壁に挑戦してみよう
序、学者
あの世に到着してから、私は躊躇無く鬼になることを選んだ。元々が学者だ。だから、学術的な仕事をしたいと思った。
既にあの世に来ているだろう賢人達とも語り合いたいし。
神々にも真理を聞きたいと思った。
だけれども、だ。
実際にあの世に来て、少し生活して困惑した。
全ての真理はアーカイブに記載されている。
あらゆる全てがだ。
賢人達と語り合う意味そのものがない。
見ればすぐに分かってしまうし。
納得も出来てしまう。
そんな状況だったから、モチベなんて上がるわけが無い。更に言えば、学術的な仕事なんてなくて。
基本的に世界に対する、世界をよくしていくこと、しか仕事は存在していなかった。
私も他の鬼に混じって、黙々と仕事をこなしながら。
何度もこんな筈では無かったと嘆いて。
中枢管理システムに、学者らしい仕事は無いのかと申請した。
例えば調査研究。
だが、私が思いつくような調査やら研究やらは。
全て過去にやりつくされている。
実際調べて見ると分かるのだ。アーカイブには、それこそあらゆる情報が突っ込まれていて。
しかも検索すると、すぐに真理や結果が分かってしまう。
ビッグバンを十二度以上も乗り越えている、という話だったけれど。
それも全くの事実なのだと、一目で分かってしまう。
これは恐ろしいというよりも。
あらゆるやる気をそぎに来ているとしか思えなかった。
学者として、賢人達と語り合っていた頃が懐かしい。学者という存在そのものの意味がない今がとても苦しい。
あの頃は、それこそ世界の真理について、色々と思いをはせることが出来たのだ。
あの世に来てしまうと。
その答えの全てが用意されていて。
私は何もできなくなってしまった。
苦悩しながら仕事をしていると。
声が掛かる。
今、私の職場は。
あの世に来たばかりの亡者を管理する部署だが。基本的にはオートマティックで処理が行われるので。
不具合が無いか監視するだけである。
声を掛けてきたのは。
私の上司。
私ももうあの世では長く、既に上級鬼になっているので。
更に私より格上の上級鬼だ。
「アルキメデス、いいですか?」
「なんでしょうか」
「実は、前々から申請があった研究の仕事が来ました」
「本当ですか!」
思わず立ち上がる。
とはいっても、私は今、制服のある職場にはいない。
跳び上がる、ように周囲には見えたかも知れない。
今の私は。
球体に、複数の繊毛が生えているような姿だからだ。
実は普段は人間の姿を採っているのだけれど。それも生前の姿を再現しているのだけれど。今日は気分でこういう姿になっている。
「そ、それで何の研究です」
「無の研究ですよ」
「……」
そうか。
それしかないか。
宇宙の外側には無があると言う話は聞いたことがある。
平行世界には、神々クラスにならなくても、様々な手段で移動することが出来る。何故なら宇宙と位相が重なっていて、いうなれば同じ場所にあるのと変わらないから、である。
だけれども。
別の宇宙に行くとなると、それは異なってくる。
宇宙と宇宙の間には無が存在していて。
これは空間ですらない。
今までの歴史上、あらゆる神々が突破を試みてきた。これは、逆にこの宇宙に侵攻される可能性を想定して、出来るかどうかを試すためだ。
しかしながら、どの神でも。
最強の神でも。
突破は出来なかった。
だから今は、研究も凍結されているのだが。
それを復活させる、という。
「現時点で、宇宙は今までの歴代宇宙に比べて比較にもならないほどに安定していますので、好機だと神々は考えたのでしょう。 貴方を含めて十数名の鬼でチームを作り、研究を行うそうです」
「待ってました!」
「そうですか」
苦笑する上役。
私も上級鬼になって長いし。
ずっと苦悩していたことを、知っていたのだろう。
だけれど、どう見られようと知った事か。
私は科学者だ。
研究者だ。
探求者だ。
こんな仕事、やっていられるかと、何度も何度も思った。幸い仕事の負荷は低いけれど。それでも、科学者としての自負はある。
どうしても、こんな仕事に骨を埋めたくは無かったし。
何よりも、他に可能性があるのなら、其処に賭けてみたかった。
思わず、本来の老人の姿に戻ってしまう。
生前と同じ姿だ。
「異動はいつです」
「今回の仕事の引き継ぎが終わったら」
「分かりました。 家にデータを転送してください」
「はい」
やりとりが終わると、上役は戻っていった。
これほどに嬉しい事があろうか。
やっと研究が出来る。
科学者としての本分を全うできる。コレが嬉しくなかったら、何が嬉しいのか。
しばらく有頂天でいると。
研究をともにする鬼達が、ぞろぞろとやってきた。
紹介されるが。
いずれもあの世では、名がまるで知られていない鬼達ばかりである。
つまり、この時点で。
神々はまったくという程に。
研究に期待していない、と言うことが分かる。まあ、ある意味当然であろうか。何しろ、今まで神々でさえ、破る事が出来なかった無という壁そのものだ。
空間が存在しない。
空間が薄皮を隔てて存在しているとは訳も意味も違う。
それについて研究し。
ましてや突破する理論を作り上げるなど。
不可能に近い。
そう考えているのは、間違いなかった。
だが、である。
宇宙は無限かと言われると、それはどうなのだろうとも思う。
今の宇宙のテクノロジーは、アーカイブを見る限り、12回前のビッグバンの際から持ち込まれていると言う話で。
宇宙はビッグバンを繰り返しながら、その度に全てが消失、再生しているようなのだけれども。
かといって、それが無限につながっていくとは限らない。
平行世界も、同じ事だ。
いずれビッグバンが起きなくなれば。
消失と再生どころか。
宇宙という存在そのものが、もはや無に飲まれて。二度と何も生じないのではないのか。そういう懸念さえある。
事実、多数の宇宙が、無の中で生まれたとしても。
その大半は、一瞬にして寿命を終えてしまうと言う研究成果もあるそうだ。
つまるところ。
期待はしていなくも。
成果が上がれば万々歳。
そういう研究だと言う事なのだろう。
だが、それでも。
科学者としては、滾る。
私は科学者であって、雑用を延々とするためにこの神々の世界に来たわけではないのだ。あの世と言っても、事実上神々の世界。輪廻転生を司り、多くの魂が巡り、世界そのものをコントロールする世界。
そこでの研究なのだ。
滾らない筈がないだろう。
メンバーと挨拶を済ませた後。
研究施設に案内される。
アーカイブの中でも更に深部。
今まで、無を突破しようとした神々の記録について、収められている場所だ。
無を神々が突破しようとした記録については、今までもアーカイブにて確認しているのだけれど。
此処に記録されているのは。
その具体的な記録と結果である。
現在、最高位にいる神に到っては、六度に渡って挑戦を繰り返している、という話だけれども。
その超絶の力をしても。
無を突破するには至っていないそうだ。
それを考えると。
単純に出力やスペックが高くても、どうにもならないという事で良いだろう。
「おい、あんた」
職場を見て回っていると。
いきなり居丈高に声を掛けられる。
私は相手を見ると。
末席にいた、まだ中堅の鬼だ。今回は十二名のチームだが。その中でも一番力が弱い鬼で。
余程の才覚を見込まれて、このチームに入れられたか。
それとも使いどころがないと判断されて。
役に立たないので、此処に送られたのか。
判断に困る所だ。
「何かな」
「あんた、物質世界ではアルキメデスって名前だったんじゃないのか」
「ほう。 わしの名を知っているのか」
ちなみに相手は子供の姿を採っている。
子供の姿は、動きやすいという事で、力がついてくると採用する鬼もいる。私のように、老人の姿がもう板についてしまっている場合もあるが。
とにかく失礼な子供は。
此方を、兎に角猜疑心に満ちた目で見るのだった。
「俺はアルメイダだ。 これから世話になる」
「アルメイダ……」
はて、聞いた事がある。
そうだ、思い出した。
少し前に、地球で大規模なテロがあって。
世界情勢改善のために集まっていた科学者が大勢爆殺された。いたましい事件であった。その被害者の中に、当時世界最高のIQを誇った科学者がいたはずだ。
まだ子供だが、飛び級を繰り返して、大学院も突破。
幾つかの博士号を取得。
そればかりか、既に科学の分野で大きな業績を上げていて。幾つかの未解明の定理についても解明していたという。
推定IQは300。
人類の限界値にいた子供だ。
だが、その子供が。
どうして此処に。
まあ、天才とは例外なく変わり者だと聞いている。この子ほどになると、やはり周囲は相当にもてあましていただろう。
事実、いきなり超格上の私に、失礼極まりない口をきいているくらいなのだ。
実力にも、相当自信があるのだろう。
「俺はまだ情報を食い足りないから、スペックが足りない。 だが研究のノウハウについては、これでも相当に習熟しているつもりだ。 バンバン回して欲しい」
「ほう……いいじゃろう」
「ふん」
挨拶だけは済ませた。
そう顔に書いたまま、アルメイダは大股で去って行く。
ちなみに美少女などと言う事は無い。
ごくごく平凡で。
非常に気むずかしそうな顔をしていた。
金髪はぼっさぼさ。
目元には大きなぐるぐる眼鏡。
研究者、という風情の姿だが。
それでいながら、非常にけんかっ早そうな言動が、何もかもミスマッチである。生前の画像を確認。
まったく同じだ。
つまるところ、生前の姿を再現したタイプか。
化身は難しい。
中堅所の鬼でも、生前の姿の完全再現は結構骨が折れるのだけれど。
アルメイダはそれを平然と成し遂げた、という事か。
まあこの辺りは、元々のスペックが高いのか。
それとも。
生前、己の体に完全に適応していたか。
これは、実のところ出来ている人間はあまり多く無い。
己の体を使いこなすというのはかなりの難儀で、スポーツの選手などの専門家でさえ苦労するのである。
それを成し遂げていたとすれば。
まああの娘は。
なかなかのものだった、という事なのだろう。
此方も古代における最高の科学者として名をはせる存在。
勿論スペックにおいても負けるつもりはない。
私が提唱した理論の多くは、後に間違いが発覚してしまったが。それと同じくらい、正しかった理論もある。
ただ、戦火の中で、私の研究は多くが消失して。
後世には伝わらなかったのだが。
とりあえず、私がチームリーダー。
問題があった場合は、中枢管理システムに、直接連絡すること。
成果が上がった場合も然り。
それで、話はついた。
神々は介入するつもりもない様子で。その辺りは、私に取っても都合が良い。研究についても、実験用の特殊環境を構築してくれている。この中でなら、何をしても良いとお墨付きまで貰っている。
最大限の厚遇、と判断して良いだろう。
それならば、科学者として。
答えるだけだ。
まあ人材に関しては、不満が色々と残るけれど。それはもう、仕方が無いと言うべきなのだろう。
私とアルメイダ以外は、科学者と言うよりは技術者だし。
それもあまりあの世で名も知られていない。
いずれにしても、リソースを割いている余裕は無い。
そういう本音も、今回の人事からは窺われた。
まあ無理も無い。
あの世は慢性的に人手不足だ。
多くの鬼達が悪戦苦闘しながら働いていて。
オートマティック化してもなお。
それでも人材が足りないのである。
宇宙全体を統括するシステムなのだ。それも当然なのだろうけれど。
ただ、来るべき最悪の未来に備えて。
今後の事を考えるなら。
この研究には、もっと人員と。
リソースそのものを割くべきでは無いのか。
私は、そうとも思うのである。
いずれにしても、研究室の規模。人員の質。そして出来る事。全ては把握完了した。これでも地球人類最古参の科学者の一人。
その研究能力に関しては。
あの世でも発揮できるはず。
久しぶりの感覚だ。
武者震いをしてしまう。
やはりこの辺り。
骨の髄まで、研究者としての自分が、染みついている、ということなのだろう。
そして、それを。
私は誇りにしていた。
1、無への挑戦
無。そこには時間もなく。空間さえもない。
時間と空間は基本的に一体。
時間とは概念に過ぎず、実際には存在しないという説もあるが。あの世ではそれは明確に否定されている。
実際問題、時間を圧縮する技術によって、多くの鬼が助かっているし。
時間圧縮を自由自在に行う事により。
あの世では、様々な問題におけるダメージを、最小限に抑えることが可能になっているのだ。
万能とまではいかないが。
空間に関しても同じ。
地球の科学力でも、空間から空間に瞬間転移することは、量子力学上では可能、という結論が出ている。
勿論、まだ実施にはほど遠い段階だが。
この程度は、地球程度の科学技術力でも、判断できることだ、ということである。
なお、あの世では。
空間スキップという形で、この空間移動が自由自在に使われており。
多くの鬼が、出勤の際には。
数百万光年、下手をすると数千万光年先の職場に、数秒で到着している。
彼方此方には空間スキップを利用するための専用マスドライバが設置されていて。
これにより、更に空間スキップは便利になっている。
神々になると、このマスドライバさえ使わずに、空間スキップを可能としているらしいのだけれど。
流石にそれに関しては。
私も口をつぐむばかりだ。
上級鬼と神々の間には、容易に超えられない壁がある。
同じ事を数さえ集めれば出来るといっても。
やはり神々の実力は絶大なのだ。
実際、私も破壊神スツルーツの「仕事」映像を幾つかアーカイブで見たが。それこそ物理法則をねじ曲げるようなことは朝飯前。
その気になれば、銀河くらい容易に崩壊させるだろう。それも、零コンマの後ろに幾つも0がついた後、ようやくかと言いたくなるようなタイミングで1が出てくる時間で、である。
逆に言うと。
そんな無体な力を持つ神々でも。
無は突破出来ないのだ。
時間と空間。
それがどれだけ重要な存在なのか。
よく分かる。
早速私は、無に関する情報を、アーカイブから吸収する。他のメンバーも、同じようにして情報を根こそぎ吸収した。
情報は、吸収してもなくならない。
精神生命体にとっては、とても嬉しい事だ。
まず必要な情報を得てから。
皆で円卓を囲んで、会議をする。
不思議な話で。
人間型をしているのは、私とアルメイダだけだった。
「まず、無に対する糸口ですが」
最初に口を開いたのは。
空間スキップに使うマスドライバの技術者だ。
一応今回のチームでは、私に次ぐナンバーツーになる。名前はヒラノである。
とにかくヒラノは、マスドライバの技術を生かせば、無に迫る事が出来るのでは無いか、という。
だが、それを一蹴したのが。
アルメイダである。
「バカか」
「な……上級鬼を相手に口を慎め!」
「バカをバカと言って何が悪いんだよ」
「アルメイダくん」
私が咳払いすると。流石にアルメイダも、舌打ちして視線をそらす。
もう何度か咳払いすると。
本当に頭に来ているらしいヒラノに、私はゆっくり、丁寧に説明していく。
「恐らくは、現状使用されている技術の応用では、無の壁の突破どころか、解析も出来ないだろう。 理由は、既に多くの神々が、我々の常識外の実力を持って、突破を試みていながら、出来なかったからだ」
「それでは最初から手詰まりではありませんか」
「いや、そうでもない。 今まで神々は、力尽くでの対応を試みていた。 我々は違う方法を模索すればいいのだ」
「楽観的すぎて反吐が出る」
また毒を吐くアルメイダ。
物質世界でも性格は変わらなかったという話だから、周囲との衝突の絶えなかったことだろう。
ただし彼女は、相応の実績を上げている。
だから鬼として転生する権利を得ているし。
こんな場所にも、来ているというわけだ。
もっともこの娘の場合、相手が本物の神であっても、喧嘩を売りそうなので、ちょっと冷や冷やするが。
もう一度咳払いすると。
私は、様々な異形の姿をしている同僚達に。
ゆっくり、噛み含めるように話していく。
「何も無い。 文字通りの無。 其処には時間も空間さえもなく、どちらも自在にする神々でさえ突破が不可能な究極の壁だ。 だからこそ、我々には突破するための意味も意義もある。 最悪の場合、我々が使う実験用の空間が消し飛ぶだけで済むようにも処置はしてもらっているから、安心して実験に励もう」
「了解……」
まだ不機嫌そうなヒラノを含めて。
他の研究者達も、それでどうにか納得はしてくれた。
今回はスターターミーティングと言う事で、これで解散。まあ今回は、これでいいだろう。
というよりも、だ。
正直私だけで勝手にやりたいくらいである。
アルメイダが、舌打ち。
何が気に入らないのかと聞いてみると。
性格が悪い子供は、何度も吐き捨てた。
「ド低脳の集まりで吐き気がする。 上級になってもアホはアホだ」
「言い過ぎだ。 実際君よりもスペックは皆遙かに高い」
「そんな事は分かっている! だからこそのアホさ加減に腹が立つんだよ」
「まあわしにはそんな口を利いても構わないがね。 他の上級鬼に対しては、相手のプライドを逆なでするような真似は控えた方が良かろうよ」
じっと私を見ると。
アルメイダは、聞いてくる。
「あんた、自分の業績が、未来にねじ曲げて伝えられているのに、構わないのか。 むかつくとか無いのか」
「どうしてだね」
「俺なんかな。 勝手に死んだ後聖人君主に祭り上げられて、はっきりいってうんざりしているんだよ。 死んで向こうではたった十年だぞ。 それなのに、どうしてこうも実像と違う俺を、教科書に載せて、聖人扱いできる。 彼奴らはアホだ」
死人に口なしか。
そういえば、時々歴史上の人物に対する貶し行為が、ブームになる事がある。
これは簡単で。
相手は死んでいるからだ。
英雄だろうがなんだろうが、殴りたい放題。
更に言えば、自分の方が偉いと錯覚することさえ出来る。
だから一部の自称歴史学者は。
歴史的に高い評価を得ている人間を。徹底的にこき下ろし。業績を否定し。そして自分がえらいつもりになる。
愚かな話だ。
逆に言うと。
歴史上の人間を、安易に聖人にしてしまうのも、同じ行為だろう。
アルメイダの場合は、その犠牲者。
それも死んでたった十年で、そんな風になってしまったのであれば。
元々悪かった性格が、更に歪むのも無理は無い。
そうか、何となく分かったが。
人間時代の姿を保っているのも、それが故か。ねじ曲げられた自分が教科書に載せられるのが嫌で嫌で仕方が無いから。
敢えて、この姿を採っているのだろう。
自分はこの姿だ。
この姿こそ、自分の正しい姿だ。
誰に対してでは無く。
自分に対して、宣言しているという訳なのだろう。
まあ、プライドの塊みたいな性格をしているのだし、そういう行動に出るのも無理はない。
私も、何となくだが。
分からなくもない。
「あんたはどうなんだよ」
「わしは神話と混ぜっこにされたりして、もう無茶苦茶だからな。 もうわしの実像なんて、誰も覚えておらんよ」
「良いのかそれで」
「別に構わないさ。 アーカイブという、誰よりも公平な観察者がいる。 今生きている地球の人間に正しく理解されていなくても、何ら気にもとまらん」
じっと此方を見られたが。
多分本当にそう思っているのか、確認したいのだろう。
だが、やがて。
アルメイダは、大きく嘆息した。
「俺はまだ感情を整理できない」
別に、オールタイムでシフトを組んでする仕事でもない。
アルメイダも家に帰っていったので。
私もそれに倣って。
家に戻ることにした。
休暇が終わって。
職場に出ると。
最初にアルメイダが出勤してきた。続いて、他の技術者達も出勤してくる。
軽く挨拶すると、それぞれの方法で研究開始。
あの世での鬼同士の関係は、極めて希薄。仕事に関しても、サポートAIが支援してくれるし。
タブレットにも支援機能がたくさん詰まっている。
それも、枯れたと言うレベルで、練り込まれた。
だから気にせず。
誰も彼もが、黙々と働く事が出来るのだ。
これはとても大きな事である。
アルメイダも、いきなり今日は暴言を吐くようなことも無く。己のスペックの全力で、なのだろう。
複数ウィンドウを開いて。
与えられている空間で、何かしらの実験をしている様子だ。
私も同じように。
与えられた空間を利用して、実験を続ける。
この空間は、平行世界の中で、あまり大きく発展しなかった存在。知的生命体どころか、生命そのものが存在していないし、今後誕生する可能性もない。
ビッグバンが上手く行かないと。
こういうスカスカの世界が出来てしまうことがままある。
だが、そのスカスカ世界を利用して。
無を打ち破ることが出来るのなら。
それはそれで良い事なのだろう。
なお、ビッグバンが起きるとき、平行世界にも影響は出る。
同じようにたくさんの宇宙が、同じ場所に出来。
その内の出来が良い宇宙に、そのまま以前の宇宙の記憶を持ち込むのだ。
これに関しては機密もなにもなく。
アーカイブに全て記録されている。
そういうものである。
いきなり、計測していた宇宙に、もの凄い衝撃波が観測された。見るとアルメイダが、一兆度に達する熱量を、無理矢理作り出したのである。
方法としては反物質爆発で。
因果律を操作して。
かなり巨大な反物質の塊を。
爆発寸前の赤色超巨星にぶつけたのだ。
その結果、超大規模な爆発が発生。
中心部分は、一兆度に達する熱量が生じた。とは言っても、本当に一瞬だが。
「む、無茶苦茶をする」
「いや、かまわんよ」
技術者の一人に、私が返す。
実際問題、超熱量による空間への影響調査は、見てみる価値がある。熱は一瞬で収まって、その後何も無かったかのように、周囲に衝撃波が拡散していったが。
生命もない宇宙だ。
大爆発が起きようと構わない。
そのまま、私もその衝撃波などのデータを全て観測して、記録し。中枢管理システムにレポートとして提出する。
それと同時に。
アーカイブから、過去宇宙における神々の戦いを検索。
今生きている神だと、スツルーツクラスの神々が。過去の宇宙では殺し合っていたらしく。
その戦いが起きる度に、銀河や、銀河団が消し飛んでいたそうである。
そういった戦いのデータを収集。
戦闘の経緯や。
どのような現象が起きたか、等を検証する。
調べて見ると、やはり一兆度に達する熱量を作り出して、敵にぶつける、といった技も使われた様子だが。
それでも宇宙の壁は。
無の絶対的壁は。
びくともしていない。
SF小説などによくあるような、空間に穴を開けて、別の世界を通って、という事が。どれだけ難事なのか。
これだけでもよく分かる。
或いは、今いる宇宙がそうなのであって。
別の宇宙では、とても容易に出来ることなのかも知れないが。
いずれにしても、億光年単位の周辺を、消滅させるような戦いさえも、過去の神々は行った様子だが。
それでも空間の壁は破れなかった。
その際のデータもまとめ。
そして、結論する。
力業で、壁は破れない。
神々が総力を結集しても無理だろう。
実際、二陣営に分かれた神々が、それぞれの総力を結集して、力を解放し合った結果。二十七億光年四方の空間が、すっからかんになるほどの破壊が引き起こされた例も、過去の宇宙には存在している。
そんなバカをやっていたから、過去の宇宙は文字通り何も無くなって、神々も頭を抱え。
そして、今の「世界をよくしていく」という基本戦略が生まれた訳だが。
まあ、過去の愚行はもはやどうしようもない。
今は、その愚行を糧にして。
未来への道を作るべきだ。
「アルメイダ、止めてください」
「なんだよ!」
苛立ちの声が上がる。
サポートAIが、アルメイダがやろうとした実験を止めたのだ。
なんと今度は二十兆度に達する熱量を作ろうとしたのである。
二十兆度。
あまり何が起きるか考えたくない。
今実験に使っている宇宙は、この空間とも。この宇宙とも。完全に切り離されているし。鬼も含めて完全に無人だが。
それでも、二十兆度はぞっとしない。
「この数字は、過去の神々の戦いでも出ていない。 空間への影響が出るならば、見てみたい」
「実験環境が完全にダメになる。 もう少し検討をしなさい」
「……」
私がそう指示をすると。
アルメイダが舌打ちして、別の方法を考え始めた。
何だか空気が悪い。
基本的には他者に関わらないのが普通のあの世の鬼のあり方なのに。この娘は、どうにも積極的に他人を殴りに行きたがる傾向がある。
反発を受けるのも当然と言えば当然か。
ただ、優れた科学者は基本的に気むずかしい。
天才が例外なく変人であるのと同じ事だ。
だから私も黙っている。
私も、生きている頃は。
変人として、周囲で知られていた。
あらゆる無茶な実験をしたし。
それで周囲から顰蹙も買った。
支援者がいたからやってはいけたけれど。あれは本当に運が良かったのだとも想う。まあ私も、その実力を使って、色々な実績を上げて。それが支援者に金を出させる要因にもなったのだとは思うが。
もっとも、私は死に方も悲惨だったので。
あまり生きていた頃は誇れないのだが。
「なあ、いいか」
いきなり、アルメイダが声を掛けてくる。
他の鬼がしらけた目で見る中。
私は笑顔で応じる。
「どうしたね」
「データを調べてみたが、空間と時間をどう弄っても無には到達できないし、壁を壊すことも出来ないと思う。 そうなると、それ以外のアプローチをする必要がある」
「そうだな」
まあ、当然だ。
私もそれをどうやってやろうか、悩んでいたところだ。
因果律を操作して、無が壊れる可能性を作って見るか。
だが、それも過去に神が試している。
相当な出力で因果律を操作したようだが。
それでも無の壁は微動だにしなかった様子だ。実験のデータが、それを全て証明してしまっている。
「そこで、宇宙そのものを壊して、無のサンプルを手に入れてみたい」
「ちょ……」
いきなりそれか。
回りも愕然として、アルメイダを見ている。
平行世界はたくさんあるが、それでも無限にある訳ではない。ましてや、完全に無人なんて都合が良い世界、幾つもない。
無人なら無人で、使い路はある。
それを、丸ごと放棄するというのだ。
誰もが愕然として当然だろう。
「ちょっと待て! さっきから無茶苦茶ばかりいいやがって!」
たまりかねて、上級鬼の一人が爆発した。
ハーネンという名前の彼は、あの世の中枢管理システムに関わる技術者だ。だからこそに、分かっているのだろう。
宇宙を壊す、というのが。
どれだけ無茶かを。
アルメイダも一歩も引かない。
「次のビッグバンでも、都合が良い宇宙が出来るとは限らない」
「そんな事は分かっている!」
「だったらリスクを多少とってでも、無を解明するべきだろうが。 無を突破して別の宇宙への穴を開けられたら、最悪の場合避難路も其処に作る事が出来る」
「……」
私は腕組みする。
この子は、なんというか。
一人で研究するのに向いているが。集団研究には、決定的に向いていない。
今回の提案も。
好きに実験して良いよと実験施設を渡されたら。
実験施設を爆破しようと言い出すようなものだからだ。
一人で、何もかも責任を持って実験するのなら、それもいいのだろう。
だが今回は。
可能な限り、データを集めたい。
データを集める前に、貴重な実験施設を爆破してしまっては、何もかもが台無しなのである。
咳払いすると。
私はアルメイダに諭す。
「或いはそれで無のデータを得られるかも知れないが、貴重な実験用の空間も全て失われてしまう。 それでは本末転倒だ。 現在、我々にはあまりにもデータが少なすぎるからだ」
「どのみち無駄だ。 無に関するデータは今までも鉄壁不滅というものしか存在していない。 今回、無そのものに切り込むには、何ら問題が無い条件下で、宇宙を破壊して、無を観測するしかない」
「それは最終手段としよう。 今は試せる方法を試すべきだ。 幸い我々には、人間とは比べものにならないスペックと、不死の寿命と、時間を圧縮する技術がある。 焦らなくても、一つずつやっていこう」
舌打ちすると。
アルメイダは、分からず屋の偏屈爺と聞こえるように呟いた。
私は我慢する。
これくらいは、私も生前やっていたし。
多分私の思想を受け継ぐものが現れていたら。
これくらい、周囲と衝突しただろうから。
だから、我慢できる。
私も、生前散々苦労した。今になって、若い頃の自分みたいな相手に出会って、振り回されるとは思わなかったけれど。
それもまた、一興だ。
研究が出来る。
それだけでも、今の私には、嬉しい事なのだ。
研究さえ出来ない。
今までの状態を思えば。
「分かった。 もう少し、色々試してみる」
「貴様、口の利き方を」
「良い。 気にするでない」
ヒラノに、私が指示。ヒラノも、流石に格上の上級鬼である私には逆らえない。渋々と、矛を収めた。
アルメイダも、むっとしたまま、コンソールに張り付き直す。
そして、複数ウィンドウを操作しながら。
何かを考え続けていた。
2、究極絶対の壁
レポートを出すと、今日の研究は解散とする。
他のメンバーを先に帰らせて、私はレポートを提出。まあタブレットで数操作するだけで提出できるので、問題ない。
中枢管理システムから、すぐに返答が来たが。
「研究の様子、確認しました。 かなり派手に行っているようですね」
「これでも抑えました。 いきなり宇宙を爆破しようという提案まで出たほどでして」
「それは控えてください」
まあそうだろう。
即決でダメと言われた。
私もそう言われることは分かりきっていたから、アルメイダを止めたのだ。アルメイダは、今後も更に過激な提案をしてくるだろうが。
ただ、発想そのものは間違っていないと、私も思う。
実際問題、どれだけの力がぶつかり合っても、空間の壁に穴は開かず。無に傷をつけることは出来なかったのだ。
無とはなんなのか。
それをまず知らなければならないだろう。
それには、神々の手助けもいるだろうし。
最終手段として。
いらない宇宙を、破壊して。
その観測結果を見て。
無とは何かを、調べる必要が出てくる筈だ。
だが、確かにそれは最終手段でもある。他に何か方法が無いか、考えて行くべきなのではあるまいか。
様々なデータを確認する。
素粒子まで見ていっても。
結局の所、空間の壁というものはおぞましいまでに強固だ。どうしても無という、宇宙の外側にある存在を突破する方法が思い当たらない。
そもそも、本当に「無」が存在するのか。
これは便宜上「無」と呼んでいるだけであって。
他に何か、別の存在があるのではないのか。
私には、そういう仮説も組み立てられる。
高次元空間か。
いや、それはまた違うと思う。
いずれにしても、実験データが足りなさすぎる。
ビッグバンが起きるときは、あの世もてんやわんやで。
基本的に観測などしている暇が無いからである。
暇が無ければ、データなんて収集できない。
自明の論だ。
「いずれにしても、短期間で焦って無理な研究をしないようにしてください。 ただでさえ、あの世は人手不足ですから」
「分かっています」
「特に彼女をしっかり抑えてください」
「……」
分かっている。
そもそもアルメイダも、個人で研究をすることで、本領を発揮できるタイプだ。それは私が一番良く知っている。
私もそうだったし。
昔の私によく似ているからだ。
「もう一つ、重要な話があります」
「何でしょうか」
「実のところ、神々の間でも、この研究に掛けている工数が少しばかり多いのでは無いのかという話が上がっています」
「それは、この研究の重要性を理解していない、という事ですか?」
そうではない、と中枢管理システムは言う。
此方としても、ちょっと頭に来たので強い言葉を使ってしまったが。
向こうは極めて冷静だ。
しかもシステムである。
嘘はつかない。
「次のビッグバンは推定2300億年後。 その時には、もはや宇宙はどうあがこうが、生命が新しく生まれ出る環境ではありません。 当然あの世も手が空くはずで、その時に研究をすれば良い、という意見の神々も多いのです」
「それでは遅いかも知れない」
「分かっています。 次のビッグバンでも、生命が誕生しうる宇宙が、都合良く発生する確率は100%ではない。 そもそも、次のビッグバンの後、また宇宙が誕生しない可能性もある。 だから価値のある研究ではあると神々も認めています」
「ならばなぜ……」
工数の問題だと言う事は、私にも分かっている。
あの世は多忙な世界だ。
オートマティック化しても、まだ人手がまるで足りていない。文字通り、猫の手でも借りたい状態なのである。
それなのに、こんな後回しにしても良いだろう研究をしていて構わないのか。
それに、だ。
一つだけ、気になっている事がある。
「無の壁を解析して、破る方法を見つけられた場合です」
「不意に話が変わりましたね」
「重要な話です。 もしも、です。 無の壁の解析が上手く言った場合、まさか別の宇宙に侵攻したりしないでしょうね」
「勿論友好的な接触を試みます。 中枢管理システムとしても、宇宙レベルでの殺戮が吹き荒れていた今までの世界には、問題が多いと判断しています。 神々がこぞって殺し合った結果の惨禍もアーカイブで見ているはずです。 あのような世界を、誰が望みましょうか」
ならば良いのだが。
一部の神は、好戦性を燻らせている。
それこそ、血に飢えた獣そのものの姿で。
それを考えると。
私に取っては、何もかもが。
ウソに見えてきてしまう、というのもある。
私の研究も、生前。
様々な軍事利用をされ。
多くの命を奪った。
それによって、たくさんの業も積み重ねた。
私は科学者としての功績を認められて、鬼になる選択肢を与えられたけれど。実のところ、怖かったのかも知れない。
あの世で研究をしたいというのは、方便に過ぎず。
本当は。
もはや、物質世界に対して、合わせる顔が無い、というのが実態だったのではあるまいか。
「研究で分からない事があれば、遠慮無く。 アーカイブ深部には、まだ貴方たちがアクセスしていない情報も眠っています」
「……」
「それでは、研究の進展を期待しています」
中枢管理システムからの連絡は切れた。
やはり、私は。
悩みが大きくなるばかりだった。
次の仕事。
集まったメンバーに対して、中枢管理システムからの通達については告げておく。まあ大した内容では無いし、そのままそれぞれのタブレットにデータを送信しただけだ。口で説明するよりも。
実際に録音した情報を流す方が早い。
伝言ゲームになって行くと、どうしても最終的におかしな話になる。
それを避けるためにも。
これは大事だ。
鼻を鳴らしたのはアルメイダ。
最初から不機嫌そうである。
「時間と空間がねじ曲がるブラックホールの内側に天国が配置されているような世界だし、無を破るには相当な無茶が必要だってのは分かってるだろうに、こちこち頭の分からず屋どもが」
「アルメイダ」
「分かってる」
皆も、アルメイダの言葉には不快感を覚えているようだし、たしなめておく。
実際彼女は言いたい放題過ぎる。
そして、物質世界では。
圧倒的過ぎるスペックがあって、それで許されていた。
周囲も我慢してきた。
だがあの世では違う。
あの世では食った情報がスペックにつながる。
勿論、元々超絶的なスペックを持っていたアルメイダは、かなりの速度で成長はしている。
あの世でも、情報をより効率よく吸収しているのだ。
だから、上級鬼にも、そう時間を掛けずなるとは思うけれど。
それでも、今は。
周囲より、遙かにスペックが劣っている。
そういうものだ。
そして精神生命体には。
特技持ちはいても。
天才だから何でも出来る奴なんていない。
上級鬼になれば、出来る事の幅は拡がるが。
それだけだ。
みんなそれは同じ。
年だけ重ねて傲慢になって、無意味に出世する奴はいない。
その一方で、どれだけ天才でも、飛び級して出世していくことは出来ないのだ。
「まず、今まで誰も試していない方法を模索する事からだ。 アルメイダくんも、それはいいね」
「……」
「では、作業開始」
作業を始めると。
私は淡々と実験を始める。
重力関係で、無を破るのは無理。
物質密度でも恐らくは無理。
空間というものそのものを破らなければならないのだ。
これが著しく難しい。
空間があると言うのが、当たり前で。
それがない、というのがそもそもあり得ないのである。
だから、まずは。
世界の外側に出るためには、あり得ない状態を作り出さなければならないのである。
「宇宙の最辺縁に監視システムを仕掛ける」
「それならば別に構わないよ」
「そうする」
宇宙の最辺縁は、光速での拡大を続けている。
勿論光速など歯牙にも掛けない速度で動き回れる精神生命体。そして、光速の壁など何ともしないテクノロジー。
その双方が、あの世には揃っている。
監視システムを仕掛けるのは簡単だ。
だが。
その結果は、アーカイブにある。
というか、無を突破しようとしたどの神も、基本的に考えは同じなのだ。
一番外側に行って、どうにかしてみよう。
それである。
ブラックホールを仕掛けてみたり。
熱量を上げてみたり。
空間そのものに色々干渉してみたり。
あまり多くは無いが。
データそのものはアーカイブに残っていて。その全てで、実験が失敗した事も、事細かく記載されていた。
この辺り、あの世は体面とかを気にしなくて、正直でいい。
物質世界の場合。
体面を気にして、記述をねじ曲げるケースが珍しくも無い。
それを考えると。
あの世は研究をするには、好条件が揃っている場所だとも言える。
もっとも。
研究をすることが、無の壁の突破くらいしかないのだが。
「観測機、設置完了」
「それで、何をするつもりだね」
「あらゆるデータを取得して、分析する」
「……」
他のメンバーが、冷めた目を向ける。
新しいデータが取れるとは思えない。
そう思っているのだろう。
平行世界に移動するのとは意味が違っている。
それこそ、水をワインにするくらいの作業なのだ。
アルメイダは、地球で死ぬまでは、間違いなく天才だった。
だが、今は。
一人の、中堅鬼にすぎない。
それを考えると。
とてもではないが、偉そうに振る舞うことも許されないし。
何より滑稽でしか無いのだ。
私も少し困っているが。
だが、彼女にもプライドがあるし。
元々プライドの塊のような性格だ。あの世に来ても、元の性別に固執しているような子なのである。
色々扱いにくい。
そういえば。
此方でもアーカイブを漁っている内に、面白いデータを見つけた。
物質世界での天才を管理している部署があるのだが。
其処の方で、アルメイダを最終的に此方に回すように手配した形跡が見つかったのである。
なるほど。
変人は変人同士。
天才は天才同士。
邪魔者、厄介者を集めたという訳か。
乾いた笑いが漏れてくるが。
実のところ、そうした事も、理解出来ない訳ではない。
だから、文句を言うのは、控えることにした。
アルメイダは黙り込んだ。
完全に、データとにらめっこしている。勿論、今まで取得されていたデータとも、比較検討しているのだろう。
私はどうするべきか。
少し悩んでいるが。
結論としては、いわゆる四つの力。強い力、電磁の力、弱い力、重力。これらでは、無を突破出来ないと判断している。
というのも、あくまでこれらは宇宙内部で作用するものだからだ。
かといって、超高熱を起こして、擬似的なビッグバンを発生させ、それによって無の壁を抜く、というのも現実的には思えない。
宇宙の外側には、無があって。その無の中に、多数の宇宙が浮かんでいるだろう、というのは説として提唱されてはいる。
だが、それでもだ。
実証されていない以上、それは説の領域を超えない。
出来ない、ということが分かれば。
次はどうすれば出来るか、の話に移れる。
まずはそこからやっていくべきで。
そして、アーカイブを検証していく限り。
あらゆるデータを確認しても。
今まで知られている既存の方法では。
どうやっても無を突破出来ない。
さて、どうする。
アルメイダは静かに黙りこくっていて。
何もしていないように見えるが。
複数のウィンドウを周囲に展開して。
それとずっとにらめっこをしている。
という事は。
何かしら、考えている、という事なのだろう。ならば、それでいい。
他のメンバーは。
どうやらデータを整理するのと。今まで起きた現象の中でも、珍しいもののデータをまとめて、アーカイブを彷徨っている様子だ。
それもまたいい。
ひょっとして、珍しい現象などの影に、無に通じる何かがあるかも知れないからだ。
私としては、まず分からない、出来ない、という事を発見できればそれで良いとも考えているし。
その先に、分かる、出来るがあるとも思っている。
故に、今やっていることは無駄では無い。
研究を進めていく上で。
どうしても絶対に必要な事なのだ。
不意にアルメイダが顔を上げる。
そして、此方を見た。
「見て欲しいものがある」
「何かね」
「此方だ」
相変わらず一切敬意を払わないしゃべり方をするが、私はもう気にしない。実際に見に行くと。
なにやら、複数のデータが展開されている。
宇宙の一番外側。
光速で膨張し続けている部分。
実験に使っている宇宙でも、それは同じ。
中身はスカスカで。
生物は殆どいないけれど。
それでも、光速で拡がっている、という事には変わりない、一番外。ただし、その外に出る方法が無い。
「妙だと思わないか」
「何がだね」
「この辺りのデータだ」
「……ふむ」
そういえば。
宇宙の最辺縁においては、なにやら妙な現象が発生している。光速で拡大を続けている割りには、である。
多分、無には一番近い場所ではある筈だ。
だから、この妙な現象。
空間の揺らぎそのものを、調べて見るのも面白いかも知れない。
空間の相転移自体は、今までの宇宙でも何度か起きたことが確認されているけれど。それによって宇宙は別に滅んだりはしてないし、無へのアクセスが可能にもなっていない。
ならば、この空間の揺らぎそのものに。
起こしている何かがあると考えるのが、早いのではあるまいか。
例え、現象そのものが解明されていて。
どうすれば起こるか、わかりきっていても、である。
「好きに研究してくれ。 何か結果が出たら、教えてくれ」
「分かった。 空間に干渉は好きかってしても良いよな」
「どうぞ」
私としても、自分の研究を進めたい。
何かを見落としている可能性が無いか。
それによって、無にアクセス出来ているにもかかわらず。それに気づけていないだけではないのか。
それを考えてしまうのは。
やはり私が科学者だからで。
存在しない事を発見する、という事に。大きな意義を見いだしているからなのだろう。
難儀な生き物だ。
科学者という奴は。
我ながら苦笑しながらも、少し楽しい。
結局の所、私は科学者。
どうしても解明できそうに無い部分を解き明かすべく、全力を注いでいく。それは科学者としては、夢のような時間に、違いないのだから。
相手が絶対最強の壁として、立ちはだかっているとしても。
3、手がかり
研究開始から、体感時間で随分時間が過ぎた。
中枢管理システムは、何も言ってはこない。今の時点で、此処から人手を割くような状況ではないのだろう。
それはつまり、宇宙が安定しているという事で。
大変素晴らしい事でもある。
私の生きた時代に存在した神話では、神々が争って、その度に世界は滅茶苦茶にされていた。
ある意味、神話は正しい史実を伝えていたのだとも言える。
ビッグバン前までの宇宙では、神々の争いによって、宇宙はズタズタのメタメタになっていたのだから。
色々と調べていくが。
それでも、分からない事だらけだ。
そして、分からない事ばかりが増えていく。
まずやはり、四つの力によって、空間の壁を抜くのは無理だと判断して良いだろう。物質や、更に細分化した素粒子などに関しても、それは同じだ。
「しかしな……」
問題はその先だ。
どうやって壁を破る。
アルメイダはずっと静かにしているので、他のメンバーは大変に嬉しそうである。最初の頃の激発を繰り返していた天才とのぶつかり合いは、誰もが良い気分では無かっただろうから、まあ無理も無い。
私はというと。
既存の研究を洗い直しながら、様々な特殊条件下を擬似的に作って、実験データをとっている。
普通ではあり得ないような天体現象や。
他にも条件が整わないと起こらないような出来事も。
まとめて起こして。
それらのデータを取得する。
生命の無い宇宙だ。
何をやっても問題は無い。
宇宙を壊しさえしなければ。
誰にも文句を言われる筋合いは無い。
これがまた、大きい。
例えば、超圧縮したブラックホールを作る。これの内部に観測装置を仕掛け、周辺の状況を調べる。
他には類が無いほどの圧縮率を誇るブラックホールだ。
今までに無い、というデータだけでも。
意味がある。
だが、凄まじい圧縮率を誇るブラックホールを作っても。
空間も時間も歪むことがあるだけで。
穴が開くことは無い。
それはさながら、人間がプールでどれだけ激しくもがいても。水そのものはあるのと同じような感じだ。
アルメイダが、最初に提案した。
宇宙が崩壊するようなエネルギーをいきなり出現させる、というのは。
解法としては、間違っていないのだろう。
だが、それは他を全て試してからだ。
昔。
生きていた頃の私だったら。
アルメイダと同じ方法を、何らためらいなく試していたかも知れない。
そう考えてみると、私も年を取ったのだなと、苦笑する。分別がついた、という意味ではそれは良い事なのだろうけれど。
若い頃の無謀さは。
流石に今の私からは失われている。
あの世に来てから、随分と時間を過ごしたし。
それは仕方が無いのだろう。
「ちょっといいか」
久しぶりに。
体感時間で言うと、恐らく二十万年ぶりくらいに、アルメイダが口を開いた。
他のメンバーは、相変わらず無言でデータと格闘している。
私が腰を上げ、アルメイダの仕事を見に行くと。
妙なことをしていた。
意図的に空間の揺らぎを作り出し。
それを敢えて更に壊しているのだ。
宇宙の最辺縁でそれをやって。
状況を見ているのである。
「興味深いデータはとれそうかね」
「いんや」
「この程度の事は神々もしている、か」
「その通りだ。 悔しいが、神々の出力は伊達じゃない。 こんな程度の事くらいは、既に試されている」
ならば、何故やったのかというと。
まずこの宇宙が、殆ど星も何も無い、失敗作の空っぽ宇宙、だということ。
つまり、空間そのものが、星や生命に満ちている宇宙とは、違っている可能性が高い、と言うのが一つ。
そして、今までの実験に穴が無いかの検証。
これが二つ目だ。
この二つを重ね合わせてみるに。
アルメイダはある一つの結論を出していた。
「なあ、あんたに回されてるリソース、コッチにくれないか」
「何をするつもりかね」
「アーカイブを見る限り、今私がやっているのと同規模の空間不安定化実験を、四回前のビッグバン世界で、ある神がやっている。 そいつはもう戦いに敗れて消滅しているんだが、どうも別の世界への侵攻を野心として持っていたようだな」
「それで?」
そいつのデータを再現は出来た。
更に上を目指すという。
神々が、宇宙の壁を壊そうとして、強烈な破壊を行った。その上を行く出力。
今確かに私には相応のリソースが回されているが。
それをアルメイダの方に貸しても、確かに足りるかどうか。
まあ、貸してやるだけなら良いだろう。
此方としても、実験のデータの精査に、時間が掛かるのだ。
「他の奴のリソースも欲しい」
「自分から頼みに行ったらどうかね」
「俺の言う事なんて、誰も聞くわけ無いだろ」
「……」
腕組みして、少し困ってしまった。
少し悩んだ後、言う。
「ならば、わしに言うべき事があるのでは無いのかな」
「なんだよ」
「お願いします、だ。 君は、向こうでは世界最高の天才だったかも知れないが、それは実際には地球上、それも同世代だけの話。 しかもあの世では、君は決して天才でも特別な存在でも無い」
「くっだらねえ」
吐き捨てるアルメイダだが。
私は、表情を一切変えない。
結構私が怒っているのを察したのか。アルメイダは舌打ちして、視線をそらした。
「わしにもこのチームをまとめている鬼としての責務があるのでな。 これ以上好き勝手はさせられない。 君は責任を果たすべきだ」
「……分かった。 俺も、宇宙の壁を破るって研究に関しては、科学者として興味があるし、SEだの保守管理だのでこき使われ続けるのは嫌だ。 それに対人業務なんて怖気が走る。 此処で働くためには、仕方が無いな」
「そういう事だ。 皆」
手を叩いて、此方を見てもらう。
アルメイダは、少し息を吐いてから。
立ち上がり。
頭を下げた。
「聞いていただろう。 俺は敬語なんて使えないし、使うつもりもない。 だけれども、実際問題今は俺の力だけじゃどうにもならない。 俺は科学者だ。 科学者である以上、真理には触れたいし、解明されていない秘密はぶち抜いてやりたい。 だから、力を貸して欲しい。 お願いします」
アルメイダはそれっきり、何も言わない。
大きく嘆息すると。
他のメンバーは、リソースをアルメイダの研究に廻す事に同意した。
どうせ誰も、進展なんてしていないのだ。
それならば、実験方法を思いついた奴に作業を任せる方が、効率的なのは自明の理なのである。
わざわざ、私が説明しなくても。
それくらいは皆分かる。
此処は地球では無いし。
皆は物質生命体では無い。
精神生命体は、情報を吸収すればするほど能力が上がる。
だから上級鬼ばかり集まっているこの職場では。
ビジネスコミュニケーションをスキルに優先させたり。プライドを仕事に優先させる奴はいない。
アルメイダにしても、生前だったら頭なんか絶対に下げなかっただろう。
そういうものだ。
「すまん。 恩に着る」
アルメイダは、さっそく渡されたリソースを使って、一気に空間の揺らぎを加速化させる。
さて、どのようなデータが取れるか。
最悪の事態が起きても、その宇宙との接続を切ってしまえば良いだけなので、多少は気も楽だ。
私としても。
研究の進展には、興味もある。
他のメンバーは、適当な所で帰らせる。
私は、頃合いを見て。
アルメイダの所に行く。
「どうだね」
「今、良い所だ」
「適当な所で引き上げるように。 後、有事の際には自動で接続をシャットダウンするように、AIには指示を出しておくよ。 それと、中枢管理システムにも、実験の内容についてはレポートを上げてある」
「ああ、すまないな」
素直でよろしい。
私は頷くと。
一旦家に戻ることにした。
リラクゼーションプログラムを作って、眠ることにする。
夢も見た。
馬鹿な夢だ。
研究をしているところに、どやどやと兵士達が入ってきた。非常に殺気立っていて、私を見ると、誰かが何かを叫んだ。同じ言葉だったけれど、怒りに満ちすぎていて、良く聞き取れなかった。
丁度私はその時。
新しい研究のアイデアが生まれたところだった。
「出て行け! 此処は神聖なる科学の場だ! お前達のような蛮人が入って良い場所では無い!」
「なんだとこの爺!」
「てめーの作った変な機械のせいで、大勢の仲間が死んだ! この人殺し!」
「お前達に言われたくないわ、蛮人! 科学は使いようによってはどうにでも姿を変える、それだけだ! 人殺しはお前達だって同じだろうが!」
問答はそれで終わった。
激高した兵士が、私を斬り殺したのだ。
私が作った機械が戦争に使われ。
そして実際に多数の兵士を殺傷した。
それについては、死んだ後知った。
その後で言われた。
科学者としての発見、功績などに、貴方は並ならぬものがある。間違った理論を提唱もしたが、しかしそれはそれとして、貴方の功績は大きい。
転生するなら、良い環境を用意しよう。
鬼になるなら、歓迎しよう。
そうあの世で言われて。
私は少し悩んだ末に。
鬼になることを選んだ。
今はその判断を後悔していない。実際問題、私はこうして、また研究に戻ってくる事が出来たのだから。
目が覚める。
そして、身を起こした。
人間だった頃の姿を再びとることが出来るようになったのは、実は結構最近だったりする。
中堅の上位くらいになってから、ようやく出来るようになって。
そして嬉しいと思ったものだ。
自分が好きだったわけではない。
この姿で研究をするのに、馴染んでいたからである。
だから研究の仕事が来たときは嬉しかった。
タブレットに触って、状況を確認。
アルメイダは、状況の監視をAIに任せて帰宅した様子だ。かなり残業していたから、無理矢理中枢管理システムに帰らされたのかも知れない。
なお、状況を軽くチェック。
相当に激しく空間の揺らぎが刺激されていて。
これは過去の神の誰もがやったことのない規模だ。
アルメイダは、更にこの揺らぎを加速させるつもりらしい。
無に触れるには。
それくらいしなければ駄目だと言う判断なのだろう。
分からないでも無い。
実際問題、ブラックホールほどの空間歪曲でも。宇宙の壁に穴を開けることは出来ないのである。
平行世界に移動するのは、それこそ水に潜るようなもので。
空間そのものには手を加えなくてもいい。
空間スキップのちょっとした応用である。
いずれにしても、今はする事も無いか。
アーカイブを引っ張り出すと。
古代の料理の味を再現。
しばし、食事を擬似的に楽しむ。
サポートAIにも、色々な献立を考えさせてあるので。この疑似食事の時間は、一番楽しかったりする。
「懐かしい味じゃのう」
「物質世界では、既にレシピが失われています。 それに、もっと複雑で練られた味の料理も多いですが」
「いいんじゃよ。 この素朴さがわしにはあっておる」
「そうですか」
お袋の味というか、故郷の味というか。
そういうものだ。
休暇はまだ少しある。
少し休んで羽を伸ばしてから、外に出る。
地球の様子を見に行くと。
状況は改善したとは言え。
まだまだ予断は許さない状態のようだった。
何ら解決していない問題も数多い。
貧富の格差はだいぶ解消したが。
それはそれ。
世界の不安定さは。
地球人類という存在が。如何に未成熟な知的生命体かを示しているかのように、コールタールの泥沼を思わせる悲惨さだ。
私は一応歴史に名を残したが。
それも意味があったのだろうか。
アーカイブには、人類が積み重ねてきた無数の愚行が、情けも容赦も無く、しっかり記載されている。
希に己の恥を消そうとアーカイブにアクセスしようとする者もいるようだけれど。
神々にさえ出来ないのだ。
そのような事は出来ない。
そもそも監視AIが機械的に記録している出来事の数々だ。
消すもなにも。
これほど客観的で。確実な情報など、存在し得ないだろう。
ため息をつくと。
私は家に戻る。
少しまだ休み時間は残っている。
研究をしたい。
だけれど、休むのも義務。
上役が休まなければ、部下だって休めない。
それが、もどかしくてならなかった。
職場に出ると。
アルメイダが、激しく操作をしていた。ウィンドウを次々立ち上げ、組んだらしいマクロで操作を超高速化している。
どうやら、空間の揺らぎの超加速を行った結果。
今までに無いデータが出てきたようなのだ。
アルメイダが、データを無言で回してくる。
なるほど。
これは興味深い。
すぐにレポートを中枢管理システムに提出。
その結果、面白い返答がきた。
「空間の揺らぎが光速を越えた結果、空間の一部が、無と混じり合っている?」
「恐らくは。 単純な力では無くて、速さそのものが足りなかったのだと思われます」
「面白いデータですね。 更に情報を集めてください」
此処で、馬鹿なあり得ない、だとか。
そのような話は聞いたことも無いとか。
そういうことを言い出さないのが中枢管理システムの嬉しい所で、ありがたい所でもある。
何しろシステムなのだ。
この辺り、極めて柔軟である。
すぐに、全員でデータの検証に掛かる。
その結果、明らかに空間に、空間ではないものが混じり込んでいるのが分かった。これが、無なのかも知れない。
データを採取したいところだが。
無そのものは、データが支離滅裂。
明らかに空間だと分かるものは、データがしっかりしているのに。
無はどうやら、あらゆる意味でデータが安定しないようだった。
確かに、それも頷ける。
様々な宇宙があると推察されている。
例えばタキオン宇宙。
全ての物質が光速を越えている宇宙だ。
コレ一つをとっても、今我々がいる宇宙とは、何もかもが違うのに。そもそも宇宙の外に。宇宙の法則が適用できる筈も無い。
宇宙の中でさえ、こうなのである。
無が宇宙の外。
それこそ全ての理の外にある存在だとすれば。
どれだけデタラメなデータが出てきても、不思議では無いだろう。
どうしても、スペックは更に上級の鬼に劣るが。
流石は元天才の意地と言うべきか。
この辺りの発想力は。
生きていた頃の私にも似ている。
私も色々と思いついた事を実行に移して。それらから、自分で一番楽しみながら発明をしていたけれど。
此奴も、それを思い出させる。
鬼になって間が無いから、というのもあるだろう。
或いは。
天才だったから、というよりも。
若いから、出来た、なのかも知れない。
「現時点で、空間の揺らぎの加速は停止。 光速を超えているのだし、これ以上無と混ぜる必要はないだろう。 無そのもののデータを、可能な限りとるのだ」
「なんでだよ。 これからが面白いところだろ」
「危険性を考えるんだ。 今の時点では、無を観測できている。 しかも、まるで意味が分からないデータも出てきている。 チキンレースをするよりも、得られたデータを可能な限りまず蓄積しよう」
「そうだな。 確かにその通りかも知れない」
意外にも言うことを聞いた。
すぐにリソースのこれ以上の過剰供給を停止。
現時点で、光速を75%ほど上回っている空間の揺らぎの速度を、そのままで固定して。
今度は、空間と混じり合った無のデータを徹底的にとる。
なんというか。
無と呼ばれているが。
それは本当に、正しいのか。
まったく分からないとしか言えない。
データを見る限り、文字通り無茶苦茶なのだ。
とにかく、何かのバグでも起きているのでは無いかと思うほどに、データが錯綜している。
今までどんな無茶な状況下にある空間をも測定してきたけれど。
それともまるで次元違いのデータだ。
勘違いをしていたのかも知れない。
其処には、完全な「無」ではなく。
何か得体が知れない「有」が存在していて。
それが故に、神々でさえ突破を許されなかったのではあるまいか。それが、結論として出てくる。
どうしても、その結論は。
覆りそうに無い。
腕組みして、データの羅列を見る。
勿論それは、リアルタイムでレポート化して、中枢管理システムに届ける。中枢管理システムも、かなり喜んでいる様子だ。まさか、こんな方法で、無を実際に観測できるとは思わなかったから、だろう。
一瞬事にデータが変わる無だが。
意外にも、空間を向こうから侵食してくる様子は無い。
むしろ、空間が無を侵食していると言うべきか。
「一旦、空間の揺らぎ加速を停止。 通常通り、光速にまで戻せ」
「なんだよ、これからが面白いところなのに」
「ノウハウは分かった。 無意味な危険は避けるべきじゃろう」
「……ちっ。 いちいち正論言いやがって」
悪態をつくアルメイダだが。
それでも、分かってはいるのだろう。
私が言うことが、正しいという事は。
そして、正論を嫌う人間は物質世界には大勢いて。どうしてか正しくない言葉が好まれる傾向にあるが。
しかし、アルメイダは。
正論を、きちんと正論として受け止めることが出来ていた。
一旦空間の揺らぎの加速を停止。
無を侵食していた空間の揺らぎが、光速を下回ると。
無は検出されず。
通常のデータに戻った。
さて、時間的には、一時間程度でしかないが。
それでも膨大なデータをとることが出来た。
ただし、そのデータは文字通り支離滅裂。
これをどうすれば良いのかさえも、今の時点では正直な所、よく分からない。
溜息が零れる。
「この宇宙とルールが同じ平行世界や、他の惑星でさえ、異次元とも思える環境が拡がっているのに。 まさか無が此処まで異なるものだとは思いもしなかった」
「転生はこの世界でも行っていますが、もしも本当に異世界に転生なんてしたら、一瞬でも精神も肉体ももたないでしょうね」
「……そうだな」
ヒラノが言うので。
私も、そうだとは断言は出来ないけれど。
頷くほか無かった。
実際、このデータは異質すぎる。
この先に楽園があるとは。
とても思えなかった。
地球では、古き時代。
生命は海に生まれた。
今でも物質生命は、体内に海を持っていると言っても良いだろう。
それくらい、海というものから、生命は脱却できていないのだ。
そしてそれは。
この宇宙や、平行世界の宇宙に適応した。
現在の精神生命体も同じなのではないだろうか。
いや、精神生命体だけではない。
物理法則や。
他のありとあらゆる公式や定理も、である。
まるでそういったものが違う世界に移動したら、何もかもがおしまい。一瞬で体が耐えられない。
精神生命体でさえ。
それが、どうしても。
実際に初めて観測されたこの無を見る限り、思えてならないのである。
そして無は、此方を侵略してはこなかった。
無に対して侵略して。
データを取得したのだ。
それに関しても、確定的に明らかだった。
レポートを最終的にまとめて、私は提出して。一旦スタッフ全員に休暇を出して、帰らせる。
一応の成果が上がったのだ。
此処まで、である。
これ以上は、不必要な研究になるし。
何より中枢管理システムからも、それ以上の事をしろとは言われていない。
もしも、中枢管理システムが、無を掘り進んで別の宇宙に出られるようにしろ、と指示してくるなら、そうするほか無いが。
今の時点で、その命令も出ていないし。
何よりレポートを提出し終えた時点で、待機を命じられたのだ。
私としては従うしか無い。
結局、若い者は発想力で優位に立てるな。
家に着くと、私はそう思った。
羨ましいというか、なんというか。
結局私は、年老いてから死んだ。
それに対して、アルメイダはまだ若い頃。全盛期の時に命を落とした。
故になのだろう。
単純なスペックでは此方が遙かに上でも。
発想力、という点だけでは。
向こうの方が、光る部分があった、という事なのか。
あり得ない話ではない。
悔しいとは思わないが。
ただ、研究が出来たのは、嬉しかった。
いずれにしても、宇宙の寿命が来るまで、まだまだ当面時間がある。寿命が来る前に、或いは別の宇宙への穴を開ける作業が始まるかも知れないけれど。しかし、上手く行くのだろうか。
あんな支離滅裂なデータを安定させる自信はない。
中枢管理システムが、連絡を入れてくる。
休暇だが。
この話の間は、仕事としてカウントしてくれるので、嬉しい。
「休暇を消化し次第、まだチームを招集してください」
「分かりました。 今度はどうすればいいですか」
「研究のデータ解析を進めてください」
そうかそうか。
あの世でも、無の解析は今まで出来ていなかった。
どれだけ支離滅裂なデータが出てきたとしても。
それはあまりにも貴重な一歩だ。
故にだろう。
あの世の方でも、此方の研究チームが重要な存在だと、認めてくれたという事になる。それは、研究に価値が出てきたことを意味している。
良かった。
私は、どれだけぶりだろう。
報われた気がした。
本当に良かった。
研究は、いつも人のためになるとは限らなかった。
私の研究にしても、戦争に用いられて。せっかくのテクノロジーも、暴発的な感情によって踏みにじられ。
そして焼き払われて。
後世には残らなかった。
私の研究は。
結局、後世には殆ど伝わらなかったのだ。
あの世では、アーカイブから、私の研究の全てを見る事が出来る。だけれど、私は物質世界でこそ。
研究が生かされ。
文明の進展に、役立てて欲しかった。
今、私の研究は。
絶対不可侵のものとなった。
いや、私達の研究が、か。
それでもいい。研究の成果が灰燼に帰して。誰も知らない存在になってしまうより、どれだけマシだろう。
「ストレス値が下がっています」
サポートAIに指摘される。
それは良いことだ。
科学者として、あの世では冷や飯を食っていた私である。それが今回は、ついに認められたのだ。ストレスだって下がるのは、当然と言える。
大きく嘆息する。
だがそれは、絶望の嘆息では無かった。
「休暇が終わったら、あのでたらめなデータに、法則性を見つけなくてはな」
「……休息時は、仕事から思考を離しましょう」
「そうだったな」
苦笑いすると。
私は、一度思考を整理し治すため。
リラクゼーションプログラムを起動して。そして眠ることにした。
何も考えずに、今は眠って。
頭を冷やして。
そしてそれから。
あの無茶苦茶なデータを整理整頓する。或いは許可を得て。また空間の揺らぎの加速を行ってみるのも良いかもしれない。
揺らいでいる範囲が光速を超えているから、その部分だけでしか無を観測できなかったのだ。
もっと広い範囲で無を観測できれば。
或いは、さらなる発見と。
法則性の確認が出来るのかも知れないのだから。
4、研究は永遠に
中枢管理システムに喚び出された。
仕事を始める前に、である。
そして、私は。
名だたる神々が揃う円卓に、招かれたのだった。
流石に緊張する。
地球の神話に登場する神々が、名前だけ貸した上級鬼だと言う事は理解している。だから、実際にはそれよりも更に次元が違う存在である。
発音できなかったり。
そもそも聞き取ることも出来ない者も珍しくない。
文字通り、宇宙最高の力を持つ者達。
そして、あの世を管理する者。
それが神々だ。
中枢管理システムの端末、補助パーツと化している現在の神々だが。しかしながら、実際問題その実力は圧倒的。
今は世界第一の奴隷となる事が、世界のためになるし。
過去の宇宙での失敗を繰り返さないことが重要と彼らは考えているから、大人しくしているのであって。
もしも神々が暴れ出したら。
この宇宙は、今までの宇宙と同じように。
すぐに焦土と化してしまうだろう。
「面白い研究成果だな。 見せてもらったぞ」
破壊神スツルーツが言う。
子供の姿をした破壊神は、データの解析をするように、とだけ言って。それきり後は何も言わなかった。
ただ私の禿頭を見る為だけに喚び出したのか。
それとも何か理由があるのか。
他の神が、咳払い。
最上位にいる神は。
光そのものの姿をしていた。
「十二の宇宙を経て、ようやく世界は安定した。 だが、その安定も、いつ崩れるか分からない。 古き時代、我々は相争うことにより、淘汰の強さを得ようとした。 だがそれは失敗だった。 淘汰の圧力が強くなりすぎれば、これから新しく生まれ出る可能性さえ潰れてしまうことを、我々は失念していたのだ。 だからこそに、新しい宇宙では、世界を良くする方向で、ということで前回の宇宙の最後に決議をした」
そういう話は聞いている。
私も、伊達に上級鬼になっていない。
だが、実際に決議をした存在に聞かされると。
それはそれで、歴史の瞬間に立ち会っているかのような気分である。実際、彼らがその決断をしなければ。
今回も宇宙は。
焦土と化していたのだろうから。
「宇宙も、いつまで新しくビッグバンを起こして誕生し直すか分からぬ。 最悪の場合、無を抜けて新しい宇宙を見つけ出すか。 それとも無の中に新しいビッグバンを起こして、其処に適応するか、どちらかを選ばなければならなくなる。 故に今回の研究は、大きな意味を持った」
感謝する。
最高神が、そういった。
私は頭を下げる。
地球の神話に出てくる神ではない。
本当の意味での最高神が、謝辞を述べたのだ。
頭を下げるしかないだろう。
退出してからも。
しばらく心臓が高鳴っているようだった。
物質生命では無いのだから、そんな事は起きえないのだが。
それでも緊張した。
あそこにいる誰もが、その気になれば銀河くらい即殺で消し去れるほどの存在なのである。
銀河団だっていけるだろう。
ましてや破壊神スツルーツは、相当に気むずかしい存在だとも聞いている。何か機嫌を損ねなかったか、今でも不安だ。
神々の円卓を出て。
中枢管理システムから帰る。
家に着くと、疲れがどっと出た。
しばらく休む。
ぼんやりしていると。
サポートAIが告げてくる。
「しばらくは休むのがよろしいかと思われます」
「いや、そうもいかん。 疲れが取れたら、すぐに職場に戻る」
「働き過ぎではありませんか」
「いや、私は科学者だ。 そして科学者であるためには、研究が有用だと、神々に認めさせ続けなければならない」
科学者としての本能と言うよりも。
プライドの問題だ。
実際、今回はチームを率いて、成果を出すことが出来た。
今後も成果を出していかなければならない。
休息を取って、力を取り戻すと。
時間ぴったりに現場に出る。
皆、既に集まっていた。
皆に、神々の円卓に招かれたことを告げる。神々はどんな奴だったと、いつものように、遠慮無くアルメイダが聞いてくる。
私は、神々だった、とだけ答えた。
別にそれ以上でも以下でもない。
不敬でもなんでもなく。
ただ神々である、とだけしかいえない存在だ。
全能だの万能だのいうのは、都合良く最高の存在を作り出すために、産み出された言葉に過ぎない。
例えば、全能の神は、自分の言うことを聞かない存在を作り出せるのか。
作り出せないなら全能じゃない。
言うことを聞かせられないなら全能じゃ無い。
どちらにしても、全能というものはあり得ない。
最初から、言葉からして破綻しているのだ。
同じくして、全知という言葉も同じだろう。
何もかもを知っているという事は、これから起きる全ての可能性についても知っている、という事だ。
それは、文字通り無限大の情報を得ている事になり。
そもそもにして矛盾する。
だが、神々は。
全能に近く。
全知に近い。
それだけは確かだった。
故に神々というにふさわしい存在でもあるのだし。
その圧倒的な力は本物。
それこそ銀河や銀河団を消し去り。その気になれば宇宙そのものを焦土と化せるのも、また事実なのだから。
「神々ね。 いずれにしても、俺たちはその神々にも出来ない事を、なしえたというわけだ」
「それほど大した事ではないがな」
「だったら神も大した存在ではないのか」
「いや、それは違う」
あまりにも力が大きすぎれば。
小さな虫を握りつぶさずに、優しく生かしたまま捕まえることは出来ないだろう。
巨大な猛獣は。
凄まじい勢いで突進することは出来ても。
その巨体を一瞬にして停止させて。
致命的な破壊を防ぐ事は出来ない。
そういう事だ。
巨大な力を持つ者が、全てを出来ないとしても。それは別に恥でも何でもない。
かといって、神々は神々であるとしか言えないし。
それ以上の存在でもない。
貶めるべきでもなければ。必要以上に持ち上げる必要もない。
それだけだ。
「研究を続けるぞ」
手を叩いて、無駄な論議をストップ。
まずは。この支離滅裂なデータを完全解析する所から始めなければならないだろう。それで初めて研究は完成する。
無は観測できた。
だが、無を観測しただけでは、全ては終わりでは無い。
無を解き明かしてこそ。
ようやく研究は終わる。
その終わった研究を基にして。
新しい世界が開ける。
それが侵略につながるのか。
それとも新しい未来の礎になるのか。
私には残念ながら分からない。
生きているとき、私の研究は、全てが正しくは伝わらなかったし。全てが残る事も無かった。
私は殺気だった暴力によって無為に殺され。
そしてその発明も、殆ど残らなかった。
だが科学者である以上。
全てを解き明かしたい。
例え物質生命体がどれだけ愚かでも。
この世界の理に挑み続けたのは事実で。
そして今もその情熱は失っていないのだから。
さっそく、全員で無のデータを解析する。
これに一定のパターンを見つけ出すのはあまりにも難しい。それほどに、煩雑極まりないデータなのだ。
しかし、一定のパターンがなければ、それはそれでいい。
無には法則が無い。
それが分かれば、それで良いのだから。
全員が、それぞれ違う方向から解析を進めていく。
私も勿論、全力で解析を続ける。
簡単に結論に辿り着く事なんて、出来る訳も無い。
だけれども。
解析が出来ると言う事だけでも嬉しい。
「この部分はどうでしょう」
「いや、これは通常空間と混じり合った無で、通常空間のデータとして判断するべきでしょう」
皆が話し合いながら、少しずつ研究を進めている。
アルメイダも、何かを掴んだのか。
憑かれたかのように。
研究に没頭し続けていた。
これは負けてはいられないな。
私は自身にも気合いを入れ直すと。
科学者として。
研究者として。
無という。この世界でも、初めて観測された存在に、挑み始めたのだった。
(続)
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