たからの村

 

序、到着

 

シャネスの前を行くのは、彼女の上司。七級政務官を務めているシモン=マクレイルは、四十代半ばの男性である。髪は既にはげ上がっており、いつも帽子を被っていて、部下達からは禿げを影で揶揄されていた。一応騎士の資格も持っている、彼の従仕官である八級武官のシャネスも、陰口にはいつも荷担している。シモンが有能で豪腕を持つ人物であればそんな事もなかったのだろうが、生憎彼は違う。コネだけで出世した無能者であり、欲求に忠実な、獣同然の人間であった。

山道を行く。足下は石だらけで、周囲の木々も枯れているものが多い。貧しい土地だ。放っておけば草が生えてくるような、豊かな場所ではない。一応部下達20名を統率する立場だから、気は使う。護衛し損なってこんな奴が死んでも心は痛まないが、責任は問われるのだ。

この王国が成立してから百四十年。腐敗した国家は最盛期をとっくに過ぎている。辺境は異国に脅かされ、国内の権益は貴族達に食い荒らされ、弱体化が著しい。三年前にやる気のある王が即位し、現在は再建中である。政務官の方が三段階は格上な、不公正な仕組みも変更して欲しいものだ。

いつ終わるかしれたものではないその改革で、年々法律は厳しくなる一方だ。権力を得すぎた門閥貴族共が処理されれば改革は終わると噂されているが、果たして上手くいくかどうか。武官であるシャネスには、内乱が起こった方がむしろ都合は良い。国が滅びない程度に、大いに戦乱が起こってくれれば、出世の機会もあるというものだ。

鉄製のヘルムを僅かに上げて、陽光を確認。まだ暗くなるには時間がある。兵士達を急かして、歩かせる。途中、ポケットから小さな石を取り出す。純度の低い鉄鉱石だ。これにエネルギーを蓄えるという能力を持って生まれたから、今シャネスは下級とはいえ士官をしている。特殊な能力を持つ人間は200人に一人と言われているから、そう言う意味でシャネスは運が良かった。もしこの能力がなければ、今頃春でもひさいでいた事だろう。

もうじき峠だ。頑張れ。言い聞かせるのは、他人にではない。自分にだ。他人なんぞに構っている余裕はない。この辺りに山賊が出るという話は聞いた事がないが、急ぐにこした事はない。

やがて。ようやく峠の頂上に出た。

見下ろした先に、目的の場所がある。貧相な村だ。戸数は50程度。外壁も無く、粗末な柵が植えてある程度である。念のために、自分だけに支給されている先ごめ式のマスケット銃の状態を確認する。火縄に問題はない。受け皿もしっかりしている。火薬も湿っていない。いざというときには、十秒以内に発射できる。景観を楽しんでいる余裕など無い。ようやく追いついてきた部下達を叱責。まだ余裕はあるが、下手をすると本当に日が暮れてしまう。

役立たずだが馬術だけは上手い上官が、進むように無言で指示。自身も、馬腹を蹴って進み始めた。彼が乗っているのは、既に十五歳を超している痩せ馬で、とても戦では役に立たない。だが馬具はどれもきらびやかに飾り立てられていて、それがまたアンバランスだった。所々に金の縁取りをしている鎧とのミスマッチもあり、はじめて見た時には失笑を隠せなかった。

下り坂だから、だいぶ楽ではあるが、油断すると足をくじく。着いてきている部下の中には、新兵もいる。その中の一人が、二年間の従軍経験がある兵士と、頻繁に視線を交わしているのに、シャネスは気付いていた。

そういえば、数日前に、ミーティングの直後に抜け出していた。元々かなり怪しかったのだが、あの時に関係が進展でもしたのだろう。部下が任務の外で何をしようが知った事ではないが、あまり露骨になると士気が落ちる。まだ若くて欲求をコントロールできないのは分かるのだが、いずれ注意しなければならないなと思った。まあ、どっちも男なのだが。兵営の恋というのは良くある話である。

それにしても、練度の低い部隊である。今回は戦闘の可能性が極めて低いとはいえ、こんな進軍にも着いてこられないとは軟弱すぎる。きちんと訓練を受けた精鋭部隊になると、この三倍くらいの距離を一日に踏破するものだ。

坂が終わった。まだ森は続いているが、ぐっと歩きやすくなる。鎧が重そうな新兵を叱咤。進軍前は軽口を叩きまくっていたのに、情けない連中である。特に、真ん中にいる、荷車を引いている二人は疲労の色が濃かった。既に暗くなり始めている。影の方向から、方角が間違っていない事を確認。後ろの方の何人かが遅れ気味だったので、叱責。夜の森の中で置いてきぼりになると、助からない可能性が高い。

陽が落ちる寸前に、どうにか村にたどり着いた。

村長は村の門まで迎えに出ていた。側にて見ると、やはり粗末な防御施設だ。柵は低く、堀も無い。正門には一応櫓があるのだが、かなり老朽化が激しく、所々朽ちてさえいる。攻城兵器で一押しされれば、ひとたまりもないだろう。ただ、これでも見張りがいれば、山賊くらいなら何とか出来るだろう。近くの砦には、一応常備軍も控えているのだ。

シモンと村長がなにやら談笑している。歓迎の準備がしてあるのだとか。もっとも、この村の様子では、歓迎できるのは村長だけだろう。気が利いていれば、ナンバーツーのシャネスも歓迎を受けるかも知れないが、微妙なところだ。

案の定、村長がご機嫌をうかがいながら連れて行ったのは、シモンだけだった。シャネスに対しては、村長の息子が応対に掛かる。貸してもらったのは、村の広場である。今の時期はさほど寒くないから、野営は難しくない。運んできた寝袋を配ると、すぐに火を焚く。食料は一応分けてくれた。かなり古いベーコンで、しっかり火を通さないと腹に虫が湧きそうだった。これに持ってきている干し飯を加えて、夕食にする。

熟練兵に担がせていた大鍋を火に掛ける。ベーコンを人数分配った後、ちゃんと火を通すように口を酸っぱくして指示。干し飯を鍋に入れて、湯を沸かす。後は、四五人を連れて、村のそばの森に行き、野草を取ってくる。さっき行軍中に、食べられる野草を見つけていたのだ。

辛みのあるキルキ草があったのは幸運だった。干し飯は味が付いていなくて、そのまま食べると兎に角不味いのだ。キルキ草は栄養がある上に味が付いているので、これを入れる事によってかなり食べやすくなる。今日は古いとはいえベーコンもあるので、更に条件は良い。新兵の一人が、毒草であるマムシカズラを摘もうとしていたので、頭頂部にチョップをくれてやった。それは猛毒だと告げてやると、蒼白になっていた。

すっかり辺りは闇に包まれていた。村の夜は早い。日が暮れれば、大半の村人は眠りにつく。闇の中を徘徊する兵士達は、さながら夜の怪物だ。自分もその一匹なのだと思うと、少しおかしかった。此処では、人間と怪物の境は極めて曖昧なのだ。良く辺境で噂される「狼男」やら「悪魔」やらの大半は、単なる犯罪者が正体だ。

さっきマムシカズラを摘みかけた新兵に命じて、キルキ草を刻ませる。この草の最大の欠点は、臭う事だ。特に切ると凄い臭いがして、指から数日は取れなくなる。火を通すと臭いは消えるのだが、誰もやりたがらない。そのため料理するのは立場が弱いか、何か過失のある者が選ばれる。

責任を感じているからか、新兵は文句を言わなかった。

黄色い菱形の葉と、細かく刻まれた茎が、煮込まれた干し飯に混ざる。しばらくかき混ぜてから、兵士達に配る。最後に自分の分を入れるのが、不文律になっているから、配る兵士は真剣だ。まだ温かい内に食べるとしても、あまり美味しくないのは事実。だから粗末な椀に干し飯を入れて、さっと啜る。口直しに、ほどよく火を通したベーコンを、めいめい食べ始める。やはり煙が染みすぎていて、美味しくない。焼いても油が出る事もない。所々虫食いの跡さえあるが、誰も気にしない。まだこれはマシな方だからだ。荷駄隊から支給される兵糧には、もっと酷いものが幾らでもある。

味が付いているだけましな食事を終えると、めいめい寝袋に潜って、眠り始める。シャネスは皆が眠るまで起きていて、村の地形を軽く見て回った。村長の家は夜遅くまで灯りがついていて、どんちゃん騒ぎをしていた。兵士達には見せられない光景である。自身も腹が立つが、今更文句を言うほど子供でもない。

広場に戻ると、兵士達は全員寝ていた。あのカップルも、流石に抜け出す気力が残っていないのか、散らばって寝ていた。眠れる時に、眠る事が出来るのが、指揮官の最低条件である。

シャネスは大きな木を背にして、皆を見回せる位置を確保すると、其処に寝袋を持ってきて、潜り込んだのだった。

今頃シモンは村長の妻だの娘だのとよろしくやっているのだろうかと思うと腹も立ったが、所詮は下っ端の悲しさである。さっさと寝る。眠ってしまえば、後は適度に心地も良い。

夢は、見なかった。

 

早朝。兵士達より先に起きると、顔を洗って、出かける準備をする。

このような村にわざわざ来たのには、もちろん理由がある。一応、政府の特命と言う奴だ。その割にどうでもいい士官であるシモンが派遣されたのには、政府が最初から効果を期待していないという悲しい事情がある。多分何もないだろうが、一応調査はしておけという、あまりにもいい加減な決断で一個小隊が駆り出された訳である。

このような状況になったのには、原因がある。対立国のエージェントが、最近国内を彷徨いているからだ。彼らの目的は当然スパイ行為である。悪い事に、三ヶ月ほど前に、彼らが辺境に隠されていた旧帝国時代の埋蔵金を強奪、本国に持ち帰るという事件が起こった。埋蔵金は当初の噂では大貴族の資産なみという膨大な額であり、これが国に与えたショックは大きかった。

国内には、まだ埋蔵金が眠っている可能性が否定できない。そいつらに横取りされるくらいなら、先に探し出せ。そんな程度の低い考えが、国家上層に蔓延している。分からないでもないのだが、呆れてしまう。こんな村に、あるかも分からない埋蔵金を探しに来たのが、そんなくだらなすぎる事件の余波なのだから。

それに、一般には流布していないが、シャネスは知っている。その埋蔵金とやらが、実際には噂ほどのものでもなく、国家予算から見れば足しにもならない程度に過ぎなかったと言う事を。実体のない幻想に振り回されて、これから何人が酷い目にあうのだろうかと思うと、げんなりする。

大体、一個小隊とはいえ、常備軍である。それをこんなくだらない理由で動かす神経が分からない。

おいおい起き始めた兵士達に、顔を洗って仕事する準備をするように言っておく。自身は、村長の家に、シモンを迎えに行く。交渉ごとは奴の仕事だ。シャネスの領分はあくまで護衛部隊の指揮に過ぎないのだ。

案の定、シモンは昨晩、村長の娘を一夜妻にしていたようで、寝崩した状態で出てきた。今日から、埋蔵金の探索を始める事を告げると、面倒くさそうに髭を引っ張った。まだゆっくりしていきたいとかほざくので、殺意さえこみ上げてくる。此奴はゆっくりする事が出来ても、兵士達は自分も含めてそうではないのだ。貴族特有の、愚かな物言いである。下々の苦しみなど、理解してはいないのだ。

何とか強引に引っ張り出して、着替えさせる。兵士達は既に整列していたので、朝礼を行わせる。目付役とはいえ、こんな奴を制御しなければならないのだ。苦労は絶えない。適当な朝礼を済ませると、シモンは酒が飲みたいとかほざいた。殴りたいのを我慢して、本来の仕事を思い出すように、強く言う。兵士達は、あきれ果てている様子だった。

村人達の視線を見て、気付いた事がある。此奴らは、此方をカモだと考えている。それは当然の話だ。この村に、旧帝国時代の埋蔵金があるという話は、秘密でも何でもない。今まで多くの山師が、この村を訪れたはずだ。彼らは村の客であり、金の卵を産むアヒルなのである。

埋蔵金のありかを知っていても、此奴らに話す気はないだろうなと、シャネスは判断した。もし埋蔵金が発見されたとなれば、この村は何の価値もない辺境の村に変わってしまうのだ。そうすれば、金を落とす旅人も来なくなるし、収入も減る。更に言えば、埋蔵金があったとしても、大した額ではないだろう。もしそれなりに凄い宝物なのであれば、この村はもっと発展しているはずだからだ。

それらは論理ではあるが、しかし、世の中はむしろ狂気で動いている。だから、僅かながら可能性もある。無能な上官の尻をひっぱたいて、さっさと仕事に取りかからなければならない。

村長の家に向かうシモンを見送ると、早速兵糧を購入するべく、周囲の家を回る。案の定、かなりふっかけられた。村人達の目に浮かぶぎらついた光を、シャネスは見逃さなかった。この目の光は知っている。交渉をする時の、商人と同じものだ。

これは、あるにしても無いにしても。かなりの苦労が強いられそうだった。

 

1,小さな村の大きな宝

 

また、村に客が来た。小作人の一人であるジュルクは、農作業の手を休めて、村に入ってくる軍隊の姿を見やった。もう夕方であるのに、ご苦労な事だ。幼い妹が、ふらふらになって額を拭っている。先に上がるように言って、自身は鍬を振るった。妹が残した分まで、仕事を済ませておかなければならないのだ。

この小さなイデット村でも、世の中の理は変わらない。土地を持っている者と、そうではない存在。雇い主と小作人。階級と差別。富裕の差。

この村から出て、都会に行っても同じ事だ。何度か足を運んだから知っている。何処でも弱い人間は搾取される。強い人間が奪い取る。妹を連れてこの村を出る事を何度か考えた。だが、今は国中がこんな様子だと聞いている。それでは、逃げても意味がない。他の国は違うかも知れないが、そんなところまで行く知識も体力もない。

だから、ジュルクは今日も畑を耕す。日が暮れた頃に、やっと割り当て分の仕事が終わった。軍人達は、見れば野営の準備をしている。余計な事は話してはいけないと、村長に言われているから、関わらない方が良い。与えられている、粗末な小屋に入る。

幼い妹が、既に火を起こしてくれていた。鍋の水が、沸騰するのを見てから、コメを入れて、野草の雑炊を作る。育ち盛りの妹に多めに分けてやると、嬉しそうに食べた。ろくでもない両親だったが、この子を残してくれた事だけは感謝している。自分の庇護がなければ生きていけない命がある事で、どれだけジュルクは仕事に頑張る事が出来たか。

夜が更ける前に、さっさと眠る。疲れ切っている妹が眠るのを見届けてから、煤けたランプの灯を消した。イデット村は、すぐ闇に包まれる。村長宅と、代わりばんこに役がある見張り小屋だけが、夜も明るい。

眠いが、明日からは忙しくなる。だから、村で教えられている事を、反芻しておく。

このへんぴな村に名前は最初無かった。だが、便宜上必要になった。数百年も前の事だ。

元々この村は、木こり達が集会場にしていた場所が発展したものだ。帝国がまだ存在した頃から、人の営みは変わらない。この山の豊富な木材資源を元手に暮らす木こり達は、情報収集や、相互補助をかねて、村を作った。やがて何が原因かは分からないが、森から木材資源が減って。建材として価値がない木ばかりが増えてきて。残ったのは村だけであった。

外界からは隔絶されて、貧しい生活をしていた村に、いつだったか軍隊が来たという。彼らは絶対に口外しないようにと言い残すと、なにやら隠して去っていった。それからしばらく、村は潤った。軍隊がかなりの金を残していってくれたからだ。畑も拡げた。小作人も多く雇った。

だが、その金も、すぐに尽きた。大勢の人間が暮らしていれば、金など幾らでも掛かるものなのだ。

貧しくなった上に、帝国が瓦解した結果、箝口令は意味が無くなった。誰が口を滑らせたのかは分からない。或いは、村の人間ではなく、ここを訪れた兵隊の一人か、もしくは複数だったのかも知れない。この村に、宝が隠されているという噂が、いつからか流れ始めた。

そうして、誰かが思いついた。それを利用して、この村を豊かにしようと。

村の長老達が口裏を合わせて、様々な決まりが作られた。

その決まり事には、基本的なある一つの戦略があった。それを村の者達は、幼い頃から叩き込まれる。それに背く行為をした人間は、見るも無惨に殺される。だから、徹底的に覚え込まないと生きては行けないのだ。

その戦略とは。

簡単である。宝を餌に、金をつり上げろ。絞れるだけ搾り取れ。余計な事を知った奴は、生かして帰すな。

かくしてこの村は、山賊も真っ青の、山師から金品を略奪する事で生計の一端とする村に生まれ変わったのである。

そして、自分もその一人と言う訳だ。

すっかり眠り込んでいる妹に、筵をかけ直しながら、ジュルクは思う。この子にだけは、同じような生活はさせたくないと。

しかし、この村が、他の方法で豊かになる手段など、思いつかない。結局それは、見果てぬ夢に違いなかった。

 

早朝。軍を指揮していた、小柄な奴が村を見回っていた。昨日はもう夜で、暗かった事もある。更に鎧を身につけて、兜をしていたから、人相は分からなかった。だが今朝になってからよく見てみると、女だ。

特殊能力を持った女が、軍に入る事があると聞いた事がある。珍しいスキルだったり、或いは産まれながらにして神に付与された人外の力であったり。中には、優れた武術の腕でのし上がる奴もいるという。

何にしても、軍隊にいる女を侮るなと言うのは鉄則だ。しかも見たところ、あれは士官にまでのし上がっている。単純な軍人としても実力があるはずで、下手に手を出すのは危険すぎる。

女は一通り村を見て回ると、広場に戻っていった。此処が戦場になった場合の、戦い方を考えていたに違いない。厄介な奴だ。

村の守備隊の長をしているルヴァルドは、一連を物陰から確認すると、舌打ちしていた。今回の相手は、かなり厄介だ。奴の配下にいる兵隊共は正直やる気も実力も並み以下だが、あの隊長だけは侮れない。手強いのは見たところあの隊長だけだが、それで充分である。いつも来る山師よりも、数段手強い相手だと考えた方が良い。

ルヴァルドは、いいものを食っている都会の者と比べても、頭一つ大きい体格を持つ。野良仕事で鍛えた肉体は頑強であり、二メートル近いツーハンデッドソードを悠々と振り回す。もっとも、本人の得物は斧が標準だ。小振りの斧だが、一撃は重く、並みの盾なら瞬時に砕く。

誰が見ても、強いと認める男。それがルヴァルド。だがそれが故に、相手の実力はより良く分かるつもりだ。あの女には、出来るだけ手を出さない方が良い。もう一人、出来るだけ敵に回したくない相手がいる。村長だ。

見張り小屋に、その村長が来た。しなびた梨のような老人は、あごひげをしごきながら、下卑びた笑みを浮かべてみせる。若い頃は精悍だったというのだが、今では背丈もルヴァルドの半分しかないし、杖がなければ歩けない。思考にも、鈍さが目立つようになり始めていた。

しかしそれでも。なお今も。ルヴァルドでは勝てないと思わせる相手である。金を儲けるためになら、いかなる事でもするその冷酷さ、老獪さは、怪物の域にまで達している。伝説に登場するようなおぞましい魔物達がこの場にいても、この老人の方がなお恐ろしいのではないかと思わせる。

村長は、前置きもなく言う。

「何の事はない。 今回は、取るに足らぬ相手だ」

「しかし、手強い奴が一人居ます」

「あの女だな。 分かっておる。 だから、ターゲットはシモンとか言う、あの盆暗役人に絞る。 あの女は、手強い事は手強いが、そもそもこの任務には乗り気ではなさそうだからな。 ある程度搾り取って帰すだけなら、特にわしらに対して何もせんだろう」

狡猾な老人は、そう言ってひひひと笑った。

村長は他にも二つ三つ注意事項を話すと、曲がった背中を叩きながら、家に戻っていった。見送る。おぞましい老人だが、この村をほぼ確実に掌握しており、何処に耳目があるか分からない。蔑ろにする事は許されない。

あらゆる所に、村長の力は及んでいる。客用に出す彼の「娘」は、街の娼館から買ってきたものだ。だから男の扱いは心得ているし、演技力もある。大事な一人娘を一夜妻にするという行為が、そもそも相手をたらし込む第一手なのだ。村の西で取れる薬を嗅がせて中毒にしてあるから、逃げ出す恐れもない。

また、二日目からは、実利的な面からも攻める。出来るだけ望みがありそうだと思わせて、少しでも長く滞在させる。そしてその間に、絞れるだけ搾り取る。場合によっては消す。今回は軍隊が相手だから、始末する訳には行かないが、人数が多い分絞れる金も多いはずだ。

相手は山師が多いから、一筋縄ではいかない事も多い。そう言う時のために、ルヴァルド達がいる。ただ、ルヴァルドも知らない事がある。本当にこの村、もしくはその側に、宝物があるかという事だ。

話を聞かれた時の、答え方は暗記している。村の大人は全員がそうだ。凝っているのは、全員が全員、把握しているマニュアルが違うと言う事。情報を収集する山師を混乱させるための工夫が、このようなところにもある。

そして当の村人達にも、本当に宝があるのかどうかは、分かっていないのだ。

欠伸をするルヴァルドは、見張りの代わりが来るのを待つ。村長は主要人物に大体先ほどの話をしているはずである。そして、末端へ伝達をするのは、ルヴァルド達中堅層の仕事だ。代わりが来たら、彼らにも話しておかなければならない。次に来るのは、腕っ節はなかなかだが、頭の悪い奴だ。きちんと把握させる事が出来るか、少し不安もある。以前は山師に余計な事を話してしまって、そいつを消さなければならなくなった。その後も、反省している様子はない。

だから、最低限の伝達方法を使う。

壁に掛かっている笠と箒、それにござの位置を変える。これは村の者達が若い頃から覚え込まされる暗号なのだ。例えば、笠が高い位置に掛かれば、手強い相手だから油断するな、となる。箒の位置は手強い相手の人数を示し、ござは巻き方によって対応策を示す。少し悩んだ後、ルヴァルドは笠を一番高い位置に掛けた。ござは左巻きにする。これは女を示す。箒は横に倒した。これは手強い奴が一人である事を示す。

眠たそうに目を擦りながら、代わりが入ってきた。ルヴァルドは無言で、壁を見るように促す。図体ばかりでかい若造は、しばし壁を見ていたが、何度か頷いた。本当に把握したのか少し不安だが、まあ良いだろう。徹夜で見張りをして眠いのに代わりはない。さっさと家に戻って、眠っておきたいのだ。

「油断するなよ。 後、覚えているとおりに話せ」

「分かってますって」

へらへらいう若造に不安を覚えたが、この小さな村では人材も限られている。こんな奴でも、活用しなければならないのが辛いところだ。

ルヴァルドの家は、見張り小屋のすぐ側にある。二年前までは妻もいたが、都会に若い男と一緒に逃げてしまった。秘密は握らせていなかったから始末はしていないが、時々後悔する事もある。いまでは連絡も取れない。子供もいない。再婚の話も今は無く、少し一人では広すぎる家で、眠る事になる。

だから、仕事に一筋打ち込めるのかも知れない。

床にごろんと横になると、すぐ眠気が襲ってきた。燻製を一つ囲炉裏から取ると、口に入れた。噛んでいる内に、煙の苦みが口の中に広がっていく。ちゃんと食べるのは、起きてからにしよう。

そう思うと、ルヴァルドは燻製を噛み砕いて、目を閉じた。少し寒いが、これでいい。妻に逃げられた時から、その考えに変化はなかった。

 

幾つかの家を回って、対応策を話し終えたガフ村長は、痛む腰をさすりながら自宅へ戻りつつあった。

警備の長であるルヴァルドは警戒していたが、何の事はない。あのシモンとか言う役人は隙だらけで、その気になれば十回以上も殺す機会があった。頭もかなり悪く、判断力も無い。今朝もあの女軍人が呼びに来なければ、昼まで寝ていた事だろう。

今まで1000人を超える山師を相手にしてきたガフは、ある程度話せば、相手の実力と危険度を判別できる。シモンという役人は、今まで相手にしてきた山師の中でも、最低ランクである。油断さえしなければ危険はない。

そしてルヴァルドが過大評価しているあの女も、それと大して代わりはない。生粋の軍人というのはかなり視野が狭い連中なのだ。特にあの女は、軍務には興味があっても、今回の任務には殆どやる気がないと見た。ルヴァルドにも話したが、そう言う意味ではシモン以上に与しやすいはずだ。

兵糧を売った何人かと話したが、奴は此処に数日滞在する事を既に視野に入れている。買い込んだ兵糧の量から逆算すると、一週間という所だろう。滞在する山師の中には、一年以上居座る奴もいるから、短い方だと言える。或いは予算が少ないのかも知れない。

小作農達が、仕事を始めている。ガフと目があうと、卑屈に頭を下げる者が多い。鷹揚に頷きながら、帰路を急ぐ。今日はやる事がたくさんある。シモンを連れて彼方此方を回らなければならないから、しっかり食べて体力を付けておかなければならない。

自宅に戻ると、従姉妹でありすっかりしなびている妻が、料理を用意してくれていた。結婚当時と同一人物とは思えないほど無様に枯れてしまっている妻だが、料理だけはそれなりにちゃんとしたものを作る。娘はと言うと、さっき薬を嗅がせたから、気持ちよさそうに眠っている。ちなみに村長の本当の血縁に、娘はいない。いたとしても、こういう仕事はさせなかっただろう。

「あの役人はどうしている?」

「軍人さんが連れて行きましたよ。 朝礼だとかで、兵隊さん達の前で話すんだとか」

「ご苦労な事だな」

雑炊を啜る。一番良い米を使っているとはいえ、美味しいとはとてもいえない。此処は所詮、貧しい村に過ぎないのだ。都会とは手に入る食料の品質が違う。かといって、この運命共同体である村の場合、長だからと言って一人贅沢をする訳にも行かない。あまり富裕が偏りすぎると、裏切る奴が絶対に出てくるからだ。

今でさえ、小作農の中には不満を抱えている奴が少なくない。今回の相手から巻き上げた金品で、小作農共にある程度美味いものでも食わせてやらなければならないだろう。面倒くさい話だが、仕方がない。基本的に、人間を使うには飴と鞭だ。今回は儲かりそうだから、飴も景気よく恵んでやらなければならないだろう。

急いで朝食を胃に流し込んで腰を上げたのは、シモンが出かけるらしい雰囲気を感じ取ったからだ。下手なところを見て回られても困る。慌てるガフの様子を見て、さらりと妻が言った。

「ところで、本当にあるんでしょうかね。 宝なんて」

「さあてな。 ただ、分かっているのは」

あっても無くても困ると言う事だなと、ガフ村長は言い捨てた。

村にとって大事なのは、実体のある宝ではない。存在するとか、存在しないとか、そういう実体があっては困るのだ。

この村の、真の宝は。宝があるという、実体のない噂なのだから。

 

2,切れ者と愚か者

 

シャネスが折りたたみ式の机に拡げたのは、軍用の地図紙である。方角を示す記号のみが最初に記載されている他は、白紙で供与される。最近開発された印刷技術により、大量生産された代物だ。軍の何処の部隊でも支給される量産品で、紙質が悪いにも関わらず、評判は良い。非常に使いやすいのだ。

その中に、素早く村の見取り図を書き込んでいく。家の位置。畑の位置と数。見張り小屋の位置。柵。それに、防御施設の類。

一通り書き終えてから、兵士達に回す。何人かが指摘した点を吟味し、或いは修正する。シモンは退屈そうに、隅っこの方でたばこを吸っていた。それでいい。下手に口を出されると、却って面倒だ。

「シャネス八級武官」

「何でしょうか」

地図をのぞき込みに来たシモンが、不意に言ったので、シャネスは眉をひそめた。出来れば静かにしていて欲しいのだが。この男は、口を出すだけ有害だ。いっそのこと、その辺の案山子と取り替えたいくらいだ。

「宝を、いつ探しに行くのかね」

「まず、情報を集めてからです。 そもそも我々は、ほとんど確実な情報を得ていませんから。 最低限の地理的な情報などを詰めてから、出るのが定石です」

言い終えてから、シャネスは少し苛立ちを感じた。

定石。口癖の一つだ。あまり意識しないのに、ぽんと飛び出る厄介な奴。口にする度に、苦い思いをする言葉でもある。

この国の役人にはろくな奴がいない。だが一人だけ、シャネスが一人前になる手助けをしてくれたのがいた。今では六級武官をしていて、前線で二個大隊の指揮を執っているその人が、いつも定石と口にしていたのが、移ったのだ。色々恨みはあるし、もう会いたいとは思わないが、それでも評価に変わりはない。それだけ、心の奥底では感謝しているということだ。

「しかし、村長は宝の伝説を知っていると聞いているぞ」

「そんなものは私でさえも知っています。 この村にある宝の伝説は、かなり有名ですから、来る前にある程度の調査はしています。 それとも、昨晩寝物語でもしてもらったんですか?」

図星を突くと、兵士達が顔を背けて笑いをこらえた。これでいい。彼らは自分だけ良い思いをしたシモンに反感を抱いている。シモンは自分がバカにされている事にも気付かず、そうだと応えた。これだから、貴族のボンボンは困る。

「いいですか、この村は、宝のありかとして有名なんです。 もちろん、シモン七級政務官よりも地位が上の人間も、訪れた事があります。 それなのに、何故宝が見つからなかったとお思いですか?」

「そりゃあ、あれだろう。 きっと今まで村に来た連中が、私より頭が悪かったからだろう」

「理由は、宝があるという事が、この村の貴重な収入源だからですよ」

アホの寝言に応えても仕方がないから、そのままストレートに核心を突く。だが、予想通り、シモンは理解できなかった。この男に、理解とか、推理とか、そういうものを求めるのが間違いなのだと、一秒ごとに思い知らされる。

「何だか、いつもシャネス八級武官の言う事は難しいな」

「要するに、です。 宝の噂があれば、人が集まってくる。 彼らから金品を回収できれば、村が潤う。 その状態を維持するには、宝があるという噂だけがあって、現物が見つからない方が良いのです」

「村長はそんな事を言ってはいなかったのだがなあ」

「当たり前でしょう。 彼の目的は、村を訪れた人間から如何に搾り取るかです。 そんな核心に迫る事を、部外者に話す訳がありません」

あまりにも頭の悪い反応に苛々するが、心を落ち着かせる。此奴に限らず、貴族出身の政務士官などこんな程度の連中である。もっと酷いのに当たった事だってある。軍人では無いだけましだと考えるべきなのかも知れない。昔、この国が成立した時。武勲によって貴族になった者達は、皆有能であったそうなのだが。たった百数十年が経過するだけで、この有様だ。血統とやらが如何に不確実な存在か、これを見てもよく分かる。

「それで、いつ宝を探しに行くのかね」

「この村と、周辺の地図を作って。 それから、宝がありそうな場所を、片っ端から当たります」

「村長はどうするのかね。 案内してくれるそうなのだが」

「シモン七級政務官が対応をお願いします」

この時点で、自分たちも動かなければならない事は明白だ。仕事が増えてしまったが、仕方がない。元々シモンには期待していなかったが、このままでは村長に良いように絞られて、子供の使いのように追い返される事になるだろう。

あの村長は油断できない。何度か犯罪組織の長に会った事があるが、それに近い存在に思える。状況から考えて、その主観に誤りはないはずだ。いくら何でも、七級政務官を殺したりはしないだろうが、状況次第では分からない。こんなアホでも殺されては寝覚めが悪いから、念のためにベテランの兵士を二人、護衛に付ける。

ただし、シャネス自身も、宝探しなど最初から興味はない。一応ありそうな所だけを探して、後はさっさと帰るつもりだ。問題は、このシモンが村長に籠絡されていると言う事だ。今更何を言っても無駄だろうから、引きずって帰る方法を考えておかなければならない。

村長が来た。にこにこと営業用の笑顔を浮かべている。シモンはこれまた友好的な笑みを浮かべて、護衛と一緒に着いていった。一瞬だけ村長と視線が合う。笑顔を浮かべていたが、間違いなく警戒が視線の奥にあった。どうやら推論は間違いなさそうだ。

「早めに地図を完成させるぞ」

「はい。 しかし、何かこの仕事に意味があるのでしょうか。 宝など、あるとは思えませんし。 危険なだけの仕事に思えます」

「だが、給料は出る。 それだけマシだと思え」

一番兵隊としての仕事が長い部下にそう返すと、村の見取り図の完成を急ぐ。いざというときに備えるのが、シャネスの仕事だ。そしてこの村では、警戒しない事は罪悪になる。部下の命を預かっている以上、それなりの仕事はしなければならない。例え守るに値しない部下だとしても。

そうしなければ、給料が得られないのだから。

昼過ぎから、村の外に出て、地図を作り始めた。測量用の器具類を使って、出来るだけ丁寧に地形を記録していく。

典型的な辺境の村だ。貧弱な防御施設に、周辺は枯れかけた森。土は豊かとは言い難く、近くには必ず川がある。そして、村の周辺には、怪物やら悪魔やらの伝説がある。或いは幽霊話。殆どは有害無実。ただの獣の話が誇張して伝わったり、単純に恐怖を喚起する場所があるだけ。この部隊の装備があれば、対応できない動物などいない。一番警戒すべきは、人間だ。

この村の場合は、余所と少しばかり事情が違う。意図的に作られたリアリティが、伝説を飾り立てている。そのため、多くの山師が集まり、村の利益になってきた。もちろん、山師の中には荒っぽい連中も多かっただろう。それらを制御してきたのだから、村の者達はかなりしたたかだと考えるのが自然だ。

こういう現実的な考えは、後天的に仕込まれたものだ。幼い頃は、年相応の考えをする事が多かった。鉄兜を脱いで、額を拭う。頭の上で束ねている髪を、そろそろ洗いたい。軍務に出ると、数週間洗えない事もある。途中から我慢が効くようになるのだが、ある程度までは日数に比例するように不快指数が跳ね上がる。

「シャネス八級武官! 滝があります!」

「すぐ行く」

部下の声に、何人かを伴って行く。確かに滝だ。枯れかけた森の中、小規模な滝があった。せり上がった崖の上から、何筋かの水が流れ落ちている。大した規模ではない。滝壺の裏に洞窟があるような場合もあるのだが、この様子ではそれもない。水量が少なすぎて、岩肌が露骨に見えてしまっているからだ。

静かな森の中、滝の音が響き続けている。ふと気付く。滝の岩肌に、傷が見える。なるほど。山師が此処を調べたのだろう。岩を並べ替えて、洞窟を隠すようなやり方は確かにある。

「調べないんですか?」

「他も調べてからだ。 全体的な地形を把握してから、可能性が高いところから当たるのが定石だな」

また口にしてしまった。不快だ。だが兵士達には見せないようにしなければならない。舐められたらこの仕事はやっていけないのだ。

彼方此方に散った兵士達が、色々なものを見つけてくる。洞窟もあったが、大した規模ではない。案の定山師が目を付けたらしく、徹底的に掘り返されていた。此処も可能性は低いだろう。やはり、不自然な地形が多すぎる。掘り返したような跡などは、十ヵ所以上もあった。石垣の跡らしきものや、古代の建物らしい不自然な地形もあった。

「やはり、不自然すぎます。 村の中なのでしょうか」

「そう判断するには、情報が少なすぎる」

捜索範囲を拡げていく。それにしても、部下の指摘通り、わざとらしい地形があまりにも多すぎる。予想だが、半分以上は、後から村の連中が作ったものなのだろう。自身でも、変な石積みを見つけた。動かした跡がある。如何にもそれらしい説明を付ければ、これも宝のありかを示す鍵に早変わりという訳だ。

陽が落ちてきたので、笛を吹き鳴らす。集合の合図だ。一旦戻って、地図を検討し直す。散らしていた兵士達が、めいめい集まってきた。点呼をさせると、ちゃんと数も揃っている。念のため、気をつけるように兵士達に徹底するが、まともに聞いている人間は少ない。特に若い兵士達の中には、だらけきっている者が少なくなかった。

一度前線に出なければ、兵士は緊張感を持つ事が出来ないとも言われている。交戦がない方が良いに決まっているのだが、この姿を見ていると、少し考えてしまう。一度怖い目にあわないと、やはり精鋭には育たないのだろう。この仕事は良い機会かも知れない。人間の恐ろしさを知るには、非常に適切だろう。

隊列を整えさせると、村に戻る。一旦広場に展開して、夕食の準備をさせる。長丁場になるようならば、一旦兵士を近くの村にやって、食料を買わせる必要もあるかも知れない。この村では、恐らく相当にふっかけられるからだ。

昨日のうちに購入させた米を使って雑炊を作る。さっき見つけてきたアプラの実の皮を剥いて、種を取り出す。大きな種が、放射状に四つも入っているこの実は、独特の辛みがあって、栄養価も高い。種は取り出したあと、砕いて中身を取り出す。この中身が肝だ。磨り潰しても、焼いても美味しい。しかも、それぞれで味が違うので、何度も楽しめる。軟らかいので、串にも良く刺さる。火で炙って、兵士達に配る。この独特の甘みが、疲労の回復に丁度いい。

この時期の珍味に、舌鼓を打つ。まだアプラの実はたくさんなっていたので、しばらくはこれで乗り切れるだろう。

シモンに付けていた兵士達が戻ってきて、敬礼した。敬礼を返して、報告を聞く。結果は、あきれ果てたものであった。

村長はシモンを連れ回して歩き回り、如何にも宝がありそうな話をしながら、ただ喋り続けていたのだという。シモンはろくに何も探そうとはせず、兵士達は散々辺りを掘り返させられた。もちろん成果はゼロだ。それでもシモンは笑顔を崩さなかった。恐らく、村長の娘を今晩も好きにして良いと言われているからだろう。

今日になってから、何回か村長の娘を見たが、あれは男をたらし込むプロだ。多分雇ったか買ったかした人間で、村長の血縁ではないだろう。ひょっとすると、薬漬けにされて言う事を聞くようにされているかも知れない。どちらにしても、シモンは良いように操られていると言う訳だ。嘆かわしい話であり、笑止でもある。

兵士達の最年長者が、愚痴と一緒に言ってくる。それなりに真面目な男なのだが、流石に苛立っているようだ。

「八級武官、こんな所に、宝なんてあるんですかね」

「さてな。 もしあったら困るから、我らは来ているのだ。 それを考えると、一応は探さないといけないな。 もし敵国のスパイがここで宝でも発見しようものなら、全員首が飛ぶ事になるしな」

このような質問が出ている時点で、兵士達のやる気が削がれているのが分かる。元々士気が低い部隊なのに、これ以上は好ましくない。流石に国内だから脱走したり略奪に走ったりはしないだろうが、些細なミスが致命的な事態を招きやすくなる。兵士達の士気は、部隊の実力を決める重要な要素なのだ。

だが、この状況下で、士気を保つのはやはり無理だ。シャネス自身さえも、やる気を喚起する事が出来ないのである。それなのに、どうして部下達を、真面目に勤務させる事が出来ようか。

もう休んで良い旨を伝えると、兵士達はごろごろと横になり始めた。此処が自軍の基地だとでも思っているのだろうか。嘆かわしい話である。シャネス自身はもう一度村を見て回る。

以前、士官ではなく、一兵士だった時代。前線で奇襲攻撃を受けた事がある。部隊は壊滅的な打撃を受けて、散り散りに逃げた。あの時、奇襲作戦の直前に。独特の殺気を周囲から感じたのに、気付く事が出来なかった。

今は違う。もし同様の殺気があったら、気付く事が出来る。

殺気はないが、先ほどからずっと視線を感じる。しかも多数。村の連中が、此方を見張っているのは明らかだ。

いっそ仕掛けてこないかなと、シャネスは思った。

 

女士官が歩き去るのを見届けると、小作人ジュルクは、胸をなで下ろしていた。というのも、幼い妹が、ずっと女士官の方を見ていたからである。

元々農家の女は、都会のそれとは別の生物のように見える。農作業に適している体は、頑強で背が低く、全体的に四角くなりやすいのだ。腰を曲げて作業をする事が多いため、老化も早い。それに比べて、都会の女は細くてすらりとしていて、背も高い。農村の男性が、都会の女を嫁に欲しがるのも、無理がない話である。若い娘達も、都会の体型に憧れるものなのだ。

幼い妹は、まだこの村が抱えている業を知らない。教育もまだ済んでいない。余計な事を喋らないように言い聞かせる自信も、ジュルクには無い。

「兄ちゃん兄ちゃん」

「なんだ、アカネ」

「さっきの姉ちゃん、どうしてあんなにすらっとしてるんだ?」

「都会の女は、みんなあんなだ」

都会に暮らせば、あんなに綺麗になるのかと言われたので、首を横に振る。

以前ジュルクは聞いたのだが、血の問題なのだという。村長の家では、代々都会から若い女を買ってきて、接客用に買っている。接客用としては年を取ると、村の人間に下げ渡されるか、処分される。前者の場合、当然子供が出来る事があるのだが、やはり体型は都会女と同じになる事が多い。実際、向かいの娘はそうだ。

まだ妹は何か聞きたがったので、無駄口を叩かないで、手を動かせという。妹は未練がある様子で、時々士官が去った方向を見ていた。良くない傾向だ。特に、村長が見ていでもしたら、何をされるか分かったものではない。伝説に出てくる悪魔や狼男なんかよりも、村長の方が余程怖い。

ただ。もしあの女士官がアカネを連れて行ってくれるのなら、それも良いかなと思う。こんな小さな村で、他人の金品をだまして搾り取りながら生きていくのは、あまり気分が良くない。今後はアカネもそれに加わるとなると、もっと気分が悪い。軍人なんてものはヤクザな仕事だとは分かっているが、それでもこの村で暮らすよりはマシだろう。

もし、アカネを連れて行ってくれるとしたら。何かしらの方法で、あの女士官と接触する必要もある。それに、ある程度たらし込まなければならないだろう。

信用を得るにはどうしたら良いか。やはり、情報を売り渡す事か。この村の実情と、宝など、本当は誰もありかを知らない事などはどうだろうか。今、それはあの軍人にとって、一番欲しい情報の筈だ。

震えが来た。そんな事をして、村長にバレでもしたら、自分だけではなくアカネまで惨殺される事が目に見えている。その上、この村では、小作人は相互監視させられている。何処に他人の目があるか、知った事ではないのだ。

しかし、これは好機かも知れないのだ。最悪、村を出るための資金だけでも欲しい。一生涯小作農で過ごすくらいなら、危険な賭でもしてみるのは悪くない。しかし、あの女軍人の性格がよく分からない。下手をすると、アカネを娼館に売り飛ばして、それっきりという展開も考えられる。

頭を振って、雑念を追い払う。何だか思考が堂々巡りしているようだからだ。同じ思考の繰り返しは不毛だ。

アカネは農作業に戻り、鍬をふるって畑を耕し続けていた。今日も疲労が大きいようだ。無理もない話である。小作農に課せられる仕事のノルマは、あまりにも大きい。体調を崩して、命を落とす子供だって珍しくはないのだ。しかも、ジュルクの家は、二人しかいないという事もある。よその家よりも、更に状況は厳しい。

早めにアカネを上がらせる。雑念があると、やはり良くないと思って、無心に鍬を振るった。賭に出るにしても、今はまだ好機ではない。

何度も、そう自分に言い聞かせた。

 

アカネはさっさと家に戻ると、欠伸を一つ。本当は、体力には余裕が幾らでもある。

兄の悩みが、アカネには手に取るように理解できていた。バカな兄だと、心中にて嘲笑する。何も知らない子供を装うのは、それなりに面倒くさい。

どうせ、あの軍人に自分を連れて行って貰う方法でも考えているのだろう。小作農の兄には、交渉のカードは情報くらいしかない。だが、兄が考えている以上に、この村の情報ネットワークは優れている。下手な動きを見せれば、アカネごと瞬く間にあの世行きである。

それでは困る。

もっと幼い頃から、妙に頭だけは回った。他人の思考も的確に洞察する事が出来たし、一度覚えた事は絶対に忘れなかった。それが特別だと気付いたのは、いつだっただろう。七つの年の頃には、周囲の子供が如何に愚鈍であるか、気がついていたような記憶がある。それを利用して、今では村長の耳目の一つになっている。四年ほどで三人の小作農が闇に葬られているが、その全てにアカネが関与していた。

面倒な事に、アカネはここ最近、急速に手足が伸び始めて、大人になり始めている。バカな子供を装っている方が、大人は油断させやすい。だからこそに、密告屋としてアカネは有能だったのだが、それも終わりが近付き掛けている。互いに密告屋は素性を知らされていないが、うすうす勘づき始めているのが何人かいる。面倒な話である。密告屋としての立場を利用して、消す事を考えなければならないだろう。

この村のネットワークは、想像以上に闇が深い。去年死んだ斜め隣のばあさまなど、その密告屋同士のネットワーク内部でのトラブルにより、リンチにあって殺されたのだ。アカネも素性がばれれば、小作農の何人かから復讐に会う可能性がある。

潮時かなと思った。

村に忠誠心など無い。あの女軍人は生半可な相手ではないが、自分が手助けをすれば、兄の隙だらけな思惑も実行できるかも知れない。或いは、他の燻っている幾つかの計画に手を貸す事も簡単だ。一旦この村を脱出できれば、後は自由だ。犯罪組織に潜り込むなり、軍で働くなり、身の建て方など幾らでもある。その後、兄などどうなろうと知った事ではない。弱者は死ね。この村で生まれ育ち学んだ世の摂理だ。無能な兄など、一生小作農をしていればいいのである。

問題は、どうすれば村の耳目を一手に握る村長をだます事が出来るか、ということだ。

耄碌し始めているとはいえ、あの村長は侮れない。意図的に嘘の情報を流すにしても、見破られる可能性は高い。ただし、希望も確かにある。あの村長に、実働戦力は乏しい。今村に来ている軍隊が本気になったら、抵抗は全く出来ないだろう。瞬く間に潰されてしまうのは疑いない。そう言う意味で、村長は危ない橋を渡っており、かなりぴりぴりしているはずだ。

焦れば人間はミスをする。その実例を、アカネは何度も見てきた。奴が大きな隙を見せた時が、好機だ。愚鈍な兄の背中を押して、行動を起こさせる。兄は捨て石にしてしまって構わない。自分さえ良ければ、後の生物などどうなろうと知った事ではないのだ。

兄が野良仕事から戻ってきた。体が弱いふりをしておけば、この愚かな男は幾らでも目を曇らせる。

静かに、闇に伏せる獣は牙を研ぐ。

 

3,少しずつ動き出すもの

 

情報収集用の紙に、また新しいデータが加えられた。腕組みして考え込む。そして、線を引いた。とても整理しきれるものではない。紙を覗き込んでいた兵士達も、首を捻って考え込んでいた。

各家に情報を聞きに向かった兵士が、少しずつ戻り始めている。彼らの持ち帰ってくる情報は、やはりシャネスが睨んだとおり、口裏を合わせているのが明白なものばかりだった。

まずどの情報も、宝がある事を示唆している。それでいながら、巧みに具体的な場所は隠蔽し、抽象的な言葉で茶を濁している。それぞれの言葉は関連性がないようで、実はどれもあり、聞いた人間を混乱させるように計算し尽くされていた。何十年も掛けて練り上げた、悪意の結晶。それが、この村そのものだ。

裏に混乱させる意図があるのは明白である。この村の連中は、ぐるになって山師から金を巻き上げて生活してきたのだから、当然だとも言えるが。それにしても、此処まで濃厚な悪意になると、シャネスも流石に寒気を覚える。この世で一番恐ろしい存在は人間だと、戦場でもそれ以外でも思い知ってきたはずなのに、やはり戦慄してしまうのは、まだまだ悪い意味で若いからだろうか。

宝探しを始めて、三日目。いまだ、実のある情報は出てきていない。一番軍隊経験の長い兵士が、シャネスが思っていて口にしない事を、敢えて言う。

「シャネス八級武官、こんな事をしていて、意味があるのでしょうか。 何か悪意によって、踊らされているような気がします」

「気がするんじゃなくて、実際に踊らされているんだよ」

「え?」

「正確には、その悪意のルートを辿りながら、本当に村に宝がないのか検証しているところだ。 ひょっとすると、本当に宝がある事を示唆する情報が混じっている可能性もあるからな」

だが、情報を集めれば集めるほど、宝を探すのに必要な生の情報は無いと感じざるを得ない。どの情報も、後から必要に応じて作られた事が目に見えているものばかりである。特に集めて互いを見比べると、それが顕著に現れてくる。巧妙だが、ある程度頭の良い人間なら気付くはずだ。どれも、人工的な情報であって、見たままの生のものではないのだと。

しかし、この村に宝がないと結論するのは、これでもまだ早いような気がする。火のない所に煙は立たないからだ。金目当てで蛾のように寄ってくる山師達もバカではない。嘘情報に惑わされる奴は、そう多くはないはずだ。彼らがないと結論づければ、たちまちにこの村など枯れ果ててしまう。そうなれば本末転倒だ。熟練の山師達にもあるかも知れないと思わせるものが、この村にはあるはず。それが何かを、シャネスは見極めたいと思っている。それさえも村の戦略の一つかも知れない。だが其処まで来ると、この小さな村が作り上げたにしては、完成度が高すぎる。

この村の事は、来る前にある程度情報を集めた。だがそれでも足りない。最後の兵士が戻ってくる。此処までで、一旦村人からの表面的な情報収集は終わりだ。此処からは、村の者達の裏を掻く行動を取らなければ、何一つ解決はしないだろう。

シモンが村長と談笑しながら通りがかる。ご機嫌な様子だ。昨晩も楽しんだのだろうから当然だとも言える。嫌みを交えて敬礼すると、流石にばつが悪そうに眉をひそめた。だがすぐに忘れてしまったようで。再び談笑に戻る。どうしようもない奴だ。嘆息を一つ漏らすと、戦略を切り替えた。ポケットに手を突っ込んで、鉄鉱石に触れる。エネルギーを取り込み、疲労を取りながら、思考を練る。

「宝とは、ひょっとすると物理的な金品ではないのかも知れない」

「といいますと」

「まず、其処から考えよう」

 

見張り小屋で、兵士達の動きを監視していたルヴァルドは舌打ちしていた。村中に散って聞き込みをしていた兵士達が、がらりと動きを変えたのだ。思った通り、あの女士官、かなり出来る。村にばらまいてある情報がブラフであると看破したのだろう。早い内に動きを見きらないと、危険な事態になる可能性がある。

村長が、上げた合図に気付いた。合図というのも、大したものではない。どの窓から炊事の煙を出すかというような、簡単な代物だ。だがこの村では、それさえも合図の一つとして機能しているのである。

シモンを他の人間に任せて、見張り小屋に来た村長も、既に事態に気付いているようだ。

「あの女、思ったよりやりおるのう。 もう看破しよったか」

「どうしますか? このままだと、面白くない動きを始めそうですが」

「放っておけ」

呆けたかこの爺と、ルヴァルドは心中にて毒づく。だが、村長はルヴァルドの思惑を遙かに超える存在であった。昔も、そして今も。

「今までも、この村に撒かれている情報を嘘だと見破ったやつなど幾らでもいたわ。 だが、どいつも結局は、情報に惑わされて、右往左往した末に去っていった。 何故だと思う」

「はあ、何故でしょう」

「それはな。 この村に、実体のない宝があると考えるからだ」

金品ではない宝があるかも知れないと思わせる空気。それは、この村が長く培ってきた、噂の歴史が作り出したもう一つの宝である。火のないところに煙は立たないという言葉でも分かるように、人間は情報を非常に重要視する。それがどんなにくだらない噂であっても、あるだけで身を縛られるのだ。

その証拠に、あの女軍人も、それに沿って動き出している。シモンとか言うバカは村長が振り回していればそれで済む。あの女軍人に対しては、隙さえ見せなければそれでいい。どれだけ切れる相手であっても、隙さえ見せなければ、勝てる素材がこの村には揃っているのだ。

そう村長は言った。

恐ろしい老人だと、ルヴァルドは改めて思った。隙を見せるどころか、いまだ小揺るぎさえしない。無数に積み上げてきた経験が、この老人の精神を鉄壁に変えている。多少耄碌したくらいでは、その壁が崩れる事はないのだろう。

「村の連中に対する監視を怠るなよ。 この機会に不満分子が動き出すかも知れないからな。 必要とあれば、即座に取り押さえろ。 その場合は、連中が見ていないところですぐに消せ」

「は。 分かりました」

「後の判断は任せる。 全く、難儀な話だな」

腰を叩きながら、村長はシモンの接待に戻った。したたかな老人だと、ルヴァルドは思った。自身は一番楽な仕事をしながら、村全体を巧みに操っている。そして、不満分子が漏出する可能性についても、看破していた。

まだまだ、とてもではないが、ルヴァルドに対抗できる相手ではない。恐らくは先祖からさえも蓄積された経験を、身に焼き付けている。この村が作り出してきた悪意を受け継いだのが、あの老人なのだろう。そんな迷信じみたことまで、考えてしまう。

余所の村では、長やその一家が暴虐の限りを尽くすと聞いている。小作人に対しては王のように振る舞い、役人に対してはこびへつらう。もちろん賄賂を取るために、税をむしり取るのは日常茶飯事だ。何という幸せな連中だと、ルヴァルドは思った。此処では、そんな理由は成立しない。他の村では、ただ傲慢に反り返っているだけで良いかもしれない。此処の村長の一族は、幼い頃から徹底的に特殊な教育を施される事が間違いない。それは地獄同然のものだったのだろうと、村長を見ていると容易に想像できる。

地獄から這い上がってきた妖怪のような村長を見ていると、やはり身震いを抑える事が出来ない。

恐ろしい老妖怪が去ったのを確認すると、監視に戻る。女軍人達は、兵士達を集めて、なにやら話し込んでいる。後で側に住んでいる農民に、内容を聞き取らないといけない。手を読もうとはしなくてもよい。それは村長がするからだ。ルヴァルドがするべきなのは、相手の不審な動きを察知する事である。

監視されていると思うと、人間は基本的に緊張する。あの女軍人だって、それは同じの筈だ。行動には様々な制約も出てくるし、自由には移動できなくなってくる。今のところ考えてはいないが、襲撃を警戒しなければならなくもなるだろう。

兎に角、焦るな。あの女軍人が何かしてくるなら、その気配を適切に読めばいい。所詮自分は中間管理職だ。村長の機嫌を損ねないよう、客に隙を見せないように振る舞っていればいい。いつもは荒事もしなければならないが、今日に限ってはそれも無い。

ふと、気付く。女軍人が、此方を見た。

一瞬だけ、目があった。背筋に寒気が走ったのは、村長と同じものを感じたからだ。

この村は、確かに魑魅魍魎の住処だ。山師達から金を巻き上げ、時には地獄へたたき落として、生計を立ててきた。

だが、何だかおかしい。今、この村は、妖怪共が相噛み合う、恐怖の戦場と化しているのではないのか。今まで生きてきて、そんな状況は一度もなかった。ひょっとして、村長以上の怪物が、今村には来ているのではないのか。

そんなものは妄想だ。妄想に違いない。自分を慰めるが、しかし恐怖は去る気配もない。女軍人が、此方に近付いてくる。呼吸を整える。いつも通りにすれば、問題など何もない。でかい図体をしているのに、何という様だ。己の不甲斐なさを感じるが、それ以上に恐怖がより強かった。

気がつくと、すぐ其処に女軍人がいた。何人かの護衛が、側に着いている。息が止まるかと思った。

「見張り、話を聞きたいのだが、いいか?」

「は、はあ。 何でしょうか」

「この村に、何か変わったものはないか? 変わった奴でもいい」

何でそんな質問が、今更出てくる。村の周囲にある変わったものや、宝のありかを示唆するような話については、村の連中が分散して話しているはずだ。もちろん、ルヴァルド自身も話した。この女軍人が、わざわざ同じ事を二度も聞きに来るとは思えない。

「さっき、聞かれた通りでさ」

「いや、宝はいいんだ。 村にある、お前が変わっているなと思ったものについて聞きたい」

「は、はい?」

今までも、奇をてらった質問をしてきた山師はいた。だが、こんな話は始めてた。宝とは関係ない、村の奇所。何故、そんなものを聞く必要がある。一度奇をてらった話をする事で、此方を攪乱するのが目的か。しかし、攪乱などして、何の意味がある。

「いいから、聞かせろ。 この村にずっと暮らしているんだろう? どういう奴が住んでいるか、どんな変なものがあるか、熟知はしているはずだ。 それとも、最初に用意されているマニュアル以外の返答は出来ないのかな?」

汗が額を伝う。それを見て、女軍人は口の端をつり上げた。間近で見て、気付いた。兜の奥に隠れている素顔に、巨大な向かい傷がある。 顔の半分が変色するほどの、凄まじいものだ。 これだけでこの女軍人が、どんなところで生きてきた相手なのか分かる。最初見た時の予想は、外れていなかった。

多分、ルヴァルドではかなわない。しかし、余計な事を言えば、村長に粛正される。予想もしない窮地に自分が立っている事に、ルヴァルドは恐怖した。更に、軍人の言葉が、ルヴァルドを追い込んでいく。

「図星か」

「い、いや、その」

「じゃあ質問を絞ろう。 この村には、地主と小作人をあわせて、188人が住んでいる事を確認した。 その中には変わり者もいるだろう。 それを思いつく限り、全員挙げて欲しい」

「な、何で俺が」

女軍人は顔を近づけてくる。弱者を虐げる強者の、喜びが目に宿っていた。そうだ、村長と同じ目だ。近くで見て、はっきり理解した。手は汚さず、自分は楽な仕事をしながら、最大限の成果を上げていく。他の人間を皆ゴミだとしか思っておらず、利用して冷酷に己の力を蓄えていく。そして、不満を抱かない程度に、飴を撒いていく。

「お前はこの村の、実働戦力の長だろう? それならば、粛正するべき相手や、危険な存在も頭に入れているはずだ、 それとも、そういうのは、村長が全部考える仕組みになっているのか?」

「え? あ、その、いや」

悲鳴を上げそうだった。なんだこの女は。どうして、何もしゃべっていないのに、どんどん事実に肉薄してくる。対応が不味いのか。それとも、村人達が何か口を滑らせたのか。それとも、この女自身が何か考えたのか。

汗が止まらない。恐怖で、生唾を飲み込みそうだった。そんな事をすれば、更に相手につけ込む隙を与えてしまう。

「ほう。 どうやら、村長のワンマン体制のようだな」

「ぐ、軍人さん、冗談がすぎまさあ。 何を言っているのか、俺みたいな田舎者にはさっぱりでさ」

「田舎者は正直でいい。 何も喋らなくても、顔に全部出ている。 あの村長は、我らには攻撃を仕掛けるなと言っているのだろう? それはそうだ。 戦力では、此方が上だからな。 よほど巧く奇襲でも仕掛けないと、うまくいきっこない。 何よりも、軍隊一個小隊が村から消えでもしたら、もみ消しは不可能だしな。 この村の収入では、近くの役人に賄賂も送っていないだろう」

今度こそ、悲鳴が漏れてしまう。駄目だ、駄目だ駄目だ。この女の相手は、自分では荷が勝ちすぎる。顔に出ているとは何だ。自分より体格のいい山師と相対した事もあるのに、比較にならないほどの恐怖を感じる。全く理解できない。あまりにも高いところにいる相手から、一方的に言葉の暴力を振るわれている。抵抗できない恐怖が、ルヴァルドの精神を焼いた。

「まあいい。 お前以外の奴に聞くとする。 お前はせいぜい、村長に我らが村の変な奴らにターゲットを絞って聞き込みをしているとでも注進していろ」

「う、あ」

「じゃあな。 邪魔した」

女軍人が去ると、思わずへたり込んでしまう。呼吸が乱れて、視界が定まらない。何だ。一体あいつは、何なんだ。

村長に知らせなければ。危険だ。きけんきけんきけんきけん。囲炉裏の煙を調整しようとして、手元が狂って、火花が散った。鋭い悲鳴を上げてしまった。

まるで闇に怯える幼子のように。ルヴァルドは何もかもに恐怖した。頭を抱えて、必死に心を落ち着けようとする。だが、上手くいかなかった。

 

扱いやすい奴だった。あの見張り小屋の男は、今まで把握している村の状況を少しずつ指摘してやるだけで、すぐパニックに陥った。それなりに戦えるようだが、頭の方は子供並みと言う事だ。今までも、大した修羅場をくぐった事がなかったのだろう。これで、ある程度の情報は入手できた。

シャネスにとって、交渉ごとはお手のものだ。もちろん暴力を使いこなすタイミングも心得ている。伊達に師について大人の世界でずっと生きてきていないのだ。絶望的な状況に陥った事は幾らでもある。それから比べれば、命の危険が小さいこの任務など、それこそ屁でもない。

さて、これからどうするか。この村の宝の実体があるのか無いのか。あるのなら、どれほどの価値があるものなのか。早めに見極めないとならない。それが終われば、こんな所とはさっさとおさらばだ。もう二度と来る事もないだろう。正直な話、面倒くさいので、宝などない方がいい。あったところでシモンの手柄になるだけだし、骨折り損だからだ。ただ、兵隊達が死なないように、目を光らせなければならない。無能な若造がかなり混じっているから、そいつらを鍛え上げなければならないのだ。小隊とはいえ、指揮をしているのはシャネスだからだ。最悪の展開になっても、責任問題だけは回避しなければならない。

もしも、現在の王の改革が上手くいけば、実力主義の世の中が来る可能性がある。その時には、評価されるのは実績だ。シャネスの見るところ、改革が成功するかは五分五分と言うところである。上手くいったときのことを考えて、今の内にしっかり実績を積んでおけば、将来が楽になる。

さっきの反応に、手応えがあった事で、シャネスは少しやる気を出していた。一度やる気が出ると、頭脳の回転も速くなってくる。

「シャネス八級武官、これからいかがいたしますか」

「まず、村の者達に、さっきの私と同じく、変わったものの話を聞いて回れ。 その後は、私が考える」

「は。 変わり者が見つかったら、どうしますか?」

「少し様子を見る」

もし、それで村の連中がパニックでも起こしたら、しめたものだ。変わり者だと言われた者を殺すような事があれば、それを理由に村長を締め上げる事が出来る。あの老人は狡猾だが、実際の武力は持たない。新兵ばかりのクズ部隊といえど、それなりの訓練を受けた一個小隊三十人は充分な戦力であり、これを突破する事は容易には出来ない。

更に言えば、偏屈な人物であれば、村長に反抗的な態度を取っている可能性もある。如何に独裁体制といえども、全ての人間を完全掌握するのは不可能だ。巧くすれば、たらし込んで、有益な情報を探り出せるかも知れない。

「お前達はどうだ。 聞き込みをしていて、変な奴は見かけなかったか」

「そういえば」

若い兵士が顔を上げる。兵営の恋の片方だ。ここ数日はそれなりに緊張しているからか、油断した様子はない。

「寡黙で真面目そうな男に話を聞いている時に、此方をうかがっているやたら鋭い視線を感じました。 見ると、其処には子供がいただけでしたが。 あれは何だったのか、よく分かりません」

「他には?」

特に返事はない。まあ、どうせ時間は幾らでもある。油断をしないためにも、ある程度緊張をしていた方が良いのは自明だ。

「よし、何人か私に着いてこい。 そいつに尋問してみる」

「それだけの理由で、ですか?」

「堤防が蟻の穴から崩れる事もあると、聞いた事はないか?」

返事はなかった。だが、別にそれで構わない。

さて、これで突破口が開けそうだ。

 

シモンの接待をしながら、見張り小屋を見た。眉をひそめてしまう。パニックに陥ったらしく、滅茶苦茶に煙が上がっていたからだ。

女軍人が、戦略を切り替えてきた事に、ガフ村長は気付いた。同じ聞き込みでも、内容が全く違っている。煙の様子から、それを察知する。見張り小屋から上がった煙や、飼っている密告屋達から情報提供を受けて、その内容の分析に取りかかる必要がある。

「ガフ村長、それで今晩なのだが」

「おお、おお。 娘も貴方を気に入ったようでしてな。 またかわいがってやってくだされ」

「そうかそうか。 嬉しいな」

シモンと話しながらでも、推測くらいは出来る。一旦シモンを連れて自宅に戻ると、囲炉裏に火を入れて、煙を上げる。そして妻にハンドサインを出して、密告屋達を動かすように指示した。

相手がアホでも、それなりに注意しないと危険な場面はある。このシモンに対しては、どう油断しても平気なような気もするのだが、それでも念には念を入れた方が良い。断りを入れて、席を外す。妻はもう、ある程度情報を整理していた。

「どうやらあの女軍人さんは、村の変わり者を調べているようですねえ」

「何が目的で、そんな事を」

「さあ。 それを考えるのが、貴方の仕事なのではないですか?」

確かにその通りだが、突き放されたような気分だ。ここのところ、思考の鈍化を感じる事が多い。今も、簡単には相手の思惑が読めなくなっていた。

シモンの元に戻る。アホな奴だけに、目を離すと何をするか分からない。それに、このような男の場合、嘘をつく事も出来ないだろう。下手なものを見られると、取り返しが付かない事にもなる。いるだけで面倒な相手でもあるのだ。

案の定、退屈したためか、その辺のものをひっくり返したりしていた。咳払いすると、慌てて居住まいを正す。これでは、あの女軍人は、さぞかし苦労している事だろう。戦力としても、全く期待してないようだが、それも無理はない。

「おお、ガフ村長。 戻ってきたか。 私は退屈したぞ」

「それはそれは、すみませんでしたな」

「それでだ。 村の楽しいところを案内してくれぬかのう」

「このような小さな村ですし、貴族であるあなた様を楽しませる場所など、ありはしませぬで。 申し訳ありません」

夜は散々良い思いをさせてやっているというのに、何と面倒な奴だ。ガフは舌打ちすると、どうにか機嫌を取るべく、思惑を巡らせる。村の昔話でも聞かせてやるのが一番だが、そうすると考え事が出来なくなる。

手を叩いて、妻を呼ぶ。耳打ちして、昔話を始めさせる。別にガフが直接言わなくても良いのだ。一旦外に出て、女軍人の様子を探る。

奴は何処へ行った。小さな村だ。あまり探し回らずとも、すぐに見つける事が出来る。

不可解な光景に、すぐに行き当たった。奴は小作人の一人を捕まえて、話し込んでいた。困惑する小作人に、根掘り葉掘り聞き込んでいる。何が目的なのだろうか。歩み寄ろうとしたその時、妻が呼ぶのに気付く。

シモンが外に出たいと懇願しているのだと、妻は言った。思わず、地面をけりつけていた。

シモンが言っているのが、村の外なら良いだろう。だが、あの好色男の事だ。どうせ村の娘でも味見するつもりなのだろう。村の連中との契約の一つに、山師の性的な接待はガフが抱えている娘が行うと言うものがある。つまり、他の村娘に手を出されて、それがトラブルになると、面倒な話になってしまうのだ。

シモンは颯爽と馬に跨ると、髭を手入れし始めた。魂胆が見え見えすぎて頭が痛くなってくる。

「おお、村長。 見目麗しい娘がいないか、案内してくれ。 どうも村の昔話は、退屈でいかんでな」

「そうですか、ではこのじいめが、案内を承りましょう」

妻を睨むが、ついと視線を背けられてしまった。シモンは此方の苦悩になど気付くはずもなく、今からあらぬ妄想をかき立てられているようで、涎を拭っていた。このアホ貴族が。心中で罵るも、相手に届く訳がない。というよりも、実際に言葉に出しても、この男には届かないだろう。それは一番ガフが良く知っている。人間は一度何かを正しいと思いこむと、目の前に突きつけられたものさえ見えなくなるものなのだ。

さて、どうやってこのアホを静かにさせるか。それと同時に、あの女軍人の動向も監視しなければならない。

いつのまにか、状況を処理しきれなくなっている事に、ガフは気付いていた。それがますます、苛立ちを加速させる。

このままでは笑顔を保てなくなりそうだ。苦労して笑顔を作り直しながら、ガフはどうするべきか、必死に考え続けていた。

 

4,近付く破滅の足音

 

思ったよりも早く好機が来た。アカネは、苛立つ村長を影から見て、ほくそ笑んでいた。あの様子だと、あの爺は近いうちに何か大きなミスをする可能性が高い。その機に乗じれば。このくだらない村を抜ける機会が来る。

女軍人は、兄に掛かりっきりである。大人になりかけている体を疎ましいとここのところは思っていたが、逆に今は子供である事が恨めしい。能力的にも限界があるし、特に荒事には全く対応できない。あのクズでヘタレのルヴァルドにさえ、どうあっても対抗できないだろう。

さて、どうするか。

状況を頭の中で整理していく。村長はアホ貴族の接待に掛かりきりで、軍部隊の司令官である女軍人は、村での調査を続けて揺さぶりを掛けている。それで、ここからが肝心なのだが。

多分、女軍人は、宝がある事など望んでいないのではないか。さっきから、表情を見ていて、そう感じるのだ。山師特有の、ぎらぎらした目をしていない。醒めていて、さっさと何もかも終わらせたいと考えているのが分かるのだ。

ただ、このまま何もかも上手くいくとは、アカネも考えていない。何度か女軍人には、此方の視線に気付かれた。そのせいか、奴は時々此方を見ている。兄がただ善良なだけの無能なクズだと言う事は、少し話しただけで分かったはずだ。それなのに、兄につきまとって色々聞いている理由は、自分に揺さぶりを掛けている可能性もあるのだ。

さて、何を企んでいる。アカネは農作業をするふりをしながら、機会の変転をうかがい続ける。

肩を叩かれる。顔を上げると、女軍人が、至近でにこやかな笑顔を浮かべていた。後ろでは兄が、不安そうに眉をひそめている。

「話を聞かせてもらえないか? 確かアカネだったな」

「は、はあ。 まあ」

出来るだけ柔和な笑みを作る。今はまだ、本性を悟らせるタイミングではないからだ。女軍人は笑っている。ただし、目には容赦のない光が宿っている。

「貴方が、かなり変わった子だって聞いてね」

「お、俺はそんな事は何も」

「五月蠅い! 黙っていろッ!」

不意に轟き渡る怒号。女軍人が、一瞬で鬼のように形相を変えて、割り込もうとした兄に叩きつけたのだ。兵士達が蒼白になり、尻込みするほどのものだった。怯えるふりをしながら、内心口笛を吹く。

「連れて行け」

「は、はいっ!」

兵士達が敬礼すると、固まったままの兄を引きずっていった。それを絶対零度の視線で見送ると、女軍人は虎のような笑みを浮かべる。

「大変ねえ。 無能な家族を持つと」

「そんな、おらは別に」

「いい加減に、猫を被るのはやめなさい。 もうだいたい分かっているのよ」

「仮にそうだとしても、ここで本性見せるわけにはいかないだなあ」

辺りに人がいないのを確認した上で、ぼそりと言ってみせる。にいと口の端をつり上げる女軍人。

小さな取引が、二人の間にかわされた瞬間だった。

さて、問題はどうするかだ。怪しげな話題を振られて、それに気付かれでもしたら危険すぎる。それに女軍人がガフ村長の暴走を待っている場合、スケープゴートにされる可能性もあり得るのだ。

だいたい、長話自体がまずい。しかしその辺り、女軍人は抜かりがなかった。

「また夜にでも来るわ。 じゃ」

そう言って、地面に模様を書き残していった。見れば、山に一筋の線が入った単純な模様である。意味は分かった。だが、少し危険かも知れない。もちろん、あの女軍人が、夜に家に来る事などはない。

そういえば。先ほど、見張り小屋の煙が、滅茶苦茶に乱れていた。あの女軍人が訪れてからだ。大体の事情は分かった。ルヴァルドの今夜の勤務場所を思い出す。其処が、穴になるだろう。さて、問題は村長だが。

アホ貴族が先ほどから村を見て回っている。どうせ女でも漁ろうと思っているのだろう。はす向かいの次女なんかは適齢期で丁度いい。しかもあの家は当主が長老の一人であり、村長でさえあまり無碍には出来ない。この状況、貴族がだだをこねたら面白い事になりそうだ。

緩慢に、だが確実に広がっている破滅の足音。いっそこの村が丸焼けにでもなればもっと面白い。何かいい手はないか、アカネは真面目に考え始めていた。

 

一通り種をまいてから、シャネスは広場に戻った。聞き込みに行っていた兵士達も、おいおい戻ってきている。

点呼を取る。欠けた者はいない。話を集める。だいたい、満足すべき結果が集まりつつある。

やはり、さっきとはだいぶ様子が違っていた。素直に喋る者も僅かにいたが、殆どは困惑した様子で、応えられないとか、どうしていいのか分からないとか返答した。これこそが、この村がマニュアルに沿って動いている良い証拠だ。村に来る連中は、宝の事しか考えていない。それを想定してのマニュアルだから、こういうからめ手からの攻撃には脆いのだ。

それで、集まった情報を吟味すると、面白い事が分かってきた。

いわゆる変わり者は、村長宅の周辺に集められている。これは恐らく、監視を容易にするためだろう。彼らを囲むようにして、屈強な若者がいたり、警備を担当しているような者達の家が的確に配置されているのには唸らされる。何かあったら即座に殺す態勢を整えていると言う訳だ。もちろん、変わり者達も、うかつに余計な事を喋る事は出来ない。

さっき話を付けたあの子供は、結構な切れ者と見た。使えるようならば、このくだらない村から連れ出してやってもいい。どうせそれが目的だろう。所詮は子供である。その程度の事なら、幾らでもやってやる。あの年頃の子供は、それで村を売る事になっても、罪悪感の欠片も感じないだろう。特に困る事もない。この辺りは、自分で覚えがあるから、よく分かる。

さて、シモンの動きだ。さっきから若い村娘を物色して彷徨いているが、どうやら早速一悶着を起こしている。良い傾向である。アホはアホに相応しく、このまま混乱を起こし続けてくれればそれで良い。シモンは村長を交えて、長老格の村人の家の前で、なにやら揉めている。声が大きくなってきているのは、興奮している証拠だ。

偶然を装って、様子を見に行く。困惑する村娘に、露骨な性行為の要求をするシモン。気の毒に、餌食にされようとしているのは、まだ若い娘だ。そして家の裏では、村長と家の当主らしい老人が、がなり合っていた。声が徐々に大きくなり、だんだん表情が険しくなりつつある。

約束が違うぞ。当主が叫いた。かなり大きな声だったので、シモンも気付いて、口説くのを一旦止める。だが、どうでもいいといった風情で、また口説き始める。村長は眉を怒らせて、叫いた。

「そうはいっても、どうにもならん」

「それでも村長か! 約束を守らないなら、此方にも考えがあるからな!」

「ほう? 何を考えているのだ」

村長の声に、殺気が宿る。二人の老人が、至近距離で視線をぶつけ合う。困惑している村の者達の視線が、絡み合っていた。良い傾向だ。このまま村が瓦解してくれれば、むしろ真相を探りやすくなる。派閥同士に別れて殺し合いにでもなれば、更にやりやすくなる。その場合は全員ひとかたまりになって、様子を伺う事になるだろう。一斉に村人が襲いかかってきたら面倒だが、火でも炊いて武器をぎらつかせて集団で威嚇すれば、そういう事態にはなりにくい。

何度か暴徒鎮圧の経験があるシャネスは、対処法も心得ている。暴徒などと言うのは、頭を潰してしまうか、相手を超える凶悪な暴力を見せつければ、すぐに瓦解してしまうものなのだ。この場合どちらも容易に手を取れるので、それほど危機感はない。よほど油断しなければ、死者を出す事態にはならないだろう。

広場に戻り、部下達を見回す。

「警戒レベルを上げる。 全員、有事に備えろ」

兵士達が、さっと緊張する。此奴らも、一応の訓練を施している。実戦こそ経験はしていないが、警戒レベルの上昇が何を意味するかは分かっているのだ。

さて、夜が楽しみだ。新兵が鍋で雑炊を作り始めるのを横目で見ながら、シャネスはほくそ笑んでいた。

 

やっとシモンが諦めて、家に戻ってくれた時には、ガフは疲れ果てていた。分かっていた。今、村の状況が、かってないほどに悪化している事は。

今までも、ガラが悪い山師が大挙して村に訪れた事はあった。だがそう言う連中は、例外なく肥やしになって埋まっているか、山の土の下でおねんねである。今回面倒なのは、相手が完全武装した軍隊の上に、手を出す事がはばかられる相手だと言う事だ。特に、無能とはいえ貴族が危険だ。もし奴が怪我でもするような事にでもなれば、この村そのものが焼き払われかねない。

昼寝をすると言ったシモンに、薬を与えておとなしくさせていた「娘」を当てがう。奥の部屋でごそごそやり始めるのを確認してから、妻を呼ぶ。情報を整理するように言っておいたからだ。

目を剥いたのは、途轍もなく悪化している現在の状況に気付いてしまったからである。軍は既に臨戦態勢を整えており、長老達は反発を強め、ボイコットを始めようとしている。更に、ここぞとばかりに不満分子が不穏な動きを始めている。しかも、一人や二人ではない。

まずい。もし殺人事件でも起ころうものなら、軍が強硬手段に出る可能性がある。そうなると、もはや手に負えない。奥の手を使うべきか。ガフは逡巡した。というのも、元々あまり多くは使えない手段だからだ。先々代が使った時も、火消しにえらい苦労した。その上、今回は社会的な信用がある貴族と、その護衛部隊が相手だ。下手をすると、村の産業である宝探しそのものが、上手くいかなくなる可能性がある。

妻が、冷ややかに言った。まるで他人事だ。

「あなた。 急いでくださいね」

「分かっておる!」

奥の部屋から聞こえてくる嬌声がいらだたしい。この同時多発問題を、どう片付ければよいのか。

取引するしか、無いかも知れない。

取引するとなると、相手はあの女軍人だろう。シモンはまともな交渉など出来るような相手ではないし、したところで意味もない。それにしても、どうして短期間でこういう事になったのか。少しばかり、違う方向から攻撃を受けただけで、何故もこう脆さを露呈してしまうのか。

次から、マニュアルを強化する事を真剣に考えなければならない。だが、今のままでは、その次さえ無くなる。素早く手紙をしたためる。妻は冷め切った目で、その様子を見ていた。

手を叩く。馬小屋に控えている小作人が来た。まだ若い男だが、実は都会から買い付けた奴隷で、薬でいいなりにさせている一人だ。どろんと濁った独特の目が気持ち悪い。

「この手紙を、あの女軍人に届けてこい。 こっそりな」

「あ、うー」

恭しく手紙を受け取りながら、使用人は奇妙な声を上げた。頭が弱い訳ではない。薬によって、数年前からこんな調子だ。娘と同じで、薬を使うと精神以前に肉体が崩壊していくのだ。脳も例外ではない。この男はもう保たない。娘の方も、あと二年もしたら死ぬだろう。完全に使い物にならなくなる前に、新しい奴隷を用意しなければならない。

薬で言う事を聞くようにしているだけあり、あの使用人は忠実だ。脳はもう駄目だが、能力的にも決して低くはない。壊れて死ぬまでは、きちんと働くだろう。

交渉の手札はある。だが、あの女軍人が何処まで乗ってくるか。場合によっては、二人や三人人死にがでても良い。ガフの仕事は、あくまでこの村を保持していく事。保持するためには、多数派を生き延びさせなければいけない。それには、少数派の犠牲が出る事は、やむを得ないのだ。

既に、外は暗くなり始めている。シモンが機嫌良く眠っていてくれればいいのだが。夜這いにでも行かれると、かなり面倒な事になる。若い村人の中には、貴族を敵に回す事の恐ろしさを理解していないものがいるのだ。そう言う連中とシモンが鉢合わせると、全てが終わりになりかねない。

焦りが募る。シモンが外に出ようとしたら、出来るだけ引き留めるようにと妻に言い残して、外を見に行く。使用人が戻ってきた。女軍人がいないと、使用人は舌っ足らずの様子で言う。

思わず、杖を地面に叩きつけていた。

どういう事だ。早速村の反対派が、動き出したと言う事か。この状況でいなくなるというのは、それくらいしか考えつかない。一体相手は誰だ。長老の誰かだろうか。頭の血管が切れそうだった。

ルヴァルドを呼んでくるように、使用人に一喝。密会をするのなら、多分村の外だろう。それならば、地の利は此方にある。現場を押さえれば、まだ勝機はある。相手の手札さえ確認できれば、上から押さえ込むのも難しくはない。

不安そうに出頭してきたルヴァルドに、これから出かけるから護衛するように言いつける。まだだ。まだ負けた訳ではない。

シモンが嬌声を上げているのが、此処からでも聞こえた。村長宅と言っても、小さな家である。壁は薄いし、床だってそうだ。夜這いの風習が残るこの村では、夜中に情交の声が響く事は珍しくもないが、それでも不快な事に変わりはない。バカ貴族が。ガフは、怒りを向ける相手が見つからず、もう一度杖を地面に叩きつけた。頑丈な杖はしなりさえせず、むしろ手に鋭い痛みが走った。

闇の中を、這い進む。広場をうかがう。兵士達はひとかたまりになり、火を焚いて完全な臨戦態勢にある。村全体がピリピリしていて、このままだと事故が起こりかねない。だから、ルヴァルドを呼んだのだ。長老の誰かが血迷ったとしても、此奴が側にいれば、対応は決して難しくない。すぐ側に身を隠しながら、不安をルヴァルドが漏らす。怯えきっているのが見え見えだった。

「こんな時間に、何処へ」

「女軍人が、出かけたそうだ」

「といいますと」

「わからんか! 誰かしら、村の人間とこっそり接触するつもりだろう。 要は、裏切り者が出たと言う事だ」

見つけ次第くびり殺してやりたいが、もし表だってそれをやると、介入の口実を与えかねない。此方は叩けば幾らでも埃が出てくる身だ。本気で軍事介入されると、非常に危険な事態に陥る。

兎に角、今は造反者を見つける事だ。今まで散々養ってきてやった恩を忘れた恥知らずが。ガフは吐き捨てて、うすのろのルヴァルドを急かす。闇の中とはいえど、六十年以上も歩き回った村の中だ。目をつぶっても、移動する事が出来る。

見張り小屋の側から、外に出る。夜の森の中は、流石にひんやりしていた。時々、ルヴァルドが着いてきているか確認。此奴は他の長老とは接点が無く、信用は出来る。だが、あの女軍人に何かされたのか、さっきから少し態度がおかしい。

闇の中を、はい回るようにして進む。どこだ。どこでくだらない密会をしている。見つけ次第、喉を食い破ってやる。

呼吸が荒くなってくる。茂みの一つをかき分けて、月の光が降り注ぐ空き地を覗き込む。何もいない。首を振って、別の場所へ。この時間、ある程度の危険を回避出来る上に、身を隠せる場所は。可能性が高いところから、順番に探っていく。闇の中でも、不思議とガフの目は利いた。

しかし、それでも誰も見つける事が出来なかった。だが、危地に到って、却って冴え渡ったか。ガフはむしろ冷静に、結論を導き出す事が出来た。

滝か。あの辺りなら、遮蔽物も多い。口の端がつり上がる。そうだ。そうに違いない。造反者の正体さえ割り出せば、幾らでも手は打てる。ひひひひひと、笑いが漏れた。後ろで、ルヴァルドが怯えきっているのが分かる。惰弱者が。貴様など、所詮その程度の器だったと言う事だ。

この村は不滅だ。人間の欲望を利用して山師共を集め、何百年でも存続してくれよう。見よ、愚かなる人間共の性を。この村は、辺境にあって豊かだ。他の村よりも遙かに人間は多く、奴隷を買い求める余裕さえある。防御施設は貧弱だが、田畑は多く、血も滞っていない。

何故それが出来るか。人間が愚かで、己の欲望に踊らされて、此処に集まってくるからだ。宝、宝、宝!働かず楽な生活をしたい。だから宝が欲しい。そんな理由で光に集まってきた蛾どもを、何百匹この村は食い殺してきたか分からない。分かっているのは、そんなクズ共がどれだけ死んでも、社会には何の影響もないと言う事。誰も困らず、この村が豊かになるだけなのだから、良いではないか。

余所の人間など、全部死んでも良いとさえガフは考えている。山師さえ集まってくれば、それでいいのだ。滝に出る。いた。女軍人の背中が見えた。暗くてよく分からないが、話している。誰とだ。誰が裏切り者なのだ。

身を乗り出す。ガフの目は光っていたかも知れない。殺気がだだ漏れになり、怒りが今にも弾けそうだった。

「そ、村長!」

「静かにしていろ!」

「ち、違うんで! せ、背中に、何かがふれたんでさ!」

子供のような怯え方をするルヴァルド。苛立ちながら、振り返る。

そして、気付く。何かが、垂れ落ちてきている事に。

枝の上に、何かがある。見る。星明かりに照らされて、見えてくるそれ。そう。それは。

絶叫が、喉から迸っていた。

 

呼び出した地点に、アカネは来た。早速話を聞こうと思ったシャネスは気付く。招かれざる来訪者の存在に。

結構勘づくのが早かったな。苦笑してしまう。散々シモンに振り回されながらも、的確に此方の動きに気付いていたわけだ。なかなか有能な老人である。長い事、この村を運営してきただけの事はある。アカネがさっと身を翻し、影に隠れる。しばらく腕組みして思案していたシャネスは、振り向こうとして、それを聞いた。

絶叫。それも、完全に理性を喪失した、である。

轟き渡ったそれは、完全に常軌を逸していた。茂みからは出してくるのは、村長だ。その頭は、べっとりと血に濡れていた。続けてルヴァルドとか言う村の警備の男が飛び出してくる。余程の恐怖を感じないと、こうはならない。猛獣にでも襲われたか、それとも。殺人現場でも至近で目撃したのか。

予想は当たった。正確には、後者だった。ルヴァルドの足には、髪が絡みついていた。その先には、生首がつながっていたのである。それは、鞠のように上下して、必死に引きはがそうとするルヴァルドをあざ笑うようにして跳ねていた。

腰を抜かしている村長の脇を抜けて、剣を抜く。そして、ルヴァルドの足に絡みついている髪の毛を切り裂いた。結構難しい技で、成功するかは自信がなかったのだが、一発で上手くいった。

部下を大声で呼ぶ。すぐに駆けつけてきた。村人達もわらわらと集まってくる。松明の火に照らされたその顔は。長老の一人。そうだ、昼間に村長と言い争っていた人物であった。

木の枝の上に、胴体もあった。どうやら首が千切れかけた状態で枝の上にぶら下げていたものらしい。村長が来たタイミングで、首がちょん切れて落ちたのだろう。髪が比較的長かったので、ルヴァルドがパニックになったところで、足に絡まってしまったと言う訳だ。

「人を殺した事もあるだろうに、ずいぶんな狼狽ぶりだな」

「う、うるせえっ!」

眼を細めて、必死の抗弁をするルヴァルドから目を逸らすと、部下達に目配せする。すぐに死体を見聞。更に、村長を拘束させた。昼間に彼がこの死体と言い争っていた事は、シャネス自身が目撃している。言い逃れは出来ない。両腕を屈強な兵隊に取られた村長は、狼狽しきって悲鳴を上げた。

「ち、違う! わしじゃない!」

「それは詳しくあちらで聞かせて貰おうか。 場合によっては、尋問役の役人に引き渡す事になるな」

村長が見る間に泣きそうな顔になった。

この国では、尋問に自白剤を使う事を禁止されていない。その苛烈な尋問から、任務にある役人は死神の友と呼ばれて忌み嫌われている。隣の町まで行かないと尋問役人は存在しないが、それでも恐怖を煽るには充分の筈だ。この国の隅々まで、尋問の恐ろしさは響き渡っているのだから。

叫いてもがく村長を引っ張って、連れて行かせる。さて、これで少しは動きやすくなった。アカネが物陰で、此方を見ている。指先で指示して、別の場所に移動。こういう状況だから、却ってやりやすくなったかも知れない。

部下に、現場の保存と確認は任せて置いたから、後に問題はない。アカネは夜闇の中着いてきた。まさかこの子供がと一瞬思ったが、すぐに否定的な結論が出る。いくら何でも、人を枝の上に引きずり挙げるのは無理だ。しかも殺して、此処まで運ばなければならないのだ。

月明かりの下に、アカネは出てきた。小柄な子供。粗末な衣服で、髪の毛も整っていなくて。顔立ちも、それほど綺麗ではない。それなのに、どこかで見たような気がする。はて、何処で見た顔であったか。

「私じゃないだよ、あれ」

「そんな事は分かっている。 さて、情報を聞かせて貰おうか」

「ええけど、その代わり、私をこの村から連れ出して欲しいな。 それが、此方としても、譲れない線だ」

「それは内容次第だな」

兄も連れて行って欲しいとは、アカネは言わなかった。なるほど、冷酷な子供だ。顎をしゃくって、喋るように促す。それでアカネが話し出したのは、だいたい此方の予想通りであった。

村ぐるみでの、マニュアル対応。山師から絞れるだけ絞り上げて、不要となったら消す。死体は基本的に肥だめに捨てて、証拠を完全に消す。若者達は全員が村長の私兵であり、頻繁にある荒事も処理する。

「で、宝は?」

「さあ。 少なくとも私ら小作人は、そんなもの見た事無いな。 噂じゃ、村長だって、知らないって聞いてる」

「ふうん、なるほどね」

これでほぼ確定した。実体のある宝は存在しない。だが、しかしだ。この村に人を引きつける要因は、一体何だろう。それが気になる。

「昔話か何かで、この村の宝についての話は聞いていないか」

「余所の人間には聞かせてはいけないって話ならあるだ。 ただ、つまんねえだよ」

「それでもいい。 聞かせろ」

アカネは辺りを慎重に伺った後、話し始める。

「昔、帝国が滅びようとしていた時、この村にその役人が大勢で訪れたって話だ」

「それは私も知っている」

「それで、彼らは、此処にあるものを置いていったらしい。 で、ここからが問題なんだが」

もう一度、アカネは辺りを見回す。そして、声を潜めた。

「それは、帝国が再起するために、必要なものだったって話だ」

「……ふむ」

「それから、しばらく村は豊かだったそうだ。 水車小屋とか、堤防も、その時に作ったって聞く」

常識的に考えれば、金銭だろう。村の連中は、それを掘り出して、自分たちのものとして使った。そして今でも宝があるように見せかけて、山師共から金を巻き上げ続けている。それが自然に成り立つ結論だ。

だが、何かがおかしい。本当にそれは正しいのだろうか。ふと、アカネの顔を見る。そして、思い出した事がある。まさかとは思うが。確かめておいて、損はないだろう。少なくとも調査記録は残しておいた方が良い。

「分かった。 善処しよう」

「その様子だと、何か分かったようだな」

「ああ。 まだ予想の段階だが、な」

アカネに手を振って、部下達の所に戻る。現時点で、二つばかり気になる事がある。

一つは、これから早馬を飛ばして、王都から鑑定役人を派遣して貰う。多分これで片が付くだろう。その間の仕事は、シャネスで充分対処できる。

もう一つは、だれがあの長老を殺したかと言う事だ。この村が滅びるように、ベクトルを向けたがっているとしか思えない。一体誰が、そんな事をする。

現場に戻ると、既に死体は降ろされていた。どうやら後方から一撃で殴り殺されたらしい。切り落とされた首の後頭部に、鈍器の跡が残っていた。また、引きずりあげるのには、ロープを使ったらしい。てこの原理で引っ張り上げ、その後で木に登って、ロープを外したと言う訳だ。

「シャネス八級武官、これはかなり手慣れています」

「驚く事ではない。 この村の連中は、皆殺しになれている。 この村で失踪した山師共は、どうなったと思っている」

そう警告を飛ばす。これで、兵士達は今後油断する事はないだろう。この小隊の兵士達は、任務が終わる頃には大きく成長しているはずだ。戦場の恐怖を擬似的に体験する事が出来たのだから。

三人を早馬に仕立てて、手紙を持たせて村を発たせる。早馬と言っても、一旦隣の街まで徒歩で行き、其処からつなぎ配達をつかって、王都まで最速で手紙を運ぶのだ。その過程で馬を使うので、早馬と称する。今回は仮にも特務であるし、最速での配達を指示出来る文書も貰っている。念のため、兵士達には戦時武装をさせた。余程酷い奇襲を受けなければ、これで対処できる。

さて、次は村長だ。昼場の側の空き家を使って、軽く尋問を始めさせているのだが、其処へ足を運ぶ。ふと、村長の家を見た。離れに灯りがついている。何だろうと思って近付いたら、嬌声が聞こえた。

シモンの奴、こんな状況になっても、閨事を楽しんでいるのか。あきれ果てた。どうやら実際に戦争が始まったら、真っ先に死ぬ事だろう。兎に角、表に出てくるだけで邪魔だから、村長の娘とやらとずっとよろしくやっていてほしい。

空き家に足を踏み入れる。縛り上げられた村長とルヴァルドが、頭を垂れていた。側には、冷水入りの桶が用意してある。眠りそうになったら、これをぶっかけてたたき起こすのだ。

士官の訓練の一つに、拷問を受けて、自白しないようにするというものがある。これはかなり過酷で、試験の過程で発狂してしまう者もいる。貴族出身の士官はパスするこの試験の事は思い出したくもない。抜けた後には、拷問について詳しくもなるので、マイナスの面ばかりではないが。

ルヴァルドは大きな体で、かなり窮屈そうだった。この男、見たところかなり出来る。しかし務めていた場所が悪かった。もし戦場に若い頃から出ていれば、名を残す事が出来たかも知れない。もったいない話である。

村長は、シャネスに気付くと顔を上げた。パニックに陥っているのが分かった。体は小刻みに震えていて、視線も定まっていない。何かをしようとしていた時に、とんでもない方向からの奇襲を受けるとこうなる。奇襲を受けて、立て直しを図れる人間は、それほど多くないのだ。

「先祖の作り上げたシステムに、あぐらを掻いてしまったな」

「な、何の事やら、哀れな老人には分かりませんわい」

「明日、お前の家を徹底的に捜索させて貰う。 既に周辺は固めてあるから、今更何か持ち出す事も出来ない。 覚悟しておけ」

それに対しては、村長はあまり怯えた様子を見せなかった。となると、何かしら見られて困るものは、隠していないと言う事か。だから、ものではなく、人間に対する指摘に移る。

「村長、貴方の娘、あれは都会から買ってきた者だな」

「な、何を根拠にそのような」

「見ていれば分かる。 娼館で使い物にならなくなったか、或いは何か欠陥があって払い下げになったのを貰ってきたのだろう。 接客用に」

「い、いや、それは」

これはアカネの言っていた事に推察を加えたものだが、どうやら図星であったようだ。普段の村長なら、こんなに簡単には引き出せなかった情報だ。だがパニックになっている事で、簡単に引きずり出す事が出来る。

ただ、これ自体は、別に珍しい事ではない。何処の村でもやっているような事だ。一夜妻の風習は彼方此方に残っている。それを利用した接待術として、専用の「妻」や「娘」を雇うなり買うなりすることもあるのだ。蛮行と言っても良い行為だが、そうしないと食っていけない者達がいるのも事実。

だが、もう一つ、気に入らない事がある。

「あの様子だと、薬でも嗅がせているのだろう。 それも合わせて調べさせて貰おうか」

「な、何の証拠があって!」

「だから、それを調べる。 効果が強い薬の中には、もちろん違法のものもある。 多数の殺人に加えてそれが見つかったら、この村そのものが滅ぶ事を覚悟しておけ」

「ま、待て、待てッ!」

村長が叫き散らした。もはや完全に平静は失われ、命じられれば靴でも何でも舐めそうだった。

もちろん汚いから、そんな事はさせない。

「と、取引させてくれ! 村の情報は話す! だ、だから!」

「宝のありかなんか知らないんだろう? そんな事は、当に分かっている」

「そんな事はない! た、宝ならある! 宝ならあるんだ!」

顔をけりつけると、村長は情けない悲鳴を上げた。のけぞりそうになるのを、兵士達が取り押さえる。

「さて、聞かせて貰おうか。 帝国とこの村に、何の関係がある」

「そんな事を、誰から」

もう一度蹴りを叩き込む。聞いてもいない事を喋る権利は、もう村長にはない。必要とあれば、手足を切り落としてもいい。喋るまで生きていればそれで良いからだ。

「帝国と、この村の関係は?」

「わ、わしは知らん。 だ、だが」

観念した表情で、村長は言った。

「帝国の再起に必要な宝が、この村に残されたって伝説は聞いた事がある。 それだけだ」

「具体的には?」

「それ以上は分からん」

「つまり、宝なんてあるかどうか分からないと言う事だろう」

鳩尾を容赦なく蹴り上げた。うずくまったところを、頭を踏みつける。ちょっとやそっと痛めつけても、死にはしないだろう。農作業でも鍛えているし、良いものも食べているだろうから。

「餌は与えるな。 洗いざらい話を聞き出せ。 それと、五人ばかり連れて、村長の家に行け。 多分倉かどこかに、村長の娘に投与している薬が隠されているはずだ。 シモン七級政務官は私がなだめて連れ出す」

「は」

「油断するなよ。 村の連中も自棄になって反撃してくる可能性が高い。 何処でも武装は解かずに、一人にはなるな。 何かあったら、すぐに仲間を呼ぶようにな。 もし襲ってくる場合は、容赦なく斬れ。 私が許可する」

頷くと、部下達は夜の村へ駆け出していった。

村長の家に遅れて向かう。早速村長の妻がぎゃあぎゃあ抗議していたが、既に夫が洗いざらい吐いたと言うと、急におとなしくなった。奥の部屋にはいると、シモンが裸のまま女と絡まって寝ていた。シモンの裸ははじめて見たが、実に醜い。弛みきった裸体で、生白く、とても武名で鳴らした先祖と同じ血を引いているとは思えない。壁を叩く。流石に目を覚ました。

「な、何だねシャネス八級武官!」

「殺人事件が発生しました。 まだ犯人は捕まっておらず、此処にいると貴方も殺される可能性があります」

「貴族の私がかね」

「そうです」

言い切ると、見る間にシモンは蒼白になった。いそいそと服を着始める。ぼんやりと焦点が合わない目で此方を見ている女に、笑顔のまま言う。

「薬は何処に隠している?」

「あー。 あなたも、吸うのー?」

頷いてやると、ごそごそと布団の中から取りだした。はいと言って差し出したのは、茶色い葉だった。見覚えがある。常習作用のあるコルカの葉だ。この国でも禁止されている、かなり強力な薬剤である。思考力を奪う事から、場末の娼館では使っている事が多い。もちろん副作用も強烈で、中毒になると数年で脳をやられて死ぬと言われている。この女も、多分長くは保たないだろう。気の毒な話だ。

子供みたいな表情を浮かべている女に上着を被せてやると、証拠品を駆けつけてきた兵士に渡す。

さて、後は早馬の結果、役人が来るまで待てばいい。

それで、全ては終わりだ。

村長の家を出ると、ふと馬小屋の側でうずくまっている男が見えた。どろんとした目は、今の娘と同じ。この男も、若いのに気の毒だ。かなり重度の中毒で、長くは保たないだろう。

ふと、気付く。

まさかとは思うが。いや、そうであれば、全てのつじつまが合う。しかしその場合、真相を暴くのは、少し気の毒でもある。

背後に、鋭い視線を感じた。気付かないふりをして、部下を促して村長の家を出る。

部下達が、服を着せた村長の娘を、安全だと判断できる広場側の廃屋に案内する。その様子を、静かにシャネスは見守った。

 

5,たから

 

王都からつなぎ馬で駆けつけてきた役人は、モノクロームを掛けた中年の男性であった。枯れ木のように細く、全体的に極めて軟弱な印象を受ける。退屈そうに欠伸をするシモンよりもずっと高位の役人なのだが、しかし遙かに紳士的だったのが面白い。もう白くなり始めている頭をなで回しながら、役人は耳打ちしてきた。

「どうやら、骨格から見て間違いなさそうです」

「やはりそうか」

「ええ。 これ以降は、国家上層が判断する事になります。 口外すると危険ですから、気を付けてください」

頷く。シモンには、もちろん真相など知らせない。役人も、シモンを一瞥して、その必要がないと判断したようだった。

それにしても、何という皮肉きわまりない結果か。宝とは、笑止千万。この村に隠されたものとは。旧帝国の、皇族の血統だったのである。それを鑑定するために、骨格から血縁を判断する専門家を呼んだのだ。

旧帝国の皇族は「竜顔」と呼ばれる独特の骨格を持っていて、それが珍重された。今から見ればただ長いだけの顔なのだが、当時はそれが絶対価値だったのだ。今でも、骨格での判別法は、国家資格として普及している。ただ、これはかなりレアな能力と組み合わせて始めて正確さを発揮するもので、勉強すれば役人になれる訳ではないのが難しい。あの役人は、そのレア能力の持ち主なのだ。

帝国の再興をするために必要な宝とは、良く言ったものだ。その直接の血統を、この村に紛れ込ませる。そうすれば、いざ蜂起する時に、人員を駆り出す事が出来る。もちろん、帝国の正統血統を証明するものもあるのだろう。

だが、どれも今では価値がない。帝国など今や過去の遺物に過ぎず、再興など真面目に考えているものは誰もいない。仮に国に反逆するにしても、もっとマシな旗印が幾らでもあるのだ。その上、血が薄くなりすぎている。何しろ村長を中心に、この村の人間殆どが、帝国の皇族の直径子孫だと判断できるからだ。

宝とは、山師から如何に金を搾り取るかしか考えていない、この村の連中そのものだったというわけである。これほど皮肉な話があろうか。山師共は、宝に向かって、宝はどこかと聞いていたのだから。そして場合によっては、宝によって命を奪われていたのだから。浅ましいとシャネスは思った。

殺された山師共の亡骸も見つかった。郊外の肥だめで骨までどろどろに溶かされていたが、何体かの遺体はまだ形がある状態で見つかった。既に新たに呼ばれた一個中隊が歩き回り、村中を探索して回っている。徹底的に調べている中隊は、毎日のように犯罪の証拠を見つけていた。観念した村人は証言を始めている。老人の中には、三十人以上を殺したと告白した者もいた。

この村は、もう終わりだ。主要人物は皆牢獄行き。村長をはじめとする何人かは打ち首だろう。他にも多くが首をはねられる事になり、村は瓦解する。此処からはシャネスの予想だが、そのままでは離散するので、殆どの村人は、国の管理の下、別の土地に移る事になるだろう。そうして、更に血は薄くなり、やがては庶民と完全に溶け合ってしまう。必死に旧帝国の関係者が保存しようとした血統は、闇に葬られる事になる。

高貴な血などとは笑止。それを引いているはずのこの村の行状を見れば、そんなもの、闇に消えてしまえばいい事は明白だ。悪政で知られた帝国は、滅びてなお、どれだけ多くの血を吸えば気が済むのか。人間の業は果てしなく深い。死してなお、世界を蝕むのだから。

だが、一つだけ分かっていない事がある。それは、あの殺人事件の、実行犯であった。兵士達は血眼になってその証拠を探しているが、いまだ発見には到っていない。

実は、シャネスには既に見当が付いている。だが、兵士達に知らせる気はない。ただ、精神衛生の問題から、聞き出しておきたいとは思った。

村の郊外に足を運ぶ。其処には掘っ立て小屋があり、村長の娘が暮らしている。薬で頭がやられているから、一日の殆どが正気ではない状態である。戸を叩くと、奥から嬌声が聞こえた。中に入ってみると、半裸の状態で、ぼんやりと自分を見上げている村長の娘が見えた。

若い兵士の一人が気の毒に思ったか、最近世話をしているらしい。誰もそれを止めなかった。善良な若者で、悪意がない事は目に見えていたからだ。シャネスも止めはしなかった。

小屋にはいると、食べ物が幾つか見える。手を伸ばしてくるので、布団に寝かせてやる。それで隣に座り、頭を撫でながら言った。

「お前だな、犯人は」

「えー?」

「長老の一人を、誰かに言って殺させたのはお前だろう。 恐らくは、村長に復讐するために」

すっと、女が眼を細めた。やはりそうか。

決め手になったのは、この女が布団から取り出したコルカの葉だ。幾らなんでも、そんな分かり易いところに、用意周到なあの村長が隠すとは思えない。多分与えられた葉を幾つかくすねて、こんな時のために隠しておいたのだろう。

「実行犯は、あの馬小屋にいた男か? 薬を投与されている感じだったが、どうやって籠絡した」

「……」

「別にお前を摘発する気はない。 こんな村に売られて、村人のエゴのために知らない男と延々と寝る事を強要されて。 地獄の苦しみだっただろう」

娘は、口を開かなかった。だが、どうやら図星をついたようだと、シャネスは悟った。たっぷり沈黙を流した後、女は憎悪を垂れ流す。

「何も……」

「なにも?」

「生まれてこの方、何一つ、幸せだと思った事なんかない。 物心ついた頃には、籠に入れて売られて。 奴隷としてこき使われて、手足が伸びたら娼館に売られて。 脂ぎった親父に体中なめ回されて。 ちょっと抵抗したら、相手が貴族だったとかで、この村に売られて。 今度は薬のせいで、後二年も生きられない、だって?」

ふざけんな。女が絶叫した。

シャネスも、そう思った。だから、力を貸した。この女が正気を保っていられる時間は、もう殆ど無いかも知れない。だから、処断する気はない。

女は泣いていた。夜叉のような顔をしていた。歯をギリギリと噛んで、全てを呪っていた。

あの村長は、忘れていたのだろう。弱者が時に見せる、最後の力の恐ろしさを。この村は、もう滅びる。そのきっかけを作ったのは、村長の油断。そして、弱者が最後に振り絞った力なのだ。

「あの兵士、お前の事を悪くは思ってないみたいだから。 まあ、せいぜいかわいがって貰うんだな」

シャネスがせめてもの慰めを言うと、女は急に笑い始めた。驚く事もない。見つめると、喉を鳴らしながら言った。

「あれもね、あたしと同じで、世の中を恨んでた。 自分が長くないって事を知ってたし、全てに復讐したがってた」

「そう、だろうな」

あれというのが、シャネスが指定した奴隷である事は明らかだった。だから、言葉を遮らず、聞く。

「だから、教えてやった。 あのタイミングで、あの腐れ長老を殺せば、この村は滅びるってね。 村長は護衛がいるから難しいけど、長老はそうじゃない。 その上、あたしの所まで聞こえるような大声で口論してた。 動機としては充分じゃないか」

ひょっとすると、この女は頭が元々切れるのかも知れない。いや、薬によっておかしくなった頭が、一時的に活性化しただけだろうか。どちらにしても、この女が、百戦錬磨のあの村長を出し抜いたのだ。

小屋を出る。馬小屋の側にいた奴隷の青年が、突っ立っていた。近くで見ると、症状が、より酷いのだと分かる。この様子では、今年はもう越えられないかも知れない。顔の筋肉が弛緩して、巧く表情さえ作れない様子の青年は、たどたどしく言った。

「村は、ほろぶの、か」

「ああ」

にいと男は笑い、よろけるようにして歩いていった。死相が見えた。兜を、思わずシャネスは下げていた。

あの殺し方から言っても、この青年も愚かではなかったのは明らかだ。短時間であれだけの事をしてのけた行動力はなかなかだ。その後何事もなかったかのようにふてぶてしく振る舞う事だって、並みの胆力では出来ない。例え、目前の死で開き直っていたとしても、だ。

青年は、最後の力を振り絞ったのだ。そして、自分を虐げた世界であるこの村に復讐した。それは決して褒められた生き方ではないかも知れないが、しかし大望は果たしたのである。

シモンのような愚物が貴族として権力を得て、こういう有能な青年が薬物によって死を迎えようとしている。何ともやりきれない話ではないか。今の王の改革が上手くいけばいいのだけれどと、シャネスは思った。

その夜、男は冷たくなって見つかった。自害したような事もなく、ただ寿命が尽きたようだった。

自分の仕事は終わったなと、シャネスは思った。

 

翌日。後から来た中隊の指揮官に全てを任せて、シャネスは帰る事にした。シモンはもうすっかり帰る気になっていたし、残った仕事もない。

今回の手柄で、七級武官になる事がほぼ確定している。王都から来た役人が口添えしてくれたらしい。これは思わぬ収穫である。だがなったところで、せいぜい中隊の指揮官だ。退役してしまえば、後は貧乏生活である。所詮貴族ではない自分には、出世の道など開けていない。昇進しても、せいぜい五級までだろう。

傍らには、あの冷酷な子供アカネを伴っている。アカネは心配そうに迎えに来た兄に、振り向きさえしなかった。この冷酷さは軍人に向いているかも知れない。自分のところで鍛えれば、今後はかなり仕事が楽になる可能性が高いと、シャネスは踏んでいた。

ふと、アカネが含み笑いをした。そちらを見ると、何でもないと言って、すぐに無表情に戻る。それで気付く。

ひょっとしてこの娘。あの青年に、具体的な殺人計画を授けてはいまいか。

あり得る事だ。アレが使った道具類は、むしろ農作業に用いるものばかりだ。そして、仮にばれたとしても、罪を受けるのは兄である。アカネには類が及ぶ事はなく、堂々と悪事に手を染める事が出来る。

物理的な証拠はない。だがこの娘であれば、あのタイミングも計る事が出来るし、何より道具類も調達できる。利害が村長の娘と一致しているのも事実だ。笑い飛ばすには、あまりにも状況証拠が揃っている。足りない腕力は、あの奴隷の青年を使う事でカバーも出来るのだ。

末恐ろしい子供だなと、シャネスは思った。今更どうしようとも思わないが、しかし怪物を連れ出してしまったような原始的な恐怖感もある。だが、使いこなせば、今後は最強の刃となるだろう。

「どうしたんだ? シャネス八級武官」

「いや、何でもない」

もう自分の呼び方を覚えている。恐ろしい娘だ。後は敬語を使うように躾けなければいけないが、それも必要ないだろう。見ているだけで、すぐに覚えてしまうに違いない。

無能揃いだった帝国の皇族だが、今になって切れ者が現れたというのは、何の歴史の皮肉だろうか。この娘が動乱の時代に、帝国の権力を握っていたら、或いは滅亡を免れていたかも知れない。

兵士達は緊張に晒される事によって、皆一人前に育っていた。実戦を経験するくらいの価値が、この遠征にはあったはずだ。最初はどうしようもなくやる気が出なかったが、やはり実戦があり得る状況に身を置くと、引き締まる。結局の所、自分は戦いが好きなのかも知れないと、シャネスは思った。

峠を越える。遙か向こうに、街が見えた。

今日は思う存分飲む事にしよう。そうシャネスは思った。

 

(終)