小さな軍の出撃
序、唐王の激
連白があくびをしていると、足音がした。此処は新しく県令にされてしまった屋敷の中。屋敷と言っても小さな規模だ。そして連白は仕事をするといっても、所詮は書類仕事をするだけ。
退屈だなと思っていたが。
この足音は石快だ。
そうなると、退屈とも言っていられないだろう。
今、連白のいる街には、どんどん林紹の率いていた軍の残党が入り込んでいる。現時点で規模は二百まで拡大。
まだ黒い軍団には目をつけられていないが。
この軍を、そこそこ戦えるようにするのが一苦労だった。
現時点では、軍の指揮経験がある可先に対応を任せているが、とてもではないが同規模の黒い軍団と戦うのは無理とも報告を受けていた。
流曹からも、そろそろ兵を養うのが厳しくなると言われている。
そうなってくると。
兵を連れて、何処かの軍にでも合流した方が良いかも知れない。
その過程で兵を集めていけば良いだろう。
石快が入ってきた。
あくびをしている連白を見て呆れた様子だが。
しかしながら、咳払いする。
「白姉貴。 重要事で」
「何事かなあ」
「実は、周にて黒い軍団の斥候が現れているらしく……」
周か。
中の世界の中心にある商の国の東隣にある国だ。商から独立した国で、独立時に領土を半分くらいむしっていった。
その事もあって、商と周は犬猿の仲なのだが。
今は共通の脅威。
暴れ狂っている央の黒い軍団もあって、犬猿の仲どころではない。
清から南に行くとすぐに周である。
周はそれほど兵力が元々多くもない国で、七国の中では下から数えた方が早かった国である。
最初の方に出来た国は弱い。
これは周も商も共通したことだった。
流石に軍が七国最弱と言われた宋に比べると、軍はまだある程度は強かったようなのだが。
所詮は所詮である。
現在では、各地の街は孤立した状態で。
虐殺を怖れて民が逃げた街まであるという。
一応周王を名乗る者もいるにはいるのだが。
それはそれである。
「助けてほしいと依頼が来ましてなあ」
「黒い軍団相手に、私が?」
「……はい」
「無理を言うなよ……」
頭を掻く。
残念ながら連白は、この小さな街を支配している事さえおかしいような器量だと自分では思っている。
石快のような豪傑や。可先のような実戦経験者もいるにはいる。
だがそれでも、兵の規模が小さすぎるのだ。
しかしながら、腰を上げる。
とにかく、兵が増えすぎているというのである。
周囲に影響力を増やすか。
それとも何処かしらの勢力に合流するか。
選択肢はどちらかしかないのだ。
外に出ると、可先に声を掛けて、出陣の準備をさせる。南に二日ほど行った街に出向くと聞いて、可先は目を向いた。
「お待ちください白県令」
「無茶は承知だが、やむを得ないだろう。 ともかく、兵をまとめてくれ。 可先将軍の言う機動軍はどれだけ出せる?」
「百名ほどですかな。 残りは守備軍としていて貰った方が良いでしょう」
「百名か……」
一軍としては最小単位だ。
とにかく今回は偵察と言う事で。兵の半数には残って貰うのが良いと連白も判断した。兵糧を引く兵もいるから、百名を出しても実際に戦えるのは七十名くらいだろうという事も可先には念押しされた。頷くしかない。
つまり、敵が強いなら即座に逃げろと言うことである。
一応街の幹部を集めて話をする。
こういう場合、すぐに動ける連白は有利だ。
話を軽くした後、すぐに出る。
街の民は、出陣だと聞いてわっと喜んでくれた。
黒い軍団を叩き潰してくれるに違いない。
そんな風に思っているようだった。
冗談じゃあないと言いたいが。
まあともかく、出陣する。当然、可先に指揮をとってもらい。石快にもついて来て貰う。これで黒い軍団ならともかく、普通の街の守備隊くらいなら。同数の兵力でやりあっても勝てるだろう。
だが城壁に守られた街を落とすとか、そういうのは無理だ。
そんな事は流石に出来ない。
まずは出陣して、様子を見る。
石快に指示して、斥候を放つ。軍の規模が小さいのだ。七十名程度しか戦闘要員がいないのである。
斥候を出すと更に目減りして、頼りなかった。
殆どの兵が徒歩で行く中、何とか一両だけ確保出来た戦車に連白は乗って出る。戦車は圧倒的な威圧感があり、周囲の兵士達を勇気づける。なお二頭引きの戦車が普通なのだけれども。
残念ながら、一頭引きが限界だった。
戦車はただ箱を馬が引くだけの簡単なものなので、作る事はそれほど難しくは無い。それでも作るのに一月くらいは掛かったが。
幸い、設計図があったので。
誰も病に罹らないで済んだ。
清の時代の設計図だったので。
その設計図を書いた者は、病で死んだのかも知れない。その犠牲は、無駄には出来なかった。
やがて黙々と進んでいくと。斥候が血の気を失って戻ってくる。
「これ以上は進めません!」
「何があった」
「白蛇です!」
「!」
白蛇。
蛇は荒野の獣の中では比較的大人しい方で、食用に良く捕まえられたりもする。長細い体を持つ蛇は何種類かいて、基本的に手足もなく、長細い。
虎などとは比較にならない程の脅威しかない存在であり。獣の中では与しやすい方なのだけれども。
だが白蛇は違う。
白蛇は蛇の中では例外的に大きく、虎と脅威度が殆ど変わらない。見かける事も滅多にない。
何でも旧秦。
今の央の元々の地域にはそこそこに出現するらしいのだが、
少なくとも旧清から旧周に掛けては、あまり出たという報告もない。
石快が腕まくりをして前に出る。
声を掛けると、何名か荒くれが出て来た。
虎狩りをする面子だ。
だが、連白が制止した。
「どんな奴かはっきり見極めてから動こう。 勝てそうに無い場合は避けて通った方が良い」
「避けて通るって、黒い軍団と変な風に鉢合わせしたらどうするんですか白姉貴」
「ともかく現物を見てからだ。 今慌てても何も変わらないし、悪い方向に事態が動くだけだろう」
「確かに白姉貴の言う通りだ」
石快は分かりやすい。
賛同してくれるのも有り難い。
連白に反発して、言うこと為す事文句を言う上役もいた。親もそうだった。
だが連白に対して、こういう風に素直に賛同してくれる人の方が、有り難い事にとても多い。
別に反発されても不快感はないのだけれど。
ただ、反発する人間は感情的にものを言う事が多く。
此方が必死に論理立てて話をしても、そもそも聞いていない事が多い。
単に自分の方が偉いと見せたいだけだと気付いたのは、いつだっただろう。
それからは、必死に自分の偉さを見せつけようとする人が、哀れに見えるようになったっけ。
ともかく、石快と手練れと共に、斥候に案内して貰って現地に出向く。
酒でも飲むかと言われたので、首を横に振る。
卑を発酵させて作る酒は貴重品だ。
連白もあまり口にすることは無い。
将軍などになると、普段から酔っ払って酒ばかり手にしているような者もいるらしいが。そういうのは実際にはあまり強くないらしい。
ただ、破落戸仲間に聞いた話だ。
そもそも林紹が将軍にしていた部下にはそういうのも結構いたそうで。
その手のは、最初の内は上手に戦えていたが。
実際に黒い軍団とまともにぶつかってしまうと、手も足も出せなかったそうである。
さて、現地に着く。
なるほど、確かにこれはまずい。
とぐろを巻いた巨大な白い蛇がいる。
これぞ白蛇。
初めて見る獣だ。
虎狩りなどは、石快につれられて行った事がある。
何の役にも立てなかったが。その場から逃げなかった。それで、必死になって皆戦い、それで勝てた。
少なくとも石快はそう言った。
剣を抜く。
白蛇は既にこっちに気付いていて、ちろちろと舌を出している。蛇はあまりにも大きいか、毒を持っていない限りは、獣の中では危険な方では無い。
だけれども、此奴はあまりにも大きすぎる。
多分体の長さは、連白どころか石快の背丈の十倍はあると見て良いだろう。
「何か弱点は聞いていないか」
「確か、あまり長く動く事は出来ないとか」
「そうか、だったら私が前に出る。 食いついてくると思うから、動きが鈍った所を仕留めてくれるか」
「危険です、白姉貴!」
別にかまわない。
これで逃げ腰になったら、多分白蛇は背中を間違いなく追撃してくる。
元々獣は人間を無意味に憎み、無意味に各地で湧いてくるような存在である。狩らなければならない。
此奴も本来は軍が。
例えば黒い軍団がどうにかしなければならなかったのだろうに。
それがどうにもできなかったから、こうして此処で好き勝手をしている。
仕留めなければならないのだ。
剣を抜く。
銘こそないが。流曹が手を回して手に入れてくれた、そこそこの業物である。勿論連白のへっぽこな腕前ではとても使いこなせる代物では無いのだけれども。それでもないよりはマシだ。
白蛇が鎌首をもたげた。
口をかっと開く。
口の中は真っ黒で、白い全身と裏腹の威圧感が凄まじい。
牙も毒牙は見えないが、細かいのがたくさんある。
あれは噛まれたらいたいだろうな。
それどころか、蛇はそもそも相手に巻き付いて殺すのだけれども。ごく一部を除いて、絞め殺すのではない。
息を吐いた分締め付けて、息を吸えないようにして殺すのだ。
要するに窒息しさせるために巻き付くのであって。
それは苦しい死に方になるだろう。
とはいっても、獣に殺されようが、人は死ぬと消えてしまう。
獣が何を食べて生きているのかは、本当によく分かっていないのである。
かっと、躍りかかってくる蛇。
元々大して動ける訳でも無い連白だから、全力で飛び下がる。
間合いのギリギリ外だったらしく、かろうじて初撃はかわすが、尻餅をつきそうになる。威圧的な息の音を立てながら、舌をちろちろ出す白蛇。うねる体が、全身を動かすための準備運動に入っているのが分かる。
私は視線をそらさないようにゆっくり下がりつつ、さっきの間合いを思い出す。
蛇は体力にて他の獣に劣る。
これはどの蛇でも同じと聞いている。
獣を実際に狩っている石快。つまり専門家に聞いているのだから間違いの無い話である。だから、それを実際に活用する。
ある一点で。
白蛇の体がぶれるように見えた。
びゅんと音を立てて、食いついてくる。わずかに擦ったけれど、何とか飛び退く。
左腕がびりびりと痺れた。飛び退いた先で蹈鞴を踏んで転びそうになるけれども、更に追撃が来るのを見て、必死に飛び退く。
最初から逃げる事しか考えていない。
だから、白蛇が此方を見ながらも。
周囲を見られていないのは確実だった。
間合いが分かってきた。
すぐに走って間合いのギリギリまで逃れる。
息が乱れているのを見て、興奮した白蛇は、更に口を大きく開けて威嚇してくるけれども。
相手も息が上がっているのは確定。
しかも体力がない白蛇は、一度疲れきると動けなくなる。
更にぐんと伸びて襲いかかってくるけれど。
明らかに初撃より遅い。
何とか下がりながら、剣を振るい上げる。
擦る。
思いがけない反撃に遭ったのか。
白蛇がひゅんと体を反らして、逃れようとするが。
一斉に石快と部下達が殺到。
矛で全身を滅多刺しにした。
白い美しい鱗が一瞬でずたずたになり、暴れ狂う白蛇。連白も呼吸を整えながら、傷だらけになった白蛇が暴れる範囲内に近付かないように気を付けつつ、皆に離れるように言う。
皆が跳び離れるが、一人逃げ遅れる。
尻尾が直撃する所だったが、石快が強引に割って入り、矛を降り下ろして尻尾を強引に弾き返す。
良くもあの速度にあわせられるなあ。
関心しながら、やがて動けなくなった白蛇を見て。剣を持ったまま近付く。口を半開きに此方を見ている白蛇に対して、剣を降り下ろす。
力なく白蛇はもがくが。
もうどうにもできない。
皆が見ている前で、非力な連白は何度も剣を振るい、やっと盛大に血が噴き出す。白蛇が動かなくなる。
盛大に息が乱れているので、呼吸を整える。
石快が来て、白蛇の首を切りおとし始めた。まだ体は少し動いていたが。それで完全に白蛇は死んだ。
「此奴に何人殺されたのか分かりませんや」
「なんでそう思う、石快」
「獣がどれだけ人を殺しているかってのは、相対してみると分かるんですわ。 此奴は人を見るなり、本気で殺すつもりで即座に動きやがった。 人間を殺すつもりで動く獣が基本なんですやがね。 此奴はそれに躊躇がなさ過ぎでさ」
「そうか。 苦しかっただろうな」
勿論殺された人達の話だ。
嘆息すると、一度戻る。
白蛇を切ったと聞いて、わっと兵士達や破落戸達が喜ぶ。正直今も足ががくがくしそうなくらいなのだけれども。
皆が喜んでくれて良かった、としか言えない。
白蛇の肉は解体して、食べられるようにする。
この世界では、獣は殺した後。
等しく食べなければならないのだ。
大体は燻製にする感じだが。
白蛇一匹だけで、この規模の軍が数日食べられるだけの肉が取れた。
また、良い感じに剥がせた皮の一部は、後でなめしてくれるという。
鎧につけると格好良くなるかも知れない、と言う事だった。
木と皮で作るのが鎧だ。
確かに白蛇の皮だと、格好良いかも知れない。
「だとすると、戦場で活躍する勇士のために誂えなければならないな」
「白姉貴が着るんですよ」
「私じゃ完全に役不足だ。 もっとそれを着るには相応しい者がいるはずだよ」
「そうですか……」
白い鎧を着る私を石快は見たかったのだろうか。
私はさっきの白蛇との戦いでも、本当にぎりぎりだった。
石快達が懸かっていたら、もっと手早く終わっただろう。
私は自分の実力をわきまえている。
だから、私が白蛇を斬ったとは思っていない。
戦車に乗ると、やっと人心地つく。
この戦車も、馬が引いている箱だ。悪路は進めない。また、場合によっては龍川を渡らなければならなくなる。
その時にはどうにかしないといけないだろう。
幸い、今回は龍川の北側。
つまり、川を渡らなくても良い場所にある。
周というのは龍川の南北に領土が別れていた国で。
龍川の北側は要塞地帯と化していて。
600年続いた戦乱の時には、それら要塞地帯を、どうやっても清は攻略できなかったそうである。
現地に到着。
わびしい街だ。城壁を作ることが義務づけられているのに、彼方此方寂れている。百名の兵士が多く感じるほどだ。
これでは、使者を出すのも必死だっただろう。
代表者が来る。
県令では無い。街の顔役だ。
県令は逃げてしまったという。
ため息をつきながら、屋敷で話を聞く。
「黒い軍団に脅かされているというのは本当か」
「いえ、どうしてそんな風に話が伝わったかは分かりません。 白蛇に脅かされていたのですが……」
「それなら来る途中に遭遇して斬った」
「おお!」
大げさに感動する顔役。
うんざりする連白の手を採ると、上下に振り回しかねない勢いで喜ぶ。
困惑する連白を、微笑ましい表情で石快は見ていた。
1、南へ
連白のいる街に、人が集まってくる。
黒い軍団に脅かされた者。
街を焼かれたもの。
食うに食えなくなったもの。
そういう者達が、頼りになりそうだという事で、集まってくるのだ。
戦乱の時代にも、似たような事はたくさんあったらしい。
つまり、時代が逆戻りしていると言う事だ。
街の壁を一部崩して、造り替え始める。
街が手狭になって来たからである。
この辺りは、央の法にやり方が書いてある。
それを利用する。
央は圧政を敷いたが、街の規模による拡大の仕方などの法も残してくれた。それはとても役に立つ。
法というか規格と言うべきなのだろうか。
非常に実用的なのだ。
央はどうしてこの法をきちんと使えなかったのだろう。そう時々連白は思う。
黒い軍団だって、色々な法に基づいて動いていると聞いている。
ちゃんと法に沿って動いていれば。
各地で荒れ狂って、多くの人を殺さずに済んだだろうに。
いつの間にか街の人は一万五千を超え、抱えている兵士は五百を超えていた。
各地で王を名乗る者が現れ始めてから、黒い軍団の凶暴化は進む一方であるらしい。そのため、反発する人々は王の所に逃げ込む。特に唐王は勢いが強く、人がかなり集まっているのだとか。
そういう話が入ってくる。
最近、清でもついに王が現れた。
あまり興味は無いのだけれども。
まあともかく、王が現れたのなら従っておく方が良いだろう。
更に言うならば、人となりも見極めたい。
出来れば一度顔を見たいが。
次々流入してくる人達から話を聞き。
孤立していたり、完全に山賊と化した林紹の残党から逃げている人達を助けたり。
色々と忙しく。
そのため、中々連白は自由に動けなかった。
しかしその代わり、どんどん戦闘経験は増えていった。
今日も、今丁度敵軍と対峙している。
黒い軍団と同じにまで墜ちた賊となった林紹の残党、およそ三百ほど。此方はそれに追われて逃げてきた人達を庇いつつ、何とか布陣した所である。
可先が何とか陣を整えてくれた。
最初はぎこちなかった軍用のドラも、きちんと兵士が叩いてくれている。
敵はそれに対して雑多で、陣形を組むどころじゃない。布陣もバラバラ。ちゃんと統率できていないことは一目で分かった。
数は同じくらいだが。
あれは親玉を討ち取った後、降参させた方が良いなと連白は判断していた。
じょうごを取りだす。
麻で編んだ簡単なものだ。
声を大きく相手に届けられるので、彼方此方で使う。
勿論この広い中の世界だ。
相手が見えるくらいの距離で無いと、役には立たないが。
「あーあー。 敵軍につぐ。 血に飢えた雑兵と化している貴殿らは、もはや民に仇なす黒い軍団と同じである」
敵から剣呑な殺気を感じる。
まあそれはそうだろう。
黒い軍団によって滅茶苦茶にされ。
かろうじて生き残った連中である事は間違いないのである。
それなのに、黒い軍団と同じと言われたのだ。
それは怒るだろう。
指揮官が一騎打ちでも望んで出てくれば話は早いのだが。
そう上手くは行くまい。
様子を見ていると、まだ相手は動かないので、先に告げておく。
「軍は指揮官によって代わる。 そなた達を率いている指揮官が無能なのは、見ているだけで分かる。 戦いに負けたら、それは指揮官のせいだ。 負けても此方は悪いようにはしない」
つまり、降参すれば許すと言う事だ。
そう付け加えもする。
指揮官がこれで激高して出てくれば良いが。
そうはならなかった。
ドラが鳴らされる。
側に控えていた可先将軍が頷くと、連白もやむを得ないと頷いた。
雑多に突撃してくる敵軍。
此方は、それを引きつけると。
一斉に矢を撃ち放った。
一糸乱れぬ弓矢のつるべ打ちである。矢はあまり遠くまで届かないが、数が揃うと脅威になる。
突貫しながら敵も矢を放ってくるが。
此方のように組織的では無い。見る間に敵の出足が鈍る。
ドラが何度か鳴らされ。
弓隊が下がり、代わりに準備していた投石隊が、一斉に投石を行う。
石は何処でも確保出来。
しかも殺傷力がある便利な武器だ。
矢より更に有効射程は短いが。
それでも充分。
雑多に殺到してくる敵に、投石を続け。倒れる敵を至近に見た瞬間。矛を揃えた兵士達が、陣を保ったまま迎撃する。
元々矢と石で歓迎されたところに、雑多に突っ込んできた敵である。
組織的に矛を揃えて打ちかかれば、もう後はどうしようもない。最前線で、連白が怖れる様子も無くいるのも、兵士達を勇気づける。
最初はわずかにもみ合ったが。
すぐに崩れ始める敵。
可先が頷いたので。
連白が、立ち上がった。
「石快っ!」
「応っ!」
石快が突貫。石快は馬にこそ乗れないが、体格が優れていて、前線に躍り出るとその凄まじさは敵を圧する。
暴れ狂い始めた石快を見て、敵の潰走が決定的になる。
だが、逃がすつもりは無い。
すぐに可先が敵の逃走先を塞ぐ。
更に、石快が殆ど時間を掛けず、敵将を討ち取ってきた。
逃げるな戦えとわめき散らしていたので、分かりやすかったそうである。兜だけは残った。
敵将を討ち取ったら、決めたかけ声を上げるように訓練をしてある。
そのかけ声が上がると、一斉に勝利だ、敵将を倒したと叫ぶようにさせている。
そうすると、もう敵は戦意を失う。
元々降参すれば許すと言ってあるのだ。
次々に武器を捨て始めた。
すぐに武装解除して、一箇所に集める。
その中から、指揮官達を引っ張り出す。この賊軍は、各地の街を襲撃しては、略奪放火、殺戮の限りを繰り返していた。
許されるものではない。
ざっと連白は全員を見たが。
これは駄目だなと判断。
皆、野獣よりも獰猛な人殺しの目をしている。
指揮官達はいらない。
残念だが、この者達を野放しにしたら、絶対に大きな災いを呼ぶ。
敵兵達に告げる。
「降伏したそなた達は許そう。 だが各地で畜生働きをしたこの者達は許すわけにはいかぬ。 故に処断する」
即座に処刑が行われた。
その場で即決で首を刎ねる。
央の法では色々手続きがいるのだが。この様子では仕方が無い。
すぐに死体は消滅し。何も残らなかった。
剣が残る事もあるのだが。
剣ごと消えてしまった所からして、恐らくロクな剣では無かったのだろう。
どうせ剣などの材料になる鉄は、何処ででも地面を掘れば出てくる。田畑でさえ、ずっと深く掘れば鉄の入った石が出てくる。
だから、加工に手間暇が掛かる事を考えなければ、鉄そのものはいくらでもある。
此処はそういう場所だ。
降参した二百名弱をつれて戻る。
また、この兵士達に追われた者達、千名ほどが更に街に加わる。この千名の難民は、兵士を見て怯えたが。
連白から言って聞かせる。
彼らは悪しき者達に言われて、好き勝手をしていたのだ。
だから一度だけ、許しの機会を与えよう。
もしも次に何かをした場合は、きちんと申し出るように。
その時は法に従って裁く。
実際、今までに何度もそうやってどうしても悪さをする兵士をきちんと裁いたのを、民は見ている。
連白の言葉に、民は従ってくれる。
コレは有り難い話ではあるのだが。
一方で、気が重くはあった。
戦いに勝って、屋敷に戻る。
流曹が厳しい表情で待っていた。
「また考え無しに人を集めましたな」
「すまないな。 管理に手間暇を掛けてしまう」
「何、今回はそれほど多くはありませんし、何とかはなります。 問題は今後の事ですね」
「うむ……」
それは分かっている。
まず、今まで連白の軍が勝てたのは、将軍としてはそれほど優れてもいない可先の存在と。優れた武勇を持つ石快らのおかげである。
手札が足りない。
赤彰は石快に武勇で及ばない。優れた武人ではあるけれど、石快のように敵軍をねじ伏せる技は持っていない。
敵に頭が良い奴が出てきたら終わりだ。
その状況については連白も分かっている。
更に規模が大きくなりすぎると。
絶対に黒い軍団が来る。
各地を転戦している黒い軍団は、今は商にいて睨みを周囲に利かせているらしいけれども。それでもたまに出撃しては、大きくなりすぎた武装集団を叩き潰して回っているらしい。
数も五万とかいるそうで。
しかも、本国にいる控えも同数程度はいるのだそうだ。
そんなのはとても相手に出来ない。
此方は頑張っても千人出すのがやっとなのである。
「実は唐王が近いうちに挙兵するという話がありましてな」
「唐王か。 温厚な人物だと聞いている」
「温厚なだけが取り柄の人物にございます」
流曹は元々数字を現実的に管理する立場の人間だ。
だからこそ言葉には容赦が無い。
「ただ、唐王の麾下には、どういうわけか精鋭が集い始めていると聞いてもいます」
「破落戸からはそういう話は聞いていない。 何処の情報だ」
「破落戸には破落戸の、元役人には元役人の情報網があるのでございます」
「そんなものか」
流曹はこんな小さな都市の役人をしていたのがおかしいような能力の持ち主だ。何でも央で役人をしていたのだが。
いわゆる権力闘争に嫌気が差して、自分から志願して僻地にわざわざ来たという。
最近聞かされた話だ。
この手の話は良く聞く。
人は幾らでもいる。
そんな風に考えていると、どうしても起きることだ。
それに権力闘争が上手い奴というのは、大体実務は駄目なことが多い。
そういう意味で、実務に特化した流曹は、代え難い人材だった。
「それで、何か妙案はあるのか」
「唐軍との合流を」
「ふむ……」
「恐らく唐軍は、宋や周、明の軍と合流しながら商に向かうはずです。 連白様は、清の各地に割拠している軍を集めて、これに合流することをお考えください」
確かに自衛するにはそれにしかないか。
そうなると、まず間違いなくやらなければならない事がある。
「私の方でも探しているのだが、見つからないものがある」
「何でしょうか」
「頭が良い奴」
「……参謀のことですな」
こくこくと頷く。
少し考え込んでから、流曹は言う。
「昔、宋の重臣をしていた者の子が逃れ、今潜伏しているという噂があります」
「宋の重臣」
「はい。 立場的には、今も宋に忠誠を誓っているそうです。 そういう意味では、連白様に必ずしも従うとは考えない方が良いかも知れませんが」
「その辺りはどうにかしよう。 それは誰だ」
張陵、と言われる。
何でもあの武帝を暗殺する企てを起こしたらしく。
失敗はしたものの、後一歩の所まで行ったらしい。
かなりの知恵者であるらしく。
今も各地を転々としていて、清に今は潜んでいるとか。
「分かった。 まずそのものを味方につけて、それから清の各地に声を掛け、唐軍との合流を目指そう」
「左様にございますか」
「居場所に目星は」
流曹は首を横に振る。
そうなれば、破落戸達の出番だな。
まずどういう姿格好をした人物なのか聞く。そうすると、ある程度詳細な話が帰ってきた。
中肉中背だが、涼やかな目をしていて。ひょろっとしている反面、声には鋭い力がこもっているという。
また道服を好んで着るらしく。
青く染めた道服を着ては、時々ふらりと姿を見せるそうだ。
人材を探しているらしい。
央を滅ぼすための。
そう聞くと、なるほどと思った。
すぐに石快の所に行く。石快は仲間と一緒に戦勝の宴を開いていたが。この手の宴は最小限にするようにといつも口にしてある。
というのも、負けた側は良く想わない。
負けた側も、次からは一緒に戦って貰うのだ。
数だけ集めても無様に壊滅した林紹の二の舞になる訳にはいかない。
だから、きっちり分別はつけてほしい所だった。
「石快、ちょっといいか」
「なんだあ、白姉貴も呑むのかあ」
「飲まん。 それよりも、お前に探してほしい者がいてな。 声を掛けて欲しい」
さっと酔いが醒めた様子だ。
石快は、連白が頼むとすぐに姿勢を変える。
重要事にしか頼み事が来ないと知っているからである。
それを見て、他の破落戸も居住まいを正す。
彼ら彼女らも、連白の言葉は基本的に聞く。
頼みがある。
その言葉を、連白がみだりに口にしないことを、良く知っているのである。
「探す者とは」
「特徴は……」
流曹に聞いた特徴を全て伝える。
竹簡に急いで書き留めていたのは、翼船。
伝令をした結果、危うく死ぬ所だった男だ。
実際に見てみると、生真面目で気が利く。
だから黄奇に内心で嫌われて、捨て駒に使われたのだろうなとも思ったが。生真面目で気が利くなら有能じゃないかと連白は思う。
気分次第で相手を判断して。気に入らないから叩いたり捨てる。
それが普通の人間なのかも知れない。
だけれど、連白はそんなのと同じになるつもりはない。そういう考えが、破落戸達に支持されるのかも知れないが。よくは分からない。
「分かった。 宴は切り上げだ。 野郎共、すぐに情報を集めろ」
「へいっ!」
さっと散る石快の部下達。
もう一つ、する事がある。
「近々、清王に会いに行く」
「ああ、最近名乗ったという」
「そうだ。 その時に、可先将軍の軍と一緒に行くつもりではあるのだが、護衛を頼めるだろうか」
「それは勿論。 ただ少しばかり忙しくなりやすな」
苦笑すると、もう一度頼むと言った。
石快は頷くと、すぐに飛び出していく。
もう、完全に酒は抜けていたようだった。
それから数日して、更に街の人が増え続ける。
既に清の東半分は無法地帯。
逃げ出す県令も多い。役人は恨まれているから、殺される場合もある。そうすると街は機能不全になる。
誰かがまとめてくれれば良い。
そうならない街も多いのだ。
そんな街では、獣の脅威に対抗することも出来なくなる。後は、獣の狩り場にされてしまう。
そうなるまえに、逃げ出すしか無い。
しかし逃げたら逃げたで賊もいる。
死にたくないと考えるのは、こんな世界でも誰もが同じだ。
だから、頼りになるという噂の者の所に人が多く集まっていく。
難民が二千人ほど、一気に来た。どうやら県令が暴徒に殺された街の住民達らしく、もはやどうしようもなくなった、と言う事だった。
頷くと、すぐに受け入れの態勢をさせる。
同時に、可先の所にも出向く。
可先は兵士達の訓練をしてくれていたけれども。
二千が一気に来たと聞くと、訓練を赤彰に任せて、すぐに其方を見にいった。
兎に角忙しい。
わかりきっていた事だ。
それに、見捨てることも出来ない。
知恵者は兎に角見つけ出さなければならない。
街を実際に見る事が出来る実務家は、既に流曹がいる。
だけれども、流曹はあくまで実務家なのだ。知恵を持ち、次にどうすれば良いか考える人材がいない。
連白は自分の頭が良いとは思っていない。
だからこそ、代わりに考えられる人が必要だ。
難民達の様子を見に行く。
とにかく途中手酷い目にあった様子で。見るに堪えない傷を受けた者も多かった。
もう民も慣れたもので。
難民達については、すぐに対応を開始してくれる。
如何に此処で人の命が安いと言っても。
救える命は、救わなければならないのである。
しばらく陣頭で指揮を執る。
とはいっても、やる事は目を光らせているだけだ。
連白がしっかり目を光らせなければ、絶対に悪さをする破落戸が出る。
昔もそうだった。
連白が悪さをするな、というまでは。
破落戸達は普通に悪さをしていたのだ。
だから今回も悪さはさせない。
目を光らせているだけでいい。
それだけで、配下達は真面目に仕事をする。そして真面目に仕事をするだけで、随分とはかどるのだ。
連白を最初は良く想わない者も多いらしい。
偉そうにしているだけで何もしないと言う者も見たことがある。
その通りだ。
だから連白は、出来る事をする。
そして今は。
こうして見ている事で、誰もが真面目に働くようにする。それだけが、連白に出来る事なのだから。
石快が戻ってくる。
やはり難民を追って、獣が出ていたらしい。虎までいたそうだ。
かなり難民に犠牲者が出ていたらしく、最後尾の方では現在進行形で襲われている難民がいたらしい。
石快が出て獣を蹴散らしてきて、かなりの数を救ったが。
この様子だと、血の臭いを嗅ぎつけて、相当数の獣が集まっている可能性が高いという話だ。
おかしな話だ。
人間は死ぬと消えてしまうのに。
獣は何で人間を殺したがる。
軍にも出て貰い、組織的に獣を駆除して貰う。
とくに人間を殺した獣は、継続的に人間を殺すようになる。絶対に生かしておくわけにはいかない。
元々人間を見るだけで襲ってくる獣が、更に凶暴化するのである。
軍が出動していくのを見送り。
難民の手当が一段落したのを見届けた頃。
翼船が来た。
「連白様」
「どうした」
「例の人物の情報が」
「!」
顔を上げる。
優先順位は清王との謁見よりもこっちが高い。清王については、まだ情報が殆ど無いのであるが。それでもである。
「各地からの情報によると、此処から北にある廃街に潜んでいる者がいて、道服を着ていると。 他の特徴も一致しています」
「……」
「少し距離があります。 軍の護衛がないと危険です。 それに急がないと、移動される可能性も」
石快や可先は動けないか。
そうなると、赤彰に頼むしかない。
赤彰を呼んできて貰う。
話をすると、小首をかしげられた。
「今、優先する問題ですか?」
「私の軍には頭を使える者が少ない。 流曹は出来る役人だが実務家だ。 長期的にものを考えられる人材がほしい」
「分かりました。 軍を整えます」
「難民を救助し次第、獣狩りをしている部隊とは別に行動する。 二十人もいれば充分だと思うが、人員は任せる」
頷くと、赤彰は持ち場に戻る。
難民の対応で忙しい時に、この場を離れると言い出さなかったことで、また連白への信頼を高めてくれたらしい。
連白だって、そのくらいのことは分かっている。
出来れば石快に来て欲しいのだが、今はそうもいくまい。
難民達の悲嘆は、周囲に満ちている。
未来のことも大事だが。
今はこの場で苦しむ人々を救うことがまずは第一。
連白はそう考えられる人間で。
それが出来る人間はあまり多くは無い。
故に連白は慕われる。
それだけのことだった。
2、賢人の元へ
数日で難民の群れを追ってきていた獣の群れを掃討。全て肉を保存食に加工し終えた。更には留守居の態勢を決める。
流曹に基本的に留守の時は任せる態勢を決める。これは皆の目の前で、である。それで納得がいかない声が出るのなら、それはそれで仕方が無いと思ったのだが。案外問題は起きなかった。
新しく増えた兵の訓練もある。
獣の掃討が終わったとはいえ、まだ周辺に残っている可能性は否定出来ない。
ただでさえ畑を広げて対応している最中なのである。
軍は動かせない。
というわけで、石快と二十名の護衛だけを連れて、現地に出向くことになった。石快がいなくて大丈夫か不安になったが、赤彰は苦笑いする。
「龍でも出てこなければ大丈夫ですよ。 虎の倒し方は我々兵士の大半が知っています」
「分かった。 それでは任せる」
「任されます」
可先も同じ理由で動けない。
そこそこ兵力が増えてきたのだ。黒い軍団が現れる可能性を考慮しなければならない。
黒い軍団に攻められたら、組織的に軍を動かせる人間がどうしても必要になってくるのである。
それが分からない連白ではなかった。
話し合いをした翌朝、二十人の訓練を受けた兵と石快をつれて、話題になった街に出向く。数日の距離だが、野宿なら慣れている。
元々親と一緒に暮らしていた頃から、豊かとは言えない生活をしていたのである。
今更粗食なんて何でも無い。
ましてや基本的に食べなくても死なないのだ。
ただし力は出なくなる。
兵糧などが必要になるのはそれが故で。
いずれにしても、力を継続的に出すためにも。兵糧はきちんと運ばなければならないのだった。
急げと、兵士達には言えない。
人材は集まってきているのだ。
兵士の中からも、戦闘力が高い人間はどんどん抜擢して将軍候補にしている。
戦いになればどうしても死人が出る。
だから、徹底的に鍛えて、少しでも死ぬ人間が減る確率を増やさなければならないのである。
この間の小競り合いでもその成果は出ている。
人間いきなり完璧にはなれない。
少しずつでも鍛えられているのだから、良しとしなければならない。
「石快」
「なんですか、白姉貴」
「お前から見てどう思う。 うちの軍」
「まだまだですね」
まあそうだろうな。
石快とまともにやり合える奴は赤彰しかいない。その赤彰も、本気でやりあったら勝てないと認めている。
石快は強い。
だが、世の中にはもっと強い奴がいるはずである。
そういった人員をどんどん探していかないと。
いずれ頭打ちになってしまう。
頭脳労働が出来る人間に至っては存在さえしていない。
だからいずれにしても、人は幾らでもいるのだ。
「この先の廃街は、どうして焼かれたんだっけ」
「県令がろくでもない輩で、央の役人達が逃げ出すと、もう法は無くなったと判断したんですよ」
後は好きかってだったそうだ。
気に入らないものを勝手に処刑したり。
気に入ったものばかりを周囲に侍らせたり。
まんま、小さな昏帝と同じ事を続けた結果。
やがて恨みを買い、部下に殺された。
しかしながら、かといってそれで新しく街がやっていけるようになるかというと、そうでもなく。
獣の群れに対応出来なくなり、街の民は四散。
最後の方まで残っていた破落戸から、情報が出たそうである。
「そうなると、今は空っぽと言う事か」
「空っぽですが、獣が住み着いている可能性がありますな」
「……」
「世が乱れると獣は増えます。 昔は滅びる寸前に国の王都に獣が徘徊していたという話もあったそうで」
石快が何でそんな事を知っているのか少し不思議だったが。
流曹に聞かされたらしい。
流曹はあれで、武官とは話さないという事も無く。
荒くれ達の長である石快とも普通に話す。石快も、流曹がやっていることの重要性を理解しているからか、反発はせず。
酒を無理強いしたりするような事はないものの。
たまに二人で飲んだりしているようだった。
野宿を繰り返しながら、移動する。
清王についての情報についても、集めておくように指示は出しておいた。
そもそもほこらから現れる以外に、人間が増えない世界である。
清王がどんな経緯でそう名乗るようになったのかは。
はっきりいって、よく分からない。
会いに行ったらいきなり殺される、と言う事もありうる。
そんな輩では無い事を祈るしかない。
「見えてきましたぜ」
何日かすると、その街が見えてきた。
央の黒い軍団が行き来するために、道は整備された。何でも、武帝が移動する時に、一緒に道も整備しながら移動していた、と言う話である。現在では戦車がこの道を使って、迅速に各地に移動することが出来る。壊してしまうべきでは無いかと言う声もある様子だが。
道があるというのは、とても便利な事なのだ。
軍に取ってだけ有利なのでは無い。
現に今も、連白は道があるおかげで助かっている。
ただ道を人間が行き来するのは獣も知っている様子で。
世が乱れると、道に獣も出る。
この間斬った白蛇も、そんな道にいた輩だった。
戦車に乗って移動していた連白は、四苦八苦しながら立ち上がって、伸びをして様子を見る。
何というか、ボロボロだ。
「人がいなくなってから、それほど経っていないだろう?」
「黒い軍団が暴れ始めた少し後くらいに無人になったらしいですな」
「そうか。 人がいなくなると、あっというまに街は駄目になるんだな」
家でも同じ事は言えるが。
それにしても、戦車は普段兵糧を積み込むのにも使うから、とても窮屈で仕方が無い。
要するに荷駄の車としても使っている、と言う事だ。
いずれ格好良く、専門の戦車を使いたい所だが。
そもそも馬がまだ数頭しか確保出来ておらず。
戦車は相性が良い馬を二頭揃えなければならない事もある。
一応戦車を今増産しているし。馬も見つけ次第捕まえるように指示はしてあるのだけれども。
馬を生きたまま捕まえるのは難易度が高い。
また荒野に現れる馬は人間に対して警戒心が強いことも多い。
そういう馬は暴れると、捕らえるときに死人が出ることもある。
だから、馬は簡単に揃えられない。
人だけじゃない。
何もかもが足りないのだ。
街に入る。
内部では、皆緊張して周囲を確認している。
獣が住み着いていてもおかしくない。
また、賊がいるかも知れない。
誰もいなくなった街だ。
獣の危険はあるが、賊の根城にするにも一番良い場所である事は間違いないのである。央がきちんとした法をつくるまでも、各国で法はあったにはあった。ふわっとしたものを、ただ文字でまとめたものだが。
それですらも、あるだけでどれだけ重要だったか分からない。
その法が無くなると。
力だけがものをいう世界が来るようになる。
周囲を警戒している石快が、顎をしゃくる。
皆黙り込んでいるのは、最大限に警戒しているからだ。
人の気配がある、というのだろう。
頷くと、戦車を降りる。
馬は任せて、そのまま歩く。
もしも目的の賢人がいるならば、馬に乗ったままでは失礼に当たると考えたからである。
黙々と歩いているうちに、程なく家が見えてくる。殺風景で、全くというほど人の気配がないが。
其所には確かに家があって。
そこそこ大柄な男が、目を怒らせて待っていた。
「何だ貴様ら。 賊ではないようだが」
「私は此処から南にある街を治めている連白だ」
「……聞いた事がある。 各地で生じた難民を積極的に受け入れているそうだな」
「ああ。 このような時勢だ。 助けられるなら助けたいと考えている」
少しだけ相手は警戒を解いてくれたようだった。
連白が嘘をついていないことが伝わったのかも知れない。
それならば別にかまわない。
軽く話をする。
「此処に賢人がいると聞いている」
「賢人……」
「張陵先生と言うそうだが」
「……少し待っていただきたい」
どうやら当たりのようだ。
しばらく外で突っ立って待つ。周囲の警戒は石快に任せる。どうせ連白では、不意打ちに対応出来ないし。
獣の気配を感じ取ることだってできないのだから。
「街の中に複数の獣の気配がありますな」
「この街は、今いる街から見て距離が近い。 更に街が大きくなってきたら、その時は此処も使わせて貰おう」
「獣の掃討が必要になりますな」
「その時は頼むぞ」
話しているうちに、さっきの男が戻ってきた。
石快ほどでは無いが、獣が彷徨くこの街で、張陵を守っていたと言うのなら。相当な使い手なのだろう。
「先生はお会いになるそうだ」
「分かった。 石快、いつ何があっても良いように備えて置いてくれ」
「俺も行く」
「いや、大丈夫だ」
連白はそのまま、古びた家に入る。
多分此処は、県令の屋敷だった場所なのだろう。
県令が殺されて、その後誰も使わなくなった。
こう言う家は普通誰も使いたがらないのだが。それを平然と使っているというのは、大した胆力だとも言える。
中に入ると、香を焚いた、青い道服を着た男が此方に背を向けていた。
大男が声を掛けると、振り返る。
「連白どのですな」
「はい。 貴方が張陵どの」
「いかにも私が張陵です」
特徴通りの人物だ。
そのまま、幾つか話をする。
今後の展望を、特に聞いてみたかったのだ。
「清王についてあうことはよろしいかと思います。 しかしながら、人間として期待は出来ないでしょう」
「如何にしてそう思うのですか」
「まず清王はかなりおくれた時期になってやっと名乗っています。 これは要するに、それまではひたすら黒い軍団を怖れていたか、もしくはそもそも周囲に名乗って欲しいと言う声がなかったことを意味します」
林紹は各地の国に勝手に王を立てていったが。
そういった後ろ盾もなかった、と言う事だと張陵は言う。
なるほど。
確かに言われる通りだ。
他にも幾つか助言を受けて、感銘した。
その後に話を切り出す。
「流石の見識です。 是非我が軍に加わってほしいのですが」
「それは、厳しいです」
「やはり宋への忠義がまだあると」
「はい。 それについては、今後も揺らぐことはないでしょう」
忠義、か。
宋は軍が弱く、豊かな国でありながら七国最弱とまで呼ばれ。特に唐から来る軍にたびたび略奪を受けていたと聞いている。
豊かな国なのに。
それを上手にいかせなかったのだ。
王族についてもあまり善い噂を聞いていない。
それでも忠義を尽くすというのは、たいしたものだとも思う。だけれども、今は乱世である。
一人で此処にいられるよりも。
出来れば誰かの力になってほしい。
「それであれば、こうしましょう。 現状では宋に戻る手はずもないのでしょう。 それならば。 一段落して、宋に戻れるようになるまで、我が軍にいて力を貸していただけないでしょうか」
「……」
「如何ですか」
「分かりました。 此方もまとまった軍の庇護が必要だと考えていた所です。 それであるのならお願いしましょう」
助かった。
この人は、相当な賢人だ。
いつでも状況次第で宋に戻る、というのが不安だが。
それでも、いてくれれば大変に心強い。
そのまま戻る。
何も周囲にものがないらしく、すぐに発つことが出来るそうだ。
なお、護衛をしていた男だが。
この男は、元々張陵の部下だった人物で。
魯湾というらしい。
そこそこに腕が立つそうだ。そのまま配下に加わってくれるそうである。
なお、宋に対する忠義はないそうである。
張陵の部下である。
そう、本人は誇りを持って口にしていた。
ならば、それを尊重するべきだろう。連白から何か言うことは無い。
張陵には戦車に乗ってもらい、廃街を離れる。
途中、軽く話をした。
「やはり清王に会うのは出来るだけ早い方がいいだろうか」
「その方がよろしいでしょう。 ただでさえ清王はあまり出来た人物ではないでしょうし、今清で確実に頭角を現している貴方は日に日に邪魔になっている筈です。 出来るだけ早くあった方が良いはずです」
「分かった。 すぐに会いに行く事にする」
仮とは言え部下だ。
口調もさっきまでとは変えた。
いずれにしても、張陵を得たことは大きい。荒くれは周囲に幾らでもいるが、長期的にものを考えられる人間は周囲にいなかったのだ。それに連白は、人を見る目には自信もある。
「清王に謁見した後は、唐軍に合流するつもりなのだが」
「それについては、清王には話をしない方が良いかと想います」
「ふむ?」
「唐をはじめとする五カ国の王は、林紹によって立てられたという経緯がありますが、清王は違います。 情報が少ないので何とも言えないのですが、恐らくはろくでもない人物でしょう」
ろくでもない人物か。
そこまで断言されると少し気の毒ではあるが。
張陵は話してみて分かったが、相当な理論家だ。
話はきちんと聞いておく事にする。
「謁見し、敵意がないことを示したらすぐに戻るが良いでしょう。 途中情報を集め、もしも金品を喜ぶような輩であれば、金品を渡しておくのも良いかと思われます」
「金品ね……」
「連白どのは、金品に殆ど執着がないように見えますが。 世の中には、金品が好きで好きで仕方が無いものもいるのです」
「病気だな」
話をしている内に、野宿となる。
やはり武帝を暗殺しようとしたまであって、道服を着たあまり体格が良くない男であっても。相応に野宿くらいはこなせるようだった。
獣の襲撃も二度あったが、悲鳴を上げるようなこともなかった。
ただ、やはり弓矢を使ったりと言った、武芸は殆ど出来ないようだったが。
一芸があるのなら、それだけで充分である。
そのまま連白は根拠地に到着。
すぐに清王の所に出向く話をする事とした。
連白が留守にしている数日の間に、幾つか問題が起きていた。張陵にも立ち会って貰って、それらを解決する。
張陵は立て板に水の理論で、それらの全ての問題を解決していき。
それを聞いて、流曹も驚いていた。
「噂以上ですな」
「随分助かりそうだ」
「まことに」
瞬く間に問題が片付く。
後は、清王への謁見である。
可先と二百の兵と共に、現在清王がいる遼東に出向く。
そもそもこの土地は、清にとっても最果ての土地だった場所である。
名前の通り東。
それも元清の土地の、最も東で、海に面している。
実は海には連白は行ったことがなかったので、ちょっとだけ海を見るのには興味もあるのだが。
それはそれであるか。
「街の守りは大丈夫だろうか」
「大半の兵士は残してあります。 それより張陵という男、残しておいて大丈夫だったのですか」
「あの立て板に水の能弁を見ただろう」
「確かに知恵者ではありますが、そもそも宋の家臣だと明言しているのはあまり感心できませんな」
可先は真面目な人物だ。
だから、懸念を口にするのも分かる。
だが、だからこそ。
連白にはあの人物が必要なのだ。
「色々な人間がいる。 私はそんな色々な人間がいるのを、当たり前の事にしたい」
「好みの人間ばかりを周囲に侍らせているとろくでもないことになるとは聞きますが」
「その通りだと思う」
「連白様にはかないませんな」
それを見かけだけではなく。
本音で口にしているのが伝わっているから、だろうか。
この乱世だ。
相手を殺さなければならない場合もある。
だけれども、出来ればそれは最後の手段にしたいというのが本音なのである。
ともかく遼東に出向く。
往復で一月は掛かる距離だ。
ともかく手間暇も掛かるし、兵糧も膨大にいる。
それでいながら、見返りはあまり多く無い。
背後を突かれない。
それだけを良しとするしかない。
退屈な旅路を、可能な限り急いで圧縮するが。
やはり途中で獣が相当数出る。
それだけ世の中が乱れていると言う事だ。本来退治されていなければいけない獣が、これだけ野放しになっているのである。
見かけ次第、大物小物を問わずに狩る。
そして、兵糧に変えながら、進んでいった。
やがて、遼東に到着。
あまり大きいとは言えない街だ。まあ、黒い軍団がこれなら来ないだろうとも思ってしまう。
要するに黒い軍団が怖くて此処に引きこもっているとも言える訳で。
もう顔を見る前から、張陵が言うように、ろくでもない人物であることは大体見当がついた。
連白の名を出すと、多くもない兵士達はすぐに慌て始め。責任者らしい不慣れな様子の「大将軍」が顔を見せる。
人はそれなりに集まり始めてはいるようだが、連白の所よりも明らかに少ない。
これは早めに来ておいて正解だったなと思う。
もう少し遅れていたら、恐らく出会い頭に殺される事態さえあったかも知れない。
とにかくこの人物は憶病なのだ。
それが、連白にはすぐに分かった。
謁見する。
麻を編んで作った御簾の向こうに、清王はいた。
姿を見せないというのは余程である。
昔から七国の王は、謁見の際には基本的に顔を見せるのが普通だったという話を聞いているのだが。
それをしないというのは。余程相手に自分の手の内を見せたくないのだろう。
なるほど、小物だ。
それは良く理解出来た。
こんな規模の街なのに。
もう取り巻きらしいのが、街を好き勝手にしているのが分かる。
これは清王は長くは無いな。
そう感じながら、挨拶をし。そしてこれより、黒い軍団を打つべく唐軍に合流する旨を伝えた。
清王は、話を聞いていたが。
側に控えている可先の方に視線を送っているような気がする。
ひょっとして可先が主だと思っているのだろうか。
だとすると、可先も困るだろう。
「以上にございます」
「相分かった。 好きなようにすると良い」
「はっ」
一礼すると、その場を離れる。
時間の無駄だった。
「宮殿」を出ると、伸びをする。
必要な事だったと言う事は分かっている。だが、それでも時間の無駄だったのもまた事実である。
嘆息すると、すぐに戻るよう可先に指示。二百の兵士達も、この街についてはいろいろ思うところがあるのか、それに一も二もなく従った。
兵士の練度においても、装備においても、明らかにうちの街以下。
これで王を名乗るというのは、どういう神経をしているのか。
帰る途中、可先に言われる。
「張陵どのの言う通り、担ぎ上げなくて正解でしたな」
「……そうだな」
実は、清王がいるなら。その配下にはせ参じて、大将軍だとか丞相だとか、そういう肩書きを貰っておくべきではと言う声もあったのだ。
だが、張陵は断言した。
清王は小物で、隙を見せれば必ず乗っ取りを謀ろうとするだろうし、何より良いように使おうとするはずだ。
最悪の場合、責任を押しつけて自分だけ逃げるような事をするかも知れない。
そのような輩には、敵意がないことだけを見せておいて、距離を取っておくに限る。いずれ、相応しい報いが降るだろうと。
「可先、急ごう。 兵が二千を超えたら、商に向かっている唐王の軍に合流するべく、行動を開始する」
「分かりました。 もう少し、と言う所ですな」
「ああ。 これ以上勢力が大きくなると、黒い軍団が来る可能性が高い。 それを避ける為にも、必要な措置だ」
後は、会話も必要なかった。
黙々と半月の帰路を行き。
街に辿りついたときには、ほっとした。
街は更に大きくなっていて、住民も万の単位での生活に慣れたようである。それも、万をかなり多く超えていたようだった。
ただそれ以上に、兵士以外にやれることが無さそうな人間が目立つ。
そういう人間は、これから唐軍に合流するために、鍛え抜いておくしかない。
幸い、張陵が加わってから、効果的な訓練方法が導入されたようで。
残っていた石快と赤彰が、しっかりやってくれていたが。
それでも、やはり兵が多すぎるいびつな状況は変わっていない。
「現状で集まった住民は四万を超えました。 機動軍として二千を出す事に関しては、無理では無いと思います」
そう流曹が進言してきたのは、街に戻って一月後。
時は来た。
街の有力者を集める。
彼らの前で、連白は宣言した。
「これより軍を出し、南下。 唐軍と合流し、各地で悪逆の限りを尽くす黒い軍団、血に飢えた殺戮の狂鬼と化した央軍を討つ」
おおと、喚声が上がる。
複雑な気分である。
実は、張陵に聞かされている。
昔、伝説的な指揮官に率いられていた央軍は、非常に綺麗な戦い方をする軍だったという。
降伏する相手には寛容で、無意味な殺戮は一切しなかったし。
戦いにも強かった。
だが今は、戦いのやり方だけを知っている殺戮集団と変わってしまった。
そのような軍は、ただの厄災と代わらない。
文字通り獣の群れだと。
出陣する軍の司令官は可先。副司令官に赤彰。
参謀として張陵をつれ。
側の護衛に石快。石快は、精鋭を連れて戦闘では主軸となって働いて貰う。そのために、副司令官である赤彰と同格の地位となって貰う。
伝令には翼船に来て貰う。伝令というが、重要な役割でもある。このため、例の白い鎧は翼船に与えた。
派手な分目立つ。
故に、危険度も高くなるが、翼船は喜んで受け取ってくれた。
「私は、出来るだけ人は殺したくないと考えている。 だけれども、各地で暴れている黒い軍団をこれ以上放置すれば、それだけ人が死ぬ。 勿論黒い軍団、央軍だって殺すべきではない。 しかし、今は乱世だ。 他に方法が無い。 方法がないのなら、最速で、敵を倒すべきだろう」
じっと連白の言葉を皆聞いてくれる。
頷くと、出陣の声を掛けた。
鬨の声を、石快が張り上げると。破落戸だった兵士達も。元から兵士だった者も。街の者達まで、喚声を上げはじめた。
そして、二千の兵が出る。
商まで充分もつ兵糧は確保してある。しばらく流曹の支援は受けられないが、これは仕方が無い。
黒い軍団も、機動軍として二千となると、目をつけてくるだろう。
可能な限り、急いだ方が良いはずだ。
斥候を周囲に常時出し、急ぐ。
その途中で、小さな規模の山賊などと、どうしても何度も遭遇する。
話が出来そうなら話をして、配下に加えてしまう。
無理と判断したら叩き伏せる。
移動しながら、新しく加えた者達にも訓練をする。
これから戦うのは獣より危険な相手。
組織的に動く獣といって良い存在。
黒い軍団、央軍なのだ。
張陵と移動中、軽く話をする。
「幾つか、悪い場合の事を考えておきたい」
「分かりました。 まず最悪なのは、移動中を各個撃破を狙った央軍に急襲される事でしょう」
「うむ。 斥候を常に出し続けるしか無いな」
「次は、商に到着した時は、唐軍が既に敗れ去っていた場合にございます」
林紹の二の舞、と言う事か。
林紹の軍の残党は、各地で賊になっている。黒い軍団が来ると文字通りすり潰すようにして蹴散らされてしまうようだが。
また離散しては集まり。
各地で賊になり続けているようだ。
移動中にそれらを取り込みながら進むので、どうしても話は聞こえてくる。
黒い軍団の恐ろしさについて、だ。
文字通り、感情が全く見えない。
作業的に殺しをする。
戦車の音を聞くだけで恐怖が募る。
黒く染めた鎧を着た獣の群れ。
彼らは口を揃えて言うのだ。
あれは人間ではない。人間の形をした獣の群れで、俺たちを今でも殺そうと狙っているのだと。
そう恐怖が消えずに残るほど、恐ろしい相手だったと言う事なのだろう。
今から気を引き締めなければならない。
やがて、宋の地に入る。
張陵の部下をしていた魯湾が情報を集めてきた所によると、既に宋王は唐軍に合流しているらしい。
唐軍は既に三万まで膨れあがっているそうだ。
なお、連白の軍は既に三千を超えている。
途中で吸収した林紹の敗残兵が想像以上に多かったのである。兵糧は、途中暴れている獣を全て狩る事で補った。
だがそれでも足りない。
唐軍が見えてきたときは、少し安心したほどである。
張陵の計算によると、少し兵糧が不足する可能性がある、と言う話だったのだから。
唐軍は思ったよりも、遙かにしっかりしている。三千をつれて合流すると、指揮をしている龍一という人物が、大喜びで出迎えてくれた。
石快ほどでは無いが大きな男で、握手されて振り回されそうになった。
小柄な連白には困る。
そして、軍に加わった事で、紹介される。
ぞくりとした。
まるで、相手を殺すために見定めているかのような目。
背は、連白より頭二つ近く高い。
女性だが、背丈は生半可な男よりも遙かに高く。そして伝わってくる気迫が生半可な獣の比では無い。
虎でさえ、もう少し大人しいと感じるほどだ。
「龍剣だ。 三千の援軍、まこと頼りになる。 戦場では肩を並べて戦おうぞ」
「ははっ……」
自然に謙る。
それくらい、圧倒的な存在の差があるのを感じた。
はっきりいって、恐ろしい。
此奴、強い何てものじゃない。
龍剣と挨拶し。相手が行くのを見送ってから、どっと冷や汗が出た。石快が話しかけてくる。
「とんでもないバケモノだ……」
「同感だ。 あれとだけは戦いたくない」
可先も無言のまま真っ青になっている。
不思議な話だ。
商に集結している五万の央軍、黒い軍団よりも。
八千ほどを率いているに過ぎないあの龍剣という奴の方が。恐ろしく感じていた。
3、商での対陣
三千をつれて唐軍に加わった連白は、唐王に謁見する。
どうやらこの軍。
央軍討伐軍の盟主として、唐王は皆からも一段階高い位置にいるようだった。既に商王、明王、宋王、周王も軍にいるのが確認された。今、清王は慌てて此方に向かっているらしい。
まああの清王だ。
いずれにしても、歓迎はされないだろう。
唐王はあってみて分かったが、穏やかな人格者だ。
だがだからこそ、この軍の置物としての総司令官としては相応しいのだろうなとも思った。
そう。
連白が見ても分かる。
この軍を率いているのは、唐の丞相であるという龍一である。
事実上の軍司令官であるのは龍一であった。
そのまま、宋王に張陵が会いに行くのを許す。
張陵が戻ってこないのかも知れないと懸念する声もあったが。張陵は二日ほどで戻って来た。
三万三千からなる軍勢である。
かなり広大な野営地を構えているので、端から端まで行くにはそれくらい掛かる。
張陵の話によると、宋王はそのまま連白を支えよと指示を出してきたそうで。
しばらくは、連白を支えてくれるらしかった。
助かる。
実に助かる。
これは本音だ。
連白には知的活動が出来る者がほしい。長期的にものを考えられる部下は、必須とも言えるのだ。
更に、である。
「宋王から二千の兵を借り受けて参りました」
「二千!」
「宋王の麾下の軍は雑軍も同じです。 今のうちに、最低限の訓練をした方が良いかと思います」
なるほど。
好意では無い、というわけだ。
張陵が忠誠を誓っていた宋王の縁者。ほこらから現れたところを面倒を見たのかどうかは分からないが。
いずれにしても担ぎ上げられた宋王で。
兵も押しつけられた荒くれ達だったのだろう。
そんな者を担ぎ上げられただけの宋王が面倒を見きれるはずも無い。
ただでさえ、宋は文弱の国として知られていたのだから。
それで、危険を避けるためにも。
二千を此方に回した、と言う事なのだろう。
現状対陣している黒い軍団に動きは無い。ほぼ制圧している商を要塞地帯に変えて、じっとしている。
それに対して、唐軍もまだ動かない。
清王が来ると手紙があったらしく。その軍を待ってから、進撃を開始する予定らしかった。
龍剣というあの恐ろしい女が、前線で央軍をにらみつけているのを何度か見た。
敵陣を睨んでいるようだったが。
それだけではどうにも説明がつかない。
ひょっとして、なにかしら個人的な憎悪でもあるのか。
いずれにしても、恐ろしすぎてそもそも近づけなかったが。
途中加わった千も、可先が鍛えた兵に比べると練度が低いのだ。
だから、しっかり今のうちに鍛えておかなければならない。
連日調練をしていると。
様子を見に来た者がいる。
山霊と言う女だった。背は連白より少し高いくらい。年も同じくらいに見える。
だが、分かる。
この女、相当な歴戦の猛者だ。
この世界では、見かけと年齢は一致しないが。この女はその典型と見て良いだろう。それを一目で理解した。
張陵を知る前だったら。
この人物に、声を掛けていたかも知れない。
間が悪かったな。
そう連白は思った。
この人物、一目で分かったが、裏切りをするような者では無い。一度決めたら最後まで続ける者だ。
だからこそ、こんなに目が鋭い。
世の中に対する怒りにも満ちている。
少し見ただけで、色々な事が分かった。連白は、人を見る目にとても自信がある。何もできなくても。
これだけは出来ると言えるほどに。
相手も、連白を見て、色々思うところがあった様子である。先に会っていれば。そう思ったのかも知れない。
「山霊と申す。 貴方が連白か」
「ご高名は常々」
「……兵の一翼を率いて貰う事になる。 貴殿には期待している」
「はい。 頑張ります」
ぺこりと一礼。
頭を下げることも、連白は抵抗なく出来る。相手の器関係無く、である。だからこそに、時に相手に警戒を解かせることも出来るし。相手を感服させることも出来る。
敬意の籠もった礼を受けた山霊は、一際視線を厳しくしたが。
やがて幾つか打ち合わせをすると、陣を出ていった。
石快がすれ違う。
山霊を見て、ぎょっとした様子だった。
「白姉貴、なんですかあの剣呑な女は」
「この軍をまとめ上げたいわゆる軍師という奴だな。 山霊どのだ」
「ああ、噂には聞いていますわ」
「そうだろうな」
それはそうだ。
いわゆる破落戸情報網で、ここに来てからもめぼしい将軍などの事は色々調べたのである。
そんな中、浮上してきたのが山霊である。
七国が相争っていた頃から生きている古株で。ずっと山奥の庵に閉じこもっていたのを、口説かれて出庵してきたという。
その実力は折り紙付きで、雑兵の集まりだった唐軍を瞬く間に鍛え上げて一目で凄いと分かった精鋭八千に育て上げ。
更には各地の有力な武人に声を掛けて将軍とし。
今や唐軍は、唐蛮と呼ばれていた時代の雑兵の群れでは無い。
黒い軍団に見劣りしない精鋭に育っているという。
「聞いたところによると、八十戦以上して無敗だとか。 全盛期の「秦」軍と戦って勝ったことさえあるそうですぜ」
「それはまた凄まじいな……」
「央軍も警戒していて、庵に引きこもったのを見て安心したとか言う話も聞いていますぜ」
「……あの山霊どの、私を殺すつもりらしい」
ぎょっとした様子の石快。
頷いて見せる。
そういうのも、連白は何となく分かるのだ。
分かるものなのである。
「情報を全てほしい」
「龍剣というあの女。 バケモノですな」
「見て分かる」
「いや、想像以上でさ」
それから、龍剣について調べてきた事を聞かされる。
素手で岩を砕き、人間の首をねじ切る。
大岩を容易く転がし。それどころか持ち上げてさえ見せる。
裸馬を平然と乗りこなす。
馬上で振るわれる豪傑の矛を素手で掴み、握りつぶす。
どれもこれも、信じがたい話ばかりだが。
複数方面から、同じ証言が上がって来ているという。しかも、精度が高い情報ばかりだそうだ。
「石快、お前でも勝てそうにないな」
「確実に無理でさ。 出会い頭に一刀両断ですな」
「……」
「唐軍は実質あいつが率いるとか。 そうなってくると、もう央軍に勝てる見込みはないでしょうな」
石快はそう言うが。
其所まで簡単に行くものだろうか。
確かに秦軍時代の将軍達は殆どいなくなった。央軍の今の指揮官は凡庸なものばかりだと聞いている。
武帝と夢を一緒にした将軍達は、皆病に倒れてしまったからだ。
この世界では、新しいことをしようとすると病に罹ってしまう。
将軍達も、それを怖れず。武帝の天下統一の夢に賭けたのだ。
その結果天下統一はなったが。
央には人材がいなくなってしまった。
死んだのは将軍達だけでは無い。
法を作った文官や。政治家達も同じだと聞いている。
それでは、もはやどうしようもあるまい。
「ともかく、最初の戦いを乗り切れるかだ。 続々と兵は集まってきているが、それでも央軍の方が多い。 しかも相手は戦いを知り尽くしている精鋭だ」
「そう、ですな」
「此処にいらっしゃいましたか」
張陵が来る。
何かあったという事である。
石快が背筋を伸ばしたと言う事は、そういうことだ。
「二千の兵をこれより調練します。 石快どの、貴殿にも来ていただきたく」
「分かった、すぐに行く」
「張陵、決戦はいつ程か」
「今の時点で、央軍は此方の様子を見ているようです。 これ以上兵が増えないと判断したら、恐らくは仕掛けてくるでしょう」
なるほど、その時に戦いか。
恐らくは、あの唐軍八千が中心になって戦いが行われる事だろう。
血の雨が降る。
それはもはや確定事項だ。
目を細める。
出来るだけ殺しはしたくはない。
殺戮に狂ってしまったとは言え。央軍は戦闘の専門家ばかりなのである。そんな人材を失うのは惜しい話ではないか。
だが、あまりにも恨みを買いすぎている。
どうすればいいのか、難しい所だった。
二人が言った後、連白は考え込む。
別に訓練の場に姿を見せる必要はない。たまに彼方此方をぶらついて、部下と話しているだけでいいとも言われている。
連白が姿を見せると、皆安心する。
そういう理由からだ。
連白も、自分に出来る事が殆ど無いことは知っているから、言われた通りにするようにしている。
悩んでいても駄目か。
色々と、周囲と話して回ろう。
そう思って、陣を歩く。
柄が悪い兵士達もいるが、連白を見ると、すぐに姿勢を正す。
連れてきた三千は少なくとも道中に皆顔と名前を覚えた。
だから、名前を呼んで声を掛ける。
そうすると、驚いたように顔を上げる者もいる。そういう反応をするのは、途中で加わった者達だ。
街からつれて出た者達は、苦笑いする。
元々破落戸だった者達は、白姉貴と話せて嬉しいと言う事もある。
みな、生かして帰してやりたい。
だが、殺戮集団と化した黒い軍団を放置も出来ない。
だから、話をしておく。
たまに、死ぬのなど怖くないと言う兵士もいる。
そういう兵士には、静かに話す。
この世界では、死んでしまうと何も残らない。
だから、生きる事を大事に考えろ、と。
無駄に死のうと思うな。
最悪の場合は、私を捨てて逃げてもかまわない。
そういうと、兵士達は青ざめ。そして言葉を無くす。連白は、何度かそういう光景を目にした。
これで、無駄死にをしようとは考えなくなるはずだ。
そうだと信じたい。
ため息をつくと、また他の兵士と話すべく、陣内を歩く。
それしか、出来る事がないのだから。
清王が合流してきた。
五百ほどの兵はいたが、文字通りかき集めて来た、という感じの軍勢だった。
清王は、連白が五千の兵を率いているのを見て不快そうにしたが。唐王が諭す。他の王も自分で兵を率いている訳では無いし、更には将軍達が兵を率いる事で始めて央軍ともやり合えると。
それでしぶしぶながら、清王は引き下がった。
小物だと思っていたが、此処までとはなあ。
それが素直な感想だ。
唐王は、むしろ穏やかそうだが、かなりの傑物である。
これは担ぎ上げた破落戸達も、知らなかったのではあるまいか。
いずれにしても、これで決戦は避けられまい。
黒い軍団の斥候も、既に頻繁に目撃されている。
およそ四万に膨れ上がった此方の軍勢に対して、敵は五万。この規模は全く変わっていない。
しかも相手は央軍が法に基づいて作った強力な武装をしている。
戦車もたくさん持っている。
二頭立ての戦車を作るのが、あんなに大変だとは連白も知らなかった。それを黒い軍団は、どうみても数千は所有している。
あんなのと戦うのかと思うと。
ぞっとはしなかった。
戦いが始まる。
ドラが鳴らされると。連白の所にも使者が来る。周嵐という名の、鋭い目つきの青年である。
何でも馬の世話係から将軍に抜擢されたらしく。
それだけの大出世をした、という事である。
連白も大出世は経験している。
大変だろうなと、その話を聞いたときは苦笑してしまった。
「連白将軍も、作戦会議にご参加ください」
「了解いたした。 すぐに出向く」
「ははっ」
礼をすると、それに返す。
すぐに幹部を連れて、本陣に。
唐軍の将軍達は、完全に一目でものが違うと分かる。龍剣が桁外れに凄いが、他も相応に凄い。
各国の王達は、唐王以外はかなり怪しげな連中で。
この場にいるのも場違いに見えた。
また、それらが率いて来た将軍達の中では、宋魏という男がそれなりの軍勢を率いているようなのだが。
この男も、将軍と言うよりは夜盗の親玉に見えた。
実際そういう輩が、林紹の敗残兵をかき集めて親玉に居座ったのかも知れない。
総司令官は、龍剣の親である龍一。
非常に厳しい目つきの男性で、自身もそれなりに出来るようだが。
それでいながら、山霊に全ての作戦指揮を一任できる度量も持っているようだった。丞相の肩書きは伊達では無いと言う事だ。
小さな国でも丞相を名乗る者はいるらしい。
だけれども、それは滑稽になるだけである。
この龍一は、丞相に相応しい威厳がある。
その娘の龍剣は、大将軍どころかもっと凄い将軍でもおかしくない気がする。強いていうなら時代を超えた英雄と言う所か。
どちらも敵には回したくないなあ。
作戦を聞きながら、龍剣は思った。
作戦はそれほど難しい作戦では無い。
配置としては、連白率いる五千は左翼に展開する。
突撃用のいわゆる凸字陣を組んで、敵に突貫するのだが。その途中で、幾つかの指示が下される。
それに応じて、軍を進めたり引いたりする。
そういう状況になる、と言う事だった。
前衛を務めるのは龍剣が率いる八千。
龍一が率いるおよそ一万は、その背後にいるが。この一万、他の雑多な軍勢をかき集めた予備とも言える軍で。
はっきりいって、戦闘力は期待出来そうに無かった。
宋魏が率いるおよそ七千は右翼に展開するが。
この軍勢に対しても、それほど難しい指示は出ないと言う。
宋魏にほぼ何も山霊は期待していないようで。
それが透けて見えて、連白は苦笑いしそうになった。
「なるほど。 作戦の主旨は理解しました。 それにしても、龍剣大将軍は戦車を用いないので?」
「私は裸馬を乗りこなすことが出来る。 戦車は不要だ」
「ほう……」
「ならば見せてやろう。 影を連れてこい」
手を龍剣が叩く。
ずっと連白より背が高いし、何より人間の完成形なのだろう。とにかく美しいのである。強さと美しさは同居するというのを、龍剣は体現している。ただし、その美しさは、刃物の美しさだ。
触るとざっくり斬られてしまうだろう。
連れてこられたのは、見事な毛並みの黒馬だった。
龍剣が声を掛けると、ぴたりと静かになる。相当な暴れ馬だったという話がされたが、とても信じられない。
そもそも裸馬に乗る事が出来る者なんて、滅多にいない。
勿論六百年続いた戦乱の中に語り継がれる英雄の中にはいるけれども。
そういう英雄でも、老年には戦車に乗っていたという話である。
龍剣がひらりと馬に乗ってみせる。
身体能力が噂通り人間を超越している。
軽々と巨大な黒馬に跨がると、疾走してみせる龍剣。
その速い事、まさに疾風。
しかも振るわれる矛の音のもの凄いこと。
度肝を抜かれている宋魏将軍。
連白も正直、絶対こいつとは戦いたくないなあと思ったけれど。それを顔に出すことはしなかった。
馬を下りた龍剣が此方に来る。
そしてそれでやっとわかる。
普通よりも遙かにばかでかい矛を手にしている。なるほど、あれでは普通の矛を握りつぶしたというのも納得だ。
鬼神人と呼ばれるのもこれなら頷ける。
人では無かったと言われても、確かにその通りだと納得してしまうほどである。
「如何だったかな」
「感服しかございません」
「うむ。 では作戦通りに動いてほしい」
解散、と龍一将軍が声を掛けると。
皆、それぞれの陣に散って行く。
そして、四万の軍勢は、進軍を開始した。張陵が鍛えてくれた五千は、問題なく進軍できている。
宋魏率いる七千は、かなり足並みが乱れている。
だが、全体的に雑兵という印象は受けない。
先頭を切っている、龍剣が率いる八千が、圧倒的な存在感を見せつけ。文字通り荒野を打ち払うように進んでいるからだ。
獣が時々姿を見せるが。
龍剣を見るだけで、震え上がって逃げ散ってしまう。それを龍剣は即座に飛び出し、一閃で仕留めてしまう。
虎ですら何度か一人で仕留めていた。
凄まじいと言う他無い。
そして、あえて平野に出る。
央軍の十八番。戦車を使った蹂躙戦に向いた地形である。此処にあえて布陣することで、陣に閉じこもっている央軍を引きずり出すつもりなのだろう。
すぐに央軍もこの様子を見てでてきた。
勿論罠は警戒しているだろう。
相手は凡庸な将軍ばかりとは言え。
それでも百戦錬磨なのである。
さて、簡単にはいかないぞ。
提供を受けた二頭立ての戦車に乗って、連白は手をかざして様子を見る。
敵は五万全てが、唐軍と同等の訓練を受けていると見て良い。
それほどに統率が取れた軍勢だ。
真っ正面からやり合ったら、相当な被害が出るだろう。そこで山霊の作戦が生きてくる訳だが。
はてさて、上手く行くか。
央軍も布陣を終える。
空気が、ひりついていくのが分かった。
4、戦闘が始まる
双方対峙したまま、時間ばかりが経過していく。
央軍は余裕綽々。いつでも相手を蹂躙できるとばかりに、戦車を全面に展開して構えている。
唐軍も。
龍剣が率いる八千はそうだ。
龍剣に対して、圧倒的な信頼を寄せているのが分かる。
その信頼は、「此奴についていけば絶対に勝てる」という形の信頼である。
それについては、見て分かった。
龍剣の姿と武勇をいつも見ているのであれば。
そういう風に考えるのも納得である。
それはそうだろう。
そうとしか言えなかった。
「始まりませんな」
石快が隣で言う。
珍しく冷や汗を掻いている様子だった。
五万からなる組織された敵兵が前だ。此奴ほどの豪傑でも、流石に怖いと感じるのだろうか。
それを聞いてみると、当然だと返された。
「虎狩りの熟練者であるそなたでも怖いのだな」
「一番怖いのは人間なんでさ、白姉貴」
「そうだな。 それは間違いない」
ましてや、あの黒い軍団は、倍を超える規模の林紹軍の主力を、文字通り枯れ葉のように蹴散らして見せたのだ。
戦闘を多数経験して、乗りに乗っている。
まだ、動かない。
なるほど、これも山霊のいったとおりだ。
山霊はこういったのだ。
敵は必ず平野に出てくる。だが、平野に出て来てから動きを止める。
それは、その方が有利だからだ。
敵をじらして、正常心を奪う。
元々五万の、多数の馬車を含む軍勢。
圧倒的な威圧感で、敵陣を威圧。
敵が暴発したところを、掌の上で転がして叩き潰すつもりだ。
なぜなら、それがもっとも簡単に勝てる方法だからだ。
故に指示があるまで、何があっても絶対に動くな。
その説明を受けて、連白は頷いたが。
宋魏は不満そうにしていた。
そして宋魏が担当している右翼部隊は、既に強烈な威圧を受けて、乱れているようだった。
少し後ろにいる、龍一が率いる一万。
更に後方にいる、王達が率いている雑軍。
これらは敵と距離があるから良い。
しかしながら、実際に敵と相対している、二万五千は。
もろに圧力を浴び続けているのだ。
冷や汗が出る。
何度か、連白も冷や汗を拭った。
緊張を解いてはいけない。
いつ、作戦指示が出るか分からないからだ。
緊張の時間は、更に一刻も続く。
不意に、央軍が引き返し始めた。
追撃するべきではと赤彰が口にするが、目を細めてじっと見る。何か臭う。嫌な予感がする。
「絶対に指示があるまで動くな」
「しかし、追撃戦は有利です。 ひょっとしたら勝てるかも知れません」
「ひょっとしたらじゃない。 あの龍剣大将軍と山霊どのがいる。 絶対に勝てる。 指示通りに動けばな」
「その通りです」
張陵がいうと、以降は赤彰も黙った。
敵は平然と引いていくが、此方は陣を動かさない。しかしながら、その均衡が、ついに破れた。
宋魏がしびれを切らしたらしい。
その軍勢、七千がいきなり突撃を開始したのである。
しかも訓練したとはとても思えない動きで、どっと襲いかかるような感じだった。
ああ、なるほど。
ようやく理解した。
最初から、こうなることを、山霊は読んでいたのだ。
同時に、ドラが叩き鳴らされる。
ちょっと不可解な指示だったが、連白は言われた通り動くように指示。同時に、五千の軍勢が動き出す。
八千の龍剣の軍はまだ動かない。
だが、天下の命運を決する戦いは今始まったのだ。
此処で負ければ、もはや後はないだろう。
昏帝とその取り巻き達。
殺戮しか知らない央軍。
それがこの地を死に染め続ける事になる。
山霊が連白を殺すつもりなのは、一目で分かっていた。だけれども、だったら殺されないために、隙を見せなければ良いのだ。
予定通りの配置につく。
手をかざすと、凄惨な有様が見て取れる。
まあそうなるなとしか言えない。
初めて見る、軍団規模の大合戦に、五千の兵士達は青ざめているが。
小規模の戦いは、今まで散々経験してきたのだ。
だから、出来る。
連白は、皆に呼びかける。
まだ、その時間はある。
「案ずるな、この軍を指揮するのは、鬼神人龍剣! いける伝説山霊どの! 我々は、絶対に最後には勝つ!」
「白姉貴の言う通りだ! お前達、気合いを入れろ!」
「おおーっ!」
空気が変わる。
同時に、ドラが鳴らされる。
動く時が来た。
合戦が、本格的に開始されたのだ。
(続)
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