霧の先へ

 

序、驀進

 

龍剣はひたすら駆ける。麾下の八千はついてくる。だが、それも脱落者が出ないわけではない。

どうやらそもそも唐に辿りついてから抜けるつもりだったもの。

故郷を見たら命が惜しくなったもの。

そういったものはいた。

それらも、龍剣は笑って送り出した。

途中、龍剣の補給を受けつけてくれた城も。もはや龍剣が負けたことは知っている様子だったが。

それでも龍剣と戦う気にはとてもなれないのか。

物資の補給だけは受けつけてくれた。

韓新の軍が後方から来ているという話もある。

それはそうだ。

韓新が追ってくるのが妥当だろう。

それにしても、唐はもう完全に落ちたと見て良い。

たまたま端の方を通っているから、敵と激突しないだけ。

韓新の軍は各地の城や街につぎつぎ駐屯しているだろうし。

韓新自身も来ていてもおかしくない。

いずれにしても。

この世界に負けた。

それだけは嫌だ。

龍剣は走る。

龍剣の武勇は間違いなく中の世界最強。

その最強の武勇をもって。

最後には、この世界の理を見てやる。そして出来るなら破壊してやる。それが、最後にするべき事。

負けた。

それは認める。

だが弱いから負けたのでは無い。

それを全てに。

この世界に。

認めさせてやる。

影は相当疲弊しているようだが、それでも走る。

龍剣を信頼してくれていると言う事だ。

やがて山に入った。

唐の南部には、峻険な山岳地帯が拡がっている。その先に霧がある。

この辺りは、腕利きの獣狩りでも入りたがらない。

理由はすぐに分かる。

周嵐が周囲に声を張り上げた。

「まとまれ! はぐれたら死ぬぞ!」

龍剣の前には、虎が数頭。他の獣も、次から次へと現れる。

人間だ。

殺せ。

そう言っているように、龍剣には思えた。

それぞれ専用の技能を持っていないと対応出来ない獣ばかりだ。それも街の側に出るのとは桁外れに大きい。

ここは死地。

だが、もはや帰る事を捨てた龍剣であれば。

片っ端から獣を蹴散らす。

虎の額にある第三の目をたたき割り。蛇を真っ二つに切り裂く。

見た事がない獣も出る。

「あれはシユウだ!」

誰かが恐怖の声を上げる。

シユウ。

確か軍神の名を持つ獣か。

六つの腕を持ち、二本の足で歩く。その手にはそれぞれ武器に見える発達したかぎ爪がついていて、頭部は四つ。それぞれ全ての方角を視界が補うようについている。

はて。

そういえば、軍神とは何だ。

まあいい。兎も角殺す。

龍剣が躍りかかる。影が、かっと口を開けて、敵に一緒に挑みかかる。

行くぞ影。

心の中で声を掛けるだけで通じる。

そのまま、六つの腕から繰り出される嵐のような攻撃を全て大矛で弾き返し。更に首を刎ね飛ばす。

二つ同時に刎ね飛ばしてすれ違ったが。

シユウは、まるで平然と動き、振り返り様に爪を振るってきた。

槍のような爪を矛で弾き返すと、火花が散る。

鉄の武器に匹敵する硬度の爪か。

跳躍し、唐竹にたたき割る。

さすがに左右真っ二つにされてはどうしようもないらしく。

シユウもその場に崩れ臥す。

凄まじい悪臭が周囲に漂う。

どうやら此奴の肉は食えそうにもなかった。

「状況の報告を」

「ひっきりなしに獣が押し寄せて参ります!」

「手強い箇所をいえ。 私が蹴散らしに行く」

「分かりました!」

一日中暴れ回り。

獣を片っ端から斬り伏せる。

流石に恐れを成したのか。

獣の群れの襲撃が途切れる。

信じられない数の獣の死体が周囲に散らばる。食べられるものは調理させるが。

当然の事ながら、兵の被害は小さくなかった。

だが、もはや帰る場所などない。

翌日から、山を登る。

山の中腹くらいからだろうか。

霧が出始めた。

影はまるで山を苦にしなかったが。

それでも、他の馬はそうはいかない。

裸馬を乗りこなせる兵もいるが。それらの兵も、下馬して歩く姿が目立った。

虎が出る。

殆ど出会い頭に叩き殺す。

獣の数は昨日に比べると減った。

恐らくだが、霧が出る辺りにまで行こうとすると、周囲の獣が全て押し寄せてくるのだとみた。

龍剣は乱暴に炙った肉を食いながら、味方を励まし進む。麾下の精鋭八千は、全て残った訳では無い。

二万八千集めた最後の軍の中から、八千だけが残ったのだ。

麾下の精鋭として声を掛け、訓練を見た兵からも脱落者が出た。

だがもう龍剣はそれを恨んではいない。

自分は他と違う。

武に関してだけは山を抜き、気概は天を覆う。

これについては今も事実だと信じている。

だがその一方で、龍剣は負けをもう知っているし。

何よりも、連白が言った通りだと思ってもいる。

龍剣の時代に連白がいたことは不幸だった。

連白の方が統治者に向いていたからだ。

せめて父が。

龍一がもう少し長生きしてくれていたら。

此処までの状況にはならなかったかも知れないが。

しかしながら、結局の所龍剣は敗れていただろう。

そうでなければ、中の世界の人間を殺し尽くしていたはずだ。

負けて良かったのだ。

それは山を登りながら、実感がある。

松明に火をつけさせ、周囲を丁寧に確認させながら進む。

龍がいるというのなら。

そろそろ姿を見せるはずだ。

いきなり、至近距離に虎が現れ。それを瞬殺する。虎の方も驚いていたようだったのだが。

龍剣は、なるほどと思った。

これでは央の調査隊が引き返すわけだ。

央の精鋭だったら、調査を続けるうちに獣の駆除くらいは出来てしかるべきである。

それが成し遂げられなかったのは。

この溶けるような霧の中。

獣といつ至近距離で出くわすか分からなかった、というのが大きかったのだろう。

一度少し戻り、皆を集める。

兵は少し目減りしているが。

まだ指揮系統が瓦解するほどではないし。

周嵐も官祖も無事だ。

「この霧を超えるための知恵はないか」

「先に進めば進むほど霧は濃くなると思われます。 こればかりはどうにも……」

「厄介だな。 別に壁があるわけでもないのに、ただ霧があるというだけで進めないというのは……」

「懸念はもう一つありまする。 龍が現れた場合は対処が出来ません」

周嵐の言葉に、官祖が頷く。

官祖は龍を見た事があると言っていた。

霧の中で戦える相手ではない、と言う事なのだろう。

龍剣は頷くと、霧の中に大音声で声を掛ける。

「耳あるなら聞け! 我唐丞相龍剣である! この山にてもっとも強い者は姿を見せるがいい! シユウではものたりなかった! 噂に聞く龍がいるなら、姿を見せろ!」

「……」

返事は無い。

大きく息を吸い込むと。

喝、と吠えた。

霧が弾け散るが。

それでも、一部だけだ。

舌打ちする龍剣。

これでは、流石にどうしようもないか。

いずれにしても、霧を吹き飛ばすことは出来るには出来るのだが。それも、全て吹き飛ばして行く訳にはいかない。

人間を阻むのに壁だの穴だのは必要ない。

霧だけがあれば良い、と言う訳だ。

兵士達からも意見を募る。

この先に何かあるのは確定である。

しかしながら不審なことに、霧の側で出ると言う龍は。霧に入っても姿を見せないのである。

どうしたことか。

印をつけ、縄をつけながら進むのはどうか。そういう意見が出た。

龍剣もそれがいいと思った。

麻をねじって縄を作ると。

壊れた槍などを地面に突き立てつつ。

縄を結びつけて、奥に進む。

霧はどんどん濃くなっていく。

何があっても縄から手を離すなと叫び。少しずつ、確実に進んでいくが。やはり方向感覚がおかしくなる。

獣は出会い頭に龍剣が撃ち倒す。

だが、誰もが同じように対処できるわけでは無い。

彼方此方で悲鳴が上がり。

その悲鳴の方に龍剣は影を駆り。

獣を斬り伏せる。

虎だったり鹿だったり猿だったり蛇だったり。

ありとあらゆる獣が出る。

それも生半可な大きさでは無い。

龍剣の敵ではないが。

これでは熟練の獣狩りも、とてもではないが対応出来ないだろう。

ただ数は少ない。

やはり最初に攻めてきたのが、この山にいる獣の大半だったのだろう。

進めるところまで進み、一度縄を伝って戻る。

また犠牲が出ている。

このままだと全滅するという声も上がり始めていた。だが、進めているのは確かである。

霧は虚仮威しだ。

別に吸った所でどうにかなる訳でもない。

ただ人間では、これに対応するすべが無い。

霧があるから、この先には進めない。

極めて単純すぎる話だ。

考え込む龍剣に。

官祖は言う。

「丞相。 以前于栄と一緒に来たときは、霧に近付くのが精一杯でした。 龍もその時は、多くの獣を従えていたように思います」

「龍は獣を従えていたのか」

「明らかに獣は格上の存在として、龍に襲いかかる事はありませんでした」

「ならば何故龍は出てこない。 不可思議な話だ」

無言で、周嵐が突き立てる槍の残骸と。

縄を用意してくれていた。

それと報告があると言う。

「韓新の軍だと思われます。 数は二万が、麓まで来ています」

「二万か……」

龍剣一人なら突破する自信はある。

だが、他の兵士達はそうも行くまい。

他の軍が相手ならまだ分かる。

だが相手は韓新だ。

とてもではないが、今の手勢ではどうにもならない。

この辺り、己の武が最強である自負はあっても。

それでも勝てない相手がいる事は、既に龍剣も認めてはいた。

今は、最強の個としての出来る事をしたい。

それだけだ。

「皆、もしもこれ以上は厳しいと思うようなら、軍を離れてかまわぬ。 恩賞は……もはや出せるものがないが」

兵士達は顔を見合わせる。

一晩待ち。

そして朝になると、兵士達は微減していた。

もう、これ以上の脱落はないと見て良さそうだ。

兵は、七千を割り込んでいたが。

それでも龍剣は、ある意味気分が良かった。

そのまま、また山登りに挑戦する。

韓新の軍は追ってこないようだ。

獣と戦う事を想定していない編成だから、なのだろう。

韓新自身は、そもそも勝てない戦いをしない将とみている。

ある意味憶病だが。

その憶病は最強の武に勝ったのだ。

だからそれには敬意を払う。

龍剣としては、韓新ともう一度戦う気はなかった。

霧の中へ。

もうどうせ帰る場所もない。

ただひたすらに、霧の奥へ進む。

山は険しくなる一方。

影は平然と斜面を上がっているが。

他の馬は、もう軒並み駄目なようだった。

時々獣の声がする。

龍剣はその度にとって返し。

殆ど一寸先も見えない中を驀進して。

獣の頭をたたき割っていた。

弱くて負けたのでは無い。

そう、敵を殺す度に己に言い聞かせる。

縄を伝って、どんどん霧の奥へ行く。

龍は、姿を見せない。

いるのは確かなのだろう。

だが、この辺りには、或いは。

いないのかも知れない。

夜が来ると、何となく分かる。全身が冷えてくるからだ。

その度に縄を伝って降り。

そして野営をする。

兵士はどんどん減っていくが。

脱走しようとするものはもういなかった。

そうして獣を殺して肉にし、皆で喰らって力をつけながら。

少しずつ、確実に霧の奥へ進んでいく。

麓の韓新軍は此方を監視はするが。攻めこんでは来ない。

山に迂闊に入ると、獣によって甚大な被害を出す。

それを警戒していることは確実だった。

笑うつもりはない。

韓新は唯一、正面からの勝負で龍剣を破った将だ。

だったら憶病だろうが何だろうが。

その力は認めなければならない。

武では龍剣が勝っていたが。

知略では韓新が勝っていた。

それだけである。

何日が過ぎただろうか。

霧の奥の奥。

もう何も見えない程白く、そして白いのに暗いという奇妙な場所まで到達していた。

縄の感触はあるが。

もはや縄から離れたら、戻るのは無理だという実感がある。

周囲に声を掛けながら進んでいくと。

やがて、不意に霧が晴れていた。

山の頂上に出たらしい。

霧を抜けた。

どうやら、霧を抜けた初の人間になったようだ。

と言う事は、死ぬな。

病は初めての事を為したものに容赦なく襲いかかる。

それがこの世界の理なのだから。

龍剣は薄く笑うと。

後続の兵士達が到着できるように、声を張り上げ。霧を抜けたことを告げた。

 

1、龍はいずこに

 

霧を抜けられた兵士は六千強ほどだった。

ともかく獣を仕留めて作った干し肉を食べて、皆で力をつける。

あれほど濃かった霧が嘘のように周囲は晴れ渡っているが、ただそれだけである。

霧が辺りにはない。

ただし、それ以外も何も無かった。

風が吹き付けてきている。

嫌な予感がする。

そういえば、ほこらの奥も風が吹いてきていて。

奥へは進めないという報告があったっけ。

要するにこの先に進むと、風が今度は邪魔をしてくる、と言う事か。

武で勝負するのでは無い。

ただ人間を拒む。

それだけのつまらん仕組みだ。

龍剣は吐き捨てていた。

「この世界を作った阿呆の性根が知れるわ。 ただひたすらに我等を拒んでいる。 それほど人間が恐ろしいか」

「愚かな事を言うものだ」

不意に。

誰の者とも知れぬ声が割り込む。

周嵐も官祖も、矛を手に立ち上がった。

龍剣は既に気配は感じていたから驚かなかった。

何かがいる。

それは分かっていたのだ。

だから挑発した。

姿を見せたのは、空を覆うような存在だった。

確かに蛇に似ている。

だが、あまりにも大きすぎる。

巨大すぎて、龍剣の大矛でもどうにもなりそうにない。

虎川が、そのまま空に浮き。

それが生き物になったような姿だった。

見ると手足が存在していて。

頭に角もある。

此奴が、龍か。

口を利けるとは思わなかった。

たかが獣風情だというのに。

「ようやく姿を見せたか臆病者が」

「愚か者の雑言、聞き流しておこう。 そなたは確か龍剣であったな」

「ほう。 畜生風情が我が名を知るか」

「それは知っているとも。 この修羅道に落ちた人間は、全て管理されているのだからな」

修羅道。

何だそれは。

周囲を見回すが、全員がきょとんとしている。

龍剣は何のことを言っていると聞き返すが。

巨大なる龍はせせら笑った。

「お前達はいずれ滅びる。 だからせめて最後に教えてやろう」

「その前に貴様の名を聞かせよ。 畜生でもその程度の道理はわきまえておろう」

「……そうだな。 ついでだからおしえてやろうか。 我が名は南海龍王敖欽。 この修羅道にて、人間が外に脱するのを防ぐために配置はされておるが……いずれにしても人間がこの世界を抜ける事は出来ぬ」

「何を言っている」

敖欽とやらはせせら笑う。

この先に何があるのか教えながら。

まずこの先には、人間ではどうしても抗えない風の壁がある。

例え龍剣の力を持ってしても、この壁を越えることは出来ない。霧の壁ですら超えられない人間が。

人間など軽く吹き飛ばす風を前にしては、どうしようもない。

そして風の壁の先には、あまりにも深い穴と。

その穴の底には煮立つ炎の水があるという。

炎の水というのはよく分からないが。

水のように滑らかでありながら。

その熱は触っただけで人間を瞬時に焼き払ってしまうほどだという。

それが霧や風の領域を遙かに超える幅、拡がっていると言う事だ。

更にその先には無。

本当に何も無い空間が拡がっていて。

其所では人間の体など、はじけ飛んでしまうと言う。

敖欽は薄ら笑いながらそれを告げ。

そして龍剣に言う。

「そなたは確かに人間としては強い。 今までもこれからも、修羅道に出現する人間としては間違いなく最強だろう。 だがこの先へはいけぬ。 生物である以上、それはどうしようもない事なのだ」

「それで?」

「諦めよ。 まだ行こうというのなら止めぬ」

「貴重な情報をありがとう。 それが分かれば充分だ」

別に龍剣はそんな場所に行くつもりはない。

最強を証明したいだけだった。

龍王に矛を向ける。

来い、というのだ。

だが龍王は、その挑戦も受けなかった。

「人間などと戦う暇は無い。 私の周りには、お前達がどうやっても近づけぬ風の壁が作られておる。 龍を倒した人間の話は聞いたことがなかろう。 それはそもそも、龍には近づけぬからだ」

「それほど人間が怖いか? 畜生の王」

「面白い奴。 強いていうなら不確定要素が怖い。 普通に戦ったところで人間に負ける事などないが、それでも万が一はある。 故に我等は身を守る。 それだけの事よ」

舌打ちする。

それでは龍には絶対に勝てないのか。

仕組みとして勝てないというのは極めて不愉快だ。

そして此奴は。

挑発には乗ってこない。

「……では仕方が無い。 話を聞かせよ」

「何だ、まだ帰らぬか」

「どうせ死ぬのだから良いだろう。 修羅道とは何だ」

「……この世界は六道と呼ばれる世界に別れている。 天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄」

聞いた事もない言葉ばかりだ。

周嵐をちらりと見るが。

必死に覚えているようだった。

「本来人は六道の中の人の世界。 人道とも人界ともいうが、其所で生を送る。 それが終わった時、人界での生に応じて、六道のいずれかに送られる」

「……」

「例えば龍剣。 貴様は人の世界で、項籍という名前だった。 人として貴様があった時は、同じように周囲の人間だけに優しく、敵には無慈悲を極め、殺戮の限りを尽くし、結局己の武ばかりを誇って最後には滅びた」

そういう、事か。

此処は牢獄。

それも、龍剣は前も同じような人生を送り。

そして滅びてなおも、同じ事をしていたと言う事か。

乾いた笑いが漏れてきた。

何の進歩もなかったという事か。

愚かな。

愚かで、どうしようもない。

そうとしか言えなかった。

「同じ時代に生きた者は、他に誰もいない。 ただ、お前のように殺す事だけで己の身を立てた存在は、大体修羅道に来る。 そしてお前のように何の反省もせず、ただ正しいと己を正当化して、やがて死んで行く。 この修羅道は、そういう者が集まる牢獄の世界なのだ」

「死ねばどうなる」

「別の六道に行くだけだ。 龍剣よ。 そなたはあまりにも殺しすぎた。 恐らく次に行くのは地獄道であろう。 どうせそこでも罪など償えぬだろうから、どんどん地獄の底へ向かって行くことであろうよ」

はははははと、龍王敖欽は笑う。

龍剣は、それを受けて、自身も笑った。

別にそのようなもの、怖くもない。

今更怖いものなどない。

大事なものは全て失った。

だから、後は。

最後の最後まで、最強であるだけだ。

「周嵐。 官祖」

「はっ」

「ここに」

「そなた達は戻り、このおしゃべりな龍めが口にした事を全て韓新に伝えよ。 連白は降伏したそなた達を殺さない筈だ。 残念ながら病には倒れてしまうかも知れないが、この世界の愚かしさを伝えることは出来る。 連白はそれを世界に広め、この世界を少しはましにするだろう」

承知と叫ぶと、二人は兵達をつれて戻っていく。

龍剣は矛を振るうと、敖欽に向けた。

影はいななく。

最後まで一緒だと、影は言ってくれているのだ。

「貴重な情報を感謝するぞおしゃべりな龍王よ。 これで少しはこの世界もましになるというものだ」

「ふっふっふ、愚かしい事だ」

「何がだ」

「残念ながら、同じように私の所まで辿りついた者は以前にもいた。 お前達が七国の時代と呼ぶ前にだがな」

なんだと。

龍剣は思わず呟く。

だが、敖欽は更に楽しそうに言う。

「この世界は牢獄だ。 牢獄が牢獄として意味を成さなくなれば、一度全てを消し去る事になる。 消し去る権限は我等四海龍王が及びもつかぬ存在が握っており、それらの方々はもはやお前には認識することも触る事も出来ぬ。 そしてこの世界では、既に四回、その消滅が起こされている」

そうか。

此奴は笑いながら、苦しみ続ける人々を見ていたというわけか。

人々を苦しめ続けた龍剣だが。

それでも此奴だけは許せない。

それははっきり思った。

せめてもの罪滅ぼしだ。

此奴だけは、何だか分からないが。

その地獄だか何だか言う場所に連れて行く。

それだけである。

後は連白がどうにかするだろう。

いずれにしても龍剣は、武だけの存在だ。

ここに来る前からそうだったのだとすれば。

もはやどうしようもない罪人だったと言う事なのだろう。

それでかまわない。

だったら、罪人らしく。

最大の大罪を犯し。

少しでも、この世界に暮らす者達の負担を。

龍剣なりのやり方で、減らすだけだ。

それが、龍剣の償い。

これまであまりにも好き勝手に暴虐を振るい。

あまりにも多くの命を奪ってきた、武の者としてのけじめ。

「征くぞ、影っ!」

「愚かしい! 貴様など、私に触れる事すら出来ぬ!」

敖欽が吠える。

せいぜい吠えていろ。

人間の領域を超えた者の武というものを。

今、見せてやる。

 

韓新は見た。

戦車に乗った韓新は、手をかざして様子を見る。霧に包まれた唐南部の山の向こうが、何か様子がおかしい。

ほどなくして、霧の向こうに消えた龍剣の軍が現れる。

臨戦態勢を取らせるが。

どうやら龍剣がいないらしい。

何かあったな。

そう韓新が思うと同時に。

もの凄い竜巻が、山の向こうで巻き起こった。

何だあれは。

逃げてきた敵兵は、武器を捨てる。

見覚えがある奴がいる。

周嵐と官祖。

二人とも、生き延びていたのか。

「降伏する。 皆の命を補償して貰えるなら、我等はどうされてもかまわない」

「分かった、受け入れよう。 それより何があったのか」

「記録が必要になる。 書記官を連れてきてほしい」

「良いだろう。 どうも尋常な様子ではないな」

どん、と凄まじい音が届いて。

流石に韓新も首をすくめた。

戦いの場にずっといた韓新である。

だからこそ分かるのだ。

それが本当に危険かどうか、くらいかは。

あれは本当にまずいものだ。

兵士達に告げる。

いつでも此処から離れられるように準備を、と。

周嵐が訴えてくる。

「丞相は必ず戻る! だから、せめてそれまでは」

「よほどのものを見たようだな」

「……書記官は」

「今来た所だ」

霧が消し飛ぶ。

おおと、兵士達が声を上げる。

竜巻が消し飛ばしたのではないだろう。何かが起きて、霧が吹っ飛んだのだ。そんなとんでもない事が起きていると言うことである。

激しい激突音が聞こえる。

何かとんでもない、超常の事が起きている。

それだけは分かった。

書記官が記録を取り始めるが。

まるで聞いた事がない単語ばかりが出てくる。

それだけではない。

話を小耳に挟むが。

どれもこれも、信じがたい話ばかりだ。

「霧の向こうには風、その向こうには灼熱の川、更には無だと……」

「そして人間が下手に知恵を付けすぎると全て消される……」

「何なんだそれは……!」

韓新が呻く。

赤彰は憤慨している。翼船は唖然としていた。

韓新は考え込む。

確かにこの世界はおかしい。

それは分かっている。

だが、此処まで異常な話を聞かされると。

思わず聞き返してしまう。

それほどおかしいと言う事だ。

「この世界は修羅道という場所で、そしてそもそも此処は牢獄の世界だというのだな」

「少なくとも敖欽と名乗ったあの巨大な龍は、そう言っておりました」

「何が牢獄だ……!」

歯ぎしりする赤彰。

韓新もハラワタが煮えくりかえるようだったが。

ともかく深呼吸する。

これはいずれにしても、この場にいる人間だけで知っていて良いことではない。連白に連絡しなければならないだろう。

対策を練るとしたらそれからだ。

下手な事をすれば無に帰される。

そんな話を聞けば、対策をしなければならないと考えてしまう。

それが実務家としての韓新である。

にわかには信じがたい話ばかりであるのも事実だが。

あの山の異常な様子を見る限り。

嘘と一笑にもふせなかった。

「書記官、記録は終わったか」

「はっ。 間違いなく」

「よし、護衛に千をつける。 宝にいるとのの所に届けよ。 可能な限り急げ」

「分かりました」

すぐに書記官が行く。

韓新は冷や汗を流しながら、山向こうで行われているらしい超常の戦を見やる。龍剣は個人武勇で言うともはや誰もが及ばぬ怪物だが。

空を覆うようなバケモノに勝てる訳がない。

龍が強大な獣である事くらいは韓新だって知っているが。

それにしても限度というものがある。

一体何と何が戦っているのか。

それが分からない。

冷や汗を拭う。

全く持って理解不能な存在が、何かしているのを見て。恐怖を感じないのは、ただの愚か者だ。

韓新は憶病なくらいだから、むしろ軍人としては適正があった。

いずれにしても、何が起きても対応出来るようにしておかなければならない。

兵達を急かして、武装解除させた周嵐と官祖を連れていかせる。

その後は、一万ほどに目減りした兵を山裾に展開し。

例えば山が火を噴いたり。

土砂が崩れてきたとしても。

すぐに逃げられるように、兵に備えさせた。

恐らくは戦はまだ続いているのだろう。

二刻以上が過ぎたが、まだまだ山向こうの異変は続いている。

本当に何が起きているのか。

生唾を飲み込む声が聞こえた。

赤彰が咳払いする。

気を抜くなと言うのだろう。

それもそうだ。

何が起きても、全く不思議ではないのだから。

ほどなくして。

不意に。

竜巻が止まった。

獣たちが逃げ出していくのが分かる。

とはいっても、獣は存在しているものだ。何もムキになって狩りに行くこともない。それぞれの城の守兵に対応させれば良いし。何より山から下りてくる様子も無かった。

恐ろしい程に静まりかえる。

やがて、此方に歩いて来る者があった。

「龍剣だ!」

兵の一人が叫ぶ。

ざわつく皆。

龍剣は、左腕を失い。

愛馬もなくしているようだった。

それでも右手にはしっかり大矛を持ち。

一体何人の頭をたたき割ったか分からないその大矛を杖に、此方に歩いてくる。

思わず逃げ腰になる兵士達を叱咤する。

話を総合するに。

龍剣は。

南海龍王とやらに勝った。

そういう事なのだろう。

韓新の手前まで来ると。龍剣は流石に片膝をつくが。跪く事を良しとしなかったのか。無理に体勢を崩して、胡座を組んだ。

片腕を失い。

もう死の寸前だというのに。

明らかに笑ってみせる様子は。確かにもはやこの龍剣という武人が。人の領域を超えてしまっていることを示していた。

「何が風を纏って近寄ることも出来ぬだ。 何が龍王だ。 倒せるではないか」

「倒したのか、龍王とやらを」

「ああ。 影を失った。 私の命も。 だがこの大矛で、奴の心臓を貫いてやったわ」

「……」

からからと笑う龍剣。

翼船が前に出る。

介錯を、というのだろう。

だが、韓新は止めた。

まだ龍剣は話そうとしている。

「幾つか、私が知った事を話しておく」

「……聞こう」

「龍という存在はこの世界、修羅道の監視者だ。 この世界は殺し合いを延々と続け、進歩することが許されない世界。 ある程度世界が進歩すると、世界の管理者らしきもの……我々には見る事も触れる事もできない存在だとかいうものが、全てを壊しに来る」

「許しがたい話だ」

龍剣は、もう肉体的には死んでいるようだったが。

気合いだけで持ち堪えているようだった。

事実からだが消え始めている。

それでも。

必要な事を喋るのだ。

「龍の弱点は逆さに生えた鱗だ。 そこさえ貫いてしまえば、体を覆っている風を打ち消すことが出来る。 そして体の真ん中……前足の間に心臓がある。 それを貫け」

「……分かった。 記録しておこう」

「この世界は愚かな罪人が落ちる牢獄の世界。 殺し合いが延々と続けられる六道と呼ばれる中でも最悪のものの一つだそうだ。 確かに私を始め、ここに来る人間は殺し合いだけをするために特化した存在になっている。 だがそれにしてもこれはあまりにも不愉快すぎる」

もう、死は止められない。

だから喋るなとは言えなかった。

「連白に告げてくれ。 せめて私のようになってくれるなよ」

龍剣が消える。

大矛だけが残った。

あまりにも多くの命を奪った、血塗られた矛が。

だが、これは最強の存在が。

己の存在を証明した武器でもある。

だから、持ち帰らせる。

持ち上げるだけでも、兵士が数人必要になった。

素手で岩を砕き。

城壁にひびを入れるような武芸の持ち主だったのだ。

そんな矛を使っていてもおかしくは無い。

韓新は引き上げを命じる。

連白が宝にて待っている。

そこで戦勝の報告をした後。

一旦簡庸に凱旋することになるだろう。

戦いは終わった。

終わったのだ。

龍剣の矛が、それ以上もないほどに、戦いの終わりを示している。

最後に最強の武を示すだけ示して死んで行ったか。

龍剣にあまり良い印象はなかったが。

好きな事を好きなようにして死んだと言うことでは。

個人的には、羨ましいと韓新は思っていた。

 

2、戦いの後に

 

書記官が記した内容。更に韓新の報告書。両方を見た連白は、大きなため息をついていた。

訳が分からない世界なのだ。

だが、まさかこれほどの事態だとは思っていなかった。

四回。

今までに世界が滅びていたのか。

しかもこの世界そのものが牢獄。

戦いを永遠に続けるための場所。

あまりにも真相が酷すぎる。言葉も出ないと言うのが本音だった。

周嵐と官祖を別々に呼んで話を聞いた。

官祖はそれほど記憶力が良くないのか、細部についてはかなり怪しい部分があったが。周嵐は殆ど龍王とやらが口にした事を諳んじることが出来た。

元々龍剣の馬の世話係だったらしいが。

そこから抜擢された将としては、本当に優れていたのだと言える。

二人には話を聞いた後、連白は命じた。

「降った以上もはや戦いは終わりだ。 そなた達は唐に出向き、龍剣亡き後の唐を守り、民を慰撫してほしい」

二人は無言で従う。

心を整理する時間も必要だろう。

仕方が無い。

連白だって、落ち着かないのだ。

この世界の真相。

牢獄の世界。

殺し合う事だけが全ての世界。

あらゆる意味で狂っているとしか言いようがなかった。

百歩譲って、この世界に来るほどの罪をおかしたのだとする。

連白だって破落戸達と連んでいたのだ。

彼らを諭し更正させ続けていたとはいえ。

他の人間に出来ないそれをしていたという事は。

破落戸達と連むことに抵抗がなかった、という事を意味している。

それにこの世界の人間は、言われて見れば特化している。

殺し合いだけに集中できるように。

食事は必要ないときは取らなくてもいい。

同じ姿のまま年だって取らない。

しかしながら、戦争をしなくてもいいような。新しい仕組みを作り出すと滅ぼされてしまう。病という形で。

この病にしても。

龍王とやらの言葉が正しいのだとすれば。

世界による排除機構であり。

更に言えば、この排除機構は、場合によっては一旦その世界の人間を全て駆逐してしまうし。

作ったものも塵も残さず消し飛ばしてしまうのだろう。

七国の時代の前に何があったのか。

これで分かった。

何も無くなったのだ。

恐らくこの世界に暮らしていた人間達は、努力を必死に重ね。病に倒れる者達も全てを賭けて。

世界に挑戦したのだろう。

そして敗れ去った。

何も、言葉は無かった。

張陵が来る。

話は聞いたらしく、珍しく蒼白になっていた。

「との。 今後について、ですが」

「まずは簡庸に戻る」

「……」

「その後、漢の建国を正式に宣言する。 私は王なんて柄ではないが、これはしっかりやっておかなければならない」

幸い統一王朝の建国は、央の武帝が先にやってくれている。

これで病になる事はない。

問題は、その後だ。

「まずは調査隊を送りたい。 龍剣が南の龍王を倒してくれた。 だが話を聞く限り、その先に行くことは出来ないという。 それをはっきり確認しておきたい」

「分かりました。 精鋭の獣狩りを選抜します」

「頼むぞ」

「それと、話を聞く限り、霧を超えて更に先に出ることは現実的ではないかと思いまする」

頷く。

確かに話を聞く限り無理だ。

というよりも、恐らくだが。

外には何も無い、というのが事実なのだろう。

ならばどうする。

もしも連白がずっと統一政権を維持するとする。

だが恐らくだが。

精神が腐れる。

今は連白は、静かに民を見守る事が出来ている。だが、この世界にはほこらからどんどん人がやってくるのだ。

いずれ国は腐る。

その後はまた戦乱が来るだろう。

張陵や流曹が頑張っても無駄だ。

結局は同じ。

やがて分裂と混乱の時代が来る。

それは確定と判断して良い。

此処はそういう場所だ。

そもそも殺し合いをして、苦しみあう場所なのだから。

「打開策は何か無いか」

「ほこらの方も、奥には進めないという話がございますな」

「うむ……」

「ならば、何かしらの手段で、この世界を管理している存在を葬り去る他ないと思いまする」

そうなるか。

張陵ほどの知恵者でも、それしか思いつかないか。

腕組みして考え込む連白だが。

あまり現実的では無いように思える。

文字通り世界を更地にしてしまうような相手だ。

それも武力などによるものではなく。

それこそ瞬きする間に、なのだろう。

そうでなければ、七国前の遺跡だの城だのが残っている筈。

そういうものがないという事は。

如何にこの世界を「牢獄」にしたてている存在が強力で、人知の及ばぬ者なのか、明らかすぎる程だ。

「流曹や韓新も含めて考えよう。 全ては簡庸に戻ってからだ」

「分かりましてございまする」

兵を宝から引き上げる。

各地に守備兵を残すが、連白の部下はみな統率が取れている。

韓新がしっかり訓練したし。

連白自身が諭すと、法悦のような桁外れの悪人以外は基本的に話を聞くようになる。

そもそも韓新にしても鯨歩にしても、連白が諭さなければ、独立群雄になっていたような者だ。

今では韓新は連白の所で忠実に働く将軍として、文字通り国家の柱石となっているし。

鯨歩も龍剣の麾下にいた頃とは違い。

ぎらついた野心と肥大した誇りで周囲も自分も傷つける事はなく。

連白の部下の一軍を任せられ。

黙々と仕事に当たっている。

他の将軍達も似たようなものである。

龍剣と殺し合いにならざるをえなかったのだけは惜しい。

本当に、龍剣が連白と強調してくれれば。

この戦乱は、もっとずっと早く終わっていただろうに。

簡庸に凱旋する。

兵全てと一緒に、とは行かないが。

簡庸では、万歳、万歳と声が上がる。

連白はそれに応えて戦車から笑顔を返し。民草は、長かった戦いの終わりを心の底から喜んでいるようだった。

勿論これからが一番大変なのだが。

連白は、その一番大変な作業をこなしていかなければならない。

宮殿に出向く。

別にそれほど優れたものではないが。宮殿としてはある。宮殿としての機能があるのだから、それでいい。

そこで流曹が待っていた。

流曹のおかげで、連白の軍は飢えることもなく。

兵が足りなくなる事もなかった。

今後は戦乱で荒れ果てた土地に新しく現れた民を派遣し。

どんどん開発をしていく事になる。

そう流曹は言って喜んだが。

咳払いする連白を見て、恐らく何かあったと悟ったのだろう。

幾つも処理しなければならない案件がある。

論功行賞などもあるが。

それ以上に重要な事は、幾つもあるのだ。

まずは宮殿に戻った後、兵士達を順番に帰郷させ。また、新兵を入れ替えに各地に派遣する。

軍紀は厳しい。

一方で給金は充分に出る。

央は、武帝が次世代のために頑張りすぎて、自滅することになった。

だが漢は違う。

武帝が道を作ってくれたからだ。

故に、これからの事を考えられる。

如何に高い壁が立ちはだかっているとしてもである。

武帝は正直あまり好きでは無いが。

それでも感謝はしなければならないだろう。

武帝によって、この世界には再び統一というものがもたらされ。

統一による病は発症しなくなった。

それだけでも、この世界には。

大きな新しい未来の可能性が出現したのだから。

 

論功行賞をまずは行う。

法悦は「事故死」という形で片付け、死後に功績を称えて「明王」の称号を贈った。まあ生きてこの戦いを終えたとしても、いずれ片付けなければならない存在だったのだ。しっかり張陵が始末してくれたおかげで、余計な事をしなくて良かったとも言えた。

三人の功績を特に大きいとして絶賛する。

常に連白の側にあって、陰謀を立て続けた張陵。

連白の兵を飢えさせなかった、後方支援の達人である流曹。

そして常勝将軍韓新。

この三名には、他とは別格として、絶賛の言葉を贈った。

ただし王などの地位にはつけない。

過剰な権力を与えると、絶対に後に独立群雄になる。

連白が生きている間は大丈夫かも知れないが。

その後はどうせろくでもない事になる。

だから、それぞれに官職についてもらい。

定期的に任地を変え。

土地に人脈を作るのを防ぐ。

部下の入れ替えも積極的に行う。

こうすることで新陳代謝をよくし。

問題があるなら即座に発覚するようにするのだ。

張陵には引き続き細作の育成を頼む。

これは公認の監視役としての細作を置いておく必要があるからである。

央が崩壊したとき。

林紹が各地に王を立て。

その結果、混乱が加速した。

その苦い記憶は、此処にいる誰もが共有している。

だから繰り返さないように、もう皇帝だけでいい。王はいらない。

各地にはそれぞれ官職を持った人間が赴任し。

それぞれが監視し合いながら治世を行う仕組みを取る。

時々連白がこっそり視察にも行く。

連白は民の声を聞く事に長けている。

細作にも、同じ事をさせるつもりだ。

圧政が行われているのなら、すぐに連白の耳に届くようにする。

それが重要である。

また、将軍には統治権を与えず、統治権は文官と別々にする。

これらの仕組みは央で実験的に行われていたのだが。人材が枯渇してしまっていたため、実験的にしか実施できなかったようだ。

皮肉極まりない事に、豊かな簡庸や、旧央の領域ではこれらの仕組みが取り入れられ。

そして結果として、戦乱を終わらせる圧倒的物量と経済力の根幹となった。

武帝は本当に先が見えていたのだなと、連白は感心するしかなかった。

更に、死後ではあるが。

龍剣には「唐武神王」の称号を贈る。

これは龍剣が実際に人間離れしていた事もあるのだが。

「王」の称号は、死後に寄贈するものだという習慣をつけてしまうためだ。

皇帝への負担が大きくなる仕組みだが。

幸い時間はある。

連白自身も、苦にはしない。

問題は。

この先である。

論功行賞が終わり。

各地に張陵と流曹が育てた官僚が出立。

連白の膝元を鯨歩が固め。

護衛として選抜された精鋭を石快が率いて守りを固める。

また韓新が軍の総司令官として赴任。

可先、赤彰、翼船。更に王遼や鯨歩、降伏した周嵐や官祖らを、麾下に納めた。

当然韓新は簡庸に残ったので。

此処で、漸く話をする事が出来る。

張陵と流曹、韓新を集め。

連白は、問題について話し合う事にした。

まず韓新が意見を出してくる。

「龍王とやらを龍剣が倒してくれた事は事実のようですが、そのような怪物が生物の常識に当てはまるとも思えませんな。 蘇ったりするかも知れません」

「一利ある。 故に今石快に調査隊を組織させている。 周嵐の報告は聞いていると思うが、膨大な獣に襲われたらしい。 韓新将軍も、現地に出向いて石快の組織した部隊の支援を頼みたい」

「分かりました。 それにしても、この世界が牢獄で、既に四度滅びているとは……」

「修羅道などと言われても分からぬ事ばかりだ。 それに罪人だと一方的に言われてもな」

連白自身が零す。

この世界にいる人間は、獣と違って成長しない。

身体能力の格差が最初から決まっている。

勿論此方に来てから武芸を身につけたり、学問を修めたりという意味での成長は出来るが。

それ以上の事は一切出来ないのだ。

背は伸びないし。

筋肉も、元の体を逸脱してつける事は出来ない。

龍剣は最初から強かったのであって。

努力して強くなったのではない。

格差が大きすぎる。

故にこの世界では、戦乱が誘発されるのだ。

「平和な世界を続けていても、いずれ「粛正」によって更地にされる可能性もありますな」

「そのような非生産的なことは考えたくも無い」

張陵の言葉に、不愉快そうに流曹が返す。

連白も同意見だ。

張陵が血も涙もないことは分かっているが。

それでもやっと来た平和を、踏みにじるような発言は流石に看過できない。

まあ張陵にそれを言っても、文字通り石に説諭だが。

「央が保管していた技術については」

「既に各地から回収されておりまする。 確かに生活が劇的に向上するでしょう」

「……まずは民の生活を安定させてからか」

「それがようございます」

流曹は言う。

張陵は不安そうだったが。

「それだけでも、その神だか何だかが、粛正を考えたりはしないでしょうか」

「央の統治もそれなりの年月に及んだ。 統治そのものは平穏とは言い難かったが、それでも武帝が生きている間は戦乱は起きなかった。 だから、気にする必要はないと思うが」

「……」

「韓新将軍はどう思う」

韓新は腕組みして考えていたが。

やがて顔を上げた。

「龍王は四体いると言う事でした。 その全てを倒してしまえば、ひょっとすれば」

「しかしあの龍剣が、相討ちに持ち込むのがやっとの相手だったのだぞ」

「やり方さえ分かればどうにかなりまする。 龍剣の言葉によると、逆さになっている鱗を撃ち抜くことで守りを消し飛ばす事が出来るという事でした。 更には心臓をつけば倒せると。 特別な訓練を施した弓兵を揃えましょう。 先駆者がいれば、戦術は確立出来るものにございまする」

「分かった。 石快の部隊による調査が終わった後、特別部隊の編成に移ってほしい」

韓新は無言で頷く。

連白は立ち上がると、周囲を見回して言う。

「罪人だか何だか知らんが、この世界に来た以上もう別人だ。 この世界に来る前に何があったのかは知らない。 戦乱だけがずっと続く世界に行くような罪を犯したのかも知れないが、そんなのは何もかも記憶が無く、別の存在になっている時点で帳消しだ。 だとしたら、この世界の仕組みそのものが間違っている」

誰もそれには答えない。

下手に答えれば、病になるかも知れないからだ。

連白は覚悟が出来ている。

病になって死ぬかも知れないが。

最低でも、後継者を作り、平穏を長く続けられる態勢を整えるまでは生きなければならない。

それまでは、連白は死なない。

死ぬわけにはいかないのだ。

昏帝のような輩が現れて、中の世界を滅茶苦茶にしたら、取り返しがつかないのだから。

「それでは、各自頼む。 流曹は国内の安定に注力してくれ」

「承知」

解散とする。

後は、一旦屋敷に戻って休む事にした。

王遼が来る。

本来だったら、王遼こそがこの漢を継ぐに相応しいとさえ思えるのだが。

王遼はやはり、一歩引いた対応をするのだった。

「漢帝陛下。 お耳に入れたい事がございます」

「何か」

「章監が見つけてきたものがあります。 これだけは、漢帝陛下だけに見ていただきたいと思います」

「……分かった。 見せてもらおう」

頷くと、王遼が差し出してくる。

竹簡だった。

ほこらについての調査記録だった。

どうやら、武帝は慎重に、多数に分けた研究を行わせていたらしい。ほこらに関しても、多数の人間に、別方向から調査させていたそうだ。

その調査をまとめたもの。

今、彼方此方から、央の残党が持ち込んできている技術とは違う。

武帝による、ほこらに単純に興味があったから、調べさせたもの。

そういうことだろう。

中身をざっと拝見するが。

ほこらの構造は、いずれも同じだという。

そして杭を打ち込みながら、縄を伝って先に進むことを繰り返した結果。

剛力の兵士が一人だけ、深奥に辿りついたという。

その兵士の名前は消えてしまっていたが。

ともかく記録は興味深い。

それによると。

ほこらの風の先には、なにやらうっすらと明るい世界が拡がっていて。

風はなく。

ただふわふわとしていて。

何だかこの世とは思えない場所だったそうである。

長い時間はいられなかったそうだが。

其所には人間の何倍も背丈がある強靭な人型が彷徨いていて。

兵士はそれに捕まり、風の中に放り投げられたのだとか。

とても抵抗できる力では無かったと、兵士は証言していた。

ふむと、呟いてから。

連白は王遼に聞いてみる。

「どう思う」

「風を超える事は現実的ではないと思います。 この兵士にしても、余程の剛力の存在であったのでしょうし」

「それについては同感だ。 まとまった数の戦力を送り込むのは厳しいだろう。 更に言えば、下手な事をすれば龍王並みの獣……いや怪物が出て来かねん」

「石快将軍による調査が行われると聞きました。 その後に、手詰まりになったら此方を調べて見るというのも良いのではありませんか」

それもそうだ。

頷くと、感謝の言葉を述べる。

王遼は静かに笑う。

昏帝を止められなかった。

それがずっと、心の傷になっているらしい。

要所をずっと守り続けてくれた。

隙の無い守備を続けてくれたおかげで、龍剣すらも衛の要塞を抜く事は出来ず。結果として被害を随分減らす事が出来た。

武帝の判断が正しかったとしても。

やはり最初から央の皇帝にこの人が就任していれば。

少しはマシになったのでは無いかと思えてならない。

連白は、その辺りが残念でならなかった。

王遼が帰った後、自分で考える。

この後どうすれば良いのか。

出来る事は限られている。

韓新がやり方は分かったとは言っていても。龍王を倒すのにどれだけの被害が出るのか、分かったものではない。

ほこらの調査は更に危険が大きい気がする。

それに龍剣が倒せたというのなら。

恐らく龍王は、世界を四回更地にした下手人では無いだろう。

どうすればいい。

考えろ。

自分に言い聞かせるが、妙案など浮かぶわけがない。

連白はしばし考え込みながらも。

やがて、酒に手を伸ばしていた。

それに気付いて、手を引っ込める。

酒に溺れた龍剣が、非常に悲惨な事になったことを思いだしたのだ。

ため息をつくと、もう寝る事にする。

世界の仕組みを変える。

それはとても大変な事に思えていた。

 

3、平穏とその裏で

 

漢王朝が成立し、平穏な時代が始まった。

各地で将軍達も文官達も真面目に仕事をし。

戦乱の時代が嘘のような平穏が、中の世界全てを覆っていた。

これほどの軍備は必要ないのでは無いかと言う声も上がり始めていたが。

連白は無言で兵員の規模を維持し。

それについては、流曹も反対しなかったので。

文官達は、なにかあるなら話して欲しいと愚痴を言いながら。

それでも、黙々と仕事を続けてくれた。

そして、平穏の裏で。

石快の調査隊が帰還していた。

石快は元々兵を率いて活躍出来る将軍では無い。

だからこういう仕事はうってつけだと喜んでいた。

まずは南。

調べた所、龍王は存在しておらず。どうやら復活するようなことはないと判断して良さそうだということだった。

また唐南部の獣も弱体化が著しく。

調査の過程で、犠牲が出ることは殆ど無かったそうだ。

そのまま、東の調査をしてもらう。

中の世界の北と西は山岳部が拡がっている。要するに、早い話が南と同じ要領で突破出来るはずだ。

だが東は海が拡がっている。

この間、央の残党が持ち込んできた技術。

今までとは安定性も大きさも比較にならない船を、現在量産させている。

コレを使って、東を調査する。

韓新に兵は率いて貰うが。

韓新から、すぐに報告が来た。

この船を使った軍は、今までとは全く違うものになると。

恐らく完全に新しい戦術を作り出す必要があるという。

要するに、それは病を誘発することになる。

やむを得ない。

連白が指揮を執るかと腰を上げかけたが。

その時、手を上げたのは可先だった。

可先は言う。

「将器も小さい自分が、此処まで出世出来たのは漢帝陛下の格別の引き立てあっての事です。 まずは自分が、このような戦いを終わらせるための犠牲になりましょう」

「良いのか」

「かまいませぬ。 自分は充分に戦い、この世界に平穏が来るのを見届けました故に」

「……では頼む」

他にも決死隊を頼む。

そして、韓新と石快には。東では無く、まずは北の調査を頼む事にした。

時間を掛けて、一つずつこなして行く。

勿論街も見て回る。

人々の生活は格段に良くなっている。

「親分さん」の話は簡庸でも有名になっているが。

民草に混じって話を聞く限り、殆ど不満は聞こえてこない。

ただ文句があるとすれば、まだ軍隊があるのが気に入らないという声があるが。

それについては、獣の存在と、霧の先に恐ろしい怪物がいるという話をして、納得してもらうしかなかった。

兵を無理に徴発はしていない。

給金も充分に出している。

だから、それで納得してもらうしかない。

民草と話していると、問題が多く見えてくる。

各地を視察して周りながら。

時々不届きに堕落している官吏を見つけては、相応の罰を与え。

また賄賂の類を取っている将軍を見つけては、罰を与え。

腐敗が進むのを、少しでも遅らせるべく連白は努力を続けた。

そして統一から二年。

北の霧の先を、石快が踏破した。

やはり龍王が出現したと言う事だった。

韓新の軍と連携して、龍王に対して戦いを挑んだが。

龍王は、南に続き北でも暴挙を働くかと吠え、襲いかかってきたという。

被害は甚大。

韓新も育てた兵を大勢失い。

龍剣が確立した方法で龍王を屠ることが出来たものの。

何度も戦いたい相手ではないと、報告書を送ってきていた。

新しい情報は得られず。

民には、大きな被害を出した事について、説明をしなければならなかったが。

いずれにしても、霧の向こうに恐ろしい獣がいて。

それへの対処で兵がいる、という説明については。

殆どの民も納得してくれただろう。

だが討伐作戦によって家族を失った民は、納得出来ないものもいる。

連白は、韓新に戦術の洗練を指示。

韓新も頷いて、訓練のやり方を変えた。

そして更に二年。

西の龍王を討伐することに成功する。

統一から既に五年近くが経過しており。

既に民は平穏に慣れっこになっていた。

麻では無い衣服も普及し。

生活も格段に便利になっている。

連白は時々咳き込むようになっていた。

恐らく龍王を殺し尽くす、という事が。

今まで誰も成していない事。

それにこれほどに平穏な治世を続けていると言う事が。

恐らくはこの世界で血みどろの殺し合いをさせたい存在に取って、不愉快であると言う事。

それが理由であろう事は分かった。

病だ。

だが、まだ倒れられない。

後継者について育成を始める。

ほこらから現れる者の中から、平和な治世を維持できそうなものを探し、教育を施す。

こればかりは厳しくやらなければならない。

同時に不穏分子を探し出して、処分もする。

張陵の細作達は各地を周り、不穏分子を徹底的に洗い出していた。

現時点では治世は上手く行っている。

だから連白に個人的に恨みがある者とか。

元々殺しが好きでたまらない者とか。

そういう輩を洗い出している。

汚れ仕事もやらなければならないのが為政者の辛い所だ。

連白は聖人ではない。

だが、だからといって、こんな仕事が嫌なのも事実だった。

程なくして。

可先が亡くなった。

五年ほどを掛けて、新しい船での戦い方について、やり方を残してくれた。

指示をした連白も病を加速させているが。

まだまだ死ねない。

すぐに韓新と石快に、東の霧の先にいる龍王を退治しにいって貰う。

西の龍王は被害を北とは比べものにならないほど押さえ込む事に成功していた。

だが、海上での戦いだ。

どうなるか分からない。

韓新が生きて帰れるかさえも。

しばし、待つ。

随分と、その待つ時間は。

長く感じられた。

 

連白の元に、使者が来る。

石快からだった。

嫌な予感しかしないが。どうやら予感は当たったようだった。

「韓新大将軍は命を落とされました」

「……そうか」

連白は大きくため息をつく。

犠牲が大きいことは覚悟していた。

だが、まさか韓新を失うとは。

経緯を聞く。

東の龍王の戦闘力は、此方が船に乗っていたという事を加味しても桁外れだったという。

用意していった特別訓練を受けた弓兵達もなぎ倒され。

今まで北、西の龍王を退治したときに従軍した者も、例外ではなかったとか。

苛烈な戦いで、二万用意した軍勢は殆ど壊滅。

それでも、戦いの中で韓新は必死に軍勢をまとめ。

わずかな生き残りが放った矢が。

ついに龍王の心臓を貫いた、と言う事だった。

だが韓新の船も水没した。

最後に倒れてきた龍王の巨体に巻き込まれたという事である。

龍王の死体は確認した。

だが、韓新の船の残骸もまたしかり。

韓新は、最後まで勝ち続けたという事になる。

惜しい人物だった。

これで獣の勢いは弱まる。

だが、もしもだ。

この世界を争いの世界にしようとしている存在がいるのなら。

これで動き始める可能性がある。

南の龍王は何度か調査隊を送ったが、蘇る気配はない。

各地に姿を見せていた龍も、今は殆ど見かけないそうだ。

いずれにしても、龍王は倒せたが。

世界を更地にする程の存在が現れる可能性が高いこの時。

韓新を失ったのはあまりにも痛い。

悔やむ石快を休ませると。

連白は席に持たれて、大きく嘆息した。

少しずつ。確実に。

体が駄目になってきている。

連白が死んだ後、平穏が終わるようでは駄目だ。

張陵を呼ぶ。

張陵も最近、咳をするようになって来ていた。

流曹だけは無事だが。

他の官僚にも、病を発し始めている者がいる。

龍王を殺した祟りだ。

そういう声も上がって来ているようだが。

それも当然だろう。

事実なのだから。

「張陵。 一つ頼みたい事がある」

「跡継ぎのことにございますな」

「うむ……」

「漢帝陛下のご威光は、既に中の世界全土に拡がっておりまする。 不埒なる四海龍王を仕留めた今となれば、もはやそれが揺らぐことはあり得ぬかと」

気休めはいい。

連白は死ぬ。

もう五年もたせたいが。

それが限界だろう。

本当は三十年もたせたかったのだが。

十年ちょっと。

世界そのものに喧嘩を打ったのだ。

それは仕方が無い。

ましてや連白は央の武帝のような豪壮の者では無い。

だから、これは仕方が無い運命だった。

「跡継ぎは誰が良いと思う」

「連秀殿下がよろしいかと」

「……そうだな」

連秀は、何人かいる後継者候補の中でもっとも聡明な一人だ。

武芸にも優れているが、何よりも知恵が回る。

ただし若干独断専行のきらいがある。

言い聞かせる必要があるだろう。

問題は派閥とかを作られることで。

連秀の周囲には監視をつけているが。今後監視の目を緩めると、自分の派閥を作り出しかねない。

それを防ぐためにも。

早めに後継者指名はしておく必要がある。

ましてや漢の柱石である韓新を失ったばかりなのである。

国内の動揺を鎮めるためにも。

手は早く打った方が良いだろう。

一応流曹も読んで話を聞く。

流曹はしばし考えた後、やはり連秀が一番良いだろうと言う事を告げてくれた。

ならば、それで決まりだ。

韓新が生きていたのなら。

韓新にも意見は聞いたのだが。

「二人で連秀を支えてくれるか」

「お任せを」

「……私は後五年もたないだろう。 その間に、連秀が皇帝として相応しい人物になれるように、教育と地固めを頼む。 多少荒っぽい手段を採っても良い」

「分かりました。 場合によっては手を血に汚しましょう」

頷く。

二人がいなくなると、連白はため息をついた。

龍王達はいなくなった。

獣の脅威は薄れる。

だが、現実的な範囲での対処しか出来ないのがもどかしい。

次はほこらの奥に侵攻するべきなのだろうが。

それも韓新がいなくなった今。

現実的な策を練ることが出来るかどうか、かなり疑わしい。

そして今も、ほこらからは人が現れ続けている。

この世界を修羅道だか何だか知らないが、牢獄として認識している証拠だ。

要するに、この世界を近くまた戦乱に包むつもりなのだろう。それくらいの介入を、誰だか知らないがこのカスみたいな世界を作った奴はしてもおかしくない。

だが、そうはさせない。

連白の寿命はもう見えてきた。

統一後に、盛大に寿命が食い荒らされるのは覚悟していたし。

それで死ぬ事に悔いはない。

ただ、この世界が更地にされたら意味がない。

それだけは、なんとしても防がなければならない。

調査は進めている。

しかしながら、各地に潜んでいた央の関係者が持ち込んでくる資料を解析しても、何もそれらしいものは乗っていないのだ。

其所まで調査は出来なかった、と言う事なのだろう。

そうなると、これ以上は。

既存の資料だけではなく。

病になることを覚悟した上で。

動いて貰わなければならない。

「もう少し、長生きしたかったな……」

呟く。

連白は、静かに暮らしたかった。

今でも時々粗末な服装で出かけては、人々を諭す。

素敵な親分さんとして簡庸では知られている。

だけれども、素敵な親分さんの調子が悪いとも最近は噂が流れているという。

咳をしているのを見かけた。

病なのでは無いか。

あの人が姿を見せるようになってから、生活がぐっと良くなった。

悪い役人が好き勝手をすることもなくなったし。

税金だって安くなった。

戦争も終わった。

あの人は福の神なのでは無いか。

そんな声まで上がっているとか。

だからこそ、悲しみも大きいらしい。

喜ぶべきなのか。

自分のしてきたことを誇るべきなのか。

それでも病になるこの世界の事を憎むべきなのか。

それは分からなかった。

張陵が資料を持ってくる。

これからの調査の予定だ。

張陵は残忍だが、その残忍さは自分にも向けられる。

調査内容は、過去に具体的に何があったか調べる、というものだった。

更地にされたとしても、何かは残っている筈だ。

それを徹底的に調べ上げれば。

ひょっとしたら対策を練る事が出来るかも知れない。

そういう話だ。

ただしその調査をすれば、確実に病になる。

張陵は、病になる事を別に恐れてはいない。

張陵らしい。

頷くと、連白は指示をする。

「私の体はもう長くない」

「お労しい事にございまする」

「……私の後継の連秀が安定し次第、その研究を始めてほしい。 連秀を病にしないための工夫を、何とか考えないといけないな」

「何とか工夫をいたしまする。 更にその次の代の皇帝を育成するという手もありますが……」

苦笑する。

張陵の考え方は、いつも理詰めで。

そして徹底的だ。

「其所まで先の事は考えなくてもいい。 いずれにしても、後継者の育成は私が病で倒れてからでかまわない」

「は……」

「連秀の教育状況はどうか」

「優れておりまする。 学問も武芸も。 ただ己の優秀さを鼻に掛ける所がございまするな」

そうか。

それは余り良くないな。

一度鼻っ柱をへし折っておくべきだと思うが。

連白主導でそんな事を表立ってさせる訳にもいくまい。

だが、調子に乗らせすぎるなと指示すると。

張陵はしっかり意図を汲んでくれた。

さて、後は。

もう連白に出来る事はないか。

龍剣はどうしたのだろう。

六道とやらの最悪の場所。

地獄にでも落ちたのだろうか。

死んだ人間を公正に裁いているとは限らない。そもそも、一度の生そのものをこんな世界にしてしまう時点で色々と仕組みがおかしいとしか言えない。

何が前の生での行いで、次に行く世界が決まるだ。

そんな仕組みを作っている時点で、はっきりいって六道とやらを管理している輩は信用できない。

出来ればそんな仕組みはぶっ壊して。

死んだらそれでおしまいにするか。

綺麗さっぱり片をつけたら、後はまたやり直せるようにしてほしいものだ。

勿論そんな要望は通らないだろう。

だから龍剣は、死んだ後も暴れている事が容易に想像できた。

それに加勢してやりたいが。

だが、連白に出来るのは此処までだ。

咳が日に日に酷くなってきている。

これは、予想よりももたないな。

連白は思う。

龍剣は為すべき事をして逝った。

褒められた生ではなかったが。

それでも、本人がやると決めたことを最後まで通し。

最後まで最強だった。

そこについてだけは、伝説になるだろう。

まるで戦う事しか知らないような有様だったが。

それを馬鹿にするつもりは無い。

ただ哀れだなと思うだけだ。

連白はそれに比べてましな人生を送れただろうか。

それもよく分からない。

ただ、こんな世界を作った奴には。

一矢報いてやりたい。

その願望だけは。

死ぬ前に、少しずつ、確実に強くなっていた。

 

終わりの時が近いな。

そう連白は悟る。

意識がある日の方が少なくなってきていた。

龍剣は文字通り戦い抜いて死んだが。

連白はどうだったのだろう。

連白の統治は、「開明の時代」とまで言われているらしく。連白が病だと聞いて、多くの民が快癒を祈っているという。

そう聞くと、簡単には死ねなくなってしまうが。

それでも、きちんと決めずに死ぬわけにはいかないのだ。

まだ意識がある内に、重臣を全て呼ぶ。

韓新も本当は呼びたかったのだが。

それももう無理なのが悲しい。

枕元に集まったのは。

張陵。流曹。それに石快。

更に、跡継ぎである連秀だった。

「連秀」

「は」

目筋の通った、聡明そうな若者である連秀。背は連白より頭一つ半も高い。

龍剣ほどの長身では無いが、あれは人間としての完成形だったのだ。

連秀も充分に優れた体格である。

「どうやら私はもう此処までのようだ。 後の事は頼めるか」

「分かりましてございまする」

「武を示す必要は必ずしもない。 嬉しい事に、民草は私の事を「素敵な親分さん」と呼んで歓迎してくれていた。 お前もそれを引き継いでほしい」

「私は法による統治で、世界に秩序を敷きとうございまする」

連秀ははっきり自分の考えを言う。

それもいいと、連白は相手の言う事を頭ごなしに否定はしない。

だが、それでもしっかり伝えておく。

「そのやり方も良いだろう。 だが、あまりに急に変えてはならぬ。 少しずつ変えていくのだ。 何より、誰もが暮らしやすい世界を目指せ。 豊になる事は良いことだが、皆が豊になれるようにせよ」

「母上はお優しゅうございまするな」

「別に私は優しく何てない。 多くの命を手に掛けた。 私は出来る範囲内で、出来る範囲内の人々に不幸になって欲しく無いだけだ」

「……」

張陵を呼ぶ。

例の調査の件を託す。

張陵は頷いた。

過去、四回この修羅道だかの人間は滅ぼされている。

恐らく此処が修羅道であることすら知らなかったのだろう。

だが、今度は違う。

「央武帝の時と同じ失敗だけはするな」

「心得てございます」

「流曹」

「はい」

流曹も前に出る。

自分よりずっと年上で。

ずっと物資と人材を派遣し続けてくれた。

誰よりも、統一の実現に貢献してくれた功臣。

その功績は。

龍剣を打ち破った韓新や。

様々な策を持って敵を翻弄した張陵に勝るとも劣らない。

そして今でも堅実極まりなく。

各地の安全を確保し。

卑の生産量を上げてくれている。

央で開発された機械類も、すっかり世界に行き渡った。

流曹がしっかり検査をしてから流通させてくれているおかげである。

私心はなく。

それ故に隙も無い。

昔は厳しくて怖いと思う事もあったが。

この人がいなければ、とてもではないがこの統一はならなかっただろう。

「後の事は頼むぞ。 我が強い連秀の手綱をしっかりとってやってくれ」

「分かりましてございまする」

「本当に本当に助かった。 そなたは文官の手本となるような存在だ。 出来れば後継者も作ってくれ」

最後に石快を呼ぶ。

石快は情けなく顔を歪めて泣いていた。

虎殺しの豪傑が。

ずっと連白を守り抜いた最強の盾が。

情けない。

だけれど、怒るつもりはない。

静かに笑った。

「石快のおかげでなんど命を拾ったか分からないな」

「白姉貴の為なら、俺はどんなことでもしまさあ」

「そうか。 これからも……頼む。 次は連秀のために」

「ああ、任せてくれ。 誰も近づけさせねえし、好き勝手はさせねえ」

それでいい。

静かに、息を吐くと。

皆を下がらせた。

咳が酷いので、静かに眠れる日は減ってきている。

これがお前の罪だ。

そう言われているようにも感じる。

だが、罪とは何だ。

私が過去に何をしたのかはしらない。

だが、もしも牢獄に幽閉するというのであれば。

その過去の記憶を持ったまま、地獄なりなんなりに送れば良いのだと思う。

こんな中途半端な世界に送り込んでおいて。

過去に悪い事をしたからなどと言われても納得出来るか。

逆もまたしかり。

天道とやらもあるらしいが。

其所にいく奴は、過去に良い事をしたとか。

これについては、西の龍王を討伐した際に韓新から報告書が上がっている。

姿を見せた龍王は、六道について饒舌に語ったそうだ。

それによると天道では、あらゆる欲求を好き勝手に満たす事が出来。死の瞬間以外は何の苦しみもないという。

ばからしい話だ。

そんな事を天道とやらにいる者達が知っているとしたら。

どいつもこいつも堕落しきって。

それこそ過去の善行が全て帳消しになるほどの愚物だらけになるか。

もしくは自分の過去の善行を盾に、あらゆる暴虐を好き勝手にする怪物と化す事だろう。

この六道輪廻という仕組みそのものが間違っている。

こんなものは、廃止しなければならないが。

残念ながら、もう連白は此処までだ。

目を閉じる。

どうやらこれが最後らしい。

少しずつ、体が壊れて行くのを感じた。

最後に感じたのは。

光が消える事だった。

恐らくは地獄道に落ちるのだろう。

修羅道の仕組みを滅茶苦茶にしたのだから。

だが、別にそれはかまわない。

そもそも、前の人生で何をしただので、人生の全てを最初から決定される時点で色々とおかしいのだ。

おかしい仕組みに巻き込まれるのである。

どんなおかしい結果になっても、連白は驚くことはないだろう。

やがて、意識は小さくなっていき。

何も考える事も出来なくなり。

連白という存在は消えた。

修羅道での死は消滅だ。

その最期は、静かで。

誰にも気付かれないほどに。

穏やかだった。

 

エピローグ、時代と世界の変転

 

連白は歩いているのに気付いた。

修羅道で死んだ時のままの姿だ。

咳も出ない。

体も軽い。

手を見る。

小さな手である。

素敵な親分さんと言われて、随分と慕われたっけな。

苦笑しながら、真っ白な道を歩く。周囲にも、歩いている者の姿を見かけた。知っている者はいなかった。

やがて白い道の先に、巨大な建物が見えてきて。

其所に並ぶように、声だけで指示を受けた。

何か周囲には揺らめく巨大な人型が立っていて。

それはとてつもなく威圧的だった。

だが、それが何だ。

龍剣の気迫と圧力に比べれば、どうということもない。

静かに待つ。

順番の処理は早い。

どんどん行列は進んでいく。

見ると、先頭の方では。別の道にそれぞれより分けているらしい。

そんなものかと、連白は思った。

やがて連白の順番が来る。

通されたのは、とてつもなく巨大な、色鮮やかな服を着た者の所だった。

そういえば、央が作った服が、あんな感じだったっけ。

まあ話だけでも聞いてやるか。

どうせ此処が。

転生先とやらを振り分ける場所なのだろうから。

自分が死んだことには自覚がある。

死んだ事を悲しいとも思わない。

やるべき事は、出来る範囲でやった。

だから、その成果を貶すことは、何処の誰が相手でも許さない。

「連白。 そなたは修羅道にて随分と勝手な事をしてくれたな」

「修羅道というものの存在そのものが間違っていると判断したまでだ。 生前にどんな罪を犯したのかはわからない。 だったら罪をその場で償わせるべきであって、誰もが無意味に苦しむあのような場所に送るべきでは無い」

「ふっ。 言いたいことをいうものだ」

「転生だかなんだか知らないが、そのようなものは愚かしすぎる仕組みだ。 相手が何であろうと、私はそれを指摘する。 私はそれで死んだが、別に悔いなど一切無い」

巨大な人影は連白を見下していたが。

やがて言う。

「お前はそもそもどうして修羅道に落ちたか知っているか」

「知らぬ」

「そうだろう。 お前の前世の名前は朱全忠。 その行状を見せてやろう」

見せられる。

なるほど、これなら確かに悪党の中の悪党と言われるのも仕方が無いだろう。

だが、はっきり反論する。

「私がこのような外道であった事などどうでもいい。 というよりも、記憶も何も無い時点で、このような外道は私では無い。 別の輩だ。 私がこやつに会っていたら、即座に頭をたたき割っていただろう」

「その非力な手でか」

「非力でもやり方はいくらでもある」

「ふ。 ますます面白い。 あの修羅道をまとめ、四海龍王を倒しただけの事はあるな」

連白の周囲に、人影が幾つも現れる。

そうか。

待っていてくれたのか。

破落戸の親分時代からの仲間。

戦いの中で命を落としていった者達。

韓新もいる。

連白の弁護をしてくれたという。

「転生を拒むというのであれば、転生の外側にいくと良いだろう。 人間道では、此処からでしか出来ないとかいう話が伝わっているがそれは違う。 実際には、転生など何処の世界からでも拒める」

「……ならば、転生など二度としたくはない。 前世などで、自分の生を決められてたまるものか」

「その気になれば天道にでもいけるが」

「笑止」

連白の言葉を聞いて。静かに大きな人影は頷き。

そして立ち上がっていた。

その巨大な手から何かが零れる。

光の粒のようだった。

「転生というこの仕組みは兎に角悪用されている。 故に少しずつ改良してきたのは、我々の側からも事実だ。 実際にはもう前世の所業によって転生先を変える方法はほぼ採用されていない」

「……」

「そしてそなたは朱全忠であった頃の鬼畜外道でもなければ、頭が花畑になっている愚か者でもない。 以降は、そなたは転生などとは関係がない、静かで光に満ちた世界で暮らすといい」

連白の姿が消え始める。

どうやら、世界そのものから浮き始めたらしい。

転生からも外れる。

そのようだった。

別にどうでも良い。

修羅道だか何だか知らないが。そこで出来るだけの事はした。

今後自分が何をするのかはわからないが。

何になるのかも分からないが。

その後は。

自由にさせて貰うだけだ。

「最後に一つだけかまわないだろうか」

「聞くが良い」

「龍剣はどうしている」

「龍剣の前には項籍、或いは項羽と呼ばれていた者は、自ら望んで地獄へ行ったよ。 多くの命を無為に奪い、大事な者達を無意味に死なせていったと言うことでな」

そうか。

そうだろうな。

龍剣だったらそうするだろう。

やがて、自分が空に溶けるのを連白は感じた。

全ての因果は、断ち切られた。

 

あらゆる激痛の中、声一つ挙げずに正座し。責め苦を受けている龍剣は、顔を上げていた。

何かが来る。

此処は地獄。

その最下層。

自ら選んで来た場所だ。

其所に何か紐が降りてくる。

周囲の獄卒達が、やれやれと呟いた。

「最近多くなったな。 地獄の仕組みに問題があると唱えている神格がいるとは聞いていたが……」

「まあそうだな。 こんな悪趣味な拷問加えていても更正なんてできる訳ないものな」

けらけらと笑う獄卒共。

あの世の仕組みを知った龍剣は、即座に地獄へ行く事を選んだ。

だが、地獄はただの虚無だった。

何一つ変わることはないだろう。

それは理解出来た。

紐を見上げる。

立ち上がり、手にとる。

そして、悟った。

紐の先には。

懐かしい気配がある。

その一つは、山霊先生だった。

もう一つは。

「もういい。 上がってくると良い」

「私は……」

龍剣は一瞬だけ躊躇した。

だが、やはり紐を握り直す。

転生などというものに意味はない。

地獄に落ちて見てそれはよく分かった。

全てが消されるのであれば、そもそも次の生で前に生きた事に意味など生じるだろうか。

その生一つ一つに意味があるのでは無いのか。

いずれにしても、此処には意味がない。

もっと出来る事があるはずだ。

龍剣は紐にぶら下がる。

拷問を受け続けている亡者達が、怨念の声を上げた。

龍剣はすまないなと呟くと、紐に掴まって地獄を後にする。

この後は。

そうだな。

悪を許さぬ存在になりたい。

龍剣はどうしようもない存在だった。

だからこそ、悪を許さない断罪の剣そのものになりたい。

そう願ううちに。

龍剣の意識は、光に溶けていた。

 

二人の英雄は鎖から解き放たれた。一人は元から英雄だった。一人は元はただの外道だった。

だが転生という仕組みの欠陥から解き放たれた二人は。

今は、その仕組みの枠にはもういない。

 

(楚漢戦争二次創作、修羅道荒廃 完)