修羅が行く

 

序、四海平原

 

商という国は、昔あったいわゆる七国で国力が最弱だった。どんどん周囲に自分より強い国が出て来た。兵士は宋よりは強かったが、経済力ではとてもではないが宋の足下にも及ばなかった。

だからからか、大げさな地名をつける事が多かった。

今、戦いが行われているこの土地が、大げさにも四海平原と名付けられている事を龍剣は知っている。

戦いが始まる前。

作戦会議が終わった後。本当の作戦を山霊に告げられて、その時にあわせて知らされたのである。

四海とは、四方の霧の先にある伝承上の海をあわせたほど広いという意味だそうだ。

笑わせる。

こんな場所、虎川から出た辺りの、霧に行き着くまでの海よりも遙かに狭い。

今、右翼部隊を率いる宋魏が。偽装撤退を開始した央軍に攻めかかっている所である。指示も出していないのに、勝手な行動を。

だがそれは想定済み。

一方連白の率いる左翼は。しんと静まりかえっている。

これも想定済み。

流石山霊先生。

そう龍剣は思いつつ。矛で軽く肩を叩いた。

まだ出る時じゃない。

戦鬼の権化のような龍剣が平然としているのを見て、兵士達も静かにその時を待っている。

誰もが信頼しているのだ。

龍剣と山霊を。

山霊の指揮で、この軍はここまで強くなった。

こびへつらうだけが特技の無能は追いやられ、兵士達のために指揮を執れる実力のある指揮官が将になった。

だから今。

予想通り、反転してきた央軍が。一気に宋魏の軍勢を包み込み。粉砕しようとしているのを見ても、動かない。

あの七千を失ったら、負けは確定。

そうとも思える状況でもだ。

流石に央軍、黒い軍団の動きは見事で。一瞬で宋魏の七千を潰走状態に追い込んだ。特に戦車隊の凄まじい戦闘力は、此処からも見て取れる。

だが、それが命取りだ。

山霊が頷き

ドラが鳴らされる。

同時に、殺気を全快に、龍剣は突貫した。

叫び声が轟くと同時に、一斉に兵士達が走り出す。わずかな数の戦車も、龍剣に遅れて続いてくる。

その一つには山霊も乗っている。

最前線に身を置くことを怖れない。

それが山霊のいう厳しい指導を、兵士達が嫌がらない理由だ。山霊は剣の使い方にしても指導の仕方にしても、まず自分でやってみせる。

だから説得力がある。

龍剣が先生と呼んでいるのもその説得力を後押ししている。

八十数戦を勝ち抜いた生ける伝説。

その伝承は、噂では無いと龍剣は確信していた。

戦車隊の横っ腹に、突撃。

戦車隊は調子良く宋魏の部隊を叩きのめしていたが、いきなり横を疲れて横転。数台を文字通り蹂躙するだけで、戦車隊の動きが止まり。其所に矢の雨が一斉に降り注ぐ。

戦車と言っても所詮馬が引く箱だ。足を止められてはどうしようも無い。更に戦車の欠点として、方向転換が難しいという事もある。

殺到した八千が、無敵を誇った央軍に食い込み、一気に蹴散らし始める。算を乱した央軍に、龍剣がその暴力を全力で叩き付ける。

兵士達が次々と消し飛び消滅する中、龍剣は敵将の一人を見つける。

そのまま、頭を矛でたたき割る。

戦車もそのまま、影にひっくり返させる。影は体格が大きく、体当たりで戦車を横転させることも出来る。

将を失った兵士達が、算を乱して逃げる。

勝ちに奢りきっていたからだ。

戦えば勝てると信じ切っていた。

だからこうも脆い。

更に突撃を続け、宋魏の軍を蹂躙していた敵の前衛を発見。その真っ正面から突撃をする。

龍剣の凄まじい武勇を見て、敵が怯む。

その一瞬が命取りだ。

文字通り爆砕された敵の前衛が、粉々に飛び散る。

蛇が敵を締め付けるように、宋魏の軍勢を消滅させようとしていた央軍は。もはや頭と胴を貫かれた蛇に過ぎなかった。

ただ、それでも撤退のドラを鳴らし。

退却を始めるのは流石だろうか。

追うな、と山霊には言われている。

なぜなら、退路には。

既に連白の率いる軍が待ち伏せているからだ。

思ったより高い練度で、逃げてきた央軍に矢と石の雨を降らせる連白の軍勢。

行軍を見てもしっかりしていると思ったが。

これは確かに、山霊先生が警戒するのも分かる。

相当な知恵者がついているか。

それともあの連白という、眠そうな目をした弱そうな奴が。妙に慕われているのに関係があるのか。

それはよく分からない。

兎も角退路に現れた伏兵に強か叩きのめされた央軍は、無敵の名を放り捨てて逃げ散る。

討ち取った敵兵だけで五千以上。敵の一割を屠ったと言う事で、ほぼ完勝である。

それに対して此方の被害は千五百。

その九割五分以上が宋魏の軍だった。

追撃はしない。

必要ないと山霊先生に言われたからである。

我ながら、大軍を相手の戦いは初めてなのに、良くやれた。そう思って、龍剣は良い気分だった。

一度引き上げて、軍勢を集結させる。

そして、戦勝の会議を行う事になった。

青ざめている宋魏。それはそうだ。全軍を崩壊させる切っ掛けを作りかけたのだから。だが、それさえも山霊先生は利用して見せた。

全軍を掌の上。

文字通りの軍師である。

更に山霊先生への尊敬を強くした龍剣だったが。

同時に強い思いも手にしていた。

やはり自分は最強である、と。

周囲から良く言われていた。最強であると。

だが、龍剣自身は、強い自負はあっても最強であるとまでは確信していなかった。何処かにいるのではないかと考えていたのだ。自分よりも強い者が。

しかしそれはない事がはっきりした。

意気揚々と本陣に戻る。

これから会議をするため、龍一や山霊先生と話をしなければならないからである。

だが、其所で待っていたのは、面白くも無さそうな顔をした龍一だった。

「戻ったか、龍剣」

「如何なさいました」

「寄せ集めの軍の通弊でな。 早速もめ事が起きている様子だ」

馬鹿馬鹿しい話だと、龍一は吐き捨てる。

そうだろうか。

何だったら、今龍剣が率いている八千。龍一が持っている一万。それに恐らく呼応するだろう連白の五千。合計二万三千で、残りを蹂躙してやれば良い。そして誰のおかげで勝てたのか、思い知らせてやれば良いだけだろう。

そう堂々と言うと。

山霊は大きく嘆息した。

「龍剣。 それでは殺戮集団と化した央軍と変わらぬわ」

「……申し訳ありません」

「良い。 まず此処で問題なのは、唐王に他の王が反発していると言う事だ。 そして補給物資は、唐だけで賄っているのでは無い。 特に宋から物資がかなり支給されているという事もある」

「食事をしなければ力は出ない、と言う事ですな」

頷く龍一。

この世界では、食事をしなくとも死ぬ事はない。

だが、食事をすれば力が出る。

戦の時は、食事をしていることが前提になる。だから兵糧というものが必要になってくるのである。

いつ襲われるか分からないし。

いつ戦うかも分からないからだ。常に力が満ちている状態にしておかなければならないのである。

その兵糧が尽きてしまうと。

確かに、今龍剣が信頼している八千の精鋭でも、動きづらくなるだろう。

「もしもの場合は、私が目配せをする。 その場合、他の五王の首を刎ねよ。 だがそれ以外の時は、何もせぬように」

「……はっ」

山霊先生に言われると、素直になる龍剣である。

龍剣は元々信頼した相手には、謙ることを苦にしない。

親である龍一もそうだし。

山霊もそうだ。

だが、龍一と山霊は必ずしも仲が良くない。龍一はどうも、山霊のあまりにも切れ味が鋭い頭を怖れているようなのだ。

山霊は央と戦う同志であるのに。

どうして仲良く出来ないのか。それが、龍剣には悲しくもあった。

二人と、他の将軍達と共に会議が行われる本陣に出向く。

戦闘に参加した軍は二万五千。事実上倍の央軍を打ち破った事になる。

既に大量の斥候を放って動向を探らせているはずで。

会議の時は、その話になるだろう。

本陣では、流石に龍剣の凄まじい武勇が話題になっている様子で。兵士達は、皆青ざめてひそひそと話していた。

内容が聞こえてくる。

「鬼神人というのは本当らしいな。 敵兵を紙くずの様に引きちぎっていたそうだ」

「間違いなく天下最強らしい。 人を捕らえて頭から貪り喰うらしいぞ」

「恐ろしい……」

残念ながら人間なんて食った覚えは無い。

というか死ぬと死体が消えてしまうのに、どうやって食うのか。

苛立ちながら、本陣の天幕に入ると。

山霊先生の策に載せられて、無様な壊滅を遂げたくせに。

自分のおかげで勝つことができた的な顔をしている宋魏が、偉そうな顔をしていた。

また、積極的に根回しもしている様子である。

「龍剣よ」

「はい、先生」

「ああいうのが腐敗した組織で伸びる者だ。 近いうちに消す」

「分かりました」

山霊先生も、何カ国かを渡り歩いた。

央軍は目の敵にしていたらしいが、それもその筈だ。

雑軍に等しい各国の軍を短時間で精鋭に鍛え上げ。

そして何度も央軍の出鼻を挫いてきたのだから。

庵に引っ込まなければ、殺しに来ていただろう。央の法律では、無抵抗の者を殺してはならないというものがあったらしいからだ。

だが、央軍はそれを忘れた。

皮肉な話である。

その法が守られていたから山霊先生は殺されずに済み。

法を央軍が忘れたから。山霊先生に負けたのだ。

本陣に入ると、唐王が最上座に。

他の王達がその左右を固めていた。

何が王か。

龍剣は内心毒づきながら跪く。

どいつもこいつも、適当に担ぎ上げられた破落戸共の親玉では無いか。唐王は例外的に比較的まともな性格だが。それでも所詮は所詮。ただの小物だ。

後から来た連白も跪く。

宋魏は偉そうな顔をして、龍剣の隣に跪いた。

根回しをしているのをさっき見ていたし。山霊に機を見て消すと言われていたので。此奴にはもはや何も期待していない。

だいたい将としての器量がないことは、既に先の戦いで明らかだった。

唐王から声が掛かる。

「龍一丞相」

「ははっ」

「先ほどの戦いにて、央軍の不敗伝説を打ち砕いた事、誠に見事であった」

「有り難きお言葉にございまする」

龍一も面白くないだろうに、そう白々しく返す。

まあいい。

その後が、問題だった。

「斥候によると、敵は商を放棄。 わずかな数が北東にある周に逃れ、大半は西に移動したようだ」

「西となると……」

「そう。 央本国に戻り、援軍を要求するつもりだろう」

央軍は機動軍だけで十二万と言われている。

法でしっかり現在でも央の支配地域は管理されていると言われており。それらの地域では。充分な民がいて、兵糧が確保されており。兵士達も訓練を受けて、いつでも出撃できる態勢が整っている、と言う事だ。

そのうちの五万を破ったに過ぎない。

まだまだ戦いは始まったばかりなのだ。

「龍一丞相は、周に逃げ込んだ敵の掃討作戦をお願いしたい。 兵はそのまま一万を率いていってほしい」

「分かりましてございまする」

「他の将校は、商にて態勢を整える。 我が軍は先の戦いで大勝したが、央軍に守りに徹せられると、とてもではないが攻め落とすことは不可能だ。 そこで、今回央から奪回した商の土地で兵士達を集めて、それで侵攻作戦を行う事とする」

以上、と唐王が言うと。

礼をして、下がることになった。

龍一だけで大丈夫だろうか。

少し心配になったが、龍一は于栄と官祖、それに山霊先生が抜擢した劉処という将をつれていく。

またこの一万も、山霊先生が短時間だが面倒を見たし。

何よりも、残りの三万弱のうち。

龍剣の直属八千と、連白の五千以外は訓練をしないと話にならない程弱い。事実宋魏が率いる七千は、先の戦いで無様に壊滅したばかりである。

戦勝の噂を聞き、兵はどっと流入するだろう。

経済的に豊かな宋はほぼ安全圏になった。

唐は元々あまり経済的には豊かではないから、これからは宋の穀倉を頼りに兵の遠征を行う事になるという。

その結果、恐らく二十万程度の兵は集まるはずだと山霊先生は言うのだった。

問題は、龍一が追う事になった央軍だ。

央軍は全体的に動きが良かったが、一部そのなかでも妙に動きが鋭いのがいた。

ひょっとするとだが。

武帝と一緒に戦った古株の生き残りかも知れない。

敗走したその部隊は千五百ほどと言う事だが。

一万と言っても、安心できるのだろうか。

不安である。

龍剣は不安なので、山霊先生に打ち明けたが。

先生は首を横に振る。

「此処が踏ん張りどころだ。 宋魏めが根回しをして、まずは龍一を崩しに掛かったのは間違いない」

「どういうことでしょうか」

「宋魏からすれば、先の戦いでボロを出した分、此方の権力を削りたいという所なのだろう。 そこで敗残兵を龍一に追わせるように、王達に賄賂でも送って仕向けさせたというところだろう。 もしも龍一が手間取ればそれだけで難癖をつけられる。 もしも敗退すれば万々歳、というわけだ」

「おのれ卑劣な……!」

すぐに宋魏の首をねじ切りに行きそうな龍剣を、冷静な声で待てと山霊先生は止めた。

今は様子を見るしか無いと。

それに、だ。

これから流入する兵士が多くなること。

それらにきちんとした訓練をしなければ、央軍にはとても勝てない事。

これはいずれも事実である。

流入してくる軍には、林紹の残党も多くいるだろうし。

そいつらはしっかり鍛え上げないと話にならないほど弱いはずだ。宋魏の兵のように、である。

確かにその通りか。

それに、と。

山霊先生はもう一つ付け加えた。

「警戒すべきは宋魏だけではない。 連白にも気を付けるべきだ」

「確かに不思議な魅力を持つようだが、先の戦いでも作戦通り動いただけだったであろう」

「いえ、あれは将の将だな。 私も今まで実物は殆ど見た事がない」

「将の将?」

しかりと、山霊先生は言う。

例えば央の武帝のように。

癖の強い将軍達を上手に従え。その将軍達を手足のように動かす事が出来る者がいるという。

本人が強くなくとも良い。

将軍達が十全に力を発揮できれば。大軍は思うさまその戦闘力を発揮する事が出来るのだそうだ。

「今回の戦では、龍剣よ。 そなたの活躍が、敵の軍団の出鼻を挫いたに過ぎぬ。 あのようなものは余技だ。 もしも敵にまともな将がいて、それが十全に力を発揮していたら……危なかったやも知れぬ」

「そのまともな将が連白やも知れぬと」

「間違いなくそうだ。 もしも連白が敵に回ると厄介な事になる。 警戒をなされよ」

「……」

どうにも納得がいかない話だ。

眠そうな目をしていて、弱くて。

周囲の将に支えられて、やっと一人前になっているような奴である。

確かに不思議な魅力があることや、多くの将が集まっていることは認める。遠くから見たが、張陵などは是非ほしいと思える人材だった。

だが山霊先生が其所まで警戒する程か。

「分かりました。 気を付けることとしましょう」

「うむ……」

雨が降り出した。

何とも釈然としない気分の中、唐軍の陣営に戻る。これから陣を引き払い、広くもない商全域を要塞化しつつ、兵士を鍛え上げて央を潰す戦いに備えていくことになる。

央攻めには龍一が戻ってくる事が前提だが。

今からでも、龍剣が代わるべきかと思った。

それを告げるが、山霊先生は首を横に振る。

「龍一にも誇りがある。 やらせてやれ」

そう言われると、黙らざるを得ない。

雨の中、以降は何も喋らず。龍剣は陣に戻ると、酒を呷った。

 

1、衝撃

 

周はそれほど大きくない国で、中の世界の東側を明と二分していた国家である。二分と言っても、明が遙かに大きかったが。

明は強力な軍を持っていたことで知られていて、唐も明を避けて宋を略奪していたほどであり。

央軍が圧倒的強力になる前は、周の仮想敵は主に北で交戦している清と、南側東側から攻めこんでくる明だった。

その特性上海に面している面積が旧七国で一番多く。

龍川、虎川とは比較にならない巨大さを誇る海で運用することを想定した、大きな船を使った水軍を持っていたらしいが。

それらは実際にはあまり活躍は出来なかったらしい。

ただ央が中の世界の周囲を調査したとき。

東の海上にも霧が広がっていることを発見。その際にこの旧明の水軍を利用している。勿論霧の先には行けなかったそうだ。

さて、周だが。

強敵を東にも北にも抱えて。採った手法は、要塞化だった。

周は龍川の北部にも巨大な要塞地帯を抱えているが。

南側にも有名な要塞を幾つも保有している。

その中の一つ。

「許」に、現在央軍の残党千五百程度が逃げ込んでいた。龍一はその要塞を囲むと、無言で腕組みして眺めていた。

先の龍剣の活躍、凄まじかった。

そして龍剣の力を引き出したのは、間違いなく山霊だった。

確かに知恵者は必要だった。

山霊は申し分がない人材だった。

だが山霊は、明らかに龍剣を見ている。

龍剣が最強の剣であることは側で見ていた龍一には一番よく分かっている。それは事実である。

だがその剣を振るって、この中の世界に覇を唱える者こそ龍一だ。

それをどうもあの者は。

山霊は分かっていない。

それが不愉快だった。

だから、こんな要塞はさっさと片付けたかったのだが。

流石に音に聞こえた周の要塞。

凄まじい城壁の規模だ。

その上央が拠点としてそれを更に整備した形跡もある。攻城兵器は、唐の時代の図面を探して持って来て作らせているが。

投石機では石が届かない。

衝車(振り子方式で丸太をぶつけ、城門を破る兵器)では城門に辿りつく前に、油を掛けられ燃やされてしまう。

井蘭(巨大な移動式はしごで城壁の上の兵士を直接射る)は、そもそも城壁に高さが届かず、兵士がつるべ打ちにされてしまうし、やはり油壺を叩き込まれてしまう。

そういうわけで、苦戦を余儀なくされていた。

苛立ちが募る中、于栄と官祖が来る。

山賊上がりの割りには、山霊に仕込まれたからか。非常に丁寧に接してくる。この手の輩は、大体地が出るものなのだが。

無口な官祖と違い、于栄は良く喋るが。

主導権を握っているのは官祖のようで。

見ていると中々に面白い。

「許に逃げ込んだ敵の正体が分かりました」

「ほう」

「章監にございます」

「!」

聞いた事がある。

武帝が連れていた将軍たちのなかの一人。

古強者の生き残りだ。

武帝とともに戦場を駆けた将軍達は、殆どが病に倒れてしまった。天下統一というやった事がないことをやろうとしたからだ。

だがそんな中、天下統一事業の最末期にほこらから現れ。

目をつけた武帝から、将軍としての手ほどきを受けた者がいると言う。

それが、章監である。

あの戦いにそも参加していたのか。

だが、参加していたのなら、総指揮をしていなかったのだろうか。

小首をかしげると、于栄が続ける。

「先に捕らえた央軍の兵士によると、先の戦いで軍を指揮していたのは、昏帝の覚えが良い将軍で、戦死したそうにございまする」

「……きな臭いな」

「はい。 此処は一度兵を引いて、援軍を呼ぶか、せめて龍剣大将軍を呼ぶべきかと思いまする」

「それは出来ぬ」

それをしたら、流石に無能の烙印を押される。

宋魏めが、余計な動きを始めているのだ。

奴のような輩につけいる隙を与えてはならない。

龍剣は龍一の危機となれば、即座に駆けつけてくるだろうが。

六分の一の兵を相手に苦戦しているとなれば。

その後の発言力が落ちる。

こんな所で躓いているわけにはいかないのである。

「兵に敵を挑発させよ」

「挑発、にございますか」

「此方は六倍、余程の事がなければ負ける事はない。 敵を弱いと勘違いした兵士達が、サボり始めているように見せかけよ。 酒を配って飲ませろ。 敵の前であくびをさせろ」

「はあ……」

そして、出てきた所を討つ。

そう告げると、釈然としない様子で二人は戻っていった。

大まじめに策を実施するつもりだろう。

代わりに天幕に入ってきたのが劉処である。

劉処は流石に龍剣ほどではないが、背が高く豪傑然とした大男であり。

鯨歩と武勇では互角とまで言われている。

唐軍が出立する前に山霊が見いだした将軍の一人で。

肥大化した誇りを持つ鯨歩と違い、穏やかで普段は殆ど自己主張をしない。というよりも、必要な事以外喋る気が無い様子だった。

その一方で、戦場では小さな龍剣とでも言うべき活躍を見せる。

先の戦いでも、龍剣の後方で凄まじい戦果を上げた将軍の一人である。敵に与えた損害は、鯨歩とほとんど変わらなかったようだ。

そんな劉処が来る。

何かあったというのは明らかである。

「如何したか」

「撤退すべきにございます」

「何。 詳しく申せ」

「調べて見ましたが、敵兵は敗残兵ではございません」

劉処は目が良い。

近くの山に登って、其所から遠目で敵を確認してきたという。

その結果、敵には負傷者が殆どおらず。無傷の装備で牙を研いでいる、というのである。

「あれは間違いございません。 央の最精鋭にございます。 恐らくは、意図的に乱戦の中で兵を守りつつ、離脱して此方に逃げたのだと思います」

「だからなんだ」

「もしもぶつかり合うと不利にございます」

「そんな事はあり得るか!」

確かに今手元にいるのは、短期間の訓練しか受けていない雑兵だ。

だが一万である。

千五百の六倍以上である。

それが相手が如何に地の利を得ているとは言え、一方的に負けてたまるか。

どいつもこいつも。

相手が章監だろうがなんだろうが、必ず勝つ。

そもそも此処で負けて躓く訳にはいかないのである。

劉処を下がらせる。

作戦さえ上手く行けば、かならず章監は打って出てくるはずだ。

其所を討ち取ってやれば良い。

それだけの話だ。

ため息をつく。

周囲に誰もいない。

いつの間にか、龍剣に頼り切っていた自分に気付く。確かにあれほどの切れ味鋭い剣だ。頼りにはする。

だが、それでいいのか。

龍一には大望がある。

この中の世界に覇を唱えるというものだ。

最初にやった奴がいる。

だからもう新しいことでは無い。故に病を発する事はない。

実の所、央の武帝には感謝している。奴が先にやってくれたので、堂々と天下を目指せるからだ。

だが、どうしてどうもこう最初で躓くのか。

山霊に意見を聞くか。

いや、嫌だ。

あいつはどうも気にくわない。

龍剣を英雄と見ている節がある。確かに龍剣は自慢の娘だが。龍一だって、ひとかどの将軍である自負がある。

それに、歯に衣着せぬ物言いが気にくわない。

勿論気にくわないから意見を聞かない、というような器量の小ささでは駄目なことも分かっている。

だけれども。

わざわざ遠くいにいるのを呼び寄せる程では無いと思うし。

そんな事をしていたら、確実に宋魏めに足下を掬われる。

龍剣では、老獪さでまだあの宋魏に勝てない。

戦いになれば瞬殺だろう。

だがあの宋魏、素性はよく分からないが、恐らくは何処かで役人をしていたものだと見た。

あの根回しの速さ、そうでなければとても説明がつかない。

もう一度、ため息をつく。

さて、作戦は上手く行くか。

外では、早速兵士達がさぼるふりを始めている。

よし、と頷き。

そしてついでなので、罵声を浴びせさせる。

腰抜け腑抜け。貴様らは逃げ隠れる事しか出来ないのか。それでも最強の軍勢か。そう罵声を浴びせ。ひたすらおちょくってやる。

それが一週間続き。

二週間続き。

三週間続いた頃。

いつのまにか、龍一も、酒に手を伸ばしていた。

酒は好きだ。

龍剣も酒は好んでいる。

これは恐らくだが、親子で趣味があっているのだろう。しかも龍一と同じく龍剣も、度が強い酒を好むようである。

酒は基本的に卑を発酵させて作る。

方法は七国でそれぞれ違う様子だが。特に唐では強い酒を飲むことが多く。酒は飲みすぎると、精神に異常をきたすことがある。

だからほどほどにと思っていたのだが。

こうも何もする事がない上。

何よりも敵が一切動かない状態では、酒くらいしか無い。

心配そうに劉処が様子を見に来る。

「丞相」

「なんだ……劉処か」

「酒が過ぎまする。 もしも本当に敵が出撃してきたらどうなさいます」

「その時は押し包め……」

頭がぐらんぐらんする。

劉処は呆れかえったように言う。

「既に全軍が貴方のような状態です。 すぐにこの乱痴気騒ぎを辞めるように通達を出してください」

「なんらと……」

「このままでは、相手をおびき出すのでは無く、本当に油断したところを蹂躙されるだけにございます」

かなり強い口調で言われて。思わずかっとなった。

劉処に酒の入った器を投げつける。

土を焼いて作ったものだ。作るのに手間が掛かるから、貴人しか使わない。普通は竹などを切って其所に酒を入れて飲む。

「良いから敵に備えよ!」

「……分かりました」

「まったくどいつもこいつも……」

視界がぐらつく。

天幕から外に出ると、周囲の誰もが酒を飲んでいた。

まあこれなら、敵も油断して出てくるに違いない。

からからと笑うと、その辺の木に背中を預けて眠る。もう天幕に戻るのも面倒くさい。

そして、である。

気がつくと。

周囲が燃えさかっていた。

酔いが消し飛ぶ。

本当に敵が打って出てきたのだ。

龍一にもそれが分かった。

そして、味方は迎撃に失敗したのである。

慌てて走って逃げようとするが、ここしばらくの深酒は体を強かに弱らせていた。何度も転びそうになる。

央軍は、文字通りの黒い軍団。

夜に乗じて仕掛けて来た様子で、文字通り縦横無尽に此方の陣を蹂躙して回っている。

駄目だ、これは勝てない。

劉処の言う通りだった。

于栄と官祖は無事だろうか。

考えながら、必死に墜ちている矛を拾う。持っていた兵士は、既に殺されて消えてしまったのだろう。

急いで木陰に身を隠そうとした瞬間。

龍一の頭に衝撃が走った。

後ろから、矛で頭をたたき割られた。

そう悟ったが。

もはや、どうすることも出来なかった。

思考が薄れていく。

龍一は、おのれ、おのれと呟きながら。己の覇道が、霧に消えたことを悟るのだった。

 

龍一の軍勢が敗退。龍一は戦死。

敗残兵をかろうじて于栄と官祖がまとめて撤退して来るも、損害はおよそ三千。完敗である。これでも劉処が自分の軍を冷静にまとめ上げ、殿軍として敵を防ぎ止めて。それで被害を減らした結果だという。

劉処は更に敵の移動経路も突き止めていた。

敵は章監。

鮮やかに龍一を討ち取ると許を放棄。

そのまま西に逃走し、一気に央。要するに旧秦領に逃げ去ったと言う事だった。

それを聞くと、龍剣は最初頭の中が真っ赤になり。

拳で地面をたたき割っていた。

そして凄まじい雄叫びを上げて、天幕を内側から吹き飛ばしていた。

目の前がようやく静かになってくると。

地面に出来た地割れと。

咆哮で吹っ飛んだ天幕。

そして、度肝を抜かれて腰を抜かしている兵士共と。

こんな状況でも目の前に跪いている劉処、于栄、官祖に気付いて。ようやく状況に落ち着いてきた。

「敗戦の責任は如何様にも。 しかし兵士達はお許しください」

「……そなたに責は無い。 負傷者の手当を行い、体を休ませよ」

劉処が、完全に酔いつぶれている龍一を何度も諌めていた様子は、于栄と官祖も報告してきている。

報告を聞いている間は思考が停止していたが。

それはきっちり覚えている。

龍剣はさっそく唐王の所に出向く。その途中で、立ちふさがったのは山霊だった。

「どこに行く、龍剣よ」

「先生、お退きください。 これより復讐戦の許可を……」

「まだ我が軍は央軍とまともにやり合えるほどの準備も数も揃っておらぬ。 今は足下を固めるのが先だ」

「……っ」

山霊の言う事は、静かではあるが激しい。

だから龍剣は、それを聞く事が出来る。

大きく深呼吸すると。

足を止めて、じっと黙り込む。

また龍剣が話し始めるまで、山霊先生は待ってくれた。

「如何いたしましょう」

「まず唐王に状況を報告。 すぐに宋魏がしゃしゃり出てくるはずだ」

「はい」

「その後、宋魏を排除するための準備を整える。 恐らくは、丞相は宋魏が引き継ぐ筈だが、いまは耐えよ」

あんな小物が。

父の後を引き継ぐだと。

確かに山霊先生の言う通り地固めの時とは言え。

本当に腹立たしい事だ。

それにしても、父を破った章監という奴。どんな将軍なのか。実の所、章監そのものにはそれほど怒りは感じていない。

戦いで勝った。

それだけのことをしただけだ。

それに、元々出て来ている央軍は盆暗揃いだったと聞いている。

章監が出て来たのだとしたらごく最近の筈。

どうして出て来たのかは分からないが。

いずれにしても、恨みは感じなかった。

父を失った悲しみは強いが。

父を殺した相手に恨みは感じない。

これもまた、変な話である。だが、武人としてだからなのか。龍剣はそう考えてしまうのだった。

まず、此処は場慣れした山霊先生に任せる。

そう決めて、心を静かにする。

唐王の所に出向くと、早速宋魏が何やら話していた。そして、宋魏は龍剣をゴミでも見るような目で見た。

鼠が。

お前なんぞ、すぐに引きちぎってやる。

そう考えながら、唐王に跪く。

唐王は、龍剣を見つめながら言う。

「大将軍、今回は不幸なことであった。 余も父を央軍の手で失った。 そなたの悲しみは分かるつもりだ」

「……」

「まずそなたには、軍の再編成を頼みたい。 しばらくは、丞相の代役は宋魏に務めて貰う事となる。 そなたは山霊車騎将軍とともに、軍の訓練をし、二度と央軍に遅れを取らぬ精鋭を鍛え上げてほしい」

「はっ」

唐王の言葉は本心からの憐憫に満ちているようだったので。

それだけは、龍剣も苛立ちを感じなかった。

まあ唐王は、本当に心優しい者なのだろう。

だからこそ担ぎ上げられたし。

具体的な事は何一つ出来ずにいる。

今回も、他の王どもに、好きなように決められたのだろう。山霊先生が言うように。あの宋魏が、根回しをしていたに違いない。

宋魏のような輩は、国を腐らせる毒だと、少し前に山霊先生に言われた。

その通りだと龍剣も思う。

まあいい。

丞相の座は、ほんの少しだけ預けておいてやる。

全てはそれからだ。

一度、陣に戻る。

それから、訓練をしている兵士達の所に出向く。

訓練用の棒でも、今は人を殴り殺しそうで怖いので、静かに山霊先生による兵の組織化、人材の抜擢を見つめる。

これに関しては実績があるからか。

宋魏は何も口出しをできないようだった。

一度は敗戦をきっしたものの。

それでも央軍主力を叩きのめした実績が効いてきているのだろう。

何よりも、各地を脅かしていた央軍の機動部隊を、央に叩き返したという事が効いている。

兵は、続々と集まって来た。

そして、半年が過ぎた頃に。

兵は二十万に達していた。

 

2、鼠を駆除し

 

想定通りの兵力が揃った。

林紹の集めた十二万を遙かに超える軍勢である。そして、このうち二万を連白が率いて、各地の治安安定に向かっていた。

連白の手腕は見事で、文句のつけようがない。

荒れている街は慰撫し。

凶賊の類は討伐し。

各地で見事な実績を上げた。

少しだけ、山霊先生の危険視している理由が分かったかも知れない。半年で、周と商、それに明はほぼ落ち着いたのである。

一方で、龍剣も兵を率いて宋の慰撫に向かったが。

此方は思ったほど上手く行かなかった。

賊は退治できた。

龍剣が来る、という話が伝わるだけで、賊は逃げ散るようになった。

だが、反発する者には、龍剣は容赦しなかった。

央の役人だったものが。胸を反らして暴には屈しないと傲然たる態度を取ると、どうしても不愉快になる。

斬ることまではしなかったが。それでも縛り上げ、放逐するところまではやった。それをみて、更に反発を買った。だが、その反発を買っているのを分かっても、具体的にどうすれば良いのか分からない。

やり方が厳しすぎると、どうしても龍剣は嫌われ。

そして民にまで怖れられた。

山霊先生に相談したが。

それならば、連白のやり方を真似てみると良いと言われた。

先生の言う事ならばと、連白の所に足を運んでみたが。

どうも破落戸が多くいるし。

金を使って敵を懐柔しているようなのだ。

そうやって山賊を丸ごと軍に引き込んだり。

とても武人とは思えない事をやっている。

それを見ていると、とても真似しようという気にはなれない。だが、それを山霊先生は叱咤する。

「実際に連白は成果を上げている。 個人のやりたいことを個人の範囲内でやるならば、それはどうでも問題は無い。 だが上に立つ者の場合、成果を上げることがまず第一である事を心得よ」

「確かにその通りにございます。 しかしあのようなやり方は……」

「清濁併せのむという奴だ。 だから奴は危険なのだ」

現時点で少なくとも民は連白を慕っている。奴の名は急速に拡がっている。

そう、山霊先生は言う。

項垂れるしかない。

それはどうにも感じるからだ。

だからこそ、と山霊先生は言うのだ。

奴のやり方を真似ろと。

「民に慕われることを意識せよ。 そうすれば、奴が唯一持っている優位性は失われることになる」

「なるほど。 それだけが脅威だと」

「うむ。 現時点では優位性を排除できない。 お前は優れた武人だが、逆に言うと実力があるから簡単に己を変えられまい」

「……仰る通りです」

山霊先生の言葉は厳しい。

だが、正論をしっかり飲み込めなければ、上には立てない。

それも事実だと思うので聞く。

山霊先生は、いずれ連白を殺すと言い切っている。今回も同じ事を言った。だが、今は殺せる材料がないという。

今はまだ難癖をつける事が出来ない。

だが、その時が来たら斬る。

そう言われて、頷く。

確かに各地の民は、既に龍剣よりも連白の名を知るようになりはじめている。その危険性は、龍剣にだって分かるのだ。

それに、だ。

そもそも、出陣の前に、退治しなければならない大鼠がいる。

宋魏である。

「宋魏については、幾つかの裏を抑えた」

「おお。 ではついに」

「事を起こすぞ。 鼠賊を駆除する」

此方については、対応を山霊先生に任せていた。流石である。全てやってくれたと言うことだ。

宋魏がやっていた大量の賄賂による根回しの証拠確保。

真面目な唐王以外に対する賄賂。更には、彼らに対しての、央を倒した後の領土配分と豊かな生活の約束。

何よりも、過ごしやすい土地などを気前よく割譲する約束。それも唐の土地を、である。

それらの証拠を、山霊先生が細作として育てた部下によって押さえてくれていた。

一つだけでも万死に値するが。

これらが全て揃ったというのでは。

もはや龍剣に容赦する理由など無かった。

宋魏の陣に出向こうとする龍剣を、山霊がまずは止める。

「落ち着け。 既に唐王に他の王達を集めて貰ってある。 その場で、全てを明かした後、宋魏を斬る。 順番を間違えてはならぬ」

「分かりました。 それでは早速動きましょうぞ」

「それと……龍剣」

「はい」

まだ自覚がないようだから言っておくと言われた。

小首をかしげる龍剣に。

山霊は、いつになく厳しい口調で言う。

「この件が終われば、唐の……いや対央連合の主は事実上そなたになる。 その時は、私が教えた事を、自発的に行えるようでなければならん」

「なるほど。 確かに。 心するようにしましょう」

「うむ……」

山霊先生は厳しいが。

確かに、全ての出来事に先手先手を打っている。

吟遊の者が酒場で奏でる物語に出てくる軍師のようだ。

こんな人材を得たのは幸運で。

手放してはいけないとも思った。

だから、まずは言われた通りに動く。

指示されたとおりに動くのでは無い。

道筋を示されたから。

その通りに、矢のように飛ぶ。

それだけである。

唐王の天幕にまず出向く。青ざめている五王と、唐王がいた。温厚な唐王だが、目に見えて怒っているのが分かった。

既に山霊から情報はもたらされているのだろう。

龍剣が乗り込むと、五王はひっと小さな悲鳴を揃って上げた。

どいつもこいつも情けない連中だ。

龍剣は其奴らを無視し。

唐王の前に跪いた。

「唐王陛下。 既に話は山霊車騎将軍より聞き及んでいるかと思います」

「うむ。 多額の賄賂だけでは飽き足らず、勝手に戦勝後の領地の分配。 挙げ句に唐の領土の割譲だと……」

「許されぬ鬼畜にございまする」

「唐王の命により、これより宋魏の丞相の任を解除する」

この瞬間。

宋魏は賊になった。

まだだ。

まだ斬るな。

言い聞かせながら、次の指示を待つ。

「龍剣大将軍。 貴殿をこれより丞相に任ずる。 その最初の任務は、賊である宋魏の討伐である」

「ははっ」

「ただし兵士達に罪は無い。 宋魏だけを斬るように」

「恐れながら、奴を守ろうとする兵士もおりましょう。 それらを殺さずに済ませられるかは分かりませんが……」

頷く唐王。

意外に柔軟な考えが出来るものなのだな。

少しだけ見直した。

「その場合はやむを得ぬ。 だが龍剣。 鬼神人とまで呼ばれるそなたなら、軍同士の衝突のようなことは避けられよう」

「お任せを」

五王をねめつける。

また悲鳴が上がる。

此奴らも破落戸に担がれて王を自称しているくせ者だろうに。龍剣が一睨みするだけでこの有様である。

まるで話にならない。

陣の外に出ると、周嵐が影を連れてきていてくれた。

ありがたい。

そのまま影に跨がると、疾風となって宋魏の陣を目指す。

突貫する龍剣を見て、兵士達は露骨に怖れた。

この状態の龍剣を遮れるわけがない。

何度も見てきているのだ。

宋魏の陣に突入。

宋魏も事態を知ったのか、戦の準備をしようとしているようだが。大混乱になっていた。

山霊先生が手を回してくれていたのだろう。

有り難い。

そのまま陣に飛び込むと、右往左往する兵士達は無視して突撃。

宋魏の天幕に飛び込む。

奴はいない。逃げたか。

「龍剣将軍!」

「何かっ!」

「宋魏であれば、北に少数の供と共に逃げました!」

「応っ!」

多分細作だろう。

兵士による言葉に応え、全力で影を駆る。影もまた、龍剣の怒りに答えるように、いちだんと速度を上げた。

見つけた。

宋魏が、多分ここに来る前。

林紹の破落戸を集めて、大親分を気取っていた頃の部下達と一緒に逃げている。其所に、雷喝を浴びせかける。

「逃げるか賊!」

「ふ、防げ防げっ!」

必死の様子で宋魏が部下に指示するが、其奴らは振り返って龍剣を見た瞬間、離散してしまった。

腰を抜かして、すっころぶ宋魏。

青ざめて震えている奴に近付いていく。

「ま、待てっ! な、何でもする、何でもするから、殺さないでくれ!」

「黙れ下衆」

「た、民に戻る! もう此処に戻ろうともしない! だから!」

それ以上は言わせない。

頭を矛でたたき割る。

宋魏の頭は文字通り、粉々になり。

しばらく血を噴き上げていたが。やがて消滅した。

「そなたら、逃げるつもりなら斬る!」

大喝すると、逃げ散っていた宋魏の部下達が、その場で止まる。

蹲って慈悲をと叫ぶ連中を、一人ずつ簡単に掴んで連れて行く。

そして一箇所に集めると、言い聞かせる。

「そなたら死にたくは無いか」

「我等、元々林紹の乱に呼応しただけの農民にございます。 元はただの卑を育てていただけの者にございます!」

「体が強いと言う事で、宋魏に従っていただけなのです。 お許しを……!」

「何とも情けない奴らだ。 だが、許してやる。 その代わり、宋魏の悪事の数々を唐王の前で改めて告白せよ」

追いついてきたのは、劉処の軍だ。

劉処も裸馬を乗りこなせる貴重な武人の一人である。というか、最近裸馬を乗りこなせるようになった。

それでも乗っている馬の差か、軍をつれているからか。

飛ぶように行く龍剣には追いつけなかった、と言う事だが。

「遅かったな」

「龍剣将軍が速すぎるのにございます」

「……まあよい。 こやつらを連行せよ。 宋魏の取り巻きだ。 後で唐王の前にて申し開きをさせる」

「分かりました。 宋魏の陣は、既に山霊将軍が抑えました」

流石だな。

そう呟くと、戻る。

あれだけの勢いでかけ続けたのに疲れていないのか。

そう龍剣に聞かれたが。

勿論笑って答える。

「あの程度、疲れるわけもなかろう」

「流石にございまするな」

「それと、唐王には新たに丞相に任じられた」

「おめでとうございまする」

まず宋魏の陣に出向く。

既に山霊先生が、組織化された二万の軍にて、完全に武装解除と制圧を済ませていた。ほぼ死人は出なかったようだ。

山霊先生はこう言うときも鎧を着けない。

武芸については出来ない訳ではないようなのだが。

それでも、自身は参謀だという自負があるのかも知れない。

「宋魏に呼応する不穏分子がいるやも知れぬ。 唐王の所に急がれよ」

「うむ。 お任せしますぞ」

唐王の所に急ぐ。

唐王の本営は、今まで宋魏の軍が我が物顔に固めていたが。

今は其奴らを、鯨歩が追い払い。代わりに周囲を固めていた。

ただ鯨歩はやり方が山霊先生ほど滑らかでは無い。

周囲には、負傷している宋魏の兵が目立った。

鯨歩はむっつりと不機嫌そうに迎えに出たが。龍剣は軽く話をする。

「こやつらもこれから我が軍に加わるのだ。 あまり乱暴にはするな」

「自分にはこのやり方しか分かりませぬ」

「追って沙汰を出す。 そのまま警備を続けよ」

迅速に制圧したのに、何も褒めの言葉は無しか。

そう不満が顔にありありと出ているのが見えた。

だが放置。

此奴も、連白同様にいずれ斬るべきかも知れない。

龍剣を嫌っているのはあらゆる全てが示している。とはいっても、背中から斬りかかられても余裕で対処は出来るが。

唐王の天幕に。

逆賊を斬った事を告げると、唐王はご苦労であったな、と声を掛けて来る。

他の王達は萎縮しきっていて声も無い様子だった。

まだ連白の処理は終わっていないが、準備は済んだとみて良いだろう。

その日、正式に辞令が出る。

宋魏を始末したのは朝方だが。

辞令が出たのは夜だった。

龍剣を丞相に。

麾下の者には、好きな地位を与えて良いものとする。

龍剣には十二万の軍が与えられる。

これは央を攻めるための主力部隊である。

翌朝、これらの礼を言うために唐王の天幕を訪れる。昨日の混乱が一日で静まったのは素晴らしい。

連白も来ている。

連白は龍剣を怖れている様子も無く、逆らう様子も無かった。

眠そうな目の小柄な女。

だが、今の時点では。

龍剣に近い立場の、この軍団の中における軍司令官の一人だ。

「それでは、これより央攻めを開始する」

「おおっ!」

天幕の中が熱気で満ちた。

実際、龍剣も高揚を感じたほどである。

すぐにでも出ていきたいが、指示を待つ事にする。

唐王は咳払いすると、順番に説明を始めた。

「龍剣丞相。 貴殿には十二万の軍を預ける。 周から北上し、清に入って西進し、抵抗する敵を撃滅せよ。 央の穀倉地帯を抑え、首都簡庸を抑える事を目的とする」

「ははっ」

「連白大将軍」

「はい」

連白が、大将軍。

そうか、龍剣の地位の後を継いだのか。

元々大将軍というのは、特別職に近い。国家でも最大の軍事統括職だと聞いている。

勿論権限は丞相に劣るものの。

各地で見事な慰撫を見せ。兵力の拡大と、対央連合軍の拡大に一役買った手柄を、唐王は見ていたと言うことであろう。

それについては異論は無いが。大将軍か。

非常に気分が悪い話ではある。

「そなたは四万を率い、虎川を西進せよ。 峻険な山岳地帯を進み、央の首都簡庸を奇襲するのだ」

「分かりました」

此方は陽動だが。

それでも、簡庸を直撃する事も展開次第では可能、というわけだ。

また、龍剣の軍は、穀倉地帯を守るために展開してくるだろう央の主力部隊。それもあの章監が率いて来るだろう主力を相手にする事になる。

案外、平等な条件なのかも知れない。

また、連白の方も楽とは言い難い。

峻険な山岳地帯を踏破しなければならない上。

虎川の上流部と言えば、それこそ中の世界でも随一の危険地帯である。

多数の獣が棲息しており。

何よりも、過酷な行軍だけで命を落とす兵士がいるかも知れない。

勿論その分央の拠点は少なめだが。

それは兵が少なくても防ぐ事が出来る事を意味している。

更には、元々央の。正確には旧秦の土地だった辺りを進む事になる。

余程の事がなければ前進も後退も出来なくなり。

立ち往生が関の山だろう。

連白も楽ではない、と言う事だ。

それに央も地元を荒らされるのは面白くあるまい。

相応の軍が出てくるはずである。

これならば、納得だ。

「残りの四万は、どちらかの将軍が不利になった時に援軍として回す遊撃部隊として、この地に残る」

「ははっ」

正確には、この四万は使い物にならない兵士達ばかりだ。

四肢を欠損していて満足に戦えなかったり。

戦闘に適正がなかったり。

それで、主力の兵としては考えられない状況に置かれている者達である。いわゆる二線級である。

一応山霊先生が相応に鍛えこんでくれてはいるが。

それでも、治安維持が精一杯だろう。

「兵糧に関しては、問題なく供出できる。 それでは、龍剣将軍、連白将軍、どちらも任せたぞ」

「分かりましてございまする」

軍を数日掛けて編成。

出陣する。

まずは清に入る。要するに北上し、龍川を渡る。

それから西に進み、まずは央の穀倉地帯を目指す。

此処は以前、旧秦が清から奪い取った重要拠点で。この辺りは央の天下統一を支えるための重要な戦略地点となった。

そのため重厚な要塞が幾つも作られており。

それらの要塞には、既に央軍が入り込み、守りを固めているという事である。

野戦を避けるつもりかも知れない。

央軍の正規兵は十二万。

この間五千削ってやったが、その分くらいは既に補充されているだろう。

また、昏帝と呼ばれる阿呆と取り巻き達が排除されれば。

一気に中枢部が活性化し。

更に大軍を繰り出してくる可能性もある。

あまり時間はないと言う事かも知れない。

それに、連白の動きも気になる所だ。

進軍をもたついてはいられなかった。

山霊先生には、新しく軍師という職を作り、其所について貰う。

山霊先生にはそれ以外にはないと思ったからだ。

仕事は参謀達をまとめる。意見をする。以上である。

それ以外には、必要なかった。

今後龍剣が王となったら、丞相になって貰う。

山霊先生には、それ以外の人事は考えられなかった。

幾つか考えた上で、前将軍に劉処。後将軍に鯨歩。右将軍に于栄。左将軍に官祖。それぞれに地位を与える。

これらの人事は、移動しながら行った。

それなりの難事になったが、山霊先生が戦車の上で書類を揃えてくれて。

手続きは全てやってくれた。

ほどなく、大軍が渡河を開始する。

此処が一番危ないところだ。

最前衛は勿論龍剣が務める。

龍剣が八千の兵とともに渡河。この八千は、軍団の規模がどれだけ拡大しようが、手元に置く予定である。

周囲に兵を展開し、奇襲に備えながら後続を待つ。

続々と上陸してくる軍は、いずれも戦意が高い。

それはそうだろう。

山霊将軍が鍛え抜いてくれたのだから。

第二陣として、二万を率いる劉処の軍が渡河完了。更に于栄の軍も渡河を完了した。

水上で奇襲を仕掛けてくる可能性も考慮したのだが。水上での戦いは、あまり起きた事がない。

船が技術的に未熟だから、というのが理由として大きい。

被害ばかり増えて、戦術も何もないのである。

央軍は色々なものを改良したが。

それでも改良に手が回らなかったものがある。その一つが船だ。

虎川沿岸を荒らし回って唐蛮とまで言われた唐でも、船に関してはずっと木をくりぬいて、たまに左右にひっくり返るのを防ぐための補助をつけた程度のものを使っていたのである。

新しいものを作り出すと病気になる。

そんな世界だ。

船の改良何て難事、どれだけの犠牲が出るか分からない。

これについては、央を笑うことは出来なかった。

龍剣も、唐出身だからだ。

十二万の軍勢が展開を完了。西へと進み始める。

これから一週間ほどの距離で、最初の央軍の要塞がある。衛というそうだ。その要塞を越えるとまだ要塞があり。その先には要塞地帯が続いているとか。

山霊先生の話によると。

もし央軍が、総力戦を挑んでくるならその間だろう、ということだった。

おあつらえ向きな平原や湿地帯が幾つかあるのだ。

途中には川も幾つも流れている。

戦術家としての技量を試されるような場所だ。

進軍していても、殆ど志願兵は無い。

龍剣の軍、というだけで。

近くを通り過ぎる街の者達は畏れ。門戸を閉じて、通り過ぎるのを待つばかりだった。

補給はある。

だが、何処か避けられている。

それ以上に怖れられている。

それを龍剣は感じていたが。

別に弱き者に怖れられるのは当たり前だと思っていたので、それだけだった。

 

3、進撃

 

章監が央都簡庸に戻る。

味方の動きが鈍すぎるからだ。

既に、対央連合軍合計十六万が、二路に別れて進軍を開始した事は掴んでいる。そのうち十二万は、あの怪物的な武力を見せた龍剣が率いている。

しかも今度は央でも知られている知将山霊がついていて隙が無い。

まるで龍剣は親のように山霊を慕っているという事で。

亀裂が生じるのも期待出来なかった。

無能な役人達の役所仕事に舌打ちしながら、何とか謁見にこぎ着ける。

前線の要塞は簡単に落ちはしない。

だが、龍剣の能力は普通の範囲外にあると章監は見ている。

章監は今いる央の将軍の中では古株で、武帝に直接見いだされた最後の世代の将軍である。

小柄ではあるが武芸はそこそこでき。

何より覚えが良いことと。戦場で相手を見る勘に優れていることから、頭角を現し。

しかしながら武帝の死により、出世の道は閉ざされた。

今回龍一を仕留めたことも、どうやらうるさがられているらしい。

無能な央上層部の将軍達は、既に席次をガチガチに決めている。

最前線を章監に任せて遊びほうけているような連中ばかりだ。

そんな連中は、章監にはこれ以上手柄を立てさせたくはなく。

かといって、敵と戦うのも嫌なようだった。負けたら地位が下がるから、というのが原因らしい。

武帝が亡くなってから、たった一代でこんなに国は腐りきってしまった。

謁見の場に出ると。

昏帝と渾名されている皇帝は、退屈そうに寝そべったまま、あくびをしつつ章監に応じた。

左右には、無能な武官文官が、ずらりと並んでいる。

まず、状況を説明する。

「敵は二方向に分かれ、北部からは龍剣が率いる十二万。 南部からは連白が率いる四万が攻め寄せて来ておりまする。 しかもこのうち連白は民の懐柔慰撫が極めて巧みで、更に兵力が増える事が予想されまする」

「林紹の時のように、一撃で蹴散らしてしまえば良かろう」

「そうはいきませぬ。 今回の敵は林紹とは比較にもなりませぬ」

章監が説明するが。

周囲からは無能、憶病といった陰口や。くすくす笑う陰湿な声が聞こえてきている。

もはやこの宮廷には秩序さえない。

此処で行われているのは政治じゃない。

政治闘争だけだ。

民をどうしようかなどとは、誰も考えていない。

蓄財だけしか頭にないのだ。

それと保身。

此奴らを皆殺しにして、自身が新しい皇帝になろうか。

そんな考えがよぎったが。

しかしながら、それは駄目だ。ただでさえ厳しい状況である。上手く行かないだろう。

「兵の新しい募集と調練、前線への配備をお願いいたしまする。 現状、北部南部どちらの戦線でも、敵の数の方が上にございます」

「どうする……」

「さあ。 要塞地帯で同数の兵力なら、撃退は容易にございましょう。 敵が疲れたところを追い討てば容易に勝てましょう」

そういったのは。林紹の乱の時、散々殆ど無抵抗の民を殺し回った将軍だった。此奴だけでは無い。

機動軍五万を率いていた将軍の殆どが似たような連中だ。

武帝が残してくれた法に沿って、軍を動かす事は出来る。

だがそれしかできない。

挙げ句の果てに、法を都合良く無視して、略奪や殺戮を続けた。

その結果が今である。

「それに出費がかさみましょう。 各地からの税収も滞っております故……」

「そうだな。 軍を出すのは……」

「お待ちください父上」

不意に声が割って入る。

昏帝、胡全の娘。正確にはほこらから現れて、そのまま法に沿って胡全の跡継ぎとされたもの。

隼快である。

見栄えだけしか取り柄がない父とは違って、優れた頭脳を持ち、論理家として知られている。

胡全が子をとったのは武帝の死後だが。

もし武帝が生きている間にこの子が見つかったら、跡継ぎにされていたのでは無いかと言う噂がある人物だ。

故に胡全は疎んでいる。

自分の地位を脅かすのでは無いかと考えているのである。

「今までの皆の話を聞く限り、敵が攻め寄せてくるような状態になっているにもかかわらず、無策を貫くと言う事になります。 本当にそれでよろしいのですか」

「良いも何も、大した脅威ではあるまい」

「龍剣とやらの話は此方でも調べました。 我が軍の精鋭五万を、事実上八千だけで打ち破ったと聞いておりまする。 そなたらのことだ」

将軍達を見る。

顔を背けたり、俯いたり。

情けない事だ。

あの戦いでは、章監は作戦指揮をする立場になく。龍剣という人物の危険性も既に仕入れていて。

故に警告はしたが。

此奴らは聞き入れはしなかった。

故の大敗北である。

なお、その後龍一は章監が率いる千五百で討ち取り、時間は稼いだが。

文字通り時間を稼ぐことしか出来なかった。

口惜しいが。

それが現実なのである。

「我が央の軍は、雑兵とは違います。 装備も練度も。 故に黒い軍団と怖れられてきました。 敵は装備も練度も段違いの我が軍を破るほど……それも圧倒的少数で、と言う事です。 文字通り先帝陛下のような、傑物とみるべきでしょう」

「はあー。 お前の話は長くて難しいのう」

「それでは簡略にまとめまする。 章監将軍だけに前線を任せるのはおやめください。 前線に兵を増やしください」

「いやだ。 面倒くさい」

これが。

央の皇帝の言う事か。

肩を落とす章監。いずれにしても、皇帝が拒否したのではどうにもならない。

章監はひそひそ声の中、退出するしかなかった。

隼快が追ってくる。

礼をかわすと、公主である隼快は、申し訳なさそうに言う。

「すまなかった、章監将軍。 余の力が足りぬばかりに」

「いえ、これはどうしようもありますまい」

「ともかく耐えてくれ。 余の方でも、父を何とか説得してみよう」

「遠ざけられるだけにございまする」

首を横に振る隼快。

そして、彼女は言うのだった。

「半年、持ち堪えてくれるか」

「何か具体案があるのでしょうか」

「父には退場願う」

「!」

そう来たか。

確かに、宮廷の腐り果てた様子は、いやというほど見て来ているだろう。

もはや排除以外に路は無し。

そう結論に至るのも、無理はないのかも知れない。

「その後は、大軍を編成して将軍の所に送ろう。 それまで前線にて、持ち堪えてくれるか」

「敵はあの龍剣です。 如何に堅固な要塞と言えども、持ち堪えられるかどうか」

「将軍が其処まで言うほどの相手なのか」

「残念ながら。 武帝に少しだけ私も会ったことがございますが、同格かそれ以上の英傑にございましょう」

黙り込む隼快。

だが、それが事実なのだ。

むしろ武帝が待っていた後継者は、皮肉にも余所に産まれてしまった。そういう事なのかも知れなかった。

「いずれにしても、耐えて欲しい」

「分かりました」

「それと、公主として我が軍権をそなたに与えておく」

前線には現在、北部に十一万、南部に二万ほどの兵が駐屯している。機動軍五万のうち大半が、これらに振り分けられた状態だ。

だがかき集めれば、決戦も挑める。

それに隼快が言うように、更に央はその気になれば兵を動員することだって出来る。

七国の時代には、央が機動軍として二十万を超える兵を出した事もあったのだ。

今は軍縮が進んだが。

あのだだらけきっている将軍達を更迭し。

無能な文官を排除すれば。

央は敵を押し返せるのだ。

ともかく、公主の後押しを受けた事により、三万程度の兵は動かせる軍権を貰う事が出来た。

礼を言うと、すぐに前線に戻る。

最前衛の要塞である衛には、既に敵の前衛が姿を見せ始めていた。話に聞いていたとおり十二万である。

この要塞に味方を全てかき集めれば、何とかなるが。

しかしながら。三万規模の兵くらいしか動かせないと見るべきである。

元が千五百だったのだ。

これでもマシだと判断するべきだが。

すぐに衛の主将を集める。

皆、印を見て驚愕し。そして礼をして、章監に従う事を約束してくれた。

前線にはまだ気骨がある兵が残っている。

それだけが救いだ。

この衛にいる兵は二万。

これにもう一万を加えて、敵に野戦を挑んで消耗させたい所である。

すぐに後方に走る。この要塞は、すぐには墜ちない。

後方にある享の要塞には、一万五千の兵がいる。此処の主将にも印を見せて、一千の兵を引き受け、衛にすぐ戻る。

衛は敵の攻撃を猛烈に受け始めていたが、流石に武帝が作った要塞である。

簡単には落城しない。

龍剣の凄まじい武勇があろうともだ。

分厚い城門と城壁。城壁も普通の街とは比較にならないほど高い。

主将は良く支えてくれていた。

章監は三万になった守備兵とともに。

龍剣の猛烈な攻撃を支え続けた。

 

天幕に山霊が戻ってくる。

龍剣が幕僚を集めて話をしているところだった。

想像以上に敵の守りが堅い。

攻めても落とせる様子が無い。

そこで、調べて貰っていたのである。

結果が出たと言う事だ。

「山霊先生。 いかがにございますか」

「敵の守兵は三万程度という所だな」

「三万。 事前では二万という情報がありましたが」

「後方から援軍が来たという事だ。 それも率いているのは恐らく章監だ」

章監の名を聞いて、皆が緊張するのが分かった。

龍一を。父を寡兵で破った相手だ。

央に残った最後の名将と言っても良い。

「父君の仇、必ずや討ち果たしましょうぞ」

「いや、劉処よ。 私は章監を父の仇だとは思っていない」

「なんと」

「戦いの場で戦い、勝つべくして勝ったのが章監だ。 確かに父を失ったことは悲しいし、怒りもする。 だが章監は軍を率いて父に勝つべくして勝ったのだ。 それに対して恨みはないし、怒りも無い」

驚いたように龍剣を見る鯨歩。

もっと感情的で、執念深いと思っていたのだろうか。

同じにされては困るのだが。

まあいい。

「それで山霊先生。 如何いたしましょう」

「この要塞を如何なる手を用いても破る」

「ふむ……」

「細作の手による情報が入ってきた。 今、央の宮中は麻のように乱れており、まともに機能していない。 五万の央軍機動部隊が、各地で暴走していたのもそれが理由だ」

山霊先生は、顎をしゃくる。

劉処と鯨歩が頷いた。

「そなた達二人は、明日より火が出るように攻め立てよ」

「あの要塞に、ですか」

「被害が大きくなるかと」

「そう敵に思わせろ。 適当な所で敵は撤退するはずだ」

どういうことか、と顔を見合わせる二人。

山霊先生は、にっと笑う。

「衛を抜くと、沼沢地帯が拡がっている。 穀倉地帯の手前でな。 川から流れ込んだ水が平原を見境無くおかしておるのよ。 恐らく章監は、疲れきった此方の軍を其所に引き込んで、壊滅を狙って来るはずだ」

野戦でのもっとも戦ってはいけない場所。

それが沼沢地帯だ。

身動きが取れなくなるし、何よりもあらゆる事故が起きやすくなる。

章監は相当な名将だ。

此処に引きずり込めば、一発逆転の好機とみる。

確かに山霊先生の読みは正しいと龍剣は思う。

「消耗については考えるな。 龍剣丞相」

「おう」

「貴方も最前線で、敵に武勇を見せつけ続けよ。 それで多少は敵の出足も鈍ろうというものだ」

「要塞を相手にか。 面白い。 良いだろう」

不敵に笑うと、一度会議を解散。

天幕に戻る。

一晩眠った後、翌朝から。予定通り、劉処と鯨歩の軍を左右に並べ。そして龍剣自身も前に出て。

火が出るような城攻めを開始した。

矢のように雨が降ってくる中、突貫した龍剣は拳を要塞の壁に叩き込む。

要塞自体に強烈な揺れが走る。

堅いな、と思いながら下がる。

造りがしっかりしているのか、岩をも砕く龍剣の拳でも、この城壁はぶち破れそうにはない。

敵兵が驚愕しているのが分かる。

味方は勢いづく。

そのまま、影に乗って走り周りながら、城壁の彼方此方に拳を叩き込んで回る。

不意に城門が開くと、敵の精鋭が出てくる。城壁に取り憑いている攻城兵器に油を掛け、炎を放って即座に逃げ込む。

追おうとするが、動きが速い。

逃げられたが、それでも被害は最小限に留めた。

何カ所かに拳を叩き込んでみるが、どうやら構造的な欠陥はないらしい。ただ敵は明らかに度肝を抜かれている。

ただ、章監は心が折れていない。

父を殺した事は許せないが。

それでも、敵将として、章監を評価出来る。

強い相手の方が好ましい。

龍剣にとっては、基本的に全てが自分よりも弱い相手だ。

そんな中、知恵を絞って抵抗してくる相手は、むしろいらだたしいというよりも、面白いのである。

薄ら笑いを浮かべながら、一日中猛攻を続ける。

幾つかの攻城兵器が焼かれたが、もう既に後方は安全圏。どんどん補給物資は送られてくる。

山霊先生が育てたのは武官だけでは無い。

文官もだ。

皮肉な話だが、武帝が幾つものやり方を具体的に残している。

それを使って、徴税や法整備をし。

物資を輸送する。

更に皮肉な話に。

その安全圏を確保したのは連白である。

どうにもいけ好かない相手だが。この辺りの手腕は認めざるを得ない。山霊先生が危険視するのもよく分かる。

翌日も猛攻を続ける。

今度は前衛を于栄と官祖に切り替えての猛攻である。

城壁に無理に取りつくことはさせず、矢の打ち合いを続けさせるが。

攻城用の大型弓を持ち出して、何人かで引くそれを城壁の上に叩き込み続ける。

投石機も使う。

油壺を投げ込むのだ。当然それには火も入っている。

敵は対処をしなければならない。

衛はほぼ純粋な軍事要塞だが。

それでも内部には街があるのだから。

二日目も敵の戦意は高い。

やはり何かしらの理由で、章監が高位に上がったと見て良い。

苛烈な抵抗を見せる央軍は。

ただの殺戮兵器だった頃とは、別物の動きをしていた。

 

七日目になり、攻撃をしようとした瞬間、龍剣は違和感を覚えた。すぐに手を横に出し、兵士達に止まるように指示をする。

山霊先生は少し後ろで戦車に乗って見ていたが、頷くと斥候を出させた。

決死隊とも言える斥候だが。

こういった斥候は、実の所もっとも兵士達の中で優れたものがなる。

敵の兵士の数。

配置。

伏せる技術。

何よりも、生きて帰る事。

これらを高い水準で満たさなければならないからだ。

数名の斥候が、率先して敵陣に乗り込む。

程なく、彼らが門戸を開けた。

衛は完全に空っぽになっていた。しかも、住民までいない有様である。街には卑一粒残っていなかった。

それどころか、家も全てうち壊され。

城内の設備も全て無くなっている。

なるほど、時間稼ぎと同時に。

衛を拠点としてはすぐには使い物にならなくするためでもあったのか。

「章監という者、なかなかやるではないか」

「龍剣丞相の父君の仇では」

「戦いの中で死んだのだ父は。 戦いに仇も何もあるか」

「……」

側についていた周嵐が困惑する中、龍剣はまず城内に敵が潜んでいないか、徹底的に確認させる。

頑強な衛の要塞だ。

何か少し仕掛けを動かしたくらいで、壊れるくらいヤワでは無いだろう。

ただそれでも、内部にいると何があるか分からない。

衛を抜けて、その先で一旦野営する。

勿論斥候も出す。

この先に沼沢地があるなら、敵が展開しているはずだが。案の定、山霊先生の言う通りだった。

「敵、およそ三万! 沼沢地にて展開しています!」

「三万……?」

「恐らく章監が動かせる全軍だ」

山霊先生の言葉を、既に疑う者はいない。

この知恵者の言葉は、いちいち当たるのである。

「元々章監は央でそれほど地位のある将軍では無かったと聞いている。 何かしらの後ろ盾を得て、この兵力を指揮しているということだろう」

「父を討ち取った将に、央は報いていないと」

「そういう事だ。 腐敗した組織なんてそんなものよ。 むしろ手柄を立てたことで、他の将軍に憎まれる事すらある」

「愚かしい。 打ち砕くに限る」

最初の要塞を抜くのに七日かかったが、連白の方はそもそも地形そのものが要塞のようになっている央南部を行くのである。しかも兵力は四万足らず。まだまだ焦る必要はない。

それに激戦ではあったが、先の七日での被害は殆ど出ていない。

休むようにと言われて、兵士達は交代で休みはじめる。この休憩の仕方も、訓練の賜だ。

その間、天幕で山霊先生と話す。

「沼沢地で敵とは戦わない」

「避けて通るという事ですか」

「そういう事だ。 あえて敵の誘いに乗ることは無い」

「しかし、そのような弱腰で良いのですか」

良いのだと、山霊先生は言う。

為政者や指導者は、結果を出さなければならない。

己の誇りを大事にするのも良いが、それに多くの兵士を巻き込むのなど言語道断である。故に必ず戦うなら勝たなければならない。

前にも同じ事を言われた。

物わかりが悪い者に接するような態度に、龍剣は少し反発を覚えたが。

何よりも山霊先生の言う事だ。

きっちりきかなければならないだろう。

頷くと、先を促す。

「これより我が軍を四手に分ける。 一部隊は私が率いて、沼沢地に出向く」

「戦わないのでは」

「これは囮だ。 残りの三部隊は……」

地図を広げる山霊先生。

それぞれが別れて、敵の背後に回り込む。沼沢地を丸々包囲する構えである。

「敵の増援が出て来た場合、此方に大きな被害が出ないでしょうか」

「出てこない」

「断言ですか」

「出て来たとしても少数だ。 そのために、沼沢地には私が展開する」

なるほど。

策としては、章監を逆に包囲し、沼沢地から次の要塞である享の要塞に敵を撤退させる。包囲は無理に完成させなくても良い。補給路が断たれるふりをして見せれば良い。隙があるなら追撃する。

それで大いに敵を破れるはずだと。

納得した龍剣は陣を出る。

そして、すぐに三軍を率いて出撃した。もう少し休んでも良いのだが、どうにも嫌な予感がするのである。

山霊先生に言われた。

連白には気を付けろと。

どうせ此方が敵の首都簡庸に到達した頃には、まだ山中でうろうろしているだろうと。連白の軍を見て、配下の将軍達は笑っていたのだが。

どうにも嫌な予感が消えない。

難癖をつける暇も無かった。

相手にも相当な知恵者がついている。

側にいる将軍も、此方ほどでは無いが、そこそこに出来る奴がいるようである。

いずれにしても、先なんかこさせるわけにはいかない。

三軍が出陣し、沼沢地を避けて山岳部を行く。

敵は央軍とは言え寄せ集め。

しかも沼沢地に布陣している以上、迅速に動くのは不可能だ。

其所に更に山霊先生がくさびを打ち込む。

簡単には沼沢地からは出させない。

そのまま、山中を進む。

流石に山中だから、かなり進軍に時間が掛かる。獣だって出る。それらを全て龍剣は血祭りに上げながら進む。

斥候が戻ってくる。

章監の軍勢に動きがあると言う。

まあそれはそうだろう。

だが、山霊先生が簡単には動かせはしないはずだ。

信頼している相手の作戦通り、龍剣は軍を進め。

一月ほどで、沼沢地を抜けていた。

沼沢地の背後に出ると、既に章監はいなかった。代わりに、山霊先生が沼沢地に竹を敷き詰めて浮き橋をつくり。物資を輸送しているところだった。

「ふむ、やはりそなたが一番か、龍剣丞相」

「先生、敵は」

「軽く小競り合いをした後、撤退していった。 夜陰に乗じて此方が浮き橋を作っているのに気付いてはいたようだが、戦いには乗らなかったな」

「先生を破れば此方を壊滅に追い込むことも出来たでしょうに」

この辺りは歯に衣着せぬ物言いだが。

先生は媚を売られることを一番嫌う。

だからそれでいい。

先生はにっと笑う。

「簡単に倒せる相手では無いと判断したのだろう。 いずれにしても背後を突いたが、敵の被害は最小限だ。 もう章監は享の要塞に引いている」

「では、早速攻める手はずを整えましょう」

「うむ……」

他の二軍も合流してくる。

山中の強行軍と言う事で、かなり厳しい様子だったが。

それでも脱落者は殆どいなかった。

ただ、獣がかなり多かったという。

央の法では獣を駆除するためのやり方や、各地の軍による義務などが設定されている筈なのだが。

恐らくこの辺りの将軍は、それをきちんとやっていなかったということなのだろう。

ほぼ無傷のまま、享の要塞に到着。

攻城兵器などは一度ばらして浮き橋を何回かに分けて運ばなければならなかったので、苦労したが。

それでも既に享の要塞の前面に、軍勢を展開する事に成功。

ただ、敵の士気が落ちている様子は無い。

幾重にも防衛策を練っている、と言う所か。

出来るでは無いか。

章監に対しての恨みは、やはり感じない。

「衛よりも更に堅固ですな」

「うむ……」

劉処に言われて、敵の備えを見ながら龍剣は頷く。

七国の時代。

まだ秦だった央は、最初から無敵では無かったと聞く。

いずれにしてもこの要塞は、元清領に作られたものである。

自分達を不敗の軍とは勘違いせず。

当時の将軍達は、こうやってしっかり備えをしていたと言う事だろう。

その後継者共はこのような有様だが。

章監も、さぞや苦労しているだろう。

陣に戻ると、山霊先生に細作が耳打ちしていた。

細作を行かせると、山霊先生が笑う。

「少しばかり軍を進めるのを早められるかも知れぬ」

「ほう」

「どうも敵の内部にて、もめ事が起きているようでな」

「そうやって敵を誘う罠では無いのですか」

于栄が言うが、山霊先生は首を横に振る。

複数方向から、それぞれ別の情報が入ってきていて。

それらを総合すると間違いないという。

「いずれにしても、章監の戦略通りにはいかぬ。 翌日より、攻めを開始してほしい」

皆が天幕を出ていく。

山霊先生は、ふっと笑った。

「恐らく近い内に敵の指揮官が代わる」

「どういうことでしょうか」

「央の内部で、我欲しかない愚か者共が、動き出したと言う事だ」

 

呆然としていた。

章監は、震える手で書状を見ていた。

衛の失陥許しがたし。

そなたの権限を全て剥奪する。

地下牢に入って其所で沙汰を待て。

既に、傲然と胸を反らした代わりの将軍が来ていて。剣に手を掛けている部下達と、その将軍の部下達が、にらみ合っている状態だった。

外では戦いが続いている状況である。

「作戦案については、既に陛下に提出したはず。 衛の失陥は作戦の内に入っている筈ですし、味方に損害は出していませんが」

「黙れ無能」

「何っ……!」

「公主殿下より兵権をいただいておきながら、衛を失陥した事だけでも許しがたい! それが分からぬか豚めが!」

流石に殺意を感じたらしい部下達だが。

此処で仲間割れをすれば、それこそ一瞬で龍剣に城壁をぶち破られるだろう。

「お逃げください、章監将軍」

「……」

公主はいった。

半年持ち堪えてくれれば、何とか対応すると。

勿論今、必死に対策してくれているのだろう。

だけれども、それが間に合わなかったと言う事だ。

ならば。

少しでも章監は、時間を稼がなければなるまい。

「もう良い。 私はこの要塞を去る」

「貴様、反逆するつもり……」

此方を豚呼ばわりした将軍の首が飛んだのは、次の瞬間だった。

章監が、抜き打ちで首を弾き飛ばしたのだ。

剣は矛に比べて扱いが難しいのだが。

龍剣にとっては、武帝から手ほどきを受けた最も手慣れた武器だ。矛よりも簡単に扱える。

消えていく死体。

剣を鞘に収めると、青ざめている部下達に指示。

「やむを得ない。 作戦を前倒しする」

「ははっ……」

「無念にございます」

頷く。

公主には申し訳ないが、作戦を前倒ししして。最後の時間稼ぎを行う。

元々、どう計算しても、龍剣軍が簡庸に到達するまで、半年以上持ち堪えるのは無理だったのだ。

戦いで抵抗した場合は、だ。

だが、もう一つ。

捨て身の作戦がある。

章監は、呆然としている代わりの将軍の部下達に言う。

「私がしばらく時間を稼ぐ。 お前達は代理の将軍が来るまで此処を守れ」

「だ、黙れっ! 反逆者!」

「公主殿下の印を貰った私が反逆などするかっ!」

一喝して黙らせると、印を置いて、そのまま直属の部下達と供に要塞を出る。

三万の軍もそれに続いた。

すぐに知らせは後方に行く筈。

雨が降る中、章監は黙々と敵陣へ向け歩いて行く。

三万の兵も矛を立て。

それに歩行で続いた。

敵陣から、龍剣が出てくる。

想像以上に背が高い。

更に改めて悟らされる。

此奴に武芸で勝てる奴は、この中の世界に存在しないと。

「龍剣将軍にございますな」

「ああ」

「私が章監にございます。 降伏いたしまする。 私は兎も角、部下達には寛大な処置を」

「……」

苛立っているのか。

いや、むしろ退屈そうな様子に見えた。

根っからの戦闘狂という訳か。

薄く笑う。

此奴の天下は長くは続かないだろうと、章監は判断。例え此奴が央を落としたとしても、その天下はすぐに乱れる。

公主殿下は殺されるだろう。

だが、それも。

此奴が勝つことにはつながらないのだ。

「そなた達、武装解除をせよ」

「ははっ」

兵士達が矛を地面に起き、鎧も捨てる。

困惑している龍剣軍の将軍達。

龍剣は虐殺を命じるようなこともなく、兵士達を後方へ送らせる。だが、ここからである。

まず龍剣は、この軍勢に見張りをつけなければならない。

三万と言えばかなり大きな都市の人口と同規模だ。

見張りにも、千や二千ではとても手が足りない。三万が入る牢など存在しないのである。

更に飯を食わなくても人は死なないが。

動きは鈍くなる。

そのまま反逆されるのを防ぐためにも飯は減らすだろうが。

行軍の足枷になられても困るから、兵糧は裂かなければならない。

更に尋問などの時間もある。

それらを考えると、龍剣がこの軍を取り込んでから次に動くまで、一月は時間を稼げるのだ。

まだまだ要塞地帯は続く。

無能な央軍の将軍達であっても、これから続く要塞に兵を集めて守れば、何とか半年はしのげる可能性は高い。

そうなれば、此方の勝ちだ。

無能な将軍を粛正し、更に法に従って大動員を掛ければ。十万や二十万では無い増援が、要塞戦の連続で疲弊しきった敵を蹂躙できる。

その時は章監も殺されるだろうが、それは別にかまわない。

ただ、その時を待つだけだった。

 

4、足枷をつけられて

 

劉処が来る。

閉口していた。

「三万の兵士からの聴取、見張り、何から何まで手を割かれますな。 これではいつ進軍を再開できるのか……」

「それが連中の狙いだ」

山霊先生が言う。

苦虫を珍しく噛み潰しているようだったが。

「もう少し揉めてくれると話は簡単だったのだがな。 このままでも享の要塞は簡単に落とせよう。 だがこの先は天険の要塞が続いている。 出城の数だけでも百を超えると聞いている」

「百!」

「ともかく、享の要塞は落としておくべきだ」

「そうでしょうな」

龍剣が頷くと、于栄と官祖をつれて出ていく。

そして、半日で、赤子の手を捻るように享の要塞を陥落させてしまった。

だが、陥落させたからと言って、その上から見て絶望するだけである。

此処からは本当の要塞地帯。

出城が恐ろしい数存在しており。

その全てに、続々と兵士が入っているのが分かる。

数は三万や四万ではないだろう。

そもそも享の要塞には兵が殆ど残っていなかった。

つまり、章監と供に降伏した訳で。

それは要するに、章監からして見れば、時間稼ぎが出来ればどうでも良いことを意味している。

流石に目を細めて、山霊先生もこれは骨だとぼやく。

龍剣も同じ意見である。

「如何なさいます」

「章監が時間稼ぎをしている事が気になる」

「いっそ、章監も部下も皆殺しにしてしまいますか」

「絶対にならん。 降っても殺されると聞けば、敵の抵抗は四倍にも五倍にもなるだろうな。 そうなれば、だらだら進んでいるだろう連白にすら先を越されるぞ」

それは許せない。

腕組みする龍剣に、山霊はため息をついた。

「敵が態勢を整えきる前に、進めるだけ進む。 事後処理は私がやる。 龍剣丞相、鯨歩将軍以外を率いて、敵を攻めるだけ攻めてくれ」

「山霊先生にはどれくらいの兵を残せばよろしいでしょう」

「そうさな。 三万でいい」

「分かりました」

これで手元は九万か。

かなり目減りしたが、それでも確実に進んでいるのは事実だ。

翌朝から、敵の出城に攻めかかる。

山間部に作られている出城は堅固で、大型の弓なども据え付けられている様子だ。簡単な造りの投石機もあるようである。

それらで近付くと、雨霰と攻撃を仕掛けてくる。

だがそれを全て弾き返しながら、龍剣は驀進。

一日に一つは出城を落とした。

しかし、山霊先生が見ていないと、どうしても暴虐に火がついてしまう。

敵を殺し尽くしている事に気付いて、愕然とする事が何回かあった。

一月を失うのは惜しい。

だが、このような事をしていては、山霊先生が言う通り、敵の抵抗が四倍にも五倍にもなるだろう。

案の定、味方の被害も増え始め。

敵の抵抗も激烈になって来始めた。

五十を超える出城を落とした時には、既に唐を出てから四ヶ月が経過。

焦る龍剣は最前線に立って敵の要塞地帯を喰い破るが。

要塞は堅固になる一方だった。

これは、まずい。

どうしてもそれはわかる。

山霊先生が戻って来た。

どうにか聴取を終え、三万の兵を管理する態勢を整えたのだ。将も鯨歩から周嵐に交代したようだった。

周嵐にそんな兵を任せて大丈夫かと一瞬不安になったが。

あの者は生真面目で機転が利く。

機動軍でもない三万を任せ、同数の捕虜を管理させるのは適任だろう。

案の定山霊先生には叱責された。

「敵を殺しすぎたな。 これでは更に抵抗が苛烈になる。 言ったとおりであっただろう」

「……申し訳ございません」

「もはや私にわびても仕方が無い。 ともかく、今は敵を効率よく削る。 明日からは私も攻城に加わる」

将達を山霊先生がねめつける。

そして、言った。

無用な殺戮は以降許さぬ。

私がいつでも見ていると心得よ。

そう言うと、諸将は首をすくめる。山霊先生の怖さは、皆骨身に染みているのである。

再び、全てが城とも言える央攻めが始まる。

嫌な予感が、龍剣の中で加速し続けるばかりだった。

 

(続)