静と動の終わり

 

序、静かな進軍

 

唐王につけられた、唐出身の案内役に従って、連白は虎川を渡る。

中の世界の南を流れるこの大河は、実の所源流がよく分かっていないらしい。

央の山奥ではないかと言われているのだが。

こんな話が出てくると言う事は、例の霧の向こうなのだろう。

おかしな話だ。

霧の向こうには海があるという話もあるし。

こうして山がまだ続いているのでは無いかと言う話もある。

結局の所、この病んだ閉ざされた世界は当面何も変わらない。

それだけは、連白にも分かるのだった。

さて、四万に増えた軍勢を率いて、ある程度の所で虎川を降りる。

後は進軍だ。

船は何度かに分けて往復して兵を運んだ。

この船は旧唐が使っていた足が速いもので。

「唐蛮」と呼ばれ忌み嫌われた略奪部隊が、この快速を利用して暴れ回ったものなのである。

とはいっても、あくまで「比較」にすぎない。

この世界では新しいものを作ると病に罹る。

新しいことを始めると病になる。

この唐式の船も、作る時に病で死ぬ者が出たのだろう。

そしてそれを後継者は怖れ。

それ以上の改善をしなかった。

皮肉な話だ。

命を惜しまず色々なものを作り出した央が、今滅びようとしているのは。

央で命を惜しまず新しく作り出されたものは、後の世に残さなければならないだろう。それは感じる。

だが一方で。

央という国は、もう駄目だとも思う。

山道に分け入る。

此処からは過酷な山道だ。

唐時代。

この先には、唐も略奪に入る事は無かったらしい。央軍の本拠があるし、何よりこの深い山である。

獣が出るのだ。

噂によると龍も出る。

獣の中でも最強。

虎を歯牙にも掛けない最強の存在。

いる事はいるらしいのだが、実物は見た事がない。

話によると、霧に近付くと遭遇率が上がるとかで。石快も、その話は聞いたことがあると言っていた。

専門家がそういうのだ。

間違いないのだろう。

山を黙々と行く。

それにしても峻険という言葉をそのまま形にしたような山地だ。

こんな所を攻め上がるのかと思うと、ぞっとしないが。

それでもいくしかない。

途中、小さな出城を見つける。

だが、攻めるのでは無く、降伏勧告の使者を送った。

「もはや央は全てを敵に回している。 降伏すれば罪には問わない」

内容はそれだけ。

ただ張陵が、美麗な字で文にしてくれた。

教養がある奴は違うな。

字を見て、連白はただただ感心。

使者を送った。

三日ほど、揉めたようだが。

なんと、そのまま前線基地は扉を開いた。すぐに石快が精鋭を率いて踏み込むが。内部に罠が仕込まれていたようなこともない。

二百ほどの兵しかいなかったとはいえ、降伏の判断が早い。

気になったので、砦の守将に聞いてみる。

そうすると、意外な事を言われた。

「今、央では内部が腐敗しきっておりまして、もはや自壊する寸前にございまする」

「章監のような優れた人材はいるではないか」

「そういった人材は遠ざけられ、こびへつらう事だけが上手い者だけが出世するようになっております。 章監将軍も、下手に手柄を立てたことで忌み嫌われているようにございまする」

「何たる事か……」

連白は呻く。

章監が龍一を討ち取ったと聞いた時は驚いた。

援軍無く籠城するのは自殺行為だ。

だが章監は見事に龍一を討ち取って見せた。龍一は事実上対央の中心人物。置物である唐王ではなく、軍を率いていた総司令官に等しい。

本来だったら、大出世が確約される状態だろうに。

法はどうなった。

人間の気分次第で国が治められているからこうなっている。

それが連白には何となく分かる。

溜息が漏れる。

「そなた達はどうしたい」

「出来れば味方と戦う事だけはご遠慮願いたく」

「分かった。 後方で待機せよ」

そのまま、後方にいる唐王の所に捕虜として送る。

貴重な情報提供者であること、丁重に扱うことをあえて手紙に書き。

護衛までつけて後方に遅らせた。

どうせ長い山道だ。

護衛が戻ってくるまでに、次の砦はおちまい。

連白はそもそも龍剣に勝とうなどと思っていない。

囮になれればいいと思っている。

龍剣は英雄だ。

見ていて分かったが、あの凄まじい武勇は文字通り人間を超越している。ああいう者が、天下に覇を唱えれば良い。

連白は守れる範囲の人々を守れればそれでいい。

砦を前線基地に改造させながら、堅実に前に進む。斥候が、また砦があると知らせてきた。

敵もそのうち機動軍を出してくるだろう。

出来るだけそれと接触するまでの被害は避けたいところだ。

そのまま進軍して、砦を囲む。

また、攻撃前に降伏勧告を出す。当然、期日はつけるが。

四万の軍勢は、張陵がきちんと訓練してくれていたおかげで、山中でもそれなりに早く展開出来る。

それだけではない。

降伏した人間に寛大に接する事で、彼らはどんどん連白に教えてくれる。

山で歩くコツ。

この辺りで気を付けるべき地形。

それらについては斥候を出して事前に確認し。

確認してから、どんどん連白は軍に取り入れる。

そうすることで、連白の軍はどんどん強くなるのである。

降伏勧告を受けてくれたので、砦の兵は許す。

主将に関しては、護送して後方に送る。兵士達も情報を聞き出してから、一度は送る。入れ替わりに、唐軍の留守居部隊が来る。

留守居部隊とは言うが、実体は手足を失っていたり、戦の適性がどうしても足りないような兵士を集めた部隊が。同数だけ送られてくる。

どうも龍剣の方では、捕虜をそのまま連れ回しているらしく。

こういう処置を執っている様子だ。

ただ、それでもだ。

不思議な事に、前よりも動きが良くなっている。

なんでだろうと思ったのだが。留守居部隊の中に、韓新という将軍がいて。その将軍が黙々と兵士を鍛えているから、だそうだ。

厳しい山霊とはまた違う方法で鍛えているらしく。

兵士は最初から組織的な戦い方を身につけて連白の軍に合流してくる。

これは有り難い話であった。

ただ、どうも評判は悪いようである。

「韓新ですか……」

「石快、情報を持っているようだな。 教えてくれ」

「へい。 韓新という男、どうも破落戸の仲間内では馬鹿にされている奴でして」

「くわしく」

別に破落戸の間で馬鹿にされていたからといって、無能と言うわけでは無い。

破落戸に嫌われていたからといって、無能とは限らない。

今も故郷を任せている流曹だって、けっして石快達とは最初から仲が良かった訳では無いし。

連白だって最初から好きだった訳では無い。

今では仲良くせいと言い聞かせているし。

石快も個人的に話をして認めてはいるが。

人なんて、実際に会ってみないと分からないと連白は思っている。

「どうも故郷では腑抜けの韓新と笑われていたらしいですぜ」

「何故にそのような事になった」

「それがどうも、故郷で破落戸に絡まれたとき、帯剣しているにもかかわらず。 股の下をくぐったら許してやるという言葉を真に受けて、普通に股の下をくぐったそうなんですよ」

そう聞いて、連白は小首をかしげる。

これだけ見事に兵士を鍛えてくる将軍だ。

一体どうしてそんな事になったのか。

「また、殆ど働く事もせずに、子を失った一人暮らしの老婆の所に厄介になって。 そこでずっと寝て過ごしていたとか」

「ふーむ、その割りには見事な訓練じゃないか」

「確かにそうではあるんですが」

「興味が出て来た。 いずれ会おう」

進軍する。

途中にある要所の砦には、対処していかなければならない。

だが、共通して戦意が無い。

最前線である。

兵が来ている事も伝わっている筈である。

それなのに、敵が得意の山岳戦を挑んでくる様子も無い。

砦から打って出てくることもない。

一種の遅滞戦術ではないかと進言する部下もいたが、連白にはそうだとは思えなかった。

降伏した兵が言ったとおり、央の中枢部が腐りきっているのは本当では無いのか。

実際三万くらいの兵を章監が率いてこっちに来たら、連白だと手に負えない可能性が高い。

そして央の軍には章監しかいないわけでもあるまい。

央軍の機動軍は十二万と聞いている。

先の戦いでかなりの損害を出したが、二万や三万の機動軍を再編成して出撃させるのは不可能ではないはずだ。

それをやってこないと言うことは。

降伏した兵士の言葉は本当だという可能性が高い。

張陵に相談してみるが。

意見も一致していた。

先へ進む。

途中、戦車であくびをしているのを見られない方が良いと張陵に言われて。頷いて、盾を戦車の左右に立てた。

盾といっても置くものと持つものがあるが。

持つ盾よりも、戦車に置いて、装甲を強くするものが人気である。

今乗っているのは、山道になれた馬二頭で引いている戦車だが。

それでもこれであくびをしていても兵士達には気付かれまい。

次の砦に遭遇。囲ませる。

降伏勧告を出したが、今度は降参しなかった。

仕方が無い。攻め立てる。

そして四日ほどを掛けて落としたが。逆らったからといって、別に敵を皆殺しにしたりはしない。

戦況が決したら、降伏を呼びかける。

降伏してきた兵士達に話を聞く。

そうやって情報を集めながら、どんどん央の。旧秦の奥地へと踏み込んでいく。

連白は気楽だ。

別に龍剣に勝とうとは思っていないからだ。

央の中枢に、山岳地帯をつっきって一軍が来ている事を大々的に見せびらかせばいいのである。

それだけで敵の兵力をかなり分散させることが出来る。

また、今まで抑えた砦は、がっちり固めてある。

敵の機動軍が来ても、ある程度対応は可能だし。

何よりも、最悪の場合籠城戦に移行だって出来る。

悠々と進んでいく連白の様子を見て。

兵士達も落ち着いている。

だが、腑抜けられても困る。

時々石快が活を入れて回るが。

あまりやり過ぎないようにと、石快には何度も釘を刺した。元々荒くれなのだ。逆らう相手には、やり過ぎてしまう男なのである。

だから入念に釘を刺さなければならない。

まあ、元が破落戸でも。

今は一軍の将。

その自覚を持ってほしい、という意味でも話をするのではあるが。

軍を進めながら、時々将軍達を集めて話をする。

細かい事でも何でも良いから話してくれと、皆に言う。

相手が酒が好きなら酒をいれるし。

素面の方がいいなら素面で話す。

可先は今のところ、軍を率いていて不満は無いと言う。

まだまだ可先は充分に兵を率いる事が出来ている。

将としての器量によって、率いる事が出来る兵には露骨な限界が出来るらしいのだけれども。

可先は四万程度なら、問題なく率いる事が出来るようだった。

赤彰は副将として可先を立派に支えているし。

路湾も問題なく行軍に参加出来ている。

翼船は将に昇格させたが。

特に何の問題も起こしていない。荒々しい将が目立つこの軍の中では、むしろ良識派として期待されているようだった。

進軍しながら、砦や出城を次々に落としていく。

そのうち二割ほどが抵抗したが。

残りは囲んでから降伏勧告を出せば、ほぼ無血開城してくれた。

中には、どうしてこの城が囲まれるのか分からない、という様子の砦もあった。

央の中枢部は、想像以上に平和ボケしている。

この峻険な山岳地帯を、無理矢理北上してくるとは思っていなかったのだろう。

昔だったら違ったはずだ。

大量にある出城を使い、山岳戦になれた機動軍が迎撃を仕掛けて来ただろう。

現に唐が滅ぼされたときも。そんな感じで機動軍がわらわらと出て来て虎川に展開し、猛烈な勢いで駆け下ってきたという話である。

この方面は、本来だったら、ガチガチに固められたら攻めるのは不可能だったのだ。

それなのにこうも簡単に攻めることが出来ると言うことは。

想像以上に、央は駄目になっているな。

そう結論せざるを得なかった。

央の中枢部は、人がたくさんいる。

民として暮らし、たくさんの畑があって、卑もそこで大量に作られ蓄えられていると聞く。

降伏した兵士にそう言った話は聞く。

特に簡庸の周辺の穀倉地帯は規模が段違いで。清からむしり取った穀倉地帯の倍ほども規模があるという。

そう言った場所を守るための盾として、この辺りは大事なはずなのに。

こうもやる気がないというのは、問題が過ぎるのではあるまいか。

ゆっくり、締め上げるように北上を続けていく。

やがて、比較的大きな城が姿を見せる。

譜、というらしい。

二千ほどの兵が常駐しているらしく、周囲に出城が幾つもある。これら出城と連携して守りを固めている、比較的本格的な要塞だ。

すぐに周辺の出城から抑え。

城を囲む。

出城に降伏勧告を出し。

本城にも同じく。

だが、全てを蹴られた。

恐らく、初めての本格的な抵抗だと見て良いだろう。

連白も頭が花畑じゃない。

戦うためにここに来ている。

そもそも、央の機動部隊主力が来ることすら想定していたのである。

だから別に、今更人を殺すことに対して、抵抗があるわけでは無かった。

攻めを開始させる。

出城に展開した兵も含めれば三千ほどだが。

よく考えられて、相互連携出来るように城と出城が作られている。

道も狭く、一気に兵を送り込む事が出来ない。

城攻めの指揮を執りながら、側に控えている張陵に聞く。

「此処の将は、味方に出来ないだろうか」

「……厳しいかも知れませんね」

「央にも忠臣はいるということか」

「そうです。 不遇であっても忠義を尽くす者はいるということです。 兵士の戦意が高い事からいっても、慕われてもいるのでしょう」

そんな将がいるなら抜擢すればいいのに。

そして兵を任せれば、此処まで連白に好きかって領土を荒らされることもなかっただろうに。

とにかく、捕まえた後に話を聞きたいが。

今は戦だ。

生きて捕まえられるかも分からない。

出城の一つを落とすが、思わぬ反撃を受けて石快が囲まれる。可先が援軍を出して石快を救い出すが。

出城は一つや二つ放棄しても良い前提で敵は動いている。

つくづく惜しい。

腐敗しきっている国に忠義なんか尽くす必要はないだろうに。

攻め立て続けさせる。

味方の損害もそれなりに出るが。

敵が援軍を寄越す様子は無い。

やがて譜は墜ちる。一月に達する城攻めだったが。時間を取られたとは感じない。

むしろ、最後まで降伏に応じず、央に殉じた敵将を惜しいとだけ、連白は思うのだった。

 

1、無敵でも不敗でもなく

 

央の機動軍が出て来たのは、二ヶ月以上進軍した頃である。いわゆる黒い軍団の到来に味方は慌てた様子だったが。

しかしながら、連白が最前線で平然としていること。

更に、もはや山岳地帯は此方も勝手を知っている事。

何よりも、こんな所で戦車は使えない事。

それら要因が重なって、別に敵は怖れるに値しないと兵士達も肌で感じたのだろう。最初の畏れは、凪のように静まっていった。

敵の機動軍は一万ほどだが。

率いている将は、それほど優秀では無い様子だ。

軽く戦って見るが、前のような手応えは無い。

良く訓練されている軍。

それ以上でも、以下でもなかった。

軽く戦い、数にものを言わせて押していく。

程なく対応仕切れないと判断したか、そのまま敵は引き始め。少し大きめの城に逃げ込んだ。

央から降伏した兵士達によると。

此処が函谷関。

関というのは、山間に作った関所の事をいい。

多くの場合は、関そのものではなくて、周囲の軍事施設もあわせて要塞化する。

関だけが巨大要塞なのでは無く。

山間部そのものが丸ごと要塞になっているものなのである。

手をかざして石快が見ていたが、これはまずいと言う。

敵の兵士は先の機動軍に合わせて恐らく二万前後。力尽くで攻めるのはかなり厳しいという事だった。

張陵に聞いた。

弱点でも分かっていない限り、城を無理に攻めても犠牲が出るだけだという。

確かにそれは、今までの城攻めで感じた。

兵力差が十倍あっても、猛烈に抵抗を続けた城だって存在していた。

央の将軍は腑抜けばかりと思っていたが。

本当は、骨のある人物は僻地に飛ばされるか。

出世を見送られて臍を噛んでいたのではないのだろうか。

此処は流石に敵も兵を入れて固めている様子だが。

いずれにしても、腰を据えて掛かるしかない。

張陵に意見を聞くと。

まずは、兵士を誇大に見せるように、と言う事だった。

「敵の兵士の戦意は今までの戦いを見ても分かるように極めて低いのが実情です。 それを利用していきます」

「ふむ、それで」

「まず夜陰に乗じて陣を空にし、後方から兵士達を再進撃させ、また陣を建てさせます」

開いた陣にはカカシを入れ、兵士達を時々入れて動かさせるという。

遠目だと、それで充分だとか。

勿論最前衛の陣でそれはやらない。

続々と増援が駆けつけているように見せる、と言う事だ。

事実、降伏した兵を後方に送っている内に。韓新が鍛えた兵が加わって、連白の軍の規模は四万五千まで拡大している。このまま五万まで行くのでは無いかとも思う。

また、央に愛想を尽かして、連白に降る兵も出て来ている。

そういうものも含めて、どんどん兵は拡大する一方だ。

敵もやる気が無いとは言え、斥候は出しているはずで。

それくらいは分かっているだろう。

だから、どんどん増援が来ていると見ても、不思議には感じないはずだ。

「なるほど。 良いだろう、早速やってくれ」

「やれやれ、出費が……」

「可先将軍、金で命を落とす兵が減らせるなら、金は掛けよう」

「その通りではあります。 分かりました、作戦に従いましょう」

連白の言葉には、可先のようなどちらかというと熟練の軍人肌の人間も耳を傾けてくれる。

そのままどんどん援軍が来ているように敵に見せつけつつ。

降伏勧告を送る。

相手側に反応はない。

だが、敵陣を脱走してくる兵が、少しずつ出始めた。

どれだけ敵にやる気がないのか。

このことだけでも明らかだった。

即座に元々の味方と戦わせるのは好ましい事では無い。それに、味方の中に混ぜておいたら、破壊活動をするかも知れない。

だから話を聞いて、後方に捕虜として送る事になる。

話を聞いてみると、もう何もかもが駄目なのだという。

「函谷関にいる将は、別に優れているわけでもなんでもありません。 単に皇帝陛下の機嫌を損ねて、左遷されただけです」

「重要拠点に左遷?」

「はい。 信じがたい話なのですが……」

皆と顔を見合わせる。

そもそもだ。

前線や重要拠点には、信頼性が高い将を置くのが当たり前である。

何でそのような事になっているのか。

兵士に聞くと、項垂れる。

国の恥だと先に言ってから、教えてくれた。

「今、央で権力の中枢にいる将軍達は、誰も彼も昏帝のご機嫌を伺って、地位を保全することしか考えておりません。 そのためには、宮中にいる方が好ましいのです」

「国が機能していないではないか」

「既に央の法は過去の存在です。 今、央は法があるのにそれを使いこなせておりません」

「……分かった。 下がってくれ。 流石にすぐに君を信頼するわけにはいかないから、一旦後方で捕虜となっていて欲しい」

兵士はそれで充分というと、後方に連行されていった。

連日、脱走兵は増え。

その中の半数以上が、自発的に投降してきた。

既に央軍の士気が壊滅的であり。

将は一切信頼されておらず。

何よりも、誰もが未来があると思っていないのは確実だった。

やれやれと、連白は頭を掻く。

これでは絶望しかなかったという七国の時代の再来では無いか。まさかそれを終わらせた央の内部がそうなるなんて。

何度か溜息をついた後。

斥候を更に放って、敵の様子を探らせ。

また敵の脱走兵は、出来るだけ捕らえさせた。

そのまま逃げられると山賊になりかねない。

央軍の訓練を受けた山賊なんて、想像をするのも嫌な相手だ。

組織化する前に捕まえておいて、可能な限り後々の被害を減らす。

そう説明すると、石快はすぐに飛んでいったし。

張陵は頷いてくれた。

「石快どのは元々破落戸の親分格。 やはりこう言う任務は得意と言う事でしょう」

「というかそも私がそうなんだけどな」

「これは失礼いたしました」

「いや、良いんだ。 正論を嫌がるようではおしまいだからな。 思った事は言ってくれていい。 まあ流石に主観だけの言葉やただの悪口は困るが」

まだこの様子なら、攻めなくても良いだろう。

着実に味方が増えていくように見せつつ、敵関に圧迫を掛けていく。

敵に援軍が来る様子は無い。

此処を落とせば、央の中枢部には後要塞が二つか三つと聞いている。

央の北部。

今龍剣が攻めている辺りは、凄まじい要塞地帯になっているらしいが。

この山と、大量の砦があったからか。

この南側は、思ったよりも手薄であったらしい。

否、違うか。

本来だったら鉄壁の要塞だったのに。

央が手薄なハリボテに、自らしてしまったのだ。

央の武帝は、好きか嫌いかは別として、七国の時代を終わらせた英傑であった事は間違いない。

それについては連白も認める。

誰でも認めるだろう。

あの龍剣でさえ認めるはずだ。

しかしながら、その後継者達は。

翌日になると、敵の将軍格が降伏してきた。

しかも千の兵を連れている。

皆、黒い鎧を着ていた。

要するに、央自慢の精鋭、黒い軍団からも降伏する者が出始めた、という事である。

勿論偽装降伏である可能性もある。

石快に側に控えて貰い、話を聞く事にする。

「章監が前線への兵の補充を上奏したが、無視された!?」

「はい。 皇帝陛下曰く、面倒くさいとの事でして……」

「面倒!? 国家の一大事であろう」

「それが、要塞地帯で敵が勝手に疲弊するはずだから、撤退する背中を討てば勝てると」

思わずくらっと来た。

連白も別に頭が良い方では無いが。

今の央帝が昏帝とまで呼ばれている事は知っていたが。

其所までとは思わなかった。

公主が必死に取りなして、三万の軍を動かせるようにはしたらしいが。それもたった三万。

あの章監が、全軍の指揮権を握っていたらこっちはどうなっていたか分からない。

央軍の機動部隊は十二万と聞く。

例えば龍剣は守りを固めて対応しつつ、此方に大軍を向けてきたら。各個撃破されていた可能性が高い。

三万では、凄まじい勢いで攻めこんでいる龍剣に対応するのが精一杯。それも対応仕切れないだろう。

不憫だ。

いたましい。

頭を振ると、降伏してきた将は涙を拭う。

降伏して来た相手に、手を掛けるつもりは無い。

「分かった。 悪いようにはしない。 後方で捕虜として待機していてほしい」

「ははっ……」

「それにしても災難であったな」

「せめて公主様が無事でいられることを祈るばかりにございます」

一応法に沿って昏帝も子をほこらから得たことは聞いている。

だがそれも失敗だったかも知れないと言う。

将来有望な人物を、国家の要職に就けるべく。央ではほこらから新しく現れる人に対して、教育する仕組みをとっている。

特に優れたものは、皇帝の跡継ぎ候補として、英才教育を受けるという。

この法だけは生きている。

そこで、昏帝と名高い胡全の娘には、非常に優秀な子である隼快がついたそうなのであるが。

この隼快。

親の何十倍も出来るらしくて。

その結果、疎まれているそうだ。

央の中枢で好き勝手している盆暗共には、皇帝が昏帝である方が好ましい。甘い汁を吸えるのだから。

寄生虫である。

国を動かしている自覚もない。

いずれにしても、その公主が権力を握ると此方は勝ち目がなくなる。

元々七国の時代から、央は国力が最強だった。

現在央の実質支配地域は、旧央全域に加えて、清の西半分という所だが。

ここは大量の人間を養える穀倉地帯が拡がっていて。

現時点でも、国が腐っているのをどうにかすれば圧倒的大軍を繰り出してくることが確定である。

七国の時代には、央は二十万を超える機動軍を動員したこともあると言う。

これは「号して」ではない。

実数だ。

しかも、それで国力を消耗した様子も無い。

央とは本来それほどに危険な相手なのである。

将と兵士達を後方に下げた後、張陵と相談する。

「さて困ったな。 央の公主を慕う将軍達はいる。 それも心ある将軍ばかりがその様子だ。 それでいながら、央をその公主がまとめてしまうとどうしようも無くなる」

「今の時点では、殺すしかありますまい」

「……そうだな」

「それと、そろそろ函谷関は攻め時かと思います」

頷く。

あの将軍は、相当に鬱屈が溜まっていた様子だ。

思うに章監のような立場の将軍は、央に他にもいたのだろう。

全盛期の央軍が相手だったら、流石に龍剣ですら危なかったのでは無いのか。そうとさえ思えてくる。

張陵が一計を案じてくれると言うので、それに任せる。

連白の強みは、人が周囲に集まってくること。

そして、その人の話を聞くことが出来ること。

本当か嘘かはすぐに分かる。

そういうものだ。

考えている事も何となく分かる。

これも、そういうものだ。

連白ははっきりいって武芸が出来る訳では無いし、軍を率いて強いと言う訳でもないのだから。

この強みを生かして。

厳しい世界を生きていくしかないのだった。

 

函谷関に出した使者は、矢文という形である。

矢に竹簡をくくりつけて飛ばす。

敵陣まで飛ばすのは難しく無い。

そして、連日脱走者が出ているような敵城である。

もはや規律も何もあったものではない。

法による規律で最強になった央軍の末路がこれだと思うと、本当に情けない限りであるのだが。

それもまた。仕方が無い事なのだろう。

様子を見るが。

案の定、函谷関は大混乱に陥っている様子だった。

降伏する者がどんどん出てくるようになった。

夜中に、城門が開けられ。

其所からどっと兵士が出てくる。千や二千じゃない。

其所を無理攻めはしない。

逃げてくる兵士達を次々に迎え入れ、武装解除させる。そして、その兵士達に、矢文を書かせた。

殺されない。

待遇も保証してくれる。

こっちに来い。

それだけを書かせ、矢文を射らせる。

まともな将軍が率いていて。

兵士達がきちんと統率されていたら、こんな事にはならなかっただろう。だが、そうではなかった。

三日後。

もはやスカスカになった敵陣に、連白は総攻撃を開始。

残った敵兵は右往左往するばかり。

兵が迫ると武器を捨てて投降するもの。右往左往する内に討たれてしまうもの。

前に攻めた小さな出城の方が、余程手応えがあった。

関周辺の防衛設備はあらかた制圧。

高所を取って、其所から油壺を放り込み。矢をどんどん叩き込んでいく。こうなると、もはやどうしようも無い。

正面から攻城兵器を突貫させる。

これも、山道を苦労して運んできたのだ。部品だけを馬に引かせて。そして組み立てた。実は使うのは此処が初めてである。

他はそもそも、攻城兵器を使う必要もなく落ちたからだ。

城門は混乱しているようだったが。

衝車が取りつくと、もう抵抗はやんだ。

衝車が城門をぶち破ると、算を乱した兵士達が関を放棄して逃げ出す。

溜息が漏れた。

此処が音に聞こえた央の関門なのか。

龍剣が来ていたら、或いは章監が此方に出張ってきていたのだろうか。

いずれにしても、辺境を軽んじる国家に未来は無い。

それを良く理解する事が出来た。

算を乱して逃げた兵士の内、央に逃げたものは放っておく。あれは敗残兵として、央側に押しつけられる。

こちら側に逃げてきたものは捕虜にし、武装解除をさせる。

その過程で素性を確認。

実は、この間降伏してきた将軍には、関内の重要人物について全て話して貰っていた。

兵に紛れて逃走しようとする輩がいる筈だからだ。

呆れたことに、関の司令官がそれをしようとしていた。

指摘すると、相手は項垂れる。

何も言うことは無いようだった。

「もはや言葉もないな。 石快、首を刎ねよ」

「応」

味方を統率せず。

有能な部下を逃がし。

挙げ句の果てに、右往左往するばかり。

このような者は、流石に将ではない。許すわけにはいかない。

石快は、容赦なく敵将の首を叩き落としていた。

戦後処理が丸二日かかり。

関周辺全てを制圧する。

これは、敵に見せつけるようにして行う。

降伏した兵は実に一万を超え。これを後方に送るだけで一大事だった。

代わりに一万が後方から送られてきたが。連白の軍に参加したいという者も増えており。既に連白の軍の規模は五万二千に達していた。

事後報告になって申し訳ないがと前置きした上で。

唐王に全て正直に書状としてしたため、送る。

唐王は快く許してくれた。

兵が増えるのは良いことだ。

ましてや無駄な血が流れないのは更に良いことだ。

連白大将軍の戦勝を此方でも祈願しよう。

そう唐王の書状には書かれていた。

唐と言えば、唐蛮とまで言われた好戦的で略奪を好む国家だったのに。その唐が完全に滅んだ後、担ぎ出されてきた唐の後継者は。こうも温厚で良識的と言う事は、何かの皮肉だろうか。

いずれにしても、唐王は嫌いになれない。

書状を張陵や石快、可先に見せて、言う。

「唐王は仁君だな。 胡全などではなく、この唐王が治めていれば、平和が続いたのだろうか」

「いえ、唐王は仁君ではありますが……」

張陵は手厳しい。

石快も、懐疑的だった。

「確かに唐王は優しい方ですな。 俺もそれは認めますぜ。 だがあの方には人を見る目が欠けまさあ」

「石快将軍の言葉通りです。 唐王がもしも人を見る目を持っていたら、宋魏のような男を重用しなかったでしょう」

「……それもそうだな」

だが、それでも皆で支えれば良いではないか。

そうとも思う。

連白はため息をつくと。

書状に丁寧に礼をしたため。

次の要塞を攻略するべく、軍の展開を急ぐ。

五万二千に膨れあがった連白の軍勢は、既に簡庸に対して、指呼の距離にまでいると言って良い。

勿論まだ抜かなければならない要塞はあるが。

それらを抜けば、もはや敵の首都は目前だ。

本来函谷関は、こんな短時間で落とせる要塞ではない。

一人でも、まともな将軍が入っていれば、こんな事にはならなかっただろう。

巨大な国が自壊するときは、こんなものなのかと連白は思い。

静かに戦慄を覚えていたのだった。

 

2、昏帝誅殺

 

隼快が宮廷に呼び出される。

どうやら、昏帝。父が隼快を排除するつもりになったらしかった。

愚かしい話だ。

周囲にいる側近に頷く。

準備は、間に合っている。

どうにかなりそうだった。

宮廷に赴く。

とはいっても、所詮それほどの大きさでもない建物だ。内部に出向くと、寝そべった無能な男が。昏帝が、隼快を見下していた。

「来たか。 何か申し開きは」

「何のことにございましょう」

「章監に勝手に兵権を与えたそうだな。 挙げ句章監は降伏したそうだぞ」

「降伏に追い込んだのは貴殿であろう」

ある将軍を名指しで言うと。

さっと青ざめ、視線をそらす。

分かっている。

章監が手柄を立てると困る。

だから排除するように即座に動いた者がいたのだ。

央の将軍の席次は既に埋まっている。

この状態で、誰かが出世してくると困る。そんな風に考えている愚かしいものがいたのである。

「これを見よ!」

投げつけてやる。

竹簡の写しだ。

配下の将軍を派遣し、章監を降伏せざるを得ない状況に陥れた。

それを見て、真っ青になるばかりで、その将軍は何も言わない。

周囲も知っていたのだろう。

そして知らなかったのだ。

隼快が何もかも知っていることを。

「陛下。 このような者どもは更迭するべきにございます。 我が軍の勝機を一つ奪ったのにございますよ」

「その男は朕のお気に入りである。 それだけでその地位にいるには充分よ。 そもそも我が軍が揺らぐものか」

「既に函谷関が落ちました。 敵によるものにございます」

「だからどうした。 まだまだ我が軍の守りは健在よ」

愚かな。

敵は無理攻めをしているのではない。

函谷関は殆ど無血開城に近い有様だったと聞いている。

このままだと、雪崩を打つように味方は崩れるばかりだ。だったら、此方としては、やる事をやるしかない。

隼快が立ち上がった時、懐から匕首を出す。それを見て、反応できたものはいなかった。

即座に躍りかかる。

隼快は応の法に沿って、武術全般を身につけている。父も昔はそうだっただろう。だが長年さぼりきり。そしてだらけきって、もはやそれは意味を成していない。

周囲の将軍達も。

誰一人反応できなかった。

昏帝の首筋に匕首を突き立てる。

無様な絶叫を上げながら、のたうち回る父。玉座から蹴落としてやると、悲鳴を上げながら転がっていった。

意味を成さない声を上げながら、昏帝が消えていく。

やがて、宝冠だけが其所に残った。

手を叩く。兵士達が来る。

宝冠を被った隼快が、やれと叫ぶと。

一斉に、応の中枢に巣くった寄生虫たちに襲いかかった。勿論皆殺しである。

ゴミ掃除を済ませると、正式に隼快は応の三代皇帝として即位する。

そして今まで窓際に追いやられていた、実績を上げていた将軍達を呼び戻し、指示を与えた。

「そなた達には、現在動員できる全ての兵を与える。 最終防衛線にてなんとしても持ち堪えよ」

「ははっ!」

「すぐに朕が大軍を編成して親征する。 それまでの辛抱だ」

頭を下げると、きびきびと将軍達が出る。とはいっても、各地に散らばっている軍を集め、再編成するのに時間が掛かる。時間との勝負である。彼らには捨て石になって貰う。同意の上での行動だ。

央の上層部には人材はいなくなっていたが。

現場にはまだまだ人材がいる。

彼らは虐げられていたが。

それでもこうしてやれば、また陽の目を見る事が出来る。

更に、やるべき事がある。

既に話は聞いていたのだ。

以前から、一切目立たなかった文官。

その一人が、頷くと宮廷を出て行く。

それを許す。

央の武帝が。

残したものの保全。

武帝はこの事態を予想していた。

武帝が崩御した時には、既に央の人材は枯渇していたからだ。一緒に天下統一と戦のない世界を夢見た者達は、病に倒れてしまったからだ。

法を作り出し。

技術を整備した者達も同様。

それらの技術は、一度や二度焼かれたくらいではなくならないように。徹底的に複写し、彼方此方に隠してある。

その一つだけを取り寄せておく。

負けた場合の備えである。

隼快自身も、負けた場合は民の代わりに首を刎ねられる覚悟である。

その場合は仕方が無い。

そもそも公主として、早々に胡全は除かなければならなかったのだ。

武帝は勿論この事態を想定はしていただろう。

それでも、無能な者達が集まって長期間朝廷を運営することの弊害を知らなかったのだ。まあそれはそうだろう。

統一政権そのものが始めて出現したのである。

その統一政権がどう推移するか何て、しる者がいるはずがない。

史書の作り方もまとめた学者もいて。

そのものも病に倒れたが。

作り方自体は既にまとめている。

七国時代には、それぞれの国が好き勝手に、自分に都合が良い歴史を記していたと聞くのだが。

もうそんな事はさせないようにする。

いずれにしても、最終防衛線を喰い破られた時、どうするかが簡要だ。

連白が先に簡庸に乗り込んで来た場合は。全てを託せば良い。

だが、龍剣が乗り込んで来た場合は。

全ては隠さなければならない。

また、宝も集めさせておく。

目くらましには丁度良いからである。

それにだ。

隼快は宮殿を出ると、空を仰ぐ。

どうにも良くない予感がする。

この世界は、血を求めているとしか思えない。

統一政権が出来て、央が誕生してからしばしの時が経つけれども。

その間も獣はずっと出続けていたし。

腐敗官吏はこうして出現し続けた。

結果賊も出た。

人間は食べずとも死なないが。

結果として、多くの人間が死んで行った。殺されたからだ。

本来だったら、誰も死なずに済む世界が来てもおかしくなかっただろうに。

この世界の仕組みが根本的におかしい気がするのだ。

嘆息する。

親殺しをしたのが自分が最初では無くて良かったと想う反面。

この後、九割方自分は助からないだろうという予感もある。

すぐに文官を手配して、兵の招集を掛けたが。

果たして間に合うかどうか。

間に合わなかった場合は。

少しでも。

ほんの少しでも良い。

被害は減らさなければならなかった。

 

連白は戦車の上で、手をかざして見る。

函谷関を落とし。

その次の要塞を苦労しながら落としたところだ。

そして今、最後の関門にさしかかっている。

通称虎牢関。

簡庸を守る、最大最強の要塞地帯である。

実を言うと、龍剣との合流地点でもあったのだが。まだ来ていない事を考えると、此処から東の要塞地帯に手こずっているのだろう。

部下の中には、先に簡庸に入れる。

そうすれば略奪し放題だと舌なめずりしている者もいたので。

連白は時々部下を集めては、報酬はきちんと出すから馬鹿なことはしないようにと諌めなければならなかった。

こう言うときに、連白の言う事を荒くれ達が聞くのは昔も今も同じである。

連白は声を荒げることも、甘やかすこともない。

ただ静かに諭す。

石快からして、それで言う事を聞いたし。

他の荒くれ達も、白姉貴と慕ってくれる。

それがどうしてかは分からない。もしも才能があるとしたら、それが連白の才能のだろう。

いずれにしても、手をかざしている先にある関は、殆ど今までとは別物に見えた。

「これはまずいなあ」

張陵を呼ぶように部下に指示。

後方から更に援軍が来た。韓新が鍛えた兵である。今でも、兵として唐王の所に来る者がいるのだ。

少数だが、それらを居残りの韓新が鍛え上げ。

そしてこうして送ってくれている。

恐らく龍剣の方にも送ってはいるのだろうが。

いずれにしても、現状での戦力は五万五千。

これに対して、虎牢関の戦力は三万を超えている。

正面からの無理攻めは不可能だ。

張陵が来たので、馬車を降りる。

上から見下ろして話すとどうも良くない。

偉くなったと勘違いすると、その時点で人間が駄目になる事を、連白は知っていた。これは経験的に、だが。

連白は決して自分が万夫不当の武勇も持っていないし。

難解な問題を解き明かす知能も持っていないことを知っている。

だから知恵者には敬意を払うのだ。

「来てくれたか。 どうにも敵の様子がおかしいと思うのだ」

「はい。 調べた所、どうやら敵に援軍が入ったようにございます」

「嫌な予感がする」

「恐らくその予感は当たっておりまする。 昏帝崩御の噂が流れて参りました」

腕組みする。

援軍が来たという事実。

それに本来は崩御は隠したい状況だろうに、こうもあっさり流れてきている。

要するに。

「隼快が皇帝に即位した、と見て良さそうだな」

「恐らくは。 そして央はまだまだ中枢部が無事。 時間を掛けると、数十万の精鋭が押し寄せて参りまする。 それも今までの将軍が率いている連中とは訳が違う精鋭です」

頷く。

今までは、各地で雑兵を薙ぎ払い、血に酔った連中が率いていた黒い軍団の面汚しだった。

昏帝が死んだ後は、央軍は奮起するはずだ。

それに張陵が言った通り、敵は中枢が完全に無事。

兵を徴募すれば、数十万は集まるだろう。

総力戦態勢になった黒い軍団が敵になったら。

その場合、龍剣でも相手になるかどうか。

「無理をして人死には出したくないが、仕方があるまい」

「はい。 隼快は或いは皇帝として優れているかも知れません。 しかしながら、央という国の命運は既に尽きています。 各地では央に対する恨みが蓄積し、もはや天下を央が取る事を望む者はおりません」

「……」

それは、張陵の主観だな。

そう連白は見抜いた。

だが、あえて黙っておく。

張陵が央を憎んでいる事は知っている。どんな知恵者だって、憎悪の前には目が曇ることも。

其所はあえて指摘しない。

指摘しても意味がないと思ったからである。

「総攻撃の作戦を立ててほしい」

「分かりました、直ちに」

張陵が幕舎に引っ込む。

連白は自身で彼方此方から、虎牢関を見て回るが。

それにしても凄い要塞だ。

七国時代の末期。

六国が寄せ集めながら連携して、一気に当時は秦だった央に反撃に出たことがある。最後の勝機と言われた戦いだ。

その戦いでも、この要塞には迫れもしなかった。

結果として、央の勢いは決定的になり。

六国は押し潰されるように滅びていくことになった。

だが、その歴史もこれまでだ。

作戦について、張陵から連絡がある。

頷くと、諸将を集め。

攻撃を開始させる。

その前に、連白は咳払いして、説明をした。

「悪名高い昏帝が死んだ可能性が高い」

「それは……本当ですかい」

「本当の可能性が高い。 そして後継者は切れ者として知られる隼快だ。 既に敵の増援が虎牢関に入っている事を確認している。 もたついていると、央は兵を再編成して、恐らくまず我々から潰しに来るだろうな」

連白の言葉に青ざめる諸将。

今まで大規模な戦いを避けて、出来るだけ犠牲を減らして勝ってきたのである。

この状況で、いきなり壊滅の危機が目の前にくれば。

誰もが混乱することになるのも当然だろう。

「恐らく三ヶ月もかかれば、敵は戦力を整え直して、我々に決戦を挑んでくる。 そうなれば、あの龍剣将軍でさえ危うい。 七国の時代にも、白季をはじめとして伝説的な猛将は存在したのだ。 龍剣将軍は怪物的な武勇を持つが、それでも実力を取り戻した央軍が総掛かりになればどうにもなるまい」

「そ、それでどうするので」

「時間との勝負だ。 出来れば十五日以内に虎牢関を落とす」

青ざめて頷く諸将。

連白はもう一つ告げる。

「私は明日から最前線に立つ。 私が何かしらの理由で戦死したら、すぐに兵をまとめて撤退せよ」

それだけ告げると、一晩だけ休ませる。

そして、翌日から。

火が出るような猛攻を開始した。

ドラをならす。

訓練を受けた兵士達が、一斉に前に出て、矢を放つ。

虎牢関も所詮は関そのものはそれほど巨大では無く、峡谷に作られた要塞地帯が強力なのである。

猛烈な反撃が飛んできて、盾が見る間に矢だらけになる。

今までの央軍の反撃とまるで違う。

これは完全に、別物と戦っているとみるべきだろう。

見る間に味方にも被害が増えるが。

それでもやるしかない。

将軍が戦死した話を聞きながらも、連白は最前線で動かない。

連白の乗っている戦車の盾にさえ、既に矢が突き刺さっている。側についている翼船が剣を振るって矢を弾き返した。

至近距離だ。

勿論びっくりだが。

少なくともそれを顔には出さない。

「やはりもう少し下がった方が良いのでは」

「苦しいのは敵も同じだ。 もう少し前に出ろ」

「し、しかし」

「かまわない。 この戦いに後退はない」

更に攻勢が加速する。

陣地を奪うが、敵からの猛烈な反撃で奪い返される。それを何度も繰り返す内に、少しずつ敵の守りを削り取って行く。

やはり今回も高所を抑える事を優先するべきだと、張陵は言った。

その通りだと思う。

関そのものに突っ込むのは愚策だ。

前右左、全てが敵。いや上もか。

あらゆる方向から飛んでくる矢石で、粉々にされるのがオチである。攻城兵器なんて、通用する筈も無い。

峡谷の左側は抑えだけ置いて、右側を徹底的に攻め立てる。

敵も狙いに気付いたようで、其方に兵を集中させてくるが。

不意に左側に攻撃を集中し、一気に敵陣をごぼう抜きに落とす。

偽撃転殺と言われているらしい。

いずれにしても、張陵の指揮に任せる。

兵は訓練も充分だが。

それでも、今までの戦いとは比較にならない死傷者が出るし。

街から一緒についてきた破落戸達の中にも、死者が出る。

だが、時間との勝負だ。

敵は動揺しながらも、猛烈な反撃をしてくる。

敵も敵で必死だ。

恨みを買いすぎていることを知っている。

だから簡庸に兵を入れたら、蹂躙されると思っている。

故に時々矢文を送り込む。

民の命は保証する。

降伏すれば許す。

だから抵抗を止めろ、と。

だがそれでも敵は意気旺盛。

やはり、昏帝が死んだのは確実だろうと、三日目の戦いが終わった頃には、諸将の意見は一致していた。

だからこそに。攻勢はそのまま続けるしかない。

四日目。もっとも堅固な敵陣地に迫る。

柵は分厚く、敵兵の反撃も今までの比にならない。石快も盾をかざして、舌打ちするばかりである。

下手に突っ込めば一瞬で矢を浴びて消える事になる。

来て貰ったばかりの三千も、既に戦闘に参加して貰っていた。

兵糧の消耗も激しいが。

出し尽くすつもりで戦わせる。

連白が馬車を降り。

守りの兵と共に前線に出る。石快が大慌てしたが、頷く。

ああもう仕方が無い。

そう言わんばかりに、石快が雄叫びを上げ。

それに兵が続いて、敵に突貫する。

流石に龍剣が桁外れだとしても。石快も連白の軍では並ぶ者がない豪傑である。

兵士達も今までの戦いでそれを知っている。

大柄な石快が突貫していくと、流石に敵の注目を集める。大量の矢が、かざしている大きな木の盾に集中する。

そして、盾が砕ける。

その時、盾の向こうには石快はいない。

跳躍して、敵陣の柵に足を掛け。

更に跳び上がって、柵を乗り越えたのだ。

体格に似合わない凄まじい体術だった。

そのまま敵中で矛を振り回して暴れ始める石快。矢の勢いが弱まった所に、盾を構えた兵士達が突貫し、一斉に体当たりを浴びせる。

柵が揺らぐ。

「石快将軍を死なせるな! もう一度!」

入れ違いに、盾を構えた部隊が突貫。

柵が更に大きく揺れる。

周囲を囲まれて、それでも大暴れしている石快だが。

龍剣では無いのだ。

このままでは戦死する。

流石に連白も冷や汗を掻いたが。

四度目の突貫で、ついに柵が吹っ飛び、兵士達がなだれ込んだ。

石快を囲んでいた央軍を蹴散らし、最も厳しいと思われる陣地を制圧する。高所を取る事に成功したのだ。

後は其所から、敵陣に矢を降らせて動きを抑えつつ。

徹底的に敵軍に対して追撃を掛ける。

強力な要塞ほど、内側が脆い。

内側に入り込まれると、もはやどうしようも無い。

敵が少しずつ逃げ腰になるのが分かるが。

不意に少数の敵がひとかたまりになると、猛烈な突貫を仕掛けて来た。不意を突かれたので、前線が喰い破られた。

恐らくだが。

昏帝の後を継いだ隼快に、此処を任された精鋭だな。

そう連白は、意外に静かにそう判断していた。

反撃は任せる。

短いが、激しいもみ合いの末に。

敵の最精鋭は、此方に甚大な被害を与えて、揉み潰される。

出来ればその命、無駄に散らして欲しく無かったと思いながら、更に連白は攻め立て続けさせる。

かなりの無理攻めだ。

味方の損害もかなり大きくなってきているが。

やはり高所を取った事が効いた。

そこから、一気に敵陣に対して、味方を浸透させていく。

七日目。

関。虎牢関に対して、直接攻撃できる陣を奪取。

敵が猛烈に反撃してくる。まだ敵の戦意は衰えていない。石快が後方に下がる時間を狙って、反撃に出てくる。

夜間にも、盛んに夜襲を仕掛けてくる。

味方の疲労も厳しくなってきている。

敵は三万から二万にまで目減りしているが、それでも降伏する者は出て来ていない。味方も既に死傷者は五千に届こうとしている。

敵に対して与えている被害が大きいのは高所をとったからだが。それまでに受けた被害が大きすぎるのだ。

連白も、連日の最前線での指揮で、かなり疲労を覚えている。

事実戦車には、既にかなりの矢が突きたっていた。

前線で、連白を狙って矢を放ってくる勇者も多いと言う事だ。

最初から昏帝でなければ、央は揺るぎもしなかっただろうな。

そう連白は思いながら指揮を続ける。

だが、本当にそうだろうか。

央の武帝が、どうして昏帝のような阿呆を跡継ぎにした。

滅ぶのを見越していたのでは無いのか。

人材が枯渇していたというのもあるだろう。

だが、それにしても。

いくら何でも、この有様を見ていると。

武帝は何を考えていたのか、気になる。

「幣が来ました」

「うむ」

幣というのは、卑をすり潰して粉にし。

水を入れて練って焼いたものである。

堅くてあまり美味しくは無いが、代表的な兵糧の一つだ。肉を練り込むことで、多少おいしくなったものもある。

基本的に戦闘時は、兵糧を誰もが口にするのが義務づけられる。

これは軍の体裁を為す集団なら何でもそう。

あの林紹が率いていた軍でさえ。

場合によっては山賊でさえそうだ。

幣をもぐもぐと食べながら、連白はじっと状況を見つめる。

関に攻撃が届く陣を味方が抑えたが。その陣を奪還しようと、敵が必死の抵抗をしてきている。

それに対して、味方が高所からつるべ打ちを続けているが。

矢が足りなくならないか心配だ。

頬を矢が掠めた。

勿論内心では心臓が跳び上がるかと思ったが。

連白は表情を変えずに、黙々と幣を食べ終えて、指先を舐める。

その剛毅さを見て、兵士達は更に気迫を上げる。

だが、気迫だけでは勝てないのも事実だ。

八日目。

一度、今まで確保した陣地を堅守する方向に転換。

兵士達を三交代で休ませた。

それに会わせて、敵も一旦休みに入る。敵は猛烈な反撃に出て来ているが。それは増援を期待出来るというのがあるからである。

だが、その前に落とす。

十五日以内と諸将には言ったが。

昏帝を討ち果たしたと言う事で。

隼快は英帝と呼ばれているらしい。英明な皇帝という意味だ。

つまり昏帝を倒したと言うだけで、民は意気が上がっていると言う事で。

想定よりも早く援軍が来るかも知れない。

休憩が終わり次第、戦闘を再開させる。

苦労しながら、敵を駆逐しつつ、攻城兵器。投石車を高台に運ぶ。

単にぐるんと回して石を放り投げるこの兵器は、古く古くから存在している。みための割りには造りは簡単で、図面を見れば連白でも理解出来るほどだ。ずっと昔の人が、病になりながら作ったのだろう。

ちなみに今使っているのは、央式の投石機。

函谷関の戦いで鹵獲したものである。

使えるなら何でも使う。

それが戦争で勝つためのこつだと、張陵に言われている。

だから、素直にそれに従う。

投石機の設置完了。

投石機を見て、敵も危機を感じたのだろう。

火矢を放とうとしてくるが、此方は高所をとっている。動きは丸見えである。猛攻に対して、逐次反撃に出る。

要所に投石機で、巨岩を放り込み続ける。

一台が据え付けられただけでこれだ。

一気に形勢は確定。

敵がついに、支えきれずに潰走を開始。谷の向こう側でも、似たような展開になりはじめていた。

「虎牢関に対して衝車を進ませよ」

まだ生きている陣地はいる。

だから、矢は降ってくるだろうが。この衝車は捨て石だ。敵をあぶり出すための。

張陵にこれを献策されたとき、知恵者は怖いなと連白は思ったけれども。

それでもやるべきだと思った。

そうしなければ勝てないのであれば。

やるしかない。

負ければ皆殺しにされるのは此方だ。

隼快に恨みはないが。

勝たせて貰う。

案の定、生きていた敵陣が反応して、衝車に矢を集中し始める。其所を、一気に味方が揉み潰していく。

衝車に取り憑いていた兵士達は、盾をかざして必死に防いでいるばかりだったが。そのうち反撃は弱くなり、やがて衝車は進む。

関に衝車が取りついたのは、九日の夜中。

猛攻を受けながらも、虎牢関はまだ生きている。衝車を援護するように、関の上から衝車を守ろうとする兵に矢を射掛けてくる央兵に矢を浴びせる。衝車は釣った棒を、城門にぶつける兵器だ。衝車そのものを勢いよく突進させるだけで、勢いのついた棒が城門を砕く。

だが流石に名高い虎牢関。

一度や二度では歪みもしない。

味方の損害は。

連白が聞くが、石快は口を閉ざして何も言わない。

石快自身も、何カ所かに矢を受けて。それでまだ戦い続けているが。一緒に街を出た仲間が何人も死んだので、相当参っているし。疲れているようだった。

連白も同じだ。

可先が報告に来る。

「既に死者五千を超えました。 これ以上の戦闘継続はかなり厳しい状況です」

「分かっている。 あと少しだ」

「……はい」

十一日目。

ついに衝車が敵の城門を打ち破る。

どっと関に味方がなだれ込む。内部にいる敵を掃討する。だが、この手のものは、入り込んだ敵を四方八方から迎撃できる仕組みになっているものだ。

激戦が続く。少なくとも先陣を切った部隊は、兵の三割を失う大きな被害を出した。

そして、十三日目。

中の世界最大最強の要塞地帯。

虎牢関から、敵の主力の掃討が終わった。

 

3、央の終焉

 

負傷者の手当をさせながら、連白は話を聞く。

実の所、連白も負傷者である。何カ所かに矢が擦った。幸い汚物を塗った矢ではなかったけれども、あまり良い事では無い。

今は出血は止まっているが。

出来るだけ動かないように、ということだった。

「最終的な損害は死者七千。 負傷者は三万を超えまする」

「動ける兵は」

「……一万五千程度にございます」

四万近い兵が死傷したと言う事だ。

だが、兵は神速を貴ぶという言葉もある。

龍剣がまだ来ていない事はどうでもいい。ともかく、隼快を降伏させなければならないだろう。

兵の再編成に一日。

勝利の報は既に唐王に送った。

一日掛けて機動軍を再編成し、負傷者を虎牢関に残す。

虎牢関にも五千を残すが、これは負傷者の手当をするためだ。

結果として、簡庸に進軍したのは、一万だった。

虎牢関を抜けて驚かされる。

何という広い沃野だ。

度肝を抜かれる。

卑の畑が、何処までも拡がっている。水のせせらぎも穏やかである。

なるほど、央が最強の国と言われる訳だ。

信じがたい程の生産力がこの穀倉地帯にはある。更に清の穀倉地帯もこれに加わるのである。

ほこらからどれだけ人が現れても。

適正のある兵士を、好きなだけ前線に送り込む事が出来るだろう。

この辺りは暴れ川として知られる龍川も細く、流れは穏やかだ。支流が幾つもあって、それが最終的に大河にまとまるようである。

兵士達には、改めて略奪は厳禁と告げる。

どうせ央の王宮を落とせば金品がいくらでもある。

だから、それまで待つようにと。

連白は堂々と兵を進めて、ついに央の首都。簡庸に到着。どうやら、兵士は最後の一人まで出払っているらしく。

だが、敵意を内側から感じた。

既に虎牢関が抜かれた頃は伝わっているはずだ。

無理攻めはしたくないが。

そう思っていると。

一人の女が、側近らしい者達と供に、姿を見せる。

矛を構える兵士達を制止。

石快は側にいて貰う。

戦車を降りる連白。

恐らく。

あれが隼快だ。

「央の皇帝となった隼快にございまする」

「唐軍の大将軍連白です。 わざわざ来ていただけると言う事は、降伏を選んでいただけるのですな」

「はい。 もはや万策尽きました」

「……分かりました。 正しい判断をしてくれて助かります。 皆、敵とはいえ皇帝陛下が相手だ。 皇帝陛下に無礼のないようにせよ」

抵抗する様子の無い隼快。

もう少し時間があれば大軍が集まり、央軍による猛反撃が始まっていただろう。

負けるか、勝つか。

その二つしかなかったのだ。

そして連白は、皆を死なせるわけには行かなかった。

それだけだ。

周囲を石快をはじめとする兵士達に囲まれつつも、落ち着いた様子で隼快は宮殿を案内してくれる。

所詮は木と石の建物。

大した大きさでは無いが。

街の規模が違う。

今まで見てきたどんな街よりも大きい。

二十万が集まった商でも、商の王都にそれが全員入った訳ではない。分散して、各地で訓練が続けられたのだ。

此処は二十万が丸々入りそうである。

簡庸とは、こうも圧倒的な街だったのか。

生唾を飲み込む。

兵士達には恩賞を与えたいが。まずは唐王にそれは許可を得なければならない。

それと、このままだと龍剣が何を言い出すか分からないので。

龍剣に対しても、使者を急いで出す。

龍剣よりも先に落としたのだから、もう連白の方が立場が上なのだし、簡庸を封鎖してはという声もあったが。

愚問にしか連白は思えなかった。

そのものに、お前はあの龍剣に勝てるのかと聞くと。

青ざめて、首を横に振る。

そういうことだ。

宝物庫も確認。

相当な宝物があった。

金か。

金を蓄えることに、連白はあまり興味が無い。

金を使うことにも抵抗はないのだけれども。

金なんか独占するくらいなら、天下に流した方が良いと思ってしまうのが事実なのである。

だから賊などを下す場合も。相手が金を貰えるなら降るというならすぐに金をくれてやるし。

金で何かを良く出来るなら、躊躇無くそうする。

この辺り、やり口が汚いと批判する意見があるのも知っているが。

だが、命と金を天秤に掛けたら、命が上だと連白は思っている。

金で解決できる事があるなら、金なんかなんぼでも手放す。

それが連白の考えである。

「張陵、すぐにどれだけの蓄えがあるか報告してほしい」

「分かりました。 文官を動員して即座に調べまする」

「手が足りないなら真面目そうな兵士も使って良い」

「いえ、大丈夫にございます」

苦笑いする張陵。

そうこうするうちに、負傷から立ち直った兵士が続々と簡庸に移動してくる。

とはいっても、重症者もいる。

せいぜい二万程度が簡庸で、しばらくは治安維持にあたる事になった。

また、各地での抵抗も予想されたのだが。

皇帝が降伏したと言う事で。布告を出す事によって、武器を捨てて投降してくれた。

とはいっても、殆どが訓練段階の部隊で。

一線級の部隊は再編途中か、もしくは対龍剣との戦いに出向いていて。抵抗しようがない状態だったのだが。

連白が目を光らせていたので、狼藉をする兵士はいなかったが。

石快が一度、央の役人と一歩も引かずに怒鳴り合っているのは見かけたので、仲裁した。何があったのかと聞くと、連白が礼儀知らずだというのである。

「見るにそなた、田舎育ちの破落戸の頭目か何かであろう。 最低限の礼儀も知らぬものが、この簡庸に入るでない!」

「確かに私は田舎の破落戸達のまとめ役をしていた。 だが、皇帝に対して私なりの敬意は払っている。 それでは不足かな」

「不足に決まっている!」

「そうか。 では不足では無いと言う事にしよう。 息苦しくてかまわぬ」

黙り込む文官。

実際問題、央のやり方が正しかったとは思えない。

迅速に混乱を収束させたから、あまり問題は起きなかった。

だが、それもいつまで続くか。

いずれにしても、少し休むとする。

宮殿はちょっと居心地が悪いので、郊外に陣を敷いてそこで寝る。

野戦陣地で休む時間の方が多くなっていた。

地面に横になるのも悪くない。

天幕を張っていれば獣が来る事も無いし。

何よりも信頼出来る兵士達がいる。

横になって、死んでいった故郷の仲間を思う。どいつもこいつも悪たればかりだったけれども。

皆、連白が悪さを辞めるように諭して。

きちんと悪さを辞めたのだった。

死ぬほどの罪があったのだろうか。この中の世界は、何を求めているのだろうか。それが、悲しかった。

張陵が来る。

「一つご報告がございます」

「聞かせてほしい」

「は。 龍剣丞相が、此方に進軍しております。 兵力は九万。 央軍の降伏を受けて、障害がなくなり驀進しているというのが相応しい有様です」

「あの龍剣丞相が三万も削られたのか」

そうではないという。

章監将軍が降伏したため、その見張り役としてつけている、ということだ。凄まじい連勝を続けている龍剣は、殆ど味方に被害を出していないと言う事だった。

「そうか、龍剣丞相に状況の引き渡しが出来るように準備をしてくれ」

「どうもそう簡単にはいかないかと」

「む?」

「龍剣丞相は、隼快陛下の首を刎ねると公言してございます」

それは、まずい。

今、央がまとまっているのも。

昏帝として悪名を引き受けた胡全を、隼快が討ち果たしたからだ。

央の民は凄い数がいるし、生産能力も尋常じゃ無い。

もしも隼快を殺したら、一気にそれが蜂起しかねない。

勿論龍剣将軍は草でも薙ぐようにそれらを打ち倒して行くだろうが。それでも皆殺しは不可能だ。

その上、龍剣将軍はあの性格だ。

連白が止めても絶対に聞くわけが無い。

戸籍などを整備しているので、それをざっと見せてもらったが。

央の人間は、他の六国をあわせたのと同等くらいもいる。

昏帝はその全てに嫌われ。隼快はその全てに好かれていると見て良い。

要するに最低の悪手になる。

下手をすると、七国時代以上の悪夢が到来するだろう。

それでも、何か手は無いか。

連白は臍を噛む。

「即座に使者を……」

「龍剣丞相の勢い凄まじく、伝令がもう間近に迫ってきていると報告をして来ております」

「まずいな。 虎牢関に私が出向く」

「お急ぎを」

早足で出て、石快をはじめとする供数名と供に、虎牢関に急ぐ。

もしも血に飢えた龍剣が此処に乱入してきたら、昏帝が引っかき回した中の世界以上の地獄が顕現する。

どうにかして、被害を抑える必要がある。

「隼快陛下はどういたします」

「この書状を渡し、後は好きにして貰え」

「はっ」

翼船がすぐに供を離れて急ぐ。

隼快は自害したと伝えるつもりだ。先帝の行動の責任を取って、という事である。

死ななくて良い人間が死ぬ必要はない。殺さなければいけない人間もいるが。隼快は違う。

ともかく、時間だけでも稼がなければならない。

龍剣は歩く災害と同じだ。

今、ようやく安定し始めている簡庸に入れてはいけないのである。

虎牢関に到着。

主将に任じた赤彰は青ざめていた。

龍剣が怒濤の勢いで迫っていることは、聞いていたのだろう。

そして唐王は、公平な人間である。

央攻めを成功させ。皇帝を降伏させたと聞けば。

恐らく連白を最大功労者とするかも知れない。

そうなれば、龍剣との反発は必至。

章監を引きつけていたから、央を落とせた。

そんな風に言って難癖をつけるか。

或いはあの恐ろしい山霊どのの献策でも受けて、連白を無理矢理殺そうとするか。

隣にいる石快ですら青ざめている。

もし龍剣と戦う事になったら、一閃でなで切りされて終わり。

そう断言している程である。

この男ほどの豪傑が、だ。

しかも龍剣麾下には、石快と大して変わらない武勇の持ち主が何人かいる。

その者達に話を聞いたが。

彼ら彼女らが束になっても、龍剣にはとてもではないがかなわないという事を、口を揃えて言っていた。

命知らずの破落戸上がりも多いだろうに。

つまりはそういう事だ。

「ま、守りを……」

「いや、守りを固めても無駄だ。 央の精鋭ですら龍剣丞相を食い止めることは出来なかったのだ。 我等の率いる兵……それも大半が稼働できないこの状態で、何が出来ようか」

「し、しかしそれは無駄死にになるのでは」

「無駄死ににはさせない」

連白は、腰に帯びている剣。

そう、白蛇を斬った剣を外すと、石快に渡す。

「やるのではない。 しばらく預かっていてくれ」

「白姉貴!」

「大丈夫だ。 龍剣丞相は、無抵抗な弱者には手を掛けん」

「……」

本当にそうだろうかと、皆が顔に書いている。

連白だってそれは思う。

あの人は、いざ頭に血が上ると見境がなくなる。

弱者だろうが何だろうが、手に掛けると思う。

それでも少しでも確率は上げたい。

最悪の場合連白が死ぬだけで済むようにはしたいが。

出来ればそれでも死にたくは無いのだ。

張陵が来た。

今内政についてまとめて貰っていたのだが、大慌てで、という所だろう。

或いはだが。

龍剣がどう動くか、正確に洞察していたのかも知れない。

耳打ちされる。

頷いた。

張陵にはこう言われたのだ。

隼快については、自害を装って潜伏してもらった、と。

また、龍剣に対しては非武装でとにかく下手に出ろと。

あの人は、武の権化だが。

逆にそれ故に、武を競うにも値しない相手に対しては、無責任な蹂躙はしないとも。

連白の見解と一致する。

だが、張陵のような知恵者に言って貰えると安心できる。

頷いてから、逆に聞き返す。

「それにしても……龍剣丞相は、どうして到着が我等より遅れたのだろう」

「話によりますと、山霊車騎将軍が場を離れている隙に、敵に対して凄まじい暴威を振るったようにございます」

「ああ……」

容易に想像が出来る。

あのおっかない山霊でさえ、龍剣の手綱を握りきれない訳だ。

その上、理論も分かるがそれ以上に感情で動くのが龍剣だろう。

そうなれば。

戦場で何が起きるかは目に見えている。

「その上章監将軍が、三万の兵と共に降伏した結果、見張りなどをつけなければならず、兵士をかなり割いて進軍が鈍化したようにございます」

「死を覚悟して時間を稼いだのだな」

「そうなりましょう」

「……」

章監か。

昏帝に支配された国でも、咲く花はあったのだなと思う。

だが、連白にとっては悪手になった。

いや、そうとも言えないか。

先に龍剣がここに来ていたら。

それこそ簡庸を焼き尽くす勢いで暴れかねなかったのだから。

「ともかく、皆も武装はしていない様子でいよ。 私が龍剣丞相と話す」

「……分かりました」

嘆息すると。

連白は、どうやって話を進めようか考える。

相手を怒らせないしゃべり方は出来るが。

龍剣は普通の相手じゃあない。

だからこそに、連白は気を遣わなければならない。

さてどうするか。

恐らくだが。

惰弱を一番龍剣は嫌うはずだ。

相手に媚を売るようなやり方は駄目だろう。

央の腐敗官吏と同党と見なされて斬られるだけだ。

では、抵抗した央の気骨ある管理のように、堂々としてみるか。

それはそれで偉そうだと、相手の怒りを買いそうである。

しばらく悩んだ末に、理屈で話をしてみようと言う事になる。

龍剣はあれで頭も相応に切れる。

故龍一丞相に教育の手ほどきを受けていたようだから、まあ当然と言えば当然であるか。だったら、まずは相手を落ち着かせてから、話をしてみよう。

それでいいと思う。

張陵に、央軍の武装解除と、文官達への周知を急がせるように指示。

ともかく、逆らったら殺される事を告げておく必要がある。

それでも逆らいそうな人物は、牢に入ってもらうしかない。

此処にこれから来るのは鬼神である。

人が鬼神の力を持った存在である。

逆らうなど論外。

もしも下手に刺激でもしようものなら。

それこそ、央という国の痕跡が無くなる程まで暴れ狂う事は確定なのだ。

しばらく、立ち尽くして待つ。

色々やりとりを考えたが。

前から龍剣は、連白を惰弱そうな奴だと思っていたようだ。

それを利用するしかない。

まあ実際惰弱だったのだ。

それもまた、仕方が無いだろう。

勿論連白にだって誇りくらいはあるけれども。

それは命に優先するものじゃないし。

ましてや周囲の者達の命に優先するなどと言うことも無い。

部下達の命を守るためであれば。

連白は頭の一つや二つ。

容易に下げられる。

さて。

それから一日もしない内に、土煙が見え始めた。

虎牢関は殆ど無人である。兵は引き上げさせたからだ。もしも此処に兵を置いていたら、それだけで龍剣将軍は激怒して、大暴れを始めただろう。簡庸を悉く焼き払ったかも知れない。

数名の側近と供に龍剣を待つ。

勿論歩行で、である。

しばし待っていると。

凄まじい勢いで、黒馬に乗って驀進してくる鬼神人の姿が見えた。ああ、これは大変だな。

七割くらいは死ぬ。

そう覚悟してしまうと、多少気持ちは楽になった。

礼をしたまま、待つ。

ほどなく向こうも此方を視認したのか、何か声を張り上げた。

足を止めて、様子を見ているらしい。

大軍だ。

十万を超えているかも知れない。

九万という話だったが。途中から、何かしらの理由で兵が合流した可能性もある。韓新が訓練した兵士が合流したのかも知れない。

兵士達は一糸の乱れもない。

まあそれもそうだろう。

あの様子では、龍剣が怖くて、とてもではないが規律など破れない。

馬に乗ったまま此方に来る。

連白が礼をしたまま待つと、馬上から龍剣が問いかけてきた。

ただでさえ長身の男性より背が高いくらいの龍剣である。

その上馬に跨がっている。

その馬も、並みの馬より二回りは大きい。

迫力満点で、文字通り肝が冷えるが。

それでも我慢だ。

下手な事を言ったら殺される。

下手に動いても殺される。

落ち着け、落ち着け。

必死に自分に言い聞かせる。

龍剣はしばらく冷たい目で連白を見ていたが。幸い、いきなり矛を頭に叩き込んでくる事は無かった。

「何故先に貴様がついた」

「央軍の抵抗が著しく弱く、それにて」

「敵の精鋭が加わり、途中から苦戦はしなかったのか」

「最後の虎牢関はかなりの苦戦を強いられました。 まだ我が軍の多数は負傷した状態にございます」

それを聞くと、じっと冷たい目で此方を見る龍剣。

愛想笑いとか浮かべたら、即座に頭をたたき割りに来るだろう。

そういうのを一番嫌う人間だと、連白は前から観察していて知っている。

実際龍剣にすり寄ろうとした者は今までもいたが。

大体が一喝されて逃げていくか。

或いは半殺しにされるか。

どちらかだった。

勿論今だったら、何の躊躇も無く殺すだろう。

龍剣から、凄まじい殺気を感じる。

戦場での龍剣の暴れぶりは前にも見たことがあるのだけれども。

それでも、間近で戦闘状態に入っている龍剣を見ると凄まじい何てものではない。

「央帝はどうした」

「自害しました」

「自害、だと……っ!」

「責任を感じたようにございます。 央を守りきれなかったと」

いきなり、爆発が起きたかと思った。

吹っ飛ばされて尻餅をつく。

思わず声を上げそうになったが、頭がぐらんぐらんする中、理解する。

怒りの余り、龍剣が叫んだのだと。

この人は、どういう声を出すのか。

前にも怒ったとき、天幕が内側から吹っ飛んだという話を聞いたが。

あれは誇張でも何でも無い。

本当だったのだと理解した。

「他の者達は……!」

「既に降伏して、武装解除しております。 龍剣丞相、ご案内いたしましょう」

「焼き尽くしていないのか!」

「央の民には責任はございません」

すっと、空気が冷えた。

泥まみれのまま、礼を続けている連白。

必死に相手の目を見ているが。

いつ恐怖で心が折れるか分からない。

ましてや今、龍剣は確実にキレた。

龍剣の考えでは、簡庸を焼き尽くしておくべきだったのだろうが。そんなのは連白は知らない。

とにかく、話をするしかない。

少しでもどもったら、その時点で殺される。

「此処で立ち話も何ですし、野営地にご案内いたします。 央の宮殿などで休むのはしょうにあいませんでしょう」

「……分かった」

「此方にございます」

まずは、会話は成立したか。

側近達も皆真っ青である。

龍剣が暴れたら、その時点で皆殺しは確定だったのだ。

虎牢関を通る。

龍剣の率いる軍は、あの山霊が鍛えただけあって、九万以上が皆恐ろしい程に統率されている。

それに龍剣に対する不敗の絶対的な信頼。

何より龍剣自身に対する畏怖もあるのだろう。

何しろ龍剣の武勇は明らかに人間を超越している。

ついていけば勝てるし。

逆らえば殺される。

それならば、素直に従うのが一番、というのが彼らの本音なのだろう。

事前に展開していた連白の兵二万程度を囲むように、龍剣の兵が布陣する。

「何だ、これだけか。 四万をつれて出ただろう」

「虎牢関攻城戦で相当数を失い、現在負傷療養中にございます」

「そうか」

「昏帝が死んだ事はご存じかと思います。 その後を継いだ央帝が軍の再編成を始めており、急ぐ必要がありました。 犠牲を覚悟の上で無理押しをして、それで何とか」

鼻を鳴らす龍剣だが。

多少は機嫌が収まったらしい。

感情に流されやすい生きた破壊そのものだが。

それでいて、一応武に関する事に関しては、ある程度敬意を払うことはしてくれる。それだけが今は救いだ。

酒を用意しておいたと話をする。

色々な人間の証言から、度の強い酒を龍剣が好むことは知っている。

とはいっても、龍剣が今酒を飲みたがるかは分からない。

案の定、酒はいらないと言った。

「酒の前にやる事がある」

「なんでございましょう」

「央の宮殿を潰す」

「……」

流石にこれ以上は止められないか。

側近と供に、龍剣が行くのを見送る。龍剣の側近達は、連白に同情するような視線を向けていた。

龍剣の側近の一人であり、前も話した事がある劉処は。龍剣が先に行ってから、連白に話を振ってくる。

「よくあの丞相とあれだけ話を出来ますな」

「いや……恐ろしくて肝が凍りそうですよ」

「さもありなん。 我等もいつも丞相の前に出るときは、肝が凍るかのようです」

劉処は見るからに豪傑然とした人物で、龍剣麾下では鯨歩と並んで武勇の双璧を為すと聞いている。

見るからに強そうな大男であるのだが、普段は寡黙で必要な事しか喋らないとも聞いている。

そんな堅固な人物でも。

やはり龍剣は怖いのか。

龍剣は宮殿に踏み込むと、周囲を剣呑な目で見ていた。

何もかもが、憎く見えるのだろう。

「火をもてい!」

「ここは住宅地の中央で、延焼の危険が……」

「ならば打ち砕くからどいていよ!」

全員追い立てられるようにして宮殿の外に出る。

意外に質素な規模だが。

それでも、普通だったら人間が素手で壊せるものじゃあない。

だが、龍剣はそれを可能にする。

ほどなく、柱が砕かれた音がした。

素手でやったのだろう。

どういう腕力をしているのか。

地震のように辺りが揺れる。

せっかく平穏が来たのにと、民が此方を見ているのが分かる。

それだけじゃあない。

そもそも真っ青になって、今度は何て乱暴な人が来たんだと、完全に拒否反応を示してしまっている。

「あれは猿だ……」

誰かが呻く。

猿とは獣の一種で、人に似た姿をしていながら体は何倍も大きく、腕は四本。目は三対ずつ六つ。全身を黒い剛毛で覆われ、岩を投擲するくらいの知能を持っている。その分虎ほど動きは速くない。勿論人を襲って喰らう。

虎に比べると脅威度は低いものの、当然危険な獣である。

連白も道中で、この猿に何度も襲われた。

幸い群れない事だけが救いだが。

それでも、一体が出ると、退治の経験があるものが数人は出ないといけない状態になる。

不思議な事に、他の獣と同じく戦争が起きているときはよってこない。

また人間に似ているからか、他の獣と違って食べる文化も無い様子である。

呻いた誰かに、しっと動作をして見せる。

そのものが青ざめて頷く。

簡庸の民は、最初に非常に温厚な対応を見せた連白に対して、信頼を寄せてくれてはいるが。

その信頼は多分今できた。

龍剣が荒れ狂うのを見て。

その対になるような連白に期待した。

昏帝を撃ち倒した隼快に期待したような感覚だろうか。

分からないでもないが。

やがて、完全に宮殿は倒壊。勿論無傷のまま、龍剣が出てくる。猿と呼ばれている事も知らずに。

「者ども、聞けい!」

咆哮だった。

言葉とは、とても言えなかった。

耳を塞ぎたくなるのを、何とか抑える。

「これにて央は滅びた! これより新しい時代が到来する!」

せっかく生じかけていた秩序をぶちこわしにしておいて。

そう、連白は一つだけ心中で愚痴っていた。

勝ち誇っている龍剣は、それに気付けていないようだった。

 

4、暴威の権化

 

追いついてきた山霊に、状況を説明。国庫を引き渡す。

既に張陵が宝物の目録をまとめてくれていたので、それも一緒に渡す。

元々略奪なんてするつもりはない。

山霊は鷹揚に宝物を受け取ると。

さらりと言う。

「良く殺されなかったな」

「……恐ろしい方ではありますね」

「ふん、恐ろしいか。 まあ確かにそうだな」

山霊が行く。

その後辞令が来て、負傷者が休養を終え次第、すぐに唐に戻るようにと言われた。追って龍剣も唐に戻ると言う。

あれれ。

此処に唐王を呼ぶのではないのか。

そう思って小首をかしげたが。

どうも龍剣には、ここを根拠にする考えはないらしい。

それはそれで有り難い話ではある。

張陵が頷いたので、話を聞きに行く。

「どうやら龍剣丞相は、本当に戻るつもりのようでございます」

「しかし央はどうする」

「章監将軍を気に入ったらしく、任せるつもりのようでして」

「……」

つくづく分からない人だ。

そう連白は思った。

親の仇と短絡的に殺していなかったのか。それどころか、これでは最大級の厚遇ではないだろうか。

まあ龍剣の分析はいい。

問題は山霊だ。

山霊は連白を前から殺そうとしていた。

何か仕掛けてくるのは確定だろう。

そう思っていると、張陵が話を振ってくる。

「時に連白大将軍」

「うむ……」

「恐らく明日に、戦勝の宴会が行われることでしょう。 野営で行われるのはほぼ確定かとも思います」

「まあ、それはそうだろうな」

事実龍剣は宮殿で大人しくしているよりも、野営にいる事を好むようだ。

戦場が本当に好きなのだろう。

度し難いが。

そういう存在もいるという事で、納得するしかない。

「その宴会で仕掛けてくるかと思います」

「!」

「石快将軍」

「おう」

石快が前に出る。

張陵が参謀として活躍し。多くの戦いを勝利に導いてきたことを石快は知っている。だから張陵を尊敬してくれている。

これは連白としては有り難い。

言い聞かせないとならない場合もあるのだが。

相手を見定めて、敬意を払ってくれる石快は。部下としてはとても優しい方だと思う。

「まず間違いなく山霊車騎将軍は、連白大将軍を殺すために難癖をつけようとするだろうから、それを防いで貰いたい」

「分かった。 それでどうすればいい」

「まず連白大将軍は、粗相をしないように深酒をお避けくだされ」

「うむ」

てか、元々そんなに飲めない。

とはいっても、飲まないわけにはいかないか。

そこで、幾つか細工をするという。

更に、だ。

「粗相がなければ強硬手段に出る可能性もある。 例えば剣舞」

「!」

「剣舞に紛れて殺してしまうと言うのも手だ。 石快将軍、その場合は剣舞の相手を受けて立て」

「任せろ。 必ず防ぐ」

頼もしい。

他にも幾つを決めると、一旦解散とする。

明日の戦勝会は朝からだ。

央の民にはしばらく不幸が続くかも知れない。

だが、ともかくだ。

最後には。

出来るだけ犠牲を少なくして。平穏な世界にしたいものだった。

しかしそれには、新しい方法では病になる。

統一しかないのかもしれない。

既に央の武帝がやってくれている。

自分にやれるだろうか。

冷や汗を掻くばかりだが。それでも、不安に怯えている周囲を見ると。連白は、黙ってはいられなかった。

 

(続)