とても素敵な天国の話

 

序、天国

 

ようやく中堅所の鬼になった私は、中枢管理システムに顔を出す。呼び出しを受けていたからである。

鬼は精神生命体で、基本的に物事を経験すればするほど力が伸びる。複雑な経験を積んでいると、それだけ力が膨らんでいく感触である。それに伴って、素の姿が変わる者もいる。

中には、力がついてきてからは、物質生命だった頃の姿に戻る者もいる。

ただし大半は、己が想像するもっとも効率的な姿を想定して体を構築するため。ただの柱にしか見えなかったり。或いは壁だったりと。

何処が生き物なのかよく分からない外見になりやすい。

私はこの間やっと中堅になったばかりで、まだまだ経験も浅い。下っ端の頃は、中枢管理システムのサポートシステムの更にその下でずっと働き続けて。黙々と指示を受けた事項を修正して。

煉獄からの要請をまとめて上に回したり。

或いはレポートを作って提出したり。

何処の銀河で何がどの時代に起きて、何処を修正すれば良くなるか提案したり。

そういったことをずっとしていた。

提案は10回に1回受け入れられれば良い方で。

仕事の大半は、プログラムと流れ作業。

プログラムにしても、基本的に個人の意思が入る要素は殆ど無いため。黙々と、タブレットを操作して。

必要な動作をするように、構築していくだけだった。

そんな私も、少しずつ力を伸ばして。

やっと中堅に到達したのだ。

次の仕事はなんだろう。

基本的に、鬼はそれほど激しい労働には曝されない。

ただ、精神的に負荷が掛かる仕事はあるし。

それをやる場合は、メンタルケアも義務づけられている。

大変な仕事だと、基本的に能力上昇も早いのだけれど。その代わり、精神にダメージを受ける確率も増える。

メンタルケアだけでは足りなくなって、医者に掛かるような仕事では本末転倒だ。

まあ、ほどほどが良いかなと思いながら。

中枢管理システムの、最深部へと移動。

外側から見ると、巨大な光の泡のような中枢管理システムだが。近づくと幾重にも折り重なった構造を見せつけてきて。内部は更に万華鏡のように複雑だ。

物質世界の建物のようだったり。

或いはとても形容しがたい無機的な場所だったり。

虹のようなものが連なっていたり。

精神生命体が仕事をする職場は、基本的にこんな感じである。

ただ、亡者を相手にする職場の場合は、物質世界と基本的にあわせる。これは亡者に対する精神的負担を減らすためだ。

今の私は、長細い管に、無数の棘が生えている、といった風情の姿をしていて。化身もあまりたくさんは出来ない。というよりも、非常に苦手で、化身についてはまるで自信が無い。

制服として、特定の姿に化身しなければならない職場は最初から割り当てられる可能性は無いけれど。

それでも、不安はある。

らせん状に虹が連なっているような回廊を進んでいくと。

並んでいる鬼達が見えた。

順番に、中枢管理システムから仕事を言い渡されている。

ここに来て直接辞令を受け取る鬼は、相当な転機に来ている場合だけ。殆どは手持ちのタブレットに連絡が来る。

私が緊張しているのもそれ故。

並んでいる鬼が減っていく中。

私の番も、程なく来た。

「レンネンレンネイさん」

「はい」

言われた座標に、空間スキップ。

複雑に空間が重なっている中枢管理システムでは、下手をすると迷子になる。もっとも重要機密空間にはブロックが掛かっているので、スキップしても弾かれてしまうのだけれども。

だから転移する前に、タブレットのサポートを受けてから、空間スキップ。

そしてスキップ先では。

光に包まれた、幾つかの球体が浮かんでいた。

「レンネンレンネイさん、中堅の鬼に昇格おめでとうございます。 早速ですが、次の職場についてです」

「はい」

「貴方には、天界のサポートを担当して貰います」

「え……」

天界。

それは神々がすまう世界でもなければ。

楽園でもない。

ある意味、曰く付きの場所だ。

鬼は基本的に寿命がないので、時間を掛けながら皆が情報を吸収して色々な仕事を経験していくのだけれど。

天界は誰もが知る曰く付きの場所。

地獄と並んで。

高ストレスで知られる職場だ。

「わ、私はまだ中堅になったばかりですが」

「尻込みしているのですか?」

「はあ、まあ」

「大丈夫、そこまで厳しい仕事にはなりません。 今回は、天界そのものではなくて、その周辺の防御機構に関するサポートの仕事です」

ああ、それなら。

納得である。

物質文明でも高度なものになると、魂の存在を実証していたり。或いはあの世へのアクセスを試みているものもある。

これはいわゆる降霊術とかそういういい加減なものではなくて、きちんとしたテクノロジーで、という意味である。

こういう高度文明は、基本的に数十を超える恒星系を支配しているレベルのもので。それらの中でもごく一部の文明は、あの世へのアクセス方法を探して、日夜テクノロジーを磨いている。

まあ当然の話で。

あの世の中枢構成者である神々や上級鬼の実力は圧倒的だ。

危険なブラックホールを蒸発させたり、超新星爆発の影響を抑えたりと、日々物理を超えた凄まじい実力で、宇宙のために尽くしている。

利用したいと考えるのも分かるし。

何より身を守るために、相手を知らなければならないのである。

ただし此処までの規模に達している星間文明は、実のところ宇宙に二十を超えない程度しか存在せず。

それらの文明の動向を観察しつつ。

行動をしていくのが、防御機構の担当者の仕事になる。

一応相応に大変だが。

あの世の所有テクノロジーは、何しろビッグバン以前からもたらされたもので。

その技術力は文字通り圧倒的。

勿論逐次のアップデートは必要になってくるが。

そこまでハードな仕事にはならない。

身の丈のあった仕事だ。

私は、そう判断した。

「分かりました。 防御機構のサポートでしたら、以前に関わった事もありますし、内容は理解しています。 やらせていただきます」

「ありがとう。 それでは、研修をタブレットに送っておきますので、インストールしておいてください」

「はい」

礼をすると、その場を後にする。

それから、どっと疲れた。

空間スキップを駆使して、家に帰る。新しい仕事が始まるまでしばらく掛かるけれど、それでもあまり悠長にもしていられない。

家に着いたときには。

既に研修内容がタブレットに送られてきていた。

それを全て、精神生命体としての自分にインストールする。

精神生命体だからこそ出来る事で。

情報を直接取り込むのだ。

それによって、私に限らず。個体差無く基本的な情報を取り込むことが出来る。

あの世には学校が存在しない。

これは魂の海から生まれたての鬼や。亡者から鬼に転生した者も、基本的にこうやって情報を取り込めるからで。

皆さほど苦労せずに、一気に学習を終えることが出来る。

私が前いた世界であった学校というシステムは問題だらけだったけれど。その問題は、テクノロジーによって全てクリアされているのだ。

どうしても、教師の腕に左右される上に、思想も入り込んでくる学校教育と違い。

此方の情報インストールは。

圧縮時間の中で行うため、それぞれのペースで出来る上に。

何より結果に個体差が出ない。

此処以降の情報取り入れは、それぞれの努力が関係してくるが。

基本的に精神生命体は、テクノロジーの発展によって、情報を得れば得るほど力を増すことが出来る。

ストレスフルな仕事に積極的につく人もいるが。

それは、ストレスフルな仕事になるほど、伸びる力が増えるからだ。

自分のメンタルケアにも責任を持たないといけない義務もあるのだけれど。

それはそれ。

一気に力を伸ばしたいと考える人は、地獄や。

それ以上に大変な天国の仕事を志願するケースもある。

私はなんというか。

其処まで向上心も克己心もないので。

今回は、ストレスフルで知られる天国の仕事ではあっても。その外側についての防衛だから、多少は気が楽だ。

何しろである。

天国と言えば。

あのクレーマー世界なのだから。

とにかく、情報のインストールを終える。これで、仕事はできる。

後は自由時間だが。

何をして過ごせば良いか、ちょっと分からない。

私は昔からちょっとそう、とろい所があって。あまり出来る子ではなかった。少なくとも、ぼんやりした子だったのは事実だ。あんまり長生きできなかったけれど。あの恐怖の面接にも掛けられた。

でも、憶病で、良い意味でも悪い意味でも欲がなかったからだろう。

煉獄には落とされなかった。

かといって、そのまま転生させられる訳でも無く。

提示されたのは、色々な選択肢。

私は境遇に恵まれない子供だった。

だから、人間の世界にまた行っても、どうせまた虐められるだけだと思った。

それだったら、ドライで人間関係が薄くて、特に「コミュニケーション」とか称される事実上の同調圧力が存在しない鬼の世界の方が良いと私は思った。

実際、鬼の世界は、私にはあっていたけれど。

それでも憶病で気弱な性根は変わらず。

今もびくびくしながら毎日を過ごしている。

それでいながら、一人でいるのはちょっと苦手なので。

いつも私に語りかけてくれるAIを側に置いているのが。

私という半端者を示しているようで。

ちょっと其処は辛かった。

AIは光の球状で。

地球の衛星軌道上。

廃棄衛星に作られた私の家の中で、管理をしてくれている。いつ壊れてもおかしくないデブリだが、これは位相空間をずらしているので、物質世界にある実際の衛星が壊れてもあんまり関係無い。

「衛星が存在した」という事が重要で。

その事実そのものを利用したマイホームなのだ。

なお、家の中は色々と雑多に散らばっていて、おもちゃ箱のよう。

これは悲惨な幼少期だけを過ごしたので。

オモチャっぽいものに囲まれていると、少し落ち着くからだ。

AI、名前はホローというのだが。

ホローが声を掛けてくる。

「レンネンレンネイ、新しい仕事には不満ですか?」

「ううん、不満はないよ。 ただ、やっぱりいつも少し怖いなと思うけれど」

「そうですか。 しかし貴方は、着実に個人で仕事をこなしている。 今度の仕事も、適性が足りないとは思えません。 確実に仕事をこなしていけば、問題は無いでしょう」

「有難う」

単に勇気づけてくれているのは分かっている。

だけれども。

それはそれで辛い。

AIは何処まで行ってもAIだ。

勿論、生半可な人間なんかよりよっぽど気が利くし、判断も速い。此方が悩んでいるのも見抜いて、色々としてくれる。

それでも。

やっぱり、孤独だとたまに感じる。

もう少しAIの質を上げるには。

仕事で成果を上げるか。

それとも、ストレス値が検出されるしかないけれど。

実際問題、私が感じているストレスは、日常生活を送れるレベルで、AIの貸し出しを要求できるほどではない。

わたしにとって。

日常生活はなんなのだろう。

天国で好き勝手している連中のお世話をしている鬼達は、いつもぷんぷんと怒っているけれど。

そんな彼らが、ストレスを溜めながらも仕事をがんばれるように、支える誇りある仕事だ。

休みだって一杯貰える。

彼方此方に出かけていくことも出来る。

それなのに、どうしてこうも不満が大きいのだろう。

私は、どうしたら。

満足するのだろう。

「微弱なストレス蓄積が認められます。 リラクゼーションプログラムを起動します」

「うん……お願い」

リラクゼーションプログラムは、その個人ごとに、あったものが逐一調整され、洗濯される。

ストレスフルな仕事に就く鬼には、義務づけられている程だけれど。

私のような比較的楽な仕事に就いている鬼には、それほど熱心には勧められない。

問題はこれからだ。

中堅になりたての今はいい。

今後は、気弱な私も。ひょっとすると、適性が無い仕事に就くことを命じられるかも知れない。

その時が怖い。

私には、怖くてならない。

いやだなあ。

呟く。

結局私は、鬼になっても。孤独で憶病で。

それでいながら。

ただ、孤独が嫌だった。

 

1、守り守られ楽園は

 

天国。天界とも呼ばれる。

其処は、一部の大きな社会的業績を上げたり。或いは善良に一生を過ごした亡者が送られる場所だ。

此処で飽きるまで本人が望むことをやってから。

別の世界に転生するか、それとも鬼になる。

天国から地獄に落とされるケースはまず存在せず。

また、周囲には。

それぞれにとって極めて都合が良い世界が、仮想現実として展開される。

問題は、この「極めて都合が良い世界」だ。

天国に来ると、どんな善人でも、どうしても堕落するケースが出てくる。何しろ周囲は楽園そのもの。

それこそ、自分は王様で神様。

何処かの物質世界の国、というか私の故郷では、お客様は神様ですというような言葉があったけれど。

それを地で実施できるのが天国なのである。

当然、堕落すると。

そろそろ天国はお開きになって。

転生させられて、人間に戻るか。

それとも、鬼になって、全うに働き始めるかの、二択を突きつけられる。

この時の反応が、当然きついのだ。

天国にいる亡者は、それぞれが生前の苦労などから、傲慢になっているケースも、それぞれ好き勝手な世界を構築するケースも多い。

勿論、分をわきまえて。

ささやかな幸せな世界で、緩やかに夢を見るように過ごす者も多いのだけれど。

統計からすると、二割から三割くらいが、堕落への道を進むようだ。

この行動チェックと。

転生判断を迫る面接が。

とにかくきついのだと、同僚に聞かされている。

勿論亡者は猛反発するケースも多く。

そういった場合は、最悪AIに判断を任せてしまう事もあると言う。会話にならない場合もあるからだ。

例えば、死んですぐの自我を奪った亡者なら、素直に自分の秘めている願望を口にしてくれるけれど。

天国で悦楽の極限を味わった亡者達は。

そうもいかないのである。

堕落した場合、その自我は極限まで肥大化していて。

此方に対して非常に高圧的に出てくる事も多い。

また、堕落をチェックするのも大変だ。

歴史に実在するハレムは陰惨で陰湿な権力闘争の場だが。

それとはまったく別の、自分に都合が良い容姿をしていて、自分を愛してくれる異性だけを集めたテキトウなハレムを擬似的に構築して、喜んでいる場合。

自分を最強に設定して。

ゴミのように弱者を蹂躙して、ひたすらに喜ぶ場合。

弱いと設定しながら都合が良いことばかり起こり。

好き勝手な人生を謳歌する環境を構築する場合。

とにかく周囲の頭を弱くして。

とても賢い自分をすごいすごいと持ち上げさせる場合。

昔は、偉大な業績を上げていたり。

地道に真面目に人生を送っていた人達が。

そういった分かり易い堕落に身を浸している様子を見ると、心を痛めると鬼の誰もが口にする。

とにかく、だ。

天国はとてもストレスフルな場所なのである。

鬼にとって。

幸い、天国で亡者同士の諍いは一切起こらない。

というのも、地獄同様、亡者は非常に離れた空間にそれぞれが配置されていて。自分にとっての理想郷で好き勝手をしているからである。

そして亡者は、他の亡者には干渉できない。

亡者に干渉できるのは。

堕落が極限に達したと判断した鬼だけだ。

だからこそに天国に接する鬼は皆ストレスで苦痛を訴えるし。

逆に、こういう環境で平穏にしている亡者を、凄いと褒め称えもする。

噂によると、ビッグバンの前から、天界にいる超古株の亡者もいるらしいのだけれど。さぞや凄い精神力の持ち主なのだろうなと、感心してしまうほどだ。

色々問題はあるが。

いずれにしても、善良な人生を送った人々が。

楽しむための場所。

それが天国。

それを守る事は大事で。

人生を真面目に過ごし。

回りに幸福をもたらした人が受け取るべき、正当な報酬でもある。

だからこそ、守る必要はあるし。

守る仕事に就いたのは。名誉な事だ。

さっそく職場に赴任した私。

ある銀河の中枢にある巨大ブラックホールの中に天国の一つはあるのだけれど。其処では、ブラックホールの中に異相をずらした空間を作成して、仕事場を作っている。私が出向くと。

上役の鬼が来た。

此処では制服が設定されていない。

天国内部で働く場合は制服があるが。

見渡す限り。

ぴかぴかと輝いている不思議な砂が降り注いでいるような空間の中では。

多種多様な姿をした鬼達が。

めいめい自由気ままな姿で、仕事をしている様子だ。

「レンネンレンネイくんだね」

「はい。 よろしくお願いします」

「うむ。 それでは、君への仕事はタブレットに送っておいた。 質問がある場合も、タブレットにしてほしい。 だいたいの場合、ヘルプ機能で解決できるからね」

「分かりました」

軽く挨拶をすると。

私の代わりに、シフト勤務者が一人抜けていく。

此方とも軽く挨拶。

私は自分の場所に着く。

位相をずらすと此処がブラックホールの中だとはとても信じられないけれど。それでも、此処は重要な場所なのだ。

巨大な、複層の壁を。

守り抜かなければならない。

まず、仕事の内容を確認。

今回の仕事では、状態チェックが最初の仕事だ。

ブラックホールのシュワルツシルト半径の内部の防御壁だが。私はその一番外側を確認する。

霊的な防御を施されているそれは。

物質世界からは観測できないし。

何よりブラックホールの存在が、干渉を不可能にしている。

だが、それでも。

幾つか存在する、超高度文明は、下手をすると干渉してくる可能性がある。

それを防ぐのが仕事だ。

強力な防御壁を、区画ごとに順番に調べていく。

いずれもステータスはグリーン。

この防御壁は、自己再生能力を備えていて。最悪の場合は、天国を守るために他のブラックホール内部に転移することも出来る。

「問題なし……」

呟く。

ステータスがグリーンと言うだけで安心してはいけない。

具体的なステータスを確認して。

細かい部分でエラーが出てないかもチェック。

その辺りもチェックするプログラムが動いているのだけれど。

それでも念のためだ。

しばらく黙々と働いていると。

不意にタブレットが鳴る。

どうやら、ワーニングが出ているらしい。

早速、その場所を調査。

どうやら、ブラックホールの状態が思わしくなくて。それでワーニングが出たらしい。防壁そのものには、何の問題も無い。

「ワーニングクリア」

「後でレポートを作成してください」

「分かっていますよ」

ぼやく。

タブレットには自動応答機能をつけているので、こういう突っ込みを適宜してくれるのである。

なお、レポートは、タブレットを操作して、後は全自動で作ってくれるので、個人の意思が介在する余地はないし。

数操作で出来るため。

誰も苦労する事は無い。

物質文明だと、何だか色々面倒くさい動作を経て、個人の意思がふんだんに盛り込まれたレポートを作る苦行が会社で行われている場所もあるらしいけれど。

私はそういう会社に就職する前に。

命を落としてしまった。

だから、実はまともな就労そのものは、鬼になってから初めて経験した。

まともではない就労は、生きている頃にもさせられていたのだけれど。あれは正直、思い出したくない。

親に恵まれない子供がどれだけ悲惨な目に会うかは。

私が誰よりも良く知っているつもりだ。

しばしして。

担当している全区画のチェック完了。

更に全体に、フルでのチェックを掛ける。

しばし黙々と作業をしていると。

タブレットがまた鳴った。

アラームかなと思ったら、交代時間だった。

「引き継ぎの準備をしてください」

「分かってます」

とはいっても。

引き継ぎは、タブレットで情報をやりとりして。挨拶をするだけだ。

引き継ぎで来たのは、体が巨大な肉塊で。体中に牙が一杯生えた巨大な口がついている、とても恐ろしげな鬼だったけれど。

話してみると、とても責任感ある真面目な性格だった。

「今度入ってきた新鬼の方ですね。 私はサンライトスターといいます。 よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「困ったことがあったら、何でも聞いてください。 私は困っている方を助けるのが大好きですし、これでも一応此処ではベテランです。 トラブルが起きても、それは管理している鬼の責任ではありませんし、事故の対処は早めにするのが何よりです。 心配しないで、なんでもすぐに言ってください」

挨拶を終えると、家に戻る。

責任感あるまともな鬼なのだなと思ったけれど。

ちょっと疲れる。

挨拶はほんの少しだけでいい。

話していると。

色々と、人間時代の怖い思い出を、脳裏にフラッシュバックさせてしまうのだ。

それでいながら孤独が苦手なのだから、我ながら面倒くさいという事は分かっている。分かっていても、こればかりはどうにもならないのである。

空間スキップして、自宅へ。

ブラックホールから自宅まで1800万光年ほどあるけれど。

空間スキップを補助する一種のマスドライバが彼方此方に設置されていて、中堅成り立ての私でも、これを利用して簡単に自宅まで戻る事が出来る。

一種のワープ装置とでもいうべきか。

まあ、鬼の空間スキップ能力をサポートするためのものだが。

使い方はとても簡単なので。

私もすぐに覚えた。

自宅に着く。

力はついてきているのだ。

色々な化身を、自己努力で試しておきたい。

仕事が増えてくると、制服を着る仕事も。つまり、特定の姿に化身する事を求められる仕事も増えてくる。

一応、幾つかの姿にはなれるが。

まだ、人間の姿を取ることは出来ない。

おかしな話だ。

私は昔人間で。

それが当たり前だったのに。

まず、リラクゼーションプログラムを起動。

状態を確認して貰う。

特に問題なし。

そう診断されたので、ほっとした。

慣れない仕事だし、不安だったのだけれど。どうやら、それほどのストレスをため込んではいないようだった。

ホローが此方の行動を先読みして、声を掛けてくる。

「化身を試すのですか」

「うん」

「また、地球人だった頃の姿になろうと試みるのですか」

「だって……」

口をつぐんでしまう。

今の姿は嫌いじゃない。

だけれど。

未練はどうしてもある。

今の職場は、姿を自由にして良いと言われている。私は、どう客観的に見ても不幸な生活が続いたし。

成人する前に物質世界を去った。

それだったら。

せめて鬼になってからでも。

人間だった頃に、出来なかった事を幾つかしてみたい。

ちなみに結婚は嫌だ。

男女関係のアレさ加減は、何度も変わった「両親」を見て嫌と言うほど知っているし。そもそも、鬼には性欲もない。

鬼は繁殖もしない。

亡者をスカウトするか。

魂の海から自分で発生するか。

どちらかだ。

ただ、それはそれとして。

色々とやってみたいことはあるのだ。

しばし精神を集中して。

化身。

しかし、私が化身したのは。

人間にはほど遠い。肉の塊のような姿だった。四肢さえない。

霊鏡に映して、がっかりして、普段の姿に戻る。

もう一度。

今度は、もっと酷い。

ホラー映画に出てきて、逃げ惑う人々を食い散らかし。

辺りを血で染めそうな姿だった。

ホローが、フォローを入れてくれる。中堅所の鬼でも、化身を自由自在に出来るのは、実力が中から上位くらいになってからだと。上級の鬼になってくると物質世界に干渉も出来るけれど。それはずっと未来の話だと。

「鬼の力が弱くなることは基本的にはありません。 じっくり時間を掛けて、納得がいく結果を出していきましょう」

「うん……」

分かっている。

そんな事は、言われなくても。

でも、未練はどうにもならないのである。こればかりは、自分で最終的に、どうにかしなければならない問題だ。

何度か化身の練習をした後。

思うような姿にはなれず、しかも安定もしなかった。

化身についてのハウツーの情報は、鬼がアクセスを許されているアーカイブにあるのだけれど。

実は、これについては曖昧にしか書かれていない。

というのも鬼は精神生命体で。

化身については、それぞれ個々の性質が強く影響するし。ノウハウも伝えづらいのだから。

化身名人と呼ばれる鬼もいるのだけれど。

それは、あくまで化身というものに向いている性格やら性質やらをしているだけであって。

中堅どころだと、上位になって来ても十五くらいの姿を使い分けられれば御の字。

化身名人と呼ばれている鬼でも五十ほど。

ましてや、その姿で生活する程安定させるのは、それらの鬼でもなかなか難しいという話を聞くと。

道は遠いなと思ってしまう。

ましてや、制服として一定の指定がされている姿になる場合は、それに対するサポートプログラムも存在しているので、ある程度実力がついてくれば出来るのだけれど。私の場合は、生前の姿を再現したい、である。

こればかりはどうにもならない。

溜息を零すと、天井から紐を垂らして、体をそれにくくりつける。

休日は、アーカイブにアクセスして遊んでいる鬼や。彼方此方に出かけていく鬼も多いそうだけれど。

私はこうして。

誰にも害されない場所で。

静かに過ごしていたい。

それだけが望みだ。

それでいながら、会話する相手がいないと嫌なのだから、色々と面倒くさすぎるなと、自分でも思うが。

「レンネンレンネイ、貴方の体にストレスは存在しませんが、休息を望むのであればお手伝いいたします」

「じゃあ、緩やかな音楽を流して」

「分かりました」

ゆったりした、優しい音楽。

ぼんやりと聞いている内に。

私は、次の仕事も、そろそろ来るのかなと思いつつ。鬼は滅多にしない睡眠を、黙々淡々と行った。

 

2、外殻の外郭

 

仕事場に出る。

引き継ぎは一瞬。

もう上司も来ない。基本的に、鬼の仕事場は何処でもそうだ。高度な連携とかは必要としないし。

タブレットでサポートを受けるのが基本になる。

まれに、非常に難しい職場もあるけれど。

それは上級の鬼達が、人智を遙かに超える能力を展開して、全力で稼働するような場所だ。

私には縁がない。

早速仕事に取りかかる私だけれど。

ワーニングでは無く、エラーが出力した。

いきなりこれか。

早速タブレットで調査してみるが、どうやらブラックホールの状態が本格的に思わしくないらしい。

ブラックホールは、長時間経つと蒸発することが知られているが。

このブラックホールも、蒸発が始まっている。

そろそろ引っ越しの頃合いかなと思って、レポートを出す。ブラックホールが完全に蒸発すると、一番外側の壁がなくなるからだ。

天国を城だと仮定すると。

その外堀が埋まるようなもの。

それは正直な話、好ましくない。

ブラックホールが不安定なのは、みな分かっているのだろう。

タブレットに、指示が来る。

とうとう引っ越しをするらしい。

やっとかと思ったけれど。

ただ。天国を丸ごと移動させるとなると、上級鬼数人がかりか、或いは神が出てくる事になるだろう。

中枢管理システムに要請する必要もあるし。

簡単な話では無い。

神々の中には、それくらいは簡単にこなしたり、経験を積んでいる者も多いだろうけれども。

それはそれだ。

中枢管理システムに、お伺いを立てる必要があるので、支援をするようにと、何人かの鬼が指示を出されていた。

私はと言うと。

そのまま監視続行。

まあ、この職場に入ったばかりだ。

妥当な措置だろう。

黙々と監視を続けるが。

三回、エラーが出る。

ブラックホールの崩壊が何カ所かで始まっている。蒸発してしまうブラックホールは。そもそも重力の穴の底といわれるだけあって、宇宙でももっともダイナミックな現象の一つである。

蒸発したところで、天国にはなんら影響は無いが。

完全にブラックホールという物理的な外壁が消えると。幾つか存在するハイパーテクノロジーを所有する文明に嗅ぎつけられる可能性も、ゼロでは無い。

そうなると面倒だ。

私も理屈は分かっている。

黙々とレポートを造り。淡々と上げる。

ほどなく。

連絡が来た。

「これより神の一柱が来て、移動活動を始めます」

内心、早いなと思ったけれど。

この様子だと、前から決まっていた可能性が高い。多分、ブラックホールの状態が悪いことは中枢管理システムも理解していて、動くための準備に入っていたのだろう。書類などは他の鬼達が作るので。

此方では、外壁の状態を確認し続けるだけだ。

別のブラックホールは、既に用意されている。

「天国、空間スキップ開始」

「しばらく、外部空間との通信ができなくなります」

幾つかの報告が、タブレットから上がってくる。

監視システムがダウン。

これは、移動するのだから仕方が無い。この隙を突かれないように、ブラックホールの周囲に、上級の鬼が何人か展開しているようだ。

移動は一瞬。

そして、それが終わると。

監視システムが復旧した。

レッドだらけだったステータスが、即座にグリーンへと変わっていく。しばらく幾つかの部署と連携して、忙しくなると上役が話しているのが聞こえたけれど。私はどうすればいいのだろう。

タブレットを見ると。

指示は、監視の復旧と。状態の確認を続行、とだけあった。

まあ下っ端だし仕方が無い。

私は、言われた事を、そのままやるだけだ。

 

引き継ぎが丁度来たのが、復旧確認の直後。

私は状態を引き継ぐと。

今までとは少し違う経路で、家に帰る。

ちょっとばかり大変だけれど、覚えてしまえば後はタブレットがサポートしてくれる。ちなみに家から4300万光年の位置まで離れたけれど。通勤そのものに掛かる時間は、18秒くらいしか変わらない。

それだけ、マスドライバが便利なのである。

自宅に着く。

ちょっと疲れが出たので、ぐったりする。ホローが、リラクゼーションプログラムを問答無用で起動させた。

余計な事しなくて良いのに。

そう思ったけれど。

ホローから見ても、ストレスが溜まっている、という事なのだろう。

人間としての姿。

何とかしてとってみたいなあ。

そう思う。

人間の時、やりたいことは色々あった。

あの面接で、結局それほど強い願望としては出てこなかったけれど。だけれど、鬼になって時間が経つと。

どうしても、無念がわき上がってくる。

色々やってみたかった。

それには、今の姿では無理だ。

勿論、今の姿が嫌いなわけじゃない。

だけれど、どうしても。出来ない事をしたいと思うものなのだ。こればっかりは、人間だった頃のエゴ。

その頃から引きずっているものだろうと思う。

人間だった頃。

その頃の傷は。

未だに枷として、私を縛り続けている。これは、体感時間で何百万年も過ごした今でも、代わりは無い。

どうしてだろうとも思う。

しかし、あの面接を受けたとき。

自我をなくした状態で、表に出てこなかったほどの弱い願望だ。つまり、それは鬼になってからふくれあがった。

性欲を一として、多くの欲望をオミットされている鬼になった今でも。

こういう不思議な欲求は。

私の中で、確かにある。

ぼんやりとしていると、いつの間にか眠っていた。

仕事開始までは、まだかなりある。

アーカイブを確認。

私が生きていた時代の。服を幾つか見る。

ぼんやりと服を見ていると。

ホローが声を掛けてきた。

「それらの服を取り寄せますか」

「ううん、あっても何にもならないからいいよ」

「そうですか。 しかしこれらの服は、霊的に再現するのにさほどコストが掛からず、労働への反映も軽微です。 貴方の仕事の重さから換算すると、数秒の労働で完済が可能ですが」

「いいの」

大丈夫。

というよりも、ホローは分かっていない。あると却ってつらいのだ。それが、AIの限界か。

もっと高性能なAIなら違うのだろうか。

また、眠ることにする。

何だか、仕事が終わってから寝てばかりだ。

自分の力が伸びているのは分かっている。その内、望むように化身だって出来るようになってくる筈だ。

それなのに、どうしてだろう。

今は、ストレスが消えない。

何だか、とてもつらい。

夢も時々見る。

滅多に鬼が夢を見ることはないのだけれど。

それでも、あるのだ。夢を見ることが。

私は成人できなかった。

幼いまま、物質世界を離れる事になった。

今になって思えば。悪霊になったり。地縛霊になったり。怨霊になったりしても、おかしくなかったのだろう。

実際問題、亡者の中には。

迎えに来た者が見失ってしまって。

その結果、あてもなく物質世界を半端な状態でさまよう事になる者もいるとか聞いている。

それは結局の所。

不幸でしかないのだろうけれど。

私は間違いなく、そうなっていてもおかしくなかったのだ。

無念だったから。

テレビを見ると、いつもきらびやかな衣装を着たアイドルが踊っていた。家にあるテレビは、「電気代が高い」という理由で見せて貰えなくて、殆どは親がいない間に近くの電気屋さんに行って、其処でぼんやり膝を抱えて見ているしか無かった。

体が臭いとか言われて。

店員に追い出されたり。

お巡りさんに補導されることも珍しくなかった。

家に帰ると、鬼の形相で「両親」が待っていたけれど。

その「両親」は、何度も顔ぶれが変わった。

殴られるくらいなら良かった。

もっと酷い事も何度もされた。

きっとこれは、人間がしてはいけないことなのだろうと思うような事も、体に刻み込まれた。

死んだのも、それが理由。

結局、意識が遠のいていって。

そのままだった。

死んでから、すぐに迎えが来て。

結局鬼になったけれど。

その後見た。

「両親」の言い訳を。

いつも問題行動ばかり起こしていて、彼方此方の店に勝手に上がり込んで、不潔な衣服でソファやら何やらを汚していた。

あれはあの子供が最初からクズだったので。

私達は一切悪くない。

そういう両親は、警察に捕まっていた。

理由はよく分からないが。

両親は、一切自分たちが悪くないと思っていたようだし。

私に餌を与えるのももったいないと考えていたようだから。死んだ事は、むしろ嬉しかったようだった。

別に何も思わなかった。

そもそも、私にとって「両親」というのは流動するもの。

だれが本物か、もうよく分からない。

本物にしても、私を捨てた人間。

今なら分かるけれど。

あの時行われていた虐待によって、私の「両親」をしていた人間は、地獄行きが確定している。

内容が内容だ。

もう地球の故郷の国で何年かしたら。

いや、あまり考えたくない。それで起きるさらなる悲劇については、正直考えたくもない。

いずれにしても、私は。酷い状態で死んだ。

だからこそ。

一度で良いから、元の姿で。

綺麗に着飾ったり。踊ったりしてみたいと欲求を強く持っているのだ。それは、悪い事なのだろうか。悪い事ではないのだとしたら。どうして私は、人間の頃だった姿を、とることが出来ないのだろう。

目が覚める。

仕事まで、もうあまり時間がない。適切に準備を終える。ホローが、アドバイスをして来た。

「職場でのストレスは大丈夫ですか?」

「大丈夫。 お引っ越しも終わったし、しばらくは安定するはずだよ」

「それは良かった。 問題があったら即座にご相談ください。 此方からリラクゼーションプログラムの改良や、メンタルケアの専門家への手配を行います」

「ありがとう」

ホローにしても。

私の境遇を知った誰かが、与えてくれたものだ。きっと私をあの世に連れて来た誰かが、だろう。

私は、結局の所。

仕事に出るしか無い。

休みは貰える。

力だって欲しい。

でも、この乾いた心は、どうにもならない。

天国に行っていたら、少しはマシだったのだろうか。いや、天国にも、実情を知った今となっては、あまり行きたくない。

手を見る。

いや、手は存在しない。自分という存在を知覚する。

私はこの姿のまま。

後体感時間で何十万年、いや何千万年、過ごさなければならないのだろう。

 

下っ端の鬼だった頃、色々な知識を加速度的に詰め込まれて。そして自分という存在が曖昧に、そしてふくれあがっていく事を知覚した。

そして、仕事をこなしていく内に。

自分が鬼になったという事。

そして、鬼として、この世界に役立つことをしていること。

他の鬼達がどういう仕事をしていること。

などなどを、全て並列実行で知覚していった。

私にしてみれば、新しい世界だった。

出勤して、防壁の確認。

ブラックホールが極めて安定している事もあって、エラーどころかワーニングも上がってこない。

ただし、ブラックホール関係は、だ。

ブラックホールの近くに。

星間文明の探査船が来ている。

光速での空間移動を可能としている、ハイパーテクノロジーの産物だ。鬼達にとっては片手間で出来る空間スキップも、物質世界では超高度技術になる。宇宙でも最大規模の星間文明の探査船は。

しきりにブラックホールについて調べている。

文明がある程度進むと、ブラックホールや恒星はそのまま資源に出来ると聞いている。

ブラックホールはゴミ捨て場としても有用になるし。

それ以上に、周囲を旋回しているガスを利用して、膨大なエネルギーを生み出すことが出来るらしい。

勿論危険なブラックホールを用いてのテクノロジーだ。

確立するまで、多くの犠牲があったのだろう。

だけれど、今。

彼らは危なげなくそれを利用し。

そして、今も利用できないか調査に来ている。

「探査船、遠ざかっていきます」

「此方に気付いている様子は」

「ありません」

技術力で言うと、向こうと此方は、自転車と星間航行船くらいの差がある。

ビッグバンが起きる以前から存在している文明だ。

当たり前と言えば当たり前だし。

何より神々の力は、上級鬼以上なのだ。

当然と言えば当然だが。

それにしても、あの探査船。

本当にブラックホールを見る為だけに来ていたのだろうか。それは、きっと中枢管理システムも、不安視しているはずだ。

レポートを書いて、提出。

そうこうしているうちに、仕事の終わりが来た。

交代要員が来たので、引き継ぎ。

タブレットで情報を交換するだけなので楽ちんだ。軽く会話をした後、その場を離れて、家に戻ることにする。

だが、その前に。

上司に呼び止められた。

「レンネンレンネイくん」

「如何なさいましたか」

「少しストレスが溜まっているようだが、何か改善提案はあるかね。 サポートAIも家においているようだし、仕事上で不満があるなら相談してみるといいよ。 何かしらの助けになる筈だ。 仕事に問題点があるなら、部署内での配置転換も想定するから、遠慮せずに言ってくれ」

「分かりました。 ご心配有難うございます」

軽く礼を言うと、その場を後にする。

実際問題、鬼は幾らいても足りない。

何しろ宇宙は広い。

星間文明もたくさんある。

星間まで達しないにしても。魂を持つに至った知的生命体の文明も、たくさんたくさん存在している。

だから、鬼は幾らでも必要だ。

この宇宙が終わって。

次の宇宙が始まったとしても。

その時には、また新しい仕事がたくさん出てくる。

宇宙は何度もそうやってやり直しているらしいけれど。その度に鬼がまったく足りないと、いつもいつも問題になるそうだ。

故に鬼は大事にされる。

代わりは幾らでもいる。

そんな事を、いつか潜り込んだ電気店で、偉そうな禿げたおじさんが吼えているのを見た事があるけれど。

あの世に来てからは。

その言葉は聞いたことが無い。

あの世では、それは大変に素晴らしい事だと思う。

こっちに来てから、私が生きていた時代の事を調べたけれど。

人間をすりつぶしながら文明を維持し。

それによって多くの犠牲者が出ながら、文明が壊死していく時代だった。

今いるあの世では、それはない。

それだけでも、ずっと良い事なのだと分かるのだけれど。

ただ私としては。

少し寂しい。

それが、どうしようもない、現実だ。

家に戻る。

どうやら上司から連絡があったらしく、ホローがいきなり話しかけてくる。

「リラクゼーションプログラムを起動します。 何がよろしいですか」

「交響曲第十七番」

リラックスするにはちょっと明るすぎる曲だけれど。

何だか気分が高揚してくるので、私はこの曲が好きだ。リラクゼーション用として使えるのかはよく分からないけれど。

それでも、この曲はお気に入りの一つ。

アイドルの曲を流したいとは思わない。

というか、アイドルの曲は。

自分で歌って踊ってみたい。

しばし、モーツアルトの名曲を堪能しながら、ぼんやりとする。ホローが、時々話しかけてくる。

やはり、上司に色々言われたようだった。

「仕事ぶりは問題なく、むしろ優秀だと報告を受けています。 その代わり、ストレス値が目に見えて高いとか」

「仕事が原因じゃ無いよ」

「やはり化身が上手く行かないことが原因ですか」

「うん……」

それは分かっている。

ぴたりと、音楽が止まった。

ホローが、真面目な話をし始める。

「恐らく、ですが。 レンネンレンネイ、貴方は自分の「一番綺麗な姿」を想像できないのではないかと思います」

「一番綺麗な姿?」

「いつも自分を醜いと思われていたのでは」

「醜い……分からない。 でも、汚いとは思っていたよ。 いつも臭いとか言われたし」

どこから入り込んできた、この餓鬼。

売り物の椅子に臭いつけやがって。

なんだそのボロ。

何処で盗んできたんだ。言ってみろ。

外の大人には、そういつも罵声を浴びせられた。膝を抱えて、キラキラしたステージで踊るアイドル達を見ている私には、暴力以外のあらゆる攻撃が加えられたものだった。

そして、お店から放り出された後は。

両親からの暴力タイムだ。

そういえば。私は。

綺麗であった事が、一度でもあっただろうか。

そうか。

そういう事だったのか。

ホローが、ホログラムで、立体映像を出してくる。

「ショックかも知れませんが。 貴方が鬼になる前。 物質世界で人間をしていたときの映像を取り寄せました。 死ぬ二ヶ月前の映像です」

「……」

自分は、なんだったのか。

正直、死の前後の記憶が曖昧で、よく分かっていない部分も多い。

だけれども。

色々な資料を見て、人間を知ったし。

テレビでキラキラ輝いているアイドルを見ていたから。どういうものかは、分かっていたつもりではいた。

嗚呼。

だが、これは。それらとは、あまりにも違いすぎる。

どうして自分の姿があまり記憶に残っていないのか。それは当然だ。鏡も見ようとはしなかったからだろう。

ぼさぼさの髪。

やせこけた体。

他の子供が、学校に行っている中。

学校に行くことも出来ず。

毎日ふらふらと、防犯という概念も無い家から外に出て。半裸で歩き回っていた自分。服はぼろぼろでサイズもあっていない。

異臭も酷い。

履いているのはサンダルだけれど。

それも、潰れかけていて。左のサンダルは、鼻緒が半分切れていた。

警察に補導されたことがあった。

こんな小さな子供が。

警察が、なにやら話していた記憶があったけれど。それが何がおかしいのか、分からなかった。

そして、今更ながらに気付く。

私が見ていたアイドルは。

人間では無かった。

実際には、アニメーションだったのだ。色々な技術の粋をつくした、人造の人間。いつまでも年老いること無く、現実とは何もかも違うきらきらした世界で、とても楽しそうに舞い踊っていた彼女らは。

アニメーター達の苦労と。

3Dモデリングの構築と。

中の人と呼ばれる声優が苦心の末に作り出した、仮想の世界のアイドル達だったのだ。

ああ、そうか。

この現物との凄まじいギャップ。

私が、私になれないわけだ。

「まずは、貴方が健康的な生活を送った場合の、モデリングを構築します」

ホローが、淡々と言う。

この様子だと、ホローは。

きっと既に専門家に対してアクセスして。その専門家が私の経歴を洗った上で。そのアドバイスを受けたのだろう。

正しい判断だ。

でも、私は、今。

非常にショックを受けている。

自分を客観的に見た事なんて無かった。

体の洗い方とか。

身繕いの仕方とか。

そういうものを、ほぼ教わらなかった。

恵まれない境遇だと言う事は分かっていたけれど。記憶は曖昧だった。それも当然だろう。

いつも罵声に曝されて。

虐待、それも重度のネグレクトを受けていたのだから。

食事もろくに与えられなかった結果、同年代の子供よりずっと体重も軽く。何より背も伸びなかった。

警察の検死検証の動画が出てくる。

両親に結局殺された私は。司法解剖を受けて。解剖をしている人間が、色々と話をしていた。

「十一歳という話ですが、八歳程度の発育しかしていません。 これは重度のネグレクトを常に行われていた証左です」

「元の両親は既に失踪しているとかいう話だな。 別れくっつきを繰り返す内に、この子とはまったく血がつながらない親の元でネグレクトされ、あげくに虐待死か。 これじゃあこの子、なんのために生を受けたのかわからねえよ。 なんとかならないのか」

「両親はそれぞれ、互いに責任をなすりつけ合っています。 両方とも実刑判決が出るのは確定ですが、罪の意識など微塵も感じていないようですね」

「子供が欲しい親の下には子供が出来ないのに。 どうしようもないクズの下にはこんな気の毒な子が出来るんだからこの世の中どうしようもねえな。 見ろ、全身痣だらけじゃねえか」

司法解剖中の体には。

両親から殴られたり。

店からつまみ出されたときに出来た痣がたくさん。

ああ、そうだ。

私、痣が出来ると、もう治らなかったんだ。

栄養不足が原因だ。痣が出来ても、もう直すのに回すほど栄養が体の中に残っていなかったのだろう。

いつも鬼のような形相をしていた両親は。

社会的常識がどうのこうのとか。

お前のような子供は、何処でもやっていけないとか。

そういいながら殴り。

馬乗りになって、唾を吐きかけてきた。

痣が治らないのを見て、何処までも救いようが無いグズだと罵り。そして、それ以上の暴虐も働いた。

あのキラキラしたアイドル達は、楽しそうだから大好きだったけれど。

そうか。

それさえも。

虚像に過ぎなかったのか。

でも。

どうしてだろう。正確に現実を把握したことで、何だか私は随分と楽になった気がする。そうか、それはそうだろう。

明確なビジョンが無かったのだから、自分に化身出来無いのも当然だ。

「モデリング、完了しました」

実際の私より、随分背が高い。

眠そうな目をした、ちょっととろそうな子だ。

結局私は、健康に育ってもこうだったのか。痩せているし、あのキラキラしたアイドル達と比べると、容姿に劣る事この上ない。

あのアイドル達の世界は、道を行き交う人達でさえ、みんなとても可愛かったのに。

「可愛くないね、私」

「そんな事を言ってはいけません。 それはテレビの中のアニメのアイドルと比べたらそうですが、人は皆そうです。 人間の美の結晶である仮想現実のアイドルと比べれば、99パーセントの人間が劣るのは当然です」

「ありがとう。 フォローしてくれてるの?」

「まずは、この姿になる事を目指してみましょう。 それで、少しは目標が出来て、気分転換にもなる筈です」

ホローの言葉は淡々としていたけれど。

専門家に指示を受けたから、なのだろう。

その言葉には説得力があったし。

私も随分と楽になった。

ある意味、これはショック療法だったのだろうけれど。

それでも、私は。ようやく、生きるための目標を得られたのかも知れない。人間として生きているときには、得られなかった目標が。鬼になって、中堅になってから、ようやく得られたというのは皮肉極まりないけれど。

それも現実。

今なら、私も。

それを受け入れられるはずだった。

 

3、きっと其処には

 

ホローにアドバイスを受けて、まずは人型になる事を試してみる。

一種の制服である牛頭鬼や馬頭鬼は、典型的な人型鬼だ。これらになる事をまず目指してみて。

それが終わったら、過去の自分の。健康的に生きたらどうなったか。そのモデリングにそって化身して見る。

そう、二段構えで練習をする。

そういう目標が出来た。

最初は、ノウハウがある牛頭鬼になって見る事を試す。何しろ制服として採用されている姿だ。

化身の仕方については、ハウツーがアーカイブに山ほどある。

何度も化身を繰り返していく内に。

確実に、化身のやり方が身につくようになって行った。

それと同時に。

ストレスも軽減されていくのが分かった。

仕事も、少し楽になった。

考えてみると。

前は多分。何しろ知識を詰め込むので一杯一杯で、自分がどういう存在だったのか、改めて考え直す余裕が無かったのだろう。

今になって余裕が出てきたから。

きっと、こういう事を考えるようになり。

そして自分のオリジンについて向き合ってこなかったツケが出てきた、というのが真相なのだ。

私は結局の所。

子供のまま、命を散らした。

そして精神は、結局子供のままだ。

だけれど、鬼の世界では、適切な仕事が回されて。そして子供であっても、それにふさわしい仕事をする。

福利厚生はしっかり充実しているし。

疲弊が酷い場合には長期休暇を取ることも出来る。

私は、ストレスが軽減されてきたし。

何よりその原因がはっきりしてきたこともあって。

今では、仕事に打ち込むのも難しくない。

ホローが相談した専門家は、正しいアドバイスをしてくれたのだ。勿論、人間に対してするアドバイスとして、正しかったのかは分からない。鬼に対してするアドバイス、それも中堅所になった鬼に対するアドバイスとしては、これで正しかった、という事なのだろう。

黙々と働いている内に。

仕事が終わる。

仕事の確認が丁寧になって来ていると、上司に褒められた。力も順当に伸びているという。

「天国というだけで拒否反応を最初は示したそうだけれど、今は立派に働いているようで安心するよ。 このままこの仕事を任せても構わないかな」

「はい」

「そうか、頼むよ。 頼りにしているからね」

上司は、時々来て、そうアドバイスしてくれる。

たまにだけ来るので、ストレスにもならない。

仕事時間、終わり。

シフトで引き継いで、家に戻る。ホローが、既に色々な準備を終えて、待ってくれていた。

「化身の練習を開始しましょう」

「うん」

牛頭鬼には、200回くらい練習して、なれるようになった。

馬頭鬼には、今挑戦中だ。

それが終わったら、まずは人間の姿に化身する所から始める。最初は人間の姿としては、何でも良い。

その後は、自分に似せていって。

最終的には、過去の自分を再現する。

その後で、前にホローが提案してきた、綺麗なお洋服とかを着てみたいと思う。

「姿の固定って、出来るかな」

「出来ますよ。 ただし、今の化身熟練度では到底無理です」

「分かってるよ、もう」

最終的には。

自分の過去の姿に固定したい。

今の姿が嫌いなわけじゃ無い。

だけれど、私は。

今の姿で送った人生よりも。

あり得た自分の姿になって。似合わないにしても、それであのアイドル達が着ていたような、輝く服を着てみたいのだ。

それだけ。

でも、モチベーションは間違いなく上がる。

私にとって。

それは夢だ。幼いまま命を落とした私にとっては、正直現実そのものが、あまり正確に把握できていなかった。

だから、現実を把握できた今こそ。

今度こそ、まともに人生をやり直すのだ。

そのためには、踏ん切りをつける意味もあって。私は、あり得た自分に、ならなければならないのである。

馬頭鬼に化身しようとして、失敗。

何だかよく分からないものになってしまった。

だけれど、次は失敗しない。

その心意気で、頑張る。

次のお仕事が来る前に、もう二三十回は化身の練習をしておきたい。最終的には、自分のあり得た姿で固定するためには。

兎に角経験が必要なのだ。

 

仕事場で、大きめのアラームが出た。

宇宙屈指の星間文明の、大艦隊がブラックホールに接近しているのだ。数は十万隻を超えていた。

ただし、戦闘艦はあまり多く無く。

その殆どは、調査艦のようだったが。

「防壁、あらゆる事態に備えてください」

中枢管理システムから連絡が来る。

恐らく今頃は、中枢管理システムは大わらわだろう。このブラックホール内に天国があると相手が嗅ぎつけたのか。まさか、天国に直接アクセスするつもりではないのか。そういう可能性を産出しなければならないからだ。

一方、軍事行動ですらなく。

演習だとか、或いは単なる兵力の移動を行っているだけ、という可能性もある。

ブラックホールを資源化するつもりかもしれない。

その場合は、さっさと天国を移動させないといけないだろう。

様子を確認していると。

艦隊は、ブラックホールに対して直進はしていないが。今の時点では何が起きるか分からない。

シフトの引き継ぎが来た。

だけれど、どうしようか悩む。

そうすると、中枢管理システムから連絡があった。

「申し訳ございません、レンネンレンネイ。 交代要員には一度戻って貰って、しばらく仕事を続けてください。 その代わりに、休暇を増やします」

「分かりました。 わざわざ来てくださったのにすみません」

「いいえ。 戻ります」

シフトの再調整は上役がすることだ。それは任せてしまえばいい。

黙々と、防壁があらゆる不測の事態に見舞われた場合の対策をする。下手をすると、いきなり攻撃してくるかも知れない。

だけれど、それくらいは。

防ぐ事は難しくない。

此方が油断さえしていなければ、だが。

艦隊を構成している艦は、いずれも球形。どれもが実用性に特化した、機械の小さな要塞だ。

調査艦でさえ、その気になれば小惑星を蒸発させるくらいの武装を積んでいるし。艦隊旗艦ともなると、小型の惑星くらいのサイズがある。

それが淡々と通過していく様子は。

やはり、何があっても大丈夫と言い聞かせていても。

言葉にしづらい圧迫感を伴っていた。

「艦隊、通過していきます」

「反転して此方を包囲する可能性は」

「計算中です」

別の鬼が素早く状況を分析。中枢管理システムと連携して、決断した。

恐らく、その可能性は無いと。

ほっとしたのも束の間。

大艦隊が、空間転移を開始。

転移先は、どうやら移動恒星のようだった。

恒星の中には、銀河系などの巨大なグループに混じらず、単独で宇宙空間を猛スピードで移動しているものがある。

例えば元々二重星だったものが、片方にトラブルが生じて、はじき出されたケースなどで。

これは非常に危険な存在で。

あの世でも、特に危険な天体現象の一つとして、動向を監視している。

どうやらこの移動恒星を破壊するために、艦隊は移動していたらしい。このブラックホールには、あまり興味が無かったようだ。

それでも、しばらくは監視が続く。

程なく、艦隊が恒星破壊用の弾道弾を一斉に発射。

恒星は、しばし沈黙した後。

急激に冷えて。

その後ガスになって爆散した。

超新星爆発というほど派手に散らばらず。ブラックホールや白色矮星にもならない処理方法で。

どうやら、この移動恒星の進路に、コロニーがあった事が、大艦隊出動の理由であったらしい。

ほっと一息である。

そのまま、大艦隊が、星間国家の基地に分散して帰還していくのを確認すると。

ようやく、仕事は終わった。

引き継ぎをすぐに行う。

もしこの後再度トラブルがあっても、それは引き継ぎをした鬼が対処する。よく頑張ってくれたと、上役が声を掛けて回っていたけれど。

多分一番大変なのは上役だ。

物質世界なら兎も角。

鬼の世界では、上役になればなるほど責任も重くなるし、する仕事だって難しくなるのだから。

ポンポンとタブレットを弄るだけでレポートを作れるとしても。

それでも、相当に手間だろう。

私は頭を下げると、シフトの交代要員に情報を引き継いで、家に帰ることにした。

 

家に戻る。

すぐにホローが、リラクゼーションプログラムを起動してくれた。クラシックの優しいメロディに包まれながら、ぼんやりとしばらくして。

それから化身の練習に入る。

馬頭鬼には、問題なくなれるようになった。

後は、人間だ。

まず、人間の様々なモデルをイメージして。

化身して見る。

だが、化身後の姿は、とても地球人類とは思えない、凄まじい恐怖を煽るような姿だった。

「やっぱり上手く行かないか……」

「恐らくは、レンネンレンネイが接してきた人間達が原因かと思われます」

「どういうこと?」

「人間とは、凶暴で残虐な生物であるという認識が、深層心理に焼き付いてしまっているのではないでしょうか」

それは、そうだろう。

事実そうなのだから。

でも、その結果化身が妨げられるのは、正直なんというか、あまり面白くない。それならば、いっそ。

あの私がぼんやりと見ていた。

キラキラ輝くアイドル達をモデルにして見るのはどうだろう。

何度か、真似てみるけれど。

上手く行かない。

しばらく小首を捻っていると。

ホローが、何か出してきた。

「これは?」

「美術のデッサンで使う人体模型です。 まずはこれに忠実に化身して見てはどうでしょうか」

「でも、牛頭や馬頭は上手く行ったのに」

「あれは、あくまでノウハウが確立されているからです。 ノウハウにそって化身したのと、人体構造を理解した上で化身するのではまるで状態が違うでしょう」

「そうなのかな……」

まずは、地道にという事か。

言われたまま、人体模型に化身して見る。

これならば、確かになんとかなりそうだ。

何十回と繰り返していくうちに。

不格好なマリオネットのように、化身する事が出来た。

後は肉付けか。

おかしなものである。

昔、自分だったものに化身するのに。

こんなにも大変だなんて。

何度か休憩を入れながら、化身を練習する。百回を超えた頃。マリオネットに化身して、少しずつ肉付けをしていくように、進歩し始めた。

ホローが喜びの声を上げる。

「凄い進歩ですね」

「ううん、やっぱり私とろい子だったんだね」

「何を仰います」

「だって、百回は超えてるんだよこの化身。 それで、やっと此処まで。 他の鬼は、もっとずっと早く習得できるだろうに」

ホローは何も言わない。

実際問題、力がついてきた鬼は、すっと化身のこつを掴むと聞いている。私は仕事を続けて力をつけてきているのに、それが出来ない。ようするに出来損ないだったのは間違いないだろう。

面接を受けたとき。

自我を取っ払われていた私は。

何も言わなかったという。

それは、とろかったから、なのだろうか。それとも、その時は本当に、何も願望がなかったから、なのだろうか。

分からない。

今は願望として、元の姿になってみたい、というものがある。

とにかく、もっと練習だ。

少しだけでも進歩が見えているのだから、そのまま続ける事に意義がある。最終的に、自分の姿を取り戻して。

きらきらした服を着てみたい。

それだけがモチベとなって。

今の私を支えている。

それを達成したら。

色々な人間の姿に化身出来るようになって。もっといろんな服を着てみたいけれど。それはそれ。

まずは、最初の階段に、足を掛けなくては。

何が出来るのかは、これから次第だ。

仕事の時間は、まだ来ない。

この間の大仕事の結果、かなり長期の休日をボーナスとして貰ったからである。その分、思う存分。

納得いくまで。

練習できる。

不格好なマリオネットに千回を超える化身をして。

やっと、その状態で動けるようになった。

少しずつ、肉付けをしていく。

人体の構造を徹底的に調べて。内臓や筋肉が、どのようになっているのかを調べ上げていって。

それから化身。

最初は人体模型ですらない、おぞましい怪物にしか見えなかったが。

それも少しずつ、人間に近づいていく。

鬼は精神生命体。

本来は、姿は自由自在。

だけれども、私は。

それさえ自在に出来ない、半端者。

人にさえ、化身出来ない。

昔、生きていた頃の。

自分にさえ。

それを思い知らされているからこそ。少しずつ、少しずつでも。進歩が見えてくるのは、嬉しい。

長期休暇が終わった頃には。

なんとか、人間のような見かけのものに短時間化身出来るようになった。

化身に要した練習は。

既に、千七百回を超えていた。

 

仕事に戻る。今の時代、個々人が抱える仕事は無い。基本的に中枢管理システムが仕事を管理していて。

割り振られた仕事を。

割り振られたデータを元に。

それぞれでこなして行く。

これに関しては、鬼も。煉獄にいる亡者も。代わりは無い事だ。

私も長期休暇の後だからと言って、大変な仕事になるような事も無く。引き継がれて、黙々淡々と仕事をするだけである。

上役が来る。

「随分とストレス値が減っているね。 何処かの観光名所か何かで羽でも伸ばしてきたのかな」

「いえ……違います」

「そうか。 詮索はしないよ。 個人のやり方で、ストレスを軽減できたのなら、それは良い事だ」

個人のプライベートに踏み込むのはタブー。

それが上役でも、だ。

鬼の関係は基本的に極めてドライである。

この職場の上役は、かなり干渉してくる方だ。場所によっては、まったく部下と話をしない上役もいる。最小限のやりとりだけをするタイプだ。

面白い話で。

こういう仕組みが出来ている鬼の職場では、虐めというものは存在しない。個々人が非常に距離を置いているから、というのが理由であるらしい。どうやら、虐めというのは生物を高密度で配置した場合に発生する現象らしく。要するに人間にもかかわらずイジメを行うような輩は、知的生命体を名乗る資格が無いという話らしい。

私は、それを聞くと少し悲しくなる。

私の場合は、そのケースに当てはまるのだろうか。

当てはまったとして。

取り返しがつくのだろうか。

それさえ、よく分からないのだから。

仕事は安定していた。

何処かの星間国家の大艦隊が近づいてくるようなこともなく。ブラックホールは大変に安定している。

天国の内部は色々大変なようで。噂話はタブレットに流れてくるけれど。

私の担当はあくまで外壁。

今更どうこうしようとも思わない。

今日の仕事では、特にエラーもワーニングも出ず。

引き継ぎも、一瞬で終了。

家に帰ることにする。

ホローが帰ってきた私を見て、言う。

「ストレス値が目に見えて減っています」

「そっか。 もう少し、化身頑張ってみるね」

「それがよろしいかと。 それに、あまり自覚は無いかも知れませんが、レンネンレンネイ、貴方の力は上昇し続けています。 化身に執心して、何度も練習をしているのが要因でしょう」

「力が伸びている、か」

でも、力が伸びれば。

必然的に仕事が大変になる。

あの世の鬼は、基本的に出来る仕事を出来る範囲で任される。上級の鬼ほど仕事が大変で、重い責任を背負うのは、それが理由だ。

私は、何か。

そういう、重い責任を伴った仕事を。

出来るようになるのだろうか。

すぐに化身の練習を始める。

やはり、不格好な人間もどきにしかなれない。まるでホラー映画に出てくる、人間を襲う怪物のような存在だ。

肌がまだ上手く再現できていないこと。

体の骨格は再現できても、ボディラインとか、髪の毛とか。人間の容姿を再現する場合に必要となる要素が、不自然である事。

それらが原因だ。

鏡に映してみて。

これだと、ホラーゲームに出てきて、拳銃で撃ち殺される雑魚敵だなと苦笑してしまう。私もアーカイブからゲームを引っ張り出してきて、遊ぶことはよくあるのだ。ゲーマーを自称する鬼のように、時間を圧縮した空間で、徹底的にやり倒すような事は無いのだけれど。

「これでも、最初の頃に比べれば雲泥です。 少しずつ向上しています」

「まずはホラーゲームの雑魚キャラから、モブキャラかな」

「コツは掴んできていると思います。 後一歩で、一気に壁を越えられると思いますが」

「簡単に言わないでよ」

結構傷つく。

それに、だ。

私は、其処まで器用じゃない。

何度も化身を繰り返し。

そして、私はその度に思い知らされる。

どれだけ願っていても。それが簡単にかなうことはないのだと。私にとって、大事な事であっても。

その願いは。

必ずしも、私に「こたえては」くれないのだと。

 

4、天国の壁

 

どれくらい、天国の壁を維持する勤務をしただろうか。

体感時間で、万年単位に達したはず。

それが実時間でどれくらいかはよく分からないけれど。いずれにしても、仕事でストレスが溜まることは無かった。

鬼としての力は伸びてきているけれど。

それはそれだ。

家に戻ると。

化身の練習。

機械的にこなしながら。ホローに、何をどうすれば良いのか、一度ずつアドバイスを貰う。

今の化身では、ようやく肌の質感を、人間らしく出来るようになって来た。

ただし、体の形が。

まだ人間としては、極めて不格好だ。

ホローが資料を取り寄せてくる。

「地球人類の成長の過程です。 レンネンレンネイ、貴方は十一歳の日本人だったので、このようになります」

「まだちょっと色々とおかしいね」

「骨格はしっかり出来ています。 脂肪の付き方や、筋肉の配置、内臓の配置などが、完璧に把握できていないのでしょう」

「……」

実は、だ。

ホローが取り寄せてくれた、パッケージ化された姿になら、何度か既に化身が成功している。

詳細な細部までパラメータが設定されたもので。

主にあの面接をする鬼用に、参考資料として作られているものだそうだ。

私は、面接には出来るだけ出たくない。

ただ、生きていたとき。

もしも、まともな家庭で育って、生きる事が出来ていたのなら。どんな姿になっていたのか。

それを知りたいのだ。

そして、その姿で、生きてみたいのだ。

鬼となっている今は、生きるというのはある意味不思議な表現ではあるけれど。

あの世の精神生命体も。

立派な生き物だ。

「もう一度、化身して見る」

「頑張りましょう」

「うん」

時間圧縮空間を使うようにもなり。

化身に本格的に取り組み始めてから、もうどれだけの回数を重ねたか、覚えていない。ホローにも、ある段階から何回目か聞くのを止めた。

どれだけ自分に才覚が無いか。

その度に思い知らされるし。

何より、それがストレスになるからだ。

化身を失敗して。

自分が訳が分からない化け物になるのを何度も見ていると。

自分の才覚のなさを自覚して。

とにかく悲しくなる。

それでも、私は続ける。

また、化身。

地球人類の子供にはなるけれど。

やはり彼方此方がいびつだ。

どうしても難しい。

十度、二十度と、疲れ果てるまで化身を練習し。

そして、ホローに言われて休む。ぼんやりとしていると、ずっと前。仕事が終わると。別に仕事そのものがハードなわけでもないのに、ひたすらぼんやりしていた時期のことを思い出す。

「ねえ、ホロー」

「なんでしょう」

「後何回練習したら、まともな人間の姿を取れるのかな」

「分かりません」

それはそうだ。

誰にだって分からないだろう。

こんな時、都合良く力を得たり覚醒したりして。それで一気に化身出来るようになったら素晴らしいけれど。

世の中はそんなに甘くないし。

何より私には才覚が無い。

どれだけ繰り返したか分からないのに、やっとこれだ。人間の姿に近いものにはなってきたけれど。

まだ不気味の谷を越えられていないのである。

少し休憩してから、また化身をする。

少しずつ良くなっている。

その言葉は嬉しいけれど。

本当なのか分からない。

化身する度に変な姿になっているような気がするし。何より、これ以上おぞましい姿は無いのでは無いかと言う壊れ方も、時々する。

進歩しているのか。

分からない。

精神生命体である以上、蓄積した経験は無駄にならないという理屈は分かっているのだけれど。

それでも、だ。

此処まで才能が無い鬼は、他にいないのでは無いかと私は思う。

「少し休みましょう」

ホローに促された。

気がつくと、かなり時間を浪費してしまっていた。

自分の化身の変遷を見せられる。最初は人間の形さえしていなかったのに。それが牛頭馬頭をベースに、少しずつ人間に近づいていく過程が。スライド画像で見せられていったけれど。

だけれど、やはりまだ遠い。

私は、何をしているのだろう。

ぼんやりと休む。

ストレスはあまり消えない。

進歩が目に見えていた頃は、ストレスが減るのを実感できていたのだけれど。

それも遠い昔に思えてくる。

何故だろう。

どうして、これくらいのこと。

ただ一つしか願っていないことが。

かなわないのだろう。

そもそも私は、人間だったときも、幼い身で命を落とした。それも、「両親」の手によってだ。

風の噂で聞く所によると、その両親はどっちもくだらない死に方をして、今は地獄で罪を生搾りされているらしいけれど。

もうどうでもいい。

実の両親にも興味は無い。

そういえば。

私が、普通の家庭に生まれて、そして成長していたら、どうなっていたのだろう。大人になる事は出来たのだろうか。

嗚呼。

そう考えると、とても悲しくなってきた。

何もする気にならなくなってきた。

「リラクゼーションプログラムを実行します」

「……」

何だか、ホローの声が遠くに聞こえる。

 

気がつくと。病院にいた。

鬼が通う病院もある。希に入院するケースもある。

周囲は非常に落ち着いたグレーで。壁も床も無い開放的な空間だ。浮かんでいる私の周囲には、小さな光の球がたくさん浮かんでいる。

「意識レベル回復」

「医師に報告」

淡々と説明をしている周囲の光の球。

ホローのようなサポートAIだろう。

やがて、医師が来る。

らせん状の赤い体に、無数の目がついているような姿をしていた。

「貴方は自宅で昏睡状態になり、サポートAIの通報で入院しました」

「そうですか……」

「経緯は既にサポートAIから報告を受けています。 化身について執着した結果のストレス障害のようですね」

「……」

言われるまま、調合された霊薬を体内に取り込む。

それで少しは楽になるけれど。

少し入院して様子を見ると言われた。

化身については、考えないようにとも釘を刺される。そんな事言われても。私の唯一のモチベ維持方法なのに。

ぐったりしている。

疲れも取れない。

別の医者が来た。

今度は医者と言うよりも、精神分析医のようだ。

見た目は巨大な石版で、真ん中に巨大な目がある。

「レンネンレンネイさん」

「はい」

「化身についての執着ですが、結論から言うと、方法を変えれば恐らく貴方が望む姿になれると思います」

「え……」

幾つかの資料を見せられた。

鬼は基本的に、あまり多くの姿を使いこなせないという。

そもそも、中堅の鬼でも、数個の姿を使いこなすのが精一杯。上級の鬼になると、物質世界に干渉したりも出来るし、かなりの数の姿を使いこなせると言うけれど。

それはあくまで、力が強くなったから。

単純に私の場合。

力が足りないという。

「しばらく化身のことは忘れましょう。 いずれ力がついてくれば、嫌と言うほど簡単に化身できるようになります。 ましてや貴方は、想像を絶する努力を重ねている。 単純に貴方の力そのものが、化身したい姿を実現できるほど大きくないのが原因です」

「でも、その……」

「貴方の不幸な身の上についても承知しています。 しかし鬼になった者には、もっと不幸な身の上の存在も珍しくありません。 心配しないで、力を順調に伸ばしていきましょう。 やがて、絶対に、望む姿になれますよ」

「……」

正論ではっきり言われる。

そして、少し体の手当を受けてから、家に帰された。

ホローは何も言わず迎えてくれた。

「化身の練習は、しばらくするなって」

「それが賢明かと思います。 報告は此方でも受けていますが、もっと鬼としての力が強くなれば、嫌でも化身には習熟できます」

「本当?」

「本当です。 専門家の言う事を信じましょう」

そうか。

それもそうだ。

色々難しい精神生命体の、それも医者をしている存在の言葉だ。患者が信じて治療を行わなくてどうするのか。

覚悟を決める。

望む姿になりたいのなら。

鬼としての力を伸ばすしか無い。

まだ中堅では下っ端程度の力しかない。その程度なのに、高度な化身を無理にしようとしたのが間違いだったのだ。

私は、鬼として力をつける。

そして、その力で。

人間だったときに叶えられなかった夢を。叶えるのだ。

 

倒れて、入院してから。

私は熱心にお仕事を続けて。天国の壁を守る仕事を、黙々とこなし続けた。ひたすらに仕事を続けていく内に、嫌でも鬼としての力は伸びていく。そして、ある程度来たところで、ホローに言われた。

「恐らく、そろそろ充分な力がついたと思います」

本当だろうか。

あれから、体感時間で1500万年ほど過ぎた。

鬼としての力は四倍も五倍も増えたけれど。

それでも、何だか自信が無い。

少し怖い。

鬼の同僚の中には、同じくらいの力で、地獄や煉獄に務めている者も珍しくないと話をされる。

今なら。

化身も出来る。

それも、望む姿に、だ。

言われるままに、化身を試してみる。最初は怖くて、どうしても震えが止まらなかった。それくらい、トラウマが体に染みついていた。

化身の手順を、最初から順番にこなして行く。

やがて、最後の手順を終えると。

私は、目を開けて。

そして、鏡を見た。

裸の人間の子供が映っている。

二次性徴も出ていない、幼い女の子。

不衛生だった私の、生きていた頃の姿とは違って。ちゃんとこぎれいに、髪の毛はショートカットに切りそろえている。

ぼんやりと見ていて。気付く。

そうだ。

私が、まともな家庭に育っていたら。

こんな風になっていただろうという、ホローが出してきた、想像図のままだ。

ただし目が違う。とろそうには見えない、意志の強い目だ。

涙が零れてくる。

どちらかというと、活発そうな容姿。服を着ていたら、男の子と間違われそうなくらいに、なのに。

なんだ。

私は、こんな元気そうな子供に、育つ可能性があったのか。

「ホロー、あの服、出してきてくれる?」

「はい」

すぐに手元に実体化する服。

着てみるけれど。

泣き笑いが漏れるほど似合わなかった。

眠そうな目とか、色々な要素は。むしろ、自分に一切合切自信が無く。そして実の親にさえ虐げられる環境が作り出したもの。

むしろこんな容姿なら。

男の子が着そうな服を着ていても良かった。

ちなみに、だけれども。

私の名前は、本名だ。

正確に言うと、名字の方は変わりすぎて、最初がなんだったか覚えていない。だから名前だけで名乗っている。

鬼になった時に変えれば良かったのに。そうする気にもなれなかった。その時は、それくらい弱っていたからだ。

今から名前を変えようか。

いや、いい。

どうせあの両親の事だ。親を煽る頭の悪い育児雑誌にでも騙されたか、それともアクセサリー感覚でつけたか。

どっちにしても、碌な理由ではなかったのだろう。

でも、一千万年以上体感時間で生きてきて。

それで慣れ親しんだ名前である。

今更変えようとは思わなかった。

「素晴らしい。 完璧な化身ではないですか」

「私じゃ無くて、僕とか一人称を使いそうな見かけだね。 俺でもいいかも」

「ご随意に」

「冗談だよ。 でも、こんなに完璧に化身出来るなんて、嬉しくて、でも……」

生きている間に。

こんな姿で、外を遊びたかったし。

テレビを見たかった。

両親に言葉にするのもおぞましい虐待を受けずに、普通に生きたかった。学校というのも、行ってみたかった。

今後は、コッチの姿を本当にしようか。

それも良いかもしれない。

ただ、完全な人間の姿のまま仕事をするのは禁じられている。もしも職場にこの姿で出るなら、角を生やすとか、背中に羽をつけるとか。或いは、周囲に発光する球体を浮かべて旋回させるとか。そういう人間では無いと分かる工夫をしなければならない。

いずれにしても、未練はこれで消えた。

後は、鬼として、仕事をしていこう。

そうだ。

この後、どんな風に成長したのか。

化身して、試してみるのもいい。

鬼として成長していけば、それだって出来る。その筈だ。

新しい願いと希望が生まれた私は。

この姿を維持するには。更に、職場に出るために、どういうオプションをつけるべきか、考え始める。

願いは、かなった。

今度はその願いを。

更に先に進める番だった。

 

(続)