蟹のお医者さん

 

序、あの世のもっとも大事な場所

 

あの世における医者は、当然のことながら、精神を主に扱う。住民である鬼がそもそも精神生命体なのだから当然だとも言えるが。

勿論、病院はそれなりにあるが。

その中の一つが特に有名である。

其処には名医と呼ばれている者がいる。

石版にカニの足を生やしたような姿をしたその医師は。中枢管理システムのバックアップを受けて。超圧縮した時間の中で、次々に来る患者の面倒を見ているのだ。

だから、本日という概念も無いし。

休暇も、時間を圧縮して、過ごすことが多い。

元々精神の病は難しい事が多いのだが。

名医として知られ。

高い完治率でも知られている故。

この特別措置を受けている。

もっとも、それが故に。

時間の感覚が、すっかり狂ってしまって、本人は色々困っているのだが。

あの世に来る前は。

医者だった。

あまり良い医者ではなくて。

実際には、小さな町医者にいた。

患者もそれほど来ない小さな医院で。

ヤブスレスレ。

それがあの世に来たら、どうしたか馬があったのだろうか。不思議と、医者としては評価され。

そして今では、中枢管理システムのバックアップまで受けている。

不思議なものだ。

物質世界では完全に無能扱いされていたのに。

あの世に来ると、評価が一変するのだから。

患者を次々に診ていく。

患者は地球人ばかりではない。

あの世の住人は、様々な星間文明の死者で構成されている。ただし、他の星間文明の医者に掛かる事は本来なら滅多に無い。

中枢管理システムから支援を受けているほどの名医。

そうアーカイブに記載されていることで。

地球人以外の患者も来るようになったのだ。

迷惑だとは思わない。

時間の感覚が完全に狂う以外は、これといったデメリットもないのだから。

「次の方、どうぞ」

「お願いします」

入ってきたのは。

柳である。

名前では無くて、地球に自生している植物の柳そのものだ。

ただし歩いている。

勿論精神生命体だ。鬼である。

この鬼は中堅の下くらいの実力の鬼で。仕事があわなくて、少しストレス値が高くなっている。

鬼がストレスを限界まで高めてしまうと。

堕天という現象を起こし、周囲に大変な被害が出る。

そうなる前に食い止めなければならない。

この鬼は、どうやら今の職場が嫌いではないようなのだけれども、ストレスが何故か溜まるのだという。

アーカイブにアクセス。

そして情報を確認すると。

なるほど、原因が読めた。

医者は、物質文明ではヤブだった。

だが精神文明では名医になれている。

それは、他人の精神分析が非常に得意だから、である。

人間時代、医師としては、免許を取れるギリギリ程度の力しか無く。そして実際に名医とは言い難い腕前だったけれど。

今は違う。

すぐに色々と問題部分を把握。

サポートAIに精査させて。

確認完了。

「恐らく職場の配色が問題でしょう」

「配色、ですか」

「周囲にフィルタースクリーンを掛けて見てください。 サポートAIに言えば、色の調整をしてくれます」

「分かりました、試してみます」

薬も出す。

ストレス値を単純に下げる薬だ。勿論副作用として、問題が無い程度の薬から試していく。

堕天スレスレまでいく患者は珍しくないのだけれど。

ただ、今の宇宙になってから、堕天した鬼や神はいないそうである。

今までの宇宙では当たり前だった神々同士の諍いがストップして。

その結果らしい。

よく分からないけれど。

精神を病んでいても、治療する暇が無かった、という事なのだろう。戦争ばかりで忙しく、負傷者やPTSDを煩ったり、力の弱い者に構っている余裕も無かったのかも知れない。

酷い話である。

戦争は嫌いだ。

いずれにしても、今の患者はこれでOK。勿論カルテをつけるが、この作業も今はタブレット操作を数回するだけでできる。

昔はドイツ語で書かなければならなくて、兎に角大変だった。

今はそれもなく。

ちょっとした動作でカルテが作られ。

更に今の患者についているサポートAIが、経過を知らせてくれる。

それらのデータを見るくらいのスペックは、鬼には普通に備わっているので、何ら問題ない。

次の患者。

呼びかけると、入ってきたのは円筒形だった。

これもまた鬼だ。

ただし今度は上級。

上級の鬼は物理干渉が出来る上に、その気になれば超新星を消し去るくらいの事は余裕で出来る。

流石に銀河や銀河団を消し飛ばせる神々とはそれでも力が違うけれど。

精神的な病気を患った場合の脅威度が大きい。

堕天したら計り知れない被害が周囲に出るからだ。

そのため、医師としても念入りかつ慎重な対応が求められるのである。

そういう意味では。

中枢管理システムからバックアップまで受けている、という事は。それだけの重要な仕事を任されているという事で。

自分自身の胃が痛みそうだが。

不思議とそういう事も無い。

上級鬼は言う。

ここのところ、監視している星の知的生命体達が極めて悪辣な蛮行に手を染めていると。その行動は看過できるレベルではなく。

中枢管理システムに進言もして、煉獄から調整をしているのだけれども。

それでもとてもではないが対応しきれないそうである。

元々正義感が強い上級鬼は、悔しそうに言うのだ。

「我々には力がある。 行使できないのがあまりにも悔しいのです。 確かに悪辣な魂は地獄に落としますが、それが現実世界で振るう暴威によって傷つけられる弱者は数多います。 何が更正した悪人の方が、ずっとまじめにやってきた善人よりも偉いだ。 醜悪で悪辣で、見るに堪えぬ。 いっそ星ごと消し去ってやりたい」

「お気持ちは分かります」

まず、此処で否定はしない。

上級鬼は、それを実行できる実力を持っているというのが一つ。

そしてこの人は、強い正義感を持ち。

邪悪がはびこる星の状況に強い憂いを持つという。その点では正しい事が一つ。

そして、である。

何より、そのままだと、この人が精神的に病んでいってしまうというのが最大の一つである。

この人の見ている星を調べるが、地球から800万光年ほど離れている。

その星の大きさは地球より三割増し程度。

自然発生した知的生命体は。

その愚かさを、何処でも関係無く振るうのは、仕方が無い事だ。

でも、決めているのだ。

今の宇宙では。

悪しきを滅ぼすとか。

邪悪を消し去るとか。

気に入らない存在は殺すとか。

そういった事はしないと。

今までの宇宙では、それをしていた結果。神々が激しい反目を起こし。鬼達も巻き込んで、宇宙中が焦土になった。

上級鬼や神々が、気に入らないと判断した瞬間。

文明ごと星が消滅する。

そういう世界だったのだ。

そしてその星に住んでいた生命体は、根こそぎ地獄行き。

あの世でも激しい争いが繰り広げられていたのだ。

それくらいは、当然だったのだろう。

それが良いとも、医師は思わない。

だから、ゆっくりと、憤激している上級鬼に、説いていく。

「その強い正義感はとても貴重なものです。 ですから、貴方が、愚かな知的生命体と同じになってはいけません。 気分のママに害する。 自分の勝手な理屈の元に殺す。 それをしていたら、クズどもと同じになってしまいます」

「しかし、このままでは弱者は救われません」

「救われるための努力は、煉獄からの確率調整で最大限しています。 少しずつ、確実に変えていくしか無いのです。 無理に変えてしまうと、どうしても世界に大きな歪みがでてしまいます」

「……そうですね」

薬を出しておく。

それと、どうしても我慢できない場合は、職場を変えるようにともアドバイス。

実際問題、彼の怒りはよく分かる。

医者をやっていたときには、それこそどうしようもない輩を嫌と言うほど見てきたのである。

小児科医ではなかったけれど。

体中痣だらけの子供が運び込まれてきたことがある。

痣は治る形跡もなかった。

これはつまり、早い話が。

栄養失調、という事である。

その上、悲惨な暴力を受けているのが確実だった。

栄養が不足していると、痣は治らない。

体もやせこけていて。

目には光が一切宿っていなかった。まだ幼いのに、全ての希望を奪われた様子が、ありありと分かった。

誰にでも、虐待が行われているのが一目で分かる状況。

連れてきた親は待合室でガムを噛みながら、面倒くさいからすぐに直せ、転んでこうなったと言っていた。

免許を見せてもらい。すぐに警察に通報。

だが、児相も警察も動かなかった。

この世はどうなっているんだ。

その時、本当にそう思った。

やがてその子は、その親に殺された。

新聞に載ったが。

児相も警察も、連絡を受けていないとか書かれていたし。

後日連絡を受けていたとちょっとだけ書かれたが。

それもほんのわずかだけだった。

人の命が。

それも未来を担う命が、暴力によって無惨に奪われたのに、その結末がこれだ。親は一応捕まったらしいが。

裁判を見に行ったら、へらへら笑っており。

反省などしているはずも無かった。

そして数年後。

たった数年で刑務所から出てきたそいつは。

また別の子供を殺した。

罪は償った。

だからどうこう言われる筋合いは無い。

刑務所から出てきたとき、医者に対してそいつはそう言った。貴方が人を殺したと指摘した時も、である。

人間とはそんな生き物だ。

刑務所で反省なんぞするわけもない。

そして繰り返した。

医者は、その現実を見た。

だから、ある意味。

とてもドライに対応出来るのかも知れない。

まあそういうものだと、割り切ってしまえているから、なのだろうか。

それはそれで救われない話だが。

次の患者を呼ぶ。

次に来たのは、まだ下っ端の鬼。

珍しく人型だ。

下っ端の場合、大体は幾何学的な姿をしていたり。えもいわれぬ形状をしているケースが多い。

医者にしても、最初になったこの石版にカニの足、という姿が気に入っていて。それ以降ずっとこの姿なのだけれども。

下っ端の鬼で、人型というケースはあまりない。

人型と言っても。

凄く痩せていて、目の下に隈もできている。

ただ、コレは恐らく、生前の姿だろう。

鬼になってから、窶れるケースはまずありえない。

話を順番に聞いていく。

この姿になってしまった、と鬼は言う。そして、苦しそうに、元に戻る事が出来ない、というのだ。

ああ、一番厄介なケースだ。

即座に医師はメモをとり。あらゆる方向から情報を採取する。

実は、鬼が生前の姿に化身して「しまった」場合、相当な高確率で、非常に厄介な病気を発症させている。

色々とデータを取って見るが。

案の定だ。

下手をすると堕天する。

「まず、今此処で、何でも良いから化身してみましょう」

「……」

化身する下っ端の鬼。

そうすると、溶けかけたナメクジみたいな姿になった。

それでも別に構わない。

実際に病院の床が汚れるわけではないし。

汚れたところでどうでもいい。サポートAIに掃除でもさせれば良い。

安定はしていないが。

これから化身しようとさえしなければ、このままでいられるはずだ。それに鬼はサイコキネシスを例外なく使う事が出来る。

タブレット操作で何でも出来るし。

それでも無理なら、サポートAIにやらせればいい。

この鬼が困る事は無い。

薬を処方して。

話を聞いていく。

予想通りだが、物質世界でのトラウマが原因になっている。良くないケースだ。このままだと、ほぼ確実に病状が悪化する。

こういうときの対処法は一つ。

そのトラウマから、切り離すことだ。

「良いですか、苑子さん。 貴方はもう、学校などにはいかなくても良いのです。 学校という単語は、思考しないようにしてください」

「思考、しない」

「そうです。 普段から、別の事を口ずさみ、考えるようにしてください。 そうするだけで、随分と違います」

サポートAIにも指示。

学校を想起させるものには全てモザイクを描ける。

音声もしかり。

アーカイブも、出来れば接続しないようにする。

この患者は、学校そのものに強いトラウマを持っている。

イジメの果てに自殺したからだ。

だから、まずは。

学校から切り離すのである。

弱者に犠牲を強いる社会などに未来は無い。

それが理解出来ない輩はどうしてもいる。

この人は犠牲者だ。

だから、そんな愚か者どもの都合に合わせることは無い。

生け贄の羊になる事も無い。

愚か者どものために、「逃げず」に努力をして。壊れてしまったのだ。人生を、奪われてしまったのだ。

あの世に来てまで、どうしてそれを引きずらなければならないのか。

もう一度、物質世界でやり直したいとさえ思わなかったほどの状況。

この人に対して。

学校というものは、悪影響しか与えなかった。

そして悪影響を与えた者達は反省など絶対にしない。弱い彼奴が悪いとしか口にしないだろう。

そんな阿呆どもとは、この人を関わらせてはいけない。

この人も。

もう関わろうと思ってはいけないのだ。

「ストレス軽減のためのお薬も出しておきます。 好きなものはありますか」

「ラベンダーが好きです」

「そうですか。 それなら、過剰にならない程度に、ラベンダーを周囲に満たすと良いでしょう。 サポートAIに指示して、心地よいくらいの濃度で、ラベンダーを敷き詰めてみてください」

「……逃げてしまうようですけれど、良いんですか」

問題ないと、医師は断言した。

逃げて良いのだ。

理不尽な暴虐に立ち向かえる奴には、立ち向かう義務がある。だが、立ち向かう能力もなく。立ち向かえる力も得られない者に逃げるなと言うのは。

死ねというのと同じだ。

それが理解出来ない者が、多くの人を殺している。

そういう現状を知っている医師は。

もう一度断言する。

「逃げて良いんですよ」

そう言うと。

無言のまま。

ナメクジのような姿になった鬼は、頭を下げていた。

 

1、最重要職の日常

 

ある意味、あの世におけるもっとも重要な仕事である医者。その中でも、名医として迷惑ながら知られてしまった私の所には、膨大な情報が集まっている。

あの世の公務員である鬼達は。

どうしてもストレスと闘っている。

物質世界とは比較にならないほどどの職場環境もいいのが普通なのだけれども。

それでも、どうしてもストレスは溜まる。

生前の地獄や。

死してなお苦界としか言えない場所を見続けなければいけないこと。

世界を好きだというのは簡単だ。

だが、自分が理不尽で残虐な暴力にあい。

それでいながら対抗する力も無く。

ただ無惨に蹂躙されてなお。

世界を好きだと言えるだろうか。

そして、自分だけでは無い。

多くの者が、蹂躙されているのを見続けて。

好きと言えるだろうか。

それでも好きだと言えるものは、勇者の素質を持っている。英雄として立身できる存在でもあるだろう。

だが、そればかりが世界か。

そして、英雄譚の末路は。

それがどうなるかは、言うまでも無いだろう。

姿を消す。

消さない場合は、悲惨な死を遂げる。

物質世界とは、そういうものだ。

古き時代。

僧がこの世は苦界だと言ったそうだが。それは全くの事実なのだろうと、私は思っている。

地獄というのは、物質世界で想像されているのとだいぶ違うけれど。

それでも、あるものがベースになっている。

現実である。

現実をベースに。

より極端な責め苦を追加し。

分かり易く罪人が責められるように描写した世界こそが、地獄だ。

地獄の概念は、犯罪抑止力のために、文明が出来ると同時にあの世からもたらされるのが普通だが。

それは、犯罪が社会を弱めるからである。

堂々と犯罪が行われるようになれば。

それだけ社会は弱体化する。

それなのに、ピカレスクロマンやら、ノワールやらの作品はとても人気があり。邪悪なままに弱者に暴力を振るう鬼畜外道が「悪漢」というヒーローに仕立て上げられているのを見ると。

多くの犠牲者達を見てきて。

彼らのメンタルケアに関わってきた私は、吐き気がするほど不愉快だ。

もっとも、そういう連中は、実際にはあの世にはこない。

即座に地獄に落とされ。

極限の苦痛を億年単位で味合わされながら罪を生絞りされ。

その後に待っているのは無だ。

転生など権利すら最初からない。

それでようやく釣り合いが取れる。

私はそう思っている。

今は、休憩の時間。

私は、休憩の時間中は、出来るだけ物質世界の情報に触れないようにしている。あの世に来てまだ活躍している芸術家や。

様々な偉業を達成した人物の。

現在の活動を見るようにしている。

芸術家達は生き生きと頑張っているが。

それでも、基本的にそれは副業。

鬼のスペックを遊ばせておくわけにはいかないので、どうしても鬼としての仕事は普通にしている。

ただ、やはり仕事と仕事の間隔は非常に大きいし。

そういった芸術家達が、己のパッションを芸術に叩き付ける時間はしっかり確保されている。

故に、である。

アーティストはあの世でも現役であるケースも多い。

むしろ、あの世に来て。

アーカイブから膨大な情報を得た芸術家は。

更に大化けし。

あらゆる技法を取り込んで、昇華させ。

己の作品を、更に素晴らしい次元へと高めていくケースが珍しくもないようだ。

良い事である。

しばし、抽象画の基礎を築いた画家の絵を堪能していると。そろそろ時間だと、サポートAIが連絡してくる。

サポートAIには、姿を採らせていない。

というのも、患者がどんなトラウマを抱えているか、知れたものではないからだ。

それなら、そもそも最初から、姿を持たせない方が良い。

一応、診察に出る前に、自分を健康診断。

ストレス値は極めて低い。

私は恐らく、だが。

その場で怒りを発散できるし。

客観的にものを見る事が出来る。

医者の不養生という言葉もあって。

特に精神関連の病気を扱う医者は、精神的な体調を崩しやすいケースがあるのだけれども。

私はどうもストレスに強いらしく。

その辺りで苦労したことは無い。

実際問題、ストレス値で問題を起こしたことはない。

この辺りは、私は一種の特異体質なのかも知れない。物質世界でヤブ寸前だった私が、である。

あの世で名医と呼ばれているのには。

体質という強みがあったという、不思議な事実だ。

最初の患者を呼ぶ。

診察室に来た患者は。

無数の足が生えた、逆三角錐だった。

足も人間のものではなく、どちらかといえば節足動物のそれに近い。

私に似た姿だな。

そう思った。

「症状を聞かせてください」

「ストレス値が増えていて」

「どれ」

すぐにデータから、状況を割り出す。

そもそも他との関係が極めて希薄な鬼達の間で、イジメや関係問題が起きることは殆ど無い。

ごくごく一部の物好きが結婚するケースがある、という説明をすれば。

それぞれが関係をどれだけ希薄にしているかがよく分かるというものだ。

故に、まずはこの人の周辺の環境そのものを全てデータ採取して。

其処から、問題を割り出すのである。

比較的簡単に問題は特定出来た。

「アーカイブで、良くないものに接続していませんか」

「!」

「図星ですね。 恐らくですが、この麻薬中毒患者の見ている妄想について、詳細に調べている画像が問題でしょう」

「そ、それは。 学術的な興味もあって」

話によると。

この鬼は、元々精神分析医だったそうである。

なるほど、同業者か。

だが、あの世では、医者としての適性が無かったそうだ。まあそれについては、理由は何となく分かる。

とにかく、このアーカイブには接続しないように。

サポートAIにも指示。

また、中枢管理システムにもレポートを入れて。もし見ようとした場合、警告が入るようにしてもらう。

そして薬も出す。

「ストレス値軽減の薬です。 処方箋通り飲んでください」

「……どうしても、理由が分かりません。 私は物質世界で、名医として知られていたのに」

「あの世は、精神生命体の世界です。 此処には物質世界とは比較にならないほどのデータがあり。 純文学や私小説とも比べものにならないほど、精神の深奥へと潜っていく必要があります。 貴方が名医であった事は疑いませんが、あの世とはそういう場所なのだと言う事を考えれば、何故貴方がやっていることがまずいかは、分かるかと思います」

「……」

肩を落とした様子で、鬼は行く。

確かに苦しいだろう。

実際問題、だ。

物質文明では、精神の深奥に潜るのにも限界がある。

あの人は、精神関連の医者だったようだけれども。それでも、あくまで定説に沿った話しか、取り込むことが出来なかったのだろう。

それを考えれば、どうしてストレス値を激増させたのかがよく分かる。

次の患者に来て貰う。

超圧縮した時間の中だから、体感時間と外の時間の流れが、まるで違う。

次の患者は、人型。

白衣を着込んだ、気むずかしそうな女性だ。

メリハリの利いた体型と。非常に気が強そうな目つきが目立つ美人だけれど。白衣は薄汚れていて、化粧っ気も薄い。

この様子だと、或いは。

さっとアーカイブを調べて見て納得。

生前とはまるで違う姿だ。

生前も女性だったけれど。

兎に角気が弱く、冴えない大人しい女性だったようである。

あの世に来てから、はっちゃけたという訳か。

或いは、姿を自由自在に出来ると言う事から。

自分の理想を体現したのかも知れない。

やはりストレス値が高くなっている、と患者は言う。

私は断言。

「それはですね。 理想の姿を無理にとっているからです」

「!」

「あの世では、容姿を気にする鬼はいません。 基本的にどのような姿でも一切問題ありません。 ファッションとして、理想の自分の姿をとるのは良いですが、それによって貴方は強迫観念を抱いてしまっています」

痛烈な指摘だが。

しかしながら、これについては、言わないと分からない。

青ざめている女性に。

無理をしてはいけないと、ゆっくり噛み含めるように告げていく。

「貴方は昔の姿にコンプレックスを抱いていますが、それは決して悪い姿でも、劣った姿でもありません。 物質世界ではそうだったかも知れませんが、此処では一切気にする必要さえありません。 しばらくは、その姿を採らない方が良いでしょう。 いつもとっている姿で過ごすのが一番ですよ」

「……こんな姿でも、ですか」

化身。

美しくて気が強そうな女性だった鬼は。

たちまちにして、イソギンチャクへと変わっていた。

私は断言する。

「構いません。 そもそも私を見てください。 石版にカニの足ですよ。 それでいながら、この姿が問題になった事は一度でもありません」

「……」

「その姿は、恐らく非常に貴方にあっているからこその姿です。 もしもどうしても耐えられないようなら、自分の姿を見られないように、モザイクを掛けてしまう手がありますので、サポートAIに支援データを送信しておきます」

「分かりました」

何だか肩を落とした様子の女性。

自分の理想はいいだろう。

だけれども、その結果体調を崩してしまっては文字通り本末転倒だ。

だからこれでいいのである。

お薬も出す。

患者が診察室を出ると。

サポートAIが告げてくる。

「急患です」

「っと、来たか」

運び込まれてきたのは。

人の姿をした鬼だ。

上級鬼だが、意識が無い様子である。堕天、まではいかないが。かなり状況は悪そうである。

この鬼は患者だ。

前から色々と問題を起こしていて。ストレス値も高かった。治療もしていたのだが、何かの切っ掛けでトラウマが爆発したか。

すぐに治療室に。

時間は超圧縮しているので、患者を待たせる事も無い。

まず状態を確認。

まだ幼い女の子の姿をした鬼だが。

全身が真っ赤に染まっている。

ストレスで、体が内側から焼かれそうになっているのだ。

すぐにストレス緩和剤を点滴。

強制的にストレス値を減らし。

それからデータを確認する。

患者は苦しんでいるので、鎮痛剤も同時に点滴。

なお、一緒に点滴するとまずい薬については、サポートAIがすぐに警告してくるので、医者がミスをする恐れはない。

精神生命体には、精神物質で出来た薬を投与するのだが。

元は、あの世の資源である罪。

つまり地獄で生搾りされているアレだ。

ざっと状況を確認したが。

この鬼は、元々鬼として、魂の海から生まれている。

それが却ってまずかった。

アーカイブで物質文明に興味を持ち。

人間達の犯している業を見て、一気にストレスを抱えてしまったのである。

どうしてこんな生物のために、精神生命体が苦悩しなければならないのか。それなのに、自分は影響を受けてしまう。

残虐で。

どうしようも無いほどに冷酷な生物。

私はどうして。

鬼として生を受け。

このような存在のために、働いているのだろう。

そう考えている内に、ストレス値が高くなり。うちに通院するようになって行った。

そして、今回の件だが。

アーカイブを調べていて、比較的すぐに問題を特定出来た。

仕事内容、ではない。

どうやら、職場で他の鬼が喋っている内容を、偶然耳に入れてしまったようなのである。

その内容は、勿論この鬼に対する悪口だとか、排斥だとかではない。

ニュースに関するものらしかった。

「地球で、また大量殺人事件があったそうだ」

「ああ、あの国でのスクールカーストが原因の銃乱射事件だろう。 まったく、やりきれないな。 自由を謳う国で、最悪の意味でのカーストが形成され、それが理由で多くの子供が迫害に苦しんでる」

「その上、自由の国の筈が、その表現は差別だの人権侵害だので、あらゆる創作物にまで検閲をしようとする輩まで現れている。 一体どこに自由があるって言うんだ」

「物質文明が未熟なのは仕方が無い。 だが、まだあの星の人間を宇宙に行かせるわけにはいかないな。 他の文明に対して、殺戮と暴虐の限りを尽くすのは目に見えてしまっている」

この会話が原因だ。

問題は何も無い。

この鬼達には責任は一切ないし、実際問題これらの情報はデマでもなんでもないのである。

アーカイブには事実がそのまま記録されている。

きっと、これがぶちんと一線を越える原因になったのだろう。

元々アーカイブから見ていた人間達の醜態に、相当なストレスを抱えていたのに、である。

もはや擁護のしようもない醜悪な行動を聞かされ。

そしてアーカイブで事実と確認し。

精神が限界を超えてしまった、というわけだ。

気持ちは良く分かる。

だからこそ。

この鬼は、そんなゲスどものために、堕天などしてはいけない。怒りのままに地球を滅ぼしでもしたら。

それこそ、気に入らないものを理論武装し、殺して何とも思わない人間共と同じになってしまう。

それだけはゆるされない。

ゆるしてもいけない。

人間などのために、ではない。

この鬼のために、だ。

点滴によって、ストレス値が下がってくる。

しばらくして、目を覚ました鬼は。

ぼんやりと此方を見た。

「あれ、私……此処は」

「ご自宅で倒れたようです」

「ああ、どうりで。 目の前が真っ赤になって、それから先の事をよく覚えていないのです」

「体中真っ赤になっていましたからね」

ベッドに寝かされている鬼は。

自分の手を見た。

今は優しい肌色に戻りつつあるが。

さっきはそれこそ、赤熱した鉄のような色だった。

「今は薬で落ち着いていますが、かなり状態は悪かったので、今後は気をつけていく必要があるでしょう」

「理由は……やはり地球人類に対する嫌悪ですか」

「そうです。 しばらくは、アーカイブでの検索を控えてください」

「それでも、仕事上、どうしても」

中枢管理システムに連絡済みだと教える。

人間に関わらない職場。

それもある。

例えば、中枢管理システムそのものの整備や運用、保守管理など。

そういった仕事であれば。

地球人類そのものには関わらず、仕事をしていく事が出来る。

私からの紹介状があれば。

中枢管理システムも、異動を検討してくれるはずだ。

悔しそうに俯いていた鬼だけれど。

やがて言う。

「この姿に、私はどうして生まれたのだろう」

「魂の海から生まれた鬼は、生まれつき大きな力を持っている場合が多いですが、かといって精神が強靱とは限りません。 自分と同じ姿をしている物質生命が、邪悪で残忍だったからといって、貴方が苦しむ必要も悲しむ理由もありませんよ」

「先生はいつも口当たりの良い言葉だけを言いますね」

「これが私の仕事です。 実際問題、貴方にとってこれは受け入れるべき言葉です。 無理に抗う必要はありません」

無理に克服しようとしても。

壊れてしまうだけだ。

壊れるようなら死ね。

そういう理屈は物質世界だけで充分。

あの世は人手不足なのだ。

どの鬼も必要。

みな壊れては困る。

誰もが物質生命体より遙かに処理能力も高い。だから、そのまま皆を活用していく方法を考えなければならない。

「分かりました。 此処まで酷い状態になってしまったのなら、もはや他に方法もありません。 先生の言葉に従います」

「そうしてください。 貴方は世界のために役立てる存在です。 決して、小さな星の愚かな住人にこだわりすぎてはいけませんよ」

私も其処の住人だったのだけれど。

今は正直な話。

今この鬼に話した言葉が本音だ。

実際問題として。

はっきりいって、地球人類は進歩が遅すぎる。

石器時代とまったく変わらない脳みそ。

鶏と同レベルのイジメ。

テクノロジーだけ奇形的に発達し。

生物としてはそれにまったく追いついていない。

地球出身の鬼が壊れるケースや。地球に関わる鬼が壊れるケースが多いのも、自分としては納得できる。

呼吸を整えた。

今の鬼は、病室に移動。

後はオートでAIが看護する。

しばらく様子を見て。

調子が回復してきたら、現状復帰だ。

この空間は、基本的に時間が超圧縮されているので、外界と時間の感覚がかなりずれてしまうが。

それ以外は、これといった影響も無い。

さて、次の患者は。

不意にタブレットが鳴ったのは、その時だった。

しかも相手は中枢管理システムである。

「何か問題ですか」

「はい。 出張を要請します」

「コレは珍しい。 急ぐ必要がありそうですね」

「その通りです」

中枢管理システムから、直接呼び出しが掛かったのだ。余程のことが起きたのは確実だろう。

私はAIに後を任せると。

時間を超圧縮した空間を、すぐに飛び出し。

空間スキップしながら、中枢管理システムへ向かった。

 

2、惨事

 

あの世で事故が起きるのは珍しい。

精神生命体は、基本的に超新星爆発に巻き込まれようが、ブラックホールに入ろうが平気なのだけれど。

それでも事故は起きる。

ただ、人身事故そのものが、八億年ぶりの出来事らしく。

周囲はてんやわんやしていた。

数名の鬼が、傷ついた様子で倒れ伏している。

何があったのか。

それは、すぐにアーカイブで検索した。

どうやら量子コンピュータの一台が不調を起こし。その結果、修理に当たっていたチームが。

原因不明の、汚染精神物質を浴びたらしいのだ。

現時点で、昏倒している鬼が四名。

重傷者十三名。

負傷者合計十七名の内。

二名が重体だ。

すぐにその二名を引き取る。他の患者は、別の医者に任せても大丈夫だろう。手に余るようなら、此方に寄越して欲しい。

そう現場の人間に指示すると。

病院に戻った。

病院の方では、すでに治療の準備が整っていて。

制服姿(要するに大きな人型)の鬼二人をベッドに横たえると。

状態を確認開始した。

即座にアーカイブで症例を検索。

似たようなデータが多数出てくるが。

量子コンピュータのデータもあわせると、数件にまで絞り込むことが出来た。これはまあ、ここまでは当然だ。

問題はこの先である。

二人に掛かっている精神汚染物質を分析。

同時にサポートAIによって除去を開始。

その結果、幾つか分かってきた。

あの世の量子コンピュータは、稼働のために高密度の罪を突っ込んで動かしているのだけれども。

この電気代わりに動いている罪が。

何かしらの理由で、超高負荷の結果逆流。

量子コンピュータを破損しながら噴出し。

鬼達に、様々な汚染物質と混ざり合いながらブッ掛かった、というのが理由であるらしい。

汚染物質への対処。

薬の生成は問題ない。

ただ問題なのは。

資源として使用されている罪は。基本的に用途に応じて加工される。

量子コンピュータは非常に高性能だ。

物質文明では、ジェット燃料が超ド級の危険物で知られているが。あれと同じように、高性能な量子コンピュータを動かすには、非常に危険性が高い状態に加工した罪を使用するのである。

いうまでもないが、コレはあくまで物質としての危険性の話であって。

適切に使えば何ら問題は無い。

今問題になっているのは。

適切に使えていなかったから、であって。

その結果、二人の鬼が死にかけている。

量子コンピュータが過負荷を起こして破損するほどの状況だ。バグか何かの、大きいのが悪さをしたのだろう。

「中和剤出来ました」

「即時投入」

苦しそうにしている鬼に、少しずつ様子を見ながら投入していく。サポートAIが、経過を確認しながら、状態を見る。

同時に、体の彼方此方を切開し。

汚染物質を直接除去もする。

精神生命体だから出来る荒技である。

物質生命だったら当然死んでいる。

精神生命体はそれだけタフなのだけれど。

それでも危ないくらい。

今回の事故は、色々とやばかった、ということなのである。

私も医者として、冷や汗が出る思いだ。

まずは、体の修復は、此処まで。

続いて精神の修復に取りかかる。

これがまた厄介なのだ。

ざっと確認してみるが、二人とも高密度の汚染物質を浴びたことによって、強烈に錯乱してしまっている。

少しずつ、この混乱を回復させないと。

堕天してしまう可能性もあるのだった。

「精神状態のモニタ開始」

「開始します」

複数のサポートAIが二人に張り付き。

同時にチェック開始。

複数をつけるのは、多角的な分析を行う事によって、万が一の事態を避けるためである。同時並行で、汚染物質の除去状態を確認。

完全に汚染はとれた。

この辺りは、技術が枯れるまで練り込まれているのだから当然である。前の宇宙よりも、ずっと古くから。

こういった技術は、練り込まれているのだ。

当然の話だが。理由は精神生命体同士で、争いが絶えなかったから、である。相手を殺すための手段として発達した技術だが。

今は鬼を救うために用いられている。

それでいい。

過去の過ちは今の一瞬にはどうでもいい。

今、救われる鬼がいて。

救えるのなら。

救うのが医者だ。

壊れた精神の修復を開始。

普段は相手と対話しながら、ゆっくり修復をしていくのだけれど。今回は例外である。かなり強引な手段を使う。

周囲に複数のコンソールを作り出し。

それらに精神に掛かっている負荷を分かり易く表示。

データを逐一チェックしながら。

精神に対して、直接の回復を試みるべく、干渉を行っていく。

その結果。

幾つかの事が分かってくる。

想定の範囲内だが。

かなり厳しい。

この汚染物質、普通だったらサーバの内部で、厳重に管理されているもので。霊的物質としても滅多に外に流出することはあり得ないのだけれど。それが噴き出したという事は、余程の処理を無理矢理にやった、ということなのだろう。

とにかく、精神に直接関与して。

回復を実行。

少しずつ、確実に。

回復作業を進めていく。

現在重体だが。

危篤状態にまでは持って行かせない。

今すぐ回復まではいかないが。

少しずつ、確実に回復させていく。

「精神補強剤注入」

「注入します」

普段だったら、禁じ手だけれど。

精神そのものの構造を強化する薬剤を入れる。普通の医療では、基本的にそれぞれの精神に対して、少しずつ強くなるように、時間を掛けて治療を施していく。医療は急に何でもかんでもなおるものではないのだ。

だが、今は精神の死を迎えようになっている。

多少強烈な薬でも、使わなければならない。

二人とも、一気に精神が死から、生へと傾くが。

これにより、後遺症が出る。

我慢してもらうしかない。

事故についての原因究明も、私の仕事では無い。

私はまずけが人を直すのが仕事だ。

どうしてけが人が出たかは専門外である。

汚染物質のパッケージ化が完了。

精神物質は、パッケージ化しても、簡単には処理できない。

古い時代に、悪しきものとして忌み嫌われた、汚染精神生命体が誕生してしまう可能性もある。

すぐに外に運び出させる。

処理は専門の業者が行うのだが。

そもそもこの汚染物質を処理するのだって、一体何億年ぶりなのだろう。

私と同じで苦労するだろう。

鬼に負傷者が出る事すら、此処八億年ぶりだと考えれば。

その苦労は明らかだ。

さて、順番だ。

少しだけ、二人とも持ち直した。

後は混濁した意識に処置。

方向性を持たせて、少しずつ回復の方向へ持っていかせるしかない。その結果、訪れるのは安寧ではなく苦痛だ。

ここからが、本番だ。

 

二人とも相当に苦しんでいるが、私も休むのは難しい。

圧縮時間を利用して、少しずつ回復をとっているが。文字通り、一瞬でどれだけの被害が出るか分からないのである。

人間で言えば、強アルカリを全身に浴びたようなもの、といえば分かり易いだろうか。

処置を間違えれば、その場で死ぬ。

そういう状況だ。

「精神が安定を開始」

「ん……」

一人の体が。

制服としての姿がはじけて、その辺に飛び散った。

すぐに集めて、それぞれを連結させる。

物質生命だったら死んでいるところだが。

精神生命体はこの程度では死なない。

逆に、これは。

意識が少しずつ戻り始め。

制服としてとっていた姿を「意識」してしまった事が原因だ。即座につなぎ合わせた後、精神の統合と。

方向性を持たせる作業を進める。

もう一人は、体がグズグズに崩れ始めた。

これも似たような理由からだ。

「補填剤」

「注入します」

精神が少しずつ元に戻り始めているからこそ。

体がこのようにおかしくなる。

二人の、本来の姿をアーカイブから回収して確認する。

その結果、色々と分かってきた。

それぞれの体が。

この元の体をイメージするように、再構築できるように。色々と精神に干渉を行って、つなぎ合わせていく。

元の姿。

それを忌み嫌っているケースもあるのが厄介だが。

今回はそのケースではないようで、少しだけ安心した。

だが、それも少しだけだ。

呼吸を整える。

まあ実際に呼吸しているわけではないので、気分だけだが。

そのまま、次の作業へ。

方向性を持たせた体は、変化を開始している。

この変化を、元の姿に戻るように、誘導していけば良い。車を車庫に入れるようなものだけれども。

これが中々に難しい。

二人の精神をモニタに映しながら。

時にデータを注入し。

時に二人が好きなものを注入しつつ。

少しずつ、確実に。

誘導を進めていく。

「精神負荷上昇」

「薬剤はこれ以上厳しいか」

腕組みする。

普段の、ストレスを下げるために使うような薬なんかは、ほぼリスクはないに等しいのだけれど。

今使っている薬は、かなり強いものだ。

当然のことながら強いリスクがある。

そのため、使用量には限度があるし、考え無しに投入していれば、すぐに患者が死んでしまう。

精神生命体の死は。

それこそ非常に大きな損失になる。

あの世は人手不足なのだ。

それも、常時足りなさすぎる程の。

かといって、鬼になれる魂は多く無いし。

魂の海から浮かび上がってきて。そのまま鬼や神々になってくれるケースも、更にレアケースだ。

それ以上に、今の世の中では。

物質文明を大事にしている事もあって。

非常にそれぞれの精神的負担が大きい。

皆でできる仕事をしていかなければならない。

この二人だって、それは同じ。

二人とも有能な鬼で。

死なせるわけには絶対に行けない。

勿論、私が医師だという理由もある。患者を死なせる医師は、最低の医師だと、私は思っている。

尊厳死が必要なケースもあるが。

今はそれではない。

それにあの世の技術なら。

尊厳死などさせなくても、生かすことは出来るのだ。

矢継ぎ早に、幾つかの処置をしていく。

精神負荷が下がり。

少しずつ安定を始めた。

だが、まだまだ油断は出来ない。

一番大変なのは、ここからなのだ。

「精神の覚醒が始まります」

「良し」

良しとはいったが。

目を覚ませば、確実に錯乱する。

体はズタズタ。

全身には、ノイズだらけ。

これは物質生命で言えば、全身がのこぎりで常時切り刻まれているようなものだ。そういう状態なのである。

勿論麻酔は掛けているが。

それでも、錯乱は避けられない。

意識の覚醒についても、ゆっくりゆっくりやっていく。

そして暗示を掛けるようにして。

体がメタメタになっていること。

それを直さなければいけない事。

じっくりと、それらを教え込んでいかなければならない。致命的な錯乱を避けるために、である。

二人同時にこれをやっていくのは骨だけれど。

時間の圧縮をしているので。

どうにか私の処理速度でも出来る。

覚醒し始めた意識は、案の定非常に苦しんでいるが。それでも、少しずつ励まし、勇気づけながら。

必ず元に戻る。

治ることを強調する。

物質文明。特に地球では、精神の病は掛かってしまうと一生ものだった。治るケースは珍しく。

完治する事はあまりなかった。

だが精神文明では、長い時間を掛けることによって、完治に持っていくことが出来るのである。

二人がこれほど酷い状態でも。

それに変わりは無い。

一人目が、自分が滅茶苦茶な状態になっている事に気付いたけれど。それでも、ゆっくり言い含めて来たからだろう。致命的な錯乱には陥らず。私に対して、聞いてくる。

「本当に、治るの、ですか」

「治りますよ」

「私の体、バラバラ、みたいですけれど」

「精神生命体はこんな程度では死にません。 貴方が危ないのは、汚染物質を浴びて、精神にダメージを直接受けたからです」

説明をしながら、体の補填と。

精神に方向性を持たせていく。

そうすることで、自己修復機能を働かせるのだ。

元の形のイメージをさせる事で。

元の体に戻ろうとする、精神生命体に備わっている本能を、そのまま強く喚起する。そうすることで、自ずと強烈な自己修復機能が働く。

本来なら、それだけで治るのだが。

今回浴びた毒はそれだけ強烈で。

こうやって、外部から働きかけていかなければならない。

神々にもなると、それも自力でどうにか出来たりするのだけれど。

今の患者は違う。

だから此方から手助けして。

助かるようにしてあげなければならないのである。

回復が進んでいく。

患者は、痛い苦しいと嘆いているけれど。

それでも、回復に向かっている。

もう少しで危篤状態を脱する。

そうすれば、一段落だ。

あと少し。

私は、額の汗を拭う気持ちで。

確実に、治療を進めていった。

 

3、だからこそにしなければならないこと

 

ようやく二人とも形状が安定して、危篤状態を脱した。後は他の病院に移して、予後監察である。

回復には時間が掛かるだろうけれど。

こればかりは仕方が無い。

精神生命体は、非常に長いスパンで生きている存在だ。

だから、回復も。

成長も。

ゆっくりゆっくりやっていく。

その代わり、それぞれのスペックは非常に高い。

これは、高性能の機械が。それぞれ、高性能であればあるほど気むずかしくなるのと同じである。

私はじっくり休む事にした。

圧縮空間を利用しているとは言え。

今の治療は本当に疲れた。

経験している医師もいないし。

私の所に仕事が廻って来たのも、仕方がない話なのだろう。

前の宇宙では、そもそも。

弱者は死ねという理論がまかり通っていたのだ。

それは間違いだと判断されてから。

医者という仕事の重要性が見直された、という経緯がある。

詳しくはあまり知らないけれど。

前の宇宙までは。

淘汰は強さを呼ぶという考えの基、最高神自身がそれぞれ争うことを推奨していたらしく。

宇宙が焦土になって、ようやくその考えが間違っていたことに気付いたのだという。

気付くのが遅すぎる気もするが。

気付いただけましか。

とりあえず、どうにか最大の危機は脱した。

今の処置についても、アーカイブで確認しながらだったから、冷や冷やものだったのだけれど。

それでもどうにかなった。

ぼんやりとしていると。

サポートAIが言ってくる。

「二人とも、既に会話を普通に出来るところまで回復したようです。 ただしやはり後遺症が」

「そればかりは仕方が無い。 ゆっくりと後遺症も含めて治していくしか無い」

「そうですね」

「それよりも、現場に再発防止策を指示してもらわないと困るし、今回の治療のデータを中枢管理システムへの転送もすませないとな」

前者は此方が口出し出来る事ではないが。

後者はレポートをサポートAIが出してくれていた。

良かったと胸をなで下ろすと。

しばらくリラクゼーションプログラムを起動して、無理矢理に眠る。圧縮時間の仲とは言え、それでもかなりの時間、眠ってしまったのは。

それだけ先ほどまでの治療が、大きな負担になったから、だろう。

今は、目を覚まさずに、無心に休む事にする。

私は義務を果たした。

医師としてやるべき事をした。

だから権利を今度は受け取る。

労働をしたのだから。

休む権利が当然ある。

私はぼんやりとしながら、今の治療は大変だったなと思ったけれど。

気がついたら、もう眠りに落ちていた。

そして夢を見た。

人間時代の夢だ。

医者にどうにかなれたのはいいけれど。

所詮はヤブ寸前の町医者。

評判も最悪で。

学会にデータを提出しても、殆ど黙殺されるのが日常。結局の所、物質世界での私は、駄目医者だった。

これに関しては、客観的に見ても、そうだっただろう。

酒には溺れなかった。

何かに現実逃避することも無かった。

あの世に来てから、名医と呼ばれるようになって、一番驚いたのは私だ。

名医と呼ばれていた連中が、私の経歴を見て驚き。

そしてあの世で治療してきた実績を見て二度驚き。

困惑を込めていうのを何度も見た。

どうして貴方が名医と呼ばれている。

どう見ても藪医者じゃ無いか。

それなのに、何故。

私自身も驚いていると応えて。

そして、結局の所。

精神的な負荷に、圧倒的に強かったのが原因では無いかと応え。向こうは小首を捻りながら、帰って行く。

そんな夢を見た。

目が覚める。

夢ではなく。

今のは現実に起きたことばかりだ。

現実では、医療先進国のドイツで、最先端の医術を学んだ名医が、私の所に来て、そして経歴を見て驚くケースが何度もあった。

実際、そいつも医師をあの世でもしているのだが。

実績にしても、治療の技術にしても。

私に遠く及ばなかった。

かといって、物質世界では、私は本当にヤブ寸前だったのだ。

不可解な話だと、何度も言われたが。

私は何とも思っていない。

その図太さこそが。

私が今。

こうして名医と言われている所以なのだろう。

あくびをしながら、状況を確認。あの二人は、確実に回復に向かっている。それならば、此方としてはもうすることも無い。

患者が待っている。

次の患者は。

またちょっと面倒な患者が来たか。

物質世界で虐げられていたケースになると、トラウマが身に染みついてしまっている場合がある。

こういう患者の場合。

根本治療がどうしても必要になってくる。

それでも中々治らない。

それだけ、人間の精神を壊すのは、簡単だと言う事。そして壊す側は、壊しても何とも思わない事。

壊れる方が悪いと考えている事。

それらが合わさって、

非常に厄介な状況になっている患者が、たくさんあの世にはいる。

勿論時間を掛ければ治療は出来る。

だが、時間は掛かる。

それに、本人の苦悩もひとしおだ。

弱者を痛めつけて平然としている鶏並みの連中のために、苦しみ続けなければならないのである。

理不尽極まりないが。

物質文明などその程度の物に過ぎないし。

せっかくあの世で世界の管理そのものに関われる仕事を始めたのだ。

克服して。

あの世での生活を、楽しんでいけるようにしていけばいい。

私はそう思う。

患者が入ってくる。

上半身は人だが。

下半身は蛇のような姿をしている。

上半身も、美しいとは言い難いが、女性型だ。

色々とコンプレックスが混じり合った結果、この姿になっている。

生前、周囲から容姿の醜さを散々揶揄されたらしく、その結果こうなったらしいのだけれども。

この手の相手を揶揄する連中は。

自分が優位に立ちたいだけ。

相手がどれだけ苦しもうが知った事では無い。

そんな奴らのために。

苦しむ必要などない。

まずは薬を出して。

経過について聞く。

状況はあまり良くないが、回復は相応に進んでいる様子だ。アーカイブを確認して、治療プログラムを少しずつ実施していることを確認。

そして、繰り返し説明する。

あの世では、そもそも容姿なんぞ誰も気にしない。

そんなもの、ドングリの背比べに過ぎないからだ。

貴方を揶揄する者がいるとすれば、そいつは阿呆だし。阿呆にまともに構っていても疲れるだけだ。

だからもう苦しまなくていい。

そう言い含めると、患者は納得しきってはいなかったけれど。それでも帰って行く。まだまだ時間が必要だな。

私はカルテをつけ。

サポートプログラムにも、確実に治療をしていくようにと、言い含める。

次の患者。

入ってきたのは、パワードスーツのような姿をした患者だ。

金属質のごつごつした体だが。

勿論精神生命体である。

この鬼の場合。

そもそも姿を周囲に見せたくないという理由から、こういう姿を採るようになったらしい。

先ほどの蛇と人を混ぜた姿の人よりも重症だ。

ちなみに本人は極めて仕事ができる。

何でも、地獄の一つを管理している上級鬼だそうで。普段は制服として、色々な姿を使い分けしながら。

亡者の選別をして。

地獄でどう罰を与えて罪を絞るか、苦労しているそうだ。

此尾にも、精神に色々と強い負荷を抱えていて。

この姿も、その現れ。

物質世界では、やはりこの鬼も、高ストレス環境にいて。そして最終的には、自分の顔を滅茶苦茶にしてしまった。

整形を繰り返し。

最後には、二目と見られない顔になってしまったのだ。

その結果、あの世ではパワードスーツのような姿になっている。

それも分からないでも無い。

だが、私は、それが分かっても自分への負荷にはならない特異体質だ。だから、医師としてやっていけている。

その一方で。

ずっと苦しみ続けているこの鬼を。

私はどうにかしなければならない。

それが仕事だから。

「状態はどうですか」

「やはりストレス値が下がりません。 制服を着ているときも、亡者に舐められていないか不安でならないです」

「大丈夫、亡者に足下を見られるようなケースはありませんし、いっそのことカーテンか何か越しに話してしまえば良いですよ。 古くから、威厳を作り出すための小道具として使われていた事も多いんです」

「カーテン越しですか」

地獄の入り口で亡者を選別しているこの鬼は。

職場をカスタマイズする権限くらいは持っている上級鬼だ。当然、カーテン越しくらいは構わないだろう。

それに、この鬼の所に来る亡者は、ろくでもないクズだらけ。

まともに話を聞く必要も。

相手にする意味もない。

まあ、間違えて送られてくるケースが希にあるので。

その時は対応をしなければならないが。

ストレス軽減のためのお薬を渡して。

それから幾つかの説明を実施。

それで帰ってもらう。

この鬼も、回復には時間が掛かるだろう。それにしても地球はもう少しどうにかならないのか。

こうも手が掛かる患者が多いのは。

文明そのものに、強烈な欠陥があるから、それ以外のなにものでもない。

次の患者を呼ぶ。

これから休憩までに。

後三十人の鬼を診なければならない。

この間の事故のせいで。

待たせてしまっている患者が、結構いるのである。

 

患者が全員捌けたので、ゆっくり休む事にする。名医と呼ばれるのも大変だ。いつの間にか私は上級鬼になっていたが。

圧縮時間の中で、膨大な数の患者を治療して、情報を得ていたのだ。

そうなるのも当然だと言える。

上級鬼は、物質世界に干渉できる。

一度地球に降臨して。

弱い者いじめを「当然の権利として行使」している連中を、全部まとめて処理してやりたいくらいだけれど。

上級鬼が文明に個人的理由で干渉することは認められていない。

余程のケースがある場合。

もしくは文明の帰路にある場合。

神々がチェックを行いながら。

何かしらの干渉を、慎重に行う。

それ以外の事は、許されていないのだ。

ぼんやりと地球を見下ろす。

何も変わっていない。

結局の所、弱い方が悪いという理屈を流行らせている連中は、自分が鶏と同レベルだと気付かないままだ。

この文明も、何度も手を入れて延命させてきたが。

それでももう保たないかも知れない。

宇宙をよくするため。

それが今の宇宙の理論だが。

だが、ものには限度がある。

溜息が零れた。

この星出身の元人間である私だけれど。

こんな星には、もう何の未練もないし。

滅びても何とも思わない。

私の所には、心の傷を抱えた患者がたくさん来て。皆それぞれに、悲惨すぎる過去を抱えている。

私は、結局何なのだろう。

ストレスに強い。

それだけの理由で、名医としてあの世に名を轟かせているけれど。

しかしながら。

こういう風に、物質文明が未成熟極まりない上、無能すぎなければ。私の仕事は減るのだし。

医者が暇なのは良いことなのである。

私が忙しいのは。

此奴らのせいだ。

鶏どもが、したり顔で歩いているのを見ると、本当に頭に来るが。ぐっと堪える。宇宙の方針だ。

地球の文明も。

いずれ、鶏の文明では無くなるかも知れない。

そう信じて、進化を待っている。

でも、本当にそんな日が来るのか。

医師として、毎日のように心に深い傷を抱えた患者を診ている自分としては、とても信じられない。

もう滅ぼしてもいいのでは。

そう思う日も、時々ある。

病院に戻る。

アーカイブで、天体現象を見てゆっくり休む。

人間だった頃の姿に戻る気は無い。

私も容姿は優れていなかったし。

幼い頃から出っ歯だ何だと、ずっとからかわれ。それを理由に殴られたこともあった。勿論殴った相手は覚えてさえいなかっただろう。

勉強すればガリ勉と言われ。

医師になってもヤブ寸前。

私は、物質世界に何ら愛着が無い。

ふと、気付く。

それでか。

ストレスがたまらないのは。

私は、そもそも人間と。物質世界に対して。

何一つ期待をしていないのだ。

何かいいものを残せるとか。

大嘘だとしか考えていない。

特に地球は、猿の惑星どころか、鶏の惑星だとしか思えない。過剰すぎるテクノロジーを与えられた鶏の群れ。

知的生命体と、此奴らを呼べるのか。

いや無理だ。

溜息が漏れる。

念のため、自分のストレス値をチェック。

やはり、一切上昇していない。

何となく今ので分かったけれど。

結局の所、人間に対して期待を欠片もしていないというのは。あの世では結構アドバンテージになるのだ。

他の患者に、試してみるのも良いかもしれない。

犯罪にはなるけれど。

上級鬼がその気になれば、惑星なんて一瞬で木っ端みじんに出来る。

私も例外ではない。

あんな星。

もう、最悪の状態になったら、滅ぼしてしまおう。

そう決めると、かなり楽になった。

アーカイブに黙々と向かう。

色々な娯楽があるけれど。

私はゲームやら映画やらはどうでも良くて、自然の風景を見るのが好きだ。

今見ているのは、膨大な水を宇宙に勢いよく噴き出している星の光景。面白い天体現象だ。

水は数百度にまで達しており。

その水の量も凄まじい。

いずれこの星の水は尽きるだろうけれど。

それでも、この風景は絶景だし。

アーカイブには、どうしてこういう状況が起きたのかも、事細かに記されている。中々に面白い状態だ。

しばらくゆっくりしていると。

サポートAIが来る。

「患者です」

「分かった。 やれやれ、行くとするか」

「少し疲れていますか」

「いや、大丈夫だ」

実際に大丈夫だ。

疲労は感じることがあっても。

ストレスは増えない。

その強みだけで。

私は深淵を覗くことが出来る。

精神の深奥は、文字通りの深淵。特に物質生命で傷をしこたまこしらえて来た鬼達の精神は。それこそ生半可な地獄が色あせるほどの深紅で塗りたくられている。

あの世の医者がもたない理由だ。

その深淵を覗き込んでも平気だから、私は名医と言われている。故に、此処で倒れる事もないし。

此処で私自身が不養生になる事もない。

私は、名医と呼ばれて少し迷惑はしている。

ただし、私の力で多くの患者を救う事が出来て。

多くの患者が、それによって社会に復帰出来て。

様々なハンデを克服し。

少しずつでも歩んで行けている様子を見ると。

鶏の群れと化している地球の物質文明とは違う、きちんとした医療が行えている此処は、誇りなのだと思う。

そして私は。

今後も、精神の病気と闘っていかなければならないのだ。

患者を診察室に出迎える。

以前見かけた患者だ。

確か、量子コンピュータを動かしているプログラムのバグ取りに才能を持つ鬼。何度か倒れたり復帰したりふらふらしながら、中枢管理システムの求めに応じて才能を発揮しているが。

今日も、あまり楽そうではなかった。

アーカイブを確認。

病状を相手に聞くけれど。

その前に、実態は確認しておく。

やはりストレス値がかなり高い状況で推移している。

彼には中枢管理システムが熱烈ラブコールを送っているので、無碍にも出来ないのが辛いところだ。

私としては、もう別の部署に異動させて。

違う仕事をさせるべきだと思うのだが。

「ストレス値はかなり高いですね。 このままだとまた倒れる事になります」

「分かっています」

「休息については、もう少し増やすように中枢管理システムに連絡を入れておきますので、ゆっくり休んでください。 それと、何か娯楽があるのなら、それをやるのもいいでしょう」

「……」

辛そうに俯く。

そんな事を考える余裕も無い、という状況の様子だ。

それならば、どうにかしてやらなければならない。

「リラクゼーションプログラムを調整してみます。 今までのデータを見る限り、ストレスの軽減に役立っているケースが幾つかありますので、それらを中心にプログラムを動かしていくと良いでしょう」

「しかし、そんな場当たり的な」

「本当は、部署の異動を提案したいのです」

はっきり。

本人に告げる。

医師だから。

患者を信頼していると、告げるために。

黙り込む相手に。

私は、更に続けた。

「しかしあの世の中枢管理システムは、誰もが知るほどに重要で強固な存在です。 貴方がいなければ、重大なバグが見過ごされ、大きな被害が出ることもあるでしょう。 それを防ぐためには、貴方にはどうしても頑張って貰わなければなりません。 心苦しいですが、ストレス値が高くなりすぎないように、此方からもサポートします。 休日の過ごし方についても、サポートAIに最大級の支援を行うように、此方から調整を行っておきます」

「ありがとう……ございます」

「貴方は誇れる仕事をしています。 ですが、それで貴方が体を壊してしまっては意味がありません。 あの世は人材を使い捨てにしない場所です。 今後も貴方が頑張って働いていけるように、我々は最大級の支援をしていきます」

安心した様子の患者を送り出す。

ふうと、ため息をついた。

こういう話を毎日聞かされるのだ。

他の医者は、さぞ苦労しているだろう。

実際問題、病んでしまう医者もいる。

本末転倒だが。

深淵を覗くというのは、そういう事なのだ。

そしてそれでも平気だから。

私は医者をやっている。

再確認したところで、次の患者を呼ぶ。

私にとって。

医者以外に、出来る事は無い。

 

4、名医の黄昏

 

完治した患者が来た。

少し前に、音を完全に拒絶していた患者だ。ニーアという名前の彼女は、小学生の頃にイジメ殺され。

周囲の全員に尊厳から何もかもを否定され。

あの世に来た時には、手酷い闇を抱えてしまっていた。

それでも彼女は頑張って来たが。

ある切っ掛けが原因で。

音に対する究極的なレベルの拒絶反応を示すようになり。緘黙も発症してしまった。

それから、長い時間を掛けて、ゆっくりと治療を進め。

ようやく今では、普通に音を聞くことが出来るようになり。

喋る事もできるようになった。

良い事だ。

中堅の鬼としても、活躍を進めている。

そして驚くことに。

本人が恐怖で絶対に近寄れなかった、人型に対しても、最近は接することが出来るようになってきたという。

少しずつ回復してきたから。

出来るようになって来て。

そして、ハンデを克服したいと考えて。

努力を重ね。

血をにじむような努力の果てに。

ついにハンデを克服することが出来たのだ。

拍手を送りたい。

なんと、今では自分の姿も。生前のものと同じにしている。前はそれが決定的に壊れる原因となったのに。

今は、ついに其処までの克服に成功した、という事だ。

礼だけを言いに来た彼女は。

菓子折を置くと、そのまま頭を下げて帰って行く。

あくまでこれはレアケースだと分かっている。

そもそも、強くなれる者は限られている。

弱いのが悪い。

そういう理屈がはびこる悪徳の土地である物質世界は。

そうやって、多くの矛盾を抱えて来た。

人間がそれほど強いというのなら、裸でジャングルにいけばいい。それで道具も何も使わずに暮らせば良いのである。

人間は脆弱で。

文明の支援があって、やっとのことで生物としてやっていける存在に過ぎない。

それが何を勘違いしたのか。

弱い者が悪いだとか。

出来ない方が悪いだとか。

そういう頓珍漢な理屈を並べ立てて、醜悪な行動を繰り返した結果が、こういう犠牲者の量産だ。

しかしながら。

今回は、犠牲者が努力の末に、トラウマを克服し。

完治にまで至った。

実際には、完治にまで至るケースは珍しく。

一度精神の病を抱えてしまうと、どうしてもそれとゆっくりじっくりとつきあっていかなければならなくなる。

私が名医と呼ばれていようと。

それは同じ事だ。

私は多くの患者を救ってきた。

だが完治までたどり着けた患者はあまり多く無い。どうしても、一生ものの病気になってしまうものを。

緩和するしかできない。

それでも、彼女は完治させた。

本当に苦労したのだ。

したり顔で弱い奴の方が悪いとか言っている鶏レベルの連中などとは、比べものにならないほど尊い。

そして、地球の文明は。

其処までやり遂げた彼女を、嘲笑いながら切り捨てたのである。

情けない話だ。

出身者として、これ以上も無いほど情けなく思う。

同時に、ニーアの事は本当に誇りに思う。

私が見てきた中でも。

彼処まで完璧に治療を成し遂げた患者は希で。本当にたゆまぬ努力を続けたのだと分かるのだから。

少しだけ、良い気分になった所で。

サポートAIが知らせてくる。

「中枢管理システムから連絡です」

「どうした」

「神の中で、病を発した者がいるらしく、貴方に治療を頼みたいと」

「……分かった。 診察の準備を」

神は、殆どの場合、実力で病をねじ伏せる事が出来る。

だが、それでもどうしても。

やはり病を発してしまう者はいる。

呼ばれてここに来た神は。

見覚えがあった。

破壊神スツルーツである。

子供の姿をしているが、自分を余と呼んだりする、尊大な神で。三つ前の宇宙から存在している、強大な力を持つ神である。

私も一応上級鬼になっているけれど。

流石に桁外れの相手だ。

スツルーツは見かけ上何ら問題無さそうだったけれど。

やはり、口数は少なく。

不機嫌そうに口を横一文字に結んでいた。

「名医と聞いてな。 ストレス値が下がらん」

「神の中でも上位に入る貴方が珍しいですね」

「そうだな。 だが実際問題、この体は完璧では無い。 完璧に近いほど強大ではあるが、出来ない事などいくらでもある。 今までは自分で手を入れてストレスをどうにかしてきたのだが、今回は少しばかりきつくてな」

「少しアーカイブを調査します」

スツルーツはここのところ。

例の、別の宇宙に行くプロジェクトに関わっていた。

実働部隊として動いていたのは蛇神パイロンだが。

スツルーツは中心的な存在として、多くのチームの統括指揮を執っていた。

それが故だろう。

無の強大さは私も聞いている。

その気になれば、宇宙なんて一瞬で消滅させられる、文字通りの桁外れな存在。体内に数えることも不可能なほどの宇宙を抱え込み。

それでいながら、AIのような思考をする、恐らくテクノロジーの産物。

今、スツルーツは。

無が乱心したときに備え。

宇宙を守るためのテクノロジーを開発している筈だ。

だが、それは。

一匹のミジンコが巨象を真正面から倒すための努力をしようとしているよりも、遙かに厳しい状況。

それはストレスが溜まるだろう。

「なるほど。 時に無が乱心する可能性は」

「皆無に近いが、その皆無を回避するために備えるのが、余の仕事でな」

「その皆無に近い可能性のために、貴方が壊れてしまっては元も子も無い。 貴方は宇宙でも上位に入ってくる力を持つ破壊の神でしょう。 もっと、ゆっくりとしたスパンで考えて行くのが良いでしょう」

「簡単に言ってくれるな……」

頭を苛立って掻くスツルーツ。

相手が機嫌を損ねるようなことを、平然と言う場面には、あまり立ち会ったことが無いのだろう。

だが、私は。

そのまま、怖れずに続ける。

此処で患者を怖れていては。

治療は出来ない。

「直接的にいうと、貴方のストレスの原因は恐怖です」

「!」

「ご自分でも分かっている筈です。 あまりにも巨大な敵と、無謀な戦いを強いられるかも知れないと言う恐怖は、恐らく今まで味わったことがなかったのでしょう。 最高神でさえ、自分より「力が大きい」存在に過ぎなかったのに対して、今対策を講じなければならないのは、文字通り次元の違う相手です。 それも二桁や三桁では届かないほどのレベルの」

「余を愚弄するか……!」

スツルーツが不機嫌そうにするが。

しかし、黙り込む。

図星を指されたことに気づき。

そして、自身を律することが出来たのだろう。

流石にこの辺りは、三つ前の宇宙から生きている神だ。

気が短い破壊の神でも。

それでも人間よりは、精神を律することが出来る。

「確かに医師殿の言う通りかも知れん。 確かに、余は無という存在を侮ってはいないが、過剰に怖れていて、それがストレスにつながっていた可能性は否定出来ぬ」

「気長にやりましょう。 もしも無が乱心した場合に備えるのは重要ですが、一朝一夕で出来る事ではありません。 今の宇宙が終わった後も研究を続けるくらいの気持ちでやっていくのが一番でしょう」

リラクゼーションプログラムの強化。

それに薬を出す。

だが、流石はスツルーツ。

薬を見ると、即座に複製することが出来ると言った。

「適量についても把握した。 これから服薬するとともに、コレによるストレス減衰効果を自身でも試してみる」

「くれぐれも無理はなさらずに」

「分かっている」

最初に来た時より。

スツルーツは、だいぶすっきりした顔になっていた。

多少は気が晴れたのだろう。

あれほどの破壊神でも、こういったちょっとしたアドバイスが役に立つことがあるというのは面白い。

何よりも。

破壊神だろうが創造神だろうが。

精神生命体として力が大きい存在、というだけで。

私に取っては、患者に過ぎない。

ここに来る以上。

患者は患者だ。

「凄まじいプレッシャーだったでしょう。 ストレス値のチェックを行いますか」

「いや、もうやっている。 ……驚いたな。 自分でもこれほどストレスがでないとは思わなかった」

「それでも、多少ストレスが蓄積しています」

「相手があのスツルーツ神だから仕方が無い」

苦笑すると、少し休息を入れる。

それにしても、神々までも来るようになってしまったか。

そうなると、此処も。

やがて、更に忙しくなっていって。

そしてどれだけ時間を圧縮したとしても。

休む暇も無くなってしまう日が来るのだろうか。

それは困る。

私は小さくあくびをすると。

中枢管理システムに、時間の圧縮を依頼。

その圧縮された時間の中で。

思う存分、リラクゼーションプログラムの力を借りて、休む事にした。

 

ぼんやりとしていると。

思い出す。

私が救ってきた患者達の事を。

医療は仁術。

そういう言葉もある。

物質世界では、私はヤブ寸前で。町医者としてしがない生活を送り。人の死に立ち会うことも殆ど無かった。

あの世に来てから状況は一変。

適性があったからこそ、だろうけれども。

私は完全に名医となり。

文字通りの仁術を振るう事が出来るようになって行った。

だが、妙ではある。

どうして私は。

こうもストレスに強いのだろう。

不思議だ。

ストレスは、精神生命体にとっては、切っても切り離せないものだ。普通だったら、どうしても溜まっていく。

更に言えば、私はどちらかと言えば、ストレスが激増する職場にいる。

それでも私はやっていけているし。

ストレスも溜まらない。

何故なのだろう。

目が覚める。

ちょっと気になったので、自分について調べて見る。あまり興味が無かったから、自身については精密検査をしなかったのだが。

それで、気付いた。

どうやら私の中には。

普通では考えられない仕組みがあるらしいのだ。

昔の物質文明風にいうと、袋とでも言うべきなのだろうか。

ストレス袋とでもいうべき器官があって。

其処にストレスを落とし込み。

そして消化して、排出しているらしいのである。

ストレスは消化された後。

情報となって排出され。

魂の海に帰っていく。

調べて見たが、このストレス袋。

どうやら神々にさえ持っている者が殆どいない様子で。非常にレアなケースだと言う事だった。

そういう事だったのか。

特異体質というよりも。

むしろ特異内臓を持っているから、出来ていたことだったのか。

くつくつと笑ってしまう。

なるほど、急に名医になれたわけだ。

相手の精神を洞察する力に優れていた、という事もある。実際問題、それで多くの患者を救ってきた。

だがそれにしても、おかしいとは思っていた。

他にも名医はいたが。

みんな過酷な職場でストレスにやられて、仕事を変えるケースがままあったからである。

それなのに、私は平気だったのは。

こんな理由があったからか。

やがて、笑い声は。

大爆笑になった。

サポートAIが、困惑した様子で話しかけてくる。

「どうなさいました、アスクレピオス」

「いやなに、自分に対する凄くくだらない事が分かってしまったからな。 ただ、それだけのことだ」

「くだらない、ですか」

「こんな理由で私は名医と呼ばれていたんだな。 愚かしすぎる」

精神生命体とは言え。

まさか特異な内臓組織があるとは。

そして、他の精神生命体も、流石に内臓までは色々といじる事は出来ない。

コレを考えると、私の場合は何というか。

インチキに近い。

ただ、私が救ってきた人々が大勢いるのも事実だ。

その事実だけは揺るがない。

その中には神もいる。

「現実とは、どこまでくだらなく、そして残酷なのだ。 答えられるか」

「物質文明ではそうでしょう。 しかしあの世では、遙かに公平なシステムが作り上げられています」

「そうかも知れない。 だが、それも完全には公平ではない」

「どうしました。 貴方らしくも無い」

何でもないと、会話を切る。

何だろう。

この異常な不快感は。

これでは、私は。

何をよりどころにして生きていけば良いのか、よく分からない。だけれども、私に出来る事は医療しか無い。

溜息が漏れる。

少し心を落ち着かせよう。

こんな状況でも、ストレス袋はしっかり働いて。私のストレスを排除してくれているのだれど。

他の者にも、コレがあれば。

だが、流石に精神生命体の根本構造に関わる事だ。

出来ないものは、どうしようもない。

「私は……」

以降は言葉にできなかった。

患者が来たと告げられる。

対応の準備をしなければならない。

私は善人でも悪人でも無い。

ただの医者だ。

仁術を行使するとしても。

医者以上でも以下でもない。

それならば、やるべき事は一つ。自分に関する、あまりにもしようもない事が判明した、今でもそれに代わりは無い。

「診察室へ患者を案内しろ」

「分かりました」

私は嘆息すると。

次の治療の準備に取りかかった。

 

(続)