永遠亭の姫様仕事をする

 

序、力を生かしたお仕事をしよう

 

幻想郷。

そこは外界から隔絶された理想郷。

妖怪は人を襲い。

人は妖怪を怖れ。

そして勇気をふるって妖怪を退治する。

そんないにしえのルールが生きている場所。

外とは違い、人里にはロクに電気も通っておらず。

インフラは外の数世代前の基準。

人里を管理しているのも賢者と呼ばれる最高位ランクの妖怪であり。

それを人間も受け入れている場所。

外の世界には圧倒的な力を持つ神々がいるが。

その神々にも配慮し。

人間をないがしろにせず。

妖怪が生きていくために作られた、静かな最後の場所。

それが幻想郷だ。

だからこの幻想郷には、狭い中に多数の妖怪勢力がひしめいているのだが。その中で、一つだけ例外的な中立勢力がある。

永遠亭。

そう呼ばれる勢力は。

妖怪にも人にも属さず。

常に中立を保つ事で知られる勢力だ。

そしてその勢力の長は、神々が住まう月の都の元住人。

戦闘力で言えば幻想郷でも屈指。

故に永世中立などと言うことができるのであって。

もしも力が足りていなければ、とてもではないが中立の姿勢など維持出来はしないだろう。

中立を保つには。

相応の力が必要になるのだ。

更に永遠亭は、有利な地形的条件も有している。

永遠亭は迷いの竹林という、ここに住んでいる者でさえ迷う巨大な竹林の中にあるのだが。

この竹林は、幸運を操作する能力を持つ妖怪の影響下にあるため。

基本的に、よほど竹林を知り尽くしているか。

もしくはその妖怪本人か、関係者でも無い限り。

永遠亭に辿り着く事はまず出来ない。

それら理由から。

永遠亭は、完全無欠の鉄壁要塞であり。

故に幻想郷においても、中立という立場を保てていたのだと言える。

しかしながら、それも近年は変化が生じており。

昔は完全に要塞化した竹林に引きこもっていた永遠亭だが。

近年に入って、色々な事件を経た結果。

現在はその方針を変更し。

月に関わる異変が起きた場合は人員を派遣するし。

人里には優れた技術で作られた薬を良心的な価格で販売し。

場合によっては、永遠亭の事実上の主である古代神話の知恵の神が、直接手術をするために出向いたりもする。

結局永遠亭は、元々は幻想郷にすら興味を持っていなかった。

だが今では。関わる事を決めた。

それ故に、多少態度を軟化させ。

今では少しずつ、幻想郷に馴染もうとしている。

だが、この永遠亭。

実は歴史を凍結する能力によって、千年もの間、時の牢獄の中に閉じこもっていたに等しいので。

今でも色々と苦労は絶えない。

特に年月が作り出したギャップは、そう簡単に埋まるものではなかった。

朝。

竹林の奥にて、佇立する古風な建物。これこそが「永遠亭」そのものである。内部は見かけよりずっと広く、途方もない高度テクノロジーの塊だが。少なくとも外からは古風な建物に見える。

目を覚ました、美しい黒髪をなびかせた女性が戸を開けて、外に出てくる。

名目上この永遠亭の主である、蓬莱山輝夜である。なおかぐやと読む。

ある理由から地上に降りてきた月の民であり。

あの誰もが知る昔話の「かぐや姫」だ。

古い時代に色々問題を起こしたこともあり。

悪女として名高いが。

実際の彼女は、穏やかで部下想いな懐も広い人物である。

いつも笑顔を絶やさないし。

滅多な事では怒らない。

もっとも、嫌なことを断るときに、相手に無理難題を言う癖は治っていないし。

部下を傷つけられた場合には怒る。

彼女は今日、動きやすさを重視するために普段の着物では無く、よその世界で流行っている「ジャージ」なる服を着ている。更に今、編み笠を被って顔も隠した。これは人間では無い存在が、真っ昼間から人里に行く事は好ましくない、という理由からだ。そうで無い場合でも、少なくとも人に見えるようにしなければならない。元々人間そっくりな妖怪はそのまま人里に行く事もあるが、その場合余程無害な妖怪だったり、里に長い間を掛けて受け入れられた妖怪だったりする。

この動きやすい格好は、少しばかり地味だが。

どうせ今日するお仕事は地味なのだから問題ない。

それに、輝夜は自分の容姿が、多くの人を狂わせたことを知っているし。出来ればあまり人前に素顔をさらしたいとは想っていなかった。

「お待ちください、姫様ぁ」

「鈴仙、急ぎますよ」

「待ってください」

慌てた様子で、修験者の格好をした部下が追ってくる。

彼女は鈴仙。

本名はもっと長いのだが。

殆どの者が、鈴仙と呼ぶ。なお、本来の名前はレイセンというだけで。それ以外には存在しない。

それもそうで、彼女は元々月の玉兎。

月における奴隷階級であり。

使い捨ての道具だったのだ。

戦いが起きるという話を聞いて、恐怖に駆られて月の戦線を脱走し。

そして地上に逃れて途方に暮れ。

結局永遠亭に駆け込んで、保護を求めてきたという過去を持っている。

脱走兵ではあるが。その一方で、月の武闘派の神に鍛えられた腕の良い兵士である。

高度な戦闘訓練も受けているし、事実以前月の民が総掛かりでもどうにもならなかった相手に対して、幻想郷の精鋭と共に戦いを挑み、侵略を止めさせることに成功している。

戦士としては優秀なのだが、根本的な所で勇気が足りない。

更に元々ストレスに弱い兎という事で、精神面も脆い。

何より、現在色々な意味で立場が弱い。

永遠亭を事実上取りしきっているもう一人の月人の直接的な部下であるのだが。脱走兵であるという立場上絶対逆らえない。

更に言えば、部下として幻想郷の妖怪兎たちの元締めをつけられているのだが。

仲が非常に悪い上に。

相手が幻想郷でも屈指の腹黒兎のため。

真面目で気弱な鈴仙とは致命的に性格があわない。

その上その部下は、鈴仙の言う事も絶対に聞かない。

あらゆる意味で、中間管理職としての最悪の条件が整っているだろう。

鈴仙は人間とあまり変わらない格好をしているのだが(少なくとも人間にはそう見える)、頭の上には兎の耳が生えていて。

この耳にストレスが思い切り出る。

普段から鈴仙の耳はくしゃくしゃで。

如何に酷いストレスを抱えているか、輝夜が気の毒に感じるほどだった。

今回、鈴仙はお目付役という名目で輝夜についてくるのだが。

しかし実態は、中間管理職として板挟みになっている悲惨な状況から、少しでも離れさせてあげようという心配りからである。

なお酷い状態になっているのは前から輝夜も理解していたので。

今回は自分からそれを申し出た。

ただ、鈴仙はあまり嬉しそうにしていない。

結局部下という立場で。

羽を伸ばせないから、だろうか。

竹林を二人で歩く。

一応月の民だから、相応に健脚な輝夜だ。この竹林に住んでいる色々な妖怪も、流石に輝夜に手出しするほど命知らずでは無い。

正確には輝夜の保護者に近い立場である、この国最高の知識神。永遠亭の実質上の支配者である八意永琳を怖れての事なのだが。

それは今気にしなくて良い。

時々不安そうに周囲を見回している鈴仙だが。

悪戯でも仕掛けられるのか、とでも想っているのだろうか。

「鈴仙、そんな風にそわそわしていると、むしろ悪戯を仕掛けられてしまいますよ」

「い、いえ、それよりもその……」

「どうしたのですか」

「姫様には、あの……とても仲が悪いあの方が」

ああと、思わず頷く。

仲が悪い相手。

確かに宿敵はいる。

藤原妹紅という元人間である。

ある理由から宿敵となり。

お互い不老不死という事もあり、数え切れないほどの回数殺し合った相手。

何しろ互いの特性上、死んでも消滅したとしても即時再生する事もあり。

なおかつ実力が拮抗していることもあって。

殺し合いをしても基本的に決着がつかない。

昔は本当に、相手には凄まじい殺意が感じられたし。

身を守るために輝夜も必死だった。

相手側の事情も知っていたから。

戦いを避けるのも非礼だと想っていた。

何回かこの竹林が丸焼けになりかけるほど激しい戦いを経て。

現在では、たまに戦う、程度の相手に落ち着いている。

元々輝夜はそれほど好戦的な性格では無いし。

相手がやさぐれ、好戦的になった原因を作ったのは自分だと言う事も自覚している。

だから戦いを挑まれるのは仕方が無いと割り切ってもいたし。

相手の気が済むまで戦いを受けようとも想っていた。

その妹紅だが、現在は輝夜を狙って竹林を見張ることから人里での自警団活動に行動の比重を移しており。

最近では竹林をふらついても、ばったり出くわして、そのまま激突、という事は減っていた。

以前の妹紅はそれこそ凄まじい殺気を放ちながら竹林をふらついていて、輝夜だけではなく、目につく妖怪に片っ端から喧嘩を売り、妖術で丸焼きにしていたのだが。今はそこまで好戦的では無い。

それに、妹紅は人里で急患が出た場合、永遠亭に連れてくることもあって。

そういうときは、戦いどころでは無いと、向こうから言う場合もあった。

前は何もかもを刺し殺すような荒んだ目をしていた妹紅だが。

最近は比較的目つきも落ち着いてきていて。

何かあったのかなと、羨ましくさえ想う。

「仮にぶつかったとしても、鈴仙はその辺りに隠れていなさい。 私は命を落とすことはありませんし、今の妹紅なら他人を傷つけることは望まないでしょう」

「いえ、それではお師匠様に申し訳が」

「私から取りなしてあげます」

「そう、ですか。 それなら……」

不安そうにしている鈴仙。

本当に気弱だ。

だから腹黒いあの兎につけ込まれるのだろうが。

それでも、自分を頼ってきたのだ。

面倒は見なければならない。

竹林を出ると。

丘の向こうに、畑と田んぼが拡がっている。

そして更に向こうが人里だ。

空を飛んでいっても良いのだけれど。

まあ別に急ぎでもない。

歩いて行くのが良いだろう。

畑を耕している人間が目立つ。

原始的な機械を使っているが。

それはこの幻想郷の外から流れ着いたものだろう。

鈴仙は置き薬屋として人里に出入りしているため、一応人間という風に口裏を合わせて人里の人間と接している。

向こうも永遠亭には世話になっていることもあり。

鈴仙や、他の妖怪兎の行動を咎めるつもりは無い様子だ。

もっとも、鈴仙の部下の腹黒兎が悪さをすることは時々あって。

そういう場合は永琳が仕置きをしているが。

概ね向けられる視線は友好的で。

輝夜も安心した。

「関係構築にしっかり力を入れているようですね。 感心ですよ、鈴仙」

「いえ、関係構築というか……単に安値できちんと効く薬を売っているだけです……」

「前は効かない薬が売られていたのですか?」

「というか、お師匠様の作る薬が効きすぎるんです。 それまでこの閉ざされた幻想郷では、良くて効きづらい漢方程度しかありませんでしたから」

そうか。

そういうものだったのか。

極端な利害関係の一致で、単純に受け入れられた、というわけだ。

元々永遠亭はこの幻想郷における中立勢力。

妖怪側でも人間側でもなく。

賢者と言われる最高位妖怪達でも、迂闊に手を出せない存在だ。

とはいっても、こんな閉鎖空間で孤立することは色々と厳しい。

ただでさえ幻想郷と月の民とは色々とややこしい関係だし。

輝夜が永琳とともに月を離れるときには、一悶着どころか、かなり血なまぐさい事件にも発展した。

永遠亭で静かな時間を過ごすようになるまで。

多くの血が流れたし。

もうああいう悲劇は繰り返したくない。

人里には幾つか門番のいる門があるが。

特に問題は無く通して貰った。

周囲を見回すが。

妹紅はいない。

気配もないし、今日は何処かに出かけているのか、それとも悪さをした妖怪でも退治に行っているのか。

まあ、問題はないだろう。

周囲に聞こえない程度に声を絞って、鈴仙に聞く。

「さて、働くとしましょう。 鈴仙、どこに仕事はありますか?」

「ええっ!? そんな行き当たりばったりな!」

「仕事というものは、常に流動的なものだと永琳が言っていました。 必ずしもあるわけではないし、逆に足りないときは手がいつも足りないと。 どこかで困っている人がいるのなら、助けようと想うのですが」

「そんな事をいきなり言われましても……そもそも置き薬の仕事も、少しずつ評判を広めていって、受け入れられるようになるまで、随分時間が掛かりましたし」

途方に暮れる鈴仙。

そうなのか。

小首をかしげていると。

向こうで騒ぎが起きていた。

ひょっとして、お仕事があるかも知れない。

満面の笑みを浮かべて、輝夜は其方へ向かう。

慌てて鈴仙がついてくる。

「ちょ、姫様、どちらにっ!」

「こら鈴仙。 人里で大声をだしてその呼び名はいけませんよ」

「そういわれましても」

「そうですね、ジャージの人とでもお呼びなさい」

一瞬で、目に見えて傘に隠している鈴仙の耳がくしゃっとなるのが分かった。

あれ、何かおかしな事でも言っただろうか。

「そ、そんなこといったら、お師匠様に百叩きじゃすみません! 蒲焼きとかにされます!」

「大丈夫、取りなしてあげますよ」

「無理です! 無理! ふえ……」

あれ、泣き出した。

ストレスに弱いとは想っていたが、ちょっとこれは脆すぎるのか。それとも色々溜まりすぎていたのか。

ちょっと木陰に連れて行って、落ち着くまで待つ。

しくしく泣いている様子には、何だかとても強い罪悪感を感じる。

ただでさえストレスフルな日常を送っているのだ。

毎日のように腹黒兎の仕掛けたトラップのエジキになっているし。

以前はあの吸血鬼姉妹の妹をけしかけられたことまであるという。

精神的にぼろぼろになるのも、無理はないのかも知れない。

困った。

かといって、姫様とか呼ばれると、色々と面倒だ。人里では目立たないようにと、永琳にも言われているのだから。

少し考えてから、こうする。

「では、人前では山輝さんと呼びなさい」

「ぐすっ……なんですか……それ……」

「私の名前の間をとったものです。 これならば分からないでしょう」

「はい……」

ホラ泣かないでと、ハンカチを手渡す。

目を擦っている鈴仙が落ち着くのを待ってから。

輝夜はさてあの騒ぎは何なのか、働けるようなら働こうと思った。

 

1、豪腕姫様岩を投げる

 

深窓の令嬢として月でも育った輝夜ではあるが。

そもそも月人という種族は神に近い、或いは神そのものの存在であり。

その能力は地上の人間とは隔絶している。

寿命は億年単位がザラ。

そういう超越種族なのである。

輝夜も永琳も、現在は地上で暮らす事を受け入れてはいるが。

昔はそんな事は考えもしなかったし。

むしろ穢れた土地として、地上を忌み嫌っていた時代もあった。

その頃は、輝夜も或いは荒んでいたのかも知れない。籠の鳥も同然の境遇に。

故にか、昔から、輝夜は自分が嫌な事を要求されると。

無理難題で返す悪癖があった。

それがかぐや姫の物語として、現在にまで伝わっていることを聞いて、驚きもした。

だがそれによって死者まで出してしまい。

そればかりか、四桁の年月を経て現れた復讐鬼を目の当たりにして。

自分の罪深さを色々と思い知った。

人間とは比較にならない年月を生きる存在だから。

人間と同じ速度で変われる訳ではない。

だが、少しずつ変わろうとは思ってもいるし。

地上への偏見もぬぐい去りたいとは考えている。

だからこそ、人里で働く事は(自分なりに)積極的に行っているし。

たまに人里の人間を永遠亭に招待して。

自分のコレクション(掛け値無しの珍品揃いである)を披露したりもしている。

関わりを持とうとしているという意味では。

ゆっくりであっても。

人と関係を持つことを、以前のように拒んではいない、と言う事だ。

騒ぎが起きているのを見に行くと。

どうやら、新しい家を建てている所に。

土を掘っていたら、大きな岩が出てきたらしい。

二抱えもある巨大な岩で。

人里の普通の人間達には、対処に余るようだった。

わいわいと大の大人達が騒いでいる。

「こりゃあまいったな。 大きすぎるぞ」

「博麗の巫女か、守矢の巫女にでも頼むか?」

「博麗の巫女はやってくれるかも知れないが、多分相当にせびられるだろうな……断られる可能性も高いぞ」

「そうだな。 それもそうか……」

あまり人望が無いな博麗の巫女と輝夜は苦笑する。

確かに気まぐれな上に、妖怪退治で本腰を入れない限りは、あまりやる気も出さない。面倒くさがりやさんだからだ。

実力に関しては幻想郷の人間最強という声もあるのだが。

それがあながち間違っていない事は、戦った経験のある輝夜も保証する。彼女なら、こんな岩、簡単にどうにかできるだろう。

「守矢の早苗さんはどうだ」

「やってくれるとは思うが、今から守矢神社まで行くとして、帰りは夕方だな。 工事がかなり遅れてしまうぞ」

次は奇蹟を操る守矢の巫女か。

彼女も多分この岩くらいは対処できるだろう。そして真面目だから、多分話を聞けば対応してくれるだろう。

だが、それには時間が掛かりすぎる。

急ぎの作業なのだろう事を考えると、彼らが渋るのも分かる。

「そうなると妹紅さんかなあ」

「忘れたか? この間人を食いかけた妖怪が出て、それを退治に行ってるだろ」

ああ、やっぱりそうか。

人里の現在情報には疎い輝夜だが。

まったく出くわさないので、そうなのではないかと思っていた。

自警団の仕事を手伝うようになってから、妹紅は人間に危害を加えた(幻想郷では妖怪は人間を襲う義務があるが、襲うと言っても、必ずしも物理的に危害を加える事を意味はしない。威を示すことが主体になる。むしろ物理的に危害を加えた場合は高確率で退治される)妖怪を退治する仕事も請け負うようになっていて。

時々、あまり頼りにならない里の自警団員を引き連れて。

討伐隊を編成し、問題を起こした妖怪を狩っていると聞いている。

妹紅の実力は、数限りなく戦った輝夜が太鼓判を押すもので。

幻想郷の大妖怪ですら、迂闊に手出しが出来ないほどのものだ。

「仕方が無い、てこを使って、大人数で引っ張り出すか」

「気を付けろ、巻き込まれると死ぬぞ」

「あのー、よろしいですか?」

「なんだいあんた」

手を上げて名乗り出ると。

此方を不審そうに見てくる人里の者達。

咳払いすると。

輝夜は、自分が岩をどかしても良い、と言う。

人里の者達は、胡散臭そうに見ていたが。

その内一人が、うしろで所在なさげにしていた鈴仙を見て、ああなるほどと何だか納得したようだった。

「ええと、妖術か何かでもつかえるの、ですか?」

「そんなところです」

「そうか、ではたのめるかな……」

ちらちらと、その人が鈴仙の方を見る。

鈴仙は泣きそうな顔でこくこくと頷いていた。板挟みにされて、胃に穴が開きそうと顔に書いてある。

ああ、なるほど。

鈴仙の正体も知っているし。

確認をとっていると言う事か。

多分輝夜の正体もばれているのだろう。

でも、なんで鈴仙はあんな真っ青になっているんだろう。

別に輝夜がいいと言っているのに。

とりあえず、地面に半ば埋まっている岩を確認。

幾つか秘宝の類は持ってきている。

それらを使っても良いのだが。

今日は腕力を使って仕事をした方が良いだろう。

基本的に秘宝は敵と本気で戦う時か、人間が見ていない時に用いると決めている。

岩などを相手に。

使う物ではない。

ひょいとゆるゆるの地面に降りる。

そして岩の感触を確認。

なるほど、踏ん張って持ち上げるのはちょっと厳しいか。そもそも地面を掘り崩していたら岩が出てきたのだ。

岩を砕くことも考えたが。

それだと、多分もっと地下に大きな岩があった場合、取り出すのが更に困難になってしまう。

「すみません、土を掘る道具を貸して貰えますか?」

「おう、これを使ってくれ」

手渡された鋤を使い。

岩の周囲を掘り崩していく。

幸い、巨大に地下に根を張っているような岩ではなく。

何処かの川から昔流れてきて。

そのまま時間の経過と共に埋まってしまった岩だろう事が分かった。

全体的に丸く。

特に癖の無い形をしている。

大丈夫かとか声を掛けてくるが。

大丈夫ですとその度声を掛ける。

それにしても、「ジャージ」を着てきて正解だった。

ちょっと気取って着物とか着てきたら。

永琳にどやされるところだった。

既に泥だらけである。

さて、そろそろ良いか。

「岩を持ち上げますので、離れてください」

「お、おう。 みんな、離れろー!」

わっと周囲の人間が散る。

わたわたおろおろしている鈴仙も、その中の一人が手を引いて、慌てて遠ざけた。

輝夜は空中に少しだけ浮かぶと。

岩を持ち上げる。

ぐっと力を込めて。

徐々に地面から引きはがしていく。

ぼろぼろと泥が落ちていく。

ほどなく、完全に重力の束縛から解き放たれた岩は。

輝夜がえいやっと投げると。

皆が離れて、いなくなっている人里の大通りに着地した。

周囲が地震のように揺れる。

大きな岩なのだから、まあそうなるだろう。

穴から這い出す輝夜。

満足満足。

だが、泥だらけになってしまった。

手くらいは洗いたいものだが。

どうしよう。

側に水が流れているのを見て、其方に行こうとしたら。

慌てて鈴仙が止める。

「だ、駄目ですっ! それは川の水です!」

「あら、そうなの?」

「あの、助かったし、水、汲んでくるよ」

「そうですか。 ありがとうございます」

何だか遠い目で此方を見ている里の人。

あれ、おかしな事でもしただろうか。

ともかく、地面から掘り出すことには成功した岩は、後は里の衆で、てこを使って転がして、里の外に捨てに行く。

輝夜も手伝おうかと言ったのだが。

これ以上は良いと言われたので、そうかと納得した。

程なく、桶に水を入れて、さっきの里の人が戻ってきた。

手を洗うと、あっという間に綺麗な水が泥だらけになってしまう。

爪の間にも泥が入ってしまっているし、これは帰ってから念入りに手を洗わなければならないだろう。

ぼそぼそと、里の人が鈴仙と話をしている。

ちなみにこっそり話しているつもりだろうがきちんと聞こえる。

「なあ鈴仙さん、助かるには助かるんだが、あの永琳さんが認めてるのか? あの人怒らせると、薬とか来なくなりそうで困るんだよ」

「でも、姫様がどうしてもって……」

「ああ、あんたじゃ立場的に逆らえないよなあ。 と、とにかく永琳さんには取りなしてくれよ。 本当に困るんだからよ」

「……頑張ります」

さめざめと泣いている鈴仙。

何だろう。

何か悪い事でもしたのだろうか。

ともかくだ。

里の人が、手を洗い終えた輝夜に、お賃金をくれる。

「ええと、あの岩を掘り出すのは多分一日かかっただろうし、何より命がけの作業になったと思う。 一人分の一日の賃金に色つけておいた。 これくらいでいいかな?」

「ええ、問題ありませんよ」

「そ、そうか。 それはよかった」

鈴仙に頷いている里の人。

何だろう。

罪悪感がすごい。

 

自分で稼いだお金を使って、里の団子屋に行く。

以前、大きないざこざが月とあった。その時の異変は、鈴仙も含めた幻想郷の精鋭が解決したのだが。その時に月を離れた玉兎が複数存在している。此処の団子屋は、その一人が経営している。

鈴仙がこの店を選んだ瞬間真顔になり。

(一応)人間に変装している店主は、輝夜を見て(輝夜も一応顔は隠しているのだが、雰囲気で分かるのだろう)真っ青になったが。

輝夜は平然と席に着くと、お団子を注文した。

悪い事はしていないのだし、遠慮は必要ない。

それに、一日分のお賃金は出たので。

せっかくだし、胃が可哀想な事になっている鈴仙におごってあげようと思ったのだ。

ぶるぶる震えながら、店主がお団子を出してくる。

輝夜の正体を知っているからだろう。

なお此処の店主の能力は、お団子を食べるほど強くなる、らしい。

あくまで能力は自己申告だし。

お団子ばかり食べている割りにはそんなに大した力は感じないが。

お客はそれなりに入っている一方。

店主が真っ青になって奥で震えあがっているので。

何だか罪悪感がする。

「鈴仙、どうしてあの子はあんなに怯えているのでしょうか」

「それは、その……下手なものを出したりしたらお師匠様に殺されるからだと思いますけれど」

「まあ。 蒲焼きかしら?」

「ぴいっ!?」

さっき鈴仙が言っていた事を呟くと。

聞こえていたらしい店主が、半泣きになってカウンターの奥に消えた。

ちょっとまずかったかも知れない。

鈴仙も真顔のまま、固まっている。泣きそうである。

小声で周囲の客には聞こえないように会話する。ちょっと興味があるからだ。

「疑問だったのだけれど、玉兎を蒲焼きにすると美味しいの?」

「か、かか、考えたくもありませんっ!」

「そう。 でも一応妖怪だし、肉体が死んでも平気でしょう?」

「それはそうかも知れないですけれど、痛いし怖いです! 前に冥界の庭師に斬られた時なんて、内臓を刀が切り裂く感触が残って……ううっ!」

またおなかを押さえ、吐きそうな顔で机に突っ伏す鈴仙。

輝夜は死にすぎて慣れてしまっているのだけれど。死に慣れていないと、こんな反応をするものなのか。

周囲のお客は、「鈴仙の」奇行を見てみぬフリをしている。すごく気まずい。

ひょっとして、正体が分かっているから、かも知れない。

お団子はそれなりに美味しかったので。そう伝えて、お店を出る。

店主はまるで人形のような動きで、半泣きのまま、輝夜を見送っていた。あれは今晩辺り、胃痛でのたうち廻るかも知れない。

鈴仙は何だかげっそり痩せこけていて、これ以上は勘弁してくださいと顔に書いていた。

まあ、今日は一日分のお賃金を貰ったし、帰るとするか。

人里を鈴仙と一緒に離れると。

不意に、側に人間が降り立った。

幻想郷の管理者の一人。

最強の人間。

博麗の巫女だ。

「嫌に強い気配がするから誰かと思ったら、永遠亭の姫に鈴仙じゃない。 何してるのよ」

「あら、お久しぶり、博麗の巫女。 元気にしていたかしら?」

「おかげさまでね。 あんた、里で何か悪さしていないでしょうね」

「悪さ……していません」

鈴仙が遠い目で博麗の巫女に答えて。

それで色々察したのだろう。

形容しがたい笑みを浮かべると。

博麗の巫女は咳払いした。

「ま、まああまり部下を虐めないようにね……」

「鈴仙の気分転換になると思って連れ出したのです」

「気分転換の割りには吐きそうな顔してるわよ」

「そうなのかしら?」

やれやれと肩をすくめる博麗の巫女は。

とりあえず問題は無さそうだと判断したのか、そのまま飛んで神社に戻っていく。あの様子だと、たまたま「パトロール」と称して、目についた妖怪を手当たり次第にしばき倒して回っていたのだろう。里に輝夜より早く着いていれば、ちょっとした小遣い稼ぎが出来たかも知れないのに。世の中は上手く回らないものだ。

竹林を通って、永遠亭に。

途中で妹紅と鉢合わせることもなくすんなりと永遠亭に到着。

永遠亭には優れたテクノロジーが多数ある。まず庭で、清潔な水で手を綺麗に洗ってから、永遠亭内に戻るが。

永琳が苦虫を噛み潰したような顔で待っていた。

彼女は輝夜より少し背が高い。本来の姿は兎も角、今は人と同じ姿に合わせている。

とても雰囲気は落ち着いていて。

人里の者達からも、素直に尊敬されてもいるが。

同時に恐れられてもいる。

そういった雰囲気作りなどは、容易くなせるほどの知恵があるのだ。

そして今、その月の頭脳とまで呼ばれた賢者は。

明確に怒っていた。

「姫様、何ですかその泥だらけの格好は」

「人里で埋まっていた大岩を処理したの。 危ない仕事だったから、ちょっとおまけしてお賃金も貰ったわ」

「とにかく着替えていらっしゃい。 それと、優曇華」

「ぴいっ!?」

永琳は、鈴仙を優曇華と呼ぶ。

現在の鈴仙の本名は、鈴仙=優曇華院=イナバという長い物なのだが。このうち元々の本名は鈴仙だけで。しかも漢字ですら無くレイセンだけだ。優曇華院というのは永琳がつけた名前である。

真っ青になって震え土下座している鈴仙が気の毒になったので。

輝夜は、少し助け船を出そうと思った。

「永琳、鈴仙はしっかり私を見張っていたし、あまり叱らないであげて」

「そうですね。 尻100叩きくらいですませておきましょう」

「そ、そんな、後生です、お許しを……!」

「駄目よ。 しっかり見張っていなさいと言ったのに、このような仕事をさせて……!」

永琳が取り出したのは、なんか凄い巨大な手のような道具だ。これで尻叩きをするのだろう。

これ以上は無理か。

まあ蒲焼きにされないだけマシと判断するべきなのだろう。

風呂を浴びて、泥を落とす。

ジャージのお洗濯は、永遠亭で下働きとして使っている妖怪兎たちに任せる。

妖怪兎たちの長は例の腹黒だが、流石に輝夜の服に悪戯をするほどの命知らずでもないだろう。

風呂で汚れを落としてから。

後は夕食にする。

質素だが、心がこもった夕食を食べた後。

軽く永琳と話す。

「今日のお仕事は楽しかったわ。 でも、どうしてか人里の人達は、鈴仙の正体も、私の事も、分かっていたようなのよね」

「知らないフリをするのが約束になっていますから。 それに、人里の健康は、現在永遠亭の薬がないと成り立たない状態ですので」

「そう。 鈴仙にはもう少し優しく接してあげたら?」

「それはいけません。 あの子は元々心が弱すぎる。 そもそもあの綿月姉妹に直接戦闘訓練を受けた精鋭兵士であったのに、敵前逃亡して逃げ込んできた時点で、普段から鍛えておかないとならないのです」

確かにそれも正論か。

だが普段からさめざめと泣いている様子を見ると。

いつか潰れてしまうのでは無いかと不安だ。

妖怪は精神が死ぬと死ぬ。

人間は肉体が死ぬと死ぬ。

妖怪に分類される鈴仙は。

きっととても苦しい思いをしているだろう。

不意に、外が騒がしくなった。

子供のような格好をしている妖怪兎が来る。

不敵な笑みを浮かべているそれは。

幻想郷一の腹黒とも呼ばれる妖怪兎の長。

てゐである。

その正体は、因幡の白兎とも素兎とも言われる、神話上に登場する伝説の兎であり。

幻想郷に住まう妖怪の中でも最古参の一人。

とにかく性格が非常に悪く。

嘘つき、というよりも天性の詐欺師である。

戦闘には向いていないものの、能力は広域に展開することで、場合によっては神々の侵攻さえ防ぐ事が出来るため。

永遠亭では独自の立場を確保している。

「お師匠様。 急患のようですよ」

「そう。 では出るとしましょうか。 てゐ、戸締まりは忘れないように。 帰りはいつになるか分かりませんから、警戒を怠らないようにしなさい」

「はいはい、分かっていますよ」

すっと姿を消すてゐ。

この子も、此処まで性格が悪くなければ。此処まで周囲に嫌われる事もないだろうに。

ちなみに部下という体裁だが、実際には永遠亭の同盟者に近い立場である上に。

玉兎を「自分達をみくだしている」という理由で毛嫌いしているため。

鈴仙の言う事は絶対に聞かないし、酷い悪戯ばかり繰り返しているらしい。

鈴仙は鈴仙で、戦闘力で劣る上、悪さばかりしているてゐに対して、あまり良い感情を抱いていないらしく。

かといって、元々戦闘向きな性格ではない事もあって。

結局ぎくしゃくはそのままだ。

てゐは彼方此方で色々詐欺で問題を起こしていることもあって、永遠亭に抗議が来る事も珍しくない。

今後、機会を見てどうにかしなければならないだろう。

それにしても、永琳がいないと少し不安だ。

永琳が人里の急患の対処のために出かけていくことは珍しくも無い。

自然の摂理にあまりにも反しない範囲なら、だいたい助けてくれるため。

人里でもありがたがっている。

あの時。

鈴仙と人里の人が話していたのも、そういう理由からだろう。

いずれにしても、もう今日、輝夜に出来る事はない。

自室に戻ると、もう眠る事にする。

明日はどうしよう。

蓬莱の珠の枝の手入れでもして。

また余裕があるようなら、人里でお仕事をしてみようか。

そんな事を考えている内に。

もう輝夜は眠りに落ちていた。

 

2、枯れ木は引っこ抜くもの

 

ジャージの洗濯が終わったので、輝夜はせっかくなのでまた人里に出る事にした。

永琳が凄い顔で鈴仙を見て。

鈴仙が死んだ目で何度も頷いた。

それを見て、ちょっとどうしようかなと悩んでしまったが。

しかしながら、人里と関わるのは悪い事ではないと思うし。

何より、中立勢力が孤立するのはこのましくない。

仕事が無ければ引き上げるだけだし。

力仕事で役に立てるのならそれはそれで嬉しい。

というわけで、早速竹林を出ようと思ったのだが。今日に限って、いきなり竹林で妹紅に出くわした。

それも真正面からである。

殆ど反射的に互いに飛び退き、距離をとる。

妹紅とは力量も拮抗している上、互いに容赦の無い戦闘スタイルをとるため、戦闘時は周囲が焼け野原になる事もザラである。火炎系の妖術を得意とする妹紅に対し、輝夜は持ち前の身体能力と、何より数々の秘宝を駆使して戦う。妹紅くらいの実力者になると、秘宝を使わないとまともに太刀打ち出来ない、という事もある。更に互いに不老不死である事もあって、体力が尽きるまで戦いは続き。殺し合いというよりもつぶし合いに等しく、苛烈を極める。

あわあわしている鈴仙をよそに。

互いに間合いを計るが。

意外にも、戦闘態勢を最初に解除したのは妹紅だった。

「やめだ。 とっとといけ」

「あら、どういう風の吹き回し?」

「気が乗らん」

「そう。 鈴仙、行きましょう」

妹紅の気が変わらないうちに、その場を離れる。

あの娘が輝夜に怒るのも無理はないし。

非は此方にある。

昔はそれこそ、此方を見かけ次第のど元を狙う毒蛇のような勢いで、問答無用の戦闘を仕掛けて来た妹紅だが。

今はどうしてか、少しずつ態度が柔らかくなっている。

「い、生きた心地がしませんでしたよ」

「鈴仙、貴方妹紅とそれなりに仲良くしているらしいわね」

「えっ? そうですね。 あまりいきなり攻撃されたりはしないです。 他愛ない話をする事も多いです」

「そう。 私のせいで何もかも狂わせてしまった人だし、出来ればそのまま接してあげてね」

哀れみは失礼だ。それは分かっている。

だが、どうしても嫌いにはなりきれない。

もともと好戦的な性格では無い輝夜だが。それでも、相手の事情を知っている以上、挑まれた戦いを避けることは失礼に当たるとも思っている。

永琳はその辺りの事情を知っているから戦いに絶対に介入してこないし。

輝夜も一時期は、妹紅との戦闘が起きる場合周囲に被害が出ることを考慮して、外に出ることや他の者がいる地点を出歩くのを意図的に避けていた程である。

ほどなく竹林を抜け、人里に。

今日は人里で、何やら説法をしている人がいた。

箱に乗って説法をしているのは、守矢の巫女である早苗である。

最近になってから幻想郷に来た彼女らは、人里に積極的に関わりを持ち、勢力伸長に余念が無い。今日も信仰を集めるための通常業務だろう。

なお、以前守矢の守護神の一柱である諏訪子が永遠亭に来て。

てゐがちょっかいを出してとんでも無い事になりかけたのだが。それはそれである。

あの時は、流石の輝夜も真っ青になった。何しろ相手は国津神の頂点である大国主命と同格かそれ以上の怪物。下手をすれば、とんでも無い事になりかねない所だった。

まあ相応の仕置きもされたので、良しとするべきだろう。

今日は早苗は一人で説法をしているようで。

これは敢えて、経験を積ませるために、守矢の二柱がそうさせているのだろう。

一瞬だけ目があったが、向こうも此方には気付いたらしい。だが、邪魔をしても悪いし、そのまま通り過ぎる。

守矢とは基本的に中立だ。

他の勢力と同じように。

幻想郷の賢者は永遠亭を警戒している。

当たり前の話で、賢者達にとって永遠亭は脅威そのものである月と関わりが深い。

特に永琳は圧倒的な実力で全盛期の妖怪達を一蹴した月の精鋭との関係が深く、その気になればいつでも彼女らを呼び出せる。

もしそうなったら幻想郷は一夜で滅ぶ。

そうさせないためにも。

賢者達は永遠亭を監視しているし。

他の勢力も永遠亭に気を配っている。

中立を保つというのはそういう事。

何処にも属さず。

何処にも侮られないようにするためには。

相応の実力がいる。

そしてそれでいながら孤立しないようにするためには。

幻想郷を成り立たせる軸になっている人里と、ある程度関係を保ち続ける事が必要なのだ。

ただ、輝夜にとっては、人間との関わりは慎重に行いたい、という本音もある。

妹紅のように不幸な目にあわせた相手もいるし。

普通の人間と月人では力に差がありすぎる。

力に差がありすぎる相手と対等につきあって行くのはとても難しいのだ。

見下したり哀れんだりするのは非礼だし。かといって下手に出るのもいい手だとは言えない。

幻想郷の妖怪達は、人間と上手くつきあっている方だとは思うが。

それでも人を食う妖怪は出る。それを退治する人間も必要になる。

やはり、この関係は難しい。幻想郷はいわゆるディストピアにならないでいるギリギリのラインにあるのだ。

街をふらつきながら、仕事を探す。鈴仙が話しかけられて、薬を売っていた。

置き薬を基本的に扱っているのだが、頼まれるとその場で薬も販売しているのだ。ただし、症状などを聞いた上で、薬を渡している。また、その場で薬を売る場合は、効果が弱く致命的な副作用が無いものを売るようにも決めている様子だ。

商売が成立したので、薬を渡している。

典型的な風邪薬だが。

幻想郷の外では、未だにこれが出来ていない。

風邪の特効薬が未だに作れていないという話だから。

まだ月とのテクノロジーは相当に離れているのだろう。

「良い商売になりましたか?」

「はあ、まあ。 ただあの薬が効かない場合は、お師匠様に出向いて貰う事になると思います」

「その場合は返金をするのですか?」

「いえ、そんな。 元々うちの薬は里の基準から見ても良心的な価格設定ですし、それに元手はただも同然ですので」

まあ永琳は薬に関してはエキスパートだ。

てゐが大国主命の方が効く薬を作るなどと手下の妖怪兎たちと話しているのを小耳に挟んだことがあるが。

実は輝夜はその大国主命と話した事がある。

本人曰く、流石に永琳には及ばないと苦笑いしていた。

国津神の主神と言っても。

この国の支配階級神の、しかも頭脳と呼ばれる神には及ばないのも仕方が無い事なのだろう。

歩いていると。

騒ぎを見つける。

鈴仙が真っ青になる。

興味津々に近寄ってみると。

どうやら、空き屋を解体しているらしい。

その最中に、枯れ木が邪魔になったそうなのだが。

とても丈夫でのこぎりも入らず。

しかも斬り倒すと隣の家に倒れかかりそうだとかで、難儀していると言う事だった。

話し合いが聞こえる。

「どうする。 火炎の妖術使える人でも呼ぶか?」

「いや、これ下手に燃やすと引火するぞ。 火事になったら大事だ」

「かといって、斬り倒すのも難しいしな」

「私がやりましょうか?」

手を上げて話に入り込む。

後ろで固まっている鈴仙を見て。

また、騒いでいる人達は事情を察したようだった。

「ええと、良いんですかい?」

「こう見えても力仕事は得意なんですよ」

「あはい知ってます」

「?」

何だか同情するような目で皆が鈴仙を見ている。

なんでだろう。

ともかく、腕まくりをすると、枯れ木を確認。

ちょっと触ったりして調べるが。

どうもこの枯れ木、かなり根っこが深くまで食い込んでしまっているらしい。

考え込む。

「この枯れ木ですが、無理に引き抜くと隣の家に影響が……」

「引き抜く!? いやいやいや、そこまでしていただかなくても大丈夫です! 地上部分だけ処理して貰えれば!」

「そんなことでいいんですか?」

「まあ地下部分はいずれどうにかするとして、この地上に出ている部分だけどうにかしてもらえれば充分でさ」

何故かへこへこされる。

どうしてかは分からないが、小首をかしげてしまう。

とにかく、地上部分だけどうにかすればいいのなら簡単だ。

ちょっと腰を落として低い位置で枯れ木を抱きしめると。

ベアハッグの要領で。

抱き潰した。

めりめりと音がして。

頑強な木が、輝夜の腕の中で鯖折りになる。

そのままぐしゃりと木がへし折れたので、すぐに手を離して、上部分を掴む。

へし砕けたけれど、まだちょっと上下でつながっていて、切り離すことはできないか。力を緩めるとぶらんぶらんしている。

ただこれくらいなら、引っこ抜いても大丈夫だろう。

まあ念には念だ。もう少し安全な方法を取る事にする。

ちょっと力を込めて。

ねじ切る。

ベアハッグで抱き潰され、更にはねじ切られた枯れ木は。

そのまま、上下泣き別れになり、輝夜にその朽ちた体を預けた。

上の方がかなり枯れ枝が茂っているし、道に落とすと邪魔だろう。

はてさてどうしたものかと、ねじ切った枯れ木を持ったまま思う。

周囲から声が聞こえる。

「俺たち何も見てないし知らないんで。 鈴仙さん、永琳さんに取りなしてくださいよ」

「そんな殺生な! 前も百叩きされたんですよ! 姫様を泥だらけにしたとかで! また私を百叩きさせるつもりですか! 昔話の悪役みたいに! 昔話の悪役みたいに!」

「そんな事言われても、俺たちにはどうにもできないっすよ」

「うう……」

鈴仙が半泣きになっている。

そういえば、木をベアハッグするとき、なんだかジャージが木くずだらけになったし。

今、木を抱きしめて持ち上げている過程で、顔が煤だらけになっているような気がするが、まあ仕方が無い。

「この木、どうしましょう。 妖怪の山に向けて投げ捨てましょうか。 音速の30倍くらいで投げれば届くと思いますが」

「頼むから! 勘弁してください!」

「その、里の外に適当に捨てていただければ結構です!」

「そうですか。 ではそうしてきます」

飛んでいこうかと思ったが、それだと流石にまずいか。今は人里はまだ真っ昼間である。一応人外の者が昼間から里を歩くのは良くない。鈴仙に、お賃金を貰うように指示。何故か前の倍くらいの料金が投げ渡されていた。

とにかく、邪魔なごみは捨てなければならない。

燃料になると思うのだが、捨てるというのならゴミはゴミだ。まあ処分するしか無いだろう。

木を抱えたまま歩くが、とにかく前が見づらい。

重心もおかしいので、木がグラングラン揺れる。こればっかりは、多少腕力自慢でも仕方が無い。

一応家に擦ったりはしないように気は付けたが。

人里の外れ辺りに来た頃。

空から強い気配が降りてきた。

また博麗の巫女である。

しかも、ぷんぷんといきなり怒っていた。

自分が何をしたと言うのだろう。輝夜にはそれが分からない。

「永遠亭の姫! なーにしてるのよあんたは! 木が歩いてるとか訳が分からない通報があったわよ! 真っ昼間から人里に妖怪が出たと思ったじゃない!」

「人里の空き屋を解体するのに邪魔になっていた枯れ木を、私がねじ切って処分しただけですよ。 でも捨てる場所が無くて、此処まで持ってきたのです。 最初は妖怪の山にでも投げ捨てようかと思ったのですが」

「たーのーむーかーらー止めて! 今、彼処はただでさえ天狗と守矢が一触即発なんだから! 変なことされたら、その場で戦争になりかねないから! 妖怪と商売仇でつぶし合うのは別にどうでもいいけど、下手すると人里にも被害が出るから!」

「そうです止めてください! 霊夢さんももっと姫様に言ってください!」

なんでか知らないが、半泣きの鈴仙まで博麗の巫女に混じって突っ込みを入れてくる。

困った。

これでは孤立無援だ。

大きく博麗の巫女が嘆息する。

「てか鈴仙、何よその格好。 あんた変装している意味ないでしょ」

「そうです! こんな変装とっくにみんなに見破られてます! でもお約束でしなければならないんです! 耳が痛くて仕方が無いのに! それに私の胃とおしりがどうにかなりそうです!」

「あー。 流石に妖怪兎とは言え同情するわ……」

「同情するなら助けてください! うわーん!」

とうとうさめざめとではなく大泣きし出す鈴仙。

困り果てた輝夜は。

とりあえず、持っている枯れ木をそのまま更にばらばらにねじ切って、ぐしゃぐしゃに潰しながら言う。

その様子を見て、何故か最強の巫女は真顔になった。

「枯れ木も分解するとかさみますね。 この辺りだったら燃やしてもかまいませんか?」

「……ああもう好きにしなさい! それと、そのジャージ木くずだらけだし、煤だらけだし、何とかした方が良いんじゃないの?」

「それは汚れるのが前提の服なのですから仕方がありません」

「……あそう」

もう何を言っても無駄だと思ったのか。

博麗の巫女は肩を落とすと、帰って行った。

鈴仙が何だかすがるように手を伸ばしたが、つきあいきれないと博麗の巫女の背中には書いてあった。

ともあれ、火を出す秘宝もあるので、枯れ木を燃やして処分してしまう。周囲に人もいないし、此処で秘宝を使うなら良いだろう。

結構派手に燃える。多分大木くらいの火柱が上がったと思う。

生木は燃えないが。死んでしまって水分が無くなれば、木はよく燃えるのだ。

「わあ、凄い火ね。 鈴仙、お芋はないかしら」

「ありませんっ! というか、この火力で何のお芋を焼くつもりですか!」

「いっぱいお芋が焼けるかと思ったのだけれど」

「焼けませんっ! 一瞬で消し炭です!」

感覚がずれているのだろうか。

笑顔の輝夜の前で。

枯れ木の残骸は、ぼうぼうと燃えさかり。

やがて綺麗に消し炭になった。

満足して頷く。

後は消し炭を適当に地面に埋めて、更に近くの川から水を持ってきて掛けて、全て終了。これで残り火が引火して、火事になる事もないだろう。

ジャージの木くずを払って適当に落とすと、適当に食事に行こうと話をするが。鈴仙はげっそりしたまま。食欲が無いという。

可哀想なので、元気が出るように、甘い物でも食べに行くとする。

それだと、またあの玉兎の団子屋が良いだろう。

しかしながら、どうしてかは分からないが。

団子屋に行くと、お店が既に閉まっていた。

まだ随分早い時間なのだが。

「本日は閉店しました」の張り紙が出ていて。暖簾も片付けられている。

はて。店の中には気配があるのだけれど。

そういえば、玉兎の店は二軒とも閉まっている。しかもあからさまに中から此方を伺っていて、怯えきった気配まである。

仕方が無い。

他のお店にいくとしよう。

適当にお店を見繕う。

少し日が傾いてきたが。

まだまだ甘味処はやっている。

適当なお団子屋を見つけたので、其処で食べる事にするが。鈴仙は味がしないといった。

「お、妖怪兎じゃねーか」

側に舞い降りる影。

以前見た事がある、人里を離れて暮らしている魔法使いである。

まだ種族としての魔法使い(寿命を超越する特定の術を取得すると魔法使いは人間とみなされなくなり、魔法使いという種族として扱われる)にはなっていないはずだが。

あの博麗の巫女が認めている数少ない戦友。

確か霧雨魔理沙と言ったか。

金髪で小柄な女の子で。箒を使って空を飛ぶ。

高火力の魔法を使いこなす、妖怪退治の専門家を自認する人物だ。

テンプレ的な魔法使いの格好をしているのだが、実は季節にあわせて服やら帽子やらをこまめに変えているおしゃれさんである。

「何だ、火事にでもあったのか? 服が煤だらけだぞ」

「焼き芋をしようとしたのですが、この火力では無理だと言われました」

「はあ? 焼き芋ぉ!? あ、えーと。 その声、永遠亭の」

「駄目ですよ、そんな事を人里で言っては」

さっと口を塞ぐが。

力加減を間違えたか、魔理沙が真っ青になってばたばたする。やがてぐったりして動かなくなったので、流石に少し慌てた。

博麗の巫女に比べると、意外に人間なのだなあと思う。

あの人外の戦鬼の戦友なのだから、もっと頑丈なのかと思っていたのだが。

気合いを入れて意識を戻すと。

しばらく荒く呼吸をついたあと、魔理沙は激高する。なんでだろう。

「殺す気か!」

「ごめんなさい、力加減を間違えました。 前に私達と渡り合うほどの武勇を見せたので、大丈夫だと思ったのですが」

「いや、それはそれで……まあいいよ。 あーもう、代わりにだんごおごってくれ」

「良いですよ。 何故かたくさんお給金貰いましたし」

別にお金なんてたくさん持っていても仕方が無いし、気前よくおごる。お皿に三つ分、山盛りにお団子が出てくると、魔理沙は目に見えて機嫌を直す。この辺り鈴仙よりかなり分かり易い。

魔理沙はそれにしても何があったのかとか鈴仙に聞き。

鈴仙が泣き出したので慌てていた。

よく分からないが。

今日のお仕事は、失敗だったのだろうか。

そういえば、魔理沙は博麗の巫女に比べるとだいぶ人間っぽいと話を聞いている。今、自分でもそれを確認もした。

ならば参考になる人間っぽい発言をしてくれるかも知れないし、意見を聞くのも良いかもしれない。

あくまで輝夜は月人だ。

地上の人間の考えとは、まだまだだいぶかけ離れているのだから。

そう思って、素直に話を聞くと。

魔理沙は真顔になる。

「それ、マジで言ってるのか?」

「マジというのが本気という意味であれば、本気ですよ」

「あー、そうか。 そうだよな……千年も引きこもってたって話だしな……色々ずれてるよなあ」

ちらっと魔理沙が輝夜の服と、鈴仙を交互に見て。

そして鈴仙が手で顔を覆う。

何だか遠い目をする魔理沙。何だか、それだけで事情を察したようだった。

「多分だけれど、え……あの薬師の先生は、あんたにお嬢様らしく振る舞って欲しいんだろうって、私は思うけどな」

「お嬢様らしく」

「私も色々覚えがあるからなあ……まあ、泥だらけになったり煤だらけになったりして、それを何とも思わないのは、ちょっと優雅さとか、気品とかに、欠けるんじゃないかって思うぜ」

「優雅さ。 気品」

あまり意識してこなかったが。

そういうものなのか。

むしろ妙に気取って、距離をとったり。

御簾の向こうから指示だけを出したりするよりも。

人々に混じって生きる方が、好ましいのでは無いのだろうか。

そう返してみると。

げんなりした様子で魔理沙は首を横に振る。

「それはそれで全然かまわないんだが、てかむしろ立派だと思うが、あんたの場合何というか……かっとんでるんだよ」

「「かっとんでる」とは」

「まあ人々に混じるにしてもその中に優雅さとか気品とかを保てば、え……薬師の先生も怒らないんじゃないのかな」

小首をかしげていると。成長期らしい健康的な食欲でだんごを平らげた魔理沙は、腰を上げる。

まあ好奇心が強そうな子だし。

ただ様子を見に来ただけなのだろう。もしも人里で問題になるようなら、博麗の巫女が殴りに来る筈だし。彼女はそもそも帰ったのだから多分問題では無いのだ。

仕事も終わったし、輝夜も帰る事にする。

それにしても、優雅さ。気品。

何だかよく分からない。

月人の中でも深窓の令嬢として育ち。

その後色々あったから、良く基準というものが分からない。

月の世界での基準も、昔と今とは違うはずだ。

人間の世界の基準も勿論そうだろう。

輝夜がかぐや姫として地上にいた頃と、現在では、まったく違っている筈である。例えば美人の基準についてもまるで違う。

以前天狗が持ち込んだ外の世界の「美人図」を見たが。

古き世に輝夜が周囲を熱狂させた頃の「美人」とは、基準が全く違っていた。

考えて見れば、輝夜はあの頃、一種の「人外としての美貌」によって、貴族達を惹きつけたのかも知れない。

つまり結局の所、自分の美貌とはあまり関係無い所で周囲を引き寄せていたと言う事だ。

月においてもそうだろう。

姫君と呼ばれる地位が。

周囲を傅かせる原因となっていた。

そんな中、どうやって根本的な気品とか優雅さとかを保てば良いのだろう。

帝王教育の類は受けたが。

それは永琳も同意の上で忘れた。というか捨てた。

だが、それでも永琳は気品を保てという。

自分なりのやり方を責めてもいる。

外に出るようになってから、その傾向は特に顕著だ。

そして鈴仙は、その監視役が「心が弱い故に」出来ていないという理由で、折檻を受けてしまっている。

これは、良い事だとは結論出来ないし。

鈴仙が可哀想だ。

帰り道、窶れきっている鈴仙が気の毒に思えた。こんな事では、しばらく外には出ない方が良いのかもしれない。

永遠亭につく。

永琳が出迎えたが、やはりいい顔はしなかった。

ただ、鈴仙は守らなければならないと思う。

後ろで生まれたての子鹿のように震えている鈴仙には、非は無いと、輝夜は考えを決めていた。

「永琳、話があります」

「伺いましょう、姫様。 内容次第では許しませんよ」

「分かっています」

鈴仙に、先に風呂と食事を済ませるように言うと。

煤だらけになった理由と。

鈴仙は泣きながら止めようとしていたこと。

更に自分の意思で人々のために働こうとしたこと。

非があるならば自分にある事を、順番に告げた。

あまり激しい気性を持たない輝夜だが。

魔理沙に、気品が足りないと指摘されたことも、色々と思うところがあった。

それらを蕩々と告げると。

永琳はふむと頷いた。

「分かりました。 考えてはいる事は分かっていましたが、鈴仙に非が無いという事についてはその通りだとしましょう。 ただ、前にも説明したとおり、あの子はそれこそ体を張って姫様の凶行を止める勇気が必要なのです。 それがなければ、いつまでもあの性悪に虐められ続ける事になるでしょう」

言われて気付く。

てゐが庭の木に吊されて。

しかも口から魂が出ている。

そういえばてゐは獣から妖怪になった妖獣としては例外的に精神攻撃に弱く。

確か前に幻想郷の閻魔に説教されたときも、体調を崩して寝込んだことがあった筈だ。

永琳の言う事に対してさえ、洒落臭い口を利くてゐだが。

誰に説教して貰ったのか。

閻魔をわざわざ呼んだのか。

だが、その予想は外れた。

「大国主命ですよ」

「あ、ああ……なるほど」

「未だに悪さをしている事をやんわりと大国主命が叱っただけでああなりました。 当分は大人しいでしょう」

「えげつない真似をしますね」

永琳は薄く笑う。

まあ、彼方此方で他の妖怪にも人間にも詐欺同然、いや詐欺そのもので迷惑を掛けまくっているのだし、これくらいの仕置きは仕方が無いか。

てゐが恩人である大国主命(当時基準、更にはてゐ基準で大変な美男子である)に惚れているのは、人の心の機微に疎い輝夜でも分かる。

精神面が脆いてゐが惚れた相手に責められたら、まあああなるのは言うまでも無いか。

なお、大国主命に嘘をつけるはずも無く。

直近で行った詐欺の類は全て吐いたそうなので。

それらで儲けた金や、仕入れたものなどは全て持ち主に返還させた上で。

罰として仕置きもしたという。

大国主命が見ている前で、である。

それは良く死ななかったなと、輝夜はちょっと同情してしまった。妖怪は精神が死ぬと死ぬのだ。

「それと姫様は、本当に気品を持とうと思っておられるのですね」

「はい。 人々の中に入り、泥にまみれて働く。 それも新しい形の姫のあり方だとも考えています」

「それは別にかまわないでしょう。 しかしやり方をもう少し考えるのです。 私も遠隔で見ていましたが、周囲の人々が完全に青ざめていたではありませんか」

「そうなのですか」

そうなのだと、断言された。というか遠隔で見ていたのか。

それは困った。

確かに人々に混じって働くのは良いのだが。

それで怖れさせてしまってはいけない。

「分かりました。 それならば、鈴仙に助言を受けながら働いてみることにしましょう」

「良くそれに気付きましたね。 同じ力の使い方であっても、悪い方法では周囲を怖れさせてしまうのです。 後、もう一つ。 格好にはもう少し気を遣うようにしなさい。 その煤だらけの格好、複数の者に指摘を受けていたでしょう」

「仕事着なのに……」

「ものには限度があります!」

首をすくめる。やっぱり叱られたか。

でも、何となく分かるには分かった。

今日は、鈴仙は叱られることも無かった様子だし、よしとしよう。

しばらくは外に出ることは避けようと思っていたが。

またジャージの洗濯が終わったら。

お外で働いてみるとしよう。

そう輝夜は、考えを改めていた。

 

3、ごみはたたき割るもの

 

外の世界から流れ着いた、動きやすい靴。スポーツシューズというのか。それを手に入れて、輝夜は大いに満足した。

秘宝ではないが。

外の世界の基本らしいのでこれでいい。

なんと最近はどの子供も履いているのだという。

都合が良い事に、手に入れた靴のサイズは輝夜に丁度良い。

なお、愛用されている理由についても調べた。あまり意味がよく分からないのだが、楕円形の道を回って走るのに都合が良い形状をしているらしく。

とても派手で豪快な宣伝によって、売り上げを伸ばしている靴なのだとか。

ジャージにこれを履いて。

更に編み笠で顔を隠すと。

もう許して欲しいと顔に書いてある鈴仙を連れて、永遠亭を出る。

今までの助言を聞いて、今度こそ気品を持ってお仕事をしよう。

そういう覚悟を決めていたが。

鈴仙はもう、何もかもを諦めた顔をしていて。

今日の夜には蒲焼きにされてしまうんだと、目に絶望を浮かべていた。

「鈴仙。 既に永琳から聞いているかも知れませんが、私が気品の無い仕事をしようとしたら、止めるのですよ」

「どうやってそんな難事を達成すればいいのですか姫様。 月の軍勢と戦う方が容易い気がします」

「勇気を出すのです」

「うう……万の軍勢を相手にした方がまだ気が楽です……」

もう既に泣きそうだ。

確かにこれは、永琳が精神鍛錬が必要だと、外に出すわけである。

普通に接してくれる人間が相手の場合は、大丈夫なのだろう。

人間にとっても、永遠亭のお薬は生命線だ。

確か最近は妖怪にもお薬を売っているらしく。

それも非常に好評らしい。

基本的に元手がただ同然である事(つまり出し惜しみしない)と、料金がとても良心的なこともあって。

誰からも評判が良い。

詐欺師として嫌われているてゐでさえ。

薬売りの時には、来たことを感謝されるという話である。とうぜん、鈴仙もそれは同じなのだろう。

今日は妹紅にも出くわさなかったし。

出くわした夜雀の妖怪は、輝夜を見るとささっと道の端にずれて、一礼すると姿を隠した。

よく分からないが、やっぱり永琳が怖いのか。

或いはお薬が貰えなくなることが困るのだろうか。

「鈴仙、あの子はどうしてあんなに恐縮しているのです」

「ああ、あの夜雀は開いているお店の客層が世にも恐ろしい面子ばかりらしくて、毎日胃痛に悩まされているらしいです。 それでうちの薬を愛用しておりまして」

「なるほど。 ならば私も彼女のお店に足を運んでみましょう。 そうすれば、客層が少しは華やかに」

「なりませんっ! 可哀想だから許してあげてくださいっ!」

あら。

怒られてしまった。

輝夜でも怖いのだろうか。

ならば、確かに足を運ぶのはやめておいた方が良いだろう。

竹林を出る。

今日はちょっと違った道から人里に。

妖怪の山から流れ出ている川を横目に、田んぼの近くを通りながら行く。

確か外では環境破壊が進んでいるそうだが。

幻想郷ではとても美しい自然が健在で。

四季折々の美しい花をいつも楽しむ事が出来る。

人里の近くは全て田畑と言う事もないので。

色とりどりの光景は、この経路ではとても目に優しい。

足を止める。

手をかざして見ると、人が集まっているようだ。

この辺りはぎりぎり人里。

そうなると、多分何か問題が起きているのだろう。

笑顔のまま近づいていくと。

男衆が、橋の左右で、わいわいと騒いでいた。

勿論躊躇わずに声を掛ける。

「どうかなさいましたか?」

「ああ、橋が……えあうっ!?」

「ふふ、大丈夫ですよ。 今日は出来るだけ気品の溢れる仕事をしようと思っています」

「は、はあそうですかはい。 実はこの橋、何カ所か朽ちかけていて、危ないから一度撤去しようと思っているんですがね。 河童に頼むと高くつくし、困っていたところなんですわ、はい」

それなら、どうにかしよう。

頷くと、橋の構造を見る。

橋の基礎はまだ生きているから、駄目になっているのは木で作った本体部分か。

典型的な経年劣化と。

長年の酷使が原因だ。

鈴仙を手招きして耳打ちする。

「橋を下から持ち上げていなさい」

「は、はい。 どうなさるんですか」

「こうするのです」

「こうすると言われましても……」

橋の下に入ると。

言われたまま橋を持ち上げる格好に浮く鈴仙。

まあ人里の端だし。

浮くくらいは良いだろう。

別に人間でも空を飛ぶ者は珍しくない幻想郷だ。

薬売りが空を飛んでも何ら問題は無い。

端の構造を見て、何処に力が掛かっているかは分かった。

それならば。簡単だ。

手刀を一発。

橋の向こう側に渡ると、もう一つ手刀。

これで終わりだ。

ばつんと音がして。

橋が落ちた。

いきなり橋の全重量が掛かった鈴仙が川に落ちかけるが。

何とか必死に支える。というか、徐々に確実に高度が落ちている。

「頑張りなさい」

「ひ、ひいいっ! 無理無理無理無理っ! お助けえっ!」

「あら、思ったよりひ弱ですね。 みなさま。 力を貸してあげて貰えますか? 私も力を貸します」

「わ、わかりました!」

軍手を嵌めると、橋の端を持って、軽く持ち上げる。里の男衆と協力して、橋の残骸をゆっくりと動かして、陸上に持ち上げる。

そして時計回りに回して。一気にひっくり返した。

誰も挟まれないように、最後まで気を遣ったが。

一応、事故にはならなかった。

壊れた橋は。

こうして無事にその役割を終えた。

「どうでしたか?」

「……ま、まあよいのでは、ナイデショウカ」

「そうですか!」

少し嬉しい。

なんだか里の人の返事が片言になっていた気がするが。多分嬉しさの表れだろう。

鈴仙は真っ青になって、肩で息をついているが、手を引いて立ち上がらせる。

「勇気を出しましたね」

「……」

何だか恐怖の大魔王でも見るような目で輝夜を見ていた鈴仙だが。

こくこくとだけ頷いた。

後は、無くなった橋を造ることだが。

それについては里の人が言うには宛てがあると言う。

「守矢の方で、こんくりーととかいうものをつかった最新の技術で、簡単には壊れない橋を造ってくれるそうでさ。 困っていたのは撤去に金が掛かることだったので、もうこれで充分で。 ありがとうございます」

「そうでしたか。 ゴミ処理はやっていきましょうか?」

「いや、これは崩して堆肥にしますので」

「分かりました。 良い仕事になったようで何よりです」

お給金を受け取る。

今回は、前回に比べて控えめだ。

というか、前の時は、やはり人々を怖れさせていたのだろうか。

それならば、今回のが適正の価格と言う事になる。

橋が無くなったので。

少し大回りに移動して、人里に向かう。

せっかくだから、もう一働きしたい。

空を飛んでいく守矢の巫女と。

地面をてくてく歩いて色々な機械を引っ張っていく、人間に変装した河童の群れとすれ違う。

守矢の巫女は此方に手を振って来たので、手を振り返す。

向こうも此方に気付いているのだろう。

そういえば守矢の巫女もお嬢だと聞いているし。

或いは、此方に対して、色々思うところがあるのかも知れない。

今度腹を割って話してみたい所だ。

 

人里に入ると、今日は特に目立った喧噪もない。

普通に人々が行き交い。

問題も起きていない。

途中、冥界の姫君に仕える庭師とすれ違う。

少し鈴仙より年下の人間に見える、銀髪の彼女は。今日も二振りの刀を差していた。

殆ど人間同然の姿をしているので、特に変装はしていなかったが。彼女は半人半霊という種族だ。

鈴仙が真っ青になって硬直する。

一方庭師もびくっとして、立ち止まった。此方の正体に気付いたのだろう。

なお庭師は、荷車に、大量の食糧を積んでいた。

冥界の姫君は凄まじい健啖家だと聞いているが。

どうやらあながち嘘でも無いらしい。

先に頭を下げたのは、冥界の庭師の方だった。

「ど、どうも、お久しぶりです」

「此方こそ。 以前はお世話になりました」

「いえいえ、此方こそ……」

腕が立つ反面かなり気が弱い子だと聞いているが。以前の戦闘では激戦の末に鈴仙が一敗地にまみれ、文字通り上下二つに両断された。そういう意味で実力は確かだ。

妖怪だから物理的に肉体が破損しても死なないのだが、鈴仙はその時の事をトラウマに思っているようで。

今でも後ろでガタガタ震えている。

実のところ、その時の戦闘でてゐも博麗の巫女に頭をかち割られているのだけれど。てゐは別に博麗の巫女にびくびくしていない辺り、戦闘経験の差なのかも知れない。或いは殺された回数の差だろうか。

「凄い量の食糧ですね。 みな其方の姫君の食べる分ですか?」

「あ、はい。 おかげでエンゲル係数が今月も85%に達していまして……」

「まあ」

「そ、それでは失礼します」

そそくさと去る冥界の庭師。

鈴仙に咳払いする。

「前に負けたとは言え、良い勝負だったではありませんか。 同じ姫に仕える者同士、仲良くしては」

「あ、あの刀が体に食いこんで、内臓を切り裂いた時の感触、思い出したくもありません!」

「駄目ですよ鈴仙。 勇気を出さないと。 また永琳に叱られてしまいます」

「そ、そんな、そんな事を言われても」

また泣きそうになる。

困ったな。

仕事を探すにも、この様子ではこれ以上は特に仕事を見つけられそうにもないか。

さっき橋を壊したので充分だし、今日は適当に周囲を見回ったら帰るとしようか。鈴仙も何だか辛そうだし。

でも、鈴仙はもっと勇気を出さないといけないと永琳は言っていた。

それならば。

輝夜も手伝うべきだろうか。

ふと。

その時、声が上がった。

食い逃げだ。

確か、食い逃げというのは、お金を払わずに食べ物を盗み食いする事の筈だったが。

そういえば、少し前に。

幻想郷に来た妖怪が、食い逃げを繰り返して、おしおきをされたとか言う噂を聞いたことがある。

この狭い幻想郷の人里。

人間が人間に対して犯罪をすれば、かなりの確率で捕まるとも聞いている。

かといって、この真っ昼間から食い逃げ。

また随分と度胸のある。

見ると、突っ走ってくるのは、凄く太ったおじさん……の様に見えるが、あれは蛇の妖怪とみた。

いわゆる蟒蛇という奴だ。

しかも、此方にまっすぐに逃げてくる。

「どきやがれ! 蹴散らすぞ!」

喚いている有様は非常に見苦しい。

こんな低級。

秘宝を使うまでも無い。

そのまま折りたたんで地面にぺしゃんこにでもしてやろうかと思ったが。

後ろで震えている鈴仙を、前に出す。

鈴仙が石像のように硬直した。

「勇気を出すのです、鈴仙」

「え……」

何だか、地獄に放り込まれた子供みたいな声を出す鈴仙。

戦闘になれば、勇敢に戦うことも出来るのに。

さっきのショックが大きかったからだろうか。

突撃してくる蟒蛇は、鈴仙を兎の妖怪とみたか、むしろ舌なめずり。

そればかりか、巨大な蛇の本性に堂々と変化すると。

鈴仙を丸呑みにせんと、躍りかかってきた。

「勇気を!」

鈴仙を蟒蛇に向け突き飛ばす。

鈴仙は、すっと、静かになった。

何だろう。

一線を越えたからだろうか。

とにかく鈴仙は、指鉄砲の形をとると。

すっと背筋を伸ばし。

冷静過ぎるほど、躍りかかってくる巨大な蛇に相対し。

そして妖術で作った弾を撃ちだした。

元々鈴仙は、鬼神と同格の存在と、スペルカードルール限定とは言えまともに戦えるほどの実力はあったのだ。

勇気さえ出せば。

そして、兵士としての力さえしっかり引き出せれば。

頭から尻尾まで鈴仙の巨大弾丸に撃ち抜かれた蟒蛇は。

一瞬で膨れあがると。

爆裂。

あたりにきちゃないご飯の残骸をばらまきながら、しゅるしゅると縮んでいった。

輝夜はへたり込んでいる鈴仙の肩に手を置く。

「良くやりましたね」

「いいぞ! えいえ……謎の薬売りのねーちゃん!」

「れ……薬売りのねーちゃん流石だ!」

「どこかの誰か分からない薬売りの人、やっぱり強いな!」

周囲から拍手が巻き起こる。

輝夜はきちゃない残骸に塗れて、全身爆裂させてぴくぴくしている蟒蛇に歩み寄ると。

とどめの一撃を手刀で叩き込んだ。

「少し前に聞いたのですが、幻想郷の人里で大罪を犯したものは真っ二つに割るのが流儀だそうです。 博麗の巫女もそうするのだとか。 人里の人間に直接手を出すなど、許されないですよ」

蟒蛇は輝夜の手刀で真っ二つにたたき割られ。

呪詛の声も無く消えていった。

これで恐らく、当分は復活できないだろう。

でも妖怪だから、肉体を失ってもその内復活するのだけれど。

流石にもう、同じ悪さをしようとは思わないだろうし。

これ以上人里で同じような悪さをしようとするのなら。

多分幻想郷の賢者か、博麗の巫女が動くはずだ。

「さあ鈴仙、起きて」

「……はい」

「周囲のきちゃないごみを片付けましょう。 このようなごみが散らばっていたら、きっと往来の人が迷惑します」

「……はい」

何だろう。

鈴仙の目が死んでいる。

たかがあんな蟒蛇ごときが、そんなに怖かったのだろうか。

箒とちりとりを用意してきて、未消化のごはんの残骸を片付けると。

周囲の家などに危害が無かったかを確認して回る。

問題は無さそうだったので、気の毒な食い逃げをされた家に、お金を払おうと思ったが、むしろ悪い妖怪を退治してくれたと言う事で、頭を下げられた。

今日もお仕事は、結局ゴミ掃除になったか。

でも、わるものを真っ二つに出来たし。

ゴミ掃除はしっかりできたので。

これでよしとしよう。

下手をすると、何の仕事もなく、帰る事になったかも知れない。

これくらいできっと良いはずだ。

それに、気品のある仕事は出来たはず。

今日はどろどろに汚れてもいないし。

鈴仙に勇気を出させることも出来た。

きっとこれで、永琳も喜んでくれるに違いない。

輝夜は充分に満足した。

「鈴仙、他に何か仕事の当てはありませんか?」

「……」

「どうしたのです、鈴仙」

口を押さえると。

鈴仙は側の川の水に行って。

吐き戻し始めた。

おや、どうしたのだろう。

背中をさすってあげる。

「勇気を出して怖かったのですか?」

「げほっ! うえほっ!」

「大丈夫、貴方たちは私の大事な部下です。 何か大変なときがあった時には、私が守ります」

「……」

また吐き戻す鈴仙。

可哀想だなと、輝夜はもう少し背中を優しく撫でた。

この様子では、何か食べるのもあれだろう。喉も荒れているだろうし、鈴仙にはすぐに永琳のお薬を飲ませた方が良いかも知れない。

お団子屋にでも寄ろうかと思ったが。

それはまたにしよう。

鈴仙を連れて帰ることにする。

河童達の手際は流石というか。

さっき落とした橋は、もう「こんくりーと」製の橋に造り変わっていた。まだ乾かしている最中だとかで、「つうこうどめ」と書かれていたが。

側を飛んで渡れば良い。

河童の数人が此方を見たが。

輝夜を見て、びくりとした後。視線をそらす。

あれ。

この子らに、何かしただろうか。

ともかく、もう人里の端だし、別に飛ぶくらいはかまわないだろう。

作業の監督に当たっていた守矢の巫女に、軽く一礼されたので、一礼を返す。

とぼとぼと歩いている鈴仙にも一礼を促すが。

完全に顔色が土気色になっていた。

彼女は竹林に入った辺りで、また吐き戻した。というか、もう吐くものもないようで、胃液だけだったが。

「どうしたのです、鈴仙。 風邪ですか?」

咳き込んでいるので、あまりこれ以上深くは聞けない。

歩けるかと聞くと、頷かれたので、そのまま連れていく。

ふと気付くと。

珍しく、永琳が出てきていた。

竹林の中で、迎えに永琳が出てくるのは久しぶりだ。

あまり嬉しそうにはしていないが。

「永琳、今日も仕事を見ていたのですか?」

「ええ。 姫様、優曇華を此方に」

「今日鈴仙は勇気を振り絞ったのです。 あまり虐めては」

「……それについては後で話しましょう。 それよりも、かなり良くない状態ですので、私が施術します」

何。

やはり風邪だろうか。

鈴仙を背負うと、永琳は一足先に永遠亭に飛んで戻っていく。

ぽつんとその場に取り残された輝夜だが。

歩いて永遠亭に帰る事くらいは出来る。

ちょっと鈴仙が心配だから。

寄り道をするのは気が進まなかったので、まっすぐ帰る。

一人きりの帰路は。

どうしてか、ちょっと寂しかった。

そういえば。

妹紅は、こんな感じで。

ずっと血まみれの道を歩き続けていたのだろうか。

かぐや姫と呼ばれていた頃。

輝夜は五人の貴族から求婚された。

いやだったから無理難題で応じて。

皆追い払ったのだが。

その内の一人が。

妹紅の父だった。

そして、そもそも輝夜が地上に来る切っ掛けになった、不老不死の薬を。

あろう事か妹紅は飲んでしまった。

それが地獄に落ちるのも生やさしい、悪夢の始まりだとさえ知らずに。

二重の意味で人を不幸にしたことを知ったのは。

それから千年も後の事だった。今から三百年ほど前の事である。

かぐや姫と呼ばれていた頃は。

地上の人間の事など、どうとも思っていなかった。

今は違う。

地上の人間の営みを見てきて。

傲慢で選民思想に驕った月の民よりも、生命力と活気に溢れていると思っているし。

一緒にやっていかなければならないとも考えている。

だからこそに。

当時の罪の象徴とも言える妹紅に見つけられたときは衝撃も受けたし。

永琳が素性を調べてきた時には、更なる衝撃も受けた。

戦いに応じている内に、千年ものあいだ蓄えられた鬱屈の凄まじさも理解したし。

生半可な対応をすることは失礼だとも思った。

だから色々あって、幻想郷の内部で中立勢力としてやっていくと決めた今は。

人間達と関わろうとも思っているし。

役に立てるなら立ちたいとも思っている。

罪滅ぼしという意味もある。

だが、それ以上に。

これ以上、同じ罪を重ねたくないのだ。

少し肩を落としていたかも知れない。

永遠亭に到着すると、寝かされた鈴仙が、点滴を受けていた。意識もない。

ひょっとすると、輝夜のせいだろうか。

永琳は大きく嘆息すると。

別室に輝夜を連れ。

其処で向かい合って座った。

「姫様。 確かに今日の貴方は優曇華に勇気を出させるようにしました。 それに、今日の仕事は下品でもやり方がまちがっていたとも思いません」

「しかし、鈴仙の不調は私のせいなのですね」

「そうですね。 例えば水に毒を垂らすとしましょう。 その水と毒の比率次第では、まったく害にはならない事は分かるかと思います。 優曇華の場合は、毒の比率が高すぎた状態です。 精神の負荷が限界を超えてしまったのです。 施術しなければ、命に関わるでしょう」

そうか。やはりそうだったのか。

自分のせいだったのかも知れないと思ってから。

そう気付くまでには。

少し時間が掛かったが。

しかし、合点もいった。

「私も何か罰を受けましょうか」

「しばらくは、外出禁止とします。 優曇華が体調を戻したら、ゆっくり二人で話しあってください」

「分かりました。 私も鈴仙を苦しめるのはとても悲しいのです」

「どうしてその心が直接行動につながらないのか……」

頭を振る永琳。

自分がずれていることは輝夜も分かっている。

だが、ただでさえ寿命が地上の生物とは違うのだ。

やはり、一朝一夕で適応するのは難しい。

月の頭脳とまで言われた永琳は、わざわざ輝夜と同格にまで力を落として、永遠亭で過ごしてくれているけれど。

きっと、それではいけない。

いずれ、むしろ輝夜が永琳と同格まで力を伸ばし。

名実共に永遠亭を切り盛りできるくらいにならないといけないのだ。

「ここしばらく、人里で直接働いてみて、どうでしたか」

「生命力に溢れていますね。 月にいた頃は穢れと思っていましたが。 その呼び方考え方そのものが間違っていたのかも知れません」

「……姫様。 貴方は充分に聡明です。 他人の言葉を聞く耳も持っています。 ならば後は、他人に自分をあわせる。 それが出来れば、きっと道は開けますよ」

自分の守り役である永琳にそう言われると。

真摯に聞くしか無い。

頷くと、輝夜は自分から申し出て。

精神負荷が限界になって意識を失った鈴仙の看病を買って出ることにしたのだった。

なんども失敗したが。

それでも、やらないと始まらなかった。

 

4、こころのかたち

 

流石に玉兎だけはあり。

鈴仙は数日で回復した。

ただ、意識を取り戻したときに。

仕事着では無く、永遠亭で普段着にしている着物に着替えた輝夜が自分を看病しているのを見て、飛び上がり掛けたが。

寝ていなさいと、可能な限り優しく寝付かせようとしたが。

しかし、むぎゅっとか言われて。

鈴仙は真っ青になったので。

ひょっとしたら力が入りすぎていたのかも知れない。

気を付けなければならないだろう。

相手にあわせる。

何度も輝夜は、自分に言い聞かせながら、力加減を考えた。

「ど、どうして姫様が、直接看病していただけるんですか?」

「鈴仙の精神の負荷が限界になって倒れたのは、私にも責任があるからです。 部下を倒れさせてしまったのだから、せめて助けてあげなければなりません」

「助ける……」

「私も力加減が上手に出来ていないことは分かっています。 痛かったりしたら、遠慮無く言ってくださいね」

笑顔で言うが。

その言葉で、鈴仙は真っ青になり。

そして失神した。

やっぱり怖がらせてしまったか。

それと、遠慮無く言ったりしたら、永琳に殺されると思ったのかも知れない。

蒲焼きだろうか。

しかし、鈴仙を蒲焼きにしても、あまり美味しくはなさそうだなと、看病をしながら思う。

気絶はしたものの。

永琳の作った装置でバイタルは見えている。それは安定しているし、もうつきっきりでなくても大丈夫だろう。

せっかくなので、人里に出てみる事にする。

鈴仙の状態は落ち着いたし。

今日は仕事に出るのでは無い、と告げると。

永琳は許可してくれた。

そういえば、鈴仙の好物を奢ってあげようかと考えたけれど。

今になって思うと。

お団子屋に連れて行ったのも。

あれが本当に鈴仙の好物だったのか、考えて動いていただろうか。

安易に甘い物なら好きだろうと、考えてしまっていなかっただろうか。

こういうところも。

相手にあわせていなかった、のかも知れない。

永遠亭を出て、しばらく歩いていると。

妹紅と出くわす。

反射的に構えてしまうが。

向こうに戦う気は無いようだった。

「喧嘩がしたいんだったら相手になるがな。 その気は無いんだろう」

「……はい」

「鈴仙が倒れたんだって? 無茶な仕事につきあわせて、無理ばっかりやらせるからだ」

「分かっています。 ずっと看病していました」

嘆息する妹紅。

彼女は元々黒髪だったが。

輝夜が残した負の遺産である不老不死の薬を飲んだせいで、髪の色も白に近い銀髪に変わってしまっている。

人間離れした戦闘能力も、人間としては考えられない年月努力を積み上げた結果だ。

射殺すように鋭い目も。

昔はこんなではなかっただろう。

ただ彼女は、元々正妻の子では無く、愛人の子だったという話も聞いている。

家庭に関しては、元からとても複雑な思いを抱いているのかも知れない。それを更にこじらせてしまった、というわけだ。

「あいつの好物でも買いに行くのか?」

「よく、分かりましたね。 鈴仙と仲良くしてくれているのですね」

「あいつは……まあ、そうだな。 戦士としての力は強いが、とにかく心の方が脆いからな。 色々放っておけないんだよ」

「……」

そういえば。

妹紅とこんなに話したのは初めてだろうか。

顎をしゃくられる。

ついてこい、というのだろうか。

編み笠で顔は隠すが。

今日は仕事着では無く着物だ。

多少豪華な服、くらいに周囲には見えるだろうし。

一応人間の範疇には収まるはずだ。

昼間から、人里を歩くのにも別に問題は無いだろう。

人里に行くまで、殆ど喋る事はなかった。

元々妹紅は無口だと聞いているし。

輝夜もあまり喋る事はない。

哀れみは失礼だし。

謝罪も向こうが受け入れはしないだろう。

人里に出る。

途中、何回か妹紅は呼び止められて、話をされていた。

どういう妖怪が出た。

どういう動きをしている。

そんな話だ。

自警団の中核として、人間に害を為す妖怪が出た場合の退治を請け負っているらしいから、情報の取得は急務なのだろう。

輝夜については。

何も聞かれている様子は無かった。

或いはもう正体はバレバレだし。

知らないフリをしていた方がいい、というのが本音なのかも知れない。

里に着く。

輝夜が行ったのは八百屋だ。

「外には甘い品種もあったりするらしいんだがな。 彼奴もあの腹黒と一緒になって兎を気取ったりしているんだから、嫌いじゃないだろう」

「まあにんじん」

「銭は持っているか」

「ええ、これならば、かご一杯くらいは買っていけば良いかしら」

しらけた目で見られる。

一応買い物用に籠は持ってきたのだが。

妹紅の反応からして、駄目だと言うことだろう。

「好きなものならあればあるだけいいのではないの?」

「本当に感覚がずれていやがるな。 にんじん単品で買っていってもどうにもならないだろうよ。 何かにんじんを使った料理でも作ってやれば喜ぶんじゃ無いのか。 兎以外の肉が入った、な」

「そうなのかしら」

「ああもういい。 ちょっと貸せ」

妹紅に籠を奪い取られると。

適当に店を周りながら、料理用の素材を幾つか放り込まれる。

兎が何を食べると体に良くないか、妹紅は良く知っているようで。

その素材はきちんと避けていた。

なるほど。

これが相手にあわせると言うことか。

まだまだ勉強が必要だ。

適当に買い物だけ済ませると、もう帰路につく。

人里の出口まで妹紅と一緒に歩いたが。

妹紅は、最後まで戦おうというそぶりは見せなかった。

その理由は聞かない。

或いは、最近の四苦八苦。

全部見ていたのかも知れない。

それで、今日敢えて出てきたのだろうか。

もしもそうだとしたら。

永琳がいうまでもなく、輝夜はまだまだ、という事になる。

もっと人里になじめるように。

頑張ってやっていこう。

とりあえず、妹紅が選んでくれたこの素材で、何が作れるのかよく分からないので、帰ったら永琳に相談して。

それで一緒に料理を作ろう。

でも、料理は失敗すると毒殺兵器になってしまうと聞く。

ただでさえ弱っている鈴仙に。

そんなものを食べさせるわけにはいかないだろう。

確か料理はレシピなるものに忠実に作るのが最大のコツだと聞いている。

それならばそうしなければならない。

永遠亭に辿りつくと。

永琳に材料を見せて、料理について聞く。

別に嫌な顔もせず。

永琳は輝夜と一緒に台所に立ってくれた。

 

(終)