祟り神の深淵行脚

 

序、明らかな兆候

 

幻想郷。

世界に残された秘境の一つ。

外からは「博麗大結界」にて隔離され、存在も認識出来ない。

此処では既に存在し得なくなった妖怪や零落した神々が現役で存在しており。

妖怪退治屋の子孫達が暮らす人里との間で、一種の互助関係が作られている。

妖怪は人間を怖れさせ。

人間は妖怪を怖れ。

そして勇気をふるって人間が妖怪を退治する。

そんないにしえのルールが息づく世界が此処だ。

「妖怪の山」と呼ばれる巨大山岳地帯を中心に、主に山岳地に拡がっている此処幻想郷だが。

ずっと平穏だったわけではない。

成立から五百年。

博麗大結界による完全隔離から百年ちょっと。

古くは最強の妖怪である鬼が、中心地たる妖怪の山を支配していたが。

それが幻想郷のスラムである「地底」に去ってからは、混乱が続いている。小康状態になった混乱が、今また拡大している。

妖怪の山の新たなる支配者。

守矢神社の屋根の上で、小さな姿が人里を見下ろしていた。

田舎の健康的な女児にしか見えず。

カエルを意識した格好をした存在。

洩矢諏訪子である。

諏訪子はいにしえより生きる邪神であり。鬼が地底に去った後幻想郷に到来。

妖怪の山を瞬く間に制圧し、今や幻想郷にて最大戦力を有する組織の長の一柱である。

別にカエルの神ではない。

諏訪子こそが、いにしえの邪神の中でも最も凶悪なるものの一柱。

祟り神ミジャグジさまの総頭目にて。

他様々な祟り神の総元締めである。

まさに邪神の中の邪神。

元々妖怪と言う存在が弱い日の本において、邪神として比肩しうるのは天津の武神の攻勢を唯一退けた天津甕星や、見た者を族滅するという夜刀の神くらいしか存在していない。

それだけでも圧倒的強力な存在であるが。

守矢には更に天津の武神にて、いにしえの戦いで諏訪子を打ち破った八坂神奈子が主神となっており。

更には風祝、一種の巫女であり半分は神である東風谷早苗が存在している。

守矢はコレに加え、幻想郷の最大地形である妖怪の山に住む妖怪を大半従えているのである。

最大勢力というのも当然であった。

なお早苗は諏訪子の遠い子孫でもある。

もっとも、現状は神奈子と諏訪子が共同で英才教育を施している状況で。

元々外にいた頃も早苗は周囲に居場所がなく。

幻想郷から帰りたいと口にした事は一度もないし。

外にいたときと比べて、此方に来てからあからさまに笑顔も増えていた。

最近は妖怪の顔役として腹芸と政治を急速に覚えている早苗だが。

それでも諏訪子の前では笑顔を浮かべる。

家族だから、である。

家族ではあるが。

諏訪子はいにしえより諏訪の土地を支配してきた大神の一柱。

それはそれとして。

全ての存在を、俯瞰的に見て。

戦略的に動かす。

神としての視点も、持ち合わせているのだった。

神社の屋根に座って足をぶらつかせていた諏訪子は、カエルを意識した帽子。麦わら帽子に目がついたものを、軽く下げる。

この守矢神社は、外から持ち込んだ最新鋭テクノロジーだけでは無い。

いにしえから息づく最強の呪術で何重にも守りを固めている。

それこそ、幻想郷の支配者階級である最強の妖怪、賢者であってものぞき見は出来ない程に。

他の勢力が全て連合すると、守矢とやっと五分程度。

故に守矢は幻想郷制圧に乗り出さない。

勝ちが確定するまでは動かない。

古代から存在しているが故。

諏訪子は腰を据えて、この幻想郷を見ているのだった。

「諏訪子様ー」

「んー」

返事をする。

下から早苗が声を掛けて来ている。最近は巫女装束がすっかり正装になった。親のひいき目もあるが、早苗は人としても充分に美しい。

そういえば時間か。

取りだしたスマホを見る。

外から持ち込んだ機材だ。ちなみに諏訪子はその気になればいつでも外と情報のやりとりが出来る。

このスマホも、独自のルートから入手したものである。

普段は電波の関係で使いものにならないが。

今は神の力でちょっとインチキをして、インターネットにつなげる事も出来る。

ただ特殊なプロキシサーバを幾重にも経由しているので。

その存在の異常さに気づく者はいないが。

今スマホを取りだしたのは、時間を確認するためだ。

丁度、会議を行う時間だった。

ひょいと屋根から降りる。

神である。

田舎の健康的な女児にしか見えなくても、空を飛ぶくらいは朝飯前。

この程度の高さから飛び降りても、足を折るようなことなどない。

重力など意にも介さない。

複数の凶悪な呪術を同時展開する事も簡単だ。

元々諏訪子がカエルの格好をしているのは、いにしえの戦で負けたから。

勝者の神奈子が蛇の格好をしているのに対し。

敗者だからカエルの格好をしているだけ。

蛇の神格であるミジャグジさまを従えているように。

諏訪子の本性はカエルでは無い。

なお真の姿は、神奈子とのいにしえの戦い以降、誰にも見せていない。

見せる必要がなかったからである。

逆に言うと、神奈子は真の姿を解放し、日本最強最悪の祟り神を眷属として従える諏訪子に実力で勝った訳で。

本来はどちらも、幻想郷にいて良いレベルの神格では無い。

このような狭い世界に来たのには理由があるが。

今は、それはどうでも良かった。

守矢神社に入る。

最近は早苗も自前の結界を展開出来るようになってきていて。その腕前もどんどん上がっている。

二柱の力だけでも賢者を寄せ付けなかった守矢の守りだが。

それが更に頑強になっている訳だ。

目を細めて、「娘」の成長を喜ぶ諏訪子。

これでも情はある方だ。

そうでなければ。

何千年も、人々を見守ってこなかった。

見切りをつけるまで、何千年も掛けなかった。

守矢神社は、母屋と神社に別れているが。

母屋の方は、ごく普通の近代建築である。

人里と違って蛍光灯をはじめとする文明の利器が存在しており。

地下の地熱発電から安定した電力を真っ先に供給されている。

核融合も持っているのだが。

これは電力供給が安定しないので、まだまだ試運転段階だ。

核融合施設があるのが幻想郷のスラムとも言える地底なので。

どうしても電力供給を安定させるのが、あらゆる意味で難しいのである。

核融合施設そのものは、既に稼働はしているのだが。

母屋の、昔外で暮らしていた頃には、居間として使っていた場所で会議をする。

外にいた頃は、此処で早苗を如何に自分の権力の道具にするかで。早苗の一族は常に舌なめずりしていたし。

それを見て、早苗はずっと悲しげにしていた。

結局の所、幼い頃から諏訪子と神奈子を見る事が出来。

歴代の風祝の中でも屈指の適性を持つ早苗に。幼い頃から英才教育をする事が出来たのは良かったのだろう。

早苗が茶を持ってくる。

外では学校でもそれ以外の環境でも現人神扱い。

対等な友達など出来る筈も無く。

虐めを受けるようなことはあり得なかったが。その代わり恐れ多くて誰も近寄ろうともしなかった。

近寄るとしても権力目的で。

早苗は孤独だったのだ。

だからいつも作り笑顔を浮かべていて。

諏訪子と神奈子の前だけで自然に笑うことが出来た。

それ以外の場所では出来なかった。

幻想郷に来てからは、対等以上の相手がたくさん出来た事で、良い意味で早苗は楽しそうにしている。

最初アホ面下げて幻想郷を楽しむのをあえて放任したのもそれが故。

まずは外の毒を抜く必要があったからだ。

今は違う。英才教育の最終段階の途中。

早苗はもう半神半人。

加齢もしない。

だったら、現在歴代最強と言われる博麗の巫女の衰えを待てばいい。

気長にやっていけば良いだけのことだ。

茶が来ると同時に、神奈子も来る。

諏訪子と対照的に大人っぽい容姿で、服の彼方此方に蛇の意匠を入れている。

神奈子にしても、蛇の神格では無い。

その辺りは、諏訪子と同じである。

基本的に、最近は会議は三柱で行うようにしている。

早苗にもどんどん意見を出させる。

操り人形として育てるのは最悪の手だ。

自立性を持たせつつ、総合的な利益を得られるように考えていけるようにする。

早苗はそれに答えてくれている。

どうも戦後生まれの世代だからか、戦争に対して強い忌避感を持っているようで、それが足枷になっているが。

それもまた、本人の意思ならかまわないと諏訪子は思っている。

同じ考えの存在が三柱いても意味がない。

違う意思、思想の持ち主が揃ってこそ。

守矢は強力な柔軟性を維持できるのである。

勿論会議が決裂してしまうようでは意味がないから。

その辺りは、それぞれで調整していかなければならないが。

諏訪子と神奈子が席についたところで。

早苗が立ち上がり、空中に指先を走らせる。

同時に多数の図と映像が出現した。

術によって、図と映像を展開しているのである。

「此方、調査の結果です。 現在人里に流れ込み、流出する金銭の規模が、以前の三倍を超えています。 いわゆるバブル景気が到来し、人里では調整に相当に苦労しているようです」

「相変わらずだね紫は」

苦笑する神奈子。

外の世界で、仁義なき人間達の営みにもっとも近くで触れてきたのである。

このくらいの事は朝飯前である。

実の所、紫が幻想郷の経済規模を大きくし。

人間も妖怪も豊かな生活を出来るようにして。全体的な幸福度を上げると口にしたとき。こうなることを神奈子は警告した。

紫は覚悟の上だと言った。

だが、予想通りの事態になっている。

バブルは良いことばかりではない。

富の格差は拡大するし。

それによって人心は荒廃する。

制御不能になった経済は。

暴れ川と同じなのである。

現在必死に紫は制御を試みている様子だが。

疲れ果てているのが、神奈子には手に取るように分かっているようだった。

諏訪子にも分かるくらいだ。

より人間の営みに影から干渉してきた神奈子には、この程度の事は文字通り朝飯前である。

「現状では賢者の配下の妖怪達、それに里の自警団が必死に富の格差是正で奔走していますが、その過程で犯罪者が激増しています。 幻想郷らしいやり方で犯罪者を裁いているようですが、それでも詐欺に手を染める人間が後を絶ちません」

「守矢への信仰の変化は」

「富を約束してほしいのか、赴く度に多くの人々が拝んでくれます」

「文字通り現金なものだ」

からからと笑う神奈子。

諏訪子は膝を突いたまま、次を促した。

早苗は頷くと。

映像を切り替える。

今度は妖怪の山の話である。

「妖怪の山では、異変の準備を開始しました。 今回の経済規模拡大は、外部からの干渉に対する抵抗力の増大を目的としている様子です。 大量の金が回る過程で、緊張感を高め。 また妖怪達が常に戦う技術を磨く。 そのためにも、これは必須と言う事でしょう」

映っているのは。

カードである。

今回起こす、茶番としての異変の切り札。

同時に、より手軽に、より簡単にスペルカードルールでの決闘を行えるようにするためのオモチャ。

外部からの侵入者も、スペルカードルールには興味を示すことが多く、それによる決闘に乗る事は多い。

というのも、死者が出にくい上、負けたら言う事を聞くことが事実上義務づけられているスペルカードルールである。

妖怪として強い存在でも、スペルカードルールの技量が高いわけでは無いし。

弱い妖怪でも、スペルカードルールに熟達している者はいる。

結果として、弱い妖怪は一方的に強い妖怪にねじ伏せられ、泣くというだけの結果には終わらなくなっている。

更に、近年幻想郷に持ち込まれた「定価」の概念を。

この「カード」によって、更に補強する。

紫にしては考えているな。

諏訪子はそう苦笑する。

紫は頭がいいが、感情をそれに優先させる傾向があり。

以前は「第二次月面戦争」などと称して、妖怪が全力で月に攻めこんでコテンパンに壊滅させられた「月面戦争」の意趣返しとして。超巨大なリスクと引き替えの、ささやかな嫌がらせを神々の住まう月の都に対してやった事がある。

紫は勝利を気取っていたが、実体は月の都からしようもないものを一つ盗んできただけ。

その過程で、幻想郷の主戦力を失いかけ、挙げ句の果てに幻想郷を消し飛ばされかねない状況にも陥った。

そういう奴なのである紫は。

幻想郷に来る前に事前に調査は済ませてある。

残念ながら、諏訪子と神奈子の敵にはなり得ない。

「カードの使い心地はどうだ」

「スペルカードルールで使用すると戦闘に幅が出ますね。 何度か山の妖怪の手練れとやりあって見ましたが、面白いと思います」

「流通の様子は」

「「一度に一つしか買えない」「定価を払わないと使用できない」という縛りもあって、流通自体は緩やかですが、山を中心に確実に拡がっています。 人里にも拡がるのではないでしょうか」

それはいいと、諏訪子は笑い。

早苗も苦笑する。

流石に普通の人間には、多数の弾幕と言われる呪術や魔法を駆使した多数の攻撃を展開し、美しさを競うスペルカードルールでの決闘は難しい。

だがこのカード自体ははっきりいってそんなに値が張るものでもないし。

オモチャの範囲で充分にスペルカードルールで戦う事を可能とする。

早苗が実験の様子を見せる。

スペルカードルールの技量に差がある者同士を戦わせた結果。カードの使用次第では、力量差を容易くひっくり返せる。

それがデータとして、如実に表れていた。

「このカードを売り始めた天狗の様子は」

「かなり稼いでいるようですね。 人員の流出が止まりました」

「ふっ、賢者の思惑通りか」

「はい。 力の弱体化にも歯止めが掛かったようです。 とはいっても、実際の稼ぎの大半はうちが吸い上げていますが」

諏訪子は早苗の話を聞く。

早苗はデータを展開し、このカードを売る元締めとなっている天狗が、今どれだけ富を集約しているかの情報を見せてくる。

実に分かりやすい。

ここのところ、賢者と博麗の巫女の監査が入って、力が落ちる一方だった天狗だが。

これによって、新聞に代わる稼ぎの材料を手に入れた事になる。

そして、異変の元凶としてぶん殴られる予定の大天狗も、着実にこの「商売」に慣れてきている。

最初視察したときは、失笑ものだった。

何しろ、「市場」には四人しか妖怪と神がいなかったのだから。

色々守矢からアドバイスをして、一気に「カード」が流通するようにしていったのだが。

その過程で、賢者は苦虫を噛み潰していた。

妖怪の山で、唯一守矢の手に落ちていない勢力、天狗。

監査を入れ。

博麗の巫女の監視を入れ。

やっと守矢から守る事が出来た勢力なのに。

盛り返してきたと思ったら、守矢に大きな借りを作ることになった。

残念ながら、政治的駆け引きと言う奴では守矢の方が紫よりも遙かに格上だ。

踏んできた場数が違うのである。

諏訪子が挙手。

「で、例の坑道は」

「最後の最後で良いでしょう。 奥にあるのは、神代のものなんでしょう」

「……それが分かっているならいい。 それにあそこにいる奴は、出来れば人間に関わり合いになりたくないだろうしな」

「伝承を考えればそうでしょうね」

諏訪子は伸びをすると、茶を一気に飲み干した。

新しく茶を早苗が淹れてくれる。

茶の腕はどんどん上がっているので、安心感がある。

良い茶葉が台無しにならなくていい。

「博麗の巫女の様子は」

「少し話してきましたが、今回の「異変」をむしろ起こす側だと言う事に、別に抵抗を感じてはいないようです」

「そろそろバランスが崩れるな」

「?」

早苗はまだ若干経験が足りないか。

博麗の巫女は、確実に腹芸を覚え始めている。その過程で、紫の限界も知りつつある。

まだ博麗の巫女は強くなるだろうが。所詮は人間。衰える。どうしても。

衰え始めた時、力よりもむしろ頭を使うようになる。

そうなると、紫が為政者としては無能なことをどうしても理解出来てしまう。

後は、悲惨だ。

今かろうじて保たれているバランスも、終わる事になる。

紫も対策は考えているだろうが。まあどうせ上手く行かないだろう。

守矢は待っているだけで良い。何しろ早苗は加齢せず今後衰えないのだから。

勿論、油断をするつもりはないが。

諏訪子は立ち上がると、軽く宣言する。

「明日、人里を軽く見てくる」

「諏訪子様、最近お出かけが多いですね」

「使えそうな奴が結構いるからな。 今のうちに粉を掛けておく。 命蓮寺がこれ以上力を持っても困るからな」

「疫病神のスカウトには失敗したようだけれど?」

神奈子から鋭い指摘が入ったので。

諏訪子は苦笑い。

だが、疫病神の姉。より強大な神格である貧乏神の方は抑えている。

だから別に良いのである。

緻密な計算を常にしている諏訪子は。

現状ではなんら問題は無いと、結論していた。

「夕方までには帰る。 それまで守矢の守りを頼む」

「ああ、任せておきな」

神奈子とはいにしえからツーカーの仲だ。

実質的な支配は神奈子が。

影からの支配は諏訪子が担当する。

戦いはしたが、神奈子は諏訪子や眷属を滅ぼさず。むしろ寛大な征服者として振る舞った。

だから諏訪子も神奈子に従ったし。支配の領域を担当し合う事で、むしろより効率の良い支配を実現することが出来た。

利害が一致しているから、昔戦ったことなどどうでもいいし。今では二人で早苗の親だ。だからそういう意味でも仲はいい。

何も、侵略者と被征服者だからといって、仲が悪い訳では無い。

こういう特例もあるのだ。

会議を切り上げると、諏訪子はまた外に出る。

寝るまでの間、神社の屋根から妖怪の山と、人里。それに面白そうな連中に目をつけておく。

幻想郷全域を見通すくらい、諏訪子の力を持ってすれば簡単極まりない。

この幻想郷は。

諏訪子の神格からすれば、狭すぎる程なのだから。

 

1、這い寄る

 

諏訪子は昔から。幻想郷に来る前から、田舎の健康的な女児のような姿を保ち続けている。

これは歴代の守矢の風祝には、諏訪子が見える者がたまにいたから。

早苗ほどの才覚の持ち主はあまりいなかったが。

それでも、見える者には、優しく接したかった。

神は何も腹を痛めて子を産むわけでは無い。

幾つも子を産む方法はあるが。そもそも伊弉諾尊の例を出すまでも無く、男性神が子供を産む例すらある。

天照大神、月読尊、素戔嗚尊。いわゆる三貴神がそうだ。これらの神は、伊弉諾尊が禊ぎをした結果産まれたのである。

また、何かの些細な行為によって神が生まれ出る事もある。

別に人間のように生殖しなくても、子孫を作り出せるのが神の強みである。

諏訪子もそれは同じ。

自分が守護する守矢の者に、神の力を持って自分の因子を与え孕ませた。

その結果出来たのが早苗の遠い遠い先祖。

故に諏訪子とは相性が最高に良く。

時に神を見ることが出来る者や。力の一部を受け継ぎ、寿命が恐ろしく長い者も産まれた。

早苗ほどの傑作は今まで出なかったが。

それもまあ、別に今となってはどうでも良い事だ。

いずれにしても、恐ろしい祟り神の総元締めであっても。

自分の子供には甘い。

それが諏訪子という神格の本質ではある。

とはいっても、甘いからと言って甘やかすつもりは無い。

外の世界に見切りをつけた今でも同じ。

可能な限り厳しく育てて。

この過酷な世界で生きていけるようにしたい。

それが諏訪子なりの愛である。

人里の近くに降り立つ。

諏訪子ほどの神格だと、周囲にいつでも結界を展開する事が出来。紫程度の相手なら、諏訪子の動向を監視できないように出来る。

かといってそれを人間に認知させないようにするのもまた簡単。

諏訪子は元々変装する必要がないほど人間に姿を似せているし。

幻想郷では常に実体化している。

故に人里に入る事を咎められることも無い。

堂々と人里に入ると、周囲を見て回りながら歩く。

確かに報告通り、好景気に沸いている。

外の世界でのバブルの時代そのものだ。

紫は人間の研究が足りないなと、改めて認識。

この様子では、経済の過熱を押さえ込むのに必死で。

皆の幸福度を上げることなど、当面手が回らないだろう。

団子屋に入る。

適当に団子を食べながら、人里の隅々まで探査の触手を伸ばし。

情報を徹底的に取得していく。

一皿、二皿、三皿。

団子をもりもり食べているうちに、大体のデータは集まった。

とりあえず、人里での用事は終わりだ。

金を払って、団子屋を出ようかと思ったが。

向かいに誰かが座る。

まあ、誰かは。

顔を上げなくても分かっていたが。

厳しい表情をした、博麗の巫女である。

人間としての幻想郷の管理者。

幻想郷の東端にある、博麗神社の巫女にて。反転の結界である博麗大結界の管理者でもある。

実力は人間としては間違いなく幻想郷最強。

歴代の博麗の巫女でも最強と聞く。

ここ最近、幻想郷は類を見ない極めて危険な異変に立て続けに襲われているが。

それらを全てはねのけてこられたのは。

この博麗の巫女、博麗霊夢がいたからである。

とはいっても、霊夢でも厳しい戦いが幾つもあったのも事実。

霊夢がいなくてはなり立たない、というのではまずい。

そう紫が危惧するのも当然だろう。

最後の団子を食べながら、団子を追加で注文。

別に金は余分に持ってきているし。何より守矢は非常に金を持っている。持っている金は使ってこそ意味がある。

団子屋に還元するくらいは、当然である。

「ほら、奢りだ。 食うと良い」

「……じゃあ貰おうかしらね」

「「成長期」だからな。 もっと食べておけ」

くつくつと笑う諏訪子に。

博麗の巫女は、頬杖をついて行儀悪く団子が来るのを待つ。

空気は最悪。

文字通り、周囲が爆発しそうである。

客達が、そそくさと逃げていく。博麗の巫女が来た事で、諏訪子が何かの存在だと察したのだろう。

団子屋の店主が、青ざめた顔で空いた皿を回収し。山盛りの団子を置いていく。

まあ客がいなくなったのだ。

これくらいは金を落としてあげないと可哀想だろう。

「今日は何をしに?」

「いつもの視察だよ。 今人里は面白い事になっているようだしな」

「へえ……」

「勿論お前さんとやりあうつもりはない」

ほら食えと促すと。

博麗の巫女は、団子をむっしゃむっしゃと食べ始める。

どちらかというと小食の早苗と違って、見ていて大変小気味の良い食べっぷりである。

これは早苗が信仰を力に変えているため、別に物理的にたくさん食べなくても良くなっているのに対し。

霊夢はそうではないから、動く分は食べなければならないという事でもある。

燃費はそこまで悪くはないようだが。

霊夢はそもそもステゴロの方が得意なようなので、術主体の戦闘は余計に負担が大きいのだろう。

それを食事で誤魔化している。

若いうちはそれでいい。

だが、ガタが来始めればあっと言う間だ。

「気持ちの良い食べっぷりだな。 もっと奢ってやろう」

「やけに気前が良いわね」

「そりゃそうだ。 儲かっているからな。 浪費は無意味だが、金を使うことそのものは悪くは無い。 ましてこの店からは「今何故か」人がいなくなってしまったし、その分くらいの補填はしてやらんと可哀想だ」

「……」

団子を追加注文。

どっさり来た団子を、むしゃむしゃ食べ始める霊夢。諏訪子も、更に追加で腹に入れる。

別に妖怪の山の妖怪達からも。

人里の守矢神社の信者達からも信仰は得ている。

物理的な食事なんて必要ないが。

食べてもそれはそれで力には出来る。

それだけの話である。

「それで博麗の巫女、どう見る。 人里の様子を」

「バカみたいね。 熱狂しすぎだわ」

「外ではこの何千何万倍の規模で熱狂が起きて、制御が不可能になってな」

「バブルでしょう。 話は聞いているわよ」

くつくつとまた諏訪子が笑う。最近は博麗の巫女も勉強をするようになって来ていると感じたからだ。昔は怠惰で有名だったのに。

霊夢は笑わなかった。

「この機に儲けようとは考えないのか」

「これはあぶく銭よ。 どうせ定着しないわ」

「分かっていないなあ。 金ってのは一箇所にたまっていても意味がない。 どんどん流してこそ意味を持ってくる。 無意味な浪費はそれとは意味が違うが。 いずれにしてもあぶく銭であっても、金を動かす側に廻るのは悪くないと思うがな」

「……そうかも知れないわね」

時々守矢と張り合っては。稼ごうとして失敗する。

博麗の巫女は商売に向いていない。

そんな声が時々上がっている。

それを諏訪子は知っていた。

博麗の巫女には、最近仙人を気取る鬼が味方についているが。その知恵を追加しても同じ事である。

古代からの祟り神の総元締めと、天津の武神を舐めて貰っては困る。

年季が違うのだ。

「さて、客がいなくなればいくら私達が食べても店には悪いだろう。 私はこの辺りで失礼する」

「迷惑事を起こしたら頭たたき割るわよ」

「おおこわ」

「……怖がって何ていないくせに」

諏訪子の実力を霊夢は分かっている。

幻想郷にいてはいけないレベルの神格。

賢者達よりも更に格上。

眠っている最高位の賢者、創造神級の実力を持つ龍神だったら話は別だろうが。スペルカードルール以外では勝ち目なんかない。

分かっているからこそ、見張りに留めている。

一方諏訪子にしても、今博麗の巫女がいなくなっては困る。

此奴を殺すつもりなら、全力でいかないと厳しい。

全力で諏訪子が力を展開したら、恐らく幻想郷は呪いに満ちた地獄になる。

それは避けたい。

此処は美しい場所だ。

いにしえの諏訪のように。

だから、壊したくないという点では。

諏訪子も霊夢と意見が一致している。

ただし、支配したいとは思ってはいるが。

別に領土欲なんか関係無い。

的確に管理できるものが管理するべき。

それだけの理由である。

団子屋を離れると、霊夢は戻っていく。相当に団子を腹に詰め込んだから、その分動くつもりなのだろう。

諏訪子自身は、人里を予定時間までふらついてから。

また前触れなく、人里を出る。

人里は中心街と、周囲の小さな集落多数で構成されているが。

中心街の周囲には壁があり、門もあって見張りもいる。

見張りに諏訪子の存在は気付かせない。

そのまま隠行を使って人里を出ると。

人里を見下ろせる丘に出て、大きく伸びをした。

良い空気だ。

幻想郷は妖怪の山という巨大山岳地帯を抱えている事もあって、標高差が非常に激しい。

こう言う場所から見下ろすと、その峻険な地形が一目で分かって面白い。

力を周囲に展開。

面白そうな奴がいないか探す。

現時点で守矢は戦力の不足を感じてはいないが。

それでも野良の妖怪や人間に使えそうなのがいたら、配下に組み込んでおきたい。

零落した神でもいい。

守矢の手で信仰を取り戻させてやれば、充分に戦力になる。

勿論力を取り戻させてやったところで、従うとは必ずしも限らないが。

こちとらいにしえから多数の人妖神々を見て来ているのである。

相手がどういう性格で。

従えて利があるかどうかくらいは判断も容易だ。

いた。

霧雨魔理沙。

まだ不老不死を得ていない、魔法を使うだけの人間。

普通の人間としては屈指の腕前だが。

残念ながら、本気での殺し合いになったらまだまだ程度の実力だ。霊夢や早苗とは、殺し合いの腕前では天地の差がある。

スペルカードルールの名手であり。

ジャイアントキリングを何度も達成していることで知られているが。

一方で、その鬱屈した精神や。

寿命を超越して、「魔法を使うだけの人間」から、「妖怪として認識される不老不死の魔法使い」になろうと考えている事が、諏訪子には分かっていた。

丁度今、人里を離れた所か。

面白い。

粉を掛けに行くとしよう。

此処から見ると、人里の反対側である。

霊夢は即座に諏訪子の到来に気付いたが。

残念ながら魔理沙には其所までの力は無い。

普通の人間の領域を超えられていない。

まあ十代前半なのだから仕方が無い。

十代前半で、しかも独学で彼処まで行ければ充分だが。

このままだと、「妖怪としての魔法使い」になるには、どんなに努力しても三十までは最低でも掛かるだろう。これでもかなり早い見立てだ。

誰か師匠がいればいいのだが。

残念ながらあの霧雨魔理沙。

親という存在を決定的に嫌っているようで。

その関係で、恐らくは対等な相手は欲しがっても、師匠を欲しがることもないのだろうと見ている。

一方で、利害関係を理解するほど大人でも無い。

必死に背伸びしている子供だ。

あの手の子供は、悪い大人に一番騙されやすいタイプなのだが。

魔理沙の場合は、大人自体を徹底的に毛嫌いしている。

故に、今まで難を逃れてきている印象だ。

空間を渡る。

これくらいは諏訪子には朝飯前。

何度か空間を短距離転移し。

魔理沙の背後に回った。

至近に行くと、流石に気付いたか。

買い物を終えて人里を出た魔理沙は、飛び退きながらミニ八卦炉と呼ばれる道具を構えていた。

魔理沙が用いる魔法媒体だ。

小柄な、金髪の「魔女」としかいえない姿をした魔理沙は。

まだ顔に幼さも残っている。

富豪の娘なのに小柄なのは。

それだけで辿ってきた人生を示している。

余程体質に問題がない限り。

裕福な家庭で過ごせば、豊富な栄養を取ることが出来る。

それが出来なかった、と言う事は。

何を示しているかは明白だ。

「なんだ、守矢のカエルじゃねーか。 いきなり現れやがって」

「買い物か魔法の森の魔法使い」

「霧雨魔理沙だ」

「ああ、魔理沙だったな。 そう呼んでほしかったらカエル呼ばわりは止すんだな」

一瞬空気がひりつくが。

非を悟ったか、魔理沙はミニ八卦炉を降ろす。

別に襲おうとした訳でも無いことを理解したのだろう。

「悪かった諏訪子。 それで何の用だよ」

「……こういうものを知っているか?」

「何だそれ」

ほう。内心呟く。呼び捨てされた事は気にしない。別にどうでも良いからだ。

それより魔理沙にはまだ霊夢は知らせていないのか。

真っ先に食いつくだろうに。

諏訪子が見せたのは、既に入手してある「カード」。次の茶番として起こす異変で主役になるものである。

そう。

先に守矢で会議しているときに話題に上がったものだ。

とっくに守矢ではある程度の数を抑えており。配下の妖怪達に配っている。

なお、天狗に技術協力もしたが。

それは現時点で魔理沙に教える話では無い。

「今妖怪の山で出回っていてな」

「……」

「特徴として、金を払わないと発動できない。 一度に一枚しか買う事が出来ない」

「ちっ」

魔理沙は手癖が最悪な事で知られている。

吸血鬼の住む館紅魔館に忍び込んでは、魔道書を盗んでいくことで知られていて。

魔理沙の家が魔法の森というとても分かりづらい場所にあるからか。

魔理沙の戦友である霊夢の家に、時々紅魔館から抗議が行くそうである。

前に守矢に来た時も、何か持って行けそうなものがないか物色していた。

勿論神の力で防護を掛けていたので、一つもくれてはやらなかったが。

「どうだ、買うか?」

「高いのか」

「いや、こんなものだ」

価格を見せると、魔理沙は考え始める。

そもそも子供が買える程度の価格である。

それだけ簡単にスペルカードルールでの戦闘に幅を持たせて。

より娯楽性を高め。

更に妖怪達の戦力を底上げする。

それが目的で作られたものだ。

高すぎては意味がない。

勿論独占する奴が出てきても意味がないから、一度に一枚しか買えないという仕組みにしている。

守矢でも、そのため数を揃えるのは、色々面倒な手続きを踏まなければならなかった。

「分かった、それ一つくれ。 金は払う」

「毎度あり」

「……何か注意するべきことはあるか?」

「別に。 所詮オモチャだ。 スペルカードルールでは使えるが、実戦では使い物にならないくらいかな」

魔理沙が手に取ったのは、氷の妖精チルノのカード。

幻想郷の最下層階級であり、自然の擬人化存在である妖精の中では。チルノは珍しく高い実力を持つ者だ。とはいっても、弱い妖怪程度の力しか無いが。

このカードは基本的に誰かしらの力のごくごく限られた一部を再現するもので。

チルノのカードの場合は、冷気の塊を無作為に周囲にばらまいて、雑な制圧力を展開する。

チルノはあまり頭が良くないことで知られているが。

そんなチルノらしいカードである。

なお魔理沙はチルノを、バカとストレートに呼んでいる。

「バカのカードか。 さっき見た感じだと、他の奴のもあるんだな」

「取引は一度に一枚という決まりだ。 それを破るとカードは使えなくなる。 今の時点では妖怪の山中心に流通しているから、探すならそっちにするんだな。 ただ分かっていると思うが……」

「ああ、領空だのなんだのだろ。 手続きが面倒だから、今度霊夢を誘っていく」

「ふふ、まあ充分に気を付けるんだな」

これで粉は掛けておいた。魔理沙はそもそもどうせ今回の異変には巻き込まれる。

それに異変が起きる予兆は感じていたようで、山にはちょくちょく顔を見せていた。

だから、先に此方で制御出来るように、手を打った。

それだけである。

さて、次は。

魔理沙を見送った諏訪子は、嘲笑も込めて鼻を鳴らす。客人に気付いたからだ。

業を煮やして出て来たか。

「スキマ」は展開させない。

そういう結界を周囲に張っているからだ。だから、珍しく歩いてやってくる。

幻想郷の賢者、八雲紫。

スキマと呼ばれる空間操作能力を有する、最高位妖怪だが。

諏訪子からすれば、その底も知れていた。

紫色の服で全身を固めて。傘と扇を手にした胡散臭さ全開の姿。美しい女には人間には見えるが。元々幻想郷の管理者。

最強の妖怪である。

その姿は、神である諏訪子には人間には見えなかった。

「人前に姿を見せるような真似をして大丈夫なのか、賢者どの」

「……」

「皮肉に応じる気力も残っていないようだな」

くつくつと笑う諏訪子。

紫は、余裕も無いようで、無表情のままだった。

諏訪子の力の方が紫より数段上だ。だから空間操作なんて面倒な力、使用させない。

特に紫の空間操作スキマは、応用力が高くて厄介だ。

故に格上の力で単純に押し潰す。

それだけである。

「最近熱心に動いているようだけれど、今度は何を企んでいるのかしら」

「決まっているだろう。 勢力拡大のために粉を掛けられそうな相手を探している」

「霧雨魔理沙もそうだっていうの?」

「あれはお前の手間を減らしてやっただけだ。 もう異変起こす準備は整っているんだろう?」

図星を突いてやると。紫は更に無表情になった。

これは相当に疲れが溜まっているな。

そう判断する。

普段だったらもう少し違う反応をする。

人里の狂騒の対応で、力を使い果たしているのだ。これは今回の異変は流すだけで介入してこないだろう。

「事前に決めたとおり、今回の茶番はうちも噛ませて貰う。 カードを流通させるのには、うちの力が不可欠だから当然だよな?」

「貴方たちは、幻想郷をどうするつもり。 此処は最後に残った楽園よ」

「楽園ではあるが、理想郷でもなんでもない。 実際問題、此処は不平等も多いし、人間に至っては事実上妖怪の飼い殺しだ。 外に出ることも出来ない。 弱い妖怪や妖精達は更に悲惨じゃあないか」

ずばりと事実を指摘する。

諏訪子は諏訪の地にてずっと君臨してきたが。

実際の政務は為政者に任せてきたし。

妖怪が人を喰らうようなことは許してこなかった。

悪名高い生け贄の風習も人間が勝手にやっていた事であり。

別にそんなもの、やれと命じた事は一度もない。

勿論自分が見える人間に対してアドバイスはして来たし。

多数の神格を従えて、諏訪の地の守護はして来た。

だが幻想郷の仕組みは、諏訪子から見てもいびつだ。

とはいっても、此処が今の外の世界より遙かにマシというのも事実である。

だからルールに従っている。

そしてルール通りに、やがて乗っ取る。

別に優れている訳でも無い為政者がずっと君臨し続ければ、いずれろくでもない事になるのは確定だ。

それは今の紫の四苦八苦や。

幻想郷のカオスを見てもよく分かる。

別に支配してやろう、などと上から目線でいうつもりはない。

実力によって支配をもぎ取らせて貰う。

それだけだ。

龍神だけが懸念事項だが。

それに対しても対策は既に幾つか用意してあるし。

別に今日明日で支配を始めるつもりだってない。

何よりも、もしも実力が足りなければ、支配を始めるつもりなんぞさらさらない。

単に富国強兵を進めて自分の領域の足下を固める。

それだけだ。

「それは、ずっと時間を掛けて改善を」

「出来ていない。 それはお前が為政者として無能だと言う事だ」

「……っ、貴方たちは有能だとでもいうの!?」

「万能とまでは言わないが、やる気が無い他の賢者どもとお前よりはな」

紫との間に苛烈な光が瞬く。

力は諏訪子が上だが。

紫はずっと対策を講じてきていた。

最悪の場合は戦うつもりでいる事も知っている。

だが、諏訪子にとっては、それも想定済みだ。

「……お前の選択肢は二つだ、紫」

「何の話」

「私と神奈子を賢者に迎える。 もしくは守矢による全域支配を受け入れる。 幻想郷を外圧から守るには、そのどちらかしか無い」

「どっちも嫌よ」

紫が構えを取ろうとするが、ふらついて頭を抑える。

そもそももう此処は諏訪子の領域だ。

それにただでさえ力の差があるのに、紫は疲弊しきっている。

そしてスペルカードルールなんかに諏訪子は乗らない。

一瞬のにらみ合いの末。

矛を収めたのは、紫だった。

「……今は引くわ」

「ほう。 感情を優先させるお前にしては冷静じゃ無いか」

「私は今倒れるわけにはいかない。 私に取っての宝。 この最後の美しい理想郷を失う訳にはいかない」

「そうかそうか。 ……はっきりいっておくが、別に幻想郷の制圧を狙っているのはうちだけじゃあない。 それに無作為に色々な勢力を幻想郷に迎え入れたのはお前の責任だろう」

ずばりと指摘すると。

俯いて、唇を噛む紫。

反論も出来ず。

強く出られもしない。

それが、強大であっても結局は精神生命体である妖怪の本質を痛めつけているのは確定だ。

諏訪子は別に最悪の場合、幻想郷を出ていってもいい。

ただしその場合、妖怪の山は更なるカオスに襲われる事になる。

そうなれば。文字通り幻想郷は終わりだ。

次に紫が何かしらの勢力を迎え入れるとしても。

それが守矢よりマシという可能性はないし。

紅魔館なり聖徳王なり、他の勢力が混乱につけ込む可能性は極めて大きいのだから。

「では失礼する。 此方は相応に忙しいのでね」

「……いずれきっと報いが降るわ」

「残念だが、私はお前よりずっと長い間存在してきたが、因果応報なんてのがただの諺でしかない事は自分の身でよく分かっている。 死んで地獄に行くならそれはそれだ」

捨て台詞を吐いた紫に。

そう静かに返すと。

諏訪子は守矢に戻る。

紫は疲弊しきっている。それを再確認できただけで、充分だった。

 

2、外と内

 

守矢に戻ると。

諏訪子は神奈子と早苗と、それぞれ情報を共有する。

レポートをさっと仕上げて二人に渡し。

軽くプレゼンもした。

神奈子はからからと笑う。

「紫も随分と追い詰められているようだね。 確かにここのところ外圧が強烈だったし、何より頼れる相手もいないからね。 その上自分が直接幻想郷を支配するつもりは無い事が、悉く裏目に出ている」

「博麗の巫女がもう少し育てば話は別だが、あれは人間だ。 そして人間である事に意味がある。 博麗大結界に関する新しい仕組みを取り入れるには、幻想郷はカオスになりすぎている。 せめて130年前だったら、別の手も打てたんだろうけれどもな」

諏訪子もくつくつと笑って返した。

早苗は眉をひそめている。

勿論早苗にも意見を聞く。

二人の操り人形ではいけない。

自立した考えを持ってほしいからである。

早苗に英才教育を施しては来た。守矢の切り札たるべく育ててもいる。

だがそれは、別に早苗の自主性を奪うつもりでやっている事では無い。

早苗には早苗で取捨選択してほしい。

最悪の場合、諏訪子や神奈子と袂を別っても全然かまわない。

親としてはそれもまた、子の成長として喜べる。

「それで早苗、お前はどうしたい」

「現時点では、力を蓄える方向でいいと思います」

「ふむ」

「もしも、幻想郷を制圧するのであれば、それは戦争によるものではなくて、圧倒的な力で周囲が抵抗する気にもならない状況を作るべきです」

それもまた面白い考えだ。

とはいっても、それでは悠長すぎると諏訪子は思う。

いずれ早苗は、諏訪子や神奈子にも匹敵する大神格に成長する。

今は半人半神だが。

人間としての要素を押さえ込む事も。

その逆も出来るようにいずれはなっていくだろう。

その時には、もはや幻想郷の支配者は守矢だ。

現在の博麗の巫女、霊夢のような規格外の手札は、紫の所に何度も現れるわけではないだろうし。

大体幻想郷そのものが、賢者によっての独裁政権に近い。

単純に上が挿げ替わるだけの事であって。

別にそれは、外でも起きている事だし。

何かしらの知性体が集まれば、嫌でも起きることである。

そして賢者が無能である以上。

この混乱も必然だ。

紫自身は善良な性格の持ち主だ。

妖怪ではあるが、取りこぼしがないように必死に目を配っているし。

理不尽で暴虐が働かれないように、最大限の配慮もしている。

決定的に能力が足りない。

それだけだ。

他の賢者に至っては、やる気が無い。

戦闘能力はそれなりにあるが。

それだけだ。

いずれにしても対抗策なんていくらでもある。

「早苗。 その考えはいい。 ならば、自分でプランを立てて、いずれ我々にプレゼンをするように」

「分かりました。 今後は私が、この世界に不幸が起きないように考えて行かなければならないという事ですね」

「そうだ。 お前はもう既に博麗の巫女の背中に手を掛けようとしている。 今はまだ博麗の巫女には及ばないが、もう少しで追いつく。 その時には、お前には力に相応しい責任が生じる」

頷く早苗。

それでいい。

考え方は諏訪子と違ってもかまわないのだ。

ただ、為政者としての責任感を持ってくれていればいいのである。

顔役として妖怪の山で経験を積ませているのもそのため。

好き勝手をしていた河童と天狗に打擲を加え。

その勢力を削ぐ過程を見せ。関与させたのもそのためだ。

早苗はまだまだ伸びる。

やがて「現人神」から本物の神となる。

その時には。

守矢の覇権は確かに揺るがなくなる。

「それでは解散。 明日の守りは私がするか?」

「そうしてくれるかい」

「分かった。 では私が明日は守矢を守る。 早苗、お前はどうする」

「人里の様子を見てきます。 どうも手が足りていないようですので」

それもまた良い考えだ。

膨大な金が流れ込み、狂騒の限りにある人里では。

里の貧弱な自警団が音を上げるほど、問題が起きていると言う。

此処で恩を売っておけば大きい。

早苗の能力は色々あるのだが。

自己申告させているのは「奇蹟を起こす力」である。

それを使っても良いし。

習得させた様々な術を使わせて、自警団を手伝わせても言い。

少なくとも、普通の人間の百倍は働く。

自警団にいる藤原妹紅は侮れない使い手だが。

あいつ一人だけではどうにもならない状況が続いているのだ。

恩を売るのは簡単である。

話し合いが終わったので、休む事にする。

母屋は外の世界の最新技術ごと越してきた。

だから中にあるテクノロジーも同じく。

そして現在進行形で、新しい技術が出現したら取り込むようにしている。

超テクノロジーに満たされた中立勢力、永遠亭を除けば。

現在幻想郷で、最も高いテクノロジーを持つのは守矢だ。

他の者達が薪を焚いたり、或いは妖術で四苦八苦して火をつけて風呂に入る中。

ガスで自動焚きする全自動風呂を沸かして、諏訪子も入る事にする。

禊ぎよ禊ぎ。

そう呟きながら、風呂を楽しむ。

早苗が幼い頃は、諏訪子や神奈子が交代で早苗と入ったっけ。

懐かしいな。

そう思いながら、諏訪子は目を細めていた。

 

翌日。

予定通り、神奈子が守矢を出かけて、彼方此方で仕事をしにいく。

その代わり、諏訪子が守矢神社の屋根に上がり、横になって周囲を睥睨。睨みを利かせている。

幻想郷に来た時。

守矢の存在を感じ取って、即座にはせ参じた妖怪もそれなりにいる。

あまり知られていないことだが。

そもそも諏訪周辺の妖怪は、守矢の麾下にいた者達が大半だったのだ。

其奴らの忠義は今も揺らいでいない。

故に、現在でも腹心として信頼している。

そんな妖怪の一体。

外で、諏訪に伝わっていた伝承の妖怪が、神社を訪れていた。

早苗に丁寧に礼をしている。

だが、用事は諏訪子にあるという。

話を聞いていた諏訪子が、空間転移を使って側に降り立つと。

女の子の姿に変わっているその妖怪は、すぐに跪いていた。

「早苗、仕事に戻るように」

「はい、分かりました」

「それで何用か」

「はっ。 諏訪の大神様。 実は……」

耳打ちを受ける。

此奴らも山の妖怪と一緒くたにされているが、兎に角多数の妖怪に揉まれながら毎日を生きている。

それはそうだ。

幻想郷が出来た五百年前。

日本中の妖怪が、幻想郷に越してきたのだから。

それだけ妖怪の地位が、その時に脅かされていたのである。

それでも外で踏ん張っていた妖怪もいたが。

明治に「迷信」という思想が西洋から持ち込まれて。その大流行が決定打になり。

博麗大結界の展開と同時に、耐えきれなくなって幻想郷に越した。

その時、涙を流しながら、幻想郷に行く事を告げる妖怪達は多かった。

そいつらは。守矢が幻想郷に入った時に。

涙を流して、よくぞおいでくださいましたと歓迎してくれたものだ。

一方で、その様子を当然他の山の妖怪は見ていた。

だから、今の状況。

妖怪の山を制圧寸前の状況にまでいくまでは。

色々と彼らに苦労もさせたし。

今でも、逆に特別扱いはするつもりはない。

勿論、彼らもそれは納得している。

一足先に、幻想郷に逃げたという負い目があるからである。

「坑道の中にいる例の存在が、働き手を募集しています。 恐らく単独では例の動力源を掘り出しきれないと判断したのかと思われます」

「そうか。 適当に応じておけ。 ただ、人間に対しては弱くとも、妖怪に対しては非常に強大な存在だ。 食われないように気を付けるように周知はしておくように」

「はっ。 大神様」

「それでは下がるように」

最敬礼をすると、妖怪は下がる。

まあ、今のも想定通りの話だ。

別に驚くことでも何でも無い。

また天井に上がると。

幻想郷全体を俯瞰する。

この視野の広さを確保することが、大半の存在には不思議な事に出来ない。神でも出来ない奴がいる。

まあ、神というのは何かしらの能力に特化するケースが多く。

その能力に縛られる事も多い。

視野が狭まるのはそれはそれで仕方が無いのかも知れない。

さて、神奈子は。

今天狗の所に行って、話し合いをしているところか。

別に見るでも無い。

不覚を取るおそれなど万が一も無いからだ。

天狗なんぞ、神奈子一柱で、余裕を持って充分殲滅できる。

諏訪子が出るまでも無い。

早苗は。

人里で、術を展開している。

おお。

思った以上に力を増している。

凄まじい神気が迸っているのが分かる。

わかりやすい程に強力な力だ。

流石にまだまだ博麗の巫女には戦闘ではかなわないが。これは実に好ましい事である。何度か頷いて、娘の成長を諏訪子は喜ぶ。

里の自警団に恩を売るのは重要だ。

人間の畏怖は、幻想郷の妖怪にとって最も大事なもの。

里の人間に対して影響力を持つことは、とてつもなく大きな意味を持っているのだから。

他にも何か面白いものがないか見ておく。

多数の妖怪が忙しく行き来しているが。

別にこれといって面白いものもない。

諏訪子が見ている事に気付く強者もいて、此方を見返してにやりと笑う事もある。

その時は田舎の健康的な女児にしか見えない、小さな手を振り返す。

覗きをするわけでは無い。

ただ此処から見るだけである。

怒るような事はしていない。

「諏訪子様ー」

「んー」

「お昼にしますよー」

「おう」

人里から戻って来た早苗に呼ばれたので、周囲の観察を中止。

神奈子は戻ってこないが。別に外で食べるだけだろう。

気にする必要もない。

母屋に入って、食事にする。

早苗はどんどん料理の腕を上げているが。

別にそんなもの、使用人代わりに適当に妖怪を使って覚えさせれば良い。

諏訪子自身はそう思っているのだが。

早苗は自分で作る料理にこだわっているらしく。

今も人里や外の世界からどんどんレシピを取り入れては。

研究しながら色々やっているようだ。

やがて出て来たのは、ごく当たり前の昼食。

最近は、外に出るときに弁当を持たせてくることもある。

それは有り難く受け取るのだが。

外に出るときは、自由に食べたい時もあるので。

そういうときは、少し困る場合もあった。

川魚の天ぷらを食べながら、軽く話をする。

味は充分。

腕は上がっているのがよく分かる。

むしろ、他に聞いておきたい事が幾つもある。

「人里の様子は」

「かなり苦労しているようでした。 少し大きめの術を展開して、幾つか困り事を解決してきました」

「感謝されたか」

「はい。 妹紅さんは厳しい目で見ていましたけれど」

それはそうだろうな。

あいつは守矢の考えに気付いている筈だ。

千三百年分の戦闘経験値に。

超越生物である、神にも等しい月人とまともにやりあう実力だ。

それらの実力を手に入れるまでは、地獄のような苦労を味わっている訳で。

それは当然、あらゆる辛酸を舐めてきているだろう。

だったら、守矢の露骨過ぎる動きくらい、見抜けていない筈も無い。

「午後からも人里を手伝うのか」

「はい。 それが信仰を増やすのに一番良いと思いますので」

「では、神奈子も帰ってきた後、久々に術の稽古をつけてやろう。 分からない術をまとめておくようにな」

「分かりました、諏訪子様」

頷く。

早苗はどんどん新しい術を覚えているが。

それを教えているのは。

当然ながら、諏訪子と神奈子である。

山の妖怪に妖術を指南させる事もあるが。

やはりどうしても、大神格の持っている術の方が効果が大きい。

早苗はこの辺り、力を増やす事に貪欲だ。

現状で超えられていない壁である、博麗の巫女がいるからだろう。

目標があると言うのは良い事で。

モチベーションが上がる。

勿論精神論だけでは何の意味もない。

具体的な目標を設定し。

一つずつそれをクリアしていくことに大きな意味があるのである。

食事を終えた後は、後片付けを手伝う。

手を動かして後片付けをする早苗。諏訪子は術を使って皿を洗う。

この辺りは、早苗の拘りらしい。

それならば、それを否定するつもりは無い。

親子並んで食後の片付けを済ませると。

後は、出かけていく早苗を見送る。

守矢の参拝客はあまり多く無い。

ただ、それなりにロープウェイを使って人は来るので。

何か問題が起きていないか、意識の一部だけでも向けておく必要はあった。

面白いのは何かいないか。

そう周囲にも、意識は向けるが。

夕刻まで、そうやって守矢を守り。

神奈子と早苗がほぼ同時に戻ったところで、会議をする。

基本、守矢には誰か残る。

これは前から決めている事だ。

勿論誰もいなくても、簡単に陥落するような柔い守りにはしていないが。

それでも、日頃から備えておくことは重要なのである。

「天狗の方は充分だ。 此方としても、特に気にする必要はない」

「戦力を回復出来る見込みもないしな」

「その通り。 勢力を今回の一件である程度盛り返せていると言っても、それはあくまで財力だけの話だ」

頷く。

天狗は組織の腐敗が酷く、能力の高い者を抜擢も出来ず。更には特権階級意識をずっと持ち続け。

此処まで堕落した組織だ。

守矢に食われないように慌てて賢者と博麗の巫女が監査を入れたのもそれが故で。

今、力を回復させようと四苦八苦しているが。

今更こんな組織に、愛想を尽かして出ていった若手達は戻らないだろうし。

守矢の麾下に降伏した天狗達も同じ事。

金はある程度潤うかも知れないが。

マンパワーが戻る訳では無い。

大天狗の一体に至っては、よりにもよって人員をあの邪法管狐で補っている始末である。

あんな筋金入りのハイリスク呪術に手を染める時点で。

もう天狗そのものが色々終わりなのは事実だ。

「そういえば、噂通り射命丸の姿が見えなかったね」

「この間、大けがをしていましたっけ」

「ああ。 恐らく紫の逆鱗に触れたのだろうとは思ったが。 どうやら紫の直下に移ったようだな。 神奈子、その辺り裏は取れたか」

「いや。 ただこの状況下で姿が見えなかったと言う事は、つまりそういうことだろう」

射命丸が少し前に大けがをして。永遠亭に入院し。

その後他の天狗と別行動を始めた事くらいは既に掴んでいる。

何しろ瀕死の射命丸を緊急事態だからと無理矢理領空を通って搬送したのは。たまたま所用で天狗の領地に戻ってきていた、早苗の刎頸の友になっている鴉天狗姫海棠はたてであり。

更にそのはたては、後で無理を言って済まなかったと守矢に土下座にまできたのだから。

そして、幾つかの証言が出て来ており。

恐らく射命丸も天狗の組織を離れた事が、ほぼ確定している。

そうなると、天狗は。

最有力の次代天魔(最高位天狗)候補だった若手最有力天狗、姫海棠はたてに離脱され。

現最高戦力だった千年を経た鴉天狗、射命丸文を賢者に取られたという事になる。

そうなれば、今回の件で経済状況を改善したところで。

もはやどうにもなるまい。

さては、紫の奴。

射命丸が守矢に降るのを警戒して、先手を打ったのか。

いや、それは考えにくい。

射命丸は典型的なトリックスターであり、簡単に制御する事は紫でも出来ない筈である。

そうなってくると、やはり。

足下が留守気味な射命丸が、不用意に紫の逆鱗を踏んだだけか。

まあ今までよく逆鱗を踏まなかったなと言う感じであったのだし。

不思議な話では無い。

いずれにしても裏は取れていないから、後回しだ。

それにもう。

射命丸は有力妖怪ではあっても。

守矢を脅かすほどの存在でもないのだから。

「他には何か目立ったことは?」

「特にないね。 ただ、天狗が明らかに及び腰になってきている」

「ほう?」

「今回の件でも、天狗が始めたのに利益の大半が守矢に吸われているのを感じ取っているからだろう」

思わず鼻で笑ってしまう。

そもそも紫が始めた経済拡大策。

紫が計画した茶番としての異変。

そのお相伴にあずかっているだけの立場だ。

そこまでの条件が整って。

やっと守矢との絶望的な戦力差に気付いたのだとしたら。

昔は各地の山で山岳信仰と一体化して、相応の力を持っていた天狗も。

本当に墜ちに墜ちたのだなと、失笑するしか無い。

まあいい。

咳払いすると、早苗が説明に移る。

具体的にどんな問題を解決してきたのか話を終えると。

神奈子は目を細めていた。

我が子の成長が嬉しい、と言う事だ。

諏訪子もそれは同じである。

「良く出来たね。 危急時に恩を売っておくことは重要だよ」

「ありがとうございます、神奈子様」

「さて、会議は終わりだ。 予定通りに」

「はい」

神奈子に、術の稽古をつける予定があった事を告げる。

少し不満そうに神奈子が口を尖らせた。

「なんだい。 そんな話を昼にしていたのかい」

「次の稽古はあんたに譲るよ」

「神奈子様、次はお願いいたします」

「分かった分かった。 それならまあいいさね」

子離れが出来ない親みたいだな。

そう思って、諏訪子はちょっと苦笑した。

子供に対する煩悩ぶりでは。

どうやら神奈子の方が少し上のようだ。

武神という要素が強いからだろうか。

祟り神という存在は、本当の源流を辿ると邪神というわけではなく。豊穣を約束する代わりに、代償を求める存在としての側面があった。

現在の思想からすれば邪神にしか見えない。事実生け贄を要求するケースも多かったから、現在では邪神に分類しても良いのだろう。諏訪子もそれは受け入れている。

ただ今と古代では事情が違う。

豊穣は昔はそれだけ重要であり。作物の収穫次第では簡単に大量の死人が出た。

それに見合う対価が必要と考えるのは、自然ではあったのだ。

時代が進むにつれ、生け贄という悪しき風習は減っていったが。

一方武神という存在は。

元々戦争の勝利を願う相手である。

そのため、武神は戦に勝つ逸話が盛られるし。

神としても戦闘能力が高いという設定にされる。

神奈子はまさにその典型。

とはいっても、古くは武神にも生け贄を捧げていたわけで。

根元の根元まで遡れば本質は同じだ。

ただ「生死の循環」を司る豊穣に対して。

武神は「相手の死と自分の繁栄」の要素が強い。

よって、神奈子の方が子煩悩なのだろう。

まあ、神奈子自身の性格もあるのだろうが。

庭に出ると、術の稽古を始める。

早苗は術についてどんどん腕を上げているが。

幾つかの自信が無い術を展開して来るのを見て、それらに一つずつアドバイスを与える。

アドバイスの後は、どうしても上手く行かない場合を除いて、四苦八苦を見守るだけである。

腕組みしてじっと見ているだけだが。

やはりアドバイスをすると、上達が早い。

しばらく修行をつけていると。

やがて、星が空に瞬き始めていた。

「今日はこのくらいで良いだろう。 明日に備えるように」

「分かりました」

「それではしっかり寝ておくようにな。 まだ人間の要素があるから、睡眠を取らないと、体を壊す」

「はい」

母屋に戻る。

外ではどれだけ物騒な会話をしていても。

此処では諏訪子は母親だ。

それに変わりは無い。

そして早苗は、実の両親にはずっと政治の道具としてしか見られなかったし。

周囲の人間全てが同じように接していた。

だから、まだ親離れが出来ていない。

親離れがまだ出来ないのは良くない傾向だなと諏訪子は思いながらも。

それはそれで、嬉しくはあるのだった。

昔は早苗と一緒に寝る事もあったが。

もう今は、それぞれが別の部屋で寝ている。

持ち込んだ母屋は。

それなりに裕福な家だったのだ。

それぞれに寝室がある。

そういうものだ。

 

3、守り神と邪神と

 

今日は諏訪子が出かける番だ。

人里に行く気分でも無かったので、山の中を適当にふらつく。

出くわした妖怪とは、軽く話をしていく。

諏訪子に対して、出会い頭に怯えてひれ伏す奴が殆どだが。

ごく希に嫌なのにあったと少しだけ顔に出る奴もいる。まあひれ伏すことに代わりは無いが。

山の妖怪は殆どが支配下にいるが。

天狗の一部は、まだ守矢に対して交戦意欲を持っているらしい。

今、わざと天狗の縄張りスレスレを歩いているのだが。そんな天狗達の意識調査のためでもある。

空でもとんでやれば、すぐに天狗の最下層、哨戒を担当する白狼天狗がスクランブルを掛けてくるだろうが。

茶番としての異変を控えている今、白狼天狗とトラブルを起こす意味はない。

ただ、天狗はやはり油断するとすぐに好き勝手をする傾向がある。

故に、ギリギリの境界線を歩いて、状況を確認しているのだ。

俯瞰的に幻想郷を見る日もあれば。

ミクロの視点で幻想郷を見る日もある。

そういう事である。

ふと出くわしたのは、氷の妖精チルノである。魔理沙にバカとストレートに言われていた者だ。

こんな山の高所まで来ているとは珍しい。

チルノがすくみ上がったのは、悪戯に対して諏訪子が仕置きをすることが多いからだろう。

掌サイズから、人間の子供くらいまで背丈がある妖精だが。

チルノは人間の子供くらいの背丈はある。

背中には氷の翼が三対あって、翼の形状は円錐が近い。

裸足で歩いている事が多いが。これは妖精が力は弱くても、非常に強い不死性を持っているから、だろう。

「な、なんだよっ! あたい何もしてないぞ!」

「何もしていないなら堂々としていればどうだ」

「そ、そうか!」

「……」

分かりやすいバカだなあ。

そう思いながら、何かあったか聞く。

警戒しているチルノだが。

此奴は最近、目立って悪さをしなくなった。

前は面白そうな事には何でも首を突っ込み。

悪戯も酷かったのだが。

ある一時期から、ぴたりと悪さは止めた。

性格は変わっていないのだが。

悪さをすると、何かとんでも無いペナルティがあるかのように。悪戯に手を出さなくなった。

他の妖精は違う。基本的に妖精は悪戯が大好きだからだ。

何かあったのかも知れない。

流石に諏訪子も、幻想郷の何もかもをも把握している訳では無いので、此奴に何があったかは知らない。

ただチルノは、そろそろ力がついてきていて、「妖精」から転化する時期だ。

つまり妖精より更に上位の存在になると言う事で。

恐らく妖怪になる可能性が高い。

妖精としては規格外に強いので。

妖怪になったら、更に伸びるだろう。

注目はしておいても、損は無い相手である。

「あ、あのさ。 ちょっといい?」

「なんだ」

「あたいのカードとか言うのが出回ってるらしいんだけれど、何かしらない? 気味が悪くってさあ」

「コレのことか」

チルノのカードを見せると。

あたいだと、分かりやすくチルノは吃驚する。

思わず笑いが浮かんでくるが。

まあそのまま説明をする。

「買わないと効果が無い? なんでだよ」

「そういう呪術が掛かっている。 それも一度に買えるのは一つだけだ」

「へんなのー」

「それでどうするんだ。 ほしいならくれてやるぞ。 金を出せばな」

少し実験をしておくか。そう諏訪子は思ったので、チルノをたきつける。

実を言うと、諏訪子や神奈子、早苗の力を持っているカードも既に流通している。だが、まだ試していないことがある。

本人が、自分のカードを使った場合だ。

チルノはしばらくじっとカードを見ていたが、いそいそと財布を取りだす。

いっちょまえにがま口を持っていたが。

中には小銭やらよりもドングリやら小石やらがたくさん入っていて。小銭を圧迫している始末だった。

此奴は小学生男子か。

そう思ったが、まあ黙って様子を見ている。

ひいふうみいと小銭を数えているのを見て、だんだんイライラしてくるが。

オツムの出来は妖精なのだから仕方が無い。

妖精は基本的にバカだから無害なのであって。

悪戯好きという性格もある。もしも此奴らに高い知能が備わったら、非常に危険な存在になる。

だから、これでいいのである。

「あった。 コレで充分か?」

「見せてみろ。 ……まあいいだろう。 ほら、お前のカードだ」

「わーい、あたいのカード!」

「基本的にスペルカードルールでしか使えないぞ。 何なら今相手になってやろうか?」

そう告げるが。

チルノはしばらく考えた後、首を横に振る。

やはりそうか。

此奴、何かあったのだ。

前だったら、間違いなく諏訪子に掛かってきていた。それで即座に爆散していただろう。

妖精らしい生命力を使って、どんな相手にも無鉄砲に喧嘩を売り、悪戯をしていた。

だが今は違う。

そういう事だ。

「同じくらいの力の仲間と遊ぶからいいや」

「そうか。 山を気を付けて下りるようにな」

「うん」

「素直で結構」

何がチルノのブレーキになったのかは知らないが。

まあ別にどうでもいい。

重要なのは、そろそろ妖精の枠組みを外れる此奴が。

分をわきまえ始めていると言うことだ。

状況次第では賢者にまで喧嘩を売っていた此奴だったのに。

何があったのかはちょっとだけ興味がある。

まだ若干反抗的な山の妖怪がいるから、詳細が分かったら矯正プログラムにでも組み込みたい。

チルノがいなくなった後も。

妖怪の山を彷徨く。

妖怪の縄張りに入ると、巡回中だと言う事を告げる。相手も基本的に諏訪子に戦いは挑んでこない。

まあそれはそうだ。

人里から離れて暮らしている妖怪ほど。

諏訪子の恐ろしさは良く知っているのだから。

ほどなくして、大きな滝の上に出る。

此処はちょっと他とは訳が違う。

いるかな、と思っていると。

後ろに、ふわりと何かが降り立った。

まあ別に、後ろをとらせても問題なんか無い。

振り向くと、美しい白い翼を持つ、頭にひよこを載せた人間の女に見える奴がいた。

家畜化される前の鶏の神格。

百日咳快癒の神。

ニワタリ神。

庭渡久侘歌である。

此奴もまた、幻想郷に本来いる神ではない。

外では百を超える神社にて現役信仰されており。

そもそも仕事としては、あの世の関所にて、地獄から逃げ出してくる亡者を取り締まる役割を担っている。

鬼に対する特攻効果を持つ鶏の鳴き声を、神の力で増幅してぶっ放す事が出来るため。

文字通り鬼に対しては天敵も天敵。

昔、幻想郷のトップ妖怪が鬼だった頃。

その鬼の抑え役として、賢者が三つ指突いて迎えに行った程の存在である。

現在は天狗と守矢の監視役をしている。

だから、諏訪子としても顔を合わせる機会が多かった。

「ニワタリの、遊びに来たぞ」

「うちの子(神鶏)らに手を出すつもりなら許しませんよ」

「そんな事をするわけがないだろう。 お前と衝突する事に、今は何の利も無いからな」

「そうですね。 貴方はその計算が出来る神格です」

此奴は現役の信仰を得ている神格だけあって、実力も桁外れだ。

とはいっても、人間が考えるほど、都合良く人間の味方をする訳でも無い。

以前早苗が愚痴を言っていたが。

やはりかなり人間とは考えに差異がある。

仕方がない話である。

人間同士ですら、色々な思想をそれぞれが好き勝手に唱えていて、全く互いに交わることが無いのである。

神と人間とで、思想が一致する方が奇跡的なのだ。

「何か問題は起きていないか」

「此方では特に。 流通し始めている例のオモチャで遊んでいる妖怪がよく見られるようになったくらいですね」

「そうか。 それは良い事だ」

「幻想郷の妖怪の実力を底上げですか。 一石で何鳥も落とす手ですが、欲を掻くとろくなことになりませんよ」

ふっと、鼻を鳴らす。

別にコレは諏訪子が考えた事では無い。

賢者が考えた事だ。

面白いから協力してやっているし。

これから発生する異変でも、一枚噛んで茶番を解決する。

それだけである。

そして、諏訪子の反応で、恐らくは状況を悟ったのだろう。

久侘歌も、苦笑していた。

「紫はよくやっている方です。 あまり虐めてやらないようにしなさい」

「虐めているつもりはないさ。 単に此方のために動いているだけ。 他の組織も同じ事だ」

「……そうですね」

「だいたい私達が来なければ、妖怪の山は天狗がもっと好き勝手に蹂躙していただろうよ」

これもまた事実だ。

守矢が徹底的に弱体化させなければ、鬼につぐ戦力を有していた天狗は、それこそ今以上にやりたい放題していただろう。

しかも短期間で腐敗を更に加速させていた。

幻想郷のカオスが今程度で収まっているのも。

抑え役として匙を投げた鬼が地底に去った後。

守矢が抑え役を代わってやったから。

それだけだ。

鬼は戦力としては高いものを持っているが、どうしても元が元であるが故に享楽的である。

賢者の直下についた一部を除くと。

はっきりいって管理者には向いていない。

実際、単純な暴力でぶん殴る事で従えていたようだし。

もし天狗に何かしらの異常。

例えば射命丸級の実力者が、もう何名か出るような事態が発生していたら。

その時には、さぞや面白い事になっていただろう。

「いずれにしても、貴方たちは今、幻想郷の爆心地となっています。 あまり目立つ行動は控えるよう……」

「ふふ、ニワタリ神に言われると恐ろしいなあ」

「……」

「分かっているさ。 それに、今はまだ動く時ではない」

この様子だと久侘歌はあまり賢者と連携が取れていないなと、諏訪子は判断。

此奴は元々、本来の職場と寝床にしている此処を行き来して、かなり厳しい生活を送っている。

それを考えると。

紫と緊密な連携を取るような余裕も時間もないのだろう。

鬼が妖怪の山の支配者だった頃には、鬼がやり過ぎないように色々働いていたようだが。

現在は久侘歌の立場としては、力でねじ伏せられる天狗は兎も角。

守矢に対しては、慎重に出ざるを得ない。

大変だろうなと、諏訪子は思っていた。

絶景の滝を見下ろした後は、また山の中を歩いて回る。

頼み事をされる事もあるので、メモは取る。

為政者は、ただ富を独占して貪るだけでは意味がない。

政を治める。

つまり全体の富や生活の向上と、国力の強化をしてこそ意味がある。

それが出来ていない時点で為政者失格。

外の世界で政治家が、政治屋と呼ばれるのは。

政治闘争を政治とはき違えているからだ。

諏訪子はそんな低レベルな過ちは犯さない。

夕刻には、守矢に戻る。

早苗は今日は人里に出ていた様子だ。

皆で集まって会議をする。

一通り話をし、情報を共有した後。

そろそろ、良いだろうかと諏訪子は思った。

「そろそろ早苗に守矢の守りを任せても良いのではないかと思う」

「そうだねえ」

「責任重大ですね」

「ああ、だがお前の力はそれくらいまで高まっている」

まだ博麗の巫女には及ばないが。

そろそろ早苗は幻想郷に存在する各勢力の腹心と同レベル程度の実力には到達している。相手勢力によっては更に上回るだろう。

そして守矢にはそもそも強大な結界が複雑に展開されている。

天険の要塞であり。

格上の相手が攻めてきても、ちょっとやそっとの時間では陥落しない。

諏訪子と神奈子が戻るまで油断せず、耐え抜けば良いだけの話である。

それくらいなら充分だと判断した。

「守りを固めている間、油断せず、なおかつ勉強は必ず出来るかい?」

「はい神奈子様」

「最悪の事態の場合は、即座に幾つかの切り札を切る判断はできるか?」

「はい諏訪子様」

早苗は真剣な顔で頷く。

ならば、大丈夫だろう。

神奈子と頷きあう。

向こうも、そろそろ潮時と判断していたのだろう。

ならばそれでいい。

「よし。 では明日から動き方を変えるぞ。 何事も始めるのは迅速な方が良い」

「分かりました」

早苗は少し嬉しそうだ。

また認められた。

それを実感したのだろう。

それでいい。

実際に、認めたのだから。

 

翌日。

朝一番に早苗の作った弁当を受け取って、妖怪の山の頂上に出向く。

勿論其所は天狗の縄張りである。

幾つか確認しておくことがあったからだ。

けなげにも、諏訪子を迎撃してきた者がいる。

白狼天狗の一人。犬走椛である。

他の天狗に比べて重武装で、常に盾と剣を手放さないが。

別にだからといって強い訳でもない。

昔から、射命丸と犬猿の仲だったが。

生真面目な性格が故だろう。

トリックスターと生真面目な者では、決定的に性格があわないのも当然である。

元々白狼天狗は天狗の中でも最下級。

縄張りの哨戒任務が主な仕事だが。

別に実力は決して高くは無い。

それが単独で迎撃してきたと言う事は。

単に責任感から、だろう。

諏訪子は別に高圧的に出ても良いのだが。

後ろの方で生唾を飲み込んでいる雑魚天狗共を見ると、犬走が面白くなってきたので。あえて丁寧に接する。

「今日は少しばかり視察がしたくてな。 かまわぬか白狼天狗」

「守矢の主神がここに入ろうというのなら、それなりの手続きを踏んでいただけますか」

「ああ、別にかまわんよ。 書類でも何でも出してくると良い」

「少しばかりお待ちください」

言葉は丁寧だが。

いつでも戦いに臨む覚悟なのが分かった。

実に可愛らしい。

あまりにも可愛らしいので。

その場で丸呑みにしてやりたくなるほどだ。

天狗を最後に喰らったのはいつだったか。もうだいぶ前だ。

天狗は食べると結構美味しいのだが。

その美味も遠い昔の思い出である。

幻想郷が出来たときに。日本中の天狗はこぞって幻想郷に引っ越してしまった。

その時まで、たまに修験者が信仰していた天狗が偉そうに諏訪の地に来ることがあったので。追い払う事はあった。

そして余りにも非礼が過ぎる場合は。

そのまま喰らってしまった。

如何に肉体が滅びても精神が滅びなければ大丈夫な妖怪とは言え。

魂ごと喰らわれてはどうしようもない。

年を経た天狗はそれなりにうまい。

勿論若くてもそれはそれでうまい。

あの犬走は責任感のある真面目な努力家だ。

見た所、抜擢してやれば地位に相応しい実力にどんどん登っていくだろう。

硬直化した天狗の組織では無理だろうが。

こんな所に放置しておくのは惜しい。

スカウトできないか。

出来ないなら喰ってしまうか。

今から悩みどころだ。

犬走が戻ってくる。

そして、書類を出してきたので、目を通して印を押す。此方を警戒している犬走に、書類を返すと。

山の奥へと踏みいる。

この辺りは標高が恐ろしく高い。

元々この妖怪の山は、神話にて富士山に蹴り崩された八ヶ岳である。要するにこの辺りの標高は、富士山の頂上部より高いと言う事だ。

いにしえの噴火をモチーフにして作られたとも言う神話だが。

伝承になった時点で、幻想郷には入り込みうる。

逆に言うと、妖怪の山はそもそもそれ自体が意思持たぬ妖怪とも言え。

故に幻想郷を代表する地形なのだとも言えた。

山の奥を視察する間。

ずっと監視に犬走はついてくる。

別に話をするつもりはないが。

徹底的に観察はしておく。

しかし本当にうまそうだな。

幻想郷に来てから。いや、幻想郷が出来た頃から妖怪は喰らっていない。何しろいなくなってしまったから。

幻想郷に来た後は、理由もなく妖怪は食らえない。

喰ったらそれで妖怪の山の支配者として、一線を越えた暴君となってしまうからだ。

だが敵対勢力の妖怪なら。

咳払い。

不可思議そうに犬走が目を細めたが、にやりと笑ってみせるだけ。

まさか、本音を口にする訳にもいかないのだから。

虹が出ている。

当然だ。

虹が出る気象条件が揃うタイミングで、ここに来たのだから。

そして、虹が出ると此処に市場が開く。

既に、それなりの数の妖怪が集まっている。

いずれもが、妖怪の山の妖怪で。

諏訪子を見ると、一斉に頭を下げていた。

さて、今回起こす茶番の異変の中核。

市場の現状を見ておくか。

最初は四人しか客がいなかったが。

今はそれなりに客が来ている。

取引が開始される。

一度にカードは一枚。

定価を払うこと。

それがカードの力を発揮する絶対条件。

何しろ、このカードの正体は。

まあそれはいいか。

諏訪子も面白かったので、何名かの妖怪とカードを取引しておく。天狗とも取引はする。

相手は諏訪子を見てすくみ上がっていたが。

別にどれもこれも喰うつもりは無い。

うまそうな天狗は限られる。

大天狗の何体か。

後は天狗の組織を離れた姫海棠はたて。それに犬走椛くらいだ。

天狗最強の射命丸文は食ってもあまり美味そうじゃ無い。あれは性根が腐りきっているから、魂の味が良くない。

また、姫海棠はたては現在は早苗の刎頸の友だ。

早苗を悲しませたり怒らせたりしないためにも、食うわけには行かなかった。だいたい現在はたては戦略的に極めて重要な位置にいる。そういう意味でも食うわけにはいかない。

充分に取引をする。

それなりに珍しいカードを手に入れられたので満足である。

妖怪の山の妖怪達は後で呼び集めておいて、現状の在庫を見ておく。

良い感触だ。

カードは着実に守矢に集まっている。

これはそもそも、妖怪の能力を底上げするための。気軽にスペルカードルールで戦えるようにするためのオモチャ。

逆に言えば、これを使えば更に戦闘訓練が容易になる。

つまり守矢麾下の戦力も、更に増強できると言う事だ。

戻りながら話をしておく。

「積極的に使って、どんどん腕を磨け」

「分かりました。 他の勢力にカードを流しても良いのですか」

「ああ。 だが自分にあったカードは取引するな。 あらゆるカードを試して、自分にあったカードを探せ。 戦闘スタイルもそれぞれ被らないように気を付けろ。 「最強の組み合わせ」はそれぞれの戦い方によって別個にある」

「ははっ!」

既に大半の山の妖怪は、守矢の忠実な走狗だ。

これは理由が簡単で。守矢が為政者として彼らの縄張りも権利も、何より生活も担保しているからである。

守矢に戻る事とする。

視察は充分。

後は茶番としての異変が起きるのを見守り。

その顛末で、稼げるだけ稼ぎ。

その稼いだ金を使って、自勢力を徹底的に強化するだけだ。

このカードは、やがて幻想郷中の妖怪に行き渡り。

それぞれが使うようになるだろう。

その時、習熟度が高い方が当然有利になる。

紫の考える事の常に三歩先を行く。

それによって守矢はいずれ。

幻想郷を、完全に支配する。

その下準備は、今も行われているし。

今後もずっと行われ続けるのだ。

守矢に到着。

さて、後は情報の共有だ。

にやりと笑うと、諏訪子は周囲を見回す。

狭い土地だが。

実に豊かだ。

先細りが確定している外の世界に見切りをつけて、移ってきた意味は存分にある。

だから、支配すべくして支配する。

それは野望でも何でも無い。

傲慢でも不遜でも無い。

ただ、多数の存在がいる場所で。

当然行われるべき事を行う。

それだけの話である。

 

4、強者は強者として

 

守矢に珍しい客人が来た。

麓にある「霧の湖」のほとりにある、吸血鬼の館。紅魔館のメイド長である。

紅魔館を治めている吸血鬼は、実力は兎も角まだまだ幼い。

そこで、このメイド長。

表向きは人間となっているが、時間を停止したり空間を操作したりする能力を持っている、人間かかなり疑わしい女が。

事実上紅魔館を仕切っている。

素性は分からない。

幻想郷の外から来たらしい、と言う事しか分かっていないのだが。

人間にしてはあまりにもおかしいので。

諏訪子としても、警戒している相手の一人である。

丁寧に礼をすると、土産だという菓子折を寄越す。

そこそこに稼いでいるらしい紅魔館である。

吸血鬼の組織だけあり、人肉が賢者から供給されているとか物騒な話題に事欠かないのだが。

その割りに人里の人間を集めて太巻きを食う催しをやったり。

人間も招いて立食パーティーをやったりと。

人里に恐怖を撒いて畏怖を担保し。

実際にはごくごく静かに暮らしているだけ。

そんな実情は透けて見える。

なお次の異変には、紅魔館も関わる事が決まっている。

起こす側では無く、解決する側である。

起こす側に廻ることも時々あるのだが。

以前の吸血鬼異変で、吸血鬼に対するイメージが悪い意味で幻想郷の妖怪達に根付いてしまっているためか。

時々幻想郷のために働く事もある。

それが紅魔館という不思議な組織である。

早苗が母屋にメイド長、十六夜咲夜を案内し。

茶を出す。

メイド長の反応からして、茶の腕はまだまだのようだ。

まあこのメイド長はプロ中のプロ。

流石にまだまだと厳しい判定を出されるのも仕方が無い。

神奈子も交えて、四人で軽く話をする。

「カード自体は此方でも入手しています。 もう少し数を揃えたく」

「あの動かない図書館の依頼か?」

「それもありますが、新しいオモチャにはやはりお嬢様も興味を示されておりまして」

「ふっ……」

動かない図書館。

紅魔館のブレイン、魔法使いパチュリー=ノーレッジか。

此奴も素性がよく分からないが。いずれにしても、どちらかというと研究者肌の魔法使いで、実戦には向いていない。

短時間で色々とこなす戦闘には向かないが、長時間を掛けて研究する事には適性が高く。

実際に以前レミリアが月に出向いたときには、殆どパチュリーが自力で月に向かうための仕組みをくみ上げた事がある。

諏訪子にしてみれば、その技量さえ分かればどうでも良い相手だ。

戦って負ける事はあり得ないのだから。

そして、吸血鬼のお嬢様、レミリア=スカーレットは相変わらずだなと思う。

500歳ほどだというが、姿も精神年齢も幼児のまま。

あえて姿を幼児にしている諏訪子とは違う。

外の世界では、一神教が現在でも強力な信仰を得ており。目の敵にされた吸血鬼達は殆ど絶滅状態にあると聞いている。

レミリアは面白そうだから幻想郷に来たのでは無い。

追われて此処に逃げ込んだのである。

「分かった。 「異変解決」に協力して貰う身だ。 此方である程度のカードを譲渡しよう。 ただし、分かっている通りだ」

「面倒くさい仕組みですね」

「外では今悪辣な詐欺が色々と流行っていてな。 人里で今頻発しているものなど比較にならない程邪悪なんだよ。 だから賢者も危惧しているんだろう。 面倒であっても、しっかり定価って概念を根付かせ、力でものを奪い取らない仕組みを作る事にな」

薄く笑う咲夜。

早速、一枚そこそこ貴重なカードを譲渡する。

勿論金のやりとりはあるが。

貴重なカードでも、大した値はつかないし。値切ったり余計な付加価値をつけてもカードは使い物にならなくなる。

外では今転売屋とか言う恥知らずな連中が暴れているらしいが。

それに類する事もこのカードには出来ないと言う事だ。

「それでは、何度かに分けてカードの提供をお願いいたします」

「ああ、分かっている。 提供の方法は……」

早苗が少し奮発して、ケーキを持ってくる。

お土産にどうぞ、というわけだ。

ちなみに外から入手したものである。

要するにプロが作ったケーキだ。

味はお墨付きである。

勿論これは菓子折の礼。

カードとは関係が無い。

咲夜が土産を手に帰ると、諏訪子は早苗に頷く。

早苗も頷いていた。

紫は今回の異変で、妖怪の山の勢力をもう少し安定させ、天狗の勢力を回復させるつもりだ。

それによって守矢の力を押さえ込もうという意図が見えている。

だが、そんな意図は見え透いている。

乗ってやるつもりはない。

早苗には影で相応に動いて貰う。

そろそろ、ダーティーワークもこなして貰う頃合いだ。

諏訪子は舌なめずりしていた。

別に急ぐことは無い。

着実に。

手札は揃いつつある。

 

(終)