びっくりどっきり不思議な世界

 

序、ゴミ捨て場

 

亡者。

人間が死んだ後、魂になった姿。

擬似的な精神生命体であり。あの世と呼ばれる場所では、もっとも弱き存在だとも言える。

だが、魂というものが意思を持つのはそれなりに困難で。

元が物質生命であった記憶も保っている事から、亡者は貴重な存在だ。膨大な罪を犯した亡者は地獄で資源にされるし。

普通に生きてきた亡者は、様々な路を選ぶ事になる。

別の世界に転生したいという希望が叶えられる事もあるのだけれど。

それは決して良い事とは限らない。

特に、である。

あの恐怖の面接を抜けたとしても。

その後、良い世界に転生したいという希望で、時にとんでも無い要望が出てくることがあるのだ。

天国に行って、擬似的な自分にとっての楽園を満喫するほど善行を積んだわけでもなく。

かといって地獄に落ちるほどの悪行を重ねたわけでもない亡者は。

普通は身の丈にあった転生をするか。

それとも煉獄で仕事をする事になる。

だが、仕組みが整備されているにもかかわらず、時々変な亡者が現れることがあるのだ。この辺りは、機械的に選別をしているため、仕方が無いとも言えるのだけれど。

普通、転生を選んだ亡者は、あまり多くを語らない。

私も、普段はそういった亡者に、ふさわしい環境が整備された別の生を準備するのだけれど。

今日来た亡者は。

見るからに様子がおかしかった。

「違う星に行きたい」

「別に構いませんが、転生前の記憶などは持ち込めませんよ」

「持ち込んだまま行きたい」

「……」

私は、今丁度人間に近い姿をしている。いわゆる制服で、こういう亡者に接する鬼は、人間に角を生やした姿になるように決められているけれど。

私は長身の男性に、額から長い角を生やし。黒いスーツを着た姿をしている。

まあ鬼になってしまうと、もう事実上性別は関係無いので。

テキトウに選んだ姿だが。

「持ち込んだまま法則が違う世界に行くと、地獄を見ますよ」

「俺は生きたんだ!」

喚く亡者。

背丈は中肉中背。

まあどこにでもいる普通の男性だ。

だが、目は血走っていて。

自我を返された途端、こんな風に粋がり始めたのだと、タブレットに連絡が入っている。

希にいるのだ。

物質世界で特に罪を犯さず。

特に問題も無く。

邪悪な願望を蓄える事も無く。

機会があったら行おうとも考えず。

しかしながら、自我を返すと、途端に豹変する亡者が。これはなんというか、レアケース中のレアケースなので、どうしようもないのだが。

兎に角、対応は別個にするしか無い。

この亡者が、地獄や天国に行く事は無く。転生をする事は既に決まっている。煉獄に行くような身勝手な願望も見せていない。

だが、此処にいるのは。

傲慢で、なんというかモンスタークレーマーに近い相手だ。

タブレットで連絡を入れて、交代要員を先に来させる。ごくごく希にこういうのが来るので、この仕事は外れがあると、注意喚起をされるのだ。

後続の亡者を、交代要員に任せて。

私は、血走った目を向けてくる亡者に、順番に説明する。

「まず、記憶を転生先に持ち込む事は許されていません」

「なんでだよ! 俺は人生を真面目に生きたんだぞ!」

「それを評価しているから、ある程度要望を聞くと言っています。 しかし記憶の持ち込みは、それだけで色々な問題を生みます。 貴方にも周囲にもね」

周囲にとっては、いうまでもなくアドバンテージになる。

都合良く記憶を持って二周目。

それは経験を豊富に積んだまま、もう一度人生をするという意味で、非常に他の人間に対して優位に立てる事を意味する。

だが、それはズルだ。

古い時代は、手違いでこういうことが起きたこともあるらしいのだが。

今は、起きないようにマニュアルも整備され。

システムも調整されている。

「真面目に生きたんだ! それくらい許せよ!」

「ダメです」

それに、もう一つ問題がある。

この男性は、他の星にて生を受けたいと言っている。勿論知的生命体としての生を、である。

それが何を意味するか。

言うまでもないが、致命的なのだ。それ自体が。

ルールが根本的に違っている別の星。別の文明。

其処に膨大な異界の知識を持ち込むこと。

それは本人が、下手をすると即死する危険も孕んでいる。

例えば、10Gの重力下にある惑星文明に新しい生を受けたとする。

1Gの重力下で生きていた地球人類としての生の記憶は。

其処では邪魔にしかならない。

ありとあらゆるルールが違うからだ。

生まれてすぐ死ぬ危険さえある。更に言うと、所詮は地球人。元々地球人の、他の惑星に対する知識など限定的なものに過ぎない。

そんな程度の知識しかないのに。

おいそれと別の星に転生などさせられない。

順番に、丁寧に説明をしていくが。

完全に頭に血が上った相手は、聞き入れようとしない。

権限は与えられている。

煉獄に放り込んでしまってもいい。この時点でチートを寄越せと言っているようなものだし、三万年くらい刑期をつけて煉獄に送っても問題は無い。

だが、私は。あくまで、丁寧に話をする。それはこの男が、真面目に生きてきたことに代わりは無いからだ。

今、横暴な行動を取っているとしても。

過去の五十八年に達する人生を真面目に送り。

二人の子供を立派に成人にまで育て。

犯罪歴も、自動車運転中の減点くらいしか無く。

会社での労働も、色々文句を言われたりしながらも、過不足無くこなしてきた、立派すぎるくらい立派な人。

こういう立派な人には、権利がある。

きちんとした場所に、転生出来る権利が。

咳払いすると、シミュレーションを見せる。

これが、恐らくは一番良いだろうからだ。

「では、弊害を見せましょう。 まず、貴方が記憶を持ち込んだまま生を受けたケースのシミュレーションです」

世の中はそれほど甘くない。

というよりも、だ。

この人はそれほど周囲に比べて頭が良いわけではない。

そして、世の中には。

この人が考えているよりもずっとずっと多く。他人を平然と利用して、骨の髄までしゃぶり尽くしても、何とも思わない人種がたくさんいる。

この人が、記憶を持ったまま転生した場合。

最初は神童としてもてはやされ。

そして。

年を経るごとに、どんどん評価が落ちていく。

それにつけ込むようにして。

その辺りに捨てた塵に、あっという間にハエが集ってくるように。

寄ってくるのだ。

邪悪な輩が。

耳元で、甘い言葉を囁く。

天才の貴方なら、なんだって出来ますよ。だからこの投資話に乗ってください。お金なら、借金をしてでも造れば良い。絶対に儲かりますよ。

この商品を、貴方の天才的な手腕で売ってくれませんか。

何、貴方だったら、絶対に出来ますよ。何しろ天才なんですから。

そして、幼い頃にちやほやされた事で。

まともな感覚を喪失していたこの人は。

天才と呼ばれる事で、今までの挫折感を跳ね返したかのような優越感に浸り。家族まで巻き込みながら転落していく。

やがては。

家族も離散。家庭は崩壊。

孤独に残された彼は。

内臓を全て取り出され。全ての尊厳も奪われて。

コンクリ詰めにされて、海に捨てられるのだ。

けらけらと笑っている複数の影。

この程度の頭の奴なんて、何処にでもいるんだよ。子供の頃に神童って呼ばれていたような奴ほど引っかけやすいんだ。馬鹿が。

俺たちはプロなんでな。

沈んでいくその人は、見る。

人間の命なんて、何とも思っていない人種が。人間を平然と絞り尽くして、殺す様子を。自分の自尊心が。

それに家族を巻き込んだことを。

絶望の悲鳴を上げたときには。

もう全てが遅い。

顔を上げたその人は、真っ青になっていた。

「良いですか。 これが記憶を持ち込むと言う事です。 ちなみにIQを160まで上げてこれです」

「……」

「人間の世界では、どうしようもない邪悪が存在していて、貴方のようなタイプが一番カモになります。 記憶の持ち込みをすれば、最初は天才だ神童だともてはやしてくれるかもしれないでしょう。 ですが最終的な結末はこれです。 貴方は、人間という生物の悪意と邪悪を舐めきっています」

言葉も無い様子の彼に。

今度は法則が違う世界で、記憶を持ち込んだ場合のシミュレーションを立て続けに見せる。

こういうのは、畳みかけないと意味がないからだ。

説得してもダメなのだ。

現実を見せないといけない。

そしてこのシミュレーションは。

現実に即したもの。

そう、古い時代に。

実際に起きた事故。

手違いで転生先に場違いな記憶を持ち込んだ人間が、どういうことになったか。その記録から作り出したものなのである。

其処は、法則が違う異世界。

生まれ出たその人は、息さえ出来ない事に気付く。

それはそうだ。

本能として知っている行動よりも。

人間は学習して得る知識の方が上回る。

本能としての部分に比べて、学習して後天的に得る知識が、遙かに大きいのが人間という生物の特徴だ。

他の地球上の生物は、どうしても本能の要素が大きく。学習で変わる部分は、人間より遙かに小さい。

それが人間が努力を続けなくてはいけない理由なのだが。

逆に此処では、それが徒になる。

呼吸のやり方さえ違う別の生物に、人間としての記憶を持ち込んだという事が、致命的な結果を招く。

息を出来ずにもがくその人を見て。

親も医者も困惑するばかり。

ほどなく。

わずか数十秒で。

新しい命は、断たれた。

想像を絶する苦痛とともに。

愕然として、顔を上げるその人。私は冷静に、その人に対して、語りかける。

これが現実だと。

「分かりましたか? こういうことになるから、記憶の持ち込みは許可できません」

「そ、そんな、だって俺は、苦しいことに耐え続けて、それで」

「その成果を評価して、転生先には良い条件を揃えています。 それだけで我慢をしてください」

「……」

ようやく、理解してくれた。

がっくりと項垂れると。

その人は、転生に同意してくれた。

後は、転生を実際にさせる担当の鬼が全てをやってくれる。はあと溜息を漏らすと、仕事の調整を見て、げんなりした。

後のシフトの鬼に、負担を掛けてしまったし。

かなりシフトが乱れることになる。

ただこういう事故はたまにあるので、先に備えはされているし。余裕のあるシフト構築もされているのが救いか。

鬼は精神生命体だから。

こういう負の体験は、ダイレクトに体にダメージが来る。

タブレットを操作して、レポートを提出すると。

すぐに引き継ぎをして、上がるようにと指示があった。

別の鬼に引き継いで、仕事を上がる。

なお、後輩である。

引き継ぎを行う部屋に空間スキップして移動すると。其処では既に、人間体になった後輩がまっていた。

清楚なお嬢様の姿をしていて。着物風のお服がとても似合っている。

「お疲れ様でした。 カント先輩、引き継ぎをお願いします」

「分かりました、ヒュライゼさん」

先輩後輩ではあるけれど、同じ中堅同士。

タブレットを操作して情報交換。

ちなみにもう一人とも、これから引き継ぎをして、それで作業終了である。私は、本来の姿に戻ると、帰宅する。

私は、地球の基準で現在は準惑星に降格させられている冥王星に家を持っていて。

冥王星の地表の岩の中に、位相をずらして自分用の空間を作っている。

この家は私のお気に入りで。

鬼になってから、一度も引っ越しはしていない。

家に戻ると、私は鏡を見る。

私は、魂の海から生まれ出た鬼で。

亡者から転生した鬼では無い。

話によると、人間としての記憶を持っている鬼は、色々と苦労する事も多いと言うのだけれど。

私は元からして違うので。

あまりその苦労体験には縁がない。

しばしあくびをすると。

私は、巨大なヤモリに似た姿で、ぐるんと丸くなって、休む。サポート用のAIは、家には入れていない。

必要ないからだ。

単純に私は、昔から相応のスペックがあるが。

これは魂の海から生まれた鬼の特徴らしい。

中には神々レベルの力を持っていきなり生まれてくる鬼もいるらしいのだけれど。流石にそれはレアケース。

私にしても、中堅になるまで結構早かったけれど。

それでも体感時間で500万年ほど掛かっている。

世の中は。

それほど甘くないのだ。

あの人に見せたことは、私自身も教訓としている。

天才としてもてはやされる子供は、その内手痛いしっぺ返しを喰らう事が多い。天才天才と回りからもてはやされ。

勉強しなくても何でも出来る。

そして、その内。

分不相応な場所に出て、思い知らされるのだ。

周囲には、努力をしてきた天才ばかり。

天才は天才でも。

努力をする天才と。努力をしない天才では、差は歴然。

実力も圧倒的に違う。

地の力が同じなら。

どれだけ努力をしてきたかが、ものをいうのだ。世の中は、そういうものなのである。

私も荒れたけれど。結局自業自得だと言う事に、メンタルケアを受けて気付くことが出来て。

今では相応の場所に落ち着いている。

ましてや、元々が普通だった人が。

不意に天才になって、なおかつ都合が良い場所に転生などしても。

実際は碌な事にならないだろう事は。

実例が多数ある事からも明らか。

あの人は。

せっかく真面目に生きたことで、優遇される新しい人生を。文字通りドブに捨てる寸前だったのだ。

タブレットに連絡が来る。

「カントさん。 中枢管理システムから連絡です」

「なんですか?」

「今回の残業分の追加休暇についてです。 ご確認ください」

「了解しました」

タブレットを操作し。

休暇の状態を確認する。少し増えているが、まあ対応が面倒だったのだし、これくらいは得られて当然だ。

物質世界のブラック企業ではあるまいし。

此処は何度も何度も練り上げられたあの世。

福利厚生はしっかりしている。

だが、鬼そのものの数は足りない。だから時間圧縮などと言う裏技を使わざるを得ないのだが。

アーカイブにアクセス。

しばらく時間が出来たから、黙々と娯楽にいそしむ。

どうせまた、次の仕事で、妙なのが来る。

私はそういうのに当たりやすい。

昔の事があったからか。

私はどうにも。

悲観的になりやすいきらいがあるらしかった。

 

1、都合の良い世界などない

 

魂の海から生まれて、基礎教育を受けてから。

私はすぐに鬼としての仕事に就いた。

ちなみに名前は、すっと浮かんで来たので。すっとその名前にした。今では、お気に入りである。

純化された魂の海から生まれたと言っても。

性格は別に純粋でも何でもない。

誰かの影響を受けるわけではないけれど。

人間の子供が、親次第でどんな風にも変わるように。

鬼も学習を受けていく過程で。

様々な性格へと変化していく。

どうやら私のように、魂の海から生まれた鬼は。

最初何でも出来る分。

実際に仕事に就いてから、皆苦労するらしい。それはアーカイブで、情報を漁って後から知った。

オーバースペックを持って生まれても。

所詮は生命体。

自分が世界最強、などという都合が良いことはないし。

周囲にも、似たような条件で生まれた奴はいる。

それが現実であって。

都合の良い世界など、何処にも無いのである。

擬似的に都合が良い世界を実現しているのが天界だけれども。

その結果、亡者達がどうなるか。

そう。凄まじい勢いで堕落していく。

駿馬も老いれば駄馬にも劣る。

そのことわざの通り。

歴史的な偉人が、完全な呆け老人と化して。クレームを上げている内に、無理矢理天界から引っ張り出され、放り込まれるようにして転生させられるのを何度も私は見ている。

結局の所。

この世に楽園など、存在しないのだ。

楽園のように見えても。

其処には必ず、恐怖と悪夢が待っているものなのである。

あくびをすると、私は仕事に備える。

化身をすると、鏡に自分を映す。

この化身に、もの凄く手間取る鬼もいるらしく。

アーカイブを見ると、苦労した鬼の、記録が色々と残されている。見ると、大変だったのだなあという言葉しか出てこない。

いずれにしても、化身を済ませ。

問題が無いことを確認すると、空間スキップして引き継ぎ用の部屋に。

引き継ぎの相手も、すぐに来た。

タブレットで情報交換。

何だか疲れた顔をしている相手に、心配して声を掛ける。

「プラッフさん、大丈夫ですか?」

「私は大丈夫です。 ただ、どうにも頑固な人にまた当たってしまって」

「どうしても時々いますからね」

苦笑い。

私もつい最近当たったばかりだし。当たる頻度が多いような気がするので、どうにも他人事じゃない。

オートメーション化されているから、これでも昔に比べると、鬼の負担はかなり減っているのだけれど。

それでも大変な事態は時々起きる。

例外という奴は。

どんな場所にでもあるものなのだ。

「カントさんは淡々と全てこなせているようで、羨ましいです」

「私は元神童です。 今はただの鬼ですよ」

「そうですかね」

「スペックが多少高くても、結局最終的にはこういう風に落ち着くものです。 私も苦労は散々しているんですよ」

引き継ぎを終えて。

そして、職場に。

スーツの状態を確認すると。

仕事に取りかかる。

転生にそのまま回されてくる亡者は、実のところそれほど多くない。というか、同じような条件で、同じような転生をする亡者があまりいない、ということだ。

転生に関わる鬼は、かなり作業が細分化されていて。

私も例外じゃあない。

魂の循環はあの世にとって大変に重要なことで。

それだけマンパワーを割いている。

中枢管理システムも、此処に相当なリソースを割いていて。昔は大物の上級鬼や。神々が転生に直接関わっていたりもした。

今はオートメーション化されているから、負担は小さくなっているけれど。

それでも負担はそれなりだ。

亡者が来る。

気むずかしそうなお爺さんだ。

背をしっかり伸ばして歩いているけれど。

生前の習慣だろうか。

ステッキをついている。

とにかく気むずかしそうで。私はにっこり笑顔を作って応対するけれど。相手は、にこりともしなかった。

「転生の手続きをします。 まずはタブレットで貴方の経歴を確認しますね」

「……」

亡くなられたのは81歳。平均寿命を更に超えているから、結構長生きだったということだ。

そしてこの人も。

気むずかしそうな外見と裏腹に。

結構生真面目に人生を送り。

犯罪もせず。誰も虐げず。厳しかったけれど、それはそれで。多くの人間を立派に教師として育て上げた

ただ、生徒達からは怖れられていたし。

あまり良くは想われていなかったようだ。

怖いし。高圧的だし。

しかし、この人は本物のスペシャリストで。新しい知識を常に取り入れ続け。最新の学問を生徒達に教え続けていた。

それは事実だ。

だからこの人の教え子達には。

世界の科学の発展に寄与した人間が、何人も出ている。

「貴方はかなりの業績を上げていますし、転生先を優遇できます。 何かご希望はありますか?」

「……」

「鬼になる事も可能ですが、此方に来られたと言うことは転生をご希望という事でよろしいですか?」

「……」

はて。

何か気に触ることでも言っただろうか。

辛抱強く相手の反応を待つ。

何しろ年老いている人だ。脳の働きが、あまり良くないのかも知れない。亡者になっても、こういう生物だった頃の影響を受ける人は珍しくない。

しばしして。

お爺さんは口を開いた。

「また教師になりたいな」

「分かりました。 良い環境を用意しましょう」

「……そうしてくれ」

ずっと考え込んでいたらしいお爺さんは。

私を一瞥すると。

何だか不機嫌そうに、舌打ちして去って行った。

なんだろう。

とりあえず、これくらいの気むずかしい人なら、別に問題はあまりない。対応していても、苦は覚えない。

次の人が来る。

今度は。四十代後半くらいの、上品そうな女性だ。

経歴を調べる。

特に不自由のない人生を送ったが。

なるほど、その前の人生で、結構な苦労を重ねて。それで条件が良い転生をした、というわけだ。

その後の人生は、特に社会にて功績を挙げることも無かったけれど。

その代わり、持っていた豊富な資金を福祉につぎ込み。

多くの孤児が、社会に出られるように手助けをした。

ただし、本人の家庭環境はあまり恵まれず。

夫とはあまり良い仲ではなかったようだし。

子供達も、冷酷さが目立ち。

彼女の行為は、「偽善」だと、家族全員から罵られ続けていたらしい。

アホらしい。

実際にそれで救われている人間がいるのだったら、偽善であるはずが無い。結局ストレスのせいか、早くに亡くなってしまったようで。

しかも彼女が作った資金は、その家族によって食い荒らされたようだが。

彼女自身に責任は無いだろう。

ただ、彼女の家族に、優しい扱いをすることは出来ないが。亡者になってここに来たら、さぞや恐ろしい結末を見る事になるだろう。

まあ、地獄行きが妥当か。

「貴方は立派な人ですね。 鬼になる事も出来るのですが、転生がお望みですか」

「私は身の丈にあった生活をしたいです。 人々を管理するような仕事なんて、とても出来ません」

「分かりました。 今回も転生先を優遇できるように処置します」

「ありがとうございます」

完璧すぎるほどの礼。

この人は、それこそどのような環境に生まれ落ちても、此処にまたやってくるのではあるまいかと思わされる。

だけれども、それはそれ。

実際、こういう人がいても。

周囲はその愚かさを改めることは無かった。

物質世界への介入はあの世では基本的に行わない。文明の黎明期に天国と地獄の概念を広めたり。

或いはたまに歴史の転換期に、少しだけ手を貸したり。

煉獄で、良い方向に歴史が動くように、少しばかり可能性を調整したりはするけれど。それ以上の事はしないのが基本だ。

あの人は、前の前の人生でも苦労して。

前の人生でも苦労した。

善良である人が報われない。

それは悲しい事だ。

環境に関しては、整えているのだけれど。

美しい花に醜悪なものが寄りつくのは。

もはや人間という生物そのものの性質を表しているのかも知れない。そうとさえ思えてくる。

次の亡者を待つ。

少し時間が経過したけれど。次が来ない。

タブレットを操作してみると。

どうやら何かトラブルが起きているらしい。私は支援メンバーでは無いので、様子は見に行かない。

却って混乱させるだけだからだ。

しばしして。

どうやら混乱が復旧したようだった。

タブレットを操作してみると、既にレポートが上がっている。自我を戻した途端、急に凶暴化して、暴れ出した亡者がいたのだ。

別に亡者が暴れても、鬼なら瞬時に制圧することが可能だが。

他の亡者に危害を加えようとしたので、その場で爆裂させ。

そして対応を検討し直した。

結果として、転生か鬼にするか、という選択肢はその場で消滅。

面接に掛け。

反応次第で結果を決める、という事になった。

その手続きで時間が掛かったらしい。

まあこればかりは仕方が無いだろう。

こういったトラブルに対応出来てこそプロフェッショナルだし。何よりも、そもそもトラブルが起きる前提で仕事のスケジュールは組まれている。

だからこれでいいのである。

次の亡者が来た。

いかにもな初老の紳士で。

今時シルクハットにジェントル髭である。

どこの国の人かなと思ったら。

普段からそういう格好をしていることで有名な変わり者らしい。ちなみにちゃんと日本人である。

変わり者だが、その経歴は本物。

科学者として、幾つも大きな発見をしていて。

個人としても、これといった問題を起こしていない。

偉人と言うべき人間だ。

ただ、その粒が小さい。

この人は、転生も、鬼になる事も。天国に行く事も。

何でも選べただろう。

ただし、この人は転生を選んだ。だから、それをサポートしていく。

「色々な業績を上げられたのですね。 天国に行く事も、鬼になる事もできますが、転生でよろしいのですか?」

「おお、セェエエニョル。 私はまだ現実世界で、エェェエエエレガントな私の姿を周囲に見せつけなければならない! そういう使命があるのだ!」

「そうですか」

「うむ、分かってくれて何よりだ。 早速現世に舞い戻りたい!」

何だか会話があまり成立していない気がするが。

とにかく現世に戻りたいなら手続きをするだけ。

行動にも問題が無いし。

悪意も感じられない。

正真正銘の変人だが。

それと同時に、いい人である事も間違いは無いだろう。

転生の手続きをすると。

大げさすぎるほどの紳士的な礼をして。なんというか、個性の塊みたいな初老の紳士は、転生の手続きを受けに行った。

ちょっと今のは疲れた。

まあ少しばかりのやりとりで済んだし。

場合によっては、延々と訳が分からない話を聞かされるケースもある。そういうのに比べると、随分とマシだ。

実際問題、いるのだ。

自我を取り戻した途端、担当の鬼にべらべら喋り始める亡者が。それこそ、嵐のような勢いで。

私も何度か遭遇した事があるが。

相手に悪気がない場合もあるし。

あしらい方が難しい。

この仕事は、かなりの高ストレスで、やりたがらない鬼も多いと聞いているのだけれど。私も、何となく分かる。

特に元人間の亡者にとっては、鬼門以外の何者でもないだろう。

次の亡者。

今度は恰幅の良いおじさんだ。

何だか嫌な予感がしたが。

大当たりした。

「記憶を持ったまま転生したい」

またか。

私は、出来るだけ笑顔を崩さずに。

順番に説明していく態勢に入る。

ここからが長いのは目に見えているけれど。

それでも仕事だ。

私は、これで仕事している。

問題が発生した場合、それでリカバリ出来なければ。プロフェッショナルとはいえないのである。

 

2、問題はいつも必然

 

中枢管理システムから呼び出しを受けた。

特に問題は起こしていないはずだが。タブレットを確認すると、内容的には一応納得できるものだ。

最近の状況を見ると。

亡者の中で。

特に転生を決めた者の中で。

身勝手な要求をするものが増えすぎている、というのである。

それについて意見を聞きたいそうだ。

どうして私が、と思う。

というか、現場で働いている鬼は、私以外もたくさんいるし。何より上役にまず聞くべきではないのだろうか。

そう思ってメールを確認していくと。

なるほど、納得できた。

まず上役についてだけれど、既にヒアリング済み。

また、どうしてかは分からないのだけれど。

私の所には、怪人の出現率が高すぎるのだそうである。

平均から比べても四倍前後。

それを裁いている私。

つまり現場の声を聞きたいのだそうだ。

そう言われてしまうと、此方としても仕方が無い。

出向くしか無いだろう。

中枢管理システムの、受付にまず空間スキップ。途中でマスドライバを利用して、何度か空間スキップしてここに来たが、まあ大した時間は掛からない。此処でしばらく待たされている内に。

以前、同じ職場にいた鬼とばったりあった。

列の後ろに来たのだけれど。

なにやら向こうも用事があったようだ。

「カントさんじゃないですか」

「イラネスさん。 お久しぶりです」

イラネスは、四角錐のような形状をした鬼で、頂点から一本の触手が伸びている。まあ、精神生命体である鬼はそれぞれ違う姿をしているのが普通だ。

人間出身の鬼は、どうしてか幾何学的な形状になりやすいのだけれど。

イラネスも例外ではない。

この鬼も、煉獄から抜擢されて鬼になった者で。

体感時間で170万年ほど、同じ職場で働いていた。

話を聞くと、今は煉獄の管理をしているとかで。

煉獄では近年、地球の未来がかなりまずいと結論。せっせと確率操作をしていて、かなり地球関連の部署は忙しいという。

「このままだと滅亡確定です。 貴重な文明の一つですし、どうにか滅亡は回避しないといけません」

「そうなんですね」

「はい。 条件が整った星でも、文明が発生する確率はあまり高くは無いんです。 守るためには、相応のマンパワーが必要です」

どうもぴんと来ないのは。

私が魂の海から生まれた鬼だから、かも知れない。

故郷を守りたい。

イラネスはそう考えているのだろう。

「時にカントさんは、どのような用件ですか?」

「私はずっと同じ職場にいるんですが、勝手な事を言う亡者が増えてきていて」

「ああ、なるほど」

「ストレスが高い職場だと言われていますが、その改善のためでしょう」

呼ばれたので、話を切り上げる。

そして、空間スキップ。

待っていたのは、神々の一柱である。

神と直接対面することはあまり多く無い。

流石にちょっと緊張した。

その神は、地球の神話には名前を貸していない。地球人には発音も出来ない名前なので、仕方が無いと言う事情はある。

「良く来たな。 それでは、忌憚ない意見を聞かせて欲しい」

「面接をするために、余計な情報を流したのが原因の一端かと思います。 ただ、それは一端に過ぎず、元々こういう生物だったというのが私の結論です」

「ふむ……」

「元々地球人は極めてエゴイスティックな生物です。 文明を構築した存在の割りには、非常に幼稚で独善的です。 それに拍車が掛かったのは事実ですが、元々そういう生物なので、割り切って接するしか無いかと」

君は冷淡だな。

そうはっきり言われるが。

地球人類では無いし。

そもそも、あまりよく分からない部分も多い。

少なくとも客観的に見る限り。

地球人類は極めて独善的で、非常に身勝手な個体が多い。

良い奴もいる。

たくさん見てきた。

だが、私の前に来る。つまり転生をする亡者は、全体の中では決して多く無い。地獄や煉獄に行く者の方が多いくらいだ。

「解決策は何か思い当たらないか」

「そういう生物ですので」

「なるほど、種として変化しないとムリ、というわけだな」

「私はそう結論します」

分かったと、神は言い。

それだけで帰してくれた。

後はちょっと手続きをして、それからまっすぐに冥王星に帰宅。私はああ言ったけれど、神が人間に手を入れるとは思えない。

物質文明に過度の干渉をすることは禁止されているし。

干渉する場合も最小限だ。

種そのものが滅んだり。

或いは根本的に変わったりするような干渉は禁止。

この辺りは鉄則である。

希に、星間文明同士が、致命的な戦闘に入った場合は。何かしらの手段で止めることがあるらしいけれど。

その実例を見たことが無いし。

何よりアーカイブでも最高機密扱い。

私の権限では見る事も出来ない。

自宅に着くと。

くるっと丸まって、休む。

ぼんやりして、しばらく頭をゆるゆるにした後。

家を這い出して。

外で、太陽の方を見た。

太陽系には、結局地球しか文明が発生しなかったが。

そもそも文明が発生する恒星系の方が希だ。色々問題がある文明だとしても、地球はそれだけ貴重な存在なのである。

神は何故私を呼んだのか。

やはりよく分からない。

メールの内容で一度は納得はしたけれど。

直接話をしてみると、どうもそれは後付けの理屈だったように思えてきてならないのである。

成果を上げているからか。

それについては、一応の成果を上げてはいるけれど。

だが、それでも妙だ。

何かおかしな事でも起きているのでは無いのか。

そう思えて、不安になってくる。

しかし、不安でばかりもいられない。

私は、そもそも。

寄る辺もないのだから。

 

仕事に入る。

今回は、初っぱなから強烈なのが来た。

かなり長身の、見た目は普通の男性なのだけれど。兎に角喋る喋る。見かけと性格は一致しない事が多い。

それは当たり前なのだけれど。

亡者になって箍が外れたのか。

それとも転生するので、これで最後だからなのか。

とにかくひたすら、喋り倒された。

それでいて、こうしたいああしたいという希望は殆ど口にしないのである。本当に、意図が分からない。

それでも、どうにか相手の隙を突きながら、少しずつ転生する際の希望を聞き出していくのだけれど。

何も無いというのだ。

「ボクは普通に生きられればそれでいいのです! ですので、普通に生きられるようにしてください!」

笑顔でいうその男性。

困り果てながらも、タブレットを操作して調べて見るが。

どうも別に不幸な人生を送ったわけでも無い。

周囲から見て孤独だったわけでもない。

ただ、寡黙だった。

それは事実だったようだ。

とにかく、だ。

ごく当たり障りが無い転生先に送り込んで、一安心。凄い喋り倒されて、それも一方的に。

非常に疲れた。

もう少し、タブレットを操作するが。

何となく、それで理由が分かってきた。

孤独でも無いし。

不幸でもなかったけれど。

抑圧された人生だったのだ。

好きなことを片っ端から親に禁止されて。

結婚相手も親に決められた。

自分で独立した頃には。既に子供も出来ていて。自由に振る舞うことも出来なくなっていた。

笑顔を振りまいて。

周囲には何一つ不満さえこぼせない。

それはそうだ。

彼は散々教え込まれていたのである。

不満を口にするのは弱いからだ。

言い訳は男がする事では無い。

弱音を吐くなんてもってのほか。弱音を吐くような人間など、この家の跡取りたる資格などない。

好きなものなど造る事は許されない。

男らしい趣味を持たなければならない。

いい年をした男にふさわしい趣味を持たなければ、そいつは男失格だ。全てを許さない。そう、親に叩き込まれてきた。

だから何一つ主張することも出来ず。

にこにこと笑顔を保ったまま。

何もかも流され続け。

そして人生を満了した。

周囲には、人格者だとか。素晴らしい人だったとか、褒め称えられ。家族からも信頼され続けた。

盛大な葬儀も行われた。

葬儀代には、満面の笑みを浮かべる彼の写真。

そして、誰もが彼の死を惜しんだ。

だが、それは。

要するに、自分に都合が良い存在が死んだ事を惜しんだのであって。彼という人間が死んだ事を、惜しんだのでは無かったのではあるまいか。

そうか、それでか。

妙に若々しい見かけや。

不自然に喋り倒す姿勢。

転生にすぐに回されたのも、特に問題が無かったからだけれども。

自我が戻って見れば、鬱屈が爆発したわけだ。

だから、転生と聞いて、すぐに喋り始めた。

それは、壊れたオルゴールのように。

元々、オルゴールのような、機械も同然として育てられたのだから、無理も無かったのだろう。

彼の親は。

自分にとって都合の良い道具を育てたのであって。

人間を育てたのでは無い。

色々やってみたかったのだろう。

だがその全ての道は最初から閉ざされ。

何もかもが抑圧され続け。

最後の時まで。

何一つ良い事など無かった。

そうか、それではああなるのも当然か。

転生先は、少しはマシだといいのだけれど。一応、かなり優遇はされるはずだ。機械的に動いていたとはいっても。あの人が正真正銘の善行を重ねていたのもまた事実。多くの社会的弱者に手をさしのべ。その生活や人生の補助をしていたし。

彼が作った幾つかの制度は。

実際に恵まれない多くの人間を救ったのだ。

天国に行くスレスレくらいの功績を挙げていた人で。

そうしてあげていても良かったかも知れない。

だが。

天国に行けば、一瞬で堕落しただろうなとも思う。

なんだろう。

どうしてこうももやもやするのか。

ため息をつくと、次の亡者を待つ。

次、その次と普通の亡者が来て。転生先もすんなり決まったけれど。

どうしても、先の人が非常に引っ掛かる。

仕事にミスは出さない。

タブレットに搭載されている補助AIが、無言でサポートもしてくれるし。これでもベテランだ。

ひょっとすると、だけれど。

私は、人間の生というものに興味を持ち始めたのか。

いや、まてまて。

私は魂の海から生まれ出た、純粋なる鬼。

人間とは生まれからして違う。

魂の海は、自我も何もかも取り除き、純化した魂で作られた、あの世の中核とも言える場所。

惑星で言う核。

銀河で言う中心ブラックホール。

私は其処から生まれ出た、人とは関係がない存在。

ましてやこの星の人間とは。

何一つが関係無い。

それなのに、どうしてこうももやもやする。

次の亡者が来た。

痩せた女の子だ。

まだ七歳くらいか。

幼すぎる子供がここに来る場合、補助として、仮の肉体が与えられるケースがある。生前に、体が欠損していた場合も同じだ。ずっと肉体が欠損していた場合は、そうすることで、補助を自動的に行うのだ。

この子はそのケースだな。

私は一目でそれを見抜いた。

子供は、ぼんやりと私を見上げていたけれど。

咳払いして、此処がどういう場所で。

これから何をするか告げると。

寂しそうに女の子は目を伏せた。

「また同じ所に戻れないの?」

「ごめんね、それは無理なの」

調べて見るが。

悲惨な経歴だ。

子供を愛することが無い親は何処にでもいるが、この子の親がその典型。それも両親揃って。

何より、である。

この子は、まだ親を憎めない年なのに命を落とした。

だから、自分が虐待されていたことさえ気づけなかった。

そしてここに来た今も。

虐待されたことを分からず。

両親の下に帰りたがっている。

不幸すぎるが。

こういう場合、鬼になるか、転生するかの二択を任せる事が出来る。実際には、鬼になって貰うケースが多い。

この子が廻されてきたのは、何かの手違いか。

それとも、単純に、本当に虐待されていることを理解していないか。

恐らくは後者。

いや、後者が故に。

此方に回してしまったというべきか。

或いは、判断をしている鬼が、疲れていたのかも知れない。

自動判断を見逃した可能性もある。

あまりにもはっきりしているケースの場合は、自動判断されるのだけれど。

微妙な判断が必要な場合は、鬼が直接タブレットで調べて、亡者がどうするべきかを決める。

その時に、時々。

こういう事故が起きるのだ。

タブレットを操作して、判断をもう一度戻す。

こういうケースは何度か経験している。すぐに担当した鬼が来て、女の子を連れて行く。はあと溜息が漏れる。

こういう時、ミスをした鬼を責めるのはいけない。

ミスを防ぐために私がいるのだし。

システムが最初にミスをしているのだ。

それである以上。

鬼を責める事は出来ない。

あの子は鬼として第二の生を得ることになるだろう。

転生を判断できる年では無いし。

煉獄に送る何てもってのほか。

面接に掛けるにも。

少しばかり幼すぎる。

結局の所、物質世界が苦界なのは今も昔も変わらない、という事で。世界には理不尽がみちみちている。

あの子を殺した両親は、どうやら物質世界では逮捕されていないようだ。

酷い話ではあるけれど。

それもまた、現実。

変えていかなければならないけれど。

過度の干渉は許されていない。

物質世界の人間達の努力を誘発するように、色々と工夫はしているけれど。

それもどこまでするべきなのか。

あの世でさえ、議論が分かれているほどなのだ。

中枢管理システムはよくやっている。

少なくとも、ビッグバン前の宇宙よりも。今の宇宙の方が、遙かに安定しているとは聞いている。

前の宇宙では、それこそ得体が知れない蛮族が猛威を振るい、宇宙中で殺戮の限りを尽くし。

あの世の鬼達は過労で発狂寸前。

ビッグバンで宇宙が一度終わった後。

魂を整理したところ。

蛮族達は、殆ど全てが地獄送りになり。

地獄で働いていた鬼達が、皆絶望の抗議を上げた、という逸話さえある。

それに比べて、今の宇宙はマシだ。

だが、それでも。

ああいう子は出てくる。

頭を振って、気持ちを切り替える。

そして、次の亡者を待つ。

しばらく間隔が空いたが。

やがて、すっと闇に浮かぶように。

痩せた女性が姿を見せた。

陰気な雰囲気で。

手首には大量のリストカット跡。首や顔にも、自傷の跡が残されていた。

相当なストレスを抱えた人生だったのだろう。

だけれども。

この人は、自分以外の他人を傷つけることは無かった。

この人も、胸くそが悪くなるような生を送ったのだけれど。それでも目に恨みはないし。転生先を聞いてみると。

あまり多く無い希望を、細々と述べるだけだった。

要は、迫害されない世界。

それだけである。

虐めを受けてすっかり萎縮した彼女は。

社会人になってからもまったく周囲になじめず。

陰湿な虐めは更にエスカレート。

会社の内部でも散々迫害され。

やがて精神病院に入れられた。

明らかに犯罪レベルでの虐待が加えられていたのに。それを恨む様子も無く。自分が弱いのが悪いと結論して。

その結果、手にはリストカットの跡が増え。

そして、最終的には。

栄養も取らなくなり。

元から彼女を気味悪がっていた両親が援助を打ちきったこともあって、病院からも放り出された。

国によっては、金が無い患者を病院から放り出すなんて当たり前である。

先進国と呼ばれる国でも、それは当然の事として行われる。

彼女はホームレスになるしかなかった。

そして、元から生きる意欲を失っていたこともあって。

間もなく、何も食べなくなり。

そのままミイラになるようにして、衰弱死した。

誰も彼女には手をさしのべなかった。

生活保護という仕組みもあるが。

申請しない方が悪いという理由で、誰も救済しようとはしなかった。

容姿が周囲から劣っていたからか。

生理的に嫌悪感を感じたからか。

どっちにしても、人間が相手を迫害する理由に、大したものなど無い。

そしてこの人は。それを受け入れていた。

というよりも。

抗議することさえ、諦めてしまっていたのだろう。

「大丈夫。 次はまともな人生を送れるようにします。 それとも、鬼になるという手もありますが」

「転生で良いです」

「……分かりました」

もう、何にも期待していない。

それだけが伝わってくる。

私は、彼女を送り出すと。

タブレットを操作して、調べる。まだ十人ほどは転生をする人を見なければならないだろう。

まともな人生を送れて、転生をする人はあまり多く無い。

転生をしに来る人も。

報われないにもほどがある人生を送っているケースが少なくない。

溜息が零れた。

今日何度目だろう。

気がつくと、また次の亡者が来ていた。

まだまだ。

少し気合いを入れ直すと、私は笑顔を作った。

 

家に戻ると。

アーカイブを引っ張り出して、ぼんやりと名作映画を見る。

名作映画はいい。

世の中には好きこのんでだめな作品ばかりを見る物好きもいるらしいけれど。私は単純に名作映画だけを見たいと思う。

勿論相手を物好きだとはいったけれど。

それを否定する気は無い。

相手の趣味に干渉しない。

相手の趣味を否定しない。

あの世における大原則だ。

物質世界では、それを堂々と行う輩がいて。それが社会的に良識的、等とされるケースもあるが。

あらゆるデータが。

それが−の結果しかもたらさないことを告げている。

元々あの世では、鬼同士の関係が希薄であり、他人にわざわざ干渉する必要が薄いこともあるし。

何より、統計という圧倒的な現実が事実を告げている事もあって。

相手の趣味を否定するような行為は、最低の外道として軽蔑される。

当たり前の話だ。

ぼんやりと名作映画を見ているが。

水が差される。

タブレットに連絡。

どうやら、何かあったらしい。

私をご指名だ。それも、職場からである。

「カントです。 何かミスがありましたか」

「いえ、そうではありません。 問題発生により、シフトの組み替えを行います。 もうしわけありません」

「分かりました」

私がいるとき以外に問題が起きるのは珍しいな。

そう自嘲する。

大体私がいるときに、特大の問題が起きるものなのだけれど。まあ、そう拗ねてみても仕方が無い。

組み直されたシフトを見ると。

どうやら、映画を見終わったら、すぐに出なければならないらしい。

その代わり、別に休日が廻される。

其処がかなり優遇されるから、私としてはどうでも良いのだけれど。

いずれにしても、映画を見続けることにする。

それにしても、美しい題材の映画だ。

無償の愛と、それに応える周囲。

現実には存在しない。

だからこそ、より美しく感じるのだろう題材。私も見ていて、こんな優しい世界なら、もっと私達の仕事の手間は減るのにと。感じてしまう。

溜息がまた漏れる。

そして映画が終わると。

私は完全に諦めきったまま。

次の仕事に向かうべく、準備を始めた。

 

3、転機は訪れない

 

かなり仕事場がばたついていた。

引き継ぎに来た鬼も、少し慌てている。タブレットに受けた引き継ぎを見ると。どうやら大規模トラブルだ。

自我を取り戻した亡者が逃走。

逃げ回ったあげくに捕まったのだけれど。

凄まじい叫び声を上げて、まだ暴れ回っているという。

既に拘束はしているけれど。

興奮状態が収まらず。

相当に困り果てているらしい。

「今、鎮静剤を投入しているのですが、それでも暴れています。 何度か爆裂させて、無理矢理大人しくさせようとしたのですが」

「どういう亡者ですか?」

「それが、まだ若い青年でして」

「……」

様子を見に行くわけにもいかないか。

とにかく、仕事場がボトルネックを起こしてしまっているのは事実らしい。私には介入の権限も無い。

しばらくは様子見だ。

問題を起こした亡者は、独房に連れて行かれる。

これは余程何かしらの理由がある亡者なのだろう。あまりあの世の入り口で周囲に迷惑を掛ける場合。

その場で煉獄に放り込まれるケースもあるのだ。

それが、此処まで暴れて、それでもなお穏当な解決を図っているのである。

相当な事情があると見て良い。

下手をすると、私の所に廻ってくるかも知れない。

そう思うと、げんなりしたけれど。

仕方が無い。

これも仕事なのだ。

しばし、黙々と仕事をする。

亡者が来なくても、する仕事はある。レポートを確認したり。今日の仕事状態を見たり、色々だ。

程なく、亡者が来る。

大人しそうな女性だ。

ただ、ちょっと雰囲気がぼんやりかも知れない。

眼鏡を掛けていて、所在なさげに此方に来る。そして、私が挨拶する前に、ぺこりと丁寧に頭を下げた。

転生についての説明をしながら、経歴を確認。

天国に行ける程では無いけれど。

煉獄行きや、面接に掛けられるほどでもない。

誰を傷つける事も無く。

かといって、誰かを助けることもなく。

しかし、あまり長生きは出来ず。

若くして事故で亡くなっている。

転生先についても、あまり希望を口にしなかった。ただ、一つ面倒くさい事を言い出したが。

「素敵な彼氏が欲しいです」

「……それは貴方の努力次第ですね。 真面目に人生を送られましたし、ある程度の条件優遇はされますから、頑張ってください」

「……」

そうかそうか。

そういえば、物質世界では、「女性が彼氏を選ぶのは、自動販売機でジュースを選んでいるようなものだ」等とか言う噴飯モノの言葉が流行っているとか。

あの世から現実を見ていると。

それが如何に愚かしい言葉かよく分かる。

この人は、そんな言葉とは無縁の人生を送ったようだけれど。

それでもなんというか。

ちょっと甘えたところがあるな、とは思った。

まあ良い。

次だ。

何人か普通の亡者を見送った後。

どうやら、問題の亡者が来る。

AI操作のロボットに拘束されて。完全に動けないようにされていながらも。なおも暴れようとしている亡者である。

噛みつこうとしてくる有様で。

どうして転生に廻されてきたのかがよく分からないが。

経歴を調べて見て納得だ。

この人。

人生の最初から最後まで、大まじめに生きてきた。

しかし、あまりにも理不尽すぎる死に方をしたのである。

犯罪など無縁。

回りに困っている人がいたら助け。

自分よりも他人を優先し。

誰よりも優しかった。

だが、そんな彼の娘が、強姦されて殺された事が全ての始まりになった。終わりと言えるかも知れない。

彼の暮らしていた国では。

犯罪被害者をさらし者にして。

金儲けの種にするという。悪しき風習があったのである。

結果として、彼は。

愛する娘を失ったばかりか。

周囲のオモチャにされ。

連日金儲けのためには相手の社会的生命を抹殺しても良いと考えるゲスどものカメラに曝され続け、マイクを突きつけられ続けた。

強姦殺人犯は逮捕されたが。

此奴は「法の保護」によって堅くガードされ。

罪も極めて軽く終わり。

そればかりか。

「お礼参り」とやらで。

彼を刺し殺した。

そしてあの世に来たのである。

そのお礼参りとやらも、マスコミが垂れ流した情報の結果によるものだと知ったとき。彼は何処かでブチ切れたのだろう。

なんたる理不尽かと。

ちなみにその殺人犯は、直後に逃げている途中トラックにはねられて、全身バラバラになって即死。

地獄行き即決。

今では、地獄で罪を生搾りされているが。

それでも、この人は納得できなかったようだ。

まあ、分からないでも無い。

金儲けのために、なんら罪も無い人の社会的生命を奪っても良い。そういう社会的風潮が存在していて。

それを行っている人間は、自分たちを貴族か何かと錯覚している。

そんな社会に殺された娘と自分。

その事実に曝されたとき。

今までの善行はなんだったのか。

なんのために生きてきたのか。

そういった怒りが、一気に爆発したのだろう。

タブレットで調べたところ、娘さんは既に転生を決めていて。恵まれた環境に転生したようだが。

一方この人は。

転生は絶対嫌だと、凄まじい形相で叫んだ。

「鬼にしろ! 鬼にして地獄に送ってくれ! あの野郎を、一兆回は粉みじんにしないと気が済まない!」

「貴方がそのような事をしなくても、そんな程度の苦痛では足下にも及ばないような地獄が、あの外道には待っていますよ」

「……」

「復讐をするために鬼になるのは許されません。 それに鬼になった時点で、貴方からは幾つもの要素がオミットされます。 鬼とは復讐を果たすためになるものではなくて、世界をよりよく管理するためになる存在です。 それを理解した上でなら、鬼になる手続きをします」

しばらく黙っていた男性は。

やがて、ぼそりと呟く。

暴れて疲れ果てたからだろうか。

それとも、怒りも流石に限界だったから、だろうか。

「考える時間をくれないか」

「良いでしょう。 貴方は天国に行く事も出来るほど、色々と現世で功績を残したようですし、手配します。 ただ、先ほどの言葉を覚えておいてください。 地獄での責め苦は、罪に応じて適切に行使されます。 其処に、個人的感情は含まれませんし、貴方が復讐することも許されません」

「……」

諦めた様子で、男性がロボットに引きずられていく。

これは、暴れるのも無理は無い。

そして、あの人に責任は無い。

シリアルキラーと。

それを助長する社会の仕組みの問題だ。

どうしようもないとしか言いようが無い。ペンの力を過剰に評価した社会がもたらした、害悪そのもの。

その結末がこれだ。

何ら罪も無い人が徹底的に馬鹿を見て。

犯罪を犯した奴はやり逃げ同然。

これでは、亡くなった被害者も報われないだろう。

こんな事を許すために、物質世界では、報道の自由がどうのこうのと叫んでいるのか。そんなもの、クソ喰らえだ。

こっちまで怒りに汚染されそうだが。

どうにか耐える。

此方まで悪しき物質世界での因習に引きずられてどうする。私はそういうのとは無縁なのが、鬼としての強みなのに。

大きく深呼吸して。

心身を整える。

次の亡者は中々来ない。

さっきの亡者の件で。

色々と立て込んでいるのだろう。

あの人を責めるわけにもいかないし。そもそも此処では、時間の流れが普通と違っている。

だから、待つ事そのものは、苦にはならない。

しばしして。

次の亡者が来た。

普通の亡者だ。

少しだけ安心した。

 

結局引き継いだので、その後の事は分からないけれど。家に帰ってアーカイブを見ると、あの娘さんをシリアルキラーに殺された人は、鬼になる事を選んだらしい。ただし、当面は監視がつくようだ。

それはそうだろう。

憎悪が深すぎると、どうしても判断を誤る。

まあ、あのゲスが地獄でどのような苦痛を受けているか、実際に見せられたりもしたのだろうか。

いずれにしても、鬼になると決めたときは。

ある程度冷静になっていたようだが。

タブレットに連絡が来る。

シフトの最終的な状態調整が終わったという事で。私の休日について、タブレットに送られてきたのだ。

見ると、かなりの長期休暇だ。

久々に何処かに遊びに行くか。

行くとして、何処が良いだろう。

アーカイブを調べていると。

また、それに水を差すようにして、タブレットが鳴る。今度はなんだよ。うんざりしながらタブレットを操作すると。

更にうんざりするような事実が記載されていた。

また問題発生。

ふざけんな。

叫ぶと、私はタブレットを床にたたきつけていた。

勿論そんな程度で壊れるようなヤワな代物では無いけれど。何だこれは。立て続け過ぎるだろう。

当然シフトも組み替えだが。

同時に、ヘルプ要員を入れることも連絡として入っていた。

まあ当然か。

この状態だと、その内まともな労働状況が維持できなくなる。

物質世界のブラック企業じゃあるまいし。

あの世の鬼達は、体感時間数千万年、という単位で生きているのだ。そんな待遇で働いていたら精神が崩壊する。

精神生命体が壊れると。

大変な災禍を招くのだ。

古い時代には、それも実際にあったらしく。

そういうときには、大きな災厄が物質世界にまで及んだらしい。ビッグバン前の宇宙が安定しなかったのは。

鬼が少なすぎて。

仕事が忙しすぎて。

精神生命体である鬼達の負荷が高すぎた事も、原因としてあるらしい。

あの世が大変だと、物質世界にも悪影響が露骨に出る。

そういうものなのだ。

兎に角、機嫌を直して、事態に立ち向かうしかない。

タブレットを拾い直すと、冷静に状態を確認。兎に角、旅行は中止だ。シフトに関しても、かなり休暇が削られている。

問題は、また結構大きいのが出てきたらしい。

ざっと調べるが。

また亡者が暴れたようなのだ。

これは、近々中枢管理システムが介入するな。私はそう察したけれど、敢えて今は黙っておく。

前に神の一柱に呼ばれて。

話を聞かれたときに、言うべき事は言った。

中枢管理システムでも、これは問題だと察しているはずで。対応は始めるだろうからだ。

しばらく待っていると。

またタブレットに連絡が来る。

どうやら、問題は解決したようだが。

やはりシフトは改変。

私の休日は、大幅に減った。

その後に、分散して休日を増やしてくれるように措置はされたが。ここまで立て続けに問題が起きると、根本的にシステムの見直しが必要になる。

嘆息すると。

何度目の溜息だろうと、私は自虐的に考えて。

そういえば、この仕事を始めてから、122万回を超えていたことに気付いて。そして床にべったりと伸びた。

ただ、それでも仕事まで、少し時間はある。

旅行に行くには少しばかり時間が足りないけれど。

ゆっくりするには充分だ。

リラクゼーションプラグラムを走らせると、バッハの音楽を聴きながら、ぼんやりとする。

こういうとき、四足歩行の本体形態は便利だ。

べったり床に張り付いて、床の冷たさを味わっていると。

少しだけ、腹の虫も収まった。

しばらく、ぼんやりするか。

転生の際にトラブルが起きるのは仕方が無い。

多分他のシフトチームでも、色々問題は起きているはずだ。私の所はやたら多いとは聞かされているけれど。

それはそれで仕方が無い事なのだろう。

少しずつ、頭も冷静になってくる。

こうなったら。

いっそのこと、私が何とかするしかないか。勿論権限の範囲内でしか動く事は出来ないけれど。

それでも改善提案はするべきだ。

幾つか、改善提案について考える。

元々私は、魂の海から生まれた鬼。

生まれながらの鬼で。

生まれながらの精神生命体。

物質生命体に宿った魂から、精神生命体になった元亡者の鬼とは出力が違う。だから優れていると言うことでは無くて、単純にスペックがあるのなら、それを活用していくだけだ。

幾つかの改善提案を作ると。

中枢管理システムに転送する。

そろそろ、もう私も黙っているべきときでは無いと判断した。

このままだと、システム自体の欠陥が無視出来ないレベルになる。鬼への負担が大きくなりすぎる。

すぐに中枢管理システムから返信。

まあ向こうも問題視しているのは分かっているから当然だ。

そして、私の案の一つが、受け入れられる。

ただしそのままではなく。

幾つかの改良点を加えて、だが。

この辺りは、なんというか。

流石は宇宙最高の性能を持つ量子コンピューターを中心として構成されたシステムだ。大したものである。

これで少しは状態が改善されると良いのだけれど。

いずれにしても、だ。

このままだと、私は休めない。

亡者にとっても不幸な事故が続く。

だから、私は。

この負の連鎖を、断たなければならないのである。

 

4、箱詰め

 

転生を希望する亡者に、自我を返すタイミングが変更されることになった。結局の所、中枢管理システムも、色々問題が多い、と感じたのだろう。

作業の段取りに工夫を加えるだけで。

問題点を解消できるとなれば。

それはそれで素晴らしい。

自我がない時点での亡者は、基本的に鬼に逆らう事は絶対にあり得ない。それを利用したシステムとも言える。

私の前に、まだ自我が戻っていない亡者が来る。

そして、私が指を鳴らすと。

亡者は、上から落ちてきた、霊的な物質で作られた檻に閉じ込められる。

これが第一段階。

逃げだそうとしたり、他の亡者に暴力を振るおうとしたり。

そういった事が一切出来なくなる。

そしてもう一段階。

亡者に自我を返す前に。

まず、見せる。

幾つかやってはいけない事について。

自我が戻っていないので、すんなりと入り込むのだ。

淡々と、AIが作り出したシミュレーション画像が、亡者に見せつけられ。それが終わった所で、私が対応する時間に入る。

檻に入っている事に、亡者が愕然とするけれど。

彼は既に、知っている。

私がその気次第で、一瞬で彼を爆裂四散させる事が出来ること。

暴れるのは不可能なこと。

無茶な要求をすると、それだけ無駄な時間になる事。

これはあくまでシステマティックな作業であって、一種のサラリーマンであり公務員でもある私達鬼に噛みついたところで、どうにもならないこと。

これらは頭にすり込まれているのだ。

考えてみれば、いちいち亡者に自我を返してから、これらの説明をするというのも、効率が悪かったのだ。

今までは、全うに人生を送った亡者に対して、敬意を払う、という観点から。そういった行為をしていたのだけれど。

考えてみれば。

その敬意は、相手との信頼関係がないと、そもそもなり立たないのである。

だったら、最初からこうして。

あらゆる布石を打っておくのが良い。

まあ、当然だろう。

「何か質問はありますか?」

「いえ……」

「それでは、ご希望を述べてください」

「そうですね……あまり酷い死に方をしなくてすむ世界が良いです」

まあ、妥当な希望か。

自我が亡い状態で発した願望では無く、自我がある状態で口にした言葉。そして、この人は相応の善行を人生で積んでいる。

無茶な希望を口にしなければ。

ある程度転生先は考慮される。

とはいっても、あんまり常識外れな転生先は用意されないが。

転生担当に廻す。

檻車が、からからと音を立てながら通路の奧へ進んでいった。

まるで囚人扱いだが。

自我が戻った途端凶暴化するケースで、鬼達はほとほと困り果てていた。別に物理的な脅威になどはならないけれど。

処理にとにかく時間が掛かるからだ。

だが、この方式であれば。

そもそも亡者が暴れる手段がない。

亡者自身も、システムをすり込まれている。

故に、問題は起きないのである。

不毛なやりとりも必要なくなる。

自我を奪った状態だと、亡者は非常に素直だ。それは素直に情報を吸収する、という事も意味している。

今までは、単純に。

自我を返すタイミングがまずかった。

それだけである。

次の亡者が来る。

私が指を鳴らすと、自我が戻った。

大人しそうな女の子の亡者だったが。その瞬間、猛然と吼え始める。

「何よこの檻! 出しなさいよ!」

「貴方みたいな人がいるから採用された制度です」

「はあ! ふざけ……」

亡者が檻に手を掛けた瞬間。

電気ショックが走り、はじき飛ばされる。

私はしらけた目で、それを見ていれば良い。

更に、説明も既にすり込んである。

だから後は淡々と説明すれば良い。

「では、転生先の希望について述べてください」

「……もてたい」

「それは貴方の努力次第ですね。 ある程度環境を優遇はしますよ」

「……」

多分、電気ショックの痛みが酷すぎて、もはや何も口にできないからだろう。

亡者はそのまま、からからと音を立て。

檻車に乗せられて、奧へ進んでいった。

実に楽だ。

手間が半分以下である。

今のようなタイプの亡者は、自我が戻った途端に豹変して、自分は善行を積み重ねたんだから好きにさせろと暴れ始めるケースだった。

だが、それも。

一瞬で処理できる。

残念ながら、善行を積んで来た人間が、ああいう風に豹変するケースはかなりあると、統計でも出てしまった。

恐らくは、だが。

今まで我慢をしたのだから。

せめて好き勝手にさせろ、という真理が故の行動だろう。

次の亡者が来た。

今度は痩せた男の子だ。

多分碌な死に方をしなかったのだろう。虚ろな目をしていて。自我を戻しても、それはそのままだった。

転生の希望を聞く。

首を横に振られた。

喋るのも嫌だ、という雰囲気だ。それとも、何か嫌な記憶でもあるのか。

ため息をつく。

タブレットで操作してみると、案の場だ。

丁度親が嫌いになる事が出来るタイミング辺りで、虐待死している。毎日凄まじい暴力を振るわれて。

そのあげくに衰弱死した様子だ。

本当に希望は無いのか。

そうもう一度聞くと。

男の子は、ぼそりという。

「優しいパパとママ」

「そうですね。 環境については考慮します」

そのまま、檻車は行く。

ああいう子も檻に入れなければならないのは心苦しいが。自我を戻した途端、子供の亡者が暴れ出したケースもある。

例外は許されない。

それに、檻に入れるのは万が一の処置。

実際問題、転生先については、あまり関係がない。

そもそも、同じ目線で転生について話をするのが、最初から間違っていたという判断を、中枢管理システムは下したようで。

今後も容赦のない処理が考慮されるようだ。

そして、もう一つ。

処理が効率化した事によって。

ミスが著しく減った。

手作業部分を全てオートメーション化した事で。

亡者自身も勘違いする事がなくなったし。

何より、言い争っている間に、何が何だか分からなくなり、あげく時間を浪費する、というような事もなくなった。

大いに良い事である。

ただ、少しだけ、罪悪感もある。

文字通り、転生で優遇されるような人生を送ってきた亡者だ。

中には鬼になる者もいる。

檻に入れるのはどうなのだろう。

そう反対する鬼もいたのである。

私も、提案はしてみたが。

実際に檻に入れられた亡者を見ると、ちょっと可哀想かなとは思った。

だが、中枢管理システムは、決めた。

実際問題、亡者が暴れ出したケースを見ると。暴れられる、逃げられると亡者が判断したからだ、と結論できるというのだ。

そして檻に入れられ。

実際に暴れるのが無理だと判断すると。

本当に亡者は大人しくなった。

物質生命だったころなら、他にも手はあったのだろうが。

精神生命体になった今は。

それ相応の処置をする。

非人道的な処置だと、一部の鬼は抗議したようだけれど。

ただ、実際にこの職場に来ている鬼は。

ほぼ反対しなかった。

誰もが経験していたからだろう。

急に牙を剥き。

モンスタークレーマーになる亡者の恐怖を、である。

それは私も例外では無い。

何より、無駄な工程を減らすことで。

此方にも相手にも。

大きな得を作る事が出来る。

亡者は冷静になる事が出来。そして自分の望みを冷静な状態で述べることが出来る。

鬼は丁寧に応じて。

時間を浪費せずに済む。

winwinの関係とはこのことだ。

次の亡者が来た。

流れるように作業が進む。

今度の亡者は、まだ若い女性だったけれど。膝を抱えて、檻車の中で、呆然としているようだった。

死んだ事をまだ納得できていないらしい。

調べて見る。

今時珍しい、本物の善意からボランティアをやったりするような人物で。

他人の不幸に泣き。

本当に相手を案じることが出来る、正真正銘の善人で。

相手が困っているときは本当に手をさしのべ。

そして、苦しみを分かち合うことに、何ら疑問を持っていない人だった。

もう少し長く生きていたら。

天国への切符も手に入れていただろう。

だが、この人の周囲は。

この人とは違った。

周囲はこの人の事を、カモとしか思っていなかったのだ。困ったフリをしては金を巻き上げ。

それがばれても、平然としていた。

彼奴は馬鹿だから。

何をしても良い。

そう言って笑っている周囲の者達は。他の連中にも、カモがいると吹聴してまわり。そして、如何にして金をむしるか、舌なめずりしていた。

だが、この人は。

それでもいつか、周囲は理解してくれる。

人には善性があるのだからと信じて。

施しを続けた。

結果待っていたのは。

裏切り続けられる人生だった。

それでも諦めなかったこの人を最後に待っていたのは。

強盗殺人による死、であった。

馬鹿な金持ちがいる。

そういう噂を聞いた強盗が、彼女の家に入り。彼女を刺し殺して、財産を奪って逃げたのである。

そして、その事件を聞いて。

周囲の人間達は、皆大笑いした。

馬鹿が死んだ。

当然だよね。あの子頭弱かったし。

カモが死んだのはもったいないけれど、良い子ぶってウザかったから、いい加減死んで欲しいと思ってたんだよねえ。

けらけら。

笑い声は、葬式の時にさえ響いていた。

彼女には。

本当の意味での友人など、一人もいなかった。

亡者になってから。何らかの理由でそれを知ったのだろう。膝を抱えて俯いたままのその娘は。

私の問いにも、応えなかった。

「貴方は充分に善行を重ねました。 天国には少し届きませんでしたが、転生にはかなりの優遇措置がつきます。 或いは、鬼になる事も出来ます」

「鬼にしてください」

「……分かりました」

恐らく、だが。

亡者として即座にあの世に連れてこられず。

何らかの形で探査から漏れて。

そして実際に見てしまったのだろう。

いつか絶対に分かってくれると信じていた人達が。

最後まで此方を理解するどころか。

金づるとしか考えておらず。

しかも人間だとさえ思っていなかったばかりか。

尊厳まで、骨の髄まで否定していた、という事を。

善人に対する世間一般の対応などこんなものだ。「平均的な」人間は、こういう生物だと知らなかったのが、この娘の不幸だった。

ショックを受けただろう。

それは当たり前だ。

もう人間は嫌だ。

そう思うのも当然だろう。

私はたくさんの亡者を見てきたから、丁寧に接していけば、いつか誰ともわかり合える、等という寝言は信用しない。

人間は基本的にエゴの塊。

そう判断して考えないと、痛い目に会う。

実際問題、こういう例外の善良な魂の持ち主が。現実世界で、どういう風に虐げられていたか。

亡者になって此方に来た人達を見ると。

善行を重ねた人ほど、苦労している。

データとして、膨大な数の亡者を見てきたから結論できるが。

地球人類なんて、そんな程度の生物だ。

鬼だから、冷たい目線になる、と言うわけでは無い。

単純にそれが事実だと判断できるだけである。

檻車が引っ張られていく。

鬼になる措置を受けるまでは、しばらくはあのままだろう。気の毒だけれど、まあ仕方が無いと言えばその通りになる。急に暴れ出すかも知れない。精神的に相当参っているようだったから、暴れ出しても此方としては想定内だし。何より、そうなったとしても、何も言えない。

気の毒な話だが。

特別扱いは出来ないのである。

なお、調べて見るが。

あの人は、魂の海から生まれた魂が、新しい命に宿ったタイプ。

つまり一回目の人生だった様子だ。

あんな聖人に一番近い人間をよってたかって。

聖人は実在しないし、実在しても徹底的に社会で食い物にされる。

誰の台詞だったか知らないが。

それは聖人という存在を笑いものにしようとして。実際には単純に現実に生きる人間がどれだけ醜悪で。そして笑いものにしようとしている人間も醜悪そのものだという事を示している言葉に過ぎない。

頭を振って、思考回路を切り替える。

次の亡者が来た。

作業の効率が、著しく上がっている。

次の亡者でも。

時間はあまり取られなかった。

 

家に戻る。

中枢管理システムから連絡が来た。どうやら彼方此方の職場で、実際に高い成果が上がっているという。

ただし、檻に入れるのはどうかという苦情も鬼達から上がっているとかで。

これについては、今後改善策を考えるとか。

まあ硝子ケースとか。色々と考え得る対応方法はあるだろう。確かに檻は少しばかり威圧的過ぎるかも知れない。

何かしらの工夫が必要なのは事実だろう。

ただ、今後自我を返す前に、亡者に情報をすり込むのは確定事項だ。これについては、最大の成果を上げているし。

自我を返すタイミングが間違っていた。

それは事実だとはっきりしたからである。

床にべたりとしていると。

同僚から珍しくメールが来た。

タブレットを操作してみると。

面倒な内容である。

「檻に亡者を入れるのは納得できません。 確かに仕事の効率は上がりましたが、何とかしたいと思います。 カントさんはどう思いますか」

「……」

ちなみに私が提案したことだとは、誰も知らない。

基本的にこういう提案については、提案者が伏せられるようになっている。まあ、当然だろうか。

そもそも、鬼同士は関係が極めて希薄。

職場の外でまでやりとりをするケースは珍しいし。

このメールを送ってきた同僚も、たまにメールを送ったり送り返したりする程度の間柄でしかない。

だがそれでも。

私は律儀に応えた。

「仕事の効率が上がったのなら、次は改良を考えるべきかと。 不満があるのなら、改良を提案するべきでしょう」

「なるほど、その通りですね。 即座に改良案の作成に入ります」

聞き分けが良くて助かる。

まあ、外でまで喧嘩をしても意味がない、という事もあるのだが。

鬼同士の関係はこういうドライなものが普通なのであって。

よそであう事はあまりないし。

何よりもよそで仕事の話をしたり、喧嘩に発展したりすることはまずない。

恐らくは、だが。

仕事場にいる鬼の密度が極めて低いのが原因だろうという話は、私も聞いたことがある。古い時代は、鬼が色々マンパワーを振り絞って、それこそ悲惨な労働をしていたらしいのだけれど。

今はそれもなくなって。

こうしたゆったりした、しかしドライな関係が普通になっているのだ。

不意にまたタブレットが鳴る。

ここしばらく忙しかった反動で、休日が長めに取られている。だからゆっくりさせてくれよと思ったのだけれど。

なんとあの同僚。

早速行動を実施に移したらしい。

中枢管理システムからの連絡だ。

「亡者を封じるのに使う檻だが、かなりの不評で、代案を募集しています。 何かしらの代案がある場合は送信してください」

「……」

まあいいか。

確かに私も少しどうかと思ったし。

自分が思いつかない場合、周囲に投げてみる、というのは手の一つだ。

中枢管理システムとしても。

既に自力で色々案は出しているのだろうけれど。

それでもあくまで多くの意見をつのり。

後腐れがないように、と考えているのだろう。

その辺り立派だ。

さて、どうするか。

手錠や鎖つき鉄球の類はアウト。

多分檻よりも更に酷い結果を作り出す事になるだろう。

水槽はどうかと思ったけれど。

ある程度威圧的な空気が無いとだめか。実際暴れ出すタイプの亡者は、自由になった瞬間に、爆発するケースが多かった。

しかし、檻は確かに生理的な嫌悪感を催す鬼が多いのも分かる。

少し床を這い回った後、テキトウに考える。

幾つかの案は出てくるが。

しかし、どうもぴんと来ない。

結局、このまま改善案は出ないのでは無いのか。しかし、亡者にとっても鬼にとっても。前のやり方は好ましくない。

あの世は、改善を続けながら色々とやってきた。

ビッグバンの前の世界は、それはあの世の混乱が酷かったと聞いている。時間を掛けて改善し。

下っ端から上級まで、鬼達が真摯に改善を繰り返してきたから、今の状態にまでなったのだ。

改善は必要だ。

しばし考えていると。

こんな提案が来る。

いっそ、最初から最後まで、自我は返さないのはどうか。

だが、それには即座に反対した。

自我を奪っておくのは、あくまで切り分けのタイミングまで。そこからは、亡者の本音を聞かなければならない。

実際転生する亡者は。

相応の事を、現世で積み重ねてきて。

それに対する正当な対価を受け取っているだけなのだから。

また別の案が来る。

どうもしっくりこない。

ふと、気付いた私は、案を出す。

それならば、いっそ鬼を超でかく見えるように錯覚させてはどうか。相手と等身大だから、逆らおうとか考えるわけで。

地獄で使っている制服の牛頭馬頭とかなら、その気も起きないのでは。

しばし紛糾したが。

この案が通りそうだ。

私は嘆息する。

まあ檻はないにしても。逃げられないようにする工夫をすること。そして、亡者が此方を侮らないようにすること。

それが大事なのだ。

元々制服は制服。

それがどう思われようとどうでもいい。

ふと、気付くと。

いつの間にか、眠ってしまっていた。

頭を使いすぎたのかも知れない。

私はあくびをすると、仕事に出る準備をする。

上手く行けば、しばらくはそれで仕事が安定するだろう。そして、皆が幸せになるのなら。

それが一番だと、私は思うのだ。

 

(続)