鬼神人

 

序、龍の剣

 

林紹が死んだ。

その話を聞いた龍一は、ふんと鼻を鳴らしていた。

迷惑な輩だった。

唐でも奴の軍は散々各地を荒らし回ったので確認したが、はっきりいって黒い軍団に勝てる相手では無かった。

最初こそそこそこ巧みな機動戦で黒い軍団を翻弄していたが。それも最初だけ。

勝ちに奢って大王を名乗った時点で終わりは見えていた。

何が大王か。

虎川を見下ろす。北の龍川。南の虎川。どちらも中の世界を東西に横断する大河だ。

林紹は死んだが。

この雄大な川の如く、動き始めた歴史はもう止まらない。央による支配は、もはや旧秦の領域のみに事実上なっている。

各地で林紹の残党が独立し。

割拠が始まっていた。

龍一にも、街を治めて欲しいと言う依頼が来ている。

この街の県令によるものだ。

愚かしい話である。

県令になって貰って、自分の身の安全だけは保証したい。そう考えているのが見え見えだったからだ。

唐は「蛮」とまで呼ばれたように、元々民は極めて荒々しい。龍一だけではない。龍剣のような規格外はまた話が別だが。明で始まった林紹の大反乱に乗じて、各地で暴れ始めた輩は多い。

それらには、龍一が人脈を持っている者もいる。

今は割拠をすべき。

そう龍一は判断していた。

龍剣が来る。

昨日、なんと一人で虎を倒した。

吟遊の者が来ると、物語を聞きに街の者達が姿を見せる。

そんな物語では、虎倒しの英雄が幾らでも出てくる。

だが、実際に、あの巨大な虎を単独で。

本当に此奴は、文字通り虎を殺す英雄なのだ。

普通、どれだけの熟練者でも、兵士達と連携して虎とは戦い。額にある三つ目の一つ、急所を狙う。

虎の肉は力がつく。

だから、虎を倒せる事は、とても素晴らしいとされるが。

基本的に虎を狩る専門家は、五人、十人と連携し。

罠などを使って虎の動きを止めて、それでやっと勝負になるのが普通だ。地域によっては毒も使うと言う。

それが、矛だけで虎を倒した。しかも一人で。

央の武帝と同格かそれ以上ではないか。

そう思っていたが、案外外れでも無いかも知れない。

「父上、如何なさいました」

「まずは唐を奪う」

いきなり発せられた剣呑な言葉に。

龍剣は顔色一つ変えず、頷いていた。

「それではあの街の軍を皆殺しにすればよろしいですか」

「待て。 殺すのは県令だけでいい」

「何故に。 殺した方が言う事を聞きやすくなりましょう。 人間は恐怖で支配するのが一番でございます」

「訓練を受けた兵士は貴重だ。 お前は確かに一人で兵士千人に匹敵するかも知れないが、少し前の戦いでは林紹が十二万の兵を率いて央軍の黒い軍団に敗れた。 お前は十二万の軍に一人で勝てるか?」

薄く笑ってみせる龍剣。

相手次第だ、というのだろう。

確かに此奴が軍の先頭に立てば、数倍の兵力差程度ならものともしないだろう。

何しろ此奴、本当に素手で岩を砕くのである。

既に龍剣の名は噂になりはじめている。

「鬼神人」として。

鬼神の力を持つ人、という意味である。

その渾名は、あながち嘘でも無い。

ただし、性格までも鬼神なのが問題だ。その荒々しさを少しでも抑えなければ、絶対に龍剣は暴の権化と化す。

「ともかくだ。 この街は水運にも都合が良く、金も回る。 兵士もそこそこいる。 最初から兵士が少しでもいる方が有利だ。 だから県令を殺しても良いが、兵士は戦意喪失させろ。 方法は任せる」

「……分かりました」

不満そうだが。

口を尖らせたりとか、人間らしい表情を龍剣は一切しない。

此奴は本当に抜き身の刃で。

何もかもを憎み抜いているとしか思えない。

龍一の言う事だけは聞く。

だが、ほこらから人が現れる前。

その前に何があったのか、希に話す者がいると聞く。

その記憶は殆どの場合、「死」。

龍剣は、或いは。

その「死」の記憶を、引き継いでいるのかも知れなかった。

ともかく、二人で街に降りる。

龍一は既に彼方此方に人脈を作っている。街では、歩いているだけで多くの者が礼をしてくる。

龍一は屈強な男性だが、龍剣はその龍一よりも更に背が高い。

それでいながら不自然さがない。

人の肉体として完成形なのだろう。

男女の性別差がどうしてあるのかは分からないが。龍一の見る所、恐らく龍剣の戦闘力は、現在中の世界随一。

個人の武勇であれば、此奴に勝る人間など、何処を探しても絶対に出てこないだろう。そう断言できる。

役所に出向く。

さて、可能な限り穏便に済ませてくれよ。

龍一はそうぼやくが。

龍剣は既に「入って」いる。

これはまあ、伝説が作られるだろうな。

それを覚悟するしかなかった。

龍一はそのまま、奥へと通される。どちらかといえば破落戸の大親分である龍一は、本来役所に来る人間では無い。

昔は珍しく無かったそうだが。

央が法を整備してから、滅多になくなったそうだ。

少なくとも、龍一はずっとこの街で。

破落戸を集めながら、戦力と人脈を蓄えてきた。

その結果が認められたとは言えるが。

問題は龍一には、世界を動かす器量がないこと。

更には病にも恐らく罹るし。

耐える事も出来ないだろうと言うことだ。

龍剣の方を見る。

こっちは。

あの央の武帝のように。

病に耐え抜くかも知れない。

何十年だか法治主義での治世を敷けば、この世界は恐らく変わるだろうと龍一は踏んでいる。

あの武帝のことだ。

いけ好かないが、何か手を打っている可能性もある。

奴が傑物だったのは悔しいが認める。憎悪と使えるかどうかは全く別の問題。このどうしようもない世界が、少しでも変われるというのなら。

それはそれで、良い事だろう。

だがどちらにしても、その過程で武帝とその配下はやり過ぎた。

だから許すことは無い。

それだけである。

役所に入ると、畏怖の声が上がる。

圧倒的な龍剣の強さは、見るだけで分かるのだろう。

こんなへんぴな街にいる兵士なんて、ロクな訓練を受けていない。一応規模に応じて、四十人に一人の割合で兵士を訓練するように、という法があり。その法に応じて、まずは矛を。次に弓と剣を学ぶ。もしも余裕があれば、投げ槍なども学ぶ事があるが、それは央の国内にいたり、各地で反乱を鎮圧して回る精鋭「黒い軍団」の兵士がやる事。そういう兵士は戦車の訓練も行うのだ。

黒い軍団の兵士ですら、龍剣の前にはそれこそ赤子同然。

ましてやこんな街の兵士など。

完全に「入って」いる龍剣は、正直側にいると肌がぴりつく。

実力は虎の比では無い。

けしかければ、役所にいる兵士どころか。この街にいる人間を、皆殺しにすることさえ可能かもしれないのだ。

役所の奥に出向く。

この街の県令は、だらしのない体型の男であり。

「唐王」の出現に乗じて、独立するつもりでいた。

最近林紹が敗れた噂は流れてきているが。

かといって、黒い軍団は健在。

各地でまた林紹の残党が次々叩き潰されている。

しかし一度噴き上がった反乱の芽は摘まれることもなく。

央憎しの念から、各地を燎原の火に包んでいる。今後も、それは央が潰れるまでは収まる気配がないことも龍一には分かっていた。

「おお、龍一。 来てくれたか」

「は。 それで如何なる用でございましょう」

「そなたにこの街の軍を預ける。 それでわしとともに独立し、周囲に覇を唱えようではないか」

何が覇だ。

失笑したくなるが、そのまま言わせておく。

何でも唐王などは所詮自称に過ぎず、自分こそ唐王に相応しいという。

そして唐王になった時には、龍一を軍事の最高顧問である大将軍に据える、と県令は言い放ったのだった。

呆れた。

話にならない。

「その策には大きな穴がございまする」

「な、なんだ」

「そなたが必要ないと言う事だ」

龍剣に、目配せ。

なお武器は入り口で預けてあるが、関係無い。

瞬く間に飛びかかった龍剣が、文字通り素手で県令の首を掴むと。そのままねじり切るまで次の瞬きまで掛からない。

首から盛大に血を噴き出しながら、県令だった死体が倒れ。

この世界の民がそうであるように。

死んだと同時に消えていった。

悠々と龍剣は、呆然と立ち会っていた兵士達を無視して庭に出ると。

其所にあった大きな岩を。

素手で殴り、粉砕して見せる。

虎を単独で狩る訳だな。

背筋が凍る。

龍一も、龍剣を内心では怖れてはいるが。これではどうしようも無い。街全体が揺れるような一撃が、文字通り大岩を粉砕していた。

素手で、である。

龍剣は、それで手を痛めた様子さえない。

「ものども、聞けい!」

恐怖に逃げ腰になる兵士達に、龍一は吠える。

その声はよく通る。

当然だ。破落戸どもを従えるには、この声が大事なのだ。中には何故か周囲が従うような奴もいるが。

そんなのは例外だ。

だから、技術によってそれを行う。

新しい技術では無い。

昔から周囲を見て来て、経験的に知っている事だ。

「県令は央の給与を食みながら、都合良く己が唐王になろうなどと言う妄言を抜かした故に此処に成敗した! 畜生にも劣る存在に、生きる価値なし! そなたらも、義に従うつもりであれば義に従え! 従うのであれば許す!」

「し、従います!」

声を震わせながら、一人が矛を捨てると。

次々に兵士達が矛を捨てた。

賢明な判断だ。

けしかければ、即座に龍剣が皆殺しにしていただろう。龍剣にとって、この数の兵士など、それこそ蟻に等しいのだ。

更に、配下にした破落戸達が役所に入り込んでくる。

皆荒々しい者達ばかりだ。

彼らは手際よく兵士達を縛り上げると、文官達に武器を向ける。龍一は手を上げる。良く仕込んだ破落戸達は、それだけで武器を文官達から離した。

「これよりこの街は、唐の勢力下に入る。 そなた達も、従うように。 今まで通りの仕事をせよ。 仕事の内容次第では、今まで通りに遇してやるし、場合によっては出世も約束しよう」

「は、はい……!」

震え上がっている文官達。

昔は法治主義に目を光らせ、我等こそが央の守護者であると振る舞っていたのに。

いけ好かない存在ではあったが、武帝という傑出した柱が折れてしまうとこうも脆いものなのか。

嘆息すると、まずは街の完全制圧を行う。

要所には龍剣を出す。

龍剣には、特別こしらえの。倍も刃が大きい矛を用意させている。それにあわせて木も極めて頑強な、唐の奥地の山にしかないものを取り寄せさせた。虎よりも危険な、伝説の獣である「龍」が出る地域である。何よりその山の先には、件の「霧」が広がっているのである。

最果ての地から取り寄せた最強の武具。

文字通り、龍剣にしか扱えない最強の矛だった。

それを手にすると、もはや龍剣は鬼神にしか見えない。

誰もが怯え即座に従い。

流血は最小限に抑える事が出来た。

その後最初に龍一がやった事は、犯罪者を牢から出して、裁き直す事。

央の法は少し厳しすぎる。

故に、行った事を龍剣が見ている下で自白させ。

それに応じて罪を再度決め直した。

数人、首を刎ねることになったが。

それらはそもそも、央の法でなくとも死刑が確定しているような極悪人であり。存在そのものが害になるような輩だった。

数日で一段落がつき。

龍一が県令の座につき。

龍剣が目を光らせる中。

唐王の使者が到着。

昔は唐蛮とまで言われ、周囲からは忌み嫌われた唐だが。

今回唐王に担ぎ上げられた人物は温厚で。

他の国々で王を自称したものと違って、非常に人望も篤いようだった。

会いに行く。

そう告げると、龍剣は難色を示す。

「唐王など、父上がなればよろしいでしょうに」

「龍剣よ。 それでは駄目なのだ」

「何故に」

「まず唐王は現在人望篤く、人も集めておる。 いきなり殺す事を考えず、まずは見極める事から始めなければならぬ」

龍剣はじっと聞いている。

龍一の言葉なら聞いてくれるのだ。

それだけは救いだが。

「唐王がくだらぬ輩だったら、いずれは殺す。 だが今唐王を殺してしまっては、奴の下に集まりつつある唐の民も離散してしまうだろう。 故にまずは最初に見極め、利用する事を考える。 それが重要だと言う事だ」

「分かりました。 父上のお言葉のままに」

「うむ。 いずれにしても、油断はするな。 だが必要がない殺しもまたするでないぞ」

「はい」

素直でよろしい。

素直とは言っても、文字通り虎が自主的に従っているようなもので。その凶暴性はいささかも衰えていない。

龍一が殺せと指示すれば、誰であろうと躊躇無く殺すだろう。

龍剣はそういう奴だ。

配下にした破落戸も、龍剣のことは怖れている。

冗談も言えない雰囲気で、怖いと素直に相談されたこともある。

だから龍一は答えたのだ。

龍剣は本物の鬼神だ。人の領域を超えた武芸を持つ存在だ。

だからこそに、相手を鬼神だと思って接するように。

それ以来、龍剣が部下達に、鬼神として見られている事を龍一は知っているが。それで問題ない。

そもそもこれくらいの超世の英傑は、人と同じとして見てはいけない。

勿論やりようによっては死ぬ。

だが、それでも世界を変えうる存在であることは間違いないのだ。

その一方で、この龍剣は鋭すぎる。

抜き身の剣は、少し動くだけで周囲を切り裂き傷つける。

だから鞘がいる。

今の時点で、そうなれそうな存在は、見つかっていなかった。

唐王の所に出向く日時を決める。

使者には、干した魚と塩を持たせた。どちらも重要な物資である。

堂々と、街を出る。

現在の唐は、建業と呼ばれる此処より更に遙かに大きな街に王都を置いている。

北の龍川と、南の虎川。

その虎川の流れの麓。海に近い場所にある、水運の最大要所だ。

此処が墜ちていて、黒い軍団が取り返しに来られない時点で、既に央が末期的である事は明らかなのだが。

周囲は思いの外のどかで。

いや、昔に。

戦乱がまだ続いていた時代に、戻ったようだった。

その時代では、無邪気に人を殺し。

殺戮は当たり前だった。

気に入らなければ殺す。気に入った者だけを侍らせる。

そうして強い奴がある程度まとまって、七国が出来た。

武帝の作り上げたものは、既に。

崩壊している。

建業につき。血に飢えた破落戸がウヨウヨいるのを見て、そう龍一は考えたのだった。

 

1、龍の先生

 

唐の王都とやらに出向いた龍剣は、周囲を目を細めて見やる。くだらぬ都だと思った。

龍一に言われたから来たが、規模がでかいだけ。人も無闇に多いが、それだけである。何一つとして、感じ入るものがない。

船も雑多なのが行き来しているが。

どいつもこいつも、ろくなのがいない。

何度か外で喧嘩を売られた。

無闇に殺すなと言われているから、喧嘩を売られる度に掴んで放り投げた。

この場合、背負って投げるようなやり方では無く。

文字通り掴んで空中に放り上げるのである。

そして、墜ちてきたところを。

地面に激突して死ぬ前に、掴んで止めてやる。

何度かそれをやると、相手が誰であろうがまず漏らす。

従う事も約束する。

そうしたら許してやる。

囲んで襲いかかってくる事もある。

その場合は、まとめて畳む。

本当に畳むと死んでしまうので、できる限り力を抜いて、放り投げる。死なない程度の高さまでに、である。

その後は、親玉の所に案内させ。

親玉を取り巻きもろとも殴り倒す。

黙らさせた後は、龍一の所につれていき。

後は龍一に任せる。

父上と呼ぶのも、その後にどうにか出来るからだ。

もしも破落戸がその後も恨んでいるようなら、龍一を父として此処まで慕うことはなかっただろう。

だが龍一はきちんとそれで、破落戸を忠実な部下に変えてくれる。

かくして、龍一の勢力は、唐の「王都」にて、確実に大きなものとなっていった。

唐王に二度目にあった時は。

随分と態度も変わっていた。

粗末な玉座に座った唐王。

ひ弱そうな男だ。

だが、無害そうでもある。

敵意を示さない限り、龍剣は自分より弱い相手を殺さない。だから、今の時点では殺さない。

「龍一。 そなたの噂は聞いておる。 次々にこの街に集まってきているならず者を大人しくさせているようだな」

「はっ。 それもこれも、我が子龍剣の武勇によるものにございます」

「うむ、噂は聞いておる。 鬼神も道を避けて行くほどだとか」

「まさにいける鬼神にございまする」

顔を上げるように言われたので、顔を上げる。

まあ見かけだけはいい。

それだけの男だ。

そういえば、央の二代皇帝。昏帝と嘲笑われている胡全も、見かけだけはいいらしい。似た者同士だなと、龍剣は思った。

「龍一よ。 貴殿には、軍をまとめて貰いたい。 黒い軍団は各地で蛮行の限りをつくしておる。 奴らを食い止められるのは、そなたしかおらぬとみている」

「ははっ。 それでは、一つお願いがございまする」

「何か」

「我が唐には人材が足りませぬ。 人材をある程度、この一めの判断にて集める事をお許しいただきたく」

許そうと、唐王は言った。

一礼して、そのまま唐王の前を退出する。

屋敷と言っても、もとは県令のもの。

この建業の県令は単に大きな街の県令だったから、そこそこに前にいた街よりも大きな屋敷に住んでいた。

それだけ。

あくまで比較して大きいだけで。

別にそこまで大きくもない。

取る事が出来る木や、石材。

それらもあって、家などと言うのは、作れる大きさが決まってしまっているのである。だから、別に家に圧倒されたことは無い。

まずは、建業における屋敷に戻る。

龍一は軍事訓練を始めるという。龍剣と向かい合って座ると、今後の方針について、龍一は言う。

「まずは兵士を移動して戦える軍に変える。 お前が稽古をつけた兵士達を中心に、兵士達に武芸を教え、集団戦を仕込む。 戦車を央軍ほど揃える事は出来ないだろうが……それでもまず軍の体裁を整える」

「数だけがいても勝てないと」

「そうだ。 林紹めの無様な負けぶりは聞いているだろう。 半数以下の央軍に踏みにじられたそうだが、それも奴が数だけを揃えて、それで勝ったつもりになってしまったからだ」

阿呆がと、龍一が吐き捨てる。

まあそれについては道理だ。

雑魚などどれだけ集めても雑魚。

まともに戦えるようにするには、色々と準備が必要だっただろう。

それを調子に乗って林紹は怠った。

負けるのも道理であった。

「その間に、そなたは軍の中核になる者を探せ」

「中核になる者」

「まずは参謀がほしい」

「ふむ」

参謀か。

龍一に教わった。頭脳労働を専門にする者だそうだ。

前線に出て戦う兵士達も大事だが。

兵士達がどう戦うのかを決める参謀も責任が重い。

そして、そういう参謀は正論をきちんと言えなければならない。

相手のご機嫌を取って、それで地位だけ確保するような輩が一番有害であると。龍一は言っていた。

つまりきちんと正論を言える理論家が必要だと言う事か。

「央のやり口を嫌って、山中の庵に引っ込んだものがいる。 山霊と呼ばれているそうだ」

「その山霊を引っ張ってくればいいのですか」

「いや、お前で見極めてこい。 人を見る目はあるだろう」

頷く龍剣。

相手が出来る奴がどうかくらいは分かる。

確かにたまに、話していて賢いと感じる相手は何度か見た。

山霊がその類なら、捕まえてくる価値はあるだろう。

腰を上げかけた龍剣に、念を押すように父は言う。

「捕まえてくる、などと考えるな。 参謀になる人物は、軍の中心になると言っても過言ではない。 もしも相手が出来ると判断したら、どれだけ頭を下げても良いから迎えに行け」

「迎えに行くのでありますか」

「そうだ。 人材とはそれだけ大事なものだ」

「……分かりました」

外に出る。

昔から龍一が周囲に置いていた部下が待っていた。馬もいる。龍剣が裸馬に乗れる事を、此奴らは知っている。

話は既に龍一からされているらしい。

「山霊どのの所にご案内いたします」

「うむ……」

言われるまま、建業を離れる。

途中、牛や馬を見かける。更には、建業に向かう人の群れも。

黒い軍団を怖れているのだ。

だから、唐王の所にまずは集まり。それからどうにか身の振り方を考えたい。そう誰もが思っているのである。

建業の周囲には、豊富な水運から、水路が多く。

それが多数の畑を作っている。

畑には大量の卑が飢えられていて。明らかについ最近作られた畑も多い。

元々人が多い街であったらしいが。

唐王が此処に居着いてからは、更に規模が大きくなっているらしい。

他人任せか。

情けない奴らだ。

龍剣はそう思いながら、馬に乗って歩を進める。裸馬に乗れるだけで凄いと言われる世界である。

道行く者は、龍剣を驚きながら見る。

ざっと見た所。

そんな連中の中には、大した奴はいなかった。

山の中に入る。

この辺りには、山賊も出ると言う。

いずれ山賊は平らげると龍一は言っていた。

そうした方が良いだろうと龍剣も思う。

どうせ賊などいても何の役にも立たない。さっさと斬ってしまうに限る。

そんな山道を黙々と行くと。

やがて庵が見えてきた。

どうやら山霊とやらの庵らしい。

馬を下りると、矛を部下に手渡す。

矛の重さに部下が四苦八苦しているのを横目に、庵に入る。数人の使用人がいたが、龍剣を見ても驚く様子は無かった。

一人が、声を掛けて来る。

「龍剣様ですね」

「何故私の名前を知っている」

「山霊様が、貴方がここに来ることを予見してなされました」

「ほう」

予見と来たか。

少し興味が出た。

小さな庵に通される。中に入ると、少し背が低い女が待っていた。若々しいが、この世界で見かけと年は一致しない。

ほこらからつい先年現れた老人もいるし。

ほこらから現れて、どうにか生き延びて暮らしている子供もいる。

この若々しい女も、どういう存在かは話してみなければ分からない。

「山霊どのですな」

「はい。 貴方は」

「龍剣にございます」

「やはり貴方が龍剣どのでしたか」

まず、順番に話をしていく。

唐の大将軍に龍一が任命されたこと。

だが龍一が言うには、黒い軍団と戦うにはまだまだ兵力も人材も足りないと言う事。

兵の訓練は龍一が行う。

龍剣は、人材集めをしてほしいと。

言われた通りに、まずは参謀を探しに来た。

それらを正直に言うと。

山霊はくつくつと笑った。

ちょっと下品な笑い方かも知れない。そして、山霊の口調が変わった。本音で話すつもりになった、ということだろう。

「面白い奴だ。 話には聞いていたが」

「何か機嫌を損ねましたか」

「いや、そなたの事は前から聞いていた。 暴の権化のような存在で、単独で虎をも狩るとな」

「武芸には自信がございまする」

否、と山霊は即座に否定。

何のことだと龍剣は思ったが、話をされる。

「そなたのは武芸では無い。 暴だ」

「何か違うのですか。 結局武芸は人を殺すためのものにございましょう」

「究極的に言えばそうだ。 だがそなたのは、その人を殺すためのものどころか、ただ無意味に殺すためだけのものとなっている。 故にそなたのものは暴にすぎない」

「よく分かりませぬ」

だが、面白いと思った。

この山霊と言う者、龍剣を全く怖れる事がない。

その気になれば、龍剣がすぐにでも山霊を殺せる事を、分かっていないはずがない。それなのに、怖れていない。

こんな奴は始めて出会う。

どうやら当たりらしい。

頭を下げる価値があると、龍剣は思った。

「山霊どの。 貴方の識見を父は必要としておりまする。 是非とも、来ていただきたく存じます」

「この庵での暮らしは気に入っているのだがな」

「そこを何とか。 周囲に不自由はないようさせましょう」

「いずれにしても今日はお帰り願いたい。 後、私は唐のためではない。 この詰んで病んだ世界……中の世界そのもののために働きたい。 それをそなたには理解してもらいたい所だ」

そうか。

では、一度は引き返すことにする。

部下達は冷や冷やしていたようだが。破壊音もなく、大人しく龍剣が出てきた事で、ほっとしたようだった。

「龍剣様、いかがにございました」

「あれは本物だ」

「……」

「必ずや連れて帰るぞ。 だが、相手がその気になってくれるまでは相当な手間だとも見た。 何度でも足を運ぼうぞ」

龍剣がそんな事を言うのを初めて見たのか。

部下達が驚く。

だが、龍剣は、心地よいとさえ感じていた。

 

二回目の訪問は、龍剣はただ山霊と話した。

外で仕留めてきた鹿を庵に持ち込む。勿論全てでは無く、一番美味しい部分をだ。

鹿も本来は、普通の人間一人で倒すのは極めて難しい相手なのだが。

龍剣に掛かれば、ほぼ苦労なく倒せる。

鹿は六つ足の背中に鋭い刃のような骨が多数出ている獣で、虎ほどではないが獰猛で人を殺す。大きさも、普通の人の背丈の二倍から三倍はある。

街の周囲に定期的に湧くので、虎と同じように狩らなければならない。

龍剣は、龍一と一緒に行動していたときは。

基本一人で鹿を狩りに行き。

毎度倒して一人で担いで街に戻ってきていた。

巨大な鹿を担いで戻ってくる龍剣を見て、街の者どもは怖れたが。

龍剣は何とも思わなかった。

「鹿を単独で倒すとは大したものだ」

「何も肉で懐柔できるとは思っておりませぬ。 ただ山霊殿と話しておきたいと考えたまで」

「素直でよろしい。 では話をしよう」

山霊も、素直に話に応じてくれる。

見た目の年齢は同じくらいだが。

山霊は、兎に角老練な事が感じられる。

この中の世界に来てから、百数十年も経過しているという。要するに、七国の時代も経験しているし。

央による天下統一。

武王の即位。

それら全てを見ていると言うことだ。

話してみて分かったが、此奴は決して口だけでは無い。

あらゆる事を理路整然と話す。

具体的な戦術についても知っていたし。

更には、実際に幾つかの国で指揮を執ったこともあると言う。

だが、どこの国の連中も、どうしようもなく。

手柄を立てれば嫉妬し。

或いは讒言して遠ざけようとし。

そんな愚かな連中が嫌になったから、庵を作って其所に立てこもる事にしたのだそうだ。

それを聞いていて、龍剣は怒りを感じた。

山霊がほら吹きでないことはすぐに分かった。

実力があることも。

そんな山霊をこんなところに追いやって、活用出来ていない。

どれだけ山霊と接した連中は無能だったのか。

「全く許せない話にございまするな」

「私の代わりに怒ってくれるか」

「はい。 貴方の話は心にしみいりまする」

「……そうか」

二度目はそうして、話すだけ話して終わった。

龍一に進捗を聞かれたので、素直に話す。

龍一も教えてくれる。

「山霊は唐に来る前は、宋、明、商などで参謀をしていた事があったらしくてな。 八十戦近くを勝利に導いているそうだ」

「それほどに……!」

「央からも仕官の依頼があったそうだが、断って庵にいたそうだ。 思うに央が長くないことを理解していたのだろうな」

龍一に頷く。

必ず連れて帰ると。

そして、訓練を見て欲しいと言われたので、兵士達に軽く稽古をつける。

既に武芸については極めている。

これは驕りでも何でも無い。

これ以上上を目指すと、無意味に病を発する。

だから、自分に出来る範囲の事は出来る様にした、という意味である。

だが、それでも充分過ぎる。

龍一が鍛えた兵士達が、どれもこれも手加減しないと簡単に殺してしまう。だから、死なないようにするべく、丁寧に教えた。

しかしながら、一人一人が強くても駄目だと龍一は言う。

やはり参謀。

それに軍を支える将軍達。

それらが必要だと言う。

将軍については、今龍一が心当たりを調べてくれているという。

ならばやはり、龍剣はあの賢人を。

山霊を手元に招かなければならない。

 

四度目の訪問で、山霊は引っ越しの準備をしていた。

少し目を細めた龍剣に、召使い達は気圧されたようだが。山霊は、自分から庵を出て来た。

山霊と龍剣は頭二つ違う。それだけ山霊が小さい。

だが龍剣は、山霊を見下すことなく、膝を折っていた。

「山霊どの。 いや山霊先生と呼ばせていただきたく」

「……」

「引っ越しをするのであれば手伝いましょう。 どちらへ出向くおつもりですか」

「建業へ」

そうか。

それは良かった。

山霊は、自身も少し腰を曲げ。

龍剣と視線を合わせた。

「四度もの訪問。 そなたのような抜き身の剣が、よくもまあ怒らずに耐える事が出来たものだ。 そなたがひとかどの者であり、この病んで狂った世界に一石を投じる事が出来る存在であることは私も分かっていた。 故に今まで試させて貰っていた。 すまなかったな」

「いえ」

「では、建業に出向こう。 軍は今後私が見る。 弛んだ兵共を、央の黒い軍団に負けぬ所まで鍛えてやる。 いこうぞ、いける鬼神よ」

「ははっ! 先生!」

そのまま、山を下りる。

馬を使っても良かったのだが、今回は馬は荷物を引くのに利用する。

庵の荷物は、全て龍剣が担いで降りた。

その様子を見て、山霊の召使い達は驚愕したが。

終始山霊は嬉しそうに見ていた。

建業まで幾つか話ながら、すぐに到着。

最大限の敬意を持って、龍一に山霊を紹介する。

山霊については、龍一も最大限の敬意を払って応じた。

「名高き山霊どのを参謀に迎えられるとは本当に光栄の極みにございます」

「まずは軍、それに政務を見せて欲しい」

「分かりました。 此方にございます」

すぐに政務などを見て回る山霊。

頷きながら、召使いに竹簡に何か書かせている。

軍の方も見てくれたが。

山霊は、かなり厳しい事を言った。

「これでは黒い軍団にはとても勝てぬ。 一蹴されるだけだ」

「それでは、山霊殿が」

「いいだろう。 鍛えに鍛え抜いてやる。 龍一大将軍、訓練を私に任せて貰えるかな」

「全て良いようにお願いいたしまする」

頷くと、山霊はそれから軍の再編成を始めた。

同時に龍剣も言われる。

近くの山賊に、豪傑として知られる二人の男がいると。

賊として処理してしまうのはもったいない。

従えて来るように、と言う事だった。

龍剣は即座に出るが。

龍一に言われる。

「想像以上の傑物だ。 あれが来てくれた事で、我が軍は確実に強くなる。 唐が天下を央に代わって取るのも近いかも知れん」

「……父上。 あの方を先生と私は決めました。 非礼はお避けください」

「ああ、分かっている。 あれほどの参謀が来てくれたのだ。 わしの手間は相当に減らせそうだ」

分かっていないな。

少し父を軽蔑した。

山霊は、本物の賢者だ。

それを部下に入れて楽に出来る、等とは。

ちょっと考えが愚かしすぎる。

先生は逃がしてはいけない人だ。あの人がいる限り、頭を使う活動は任せてしまって良いと思う。

いずれにしても、龍剣はすぐに先生の人脈で、先生の知る豪傑を迎えに行く。

勿論豪傑と言っても、龍剣には及ばないだろう。

だが、今まで見てきた、撫でたら死ぬような雑魚とは違い。

そこそこに指揮官として戦える将軍がほしい。

それは、確かに事実で。

手が足りないというのも、確定的な事実だった。

 

2、手札を揃えて

 

山に入ると、早速殺気が歓迎してきた。龍剣は平然としているが、部下達はすっかり萎縮している。

此処は相手の居場所。

相手は全てを知り尽くしている。

どんな罠があるかも分からない。

だから、普通だったら下手に歩くに歩けない。それを龍剣は理解している。

だが、龍剣は愛馬を進ませる。平然と行かせる。知っているのだ。馬が知らないものを踏まないことを。

そして、遠矢程度なら、軽く打ち払える。

側に現れたなら、龍剣に勝てる相手はいない。

圧倒的な自信が龍剣を進ませ。

部下達もそれに息を呑みながら、ついてくるのだった。

これも、父の鍛え方では足りないな。

そう思う。

出る前に一日だけ準備をしてきたのだが。その一日で、極めて論理的に指導を開始した山霊の様子を見てきた。

山霊は軍を、「群れ」ではなく、軍団として鍛え始めていた。

ドラを使う事は知っていたが。

そのドラの鳴らし方から始め。

そのドラの鳴らし方によってどう集まるか。どう動くか。攻撃するのか、後退するのか、前進するのか。

そういった全てを仕込み始めていた。

また、それによって多くの「指揮官」が降格されたり抜擢されたりしていた。

口先だけの者は容赦なく兵卒に落とされ。

逆に口べただが出来る兵卒が指揮官になる事も多かった。

将軍になれそうな人間も探すと山霊は言っていて。

その言葉には圧倒的な安心感があった。

更に言えば、将軍になれそうな人間をこれから探すという事もある。龍剣は良い先生を得られたことを嬉しく思っていたし。

父に次ぐ人だとも思っていた。

ああいう人に最初から巡り会えていたらとも思うが。

父と思う龍一だって、龍剣を最初から受け入れてくれた家族である。

最初に武芸を振るって見せたとき、誰もが見せた恐怖の顔を、龍剣は忘れてはいない。それを見せなかっただけでも、龍一は父に値する。

しばし、山深い中を進んでいく。

この辺りは山深いから当たり前のように獣も出るし。

更には虎川から発生する霧が周囲に立ちこめ、それを吸って木々が育ちもする。

山賊はそんな山の生き物を狩りながら暮らし。

卑を畑で育てない。

もしも卑を育てるような者がいる場合、それはもはや賊では無く独立勢力である。

基本的に賊は卑が足りないから、麓の民から略奪をする。

故に山賊として怖れられる。

殆どの場合は破落戸の集まりだが。

今回のは、山霊先生が紹介するほどの者達だ。

将軍として相応しいのだろう。

矢が飛んできたが、平然と進む。

警告のつもりだろうが。

そんな矢は当たりはしない。

後ろの兵士達が及び腰になっているのを見て、一喝する。

しゃんとせい。

それだけで、真っ青になった兵士達は、また進み始める。

なるほど、コレでは駄目だ。

山霊先生が短時間でだいぶものになるようにはしてくれたが、噂に聞く黒い軍団の戦車隊にぶつかったら、どうしようもないだろう。

龍剣は何にぶつかっても負ける気はしない。

それは単なる事実だ。

だが、相手が軍勢の場合。どんなに強くても、数百人を倒せば力尽きる。これも単なる事実だ。

これについては山霊に諭された。

お前は確かに現状での中華最強の実力者だろう。

だがそれでも、数百人を倒すまでが限界だ。

軍の先頭に立ち、それで皆の力を引き出せ。

そうすることによって、お前の武は何倍にも破壊力を発揮する。

相手が惰弱な軍であれば、十倍でも勝てるだろう。

だが相手が精強な軍であれば、お前だけでは勝てない。

だから優秀な将軍達が必要なのだ。

二度目だったかの訪問で、そう山霊に諭された。

それを忘れてはいない。

なるほど、と思ったからだ。

実際問題、そうやって順序立てて、強さを認めつつも出来る限界を教えてくれたのは山霊だけだった。

森が開けた。

山塞がある。

正確には、何かの建物を改造したものだろう。崖を上手に使い、上から狙い撃てるように柵と矢倉を巡らせている。

城攻めには三倍の兵力が最低でも必要だと言うが。

山の中でこれだ。

もしも相手と軍として戦う場合。山の中で散々引っかき回された挙げ句、此処を攻める事になれば。

どんな被害が出るか知れたものではない。

それでいて、敵を仮に葬ることが出来たとしても。

その結末は、賊を少し倒しただけ。

割に合わないのだ。

その割に合わないのを、ここの賊達は良く知っているという事である。

面白い。

進み出る。非常に険しい坂だが、龍剣を完全に信用している馬は平然と歩みを進めていく。

それを見て、賊は驚愕。

攻撃する気も失せた様子だ。

兵士達もおずおずとついてくるが、もういい。

此奴らは先生に鍛え直して貰わなければならない。

「私は唐王麾下、大将軍龍一の娘、龍剣である。 この山塞の長をしている者達と話がしたい!」

一喝。

殆ど恫喝だが、しかしながら相手に言葉の意図は伝わるはず。

断るようなら扉をぶち抜いて中に入るだけである。

しばし待つ。

やがて、扉は内側から開く。悠々と足を進める龍剣。賊が見える。そこそこ悪くない装備を手にしているが、矛の刃が石だったりする。この辺りは、所詮は賊と言うことである。

二人、男と女が進み出てきた。

男はもじゃもじゃの髭を蓄えた壮年。

女はすらっと背が高く、そこそこ良さそうな矛を手にしていた。

男はどうも罪を犯した事があるらしく、幾つか入れ墨を入れている。

女の方はそこそこ使えそうだが。寡黙で、何も喋る事をしなかった。

馬から下りて軽く挨拶をする。

不安そうに、男が聞いてくる。

「あんたの噂は聞いている。 地元で県令の首をねじ切り、岩を素手で砕いたそうだな」

「その通りだ。 良く知っているな」

「我々ならず者というのは独自の情報網を持っているものなのさ」

「……」

少し話してみて分かった。

此奴は頭領じゃない。

頭領は、黙っている女の方だ。

顎をしゃくって、軽く示す。

「そなたら二人、名前は」

「……俺は于栄」

「私は官祖だ」

「そうか。 そなたらを我が唐の将軍として迎えたいと考えている。 何をすれば私に降る?」

顔を見合わせる二人。

いきなり将軍か。

小首を捻っている男に右手を挙げ、そして女の方。官祖が言う。

「ならば貴殿の腕を見たい」

「二人がかりでもかまわんぞ」

「死人を出すようなやり方はしたくない。 実力を見せてくれれば、それで貴殿に降ろう」

「良いだろう。 こうやって話をしたからには貴殿らは私と同じ武人という事だ。 武人として扱う。 卑劣な行為には、賊では無く卑劣な武人として相対する。 それを覚えておけ」

周囲に放たれた威圧が。

山賊の長二人の顔を瞬時に真っ青にするが。

しかしながら、それでいい。

まず、案内させる。

其所にあったのは、二抱えもある岩だった。丸い形をしている事からして、誰かが物好きにも削ったのかも知れない。

「この岩は試しの岩と言われていてな。 我々の中に動かせた者は未だに存在していないのだ」

「ほう」

「タダの岩のように見えて兎に角重い。 どうだ、これを動かせるか」

官祖の言葉に、龍剣はまず部下を呼び、やらせてみる。

最初は一人で押させる。次は三人で。最後は全員で。

びくともしない。

なるほど、これは面白い岩だ。

「だ、駄目です! 龍剣様、全く動く気配がございません!」

「良いだろう。 私に代われ」

「は、ははっ!」

兵士達が申し訳なさそうに下がる。

周囲は于栄と官祖の部下である賊達が見ているが。彼らにしても動かせた試しがないのだろう。

要するに、仕官の声があった場合。

この岩を使って追い払っている、と言う事だ。

腕まくりをするまでもない。

龍剣が岩に手を掛ける。そして、簡単に転がして見せた。

唖然とするその場にいる全員。

絶句しているのは于栄である。

やはり主導権は官祖が握っていると見て良いだろう。

「そ、そんな」

「その様子だとそなたら全員動かせた試しがないな。 よし、ならもう少し余興を見せてやろうか」

あえて岩を転がしていき、扉を抜けて、坂を下らせる。

勢いよく坂を下った岩は、数本の木をなぎ倒して止まった。

そして、龍剣は坂を下って岩の所まで行くと。

坂を登りつつ、岩を押して戻る。

愕然とする賊ども。

やがて、龍剣が岩を転がして山塞の中に戻ってくると。于栄はもはや言葉も無い様子で立ち尽くし。

官祖は完全に青ざめて、言葉も発する事が出来ずにいた。

「どうした。 私はまだ本気など全く出していないぞ」

「し、信じられん……」

「では更に余興を見せてやろうか」

砕くのも良いが。

それならば、もっと面白そうな事もある。

ぐっと岩を抱えると、一気に持ち上げて見せる。

流石に持ち上げるのは、雄叫びを上げなければならない。雄叫びを上げることで、全身を活性化させるのだ。

岩は持ち上がる。

誰が押しても動きもしなかったのに。

悲鳴を上げる賊達。

連れてきた兵士達も、腰を抜かしていた。

「どうだ、お前達の中にこれを放り込んで見せようか」

「ひっ! お、おやめください!」

「龍剣将軍、貴方のような豪傑は始めてにございます! 我等、貴方に揃って従いましょう!」

「うむ……」

岩を降ろす。

ずんと、結構大きな音がした。

良い感じの岩だった。

砕いてしまってもいいが、コレは伝説として残るかも知れない。だから壊さずにおいておく。

先生に言われたのだ。

何でもかんでも壊そうとは考えるなと。

素直に言う事は聞く。

何しろ先生の言う通り。

この二人はきちんと言うことを聞いたし。

それで軍は強化されるのだから。

 

于栄と官祖に、すぐに山塞を引き払い、部下共々建業に来るように指示。流石に今日今からとは言わない。

二人は一週間後には、と言ったので。

それで良いから来るようにと指示した。

ただし指示を守れなかったら討伐するとも。

それだけで青ざめた二人は、何度も頷いた。

まあ、これだけ脅しを掛けておけば良いだろう。充分に脅しになった筈だし、二人も約束を破ることはないはずだ。

建業の近くに出る。

既に豪傑、龍剣の名は周囲に知られているらしい。

民は通り過ぎる時には頭を下げるし。

兵士達も立ち止まって敬礼をする。

急速に兵士達が組織化されている。

先生が指導をしていると言う事だ。

そんな中、一人来る。この辺りで金持ちとして知られた、方先騎という男だ。かろうじて子供を抜けた程度の年頃で、時代によってはほこらから現れた時点で殺されていた可能性もあっただろう。

この近辺では非常に長く生きていることで知られていて。

先生ほどでは無いが、それに近く生き。

富豪として周囲にも知られ。

また困った者のために、金を出してやることを惜しまない為に。慕われているいわゆる「顔役」である。

破落戸と絡む事も多い顔役だが。

この方先騎はそのような事も無く。黙々とよくあろうとしていて。

今もそうしている。

「龍剣将軍」

「私は将軍になった覚えは無いが、何かあったのか方先騎どの」

「うむ。 実は近くで黒い馬が暴れていてな」

「馬か……」

今乗っている馬も悪くは無い。

龍剣をしっかり信用してくれている。

しかしながら、獣は。荒野に幾らでも勝手に湧いてくる獣は、個体によってかなりばらつきがある。

名馬というのも時々現れるそうだ。

そして馬はとても気性が荒い生き物である。

戦車の引き手に育てるのも一苦労。

ましてや裸馬を乗りこなすのは本当に大変なのだ。

龍剣は出来るが、今「唐王」の麾下に集まっている者でも、出来る奴は数名といないだろう。

それくらい難易度が高いのである。

ましてや暴れ馬となると。

「面白い。 案内せよ」

「お、お待ちください」

「うん?」

「先ほど龍剣様は、大きな岩を転がしたり持ち上げたりなさいました。 その、お疲れだと思いますので……」

兵士の一人が言う。

意外に物怖じしない奴だ。

さっきは他の兵士達と同じく腰を抜かしていたのに。

後で名前を聞いておくか。

そう思いつつも、答えておく。

「案ずるな。 あの程度の岩、私に取っては小石と同じよ。 私は山を抜く力を持つとまでは言わないが、あの程度何でも無い」

「それは失礼をいたしました」

「良い。 それではその馬の所に案内せよ」

「ははっ」

方先騎が此方ですと案内をする。

やがて、水の入った畑に、青々と卑が生い茂っている場所に出た。この辺りも全て手作業で卑を収穫しなければならない。

卑は美味しくは無いが、土の力をそれほど吸い取らないので、年に一度程度の収穫で済ませれば、半永久的に収穫が出来る。

まだ穂が出ていないので、この辺りの卑は刈り取れないな。

そう思いながら、畑の畔を行く。

やがて、馬が足を止めた。

怯えているのだ。

馬を下りると、歩いて行く。

その先にいたのは、大きな黒い馬だった。

今乗っている馬よりも、一回りは大きい。全身真っ黒な毛並みで、凄まじい威圧を周囲に放っていた。

傲然と卑を食い散らかしていた馬だが。

龍剣が近寄っていくと、顔を上げる。

そして、嘶く。

警告しているのだ。

龍剣はまるでかまわず近付いていく。

やがて、業を煮やしたか。

黒馬は、竿立ちになると、踏みつぶそうと襲いかかってきた。

だが、その降り下ろされる足をすり抜けるようにかわすと、背中に飛び移る。

勿論黒馬は嘶きながら、必死に降り下ろそうとするが。

龍剣は裸馬を軽々と乗りこなす。

この程度は容易いものだ。

兵士達が唖然としている中、龍剣は馬が疲れ果てるまで、暴れるのにつきあってやる。やがて、疲れ果てた黒馬は。大きな息を吐きながら、その場で大人しくなった。

馬から下りると、顔を寄せてくる。

どうやら主君として認めたらしい。

馬を捕まえるのは相応に誰もが苦労するらしいのだが。

龍剣は苦労した覚えがない。

しばらく黒馬を撫でていると、方先騎が来る。

「流石にございます。 天下無双と噂は聞いておりましたが」

「天下無双か。 面白い名だ。 この馬が食い荒らした卑はそなたが保証してやってくれるか」

「それはもう、勿論にございます」

「では行くぞ」

もはや言葉も無い様子の兵士達を引き連れ、龍剣は建業の屋敷に戻る。

龍一の所に、仕官を求める者が何人か来ていて。

それぞれ話を聞いたり、技をみたりしていたが。

それが終わるまで、龍剣はまった。

黒馬は龍剣を完全に信頼したのか、側でじっとしている。あの危険な暴れ馬の姿とは思えない。

やがて、龍一の仕事が終わったので。話をしに行く。

「父上」

「うむ」

「先生の話していた山賊共を従えました。 于栄と官祖というものどもにございます」

「そうか」

一週間後に、山塞を引き払って此方に来ること。

もしも来なかった場合は、龍剣が始末してくることを告げると、父は頷く。顔色はあまり良くない。

流石に少し仕事をしすぎでは無いかと思う。

「それと、ご覧ください。 暴れ馬を一頭捕まえてきました。 私の事を気に入ったようですので、私の愛馬としとうございます」

「これを従えたのか」

「はい」

「そうか。 虎を倒す力といい、そなたは凄まじいな」

父に褒められるとそれはそれで嬉しい。

黒馬については、好きにすると良いと言われたので。頷いて一旦退出する。父も疲れているだろうし、黒馬の厩も用意する必要があるだろう。

先ほどの意見をして来た兵士を覚えていた。

声を掛けておく。

「そなた、名を何という」

「周嵐にございます」

「そうか。 そなたは物怖じせず良く私を気遣ったな。 見所がある。 まずはこの黒馬……そうだな、影の世話を任せよう」

「分かりました。 必ずや」

龍剣は自分の屋敷を既に貰っている。

厩もある。

今までの愛馬だけではなく、この影用の厩もすぐに作らせた。

それにしてもこの影。

本当に良い馬だ。

厩には自分で案内してやる。

影は、龍剣の言う事にはとても素直に従った。

可愛い奴である。

仕事が終わったので、先生の所に出向く。

先生は何人かの指揮官を叱咤していた。どうも軍を二手に分けての演習をしているらしい。

先生が指揮している側は半分。

相手は数にまかせて攻めてくる。

だが、先生が苛烈な叱咤を掛けて、兵士達を指揮し。

挟み撃ちの体制に上手く持って行かせ、後は一方的な戦いになった。

流石だ。

銅鑼が鳴り、演習が終わる。

先生が、庵にいた頃とは別人のような苛烈な様子で、将軍達を叱咤する。

「教えたであろう! 敵が妙に脆い場合は警戒せよと! 自分達で判断して動くのは良いが、相手が誘いこんでいる事くらい気付けずに将軍と言えるか!」

「ははっ! 申し訳ございません!」

「これが実戦であれば、既にそなたらの首は胴と離れておったわ。 だが、幸いにもこれは実戦では無い。 故に実戦でこの教訓を生かせ! 以上だ!」

「ははーっ!」

多少不満そうではあるが、それでもぐうの音も出ないと言う様子で将軍達は持ち場に戻っていく。

龍剣が歩み寄ると、先生は頷く。

「その様子だと成果は上がったようだな」

「ははっ。 先生の言う通り、于栄と官祖なる山賊を従えて参りました。 また、影という名馬を先ほど捕まえて参りました」

「影? ……ああ、この辺りで暴れていたという噂の黒馬か。 あのようなものをこともなげに捕まえるとは、流石だな」

「恐れ入りまする」

父以外に謙ることなどないだろうと思っていたのに。

ほこらからこの世界に来た時。

先生が親だったら、どれだけ色々出来たのだろう。

そう思ってしまうことが、最近ある。

だが父は父として尊敬もしている。

中々に難しい所だった。

「将軍はやはりまだ足りませんか」

「今鍛えている連中では足りぬな。 兵士の鍛錬もまだしばらくは掛かる」

「それでは私が将軍になりそうなものに声を掛けて参りましょう」

「……ふむ、そうだな。 それでは少し大物を行ってみるか」

大物か。

それは面白い。

頷くと、座り込んで、詳しい話を聞く。

先生はどうも草が好きなようで。その辺に生えている何かのよく分からない草を、時々口に咥えている。

人によっては特定の草を乾燥させて束ね、火をつけて煙を吸ったりもするのだが。

先生は、ただ口寂しくて、草を口に入れているようだった。

それも毎回同じ草なので、相当に拘りがあるのだろう。

「西にある荊の地に、現在林紹の率いていた雑兵共の残党が集まってきておる。 既に県令は逃げ出した後で、唐軍に加わる気配もない」

「踏みつぶして参りましょうか」

「……此奴らをまとめている者が、央でも名が知れたならず者であったという話でな」

なるほど。

将軍として相応しいと言う事か。

頷くと、龍剣は早速行こうとするが。

山霊に止められる。

「既に使者を出してある。 向こうから軍を率いて来るから、その時にそなたが武勇を見せつけてやれば良いだろう」

「先生には何かお考えが」

「ならず者や破落戸を従えるには、知略や力などを見せるのが大事だ。 中には、話すだけでその手の輩を従える事が出来る者もいるが、それはあくまで例外よ。 残念ながらそなたにその力は無い。 その代わり、そなたには天下無双の武勇がある。 その武勇で、敵を組み伏せてこい。 兵が出てくれば知らせがある。 それまでは、私が見込んだ将軍に稽古をつけてやれ」

「分かりました」

くれぐれも、殺さないようになと念を押される。

分かっているつもりなのだが。

どうしても戦いとなるとやり過ぎてしまう。

龍剣も、山霊と話していてそれは分かる。山霊にも言われたのだ。何か血がたぎるのだろうと。

それは確かにある。

山霊の言葉は、すっと耳に入ってくる。

膨大な経験に裏打ちされているからだろう。

山霊は厳しいが、それでいてきちんと正しい事を言うからでもあるのだろう。それはよく分かる。

屋敷に戻る。

とはいっても、他と同じで、少し大きいくらいだ。

影を厩から出すと、早速建業の外で走り回って見る。影も休んで充分体力を取り戻したようで。

巨体から、ぐんぐん加速する。

馬という生き物は、荒野の獣では、唯一人と共に歩んでくれる存在だ。

猪や牛、虎や龍、鹿などは違う。

これらは人間を襲う。殺す事しか考えていない。

それに対してこの顔が長く四本足で、滑らかな背中としなやかな体を持つ生き物は。風を切るようにして走ってくれる。

龍剣はひとしきり影に跨がって周囲を走って、気を晴らす。

それを、まるで鬼神を見るように人々は見ていたが。

別に気にする事もない。

ああ龍剣を見なかったのは。

父と山霊だけ。

だから、父と山霊は龍剣の唯一の家族だ。

それでいい。

しばし走り回った後、建業に戻る。

「うむ、影よ。 そなたは素晴らしい馬だ」

そう言うと、影も頭を龍剣に寄せてくる。

勿論、今まで使っていた馬もきちんと使ってやるつもりである。それだけは、今後も代わりは無い。

さて、次は大物と言う事だ。

少しばかり、武芸も磨いておくか。

後は、裏庭で陽が落ちるまで、矛を振るう。

翌日からしばらく、ずっと矛を振るって、己の武を極限まで磨く。

大物が相手だというのだ。

それならば、必ずや捕まえたい。

配下が足りない。

それは山霊の言葉の通りだとも思う。

ならば、一人でも配下を増やし。

黒い軍団が各地で暴れ回っている間に。可能な限り、力を蓄えなければならなかった。

 

3、暴の者

 

山霊の使者が来る。

どうやら例の暴れ者が、出陣したと言う事だった。

兵は二千ほど。

二千というと、通常の街の守備軍より相当に規模が大きい。やはり林紹の残党を相当数取り込んでいるのだろう。

そしてそんな数がいれば、卑が足りなくなってくる。

建業に対して敵対行動を取っていたという事は。

或いは建業をいずれは攻め落とすつもりだったのかも知れない。

すぐに指示を受けて、五千の兵を率いて出る。

此方は建業に集まって来ていた兵士達を、山霊が組織化し。かなりの練度にまで仕上げてくれている。

これに加えて建業の規模からも、養える兵士の数はとても多い。

今回も五千を出したが。

実際には、更に三千は出す事が可能だ。

一応いざという時に備えて、その三千は山霊が指揮を執ってくれるという。要するに背中を預けられると言う事だ。

実に頼もしい話である。

進軍を続けていくと、西で一日ほどの地点で、斥候を見かけるようになりはじめる。

相手もそれなりに組織化されていた、と言う事か。

此方も山霊が仕込んだ兵士が、斥候をしてくれている。

この辺り、一人ではどうにもならない事を、きちんとやってくれるのがいい。

山霊が言う数の力だ。

龍剣だけでは、数百人倒すのがやっとでも。

こうやって分担することで、出来る事が増える。

ならば、龍剣は山霊を先生として慕おう。

その思いをますます強くする。

程なくして、敵が見え始めた。

戦車は殆ど見えない。此方も戦車部隊はまだろくに組織できていない。馬が足りないのである。

敵将も裸馬に乗っている。

それなりの豪傑らしいなと、龍剣は楽しみに思った。

影を進ませる。

そして、敵軍に呼びかけた。

「敵将、前に出よ! 話がしたい!」

「……」

「どうした臆したか! その軍勢、建業を攻めるために準備していたものであろう!」

「違う!」

敵将が前に出てくる。

龍剣よりも更に背が高い男だ。はち切れんばかりの筋肉で全身を包んでいる。鎧が内側からはじけそうだ。

手にしている矛も、何だか普通のものより大きい。

龍剣の矛ほどでは無いが。

なんだか張り合ってきているようで面白い。

鼻を思わず鳴らしてしまう。

力量は、見ただけで分かった。

龍剣には及ばない。

「敵将、名は」

「我が名は鯨歩! 央に仇なすものである!」

鯨と来たか。

鯨というのは入れ墨を意味して、すなわち犯罪者である事を意味している。この男はそれをあえて誇っている。

ならず者である。

それを前面に出すことを示し、央に刃向かう立場を明確にしているのだろう。

額にもかなり大きな入れ墨があり、三つ目のようだ。

この様子だと、脱がせてみると全身にも入れ墨があるのだろう。

于栄も入れ墨があったが。

こういう輩が力を発揮できるのが乱世だと、山霊は言っていた。ならば、こういう輩でも、組み伏せていかなければならない。

「ならば何故に唐に降らぬ」

「それはそなた達が、唐王を利用して暴虐を尽くそうとしているからだ!」

「……」

誰が。

唐王などを利用しているだと。

少しばかり頭に来た。

唐王など、所詮はただの飾り。見栄えは良いかも知れないが、それ以上でも以下でもない存在だ。

あいつを担いで此処までの勢力にしたのは父だ。

軍を整えているのは先生だ。

唐王など、すこぶるどうでもいい。

怒りの気が全身から吹き上がるのを感じた。鯨歩に対して、龍剣は、大きく矛を振りかぶると。地面に突き刺した。

ずん、と地面が揺れる。

ついてきている五千の兵士達が身震いするのが分かった。

鯨歩も、である。

「唐王についてはいい。 その後の言葉が我慢ならん。 徒手で相手をしてやる。 掛かってこい」

「な、何……っ!」

「どうした、相手が徒手でも恐ろしくてこられないか?」

「お、おのれっ!」

流石に己の武を誇ってはいないか。

雄叫びと共に、突貫してくる鯨歩。裸馬の乗りこなしも見事である。そして、気合いと共に、矛を降り下ろしてくる。

避けなければ、頭を砕く。

人間の急所は基本的に頭上だ。

だから矛の頭を砕く構造は合理的なのである。

だが、その矛は虚しく空を切る。

影が完璧に龍剣の意図通り動き、空を切らせたからである。二合、三合、凄まじい形相で打ちかかってくる鯨歩。

だが、七合目で、もう良いと判断。

降り下ろされた矛を、龍剣は掴んでいた。

めりめりと矛が音を立てる。

それを見て、鯨歩の軍勢は怯えの声を上げた。

それはそうだ。

矛に使う木は、とてつもなく頑強だ。人間の手で掴んで、こんな音が普通は絶対にしない。

だが今。

鯨歩の矛は、握りつぶされようとしている。

鯨歩も呆然としていた。

この世界に、此処までの暴が存在すると、知らなかったのだろう。

龍剣は暴である。

それは分かっている。だが、その暴は、こうやって使う。先生の教えは偉大だ。この後戦えば、絶対に勝つ。

相手は腰が引けてしまっているのだから。

そのまま、矛を握りつぶした。

鯨歩の馬が、悲鳴を上げて下がる。

目の前にいるのが人間ではないと判断したのかも知れない。影は舌なめずりしている程に余裕綽々。

龍剣が勝つことを、微塵も疑っていないのである。

それに馬は気性が荒く、その反面で憶病な生き物でもある。

この肝の据わり具合。

本当に良い馬を見つけたものだと、龍剣は思ってしまう。

「どうした、それで終わりか」

「だ、黙れっ!」

剣に手を掛ける鯨歩。

まあいい。徹底的に相手をしてやる。

剣だと馬に乗った状態ではやり合いづらいだろう。影を降りると、鯨歩は馬を下りた。というか、あの馬は完全に龍剣に怯えきっている。このままでは何をやっても勝てないと判断したのは間違いない。

逆に言うと。この状況でも戦おうとする。

その意気、嫌いでは無い。

気合いを入れて、剣で斬りかかってくる鯨歩。

軽く半身を下げながら。剣を持つ手を掴むと、くるんと放り投げて見せる。

おおっと、声が上がった。

更に腕を掴んで剣を落とさせると。胸を踏みつける。

体格が少し小さい相手に、此処まで好き勝手に蹂躙されるとは、鯨歩も思っていなかったのだろう。

腕はミシミシと音を立てている。

人間の腕は、矛を作る木よりも柔らかい。

当たり前の話である。

「どうだ、降参するか」

「く、くそっ!」

「降参せよ」

「ぐ、うぐううああああっ!」

ぎりぎりと踏みつける。

悲鳴を上げて足を掴んでどかそうとする鯨歩だが、そんな弱々しい力では龍剣の足はどかせない。

完全に鯨歩の兵士達は逃げ腰、というか潰走寸前である。

まだ一人も殺していないのに。

手を不意に離し、けり跳ばす。

すっ飛んだ鯨歩が、地面で何度か転がって。そして、ふらつきながらも立ち上がった。

「力の差は歴然だと思うが、まだやるか? お前を殺そうと思えば百度は殺せたぞ」

「……」

「どうした」

「ま……参りましてございまする」

兵士達の様子を見て、もうどうしようも無いと判断したのだろう。

屈辱に顔を歪めながらも。

鯨歩は、這いつくばった。

これでいい。

従えれば良いのだ。

だが、于栄と官祖の時とは違う。何だか雰囲気がどうにもおかしいというか。周囲が綺麗に片付いていない。

まあいい。

そのまま部下達も配下になる事を明言。

というよりも、龍剣と戦うつもりは無い様子だった。

視線を向けるだけで武器を取り落とす者までいるほどである。

これでは戦いどころではあるまい。

そのまま、鯨歩を引き連れて、建業に凱旋する。二千の兵が突然麾下に加わるのはとても大きい。

これで流石に林紹の軍勢ほどでは無いが、それなりの形が整ったことになる。

ただ、あまり連れてきた鯨歩を見て、先生は。

山霊はいい顔をしなかった。

「鯨歩と言ったな。 貴殿の力は当てにさせて貰う。 まずは、訓練に参加し、貴殿の力を見せて欲しい」

「はっ……」

「龍剣よ、此方に」

「はい、先生」

山霊に即座に従う龍剣を見て、鯨歩が目を見張る。

どう見ても武勇の士では無いだろう相手だから、だろうか。

別室に移動。

二人きりになる。

山霊は大きく嘆息した。

「龍剣よ。 どうしてあのような従え方をした」

「以前と同じように、力を見せつけただけにございまする」

「それでは駄目なのだ」

「……よく分かりませぬ」

山霊は言う。

あれは恨みを抱え込んでいる。

いずれ龍剣を裏切ると。

龍剣からして見ると、あの程度の相手、裏切られたところで怖くも何ともない。寝首を掻きに来たら軽く返り討ちに出来るからだ。余裕の様子を見せている龍剣に、山霊は叱責する気にもなれない様子だった。

「良いか、そなたは虎にも勝る武を持つ。 だから、悠然と歩いているだけで周囲はひれ伏し怖れる。 だから、歩いているだけでいい。 戦う時以外は、吠える必要もないし、ただ悠然とその力を見せるだけで良いのだ」

「……先生がそう仰るのなら」

「うむ……。 鯨歩についてはもはや仕方が無い。 得がたい男であるし、今後は部下として考えて行こう。 だが、例えばそなたと拮抗する力を持つ相手が現れたときに、あの男は恐らく裏切る」

「私に拮抗する相手ですと?」

苦笑する龍剣だが。山霊は一切笑わなかった。

それを見て、龍剣も苦笑をやめる。

この人は、尊敬するべき相手である。その言葉には、一つずつ重みがある。だから龍剣も、きちんと聞かなければならない。

「個人の武勇では、そなたにはもはや誰も及ぶまい。 だが、軍を束ねてそなたよりも勝る者が現れた場合が大変だ。 しばらく鯨歩については、私が様子を見よう。 それでも駄目な場合は……殺せ」

「分かりました。 その時は速やかに」

「覚えておけ、龍剣。 今回の件はそなたの失策だ。 そなたはあの者を、多くの前で恥をさらすように仕向けた。 そしてあの者は、多くの者の前で恥をさらしたことを終生恨むだろう。 例え鼠であっても、恨まれればそのうち何かしらの大きな仕返しに出る可能性もある。 そなたは強いが故にそれに気付けないが、最悪の事態を避けるためにも、以降は同じような事は避けよ」

「はっ……」

山霊の言葉に頭を下げる。

ぴんと来ない所も龍剣にはあった。

逆らう相手は殺せば良い。

それだけのことだ。

今までずっとこの世界で行われてきたことである。央の武帝が勝手に新しい方法を取り入れた。

だから今まで以上に酷い事になった。

それだけではないか。

「もう何名か、そなたに声を掛けて来て欲しい者がいる。 それらについては、追って指示をする」

「分かりました。 父上の配下だけでは足りないのですか」

「足りぬ。 現に訓練で随分振るいに掛けているだろう」

前線に立つ人材に向いていない者もいるが。

それ以上に、龍一が見込んだだけで、実際はただの胡麻擦りだけが上手い輩。そんなのもいるそうだ。

逆に龍一が嫌っていても、出来る奴は出来るという。

数字を管理する仕事に回された者を何人か知っている。

それについても最初は不満を口にしていたが。

だが理路整然と山霊が指示を出し、自分で見本を見せることによって、全く文句を言わなくなったという。

これも龍剣には分からない事だ。

戦いには戦って勝ってそれで終わりのような気もする。

だが山霊が言うのだ。

無碍には出来ない。

「そなたはひとかどの武将だ。 今後はひとかどの将の域を超え、ひとかどの王となっていくだろう。 だが、そなたには欠点も多い。 それは自覚するように」

「ははっ……」

山霊は頷くと、共に外に出る。

後は訓練を見ているようにと言われた。

龍剣が見ている前で、山霊は戦闘指揮を執る。勿論模擬戦だが、兵士が入り乱れる激しいものとなった。

山霊が鳥の羽で作った扇を振るう度に、ドラが鳴らされる。

相手側になった将も、ドラを使っている。

だが、明らかに山霊の指揮が著しく優れている。

また、戦闘も、雑多に入り乱れているだけではない。

山霊の鍛えた兵士達は、五人ひと組の集団を作り、明らかに組織的に敵に相対していた。

相手側も勿論そうだが、反応が遅れている。

兵士は相手側の方が多いのに。

巧みに誘いこまれた兵士が袋だたきにされて殲滅されていき。兵力差が見る間に逆転する。

後は一方的だ。

やり方を、じっと見ておく。

山霊の指揮は芸術的だが。

真似は出来なくも無さそうだ。

何回か戦いをやった後、自分もやってみたいと山霊に申し出る。

頷くと、山霊は柔らかい棒を渡してくる。

「そなたは最前線でこそ力を発揮できる。 故に、他と混じって訓練し、格の違いを見せてやってほしい」

「指揮をするのは向かないと」

「出来るだろう。 だがそなたは、最前線にいてこそ、兵士達を勇気づけられる」

なるほど、そういうものか。

まず影を引きだしてくる。

くれぐれも殺すな。

訓練なのだ。

そう言われたのを思いだし、頷く。

なお、見ているだけでドラによる指示などは全て覚えた。

戦闘が開始される。

同時に激しくドラが叩き鳴らされる。突貫。龍剣は影に跨がったまま、敵陣に踊り込む。

一閃して、立ちふさがった敵将を払い飛ばすと、そのまま突入。本陣まで、一気に蹂躙して見せた。

頷くと、もう一度似たような事をする。

相手側はがっちり守りを固めようとするが、それを龍剣は軽くこじ開け、ねじ伏せて見せる。

死人は出さなかったが。

訓練なのに、それなりに怪我人は出た。

兵士達が、獣を見る目で龍剣を見ている。

畏怖の視線は、心地よい。

「うむ。 今日はここまでだ。 怪我人は申し出よ。 手篤く治療については手配する」

「解散」

「解散!」

将達が解散を指示し、兵士達がめいめい戻っていく。

兵士と言っても平時は畑を耕している者の方が多い。常備で兵士を置いて置くほど余裕はないのだ。

だから、兵士をする者には、畑の労役がある程度免除される。

飯を食べれば力が出る事を考えると。

確かに、たくさんの畑があった方が良い。

「それでは、明日以降の予定だが……」

山霊に指示を受ける。

龍剣は頷くと、素直にその予定を覚えた。

わざわざ竹簡に書き留める必要もない。

覚えるのなど、造作も無い事だった。

 

翌日からも、建業からわずかな供回りをつれて外に出る。影はあまり兵士を近付かせたがらないが、唯一龍剣以外では周嵐の言う事を良く聞いた。故に周嵐に影の事は基本任せることにした。

周嵐は良く影の面倒を見るので、乗るときには最上の状態に仕上げてくれている。

影も不満が無さそうなので、大変に気分が良い。

そうやって、各地で小規模な勢力を作っている者や。

或いは山賊をしているものを従えに行く。

山霊が言う事は正しい。

何でも、父とも相談はしているらしいのだが。

それはそれとして。

大体の性格をあわずに見抜いていて。

龍剣にはこう接するように、と話をしてくるのだった。

今日は、既に山塞を引き払って軍に合流した于栄と官祖をつれている。

于栄に聞かれる。

「龍剣どの。 それにしても、何故に山霊さまに彼処まで謙られるので」

「かの方は我が先生であり、父に次ぐものだ。 あの方の言葉には、いちいち重みがあるし、正しい」

「しかし、不愉快にはならないのですか」

「時々頭に来ることもある。 言い方が兎に角厳しいからな。 だが、先生の言葉は正しいのだ。 正しいのなら、聞かねばなるまい」

そう告げると、于栄は官祖と顔を見合わせる。

どうにも良く分からない、という雰囲気だ。

そのまま、目的の相手に会いに行く。

数人だけで来た事に、五百名ほどの勢力を持っている相手は驚いていた様子だ。この辺りでも有名な豪傑で、白狼という。

唐からは再三仕官の誘いが出ていたのだが、断り続けていた。

山霊はどうやら白狼を知っているらしく。

今回部下にしてくるように、と促されたのである。

白狼は龍剣を見ると、即座にひれ伏した。

どうやら此方の実力を見る事が出来るらしい。

別に責めるわけでは無い。

確認をする。

「白狼よ。 この辺りでも有名な豪傑であるそなたが、どうして唐王の下にはせ参じなかった」

「それは……」

「それは、何だ。 父上が唐王の麾下にて信頼されていることと関係があるのか」

「いえ、違いまする。 唐王という者の存在を、見極めたかったのでございます」

情報をずっと集めていたと白狼は言う。

白狼は背が高く、鯨歩とはまた違った形の豪傑だ。

鯨歩が力自慢の豪傑だとすれば、白狼は文字通り稲妻のような動きを得意とする者だろう。

どちらもあわせても龍剣一人にも及ばないが。

それはそれ。

先生に言われた通り。

今は部下が必要なのだ。

「では、見極める事は出来たと判断して良いのか」

「少なくとも、各地の豪傑を従えている貴方の実力は」

「ふっ、そうか。 では唐に合流せよ。 いつまでに合流できる」

「一週間ほどで」

頷くと、その場を去る。

一週間経っても来なかった場合は、蹂躙する。

そう警告する必要もなかった。

あれは逆らう事もないだろう。

だったらそれでいい。

帰路に、于栄が言う。

「お見事にございます。 白狼と言えば、近場のならず者がひれ伏す豪傑の中の豪傑だったのですが……」

「あの男は強い。 確かに我が軍の力になりそうだ」

「……」

「どうした、何か不安か」

龍剣の言葉に、少し考え込む于栄。

何か不安があるのだろうか。

此方も気になる。

別に頭に来ることなどはない。龍剣にとって、逆らわない弱者は敵ではないからである。

「龍剣どのは、山霊様にも聞いたのですが、抜き身の剣にございますな」

「抜き身の剣か。 触るだけで周囲を傷つけ、周囲を威圧すると言う事か」

「はっ。 その通りにございます」

「抜き身の剣、面白いではないか。 どれ、帰路に虎を退治していこう。 近くの集落にて、虎が現れたと聞いている」

慌てる于栄と官祖だが、滑稽だ。別に慌てることもないだろう。

そのまま集落に出向き。

ひれ伏し出迎えた村長の歓待を断ると、即座に虎を狩りに出向く。

何人か殺されていると言うことだが、虎が相手で何人程度で済んでいるのなら、被害は小さい方だ。

そのまま、虎の巣になっている山に出向く。

すぐに虎は現れ。

同時に、龍剣は影の腹を軽く蹴った。

突貫。

虎も、まさか殺気をまき散らし、人間の形をした死そのものが迫ってくるとは思わなかったのだろう。

巨体を翻そうとするが、遅い。

虎は巨体の割りに動きが速く体もしなやかだが。影に跨がっていた状態から、影の背中に乗り。更に躍りかかって、虎の上を取った龍剣ほどでは無い。

特注の矛が虎の額の目を潰す。

虎が絶叫して、その場に倒れる。

周囲の兵士達は言葉も無い様子だ。

虎を本当に単独で。

しかもあっさり倒す豪傑を見るのは初めてだという節である。

影も良い動きをした。

即死した虎を、村人を呼んで引き取りに来させる。本当に一人で倒すのを見て、唖然としている兵士達。それに于栄と官祖。

周嵐だけは平然としていた。

此奴も、将として抜擢するべきかも知れない。

だが、影の面倒を見られるのは今のところ此奴だけだ。

ちょっとばかりもったいない。

「見ての通りだ。 虎程度では私の相手にならぬ。 今後黒い軍団をなのる央の兵士共も、このようにして蹴散らしてくれよう」

矛を振るって血を落とす。

それを見て、喜んでいる兵士はいない。

畏怖だけが、其所にあった。

 

4、唐王の下に

 

唐王は温厚な男だ。

機動軍。つまり各地を移動しながら戦える軍が八千を超え、出撃の準備が整うと、龍一が出陣式を行った。

このまま、黒い軍団に怯えている各地の国を回りながら、戦いを開始する。

現時点で黒い軍団は、五万ほどの規模で各地を蹂躙して周り、「反乱勢力」と呼ぶ相手を一方的に殺戮しているらしい。

これを天をも怖れぬ所業だと、唐王は普段の温厚さからは一切かけ離れた様子で厳しく弾劾した。

そして、龍一に命じる。

「龍一将軍、貴殿を唐の丞相に命ずる」

「ははっ! 有り難き幸せにございまする!」

「龍剣。 そなたはこの軍を整えるのに、著しい活躍をしてくれた。 故に龍一将軍の代わりに、大将軍となるが良い」

「分かりましてございまする」

山霊はそのまま車騎将軍と呼ばれる上位の職を貰った。名前の通り、戦車を指揮するための軍なのだが。

実際には唐に戦車部隊は存在していない。

軍を指揮するために、相応に高位の将軍職を貰った。

そういう感じであろう。

まずは宋に出向く。

更に明、商、周に出向き。最後にまだ王を名乗る者が出ていない清からも兵を徴募する。

現時点では、まだまだ央軍は本気を出していないと山霊は言う。

現状で五万程度の機動軍が出て来ているが、更に同数ほどの機動軍を動員する能力が央には存在していると言う。

また各地の民に対する虐殺も加速を増しており。

このままでは、ほこらから現れる者を教育する役人までいなくなる可能性がある、という話をされた。

この世界は、獣に対する対応など。最低限の事だけでも知らなければ。年を取らないと言っても生きていけない程に過酷だ。

更にそれを過酷にしようとする央の軍勢は許せるものではない。

まずは各国の中心にある商を抑え。

其所で各地の英雄を招集すべき。

唐王はその意見に頷くと、自身も出ると言った。

龍一はそれに異を唱えようとしたが。

山霊は言う。

「唐王が各地の王の盟主となれば、それだけ軍を集めやすくなりまする。 西にいる央に対しても、睨みを利かせる体制を作れましょう」

「しかし、一網打尽にされる危険もあるまいか」

「林紹が如き愚物であればともかく、今の我が軍には龍剣大将軍の武勇と、龍一丞相の求心力がございます。 一網打尽にされるのは央の軍勢の方にございまする」

「……」

山霊の言葉に、龍一も黙り込む。

流石だな先生。そう呟きながら、龍剣は状況を見守った。

その日のうちに、軍が出立する。

八千の軍は山霊が鍛え上げただけあって、微塵の乱れもない。率いる将軍達も、皆以前とは顔つきからして違っていた。

まずは虎川を船で渡り、宋に上陸する。宋では抵抗を一切受けず、各地に使者を出しつつ、商に向かう。

商は最も古くから存在していた国の一つだが。

600年続いた戦乱の中ではそれほど大きな存在感を示す事が出来ずにいた国の一つである。

最弱と呼ばれた宋ほどでは無いが。

国力が兎に角低かったのだ。

だが、この中の世界の中心にあるのも事実。

兵を集めるなら、此処が良いだろう。

進軍中、山霊に言われる。

山霊は、わずかに確保出来た戦車に乗っていた。車騎将軍なのでそれで良いと思う。影は兎に角大きいので、山霊が二頭引きの戦車に乗って、それでやっと背が並ぶ程だ。

「龍剣よ」

「はっ」

「此処にいる八千は、今後拡大するお前の軍の中核だ。 できる限り全員の顔を覚えておけ。 そなたなら出来よう。 将はどんどん此処からいなくなる。 だが、兵士達は基本的にこの八千が中核になる」

「分かりましてございまする」

頷くと、山霊は顎で指す。

もう少し先に、唐王の戦車がいる。

実は最前衛にいたいと龍剣は申し出たのだが。最前衛は、もっとも経験がある龍一にするべきだと山霊が判断。

龍一も、それを悪くないと思ったのか。

現在最前衛で軍をまとめている。

「この八千を中核に、今後軍はどんどん拡大する。 だが龍剣よ、お前が一番活躍出来るのは、この八千を率いたときだ。 この八千以外は他の将軍に任せることを意識せよ」

「しかし、それでは大軍に接したときにどうすれば」

「大軍を相手にせずとも済むように、私が対処する」

「流石にございます」

山霊は頷く。

山霊が言うには「戦略」というそうだ。

実際に戦闘を開始する前に、戦闘の準備をすることが戦略だという。兵士を蓄えたり、兵士に兵糧が行き渡るようにしたり。兵士をどう配置したり。そういったものが戦略になるそうだ。

そして戦場で、実際に兵士を動かす事が「戦術」になる。

そういう意味では、龍剣は戦術だけを意識すれば良いと山霊は言う。

「戦略は私に任せよ。 そなたは軍最強の存在、軍の中核として、敵をたたけばそれで良い」

「お任せを」

「ただしやり過ぎるなよ。 そなたは文字通り虎を一人で倒す英傑だ。 そなたが本気ではなくても相手は軽く死ぬ。 死ねば死ぬほど恨みが募る。 そしてどんなにそなたが強くても、やがて追い詰められて死ぬ事になるだろう」

「……」

死ぬ、か。

そう断言されると色々と苦しいものがある。苛立ちも感じる。

しかしながら、正しい言葉については受け入れよ。

それが龍剣の考える第一の事だった。

どうして正しい言葉は受け入れるべきなのか。

それについては分からない。

龍一に聞いた覚えもない。

だが、何となく。

心の奥底に、その言葉は苦い教訓と共に根付いているのだった。

途中で、何度か武装勢力と接触する。その度に龍一が交渉。交渉に応じない場合は、龍剣が武勇を見せる。

そうやって、軍はどんどん拡大していった。

現時点では、まだ黒い軍団は姿を見せない。

動きを掴んでいない筈が無い。

恐らくもう一度。林紹の軍を一網打尽にした時と同じように、此方が油断することを狙っているのだろうと、山霊は言う。

油断はするな。

山霊は、龍一にも龍剣にも言った。

だが、龍一は、膨れあがり続ける軍と同時に、山霊の言葉に露骨に顔をしかめるようになっていた。

龍一を龍剣は何度かたしなめたが。

どうも父と。父に次ぐ先生は、少しずつ仲が悪くなっているように思える。

それが、龍剣には不安だった。

 

(続)