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流れを変える者
序、帰宅と出発
央から唐に戻った後。連白は一度軍を解散した。将軍達は連白についてくる事を誓った。兵士達は解散したが、将軍達からは一人も脱落者は出なかった。兵士の中にも、何処まででもついて行くと誓ってくれる者もいた。
嬉しい話ではあるが、これからは厳しい事になる。
そう告げても、同じだった。
そして論功行賞が行われ。
連白は央の山中を土地として与えられた。
むしろ好都合だなと感じた。
あの山奥の土地は天然の要塞だ。
しかも連白が隅々まで回って把握した。
要塞の上に、民に触れ知れられている。
だったら、むしろそれは良い土地である。
五千ほどにまで減った兵を連れ、一度故郷に戻る。
清までの道で、今回の戦乱の話を部下達とした。央との戦いでも。殆どはまともな戦いを避けたが。最後の虎牢関だけは本当に大変だった。
街が見えてきたのは、唐を出て随分経った頃。
街に一度戻り、親の所に顔を出す。
ゴミ同然に連白を扱っていた親だったのだが。
今や媚びる色が露骨だった。
呆れ果てたが。
もうそのまま、つれていかせることにする。
他にも、一緒についてきたい者を徴募すると。相当数が連白に従うのだった。
何でも清王が想像以上の俗物であり。
あいつの派遣してきた役人が、流曹と対立しては問題ばかり起こしているのだという。
ならば、仕方が無いか。
流曹も連白についてくる事を明言したのだ。
そして、連白が街を離れたとき。
実に街にいた民の八割が、一緒についてきたのだった。
そのまま西に進む。
軍よりも民の方が遙かに多いので苦労したが、既に戦は終わっている。手続きもきちんと張陵と流曹が済ませてくれていたので、問題なく各地を通過することが出来た。石快は最後尾に配置。可先にも軍を率いて、民の見回りをして貰う。
問題を起こさないように。
そう連白は直接、問題を起こしそうな者に諭し。
そしてそれがしっかり効果を出し。
問題は起こらなかった。
どうしてこうやって諭すと誰も問題を起こさなくなるのか、連白にも実の所はよく分かっていない。
きちんと話したから、というのは理由では無いだろう。
他の人間を観察していると。
同じ事を言って聞かせても、どうしても反発する相手はいる。
それについては事実だ。
自分の知らない事は全て間違っていると考える人間も多い。
それもまた事実だ。
だが連白が説得すると。
不思議と誰もが従ってくれる。
理由は分からない。
だけれども、そういうものなのだ。
央に入る。
民は連白の軍と、更に付き従う民をぼんやり見つめていた。
負けた。
そうだからだろう。
七国時代、秦はずっと最強だった。
央になってからは最強が加速した。
だが、だからこそ。
こうもあっさり最強が覆され。負けてしまったことに対しては、大きな打撃を受けたのだろう。
そのまま南進。
山の中に入る。
かなり険しい地形だが。それでも人間が暮らせない程では無い。彼方此方に川もある。街も勿論存在している。
秦の時代から、この辺りに点在している街は、重要な拠点として扱われていたらしい。生産力も意外に高く、山の中にも彼方此方に相応に広い平原がある。土地そのものも豊かだ。
見て回ると中々に良いので、連白は過ごしやすそうだなと思った。
そして、連白の行動を央の民は見ていたらしく。
到来を歓迎してくれた。
そのまま、中心値にある漢中に居座る。
この土地はそこそこに豊かな上に、民も多く。
平原は拡がっているが。その周囲は天険の要塞が拡がっているという、文字通りの要塞のような土地である。
此処ならば、周囲を統治するのに丁度良いだろう。
兵士達を一旦各地の街に散らせ。
政務については流曹に。
軍事関連の戦略については張陵に任せる態勢を取ると。
連白は、ようやく落ち着くことが出来た。
落ち着いたのは、唐を出てから、半年ほどだった。
十日ほどのんびり過ごした後。
張陵が出向いてくる。
何かあったのかなと話を聞くと。これからのことだと言われた。
これから、か。
移動中に話はした。
張陵の言う所によると、すぐにまた天下は乱れる、と言う事だった。
「天下が乱れるとして、後はどうするかだなあ」
「大将軍。 まずは兵力を蓄える事にございまする」
「どれくらいの兵を養えると思う」
「いえ、ここ漢中及び、山中の街では養える兵はしれておりまする。 天下を狙うには足りないでしょう」
天下を狙う、か。
それには龍剣とやりあわなければならないなあ。
しんどい話だ。
そう思っている連白に、張陵は言う。
「幾つか手を既に打っております」
「聞かせてほしい」
「まずは人材を集めることにございまする」
頷く。
まず連白の軍で、まともに兵を率いて戦える将軍がいない。正確には可先がいるが、実力はとても劉処や鯨歩には及ばないだろう。これについては、連白は見る目があるので確かだと思うし。
何より可先に話を聞いても、勝てそうにないとはっきり答えられている。
個人の武勇を誇る者なら石快がいるが。
それに関しても、とてもではないが龍剣には及ばないだろう。
この間、戦勝祝いの飲み会で、龍剣を間近に見たが。
やはりとんでもない強さを感じた。
あれは常人が勝てる相手では無い。
何か策を練る必要があるが。
確かに第一は、人材を増やす事だろう。
「現在、央にいる名将を引き抜く準備をしております」
「大丈夫か。 下手に動くとあの恐ろしい山霊どのに隙を見せないか」
「ご安心を。 半年もすれば、もう山霊どのも此方にかまう余裕が無くなりまする」
「そうか……」
つまり張陵の見立てでは、やっと来た平和はもう保たないと言うことか。
それでは話を早めにしてくる筈だ。
頷いた後、他の策を幾つか聞く。
既に各地に斥候を放っており、龍剣の論功行賞に不満を持つ者の帳簿を作っているという。
まめな話だなあと思うが。
それが出来ないから、張陵には頼っているのである。
いずれにしても、現時点では軍については機動軍が一万程度いればいい、ということだった。
「一万でいいのか」
「殿を慕ってついてきた兵をそのまま据え置くような形でよろしいかと思います。 あくまで現時点では」
「ふむ……」
「そもそも五千でこの土地を守るのは不可能です。 現地で最低限の兵力を徴募するだけで今はよろしいかと」
頷いた。
確かにその通りだと思う。
それに、民は歓迎してくれている。
だったら、変な負担を掛けるのも良くないだろう。
その後は、法についての話をする。
張陵はどこからか、非常にたくさんの竹簡を入手していた。
何かあったのだなと思ったが。
連白は聞くことはしない。
必要なら張陵が言うだろう。
「央の法はとても良く出来ています。 しかしながら、刑罰については少し厳しすぎると判断しました」
「ふむ、それで」
「そこで、刑罰に関しては採用せず、他の法を採用する形を取ろうと考えております」
「分かった。 そうしてほしい」
確かに張陵の言う通り。
央の法は、実際にきちんと施行されているのを見ると、確かに良く出来ていると言わざるを得なかった。
上手く行っていないと感じたのは刑罰関連で。
確かに張陵の言う通り、其所だけは改善の余地がある。
ただ下手に弄ると多分この世界の宿痾である「病」になる。
だから、使うものだけ使うという方式を採るのだろう。
正しいやり方だと思う。
「半年の間、兵の訓練は私が見ましょう」
「仕事については大丈夫か」
「実務関連に関しては、流曹どのが見てくれまする」
「張陵、そなたは体が頑丈には見えない。 頼むからあまり無理はしないでほしい」
連白は本当に心配してそう声を掛けたが。
張陵は薄く笑うばかりだった。
そもそも央に対する復讐も、宙ぶらりんになってしまったのだろう。
央は自壊してしまった。
新しく立った隼快はまともな人物だ。
昏帝だったら、思う存分復讐できただろうが。
それは勝手に自滅して死んでしまったのだ。
だから、張陵がやれることはもう何も無くなってしまった。
そう考えると。
隠者を気取って各地を転々とまでしていた張陵は。
今は、己のするべき事を求めて、何かをしようと必死なのかも知れない。
表向きそうは見えないが。
自分の基準で相手を決めつけてはいけないことを、連白は良く知っていた。
張陵が退出すると、後は黙々と仕事をする。
書類、といっても竹簡だが。
其所に押印をしていくだけだ。
勿論内容に目を通すが。
流曹がしっかり作り上げた書類に不備は殆ど無く。
たまにあっても誤字くらいで。
それも連白が直せば良いだけのことだった。
仕事も午前中には終わる。
午後は街を見て回り。
困りものがいないか。確認して回る。
困りものがいる場合は、話をしていく。
誰もが話をすれば、何か抱えている事が分かる。
その抱えているものをきちんと聞き出し、諭して行く。
これに関しては、連白は天性の才能を持っているらしく。どんな破落戸でも話をきちんと聞いてくれる。
事実、新しくなんかぼーっとした奴が領主として来たと聞いて、悪さをするために入り込んで来た悪党もいたらしいのだが。
そういうのも、街を周りながら連白が話をしていき。
やがて全てが連白に心酔していた。
これに関して、張陵は才能だろうとしかいわない。
普段は理論家であり。
基本的にずっと先まで見通している張陵がそうとしかいわないのである。
よほどの貴重な資質なのだろうか。
或いは説明が不可能なものなのかも知れない。
ともかく悪党を更正させられるのならそれでいい。
連白はそれくらいに考えながら。
山奥にある、央の土地で静かに過ごしていた。
やがて、情報が入ってくる。
主に法悦が中心になり。
各地で反龍剣の運動を開始した、と言う事だった。
まあそうだろうなと連白は思う。
法悦は盗賊団の大親分とでもいう存在で。
何度か会ったことがあるが、煮ても焼いても食えない悪党、という印象しか受けなかった。
相手は連白に興味を持ったが。
連白も、法悦を諭そうとは思わなかった。
諭してどうにかなる相手では無いと思ったからである。
根っからの悪党であり、更正の可能性がない邪悪だ。
だが、そんな人物でも。
戦争できちんと役に立ったのは事実だった。
そして邪悪だろうが計算が出来るのも事実。
法悦は計算したのだ。
龍剣にしたがっていては未来がないと。
張陵を通じて、法悦の動向は聞いていた。
だから、始めたか、と思った。
更に法悦が各地で暗躍し、周、商、明、清で反乱が起き始めたことも早い段階で連白は掴んでいた。
これらもいずれ起きるだろうと張陵は言っていたが。
どうして起きるのかも説明してくれていたので、納得出来ない、という事は無かった。
宋は即座に山霊が抑え。
配置されたのは鯨歩である。
鯨歩もどちらかと言えば元は筋金入りの悪党だったのだが。
武勇で周囲を従える悪党だったので、恐らくは龍剣は気に入ったのだろう。
龍剣は武だけを判断基準にしている節がある。
だから武を殆ど使わず央の首都簡庸を落とした連白には混乱したし。
後方支援や攪乱をしっかりやっていたのに、敵と正面切って戦わなかった法悦を殆ど評価しなかった。
あくまで推察だが。
今までの行動を見る限りあたっている可能性が高い。
本当は、だ。
龍剣ともしっかり話し合ってみたかったのだけれども。
もう、そういう状況ではないか。
そろそろ動くべきか。
張陵に話はしたが。
まだその時期ではない、という。
ならば待つだけだ。
石快などは、時々聞きに来る。
蜂起はしないのか。
するならいつだと。
余程頭に来ていたらしい。
簡庸に先に入ったのは連白なのに、難癖をつけて殺そうとまでした事に。連白は、それについては実はあまり怒ってはいないのだが。
ただ、世が乱れているのは実際問題として困る。
連白自身が、武勇に優れていないから分かるのである。
世が乱れていれば。
困るのは弱者であると。
連白はたまたま余計な能力を持っていただけの弱者だ。
だから他人事ではないのである。
待てと言うのなら、待つ。
その間可先には兵を鍛えて貰い。
畑などをしっかり守り。
獣狩りもして、民に害が及ばないようにした。
ほどなく、契機となる出来事が起きる。
張陵が、喜ばしい事が起きたと言って、宮殿に来たのである。
張陵は冷静な策士だ。
必ずしも喜ばしい事が、誰にとっても喜ばしい事とは限らないが。
ともかく話を聞くこととする。
「韓新が我が軍を訪ねて参りました」
「あの訓練した兵をどんどん送ってくれた将だな」
「はい。 是非殿に仕えたいという事にございまする」
「会ってみよう」
他にも何名か、既に連白の所に来たいと、身を寄せてきた将はいる。
だが張陵は前から韓新を高く買っていた。
連白としても、興味があったのは事実だ。
ほどなくして、韓新に会う。
何でも山霊に殺されかけたと言うことで。命からがら逃げ出してきたのだという。
それは大変だなと思った連白は。張陵に聞く。
「確か韓新は衛将軍に任じられていたな」
「唐を離れる前に、その一つ上の将軍に任じられた筈にございまする」
「……」
「そうか、ならばまずは訓練からやってもらおう。 それで実力を見せて欲しい」
張陵がこれほど買うのだ。
相応の人物であることは確かだが。
石快から故郷での醜聞も聞かされている。
だから、まずは様子を見たい。
それが最初の、連白が韓新に対して直接会って抱いた感情だった。
１、国士無双
韓新は行われている訓練を見ると、手ぬるいと言う。
張陵が鍛えた兵だ。
相応に仕上がっていると思うのだが。
まだこれでは龍剣には勝てない、というのだ。
いきなり龍剣に勝つことを前提に話を進めるのか。
面白いなと連白は思う。
今、世は乱れ始めている。
龍剣の不平等な論功行賞が原因だ。
それについては連白も分かる。
龍剣は非道の君主には見えなかったが。
武人としては文字通り最強であっても。
君主としてはそこまででは無い、というのが実情だったのだろう。
山霊がついていながら、その言う事を半分くらいしか聞かない、という噂も聞いている。
この噂は張陵が持ち込んできたものであり。
更に言えば、山霊はあの戦勝の酒宴で連白を殺すつもりだったようなので。
それを実際にやらなかった龍剣の様子から見ても。
確かに、張陵が言う通り。
山霊の言う事は、半分くらいしか採用されていないのも事実なのだろう。
ただ、龍剣が山霊に対して、親に接するように丁寧に話し。
山霊が、龍剣の部下達に強い影響力を持っているのも見て理解している。
この辺りがよく分からない。
いずれにしても、龍剣は残念ながら、この世界を平和に出来る器ではなかった。
総合的に見れば、央の武帝と変わらない英傑だったのだろうが。
あまりにも武によりすぎていたのだ。
韓新の訓練を見る。
韓新は兵士達を集めると、話を始める。
「軍としては良くまとまっているが、より早く動くためには規律を更に高める必要がある」
まず太鼓を用意させる。
獣の皮を張った太鼓は、そこそこの貴重品だ。
戦闘時に叩き鳴らされる銅鑼と同じようなものだが。
太鼓の方が良いと韓新は言う。
そうして、実演してみせる。
確かに複雑な音色を奏でることが出来る。
それにそって、即座に動くようにと話す韓新。
実の所、央と戦っていたときも。
韓新がどんどん送ってくれる増援を心強いと思っていた将は多かった様子で。
韓新の論理的な訓練についての話を聞き。
それをすぐに受け入れていった。
一月もしないうちに、韓新が鍛え上げた軍は、張陵が鍛えた軍を更に凌ぐ動きを見せるようになった。
個々の武勇が優れているかはあまり問題が無い。
組織戦を恐ろしい程緻密に行い。
陣も太鼓一つで生き物のように動かす。
弓矢や矛などの訓練については、石快や赤彰らの豪傑が兵に手ほどきするが。
それはそれである。
韓新が二月も訓練した頃には。
連白が見ても一発で分かる程に。
連白の軍は、以前とは別物に動けるようになっていた。
すぐに喜んだ連白は、韓新に前将軍の地位を与えた。
これは将軍の中でもかなりの高位に位置し。
現在連白が公式に与えられている大将軍の麾下としては、相当な高位にあたるものである。
現時点では大将軍で良いと連白は思っているので。
韓新に対しては、最大限の配慮をしたと言える。
同時に、張陵が策を進めていた。
何かやっている、と言う事は知っていたが。
具体的な内容については、あえて聞いていなかった。
結論として。
張陵はとんでもない人物を連れてくる事になった。
いや、実際にはとっくの昔に渡りをつけていたのだろう。
だが、既にこの中の世界が滅茶苦茶になっており。
龍剣も遠征どころでは無い事を知っているからこそ。その人物を呼び込んだのだとも言える。
連れてこられたその人物を見て、連白は驚いた。
虎を模した仮面をつけているが。
一目で分かった。
「王遼と申しまする」
「隼快陛下。 ご無事でございましたか」
「連白大将軍。 その名はもはや捨てました。 皇帝の地位も」
「そうか……無事で何よりでした」
宮殿で相対した隼快。今は王遼は。跪いて見せる。
央の民を悪く扱わなかったこと。
龍剣による暴虐を最小限に抑えてくれた事を、礼として言われるが。
連白にしてみれば、似たような立場の人間が蹂躙されるのは嫌だった。それだけのことであって。
褒められるようなことなどしていない。
それを説明して、顔を上げて貰う。
「これからは、貴方の麾下の一将として扱っていただきたく」
「分かりました。 それではそういたしましょう」
「その敬語もおやめください」
「……分かった。 それでは、今後も頼みたい」
育ちが良いのだろう。
ほこらから現れた人間は、ある程度の知識を最初から持っている事も多いのだが。
言葉を教わることから、ほこらを監視している人間の手で順番に行われる。
隼快改め王遼は、当然最高の教育を受けた筈で。
ある意味、あの昏帝が残した唯一の資産だとも言える。
王遼は連白のようなちんちくりんと違って、容姿も見目麗しいが。
この辺りは或いは。
見目麗しくて出来も良いのを、央が選んだのかも知れない。
それについては、何というか。
一時は中の世界全てを抑えた、央ならではの荒技だったのだろう。
更に、王遼は言う。
「章監を覚えておいででしょうか」
「ああ。 央の名将だな」
「今でも章監は自分に忠義を誓っておりまする。 今なら……央の全域を、一気に抑える事が可能にございまする」
「……少し考えさせてほしい」
一礼すると、王遼は下がる。
そして、連白は少し考えてから。
張陵と、配下の幹部達を集めたのだった。
張陵と流曹を両翼に。石快、可先、赤彰、翼船らの幹部を集め。
更に軍幹部として台頭した韓新も加えて、連白は会議をする。
王遼については、信頼出来ると連白が太鼓判を押す。
連白の人を見る目については、周知もされているので、誰も文句は言わなかった。
ただし、章監については話が別だった。
石快が最初に言う。
「昏帝の麾下で世を乱したのは、央軍の残りカスである黒い軍団だ。 章監はそこにいたんだろう。 信用できねえ」
「同感」
可先も言う。
可先は生真面目だが。だからこそに厳しい意見も口にする。
「もしも我等が央に入ったら、あの龍剣と正面衝突する事になる。 山霊が何か布石を打っているかも知れない」
「それに章監は央の民に恨みも買っているのでは」
赤彰が言うと、石快は頷く。
否定的な意見が多いな。
連白はそう思いながら、思うところを口にしてみる。
「ならば章監には別の人になって貰おう」
「別の人？」
「王遼がそうであるように、名前もなにも別になって貰えば良い」
「ふうむ……」
石快が腕組みする。
間近で見ると太い腕である。
これでも龍剣には一閃で殺されると断言するのだから、龍剣の凄まじさがよく分かるというものだ。
「石快は、章監に恨みがあるのか」
「いや、白姉貴が言うなら恨みは捨てやすがね。 ただ俺が恨みを捨てるのと、他の者がそうかはまた別でしょう」
「それも確かにそうだ。 ならば、やはり王遼がそうであるように、名前も変えて貰うとしよう」
「……それで、具体的な手順ですが」
張陵が話を始める。
まず軍を起こす。
韓新が鍛え上げた軍は、今やこの央の山中にて、自由自在に動く事が出来る。規模も現状では一万だが。
簡庸を抑えれば、二十万まで拡大できると断言された。
その後は、龍剣との戦闘を出来るだけ避けつつ、清、明、商、周を抑え。
そして宋を落とす。
宋は龍剣にとって大事な穀倉地帯である。
現在は龍剣にとって右腕とも言える鯨歩を置いているが。
実の所、龍剣は鯨歩に対して初対面で無礼な行動に出たらしく。
鯨歩はあくまで龍剣の武勇に従っているに過ぎず。
忠義の臣とは言い難いという。
「基本的な戦略は、以上となります。 ともかく龍剣との戦いを避けつつ味方を増やし、最終的に龍剣を戦えない状態に追い込んで戦わずして勝ちます」
「それには白姉貴はうってつけだな！」
「物資については……」
流曹が説明を始める。
やはりこの央山中には相当な物資が蓄えられていたらしい。
また見た目よりも土地が遙かに豊かなこともある。
相当な長時間、中の世界を上げての総力戦を支える事が出来ると言う事だった。
「二十万の機動軍を数年動かす事が可能でしょう」
「それは心強い」
「だが、最初から躓いてしまっては元も子もない」
可先がまた厳しい事を言う。
連白もそれは同意だが。
龍剣が彼方此方の反乱に対処し、身動きできない今が好機だと判断した。
立ち上がる。
皆が連白に注目した。
「よし、決めた。 まずは簡庸を落とし、央の……正確には秦時代の旧領土を全て手中にする」
「おおっ！」
諸将が喚声を挙げる。
連白は、どちらかと言えば冷めていた。
また戦いか。
だが、龍剣をどうにかしなければ、この戦いは終わらないのだ。
だったらやるしかない。
龍剣だってひとかどの人物なのだ。
どうにか一緒にやっていく方法は無いのだろうか。
そう自問自答が、今も頭の中で動いている。
龍剣は文字通り超世の武勇を持つ。
あそこまでの武勇を持つ人間は、当面この中の世界には現れないだろう。それほどの英傑なのだ。
どうして山霊の言う事を聞けなかったのか。
それだけが惜しくてならない。
山霊の言う事をきちんと聞いていれば、きっと今頃は、盤石の態勢が整っていただろうに。
話によると、山霊は簡庸に駐屯して、周囲に睨みを利かせるべきだと注進したという。
それを実行されていたら、連白は文字通り何もできなかった。
法悦の反乱だって、一瞬で鎮圧されていた可能性が高い。
今は、ともかく。
この隙を、どうにか突くしか無い。
まずは韓新を総司令官に任命。
軍権を全て預ける。
不満そうな顔を石快がしたが。連白が、韓新の実力を認めている事を説明すると。不満そうではあったが従った。
訓練が出来るだけの者では無い。
連白も、それは見ているだけでよく分かった。
張陵が、作戦について説明をすると。
韓新はそれに幾つか付け加えた。
更に作戦の完成度が上がる。
元より、いつでも軍は動ける状態にあった。
すぐに軍を動かす。
翌日から。
連白軍は、動き始めていた。
厳しい山道だが。
たくさんの民と一緒に、此処を超えたのだ。
何処が危険地帯かは、全て分かっている。何よりも、五千に加えた徴募した兵は、全て韓新が訓練しているのである。
山をまるで平地のように行く。
一番苦労したのはむしろ連白で。
戦車も使えないので、徒歩でいくしかなく。
体力がないので、かなりへばることになった。
石快が側についていて、時々声を掛けてくれる。
「白姉貴、大丈夫ですかい」
「流石に山道がきつすぎる。 前は此処まできつかったかなあ」
「それは、以前の軍の進行速度が、それほどではなかったからでしょうなあ」
「……」
韓新の鍛えた兵が、あまりにも早く進むから、という事である。
後方から来ている糧食も、充分な量が来ている。
何より、である。
一度攻め上がった道だ。
指揮官達は、皆どうすれば進めるのかを、熟知しているのである。
ほどなくして、関の跡地についた。
函谷関である。
前に攻めたときは結構な要害だったのだが。
此処は敵の戦意も低く。
自壊するようにして落ちた。
さて現在だが。
目を細める。
龍剣が破壊していったという話だが、確かにもう要塞としての役割を為していない。それどころか。
駐屯していた兵士達は、此方の出現を見るとすぐに関の扉を開け。
守将も降伏した。
「章監将軍から話は聞いておりまする。 我が軍も加わります故、ご進軍ください」
「分かった。 韓新、構わないか」
「は。 ただし、兵は分散して反乱は防ぎまする」
「うむ……」
犠牲はこれにて皆無。
ただ、外部には細作を走らせる。
函谷関で大きな戦いがあり、反乱が起きた様子だと。
こうやって偽の情報を流すことで、混乱を引き起こし、龍剣の対応を送らせる。
それが目的だという。
更に進軍するが。
敵の抵抗は一切無かった。
そもそも、龍剣が苛烈な殺戮を行い、央軍に対して血の雨を降らせたのに対して。
連白は出来る限り戦闘を避け。
降伏するなら受け入れる姿勢で進み続けていた。
それを現在でも央軍に残っている者は知っており。
連白が姿を見せると、龍剣にされた事の意趣返しもあるのだろう。更には、事前に張陵が章監と進めていた工作もあるのだろう。
次々に降伏した。
幾つか降伏しない城もあったのだが。
それらについては、王遼が任せてほしいと城に出向き。
一日二日で、守将が降伏するか。
或いは城兵の反乱が起き。
守将を殺して、城兵が投降してきた。
こういった城は、監視役として山霊が残した武将が守っていたようなのだが。
山霊も、それほど良い武将を手に持ってはいなかったようで。
少なくとも、央最大の戦略拠点簡庸を龍剣が気に入った章監が守っているという時点で。
何も打てる手はなかっただろう。
そのまま前進し。
前回以上の速度で進軍する。
虎牢関に到達したときには、兵は三万まで膨れあがり。韓新に進言を受けていた。
簡庸を落とした後は一度防備を固め、兵の訓練が必要だと。
それについては異存もない。
確かに、あの央の精鋭がと思いたくなるほど、兵士達の質は落ちている。
昔黒い軍団として各地を怖れさせた精鋭の面影は無い。
一度落ちると此処まで落ちるのだなと、連白も呆れ果てていた。
今の央の守備部隊は文字通りの雑兵である。
これは、再訓練の手間が大変だろう。
ただ元々訓練を受けていた者も珍しくはない。
ならば、もう一度訓練をすれば。
或いは勘を取り戻すのも、早いかも知れない。
虎牢関もろくな抵抗をせず降伏。
簡庸には静かに入った。
簡庸で略奪をする事は一切禁止し。
石快や、何より連白が睨みを利かせていることもあって。
兵士達の士気は高く。
簡庸で悪さをする者は一切いなかった。
簡庸の手前にて。
章監は密かに降伏してきたが。
それを外部には公表せず。
「簡庸郊外の戦いで章監を討ち取った」と外部には喧伝。
央の制圧を、連白は周囲に公表した。
理由は、央にて治安乱れる事著しく。簡庸を守る章監が行う暴虐見るに絶えず。故に誅伐し、治安の回復を行った、というものである。
当然使者は唐にも送っておいた。
時間稼ぎのためである。
そして、同時に。
全軍を上げて、各地の要塞地帯の復旧を開始。
一度徹底的に破壊されたが、原型は残っている。
龍剣が動く前に。
要塞地帯は、復旧しなければならなかった。
更に、兵の徴募を開始する。
元々央の民は、龍剣には反発していたが。連白に対してはかなり好意的だったこともある。
山中の民は簡庸の民とも好意的に接しており。
其所から既に善政の情報は伝わっていたらしい。
二十万とは行かなかったが、すぐに十万の兵が集まり。
訓練が開始された。
さて、後は龍剣が動くまでに、何処まで準備が出来るかだが。
ここからが厳しい事は。
連白も、言われずとも分かっていた。
今までは、単純に山霊が出て来ていなかったから上手く行っただけである。
龍剣にしても、簡庸などすぐに落とせる自信があるから放置していたわけで。更に言えば、今彼方此方の反乱を叩き潰して回っている龍剣も。方針を変えて、精鋭を連れて簡庸に攻めこんでくれば文字通りどうにもならない。
時間を、どうにかして稼がなければならないのだ。
まず簡庸に入ってやるべき事はやった。
急いで各地の要塞を修復させつつ、連白は報告を聞く。
各国の情報を、出来るだけ詳細に手に入れなければならないからだ。
「現在龍剣は明の各地を荒らし回っております。 要塞を破壊し尽くし、逆らった者がいる街の城壁を破壊しているようです」
「そのような事をすれば、獣に襲われたら民は為す術がないではないか」
「それが懲罰になるという事のようで……」
「無茶苦茶だ」
連白が嘆く。
なお玉座は使っていない。
央の王、つまり央王になるべきだという意見もあったのだが。
今は大将軍のままでいい。
王なんて柄では無いからである。
故に、宮殿の跡地に普通の屋敷を建て、其所で政務を執っている。今も報告をそれによって受けていた。
「更に龍剣は清に攻めこむ姿勢を見せておりまする」
「確かに清軍と衝突したという話は聞いているが」
「清王を討ち取るまで帰らないと公言しているようにございまする」
山霊も大変だな。
そうとだけ、龍剣は思った。
いずれにしても、情報が伝わるには時間差がある。
この情報を連白が今知ったように。
龍剣ももう連白が簡庸を取った事を知っていてもおかしくは無い。
なお現在、章監には一部隊を率いて、各地で諜報をして貰っている。
本当は軍を率いてほしい所なのだが。
央軍にいた兵には、章監の顔を知っている者も多い。
だから仮面を被ったくらいでは誤魔化せない。
更に章監は央軍からも恨みを買っているのである。
故にしばらくは、この対応を受けてもらうしかなかった。
伝令と入れ替わりに、韓新が来る。
「殿」
「如何したか」
「まずは商を攻めるべきかと思います」
「しかしまだ兵が足りぬだろう」
訓練も足りていない。
韓新は寝ずに仕事をしているような状態だ。無理をさせられない。
それを言うと、韓新は薄く笑った。
「龍剣とは本当に大違いだ。 ただ、心配はいりません。 商は元々此方に好意的ですので、軍を動かさずとも落ちましょう」
「詳しく頼めるか」
「今張陵どのが準備を進めておりますが、商王は此方に保護を求めておりまする。 明王が龍剣に殺された事で、怖れているようにございます」
確かに明王を龍剣が……正確にはその武将である劉処が斬った事は聞いている。
逆らえば皆殺し。
それはもう、龍剣らしいやり方だ。
明王も不幸な話である。
あの林紹に王として立てられ。以降は有力者に利用され続け。明で反乱を起こしたのも、結局は法悦に利用された結果だと聞いている。
挙げ句の果てに殺されてはたまったものではないだろう。
同じような立場の各国の王が怯えるのも分かる。
清王に関しては、連白も思うところはあるが。
死人は出来るだけ減らしたいのである。
これは間違いの無い事実だった。
「分かった、保護を受け入れると使者を出せ」
「ただちに」
「それと、龍剣を倒すのに後何年くらいはかかりそうか」
「今は不可能でしょう。 私が兵を指揮しても、龍剣には勝てる気がしません」
それほどか。本当に怪物が相手なんだな。
連白は執務に戻りながら、部下達に任せた仕事が成就するのを待った。
２、浸透開始
商王が保護を求めて、供回りと簡庸に来た。勿論密かに、だが。
既に商は厳重に龍剣に監視されていて。周が潰されたら次は商という感じで狙われているのだと、商王は涙ながらに連白に訴えたが。
そもそも法悦の口車に乗ったのは貴方だろうと、連白は言いたくなった。言わなかったが。
だいたいだ。
現在既に死んだ明王はともかく、他の王達は。評判が例外的に良い唐王を除くと、皆似たような連中である。
林紹に担ぎ上げられるか、他の地元の有力者に担ぎ上げられた存在で。
元はただの役人だったり。
場合によっては破落戸の顔役だったりした連中だ。
商王も例外では無い。
連白が王と名乗りたくないのは、この辺りの事情もある。
央の武帝くらいだと、支配者という言葉が相応しいかも知れない。
だけれども、それ以降。
この中の世界には、支配者と呼べる存在は、厳密には存在していないと連白は思うのである。
龍剣が正式にはそうなのだろうが。
龍剣は残念ながら、超世の武勇を持つ存在であっても。
指導者としては失格だ。
とりあえず、話は聞く。
商王は涙ながらに如何に自分が虐げられていて厳しい立場なのかを口にするが。
そもそも此奴が何をしたと言うのか。
連合軍が結成されて央に挑んだときだって。
此奴はただ、他の王と一緒に領土の分け前だけを考えていた。
龍剣はこの手の輩が大嫌いらしく。
実際に武勇をもって戦働きもしなかった輩にくれてやる土地などないと言い放ったらしい。
正直な話。
龍剣の戦後の論功行賞は不平等極まりなかったが。
それでも此処だけは正しいと思う。
まあ法悦に対してあからさまに褒美が少なかった事や。
他にも龍剣の目の届く範囲外で活躍していた者が、殆ど褒美を貰えなかった事もあって。
今回の大規模反乱が起きてしまった。
今回はそれに乗ろうとしている商王は。
正直な話、ロクな存在ではないのだが。
それでも話を聞かなければいけないのが厳しい所だ。
商王は言う。
現在、周王や宋王も酷い目にあっているという。
清王に至っては、明確に龍剣に目の敵にされ。
その命は風前の灯火という声まである。
それはそうだろうと内心ぼやく。
そもそも龍剣に対して五万ぽっちの寄せ集めの兵で先に仕掛けたのは清王だ。あの龍剣が、怒らない訳がない。
野心も見え透いている。
人気のない龍剣を追い落として、自分がその位置に座りたい。
そう考えているだけの小物。
それが清王の正体だ。
ともかく、商王を別の館に案内した後。
張陵と韓新を呼ぶ。
現時点では、この二人が相談役だ。
流曹は呼ばない。
流曹はあくまで実務家であって。
陰謀を担当させるのは、あまり適性がないと判断した。
実際問題、流曹が口にするのは、「何ができるか」「何をするのが現実的か」であって。
それらについては完全に事実である。
実際流曹がてきぱきと実務を片付ける様子を見てきている連白としては。
流曹には無駄な負担を掛けたくないし。
実務だけを処理して貰いたいと思っている。
呼ばれて姿を見せた張陵と韓新は、既に話を理解しているようだった。
まあ商王が来たという時点で、バレバレと言う事だ。
連白が渋い顔をしているのを分かった上で。
それでも張陵は厳しい事を言う。
「分かっていると思いますが、如何に元がろくでもない人間であっても、今は担ぎ上げられて王となっています。 一定の影響力はあります」
「それは分かっている。 それでどうすればいい」
「幾つか手は考えられますが、一つとしては龍剣に差し出して時間を稼ぐ」
「それは出来れば避けたい」
人は可能な限り殺したくないのだ。
商王が如何に性根が腐っているとしても、それは変わらない。
そもそも連白だって、破落戸の大親分という立場だったのである。
元々そういう出自だった事もあるし。
性根が腐っているからといって、一線を越えるような行動を取らない限りは相手を殺す事は考えたくない。
「殿がそういう事は分かっておりました。 それでは第二案。 現在は裏で同盟を結んでおいて、龍剣に対しての反攻作戦を行う際に呼応して貰う」
「呼応は良いのだが。 商王にどれだけの兵が用意できるのだろう」
「それについては、これより少しずつ此方で準備を整えます」
韓新が言う。
何でも既に、訓練のやり方を仕込んだ兵士の育成を始めているという。
忙しいだろうに、そんな事までしていたのか。
やがてこれらの兵士を、周と商に送り込んで反乱の準備をさせるという。
「清や宋は良いのか」
「清については、恐らく近々龍剣が親征するかと思われます。 そんな余裕はありません」
「そうか……」
清王はロクな人物では無いが、それは不幸な話だ。
明は民から武器が取りあげられ、獣から身を守るための城壁も破壊され。無防備な状態で、連日多くの被害が出ているという。
獣は人間に対して兎に角容赦というものがない。
身を守るすべを無くした人間には、容赦なく襲いかかるだろうし。
その結果、相当な恨みを人々が龍剣に抱く事は確実である。
だが、それを喜べない。
連白としては、出来るだけ早く助けたいのだが。
流石に龍剣のいる宝の至近距離にある明を救援できるのは、ずっと先の事になってくるだろう。
「ただ、清は法悦に任せます。 基本的に戦闘を避け、敵の補給線だけを狙う戦術を採ってもらう形になります」
「それでは明と同じように人々が苦しむのではないのか」
「龍剣を怖れる人間が、此方に流れ込むように既に話をつけております」
「準備が良いな」
若干呆れたのだが。
張陵も韓新も息がぴったりである。
それでも、相当な犠牲が出るだろう。
心が痛む。
連白は別に聖人でも何でも無い。
だが、力が強いわけでもなかったし。
相手に話をして、諭す事で相手に慕われるという技術がなかったら、とっくに今頃のたれ死にしていただろう。
それについては、自分自身が一番よく分かっている。
弱い者がどういう目に会うかは、この世界で嫌と言うほど見てきたからである。
これからそれが、今までに無い規模で行われるだろう。
龍剣という破壊者の手によって。
「宋はどうする」
「現在工作を進めております」
「工作」
「鯨歩は最初龍剣と出会った時に、手も足も出ないほどに叩きのめされております。 それも多数の見る前で」
ああ、なるほど。
何となく分かった。
鯨歩については、以前少しだけ顔を合わせたことがある。
対央の軍を出す時。
それに、あの生きた心地がしなかった戦勝の宴の時。
どちらでも、鯨歩は陰気な大男で。武勇には優れているようだったが、どこかで強い鬱屈を抱えているのが分かった。
現在は一軍を率いて宋を抑え。
龍剣の軍の補給線を一手に担っているようだが。
この辺りが、龍剣の軍の人材不足を露骨に示している。
鯨歩が裏切ったら、龍剣は一気に窮地に立たされる。
元々土地が豊かでは無い唐を地盤にしているのだ。
宋を力尽くで抑えておかないと、龍剣は大軍を動かす事が出来ない。
そんな最重要拠点である宋に、裏切りの可能性がつきまとう鯨歩を配置しなければならないのである。
何だか大変だなと、連白は何度も殺されそうになったのに。
龍剣と山霊に同情していた。
「分かった。 以前聞いた長期戦略、龍剣とは戦わずに力を削いでいく。 その手で行くのだな」
「はい。 理解が早くて有り難いです」
「ああ、うん……」
「殿はじっくりと簡庸の防備回復の指揮をお願いいたします。 出陣のための準備は、此方で進めておきまする」
二人を戻す。
はあと溜息が漏れた。
連白はどうにもこの手の生臭い話が苦手だ。
たくさんの人の上に立つと言う事が、こういうことだとは分かっている。
そして張陵と韓新に任せておくべきだと言う事も。
外に出る。
連白が時々、わずかな供と一緒に外を歩いていることは、案外知られていない。
親切な大親分さんがいるという噂になっていると聞いているが。
それが連白のことだとは知られていないのだ。
たまに護衛を出している可先に苦言を呈されるが。
だが、可先自身も。連白には仁君であってほしいらしい。
今のところ、簡庸の街は、穏やかだ。
清から連白を慕ってついてきた人達も。充分に住む土地が確保されている。
元から住んでいた民とも諍いは起きていない。
どちらが征服者で云々というような争いは起きていない。
負けたことで、虚脱状態にあった民も。
今では復興にいそしんで。
失ったものを取り戻そうと、必死になっている。
兵を少し連れて、要塞の方を見に行く。
虎牢関は七割方修復完了、と言う所か。
だが、どんなに守りを固めても、龍剣が本気で攻めてきたら爆砕されてしまうだろう。
龍剣に壊された要塞地帯の修復をどんどん進めているが。
作業の監督をしている石快は、時間が幾らあっても足りないと時々ぼやいてきていた。
連白は一度戻る。
そして、商王にもう一度会い。
頭を地面にすりつけて懇願する商王に、内心呆れながら諭すのだった。
「商王陛下、一度お戻りください。 下手にここに来ていたことが分かれば、商の民が危険にさらされます」
「そんな、大将軍は余を見捨てると申されるか」
「勿論来たるべき時に備えての支援はいたします。 それまでは、堪え忍んでください」
いやだいやだとだだをこねる商王。
心底呆れた。
お前のような立場の人間が、言って良い事では無いだろうと思ったが。
あえて笑顔を無理矢理作り続ける。
多分笑顔が引きつっているだろうと自分でも連白は思ったが。
それだけだ。
「ともかく今はお帰りを。 此方から、兵を訓練するための顧問を近々派遣いたしますので、今は牙を研ぎ機会をお待ちください」
「本当であるな……？」
「本当です」
「分かった、それでは戻るとする……」
商王は、或いはだが。
この話を持ち帰って、龍剣に流すかも知れない。
それくらいやりかねない人物だ。
だが、張陵も韓新も、それについての話はしなかった。
つまり警戒はしなくても大丈夫、ということだ。
商王には密かに帰ってもらう。
目立つとそれだけ危険度が上がるからだ。
それに山霊の派遣した細作もまだいるかも知れない。
今の時点では、張陵が組織した部隊が、細作狩りをしているようなのだが。
進捗については教えて貰っていない。
いずれにしても、連白はただ次にどうするかは分からない。
要塞地帯の修復に、石快だけに任せるのでは無く。
自身で人夫を募集し。
更に物資を惜しみなく届けるように、流曹と話し合う。
それだけしか出来ない。
商王が戻って一月ほどで、虎牢関は修復が完了した。
だが関というものは、幾つか連白も攻めてみて分かったが、関だけでは役に立たないのである。
簡庸の広大な土地を生かして。
関の外側にある土地に住んでいる民からも。
簡庸に移り住みたい者を募集し。皆受け入れる。
勿論山霊の放った細作が紛れ込んでいる可能性もあるので、その辺りの処置は張陵に任せる。
着々と準備が進んでいる中。
とうとう龍剣が、五万の軍を従えて、清攻めに出たという話が入った。
途中、反抗的な態度を取っている周の各地を蹂躙しながら北上。周王を確保したという話である。
そして逆らうようなら周王を殺すと周囲に宣言。
完全に萎縮した周を通り過ぎると、清にて兵を展開し始めた。
清王はどうにか集めた三万ほどで迎撃したようだが。
一戦で粉々に打ち砕かれ、現在は行方が分からないと言う。
やめておけばいいのに。
ぼやいたが。
清王は領土欲の強い男だった。
そもそも龍剣に真っ向から反抗し始めたのも、旧清の西半分。穀倉地帯を奪還できなかったからで。
それも後ろで偉そうに構えているだけで、勝手に領土を貰えると考えていたようなのだから。
呆れた話ではあった。
予定通り法悦が動く。
萎縮している周にて展開を開始。各地で龍剣軍の補給線を断つ。
だがそれを見越していたのか。
龍剣は八千を率いて猛然と周にとって返し。
法悦を追い払って、補給線を再度確保した。その間、清での作戦行動は、劉処が行った様子である。
連白は宮殿にしつらえた大きめの館でその話を聞く。
龍剣が清を叩きのめすことに夢中になっている間に、可能な限り戦力と防衛体制を整えなければならない。
それだけではない。
韓新が来る。
出陣する、と言う事だった。
「赤彰将軍と翼船将軍をお借りします」
「うむ。 まずはどう動くのか」
「まず商に進み、事前に潜入させていた部隊と呼応して、一気にこれを占領します」
「む？」
作戦が違うような気がするが。
連白の表情を見て、薄く笑う韓新。
何だか、怖い男だ。
「作戦の大筋は変わりません。 そもそも旧七国などというものが、今後はなくなるべきであると私は考えています」
「央の武帝と同じかな」
「そうです。 そして央の武帝は、この世界の病という仕組みによって、その優れた部下達とともに倒れてしまった。 しかし前例を作ってくれたことで、統一による病は発生しません。 これを我々は感謝しなければなりますまい」
「……」
まずは一番攻め易い商から。
これについては、実の所央と同じ戦略だ。
央も武帝の頃には圧倒的軍事力を保有していたらしいが。
まずは商から叩き潰し。国力に劣る周、明、宋と攻めて併合し。
そして最後に唐と清を滅ぼして、天下を統一したのだ。
これに関しては、理にかなっていると韓新は言う。
ただし、違う展開にしなければならない場所もあるという。
「まず清ですが、現在明の一部を取り込み、周と連携して逃げ回りながらも龍剣とやりあう程の力を有しています」
「清の力では無く法悦が裏で動いているからであるかと思うが」
「同じ事です。 法悦はあくまで状況を利用しているだけ。 法悦には既に連絡を取ってあり、連携を取って動けるようにしております」
「法悦か。 厄介な相手なのだよなあ」
法悦は計算は出来る男だが。
確かに龍剣が嫌うのも分かるのである。
確かに世の悪徳を一身に集めたような存在だ。
「徹底的に破壊された明の各都市と違い、周はあまりにも要塞地帯が多いので、龍剣も一部を見せしめに破壊しただけにございます。 これより侵攻して、当面の主戦場は周になるかと思います」
「分かった、任せる」
「はっ」
報告だけに来たのだろう。
韓新はすぐに兵を率いて出陣していった。
機動軍は現在十万ほどいるが、そのうちの半数ほどを率いていった。
またそれだけではない。
韓新が育成した、訓練のイロハを叩き込んでいる部隊が残っていて。
続々と兵になりたいと志願してくる者達に対して訓練を施していた。
近いうちに一万の機動軍が新たに加わると報告が入っている。
本当にこの土地を龍剣が抑えなかったのは失敗だったのだなと、連白は間近で起きている、圧倒的な兵力の集結を見ながら思うのだった。
それほど時間を掛けず、商に侵攻した韓新の軍勢が、殆ど一瞬で商の都を陥落させたと報告があった。商王は「保護」された。まあ茶番だが、これは仕方が無い茶番でもある。
そのまま、商に居座って韓新が兵を集め始める。
どうやら更に機動軍を拡大して、周を攻める準備をすると同時に。
宋にいる鯨歩をたぶらかし。
此方の味方にする作戦を開始するようだった。
連白は何だか嫌気が差してきて、防衛陣地の修復作業の陣頭指揮を執る事にした。
幾つかある要塞を抜かれると、清経由で一気に龍剣が乗り込んでくる可能性がある。
そうなってしまうと、如何に韓新が鍛えた軍がいても、ひとたまりもないだろう。
連白は黙々と幾つかの要塞の修復作業の前線での指揮を執り。
石快と一緒に要塞の修復を行った。
元々しっかり作られていた要塞である。
如何に龍剣が破壊したと言っても、土台は残っている。
これらの要塞が、簡庸にいる民にとっての盾となる。
そう思うと。
作業は、苦にはならなかった。
作業をしている間にも、清からたくさんの民が流れ込んでくる。
多くの民は龍剣が暴虐を振るっていると証言した。
清で暴れ回っている龍剣は。
各地で清王の残党をひねり潰しながら転戦し。
時々法悦に補給線を切られると即座にとって返して法悦を追い払い。
文字通り、泥沼の戦いを続けている様子だ。
疲れなんか知らないんだろうな。
連白は自身でも時々石や木材を運びながら。
元気に生き生きと暴れ回っているだろう龍剣を想像して、もう一度げんなりした。
３、乱戦
商を制圧した韓新の話は、すぐに龍剣の所にも届いたらしく。清で派手に暴れ回っていた龍剣は一度後退。周にて防衛線を再構築し始めていた。伝令でそれを知った連白は、張陵が来るのを見て、戦略の転換を悟った。
勿論龍剣がじっとしているような奴では無い事は分かっている。
だから、この時が来るのは分かっていた。
作戦は柔軟に変えなければならない。
張陵に促されて、修復中の衛の要塞の中に入る。
龍剣に蹂躙された要塞の一つだが、既に八割型修復は終わっている。今後は前線基地の一つとして、活躍が見込まれる場所だ。
石快は難しい事は分からないと言って会議に参加しなかったが。
恐らくだが、実際には汚い話を聞くのが嫌だったのだろう。
気持ちよく強敵と戦えれば良い。
石快の考えがそういうものなのだという事は分かる。
石快は一番上になりたがることもなく。
龍剣と若干似ている思考が、有害になる事もない。
龍剣は本来だが、誰か抑える者がいる場合、最大の破壊力を発揮できる人物だったのだろうと連白は思う。
そういう意味では、龍一が早々に戦死してしまったのはあまりにも痛かったのかも知れない。
龍一がいたら、此処までの凶暴な存在にはならなかったのだろうから。
とはいっても、龍一も野心をむき出しにした泥臭い人物だった。
龍一が主導で天下統一を行ったところで。
この中の世界が良くなったかは、はっきり言って良く分からない。
張陵と供にまだ少し埃っぽい部屋に移動。
話をする。
「清への侵攻をするべきにございまする」
「清へ」
「はい。 現在、国力では既に龍剣を殿は上回っています。 更に商を韓新が完全に抑えれば、それは盤石になるでしょう」
「うむ、それは分かっている」
話は何度もしたのだ。
問題は、龍剣の圧倒的な戦闘力は、国力差くらいは容易くひっくり返す、という事である。
ついこの間も、清軍五万を、八千で蹂躙した龍剣である。
如何に韓新が鍛えた精鋭でも、五万や六万では、龍剣が率いる精鋭八千を止められるとは思えない。
それだけ危険な相手なのだ。
「現在清は民の流出を招いてはいますが、それ以上に明の民を取り込んで、中の世界北東部にて強固な独立勢力を作っております」
「確かにこのままだと、龍剣と私が戦う所に横やりを入れて来かねないな」
「現在龍剣は周に戻り、地固めをしているようにございまする。 其所で、清の領土を幾分か削っておくべきにございます」
「しかしその場合、下手をすると龍剣の軍と正面衝突する事にならないだろうか」
韓新と法悦に連絡は送ってあるという。
龍剣は恨みを買いすぎた。
既に央だけではなく、明や清、周の民からも相当な恨みを買っているという。
逆らったら殺す。
そのやり方が、あまりにも徹底的すぎるからだ。
龍剣は強い。
だがその強さの示し方を、間違っている気がする。
いずれにしても強い事は誰もが認めている。
その強さが間違っている事もだ。
「これより韓新の兵が南下し、宋をつく動きを見せまする。 同時に法悦が明に入り込み、蜂起を促しまする」
「蜂起……」
「明の民は既に龍剣の圧政に限界を迎えておりまする。 武器を取らなければ、獣に殺されるだけにございます」
「そうか……」
気は進まない。
民を蜂起させて、盾にするようだからだ。
その隙に兵を進めて、更に国力差を増す。
勿論龍剣は更に恨みを買うことになる。
一石何鳥も落とす策だ。
有用である事は分かっている。
だが、どうしても心の何処かに拒絶感がある。
ただ、それでもやらなければならないだろう。もたついていれば、更に犠牲者が増えるのだから。
「分かった。 可先と石快をつれて出る。 張陵も来て貰えるか」
「分かりました。 軍師の真似事をして見ましょう」
「頼む」
勿論、すぐに機動軍を出せるわけでは無い。
準備はしていたものの、軍が集結し、出立するまで一週間ほどは掛かってしまう。
これはどうしようもない話である。
そして、衛に兵八万が集結する。このうち機動軍は三万。衛の守備隊が五万である。いきなり機動軍を全部出すほど連白は大胆ではないし、張陵もそれについては何も言わなかった。
清に侵攻を開始する。
清のほこらから現れた連白にとっては、故郷と言って良い土地だが。
親との関係は良くなかったし。
街では破落戸筆頭みたいな扱いを受けていて。
あまり故郷だからと言って、良い思い出は無い。
そのまま静かに兵を進める。
清は荒れ果てていた。
民がいなくなった街も多い。
民がいる街も、県令がいなくなったり。或いは清軍が無理矢理兵士になりそうな人間を連れて行ったりで。
かなり荒廃している様子が目立った。
ほこらもある。
内側から風が吹いていて、不意に人が現れるこの場所は。
中の世界において、唯一といっていい人間の供給源だ。
ほこらには流石に役人がいた。
この役人に関する事だけは、央の法が優れていると言う事で、今でも守られている。手出しも許されない。
龍剣でさえ手出しはしないということからも。
このほこらの重要性は明らかである。
外から見ると、ほこらというよりも完全に洞穴である。
何か字が書いてあるが、崩れていて読めない。
張陵に聞いてみると、「修羅」と書かれているそうだ。
意味がよく分からない。
此処に来たばかりの人が、修羅になっている事はないと思うのだが。
「このほこらが修羅という名前なのだろうか？」
「いえ、どのほこらにも修羅と書かれているらしく、昔から諸説あるようです」
「修羅、ねえ。 意味は分からないか」
「荒ぶるもの、戦い続けるもの、そのような意味でしょうか」
分からない。
別に此処から現れる者は、皆修羅というわけでもないだろう。
龍剣はそうかも知れないが。
この世界においても、龍剣は異端中の異端だ。
「ともかく、この周辺に手出しは無用だ。 進軍するとして、どれくらい……」
「伝令！」
兵士が来る。
何かあったのか。
清軍は龍剣にゴミのように蹴散らされて、再建もまだなっていないと聞いているのだけれども。
「龍剣軍八千が此方に向かっています！ 凄まじい勢いで、龍剣直属の精鋭に間違いありません！」
「な……」
「あり得ぬ事です」
珍しく張陵が完全に動揺している。
連白も呆然とした。
周をどうして放置して、龍剣がこんな清の奥地まで出て来ている。
いずれにしてもまずい。
「総員撤退！ 衛まで引け！」
数は此方が四倍。
だが、龍剣とやりあって勝てる訳がない。
龍剣が率いる八千は、八万にも十万にも匹敵する。
ましてや龍剣自身がそれこそ一人で一万の兵に匹敵するような怪物なのである。
韓新でも、正面決戦は避けると断言した。
連白が勝てる相手では無い。
全軍が撤退を開始する。兎に角逃げろ。
そう叫んで。
だが連白自身は最後尾に残る。
そうしないと、龍剣の蹂躙が文字通り無差別になる事が予想されるからだ。
軍を叱咤して、兎に角撤退を急ぎ。
そしてどうにか衛に逃げ込んだ。
衛に逃げ込んだときには、連白は息も絶え絶え。
注進に兵が来た時は。
思わず相手を二度見してしまった。
「龍剣軍、衛の前面に展開！ 数は八千！」
「戦ってはなりませぬ。 この奥地まで突貫してきた以上、補給線は持ちませぬゆえ、見ているだけでようございます。 敵にかまって被害を出してはなりませぬ」
「……全軍に守りを固めさせよ。 敵の挑発に乗るではない」
「連白に告ぐ！」
いきなり、外から爆音のような声が轟いた。
龍剣のものだ。
思わず耳を塞いでしまった。
あんぐりと口を開けてしまう。
まあ聞いてはいた。
咆哮だけで天幕を吹っ飛ばした話は。
だが、それ以上だ今の声は。
これが人間の声か。
目配せをされる。
張陵が、其方を見ると頷いた。
兵士達はこのままでは、ただの怯えきった群衆と化し、殺戮されるだけになる。
韓新が訓練をしてくれた。
おかげで脱落者なく衛に逃げ込めた。
だがそれでもだ。
このままでは、兵が逃げ出しかねない。
そうなれば、一瞬で龍剣が簡庸になだれ込み。
簡庸が血の雨に濡れる可能性もある。
城門の上に出る。
龍剣がいた。
巨大な矛を振るうと、それだけでもの凄い音がする。石快も来た。石快も蒼白になっていた。
確かにあれでは、石快でも勝てない。
下手に挑んだら、一閃で殺される。
そう言っていたのも納得である。
「貴様、与えた領地から出てくるばかりか、好き勝手に簡庸を私物化しているらしいな！」
「……」
「答えよ！ 何故に我が命に逆らった！」
「貴方の命令が不平等だからだ、龍剣丞相」
正直すっ飛んで逃げたいくらいだったが。
それでもきちんと答える。
連白が龍剣に答えたのを見て、兵士達が少しだけ持ち直したようだった。
「龍剣丞相、貴方はあまりにも不平等な論功行賞で、身内の者だけに良い土地を与え、天下に大乱を引き起こしている。 貴方がこの大乱を引き起こした元凶なのだ」
「そうだそうだ！」
「連白様の言う通りだ！」
「黙れっ！」
龍剣の一喝に、ヤジを飛ばしていた兵士達が黙り込む。
中には気絶したものまでいるようだった。
いかん。
あれはヒトの形をした何か別の存在だ。
まともにやり合える相手では無い。
現時点で、あれを殺せる武器は存在しない。
もしもやるとしたら、万単位の兵を、死ぬのを覚悟の上でぶつけるしかない。そうして疲れ切らせれば。
或いは、殺せるかも知れない。
暗殺は論外だ。
あんな感覚が鋭そうな相手。
どれだけ酒を飲ませても、暗殺どころでは無いだろう。
「貴様をこれから敵と見なす！ 商で好きかってしている韓新もろとも、必ず首を上げてやるから覚悟しておけ！」
「龍剣丞相。 貴方は殺す事でしか解決できないのだな」
「それしか私は知らぬ！」
「そうか……分かった。 宣戦布告、受けて立とう」
それを聞いて、龍剣は意外そうにしたが。
不敵に笑うと、影と呼んでいる黒馬を翻させ、自慢の精鋭八千とともに引き返していった。
腰が抜けそうになるが、耐える。
兵士達は、あの龍剣と問答をしたと、連白を畏敬の目で見ている。
その畏敬を壊してはいけない。
ただでさえこの状況では、一瞬で兵士が訓練を受けた戦士から、ただの逃げ惑う群衆と化してしまう所だったのである。
まだ埃っぽい部屋に戻ると。
連白は、椅子に座り。
そして水、としか言えなかった。
水を兵士が持ってくる。
水を飲み干し。
やっと気付く。
腰が抜けていた。
立ち上がろうとするも出来なくて、苦笑いしてしまう。そうこうしている内に、急を聞いて駆けつけたらしい王遼が来る。
二万の兵を率いていたが。
正直な所、龍剣がもし攻撃を開始していたら、焼け石に水だっただろう。
張陵と王遼と、軽く話をしておく。
「これはまずい。 此方としては、とにかく龍剣との戦いは避けるしか無い」
「分かってはいたのですが、彼処まで無茶な行動を取るとは……」
「あの野郎、普通の行軍の何倍の速度で動いたのやら」
石快ですら青ざめている。
それはそうだろう。
三万の軍が八千に追い回されるというのも異常だが。
この助かったという感触。
間違いなく、戦ったら勝てなかったのだ。
韓新が言った通り、とにかく龍剣が来たら逃げるしか無い。中の国の全てを龍剣の敵にして。
それでやっと戦いが成立する。
腰が戻ったので、立ち上がると、一度戻る事にする。
衛は王遼に任せ。
龍剣は、三万の機動軍と供に、簡庸に戻る事とした。
清の幾つかの都市を制圧したが。
危うくその代償として、とんでも無い被害を出す所だった。
連白は、もう一度振り返る。
今、龍剣は周に怒濤のように戻っているのだろう。或いは明にだろうか。
あの八千は、ともかくどうにかしないと勝ち目がない。
龍剣が何人もいるようなものだ。
勝つための条件を指折りする。
龍剣の味方を一人もいない状態にする。
精鋭八千を龍剣から引き離す。
龍剣を徹底的に疲れさせる。
そしてその上で、物量作戦で仕留める。
何だか悪党の考えそうなことでげんなりしたが。
それでもやるしかないか。
屋敷に戻ると、酒を飲む。
力の差を痛感させられた。
苦い戦いだった。
簡庸に戻る。
商をあっと言う間に掌握した韓新の話で持ちきりになっているが。
龍剣が危うく連白を殺しかねない状況だったことも話題になっているようだった。
それはそうだろう。
宮殿に戻る。
そんな偉そうな規模の建物では無いが。
ともかく無事である事は見せなければならない。
姿を見せると、流曹が待っていた。
話を聞かせろと言うので、張陵に話をさせる。連白が話をするよりも、より理論的だと思うからだ。
張陵の話を聞き終えると。
流曹は大きくため息をついたのだった。
「あれだけ鍛え上げた精鋭が逃げるしかないというのは」
「兵はあくまで兵。 バケモノにはかなわないものなのです」
「それは確かに分かる。 だが獣狩りにしても、数名の専門家があたれば済む話ではないか」
「龍剣は生半可な獣では比較対象になりません。 噂に聞く龍と同等かそれ以上でしょう」
獣狩りを生業にしている人達でも。
龍の実物を見た者は殆どいない。
以前、連白は興味を持って話を集めてみたことがあるのだが。
実際に龍を狩ろうとした人間は数人しかおらず。
それも皆敗走していた。
いずれも優れた腕前の獣狩りだったのに。
虎を数え切れない程狩った者でも。
龍には手も足も出なかった。
その姿は人によって一定しておらず。
或いは巨大な蛇のようだったり。
足があったという証言があったりなかったり。
翼があったりなかったり。
空を飛んだり火を吐いたりと。
いずれ同じ存在だとは思えなかった。
古くには龍殺しの英雄の話は幾つもあるのだが。それら狩人に聞く限り、軍勢をつれていっても勝てるかは分からないと言う。
皆恐怖で、まともに相手も見る事が出来なかったのだな。
連白は話を集めたときに、そう結論するしかなかった。
「獣以上の実力を持ち、龍に匹敵する……か」
「恐らくは。 それ以上の可能性も」
「確かにこの世界には時々異常な強さの人間が出現する。 七国の時代にも、時々そういう者が現れたらしいが」
「龍剣はそれ以上とみるべきでしょう」
腕組みをする流曹。
こうなると、少し考え込む。そして考えが終わるまで、拘束される。
連白は慣れている。
だが破落戸の中には、こうやって考え始める流曹を見ると、逃げ出そうとする者もいる。昔は時々それがあった。
しばしして、流曹は言う。
「研究を進めるしかあるまい」
「研究？」
「龍剣は話に聞く限り、精神的には極めて不安定だと聞いている。 父である龍一が死んだ時は、怒りのあまり咆哮で天幕を吹き飛ばしたと聞いているし。 その龍一を殺した章監を、戦いでの話だからと許したとも言う。 独自の思想を持ち、それに沿って動いているのだろう」
「それは私も感じる。 龍剣の思考はどうも読めない」
連白の言葉に頷く流曹。
張陵は、だが恐ろしい事を言うのだった。
「ならば、何度か龍剣と戦って、その用兵のやり方などを掴まなければなりますまい」
「あの龍以上の化け物と！？」
「連白様」
黙り込む。
冷や汗が背中を流れる。
つまり連白がそれをやる、と言う事か。
速攻で逃げ出したいのだが。そうもこれは行かないだろう。
ぞっとする話だが。
連白が何度も龍剣を挑発しておびき出し。
死なないように戦い。
その戦い方を調べて。
誰か勝てる将軍に、そのやり口を知らせるしかない。
つまるところ多くの犠牲を出しながらも、決定的に負けない戦いをし続け。
龍剣の無敵の秘密を暴くか。
或いは隙を見つけるのだ。
じっと見られて、口をつぐむ。
連白はしばし硬直するしかなかったが。
やがて覚悟を決めた。
「分かった。 ただし作戦に参加する兵士には、その話をするように」
「決死隊を募るという事ですか」
「そうだ。 私だって怖いが、戦いで無意味に多くの兵を死なせる事になる。 龍剣を倒すのは殆ど瞬時に商を掌握した韓新が良いだろうが、逆に言うとその韓新を死なせてはならない」
流曹が頷く。
これから募兵した中から、龍剣に恨みを持つ者を募るという。
そして龍剣を倒すために、死んでほしいと話をするという。
酷い話だと連白は思うが。
はっきりいって他に攻略法が無い。
人間だったらどうにでもなる。
どんな人間でも隙がある。
英雄が暗殺された話なんていくらでもあるように。
人間であれば、殺す方法なんてそれこそ手段さえ選ばなければ。難しくはないのである。
問題は龍剣が明らかに人間を越えていることで。
その龍剣と。
手足となっている精鋭八千がいる限り。
例え百万の兵を集めても、多分倒す事は出来ない、と言う事だった。
すぐに準備を始めさせる。
韓新にも連絡を入れさせる。
韓新は、無表情に頷いたそうで。
これ以外に方法がない事は、何処かで悟っていたのかも知れない。
何しろあの龍剣だ。
正直、世界の全てが敵になってもまだ勝ちそうなのである。
央の黒い軍団を真正面から叩き潰した武勇は隔絶している。
韓新でも恐らく対処は難しいだろう。
連白は一人にしてほしいと言い。
張陵と流曹は引き下がった。
しばらく手を見ていた。
これから真っ赤に染まることになる。
どうしてこの時代に、龍剣が現れてしまったのか。
この世界に、血の雨を降らせたいのだろうか。
誰がだろう。
この世界はそもそもどうして閉ざされている。
東西南北、どちらにいっても最終的には霧が出て、その先には進めないと報告がある。
人間が不意に現れるほこらも、奥は風が強く吹いていて、どうあっても進む事は出来ないという。
何か強い作為的なものを感じる。
新しい事を始めたら、病を発して死ぬというのも含めてだ。
ひょっとしてだが。
この世界を作った何者かだかは。
延々と誰も進歩せず。
誰もが殺し合う事を望んでいるのではないのだろうか。
理由は分からない。
だが、あまりにも破壊的な龍剣という存在を見る限り。しかもそれが現れた時期を思う限り。
どうしても、その考えは捨てられないのである。
酒を飲みながら、考えを巡らせる。
戦う力を必要としなければ、食物さえいらない。
年老いる事も無ければ、外的要因がなければ死なない。
そんな人間達が暮らしている世界なのに。
この世界で生きていられる年月はとても短い。
獣に襲われる者も多いし。
それの何十倍も、人間によって殺される者が多いからだ。
一体何がどうして、こんな事になっているのか。
連白には、どれだけ考えても分からなかった。
商を制圧した韓新の所に、ふらりと章監が現れる。
既に実は一度会ったことがあったのだが。
今回も、非公式での会談である。
章監は木から削りだした仮面を被ってはいるが。何しろ央軍最後の名将であった人物である。
名前も知られているし。
声も知られている。
だから、出来るだけ喋る事はせずに行動したいようだった。
韓新は人払いすると。
屋敷の中で、章監と二人きりで話す。
章監はもはや武将として働くつもりはなく。
以降は影働きに徹するつもりのようだった。
「少しばかり鯨歩について調べてきました」
「ふむ、聞かせてほしい」
現時点で、龍剣にとっての最大生命線が宋の穀倉地帯である。
その宋には精鋭を率いて、龍剣の股肱の臣とも言える鯨歩が駐屯しているが。どうも昔からこの鯨歩と龍剣は不仲が噂されている。
大勢の前で鯨歩を叩きのめし。
それが理由だと言われているが。
どうもそれ以上の理由があるのでは無いかと韓新は思っている。
韓新は昔から、周囲の人間に対してあまり好意的な感情を抱いたことがない。
淡々と人間に接し。
それ故に薄気味悪がられてきた。
故に心も開かなかった。
韓新自身は、央が開設した学問所に毎日足を運び、古くから書かれた書物に悉く目を通し。
そんな書物を実際に試して。
使えるか使えないかを実験するような者だった。
そういう行動が、余計に周囲の反感を買い。
破落戸に絡まれるような結果も招いたが。
別に他人なんてどうでも良いので。
それこそ何を言おうと知った事では無かった。
逆に言うと。
だからこそ韓新は、人間を客観的に判断する事には長けている。
そんな韓新は他人を情報として知る事は好きだ。
他人を理解して供に生きようと言う気が無いのに。
他人を解析することは好きなのだから。
色々と業が深いのだろう。
「鯨歩は出身地の役人によると、どうやら元々獣狩りをしていた男で、戦いの技は其所で学んだようです」
「獣狩りか……」
獣はいずれもが人間を凌ぐ力を持つ。
故に倒すのには専門の技能を要求されるし、損耗率が高い。
獣狩りで食っていけている人間は。連白の配下にいる石快のように、豪傑と呼べる人間である事が多い。
毒や罠などの小手先の手は、殆どの獣に通じない。
故に獣は、特別な技能で狩るしかないのだ。
これは獣狩りに実際に参加した事がある韓新だから知っている事である。
虎などに至っては、特殊な知識がない限り、倒せる気がしない。
「ところが、鯨歩は獣狩りで得た肉や皮などを独り占めして、それを勝手に横流しして金に換えていたようでして。 それが央の法に引っ掛かったようですね」
「なるほど。 我欲が強い男だという事か」
「恐らくは。 今の時点で不満を口にしていないのは、恐らくは宋を任されているから、でしょう。 相応の野心があって、それに図らずも龍剣が答えたのが理由と言う事になるでしょうね」
「今でも龍剣のことは嫌っていると見て良さそうだな」
それは確実だと、章監は断言する。
何でも地元の役人の話によると、鯨歩はとても腕が良い獣狩りだったそうなのだが。
そのやり口は兎に角執念深く。
狙った獲物が何処に逃げようと必ず追い詰め。
そして殺したそうである。
時々獣が可哀想になるような陰湿な手口で狩をしていたらしく。
あれは獣より残虐だと、身内でも嫌われていたそうだ。
そんな男である。
部下の人望はないと見て良いだろう。
なるほど、それは良い情報を聞いた。
つけいる隙が見つかった、と言う事だ。
現時点では、山霊の言う事を龍剣は聞いている。
全てでは無いが、山霊に厳しく言われると、少なくとも控えることはしている様子だ。そうでなければ、もっと荒々しく荒れ狂っていただろう。
ちゃんと話を聞いていれば、こんな大乱にはなっていなかっただろうに。
その辺りは、色々とややこしい奴である。
章監が屋敷を去ると。
今度は代わりに法悦が来る。
法悦はいかにも破落戸の大親分という風貌で。
見かけ通りの性格をしているので分かりやすい。
金と土地がほしくてたまらない、という人間だ。
此奴に大きな土地を与えれば、圧政を敷くのは確定で。
現在は各地で遊撃戦をしているから役立っているだけであって。それが終わり、天下が定まったら消さなければならない。
冷静に韓新はそう考えていた。
「おう、韓新将軍。 見事な手際だな」
「法悦将軍は、周での戦闘が思わしくないのですか」
「いや、今彼方此方で龍剣の補給所を襲って回っている所だ。 まともにやりあったら絶対に勝てないからな。 俺も部下も身を隠しながら、だが」
此奴が来たという事は。
何かしらの目的があると言う事だ。
続きを促すと。
法悦は咳払いした。
「周に侵攻してほしい」
「別にかまわないが、周に侵攻すると恐らくは龍剣が出てくる」
「韓新将軍の手際でどうにか出来ないだろうか」
「難しい」
そういって、書状を見せる。
連白から届いた書状だ。
少し前に、連白が清に侵攻。その際、電撃的に襲来した龍剣に殺されかける事件があったのだ。
兵は味方が四倍もいたのに。
その後に方針を決め。
龍剣を殺すためには、龍剣の戦い方などを負けながら学ぶしかないという結論になったそうである。
韓新も同感だ。
龍剣については、その怪物じみた武勇が此方に情報として流れてくるばかりで。
具体的にどうやって勝っているのかがわからない。
実際には二度、龍剣が参加した会戦に出たことがあるのだが。
その際にも、龍剣が敵を爆砕していくのを、呆然とみているしかなかった。
確かに連白の書状の通りである。
「現時点ではまだ龍剣とやりあうには早い」
「ならば、せめて周を攪乱して貰えないだろうか。 城塞が多数ある周は、龍剣のような城攻めが向いていない相手には絶好の戦場だと思うが」
「連戦しながら龍剣を引っかき回せと言う事か」
「そうだ。 此方も手下を確保しながら転戦するのが厳しくてな。 韓新将軍が支援してくれればかなり楽になる」
こいつには、あまり力をつけさせない方が良い。
それが韓新の結論だ。
此奴は文字通り、本物の悪党。
こんな悪党をしっかり味方につけて、制御している連白には頭が下がるばかりだが。
それもどこまで上手く行くかどうか。
いずれにしても、確かに周に戦線を広げる事には意味がある。
韓新は頷いていた。
「分かった。 周王からの支援要請も来ている。 もう少し兵が集まり次第、周に侵攻する」
「助かる」
「では、武運を祈る」
いつの間にか、法悦は姿を消す。
流石は本職。大したものだ。
後は書類仕事をする。夜中になってから、商王が訪ねてきた。側近も伴っている。
韓新の軍をひたすらに褒める。
どうでも良いので聞き流していると、やがて随分脱線した後に本題に入った。
「此処は危険だと思うのだ。 其所で簡庸に移れるように、連白大将軍に話をつけてくれないだろうか」
「それは小官の権限では出来ません」
「そこを何とか」
「貴方は商王でしょう。 兵士達が踏ん張って此処を守れるのも、王である貴方が腰を据えているからです。 命が惜しいのは誰もが同じであることをご理解ください」
多少厳しい口調になったが。
泣きそうな顔の商王をそうやって追い返す。
溜息が漏れた。
どいつもこいつも。
韓新は緻密な戦略を頭の中で練り続けながら。
どうしようも無いクズ共が世の中には多いなと、内心で吐き捨てていた。
４、決死隊
連白が二万の軍勢をつれて、衛を出る。
衛に関しては、簡庸の民にも協力して貰って、強力な要塞を。それこそ央の時代よりも更に強大な要塞をしあげている。
衛を死守している王遼の正体に、民は勘付いていない。
まあそれもそうだろう。
皇帝だった期間はごく短かったし。
そもそも正式な即位式の類もやっていなかったそうなのだから。
歴史というものの観点で言えば。隼快という存在は、央の腐敗を担っていた連中を消すために出現し。
それを終えたら消えたとも言える。
今いるのは、そんな歴史的意義から外れた残骸とも言える。
だが王遼は生きているし。
彼女はむしろ、皇帝よりもこういった実務で要所を守る方が向いているようにさえ思えるのだった。
王遼は連れて行く訳にはいかない。
この衛を守るために絶対に必須だからだ。
連白と一緒にいるのは、皆龍剣に強い恨みを持つ兵ばかり。
無意味に家族を殺されたり。
或いは理不尽に仲間を殺されたり。
そういう者ばかりだ。
連白自身は、別に龍剣を恨んではいない。
ただ、残念だが。
龍剣は、この世にいてはいけない。
そう考えるだけだ。
出陣して数日で、また清の領土を削る。
清王は三万ほどの兵を率いて迎撃してきたが、はっきりいって韓新が鍛えた兵の敵ではない。
可先が率いる先鋒が、敵を蹴散らすまで殆ど時間も掛からない。
連白は、見ているだけで良かった。
兵の数だけなら敵の方が多かった。
だが装備。
練度。
何より指揮系統が行き届いているか。
これらの全てを総合すると、此方の方が圧倒的に勝っていた。
それだけだ。
蹴散らした敵部隊を個別に殲滅し、降伏は許す。
清王の居場所を聞くが。
兵を率いていた将軍は、清王は居場所を毎日変えているというだけで、それ以上は知らなかった。
恐らくは本当なのだろう。
今龍剣が、清王と戦っているのだから。
しばらく兵を進めて、幾つかの城を落とす。
伝令が飛んでくる。
「龍剣軍およそ八千、此方に向かってきます！」
「来たか……」
すぐに街を離れる。
龍剣のことだ。
もしも連白に協力していた、等と知ったら。街の住民を、それこそ根こそぎにしかねないのである。
理屈なんて通用する相手じゃない。
それが分かっているから、連白は街を拠点にしない。
平原に布陣。
今度は逃げない事を知ったか。
龍剣は、そのまま突っ込んできた。
可先には伝えてある。
負けを悟ったら、さっさと逃げるようにと。
他の兵士達も同じ。
ともかく龍剣がどう戦うかだけ見ろ。それを見届けたら逃げろと。
黒い馬。影と言うそうだが。
影に跨がった龍剣が、雄叫びを上げながら突貫してくる。
それだけで、凄まじい圧迫感がある。
逃げ出したくなるところを必死に堪え。
ともかく、龍剣の怒濤の猛攻を防ぐ。
前衛が文字通り消し飛ぶ。
龍剣率いる八千の兵は、龍剣と一心同体のように見える。凄まじい巨大な獣が荒れ狂っているかのようだ。
被害が大きくなってくる。
韓新が鍛えた精鋭でもこれか。じっと戦況を見ていたが、やがて頃合いだと判断。
逃げろと、指示を飛ばした。
撤退では無く逃げろ、である。
この指示を飛ばした場合、それぞれの兵がわっと散って好き勝手に逃げる。最終的には衛に逃げ込む。
連白は戦車に乗っている。二頭立てで、引いている馬はどっちもかなりの良馬なのだが。それでも追いつかれそうで冷や冷やする。
同じ戦車には、張陵も乗っていて。
ずっと龍剣の動きを見ていた。
散々に打ち破られて、翌々日に衛に到着。
衛は防備を固めていて、逃げ帰ってきた兵士達のために準備もしていた。手当を始めてくれる王遼。
手際が兎に角良い。
連白自身は、矢がちょっと擦ったくらいで、大した怪我はしていない。
張陵も無事だ。
可先の帰りが遅いので少し心配したが。
やがて、生き残りの兵をまとめて戻って来た。
龍剣は追ってこない。
勝って満足したのだろう。
二万の内五千が討ち取られた。
韓新が鍛えてくれて。しかも、死ぬ事を良しとした兵ばかりだった。
大きな損失に胸が痛む。
損害を確認した後。連白は張陵に話を聞く。
「どうだ、敵の動きは解析できそうか」
「いえ、現状は何とも。 見ている限りは、龍剣は本能に従って、一番強い場所にあえてぶつかっているように思えましたが……」
「韓新に何でも良いから全ての気付いた点を送ってくれ。 兵士達にも聴取して、話をまとめておいてほしい」
指示だけ出すと、連白は自室で女性の兵士に手当をさせる。
そういえば性別が何故あるのかさえもよく分からない。
本当にこの世界は何なのだろう。
大した怪我でもないのだ。
すぐに手当は終わる。
服を着直すと、皆の所に出る。
連白が無事である事を見せなければならないからだ。
今後、何度もこうやって龍剣に負けて、奴を知らなければならないだろう。
その度に大勢の兵士が死ぬ。
憂鬱だが、やるしかない。
主戦場は清になる。連白にとっては庭のような場所だ。一番生きて帰る可能性が高いから、当然の話でもあった。
まだ戦いは続く。
これからが本番だとさえ言っても良かった。
（続）
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