弱き者の旅立ち

 

プロローグ、会戦

 

ついにこの日が来た。

アーランド王国錬金術師ロロナは同国騎士団の本陣で、迫り来るスピア連邦の大部隊を目前にしていた。前線にある夜の領域砦北部平原には、既に六万を超える敵の軍勢が集結している。その大部分は人間では無くモンスターで。現在のスピア連邦が、人外の土地と言われている理由が、よく分かる。

今はもう夜だというのに。

敵の動きは旺盛極まりなかった。

大陸北部の半分を既に制圧しているスピア連邦は。

一なる五人と呼ばれる怪物的錬金術師達の力により、その技術を奇形的に発達させ。

旧時代の兵器にも劣らないと自負するモンスターの軍勢を仕立て上げ。抵抗する列強諸国を、文字通り血の海に沈めてきた。

抵抗すれば皆殺し。

モンスターの軍勢の破壊力は凄まじく、生半可な兵士では歯が立たなかった。

軍が街に逃げ込みでもしたら悲惨だ。

抵抗する恐れのある相手は皆殺し。

モンスターは、女子供だろうが、容赦しない。

こうして三年間で、二十を超える国家が消滅。多くの街が焦土になり。被害人数は百万を超えるとさえ言われている。

最盛期の人類の、一万分の一にまで数を減らし。

やっと数を取り戻し始めたというのに。

人類はまだ懲りることもなく。殺戮の宴を、支配地域で繰り広げ続けている。

味方は。

師匠の作ったホムンクルスによる部隊が、既に展開を完了。

周辺諸国からも、少数の援軍が送られてきている。

だが、である。

道が、ない。

大規模軍隊を送り込めるだけの余裕は、どこの国にもない。

ロロナも既に、アーランド王ジオが進めている計画についてはその詳細を知っている。自分が巻き込まれたことは、今では恨んでいない。

計画を進めるより早く、スピア連邦の侵攻が早かったことを。今は気にしていた。

スピア連邦のやり方は、許してはならないものだ。

命に代えてでも。食い止めなければならない。

人類の世界に対する搾取は、世界を滅ぼす契機になった。

もはや、同じ過ちを繰り返している余裕は、世界には無い。

もう一度の破滅を乗り切る生命力は、人類には無い。

オルトガラクセンに何度も潜って、旧時代の歴史を調べ上げて。そしてロロナも、結論を出している。

スピア連邦に、これ以上好き勝手にさせてはならないのだ。

「ロロナ」

歩み寄ってきたのは。

小柄なロロナよりも、更に小柄な。

幼い頃からの大親友。

苦労に苦労を重ね、ついにこの国でも最上層の一角。国家軍事力級と呼ばれる実力にまで成長した、盟友のクーデリアだ。

ロロナは、錬金術師としての国家貢献においては比類無しと言われているけれど。戦士としての評価は、クーデリアほどでは無い。

何より、国家軍事力級と言われる階級は、そもそも単独で多数の手練れから自分の身を守れる戦士が付けられる称号だ。

成長したクーデリアはともかく。支援が必要なロロナには、取得が無理だろう。

何よりも、興味も無い。

戦士としての栄達よりも。

ロロナが興味があることは。この世界を、二度と滅茶苦茶にさせないこと、なのである。

出来るだけ笑顔を作って、ロロナは親友にこたえる。

「どうしたの、くーちゃん」

「敵の別働隊が海路から来ているわ。 先頭には話に聞いている海王のコピー生物兵器、フラウ=シュトライトの姿があるそうよ」

「事前の情報通りだね」

「さて、あの破壊王が、きちんと仕事をしてくれるかどうか」

海路にも、戦力を配置してある。

最近、ほぼクーデリアと同時期に国家軍事力級の称号を得た戦士が、其方で張っているのだ。

名前はギゼラ=ヘルモルト。

あまりにも苛烈な戦い方から、ついた二つ名が破壊王。

クーデリアとは性格的な問題からか犬猿の仲である。顔を合わせれば殺し合い寸前の喧嘩ばかりしているのだけれど。力量が拮抗していることもあって、勝負がついたためしがない。

年齢は向こうが十以上も上なのだが。

クーデリアもギゼラも、互いをライバルと認めている不思議な関係だ。

忘年の交わりという言葉があるが、それに近いかも知れない。

「敵は予想通り多正面作戦に出てきた。 兵力の分散をしても、全戦線で此方を圧倒できるという自信があるからよ」

「くーちゃんはどう思う?」

「……」

周囲に人がいない場合は、ロロナも昔通り、くーちゃんとクーデリアを呼ぶ。

戦場で、周囲に戦士達がいる時は、そうしない。

「今回は勝てるでしょうね」

「同感だね……」

今回は、勝てる。

損害は出すだろうが、どうにかなる。

事前に試算も出ている。

ジオ王が率いる精鋭が、敵との正面決戦を行う。

その間に、準備していた自律型移動砲の砲列が敵を牽制。援軍として来ている辺境諸国の精鋭達と、悪魔達の連合部隊が、敵の側面を突く。

これで敵の主力は撃滅できるはずだ。

此方は戦力を出し惜しみしない。

ジオ王の麾下には、国家軍事力級の使い手をはじめとする、百戦錬磨歴戦無双の戦士達が全て揃う。

ロロナと一緒に何度も死線をくぐってくれたステルクや、この国の影を全て知っているとも言われるエスティ。

そして、ロロナとは。

あの賢者の石を作ったとき以来、口をまともに利いてくれない師匠も。

若手のアーランド戦士も、あらかた前線に出てきている。

ホムンクルスの部隊と併せて三千程度だが。

それでも、六万に達する敵とは個別の戦闘力が違っている。

しかし、問題は其処からだ。

スピアは今回の攻略作戦で、総力を挙げていない可能性もある。少なくとも、敵の首魁である一なる五人は、誰一人として姿を確認できていないというのだ。

或いは、今回は勝つ気が無いのかもしれない。

波状攻撃の一端として、アーランドの戦力を削る事が出来ればそれで充分というのだろうか。

ふと、強い気配に気付く。

歩み来るのは。

既に戦場にいる気配を纏った、ジオ王。

左右には、ステルクとエスティもいた。

ロロナとクーデリアは、最敬礼をする。これでも宮仕えを始めたのだ。作法の類は、覚えた。

「敵が動き始めた。 作戦は予定通りに行う」

「はい」

ロロナも、長距離支援砲撃を行って参戦する。

側には、以前から何度もコンビを組んできた防衛を得意とする魔術師である、リオネラも着く。

ホムンクルスの一個部隊も護衛についてくれる。

クーデリアが側にいてくれれば助かるけれど。

彼女は遊撃だ。

敵の最精鋭である、大陸最強の暗殺者レオンハルトがどう動くかわからない。今のクーデリアなら簡単には遅れを取らない。だが、前線で戦闘に集中していると、対処が遅れる可能性がある。

「ジオ王」

不意に、脇から声が掛かる。

ロロナが一礼した相手は、アーランドの同盟国。辺境国家の一つ、アールズのデジエ王である。

デジエ王は寡黙で線が細い中年男性だが。雰囲気は歴戦の猛者に相応しいものを湛えていて。腰にはその体には似つかない巨大な長剣をぶら下げている。

側に側近らしい、まだ若々しい青年を連れている。非常に険しい気配の青年で、絵に描いたように折り目が正しかった。

武器を手にしていない所を見ると、格闘戦を行う戦士だろうか。雰囲気からして、彼はデジエ王の懐刀だろう。

「これはデジエ王」

「遅れながら、着到した。 我が軍と言っても、私と数名だけだが。 これから戦線に加わらせて貰う」

「いや、武名名高い貴殿と、辺境でもアーランド戦士に引けを取らない精鋭を有するアールズの援軍、まことに心強い」

普段はちゃらんぽらんな王を演じているジオだが。

こうして、公式の場では、きちんとした王になる事も出来る。

ジオ王とデジエ王が握手する。

ロロナは口出しをする事も無いと思って黙っていた。

アールズはアーランドの西にある国家で、非常に小規模ながら、戦士の高い質で知られている。

アーランドほどでは無いとも言われるが、それでも非常に険しい環境で国家を維持していることもあり、各人の能力は高い。

ざっと見たところ、デジエ王の連れている戦士達も。みな、優れた使い手のようだった。

ジオ王に促されたので、ロロナは前線。

柵の近くにまで出た。

味方は小高い丘を守るように布陣している。側面には川。この川も、緑化政策を進めて、ようやく豊かにしてきたものだ。

側面に川を置くことで、背後に回られる可能性を減らし。

丘を利用した防御陣地を組むことで、敵の安易な浸透を防ぐ。

柵の内側には、既に準備した大砲の群れ達。

ロロナが作り上げた、自律行動可能な大砲達だ。

待っていたリオネラが一礼する。

前は恐がりだった彼女も。今ではすっかり美しく成長して。戦士としても、魔術師としても、熟練していた。

ロロナも頷く。

今のリオネラの守りなら。

そして周囲を固めてくれるホムンクルス達の戦力なら。

ロロナの力を、最大限発揮できる。

「きゃのんちゃん達、攻撃準備!」

敵が進み始めている。

敵は雑多だが、それでも数が数。大きい者から小さい者まで、モンスターと呼ばれる怪物が、溢れるばかりに存在している。

敵の人間戦士は最後尾にいる。ただ、これは制圧した国々から徴発した数あわせに過ぎないだろう。戦力としては敵も期待していないはず。

モンスターの大軍勢を蹴散らせば、戦いは勝ち。

大砲は、現在主力兵器にはなり得ない。人間にだって致命打を与えられるかは限らないのだ。ましてやモンスターには。

牽制くらいにしかならないけれど。

それでも、敵の足を止めることは可能だ。

敵の最前列にいるベヒモスを改造したらしい巨大なモンスター達が吼え猛る。地面が揺れるほどの振動が来る。

ロロナは、怖れる事も無い。

周囲にいるアーランド戦士達も。

ロロナは、あの「試験」で、数え切れないほどの修羅場をくぐってきた。ドラゴンとさえ戦った。

今更、この程度の事が、何だというのか。

敵が此方に向け、走り始める。

ロロナは。右手を挙げると。

敵が射程距離に入った完璧なタイミングで、手を降り下ろした。

「ファイエル!」

無数の火線が、一斉に敵に降り注ぐ。

爆裂。

炸裂。

アーランド戦士達が、雄叫びを上げて、敵に躍りかかる。

煙を突き破った怪物の群れが。

雄叫びを上げて、真っ正面から、大陸最強の戦士達を迎え撃った。

殺戮の宴が。

今、開始されたのだ。

 

その日。

アーランド国境は、血に染まった。

陸でも、海でも。

アーランドの熟練戦士は多く倒れ。ホムンクルスの部隊にも、多大な被害が出た。

国家軍事力級と言われていた戦士、ギゼラ=ヘルモルトは行方不明になり。

スピア連邦が繰り出した、六万の怪物の群れは全滅した。

スピア連邦は、当面身動きできないほどの打撃を被ったと周囲の国々は思った事だろう。

だが、アーランドの上層部は知っていた。

これは始まりに過ぎない。

アーランドの総力を知ったスピア連邦は、更に兵力を増やして、再侵攻してくる。他の国々への攻撃も、停まることは無いだろう。

何しろ、敵に事実上の人的被害は無いのだから。

計画を急がなければならない。

アーランド王都に引き上げたその日。ジオ王は、側近達を集めて、そう宣言した。

道を、作らなければならない。

全ての辺境諸国をつなげ。

人間の行き来を可能とさせる道を。

それで初めて。

大陸の南部、辺境諸国は。

人類どころか世界の敵となりつつあるスピア連邦に、対抗できるのだ。

以前は、大陸北部の列強に対抗するための計画だった。しかし、今では。異常発達したスピア連邦に対抗するべく、計画も早めなければならなくなってきている。

アーランド王城地下で行われた会議の締めで、ジオ王はロロナの名を呼ぶ。

立ち上がったロロナは。

まだ返り血を拭っていなかった。

至近まで迫ったベヒモスを、魔術砲撃で消し飛ばしたとき。しこたま浴びた返り血と肉片は。ロロナの服にこびりついていた。

「計画を早める。 例の確保している人員に対して、プロジェクトLの開始を」

「はい……」

以前は、自分がこのプロジェクトで。

この国のために、裏から手を回され、動かされる立場だった。

今は、違う。

今度が自分が主導して、あの不幸な子を、悲惨な運命に導かなければならない。

運命をあの子が打ち破れるのだろうか。

わからないけれど。はっきりしているのは。

打ち破れなければ、死ぬと言うことだけだ。

「トトリちゃんは、とても理解力が高く、この計画には最適の人材です」

そう、会議で言ったときの事を思い出す。

あの時。

血を吐くようだった。

自分が味わった地獄を、他の人間にも味あわせる事の罪深さで、胸が張り裂けそうだった。

ギゼラ=ヘルモルトがいなくなって、計画は多少修正を余儀なくされるけれど。

それでも、準備から、しっかり仕込んでいかなければならない。

師匠を一瞬だけ見る。

相変わらず、ロロナに対して壁を作っている。今回の戦いで、敵将を仕留めたのは師匠だ。

相変わらずの凄まじい戦いぶりで、ロロナではまだ勝てないと、一目で分かるほどだった。

「準備期間が終わりし次第、計画を開始します」

皆の視線が集まる中。

ロロナは、宣言する。

もう後には引けない。

戦いは、今。

この時、始まったのだから。

 

1、最弱

 

弱い。

トゥトゥーリア=ヘルモルトが、いつも言われて来たことだ。

此処はアーランドの最辺縁。アーランド王都の南東にある小さな港町。アランヤ村。

朝起き出したトゥトゥーリア、通称トトリは。目を擦りながら、水汲みをするべく、外に出た。

小高い丘に作られている家。

このような立地にあるのは、この家の主が、村にとっては生命線となる、造船の職人、いわゆる船鍛冶だから。

ほられている井戸から、水をくみ上げる。

今だからこそ、井戸から生活用水を確保できるけれど。数年前までは、近くの河口まで、出かけていかなければならなかった。

あくびをして、お日様を見ていると。

少しずつ、眠気が晴れていくのがわかる。

名前が呼びにくいから、トトリと呼ばれる事も多い。

みそっかすだから、名前を省略されることも、また多かった。

トトリだって、知っている。

アーランドは戦士の国。

戦士階級と、労働者階級があって。戦士階級の戦闘力は、大陸随一とさえ言われている。何年か前にあった大きな戦争では、二十倍もの敵の群れを、真正面から打ち倒したほどだとか。

戦士階級なのに。

その辺の魚よりも弱い。

それがトトリの評価。

そして戦士として力量が低いと言う事は。此処アーランドの民としては、致命的だった。

更に致命的だったのは、トトリの母が、この国でも最強ランクの使い手の一人だった、ということだろう。

あらゆる全ての要素が。

トトリの肩身を狭くしている。

水をくみ上げると、家に。

何度か運んでいって、生活用品を確保。

トトリの家には、二つの大きなスペースがある。

生活をするための居間。此処には料理をするためのスペースもある。

その隣には、増設されたアトリエ。

何年か前に。この村に来た、錬金術師のロロナという人が。トトリの父と一緒になって、てきぱきと作り上げてしまったものだ。

今も、言われたとおりに勉強をしているけれど。

自分みたいなみそっかすが、本当に錬金術なんて出来るんだろうか。トトリは、いつもそう思って、憂鬱になるのだった。

寝室から、姉が出てくる。

とても優しく綺麗なお姉ちゃんは。トトリの自慢だ。

名前はツェツェーリア=ヘルモルト。単純に呼びにくいという理由で、ツェツェイと呼ばれている。

ちなみにトトリと違って、戦士としてはかなり有力で。アランヤの若手三本矢とまで言われていた。

今は戦士としての活動はあまりしていなくて。家の事を中心としているけれど。

時々家の裏で、訓練をしているのを、トトリは知っている。

多分戦闘力は、トトリの百五十倍くらいはあるだろう。それでも控えめかもしれない。

「おはよう、トトリちゃん」

「おはよう、お姉ちゃん」

お姉ちゃんは、トトリに優しい。

汲んできた水を二人で手分けして、生活用水にしていく。

料理を早速始めたお姉ちゃん。

こうなると、手持ち無沙汰だ。

料理はお姉ちゃんの独壇場だし、おろおろするばかりで何も出来ないトトリは、いるだけ邪魔だ。

「その、お外に、行ってくるね」

「ええ。 朝ご飯が出来るまでには、帰ってくるのよ」

「うん……」

父はまだ起きてこない。

船鍛冶としての実力は一級だが、今は仕事をしようが無い状況なのだ。蓄えはあるから、別に働く必要もない。

今はすっかりだらけきってしまっていて、いつも寝ている有様。

母は、行方不明になったまま、帰ってこない。

この家は、事実上お姉ちゃんが支えている。

そして、トトリには。

何も出来ない。

 

トトリは現在十三歳。アーランド戦士としては、既に実戦を経験していなければならない年でもある。事実お姉ちゃんは同じ年の頃には、最前線で大人の戦士に混じって戦っていたのだ。見込みがないと周囲には言われていて。事実トトリもそう思っていたのだけれど。

この村にいる師範は、トトリがどれだけみそっかすとして笑われても、きちんと修行を続けた。

その修行も、少し前に終わり。

今では言われたまま基礎訓練をして、それだけで一日が終わってしまう。

弱いと評判のトトリは、モンスター退治にかり出されることもないし。近海を中心とした漁にも連れて行かれることがない。

軽く外を走ってから村の人達に挨拶。

寂れた港町だ。

家々はどれも貧しさがにじみ出ている。戦士達が如何に凶猛でも、ある理由から外海に出られないことが、村の富を容赦なく奪っている。家の軒先に干されている魚も痩せていて、売り物にならない場合が多い。

向こうで、網を引いている。

引いているのは、屈強な戦士ばかりだけれど。結果はどうせ知れている。痩せたコヤシイワシが取れるくらい。それも、そう多くは取れないだろう。

村の人達に挨拶しながら、廻る。

何歳も年下の子に馬鹿にされることも多い。

村を廻っていると、気付く。

馬車が来ていた。

乗合馬車である。馬は今の時代、街の中でしか生きられない存在だけれど。たとえば荷物を運んだり、幼い子供や老人が移動する手段としては役に立っている。普通のアーランド戦士の場合、走る方が馬より早いので、使わない。

馬車が着ているという事は。

ひょいと、馬車の影を覗き込むと。

いた。

陰気な表情で、リンゴを囓っている青年。目つきは陰鬱で、周囲に対する敵意と拒絶があった。

ペーター。

トトリはペーターお兄ちゃんと呼んでいる。

この村における、若手三本矢の一人だった。

お姉ちゃんとも仲が良くて、昔はもう一人の三本矢の人とも仲良くしていたらしいのだけれど。

今ではすっかり陰気になって、馬車の御者だけをしている。戦士として活動しているとは、聞いていない。

村の人達は、ペーターお兄ちゃんをこう呼ぶ。

ヘタレと。

ペーターお兄ちゃんもそれに言い返さない。ただ、実力はそこそこに優れているし、村で暴力を伴ったイジメに遭うことはないようだけれど。

目があった。

「何だ」

「お、おはようございます、ペーターお兄ちゃん」

「……ああ」

返事も陰気だ。

トトリは困り果てて、一礼だけして、側を離れる。

昔はこんなに暗い表情では無かったし。お姉ちゃんと一緒に、トトリとも遊んでくれたのに。

だからお兄ちゃんと今でも呼んでいるのだけれど。

どうして、こんな事になってしまったのだろう。

酒場に顔を出す。

勿論、お酒なんて飲むわけじゃない。

この村での情報源は、此処で得るのが普通だからだ。

「おはようございます……」

「おはよう」

奧のカウンターにいるマスターは、髭を蓄えたダンディーな紳士だ。この街における最強の戦士でもある。

そうでなければ、荒くれ揃いのアーランド戦士達が集まる酒場で、マスターなどやっていられないのである。

「あの、錬金術のお仕事とか、ありませんか」

「今のところ、入っていないな」

数秒だけ、視線を合わせるけれど。

視線を最初にそらしたのは、トトリだった。

知っている。

仕事はあっても、今のトトリには任せられないと、思われている。当然だろう。錬金術師として、何かをしたわけでも無いのだ。

この村に以前来た錬金術師、ロロナ先生は。本当に色々な事を、村のためにしてくれた。

あの人のおかげで、この村がどれだけ便利になったかは、想像も出来ないほどだ。

村の人達が、ロロナ先生を本当に尊敬していることを知っている。

そして、トトリは。ロロナ先生の弟子だからと言う理由で、最後の侮蔑される一線を、超えていないとも。

彼奴はみそっかすだが。

何しろ、村の大恩人が弟子にしている相手だ。

それが村の人達の評価。

変わりたいとは思うけれど。

実際には、何が出来る訳でも無い。

誰かを助けることも出来ず。

自分自身で、何かをすることさえ出来ない。こんな自分に、何の価値があるのだろう。ずっと思って生きてきた。

「よっ! トトリ!」

後ろから声を掛けてきたのは。

幼なじみのジーノ君だ。

小柄な少年で、戦士としての力量はあまり高くないけれど。潜在力は高いと見なされているようで、村の大人達にはかわいがられている。

トトリとはとても仲良くしてくれていて、助かる部分も多い。

何より、同い年の子供はあまりいないので、それで親しくしているという事もあった。

「なんだー、今日も暗い顔しやがって。 体動かせ、体! そうすっと、暗いこと何て、すっとんでくぜ!」

「うん、そうだね」

苦笑いしてしまう。

ジーノ君は典型的な脳筋思考の持ち主で、まずは体を動かす。そのほかのことは、全て後回しというタイプだ。

実力はトトリよりは上とは言っても、まだまだなので、単独行動は許して貰っていない。

昔は二人で、随分海に行って泳いだりもしたのだけれど。

今では、海で遊ぶのをジーノ君が嫌がるようになったので。黙々と、トトリは一人で浅瀬で泳ぐようになっていた。

適当にジーノ君と話ながら、家に戻る。

小さな村だ。

鍛錬代わりに走っても、すぐに全てを見終わってしまう。

丘の上の良い立地に住んでいる事も、きっとトトリがあまり良く想われていない理由の一つだろうとは思っているけれど。

確信がないので、口にしたことは無かった。

朝日が、存在感を増してきている中。

二人で、黙々と棒を振る。

棒術はどこの村でも基礎としてやるとトトリは聞いたことがある。アランヤでも、それは同じ。

棒は他の武術に派生しやすいからだ。

棒を一通り触らせた後、剣や槍などに、それぞれの適性を見ながら振り分けるのである。ジーノ君は言うまでも無く剣。お姉ちゃんは槍だ。

トトリは、此処でも半端物である。

棒が他の武術に比べて劣るわけでは決してない。

だけれども、ある程度力がついてきたら、師範から適性にあわせて何々にしろ、といわれるのが通例。

トトリは何も言われていない。なし崩しで、棒をやっているだけ。

魔術を専門でやるタイプの戦士は、早々にこの手の肉弾訓練を切り上げることも多い。それさえ、トトリは言われていないのだ。

ジーノ君は棒の振り方にしても、もう敵を充分に倒せる力量を感じられるのに。

トトリのそれは、まるで力がこもっていない。

師範に言われたようにやっているのに。

どうしても、力は伸びなかった。

一通り型をやり終えると。ジーノ君は遠慮無く言った。

「何だ、相変わらずだなー。 それじゃあ、その辺の魚にも勝てねーよ」

悪気無くジーノ君は笑う。

確かにその通りなので、トトリは何も言い返せなかった。

ちなみに、その辺の魚というのは、この近辺の岸壁にいる陸魚である。トトリの背丈の二倍くらいの長さがあって、ひれが足のように発達して、馬くらいの速度で走り回ることが出来る。

普段はひなたぼっこをするために岸壁に群れているのだけれど、口は鋭い牙で一杯。

子供くらいなら、ひと飲みにしてしまうほどだ。

昔は労働者階級の人が知らずに海に近づいて、この魚に食べられてしまう事がよくあった。

今では周知されているので、それもない。

このアランヤ村では、この魚が、子供の戦士の格好の訓練相手になっている。

六歳くらいから、大人の監督の下戦わされて。

十歳くらいでは、単独で倒せることを要求される。

ジーノ君は既に実力で充分に倒せる。トトリは十三にもなって、倒すどころか、勝てる気がしない。

だから泳ぐ場合も、この魚が入れない、浅瀬でしか出来ず。それが馬鹿にされる要因の一つにもなっていた。

魔術の方の才能があれば、マシだったかもしれない。

でもトトリには、魔術の才能は無しと、師範にきっぱり言われてしまっていた。

戦士としても駄目。

魔術も駄目。

錬金術だって、とても大成できるとは思えない。

未来は、とてもか細くて。トトリはいつも、苦しい思いをしていた。

「大丈夫だって。 訓練続けてれば、いつかは絶対強くなるからよ!」

「そうだね」

お姉ちゃんが呼んでいるのがわかった。

ジーノ君と別れて、家に戻る。

今日も、空虚な一日だ。

お姉ちゃんは優しい。何があっても、トトリを守ろうとしてくれるだろう。きっとトトリが全てに悲観して、家に閉じこもって、寝てばかりいても。トトリのために、色々してくれるはずだ。

でも、それで良いのだろうか。

朝食を採ると、トトリはアトリエに入る。

ロロナ先生に言われたとおり。

少しずつでも、勉強を進めておこうと思ったからだ。

でも、それが何になるのだろう。

最弱である事は、トトリに課せられた現実。どうして師範は、見込みがないと言わなかったのだろう。

一通り勉強をした後、膝を抱えて、一人。

トトリは、涙を流した。

 

2、ひな鳥の寝床

 

アランヤ村を訪れるのは久しぶりだ。

ロロナは護衛のホムンクルス三名と一緒に、アランヤ村に到着。今は真夜中であり、トトリは寝ている事を確認済みである。

ロロナが来たことに気付いて、村の人々がすぐに集まってくる。

過酷だけれど。

全ては出来レースなのだ。

実のところ、トトリは戦士としてはそれほど出来が良くないけれど、錬金術師としては破格の才覚を秘めている。

そして、戦士としても。

実のところ、それほど素質は低くないのだ。

典型的な大器晩成型なのだと、この村の師範からも聞いている。そしてトトリの最大の武器は。

まあ、それは良い。

とにかく、もうトトリは充分にやれるとロロナは判断している。

此処からは、トトリが旅立ちやすい環境を作ってやれば良い。

ロロナが声を掛けると、すぐに関係者は酒場に集まる。狭い村だし、なにより大きなお金が動いている。当然のことである。金に釣られているのでは無い。こういう小さな村で、しかも今は本来の主力収入が断たれている状況。

収入を得ることは、文字通り死活問題なのだ。

この村でのプロジェクト参加者は五名。

トトリの父であるグイード。村随一の船鍛冶であり、アーランドでも名前が知られているほどの腕前だ。

トトリの姉であるツェツェイ。

彼女は、トトリを国家プロジェクトに参加させることに、内心で反対であるらしい。溺愛している様子からして当然だろう。

ツェツェイは戦士としてそこそこの力量があり、中距離戦に関しては現状この村でも上位に食い込むと評価を受けている。

トトリのサポートをする人員としては、申し分ない。

酒場のマスターであるゲラルド。

彼は事実上、この村のまとめ役。プロジェクトへの参加は当然とも言える。

元々この近辺で名を知られた戦士だったという事情もある。様々な状況において、プロジェクトの総括をする立場にもあるのが、彼だ。

遅れて酒場に入ってきたのは。

身の丈ほどもある、バトルアックスを軽々と抱えた女戦士。

彼女こそ、現時点でこの村随一の使い手。

肌を健康的に焼いた彼女は、メルヴィア。

腕力に関してだけは、国家軍事力級(現在では使われていない称号だが)の戦士に、匹敵するとさえ言われているほどの使い手である。

メルヴィアには、トトリの近辺での護衛を務めて貰う。何しろ、スピア連邦の介入がいつあってもおかしくない状況だ。手練れが常に側にいないと、危険である。

勿論、本人が直接トトリにそう言うわけでは無い。

あくまで、意図は隠さずに、である。

ちなみに村では、若手三本矢と呼ばれていた一人。ツェツェイとペーターが戦士としては脱落気味な今、メルヴィアが村の戦士としての期待を一手に背負ってもいる。今回のプロジェクトが成功すれば、メルヴィアの評価は当然うなぎ登りである。村の収入にも、直接影響してくるだろう。

前はこの村には、ギゼラという国家軍事力級の使い手がいたのだけれど。彼女は今は行方不明だから、それも致し方ない。

騎士という階級が廃止され。

諸事情から冒険者という職業が新しく作られた今。その冒険者として、早めに高名な人物を出す事は、アランヤ村には最大の重要事ともなるのだ。

そして最後の一人が、ペーター。

乗合馬車の管理をしている男だ。

陰気で周囲に対する敵意を隠さない男だが。プロジェクトには、問題なく参加してきている。

彼の役割は、トトリの動向の監視と連絡。

他の村人達も、プロジェクトには参加している。

トトリに心理的圧力を加え、鍛えること。

元々、村の誰もが、トトリが有望な錬金術師になりうるし、戦士としても大器晩成型だと言う事は知っているのだ。

知った上で、冷たくしろと、ロロナが指示を出している。

我ながらひどい話だと思うけれど。

トトリを出来るだけ早く精神的に鍛え上げるには、これしかない。

後で恨まれる事も覚悟している。

刺されるかもしれない。

それでも良い。

トトリはロロナを本気で尊敬してくれているようだから。この裏切りがどれだけ陰湿なこともわかっている。

だけれども、これしかないのだ。

トトリの潜在能力は、このプロジェクトに必要だ。しかも、時間が今は致命的に無いのである。

最上座に着くと。

ロロナは、アランヤ村の皆を見回す。

「それでは、定時報告をお願いします」

最初に発言したのはゲラルドだ。これは立場から言っても、当然のことだろう。

ちなみに、この村の第二の顔役とも言える師範は来ていない。無理もない。剛直な人だし、そのようなやり方は好まんと、面と向かってロロナにも言っていたくらいである。

「まずトトリですが、生真面目に鍛錬を続けています。 本人はまるで気がついていませんが、そろそろ外で行動させても大丈夫でしょう」

「ただ、あの子自信がまるでないのよね。 格下相手に不覚とるかもしれないわよ」

そう発言したのはメルヴィアだ。

元々メルヴィアは、トトリが幼い頃から知っている。

元はトトリが明るい性格だったことも。

トトリがこうも引っ込み思案で自分に自信がなくなったのは、ある事件が切っ掛けである事も。

ツェツェイの親友でもあるメルヴィアは、トトリに関しては、妹のように思っていたようだから。

知っていて当然だろう。

「ジーノくんに一緒に行って貰うのはどうかしら」

「ま、それで様子見かしらね。 一通り実戦を経験させたら、あたしも加わるわ。 最初のうちは、影から見張るのが良さそうね」

ツェツェイが提案して、メルヴィアが同意する。

まあ、それで良いだろう。

とにかく、今はトトリに行動させる事だ。

元々非常に母親を慕っていたらしいトトリだが。どうも内心で、母親の生存を諦めていないらしい節がある。

それならば、其処を突けば。

アーランドに出向いて、冒険者になりたいと言う可能性が高い。

我ながら酷い事をしているとはわかっているけれど。ロロナも現状が如何に危険かは良く理解している。

一刻も早く、トトリをプロジェクトのレールの上で、動かさなければならないのだ。

そうするだけの価値が、あの子の才覚にはある。

「わかりました。 それでは、まずトトリちゃんに外での戦闘経験を積んで貰ってください。 それと、近々増員をこの村に出します。 彼女とも協力して、事態の進展に務めてください」

ロロナは一通り、皆から話を聞いていく。

トトリは村の人間からは、正直あまり良く想われていないのは、現時点でも同じだ。大器晩成型の戦士としては期待されている。錬金術師として、この村を発達させることも、期待されている。

しかし、現時点では、卵に過ぎない。

それに、村で一番良い土地に住んでいて。親は別に働かなくても食べていける状況。

これが、村の人達には、あまり良くない感情を植え付けている。

悪感情を解除するには、トトリが出来るところを、見せるしかない。

「ゲラルドさん、トトリちゃんへの仕事を解禁します」

「わかりました。 様子を見ながら、やっていきます」

「よろしくお願いします。 それから……」

一通り話を終えて。

皆が解散したときには、もう夜半を廻っていた。

自分の肩を叩きながら、ロロナはすぐに村を離れる。このプロジェクトで道を作る事に、ロロナは直接の関与を認められていない。

出来れば自分がやりたい位なのだけれど。

アーランドにとって、急務なのは人材育成。

それに何より、道の構築だ。

ロロナは道構築の最前線に立つよりも、基盤インフラの整備と、人材の調達育成、何よりクーデリアと組んでの対スピア連邦作戦をプロジェクトによって押しつけられた。

恨みだってあるけれど。

この国が、大国の圧力に晒されているのも事実。

スピアの圧力が異常で、その侵略に晒された国がどうなっているかも、わかっている。

もたついている暇は無い。

どんな手でも、使わなければならないのだ。

村を離れるときに、トトリの家を一瞥。

まだ十三歳の女の子に、過酷すぎる運命を背負わせることになる。ロロナがプロジェクトに参加したのは、十四歳の時。自分よりも早い。

しかも師匠に体を弄られていた自分と違って、トトリは普通の人間だ。抜群の才覚はあるにしても、心も弱さもある。

出来るだけの事はしてあげたい。

でも、出来る事は、あまり多くないのだ。

 

3、最初のお仕事

 

今日も、朝が始まる。

トトリは寝床から這い出すと、代わり映えのない現実にうんざりしながら、外に水汲みに出た。

嫌みなほど、晴れ渡った空。

雲がたくさんかかっている自分の心とは大違いだ。

よいしょよいしょと、水汲み。

それが終わってから、軽く走るべく、外に出た。

こんな風に、自分が著しく自信を無くしたのは、何時からなのだろう。

多分、お母さんが行方不明になってからだ。

お姉ちゃんもお父さんも口を濁して言わないけれど、村のみんなは死んだだろうって言っている。

お母さんは。

トトリとは大違いだった。

豪放磊落で、村のみんなからは複雑な目で見られていたらしい。

何しろ、国家軍事力級の使い手として、色々なところでたくさんの功績をあげたのだ。国から補助金も出ていたし、村そのものの発展にも寄与した。

でも、非常にがさつで乱暴でもあったので、村としては腫れ物扱いだったらしい。

それも、何となくわかっている。

お母さんは誰にでも好かれたと、お姉ちゃんもお父さんも言っているけれど。

本当だったのかは、わからない。

ただ、トトリはお母さんが好きだった。

だから、どうにかしたいとは思っているのだけれど。

どうにもならないのも、事実だ。

一通り走り回って、朝のジョギングは終了。

棒を握って、振る。

今日はジーノ君はいなかった。きっと、他の子と、朝からその辺のお魚こと、陸魚でも狩りに行っているのだろう。

遊びであると同時に、立派な戦闘訓練だ。

ちなみに陸魚は食べてもあまりおいしくないので、殆どの場合は倒した後、切り刻んで肥料にしてしまう。

型を順番に、一つずつやっていく。

お前はせめて、実戦向きの魔術が使えればな。

そう周囲の人達にも言われたけれど。

どうにもならないのが、事実だ。

そして、錬金術も。

ロロナ先生に教えて貰った基礎的な事はやったけれど、それだけ。

錬金術には素材がいる。

錬金術を行うための道具類は揃っているけれど。今は、素材さえ無くて、実践できないのが実情なのだ。

歯を食いしばって、型を続ける。

一通りの型をやった後、残心。

ふと、振り向くと。

お姉ちゃんが見ていた。

「トトリちゃん、私と組み手、して見る?」

「うん……」

あまり気が進まない。

いつも優しいお姉ちゃんだけれど。組み手になると人が変わるからだ。

元々、村の若手三本矢と言われていた使い手。棒術から槍に切り替えた後、中距離戦では村随一とまで言われるところまで行ったお姉ちゃんは。武術に関しては、当然とても厳しいのである。

お姉ちゃんが、訓練用の棒を手に取る。

向かい合って、礼。

後は、みっちりたたきのめされて。

ぼこぼこにされて。

のびるまで、一連の流れ。

今日はいつもより更に厳しかったような気もするけれど。師範に教えて貰う時よりは、マシかもしれない。

酷い目にあったけれど。その後の朝ご飯は美味しくなる。

しばし、ご飯を食べると。

少しだけ、気分も上向いた。

お姉ちゃんが、トトリの分の食器を片付けながら言う。

「今、メルヴィアが帰ってきているのよ」

「メルお姉ちゃんが?」

「そうよ。 冒険者として、またランクが上がったんだって」

冒険者、か。

少し前、この国にあった騎士という階級が廃止されて。代わりに冒険者という階級が作られた。

国に雇われた何でも屋。

勿論、仕事には荒事も含む。

冒険者階級が採用されてからは、今まで極めてアバウトだったアーランド戦士の格付けが、非常に細かく行われるようになった。

十段階での評価。

昔、国家軍事力級と言われていた人は勿論最高位ランク。

それ以外の戦士は、実績に応じてランクに振り分けられて。国からお仕事を貰って、色々な事をする。

引退後の戦士の仕事は、主に若手の育成。

若手の仕事は、弱いモンスターの駆除や、雑多な荒事の処理。

おおむね、そんな内容らしい。

でも、トトリは、あまり冒険者についてはくわしくない。

表向きは、騎士団が弱かったので、作られたものだという事らしいけれど。

騎士団が大陸最強と言われていたことくらい、トトリだって知っている。きっとなにか大人の事情があったのだろう。

今では、アーランドの戦士階級は、ほぼ全員が冒険者になっているとか。

ちなみにお姉ちゃんも冒険者だ。今は開店休業状態だけれど。

「メルお姉ちゃん、もうランク6だっけ?」

「腕力だけならこの国のトップ戦士に並ぶと言われているからね。 彼方此方でモンスター退治もしているようだし、当然でしょうね」

「へえ、凄いなあ」

「彼方此方も冒険しているようよ」

冒険、か。

あちこちに行くことがあれば。

ひょっとしたら。

食事が終わった後、家を出る。丘を降って、酒場に。

メルお姉ちゃんは、幼い頃からトトリと遊んでくれた人だ。行動パターンは知っている。酒場に出入りして、大体つまみ食いをしている筈だ。

酒場に行くと。

メルお姉ちゃんはいない。

そうなると、さっそく小遣い稼ぎのお仕事を貰って、出かけていったのかもしれない。冒険の話を聞きたいと思ったのだけれど。

肩を落とすトトリ。

だが、トトリに、不意に声を掛けてきた人がいる。

いつも冷たい対応をするマスターだった。

「トトリ」

「はい」

「お前に、やれそうな仕事が入っている」

思わず、自分を指さしてしまう。

あれだけ仕事をくれと言ってもくれなかったのに。その上、村でみそっかすと言われている私に。

そうなると、錬金術の仕事だろうか。

緊張しながら、マスターの所に行くと。

渡されたのは、簡単な薬のお仕事だった。

ヒーリングサルブ。

ロロナ先生にも教わった、簡単な傷薬だ。ロロナ先生の書いたものではないらしい参考書に、最初に載せられていた。

幾つかの中間生成物を使って、回復力を上げてあるらしいオリジナルのレシピ。

ただ、どうして参考書を、ロロナ先生が書かなかったのかは、当時から気になっていた。

「わかりました。 頑張ります」

「少々の給金は出す」

一礼すると、酒場を出た。

冒険をすれば。

彼方此方に出向くことになる。

そうすれば、お母さんの足取りを追うことが出来るかも知れない。

死んだなんて、信じない。

きっとどこかで、お母さんは生きていると思う。

外はとても怖いけれど。

このまま、この村の中で、嘲られながら生きていくのは嫌だ。お姉ちゃんもお父さんも優しくしてくれるけれど。それでも、ぬるま湯の中でぎゅっと身を縮めながら、周りの人達の視線から隠れて生きていくことになる。

どうにか、したい。

そう思っていることに違いは無いのだ。

トトリは弱いけれど。

錬金術さえ、使いこなせれば、きっとどうにかなる。

ロロナ先生が教えてくれた、この国でも何人も使い手がいない、神の手の技。

そう考えると、少しずつ、気も上向いてくる。

さて、問題はこのお仕事だ。

ジーノ君を探す。

港まで出向いて、見つけた。

案の定、陸魚とやりあってきたらしい。他の子と、トトリの二倍くらいある生魚を抱えて持ってきていた。

「おーす、トトリ。 見ろよ、さっきオレが仕留めたんだぜ!」

「ジーノ君、お願いがあるんだけど、いい?」

「なんだよ、いってみな」

「錬金術の材料が欲しいの。 西の平原に一緒に来てくれないかな」

他の子供達が茶化すが、ジーノ君が一睨みで黙らせる。

ガキ大将をやっているだけあって、腕っ節も他の子より強いのだ。

「良いぜ、すぐいくのか?」

「ちょっと待っててね。 お着替えと準備してくるから」

「じゃ、村の入り口に行ってるからな。 すぐ来いよ」

ジーノ君が、魚を子分達に任せると。

すぐに、自宅へ走っていった。

トトリも、自宅へ向かう。

他の子達は、トトリをあまりいい目で見ていなかった。

 

お仕事の時に着ようと思っていた、錬金術師の正装に着替える。

青を基調としたお洋服で、背中からはチョウチョの羽みたいなのが生えている。ロロナ先生がいうには、トトリのためにわざわざ錬金術で作ってくれたらしい。

そして、錬金術師には必須だという荷車を出してきた。

素材をたくさん入れられる特注。

車輪は大丈夫だと、動かしてみて確認。

素材を保護するための工夫も前はしてあったらしいのだけれど。それはどうしてか、全て剥がされていた。

そして、もう一つは、杖だ。

実戦用の加工がされている杖。当然訓練用のものよりも重い。

まだ、トトリは村の外に自由に出ることを許されていない。だから、ジーノ君を呼んだのだ。

何度か振り回してみる。

前は杖に振り回されるばかりだったけれど。

もうトトリも十三。

戦士階級の十三歳なのだ。

何とか、振り回すことが出来て、ほっとした。

反復練習をバカみたいに繰り返してきて、やっと意味が出てきた、という事なのだろう。

「トトリちゃん、お出かけするの?」

「ゲラルドさんが、お仕事くれたの。 だから、これからジーノ君と、お外で材料をとってくるね」

「あまり遅くならないようにね」

「はーい」

お姉ちゃんのことだ。

一緒についてくるかと思ったのだけれど、意外にあっさり許可してくれた。

そのまま、荷車を引いて、村の入り口に。

帯剣したジーノ君が、もう待っていた。

 

村の外には、豊富な自然がある、というわけではない。

東には荒野。

此方はかなり危険なので、今のトトリには行くことが許されない。勿論、ジーノ君も同じである。

南には、当然のことながら、海。

村の周辺には海岸線が拡がっていて、浅瀬から砂浜、岩場まで様々。ちなみにアランヤ村そのものは、少し入り江になっている所に作られている。

これは港を作るため、ある程度の水深が必要だからだ。

北は道。

いわゆる街道。

街道に沿って幾つかの村が点在していて、北に北にと行くと、やがてアーランド王国の王都に到着する。

トトリはあまり詳しくないけれど。

今は王国では無くて、共和国という体裁らしい。

でも結局ジオ王が収めている事には代わりは無いので、よく分からない。

西は、平原があるけれど。

少し前に、ロロナ先生が作った森の辺りを抜けると、もう危険地帯に突入だ。トトリやジーノ君ではとても手に負えない凶暴なモンスターがたくさんいる。

しかも、モンスターだけでは無い。

何種類か、亜人と呼ばれる種族がいるのだ。

その一種が、リス族。

人間よりかなり小柄ながら、腕力はとても強い種族。トトリの半分くらいしか背丈はないけれど、知能は高く、戦闘力も概して高い。

もう一種類が、ペンギン族。

此方も背丈は低いけれど、リス族以上に戦闘力が高くて、海岸線でたまに大人の戦士が遭遇する。

あまり良い話は聞かない。

殺し合いになる事も、珍しくない様子だ。

リス族はここのところ、ロロナ先生が作ってくれて、村の大事な水源と食糧源になり、辺りの動物を支えてくれている森に進出してきている、と言う話がある。

森を傷つけるつもりは無い様子なので、村でも対処はしていないけれど。

リス族もどちらかと言えば、人間とはあまり仲が良くない種族だ。遭遇した場合、血を見る覚悟は必要だろう。

いずれにしても、である。

半人前以下の戦闘力しかないトトリと。

半人前のジーノ君では。

行ける場所は、西の平原しかないのだ。

村から歩くと、すぐに平原に着く。

森の影響だろう。

綺麗な小川が出来ている。それに、緑色の草木が、絨毯のように拡がっている。

ロロナ先生が森を作ってくれる前は、この辺りも荒野で。時々ベヒモスがでたらしいのだけれど。

今はもうすっかり美しい緑の野。

何カ所かには、村の人達が作った橋も架けられている。

アーランド王国は、街道沿いから順番に緑化政策を実施している。荒野が緑になれば、それだけ得られる富も増える。周囲の保水力が上がって、人間の数も増やすことが出来る。

モンスターはどうしてか荒野を好む傾向があるので、労働者階級の人が、比較的安心して歩けるようになる。

勿論、あくまで比較だ。

森でも平気で入ってくるモンスターは多いし。

敢えてモンスターを放し飼いにしている森もあるのだから。

適当な場所に、荷車を止めると。

レシピに従って、順番に材料を集めることにする。

何種類かの薬草が必要になる。

辺りには無数の草花があるけれど。人間が、薬として役立てられるのは、あまり多くない。

でも、それはあくまで人間の都合。

ロロナ先生は言っていた。

まずは、大地の力をよみがえらせることが大事。草花は、大地の力となる存在なのだから。人間が直接役立てられるかどうかで、判断してはいけないのだと。

「なー、薬草ってどれだよ」

「私が集めるから、ジーノ君は見張りをしていてくれる?」

「いいけどよ、この辺りだと、どうせでてもぷにぷにだぜ」

「うん、充分私には脅威だから」

ぷにぷに。

この辺りに出現するものにはそれほど強い者はいないけれど。大陸全域に生息している、凶暴な不定形の猛獣だ。

当然、モンスターに分類されている。

基本的に球状の体をしていて、やる気が無さそうな目と口がついているのだけれど。この目はどうやら擬態らしく、相手を油断させるためのものらしい。

本当の武器は、全身から繰り出す触手。

それに肉食の傾向が強くて、口の中は鋭い牙がたくさんだ。

この辺りには青いぷにぷにがたまにでる。これの戦闘力はあまり高くなくて、いつもジーノ君が狩っている陸魚と同じ程度だけれど。

緑は青より二回りは強いし。

黒になってくると、とてもトトリやジーノ君の手には負えない。せめて錬金術の道具類を作れれば、話は別かもしれないけれど。

ロロナ先生は、ある程度自衛が可能な実力があると聞いている。

どうもロロナ先生は、控えめにものをいう癖があるようなので、この辺りのモンスターなんて、余裕と言う事だろう。

羨ましい。

地面を這い回って、草を探し続ける。

ジーノ君は退屈そうにあくびをしていたけれど。

やっぱり、半人前でもアーランド戦士だ。

退屈はしていても、油断だけはしていない。

「あんまり遠くに行くなよ」

「大丈夫、見つかりそうだから」

どさどさと、抱えていた薬草類を荷車に移す。

今の時点で、四種類必要な薬草のうち、三種類を確認。ヒーリングサルブはかなり回復力が高い薬で、たしか村でも重宝していたはず。

これを作れるようになれば。

村の人達も、喜んでくれるはずだ。

「なあ、トトリ」

「どうしたの?」

「冒険者になるって本当か?」

「誰から聞いたの」

探しながら、ジーノ君にこたえる。

最後の薬草は、物陰にちょこんと生える、小さくて白い花だ。これが薬効の主成分になる。

岩などを動かして、確認。

見つけた。

何株かを残して、採取。

後は、中間生成物用に必要な魔法の草。いわゆるマジックグラスが必要だ。

今回は幸い、中間生成物は多くは必要ない。

それに、必要となる中間生成物は、他にも応用が利くものだ。

つまり、錬金術の肝となる中和剤である。

普段なら、混じることがないものを、混じる事が出来るようにするもの。

魔力を蓄え、錬金術によって処置を施すことで完成する。

トトリはとても魔力が少ないらしく、中和剤はすぐには作れないけれど。ロロナ先生のレシピによると、水とマジックグラスを潰した液体を混ぜ込んだものが、ヒーリングサルブの中和剤に最適だという。

「メル姉を探してるって聞いてさ。 ぴんと来たんだよ」

「ジーノ君、普段はバカっぽいのに時々鋭いよね」

「ハハハ、お互い様だな」

屈託無く笑い合う。

幼なじみだから、互いのことはよく分かっている。

トトリの場合、何でもかんでも、思った事をスパンと言ってしまう悪癖があるのだけれど。

ジーノ君もそれは同じ。

だから端から見ると、トトリとジーノ君は、言葉でどつき漫才をしているように見えるのだとか。

「お母さんを、探しに行きたいんだ」

「……もう、死んだって聞いたぜ」

「生きてるもん」

トトリは、ぴしゃりと言い切る。

絶対に生きている。

この国でもトップクラスにまで上り詰めた戦士が、そう簡単に死ぬわけが無い。トトリだったら一万回は死んでいるだろうけれど。あのお母さんが、そう簡単に、命を落とすはずがないのだ。

「それで、どうするつもりなんだよ」

「まずメルお姉ちゃんに、どうしたら冒険者になれるかを聞くの」

「ほう」

「それに、きっとお金が必要だから。 今、お仕事をしているの」

マジックグラスは、辺りにたくさん生えている。

特に小川の周辺には群生していて、選び放題だった。

ロロナ先生のメモを見ながら、マジックグラスを選別。使い道はいくらでもあるのだ。取り尽くさないように気を付けながら、順番に採取していった。

荷車に積み込む。

汗を拭った。かなりの量が、既に荷車に積み込まれている。これだけ材料があればどうにかなるだろう。

「ありがとうジーノ君」

「おう。 じゃあ、戻るか」

荷車は当然、行きよりぐっと重くなっていた。

ジーノ君に手伝って貰いながら、帰り道を行く。既に、陽は最高点を通り過ぎて、傾き始めている。

夕刻以降になると、流石に厄介だ。

青ぷにぷにが単独や少数だったらどうにかなるけれど。夜になると、この辺りにも緑や黒のがでると聞いている。

大人の戦士がいれば、どうにでもなるけれど。

此処に大人はいない。

だからもしそんなのに遭遇してしまったら、トトリもジーノ君も、食べられてしまうだけだ。

村まで、あと少し。

櫓があるから、この辺は見えているはずだけれど。

それでも、モンスターに襲われたら、間に合わないかもしれない。ましてやトトリが食べられたって、お姉ちゃん以外の村人は誰も悲しまない。

でも、死にたくない。

村の入り口まで、到達。

息が乱れているのがわかった。疲労よりも、恐怖から来るものだと、誰に言われるまでも無くわかった。

 

アトリエまで荷車を運ぶ。

丘を荷車を押しながら登るのは、かなりの重労働だったけれど。ジーノ君も手伝ってくれたので、それほど苦労はしなかった。

アトリエに横付けした荷車から、採取した材料を降ろしていく。

何種類かの薬草類を順番に並べて。

そして、一応念のため、図鑑を見ながらチェック。

雑草や毒草が混じってしまっているかもしれないからだ。

また、薬草と一口で言っても、使える部所はそれぞれ違ってくる。図鑑を見ながら、入念にチェック。

「何だか、普段とは随分違うな」

「そうかな。 ジーノ君、ちょっと荷車を奧に動かして」

「おう」

並べた薬草を、コンテナに移していく。

問題なしと判断した分だ。

アトリエの地下にあるコンテナは、ひんやりとしていて、壁にも床にも天井にも、魔法陣が書かれたゼッテルが張られている。

ゼッテルの作り方は、まだ教えて貰っていない。

それに私は魔術についての知識がないから、魔法陣も読めなかった。

まだコンテナは空に近い。

でも、後の事を考えて、順番に荷車の中の薬草を分別して入れて行く。

後は、水汲みだ。

水を汲んでから、コンテナに運び込む。

コンテナの一角。

ひときわ大きな魔法陣が書かれた場所があって、その上に大樽がある。樽の中に水を注ぎ込んで、魔力を充填。

この家には、魔力が少ないトトリだけでは無い。

人並みに魔力があるお姉ちゃんとお父さんがいるから、丸一日くらい放置すれば、魔法陣が魔力を樽に送り込んで、水を中和剤に替えてくれる。

その中和剤に、すりつぶしたマジックグラスを入れれば、ヒーリングサルブの中間生成物が完成する。

後は、まずは作って見ること。

前にロロナ先生に指導を受けながら、作った事があるけれど。

自分だけでヒーリングサルブを作るのは初めてだから、緊張する。ロロナ先生はそれこそ神業的な手際で、あらゆる種類のお薬を生産していて、本当に今になって思うと、ため息しかでなかった。

ジーノ君はもういいのだけれど。

錬金術をする所を見たいというので、アトリエに入って貰った。

お父さんとロロナ先生が作ったこのアトリエは。

隣にある母屋の居間くらいの広さがある。

隅にあるのは、錬金釜。

一抱えもある大きな丸い釜で、色々な薬剤を煮込むことが可能だ。これは竈と直結していて、火を入れることも簡単にできる。

その隣に並んでいるのは、炉。煙突のような形をしていて、真ん中から開いて、ミトンを使って中にものを入れたり出したりする。

金属や食糧などを焼き上げるときにも使える、釜とならぶ錬金術の必須道具だ。

此方も前に説明を受けたけれど、まだ理解できていない機能はとても多い。

幾つかの道具類を出してくる。

ガラスのフラスコ。試験管。それに、パン。食べるパンでは無くて、液体を温めたり、卵を焼いたりするのに用いる、取っ手のついたお皿のような道具だ。

これらを使って。

トトリは生まれて初めて、村のためになり。

自分のお給金につながるお仕事をする。

「何か手伝うことはあるか?」

「もう大丈夫だから、そっちで座ってて」

「おう」

アトリエの隅にはソファもある。

ロロナ先生曰く、仮眠を取るのに使うそうだ。

ベッドもあるのだけれど。

ベッドで眠ると、起きられなくなってしまう可能性が、高いから、らしい。

材料を準備。

今日は、完成までは無理だ。中和剤は明日にならないと出来ないからである。だから、まあ、中間生成物を作るところまでだろう。

まず、何種類かの薬草を、きざむ。

丁寧にきざんで、茎の皮を取る。

葉も全てすりつぶす。

念入りに念入りにすりつぶして、井戸水を張った釜に入れていく。

順番が重要だ。

今回、雨傘草と日除け草をまず混ぜ合わせた中間生成液Aと。幽霊草と石取り草を混ぜ合わせた中間生成液Bを作る。

中間生成液Aは、混ぜて温めるだけで良いのだけれど。

中間生成液Bは、混ぜた後一端あくを取って。上澄みを濾し取った後、フラスコに入れて炉に移し、ゆっくり水分を飛ばして半分にまでする。

レシピを見ながら、順番に作業をして行く。

ロロナ先生に指導を受けていたときのことを思い出す。

此処はぐるぐるぐるー。こっちはぐーるぐーる。

擬音混じりの指導だった。

お姉ちゃんは何を言っているのか理解できないと小首をかしげていたけれど。レシピを見ながら、ロロナ先生の実演を見ると。どうしてか、やり方はわかるのだった。

途中、後ろを見ると。

退屈になってしまったらしくて、ジーノ君は眠ってしまっていた。

毛布を掛けると、作業を続行。

まず、簡単な中間生成液Aが完成。

これは一端コンテナに移して、冷ましておく。

続けて中間生成液Bに移行。

此方で使う幽霊草は、比較的貴重な薬草だ。あまり無駄には出来ないから、慎重にやらなければならない。

まず釜を綺麗に洗う。

その間煮沸しておいた井戸水を使って、もう一度念入りに洗った後。釜を空だきして、水分を飛ばす。

何度か擦ってみて、汚れが残っていなければ問題なし。

一度煮沸した水で洗ってみたけれど。

駄目だ。汚れが残っている。

二度、念入りに洗う。

多分、コツがあるのだと思う。ロロナ先生は、これも一発で終わらせていたのだから。

やっと釜が綺麗になった時には、夜になっていた。

ジーノ君が起き出したので、流石に家に帰ってもらう。

中間生成液Bを作り始める。

灰汁が、思った以上に出る。

それに、レシピによると、火力もかなり重要だ。途中で外に出て、薪を調節。いずれ、薪による火力を完璧に読めないと、更に複雑な調合はこなせなくなってくるだろう。

今回は、きざんで潰して煮込むだけだから、それほど難しくないけれど。

今後はそうも行かないのだ。

灰汁が出なくなる。

ゆっくり掻き回すと、残っていた固形分が、溶けるように液に混じっていった。

何回かに分けて煮沸した水で洗った試験管に移して、炉に。

炉の火力を調節。

レシピを何度も見て。間違っていないか、確認してから。

ようやく気付く。

既に、真夜中になっていた。

一眠り。

それから、中和剤の様子を見に行く。

思ったより魔力の充填が早い。触ってみると、静電気のように、ばちりとした。出来たと、見て良いだろう。

フラスコに中和剤をすくい取り。

最後の仕上げに取りかかる。

念入りに洗浄した錬金釜に、まず中間生成液Aを投入。釜に火を付けて、ゆっくり温度を上げていく。

此処で、中和剤を投入。

最後に、炉で温めておいた中間生成液Bを取り出す。

半ば固形化というか、ジェル状というか。かなり状態が変わっていた。生暖かいこれを、釜に流し込む。

さて、どうだろう。

しばし見ていると。

一気に、液体が白く濁り始めた。

そして粘性も強くなる。

本来は絶対に混じり合わない薬効成分同士が、今混じり合ったのだ。

胸をなで下ろす。

成功だ。

後は、昨日出かけたときに、ちょっと傷がついてしまった場所に、お薬を塗り込む。これがすぐに治れば、商品として使えると見て良いだろう。

傷の治りは、目に見えて早い。

というか、塗った場所はとても暖かくなっている。

中和剤から充填された強い魔力が、薬効成分と混じり合って、効果を倍にも三倍にもしているのだ。

すぐに傷が溶けて消えるように無くなる。

これならば、売り物になる筈だ。

事前に渡されていた入れ物に、少しずつ薬を移していく。元々ヒーリングサルブは、戦闘種族であるアーランド人には必須のもの。

村で使い切れないにしても。交易などで、充分にお金に換えることが出来る。荷車にお薬を積むと、トトリはすぐにアトリエを出る。

やっと、私は。

お仕事が出来た。

そう思うと。少しだけ、笑みもこぼれていた。

 

4、冒険者への壁

 

ゲラルドさんに、作った五十セットのヒーリングサルブを納品。荷車に積んできたヒーリングサルブは、品質はどれも均一。問題なく使う事が出来るはずだ。

しばらく納品したヒーリングサルブを確認していた酒場のマスターだけれど。

提示してきた金額は、予想より少なかった。

「前回、ロロナさんが納品してくれたものよりも、大分品質が劣るな。 だからこの値段だ」

「……」

そう言われると苦しいけれど。

確かに、ロロナ先生が作ったものにくらべれば、まだまだ雲泥の差だ。前に作った事があると言っても、所詮錬金術師としての腕前で劣るトトリが作ったものなのだ。多寡が知れているのも、当然だろう。

ただ、それなりのお金は手元に入った。

後は。

メルお姉ちゃんを探すけれど。

酒場にはいない。

荷車を持って、うちまで戻ろうとして。

酒場を出た瞬間、である。

いきなりトトリは、左から来た、巨大なドナーンに、至近距離で顔を合わせていた。

ドナーン。

巨大なオオトカゲだ。二足歩行をし、強力なものになると火を吐いたり放電したりと、ドラゴンの小型版みたいな性能を持っている。

どうして、村の中に。

逃げようにも、体が動かない。

恐怖でおしっこを漏らしそうだ。真っ青になって棒立ちするトトリ。

だけれども。

ドナーンは地響き立てて、地面に崩れ落ち。

その背中には、バトルアックスが深々と突き刺さっていた。

「あら、トトリじゃない」

全身にドナーンの返り血を浴びて笑っている女戦士は。間違いない。トトリの幼い頃からの知り合い、メルお姉ちゃんことメルヴィアである。

このドナーン、ひょっとして。

倒して、安全に解体するべく、村の中まで持ってきたのか。

メルお姉ちゃんは、大岩を軽々と持ち上げるほどの腕力を持っている、この村最強の戦士の一人だ。

腕力だけだったら、国家軍事力級の人達にさえ劣らないと聞いている。

この程度のドナーンを運んでくるくらい、朝飯前だっただろう。

「どう? おっきいでしょ。 朝、捕まえてきたんだ。 駆除依頼がでていた大きめのドナーンだよ」

「う、うん」

「これからあんたんちに持ってくから。 捌いて食べようね」

そう言うと。

メルお姉ちゃんはまたひょいと自分の十倍以上はありそうなドナーンを担いで、軽々、トトリの家に向かう丘を歩いて行く。

たかだか荷車で苦労している自分とは、えらい違いだ。

素直に感心したトトリだけれど。

そういえば、メルお姉ちゃんには、大事な話があるのだった。

慌てて追いかける。

出来ればこのことは。ツェツェイお姉ちゃんには聞かれたくないのだ。反対されるのは、目に見えているから。

まず、やり方だけでも、知っておきたいのである。

「メルお姉ちゃん!」

「ん? どーしたの?」

「冒険者になる方法、教えて」

「……え?」

足を止めるメルお姉ちゃん。

私は、どうしてだろう。

凄く怖い顔を、一瞬だけメルお姉ちゃんがしたように、見えていた。

 

冒険者になる方法は、まず以下の通り。

アーランド王都にある王宮に行く。

今はアーランドは共和国だそうだけれど、王宮は王宮として、そのまま存在しているそうだ。

其処で手続きをする。

以上。

手続きはそれほど難しくなく、特になるための資格は必要ない。それこそトトリでも大丈夫、という事だ。

つまり、アーランド王都に行くことさえできれば、冒険者になる事が出来る。お母さんを探す事が出来るのだ。

問題は、どうやってアーランド王都に行くか。

トトリでも知っている事だ。北の街道をずっと行くと、アーランド王都に辿り着くのだけれど。

徒歩で行くと、大体一月くらいは掛かる。

その上、街道と言っても、それほど安全では無い。

アーランド戦士が行くことを前提としているからだ。

途中には見張りの小屋や、休憩を行うためのキャンプスペースが点在しているけれど。勿論その間には、下手をすると一日以上歩かなければならない道がたくさんある。戦士階級としてはもうドベとしか言いようがないトトリには、絶対に踏破不可能なのだ。

方法としては、ペーターお兄ちゃんが御者をしている乗合馬車しかない。

乗合馬車はスケジュールがいい加減で、必ず動いている訳では無いようだけれど。

どうしてか最近は、アランヤ村近辺を往復しているようで、ペーターお兄ちゃんの姿はよく見かける。

運賃がよく分からないので、お金はあるだけあった方が良いけれど。

一応、ヒーリングサルブを納品したことで、それなりにお財布にはお金が入っている。勿論、運賃のことを考えると、あるだけあった方が良い。

問題は、もう一つある。

絶対に、お姉ちゃんが反対する、という事だ。

トトリは知っている。

お姉ちゃんは、お母さんがいなくなってから。その代わりになった。

お母さんとは真逆だったけれど。とにかく、トトリをもの凄くかわいがるようになったのだ。

世間一般で言う溺愛である。

何となく覚えている。

お母さんがいなくなって、トトリはずっと泣いてばかりいて。

何をする事も出来なくなった時期があった。

霞が掛かったようで、あまり覚えていないのだけれど。

その時期から、優しかったお姉ちゃんが。

さらに度を超して、トトリを甘やかすようになったような気がする。

トトリはそれでも生意気を言ったり好き勝手なことをするような事は無かった。棒術の鍛錬をしている時に、自分が弱いことはわかっていたし。その気になったら、お姉ちゃんがいつでも自分を見捨てることが出来るとも、知っていたからだ。

ずっとびくびくしていた。

お母さんに続いて。

お姉ちゃんも、自分を置いていくのでは無いのかと。

何重にも縛られた鎖から。

自由になるのは、今なのだ。

アトリエで、お金を数えておく。

馬車の運賃は、お姉ちゃんに迷惑を掛けられないから、自分で出す。村一番の船鍛冶の家とは言っても、もともとこの村がそれほど裕福では無いことくらい、トトリだって知っているのだ。

更に、アーランド王都で、どうやって過ごすか、という問題もある。

ペーターお兄ちゃんが、わざわざ待ってくれれば、それはそれで良いけれど。

最悪の場合、次の馬車を待つ可能性もある。

その時のために、どれだけお金を用意するか。まず、何処に泊まることが出来るかも、よく分からないのだから。

最悪の時に備えて、幾つでも手は打ちたい。

色々考えているうちに、一晩が過ぎた。

殆ど、眠ることは出来なかったけれど。

目は冴えていた。

ダイニングに入る。

お姉ちゃんは、いつも通りいた。トトリに背中を見せて、お料理を作っている。

背中に目がついているように。

出来るだけ静かに近づいたのに、トトリに声を掛けてくる。

「おはようトトリちゃん。 お水、汲んできてくれる?」

「うん……」

井戸水を、汲みに行く。

本当は、此処で話をしてしまいたかったのだけれど。

怖くて声が掛けられなかった。

お姉ちゃんは戦士として半ば一線を退いてから、髪を伸ばすようになって。今では肩よりも少し先まで、綺麗な髪が届いている。

いつものように水汲みをすると。

手際よく朝ご飯を作り終えたお姉ちゃんが。

いつものような笑顔では無くて。

険しいまなざしで、トトリを待っていた。

「冒険者になるつもりなの?」

「!」

「賛成すると思う?」

「……思わない」

さすがはお姉ちゃんだ。

いつ気付いたんだろう。

いや、言われなくても分かる。きっと、メルお姉ちゃんに、冒険者になる方法を、トトリが聞いて来たと、言われたのだろう。

この小さな村だ。

話をしているところを、他の村人が聞いていた可能性だって高い。

お姉ちゃんは、トトリと違ってみそっかすじゃない。そろそろ結婚適齢期だし、何より村の船鍛冶の家の娘だ。戦士としても有望。

跡取りとしての資格も持っている。

村では、メルお姉ちゃんについで、嫁にしたい人間の筆頭候補になる。誰だって、お姉ちゃんには、甘くなる。

「お母さんに次いで、トトリちゃんも失えって言うの?」

怖い。

此処で引いたら、おしまいだとわかっているのに。

怖くて、膝が笑うのがわかった。

元々戦士としても、お姉ちゃんはトトリなんかとは雲泥の差。才能も、何よりも現在の実力も、だ。

国家軍事力級なんて凄い称号を持っていたお母さんほどじゃないけれど。

それでも、この村では上から数えた方が早いほどの使い手なのだ。

「トトリちゃんの腕前は、私が一番良く知っているわ。 その辺のお魚にだって勝てないじゃない。 冒険者になったら、恐ろしいモンスターと何度も戦う事になるのよ。 ベヒモスやグリフォン、ドラゴンだって相手になるかも知れない。 ひょっとすると、他の国から来た怖い人も敵になるかもしれないわ」

ぞくりとする。

お姉ちゃんの言うとおりだ。

他の、戦士としてまともな力量を持っている人なら、それでも大丈夫かもしれない。何しろ此処はアーランド。

修羅が集う国なのだから。

「で、でも! 私には、錬金術が、あるから」

「ロロナ先生みたいに、戦えるっていうつもり?」

「ロロナ先生ほどには戦えないかもしれないけれど。 でも……身を守るくらい、なら」

「あの人は特別製よ。 魔力だってアーランドでもトップクラス。 攻撃系の魔術師としても、この国で上位に食い込んでくるほどの使い手なの。 それでも、錬金術師として彼方此方を廻っているとき、散々危ない思いをしたって聞いているわ」

正論が、トトリの必死の反撃を粉砕する。

お姉ちゃんは、いつもと違って。

トトリに優しくも、甘くもなかった。

「お母さんを、探しに行きたいの」

涙を拭いながら、トトリが言うと。

お姉ちゃんは、言葉を詰まらせる。

「お母さんが死んだなんて、絶対信じないから。 だから、私が、絶対に探してくるんだから……!」

お姉ちゃんは、何も言わない。

ただ、険しい表情を、崩さなかった。

その時、不意にお父さんが、奥から出てくる。

「お父さん?」

「話は聞いていたよ」

いつぶりだろう。

朝食の時、お父さんが一緒にいるのは。

すっかり頬が痩けて、威厳もなくしたお父さんだけれど。それでも、まだ時々お船の仕事はしている。

海でお魚を捕ることが、少ない収入源であるこの村にとって。お船を直せるお父さんは、生命線だ。

だからだろうか。

お父さんは、その気になれば。今でも、威厳を取り戻せる。

今も、威厳を。昔のような、威厳を戻していた。

「行かせてあげなさい」

「……!」

「トトリ。 これからは、大人の一人として過ごさなければならない。 とても危ない目にもあうだろう。 あのお母さんだって、冒険者をしている時は、傷が絶えなかったし、死ぬような目にも何度もあっていたんだ。 ましてや、仲間を作って一緒に行動したとしても、今のトトリだったら、それこそあっという間に死んでしまう。 モンスターに体を食いちぎられたり、生きたまま丸呑みにされて身動きできないところを溶かされたり、ならず者にオモチャにされるかもしれない。 お前が踏み込もうとしているのは、そう言う世界なんだよ」

お父さんの言葉は静かで。

それでいて、絶対的なこの世の怖さを告げていて。

トトリに。嘘偽りない、この世のルールを、刻み込もうとしているようだった。

どれだけドベでも、トトリだって、アーランド戦士の娘として生を受けたのだ。幼い頃、動物が死ぬとどうなるかというのは、見せられた。

一種の儀式として、誰もが見せられると聞いている。

敗者の末路。

それが、まざまざと、脳裏によみがえる。

「この村みたいに、手練れが揃っていれば、労働者階級の人だって生きていくことが出来るのが、人間の社会なんだ。 でも、今アーランドには、今までに無いほど恐ろしいモンスターが溢れている。 脅かすつもりはないけれど、それが事実で、冒険者をしている以上、この国最強の戦士だってかなわないような相手に遭遇する可能性だって、決して小さくは無いんだよ。 そんなとき、助けてくれるお姉ちゃんは側にいない。 覚悟は出来ているね」

しばらくの沈黙。

トトリは、恐怖と絶望を、どうにか飲み込むことが出来た。

「はい」

「そうか。 これは当面の生活費だ」

「お父さん!」

「ツェツェイ」

お父さんの目は、声も、静かだけれど。

お姉ちゃんを、黙らせるだけのものがあった。

お父さんだって、戦士だったのだ。

それに、いつもは頼りなくても。あのお母さんの相棒として、彼方此方で修羅場をくぐってもきたのだ。

経験の絶対的な差が。

お姉ちゃんを、黙らせるだけのものを造り出している。

それが、トトリにはわかった。

「支援できるのはこれだけだ。 ペーター君は、トトリが説得しなさい。 あの子を上手に説得できなければ、多分アーランドに行く事は出来ないよ。 それと、メルお姉ちゃんか、ジーノ君を同行に誘った方が良いだろう。 アーランドで一人だけになったら、トトリみたいな半人前以下は、何をされるかわからないからね」

ぞくりと、背中を恐怖が駆け上がる。

そうだ。

この世で一番恐ろしいものは、最強のドラゴンでも悪魔の王でもないと、師範が言っていた。

人間の悪意。

それこそが、この世で最も怖れるべきものだと。

お父さんは、やっぱりお父さんだ。

勢いだけで事を決めてしまったトトリに、きちんと道を示してくれた。もう一度、感謝を込めて礼をすると。

トトリは、もう今日は寝ようと思った。

でも、体がほてって眠れない。

道がわかったことで、トトリはどうしていいか、わかっていないのだろう。困惑と期待、不安と希望が混じり合って、トトリの中で、ぐるぐると渦巻いている。

それが冷静に理解できるのに。

頭と裏腹に、体は興奮するばかりだった。

寝苦しかったけれど、それでも。朝早くには起きる事が出来た。

外に出て、水を汲んだ後。

悲しそうにトトリを見るお姉ちゃんのお手伝いをして。それから、外に出る。軽く走り込んだ後、棒を振るう。

どうしたのだろう。

いつもとは比べものにならないほど、棒がよく動く。

今なら、ジーノ君にも、組み手で勝てるかもしれないと、トトリは思った。

 

一通り棒術の型をやってから。

そのまま、錬金術師の正装に着替えて、杖を持つ。

この杖は、本当だったら魔術師用のものなのだけれど。トトリは、魔術の素質がなく、特殊な技もまだまだ使えるほど成長していないと言われたので、打撃用の棒に換えてもらっている。

非力なトトリでも、労働者階級の人をこれで殴れば骨くらい簡単に砕ける。

棒は何処にでもあるけれど。それだけの殺傷力を秘めている武器なのだ。

ただ、外にいるモンスターと正面からやり合うには力不足だろう。トトリが身を守るためには、ロロナ先生の本にあった道具類を揃える必要がある。

爆弾だったり、体の力を高める道具だったり。

いずれにしても、まずは冒険者になる事からだ。

家を出て、まっすぐ向かったのは、ペーターお兄ちゃんの馬車。

凄く大きな馬が、馬車につながれている。

馬車は見上げるほどの大きさ。小さな家ほどもある荷車があって。中は広々とした部屋になっている。

装甲が付けられているのは、モンスターに襲われたときの備え。

馬は二頭立て。

どちらも、トトリの体重の三十倍くらいは大きさがある。普通は農耕用に使う馬で、馬としては最大級になる。

確か、以前聞いた話だと。

騎士団の輸送部隊も、こういう馬を使っていたという話だ。

今では冒険者の大規模な部隊が、似たような事をしているらしい。結局騎士や戦士から名前が変わっただけ。

より、仕事が色々出来るようになると便利なのかなと、トトリは思った。

振り返ると、陰気な顔のペーターがいた。

じっと、トトリを見ている。

そこそこの背丈があるので、同年代と比べても小柄なトトリは、どうしても見下ろされる形になった。

「おはようございます、ペーターお兄ちゃん」

「何だ」

「その、アーランドまで乗せて貰えますか」

ペーターお兄ちゃんは、じっと黙り込む。

沈黙が痛い。

いつのまにか、側にジーノ君が来ていた。

「何だよ、乗せてやれよ。 ていうか、オレも乗せてくれねーか」

「ジーノ君?」

「昨日、師範に剣を見てもらって、そろそろ色々な場所を見る頃だって言われたんだよ」

つまり、冒険者になってこい、という事らしい。

ジーノ君は自慢げだったけれど。

昨日、お父さんに言われたような事が、冒険者になれば、ジーノ君の身にも降りかかる、という事だ。

敵は、此方の力量にあわせてくれない。

アーランド戦士でも手こずるモンスターなんて、何処にだっている。

ベヒモスだって、ちょっと村から離れれば、普通に見る事が出来るのだ。

「で?」

「冒険者になりに、アーランドに行きたいんです。 ジーノ君も、だよね」

「おうとも」

「遊びに行く場所じゃない。 この馬車だって、モンスターの襲撃を受ける事があるし、喰われても知らないぞ」

そういって、ペーターお兄ちゃんが示したのは。

馬車の後ろ側面にある大きな傷。

大型のドナーンに襲撃された時の傷だという。

「この馬も、既に三代目だ。 馬はもう、人間の生活圏でしか生きていけない。 この大きな馬でも、外に出ればただの餌だ。 そう言う場所を通ってるって事は、わかってるんだろうな」

「わかってるよ。 オレだって、その辺のお魚くらいなら、どうにだってなるんだぜ」

「あんなの、他のモンスターに比べれば、ザコもザコだ。 俺がメルやツェツェイと現役で戦ってた頃なんてな。 他の戦士達と一緒に、トトリの家くらいはあるモンスターとザラに戦ってたんだぞ」

「……」

ジーノ君が黙る。

だけれど、それは納得したからじゃあなかった。

「じゃあ、なんで戦士止めたんだよ。 ペーター兄ちゃん、強かったんだろ」

「……」

「何だよヘタレ。 みんな兄ちゃんのこと、ヘタレって言ってるの、本当だったんだな」

「ちょっと、ジーノ君」

まずいと思った時には、遅かった。

ペーターお兄ちゃんは、途方もない金額を口にする。

それこそ、この村全部からお金を集めないと、いやそれでも足りないような金額だった。

「片道でな。 持ってくれば、馬車に乗せてやるよ。 いやだったら、歩いて行くんだな」

 

ジーノ君に歩きながら文句を言う。

「もう。 歩いて行くと、一月は掛かるんだよ。 私達の手に何て、とてもおえないようなモンスターだって、うようよいるんだよ」

「わーってるよ。 だけどさ、なんであんな風になっちゃったんだよ」

石を蹴飛ばすジーノ君。

トトリは、知っている。

昔、ジーノ君は、三本矢筆頭とさえ言われていた、ペーターお兄ちゃんを随分と慕っていたのだ。

ペーターお兄ちゃんは弓矢の名手で、魔力を乗せた矢で、どんな的にでも百発百中だった。

銃よりも現在は矢の方が強いと言われているけれど。

これは、矢の方が面積が大きくて、それだけ多くの魔力を乗せられるからだ。銃を使う凄腕の戦士がいるという話も聞いているけれど。銃の弾なんて、トトリにさえ致命傷を与えられない程度のものでしかない。だから、弾に魔力や能力を乗せることで、やっと武器としてまともになるのだ。

一端ジーノ君と別れる。

このままじゃ駄目だ。

どうにかして、ペーターお兄ちゃんを説得しなければならない。

村から本気で出るつもりなら。何でもする。

ペーターお兄ちゃんが心を閉ざしているような気がするのは、なんでだろう。それに、ペーターお兄ちゃんは、どうもトトリとジーノ君の話を聞いて、怒っているように見えた。それもなんでだろう。

歩いていると、埠頭にでた。

網を引いている。

村の男の人も女の人も。労働者階級の人達も。

単調なリズムの歌で、網を引き続けていた。

一番後ろにいるのは、メルお姉ちゃん。

網を引くとき、一番加減が難しい場所だけれど。何しろ村一番の剛力だ。平気な顔をして、網を引いていた。

ちなみに先頭にいるのは、師範。

一番技術と判断が必要なので、そこにいる。最近はトトリの棒術をあまり見てくれないけれど。

ひょっとすると、話を聞いてくれるかも知れない。

今は、誰の話でも聞いておきたい。

時間は、もう限られている気がする。お父さんが出してくれた生活費だって、いつまでも腐らせておく訳にはいかない。

今のトトリの腕前と、この辺りで取れる素材だけでは、錬金術だって頭打ちになってしまうのだ。

網を引き終える。

あまり、多くのお魚は入っていなかった。

干物にしたり、焼いたりする魚を分別し始める中。トトリに気付いていたらしい師範が、此方に来る。

上半身裸で、下半身も毛皮を巻き付けただけ。既に初老だけれど、分厚い筋肉は全く衰えていない。

口元の白い豊富な髭だけが、年を示していた。

「どうした。 久しぶりに儂に相談があるようだな」

「ペーターお兄ちゃん、どうしてあんなに周囲を遠ざけるようになったんですか。 何か、心当たりがあったら、教えて欲しい、です」

「相変わらずだな、お前は。 核心をずばりと突いてくる。 それは高い理解力にもつながっているが、同時に人を傷つける刃にも成る」

首をすくめてしまう。

何度も師範に言われたことだ。

師範は嘆息すると、大きな手で、トトリの肩を叩いた。それだけで、小さなトトリは、地面に埋まってしまいそうになる。

体の重さだって、三倍くらいあるのだ。

「ペーターの事を一番知っているのは、誰か考えてみなさい。 だけれども、恐らくはそれでもわからないだろうな。 その時は、ペーターに直接聞くと良い。 勿論、しっかり調べた後なら、きちんとした結論が導けるだろう」

「……」

「武術と同じだ。 基礎無くして大成無し。 此処でペーターの心を開きたいと思うのなら、しっかりペーターを知る事だ」

また、回り道。

でも、今は、ペーターお兄ちゃんをどうにか説得さえ出来れば、アーランド王都に行ける。

壁は、あと一つなのだ。

一度、家に戻る。

ひょっとしたら、お姉ちゃんなら何か知っているかもしれない。

昔はペーターお兄ちゃんは、あんな目をしていなくて。お姉ちゃんも、ペーターお兄ちゃんの事が、好きだった。

今もそうだかはわからないけれど。

それに、だ。

お姉ちゃんはきっと悲しい思いをしたまま。このしこり、何とかして取り除いておきたい。

発つ鳥跡を濁さずと言う言葉があると言う。

だったら、トトリだって。

鳥さんよりは、マシに動いていきたい。人間なのだから。

意を決すると、居間に入る。

お姉ちゃんはテーブルに頬杖をついて、寂しそうに物思いにふけっていた。自分のせいだとトトリは思った。事実、それ以外には考えられない。

絶対、何とかしなくてはならない。

覚悟を決める。

最後の壁を打ち砕いて。

お母さんを探しに行く。

誰だって。

誰一人だって、そのために不幸になんて、させない。

 

5、壁の向こう

 

お姉ちゃんはペーターお兄ちゃんの事を聞くと、とても悲しそうにしたけれど。結局、頭を下げると、話をしてくれた。

どうも様子がおかしくなったのは、五年前の事。

ある時期を境に、ペーターお兄ちゃんは弓を握らなくなったという。

五年前というと、多分ロロナ先生が来た頃と、あまり時期が変わらないけれど。ロロナ先生の話をしても、ペーターお兄ちゃんの様子が変わらなかったことを考えると、多分関係は無さそうだ。

理由はお姉ちゃんも知らないと言う。

ただし、弓を握らなくなった頃から、ペーターお兄ちゃんは、目もあわせてくれなくなったのだとか。

昔は、普通に笑顔も作ったし。

あんな暗い表情じゃなかったのに。

なるほど。

それだけわかれば充分だ。

五年前に、何か切っ掛けになる事件があった、という事だろう。

続けて、メルお姉ちゃんにも、話を聞きに行く。

お姉ちゃんは丁度、小さないさなを捌いているところだった。網に掛かったのだという。

小さいと言っても、トトリのアトリエくらいはある。

既に内臓は出し終わって、皮を切り裂いて、脂肪を取りだしているところだった。骨も砕いてあるから、もうメルお姉ちゃんの仕事は大体終わり。後は村の人達に任せても大丈夫だろう。

血だらけの手を洗いながら、メルお姉ちゃんは言う。

「五年前?」

「うん。 何か、起きなかった?」

「そういえばペーターが急に冷たくなったのがその頃ねえ。 弓矢を不意に使わなくなったのも、確かその時期だわ」

メルお姉ちゃんも、知らないと言う。

まあ、メルお姉ちゃんは結構いい加減なところがあるし、ちゃらんぽらんなところもあるから、そうだろう。

五年前、か。

考えてみれば、当時トトリは八歳。

お姉ちゃん達だって、十代の前半だ。その頃から二人とも戦士としては最前線に立っていたのだから凄い。ペーターお兄ちゃんだって、十六くらいのはず。そうなると、記憶は曖昧になるかも知れない。

むしろ、大人の方が覚えているかもしれない。

そう思って、今度は酒場のマスターに話を聞きに行く。ついでに、いざというときのことを考えて、お仕事も見ておきたかった。

酒場はお昼で、故にがらがら。

今、主な大人達は、いさなの解体にかかりっきり、という理由もあるだろう。

良い仕事はなかった。

薬草の納品が幾つかあったので、おうちにとんぼ返りして、アトリエのコンテナから引っ張り出してくるけれど。

これは完全に小遣い稼ぎのレベルだ。

ヒーリングサルブの時のような、一気の収入にはならなかった。ただ、新鮮な薬草について、マスターは文句を言わなかったし。多分新鮮だからか、少しだけお給金に色も付けてくれた。

改めて、五年前について聞く。

ダンディーなマスターは、腕組みして少し考え込んだ後。

ふと、思い出したようだった。

「そういえば、別の村の戦士が来たことがあったな。 かなりの弓の腕前で、ペーターと勝負をしたはずだ」

「! 詳しく聞かせてください」

「良くは覚えていない。 だが、若手が一杯集まって、ペーターが負けたような気がする」

それだ。

経緯さえ分かれば、後は。

頭を下げると、今度はペーターお兄ちゃんの両親の所に行く。

村の外れに暮らしている二人の内、ペーターお兄ちゃんのお母さんは、今は戦士としては半ば引退しているけれど。網を編んだり、村の周囲にいるモンスターの退治には加わっている。そう言う意味では、一応現役とは言える。

ちなみにペーターお兄ちゃんのお父さんは労働者階級の出だ。村の会計のような仕事をしていて、それに関しては戦士の誰からも一目置かれている。この手の細かい作業は、戦士の誰もが苦手だからだ。

ペーターお兄ちゃんはどちらかと言えばお父さん似で。年を取ったら、こんな感じになりそうだなと、見ていて思う。

二人は今、丁度網を修繕しているところだった。

トトリが来たのを見て、ペーターお兄ちゃんのお父さんは咳払いすると、小屋に戻っていった。

網を編んでいるペーターお兄ちゃんのお母さんは、少しくたびれ始めている。

遅くに出来た子らしいと言う話は聞いていたし。

ヘタレとか言われていることを、いつも悲しそうに見ている事は、トトリだって知っていた。

「五年前に、何があったか、知りませんか」

「さてね」

「村の若い人達と一緒に、ペーターお兄ちゃんが、外から来た戦士と勝負をして負けたと聞いています」

顔を上げるペーターお兄ちゃんのお母さん。

顔にきざまれた皺が、強い憂いを秘めていた。

それだけで、なんと無しに理解する。

何か、あったのだ。

師範の所に戻ると、今までの話からわかったことを整理して、話をしてみる。師範は驚いて、目を見張った。

「それだけの情報で、結論を導き出したのか」

「え? は、はい」

「やれやれ、本当に惜しいな。 魔術師としての才能があれば、お前さん、新しい魔術を二十歳までに百は産み出しただろうに」

そんな事を言われると、困惑してしまう。

咳払いすると、師範は。

トトリの考えを、技術的な面から、裏打ちしてくれた。なるほど、歴戦の戦士であっても、そんな事で駄目になってしまう事があるのか。

他の人から見れば、馬鹿馬鹿しいかもしれない。

でも、人にとって、何が大事かは、わからない。

アトリエに戻る。

考える。

多分、そのままずばり真実を告げても駄目だ。というのも、頭ではペーターお兄ちゃんだって、分かっている筈なのだ。

わかって貰うには、お姉ちゃんに手を貸してもらう必要もある。

ロロナ先生の本を引っ張り出してくる。

まだ、難しくて作れない道具は、隅に置く。

今、必要なのは。

心がこもったものだ。

 

三日間を掛けて、錬金術としてはごく初歩を使って。お姉ちゃんにも手伝って貰って。作ったものをひっさげて。

ペーターお兄ちゃんの所に出向く。

相変わらず陰気な顔で、ペーターお兄ちゃんは、おうまさんの体を綺麗にしていた。

トトリが近づいてくることには、気付いていたようだけれど。

ペーターお兄ちゃんは、此方を見もしない。

「ペーターお兄ちゃん」

「何だよ」

「五年前に、弓の勝負をしたとき。 普段だったら絶対にしないようなミスをしてしまったんですね」

ぴたりと、手が止まる。

普段から陰気なペーターお兄ちゃんの目に。

炎が宿ったような気がした。

今までに無い、強い拒絶。

でも、此処で引くわけには行かない。

トトリは、震える声を必死に絞り出す。

「それで、みんなに下手くそって笑いものにされたんですね」

「……」

「そんなのは別に何でもなかった。 村の人達は、ペーターお兄ちゃんを良く想っていない人も多かったし、普段から悪口だって言われていたから。 でも、メルお姉ちゃんと、お……私のお姉ちゃんも、黙っていた、んじゃないですか。 もしくは、他の人達といっしょに、笑っていたとか」

「……」

黙り込んでいるペーターお兄ちゃん。

そうだ。

やはりそうだったのだ。

五年前、この村に旅をしている戦士が訪れた。彼は弓使いで、優れた腕前のペーターお兄ちゃんの話を聞いて、勝負をした。

内容については、よく分からない。

ただ、その時。

ペーターお兄ちゃんに、考えられないようなアクシデントが起きたのは間違いない。

普段から、村のきれいどころであるお姉ちゃんと、メルお姉ちゃんと一緒にいるペーターお兄ちゃんを、何とかして馬鹿にしてやろうと、村の若い人達は、舌なめずりをしていた。

田舎のそう言う醜いところは、トトリだって身をもって知っている。

優れた腕前の外来者が。

ペーターお兄ちゃんをぎゃふんと言わせるところを、みんな期待していたのだろう。

「別に、彼奴らが裏切ったわけじゃない事くらいはわかっていたさ」

どれくらい時間が経ってからだろう。

不意に、ペーターお兄ちゃんが話し始める。

何処か、遠くを見るような視線だった。

「自分を意気地無しだって責めもした。 だけどな。 あの日から、弓を引くと、どうしてもあの時の事を思い出す。 彼奴らが、他の奴らと一緒にくすくす嗤っていたあの光景をな。 些細な事だし、俺を本気で嘲笑っていなかった位はわかっていたさ。 だがな、どうしても、消えてくれないんだよ」

弓を取り出すペーターお兄ちゃん。

ぎゅっと、凄い音を立てて引く。引くときの態勢に到っては完璧。弓使いでは無いトトリでもわかるくらいの、美しい立射の姿勢だった。

そして、である。

トトリにさえ、わかった。

鏃の先が、わずかに震えている。

「弓ってのは、繊細な技術だ。 ほんのわずかなぶれでも、当たるときには随分と誤差が出ちまうもんなんだ。 それに、俺は矢に相当に強い魔力を乗せてる。 ほんのわずかなずれが、相手に当たるどころか、此方に帰って来かねない失敗を産みかねないんだよ」

俺にはもう弓は使えない。

そう吐き捨てて、嘆息するペーターお兄ちゃん。

視線を、トトリからそらす。

「どうして、わかった」

「みんなに話を聞いて、それで」

「おかしいな。 こんな細かい所までわかるような話を知ってる奴なんて、いないと思ったんだがな」

メルお姉ちゃんが、少し離れた所で見ている。

そうか、きっと聞こえていたのか。

意気地無しと罵るのは簡単。

ヘタレと嘲笑うのは、もっと簡単。

でも、それで何かが解決するのだろうか。

自分はヘタレだと思い込んでしまっているペーターお兄ちゃんは。きっと、ヘタレと言われる度に、こう思っていたのだろう。

そうだ、俺はヘタレだと。

それが、自分をどんどん傷つけていく事を、知っていても。

どうにもならなかった。

渡す。

それは、弓使い用の手袋。指先がでるようになっている。

「私のお姉ちゃんに一針。 メルお姉ちゃんに一針貰いました。 その、皮をなめすのと、魔力を込めるのに、錬金術、使いました」

簡単なお裁縫くらいは、トトリにも出来る。

皮の扱いなんて、辺境の村に生まれたのだし、当然出来る。

じっと、ペーターお兄ちゃんは。

手袋を見ていた。

「私のお姉ちゃんも、メルお姉ちゃんも、ペーターお兄ちゃんをバカになんてしていません」

天を仰ぐペーターお兄ちゃん。

表情は。

トトリの所からは、見えなかった。

「ジーノを連れてこい」

「……?」

「明日の朝だ。 馬車を出してやる。 そうだな、今回は通常通りの運賃でいい」

ふっと、何かが抜けたような気がした。

すぐに、今まで通りの腕前を、ペーターお兄ちゃんが取り戻せるとは思えない。人というのは、そんなに簡単な生き物じゃないからだ。

でも、壁は崩れたし。

きっとこれで。

ペーターお兄ちゃんは、地獄から抜け出せる。

トトリは、良かったと想った。

そして、これでアーランドに行ける。

冒険者になるための壁は。

ついに崩れたのだ。

 

6、刺客

 

スピア連邦において、ホムンクルスの技術は、人間型を当初主流としていたが。現在では、人間型ホムンクルスの戦闘力で、アーランド製に大きく水をあけられている事もあり。モンスターをベースとしたものへと変わりつつある。

戦闘用ホムンクルス、アグニ11もそうだ。

アグニ11はアーランドに潜み、諜報を行うためのホムンクルス。形状はイソギンチャクに似ていて、全身から無数の触手を伸ばし、地中を移動しながら情報を集める。配下には何体かの強化モンスターと戦闘用ホムンクルスがいる。

そのアグニ11は。

幾つかの情報を総合した結果。現在、アランヤ村北部の丘に来ていた。

アーランドが、おかしな動きをしている。

どうやら、スピア連邦に勝つための人材育成を行っている。その人材が、アランヤ村にいて。

翌朝には出立するというのだ。

信頼出来る情報筋からのものだ。

現在敵中に突出していて、主君である一なる五人に連絡が出来ないのは痛い。しかし、仕掛けるための手札は揃っている。

「ヴァズハイト、グレンデル」

「応」

進み出たのは、人間型のホムンクルス。

ヴァズハイトは長身の男性型。グレンデルは非常に太った大男。

以前はナンバーだけが振られていたのだが。アグニ11は、一緒に働く同僚に、きちんとした名前を与えてやりたかったのだ。

これでも、脳だけは、人間と同じ。

故に、人間のような思考をするのかもしれない。

「お前達は、邪魔を防げ。 おそらく敵には、手練れの護衛が複数ついている。 そいつらの気を引け」

「承知」

「エンリカ」

「はい」

次に返事をしたのは、人間大の花。

現在はつぼみの状態で。根の部分を足のように使って歩く。

これは一種の擬態で、戦闘時は形態を変える。

アルラウネと呼ばれるモンスターを改造に改造した結果、産み出された存在である。知能も与えられている。

「お前は状況の監視。 戦況が厳しい場合は、皆に撤退を指示せよ」

「わかりました」

「ゴルヴァタイト」

「はっ」

そして。

最も強き部下が、歩みでる。

それは巨大な食肉目のような姿をしていて、背中には一対の翼があるモンスターだ。戦闘能力的には、魔物の域に入ってくる。口元から伸びる一対の牙は鋭く、月光を反射していた。

サイズは特大のドナーン並み。

小型の竜族ほどもある。

「敵の護衛を我等が抑えている内に、お前がターゲットを屠れ。 屠ることだけを考え、実行後は即時撤退」

「わかりました」

ゴルヴァタイトはしゃべり方も紳士的で、思考も理知的だ。

ただし戦士としては容赦がない。

一刀両断に敵を仕留め。

影のように離脱する。

アーランドでの戦績は思わしくないが。北部の列強との戦闘では、そうやって幾人もの手練れを屠ってきたのだ。

保険を掛けたいところだが、それは良い。

いずれにしても、此処で禍の芽を摘み取る。

まだターゲットは子供だという話だが、アーランド戦士の恐ろしさは、アグニ11も身をもって思い知っている。

例え子供でも、全力で殺しに行かなければならないのだ。

「偉大なる、我等が創造主のために」

皆で唱和すると、気配を消し、隠れる。

仕掛けるタイミングは、敵が油断する瞬間。

つまり、アーランド王都の直前が良いだろう。

この世界をスピア連邦のものにするためにも。

アグニ11は、必ずやこの作戦を、成功させなければならなかった。

 

(続)