血臭苛烈

 

序、リス族の森

 

リス族に囲まれて、トトリは歩く。

自分の腰ほどしかない背丈の相手とは言っても、さっき見ている。トトリの頭を砕きかねない投石の破壊力を。

彼らは背丈こそ低いが、戦闘力は、この過酷な世界を生きていけるだけのものを有しているのだ。

森を抜けて、草原から北上。

ごつごつした岩山に入る。

この辺りは木々もまばら。森から飛んできた種子などが芽吹くこともあっても、あまり長くは保たないのだろう。

緑化政策で、アランヤの西の一部は荒野から緑の大地に変わったけれど。

それでも、少しでも離れてしまうと。

辺りは荒野で、モンスターがたくさん住んでいる。屈強なアーランド戦士だって、油断は出来ない場所なのだ。

「もう少しだ」

トトリの不安を読んだかのように、さっき通訳をしてくれたリス族の人が言う。

岩山をよっこらせと上がっていくと。

岩に丁度隠れて、洞窟が見えてきた。

なるほど、周囲からは丁度上手い具合に見えない、という絶好の場所だ。空からでない限り。

いや、岩が張り出していて、空からも見づらい。

周囲には、リス族の歩哨がたくさん。

此処が、彼らの村、というわけなのだろう。

「おじゃまします……」

中に入る。

とにかく、現状を確認しない限り、交渉を始めることさえ出来ない。

リス族の数は、ざっと数百はいると見て良さそうだ。アーランド村の戦士が総掛かりなら、殲滅は難しくない。

でも、この天険の要塞に立てこもられたら。

しかも、入り口が此処だけとは限らないのだ。

厳しい戦いになるだろう。

でも、彼らは分かっている筈だ。それでも、総力戦になったら、きっとアーランドにはかなわないと。

だから、トトリを。

森を作った技術者、つまり錬金術師であるトトリを、招き入れたのである。

洞窟の中に入ると、光を放つ苔が天井にも壁にも植えられている。コウモリが殆どいないのは、多分何かの仕掛けがあるのだろう。

ひたり、ひたりと、音が反響する。

洞窟で、音の逃げ場がないのだから、当然だ。

天井は思ったより低い。

しかし、洞窟の中は綺麗に掃除されていて、不潔感は殆ど無い。靴を脱いで歩いても良いくらいだ。

洞窟内部に入ると、気付いたことがある。

何か異臭がある。

病気の者がいるのだろうか。いや、違う。そもそも、此処ではどうやって水を確保しているのか。

リス族だって、水は必要なはず。

洞窟の中でも、水源がなければ、乾いて死んでしまう。

というのも、水の臭い。それも、痛んでいるのか、なんだか、不可思議な違和感があるのだ。

蟻の巣穴のように入り組んだ洞窟を、奧に。

途中、横穴が幾つもあって。それらには、食糧が蓄えられているのが見えた。殆どは木の実ばかり。

森に来るのも当然だろう。

どれも、あの森で取れる木の実ばかりだ。

ただ、リス族が森の木の実を取り尽くしたという話は聞いていない。

また、木の実といっても、保ちが良いものばかり。傷むようなものは加工するか、すぐに食べてしまうのだろう。

最深部に到着。

広いホールのような空間。とはいっても、トトリの家くらいの大きさしかない。

其処は。

地獄だった。

うんうん唸っているのは、リス族だろうとは思う。しかし、その全員が、とにかく手酷い怪我をしているのだ。

手足を失っている者も多い。

それに、一目でわかったが。

毛の色や、雰囲気が違う。

「大陸の北部から逃れてきた同胞達だ」

「大陸の、北部から?」

「今スピア連邦とか言う勢力が好き勝手をしているのだろう。 奴らは人間もそうでない生き物も手当たり次第に殺している。 リス族も例外では無い」

逃げる事が出来た者達はまだいい。

捕らえられた者は悲惨だと言う。

「必死に逃れてきた者達の話によると、脳を弄られて改造され、兵士にされてしまうことが多いそうだが。 老幼になってくると、そのまま殺されて、食糧に変えられてしまうとか」

ぞっとする話だ。

だが、トトリは、その事よりも。

けが人がたくさんいることの方が、不安でならない。

そう言うことだったのか。

森に出て食糧を集めていたのは、体力を付けるため。

回復の術を使える者もいるようだけれど。

それも、限界がある。

術者は、魔力を使い切ると、非常にたくさん食糧を口に入れる場合もある。勿論個人差はあるようだけれど。

見たところ、回復の術が使える人員も、足りているとは思えない。

「と、とりあえずっ!」

持ってきているヒーリングサルブを手渡す。六セットだけ持ってきたけれど、ないよりはマシだ。

回復の術が使える人は、アランヤ村にはいない。

年老いた魔術師が一人いるけれど、彼女の腕はあまり良くない。自分でも年老いて力がもう無いと零す位なのだ。

あのアーランド王宮で見た、お胸がふくよかな女性魔術師。あのくらいの人がいれば、ざっと見たところ三十人以上いるけが人を、どうにでも出来るだろうに。

「回復の薬です。 今、手元にある分は、置いていきます」

「助かるが、良いのかね」

「見ていられません」

何しろ、アーランドは既にこの事件を問題視している。

放置しておけば、アーランドから討伐隊が来る。リス族が抵抗したって、勝てる訳がない相手だ。

それに、トトリのお仕事は、森で我が物顔に振る舞うリス族をどうにかすること。

急いで計算する。

コンテナの備蓄は、一応頭に入っている。

「回復の薬を、まず二十セット持ってきます。 出来るだけたくさん、その後にもつくって持ってきます」

「ふむ、有り難いが」

「ですから、森に入り込むのはその間避けてください。 後、あまり値段がつかないお魚の干物も、交渉して見ます。 体力を付けるには、木の実よりも肉の方が良いはずですから」

「……わかった。 頼む」

かなり時間が過ぎてしまっている。

森にいるメルお姉ちゃんが動く前に、戻らないと。

リス族の状況は、あまり良くないことが分かった。これは、信頼出来そうな人と、話をつけないと駄目だ。

あの、クーデリアさんという人はどうだろう。

鳩便を使えば、連絡はできる筈。

それに、話を聞く限り、リス族の苦境は此処だけでは無いはず。もしも、上手く渡りを付ければ。

大勢の命を救える可能性もある。

案内人とともに、出来るだけ急いで戻る。

途中何度か転びそうになって。

森でイライラしている様子のメルお姉ちゃんを見かけて、つい気が緩んだ途端。とうとう転んだ。

持ってきている荷車から、ヒーリングサルブの予備を出す。

そして、リス族達に容器ごと渡した。

これの薬効成分はかなり強い。絶対に効くはずだ。アーランド戦士ほどの回復を見せるかはわからないけれど。少なくとも、化膿している箇所を回復させたり、血止めや皮膚の再生くらいには充分なはず。

「すぐに代わりを持ってきます。 だから、森からの撤退を」

「わかった。 良いだろう」

リス族達が、潮のように引き上げていく。

錬金術師が、森を作ったこと。

奇蹟の技を持っていること。

それを彼らが知っている事が、幸いした。

胸をなで下ろすトトリに。メルお姉ちゃんは、不思議そうに言う。

「爆弾でみんな吹っ飛ばす方が楽なんじゃないの」

「もう……」

「で、どうするの」

「戻ったら説明するけど、どうしよう。 私だけじゃ、決められそうにもないよ。 ロロナ先生がいたら、相談できそうだけれど」

まず、何をすれば良いのかを、整理するところから始めなければならない。

それに、彼処で見たけが人が本当に全てだろうか。

此処はアーランドのかなり奥深く。

北部の国境を越えて逃げてきているリス族が屯しているとしたら、もっと北になる筈だ。そういった場所では、此処とは比べものにならない数の負傷者が、苦しんでいるのでは無いのだろうか。

もし、そういった問題が顕在化したら。

アランヤ村に戻る。

コンテナを確認。あまり多くの材料がない。ヒーリングサルブを大量生産するには、足りない。

材料を近くの草原に取りに行くとしても、丸一日がかりになる。

それに、それだけじゃない。

参考書を見て、幾つか必要になるものを確認。

化膿止めの特化薬。

体力を付けるための薬。

どちらも、どうにかトトリが作れる。ヒーリングサルブに手を加えればいいのだから。問題は、食糧。

魚の干物の中で、売り物になりそうにないものを、分けて貰う交渉。

どうすればいいだろう。

リス族の魔術師は、相当に疲弊しているようだった。

この村にも、一丁前の魔術師がいれば、少しはマシになったのだけれど。

村に到着。

悶々としているトトリは、空き家の前に、人だかりが出来ているのを見つけた。何だかほわほわしたお姉さんが、笑顔を振りまいて、村の人達に挨拶している。

メルお姉ちゃんが、早速話を聞きに行った。

トトリは立ち尽くして、まず様子を見てしまう。

村の人達から、決して優しく接して貰わなかったことが。こういう引っ込み思案に、つながってしまう。

立ち尽くしているトトリに。

お姉ちゃんが、声を掛けてきた。

「トトリちゃん、初仕事、どうだった?」

「うん、それが大変で……」

「おうちで話を聞かせて。 お料理でもすぐ作るから」

今は、何かおなかに入れた方が、よい知恵が出るかも知れない。

トトリは言われるまま、家に戻る。

話し声が聞こえてくる。

どうやらあのほわわんとしたお姉さんは、パメラというらしかった。

 

お姉ちゃんの美味しいご飯を食べた後。

いっそのことだから、お姉ちゃんにも相談することにした。

現状、リス族は森から退避はしてくれているけれど。けが人の中には、かなり危ない状態の者もいる。

あまり長い時間は、待ってくれそうにもない。

準備するのは、ヒーリングサルブ。これは最低でも100セットくらいはいるだろう。草原で採取するとしたら、メルお姉ちゃんに手伝って貰うとしても、丸一日くらいかけて、採取する必要がある。

これに加えて、売り物にならない、魚の干物。これが相当数いる。

付帯薬品も、作らなければならない。

話を聞くと、お姉ちゃんは言う。

「いくら何でも、厳しいわね」

一つ一つは難しくない。

問題は、その全ての物量だ。

まず、薬剤の材料を集め、ヒーリングサルブを調合するのに、二日以上は確実にかかってしまう。

しかも徹夜をした場合、だ。

体力がないトトリには、かなり厳しい。

更に問題は、魚の干物。

村で、そんなにたくさん、分けて貰えるだろうか。

「魚については、毎度取れすぎた分を保存用に加工しているから、それを分けて貰えるかもしれない。 私が交渉して見ましょうか」

「お願い、お姉ちゃん」

ツェツェイお姉ちゃんは、村の顔役だ。

きっと、それなりに収穫がある筈。最悪、錬金術を使って、干物を作る事を考えなければならない。

それと、術者。

回復の術が使える魔術師の手配が欲しい。

村のお婆さんを、リス族の集落に連れて行く訳にはいかないだろう。

メルお姉ちゃんが入ってくる。

ツェツェイお姉ちゃんが、笑顔で迎えるけれど。意外な事を、メルお姉ちゃんが言い出した。

「トトリ、新しいお店、面白いよ」

「どうしたの、急に」

「魔法のお店だって。 不思議な道具とか、色々置いているみたいよ」

思わず立ち上がるトトリ。

ひょっとすると。

何か、役に立つものが、あるかもしれない。

 

1、綱渡り

 

翌朝。

メルお姉ちゃんにつきあって貰って、速攻で村を飛び出した。

近くの草原に出ると、できる限りの素材を集める。どれだけあっても、足りないくらいだ。

その途中、何度か狼やぷにぷにが姿を見せるけれど。

メルお姉ちゃんがひとにらみするだけで、逃げていった。それだけ、絶対的な力の差があると言う事だ。

戻る途中、森の北側で、別れる前に聞いていた合図。

二枚貝を何度か鳴らすと、昨日話をしてくれたリス族が姿を見せる。長老では無いにしても、顔役であるらしい。

「おお、どうだ、状況は」

「まず、ヒーリングサルブを少し。 これから後90セットほどを作成するので、でき次第持っていきます」

「助かる。 非常に良く効く薬で、我等の魔術師も助かっている。 流石森を作った技術者だ」

「それは良かったです。 後、化膿止めや肉の類も持っていきます」

頼むと、頭を下げられた。

ヒーリングサルブを少しだけ手渡す。

メルお姉ちゃんは、嘆息した。

「どうでもいいけど、担がれてないでしょうね」

「多分大丈夫だよ。 大けがをしたリス族の人がたくさんいて、苦しんでいる様子は、直に確認したから。 それに途中、ひどい臭いがしたの。 多分リネン類の処理が、追いついていないんだと思う」

「ふーん。 でも、無理はしないようにね。 ツェツェイが悲しむ所なんて、あたしだって見たくないんだから」

「うん……」

トトリは、今。

人の命が、直に掛かった場にいることを、認識している。両肩に、命がたくさん乗っているのだ。

出来るだけ速く、お薬と食糧。

他にも、物資もいるだろう。

アランヤ村に到着した頃には、もう暗くなっていた。これから徹夜作業開始だ。家に戻ると、メルお姉ちゃんに手伝って貰って、コンテナに荷物を移す。

前回、たくさん取ってきたときの比じゃない。

へろへろになってしまう。

渡されたミルクを口にして、一気に煽った。ミルクを渡してくれたのは、驚いたことに、酒場のマスターである。

どうしたのだろう、こんな夜中に。

それで、思い出す。

昨日、パメラさんのお店を見に行った後。酒場に、鳩便を頼んでいたのだ。

勿論まだ向こうには届いていない筈。

そうなると、何だろう。

「調子はどうだ」

「は、はいっ! これから調合、するところ、です」

「お前が欲しいと言っていた魚の干物だがな。 少し古くなった保存用の奴がある。 処分する所だったから、其方で引き取ってくれるか」

「わかりました!」

すぐに、現物を見に行く。

確かに少し古いけれど、火を通せば充分に食べる事が出来る。そればかりか、煙の苦みがしみこんでいて、とても美味しい。

ただ、見栄えがとても悪い。

色もくすんでいて、確かにこれは売り物にはならない。

保存用としては充分か。確かに捨てたり肥料にするくらいなら、今食べてしまう方が良いだろう。

リス族は基本草食だけれど。草食動物というのは、実は肉も食べる。栄養が足りていないときなどはそうだ。

「全部引き取ります」

「頼むぞ。 此方としても、手間が省ける」

「メルお姉ちゃん、手伝って」

「……ああ、はいはい」

何だか一瞬、とても冷たい目で見られた気がするけれど。我慢して貰うしかない。

ただ働きをしてもらっているようなものだ。

今回の件、報酬が出たら、メルお姉ちゃんに半分は払わなければならないだろう。一応報酬金額は、今まで見た事も無い金額だから、払えるはずだ。

荷車に干し魚を積み込むと、村を出ようとする。

荷車がぴたりと止まった。

メルお姉ちゃんが、片手で掴んで、止めていたのだ。

「こんな時間に、何処行く気?」

「届けてこようと思って」

「駄目。 今日はもう戻りなさい」

「でも」

デコピンされる。

小さく悲鳴を上げて、おでこを押さえてしまう。それくらい、痛かったのだ。

「もうフラフラでしょう。 体力がないのに、無茶すんな。 これ以上無理するようなら、仕事は降りて貰うからね」

「……ごめんなさい」

アトリエに、戻る。

その途中、ずっとメルお姉ちゃんは、怖い顔をしていた。

 

一晩、言われるまま眠って。

それから、まず朝一で森に行き、魚の干物を届ける。

リス族にとっても、肉を食べるというのは、余程のことだ。けが人が回復するまでの食用だし、これで充分だろう。

ただ、量が足りない。

案の定、けが人が増えているという。北から逃れてきている難民を、更に何名か引き受けたのだという。

「他の集落では、回復術が使える魔術師が頑張っているのだが、此処では限界だ。 無理を言うようで悪いが、回復薬を急いでくれ。 このままだと、死者が増える」

「持ちこたえれば、魔術師の手伝いは来ますか?」

「何とも言えない。 大陸北部にあった我々の最大集落が、根こそぎやられるような形で襲われたらしいのだ。 まだ逃れてくる者は、これからも出るという話だし。 彼らの多くが怪我をしている事は、容易に想像できる」

やっぱりそうだ。

対処療法では埒があかないとみて良いだろう。

今、トトリはアーランドの王宮に鳩便を飛ばして、苦境を告げている。他の地域でも、リス族が無茶をする可能性があるし、此処でもトトリ一人では、どんなに頑張っても支えきれないからだ。

せめて、腕が良い回復術の使い手がいれば。

手を貸してくれれば。

鳩便が向こうに着くまで、三日ほどだという。そうなると、明日には上手く行けば到着してくれるはずだ。

そこから、腕利きの魔術師が全力で此方に向かってくれれば、一週間くらいだろうか。

「回復薬は持っていきます。 とにかく、森に出ることだけは避けてください」

「わかっている。 だが、急いでくれ。 集落の者達も、皆疲労がひどい。お前さんを信じている者ばかりでも無いのだ」

アランヤ村に、とんぼ返り。

すぐに、調合に取りかかる。

この間、たくさん作ったばかりだから、前よりは手際も良くなっているけれど。

それでも、作る量が量だ。

気がつくと、夜中に。

そして、次の日になっていた。

ベッドでぼんやり、天井を見上げる。

まずい。

体力が、限界かもしれない。

薬は50セットほど作った。40セットも、追加で作る事が出来る。中間薬剤は作ってあるから、である。

鳩便がアーランド王宮に届いたとして。

返事が来るのは、まだ先だ。いきなりの状況好転は予想できない。半日ほど、疲れ果てて眠ってしまっていた。

自分に鞭打ちながら、むくむくと起き出して。

荷車を引いて、外に出る。

足下がおぼつかない。

酒場に出ると、メルお姉ちゃんがいた。トトリを見て、眉をひそめる。

「目の下、隈ができてるじゃない」

「手伝って……」

「良いけど。 戻ったら休むのよ」

「……」

はいという気力さえなかった。

リス族に薬を届けて。心配しているメルお姉ちゃんも伴って、彼らの集落に。

前回よりは、状況は改善していたけれど。やはり、地獄絵図には代わりは無い。

奥の方には、墓が点々としている。

治療が間に合わなかった人達。

トトリの薬で、少しは楽になって、静かに死んでいった者もいると、通訳の人は話してくれた。

口を押さえてしまう。

涙が零れる。

メルお姉ちゃんは何も言わない。

早く救援が来ないと。

もっと犠牲が増えてしまう。

 

トトリを寝かしつけると、メルヴィアは、ツェツェイを伴って、村の外に出た。連絡役をしているホムンクルスが、すぐに姿を見せる。

「ロロナさんは?」

「今、魔術師の手配をしています。 リオネラさんはちょっと動くのが難しいようですけれど、ランク4冒険者の人が来られるそうです」

「……後どれくらい掛かるの?」

「早ければ四日ほど」

それだと遅い。

メルヴィアはそう思った。ツェツェイはほぞをかんでいる。珍しく苛立って、地面を何度もつま先で蹴りつけていた。

今回の件。

トトリが介入する前から、リス族が大量にアーランドおよび辺境諸国に流れ込んできていることは、掴めていた。

トトリが上手く動かなかった場合、ロロナが代わりに作業を進めて。リス族との接触を試みる予定だったのだ。

だが結果は。

上手く行きすぎた。

トトリはメルヴィアも知っているが、頭が良い。というよりも、観察力と理解力に優れているのだろう。

ちょっとしたことから、すぐに相手の状況を悟り。

最善手へと直進する癖を持っている。

知ってはいたのだけれど。まさか、リス族を速攻で森から追い出す事に成功するとは思わなかった。

問題はその後。

トトリにあまりにも大きな負担が掛かりすぎている。

現状のまま行くと、トトリは倒れかねない。実際、今でも負担が大きくて、ふらふらになっているのだ。

「メル、リス族の集落は、どんな状態だった?」

「ひどいもんだわ。 しかも、良い薬があるって噂を聞いているんでしょうね。 更にけが人が運び込まれているわよ」

「まずいわ。 トトリちゃん、頑張りすぎてしまうわね」

「いっそ、あたしがひとっ走り行ってこようか?」

ホムンクルスは、首を横に振る。

彼女はロロナが独立行動を許された直後くらいから側に着いている古株だとかで、ホムンクルス達のまとめ役をしている。

その分、ロロナの事も良く知っているのだろう。

こういうときに、ノータイムで返答してくる。

「マスターは待つように言うと思います」

「四日ね」

「出来るだけ急ぎます」

最悪の場合は。

メルヴィアは、ツェツェイと目配せをする。

実は、トトリが作れるのとは比較にならないほど強力な回復薬を、パメラの店で生産していることを、メルヴィアは知っている。ツェツェイもだ。

当然の話である。

何しろパメラは、アーランドの強力な支援を受けて、工場での生産をバックアップしていたほどの存在なのだ。

素性は知らないけれど。超級の特別扱いを受けている存在だと聞いている。

それだけ、この国はプロジェクトに全力投球している、という事だ。トトリは、その中核に、知らないうちに据えられている。

下手をすると。

トトリは機密を守るために、消される。

少なくとも、メルヴィアとツェツェイが守ろうとしたって、どうにもならない。

ただし、抜け道はある。

ロロナは優秀な錬金術師だが、どうにも足下が留守な所が多い。周辺人事までは、目を配り切れていない節がある。

パメラには、既に接触を済ませていて。

場合によっては、強力な回復薬剤を買い付けることが出来る事を、確認済みだ。

いざとなったら、それをトトリに横流しする。

それで、時間を稼げるはずである。

勿論、ズルになるが。

トトリが潰されるよりマシ。メルヴィアは当然のこと。ツェツェイも、トトリを守るためだったら、何だってする。

他の村人共は、トトリを良く思っていないかも知れないが。

メルヴィアとツェツェイ、それにペーターは違う。

元々ギゼラに世話になり。ずっとかわいがって貰って。トトリも、妹も同然と思って接してきたのだ。

ツェツェイの家に戻ると、軽い食事を出して貰う。

アトリエを覗くが。

疲労が溜まったトトリは、完全に寝こけていた。元々、体力もない子なのだ。冒険者なんて、やれるわけがない。

ましてや、今回のようなデリケートな仕事なんて。

心を痛めるツェツェイが、見ていて痛々しい。

こんな仕事。

クソくらえだ。

メルヴィアは何もかもが気に入らない。普段脳天気な楽天家を気取っていないと。怒りで、何もかもを壊して廻りそうだ。

いつか力を付けたときには。

こんな事態を引き起こしたスピア連邦は絶対ぶっ潰してやる。そして、いけ好かないこの国の上層部だって。同じ目にあわせてやる。

温かいスープが出来たので、無心に腹に突っ込んだ。

メルヴィアは、怒りを食事でしか。押さえ込むことが、出来なかった。

ただ、ロロナに対する恩がある事はわかっている。あの人が来なければ、アランヤ村はもうとっくに廃村になっていた可能性さえある。どれだけ生活が豊かになったかもわからないくらいなのだ。

そのロロナも、今回の件に関しては、心を痛めているのが不愉快だ。

スピア連邦がどうしようもない国家で、対抗するために手段を選んでいられないこともわかっている。

だが、その結果。

自分たちも、ドブ以下のゲスになろうとしているのではないのだろうか。

その疑念は、晴れない。

 

疲れは溜まっているけれど。

責任の重さが、ぐっと体にのしかかってくる。

目を擦りながら、コンテナに降りて。

中間薬剤を取り出してきた。

今日も、調合開始だ。残り分のヒーリングサルブを作ってしまえば、多少の余裕はでる。そして、後五十セットくらいのヒーリングサルブは、どうにか作る事も出来る。

外で顔を洗って。

頬を叩く。

ロロナ先生は、今どこで何をしているのだろう。此処にいてくれれば、お薬の製造を頼めるかもしれない。

今は、手が他に無い。

多くの人が死んでいくのを、黙って見ていられない。

リス族はいわゆる亜人だけれど。

それが何だというのか。

多くの墓。

傷ついた無数の影。

寝かされ、苦しみ唸るリス族達の中には。明らかに子供や、老人もたくさん含まれていた。

スピア連邦のことは知らない。

本当にリス族が真実を言っているのかも分からない。

はっきりしているのは。トトリが薬を作っていかなければ、あの場にいる人達は、苦しんで死んでいくと言うことだけだ。回復術が使える魔術師もいるようだけれど、良く言ってもきっと半分と助からないだろう。

何度も冷たい井戸水で顔を洗う。

さっぱりはしない。

目は覚めたけれど、それだけだ。

すぐにアトリエに戻ると。薪を炉に入れて、煮沸消毒を始める。ヒーリングサルブに使う水を作るためだ。

お湯になる間に、参考書に目を通す。

化膿止めのお薬を、今日は作る。

ヒーリングサルブについては、片手間でできる。その間に、成分を変えた化膿止めを、作ってしまうのだ。

化膿止めの場合、薬効成分をかなり強くしなければならない。

その一方で、傷口を回復させる機能はとても弱くなってしまう。

特殊な薬草も必要だ。

ヒーリングサルブの材料補充と一緒に、草原に出かけなければならない。必要な薬草については、見て覚えた。

気がつくと、お姉ちゃんに見下ろされていた。

「大丈夫、トトリちゃん」

「うん。 平気だよ」

「朝ご飯が出来たわ。 食べに来て」

言われるまま、アトリエから引っ張り出される。

そして、おなかに染み渡るご飯を、めいいっぱい食べさせられた。こんなに食べたら、太ってしまいそうだと思ったけれど。

それがどうしてか。

食べても、おなかが一杯にならないのだ。

アトリエに戻ると、調合を続行。

片手間に進めていたヒーリングサルブが出来た。一端火を止めて、釜を洗い。化膿止めの制作に移る。

基本はヒーリングサルブと同じ。

だけれど、途中の調合がかなり違ってくる。

幸い、今回薬草の持ち合わせはあるけれど。あまり多くは作れない。今回の調合が上手く行ったら、本格的にやるために、次は取りに行かなければならないだろう。平原では無理かもしれない。

北東の荒野には、むしろ多くの素材があるかもしれないけれど。

あの辺りは、アードラの縄張りだ。

大型猛禽は、人間を見ると、躊躇無く襲ってくる。

メルお姉ちゃんに守って貰っても、まともに採取なんて、出来るかどうか。

不安が次々に湧いてくる。

何度か手元を誤ったけれど。

それでも、調合は最終的に上手く行った。出来れば人体実験してみたいところだけれど、悩ましい。

レシピの通りには作った。

きっと上手く行くはずだ。

そう思って、容器に詰める。

ヒーリングサルブよりも、化膿止めの方が緊急的な必要性は低いはず。そんなに、急いで相手も求めて来はしないだろう。

酒場に出る。

メルお姉ちゃんはいた。

何人かの、村の若者に囲まれていた。彼らは、メルお姉ちゃんを、揶揄しているようだった。

「聞いたぜ。 あのみそっかすのお守りをしてるんだろ」

「んなことよりいいのかよ、テメーの仕事しないで。 確かお前のランクだと、国からも仕事が来るんだろ」

「……」

足を止めてしまう。

あれはトトリを馬鹿にしているというよりも。

トトリと関わっているメルお姉ちゃんを、それをダシにして馬鹿にしている、という状況だ。

メルお姉ちゃんの顔が、見る間に怖くなっていくのがわかる。

「ほら、おしめも取れないのが来たぜ」

「ギャハハハハ、じゃーな」

村の人達が、わざとトトリをバカにした目で見ながら、酒場を出て行く。

メルお姉ちゃんは、嘆息した。

「出かけるの?」

「うん。 今日は、お薬を届けてから、北東の荒野に行こうと思ってて」

「……正気?」

「彼処の方が、採れそうな薬草があるの。 でも、一人で行くのは、とてもじゃないけど無理そうだから……」

「いいわよ」

バトルアックスを軽々担いで、メルお姉ちゃんが立ち上がる。

村から出て、まずは西に。

森の北に行って、リス族を呼び出し、お薬を引き渡し。

けが人はかなりの人数が回復したらしいけれど。その分、更に北から来た負傷の度合いがひどいけが人が増えたとかで、やっぱり薬は必要だという。

その代わり、怪我から復帰出来たメンバーは、何かあったら協力してくれる、とも約束してくれた。

これは、大きいと思う。

いずれ何か頼むかもしれない。

とにかく、今は採取だ。

村の東の海岸線から北上。少し崖になっている所を上がると、その辺りには、乾いた大地が拡がっている。

地面は赤茶けていて、大昔に死んだらしい獣の骨がごろごろ。

草木は所々には見かけるけれど。

いずれも、元気がなかったり、干涸らびていたり。

この辺りも緑化すれば、或いは西の森のように、豊かな場所になるのだろうか。モンスターもでないようになると、良いのだけれど。

空を舞っているのは、アードラ。

翼長だけで、人間の大人の背丈よりも長い。

巨大な猛禽だ。

しかも下位のものはただの鳥だけれど。上位になってくると、魔術を使う種類が珍しくもない。

風を起こしたり、中にはつぶてを飛ばしてくる者もいるとか。

この過酷な世界で生きているのだ。

鳥だって、ただの鳥のままではいられない、という事なのだろう。

辺りの岩を探して、薬草を採取する。

今回必要なのは、苔の一種だ。

岩の裏側などに群生している。あまり綺麗な見かけでは無いけれど、これがとても強い成分を持っていて、生半可な化膿ならたちどころに治癒させる。

大きな岩を持ち上げるのは大変だけれど。

メルお姉ちゃんは周囲に気を張っていて、手伝うどころじゃない。

トトリがやらなければならない。

うんしょうんしょと、岩を動かす。

三つ目を終えた頃には、もうへとへとになっていた。影には虫さんたちもいる。調合で使う虫さんはいないので、ごめんなさいと言いながら。苔があった場合はそぎ取って。そうでない場合は、ただ元に戻す。

他にも、付帯的な取得物はある。

蒸留水を作る時に便利な石。

穴がたくさん開いていて、汚れを取りやすいのだ。

蒸留石とそのまま言われている。軽くてとても採取しやすいので、せっかくだからたくさんとっていく。

キノコもある。

荒野に生えて、岩と見かけが変わらないタイプだけれど。

図鑑を見る限り、薬効成分がかなり強い。

今回は使い道がないけれど。

何かの役に立つ可能性は高い。

不意に、肩を掴まれた。

何かが来たというのか。慌てて杖を手に取る。見ると、前後左右から、此方に向かってくる影がある。

アードラじゃない。

距離を保ったまま、此方を伺っているのは。

狼だ。

数は十頭以上はいる。

片手で無造作にメルお姉ちゃんが荷車を岩陰に置いた。バリケードに使うつもりだろう。周囲は完全に封鎖されている。

突破しないと、逃げ切ることは不可能だ。

ただ、おかしい。

狼だったら、メルお姉ちゃんの実力くらいはわかるはず。仮にもこの過酷な世界で、猛獣として生きているのだから。

熊なんかより遙かに格上の相手を、この程度の数で殺せると思うはずがない。

余程におなかがすいているのか、或いは。

メルお姉ちゃんは、無言のまま側の石を蹴り挙げる。

トトリの頭ほどもある石だ。

それを空中でキャッチすると、豪腕一閃。

放り投げられた石は、狼の一頭を、情け容赦なく直撃。頭を粉々に吹き飛ばし、狼自身は悲鳴も上げずにミンチになった。

きゃんと悲鳴を上げて、数頭が情けなく飛び下がる。

飛び下がった数頭は、だけれども。

即座に戻ってきた。

死んだ仲間は、餌に早変わり。

犬科の習性だと聞いてはいたけれど。見ていると、凄惨だ。半分に潰れた狼の死骸は。同胞が貪りくい始めている。

見ると、狼たちは目つきがおかしい。

「おなか、余程すいているみたい」

「もう何匹か間引くわよ」

メルお姉ちゃんはその場で、石を蹴り挙げる。

そして、再び、一頭に投げつけた。

ぐわんと、もの凄い音。

文字通り熟れた果実みたいに潰れる狼。

同胞の亡骸に群がって、食事を始める飢えた獣たち。

群れで子供を育て。

高い知性で、人間の次に巧みな狩りをするはずの狼たちの、あまりにも哀れな姿に、息を呑んでしまう。

がつがつ。

むしゃむしゃ。

凄まじい食事の音が聞こえてきている。

本当に、おなかがあまりにもすいていた、ということなのだろう。

「こりゃあまずいわね」

メルお姉ちゃんがぼやく。

狼たちは、最初格上でも関係無しに、メルお姉ちゃんとトトリに喧嘩を売りに来たけれど。

目の前に餌が出来た途端、其方に即座に飛びつくほど、飢餓に苦しんでいる、ということだ。

つまり狼の縄張りに何かがあった、という事である。

ぎゅっと杖を掴む。

ここしばらくで、異常気象があったとか、森を誰かが荒らしたとかは、話を聞いていない。

そうなると、何か強力なモンスターがでて、狼を縄張りから追ったのか。

或いは、別の理由で、狼が追い払われたことになる。

駆け足の音。

妙に、トトリは冷静だった。

息を吸い込みながら、杖を体に一体化させる。

そして振り向きざまに、飛びついてきた狼の、側頭部を一撃。いなしきれないけれど。後ろに倒れ込みながら、狼のおなかを蹴って、遠くへと飛ばした。

起き上がって、杖を構える。

柔軟に地面に着地した狼だけれど。

やはり目がおかしい。

極限の空腹で、どうにかなってしまっているのか。

再び、来る。

メルお姉ちゃんは、何も介入してこない。一匹くらいは、自分でどうにかしろ、というのだろう。

わかっている。

再び突っ込んできた狼に、相手の勢いを上乗せした状態で、踏み込みながら杖の先端を突き込む。

手にしびれが来る。

元々体格が違うのだ。

硬い。

狼は一瞬だけ怯むけれど、すぐに杖に噛みついてきた。

杖を噛み取って、トトリの首筋に食いつくつもりだろう。狼の牙はよだれに塗れている。至近で、喉を容易に咬み割ける牙の列が見えて、恐怖がせり上がってくる。

大丈夫。

一体だったら、どうにかなる。

最弱だって、アーランド戦士として生を受けたのだ。

不意に、力を抜いて。

狼が引っ張ろうとした瞬間に、踏み込む。

振り向きながら、足で顎を蹴り挙げ。

思わず杖を離した狼に向け、旋回。

額を、ピンポイントで突いた。

生まれてこの方、こんなに綺麗に突きが入ったのは、初めてかもしれない。

でも、硬い。

手がしびれるほど。

弾きあって、向かい合う。トトリのすぐ後ろには、荷車。

手探りで、作って置いたクラフトを取り出す。

触ってから。起爆ワードを唱えると、五秒で爆発する拳大の爆弾。紐を付けてあるのは、投擲に便利だからだ。

球形をしたそれに触って、振り回す。

起爆ワードを、唱えた。

反応を確認。

投擲。

習性から、狼が飛びついた。

即座に頭を抱えてふせる。

空中で。

クラフトが炸裂。

血の雨が、周囲に降り注いでいた。

呼吸を整えながら、見る。

頭が綺麗に消し飛んだ狼が、何度かバウンドして、仲間達の方に。

餌が増えた狼たちは、尻尾をふりふり、新しい肉をがっつき始める。

呼吸を整えるトトリ。

今更だけれど。

手をすりむいていたし。体中の彼方此方に、傷が出来ていることに気付いた。もう、苦笑いしか浮かばない。

いつのまにか、包囲が解けていた。

トトリが必死に狼を一体処理している間に。メルお姉ちゃんが、投石でもう二匹を処理しおえていて。

新しい肉に、狼たちが、夢中になっていたからだ。

「行くわよ」

「うん……」

「村に戻ったら、酒場に報告。 狼の縄張りに、とんでも無い大物が現れた可能性があるわ。 管理しているのはアデンのおっさんね。 帰ったらとっちめてやるわ」

メルお姉ちゃんの声は低い。

目も据わってる。

いつもおどけているメルお姉ちゃんだけれど。冒険者として一緒に過ごすようになって。実は短気な側面もあって。ひょうひょうとしているだけではなくて、シビアにもものを考えられる事を。

今更ながら、トトリは知った。

それにしても。

初めての殺し合い。

経験した後、震えが来る。

ただ、吐き気がするほどでは無い。

大きな獅子に襲われたときほど怖かったわけではないし、リス族と交渉したときほど、心臓もばくばく言わなかった。

今、はっきりしているのは。

出来る時間を見て、体を可能な限り鍛えなければならない。ということ。

せめて腕力だけでも。

狼の群れくらい相手に、自衛が出来るようにならなければ、話にならなかった。

 

2、一筋の糸

 

何回か、失敗してしまう。

化膿薬の後、幾つかの薬をレシピを見ながら作って見たのだけれど。どうしても、ロロナ先生が書いたとおりにならないのだ。

集中力が足りていない。

手が足りない。

何より、勉強が足りていない。

ヒーリングサルブの質を上げることは、どうにか出来ているけれど。

それだけだ。

外で顔を洗ってくる。

もう一度、参考書を読み直す。

既に、ヒーリングサルブを大量生産し始めてから、四日目。

リス族の所に物資を運んでいるけれど。向こうの状況が、好転する様子は無い。

怪我から復帰した人はかなり増えてきたようだけれど。

その分、北から、次から次へ、新しい負傷者が運ばれてくる。中には、重傷者も、かなり見受けられるのだ。

メルお姉ちゃんと一緒に、洞窟に行く。

煮沸消毒した刃物で、外科手術をしているのが見えた。リネン類も綺麗に洗濯して、清潔にしてから使っている。

元からいる者達だけではなく、怪我から復帰出来た者も、医療には加わっているようだった。

リス族は見た目より、ずっとすぐれた医療技術を持っている。

問題は、薬が足りない事だ。

技術の提供は必要ない。

薬だけがいるのだ。

後は、ずばり肉。

肉でなくても良いかもしれない。必要なのは、とにかく力を付けるための食べ物である。

「状況は、どうですか」

「あんたのおかげで、けが人の九割は助かるようになったよ。 助かった者達は、みんな感謝している」

リス族の通訳はそう言う。

実際、彼らの集落に入ったとき。

向けられる視線は、柔らかくなっていた。

でも、九割という事は。

残りの一割は、助かっていない、という事も意味している。トトリはほぞをかむ。ロロナ先生だったら、きっと全員が助かっているはずなのだ。あの人は、驚天の奇蹟さえ錬金術で引き起こす。

事実、アーランドとアランヤで、コンテナがつながっているのを確認しているほどなのだ。

ロロナ先生に腕が及ばないのは当たり前だけれど。

こんな時は、自分の無力が悲しくて仕方が無い。

一度、アランヤ村に戻る。

その途中で、足りない素材を保留。歩いていると、メルお姉ちゃんが、心配そうに言う。

「大丈夫? 窶れてるじゃん」

「大丈夫だよ、メルお姉ちゃん。 それに、私なんかより、あんなに苦しんでる人達が、たくさんいるんだよ」

「気持ちはわかるけどねえ。 あんたは自分に出来る以上の事をやっていると思うわよ、あたしは」

「錬金術師だよ、私……」

この間、狼と戦って見てわかった。

一体倒すのがやっとなのだ。

私から。非力なトトリから錬金術を取ってしまったら、何が出来る。錬金術が使えないトトリなんて。

錬金術で誰かを助けられないトトリなんて。本当に必要なのか。

こつんと、頭を叩かれた。

メルお姉ちゃんが本気だったら、その時点でトトリなんて地面に埋まってしまう。

「?」

「気分転換しよう。 ほら、例のパメラって人のお店。 もう開いているし、覗いていこうか?」

「荷物、片付けたら」

「それでいいわよ。 真面目なんだから」

メルお姉ちゃんが、白い歯を見せて笑う。

楽天的に見えるメルお姉ちゃんが、戦闘時は苛烈だし、時々怖い表情を見せることもわかっているけれど。

トトリには今でも、優しくて頼りになるお姉ちゃんの一人だ。

アトリエに戻って、採取した薬草をコンテナに移す。

気がつくと。

手がボロボロだ。

彼方此方すりむいたり切ったりしたのに、気付いていなかったのだ。

泣きたくなる。

予備のヒーリングサルブを塗っておく。これで、納品できる量がまた減ってしまう。でも、そもそも手がこんな状態では、調合が失敗するのが目に見えているのだ。調合が失敗してしまっては、それこそ本末転倒なのである。

外でお姉ちゃんと、メルお姉ちゃんが待ってくれていた。

二人はいつも親しそう。

これにペーターお兄ちゃんが加わってくれれば、昔のまま。

はやくそうなってほしいなと、トトリは思う。

「さ、行きましょう」

二人と一緒に、お店を見に行く。

丘を降っていくと、小さな村だから、すぐだ。

開店した手の頃は本当に色々と人が来ていたようだけれど。今は、それなりに落ち着いている。

元々小さな村だし。娯楽が欲しい人も多いのだけれど。

その分、飽きるのも早いのだろう。

お店に入ると。

エプロンを着けた、ふんわりした雰囲気の女性が、笑顔で出迎えてくれる。どういうわけか、お店のカウンターには、くまのぬいぐるみが鎮座していた。

「いらっしゃーい」

「お、お邪魔、します」

二人の影に隠れて、ちょっとぎこちなく挨拶。

何だろう。

この女性、近くで見ると、妙な違和感がある。なんというか、ずれているというか、違うと言うか。

説明は出来ないのだけれど。

小首をかしげているトトリの腕を、お姉ちゃんが引いた。

店の中には棚が幾つもあって、きらきらした小物がたくさん置かれている。それがただの小物では無い事も、すぐにわかった。

これは全部。

魔術の道具だ。

お値段はそれなりに張るけれど。

どれもこれもが、強い魔力を帯びているのが見える。魔術は禄に使えないトトリだけれど、それでも、魔力を見る事くらいは出来るのだ。

「す、すごい。 これは……」

「触ったらお買い上げよ−?」

後ろから声が掛かったので、慌てて手を引っ込める。

トトリが触ろうとしていたのは、ネクタルと書かれた瓶だ。

今のトトリでは、とても手が出せないお値段になっている。

ネクタルは、話だけ聞いた事がある。

何でも死者さえよみがえるほどの、強力極まりない薬品だとか。ロロナ先生の参考書にも、書かれていた。

これが作れれば。

ヒーリングサルブをちまちま作る必要なんて、無いのかもしれない。

でも、お値段から見て、まだまだ手を出す事は出来ない。それが、悲しくて仕方が無かった。

お値段がお安い魔術の道具は。

棚を見ていくと、素材の方も幾らかあるようだ。

珍しいものもあるけれど、品質は良くない。

お姉ちゃんは、さっそくパメラというお店の人と、仲良くなって談笑している。

「そう、妹さん、錬金術師さんなのね」

「ええ。 今はまだやっと一人前になったところだけれど」

「私の友達にも、錬金術師さんはいるのよー。 二人とも、超一流だから、はやく妹さんにもそうなってほしいわー」

二人も錬金術師の知り合いがいるのか。

ひょっとして、此処に売られているのは。

幾つか、手が届きそうな品があったので、カウンターに持っていく。特に、ペンデロークという宝石は、まだ手に入れる手段がないので。買っておくのは、吝かでは無かった。後、本にも使えそうなのがあったので、買っておく。

忙しいけれど、たまに酒場を覗いて、ヒーリングサルブを少しずつ納品しているのだ。これらを買うお金程度なら、ある。

精算を済ませる。

一気にお財布が軽くなったけれど、こればかりは仕方が無い。先行投資と思って、諦めるしかない。

「ね、トトリちゃんでいいかしら?」

「は、はいっ」

「錬金術師さんなら、此処に並べる品物も作ってくれない? お金はきちんと払うわよ」

「その、今は、余裕が無くて」

困惑するトトリに。

パメラさんは、思いもしないことを言う。

「うちは優秀なスタッフがいるから、コピーできるの。 勿論錬金術師はいないから、零から一を造り出す事は出来ないけれど」

思わず、顔を上げる。

パメラさんは、小首をかしげた。

アトリエにすっ飛んで戻ると、ヒーリングサルブと化膿薬。それに試作品の幾つかの薬品を持ってくる。

量産できるか。

聞いてみると、パメラさんは、指で丸を作った。

ただし、時間が掛かるという。

それはそうだろう。

どうやってコピーしているかはわからないけれど。確かに、コピーなんて作業を、簡単にやれるはずもないのだ。

でも、これなら。

或いは、一気に状況を改善出来る可能性もある。

ただ、話を聞いてみると、量産化するには最低でも一月は必要だという。パメラさんの笑顔は全く崩れる事がない。

トトリは小さくため息をついた。

でも、これでいい。

一月間凌げば、光が見えてくる。

 

随分、気持ちが楽になった。

アトリエに戻ると、錬金術を再開。ヒーリングサルブを作り終えると、すぐに他の薬剤の作成に掛かる。

今までとは、全く効率が違う。

スムーズに出来る調合に、トトリ自身が驚いたほどだ。

二つの薬剤を、立て続けに成功させる。

実験はしたいけれど。ただ、こればかりは、どうにも出来ない。レシピを何度も確認して、上手く行っていることを祈るしかない。

不意に、アトリエの戸がノックされたのは、その時だった。

誰だろう。

酒場のマスターは、わざわざ此処まで滅多に来ない。

お姉ちゃんだったら、家の中から声を掛けてくるはず。

ひょいと、窓から顔を出してみる。

女の子だ。

赤い服を着ていて、矛を手にしている。何処かで見たような顔だけれど。見覚えがあるような気がする。

「誰ですかー?」

「っ!?」

いきなり横から声を掛けられて、女の子は驚いて此方を見る。

それで、思い出した。

あの子だ。

クーデリアさんにコテンパンにされて、世界の厳しい論理を体に叩き込まれていた子。見ると、矛も持っているし、赤い服もちゃんとしている。

それに、此処に来ているという事は、きっと冒険者になる事が出来たのだ。

ドアを開けると、何だか怒っていたようだけれど。トトリが満面の笑顔なので、あっけにとられた様子である。

「良かった! 無事だったんですね!」

「え?」

「傷とか残ってないですか?」

「ちょっと、何処触って!」

あの時、クーデリアさんの石突きで、彼方此方しこたま叩かれていたのを、トトリは覚えている。

だから思わず服をめくったりして、痣とか怪我とかが残っていないかを確認してしまう。目を白黒させる女の子が、慌ててトトリの手から逃れる。

トトリはと言うと、嬉しくて仕方が無い。

こんなに短期間で復帰出来たというのは。少しはトトリのお薬も、役に立ったかもしれないからだ。

「な、なんなのよ貴方は! 私は、あの時のお礼参りに」

「お礼なんていいですよー! それよりも、上がってください」

「ちょ、なん……」

手を引っ張って、家に上がって貰う。

小柄だからか、女の子は何だか力もそれほど強くない。トトリもそれほど力が強い方じゃないから、おあいこだ。

多分、速さと手数で勝負する戦士なのだろう。

居間に入って貰って、お姉ちゃんを呼ぶ。

目を白黒させている女の子を、席に着かせて。せっかくだからと、料理も出した。何が何だか分からないと言う様子の女の子だったけれど。

言われるままお姉ちゃんの料理を口にすると、表情が変わる。

自慢の料理だ。

「へえ、ミミちゃんっていうの?」

「は、はい。 その……」

「冒険者には成り立てなんでしょう? こんな辺境まで大変だったわね」

お姉ちゃんには何だか凄く態度が違う。

でも、トトリには、それで良かった。

話を聞いていると、年もトトリと変わらない。

お姉ちゃんの優しい声を聞いていると警戒が解けるようで、ミミちゃんがほわほわになっているのがわかった。表情が緩んでる。

しばらくミミちゃんを歓待して、それから錬金術の作業に戻ろうかと思ったけれど。

外に送り出すときに。

彼女は、ようやく我に返ったようだった。

多分、お姉ちゃんが奧に戻ったのが、大きかったのだろう。

天敵というわけだ。

「……何だか調子が狂っちゃったけど。 あの時は余計な事をしてくれたわね」

「困ってると思ったから、助けただけだよ」

途中で、ため口で良いと意識的か無意識的かわからないけれど、言っていたから。それにあわせて、しゃべり方も変える。

ミミちゃんは、一瞬だけしまったという顔をしたけれど。

すぐに、咳払いした。

「それが余計な事だって言っているの。 私は一人で生きていくし、誰かに助けられるくらいなら、死んだ方がマシよ」

突き出されるのは、やはり冒険者の資格。

まだ、ランク1。

あれだけのことがあったのだ。

やっぱり、ランク1からやっていくべきだと、ミミちゃんも思ったのだろう。それでいいのだろうと、トトリも思う。

でも、強がっている彼女は。

やっぱり、まだまだか弱く見えてしまう。

「貴方、錬金術師なんですってね」

「うん。 まだまだだけれど」

「貴方はこの国で三人しかいない貴重な人材だとか聞いたわ。 だから、間近で見極めさせて貰うわよ」

やっと自分のペースに戻ったからか。

何だか居丈高になるミミちゃん。

でも、私は知っている。

ミミちゃんはさっきとても嬉しそうにお料理を頬張っていたし。

あの時は、絶望して寂しくて泣いていた。

「護衛くらいにならなってあげるわ。 しばらくはこの辺りにいるから、必要なら声を掛けなさい」

「そうだね。 丁度手が足りなくなってたの。 できれば、すぐにでもお手伝い、頼めるかな」

「好きにしなさい」

肩を怒らせて、帰って行くミミちゃんの背中は。

どうしてか、とても小さく見えた。

良かったと想う。

これで、護衛をしてくれる人も増えるのだ。

きっと、少しずつであっても。

状況は、改善出来る筈なのだから。

 

3、援軍

 

二日ほど、苦しい日が続いた。

どうしてだろう。

先の見通しがついたから、だろうか。随分精神的には楽になったし。何より、作業がとてもはかどる。

同じ調合でも、回数を重ねると、流石に上達することもあるだろう。

ヒーリングサルブも、以前より短い時間で、的確に作れるようになってきたし。同じ作業をしていても、疲れの蓄積も減ってきた。

ミミちゃんにも、護衛についてきて貰う。

メルお姉ちゃんとの相性はあまり良くないみたいだけれど。

ただ、彼女も。

リス族が置かれている状況には、絶句したようだった。

「何か手伝えることはあるかしら」

「消毒されたリネン類や器具を使っているから、そのまま手伝って貰うと却って邪魔になる。 錬金術師どのの手伝いに注力して欲しい」

「……」

親切で、だろう。

そう申し出たミミちゃんが、すげなく断られる。

でも、これは向こうから見れば、当然の話だ。

煮沸消毒した器具類に、きれいにしたリネンだ。冒険者として彼方此方を走り回っている人間が触れば、台無しになるのは自明の理。

でも、人間は。

失敗に学べば良い。

何種類か新しい薬剤を入れると、それも喜んで貰えた。

やはり、体を回復させるヒーリングサルブだけではなく。色々な薬品があれば、喜ばれるのは当然だ。

「礼が出来ずに本当に申し訳がない。 この苦境を脱したら、貴方のためにはあらゆる努力を惜しまないつもりだ、錬金術師どの」

「そんな、大げさですよ」

でも、言われると嬉しいのも事実だ。

けが人の様子を見る。

やはり、まだまだ減る様子は無い。

奥の方には、切りおとした手足を焼却している場所もあった。腐敗してしまったり、蛆が湧いたりした場合は、処置としてそうせざるを得ない場合もある。

北の国のやり方がひどいとは聞いていたけれど。

亡くなったリス族の中には、幼い子供や老人もいる。それを見ると、悲しくて仕方が無かった。

今の時点で、病気は流行っていないという。

魔術師が、必死に食い止めている成果だ。本当だったら、この状況。伝染病で、死者の拡大に歯止めが掛からなかっただろう。

可能な限り清潔な環境を作っていること。

魔術師の医療魔術で、病気を食い止めていること。

それが、死者を減らしている。

後はトトリが、お薬を納入すれば。

でも、此処で、一気に事態が動いた。

リス族の戦士が、慌ただしく飛び込んでくる。

担架で運ばれてくるのは、相当に疲弊したリス族。十人以上はいる。包帯を巻かれている姿が痛々しい。手足を失っている姿も目立つ。思わずミミちゃんが口を押さえて目をそらすのが見えた。

周囲は一気に修羅場と化した。

「すまんが、此処までですな。 これから此処は修羅場になります。 恩人を追い出すようで申し訳ありませんが、今日はお帰りください」

「あの、アーランドに魔術師の増援を手配しています」

「本当ですか。 専門の医療魔術師が来たら、かなり助かるかも知れない。 もしも来てくださったら、此処の状況は一気に安定します。 本当に貴方には、感謝の言葉もありません」

「出来るだけ早く来るように、催促します」

「トトリ」

メルお姉ちゃんに促される。

ミミちゃんも一緒に、外に出る。洞窟から外に出ると、まだ患者が運び込まれているのが見えた。

「地獄ね」

ミミちゃんの顔色が、心なしか青い。

奥の方では、外科手術もしていて。悲鳴がひっきりなしに響いていた。手が足りなすぎるのだ。

麻酔なども、掛けられるとは限らないのだろう。

後は、アーランドから、魔術師が来てくれれば。

でも、そろそろ鳩便が届いているはずだ。

無視はされないと信じたい。トトリの書いた手紙の内容が、伝わっていないなんて事態は、起きないはずだと思う。

今日は、少し西の方に遠出する。

リス族の集落をでて、南に。

それから、街道を西に行くと、海岸線に出る。長く続いている砂浜で、漂着物などに、珍しいものがあるのだ。

ただ、この辺りは、ペンギン族の縄張りになる。

街道の辺りは大丈夫だけれど。

砂浜で採集をしていたら、襲撃を受ける可能性もある。リス族よりもずっと好戦的な亜人で、戦闘力も高いのだ。

何より彼らはこの辺りの土着勢力。

今までは、アーランド戦士ともめ事を起こすことはなかったけれど。

それでも、縄張りを侵されたと判断したら、容赦なく攻撃してくることは、疑いの無い所だ。

辺りは砂浜。

身を隠す場所は無い。

メルお姉ちゃんは、手をかざして周囲を見ているけれど。今の時点で、敵意を剥き出しにしているペンギン族はいない様子だ。

しかし、である。

砂浜に、所々、棒が突き刺してある。

棒には狼やアードラのしがいがぶら下げられていて。異臭を放っていた。

彼らによる縄張りのアピールである事は間違いない。

これ以上入ったら殺す。

そう、無言のまま、告げられているのだ。トトリは蠅が集った狼の死骸を見て、流石にげんなりした。

「見てるわよ。 数は十ないし十五」

メルお姉ちゃんが言うと、慌ててミミちゃんが矛を構えた。確かに、砂浜から街道に向けた丘の方。

かなりの数が、いる。

あんな距離で気付くなんて。流石メルお姉ちゃんだ。

手をかざして見ると、ペンギン族はそれぞれが、毛皮を被っている。頭部は鳥に模しているのがわかる。

あれが、種族の呼び名の所以だ。

背丈はリス族よりかなり高いけれど、人間ほどでは無い。

ただし彼らは筋肉質で、格闘戦には無類の強さを見せるという。

魔術を応用する技を繰り出す戦士もいるらしいと聞いている。中には、ベテランのアーランド戦士と互角以上に戦える戦士もいるそうだ。

また、ペンギン族は階級制度を導入していて。群れの中の地位に従って、被る毛皮の色や大きさなどに変化が現れるのだとか。

荷車に、その辺りの草や漂着物を入れて行く。

ミミちゃんは矛を構えたままだ。

気が張っているのだろう。今、話しかけるのは良くない。

手早く採集を済ませると、すぐに撤収を告げる。帰りに草原で薬草を採っていって、それで終わりだ。

砂浜から離れていくと、ペンギン族も姿を消す。

縄張りさえ侵さなければ、何もしない。

彼ららしい、ドライな行動である。

「ふう、緊張した」

「トトリ、気を付けないと駄目だよ。 もう少しで、縄張りに踏み込むところだったんだから」

「えっ、本当?」

「……」

ミミちゃんが、慌てた様子で口をつぐむ。

多分気付いていなかったのだろう。

嬉しいと思う。

素人冒険者は、トトリだけじゃないとわかるのだから。

それから、草原でも採取を済ませて、夕方近くにアランヤに戻る。村の方を見て、一瞬だけメルお姉ちゃんが怖い顔をしたけれど。

理由はわからない。

いずれにしても、先ほどの様子では、リス族にたいして、出来るだけ急いで薬を渡した方が良いだろう。

アーランドからの返事は、まだだろうか。

アトリエに戻ると、コンテナに荷物を移す。ミミちゃんも手伝ってくれるけれど、どうしても手際が悪い。

ひょっとすると。

あまりこういう作業は、したことが無いのかもしれない。

「ミミちゃん、そっちを持ってくれる?」

「子供扱いするつもり!?」

「そうじゃなくて、私もあんまり力がないから、二人で運ぼう?」

「……そういうことなら、いいけれど」

いちいちミミちゃんは反応が激しくて、ちょっと面白い。

後は、少し調合をして、今日は終わりの予定だ。

「有り難う、メルお姉ちゃん、ミミちゃん。 後はもう大丈夫だよ」

「そ。 じゃ、あたしは帰るわ」

メルお姉ちゃんは、そのまま手をヒラヒラと振ると、帰って行く。

いつも手伝って貰って本当に申し訳ない。冒険者としての仕事は、大丈夫なのだろうかとも思うのだけれど。

元がハイランクの冒険者だ。

そんなに仕事にがつがつしなくても平気なのかもしれない。

ミミちゃんはどうしてか、そわそわしていたけれど。

トトリが錬金術を見ていくかと聞くと、首を横に振った。

「いいえ、帰るわ」

「そう?」

「そうよ」

でも、なんでだろう。

ミミちゃんは、未練がましく一度だけ此方を見ると。大股で、歩いて帰っていった。

小さく息を吐くと。

集中。

此処からは、一気に調合を済ませてしまう。

手数が足りないけれど、気分的には楽になっている。それに今日は少し遠出もして、珍しい素材だって手に入った。

新しい薬も、作れるかもしれない。

少しずつ。

肩に掛かる負担が、小さくなってきているのがわかった。

 

メルヴィアが酒場に入る。

ゲラルドが、顎をしゃくった。奧のテーブルには、フードを被った数名の人影が、もう集まっていた。

一人は、魔術師。

アーランドから派遣されてきた、ランク4の冒険者だ。

残りは全員がホムンクルス。

護衛である。

ツェツェイももう来ている。

椅子を持ってきて、テーブルに混じる。ゲラルドが、酒を運んできたけれど。メルヴィアは手を振って拒否。

今は、そんな気分じゃない。

「遅れたわけを説明して貰いましょうか」

「まずはこの地図をご覧ください」

氷点を下回っているメルヴィアの声にも、ホムンクルス達はまるで動じない。淡々と、地図を広げる。

アーランド国境からアランヤ近くまでに、点々と×印が付けられていた。

その×印を縫うようにして、南に何本かの線も走っている。

「これは?」

「この国に逃げ込んできているリス族の流れです。 現時点で、逃げ込んできている人数は、およそ五千五百に達します」

「そんなに……」

ツェツェイが眉をひそめた。

彼女だって、リス族の悲惨な状況は知っているのだ。

「彼らの大きな集落の幾つかは、避難民の救助を実施。 この×印の箇所に、特に多くの負傷者が集中しています。 ロロナ様は、これらの場所に担当の医療魔術師を派遣。 更に、自身とアーランドの工場で製造している回復薬の輸送を開始しています」

「それで遅れたと」

「そうです。 末端部分だけを優先していては意味がありませんから。 事実、既に×印の地点では、医療活動が本格的に開始しています。 後は、少し遅れて、クーデリア様が来るはずです」

何故、冒険者の元締めが来るのか。

メルヴィアとツェツェイは互いを見合わせたが。

考えてみれば、トトリが巻き込まれている胸くその悪い国家プロジェクトから考えれば、当然か。

今回のリス族の件も、トトリが接触を成功させた事で、事態の把握が早くなった。

だから最後に、締めとして。

クーデリアが、トトリに見本を見せながら、リス族と交渉する、というわけだ。

「で、来てすぐに医療活動を開始しないの?」

「トトリ様を引っ張り出しますか?」

「……っ」

確かに、今この村で、リス族に対する問題を任されているというか押しつけられているのはトトリだ。

少しは精神的には安定したようだけれど。

それでも、不安定な状況で頑張っていることに代わりは無い。

いきなり、アトリエから引っ張り出すのは酷だろう。

「わかったわ。 ただ、あんた達はどうするの」

「我々は、そもそも冒険者として動いているホムンクルスです。 支援部隊は後から来ますので、それに引き継ぎ後、アーランドに戻ります」

「あ、そう」

「そのようににらまれても困ります」

おろおろしているのは、ランク4という魔術師だ。

どうやら、まだかなり年も若いらしい。多分医療技術者として各地を廻って、冒険者ランクを上げてきた魔術師なのだろう。

如何にアーランド人といっても、ガチガチの後方支援タイプも中にはいる。

フードの奥に見える姿は、気弱そうな女の子だ。年もトトリより二三歳しか上では無いだろう。

気の毒に思ったのだろう。

ツェツェイが、助け船を出した。

「明日からは忙しくなるし、休んでいてくれるかしら」

こくこくと頷くと、魔術師は宿の方に向かう。

護衛を兼ねているらしいホムンクルスは、後についていった。

胸くそが悪い。

メルヴィアが吐き捨てる。

ツェツェイは、大きく嘆息した。

「メル、あまり大きな声で不平を言わないの」

「わかってるわよ。 でもね、あの純朴なトトリが、こんな事に利用されて、化け物どもの手のひらの上で転がされていて、あんたは平気なの!? ……いや、ごめん。 平気なわけないわ」

メルヴィアが謝ったのは。

ツェツェイの目に、自分をも凌ぐ地獄の炎のような怒りがわき上がるのが見えたからだ。

アーランド人だし、何よりメルヴィアもツェツェイも、数年前の大決戦には参加している。

あの時に、スピア連邦のおぞましいやり方については、目前で見た。

だから、この国家プロジェクトの意味も意義もわかる。

それでも、納得できない部分はあるのだ。

「しばらくはあたしがトトリに張り付くわ。 絶対に、あの子は死なせない」

「頼むわよ」

頷きあうと、メルヴィアは酒場を出て行った。

外は既に真っ暗。

明日、増援の魔術師が来たと言ったら、トトリはどんな風に喜ぶだろう。いや、あの子は鋭いから、或いは今日のメルヴィアを見て、既に気付いているかもしれない。

でも、賢いことは。

時に不幸にもつながる。

今日はもう寝よう。

自宅に向かいながら、メルヴィアは。もう一度、地面を蹴りつけていた。

 

4、好転

 

何となくは、気付いていた。

村に知らない人が来ている。

小さな村だし、それは何となく空気でわかるのだ。

ひょっとすると、ひょっとする。

そして、それは。

ようやく好転の兆しとなって、現れた。

朝アトリエを出ると。酒場で、知らない女の人に呼び止められた。

魔術師の格好をした女性だ。そばかすだらけの顔で、かなり度の強い眼鏡を掛けている。

「魔術師カテローゼです。 トトリさんですね」

「はい。 まさか、アーランドから、ですか」

「医療チームとして派遣されてきました。 彼女たちは助手です」

紹介されたのは、殆ど同じ顔をした女の子三名。

多分、アーランドでも見かけた、ホムンクルスという人達だろう。あれから少し調べて見たのだけれど。ホムンクルスというのは、どうやら錬金術で作った人間らしい。

ということは、この人達も。

世界は神秘に満ちていると、トトリは思った。

「時間が惜しいです。 すぐにでも、現地に向かいましょう」

「いま、お薬を取ってきます」

すぐにアトリエにとんぼ返り。

途中見かけたミミちゃんに声を掛ける。メルお姉ちゃんは、どうしてかいない。ちょっと困ったけれど。

近場だし、何より現役の魔術師と、護衛三人。

多分大丈夫だろう。

すぐに、村を出る。

その途中で、話した。

「すでにアーランドではリス族の流入に対して、手を打っています。 彼方此方のリス族コロニーに人材を派遣して、医療に当たっています」

「本当ですか!?」

「トトリさんが今回、繋ぎを付けてくれたのが大きかったと評価されています。 多分、すぐにランク2の冒険者になれますよ」

良かった。

ランクなんてどうでもいい。

でも、ランク2という言葉を聞いて、ミミちゃんが眉をひそめたのがわかった。ちょっと、それは悲しい。

森の北を通って。いつもの合流地点で。

合図をすると。

少し遅れて、リス族の通訳が来た。

どうしたのだろう。

少し、様子がおかしい。

「何かあったんですか」

「どうもおかしな連中が付近をうろついていてな。 斥候の戦士が、不審な影を何度か目撃している」

「えっ!」

ミミちゃんが、すぐに矛を構えた。

ホムンクルスの助手達も同じく。

ただ、どうみても、ホムンクルスの無表情な戦士達の方が、ミミちゃんより数段強い。

多分。大丈夫だとは思うけれど。

トトリも、念のために、クラフトを荷車から取り出して、腰にくくりつけた。いざというときに、すぐに使えるようにするためだ。

「その方は」

「アーランドから来てくれた魔術師です」

「おお、ようやくか。 どうやら他の集落でも医療チームが来てくれたという話が朝方来ていてな。 ここも来てくれるかと、期待していたのだ」

なるほど。

そうなると、アーランドは多分、調査の末に支援をした方が良いと判断してくれたのだろう。

良かったと、胸をなで下ろす。

すぐに集落に向かうけれど。ミミちゃんは、ずっと後方を警戒していた。

さっきの言葉が気になるのだろう。

岩山を行く。

体力があまり無さそうなカテローゼさんだけれど。トトリよりはましなようで、ひょいひょいと岩山を行く。

ホムンクルス達は荷車を押すのを手伝ってくれていたけれど。

途中から面倒くさいと思ったのか。二人で前後を掴んで、ひょいと持ち上げて、そのまま運び始める。

見かけとは違う、凄い腕力だ。

凄いなあと、素直に感心してしまう。

岩に隠れながら、山を進む。先導してくれている通訳が、言う。

「いつもと少し違うルートで行きます」

普段よりも、更に険しいルートで行くけれど。

ホムンクルス達が荷車を抱えてくれている事が幸いして、それほど大変では無かった。むしろ、平気そうにしているミミちゃんが心配になってくる。

トトリも、あまり体力的には余裕は無いけれど。

どうしてか、最近体力がついてきているような気がする。

少しなら、平気だ。

連日の過酷な調合で、少しは鍛えられているのかもしれない。

岩陰を通って行くと。

遠くで、ドゴンと凄い音がした。

思わず首をすくめてしまう。

リス族の戦士達も、じっと其方を見ていたけれど。通訳が咳払いした。

「急ぎましょう」

岩山の影を通りながら、洞窟の前に。

いつもと違う入り口だ。

更に狭くて、更に周囲からは見づらい。その上、中が急勾配になっている。これは発見されても、ここから入るのは厳しいし、攻めこむのは更に難しいだろう。中から容易に迎撃できる。

中に入ってみると、この辺りはヒカリゴケによる照明さえない。

勾配もきつくて。

しかも、見張りのリス族戦士は、常に武装して、下に目を光らせていた。屈強な戦士で、腕の筋肉が特に凄い。

あれは岩くらい、簡単に投擲できるだろう。

「ごめんなさい、通ります」

「laskdhfaiglkxajfdofhophdg」

「恩人、けが人達を頼むと言っています」

「あ、はいっ!」

思わず、頭を下げてしまう。

リス族の言葉はかなり聞き取りづらいけれど。通訳の人は、どうやって此方の言葉を習得したのだろう。

気になって岩を這い上がりながら聞いてみると。

手を伸ばして、引っ張り上げながら。通訳のリス族の人は言う。

「発音自体は、あまりあなた方の言葉と変わらないのです。 ただ此方の方が、あなた方が使うのとは違う音域の言葉を用いているだけでしてね。 ようするに、言葉の音域をあわせていけば、どうにかなる感じです」

「へえ! すごいですね!」

「ありがとう。 最も私は、スピアで見世物にされていたところを、戦争のグダグダで逃げ出して、ここまで来たのですが。 似たような経緯で喋れるようになった同胞は、それなりの数がいます」

思わず口をつぐむトトリだけれど。

通訳の人は、気にするなと言ってくれた。

そういえば、しゃべり方が変わってきている。トトリに敬意を払ってくれているのだろうか。心を許してくれたのだとすれば、嬉しい。

複雑に入り組んだ洞窟内。

今になって気付くけれど、色々と手が入れられていて、生活がしやすくなっている形跡がある。

入ってしばらくすると、ヒカリゴケの照明もつき始めた。

溝が掘られていて、排水が流れている。リネン類を処理する部屋から流れてきているらしく、血の臭いもしていた。

奧に到着。

けが人がぐっと増えている。かなりの人数が寝かされていて、忙しそうに治療を行われていた。

うんうんと唸っているけが人は、皆苦しそうだ。

カテローゼさんが、腕まくり。

マスクを付けて、医療帽を被り、事前に準備されていた煮沸消毒された水で、手を洗う。

状況にまるで物怖じしていない。この辺りは、本職らしい。とても頼もしい。

「状況把握。 すぐに治療に取りかかります。 後は任せてください。 443、671、679。 手伝って」

「直ちに」

さっとホムンクルス達が散る。番号は、きっと彼女たちの名前だろう。

通訳を通じて、状況を把握。すぐにカテローゼさんが、けが人に、回復の術式を使い始めた。

止血。化膿の回復。傷口の縫合。

手際よく進めていく。

何しろ、国境から距離がある。状態が悪くなっているけが人も珍しくない。でも、流石本職の魔術師。回復魔術の威力が違う。血止めは瞬時に傷を塞いでいくし、縫合は魔術の糸を用いて、痛みなくやっていく。

「消毒します。 抑えて」

すぐにリス族の人達が、けが人に群がる。

カテローゼさんの魔術が、傷口に光を灯すと。腐敗した傷口が、ジュッと音を立てた。けが人が悲鳴を上げて身じろぐが、リス族の人達が押さえ込む。

トトリが作ってきたヒーリングサルブを傷口に手際よく塗り込むと、包帯を巻いて処置終了。

脂汗を掻いていたけが人が、見る間に楽になっていく様子が、よく分かった。

リス族の魔術師が、感嘆の声を上げる。

流石にわざわざ此処まで派遣されてきた本職だ。凄いとしか言いようが無い。

トトリが荷車から各種薬品を出すと、すぐにリス族達が持っていった。

通訳の人が、側につきながら、声を興奮に上擦らせている。

「素晴らしい腕ですね。 これなら治療の効率が三倍、いや四倍にもなります! 助からなかったけが人も、助かるようになる!」

「有り難う。 後、包帯を四セット。 煮沸消毒したメスを準備してください」

「直ちに!」

カテローゼさんは、完全に仕事をしている人間の顔になっていた。流石の切り替えの速さだ。本職のすごみを見て、トトリは感心するばかり。

ミミちゃんに、腕を引かれた。

「もう出来る事は無いわ。 帰るわよ」

リス族の戦士が一人、頷く。

案内してくれるというのだろう。帰り道の護衛もしてくれるらしい。

帰り道、トトリはどうしてだろう。

涙を拭っていた。

「良かった。 これで、報われるね」

「これからまだしばらくは忙しいのじゃないかしら」

「うん。 でも、怪我をした人達が、ずっとたくさん助かるんだったら、何でもないよ」

ミミが、口をつぐむ。

そして、もう一度。

帰るわよと言った。

 

アランヤ村に到着すると、意外な人が来ていた。

なんと、クーデリアさんである。

十名ほどのホムンクルスを連れている。

ミミちゃんは無言で、じゃあ私はこれでと言うと、その場から離れていく。挨拶くらい、して行けば良いのに。

複雑な気持ちを抱く相手なのだろう。

手を振って、ミミちゃんを見送る。

急ぎ足で行くミミちゃん。

クーデリアさんは咳払いすると、本題に入った。

「今回の件は大変だったわね」

「はい。 すごく腕がいい人を派遣してくれて、本当に有り難うございます! 本当に一時はどうなるかと思っていました」

「リス族の件は私達も把握はしていたのだけれど、細かい状況が掴めていなくてね。 貴方が渡りを付けてくれて、ようやく調査が本格的に進められたのよ」

一緒に、家に行く。

途中で、今回の経緯を全て説明する。どんな風に仕事をしたかも。ただ、メルお姉ちゃんにでも聞いていたのか。クーデリアさんは、殆ど全て知っているようだった。

冒険者ギルドのお偉いさんだ。周囲でも、知っている人はいるらしくて、クーデリアさんをみて、驚いている。

ダイニングにクーデリアさんを通すと。

いきなり渡されたのは、金貨の袋である。

ずっしり重い。

「こ、これは?」

「今回の報酬。 ヒーリングサルブざっと300セット、冒険者の雇用費用、それに連日の労働賃金に、何よりリス族との致命的な衝突を避けた報奨金」

「……」

田舎者だ。

こんなお金は、見たことが無い。

固まってしまう。

「勿論、メルヴィアとミミへは、この中から賃金を払いなさい。 それと、これから使うお金の前払い金」

「これから、ですか」

「パメラの所で薬の量産を頼んだでしょう? あいつとは私も知り合いよ。 あたしの方から、500セット生産するように頼んでおいたから。 貴方が、薬ができあがり次第、リス族の所に輸送してちょうだい」

「わかりました」

そうなると、これだけあっても足りるかはちょっとわからない。

ただはっきりしているのは。

このお金は、無駄にはしていけない、という事だ。

お姉ちゃんが、紅茶を出してくれる。

「リス族とは、今アーランドで交渉をしている所よ。 まあ、おそらくこじれることもなく決まるとは思うけれど」

「交渉、ですか」

「まず第一に、リス族は亜人種として、アーランドでの立ち位置が今まで微妙だったのを、元々の彼らの居住区を中心に、生活圏を此方で認める。 要するに人間として、これから扱うと言う事よ。 その分、国に税金も納めて貰うけれど、だいたいは労働報酬になるかしらね」

クーデリアさんがいうには。

アーランドで植林した森の管理や、地域の巡回。モンスターの駆除や管理、遭難した人間の保護。リス族居住圏近くの街道を通る人間の影からの護衛、発見した遺跡などの報告などが、彼らの税金代わりの義務となるという。

当然、リス族への攻撃、諍いの禁止も、冒険者達に通達するという。

また、優れたリス族戦士は、冒険者と一緒に、一線級で戦って貰うとも。希望者には、冒険者の免許も出すと言う事だ。

トトリが聞く限り、悪くない条件だと思う。

今回、アーランドに流入したリス族は、ざっと六千。元から一万五千ほどがアーランド各地の山の奥などに生活していたらしく、彼らを味方に付けられるのは、アーランドとしてもとても大きいという。

勿論、アーランド戦士とリス族の戦士を戦力という点でイコールには出来ないだろうけれど。

それでも、手が足りていないことくらいは、トトリだって知っている。

森の巡回などでの手間を、リス族に任せられるなら。

アーランド戦士の負担は、ぐっと減る。

ホムンクルスが一人来て、クーデリアさんに耳打ち。舌打ちすると、クーデリアさんは立ち上がった。

「次の任務が決まったら、酒場の方に通達するから。 それまでは、リス族に薬の輸送を続けなさい。 これが一段落したら、貴方はランク2冒険者に昇格よ」

ランク2に昇格というのは、正直あまり実感が無いし、嬉しいとも思わない。

ただ、冒険者が昇格すると、貰える権限も増えるというのは知っている。だから、其処だけは素直に嬉しい。

権限が増えれば、出来る事も増えると言う事だ。

クーデリアさんが帰るのを見送ると、アトリエに入る。

素材は集めてある。

それに、あのカテローゼさんの手際。

肩に掛かっていた圧が、ぐっと軽くなったのがわかる。お薬を作る事だけなら、トトリにも出来る。

頬を叩いて、気合いを入れる。

それに護衛料もこれだけ貰えれば余裕をもって払えるだろう。

やるぞ。

そう、自分に言い聞かせた。

 

5、影の饗宴

 

アーランド国境。丘の上から見下ろす。

夜陰に紛れて、アーランドに逃げ込んでいくリス族。かなり減ってきているが、それでもまだまだ目立つ。

既に、アーランド側も本腰を入れ始めたと。

上級指揮用ホムンクルス、サンドラ12は聞かされていた。

既に、スピア連邦には、人間の指揮官はいない。

軍隊は既に人間の手から、モンスター主体に移り変わり。権力を持っていた人間は、ホムンクルス達の主が皆粛正してしまった。

スピアの各都市の人間達は、自分たちが何をさせられているかさえよく分かっていないものも多い。

彼らは家畜になりつつある。

かといって、ホムンクルスが優遇されているわけでもない。

基本的には、使い捨てだ。

サンドラ12は、直接聞かされたことは無いけれど。ホムンクルスの中にも、主君である1なる5人に対する不満を持つ者は珍しくないと知っている。事実、アーランドに寝返ったホムンクルスも、いると言う事だ。

圧倒的な物量による蹂躙。

スピア連邦が、大陸北部を制圧しつつある要因。

だが、それも、実態が末端には伝わらない。そればかりか、サンドラ12のような、師団長クラスの立場の存在にもよく分からないのだ。

サンドラ12は、珍しい人間型のホムンクルス。背丈も、人間の成人男性とあまり変わりが無い。

ただし性別はない。

必要ないから、作られなかったのだ。

見た目は、鎧を着込んだ、古い時代の騎士のよう。しかしその中身は、性別もなく。主君に命じられたまま、部下を使い捨てにするだけの「指揮官」。

自分とは何なのだろう。

時々、悲しみを覚える。

今だって、リス族がアーランドに逃げ込んでいくのを見守っているだけ。彼らの居住していた山を無意味に焼き払ったのは、他の部隊だが。何のためにそんな事をしたのかは、サンドラ12にはわからないし。

下手をすると、作戦を指揮したホムンクルスにさえ理解できないだろう。

一体世界は、どうなろうとしているのだろう。

1なる5人は、この世界をどうしようとしているのか。

「司令官」

振り返ると、伝令だ。

蜥蜴が直立したような姿をした部下。ホムンクルスだが、素体はリザードマンと呼ばれる亜人種である。

「どうした」

「アーランドから脱出してきた味方諜報員が、司令官にお話しがあると」

「すぐに行く」

サンドラ12は、アーランド国境を任されている四人の指揮官の一人。とはいっても、此処一年で六回交代人事があった。交代と言っても、欠員補充。アーランド戦士に殺されたのである。

サンドラ12は武勇を発揮して生きているのでは無い。

単に運が良いだけだ。

だから、いつまで自分が生きていられるかはわからないと思っているし。仕事にも無常観を覚えている。

丘から降りて、影に作られている監視施設に。

洞窟に模しているが、内部はそこそこに整備された、きちんとした建物だ。

此処も、アーランド戦士に発見されたら、いつ潰されることか。

近くに駐屯している主力が間に合うとは、とても思えない。

その時には死ぬだけだと、サンドラ12は、ドライに自分の命について、考えていた。

階段を下りていく。

地下三階の廊下の奥。比較的広い部屋に。薄明かりに照らされて、諜報員が寝かされていた。

全身ズタズタに傷ついていた。まだ傷口からは、血が流れ落ちている。

潜入用のホムンクルスは、機能重視のモンスター型と、人間に近いタイプかで両極端になる。

中には、各地で捕まえた人間の捕虜や、奴隷として売買されていた人間を、そのままホムンクルスにしている例さえあるという。

それが好ましい事なのかはサンドラ12にはわからない。

「何か重要な情報を持ち帰ったのか」

「はい。 アーランドでは、逃げ込んでいるリス族との同盟締結に向けて動いている様子でして……」

「そうか。 ご苦労であったな」

「……」

治療を受けさせてやろうかと思ったが。

このホムンクルスは、使い捨てに分類されるD型だ。主君が知ったら、何をされるかわからない。

逆らわないこと。

それだけが、今のスピアで生きていくための手段なのだ。

悩んだ末に。サンドラ12は、自分で回復術を掛ける。医療設備を使ったら、それこそ何をされるかわからないからだ。

大した事はしてやれない。

この傷では、助からない。

だが、苦痛を和らげる事は出来た。

諜報員は、間もなく。

楽になった様子で、絶息した。

数限りなく、死を見てきたけれど。いつ見ても、悲しみが消えることは無い。

「葬ってやれ」

「はい……」

部下が、死体を運び出していく。

サンドラ12はしばし悩んだ末、今の報告は握り潰すことにした。此奴には気の毒だが、どうせ1なる5人に通達しても無駄だ。

それよりも、痛々しい様子で逃げ込んでいくリス族が、殺されずに済んでいるとわかって、ほっとする。

一体自分は、何をしているのだろう。

自問自答に、応えはない。

何故、こんな世界に、生を受けてしまったのか。

外に出て、星を見ていると。

部下の一人が来た。

「どうした、定時報告には早いぞ」

「先ほどは、有り難うございました。 彼奴は、私の弟分でした。 せめて楽に死なせてやれたのは、嬉しいです」

部下を見る。

そいつはまるで百足のような姿をしていて。とても人間型と兄弟分だったとは思えない。

でも、中身には、人間の要素が等しく使われている。

それならば、無理も無い事なのだろうか。

「このような話をしているとばれたら、何をされるかわからない。 早めに任務に戻るように」

「はい。 ……貴方のためであれば、死ねます」

無言で、部下を見送る。

嗚呼。

無力であることが、どうしてこうも口惜しいのか。

主達は何を考えているかわからない。どうしてこうも世界に殺戮をまき散らすのか。世界を平定した後だって、殺戮が止むとは思えない。

別の地方から来た部下に、聞いたことがある。

降伏を受け入れた都市を丸ごと皆殺しにしたと。

最初に抵抗したのが理由だと言うが、いくら何でも異常すぎる。主達は、この世界から、命を消し去るつもりなのだろうか。

いっそのこと、アーランドに。

しかし、そうなると、部下達は皆殺しにされるだろう。

そんな事は出来ない。

先ほどのように。こんな到らない自分でも、慕ってくれる部下はいるのだ。

もしも、やるとすれば。

アーランドの方を見やる。

正直な話。

もはや主君にはついて行けない。

やるなら。

徹底的にやる必要があるだろう。

この時、サンドラ12は。

主君へ反旗を翻す事を、決めていた。

 

(続)