交差する朱

 

序、光生まれる場所

 

久しぶりの会議だ。

ロロナは皆が欠けていないことを確認して、安心する。スピア連邦との水面下での諍いが激しくなる一方の今。いつ誰が死んでもおかしくは無いからだ。

今、アーランド「共和国」の国家元首になっているジオ王が最上座に着く。

昔は此処で。

ロロナを中心に据えた、プロジェクトMの進捗会議が行われていたことを知っているけれど。

それに対する恨みは無い。

やり遂げた今は大事な友達もたくさん出来たし。自分の力にあわせた仕事だって貰えるようになった。

なすすべなく現実に涙することもなくなったし。

悲惨な運命に立ち向かう事だって、出来るようになった。

忙しいけれど、それは別にどうでも良い。

戦いも時々起きるけれど。今の実力だったら、余程のことでもない限り、簡単に負けはしない。

ステルクさんが太鼓判を押してくれているほどなのだ。

ただ、ロロナ自身は戦闘が大好きというわけでもない。

師匠はロロナの隣に座る。

相変わらず、目もあわせてくれない。

悲しいけれど、師匠が抱えている心の闇を考えると、仕方が無い。だけれど、いつかは。絶対に、また師匠に笑って欲しいと、ロロナは思っていた。

「それでは、会議を開始する」

ジオ王が、周囲に促す。

順番に、プロジェクトの進展について、話が進んでいった。

この会議にも、昔と違うメンバーが加わっているらしいけれど、詳しくはロロナも知らない。

ただ、ロロナの後から入ってきたメンバーについては、その違う人なのだろう。

一人ずつ、順番にプロジェクトの進捗について説明が為される。

現在ステルクさんは、国内の引き締めを行っている。これは最前線にいるエスティさんと師匠の網を抜けて、どうしても彼方此方の国境から、厄介事が入り込んでくるからだ。

今回の、リス族の一件もその一つ。

各地では、幾つかのもめ事も起きている。

仲の悪い村や。国境線での出来事。

アーランドと周辺の国家の仲は、必ずしも盤石では無いらしいと、ロロナは聞いたことがある。

辺境諸国をまとめ上げるにも。

これらのもめ事の解決は必須。

ただし、今はそもそも、街道を通じてわずかな人間同士が行き来するのがやっとの状態。道を安全にするためにも。

トトリちゃんの仕事は、急いで進めて貰わなければならないのだ。

それに、問題はそれだけではない。

たまに、あり得ないほど強力なモンスターが姿を見せることだってある。だけれど、ステルクさんは、今の時点で敗北を知らない。

以前、レオンハルトさんという人に大けがを負わされてから。

顔が更に怖くなった。

あの時から、油断を一切しないようにすると、決めたらしい。

頼もしくはあるけれど。ステルクさんも、師匠と一緒に、何だか遠いところへ行ってしまったようで、悲しかった。

師匠が次に説明開始。

ホムンクルスの増産体制と強化。

前線の状況についての説明。

先月だけで、師匠は「暇つぶし」に、スピア領に二十二回も入っては敵を殺戮して廻ったそうだけれど。

ジオ王に釘を刺される。

「今は此方の戦力が整いきっていない。 敵を不必要に挑発するのは避けるように」

「了解……」

「次」

指示は事務的。

師匠もいちいちジオ王に楯突くようなことは無い。

実際問題、師匠が単独でどれだけ敵を殺戮しても。敵の生産能力を考えると、屁でも無いのだから仕方が無い。

今はスピアは、大陸北部で抵抗している国々との戦いに注力している。そのまま、状態を維持させるのが望ましい。

そうジオ王は判断しているのだ。

勿論、最終的にはそれらの国との連携も必要になるだろうけれど。

今は遠交近攻策を取れるほど、味方が連携できないと、判断しているようだった。

結果的には、援軍は送れない。

北部の列強諸国は、そもそも南部の諸国を蛮族の集まりとみくだしている、という現実もある。

事実、リス族のように偏見がない種族ならともかく。難民が南部諸国に逃れてくる例は、少なくとも大々的には報告されていないのだ。

師匠が座ると、今度はエスティさんが立ち上がる。

エスティさんは、敵の情報網把握が仕事。国内で敵の諜報用ホムンクルスの群れを主に潰して廻るのが、最近の任務になっている。

ただし、余裕を見ては国境を越えて、北にもでているようだけれど。

何しろ、国内に入り込んできている羽虫(つまり諜報戦力)が多すぎて、北に出撃できる回数は、どんどん減っている様子だ。

「敵の諜報網の構築は現時点では阻止できていますが、敵は何しろ数が多い。 小隊単位での行動を阻止するのは難しいですね」

「手が足りないか」

「残念ながら。 中級の冒険者達と、巡回用のホムンクルス達を用いて迎撃をしていますが、潰しきるのはまだ無理です」

「今後も敵の諜報網構築だけは阻止せよ」

今は、守勢に回るしか無い。

エスティさん自身も、鬼神のような働きを見せてはいるけれど。それでも、とてもではないが、対応できていない。

数が違いすぎるのだ。

続いて、くーちゃんが立ち上がる。

「冒険者ギルドの状況です」

「うむ……」

現在、新人育成に力を入れつつ。

冒険者というフレキシブルな仕組みを導入したことで、一気に風通しが良くなった。しかし、その管理は大変だ。

くーちゃんの武器は、超がつくほど精密な記憶力。

これを駆使して、人員の流動を可能な限り精密に行っているようなのだけれど。やはり、どこもかしこも手が足りないという。

「今後は、労働者階級の人間にも、冒険者としての門を開くべきかと」

「いくら何でもそれは……」

苦言を呈したのは、大臣を辞して、現在は評議員になっているメリオダスだ。ただし、大臣を辞したといってもそれは一時的なこと。評議員というのも何回かなっているし、色々な大臣や役職を渡り歩いているので、もう面倒だから大臣と皆が呼んでいる。

何度か話した事があるけれど。実際の顔と、よそ行きで、随分雰囲気が違う人である。今は、本来の顔で話してくれている。

彼は労働者階級出身で、その経済の強さで王の懐刀を務めてきている。

ロロナにして見れば、複雑な感情を抱いている相手だ。

以前のロロナが地獄を見せられたプロジェクトにも、中心的に関わっていた人なのだから。

「勿論仕事は限定します。 武力に関するもの以外であれば、労働者階級の人間でもどうにでもなるものは多くあります」

「しかし、冒険者である以上、やはり危険地帯は通らなければならないのだろう?」

メリオダス大臣の不安ももっともだ。

他にも何名か参加している労働者階級の人間も、同意を示していた。

揉めると判断したからだろう。

王が咳払いした。

「その件については保留とする。 今後も新人を鋭意発掘し、教育に努めよ」

「わかりました」

「次」

立ち上がったのは、ロロナだ。

まず、セカンドホムンクルス計画について。

これは戦闘向けでは無いホムンクルスの製造、生産計画である。現在、師匠が作ったホムンクルス達は、基本的に戦闘タイプ。

現状では、大けがをしたり何かしらの理由で戦闘には適さないと判断されたものだけが、後方で戦闘以外の任務に従事している。

ロロナをずっと世話していたホムちゃんも、現在は師匠の側で、サポートに努めているようだ。

ちなみに、会議の末席で笑顔を浮かべているパラケルススちゃんも。師匠が作ったホムンクルス。

しかも、その最強の一人である。

「現在、理論の理解には成功しました。 後40%ほどで、完成すると思います」

「今年中には生産可能か」

「何とかして見せます」

「うむ」

今の時代。

とにかく、どこもかしこも、人手が足りないのだ。

たとえば、今アーランドの各地を結ぶ街道沿いに、急ピッチに緑化政策が進められている。

この緑化作業は、もはやおおっぴらに悪魔のみなさんに協力を仰いでいるほどなのである。

冒険者の中には、度肝を抜かれている者もいるとくーちゃんに聞いている。

少し前に、トトリちゃんがリス族との和平を成功させるきっかけを作り。かなりの人数がアーランドに流入したけれど。

これでも、人手は足りないかもしれない。

ちなみに食糧は心配いらない。

今の百倍に人口がふくれあがっても、支えられると試算が出ている。

ただ、それはあくまで食糧だけ、だが。

インフラの整備が、とてもではないが追いつかないだろう。

「それと、トトリちゃん。 ええと、トトリの関わっているプロジェクトLですが、非常に順調です。 前の会議でも説明した同盟計画については、締結を完了しました。 現在クーデリアが細部を詰めており、間もなく冒険者の任務の一部を、リス族に代行して貰える算段がつきました」

「おお、それは本当か」

王が破顔する。

何処も進捗が思わしくない中の吉報だ。喜ぶのも当然だろう。

ロロナはこれの全権を任されているから、かなり報告には緊張する。トトリを推挙したのはロロナなのだし、責任も伴っている。

「後二ヶ月ほど、トトリには、リス族とコネを作らせます。 その間に各地を見て廻らせます。 冒険者としての経験を積ませるためです」

「ふむ、それで」

「この地図を見てください」

まだ、完全に同盟が締結したわけではないけれど。

街道の何カ所かを、赤く塗ってある。

これは安全地帯だ。

労働者階級の人間でも、通ることが出来る。

小柄だけれど腕力が強く、夜目も利くリス族の護衛があれば、これだけの街道が安全地帯としてカウントできるようになる。

勿論、リス族の戦闘力は、ベテランのアーランド戦士には劣る。

だから今までのキャンプスペースなどは残し、駐留要員はそのまま待機させる。いざというときは、連携して問題に対処するのだ。

興奮した様子で、メリオダス大臣が眼鏡を直す。

その隣にいるタントリスさんが、不安そうに見ていた。まだ、父の補佐をしているタントリスさんは、時々父が衰えたと、ロロナに零すようになっているのだ。

「これだけの道を、安全地帯としてカウントできると、インフラの整備もはかどりますな」

「メリオダス、評議会に申請して、道路の整備を進めさせる準備を。 馬車の行き来をしやすくなるように、舗装する。 それでかなり、物資の行き来がはかどるようになる」

「了解です」

とはいっても。

まだまだ、安全地帯としてカウントできる地域は多くない。

リス族は何処にでもいるわけでは無い。

元々彼らは、山に穴を作って集落にし。近くの草原や森などで、植物性の食物を入手して生活している集団だ。

条件を満たしていない地域は多く。リス族に出張して貰うわけにもいかないのである。

ましてや、凶悪な戦闘タイプのホムンクルスを相手にすると厳しいだろう。自衛くらいは当然出来るだろうが、それでも死者を多く出していては、彼らの負担を無視できなくなってしまう。

「人間」は、いくらでも必要なのだ。

「これからも、大陸北部からのリス族流入に拍車を掛けて貰いましょう」

そう言って、賛同を得るロロナだけれど。

ふと思う。

食糧が足りず。

人が多すぎた場合。

これは問題になったのでは無いのか。

今の時代は、どこでも手が足りず。土地は余っていて、食糧だって、別に不足はしていない。

だから、リス族は歓迎されているけれど。

昔は、今の千倍とか、そう言う単位で人間がいたと聞いている。

そんな時代だったら。これは、争いの種になってしまったのでは無いだろうか。

首を横に振る。

報告が終わったので、着席。

他のメンバーの報告を、後は聞き続けた。

 

会議が終わって、お城を出る。

くーちゃんに脇を小突かれた。

「プロジェクトをそつなくまとめているじゃない。 もっと苦労すると思っていたわ」

「くーちゃんのおかげだよ。 あと、みんなが書類の書き方とか、色々サポートしてくれてるし」

「まあ、擬音だらけの説明になると、誰も理解できないものね」

「えへへ、ごめんなさい」

情けないけれど、その通りだ。

アトリエで、プロジェクトMに巻き込まれて苦労していた頃から、ロロナは自分が書類を作る才能がないことを知っていた。

随分とホムちゃんにも色々言われたものだ。

だから今では、一度誰かに定型文を作ってもらって、それに沿うようにして書類を作っている。

サンライズ食堂に。

今では、イクセくんが店長をしている。前の店長さんは引退して、今では緑化作業をしているそうだ。

料理の腕前はアレだったけれど。緑化の方は天職に近いらしく、むしろ今の方が生き生きとやっているらしい。

店に入ってから、ホーホを注文。

もくもくと食べながら、軽く話をする。

イクセくんはジュースをサービスしてくれた。勿論、話に横やりを入れるような野暮はしない。

「出来そうな子はいる?」

「前に言ったミミって子。 叩けば叩くだけ伸びるわよ。 私の直属に付けたいくらいだわ」

「駄目だよ、くーちゃんに着いてこられる子なんて滅多にいないんだから」

「妙な話ね。 昔は私も散々弱い弱いって虐め倒されてたのに」

今では、くーちゃんが、殆どの戦士を導く側だ。

国家軍事力級。

この国でも最上位層に位置する最強の戦士の呼び名。今では公式なものではなくなったけれど。

くーちゃんの実力なら、実際に単独で北方の小国の一つや二つ、蹂躙できるだろう。

「他には?」

「トトリの村のジーノって子。 雷鳴が才能があるって喜んでたわ。 もう何ヶ月か稽古を付けながら、近場でのモンスター整理任務をさせるつもり」

「あ、何だか言いたい放題な子だね」

「そうそう。 まあ、雷鳴は優しいけれど、躾はしっかりするから。 その内ちゃんとした大人になるでしょう」

食事を追えると、席を立つ。

アトリエの前で、別れた。

くーちゃんはこれから、護衛を連れて南に。リス族の最長老と交渉して、同盟について細かい打ち合わせをするのだ。

このアトリエで調合することも、殆ど無くなってしまった。忙しいから、移動しながら指揮車両の中でするのだ。

調合の素材なら、いくらでも集められる。

だけれど。

やっぱり、このアトリエで仕事をしていたことが懐かしい。

トトリちゃんはまだ、しばらくアランヤ村から身動きできない。だけれど。此方に来たときは、このアトリエで、一緒に仕事をしたいものだ。

そして、いつかはこの悲惨な戦争を終わらせて。

みんなで、静かに優しい時を過ごしたい。

そのためには、一なる五人をどうにかしなければならない。ジオ王でさえ手こずるほどの使い手が五人。

生半可な相手では無いけれど。

この世界のためにも。

負けるわけにはいかないのだ。

ただ、彼らの思想や目的については疑問も残る。どうしてこんな事をしているのかは、知らなければならないだろう。

気を引き締めると、街の外に。既に護衛のホムンクルス達が待っていた。

これからロロナは、北部国境の近くに出向いて、次のプロジェクト進展についての、仕込みをする。

この国の内部の主要街道を、安全地帯にする。

その後は、近隣の辺境諸国との道を、同じようにつなげる。

それが出来て、初めてアーランドは、スピア連邦と互角の立場に立てるのだ。

ロロナは、そのための下地を作る。

本物の素質を持つトトリちゃんには。きっと、その後の過酷な運命も、乗り越えられるはずだと信じて。

 

1、交渉

 

クーデリアさんと合流したのは、アランヤから数日北上した村。途中までは、ペーターお兄ちゃんに馬車に乗せて貰った。

護衛としては、メルお姉ちゃんに着いてきて貰っている。

馬車の中では、少し気まずいかと思ったのだけれど。

メルお姉ちゃんとペーターお兄ちゃんは、時々ぽつぽつと会話していて。無言が続くようなことはなかった。

驚いたのは、馬車に乗っていても、殆ど疲れが出なかったこと。

馬車の後部座席には、お土産として、ヒーリングサルブをかなり積み込んできている。かなりのお薬がアーランドから提供されているという事だけれど。まだアランヤ村の近くでは、薬を時々欲しいと言ってくるのだ。

これから向かうというリス族の最大集落では、きっとたくさんの薬が必要とされていて。どれだけあっても足りない可能性がある。

だから持っていっても、邪魔になる事は無いだろう。

少し前にクーデリアさんが、大まかな交渉はしたらしいのだけれど。

今回は細部について詰めるのだという。

その際に、今回の件の最大功労者として、トトリを伴いたいという話をされて。それで不安だったけれど、来たのだ。

アランヤ村の近くのリス族集落は、もう状況が落ち着いている。けが人がまだ来るそうだけれど、充分にカテローゼさんで対処できる。あの人の実力は本物だ。アランヤにそのまま居着いて欲しいくらいである。

「もう少しで着く」

御者をしているペーターお兄ちゃんが、此方を見ないで話しかけてくる。

疲れているなら寝ておけ。

そうも言われたけれど。

今の時点では、大丈夫だ。

「体力が少しはついてきたかしらね」

「うん、まだ徹夜はちょっと厳しいけど……」

「その調子よ。 今後もどんどん強くならないとね」

メルお姉ちゃんは、体力もありそうだ。それこそ、何日徹夜しても平然としているくらいには。

街道の左手に、山が見えてくる。

彼処の中腹に、国内最大のリス族の集落があって。

そして、これから交渉に行く、というわけだ。

緊張はするけれど。少し興味はある。リス族が人間と全く変わりが無いことはわかってきたし。

もっと彼らの事を知りたいと思うからだ。

村に着いたのは、夕方。

クーデリアさんは、もう待っていた。

彼女は、どうやら歩きで、というか走ってここまで来たらしい。護衛として連れているのは、顔に向かい傷があるホムンクルス一人だけ。

見た感じ、かなり強い。

ひょっとして、メルお姉ちゃんよりも強いかもしれない。

同じような顔をして、雰囲気も似通っているのだけれど。この人というかホムンクルスは、見るからに歴戦の猛者だという雰囲気が伝わってくる。

「既に宿は取ってあるわ。 今日はゆっくり休みなさい」

「はい。 有り難うございます」

「……メルヴィア、ちょっと」

無言で、メルお姉ちゃんが着いていく。

トトリはと言うと、向かい傷のホムンクルスに連れられて、宿に。彼女は34と名乗った。

番号がかなり若い。

それに、見かけの年齢も、それなりに行っている様子だ。

「ええと、34、さん」

「何でしょうか」

「番号が名前、なんですか」

「製造番号です。 我々を製造したマスターは、特別な個体以外は、番号で名前を代用しています」

何だかそれは可哀想だ。

でも、何百という番号も耳にしているし、いちいち名前を付けていられないという事情もあるのだろうか。

どちらにしても、何とかしてあげたいものだけれど。

宿に案内される。

部屋割りを決めた。トトリはクーデリアさんと。メルお姉ちゃんと34さん。

来た時と別の組み合わせにしたのは、トトリなりに、相手を知りたいと思ったからである。

特にクーデリアさんについては、色々知っておきたい。

冒険者の元締めだという以上に。

厳しいだけの性格なのか。心優しい所もあるのか。見極めておきたいと、思うからだ。

「それでは、荷物を運び込んでおきます」

「お願いします」

やっぱり力持ちな34さんが、ひょいひょいと作業を進めていく。小さな宿だから、部屋もあまり多くない中。

馬車から運び出した荷物を、手際よく運び込んでくれて助かった。

クーデリアさんとメルお姉ちゃんが戻ってくる。

二人とも、部屋割りについて、何か言うようなことは無かった。気にする事でも無いと思ったのだろうか。

軽く外で稽古。

メルお姉ちゃんに見てもらう。

体力がついてきているからか。メルお姉ちゃんに、いつもより重い棒を訓練用に使うように言われた。

「力がついてくると、軽い棒でやると却って良くなかったりするの。 自分にあわせた重量のものを使うようにね」

「はい!」

型を一通りやってみせる。

重くなったからか、少しずれた。

メルお姉ちゃんは腕組みして見ていたけれど。終わった後、幾つかアドバイスをくれる。ずばりのアドバイスが多くて、参考になった。

もう三セット、型をやる。

残心をしたけれど。疲れは思った以上になかった。

「体力がついてきたのかな」

「というよりも、無駄がなくなってきたの。 この調子で、もっと動けるようになっていくと、そのうち狼の群れくらいは一人で蹴散らせるようになるわよ」

「本当? 嬉しいな」

「まだまだ先だけれどね」

釘を刺すと。

夕ご飯を食べると言って、メルお姉ちゃんはその場を後にする。

ペーターお兄ちゃんはと言うと、今のうちにもう少し先に行っておきたいとさっき言っていた。

既に、村を出て行ったようだ。

宿に戻ると、クーデリアさんが待っていた。

彼女は何人かの冒険者と、状況について話をしていたけれど。トトリが戻ってくるのを見ると、手招きする。

冒険者の名前を、順番に教えてくれた。

全員をすらすら言えるのを見て、驚く。ひょっとしてこの人、もの凄く記憶力が良いのだろうか。

その予想は当たる。

経歴まですらすら言うのを見て、当の冒険者達が驚いていたからだ。

「いずれも中堅の冒険者よ。 今後は世話になることもあるかもしれないから、覚えておきなさい」

「はいっ!」

頭を下げて、挨拶をする。

ひよっこ冒険者なんてと、彼らは思っただろうか。

いや、違う。

「君は数がいない錬金術師だと聞いている。 今後、重要な仕事がある場合、是非同行を頼んでくれ。 此方としてもポイントが稼げそうだからな」

そういって、髭もじゃ筋肉質の、赤毛の大男が握手の手をさしのべてくる。

凄く現金な台詞だ。

でも、彼らにして見れば、それが心理なのだろう。飾っていても仕方が無い、と言うわけである。

自室に引き上げた後、クーデリアさんは幾つか聞いてくる。

錬金術の勉強はどんな状況か。

少しは実戦経験を積めたか。

頑張ってやっていけそうか。

それらにこたえた後、此方からも言う。

「はやく、遠出が出来るような許可が欲しいです」

「どういうことかしら」

「その、お母さんを探しに行きたいんです。 権限が増えれば、お母さんの情報も、手に入れやすくなると思って」

「そう」

クーデリアさんは、バカにはしなかった。

その後、クーデリアさんも、棒術を見てくれる。外は暗くなっていたけれど、玄関近くはランタンの明かりがある。

何しろ、ミミちゃんを一蹴した腕前だ。

明らかに、苦手な武器でも、メルお姉ちゃんを凌ぐ実力である。実際に棒を持って、動きを見せてくれる。

多分、ゆーっくり、ゆーーーーっくり動いてくれているのだろう。

それでも、トトリから見ると、もの凄く速かったけれど。

「見たことが無い型ですね」

「今まで教わっていたのは、基礎のよ。 これはあたしの師匠から教わった型で、対応している状況は」

細かく説明してくれる。

頷きながら、必死に覚えた。

これから、型に加えていきたい。棒術は奥が深いと知っていたけれど、達人級になると、型からして応用の更に応用があるのだとわかると、興味深い。

その後は、部屋に戻って、ストレッチとマッサージについても教わった。

話していてわかる。

この人、滅茶苦茶に苦労してきたのだ。

まだ若いのに、あらゆる事に対する蓄積経験値が違う。他の人が遊んでいる間に、血を吐くような苦労を重ねてきた人なのだろう。

更に、とんでも無い事を知らされる。

「此処まで、何日くらいで走ってきたんですか?」

「日? 二刻半よ」

「ふえっ!?」

「途中用事を入れたから、かなりゆっくりかしら。 言っておくけれど、あたしは別にアーランド最速じゃないからね。 あたしより速い奴が、国家軍事力級の元騎士にいるわ」

顎が外れそうになる。もの凄い世界だ。

馬車で此処まで十日ほどかかる。勿論馬車は馬の全速力では無いけれど、それでも次元違いの速度だ。

トトリも、体を鍛えていけば、こんな風な速度で移動できるのだろうか。

もしそうなったら。

色々な事を、無駄にせずに済みそうだ。

とにかく、膨大な経験値を蓄積していることがよく分かった。これから、あらゆる事で、アドバイスが役立ちそうだ。

話を出来るだけ聞いておく。

女の子同士のおしゃべりじゃない。

これは、完全に仕事だと、トトリは既に気持ちを切り替えていた。

 

翌朝。

軽くランニングをして、覚えたばかりの型をやる。

型は動きの集大成だ。極めることで、全てを戦闘に生かすことが出来る。ただでさえ弱いトトリなのだ。こういう所で技を少しでも付けておかないと、身を守ることさえ出来ないのである。

でも、今日は。

どうしてだろう。そういう強迫観念はなく。

のびのびと、型をやる事が出来ていた。

一通り型を済ませた後、残心。

進歩が実感できて嬉しい。いずれメルお姉ちゃんみたいに岩を砕いたり。クーデリアさんみたいに、一日でアーランドとアランヤを走って往復できるくらいになりたい。

朝ご飯を食べる。

もの凄く美味しい。多分体を動かしたから、だろう。

他の冒険者の人も、朝早くに起きて、トレーニングをしているようだった。みんなトトリなんかよりずっと上の腕前だ。

三人とも手が空いているという事で、クーデリアさんが護衛として雇う。

そして、準備が整ったところで、村を出た。

中堅三人と、メルお姉ちゃん、メルお姉ちゃんより強い34さん。何より、最強ランクにいるクーデリアさん。

これ、ドラゴンにも余裕で勝てるかもしれない。

凄い面子だなあと思いながら、荷車を引く。

荷車を後ろから34さんが押してくれる。優しい心遣いが嬉しい。無表情だけれど、こういう所を見ると、見かけとは随分違うと思う。

「以前に二回、訪れているから問題は無いと思うけれど。 何かしら突発的なトラブルがあるかもしれないから、気を付けなさい」

出る前に、クーデリアさんはそう言っていた。

確かに、森を通って、岩山に入るのだ。森には不用意に入らないようにと、リス族には通達しているそうだけれど。

逆に言うと、モンスターが待ち伏せていても、わからないかもしれない。

クーデリアさんは先頭に立って、堂々と森に入っていく。

何が現れてもどうにでもなる。

その圧倒的自信が、全身から溢れているのがわかった。

「はぐれないように気を付けてね」

冒険者の一人。

長い黒髪をポニーテールにしている女性が言う。多分三十歳前だけれど、言動はとても若々しい。

メルお姉ちゃんは左翼について、辺りを睥睨。

様子からして。この森、結構危ないモンスターがいるのかもしれない。

遠くを、虫が飛んでいる。

むしと言っても、トトリの背丈の四倍ほども長さがある飛びむしだ。百足のような姿をしていて、昔はもっと南に生息していたらしいのだけれど。最近になって、生息域を北に拡大しているという。

この世界の虫だ。弱いわけがない。

高位のものになると、強烈な高温ガスを吐き出したり、当然のように魔術を使ったりもするらしい。

出来れば遭遇したくない相手だ。

地面が、柔らかい腐葉土から、岩に代わり始める。

ようやく、到着だ。

でも、ここからが大変である。

三人がかりで、荷車を抱えて、険しい道を行く。

まるで重力がないかのように、クーデリアさんはひょいひょいと先行。身軽を通り超えて、異様だ。

先行するだけではなくて、きちんと周囲に気を配ってくれている。

この様子では、神様でもない限り、奇襲は不可能だろう。

曲がりくねった隘路を、苦労しながら登っていく。周囲には、既に武装したリス族の姿が、見え隠れしていた。

トトリがいつも行く集落よりも、明らかに歩哨の数が多い。

此処がこの国最大の集落だと言うし、当然だろう。

「そろそろよ。 気を抜かないで」

クーデリアさんは見かけ素手だけれど。

以前見た実力からして、素手でも何が相手でも勝てそうだ。

狭くて険しい道を、うんしょうんしょと越えて。そして、ようやく見えた。

ぽっかり口を開けた洞穴だ。

呼吸を整える。

見た感じ、かなり手が入っている。これはひょっとすると、元々は鉱山か何かだったのかもしれない。

そして多分、リス族で岩の配置などを工夫しているのだろう。

下からも左右からも見えにくいようになっていた。

歩哨と、クーデリアさんが何か話している。

奧から、通訳らしいリス族が出てきた。

あれ。ひょっとして。

クーデリアさん、リス族の言葉が喋れるのか。

いや、まさかそんな事は無い。多分リス族の方が、簡単な会話を出来る者を、歩哨にしているのだろう。

通訳の人が、トトリを見上げる。

いつも行く集落の通訳よりも、かなり年かさに見える。

茶色い毛が、かなり色あせているように思えたからだ。

「錬金術師どのですか」

「この子は、いつも納品している薬品を作っている錬金術師の弟子よ。 南の集落のけが人を、大勢助けた立役者」

「おお、話には聞いております! ありがたいありがたい」

手を掴まれ、シェイクされる。

小さな手なのに、とても力強い。

そのまま、奧に案内された。やはり予想通り、元鉱山なのだろう。内部はかなり入り組んでいるが、人の手が露骨に入った跡がある。

「此処は放棄された元鉱山よ。 既に鉱物資源は取り尽くした後だし、モンスターが住み着いても面倒だから、リス族が住むのを黙認していたの。 今回交渉したことで、正式に彼らに住居として譲渡したけれど」

「へえ……」

今まで何度か足を運んだ集落とは、大分違う。

苔の照明があるのは同じなのだけれど。彼方此方に、何だか不可思議な部屋があるのだ。

光が差し込んでいるという事は、天井に穴が開けられているのだろう。壁や床に、びっしりと白いものがある。

「あれは、何ですか」

「ああ、茸を栽培しているのです。 何種類かの茸を栽培して、それぞれ食用にしております」

「茸の畑!」

「蟻なんかにも同じ事をする種族がいるそうですが、我々はもう少し大規模です」

通訳の人が教えてくれた。

途中、大部屋に出る。

案の定、負傷者が多く横たえられていた。

かなり減ったそうだけれど、まだかなりの数がいる。それに、来たばかりの負傷者も散見される。

アーランドに流れ込むリス族は。

まだまだいる、という事だ。

ひどい話だけれど、トトリには対処療法しか出来ない。

見ると、働いている人間の魔術師とホムンクルスが何名かいる。てきぱきと作業をしていて。彼方此方で、魔術の光が瞬いていた。

「医療魔術師の手際が素晴らしく、彼らのおかげで死者はほぼ出なくなりました。 本当に感謝の言葉もありません」

「何か足りないものは?」

「今の時点では。 既に食糧や、回復したものの割り当てについても、族長同士の話し合いが済んでおります。 後は大陸北部にいる同胞が、一人でも多く此方に逃げ延びてくることを祈るばかりです」

クーデリアさんと通訳が話している。

大広間を沿うようにして移動。更に地下へと潜る。

苔の照明がなかったら、足下どころか、一寸先も見えない。本来、この辺りは、カンテラをかざして移動することが前提になっているつくりなのだ。

最深部。

比較的広い空間。

其処に、いかめしい装飾品を付けたリス族が数名いた。

クーデリアさんが進み出る。

「族長、お会いできて光栄です。 クーデリア=フォン=フォイエルバッハです」

「おう、クーデリアどの。 よくぞ参られたな、と仰せです」

そういえば、クーデリアさんも貴族だった。フォンというのが、貴族の称号だと言う事は、トトリでさえ知っている。今になって考えてみると。以前のミミちゃんに対する言葉も、彼女が貴族であることを前提にすると、かなり印象が変わってくる。

貴族だからこそ、それの意味のなさを知っていて。

そして敢えて貴族の名を名乗り続けているとしたら。

驚いたトトリをよそに、話が進められていく。

テーブルが出され、トトリも手招きされた。

「此方トトリ。 南の集落に、多くの薬品を納入し、何より今回の一件解決を先導した錬金術師です」

「話には聞いておる。 多くの同胞の命の恩人よ。 我々は貴殿を先神と認定したい、と仰せです」

「さきかみ?」

「彼らの概念で、貴方が死んだ後、リス族の神々に加える、という事よ」

非常に恥ずかしくて、見る間に顔が真っ赤になる。

クーデリアが肩を叩いた。

何でも王様、クーデリアさんやロロナ先生も、既にこの扱いを受けており、なおかつ了承しているという。彼らにとっては最大限の敬意だそうで、受けないことは失礼に当たるそうである。失礼に当たるのでは、仕方が無い。

顔から火が出そうだけれど、謹んで受けさせて貰う。

その後、交渉に入った。

クーデリアさんに話を聞いていたとおりの内容での交渉が進む。リス族も異存が無い様子だ。

彼らにして見れば、税金を現金で納めるのは難しいという事情もあるのだろう。

労働で対応できるなら、そうしたいし。

それによる旨みもあるなら、なおさらだ。

森などで得られる果実などは、森を痛めない程度なら自由にして良いし。

森の管理も任されるとなると、彼らにとっては良い事も多い。

大まかな部分での合意は決定。書類にサインをして貰って、クーデリアさんは満足げにスクロールを蜜蝋で閉じた。

問題は此処からだ。

具体的な場所。

人員。

それに割り当てについて。

そういった部分を、丁寧に決めていく。これは、誠実な取引だと、トトリは思った。タチが悪いやり方だと、約束だけして、後で細かい部分の負担を押しつけるはずだ。

細かい部分は、調整が続く。通訳が額の汗を拭っている。非常に微細な通訳が必要になるのだ。

少しでも翻訳を間違えると、大変なことになってしまう。

側で見ているトトリも、緊張する。

34さんは、素早く手を動かして、話をメモしている。ゼッテルは束で持ってきているようだけれど。それでも足りるのか、心配になった。

丁々発止のやりとりが続き、途中で二度、クールダウンが入った。

その間に、通訳の人に、持ってきたお薬を渡しておく。

「おお、何もかも有り難い。 有り難く使わせていただきます」

「いえ、そんな」

「代わりに、あなた方が役立てられるという鉱石をお譲りしましょう。 この鉱山は既に廃坑になっているそうですが、我等が居住区として整備する間に、採取できたものです」

荷車に、積み込まれたのは。

宝石の原石をはじめとする、貴重な鉱石ばかりだ。

頭を下げると、良いのだと言われる。

いずれにしても、これらは錬金術で非常に役立つものばかりだ。本当に助かる。国からも報酬金は出ているし、冒険者としてのランクも上がる。

こんなに色々して貰って良いのだろうかと、恐縮してしまう。

クールダウンを挟んで、交渉再開。

トトリは見ているだけで、殆ど口を挟む必要はなかった。

やはり、細かい部分での調整が、かなり難しい様子だ。現状での負担と、今後の負担の切り分けを、どうするか。

現時点での負担を継続するわけにはいかないという点では、クーデリアさんもリス族長老も意見が一致しているようなのだけれど。

その後にどうするかで、かなり揉めている。

勿論、けんか腰になるような事は無いけれど。

平行線にならないように、意見の調整をしているクーデリアさんは、いつもとは違って、気が短いようには見えなかった。

それでも、もう一度のクールダウンを挟むと。

殆ど、意見は共通の地点にまで落とし込むことに成功している。

この辺りは、流石だ。

交渉に長けていると言うよりも。これも色々と、経験を蓄積してきた結果なのだろう。

ほどなく、案件の全てが決着。

34さんが、どっさり契約書を出してきた。

一つずつ、クーデリアさんが押印していく。リス族長老も、骨を削って造り出したらしいハンコを、ポンポンと押していった。

「条約締結ね」

「これからもよろしくお願いいたします」

「ええ。 アーランド共和国も、あらゆる意味で手が足りていないの。 貴方たちを味方に加える事で、国内の不安要素を一つ消す事が出来て、実に好ましいわ」

握手をするクーデリアさんと長老。

良かったと、トトリは胸をなで下ろした。

今まで、リス族と人間は、決して蜜月とは言えない関係だったはず。それが、今後はこれで、少しでも良い方向に、物事は動く。

当然、リス族が人間に危害を加えた場合も。

人間がリス族を襲った場合も。

今後は罪になる。

本当の意味で、両者はまだ対等とは言えないかもしれないけれど。これから、対等になるために、努力が行われていくのだ。

「私は医療チームの様子を見ていくから、先に村に戻っていて。 34,護衛をよろしく」

「わかりました」

今回は、ペーターお兄ちゃんが、村で待ってくれている。

乗合馬車の強みだ。

隣の村まで行った後、戻ってくれているはず。事前にその話はしてある。

村にさえ戻ってしまえば、もう問題は無い。アーランド人の村に攻撃を仕掛けてくるような馬鹿なモンスターなど存在しない。

それはすなわち、死を意味するからだ。

岩山を降りる。

帰り道は、行きよりある意味大変だった。冒険者の人達が、かなり重いと文句を言ってくる。

「何つんでんだ、これ」

「ごめんなさい、貰った鉱石が入ってます」

「鉱石ぃ? ああ、そういえばここ、鉱山だったな」

「ごめんなさい」

何度も謝るトトリを見て、気の毒に思ったのか。

冒険者三人は、それ以降は何も言わなかった。

リス族の護衛もあって、岩山を降りるまでは、何も起こらず。少し疲れたけれど、荷車を地面に降ろしたときは、ほっとした。

その場で少し休む。

これから森を抜ける。

森の中では、何があるかわからない。まだリス族との契約は動いていないだろうし、モンスターに奇襲される可能性だってある。

それに、奇襲してくるのは、モンスターだけだろうか。

何か、嫌な予感がする。

メルお姉ちゃんが、顎をしゃくる。

「何かいるわね」

「そのようです」

34さんも、気付いているようだった。

トトリはもう勘弁して欲しいと思ったけれど、無言のまま、荷車からクラフトを取り出す。

幸い、その何かは、此方の戦力を計っている様子。

多分仕掛けては来ないだろうと34さんは言う。本当にそうなら良いのだけれど。村に入るまでは、安心できない。

休憩を切り上げて、村に向かう。

思ったよりも、ずっと交渉は長引いていたらしい。既に昼を大分過ぎていたようだ。冒険者の人達は、耐久糧食を取り出して、口に入れている。トトリも、村で買ってきた分を取り出すと、ゼッテルを破いた。

色々な味があるのだと、少し前に聞いている。

肉っぽいものから、甘いものまで。

好みに合わせて、三十種類以上が生産されて、各地に出回っているそうだ。

「缶詰よりずっと美味いよな、これ」

「ロロナって錬金術師が開発したらしいけれど、本当に有り難いわよねえ。 美味しいし元気になるし、喉渇かないし、食べるのに道具もいらないし、ゴミも燃やせば良いし」

「……」

恥ずかしくて、その弟子だとは言えない。

ロロナ先生の功績は、こういうところでも見られる。自分もはやく、これくらい偉大な功績を残して。

そして彼方此方に行ける権限を貰って。

お母さんを探しに行きたい。

先頭のメルお姉ちゃんと。

最後尾の34さんは、会話に加わらない。

二人とも非常に気を張っている。この様子だと、此方を見張っている何者かは、相当に強いのだろう。

緊張する。

冒険者三人は、多分気付いてはいるのだろう。

その上で敢えて楽天的に振る舞っているのは。恐らくは、何かあっても、後悔しないように。

いつも、死をくぐっているから。

トトリは、色々大変だなと思うけれど。何も口にはせず、敢えて黙っていた。

森を、抜ける。

34さんが、もう大丈夫だというと、腰が抜けそうになる。

緊張で、足ががくがく言っていた。

さあ、村までもう少しだ。

 

2、ランク2へ

 

村に戻って、宿に入ると。

部屋で、その場でバタンきゅうと倒れてしまう。

疲れた。緊張で、全身が岩のようだ。

しばらくは一人だったけれど。

夕方くらいに、クーデリアさんが戻ってきた。ぐったりしているトトリを見て、ため息を一つ。

「情けないわねえ」

「ごめんなさい、体力がなくて」

「若いんだし、嫌でもその内体力なんてつくわよ。 とりあえず、馬車の手配はして置いたから、そのままアーランドに向かいなさい」

「へっ!?」

デコピンされて、小さく悲鳴を上げる。

冒険者のランクアップについての話だそうだ。

そういえば、そんな事を言われていた。

「ポイントばっかり貯められても、此方も手続きが面倒でね。 丁度今回の件で、メルヴィアもランク7にアップすることが決まったし、二人まとめて手続きする予定よ」

「メルお姉ちゃんも」

「ああ、その様子じゃ言ってないのか。 あんたの護衛で、それなりにポイントになっているの。 結構重要な任務だったのよ、これ」

「ほえー」

そうだったのか。

クーデリアさんは、書類を束ねている。みんなスクロールの形にして、蜜蝋で固めているけれど。

多分後で、王宮で正式に書類化するのだろう。

小さなリュックにしまうと、立ち上がるクーデリアさん。

「それじゃ、あたしは行くわ」

「もう帰るんですか?」

「これでも多忙な身でね。 34は残していくから、護衛にしなさい。 どうも鼠が周囲をうろついているみたいだし、少しは助けになるでしょう」

「有り難うございます」

宿の外まで、見送る。

冒険者の人達は、もういなかった。三人とも、別の仕事があるのだろう。

クーデリアさんはというと、軽く挨拶を済ませると、残像を造りながらぽんぽんと跳んでいった。

確かにとんでもない。

あれなら、アーランドから此処まで、ゆっくりいっても二刻半というのも、頷ける話だ。

宿の部屋に戻ると、休む。

荷車の整理は、明日でいい。

錬金術師以外には価値のあるものは積んでいないし。それに何より、今日は色々な意味で疲れたからだ。

三人になったから、部屋を一つにして、節約する。

少し狭いけれど。

アーランドへの往復費用と。向こうで掛かるお金を考えると、少しでもお金は節約した方が良いというのが、メルお姉ちゃんの意見だ。

全くその通りだと思うので、トトリもその意見に従う。

34さんは残ってくれたけれど。

話しかけない限り、一切口を開くことは無い。顔にある向かい傷が、無言の時には、すごく威圧的になる。

「そっかあ、トトリももうランク2かあ」

「メルお姉ちゃんも、時間は掛かったの?」

「あたしはすぐだったよ。 ランク1貰った後、すぐにベヒモスの退治任務に従事してね、人食いもしてる結構凶暴な奴だったんだけど、あたしが仕留めたの」

「へえ……」

討伐対象のモンスターの中でも、結構高めの賞金が掛かっている、危険な奴だったという。

労働者階級の人間ばかり狙って襲い、喰らう人の味を覚えた獣。

被害者が五人を超えた時点で、賞金が掛かり。

逃げ回るのを追い詰めて、皆で殺したそうだ。

残酷にも思えるが、そうしなければならない。致命的な段階で人と相容れない存在は、やはり排除しなければならないのだ。

ベッドで横になって、メルお姉ちゃんの話を聞いていると。

この世界の厳しい理論がよく分かる。

ミミちゃんは、今多分アランヤ周辺で仕事をしていると思うけれど、何をしているのだろう。

それとも、乗合馬車を使って、別の村に行ったのだろうか。

彼女もトトリと同じランク1。

それほど難しい仕事は貰えないし。

あまり危険な地域に足を運ぶことは許されていない。

無茶はしないといいのだけれどと、トトリは他人事ながら、老婆心を働かせてしまう。

そろそろ寝なさいと言われたので、そうする。

翌日からは、また長い馬車の旅が始まるのだ。

 

一眠りして、朝を迎える。

凄く気持ちが良い目覚めだ。

馬車がでるまで、少し時間があるので。クーデリアさんに教わった型も含めて、一通り体を動かす。

体に馴染む。

クーデリアさんはいう。

まず最初は、正確性を重視しろ。

それから徐々に、速度を上げて行け。

そうすれば、やがて確実かつ速く動くようになり。型にそって動く事により、体もより強くなって行く。

やがて、自衛は簡単にできるようになり。

そればかりか、他人も救えるようになる。

あれほどの達人の言葉だ。

嘘だとは思えない。

トトリは棒術の進歩は決して早くないけれど。錬金術は色々と評価されて、もうランク2になれるという。

それならば、少しずつでも。

身を守れるように、強くなって行かなければならない。

今後は、嫉妬や憎しみにだって晒されるはず。年がら年中護衛を付けているわけには行かないし。

いざというときには、自分で自分を守らなければならないのだ。

荷車の整理をしておく。

まだまだ、かなり中に入る。これは、通り道にある村の、特産品を入れて行くのも良いかもしれない。

アーランドのロロナ先生のコンテナに入れれば、そのまま持ち帰れるからだ。荷車も、コンテナに収めてしまおう。

アーランドとアランヤのコンテナがつながっている事は驚きだけれど。

それはそれ。

今は、その驚きの仕組みを、最大限利用するべきだろう。

「そろそろでるわよ」

「はーい」

メルお姉ちゃんに呼ばれたので、荷車を引いて行く。

馬車の後部に積み込む。ペーターお兄ちゃんとメルお姉ちゃんが何か話していたけれど。あまり距離を感じない。

少しずつ、昔の状態に戻ってきている。

良い事だと、思う。

馬車がでる。

34さんは、馬車に併走している。一緒に乗っていかないのかと聞いてみたのだけれど、この方が良いという。

「最終的には、トトリも馬車無しでアーランドに向かえるようにしないとね」

「頑張ります」

メルお姉ちゃんは大丈夫なのかと聞こうと思ったけれど。

多分聞くまでも無い。

ランク7になるというメルお姉ちゃんだ。クーデリアさんほどではないだろうけれど。その気になれば、馬車よりずっと速く走って、体力を残したままアーランドに着く位、朝飯前だろう。

アーランドに向かうのは二回目だけれど。

前はあまり、見て廻ることが出来なかった。

今回はせっかくだから、アーランドを見て廻って。色々と仕入れや、情報の確保をしておきたい。

出来ればお母さんの情報も、集めておきたいのだ。

それに何より、冒険者としてのランクを上げるには、今後色々と知識を増やすことが望ましいだろう。

トトリはまだ13歳だけれど。

いつまでも、年齢相応ではいられないのだから。

次の村に着く。

乾燥させた小麦がかなり安い。ペーターお兄ちゃんに話を聞きながら、少し買い込んでおく。

干し葡萄もなかなかだ。

葡萄は産地が限られている。新鮮な葡萄は流石に持っていくことも出来ないから、乾燥させた奴を今は買う。

錬金術で、ある程度加工は出来るだろう。

手に入れて置いて、損は無いはずだ。

その次の次の村では、燃える土と呼ばれる、火薬の材料を入手。

仕組みはよく分からないけれど、触るとじんわり温かくて。加工次第では大爆発を引き起こす。

フラムやクラフトの火力を上げるには必須だろう。

自衛のためには、色々な手段を準備しておかなければならない。

貪欲に何でもかんでも覚えていくくらいでないと。今後、冒険者のランクを上げる事なんて、出来ないだろう。

何しろみんな、周囲は大人なのだ。

トトリは今、大人として扱われている。

背伸びを精一杯しても滑稽なだけだけれど。出来るだけの範囲内で、出来る事を最大限して行くのは当然だ。

次の村。

近場に遺跡があると言う。

アーランドに行った後、出向くのも良いかもしれない。

遠目に、汚い白衣を着たおじさんが見えた。無精髭だらけで、なにやら村の人と話をしている。

何だろう。

でも、今のトトリには、あまり関係がなかった。

 

アーランドに到着。

途中、34さんが何度か気配を感じたと言っていたけれど。

結局、襲撃を受けることはなかった。

驚いたのは、非常に体が軽いこと。

前はアーランドに到着した時には、もうくたくただったのだけれど。今回は余裕が充分にある。

体力がついてきたのだと実感できて、嬉しい。

「あたしはすぐに冒険者ギルド行くけれど、トトリは?」

「ロロナ先生のアトリエに行ってから行くね」

「そう。 じゃあ、後からそっちに行くわ」

馬車から荷車を引っ張り出すと、その時点で別れる。

ロロナ先生のアトリエまでは、34さんも着いてきてくれたけれど。其処で、彼女とも別れる。

「有り難うございます、凄く助かりました」

「出来るだけ急いで力を付けてください。 そうすることで、この国皆の助けになります」

「はい」

錬金術で出来る事は大きい。

リス族の人達との一件で、それがよく分かった。

トトリは力を付けなければならない。強くなって行けば、お母さんの背中も、それだけ近くなるような気がする。

ロロナ先生のアトリエに入る。

相変わらず、中は空っぽ。

でも、やはり掃除している形跡がある。何ヶ月か前に訪れたときにもそうだった。これは、誰かが定期的に使っている、という事だろう。

まずはコンテナに荷物を移す。

入って見ると、やはりアランヤ村で最後に触ったときと同じ。

此処からアランヤ村に行ければ便利なのだけれど。流石にそこまで、世の中簡単にはいかないだろう。

小麦や干し葡萄は、保存が利く棚に。

魔術による保存効果が施されている。

ロロナ先生の手によるものだろう。魔術師としても超一流だというロロナ先生だからこそ、出来る事だ。

一通り、コンテナを整理してしまう。

せっかくだし、ついでだ。

荷車が空になって、裏庭に置いた頃には、もうそろそろ良い時間になっていた。

急がないと、王宮での受付が終わってしまうかもしれない。

周囲のお店を見るのは、明日で良いだろう。

小走りで、王宮に。今日は何か用事でもあるのか、かなり人だかりが出来ていた。見ていく余裕が無いのがちょっと悲しい。

受付に行くと、当然のようにクーデリアさんがいる。

まあ、あの速度なのだし、当然か。

隣には、何だかてんぱった様子のまだ若い女性。クーデリアさんとあまり年は変わりそうにないのに、何というか、貫禄が違いすぎる。

冒険者の免許証を、クーデリアさんに提出。

無言で受け取ったクーデリアさんは、書類を出してくると。順番に、精査していった。

「リス族との交渉以外にも、結構ポイント溜まってるわね」

「え、そうなんですか?」

「納品された薬の品質が高いのが原因よ。 ロロナのレシピを忠実にこなしている証拠ね」

褒められた。

ちょっと嬉しいかも知れない。

焼きごてを持ってくると、クーデリアさんは手慣れた様子で、トトリの免許を挟む。じゅっと鋭い音がして、焼き付けが終わった。

免許の右上の数字が、1から2に変わっていた。

「はい、おめでとう。 これでランク2よ」

「わあ、ありがとうございます」

「はい、そちらで講習」

クーデリアさんはあまり本人では説明をしてくれない。

免許を貰ったときに、行った講習室に入る。

前とは違う先生が出てきた。

まだ若い女性だ。ただ、アーランド戦士は若く見える期間が長い。四十を過ぎても、まだまだ二十代に見える人もいる。

「今日はランク2。 あら、少し前に来た子ね」

「よろしくお願いします」

「まだ三ヶ月しか経過してないのにランク2。 かなり早いわね。 ひょっとして、特殊スキルの持ち主?」

「ええと、その。 駆け出しですけれど、錬金術師、してます」

ちょっと恥ずかしいので、もじもじしながら言うと。

女性は一瞬置いて、なるほどと言った。

講習の内容は、ランク2での権限拡大について。

ランク2になると、入れる地域が増える。ただ、これで解禁される地域は、当然今までよりも遙かに危険だと言う事だ。

まあ、当然だろう。

そのほかにも、もう少し冒険者としての権限も増える。

仕事を選ぶ際にも、幅が増えるようだ。

一通り講習を受けると、外に。

クーデリアさんが、隣にいる若い女性に、説教をかましていた。他に人がいないから、しているのだろう。

割って入っては、若い女性に可哀想だ。

こそこそと、その場を離れる。

王宮を出ると。

ばったり、ジーノ君に出会った。

「ジーノ君!」

「トトリじゃねーか! どうしたんだ、またアーランドに」

「うん、昇格したの」

「マジか、すげーな!」

ジーノ君が素直に喜んでくれて、トトリも嬉しい。

歩きながら、少し話す。

あれからジーノ君は、雷鳴という戦士の所で、厳しくしごいて貰っているという。冒険者としても、近場のモンスターの整理や駆除などで活動しているほか、雑作業も任されているそうだ。

「主に荷物の運搬とか、労働者階級の人達が近くの村に行くときの護衛とか。 ああそうそう、数人でチーム組んで、グリフォン退治しにいったぞ」

「すごいね。 どうだった」

「すげーつよくてさ。 見ろよ、これ」

こめかみに、鋭い傷の跡。

一撃をもらって、吹っ飛ばされたそうだ。

アーランド人の間では、これくらいのことは笑い話になる。というよりも、戦士をしていて、傷の十や二十ないような人は、逆に笑いものになる。

どんな達人だって、戦闘で先頭に立っていれば、傷を受けるものだからだ。

また、戦闘で受けなくても、訓練では傷を受ける。

昔はどうだったかはわからないけれど。

修羅が無数に住まう今のアーランドでは。例え最強の戦士であっても、戦場に居続ければ、無傷とはいかないのである。

「勲章だね」

「だろ! グリフォンの胸肉の美味しいところも分けて貰ったんだぜ! 俺もすぐにランク2になるからな、待ってろよ!」

「うん」

近くの食堂に入る。

サンライズ食堂というこのお店は、ジーノ君もよく利用しているそうだ。

入ったはいいけれど、メニューがよく分からない。読むことは出来るのだけれど、何が出てくるのか、さっぱり見当がつかないのだ。

ジーノ君に教えて貰って、お肉の料理にする。

これは、講習が終わった後、明日また来るようにとクーデリアさんに言われたからである。

ひょっとすると、また厄介な仕事を頼まれるかもしれなかった。

だから、少しでも力を付けていくのである。

肉料理が出てくる。

山盛りで、ちょっと食べきれるか不安だったけれど。体は正直だった。何しろ、ここのところ、かなり忙しかったからである。

スパイスが利いていて、とても美味しい。

肉は腸詰めを切ったものらしい。肉汁がしみこんでいるだけでは無い。肉そのものに、とても強い味付けがされていた。

「これ、何の腸詰めだろ」

「多分大鋏鴨だな」

「鳥?」

「此処から南に行くといるって雷鳴のじいちゃんが言ってたぜ。 翼を広げると、俺とトトリの背丈を合わせたくらいの大きさになる上に、くちばしが鋏みたいに鋭くて、凶暴なんだってさ。 その代わり卵が美味しいし、腸が長くて歯ごたえが良くて、腸詰めの材料に最適なんだってよ」

感心してしまう。

ジーノ君は色々な事を、都会に来て吸収しているようだ。

これは、トトリも負けてはいられない。

食事を終えると、店の前で別れる。

ジーノ君に手伝って貰いたいときもあるので、その場合に備えて、雷鳴という人の家については聞いておいた。

意外に近くだ。このお店もよく利用しているという事だから、アーランドにいる間は、結構遭遇しやすいかもしれない。

帰りに、ペーターお兄ちゃんに言って、明日の昼まで待って貰う。

ひょっとすると、此処での用事が、長引くかもしれないからだ。

 

予想は当たった。

アトリエで一晩休んだ後。クーデリアさんの所に行くと、早速新しいお仕事を廻されたのである。

アーランドから南に三日ほど行った所に、小さな遺跡がある。

遺跡と言っても、旧時代のものだというだけで、中にダンジョンがあるわけでもなく。小さな機械の機構が残っているだけだそうだ。

その遺跡の所で現在緑化作業が行われているそうなのだけれど。

手伝ってこい、というのだ。

「現場では、悪魔族と緑化専門の人達が、一緒に作業をしているわ。 護衛の冒険者もかなり来ている筈よ。 今の時点では大きな問題は起きていないという話だけれど、悪魔族との共同作業では問題が起こりやすくてね」

「……悪魔族」

講習で聞いたけれど。

一般的なイメージとは裏腹に、彼らは亜人の一種。つまり、人間の近縁種だ。

どういう事情かはわからないけれど、近年アーランドでは人類と友好関係を築くことに成功。

彼らの目的は、土地の緑化で。まだ冒険者ランクが低い内は教えて貰えないけれど。色々と切実な理由があると言う。

土地の緑化が必要なときには、彼らの協力を仰ぐことも多いし。

また、悪魔族が土地の緑化を行うとき、水を引くため、此方に申請をしてくる事もあるそうだ。

前に何度かそれでトラブルが発生して。

今では、冒険者ギルドを介して、緊密な連携を取るようになっていると言う。

アランヤ村にいた頃、悪魔と言えば。

人を襲って喰らう、恐ろしい魔物の長、という印象しかなかった。

幾つか解釈はあるらしいけれど、魔物というのはモンスターの上位存在だ。その上位存在の、更に支配者階級。

どれだけ恐ろしいのだろうと、子供心に震え上がっていた記憶がある。

でも、今は。同盟を結んでいて、これから一緒に作業をしなければならないというのは、不思議な気分だ。

「ええと、アランヤ近くのリス族集落のお薬の件はどうしましょうか」

「それについては、もう此方で手を回してあるわ。 パメラの所で生産した、貴方の薬のコピーを、届けるようにしてあるから心配しないようにね」

「ありがとうございます!」

「礼は良いから、仕事に行く」

しっしっと、追い払うようにされて、その場を離れた。

クーデリアさんは厳しい人だけれど。

この国というか、この世界で緑化作業がどれだけ重要か何て、トトリが幼い頃から知っている。

一度滅びてしまった世界は、殆どが荒野だ。

今拡がっている緑の殆どは、人々が苦労して広げていったもので。拡がった森は土地の保水力を高め、豊かな実りを周囲にもたらし。人々が生きられる勢力圏を、確実に広げている。

とにかく、現地に行かなければならない。

メルお姉ちゃんに、声を掛ける。集まる場所は、事前に話し合って決めておいたから、すぐに見つかる。

後は、ジーノ君も。

ジーノ君はメルお姉ちゃんが来ると聞くと、ちょっと嫌そうな顔をしたけれど。それでも、ついてきてくれた。

メルお姉ちゃんが嫌いなのじゃない。

苦手らしいのだ。

がさつで乱暴だからと言っているけれど。トトリが見たところ、いつもジーノ君が余計な事を言って、メルお姉ちゃんの拳骨がとぶ印象である。

ペーターお兄ちゃんにも、事情を説明。

三日南の場所というと、知っているようで、頷いてくれた。

「俺はこのままアランヤまで戻る。 次にアーランドに行くのは一月後だ。 戻りたい場合は、歩いて行くか、それとも一月後まで待て」

「うん、ありがとう」

馬車が、でる。

途中で、トトリはロロナ先生のレシピを見ておく。

緑化作業は、ロロナ先生も苦労した分野らしい。栄養剤は、かなりの種類が、レシピに載せられていた。

単純に液体のものだけではない。

ブロック状になっていて、液体がしみ出すものもあった。

どれも驚きの発想によるものばかり。

ただ、どれもこれも、ロロナ先生が閃いて作ったものではない印象だ。何というか、長い年月を通して作られて来た、系譜のようなものが透けて見えるのである。

「悪魔族か−。 昔はたくさん戦ったって、雷鳴のじいちゃんが言ってたんだけどなあ」

「彼奴ら恐ろしいわよ。 戦闘力でも、あたし以上の奴がごろごろいるし、みんな顔もおっかない。 ジーノなんて、怒らせたら、すぐにぺろりと食べられちゃうんじゃないかしら」

「お、脅かすなよ」

「本当よ」

メルお姉ちゃんはへらへら笑っていたけれど。

トトリは、苦笑いしか出来ない。

今回は、念のために予習しようと思って、ロロナ先生のアトリエから、悪魔族の図鑑も持ってきたのだ。

それによると、もうなんというか。

小柄で可愛らしい所もあったリス族や。

人間の範疇に入っていたペンギン族とは、根本的に違う。

小柄な姿でも、膨大な魔力を全身に蓄え。

大柄な個体になると、それこそベヒモスと同等かそれ以上の体格に、人知を越えた魔力を有する、魔物の中の魔物。

どうやって、こんな恐ろしい存在と、今は仲良くやって行けているのだろう。

そう思うと、背筋に寒気が走る。

三日ほど、アーランドから南下。

途中寄った村で、メルお姉ちゃんに、型を見てもらう。一緒にジーノ君も。

ジーノ君は、驚くほど進歩していた。

「お、雷鳴に教わったって聞いているけど、すごいわねえ」

「だろ? あの受付のおっかねえ姉ちゃんの師匠だって事だけはあるぜ。 じいちゃんもすごいけど、ばあちゃんが優しくてさ。 焼き菓子とか、一杯出してくれるんだ。 メルねえもあの人達くらい優しければなー」

「余計な事を言わない」

拳骨。

頭を抑えて悶絶しているジーノ君。

トトリも、棒術を見てもらう。型を一通り見せると、メルお姉ちゃんは驚いたようだった。

「それ、誰に教わったの」

「ええと、クーデリアさんに」

「その型は応用よ。 しかもすんなり出来てるじゃないの」

そうだったのか。

でも、正確性にはまだ欠けるし、とにかく遅い。もっと早くできるように、アドバイスを貰う。

やっぱり力が足りないという。

後は、戦闘経験。

そうなると、やはりもっと外に出て、戦わないと駄目か。

とにかく、明日には目的の荒れ地に着く。

ジーノ君はトトリよりずっと強くなっている。これはひょっとすると、今後は天才と呼ばれるようになるかもしれない。

トトリも頑張らないといけないなと思い。

いつもより、型を四セット、多めにこなした。

 

3、黒の存在

 

アーランドの周辺は森が豊富だけれど、フイに緑が途切れる場所が何カ所かにある。いずれもが理由があるようだけれど。

その周囲はモンスターも多いようで、だいたいは見張り所か、キャンプスペースが置かれているのが常だった。

もっとも、アーランドから離れれば離れるほど、緑は少なくなっていくのだけれど。

馬車が止まったのは、そんな緑の切れ端の一つ。

少し前に森はなくなっていて。緑の草原が続いていたのだけれど。それも消えて、辺りは荒野が拡がっていた。

大きめのキャンプスペースがある。

馬車が止まって、三人で降りる。街道はすぐ側にあるけれど。帰りは数日かけて、歩いてアーランドに向かわなければならないだろう。

ただ、今はメルお姉ちゃんも側にいるから、それほど怖いとは思わない。

メルお姉ちゃんが、キャンプスペースにいる人と話している。その間、トトリはジーノ君と一緒に、周囲を見て廻った。

柵と櫓で守られた、頑丈なキャンプスペースだ。

見るからに強そうな冒険者が、何名か巡回している。彼方此方にある天幕は、この周辺で、何か起きてもすぐ対処できるように。泊まり込みで来ている人達が大勢いることの証だ。

近くに小川もある。

其処から、水を引っ張ってきている様子だ。

小川があっても、この辺りは荒野。

それだけで、緑化を人間の手でしなければならないという、証拠にもなっている。そのまま放置していたら、此処はずっと荒野のままだろう。

メルお姉ちゃんが戻ってきた。

問題の場所は、東にあるという。

キャンプスペースをでる際に、強面のおじさんに気をつけろと言われた。

モンスターがかなりでるというのだ。

「荒野だから当然だが、この辺りはそれなりに強いモンスターがいる。 特に此処から東は鋏飛び虫の縄張りでな。 低ランクの冒険者には充分な脅威になる。 気を付けろよ」

「ありがとうございます」

ぺこりと一礼。

メルお姉ちゃんがいるから大丈夫、ではない。

孤立したときに、生き残れなければ、話にならないのだ。

荷車を引いて行く。中にはいざというときに備えて、お薬と爆弾を用意してある。街道とは比べものにならないほど細い道があるけれど。

周囲は殺風景で。

遠くを見ると、確かに大きな百足みたいなのが、群れを成して飛んでいた。体の左右に翼があるようだけれど。魔力が見えるし、多分魔術の一種で体を浮かせているのだろう。大きさはそれほどでもない。多分メルお姉ちゃんなら余裕で対応できるはずだ。トトリも、爆弾を使えば何とかなりそうだ。

しばらく、荒野を歩く。

骨が散らばっている。大きさから言って、人のものではなさそうだけれど。どれもこれもが噛んだり囓ったりした跡が残っていた。

空気の乾きがひどい。

小川があっても、その周囲に緑は無い。

側で見てみると、異様さがよく分かる。

小さなアーチ状の橋があった。かなり古いもののようだ。

渡りながら、メルお姉ちゃんに聞いてみる。

「なんで、緑が根付かないんだろう」

「原因は猛毒らしいわよ」

「猛毒?」

「私達はもう平気らしいんだけれど。 昔世界にひどい戦いがあって、とても強い毒が撒かれたらしいんだよねえ。 その毒で、世界はこんな風になっちゃったんだって」

なんで、そんな意味がわからないことを。

でも、誰かがそんな愚かしい事をして。

世界はこうなってしまった。

そして、今も世界中で、みんなが苦しんでいる。

世界の人口は、一度最盛期の一万分の一になったという話は、トトリも聞いているけれど。

その惨禍の一端は。

こうして、見える形で、残っている、というわけだ。

怖いと言うよりも、とても悲しいと、トトリは思う。

ジーノ君は少し退屈そうだったけれど。やがて、見えてくる。

多分この辺りの緑化作業の、中心地点だろう。

土が耕されていて。比較的大きな川が中心点に通っている。人の姿も、ちらほら見えてくる。

柵が周囲にあって、歩哨らしく立っているのは、ホムンクルスさんたちだ。手に槍を持っている彼女たちは、トトリと同年代に見えた。

まだ、緑はあまり見えないけれど。

一角は、草が生やされている。

多分、緑化作業はもう始められている、という事なのだろう。

ぎょっとしたのは。

怒鳴り声が聞こえたからだ。

人だかりが出来ている。怒鳴り合っているのは、白衣の男性と。その何倍も大きい、ヒトの形をした存在。

背中にはコウモリのような翼。

全身は真っ黒で、目の辺りは赤く、瞳孔がない。

見た瞬間にわかる。

あれが、悪魔族だろう。

「だから何度も言っているが、これは貴重な古代文明の機械なのだ! 壊すことはまかり成らんよ」

「壊すなどとはいっていない。 処分すると言っている」

「同じだろう! これを解析するだけで、どれだけ貴重な技術と文明の遺産が手に入るかわからない! それを無為に手に掛けるなんて、許されない事だ!」

白衣の男性が、怒鳴っている。

それに対して、巨大な悪魔は、辟易しているようだった。

これを見ても、悪魔族と人間が、敵対していないというのはわかるのだけれど。魔術が得意では無いトトリから見ても、わかる。

あの悪魔族の人。

魔力が桁外れにもほどがある。

全身から立ち上る青い魔力は、それこそこの辺りを根こそぎ塵芥に帰しかねない。

呆れたように、周囲を囲んでいる人達が肩をすくめる。

その中の一人が、トトリに気付いた。

まだ若い女性の魔術師だ。

肌は浅黒く。青いローブを目深に被っている。手にしているのは、節くれた杖。見た感じ、攻撃魔術専門の術者だろう。

戦士でも魔術を使う人間が珍しくないアーランドでは、攻撃魔術の専門家は、よほど腕が良くなければやっていけない。

首からぶら下げている免許証はランク5。相当な凄腕と、トトリは判断した。

「うん? その妙な格好。 ひょっとして、錬金術師かい?」

「は、はい。 トトリと言います」

「そうかい。 あたしはナスターシャ。 此処の護衛として来ている冒険者の一人なんだけれどね」

顎をしゃくるナスターシャさん。

気の強そうな目は、猫のようだ。

まだキャンキャン怒鳴っている白衣の人。悪魔族の人は、困り果てている様子だ。

「あれじゃ緑化が進まない」

「ええと、事情がよく分からないんですが」

「地面を耕していたら、妙なもんが出てきたんだよ。 元々この辺りは高濃度の汚染地域で、専門家が必要だって悪魔達が話していたところでこれだ。 悪魔達は、あれが汚染の元凶だって判断してるんだけれど。 丁度来ていた妙な奴が、余計な事を言い出してね」

なるほど。

近くに行ってみる。

辺りが円形に削り取られていて、その底の方に、球状の何か良く分からないものが見えている。

それを撤去するかしないかで、揉めているというわけだ。

ちなみに、周囲を耕す作業は、進められている。一部では実験的に緑化作業も行われている様子だ。

遺跡も残されているけれど、全て解体が開始されている。元々大きな遺跡では無いし、解体後に解析して、問題が無ければ撤去するのだろう。

とにかく、あの白衣の人が邪魔なようだけれど。

見た感じ、どうにもおかしな人が噛みついている、というだけには見えない。

意を決して、トトリは進み出る。

「あの、すみません」

「何かね!」

白衣の人が振り返る。

よれよれの白衣で、かなり汚れている。髪の毛もわかめのよう。まるで手入れしていないのがわかった。

顔も無精髭だらけ。

まだそれほど年も行っていないのに。

他の人に見られることを、全く意識していないように見えた。

それだけではない。

このなりで、動きはそれなりにしっかりしている。ひょっとして、アーランド戦士なのだろうか。

「私、トトリと言います。 クーデリアさんに言われて、来ました」

「む、貴殿は錬金術師か」

「は、はい!」

上から声が降ってきて、思わずきをつけをしてしまう。

側で見てみると、もの凄い迫力だ。何しろ、上背が三倍以上あるのだから。

「とは言っても、ロロナ殿ではないようだな。 その弟子か」

「はい! ロロナ先生を、知っているんですか?」

「知っているも何も、肩を並べて戦った仲だ。 以前ネーベル湖畔の湖底にある遺跡で、彼女が戦ってくれなければ、儂の一族の若者は全滅していただろう」

よく分からないけれど。

ロロナ先生が実際にはかなり強いし、相当な修羅場をくぐっているとも聞いているから、驚くことは無い。

むしろ、嬉しいし。親近感も増した。

「儂はアンドロマリウス。 今、緑化作業のために一族とともに来ているのだが」

それで、気付く。

他の悪魔達は、みな体を欠損したものばかりだ。腕がなかったり、片目であったり。中には翼がなくて、杖を突いているものもいた。

「この男に邪魔されていてな。 困っている。 トトリ殿。 何か言ってやってくれないか」

「錬金術師……」

白衣の人は、ものすごく胡散臭そうに、此方を見ている。

困惑したトトリだったけれど。

両方から言われても、多分埒があかないと判断した。

白衣の人に、おずおずという。

「あの、此方に来て貰えますか?」

「君も、この悪魔の大男の味方をするのかね!」

「まず、お二人の話を、それぞれ別々に聞いてみたいと思います。 それから判断させてください。 多分この場で話しても、どちらも冷静には話を出来ないと思いますから」

「もっともな意見だな。 儂は異存がない」

しばらく胡散臭げに両方を見ていたけれど。

白衣の人は、しぶしぶという風に、同意してくれた。

 

マーク=マクブラインと、白衣の人は名乗る。自称科学者ということだけれど。そんな職業は、聞いたことが無い。

「科学者、ですか?」

「そうだ。 そもそも、この国で、科学者がいないことがおかしいのだ」

「……え、ええと?」

「そもそもだね。 アーランドが発展したのは、なぜだか知っているのかね」

それは、勿論知っている。

アーランドはそもそも、修羅が溢れる魔界と呼ばれる土地だった。常に血しぶきが溢れ、戦士達が互いに覇を競い。休まるときがない文字通りの蛮族の庭だった。

其処に変革をもたらしたのが、旅の人と呼ばれる錬金術師。

彼女はアーランド王都の側にある、オルトガラクセンと呼ばれる遺跡から、無数の機械類を発掘。

その恩恵により、この国は一気に豊かになった。

豊かになる事で、蛮族の庭では無くなったこの国は。辺境諸国の盟主と呼ばれるまでの発展を遂げたのである。

そんなこと、アーランド人だったら、それこそトトリの腰までしかない子供でさえ知っている。

誰もが旅の人には感謝して。

この国の発展を促した偉人として、尊敬しているからだ。

淡々と説明すると。

もの凄く嬉しそうに、マークさんは、満面の笑顔を浮かべる。

「良く知っているね。 えらいえらい」

「……」

困惑して、トトリはジーノ君と顔を見合わせる。

どうやら、童子のように扱われているらしかった。

「だが、この国では、科学をあまりにも軽視している!」

「科学、ですか」

「そうだ。 この国を発展させた無数の機械は、いにしえの時代の科学によって作られたものなのだ。 科学を知らなければ、仕組みも理解できるわけがない。 どうやってその機械が動いているかもわからないまま、結果だけを享受して使っているのが、この国の嘆かわしい現状なのだ!」

唾を飛ばしながら、おおげなさ手振りで演説するマークさん。

正直トトリは、どうしていいのかとても困ってしまったけれど。

ただ、言いたいことは、何となくわかってきた。

「旅の人がこの国を蛮族の庭から、文明の臭いがする世界に切り替えた事は、私も評価している! しかしその後、この国の人間達は、あまりにも科学に無頓着すぎた! だからこそ、この国は今……」

「ええと、おっしゃりたいことはわかりました」

「ほう?」

「要するに、あの機械を解析してみたいんですね」

ぴたりと、マークさんが長広舌を止める。

トトリはびくりと一瞬硬直した。

何だか、マークさんの目の奧に。何か得体が知れないものを、感じ取ったからだ。

邪悪なもののようには思えなかったけれど。

「あの機械は、汚染を引き起こしているかもしれないが、解析すればいにしえの時代の科学を解き明かす事が出来るかも知れない。 そうなれば、この国はもっと豊かになるし、更に言えば、もっと汚染を除去する効率的な方法が見つかるかもしれないんだ。 それをあの脳筋な悪魔どもめ」

「わかりました。 少し、交渉して見ます」

「……本当かね」

「あの、私は錬金術師です。 だから、信用できないと思っているんですか?」

言ってから、しまったと思ったけれど。

マークさんは、何も言わなかった。

この人の言葉から、多分だけれど。この人は。現在のアーランドを作るきっかけとなった旅の人に、複雑な印象を抱いていると、トトリは判断していた。つまり錬金術師を、胡散臭い連中だと考えているとも。

アーランド人なら旅の人が錬金術師で、その功績と。弟子達の業績が。どれだけ偉大か、知らないはずもない。

だけれど、この人は。

それが却って、この国から、機械の仕組みを理解しようという考えを、排除してしまったと思っている。

トトリの判断は、どうやら正しかったようだけれど。

マークさんは、頼むよと言い残して、少し距離を取った。

咳払いする。

どうにか、交渉は上手く行った。

マークさんの物わかりが良くて助かった。

続けて、アンドロマリウスさんの所に行く。アンドロマリウスさんは、そのまま突っ立って、待ってくれていた。

「どうなったか」

「マークさんの話を総合すると、この機械をまず調べて見たいそうです。 多分、機械さえどけてしまえば、緑化作業は出来るかと思います」

「それで処分するなと言っていたのか」

「はい。 まず、掘り出せるようなら、掘り出してしまいませんか? 出来るだけ壊さないようにお願いできますか」

しばらく考え込んでいたアンドロマリウスさんだけれど。

やがて、了承してくれた。

胸をなで下ろす。

悪魔達が、穴に降りていって、機械の周囲を彫り崩し始める。労働者階級の人も来ていて、足場を作っていく。

手際は凄く良くて。見る間にてきぱきと作業が進んでいく。

機械は、多分十五抱えくらいの球形。

何か液体が零れているようなことはないようだ。

汚染された土の中にあったからといって、その元凶とは限らない。それとも、目に見えない汚染なのだろうか。トトリには分からない事だ。

それにしても、これはなんの球体だろう。

鉄か、それよりも頑丈そうな金属で出来ている、という事以外は何もわからない。

ヒモとかが機械から出ているようなことも無い。掘り出してさえしまえば、取り出しは出来そうだ。

心配そうにマークさんは見ていたけれど、メルお姉ちゃんが止める。

「向こうも譲歩したんだから、あんたもそうしなさい」

「わかってはいるがね。 何だか心配で……」

意外に、気が小さい人なのかもしれない。

アンドロマリウスさんが、呪文の詠唱を開始。

機械が淡い光に包まれ、浮き上がり始める。土がばらばらと墜ちていく。足場から、皆が退避した。

浮き上がった機械は、想像以上に大きい。

球形だから、だろうか。

やがて、荒野の方に、機械が着地。ずしんと、凄い音がした。

さすがは上級悪魔。魔術も自由自在だ。

「調べるなら、何かあっても平気なように、南の方の荒野にある穴の中で頼むぞ」

「わかっているとも。 ちょっと君達、手伝ってくれるか」

「ええっ!?」

当然のように、トトリを使うつもりらしい。

掘り返した穴は、早速埋め戻され始めている。その上、周囲は、邪魔がなくなったと言わんばかりに、緑化作業が開始されていた。

幸い、荷車は、マークさんが用意してくれていた。

メルお姉ちゃんが、荷車の上に、球体を載せて。それから、四人で南へと引っ張っていく。

まさかの体当たり作業である。

ヒイヒイ言いながら、重い球体を運んでいって。

南にあると言う、球形の凹みに到着。

水が溜まっているかもと思ったのだけれど、そんな事も無かった。この辺りの地面が、水を通しにくい性質なのか、或いは。

雨も溜まっていないと言う事は、何か違う理由なのかもしれない。

球体にロープをくくりつけると。

ゆっくり、くぼみの底へ降ろしていく。

幸い、傾斜はそれほどきつくは無かったので、坂道をゆっくり降ろしていく感じで良かったけれど。

メルお姉ちゃんがいなかったら、無理だろう。

降ろし終わった後、防爆板らしいものを、くぼみの周囲に張り巡らせ始めるマークさん。

へたり込んで、肩で息をついているトトリに、マークさんは満面の笑顔で言うのだった。

「ありがとう、助かったよお嬢さん」

「は、はいい……」

「何だ情けない。 錬金術師は体力がないのかね。 これからの時代、科学者は体力がなければならない。 錬金術師には、少なくともこの点では勝っているな!」

意味がわからない理屈で勝ち誇ると、マークさんは防爆材で囲んだへこみの中に入っていった。

まあ、見たところアーランド戦士のようだし、モンスターに多少襲われても平気ではあるだろう。

同じくくたびれ果てているジーノ君に声を掛ける。

メルお姉ちゃんはと言うと、平然としていた。呆れたように、マークさんが入っていったへこみを見ていたけれど。

「さ、いこう。 本当の仕事は、これからだよ」

「何だか、すげえ疲れた。 なんなんだよあのおっさん……」

「まだ若いみたいだよ。 おひげだらけだったけど」

「マジかよ。 何だかなあ……」

あれ。

ひょっとすると、ジーノ君の方が、トトリよりも疲れているかもしれない。

少し緑化作業をしている場所から離れているから、モンスターが心配だと言って、メルお姉ちゃんは残る。

ふらついているジーノ君と一緒に戻ると。

どうやら責任者らしい、隻腕のお爺さんが来た。左腕だけで、器用に鍬を振るっていたから、この仕事の専門家だろう。

お爺さんと言っても、筋骨隆々。

隻腕でなければ、前線でまだ戦っているかもしれない。

「さっきの騒動、見せてもらったよ。 案外的確に問題を捌くじゃないか」

「ありがとうございます。 ええと、どなたですか」

「ジェームズだ。 もう六十年近く、この仕事に携わってる。 此処の責任者だ」

それは凄いベテランだ。

アーランドには、伝わる言葉がある。子供は大事にすべし。老人は尊敬すべし。

トトリはそれに従って、ぺこりと頭を下げた。

「お願いします」

「おう。 まずは、栄養剤が必要だな。 樽に十ほど」

「樽に、じゅ、十!?」

「頼むぞ」

背筋が凍るかと思った。

錬金釜をフルに使って、全力で使っても、一回の調合で樽に一つ分出来るかどうか、である。

素材も膨大にいる。

来る途中レシピは見たから知っている。結構色々な素材を使うのだ。その中には、トトリが取りに行くのは難しいものもある。

どんな感じで必要かのリストを貰う。

オーソドックスな栄養剤だけで、樽6つ。

これだけでも、今のトトリの手にはかなり余る。

更に、キューブ状のものや、栄養が強いもの弱いもの、それぞれを順番に欲しいと、スケジュールも渡された。

「今はまず汚染された土を、悪魔と一緒に耕して、土に空気を入れている段階だ。 今の段階は汚染がひどすぎて、悪魔が魔術と色々な秘術で処置しないと、そもそも植物が生えないんだ。 小川があっても緑がないのは、それが理由だ。 現在やってる作業の後に汚染に強く成長が早い植物を入れて、少しずつ普通の植物でも生存できる環境を作る。 小さな虫やミミズを入れるのは、更にその後。 その段階で、やっと水や栄養剤の出番になる」

話を聞く分には理解できるけれど。

流石に、量が凄まじすぎる。

でも、これもお仕事だ。

困惑をどうにか押さえ込む。幾つか、聞いておきたい事があるからだ。

「え、ええと……」

「今は栄養剤が不足していてな。 悪魔族との連携が始まった頃から、緑化作業が、今までの三倍くらいのペースで進められているんだよ。 他の軌道に乗っている緑化作業地点に栄養剤は優先的に廻されていて、こっちにまで来ないんだ。 錬金術師であるあんたに頼めるとなると、心強い」

そう言われると、断れない。

しかも、お爺さんはだめ押しする。

「あんたの師匠も働き者だが、弟子も働き者だという所を見せてくれ。 正直、あんたの師匠のおかげで、俺は錬金術師に対する偏見を取り去ることが出来た。 今まで足踏みしていた緑化作業を、一気に進められるようになったからな。 俺が死ぬまでに後一カ所の緑化が出来るか出来ないだろうかって思ってたのに、あんたの師匠のおかげで、もう七カ所も緑化を終わらせて、此処で八カ所目だ。 栄養剤さえ来れば、此処も出来る。 死ぬまでに後十カ所は行けるかもな」

からからと、ジェームズさんは笑う。

本当に緑化が好きで。

荒野が森になって行くのをみるのが好きなのだと、見ていてわかった。

そういうのを見せられると、トトリも黙ってはいられない。人が嬉しそうにしている事は好きだし。

逆に苦しそうにしているのは、嫌だ。

リス族の人達が、あんなに苦しんでいるのを見た後だ。

苦しみと悲しみが何を意味するか、トトリは知った。見てみぬふりは、出来ない。

メルお姉ちゃんはいないけれど、何とかするしかない。

「ジーノ君」

「何だよ」

「帰り道、彼方此方の森で採取をして行きたいの。 アーランドに戻るまでに、荷車が一杯になるくらいに」

「おいおい、マジかよ」

乗合馬車が来る事は、期待しない方が良いだろう。

ペーターお兄ちゃん以外にも馬車はあるらしいけれど、それもそう本数が多くないのだ。歩いて行ったら、馬車の倍は掛かるとみて良い。

六日ほどだ。

アーランド発の馬車はそれなりにあるみたいだし、ペーターお兄ちゃんが一月後に来るって言っていたから、そのタイミングも利用したい。

どのみち、この広さの荒れ地。

それに、見たところ、備蓄されている栄養剤も少しだけれどある。一月後に、樽六つの栄養剤を持っていけば、充分だろう。

使える時間は、二十日。

更に言うと、途中で採集をする事を考えると、その半分もあるかどうか。

メルお姉ちゃんに声を掛けるけれど。此処に残るという。

そうなると、トトリとジーノ君だけではかなり厳しい。もう一人、誰か着いてきて欲しい所だけれど。

ナスターシャさんを見かけたので、声を掛けてみる。

意外にも、OKがでた。

これはひょっとすると、行けるかもしれない。

「じゃ、さっそく道を戻ろう」

「お前、なんというか……」

ジーノ君が、呆れるというか、困惑するというか。

そんな目で、トトリを見た。

 

4、急転

 

ロロナが足を踏み入れたのは、鮮血が彼方此方に飛び散った建物だ。

ここに来るに到ったには、少し複雑な経緯がある。

少し前に、降伏を申し出てきた、スピア連邦のホムンクルスがいた。指揮官級のホムンクルスで、自分に埋め込まれた制御装置を地力で引っこ抜き、無理矢理に一なる五人の支配を脱して降伏してきたのだ。

エスティさんが状況を聞き、即座に急行して、制圧。

千五百を超える戦闘用ホムンクルスが、アーランドに投降したのである。

その際に、鎮圧のために派遣されてきたらしい部隊との戦闘になり。敵味方に多数の死傷者が出た。

エスティさんの直属部隊には死者は出なかったけれど。

降伏したホムンクルス部隊は、三割近くを失った。

敵も、二千近くが死んだ。

近年では、最大規模の交戦事件となった。今のところ、スピアはこの件では動きを見せていないけれど。それでも、何らかの手を打ってくるのは間違いないだろう。備える必要がある。

いたましい事件だけれど。その成果の一つがこの建物である。降伏した彼らから、国境線の山岳地帯の一角に、秘密の施設があると情報が上がったのだ。

即座にステルクさんが急行して、施設を制圧。

余程の重要施設だったらしく、抵抗は激烈だったそうだけれど。ステルクさんを含むハイランカーの冒険者達にはかなわず、降伏をしたわずかな数名を除いて、此処は制圧された。

ロロナは、直属の部隊を率いて急行したけれど。

戦闘には間に合わなかった。

ただし、ステルクさんに、役立ちそうなものがあると言われていて。凄惨な状況の内部に足を踏み入れるのは、躊躇しなかった。

辺りには、切り裂かれた洗脳モンスターや、ホムンクルスの亡骸。

無念そうに事切れている人型ホムンクルスの亡骸があったので、目を閉じてやる。

「出来るだけ急いで、亡骸を葬って」

「わかりました」

配下の一部が、てきぱきと作業に取りかかる。

これは衛生面の問題もあるからだ。勿論、尊厳の問題が第一だけれど。

ステルクさんが取りこぼしをするとは思えないけれど。一応、ロロナ自身は戦闘態勢を崩していない。

建物は、洞窟を利用して作られていて、内部はかなり構造が深い。

途中、引き継ぎの冒険者と出くわしたので、話を軽く聞く。内部には戦闘用の、それもかなり強い洗脳モンスターやホムンクルスがいたそうだ。ステルクさんが、手当たり次第に薙ぎ払ったそうだが。

「もう、生き残りはいないはずです。 生体反応を探すのが得意な奴が、徹底的に探したんで」

「わかりました。 後は此方で引き継ぎます」

「よろしく」

へらへらしている冒険者は、全身に血を浴びて、興奮が隠せないようだった。

此処は修羅の土地。

戦いを好み、血を愛する人も多い。

いちいち怒ってはいられない。彼らも大事な戦力で、いなければスピア連邦に対抗できないからだ。

こういう判断が出来るようになったロロナは、もう子供では無いのだろうけれど。

それを悲しいとは思わない。

部屋を一つずつ確認。

骨の山がある。多分食糧だろう。中には、噂に聞いていた、殺されたリス族のものも大量にあった。

目を閉じて、黙祷する。

難民としてスピア領から逃げてくるリス族は、四割も生き残れないとは聞いていたけれど。

こういう実例を見ると、痛ましくてならない。

リス族が、トトリちゃんに感謝する所以である。それに、此処で戦って果てたスピアのホムンクルス達だって、なんで自分が戦って死んだのか、わかっていないだろう。それもまた、いたましい。

最深部。

硝子瓶が並んでいる。

これは、ホムンクルスの生産施設だ。既に停止しているけれど、まだ硝子瓶の中には、死んだホムンクルスの亡骸がある。

データが残されていた。

紙ベースのものが殆どだ。古い時代の機械にデータを入れたものもあるけれど、それは後から来る師匠が解析するだろう。ロロナには、わからないから触らない。

資料を回収して、荷車に入れて行く。

ステルクさんは、敵が資料を破却する暇を与えなかった。血を浴びているものもあったけれど、殆ど資料は無傷のまま残っていた。

その中に、ロロナが知らないデータがあった。

この技法、聞いたことが無い。

応用すれば、或いは。

今、ロロナが進めている、非戦闘型ホムンクルスの生産システムが、完成するかもしれない。

例え敵の技術でも、使えるものは使う。

そうしなければ、勝てない。

部屋に、のそりと入ってきたのは。

以前から、支援部隊の一人として行動してくれている、悪魔のジョネフェス。以前ネーベル湖の水底で、一緒に戦った仲でもある。あの時以来、ジョネフェスはロロナに心を開いてくれているようで。今回の任務についても、積極的に参加してくれた。

大柄なジョネフェスは、あたりに散らばっていた死体を集めてくれていたらしい。手は血で真っ赤だった。

「報告が来た。 魔術によるテレパシーだ」

「聞かせてください」

「貴様の弟子が、第二の計画に入ったそうだ。 てこずっている南部地域の緑化計画だそうだな」

「わかりました。 トトリちゃん、頑張っていて嬉しいな」

支援に何名かをつけていたけれど。

そのうち、最近抜擢した一人。魔術師のナスターシャが作戦参加してくれる。実は彼女については、面倒な事情があるのだけれど。

まあ、最悪の場合は、影でメルヴィアとツェツェイが護衛している。彼女らの戦力なら、どうにかなるだろう。

資料の内容は、頭に入れた。

後はこれを応用すれば、今ロロナが取り組んでいるホムンクルス量産計画が動く。

それにしてもと、ジョネフェスは怒りを口から漏らす。

彼は、この施設の非人道性と。周辺の汚染については、怒りを隠せないようだ。

「スピアのクソ共は許せん」

「……そうですね」

憤っているジョネフェスには悪いけれど。ロロナは、そこまで簡単には考えられない。一度、一なる五人にあって、しっかり話をしたいとも思っていた。

だけれど、難しいだろう。

戦いになる以上。

まずは勝たなければならない。相手の話を聞いている余裕が、残念ながら今のアーランドには存在しないのだ。

それに、スピアの諜報部隊は、更に活動を活発化させている。

これはひょっとすると。

国内に、レオンハルトが入り込んでいる可能性もある。

奴の能力は高い。

トトリちゃんが目をつけられると厄介だ。早めに対処をする必要がある。

一通り内部を洗い終えると、外に出る。

後は師匠に任せる事になるだろう。

部隊を撤収させる。側には、死骸を埋めた墓が、たくさん作られていた。

目を閉じて、もう一度黙祷すると、ロロナはその場を後にする。

大人になって。

この国の深くに関わるようになった以上。

もう。綺麗なままではいられない。

それはわかっていても。

どうにも、やりきれない部分は、あるのだった。

 

(続)