とても愉快な其処の実情

 

序、地獄

 

生きている間に、罪を犯したものが行く場所。それは地獄。

この概念は世界中の文明に存在しており。現世であまりにも苦しい生活を強いられる場合、生き地獄、等という言葉に置き換えられることもある。

実際問題、地獄の概念は便利だ。

悪行に手を染めれば地獄に落ちる。

地獄では想像を絶する苦しみが待っている。

確かに、古き時代。

あの世の者が地上にこの概念を広めたときには効果があった。

だが時代が進み。

誰もあの世など信じなくなり。

信じるとしても自分に都合良く信じるようになって行くと。この地獄の概念は、結局の所抑止力にはならなくなった。

犯罪を抑止しなければならないのは何故だ。

それは文明そのもののためにならないからだ。

ついでに本人のためにもならない。

身勝手で他人を害する者が大手を振るっているような文明は滅びる。

本人も感覚を麻痺させていき、やがては自滅する。

それは統計として存在している。

だから、地獄の概念は、文明が作られるともたらされ。犯罪抑止に利用されていくのだが。

それと現実の地獄は。

実情がいささか異なる。

例えば、仏教では。

地獄には無数の種類があり。なんと、現実の人間世界も地獄の一種、とカウントするケースがある。

六道、という考え方である。

まあこれはあくまで極端なケースで。

実際には、殆どの場合は六道の内の地獄道のみを地獄としてカウントする。色々と諸説はあるのだが、これが一般的だ。

また地獄にも多数の種類があり。

罪によって、どの地獄に落ちるかも決まっている。

仏教では、とにかく抑止力とすることを重視したからか。地獄に落ちると、其処で苦しみを受ける年数をとにかくとんでもなく。苦痛を無茶苦茶に描写したが。

これも結局の所。

最終的には抑止力になどならず。

信仰が薄れると同時に犯罪者は地獄など怖れず好き勝手に振る舞うようになったし。

坊主ですら、地獄など信じず悪行の限りを為すのだった。

他の宗教でも、地獄の描写は様々だが。

いずれにしても、其処は悪夢の世界とされ。

古代世界での、犯罪抑止に関わっては来た。

私は、鬼としての「懲罰形態」に姿を変えると、今日の仕事場である大焦熱地獄を訪れた。

此処は、無数にある地獄の一つ。

仏教では43京年という途方もない年数の責め苦を受ける場所、とされているが。

実際には体感時間を圧縮しても、そんな年数を過ごしていたら、宇宙が終わってしまう。

此処での鬼の仕事は。

資源の抽出だ。

仕事場に出た私は、渡されているタブレットを操作して、同僚に連絡。周囲は真っ赤。地面が、完全に赤いのだ。

鬼には関係がないのだが。

亡者には、この床が大きな意味を持ってくる。

同僚が来た。

巨大な馬の顔を持つ、全身が青い鬼。

いわゆる馬頭鬼である。

一種の制服のようなもので。

地獄で働くとき、その場所によって、鬼は姿を変えるのである。ちなみに煉獄においても同じだ。

ただ、地獄の場合は制服が何種類かしか無いのに対して。

煉獄では、比較的自由な姿の「懲罰形態」を取る事が許される。

この辺りには理由もあるのだけれど。

とにかく今は、私も牛の頭の肌が赤い鬼。いわゆる牛頭鬼となっている。

中堅所でも、上位になってくる鬼は。

こうやって、ストレスがとにかく大きな大変な職場。地獄で、実際に亡者と接するのである。

特に地獄の最深部では。

上級手前や、上級の鬼達が、仕事を行う事になる。

人間世界では魔王などと呼ばれるケースもある者達だ。

ともあれ、上役になってくれば、仕事が大変になってくるのは、あの世の鉄則。それは何処でも変わりない。

今日の仕事も大変そうだなと思っていたけれど。

やはり楽では無さそうだった。

「お疲れ様です。 ミクラレイネイン」

「引き継ぎ事項はありますか、芦名雪野」

「特にありませんね。 予定通りに進んでいます」

「分かりました。 それでは、交代します」

軽くタブレットで情報を交換。私、芦名雪野は明治期に生まれて、昭和の中頃に死んだ元人間の鬼だ。

真面目に人生を終えた事を評価されて、色々な選択肢を用意されたが。結局鬼になる事を選んだ。その後、時間と空間の圧縮率や、様々な次元での仕事があるという事もあってキャリアを積み。体感時間で数千万年ほど掛けて中堅の上位にまで上り詰めた。

実際に目を通すが。

スケジュール通りに作業が行われている。ここに来るような亡者は、もうどうしようもない人間性のクズしかいないから、逆に楽だ。

煉獄に落ちるような人間は、まだ良い方。

地獄には、本物しか来ない。

だから逆に接するのは楽なのである。相手の人間性に配慮しなくてもあまり良いから、だ。

問題は、文明の状態が悪化してくると、地獄に来る奴が加速度的に増えてくることなのだけれど。

その辺りは仕方が無い。

文明の立て直しが出来れば、ここに来る奴も減るし。

逆に文明が滅びれば、当分は地獄に大量の人間が来る事になる。

そういうものだ。

真っ赤な床を踏んで歩いて行くと、無数の針が見えてくる。

針には亡者が突き刺され。

膨大な黒い液体が流れ続けていた。

血液では無い。

人間が犯した罪だ。

そして、亡者の頭には、体感時間を加速し、更に痛みを極限まで増幅するヘッドギアが装着されている。

こうすることによって、亡者から効率よく罪を絞り出すことが出来るのだ。

そしてこの罪を資源として用いる。

この罪という資源は、相転移反転することによって、+の可能性に変更することが出来る貴重なもので。

この管理を、我々はしている。

なお、亡者の状態の管理についても、あわせて行っているのだが。

この辺りが、大変なのだ。

まず、中枢管理システムにアクセスして、本日の収穫を確認。真っ赤な床は、罪をそのまま吸い出す機能を持っていて。

まるで真綿が水を吸い込むようにして。

貯蓄槽へと、罪を送り込む。

現在私の管轄エリアには、2500人ほどの亡者が罪を絞られているけれど。いずれもが、ちょっとやそっとでは罪を絞りきれないような外道揃い。

全員分のデータを閲覧。

ステータスがグリーンになっているかを確認。

たまに亡者の中には、いるのだ。

与えられる苦痛に適応してしまう輩が。

そうなると、ステータスがイエロー、更に状況が悪化するとレッドになる。

勿論、前の管理をしていたミクラレイネインが、そんな状態を見逃す筈もなく。現時点では、全員がステータスグリーンである。

ざっとタブレットを見て、それを確認した後。

抽出されている罪の量も確認。

充分な量の罪が抽出されている。

串刺しになっている亡者どもは、うめき声を上げているけれど。

此奴らが行った所行を考えれば当然だし。

何ら同情する気になれない。

ちなみに、煉獄からスカウトされて鬼になる亡者は珍しくないのだけれど。

地獄でスカウトを受ける亡者はいない。

ここに来るということは。

すなわち、そういう事なのだ。

「問題なし、と」

ヘッドギアをかぶせられている亡者を見て回る。

基本的に、亡者は非常に無力だ。

鬼に対して危害を加えることは絶対に出来ない。

なお、ヘッドギアで見せられている悪夢は。

それぞれの亡者にとって、もっとも苦痛になるものとなっている。勿論身体的な苦痛も伴う仕組みである。

ただし、あくまで脳にだけダメージが行くようになっているので。

どれだけうめき声を上げても。

体の方が暴れる事は無い。

この辺りは、地獄の性質によって、様々にやり方を変えているのだけれど。この地獄では、昔から熱に関する苦痛を取り扱っていて。

専門の開発技術者が、熱に関する苦痛を亡者に与えるプログラムを開発し。ヘッドギアにインストールしている。その苦痛の与え方も、ヘッドギアに搭載されたAIが亡者の思考パターンを分析し。

もっとも悲惨な苦痛を感じるようにしているのだ。

地獄は煉獄と違い。

更正がそもそも不可能な亡者を収容する施設が大半。

浅い層の地獄では、亡者を更正させる事を考える場所もあるが。

基本的にここに来た亡者は、何をやっても無駄。

むしろ多くのリソースを裂いてまで、更正する意味がない、と判断されて、此処に弾かれている。

故に手心も加えなくて良いし。

同情の余地もない。

その辺りが、接していて楽な所以だ。

周囲には、串に刺さった亡者と。

自動監視プログラムである自律型ロボット、通称「地獄虫」が徘徊しているが。それ以外に動くものはない。

地獄虫は亡者とヘッドギアを逐一確認し。

問題があったら、即座に修正。

修正が無い場合は、管理内にある亡者を確実に確認してくれる優れものである。

ちなみに、見かけは百足に近い。

口から触手を出して亡者を操作する様子は。

ちょっとグロテスクだ。

「罪の状態は、と」

罪の純度や、流れ込んでいる量についても確認する。

これらは完全に自動化されているが、アラートが出た場合は、直接修理に出向かなければならない場合もある。

そうなると少し面倒で。

空間スキップして、二光年ほど先にある管理施設まで出向かなければならない。

その間、持ち場は控えのシフト要員に引き継ぐことになる。

機械そのものは、此方も地獄虫が自動で修復、メンテナンスをしているので、まず壊れることはないが。

問題は流れ込んできた罪に不純物があった場合。

更には、罪を変換しているときに、トラブルがあった場合、である。

いずれも生搾りの貴重な資源だ。

無駄には絶対に出来ない。

「今日は、問題なしか」

はあと、嘆息した。

周囲で呻いている亡者どもは、いずれも油断できない邪悪ばかり。管理のシステムがしっかりしているのは。

過去に何度も、大きな事件事故があったからだ。

勿論地獄が存亡の危機に立たされるような事件はなかった。鬼は亡者に対する絶対権限を与えられていて。その気になれば、一瞬で爆裂させる事が出来るし。何より最悪の場合、その場で塵にしてしまっても良いのである。

塵にしてしまうと、後で報告書が面倒くさいのだが。

まあとにかく、鬼に亡者はかなわない。

ただし、システムの隙を突いて、逃げだそうとしたり。

地獄虫に干渉して、システムを滅茶苦茶にしようとした知能犯はいた。

ここに来る奴の中には、サイコパスもいる。

サイコパスの中には、非常に知能が高い奴が混じっていて。

そいつらが、希に事件を起こすのだ。

ヘッドギアは幾多の教訓から、バージョンアップを重ねていて。

地獄に落ちた外道どもを、効率よく絞るだけではなく。

どれだけ知能が高い外道が来ても。

効率よく生搾りを出来るように、工夫の限りが尽くされている。

それこそ、地獄技術の最先端。

実のところ。

仕組みを説明しろと言われても、私は其処までしか言えない。細かい部分のテクノロジーについては、ちょっと説明が怪しくなるし。ただ、このヘッドギアは、各地の地獄で使われていて。

それも用心深く安易にクラウド化するのではなく。

全ての地獄でシステムが独立していて。

最悪の事故が起きたときでも、同じ地獄内部で収束できるように仕組みを工夫されているのだ。

それだけは分かる。

一通り、周囲を見て回り終えた。

串刺しの亡者どもは、呻きを挙げながらもがいているが。

ヘッドギアの状態を確認する限り、問題なく罪の生搾りが出来ている。

基本的に、邪悪な亡者ほど、大量の罪を絞ることが出来る。

今更、特に何も気にしない。

此奴らが犯してきた罪に比べれば。

この程度の責め苦など。

それこそ、何でもないのだから。

特に、こんな地獄の深層に落ちる亡者は、それこそそれだけ苦しめても飽き足らないような外道の中の外道。

容赦の必要は、ない。

「雪野様」

「ん?」

地獄虫が声を掛けてくる。

ちなみに地獄虫は、地上の単位で言うと全長二十五メートルほどある。これ単独で、亡者を蹴散らすことも可能だ。

「何かトラブル?」

「はい。 イエローアラートです」

「!」

すぐにタブレットを確認。

イエローアラートを確認した。

亡者の一人が、ヘッドギアの中で、苦痛に逆らおうとしている。ヘッドギアを即座にタブレットから調整。

単純な調整プログラムを幾つか試す。

ついでに、エラーのサンプルデータを、中枢システムに送ると。

二秒ほどで結果が出た。

「どうやら、罰に対して、抗っているようですね。 効果が薄くなり始めています」

「どういたしますか」

「罰の質を変えます」

心配しなくても。

地獄は無数にある。

そして、蓄積されてきたノウハウもしかり。

亡者が如何に天才だろうが、関係無い。

これだけの数の地獄で。

考えられないほどの数の亡者が、今までデータプールを作ってきたのだ。それらを活用すれば。

どれだけの天才だろうが、突破出来ない壁が出来る。

それこそ、人類史上最高の天才だろうが、関係無い。

人類史上最高の天才が地獄に落ちてきたとしても。

此処は、それでさえまるで手が届かない世界なのだ。

ヘッドギアの調整完了。

懲罰として。

亡者には、更に過酷な罰を与え。責め苦を追加する。勿論ヘッドギアを使って行うのだが。

見回りを終えると、私は一つ小さなあくびをした。

トラブルは一件だけ。

それも、タブレット操作で片付くだけのもの。

今日も地獄は。

平和で平穏だ。

 

1、楽しい地獄の世界

 

空間スキップしながら、私は今日の見回りを終える。

シフトで仕事をするのだけれど、中堅所の鬼でも、私は一応上位に食い込んでくる。だから仕事の責任も重い。

それに、能力が上がっている分、やらなければならない事も多いのだ。

こればかりは。

そういうシステムだから仕方が無い。

古い時代は、鬼達はかなりの過酷な労働に苦しんでいた、という話も聞くが。

神々の努力や。

鬼達の改善提案の甲斐もあって。

今ではすっかり、非人道的労働は影をひそめた。

それでも、これだけ責任が重いのだから。昔の鬼達は、さぞやいつもイライラしていた事だろう。

亡者は、それぞれかなり距離を離して配置しているが。

これは徒党を組んで悪事を為すのを防ぐため。

故に、鬼達は、空間スキップを駆使して、それぞれ担当している数の亡者の様子を見て回るのである。

なお、此処の地獄では、亡者を串刺しにしているが。

もっと深層の地獄では、絶対に亡者が逃げられないように、もう形からして変えてしまっているケースもある。

手足を取り去って完全にキューブ状にしたり。

場合によっては液状にしてしまう事もある。

それくらいしないと、逃げられる恐れがあるのだ。

そういう危険な相手なのである。

「全員確認完了、と」

どうしても、此処では。

独り言が増える。

亡者にはそれぞれ地獄虫が監視に付いているとはいえ。何しろデリケートな仕事なのである。

そして、鬼の手は足りない。

私だけで2500人の亡者を管理している事からも分かるように。

上級の鬼になると、単独で万単位の鬼を監視するケースもある。

シフトで回しているし。

仕事の体感時間に対して、相応の休憩時間を貰える仕組みは確立されているが。ストレスが大きい職場なのは事実だ。

孤独がどうしてもダメ、という鬼もいて。

そういう鬼には、受け答えをするAIが搭載されたヘッドフォンが支給されている。おしゃべりをしながら、仕事をするというわけだ。

タブレットを操作して。

罪の変換状況を確認。

槽に流し込まれた罪は。

そこから、「変換炉」に送り込まれる。

罪はそれそのものが純粋なエネルギーで。

ちょっと操作する事で、−の状態から+に切り替えることが出来るのだ。

そして+に切り替えると。

宇宙をよくするための、様々なエネルギーとして活用できるのである。

この辺りは、とても便利だ。

古き時代。

地獄はただ、亡者に責め苦を与えるためだけの場所だった。其処では鬼達もストレスフルな仕事に苦しんでいたし。

何より非生産的極まりなかった。

このエネルギーの変換システムを考案した神は、他の神々からも天才だと絶賛され。

そして、今でもあの世の奥底で、働いているとか聞くが。

それ以上の事は分からない。

どうやらビッグバンの前から存在している神らしいのだけれど。

興味も無いし、詮索しようとは思わなかった。

現時点で、+に変換されたエネルギーは、順調に循環している。

このエネルギーは、世界を動かすための様々な仕組みに利用されていて。例えばこのタブレットに供給される情報や。

場合によっては、寿命が尽きかけている大型の恒星にエネルギーをつぎ込んだり。

存在確率を変化させることによって。

その星の生命体の命数を延ばすために用いたりもする。

いずれにしても、貴重な資源だ。

クズとしか言いようが無い邪悪な連中を、クズとして廃棄するのでは無く。

きちんと再利用して、世界のために役立てる事が出来る。

仕組みとしては素晴らしい。

さて、もう一度見回りに行くか。

側に串刺しにされている亡者が、私の気配を感じ取ったのか、呻きながらもがくが。痛いだけだ。

串刺しにされていると言っても、実際にはそれだけではない。

非常に強固に固定されている。

簡単に説明すると、串には強烈な重力が発生していて、亡者を文字通り縛り付けているのである。

不死とは言え。

亡者はこの重力から逃れられない。

下手に体を動かそうとすると。

それこそグチャグチャになって、串に張り付くことになる。

天才だろうがなんだろうが。

絶対に逃げられない仕組みについては。何処の地獄でも徹底しているのだ。

しばらく、真っ赤な床の上を歩いて廻る。

そして、仕事時間が終わり。

ようやく交代が来た。

交代の鬼は、牛頭鬼の格好をしている。

見かけが自分とそっくりだが。

これはそういう姿を取らなければならないという規則なので、仕方が無いのである。

軽く引き継ぎを済ませた後、一応イエローアラートがあった事だけは伝えておく。

勿論それだけである。

細かい内容は各自タブレットで見る。

時間は腐るほどあるのだ。

何より、重大事には、即座に中枢システムが判断して、増援を回すように仕組みが作られている。

心配しなくても、

地獄は相応にしっかり作られているのだ。

「それでは、後をお願いします」

「はい、それでは」

軽く挨拶を交わすと。

空間スキップで控え室に。

其処で、元の姿に戻る。

元の姿というか。鬼としての素の姿は。私はたとえるなら、巨大な青い球体の周囲に、無数の小石が浮かんでいて、それらの間が糸でつながれている、という感じだ。

糸と小石は分離可能で。

何かものを動かしたり、操作したいときはこれを使う事もあるが。

いわゆるサイコキネシスを使えるので、別に肉体をわざわざ使う事も無い。

鬼の素の姿は千差万別。

それぞれの精神性を反映して、様々な格好をしているものなのだけれど。基本的に高位の鬼になればなるほど。

生物から離れた姿になって行くものだ。

私もそれは同じ。

中堅としては上位に位置して。

そろそろ、上級の鬼になる、という位階の私は。

姿をちょくちょく変えて此処まで来たけれど。

今の姿は、相応に気に入っている。

なんというか、スタイリッシュで格好いいからだ。あくまで主観で、の話ではあるけれど。

自宅に戻る。

私の自宅は、金星にある。

金星の地下空間に、巨大な空洞があるのだけれど。

其処を自宅としているのだ。

金星は地表付近の温度が400℃を超えており、気圧も90気圧と地獄のような環境であり。しかも雨は酸である。

しかしながら、基本的に精神生命体の鬼には関係無いし。

地下空間に、霊的な住処を造る事は、何の問題も無い。

実のところ、複数次元に渡って干渉できる鬼は珍しくなく、上役から用意される住処に入ったばかりの下っ端の鬼は。自分の家と、空間異相がずれているだけで同じ場所に別の鬼が住んでいることに、驚くことがあるのだとか。

ちなみに私は相当な変わった場所に住んでいるらしく。

殆どの鬼は見晴らしの良い宇宙空間に住んでいるのに対して。

文字通りの地獄の地下である。

もっと良い場所に引っ越せばと、他の鬼に言われた事もあるが。

此処だとまず誰にも干渉されないので。

私としては、居心地が良いのである。

自宅に戻ると。

鬼が自由にアクセス出来るアーカイブを起動。

前の仕事が始まるまで遊んでいたゲームを再開する。私はゲームが大好きで、特にクソゲーと呼ばれる出来の悪いゲームが非常に好きだ。

バグが酷かったり。

バランスが崩壊していたり。

とにかくあらゆる意味で微妙だが。

それが妙ないとおしさを感じさせるのである。

なお、アーカイブには。

人間世界では失われてしまったタイプのゲームも存在している。

例えば、いわゆるソーシャルゲームである。

ソーシャルゲームはサービス終了と同時に全てが消え去ってしまう運命にあるのだが。あの世では、そのシステムが全て保全されている。勿論、課金は行えないが。その辺りはあの世の技術者が手を加えて、何かしらの補完要素が追加されている。

なお、私が好きなクソゲーは。

地球産の、ファミコン時代のゲームである。

今遊んでいるのもそれで。

兎に角粗だらけで、プレイに苦痛しかないのだが。

それが何だか妙に癖になるのだ。

黙々とクソゲーをプレイしていると。

不意にタブレットが鳴る。

一旦ゲームを停止して、タブレットに出ると、どうやら、連絡のメールが入ったようだった。

異動の辞令である。

更に深層の地獄。

というか、人間世界ではもっとも深い地獄として知られる。

無間地獄への転属だった。

うわ、と思わず声が出る。

無間地獄。

それはすなわち、地獄の中でも、特に過酷な仕事で知られている場所だからだ。だから鬼の中でも選ばれた精鋭しかいかない。

そもそも、ここに来るような亡者は、筆舌にしがたい外道悪党の中でも、更にどうしようもない連中ばかり。

だから、もはや鬼達は、此奴らとは一切関わらず。

機械的に罪を絞る。

それでも、タブレットなどで調べている内に、その亡者のあまりの罪深さに、精神にダメージを負う鬼はいて。

此処で仕事をする鬼は。

基本的にシフト間の休暇を長めに与えられていると同時に、メンタルケアが義務づけられている。

私は順調に仕事をこなしてきて。

ついに此処までキャリアが伸びた、という所なのだけれど。

それでもこれはなんというか。

あまり嬉しくない出世だ。

経歴からして、地獄管理のエキスパートと判断され。人手が足りず、異動願いも多く出ると言う無間地獄にスカウトされたのだろうけれど。

それでも、良い気分はしなかった。

しばらく無言でいると。

タブレットに追加で連絡が入る。

仕事の注意について、だった。

いずれにしても、仕事を断るつもりはない。

嫌な仕事だけれど。

逆に言うと、誰だって嫌なのだ。こんな地獄に関わるのは。

それでもやらなければならないのは。

人間世界には、どうしてもゲス以下のクズが現れるし。

それは何かしらの方法で処理しなければならない。

そして処理することによって。

少しでも世界がよく出来る、という現実がある。

幸い、あらゆる面でサポートの体制は整っている。私だって、いつまでも「中堅」でいるつもりはない。

上級の鬼になれば。

それこそ、もっと大きな仕事も出来る。

恒星の管理とか。

更に上級になると、銀河を丸ごと管理したり、といった仕事もする事が出来ると聞いている。

それらには憧れる。

それならば、なお。

無間地獄での勤務経験という、キャリアとしてはチャンスになる機会を、逃すわけにはいかないのだ。

データを頭に入れると。

異動、承りましたと返事を行う。

即時でタブレットに返信が来た。

次のシフトから、さっそく入って欲しいと。

その代わり、ちょっと長めの事前休暇が貰える。

はあ。

溜息が漏れる。

これも、上に上がるための苦労だ。我慢我慢。

所詮宮仕えの身。

勿論、別の仕事を希望して、地道にキャリアを積んでいく、という手もある。だけれども、である。

苦しくても、短い時間で終わるなら。

それが結局手っ取り早い。

鬼には時間が無限にあるとは言っても。

やっぱり、色々と権限を得て、様々な事をしてみたいという欲求はある。

ちなみに野心とは少し違う。

興味からのことだ。

私は、単純に色々してみたいのである。興味がある事に触れてみたいのである。それを為すには。

やはり、苦労はどうしても必要で。

逃げ回っているわけにも、いかないのだった。

 

休暇というものは。

基本的に飛ぶような勢いで過ぎていく。

そして、無間地獄赴任の日は。

予想通りというかなんというか。

あっという間に訪れた。

これでも時間圧縮空間に閉じこもって、ゲームをさんざんやり倒して来たのだけれど。それでもあんまり休んだ気がしない。

勿論無間地獄にも制服はある。

此処では、鬼らしい、巨大な姿の人間であることを要求される。

ただし頭の上には角をたくさん生やし。

顔には目も最低十一個以上つけること、という複雑な指定があるが。

この辺りは、よく分からない伝統だ。

そもそも、無間地獄そのものが、強烈な罪に満たされた空間で。

此処で責め苦にあって罪を搾り取られている亡者も、狡猾で邪悪な者が多い。

此処では、そんな奴らでさえ。

恐怖で動けなくなるような姿が必要なのだ。

それが現実というものである。

引き継ぎを受けて。

そして、無間地獄に踏み込んだ。

此処の床は。

一面の黒だ。

そして彼方此方には。

体の下半分を床に埋められ。

更にヘッドギアをかぶせられた上に。全身に無数の管を突き刺され、うめき声を上げている亡者の姿があった。

地獄虫もいるが。

百足などと言う生やさしい姿では無く。

もはや形容も出来ないクリーチャーで。

多機能性を重視して、その全身はひたすらに無数の触手で覆われ。その触手を器用に使って、移動するのだった。

まずは、自分の仕事内容を再確認。

タブレットのサポートに従って、順番に作業をしていく。

此処での担当亡者数は一万人。

私も力がついてきているから。

これくらいの亡者を見るのは当たり前、という判断なのだろう。中枢管理システム様には、殴ってやりたいという感想しかないが。これも我慢だ。此処で我慢して力をつければ、上級の鬼になって、色々と興味深い仕事に就くことが出来る。興味深い反面責任も重いが。それはそれだ。

完璧に地面に固定され。

罪を生絞りされている亡者どもを、一人ずつ確認しながら、ヘッドギアの状態を全て見ていく。

いずれもステータスはグリーン。

勿論一括管理しているソフトウェアもタブレットには入っているので。

一人一人目視している内に、見逃す、何てことは無い。

ただ、細かいステータスまで確認するとなると。

どうしても一括管理ソフトでは厳しく。

やはり、順番に亡者をチェックしていく必要がある。

それにしても、だ。

データを見て、驚く。

此処での亡者は、考えられないほどの体感時間、極限の苦痛に曝され続けているのだけれど。

それによって取れる罪の量が凄まじい。

質もだ。

なるほど、これは上級やそれに近い実力の鬼にしか、仕事が回ってこないはずである。

此処で絞った罪を有効活用すれば、白色矮星化した恒星を、さっさと吹っ飛ばして次の恒星の材料にすることだって出来るだろうし。

逆に、もはや役割を終えたブラックホールを、予定よりも早く蒸発させて。

生物が住む星への脅威を減らすことも出来る。

様々に使えるエネルギーだ。

大事に。

丁寧に。

扱わなければならない。

非常に貴重な資源なのである。ただし、罪そのものはどうしても湧いてくるものなのであって。

意図的に増やしてもいけない。

罪を増やすように現実世界に介入することは、神々であっても許されない事として、絶対の禁忌とされているのだ。

地獄虫が連絡を入れてくる。

「雪野様」

「どうしましたか」

「亡者11433312が、不穏な動きをしています」

「確認します」

流石に相手が地獄虫だし、AI相手に敬語で喋る必要もないだろう。淡々と応じると、状態を確認。

なるほど。

ヘッドギアによる苦痛を誤魔化し。

どうにか逃げる算段を考えていたか。

こういう悪知恵ばかり働き。

この地獄に落とされた意味を考えない辺りが、やはり邪悪の中の邪悪としか言いようが無い。

ここに来る亡者には、相応の理由がある。

それがよく分かる。

早速ヘッドギアを調整。

件の亡者は、悲鳴を上げて跳び上がったようだった。

今まで我慢さえ出来ないような苦痛を受けているフリをしていたのが。いきなり、その限度を遙かに超える苦痛を与えられたのである。

それは苦しくないはずがない。

地獄虫が報告してくる。

「亡者11433312沈黙」

「今回のデータを送っておかないといけないですね」

「……」

所詮AI。

地獄虫は、そそくさと仕事に戻っていく。

私は亡者11433312のデータをタブレットから中枢システムに送る。これで、更にヘッドギアの拷問機能をアップデートしてくれるだろう。

だが、今になって、こういう問題が顕在化して来ると言うことは。

それだけ此処にいる亡者がヤバイという事を意味している。

勿論、絶対逃げられないようにはなっているが。

それでも、気を付けなければならないだろう。

責任が重い。

その事実が、ぐっと両肩にのしかかってくる。

不意に、声が聞こえた。

「鬼さん、鬼さんや」

ヘッドギアをされている亡者の一人が、何か呼びかけてきている。

タブレットで確認。

極限の苦痛を受けているはず。

喋る余裕なんか無いはずなのだが。

データを早速中枢管理システムに送り。

地獄虫をすぐに食いつかせる。

黙り込んだ亡者だが。

彼奴は此方を認識して、呼びかけてきていたように見えた。

まずい。

あれだけの苦痛を与えられながら、呼びかけてくるほどの精神力を持っている、という事か。

それとも何かの抜け穴があるのか。

ちょっと不安だ。

いずれにしても、此処にいる亡者どもには一切の油断が出来ない。それだけ危険な者達なのである。

タブレットに返信が来る。

「恐らくはただのうわごとかと思われます。 苦痛はしっかり通っていますし、喋り掛ける余裕など無かった様子です」

「念のために、苦痛を更に強化してください」

「分かりました」

地獄虫がよってたかって、更に苦痛を与えているが。

どうも気になる。

やはりこの地獄は。

他とは少しばかりレベルが違う。

そう考えるべきなのかも知れない。それを任されたという事は。やはり、監視にも力を入れなければならない、という事だ。

 

2、深奥

 

四回ほど、無間地獄での仕事が終わった頃だろうか。

珍しく、あの世の中枢。

中枢管理システムから呼び出しがあった。

連絡はしょっちゅう来るのだが。

呼び出しを直接されるのは、珍しいケースである。

早速私は空間スキップして足を運ぶ。勿論これは、仕事としてカウントされるし。報酬も大きいのだ。

中枢管理システムは、神々も使っている超高性能コンピュータと。それを管理している神々。

その側近である上級鬼が務めている場所だ。

俗に管理に用いている超高性能コンピュータのみを中枢管理システムと呼ぶ事もあるけれど。

実際にはその周囲も全て含めて中枢管理システムなのだ。

今回、応対に当たったのは。

アールマティと呼ばれる上級鬼である。

ある宗教の神格と同じ名前だが。

神話の姿と実体は違う。

実のところ、経歴も。

これはどの神々も同じだ。

古き時代に、上級鬼達は、文明の初期段階の抑止力として、神々や天国地獄を人間達に伝えた。

その時に伝えられた姿は、文明の変転とともに変わっていき。

元々人間には抑止力として伝えたこともあって。

現物とは似ても似つかない姿になっている。

神々の中には、地球人類の文明より早く誕生した文明の亡者出身者も少なくない。勿論、あの世の魂の海から出現した者もいる。

いずれにしても、原始的な信仰をしていた人類の前に姿を見せ。

抑止力として神話を作り上げさせた神々は。

その名前だけを貸したに過ぎない。

実体は、人間が信じるものとは、どの神もまるで別物。

猛々しい民族には、それぞれ荒々しい姿で。

芸術を愛する民族には、それぞれ美しい姿で。

伝わるようにし、抑止力とした。

ただ、干渉はごく古代に限られ。

やがて、神々や上級鬼が人間に干渉することは、殆ど無くなっていったのだが。

とにかくオフィスに案内され、軽く面談を受ける。

内容としては、無間地獄の状況について、だ。

「何か改善点はあるかね」

そう聞いてくるアールマティは、全身が光の柱、としか形容できない。光る柱と話しているようで、若干シュールだ。

ただし、相手は上級鬼。

此方も背筋を伸ばすつもりだ。

もっとも、そんなものはもはや存在しないが。

「やはりくせ者だらけで、非常にストレスフルな職場です。 あの様子だと無人化も難しいでしょう」

「君もそう思うか。 無間地獄には、鬼の中でも優秀な成績を上げた者を優先的に送り込んでいるんだが、彼処ばかりは何とも危険でな。 やはり異動届は今も出続けているし、人員が中々確保できないのだ」

頭を下げられる。

君は赴任日から不具合を発見したりと、評判が良い。出来るだけ、しっかり彼処で務めて、問題点を洗い出して欲しいと。

困り果てる。柱が折れ曲がっているのはやはりシュールだが。相手の誠意に間違いは無い。

それに、それだけ困り果てているという事なのだ。それが分かる以上、茶化せない。

危険というのは、鬼の命が、ではなく。

精神が、という事だ。

非常に厄介な亡者ばかりで。

いうならば、地雷原で農園をしているような状況。

今までの地獄とは、クズのレベルが違う連中が、送り込まれてきている地獄だ。如何に絶対に脱出できないとしても。

これら亡者の精神の異常さは。

それぞれ常軌を逸している。

罪を絞りつくすのも時間が掛かるし。

その罪を相転移させて、あの世のエネルギーとしている事を考えると、亡者を粗末に扱う事も出来ない。

問題は、山積みだ。

私が四回勤務しただけで、問題が何度も起きているのだ。

如何に此処に送られる亡者が、他と段違いの危険さかは。

言われるまでも無く理解しているつもりである。

「何か抜本的な対策は立てられませんでしょうか」

「難しいな」

「でしょうね。 此処では長期にわたって散々危険な亡者に対する仕事をしてきている筈ですのに、私がちょっと仕事をしただけで、何度も亡者どもは問題を起こしている。 過去には反乱騒ぎがあったという噂もあります」

「噂では無くて本当のことだ」

なんと、地獄虫をハッキングして。

一斉に鬼を攻撃させた亡者がいたという。

勿論すぐに鎮圧されたが。

中枢管理システムの能力は、亡者一人がどうにかできるものではないし。亡者同士もコンタクトを取れない。

更に言えば。

無間地獄の亡者全てが結託した所で。

中枢管理システムには絶対に勝てない。というか、駐屯している鬼にさえ、一ひねりにされるだけだ。地獄虫がそれに加わっても同じ事である。それだけ絶対的な力の差が存在しているのだ。

それくらい、無間地獄はマークされているし。

何より、中枢管理システムの監視システムも、徹底している。

だが、それでもなお。

地獄虫をハッキングし。

鬼を攻撃させる、という事件が起きたのか。

「鬼に被害者は出たのですか」

「流石に其処までの損害は出していないが、それでも亡者どもに対する対応を、しばし見直す羽目になった。 神々が合議までしてな」

「……厄介ですね」

「そうだな」

私も、それほど知能は劣悪では無いつもりだが。

無間地獄に来ているような亡者は、どいつもこいつもモンスターの中のモンスターだった連中だ。

あくまで「普通」だった私とは。

連中は立ち位置が最初から違う。

地球出身の者だけでは無く。

様々な星間文明で、桁外れの犯罪を犯し。多数の命を面白半分に奪い。場合によっては文明を崩壊にまで追い込んだ邪悪。

搾り取れる罪の分量だけ。

その危険度は桁外れだ。

それを再確認した私は。少しだけ悩んだ後、提案する。

「思考できないほどの苦痛を常に与え続けていたのに、どうやって地獄虫のハッキングをされたかは分かりますか」

「それを今更聞いてどうする」

「亡者は人間です。 如何に背伸びしても、存在が根本的に違う鬼には絶対に勝てませんし、隙だって突けません。 普通は、です。 何かしらの穴があったとしか思えませんから」

「穴か。 確かに穴ではあった」

思考圧縮というか。

苦痛を効率よく与えるための。

体感時間圧縮がまずかったのだと、アールマティは教えてくれる。

つまり亡者にしてみれば。

体感時間が延びる分。

苦痛の中で、少しずつ思考回路を組み立て。地獄虫やヘッドギアの仕組みを理解し。そして乗っ取ることにさえ成功した。

それを考えると。

今までは手ぬるかった、という事か。

勿論今は、ハッキングされた際に使われたセキュリティホールは塞がれているし。同様の手段は不可能なように細工されているが。

それでも、亡者は侮れない。

「極限の痛みを常時分析して、思考できないようにAIを組むのはどうでしょうか」

「実はそれも試している」

「上手く行かなかったのですか」

「いわゆるディープランニングを用いて、亡者の脳内の分析と調整をする仕組みを作ったのだが、あらゆる手段でだましに来る。 AIに任せるのは安全な手段だが、亡者の中には生半可なAIではどうしようもない化け物もいてな」

なるほど。

そうなると、ちょっと今の私では考えづらい。

今まで起きた問題と。

それに、対応した方法を、資料として欲しいと言うと。

アールマティは快く引き受けてくれた。

一旦中枢管理システムを離れる。

なお、中枢管理システムは、この宇宙最大のブラックホールの中に存在していて。しかも複数の次元を経由して移動しないとたどり着けない。ビッグバンの前から存在している鬼達によってもたらされた技術で。

現在最も繁栄している星間文明でさえ。

中枢管理システムには、近づく事さえできないのが現状だ。

そこへ出入りできるのは。

私のように、行き方を知っているか。

それとも、高位に達して強力な力を得た鬼だけ。

一度、家に戻ると。

分析資料を確認する。

なるほど、厄介な事案が目白押しだ。

最大最悪の地獄に落とされるだけあって、本当に煮ても焼いても食えない亡者ばかりなのだと、一目で分かる。

時間圧縮空間で、今まで起きた事件をざっと見るが。

亡者自身が脱出したケースはなく。

基本的に亡者は、鬼に取り入ろうとしたり。地獄虫をハッキングしたりで。搦め手からの方法で、なんとか逃げだそうとしている。

まあ罪悪感なんて欠片もないだろう連中だ。

自分がどうして此処にいるかなんて考えようともしないだろうし。

何よりも逃げ出したら宇宙規模の災厄になりかねない。

一番危険だった事例では。

鬼達に被害こそでなかったものの。

地獄虫を操作した亡者が、脱出寸前にまで行った。

からくも中枢管理システムが、寸前で地獄虫のコントロールを取り返して、亡者を再度収監したが。

それでもこれは。

当時の管理者達は、地獄虫の操作システムを、根本から見直さなければならなかったことだろう。

苦労が思いやられる。

さて。どうするか。

今まで、神々だって、散々考えてきただろうに。

それでも亡者達は、裏を掻いてくる。

時間をあまりにも超高度圧縮しているのも理由の一つ。

そうすることによって、亡者達は。

様々な方法を考える。

苦痛によって、思考できないようにはしているのだが。

それさえ誤魔化す亡者がいる、という事だ。

とんでも無い連中と言ってしまえば簡単だが。

実際にするべきは。

それとどうやってつきあって行くか。それが仕事であって。やらなければならないことなのだ。

少し考え込んでから。

幾つかのプログラムを出してくる。

殆どは、先人が組んだものだ。

これに特殊なAIを組み合わせて。

今後の予測システムを作る。

勿論中枢管理システムでも、大規模な予測プログラムが、想像を絶する速度で動いているのだけれど。

出力だけなら、私の内にもそれなりのものが備え付けられている。

これでも無間地獄の仕事を任された鬼だ。

家に相応の出力源くらいは貰えるのだ。

複数次元に跨がる量子コンピュータで、加速学習させて。

今後想定される亡者の動きを確認。

だが、それでも。

いずれも、今まで起きた事件以上のものは考えられなかった。

AIは動かしたまま。

ぼんやりとゲームをする。

仕事の時間が来たことに気付いたのは。

少し経ってからだった。

圧縮時間の中だから、致命的ではないけれど。すぐにゲームを一時停止して、出勤する。

無間地獄での仕事は、疲労困憊になる筈。

だから、前のシフトの鬼に、苦労を掛けたくない。

すぐに準備を終えて、地獄に出向き。

そして引き継ぎをする。

相手も、待った様子は無かった。

「小さな問題は何件か起きているようですね」

「ええ。 此処では日常茶飯事ですよ」

「何か対策は無いものか」

「邪悪すぎる亡者達から絞りつくすために、時間の圧縮をやり過ぎているのが、奴らにつけいる隙を与えている最大の原因でしょう。 勿論あの亡者どもをそのまま分解しても、罪が大量かつ無秩序に放出されて、炉によって変換管理されないまま世界を汚染するのは分かっています。 ですが、いっそもう、分解して見なかったことにするのもありではないのかなと、私は思っています」

先輩はそういう事を言う。

まあ分からないでもないが。

流石に受け入れがたい。

引き継ぎを終えると、すぐに地獄に。

早速管理下にある亡者を見て回る。地獄虫たちも、せっせと働いているが。メンテが必要な個体もいる。

それらについては、タブレットで状態を確認し。

追加のパーツや、メンテナンス時の交代機を手配する。

だいたいの場合は、自動で全てやってくれるのだけれど。

此処無間地獄の場合は。

ちょっとした事が、本当に危ない事態になる。

此処から亡者が脱走でもしたら。

それこそ、現世にどれほどの災厄をまき散らすか、知れたものではないのだ。

「確認完了、と」

歩きながら、次は亡者達の様子を確認。

極限の苦痛を与えて思考させない。

今の時点で、その仕組みはきちんと働いているが。

やっぱり少しずつ、アラートが出てくる。

慣れてくるのだ。

普通だったら、殺してくれと泣き叫ぶような苦痛が与えられているのにもかかわらず、である。

それにさえ順応してくる者が出てくる。

それが此処の亡者達。

桁外れの化け物。

私は、その様子を確認しながら。

容赦なく、苦痛のレベルを引き上げる。AIも勿論サポートをしてくれるけれど。鬼の能力は、AIがどれだけ進歩しても、それに並ぶ。神々に至っては、それに迫る能力を持つAIは今だ存在していない。

そして、苦痛になれた状況をレポートとして、中枢管理システムに送りつつ。

ヘッドギアの調子も確認。

問題はいずれもないが。

亡者達は、体をくねらせて。

呻きながら、此方の隙をうかがっているように思えてならない。

反省。

そんな概念など。

あるはずも無い奴らだ。

地獄にずっとつないでおかなければならないし。

全ての罪を絞り終えたら、分解して魂の海に戻さなければならない。

その際も、念入りに注意しなければならないほど。

危険な亡者達。

私は、油断だけは絶対にしないようにしながら、歩き回る。

ふと、気付く。

かなり罪が減っている亡者がいる。

そうか、そろそろ刑期を終える者がいるのか。

無間地獄の場合、刑期を終えてもその先に待っているのは無だが。それでも、嬉しいと思うのだろうか。

分からない。

いずれにしても、地獄に落とされた亡者は。

もはや転生をすることもなければ。

燃料以外の存在としては。

扱われる事もないのだから。

 

家に戻る。

やはり続発するトラブルは止まらない。

本当に面倒くさい場所だと思いながら、圧縮時間空間に入り、レポートを確認。今日採取したデータを追加して、更にAIを調整する。

私は、無間地獄に来てから。

加速度的に力が増しているのを感じる。

まあ何しろ過酷な職場だ。

当然の話と言えば当然。

私も、そろそろ上級になるという実力だし。

その内に、上級の鬼に変わるかも知れない。

上級になると、あの面倒くさい事で知られる面接の、チーム管理をしたり。面接そのものの精査と管理を行ったり。

更に重くて厄介な仕事が増えてくる。

無間地獄の仕事も大変だが。

異動するとなると。

同等か、それ以上の苦労を味わう事になるだろう。

AIの様子を確認するが。

やはり、あまり芳しい結果は出てこない。

亡者達はどうしても、裏を掻きに来る。既存のシステムを如何に調整しても、あらゆる手で、である。

人間は、法を破るときに全力を尽くし。

弱者を痛めつけるときに、もっとも快楽を感じる。

それは地球人類もそうだが。

知的生命体に共通する宿業だ。

その宿業のもっとも暗い存在である、無間地獄に来る亡者ども。

対応するのには、スペシャリストでありつづけなければならない。

どれだけ力がついてきているのが分かっても。

しんどい、と思う。

アールマティに喚び出されるわけだ。

あの様子では。

すぐに参ってしまって、止めたいと言ってくる鬼が珍しくないのだろう。まあ、当然と言えば当然だ。

地獄虫を強化出来ないか。

そう思ったが。

地獄虫のOSに手を入れるとなると、これはこれで大変な手間になる。今まで散々苦労して強化してきた自動管理ロボットだ。

自律思考プログラムも、何度も何度も根本的にバージョンアップされ。

あらゆる事態に対応出来るようにしてある。

個別に対応出来る仕組みにしてはいるが。

それでも乗っ取られる時は乗っ取られる。

はて。

困ったな。

いずれにしても、打開策は簡単には思いつかない。というか、私程度に思いつくようでは、今まで開発されていて当然だ。

気分転換に、クソゲーをしばらく黙々とやる。

このだめさ加減。

あらゆる理由が重なって、産み出されてしまった鬼子。

誰も幸せになれない不生産性。

それらの全てが好きだ。

だめな子が可愛い、というのではない。

なんというか、だめなところが一周まわって面白いのである。この辺りは、クソ映画やクソ小説を愛好するのと同じ感覚だろう。

しばし地獄の西遊記をプレイしていたが。

流石に550周ほどクリアしたゲームだ。

何処にワープゾーンがあって。

どう行けば良いのかは完璧に把握している。

黙々淡々とクリアし。

そして、満足して、しばらく休んだ。

こういうときは。

少し距離を置くに限る。

そうすることで、むしろ。

良い考えは、浮かぶものなのだ。

 

3、積み重ねれば山となる

 

大きめのアラートが発生した。

無間地獄の一角を廻っていた時に。

タブレットがけたたましく鳴り響いたのである。

すぐにチェック。

どうやら、亡者の一人が。

地獄虫のセキュリティホールを発見。

猛烈な攻撃をしているようだった。

即座に中枢管理システムに連絡。亡者の状態も確認。

よくもまあ、此処まで上手いこと誤魔化したものだと、感心するほどに痛みを受けている演技をしていたことが分かった。

中枢管理システムからのアクセスで。

ハッキングは即座に鎮圧。

亡者にも、更に痛みを増す処置で、対応。

攻撃は止んだ。

亡者は、呻きながら、ただもがいているように見えるが。

それでも、どいつもこいつも。

本当に懲りずに、攻撃を仕掛けてくる。

此奴らをどうにかしない限り。

私達に安息の日は無い。

というよりも。

どうしてこういう桁外れの怪物が。どんな文明にも生まれてきてしまうのだろう。厄介極まりない。

中枢管理システムから連絡。

「即座に鎮圧してくれたようだな。 感謝する」

「私はマニュアル通りの対応をしただけです」

「それが出来るのが立派だ」

褒めて貰えるのは嬉しいけれど。

やっぱり、根本的な解決になっていない様な気がする。痛みを与えるだけではなく、何かしらの方法で、もっと効率よく罪を絞り出せないものか。

そうだ。

やはり、痛みを与えるだけでは、どうしても限界が出てくる。

何かしら、方法を抜本的に見直す必要があるのではないのか。

そう私は考える。

勿論、ここに来る亡者は、桁外れの罪人達だ。

罰を与えない、という選択肢は無い。

此奴らには、極限の苦痛を与えるのは至極当然のことで、体感時間で殆ど無限とも言える年月、発狂もしないように苦痛を与え続け。文字通り地獄の苦しみの中に置くしか、方法は無い。

だが、苦痛の与え方について。

何か工夫は出来ないのか。

つい考え込んでしまう。

タブレットに連絡。

交代の時間だ。

すぐにシフトの交代に入るが。

次のシフトの鬼は、憔悴している様子だった。

「雪野さんはよくこんな所で平然としていられますね」

「私の場合は、まあ……我慢強いんですよ」

「そうですか。 羨ましい事です」

「ふふ、そうでもないですよ」

昔。

鬼になる前は。

これで損ばかりしていた。

鬼になった今も。

損ばかりしているような気がする。

だけれども。

それが故に、出世出来ているし。そして、今後上級の鬼になり、更に力を伸ばしていけば。権限だって増える。

やがては神々にも力は並ぶ。

その時には、出来る事も増える。

神々が遊び暮らしているかと言えば、それはノーだ。

むしろ、その仕事はとても大変だと言える。

私は幸い仕事が嫌いじゃないから。仕事そのものは苦にならないが。それでも、此処での仕事は本当にきつい。

引き継ぎを終えると。

すぐに自宅に戻る。

金星の地下空間は、暗くて閑かで、安心していられる。私一人だけで過ごせるというのも大きい。

「!」

自分で組んだAIが、なにやら面白い結果を出していた。

本来の姿に戻ると。

すぐに結果を確認する。

ふむと、唸る。

これは、自分で組んだ、あくまで自作のAIだからこそ、出た結果とでも言うべきなのか。

意外に、やってみるものだなと思う。

こういう結論も出るのだとすれば。やってみて損は無かったと言うべきなのだろう。

すぐにタブレットを起動。

中枢管理システムに、AIが出した結論を送ってみる。

すこしして、返事が来た。

「以前にも検討された方法ですが、すぐに棄却されました。 しかし、その改良版ともいえますね」

「検討の余地はありませんか」

「これから、中枢管理システムの一部を用いて、演算を行います。 もしも上手く行けば、鬼達の負担を大きく減らすことが出来ます」

「お願いします」

機械的な返答にも。

丁寧に応じる。

私はタブレットを横に置くと、はあと嘆息。

これで何か少しは状態が改善されると良いのだけれど。

何しろ相手は化け物の集団。

とてもではないけれど。

対策に、完璧などあり得ないのだから。

今日は、ちょっと違うクソゲーを引っ張り出してくる。

ゲームバブルを崩壊させ、大量に売り残されたソフトが砂漠に埋められた、という逸話が残るレジェンド級のクソゲーで。

長らく都市伝説と人間世界ではされていたが。

実際に廃棄される様子をあの世では確認しており。

ソフトが掘り出されるニュースが現世で流れたときには、ようやく出てきたかと、クソゲー愛好家の鬼達が皆苦笑したものである。

とにかく、その究極レベルのクソゲーを黙々とプレイする。

確かに吐き気がするほど面白くない。

しばしして。

中枢管理システムから、連絡があった。

どーでも良いゲームだし、何よりアーカイブからプレイしているので、同じ状態からいつでもプレイ出来る。

一旦プレイを止めると。

連絡を受けた。

「演算の結果が出ました。 もう少しブラッシュアップした後、試験的に実験をしてみます」

「わかりました。 お願いします」

通話を切る。

さて、此処からだ。

気分を変えて、今度は名作ゲームでもプレイするか。

クソゲー好きな私だけれど。

名作ゲームも嫌いじゃない。

とりあえず、二人の巨人が争った後、その体が世界になっているRPGをする。史上屈指の名作として知られる作品で。

私も221周している。

ブラッシュアップと、再演算。更に実用化には、どうせ時間も掛かる。

次のシフトの時には当然実施は無理だろうし。

下手をすると、十回くらいシフトをこなした後に、やっと実用化の話が出てくるかも知れない。

それくらい難しい話なのだ。

何より、神々の中には。

亡者にも尊厳を、と口にする者がいる。

あのような者達にさえ救いを、と言うのだ。

立派な考えだが。

私としては、あまり賛成は出来ない。

実際に地獄で長い事獄卒をしてきた身としては。どうしても地獄に来る亡者の実態を見ているし。

ましてや無間地獄に来る連中となると。

それこそ、語るもおぞましい化け物の群れだ。

鬼などよりも。

余程残虐で邪悪な連中。

人間がどうしても様々な文明で幻視する「悪魔」などよりも、遙かに邪悪で狡猾な者達だ。

それを考えると。

人間とはなんなのだろうとも思う。

元人間だったとしても、だ。

時間圧縮空間から出る。

たまには外に出るのもいいだろう。

金星の地表に。

400℃を超える熱。

90気圧。

酸の雨。

昔、恐竜が住んでいるかも知れないと思われたその星の地表で、ぼんやりと降り注ぐ酸の雨を見やる。

精神生命体になった今は、ブラックホールでも平気。つまりもう酸だろうが深海並みの圧力だろうが。まるで関係無いけれど。

それでも、無常観を覚える。

人間だった頃。

どれだけ雨が煩わしかったか。

思い出す。

人間だった頃の記憶は、どうしてもある。

今ではおぼろげにさえなっている部分もあるけれど。

こういう雨の時には。

どうしても思い出してしまうのだ。

私は、文字通り。

鬼としての提案をした。

それをなんらためらいなく提出した。

中枢管理システムは、良い提案だと喜んでいたけれど。今になって考えてみると、それが本当に良い提案だったのかは分からない。

ただ、それは。

亡者の尊厳を最後まで奪うものとなった。

そして私は。

提出した後。

我に返って。

今、雨を見ている。

ぼんやり雨を見ていると。やはり人間だった頃の時の記憶が、ありありと浮かび上がってくる。

私は、結局。

何をしているのだろう。

私は、結局。

鬼として、この世界をよくしているのだろうか。

分からない。

ただはっきりしているのは。

これまで散々鬼達に苦労させ。精神を参らせてきた無間地獄の亡者達が。

これで大人しくなる可能性が高い、ということだった。

 

実戦投入の日は早かった。

バージョンアップされた地獄虫が。十五人ほどの、今まで特に問題行動を起こしていた亡者達に対して。

新規システムを投入したのである。

その新規システムとは。

極めて簡単なものだ。

体の半分を埋められ。

身動きできない亡者に対して。

刃物を装着した地獄虫が。その体の肉を、神経を敢えて抉りながら、切り裂いていく。勿論亡者は不死なので、放置しておけばその内治る。

だが、敢えて神経を抉ること。

それも、人間にとって最も苦痛になる場所を抉りつつ。

ヘッドギアから、極限の苦痛も同時に送り込む。

さて、どうなるか。

予想では、亡者の精神的なダメージは究極に達する。発狂しないようにされている亡者は。

もはや死ぬ事も出来ない。

ばたんばたんと暴れている亡者。

どれだけの絶望的な苦痛を受けているのか、一目で分かる。

様々な反応を試すが。

亡者はそれに応じない。

それどころか。

今まで巧妙に隠していた思考波も、消えていた。

痛みが酷すぎて。

それどころではなくなったのである。

成功だ。

私は思った。

そして、知る事になった。

極限まで尊厳を奪い取るというのが、こういうことだという事を。文字通り、地獄の鬼の所行。

勿論、ここに来た亡者には。

もはや尊厳を主張する資格は無い。

そればかりか、己の罪を悔いることもなく。

ことある事に脱走を図り。

反乱さえ起こそうとしていた連中だ。

更正を促すだけ時間の無駄。

死以外には何一つ報いる方法が無い。

そんな連中だから無間地獄に来ているし。罪を搾り取りエネルギーとして有効活用することで。

あの世にとっても貴重な資源となる。

だが、これは。

「た、たすけて、たすけて」

今まで、幾多の同胞が同じ事を言っても無視し。

大量虐殺を重ねてきた亡者が、好き勝手を言う。

だが。

良心が痛むのは、何故だろう。こんな奴らでも、尊厳は守らなければならないと、何処かで思っているからか。

そうなのだろうか。

故に、私は、目をそらす。鬼として、やるべき事をした。他の鬼達も、これで仕事が楽になる。

罪の抽出量も、以前とは比べものにならない。

凄い量の罪が抽出できている。

これは、前に比べて、かなり亡者を効率よく処理できるかも知れない。効率による苦痛の時間の軽減は。その分、体感時間を加速させてやればいい。

地獄を見せてやれ。

そう殆どの鬼達は言うだろう。

だけれども。私は。

自分で提案したことだというのに。

どうしても、喜べなかった。

もう亡者に、抵抗する力は無い。どれだけ元が悪魔的頭脳を誇っていたとしても。どれだけ狡猾に立ち回っていたとしても。

ヘッドギアから送り込まれる極限の苦痛と。

肉体に直接与えられる極限の苦痛のダブルパンチからは。

もはや逃れる事なんて、出来ないのだ。

シフトが終わるまで。

今までで一番長く感じた。

交代して、家に戻ると。

アラートが鳴る。

メンタルケアを受けるように、という指示だ。言われるまでも無く、メンタルケアプログラムを起動。

ぼんやりと、ストレスの軽減に努める。

正しかったのか。私が提案したことは。何度もそう自問自答する。正しかったに決まっている。

現に、今後は。

反乱の恐れはなくなり。

鬼達の苦労も減る。

皆が感謝し。

資源の採集も、効率が上がる。

誰もが喜ぶ結果なのだ。

「ストレス、軽減されません。 専門家の所へ行きましょう」

どうやら、メンタルケアは失敗したようだ。

タブレットが鳴る。

中枢管理システムからだ。

「雪野です」

「非常に強いストレス値を検知しました。 恐らく、既に専門家への診察を打診されている筈ですが」

「今行こうと思っていたところです」

「ひょっとして、自分の決断を気に病んでいるのですか」

その通りだ。

悔しいが、あまりにも的を得ている。

黙っていると、中枢管理システムに、すぐに専門家の所へ行くように指示を受ける。やむを得ない。

これも仕事の内。

そして、自分が提案したことなのだから。

 

メンタルケアの専門医はあの世にも存在しているが、今の時代は大体自宅での自動診療にて片がついてしまう。

それでもだめな場合に診察を受けに行くのだ。

当然相手はプロフェッショナルである。

幾つか問答をした後。

石版の側面からカニの足がたくさん生えているような姿をした医者は。淡々と、的確に指摘をしていく。

「自分の判断を気に病んでいるようですね。 亡者に対する尊厳を著しく損なったことを、後悔していると」

「無間地獄に落ちてきた亡者達に、救いなど無い事はわかりきっています。 それでも、どうしても尊厳を汚したことを苦しいと思うのです」

「知っているかも知れませんが、古い時代は鬼達が、直接亡者を拷問していました」

「聞いた事があります」

凄まじい高負荷の仕事だったという。

亡者は亡者で、そんな程度の拷問では平然としている奴もいて。

あらゆる拷問で苦痛を与え続け、罪を絞り出さなければならなかったので。鬼の側の消耗は激しく。

精神を病む者も珍しくなかったそうだ。

これからは、拷問は地獄虫がやるとはいえ。

それでも、ヘッドギアで簡略化していた作業に。

余計な要素を付け加えたのは事実。

それが今になって。

とても苦しいのだ。

医者は言う。

「貴方のおかげで、仕事の負担がまた減り、鬼達は効率よく問題だらけだった無間地獄を管理できるようになります。 その客観的事実を提示しても、貴方は恐らく満足することはないでしょう」

「……」

「今回の功績を理由に、長期休暇を取って、しばらく仕事を忘れるのが良いかと思いますよ。 そもそも鬼に栄達速度はあまり関係ありませんし、貴方は既に上級手前の実力を持っているようです。 しばらく休む事を申請しても、誰も文句は言いません」

「なるほど」

確かに、そうなのだろう。

なんなら、自分から申請しようか。

そう医師は言ってくれたけれど。

自分でやると、そこだけは曲げない。

医師は、ふうとため息をつく。

「貴方は頼って良いんですよ、他の誰かを。 私は専門家ですし、貴方のように苦悩する患者を何人も見てきました。 大体責任感が強かったり、善良すぎるケースが殆どですし、何より他人を頼らず解決しようとする。 お薬は出しておきます。 処方箋にそって服用してください」

そうして、診察は終わった。

霊薬を受け取って、家に戻る。

さっそく服用すると。

ぐっと気持ちが楽になった。

そして私は。

言われたまま、長期休暇の申請を入れる。

ただし、家にはいるつもりだ。

何か問題が発生した場合、私の責任にもなる。勿論中枢管理システムは、問題が無いか徹底的に検証しながら作業を進めるだろうし。何よりも採用を決めたのは中枢管理システムだ。

私が責められる謂われは無い。

それでも、やはり。

家にいないと落ち着かないのは事実だ。

アーカイブから何か適当なクソゲーを引っ張り出そうかと思って、躊躇。

医者に、余計な事は考えずに、もし眠れるようなら寝ろ。

そう言われていたのだ。

事実そうした方が良いと私も思ったので。

寝ることにする。

鬼は睡眠を殆ど必要としない。

だから眠るのは、それなりに大変だったけれど。

どうにか無理矢理に眠って。

しばし何もかも忘れることにした。

そして、夢を見た。

いつぶりだろう。

というよりも、基本的に夢を鬼が見ることは無い。余程のことがない限り、まずあり得ない。

だから、それは。

幻覚だったのかも知れない。

一人の亡者が、地獄に落ちた。

史上最悪クラスのシリアルキラーで。

なんと死ぬまでその悪行が発覚することはなく、逃げおおせた最悪の亡者だった。

勿論即座に地獄行き。

地獄ではありとあらゆる拷問を加えられ。極限の苦痛を、時間感覚を数千万倍にまで拡大して与え続けたのだが。

それでも、そいつはけたけた笑い続けていた。

誰を、どんな風に殺した。

その家族も。

苦しむ顔が、見ていてとても面白かった。

虫の羽をもぐのと同じだ。

コツさえ覚えれば、人間は簡単に死ぬ。

始末だって簡単極まりない。

殺して殺して殺しつくして。

徹底的に殺して、その尊厳をしゃぶりつくしてやった。とても楽しかったぞ。後悔など、してはいない。

あるとすれば。

もっと殺せなかった事だけだ。

亡者の口は塞がれた。

物理的な意味ではなく、ヘッドギアから、外を見られないようにしたのだ。外の音も聞こえないようにした。結果として、亡者は繰り言を口にすることは出来ても。誰かと会話は出来なくなった。

以降、亡者は無限地獄だけではなく、地獄ではどこでも他者と喋る事が出来ないようにされた。それほど桁外れのシリアルキラーだったのだ。

そしてそいつは。

いつも勝ち誇っていた。

たくさん殺した。

俺の勝ちだ。人生を勝ち逃げしてやったぞ。

凡俗どもは、ついに俺に気付くことさえ出来なかった。

俺は偉大だ。

思考を分析すると、常に圧倒的な自己肯定だけがそいつの思考回路にあり。ついに中枢管理システムも、決断を下した。

そいつから、自己肯定を取りあげたのだ。

一瞬で発狂する所だったが。

発狂しないようにした。

そうすると、途端に。

あらゆる拷問が、効果を示すようになった。その代わり、其処までの過程で、多くの鬼達が精神を病み。無間地獄での仕事を嫌がって、異動していった。メンタルケアには、長い時間が必要になった。

シリアルキラーの膨大すぎる罪は抽出され。相転移され。

ある恒星系を作るのに利用されたが。

魂そのものは分解され。

魂の海に溶かされた。

完全に無になった魂は、いずれ勝手に集まって、精神生命体になる。多くの場合は、新しい命に魂として宿り。

そうで無い場合は鬼になる。

宇宙史上に残る最悪のシリアルキラーの一人も。

そうやって、有効活用された。

そして、私は。

下っ端の頃。

そいつの事件に、中枢管理システムを介して、関わっていた。

知っていたはずだ。

無間地獄に来る奴は、あれと同レベルの連中だと。

文字通り、救う方法など存在せず。

究極のエゴのまま、多くの同胞を殺し。そして自己肯定していた者達。

地獄で責め苦を与えても。

何ら痛痒にさえ感じない者達。

それに報いを与えるには。

一番良い方法を提案しただけでは無いか。どうして、心を病む必要がある。相応の行動をし。

相応に手を打ち。

そして皆が、楽になるようにしただけではないか。

目が覚める。

どんよりと、全身が重い。

薬をすぐに服用すると、また眠ることにする。

ダメだ。

相当に精神にダメージが来ている。長期休暇は貰っているが、その大半はずっとこうして休み続けることになりそうだ。

休みが無駄になってしまうと思うと苦しいけれど。

それでも、自分が壊れてしまうよりマシ。あの手のシリアルキラーが、地獄でさえタチが悪すぎること。

どのような救いの手をさしのべても。

その手を食い千切ること。

それを分かっていたのに。

どうしてそれでも、罪悪感を覚えてしまうのか。

優しいからか。

違う。

私は、優しく何てない。

きっと私は。

ただ、憶病なだけなのだ。

そう思うと、ちょっと悲しくて。

そして、悔しかった。

 

4、お仕事と自分と

 

長期休暇の後、無間地獄に復帰。

うめき声が酷くなっている。

どうやら、私が提案した方法で、亡者に接しているようだ。元々どうやって此奴らから罪を絞り出すかは、長年の課題だった。

地獄に落ちる亡者は、相当な連中ばかり。

反省などまずしない。

特に此処無間地獄では。

更正は不可能。

そう判断されているから、煉獄では無く此方に来ているわけで。

容赦も遠慮も必要ないし。

油断すれば即座に寝首を掻きに来る。

だから手加減だっていらない。

シフトの引き継ぎを受けた後。

軽く状況を聞いたが。

やはり仕事はかなり楽になったと言う。

その分、投入されている地獄虫の数がかなり増えている。

タブレットを操作して、昨日出たエラーの件数を確認するが、確かにまったくと言うほど出ていない。

つまり、だ。

ヘッドギアを通じて与えられる苦痛だけでは、足りなかった。

今までは、どうアップデートしても、誤魔化す奴がいた。

だから、肉体にも同時にダメージを与えなければならない。

その理屈は、正しかったのだと。

証明されたことになる。

もっとも、これから更にデータを収集していかなければならないだろうが。まだまだ、この程度では、統計としてはデータが貧弱だ。

亡者達を見て回る。

再生するとは言え。

常に体の最深部まで触手を抉り込まれ。

激しい痛みを与えられ続け。

更にヘッドギアで、極限の苦痛を脳にも流し込まれ。

発狂することも出来ない。

効率よく地面にしみこんでいく罪。

罪の量も調査するが。

やはり今までより、五割から六割は増している。

一通り見回りを終えると。

タブレットが鳴る。

中枢管理システムからだ。

仕事が終わったら、メールを送るので、確認するように。そうメッセージには書かれている。

なんだろう。

出世かな。

だとしても、気分は重い。

辺りを見回り。

亡者全員の状態を確認した後。

少し休憩を入れる。

勿論休憩と言っても、タブレットには気を配っているし、油断もしていない。地獄虫たちは、追加が必要だな。

歩いて見回りながら、それだけは考えていた。

これまでとは比べものにならないほど、地獄虫は稼働している。

前もアップデートを頻繁に繰り返していたが。

今後はアップデートの代わりに、数の増強が必要になるだろう。

勿論、予算は必要になるが。

提案はしておくべきだろう。

しばしして、休憩から仕事に戻る。うめき声を上げていた亡者の一人が、私に気付いたのか。必死に体を動かす。

痛い。

苦しい。

やめてくれ。

そう言いたいのだろう。

だが、ヘッドギアは鬼からの言葉を遮断する仕組みにしてある。

更に言うと、亡者は他人と喋る事が出来ないようにもされている。

先人の凶行の末路である。

此処が刑務所なら、非人道的な行為だと非難もされるだろう。

だけれども、此処は地獄。

それも最下層。

もはや救われる意味もなく。

救われる価値も無い魂に対して、してやる事など何も無い。

私は、ただ。

そう考えて。

必死に助けを求めている亡者の前を後にする。此奴の自業自得だし。此奴はもはや資源だ。

そう割り切らないと。

またメンタルケアを受けるはめになりそうだった。

どうして、此処まで度しがたい。

許しがたい。

完全に自動化できれば楽だけれど。

当面は無理だろう。

あれだけ散々トラブルが起きてきた地獄だ。

まだ、無人化するには早い。

AIは高性能だけれども。

それでも、完全にまったく予想していない事態には対応出来ない。上級や、それに近い鬼が、常に見張っている必要があるのだ。

ようやく、仕事時間が終わる。

交代の要員に引き継ぐと。

自宅に戻る。

そして、タブレットを確認。

異動の指示が出ていた。

 

異動については、異論もなかった。

正直な話、この職場には向いていないと思っていたし、当然だろう。ただし降格や左遷ではない。

今回大きなストレスを受けたこともあって、私の力はかなり増大しているという。

それを中枢管理システムが評価したのだそうだ。

上級に、という声も上がっているようだが。

それはそれだ。

まだどうなるかは分からない。

そして、次の職場については、すぐに説明があった。

今度も地獄だが。

直接見て回るのでは無く、管理の仕事だ。

それも極浅い階層。

浅い階層の亡者は基本的に大人しく、知恵も回らない奴が多い。

其処での仕事を包括管理する事になるという。

中堅所でも最上位に位置する鬼がする仕事で。

大変に名誉な事ではあるが。

それと同時に。

人材を失わないためにも、中枢管理システムが、私を無間地獄から遠ざけたのはよく分かった。

人材を大事にしてくれる。

それだけで、働いている者としては喜ぶべきなのだろう。

だけれども。

私は、無間地獄に、さらなる地獄を巻き起こしてしまったのではないのだろうか。

今はいい。

というよりも、当面はあの二段構えを破れる亡者など現れないだろう。

だが、それもいつまで続くか。

歴史上、何処の地獄にも。

桁外れの亡者が現れ。

混乱を巻き起こしてきた。

その度に仕組みが作り替えられ。

そして多くのコストが費やされ。今の地獄へと、切り替わっていったという事情がある。それを考えると。

今回の変革も。

歴史の一ページに過ぎない、と言う事も出来るだろう。

私は。

それでも、やはり。

どうしても、つらい。

それが故に、中枢管理システムは、私を異動させたのだと分かる。分かるからこそ、辛いのだ。

酒を飲んで酔っ払ったり。

愚痴を言ったり。

そういうことは出来ない。

メンタルケアをぼんやりと受けながら。

同時に次の仕事について、自分が任される職務について確認する。

次の地獄では、入り口の任務を担当する事になる。

つまり、送り込まれてきた亡者を精査。

地獄に入るにふさわしいかをしっかり確認し。

そして、直接地獄に放り込む役だ。

たまに、此処で間違いが発覚して、戻される者もいるのだけれど。

基本的に地獄に落ちると。

後は罪を絞るだけ絞って、残った魂は海へと戻され。新しい魂の材料にされる。

だから、失敗は許されない。

厳しい仕事だ。

勿論AIによるサポートもあるが。

それはあくまでサポート。

中枢管理システムが私を評価している証拠である。喜ばなければならないのだけれども。どうしても、そんな気分にはなれなかった。

神々がどれだけ努力して。

様々な可能性を改善しても。

この世界は良くならない。

おかしな魂は減らないし。

結局の所、それは世界の仕組みそのものに問題があるのかも知れない。

生きている人間も。

そうでない人間も。

問題の塊だ。

我々鬼だって、それは同じ事だろう。

干渉しない。

そう決めた時代も存在していた。だがその結果、宇宙は本物の地獄絵図になった。今の宇宙がどれだけの努力と苦労で形を保っているか。

それは恐らく。

誰も生きている人間は知らないのだろう。

それは分かっている。

元人間だった鬼にも話を散々聞いているし。

何より、私だってそうだったのだから。

「研修終了。 それでは、任地に向かってください」

「了解」

控え室に移動。

此処では、制服は牛頭馬頭ではなくて。式服を着た、いわゆる道士スタイルである。地獄は古くは、亡者をいちいち全員裁判でどうするか決めていたらしいのだけれど。今もこういう細かいところでは、似たような事をしている訳だ。

もっとも当時とは。

あらゆる意味で、細かい部分でのサポートが違うが。

だから、間違いも起きにくくなっている。

亡者が来た。

さっそくタブレットで経歴を確認。

三人を殺した凶悪犯だ。

屈強な大男で、顔中髭だらけ。

へらへらと、こちらを舐め腐った目で見つめている。

「何だかしらねえけどよ、俺は無罪だぜ。 挑発した彼奴らが悪いんだよ」

「そうか。 では地獄で責め苦を味わうといい」

「おい待てよ! 裁判って話……」

指を弾くと。

亡者は爆裂四散。

苦しみながら元に戻る亡者を、地獄虫が引きずっていった。

「次」

今みたいな、分かり易いケースは何ら問題ない。

さっさと地獄に放り込めばいいのだから。

問題は微妙なケースだ。

殺しをすれば、確実に地獄おち、と言うわけでは無い。

場合によっては、煉獄に回されるケースもあるし。もう少し軽度の地獄に落ちて、其処で比較的軽めの罰を受ける場合もある。

いずれにしても、私が責任を負うのだ。

次の奴も、分かり易い殺人犯だった。更に政治的汚職によって、十万を超える人間の人生を狂わせている。

此奴はもっと下層の地獄だな。

手続きを済ませて。

後は反論を許さず、連れていかせる。

「次」

機械的に指示。

今も地上では。

地獄に落ちるべき亡者が生まれ続けている。

そして私は。

結局、本当の意味では。

休めそうもない。

 

(続)