冒険者というもの

 

序、馬車の旅

 

馬車が出発する当日。

お姉ちゃんは見送りに来てくれた。村の人で、他に来てくれたのは、メルお姉ちゃんくらい。

ジーノ君の両親も来ていたけれど、二人ともトトリには良い表情をしなかった。

お姉ちゃんに、アーランドに行ったら、するべき事について、紙を渡される。

ジーノ君とははぐれないように、まずは王宮に行くこと。

王宮への行き方は、ペーターお兄ちゃんが知っている。

ペーターお兄ちゃんを見ると、少しだけ前より表情が柔らかい。あの手袋も、きちんとしていた。

馬車の後部には、荷台があって、かなりの荷物が詰め込まれている。

近隣の村との交易資材だ。

主にお塩とお魚。お魚は生じゃなくて、内臓を取った後干して、長期間保存が利くようにしてある。

ただ、殆どのお魚は痩せたコヤシイワシで。お塩も、国から税金がかかる。

どちらもあまり良い収入にはならないと、トトリは聞いている。

お塩に関しては、もっと大規模な産地があるし、質も其方が上。

お魚に関しても、もう少し南に行ったところで、大規模に漁をしている街がある。まだ新しい街だけれど。

別にアーランドの人は、お魚には困っていないのだ。

手を振るお姉ちゃんに振り返す。

馬車は、黙々とでる。

「ペーター、トトリちゃんをお願いね!」

お姉ちゃんが、ペーターお兄ちゃんに叫んでいる。

ペーターお兄ちゃんは、軽く手を挙げて、それにこたえていた。前だったら、きっと無視していただろう。

ほんの少しずつからでも、良い。

解けるべき誤解と。打ち砕くべきトラウマが、無くなるのは良いことだ。

馬車の中は広くて、席も十人分くらいはある。

ジーノ君と向かい合って座ると。

しばし、他愛ない話をした。

「最初に停まるのは、次の村だっけ」

「ああ、交易をするらしいし、お客も乗ってくるかもしれないってよ」

「楽しみだね」

「そっかなあ。 あ、でも武芸の師範がいるかも知れない。 剣術を見てもらいたいなあ」

ジーノ君は、武術の進歩に熱心だ。

村の師範にも言われているのだけれど、武術の修行をするつもりなら、色々な師匠を作って、真剣に学べと言われているそうだ。

これは武術には色々な考え方があるから、らしい。

その中で自分を磨いて、実践で鍛え抜いていけば、いつか大成できるというのが、アランヤ村の師範の考え方だ。

しばらくすると、話す事も無くなったし。

何より椅子が柔らかくて、眠くもなってくる。

不意に、ペーターお兄ちゃんが声を掛けてきたのは、その時だった。

「窓から外を見てみろ」

「うん」

言われたまま、落とし窓を挙げて、外を見る。

海岸線から、雄大な海が拡がっていた。

トトリの家から見るよりも、ずっと凄い。なだらかに、三日月状に拡がっている海岸の向こうは、もう何処までも水平線だ。

飛んでいるのは、何だろう。

港だからかなりの数のかもめがアランヤでも見られたけれど。

カモメに混じって、かなり大きいのが飛んでいる。

あれは、この馬車くらいはありそうだ。

「すげーな! あのデカイの、何だ」

「アードラの一種だ。 海の方にいて、時々海岸線で遭遇する」

「戦ったことあるのか?」

「まあな」

すげーすげーと、ジーノ君は大はしゃぎ。

見ていると、トトリまで嬉しくなってくる。

そのまま、しばらく馬車は進んで。また飽きてしまったらしいジーノ君は、何度も眠ったり、起き出したり。

トトリは窓の外を見る楽しみが出来たので、退屈せずに済んでいた。

「なあ、次の村、いつ着くんだよ」

「このまま行くと、夜くらいだな」

「大丈夫なのか、それ」

「この辺りは、でてもぷにぷにだ。 黒くらいだったら、腕が落ちた俺でもどうにでもなる」

ただ、その場合は馬が食べられてしまうかもしれないと言う。

だから、出来るだけ急いでいくのだ。

ただし車を引いているのは、体は大きくても速くは走れない農耕馬。走って逃げ切るのは無理だから、戦わなければならないという。

「その場合は、お前達も戦って貰うぞ」

「おっしゃ! 腕が鳴るぜ!」

「私はちょっと怖いかな……」

トトリが素直に言うと、ジーノ君は口をとがらせる。

そんなんだから強くなれないとか、もっと冒険心を持つべきだとか。

ジーノ君はそれで良いと思う。

実際、これだけ冒険心の塊みたいなジーノ君なのだ。彼方此方でいろんな技を覚えて、冒険者としては超一流まで行けるかもしれない。

師範はあまり多くは語らないけれど。

ジーノ君に期待しているのは、トトリから見ても明らかだったのだ。

星が見え始めてきた頃。

ようやく、次の村が見えた。

何カ所かにキャンプスペースはあったのだけれど、今日は全て素通り。馬車が村の門から入ると、大きな音を立てて、木の扉が閉まった。

降りるように言われたので、そうする。

馬車の後ろ戸を開けて、荷物を取り出す。

木箱を運び出すのを、手伝うように、ペーターお兄ちゃんに言われた。

「交渉は俺がする」

「うん。 これは、こっちでいいのかな」

「ああ」

干した魚がたくさん入った木箱を運び出す。

言われたまま、四つほど積むと。

それほど難しい交渉でもなかったのだろう。もう、商売は、成立したようだった。

金貨をある程度受け取っているペーターお兄ちゃんは、村でヘタレと言われているのとは、とても思えない。

口を横に結んで、とても厳しい顔。

考えてみれば、村の大事な交易品を任されているのだ。

普段からペーターお兄ちゃんを悪く言っている人もいるけれど。それは嫉妬から来るもの。村では、かなり高く評価しているのが、一目で分かるのだった。

「ねえ、ペーターお兄ちゃん」

「何だ」

馬車を入り口近くに停めると、馬を厩舎に。

宿に向かいながら、聞いてみる。

「もしももっと良い品が村で作れるようになったら、少しはみんな見直してくれますか?」

「さあ、どうだろうな」

「……」

トトリは錬金術師だ。

冒険者の仕事については、道ながら、ペーターお兄ちゃんに尋ねた。荒事だけではなく、錬金術師が出来るような仕事も、それには含まれているという。

それならば、或いは。

ただ、トトリは戦闘面で極めて非力という弱点がある。

強力な冒険者の同行を頼むにしても、お金が必須だ。

何とかして、錬金術の腕を上げながら。お母さんを探す手がかりを見つけるには、かなり苦労するだろう。

でも、今から尻込みしていては何も始まらない。

宿は二部屋。

トトリと、他二人。

最初は寂しいかなと思ったけれど。確かトトリの年頃くらいから、男女は別々の部屋で宿を取るのが当たり前だとも聞いている。

ましてや、アーランドでは14歳から大人と見なされる。

13歳のトトリは、非常に微妙なラインにいる。

夕食は、ペーターお兄ちゃんが提供してくれた、携帯糧食。なんでも数年前にロロナ先生が発明したらしいものだ。

ゼッテルに包まれていて、食べるときに破く。

魔法陣がゼッテルの内側に書かれているのを確認。多分保存のためだろう。

口に入れてみると、しっとりしていて、とても美味しい。凄く力が湧いてくるのがわかる。

昔は缶詰が主流だったらしいのだけれど。

なるほど、これが取って代わるのもわかる。

小さい上に軽く、何より美味しいのだ。その上食べると、凄く力も湧いてくる。これならば、みんな此方を選ぶだろう。

すっきり眠ることが出来た。

翌朝は、日の出の少し前から、馬車に乗って、一日移動。

夜になってからは、キャンプスペースに停まった。

周囲には、見張りらしい大人の戦士が何人か。みんなベテランで、トトリなんか片手で三十人くらいひねれそうな使い手ばかり。

安心は出来るのだけれど。

馬車の中で眠るようにと言われて、少し緊張した。

毛布を被って、馬車の中で眠る。

魔術の心得がある人は、生体魔力を振動させて、虫が寄ってくるのを防ぐことが出来るらしいのだけれど。

トトリには出来ない。

だから、秘密兵器を使う。

中和剤をカンテラに入れるのだ。

こうすることで、ため込んで置いた魔力を振動させて、小さな虫は追い払う事が出来る。

ロロナ先生に教えて貰った裏技である。

それで、その日はよく眠れた。

でも、問題は、その日以降だった。

 

三日目。

既に海は見えなくなっている。

馬車でアーランドまで二週間。思った以上に離れているけれど。アーランド戦士が単独で走れば、その三分の一で充分だという話も聞いて、羨ましいなあと思った。

だけれど。

そんな事を思っていられるのも、そう長くは無かった。

四日目。

区間内で、お客さんが乗ってきた。上品そうな老夫婦で、隣の村まで行くと言うことだった。

トトリもジーノ君もお菓子を貰って嬉しかったけれど。

でも、無邪気に喜ぶには、疲れが溜まってきていた。優しい老父婦が村で降りると、げんなりとした顔を、ジーノ君と見合わせる。

「飽きてきた」

そのものずばり、ジーノ君が言う。

トトリも同感だけれど。

問題は、そこでは無いことが、わかっていた。

「アーランドに着く頃には、へとへとだね」

二人して、黙り込む。

その上、帰り道もある。

ほぼ、一月は、この馬車に乗らなければならない。

これを年がら年中続けているペーターお兄ちゃんは、普通に凄いのでは無いかと、トトリは思ってしまう。

事実、今のトトリには、真似は出来ない。

「俺、優しくして貰うよりも、剣の稽古付けて欲しいんだよな」

「もう、そんな事言っちゃ駄目だよ」

「わーってる。 俺も今は背が低いし子供だけど、来年はもう大人扱いだもんな」

ジーノ君が愚痴を言い始めたので、適当にあわせる。

実際問題、ジーノ君の危惧もわかるのだ。

トトリと背丈もあまり変わらないジーノ君は、小柄という、戦士としては不利な条件で頑張ろうとしている。

戦士はどうしても、長身の方が有利なのだ。

二人の疲れが溜まってきているからか。

御者をしているペーターお兄ちゃんが、少し強めに言ってくる。

「二人とも寝ておけ。 体が保たなくなるぞ」

「ふあい……」

だけれども。

トトリは思い知ることになる。

一週間もした頃には、寝ても寝ても疲れが取れなくなりはじめていた。多分、単調な馬車での移動が、思った以上に体を痛めつけているのだと、わかる。

村によって、馬車から降りるときが、とても嬉しく思えるほどだ。

荷物を降ろすのさえ嬉しい。

まだ、アーランドには着かないのだろうか。

早く着いて欲しい。

宿に入ると、ほっとする。

手持ちのお金がどんどん不安になって行くけれど。

これも、二回目以降の往復では、自分で稼いでおかなければならないのだと思うと、不安もふくれあがる。

何より、この疲労。

元々戦闘には長けていないトトリだと、自認はしているけれど。

これでは、移動するだけで、力尽きてしまう。

そして、12日目が過ぎた。

キャンプスペースで休む事になったのだけれど。トトリは馬車を降りると、すぐに外の物陰に飛び込む。

限界が来たのだ。

戻してしまう。

お昼ご飯が台無しだ。

流石に慌てた様子で、ジーノ君が来る。

「お、おい、大丈夫か!?」

声にならない。

ペーターお兄ちゃんが、水を汲んできてくれた。背中をジーノ君がさすってくれる。ペーターお兄ちゃんが、器に水を入れて、口元に。しばらく口をゆすぐけれど、また吐き気が来て、盛大に戻してしまう。

「ど、どうすんだよ」

「しばらく休んでろ。 わかってると思うが、特別扱いはしない。 明日もいつも通り出発する」

抗議するようにジーノ君がペーターお兄ちゃんを見るけれど。

私が制止した。

大人と同じように扱われるのは、トトリも知っている事なのだ。それでいて、特別扱いしろなんて言うのは、甘えに過ぎない。

胃の中のものを全部戻してしまうと、大分すっきりした。

キャンプスペースの奥の方で、ぬれタオルを被って、静かにする。横になっていると、大分楽にはなるけれど。

あと二日。

本当に、大丈夫なのだろうか。

此処はアーランドの南。

このキャンプスペースを抜けると、もうアーランドまで休む場所はないそうだ。村もないという。

最後の宿泊をするのは、アーランドの砦。

当然眠るのも最小限のスペースである。

横になっていると、ジーノ君が来る。

「大丈夫か、トトリ」

「うん……。 ジーノ君は?」

「何とかな。 ペーター兄ちゃん、ぴんぴんしてやがる。 やっぱり昔は強かったんだよな」

少し前から、態度が柔らかくなっていることを、ジーノ君も悟っているようで。ヘタレとか呼ぶ事は無くなった。

見ると、ペーターお兄ちゃんは、立射の体勢のまま。

まだ、手先が少し震えるらしい。

無理もない。

トラウマは、簡単に回復できるものではないのだから。

「何だか、嫌な予感がするんだよな」

「危険があるって事?」

「アーランドの側にも、結構危険な遺跡があるんだろ? 途中の村で稽古付けて貰ったときに聞いたんだけど、邪神っておっかない化け物が住み着いてて、王様も含めた精鋭がやっつけたんだってよ」

それは、怖い。

そんなのに遭遇したら、ひとたまりもない。

「俺も、強い奴とは戦いたいけど、死にたいわけじゃ無いからなー」

ジーノ君が側で、ぶつぶつと文句を言うので、苦笑いも出来ない。

 

そして、ジーノ君の嫌な予感は。

適中した。

 

1、悪夢

 

不意に、馬車の速度が上がる。

疲れ果てていたトトリが、椅子に懐く。ジーノ君はと言うと、何かが起きたのだと理解したようで、すぐに剣に手を掛けていた。

「ペーター兄ちゃん!」

「静かにしてろ!」

いつもとは全く違う、非常に鋭い叱責。

馬が必死に走っているのがわかる。二頭とも、後ろからとんでも無い存在が追いかけているのに、気付いているのだろう。

窓から外を見て、ひっと小さく悲鳴を漏らしてしまう。

それは、巨大な獅子というか、虎というか。どちらも見たことが無いけれど、話に聞いている、とても大きな猫の仲間。

大きさがとんでも無い。馬車をそのまま、押さえ込んで潰してしまいそうなサイズだ。

しかも背中に翼が生えていて、もの凄い勢いで追ってきている。

街道だというのに、お構いなしだ。

速度がまるで違う。

追いつかれるまで、そう時間も掛からない。

トトリにさえ、それがわかった。

「いいか、タイミングを合わせて飛び降りろ。 彼奴は俺が食い止める」

「ペーター兄ちゃん!」

「もう少し走ればアーランド王都だ! すぐに助けを呼んでこい! そのくらいの時間なら、耐え抜いて見せる!」

馬達は、恐怖で息も絶え絶え。

いつ暴走し始めて、馬車がバラバラになっても不思議じゃない。

車輪が石を乱暴に踏みつけたらしく、馬車がぐわんと揺れた。頭を抱えてしまう。もうすぐなのに。

なんで、あんなとんでもないモンスターが、追ってくるのだろう。

「数えるぞ、1,2……」

ドアに手を掛けるジーノ君。

トトリもがったんがったん揺れる馬車の中で、必死に心を落ち着かせる。

飛び出す。

そして、走る。

後ろはペーターお兄ちゃんが守ってくれる。

お馬さん達は可哀想だけれど、あのモンスターの餌になるかも知れない。でも、助けている余裕なんて、ない。

「3!」

叫ぶと同時に、飛び出す。

馬が悲鳴を上げながら、横転。馬車も鋭いカーブを描きながら、停まる。ペーターお兄ちゃんは馬から飛び退くと、弓を空中で引き、速射。

矢が、凄まじい勢いで、モンスターの顔面を直撃。

だけれど、貫くには到らず。

膨大な魔力が籠もっているはずの矢が、弾かれていた。

更に連射。

数本の矢が、虎みたいなモンスターを打ち据える。でも、どうみても有効打になっていない。

しかもモンスターは、トトリを見る。

目と目があってしまった。

おしっこを漏らしそうな恐怖が、全身を駆け抜ける。ジーノ君が手を引いてくれなければ、その場で腰を抜かしていたかもしれない。

「立てッ!」

「うん!」

必死に勇気を振り絞る。

跳躍する巨大モンスター。

だけれど、ペーターお兄ちゃんが空に向けて放った数本の矢が、全て腹に直撃。吹っ飛ばされる。

でも、すぐに体勢を立て直す。

それも空中で、だ。

翼を広げて、着地。低い態勢から、どうやら邪魔者だと判断したペーターお兄ちゃんに、躍りかかる。

「今だ、行けっ!」

弓を持っていない方の手で、突進を受け止めるペーターお兄ちゃん。

一気にずり下がるけれど、それでも一瞬だけでも相手の動きを止めるのは、流石だ。トトリは、走る。

ジーノ君に、手を引かれて。

何度か振り返る。

あんなのには、いくら何でも勝てる訳がない。

横殴りの、前足の一撃。

かろうじて飛び退くペーターお兄ちゃんだけれど、相手の速度が上回る。即座にタックルに切り替える。

あの巨体なのに、とんでも無い身軽さだ。

ガードの上から、まともに食らって、吹っ飛ぶペーターお兄ちゃん。木に激突。木が、へし折れて、倒れる。

此方を見る、モンスター。

だけれど、顔面に矢が直撃。立ち上がったペーターお兄ちゃんは、頭から血を流しながらも、弓を手放していない。

嗚呼。

でも、あれは勝てない。

実力は、どうみても、モンスターの方が倍は上。鈍っているペーターお兄ちゃんが、勝てる相手じゃない。

誰か。

誰か助けて。

必死に叫ぼうとするけれど、出来ない。

恐怖で、喉があまり良く動いてくれない。

一目散に走るジーノ君に引っ張られて、アーランドに。城壁が見えてきた。まだ遠いけれど、あれなら。

でも、後どれだけ、もつのだろう。

引き返すわけにはいかない。

体を張ってくれたペーターお兄ちゃんの尽力を、無駄にする事になるからだ。でも、わかっている。

このまま行けば、ペーターお兄ちゃんは、死ぬ。

不意に、前に何か飛び出してくる。

人のような姿。

凄い風。

側を走り抜けたのだと、わかった。

そして、気がつくと。

モンスターが、袈裟に、一刀両断されていた。

膨大な血が噴き出す。

吐血したモンスターが、蹈鞴を踏んで数歩、下がる。

剣を振るって、血を落としたのは。

もの凄く怖い顔をした。長身の男性だった。

若々しいけれど、それでも年齢は三十を超えていると、トトリは見た。モンスターが必死に逃れようとするけれど、長身の男性は鞘に収まったままの剣を一振り。

青白い雷光が、モンスターの全身を打ち据え。

一瞬で、丸焼きにして行った。

「……!」

倒れ伏す、巨大な獅子。

断末魔さえ、上がらなかった。

呼吸を整えるトトリは。ようやく、どうしようもない恐怖に襲われていたと知って、腰が抜ける。

馬車は、戦いの余波でも無事。

馬は倒れていたけれど。手際よくペーターお兄ちゃんが手当をしている。地力で立ち上がる事も、出来るようだった。

「無事か」

「どうにか」

「見たことが無いモンスターだな」

あまりの手際に、トトリは呆然とするしかない。

きっとこの人、アーランドでも最高位にいる戦士の一人。ああ、今は冒険者、だったか。

すぐに人が集まってくる。

周辺警備をしていた冒険者らしい。トトリもすりむいていたのを、駆けつけてきた女性の冒険者、多分魔術師らしい人に回復して貰う。流石本職の回復魔術。すり切れていた場所も、指をねんざしていた左手も、すぐに良くなった。

何か、ペーターお兄ちゃんと、顔が怖い人が話している。

でも、此処までは聞こえなかった。

 

ロロナは、ため息をつく。

まさか、いきなりあれほど強力な刺客が出てくるとは思わなかったのだ。誰が差し向けたのかは、大体わかっている。

本当にもう。

口の中で文句を言いながら。

ロロナは今叩きふせた、スピア連邦の戦闘用ホムンクルスに杖を向けた。既にロロナが作り上げた生きている鎖で全身を縛り上げ、拘束済みである。

向こうでは、それぞれメルヴィアとツェツェイが、戦いに勝利していた。

一体だけ逃れた戦闘用ホムンクルスがいるけれど。それも、間もなく捕らえることが出来るだろう。

支援に付けられているホムンクルス達が追っているからだ。

「スピア連邦のエージェントですね」

「……」

イソギンチャクみたいな姿をしたエージェントは、無数の目を動かしながらも。何も言わない。

殺す気にはなれない。

知っているからだ。

体はモンスターでも、スピア連邦の錬金術師達は、人間の脳を移植することを全く躊躇わない。

このホムンクルスも、人間と同じように考えると。

味方のホムンクルス達が来る。

師匠が量産した、女の子の姿をした人に似て人では無い存在達。

最後の一体を捕らえたのだ。

花のような姿をしたホムンクルス。これで、先ほどから確認していた敵の勢力は壊滅した。

味方のホムンクルス達が、てきぱきと捉えた敵のエージェントを、荷車に積み始めた。

ばっさり袈裟に斬られている太った男性型のホムンクルスは、苦しそうにうんうんと唸っている。回復の術を掛けてあげようかと思ったけれど、止める。あれは同情を誘おうとしているだけだと、看破したからだ。

あの人間型二体が、影から護衛をしていた此方の戦力を押さえ込み。

大きな獅子のようなモンスターが、とどめを刺す。

支援用に花の姿をしたホムンクルスが最大限動く。

布陣としては悪くない。

しかも、疲れがピークになるアーランドの寸前を狙ってくるとは。高度な作戦行動を取れるという事である。

尋問は、専門の人間に任せた方が良いだろう。

今、闇の世界にいるとわかっていても。ロロナでは、手心を相手に加えてしまう。それでは本末転倒だ。

険しい顔のメルヴィアが来る。

太った男性型ホムンクルスを一撃で斬り倒したのは彼女だ。そのため、盛大に返り血を浴びていた。

「ロロナさん。 あんなのが何度も来たら、あたしらだけじゃトトリを守りきれないわよ」

「うん、わかってる。 トトリちゃんがアーランドに入ったら、手配はしておくから」

如何にスピア連邦が大国でも、今回はいくら何でも対応が早すぎる。

内部から情報がリークされなければ、こんな事態になる筈が無いのだ。犯人も分かりきっている。

勿論、目的はプロジェクトに対する嫌がらせ。

表向きは、トトリちゃんを鍛えるためと強弁できるのだから、タチが悪い。

立て直した馬車が、アーランドに移動を開始する。

どうやら獅子のようなモンスターは、ステルクが打ち倒したようだった。

とりあえず、胸をなで下ろす。

トトリを、アーランドに連れてくることは出来たからだ。

伝令のホムンクルスに、状況を説明。

後で報告書も書かなければならないだろう。

煩わしいけれど、これも必要なことなのだ。

影からの護衛は、これで一段落。勿論帰路もあるから、少しばかり大変だ。ロロナは後の処理をホムンクルス達に任せて、キャンプに戻る。

森の中には、小型の馬車と、移動式のコンテナがある。そして天幕。

天幕の中は、既にホムンクルス達が準備を追えていた。

錬金術の簡単な調合と、ロロナに任されているホムンクルス達二個小隊の指揮を執るためのスペースだ。

いうならば。プロジェクトの指揮車両。

トトリの面倒を見るだけでは無い。

今のロロナには、割り振られている仕事が、相応に多いのである。

幾つかの書類を書き上げてしまうと、ホムンクルス達に渡して、アーランド王都へと運ばせる。

少し考えてから、ロロナは手を叩いた。

「お呼びですか」

入ってきたのは、眼帯を付けている大柄な女性型ホムンクルス。小柄な少女型しか作らない師匠の作では無い。

スピア連邦に捨て駒にされたのを、スカウトしたホムンクルスである。

勿論、体を念入りに調査して、洗脳の類はあらゆる角度から解除してある。今では、ロロナの忠実な懐刀だ。

「アルフ44、お願いがあるんだけれど」

「なんなりと」

「くーちゃんに、これを届けてきて。 出来るだけ、他の人には見られないように」

「承知しました」

影のように消えるアルフ44。

さて、次の手は。

まだまだ、休むわけにはいかない。戦闘をこなしたばかりだけれど。ロロナは、精力的に、作業を続けていった。

 

2、冒険者に

 

馬車がアーランドに到着。

ぼろぼろになって。心身ともに疲れ果てていたけれど。それでも、どうにか到着することは出来た。

休んでいる暇など無いのが悲しい。

ジーノ君は、あれからずっと黙っていた。

馬車は、専用駐車場に。馬の医者に診せると、ペーターお兄ちゃんがお馬さん達をつれていく。多分馬車の修理も済ませてしまうのだろう。

幸い、馬車のダメージは小さい。

お馬さん達も、大した怪我はしていなかったようで、歩くのにも支障はなかった。回復の術式を掛ければ、すぐにでも復帰出来るだろう。

二人、門の側に、取り残された。

「行こうぜ」

「うん……」

お馬さん達を連れていく前に、ペーターお兄ちゃんが言っていた通りに歩く。

まずは門から、まっすぐ北に。

これは、影を見ながら歩けば良い。

大通りは、とても広い。

アランヤ村が幾つも入りそうな、巨大な都市なのだと、言われてはいたけれど。間近で見ると、その雄大さに圧倒される。

これでも、辺境国家の首都で。北にある列強の首都になってくると、更に巨大らしいのだけれど。

其方はあまり良い噂も聞かない。

戦争もしていると言うし、多分トトリが生きている内に見る事は出来ないだろう。

人が多くなってきた。

優れた戦士も、それこそ十把一絡げで歩いている。ジーノ君は目をきらきらさせて、彼らを見定めているようだった。

「くー! 修行を付けて欲しい人が一杯いるぜ! でも、あのさっきのおっさんが、一番良さそうだなあ」

「さっきのって、あの怖い顔の人?」

「そうそう、怖い顔のおっさん! 凄かったな!」

「そうだね。 大昔の騎士様みたい」

まだ、アーランドが蛮族の国と言われて。街の近くにある工場から、文明が運び出され、定着する前の話。

アーランドには伝説的な武勇を誇るたくさんの英雄達がいた。

ジーノ君はそんな英雄達のお話が大好きで。トトリも話につきあわされて、色々な英雄の伝説を聞く事になった。

あの怖い顔の人は。

きっと、そんな英雄達にも、引けを取らないだろう。

あの巨大な獅子の怪物を、圧倒的な武勇でねじ伏せたのである。

ひょっとすると、国家軍事力級と言われていた戦士の誰かかもしれない。可能性は低くないだろう。

大きな通りに出た。

職人通りとは、此処のことだろうか。

アランヤでは見た事も無いきらきらしたお店がたくさんある。全部見ていきたいくらいだけれど、そうも行かないだろう。

大勢の人達が行き交っている中、西に向かう。

王宮は、職人通りを西に行ったところにある目立つ建物だと、トトリも聞かされていた。

大小様々な、カラフルな建物の数々。

北に行くと、工場がたくさんあるらしいけれど。此処からは見えない。大きな煙突が見えているけれど、それだろうか。

何だかよく分からないけれど。

どちらにしても、トトリが想像も出来なかった世界が、此処には拡がっている。

ただ凄いとしかいえない。

さっき死にかけたこととか。途中で戻してしまって、疲労がとても溜まっている事なんて、忘れてしまうほど。

何もかもがまばゆくて。

目も開けていられないほどだった。

「私達、お上りさんそのものだね」

「いいんだよ、実際田舎者なんだから」

意外と冷静なジーノ君。

看板がある。

どうやら、冒険者免許の発行は此方と書いてあるらしい。というのも、人だかりがあって、見えないからだ。

どうにか到着したか。

見上げるような大きさの建物に、驚く。

これはアランヤ村が、中にまるまる入ってしまうのだろうか。いや、それほどでは流石にないけれど。

トトリの家なんて、何個だって中に入りそうだ。

石造りの建物で、多分二階建て以上はある。周囲にはいかにも強そうな戦士達が行き交っているけれど。

それに混じって、妙に幼い女の子達が、てきぱきと働いているのが見えた。

しかも、みんな明らかにとても強い。

中には、身の丈大の武器を手にしている子もいる。

背伸びして看板を見ていたジーノ君が、手を引く。

「受付は、こっちの入り口だってよ」

「うん。 急いで済ませちゃおう」

「おう。 後、この後は単独行動でいいか?」

「いいけど、どうしたの?」

ジーノ君が指さした先。

トトリにはよく見えない。目はジーノ君の方が、ずっと良い。

「新米冒険者に、稽古を付けてくれるベテランがいるって書いてあるんだよ。 あんな化け物に襲われた後だし、俺も強くなりたい。 だから、しばらくは此処で気合いを入れて修行していくつもりだよ」

「お金はどうするの?」

「冒険者の仕事はいくらでもあるらしいし、稼ぎながらどうにかするよ。 無理そうになったら帰るから、母さん達には伝えて置いてくれ」

「うん。 じゃあ、登録までだね」

受付という場所に向かう。

正面の大きな入り口では無くて。幾つかある入り口の一つらしい。見張りについているのは。やはりトトリと年もあまり変わらなそうな女の子だ。

「あの、受付は、此方ですか……?」

「はい。 ここから入って、中で手続きを済ませてください」

「お邪魔します……」

戸は開いているのに。

こんな大きな建物に入るのは、緊張する。石造りのアーチ状をくぐる。鉄製の扉は、解放されていた。

中は石造り特有の、ひんやりした空間。

アランヤにもある灯台の中も、こんな感じだ。向こうは木の家が主体だから、もっと中は暖かみがある。

見ると、石には剣などの傷跡や。

焦げた後なども散見された。

これはきっと、戦いの時代だった頃の名残だろう。今は、戦争は基本的に国の外でしているようだけれど。

アーランドは文明が入るまでは、内部で修羅同士が争う、魔界だったのだ。

彼方此方に看板。

お仕事についてのものらしい。

ゼッテルに書かれた仕事内容がたくさん張られている。ただし、どれも冒険者ランクの指定があった。

基本的に、高ランク冒険者になるほど、難しい仕事が許されるらしい。

それに従って、貰える給金も、うなぎ登りになるようだ。

「殆どはランク5くらいまでだな」

「難しいお仕事は、国が管理しているのかな」

「だろうな。 多分機密とかにも抵触するんだろ。 トトリ、見ろよ。 モンスターの駆除依頼とか、村での長期警備とか、色々あるぜ」

「冒険者制度が出来る前と、あまり変わらないみたいだね」

入り口で見張りをしていたような小柄で無表情な女の子が来て、ゼッテルを剥がして持っていく。

受付だという方向とは別だから、多分そちらでお仕事を受注するのだろう。

また、小さな女の子が来た。

大人の冒険者と見た目が露骨に違うけれど。他の冒険者達も、あの無表情で、顔も似ている女の子達を、どうこう思う事も無い様子だ。

ぼんやりしていても、始まらない。

天井は明かりがついていて、まだ昼間だっていうのに煌々と周囲を照らしている。

此処は何もかもが異世界だけれど。

それでも、まずはやる事をしなければならないのだ。

不意に、怒鳴り声が聞こえた。

「何だ、喧嘩か?」

「もう、ジーノ君ったら」

嬉しそうにするジーノ君の肘を小突く。

そういえば、受付の方から聞こえてきている。

怒鳴っているのは、トトリと同じくらいの年の女の子らしい。甲高い声は、怒りと屈辱に塗れているのがわかった。

部屋同士は、アーチ状のドアに寄って区切られている。

ドアは基本的に開放されているから、声は丸聞こえだ。

こわごわ覗いてみると。

其処では、今丁度。二人の女性が、言い争っているところだった。とは言っても、怒気を浮かべている一方に対して、もう片方は平然としていたが。

怒っているのは、赤いコートみたいな服を着込んだ女の子。年齢はトトリと同じくらい。背はトトリより更に低い。

黒い髪の毛をツインテールにしていて。手には大きな矛。

見た感じ、必死に背伸びしている子供、という感じだ。

一方、彼女の怒気を平然と受け流しているのは、受付の奧にいる女性。此方はクリーム色のコートを着ていて、背は更に低いけれど。

一目で分かる。

あの、獅子みたいなモンスターを倒したのと、同格の使い手だ。

彼女は冷たい目で、きゃんきゃんと噛みついてくる赤い服の子をいなし続けている。

「このわたくしが、冒険者ランク1から開始なんてありえないわ! 最低でも3からの開始にするべきなのよ!」

「規則は規則よ。 だいたい貴方の実力では、3どころか2も怪しいけれど」

「何ですって! これでもわたくしは、シュヴァルツラングの子女として、多くの師範に教えを受けてきているのよ! 完全な素人と一緒にして貰っては困るわ」

「あら、シュヴァルツラングのご令嬢でしたの。 で? 貴族なんてものが、ただの道楽者のお飾り称号だって事は、当然貴族の子女なら知っているでしょうに。 勿論特別扱いなんて出来ないわよ」

瞬間、赤い服の女の子が沸騰するのがわかった。

口げんかをしていた相手に、矛を向ける。

小さく悲鳴を漏らしてしまう。

トトリには、結果が見えているからだ。あれはもう、子ウサギが戦闘態勢に入ったドラゴンに真正面から向かっていくようなものだ。

勝ち目なんて、ある訳がない。

「今の言葉、許せないわ! 表に出なさい! 思い知らせてやるわ!」

「まあ良いわ。 フィリー! 此処は任せるわよ」

どうやら、完全に受付の人もやる気になったらしい。

大股で外に出て行く赤い服の子。

受付の人は、困惑しているトトリと、にこにこしているジーノ君を一瞥すると、外に出て行った。

「面白そうだな! 見ていこうぜ!」

「やめようよ、悪趣味だよ」

「どうせ時間はあるし、ホラ見ろよ」

受付を任されたらしい人は、トトリより少し年上に見えるけれど、何とも気弱そうで、頼りない女の人だった。

確かにあの人に受付をして貰うと、かなり時間も掛かりそう。

それだったら、さっきの人が戻るのを、待った方が良いかもしれない。

外で、騒ぎが大きくなってきている。

ジーノ君に引っ張られて外に出ると。

矛を構えた赤い服の女の子は、既に構えを取って、完全に戦闘態勢に入っていた。それに対して、クリーム色の髪の女性は。腕組みしたまま、平然と怒りを真正面から受け止めている。

「武器を取りなさい! 丸腰の相手と戦うつもりはないわ!」

「丸腰で充分なんだけれど」

「何ですって……!」

更に沸騰する女の子。

既に周囲は、人だかり。ただ、みんな、結果は見えているようで。喧嘩を不安視している目はない。

誰もがわかっているのだ。

あまりにも、格が違う相手に喧嘩を売ってしまった女の子の、末路がどういうものなのかを。

此処にいるのは、殆どが現役のアーランド戦士。

いずれもが、修羅の世界で生き延びてきた猛者ばかり。誰もが、互いの力量くらい、一目で判断できるのである。

「はあ、仕方が無いわね。 其処のホムンクルス。 その槍を」

「わかりました」

ホムンクルスと言われた、小さな女の子。先ほどから、彼方此方で見かけていた、女の子が。槍をクリーム色の服の女性に手渡す。

ホムンクルスって、もしかして。

いや、あの顔の造作が似通っている様子や。年の割には高すぎる戦闘力を見ると、あながち嘘とも言い切れない。

ひゅうと、風をならして振り回すクリーム色の服の女性。

動きに無駄がなさ過ぎる。

それだけじゃなくて、あまりにも速すぎる。四回くらい廻すのを見たけれど、まるで小枝か何かを振るっているかのように軽やかだ。

終わった。

トトリは、赤い服の女の子に、心底同情した。

「槍は得意じゃないけれど。 まあいいわ。 先手はくれてやるから、きなさい」

槍の穂先を立てたまま、クリーム色の女の人が言う。戦闘態勢どころか、休めの姿勢である。

頭に完全に血が上っている赤い服の女の子は、容赦なく顔面に矛を突き込んだ。

次の瞬間。

数歩、後ろに下がった赤い服の女の子。

その場で、膝を突く。

「見えたか?」

「何とかな」

側の戦士達が話をしている。

赤い服の女の子は、息も出来ないようで、真っ青になったままへたり込んでいる。槍が、届くどころじゃない。

多分、目にも見えないくらいの速さで、石突きで鳩尾を突かれたのだ。

槍使いがそんな懐に入られるなんて、余程の実力差がないとあり得ない。

クリーム色服の女の人は、槍を立てた体勢のまま。一歩も動いていないようにさえ見える。

次元が違う。

というよりも、もう止めて欲しい。

「もう一度」

「かはっ、はっ……」

「も・う・一・度」

わざと、クリーム色服の女の人が、区切って言う。

赤い服の女の子は、立ち上がって、構えを取る。

次の瞬間、竿立ちになって、それから尻餅をついた。

多分、顎を超高速で、はたき挙げられたのだ。

顎は人体急所の一つだけれど、それをこうも高速で精密にたたき上げるなんて。

相変わらず、クリーム色服の女の人は、全く動いていない。つまり、視認できる以上の速度で動いて、元の位置まで戻ったということだ。腰が抜けてしまったらしい赤い服の女の子は、絶望に顔を青白くしながら、必死にもがいていた。

「もう一度」

必死に呼吸を整える赤い服の女の子。

立ち上がるどころか、もうろくに動けない。

それでも、必死に震える手で矛を握って、必死に起き上がろうとする。三回失敗して、立ち上がる。

その間、クリーム色服の女の人は、じっと待っていた。

そして。

今度は、凄まじい轟音。

地面にめり込んだ赤い服の女の子は。白目を剥いていた。

痙攣しているのがわかる。意識もない。

「回復術」

ホムンクルスと言われた子が、赤い服の女の子を助け起こす。聴衆の中にいた魔術師が、回復の魔術を掛け始める。

そして、地面から引っ張り出した。

呼吸を整え、唇を引き結んで。それでも、必死に、クリーム色服の女の人を、にらみつけている。

クリーム色服の女の人は、槍をホムンクルスという人に渡すと。

訓練用の棒を持ってこさせた。

「次はこれよ」

「こ、後悔しなさいっ!」

赤い服の女の子が、今の回復術で、少しは体力が戻ったのか、叫ぶ。

でも、その次の瞬間。

手から矛を取り落としていた。

膝から崩れ落ちる赤い服の女の子。

二度、更に容赦も情けもなくたたきのめしてから。クリーム色服の女の人は、訓練用の棒さえ下げさせた。

素手で、軽く体を開くようにして立つ。

気迫が凄い。

休めの姿勢だったのに。今では、まるでドラゴンが獲物に飛びかかるような気迫だと、トトリは思った。

「もう一度」

涙さえ流しながら、それでも。

赤い服の女の子は立ち上がる。

トトリは見ていられなくなって、目をつぶろうとしたけれど。ジーノ君が、膝を掴んで引っ張った。

「見ててやれ」

言われて、気付く。

周囲に、笑っている人は一人だっていない。

アランヤ村だったら、嗤う人がいたはずだ。だけれども、違う。

超絶の武技まで己を高めた達人が。

敢えて泥を被りながら、有望な新人に稽古を付けている。それが、この図なのだと、すぐにトトリにも理解できた。

だからみんな嗤わない。此処は戦士の世界だと。誰もが、戦士であることに誇りを持っていると。

無言で、皆が主張していた。

正直、怖い。

それ以上に痛い。

回復術を掛けて貰った赤い服の女の子は、叫びとともに、一撃を繰り出す。

次の瞬間、ふわりと浮き上がったように見えた。

受け身も取れず、背中から思い切り地面に叩き付けられる。

口から、血が漏れるのが見えた。

激しく咳き込んでいる赤い服の女の子。

目にも見えないほどの速さで、投げられたに違いなかった。

何もかもが、次元違い。体術も戦闘経験も武技も。それでも、此処まで立ち向かえる人が、たくさんいるだろうか。

怖いと思う自分の足を、必死にその場につなぎ止める。

見ておかなければならない。

そう思うからだ。

「もう一度」

容赦のない宣告。

言葉も無く、それでも赤い服の女の子は立ち上がろうとする。

でも、ついに其処が限界だった。

その場にへたり込んだまま、動かなくなる。慟哭が、トトリの所まで、聞こえていた。

ようやく、その時。

クリーム色服の女性が、赤い服の女の子の側に。ゆっくり歩み寄った。

「私がその気になれば、貴方を何度でも殺せたことはわかっているわね」

クリーム色服の女性が、通告する。

赤い服の女の子は、顔を上げない。

「貴方がそれなりの師匠の元で訓練してきたことはわかったし、毎日欠かさず努力していることも見てすぐにわかったけれど、それは特別扱いの理由にならない。 まずは、経験を積んで、一歩ずつ進みなさい。 外で戦うモンスターは、貴方の努力を評価もしないし、師匠の顔も立てない。 ましてや貴族の称号なんて、気にもしないのだから」

感情の高ぶりが収まったら、もう一度受付に来るように。

そう言い残すと、クリーム色服の女性は、受付に戻っていった。

此処が、アーランド。

修羅の国。

改めて、その恐ろしさを。トトリは、思い知らされていた。

めいめい去って行く周囲の人達。トトリは意を決すると、持ってきていたヒーリングサルブを取り出す。

そして、慟哭している赤い服の女の子の側に置いた。

「あの、使って。 傷薬です」

「トトリ、止めとけよ」

「……元気出して」

最善手ではないことはわかっていたけれど。

どうにも、放っておくことは出来なかった。

 

改めて、奧に。

受付をして貰う。

クリーム色服の女の人は、其処で初めてクーデリアと名乗った。彼女も、貴族の出身だと言う。

でも、貴族というのは、この国ではお金で買える称号で。道楽者が名乗るものだと、クーデリアさんは言う。

「まれに他に取り柄が無い人間が、先祖から受け継いだ貴族の称号を誇りにしていたりもするのだけれど。 戦士達の間では、馬鹿にされるだけよ。 何しろ、何ら実利がないのだから」

てきぱきと、書類作業を進めていく。

トトリが、錬金術師だという事を自己申告すると、クーデリアさんは驚いたようだった。

「へえ、じゃあ貴方がロロナの」

「師匠を知っているんですか?」

あれ。

何だろう。

妙な違和感がある。

でも、黙っていることにする。

クーデリアさんはとてもいい人だというのはわかっていた事もある。さっきの打擲だって、赤い服の女の子のことを考えての事だというのは、見ていてわかっていたからだ。実際特別扱いなんて出来ないし。あの子はそのまま外に出ていたら、きっとモンスターや悪い人の餌食にされてしまったのだろうから。

「それじゃあ、この書類を持って、庭の方に。 特殊スキルの計測をするから」

「あ、はい」

ジーノ君と一緒に、言われた庭に。

特殊スキルは、それぞれが固有スキルになっている事が多いものだ。トトリも一応持ち合わせがある。ただ、魔力が少なすぎて、今はとても発現できない。ジーノ君は持ち合わせがないけれど。

ひょっとすると眠っているだけで、覚醒する可能性もある。

庭での計測をする間に、身分証を作ってくれるという。

どうせ待つのだったら、有意義に使った方が良いというのは、自明の理だ。

かなり歩いて、建物をぐるっと廻って。

途中、さっきの場所を通ったので、こっそり覗いてみると。赤い服の女の子は、もういなくなっていた。

お薬の瓶はうち捨てられていたけれど。

どうやらヒーリングサルブは使ってくれたらしい。嘆息すると、瓶を回収。ジーノ君が、呆れたように言う。

「逆恨みされても知らないぞ」

「いいもん、逆恨みされても」

実際、ああいうときは一人にしておいた方が良いことはわかっている。

あの子も強いプライドと、訓練で鍛えた心の持ち主だ。きっと実力で立ち直ることができる筈。

でも、それでも。

助けられるなら、助けたかったのだ。

庭に出た。

中庭だけで、アランヤ村の半分はありそうだ。これが都会なのかと、トトリは本当にびっくりさせられる。

魔法陣が書かれている。村でも特殊スキルの調査をする事が出来る人はいたけれど。見た事も無いほど巨大で、理解できないほど複雑な内容だった。

魔法陣の側には、魔術師が一人。

中肉中背で、まだ若い魔術師だ。どういうことなのか、猫の大きなぬいぐるみがそばに二体も置かれている。

優しい雰囲気で。

それに体のメリハリが凄い。ローブで隠していても、ふくよかなお胸が自己主張しているほどだ。

「はい、魔法陣に入ってください」

まずはジーノ君が。

魔法陣にはいると、一瞬だけぴかっとする。

なにやらメモしている魔術師の人。

トトリも続けてはいる。

また、ぴかっと一瞬だけ光った。

「はい、終わりです」

小さな女の子が来て、魔術師さんの手から書類を受け取り、戻っていく。

クーデリアさんの所に持っていくのだろうと、トトリは思った。

ちなみに、リオネラという魔術師さんは、どういうことを調べたのかは、教えてはくれなかった。

また、長い距離を歩いて、受付に戻る。

流石にジーノ君も、面倒だと思い始めたらしい。

「これがお役所仕事って奴なんだな」

「うん。 でも、仕方が無いよ」

「魔術でポンって身分証か何だか、作れないんかな」

「無理言わないでよ」

好き勝手言うジーノ君をなだめながら、戻る。

さっきの場所に行くと。ホムンクルスとか言う小さな女の子達が、よってたかって修繕をしていた。

もう終わりそうだ。

地面にめり込んだりしていたし、必要な処置なのだろう。

それにしても、手際が良い。

受付に戻る。

流石に疲れてきていたトトリとジーノ君に、それぞれカードが渡された。

金属製らしいけれど、何で出来ているかわからない。

ランク1と書かれていて。名前と所属地域。それに、特殊スキルの欄に、読めない文字が書き込まれていた。

カードは掌に収まるくらい。

こんなに小さく出来てしまうのか。凄いと、トトリは思う。

「はい、これで二人とも、晴れて本職の冒険者よ」

「やった……」

ようやくだ。

これで、やっとスタート地点に立ったことになる。

それから、講習を受けるようにと言われて、指さされたのは。奥の方にある扉。新人として登録した冒険者は、様々な注意事項などを、其処で聞く事になるという。

ジーノ君は露骨にうんざりしたけれど。

此処で話を聞いておかないと、後で困るかもしれない。

腕を引いて、扉の方に行く。

もう少しで終わるのだと思うと、手続きも苦にはならなかった。

 

去る二人を見送ると、クーデリアは書類を取り出し、見る。

ロロナらしい可愛い字で書かれた手紙だ。

どうやら、また彼奴が、余計な事をしているらしい。今、ロロナの所には、戦闘タイプのホムンクルス二個小隊と、手練れが二人いるが。たまたまステルクが近くにいなければ、危ないところだったそうだ。

ロロナ自身も、プロジェクトを継続している。

有望な新人の発掘。

この国の地力を挙げるための錬金術による製品開発。

そして今では、ホムンクルス技術の亜流派生についても研究している状態で。プロジェクトを株分けした方が良いかもしれない。

しかし、残念ながら人材がいない。

ロロナは矢の催促で、能力が高い戦士を寄越して欲しいと言ってきているけれど。クーデリアは、思わず腕組みしてしまった。

「こっちもカツカツなのよねえ」

「あの、クーデリア、先輩」

「ん?」

隣にいるフィリーが、声を掛けてくる。

此奴は、クーデリアが任された部下だ。

実はロロナと一緒にプロジェクトに参加していた頃から、時々顔を合わせる間柄だったのだけれど。

当時から卑屈で気弱で。

戦士としては一丁前の実力があるにも関わらず、非常に臆病で。国家軍事力級の実力者である姉のエスティとは、性格も何もかもが正反対だった。

此奴は、当時のペーペーの頃に比べれば経験も積んでいるはずなのだけれど。

見ていると危なっかしくて。

相当にイライラさせられる。

「例の、科学者の人はどうでしょうか」

「彼奴か……」

この間、ロロナが面白い奴がいると報告してきたのがいる。

ロロナの錬金術講習に来て、色々鋭い質問をして来たのだという。その時にロロナが、興味を持ったそうだ。

自称、天才。

異能の科学者、マーク=マクブライン。

まだ若い男性だが、よれよれの汚れきった白衣と、ワカメのようにだらしなく伸びた髪の毛。

それに飄々としたマイペースな佇まいが特徴だ。

科学者というのは、あまり例がない職業だけれど。

此奴は元々、アーランド戦士だったのだ。

この国で使われている、オルトガラクセンから発掘した機械群に興味を持ち、それらの解析をしている内に、戦士から自称科学者に転身。

今では工場などで、機械類を弄って、メンテナンスをしている。

かなり腕が良いという事で、工場でも評判の上。

幾つかの戦闘用機械を周囲に置いていて、ある程度の自衛能力も持っているそうだ。

「脳筋のアーランド戦士だけじゃなくて、頭が回る奴も必要ね。 わかった。 プロジェクトへの参加を申請しておくわ」

「……」

「たまには有益な提案をするじゃないの。 普段からそうしてくれると嬉しいんだけれどね」

こわごわと此方を伺っているフィリーを見ると、相変わらずイライラするけれど。

こういうときは、褒めてやらなければならない。

さて、しばらくすると。

眠そうにしているジーノと、苦笑いしているトトリが、講習室から出てきた。

戻ってきた所で、ある程度の説明はしておく。

まず冒険者といっても、完全な自由業じゃあない。ある程度の実績を上げないと昇格は絶対にさせないし。昇格しないと、難しい仕事にも挑戦させない。仕事は当然難しい方が給金が高いので、生活が苦しくなる。

簡単な仕事は、各地での代替業者にも廻してある。

たとえば酒場だ。

これは昔からの良き伝統である。酒場には情報が集まることも多く、戦士も集まりやすいからだ。

また、冒険者は。みなが戦士だった頃からの伝統を引き継いで、老戦士が後進の育成に当たるようにもしている。

王宮の、様々な武術の奥義を収めた図書館にも、ある程度の実績があれば入る事が出来るし。

手が空いている老戦士の斡旋もしている。

こういった引退した戦士にとっても、給金が支給され、呆け防止になると、非常に評判が良い。

また冒険者の登録証を見せると、各地の宿が割引で利用できる。

最悪の場合、キャンプスペースで生活する事も出来るので。狩りさえしていれば、餓死することもない。

ランク5以上相当の仕事になると、国から直接伝達が来るほか。

特殊スキル持ちの人間には、それぞれ仕事の通達が行く事もある。

また、特殊な立場にある人間も、同じ特例が適用される場合がある。

仕事だけでは無い。

入る事が出来る場所にも、制限がつく。

低ランクの冒険者は、行く事が出来る場所が限られる。これは入ったら命を落とす危険が大きい場所を事前に指定することで、人材の消耗を避けるためだ。

それを説明すると、トトリの表情がわずかに曇るけれど。

当たり前の話だ。

「色々なところに行きたいなら、冒険者としての実績を積み重ねなさい」

「わかり、ました」

「説明まだかよー。 もう眠くてしょうがねーよ」

露骨な反応を示すトトリの連れ。ジーノと言ったか。

特殊能力は特にないそうだが、検査をしていたリオネラの見たところ、かなり将来性がある戦士のようだ。

幾つか、厳しめの仕事を廻して、成長を促すか。

トトリの方は、プロジェクトでガチガチに仕事を管理する必要があるから、クーデリアの好きには出来ないけれど。

此奴なら、ある程度は自分の管理下で、実力を伸ばさせる事が出来る。

「もう少しよ。 最後に、昇格だけれど、実績が溜まったら此方から通告するから。 最寄りの酒場で申請すれば、結果は聞けるわよ。 ただし昇格そのものは、ここに来ないと手続きしないけれど」

「えー? 面倒くさいなあ」

「冒険者には簡単になれる分、その見極めが大変なの。 変な冒険者がたくさん増えても問題でしょう? 元々フレキシブルな仕事をさせるために始まった制度なのだし、利用するのはそれなりに難しいのよ」

一通り説明が終わった。

説明が書かれたゼッテルを渡して、わからない場合は読むように。それでもわからない場合は、最寄りの酒場で聞くか、ここに来るように。そう指示すると、二人は素直に頷いて、王宮を出て行った。

これでいい。

「クーデリア先輩、何だか二人とも、可哀想ですね」

「どうしてそう思うのかしら」

「何となくです」

此奴。

時々鋭いことを言ったり、妙に勘が鋭かったり。

ただの阿呆では無い辺りが、余計に扱いが難しい。

まあ、それはそれで構わない。部下は部下だ。此奴を除くと、ホムンクルスの二個小隊が部下に着けられているが、此奴らは正直信用できない。言ったとおりに動くけれど。クーデリアは、それも本当かどうか疑っている。

今、ロロナが進めている新型ホムンクルスのプロジェクトが進展したら、或いは。

いずれにしても、先の話だ。

今日は有望な新人が多く来た。

それで、充分に、クーデリアには思えていた。

 

3、はじめの一歩

 

王宮から出ると、どっと疲れが出た。

その場に倒れそうになって、ジーノ君が慌てる。

「トトリ、大丈夫か?」

「うん、ちょっと疲れた……」

「宿行くか?」

「それがね、さっき、これ渡されたの」

説明を受けた後だ。

クーデリアさんの使いだというホムンクルスに、鍵を渡されたのである。ロロナのアトリエの鍵、と言われた。

「ロロナのアトリエって、お前の師匠の、だよな」

「うん。 今はお留守になっていて、弟子の私なら使っても良いんだって」

「そっか。 俺はさっき紹介された、雷鳴って戦士の所に行ってくる。 あのすんげー強いクーデリアって人の師匠の一人なんだってよ。 すげー楽しみだぜ。 明日は馬車で合流な」

無理しないようにとお互い言うと、その場で解散。

言われたとおり、職人通りを歩く。

鍛冶の音がする。

覗いてみると、屈強な禿頭の大男が、金床にハンマーを降り下ろしていた。腕が良い鍛冶士は、今でも珍重されると聞いている。あの人も、多分この町では有名人なのだろうなと、トトリは思った。

食堂もある。

それも、幾つも。

サンライズ食堂というお店に到っては、行列が出来ていた。とても美味しそうな臭いがしているし、無理もない。

雑貨屋さんも見かけた。

色々なものが売っている。とても綺麗な女性がお店番をしていて、トトリと目が合うと、素敵な笑顔を浮かべてくれた。

あんな笑顔を浮かべられるようになりたい。

流石に都会の女性は垢抜けているなと、トトリはほんわかした気分を味わったのだけれど。

なんでだろう。

あの女性はとても怖いような気がした。

まあ、アーランドは戦士の国だと言う事は、王宮での出来事でもよく分かったのだ。今更、驚くことでも無い。

そして、ロロナ先生のアトリエを見つける。

今は無人のようだけれど。

鍵を開けて入って見ると。お掃除は、ほぼ完璧に行われていた。

奧にあるのは、錬金術の釜。

炉も、トトリのアトリエのものよりもかなり良く出来ている。

コンテナを覗いてみて、驚いた。

どうしてだろう。

トトリのアトリエにあるものと、全く構造が同じように見えた。目を擦って見直す。いや、違う。

これは、トトリのアトリエのコンテナだ。

慌てて外に出てみる。

しかし、やっぱりロロナ先生のアトリエである。混乱する頭を抑えて、飛びそうになる意識を必死につなぎ止める。

何しろ、空間を自在にするというロロナ先生である。

何をやっても不思議では無い。

鍵が掛かった部屋を見つけた。

触らない方が良さそうだ。何というか、奧から極めて不穏で、邪悪な気配を感じたからだ。

中庭には、家庭菜園。

手入れが良くされている所を見ると、やはり誰かが入って、世話をしているのだろう。かぎを持っているのが一人とは限らない。

ロロナ先生はもの凄く忙しくて、アーランド中を飛び回っていると聞いているけれど。

このアトリエの様子からして、掃除したのはごく最近だ。

奥に入ると、寝室がある。

天蓋付きの豪華なベッドだ。

このアトリエは。

元々、アーランドを蛮族の国から、辺境ではあっても人々がそこそこ豊かに暮らせる国に変えた、旅の人の住居だったのだ。

これくらいの豪華なベッドがあっても、罰は当たらないだろう。

ベッドはふかふか。

確実に数日以内には、お日様を吸わせている。

ベッドに転がると、体は正直だ。

すぐに眠くなってきた。

あくびをしながら、戸締まりをして。今日はもう寝てしまうことにする。

色々あったし、何より。

此処の雰囲気は安心できる。

ロロナ先生が、側にいるような気さえした。

眠る前に、残してある耐久糧食を口に入れておく。こうすることで、一気に体力を回復するためだ。

何しろ、明日からは往復の復路。

冒険者免許を取ったら、一度必ず戻るようにと、お姉ちゃんとお父さんには、言われていたのだから。

 

早朝。

戸締まりをしっかりする。

このアトリエは、国の宝とも聞いている。この国に数少ない錬金術師であり、ロロナの弟子であるトトリだからこそ、使用が許されたのだ。トトリのせいでこのアトリエに泥棒でも入ったら、取り返しがつかない。

念入りに戸締まりをした後、馬車の所へ向かう。

馬車は応急処置を済ませていた。お馬さんも無事だ。倒れて足を折ると、処分しなければならなくなることもあると聞いていたから、心配していたのだ。

ペーターお兄ちゃんは黙々と馬車の点検をしていた。

後部の荷台には、行きとは違う荷物がかなり積まれている。目だったのは、インゴットだ。

金属を固めて、いわゆる延べ棒にした状態のもの。

純度の高い金属を作る技術は、アランヤ村には無い。というよりも、辺境の殆どの村には無い。

だからこれを帰りに売ると、かなりのお金に替わる。

馬車が行き来する度に、ある程度アランヤ村に利益が還元される。

だから、ペーターお兄ちゃんは色々文句を言われながらも。馬車を任されているし。馬車で利益を上げているからこそ、この仕事を罷免もされない。

見回すけれど、ジーノ君はいない。

「ジーノは来ないぞ」

「ええっ!?」

「昨日お前に言っていた武人に会いに行ったら、弟子入りを認めてくれたとかでな。 もう早速住み込みで、色々教えて貰っているとよ。 こりゃあ次に会うときは、一人前かも知れないな」

はーと、思わず驚いて声を出してしまった。

ジーノ君の行動力は知っていたけれど。まさか、いきなりそんな急展開だとは。

ペーターお兄ちゃんは、ジーノ君の両親に言づてを頼まれたとかで、気が進まない様子である。

馬車には、他にも何人か乗り込む。

多分、辺境でお仕事があるだろう冒険者らしき人。

老若男女様々な面子が、六人ほど。

トトリは隅っこに座って、ちょっと肩身が狭かった。

馬車がでる。

街道に出ると、前とは打って変わって、かなり警備の人数が見て取れる。まあ、あんな恐ろしいモンスターがでたのだし、当然か。

馬車は帰り道も、マイペースで進み続けて。

あの怖い顔の人が姿を見せることもなければ。

モンスターに襲撃されることもなかった。

遠くを大きな鳥のようなモンスターが飛んでいたけれど、此方には興味を見せることもなく。

森の中からは恐ろしいうめき声が聞こえたけれど。

馬車に対して、攻撃を仕掛けるようなモンスターは、ついに姿を見せなかった。

慣れてきたから、だろうか。

トトリの疲労も、行きに比べれば全然マシ。

途中の村で何度か宿泊するうちに、体力がついてきているのを実感できた。

それだけではない。

途中の村から乗って来た、年老いたおばあさんの冒険者に、棒術を見てもらったのだ。

師範よりももの凄く丁寧に、微細に教えてくれた。

師範は何というか、おおざっぱにだけ教えて、後は自分で覚えるのを良しとする、みたいな所がある人だったから。トトリには、これは嬉しかった。

構えの細かい調整。

棒の振り方の丁寧な指導。

型も見てもらった。

型はとても綺麗だと言われて、照れてしまう。これだけは、毎日反復練習をしているのだ。

綺麗に覚えられたのは、素直に嬉しい事だ。

そのお婆さんも、途中の村で降りた。

どうやらその村で、今後は師範をするつもりらしい。小麦の畑が何処までも拡がる村で、葡萄や山羊のミルクも名産にしているらしい。

村の周囲に拡がっている森の面積が、アランヤとは桁外れに広い。

アーランドに近いから、それだけ緑化が進んでいるのである。

羨ましい。

トトリだって、力がついてきたら、緑化が出来るようになるのだろうか。ロロナ先生が残してくれたマニュアルや、力がついてきたら入れるようになるという王宮の図書館で、少しは知識を増やせるのだろうか。

いずれにしても。

アランヤ村に帰り着いてからが、第一歩。

側にジーノ君はいないけれど、不思議とトトリは落ち着いていた。

怖い目にあって。

それがゆえに、却って度胸が着いたのかもしれない。

海が見えてくる。

もう少しで、アランヤに到着。

そう思うと、嬉しくもあり、複雑でもあった。

お父さんが言ったように。

此処からは、完全に大人として、トトリは扱われる。

周りは子供だからと言って、手加減なんてしてくれない。モンスターからしてみれば、未熟な相手なんて美味しいお肉に過ぎない。

潮風の臭いは懐かしいけれど。

もうトトリは子供では無くて。大人の保護を得られないと思うと、空恐ろしくもあった。

それに、冒険者になった以上。

メルお姉ちゃんは商売敵にもなり得る。

状況を考えて、利害関係を調整していかなければ、一緒にお仕事も出来なくなるだろう。

色々考えている内に、最後の日が過ぎて。

そして、アランヤ村に、馬車が到着した。

 

お姉ちゃんはお帰りと一言だけ、トトリをねぎらってくれた。それで正直、充分だとも思えた。

冒険者になる事を許してくれて。

お母さんを探すことを、認めてくれた。

それだけで、トトリには嬉しい。

冒険者免許を見せる。

当然ランクは1だ。

「制度が始まった頃は、レアスキル持ちや実戦経験豊富な人は、ハイランクから開始されることもあったのだけれど。 今は基本的に、全員が1からの開始らしいわね」

「お姉ちゃん、詳しいね」

「メルから聞いたのよ。 結局私達三人の中で、メルだけが本職になったしね」

お姉ちゃんは、そう言って料理を準備してくれるが。

はて。

家の中が、妙に荒れている気がする。

数日、掃除をしていなかったかのような。

お父さんは、相変わらず部屋から出てこない。何かあったのかもしれないけれど。別に聞かなければ行けない理由は無いし、知る必要も無さそうだから、黙っておくことにする。

お姉ちゃんの美味しい料理に、しばし舌鼓を打つ。

あまり油がついていないコヤシイワシも、調理次第でとても美味しくなる。

おなかいっぱい、満足するまで食べて。

それから、ベッドに。

思えば、ペーターお兄ちゃんに手袋を渡して、アランヤをでてから、一月近くが経過している。

こんなに、一ヶ月が大変だったのは、生まれて初めてのような気がする。

自宅のベッドで、ぐっすり眠って。

目を覚ましてから。

自分の頬を叩く。

今日からだ。

今日から、トトリは一人前の人間として。もう外では子供として扱われる事も無く。大人として、判断と決断をして行かなければならない。

家の外に出る。

まずは、お仕事を探そう。

日課のランニングをして、軽く体を動かしてから、ストレッチ。これは帰路の途中で、お婆ちゃん冒険者にアドバイスを受けた。

棒術の型を、順番にやっていく。

残心の仕方にもコツがあると、お婆ちゃんに聞いて、それから毎日試している。

棒は極めれば、どんな状況にも対応できると、お婆ちゃんは言っていた。特に守りに関しては極めて堅牢になるとも。

トトリは、多分攻撃を棒術で行う必要は無い。

錬金術で攻撃用の道具を作っていけば良い。後は、皆を支援するための道具類も。つまり、後方支援が中心だ。

後方支援役に重要なのは、倒されないこと。

飛び道具も。

接近戦での一撃も。

守に徹して防ぎきってしまえばいい。

何だろう。

すごく、今までの漠然とした感触が、曖昧なものとして過去の思考に消えていく。今は、明確な戦略を持って、棒を鍛えているのが、わかるのだ。

でも、まだ所詮は付け焼き刃。

顔を洗って気分を変えると、酒場に。

お仕事をする。

そして、お金を稼いで。

少しずつ冒険者のランクを上げて。

やれることを、増やしていくのだ。

酒場に行くと。

鳥がいた。正確には、伝書に使う、大型の鳩だ。他の鳥形モンスターが嫌がる臭いを発するために、食べられないで、手紙を運ぶことが出来る。何より空を征くことが出来るため、非常に高速で手紙を伝達できるのが特徴だ。

問題は訓練がそこそこ大変なこと。

何故こんな事を知っているかというと、この間の冒険者免許を受け取ったときに、講習で聞かされたのである。

なんでも各地の酒場とアーランド王宮をつなぐ情報網の一つとして機能しているらしく。

冒険者は、この大型の鳩を優先的に守るようにという指示もあった。

酒場のマスターが、トトリを見ると、声を掛けてくる。

手には手紙。

ひょっとして、錬金術師としての仕事だろうか。

「マスター! お仕事ですか?」

「嬉しそうだな、トトリ」

「はい。 最初の冒険者としてのお仕事ですから」

「……気を付けろ。 最初の仕事で大けがをする奴は珍しくもない。 もしも荒事があるようなら、メルと一緒に行け」

不意に、マスターの声が怖くなる。

トトリも、それはわかっている。

調子に乗っていれば、普段は気付くようなミスにも気付かず。それが、大けがにつながる事だって、多いのだ。

手紙を受け取って、開封。

仕事の内容は、錬金術関連では無かった。

そればかりか。

荒事でさえないかもしれない。

「アランヤ村西の森に、リス族の進出が激しくなっている。 リス族はもとより西への街道の中途で出没し、アランヤ村とコネルタ村の道を遮断することがしばしばである。 対応せよ」

うわと、小さな声を漏らす。

リス族は人間に近い知能を持つ、いわゆる亜人族だ。冒険者になるときの講習で聞いたけれど、悪魔も厳密には亜人族だという。

彼らの中には、人間と交配可能な種類さえいて。

当然、独自の言葉と文化を持っている。

メルお姉ちゃんを探すと、酒場の隅の席にいた。お酒では無くて、焼いたお肉を無心に食べ続けている。

それにしても、なんでこんな仕事が、トトリの所に来たのだろう。リス族はそれなりの身体能力を持っていて、ベテラン冒険者だって、彼らの集落一つを単独で相手するのは厳しいはずだ。

メルお姉ちゃんは、どうしてだろう。

前に見た時より、お服が(とはいっても、体を大胆に露出しているから、お服そのものの面積は小さいが)ぼろぼろになっているような気がする。

説明をすると、食べながら聞いていたメルお姉ちゃんは。

なんでだろう。ため息を一つすると、手紙を受け取った。

「この内容を見る限り、対応しろとしか書かれてないね」

「戦えとは、言われていないってこと?」

「察しが良いじゃない。 そう言うことよ」

でも、それは具体的にどうすれば良いのだろう。

追い払うにしても、トトリでは戦力が足りない。

戦うのも同じだ。

しばらくその場で考え込むが。

メルお姉ちゃんは、じっと待ってくれていた。

「ねえ、メルお姉ちゃん。 一緒に来てくれるかな」

「別に良いけど、どうしたの」

「お話、聞きに行くの」

思わず食べるのを止めるメルお姉ちゃん。

トトリの結論はそれだ。

とにかく、まずは相手を見に行く。問答無用で攻撃してくるようだったら、対応しなければならないけれど。

もしも、話が出来るようなら。

何か、森に進出してきている理由がわかるかもしれない。

元々リス族は、単独での戦闘力は、アーランド戦士よりもずっと低いのだ。それに彼らだって、アーランドが本気で攻撃してきたら、ひとたまりもないことくらいはわかるはず。わからないのだとしたら、何か理由があるのか、それとも。

とにかく会ってみることだ。

 

まずは、準備を整える。

アトリエに戻ると、トトリは。ロロナ先生が残してくれた参考書を元に、幾つかの道具類を、順番に作っていった。

まずはヒーリングサルブ。

これはこの間から、少しずつ増やすようにしている。

用途は言うまでもない。

また、状況次第では、交渉の材料に出来るかも知れない。リス族が裕福な生活をしているとは、聞いたことが無いからだ。

次は、クラフト。

これは主にガスを発生させる物体を詰め込んで、それを錬金術で着火。爆破して周囲を攻撃する兵器である。この近辺だとニューズと呼ばれる木の実が材料として普通で、他にも色々な派生物がある。大型のクラフトになると、かなり強力なモンスターに太刀打ちできると、ロロナ先生の参考書にはある。威力が手頃な上に、作りやすく。なおかつ素材を入手しやすいので、今のトトリでも作る事が出来る。

ただ、ガスだけで作るタイプはまだ難しいので、今回はちょっと火薬を入れるタイプにする。

火薬の材料が今までは周辺で手に入れられなかったのだけれど。

この間、アーランドに出向いたときに、買ってきた。

ちょっとお高かったけれど、それでもこれで新しい錬金術が出来ると思うと、嬉しかった。

ちなみに帰る前にコンテナに入れたのだけれど。

此方でコンテナに入ると、やはりあったので。このコンテナは、ロロナ先生が異界の存在にしてしまっているらしいと確信できた。

そしてもう一つが、フラムだ。

これはロロナ先生が散々改良を重ねている火薬爆弾で。制圧力を重視しているクラフトに比べると、発破としての使用が主体になる。

これも、戦闘での使用は想定していない。

他にも、簡単な道具を、幾つか作っておく。

十日ほど掛けて、準備を完了。

一日休みを挟んでから。

現地に向かう事にした。

最初のお仕事だ。

無茶は出来ない。どうにもいきなり凄い仕事が来たような気がする。これは、錬金術師だから、だろうか。

それとも、ロロナ先生の弟子だから、期待されている、からだろうか。

どちらにしても。

最初の一歩が肝心である事は、トトリも理解していた。

 

4、原罪

 

アランヤ村の西は、草原と、その北部の森林地帯で構成されている。森林と言っても、低木が中心で、それほどの面積は無い。

土地の保水力と生産力を高め。

何より、荒野を少しでも緑化することで、自然の回復力を上げるために、アーランドが国策で行っているのだ。

アランヤのような辺境も辺境だと、まだこの恩恵はそれほど受けられていないと言う事は。

この間、アーランド王都に出向いてみて、トトリはよく分かった。

アーランド王都周辺の緑は濃く深く。

何より、緑の密度が違うように思えたからだ。

「メルお姉ちゃん」

「なーに?」

隣を歩くメルお姉ちゃんに聞いてみる。

ジーノ君もいてくれれば心強かったのだけれど。今回は二人だけでのお出かけだ。

「リス族とあった事はある?」

「何度かね」

「どんな感じ?」

「あんたも知ってる通りよ。 背は低くて、腕力は相当に強い。 特にものを投げてくる事が戦闘では多いわねえ」

飄々としているメルお姉ちゃんだけれど。

相当な修羅場をくぐっている事は、トトリも近くにいて、肌でわかる。

担いでいる大きなバトルアックスは。

今まで、多くの敵の骨を砕き肉を裂き、血を啜ってきたのだろう。

その中には。

何らかの理由で敵対した、リス族も含まれるというわけだ。

当然血塗られた世界の話。

トトリだって、それくらいでは驚かない。

「そろそろ森に入るよ」

「うん」

荷車を引いているトトリは。

一度だけ、生唾を飲み込んでいた。

此処からは、いつ死んでもおかしくない世界だ。

森の中はひんやりとしている。

半人前だから、入る事は許されなかった場所。今は実力的には半人前だけれど、社会的には一人前になったから、来る事が許されている。

木々が遮る光。

辺りを見回すと。

相当な数の、小さな動物がいる。

「戦闘時、出来るだけ木々は傷つけないようにね。 派手にやり過ぎると、冒険者免許の減点材料になるよ」

「うん、わかった」

既にメルお姉ちゃんは戦闘態勢に入っている。

いつものおどけた様子じゃない。いざというときは、瞬時に相手の頭をかち割る態勢だ。

入り口で、これだけぴりぴりしているのだ。

奥に入れば、どうなることか。

極端に口数が減るメルお姉ちゃん。

荷車を引いて、着いていく。アーランド王都近くの森は、経験が浅い戦士のために敢えて猛獣が放たれているという事だけれど。

この森の中は、今は猛獣より厄介な亜人で一杯というわけだ。

出来るだけ会話も控えるようにと言われて。

言われたとおり、黙り込む。

南の草原に通っている路を、そのまま西に行くと、コネルタ村につくのだけれど。この森は、その路を北から一望できる。

確かに、敵対勢力がいると、面白くない事態になりそうだ。

入って見て、初めて分かる事は幾つもある。

トトリは。

反応できなかった。

メルお姉ちゃんが手を伸ばして、掴んだのは。

石だ。

直撃していたら、頭が果実のように爆ぜ割れていたに違いない。

メルお姉ちゃんはそのまま、石を握りつぶす。知ってはいたけれど、とんでも無いパワー。

「おいでなすったわよ」

無数の目が、森の中から浮かび上がる。

それが、トトリの腰ほどまでしかない、小柄な亜人達のものだと言う事は、すぐにわかった。

数は十を超えている。

半包囲したまま、彼らはじっと此方を伺っている。茂みの中にも、この様子だと隠れているかもしれない。

「話をしに来ました! 武器を収めてください!」

語りかけてみる。

一度では駄目かもしれない。

メルお姉ちゃんは、トトリがすることに、何も言わない。

「戦うつもりはありません!」

反応は無し。

戦うしか、ないのだろうか。

しばし、にらみ合いが続く。メルお姉ちゃんはそろそろイライラしているようだけれど。不意に、トトリは気付く。

「メルお姉ちゃん、ちょっと下がろう」

「良いけど、大丈夫?」

「うん……試したいことがあるの」

下がる。

この状態で投石を貰うと非常に危険だけれど、しかし耐えるしかない。リス族は動かない。

どうやら、正解らしい。

リス族はおそらく、間合いに入られていると判断していたのだ。幾つかの事象が、それを証明している。

確かに格上の使い手であるメルお姉ちゃんが、自分たちの間合いに入っているとなれば、交渉どころじゃない。

深呼吸して、もう一度呼びかける。

反応があった。

一体が、進み出てくる。

そして、驚くべき事を聞かされた。

リス族は言葉を有している事は知っていたけれど。まさか人間の言葉も喋ることが出来るとは、思っていなかった。

「この森を、あんた達が作った事はわかっている。 しかし、我々も危機的状態でな」

「危機的状態、ですか」

「そうだ。 出来れば、森に近づかないで欲しい。 この森を傷つけるような真似はしない」

「そうはいかない」

メルお姉ちゃんが静かな拒否を示す。

この森は、アランヤ村にとっても生命線だ。周辺地域の保水力を高めているし、何より漁が昔のように出来ない現状、非常食を確保する場所でもある。

そもそも、国が予算と時間を使って作った森だ。

管理できなくなれば、国としても強力な冒険者を派遣してくるのは当たり前。

どうしてトトリが解決を任されたかはわからないけれど。

失敗したら、きっとあの怖い顔の戦士のような。超一流の冒険者が、圧倒的な実力をひっさげて乗り込んでくるだろう。

「危機の内容について、教えてください。 対応できるかもしれません」

「教えられない。 人間に弱みを見せるわけにはいかない」

「でも、このままだと」

「帰ってくれ」

リス族達が殺気をみなぎらせる。

この状況、明らかに不利だ。

リス族は小柄な分、名前の通り樹上でも平然と動き回る事が出来る。立体的に飛んでくる投石。その上、一撃がトトリの頭を砕くほど。

クラフトでの応戦も出来るけれど。

メルお姉ちゃんが防ぎきる間に、トトリが敵を殲滅できるだろうか。

そうはとても思えない。

「私、錬金術師です。 アーランド共和国が派遣してきました」

「……この森を作った連中と同じ技術者か」

「はい。 何か力になれるかもしれません」

「……」

話に応じてくれているリス族は、迷いを見せる。

メルお姉ちゃんはそろそろいい加減にして欲しいと、此方を見ている。全滅させるのが手っ取り早いというのだろう。

確かに、メルお姉ちゃんが本気になったら、この程度のリス族、ひとたまりもないかもしれないけれど。

頭を振る。

それでは駄目だ。

リス族だって、この周辺地域に結構な数がいる。

此処にいる彼らを説得できなければ。きっと、草原にある街道だって、安全になるとは言いがたい。

しばしにらみ合いの末に。

リス族の交渉役は、促した。

「其方の大斧の戦士は、連れて行けない」

「……!」

「メルお姉ちゃん……」

ぞくりと、背中に恐怖が這い上がる。

リス族が理知的な種族かどうかはわからない。連れて行かれた先で、何をされるか、見当もつかない。

もしも、彼らに悪意があったなら。

「ならば、此方も条件が一つ。 トトリを影がこの位置に来るまでに返す事。 そうしない場合、アランヤ村の総力を挙げて、あんた達を皆殺しにする」

メルお姉ちゃんが、バトルアックスを無造作に地面に降り下ろす。

今、影は其処から少しずれている。

丁度一刻くらいで、其処まで動くだろう。

即席の日時計だ。

「此方も貴殿らの集落との戦力差は把握している。 必ず定刻までには連れ戻すと約束しよう」

「頼むわよ」

にっちもさっちもいかなくなった。

でも、これでリス族も、余程戦力に自信が無い限りは、無茶な事はしないだろう。アランヤ村にはメルお姉ちゃんや師範を始め、凄腕がまだまだいるのだ。

トトリは意を決すると。

荷車を其処に残して、リス族達の方へ、歩き始めた。

危機とは何か、実際に見てみないとわからない。

はっきりしているのは。

これからトトリが、錬金術師として。その問題に、向き合わなければならないという事だ。

 

5、赤い手

 

ロロナが出向いたのは、アーランド郊外の一軒家。

昔は騎士団が使っていた施設。

現在は、敵の捕虜を尋問する施設になっている。

捕らえた敵方のホムンクルスを、あらゆる方法で吐かせるのが目的の場所。勿論、捕らえたのがロロナのチームである以上、関わるのは当然のことだ。

今、トトリの護衛は、メルヴィアとツェツェイ、それにホムンクルスの一個小隊に任せている。

ロロナの方はというと、トトリの所に護衛で送り込む人材の選定作業中だ。クーデリアから提案があったマークを、そろそろ自然な形で接触させる予定である。後、クーデリアが中々出来ると言っていた新人を、少し様子見した後、接触させるのも良いかもしれない。

いずれにしても。

仕事は、順番に片付ける必要がある。

小さな家の戸を開けて、中に入る。

中に入ると、いきなり階段。地下に降りていくと、其処には通路。奥の方からは、悲鳴が聞こえてくる。

拷問だけが、尋問の手段では無い。

自白剤や、魔術による思考の解析、流出など。

昔から、敵国の捕虜は殺さないように。しかし、生かさないようにもしている。どこの国でも、それは同じだ。

ここのところ、スピアから流入する間諜は、ホムンクルスが主体になっていて。

故に。尋問は更に過酷になっているようだった。

牢の中には、既に十を超えるホムンクルス達がいる。

この間ロロナ達が捕らえた四体も、その中に。

瀕死の重傷を負っていた一体の治療も済んでいて。既に尋問が開始されているけれど。あまり、見たい光景では無い。

でも、大人となって。

戦闘の矢面に立っているロロナが。

此処は責任を持って、見なければならないのだ。

一番奥。

責任者らしいアグニ11というホムンクルスが、牢に入れられている。魔法陣の上に載せられ。

鎖で拘束されて。

イソギンチャクのような姿をしたホムンクルスは。身動きも出来ず、苦しい思いをしているようだ。

牢から、丁度出てきたのは。

アーランドの影を一手に引き受けていると言われる、凄腕の元騎士。現在は、アーランド全域でも十人といない、ランク10冒険者。

エスティ=エアハルトである。

元が間諜だけあって、エスティは尋問に関しては第一人者だ。

今も、色々な手段で、尋問をしていたのだろう。

「あら、ロロナちゃん。 此処は大人の世界だって言ったはずよ」

「責任がありますから」

「そう。 止めはしないけれど」

牢に入って、アグニ11の状態を確認。

ひどく疲弊していたけれど。

まだ、命に別状は無い。

他の牢から悲鳴。エスティの部下が、丁度現在進行形で、拷問をしているのだろう。

歩きながら、話す。

「どうですか、情報は」

「必要最小限しか与えられていないわね。 送り込まれるために作られた捨て駒よ。 他のホムンクルス達も同じ。 酷なコトするわ」

アーランドに送り込まれるスピア連邦のホムンクルス達は、多くの場合国境近くの施設で培養され、一定の知識を叩き込まれた後、そのまま送り込まれてくる。

国境線を警備しきれないこと。

何より、敵の物量が多いこともあって。狩っても狩っても入り込んでくる。

彼らは造り主の顔も姿も知らない。

何の目的で送り込まれているかは知っているけれど。

それだけだ。

現在は、彼らの情報網をエスティが寸断しているから、情報戦は有利に立っているけれど。

この間トトリを襲撃した一派のこともある。

油断できる状況には無い。

「国境の様子も、良くないんですか?」

「逆撃を掛ける余裕は無いわね。 敵の軍勢は相変わらず駐屯しているし、数は四万を超えているわ。 その背後にはおよそ三万が分散して布陣してる。 今の時点では攻撃を仕掛けてくる様子は無いけれど、国境の砦に此方も戦力の大半を貼り付けるのが精一杯。 特にホムンクルスの部隊は、どれだけ生産しても間に合わないわ」

数年前の戦争で。

アーランドは大きな打撃を受けた。

それに対して、モンスターを戦力の主体にしているスピアは、余裕綽々。

現在も北部の国々に対して猛攻を仕掛けていて、今年に入ってからも二つの国が陥落している。

大陸北部の列強は、大連合を組んでスピアに対抗しているけれど。

多分、後10年は持たないだろうと、試算も出ていた。

道を作るのは急務だ。

トトリに任せた、最初の任務も、その一環。

少しずつ、道を作る作業が難しくなっていく。安全に人間が通ることが出来る道が、どれだけ今のアーランドにとって貴重か。

それは、あの戦争に参加したロロナが、一番良く知っていた。

建物を出る。

幾つかエスティと打ち合わせをした後、アトリエに戻る。

中に入ると、嘆息。

どんどん、汚いこと。残酷なこと。怖い事。酷い事が、出来るようになってきている自分を自覚すると、悲しくてならない。

ソファに腰掛けると、栄養剤を煽った。

ぼんやりと天井を見ていると、外にクーデリアの気配。

入って良いよと告げると、やはりクーデリアだった。

「くーちゃん、どうしたの?」

「ほら」

見せつけられたのは、ワイン。

二人とも成人して久しい。二人で時々飲むようにもなっていた。

しばらく、チーズをつまみにワインを飲む。

ロロナがストレスをためていることを、クーデリアは良く理解してくれている。そして、こうやって、時々愚痴につきあってくれているのだ。

「パメラがそろそろアランヤに着く頃よ」

「のんびり屋さんだもんね、パメラさん。 でも、こっちのお店の方は、大丈夫なのかな」

「戦線離脱したホムンクルスに引き継ぎは済ませてるし、大丈夫よ。 一応見に行ったけれど、問題なく稼働してる」

話をしている内に、酔いが回ってくる。

そういえば、リオネラが結婚するという話が出てきている。

あの精神が不安定で、色々問題もあったリオネラだけれど。

とうとう其処まで精神が安定して、社会にもなじめたのだと思うと、ロロナも自分の事のように嬉しい。

「くーちゃん。 何だか私ね、どんどん嫌な子になってるみたいで、つらいな……」

「自信を持ちなさい。 あんたは立派にやってるし、あたしの自慢の親友よ」

「……ありがとう」

気がつくと、テーブルに突っ伏して、毛布を掛けられていた。

クーデリアには、世話になりっぱなしだ。

それに、ここから先は、更に状況が厳しくなる。愚痴を言ってばかりもいられない。

頬を叩いて、気合いを入れ直すと。

ロロナはアトリエを出る。

やるべき事は。

いくらでもあるのだ。

 

(続)