私情は無用な異世界転生

 

序、全てを捨てて

 

私は鬼になった。

文字通りの意味だ。

あの世があるなんて、生きている間は思っていなかった。天国や地獄なんて、多分ないんだろうと思っていた。

人生は一度きり。

だからこそ、一生懸命生きなければならない。

それだからこそ、無償の奉仕は尊いし。自分以上に他人を尊重する事は、誰にでも出来ることではない。

だからそうしよう。

苦しんでいる人がいれば親身になって話を聞こう。

困っている人がいれば助けよう。

そう考え続けていた。

だけれども。

死んだ後、私は亡者となって。

見てしまった。

周囲の人間達が、私をずっと都合が良い道具扱いして。人間だとさえ思っていなかったことを。

何度も助けて。

友人だとも思っていた人は言った。

あの子、本当に都合が良かったのね。金は持ってるから、余裕があったんだろうけれど。ちょっと困ったフリすると、本当に何でもしてくれたんだからねえ。

醜く歪んでいるその子の顔は。

私が見た事もないほどにおぞましかった。

別の子は言う。

あの子から三百万くらい金借りてたんだけど、一度も返せって言われなかったんだよね。あの子頭弱かったから、多分覚えてさえいないんじゃないの。

そのお金は、本当に困って、頼る人がいないというから貸してあげたお金だ。勿論覚えていたよ。

でも、そんな風に思っていたのか。

しかも。その金は。

ギャンブルで使った借金を返すのに使ったという。

ウソだ。

両親が入院して、どうしてもお金が足りないと、泣きついてきたのを今だって覚えている。

それなのに。

あの子、良い子面して気に入らなかったんだよね。

聖人でも気取ってるつもりだったのかしら。

大した自己陶酔女だったな。

げらげら。

笑っている友人達。

私は、死んでから、初めて。

知った。

現実を。

救うべき価値など無い者がこの世にいると。無償の奉仕をしても。相手の困り事を解決しても。

相手を助けても。

相手は恩義など感じないし。

勿論何とも思わない。

むしろカモだとさえ考える。それが現実に生きている人間の姿なのだと。

その時だった。

迎えが来たのは。

ぼんやりと、自分の葬式を見ている私の所に、鬼と名乗る人が来て。あの世へと連れて行かれた。

そして、転生をするか、鬼になるかと聞かれた。

貴方は現世で善行を重ねた。

だから。良い条件で人間世界にまた転生出来るという。

しかし、かなりの功績を重ねた貴方には。

鬼となって、あの世から世界そのもののために働いていく選択肢もあると。

私は、即答した。

鬼になると。

もう、人間等と関わり合いになりたくない。

あの連中。

全員が、どす黒い瘴気を放っていた。

ただの一人だって。私が本気で助けなかった人はいない。私は誓って言うが、自己陶酔で人助けをしたのでは無い。

その人と向き合い。

困っていると判断したから、自分の出来る範囲で助けた。

それは人間の義務だとも思っていたし。

お金があるのなら、無い人間に分け与えるのは良い行いだとも思っていた。

それなのに。

何もかも、全てを裏切られた。

道徳という概念そのものを、周囲の人間全員が嘲笑っていた。

無償で誰かを救っても。

誰もがそれをあざ笑い。

カモと思うだけだった。

それを知ってしまった今。

もはや、人間という生物には、何一つ期待などする事は出来なかった。いっそのこと、私を評価してくれたあの世とやらで過ごしたい。

どうせそれも期待出来ないけれど。

あの本性を見せつけてくれた彼奴らのいる世界に、もう一度行くのだけは絶対に嫌だ。それが素直な気持ちだった。

この姿ももう嫌だ。

鬼になると、姿が変わると聞いたけれど。

私はもっとも人間から離れた姿になりたいと願った。

そして、この姿になった。

鏡に映して、私は満足する。

私は、無数のチューブが絡み合って。その中心に三百を超える複眼がある姿へと変わっていた。

これでいい。

人間なんて、二度と関わり合いにもなりたくない。

私の新しい姿は、人間とはかけ離れていて。

これ以上もないほど人間と違っていた。

何度も、素晴らしいと思った。

人間なんて信じた私が馬鹿だったのだ。これからは、この姿のまま生きていく事にしよう。

私はそう決めた。

「名前はどういたしますか」

「アンチヒューマンというのは」

「それは名前ではありませんでしょうし、何より復讐は禁止されていると言ったはずですが」

側で五月蠅いのは、つけられている監視用AIだ。

私が鬼になると決めてから、側にくっついている。非常に鬱陶しいけれど、あの世の仕組みを聞く限り納得だ。

ちなみに光の球の姿をしている。

だから自分の中では、少し五月蠅い蛍、くらいの扱いだ。

「生前の名前を名乗るのもよろしいですよ」

「いや」

「それでは、何かしら、ぴんときたものを選ばれると良いでしょう」

「……じゃあどうしようかな」

有名な破壊の神の名を上げたけれど。

そうすると、実在する神と被ってしまうので、何かしらの付け加えをして欲しいと言われた。

或いはスペルや発音を変えるか。

そうか、鬼になった時に聞かされたけれど。

神々が実在しているというのは本当なのか。

ただ、このAIの反応からして、恐れ多いというわけではなくて。実際に存在する偉い人、くらいの扱いなのだろう。

あの世とは不思議なところだ。

「それならば、シヴァガラーラで」

「分かりました。 それにて名前を登録します。 なお、名前は後から変更が可能ですので、その際は私に申請を。 処理は私がいたします」

「うん……」

そして、案内される。

新しい家だ。

最初見せられたのは、地球の軌道上に浮かぶ小さなデブリだったが、出来れば地球はみたくもないと言うと。

少し悩んだ末に、別の物件を紹介された。

木星の衛星の一つ。

イオである。

この星は、太陽系の星々の中では、火山活動が現在でも行われている比較的珍しい星で。そのためクレーターが表面に存在しない。常に流動する地面によって、クレーターが消えてしまうからである。

この溶岩流れる星の地下はどうだろう。

そう提案されると。

良い気分だ。

人間なら、こんな所には住めないだろう。

それならば、此処に住むのも悪くない。

地下空間には、幾つかの住居が準備されていて。

その一つに案内された。

ちなみにあの世では、労働がすなわち通貨になる。これから仕事をしながら、家の料金は払っていくことになるが。

どうせ時間を掛けてでも仕事はしなければならないので。

家の料金に困る事はほぼ無いそうだ。

また、鬼は精神生命体。

物質的な食糧などは一切必要としない。情報を得ることで強くなることはあるけれど、排泄したり、情報を得ないと弱くなる、という事もない。

仕事をすればするほど強くなる。

そういう生命体だそうだ。

それならば、此処でじっくり腰を据えて、やっていくのも良いだろう。

家の中で、娯楽の肝となるアーカイブの使い方を教わる。

家の中は非常に殺風景な空間だけれど。

自分好みにカスタマイズ出来る。

中には、人間時代に生きていた部屋を完全再現する物好きな鬼もいるとかいう話を聞くけれど。

私はそんな気分にはとてもなれない。

部屋の隅にあるアーカイブさえ、自由に形状をカスタマイズ可能と言う事で。私は敢えて、触手が絡まった毛玉みたいな形にした。

灯りも薄暗くする。

AIが、苦情を言った。

「本当に徹底していますね」

「まずは人間から離れたい」

「お気持ちは分かります。 体に悪影響はありませんが、精神生命体は取り込む情報や精神状態によってダイレクトなダメージを受けますし、それによって病気になったりもします。 体に悪影響があると判断した場合は、灯りの調整を此方でいたします」

「まあ好きにどうぞ」

昔は。

誰か困っている人がいれば、すぐに助けに行ったものだけれど。今は、知った事かと思う。

助けた人全員が、ああいう掌返しを行ってくれたのだ。

こちらとしても、もう二度と人助けなんてごめんだ。

それだけではない。

自分に対しても、非常に興味が薄くなっている。

他人を助けよう。

そういう意欲が。いや、妄執と言うべきなのか。

それが消えた途端。

自分に対する感情も、まるで希薄になった。

おかしなものだ。

他人に対する興味を一切合切失った結果。

自分に対してもそうなるのだから。

後は、幾つかの説明を受ける。空間スキップについても、すぐに使いこなせるようになったし。

遠いところに移動するために設置されているマスドライバに、必要な時は自動で空間スキップできるように、タブレットから調整して貰う。

この辺りは。

鬼になった時に説明を受けていたけれど。

AIと一緒に実際にやってみると。

それぞれ、かなり感触が違ってくるものだ。

いずれにしても、太陽系を一瞬で抜けるのは面白い。地球人の科学力では、まだカイパーベルトを抜ける事さえ出来ていないのに。

別の恒星系にも行ってみる。

二重星になっている恒星や。

ブラックホールも見に行った。

AIがいちいち解説してくれる。

他の星間文明も見に行く。

地球のように、出身惑星から出られない文明も存在しているけれど。その一方で、宇宙に進出して、色々と領土を拡げている惑星もあるという。

見ていると、色々と文明ごとに特色があって面白い。

こういう文明に生まれたかったなと一瞬思ったけれど。

AIが釘を刺してくる。

「どの文明にも矛盾が存在しています。 その矛盾は様々で、宇宙最大にまで成長した星間文明でも解消は出来ていません」

「……」

「理想郷など何処にもありませんよ。 基本的に知的生命体が作る文明は、矛盾との戦いを常に続けているといえましょう」

「分かったよもう」

鬱陶しい。

だけれど、それが正論だと、どこかですんなり分かる。

私は、他の人をとても大事に思って。

真摯に他の人と向き合うという事を続けてきたけれど。

多分どんな文明でも。

私のような人間は、周囲からカモにされて。嘲笑されながら、あの世に行くのだろう。

そう思うと、うんざりする。

続けて、あの世の中枢管理システムに案内された。

外から見ると、まるで万華鏡だ。

空間位相がずれた場所にある此処は。

宇宙最大の量子コンピューターを、信じられないくらいの数並行接続しているだけではなく。

無数の神々が同時に接続することによって。

巨大すぎる宇宙を管理している仕組みだ。

説明は鬼になった時に受けていたけれど。

実際に見学すると、その凄まじい規模に圧倒させられる。

内部に入って、見学をすると。

一瞬でも同じ光景は無い。

いろんな鬼達が行き交っている。

私がまだ見学だと言う事は、どの鬼達も一目で分かるようで。側に止まると、何か教える事がないか、聞いてくる。

人間だった頃は、私がそうしていたな。

そう思ったけれど。

私は、今は鬼だ。

鬼としては、普通のことなのだろう。

時々、軽く案内して貰って、話を聞く。

そして説明を受けながら。

なるほどと納得もした。

鬼はそれぞれの関係性が極めて希薄なのだ。要するに、他人を陥れなくても、充分にやっていけるのである。

他人から搾取し。

強奪し。

そうして悦に入る人間は。

要するに社会構造そのものに根本的な欠陥があって。そういう生物になっている、という事なのだろう。

理解は早いが。

だからこそに。

転生をしなくて良かった、とも思う。そして、この鬼が元人間だったとしたら。今はどう思っているのだろうと少しだけ興味が湧いた。

一通りの見学を終えてから。

家に戻る。

木星の衛星であるイオは、ぼんぼん噴火しているけれど。

精神生命体の私には関係無い。

そのまま家に入ると。

今度はAIが、学習プログラムを起動した。此処から、本格的に仕事をするための勉強を行うのだ。

そうすることによって、様々な専門職になり。

情報を吸収して。

鬼として強くなる。

最初は下っ端として、彼方此方でも文字通り下っ端としての作業を行う事になるのだけれど。

基本的に下っ端でいればいるほど。

仕事は楽で、責任も軽いそうだ。

逆に上級の鬼になってくると。

仕事は難しく、大変になり。

更に言えば、責任も重くなってくると言う。

これはなんというか。地球の物質文明とは逆だなと、私は軽く自嘲した。

向こうでは、重役は仕事も下に全て押しつけ。

利益だけは独占し。

なおかつ問題が起きたら、立場が下の人間を使って、トカゲの尻尾切りをしていた。人間だった頃は、それも色々と理由があるのだろうと思って悲しんでいたけれど。私の葬儀に集まったあのクズ共の会話を聞いた後では。

そんな優しい解釈は、とても出来ない。

仕事についても、適性ごとに分けられて。

福利厚生も充実している。

私はまず、最初に中枢管理システムの、末端部分の管理作業を任される事になっているらしい。

それについての技術的な情報を、一気に取り込む。

情報を取り込む、というのは面白いけれど。

精神生命体になってからは。

それがすっきり来る。

とにかく、情報を食べれば食べるほど強くなる。そして、一度取り込んだ情報は忘れることもない。

無駄が無くていいなと、私は満足し。

これから。鬼として送る生活の中で。

いつか人間に復讐する機会を見つけたい、と思うのだった。

 

1、外から見る社会

 

仕事を始める。

とにかく驚いたのは、職場が非常に静かである事。指示をタブレットで受けて。その通りに動くだけでいい。

作業も、取り込んだ情報通り。

精神生命体というのはあまり関係無く。

非常にシステムがオートマティック化されていて。

それこそタブレットをぽんぽんぽん、で作業を終えることが出来る。

これは凄いなと、感心した。

何しろ、無駄が無い。

レポートも時々作らなければならないのだけれど。そういえば私のいた時代は、神計算ソフト師等という揶揄があって。

表計算を行うためのソフトを、何故かワープロとして使用し。

そのワープロとして表計算ソフトを上手に使える人間が、異常な高給で迎えられていたりと。

よく分からない無駄がたくさんあった。

レポートに関しても、もうタブレット数動作で出来る。間違えようがない。

というか、間違えた場合は、すぐに指摘がAIから入る。

ケアレスミスも、サポートする体制が整っているのだ。

凄いなと思いながら、黙々淡々と働く。

私が関わっているのは、中枢管理システムの根の部分の一つ。量子コンピューターの一つを管理する部署だ。

たくさんある量子コンピュータは、それぞれが桁外れの性能を持っていて。

これを並列稼働することによって。

膨大な処理と。

圧倒的な性能を実現している。

話によると、宇宙よりも巨大な量子コンピューターと同等以上の性能があるのだとかで。確かに物質文明よりも遙かに進んでいる、というのが実感できる。

そんな巨大システムを触っているのだと思うと緊張するけれど。

それでも、やりがいがある。

何よりピーチクパーチク周囲と話したりしなくても良いし。

女子同士のグループだとか、力関係だとか。

そういうのに配慮もしなくて良い。

鬼には事実上性別も無いし。

何しろこれだけ人口密度が低い職場だ。その上、基本的には上司でさえ、話を振ってこないのである。

この静かな環境。

私にはかなりあっている。

それに、人間の姿を模した鬼が殆どいないのが嬉しい。

人間なんぞ見るのも嫌なので。

これは私に取っては、とても嬉しい事だった。

唯一上司だけは。

何をどう考えているのか。ワンピースを着た清楚なお嬢様、という風情の姿をしていて。頭の横から角を生やしている。

これは、完全に人間の姿をしたまま、仕事をしに来るのは禁止、という理由かららしく。翼を生やしたり、角を生やしたり。体の周囲に何か飛ばしたりで、それぞれが対応をするらしい。

いずれにしても、私にしてみれば。

どうしてあんな生物の姿をするのか理解出来ない。

ただ、他人の趣味嗜好を否定するのは、あの世での最大のタブーだと聞かされている。絶対にやってはいけないことで、場合によっては仕事上のペナルティまでつくのだという。そういう話を聞かされると。

あまり、文句を言う訳にもいかなかった。

兎に角仕事は快適だ。

人間時代の仕事とは裏腹に。仕事と仕事の間には、適切としか言いようが無い休暇が挟まれているし。

メンタルケアもしっかりやってくれる。

私は監視のAIが側にずっとついているけれど。

それは私が、いつか隙を見て人間に復讐しようと考えている事が、見透かされているから、なのだろうか。

その可能性は高そうだ。

だが、それでも。

いずれ何かしらの復讐はしてやる。

これは絶対である。

仕事が一段落する。

作業のノルマそのものは、さほど突破が難しくない。というか、現実的な範囲内でノルマが組まれているし。

無理が生じた場合は、周囲からサポートする体制が整っているのだ。

この辺りも、流石にビッグバン前から文明が存在していた、と言うだけのことはある。システムの完成度が極めて高い。

新人だけれども。

殆ど仕事にはミスもなく。

さっと終わらせることが出来。

引き継ぎを行って、家に戻る。

家に戻ってからも、殆ど疲労を感じることは無かった。

良い職場だな。

ぼんやりと浮かびながらそう思う。

私は無数のチューブを。四角い箱としか言いようが無い、殺風景な我が家の彼方此方に引っかけて。

体の中枢である複眼を浮かせ。

それでのんべんだらりとする。

アーカイブで別の文明の娯楽を開いて、見てみるが。

どれもこれも興味深い。

地球の文明とは根本的に違う感性で作られた娯楽は。異質で。それ以上に、エキゾティックだった。

ぼんやりしながら、時間を確認。

圧縮時間というものを用いて。それぞれがゆっくりと休暇を楽しめるように、職場では考慮してくれている。

また、色々な次元を跨がって仕事をするため。

物質世界で一年過ぎる間に、体感時間で数百万年も過ぎている、という事が珍しくもないそうだ。

まだ仕事開始には時間もある。

私はぼんやりと一種の映画を見ながら。

側に浮かんでいるAIに聞く。

「そういえば、名前をつけていなかったね」

「名前をいただければ、今後のやりとりがスムーズになるでしょう」

「そうだね、それじゃあヤキトリで」

「ヤキトリ? 分かりました」

テキトウに名前をつけたのだけれど。

AIは納得。

まあ本人が納得しているのならそれで良いだろう。私にしてみれば、ヤキトリだろうがギュウドンだろうが何でも良い。

私にしてみれば。

側に浮かんでいるAIも、いずれ邪魔になるかも知れない存在だ。名前なんて、それこそどうでもいい。

「生前の映像を元に、元の姿をとることもいずれは出来ますが、化身の修練にどうでしょうか」

「絶対に嫌」

「そうですか」

「人間なんて、もう関わり合いにもなりたくない」

AIはそれ以上何も言わない。

そして、私は。

いつの間にか眠っていた。

 

いつの頃の事だろう。

鬼はあまり夢は見ないという話だったけれど。私は今、夢を見ていることを、自覚していた。

困り果てている人がいた。

助けようと思った。

幸い、助けられる能力と財力もあった。

だから、助けた。

だけれど、相手は感謝なんてしなかった。

してくれたとその時は思ったし。

助けることに見返りなんて求めてはいなかった。助けて当然だと思ったから助けたのだし。

見返りを求めるようになったら終わりだとも思っていたからだ。

だが。

まさか、彼処まで酷い見方をされているとは、流石に思っていなかった。

よい子ぶっている。

偽善者。

カモ。

様々な言われ方をしていることを知ったのは、死んでから。私が死んだ事を、友人だと思っていた人間は。

全員が喜んでいた。

おぞましいまでの醜悪さ。

これが私が信じた人間という生き物だったのか。

私は、生きているとき。

人間は生まれながらに善性を持っていると、心の底から信じていた。勿論世の中には悪い人だっている。

だけれども、それは後天的な環境によって産み出されるものであって。

最初は誰もが優しく。

接し方次第では、絶対にわかり合えるはずだと、本気で無邪気に信じていた。

私は何て愚かだったのだろう。

目が覚める。

というよりも、意識が覚醒する、と言うべきなのだろうか。精神生命体として眠っていた私は。

AIに聞く。

「仕事までまだある?」

「問題ありません。 体感時間にて、後数日ほどあります」

「そうか。 それは良かった」

私は馬鹿だった。

今思うに。

他人なんぞ一切助けないで、放置しておけば良かったのだ。そうとさえ、私は思うようになっていた。

結局の所。

馬鹿を見たのは私一人では無いか。

周囲は寄生虫だけだった。

誰も彼もが。

「頭が弱い」と判断した私に群がって。

骨の髄までしゃぶり尽くすつもり満々の奴らばかりだった。

あんな中にいて。

どうして私は、疑念さえ抱かなかったのだろう。本当にアホだったということだ。人間を信じたのが、私の最大の失敗。

とにかく、計画的に。

以降は人間に対する復讐を考えて行かなければならない。

地球の文明を徹底的に破壊し尽くすにはどうしたらいいか。

鬼の身では、干渉できる事に限界がある。

上級の鬼にならないと、物理干渉は出来ないし。

何より、その物理干渉でさえ。

最低限のものしか許可されていない。

そうなると、裏側から操作していって。少しずつ、地球の文明に絶望的なダメージを与えていくしかないだろう。

ぼんやりとしている内に、AIが警告してくる。

仕事の時間だと。

頷くと、仕事に出る。

今いる場所は、本当の意味で世界のためになる仕事場だ。

宇宙の癌にしかならない地球人類にも寛大なことだけが玉に瑕だが。本当に世界のためになるのなら。

私は喜んで身を削ろう。

仕事場に出る。

上司が、珍しく話しかけてきたのは。

幾つかの作業をこなして。

それらに問題が無いと、結論が出てからだった。

「シヴァガラーラくん、いいかね」

「なんでしょうか」

上司は中堅の上位に入る鬼だ。中枢管理システムの根になる末端を、複数同時に管理している。

見かけはおっとりした女の子だが。

とにかくこの見かけが勘に障る。

昔の私も、こういう姿をしていた。

多分、だから舐められていたのだろう。身長が三メートルくらいで、体重が四百キロくらいあって。拳の一撃でコンクリのビルを破壊出来るくらいのパワーがあったら、周囲もあんな風に考えなかったに違いない。

「仕事はとても良く出来ているね。 新人としては大変に上出来だよ。 後は、少しストレス値が高いから、リラクゼーションプログラムをきちんと受けるようにね」

「はあ……」

「ストレスは恐らく職場のものではなくて、人間時代のものを引きずっているのが原因だろうね。 ストレス値が上がると専門家に相談する事になるかも知れないから、早めの解消を心がけてね」

はあそうですかとしか言えない。

というか、正直どうでもいい。

テキトウに頷くと、話を切り上げる。

そして、さっさと仕事に戻る。

ストレスを感じている、というのはどういう意味だろう。少しばかり良く分からない。いい加減な物質生命体の「直感」だとか見た目だけからの判断とは違っていると考えて良いだろう。

となると。

何かしらの数値が測定されているのか。

可能性はある。

しかし、私はむしろ気分が良いくらいなのだが。人間とか言う生物から離れられて。更に復讐も考えられる。

そう考えてみると。

私に取っては、この姿こそ理想だし。

どうしてストレスが計測されるのかは、よく分からない。

いずれにしても、今は仕事だ。仕事をすればするほど力もつく。やがて上級になった時には。

その時には、何かしらの隙を見て。

人類とか言う生物に、復讐してやる。

 

2、灼熱臓腑

 

三つ目の仕事場に入ったとき。

私は晴れて中堅になった。

順調に力もついてきている。鬼としては、まずまずの出世だと、周囲と比べてみても思う。

というよりも、だ。

あの世は慢性的に人手不足だというのは分かっていたが。

中堅所になると、仕事の難易度の上昇からも、それが実感できるようになっていた。

いずれにしても、亡者と関わる仕事はNGで。

それは毎度仕事場を変わるときに告げている。

そして、何となくだが。

既に今までの職場で関わってきた鬼は、私について理解しているようだった。重度の人間嫌いだと。

元人間の鬼には、たまにいるらしい。

ただ鬼になる時に、かなりの精神的要素がオミットされる。

此処まで強烈な復讐心と憎悪を抱いたまま鬼になり。しかもそれが消えない、というのはレアケースのようだ。

これらの情報は、アーカイブから得た。

殆どの鬼は、極めて温厚な性格だが。

希に非常に激しい性格の鬼もいる。

そういう鬼は、ある程度の段階で、精神科医で手術を受けて。平等かつ公平に、世界に接することが出来るようにされるようだけれど。

それは洗脳では無いかと思う。

だが、実際問題として。

世界に対して公平に接するためには。

そもそも個人の感情で動くという事があってはいけない、という事も。理屈としては分かるのだ。

私も既に体感時間で1000万年ほど過ごしている。

だから、考えが変わったのだろうか。

多分違う。

私を冷静に、客観的に見る事が出来るようになった。それだけのことだ。

しかし、私からしてみれば。

人間の愚かさは更に際立つばかりのように思えてならないし。

手術を受けたところで。

この復讐心は消えるのだろうか。

分からない。

AIが、不意に告げてくる。

「中枢管理システムからの呼び出しです」

「中堅になったとき、行ったばかりだけれど」

「メールが来ています。 ご確認ください」

「どれどれ」

さっと目を通す。

タブレットも、もう体の一部のようなものだ。すっかり使いこなすことが出来るようになっている。

それにしても、このタイミングで呼び出しとは、なんだろう。

中堅になるまで、真面目に仕事をし続けたし。

そもそも、鬼は互いの関係性が希薄だ。

自分の考えとかを話した事は無いのだが。

「とりあえず行ってくる」

「私も同道します」

まあいいか。

ついてくるヤキトリと一緒に、空間スキップして中枢管理システムに。列に並ぶと。しばらく待つ。

そして、呼び出しを受けた先の空間にスキップすると。

上級鬼の中でも有名な。

バロールが待っていた。

魔眼バロール。

ある神話に名前を貸した上級鬼で、色々なところで要職に就いている結構有名な鬼である。

恐ろしい神話のエピソードと裏腹に、気の良いおじさんという話だったが。

実際に今日目にしてみると。

少し厳しめに此方を見ているような気がした。

空間の中央には、丸い平べったいものが浮かんでいる。

下には銀河。

上には、星空。

なんというか、宇宙空間で円卓を囲んでいるようだ。

「わざわざすまないね。 ここでの事は仕事としてカウントされるので、それについては気にしないでいいからね」

「分かりました。 私に何用でしょう」

「君から、強烈なストレス値を感知しているんだ。 それも、通常のストレスとは少し違う値でね」

「!」

なるほど。

流石はあの世のテクノロジー。

復讐心を、機械的に察知することが出来る、というわけか。

中々に侮れない。

流石と言うべきだ。

「それで調べて見たけれど、君の境遇には同情する。 とにかく対人運が無かった、としか言いようが無いね」

「同情してくださるのは嬉しいですが、それが何か」

「君の復讐心は、心から取り去るべきだと思う」

ずばりと、核心に来る。

私は人間だったら、口を引き結んでいただろう。

だが。バロールは、そのまま続けた。

「勿論手術代は此方で負担する。 あまりにも強烈な体験をした亡者が、鬼になっても−の感情を持ち続ける、という事はよくあってね。 それでストレスから、潰れかけてしまうこともある。 最悪の場合は、世界に仇なす存在として、精神生命体として何もかもが変わってしまうこともあるんだ。 古い時代には、その現象を「堕天」と呼んだこともあったのだけれどもね」

「私がそれを起こしかけていると」

「いやいや、堕天にはほど遠い。 ただ、このままだと、君の体にはあまり良くない影響が出るだろうね。 それについては、精査するまでもなく明らかだ。 既に職場で取得したデータを、医師が確認しているんだよ」

バロールは淡々と。

事実を告げる。

私としては、そうですかとしか言えない。

「勿論君のことも分かるつもりだ。 だから、一種の洗脳に近いとこの手術に拒絶反応を示す気持ちも分かる。 だが、このまま立場が上がっていくと、君の中で消え続けずにいる復讐心は、世界に対する災厄になる」

「それで私を、人間だった時みたいに、利用したあげくに消すつもりですか」

「私を人間と同じにして貰っては困る」

バロールの声が低くなった。

どうやら、不快感を感じているようだ。

だが、私だって。

それは同じだ。

しばし、火花が散るけれど。

バロールの方が、対応は柔らかいというか。柔軟というか。少なくとも、私よりは穏やかだった。

「知っての通りあの世は人手不足でね。 君のような優秀な人材を失うわけにはいかないんだよ。 発端はリラクゼーションプログラムからの通報でね。 ストレスそのものは減っているのだけれど、どうしても一定値を割り込まないと。 其処で職場にも協力して貰って調査をしたところ、発覚した、というわけだ」

「私に取って復讐は全てです」

「あの生活環境では分からないでも無い、としか言えないね。 ただし、それは正直誰のためにもならない。 ならば、復讐の根元をゆっくり時間を掛けて取り除いていくしか無いだろうね。 専門家を紹介するから、治療を受けなさい」

不愉快だけれど。

そう言われると、逆らえない。

悔しいけれど、ストレス値が一定から下がらないというのは、あの世では病気として判断されるし。

それに対する治療もする事が義務づけられている。

実際問題、物質文明とは比較にならないほど仕事がまともなのだ。

こういう指示は、きちんとうけないといけないだろう。

自宅に戻る。

AIが、既に予約を入れてくれていた。

精神病院は、精神生命体である鬼達にとっては生命線。資格は珍重されるし。精神病の治療についても確立されている。

有無を言わさず、行くように促され。

私は渋々したがった。

仕方が無い。

ただ、洗脳はどうにかして逃れたい。

あの焼け付くような痛み。

哀しみの果てに辿り着いた怒り。

あれだけは忘れてはいけない。

泣き寝入りしてなるものか。

絶対に。

絶対にだ。

復讐だけは、完遂しなければならないのだから。

 

精神病院では、板にカニの足をたくさん生やしたような医者が待っていた。精神病専門の医師としては、かなりの有名鬼らしい。

軽く診察をした後。医師は言う。

「物質世界での記憶がストレスの要因ですね」

「……」

色々な装置で、実際のデータを見せられる。

物質世界とは違って、精神をそのままデータ化できるあの世だ。この辺りは断言できる程に、技術が確立されているらしい。

「過去データも見せてもらいました。 申し訳ありませんが、投薬による治療をお勧めいたします」

「……分かりました」

「薬については、処方箋の通り飲むようにしてください」

まあこの辺りは表現だ。

霊的物質で作られた、文字通りの霊薬である。

ましてや私はチューブの塊。

飲む、という行為そのものが出来ない。

正確に言うなら、取り込む、というところだろうか。

色々な意味で人間から外れているが。

私としてはそれでいい。

いずれにしても、投薬を受けて、それを飲めば良いのだとすれば、別に構わない。私の中に燻る復讐と怨念を抑える薬だろうか。

だが、そんなもの。

私の中の怒りを、消し去る事は出来ない。

多少大人しくさせることが出来ても、だ。

家に着く。

AIが監視しているので、さっそく薬を取り込む。金平糖みたいな形をしている薬だけれども。

あまり美味しくは無かった。

元々鬼は食糧を必要としない。

だから、味覚というのも、娯楽でしか無い。

娯楽としてくらい、少しは味をつけてくれても良いのではないのかなと思ったけれど。まあそこまでは要求できないか。

とりあえず、薬は飲んだ。

これでいいだろう。

飲んでゆっくりしていると、なんというか、腹の虫がおさまる、というような感触になってくる。

なるほど、分かり易い効果だ。

だけれど、私を洗脳したわけではないようで。

怒りと復讐は、消えていない。

ストレスは減っているようだが。

それはそれだ。

ただし、医者が無能だとも思えない。

相手は精神の世界で、専門の医者をしている存在だ。しかも、多数の実績を上げていると聞いている。

私と同じように。

人間時代の復讐の念で、おかしくなった患者だって見ているはずだ。

最初はこうやって、投薬でごまかしても。

いずれ、本格的な治療などをするのかも知れない。いずれにしても、油断はできないだろう。

「シヴァガラーラ。 もうすぐお仕事の時間です」

「はい」

準備をして、出かける。

今日の仕事は、それほど難しくないはずだが。

しかし、現地に行く途中。

タブレットを操作していて、愕然とした。

彼奴だ。

私からむしりとりながら、嘲笑っていた奴の一人。昔は愚かにも、友人だなどと考えていた、ゲス。

物質世界で死んだのか。

経歴をざっと洗ってみる。

私が死んだ後、金に困るようになり。

薬物の密売の仲介を担うようになった。

まあ、クズらしい行動だ。

私の前では清純派を演じていたのだが。それも実際には、ただの演技に過ぎず。そして本性が暴露されてしまえば、こんなものだ。

あのどうしようもないゲスが。

薬物密売の組織内でのごたごたに巻き込まれ。

至近距離から銃弾六発を叩き込まれて病院に担ぎ込まれ。右手右足切断の大手術を受ける事になり、更に借金増加。

その上、犯罪が全てばれ。

裁判では当然有罪。

その様子を見ていたら、愕然としてしまう。

私を名指しで。

彼奴が悪いと、わめき散らしているのだ。

逆恨み此処に極まれり。

彼奴が私の人生を狂わせた。

彼奴さえいなければ、私は普通の人生を送る事が出来たんだ。

私の手足を返せ。

平凡な生活を返せ。

ぎゃんぎゃん叫んでいる彼奴は退廷させられ。そして警察病院の中で、何者かに刺殺されて死んだ。

口封じをしようと潜り込んだ、組織のヒットマンによるものだったらしい。

それにしても、よりによって。

私のせいか。

乾いた笑いが漏れてくる。

ちなみに即決で地獄行き。

今は地獄で罪を生搾りされているらしいが。

何処の地獄で、どのような罰を受けているかは、タブレットで追うことが出来なかった。

口惜しい。

直接あの口を引き裂いてやりたかったのに。

めらめらと燃え上がる怒りの念。

だが、私も中堅にまで成長して。地獄でどのような凄まじい拷問が加えられているかは知った。

私が口を引き裂くとか。

バラバラに引きちぎるとか。

そんな効率が悪い事をやっているよりも。

遙かに悲惨で。

本人にとっても苦痛になる拷問が、加えられているのだ。

だから、専門家に任せろ。

誰もがそう言うだろう。

分かっている。

分かっているけれど。

納得できない。

彼奴らのせいで、私は。根源的な部分から、裏切られた。しかもあのゲスは。私が悪いとかいう事に脳内でしていた。

許せるか。

AIが警告を発してくる。

「ストレス値増大。 思考を切り替えてください」

「黙れ」

「どうしたのです」

「黙れと言っているっ!」

現地に到着。

此処は制服の無い職場だから、姿を変える気は無い。

前のシフトの鬼が、引き継ぎをしに来て。

強烈なストレスを発している私を見て、びっくりしたようだった。ちなみに珍しい、人間型を基本形態としている鬼である。最初の職場の上司と同じだ。

どうやら私は、職場でこの地球人類型の鬼と遭遇するケースが多いらしく。

それがまた、ストレスを加速させている要因になっていた。これは簡単に自己分析出来る。

「どうなさったんですか、シヴァガラーラさん」

「いえ、特に何も」

「ひ、引き継ぎを始めますね……」

「お願いします」

ぱっぱと引き継ぎを済ませて、職場に入る。

私の仕事そのものは、さっさと進めていくが。これはむしろ、普段よりも効率が良いくらいだ。

ざまあみろ。

そんな風に考えられれば、むしろ楽になったのだろうけれど。

私は彼奴らの裏切りと。

身勝手極まりない言動を。

ざまあみろの五文字だけで、許せなかった。

地獄で文字通り生絞りされ。

その後は何もかも消去されて、魂の海に戻される。

それが分かっていても。

どうしても復讐したかった。

尊厳をどうにかして汚してやりたい。

地上に存在していたことさえ、無かった事にしてやりたい。そう思っている私は。やはり、ストレス値が激増していたのだろう。

仕事が終わった後。

AIがアラームを鳴らす。

「すぐに投薬してください」

「……分かってる」

家に戻ると、投薬。

少しは、苛立ちと怒りも収まる。

それにしても。

あの裁判の映像。

よりにもよって、私に責任を押しつけるとは。人間という生物は、どういう思考回路をしているのか。

私の方がおかしい。

それは知っている。

そもそも博愛は、物質世界では否定される傾向がある。偽善などと言われたり。或いは何かしら腹に一物秘めていると考える人間が多い。

或いは頭が悪いとか。

弱いとか。

むしろ、私を虐げた連中の方が普通だと言う事は。

膨大なアーカイブを見て。

地球人類の平均データを把握した今だから断言できる。ちなみにデータの母数は億を超えている。

統計としては、完璧なほどの数値だ。

あいつだけじゃない。

他の奴も、地獄に叩き落としてやりたい。いや、いっそのこと。地球そのものを、葬り去ってしまいたい。

隕石でも落とすか。

だが、それには最低でも上級鬼にならなければならない。

上級鬼になった後は、物理干渉が出来るようになる。

地球に、ブラックホールでもワープさせてみるか。

面白い事になるだろう。

一瞬で地球はブラックホールに飲み込まれ。

星そのものが消えて無くなるのだ。

勿論私は罰を受ける事になる。

だけれども、あのような外道どもを放置しておくくらいなら。罰でも何でも受ける。地球を滅ぼせるなら。

私は多少の事なら。

我慢して飲み込む。

不意に、アラームが鳴る。

タブレットだ。

操作すると、浮かび上がってきたのは、あの医者だった。

「コンディションが急変しましたね。 何が起きました」

「それは……」

「なるほど、データを見れば分かります。 復讐の対象者の映像を見てしまったのですね」

ぐうの音も出ない。

流石だ。

専門家は、やはりこの辺り、違うと言う事か。

「すぐに病院に来てください。 手続きはAIに任せてしまって大丈夫です」

「分かりました。 其方に向かいます」

「急いでください」

通話を切る。

そうか、私は其処までマークされているのか。

だけれど、それでもだ。

絶対に私は復讐を果たす。

この怒り。

飲み込んだままで、いられるものか。

 

3、蹂躙

 

治療を受けるようになってから、しばらくして。

私を陥れていた二人目が死んだ。

タブレットで調べて見ると、どうやら私という金づるがいなくなってから、元々荒かった金遣いが徒となって、膨大な借金を作ったらしい。

そしてヤクザ者に捕まり。

闇医者で臓器を殆ど摘出され。

コンクリに混ぜられて焼かれ。

痕跡も残さず、この世から消し去られたそうだ。

金も、ギャンブルやらファッションやらにつぎ込んでいたそうで。

一つ十万を超えるバッグを買いあさっていたそうだ。

カード会社には、ブラックリストに入れられ。

挙げ句の果てに、ヤクザのエサ。

まあ順当な最後だが。

此奴も、死ぬ間際には、わめき散らしていたらしい。

彼奴が悪いと。

私を名指しで。

そして、二人がそういう風に死んだことで、物質世界のSNSでは、私の事が何だか話題になっているそうだ。

しかも、悪い方向で、である。

「希代の偽善者発見される」

「この偽善者の手によって人生を誤った人間が既に数人確認されていて。 検証班が調査中」

「生前から他人の人生をもてあそんで、悦に入っていた模様」

「スゲークズだな」

SNSでの、好き勝手な言葉の応酬。

いわゆるネット上でのまとめサイトなどでも取りあげられ。

私の人物像を極限まで歪めた情報が飛び交い。

嘲笑のネタにされていた。

これらの情報を見ている連中は、知っている。

情報が、事実無根だと言う事を。

事実無根だと言う事を理解した上で。

オモチャが出来て喜んでいるのだ。そういう生物なのだと、私は知っている。だから、もはや驚かないが。

そのSNSに。

私に集っていた三人目が書き込み。

一気に炎上したようだった。

「シヴァガラーラ」

「なに」

「そのようなデータを見てはなりません。 お医者様にも止められているはずです」

「五月蠅い!」

巫山戯ている。

後三匹も生き残っていて。その内一匹は、今生活保護を受けながら、悠々自適の生活をしているのだ。

勿論いわゆる貧困ビジネスに乗っかっていて。

膨大な利益を上げているらしい。

弱い者を食い物にして踏みつけ。

それで、自身だけが繁栄を謳歌している、と言うわけだ。

こんな奴をのさばらせている物質世界。転生しなくて本当に正解だった。こんな所、二度と行くものか。

アラームが鳴る。

ストレス値が、また増大。

既にかなり平均値が危険な事になっている。

それは分かっているけれど。彼奴ら全員が地獄に落ちるまでは。私は死んでも死にきれないのである。

直接殺しに行きたい。

のど笛を喰い破ってやりたいほどだ。

「仕事の時間です。 投薬をしてから、職場に出ましょう」

「分かってるこのポンコツ!」

「私に当たっても仕方がありません」

「……」

その通りだ。

最近、私は全身が赤く染まっている。

怒りが全身に波及して。既に体の状態がおかしくなっているのだ。この異常な体色変化は職場でも把握されていて。

医者に行っていることも、把握されている。

職場と医者は連携している様子で。

私の側には、別の監視用AIが、職場でつけられている。

これは医者の方と情報を密接に連携している特別製のもので。私の状態の悪化があった場合。

即座に救急搬送する権限も持っているようだった。

職場に出る。

上司が来た。今の職場は、ある銀河系に存在している幾つかの文明について、包括管理するマクロ的なもので。重要な職場だからか、殆どの鬼は中堅。統括に至っては上級である。

流石に上級の鬼は姿も自由自在。

七川みちるという名前のその鬼は。名前からも分かるように、地球人だった亡者が、鬼になった者だ。

私と同じである。

なお、職場では人間の背中に翼を生やしたような姿をしている。その人間体も、もの凄く優しそうな、眼鏡を掛けた落ち着いた女性だ。衣服も薄青いローブを着ていて。足下は素足。髪の毛はとても長くて、腰の辺りまであった。いつも浮遊して移動しているが、足はなんのためにあるのか。単に人間の姿に思い入れがあるだけで、活用するつもりはないのだろう。

イラッと来るのは。

私も生前。

周囲にストレスを与えないようにと。出来るだけ威圧的な姿は避けていたこと。可能な限り優しく接するようにしていたこと。

それらの全てを裏切られた上。

偽善者と多数の人間が私を罵ってオモチャにしている現実を知った今。

人間に対する優しさなんて必要ないと考えているし。

このような姿で、相手を気遣うこと何て。

ただの無駄だとしか結論出来ないからだろう。

それに何より、相手が地球人類型なのが気に入らない。

「シヴァガラーラさん。 お仕事の方はどうですか?」

「順調です」

上級から中堅に敬語で接してくるケースはあまり多く無い。七川はそういう意味でも、例外的らしい。

私も物質世界では例外的だったが。

違うのは、私は例外的だったが故に。

食い物にされていたこと。

客観的に情報を精査する限り。

七川は非常に周囲に慕われていて。上級の鬼の中では、非常に評価が高いのだとかも聞いている。

巫山戯た話だ。

ブッ殺してやりたいと内心では思うけれど。

鬼同士の争いは御法度である。

それに、いつも顔を合わせるわけでは無い。何より、上司としては非常に有能なので、文句も言えない。

もっとも、鬼は力を伸ばせば伸ばすほど、有能になる傾向がある。

情報を取り込んで強くなる精神生命体特有の傾向なのだろう。

「問題があったら、すぐに報告してくださいね」

「はい」

七川が行く。

反吐を吐きたい気分だが。

我慢した。

というか、やろうとしても出来ないが。

いずれにしても、仕事を黙々とこなす。今監視している文明系は、いずれもが非常に未成熟で、地球で言うならば石器時代くらいの文明しか持ち合わせていない。発展するかそのまま滅んでしまうかは、これから次第だ。

広い宇宙でも文明はあまり発生しないらしく。

特に惑星間航行、恒星間航行を可能としてくる大規模星間国家となると、実際には宇宙全土でも三桁に届かない程度の数しか存在していないのだという。いうまでもなく、宇宙をよくする、という戦略の下で、あの世は動いている。

文明は貴重だ。

だから、滅ぼすわけには行かない、というわけだ。

ばからしいと思うが。

そういう方針なのだから仕方が無い。

私も色々と上級になったら提案しようと思っている。

例えば、地球を滅ぼそうとか。

だが、それをするには力がまだ足りない。

さっさと色々な仕事をした上で力をつけ。

早く、提案を通せる実権を。

一秒でも手に入れなければならない。

上級鬼でも特に強い者は、神々に迎え入れられると聞いている。神々になれば、有害な文明を排除する提案くらいはできる筈だ。その日が来るのを信じて、私は黙々と仕事に励むだけである。

仕事が終わる。

私もかなり力がついてきているから、仕事そのものはまったく問題ない。今日はケアレスミスを含め、一つも問題は発生しなかった。

しかし、である。

帰り間際に、職場でのサポートAIに言われる。

「ストレス値が危険域に達しています」

「そう」

「すぐに医者に向かってください」

舌打ち。

まあ、実際には出来ないけれど。

とにかく、監視されている以上、医者には引っ張ってでも連れて行かれるだろう。不愉快だけれど、いくしかない。

引き継ぎをぱっぱと済ませると。

自宅のAIと合流。

医者に行く分も、仕事としてカウントされるので。その辺りは良心的だけれども。まあ、地球の物質文明と同じにしてはいけないか。

「すぐに医者に行きましょう」

「分かってる」

「レッドゾーンに達したストレスは、いわゆる堕天を引き起こしかねません」

「……」

堕天、か。

ビッグバン前の宇宙では、結構な数の鬼が苦しめられたというアレ。

そうなると、私も。

今の、良き宇宙を作るために働いている鬼では無く。

宇宙を破壊するために活動する、悪意の塊と化してしまう、というわけなのだろうか。

それはそれでありかもしれない。

あのクズ共をのうのうと生かした宇宙だ。

何もかもこわれてしまえば良い。

そう思うことも、最近は増えていた。

医者につくと。

いきなり拘束される。

そして、手術室に連行された。

「これはどういうことですか」

「説明の必要もないのではありませんか? 貴方は今、非常に危険な状態になっているのですよ」

「危険な状態……?」

自然な状態の間違いだろう。

あのクズ共を放置し。

むしろ迎合し。

私を偽善者呼ばわりしたあのクソ文明を滅ぼしたいと思って何が悪い。私が生まれた国の問題じゃない。

あの生物全ての問題だ。

あの生物を産みだした星の問題だ。

サポートロボットが、診察をしているが。物騒な言葉が飛び交っている。

「ストレス値、非常に危険です」

「これから少しばかり眠って貰いますよ、シヴァガラーラさん」

「離して貰えませんか」

「それはできません」

ばちんと音がして。

意識が飛んだ。

 

思い出す。

幼い頃、何も知らない愚かな人間だった。そこそこお金持ちだった私は。優しい両親から、深い愛情を受けて育った。

そして、愛情に満ちた教育も受けた。

弱者を慈しみなさい。

そう母は言った。

自分に出来る事があるのなら。

してあげなさい。

そう父は言った。

二人とも、正真正銘の善人だった。だけれど、今になって思えば。その資産は、年々目減りしているようだった。

それは、そうだろう。

両親の周囲にも。

自称弱者が。

弱者と称して他人の財産を貪り喰うゲスどもが、集っていたから、だろう。

やがて両親はきっと天国に行って。

私が残された。

生前に弁護士に指示して、色々と手を打ってくれていたからだろう。

私はそれほど苦労しない生活を送る事が出来ていた。

だが、だ。

健康的で満たされた生活をしていた割りには。

どうして私は、早くに死んだ。

あれ。

なんだろう。

ある時期くらいから、食事をした後、体調を崩していたような気がする。ひょっとして、これは。

そうか。

少しずつ、毒を盛られていたのか。

私には跡取りがいなかった。

だから、殺してしまえば。

資産は奪い放題だ。

そう考えていたのだろう。どいつもこいつも。

ああ、そうか。

最初からそうだったのか。

私に取っては、物質世界は、地獄だったのだ。自分だけが気付いていなかっただけで。

光など、一点も無かった。

両親も事実上謀殺されたようなものだ。

道徳なんて笑い話に過ぎない。

善人なんて食い物にされるだけの存在。

そんな奴しかいないから。

あの星はダメなのだ。

国など関係無い。

文明圏さえ関係無い。

あの星は、滅ぼさなければならない。何もかも、塵芥さえ残さず。消し去らなければならないのだ。

鋭い痛み。

おかしいな。夢の中なのに、どうしてだろう。

夢の中なのに、どうして私は泣いている。

口惜しいか。

いや、それもあるけれど。

それ以上に私は。

ただ、悲しいのだ。

 

目が覚める。

手術が終わったようだった。

体の状態を確認する。

全身が真っ赤に染まっていた私だけれど。深い藍色に変わっている。そして、どうしてだろう。

怒りは冷めていた。

なんというか、冷え切った、とでもいうのだろうか。

医師が来る。

「どうにか堕天は食い止めました」

「そうですか」

「かなり危険な状態でしたが、それでも貴方が堕天する事だけは避けられました。 ただし、代償もあります」

「……」

見ると。

私のAIがいなくなっている。

なるほど、私という存在を観察し続けたAIを、まるごと私に移植したのか。精神生命体だから出来る荒技だ。

「貴方は人間だった頃、対人運に兎に角恵まれなかった。 それについては、もはや言う事もありませんし、私も全面的に同意します。 しかしそれが貴方から、冷静な判断力を奪ってしまった。 今後は貴方に移植したAIが、貴方の怒りを適切なレベルにまで常に抑えてくれるでしょう」

「余計な事を……」

「貴方が生活するためには必要な事です。 正直貴方を陥れた人間達は、全員が地獄行き確定です。 適切な処理が為されますし、何より貴方が怒るほどの価値も無い連中ですよ、あんなクズ共は」

クズ、か。

そのクズこそが普通とされている地球人類とはなんなのだろう。

だが、怒りは確かに湧いてこない。

少し話を聞くけれど。

AIを体内に取り込むことは。それほど珍しいことでは無いのだという。一時期に確立されてからは、精神生物の治療には、良く用いられる手法なのだとか。

物質生命でも、機械を生活に取り込むことは珍しくない。

そもそも眼鏡や入れ歯などは、生活補助器具だ。

ペースメーカーなどに至っては完全に機械。

そういう意味では。

確かに、AIを体内に取り込むのは、アリなのかも知れない。

「貴方自身が復讐をすることなど必要ありません。 クズにはクズにふさわしい末路が用意されています。 少なくとも物質世界の未熟な文明なら兎も角、此方あの世では違います」

「……本当ですか」

「貴方に対する治療と同時に申請を出しておきました。 今、貴方を虐げた人間がどのような責め苦を受けているか。 家に戻れば、アーカイブで視聴できますよ」

怒りが冷えているのは事実。

私は、それを鵜呑みには出来なかった。

だけれども。

この医者が、実績ある鬼で。

そして、私も専門家を信頼するのが最善手である事は理解している。

しばし俯いてから。

私は、退院まで後どれだけ掛かるか、聞くのだった。

医師は、すぐにでも退院できるという。

そうか。

やっぱり精神生命体は、色々とつぶしがきくのだな。ちょっとだけ。苦笑いしてしまう。

いずれにしても。

確かめておきたい。

家にまっすぐ戻る。

職場から連絡が来ていた。

「状況はどうですか」

「医師に聞いてください。 私は専門家ではありませんから」

「分かりました。 少し長めの休暇を出します。 リフレッシュしてから、また出勤してください」

そうか。

やっぱり此処は、物質世界とは違うのだな。

勿論、人手が基本的に足りない、というのも大きな理由の一つとして存在しているのだろう。

だけれども。

私は物質世界だったら、危険分子として処理されていたかも知れない。

だけれども、それでも悔いはない。

あんな世界。

二度とごめんだ。

アーカイブを開く。

私を虐げた連中の内。既に三人が死に、全員が地獄に落ちている。この間一人がまた自業自得の死を遂げたのだ。

落とされたのは、いずれもが結構浅めの階層だが。

それでも、地獄には違いない。

浅めの地獄に落とされたのは気に入らないが、深い階層の地獄はそれこそ大量虐殺を大喜びで実行したような連中が行く場所らしく、所詮小悪党に過ぎないクズが行くのは、浅い地獄以外にはないそうだ。

見ていると、具体的な責め苦について解説がついていた。

串刺しにされて、ヘッドギアをつけられ。

極限の苦痛を、数億年という単位で味合わされていた。勿論体感時間で、である。絶叫を上げるが。

基本的に外の音は一切届かない上。

発狂も出来ないようにされている。

絶望の中、考えに考え抜かれた激痛が与え続けられ。

そして、あの世にとって資源になる罪が生搾りされている。

昔は鬼が亡者を直接拷問していたらしいのだけれど。

確かにこの方が合理的だ。

徹底的なまでの罪の収穫。

仕事をしている鬼達も、監視を緩めていない。地獄虫と呼ばれるロボット達が、亡者を徹底的に監視し。

逃がすことは絶対に無い。

更に、地獄は非常に広く。

脱走したところで、他の亡者と合流することも出来ない。

そして罪を絞り終えた後は。

その醜悪な人格を全て消し。

完全に綺麗な状態にしてから、魂にして。あの世の根元である魂の海に帰すのである。

なるほど。

実際に見てみると分かるが。

地獄はゴミ捨て場だ。

物質世界では、普通とされていた人間も。

あの世では、その悪行の全てがカウントされている。

そして落ちた結果は。

この通りである。

多少は、腹の虫も収まる。そして、気付く。頭の中で、何か補助的に、思考が働いているようだ。

なるほど、AIを移植したのは、このためか。

AIが、憎悪へ傾く私の思考を。

+の方向に補正している、というわけだ。

はあと、嘆息した。

しばらく、あのクズ共の絶叫と悲鳴を眺めているとするか。私も、これで多少は報われるというものだ。

両親から甘い汁を吸っていた連中は。

それについても聞くが。

そいつらも地獄で生搾りの真っ最中だという。

それは重畳。

ならば、私としても、多少は気分が良い。だけれど、地球とその文明を許すかは話が別だ。それについては、じっくり考えて行くしかない。

アーカイブを見る。

マシな人間はいないのか。

それを知りたい。

私は、人間という生物そのものに迫害されたのか。道徳というのは、人間という生物にとってはお笑いぐさに過ぎず。それを真面目に守ろうとする者は、迫害して良いと言う不文律があるのではないのか。自分たちで作ったくせに。

それとも、人間の中には、たまにはマシなのもいるのか。

それをはっきりさせておきたい。

そうでなければ。

真面目に生きてきた両親が浮かばれない。

私だって。

なんのために生を受けて。

なんのために、生き方を全うしたのか分からない。

人間のインナースペースを最も反映しているタイプの創作も見てみる。やはり弱者を嘲笑い。

如何にして踏みにじるかを嬉々として描いているものも目立つ。

結局の所。

人間とはそういう生物としか思えない。

AIが警告を入れてくる。

「ストレス値が増大。 緩和します」

「……余計な事しないでよ」

「貴方のためです」

何が私のためだ。

堕天、という現象については。鬼をそれぞれ手篤く扱うようになった今の宇宙になってからは、ほぼ存在しなくなったという。

古い時代は、ストレスに耐えかねて、堕天してしまう鬼がかなりの数いたという話だけれども。

私は、そうなってしまうのだろうか。

もし、あの人間共を許さなければならないのだとしたら。

私は、堕天してもいい。

彼奴らだけは。

絶対に許すわけには行かない。

いつの間にか。

私の姿は変わっていた。

昔、優しい容姿だとか周囲に言われていた。つまり、馬鹿にされていた姿に。もっともなりたくない姿に。

私は、人間だった頃の姿になっていた。

どういうことだ。

化身なんて、した覚えは無いのに。

震えが全身に走る。

思わず頭を抱える。

呼吸。

久しぶりの感覚だ。

鏡を見ても、やはり私は生きていた頃の姿に戻っている。

周囲から良いように利用され。

道徳を守り、弱者を慈しみながら生きる事を大まじめにしていたら。頭が弱いと罵られ、嘲られていたあの頃の姿に。

私は。

どうなってしまったのか。

「強硬措置を発動しました」

「強硬、措置」

「医師による指示と処方を受けています。 貴方のストレス値が一定以上に達した場合は、この姿になるように指定されています」

「そんな!」

恐怖でしか無い。

私は、震える手で、顔をかきむしろうとしたが、それも無理矢理止められる。頭の中にいるAIが、私の体を押さえ込んでいるのだ。

酷く呼吸が乱れる中。

私は、もはや泣くしか無かった。

それしか出来ない無力な存在になり果てていた。

しばし、呆然と時を過ごす。

圧縮時間を見ると。

普通鬼に対して行われる圧縮時間の、数十倍に達する数値が設定されていた。つまり、一日分の休暇の筈が、数十日分の休暇に引き延ばされている、という事だ。

何となく理解する。

これは治療だ。

そして、今は、その治療の中にいる。恐らくは、堕天という現象から、根本的に逃れるために。

激しい抵抗を、AIが押さえ込んでいるのは、それが故だろう。

私は、もう絶対に彼奴らを許せない。

だけれども。

彼奴らは適切な罰を受けているという。その罰についても、しっかり両の目で見せられる。

弱者は虐げていい。

そう考えていた連中の末路は。

モニタに映し出され続けている。

それで、何が不満なのか。

AIは言う。

「罰は個人的な感情にて実行するべきではありません。 公平かつ公正に実行されるべきです。 貴方の暮らしていた地球では、推定無罪という言葉を免罪符に、あらゆる悪徳が許されていました。 推定無罪という言葉は、公平な法。 公正な裁判。 腐敗の無い裁判がなければ実際には機能しません。 あの世のオートメーション化され。 個人の意思が介在する余地の無い処置であれば。 このように公平な裁きが可能なのです」

「……私は、犬にでも噛まれたと思って諦めろと」

「貴方が直接罰を下すことは許されない、というだけです。 見ての通り、貴方に不当な害を為した人間達は、それこそ彼らが考える地獄をも凌ぐ悪夢の中で、悶え苦しみ続けています」

その上。

罪を絞り終えた先にあるのは無だ。

これ以上の罰があるだろうか。

論理的な言葉を、ゆっくりかみ砕いて、諭すように言うAI。

私は、唇を噛む。

人間だった頃のように。

私は今、人間の姿をしている。

だからこそ、出来る事だ。

「見てください。 彼らは未だに、何もかもを貴方のせいにしています。 それだけ救いがたい存在であって、憐憫を掛ける要素は一切ありません。 あのような者達のために、貴方が苦しむことなどありません」

確かに、極限の苦痛で罪を生絞りされながら。

あのゲスどもは。

まだ私のせいにしているようだ。

呆れた連中だ。

そして、確かに。

憐憫など、掛ける意味もない。

「さあ、ゆっくり呼吸を落ち着けてください。 貴方がわざわざ手を汚す必要などはありません。 世界の害にしかならない存在は、適切に処理されています。 物質世界ではそうではなかったでしょう。 しかしこの世界そのものの理は、あの外道どもを許しはしないのです」

「……」

「まだ落ち着くには時間が掛かるでしょう。 少し眠ってください」

ベッドがある。

私は其処に丸まるようにして、眠る。

なんだろう。

私自身が洗脳されているような気がしてきた。

確かに、AIの言う事は全てが正論だ。

それにあのクズ共は。私という搾取対象がいなくなったあと。物質世界でも修羅道の人生を送り。何一つ安らぐ暇など無く。

そして最終的には。

魂の輪廻さえ許されず。

ああして罪を絞られ。そしてその後には無が決定している。

それで満足するべきでは無いのか。

私は、フトンの中でぎゅっと身を縮める。

蓄え続けた怒り。

この世界そのものに対する憎悪。

何もかもが、腹の中で煮えたぎっている。復讐というのは、そういうものだ。分かっている。

もし私があの場に行って。

更に過酷な拷問を課したところで。

何一つ解決なんてしない。

適切かつ公平にあれらは裁かれた。あのクズ共は、物質世界で好き放題をしていたが。その末路がアレだ。

私は。

何をすれば良い。

許すことは出来ない。

彼奴らが消滅するのを、見ていれば良いのか。自我も維持され、発狂も出来ないようにされたまま、罪を生搾りされているクズ共が、溶けるようにして消えていくのを、笑って見ていれば良いのか。

無理矢理眠らされる。

目が覚める。

同時に投薬を受けた。

私は、多分精神生命体として、かなり危険な状態なのだろうな。

そう思ったけれど。

見越したように、AIが言う。

「現在は既に、治療法が確立されています」

「まるで病気みたいないいようだね」

「病気です」

「……!」

AIが言うには、復讐性堕天症候群というそうだ。

精神生命体になると、やはり生前持っていた強い感情が原因で、何かしらの強い妄執に囚われる事があるという。

近年では極めて希な現象だそうだが。

その妄執は。

自分が妄執に囚われていると分かったとしても。どうにもならないのだという。

生物としての感情を超える要素。

つまり病気。

そしてこの妄執によって、堕天を引き起こしかねない状態を、堕天症候群というのだそうだ。

症例は色々あり。

私の場合は、復讐が動機になっているため。

復讐性堕天症候群、というらしい。

そうか、病気か。

今更ながら、知らされると色々と苦しいものがある。

「罪を全て絞り尽くされた、地獄の亡者の末路を見せましょう」

資料映像が出てくる。

全ての罪を絞り尽くされると。

亡者は完全に抜け殻になる。

そして意識があるまま、地獄虫によってバラバラに解体される。そしてパーツは全て地獄虫に運ばれて。

巨大な粉砕器に掛けられるのだ。

この粉砕器によって、亡者は霊的分子レベルまで分解され。

そしてそれと同時に、自我も全てが奪われる。

完全な魂のみの状態にされる。

そして、液状化するまで粉砕された後は。

何度も念入りにフィルターに掛けられ。

自我の残りを全て取り除かれ、処理されて。

複数回の処置を経て。

罪人の意識が完全に無くなるまで、徹底的に排除が行われる。こうして、新しい、魂の元が出来るのだ。

そして、その魂の元が。

魂の海に注がれる。

やがて魂の海の中から。

少しずつ塊が出来てきて。

それが新しい生命となる。

小さな塊は、それぞれ物質生命に宿り。

大きな塊は、その内鬼になる事もある。特に大きな塊は、神々として最初から誕生する事もある。

「これでも、まだ復讐を望みますか? あれが、貴方が復讐を願ってやまない者達の末路です」

「……」

「これ以上の存在否定は他に思いつきようが無いかと思われますが」

「そうだね……」

その通りだ。

順番に、事実を見せていくことで、治療をしていく、というやり方なのは、私も分かってきた。

後は。私の気持ちの整理が必要だ。

私はぼんやりと、罪人の末路の映像を見る。

淡々と処理が行われていく様子は。

屠殺場で、家畜が処理されていくのと。

何ら変わらないように思えた。

 

4、炎を抱えて

 

ストレス値が一定まで下がって、医師に許可を貰ってから、職場に復帰する。上司は特に何も言わない。

病気だったのだから仕方が無い。

貴重な人員が戻ってきてくれて嬉しい。

そういったことは、周囲から言われたりもしたけれど。

私は、何だか釈然としなかった。

気持ちの整理はついた。

だけれども。

やはり何処かで、彼奴らに直接復讐したい、という気持ちはどうしてもあるのだ。それはウソ偽りの無い事実であり。私という存在を徹底的に否定し、全てを搾取した彼奴らに、何か手を下したいというのは、どうしようもない欲求としてあった。

精神生命体だから。

余計にその怨念は強いのだろう。

同化したAIが、常に支えてくれているけれど。

私は当面。

この怨念と、二人三脚でやっていくしかない。

しかも、姿は人間の時のまま。しばらくはこの姿でいるようにと、医師にも言われた。まあ職場に出るときには、翼をつけて、人間とは微妙に姿を変えるようにはしているのだけれども。

今日の仕事が終わる。

不意に、上司が声を掛けてきた。

「シヴァガラーラさん、いいですか」

「はい、なんでしょう」

「実は私も同じ病気なんですよ」

さらりと、とんでもない事を言われた。

愕然とする私に。

見せてくれる。

こつんと自分のこめかみを指先で弾く上司。そして、するりとスライドして抜け出てきたのは。

恐らく、私に入っているのと同型のAIだ。

「苦しみについては理解しているつもりです。 何かあったら、相談してください」

「……分かりました」

会話はそれだけだ。

分かる。

相手も同じだとすれば。

余計な事をしていると、分かってはいるのだろう。だからこそに、会話を速攻で切り上げた。

変な激励をしたり。

或いは同情をしたりするのは、逆効果だと知っている。だからこそに、ああいう対応をしてきたのだ。

それに、職場でのスムーズな対応。

それも、上司が同じ病気を抱えているから、だったのだろう。

家に戻る。

座布団を出してきて座ると。

奴らの拷問されている画像を見る。

何処の地獄で。

何時から拷問されているかは教えてくれないけれど。

いずれにしても、今は。

私をだまし搾取し虐げていた連中全員が、既に地獄で生搾りされている様子だ。

結局、生活保護を使っていわゆる貧困ビジネスで儲けていた奴も含めて、全員が悲惨な死を遂げた。貧困ビジネスで儲けていた奴に至っては遊んだつもりだった相手に資産を根こそぎ奪い取られ、ホームレスになった後、自分が虐げていた者達から滅多刺しにされてドブに捨てられて死んだそうである。

ざまあみろだが。

見ていると、被害者のように悲痛な悲鳴を上げているので。

滑稽でならなかった。

地獄虫が時々来ては、罪人の肉体に直接ダメージを与えていく。亡者はダメージを受けても再生するが。

地獄虫はそれを理解した上で。

神経に直接痛みを叩き込んでいるらしい。

地獄の深部に落とされる罪人は、極限の苦痛に順応するような奴もいるらしく。ある鬼が考え出した方法だという。

なるほど。

確かに効率的だ。

軽い地獄でも体感時間で億年単位。

重い地獄になると、京とかそういう単位が体感時間として出てくる。

それらの時間、極限の苦痛に曝される罪人ども。

これでも、まだ不満なのか。

AIが言う。

「病院にそろそろ行く時間です」

「ん」

映像を切ると、出かける準備をする。

人間の姿に戻ったとしても、能力は変わらない。空間スキップも出来るし、宇宙空間に出ても何ら影響は無い。

中堅所の鬼なのだ。

ブラックホールに入ろうが。

超新星爆発に巻き込まれようが。

関係無い。

途中にあるマスドライバを経由して、病院に。

AIが予約を取ってくれていたから、そこそこスムーズに診察を受ける事が出来た。診察も問診だけではなくて、自動的に医療用のAIが、さっと全てを調査してくれる。その後、診察だ。

医師は言う。

「まだストレス値は残っていますが、かなり減ってきていますね。 良い傾向です。 このままじっくり時間を掛けて、何とかしていきましょう」

「分かりました」

「色々と納得がいかない事はあるかと思います。 しかし、罪に対する罰が適切に行われている事は、貴方も理解出来ているはずです。 ですから、ゆっくり時間を掛けて、病気を治療していきましょう」

「……はい」

頭を下げると、病院を出る。

ちなみに私は、生きていた頃の感覚で言うと、非常に奇抜な服を着込んでいる。原色をぶちまけたような、非常にカラフルで。人間から見れば目に痛いような服だ。この辺りは、私の抵抗。

現実世界に対する、不信感。

それらを表している。

服のデザインは、私が自分でした。

そして今は。

この服が気に入っている。

「帰りに、何処かに寄っていきましょうか」

「ううん、いいよ。 それよりも、少し眠りたい」

「分かりました」

AIがサポートしてくれるから、眠りに入るのはそれほど難しくない。家に着くのもあっという間だ。

タブレットを操作して、環境を調整。

精神生命体にとっては、気温とか気圧とかはあまり関係無い。

霊的波長に調整した音楽などが満ちた空間にする、という事だ。

リラクゼーション用の音楽を満たし。

私はベッドに横になる。

今更寝間着なんて必要ない。

元々精神生命体だ。

服だって汚れない。

この服で仕事にも出ているけれど。

周囲はもっと奇抜な姿の者達ばかり。

それでいいのだ。

私はもう、彼奴らに好きなようにされた過去とは決別しなければならない。もはや、慈悲も掛けてはいけない。

彼奴らは地獄に落ちるべくして落ちた。

そして私は。

今、いるべくしている。

ただそれだけのことだ。

しばらく眠る。

私に取って、眠りは。

まだまだ必要なものだ。

 

仕事が終わって、家に戻る。そして、奴らが苦しんでいる画像をみようと思ったけれど。妙だ。

一つ、映らない画像がある。

調整してみると、分かった。

杭が撤去され。

ブッ刺されていた彼奴らの一人が、跡形も無く消えている。要するに、生搾り完了したのだ。

体感時間で数億年。

極限の苦痛を味わい。

その後は無。

何も残らない。

嗚呼。なんという爽快感か。ざまあみろ。そうとしか思えない。そして、ようやく、私はこれで次の一歩に進むことが出来る。

残りの連中も、その内罪を全部生絞りされて、消滅するだろう。

地獄だって、無限の広さがあるわけではない。

あのヘッドギアを使って体感時間を超超超加速して、それぞれの罪の生搾りを効率化していて。

終わった亡者から、さっさと粉砕処理しているのだ。

そうしないと、地獄が一杯になってしまう。

私が、実際に。

自分の手で復讐していたら、どうなっていただろう。

あんな風に効率的にも。

苦しめ続けることも出来ず。

結局自分も苦痛を受け続けることになっただろう。

やはり、正しいのは。

医者の方だった、と言うわけだ。

溜息が零れる。

後の奴らが、ゴミクズのようにすりつぶされて、リサイクルされるまで、地獄を味わうのは確定。

それでいいではないか。

ようやく、少しだけ気分が楽になった。

だけれども。

まだ私の心に残る炎は消えていない。

完全に消えるまで。

まだ当面時間が掛かることだろう。

それは当然とも言える。私に取って、人生の全てを否定した連中の末路を見届けるのは、絶対的な事なのだ。

それを乗り越えてから。

ようやく新しい世界に踏み出せる。

私は。

やっと新しい存在になれるのだ。

「ストレス値の減少が見られます」

「……うん」

良かった。

これで、少しだけでも、私は。

未来に、光を見ることが、できそうだった。

 

(続)