射命丸文紅天に舞う

 

序、契約

 

比較的最近幻想郷に来た吸血鬼達の住まう館、紅魔館。

幻想郷に存在する湖の一つ、その湖畔に存在するこの館には。

幻想郷に幾つも存在する勢力の長として君臨する妖怪としては比較的若年の吸血鬼姉妹と。

実質上館を取り仕切っている、(謎は多いが、一応人間とされている)時間を操るメイド長。

拳法を得意としているが、代わりがいないためいつも疲れ切っていて寝ている姿が目立つ妖怪の門番や。

人間の寿命を超越した魔法使い。

更にそれらの手下の雑多な妖怪や妖精が、多数生活している。

恐ろしげな名前と。

恐ろしげな妖怪の住処だが。

実際問題、吸血鬼が夜な夜な人里を襲うような事はないし。

むしろ幻想郷を管理している博麗の巫女とは上手くやっている。

その館の前に降り立ったのは。

射命丸文。

普段は三流パパラッチとして振る舞っている。

妖怪の山の鴉天狗である。

鴉天狗は幻想郷の山に住まう天狗の中でも下位に位置するが、千年を経ている天狗である射命丸は、単純な実力では天狗の中でも最強。天狗の長である天魔に匹敵する。

普段はアルカイックスマイルを浮かべて強引な取材を行い。

インチキまみれの新聞の内容から誰にも煙たがられ。

三流と自分でも分かっている新聞を撒いては。

その反応を楽しんでいる。

更に言えば、記事がないのなら、自分で事件を起こしたりもする。

そんなパパラッチらしいパパラッチだが。

射命丸は古い時代から生きている妖怪らしく。

相応に恐ろしい部分も持っている。

特に、射命丸は自覚もしているが。

強い野心と上昇志向を持っていて。

現状の硬直化した山の天狗の組織には、著しく大きな不満を抱いていた。

例えば、山の天狗の縄張りを警備するのは、白狼天狗と呼ばれる天狗の一種なのだが。

この者達はプライドばかり高い割りには実力が伴わず。

事実全員をあわせても射命丸一人にも及ばない。

強い者が警備を。

戦力に劣るなら他の仕事を。

当たり前の話なのに。

それさえ出来ず。

この種族なのだからこうしろ。

年功序列なのだからこの地位で我慢しろ。

そういった硬直化したルールが蔓延し。

実力のある若手を抜擢も出来ず。

異変の時には射命丸だけがかり出され。

事実吸血鬼異変の時には後手後手に回ったばかりか、吸血鬼に好きなようにされる醜態までさらした。

その時も当然射命丸はいたが。

自分が最初から出ていれば、彼処まで好き勝手はさせなかったという思いが今でも強い。

勿論誰にも喋る事はないが。

今日、紅魔館に来たのは。

この館の名目上の主。

吸血鬼、スカーレットデビルこと。レミリア=スカーレットに用があるからである。

彼女の能力は、自己申告では「運命」に関するものであるのだが。

本人が具体的にその能力の詳細に対して口にしないように。

その実態については、本人も口を開きたがらないもの、ということである。

ただレミリア自身は優れた戦闘力を持つ吸血鬼であり、紅魔館は他の妖怪勢力に劣らない実力を有している。配下にも優秀な人材を揃えていて、懐も深い。事実上紅魔館を取り仕切っているメイド長も、レミリアに勧誘されたという噂もある。

門まで歩いて行くと。

腕組みしたまま門の側の壁に背中を預け。

うつらうつらと船を漕いでいる門番の前に出る。

中華風の服を着こなしている赤髪の彼女は。

幻想郷の妖怪ではかなりの長身だ。幻想郷の妖怪のスタンダードにあわせて、女の子に見える姿を取っている。つまり人型を取れる程度の格はあるという事である。

とはいっても、そこそこ長身の男性と同程度、くらいの背丈でしかないから。

それこそ妖怪辞典に出てくるような、何十メートルもあるような妖怪と比べると、人間にしか見えないが。

しばし笑顔を保ったまま前に立つが。

気付く様子も無いので。

デコピンをしてやる。

「ふあっ!?」

「おはようございます、美鈴さん」

「ああ、これはおはようございます。 ??」

涙目になる紅美鈴。

彼女は拳法の達人であり、まず人間には勝てないと言われる程の使い手だけれども。それはあくまで「普通の人間」が相手の場合。

魔境に等しいこの幻想郷では。

彼女を倒せる人間なんてゴロゴロいる。

本当に危ない気配には反応できるらしいのだが。

彼女の居眠り癖は有名で。

特にこの時間帯。

朝食が終わって、これから余裕のある時間帯、となると。

大体こんな感じである。

とはいっても、他に門番がいない紅魔館の体制にも問題があるので。休む事が出来ない彼女の事は、あまり責められないのかも知れないが。

「おでこがいたいんですが、なんでしょう?」

「さっきキツツキがとまって激しくおでこをビートしていましたよ」

「ええっ!? そんな酷いキツツキが! 見つけたらただじゃおきません!」

「そうしてください」

冗談を真に受ける美鈴に、少し心配をしてしまうが。

いずれにしても用事を伝える。

彼女は頷くと、仕事がある事が嬉しいと言うように紅魔館の中に駆け去り。

程なくメイド長を連れて戻ってきた。

アホみたいな嘘に騙される門番と違い。

こっちは手強い。

早速、どうせろくでもない用事で来たのだろうと。

射命丸を厳しい目で見ていた。

メイド長は美貌で知られるが、故に険しい顔になると、その鋭さも一際だ。

「何用でしょうか。 お嬢様の日常を貴方の新聞のオモチャにするのは避けていただきたいのですが」

「あやや、そんなつもりはありませんよ。 今日は新聞記者として来たのではありません」

「……?」

「貸しを二つ、使用します。 そう吸血鬼のお嬢様に伝えていただければ」

小首をかしげている美鈴と違い、鋭いメイド長は、その意味にすぐ気づいた。

空気が完全に変わるが、射命丸にとっては想定通りの展開である。

射命丸は記者としては三流だが。

情報を嗅ぎつける能力に関しては一流だ。

今までも色々と紅魔館には有益な情報を持ち込んでおり。

対価として、いざという時に貸しを必要な範囲内で使用させて欲しいと、話を付けている。

現在までに10近い重要情報を流し。

いずれもがこの館の名目上の主であるレミリアが、貸しとして認識している。

今回はその内の二つを利用する。

ほどなく、忠誠心篤いメイド長が戻ってくる。

何だかぴりぴりしているのに気付いたのか。

美鈴も既に眠気は飛んでいるようだった。

この幻想郷に来てからは、比較的荒事も減っているとは言え。

此奴の拳法は実戦仕込み。勿論相手を徒手にて殺す事を想定した本物の中華拳法だ。

今でこそ荒事をする事は減っていても。

昔はそうでは無かっただろうことは、射命丸には容易に想像がつく。

単純にもっと凄まじい猛者が幾らでもいるというだけの話で。

修羅場をくぐってきた戦士であり。

拳一つで戦場を生き抜いてきた猛者である事には違いないのだ。

外の世界の神々には及ばないかも知れない。

だが、それでも、普通の人間が及ぶところではない妖怪が。

幻想郷には幾らでもいるのである。今では、妖怪を見かけなくなった外とは違い。

「まさか、何か異変でも起きるんですか?」

「うふふ、秘密ですよ美鈴さん。 記者が情報を公開するのは、新聞においてだけです」

「そうなんですね!」

「白々しい……」

メイド長が、完全に据わった目で言う。

此奴の能力は、射命丸の天敵に等しい強力なものだ。

正直な話、戦って負けるとも思わないが、簡単に勝てるとも思わない。

機嫌を損ねると、今日の用事そのものが瓦解してしまう。

だからある程度怒らせないように冗談を交えていくしかない。

「お嬢様の許可が出ました。 場合によっては生かして館から出しませんので、精々気を付けなさい」

「分かっていますよ、えへへ。 それでは美鈴さん、キツツキに気を付けて」

「はい。 そんな不届きなキツツキは、二度と許しません」

「?」

小首をかしげるメイド長。

紅魔館の中はそこそこに広い。

何度か入った事はあるが。

連れられて歩いていると、構造が記憶と違っている。

防犯のために、空間の操作ができるメイド長が、ある程度毎回弄っているらしい。働いているメイド姿の妖精多数。

いずれも動きは良くないが。

花壇に水をやったり。

お掃除をしたり。

メイド長の手間を減らす事くらいは出来る様子だった。

まあ妖精は基本的に、人格を持った自然現象に過ぎず、知能にしても能力にしても、人間を遙かに下回る、幻想郷の最下層階級に過ぎない。

今やっている仕事も。

単に面白がっているだけだろうし。

飽きたらすぐに辞めていくのだろう。

パジャマ風の服を着た魔法使いが来たので、一礼してすれ違う。

彼女は紅魔館の名目上の主の吸血鬼、レミリアの友人であるパチュリーである。互いを渾名で呼ぶほどの親しい仲で。それなりの腕前の魔法使いだ。ただし、ぜんそく持ちで体が弱く、戦闘にはあまり向いていない。頭の回転も速いと言えず、膨大な魔力の持ち主だが、一瞬の判断が求められる戦闘より研究に向いているタイプだ。

紅魔館の地下には、彼女が集めた膨大な蔵書があり。

それを狙ってたびたび賊(※特定の一人だけだが)が侵入するため。

この賊とパチュリーは、いつも知恵比べを繰り広げているらしい。

何回かその直接の様子を取材しようと狙ったのだが。

上手く行かなかったのは。多分強力な妨害魔法が掛かっているから、なのだろう。

「動かない書庫の彼女が出てくるのは珍しいですね」

「館の中には色々な魔法トラップが仕掛けてあります。 メンテナンスは彼女にしか出来ないのですよ」

「今度取材させていただけます?」

「勿論却下です。 セキュリティを総入れ替えさせるつもりですか」

メイド長に一刀両断されるが。

まあいい。

許可が出ていなくても。

いずれ取材のチャンスはあるだろう。

紅魔館は前からトラブルが絶えない所だ。

幻想郷を揺るがす事件を異変と言うが、その舞台になる可能性もある。

その際に忍び込んで。

どんな風だった、というように取材するくらいならありだろう。

まあ気長に待つ事にする。

射命丸は鴉天狗。

つまりは妖怪だ。

しかも千年の時を経ている。

時間は人間と違い。

それこそいくらでもあるのだから。

程なく、奥の書斎に着く。

メイド長がノックすると。

少し気だるげな声が返ってくる。

部屋にはシックな家具が建ち並び。

奥のデスクには、幼い子供がついていた。

年齢500歳になる此処の名目上の主。スカーレットデビルこと、吸血鬼レミリア=スカーレットである。

何度か異変を起こした幻想郷における有力勢力の一つで。

幻想郷の管理人である八雲紫とも契約をしているという噂がある。

異変の度、時々ここのメイド長が解決のためにかり出されたり。或いはレミリア自身も出張ったりするが。

それはこの契約が故、らしい。

残念ながらこの辺りの話については、確報が得られていないので。

記事にも出来ないし。

断言も出来ないのが残念だ。

レミリアは背中に蝙蝠の翼さえついているが、それ以外はあまり人間の子供と見分けがつかない。

たまに食事の様子を取材させて貰うが。

精一杯背伸びしている子供にしか見えず。

テーブルマナーなどは相応に仕込まれているようだが。

味覚は子供そのもの。

また和風の好みらしく。

納豆やタラの芽の天ぷらが好みだったりと、かなり幻想郷に馴染んでいる。

その一方で、戦闘の際は荒々しい戦いぶりを見せる事もあり。

名目上であっても、勢力の長としては相応しい実力を持っていることを疑う者は誰もいない。

門番に勝てる人間は幻想郷に珍しくないが。

レミリアに勝てる人間はごく少数だろう。なお、人間同様昼間に起きていることが多いようだ。

「お連れしました、お嬢様」

「あやや、お久しぶりです、レミリアさん。 この清く正しい射命丸、少しばかり難しい話をしにまいりました」

「貸し二つ、ね。 まあ貴方からは色々と貴重な情報を得ているし、今後も得られるかも知れないと思うと仕方が無いわね。 内容次第では聞いてあげるわ」

「ではまずお人払いを」

メイド長の気配が変わる。

此奴は時間を操作し、空間もある程度操作する凄腕だ。

本当に人間かも疑わしく。

博麗の巫女や、或いは神々くらいしか、真正面からやりあって勝てると断言できる存在はいないだろう。

だが射命丸は動じない。

相手の能力が自分の天敵だろうが。

相手は人間。

妖怪であり。

しかも千年を経ていて。

幻想郷最速を自負する射命丸が。

人間相手に気圧されるつもりはない。

笑顔を保ったままの射命丸に。

レミリアは嘆息した。

「咲夜。 少し席を外していなさい」

「分かりました。 何かあった場合は即座にお呼びください」

「ふふ、鴉天狗程度に、私が遅れを取るとでも?」

「勿論思いません。 万が一の場合のためです」

心配性ねと、笑いながらレミリアはメイド長咲夜を下がらせるが。

その笑みは獰猛極まりないものだった。

すっかり平和に馴染んでいるとは思えない。

外で数多の修羅場をくぐってきた、闇の住人としての顔である。

そういう用件で射命丸が来たのだと。

此奴も肌で感じたのだろう。

子供にしか見えなくても。

500年の時を生き抜いてきた吸血鬼なのである。

外では一神教関連のヴァンパイアハンターに散々追い回されただろうし。

危ない目にも何度もあっているはずだ。

それを生き抜いてきたと言う事は。

相応の実力を有している、と言う事も意味している。

しかしながら、信仰が力に直結するこの世界。もしも本気で一神教の神や天使達を怒らせたら無事で済む筈も無いので。

隠れ住みながら生きてきたのだろう。

その程度のしたたかさも併せ持っている、と言う事だ。

頬杖をつくと。

レミリアは、子供らしくもない。

吸血鬼の長らしい表情を浮かべた。

「さて、では用件を聞かせてもらおうかしら、山の鴉天狗」

「用件は二つです。 一つは貴方の能力によって、私がこれからこういう条件で行動した時、どうなるかの結果を知りたく」

「ほう?」

レミリアの能力。

それは運命を操る能力だ。

自己申告に過ぎないが。

ある程度の未来視に近い能力は実際に使っているのを、射命丸も確認している。

今回用事があるのはその能力である。

「もう一つの用件は?」

「結果を口外無用、ということですよ」

「ふふ、余程の火遊びを目論んでいるようね」

「だから、契約を守る貴方の所に来たんです。 分かるでしょう?」

くつくつと、二人の笑いが重なる。

射命丸はあくまでアルカイックスマイルのままだが。

此処は今や人外の魔境だ。

そして吸血鬼レミリアは。

面白いと思ったのか。

話を受けた。

さて、此処からだ。

射命丸は充分に準備をしてきた。

確度が高い未来情報を得て。それで上手く行っているようでなければ、更に準備をしなければならない。上手く行かないと判断したら、引くことを考えなければならない。

今実行に移して上手く行くか。

行かないか。

それを確認する、最終手段としてここに来たのである。

「では見ましょうか」

レミリアが言う。

射命丸は、笑顔を保ったまま、結果を待つ。

目を閉じると、レミリアは。今後起きうる未来の運命を、見始めた。

 

1、妖怪の山動乱

 

妖怪の山。

幻想郷に存在する巨大な山で、一説には神話で富士山に蹴り崩される前の八ヶ岳の姿、とも言われている。

神話では、富士山は自分より背が高い八ヶ岳に腹を立て。

八ヶ岳を蹴り崩したというものがあるのだが。

これは八ヶ岳で古くに起きた噴火が神話になっていると言う噂がある。

ともあれ、である。

妖怪の山は、幻想郷でも最大の地形の一つであり。

昔は妖怪の中でも最強を謳われる鬼が支配していた。

しかしながら、鬼は安定し平和な幻想郷に飽きてしまったのか、支配体制を放棄して地底に去ってしまい。

ごくたまに変わり者の鬼が、地上に遊びに来るくらいになった。

鬼が去ってからと言うもの。

妖怪の山は二つの大勢力が、それぞれ支配するようになった。

一つは天狗。

一つは河童である。

どちらも数が多い上にメジャーな妖怪である。

ただし、二つには決定的な違いがあった。

組織構築に向いているかいないか、である。

河童は信じがたいほどに協調性に欠ける種族で。

徹底的に組織構築には向いていない妖怪だった。

かくして、数だけはいる河童は、自分達の縄張りを確保するのに精一杯。

それに対して、天狗は数の暴力で山の覇権を手にするに至った。

他の妖怪はこういう。

天狗は仲間意識が強い。

もしも手を出すと、全部がまとめて報復に来る。

実際には違う。

組織の方針として、そうなっている、というだけだ。

この方針が、天狗の傲慢を招いた。

一体にでも手出しをしたら、数十の天狗が群れを成して襲ってくる。

そうなれば、如何に怖いもの知らずの山の妖怪達でも尻込みする。

戦いは避ける。

かくして天狗は文字通り好き勝手に山で縄張りを拡げるようになり。

多くの妖怪が縄張りを追われた。

そんな中。

外の世界から、幻想郷に越してきた大勢力がある。

大胆にも、妖怪の山のど真ん中に引っ越してきたその勢力は。

いにしえの武神二柱を要する守矢神社である。

なんと神社と湖ごと幻想郷に引っ越してきた守矢は。天狗一強だった妖怪の山にて、またたくまに大量のシンパを獲得。

何しろ守護しているのがいにしえの神話にも残る伝説的な武勇を持つ二柱ということもあり。

少なくとも、天狗が簡単に手出しをできる相手では無い、と言う事だけは確かだった。

そして守矢は積極的に妖怪の山のイニシアチブを握るべく行動を開始。

現状では天狗はかなり押されており。

逆に、守矢に頼み込んで天狗から縄張りを取り返して貰ったり。

安全を確保した妖怪達は。

皆守矢の信者となり。

現在では、完全に天狗と、反天狗で、妖怪の山は真っ二つに勢力が割れている、という状態だった。

守矢は天狗にも話を付けに来る。

妖怪の山全体に利益がある話。

守矢と人里をつなぐロープウェーなども、その時に話をされた。

人里にとって妖怪の山は危険すぎるため。

そもそも人間が近づかないため。

妖怪の山の恐怖は、実感しづらい、というのが実情だったのだが。

ロープウェーが出来る事により。

妖怪はその恐ろしい姿を見せつける事が。

守矢はその妖怪から、神社に来た人間を守る姿を見せる事が出来るようになり。

妖怪は存在するために必要な畏怖を人間に示し。

守矢は信仰を得る。

技術が大好きな河童達は、ロープウェーを作ったり、その周囲で商売をしたりで何から何まで嬉しい。

とみないわゆるWin-Winな話であったにも関わらず。

最後までこの計画に反対したのが天狗だった。

守矢は天狗に決定的な反感を抱いている。

そう判断した射命丸が。

これを利用できると判断したのは。

ロープウェー計画を、天狗が「しぶしぶ認めた」タイミングである。

山の伝統が、妖怪の領域がと、明らかに自分より力が上の相手にだだをこね続け。

そんな状態でありながら、硬直化した組織を改革しようともせず。

更に自分達の力を示すために、異変解決のために最大戦力である射命丸をこき使う。

そんな状況で。

天狗に未来がある筈もないし。

そもそも1000年間しっかり天狗のために働き続け。

実力も、天狗の長である天魔に並んだ射命丸が、未だに下っ端という事にはいい加減頭にも来ていた。

だからこそに。

射命丸は動いた。

守矢に降り立つと。

早速此処の風祝、いわゆる巫女の仕事をしている東風谷早苗が此方に来る。

彼女は巫女だが、半人半神という存在でもあり。

空は飛ぶは奇蹟は行使するわで。

少なくとも一般的な人間の領域からは相当に逸脱している。

長い髪の毛を蛇と蛙の髪飾りでまとめている彼女は。基本的に普段から千早を着ていて、その姿がよく目立つ。

髪の毛は能力の影響からか翠色で。

それ故に、博麗の巫女が紅白巫女などと呼ばれるのに対して、緑巫女などと呼ばれる事もあるようだ。

実力はまだまだ博麗神社の巫女の方が上のようだが。

彼女は幻想郷に来るまでは、戦闘経験など皆無に等しく。

そういう意味では、ここに来てから飛躍的に力を伸ばしているとも言え。

更に山での強烈な権力闘争も目にしている事から。

加速度的にあらゆる意味での経験を増やしている、とも言える。

博麗の巫女は幻想郷の最大戦力であるし。

流石に射命丸も彼奴を相手に本気で戦うのは避けたい。

一方で、守矢の巫女はまだまだ余裕を持って相手できる程度の存在だが。

それもいつまで続くか。

ともあれ、神社に天狗が来るというのは、相応の事態、ということである。

元々神社と天狗があまり関係的にも上手く行っていないのは。

山の妖怪なら、誰でも知っているし。

何より守矢唯一の人間とも言える(正確には人間の領域を逸脱しているが)早苗なら、すぐに異常に気づくだろう。

「おはようございます、射命丸さん」

「あやや、ご丁寧に。 おはようございます、東風谷さん」

「取材ですか?」

「いえいえ、今日は少しばかり用事があってまいりました。 二柱のどちらか、或いは両方とお話しできれば有り難いのですが」

ふむ、と考え込む早苗。

この間合いなら、首を刈り取る事も可能だが。

もしそんな事をしたら、それこそ此処の神二柱に即殺されるだろう。

此処の神は、太陽神の使いである八咫烏の分霊体を自由に操作したり。

幻想郷の賢者である八雲紫の能力を寄せ付けなかったりと。

いにしえから名前を轟かせる武神に相応しい実力の持ち主だ。

現在幻想郷で平和的に遊ぶためのルールであるスペルカードルールでなければ、とても勝ち目などない。博麗の巫女でさえ、ガチンコでやりあったら勝てるか怪しい。

「諏訪子様は朝からいらっしゃいます。 神奈子様は朝から麓に出かけていて、昼少し前にお帰りになられる様子です。 少し間を置けば、お二人と話す事が出来ますよ」

「分かりました。 それでは少し待ちましょう」

「よろしいのですか?」

「ええ、相応に大事な用事ですので」

早苗は育ちの良さが彼方此方から分かる。

礼儀正しいし、何よりまず相手を信じる姿勢を見せる。

戦闘の時などにぼけた様子を見せる事があるようなのだが。

これは普段は躾によって抑圧されていた部分が、戦闘という一種の興奮状態に置かれたことで、顔を出すのかも知れない。

何度か交戦した事があるが。

最近はますます力を増しており。多数の術も操るようになって来ている。いわゆる巫女としての力も相当に増している。

紅白巫女をライバルと見なして、自己研鑽に余念が無いのだろう。

早苗を見ていても実感するが。

やれ伝統だの、やれ威厳だのにこだわり。

組織を硬直化させたままふんぞり返っている天狗は。

このままでは未来がない。

守矢はどんどん力を付けている。

今や天狗以外の山の妖怪は、殆ど全て守矢の支配下にあると言っても良いほどだ。

それなのに、天狗の上層部は。

毎日出来もしないことを、ああでもないこうでもないとほざき続けている。

天魔は頭を痛めているようだが。

頭を痛めているだけで、何もできていない。故に、今回の行動を決めたのだ。

早苗に案内されて、客間に通される。

茶菓子を出してくる間も。

早苗は嫌そうな顔は一つもしていなかった。

相手が悪名高いパパラッチであるにも関わらず、である。

この子は外で、多分とても大事に育てられたのだろう。

或いは田舎出身かも知れない。

田舎の名家のお嬢様となれば。

さぞや周囲は気を遣ったことだろう。

射命丸も、幻想郷に引きこもるまでは、人間の社会を見てきたわけで。その仕組みは知っているつもりだ。

気軽に話しかけてくる早苗の様子を見ていると。

この子が血まみれの運命を今後辿るだろう事は容易に想像できるし。

どんどん荒んで行くのも簡単に推察出来る。

それは、とても。

舌なめずりしたくなるほど、面白い。

もっとも、落ちていく過程を直接見なくても別に構わない。

どうせその内。

見られるのだから。

程なく、この神社の神の一柱。

洩矢諏訪子が姿を見せる。

本物の神ではあるが、やはり幻想郷のルールに従って人の姿をしている。彼女は平均的な女子程度の背丈しかないが。兎に角目立つのは、その何とも言えない帽子である。

カエルのように目玉がついていて。

この目玉が動いているのを見た、という証言が幾つかある。

普段は色々な服を着て、アグレッシブに出かけて回るのだが。

この田舎の純朴な子供みたいな容姿で。

実は古代の祟り神の総元締めである。

ミジャグジと呼ばれる強力な祟り神を支配しているのが、他ならぬこの洩矢諏訪子であり。

その圧倒的な実力は現在でも健在だ。

なお本来は蛇の神なのだが。

諏訪に侵攻してきた天津神に破れた際に、敗者だからカエルの姿を取る、という事にしたらしく。

現在はカエルを思わせる意匠を衣服や格好に盛り込んでいる。

「諏訪子様、大事な用事があるとの事ですし、席を外しましょうか?」

「いいや、そのままでいいよ。 というか大体用事は読めているしね」

「ほう……」

空気が変わった事に気付いたか。

早苗が目を細める。

一瞬にして客間の空気が張り詰めた。

早苗も戦闘モードに入るが。

最初から諏訪子は戦闘モードだった。

いずれにしても。

射命丸が何か仕掛ける隙は無かっただろう。

例え幻想郷最速だったとしても、だ。

「神奈子はしばらくしたら戻ってくる。 それまで軽く世間話でもしようか」

「ふふ、余裕ですね」

「古代の秩序がそもそも無い時代から、戦国乱世、乱立する文明、その全てを見てきているんだよ。 この程度の修羅場なんて、児戯にも等しいね」

鼻で笑う諏訪子。

幻想郷では、妖怪も神も女の子の姿を取ることが多いが。

それは一種の流行りであって。

姿と実態は一致しない。

この諏訪子にしても、早苗の遠い先祖だという話である。

とはいっても、神々は必ずしも腹を痛めて子供を産むわけではない。禊ぎで神が産み出されたり、無機物との間に神が生まれたりもする。

或いはそうやって出来た神々の子孫が早苗なのかも知れない。

程なくして。

守矢の神のもう一柱。

八坂神奈子が姿を見せた。

やはり人型ではあるが、諏訪子に対して非常に長身で、見かけはとても大人っぽい。

彼女は背中に柱を背負っている。

また蛇を思わせる意匠があるが。

これは勝利者だから、という理由であるらしい。つまり彼女は、れっきとした天津神。文字通り、この国における支配者階級に相当する武神である。

いにしえの神話において激突した神二柱だが。

現在では、それぞれの利害が完璧に一致しているためにとても仲が良く。早苗がそれで困る事は全く無い様子だ。

いずれにしても、神奈子も。

状況は理解しているようだった。

「では、話を始めようか。 早苗、私の分の茶を」

「分かりました」

「茶を飲みながらするような話ですか?」

「もうこの周囲は私の結界で覆っている。 あの紫でものぞき見は不可能だから問題ないよ。 交渉決裂の場合は、あんたを酒の肴にでもするさね」

諏訪子が茶を啜りながらさらりというが。

これは恐らく冗談ではなく本気だろう。

人間を殺すことは幻想郷でも大罪だが。

人間に害を為そうとした妖怪を殺す事はそうではない。

ましてや、古代より名を馳せる武神二柱に囲まれている状況だ。

射命丸も。

もしもの場合は、本気でなければ、逃げるのはとても難しいだろう。

神奈子の茶を早苗が持ってくると。

針のむしろの上で。

話が始まった。

最初に切り出したのは、諏訪子だった。

「それでは、話を聞こうか。 まずどう裏切るつもりだ?」

「ふふ、分かっていますね」

「裏切る?」

「ええ。 このご時世に、硬直化している天狗の組織には甚だ愛想が尽きていましてね……。 この間も四季異変の解決に私を繰り出して、私が異変の解決に大きな功績を挙げたにもかかわらず、「お褒めの言葉」一つでおしまい。 このような組織にはついていけない、そういうことです」

純真な早苗の前で。

残忍な謀略の話が進められていく。

だが早苗も命のやりとりを既に経験している身だ。

多少青ざめながらも。

話を必死に聞こうとしている。

神奈子が茶を啜りながら言う。

「具体的な内容を聞こうかい」

「此方で不満を持つ若手の天狗を相当数掌握しています。 彼らを動かし、警備を空にします」

「ほう……」

「その間に天狗の本拠をお二人でご自由に。 天魔を殺してくれても構いませんよ。 後始末は私がやります」

青ざめている早苗と裏腹に。

諏訪子と神奈子は静かなものだ。

むしろしらけているようにさえ見える。

諏訪子が茶を飲み干し。

早苗が持ってきたポットから湯を足しながら言う。

「足りないね」

「その程度の事は、別に協力者がいなくてもできる、ですか?」

「その通り」

「ふふ、そうでしょうね。 しかしながら、奇襲を仕掛ける事によって、更に楽に突破が可能になる。 それも間違いないのでは?」

淡々と交渉を続ける。

早苗は口を挟む余裕が無いらしく。

茶菓子を配膳したり。

茶を出したりで。

精一杯の様子だ。

何とも可愛らしい。

引き裂いてやりたくなるほどに。

「最低条件としては、現体制の天狗を壊滅させた後、新体制の長にあんたが座るとして、その後絶対服従が欠かせないねえ」

「あやや、絶対服従ですか?」

「そうともさ。 そもそもね、誰にも利がある計画をさんざっぱら邪魔してくれている時点で、貴方たちには存在意義がないんだよ。 ましてや腹黒いあんたが天魔の代わりになったところで、我々に得があるとも思えない。 あんたを此処で始末し、ついでに天狗を住処ごと焼き払う。 現時点ではその方が利がある、と思えていてね」

「ふふ、手厳しい」

勿論笑みを崩さない。

そうやって圧迫してくるだろう事は予想できていたからだ。

其処で、条件を出す。

「こうしましょう。 貴方方に絶対服従は受け入れられませんが、山の新たな主を貴方方二柱として、天狗の新体制では認め、基本的に政策には従います。 その過程で、天狗が秘蔵している技術を提供しましょう」

「面白いカードを切ったな」

「天狗の技術は、河童から接収したものも含めると、外の世界のテクノロジーにも劣りませんよ。 里の信仰を得るためには、欠かせないと思いますが?」

「……」

早苗を諏訪子が促す。

そして、早苗によって、隣室で待つようにと、射命丸は追い出された。

これでいい。

正座して待つ。

あの二柱は、色々なテクノロジーを欲しがっている。

以前八咫烏の分霊を操作したのも、核融合の力を欲したからだ。

それ以外にもダムを造ろうとしたり。

ロープウェーの建造に至ったり。

色々な作業を、苦労しながら続けている。

いずれもが。

人間の信仰心を得るため。

天狗は正面から二柱とやりあったら負ける。二柱が従えている妖怪達の事を度外視しても負ける。それほどの戦闘力差があるのだ。

これは確定だが。

その代わり、天狗も真正面から戦闘になって負ければ、黙ってはいない。守矢の狙いは読んでいるだろうし、秘蔵しているテクノロジーも、完膚無きまでに破壊するだろう。

それを防ぐためには天狗を一瞬で壊滅させる必要がある。

射命丸が裏切り警備をガラガラにするのは、二柱にとっても大きな意味があるはずだ。

なお、耳にしても人間とは出来が違うのだが。

射命丸の耳でも。

二柱の相談は聞こえなかった。

余程特殊な結界を張っているのだろう。

小一時間ほどしただろうか。

部屋に呼び戻された。

昼食の準備がされていた。

早苗が作ったものらしい。

そこそこに贅沢な、山と川の幸を使った料理だ。

守矢は引っ越してくるときに、外の最新技術も持ち込んでいる。

IHという調理器具などは、河童がよだれを垂れ流して、欲しいとせがんだほどだ。

それによる料理だろう。

諏訪子が、小魚を丸ごとかみ砕きながら言う。骨を出す様子は無い。

「では、昼飯を食べながら、さっきの話の続きをしようか」

「承りましょう」

「守矢神社は、お前の提案に乗ることにする」

「……」

目を細める。

さて、まずは第一段階。

次は、第二段階だ。

神奈子が続ける。

「決行は三日後だよ。 なお言っておくが、もしもお前が裏切った場合でも、真正面から天狗を潰すくらいは訳がないことは分かっているね? その場合テクノロジーは手に入らなくはなるが、まあ天狗を排除できるなら我々にとっては充分な利だ」

「立場は分かっていますよ。 それでは、新しい時代の、新しい守矢と天狗の関係を祝して」

「酒は入れないよ。 それにその子は下戸だしね」

「あやや、そうでしたか……」

知ってはいるが。

まあこんなタイミングで酒を入れるほど甘くもないか。

ほどなく、細かい打ち合わせを済ませた後。

射命丸は天狗の本部に戻る。

途中、山の警備を担当する白狼天狗、犬走椛に出くわす。射命丸が気にくわないらしく、実力もわきまえずにいつも突っかかって来る若造だ。射命丸同様に行者風の格好だが、盾と剣を持っていて、見るからに戦闘を意識した姿である。……実力はともかくとして。

「何か怪しい事はしていないでしょうね。 どうも貴方の動きがきな臭いと、同僚の間で噂になっています」

「きなくさい? 何のことやら」

「とぼけるのも……」

「何やってるのよ、あんた達」

呆れた声。

側に降り立ったのは、鴉天狗の一人。

姫海棠はたてである。

ツインテールに髪を結っている、最近の外の人間を意識したファッションに身を包んでいる鴉天狗で。

若い鴉天狗の中ではかなりの実力者だ。

ただし、あくまで弱体化した天狗の中では、にすぎないが。

なお天狗共通の趣味である新聞で、射命丸に一方的にライバル心を抱いているようだが。

射命丸にとって新聞なんて内心では精神の安全弁に過ぎないので。

可愛い子犬がじゃれついてきている、くらいにしか思っていない。

ただ、「立場」「地位」が同じだからといって。

こんな若造にいつまでもため口をきかれるのは。射命丸にとっては内心非常に不愉快であったが。

見かけが可愛くても。

キャンキャン絡まれたら苛立ちもする。

「貴方からも言ってやってください。 射命丸のきな臭い行動が、最近話題になっていて……」

「此奴がうさんくさいのなんて前からよ。 火を熾して煙をたてて、それを新聞にするような奴なんだから。 ほら、解散解散」

不満そうな椛。面倒くさそうなはたて。

どっちも不愉快極まりない。

両方とも、三日後には。

消す。

暗い笑みが浮かぶ。

その時が今から楽しみでならなかった。

 

2、落日の始まり

 

城攻めには幾つか方法がある。

だが、一つそれ以前の問題として、大前提がある。

城というものが機能するのは。

要塞としての防御がきちんと機能した場合。

城を守る人間が油断しきっていたり。

或いは巡回に出ている者が何も気づけていなかったりすると。

せっかくの城が有している防御力も台無しになってしまう。

この場合、人が妖怪に変わっても同じである。

難攻不落の城というハードウェアに頼り切り。

いわゆる個々の力を軽視しすぎ。

そして油断が重なると。

あっという間に、どんな難攻不落の城でも陥落してしまう。それが実態である。

そしてあまり知られていないことだが。

基本的に夜襲というものは。

夜中に相手に襲いかかるのではなく。

夜中に移動を行って。

朝方、敵の疲労がピークに達している時に行う方が効果的である。コレは勿論多数の例外があるのだが。基本はそうだということだ。

それら基本が。

全て。この戦いでは守られることになった。

天狗達は、警備の白狼天狗を本拠地の周辺の拠点に配置。

白狼天狗はこの拠点三箇所に分散して常に行動をしており。

夜間はそれぞれが拠点で寝泊まりをして。

飼っている下等な妖獣などを番犬にし、周囲からの攻撃を警戒している。

普段だったら、隙が無い布陣であり。

実際、守矢が来てからは、天狗は必要以上にぴりぴりしている。警戒はいつも以上な程だ。だが、今日は違っていた。

理由は幾つかあるが。一つは大将棋である。

生真面目な白狼天狗達は、天狗の中では珍しく新聞にあまり興味を示さず、その代わり非常に時間が掛かるように工夫した大将棋なるものを好む。

昨日山童に誘われた大将棋が、白狼天狗達から見てもとても面白い棋譜だったこと。

更に大雨が降り出した事もあって。

白狼天狗達は、哨戒を怠り。

それぞれの拠点に引きこもると。

雨を凌ぎながら。

棋譜についてああでもないと話したり。

疲れた者から寝ていたりしていた。

その拠点全てに。

同時攻撃が行われたのである。

射命丸は、現在の天狗の体制に不満を持っている天狗達を引き連れ。持ち場を離れさせ。既にその時点で、天狗の警戒態勢を半分瓦解させていたが。

雨の中。

白狼天狗達の砦が。

有象無象の妖怪多数に、文字通り蹂躙されていくのを。

高みの見物していた。

天狗達が青ざめている。

いずれも境遇に不満を持っていたり。

理不尽に出世が見送られたりしてきた天狗達。

少数の白狼天狗もいるが。

多くは鴉天狗だ。

天狗の四分の一ほどが、射命丸と一緒に反乱に荷担。ただし、反乱そのものに武力介入はしていない。

それが彼らにとっては多少の気休めになったのか。

離脱には、不満を零さなかった者も多かった。

だが。今は彼らが青ざめているのが分かる。

実際、全ての拠点が圧倒的な数の妖怪に蹂躙され。スペルカードルールも何も関係無く、原始的な肉弾戦で押し潰されているのを見ると。

天狗達も青ざめざるを得ないようだった。

本来は巡回している面子が巡回をせず。

持ち場にいた者がおらず。

その結果、この奇襲を許した。

悲鳴が聞こえる。

数の暴力が圧倒的過ぎる。

山の妖怪全部が、この天狗への攻撃に荷担していると言っても良いだろう。

天狗に恨みを持っている妖怪は山ほどいる。

縄張りを追われたもの。

理不尽な理由で嬲られたもの。

数と組織で周囲を威圧してきた天狗は、相応に山の妖怪達から怒りを買っていた。

本来だったら、周辺拠点がいきなり襲われたとしても。

本部から精鋭が出て、各個撃破と行くのだろうが。

それも上手くは行かない。

何しろ、この天狗の縄張りは。

元々別の妖怪の縄張りだった場所を、かなりむしり取っているのである。

その縄張りを奪われた妖怪達は、全て守矢についている。

それが何を意味するか。絶望的な結論だけが生じる。

すなわち天狗の本拠には。

既に守矢の誇る二柱が、とっくに潜入済み、というわけである。

見事な、教本に出てくるような全面同時攻撃だ。

こういった総攻撃は、余程の連携が出来ていないと、混乱の中失敗してしまう事も多いのだけれども。

何しろ指揮をしているのは、いにしえの時代から名を馳せる武神二柱。

この程度は文字通り朝飯前なのだろう。

ほんのわずかな時間が長く感じる。夜明け前に戦闘が開始されたから、実質三十分も経過していない筈だ。それが数日にさえ感じられた。

日がようやく昇り始めた頃には。

既に白狼天狗達の拠点は、血に塗れ。

動かなくなった白狼天狗達が、雨に打たれたまま、地面に横たわり。今までの恨みとばかりに、多数の妖怪がその体を痛めつけていた。

妖怪は、肉体を壊されても死なない。

ただし精神を壊されると死ぬ。

この辺りは人間とは真逆だ。

文字通りズタズタに食い千切られた白狼天狗も見受けられるが。

あの時点では死んでいない。

そして、本拠の方を見ると。

どうやら、「本番」が始まったようだった。

 

天狗達がざわつく。

ずしん、ずしんと足音。

こんな大きな足音を立てる妖怪は。現在幻想郷には殆どいないはずだ。幻想郷の妖怪は、殆どが人間大。これは暗黙の了解でもあるのだから。まれに例外もいるが、少なくとも今山では確認されていない。

何が起きている。

更に、周囲の白狼天狗達の拠点も騒がしい。

何か起きたのか、確認に行こうと話をしていた鴉天狗達の前に姿を現したのは。

大蝦蟇の池とと呼ばれている所に住んでいる、巨大な蛙と。

その背中に跨がった、洩矢諏訪子だった。

大雨の中、ぬらりと現れた合羽を纏った諏訪子を見て。

天狗達は硬直する。

普段、天狗との交渉に来るのは神奈子の方であり。

それも白狼天狗がガチガチに警戒して、周囲を固めているものだ。

それなのに、どうして諏訪子が。明らかに天狗と対立している守矢の武神が。

しかも単独で。

思考停止の時は。

それほど長く続かなかった。

すっと諏訪子が両手を挙げると。

小気味よいほどに音を立て。

手をあわせたのだ。

神社を参る時の作法、拍手。それの完璧な実践である。

その音が、周囲に拡がると同時に。

異変が始まった。

今までの妖怪の山の歴史でも。鬼が支配していたときにさえ。

鬼が来る時、或いは特別な理由で交渉に来た賢者などの妖怪を迎える時以外は、他の妖怪の侵入を許さなかった天狗の本拠が、揺れ始める。

そして、様子がおかしいと出てきていた天狗達は、知る事になった。

今まで自分達が何をしていたのかを。

武神の目の前で、挑発行為を繰り返していた結果を。

それが何を意味していたのか、という事を。

地面が吹き飛ぶ。一箇所では無い。何十箇所もだ。

其処から姿を見せたのは、キングコブラにも等しいサイズの巨大な黒い影。しかも無数。それがいわゆるミジャグジと呼ばれる、最悪の祟り神だという事に気付く天狗が、反応するより早く。

黒い影は体をしならせ。

雷光のように、天狗達の体に食らいついた。

蛇の体は瞬発力を司る白筋で殆ど構成されており、持久力はないが一瞬の動きに関しては文字通り稲妻のごとくである。パワーそのものも凄まじい。

ましてや祟り神そのものであるミジャグジだ。

何が起きているか分からない上、硬直していた天狗達に、その鋭く尖った牙を立てるのは難しくなかった。

怪異に慣れていた古代の人々さえ怖れさせた最強の祟り神、ミジャグジ。その猛威が、今現世に再臨していた。

或いは首筋に。顔面に。足に。

天狗達に噛みつき、キングコブラの猛毒が可愛く思えてくるほどの呪いの塊を直接注ぎ込むミジャグジ達。一瞬置いて、その場は阿鼻叫喚の地獄と化す。牙が擦っただけで、身動き取れなくなる呪いだ。何とか直撃をかわしたが、牙が擦っただけで倒れ伏した天狗も多かった。そんな天狗にも、容赦なくミジャグジ達は追撃を仕掛け、牙を体に食い込ませる。

今の一瞬で攻撃を回避し、空に逃れられた天狗もわずかにいた。

だが、それもまた。運命を変えることは出来なかった。

飛来した巨大な無数の石の柱が。

文字通り、空に踊り出た天狗達を、横殴りに抉ったのである。

空なら勝てる。そう安易に判断する事を、完全に読んでいたのだ。

直撃を受け、腰から横にくの字にへし折れたり。

顔面が潰れたりして。

無惨な有様のまま、落ちてくる天狗達。

この柱の攻撃は。

神奈子の得意とするものだ。

地上での諏訪子による一斉奇襲攻撃。更に上空に逃れた場合は神奈子によりとどめの一撃。

二段構えの奇襲である。

一瞬で天狗の殆どが、地面に這いつくばることになった。

ミジャグジは天狗に絡みついて、動けない相手に牙を立て続けている。痙攣している天狗は、いずれも泡をふいていた。

毒を注入されているからではない。

呪いを注入されているからだ。

肉体を壊されているからではない。

精神を現在進行形で壊されているからだ。

そんな中。

ただ一人だけ、ミジャグジの猛攻からも。柱の横殴りの一撃からも逃れられた天狗がいた。

姫海棠はたてである。それだけ、この若い鴉天狗が優れていた、と言う事だ。

だが、その即応は無駄に終わる。

はたては、三段構えの攻撃が用意されていて。

最後の攻撃が、もっとも残酷だという事実を知る事となった。

音も無く飛来したそれが。

必死に柱の攻撃から逃れ、跳び離れようとしていたはたての足に絡みつく。

そして、バランスを崩したはたては。てこの原理と、絡みついたそれのパワーもあり。

振り回すようにして、地面に凄まじい勢いで叩き付けられた。

昨晩からの大雨である。

泥を盛大に刎ね飛ばしながら。

悲鳴を上げるはたて。

泥まみれの彼女が顔を上げると。

巨大な大蝦蟇が。

背中に諏訪子を乗せたまま、至近にいた。

そして、今飛来し、自分を叩き落としたのが大蝦蟇の舌であり。

いつの間にか、足だけではなく、体にも絡みついていることにはたては気付いて。

みるみる顔を恐怖に歪めていった。

「な、何、何をしているのよ!」

「この蛙は私の眷属でね。 普段は蛙を無意味に殺しに来る悪戯妖精を仕置きするために、ちょっと体内を改造しているんだよ。 というわけで、溶けたりはしないから安心するといい。 ただ、際限の無い絶望と恐怖を味わう事になるだろうけれど」

「ひっ! や、やめっ……!」

蝦蟇の舌が器用に蠢くと、はたての腕も絡め取り、更に口も塞いだ。

もがくはたてだが、この蝦蟇は武神の眷属。相手が悪すぎる。

そのまま、ずるずると口に引きずられていく。

文字通り手も足も出ず。

飛んで逃げる事も出来なくなったはたては。

目に恐怖と絶望の涙を浮かべながら、いつの間にか既に蝦蟇の口に咥えられている事に気付いて、何か叫ぼうとした。口を塞がれているからそれもできない。助けてとか、いやあとか、そんな感じだろうか。

だが、容赦なく。

蝦蟇ははたてを呑み込み。

目を閉じた。

蛙は獲物を飲み込む際に。

目を閉じて、眼球の圧で腹に押し込むのである。ごくりと音がして、哀れなはたては蛙の胃袋に消えた。

さて、これで本拠の制圧は終わりだ。

神奈子が降りてくると。

半死半生の天狗達がうめき声を上げた。

「おのれ、このような事をしでかして、只で済むと思うなよ……!」

そう声を上げたのは、大天狗だ。

天狗の中間管理職で。

天魔に次ぐ実力者である。

だがその大天狗も、最初の襲撃の時にミジャグジの一撃を避けられず。更に今は五柱のミジャグジに絡みつかれ、彼方此方に噛みつかれて、動きが取れない状態になっていた。

それでも恨み事を言えるだけ。

他の天狗よりまし、と言う所だろうか。

天狗達の本拠地から、最初に姿を見せたのは。

天魔、ではない。

大天狗が絶望の声を上げる。

最初の奇襲では。

重点的に攻撃したのが、天狗の実働戦力、ではなかったのだ。

天狗達の拠点となっている風穴から現れたのは。

守矢の現人神である巫女、東風谷早苗。

そして、彼女が引きずっているのは。

他ならぬ天魔だった。

天魔には、他とは比較にもならない程巨大なミジャグジが複数がかりで牙を立てており。

牙の刺さった辺りは、既に高濃度の呪いで、完全に変色していた。

スペルカードルールでは無い。

これが戦い。

……正確には殺しあいだ。

そう、本命の天魔には、最初に守矢の巫女である早苗が奇襲を仕掛け。止めにミジャグジの中でも最強の個体が呪いを叩き込んだのである。

文字通り。

最初から最後まで、隙の無い完璧なまでにタイミングを合わせた全面攻撃だったのだ。

「早苗。 事前の打ち合わせ通りに」

「はい。 みな、手はず通りに」

神奈子が促すと。

早苗は頷き。

指を鳴らした。

そうすると、ざっと音を立てて、周囲から多数の妖怪達が姿を見せる。

彼らは、ぼこぼこにした白狼天狗達を、既に縄で縛り上げ。

この場に引っ立てていた。

白狼天狗達が決して弱かったわけではない。

奇襲がタイミングにしても手際にしても完璧で。

なおかつ数が違いすぎただけだ。

実際、反撃を受けたのか。

多少の手傷を負っている妖怪もいた。

逆にそれが故か。白狼天狗達を引きずる妖怪達の手は、とても手荒かった。もっとも、天狗に対する恨みの方が、彼らを荒々しくさせていたのだろう。

妖怪達は、手際よく作業を始める。

ミジャグジも、諏訪子がまた手を鳴らすと。牙を抜いて、地面に潜って行った。

だが、牙を抜かれた所で、もはや天狗達はどうすることも出来ない。膨大で凶悪な呪いが、容赦なく身を蝕んでいたから、である。精神攻撃の最上位に近い呪いは、文字通り妖怪にとっても猛毒だ。少なくとも、当面は身動きが出来ない程度には。

瀕死の天狗達を容赦なく縄で縛り上げる妖怪達。

その縄には力が入っており。

今まで彼らがどれだけの恨みをため込んでいたのか。

所作だけでも分かるほどである。

そして、蝦蟇がはたてを吐き出す。

はたてを見ると、流石に早苗も少し気が咎めたのか。

眉を一瞬だけひそめた。

比較的はたてと早苗は天狗の中では交流があった。外の世界を思わせるファッションを好むはたてだ。早苗としても、色々と思うところもあったのだろう。

そのはたてが。妖怪が最も苦手とする精神攻撃を最悪の形でモロにくらい、抵抗も動く事も出来ず。目が焦点を失って、情け容赦なく縛り上げられているのを見て。良い気分はしなかったのだろう。

雨が晴れ始める。

早苗が取り出したのは。

カメラである。

天狗達が使っている取材用のカメラと似たようなものだが。

動力は電気。

いわゆるデジカメだ。

外の世界では、既に携帯電話やスマートフォンによって追いやられつつある機械だが。

カメラとしては相応にまだ需要がある。

勿論本格的なカメラには性能面では及ばないが。

それでも充分すぎる程だ。

早苗が撮影をしていく。

今まで、圧倒的な力に任せて。

妖怪をパパラッチし。

好き勝手な新聞に載せるために。

撮影をしていた天狗達が。

今度は一方的に叩きのめされ。

撮影されていく。

古くから、こういう状況を現す的確な言葉がある。

因果応報、である。

天狗達は、自分達の性質と力に驕って、やりたい放題をやり過ぎた。その結末が、これであった。

だが、それでも、言い分はあるのだろう。

強く縄を掛けられ。呪いと痛みの苦しみに呻きながら、大天狗が抗議する。

「守矢の巫女……このような非道に荷担し、恥ずかしくはないのか!?」

「非道? それは山の妖怪の皆のためになる事にも散々伝統がどうので非理論的な反対を続けていた貴方たちが、数に任せて立場が弱い妖怪達にしていた行為の事ですか?」

「っ!?」

早苗はどちらかというと温厚な性格だが。

その目が恐ろしく冷え切っている事に、大天狗は気付いたのだろう。

こんな目も。そう、完全に相手を殺す事が出来る戦士としての目も。

いつの間にか出来るようになっていたのか。

守矢の巫女は、色々な異変で実戦経験を積み。努力も重ねて。そして加速度的に力を伸ばしている。

戦士は戦場では容赦しない。

容赦すれば死ぬからだ。

今この巫女は、まだ不完全とはいえ、此処を戦場だと認識し。戦闘モードに身を置いている。

大天狗は知っていたはずだ。

経験を積めば人それぞれの速度で成長すると。

それなのに。

いつまでも、小娘が小娘のままでいるとでも思っていたのか。

不覚と、悔しそうに呻く大天狗。

その前で、早苗は撮影を終えていた。

「諏訪子様、神奈子様、終わりました」

「それでは早苗、かねての計画通りに」

「はい」

「まて、何をするつもりだ……!」

早苗が飛び去る。

諏訪子が、蝦蟇に跨がったまま、肩をすくめてみせる。

神奈子は、呆れたように大天狗に答えた。

「分かっているんだろう? あんた達が敗れた事を、里の人間に分かり易く知らせるだけの事だよ。 あんた達が大好きな新聞にしてね」

「!」

「山の天狗、守矢神社に為す術無く完敗。 多くの写真がその事実を裏付ける。 そして、里に天狗が完敗したというニュースが流れれば。 貴方たちならどうなるか、分かっているだろう?」

「お、お、おのれ……っ!」

大天狗が呻く。

そう。

幻想郷では、人里の人間達がどう認識するかで、妖怪の力が変わる。

守矢に完敗し。

文字通り壊滅した。

その様子が、写真という分かり易い媒体と。

更に守矢の巫女自身によってもたされる新聞によって里にばらまかれればどうなるか。

天狗の威は致命傷を受ける。

威が致命傷を受けると言う事は、決定的に弱体化することも意味している。

そして幻想郷の賢者は。

元から好き勝手をしている天狗達に対して、良い感情を持っていなかったらしい。

実際今も。これほどの大乱戦になったと言うのに、である。

介入してくる様子はまったく無い。

諏訪子は顎をしゃくる。

身動きできない天狗達に、殴る蹴るの行動で鬱憤を晴らしている妖怪達に、そろそろ自制させるためだ。

そして、泥だらけの姿になった天魔を引きずり起こさせると。

瀕死の天魔に対し。

諏訪子は。

いにしえの祟り神の総元締めらしい、恐ろしく据わった声で言った。

「さて、交渉を開始しようか。 この件で天狗の失墜は決定的になった。 以降は山の主導権は我等守矢神社が掌握する」

「……好きにするが良い。 だが……あの契約は」

「ああ、それならば問題ないよ」

諏訪子は、満面の笑みで答える。笑っているのは口元だけだが。

その答えは。

とても残忍なものだった。

「此方としても、あれよりもお前の方が与しやすいと判断しているからね。 それに契約は順番に守るものだから」

「……」

天魔は薄く笑いを浮かべたが。

その心には。

怒りと無念が渦巻いているのが、誰から見てもよく分かった。

それが今までの行為の結果だとしても、怒る権利はある。

既に雨は止んでいる。

そして、戦いの気配は。

完全に消えていた。

どうやら、もう一つの方でも。

決着はついたようだった。

 

3、陰謀の果てに

 

肌寒いほどの上空で。

天狗が壊滅していく様子を見ていた射命丸は、くつくつと笑っていた。

周囲には青ざめている天狗達。

皆、思っていなかったのだろう。

まさか此処までの惨劇になるとは。

確かに戦いになるだろうとは思っていたはずだ。

だがある程度の所で負けを認めて、後は平和的に片がつく。

そんな風に思っていたのだろう。

愚かな。

これは国盗りだ。

始めた以上、そんな生ぬるい結末で終わるはずがない。

「しゃ、射命丸殿?」

「ああ、一つ言い忘れていましたね。 今後は私が天魔です。 ……つまり射命丸様と呼べ!」

もう笑顔を浮かべる必要もない。

作っていたアルカイックスマイルを放り捨てた射命丸は。

完全にすくみ上がっている天狗に、戦闘的な笑顔を向けていた。

これで。

これでやっとだ。

千年間、ずっと下っ端として使われてきた境遇から解放される。

これで天狗達は自分の配下になる。実力的にそうだった。今までは無意味な伝統だの戒律だのでしばられていた。それがなくなるのだ。

笑いが零れてくる。

実力主義の社会が来る。

年ばっかりとったあの天狗達の無様な様子を見ろ。

一瞬で祟り神の元締めに粉砕され。一瞬で天津神の柱に叩き伏せられ。

蛙のエジキになり。

その有様を写真にまで撮られて。

屈辱のまま這いつくばっている。

このような有様になって、なおも天狗の誇りが、とか口にするのだろうか。

だとしたら正に笑止。

そして此処からは。

射命丸による新しい時代が構築されるのだ。そう、文字通りの新時代の幕開けだ。

「射命丸っ!」

鋭い叱責。

見ると、白狼天狗だ。

犬走椛ではないか。

全身傷だらけだが。まだ継戦能力は残している模様である。

なるほど、あの戦いの中から、逃げ延びたのか。そして当たりを付けていた射命丸を探して、見つけたと言う事か。

まあどうでも良いが。

「何故無事でいる! その天狗達は! どうして傍観している! ……やはり射命丸、貴様この残忍で卑劣な奇襲に一枚噛んでいたな!」

「射命丸様と呼べ、犬っ!」

「……っ!」

力の絶対的な差に、椛が青ざめる。

そもそも射命丸は天狗の中でも、天魔に匹敵する実力者。

他の妖怪勢力の長達にもそうそう遅れは取らぬと自負しているほどである。

椛のような白狼天狗など、束になっても勝てる相手では無い。

それなのに、山の警備は白狼天狗の担当などと、現実にそぐわぬ組織体制に固持し。

それでありながら異変の解決には最大戦力の射命丸を一人出撃させる。

そればかりか、その様子に嫉妬した白狼天狗どもが。

どれだけ射命丸に鬱陶しく絡んできたか。

指先で招く。

来い、という意味だ。

「天狗はこれより私が掌握する。 その新しい天狗の組織に貴様はいらん。 掛かってこい……せめて戦士らしく、華々しく散らせてやろう」

「ほざいたなあっ!」

ボロボロであっても。

それでも、戦士としての誇りを椛は保った。

盾と剣を構え。

突進してくる。

だが射命丸は、軽く天狗のシンボルでもある扇を煽る。

それだけで。

風の圧倒的な壁が。

椛を打ち据えた。

空中で無様なダンスを踊る椛は、必死に体勢を立て直そうとするが。

その時には、既に射命丸が頭上にいた。

強烈な踵落としを叩き込む。

頭蓋を粉砕する手応えがあった。

地面に叩き付けられた椛は。

もう動かなかった。

だが、射命丸は更に追い打ちに蹴りを叩き込む。

「良くも私に今まで生意気な口を叩いてくれたな、この犬が! 今まで貴様を何度殺してやろうと思っていた事か分からぬわ。 これから貴様を封印し、二度と蘇らぬようにしてくれる! 封印の中、永遠に苦しみ続けろこの駄犬!」

「しゃ、射命丸様、その辺りで……」

「……そうだな。 それでは皆降りてこい。 隊列を組み直せ。 これより本拠に向かい、守矢の二柱と話をする」

「大丈夫なのでしょうか」

「あの二柱は腹芸も出来るが、契約を結んだ以上反故にはせん。 新しい天魔として、これより私がお前達を導いてやろう」

不安に顔を見合わせていた天狗達だったが。

やがて納得したのか、降りてくる。

此奴らも、硬直化しきった天狗の体制に不満を持っていた、と言う点では変わりが無いのである。

それにもう引き返せない。

だから従う。

それだけの簡単な理屈だ。

だが、予想外だったのは、守矢の二柱の実力だ。

強い事は分かりきっていたが。

本気で「戦闘」をするつもりになったら、あれほどの実力を有していたとは。

確かにその気になれば、二柱だけで天狗を滅ぼすのも難しくは無かっただろう。射命丸に対して言った言葉には、何一つ偽りはなかったのだ。

スペルカードルールという優しいお遊びだったから、どうにか対抗できていただけ。

もし彼奴らがその気になったら。

博麗の巫女でも、危ないかも知れない。

いずれにしても、堂々たる態度で進む事が重要だ。

自分は天魔になった。

その高揚感が、射命丸を盛り上げていたが。

だが経験的にこういうときが一番危ないことも知っている。

更に言えば、恐らく守矢は天狗を相当に弱体化させる手を採る筈だ。

その後、天狗を立て直すのには、長い時間が必要だろう。

だがそれも。

自分という有能な新しい天魔がいれば大丈夫だ。

時間は幸いいくらでもある。

組織を立て直し。

やがて隙を見て、守矢から支配権を取り戻すか。

或いは別の場所に、勢力を確保すれば良い。

別の勢力の麾下に入るという手もある。

各勢力の中には、拡大傾向を取っているものもあり。

その中には聖徳王のように。

どんどん有用な人材を受け入れ。

勢力を拡大することに意欲的な者もいる。

射命丸が売り込めば。

聖徳王はさぞ良いポストを用意するだろう。

駄目ならその時はその時。

別の手を用意すれば良い。

それだけである。

さて、天狗の本拠が見えてきた。

ミジャグジの呪いを注入され。

或いは神の柱でなぎ倒され。

瀕死の天狗達が縛り上げられ、項垂れたまま座らされている。その中には、今まで御簾の向こうに常に隠れ。顔も見せなかった天魔の姿もあった。

いい気味だ。

此方に守矢の二柱が気付く。

巫女はいないようだが。

まあ別に良いだろう。

里に向かったのだろうし。

此方でやるべき事は無い。

二柱に話しかける。

「やあや。 約束通りに事が進みましたな」

「……」

「約束通りだと……!?」

まだ息がある大天狗が呻く。

此奴が上司だったのも、此処までだ。

これからは、此奴は封印し。

今まで上司ぶって顎で使ってきたことを、後悔させてやる。

「それでは約束通り。 我等は……」

言いかけて、違和感を感じた。

胸の辺りが熱い。

気付くと。

射命丸の胸から、小さな手が生えていた。

手には不釣り合いなほど大きなナイフが握られていて。

一気に射命丸の全身から力が抜けていくのが分かった。

ついてきていた天狗達が、悲鳴を上げる。

何が、起きた。

というか、射命丸の後ろに回り込み、致命傷を一撃で、だと。気配もまったく感じなかった。

誰だ。

誰がこんな事をしでかした。

ナイフが引き抜かれ。

力を失った射命丸の体が、大地に倒れ伏す。

もがき、必死に体をよじって、相手を確認しようとする。

相手は逃げようとか、避けようとか。

天狗の群れの中にいても、そんな事さえ考えていなかった。

其処にいたのは、何も考えていなさそうな笑顔を浮かべた、小さな子供の妖怪。

しかしその笑顔は一見無垢そうに見えて。

よく見ると、表情というものが完全に上っ面の作り物。

そして、特徴的なのは。

胸の部分に、第三の目がある事。

その目は閉じられていることだ。

戦慄する。

見覚えがある。

此奴は、地底の支配者。

さとりの妖怪姉妹の妹の方。

古明地こいし。

無意識を操るという能力を持ち、能力の応用によって他人に自分を認識させなくする力を持っている。何処にでも存在し、何処にでも存在しない上、感情が存在しないため何をしでかすかさえ分からない。まさに幻想郷のトリックスター、最危険人物の一人。

その力の厄介さから、暗殺に関して此奴の右に出る者はいない。姉は姉で相手の心を全て見透かすという厄介極まりない存在なのだが。事実上何処にでも好き放題存在できる此奴の方が、ある意味厄介だ。

こいしは手慣れた様子で手を振り、射命丸の血をナイフから落としながら。

それこそ、パンでも拾うかのように言う。

「天魔さん、約束通りしたよー」

「……すまぬな」

「じゃね」

笑顔でこいしが手を振ると。

もはや既に誰もいなかったかのように、こいしを認識出来なくなる。

それは、どうでもいい。

問題は、その前の言葉だ。

約束通り、だと。

すぐに理解する。

そうか、天魔の奴。射命丸が離反することを読んでいたのか。

そのために、先に手を打っていたというわけだ。

地底と妖怪の山は関係が深い。

もともとさとり姉妹も、妖怪の山に住んでいた時代がある。

現在でも妖怪の山で問題を起こして地底に行く妖怪がそれなりにいるし。

天魔は一定の交流がさとりとあった筈だ。

射命丸が反乱を起こしたことが確定したのなら、刺せ。

そういう契約を、地底と結んでいたのだろう。

確かに、幻想郷最速を誇る射命丸でも、相手の攻撃を認識出来ないのではそれこそどうしようもない。

ぬかったわ。

思わず、自嘲してしまう。

こういうときが一番危ない。

そう自覚していたのに、情けない事、この上ないとしか言いようが無い。

地底にもコネを構築しておくべきだったか。

いや、この状況。

詰みだ。もはや、どうしようもない。

何しろ、後ろでは。

完全に戦意を失った天狗達が、守矢の二柱に対して、蛙のように這いつくばって許しを請うている有様である。

殺さないでくれ。

そう震えあがった声を聞いて。

ああ、なるほどと思った。

守矢の二柱には。

天狗なら関係無くブッ殺したいという顔をした、妖怪達が従っているからだ。しかも既に天狗達は殺気だった彼ら彼女らに囲まれている。

逃げられると思うほど、頭が花畑でもあるまい。

射命丸の頭が鷲づかみにされる。

神奈子によるものだった。

そのまま引きずっていかれる。

それに対して、文句を言う力も残っていなかった。背後からの奇襲で、当面活動不能になるほどのダメージを受けたのだ。

放り投げられた先には、縛り上げられ、全身を呪いに蝕まれながらも。

意識を保ち。

凄まじい怒りを目に宿している天魔の姿があった。

「契約通り引き渡すよ」

「……感謝する」

「契約?」

「契約は順番通り守らなければならないと考える主義でね。 そもそも天魔が以前、我々の所に来て、こういう契約をしていったんだよ」

神奈子が見せつけてくる。

其処には天魔の直筆により。

こう書かれていた。

射命丸文は謀反を目論んでいる。

もしも謀反を起こし、捕らえる機会があったのならば。

引き渡し願いたい。

契約年月は。

半年以上も前だ。

そしてそれが、呪術による強力な封印を施された紙で。しかも、天魔の力と、二柱の力が、共に感じられる事を、射命丸は悟っていた。

「お前との契約も守るが、それはあくまでこの契約を果たした後だ」

「……くっそ」

「お前は自分の頭を過信しすぎた。 天魔はずっと前から、お前のもくろみくらいは見透かしていたんだよ」

神奈子が言うだけ言うと。

後は震えあがっている天狗達も引っ捕らえさせ。

そして、憎悪に燃えている裏切られた天狗達に引き渡させる。

上手いやり方だ。

これで天狗内部に決定的な憎悪による亀裂を引き起こすことが出来る。

裏切られた側も疑心暗鬼に駆られ。

天狗の組織は文字通り崩壊することになる。

組織を維持するためには、それこそ守矢の傘下に入り、従うしか路は無くなるだろう。

天魔の頭よりも。

二柱の方が、遙かに上を行っている。

当たり前と言えば当たり前か。

そもそも神話の時代から、武名を馳せる二柱なのだ。

そして早苗の姿が見えないことからして。

恐らくこの醜態、既に人里にてばらまかれているとみて良いだろう。

天狗は致命的に弱体化する。

見ると、わいわいと河童と山童が天狗の本拠地に来始めていた。そして諏訪子が顎をしゃくると、喚声を挙げて中になだれ込んでいった。

持ち出していくのは、天狗の技術によって作られた道具類。

「解析後は此方に引き渡すように」

「へへっ、わかってまさあ」

諏訪子の据わった目に対して。

笑顔で答えるのは、力のある河童の一人、河城にとり。

河童は皆ブルーカラーの制服を着込んでいて、同じ規格のリュックを背負っているが、このにとりも例外では無い。

かなり強い河童で、普通に戦っても並の天狗をしのぐ実力を持っているだろうが。

今までは天狗に対して、数の暴力には勝てないとばかりに、消極的な行動を取っていた。

だが元々此奴は筋金入りのテキ屋であり。

更に技術に関する貪欲さは人間の比では無い。

天狗が河童とは別方向の技術を持っていることは知っていただろうし。

それを触って好き勝手出来るとなれば。

後で引き渡さなければならないとしても。

大喜びで守矢に従うだろう。

そしてそもそも、守矢は河童に組織としての力は幾つかの事例から期待していない筈で。

緩い契約関係を、適度に結べれば問題ない、くらいに思っているのは。

会話の様子からも見て取れる。

どうやら射命丸が思っていた以上に。

守矢は、周到に。

天狗との戦闘について、事前から練っていたようだった。

「射命丸……っ!」

顔を上げると。

さっき半殺しにした椛がいた。

妖怪は肉体を破損しても死なない。

妖怪が死ぬときは、精神が死んだときだ。

肉体を、わざわざ諏訪子が治したらしい。

諏訪子が半笑いで後ろで控えている中。

既に本縄を掛けられ。

強烈なさとりの呪いで身動き取れなくなっている射命丸の胸ぐらを、椛が容赦なく掴んでいた。

「殺してやる!」

「ハ、天狗はもう終わりだ、犬!」

「よせ、犬走」

「し、しかし天魔様!」

椛は周囲を見て。

そして、拍手の音を聞いて、青ざめる。

また大量のミジャグジが姿を見せる。

既に天狗の本拠は。

ミジャグジの巣だ。

ミジャグジは、怪異になれていた古代人でもどうにも出来ず、怖れていたほどの強力な祟り神である。

諏訪子以外に制御は効かない。

諏訪子がそうしろと命じれば。

弱体化した天狗は、もはや全員があっという間にかみ殺されるだろう。

「射命丸に関しては、追って沙汰を降す……今は耐えろ椛」

「……わかり、ました」

やがて、天狗の本拠からはあらゆるものが奪い去られ。

文字通りのすっからかんになった。

射命丸は檻に入れられ。

弱体化し、呪いに蝕まれた天狗達が。

皆此方を怒りの目で見ていた。

此処から脱出するのは不可能だ。

射命丸自身も致命的な呪いを喰らってしまっているし。何よりもミジャグジが周囲でおかしな動きをする天狗がいたら即座に襲いかかるべく身を伏せているだろう。そのターゲットには、確実に射命丸も含まれている。

声が聞こえる。

即座に処刑するべきだ。

そう声高に叫んでいるのは大天狗だろう。

複数のミジャグジに噛まれていただろうに、元気なことだ。

賛成と、多数の声が上がる。

だが、冷静なほどの声を天魔が張り上げていた。

「我々は負けたのだ。 射命丸は原因の一つに過ぎない。 今後我等は守矢の顔色を窺いながら、山の妖怪達の厳しい監視を受けつつ、何とか生きていく事を模索していかなければならない。 まずはそれが第一だ」

「射命丸は放置しておけと?」

「いいや、あの者は封印する。 牢に入れておくのも皆の気が済まぬだろう。 天狗としての最大戦力として活用できなくなるのは、この状況では極めて口惜しい事だが、あれだけの事をした以上もはや味方として数えることは出来ぬ。 二度と蘇ることが出来ぬように、封印の儀を準備せよ」

「処刑では無いのですか!?」

これは椛の声か。

そもそも射命丸自身が、既に座っていることさえ出来ないほど衰弱している状況なのだ。

誰の声かも、少しずつ曖昧になりつつあった。

「処刑では生ぬるい」

天魔の低い威圧的な声が。

皆を戦慄させる。

そう。

妖怪は簡単には死なない。

だから死ぬ事も出来ぬように身動きできぬよう封印することが、もっとも重い刑罰になる。

そういえばあの博麗の巫女も。

人里で最大の罪を犯し、妖怪化した易者を真っ二つにかち割った後。

封印を施し、二度と復活できぬように処置したとか。

射命丸も同じように刑罰を受ける訳か。

これこそ、最も重い罪に対する罰、と言う訳だろう。

嗤う。

まあいい。これも運命だ。

反乱と組織掌握に失敗したのだ。

そして守矢も天魔も、射命丸の上を行っていた。ならば、こうなるのもまた致し方あるまい。

どうせ守矢のことだ。天魔の方が与しやすいと考えて、射命丸を切り捨てる決断をしたのだろうし。

この結末を迎えなくても、いずれこうなっていただろう。

そして皮肉な話ではあるが。守矢にとって与しやすい天魔が指揮している状況なら、天狗も生き残る事が出来るはずだ。もはや山の妖怪の覇者とは名ばかりの、哀れな姿であろうが。

不意に、体から残されていた力の殆どが抜ける。

檻の外からも、天狗達の悲鳴が聞こえた。

人里に、天狗の壊滅と敗報が伝わったのだろう。里の人間達が、天狗が負けた。天狗が守矢より遙かに弱かった。山の妖怪達に蹂躙された。それを知ったのである。

流石に天狗である。消滅まではいかないだろうが。

里の人間に、実は守矢に一方的に蹂躙されるほどの力しか無かったと認識されることは、ここ幻想郷では致命的な事態を引き起こす。

射命丸は薄く笑った。

結局、何をしても。詰んでいたのだな、と。

殺気だった数名の天狗が、此方に来る。檻から引っ張り出されると、もはや身動きできない射命丸に殴る蹴るを加える。その中には、完全に精神崩壊したらしいはたての、親も混じっていた。はたての親は娘を溺愛していることで知られていたから、猛り狂っていた。妖怪は精神が滅びると死ぬ。はたては死だけは免れたらしいが、後は生きる屍も同然だろう。それは怒るのも無理はないと、射命丸は殴られながら思った。

ほどなく、妖怪を封印するための要石が持って来られる。

テクノロジーは河童に全部持って行かれただろうが。

こんなものは河童の眼中になかったのだろう。

「最後に言い残すことは?」

もう、言葉を発する余力も無い。

薄く笑ったのを、嘲弄と勘違いしたらしい天狗の一人が。

もう一度、射命丸を激しく殴っていた。

「もう良い。 封印せよ」

意識が薄れる中。

射命丸は、自分が永遠の闇に放逐されることを、どこか他人事のように思いながら。

負けたな、と思っていた。

 

4、未来の可能性

 

吸血鬼レミリア=スカーレットは。

肩をすくめながら、饒舌に語り終えた。

その一部始終を聞いて。

射命丸は笑顔を崩さずに、頷いていた。

「意外ね。 貴方のクーデターが完全に失敗すると聞いても、動じる様子が無いのは驚きだわ」

「貴方の未来予測は不確定要素が多いですからね。 それに、話を聞くだけで、幾つか分かったことがあります」

「へえ?」

「今の時点では、クーデターは止めておきましょう。 そうそう、念押ししますが、他言無用に願いますよ」

レミリアは薄く笑う。

此奴は契約の重要性を理解している。

更に言えば。射命丸がクーデターを目論んでいる、などと情報を流して。射命丸が天狗に捕らえられる事は、彼女にとって何の利も無い。現状の天狗達の無能さは、何しろ彼女が一番良く知っているからだ。射命丸を切り捨てて今の天狗達と手を組んだところで、何一つ利など得られない。

それに対して射命丸との関係を維持しておけば。有益な情報がまだまだ入ってくる。

この方が利としては遙かに大きいのである。

レミリアが指を鳴らすと。

メイド長が、ティーセットを持って部屋に入ってくる。

射命丸用にテーブルも出し、其方に紅茶を配膳すると。メイド長は部屋の隅に控える。

もう話は終わったと判断したのだろう。

もし射命丸が余計な事をしたら。

即座に時を止め。

射命丸を殺すつもりだ。

だが、既に話は終わっている。

射命丸にレミリアを害するつもりはないし。

レミリアもそれを理解している。

だったら、怖れる事など何一つない。やましいことがないのであれば、堂々としているだけである。

確かにメイド長の入れる紅茶は美味い。

茶を淹れ分けている様子は無かったから。

別に人血を入れたりはしていないのだろう。

レミリアは、実のところ殆どもう吸血自体していないのかも知れない。

或いは、人が見ているところでは、血を必要としないほどに、血の要求量が少ないのかも知れない。

いずれにしても、その内取材してみるのも面白いだろう。

軽く幾つかの世間話をする。

この間レミリアが節分の時に、太巻きを食べる催しを、人里に対して行った時の話を振る。

何故太巻きなのか疑問に思っていたのだが。

話によると、外部に行き来している妖怪から聞いたところ。

外の世界では、似たような催しが最近はやっているそうだ。

かといって、ずば抜けておいしいものでもないし、たくさん食べるものでもないので。

廃棄される量が凄まじく。

社会問題にまでなっているのだとか。

その点、紅魔館での催し時は。

ただでさえ少ない幻想郷の食糧を無駄にしないように。

気を遣って、適切な量の太巻きを出したのだとか。

自慢げに語る吸血鬼のお嬢さんは。

先ほどまで、血なまぐさいクーデターの未来予知をしていた赤い悪魔と。

同一人物とは、とても思えなかった。

感心してみせると、喜ぶ様子も子供っぽい。

だが、いつまでも無駄話をしていると。

側にいるメイド長に追い出されそうだ。

そろそろ席を立つことにする。

「それでは、今日は有益な話を有難うございました。 また何か面白い情報を仕入れたら伺いますよ」

「そうしなさい。 咲夜、外まで見送りを」

「かしこまりました、お嬢様」

メイド長は、しっかり外までついてくる。

途中幾つか話を振ったが。

返答はいずれも冷淡だった。

「お嬢様は、恐らく刺激的な遊びを望んでいると思いますよ」

「今のお嬢様は、日常を充分に楽しんでおられます。 妹様との関係もぐっと改善していますし、今更無用な火遊びは必要ないと考えてもおられます」

「まるで本人のような言いぐさですね」

「私はそれなりに長い間お嬢様を見てきました。 それくらいのことは分かるのですよ」

長い間、ねえ。

500年を生きている吸血鬼を、長い間見てきた、か。

過去がまったく分からず。

一部では人間では無いとか。

或いは神々の眷属ではないのかとか。

そんな噂もあるメイド長だが。

ひょっとすると、本当に何百年も生きているのかも知れない。

紅魔館を出ると。

門番が里から来たらしい子供達に、拳法を教えていた。

基本的に性格が温厚な美鈴は、子供達の間でもある程度人望があるらしく。拳法を教えてとせがみに来る子供もそれなりにいるらしい。

ただ、木の陰で、子供達を引率してきたらしい自警団の凄腕、藤原妹紅がいる。

里からそれなりの距離がある紅魔館だ。

途中で問題が起きないように、里の側でも気を遣っている、と言う事だ。

妹紅と射命丸は非常に仲が悪く。

以前はあまりにも非道ばかりしていると潰すぞと直接脅しを掛けられたこともある。

実際妹紅は凄腕で、射命丸から見ても侮る事は出来ない相手だ。

今、この場で空気を悪くするのも、紅魔館との関係を崩すだろう。

「それでは、失礼します」

「またのお越しを」

友好的とは言い難い礼をするメイド長に見送られ。

射命丸は空に戻る。

さて、一度天狗の本拠に戻るか。

いずれにしても、目的は果たした。

計画の練り直しだ。

 

天狗の本拠に戻り、適当に新聞を作っていると、大天狗が来た。そういえば未来予知の中でも、思った以上のタフネスを発揮していた此奴だ。ハイハイと言う事には従っていたが、今後はもう少し評価を上方修正した方が良いかも知れない。

「射命丸。 天魔様がお呼びだ」

「はい、ただいま」

印刷を止める。

どうせもう部数は揃っていたのだ。

新しい記事をまとめて新聞配布用の袋に入れると。

天魔の所に向かう。

また雑用か。

それとも。

天魔が射命丸の裏切りに備えていることは、この間のレミリアの予知ではっきりした。

というか、射命丸の裏切りについて考えている可能性は、ずっと前から想定していた。

如何に無能とは言え、それでも天狗をまとめてきた存在だ。

敵を侮れば負ける。

戦いの鉄則であり。

常に最悪の事態を想定するのは当たり前の話だ。

千年を生きてきた射命丸である。

それくらいは心得ていたし。

何があっても対応出来るように、常に対策もしている。

御簾の向こうにいる天魔と。

強くもないのにえらそうに護衛を気取っている白狼天狗。

射命丸が正座すると。

御簾の向こうにいる天魔は、咳払いしてから語りかけてきた。

「時に射命丸。 一つ任務を言い渡す」

「なんなりと」

「現状で守矢と開戦した場合、正直な話我等天狗に勝ち目は無い。 其処でそなたには、ある勢力との同盟交渉に当たって貰いたい」

「ほう? 同盟交渉ですか」

それは良いが。

どうせ成功してもまた「お褒めの言葉」で終了だろう。

まあいい。

硬直化した組織は、天魔にも今更どうにも出来ないのだろう。

此奴には期待していないし。

何よりも、この状況下で、他の勢力と同盟を組む、というのは賢明な判断だ。ただ、生半可な相手では、あの武神二柱を相手にするのは厳しいとも思うが。

「相手は聖徳王だ。 書状については既に用意してある」

「聖徳王……ですか?」

「そうだ。 現在聖徳王の一派は、命蓮寺と関係強化しており、その連合は幻想郷最大の勢力となりつつある。 更に聖徳王の半公然の同盟相手である命蓮寺の食客である大ダヌキは、山の妖怪達の大顔役だ。 つまり、山の妖怪達を掌握している守矢の足下を揺さぶることが出来る」

「確かに。 しかし聖徳王に我等と結ぶメリットがありますか?」

不愉快そうに護衛を気取る白狼天狗が此方を睨むが。

天魔が気にした様子は無い。

「譲歩の条件については書状に記してあるが、お前には話しておこう。 天狗の持つ技術の内、人里で即座に利用できる電気関連の技術を譲ることを条件としている。 人里での信仰を得るには充分な技術だ。 人里の掌握を狙う聖徳王には喉から手が出るほど欲しい技術の筈だ」

「ふむ……そうですね」

恐らく射命丸の読みでは。

聖徳王は一笑に付すはずだ。

そのような技術は不要、と。

あの者は、非常に頭の回転が速く、射命丸と同じかそれ以上くらいには先も読んでいる。

その気になれば、技術の提供などなくとも、人里を掌握するのは可能だろう。

問題は、幻想郷の賢者連中が、これ以上の人里への介入を快く思っていないことであって。

横やりが入ることを、もっとも危険視しなければならない。

それを素直に伝えると。

天魔は任せる、と言った。

要するに利害を説いて、同盟を成立させて来いと言うのだ。

嘆息したくなるが、アルカイックスマイルを作ったまま、善処しますと答える。

射命丸が善処する、という時は。

上手く行くかは分からんと、あらかじめ釘を刺している場合だ。

天魔もそれは心得ているらしく。

頷くと、行くよう射命丸に促した。

天狗の本拠を出ると。

雨が降り出した。

だが、関係無く空に出る。

幻想郷の賢者は、妖怪の勢力同士があまりにも融和的になりすぎないように、バランサーとなって動いている。

守矢と天狗の対立を放置しているのもその一環だ。

いずれにしても、今後チャンスはいくらでもある。

何しろ射命丸は妖怪。

人間と違って、時間はそれこそ幾らでもあるのだから。

今回は、あれから考えたのだが。

何をやっても射命丸が負ける結末しかない。

しばらく状況を動かしてから、次の手を考えれば良い。

幻想郷最速。

そのスピードを生かして、目的地に急ぐ。

最速を誇る射命丸だが。

拙速は時に身を滅ぼすことも知っている。

じっくり構えて。

好機を窺えば良いのである。

誰も見ていない雲の上で、にやりと笑みを浮かべると。

射命丸は目的の聖徳王が作っている仙界に向け。

急降下して、雲を貫いた。

 

(終)