停。

この間のは、一時しのぎに過ぎない。ましてや、スピア連邦がおかしな動きをしている今は、なおさらだ。

キャンプスペースで一泊して、村に。

メルお姉ちゃんをお見舞い。案の定、村の施療院では、お薬が不足していた。納入すると、随分喜ばれた。

少し減ってしまったけれど、それでも荷車にはまだたくさんお薬がある。

平気だろうと、トトリは思っていたけれど。

街道を南下し。

ペンギン族の縄張りの境まで来た時。考えが変わった。

戦闘の痕が、ある。

彼らが縄張りを主張している杭が倒されているのに、補修されている形跡が無い。これは、すこしばかり、まずいかもしれない。

「じょうご貸してください!」

「前にも言ったじゃないか。 これはスピーカーというのだよ」

「それでお願いします!」

マークさんからスピーカーをかいうのを受け取ると、縄張りに向けて叫ぶ。

返事無し。

ミミちゃんは最初耳を押さえていたけれど。

すぐに、耳から手を放した。

「どういうこと?」

「まずいよ。 攻撃、受けたんだよ」

「見ればわかるわよ!」

あの時、戦っていた大兵力。それに、襲いかかってきた、あのよく分からないお爺さん。どちらかの仕業とみて間違いない。

縄張りに沿って、走る。

砂浜の彼方此方に、爆発の跡が残されていた。

カラスがたくさん集っている。死骸がそのままに放置されている。死んでいるのは、ペンギン族だけでは無い。

ホムンクルスらしい、よく分からない形状のものもいる。

腐敗臭からして、一日や二日前の死体じゃない。

つまりそれはどういうことかというと。

それだけ前の死体を、片付ける余裕も無くなっている、という事だ。

ひょっとすると、あの戦いの時だろうか。

しばらく、杭が刺さっている辺りを、見て廻るけれど。

ペンギン族の生存者は見当たらない。

そうなると。

前回お薬を渡しに行ったときの直後に、此処が襲われて。死体を片付ける暇もないくらいの、壊滅的な打撃を喰らったという事だ。

口を押さえたのは。

その紙一重の恐ろしさに、今更に気付いたから。

下手をすると、トトリも襲撃に巻き込まれて。今頃は、こうなっていたのだ。

でも、どうしてだろう。

心は妙に落ち着いていた。

多分、生き残りがいたら、先ほどのスピーカーでの呼びかけには気付いている筈だ。もう一度、場所を変えて呼びかけてみる。

返事はなかったけれど。

移動しようとした瞬間。

周囲を囲まれていた。

ミミちゃんが、構えを取るのが、出遅れる。

マークさんは、気付いていたようで。囲まれると同時に、箱からたくさんのアームと、機械を展開していた。

音もなく周囲を取り囲んだのは。

ペンギン族の一団だ。

全員目を血走らせていて、負傷もしている。

トトリは、無言のまま。

ミミちゃんは槍を構えて。生唾を飲み込んでいた。

しばし、沈黙が続くけれど。

意を決して、トトリはそれを斬り破った。

「お薬、届けに来ました。 通訳の人は」

「じいやは、死んだ」

「……!」

「知らない奴がいる。 そいつ、誰だ」

ミミちゃんの事か。そういえば、前回は一緒にいなかった。

彼女は信頼出来る戦士で、護衛をして貰っている。そう話すと、ようやくペンギン族は、少しだけ剣呑な空気を、和らげてくれる。

怪我をしている人もいる。

トトリは頷くと、言う。

「手当てします。 怪我を見せてください」

「いや、専門家が営巣地にいる。 薬だけくれ」

「専門家、ですか」

「まだ我々の呪術師は生きている。 この間の襲撃で多くの戦士が倒されたが、何とか守りきった」

来て欲しいと、言われる。

困惑するミミちゃんを促して、トトリはついていくことにした。

 

其処は、海岸にある岩山の影に作られた穴。

内部は潮の香りがする。実際、潮の満ち引きに応じて、海水が入ってくるようだ。其処には、多くの枯れ草が敷かれていて。営巣地というように、本当にたくさんの鳥が巣を作っているように見えた。

奧にあるのは、何だろう。

骨を組み合わせて作った、巨大な鳥だろうか。

「これは興味深い」

マークさんは目を輝かせて、営巣地をスケッチしている。

警戒心が強い彼らが、よくトトリをこんな所まで入れたものだと思ったけれど。入って見て、理由がよく分かった。

殆ど生き残りがいないのだ。

完全に無力化されているとみて良いだろう。

負傷者はたくさん寝かされているけれど。

重傷者ばかり。

先ほど、負傷しているままの戦士達に囲まれたけれど。アレは要するに、軽傷者を手当てしている余裕が無い、ということだったのだろう。

そして、薬を此処まで運ぶ余裕も、である。

潮に混じって、以前嗅いだ臭い。

リス族の集落で見たのと同じ光景。

当然、これは死の臭いだ。

此方に来たのは、自身も負傷している様子の、魔術師。ペンギン族は呪術師と呼んでいるようだけれど。ややこしいので、頭の中では魔術師と呼ぶ事にした。かなり年老いているようだけれど。腕は確かなようだ。

「薬を、くれるか」

「はい。 此処に、あるだけ」

「助かる」

すぐに薬を取り出して、手当を始める魔術師。

トトリは意を決すると、頷く。

「アーランドに支援を求めるべきだと思います」

「駄目だね」

「どうして! もう、縄張りの境も維持できない状態でしょう! 意地を張っていると、全滅するわ!」

トトリの代わりに、ミミちゃんが激高する。

だけれども。

前に通訳をしてくれていたお爺さんの代わりに、一族をまとめているらしい魔術師は、首を横に振る。

「此処に人間を入れるだけでも、特級の例外なんだよ。 本来我々は、翼を失った空の民と言われていて、人間とは似て非なる存在なんだ。 人間を我々に近づけることは、空の神が許さないんだよ」

独特の宗教があると言う事か。

でも、そのせいで。

大勢が死ぬのを、見過ごすわけにはいかない。

見れば小さな子供も、負傷して横たわっているでは無いか。うめき声は絶えることがない。

「もっとお薬を」

「無用。 この薬だけで、今いる連中の負傷ならどうにかなる」

「……」

見回す。

確かに、助かりそうなペンギン族の戦士は、あまり多くない。

でも、医療魔術が使える使い手が、もう少しいれば。

まだ救える人数は、増えるかもしれない。

「アーランドに救援を求めれば、もう少し救える人は増えると思います」

「救われても、誰も喜ばないよ」

「どうして!」

「ミミちゃん」

納得できない様子のミミちゃんを制止する。怒る気持ちはとても良く分かるけれど。そうやって接しても、相手は納得してくれないし。

此方の言う事だって、聞いてはくれない。

経験的に、それは確かなことだ。

でも、此処で引いてしまうと、救える命が消えてしまう。トトリは、それならと、提案の方向を変える。

「それなら、境にまで負傷者を運んでください。 其処に医療魔術師を呼んできます」

「……なんだね、そのやり方は」

「それなら、境に接した人間がいたと言う事で、斥候が出向くという形にしても良いでしょう。 貴方は此処から動かせない重傷者の治療に注力する。 それで、どうですか」

少し考え込む魔術師。

やがて、ついと視線を背けた。

「わかった。 ただ、感謝はしない。 営巣地からも、出来るだけ早く出て行ってくれ」

「……」

トトリは、憤懣やるかたないミミちゃんの腕を取って、営巣地をでる。

マークさんは満足そうに、スケッチを箱にしまっていた。ここに入った人間は、多分初めてだろう。

ペンギン族の縄張りをでるまで。

戦士がずっと側に張り付いていた。

「すぐに、助けを呼んできます。 軽傷者を、この境にまで、移しておいてください」

「助けでは無くて、縄張りに接近する不審者だろう」

「そう、ですね」

「いや、気を利かせてくれてすまない。 本当だったら、感謝しなければならないところだが、我等が一族の掟は大きいのだ」

境に出ると、ペンギン族の戦士達は、立ち止まる。

そして、ずっとトトリ達の事を、見ていた。

 

4、超えられない憎しみ

 

ケニヒ村に到着。

トトリはすぐに、鳩便を準備して貰い、アーランドに飛ばす。

本格的な救援が来るまで、此処だと一週間では無理だろう。それまでは、トトリ自身が、どうにかして人員を確保するしかない。

交渉は、トトリが任されているのだ。

問題があるとすれば。

ペンギン族の集落に近い村ほど、彼らとの軋轢の歴史が長い、という事である。

酒場のマスターも。

あまりトトリのことを、良い目で見てはいなかった。鳩便の内容について聞かれたので、素直にこたえると。

苦虫をかみつぶしたような顔をされた。

「放っておけ。 連中が死に絶えれば、それだけ街道が安全になる」

おそらく。

それは本音からの言葉。

ケニヒ村では、今までペンギン族と交戦を何度も行って。死者もたくさん出してきたことだろう。

だから、気持ちは、わかる。

でも、今は。

それを超えて、行動するべきだ。

「それに助けてやったところで、連中は此方に対して感謝も遠慮もしない。 傷を治した後は、嬉々として襲いかかってくるだろうさ」

「トトリ」

ミミちゃんが腕を引く。

もう時間の無駄だというのだろう。

「それならば、こうしませんか。 もしそうなったら、私もペンギン族の駆逐に協力します」

「……ほう」

「もっとも、向こうが縄張りを侵して攻撃してきた場合に限りますけれど」

「……」

マスターが考え込む。

錬金術師の持つ意味は。この間の激発未遂事件でも、この村では大きくなっている。事実、酒場でトトリを揶揄するような声は一切聞こえてこない。

ペンギン族に関する話が出ているにもかかわらず、だ。

前回のケニヒ村での騒動の時は。

止めてくれた人がいなければ、トトリは袋だたきにされて、村から追い出されても不思議では無かったくらいなのだ。

「それに、ですけれど。 南にいるペンギン族には、もう戦う力は無いと思います」

「それはどうしてだ」

「境に死体が放置されたままです。 それも、倒したらしい敵だけではなくて、ペンギン族の戦死した遺骸まで」

マスターが黙り込む。

そして、酒場にいた戦士に耳打ち。彼は、すぐに飛びだしていった。

「医療魔術師はいますか」

「……貸しても良いが、先ほどの話は本当だろうな」

「はい。 私も、正直な話、これ以上はつきあいきれませんから」

「そうか」

トトリは出来るだけ無表情を作って言う。

マスターが、あまり喜ばしいとは言えない、暗い笑みを浮かべた。

すぐに、施療院に出向く。

もう此方には、けが人はいない。務めている魔術師は、幸いにも村の出身者ではないようで、話をするとすぐに向かってくれるという話だった。中年の医療魔術師で、見たところ荒事の経験も豊富そうだ。すっとした鼻筋がはえる美人だけれど、もう若さが失われ始めている。冒険者ランクを見せてもらうと、7。多分医療魔術師としての技量よりも、戦闘魔術師として力を磨いてきた人なのだろう。それならば、余計に好都合だ。

トトリも一緒についていく。

ペンギン族の縄張りの境に到着したのは、既に夜。

境の辺りには、軽度の負傷者が二十名以上、既に出向いてきていた。トトリの姿を見ると、彼らは一様に、ほっとした表情を見せる。

「建前は良いですから、並んで」

医療魔術師が、作業を始める。

残してあった薬を、全部出す。これで、荷車はすっからかんだ。一度、アランヤに戻りたい所だけれど。

手伝ってと言われたので。作業を手伝うことにする。

これで、ペンギン族の魔術師は重傷者の治療に注力できるはず。

きっと救われる人が、増える。

トトリはそう思うと。まず火を熾して、鍋に水を入れる。煮沸消毒のためだ。

沸騰させたお湯を冷ますと、手を洗う。ミミちゃんにもやってもらう。

その後は、ひたすら。

魔術師が言うまま、手伝いを続けた。

 

軽傷者の手当が終わる。

とはいっても、ひどい傷も多かった。命に別状がない人間を、まとめて軽傷者に分類していたのだろう。

歩ける者は、営巣地に帰っていく。

多分、重傷者の救護を手伝うためだろう。

残りの者達は、横になったまま。

砂浜の上空を、カラスが舞っている。死骸が増えないか、期待しているのだろう。事実この辺りで、最近たらふく食べる事が出来たのだから。

カラスの群れに、アードラが突っ込む。

そして数羽をわしづかみにすると、空の向こうに消えていった。

空も、熾烈な食物連鎖の場だ。

「包帯が尽きたから、一度村に戻るわ」

「お願いします」

「くれぐれも気を付けてね」

念を押されたので、頷く。

マークさんは、ずっと歩哨をしてくれていた。何が襲撃してくるか、わからない状況だ。当然のことだろう。

ミミちゃんが、汚れた包帯を洗ってくれている。

丁寧に洗った後、煮沸消毒して、また使えるものは使うのだ。

無理なものは燃やす。

感染の危険があるから、当然だろう。

リネン類が決定的に足りない。これでは、営巣地の方も、何人助かるのか、分からないと言うのが本音だ。

マークさんが、戦闘態勢を取る。

見ると、数人の戦士が来ていた。いずれも見覚えがある。ケニヒ村の戦士達だろう。

砂浜に並べられたペンギン族の負傷者を見ると、彼らは鼻で笑った。そのためだけに来たのか。

「何だね。 見世物ではないよ」

「ああ、そうだな」

「何しろ、ペンギン族が縄張り付近に来ているんだ。 此方も警戒しないといけないんでね」

けらけらと笑う声。

わかっていてやっていることは、明白だ。

トトリが視線を向けると。彼らは、不快そうに視線をそらした。彼らも、錬金術師の影響力は認めてくれている、という事だろう。

「これは、此処を離れられないわね」

ミミちゃんが呻く。

トトリも同意見だ。

もし此処を離れた場合、彼らが積年の恨みを晴らすために、暴徒と変わりかねないからだ。

ペンギン族との長年続いた諍いが、どれだけケニヒ村の人達の心に影を落としているかは、よく分かった。

それでも。

いや、それだからこそ。

トトリは、この場を離れられない。

それに、ケニヒ村の人達の心情だって、わかるのだ。彼らの中には、親兄弟を、抗争で失った人だっているだろう。

医療魔術師が戻ってくる。

彼女は、見物人を一瞥すると、作業に戻った。

「貴方たち、一度村に戻って休んできて」

「この状況では、無理です。 彼らが何をするかわかりません」

「そう、ね……ごめんなさい」

そうなると、一刻も早く、治療を済ませなければならない。

医療魔術師の指示に従って、負傷の手当を続ける。それで気付くのだけれど、ペンギン族は足腰が凄まじいまでに頑強だ。足の筋肉の付き方がすごい。

明け方になって、体力の限界が来たミミちゃんに、先に休んで貰う。

幸い、近くに泉があったけれど。

それも、争いの種になっていたらしい。

むかし植林で作られた森に出来た泉だったそうなのだけれど。ペンギン族の縄張りと近くで、使用には制限も多く。

特にこの間の諍いの時は、完全に彼らの縄張りに沈み込んでしまっていたこともあって、ケニヒ村の人達は怒り心頭だったそうだ。

トトリも、少し休む。

泉の水を使って、体を拭く。

マークさんが、側で見張りをしてくれた。流石にいい年の大人だし、覗くようなこともない。

体を拭き終えると、少しすっきりした。

だけれども。まだ、軽傷者とは名ばかりの重傷者は、たくさんいる。

薬を取りに、アトリエに戻る余裕も無い。

 

翌日の朝になっても、作業は続く。

幸い、見物に来ているケニヒ村の人達がいるから、街道は却って安心だ。ミミちゃんに、ケニヒ村まで食糧を買いに行って貰って。それで、飢えは凌ぐことが出来た。

耐久糧食も。

持ってきた分は、全部ペンギン族に配ってしまった。

食べると力が出る耐久糧食は、こういうときの栄養食としても最適だ。

お薬もあった。

鳩便をアランヤに出して、此方に送ってくれるように手配もしたらしい。多分乗合馬車を使って輸送するのだろう。かなり割高になるけれど、今はそれどころではない。薬が来るだけでめっけものだ。

一つずつ、問題が改善していく。

ただ、状況は全体的には決して良くない。

軽傷者が営巣地に戻ると。

多分、どうにか処置が終わったらしい重傷者が、代わりに営巣地から運ばれてくるのである。

命に別状がなければ、全員軽傷者としてくくっているのだろう。

それだけ切羽詰まった状況だと言う事だけれど。

これでは、きりがない。

「ミミちゃん、鳩便は」

「そろそろアーランドにつく頃でしょうね」

「だよね」

もう救援が来たら、どれだけ楽だろう。

医療魔術師がもう一人来るだけで、状況は全然違う。

手当を続けているケニヒ村の魔術師は、何度も汗を拭う。彼女も、長年の対立は知っているから、だろう。

見物で憂さ晴らしをしているケニヒ村の戦士達に、文句を言うことは無かった。

それに、けが人を殺そうとしないだけでもマシなのかもしれない。

「あっ! 彼奴は!」

だけれど。

ケニヒ村の戦士の一人が、殺気だった声を上げた。

新しく運ばれて来た、屈強なペンギン族の戦士に、見覚えがあるらしい。分厚く毛皮を纏った、いかにも強そうな男性だ。

怪我はあまり大きくないのだけれど。

毒を喰らったらしくて、かなりつらそうにしている。

この毒。まさか。

「ひょっとして、お爺さんにやられたんですか?」

「……お前は。 そうか、錬金術師か。 お前の所にも現れたのか」

苦しそうに、屈強そうな戦士は言う。

この様子からして彼は、前に目撃したモンク級の戦士かもしれない。被っている毛皮が酷く痛んでいて見分けがつかないけれど、もしそうなると、ケニヒ村の人達から見れば、怒り心頭の相手だろう。それだけ、激しくやり合ってきた相手なのだろうから。

マークさんが、殺気だって此方に来ようとする人の前に立ちはだかる。

「何をする気かね」

「どけ、青びょうたん! 彼奴にオレの兄貴は殺されたんだ!」

「それは、諍いでの話だろう。 強い相手と戦って果てることは、アーランド戦士の誇りの筈だが」

「ああ、まっとうな戦いでならそうだろうよ! 奇襲されて頭を蹴り砕かれたんじゃなければ、オレだって怒っていない!」

そうか。

ペンギン族は、戦い方も奇襲が主体になるのか。

目を伏せる。

アーランド人とは価値観が違う。正々堂々と強敵に挑むアーランド人と、獣に近いやり方で戦うペンギン族は、相容れない。

「いい加減にしたまえ。 錬金術師とはいえ、まだ大人になったばかりの女の子でさえ、自分を色々と犠牲にして諍いを収めたんだよ。 それがベテラン戦士にもなって、諍いを蒸し返そうというのかね」

「きれい事ばかり抜かすんじゃねえ、ヒョロ野郎! 邪魔するなら、もう関係ねえ! あのクソガキもろともブチ殺すぞ!」

ミミちゃんが怒りに青ざめて立ち上がろうとするけれど。

トトリが止める。

「ミミちゃんは、医療のお手伝いを続けて」

「トトリ、何をするつもり」

「大丈夫」

トトリは、マークさんの所に行く。

無表情のままのトトリを見て。流石に怒りに青筋を浮かべていた男性戦士も、たじろいだようだった。

錬金術師が、アーランドの宝である。

勿論宝なのはロロナ先生だけれど。トトリはその稀少な弟子である。

卑怯なのはわかっているけれど。

今は、それを利用して。救える命を、一つだって救う。

「何だよ」

「私を殴ってください。 それで気が済むなら」

「なんでお前を殴らなければならないんだよ、錬金術師!」

「家族を失った気持ちはわかります。 だから」

メルお姉ちゃんを傷つけられたとき。

トトリは、どうすることも出来なかった。

だから、痛みと悲しみはわかるつもりだ。

じっと見つめられてたじろいだ戦士は。唾を吐き捨てると、仲間の所に戻っていった。納得してくれたようには見えない。

でも、一時的に。

危機は、回避できたのだと信じたい。

「彼奴に殴られたら、死んでいたわよ」

戻ると、ミミちゃんが、目を伏せて言う。

でも、苦笑いしか、浮かべることが出来なかった。

 

5、終わらない壁

 

ケニヒ村からの伝令が来た。

待機させておいたホムンクルスの部隊だ。近くで、レオンハルトを見かけたという。多分戦いから逃れた分身の一人だろう。

少し前に、くーちゃんが分身を一人倒したけれど。

それでも、まだどれだけ分身が残っているかわからない。

ロロナは少し考え込む。

彼方此方に部隊を派遣している現状。

これ以上、戦力を裂くのは、好ましくない。

連日敵の戦力を削っている。やや有利に戦いを進めていて、今日も敵の一分隊を撃滅することに成功した。

それでも、不安が大きい。

敵は犠牲を全く怖れていないと言うよりも。

単純に情報を得るためと割り切っているとしか思えないからだ。

そして、隙を見て。

此方に致命打を与えに来る。

物量を惜しまず。それどころか、自身の命さえ惜しまない。だからこそ出来る、おぞましい戦い方だ。

ツェツェイさんが戻ってくる。

トトリちゃんに何かあったのか。

「どうしたの?」

「厳しい状況です」

沈鬱な表情のツェツェイさん。

話を聞くと、トトリちゃんはペンギン族と接触。薬を全部引き渡し、そのまま負傷者の治療に当たっているという。

しかも、一番近くのケニヒ村に支援を頼んで。それが大きな諍いを巻き起こしかけているというのだ。

これは、厄介かもしれない。

「医療魔術師は治療を快諾して、負傷者の手当を始めていますが、手が足りていません」

「……くーちゃんに相談するね。 ちょっと待っていて」

「出来るだけ、急いでください」

頷くと、ロロナは。

くーちゃんの所へ急ぐ。

少し離れた岡で、くーちゃんは戦闘の見聞をしていた。敵分隊を制圧したときの状況について、ホムンクルス達に問いただしている。

ロロナが来ると、一端作業を停止して。くーちゃんは此方に来た。

事情を軽く説明。

まずいと、くーちゃんは開口一番に言う。ロロナも同意見だ。

「レオンハルトの奴、此方の動きを読んでいるわね。 多分トトリに出来るだけ表向き協力しないように支援していると嗅ぎつけたわよ」

「どうする?」

「此方の守りは手薄になるけれど、リオネラ夫妻に行って貰いましょう。 それでペンギン族の方は、戦力が足りるはず。 多分、レオンハルトでも今のリオネラには簡単には手出しできないわ。 問題は敵の残存戦力ね」

「まだ分身が一人残っているね。 確実に」

そいつがどう動くかがわからない。

今、ツェツェイさんには、ホムンクルスの手練れ一分隊を付けている。トトリちゃんの守りは、これで充分なはずだけれど。

それも、万全を期しているとは言いがたい。

敵の戦力も、どれだけ残っているかわからないし。レオンハルト本体も、まだエスティさんと丁々発止の戦いを繰り広げていると聞いている。

そして、ペンギン族だ。

レオンハルトの攻撃で、壊滅的な打撃を受けたらしいと報告を受けている。

予想以上に、まずい事態だ。

「いったん、この件からはトトリちゃんを外す?」

「……」

くーちゃんが腕組み。

ロロナとしては、もうこの件は自分で引き受けたい。事実それで、全て片付ける事が出来る。

流石にロロナでも、レオンハルトの分身が相手なら不覚を取ることも無いし。

それに、移動指揮車があるから、薬もどうにかできる。

戦力の再配分だって。

「人材の育成は急務よ」

でも、くーちゃんの発言は強気だ。

仕方が無い。

ロロナだって、もういい年の大人だ。自分の感情よりも、合理的に判断する事くらいは可能だ。

「わかったよ。 でもくーちゃん、トトリちゃん、つらそうだね」

「全て終わった後、あたしが殴られるわよ」

「……」

トトリちゃんは、そんな事はしない。

わかっているからこそ、ロロナはつらかった。

すぐにりおちゃんに伝令。トトリちゃんの所へ向かって貰う。

後は、どうやってレオンハルトと、敵の残存戦力を捕捉するか。

ここからが、正念場だ。

 

(続)