南の災厄

 

序、過酷の切れ目

 

栄養剤を納入し終わる。

過酷な一月だった。既に栄養剤の納入を開始してから、三ヶ月が経過している。その間殆ど休む事も出来ず。明らかに、体重は落ちていた。

元々やせ形のトトリは、普段から肉を付けろと言われているのだけれど。

今回の調合の過酷さは、そのような事を許さなかった。連日の徹夜。試行錯誤。上手く行かない調合。

そして、底が見え始める資金。

尻を叩かれながら、続けた調合の数々。

ノウハウを掴んだ後も決して楽では無くて。

今日。こうして納品できたのが、奇蹟に等しい。

「よし、頑張ったな」

「品質はどうですか」

「申し分ない。 地面も喜んでいる。 まあ、お前さんの師匠にはまだまだ遠く及ばないがな」

苦笑いするトトリは、ジェームズさんに連れられて、見せてもらう。

耕された地面には、美しい緑の絨毯。

既に植えられている、成長が早い木。

此処は、荒野から生まれ変わりつつある。

さらさらという音を立てて流れている小川には。以前にはいなかった小虫や、お魚の姿も見え始めていた。

彼方此方には、木製の桟橋も作られている。

直接地面を踏まないようにするためのものだ。

「後は栄養剤を様子を見て使いながらの長期戦だ。 他の地点で緑化が終わっている場所もあるから、栄養剤が不足することもないだろう」

「綺麗な緑ですね。 良かったです」

「だろう。 来年には、この辺り一帯は草原になる。 低木も見られるようになる筈だ」

ジェームズさんは本当に嬉しそう。

この人が、緑が大好きで。荒野を緑化することに、人生をかけている事がよく分かって、とてもトトリも嬉しい。

待っているみんなの所に戻る。

ミミちゃんは、目の下に隈を作っているトトリを見て、呆れたよう。まあ、それでもにこにこ笑っているのだから、無理もない。

「帰ったら少し休みなさい」

「うん。 ありがとう、ミミちゃん」

「このまま倒れられでもしたら、寝覚めが悪いだけよ」

そうミミちゃんは言うけれど。

ミミちゃんも、決して不快そうにはしていなかった。

そう。

多分、トトリは内心ではわかっていた。

次の仕事はすぐに来るだろうと。

だから笑顔は絶えなかった。

少しでも今のうちに笑っておかないと、事実が突きつけられたとき、どうなるか自信が無いからだ。

アーランドに戻ったトトリは、冒険者ギルドに仕事を完遂したことを連絡。今日は帰って良いと言われたので。そのまま、アトリエに戻る。

ロロナ先生のアトリエを使い続けて、しばらく経つ。

ロロナ先生が帰ってこないのは不安だけれど。

それでも、今日だけは休もうと思って、ゆっくり眠って。そして翌日、起きてから王宮に行くと。

いきなり、次の仕事を指示されたのである。

ランク3にしてもらった事よりも。

その仕事の内容が、衝撃的だった。

機械を使って、カードにランク3の文字をきざみながら。淡々と、クーデリアさんは言う。

「今度の仕事は、アランヤの南西部に出向いて貰うわよ」

「ええと、アランヤの南西?」

嫌な予感がする。

それも、とてつもなく。

あの辺りは、亜人であるペンギン族の縄張りだ。しかも、西へ西へと行くと、すぐに別の国との境に着く。

アーランドに喧嘩を売る辺境国家は、今の時点では存在しない。

問題は、そこでは無い。

「ペンギン族が、街道周辺にかなり出没していてね。 彼らが主張する縄張りが、一部の街道に掛かっているの。 冒険者との軋轢が頻繁に発生していて、何度か小規模な衝突にも発展しているわ」

「そ、それを、解決……するんですか?」

「そうよ」

カードを返される。

手が震えているのがわかる。

リス族は、とても話がわかる種族だった。それに彼らは苦境に陥っていて、それが故にトトリを受け入れてくれたという事情もある。

栄養剤の納入は。

技術的には難しかったし、多くのモンスターと交戦しなければならない部分だってあった。

時間も掛かったけれど。

それでも、命の危険が大きかったわけではない。

「そ、その、ランク3の低ランク冒険者が、する仕事、なんですか……?」

「何、怖いの」

「怖いです……」

素直な言葉が口を突いてでる。

ペンギン族は戦闘力が高く、なおかつ攻撃的だ。彼らの縄張りの境に立てられている杭には、倒した獲物のしがいがぶら下げられている。

これは、下手に近づくと、こうなるぞという警告だ。

アランヤ村でも、ペンギン族と争った話は、幾つも伝わっている。

そのいずれもが。

敵味方ともに、大きな被害が出た、というものばかりだ。

「いい、今回の仕事の目的は、軋轢の解消よ。 まずは接触して、連中と話をしてきなさい」

「……で、でも」

「つべこべ言わない!」

身を竦ませるトトリに。

流石に苛立ったようで、クーデリアさんの言葉が叩き付けられた。

すごすごと逃げ帰るしかない。

国からの仕事だ。

断る事なんて、できうる筈もなかった。

アトリエに入ると。

ベッドに、そのまま倒れてしまう。げんなり、所の話では無い。死ぬ。これは、確実に死ぬ。

そうとしか、思えなかった。

ペンギン族に捕まったら、どうなるのだろう。

頭をかちわられて、そのまま食べられてしまうのだろうか。

自分が切り刻まれて、肉にされて、焼かれて食べられている様子を想像して。トトリは、震え上がった。

亜人種との諍いは、決して生やさしい結果では終わらない。

アランヤにも荒くれは当然いるけれど。その争いは、人間同士のものという範疇に収まる。

これは、違う。

場合によっては、互いに殲滅戦にまで移行しかねない。

しかもペンギン族の戦士は強い。

強い戦士になると、アーランドのベテランに匹敵すると、トトリも聞いている。そうなると、力尽くでの解決なんて、出来るはずがない。

でも、どうすれば良いのだろう。

ベッドの上で悶々としていたけれど。

しばらくして、起き上がる。

まずは、馬車を確保しなければならない。

数日前に、ペーターお兄ちゃんの馬車はアーランドをでたばかりだ。他の乗合馬車で、途中まで行けないか、調べた方が良いだろう。

馬車の集まる場所へ出向く。

途中で、ミミちゃんに出会った。

「どうしたの、トトリ」

「うん。 アランヤに向かわないと行けなくて」

「アランヤに? 新しい仕事かしら」

「そうだよ。 ペンギン族をどうにかしなさいって」

ミミちゃんも絶句するのがわかった。

苦笑いが浮かんでしまう。

しばらく唖然としていたミミちゃんだけれど。

何故か、トトリに食ってかかってくるのだった。

「断りなさい、そんな仕事」

「国からの命令だよ。 断ったら、多分冒険者のランクを下げられちゃう。 そうしたら……」

冒険者のランクが下がるというのは、かなり大きな問題だ。

それくらい、トトリだって知っている。

それに、一度下がると、ペナルティだって小さくないはずだ。大きな失敗をしたという事なのだから。

幸い、ランク3冒険者になった事で、かなり入れる地域は拡大した。

街道を通って行ける村や町なら、だいたい何処でも入る事が出来るようになったのは、大きい。

ミミちゃんと一緒に、馬車の集まりに来る。

今まではペーターお兄ちゃんに頼んでいたけれど。今回は、別の馬車を探さなければならないだろう。

乗り合いの集会をするらしい建物があったので、入る。

中には、受付のお爺さんがいた。

「おや、どうしましたかな」

「その、アランヤに行きたくて」

「アランヤだったら、ふむ。 三週間先ですな」

やはりそうなるか。

でも、お爺さんは、絶望的な事実を告げてくる。

「乗り継ぎであれば、二週間と三日で行けますよ」

「え……」

三週間は、猶予があると思ったのだけれど。

どうやら、そうも行かないらしい。

乗り継ぎの馬車がでるのは、明日。

ルートについて説明される。いつもと違うルートで街道を南に行って。途中で二回乗り換える事になる。

最後の二日は歩きだ。

それでも、二週間と三日で向こうに着く。

ペーターお兄ちゃんの馬車よりも、ひょっとすると到着は早いかもしれないルートだ。ただし、馬車の巡回が今の時点ではないので、途中で街道をかなり歩かなければならない。当然、危険が生じてくる。

冒険者のカードを見せる。

地図を開いたお爺さんが、しばらく見比べていたけれど。問題ないと、太鼓判を押された。

これほど、問題ないが絶望的に聞こえたのは、きっと初めての事だ。

「明日、来なさい。 料金は……」

合計すると、ペーターお兄ちゃんの馬車と同じくらいだ。

それも全く嬉しくない。

栄養剤の一件を解決したことで、かなりの報奨金が出たけれど。命がなければ、お金なんて何の意味もないのだ。

トトリが消沈しきっているのを見て、ミミちゃんは何も言わない。

同情しているのか。

困っているのを見て笑っているのか。

トトリには、判断が出来なかった。

 

1、渦が巻く

 

ロロナがアーランド王宮に出向くと、もう会議が始まっていた。今回は遅刻も仕方が無い。

手が離せない用事があったのだ。

地下へ急ぐ。

会議には、いつも欠員が出る。

レオンハルトが出向いてきたという事で、かなりの緊張状態になっているからだ。場合によっては、ジオ王がいない事もあった。

空席に座ると。

くーちゃんが、書類を廻してくる。

頷くと、素早く目を通した。丁度状況を説明しているのは、ステルクさんだ。

「現時点では、洗い出し終えたスピアの諜報拠点は全て殲滅が完了。 潜んでいた敵ホムンクルスも、おおかたを処理しました。 降伏した者達は、操作用の装置を取り除いた上で、尋問しています」

「ふむ、それで敵の残存戦力は」

「ほぼ残っていないとは思いますが、それでも山野に伏している者達が見つかっていますので、しばらくは探索に力を入れます」

「そうか」

ジオ王は満足げだ。

これで、国内の問題は一気に沈静化したとも言える。ただし、レオンハルトが出向いてきているのだ。

いつ、どのようなことをしでかすか、わからない。

いや、既にしでかしているかもしれない。

以前から、ロロナはくーちゃんと一緒に。あの人外の諜報員と、何度も干戈を交えてきている。

分身を倒したことも何度もある。

いずれもが、苦しい戦いだった。

「クーデリア」

「はい」

くーちゃんが立ち上がって、報告を始める。

アーランド周辺の緑化計画についてだ。いずれもが、相応に進展を見せている。特に、南部大荒野と言われる、荒野が拡がっている地域の緑化計画で、めざましい進展があったのが大きい。

「トトリに代行させた栄養剤の制作が、短時間で成功したのが大きいと見て良いでしょう」

「ふむ、なかなかのやり手だな」

「本人は死にかけていましたが、まだまだこの様子なら伸びそうです。 早速、次の任務を命じています」

「聞こうか」

ロロナは思わず耳を疑う。

くーちゃんが、そんなに過酷な事を、トトリちゃんに課すとは思っていなかったからである。

ペンギン族との軋轢解消。

それは、難しい。

苦難に陥っていたリス族とは状況が違う。

元々凶猛なペンギン族は、自律意識が強く、アーランドに従っているとも言いがたい部分がある。

何度か衝突をして来たけれど、今までは致命的な激発にはつながらなかった。しかし、それは互いの縄張りを侵さず、尊重しあって来たからである。

ここのところ、ペンギン族が妙な動きをしていることは、ロロナも知っていたけれど。

解決するのなら、エスティさん辺りが動くべきでは無いのだろうか。

いや、エスティさんが動いてしまうと、下手をするとペンギン族を皆殺しにしかねないけれど。

それでも、何というか。

悶々としてしまう。

「勿論護衛は付けますが、試してみる価値はあるかと」

「ふむ、面白そうだな。 次」

くーちゃんが着席。

次は、ロロナの番だ。

労働用ホムンクルスについて、説明。幾つか実験をしてみたところ、おそらく年内には量産を開始できるという結論に達した。

材料の類も、集める事は難しくない。

何より、スピアからの鹵獲技術が大きかった。

悲惨な戦いの末だと言っても。こうして、少しでも実になる事があったのなら、報われるかもしれない。

「勿論、労働者階級の人達の仕事を奪わないように、今後は計画的に配備を進める必要があるかと思いますが、それでも年内に量産は可能です」

「うむ、進めてくれ」

「わかりました」

着席。

それから何人かの話が終わると、会議が解散となった。

くーちゃんに、さっそく抗議。

「ひどいよくーちゃん! いくら何でも、トトリちゃん死んじゃうよ」

「思ったより信頼していないのね」

「え?」

「あの子、少し接してみた感じ、かなり理解力が高いわよ。 ペンギン族との一件は、勿論慎重に護衛をさせるけれど。 それでも試す価値はあるわ」

意外だ。

となると、本気でくーちゃんは、トトリちゃんを信頼しているという事になる。

確かにトトリちゃんの理解力の高さは、ロロナも認めている。しかし、まだ経験が足りなさすぎるのでは無いかとも思うのだ。

だけれども。

考えてみれば、可愛い子には旅をさせろともいうくらいだ。

甘やかし続けても、成長は見込めない。

トトリちゃんには、更に厳しい現実に、踏み込んで貰わないといけないのかもしれない。

「それよりロロナ、ホムンクルスの件は大丈夫なの?」

「何とかなりそうだよ。 戦闘向けホムンクルスの技術は、多分師匠が世界でも随一だと思うけれど。 多彩さに関しては、やっぱり一なる五人の技術が凄いのも認めざるをえないね」

 勿論、その技術が本当にろくでもないやり方で得られたことは、ロロナもわかっているのだけれど。

技術に罪は無い。

利用せず、死蔵させてしまう方が。

犠牲になった者達には気の毒であるような気もする。

勿論勝手な言い分である事も承知はしているけれど。

こればかりは、あまり試行錯誤している余裕が無い。そもそもホムンクルスそのものが、倫理に外れた技術なのだ。

あまり、きれい事を言っていられないのも、確かだった。

何より、だ。

アーランドのホムンクルスには。ある意味、最高のバックアップがある。

「師匠の師匠、本当に凄い人だったんだなって、今になって思う」

誰にも認められなかった天才。

師匠が世間を恨むきっかけを作った人。

その人のおかげで。

まず暴走する恐れがないホムンクルスが完成したのだ。

実際、その技術がないスピア製のホムンクルス達は精神に大きな問題を抱えていて。寝返ってくる場合も珍しくない。

今の時点で。

アーランド製のホムンクルスで、敵に寝返った者は一人もいないのである。

「ねえ、くーちゃん」

「何よ」

「結局、あの時踏みとどまって、良かったのかな。 世界はどんどん悪い方向に動いているように思えるけれど」

「だとしても、それはあんたのせいじゃないし。 下手をすると、もうアーランドはスピアに併合されていたんじゃないかしら」

くーちゃんの言うとおりだ。

アトリエに、久々に戻る。

トトリちゃんは既にアランヤに向かった後。待機させていたホムンクルス達に、掃除をさせる。

それから、師匠の部屋に。

ホムンクルス作成のための、最新鋭設備が整っている。

トトリちゃんにはまだ見せるわけにはいかない。

此処は、錬金術の闇の中の闇。

トトリちゃんには、まだ早い分野だ。

一つずつ、順番に作業を開始。

ロロナが作るホムンクルスは、おそらくかなり小柄な。そう、子供のような背格好になる筈だ。

しかし、戦闘能力さえないけれど。

戦闘に巻き込まれず、器用な手先を生かして、様々な事をしていく事が可能な性能を有している。

もう少しで、完成する。

完成したら。

この国は、更に力を増して。辺境諸国の盟主となるだけの国力を得るだろう。その時には、トトリちゃんは。

もっと動きやすくなるはずだ。

 

栄養凝縮剤を何度か飲んで、精神を回復させながら。ロロナは徹夜作業を続けた。その間も、トトリちゃんについての情報が入ってくる。

くーちゃんが来たので、ホムンクルス達にお茶を出させる。

ロロナは、師匠の部屋から出ると。釜で調合を開始。

此方でも進める作業は、いくらでもあるのだ。

「トトリはアランヤに到着したわ。 先に向かわせておいたメルヴィアと、マークと一緒に西に向かうつもりのようよ」

「ああ、くまさんだね」

「その言い方、嫌がっているんじゃなかったかしら」

「そうだけど、可愛いから、本人のいないところではいいでしょ」

くつくつと、ロロナは笑ってしまう。

マークは、ロロナが錬金術講座をしているときに、様子を見に来た。結構鋭い質問をしてくるので、覚えていたのだ。

それに、彼が言う事も一理ある。

確かに仕組みもわからない機械を使って繁栄してきたアーランドは、色々といびつだ。工場の補修も、ごく一握りの者にしか出来ないし。最悪、機械を取り外して、オルトガラクセンに戻さなければならない。

オルトガラクセンは既に最深部まで探索済みだけれど。

それでも、技術が未知にもほどがありすぎて、下手に動かせない機械もたくさんたくさんある。

それらを完全に使いこなせたら、アーランドは更に発展するだろう。

マークさんの言う事は、正論なのだ。

一方で、誰もが難しい技術を理解できないのも事実で。そう言う意味で、マークさんは無茶も言っている。

このプロジェクトに参加することを、快諾してくれたのは良かった。

アーランド戦士としてはそこそこの実力があるし。トトリちゃんの護衛としても。刺激を与える相手としても、最適だろうから。

「ペンギン族は、そもそもなんで急に縄張りを拡大し始めたんだろうね」

「それがわからないのよねえ」

正直な話。

現在、アーランドの人員は、国内にいる敵諜報員の狩り出しで掛かりっきりだ。トトリちゃんをわざわざ動かした理由も、実は其処にあるとロロナは見ているけれど。くーちゃんにも、敢えて聞かない。

やぶ蛇になりかねないし。

今の時点では、確かめる必要もないからだ。

「最悪の場合、私が手伝いに行ってもいい?」

「本当に最悪の最悪になるまでは駄目よ。 あんたは今、プロジェクトの一翼を担っていて、アーランドの国力強化の根幹にいるんだから」

「もう、くーちゃん」

「その時は、あたしも行くから呼びなさい。 ともかく、今は、あんたはホムンクルスの制作を頑張りなさい」

茶を飲み終えたくーちゃんが出て行く。

何人かのホムンクルス達が提出してきた中間生成液を確認。いずれも問題が無いけれど。少し、品質が低いかもしれない。

順番に釜に投入。

温度を調整しながら、調合を続ける。

今日も徹夜だな。

ロロナは、他人事のように、そう思った。

でも、今は手を止める必要も無い。ホムンクルス達は順番で休ませる。

以前、色々な事があって。

爆発的に能力が上がって。

今では、徹夜くらい、何でもなくなっている。ただし無茶をしすぎるとフィードバックも大きいので、時々意識的に昼寝をするようにはしているけれど。

素体となっているホムンクルスを見に行く。

師匠のと違って、ロロナのホムンクルスは、男女をまんべんなく作る予定だ。実のところ、師匠だって男の子のホムンクルスを作る事くらい難しくないだろうけれど。色々と面倒な事情がある以上、そうしろとも言えない。

師匠が抱えている心の闇は深い。

どうにかして、解きほぐしていかなければならないけれど。

その方法が見当たらないのが、悲しい。

完成したホムンクルス用の栄養液を、硝子瓶に投入。そして、素体を其方に移した。さて、これでどうなるか。

アトリエの玄関が、激しくノックされる。

開くと、血だらけのホムンクルスだった。

その場で、倒れてしまう。

何カ所かに、斬り付けられた跡。

みんな同じだから見分けはつきにくいけれど。ロロナにはわかった。この子は、外で護衛任務に当たっていた子だ。

「どうしたの!?」

「わかりません。 どうしてこうなったのかも……」

「すぐに手当の準備!」

ホムンクルス達が動く。

傷はいずれも、人間だったら致命傷になっているものばかりだ。

これはひょっとして。

唇を噛む。

ホムンクルスの一人に、くーちゃんを呼びに行って貰う。ほぼ間違いなく、これはレオンハルトの仕業と見て良いだろう。

殺さなかったのは、わざと。

ベテランアーランド戦士にも匹敵する戦闘用ホムンクルスが、何が起きたのかさえわからず倒されたという事実を突きつけることで。

自分の存在を、アピールしているのだ。

勿論、此方の戦力を裂くため。

いつ、奴が仕掛けてくるかわからない。

それだけでも。

アーランドの戦力は、対応のために裂かざるを得ないのである。

すぐにくーちゃんが来た。

状況は、彼女も理解してくれた。舌打ちしたくーちゃんは、アトリエを大股で出て行った。

スピア連邦も、多正面作戦を展開しているとは言え。

アーランドの戦況が壊滅的になった事で、多分手を変えてくるはずだ。レオンハルト一人に引っかき回させるだけとは思えない。

まさかとは思うけれど。

いや、流石に考えすぎだろう。

ペンギン族の動きが、おかしい事と。レオンハルトが来ている事を結びつけるのは、早計すぎる。

 

森の中で。

完全に気配を消したレオンハルトは。早速アーランドから出てきた複数の大きな気配を感じ取って、満足げに口元を歪めていた。

予想通りに動いてくれる。

下手に殺して廻るよりも、この方が効果的だ。

レオンハルトがいるということで、奴らは手練れ。それもエスティか、ステルクか、その双方を、この周辺に貼り付けなければならない。

それだけ国境の守りが疎かになる。

アーランドを出てきたのは、多分エスティだ。

彼奴の方が、レオンハルトから見ると厄介である。ステルクやロロナも面倒だが、それでもまだまだ経験の差は大きい。

諜報員というカテゴリで。レオンハルトに唯一渡り合える可能性があるのが、エスティだと考えれば。

その動きを限定できるのは、非常に大きな一手だと言える。

一なる五人に渡された通信装置を使う。

もう一つの通信装置としかやりとりが出来ないが。

遠くにいる相手と、直接話せる便利なものだ。

「此方レオンハルト」

「此方アンダー445」

「状況を知らせよ」

「作戦通り、行動を実施中」

通信を切る。

さて、しばらくはこの周辺で、エスティと遊んでやらなければならないだろう。ステルクやジオ王、ロロナも引きずり出せれば更に重畳。

顎をしゃくる。

数名の分身が立ち上がる。

いずれも、レオンハルトから、一なる五人が作り上げた分身。実力も経験もレオンハルトにはとても及ばないけれど。

その辺のアーランド人ベテラン戦士を凌ぐ実力を持っている。

それに加えて。

今回は特注品の、諜報用ホムンクルス一個小隊を連れてきている。その内一分隊を、ペンギン族に対する工作に当てた。

元々ペンギン族に対しては工作を続けていたのだが、今回はそれを加速させる意味もある。分身を一人、今から直接向かわせる。

捨て石にする予定だが、分身と記憶共有は常にしているので、全く問題ない。同時に、元からペンギン族に対して工作させている部隊は、情報を得るために捨て石にしてしまうつもりだ。

本命の戦力が動くのは、その後である。

このまま行くと、連中の計画の中で大きな意味を持っているらしいトトリとぶつかるだろう。

その時には、躊躇なく殺せ。

そう、指示もしてある。

さて、トトリはどうこの状況を捌くか。死ぬならそれまでだし、もしも対応するなら、それはそれでいい。

レオンハルトが、直接出向いて、殺すだけだ。

移動する。

気配を消していると言っても、エスティが相手だ。そのまま同じ場所にいたら、察知される。

それにしても、このスリル。

内臓が握られるようなこの興奮。

よそでは味わえない。

北方の列強にも、昔はレオンハルトと渡り合えるような奴が、少しはいた。しかし今は、どいつもこいつもみんな死んだ。

幾多の小国を潰してきたレオンハルトだが。

戦いが好きだというこの業は、前から変わっていない。

今回も、戦いが楽しみで仕方が無い。

勿論、戦いというのは、一概に殺し合いだけを指さない。諜報を通じて、相手と知恵比べをする事も含む。

「さて、今回も楽しませてくれよ」

超高速で移動しながら、レオンハルトは満面の笑みを浮かべる。

どうしても、最強ランクの敵と雌雄を決するとき。

感情が零れるのを、抑えきれなかった。

 

2、好戦の亜人

 

アランヤに戻ってきたトトリは。まず、自分の家に。

馬車の乗り継ぎをして戻ってきたのは初めてだったけれど。思ったよりは疲れなかった。問題は、今までのお仕事での疲れが抜けていないこと。

ベッドに突っ伏して、お日様の香りを味わう。

はて。

やはり、最近お日様の香りを吸い込んだように思える。まるで一昨日か、昨日のような。おかしなこともあるものだ。

ダイニングに出向く。

お姉ちゃんは、いつものように、お料理をしていた。

お姉ちゃんのお料理はとても美味しいし、味わえるのは嬉しい。何より此処にいると、とてもリラックスできる。

ベッドに横になると、今日はぐっすり眠ることにする。明日からは、文字通り命が危ない仕事なのだから。

何度か眠って。

お食事を食べて。

軽く棒を振るって。

また眠って。

そろそろ、現実と戦わなければならない。

そう判断して、トトリは起き出すことにした。

酒場に出向く。

メルお姉ちゃんが戻ってきていた。アーランドでミミちゃんとは一端別れたし、ふらっと姿を見せるナスターシャさんも、アランヤの近くで別れた。だから、今はトトリ一人だ。

メルお姉ちゃんの護衛はありがたい。

それだけではない。

メルお姉ちゃんの向かいに、意外な人が座っていた。

「これは、錬金術師の」

「ええと、マークさん、ですか!?」

「そうだよ。 前は世話になったね」

嬉しそうに破顔するその人は。

荒野で、悪魔達と一悶着を起こしていた。自称、科学者。マークさんだった。

どうしてこんな所にいるのかを聞いてみると。彼方此方の遺跡を、自分なりに調べて廻っているのだという。

「各地の遺跡にはね、いまだに優れた技術の産物が眠っていることが珍しくもないんだ」

「そういうことでね。 このおっさんに雇われて、あたしも彼方此方廻ってたわけ」

「おっさんとは失礼な! 僕はまだ二十代だよ」

そうなのか。

何しろよれよれの白衣、殆ど気にしてもいなさそうな身繕い。どちらも、年齢を不詳にするには、充分な要素だ。

護衛を頼むと、二人ともオッケーしてくれる。

これは、さい先が良い。

マークさんはともかく、メルお姉ちゃんは頼りになる。ペンギン族との交渉で、絶対に色々問題が起きるだろう事を考えると、本当に側にいてくれて心強い。

酒場で昼食を注文すると。

マスターにも、話を聞く。

話を聞く時は注文をするのがマナーだと、メルお姉ちゃんに聞いていたので。そうしたのである。

マスターは、流石に色々と詳しかった。

「ペンギン族の最近の動きか」

「はい、知っているだけお願いします」

「西の街道で見かけるというのは聞いたな。 冒険者と何度かぶつかり合って、双方に負傷者が出ているそうだ。 西の方の村や、南西の方の村でも、ペンギン族との緊張状態が高まっていると聞いている」

「……何か、おかしな事とかはありませんか?」

無茶な仕事だと言う事はわかっている。

だからこそに、少しでも生還率を上げなければ行けないわけで。

そのためには、情報を集めなければならないのだ。

「おかしな事、か。 今年は気温も安定しているし、凶暴なモンスターがいるという話も聞かないな」

「昔、ペンギン族との争いが起きたときに、決まって起きていたこととか、ありませんか」

「そう言う話は聞いていないな」

そうか。

流石にマスターでも、何でもかんでも知っている訳では無いか。

とりあえず、周辺の村でも話を聞こうとトトリは決める。

幸い軍資金は豊富にある。

何より、幾つかの村に、足を運んでみて。それぞれが違っていて。特色もあることを知った。

もっと色々な場所で、情報を収集して、損は無いだろう。

このままいくと。

下手をすると、他の国での任務さえ、あるかもしれないのだから。

 

翌朝。

さっそく村を出て。街道を西に向かった。

途中、リス族を見かけたので、手を振る。向こうも、トトリが西に行くつもりらしいと知って、手を振り返してきた。

森を守る人員として、手を貸してくれている。

その様子がわかって、とても嬉しい。

事実周辺では、モンスターが非常に制御されて。森や草原で見かけることはまずなくなったと、マスターにも聞いている。

いずれも、巡回任務は、大きな負担になっていた。

それが緩和されたのは、とても大きい。

リス族が来た。

いつぞやの老いた通訳ではないけれど、此方のことは知っている様子だ。足を止めて、軽く話をする。

「先神トトリよ。 何か困っていることはないだろうか」

「今は大丈夫です。 其方は、何か問題が起きていませんか」

「大丈夫。 既に医療体制は完璧。 薬も充分に届けられている。 まだスピアから逃げ込んできているリス族は多いが、いずれも充分に治療が可能な状態であるゆえ」

「良かった。 何かあったら、すぐに言ってください」

多くの人を助けることが出来た。

それは今でも、トトリの誇りだ。

リス族が去った後、マークさんが驚いたように、トトリに言う。

「リス族とコミュニケーションを成立させているのかね」

「以前、色々あったんです。 彼らは今大変な状況で、お薬を納品したりして、感謝もしてもらいました。 それよりも、多くの人を助けられたことが、今でも私の誇りです」

「そうか。 なるほど、それでか」

「?」

よく分からないけれど。

マークさんは、さっさと行こうと促した。

お薬や爆弾を積んでいる荷車を引いて、西に西に。

途中のキャンプスペースに、夕方到着。

今の時点で、ペンギン族とは遭遇していない。しかし、キャンプスペースにいたベテラン冒険者から、良くない話を聞いてしまった。

彼は長身痩躯の男性で。かなりの高齢だったけれど。腕も気力も衰えてはいないようだった。

たき火を囲んで話を聞く。

自分の得物らしいククリを研ぎながら、冒険者は言う。

「西にあるケニヒ村でな。 今、ペンギン族との全面戦争が起こりかけているそうだ」

「全面戦争!?」

「どうやら、ペンギン族が主張する縄張りが、街道の一部を完全に覆ったそうでな。 ケニヒ村の連中がブチぎれて、ペンギン族が設置した杭を引っこ抜いて捨てたらしい。 その後は連日小競り合いが起きて、ケニヒ村の戦士にも負傷者が、ペンギン族にも死者が出ているそうだ。 ケニヒ村は荒くれが多いし、仕方が無いのかもしれないな」

このまま行くと。

周辺の村にも、増援を頼む使者が出るのは確実、という状況らしい。

そうなると、殲滅前提の衝突は確実。

ペンギン族も強いけれど。

勝てる訳がない。

血を見るどころでは無い。相手を絶滅させる殺し合いが始まるのは、目に見えている。多分勝つのはアーランドだろう。

でも、それは。

リス族の悲惨な様子を思い出して、トトリはぎゅっと拳を握る。

あんなこと。許してはいけない。

止められるなら、止めなければならないのだ。

「鳩便はありますか!?」

「アーランドへの増援依頼ならもう送ったよ。 手練れか、ホムンクルスの中隊が来るって聞いているが」

「……わかりました」

状況は、予想以上にまずい。

メルお姉ちゃんは落ち着いているし。マークさんは興味津々。多分二人とも、争いを止めるという意思は無いだろう。

トトリが、やるしかない。

悶々と過ごしながら、翌朝早くにキャンプスペースをでる。

ケニヒ村は、此処から南西。約三日の距離だ。

アランヤ周辺にある幾つかの村の一つだけれど。国境近い事もあって、荒くれが多く住んでいると聞いている。

そんなところに、喧嘩を売るなんて。

ペンギン族は、其処まで好戦的な種族なのか。

もしも、トトリを見て、問答無用で襲いかかってきたらどうしよう。戦って身を守るしかないのか。

だとすれば、悲しすぎる。

無意識のうちに、急いでしまう。

 

ケニヒ村までの足取りは、必然と力が入ってしまった。

ここのところは、敵に追われながら走ることが珍しくないし。長距離を荷車を引きながら移動することなんて、日常茶飯事だったのに。

足の裏に肉刺が出来てしまっていて、無言でキャンプスペースで処置をする。たき火に当たりながら、靴を脱いで、まずは綺麗にして。

そして、ため息をついていた。

情けない。

まだ、慣れていない証拠だ。

黙々とヒーリングサルブで処置をすると、思い知らされる。

トトリの足は小さい。

子供の足だ。

来年には、アーランド人としては大人として認められる。戦士階級であるならば、以降は大人と同じ扱いがされる。

でも、この育ちきっていない体は。

その扱いには、あまりにも小さすぎる。

メルお姉ちゃんの健康的な肉体が羨ましいと、トトリは思う。実際問題、それくらい頑強なら。錬金術の調合で、少しくらい徹夜したって、何でもないだろう。戦闘を連続でこなしたって、平気な筈だ。

「ふむ、その薬」

ひょいと、いつのまにか側に来ていたマークさんが、ヒーリングサルブの入った瓶を取り上げる。

手当は終わったので、足に布を巻きながら、じっとトトリは見ていた。

「どうやって作っているのかね」

「レシピ、お見せしましょうか」

「別に構わんが、私にも作れるのかね」

「結構微細な調合が必要になります。 後、魔力を込めた中和剤も」

そう言うと、マークさんは舌打ちしたようにして、トトリにヒーリングサルブを返してくる。

何か気に入らないことでも言ったのだろうか。

そうなのだろう。

機嫌が急に悪くなったのが、目に見えているからだ。

「そもそも、魔力とは何なのだろう」

「えっ?」

「私にもそれが備わっているのは知っている。 だが、魔力というものが、この世界に古くはなかったらしいことは知っているかね」

「えっ!? そ、そうなんですか」

そうなのだと、マークさんは言う。

腰を下ろすと。汚れだらけの白衣。無精髭だらけの顔で、マークさんは語り始める。

「私もまだ断片的にしか、大破壊が起きる前の世界の事は知らない。 しかし、その偉大な文明があった世界には、魔力というものは無かったらしいのだ」

「そう、なんですか」

「だが、今は世界中に魔力が満ちている。 我々も使いこなせるし、時には言葉さえ持たないような畜生さえも。 一体、これは何なのだろう。 研究して、いずれは解き明かしたいものだ」

だから。今は、魔力を不用意に使っているものには、触りたくない。

マークさんは、そんな事を言う。

頭を掻くと、ふけだか何かがぼろぼろ落ちる。ちょっと汚いと思うけれど。野宿が珍しくなくなった今、風呂には入れない日が続くくらい当たり前。別に、この程度の事は、気にならない。

「気味が悪くはないのかね。 得体が知れないものを使って、錬金術をすることが」

「わかりません。 ただ、ロロナ先生のレシピをちゃんとこなして、出来なかった事は無いですし。 それにあるなら、使って行きたいです」

「それが危険なんだよ」

「……」

マークさんの顔には、深い憂いが浮かんでいるように見えた。

メルお姉ちゃんが来る。

どっかと腰を下ろすと、胡座を掻いた。

ちょっと行儀が悪いけれど。正直、キャンプスペースでたき火を囲んでいるとき。胡座を掻いている女性は、いくらでも見てきた。

「状況が悪いわねえ」

「どうしたの?」

「ペンギン族、かなり殺気立ってるらしいわ。 近づいただけで、攻撃してくる可能性が大きいわよ」

「困ったなあ。 メルお姉ちゃん、どうしよう」

全部ぶっ潰すのが早いんじゃない。

そうメルお姉ちゃんは無情なことを言う。

アランヤ最強の武勇を誇るメルお姉ちゃんだ。本気になれば、ペンギン族のちょっとやそっと、相手にはならないだろう。

でも、彼らも知性ある亜人だ。

そんなことは、出来るだけしたくはない。

翌日、朝早くからキャンプスペースをでて、ケニヒ村に急ぐ。途中、街道から南東には、海が見える。

同時に、杭もである。

杭には、多くの死骸がぶら下げられている。

更には、おそらくだけれど。此方を監視しているペンギン族も、たくさんいるのだろうことは、容易に想像が出来た。

ひょっとすると、先手必勝と言わんばかりに、仕掛けてくるかもしれない。

ぎゅっと杖を握る。

ここのところ、棒術の訓練を欠かさずやっているからこそ、わかる。

まだまだベテランと呼ばれる人達と比べてしまうと、トトリの実力なんて、足下にも及ばない程度のものでしかない。

場合によっては、そのベテラン以上の実力を発揮する戦士もいるというペンギン族だ。

真正面からぶつかり合って、勝てるとは思えない。

でも、クーデリアさんは、どうにかしろと言ってきていた。

どうすれば良いのだろう。

悩みばかりが、募る。

夕方には、ケニヒ村が見えた。

そして、ケニヒ村の東入口からは、二本の街道が延びていて。南側の街道には、バリケードが張られていた。

立ち入り禁止、と言うわけだ。

かなり殺気だった様子の戦士が、大勢いる。

これはもう、近場の村から、増援が来ているのだろうか。

国境付近の村とは言え、いくら何でも戦士が多すぎる。多分、その予想は、当たっているはずだ。

かなり若い戦士もいるけれど。

ベテランの戦士が目立つ。

トトリ達も、当然検問で足を止められた。

メルお姉ちゃんが冒険者免許を出すと、敬礼される。アーランド式の敬礼は、久しぶりに見た。

「ランク7の冒険者が来てくださるとは心強い。 其方の二人は」

無言でマークさんが、冒険者免許を取り出す。

なんとランク6だ。

こんなにハイランクの冒険者だとは、トトリも知らなかった。冒険者免許を見せてくれなかったから、当然ではあるけれど。

細身だけれど、凄く強いとみて良いのだろうか。

トトリも、冒険者免許を見せる。

思ってもいない反応が来た。

「まだ若いのに、もうランク3だと?」

「え、えっと、その」

「その子は錬金術師よ。 戦闘力はあまりないけど、あたしたちがフォローするから」

「いえ、錬金術師殿には、以前からお世話になっております!」

髭もじゃの大柄な戦士に、大まじめに敬礼されて。トトリも慌てて、きをつけをしてしまう。

敬礼を返すと、もの凄く怖い顔(多分親愛を示す笑顔)をされて。泣きそうになったけれど、我慢。

ベテランのアーランド戦士は、生半可なモンスターなんて歯牙にも掛けないほど強い事はわかっている。

わかっているのだから、慣れないといけない。

村に入る。

中では、医療班がばたばた走り回っているのが見えた。担架に乗せられた戦士が、運ばれて行っている。

腕が折れているようだ。

噂話を側でしているのが聞こえる。

「また小競り合いだってよ」

「ペンギン族に強いのがいるらしいな。 連中の基準で、モンク級っていうらしい、最高位の戦士だってよ」

「モンク級か。 相手にとって不足は無いが」

「まあ、もうじき戦えるだろ」

みんな、凄く楽しみそうにしている。

血が大好きな人もこの世にはたくさんいる。

わかりきっていた事だけれど。

トトリは、悲しかった。

宿に入る。

どうにか宿は確保できたけれど。お風呂の類は無い。体を濡れたタオルで拭いて、リフレッシュするしかなかった。

辺境の村では、それが普通だ。

場合によっては、それさえできない事も多い。

水があまりない事もあるからだ。

この村は、北部に小さめの森を抱えていて、その中に泉があるので、どうにか水を確保は出来ているようだけれど。

水浴びをみんなが毎日出来るほどはない。

ましてや、よそから来た人間に、風呂用に水を提供するほどの余裕は無い、ということなのだろう。

メルお姉ちゃんが、周辺の地図を貰ってきた。

「ちょっとばかりまずいかもしれないわよ」

地図を開いてみると。

おそらく前線なのだろう。村の南東に、赤い線が引かれていた。

×印だらけだ。

その全てが、交戦した場所だと聞いて、トトリは背筋に悪寒が走り上がるのを感じていた。

本当に、此処は。

最前線なのだ。

「ペンギン族と、どうして衝突したかの情報を得ないと」

「あまりオススメはしないわよ」

メルお姉ちゃんと一緒に、宿を出る。

マークさんはというと、村の外にフラッと出て行って、それっきりだ。多分、何かしたいことがあるのだろう。

ランク6の冒険者だ。

そんなに無理はしないだろうし、したところで生き残るだけの力はある筈。トトリとしても、それほど心配はしていない。

酒場は大盛況。

凄い向かい傷を見せつけるようにしている戦士。いかにも強そうなムキムキの筋肉で全身を覆った戦士。

アーランド戦士の荒くれが、一堂に会しているような有様だ。

血の臭いが充満するような酒場。

マスターは、狐目の長身で。見るからに、歴戦の猛者という姿をした中年男性。顔には、十字の向かい傷があって、見られるだけでトトリは震え上がりそうだった。

「マスター。 この子がさっき話した錬金術師」

「おお、そいつがか」

「トトリ、挨拶して」

「トトリです。 その、よろしくお願いします」

ぺこりと挨拶。

周囲から視線を感じる。多分、錬金術師という単語を、聞き取られたから、だろう。この村で、錬金術師が大きな意味を持っているのは、先ほどの入り口検問でのやりとりでよく分かった。

きっとロロナ先生が、前に何かしたのだろう。

情報を得るのだから、まずは注文。

どっかと盛られた肉が出てきて。トトリは思わず閉口したけれど。ただ、おなかはすいている。

頑張って食べながら、マスターに質問する。

「昔から、ペンギン族との争いは激しかったんですか?」

「そうだな。 今年に入ってからは別格として。 去年までも、年に三回か四回は、小競り合いがあったな。 だが、ペンギン族が縄張りを北に押し上げてきたのは、これが初めてだ」

「……詳しくお願いします」

「去年の冬が終わって、春の収穫が始まった頃だ。 海岸線で、いつもより杭が北上しているのを確認してから。 ペンギン族は、どんどん勢力を勝手に北に押し上げてきて、主張する縄張りも拡大してきた」

特に此処二月ほどは。

その勢力拡大が、著しいという。村の近くまでペンギン族が姿を見せるようになって来たのだから。

勿論、話し合いをしたのかと聞くと。

マスターは、首を横に振る。

元々ペンギン族とこの村は、不倶戴天の間柄。縄張りを挟んでにらみ合いを続けるのは常。

昔々。

縄張りを互いに侵さないことを約束したらしいけれど。

ペンギン族の行動を見る限り、それも向こうから破っている。それならば、戦う事に、理由は無い。

今ではペンギン族の立てる杭を引っこ抜き。

敵の斥候を叩き。

姿を見ては、攻撃魔術を叩き込む日々が続いているという。

それは、困る。

完全に、互いが破滅へと転がり落ちていくパターンだ。

「元々、この村の南にいるペンギン族の戦力は、うちらと互角でな。 だが、この村だって、バカじゃあない。 有事になったら、周辺の村やアーランドから、冒険者を呼び寄せる備えはしてある。 今村にいる連中はそんなのが半分くらいだな。 もしも本格的にやり合う場合は、更に戦力が集まる」

戦いになったら、一気呵成に叩き潰してやる。

そう、マスターは不敵に言う。

トトリは頭痛を覚えそうになった。

この人は、戦いを好む、戦士という存在そのものだ。

相手を思いやったり、敬意を抱いたり。相手の事情を考えたりといったことは、一切しない。

戦士としては、それもありかも知れない。

だけれども、そのような事をしていたら。

きっと、どちらかが、絶滅するまで、戦いは続くだろう。

「その、もしも私が、ペンギン族を元の縄張りまで引き下がらせたら。 戦いを止めて、くれますか」

「……ほう」

「明日、相手と話をしてみます」

「まあ、好きにするとよいだろう。 前に村に来た錬金術師殿には、本当に世話になったからな。 あんたが無茶をしても、止めることは出来ないよ。 ただし、自分の命は自分で守ってくれ。 ペンギン族の縄張りに入り込んだ後、その奥地で遭難されても、助けようがないからな」

一礼すると、宿に戻る。

メルお姉ちゃんは、しらけた目で、トトリを見ていた。

「いわんこっちゃない」

「メルお姉ちゃん、ペンギン族って、此方の言葉、通じるんだよね」

「確かリス族よりも人間の言葉には堪能って話だけれどね。 まさか、真っ正面から、話をするつもり?」

「そのつもりだよ」

「……」

デコピンされる。

小さな悲鳴を上げて、頭を抑えてしまった。

メルお姉ちゃんは力がもの凄く強いので、デコピンもされるととんでもなく痛いのである。

「な、なに……?」

「もうちょっと頭を使いなさい。 脳の中は空っぽかしら?」

「で、でも。 このままだと、多分全面戦争に」

「もうなってるわよ」

メルお姉ちゃんが、顎をしゃくる。

確かに、周囲には殺気だった戦士達が一杯。敵には死者も出ている。何より、ここに来ている人達の、嬉しそうなこと。

ペンギン族達と殺し合いをする事を、本当に楽しみにしているのだと。トトリにさえわかってしまう。

戦士としての業。

アーランド戦士が、抱えていかなければならないカルマ。

生まれながらの戦士である以上。

戦いを好む本能からは、逃げられない場合だって多いのだ。

トトリはたまたま違ったけれど。

それはあくまでたまたま。

メルお姉ちゃんだって、戦いは好きだって言っていた。他にも、戦いが好きな戦士は、周囲で大勢見てきた。

何より、お母さんだって。

否定は出来ない。アーランド戦士が、抱えて生まれてきた業なのだから。

だからこそ。

どうにかしなければならない。

「明日の朝、早めに出かけたいの」

「いいけれど、どうするつもり」

「ペンギン族と、接触だけでもしてみたい」

「……わかったわかった」

あきれ果てた様子のメルお姉ちゃん。

でも、もう全面衝突まで、時間がない。

早めに戦いを止めないと。

悲惨な事になってしまう。

そう思うと、トトリは。いてもたっても、いられないのだった。

 

3、壁

 

朝早く。

戻ってきていたマークさんと一緒に、ケニヒ村を出る。

朝早いからか、霧が出ていた。周囲の視界が悪くて、非常に危険な状況だけれども。もたもたしている時間がない。

「ちょっと待っていたまえ」

マークさんが、背負っている箱に、なにやら操作をすると。

ういーんと音がして、棒が伸びてくる。

ぱっと光が、前に向けて照らされた。

「これで、少しは周囲が分かり易い」

「す、すごい、ですね」

「サーチライトというものだ。 残念ながら動力は、よく分からない存在である魔力に変換してあるがね」

「……」

最後の方が、凄く残念そう。

きっとマークさんも、自分で完全に解明して、使いたいのだろう。

でも、今は明かりがあるだけで、随分と心強い。

検問にさしかかる。

様子を見に行くと言うと。何度も、気を付けるようにと、念を押された。

「ランク7とランク6の武闘派に、錬金術師。 滅多な相手に遅れは取らないと思うが、気を付けてくれ」

「わかりました。 有り難うございます」

ぺこりと頭を下げると、検問を抜ける。

此処からは。

今まで、トトリが経験さえもしたことが無い、超危険地帯だ。

不意に、メルお姉ちゃんが振り向いたけれど。

トトリが見ると、何でもないと言われた。

朝霧の中、歩く。

周囲から、びりびり殺気を感じる。トトリでさえ感じるほどなのだ。メルお姉ちゃんには、きっともう、周囲にふせているペンギン族の数さえ把握できているはずだ。

「メルお姉ちゃん」

「何?」

「どれくらい、いる?」

「ざっと三十くらいかしらね。 しかも全員、相当な手練れよ。 マークさんっていったかしら。 ランク6の冒険者らしいけれど、あんた大丈夫?」

振り向きもせず、メルお姉ちゃんが言う。

マークさんは、何故か自慢げに胸を張る。

「問題ないさ。 これでも荒事はかなり経験しているからね」

「で、武器は?」

「僕の武器は、この箱の中に全て入っている!」

「……あそう」

あまり期待していない声。

トトリも、ちょっと不安になった。それにしても、このマークさんの自慢げで自信満々な様子。

どこから来るのだろう。

いずれにしても、そろそろだろう。

トトリは、声を張り上げた。

「すみません! ペンギン族のみなさん! 話し合いに来ました!」

精一杯の声だけれど。

周囲からは返答無し。

泣きそうになるけれど、我慢。

怖いのは、隠しきれない。何しろ、メルお姉ちゃんが手練れというほどの戦士が三十人である。

一斉に襲いかかってきたら、本当に死ぬ。

助かるわけがない。

「お願いします! 話し合いに応じてください!」

相変わらず、返答はなし。

ぶるぶる震えるトトリ。メルお姉ちゃんは、戦闘態勢を崩していない。マークさんだけが、飄々と。なおかつ、とても楽しそうだった。

どうしよう。

少し悩むけれど。

また、叫ぶ。

「私、錬金術師です! 何かあったら、相談に乗ります! お薬も作れます!」

「やかましい」

不意に、右側面に。

苛立ち混じりの声が聞こえた。

霧から浮かび上がるようにして、姿を見せるのは。

腰が曲がった老人。

毛皮を頭から被っている。確かにそのシルエットは、ペンギンそのものだ。

多分、魔術師なのだろう。

全身から、青白い魔力が、迸っているのが見える。

「錬金術師だと?」

「はい。 トトリと言います。 そ、その。 まだ、みなら、い、ですけど、錬金術師、です」

「……戦う気はないんだな」

「はい。 どうして今年に入って急に縄張りを拡大し始めたのか、教えてください。 もしも対応できるなら、どうにかします」

黙り込む老人。

トトリの胸くらいまでしか背丈がないけれど。

彼らの造作は、人間そっくりだ。

毛皮を頭から被るという不思議な服装さえなければ。小さな人間として、見ても良さそうである。

「まずお前が信用できるか、確認したい」

「は、はい。 どうすれば良いですか」

「我々も、どうしようもない理由があって、縄張りを北上させている。 人間と争うことは、そもそも本意では無い。 だが、人間側の攻撃があるのも事実だ。 そこで、このラインを暫定として、入るのを止めて欲しい」

「でも、此処は街道です。 南の村との行き来が、とても不便になっています」

トトリの抗議に、老人はこたえてくれない。

黙り込んでいる様子からして。恐らくは、条件を呑まない限り、交渉には応じない、というのだろう。

しかも、今までの戦闘の経緯もある。

此方を信用していない彼らには。

まず、信用を作らなければならない。

「では、その。 明日、だけ」

「……わかった。 まずは、一日だ。 一日、縄張りを互いに侵さなければ、話だけでも聞くとする」

ペンギン族が、戻るようにと、圧力を掛けてくる。

今は、これ以上できることは無い。

すごすごと帰る事になった。

メルお姉ちゃんが、呆れたように言う。

「下手すると、周囲から一斉攻撃受けてたわよ」

「うん。 でも、まずは、話を聞いて貰わないと」

「ペンギン族はね。 ずっと人間とやりあってきた、武闘派の亜人よ。 アーランドだと劣勢だけれど、他の辺境諸国ではかなりの縄張りを作っていて、噂によると小規模な国家まで持っているらしいわ」

つまり、交渉だって、簡単にはできない、という事だ。

それに何より。

大変なのは、これからだ。

検問に戻る。

出来るだけ、急いで、殺気立っている戦士達を説得しなければならない。ペンギン族よりも、この方が難しいかもしれない。

 

メルお姉ちゃんが、検問を見張ってくれるというので、其方は頼む。

マークさんは、興味津々の様子で、トトリについてきた。きっと手伝ってはくれないだろう。

でも、ランク6の冒険者だ。

側にいてくれれば、心強いかもしれない。

酒場に入ると、マスターが、トトリを見て不可思議そうに小首をかしげる。

「どうしたね、こんな朝早くから」

「ペンギン族と交渉できそうです」

ざわりと。

周囲が、気配を変えた。

トトリが錬金術師だと言う事は、みんな知っているのだろう。でも、ここからが大変なのだ。

「詳しく聞かせて貰えるか」

「はい。 その、まず明日一日だけ、交戦を停止してください。 ペンギン族は、かなり此方に対する不信感を募らせています。 一日だけでも戦いを止めていただかないと、交渉が出来ません」

「……」

マスターが黙り込む。

でも、トトリは。

周囲から、露骨な敵意を感じた。

案の定。

かなり大柄な戦士が、此方に来る。背負っているのは、バトルハンマーだ。

「待てやコラ。 錬金術師には前に世話になったがな、勝手な事を言われると此方も困るんだよ」

「そうだ。 連中のせいで、南のアブロソ村と行き来が出来なくなってる! 大きく迂回しないと、医療物資も届けられない!」

「そもそも、縄張りを勝手に主張して、北上してきたのはペンギン族だぞ!」

他の冒険者達も、抗議の声を上げる。

いずれも実戦で鍛え抜いてきた、強者ばかりと一目瞭然だ。

トトリなんて、それこそ一ひねりである。

おっかないおじさん達に囲まれて、ガクガクブルブル足が震えるけれど。トトリは必死に、気持ちを立て直す。

「い、一日だけです! もしもその間、ペンギン族が攻撃してきたら、反撃してもかまいません!」

「本当だろうな……」

「本当です!」

「マスター!」

戦士の一人が、不満そうながらも、声を上げる。

巨大なサイズを背負っている戦士だ。此方も向かい傷がたくさんあって、とても強そうである。

トトリは錬金術師という職業を生かして、ランク3になった冒険者だ。

こういう、武闘派一本でなりあがってきた本物の戦闘者とは、そもそも土俵が違う。

だから、足の震えが。どうしてもとまらない。

「オレは前に錬金術師に世話になっている! ロロナ殿の顔に免じて、一日だけは待ってみたいが、どうだ!」

「サルクルージュ、てめえ、本気か!」

「本気だ。 この村がどれだけロロナ殿に世話になったか、忘れたか! その弟子の頼みなんだぞ! 話を聞かなければ、信義にもとる!」

サルクルージュさんは、怖いけれど。

信義を守る人らしい。

胸をなで下ろすと、トトリは。お願いしますと言った。

どうにか、酒場からは生きてでられた。

でも、ここからが大変だ。

どうにも妙だと思うのである。

ペンギン族が背信を犯す可能性だってあるし。何より、はっきりしているのは。ペンギン族だって、正面から戦ったら、人間には勝てないと、知っている筈だ。此処まで露骨な進出をしたら、戦闘になる。

そうなれば、いずれ押し負ける。

わかっている筈なのに。

どうして彼らは、無謀なことをするのか。

何か、嫌な予感がする。

検問に出る。

メルお姉ちゃんに、一日の和平が成り立ったことを告げる。ほうと、感心した様子のメルお姉ちゃんに、更に付け加えた。

「これからが、一番危ないと思う」

「どうして?」

「ペンギン族の動きがおかしいよ、いくら何でも。 ひょっとすると、誰かが裏で、悪い事をしているのかもしれない」

目を細めて、此方を見るメルお姉ちゃん。

トトリは手を叩くと、検問の人達に言う。

「これから、襲撃があるかもしれません!」

「何だよ、ペンギン族は交渉にのったんじゃないのかよ!」

「もしも、裏で誰かが動いているなら、きっと此処でペンギン族に見せかけて攻撃してくると思います!」

まさかと、笑い飛ばそうとして。

失敗する戦士達。

ひょっとして、可能性を考えていなかったのか。

今、この国はスピア連邦と戦争をしている。国境線でどんぱちをやるだけが戦争では無いと、トトリでさえ知っている。

勿論、スピア連邦の仕業だと考えるのは、あまりにも早計だろう。

仲が良いとは言えない、周辺にある辺境国家の仕業かもしれないからだ。

誰かが悪い事をしているとなると。

ペンギン族の方にも、何か仕掛けている可能性がある。

だから、トトリは、手を打っておく。

霧の向こうに、大声で叫ぶ。勿論、自分に出来る範囲内で、だが。

「ペンギン族のみなさん! ケニヒ村のみなさんは、一日の停戦に応じました! これからもし攻撃がある場合、それはケニヒ村の戦士によるものではありません! くりかえします……」

「これを使いたまえ」

すっと差し出されたのは、じょうごのようなもの。

マークさんが、何故か自慢げに、ぐっと親指を立てていた。

咳払いすると、使わせて貰う。

口に当てると、とても大きな声が出た。

同じ内容を繰り返した後、何事かと様子を見に来ている戦士達に、釘を刺す。

そして、トトリは。検問で、ずっとじっとしていることにした。

もしも、この状況で。

悪い事をしている人が狙ってくるとしたら。

それは、トトリだからだ。

 

昼を過ぎた頃になっても。

霧は消えない。

村の中は相変わらず殺気立っていて、喧嘩している声も聞こえた。それはそうだろう。戦いを楽しみに来ているのに、それを禁止されてしまったのだから。

何人かが、巡回にでる。

北側の街道の方を見に行っているのだ。

今はとにかく。ペンギン族との関係を荒立てない方向で話が進んでいるのだけれど。それにしても、好き勝手相手にはさせられないというのだろう。

検問は、トトリが死守しているけれど。

本当に、みんなが一日だけの停戦を守ってくれるか、自信は無い。

「おいーっす」

不意に声を掛けられて。

トトリは驚いて、顔を上げていた。

ナスターシャさんだ。

しばらくぶりである。立ち上がって、ぺこりと頭を下げると。ナスターシャさんは、相変わらず、蓮っ葉っぽい笑顔を浮かべる。

「何だか大変みたいだねえ。 近くを通りがかったから、来てみたよ」

ナスターシャさんは、どうしてか。

子供を連れている。

フードを目深に被った、臆病そうな女の子だ。ナスターシャさんの腰くらいまでしか、背丈がない。

「ナスターシャさんの妹ですか?」

「いんや? ちょっと知り合いから預かってね。 冒険者じゃないけど、ハイドスキルが高くて、重宝してる」

「ハイドスキルですか」

「そうだよ」

勿論それが何か、トトリも知っている。

単純に言えば、隠密活動をする技術のことだ。達人になってくると、目の前に立っても相手が認識できないほどになるとか。

でも、フードの様子が少しおかしい。

小首をかしげるトトリを見て、小さな女の子は怯えたように、ぎゅっとナスターシャさんの腰を掴んだ。

「あ、ごめん。 怖がらせちゃった?」

「……」

嫌がる様子も見せずに、ナスターシャさんにしがみつく様子を見て、ちょっと心配になる。

子供は感情表現がストレートだ。

この子は恐怖しか見せていない。拒絶している様子が無いのだ。

そのいびつさは、肌に伝わってくる。

ナスターシャさんとメルお姉ちゃんは知り合いらしく、二人で何処かに行く。トトリと小さな女の子は残されて、ちょっと空気が気まずい。

マークさんは少し前から、検問の側にある櫓に登って、辺りをサーチライトで照らし続けている。

トトリはまず、腰を落として。

女の子と視線の高さを合わせた。

「ええと、お名前は?」

「……」

泣きそうになる女の子。

これは困った。笑顔を作ってはいるのだけれど。何か、怖がらせる要素が、あるのだろうか。

「ごめんね、その」

「切り刻んだりしない?」

「しないよ、そんなこと」

「錬金術師なのに?」

何だろう。

女の子は冗談を言っているようにも見えないし。

その言葉は、とても切実な恐怖に裏付けられているとしか、思えなかった。

差し出す耐久糧食。

フルーツ味の、トトリも好きな奴だ。

「大丈夫。 その、これ食べる?」

無言のまま、女の子は受け取って、食べ始める。

これではっきりわかったが。

この子は、拒否という行動を知らないのだ。その上、怖がっても、泣いて周囲に助けを求めることがない。

普通、恐がりな子は、逃げるか泣く。

トトリの場合は泣くだろう。

お母さんか、お姉ちゃんが助けてくれるという予想があるから、だろう。

この子はしがみつくことさえあったけれど、それ以上の逃避行動に出なかった。ナスターシャさんさえ、根本的には信頼していない、という事だ。

その上、錬金術師に対する、絶望的な不信感。

まさか。

ナスターシャさんは、メルお姉ちゃんと話し込んでいる。この子には、あまり気を配っていない。

トトリの中で、嫌な考えが浮かんで来た。

いや、まさか。

でも、今までの事を考えると、全てがつながっても来る。

世の中が善と悪で出来ていないことくらい、トトリでさえ知っている。

今はまだ、材料が足りなさすぎるけれど。

出来れば、この予想は当たらないで欲しい。

ナスターシャさんが、戻ってきた。

「この子連れて、巡回に行ってくるわ」

「ん、よろしく」

メルお姉ちゃんがひらひらと手を振る。

丁度、櫓から。マークさんが降りてきた。

マークさんは、魔術師が苦手なのかもしれない。女の子の手を引いて行ってしまったナスターシャさんの背中を一瞥すると、妙だと口にした。

「妙、ですか」

「これでも僕はそれなりの実力があるアーランド戦士のつもりだ。 だがねえ、サーチライトでかなり奥まで照らしてみたんだが、ペンギン族の斥候が少なすぎる」

「斥候がいるにはいるんですか」

「ああ。 だがあれは、防御用の数ではないねえ。 明らかに、味方を呼びに行くための伝令だ」

メルお姉ちゃんが腕組みする。

確かに、それはおかしいと、トトリも思う。

もしも、領土を広げようと考えて、此処まで縄張りを北上させたのなら。もっと多くの兵力を、境に貼り付けているはずだ。

他の場所で、領土拡大を狙っているのか。

しかし、今の時点で彼らが出没する境には、既に此方も斥候が張り付いている。それは向こうだって把握しているはずだ。

まさか。

「ひょっとして、本命の戦力で、何かをしているのでは」

「たとえば、孤立した村への攻撃とか?」

「いいえ、多分その可能性は低いと思います」

トトリは即時に反応した。

というのも、孤立したとはいっても、別の街道から物資も人員も移動できる上に、鳩便で急を告げることも出来る。

それどころか、そもそもである。

アーランド戦士の多数いる村が。

ペンギン族が相手とは言え、多少の事で陥落するはずがない。

最悪の事態があるとしても、何かしらのアクションは起こすはず。それだけの手練れが、辺境には揃っているのだ。

偵察を出したいけれど。

どうにもならないのが厳しい。

此処で背信を犯してしまっては、何ら意味がないからだ。

歯がゆいとは思うけれど。

トトリは、顔を叩くと。

正座して、検問の一カ所に座る。

怪訝そうに、メルお姉ちゃんとマークさんが見る。

「どうしたのかね」

「座って、集中することにします」

「ほう」

「集中した後は、鍛錬します。 手伝って貰えますか」

良いだろうと、メルお姉ちゃんは言う。

目を閉じて、雑念を払う。

悪い予想は。

今は、考えないことにする。

 

スピア連邦のホムンクルス、バティユ223は、手をかざしてトトリの様子を見ていた。彼の目はレンズ状になっており、手をかざすことにより、遠距離の相手をより正確に捕捉できるのだ。

生憎側に手練れが張り付いているから、どうにもできないが。

それでも、相手の様子は、良く確認できた。

側には、気配を消すためのハイドスキルを極めたホムンクルス、フォックス77が張り付いている。

フォックスタイプのホムンクルスは、ハイドを専門とする者達。

流石に手練れのアーランド戦士に近づいてしまうとばれてしまうが。生半可な相手には、気付かれない。

見かけは子供のようで、性質も極めて臆病。

その上、造反するようなら、首に仕込まれている爆弾が作動するようにもなっている。

アーランド戦士どもは、それを把握していて。

この間、プロトタイプの一体が、敵に捕縛されて、使われているのを確認している。

厄介な話だ。

「此方エレオノル44」

「どうした」

通信装置から、声。

向こうからは、戦闘音がする。

「ペンギン族、多数襲来! 私だけでは支えきれないかもしれない」

「ちっ……」

ペンギン族の本拠、いわゆる営巣地に対する襲撃と圧迫をここのところ連日で仕掛けて、奴らを北に追い込んでいたのは、レオンハルト様の指示だ。

レオンハルト様の分身一体が、此処にいるホムンクルス六体の指揮を執っていて。

その戦闘力は、文字通り圧倒的。

昨日の襲撃では、ペンギン族二十匹以上を、文字通り薙ぎ払うようにして叩き潰し。その子供や女を、大勢殺した。

奴らはかなり前に、営巣地を放棄している。

此方のゲリラ戦に耐えかねての行動だった。

ペンギン族共は戦いやすい地点に集結して。なおかつ、魔術師が霧の術式を展開して、奴らに有利なフィールドを作成。

しかし、それには北上し、縄張りを変形させる必要があった。

ペンギン族が北上した事で、当然アーランドの脳筋どもも反応。

前線が接触し、争いが始まった。

元々、犬猿の仲だった連中だ。

以降はなし崩しに殺し合いが始まった。

それからは、時間を掛けて北へ北へと、ペンギン族を追い込んできていた。数ヶ月がかりのプロジェクトだったのだ。

もっとも、一気に状況を進めたのは、レオンハルト様の指示で、だが。

この状態なら、追い込まれたペンギン族を、降伏させる事も可能だったかも知れない。そうすれば、アーランドの背後に、厄介な火種を作る事も出来た。

ただ、レオンハルト様の分身は言った。

これは、トトリとやらの対応力を計るための実験だと。

小首をかしげながら、此処で作戦行動をしていたバティユ223達は指示に従い、作戦行動を早めた。

その矢先の出来事だ。

昨日の攻撃で、敵は抵抗能力を失ったと、思っていたのだが。

圧倒的戦力で反撃に出てきたという事は、ひょっとして。周辺のペンギン族を根こそぎかき集めて来たのかもしれない。

下手をすると、隣国にあると言う、ペンギン族の国から増援を呼んだ可能性さえある。

ペンギン族は水に強い親和性を持つ種族。

霧は彼らにとって、感覚を拡大する手段。敵が接近すれば、手に取るようにわかるのだという。

そして、今である。

状況を確認しているバティユ223とフォックス77以外のホムンクルスと。レオンハルト様の分身は。

予想を遙かに超えるペンギン族の圧倒的な大攻勢に晒されているようだった。

「支援が必要か」

「お前達に出来る支援など」

「境で火花を起こしてみてはどうだろう」

「やめておきなさい」

レオンハルト様の分身の声。

どうやら、相当に追い込まれているらしい。

アーランド戦士ほどでは無いにしても、辺境の煉獄に等しい環境で鍛えに鍛えられた亜人どもだ。

弱いはずはない。だから、此方だって油断はしていなかったのだが。

奇襲を掛けられず、集中攻撃を浴びると、こうも酷い事になるのか。

「営巣地は既に奪還された。 更に追撃を受けている」

「我々に出来る事は無いか」

「そのままふせていなさい。 最悪の場合、我々は討ち果たされても別に問題はない」

レオンハルト様分身の声。

悲痛な嘆きが、エレオノル44の口から上がるのがわかった。

お前も私も捨て石だ。

あの腐れ老人は、そう言っているのだ。

「お前達がやる事は、トトリとやらの能力を見極め、北で待機している別の私にそれを伝えること。 わかりましたね」

「……」

通信が切れる。

不安そうにしているフォックス77の頭を。バティユ223は、たくさんある手で撫でた。

立ち上がる。

バティユ223は、全体的には蜘蛛に似た姿だ。

蜘蛛で言う頭胸部に爆弾と制御装置が仕込まれているが。その気になれば、取り出してしまう事も出来る。

多分創造主たる一なる五人は知らない。

ホムンクルス達は、ずっと長い間、使い捨てにされながら。色々な手段で、体に仕込まれている爆弾や制御装置について、調べていたのだ。

だから、集団脱走事件も何度か起きている。

アーランドに降伏する手もある。

実際、アーランドに潜入した同胞については、噂を聞いている。元いた場所とは、比べものにならない好待遇を受けていると。

「バティユ223さま。 ぼくはどうすればいいの?」

「気配を消すことに注力していなさい」

「……」

「もう少し近づくよ」

這うようにして、北上。

元々立ち上がっても、体高は低いのだ。小柄なフォックス77は、しがみつくようにして、ついてきている。

検問の側に、ふせる。

これ以上近づくと発見されるだろう。相手の手練れは、尋常では無いからだ。

通信が入る。

どうしたのだろう。

耳で通信装置を包んで、音が漏れないようにする。

「た、助けてくれっ! か、囲まれた! 囲まれてる! 他は、みんなやられた! ぐちゃぐちゃに殺された!」

悲痛な声は、エレオノル44のものだ。

レオンハルト様の分身は、何も言ってこない。

これは、もう終わりか。

「HELPHELPHELP! し、死にたくない! 死にたくない!」

「落ち着け、平文のままだぞ!」

「ぎゃあああああああああああああああっ!」

通信装置が、ノイズだけを返してくる。

頭を振る。

これは、攻撃を続行していた部隊は、全滅したとみて良いだろう。

だが、あのレオンハルト様が、この程度で済ませるはずがない。きっと他にも手を打っている筈だ。

トトリとやらの、対応力を見る為に。

それだけのために、我々は、使い捨てにされたのだ。

さめざめと泣き始めるフォックス77。

バティユ223はやりきれないと思いながら、その頭を撫でた。せめて、この子だけは、どうにかして逃がしてやらなければならないだろう。

今は、身を伏せる。

そのためには、色々と。

準備が必要だ。

 

4、血が染みた砂浜

 

一日が過ぎた。

検問に立ち尽くしているトトリの前に。しずしずと、無数の影が進んでくる。

一目で分かる。

戦の後だと。

彼らの中には、槍を手にしているものがいた。肉弾戦を主体とするという彼らの事だ。槍に突き刺している死骸は、おそらく、トロフィの意味を持つものとみて良いだろう。

しかし、何だろう、あの死骸は。

原形をとどめていない死骸は、人間の老人に見えるけれど。多分、自爆したのだと見て良さそうだ。

他は、何なのか、想像もつかない。

獣のように見えたり、或いはむしのように見えたりもする。いずれも悲惨なまでに、ぐちゃぐちゃに潰され、殺されていた。

どさどさと、捨てられる死骸。

今更、死体を怖いとは思わない。採取の時に散々戦って敵を殺しもした。敵の死骸から、毛皮を剥いだり、内臓を取り出したりもした。

その程度の事は、アーランド人なら出来て当然。

悲しいとは思うけれど。死体を見て吐くほど、もう柔でも無い。

ペンギン族の老人が、前に進み出てくる。

「トトリと言ったな。 一日限りの不戦条約を守ってくれて、感謝する。 おかげで我等の縄張りを荒らし回っていた連中を、排除することが出来た」

「この人達は」

「おかしなことをいうものだ。 錬金術が絡んでいるとみたが。 貴方が造り出した尖兵ではないのかね」

ぞくりと。

背中に、恐怖が這い上がった。

ペンギン族は、此方を測っている。殺気をダダ漏れにしているのは、返答次第では、即座に交戦を開始するつもり、だからだろう。

「私、錬金術師ですけれど、こんな……命を造り出したりするような真似は出来ません」

言われて分かったが。

この死骸は、ホムンクルスか。

アーランドで見かけたホムンクルスは、女の子の姿をしている者達ばかりだった。このホムンクルス達は、見るからに機能優先で作り上げられている。

おそらく、アーランド製では無いだろう。

アーランドでホムンクルスを作っている人は、多分現時点で一人。仕様があまりにも似通っているから、そう判断するしかない。

ロロナ先生は、多分関わっていない。

あの人が、こんな恐ろしそうなホムンクルスを、作るとは思えないからだ。

ましてや、トトリは。

こんな技術、とても手が届かない。

「おそらくこの人達。 ホムンクルスだとしたら、アーランドで製造されたものではないと思います」

メルお姉ちゃんが、周囲を確認している。

狙撃を警戒していると判断して良さそうだ。

どんどん、嫌な予想が裏付けられていく。

でも、敢えてみてみないふりをする。

「そうなると、スピア連邦かね」

「断言は出来ません。 でも、アーランドでは無いと思います」

「……良いだろう。 もしも貴方が自作自演をしているなら、昨日攻撃を仕掛けて、我々の背後を突いたはずだからだ。 昨日我々は、総力戦でこの者達と戦い、それなりに被害も出している。 攻撃するなら、好機だろうからな」

「それなら、これを使ってください」

荷車から、ヒーリングサルブを出す。

何セットか用意してある。

メルお姉ちゃんが、流石に眉をひそめた。お人好しにもほどがあるというのだろう。今の今まで、場合によってはトトリを殺そうとしていた相手なのだ。

「傷を治すお薬です。 効くはずです」

「いらんと言いたいところだが、今は見栄を張る余裕が無い。 有り難く受け取ろう」

「代わりと言っては何ですが、今までの境にまで戻って貰えませんか。 此方も、街道の一部が使えなくなって、困っています」

「……そうだな、わかった。 どのみち、我々も縄張りが違うと戦いづらくて仕方が無いからな。 だが、小競り合いで死者が出たのも事実。 今回はこれまでだ」

老人が片手を挙げると。

小柄な、だがとてもたくましいペンギン族の戦士達が、ヒーリングサルブを入れた瓶を受け取って、持っていく。

不安だ。

あの程度の数で、足りるだろうか。

「あの。 お薬がまだ足りないなら、追加で持ってきます」

「どういう風の吹き回しかね」

「ペンギン族と、アーランドの戦士達は、今まであまり良い関係が築けていたとは思えないからです。 この機会に、仲良くしたい、です」

「……貴方の顔は、此処にいる戦士達が覚えた。 各地の営巣地にも伝えておこう」

霧の中に、老人が消えていく。

ペンギン族がいなくなると同時に。

彼方此方に立てられていた杭が抜かれて。霧も晴れていった。

大きく息を吐く。

その場にへたり込みそうになるトトリを、メルお姉ちゃんが支えてくれた。

他の戦士達が、驚いた様子で見ている。もしも戦いになるようなら、この場で総力戦になる事も辞さないと、皆判断していたのだろう。

「何だよ、たたかわねーのかよ」

「……」

凶猛そうな戦士が不満そうに言うと、村の中に戻っていった。サルクルージュさんは黙り込んだまま、トトリを見ている。

小首をかしげたトトリに。

サルクルージュさんは言う。

「ロロナ殿とはまた違う意味で、変わった錬金術師殿だな。 だが、村が抱えていた問題が解消されたのは事実だ。 感謝する」

「……ありがとう、ございます」

「街道の整備があるから、これで失礼する」

あの様子では。

きっと、ペンギン族との和平がなるとは、思わなかったのだろう。

でも、トトリはもっと先まで話を進めたいと考えている。ペンギン族と、今は一時休戦くらいの状態でしかないからだ。

彼らの事をもっと知りたい。

そうすることで。

少しでも、悲劇を減らしたいのだ。

ナスターシャさんは、いつのまにかふらりといなくなっている。用事が済んだと思ったのだろう。

マークさんは、ペンギン族が捨てていった死骸に興味津々の様子だ。

「すばらしい。 この死骸、持ち帰っても構わないかね」

「できれば、埋葬してあげて欲しいですけれど」

「調べたらそうするさ」

どこから取り出したのか、樽を側に置いているマークさん。

中には異臭を放つ液体。

保存用のものだろう。

死体を丁寧に樽に詰めていくマークさん。入りきれない分は、鼻歌交じりに切り刻んでいる。

そして、自分用の荷車をいつの間にか調達して、其処に積み込み始めた。

凄い行動力だ。

ちょっと感心してしまう。

メルお姉ちゃんに、肩を叩かれる。

「それで、どうするの」

「一度アランヤに戻って、お薬を調合する。 その後、出来ればペンギン族の営巣地に行きたいな」

「正気? 多分他の種族で、ペンギン族の縄張りの奥まで入って、生きて帰った奴はいないわよ」

「だからだよ。 今回の件でわかったけれど、ペンギン族は話だって出来るし、互いを尊重すれば殺し合いにだってならない。 一緒に戦う事は出来ないかも知れないけれど、無意味に血が流れないようにはしたいよ」

呆れたように、肩をすくめるメルお姉ちゃん。

まず、酒場に行くと、マスターに鳩便を頼む。今回の顛末について記した手紙をくくりつけると、アーランドに向けて放った。

その後は、少し軽くなった荷車を引いて、東に。

戻るのだ。アランヤに。

途中で、幾つかの採集が可能な場所があるから、調べていく。素材で良さそうなのがあったら、回収していくためだ。

少しずつ、力もついてきた。

国の命令とは言え。色々なものにもふれた。

もっと力を付けて。

権限を拡大して。

お母さんの情報を見つけるためにも。

色々と、やっていきたい。

東に街道を歩きながら、ふと思う。錬金術師ではないとしても、最高ランク冒険者だったお母さんは、どんな権限を貰って、どんな景色を見ていたのだろうと。

視野が拡大すれば、出来る事も増える。

お母さんは圧倒的な戦闘力の持ち主だったけれど。それでも、生傷が絶えない人でもあった。

もし、ランク10にまで到達できたら。

トトリは、どうなるのだろう。

其処に立ったとき。

何が、見えるのだろう。

まだ、わからない。

道は、半ばにも達していないのだから。

 

バティユ223は、山道を這い上がるようにして進む。

見えてきたのは。

切り株に腰掛けている、レオンハルト様の分身だ。今回の作戦には、レオンハルト様は、バティユ223が知るだけでも、分身を四名も投入している上、本人まで来ている。それだけ、この作戦で、情報を正確に集めようとしているという事だ。

「首尾は」

「はい。 見届けました。 トトリという娘、想像以上に優れた胆力の持ち主で、判断力も冷静。 何よりも……」

「何よりも?」

「理解力が著しいように見えました。 状況を確認してから、それを完璧に理解把握し、最善手に直進する印象です。 頭が切れるのもあるのでしょうが、それ以上に理解力が、強みになっているように思えます」

バティユ223は、言い終えると。

反応を待つ。

顎をしゃくられたので。トトリとペンギン族の交渉について、一から順番に説明していく。

話を聞き終えると。

レオンハルト様の分身は、満足そうに頷いた。

「ふむ、なるほど。 それで、フォックス77は」

「先ほど、追いついてきた敵との交戦で命を落としました。 庇いきることが出来ず、申し訳ありません」

「まあいいでしょう。 代わりはいくらでもいます」

レオンハルト様の分身が促すと。

周囲に複数のホムンクルスが姿を見せる。

これは。

いずれもが、今回の作戦で投入されたものと、同等以上の性能を持つ、戦闘タイプホムンクルスばかり。

特に、先頭にいるアンダー445がヤバイ。

カマキリに似た姿をしているアンダー445は、筋金入りの武闘派だ。劣化コピーが多数作られて、北部列強との戦線に投入されているくらいなのである。

ペンギン族の戦力は、作戦の前半で測ることが出来た。

今回は。

本気で、トトリごと、ペンギン族を屠るつもりと見て良い。

「お前はこの部隊に加わり、トトリを屠りなさい」

「イエッサ」

しずしずと行く戦闘部隊に、バティユ223は加わる。

そして、歩き出したところで。

不意に、レオンハルト様の分身に声を掛けられた。

「待ちなさい」

「はい」

「制御装置は、どうしました」

足を止める。

遠隔でも、それを把握できるのか。毛で傷口は隠していたというのに。

「私をたばかろうとは、面白い輩ですね」

「今までの報告に嘘はありません」

「おおかたあのハイド用ホムンクルスに情でも湧きましたか?」

「……それの何が悪い」

足を広げて、戦闘態勢に入る。

このままでは、あの臆病な子は、利用されたあげくに使い捨てにされる。自分のような偵察タイプよりも、更に悲惨な運命が待っているだろう。

ちなみに首に付けられていた制御装置は外し。

街道で見かけた、同タイプのホムンクルスを連れている魔術師の方に、行くように指示はした。

泣いていたが。

最終的には、指示に従った。

それでいい。

あの女、手練れの度が過ぎた。多分アーランドの密偵だろう。それも、相当に熟練した。

ならば、情報を聞き出すことを、始末することに優先するはず。それに貴重なハイドスキル持ち。

決して、悪いようにはしないだろう。

バティユ223はいい。

今まで散々悪事を重ねてきたし。それに、レオンハルト様への情報提供についても、する義務がある。

今まで養ってもらった恩があるからだ。

それは、道具として使われていた恩だとしても。

「お前達も聞け! どうせ我々は使い捨てにされるだけだ! それならせめて、生き物として、生きたい! そう思わないか!」

「……」

明かな困惑が、周囲の戦闘タイプホムンクルスに走る。

次の瞬間。

レオンハルト様の分身の剣が。バティユ223を、両断していた。

左右にずり落ちながらも。

これでいいと、バティユ223は思った。

 

ロロナは、急報を受けて山道に到着。

焼け焦げた死体の跡を見て、唸っていた。

間違いない。

多分本人では無いけれど、レオンハルトだ。そうなると、ペンギン族関連の争乱に、出向いてきているという事になる。

狙いは何だろう。

まず考えられるのが、アーランド内で争乱を引き起こして、国力を割く事。

ペンギン族は幾つかの部族に別れて、アーランド南東部に広く存在している。幾つかの海岸線に沿って営巣地を造り、アーランドとの交渉を長年拒否し続けている。

他の国のように、独立国を内部で作っているほどでは無いけれど。アーランドにとって、頭が痛い問題の一つだ。

ロロナも何度か接触はしているけれど。

彼らの営巣地まで入ったことは無い。

顔は売ることが出来た。それくらいだ。

もう一つの可能性があるとすると、やはりトトリちゃんだろうか。トトリちゃんの暗殺に、レオンハルト本人が出向いてきているとなると、洒落にならない。

今、トトリちゃんが接触しているペンギン族の戦力ならば。レオンハルトの分身が、戦闘用ホムンクルスを連れてくると、殲滅が可能。

周辺のアーランドの村は、戦闘が行われても介入しないだろう。

両方を狙っているとすると。

少しばかり、面倒かもしれない。

最近、投入されているレオンハルトの分身は、性能的には以前くーちゃんが最初に交戦したものと、あまり変わりが無いらしい。

つまりベテランのアーランド戦士が複数なら、充分に手に負えるという事だ。

腰に付けている神速自在帯を触る。

改良に改良を重ねているこれに。

今のロロナの実力が加われば。

それに、周囲にいるのは、くーちゃんとエスティさんが鍛え上げたホムンクルス達。遅れを取るはずが無い。更に、周辺でロロナと一緒に働いてきたホムンクルス達もいる。昔の仲間ほどでは無いけれど、信頼性は高い。

でも、まだ不安だ。

「34さん」

「はい」

「この書状を、くーちゃんに。 出来るだけ急いで」

「わかりました」

34さんが森の奥へ消えるのを見送ると、ロロナは大きく深呼吸して、気合いを入れ直した。

これは、正念場になるかも知れない。

トトリちゃんは、多分今年中に、ランク4に上がる事は出来ないだろう。この件が解決するまでには、かなりの時間が掛かるはずだからだ。

いずれにしても、裏で出来るだけの事はする。

レオンハルトにも。

これ以上、好き勝手をさせるつもりはなかった。

 

(続)