時には起きる不具合の話
序、緊急事態
中級鬼になったばかりの私は。比較的安定した職場にいると思っていた。しかし、それは間違っていた。
いきなり、タブレットが最大限の警告音を発して、うとうとしているところを叩き起こされたのである。
不快感を覚えながら、タブレットを止めて。
情報を確認すると。
眠気がブッ飛んでいた。
中枢管理システムにて、大規模障害発生。
関係者は全員招集。
これは大事だ。
基本的に障害が発生しても、シフトは守られる。シフトが変更されるのは相当な大事件だし。
それでも、代わりの休みは出る。
関係者全員招集とは、ただ事では無い。
すぐに制服としての姿をとると。
家を出て、空間スキップ。
マスドライバを利用して、仕事場の一つへと、連続空間スキップして、到着していた。
基本的に鬼は互いの関係がドライで。
仕事以外で干渉することも無い。
シフトの関係上。
同じ仕事をしていても、顔を合わせない鬼も珍しくない。
そんな状況で。
私と同じ仕事をしている鬼達が、そろい踏みしている光景は、滅多に見られるものではないし。
ある意味驚かされる状況でもあった。
「えー、おほん。 早速状況を説明する」
この現場を統括している上級鬼。
今は鯰髭の、太ったおっさんの姿をしている上級鬼が。申し訳なさそうに咳払いした。この様子だと、中枢管理システムそのものに何かとんでも無い不具合が発生したと見て良いだろう。
タブレットに情報が来た。
そして、なるほどと思った。
どうやら、中枢管理システムの基幹システムである量子コンピュータの一機に、何かしらの巨大なバグが見つかったらしいのである。
すぐにその量子コンピュータは切り離されたが。
神々の調べによると、同様のバグが他の量子コンピュータにも存在している可能性があるという。
それを調べ上げ。
特定するのが仕事だ。
あの世の業務には、今のところ影響は無い。
ただし、中枢管理システムの出力は、調査している時には当然低下している訳で。
不測の事態が発生した場合、対処できなくなる可能性が生じる。
あの世のシステムは大丈夫だろうが。
物質世界で何か起きたとき。
手遅れになる可能性もある。
あくまで微少な可能性だが。
それでも無視はできない。
「すぐに対応をお願いします」
さっと皆が散る。
そして、量子コンピュータのバグについてのデータを確認。それに関連すると思われるプログラムを、片っ端から調べ始める。
タブレットによる支援があるとはいえ。
これは大変な作業だ。
しかも今、中枢管理システムの処理能力が落ちている事もあって、時間圧縮にも限界がある。
凄まじい勢いで仕事をしている上級鬼を横目に。
自分は自分のペースで作業をする。
鬼は長生きして情報を取り込むほど強くなるし性能も上がる。
上級鬼が出来るのは当然で。
自分たちは自分たちのやれる範囲で、やる事をするだけだ。
「関連エラー確認!」
誰かが声を上げると、すぐにそれが周囲に情報展開される。私もそれを見るけれど、なるほど。
少し見えた。
情報を展開し返す。
想定されるバグについてだ。
すぐに他の鬼達がそれを見て、反応。
バグの調査に乗り出す。
しばし黙々と皆が作業を進めていく中。
ついに一人が、挙手した。
「見つけました!」
それは、極めて巧妙に隠れていたバグで。
普通だったら不具合も起こさず。
極めて限定的な状況の時だけに発動し。
更にその時には、とんでも無い障害を引き起こす、という代物だった。
うんざりしてしまう。
コレを書いた奴に悪意は無いし。
これを確認したAIも取り切れないのは仕方が無い。
そういうレベルの。
あまりにも巧妙に隠れていたバグだ。
早速修正プログラムが作られ。その時点で半数の鬼が返される。シフトの組み直しは始まっているようだ。
修正プログラムを私は確認。
問題なしと、AIも判断した。
上級鬼が数人がかりで精査し。其方でも問題が無いと判断すると、量子コンピュータに入れ込み。
一旦隔離している問題の量子コンピュータで動作実験。
問題が無いことを確認した。
これでいい。
この時点で、殆どの鬼が帰宅させられ。
そして、他の量子コンピュータにもパッチが当てられた時点で、解散となった。
溜息が零れる。
久しぶりに疲れた。
そして、シフトの変更通知がタブレットに来る。少し、長めの休暇を貰えるようだった。
やっとか。
私は自分の肩を揉みながら、元の姿に戻る。
全力稼働していたので、すっかり忘れていた。
職場での私は、人間型になっているのだが。
本来の姿は、円錐形に触手がたくさん生えている、というものである。
この姿が一番しっくり来たので。
下っ端の頃から、ずっとこの姿で通している。
それにしても、あんなバグが残っているものなんだなと、少し驚いてしまった。巧妙で、何よりも余程のことがない限りはバグが発動しないから、今まで判明しなかったのだろうけれど。
悪意さえ感じる。
勿論今回の一件で、中枢管理システムは、更に監視の精度を上げるべくAIを改良するだろうけれど。
それに関与するのは私達だ。
それを思うとちょっとげんなりする。
しばしリラクゼーションプログラムを起動して、ゆっくりしていると。
いきなりタブレットが鳴った。
無言で取ると。
連絡の内容は、こうだった。
異動。
そうか、またか。
私はどうも大きな仕事の後、異動を受ける事が多い。仕事でミスをしているから、ではない。
それは職場で何度も確認しているし。
適性についても問題は無いと言われている。
つまり、どうしてかは分からないけれど。
私が配属転換されるのが決まる直前に、どうしてか大きめのトラブルに巻き込まれることが多いようなのだ。
何故かは知らない。
だが、そういうものだ。
一種のジンクスである。
そしてジンクスは、どうしてもつきまとう。
生前もそうだったし。
今もそう。
ジンクスには慣れているから。
今更、それでブチブチというつもりも無い。
転属先の仕事内容と、場所を確認。
今までは、680万光年離れた場所だったけれど。今度は1500万光年離れている。まあ、空間スキップとマスドライバを使えば一瞬だ。
あくびをしながら、仕事内容も確認する。
かなりヘビイである。
魂の海の管理。
それに直接関わる仕事だ。
魂の海から生まれ出る存在は。弱ければ物質生命に宿りに行くし。強ければ鬼になる。更に強い場合は、例外的にいきなり神として生まれ出てくる事もある。
いずれにしても、管理は必須。
現在は監視のためのAIが魂の海を飛び交っていて。
煉獄を移動する際に魂の海を利用している事もあって、救難信号なども受け付けているのだが。
あの世の最重要システムの一つだ。
それを任されたという意味は、私も承知している
勿論その全てを任されたわけでは無い。
私は所詮中堅。
それも中堅の中では、それほど力が強い方でもないのである。
それを考えると、今回は単純に経験を積ませるのが目的かも知れない。いずれにしても、相当に厳しい任務だ。
今まで経験した中でも、勿論一番厳しい。
細かく仕事を見ていくと。
私は、魂の海の上空から監視しているAIの制御関連を、調査し、ミスがあったら修正するのが仕事らしい。
相当に練り込まれているシステムの筈だが。
こういうものは、思いも寄らぬバグが隠れている事がある。
これは、ついさっきも思い知らされた事だ。
「やれやれ……」
ぼやいてしまう。
今回も、ジンクスは発動するのだろうか。
そしてジンクスが発動した場合。
相手が魂の海の監視AIとなると、洒落にならない事態になる可能性が高い。一瞬だけ、異動を断ろうかと思ったが。
ジンクスがある、何て理由では、受け付けてくれないだろう。
勿論きちんと説明すれば、話は聞いてくれる。
だが、あの世は人手不足だ。
そして鬼は幾らいても足りないし、大事にもされる。
物質世界で、こき使われて、消耗品にされていたのとは違う。あの世では、きちんとまともに扱ってくれている。
だから恩義もあるし。
あまり断ることは視野に入れたくなかった。
少しだけ悩んでから。
受ける事にする。
アーカイブから情報を引っ張り出すと、次の仕事について調べる。必要な情報は先に落としておく。
そして情報を体に馴染ませている間に。
リラクゼーションプログラムの内容を変更。
学習時は、少し寒いくらいの環境を作る。
勿論本当に寒い訳では無くて。
寒く感じるようにしているのだ。
リラクゼーションプログラムは、物質生命だった頃の感覚を持っている鬼に、こういった昔の感覚を提供する事が出来る。
味覚や嗅覚もそう。
中にはとてもマニアックな要求をする鬼もいるらしいが。
基本的にあの世の生命体である鬼は、快楽には非常にタンパクで、欲求も希薄である。
だから、リラクゼーションプログラムは、むしろリラックスや、効率向上のために用いられる。
元芸術家やら医者やらの鬼が。
これの改善に日夜取り組んでいるらしいけれど。
私は大変だなあとは思うが。
それ以上は何も考えない。
私も似たような仕事をしていて。
彼らと同じように、苦労をしているからだ。
同じような立場から、同情をしても、あまり意味はないと思えるのである。私には、だが。
しばし休んでから、職場を見に行く。
前の職場への手続きは、AIが全て済ませてくれていた。
この辺りは、流石にサポートAIだ。
何しろ鬼に接する機会があまりにも多いから、徹底的に錬磨されている。ただし、これもたまにバグは出すのだろう。
私は経験したことは無いが。
一旦家を出ると。
職場に空間スキップして到着。
なお、見学は。
仕事としてカウントして貰える。
新しい仕事場は、巨大な雲の塊に見えた。
雷雲がきらめいているその中では。
上下左右に好き勝手な方向を向いた鬼達が、それぞれのタブレットを操作して、仕事をしている。
恐らく何処かに管理している量子コンピュータがあるのだろうけれど。
それは鬼の目には、直接触れないようにしているのだろう。
見学をしに来たと言うと。巨大なヤモリそのものの姿をした上級鬼は、驚いたようだった。
「休んでいればいいのに、わざわざ見学に来る鬼はめずらしいな」
「性分ですので」
「案内はAIがやってくれるから、従ってくれ。 此方も仕事の手を休めるわけにはいかないんだよ。 すまないな」
「いえ、承知しております」
すぐにサポートAIが来る。
ちなみに、私のために用意されているものらしい。
案内をしてくれるが。
職場の内容そのものはあまり変わりが無い。
監視システムは基本的に常時稼働だが。
監視そのものは別チームが担当しているし。殆どはAIがやっているので、シフト交代制の仕事では無い。基本的に、誰もいなくなるときもある。
その代わり、問題が発生すると、休暇中でも呼び出しが容赦なく掛かる。
何しろ仕事の重要性が重要性だ。
この辺りは、当然と言えるだろうか。
幾つか見せてもらうが。
これならば、むしろ前の職場よりも、作業負担は小さめだろう。
はっきり言うと楽である。
ただし、障害発生の場合は、帰る事が出来なくなるかも知れない。勿論穴埋めの休暇は貰えるだろうし。
システムが相当に練られているだろうから、滅多に障害は起きないだろうが。
一通り見てから。
上役になる上級鬼に挨拶して、職場を離れる。
自宅まで数秒。
コレでも中堅鬼だ。
これくらいは朝飯前である。
さて、確認も終わった。
準備もしてある。
後は、貰ったちょっと長めの休暇を楽しむとするか。
せっかくだから、普段は出来ない事をするのも良い。
あの世には、鬼用の享楽施設の類は無いが。
その代わり、リラクゼーションプログラムで何でも出来る。
アーカイブを見れば。
あらゆる芸術も娯楽も思いのままだ。
それでも満足できなければ。
宇宙の何処にでも飛んでいって、観光でもすればいい。
私は生きていたときよりも。
鬼になった今の時間を、貴重だと感じていた。
ジンクスさえなければ。
本当に、ジンクスさえ無ければ。
最高なのだけれど。
1、つきまとうバグ
職場に配属されて。
上役と軽く話した後、すぐに仕事に入る。
私はもう、ジンクスとは長いつきあいだし。バグとも、である。
ジンクスについては、転属する直前に来るので、今のところはまったく心配していない。問題は別の事。
私に割り振られた仕事は。
バグ探しだ。
それも、監視AIが自動で発見できないような、巧妙に仕組まれている奴で。
こればかりは、京どころか、もっと凄まじい単位の行数、しかも立体的に組まれているコードを、確認していくしか無い。
それも目視で、だ。
勿論AIの技術は進歩しているが。
それでもどうしても取り切れないものは出てくる。
それを発見し。
次からはAIでも発見できるようにする。
私の仕事だ。
退屈極まりないし。何よりも恐ろしいほどに地味な仕事だ。当然明らかにおかしいコードがあっても、見逃してしまうケースもある。
何しろ、AIが見逃すほどなのだ。
だが私は。
今までに八度。
明らかに例外に属するバグを発見している。
ジンクスに見舞われたケースとは別に、だ。
恐らくその辺りの実績を見込まれて、この非常に重要な職場に配属されたのだろうけれど。
まあいい。
今回も、同じようにやっていくだけだ。
立体的に作られているコードを展開。
複数のウィンドウを開いて。
立体映像を動かしながら、相互関係を確認しつつ、情報を擬似的に構築。
別のウィンドウで、様々なデータをランダムに挿入して。
動きを見る。
普段では明らかに起きないような状況、データを挿入してみて。
動かすのがコツだ。
そうすると、バグがある場合。
どんなに練られたシステムでも。
どうしても妙な動きをする。
勿論そういった明らかにおかしな数値を弾く仕組みが作られているケースもあるのだけれど。
勿論それは、例外的におかしな数値を此方で作り出すのであって。
フィルタリングされないように、細心の注意を払う。
自分で持ち込んだツールも動かして、コードを確認する。
鬼のスペックだと、秒間1000万行程度の確認は可能だ。それも圧縮時間内での作業だから、実時間では更にそれより数桁処理速度が上がる。
仕事の様子を一度上役が見に来たが。
気にしない様子で、戻っていった。
問題ないと判断したのだろう。
今後もそうして欲しい。
今日分のノルマも達成。
一通り作業が終わったので、軽く前倒しで作業を進めておく。ブロック単位でコードが組まれているので、対応は楽だ。
量子コンピュータと言っても。
結局の所、コードによって動く機械。
それが物理的に作られていようが、霊的物質によって作られていようが。
同じ事だ。
しばし様子を見てから。
私は帰宅することにする。
本日分の作業成果を、レポートにして中枢管理システムに提出。タブレットを数操作で出来るのが嬉しい。
人間だった頃。
いわゆる神計算ソフト師が上司にいて。
無能なくせに威張り腐っていた上。
明らかにおかしな給金を貰っていた。
彼奴の事は、何か裏であったのだろうと思っているが。今更追求するつもりはないし。そもそも彼奴は死んだ後地獄に落ちたらしいので、ざまあみろである。ちなみに理由は、部下を過労死させたからだ。
生前はその過労死も、会社がもみ消したが。
あの世では、その手も通じなかった。
極限の苦痛を永遠とも思える体感時間の中で味合わされ続け。
あげく待っているのは無。
そう思うと。
流石に多少は気分も良い。
あんな奴は地獄に落ちるのが当然だったわけで。
あの世では、きちんと当然の処置を執ってくれたのだから。私があの世でせっせと真面目に働く理由の一つである。
レポートを、中枢管理システムが確認。
すぐに退勤の許可をくれた。
仕事内容についても、評価してくれた。
勿論バグを見逃している可能性はあるが。
高度に練られた監視AIが見逃しているバグなのだ。もし見逃していても、私が全責任を押しつけられるようなことも無いし。
何より私の実績を、中枢管理システムは評価してくれているようだ。
一応上司に引き継ぎをすると。
すぐに家に帰る。
仕事場では、壮年男性の姿を採っている私だけれど。
家に戻ると、元の姿になる。
そして、真っ先に。
リラクゼーションプログラムを走らせた。
休むときは、少し温かくする。
そうすることで、ぐっとやりやすくなるのだ。
そのまま、デスメタルを掛けさせる。
私の家は、地球の南極、それも海の底の、更に土の下にある。
その上流れている曲は、激しい音調のデスメタルとは言え。そもそも物質世界では聞こえる筈も無い、霊的波動によるものだ。
誰にも迷惑は掛けない。
迫力のサウンドで垂れ流されるデスメタル。
ちなみに誰も知らないようなマニアックなバンドの独自曲だけれども、私はこれが好きだ。
同じバンドの曲には、ろくなものがないのだけれど。
そんなダメバンドでも、傑作を一つだけでも作り出す事が出来た。
それで十分ではないのだろうかとも、私は思う。
なお、このバンドメンバーはとても仲が良く。
それぞれが真面目に仕事をしながら。
休日はデスメタルをするために集まり。
そしてガラガラのライブハウスで。
客が聞いてもいない曲を、嬉しそうに奏で続けていたそうだ。
しかも、それぞれが二十代の頃にバンドを結成。
最後の一人が死ぬまで、五十一年にわたってバンドを組み続け。最後の一人が死んで、バンドが自然消滅するまで。
定期的に、出来が悪い曲を流し続けていたという。
実力は、一度しか名曲を作れない程度のものだった。
それも五十年も真面目に取り組んで。
だけれども、その情熱は本物で。
音楽に対する愛情も、誰にも負けてはいなかった。
悲しい話だなと思う。
この曲も、そんな訳で、誰も知らない。
私が適当に調べていたら、偶然発掘したのだ。
その後SNSでこんな曲があったよと紹介したら、その良さにデスメタル愛好家の間でちょっとしたプチヒットが起きたらしい。
バグ探しを仕事でしている私は。
結局、こういう埋もれてしまった名曲をも掘り当ててしまった。
何だか私は、埋蔵金を探し出す才能があるのかも知れない。
なお、バンドのメンバーは全員が転生を選び、その後はめいめい勝手に生きているようだ。
今更今は何をしているかを追跡も出来ないし。
転生した以上別人だ。
転生後鬼になり、前世での記憶を取り込むような変わり種もいるそうだけれど。
それはあくまで例外。
もう、このバンドのメンバーが揃うことは無いし。
生演奏を聴くことも出来ない。
アーカイブの中では。
ガラガラのライブハウスの中で、激しい情熱を叩き付けている五人のバンドメンバー達の姿が映し出されている。
とても良いと思うけれど。
それで客が来るかは話が別。
そういうものだ。
芸術というものは。
作者が死んでから評価される作品なんて、それこそ珍しくも無い。このバンドの曲については、物質世界で今後も絶対に評価されること何て無いだろう。
曲が終わる。
他の曲はどれもダメなので。
もう一度巻き戻して、最初から同じ曲を聴くことにする。
やはり、何度聞いても良い曲だ。
デスメタル愛好家の間でも、評価は上々。
この曲だけ、メジャーバンドの名曲のようだという声もある。
ただし、この曲を作るとき。
このバンドメンバーが、精魂を特別に込めた、という事は無い様子だ。
他の曲と同じように。
精魂込めて。愛情注いで。熱情を叩き込んで。
そしていつもと同じように作ったらしい。
それで傑作が出来るのだから、色々と世の中は不思議なものである。
三セット目が終わった所で。
タイミング良くタブレットが鳴った。
まさか障害か。
見ると、それは当たっていたが。
ただし、私には関係のないものだった。
なんと、魂の海に関するシステムの一部で、システムトラブルが発生している。生まれ出た魂達が、渋滞しているらしい。
ボトルネックになっているのだ。
もう少し詳しく調べて見ると。
どうも魂がそれぞれ移動しようとするのを、阻害するバグが発生してしまっている様子だ。
誰かが手を加えたわけではない。
私がミスをしたわけでもないし。私が見た範囲のコードでもない。
量子コンピュータの部品の一部が。
経年劣化して、それが障害になっている様子だ。
こうなると、開発屋の私には仕事は無い。
保守担当が、保守屋を呼んで。
機械を交換するのを待つだけだ。
当然機械を動かしたまま、問題のパーツを取り替えられる仕組みになっている。その間、此方では何もしなくても良い。
作業もすぐに終了。
保守担当は少し面倒な休日出勤を命じられたようだが。
此方としては、何もしなくても大丈夫だった。
良かった、というべきか。
いずれにしても、迷子になった魂もいないし。
ボトルネックもすぐに解消された。
ただし、である。
なんと、極めて強力な神が久しぶりに魂の海から誕生したらしい。
美しい黒髪の、ゆったりしたローブを纏った、アジア系の女性に見える。
生きていた頃だったら、思わず見とれてしまう程に容姿が整っていて。女神と言うにふさわしい姿だった。
ただ、長身の割りに。
胸は恐ろしく寂しかったが。
あれでは、中枢管理システムが、すぐに迎えを寄越すだろう。
「あんな強力な神が魂の海から誕生するのはいつぶりだ」
「6億年ぶりです」
「はあ……」
感心して、声が出てしまった。
神そのものは魂の海から誕生する事が時々あると聞いているが。あれは相当に強い神だ。
だが、六億年前には、同格の神が誕生しているとも言う。
いずれにしてもあの世は人手不足。
すぐに子供みたいな姿をした神が姿を見せる。
アーカイブで調べて見ると、破壊神スツルーツ。
非常に気性が荒いことで有名な破壊神で。
中枢管理システムでも扱いに苦慮している好戦的な神だ。
まさか魂の海の上で戦いはじめないだろうなと思って見ていたけれど。流石にそれは無い様子だ。
「新しく生まれた神だな。 思い起こせる名はあるか」
「ホプリアヌスと申します」
「ではホプリアヌス。 すぐに来て欲しい。 貴様ほどの神がその場にいるだけで、魂の海に良くない影響が出るのでな」
「分かりました」
確かに気むずかしそうな子供だ。
スツルーツは鼻を鳴らすと。
穏やかそうな女神を連れて、すぐにその場を離れた。
同じ女性型だろうに。
どうしてああも違うか。
そういえば、私が人間だった頃生きていた地球では、神話での女神には荒々しい存在も珍しくなかったか。
有名なのはインドのカーリー。
アレなどは、戦闘意欲の塊のような、残虐性だけを濃縮した戦闘神だ。
神話には、基本的に上級鬼が名前だけを貸すが。
名前を貸したカーリーが、どうしてこんな事にと頭を抱えているという噂を聞いたこともある。
まあ、物質世界とあの世は違う。
それでいいか。
いずれにしても、ボトルネックも解消し。
誕生した女神も、無事に中枢管理システムにて回収された。
後は、私がする事はなにもない。
あくびをすると、休暇の続きを楽しむ。
もう一セット、例のデスメタルを聞く事にしよう。
同じバンドでも。
一生懸命奏でていても。
他の曲は本当に聞くに堪えないレベルで酷い。
しかしこの曲だけは。
誰もが認める、名曲だ。
何度聞いても飽きない。
そして、才能に恵まれない者達が、情熱と愛情を注いでも作れなかった傑作が、偶然生まれた事に。
聞いていて、哀しみも覚えるのだった。
次の仕事に出る。
職場に入ると、引き継ぎだけして、即座に自分の担当範囲のコードを確認開始。
複数のウィンドウを展開して、様子を見ていくが。
ふと気になる箇所を見つけた。
手を止めて、確認。
鬼の処理速度だと、人間とは桁外れの精度で確認が出来る。だから、一つのコードに注力すれば、それほど違和感を確信に変えるまで時間は掛からないのだけれど。
どうも時間が掛かる。
じっと一つのコードを見ている私に。
サポートAIが語りかけてくる。
「如何なさいました」
「気になる」
「問題は見受けられませんが」
「……此処を中心に、調べて見る」
ウィンドウを複数展開。
更にバグを調査する、自作のツールを走らせる。そのまましばらく様子を見るが、妙な結果が出ることは無い。
これはミスか。
そう思って、切り替えようとした瞬間。
アラートが出た。
異常反応。
バグだ。
すぐに調査開始。バグが出たケースを調べて見ると、なるほど。それこそ億分の一の確率で出るデータを入力したとき、誤動作を起こす。しかもそもそも、このコードにデータが流れ込んでくる事が希なのだ。
発覚しなかった訳である。
それも、非常に分かりづらい。
だまし絵か何かのようにしか思えないレベルで。
極めて巧妙に、コードの中に紛れ込んでいた。
勘は正しかったのだ。
すぐに上長に連絡。
巨大なヤモリの姿をした上級鬼は、レポートを見て、すぐにすっ飛んできた。
「こんな所にバグがあったのか」
「基本的に、このタイプのデータはまず出ません。 本当に今回は、運が良かった、という事です」
「パッチを作ってくれ」
「ただちに」
即座に対応を開始。
上長は、自分は自分で、中枢管理システムと、メンテナンスについての連絡を開始した。この辺り、物質世界と違う。
あの世では。
情報を食えば食うほど能力が上がる。
能力が上がると出世する。
そういう極めて単純かつ、合理的なシステムが確立されているのだ。だから人間だったときに散々遭遇した、無能上司というおぞましい存在には遭遇しない。
私は人間だったときも開発屋だったけれど。
無能上司が暴力で支配している職場にいたため。
バグがあっても、報告する気にさえなれなかった。
下手をすると私のせいにされかねなかったからである。
その職場は、その無能のせいで成果を上げられず。入ってくる新人は、みんなその無能のせいで成長も出来ず。
毎日頓珍漢な説教と怒号が、職場には響き渡り。
明らかにチンパンジーでも席に座らせていた方がましだった。
あの世では、ああいうのはいない。
それだけでも、私は。
随分気楽にやる事が出来る。
すぐに上長は戻ってきた。
「パッチの作成については、どれくらいかかりそうかね」
「テスト込みで、今回の就業時間中には終わります」
「分かった。 何人か支援を廻すから、すぐに対応してくれ。 AIによるチェックも忘れずにな」
「対応します」
勿論言われるまでも無い。
もし、このバグがそのまま残っていた場合。
いびつな形で魂の海から誕生してしまった魂が、そのまま素通りして、物質生命に宿る可能性があった。
もしその物質生命が知的生命体だった場合。
それこそ取り返しがつかない事態になっていた可能性も高かった。
明らかに不釣り合いな力を持たされた、幼児以下のメンタルの持ち主。チートを持たされて、周囲を陥れまくって自分を偉いと勘違いしているようなアホが、野放しにされるのと同じ状況が起きるところだった。
だが、もうバグは修正する。
そして、ログを見る限り、このバグを通過して、異常な状態の魂が、物質世界に解き放たれた形跡もない。
危ないところだった。
先にバグを見つけていなければ。
どれだけの恐怖が、物質世界に降臨していただろう。
自分を絶対正義と信じ。
それでいながらインチキだと分かっている力を振るって他者を平然と傷つける。
正にそれは、悪夢と狂気の権化だ。
物質世界に存在していてはいけないものであり。
その発生を未然に食い止められただけで、良かったとするべきなのだろう。
私は胸をなで下ろすと。
パッチを完成させる。
テストも充分に行って、問題の無いことは確認。
サポートAIも並行で数千兆通りの処理を実施。
テストの結果が問題ない事を確認した。
他の中堅鬼達からも、OKが出る。
というか。
他の中堅鬼の一人、つまり同僚が、呆れたように言う。
「良くコレを見つけましたね。 普通こんなの見つかりませんよ」
「どうも私は、埋もれているものを見つける才能があるらしく。 あの世でもそれは変わらないんですよ」
「はあ、なるほど……」
「開発屋としては正直死ぬまで三流だったんですが。 デバッガーとしては、こういう変なバグをたまに見つけられるんです」
実際埋もれているものを見つける才能が役立つのは、デバッグだけでは無いのだけれど。まあそこまでは敢えて言わない。
とりあえず、パッチは完了。
幸い、今回は関連している量子コンピュータの数が三千台ほどで、自動配布でパッチを当てることが出来る。
すぐに対応開始。
そして、パッチを当てた後も。
不具合は発生しなかった。
「よし。 今回の件は見事だった。 此方から、休暇の追加を申請しておくよ」
上長も満足したようで。
そんな風に。
労働に対する適正な対価を示してくれた。
2、埋もれるものの光
この間のバグ発見で、少し職場での空気が良くなった。基本的に鬼は互いに距離をおくものだし。それについてはこの職場でも代わりは無いのだけれど。
何処かで噂になっていたらしい。
私のジンクスについてだ。
私は元々、生前でもこのジンクスに振り回されてきた。
死神、なんて呼ばれたこともあったし。
会社の方でも、私のせいに違いないと決めつけたあげくに、減俸処分までしてきた事があった。
後で別人の仕業で。
私は何ら関係無いことがはっきりしたけれど。
それでも会社は謝罪などせず。
減俸を撤回もしなかった。
それがきっかけで私は労基に駆け込んだが。会社が労基に金を握らせでもしていたのか相手にされず。
そればかりか私が全面的に悪い事にされ。
ついでに駅から突き落とされて死んだ。
なお、死後分かったが。
会社は警察のキャリアにもつながりがあったため。
私の死は自殺で処理された。
労基も、金を握らせて、黙らせていたことがはっきりした。
私が転生を拒んだのはそれが理由。
鬼になって。
最初は開発の仕事をするときに、恐怖さえ感じた。トラウマは、鬼になってからも消えなかったからだ。
だけれども。
仕事をして、ジンクスがまた発動しても。
悪くは扱われなかった。
此処は違う。
それが理解出来た今は。
多少は気分も楽だ。
それにあの部長は、今地獄の結構深い所で罪を生絞りされている。私以外にも何人か死に陥れていたようで、当然と言えば当然だ。
本人は非常に滑稽なほどに、地獄で自分は正義だ間違っていないとわめき散らしていたようだが。
そんなのは、罪を生絞りされて、その先には無しか待っていない今となっては。
虚しい犬の遠吠えである。
アーカイブを調べていると。
またなんか珍しいものを見つけた。
売れない小説家だった人の。
ただ一つの傑作。
短編なのだけれど。これがまた、非常に面白い。他の作品とは比べものにならない。
だがこの小説家は、生涯赤貧で過ごしたし。
何よりも他の作品があまりにもつまらない。
小説に対して真摯に向き合い。
創作を誰よりも愛していた人なのに。
才能には恵まれなかったのだ。
そして才能には恵まれなかった人が、適当に書いた作品が。一つだけ、傑作になったのである。
また皮肉な話だ。
物書きになるには、最低でも原稿用紙三万枚は書かないと話にならない、という言葉もある。
どの芸術もそうだが。
才能を開花させるには、相応の下積みが必要になってくる。
絵画だってそう。
我流だけで描けるのなら、美術学校など存在しない。
音楽もしかり。
適当にやって天才と呼ばれるのなら。
音楽学校など必要とされない。
才能を引き出すには下積みが必要。
だが、下積みしても。
才能を引き出せない人もいる。
これはとても悲しい話だ。
膨大なアーカイブには。その悲劇が、あまりにも、あまりにもたくさん記録されている。
ぼんやりと、アーカイブを巡っていると。タブレットが鳴った。
休日呼び出しか。
見ると、呼び出しまでは掛かっていない。
だが、また大規模障害だ。
大規模障害と言っても、基本的にあの世のシステムはブロック化されているし。時間圧縮という大技もある。更に神々まで支援しているため、例え全ての量子コンピュータに障害が出ても。
実の所、システムは維持できる。
だが、これは腰を上げなければならないだろう。
何しろ、今私がいる部署のシステムが、障害を起こしているのだから。
連絡を入れる。
「呼び出しは掛かっていないようですが、出勤しましょうか」
「いや、今の時点では問題ない。 現在問題がある箇所を特定作業中だ」
「分かりました」
「仕事に熱心なのは結構だが、休むのも仕事の一つだ。 物質世界ではそれが理解されていなかったようだが、あの世では違う。 今は君を休ませることが、私の仕事であり君の仕事なのだと言う事を忘れないようにな」
ちょっと感動した。
あの上司、それほど聖人的な存在では無いと思うけれど。それでもこういう所は凄くしっかりしている。
それでは、職場の同僚を信用して。
私は休んで、英気を養うとするか。
しばしして。
時間を強力に圧縮する措置が、私の職場に掛かったことが、アーカイブに記載された。なるほど、どうやら本気で対応に取りかかったらしい。
私はさっきの小説家の作品を一通り見る。
小説家は、売れないと食えない。
この売れない小説家にしても、本棚一冊分くらいの本は出しているのだが。それでも生涯赤貧だった。
その一方で、出版業界の人間は、アホみたいな給金を貰っている。
滑稽な事実である。
この小説家にしても、まともな編集がついていれば、あるいは一つだけの傑作を。複数に出来たかも知れないのに。
そう思うとやるせない。
しばしぼんやりしていると。
どうやら、障害が復旧したようだった。
あくびをしながら、結果を見る。
どうやらハードの故障だと判断したらしく。ハードの交換で、作業を終わらせているけれど。
はて、なんだろう。
妙な違和感がある。
今回の障害のログを検索。
ざっと見る限り。障害の内容は、世界に流れゆく新しい魂の監視をするものなのだけれど。
障害発覚が、明らかにおかしな人間が出たこと。
巨大すぎる魂が入り込んだ結果、文字通り持たせてはいけない人間に持たせてはいけない武器を持たせた状態になった。
異常すぎるスペックを幼児期から持ち。
本来持っていてはいけない力を振るい。
両親含む辺りの人間を手当たり次第に殺したあげく。
警官隊に射殺された。
どうやら、アーカイブの一部が魂に流入していたらしく。創作の能力が、擬似的に再現される、という事態が起きてしまったらしい。
死者の数は二百人を超え。
此奴はすぐにあの世に回収された。
勿論、発覚が今だ。
天才監視をしている奴は何をしたと思ったが。
考えてみれば天才ではないか。
ただ、八年も前にこんな事の種が撒かれ。
たった八年で青年程度にまで成長していた人間が、獣そのものの怪物と化して暴れ回ったという事実は。
あの世でも問題視されているようで。
さっそく中枢管理システムが、調査に乗り出している。
交換したハードについても、調査をしているようだが。
私は、どうもおかしいと思う。
すぐに中枢管理システムに連絡を入れる。
「ログの取り寄せをしたいのですが。 公開されているものではなく、更に詳細なものを、です」
「分かりました。 良いでしょう」
セキュリティの観点から見れば、という疑念はあるが。
中枢管理システムは、私を使うのは有用だという判断をしてくれたのかも知れない。あっさりログをくれた。
ログと言っても非常に膨大。
事故が起きた前後を見ると、確かにハードが異常動作をしている。具体的には量子コンピュータのメモリなのだけれど。
私は腕組みした。
やはり気に入らない。
どうもこれ。
ハードでは無くて、量子コンピュータを動かしているソフトの。それもOSレベルの問題。OSの中枢であるカーネルの不具合では無いかと思うのだ。
すぐにログの中から、カーネルの精査を始める。
エラーは出ているが、それはハードの障害に引きずられてから、のように確かに見える。専門家でもそう判断するだろう。
だが、本当か。
幾つか、関連のログを探ってみるが。
やがて、おかしなものを見つけた。
カーネルのログではないのだけれど。
別の所で、ハードのチェックをしていて。
其処で異常が出るべき所で、出ていないのだ。
出勤時間が来ていた。
今の作業を、仕事としてレポート申請。
後は職場でやる事にする。
職場に出てから、上司に一旦報告。上司はしばし考え込んだ後、今日のスケジュールを一瞥。
まあ後回しにしてもいいと判断したのだろう。
好きにするようにと、許可を貰った。
物わかりが良くて助かる。
物質世界の上司だったら、こうはいかなかっただろう。
すぐに本格的に、別方向からの調査を開始。もしもカーネルに不具合があるとすると。他の量子コンピュータでも障害になる可能性がある。
頭を掻く。
どれだけ優れた存在が作っても。
完璧はあり得ない。
ましてやあの世の中枢で動いている量子コンピュータと、そのOSともなると。途方もなく巨大なシステムで。メンテナンスをするだけでも、人間の処理能力では無理だ。五十億人IQ200の成人がいたとしても、その全員が老衰しするまで働いても、システムの一端さえメンテナンス出来ない。
つまりそれだけ複雑で。
どんな天才が作ろうが。
どうしてもバグは残るのだ。
それも、監視用のAI等の目をかいくぐる、タチが悪い奴が、である。
「……これ、おかしいな」
さっき見つけた、該当時間のハードの動きを示すログを、再確認。
やはり変な動きをしている。
ハードに障害はやはりない。
しかし、障害はハードの動きに連動している。
やはり。
幾つかの関連ログを、直接探りながら。
関連するOSのコードを見る。
複層に構築されているOSのコードは、それこそシナプスが絡み合っている人間の脳のような複雑さで。
潜って調べていくだけでも。
それこそ洒落にならない労力がいる。
調査している私は。
いつのまにか、気付いていた。
一カ所。
とんでもないものが混じり込んでいる。
「す、すみません!」
「どうした」
上司が、慌てて此方に来る。
ヤモリににていても、二足歩行だから、ちょっと滑稽だけれど。
今はそれどころじゃない。
上司に該当の。
カーネルの一部のコードを見せる。
上司も上級鬼。
しかもこの職場を任されているプロだ。
人間で言うなら、それこそ一文明の人口分の知能を並列接合しても、まるで追いつかないレベルの処理能力を持っている。
だからこそ。私が見つけたコードを見て、一瞬で真っ青になった。
即座に検証作業確認。
擬似的に同じ部分のコードを再現して。
テストデータを流す。
普通は問題ない。
だが、ある極めて限定された条件で。
とんでも無いバグが出た。
これでは、確かに。
明らかに異常な魂が、物質生命体に流れ込む訳である。それこそまず起こらないし、起こるはずもない条件だが。
魂の海からは、膨大な数の新しい魂が常に生まれ続け、宇宙にある彼方此方の文明に届いているのである。
あり得ない、は。
それこそあり得ない、のだ。
「こ、これは……」
「恐らく同OSのカーネルの全てをチェックする必要があるかと思います」
「……分かった。 すぐに手配する」
「……お願いします」
既に悲劇は起きてしまった。
地上で暴虐を振るった、いてはいけない存在は。速攻で地獄に落とされ、今は罪を生搾りされているが。
それも元はこのシステム不具合が原因だとすると浮かばれない。
暴虐を振るった奴を産み出したのも。
その犠牲者達も。
みんなこのバグに殺されたようなものだ。
勿論、オートマティック化することには非常に大きな意義がある。実際問題、目視で魂を確認なんてしていたら、どれだけ工数が掛かるか知れたものでは無いし。こういった超限定条件下で問題を発生させるバグの時だけ目こぼしをするシステムよりも。
多くの問題を引き起こすのは確実だ。
はあと、溜息が零れた。
そういえば。私も生前、溜息が原因で仕事を離れたことがあったか。
無茶苦茶な仕事で体を壊させておいて、脳みそが筋肉で出来ているような無茶な理屈で私の責任にされ。
ため息をついたら失礼だとか激高し。
全てが私の責任だとか言う異次元理論が飛び出し。
減俸までされた。
流石に私も我慢できなくなって仕事を離れたが。
嫌がらせは仕事を離れた後まで続いた。
あの社長、自分がこの世で一番正しいと信じていたようだが。
そういえばあの会社。
内部分裂や、離反者があまりにも多かった。
考えてみれば、あのような人間には、誰もついて行けないと思っていたのだろう。部下もイエスマンしかいなかったし。そいつらも揃いも揃って無能だった。
苦笑する。
そして、もう一度溜息が零れた。
その次の会社で、殺されたのを思い出したからだ。
中枢管理システムが判断。
今回は、十二万台に達する量子コンピュータに、カーネル修正パッチが当てられることになった。
あまりにもおぞましい数だが。
これくらいは仕方が無い。
それだけ中枢管理システムは巨大なシステムだし。
魂の海に関与していなくても。
このバグが、どんな悲劇を生み出すか分からないからである。
正体さえ知れてしまえば、パッチを作るのは問題ない。
実際私の指摘が入った後には、カーネルの専門家達がすぐに検証。パッチを構築し。そして配布を開始した。
彼らは全員上級鬼。
仕事の速さは流石だ。
勿論時間圧縮している、というのもあるのだけれど。
それにしても大したものである。
一通り作業が終わったと聞いたのは。
一度家に引き上げて、それから。
タブレットを通じて、中枢管理システムから連絡があったのだ。
「前からの実績を見る限り、貴方には普通発見し得ないバグを発見する才能があるようですね」
「はあ、まあ」
「もう少し力がついたら、更に上位の部署に来て貰うことを検討しています」
「ちょっと待ってください」
私はまだ中堅ですが。
そう言うと、中枢管理ステムは、力を伸ばして上級鬼に出来るだけ早くなって貰う、という。
そんな無茶な。
確かに鬼は情報を食えば食うほど強くなる。
物質生命と違って忘れると言う事は無いし。
得た情報を自分だけで独占することも無い。
昔、それを利用して。
人工的に強力な鬼を量産する計画があった、と聞いているが。鬼に大きな負担を掛けてしまい、堕天のきっかけを作ってしまったので、中止されたという。
つまり、無茶な情報摂取は。
あまり実力がある方でも無い鬼には、毒になる。
勿論私にもだ。
私には、確かに普通発見し得ないものを探し当てる才能があるかも知れないけれど。それでも上級鬼とは処理能力が違いすぎる。
今上級鬼で全員を固めているような職場に行っても。
明らかに足を引っ張るだけだ。
「力を伸ばすのを早めるとは、具体的にはどうするのです」
「中枢管理システムは貴方に期待しています。 仕事の量を増やします」
「待ってください、それでは負担が」
「時間圧縮を使います」
確かに、それならば体に負担を掛けずに済む。
自分だけ倍速で動くようなものだからだ。
だが、あの世において時間圧縮は、資源を用いて行う。
つまり罪である。
上級以上になると、実力で時間圧縮を出来るし。実を言うと中堅である私にも、実力である程度の時間圧縮は出来るけれど。
それはそれ。
今中枢管理システムが行っている時間圧縮は、わたしの実力を超えたレベルの代物、という事だ。
「わ、分かりました」
「それに、貴方には、出来るだけ多くのシステムをチェックして欲しいのです。 誰でも分かるようなバグは誰でも取れる。 しかし貴方が、名だたる上級鬼でさえ見逃したバグを見つけている。 今後、悲劇を起きる前に防ぐためにも。 貴方の力が必要です」
「分かりましたよ……はい」
通話を切る。
評価してくれたのは嬉しい。
正直とても嬉しい。
だけれど、向こうも此方を完全にロックオンして。徹底的に使うつもりになったのが、ちょっと苦しい。
私は恐らくこれから。
徹底的に。
絞り尽くされるようにして、その才能を使わされることだろう。
何だか、げんなりする。
私には確かにこれしか能がない。
だけれども、この仕事は。
勿論、あの世のシステムだから、きっちり休暇も用意してくれる。メンタルケアもしてくれる。
しかし、憂鬱なことに、代わりは無かった。
3、埋蔵金への手がかり
相手と話しているとき以外。
中枢管理システムにより支援が入った。
私だけが倍速で動いている。
それを周囲も察知したらしい。
基本的にシフトの仕事では無いから、引き上げる時間も私は他のメンバーとは違うようになりはじめた。
上司はそれを見て、何も言わない。
確かに職場に入ってから、立て続けに普通では見つからないバグを見つけているのだ。私も自分で驚いている程に。
むしろ、私の方を。
同情するようにして見ていた。
話すときだけ時間を同期する。
「それでは、引き上げます」
「ああ。 それでは頼むぞ」
「はい」
上司が遠い目で見送る。
私も、自分は遠い目をしているだろうなと思ったけれど。
もう何も言わない。
中枢管理システムの指示は絶対。
私には逆らうという選択肢は当然ない。
一通り作業を終えてから、自宅に。休憩も倍速。アーカイブの検索に関しても、倍速である。
この辺り、あの世の技術は流石だ。
ビッグバンを十度以上も乗り越えて培われているテクノロジーである。
それは物質文明がどれだけ背伸びしても、かなうはずが無い。
今日は、絵画を検索。
物質世界では、絵画に関しては、あらゆる全ての作者が判明しているわけでもなく。本場フランスなどでは、制作者不明の絵が美術館に大量に並んでいたりするのだけれども。あの世では、勿論その制作者が全て分かっている。
この辺りは、全てのデータを収集しているのだから当然だ。
まったく名前が知られず。
ろくな絵が売れなかった作者もいる。
だが、そういう作者に限って。
やはり、手を抜いたり適当に書いたりした作品が、傑作に仕上がったりしているのも不思議だ。
また一つ、これは素晴らしいという絵を見つける。
他はまるでダメだが。
一つだけ、傑作と断言して良い絵があった。
頷くと、私は。
自分で最近始めたSNSに、それの紹介をする。
どうやら私のSNSのページは人気があるらしく。
私が紹介した、「闇の中の光の一粒」は。
アーカイブにアクセスが殺到するそうだ。
ただ、鬼達は、私に声を掛けてはこない。
基本的に極めて鬼同士の関係は希薄だし、これについては仕方が無い、というのも事実だろう。
しばし、素晴らしい絵を堪能してから。
仕事の時間になった事を悟る。
職場に空間スキップ。
24時間稼働の職場では無いから、すっからかんのガラガラだが。
私にはあまり関係無い。
すぐにバグ探しを始める。
倍速で動きながら、調べていく。
とはいっても、私だって毎日毎日致命的なバグを見つけるわけでは無い。そもそも本職が、サポートAIの支援を受けながらコードを組み。勿論テストをばっちりやってから納入しているのである。
殆どが、枯れた、というレベルまで練り込まれたコードばかりで。
バグが見つかることの方が不思議なのだ。
だから私は重宝されている訳だけれど。
それにしても、本当に誰もいない職場で、一人黙々と仕事をしているのは、不思議な気分である。
如何に倍速で動いているとしても、だ。
しばし調査を続けるが。
今日は結局何も無し。
それでいい。
何も無いのを発見した。
それが私が見つけるべき事。
そして、私に取っても、周囲にとっても。
何も無い方が幸せなのだ。
仕事が終わる。
誰もいないときに来て。
誰も来ないうちに帰る。
ある意味非常に滑稽な光景だけれど。別に誰かがいて、それが助けになるかというと、それはノーだ。
勿論上司がいないときにバグを見つけた場合は。
中枢管理システムに連絡を入れる。
そして、中枢管理システムが必要と判断した場合。
上司なりなんなりが喚び出されて。
対応の支援に当たる。
ある意味、一番の被害者は上司かも知れない。私も、バグを見つけたとき、誰もいない場合、結構心苦しいものを感じる。
更に、である。
現在倍速で動いている私だけれど。
今度は二十倍速にするという話が出てきていて(流石に休憩時は等速にするつもりのようだが)。
それを聞いた上司が真顔になるのを見ていた。
特別扱いされてはいない。
実際問題、倍速でこき使われているのと同じなのだから。
報酬だって、働いた分しか貰っていない。
いうならば、特別にこき使われているわけで。
むしろ上司は私に同情しているのかも知れない。そう思うと、私も申し訳ないとしか言えない。
家に着く。
倍速解除。
しばしぐったりしてから、また埋もれた才能を探す。
今度は木彫りの職人でも探すか。
ざっと見ていくが。
これも一品ものが基本という事もあって、やはり相当に作品の出来にムラがある。有名な作品も多いが。
木彫りの場合、焼失事故に会いやすい。
ただ、あの世では、そうした焼失した作品も調べられる。
その辺りはとても嬉しい。
確認していくと、なるほど。やはり、焼失してしまった無名の作品の中には、面白いものが幾つもある。
ただ、それらは、前から熱心なマニアがいるものばかり。
むしろ、誰も知らない名作はないか。
黙々淡々と調べていると。
いつの間にか眠くなってきていた。
サポートAIが声を掛けてくる。
「休眠を」
「別に疲れてはいないが」
「いえ、時間加速と減速を急激に繰り返しているので、体に負担が出ているのだと思われます。 今の眠気の正体はそれです」
「それもそうか」
リラクゼーションプログラムを動かし、眠ることにする。
夢は見ないように設定。
どうせ生きていた頃の。
本当にろくでもない会社で。ろくでもなくこき使われていた頃の記憶しか蘇って来ないのだ。
あんなものは二度と見たくも無いし。
あんな人生をもう一度送るくらいなら、鬼として生きた方がマシだ。
ちなみに結婚はしたが。
妻は三年で出て行った。
理由は、「仕事にかまけていて、構ってくれない」だそうだ。
浮気をして子供まで作って出て行ったので。慰謝料は妻側の全額負担になったけれど。その裁判に出ている時間も、会社に嫌みを言われた。
どうせお前が悪いんだろう。
真顔でそういった社長の顔を殴らなかったのは、本当に我ながら良く堪えたと褒めてやりたい。
お前のせいでこうなったんだよ。
そう怒鳴ってやりたかった。
まあ社長のクズ野郎は今地獄だ。
別にどうでも良いので、考えるのも止める。
気がつくと。
私は、既に眠りに落ちていた。
なんだろう。
私は、結局の所。
物質世界でも。
あの世でも。
周囲に振り回され。そして、自分の意思とは関係ないところで。才能を浪費しているような気がする。
あの世では、きちんと私に配慮はしてくれる。その点では、物質世界より遙かにマシだ。これは客観的に見てもそうだと断言できる。
だけれども、それでも。
私は何だか。
自分が使われ倒して。このまま、朽ち果てるのでは無いのかと。そんな恐怖に、ずっと心臓を掴まれ続けていた。
目が覚める。
アラートが鳴っている。
タブレットからではない。
サポートAIがアラートを鳴らしているのだ。
「何があった」
「まずはお体を」
「!」
鏡に自分を映してみると。
異常は明らかだった。
幾つかの姿を使い分けている私だけれど。普段は円錐形に触手たくさん、という形状を取っている。
それが、どうしてか。
普段とったことも無い、巨大な眼球と、その周囲から生える触手という。何とも言えない姿になっているのだ。
こんな姿、とろうとした事は無いし。
意図的になってもいない。
どういうことだ。
不安感に手を揉む気分でいると。
サポートAIが、医療機関に手配してくれた。この辺りは、無数の鬼達を助けてきたサポートAIだ。
信頼と実績のシステムである。
すぐにタブレットから連絡が来る。
医者が出た。
石版にカニの足が生えているような姿をした、結構有名な医者だ。多くの鬼が世話になっていると聞く。
「不意に姿が変わったと」
「はい。 こんな姿、今までとったこともないのですが」
「どれ、チェックします」
鬼の家には、サポートAIと連動した、健康診断システムが搭載されている。これは義務として搭載されていて。家を作る際に、あの世の方で用意してくれる。引っ越しをする際にも、このシステムの搭載は最低条件として明記されているほどだ。
その健康診断装置からのデータを見て、医師は判断したのだろう。
すぐに結果を教えてくれた。
「無理矢理に上級鬼になろうとした反動ですな」
「それは、強制されたも同然で」
「データも見ているので分かっています。 中枢管理システムには此方から連絡を入れるので、少し長めの休暇を貰って羽を伸ばすと良いでしょう。 致命的な症状では無いですが、一応サポートAIに監視強化を命じておきます」
「……」
致命的では無い、か。
すぐに職場からも連絡が来る。
中枢管理システムに医師が通報して。
職場に連絡が行った、というわけだ。
上司は、タブレットに映ると、何とも微妙な表情を浮かべた。
「無理をしていたからな、仕方が無い」
「面目次第もありません」
「いや、そもそも無茶な倍速で動いて、他の鬼達より遙かに多くの仕事をこなしてくれたし、幾つもバグを発見してくれた。 長期休暇については此方も異存ない。 ゆっくり満喫してくれ」
「申し訳ありません」
頭を下げると。
中枢管理システムからも、連絡が来る。
今回の一件を見て、倍速行動の倍率を少し下げるという。まあそうしてくれると私はとてもとてもとても嬉しい。
しばし、ベッドでぐったりする。
そして、不思議な開放感を感じた。
起き上がると。
姿の変化を試してみる。
人型。
いわゆる制服の人型は、幾つか化身出来る。これは暇なときとかに、試して練習もしていたからだ。
それ以外の姿にもなってみる。
ちなみに、人間時代の姿には絶対にならない。
あの姿になるくらいなら。
死んだ方がマシだ。
思い出したくも無い。
幾つかの制服には普通になれる。
ならば、普段とっていた円錐形になってみようと思うけれど。これが、どうしてか上手く行かない。
あの姿だと、慣れているから動きやすかったのだけれど。
どうもダメだ。
しばし考えた後、動物はどうかと思って、試してみる。
そして、何回か試してみて。
安定した。
サソリだ。
どうしてか私は。
サソリの姿で安定した。
思いっきりリアルなサソリである。ただし、頭部がある部分に、人間の巨大な眼球がついているが。
別にタブレットの操作はサイコキネシスで行うから問題は無い。
手が鋏だろうがなんだろうが、実際に触れるわけではないのだから。
「タマハネ。 そのお姿でよろしいのですか」
「いいやもう」
「そうですか……」
「これで安定させる」
上級鬼になると、生前の姿を再現したり。
或いは元とは別の性別の姿になったりする者もいるらしいのだけれど。
私は人間の姿そのものになりたくなかった。
サソリはサソリで微妙だけれど。まあこれも良いだろう。上級鬼に無理矢理なろうとして掛かったはしかか何かとでも思えば良い。
体を本当に壊したわけでは無いし。
ましてや堕天の危機に落ちた訳でも無い。
だからこれでいい。
「なあ、聞いて良いか」
「なんなりと」
「無理矢理上級鬼になって、それで処理速度が向上する。 私は才能があるから、普通は見つからないバグも見つかって、不幸になる人も減る。 あの世の人もこの世の人もみんな助かる。 それで、間違っていないよな」
「間違っていません」
そうか。
私は、もう一つ。
大きなため息をついた。
サソリの姿についてはどうでもいい。
だけれど、いつの間にか。
私は生きていた頃と、同じ落とし穴に填まっていたのではないかと思ったのだ。
事実、私は物質世界でも、真面目に働いていた。
だが、物質世界の会社では。
スキルなんてものは評価の対象に入らなかった。
評価の基準は、どう媚を売るか。
それだけだった。
だから私は出世もしなかったし。
悲惨な死に方をした。
妻にも逃げられた。
最初は、妻も優しい頃があったのだ。だが私が真面目に働いても、それを喜ぶ事は一切なかった。
かといって、そうして生きていなければ。
今鬼になっていたかは疑わしい。
適当に転生させられたか。
煉獄に送られたか。
どっちにしても、ろくな扱いはされなかっただろう。
この姿は。
物質世界で私がたどった道と、同じ結末。
もう一度鏡を見た私は。
結論せざるを得なかった。
同じ落とし穴に填まった結果。このような姿になったという事は。結局の所、私が落ちるべくして落ちたと。
そう示しているとしか思えなかった。
中枢管理システムは、多少は手心を加えてくれるようにはなった。
実際私が、基本的な姿を喪失したと聞いたときには。負荷を掛けすぎたと判断したのだろう。
医者にも行った。
体に別状は無いけれど。ストレスが高まっているので、メンタルケアを行うべきだという助言を得て。
薬も貰って帰った。
仕事と仕事の合間には。
たっぷり休日は貰っている。
その代わり、仕事を行っているとき、私だけ数倍速で動いているのを見て、他の鬼達は何だか変だと思ってもいるようだった。
特別扱いしていると、思っている者もいるかも知れない。
上司は状況を知っていて。
時々話して廻っているようだけれど。
そもそも関係が希薄な鬼の職場だ。
余計な事をしなくても、別に私は困らない。
むしろ私を困らせるのは。
仕事に対して、自分が動きを止められない、という事だろうか。
サポートAIに指摘されるまで。
ずっとコードに張り付いていて。
いつの間にか、退勤時間を過ぎそうになっていたことが、何度もあった。
サソリに姿が変わってからはそれが更に顕著。
仕事に対する才覚は変わっていない。
実際サソリになってから、未然に二回。未発見のバグによる障害を防いでいる。何しろ桁外れに巨大なシステムなのだ。
こういうものは、どうしても潜んでしまう。
防げたのは良い事だ。
そう言い聞かせている内に。
やはり、ついつい働きすぎてしまう。
確かに力は増している。
それについては分かる。
他の数倍の速度で力が増しているのも理解出来る。
バックアップを受けて、強力に情報を吸収しているのだから当然だ。もう一つ便利なのは、一度吸収した情報は、いつでも取り出せること、だろうか。
今までのコードと比較して、おかしな場所も、即座に見つけられる。
他の鬼も同じ事が出来るはずなのだが。
しかしそれは、流石に完璧とまではいかないのだろう。
更には。どうしても才覚がものをいうのだろう。
私のようには発見できない者も多いし。
後から、他の者が見逃したミスを、私が発見することも多かった。
サソリになって。
それがあまり好ましくない事だと分かっていても。
どうしてか私は。
泳いでいないと溺死してしまうようなマグロのように。
ひたすら、動き続けて。
止めることが出来なかった。
4、中毒
晴れてと言うべきか。
当然と言うべきなのか。
上級鬼に私はなった。
膨大な量子コンピュータのコードを吸収し続けたのだ。それも、他の鬼の数倍速で、である。
当たり前だろう。
そして上級鬼になると同時に。
異動を命じられた。
中枢管理システムの指示により。
中枢管理システムの、更に中枢。
メインシステムの、調査とバグ取りを命じられたのである。
すぐに職場に赴任する。
此処のコードを組んだのは、上級の中でも更にトップクラスの鬼達だ。中には、神々が組んだものまである。
それらを見るのは少し緊張するが。
案内されて、職場を見ると。
実際には、それほど圧迫感のある職場ではなかった。
むしろ、私しかいない。
基本的に此処は、エラーとバグを発見するためだけの部屋。
設備は全て整っているが。
しかしながら、他の鬼はいない。
連れてきてくれた上級鬼は。私のサソリの背中をぽんと叩くと、言うのだった。ちなみに人間の形をしていた。
「何か問題があったら、即座に中枢管理システムそのものにレポートを上げてください」
「分かりました。 特に他の作業は必要ないのですね」
「貴方の作業の実績を見る限り、必要ありません。 今までの作業で、貴方がミスをした形跡は見受けられませんので」
「……分かりました」
其処は、虹色の光に囲まれた。
何だか冒涜的な雰囲気の部屋。
機材は全て揃っている。
タブレットだけではなく。
宇宙の中枢に触れる事に等しいコンソールも、幾つか触れるようにしてあった。
勿論私だってミスをする。
それは理解している。
そのためにサポートAIがいる。
一人だけの部屋。
私しかいない部署。
そして触るのは、最重要機密。
あの世を動かすとも言えるコード。
もっとも、私自身がコードを書き換える訳では無い。
私が見つけたバグを。
専門の鬼が書き換えるのだが。
早速、作業に取りかかる。
上級鬼になった事で、飛躍的に能力が向上した。複数のウィンドウを同時に立ち上げて、どれもこれもを並行で確認していくことが出来る。それも、無理なく。以前の数十倍の速度で、である。
だが、それでも。
巨大すぎるシステムだ。
今までに触っていた部分は末端に過ぎないし。
今作られているコードが。
どれもこれも、今までのとはレベルが違う技術で作られている事も、一目で分かった。流石に神々が組んだコードだ。
極限までオートマティック化され。
省力化を進め。
その結果。
今の安定した宇宙が訪れている。
圧倒的な実績が。
この中枢管理システムの完成度を物語っているが。それでもバグによって、障害が起きると、惨禍につながる。
私は、それを見つけるのだ。
そう考え始めると。
もう仕事の手が止まらなくなった。
サポートAIが、警告してくる。
「大幅に勤務時間を過ぎています」
「もう少し、切りが良いところまで進めたら帰る」
「具体的にはどの辺りですか」
「現在見ているモジュールの中身を確認したら」
推定で、後二十七分ほどだが。
サポートAIには、きつく言われた。此処のサポートAIは、今までの職場の奴とは違って。
鬼に対しても、強権発動が出来るようだった。
「それが終わり次第、即座に作業を終了してください。 それで本日の作業を終了すると判断し、休日の調整を行います」
「何だか高圧的だな」
「前任者は精神を病んで、現在通院中です。 貴方ほどの人材を失うわけには行かない、と中枢管理システムは判断しているのです」
「……」
まあ、確かに。
こんな仕事を一人で黙々とやっていたら、精神を病む奴は病む。
だけれども、私は結局の所、一人で仕事をした方が効率が良い。だから、余計な事を言わないで欲しい。
そう思って、あっと思った。
また落とし穴に填まりかけている。
だが、それでも。
作業は止められない。
モジュールを確認し終えて、作業完了。レポートを提出。
バグは無かったけれど。
何カ所か気になる点があったので、それを報告。もっとも、気にするほども無いほどに些細な内容だ。
中枢管理システムが、いちいち手を入れるかは分からないし。
私が中枢管理システムだったら、そのままにしておくかも知れない。
別にそれでも良い。
誰も困らないし。
何よりも、こんな些細な事に手を入れて。微細な能力向上を果たしたところで。それに掛ける工数が見合うかというと、微妙だからである。
サポートAIにせっつかれるようにして、家に戻る。
そして、腰が抜けるように、動けなくなった。
すぐに休めと、強めにAIに言われて。
ベッドに這い込む。
そして薬を飲むと。
しばし、リラクゼーションシステムで、無理矢理眠った。
夢を見ないようにセットしているはずなのに。
どうしても夢を見てしまう。
妻がひたすらに私を罵る夢だった。
貴方は人の情が無い。
仕事と家族とどちらが大事なの。
あの人は、私を大事にしてくれる。
だから貴方みたいなのは捨てる。
自業自得よ。
そう罵るだけ罵って。妻は愛人の所に走った。離婚届も、無理矢理提出させられたけれども。
私は慰謝料はそっち持ちだというと、妻は発狂したように喚き散らした。
その姿は。
プロポーズした頃の、優しい女の面影は欠片も無く。
般若か修羅のようだった。
弁護士が間に入らなければ。
愛人が私を刺しに来たかも知れない。
いや、実際。
私が殺される布石は。この時には整っていたのかも知れなかった。
慰謝料はぶんどった。
話によると。
妻と愛人はその後、すぐに別れたそうである。
話が違う。
あいつからふんだくれるはずだっただろう。
そう愛人が言い始め。
用済みになった妻を捨てたらしかった。
妻はその恨み事を、手紙にして投函してきた。全てあんたが悪い。あんたなんて死んでしまえ。
そう、カミソリが入った手紙には、書き込まれていた。
警察に届けようとも思ったけれど。
妻は実家に戻り。
そして其処で、完全に精神を病んで。
毎日辺りに怒鳴り散らしているらしいと聞いて。
もはや何もする気にはならなかった。
更に、である。
愛人とは、実は結婚する前から関係があって。
私にはATMとしての価値しか見いだしていなかったことも、後で分かった。最初から、金をふんだくるつもりだけだったのだ。
そして、貯金などを確認してみると。
相当量の金を使い込んでいたことも発覚した。
警察に通報して。
その翌日。
元妻は首をくくった。
周囲に対する一方的な悪意が、遺書には書き込まれていて。
誰でもやっていることなのに、なんで私だけが責められる。そう、怨念の籠もった文字が、遺書の上で踊っていたという。
元妻が使い込んでいた分は。
その両親が、頭を下げながら払いに来た。
既に頭もはげ上がった老夫婦が頭を下げる様子を見て。
私は何も言えなかった。
この老夫婦の教育が悪かったのは当然だろう。元妻が全面的に悪かったのもこれまた事実だ。
だが、社会情勢もそうだ。
子供にDQNネームをつけることを流行らせて、アクセサリー代わりにしたり。
夫をATMとして活用しようとか煽ったり。
そういった事をしている雑誌がボロボロある。
更に、男性差別主義者が、フェミニストを名乗る状況だ。
まともな人間の方がむしろ少なくて。
元妻のような人間の方が、平均的だとしたら。
狂っていた。
何もかもが。
むしろ誠実に頭を下げに来た元妻の両親や。私の方が異常者だと、認識されているのでは無いのか。
そう思えて仕方が無かった。
周囲が嘲笑う声が聞こえる。
彼奴はおかしい。
俺たちの方が正しい。
彼奴は狂っている。
俺たちの方が正常なんだよ。
首が伸びきった元妻も。けらけら笑いながら。私を死に追いやった会社の連中も。けたけた笑いながら。
それに加わっていた。
目が覚める。
体が動かせなかった。
脳が覚醒していても。体がそうではないという、ごく当たり前の現象。金縛りだ。鬼になっても掛かるとは知らなかった。
しばし、ゆっくり落ち着いて、体を動かしていく。
そして、ある一点で。
ちゃんと体が動いた。
サポートAIが警告してくる。
「ストレス値増大」
「だから夢は見たくないんだよ」
「すぐに医者に通報します」
「……勝手にしろ」
吐き捨てると、私は。
もうダメかも知れないと思った。
仕事には出る。
病院で、お薬を処方して貰った後。特別なリラクゼーションプログラムを組んでもらった。実績があるプログラムだという。
更に病気だと、名言もされた。
精神生命体は、精神的な出来事で、病気になる。
これは鬱病などと同じような、れっきとした「病気」である。
私の場合はこのまま悪化が続くと堕天につながりかねないもので。
非常に危険な状態だったと、医師は怒っていた。
夢は見たくない。
そう言うと。それについても、説明を受ける。
「夢は記憶の整理です。 普段から少しずつでも、悪い記憶を処理するようにしていかないと、リラクゼーションプログラムで悪夢を見ないように設定しても、いつかタイミングを見てどっと押し寄せてきます」
「それではどうすれば」
「まず貴方の中に溜まっている、物質世界での負の記憶を、整理していきます。 切除するわけにはいかないので、隔離する感じです」
具体的なノウハウは、サポートAIに提供するという。
こちらとしては、分かった、としか応えられない。
そして、家に戻った後。
薬を飲んで。
仕事に出た。
仕事そのものは楽しくない。
しかし、どうだったのだろう。
生きているときは。
結局の所、私にはコレしか無くて。
世界のためになる仕事になった今でも。
結局私に取っては唯一のよりどころ。
他に出来る事も無い。
そして、今日も、バグを発見した。
すぐにレポートを入れると、黙々と次の作業に入る。もう、私は。出来るだけ、誰にも関わり合いになりたくない。
医者には勿論行かなければならない。
だけれども。
医者で私が指示されたとおりに治療して。病気が治ったら、それまでだ。
この職場はたった一人だけ。
それでこの上なく心地よいことに。
今更ながら、気付いた。
今までは、他の鬼とは違う働き方をしていた。
だから一人だけで働いていても。それは何だか気分が悪かったし。周囲も私の事が気に入らなかっただろう。
だが此処は。
正真正銘一人だけで行う仕事。
私に取っては、如何に楽しくなくても。
此処こそが、王城楽土なのかも知れなかった。
溜息が出る。
そして、私は。
黙々と、作業の処理を進めた。
レポートを見た中枢管理システムで、会議が行われる。
何柱かの神と、上級の中でも特に力が強い鬼数名が出席する、大規模なものだ。
この間、ついに上級鬼になった、通称デバッグの達人。
そいつが、とんでもないバグを見つけてきたのである。
今の時点では、バグが動作して、不具合を起こした履歴は無いけれど。
対応はしなければならない。
面倒くさい事に、カーネルに噛んでいるバグで。
パッチ適応には、相応の手間暇と。
人員のサポートが必要になる。
「こんなバグを、良く見つけられたな……」
「中級の頃から話題になっていた存在です」
破壊神スツルーツに、上級鬼が応じる。
気むずかしい事で知られる破壊神は。円卓の最上位で、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
そして、周囲に指示。
「面倒だがやむを得まい。 これを放置しておくと、魂の海から魂を盗む奴が現れる可能性が出てくる」
「そうですね……」
そのバグとは。
魂の海を監視するシステムが、ある一定のタイミングだけ。それも、零コンマの後ろに十二ほど桁が続いた後の1秒。
一カ所。
それも数メートル四方だけ、監視に穴が出来る、というものだ。
悪意のある神がこれに気付いたら、魂の海から、魂を盗む可能性もある。
もっとも、魂の海の方でエラーが出るし。
如何に神々でも、そんな秒数で悪事を為すのは不可能。
ただ、消しておかなければならないバグである事は確かだ。
すぐにパッチ作成班を編制。
対応については、量子コンピュータを一度止めなければならないので。全てを同時には出来ず。順番に時間操作しながら、対応していく必要がある。面倒くさい事この上ないけれど。
仕方が無い。
それにしても、不思議な経歴だと、皆が見る。
この上級鬼。
元々開発業務に従事していたようなのだが。
とにかく、埋もれているバグを発見することに特化していたらしく。一方で、生前からまったく報われない人生を送っていたようだ。
鬼になってあの世に貢献してくれるのは嬉しい事だ。
こういう特化型の人材は、色々と使いどころも多い。
残念ながら。
物質世界では、彼を使いこなせなかったようだが。
それもまあ、物質文明の未熟さが故だ。
スツルーツが指示。
「大事に扱え。 今後もこの男は役に立つ」
「分かりました。 本人は精神的に不安定なところが多いので、厳重に注意して監視します」
「分かっているだろうが、あの世は鬼が足りていない。 こういう人材は、絶対に潰すなよ」
スツルーツが念を押した。
それで、会議が終わった。
中枢管理システムから、連絡が来る。
例の鬼が。
病院に搬送されたという。
状況は、あまり良くないそうだ。
物質世界での過去が、今でも彼にダメージを与えている。
幸いそれほど深刻な状況ではないようだが。
今後も色々と調整しながら、頑張って貰う事になるだろう。
会議が終わった途端にこれだ。
スツルーツが非常に不機嫌そうな顔をして。他の鬼達が戦慄するが。意外にも、スツルーツが一番に会議室を出て行った。
結局の所。
あの世でも、人材を使い切れない部分はある。
それは認めなければならないのかも知れない。
だが、改善は出来る。
少しずつでも改善して。
そして世界をよくしていく。
それが、この宇宙での、決まり事なのだ。
恐らくは、今後の宇宙でも。
(続)
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