頂点の孤独
序、頂点は一人だけ
ネモは幼い頃からポケモンバトルが好きだった。というよりも、最初から何というか、適性があることを自分で知っていたのだろう。
物心ついた頃には、テレビでやっている各地のトップトレーナーの試合を観ていたような気がする。
会社重役の家の娘だったから、お金はあったし。
最初から、いわゆる御三家と言われるポケモンを手に入れる事も出来た。
相手になってくれる人もたくさんいて。
色々な相手と、様々な戦術を試すことができた。
スクールを終えたのは七歳の時。
親はそれをとても早い。天才だと褒めてくれた。アカデミーに入るか、それともすぐ会社に入ってほしいと言ってきた。
だから、会社で仕事をしながら、ポケモンバトルも同時にやった。
昔は労働者が死ぬまで使い潰すような労働が当たり前だった時代もあるらしいけれど。今はそこまでしなくても大丈夫な世界になっている。
ポケモンという、人間に近い知恵を持ち。
人間の友達になってくれる生物がいるからかも知れない。
社会人であるネモも、きちんとポケモンバトルができるくらいの時間は確保できていて。
それで、めきめきと力量を伸ばすことに成功していた。
やがてネモは、各地のジムを空いた時間で周り、そして制覇。
十二にして、パルデア地方のチャンプとなっていた。
パルデアでは最年少記録と言われて、多少は嬉しかったけれども。
同時に、こんなものなのかと思ってしまったし。
何よりも、以降。
戦ってくれる相手がいなくなった。
ネモを怖がる人が増えた。
何より、明らかにみんな戦っても面白く無さそう。
それに気付いたネモは、酷く落胆して。がっかりしてしまった。
確かに、それはあるのかも知れない。
気がつけば、激しく火花を散らすようなシーソーゲームの試合なんてなくなってしまったのだ。
チャンピオンランクの人間を増やす。
そういう意図が、現在のパルデアのトップチャンピオンであるオモダカにはあるのもネモには分かっていた。
だから、チャンピオン戦ではある程度オモダカが手を抜いていたことも分かっていた。
だが、それでも。
オモダカはネモの方が強いとはっきり言い切った。
その時に、もうまともな勝負が成立しないというのは、明らかになってしまったのかも知れない。
そして、ネモは。
全てのやる気を失った。
会社での、次代の重役候補。
そう言われていたネモは、細かいミスを頻発するようになった。
そして去年。
両親に言われたのだ。
アカデミーにいきなさいと。
パルデアのアカデミーは、地方の中心とも言える施設だ。ハイキャリアを目指して通う子供も珍しく無い。
だけれども、ネモも一応社会人。それもパルデア大手の企業の人間だ。
今のアカデミーが問題だらけであること。
それどころか、腐敗しきって。
悪の組織が入り込もうとしていることも、知っていた。
それで躊躇するネモに、両親は言ったのだ。
「昨日、大事件が起きた。 どうやらアカデミーで一斉に教師が退職、更にはギャング化していた生徒達もそろって退学したそうだ」
「え……」
「何かあったか分からないが、いずれにしてももう少し様子を見てから、来年度から入学しなさい。 手続きは自分でできるね」
「分かりました。 そうします」
ネモは、それを聞いて半信半疑だったが。
新しく校長に就任したのが、良心的な学者として知られるクラベルであること。
クラベルが大なたをふるって、腐敗していた体制を総入れ替えした事。
新しい教師陣は、クラベルとオモダカが連携して、各地からパルデアの中心になりうる人物を集めてきたこと。
それを知ると、まあ入学してもいいかなと思った。
あまり気乗りはしなかった。
どうせ、大した相手はいないだろうし。
だけれども、実際にアカデミーに足を運んでみると。以前足を運んでみて、饐えた腐敗臭が漂っていた場所とは別物になっているのに気付いて。
そして、活きが良さそうな相手がたくさんいて。
ネモは、やる気をやっと取り戻していた。
一旦会社は休職。
それから、アカデミーに正式に入学した。
数ヶ月が経過して。
やがて、隣に。
凄い子が、やってきた。
手をかざして、ジムリーダーと戦っているアオイを見やる。
凄い子。アオイ。
隣に越してきた子が、訳ありなのは知っていた。それはそうだ。両親が国際警察の人間で、それも養子。
訳ありでないはずがない。
だが、その潜在能力の高さは、ネモには一目で理解出来た。
あれは、すごい。
ただ、まだ潜在能力を引き出しきっていない。現状では、個人武勇の方に重点を置いている。ポケモンバトルはついでくらいにしか考えていない。あれは興味さえ持てばもっともっと実るはず。
最初、アオイはあまり熱心にポケモンバトルに挑戦していなかった。
だけれども、今は本人も困惑しながら、ポケモンバトルに前のめりに取り組んでいる。つまり、実ると言う事だ。
これほど素晴らしい事があるだろうか。
ネモはよだれが零れそうになっている事に気付いて、ハンカチで口を拭う。
いやあ、素晴らしい。
アオイは、孤独を満たしてくれるかも知れない。
ネモはずっと孤独だった。
途中から、誰もポケモンバトルを受けてくれなくなったし。受けてくれても逃げ腰になった。
無敗。
パルデア最強。
その言葉は、いつの間にか祝いではなく呪いになっていた。
他地方に遠征もしてみたけれど、ジムリーダークラスでは苦戦することもなく。地方によっては存在する、重鎮的なトレーナーである「四天王」ですら手応えを感じることはほぼなく。
チャンプと対戦して、それでようやく満たされることがあるくらい。
それもチャンプとの対戦なんて、中々機会がある事じゃあない。
学校でも避けられた。
実力が浮きすぎたからだ。
ポケモンバトルが好きな奴はこの世界、幾らでもいる。
だけれども、それは勝ったり負けたりがあったりの世界だ。
もしも戦っても絶対に勝てない相手が出て来たら。
嫌になって止める奴も出てくる。
どうしても勝てないものが出て来てしまうと、それは壁になるし、モチベーションの低下につながる。
ポケモンバトルでは負け知らずなネモでも。
それ以外の事では負けは幾らでも知っている。
これでも社会人で、重役だ。
最初からバカみたいな金を持っている人間は、生涯まともに働かない事もあるらしいけれども。
残念ながら此処はパルデア。
過熱しきった経済の下にある地方ではなく。
落ち着いた牧歌的な地方で。
どうしても、大きな会社の重役だろうと令嬢だろうと、無理がない範囲で働かなければならない。良い意味で格差がないのだ。その過程でも、嫌でも負けは経験する事があった。
だからこそ分かるのだ。
負けしか経験できないのなら、戦いなんてしたくなくなる。
動物にも似たような経験があるらしく。
こっぴどく負けて、戦う事を怖がるようになる犬を「負け犬」と言う。これは今では違う意味で使われているが。本来はそういった、心にトラウマを抱えてしまった犬のことを指している。
それだけではない。
ポケモンだってそう。
練習試合で相互に試合をさせている手持ちのポケモンも、負けばっかり経験させると戦いを嫌がるようになっていく。
勝ちばかり経験させると、それはそれで身の程知らずの行動にも出るようにもなる。
勝ちだけ、負けだけだとどうしても心が痛むのだ。
それについては、ネモも良く知っていた。
だからこそ。
ネモも腐る前に、もっと傷つく前に。
ライバルがほしいと言う切実な願いがある。
他のチャンプは、トップのオモダカも含めて、皆忙しい。
特にオモダカは事業家としての側面が強く、パルデアにおけるポケモン関連の仕事のトップにいる。
試合を申し込んでも、滅多に受けてくれない。
ネモのフラストレーションは溜まる一方だった。
わっとジムが湧く。
今アオイが対戦しているジムリーダーはナンジャモ。
そこそこ前からいわゆる動画配信をしているジムリーダーで、昔は動画配信の方を専門にしていた。
優れたポケモンバトルの実力をその頃からオモダカに見込まれていたらしく、何年か前にジムリーダーに就任。
以降はパルデアでは少ない発展した都市、ハッコウシティのジムリーダーとして。周辺の事件に睨みを利かせつつ、更には集客のために活躍してくれている。
それでいながら、配信も続けている凄い人だ。
戦いたいとは、それほど強くは感じないけれど。
そのナンジャモは、とにかく弱点を消して、ポケモンの能力を上げに上げて上から制圧する戦略を採る。
地力が足りなかったり、対策ができていないとかなり手間取る戦略であり。
派手なルックスと、動画映えする奇抜な言動と裏腹に、極めて堅実な戦略である。
今、互いに四体を失ったナンジャモとアオイが、切り札同士をぶつけ合っていて。アオイが優位に立っている。
ナンジャモも本気で試合する時のポケモンを出していないとは言え、普段の堅実な戦略は健在。
それを、アオイの地力が上回っている感触だ。
ナンジャモの切り札であるゴーストポケモン、ムウマージが光に包まれる。
切り札、テラスタル。
この地方特有の現象で。
テラスタルエネルギーと呼ばれる。パルデアの中心にある「大穴」由来の強力なエネルギーを使って、一気にポケモンを強化する。
ガラル地方の「ダイマックス」ほど単純に強力ではないが、此方はポケモンの本来の性質をねじ曲げて弱点を克服したり、単純な火力をパンプアップすることができるため、非常にトリッキーな戦い方ができる。
アオイも同じく切り札を切る。
リストバンドを操作すると、アオイのポケモンも光に包まれる。
そして、互いの光が激突した後は。
アオイのポケモンが、辛くも立っていた。
わっと観衆が沸く。
ガラルみたいにスタジアムを借り切って試合を行うわけでもないし、あれほど観衆がいる訳でもないが。
それでも、やはり楽しいのは蹂躙戦では無くシーソーマッチだ。
それを見せてくれた二人に、観衆は惜しみない拍手を送り。
その熱気は、遠くから見ているネモにも伝わるほどだった。
どこのジムでも、せいぜい客は数十人程度しかこないが。
それでも、人間が少ないパルデアでは。これは数少ない娯楽。
ましてやナンジャモの試合は動画で生配信されている。
見た目以上に、客は大勢いると見て良かった。
いいなあ。
一番脂が乗っている状況だ。
だから、このまま潰れないでほしい。
そう切にネモは願った。
アオイはこのまま上がって来て、チャンピオンクラスにまで昇格してほしい。そしてそんな風に実った時こそ。
ネモが、やっと。
願いに願った、ライバルが出現するのだ。
ふうと、深呼吸すると。
ネモはライドポケモンを出す。
ネモが使っているのはモトトカゲだが、かなり良く仕込んである個体で。いわゆる横に座るお嬢様で問題なく移動出来る。
あまり激しい地形をいかないという理由もあるのだが。
それでも、どうしても体力に自信がないネモには有り難い。
移動中に体力を消耗なんかしたくない。
体力は、試合で全力で燃やしたかった。
アオイが行くのを見送ると、ナンジャモのジムに行く。
ネモの事を、当然ナンジャモは知っていた。
これでもチャンピオンである。
楽屋に入るくらいは顔パスである。
楽屋では、疲れきった様子でナンジャモがスポーツドリンクを飲んでいた。手心を加えているメンバーとは言え、アオイくらいの相手とシーソーゲームをするのは疲れるのだろう。
ネモに気付くと、ナンジャモはすぐに営業スマイルを作る。
この人は、多分誰に対しても、接客をしている。
配信者時代は結構厳しい下積みをしていた事もある。多分だけれども、身についてしまっているのだろう。
「おお、ネモどの。 オハコンハロチャオー!」
「オハコンハロチャオ、ナンジャモさん」
「チャンピオンが視察とは、なんですかな。 ここのところ特にハッコウシティ周辺で問題は起きておりませんぞ」
「ふふ、そうですね」
この妙ちきりんなしゃべり方と、奇抜さを優先している服装。頭につけている二匹のポケモンコイル。
ナンジャモは女性である以前に、リアクション芸人としての自分を優先している。
こういうのは、自分に合わない芸風だと心身を壊すケースがあるのだけれども。
ナンジャモは自分に合ったキャラクターを作るまでに随分と苦労を重ねてきた苦労人である。
昔の配信動画を見た事があるが、昔はキャラも全く違っていた。
今みたいな挨拶もしていなかった。
今では動画配信者という存在は、世界的に普通に食べていける商売になっているのだけれども。
それでもナンジャモが激しい競争と、自分との戦いをして来たのは良く分かる。
「どうでしたかアオイは」
「おや、知り合いでしたかな?」
「ええ。 同級生です。 アカデミーの」
「いやー、将来有望ですな! 映えも理解しているし、試合の運びもいい。 ポケモンにとても信頼もされている。 ボクも、是非パルデアの重鎮に、今後なってほしいなと思うばかりですぞ」
意見があう。全く同じだ。
にこにこしているネモを見て、ぞくりとしたらしいナンジャモ。
「あ、あの、ネモどの?」
「うふふ。 せっかくですから、私と一戦どうですか?」
「いや……それは」
視線を泳がせるナンジャモ。
やっぱり引かれるか。
これもまた、仕方が無い。
ナンジャモは優れたトレーナーだが、チャンピオンになる過程で当然ネモもジム巡りをした。
チャンピオンになる為には三つの試験をこなさなければならないのだが。
第一関門である面接は、基本的にバッヂを八つ以上集めていないと門前払いされる仕組みになっている。面接だけはしてくれるが、それだけである。
だからネモがチャンピオンになった時は、基本となる八箇所と、他のジムもついでに蹂躙した。
その時の相手には、ナンジャモも含まれていた。
ネモとの戦いできゅうと漫画みたいな声を上げて伸されるナンジャモを見て、配信動画では放送事故なんて声も上がっていたっけ。
ナンジャモが伸される様子を見て、大喜びするファンもいたらしいが。
まあなんというか、因果な商売である。
「分かりました。 とりあえず、試合については別の機会に。 私はこれで失礼します」
「いやいや。 試合でなくて配信だったらいつでも歓迎ですぞ」
「ふふ、考えておきます」
ジムを後にする。
ジムリーダーの中には、文句一つ言わずにネモの挑戦を受けてくれる人もいるけれども。ナンジャモは正直だ。
分かっている。
相手が潰れるような戦いをしてしまうと、どうしても駄目だ。自分にとっても相手にとっても。
この闘争本能が、相手を求めて仕方が無いのだけれども。
今は我慢。
アオイという極上のライバルが育とうとしている。
だったら、アオイが実るのを待つだけ。
今、すくすくぐんぐん実っているのだ。
途中で食べてしまうのは愚の骨頂だし。
潰してしまうのは論外だ。
実家に連絡を入れる。執事もかなり腕利きのトレーナーなのだが。幼い頃には実力で凌駕してしまった。
今では、なかなか相手をしてくれない。
「これから帰ります。 お父さんとお母さんは」
「はい。 今日は二人とも別地方での商談に出ています。 なんでもそれなりに大きな商談と言う事で……」
「分かりました。 二時間ほどで其方に着くので、夕食を用意しておいてください」
「了解しました。 帰路、お気をつけて」
まあ、戦いで遅れをとる事はない。
与太者の類に襲われることも、ここパルデアではまずない。この地方の犯罪発生率は極めて低い。
一部の犯罪をすることが目的化しているようなサイコパス以外には、犯罪をするメリットが皆無だからだ。
無言で、帰路を行く。
強いポケモンでも現れないかなと、思いながら。
1、頂点に近付く
二ヶ月掛けて、少しずつジムを私アオイは巡っていった。
パルデアのジムはどこも小規模だな。
そう思う。
パルデアに来る前に、私は各地方のジムについて調べていた。いずれも大規模で。ガラルのような非常にポケモンバトルが盛んでなおかつ経済が発展している地方では、それこそ巨大なコロシアムみたいな試合場、スタジアムがあったりした。
だが、小さいから駄目かというとそんな事もない。
何処のジムにいるジムリーダーもみんな良い人で、話していてとても穏やかな気持ちになってくる。
地方によっては、ジムリーダーが犯罪に荷担していたり。
悪の組織の一員だったりする。
良い例が広域ポケモンマフィアとして悪名高いロケット団で。
伝説のロケット団の首領サカキは、ずっとカントー地方のジムリーダーとして振る舞っていたという事実があるのだ。
現在私は五つバッヂを集めているが。
みんなジムリーダーは良い人ばかりで、そんな犯罪の臭いは一切無い。
ここは、良い地方だな。
そう私は思う。これは本当に掛け値無しの感想だ。この地方は好きだ。
勿論、良い事ばかりでは無いことも分かっている。
カシオペアさんに言われて各地を回って、スター団と対戦して。それで色々と闇も見えてきた。
ただ、それでも光の方が圧倒的に強い。
それだけで。どうしてユウリお姉ちゃんや今の両親が私をこの地方に送ってくれたのかが。分かるのだった。
アカデミーに戻ると、自室に。
シャワーを浴びる。
どうしてもシャワーは苦手。
これは頭の傷に響くからだ。普通の人は上から雨みたいに浴びたりするらしいが、私はそれをやらないようにしている。頭を洗うのも、専用の洗剤を使う。傷に響くからである。
風呂に入っている時間の方が長い。
ぼんやりと風呂に入っていると、スマホロトムが騒いでいるのが聞こえた。
多分、誰かがメールなりなんなり送ってきたのだろう。
すぐに出る必要もない。
風呂の中で、じっくり体を温めて、疲れを取る。
実際には、風呂に入っていると凄く疲れるし、入っている時に大量に汗も掻いているらしいのだが。
まあ、湯に入ることで眠りやすくもなるのだから、それでよしとするべきなのだろう。
風呂から上がると、私はベッドに転がりながら、スマホロトムを確認。
連絡は、ネモさんからだった。
ジム巡りはどう、というものだ。
無言でスマホロトムを操作して返信する。
五つ目が終わりました。いいジムリーダーで、とても良くして貰いました。
それだけの内容だ。
ネモさんとは、結構頻繁にポケモンバトルをする。
ネモさんはボール越しにポケモンの実力が見えているようで、今の私に合わせた手持ちを、何百か持っているモンスターボールから即座に出してきて選んでくる。
別に驚くような話でもない。
エスパータイプのジムのリーダーにはサイキックも多い。
今の時代は超能力は科学的に解明されていて、後天的に使えるようになる人も多いらしい。
残念ながら私はいわゆるサイコキネシスとかテレパシーはできないが。
ユウリお姉ちゃんに教わって、体内での気の操作はできる。
これも超能力の亜種らしい。
更に言うと、体をしっかり鍛えることで、気の操作は誰でも出来るらしいので。超能力はその延長と言えるのかもしれない。
ついでにいうと、ユウリお姉ちゃんが化け物みたいな勘を発揮するのを、私は何度も見ている。
だから今更。ネモさんが、ボール越しにポケモンの実力を見抜いていた所で、驚くこともない。
なおネモさんは、自宅と学校の部屋を半々くらいで使っているそうで。
二日に一度は自宅に戻っているそうだ。
これには多分だけれども、アカデミーにいると闘争本能が抑えられないから、身近な実家で抑えを効かせる訓練をしているのだと思う。
ネモさんは、そういう人だ。
返信をすると、文字通り秒で返信が来る。
流石だなあ。
そう思って、苦笑する。
とはいっても、スマホの操作は、私みたいな特例を除くと。今の時代は誰でも出来るのが普通だ。
むしろこれが、当たり前なのかも知れない。
「明日、朝一で勝負したいな」
「分かりました。 グラウンドで良いですか?」
「ふふ、了解。 ため口でいいのに」
「努力します」
どうしても難しい。ため口は。
周囲に友達がいなかった。
友達はいるけれど、ポケモンだった。
だからどうしても、私は欠落している。同年代の同性の友達がいたなら、話は別だったのだろう。
だけれども、あの薄暗い地獄では。
そんなものを作る暇なんかなく。
恐怖に身を寄せ合う事しかできなかった。
今、少しずつ友達を増やそうと私は努力をしているけれども。なかなか、私に近付いてくる同年代の子はいない。
ネモさんに目をつけられている事や。
上級生であるペパーさんと仲良くしている事なんかが、同年代の子には奇妙に思えるのかも知れない。
ただ、それでも友達は作っていきたい。
ネモさんがどうも対等な対戦相手に餓えているように。
私も必死に人間になろうと、努力しているのは同じなのだから。
ルーチンを終わらせると、消灯して眠る事にする。
眠るのは、できる。
ただ、眠ったところで安らかな夢を見られるわけでもない。まだ時々、悪夢を見る。
ロクに麻酔も掛けずに手術をされる夢。
完全に発狂してしまった子が、引きずっていかれる夢。
引きずっていかれると、もう絶対に帰って来ない。
泣いてもどうにもならないと本能で分かっていたからなのだろう。いつからか、完全に涙は涸れ果てた。
私くらいの年の人間は、むしろ良く泣くのが普通らしいのだけれど。
というか、女性は涙腺をコントロールして、涙を効率的に武器として使うものらしいのだけれども。
私はそれが一切できなくなった。
それもまた、仕方が無い事だとは思う。
ただ私は。
そのまま終わるつもりはない。
目が覚める。むくりと起き上がると、大きな溜息をつく。ろくでもない夢を見たからか、やっぱり疲れはしっかり取れていない。
顔を洗って歯を磨いて。
買ってきてある出来合いを、温めて食べる。
食堂を利用する事も最近は多くなってきたけれど、朝と晩は殆どの場合自室で出来合いを食べるようにしている。
これは、食事時に隙を見せたくないからだ。
特に朝晩の、寝起きと寝る前の疲れている時には。
やっぱり周囲への警戒は、簡単には解けない。食事をしていて、その辺は自分でも苛立たしい。
温めれば、それなりに美味しい出来合いを食べ終えると。
トイレも済ませて。軽く朝のトレーニングをする。
その後は、グラウンドに出て。更に増えた調整中のポケモン達と走る。飛ぶ子もいる。
あらゆるタイプを既に網羅している。
どんなタイプが、私が会社を立ち上げたときに役立つか、分からないからだ。
だから、一緒に走って慣れる。
みんなと話す。
いずれ一緒に仕事をするのだから。
手持ちの子達もそれは理解しているようで、私を餌をくれるだけの人だけではなく。バトルをさせるだけの人だけでもなく。
仕事をする仲間と認識してくれている。
それでいい。
完全にワニの姿になったラウドボーン……最初はホゲータだった相棒は。思った以上に早く走る。
ワニは鈍そうに見えて、人間並みの速度で走れる事は知っていたが。
それでも、私に平然と着いてくるのを見ると中々に面白い。
そのままグラウンドを何周かして。それから軽く体をそれぞれ動かす。
得意な技を磨いて貰う。
苦手な部分を、カバーできそうならしてもらう。
長所を潰すのは愚の骨頂。
本当に克服できない弱点を無理に克服させようとするよりも、長所を伸ばした方が全然いい。
それは人間もポケモンも同じ。
何となく、私もそれを理解出来始めていた。
勿論苦手な相手に対する対策くらいはできた方がいいけれども。そればかりにかまけるのも、中途半端になりやすい。
だから、これでいい。
私からは殆どアドバイスの類はせず、次にこう言う訓練をしてくれと話をするだけ。
話が通じるポケモンも多いので、それで充分。
淡々と訓練をしていると、視線を感じた。
他よりも、強い視線だ。
実際には視線というものは存在しないらしい。様々な感覚。いわゆる五感で、存在を察知してそう思ったり。
或いは、単に気のせいだったり。
そういうものらしかった。
軽くストレッチをしながら、近付いてくるその人を見やる。
ネモさんだ。
相変わらず、満面の笑みである。
「アオイー。 おはよー」
「おはようございます。 今日も絶好調みたいですね」
「うふふー。 だってアオイと戦れると思うとねー」
「ハハ……」
戦る、か。
そんな言葉を実際に使う人は殆どみかけない。本当にネモさんが、ポケモンバトルが好きなのだと分かる。
体力はなくても、ポケモンバトルに回す体力は別なのだろう。それこそ何十戦でも連続で出来ると言う事だった。
周りのポケモン達を見回す。
「かなり仕上がってきてるね。 もう六つ目のジムにもいけそう?」
「そろそろそう考えています。 この間戦ったアオキさんがとても手強かったので、調整を念入りにしておこうと思って」
「あの子は?」
「ミライドンですか? 朝弱いみたいで、まだ眠っています」
ミライドンとも戦(や)って見たい。そうネモさんは言うのだが。ちょっと今のコンディションだと可哀想だ。
ミライドンはライドポケモンとして使って見て良く分かったのだが、乗っていると戦いをやっぱり怖がっている。
手持ちの子が戦っているのを、嫌そうに見ているのを感じ取れるので。
やっぱり何か色々とあるのだろうと思う。
ただミライドンの潜在能力は非常に高いことが私にも分かる。最初に出会った時のミライドンは、心身とも傷ついていた。
こんな強力なポケモンを徹底的に痛めつけるなんて、一体どんな相手だったのか。
準伝説級か、或いは伝説級か。
いずれにしても、ちょっと今戦うのは想定できない。
私はユウリお姉ちゃんじゃないし。
ユウリお姉ちゃんも、私なりの道を見つけるようにと、何度も繰り返し教えてくれた。
だから、私は手持ちをしっかり整備して。私自身も強くなってから手強い敵に挑む。
色々と迂遠な話ではあるけれども。
ポケモンバトルのような試合だったら兎も角。
私はいずれ、実戦をこなさなければならない可能性が高いのだ。それも負けたら死が確定するような。
だから、その時に備えて。鍛錬はサボれなかった。
「ネモさんもトレーニングしますか?」
「いや、私は良いかな。 体力はポケモンバトルに使いたいんだよね」
「なんとなく分かります」
逆立ちして、周囲をうろうろしながら聞く。
ネモさんは、それを笑顔で見つめながら返してくる。
ネモさんの体は、しっかり鍛えこまれている。だけれども、体の筋力はあくまで瞬発に特化している。
生物で言うと蛇に近い。
話によると、蛇の体は、特に毒蛇の体は殆どが瞬発に特化した筋肉らしくて。一度毒を喰らわせるのに失敗すると後がないのだそうだ。
あの苛烈な攻撃性は、それが故か。
そう思うと、生物はそれぞれ自分の得意に体をあわせて。環境に適応しているというのがよく分かる。
よっと、とんぼをきって立ち上がる。
丁度、体が温まった。
六体、呼ぶ。
残りの子は、みんなモンスターボールに入って貰う。ネモさんは、嬉々として、手持ちを出す。
やっぱりというか。
今の私に、完全にマッチした手持ちだ。
今はまだ、ネモさんは単純に私の実力を伸ばそうとしている。いずれ本気で対等に戦うために。
私は、それを有り難く受けさせてもらう。
この人はチャンプだ。
私のずっと先を行っている人だ。ユウリお姉ちゃんのような、別のチャンプとは比較しない。
私よりずっと先にいて。
なおかつ私に興味を持っていて。私にとって有益な鍛錬をしてくれる。それだけで充分なのである。
「今日は三戦くらいできるかなー」
「授業は大丈夫ですか?」
「私は二コマ目から出るつもり。 アオイは?」
「私は今日は一コマ目からです。 ……試合次第ですが、三戦はギリギリですね」
もう朝日は上がっている。
生徒も少しずつグラウンドに出て来ている。そんな中、すっかり仕上がって試合をしている私達はちょっと浮いているかも知れない。
しばし、無言で戦う。
やっぱり指導に近いな。
そう思いながら、苛烈に戦う。
ポケモンバトルが、今の時点で生死に関わることはない。だからこそ、本気でやれるという側面もある。
ネモさんも、私が自分を徹底的に鍛えていることには気付いている筈。ネモさんくらいの実力だったら当然だろう。
その鍛え方が、命のやりとりを想定したものであることも。
だからこそ、こういう戦いは貴重なのかも知れない。
ネモさんは三戦を終えると、つやっつやになっていた。
私は、少し朝から疲れたかも知れない。
「お、丁度一コマ目の授業が始まるところだね」
「対戦有難うございました」
「ふふ、此方こそ。 すくすく実ってていいなあ」
「ハハハ……」
やっぱりその物言いはちょっとなんというか。危険を感じてしまう。だけれども、それもまたいい。
頭をびしっと下げると、授業に向かう。
アカデミーで学ぶ事に、無駄なんて一つも無い。
将来社長になったときに、何が役立つか何か、知れたものではないからだ。
淡々と経済学を学ぶ。
なるほど、面白い話だ。
古い時代も、商人は微積分を学んでいたという話だが。それも何というか、納得出来る。
高等数学は色々と学ぶのが大変なのだけれども。ここの先生は本当に分かりやすく、納得いくまで教えてくれる。
更に言うと、その授業で覚えられなくても、もう一回同じ授業を受ければ良いし。
たくさん単位を貰える中間試験、期末試験も、自分に任意のタイミングで受けられる。
勿論単位をしっかり集めないと、卒業はさせて貰えない。
だけれども、アカデミーは柔軟で。
余程さぼってでもいない限りは、きっちり卒業まで面倒を見てくれる、いい場所になっている。
これは恐らくだけれども、自分の生活もある大人も通っているから、なのだと思う。
アカデミーに通う生徒は子供ばかりではないし。
それについて、しっかり配慮していると言う事だ。
授業が終わった後、分からなかったことをまとめておく。なお、一度受けた授業をもう一度受けることもできるし、授業を受けた後はスマホロトムで内容を再生して確認する事もできる。
何カ所か分からない場所があったので、何度か見て確認。
それでも分からない場合は、ネットなどで解決策を探ってみる。
私は連続して授業を受けることはしないようにしているのだけれども、それはこういう調整を挟む為だ。
一通り疑問点を解消できたので、可とする。
そのまま次の授業に。
これが実は一番の難関。
美術である。
美術については、私もいらないとかそういう事は感じない。身に付けておいて、いいとも思う。
ただ、美術の教師であるハッサク先生はとにかくアバウトなのだ。何でも美術ならいいとするような感じの人である。
個人の自由を尊重するという言い方もできるが。
それ以上に、どんなことでも許容する雰囲気もある。
幼い子の絵も絶賛するし。
大人が描いた絵を、厳しい目で見ていることもある。
本当にわかりにくい授業で、こればっかりはどうにもできないと思う事も多い。
私自身、どうしても絵のセンスはあんまりないと思う。何回か描いてみて、それでもハッサク先生は何度でも挑戦してみなさいという。
そして美術は必須単位ではない。
受けに来ている大人も、恐らく教養を得るために受けに来ている感触である。多分、会社などでうんちく会話をする時などに必要になるから、だろう。
事実この地方の著名な芸術家や。
画家などが、授業にゲスト出演してくれる事もある。
この間、ナンジャモさんがゲスト出演していた時は、かなりの応募が殺到したらしいのだけれども。
直接授業には出られなくても、後からその授業は見られる。
それもあって、その授業の動画再生回数は、とんでもない事になっているようだった。
ただ、やっぱり具体的にどうこうすればいいのか分からない授業は苦手で。
私はやっぱり、まだまだ自由との上手なつきあいができていない。
それが分かるだけで充分かも知れない。
無言で私は美術の授業の見直しを終えると。
昼食に出ていた。
今日は、知り合いは食堂にはいないか。
実の所、やっぱり大勢で食べるのは私はあまり得意ではないかも知れない。外にでた時、結構サンドイッチパーティーをしている人達を見かけるのだけれども。そういう人達は、楽しそうだけれども。
どうにも、混ぜてとは言いづらい。
良くした者で、私と同じように混ざり方が分からないのか。サンドイッチパーティーに声を掛けられると逃げてしまう子もいるようだ。
そういうのを私は何度か見ているので。
自分だけでは無いと思うのだけれども。
それも、どこまでそう判断して良いのか、分からなかった。
昼食を食べ終えると、午後の授業の準備をする。
明日、六つ目のジムに行く。
そのためには、少し授業を受けためしておかなければならない。
そろそろ中間試験が受けられる科目も幾つかある。
それについても、準備をしておかなければいけなかった。
自由って、色々大変だな。
そう思う。
よくある、自由云々を口にする創作。私はあんまり創作には詳しくないけれども、それでも自由を褒め称える作品はたくさんあると聞く。
だけれども、実際に自由を手にしてみると、それには責任が大きく伴う事が分かってくる。
だからこそ、自由には価値があるのだろうとも思うのだけれども。
もう面倒くさくなって、自由を捨ててカルトに走る人が出るのも、何となく理解はできるのだった。
理解はできるが、真似するつもりはさらさら無いが。
少し眠くなってきたので、アラームをセットして三十分だけ眠る事にする。
私が脳をどう弄くられたのかは今でもよく分かっていない。
ただ、恐らくこの眠くなったのは。
それが原因ではないだろうと言う事だけは、分かっていた。
2、待ち受けるその人
七つ目のジムでは、ラップバトルをさせられた。
ラップなんて単語しかしらないから、本当にどうすれば良いのかよく分からなかったけれども。
ライムというおばあさんのジムリーダーは、意外に私の混乱しながらの受け答えを面白がったようで。
結構ノリノリになって試合を受けてくれた。
だけれども、試合後に言われたのだ。
「あんた、とんでもない量のゴーストを背負ってるね」
「……それは、何となく分かります」
超能力者が実在しているように、ゴーストの実在もこの世界では随分前に解明されている。
ゴーストポケモンの中には、人間を攫ってあの世につれて行くという物騒な話が尽きない種類もいるし。
実際可愛いゴーストポケモンほど、危険な事は良く知られている。
ゴーストが見える、いわゆる霊感体質というのは、超能力ともまた違った才能が求められるらしいが。
少なくとも、ライムさんはそのタイプの人らしかった。
「何があったのかは聞かないよ。 あんたが背負っているゴーストは、いずれにしてもあんたの敵じゃあないようだからね」
「……はい」
「やれやれ、色々背負うものが大きいようだね。 もしもどうしても辛くなったらあたしの所にきな。 多少、重荷を軽くしてやるよ」
ライムさんは、つい最近ジムリーダーに就任したらしい。
なんでも妹さんが以前はジムリーダーをしていて、本職であるラッパーとしてライムさんは生活していたらしいのだが。
妹さんがなんだかの理由でジムリーダーを離れ。
それで今は後を継いでいるそうだ。
いずれにしてもこの地方随一のラッパーであるらしく、ラッパー業だけで食べていけるらしい。ゴースト関連の仕事もしているらしいが。それはあくまで副業の副業であるそうだ。
それはまた。
こういう風に、安定した仕事をできるというのは、実力がある証。
いずれ私も、そうなりたいものだ。
いずれにしても、相手が調整してくれている事もある。試合には勝てて、バッヂも貰えた。
後は最後のバッヂを貰えば、チャンピオンクラスに挑戦できる。
最後のバッヂは、この地方最強のジムリーダーと名高い氷タイプのスペシャリスト。グルーシャさんが持っている。
既にバッヂは七つ。
実際にバッヂ集めをしている人の話を聞く限り、此処まで来られる人は3%を切り。
更に残りの殆ど全てが、グルーシャさんに負けてチャンピオンランクへの挑戦を諦めるそうだ。
現時点で私は、ポケモンバトルの技量については自分でよく分かっていない。
野生の大物と交戦するときは、ポケモンと連携して戦ったりするから。それの要領でポケモンを動かしている。
ただ、それだとまだどうしても無駄が多いような気がする。
ユウリお姉ちゃんの試合は、どうしても動画などで観る。
本当に無駄がかけらも無い。
特に試合などでは、相手の出方などを完璧に読んでいるかのように動く。
或いはだけれども。
五感が鋭すぎて、本当に出方などを寸前に把握できているのかも知れない。だとすると、最悪の後出しジャンケンだが。
それも実力が故だ。
あまりにも高い実力故に、後出しジャンケンが成立してしまうと言う訳なのだろうか。
私は、残念ながらまだまだその領域にはいない。
それと、もう一つ問題がある。
グルーシャさんがいるジムの立地だ。
先にライムさんと戦ったのには理由がある。
パルデア北部に拡がる巨大な山岳地帯。
年中雪が積もっているほどの高山地帯で、此処にしかいない生物もたくさんいる。中には人間を襲う者も。
当然その中には、桁外れな力を持つポケモンも少なくない。
珍しい氷の力を持つドラゴンもいるそうだ。
私は、実感する。
ここに来るまでに。
此処を踏破するのは、尋常では無い。それはレンジャーが見回りをしているのも納得である。
寒いなんてものじゃない。
色々と今まで過酷な環境を想定して動いてきた私だけれども。
どうにも寒さだけは駄目なようだ。
ミライドンに乗って移動するけれど。それでも、ミライドンに載せている尻が凍りそうである。
これでもコートを羽織って、手袋をして、マフラーもセーターもつけているのだけれども。
全然足りない。
無言で、街を出る。
しばらくこの環境に慣れないと無理だな。
そう判断したからだ。
考えて見れば、私は環境を完璧に使いこなしてくるトレーナーと戦った経験がない。
というよりも、この雪山で生きていける自信がない。
此処をホームにしているトレーナー。
それも、多数の挑戦者の心をへし折ってきた凄腕である。
それを、全く慣れない私が、倒せる筈が無い。
無言で降り続ける雪が、掌で溶けていくのを見る。手袋を敢えて外して、降り注いでいる雪に触れてみたのだ。
この辺りは、まだ雪もそれほど酷くはない。
グルーシャさんのジムの辺りは、此処とは比較にならない程積雪も酷く。吹雪も頻繁に起きるそうだ。
空はどんよりと曇っている。
この辺りの天気は、全く予想ができない。晴れ渡っていたと思ったら、あっと言う間に雪が降り出す事もザラ。
ポケモンタクシーで、此処からアカデミーに戻る場合も、いつもよりも多くの料金が掛かる。
あまりこれ以上、お父さんにもお母さんにも迷惑を掛けられない。
そう考えると、何度も何度もタクシーを使うわけにはいかなかった。
アカデミーに戻ると、グラウンドに出る。
夜空の下、かなり肌寒いが。あの雪山の環境に比べればマシだ。
目を閉じると、洞窟の中のように冷え込んでいる。
洞窟は、ワイルドエリアに幾つもあった。ユウリお姉ちゃんと一緒に鍛えたとき、ビバークの拠点にした事もあった。
ガラル地方のワイルドエリアも雪は時々降っていたけれども、パルデア北部は寒さのレベルが違う。
ガラル地方にも、あのパルデア北部以上の寒さの場所もあるらしい。
ガラル南部がそれに該当するらしくて、其処には非常に珍しい独自の生態系が構築されているそうだ。
それらを見たから、私はグラウンドで少しでも慣れようと思って。
夜の時間帯に、わざわざ薄着で出て来た。
しばらく座禅して気を練るけれど。
寒さを弾き返すのはちょっと難しい。
むうと頬を膨らませる。
これほど鍛え方が足りないと感じたのは、始めてかも知れなかった。
ラウドボーンが、喉を鳴らして側で蹲っている。
なんでこんな寒い所で、わざわざ座っているんだ。そう言われているようだ。事実そういう風に咎めるような目で見ている。
体を悪くする。
そう指摘されているようだ。
ホゲータの頃は何も考えていなかったこの子だが。ラウドボーンになった今は、相応の知性を蓄えている。
何も考えていなかった昔と違って。
色々と、所作などに考えさせられる事も多かった。
なおラウドボーンになってから、その体は燃え上がっている。普通の生物ではあり得ない生態だが。
ポケモンにはよくあることだ。だから、不思議な事はない。
「どうしたの、アオイ」
「ネモさん」
グラウンドで、夜に会うのは初めてかも知れない。朝には結構出会うのだけれども。ネモさんは今日はアカデミーに泊まる日か。自宅とアカデミーの自室に交互にとまる習慣は、私も知っている。他人の習慣に、口を出すつもりもない。
正座して、向き直る。ネモさんは、ハンカチを敷いて、其処に座った。なんというか、こういう所はしっかりお嬢様だ。
「ナッペ山の気候に苦戦しています」
「え。 それで寒さ対策を考えてる感じ?」
「はい。 ちょっと私には寒すぎるので、気を練って寒さを跳ね返そうかなと」
「いや、ちょっと待って。 ……え?」
驚いた。
天下無双のネモさんも、こんな風に驚くことがあるのか。
しばらく困惑していたネモさんだけれども。
やがて、小首を捻っていた。
「そんな脳筋なやり方で、寒さを克服しようとするトレーナー初めて見た。 面白い」
「ネモさんは……どうやってグルーシャさんとのポケモンバトルで、環境に苦戦せずに進めたんですか?」
「私は単に実力差。 寒くてしんどかったから、厚着で行って速攻で。 今もそうしてる」
なるほど、こっちはこっちで脳筋なやり方を採用しているわけだ。
そして理解する。
ネモさんとはまだ根本的に技量が違うのだと。
今、ペパーさんとカシオペアさんの案件を同時に解決している。どっちもどうしようもない事情があることが見えてきている。
二人とも、結構危ない場所に足を突っ込んでいるし。
その過程で、私もどうしても鍛えられる。
一時期、そっちに注力するのもありか。
だが、その前に。
決定的に苦手な相手との戦いを制して、それで苦手意識を克服するのが先に思えるのである。
どうしても苦手な分野はある。
それを無理に克服しようとしても、駄目なものは駄目だ。
それは嫌でも分かっているし。
私もそんな事をするつもりはない。
ただこれは、克服できる苦手で。それから逃げるのは、問題の先送りに過ぎないのである。
実際後一工夫でどうにかできそうなのだ。
そもそも私だって、今後野外で一人で生活する可能性が小さくない。
起業に失敗したらそうなる可能性だってあるし。
私自身がカロスにとっての超巨大スキャンダルの権化だ。何が襲ってくるか、知れたものではないのだ。
だから私としては。
冬の雪山でも、生きていける力を手に入れたい。
ただ、それは何も私だけでやるべき事でもないのかも知れなかった。
「そうだな−。 アオイさ、自身だけで寒さに耐える必要は、必ずしもないかも知れないよ」
「……」
ネモさんが、ラウドボーンに視線を寄越す。
なるほど、そういう事か。
頷くと、私は明日試してみると礼を言う。
ラウドボーンは実の所、対氷タイプの切り札としても考えていた。だからポケモンバトルに選出することしか考えていなかったし。
それ以外でもどう戦闘に活用するかしか考えていなかった。
だが、そういう固定観念がまずかったか。
ネモさんが行くと、立ち上がって残心。体を巡らせていた気を、一度ストップする。正確に言うと、意識的に巡らせるのを止める。
残心はあくまで体に教え込むスイッチみたいな動作であって、実際にこれで気がどうこうなるわけでもないらしい。
これは気を扱った技を多数使いこなすユウリお姉ちゃんから聞いたことだから、間違いない話である。
これと同じだ。
寒いなら、私自身がそれに耐える必要もない。
ただ、私自身が常に多数のポケモンを従えられる訳でもないだろう。
気候を操作するポケモンはなんぼでもいる。
考えて見れば、練習して鍛えれば私の周りだけ気候を変化させることも可能だろう。
私は、みんなと一緒に鍛えているつもりで、それを完全に忘れていたかも知れない。ラウドボーンが責めるように私を見るわけだ。
ちょっと反省しなければならないな。
そう思って、ラウドボーンにも謝っておく。
「ごめんね。 私どうも自分本位で考えていたみたいだ」
ラウドボーンは無言で私を見ていたが、やがて理解してくれたように丸まった。笑みが零れる。
よし、明日からちょっと違うやり方を試してみよう。
寒さが苦手な事はどうしようもない。
それについて体質で克服は出来ないかも知れない。
だけれども、雪山で生き残るための工夫は必須だ。体質でそれをカバーできないなら、どうにでも他に方法があった筈なのだ。
勿論、手持ちのポケモン達にも、同じように雪山で戦える術を叩き込んだ方が良いだろう。
それについても、対策に考えが幾つかあった。
いずれにしても、今日はここまでだ。
伸びをして、一度自室に戻る事にする。
私はじっと手を見た。
まだちいさな手。
このちいさな手と同じように。
まだまだ、私の心は小さく、そして視野も狭い。どれだけ背伸びしても、それに代わりはない。
早い段階で、私を将来の有望なライバルと認識してくれているネモさんに出会えたのは良かったかもしれない。
私自身でも分かっていたのだ。まだまだ背伸びしている子供に過ぎないことは。
ネモさんは私とは違う方向での社会経験を積んでいる。
その人の話には、価値がある。
勿論社会経験そのものに、全てに価値がある訳じゃあ無い。偉そうな態度で周囲を威圧して、それで成功体験を得ているだけの阿呆だっているだろう。そんな輩の社会経験だの成功談だのは、聞く価値も意味もない。
だが、ネモさんは恐らくだが。天才であると同時に、しっかり苦労だってしている。
最強には違いないが、体力という弱点を抱えているし。それ以外にも苦手分野は多分あるはずだ。
だったら、その苦手を克服してきたネモさんと話すのには多くの意味があるはずである。
勿論、戦って指導して貰うのにも。
自室に戻ると、風呂に入る。
最近はシャワーの時間は抑えめにして、湯船に浸かる時間が増えてきていたが。それも今日は早めに切り上げる事とする。
無言でベッドに潜り込むと、静かに眠る。
今は、色々試したいけれども。
それを試すのは。しっかり準備をしてからである。それは、いつもそう。自分を抑えることはできる。
私も教育を受けたから知っている。今の年代が、一番体を抑え込むのが難しい時期だと言う事は。
だけれども、それは自分の精神力で何とかする。
これも、いずれ、もっと自然にできるように鍛錬しておきたかった。
パルデアは未開発の地域も多く、周囲に誰もいない荒野も普通にある。こういった場所に水を引いて植林すれば、それだけ色々な事が出来そうなのだけれども。ただ荒野を中心に住んでいるポケモンや生物もいる。
開発は慎重に計画を立てないといけない。
古い時代は、これを理解出来ていない人間が滅茶苦茶なことをした結果。
自然に思わぬ反撃を喰らう事が珍しく無かったそうだ。
私は周囲に何もいない事を確認すると、ポケモンを展開する。雪を降らすことができるポケモンは何種類もいる。
天候操作能力は文字通り驚天の技だが。ポケモンの中にはこれを自在に扱うものが珍しくもない。
ただ、操れる天候はごくごく狭い範囲であり。
長期間天候を操ることは、非常に難しいのも事実だった。
ただ、今はその狭い範囲の天候変化ができればいい。ナッペ山で捕まえてきたポケモンに、雪を降らせてもらう。
一気に気温が下がってきた。
まずは、此処で訓練だ。アカデミーから此処は距離も無いし、訓練をするには最適である。
私は厚着をして来ているが、ここで炎タイプのポケモンを何体か出す。
ラウドボーンを使うのは、もっと寒い場所での練習をするようになってから。今は手持ちの中で、経験が浅い炎タイプのポケモンを出す。
炎タイプは、今後重要なエスパータイプに対して強みを取れる虫タイプに、更に強みを取れる。
そういう意味で、重要なタイプである。
18あるポケモンのタイプだが。その全てが大事だ。
炎タイプのポケモンは、どうしても戦闘での活躍が目立つ傾向があり。それはラウドボーンしかり、他のポケモンも同じ。
そういえば、ガラル地方の先代チャンプであるダンデさんも。非常に強力な炎タイプの雄、リザードンを手持ちの切り札としているらしくて。
ユウリお姉ちゃんも、恐らく最強のリザードンの一角だと褒めていたっけ。
今手持ちにリザードンやその系統のポケモンはいないが。
炎タイプは何体もいる。
皆に集まって貰って、寒さを克服する訓練をする。
座禅をして、気を練り上げる。
雪を降らせて貰うのと同時に、寄り集まった炎タイプのポケモン達が、それぞれ熱を発する。
雪を降らせるポケモンも、それはそれでムキになる。
良い傾向だ。
私は、みんなこれは訓練だよと声を掛けて。それぞれに張り切って貰う。
時々、寄り集まっている炎タイプのポケモンを位置変更したりする。それで、少しずつどのくらいで丁度良い温かさになるのかを確認する。
更には、雪を降らせるポケモンを増やす。
これで一気に気温を下げるのだ。
周囲は荒野。
だけれども、雪が降っていれば目立つのだろう。
遠くから手をかざして此方を伺っている人や。ポケモンがいる。私は座禅を組んだまま、敵意があるかないかだけを判別。
ないようなら気にしない。
こっちを不思議そうに見ているメブキジカの群れ。
季節によって姿を変える。鹿に近い姿をしたポケモンだ。愛玩用として人気が高いが、勿論戦闘力も備えている。ただそれほど好戦的な性格ではなく、仕掛けると群れごと逃げてしまう事も多い。
見ているのは、危険な存在かどうかを判断しているのだろう。
私は、向こうから仕掛けてこないなら何もしない。
やがてメブキジカの群れは、警戒しながらも去って行く。私は、それで良いと思った。
ふうと深呼吸一つ。
このくらいの寒さだったら、もう何でもないか。
ただ、何回か同じ事をして。服装を少しずつ薄着にして、慣れていく必要はあるだろう。
現状の実力だったら、多分八つ目のバッヂは手が届かない存在ではない。負けたとしても、何度でも挑めばいい。
ただ気候が原因で負けて。
それが理由で、負け続けるのは極めて非生産的だ。
だから、そういった無駄は、できる限り避けていきたかった。
そうして、何度か訓練を行う。
やがて中間試験を一通りの科目でこなし。発展内容の授業を受ける。授業に集中する日は徹底的に授業を受けて。休みの日を作る。
休みの日を作る事で、鍛錬や、他の事に使える時間を効率よく増やす。
数回の鍛錬で、荒野での鍛錬だと物足りなくなった。今度はナッペ山に出向いて、同じように訓練する。
ナッペ山でも、麓と山麓、山頂付近では環境の厳しさが次元違いだ。
麓から順番に寒さ対策をしていく。此処でキャンプをするのは珍しいと判断するのか。登山道を行く人達も、珍しそうに私を見ていた。
そして、その日が来た。
グルーシャさんのジムに出向く。ネモさんが先に来ていたが。側には、知らない人もいた。
髪がとても長い、全身にぴっちりしたスーツを着込んだ、目の大きな人だ。
背がとても高くて、私からだと頭一つ半は高い。
女性だがすらっとした体型をしていて、あまり色っぽくはないが。むしろ女性受けしそうな体型に思えていた。
「はじめましてアオイさん」
「はい、はじめまして。 ええと、ネモさんと一緒にいると言う事は……」
「私はパルデアのトップチャンピオンであるオモダカです」
「あ……」
そういえば。
どこかで見た事がある人だと思った。
パルデアは独自のシステムを作っている場所で、チャンピオンも何人もいる。他の地方だと、チャンピオンになると前任者は退任するのが普通なのだけれども。この地方では、人材を多く確保するためらしく。チャンピオンに一度就任すると、それは終身制となっているのだ。
ただし逆に言うと、チャンピオンだからといって特権が貰えるとかそういう事もないらしく。
就任するのが厳しい事もあって、あくまであこがれの職業の一つ。
そんなあこがれの職業にあっさり就任して。
更にはこのパルデアの中核となっているのが、オモダカさんである。
実業家としても非常に名を馳せているそうで、なんども取材を受けているとか。昔マスコミというのは極限まで腐敗していた時代もあったそうだけれども。今はそんな事もなくなっている。
経済誌はきちんと経済を扱っているし、経営者に媚を振る最悪の意味での犬ではない。
そんなちゃんとしている時代のマスコミにも、時々顔出しをして。厳しい意見を口にするパルデアの中核。それがオモダカさんなのだ。
「チャンピオンネモが執心していると言う事で、顔を見に来ました。 四天王の面々も、既に顔を合わせていますね」
「はい、ジム巡りの最中に」
「チャンピオンネモから聞いているでしょうが、五つ以上のバッヂを取る事が出来るトレーナーは希なのです。 そこで、短期間でジムを攻略している人は注目していて、四天王が確認しにいくようにしています」
そうか、そういう事だったのか。
道理で四天王がわざわざ出向いている訳だ。
それにしてもネモさんの不機嫌そうな顔。
子供みたいに頬を膨らませている。
「トップ! アオイは私のライバルです!」
「分かっています、取ったりはしませんよ。 それに、これから彼女は大事な最後のバッヂへの挑戦です。 これくらいで、私達は退出しましょう」
「アオイ、試合前にせっかくだから一戦やらない?」
「せめて試合後にしなさい。 そうだ、たまには私とやりましょう」
ネモさんが、途端に機嫌を直すので、私も流石に苦笑い。
スキップして近くの試合をするためのスペースに行くネモさんを見送りながら、オモダカさんも行く。
動作の全てに隙がない。というか、これは舐められないための動作だな。そう私は判断していた。
ジムに入る。
ひんやりとした空気だ。意図的にエアコンを効かせていないらしい。そして、その環境が厳しいからだろう。
受付などのスタッフも、みな厚着をしていて。それが許されているようだった。
ペーパー試験をはじめとする幾つかの試験を受ける。どのジムも、これは同じだ。ナンジャモさんのジムみたいなエンターテイメントを中心としたジムもあるが、基本的にどのジムもトレーナーの基礎的な力を試してくる。
これはバッヂを渡すというのがそれだけ大事な事だからだ。
ジムリーダーはそれだけ重要な立場にいる。周辺の治安維持や、犯罪の抑止力にもなる。凶悪なポケモンが出た場合は、対処もしなければならない。
そんなジムリーダーは当然高い社会的地位を持っている。特にパルデアでは、さっき顔を出したオモダカさんが厳しい審査をしていて。ジムリーダーになるのは、とても難しいそうだ。
ペーパー試験などを終えて、やっと試合場に出る。
流石に非常に寒いこともあって、観客も少ない。代わりにロトムが憑依したドローンが飛んでいて、撮影しているようだ。
グルーシャさんが姿を見せる。
中性的な男性だと聞いていたが、本当に綺麗な人だ。
まつげは長いし、背も其処まで高くない。
元々スノーボーダーとして有名だった人らしいのだけれども、大事故でスノーボーダーとしての人生を断たれてしまったらしい。
ただ。グルーシャさんはポケモントレーナーとしても元から著名で、其処を生かしてジムリーダーとして再起。
今の地位にいる。
それだけ聞くだけでも、この人のすごさはよく分かる。
私も、尊敬したくなる経歴だ。
軽く挨拶をしてから、グルーシャさんは咳払いする。
「麓や中腹で、座り込んで妙な訓練をしていたのは君だね」
「はい。 寒さがどうしても苦手で、手持ちの子達と克服するための訓練をしていました!」
「寒いのに元気な声だね。 それで、周囲にいる子達が、君の周りを温めているんだね」
大丈夫。
此処はナッペ山でももっとも寒い場所だが、それでも訓練の成果は出ている。四体の炎ポケモンを展開して、それで耐えられる範囲に寒さを抑え込むのに成功した。
勿論この四体が崩されないように、有事には更に工夫を凝らすつもりだ。
それでも。
元々戦闘向きではなく、忸怩たる思いを抱えていたらしいポケモン達は。私が全力を尽くせる環境を作れる事を理解したらしく。炎を燃え上がらせて、張り切っている。
「僕も一人では立ち直れなかった。 だけれども、結局の所、最後にものをいうのは個人の力だ。 かかっておいで。 このジムで脱落したトレーナーがたくさんいる理由を、分からせてあげるよ」
「お願いします!」
ばしっと頭を下げる。
大丈夫。厚着をしているとは言え、これなら耐えられる寒さだ。判断も鈍らない。
頷くと、グルーシャさんは手持ちを展開する。
私は全力で、氷対策をしてきたポケモン達を、展開していた。
3、最後の試験
ポケモントレーナーを管理する組織は、地方によって違っている。
多いのはリーグという奴で。
特にポケモンバトルが興業になっているような大きめの地方では、このリーグが大きな力を持っていたりする。
大きな力を持つと、それは当然腐敗を招く。
カロスはその顕著な例で。
なんと四天王にあのフレア団の幹部が紛れ込んでいて。それが分かりきっているのに、誰も告発もできず。
告発したところで、消されてしまうのが関の山であったそうだ。
今ではユウリお姉ちゃんが、フレア団の残党を全て叩き潰した事もある。すっかりカロスのリーグは浄化されたそうだが。
それには多くの流血が伴い。
簡単な仕事ではなかったそうである。
今もカロスのリーグは、特大のスキャンダルから回復するために必死だ。今はカロスのチャンプに就任したセレナさんを軸に、リーグの再編をしているらしい。
私としても、それには興味がある。他人事ではないからだ。
だが、それはそれ。
今は、目の前にある、パルデアのポケモントレーナーの中枢。チャンプになる為に、試験を受けなければならない「本部」に来ていた。
此処はポケモントレーナーやジムを管理しているだけの場所じゃない。
パルデアの中央にある「大穴」を見張るための場所でもあり。
あまり大きくないパルデアの経済を監視して、おかしな動きをする人間が出ないように掣肘する場所もある。
だから隣に大きなデータセンタがあって。
其処には多数の企業が、サーバを格納して使っているそうだ。
パルデアはITがそれほど進んでいる地域ではないので、こうやって中枢部分はもっとも優れた手練れ達がいる場所に集め。
問題の発生やテロに備えているそうである。
合理的な話である。
確かに此処が落ちたら。パルデアは終わりだ。
それは私でも、簡単に理解出来ることだった。
入口で、スーツを着ている人に学生証を見せる。アカデミーにいる間は、これが私の身分証だ。
学生証を見せた後、私は説明を受ける。
「試験は三段階あります。 最初は面接。 次に実技。 最後はトップによる直接の実力審査です」
「分かりました」
「以前の最年少チャンプはあのネモだったのですが、貴方がチャンプになったら最年少を更新しそうですね」
「尽力します」
スーツのおじさんも、かなり強いポケモンであるセグレイブをつれている。
この人も相当な手練れのトレーナーだろう。だから門番をしている訳だ。
本当に貪欲に人材を集めているんだな。
それ以上に、育成もしているんだろうな。
そう思って、頭が下がる。
人材なんて、無から湧いてくるものじゃない。育成しないと、人材なんて出てくることはない。
一時期、企業の重役に媚びへつらう「経済誌」がひたすらに彼等を増長させた結果。
人材はどこからでも幾らでも湧いてくると勘違いした経営者や重役が続出した時代があったという。
もっとも人材育成が軽視された時代で。そういう時代は「人材を奪い合う」なんて馬鹿な事をやっていたそうだ。
しかも人材を使い倒して壊れたら捨てるというような事をしていたらしく。
世界の人口が落ち着いている今からは、考えられない暗黒の時代である。
歴史の授業で、レホール先生がこの話をしていたっけ。
人間の愚かな営みは、何も武力を使った戦争だけではない。
経済を使った戦争もまたしかり。
戦争は確かに知的ゲームとしての側面もあるが、長期的には資源の確保に不公正を生じるばかりか、人材を浪費するだけのものだ。
そんなものはやらないに限る。
競争は必要になってくるが、「知恵ある存在」と自称するなら。競争に一度敗れた人間を即座に再起不能にするのは愚の骨頂だ。
アカデミーで人材を育成しているのは、未来を担う人間を作る為。
それは使い捨てのものではなく。
それぞれの自主的な意思で、社会を支えていき。
ダイナミックに歴史を作っていくのだ。
そう、歴史が大好きなレホール先生は熱弁していたっけ。後ろ暗い雰囲気があり、とにかく手段を選ばなそうなレホール先生も。
或いはだけれども。
貴重な遺物を破壊し尽くす戦争という行動そのものは、とことん軽蔑しているのかもしれない。
それは過剰な経済闘争も同じなのだろう。
私も、その意見には賛成できる。
幾つかの注意事項が記された冊子を渡されて、控え室に入る。三十分もらったので、冊子に目を通して内容を把握しておく。
面接には古くには様々な作法があり、それを守れないと即座にアウトだったらしい。
馬鹿馬鹿しい話ではあるのだが。
今の時代も、面接をする企業はある。古くは圧迫面接なんていうものをやっている事もあったらしいが。
それには色々な意味で害しか無いことが判明してからは、誰もやらなくなった。
さて、冊子は覚えた。
それほど分厚いものでもない。別に暗記しなくても、すぐに覚えられる程度の内容である。
詰め込み式の暗記に関してはそんなに得意ではないのだけれども。
そもそもとして、本当に必要な事しか書いていなかった。
「アオイさん。 面接にお越しください」
「はいっ!」
元気よく返事して立ち上がる。
部屋を出ると、廊下があって、奧にドアがある。
面接会場、か。
大丈夫、バッヂは八つある。それに、何度でも面接は受けてくれる。
ネモさんなんかは、十以上のバッヂを集めてここに来たらしい。私には、そこまでのパワーはなかった。
タイプごとにジムがある原則は、ここパルデアでも同じ。
そういう意味もあって、集める八つのバッヂには選択肢があるのだが。ネモさんは敢えて難関として知られるジムばかり巡り、更にはペーパー試験を中心に難関になっているジムも通っていたらしいので。
その辺りは、筋金入りだとも言えた。
面接会場のちいさなドア。
ノックすると、入ってくださいと声が掛かる。
落ち着いた女性の声。
四天王の一人、チリさんだろう。
女性人気が圧倒的な四天王の一人で、すらっとしたとにかく女性受けする事に特化した姿をしている。言動も飄々としていて、それが別に同性愛者でなくとも女性ファンにはくらっとくるらしい。
私にはついていけない世界だが、そういう世界もあるということだ。
部屋に入ると、チリさんがいた。
テーブルの向かいに座っている。ぺこりと一礼して、名乗る。笑顔で座ってくださいと言われたので、そうする。
これも座れと言われる前に座ってはいけないらしい。
冊子に書いてあった。
冊子に書いてあったことをどれだけ守れるか。それを此処では試されていると言う事だろう。
順番に聞かれる。
どんなジムを廻って来たか。印象に残っているジムは何処か。何処で苦戦したか。そのジムではメインにどんなタイプの技を使ってきたか。
自分が好きなポケモンは。
そう言ったことを一通り聞かれた後、最後に聞かれた。
「アオイさんは、将来は何になりたいですか」
「起業して、社長になるつもりです」
「ほう、それは野心的ですね」
「良く言われます」
この夢は、今後も変わる事はないだろう。私に取っては、今後の最大の目標であり、人生の第一歩。
これを成し遂げて。
暗闇のあの部屋で一緒に身を寄せ合っていたみんなとお日様の下に出られて。
それで始めて、私の人生は始まるといっていい。
十歳で大人と見なされるこの世界だ。
当然の事だけれども、私以外にも同じように幼くして起業する人間もいる。ただし、社会的責任も大人と同じように掛かる。
それだけの話。
都合良く、此処は子供だからとか、此処は女性だからとか、そういうのが今の時代にはない。
ただ、それだけだ。
「分かりました。 面接の結果についてはすぐに連絡します。 控え室でお待ちください」
「はいっ! ありがとうございました!」
立ち上がって、ばしりと頭を下げる。
そして、部屋を出ていき。出ていく際にも一礼。
一連の動作をこなすのは、かなり緊張した。
だけれども、最初に剣の舞いを上手くやりきったときに比べれば全然。あの時は、ユウリお姉ちゃんが何度でもやってみてと言う中。必死に今まで覚えた気の操作を全て出し切って。
やっと上手く行った。
教えてくれたルカリオも、本当に嬉しそうにしていて。
泣きそうになったのを覚えている。
あの時に比べれば、全然だ。
控え室で、持ち込んでおいたスポーツドリンクを口に含む。
最後のバッヂを取ってから、この面接を受けに来るまでも色々あった。
ペパーさんとは誤解も解けたし。今ではすっかり仲良しだ。
カシオペアさんの正体も知った。
その過程で、クラベル校長とポケモンバトルの試合をすることにもなった。噂に聞いている以上の実力で、最後の一体を出してのギリギリの勝負になった。
それでも、どこかクラベル校長は手を抜いてくれていたようにすら思う。
まだ私は。
本気の強者とは、誰ともやり合えていないのかも知れない。
これからの四天王との実技……面接が受かったとしてもだ。
それも、あくまで実力を見る為のもの。四天王だって、本気の手持ちは別にいるだろう。
チャンプを除くと、各地方における最大の実働部隊なのだ。災害レベルの問題が発生したときに、最強の手持ちとともに鎮圧に当たる有事の最強戦力。それが各地方に配置される四天王。
オモダカさんは人材コレクターであり。
そんなオモダカさんが集めた四天王となれば、実力は多分。本気になったら、今の私では勝てない。
そう考えると、むしろ気分は楽になった。
チリさんが来る。
顔を上げて、立ち上がると。チリさんは笑顔のままだった。
「ワレ合格や」
「ありがとうございます!」
「ええって。 それより、これから実技を連戦でやるで。 トイレとか、先にすましとき」
「分かりました。 それではお言葉に甘えさせていただきます」
よそ行きの顔を捨てたチリさんは、随分とフランクな言葉遣いになった。
だけれども、それが不愉快には感じない。
頬を叩いて、気合いを入れ直す。
四天王のトップは、学園で何度も顔を合わせている美術のハッサク先生だ。知り合いだからといって、気は抜けない。
さて、此処からが本番だ。
バックを確認して、持ち込んでいる回復アイテムを調べておく。
これは事前の調査で分かっていたのだが。四天王との連戦は、基本的に途中での回復は自前でやらないといけない。
ポケモンを回復させるポケモンセンターとか、休憩のための施設とかは存在していない。
厳しい連戦に耐えられるかの、心と体の強さも見る試験。
それが事前にわかっていたのは良かった。
分かっていなければ、これほどわんさか回復用の道具類を持ち込む事もまたなかっただろう。
これらの情報が拡散することを、恐らくオモダカさんは何とも思っていない。
拡散する情報を得たところで、そもそも此処まで来られるトレーナーが殆どいないからだ。
ただ、バッヂを八つ集めた後、諦める人はほぼいないとも聞く。
此処で最後の見極めをするだけで。
ここまで来られる人材を逃がすつもりも、またオモダカさんにはないのだろうという気持ちは感じられた。
トイレを済ませて、試合場に出向く。
四角い部屋だ。殺風景で、試合を行う事だけを考えている場所。鉄の箱の中。そして、試合場も真四角で、飾りが一切無い。
周囲を見回して、目を細める。
チリさんが来る。一番手だ。
チリさんは見ていると分かるが、本人がかなり強い。相当な使い手だと一目で分かる。というか、私も四天王の実力をざっと見て理解出来るくらいに腕が上がってきたという事だ。
「主」をはじめとする強力なポケモン。
それに各地のジムリーダー。
スター団の幹部達。
皆との戦いを経て、私は実力を上げられた。まだ私には、それだけの伸びしろがあった。そういうことだ。
まだいける。
いや、いけないと困る。
まだ私は、スタートラインにも立てていない。
スタートラインに立つには、可能な限りの実績を持っておいた方が良い。
今回の一連の事で、私は理解した事がある。
私自身ではやっぱり限界がある。ポケモンに支えられて此処まで来られたけれども、それでも足りない。
もっと私自身の力を、総合力を上げなければならない。
「準備はええか?」
「いつでも問題ありません」
「良い返事や。 ここに来たトレーナーの中で一番若い……というのは嘘やな。 うちの四天王にいる子のが若い。 でもあの子は、チャンプやるにはまだ早いって事で、うちのトップがスカウトしてな。 今四天王しとるねん」
ポピーさんの事か。
まだ幼い女の子で、私の半分くらいしか背丈がないし、舌ったらずで本当に幼く見える子だ。
以前ジムに、私の様子を見に来たことがある。お嬢様みたいなしゃべり方と動作をするので、ギャップが面白くて。
周囲が注目していたのをよく覚えている。
「あの子はもうちょい大きくなったら、四天王から外れてチャンピオンクラスになってもらう予定や。 ひょっとすると、トップが後継に考えているかもしれない逸材やで」
「凄いですね」
「ふっ。 自分も大して状況は変わらんちゃうか?」
「……」
それは。
私が実際には、ごく短い時間しか外を知らないと言う事を見抜いたのか。
それとも、ただ私が十歳前後と、チャンプになれる限界年齢である事を揶揄しているのか。
本気を出しているチリさんは、飄々とした立ち振る舞いに更に拍車が掛かって良く分からない。
いずれにしても、手強いのは事実だ。
頬を叩くと。私は顔を上げていた。
「はじめましょう」
「了解や。 いくで……」
チリさんとの戦いが始まる。そして、連続して他の四天王とも。
手持ちには、二十体を超えるポケモンを準備してきてある。みんなそれなりに調整して、状況にあわせて戦えるように仕込んできた。
戦闘以外の要員も数えると、百体を越えるポケモンが手持ちにいる。
その全てを使い尽くすつもりでここに来た。
そして、死闘は終わった。
四天王達に認めて貰って。
奥にあったポケモンセンターで回復して貰う。
道具もポケモンもみんなボロボロだったから、本当に助かった。
弱い四天王なんて一人もいなかった。
当然だ。
人材コレクターであるオモダカさんが集めた人員だ。弱い訳がないのである。
階段を上がるように言われた。通路の奥にある階段を、黙々と上がっていく。そして、屋上に出ていた。
空が近い。
かなり高い建物だったのだなと思ったけれど。
多分違うと考え直す。
この本部がある場所が高いのだ。
だから、空がこんなに近い。それに、此処は剥き出しになっていて。油断すると色々飛ばされそうだった。
学帽を直すと、奧に。
奧で、背中を向けて立っていたオモダカさん。
長い髪はどうセットしているのか、風になびく様子もない。振り返ると、笑顔でオモダカさんは出迎えてくれる。
「此処まで来てくれると思っていました。 アオイくん」
「やっと此処までこられました」
「ふふ、そうですね。 これはあくまで試験です。 もしも負けたとしても、何度でも挑戦してきてください」
「はいっ!」
勿論、負けるつもりでは来ていない。
ここで一気に勝負を付けさせて貰う。
四天王のみな。チリさんもジムリーダー兼任のアオキさんも。ポピーちゃんも、ハッサク先生も。
みんな今の私なら大丈夫だと、此処に送り出してくれた。
それにチャンピオンが複数いるパルデアのシステムだ。此処でオモダカさんを負かした所で、責任を即座に両肩に載せるわけでもない。
責任はないが。
責任を背負うための、台座はできる。
社長というのは、そういうものだ。何か勘違いしている人間がいるが、社長は金を好きに使って社員を虐げる人間ではない。
会社のために誰よりも自己犠牲を果たせる人間。
それが社長になる権利がある。
私は多分、今はそれすらない。チャンピオンになる事で、その台座を作り。やがては全てを背負える人間になる。
それが私が。
此処に今、立っている理由だ。
チャンピオンが最初に展開したのは、見た事もないポケモンだ。図鑑にも表示が出ていない。一瞥して、何かしらの場を整える……自分に有利な環境を作る為のポケモンだとみた。
それなら即座に潰すしかない。
先発で出したラウドボーンが、灼熱の劫火で焼き尽くす。流石に死なない程度に、だが。それでも一撃は綺麗に入った。
綺麗に入りすぎた。
やられた。そういうタイプか。
倒れたポケモンが、辺りに凄まじい毒をまき散らしていく。毒びしとか言われるタイプの技だ。
倒されることで、それを展開するという訳か。
しかもチャンプのことだ。速攻を仕掛けなければ、何かしらの更にタチが悪い仕掛けをして来たのだろう。
即座に次を投入してくるチャンプ。
これに対して、エースであるラウドボーンは猛毒を受けて明らかに動きが鈍っている。後続もこの毒はどうにも出来ないだろう。
冷や汗を拭うと、私は継戦を指示。
厳しい戦いになるが。
それでも、やらなければならなかった。
結局、楽な戦いなんて一つも無かった。私がガラルのリーグにいたら、ユウリお姉ちゃんみたいな不敗チャンプなんて無理だ。
勝てたけど、最後にどうやって勝てたのか分からない。
オモダカさんは、手を叩いて笑顔で勝利を褒めてくれた。
新しいチャンプの誕生。
また、パルデアに新しい星が生まれたと。
四天王の皆にも、喜びとともに送り出して貰って。それで、本部を出る。
オモダカさんが、外まで送ってくれた。
「早速ですがアオイ。 貴方は会社を立ち上げたいと考えているようですね」
「はい」
「此方でも調べさせていただきました。 ガラルのアイコニックヒーローにて、世界最強の一人と名高いチャンピオンユウリ。 彼女と貴方には関係がありますね」
「……はい」
流石に分かっているわけだ。というか、これが国家単位の権力という奴なのだろう。
何となく重いモノを背負っているだろうと、クラベル校長は私の事を値踏みしていた節がある。
だけれども、アカデミーの校長にて、大きなコネをパルデア中に持っているクラベル校長でも。
私の素性や。
背負っているものは、気付けなかった。
ユウリお姉ちゃんの事は知っていたかも知れないけれども。多分それを口にする必要はないと判断していたのだろう。
「数年前にフレア団の残党がカロスで一斉に検挙されて、国際指名手配中だった犯罪者パキラが逮捕されました。 その時の事に関係していませんか」
「……どこで、調べたんですか」
「私の下には優秀なスタッフがいる。 それだけですよ」
足を止める。
オモダカさんは笑ったまま、同じように足を止めた。
「目的は何ですか」
「会社の設立に資金を出しましょう。 貴方がしたい事業の内容にもよりますが、スターターとしては充分な資金を出すと約束します。 同時に、パルデアのためにその事業を生かしていただきたいのです」
「……」
悪くない取引だ。
オモダカさんは、最初の一歩こそちょっと不穏だったけれども。
利害の一致で、金を出すことを提案してきている。
そして私は、オモダカさんから見れば金の卵を産む鶏だ。しめてしまっては意味がないのである。
「私の会社は、それほど利益が即座に出るものではないと思います。 それでも、良いですか」
「それならば、貴方自身に最大戦力として動いて貰いたいのです」
「……」
「チャンピオンネモも、それは同じです。 パルデアには他の地方に比べて、圧倒的に戦力が足りない。 一線級の人材は数が揃ってきていますが、それでも余りにも貧弱なのがこの地方の実態なのです」
オモダカさんは、笑顔を崩さない。
確かに、このパルデア地方は良く言えば牧歌的。悪く言えば田舎だ。
極悪人もいない。いるかも知れないが、社会を乗っ取るような規模の犯罪組織や悪の組織は存在していない。
「今はアカデミーの卒業に専念してください。 その後、改めて私を含むパルデアの主要人物を交え話をしましょう。 いざという時は……大きな権力から、貴方が守りたいものを守れるかも知れません」
「分かりました。 また、改めて」
「それと、もう一つ」
オモダカさんは咳払いする。
そして、視線を向けた。
こっちに走ってくるのは、ネモさんだ。
苦笑い。
私は連戦でヘトヘトだ。ネモさんは、ライドポケモンを使う事もなく、土煙を上げて走ってくる。
「チャンピオンネモは、総合力で既に私を凌いでいます。 現状、パルデア最強のトレーナーは間違いなく彼女です」
「それは……」
「単に私は政治家として動くのに適しているので、パルデアの代表のような立場を務めているに過ぎません。 私の跡を継ぐ人間は……一人でも多く確保しておきたいのですよ」
そうか。
恐らく今の話をしたのも、私と縁を無理にでもつなぎたかったからなのだろう。
不安は分かる。自分がいなくなった時、残された人はどうなるのか。余り考えたくはない。
私は不思議と、今のお父さんやお母さんに甘えたいとは全く思わない。
好きだし尊敬もしているけれど。
親に対する甘え方なんか分からないし。
背伸びして生きるのが当たり前になったから、もうそれが染みついてしまっているのだと思う。
だから、私にとって守る人は。私と同じあの暗い部屋にいて。今でも病院から出られない子達。
それ以外にはない。
そういう観点でなら。なんとなくトップ……オモダカさんの言う事は分かるのだった。
「チャンプ同士なら、話も弾む事でしょう。 後は若い二人にお任せします」
「ええと、その」
「大人の話もいずれしに行きますが、それはそうとして。 今は、未来を担うパルデアの星二人で、じっくりと時間を作って話し合ってください」
オモダカさんはにこりと笑うと、その場を離れる。
ネモさんが、もう至近にいた。
「アオイっ!」
「えっ、は、はい」
勢いについ押された。
ネモさんは目をらんらんとして、本当に嬉しそうだ。ごちそうとして出て来たケーキを目の前にした幼児みたいな顔をしている。
勢いには押されるな。
常に冷静さを保て。
そうユウリお姉ちゃんに言われていたのに。ユウリお姉ちゃんも、失敗するときは冷静さを失ったときだと常に自戒していると言っていたのに。どうしても、まだ感情の制御は上手く行かない。
「チャンピオンに、なったんだね!」
「なんとかなれました。 大苦戦の末でしたけど」
「いいよいいよ! それよりも、私待ってたんだ! 対等に戦えるとき! 今の私はチャンピオンで、アオイもチャンピオン! 同格! 同格なんだよ!」
思わず悲鳴が口を出かける。
ネモさんに肩を掴まれて、ゆっさゆっさされる。
本当に嬉しいんだな。
そう苦笑したくなるが。勢いがとんでもなさすぎて、大半の人間だったら逃げそうである。
「さ、戦ろう! 今すぐ! 早く早く!」
「今、少し疲れてるので……」
「あ、そっか。 トップと戦った後だもんね……」
「三時間後、広いところで試合しましょう。 どこがいいかな……」
ネモさんが、不意に真顔になったので、そこで主導権を取り戻す。
ちょっとだけ考え込んだ後、アカデミーの城下町の一角。大きめの試合場を指定する。
満面の笑みで分かったというと、ネモさんはまた土煙を上げながら走り去って行った。
やっとそれで、勢いに押されていた自分から。
いつもの自分に戻れる。
まずは、近くのポケモンセンターに行く。その後は、ポケモンセンターに常備されている休憩所で毛布を被って少し横になる。
僅かな時間だけでも、眠っておいた方が良いだろう。ネモさんの実力はオモダカさん以上と見ていい。
それに、だ。
オモダカさんは、多分試合を遠隔なりなんなりで見に来ている。未来を担う星二人を、しっかり見定めたいだろうから。
私は、パルデアが好きかも知れない。
ガラルも好きだけれど。あっちにはアイコニックヒーローとしてユウリお姉ちゃんがいるし。
今では巨大産業複合体企業マクロコスモスなどを掣肘する存在として、先代チャンプのダンデさんが大きな存在感を示している。
私が割り込むよりも、ガラルで台頭してくる人を待つべきだろう。
私は、パルデアで必要とされた。
だったら、パルデアに腰を下ろしたい。
根を張りたい。
そして、夢を叶えたい。
ふっと、私は横になって、毛布の中で笑っていた。ネモさんの勢い、凄いなあ。ネモさんは、本当に餓えていたんだなと思う。
私も、未来を作る為に必死だ。多分このまま行けば、ネモさんは私の大事なライバルで、起業の時には色々お世話にもなる可能性が高い。
その頃には、私の事情を話せる仲になっていればいいな。
そう、私は思った。
4、歓喜の咆哮
アカデミーの学校城下町は、元々本当の城下町だったらしい。
ネモはそれを知っている。
歴史のレホール先生が話してくれた。
「地方」が世界の主要単位になる前、パルデアには大きな国が二つあった。それらが統合して。それから中心にある「宝が眠る」と噂されている大穴を中心にして、幾つかの国家が勃興し。
そして最終的にパルデア地方になった。
パルデア地方になった後も、大穴への調査は続けられ。
それ以前からずっと存在していたアカデミーの原型組織が、色々形を変えながら。最終的にはアカデミーへと変わっていった。
アカデミーの建物が、凄く古いのも。
それ以前に、戦闘を想定した造りになっているのもそれ故。
此処は元々、国家時代には中枢だったのだ。
だから戦争で此処が使われたことも、実際に何度もあったそうである。一部城壁が残されているのも、それの名残だ。
今は、戦争そのものが世界に殆ど無く。
パルデアでも軍隊はほぼ存在していない。
悪の組織に対する抑止力として国際警察が存在しているが。
国際警察の実働部隊ですらも、この時代の文明の軍隊としては考えられないくらいに軽武装で。
更には軍隊を有している地方ですらも。殆ど兵器の発達は止まってしまっているそうだ。
まあ、それはいい。
今重要なのは、故に周囲が頑丈だと言う事。多少暴れても、被害が出ないと言う事である。
遠巻きに見に来ている生徒達多数。アオイがチャンプになった事は、既に速報としてパルデアに流れている。
見覚えがある姿。あれはアオイのお母さんだ。とはいっても、血縁が無いことはネモももう知っている。
忙しくて子供が結局できなかった国際警察の敏腕刑事夫婦。だから、アオイに対しては、実の子供以上に甘いし。
大事なのかもしれなかった。
アオイが昂奮するネモの様子を見て苦笑いする。
ネモは、すっとボールを向ける。笑顔が押さえきれない。全身の細胞が、歓喜に沸き立っている。
やっと。
やっと対等なライバルが現れた。
今までチャンピオンクラスの相手と戦った事は何度かあるけれど。いずれもが立場が違ったり年代が違ったりして。ライバルとしては色々問題が大きかった。
同年代のライバルが。
更に言うなら、同性のライバルがほしかった。
アオイは何歳かネモより年下だけれども。それは別にもういい。同じアカデミーの一年で。
どっちもハイキャリアを求めてアカデミーに来ている、初等教育を抜けたばかりの人間。
それがゼロ年か四年かの違いはあるが。
四年程度だったら、ネモとしては大歓迎だった。
「いくよ。 アオイ!」
「此方も行きます」
結局アオイはため口で話してくれないな。でも、それはもういい。
アオイがネモを嫌がっていないことを理解出来るから。
それだけで充分だ。
全力での戦闘を開始する。
展開するポケモンの地力はネモの方が上だ。だけれども、アオイはとにかく粘り強いのである。
これは何回かのジム戦を見て、良く理解出来た。
とにかく非常にタフな戦い方をするのがアオイの特徴。全てのポケモンが鉄タイプになったかのような頑健さ。
そして、どれだけ追い込んでも、いつの間にか反撃してきて。
いつの間にか、逆転を許す。
それを知っているから、ネモは全力でアオイに暴をぶつける。小細工の類はまずは無しで行く。
勿論ネモも小細工はするけれども、それは相手の戦闘タイプ次第。
今は、とにかく単純な力勝負で、アオイとぶつかり合いたかった。
激しい戦闘が続く。
周囲の観客は、最初ははやし立てていたが。流れ弾を防ぐためのシールド越しですら、やがて生唾を飲み込み始めているのが分かった。此処は場所故に、ジム戦よりも人が集まるのだが。
チャンプ同士の、野良試合。
更に、此処まで苛烈になるとは思わなかったのだろう。
ネモの全身の細胞が、更にヒートアップする。
いつの間にか、最後の一体同士の勝負になっていた。全身傷だらけのアオイのラウドボーンと、ネモのマスカーニャの勝負。草猫と呼ばれるマスカーニャとは、相性が最悪の炎ワニのラウドボーンだが。
それでも、まだまだ勝機は充分にある。
勝っても負けてもいい。
そして、決着の時が来ていた。
体力がないことが口惜しい。
試合の後、ネモさんがぼやく。
私は、流石にちょっと今日はもう試合は遠慮したい。時間は取ってあったはずなのに、すっかり空には星が瞬いている。
「ポケモン勝負って、勝っても負けても楽しいよね」
「はい。 最近、やっとそれが分かってきた気がします」
「ふふ、人生は最初から最後までずっと学びだよ」
「……そうですね」
ネモさんに、勝った。
薄氷の勝利だった。
私の勝負はいつもそうだ。ユウリお姉ちゃんのように、圧倒的な暴でねじ伏せる戦い方じゃない。
どうしても泥臭くなる。それを嫌がる人もいそうなのだけれども。ネモさんは、それすら楽しんでくる。
向かい合っている二人だが。
疲れ果てて、座り込んでいる。
試合が終わった後、観客はさっと散って行った。というか、試合の間、ずっと其処で釘付けになっていたような雰囲気だった。
漸く解放された。
そういう顔をしている観客も多かった。
ネモさんと、笑いあう。私も、少しだけ、余裕が戻って来ていた。
「改めて。 ライバルで友達になってくれる? アオイ」
「お願いします」
「そっか、やった。 やったよ……」
ネモさんは、本当に嬉しそう。
私も、少しだけその嬉しさが伝わってくる。
強すぎる闘争本能でその身を焼きかねないネモさんは。ここで、やっとその抑えが効きそうな相手を見つけたのだろう。
私も、それは同じ。
パルデア最強のトレーナーであるネモさんと対等の存在になって。ライバルとして過ごせるのは。
これ以上もない学びになると。
今、一緒に星を見上げながら、思っていた。
(終)
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