不思議で楽しい例外の世界

 

序、ものの例外

 

世の中は不可解なものだなと私は思う。中堅所の鬼として、ずっと天界の防壁の管理の仕事を続けてきたけれど。

色々デリケートだった私の内情が幾つかの出来事を経て解消されて。

そして、結局今の事態に落ち着いて。

今度、新しい仕事が回ってきた。

そろそろ、大丈夫だと中枢管理システムが判断したのだろう。

だけれども、いきなりこれか。

ちょっと難しいなあと私は思いながら。ようやく思うとおりになった姿で、体感時間にしておよそ二千数百万年ぶり。

実際の物質世界での経過時間としては十五年ぶりに。

地球。

日本に降り立っていた。

勿論まだ中堅所の鬼である私は、実体を持つ事は出来ない。それが出来るようになるには、更に三倍くらいは経験を積んで、上級にならないと無理だ。

色々な平行世界を渡り歩いたり。

或いは圧縮された時間の中で、複雑な仕事をしたりして。

経験を積んで、鬼は強くなる。

私も精神生命体である以上それは同じだ。

たまに。

ごくごくまれに、私達鬼を見る事が出来る人間もいるようだけれど。それも、鬼が気まぐれでフィルターを解除していたり。

たまに油断して気を抜いていたり。

そういう例外がある場合だけ。中には素で鬼が見える人がいるようだけれど、それは例外中の例外だ。

亡者に関しては話が別。

色々な理由で、あの世に来られなかった亡者は、希に物質世界をあてもなくさまよう事があり。

それらを回収する専門の鬼もいる。

中には悪霊と呼ばれる、大変危険な存在に変わり果てる亡者もいるけれど。

そんなものは所詮亡者。

本物の精神生命体である鬼には勝てない。

私が任されたのは、その彷徨う事になった亡者を、あの世に連れていって、選別に掛ける事。正確にはその一部。彷徨う亡者そのものを探す事。

自我を持っている亡者と直接触れあうことは高ストレスになるけれど。

少しずつ、ストレスの高い仕事をしていくべきだと、上も判断したのだろう。だから、探す事限定で仕事を任せたのだろう。

私は、背中に光る翼を三対つけて。

そして、其処以外は生前あり得た自分の姿になると。

比較的活動しやすい衣服に身を包んで。

この世界に降りてきた。

ボーイッシュで、そこそこ意志の強そうな目をした、人間の女の子の姿。肌も健康的に浅黒く焼いている。

ちなみに、人間への干渉は絶対禁止されている。そういう事が出来るのは、中枢管理システムから指示を受けた上級鬼以上の存在。

それにだ。

したくても、干渉は出来ない。

私くらいの実力だと。

どうあっても、物質世界には、手を触れられないのだ。

勿論、手探りで探すほど、鬼は暇では無い。しかも、此処では物質世界の時間にあわせて動かなければならない。

あの世と物質世界では時間の流れが根本的に違っているけれど。

それ故に。こういう職場での作業は、色々と面倒なのだ。

仕事の相棒として、補佐用AIのホローを連れてきている。

このホロー。

昔はポンコツだと思っていた事もあったけれど。

なんだかんだあって、私には相応のパートナーだと感じたこともあり。今では、側にいて欲しいと思っている。

タブレットを操作。

亡者の反応を探る。

死んで、自動的にあの世に吸い寄せられる亡者や。そのまま、死んだ事を自覚してあの世に行く亡者については問題ない。

問題は、異常な執着や未練があって。

この世から離れられない亡者だ。

強い執着がある亡者については、実は中枢管理システムが、事前に目星をつけていて。いわゆる死神と言われる、要するに死者を迎えに行く鬼が事前にスタンバイしているものなのだけれど。

問題なのは、中途半端な亡者。

こういう亡者は、監視の目を逃れやすい。

宇宙に存在する無数の文明。

それの全ての亡者を監視できるほど、中枢管理システムは万能ではないし。鬼の数も足りていない。

だからこそ、私のような仕事をする鬼が必要になる。

それにしても。

私が生きていた頃と、随分と様変わりしている。

商店街はシャッターだらけ。

近くにある大型店に、売り上げは根こそぎ持って行かれてしまった、という事なのだろう。

電気屋さんも潰れていた。

私がふらふらと迷い込んで、テレビをみていた店だ。家そのものはなくなっていない。店が潰れたと言うよりも、潰したのかも知れない。

老後には充分な資金があって。

黒字にならない店をやるくらいなら、後はもう良いやと思ったのだろうか。実際、いわゆるトイチと呼ばれる悪質な闇金は、こういうお店をターゲットにしていた場合が殆どだ。よく悪質借金取りを持ち上げるような漫画みたいに、ギャンブルで身を持ち崩した人とか、薬物中毒に陥った人がターゲットじゃ無い。

真面目に働いている人をだまくらかしてお金をふんだくるのが連中の常套手段。

そんな奴らに貴重なお金をむしられてまで商売するくらいなら。

さっさと店を畳んだ方が良い。

まあ、合理的な考えではある。

私をあの禿げたおじさんが見る事は出来ないし。

私から干渉することも出来ない。

興味本位で、シャッターを抜けて店があった場所に入って見るけれど。埃っぽいだけで、何も商品は残っていなかった。

此処は、殴られる事が前提でも。

唯一、私がきらきら輝く世界を見る事が出来た場所。

私にとっては。

輝くステージで、楽しそうにしているアニメのアイドル達を、見る事が出来るただ一つの場所だった。

だからおじさんのことは正直あまり恨んでいない。

「レンネンレンネイ。 仕事をしましょう」

「分かってるよ」

ホローに言われて、タブレットを操作。

今の時点で、彷徨っている亡者は発見できない。

分かっている。これでも結構色々と感慨があるのだ。私が指示された地区は、四方300キロくらいの範囲。

タブレットはだいたい100キロ四方くらいの彷徨う亡者を発見することが出来る。

此処で問題になっているのは、あの世に向かわなかったり、自動的にあの世に行かない亡者で。

同じ地点でしばらく測定をして、それから移動して再確認、ということを。計9回実施する必要がある。

実のところ、縦方向からの測定は常時行われているのだけれど。

私はより高性能なビーコンに近いものを設置し。

更に探査の精度を高めて。

迷っている亡者を探し出す役割を任されている。

だから、測定に使うのは、タブレットから射出するビーコンであって。

私自身が凄い術を使ったり。

或いは、足で探して廻る訳では無い。

ただし、二次元的な探査である常時放出されている測定に対して。ビーコンを撒くことで、三次元的に探査が出来るようになり。

放浪している亡者を、効率よく発見することが出来る。

シャッター商店街を歩く。

私の家があった場所についた。

家はもう駐車場になっていた。

両親はともに逮捕されて、実刑判決を受けただろう。その上、あの様子では、余罪もボロボロ出てきたに違いない。

その上、あの家だ。

もう権利関係もよく分からなくなっていただろう。

駐車場になっているだけマシというべきなのだろうか。下手をすると、草ぼうぼうのまま廃墟が放置されている、という事になっていたかもしれないのだから。

空間スキップして、移動。

また測定を行う。

世の中で思われているほど幽霊はいない。

あの世にいけず彷徨っている亡者というのは、実は本当にごくごく少数しかいないのである。

殆どは人間の脳が産み出す錯覚。

実際の幽霊は、殆どは誰も見る事が出来ないし。

霊能力者と自称する人間の99パーセントはエセだ。

希に本物もいるけれど。

それは例外中の例外である。

私も、この仕事を始めてから、それを知ったのだけれど。

ある程度進展した文明でも、こういったオカルトはどうしても根強い力を持つものらしく。

実際問題、本物の鬼である私が見回しても。

浮遊霊だの地縛霊だのはあまりいない。

いたとしても、釣り針で引っかけられるように、あの世に連れて行かれてしまう。

そういうものなのだ。

三つ目の区画に到着。

ふと気付くと。

いた。

珍しい、あの世にいけずに彷徨っている亡者だ。

ちなみに、私自身は、ビーコンを撒く係。

色々とこういう亡者はこじらせてしまっていることが多いので。対処については、専門家が当たる。

タブレットを操作して、連絡を入れると。

すぐに専門家が空間スキップして現れた。

ちなみに、昔はいわゆる死神スタイルが制服として義務づけられていたらしいのだけれど。

亡者が怖がって逃げる例が多発したため。

今では、人型になれる鬼が、この仕事をしている。

「お疲れ様です」

「はい。 通報にあった亡者はあちらですか?」

「そうです」

タブレットで、位置を指定。

頷くと、美しい黒髪を背中に流している長身の美女は。着物の袖を翻すようにして、ふわりと亡者の方へ移動する。

綺麗な人だなと思うけれど。

多分あれ、制服か何かの一種だろう。

あの人が元地球人かどうかさえ定かではない。

「レンネンレンネイ、対応は専門家に任せて、次の探査に行きましょう」

「うん」

どうやって亡者をあの世に連れて行くかは、ちょっと興味があるけれど。ノウハウについては、アーカイブを見れば良いことだ。

別に隠すようなことでもないのだし、普通に記載されている。

ホローに言われるまま、次の区へ。

一瞬だけ、亡者の様子を見たけれど。

どうやら、車に轢かれたおじいさんらしく。

更にボケも進行してしまっていて。

死んだ事にさえ、気付いていないようだった。

かわいそうだな。

そう思ったけれど。

どうにもならない。

物質生命の命はどうしても脆い。死ぬときは本当に簡単に死んでしまうものなのである。それについては、私がどうこうできるものではない。

結局、九つの区を廻って、見つかった亡者は二人だけ。

そのどちらの対処も専門家に任せて、後は自宅に戻る。

三次元的に作動するビーコンは、ある程度稼働した後、自然消滅するけれど。これはあの世でエネルギーを消費するから。

亡者はこの三次元探知を察知できないし。

何よりもひっかかったら一瞬でばれるので。

長時間稼働させておく意味はあまりないのである。

仕事の度に動かせば良い。

なお、消滅した後は、エネルギー化して、またあの世に戻ってくる。

そういうエコシステムなのだ。

自宅に戻ると、着替えをする。

人間だった頃の姿をとることが出来るようになってから。可能な限りこの姿で生活するようにしている。

仕事場を何度か移ったけど。

その間も、制服がある職場以外では、そうしている。

コッチの姿を、最終的には本当の姿にしたい。

それが私の願いなのだ。

無念から来る執着というのもあるけれど。

それ以上に、やっぱり。

こんな風に生きられた。

本当だったら、こんな風な姿になって。学校に行ったり、もっと成長したらまっとうなお仕事をしたり。

そんな人生もあった。

経験できなかった人生を、少しでもこれから補いたい。

そういう風に考えているからこそ。この姿を、本当にしたいのである。

元々鬼の中には、力がついてくると、姿そのものを変えるものが珍しくないと聞いているし。

私が、それについておかしいと言われたことは一度もない。

前に倒れて以降、お世話になっている病院でも。

この姿を安定して取る事が出来るようになった事については。何も文句は言われたことが無い。

無理はしないようにと釘は刺されたし。

リラクゼーションプログラムは定期的に受けるようにと言われているけれど。

それだけだ。

タブレットに連絡が来る。

今回の仕事は可変制だ。

行く時代も、行く場所も。

或いは行く星さえも。

かなり違ってくる。

私はしばらく地球、それも21世紀の日本を担当するようだけれど。あの世の時間の流れは現世とはかなり違うので。現世から見れば、ほんの数分の内に、日本全土をくまなくお掃除しているように見えるはずだ。

此方としては、どうでも良いことだが。

仕事開始まで、体感時間で50時間ほどある。

現世に行く仕事だから、高負荷だと考えられていて。仕事時間に比べて休憩はかなり多めだ。

私は取り寄せたお洋服を色々と着替えてみるけれど。

鏡に映してみても、どうもしっくりこない。

お洋服の在庫は増える一方。

勿論一種の情報なので、場所は取らないけれど。

組み合わせを変えたりしても、どうにもしっくりこないのは、我ながら少しばかり贅沢が過ぎるかとも思う。

「気に入りませんか」

「うーん、どうしても」

「それなら、プロのスタイリストにでも見てもらいますか」

「そうだね……」

ホローの言葉に返すけれど。

実はそれもあまり気乗りしない。

私は結局。

何がしたいのか。せっかく願う姿になることが出来て。そして、したいと思っていた事が出来るようになったのに。

まだ、色々と。鬱屈を抱えていた。

 

1、迷い子

 

物質生命には、どうしても逃れようが無い死というものがある。知的生命体でもそれは同じ事。

精神生命体は、一種の情報生命体で。

世界そのものに自分を書き込んでいるという事もあって、ほぼ死ぬ事は無いのだけれども。

物質生命体は、どうしてもその体に限界がある。

酸素呼吸する生物に至っては、常時体内を爆破燃焼させているようなもので。

その寿命は決して長くない。

だからこそに。

転生の頻度は激しい。

殆どの亡者は、命を落とした後、すぐに別の命へと転生していくが。

まれに弾かれるものもいるし。

あの恐怖の面接に掛けられるものもいる。

私は、自分が見つけた亡者がどうなったかは知らない。いわゆる悪霊になって、現世で悪さをしているような亡者には、ペナルティがあると言う話も聞いたことはあるのだけれども。

実際に何が行われるのかは、よく分からない。

これは銃殺刑を行うとき。

誰に実弾を渡したか、公開されないのと同じだ。

気の毒そうな亡者の事を心配して。

その亡者が地獄行きになったりした事を知ったら。

それだけで、大きな精神的負担になる事だってある。

そういう事を考慮して。

あの世では、亡者を見つけた後どうするか。亡者を見つけた鬼に、知らせないようにしているのだ。

この辺りは福利厚生に五月蠅いあの世らしいし。

私も助かっている。

今日は、北海道と呼ばれる地域を中心に調べているけれど。

亡者はあまり多く無い。

古い亡者は、探査の仕組みが変わってから、殆どいなくなった。ビッグバン前の宇宙では、それこそ亡者だらけ、というような世界もあったらしいのだけれど。

今は現世に亡者は殆どいない。

捕まえて、あの世に連れていくシステムが完備されているからだ。

マンパワーも相当割かなければならなかったらしいのだけれど。

今はそんな事も無く。

殆ど人員を割くこと無く、亡者を見つけ出し。あの世に連れて行く事が出来る。

こうすることによって、魂は適切に循環し。

そして、健全に世界を動かすのだ。

神々の中には、何度もビッグバンによる宇宙の消滅を経験している者もいると言う話だけれど。

その過程で、よりよいやり方を模索して。

そうして現在の世界が来ている。

転生という仕組みについても、昔はもっと色々と煩雑だったらしいけれど。今は、オートメーション化されている要素も大きい。

結局の所、知恵を絞って、楽が出来るように工夫していくのが一番だと。

先輩の鬼達はいつもいう。

私もそれについては賛成するし。

今関わっている仕事が其処まで大変だとも思わない。

次の区に行こう。

そう思った瞬間。

不意に、タブレットに、強い反応があった。

すぐにタブレットを操作して、連絡を入れる。

一瞬で、側に降り立ったのは。私よりだいぶ年上に見える、活発そうなお姉さんだった。ジーンズなんてはいていたりして。女子にむしろもてそうな雰囲気である。

「おや、随分強烈な反応ですね」

「はい。 今、不意に反応しました」

「亡者の中には、たまに高速で移動しているものがいるんです。 恐らくはその類でしょうね」

中堅の鬼同士だから、会話は敬語だ。

それにこの鬼が、私より年上とは限らない。

私は、あくまで生前の事があって、この姿をしているだけ。この鬼は、制服として、モデリングされた姿の一つを使っているだけかも知れないのだ。

「すぐに対処します」

すっと、対処に来てくれた鬼が消える。

そして、私は、手をかざして、様子を見ていた。

どうやら、複数の亡者が合体しているタイプのものらしい。

ビッグバン前。

前の宇宙では、亡者の処理が追いつかず。怨霊や悪霊が世界に溢れていたらしいけれど。

悪霊は多数が合体して、巨大で凶悪な姿になる事がよくあったそうである。そういった悪霊はレギオン体と呼ばれる事が多く。自分の事を俺たちなどと、複数形で称することがあったそうだ。

今私が見ているのは、間違いなくそのレギオン体だろう。

今の世界では、むしろ絶滅危惧種だ。

大量の亡者が合体しているため、巨大でおぞましい肉塊で、肉塊の彼方此方から人間の顔が出ている。

退治に来た鬼は。

即座に拘束。

そして、まるで漁師が網で鰯の群れを収穫するかのように。

あの世に引きずっていった。

流石に鬼と亡者では、どれだけ背伸びしても勝負は見えている。ましてあの鬼には、色々なツールが渡されているのだろう。元の力が違いすぎる上に、更に専門の道具まで渡されているとなると。

もはや抵抗さえ無理だ。

深海で行われる、ダイオウイカとマッコウクジラの戦いみたいだなと、私はぼんやり思った。

昔は、ダイオウイカとマッコウクジラが、熾烈な戦いを行っていると思われていたのだけれども。

実際には、マッコウクジラが放つ音波ビームによってダイオウイカは一瞬で即死。もしくは瀕死。

抵抗も出来ずに食べられてしまうのである。

更に言えば、マッコウクジラとダイオウイカでは、体重もあまりにも違いすぎる。それにそもそも、ダイオウイカは戦闘力に秀でた生物では無く。逆に恒温動物であるマッコウクジラは、そもそもの出力からして桁外れだ。

今、レギオン体の亡者と、鬼が行った戦いが、それに等しい。

あの世に連れて行かれてから、あのレギオン体は分解されて。

それぞれが別々の亡者として、処理されるのだろう。

ぼんやり見ていた私に、ホローが促す。

「次に行きましょう」

「分かってる」

「どうしましたか」

「私も、あんな風になる可能性があったのかな」

ホローは応えない。

応えることが、私のためにならない。

そう判断したのだろう。

私はそれを察したから、それ以上は何も言わなかった。

 

最後の調査区画で、また反応有り。

今度はさっきとは違って、極めて微弱だ。

だけれど、どのような反応であろうと、即座に連絡を入れるように、と指示を受けている。

微弱な反応。

つまり弱い亡者を装って、他の亡者を襲ったりして、巨大化するレギオン体の例もあるからだろう。

勿論鬼から見れば、亡者なんてそれこそ虫にも劣る非力な存在だけれど。

万が一、億が一という事もある。

油断しすぎると、足下を掬われるし。

鬼は貴重なマンパワーをあの世に提供し続けている。

すぐに対処の鬼を呼ぶ。

意外にも、さっきと同じ鬼が来た。

「あら、さっきぶりですね」

「はい。 申し訳ありません」

「いいえ。 亡者を自動検知するシステムはずっと進歩している筈なのに、まだ取りこぼしが出るものですね」

苦笑いする綺麗なお姉さん。

私も育っていれば、こんな風になったのだろうか。だけれども、ホローが出してきたモデルによると。

私は成長しても、あまり長身にはならないようだし。

少なくとも、こんな大人の色気と野性味を併せ持った素敵な姿にはなれなかっただろう。それは分かっているし、今更何とも思わない。

すぐに対処に掛かる鬼だけれど。

見ていると、どうも苦戦しているらしい。

小首をかしげて、何かツールを取り出している。

手伝うことがあるかなと思ったけれど。

ホローに止められた。

「専門家の作業に横やりを入れるのは好ましくありません」

「分かってるよ。 でも、今回の仕事は、此処で終わりだし」

「それはその通りですが、彼方には専用のツールが渡されています。 関与するべきではありません」

ホローの言い分は厳しそうに聞こえるけれど。

実際にはド正論だ。

私があの鬼の立場だったら、手を出されたら怒るだろうし。何よりも、そもそも情報をインストールしていないから、本当に手こずっているのかも分からない。

やがて、鬼が取り出した装置で、周囲を探り。

粉々になっていた亡者を、かき集め始めた。

亡者が、人の姿になる。

どうやら、何かしらの理由で、亡者が砕けてしまったらしい。それを元に修復した、という所なのだろう。

「さあ、あの世に行きますよ」

「……」

亡者は。死んだときの私と、同じくらいの年の子供に見えた。

なんだろう。

胸がもやもやした。

兎に角、反応はこれで消えた。日本は一通り終わったし、次は別の国を見て回れ、と言われるだろう。

同じような仕事をしている鬼もいるし。

仕事をする区画もガチガチに決められている。

此方で関与することはほぼ無い。

でも、気になる。

亡者がいた地点を、調べて見る。ホローが、警告してきた。

「仕事が終わったのですし、無駄なことはせずに戻りましょう」

「あの子、私と同じくらいの年だったし、気になるよ」

「余計な詮索は、誰のためにもなりません」

「それはそうだけれど」

ホローの直球の正論は、耳に痛い。耳に痛いと言うことは、それが正しい事を意味している。

正論を嫌がる人間もいるとか言う話だけれど。

正論は正しいから正論なのであって。

それを聞けない方に問題がある。

つまり、私の方に問題がある。

分かっているから、ホローの言葉をしっかり聞く。ホローはAIだ。それはつまり、感情抜きにして、私にとって大事な言葉を口にしてくれている、という事だ。

「ごめん、その通りだね」

「帰ったら、アーカイブを確認してみますか?」

「うん……」

あの子。

私と背格好も似たような感じだった。

それに、死んだときの姿も、あまり良い状態ではなかった。

親に殺されたのかも知れない。

だとすると。

いや、感情移入はいけない。ストレスを抱え込むだけだ。

 

家に戻る。

そして、アーカイブで真っ先に調べたのは、あの世に亡者を連れて行くシステムについて、だ。

これはいずれ自分でもやるかも知れないので。

調べておくことに意味がある。

まず、やはり最初に目についたのは、制服がある事である。

制服と言っても、地獄のように牛頭馬頭みたいな極端に少ないわけではなく。幾つかの指定があると言う。

相手に脅威を与えない姿である事。

相手に似ている事。

これらが重要だそうだ。

だから、優しそうだと相手が感じる容姿になり。なおかつ、暴力的では無い姿になる必要があるそうだ。

死神、というデータが出てくる。

古くは、亡者に死を自覚させるため。恐ろしい骸骨の姿をして鎌を持った鬼が、亡者を迎えに行っていたそうなのだが。

ところが、そうすると、亡者が怖がって逃げ惑い。

結果として、非常に亡者の回収が大変になったと言う。

そのため、亡者を怖れさせないため。

相手の姿に似せ。

これから怖いところに連れて行かれるわけでは無い、と言う風に認識させる必要が出てきたそうだ。

効率化のためである。

これに並行して、様々なツールが作成され。

彷徨う亡者を効率よく捕縛し。

あの世に連れていくシステムが確立されたとか。

そして、である。

彷徨っていた亡者をどうするかについても、アーカイブに記載がある。

まず自我を奪う。

これについては、あらゆる亡者について同じ処置が行われるのだけれど。彷徨って悪霊化していたような亡者については、幾つかの処置を施して、体にため込まれていた「罪」という負のエネルギーを抽出するという。

これは地獄でも抽出しているそうだけれど。

悪霊程度だと、正直大した罪は抽出できないそうである。

あくまで、自我を戻した上で、現世で悪逆の限りを尽くした亡者から、膨大な罪を生搾り出来るのであって。

自我を奪った時点の悪霊からは。

元がどれだけの鬼畜外道でも、罪は大して絞れないのだとか。

ともかく、罪を絞って、自我も奪って。まっさらにしてから。

審査を行う。

審査次第では、即座に地獄行き。

もしくは転生。

希に、天国に送る事になる。

天国か。

良い思い出が無いけれど。兎に角、彼処に行くかも、此処で決めるわけだ。ただ、転生をする事が即座に決まるような亡者に対しては、選択の余地があって。鬼になったり、転生したり、天国に行ったりといった事を、亡者自身に選択させるという。

これについては、良いシステムだと私は思った。

そして、だ。

転生させるにも微妙で。

地獄に送るにも微妙な亡者が。

あの恐怖の面接に掛けられる、というわけである。

私の場合、無自覚で責任能力無しとは言え、よその店に上がり込んで、迷惑を掛けていた、という事が問題になったようだ。

私自身の記録も、今は閲覧が許されている。

とんでも無い量の情報アーカイブの中には、亡者に対する措置の記録も残っていて。私の権限で触れられる範囲の情報に、丁度私のデータが残っていた。

それを見る限り。

どうやら私は、最初かなり判断を保留され。

そして、結局面接に。

面接での結果が「無」と出たため。罪もため込んでいなかった私は、転生するか、鬼になるかを選択させられたらしい。

私は鬼になる事を選んだけれど。

転生していたら、まともな親の所に行けたのだろうか。

あの子は。

この間連れて行かれたバラバラになっていた亡者は。

調べて見ると、思わず口を引き結んでしまった。

どうやら、親に殺されたのは事実だが。

あの子の親は、虐待の末に殺したあげくに。死体をバラバラにきざんで、燃やしてトイレに捨てたらしいのである。

その様子を、亡者になったあの子は全て見ていた。

絶望の果て。

粉々に砕けてしまったのも、仕方が無い事なのだろう。

「リラクゼーションプログラムを起動します」

「……」

「次からは、やはり亡者の詮索はやめましょう」

「……ごめん」

分かっている。

分かっているけれど。

どうしてだろう。

もう、泣くに泣けなかった。

 

2、お仕事の場所

 

アフガニスタンと呼ばれる国家が、次の仕事場になった。私も名前だけは知っている。この世の地獄に一番近い場所だと言うことも。

21世紀以降、こういった紛争地域は世界中に存在し。

大国が介入してもどうにもならず。

この世の悪徳の極限がはびこり。

人間が知的生命体と名乗るのがとても恥ずかしくなるような無惨極まりない現実が横行した。

私は、生きている間。

それを知る事が無く。

死んで鬼になってから。

それを知った。

生きている間は、情けない話だけれど。地球が丸いという事さえ知らなかったし。殆どのものの名前も知らなかった。

テレビやアイドルというものの名前は知っていたけれど。

電子レンジというものは名前を知らなかったし。

冷蔵庫については、何をするものなのか理解していなかった。というのも、いつも中に何も入っていなかったし。

私の力では、開けられなかったからだ。

アフガニスタンに降り立ってみる。こういうこの世の地獄みたいな場所でも、亡者は溢れているかというと、そうでもない。むしろこういう命が軽い場所では、手篤く監視が行われているからだ。

早速調査をしてみるが。

最初の区では、亡者の反応は無し。

山岳地帯で、爆撃が行われ。

大麻の畑が燃やされている。

ゲリラが籠もった洞窟に爆弾が落とされて。

中にいる人間が丸ごと焼き殺されているのにもかかわらず、である。

こういうのに、あの世は関与しないのだろうか。

しないと、ホローは言う。

「この規模の紛争は、文明が存在する限りかならず発生します。 あの世の力は大きすぎる事もあり、介入することは好ましくありません。 勿論可能性を操作して、少しでも状況が良くなるよう努力していますが」

「煉獄での話だね」

「そうです」

でも、やりきれない。

目を背けるような死体が彼方此方に散らばる中。

調べていくけれど。

死んだ肉体からは、亡者がすぐに引っこ抜かれて、あの世に連れて行かれている様子だ。私には何もできない。

歩き回って、調査を続ける。

ふと気付くと。

次の区画まで移動していた。

其処でも調査をするが。

やはり亡者の反応は無かった。

この、人間の業が敷き詰められているような生き地獄でも、亡者となって彷徨うものはいないのか。

それはあの世が苦心を重ねた末の成果なのだろうけれど。

私はちょっと悲しいなと思う。

「後方に注意」

「!」

気付くと。

後ろから、此方を見ている視線。

タブレットで調べて見ると、どう考えても亡者では無い。つまり生きている人間か、鬼ということだ。

だが、鬼だったら、どうして隠れてみている。

反応をもう少し調べて見るが。

どうやら生きている人間のようだ。

見えているのか。

でも、関わらない方が良いだろう。それはホローに言われるまでも無く、私でも判断できる。

すぐにその場を離れようとしたが。

向こうから、声を掛けてくる。

「ま、待て、待ってくれ」

よろよろと現れたのは。

骨と皮しか無い老人だった。ちなみに言葉は、タブレットが自動翻訳してくれている。私は、口を引き結ぶ。返事をするべきでは無いと判断したからだ。鬼が現世の人間とコンタクトしても、良い事は無い。

「あんた、凄い力を感じる。 たまに見かける亡者じゃない。 天使か」

「……」

天使、か。

西洋圏における鬼の呼び名。実際、天使と名乗る鬼もいると聞いている。

アフガニスタンでは、色々な宗教の勢力が争っているが、その中にはイスラム系も存在している。

そしてイスラム教では。

キリスト教同様に、天使の概念が存在している。

私は何も言わずに行こうとするけれど。老人は、頭を地面にすりつけながら、懇願してくる。

「頼む! この地獄を何とかして欲しい! イスラムの教えを好き勝手に使うテロリスト達と、世界の警察を気取る大国が、この国を滅茶苦茶にし続けている! 天使よ! お願いだ! わしはどのような目にあってもいい! 魂を捧げる! 何でもする! だから、この国を救ってくれ!」

「聞いてはなりません」

分かっている。

分かっているけれど。

この人の切実な願い。

踏みにじる事は、どうしても出来ない。応える事は、許されていない。それに、あの世でも。煉獄などで、必死に確率操作して。世界が少しでも良くなるようにし続けている。私の担当では無い。

なのに。

涙が出る。

この姿を模してから、こういう生理反応の一部が再現されるようになった。私は、老人の方を、見る事が出来なかった。

空間スキップする。

そして、知る。

今、私がいた空間が。

数十秒後に、テロリスト達によって、爆破されたという事を。

あの老人は、すぐにあの世に連れて行かれたのだろう。

鬼を見る事が出来るほどの力を持った存在だ。

どのような処遇を受けるにしても、普通の亡者とは完全に扱いからして違う事だろう。だけれども。

私にはどうにもできない。

どうにもできないのだ。

大きな溜息が漏れる。

「どうしても気になるのであればダメ元で申請を行いますか」

「申請……?」

「実際確認した所、客観的に見てもこの土地での紛争の残忍さは目に余ります。 中枢管理システムに連絡をして、煉獄から調整を行って貰う手もあります」

「ありがとう。 でもやっぱり無理だよ」

古き時代。

紛争では、こんな次元では無い悲惨な殺し合いが行われていた。

民族ごと皆殺し。

宗教の信者ごと皆殺し。

それはごく当たり前の事だった。

敵対した相手は皆殺しにする。

それが当たり前の民族だって存在していたし。それがユーラシア大陸の半分近くまで征服したケースもあった。

それが人間の歴史。

死ぬまでは、そんな事も知らなかった。そして知った今も、どうすることも出来ない。どうにもならない。

皮肉な話だが、これでも敵は皆殺しが当たり前だった古代の紛争に比べればまだマシなのだ。

さっさと作業を済ませて、家に戻る。

ストレス値が、かなり高いとホローに言われた。

当然だろう。

医者に連れて行かれる。

メンタルケアを義務づけられている地域での仕事と言う事で、まあ当然のことだけれど。医者は、話を聞くと、まあそうだろうなという顔をした。人間の形をしていなくても、それくらいは何となく分かる。

「まれに鬼を見る事が出来るほど力の強い人間がいますが、コンタクトを取ると却って辛くなります。 幾つか身を隠すためのツールがありますので、支給を要請した方が良いでしょう」

「分かりました」

「辛い仕事だとは思いますが、他の鬼も皆辛いです。 ただ、あまりに厳しいようでしたら、転属願いを出しましょう。 貴方はあの世にとって、有為な人材である事に、間違いはないのですよ」

「……」

有為な人材、か。

未だにそう言われてもぴんと来ない。

私は生きている間、何一つ為す事が出来なくて。暴力に怯えるだけの生を送り続けていた。

そして今も。

自信は、身についたとは言い難い。

仕事は評価して貰っているようだけれど。

それはそれだ。

私は、何をしているのだろう。

彷徨う亡者を探し出す、立派なお仕事だ。それに変わりは無い。彷徨う亡者は、物質世界に悪影響を及ぼすことがある。

前の宇宙。ビッグバン前の宇宙では。

それが顕著だった。

自宅に戻る。

鬱々とした気分を紛らわすためか、ホローがリラクゼーションプログラムを走らせる。私はと言うと。

服を幾つか引っ張り出してきて、着込んでみた。

物質世界で放送しているアイドルアニメで着ている服を参考にしたものだ。低年齢層をターゲットにしたアニメほど、非現実的な服を着る傾向があるが。此処はどうせ精神世界だ。

羽がついていようが、どう考えてもダンスできそうになかろうが。

問題なく着ることが出来る。

時々、服の一部が体にめり込んだりして、苦笑するけれど。

鏡に映してみると、馬子にも衣装。

そこそこに見られる。ただし似合わない。

「アフガニスタンの次は、何処が仕事場になるんだろう」

「ホローには分かりかねます。 しかしレンネンレンネイ。 貴方はもっと気楽に動いても良いかと思います」

「人の命が、あんな風にゴミみたいに。 私もそうだったし、あんまり気楽には見ていられないよ」

「……」

ホローは、もう少し休もうと言ってくれる。

前は、休暇はただ家で寝ているだけだった。

でも今は。

こうやって、少しはすることも出来た。

それだけでも、大きな進歩なのかも知れない。

 

アフガニスタンは隅から隅まで地獄だった。

続けて仕事場に回されたのは、東欧の良く知らない国。アフガニスタンからはそこそこ離れている。

戦争も紛争もしていないけれど。

灰色の国。

そう称するべき国だった。

現在進行形で衰えているとか。

誰かが悪事をしているというわけではない。

何も無い。

本当に、何一つ無い国なのだ。

タブレットで調べて見ると。

一応独裁者と呼ばれる人間が、国家を主導している様子なのだけれど。見ていると、それ以前の問題の気がしてならない。

何しろ、どう見ても「動いていない」のだ。

あらゆる全てが、泥沼の底。

そして、それを改善することを。誰一人として、考えていない。

諦めきっている。

実際問題、この土地は、本当に何一つ無い残りもの。

巨大連邦国家が崩壊してから、独立をしたものの。

ただそれだけ。

後は何も残らなかったという、悲惨極まりない場所だ。

私は、黙々と亡者の探索を続けていく。意外にも、アフガンよりもかなり彷徨う亡者は多くて。

最初の調査区から、数人が見つかった。

亡者には手を出さないように。

それは徹底して言われているので。

すぐに担当の鬼を喚び出す。

現れた鬼は、亡者を手早く捕まえるけれど。なんというか、動物園から逃げ出した動物を、麻酔銃で捕獲するかのような。作業感溢れる行動だった。

悪しき存在でもなく。

善良でも無く。

あまりにも存在感がなく。

だから、探査にも引っ掛からなかった亡者達。

それを考えると、雑に扱うのを見ていると、心が痛むのだけれど。

私には何かそれについてコメントする資格は無い。

私が、隠れ潜んでいた彼らを見つけたのだ。そして、今、転生の場へと連れて行かせている。

亡者達がどうなるかは分からない。

それが余計に。

私の心を傷つけていく。

「レンネンレンネイ、次の区に行きましょう」

「うん……」

処理が完了したことを、鬼がタブレットに通知してくる。

こういう灰色の国だと、余計に中途半端な状態で物質世界にぶら下がっている亡者は多くなるのかも知れない。

私だって。

一歩間違えば、そうなっていたのだ。

昔は、最悪の状態まで悪化した亡者は、消滅させるしかなかった、という話を聞いている。

一度完全消滅させて。

素の魂だけに戻して、回収する。

それは完全な作業で。

どうして亡者がそうなったかとか。

不備が原因では無いのかとか。

考える余裕は与えられなかった。

私は、そういう点では。

そもそも、亡者があの世にいけるようにしているだけ、マシな仕事をしている。そう考える。

必死に、考えを改めて。

そして、次へ。

次の区でも、やはりたくさんの亡者が彷徨っている。

この国では、どうしてか、あの世にいけず彷徨う亡者が多すぎる様子だ。タブレットですぐに担当者を喚ぶけれど。

困ったなと、内心思った。

数が多すぎる。

連れていく鬼達は、あくまでそれだけが仕事。

私は、この後単純作業とは言え、レポートを上げるつもりだ。この国では、二次元探査が上手く働いていない。

三次元探査でこれだけ引っ掛かるという事は。

更に細密な探査をすれば。

もっと亡者が引っ掛かるかも知れない、という事を意味している。

「レンネンレンネイ、余計な事を考えず、次に行きましょう」

「……」

ホローのアドバイスにも、応える余裕が無い。

次の地区でも大量。

次も。

その次も次も次も。

九カ所の三次元探査を終えた時。タブレットを調べて見ると、なんと今日だけで二百人を超える彷徨う亡者を捕縛したことが分かった。

引き継ぎをしてから。

家に戻る。

そして、レポートを作る。

このレポートを作る作業は、きちんと仕事時間としてカウントされる。この辺りは、ホローが監視して、手配してくれるので問題ない。

とはいっても、今までの作業は全てタブレットに記録されているし。

それを、数操作でレポート化して。

提出するだけだが。

提出すると、すぐにタブレットが反応。

中枢管理システムから連絡だ。

「レンネンレンネイ、膨大な数の彷徨う亡者の回収に貢献したこと、お見事です。 早速で申し訳ありませんが、休暇の後に中枢管理システムに顔を出してください」

そら来た。

私はそう思ったけれど。ホローは何も口にしない。

多分今回の件で、中枢管理システムは、常時作動している二次元探査システムに見直しを図るはずだ。

残念ながら、鬼は物質世界に散らばって、常時死人を監視するほど人員がいない。二次元探査システムで、99.999パーセント以上の精度で亡者を自動的に見つけ出して、あの世に引っ張っていけるというのが大きいが。逆に言うと、死人を逐一迎えに行っていた時代は、それこそ亡者の取りこぼしが散々発生して。物質世界に悪影響を与えるレベルの強大な負の力を持った亡者が跋扈する事態にまで発展したらしい。

だから、二次元探査システムの導入は素晴らしいという結論になったのだが。

今回の調査で、その結論が崩れた。

条件が整うと、二次元探査システムでの取りこぼしが大量に出る。

そしてそれは。

あの世にも物質世界にも。

悪い影響を与える。

魂達が帰る場所である魂の海の管理は、多くの鬼達の中でも、最高の力を持つ者や、神々が行う。

その魂の海に。

色々と影響も出るのだ。

面倒だけれど、中枢管理システムが言うとおり、出頭しなければならないだろう。そして、会議にも、参加しなければならなさそうだ。

 

3、手から零れる砂

 

中枢管理システムに顔を出す。

人間の姿をしている鬼は私以外殆どいない。今日は背中に翼では無くて、体の周囲に光球を回転させて、人間では無い事を示してはいるけれど。

非生物的な姿をした鬼が多い中。

私は逆に目立った。

前に世話になった鬼に偶然会う。

向こうは吃驚していた。

「レンネンレンネイくん、随分とまた変わったねえ」

「やっとなりたい姿になれました」

「そうかそうか。 今後は更に理想を磨いていくと良いだろう」

相手も別の用事があって、中枢管理システムに来ているのだ。すぐにその場を去っていった。

万華鏡の中のような不可思議な空間の中で、しばし待たされて。

程なく、名前を呼ばれた。

空間スキップして、指定の座標に出向く。

巨大な柱が其処にあった。

無数の光が寄り集まって作られているような、巨大極まりない柱。これは、中枢管理システムのごくごく末端。

一種の量子コンピューターであり。

システムのごく一部。

こういった巨大演算システムが、数限りなく集まり。複数の並行次元に跨がって構築されているのが、中枢管理システムのコアだ。これに神々や上級鬼が更に手を加えて、宇宙を管理する仕組みが作られている。

だが、その演算能力を持ってしても、宇宙全ての事象をコントロールすることは出来ないし。

するべきでもないとされている。

これは過去の失敗からの教訓だそうだが。

どんな失敗があったのかは、鬼達には詳しく知らされていない。

鬼の一人が来る。

「やあ、レンネンレンネイくんだね。 私はバロールというものだ」

「魔眼バロールさんですか」

「そうだそうだ。 物質世界の神話ではそう伝わっているね」

名のある上級鬼である。

上級鬼の何人かは、前のビッグバンから生き残ったり、地球の生命体が文明を作る前から生きていたりする。

そして彼らは、神話が作られるときに名前を貸したり。

黎明の文明に天国と地獄の概念をもたらしたり。

わずかながら、物質世界に関わりを持っている。

ただし、それは名前だけを貸すに等しい行動で。

実物はまるで別物だ。

実際バロールも、気の良いおじさんだという話を聞いていたが。

私の目の前にいるのは、四角い無数のブロックが無秩序に重なりあい、たくさんの眼球がその表面についている、普通の鬼で。

邪悪だとか。

見ただけで死ぬとか。

そういう存在ではない。

「では、此方に来てくれ。 会議に参加して欲しい」

「分かりました」

「先に言っておくが、君を責めたりすることは無いから心配しないで大丈夫だよ。 あくまで今回の問題点を、建設的に解決するだけだからね」

そう言われて、指定の空間にスキップして移動。

其処はなんというか。

真下に銀河のある、巨大な闇とでも言うべきか。

中央に平べったい光る机があって。

その周囲を囲むように。上級以上の鬼が、七名ほど既に来ていた。

こんな中に混じるのか。

ちょっと緊張する。

中堅から上級に上がるのには、どの鬼も相当に苦労する。私も体感時間で二千万年以上過ごしているけれど。上級になるには、更に数倍は経験を積まなければならないだろう事を覚悟している。

それに上級になれば。

それだけ仕事の責任も重くなる。

色々と気楽ではいられない。

能力に応じて、仕事が割り振られる。

それがあの世の仕組みなのだ。

「それでは、今回の亡者の探査漏れの件について。 バロール、詳しくお願い出来ますか」

「はい」

会議の音頭を取っているのはルーグだ。

神話上では対立している二人だが、どっちも名前を貸しただけにすぎない。実際にはとても仲が良い様子で、会議の間も息があった様子でスムーズに進行させている。私は緊張して自席で座り込んでいたが。

やがてルーグに話を振られた。

ルーグは巨大な蛇そのものの姿をしていて。

睨まれるとちょっと怖い。

ただ、他の上級鬼達も、形容しがたい姿をしているし。

異形の鬼には慣れているから。

姿よりも、ルーグが放っている強烈な鬼としての力に、気圧されたのかも知れない。

「レンネンレンネイくんのレポートと、実際に現地で亡者を回収した者の情報を中枢管理システムで検討したところ、どうも政情不安の国よりも、停滞した国の方が、見逃す亡者の数が増える様子なのだ。 特にこの間レンネンレンネイくんが探査した国では、二百人を超える亡者が探査の網を逃れるという異例の事態が起きていた。 此方のグラフを見て欲しい」

立体映像でグラフが出る。

非常に膨大なデータを綺麗にグラフ化しているが。

要するに、200人もの亡者を見逃した例は近年なく。

今回はそれだけの異常事態だった、という事が際立っていることがよく分かった。

ただ、ルーグが言うように。

停滞した国では、確かに亡者を探査出来ず、見逃してしまう事が多い様子だ。

統計としては充分なデータが取れている。

私はたまたま、運悪く、最悪の条件が整った場所の探査をしてしまった、ということなのだろう。

つくづく我ながら間が悪い。

「何か意見はあるかね」

「いいえ、今回の件はただひたすらびっくりするばかりで」

「それは経験が浅かったのだから仕方が無い。 何か原因などで、思い当たる事があったら遠慮無く言って欲しい」

「はあ……」

困り果てている私に。

ルーグは笑顔で、容赦なく意見を言うよう告げてくる。

こういうのが一番困るのだけれども。

ルーグとしても、対応策を練るために、これだけの数の上級鬼を集めているのだ。何か意見は聞いておきたいのだろう。

それに、世界はよくあるべし。

それがあの世の基本的な事項だ。

問題があったら、出来るだけ解決する。

大きなものから順番に。

実際、大きすぎる問題は、あらかた既に片付いている。各地にある小さな問題を、今洗い出しては処理している状態だ。

これもその一つ。

実際、潜伏していた亡者達は、みんなあの世に連れて行かれているわけで。

結果としては問題にはなっていない。

だが、やはりタイムロスが生じるのは好ましくない。

「そ、その。 あくまで、あの、一意見、ですけれど」

「なんだね」

「私もその、あまり良い人生を送る事が出来なかった亡者出身です。 でも私の場合は、分かり易くどす黒い人生でした。 だから、亡者としてすぐにあの世に見つかったのかな、と思います。 それで、あの国には、灰色の人生を送って、亡くなった方が多かったような気がします」

「ふむ、なるほど。 中途半端すぎる状態で死んだから、却って探査が難しくなったのでは、と」

頷くけれど。

腕組みしたのは、エスリンだ。

神話上ではバロールやルーグの血族だが。タブレットでさっき見たところ、あんまり実際には関係がないらしい。

名前だけを貸しているので、こういうことになる。

ちなみに姿は、上半身だけ人間で。

下半身は蛇だ。

しかも蛇の尾っぽ部分は六つに分かれていて、その全てから蛇の頭が出ている。ある意味七股のオロチとでも言うべきなのか。

「平凡な人生を送って死ぬ亡者と、灰色の人生を送って死ぬ亡者で、それほど差が出るのでしょうか」

「実際今回、大きな事件となっています」

「それはそうですが」

「それならば、こうしましょう」

手を上げたのはキアン。

同じように、神話に名前だけ貸している鬼である。

なお此方も、他の鬼達とまるで関係がない。

姿そのものは、巨大な槍としかいえない。

手を上げたというのは、サイコキネシスを駆使して空気を結晶化し。ちかちかと瞬かせたのだ。

あくまで比喩である。

「少しコストは掛かりますが、彷徨う亡者が一定数以上出る場合には、自動で三次元探査を行うシステムを導入しましょう」

「コストが問題ですね。 宇宙中に文明が幾つあると思っていますか」

「ですので、一定数以上の彷徨う亡者が観測された場合です。 このグラフを見る限り、100人以上の彷徨う亡者が一度の探査で見つかるケースは極めて希。 そして、同じ国でも、前回の探査では、19人ほどしか見つかっていません。 統計から考えて、15人以上の彷徨う亡者が見つかった場合、三次元探査装置を設置する、で良いのではないでしょうか」

「応急処置ですが、それしかなさそうですね」

エスリンとルーグが応じて。

他の鬼達も賛成した。

ついでに、二次元探査装置のバージョンアップについても、システム開発の鬼達に依頼をするという結論で決定。

実際問題として、二百人もの取りこぼしがでたのだ。

それが妥当だろう。

会議が終わる。

ちなみに会議の時間も、仕事にきちんと含まれる。

くたくたになった私だけれど。

バロールが帰り際に声を掛けてきた。

「大変だったね。 まだ中堅の真ん中くらいの実力なのに、筋金入りの上級ばかりに混じると気苦労が絶えなかっただろう」

「はい。 とても疲れました」

「休暇は多めに出しておくから、ゆっくり休むといい。 それと、今回の件で、君はシステムの問題を発見してくれたわけだから、ボーナスも出ると思う。 長期休暇が貰えるだろうから、羽を伸ばしておいで」

随分親切にして貰って、恐縮して貰う。

或いは、見抜いていたのかも知れない。

異形が基本になる鬼達の中で。

人間に極めて近しい姿をしている私だ。

何かしらの鬱屈があると見抜いても、不思議では無いし。

実際それは当たっているのだから。

中枢管理システムを離れて、家に戻った頃には、タブレットに連絡が来ていた。やはり、かなり長い休暇を貰えている。

ただし休暇の中には、医師に診察を受けるように、というものもあった。やはりストレス値がかなり多くなっているらしい。

自覚はあったし。

何より今回の件で、色々な問題を間近で見て。

精神にダメージも受けた。

それに、私が精神面に問題を抱えている事は、中枢管理システムでも把握している様子で。定期的に医者に行くための休暇を作ってくれる。

こうしてみると、物質世界の大体の文明よりもましな環境で働いている筈なのだけれども。

その割りには、どうしてストレスばかり溜まるのだろう。

前は、休むときには体を吊っていたけれど。

今はベッドに横になって、人間と同じように眠るようにしている。小さくあくびをしていると。

ホローが声を掛けてくる。

「医者に行く前に、少し休んでおきましょう」

「そうだね」

「服も幾つか買い足しますか」

「……テキトウに見繕ってくれる?」

私は、なんというか。

自分に似合うかどうか、服を見てよく分からない。

精神生命体だから、着る服も霊的物質で出来ていて。

そのためコストは気にする必要がない。

結局、私は今回も、良い事をした筈なのに。

どうして精神にダメージを受けているのだろう。

分からない。

私には、どうすればいいのか。

まったく分からない。

 

しばらくの休暇の後。どうやら、三次元自動探査装置の導入が決まったらしく。鬼が探査する地域は、かなり縮小されたようだった。

その分コストもかなりかかったようだが。

最終的には、三次元探査装置を全域に導入するという事で、これは時間を掛けながらやっていくと決定がされたそうだ。

宇宙は少しずつよくしていく。

それが中枢管理システムの考え方。

私も、仕事に出向く。

今回は深海である。

亡者の中には、知恵を働かせて、深海などに逃げ込む者もいる。地中にはどういうわけか逃げ込めないらしいのだけれど。

深海は、大丈夫らしい。

この辺りの仕組みは、仕事前にタブレットで調べて見たのだけれど。難しい論文がたくさん出てきて、ちょっと説明が怪しくなる。少なくとも、他人に教えられるほどは理解出来ていない。

深海では、人はあまり死なないという事で。

探査範囲は、普段の百倍。

つまり、3000キロ四方だ。一区画1000キロ四方で探査する。

縦方向については、基本的に成層圏まで三次元で自動的に探査出来るので、元々同じである。

単純に二次元での広さだけを考えて、行動すれば良い。

深海は立体的な地形になっているが。

上空については、先ほどの理由通り考えなくてもいいため。

ビーコンをタブレットから操作しながら、海底を這いずり回ることになる。

人間の子供が、海底を這いずり回っている光景はなんというかシュール極まりないのだけれど。

深海になると、実際には真っ暗。

特に今私が担当している辺りは、大陸棚からも外れてしまっている。

つまり、完全な闇の世界だ。

タブレットには地形などが完璧に表示されているので、迷う事はないし。最悪の場合は空間スキップして成層圏にでも出ればいいのだけれど。

それでも真っ暗だと。

少し気が滅入る。

それに、だ。

流石に人間の生活圏から近い地域、いわゆる大陸棚の辺りには、逃げ込んでいる亡者もいるけれど。

こんなド深海。

今いる所など、水深4500メートルで、周囲には深海魚や不思議な形の動物たちしかいない。

こんな所に逃げ込む亡者なんて、いるのだろうか。

そう思って、空間スキップしながら、彼方此方這い回っていると。

なんとビーコンに反応。

即座に回収担当に連絡する。

まさか、いたのか。

戦争が起きている場合には、戦場には鬼が待機して。戦死した者はすぐに亡者として連れていくようにしているらしいので。

恐らく戦死した人間ではないのだろう。

見ると、全身に入れ墨を入れた、浅黒い肌の男性だ。

関わらないように。

そう言われているので、軽くタブレットで調べて見る。

すると分かったが。

どうやら。非常に古い亡者のようだった。

人類は、古い時代から船に乗って世界中に拡散していったのだけれど。帆船などが発展する前は丸木舟などを使い。

そしてその丸木舟で、実際に長距離の航海を成功させている。

西暦などと言う概念が出来る前の話だ。

そんな古い時代の亡者である。

今では既に失伝している言葉を使っているようで。遠目に見ていると、接している鬼も困っているようだった。

それでも、なんとかあの世に連れていく。

「レンネンレンネイ、取りこぼしの回収が出来て良かったですね」

「そうなのかな……」

「どうしたのです」

「あの世から迎えが来ることは分かっていたはずだよ。 それなのに、どうして深海に逃げていたんだろう」

まだまだ。世の中には、解決できない問題はたくさんある。

あの人は。手から砂がこぼれ落ちるように。

鬼が迎えにも来てくれず。

そして行くところもなく。

仕方が無く深海に落ちて。

其処でじっとしていたのかも知れない。

それは亡者として、地獄で責め苦に遭うよりも、ある意味辛かったのではないのだろうか。

それなのに、あの人は深海に居続けた。

ひょっとして、深海が気に入っていたのか。

それとも、他に何か理由があるのか。

それは私には分からないけれど。

ただ一つはっきりしているのは。

今、亡者をあの世に送ったのは私で。そして、その亡者は、ずっと取りこぼされていて、発見されていなかった、という事だ。

嘆息すると、探査を続ける。

深海はまだまだ広い。

ビーコンを使って、三次元探査を続けていくが。流石にそう何人も亡者は見つからないだろう。

若干楽観的に探査を進めていくけれど。

その予想は裏切られる。

七つ目の探索区で。

二人目の亡者発見。

しかも今度は、比較的新しい亡者だ。

すぐに担当者を喚び出す。担当者も、こんな深海に二人も、と驚いていた様子だけれども。

事実は事実だ。

遠くから伺うけれど。

向こうは此方に気付いていて、面倒な事をしてくれたなと、じっと睨んでいた。正直なんというか、申し訳ない気分になってくる。

相手の姿は、恐らく西洋系の人間だろう。

比較的新しい雰囲気の亡者だけれど、それでも多分大航海時代の人間。

見たところ。

どう考えてもカタギだとは思えない。

大航海時代。

幾つもの航路を開いた者達は、皆揃いも揃ってろくでなしだったと聞いている。海賊と商船と軍船の区別が付かないような時代で、乗っているのは筋金入りの与太者や山師ばかり。

残虐行為は当たり前。

ジェノサイド上等。

それがギャングスターやピカレスクロマンで美化されている海賊の現実だ。気に入らなければ他人を殺す事なんて、それこそ食事よりも簡単に行う。

だから、知っていたのだろう。

死んだら地獄行きだと。

だから逃げ回っていて。深海にまで逃げ込んだ、と言う訳か。

すぐに担当の鬼が来たが、逃げようとする亡者。だが、担当の鬼は捕獲用のツールを揃えてきている。

すぐに亡者の足は絡め取られ。

倒れたところを捕縛された。

気の毒だけれど仕方が無い。

それにしても、こんな深海で、何百年過ごしたんだろう。大航海時代の頃だとしても、三百年以上だろうか。下手をすると、もっとだろう。

連れて行かれるとき。

亡者は、私の方をじっと見ていた。凄まじい憎悪が籠もった目だった。

だけれど、それは逆恨みだ。

そして、逆恨みで平気で人を殺す者達が、大航海時代に、航路を切り開いた。人間の歴史は闇に満ちている。

しばし、ぼんやりしていたけれど。

ホローが声を掛けてくる。

「レンネンレンネイ、次に行きましょう」

「あの人、恨んでいたね」

「逆恨みです。 今、調査しましたが、どうやら水死した様子です。 海上での異国船との戦闘で、海に投げ出されたようで。 戦死者は皆鬼が回収していったのですが、水死者という事で、回収漏れしたようです。 なお、生前に六人を殺し、奴隷売買にも関わっています。 レンネンレンネイ、貴方が苦悩するような相手ではありませんよ」

「……」

何だか、少しだけ気の毒だと思った。

あの人は悪い人だった。それについては、議論の余地もない。生きていれば生きているだけ、周囲に不幸をまき散らしていただろう。

私の両親のように。

だけれど、何百年も深海に潜んで、それで追跡をかわし続けて。地獄に行くまいとし続けたのは。

それはそれで、地獄だったのではなかろうか。

間違いなくあの亡者は地獄行き。

これから罪を生搾りだろうけれど。

その前に、深海を彷徨い続けた事は。

きっと地獄とあまり変わらない、恐怖と孤独の時間だったのではないだろうか。

結局、その後は。

全ての区を調べたけれど、亡者はいない。

後は戻る事にする。

家に着くと、ストレス値がかなり高まっていた。すぐに医者に行くように指示を受ける。医者への予約は、ホローが手配してくれた。

私の心は脆い。

何度も言われている。

同情するような相手では無い場合、同情なんてしなくていいと。

亡者に感情移入するなと。

実際問題、亡者を裁く立場ではない。

亡者に恨まれるのも筋違いだ。

だけれど、私は。

そもそも「生きた」と言えたのだろうか。

私が過ごした生活は、人間の「生」だったのだろうか。

生きながら死んでいたのと同じ。

他人を蹂躙しながらも、生きていた奴は確かに生きていた。それがどれだけどす黒く邪悪で、残虐であっても。

そういう奴が、歴史的な偉業を達成したことも実際としてある。

それは事実。

私は、何もできなかった。

それを考えると。

あの憎しみの視線は、決して他人事ではないし。

なによりも、私自身にとって。

あり得た未来の一つだったのではないかとも、思ってしまうのだ。

医者に行く。

メンタルケアがいると言われて。そして。告げられた。

「恐らく貴方は亡者と直接接する仕事に向いていないかと思います。 スペックそのものは高いのですが、人の深淵に触れすぎる。 貴方の経歴からすれば当然のことなのでしょうが、そろそろ以前のような、亡者と直接接触しない仕事への転属を願ってみても良い頃ではないでしょうか」

「……考えてみます」

「貴方のスペックは繰り返しますがかなり高いですよ。 向き不向きが、誰にでもあるというだけの事です」

医師の言う事はもっともだ。

私は、家に戻りながら。

ずっと考えていた。

一度で良いから。

生きてみたかったな、と。

 

4、生きる事さえあたわず

 

転属願いは結局出したけれど。

すぐには受け入れられず。また、別の場所に調査に行かされた。

今度は南極である。

ギアナ高地や南極は、人跡未踏であったり、或いは極めて人間が到達しづらい事もあって、年季の入った亡者が逃げ込みやすい。

そういうわけで、定期的に亡者を探しているのだけれど。

私の時も、やはり見つかった。

どうしても私は貧乏くじを引きやすいらしい。

しかも、南極海の海底で発見、である。

亡者は此方に気付く事は無い。

前にあった事を考えて、申請していた、姿を隠す道具が役に立っているのだ。パーカーのように被るのだけれど。

そうすれば基本的に亡者から鬼は見えなくなる。

海底で。

その人は、膝を抱えて座り込んでいた。

髭ぼうぼうのお爺さんだ。

光も当たらない。

恐ろしく冷たい海底。

恐らく、人間が到達したことさえ無いだろう場所。

何しろ此処は。

氷河に覆われている南極海の、更に深部なのだからだ。

この人は、何があってこんなところまで逃げてきたのだろう。そのドラマだけでも、相当だろう。

すぐに迎えを申請。

担当の鬼が来る。

鬼が来たのを見ると、亡者は緩慢に逃げようとするけれど。

すぐに捕縛された。

今回来た鬼は、もう機械的に作業をしていて。

即座に有無を言わさず捕縛。

網に亡者を入れると、すぐに連れて行ってしまった。

「正しい判断です」

ホローが淡々と言う。

それは私だって分かっている。

亡者に情を移すと、こんな仕事は出来なくなってしまう。丁度私が、精神を病み掛けているように。

だから、亡者を選別するのは専門家に任せて。

自分はぱっぱと捕まえて、帰るのが正しい。

ましてやああいう鬼は、ずっと待機状態で、呼び出しを待っている負荷の高い仕事形態にあるはずで。

それこそ、作業はさっさと終わらせたい所だろうから。

「次へ行きましょう」

「……」

「先ほどの老人ですが、鬼から逃げるのも当然の経歴でした。 レンネンレンネイ、貴方が気に病むことなど欠片もありませんよ」

「ありがとう」

次の区に行く。

でも、今度は亡者の反応はなし。

ほっとしたのも束の間。

次の区で。

二十人以上の亡者の反応が出た。

これは凄い。

いわゆるレギオン体にもならず。海底の一角で、輪を作ってぼんやりと座り込んでいる亡者達。

子供ばかりだ。

見たところ、アフリカ系の子供ばかりのようだけれど。

まさか。

すぐに担当の鬼を喚ぶ。

二十人以上という事もあって、鬼も複数来た。まあ一人でも問題は無いのだけれど、念には念を入れて。

そういうマニュアルもあるのだ。

鬼達が、悲痛な悲鳴を上げて逃げ回る亡者達を捕縛して、連れていく。

何となく、事情は分かる。

あの子供達は。

「レンネンレンネイ。 感情移入は禁物です。 それに、あの子供達は、決して悪いようにはされないでしょう」

「……そうだよね」

「あの子供達は」

「もういいっ!」

分かっている。

奴隷貿易の際に、死んだ子供達だ。

海上輸送されるときに、弱った奴隷は容赦なく海に捨てられた。

腐敗しきったアフリカの様々な小規模国家では。

人身売買を積極的に行い。

そうやって売られた奴隷達は。

それこそ動物以下として扱われた。船の中に無茶苦茶に詰め込まれ。近代の西欧国家が発展するための肥やしにされた。弱れば即座に殺され。余っても即座に殺された。

地球人類がどれだけ醜悪な歴史を築いてきたか。

あの子達は、その証人だ。

私だって、あの子達と立場はそれほど違わない。

それなのに。

私は。

必死に逃げ延びて、ようやく安息の地を手に入れたあの子達に。

俯いている私に。

ホローは呼びかけてくる。

「レンネンレンネイ。 あの子達は、少なくとも地獄に落ちることはありません。 あの子を売った連中や。 あの子を買い取った連中は、もっとも深い地獄で今も罪を生搾りされているでしょう。 醜悪な歴史を作り上げた連中には、相応の地獄が、生きていた時間より遙かに長く、罰として与えられます。 ですから、何一つ貴方が気にすることはないのですよ」

「分かってる……」

「それに、あの子達は、あの場所にいても、いずれ人格も自我も無くして、ただ其処にあるだけの霊体になっていたでしょう。 自我がある内に発見できて良かった、と考えるべきです」

「分かってるから、もう静かにして」

手で顔を覆う。

此処は深海。

そもそも私は鬼だ。

そんな行動とは無縁の筈。

それなのに、顔を覆わざるを得なかった。

物質世界とはなんなのだろう。

矛盾に満ちた醜悪な歴史。

それも、良くしようと煉獄で散々努力してこれだ。努力していなかったら、一体どれだけ残虐になっていたのだろう。

他の区画も調べる。

最後の区で、また一人見つかる。

今度は寂しそうに膝を抱えた女の人だ。あてもなく彷徨ったあげくに、この最果てに辿り着いた、という雰囲気である。

担当の鬼が連れていく。

逃げようとも抵抗しようともせず。

亡者は無言で連れて行かれた。

もう、全てを諦めきった目をしていた。

仕事が終わる。

自宅に戻る。

ベッドに転がる。

タブレットを見て、非常に高い成果だと、お褒めのメールが来ている事を確認。まったく嬉しくない。

何一つ嬉しくない。

全身が焼け付きそうだ。

哀しみと、それ以上のなんだろう。

これは怒りだろうか。

自分と似たような境遇の亡者。もはや何一つ信用することが出来ずに、海の中を逃げ惑っただろう子供達。

私だって、取りこぼされていたら。

ああなっていた可能性が低くなかった。

今、亡者を自動的にキャプチャ出来る確率は99.999パーセントを超えていると言う話だけれども。それでも、これだけの亡者が見つかるのだ。

私は一体。

何をしているのだろう。

化身が上手く行ってから。私はずっと、あり得た自分の姿のままだ。これさえも、殆どの亡者は、再現できない。

私は幸福だ。

その筈なのに。

どうして、泣けもしないのに、涙が出るような気分のままなのだろう。

「転属届けを出していますが。 貴方の非常に高い成果を、中枢管理システムは、評価しているようです」

「……もういやだ」

「分かっています。 ストレス値の高さも問題視してくれています。 きっと、良い対応をしてくれる筈です」

「本当だったら嬉しいな」

毛布を被ると、もう眠る。

この仕事は向いていない。

というよりも、もうずっと機械的に何かを叩いていたり。或いはプログラムを組んだりしていた方が良い。

私が中堅の鬼で。

出来る仕事が多くて。

単純作業が基本になる下っ端の鬼より、責任もあるし。仕事だって難しくなるのは分かっている。

それでも。私は亡者に直に触れるのは。

とてもつらい。

ホローが、様々な作業をしてくれている。

医師に連絡して、まずこれ以上の同じ作業が厳しいという証明書を発行してもらう。これは詳しいカルテつきだ。

中枢管理システムとしては。

有能な人材を失いたくないとも考えているらしい。それは光栄なことだ。だから、転属をするのは異論がないようだが。

問題は、私が中堅の鬼だと言う事。

それに、多大な成果を上げている、という事だ。

鬼はいつだって足りていない。

成果を上げられる鬼を、現場から外すのは難しい。

しかし、壊れてしまっては元も子もない。

精神を一度完全に病むと。

精神生命体である以上。物質生命体よりも、むしろ復旧への時間とコストは、掛かってしまうものなのだ。

ぼんやりしていると。

ホローが声を掛けてくる。

「中枢管理システムから返答が来ました」

「期待はしていないけれど、何」

「どうやら、転属を認めるようです。 ただ、次の職場は……」

タブレットを見せられる。

あまり期待はしていなかったけれど。

予想通りだった。

 

あの世の入り口。

連れてこられた亡者達が、列を作っている。物質世界に似せた空間で。列は四十以上も存在していて。

そして、淡々と、処理が行われていた。

連れてこられた時点で、自我は奪われており。

最初に、機械的に選別が行われて。

完全にアウトな連中が、AIによって地獄に落とされる。

逆に、完全に大丈夫な者達も、AIによって此処で選別されるのだけれども。

こっちはまず存在しない。

こうして、何割かが削られた後。

鬼達が手作業で、亡者をそれぞれ選別していくのだ。

ある者はまた人間として転生。

ある者は選択肢を与えて、鬼になって貰ったり、或いは天国へ行って貰ったり。

そしてまたある者は。

あの恐怖の面接に送り込まれる。

列はそれぞれ文明ごとに分けられているようで、並んでいる亡者には、列ごとに明確な差があり。

此処とは別に、亡者達を選別している場所もあるらしく。

そこでは、違う星間文明の亡者達が。

行き先を割り振られているのだ。

私は、パーカーを被ったまま。

ぼんやりと、AIの挙動を見ていた。

私に次に与えられた仕事は。

これだ。

あの世の入り口の管理。

私の手元のタブレットには、ひっきりなしに情報が入り込んできている。私はそれらの統括管理を行う。

たくさんの亡者が、AIによって一次選別をされているけれど。

その内容が問題ないか。

誤動作をしていないか。

また、自我が残っている亡者がいないか。

列を乱したり、逃げだそうとしている者がいないか。

それらもしっかりチェックしている。

ひよこの雄雌をチェックする仕事みたいだと言われる事もあるらしいと、アーカイブで言われたけれど。

そこまで酷いとは思わない。

ただ、時間を圧縮した空間で作業をしているとは言え。

ちょっと処理情報量が多い。

しかしながら、個人的には、前の仕事より楽だ。

AIが間違った場合に、すぐに指示を出してやり直させる。

亡者の状態を確認する。

作業量が多いだけで。

亡者は既に人格を奪われていて。

これ以上何をされることもないからだ。

少なくとも、亡者に触れる事は無い。

此処は、隔絶された空間で。

私は一種の指示をするだけの仕事。

AIは練りに練られていて、まずミスをする事は無いし。自我を奪われると、どんなに残虐な元人間でも大人しくなる。

殆ど、エラーはない。

タブレットを監視して、時々出てくるワーニングも。

亡者が列を少し乱したとか。

AIのエネルギー消耗率だとか。

そういう内容だ。

「交代の時間です」

声が掛かる。

私がいるのは、泡状の空間で。亡者達からは見えない。そして、私は人型の鬼なので。席も用意されている。

席を立つと、交代に来た鬼と軽く引き継ぎ。

相手は、巨大なカマキリのような姿をしていて。背中から多数の触手が生えているという、すごく威圧的な鬼だった。

その割りに声はとても優しいけれど。

引き継ぎを終えると、相手が話しかけてくる。

「人間の姿をベースにしている鬼は久々に見ました」

「あまり詮索はしないでください」

「分かりました。 私はセノといいます」

「レンネンレンネイです。 次の仕事、お願いします」

礼をした後、その場を離れる。

そして、自宅に戻った。

家に着くと、いろんな服が届いていた。ホローが手配してくれているのだ。受け取りは、自宅に据え付けてある簡易AIが勝手にやってくれる。

仕事が変わって。

かなり楽になった。

適性が無い。

やはり医師の言葉には、間違いが無かったのだ。

今回は、あまりにも膨大な数の亡者を機械的に処理していく仕事。いちいち亡者の経歴を見ている余裕は無いし。

必死に逃げるのを追跡する仕事でも無い。

例えば、何かしらのミスで自我を取り戻した亡者が、列を離れて逃げ出したとしても。

AIが即応。

すぐに自我を再度取りあげる。

なお、このAIも亡者から見れば絶対的な力を有していて。

人類史上最強の存在が亡者になったとしても。デコピン一発で地平の果てまで吹っ飛ばせるくらいの戦力差がある。

だから、基本的に私がするのは。

不具合の処置だけ。

古い時代には、この管理AIに色々問題が出たらしいのだけれど。

それも先人達の努力と苦労で、ほぼ解消している。

伊達にビッグバン前から存在していないのだ。あの世というものは。

ストレスも完全に軽減されたけれど。

やっぱり私は。

孤独は苦手で。

それでいながら、人と接するのはいやだ。

ホローが相棒として色々話をしてくれはするけれど。

それだけ。

満たされないし。

かといって、誰かに近くにいて欲しいとも思わない。

人間は矛盾を抱えるものだ。

鬼だってそれは同じ。

私の矛盾は、とにかく面倒くさいものだということは分かっているけれど。それでもどうにもならない。

既に、中堅所でも、上位になろうとしている私でも。

この面倒くさい性格はどうにもならない。

物質世界と違って。

性格を矯正しろとか、頭の湧いた寝言を言ってくる奴がいないことだけが救いだろうか。それくらいだ。

たくさんある服を着込んでみて。

鏡を見る。

随分と似合わない。

アニメのアイドル達は、みんなとても完璧に着こなしていたのに。それを実際に着てみると、どうしてこうも似合わないのだろう。

色々工夫とか研究とかもして見るけれど。

ダメなものはダメだ。

組み合わせも試してみるけれど。

何一つ、納得できる組み合わせは無い。

むしろアイドルアニメのキャラクター達が着ていた普段着の方が納得できる。とくに、変な字が書かれたTシャツとかは、私が着ていても違和感が無かった。

だから最近は。

綺麗なドレスとかお洋服とかステージ衣装とかは、一度着てみて。

その後は、変な字が書かれたTシャツで過ごすことにしていた。

今はカマキリと書かれているTシャツを着ている。

奇遇だ。

丁度カマキリみたいな姿の人と、仕事を交代したばかりなのに。

「お似合いですよ」

「だろうね」

「どうしたのです?」

「なんでもない」

この辺が、所詮AIだ。

私だって、分かっている。本当に綺麗な奴だったら、ああいう衣装だって似合うはずなのだ。

私は元が元で。

それが多分虐待の原因にもなった。

アーカイブを調べて見るけれど。子供が可愛くないという理由で、虐待する実の親は珍しくも無い。

むしろ多数派に入る。

それが現実。

私も現実の中の一つだった、というわけだ。

「レンネンレンネイ、貴方はひょっとして、自分が醜いと考えていますか?」

「醜いよ」

「美醜の概念は時代によって変わりますが。 貴方が生きていた時代の日本の基準で考えると、むしろ醜くない方だと客観的に分析出来ます」

「ありがとう。 珍しいね、お世辞言ってくれるのは」

だからカマキリとか書いたTシャツが似合う。

それに、私は。

はぐれ者の面倒を見るのが、一番性にあっていると判断され。そういう仕事を任された。それも結局の所。私が「平均的な」基準から外れていたのが理由。何処まで行っても私は、はぐれ者、なのだ。

「むしろ似合いそうなものを専門家に確認してみましょうか。 手当たり次第に試すのでは無く」

「これ、似合ってるでしょ」

「普段着としては似合っているかも知れませんが、晴れ着としてはどうでしょう。 それに、着ているときにレンネンレンネイが嬉しそうにしているようには、私にはとても分析出来ません」

余計な知恵ばっかりつけて。

私がむくれてるのに気付いているのか。

ホローは更に続ける。

「どちらかと言えば容姿が「ボーイッシュ」に分類されるレンネンレンネイですし、ヒラヒラしたものよりも、スポーツを意識させるものや、中性的なファッションの方が似合うかと思います」

「じゃあ、好きにしてみてよ」

「分かりました。 ご随意に」

ポンコツAIが、なんか注文しているけれど、別にもういい。

カマキリのTシャツを着たまま、外に気分転換に出かける。中堅の上位の仕事ともなると、負担が大きい分仕事の間の休暇もかなり多めに貰える。ましてや時間圧縮して行動するから、かなりの時間を休む事が出来る。

ぼんやり、衛星軌道上から地球を眺める。

私は、あの星の社会に。

最後まで受け入れられることが無かった。

そして今も。

あの星には、拒否され続けている気がする。

あの世では、色々としてくれる。

とてもそれは助かっているし、感謝もしている。仕事にも不満はあるけれど、それはそれ。

中枢管理システムが誠実な対応をしてくれているのは、私だって分かっているし。

何より私の居場所は。

結局此処くらいしかないのだ。

外にもホローはついてくる。

知っているのだ。

私が孤独には結局耐えられない面倒くさい性格だと。

「ねえ、ホロー」

「如何いたしましたか」

「何でもない」

不思議な話だけれど。

私は自分が面倒くさい性格だと言うことを自覚していて。絶対に物質世界では受け入れられなかったことも理解していても。

未だに物質世界に未練がある。

なんだろう、この未練の正体は。

私が元人間だからか。

この未練こそが、全ての悪の根元の気がする。

でも、私には。

どうにもできない。

 

(続)