破滅の始まり

 

序、庵にて

 

多分山霊がこれほど武芸を使えるとは思っていなかったのだろう。

押し入ってきた賊は、恐れを成して逃げ出したが。容赦なくその背中を山霊が放った矢が貫いた。

勿論龍剣などには到底及ばない程度の武勇だが。

これでも昔は将軍としてならしていたのだ。

それも、何度も最前線で死ぬような目にあってきた。

この程度の修羅場、慣れっこである。

そのまま使用人達を呼び、無事な者を集める。

使用人達は、半分ほどが殺されていた。

生き残りは、龍剣丞相の仕業に違いないと怒り狂っていたが。

鎮まれと、山霊は言う。

それだけで、周囲は落ち着いていた。

「此奴らは恐らく法悦の配下だ。 私が育てた細作だったら、そもそももうお前達全員が息などしておらん」

「……」

「それにあの龍剣だったら、殺すつもりだったら自分で来ただろう。 本当にくだらぬ事をする……」

「もし法悦の仕業だとすると、後ろで糸を引いているのは張陵でしょうか」

違うなと、山霊は答える。

張陵だったら、もっと確実な手を採るからだ。

これは法悦による勇み足。

それで間違いない。

ただ、法悦は部下を心酔させているし。

その部下達は、龍剣を恨みきっている。

山霊に対しても良い感情は抱いていないだろうが。

だが、敵は逃げ出した。

どうも妙だ。

これは単に挑発のためだけの行動だったのか。

ため息をつくと、周囲を固めるように使用人達に指示。

そして使用人の一人を、使者として出していた。

龍剣あてにである。

襲撃があった事。

撃退した事。

恐らく法悦の手によるものであること。

それだけは伝えておく。

ただ、効果はあまり期待出来ない。

龍剣はもう立ち直れるかどうかすら怪しい。

山霊が見込んだ超世の英傑は、こんな所で立ち止まるはずがないのだが。残念ながら、目が曇っていたという所だろうか。

それから、慣れない鎧を着て。

しばらくは庵で臨戦態勢を取る。

また刺客が来たのは翌々日。

山霊は先頭に立って、刺客を全て斬り伏せたが。

戦いの中で、また使用人達を失った。

やれやれ。

ぼやく。

この様子だと、法悦は明にて相当な勢力をもう張ってしまっていると見て良いだろう。

周は官祖が固めているとして。

明は周嵐がまとめているだろう。

周嵐は優れた武将だが。

それでも明全域を管理するには力量が決定的に足りない。

龍剣があんな状態になっている今。

宝はがら空きも同然。

それは法悦の手下だって入り込んでくる。

やがて、役人が来た。

見た事もない輩だ。

小物も小物。

多分、書類が回りに回って、こんなのが来たのだろう。

山霊に対して舐め腐った口を利く役人。

正直斬り伏せてやろうと思ったが。

我慢して聞き流す。

調査するが、其所でじっとしていてほしい。

それだけ言って、役人は戻っていった。

戻っていく途中、ケラケラ笑っている声が聞こえた。

山霊が失脚したことを、喜んでいる輩だったのだろう。そしてあんなのが、やる気を無くした龍剣の麾下でのさばり始めている。

馬鹿が。

そうぼやいたが。

それも長くは続かない。

その役人が、森の中で法悦の手下に襲われたらしい。しかも法悦の手下は、わざと部下を数名逃がしたようだった。

ほどなくして、軍勢が来る。

山霊に対して、これまた見た事もない三下の将軍は、高圧的に言うのだった。

「山霊元将軍。 貴方に調査に来た役人が殺された嫌疑が掛かっている」

「そのような事をして私に何の得がある!」

「ともかく来ていただきたい」

「無礼者が、下がれ!」

無言で将軍が剣を抜く。

兵士達も、不慣れな様子ながら剣を抜いた。

使用人達と一触即発の空気になるが。

山霊は、舌打ちしていた。

まさかとは思うが。

この一連の流れを作るために、法悦に対して勇み足を促したのか。

可能性はある。

張陵ならやりかねない所だった。

「縛り上げろ!」

「愚か者が!」

怒号。

一発で、兵士達が腰が引け。将軍も剣を取り落としていた。

剣を鞘に収めると、山霊は怒りをもはや抑えきれなかったが。それでも言う事は聞いてやることにする。

「もういい。 龍剣の所に出向く。 案内せよ」

「丞相の命令で来たのでは……」

「貴様のような三下が独断でこのような行動を起こしたか! この低脳が!」

首をすくめる三下の将軍。

そこそこ出来る奴をある程度見繕ってきたつもりだった。

だが劉処の敗北や、于栄の戦死と供に。

それら育てて来たまともな将軍達は殆どが倒れてしまった。

もともと龍剣は配下に優れた武将を必要としていない。

だから、他に割り振っていたのだが。

此処まで人材が早々に枯渇するとは。

大きな溜息が漏れる。

ようやく自分との立場の差が分かってきたのか、将軍は青ざめ始めた。

そもそも官を辞したとはいえ。

山霊は、あの龍剣が直接この庵に迎えに来たほどの人間である。

こんな三下が偉そうに口を利いて良い相手ではない。

しかも龍剣の意見を聞かずに来たと言うことは。

もう、龍剣が酒浸りになっているのを見て。

佞臣が跳梁跋扈し始めているのは、確定だった。

もう駄目だ。

それは分かった。

龍剣は本物の英雄だった。

だが、戦争だけにしか才能が行かなかった。

特に変な信念が根付いてしまっているのは致命的だ。

その妙な信念のせいで寛容さは失せ。

何もかもが悪い方向へ転がっている。

馬鹿馬鹿しくなってくるが。

最後に一仕事はしなければならないだろう。

怒りの余り庵に引っ込んだが。

龍剣にもう一度だけあわなければならないか。

すぐに三下の尻を蹴飛ばして、宝に急ぐ。

唐から宝には船に乗らなければならないから、それが不安だが。

まあやむを得ないだろう。

完全に青ざめて無言になっている将軍。

様子がおかしい部下が何人かいる。

多分どれも法悦の手下だろう。

隙を見て潜り込んでいた、と言う訳だ。

隙は見せない。

幾つかの船に分乗。虎川を渡る。

その船上で問いただす。

所属と名前を言えと。

将軍にも聞く。

答えられなかった。

此処まで。

山霊が目を離した隙に。

龍剣の軍は弱体化していたのか。

これでは韓新を先鋒に敵が攻めてきたら、文字通りひとたまりもなく蹂躙されるだけである。

問いただす。

やがて兵士は、いきなり奇声を上げながら剣を抜き。そして斬りかかってきた。

一太刀だけは受けてやるが、その直後に斬り伏せた。

将軍は情けない悲鳴を上げ。

同時にもう一人が斬りかかってくるが。

そいつは即座に斬り伏せていた。

矢が飛んでくる。

斬り払う。

将軍は頭を伏せて、必死に身を守っているが。

正直どうでもいい。

使用人を呼び、矢を放った兵士を斬るように叫ぶ。

なに、あんな遠矢なら当たらない。

やがて、全てのくせ者を切り伏せ。

掃除は終わった。

情けなく這いつくばっている将軍を蹴飛ばし、叩き起こす。

「漕ぎ手にも賊が混じっているとはな……」

「お、お許しを、お許しを!」

「貴様が漕げ愚か者が」

こんなのを将軍にするとは、龍剣は何をしていたのか。

反吐が出る。

虎川を渡ると、後は歩きで宝に。

数日かかったが、その間三回賊に襲われた。

法悦の手の者に間違いなかった。

卑に毒まで入れられていた。

法悦の奴。

余程点数稼ぎをしておきたいと見える。

しばらく和平が続いているから、だろう。

いざ大規模戦闘になれば活躍の場はあるが。それまでは法悦に出来る事はない。元々軍勢を率いて強敵と戦える者では無いのだ。

宝に到着。

宮廷に上がると、流石にそこにいる連中は、山霊を見て青ざめ。背筋を伸ばしていた。

「一体何をしていた! 正規軍にまで法悦の手下が入り込んでいたぞ!」

「ええっ!?」

「私の使用人が何人も殺された! それになんだこの者は! 誰がこんな低脳を将軍にした!」

誰も答えられない。

書類を見るが。

一体誰だコレを書いたのは。

無茶苦茶では無いか。

問いただすが、それぞれが適当に仕事をしていることが分かった。要するに、もう政庁が機能していないのだ。

龍剣はどうしている。

思わず公の場でそう叫んでしまったが。

龍剣は、自宅で酒を飲んでいて。数日に一度しか政庁に出てこないと言う事だった。

大きな。

悲しみを伴った溜息が出た。

これが一代の英雄の末路か。

気概は天を覆う。

力は山を抜く。

そうとまで言っていた者が、此処まで落ちたのか。

龍剣がしっかり見張っていればこんなことにはならなかったのである。

山霊は本当に頭に来た。

すぐに龍剣の自宅に出向く。

龍剣は、寝こけていた。

蹴り起こす。

流石に龍剣の体は岩のようで。山霊では蹴っても埒があかなかったが。

それでも気付いたのか。

ようやく起きだす。

「山霊先生……?」

「愚かな……! 何をしているか!」

「それは……」

「まずはその酒を抜いて参れ。 政庁が今、悲惨な事になっている!」

よろよろと泥酔していた龍剣が水場に行き。

緩慢に顔を洗い始める。

やがて戻って来た龍剣は、青ざめていた。

「政庁が悲惨な事になっているとは」

「文官共がまともに仕事をしておらん! 訳が分からん将軍を任命し、仕事はいい加減の極み。 誰も責任を取らず、内容も間違いだらけだ」

「そんな!」

「現に私に謀反の嫌疑があるとかで、将軍が来たぞ。 それも見た事も聞いた事もない奴だ」

飛び出す龍剣。

ゆっくりその後を追う。

政庁にて、不安そうにしていた例の三下を見て。

龍剣は叫んでいた。

「何だ貴様は!」

「ひっ! 龍剣将軍! わ、私は……」

「山霊先生に無礼を働いたというか!」

「そ、それは、それは……」

抜き打ちに、龍剣が三下の首を刎ね飛ばしていた。

悲鳴を上げる文官共。

少し遅れて政庁に出ると。

荒く息をついている龍剣に、山霊は諭す。

「現実が見えたか。 酒に溺れている間に、こんな状態になっていたのだ」

「返す言葉もございません」

「私とまだ喧嘩をするか」

「いえ……。 申し訳ございません山霊先生。 車騎将軍に復帰していただきたく。 お願いいたします」

条件があると、山霊は答える。

山霊自身、腹に据えかねる程だった。

昔からついてきていた使用人を何人も殺され。

その原因となったのが、くだらない。本当にくだらない策に引っかかった龍剣の行動が原因である。

そして龍剣は、それを気に病んで酒に逃げていた。

そんな事は、見れば一目で分かる。

更に龍剣がいなくなった隙を突いて。

こんなゴミクズのような佞臣どもが蔓延ってしまった。

勿論、龍剣の配下に人材がもういないのもある。

将軍としては周嵐と官祖くらいしかもうまともなのがいない。

龍剣麾下の八千も、訓練がきちんとされているかどうか。

はっきりいって現時点では、山霊が復帰したところで龍剣には一切合切勝ち目がない。これについてはどうしようもないのが事実だ。

だが、一つだけ手がある。

連白を殺す事だ。

連白麾下の将軍は、それぞれに結束している訳ではない。

連白という強力な指導者であり。

龍剣に並ぶ超世の英傑がいて、まとまれている。

韓新や敵に寝返った鯨歩などは、元々独立群雄にならざるを得ないような人物で。

それをちゃんと使いこなせているのは連白だからだ。

奴には何かしら特殊な才能がある。

ついでに断言してもいい。

奴の才能は、多分もう同世代にはでない。

ほこらから現れる人間の数には限りがある。

急激に人間は増えないのだ。

それら新しくこの世界に来た人間は、調査はしているが。

連白のような規格外は、その調査では見つからないだろうし。

何よりも才能が開花するまでに時間だって掛かる。

連白だって、下手をするとただの穀潰しとして、小さな街の顔役で終わっていたかも知れない。

或いは何処かの将軍になって、つまらぬ戦で戦死していたかも知れない。

それほどに、奇跡的な確率の果てに、連白という怪人が台頭しているのである。

代わりはいない。

張陵にしても、流曹にしても。

連白の後継はつとまらないのだ。

「つまり、今後は連白を殺す事だけに全力を注ぐと」

「そうだ。 韓新が厄介だが、連白さえいなければ奴も群雄の一人に過ぎなくなる。 天下の統一には数十年が掛かるだろうが、そなたを超える器量の持ち主はいない」

「……分かりました。 山霊先生。 以降は迷いませぬ」

「うむ……」

勿論、簡単に連白を殺せる訳がない。

それは分かった上で、この事を口にした。

龍剣もそれは分かっている筈だ。

此処からは厳しい戦いになる。

いずれにしても、まだ和議が続いている間に、準備を徹底的にしておかなければならない。

まだ死ぬわけには行かない。

護衛を貰ったので、それを引き連れて山霊は自宅に急ぐ。

庵に戻るときに引き払ったのだが、それをまた使うことにしたのである。

そして、自宅に入った瞬間だった。

何が起きたか分からなかった。

山霊将軍。

そう叫ぶ声だけが、聞こえて。

それっきりだった。

 

1、山霊落つ

 

連白は相変わらず眠そうに見える目を擦って政務をしていたが。其所に張陵が嬉しそうにやってくる。

清に移って民心の慰撫に努めている昨今だが。

張陵がこの顔をしているときには、だいたい碌な事が起きない。

そして、話を聞かされ。

思わず真顔になっていた。

「山霊が謀殺された!?」

「はい。 原因は調査中ですが、恐らくは内部抗争によるものかと」

「詳しく頼めるか」

「はい」

張陵の細作が届けてきた情報によると。

山霊は庵に引きこもった後。

一度ならず不審な相手の襲撃を受けたのだという。

法悦では無いかと連白は疑ったが。

張陵は薄く笑う。

「違いますね。 法悦には、厳しく監視をつけています。 あの者は、この戦いが終わったら必要なくなりますので」

「……法悦の勇み足では無いと」

「はい。 いずれにしても、山霊は龍剣に抗議。 その結果、将軍達が死にすぎた結果、繰り上がって将軍になったろくでもない輩が、護衛に来たようです」

「そこまで龍剣と山霊の縁は切れてしまっていたのか」

それも違うと張陵は言う。

何でも龍剣はここずっと酒浸りになっていて、それが原因で政務にも顔を出していないという。

初の敗戦もあるだろうが。

山霊に愛想を尽かされたと思って、それでだろうと。

なるほど。

では、何故に山霊を襲う者が出て。

愚か者が山霊を除こうとしたのか。

「調査中なのですが、ともかくその将軍の配下にもよく分からない者が混じっていて、山霊を殺そうとしたようですね。 その全てを山霊は返り討ちにしたようです。 宝に辿りついた山霊に話を聞いた龍剣は激怒。 山霊に無礼を働いた将軍をその場で斬り捨て、山霊を車騎将軍に復帰させたそうです」

「ふむ、それで……」

「山霊は政務を立て直すべく、一度自宅に戻ったようなのですが。 其所に伏せていた刺客によって、よってたかって突き刺されて即死したようなのです。 相当な手練れであったとか」

「張陵、そなたの仕業では」

まさかと、張陵はくすりと笑う。

その笑い方が恐ろしくて、連白はそうかとしか答えられなかった。

張陵だったら、庵にいる間に山霊を消すという。

それも病気か何かに偽装して。

つまるところ。

これは何か、別の要因が働いていたと見て良いだろうと。

すぐに喪の使者を送るようにと連白は指示。

張陵は甘いと言うが。

連白は山霊については、出来る人物だと思っていた。

多少傲慢だったかも知れない。

龍剣に対しても、凄まじい厳しい人物だったようだから。

だが、確かに軍師としては超一流。

将軍としても優れていた。

実際この間の明の戦いでは、十倍以上の可先の軍を軽々と押し返し。

張陵が指揮する八万に、一万五千で互角以上の戦いを見せた。

恐らくだが、劉処と鯨歩をあわせた以上の将軍だったのだろう。

七国の時代から生きている古強者。

それが、こんな形で非業の死を遂げるとは。

連白が送った使者は、非常に豪勢なものであり。

連白の手による非道では無いことを説明した。

使者としては暦域を送った。

暦域の弁舌は、猛り狂った龍剣をあの手この手で鎮め。

何よりも、やり口がおかしいという事を指摘したら、どうやら龍剣も納得したようだった。

服喪の使者は無事に生還し。

暦域は悪い報告も持ち帰っていた。

「酒に溺れていたという報告があった龍剣が、活気に満ちておりました。 まるで鬼神のような気迫で、周囲をにらみつけておりました」

「ほう……」

「あれは手強いでしょう。 和議がきれ再度の戦いが始まった場合、相当な犠牲を覚悟しなければならないかと思います」

「分かった。 無事に帰ってきてくれて良かった」

労いの言葉を掛けると、暦域は休ませる。

連白はため息をつく。

そして、側に控えていた張陵に問いただす。

「何か分かったか」

「はい。 どうやら下手人ですが、央の残党のようにございまする」

「何……」

「章監に確認した所、央の暗殺部隊が実在していて。 それが央滅亡とともに姿をくらましていたそうにございます。 何を考えていたのかは分かりませんが、いずれにしても手口が全く同じだとか」

一体どういうことか。

不審に思う連白だが。

やがて答えは向こうからやってきた。

数名の、まるで影のような者達が姿を見せたのである。

政務をしている最中だった。

「連白様にございますな」

「そうだが、貴様らは。 どうやって入ってきた」

「我等影に生きるもの。 央の武帝により、ある使命を受けたものにございまする」

顔も隠していて、声も中性的。正体がまったく分からない。

ともかくそやつらがいうには。

今まで、天下の趨勢が決まるのを待っていたのだという。

「武帝陛下は、この事態を予想しておりました。 央は新しき世のために、あまりにも多く換えがきかない人材を失ってしまいました。 故に武帝陛下は判断したのです。 無能をあえて主に据えることで、央の次の王朝を早々に構築する事を」

「それで、昏帝を主に据えたのか」

「いかにも。 案の定、すぐに世は乱れ、貴方と、龍剣が現れました。 好ましい事態でありました。 武帝陛下曰く、より強き指導者の出現こそが望ましいという事でありましたから。 拮抗した貴方たち二人が同時に現れたのは、本当に望ましいことでありました」

「……」

そんな事のために。

どれだけの人々が、涙を呑みながら死んでいったと思っている。

連白は怒声を叩き付けたくなったが。

ともかく、話だけは聞く。

「天下の趨勢は貴方の勝利に決まりました。 以降は貴方に協力させていただきまする」

「山霊を殺したのもそなた達か」

「は。 山霊は不確定要素になりうる人間でした。 故に龍剣が貴方の仕業である事を疑うように殺したのです。 和議も邪魔になっていましたでしょう?」

「余計な事を」

ふふと、影どもは笑う。

全く人間味のない笑いだった。

そして、影どもは付け加える。

「以降は余計な事はいたしませぬ。 貴方が勝利した暁に……武帝陛下の真の遺産を引き渡させていただきまする」

「そのようなものいらぬと言ったら」

「今まで人々が不自由な暮らしをしていたものを、一挙に解決するものばかりにございまする」

「……」

そういう事か。

武帝は恐らくだが、理論上出来る技術改良を、自分が生きている間に全てこなしてしまったのだ。

だが人材が悉く枯渇した。

そのまま技術を継承するわけにもいかなかった。

だから技術は一旦眠らせて。

そして覇者に託すことにした。

そういう事なのだろう。

はっきりいって反吐が出る。

蠱術とかいったか。

それを人間でやっているようなものではないか。

武帝と言う者は、遠くから見たことしか無いが。

関わり合いにならなくて良かった。

今は素直にそう思える。

現実主義者ではあるのだろう。

だが、その現実主義は。多くの人命を平然と奪いながらも、笑っていられるものだ。連白が許して良いものではない。

しかしながらその一方で。己の命を賭けて、未来のために様々なものを残したことも分かるのだ。

それらを破壊してしまえば、また試行錯誤の過程で多くの有能なものが病に掛かり倒れる事も。

犠牲は可能な限り減らさなければならない。

何故病などと言うものがこの世界で、新しい事を始めた者を殺すのか。

それもいずれ、突き止めなければならないだろう。

だが病の存在そのものが、それを一世代ではできないようにしている。可能な限り一世代で全てを行い。

次代に無理矢理引き継いだ。

それが、央の武帝だったと言う事か。

「武帝陛下が収拾した技術の中には、七国時代に開発され、そのまま埋もれていたものもございます。 連白様には、それを人々に伝える使命もあるかと思われます」

「ああそうかも知れないな。 だが以降は余計な行動は避けて貰おうか」

「……」

「山霊は敵ながら見事な軍師だった。 このような事をしていれば、私もいずれ同じになってしまうだろう。 以降は、統一後まで大人しくしているようにせよ」

頷くと。

影どもは消えた。

下郎が。

吐き捨てると、石快を呼ぶ。

石快は来ると、目を細めた。

「誰か来ていたようですな」

「ああ」

全てを話しておく。

そうすると、石快は不機嫌そうに押し黙った。

連白と石快は考え方も似ている。

一緒に長くいたのだ。

それは似てくるのも当然だとは言えた。

「他には張陵と流曹には話しておく。 他言無用にしてほしい」

「しかし、白姉貴がそんなのを背負う必要は……」

「あるんだよ」

少しだけ見せられたが。

着心地が全く違う上、麻の服と同じくらい簡単に作れる服。

丸木から切り出したのとは、安定性ももちも全く違う船。

長持ちする上に、すきま風も吹き込まない家。

獣を仕留める様々な方法。

少し見ただけでこれである。

民のためにも、連白は連中の提案を蹴るわけにはいかない。統一のあと、人々の生活は劇的に向上する。

そうなれば不満も収まる。

連白が名君と呼ばれるかどうかはどうでもいい。

連白も人々と暮らしてきた身だ。

人々が安楽に過ごせるなら、その方が望ましい。

そして連白はそれを出来る身にいる。

だったらやらなければならないだろう。

「白姉貴」

「なんだ」

「俺ははっきりいいやすがね。 この世界はこのままでも良いと思ってます。 むしろそんな事よりもこの世界の不自由な仕組み……病とかそういうのを作ってる連中、いるとしたらそれをブッ殺してやりたい」

「私もこの世界の仕組みを作っている連中をブッ殺したいというのには同意見だが、それもそもそも誰がやっているのか分からない以上は無理だろうな。 少しずつ世代を重ねながら、病によって人材を失いながらも技術を進歩させて行き、最終的に辿りつかなければならないだろう」

ままならない。

そう石快がいう。

連白も同じ意見だ。

ともかく、張陵を呼んで話をしておく。

流曹にも秘密に使者を出しておく。

韓新は、いずれ機会があったら話しておくべきだろう。

手配を済ませると。

連白は思う。

前から考えていたのだが。

この世界は、進歩をさせない。

進歩する場合は、大量の血が流れ、人材が嫌でも失われる。

そういう仕組みになっている。

何故なのか。

もしもそれが解き明かされたときには。

連白は、その仕組みと戦わなければならない。

とはいっても、連白は武帝のように超越的な武力も精神力も持っているわけではない。病に耐え続けるのは無理だろう。

溜息が漏れる。

龍剣は今頃、怒りに身を焼かれるようだろう。

そしていずれ、我慢できなくなって和議を破棄する筈だ。

その時には。

決着を付けなければならない。

この世界が狂っているのは周知の事実だが。

その狂った世界を少しでもマシにするために。

連白は戦わなければならない。

石快と一緒に政務室を出る。

あの影共は、今になって現れた事からいっても、嘘をついているとは思えない。

それに相手が激高することも予想しているだろう。

技術の予備も彼方此方に隠しているのは確定と考えて良い。

いずれにしても、この世界を変えるためには。

まずは龍剣を倒さなければならないか。

何とか龍剣を倒さずに済む方法はないのか。

残念だが。

連白には、それを思いつく事が出来なかった。

もしも龍剣が勝ってしまったら。恐らく全てが元の木阿弥になる。

龍剣が死ぬまで各地で反乱が起き続け。

龍剣の後を継いだものも、その反乱の対処に謀殺されるか。

央のように潰される事になるだろう。

その時、この世界には。

人間はもう殆どのこっておるまい。

張陵が来た。

先の話をしておく。

頷く。

恐らく予期していたのだろう。

「央の武帝の死については、そのような話がありました。 今になって、その遺産を管理しているものが姿を見せるのは不自然ではありますまい」

「……」

「との、お気をつけください。 今後もし龍剣が逆転できる目があるとすれば、とのを殺す事だけにございまする。 そして我が軍も、とのがいてこそまとまっているのでございまする」

「分かっている」

そうだ。

龍剣の立場からして見れば、連白を殺す以外に逆転の目はない。

勿論殺されてやるつもりはない。

山霊を失った今。

もはやなりふり構わず。

全ての力を振り絞って、龍剣は連白を狙って来るだろう。

勿論張陵が対策を立ててはくれるはずだが。

それでも気は付けなくてはならない。

「護衛を増やしまする。 多少生活が不自由にはなりますが……」

「いや、かまわない。 増やしてくれ」

「分かりました」

山霊が鍛えた細作は、張陵の細作にかなり押されていると聞いている。

それでも完全はあり得ない。

外に出る。

一雨来るなと思う空模様で。

すぐに案の定降りだした。

溜息をつくと、屋内に戻る。

戦いが再開されるのは、推察される所で恐らく来月か再来月。

龍剣は凄まじい怒気を放っていたというし。

もう、再度の開戦は避けられないだろう。

暦域は生き延びて帰ってきたが。

確実に多くの兵士が死ぬ事になる。

勝ってもだ。

負けた場合は、それどころではなくなる。

せっかく成立しかけていた秩序が、また全て元の木阿弥になるだろう。

すまないな、龍剣どの。

負ける訳にはいかないんだよ。

そう、連白は心中で呟く。

この腐りきった修羅の世界で。

それでも。

少しでも、ましな未来を掴むために。連白は、戦わなければならなかった。

 

2、喪失

 

山霊先生の喪を済ませる。

この世界では、貴人が死ぬと喪という事だけを行う事がある。死体が残らないので、死者を悼む方法が限られるのだ。

故に喪というものがある。

龍剣はこれで。

家族を全て失ってしまった。

龍一は戦死し。

山霊先生は暗殺された。

山霊先生は二人目の親だった。

連白の使者である暦域は、下手人は連白ではないといっていた。それは龍剣もそうだろうと思う。

確かにやり口がおかしい。

講和が成立した龍剣と連白の仲を割き。

張陵に対抗できる山霊先生を殺すのが目的だったとしか思えない。

それら全てをやるには。

あえて捨て石を打って山霊先生を龍剣の所に連れていき。

其所で殺すのが一番効果的だ。

確かに張陵辺りが山霊先生を殺すのであれば。

庵にいるところを拉致し。

龍剣が酒に溺れている間に、何処かで密かに殺してしまっただろう。

分かりやすく殺したのが。

この事件が、連白によるものではない事を告げていた。

呼び出したのは周嵐と官祖である。

もはやまともな将軍はこの二人しか残っていない。

後は頼りない文官が数名。

この者達に龍剣は告げる。

「可能な限り軍を整備せよ」

「はっ。 山霊将軍の言っていた通り、八万の軍を維持するのが現状では手一杯の状況ですが……」

「私が率いる八千。 この他に機動軍を二万用意せよ」

「二万、ですか」

訓練については、直属八千については龍剣が自分でやる。

前に失敗はしたが。

同じ失敗はもうしない。

残りの二万については、二人に任せる。

「どうせ連白とは戦いになる。 時間が立てば立つほど韓新が兵を鍛えて敵が有利になっていく。 ならば今のうちに連白の首を取りに行く」

「分かりました。 しかし今敵軍は、清にいる兵だけで五万、更に五万が即座に駆けつけてくる状況になっていると細作から聞いておりまする。 また機動軍を全て動かせば、宝や唐に宋にいる韓新が、周に王遼がそれぞれ攻めこんで参りましょう」

「分かっている。 故に速攻で連白を仕留める」

「分かりました。 それであれば、三万弱での速攻に全てを賭けるのもありでしょう」

周嵐と違って、官祖はずっと黙っていたが。

やがて官祖は顔を上げた。

「龍剣丞相」

「どうした」

「自分は反対です」

「……」

文官達が青ざめて引く。

周嵐も意外そうに見ていたが。

龍剣は、今は怒る気になれなかった。

山霊先生がいなくなってしまった事で。

諌言をしてくれる相手が如何に大事か、思い知らされたからである。

「聞かせよ」

「現状、連白は恐らく可能な限りの備えを徹底的に行っていると思われます。 清に今いる連白を討ち取りに総力を挙げて丞相が攻めこむことも予期しているでしょう」

「続けよ」

「今は雌伏の時にございまする。 数十年掛かるかも知れませんが、ともかく今は耐えましょうぞ。 耐えて機会を待ち、連白の陣営に油断が見えた時こそ……反撃の時かと思いまする」

なるほど、確かに一利はある。

だがあの連白だ。

狡猾な張陵もついている。

そんな機会があるとは思えない。

「周嵐、そなたはどう思う」

「驚きました。 丞相が意見を求めてくるとは」

「そうだな。 私も驚いている」

「では申し上げます。 確かに官祖殿の言葉にも一利あると思いまする。 安全策を採るか、最後の勝負に出るか。 判断は丞相のものにございまする。 ただし責任も丞相のものにございまする」

頷く。

確かにそうだ。

ため息をつくと、龍剣は言う。

「酒を抜くまで一週間かかった。 その間山霊先生がいっていた事を思い出すばかりだった」

「……」

「山霊先生はこう言っていた。 勝ちの目があるとすれば、連白を討ち取るしかない」

山霊先生はいつも的確だった。

だから、最後くらいは。

「準備が出来次第出陣する。 機会を見極める事については、斥候を放って様子を見る」

「分かりました」

「私が八千を率いる。 周嵐、官祖、それぞれ一万ずつを率いよ。 引き絞られた矢となって、連白の軍を一撃にて葬る」

今までも、十万を超える軍を八千で蹴散らしたことがある。

やれないはずがない。相手が韓新が鍛えた精鋭であってもだ。

山霊先生が育てた細作はもうあまり残っていない。

だが、それでもどうにか情報を持ち帰ってもらうしかない。

問題は連白が簡庸に引っ込んでしまった場合だが。

その場合は、状況が更に厳しくなる。

清にいる間に、どうにか決着を付けなければならない。

かといって、あまりにも急ぐと、確実に罠にはまる。

何しろもはや山霊先生は助言してくれないのだから。

無言で訓練を続け。

二万の機動軍を鍛え抜く。

八千の直属精鋭も揃え直す。

民草の事も気にする。

龍剣が歩いていると、それだけで家に逃げ込む者が多い。

声を掛けようとすると、それだけで命乞いをする者もいる。

連白は慕われていて。

たまに粗末な格好で街に出て、民草の様子を見て回り。

問題があったら解決しているという。

更にその解決も鮮やかで。

素敵な親分さんとして知られているのだとか。

戦いなら、連白ごときにひけは取らない。

だが、こうして歩いて見ると。

違いが思い知らされる。

龍剣が連白の十分の一でも、民草に優しくしていれば。

こんな事にはならなかったのだろう。

本拠の宝でさえ。

こうも龍剣は怖れられてしまっているのだから。

周囲を見て回り。

不穏分子がいないか確認する。

兵の訓練は、充分に行っておく。

いつ連白が隙を見せるか分からないからだ。

勿論連白の方から攻めこんでくる可能性もあるけれども。

その場合は、逆に出鼻を挫いてやる。

明は山霊先生が要塞化してくれている。

守備部隊だけで、充分に対応出来るはず。

周は元々要塞だらけの土地だ。

攻めこまれても、いきなり落ちると言う事はないだろう。

ほどなく、二万八千の機動軍の準備が整う。

これ以上の兵を増やす事は出来ない。

八万の内二万八千を、何処にでも仕掛けられる機動軍に鍛えただけでも充分過ぎる程だ。

つくづくに宋を失った事が痛すぎる。

宋を失った事で、兵力は半減した。

もはや、この兵力でやりくりしていくしかないのだ。

政庁に行き。

政務を見る。

龍剣が酒浸りの日々から抜け出ると、文官も真面目になったが。

いかんせん、能力が足りていない。

山霊先生が一人いるだけでこうも違ったのかと、思い知らされるばかりである。

溜息はつかない。

自分のせいだ。

そもそも庵に追い込むような事をしなければ。

あんな隙を山霊先生が作る事もなかったし。

訳が分からない輩に不覚を取ることも無かっただろう。

黙々と政務をしている内に。

細作が戻って来た。

耳打ちされる。

「商王が来ておりまする」

「商王だと」

そういえば。

まだ林紹めがたてた「王」の中で、商の王だけは生き延びていた。

連白の庇護下に入っていた筈だが。

彼方此方たらい回しにされ。

不平不満ばかり口にしていると聞いている。

龍剣が殺させた唐王以外は、そろいもそろってろくでなしで知られていた王どもである。今更何をしに来たのか。

兎も角あう事にする。

そして、会ってみると。

見るもみすぼらしい姿になっている。

「おお、唐丞相龍剣よ」

「商王ともあろうものが、どう為されました」

「どうもなにも、韓新めに追い出されたのだ」

見苦しくも泣いてみせる。

情けない。

呆れている龍剣に気付いているのか、自分の窮状を訴える商王。

生活も苦しく。

贅沢の一つもさせてもらえないという。

「このような扱い、王にするものではない。 商王の命により、丞相を唐王に認めよう」

「はあ」

「だから、連白と韓新めを打倒してほしい」

「少しお休みください」

連れていかせる。

そして、周嵐と官祖、それに文官達を集めた。

自然に、自分一人で決めるのでは無く。

意見を聞くことが出来るようになってきていた。

「どう思う」

「見え透いてございまする」

周嵐が吐き捨てる。

周嵐はなおも言った。

「連白は民草には優しい一方、各地の王には厳しゅうございました。 林紹が立てただけ、と言う事もあるのでしょうが。 確かに各地の王が愚かで、無能で、民草を顧みることもしない案山子であったのが要因でしょう」

「確かに最近では清王も斬ったようだな」

「連白は相手が誰であろうと、斬る理由がなければ斬りませぬ。 清王については、誰も彼も兵に徴発し、民草を苦しめていたというのが要因でしょう。 商王についても、それは大して変わりませぬ」

「そうか」

商王は、韓新の庇護を受けた後。

連白の所に送られたと聞いていたが。

あの様子では、与えられた境遇に満足せず。

何もしないのに、あれを寄越せこれを食いたいと我が儘を抜かし。

やがて連白を怒らせたのだろう。

形だけの王であることをわきまえ。

連白に対して、誠実に接していればこんな事にはならなかっただろうに。

「更に言えば、この時期の商王の脱出。 十中八九、此方に大義名分を与えるための工作でしょう」

「大義名分?」

「和平の破棄と攻撃の誘引を狙っているのにございます。 恐らくは張陵辺りの工作でしょう」

見事に看破した。

周嵐を少しだけ龍剣は見直していた。

実際問題、そうだと思う。

「今開戦することは止めた方が良いかと思われまする。 恐らく敵は全軍を持って、手ぐすね引いて待ち構えているでしょう。 今いる二万八千を失ったら、もはや我が軍には手の打ちようが無くなります」

「官祖はどう思う」

「周嵐将軍の意見に賛成です。 しかしながら、むしろ手ぐすね引いている相手だからこそ、油断があるかとも思います」

「なるほど」

確かに相手は来ると分かっていて、万全の状態を整えている。

だが、そこで予想外の攻め手に出ればどうなるか。

連白を狙って来る事くらいは相手も分かっている筈。

韓新と張陵がいるのだ。

それこそ、水も漏らさぬ包囲網を敷いているだろう。

だが、例えばだ。

韓新やら、或いは小うるさい法悦やらを。

この機会に始末してしまったらどうなるか。

特に領内に潜んでいる法悦だ。

あいつを処分してしまえば。此方はかなり動きやすくなる。

少し考えてから。

龍剣は決断した。

「商王を領外に放り出せ」

「よろしいのですか」

「挑発に乗ってやる必要はない。 敵はあえて攻めこませる。 明も周も、此方の守りは万全だ。 宝に関してなら、私が直接この精鋭を率いて守り抜く。 韓新がもし唐を狙うのであれば、宋を襲って奴の帰る場所をなくしてやるだけの事だ」

「分かりました。 それでは商王は放逐と言う事で」

頷く。

すぐにそれは実施された。

商王は泣きながら、後悔するぞ、人非人、猿、等と喚いていたが。

怒る気にもなれなかった。

猿と言われると、前は頭に血が上ったものだが。

こんな非力なゴミクズにそんな事を言われても。

文字通り痛くも痒くもない。

同じく非力でも、連白のように侮りがたいと思える相手でもない。

すこぶるどうでもいい輩だ。

その言葉も、はっきり言ってどうでも良かった。

国境で追放した商王には、供周りもいなかった。

そのまま獣にでも襲われて死んでしまえ。

内心で呟くが。

明の国境から宋方面へ追い出された商王を、現れた韓新の軍が「保護」。

嫌だ戻りたくないとわめき散らす商王が、連れて行かれるのを確認し。

龍剣は宝に戻った。

これでいい。

今までのようにはいかない。

山霊先生を失った事で、龍剣は一皮剥けた。

これ以上好き勝手にはされない。

攻めてくるが良い。

後悔させてやる。

龍剣は、牙を研ぐつもりで、宝へと戻っていた。

 

報告を聞いた連白は、そうかとだけ呟く。

商王を送ってやった事で、大義名分を得て攻めてくるかとも思った。

元々商王は配下達も持て余しており。

何よりも、民の税で贅沢をさせろとか。

名族である自分には矜恃があるから贅沢をしなければならないとか。

聞いているだけで頭が痛くなる妄言を吐き散らかし。

いっそ斬るかと思っていたところだったのである。

そこで商王を「手引き」させ。

脱出させた。

龍剣の所で有効活用してくれればよし。

もし大義名分を得たと龍剣が考えれば。龍剣の所にいる最後の精鋭を葬り去る好機になった。

だが、龍剣は思いの外冷静だった。

まさかそのまま送り返してくるとは思わなかった。

いずれにしても、報告は聞いた。

それで充分である。

張陵が言う。

「如何なさいますか」

「……商王はどうしている」

「錯乱してしまったようで、繰り言を一日中呟いているとか」

「では王位を剥奪。 以降は庶民として救貧院に入れよ」

元々林紹に王にされただけの男が、何が名族だ。

税は民が生活を少しでも良くするために、国に預けてくれている金だ。

それを使って贅沢など。

必要な生活をするのならいいだろう。

それくらいは別にかまわない。

だがそもそも民草がどうして税を納めるか、それを理解していない者に。

王を名乗る資格は無い。

指示通りに商王は王の地位を剥奪。

簡庸にある救貧院に入れた。

もう正気を失っているようだし。

何の存在価値もない。

それで充分である。

さて、問題は此処からである。

張陵は、商王の処置が終わった後。

やはり話を振ってきた。

「それでとの。 如何なさいますか」

「龍剣は恐らく相当に冷静だ。 山霊が死んで怒り心頭でもおかしくなかっただろうにな」

「一皮剥けたと言う事でしょう」

「……最初からこうだったら山霊も苦労しなかっただろうに」

ただ、その場合は。

連白は殺されていただろう。

そう思うと、あまり同情もしていられないか。

或いは、龍剣が最初から度量を保ち、山霊の言う事を聞く人物だったのなら。

連白はその配下に入って、忠実な部下として将軍の一人をやる手もあったのかも知れない。

勿論山霊には虐められただろうが。

それはそれだ。

それで天下泰平が来たのなら、連白は満足だし。

山霊だって、苦虫を噛み潰し連白を監視しつつも。平穏が来るならと妥協したかも知れない。

問題は現状、もはや龍剣と供に行く道はないという事。

龍剣は恨みを買いすぎていて。

倒さなければならないと言うことだ。

「攻めこむのはやはり不利か」

「はい。 明と周は、簡単には攻められませぬ。 細作が地図を作ってきましたが、龍剣の機動軍が自由に転戦できる状態になると、どちらも迂闊に兵を入れると犠牲を増やすだけにございまする」

「宝を直撃するのは」

「それも厳しゅうございますな。 韓新ですら、出来ればやりたくないと口にするでしょう」

何かしらの方法で敵の主力を撃破し。

明と周を奪って、宝にいる龍剣を孤立させる。

それが絶対条件だと張陵は言う。

連白もそれについては同意だ。

「何か良案は」

「危険になりますが、やはり隙を作るしかありませぬな」

「ふむ、聞かせてくれ」

「今とのは清にいて、明からは指呼の距離にございます。 五万の兵がとのを守っており、しかも複数の要塞が周囲に連動しているため、龍剣であろうととのをすぐに討ち取る事はできませぬ」

その通りだ。

連白は続きを促す。

「また、可先将軍率いる五万が衛に駐屯しており、もし戦になれば泥仕合に持ち込む事が可能にございまする。 龍剣は恐らくこの状態では攻めてこないでしょう」

「それならば如何する」

「とのを守る兵を減らしまする」

「!」

それは。

大丈夫か。

龍剣の軍の圧倒的な破壊力を、間近で嫌と言うほど連白は見て来ている。

張陵は現状でこそ余裕を見せているが、それは五万の精鋭がいるからである。

この状態なら、勝てるという自信があるのだろう。

だがそれを減らしてしまえばどうなるか。

今龍剣は、麾下の精鋭八千に加え。

周嵐と官祖に一万ずつを率いさせ、二万八千の精鋭を用意していると報告がある。

周嵐と官祖も侮りがたい武将だ。

それも裏切る事はまず考えられない。

流石に龍剣ほどの破壊力はないだろうが。

侮る事が出来る相手ではない。

「五万の兵を一度故郷に戻し再編成するという名目で、簡庸に戻しまする。 その代わり、衛から三万の兵を呼び込みまする」

「それでは、最前線が一時的にからになると言う事か」

「五万は本当に簡庸まで引かせまする」

「待て。 それは、本当に大丈夫なのか」

予備兵力も含めて、此方の戦力は半減することになる。

確かに龍剣を釣るにはこれ以上無い程の状況を作ってやることにはなるが。

非常に味方の負担が大きくなることは確実である。

だが、張陵は大丈夫だという。

「既に韓新と話し合い、兵力の配置については決めておりまする。 簡庸まで戻ったこの五万は、王遼将軍の麾下に入り、周になだれ込みまする。 同時に韓新が兵を率いて宝に攻めこみまする」

「それはかまわない。 だが三万……守備兵も含めれば五万にはなるだろうが、それだけで龍剣を支えられるか」

「支えて見せまする。 これが最後の大一番になりましょう」

「……」

最後、か。

民草を苦しめ続けたこの大乱だ。

流曹は際限なく兵糧を送ってくれる。

民草は笑顔で簡庸に戻ると歓迎してくれる。

だが、それも苦しいことは分かりきっている。

ずっと続いている戦乱だ。

人だって死ぬ。

たくさん死んできた。

だから、いつか必ず終わらせなければならないのである。それには、龍剣に隙くらい見せてやらなければならないし。

かなり厳しい条件での戦いも、引き受けなければならないだろう。

しばし考えた後。

連白は決断した。

「鯨歩将軍を呼ぶように」

「分かりました」

張陵が行く。

代わりに石快が来た。

「話は聞きました。 前線の兵を半減させ、龍剣を呼び寄せるんですな」

「ああ。 そうしないと、龍剣は破壊力を振るい続けるだろう」

「決戦は明で行うと」

「そうなるな。 恐らくは垓下になるだろうということだ」

石快は面白く無さそうである。

それはそうだろう。

連白自身を囮にし。

あの危険極まりない龍剣の精鋭と相対させるのである。

もう連白自身が戦わなくても良いという話だったのに。

それなのにだ。

石快を、連白はなだめた。

「張陵は基本的に手段を選ばないが、それでも天下泰平への思いは同じだ。 だから、最後の戦いを、歯を食いしばって受けてほしい」

「……」

「頼めるか」

「分かりました。 どうにかいたしましょう」

そう、石快が言ったので。

ちょっと寂しい気分になった。

恐らく、一線を引くことを決めたのだろう。

別にそれでかまわない。

もう、全てが代わる。

王の代わりに連白が全てを制圧したとき。

宙ぶらりんだった大将軍の地位の代わりに。

央の武帝の代わりとして。

連白が武帝にならざるをえないのだから。

その時には、国号を漢にしようと思っている。

何となくそう思った。

それだけの理由だが。

鯨歩が来る。

厳しい防衛戦になる話をすると、鯨歩はむしろ喜んだ。

「龍剣めに目にもの見せてやれると思うと、血がたぎりまする」

「そうか。 では頼む」

「はっ」

可先は、王遼と連携して周、それから明の前線を攻略して貰う。

韓新については、既に書状を送ってある。

法悦についてもだ。

恐らく法悦を討伐するためという名目で龍剣は出て来て。法悦の拠点を叩き次第、連白の所に来るだろう。

今連白は、清の拠点の一つギョウにいるが。

このギョウは守りにおいて清随一。

それでも龍剣を防ぎきれるかはかなり微妙になる。

鯨歩に迎撃の準備をさせ。

連白は、自身城壁の上に上がる。

石快も側につく。

何がいつ襲ってくるか分からない。

そう判断しているのだろう。

とても助かる。

「最後の戦いか」

呟く。

長い長い戦いだった。

多くの兵士達を死なせてきた。

だが、それもこれで終わる。

終わるのだ。

そう自分に言い聞かせないと、心が折れてしまいそうだ。だからこそ、あえて言い聞かせる。

これが終われば。死んで行った者達は報われる。

このあまりにもおかしい世界に、一旦の平和が来る。

そう思わなければ、とてもではないがやっていられなかった。

不意に姿を見せる人影。

一瞬だけ石快が剣に手を掛けたが。

すぐに手を離した。

章監だった。

「どうした、こんな所に」

「連白どの。 お耳に入れておきたいことが」

「うむ」

章監が自力で突き止めてきたこと。

それは、あまり面白い話では無かった。

口をつぐむ。

だが、それはそれで仕方が無い事ではある。

嘆息。

そして、その事は内密にと念を押しておいた。

章監が調べてきたところによると。

どうやら暦域は、例の連中。

山霊を殺し。

央の遺産を引き継いでいた者達の一味であったらしい。

なるほど、部下の一人を連白の所にやり。

勝てるかどうか見極めさせていた、と言う事か。

それだけではない。

暦域が妙に卓越した手腕を持っていると思った。

そもそも論客という存在自体が、央の天下統一の頃には絶滅危惧種になっていたのである。

それなのに、暦域は任務を失敗した事がない。

そんな凄腕の論客が、今までの歴史に登場しないのは不自然である。

確かに、暦域が央によって高度な教育を受けたというのは、頷ける話であった。

「暦域を殺しますか」

「いや、いい。 まずは平穏な時を作ることだ。 そして央が広められなかった技術を広め、人々が少しでも良い生活を送れるようにする。 それが優先事項になる」

「危険であるかと思いますが」

「案ずるな」

利害は一致している。

央の武帝が、自分の世代では平穏を作れないと判断し。

早々に次の覇者を選別するべく動いたのであれば。

連白と、央の残党は利害という点で食い合うことがないのである。

勿論油断することは出来ないが。

それでも、今は争う時では無い。

それにしてもだ。

「章監将軍。 貴方も央の残党なのに。 同じ央の残党を危険視するのだな」

「私はあくまで将軍として央に仕えていました。 私の主君は、今は王遼と名乗っているあの方にございまする」

「……そうだな」

「それでは、一度失礼いたします。 以降私は、王遼将軍の麾下に入り、最後まで支えるつもりにございます」

闇の中に章監は消える。

歴史が編纂されるとして。

章監は恐らく、央を滅ぼした愚将として記されるのだろう。

それでも本人は笑って受け入れるだろう。

色々と度し難いな。

連白は、そう思っていた。

 

3、最後の戦いの始まり

 

龍剣の軍が宝を出た。

同時に各地の全軍が動き始めた。

これは速度の勝負である。

龍剣が連白を討ち取れるか。

その背後を連白の別働隊が壊滅させられるか。

それに全てが掛かっている。

全軍が動き出す。

二十万に迫る軍勢が、雪崩を打って龍剣の領地に殺到し始めたのだ。

それを無視するように龍剣が明にて、法悦の組織を蹂躙し尽くす。

法悦は部下を捨て石にし。

最初から逃げに徹して、時間だけ稼いだ。その後は逃げつつも、所々で龍剣軍の兵糧庫を襲い、焼いた。

だが、山霊が構築した補給線は強力で。

ついに法悦の攻撃では、遮断する事は出来なかった。

やがて明の国境を越え。

龍剣はギョウに迫っていた。

兵力は二万八千。

全てを捨てて、連白を討ちに来た。

そういう事である。

講和はもうどうでもいい。

連白が城壁の上に上がる。

一応兵力だけは此方が上だが。

感じる威圧感は、今までの龍剣を更に上回る凄まじいものだった。

だが、連白は動じない。

それを見て、兵士達も落ち着きを取り戻す。

眠そうな目で、いつも平然としている連白は。

その存在だけで、兵士達を安心させる。

龍剣は陣を張ると、翌朝から容赦の無い怒濤の猛攻を開始した。その攻めは凄まじく、今まで連白が見たどの龍剣の戦いよりも凄まじかった。

火が出るようとはこのことだ。

鯨歩が声をからして、防戦に努めるが。

やはり旗色が悪い。

ギョウの城は防御に関しては中の世界でも随一と言って良いほどのものなのだが。

それでも打ち込まれる矢は鋭く。

ばたばたと、守兵が倒れていくのが分かった。

一月。

それだけ耐え抜いてほしい。

張陵にはそう言われている。

張陵も敵陣を観察し、策を練ってはいるが。

城内に兵糧は充分。

兵員も此方の方が多い。

それにもかかわらず、不利なことには代わりは無く。張陵をもってしても、それを覆すことはできなかった。

「野戦を挑ませてください」

「駄目だ」

業を煮やした鯨歩がそう言うが。

連白は即座に拒否。

ギョウの分厚い城壁と堅守の姿勢があるから何とか耐えられている状態だ。そうでなければ、一瞬でこんな城陥落していただろう。

そして兵なんて出せば。

出すだけ失うだけだ。

普通籠城戦の前には野戦を行うものではあるのだが。

今回は今までに無い気迫で迫ってきている龍剣が相手である。

野戦など挑んではならない。

鯨歩はそう言うと悔しそうにしたが。

今凄まじい勢いで攻めてきている龍剣の兵をもう一度見て、それで確かに正しいと認めたようだった。

張陵に言われている。

鯨歩は側に置いておけ、と。

鯨歩は野心が元から強く、誇りがヒトの形をしているような存在だと。

有能ではあるが、その一方で独立心も強い。

だからくせ者を上手に従えられる連白の側に置いておくことで、その能力を発揮できるだろうと。

側に置いて様子を見ているが。

張陵の言葉は確かに正しい。

頭を冷やした鯨歩は、苛烈な攻撃に対応。大きな犠牲を出しながらも、何とか城を守り守り抜く。

連白も、もうそれを静かに見ているだけでいい。

時々城壁の上に姿を見せては。

敵軍の様子を確認し。

更に苛烈な戦いをしている兵士達を慰撫して回る。

一月耐えろ。

兵士達には既にそれは告げてある。

一週間だけで相当な犠牲を出したが。

敵はまるで疲れを知らない。

だから連白も時に弓矢を手に取り。

敵に矢を放たなければならなかった。

物資は幾らでも貯蔵してある。

城壁はまだ越えさせていない。

だが、龍剣の攻めは凄まじく。

その能力を研究し尽くした張陵ですら、辟易しているようだった。

二週間を何とか乗り越える。

張陵が、連白の所に来る。

外では敵が凄まじい喚声を挙げており。

城内の兵士は交代で休ませてはいるが。

殆ど眠る事も出来ない兵も出始めていた。

韓新が鍛えた精鋭なのに。

「龍剣の攻勢は想像以上です。 我ながら策の失敗を悟らざるを得ない状況です」

「逃げるか」

「いえ、この策の失敗というのは、予想よりも被害が大きくなると言う意味です。 最悪の予想を極めることになるでしょうが、お耐えください」

「……分かった」

どれほどの犠牲が出るのやら。

正直うんざりする所だが。

それでも何とか耐えていくしかない。

三週間が過ぎた頃には、城内は負傷兵だらけになり。城門の周辺は特に攻防が激しいこともあって、所々燃えている場所もあった。

外には破棄された攻城兵器が点々としている。

龍剣の軍も、相応に被害は出しているのだ。

だが此方は陥落寸前。

豪壮で知られる鯨歩も相当に疲弊しているし。

石快も同じく。

このままでは城は落ちる。

そう兵士達が思うのを避ける為に。

連白が直接、周囲を見て回らなければならない。

休む暇なんて無い。

龍剣は底なしの体力を使って、全力で攻めてきている。

周嵐と官祖も同じ。

これまでの借りを返すと言わんばかりに。

凄まじい猛攻を仕掛けて来ている。

これではいずれ城は落ちる。

連白も時々不安になるが。

それでも、何とか城を落とさずに耐えなければならない。

部下を信用できずに何が主君か。

だから連白は最前線で指揮を続ける。

それを見て、鯨歩も気力を振り絞るし。

石快も、連白を守って必死に矛を振るう。

兵士達も気力を奮い立たせる。

龍剣軍が、不意に怒声を上げた。

いや、龍剣の声だ。

最前線に出て来ている。

龍剣は、凄まじい形相をしていた。

「連白! いるか!」

「此処に」

姿を見せる。

危険だと石快は視線を送ってくるが、流石にこの城壁、龍剣ですらも飛び越えることは出来ない。

虎をも倒す英雄だが。

それでも出来る事には限度がある。

このギョウは、張陵が龍剣を研究し尽くし。

その拳で砕けず。

跨がる影の力を利用しても、城壁を乗り越えられないように設計してあるのだ。

勿論麾下八千の戦力も考慮して、あらゆる守りを固めた中の世界最強の城塞の一つである。

「貴様を此処で倒す! そうすれば貴様の天下など来ない!」

「そうはさせない」

「何故!」

「悪いが龍剣。 そなたにはこの世界を平穏に導く事は出来ない。 民草を見てどう思った」

龍剣が黙り込む。

悩んでいるな。

それを連白は看破した。

暦域に言われて、山霊が死んだのは連白のせいではないことは悟っているはずだ。

その後一皮剥けた様子だが。

それだったら、今までに見えなかったものが見えているはず。

予想は的中した。

龍剣はもう知っている筈だ。

誰も龍剣を望んでいないことを。

龍剣は身内しか大事にしてこなかった。

だから、どれだけ強くても。今こうして追い詰められている。

もしも龍剣が最初から山霊の言う事を聞いていれば。こんな事態にはなっていなかった筈だ。

山霊の言う事を聞く度量が龍剣にあったのなら。

連白は喜んで膝を屈していただろう。

それを告げると。

龍剣は、じっと黙り込んだ。

「既に我が軍がそなたの領地に攻めこんでいる。 もはや帰る場所などないぞ」

「黙れっ!」

「そもそもそなたには、もはや今従っている兵以外に持てるものなどない。 兵達の事を思うなら、降伏するべきだ」

「おのれ、言いたいことを!」

龍剣が噴火する。

ただでさえ猛り狂っていたのに、その勢いが倍化したようだった。

連白は、すぐに引っ込む。

石快が不安そうに聞いて来た。

「大丈夫なのですかい、ただでさえあんな有様の龍剣を挑発して……」

「龍剣自身は大丈夫かも知れないな」

「?」

「だが、龍剣の部下達は、主君の凄まじい暴れぶりについてこられるだろうかな」

石快がはっとした様子で連白を見る。

これも事前に張陵と話し合った事だ。

悪辣なことを考えると思ったが。

考えてみれば、此処で可能な限り消耗させておけばその方が良いのである。

龍剣一人だけでは、恐らく何もする事は出来ない。

例えその武勇が文字通り山を抜くものであったとしても、だ。

それから、更に猛烈な攻撃が一日続いた。

兵士達は皆悲鳴を上げ。

指揮官達からは、講和の声も上がったほどだが。

連白は城壁の上に上がって、皆を慰撫して回った。何度か矢が飛んできたが、それは全部石快が叩き落としていた。

そして予想通り一日経つと。

敵の動きが露骨に鈍り始めた。

龍剣が無理をさせすぎたのだ。

張陵の策がまた当たったな。

いや、張陵だって、恐らく山霊が生きていたら。そして龍剣が山霊の言う事をきちんと聞いていたら。

此処まで好き勝手に龍剣を翻弄できなかっただろう。

ついに敵は攻勢の終末点に到達した。

だが、此方も限界だ。

兵士達を休ませる。

更に、敵が引き始める。

予想通りだ。

王遼、それに韓新が、敵軍の要所を落としたのは確実だった。

 

龍剣は呆然と見やる。

明の。

各地に山霊が作り上げた要塞の数々が燃えていた。

伝令は体中に矢を受けながらも、それでも来た。

もはや長くない様子だが。

それでも伝えてくる。

「敵は王遼と可先、兵力は五万以上。 既に周は陥落、明にも敵がなだれ込み、各地の補給線は寸断されておりまする……」

「そうか。 良く知らせてくれたな」

そう声を掛けると。

倒れた伝令は、二度と起きなかった。

死体が消えていく。

龍剣は、最後まで忠義を尽くしてくれた伝令に、心中で礼を言った。

そのまま、近くにあった城に入る。多少の兵糧は蓄えてある。二万八千の兵は二千ほどを失っていた。

凄まじい猛攻を続け疲弊しきった兵士達は、それこそ蓄えてあった卑をあっというまに食べ尽くしてしまう。

その様子を見ながら、周嵐が来る。

「この様子ではもう宝は陥落してございましょう。 血路を開いて、唐にまで逃げ延びるべきかと思います」

「いや、韓新の事だ。 既に唐にまで手を回しているだろう」

「しかしながら、唐は相応の広さを有してございます。 全てを陥落させたとは思えませぬ」

「……周嵐。 私は唐の地で挙兵し、父上に八千の精鋭を授けられた。 この八千を大事にしろと言われて、今まで大事にしてきた。 何度も兵を補充して一緒に戦い抜いてきたが。 どうやら最後の最後で、踏みとどまれなかったようだ」

負けを認めた。

龍剣は負けたのだ。

これ以上は、どうして良いのか悩ましい。

徹底的に抗うか。

それとも降伏するか。

だが、龍剣は一つだけ気にくわないことがある。

この世界そのものだ。

この世界は、人間を虐げるためだけに作られているとしか思えない。

獣はどれもこれも異様に強く。

悉くが人間に牙を剥く。

新しいものを作れば病に罹り。

進歩することすら許されない。

天下の統一ですら、央の武帝が為したときは。武帝配下がまとめて病に倒れたのである。

争い。

殺し合い。

最後の一人までつぶし合い。

ほこらからそれでも人がどんどん送り込まれてくる。

そんな異常な世界。

どう考えてもおかしいのである。

ならば、自分なりにこの世界に抗ってみるか。

それがいいと思う。

龍剣は腰を上げた。

兵士達に宣言する。

「これより我が軍は、南を目指す」

「唐を目指すのですか」

「いや、唐の先にある、霧の更に先を目指す」

「!」

兵士達が青ざめる。

この世界の四方には霧が広がっていて。

その先には進めないことは、誰もが知っている。

更に霧の辺りには、この世界最強の獣であり。手練れの獣狩りが束になっても蹴散らされる事もあると言う最凶の存在。龍が出現する。

龍の姿は様々に聞く。

巨大な蛇のようだ。

角が生えている。

空を飛ぶ。

他にも色々である。

はっきりしているのは、霧の近く以外では龍が出ないと言うこと。

そして様々な獣狩りを見て来たが。

龍と戦ったことがある者はいたが。

龍を倒したものはいないという事だ。

今までは忙しかった。

まがりなりにも国主だったからだ。

だがもはやそれも関係無い。

これからは。

龍狩りをして見るのも良いだろう。

誰もやった事がない。

だから病になるだろう。

しかし、龍を倒す者が出れば。

以降は龍を倒す事で病に倒れる者はいなくなる。

龍剣自身は病に死ぬだろう。

だがそれは、当然の報いであり。仕方が無い事でもあるのだった。

龍剣は君主としては無能だった。

それは今ではよく分かる。

山霊先生をはじめとする部下達は、何度も献策をしてくれた。だがそれを聞き入れなかった。どれだけ腹を立てても、最後まで山霊先生は献策をしてくれた。その献策は、どれもこれも今になって思い出すと的確な内容ばかりだった。山霊先生の言う事をきちんと聞いていれば。

張陵などには好きかってさせなかったし。

韓新にここまで領内を荒らされることもなかっただろう。

「私はもはや一人の武人としていく。 そなた達は、それぞれ思うようにせよ。 連白に降伏して私を追うもよし。 私の寝首を狙うもよし。 ただ、この世界に対して、怒りを覚え、そしてこの世界の理に挑もうと言う者は……私についてこい」

龍剣の宣言に、皆が黙り込む。

我慢できなくなったらしい一人の兵士が、立ち上がっていた。

「まともとは思えない! 俺はもう此処から去る!」

「かまわぬ」

「俺も……」

兵士達が去り始める。

二万六千ほど生き残っていた兵士達が、見る間に減っていく。

恩賞として、少ないがこの城に残っていた宝物は惜しみなくくれてやる。

龍剣には、影と。そしてずっと使い続けた大矛。それに剣だけがあれば良いのである。

兵士達はどんどん城を出て行った。

恐らくだが。

龍剣の言葉を聞いて、今まで耐えてきたものがふつりと切れてしまったのだろう。

周嵐と官祖は、呆然としていた。

「お前達も好きにするがいい」

「私は最後まで龍剣丞相についていきまする」

周嵐はそう言ってくれた。

官祖はじっと黙り込んでいた。

「官祖。 お前は相棒の于栄を死なせてしまった私についてきてくれた。 無理はしなくてもかまわない。 連白は寛大だ。 お前ほどの将を、無意味に殺したりはしないだろう」

「……いえ。 この世界に対して不満があったのは私も同じです」

「そうか」

「龍について話していない事がありました。 私は昔、于栄と一緒に龍を見た事があります」

興味が湧く話だ。

続きを促すと、官祖は言う。

龍とは、噂通りの蛇に似る姿をした存在で、空を確かに舞い、その上足も生えているのだという。

頭からは鹿ににた角が生え。

大きさは様々。

一番巨大なものは、それこそ山に迫る大きさだとか。

「詳しいな」

「央による統治が嫌になったとき、于栄と一緒に霧の向こうを目指したことがあるのです」

「そのような話、先にしてくれれば良かったものを」

「于栄はその時の事を話すと、怖れて眠れなくなるようでしたので」

そうか。

それほど恐ろしい目にあったのか。

「龍の強さは」

「我等ではとてもかないませんでしたが。 しかしながら、丞相であれば、或いは……」

「ふむ。 ならばそれでよい。 私は龍に挑む」

兵士達の脱走はあらかた終わった。

脱走というよりも、良くやってくれたと宝物を渡して送り出したのだから。解雇が近いかも知れない。

いずれにしても、残ったのは八千程度。

麾下の精鋭八千はほぼ残った。

その他に、周嵐と于栄の麾下にいるわずかな直属だけが残った。

結局八千から始まり。

八千で終わるか。

それもまた良い。

「軍列を離れたくなったら、いつでも離れると良いだろう。 私は咎めぬ。 もはやこの軍は、軍に非ず。 世界に喧嘩を売りに行く集団だ。 それでも良いのなら、ついてくるが良い」

兵士達はじっと無言でいた。

そして、軍は出立した。

 

4、南へ向かう

 

手際は完璧だった。

連白が明に入ると、王遼が出迎える。

攻勢に出ている軍で、王遼にあうのは始めてかも知れない。

いつも龍剣に負けては、王遼の守る衛に逃げ込んでいたからである。

王遼の真の素性を知る連白は、王遼にはあまり大仰には出られなかった。

「連白様が耐えてくださったおかげで、周と明の制圧は完了いたしました。 そして、これを」

「……うむ」

王遼が差し出してきたのは、法悦の冠だ。

法悦はまさか王遼にだまし討ちされるとは思っていなかったらしい。

更に張陵がつけていた細作達が、逃げようとする法悦に容赦なくとどめを刺した。

龍剣でも殺せなかった怪物。

賊の中の賊は。

こうしてあっけない末路を辿ったのだった。

法悦が何故冠などを持っていたかというと。

強欲な法悦が、一番気に入っていた宝だったから、だという。

混乱期に何処かから盗んできたのだろう。

張陵の細作によると、いつもどんなときでも肌身離さず持ち。

これを守るために、部下を使い捨てた事が一度や二度ではなかったそうだ。

連白は無言で剣を抜くと、冠を両断。

価値がある品であるだろうが。

これははっきりいって、この世に残しておくべきものではない。

「川にでも流しておくように」

「良いのですか。 黄金造りで、玉もちりばめられておりますが」

「これは魔性のものだ。 下手に触ると取り殺されるぞ」

「……っ」

誰もが迷信を信じる。

獣という現実の脅威もある。

霧の向こうには何があるかも分からない。

だからこそ、兵士達はこう言ってやればすぐに言うことを聞く。

虎川の支流に、法悦の冠は放り込まれた。

それで良かった。

どうせ戦後は処分しなければならない輩だったのだ。

法悦はあらゆる悪事をあまりにもやり過ぎた。

だから、この処理は妥当だった。

そのまま、明の城の一つに入る。

恐らく此処は、山霊が明の拠点として使っていたのだろう。

民の歓迎ぶりが凄い。

連白を讃える声がやまない。

龍剣が殺戮の限りを尽くした。

その後山霊が必死に復興した。

だが、復興したところで、理不尽に殺された者達は帰ってこない。独自の理論を振り回して、龍剣は徹底的に人々を殺戮して回った。

だから抵抗も激しくなったし。

法悦のような輩も好き勝手に暴れ回った。

やっと。

やっとこれで一段落がついたのだ。

可先に明を任せて、そのまま南下。

韓新の軍と合流する。

韓新が率いているのはおよそ五万。残りは唐に侵攻。各地の城を落としているという事だった。

「唐の城は殆ど整備がされておらず、ほぼ無抵抗での開城が続いておりまする。 恐らくは、龍剣は唐には手を出したくなかったのでしょう」

「民はどのような反応をしている」

「複雑な顔をしているそうです。 虎川の向こうからでも、龍剣の暴虐非道の噂は聞こえてきていたようでして」

「そうか……」

龍剣の動きについて聞くと。

韓新はそこですと、不可思議そうに言う。

「龍剣は宝にさえ目をくれずに南下。 八千ほどの兵と共に、虎川を越えました」

「その他の兵は」

「一万八千ほどが降伏してきたので、それらは既に武装解除しております」

「手荒には扱わないように。 それと諸将を集めよ」

宝で一段落する。

前に陥落させたときも思ったが、龍剣はそれほど豪華な生活には興味が無かった様子だ。

屋敷も一時期は相当な量の酒を蓄えていたようだが。

一時期を境に飲まなくなったようだ。

龍剣という者は。

本当によく分からない。

民が困惑し。

兵士達が逃げ出すのも、分かる気はする。

宮廷に入ると、降伏した文官達が政務の引き継ぎをしたいと言ってきた。頷いて、張陵に任せる。

連白は幹部を集めると。

韓新に説明をさせた。

「既に各地の平定は時間の問題。 龍剣はどういうわけか、まだ協力的なわずかな城を通りつつ、南へと向かっています。 具体的には地図で言うとこの辺りを今進んでいると思われます」

「これは……世界の果て?」

「はい。 明の垓下に追い詰めて殲滅する予定だったのですが、このような動きをされるとは。 いずれにしても追撃軍を出しまする」

「待て」

連白が止めると。

皆、顔を上げた。

腕組みしながら、連白は考え込む。

「龍剣は、霧に向かっているのでは無いのか」

「恐らくは。 しかしながら、霧に紛れて移動し、思わぬ所に姿を見せる可能性も」

「違うなこれは。 恐らく龍剣は、この世界そのものに喧嘩を売りに行ったのだ」

「何を仰られます?」

可先が言うが。

韓新は気付いたようだ。

張陵が来て、以前央の残党が渡してきた資料を皆の前に広げる。

皆、驚いたようだった。

「武帝は霧の調査をしていたとは聞いていましたが、これほどに詳細とは」

「央は武帝による天下統一と、様々な新技術の開発により、人材を殆ど失ってしまったのだ。 いずれも病でな。 央を維持できないと悟った武帝は、あえて昏帝を後継者に選び、そして昏帝を打倒する次世代に全てを託した」

「それが、昏帝などという存在を帝位に据えた事実」

「そうだ。 そしてこの霧の資料によると……どうやら龍は霧を守っているようだな」

龍剣は霧の事を何かしらの事で察知しているのかも知れない。

世界を外から隔離している檻だと。

故に龍剣は突破を狙う。

龍であっても。

あの龍剣であれば、突破は可能かも知れない。

だが、この資料によると。

霧の近くには、龍が複数いるという。

それも大きさが様々で。

一番大きなものは。山のような大きさであるとか。

調査隊はいずれも霧を突破出来なかったが。

それはこれら巨大なる、もはや獣の領域を超えた存在に阻まれたから。

そんな化け物達にさえも。

龍剣は挑もうとしている。

可先が呆れたように言った。

「正気とは思えませぬ」

「龍に挑んだ獣狩りはいる。 だが、龍を倒した者はいるだろうか」

「俺の知る限り、恐らくは……」

連白は石快の言葉に頷く。

そして、指示を出した。

「韓新。 諸将を連れて龍剣を追撃。 ただし、追いつく必要も、包囲して殲滅する必要もない。 龍に挑みに行った事だけを確認し、後は戻ってくるように」

「分かりました。 二万だけ兵をお借りします」

「うむ……」

連白は諸将を見回す。

龍剣についてはこれでいい。

宝で報告を待つ。

その後は簡庸に戻る。

簡庸は武帝が央の首都に据えたように、極めて豊かな上堅固な土地だ。

首都にするには簡庸以外にはない。

ただし、それは全てが終わってからだ。

先に宣言はしておく。

「まず第一に、漢という国にこの中の世界をまとめる」

「漢にございますか」

「そうだ。 漢とは私の生まれた街に伝わる古い言葉でな。 ずっとずっと昔に存在した国なのか何なのかはよく分からないのだが……ともかくこれがしっくりくる」

連白にも理由は分からないが。

ともかく漢でいいだろう。

七国を継承するつもりはない。

新しい国の名なら、別に何でも良い。

統一王朝を作った武帝は、国号を秦から央に切り替えている。

だから別に新しい事では無い。

「続いて央が作り出した技術を各地に広めて、人間の生活水準を上げる。 様々な技術を文字通り央の技術者達は病に倒れながら確立してくれた。 これらを普及させた後は、少しずつ技術の水準を上げるべく、時間を掛けて世界をよくしていく」

連白がそれを宣言すると。

諸将は頭を下げた。

やっとこれで。

この地獄の世界にも平穏が来る。

それを実感できたのだろう。

「国は腐る。 だから私はいずれ時期を見て引退するか、或いは何か新しい事を試して病に倒れるつもりだ。 諸将はそれまで、この世界を平和にすべく、私を支えてほしい」

皆が跪く。

新帝陛下。

連白陛下万歳。

声が響く。

連白は外に出る。兵士達が万歳、万歳と声を上げているのを見て。民も理由を悟ったようだった。

連白は柄じゃあないなあと思いながら、歩く。

だが、誰かが必要だ。

本当だったら、龍剣の方が良かったのだと思う。

だけれども、龍剣は性格に決定的な問題があった。

故にその高い能力を生かせなかった。

もしも龍剣が山霊の言う事をきちんと聞いていれば。

こんな結末にはならなかっただろうに。

統一は数年は早まっただろうし。

何より伝説に残る最強の王として、龍剣は七国時代を終わらせた覇者として名を歴史に刻んだはずだ。

だが現実はこう。

ままならないなと、連白は苦笑いする。

韓新が二万を連れて出撃。

龍剣の結末を見届けに行く。

後は、この世界が再び乱に見舞われないように。

連白は見張り続ける。

それだけ。

難しい事だが。

それだけだ。

 

(続)