無謀と無惨

 

序、場違いな侵入者

 

静かな洞窟だ。典型的な鍾乳洞でありながら、入り組み、複雑に作り上げられ。その中には独自の生態系が作り上げられ、闇の中光り輝く虫が舞っている。外から侵入してくるのは、此処をねぐらにする蝙蝠と、ごきぶりたちばかり。

人間もいる。ただし、生きてはいない。かって此処に入り込んだ者が、妄執と迷妄の果てに朽ち果てて。精神だけが残った状態となっていた。

彼が囚われるは、檻。

財宝という名の。

だから、他の人間の到来を許さない。認めない。

彼によって、あまたの命が絶たれてきた。それはいずれも人間ばかり。

今やこの洞窟の主である蝙蝠達にも、鼠にも、魚にも。ごきぶりにも。目もくれなかった。

彼は檻を守っていた。

だから、檻に近付く存在だけが許せなかった。

顔を上げたのは、気付いたからだ。また、人間がこの洞窟に侵入してきたことに。それは許し難き大罪。この洞窟は、彼の王国だ。故に土足で踏みこもうとすることは、まさに万死に値する。

動き出す。

さあ、今度の侵入者はどんな奴だ。

屈強な大男だったことがある。見たこともない機械で武装した、大勢の人間達だった事もある。

だが、そのいずれもが、彼の手に掛かって果てた。

さあ、今度は何だ。神の祝福を受けた英雄か。それとも、恐るべき最新兵器を携えた特殊部隊か。

結果として。

その半分は間違い、その更に半分はもっと間違っていた。

ここを訪れた者は、神に呪われていた。更に言えば、恐るべき最新兵器を持ちながらも、それをこれっぽっちも使いこなせない者だったのだから。

闇が動き出す。

また、獲物を求めて。その喉を、食いちぎるために。

 

1、スペランカー

 

蒸すように暑い未開の地を抜けて、ジープが走る。恐縮して助手席で身を縮めているのは。栗色の髪を持つ、十代半ばの娘である。側には大きなリュック。中にはヘルメットと鶴橋、ザイルにダイナマイト。それに閃光弾。

あまり背が高くない娘だ。手足も細く、生白い。顔立ちは小作りで、美人とはとても言えない。出るところも引っ込む所も起伏が足りず、あまり性的な魅力には結びつきそうにない。

恐縮している娘に、その正反対な。筋骨隆々とした大男が、まるで獲物を前にしたドラゴンのような笑みを浮かべていた。何でもかってはI国の配管工だったらしいこの男は、卓絶した運動能力で、力づくで幾多のミッションをこなしてきたことが知られている。当時は腹の出た体格だったらしいのだが、度重なるミッションで鍛えに鍛え抜かれて、今はすっかりこの通り。

文字通り、この業界の英雄である。最強の存在と言っても構わないだろう。

それが、今回は出番を採られたことを、恨んでいるのだ。

「もうじきつきますよ、スペランカー」

「は、はあ」

「今回は貴方の戦歴に、また箔がつくことになりますなあ。 前はあれでしたっけ。 地雷原の中に踏み込んで、貴重な文化遺産を持ち帰ってきた。 その前は海底の遺跡で酸素が尽きたにもかかわらず、奇跡の生還を果たしたとか。 はっはっは。 凄いですなあ」

「え、ええ」

痛烈な皮肉に対して、スペランカーは身が縮む思いだった。何しろこの男と来たら、スペランカーの数十倍は経験を積んでいる。彼がくぐり抜けてきたミッションに比べれば、スペランカーがこなしてきたものなどままごと遊びに等しいからだ。

スペランカー。もちろん本名ではない。無謀な洞穴探索者という意味である。

そして、その洞穴というのは。今まで必ずしも、本当の意味での洞穴を意味してこなかった。未開の洞穴のような難所に無謀な力で挑み、生き残って帰ってくることから、そう呼ばれたのだ。

今回はそれが皮肉にも。本当に洞穴に挑むことになってしまった訳だが。

もちろん、洞穴に挑んだ経験など無い。出来るだけ痛い思いはしたくないから下準備と勉強はしてきたが、それも付け焼き刃だ。一体何処まで通じるのだろうか。自分でも、それは分からない。

多分、通用しないだろう。

いつもと、同じように。

それで、今回も散々痛い目を味わうことになるのだ。

仕事をしなければ生きていけない。育児に興味を無くした母親の下にいた時の飢餓地獄は正直思い出したくないので、仕事は常に入れている。しかし、元々無能な上に身体能力も低い自分に出来ることなど知れている。結局はスペランカーとしての仕事しか無く、それが余計に酷い目に会う回数を増やしていく。

しかも。

仕事を増やせば増やすほど、名は変に知られてしまう。結果として、自分は自分の首を絞め続け、拷問ショーに己の身を投じ続けているのだった。

全く、痛恨だったのは、五歳の時の、あの出来事だ。アレさえなければ、色々問題があるこの世界でも、平穏な生活が出来たかも知れないのに。

柵が見えてきた。この地域を支配しているT国の軍も、である。バリケードは頑丈で、帯銃した軍人も多数。スポットライトが設置され、並んでいるのは二世代前のいかめしい主力戦車。今車を運転している筋肉男なら突破できるかも知れない。否、確実に突破できるだろう。何しろこの男は、人工島に造られた要塞に攻め込み、近代兵器の猛攻をくぐり抜け、敵将を叩きのめした程なのだ。

多分、この洞穴も、彼が攻略すれば簡単なのだろう。

しかし、今回はスペランカーが選ばれた。しかも、世界的な英雄である彼がよりにもよって、運転手である。

スペランカーは、良く事情を知らない。ただ、どこかのVIPを怒らせたらしいと言う事は、どこかで聞いた。そのVIPはかなり力を持っているらしく、流石の彼も逆らえなかった。格下として見下しているスペランカーの運転手をさせられるのであれば。確かに、プライドの高いこの男には、最高にして最悪の罰であろう。

フェンスの側に、ジープが横付け。兵士達がばらばらと群がってくる。銃を向けようとする者もいたが。その男がちらりと睨むだけで、悲鳴を上げて後ずさった。

まあ、無理もない話だ。国家軍事力にも匹敵すると言われるこの男である。兵士の十人や二十人、片手で、なおかつ素手で片付けてしまうだろう。名刺を、出てきた司令官に男が渡す。ジープを降りたスペランカーも、それに習った。あの男は、スペランカー以外には礼儀を保たなくて良いと言われているのだろうか。口調も態度も、がらりと変わっていた。

「ご来賓の到着だ。 さっさと案内して差し上げろ」

「は。 スペランカー様ですね。 此方にお越しください」

「ど、どうも」

空に太陽が輝いている。

二度と、見ることが出来ないというような事はないだろう。洞窟が丸ごと崩れてくるとか、そんな出来事でもない限り。

でも、その場合でも。時間さえ掛ければ、また見ることは出来るか。

隣の大男が、タバコに火をつけた。ライターなんか使わない。指先から出した炎で着火したのだ。今でも能力を増やし続けているというこの男。変身能力を持ち、巨大化まで出来るとかいう話である。次は加速無しで空でも宇宙でも飛び回るのかも知れない。

「では、此方へ」

兵士に案内される。周囲は鬱蒼とした森だ。今度は軍用のジープに乗って移動。運転席の兵士はあの男以上に愛想のない男で、とても堅いシートと、最悪な空気に挟まれて、更にスペランカーは肩身が狭い思いをする羽目になった。

どうやら、それを察してくれたらしい。後ろに乗った通訳の兵士が、声を掛けてくれる。

「我が国は初めてですか、スペランカー殿」

「はあ、まあ」

「この国は色々と問題こそありますが、美しい場所も多々ありましてな。 本当は楽しい場所にも行っていただきたいのですが、お仕事が先とはもったいない。 して、フィールドについての予備知識は大丈夫ですかな」

「そちらについては、大丈夫です」

一応、来る前に状況の勉強はしている。

かって、この地に栄えた王国があった。東アジアの辺境に君臨したその王国は、莫大な黄金を持ち、それをフルに活用して周囲の大国と渡り合ってきた。その栄光は、遙か東の国にも西の国にも届き、あまたの冒険家達を死地に走らせたという。

だが、栄光は長続きしなかった。元々狭い国土であったし、金山も決して無限ではない。更に、英明な王が出なくなると、滅びは加速した。程なく国は、金山の枯渇と同時に瓦解。隣国の侵略によって、脆くも滅び去ったのである。

しかし、一部の黄金は見つからなかった。

王家の人間によって、どこかに隠されたのだという。

其処までなら、何処にでもある埋蔵金伝説だ。此処のものが違うのは、それに携わった王族の手記が残されており、場所まで特定されていると言うこと。

そして、その場所が。

一般人が立ち入ることの許されない、いわゆる「フィールド」と呼ばれる、超危険地帯だと言うことだ。

其処まで来ると、異能者の出番となってくる。さっき笑顔のまま、しかし内心は煮えくりかえったまま帰還していったあの男のような者が挑む場所。此処はフィールドとしては比較的ランクが低いが、それでも何十年か前に、調査に入った軍隊一個中隊が二時間かからず全滅したとか言う場所である。それこそ一般人など、入るのと自殺とが何一つ変わらない魔境なのだ。

そういったフィールドが、世界には幾らでもある。異世界との交流や、宇宙進出も始まっている今でも、それは同じ事。基本的に立ち入り禁止であるそういったフィールドに挑むのが、スペランカーやあの男のような専門家なのだ。

ジープが大きめの石を踏んづけて、がくんと揺れた。当然石より硬いクッションに、思い切り尻を叩きつけることになり、スペランカーは思わず呻いた。

「ふぎゃっ!?」

「運転手!」

「申し訳ありません。 此処は地形が悪いので」

「……」

がくりと首を垂れているスペランカーを不安げに眺める運転手と後ろの兵士。スペランカーが顔を上げると、ほっとした様子で、また語りかけてくる。

「どうしました、我が国の車は、ご趣味に合いませんかな」

「B国製です」

「ああ、そうだったな。 スペランカー殿、ジュースはどうですか。 一応この車にも、クーラーボックスは積んでおりましてな。 特産品のオレンジジュースが、よく冷えておりますぞ」

「はあ、有難うございます」

進められるままに、オレンジジュースのパックを口にする。噴きそうになった。冷えているなどとはとんでもない。かなり、温くなっていた。しかも味にも問題があり、妙に甘ったるく、美味しいとは言い難い。

ただ、これは好みの問題もあるだろう。何でも美味しい某国で、パスタだけが激烈に不味いのは有名な話だ。

ジープが止まる。またフェンスだ。しかも「DANGER」とか書かれた立て札が彼方此方にある。だというのに、兵士の姿は殆ど見つからない。フェンスの鍵を開けながら、運転手が無愛想に言った。

「この先、数十メートルで洞窟の入り口につきます」

「有難うございます。 帰りは何時になるか分かりませんので、この辺りに無線か何か置いておいてもらえますか」

妙なことを言うと思ったのだろう。一瞬ぽかんとしてから、笑顔で手配しますと兵士は応える。

分かっていない。スペランカー自身は、普通の人間と身体能力的にも変わらない。いや、むしろ運動能力などは低い方なのだ。こんなジープで一時間も掛かるような密林、のこのこ歩いて帰ったら、何日かかるか分からない。あの男だったら木々の間を飛び回って一時間も掛からないだろうが、比べる対象が間違っている。

スペランカーがフェンスの向こうにはいると、鍵が再び掛けられた。

無理もない。此処からは、一般人が抗することも出来ない魔境。一刻も早く離れたいのが本音だろう。

スペランカーだって、本当は嫌だ。だが、仕方がない。

リュックを開けて、ヘルメットを取り出して、被る。明かりがつくことも、被る前に確認した。携帯食料よし。鶴橋よし。ダイナマイトも閃光弾も問題なし。リュックを背負い直すと、嫌だなあと思いながら、スペランカーは密林の奥へ、歩き出す。

殆ど間をおかず、見えた。まるで猛獣のように口を開いた洞穴が。入り口のすぐ側には、恐らく最後の警告のつもりだろう。立て札がある。ご丁寧に英語を含む。多分、入ったら死ぬから戻れとか書いてあるに違いない。

一応、修羅場もくぐっては来た。

だが、元々のセンスがないらしく、何度やっても要領のいいやり方は身につかない。自分より背の低いちっちゃな女の子が、たかが風船一つという常識外の軽装備で、飛行能力を持つ人外の者と見事に渡り合ったという話を聞くと凄いなあと素直に感心してしまうのだから、駄目も極まる。

こう言う時は、静かに負けてなるものかと闘志を燃やすべきだろうに。

ライトを付けると、洞窟の入り口へ。闇の中、滴だけが落ちてくる音が響く。辺りには多数の鍾乳石。ライトに照らされて逃げ散るのは、白い体のごきぶりたち。呻く。洞穴が蝙蝠とごきぶりと、奇怪な生物の楽園だとは知っていても、あまり気分が良いものではない。

最初にリフトがあった。

もちろん調査にあった。兵士達は此処までしか出来なかったのだ。とりあえず、洞穴の最初にある急激な縦穴を貫くリフトは設置できた。しかしそれを起点に奥へ向かおうとした途端、連絡が途絶えた。死骸を探しに行った第二班も通信途絶。以降はフィールド指定されて、現在に至っている。

生唾を飲み込んだのは、危険を肌で感じたから。如何に要領が悪くても、それくらいは分かる。

さあ、此処からは死地だ。

どうせ痛い目に会うのは分かりきってはいる。だが、それでも少しは酷い目に会うのを減らさなければならない。

リフトに乗って、レバーを引く。

闇の中に吸い込まれるように。リフトが大きな音を立てて、降りていった。

 

2、地獄の遺跡

 

飛び交う蝙蝠が、きいきいと声を挙げている。この国にはあまり大型の蝙蝠はいなかったはずなのに。この洞穴の奴は、翼長1メートルを超えるものばかりだ。フィールドでは、人間が入ってこないことを良いことに、こういった不思議な動物が大繁殖していることが珍しくもない。

何にしても、何と難儀なことか。鳴き声は耳に響くし、人間を怖がっていないから、かなり低空を平気で飛び回る。さっきもぶつかられて、驚いて転んでしまった。転ぶと最悪だ。床は蝙蝠の糞と、それに集るごきぶりだらけなのだ。しかも周囲は非常に滑りやすく、尖った鍾乳石が点在している。

下手をすると、死ぬ。

下手をしなくても、死ぬかも知れない。

体に嫌な臭いが染みついた事は、今まで何度もある。スペランカーはもっと嫌な臭いだって、嗅いだことがあった。

そして、その一端が、周囲にはある。

多分、例の中隊のなれの果てだろう。軍服を着たまま、喉をかきむしっている男の髑髏が、スペランカーのすぐ脇にあった。その隣には、何か途轍もなく恐ろしいものを見たらしく、腰を抜かして逃げようとしたまま、息絶えてしまった者の亡骸がある。

銃も転がっていた。一応武器は持ってきているが、それはとてもある意味非力な武器だ。これだけの事をしでかした奴がはっきりするまでは、腰から抜きたくない。他の異能者から比べても、とびきり非力で無能なスペランカーにとって、これは文字通り最後の、究極の対抗手段なのだから。

しばらく、難儀しながら、鍾乳洞を潜っていく。

何度も転んだ。そのたびに、したたかに体を打ち付けた。そうすると、スペランカーは動きを止める。しばらくすると、何事もなかったかのように動き出す。そして不思議なことに。彼女の周囲の地形が、少し歪んでいるのだった。

「いったあ。 もう、何度目だよぉ」

痛む尻をさすりながら、スペランカーはぼやく。服も、不思議なことに。あれほど派手に転んで蝙蝠の糞とごきぶりの亡骸を擦り付けたというのに。綺麗になっていた。

リュックから取り出したのは、見るからに下手物全快な、奇怪な飲み物。毒々しい色をした液体が詰まったペットボトルで、出来れば触れたくないような代物である。スペランカーはそれをためらうことなく飲み干し、小さくげっぷまでした。

美味しいのかと問われれば、それは否。スペランカーの顔色が、その味を説明していた。この国の特産品らしく、軍の人に貰ったのだ。貰ったからには飲み干すのが、貧しい生活をしてきて経済感覚が鍛えられたスペランカーの信念である。空になったペットボトルをリュックにしまうと、スペランカーはまた歩き出す。

そして。ほどなく。

彼女の前に、明らかに自然物ではない、大きな扉が現れたのだった。

赤い扉。書かれているのは、巨大なピラミッド。

ピラミッドは黄金で出来ているのが、壁画で分かった。まばゆい光が立ち上り、あまたの民が崇めている様子が、緻密に書かれている。しかし、だ。ピラミッドの頂点に立つ王の顔は、何処か寂しげだった。

ライトで、隅から隅まで照らしていく。何度も転びそうになるが、しかし踏みとどまる。さっきから視線を感じているのだが、それは気のせいではないだろう。確実にスペランカーを見張る何者かがいるのだ。

これでも、修羅場はくぐってきている。それくらいであれば、肌で感じることが出来る。問題はそれに対する対抗手段をろくに持ち合わせていないことなのだが。それは、己の体質なので、嘆く他無い。襲ってくるのを待つしかないのが口惜しい。

扉の正面に、鍵穴二つ。これは多分、現在T国を支配する独裁政権と談判した時に預かった、王家の鍵を入れるものだろう。取り出した鍵は、赤青一つずつ。この鍵が、どれだけの数の好事家を不幸にしてきたか。

触れただけで、悪意と呪いが伝わってくるかのようである。効きそうもない念仏を呟きながら、スペランカーは鍵を穴に差し込む。扉は、残念ながら、びくりともしなかった。もちろん両方試したが、結果は同じである。

鍵穴の手応えはある。しかし、動かない。錆び付いているのではない。何か、強い力で抵抗されているのを感じる。

「やっぱり、そう簡単には、いかないか」

多分、鍵はこれであっている。問題は、この扉に何かしらの仕掛けが施されていることである。それは手応えで分かる。

何度か軽く叩いてみる。素材としては、恐らくは石。かなり堅い石だが、ダイナマイトでなら吹き飛ばせるだろう。ただし、その結果、どんな仕掛けが作動するか分かったものではない。こういうタチの悪い遺跡では、洞窟の礎石になる部分を巧みに利用して、下手に動かすと生き埋めになるような仕掛けを作ることが珍しくもないのである。

実際別のフィールドで、二度生き埋めになった経験があるスペランカーは、慎重であった。

手帳を取り出す。かってこの国で使われていた言葉の一覧が書かれたものだ。発音はかなり怪しいが、一応の解読は出来る程度に調べてきた。正確には、独裁政権の依頼を受けた時に、お抱えの学者がデータを提示してくれたので、それを丸写ししてきたのである。スペランカーには、残念ながら分厚い学術書を紐解くような頭が無い。

刷毛を使って、扉を丁寧に掃除していく。幸いお腹はすいていない。上下左右から、まんべんなく調べていく。扉の、手の届く範囲には何も無し。誰か肩車してくれると嬉しいなあとか思いながら、必死に背を伸ばして、手が届きそうにない所を掃除しようとするが、出来ないことは出来ない。

一応、手の届く範囲は終わった。ピラミッドには、神を称えよとか、王に栄光あれとか書かれているが、ヒントらしいものはない。落胆と失望を感じてしまうが、しかし、まあ仕方がない。困難なのは、最初から分かっていたのだ。

独裁政権との会見の時、王族の生き残りが連れてこられた。気の毒にも酷く怯えていた彼は、洗いざらい喋らされた。その中には、この洞窟には複雑な仕掛けがあり、それを解かなければ奥へはたどり着けないというものもあった。だから、これから、それを探していくしかない。

扉の回りには、何カ所かで湧き水があり、小さな川が出来ている。そのまま流れは扉の近くを通ってはいるが、穴に落ち込んでいた。ただし、小柄なスペランカーでも通れない程度の水穴で、此処を通るのは難しい。ダイナマイトを仕掛けても、すんなりは通れないだろう。

しばらく悩んだ末に、スペランカーはその場を一度後にする。もうちょっと辺りを調べてからでないと、乱暴な手段を執るには早いと判断したからだ。

当ては、幾つかある。

リフトを使って降りてくる時に、何カ所かに横穴を見つけた。ちょっと幅が広いので、飛び移るには勇気がいるが、それでも調べてみる価値はあるだろう。

ずっと気配はある。此方を見つめている。

天井近くでは、オオコウモリが翼の手入れをしていた。鼠に近い存在なのだと、ライトを当ててみると顔の作りで分かる。逆さにぶら下がっていた蝙蝠が、くるりとひっくり返ったので、慌てて避ける。フンが落ちてきて、床で跳ねた。女の子に対して、酷い扱いだと、スペランカーは思った。

「ばっちいなあ、もうちょっと場所を選んでよ」

もちろん蝙蝠は聞く耳など持たない。

複雑に入り組んだ鍾乳洞を、一度戻る。時間は、幸いたっぷりある。後は、どこで面倒な相手が仕掛けてくるか、だけだ。

何とかリフトまでたどり着いたので、一度戻る。

洞窟の外に出ると、視線の主らしい気配は消えた。リフトで洞窟を上がっている時にも、気配は感じていたから。恐らくは、人ならぬ存在だろう。

この仕事をしていると、出くわすのは珍しくもない。もっと質の悪い相手とぶつかったことだってある。

無線で、軍のお偉いさんを呼び出す。補給と休憩を頼みたいと連絡すると、三十分ほどで来てくれた。さっきの兵士二人組である。シャワーを浴びたいというと、失礼にもスペランカーの体を上下に渡って舐めるように見回して、失望の視線を隠そうともせずに、頷いたのだった。

幼児体型で悪かったなと、スペランカーは心中唇を尖らせた。

 

二度目の侵入では、洞穴に入った直後から視線を感じた。どうやら、入り口近くで待ち伏せしていたらしい。かなり高度な警戒をしているという訳だ。姿を見せないのにも、一応意図はあるのだろう。

もちろんスペランカーに気配を消すとか器用なことは出来ないし、荒事も非常に苦手だから、何時仕掛けてくるか、面倒だなあと思うだけである。罠を仕掛けるとか、先手を打つとか、そんな素敵な事は無理だ。

リフトに乗り、最初の横穴まで降りる。そして、七十センチほどある幅を踏み越えて、少し手狭な横穴に入ろうとした、その瞬間だった。

何かが、足を掴んだのである。

あっと思った時にはもう遅い。バランスを崩して、闇の底へ真っ逆さま。

二十メートル以上を落ちて、スペランカーはぐちゃりと潰れた。

しばしの沈黙の後。

大量の血をぶちまけて、潰れた上に鍾乳石に突き刺さっていたスペランカーの指が動く。腹を鍾乳石から引き抜いて、ごろんと転がる。またしばらく、沈黙。むくりと起き上がったスペランカーは、蒼白な顔色のまま、辺りをまさぐる。

リフトの昇降レバーが側にあったので、引き下ろす。

全身の違和感が、ゆっくりではあるが、消えていく。流れ出た血も、いつのまにか無くなっていた。

「痛いなあ。 か弱い女の子を何だと思ってるんだよ」

リフトが降りてきたので、虚空に対して、呟く。リュックから出したのは、超が付くほど不味いと評判のレーションである。温めれば少しは食べることも出来るのだが、冷えると人間の食物とは言えなくなる。ジュースと同じく、最初に軍に貰った支給品で、であるが故に平らげざるを得ない。缶詰を開けて、さっさと胃に掻き込む。舌が痺れるほどに不味いけど、仕方がない。空腹はスペランカーにとって何より辛いものなのだ。それに比べれば、これくらい。

だが、やっぱり不味い。

苦痛なほどの味に耐えながら何とかレーションを平らげると、リフトに乗り込む。もちろん誰かがいるはずもない。さっき足首を掴んだ感触からして、恐らくは成人男性。それもかなり体格がよい相手だろう。その上、リフトの床から、何の前触れもなく手を伸ばしてきた。

そして、あの冷たい感触。何度か、味わったことがある。死者の肌が持つ、特有の冷たさだ。

この洞窟に潜んでいる相手の正体が、大体スペランカーには分かった。確か王国が滅んだのが三百年ちょっと前なので、それくらいの時期から住んでいるのだろう。ご苦労な事である。

もう一度、リフトを上げる。

今度は、邪魔は入らなかった。何事もなかったかのように活動を開始したスペランカーを見て、対策を練っているのだろう。面倒だから、そのままずっと対策を練り続けていてくれ。そう呟いて、スペランカーは横穴に潜り込む。

ライトは壊れてはいなかったが、しかし明かりが不安定になってきていた。奥の方を照らすと、ちらほらと死骸が転がっているのが見える。その死骸も白骨になっていて、表面をごきぶりたちが彷徨いていた。

死者の尊厳を辱めることはしたくない。この洞窟をフィールドにしてしまっている奴を運良く退治できたら、軍の人に死骸を取りに来て欲しいものだ。スペランカーは難儀な体質の持ち主だから、余計に分かる。命は、とても大事なものなのだ。彼らにも当然遺族はいて、死体が上がらないことを悲しんでいるだろう。せめて彼らの元に、死体だけでも返してあげたいものだ。

ちょっとした段差があったので、慎重に降りる、だがその途中で足を踏み外して、頭を思いっきり地面にぶつけていた。

しばらく停止していたスペランカーだが、頭をさすりながら歩き出す。

大丈夫だ。痛いけど、何とか我慢できる。

以前、地雷原に踏み込んだ時に比べれば、今回は何でもないミッションであった。

 

おかしい。

彼は、そう思った。

今回の侵入者は、とんでもなくひ弱で、何か隠し球があることを警戒していた。だから、念には念を入れて、奇襲を仕掛けたのだ。リフトの死角から足首を掴んで、地面に叩きつけてやった。見事に奇襲は成功して、確かに奴は死んだ。

それなのに。これはどういう事だ。

轟音。奴が邪魔な岩壁に爆薬を仕掛け、吹き飛ばしたのだ。大蝙蝠が悲鳴を上げて逃げ散っている。彼らは二度と人間には近付かないだろう。忌々しい話である。この鬱陶しい蝙蝠どもも、暇を見ては移動させているのだが、最近はいて欲しくない場所に増える一方だ。

次は、もっと派手に死ぬように、仕組んでやらなければならない。候補としては、扉の仕掛けの先に、よいものがある。もっとも、奴が其処までたどり着ければ、の話であるが。念には念を入れて、早めに準備をしていた方がいいだろう。

彼は地の利を手にしている。その上、人間ではどうやっても勝てない理由を持っている。しかし、何か不安がある。存在の特性からも、不安はそのまま強さに直結してくる。だから、此処は敢えて距離を取るべきだと判断した。

準備に取りかかる。

あれだけの高さから落として死なないのなら。

次は潰してやる。

 

碑文が、幾つも壁に掛けられていた。リフトから通ることが出来る横穴のことごとくに、これ見よがしに貼られている。

ここに黄金を隠した奴は、よほど悪趣味だったのだろう。スペランカーは、悪意が溢れる碑文の内容に、思わず頭を抱えていた。黄金とは、かくも人の心を狂わせるものだというのか。

銃を突きつけられた、王家の生き残りの人間から、話は散々聞かされた。その中には、王家に伝わる歌というものもあった。碑文があるという話は聞いていたし、その歌の内容もメモは取ってある。碑文の内容をメモに書き写しながら、スペランカーは内容を対比させていく。

王家の歌というのは、大体以下のような内容になっている。

「太陽が、ある時に、月を見て、笑った。 月は怒り、地平の下に隠れ去った。 誤解を解こうとして、太陽は墓穴の下に、潜った。 其処には、まばゆい理想の世界があった」

不気味な内容である。東洋のある国に存在する、創世神話の一節に似ているなと、スペランカーは思った。ひょっとすると、ルーツを共通とする話なのかも知れない。東洋圏では、珍しくもない事である。

碑文の内容は四つ。それぞれが、横穴の奥にあった。途中、不自然に岩が行く手を塞いでいたので、ダイナマイトで吹き飛ばしたのだが。何度も不発になったり、不意に爆発したりと、随分冷や冷やした。

「ええと、これが、こうか」

碑文はそれぞれが、とても短い文章で構成されていた。いや、文章とはとても呼べないだろう。暗号としているのが、前提となっているような内容である。

「太陽は右に三度舞い」

「地底は左手にある剣を四度掲げて進め」

「月の微笑みが見たければ、二度右から振り返れ」

「坂を降りれば、そこは真っ暗。 明かりは右へ二つ」

簡単な暗号である。王家の歌さえあれば、それこそ子供にも解ける内容だ。これを見ると、当時の王家が、あまり余裕がなかったことが分かる。また、それぞれの石碑は、太陽と地底が赤、他が青となっていた。

別にパズルなど得意でもないが、解くのは難しくない。それに、さっきから例の気配を感じない。どうせ先で待ち伏せして、もっと面倒なトラップを準備しているのだろうが、今は好機である。さっさと今の内に、補給と休憩を済ませておきたいところだ。

天井にライトを向ける。さっきダイナマイトを使ったからか、蝙蝠は一匹もいない。美しい鍾乳石が無数に連なっている幻想的な光景が、其処に映し出される。自然は美しい。それなのに、どうして人間の悪意が介在すると、こうも不気味な代物になりはててしまうのだろうか。

じらすのにも丁度いいので、スペランカーはわざと戻る。

外のフェンス近くでは、ジープが待機していた。気を利かせて、補給物資を準備していてくれたらしい。レーションがとても不味かったことを伝えると、笑いながら次はJ国産の缶詰を持ってくると、兵士は言った。

苦笑しながら、木陰に座り込む。扉を開けるのは難しくもない。だが、その先が問題だ。王家の歌は、まだ続きがあるのだ。

それには、かなり面倒な内容が書き連ねられている。仕事とはいえ、気が重い。それに膨大な黄金があった場合、持ち出しルートを確保しなければならない。そのためには、さっき足首を掴んだ奴を、どうにかしなければならないだろう。

たばこを勧められたので、断る。代わりにガムを貰った。

ふと気付くと、既に夕方だ。今日は一杯能力も使ったし、少し疲れた。待ち伏せしている奴をわざと怒らせるためにも、丁度いい。

スペランカーは軍の宿舎を借りて、今日は寝ることにした。

まだ明日がある。そして明日は、もっと大変な罠を突破しなければならないのが、目に見えている。

それならば、今は少しでも休んでおくのが吉であった。

 

3、迫る悪意

 

あれほど強固に立ちふさがっていた扉だったのに。

碑文の謎の通り鍵を回すと、あっさり開いた。拍子抜けするほどに、簡単だった。前は鍵がびくとも動かなかったことを考えると、多分碑文に触れたことが、謎を動かす切っ掛けとなったのだろう。

視線は感じない。蝙蝠も昨日ほど大胆ではなく、距離を取って此方の動きを見守っている。時々ライトを向けると、怖い者知らずな小さいのがおもしろがって寄ってくる。無害なので放って置いたら、顔に貼り付かれて閉口した。しばらくもがいていると、いきなり後ろから突き飛ばされて、顔面を強打した。

しばらく動かなかったスペランカーだが。稼働可能になって最初にしたのは、顔に貼り付いていた蝙蝠が無事か確認することだった。床で煎餅になっているようなこともなく、蝙蝠は無事に逃げ延びた様子である。ほっと一息。転んだにもかかわらず、スペランカーの額には泥もついておらず。綺麗だった。

視線は、感じなかった。

所詮、スペランカーの能力なんてそんなものだ。フィールドに挑むライセンスを貰っている人間の中では下の下。あの男だったら気配を読めたのかも知れないが、スペランカーには無理だった。それだけである。

どちらにしても、これからは更に警戒を強くする必要がある。

リュックから缶詰を出す。幾つか貰った缶詰は袋詰めされていて、手を入れて中身を取り出してみる。

「わお!」

思わず奇声を上げてしまった。なんと蟹缶だ。これは良く知られている通り、マヨネーズを付けて食べるととても美味しい。軍の人がぼやくスペランカーをおもしろがって、わざわざ高いのを買ってきてくれたのである。せいぜい鯖缶か鮭缶かと思っていたから、これは驚き。

開いた扉の、奥を伺う。

辺りは棚田のような地形だった。闇の底へどこまでも下る其処には、無数の水たまりがあり、澄んだ水の中には真っ白な魚が住んでいる。海老や蟹、他の何だかよく分からない生き物の姿も見えた。

上に蝙蝠がいないので、フンが落ちてくる恐れもない。嬉々として棚田の一角に腰掛け、蟹缶をいそいそと開けるスペランカー。頬ずりまでしてしまった。

これから挑まなければならない地獄の手前での食事。結構楽しい。ただ、何だかんだで辺りを飛び回っている蝙蝠にフンを落とされるのは嫌だから、急いで口に掻き込んだ。折角美味しいのに、急いで食べなければならないのがくやしい。蟹缶は久しぶりだ。汁まで美味しく頂く。ぶきっちょなので、つけるマヨネーズの加減が何度やっても出来ないのが腹立たしい。ちなみにスペランカーは、カロリーハーフは使わない派である。どうしても味が落ちるからだ。

蟹缶を食べ終えると、中に入っている包み紙ごとしっかりリュックにしまう。洞窟をこれ以上汚してはいけない。ただでさえ、もはや人ならぬ者が勝手に住み着いた挙げ句、好き勝手をしているのだ。スペランカーも、ダイナマイトで岩を吹き飛ばしたりして、元の住人達を苦しめている。必要とはいえ、それは事実。それならば、出来る範囲内で、出来ることをするのが筋だった。

満腹満足したところで、再び洞窟に潜り始める。

視線が感じなくなったことが、却って痛い。やり方を変えてきたと言うことで、これからはより狡猾な妨害をしてくることだろう。対応が難しくなった。

ひときわ大きな棚田の前に出る。中央部分がババロア皿のように盛り上がっており、その周囲に硫黄がこびりついている。この棚田だけ、何も動物が住んでおらず、しかも周囲に小さな流れが幾つも出来ていた。

いやな予感がびりびりするが、この棚田は丁度コの字型に湾曲しており、越えないと奥へは進めない。面倒な作りだ。

上を見ると、鍾乳石もこの辺りは見あたらない。慎重に周囲を見回してから、棚田の縁に沿って歩く。縁から先は底も見えないクレバスになっており、落ちたら凄くいたそうである。そうやって出来る限り歩いた後、覚悟を決めて、浅いところを見繕って踏み込む。恐ろしく冷たい水が、靴から入り込んできた。すぐに膝まで水に浸かってしまう。幸い底はしっかりしていて、踏んでもそれ以上沈み込むことはなかった。

一歩、二歩。

三歩目で、周囲の空気が変わる。

一匹の蝙蝠がきいきいと鳴き始める。同時に、それが周囲に波及した。聞けばすぐに分かる。どう考えても警戒音だ。興奮して飛び回る蝙蝠達の羽音が、此処で何かが起こるのだと知らせてくれる。

そして、それが起こった。

「うあ!? ちょっとっ!」

左足の足首を、何かに掴まれたのだ。どう考えても、相手の力の方が強い。クレバスの縁にいた時は、落ちることだけを警戒していたから、気をつけていた。だが、こんなのはどうやって防げばいいと言うのか。

もがいても無駄だ。踏みつけても、手応えがない。やはり、もはや人ならぬ存在らしい。地鳴りが聞こえてきた。暴れるが、無駄だ。リュックを降ろして、慌てて切り札を取り出そうと思い当たった時には、もう遅かった。

嫌な臭い。

どうやら、硫化水素ガスらしい。そう思った時には、ライトに映る視界が真っ黄色に染まる。ババロア皿の地形は、どうやらガスの噴出口があったためか。しかも、それはガスどころではすまなかった。

大量の硫黄を含むらしい液体が、棚田の中央から噴き出してくる。咳き込むが、周囲の空気が一気に有害物質に汚染されていくのが分かった。くらっと来た時には、もう立て直せない。

足首を掴む感覚が無くなった時。

スペランカーは前のめりに倒れ。命を無くして、大の字に浮かんでいた。

 

指先が動く。

ついで、肺が。

最後に、心臓が。

浮かんでいたスペランカーが、水の中で息を吐いた。がばっと顔を上げる。咳き込んで、肺の中に入り込んでいた水を吐き出す。目を擦って、周囲の状況を把握。浮かんでいた、ヘルメットを掴む。頭を振って、栗色の髪に着いていた硫黄混じりの水を飛ばす。

「うあー、げほっ! ごほっ!」

四つんばいになって、しばし咳き込む。涙を拭っている内に、どうしてこんな事になったかを思い出す。

いつものことだ。

体が無事であるだけ、まだマシだとも言える。

あの時に。五歳になった時に。受けた神の呪いによって、スペランカーはこういう難儀な体質になってしまった。一般人と同じか、それ以下の能力しかないのに、このような魔境に挑む仕事をしている所以だ。

死なないのである。

この体質を良いことに、地雷原に踏み込まされたり、巨大な異形生物が徘徊する海域に潜らされたり、色々なことをさせられた。ありとあらゆる死に方の経験をした。地雷で足を失って失血死したり、巨大な海棲生物に体を食いちぎられたり。丸呑みにされたこともあった。

それらから復活したことから、あだ名がスペランカー。

ぐしょぐしょになってしまった服を、乾かしに戻るべきか。いや、此処は進むべきだろう。足を引っ張って、スペランカーを殺してくれた人ならぬ者に、対策を立てる時間を与えたくない。二度も明確に見せた以上、向こうも気付いたはずだ。対抗手段は、一応存在はしている。

もっとも、それに気付くとは思えないが。

棚田から上がって、ようやく水のないところに出た。靴の中に溜まった水の感触が、気持ち悪い。

振り返ると、再びババロア皿の真ん中から、ガスが噴出していた。口と鼻を押さえ、さっさと先へ進む。

うねり、くねり、下がる坂。再び、鍾乳石が目立ち始めていた。何度か頭をぶつけそうになり、慌てて屈む。ふと気付くと、真っ白な蛇と至近から鉢合わせしていた。スペランカーの腿ほどもある、ぶっとい蛇だ。多分体長も四メートルを超えているだろう。舌をちろちろと出している蛇は、引きつった笑顔を浮かべるスペランカーから顔を背けて、這ってどこかへ消えてしまった。

多分彼は、蝙蝠を餌にしているのだろう。この洞窟は、見かけよりも遙かに生態系が豊富だ。足下をサソリがかさかさと這っていく。屈んで鍾乳石を避けていたが、それも無理になってきた。腹ばいになって、進む。濡れた下着と服が、とても気持ち悪い。

リュックがつかえるようになったので、背中から降ろして、引っ張りながら匍匐前進。まだまだ、先は長いのだろうか。

不意に、空気が冷える。

鍾乳石が消えた。立ち上がるスペースが出来たので、泥だらけになった肘を擦りながら、ゆっくり立ち上がる。ヘルメットに鍾乳石がぶつからないことを確認してから、ゆっくりライトを先に向ける。

思わず、息を飲み込んだのは、見てしまったからだ。

「ひどい……!」

わなわなと、体が震える。其処には、確かな証拠があった。黄金があるかは分からない。だがともかく、かって此処で何かが起こったという、確固たる証拠が。

多分、さっき足を引っ張った奴の仕業ではないだろう。それにしては、少し遺体が古いような気がする。

そう。

其処にあったのは。

見渡す限りを埋め尽くす、白骨の野。

かって此処で何が行われたのかを明確に示す、地獄の光景であった。

 

ついに、眠りの地に辿り着かれてしまった。

彼は苛立ちと共に、侵入者を見守る。扉が開けられてしまった今、大勢を連れてこられると、少しばかり面倒だ。中には、自分への対抗能力を持っている奴がいるかも知れないからだ。

いや、それだけではない。奴には不思議な危険を感じる。何故かあの毒ガスを浴びせてやっても生きていた。落とした時は、確かに串刺しになったのに生きていた。そればかりか、傷一つ無い。

確かに、生きた人間であることは、触って確認した。貧弱で、筋肉も少ない、細い足だった。荒事の経験はあるようだが、あの身体能力でどうやって生き残ってこられたのかが、不思議でならない。戦場に出たら、真っ先に殺されるような奴である。それなのに。今、此処までの侵入を許してしまっている。

今度は、もっと徹底的に。

なりふり構わず、殺すべきか。

迷いが渦巻く。

この下には、王家の墓がある。其処は彼が絶対に守らなければならない場所だ。おびただしい数の同胞達が散った。その無念を晴らすためにも、人間を近付かせてはならない。あの財宝には。

あれは自分の、いや同胞達皆のものだと、彼は思った。だからこそに、地獄の底から怒りの炎が沸き上がってくる。侵入者を生かしておく訳にはいかない。此処まで土足で踏み込んだことを、かならずあの世で後悔させてやる。

死者の野に、奴が踏み込んだ。彼は滑るようにして動き始め。そして、不意に止まった。

奴が、同胞の死骸を踏まないようにして、脇にどけている。どけながら、謝っている。後で埋葬するからとか、供養するとか、言っている。

信じられるものか。

此処に連れてこられた時だって、王家の連中は都合が良いことを言っていた。家族は養ってやるとか、給金は高いとか。結果はどうだ。皆殺しだったではないか。口封じのために、王家の連中はどんな汚いことだってやった。奴は気付いただろうか。扉の裏に、引っ掻いたような跡が無数についていたことを。

不意に、理解する。あれは、此方の動揺を誘うための演技に違いない。二回、確かに殺してやったのだ。それに懲りて、此方の出方を見ようとしているのだろう。良いだろう。それならば、三回でも、四回でも、百回でもコロシテヤル。

再び動き出す彼の目には。再び炎が燃えさかり始めていた。次はもっと確実に殺す。そのためには、恐ろしい罠を動かす必要がある。まだ生きているその罠は、彼にとっても思い入れが深い。

何しろ。暗い情熱を、それに注ぎ続けたのだから。

 

骨を何度もどけながら、スペランカーはやっと白骨の野を渡りきった。其処は再び崖になっていて、曲がりくねった坂が続いている。ライトが届かないほどに向こうは遠く、白々しく天井から伸びた何かの蔦が、おいでおいでと誘っているようだった。もちろん下手に掴まれば、すぐに切れて落ちてしまうだろう。スペランカーの腕力と脚力では、とても原始人ごっこなど出来はしない。出来たとしても、三回に一回くらいは落ちるだろう。確実性に欠けすぎるので、選択肢には入れられない。他の異能者なら当然選択肢に入っているであろう行動が、スペランカーには存在しないのだ。

天井近くに、瞬きが見えた。ヒカリゴケかと思ったが、違う。

恐らくは、グロウワームという奴だ。通称土蛍。見るのは初めてだが、確かに美しい生物だ。だが、あの美しさは、食欲と、殺意によって支えられている。ああやって光によって獲物をおびき寄せ、粘性の強い糸で捕らえ、貪り食うのだ。光っているのは幼虫だが、恐ろしいことに成虫も餌食になるのだという。閉鎖空間特有の、貪欲で恐ろしい偽の星。それがグロウワームという生き物だ。

象徴的だなと、思う。

かって滅んだ、この土地にあった王国にとっても。金はあれに似た存在だったのではないのだろうか。

もちろん、グロウワームは独自の生態を造ることによって、一生懸命生きている生物であり、邪心とも悪意とも無縁の存在である。しかしこの洞窟を、閉塞した小国と置き換えると、その形状は悪意に支えられた黄金伝説にも似てくるのではないか。それに、現在のこの国も、独裁政権が行き詰まりを向かえようとしている。噂によると、あの男が、攻略を依頼されているという。

次々に他の生物を引き寄せ、喰らってしまう偽の星。スペランカーも、何度も粘液に捕まってしまった一人という訳だ。

坂を下り終えると、少し広いところに出た。此処が遺跡なのだと、よく分かる光景が広がる。

床から大量に生えている石筍の中央に、見覚えのある姿がある。

ここに来る前に、見せられたもの。かって此処にあった王国で、崇められていた神の象と。

それに、ピラミッドだった。

別に、ピラミッドというか、古墳型の遺跡は珍しくもない。洋の東西を問わずに存在し、材質も土から石まで様々だ。E文明の巨石によるものが有名だが、それほどの規模ではなくても、南A大陸にも大型のものが存在している。ただし此方は、侵略者によって徹底的に破壊されてしまったが。

ピラミッドの高さは、十メートルほどだろうか。周囲には白骨が点々としていて、実に痛々しい光景である。作りはそれほどしっかりしたものではなく、表面はかなりいい加減で、積んでいる石の材質も不揃いである。ひょっとすると、この洞窟で調達した石も混じっているかも知れない。

水滴の音がひっきりなしに響く。石筍があると言うことは、この辺りには水滴が落ちてきていると言うことだ。何千年も掛けて造られる石筍は、天井から落ちてきた水滴などの水が、ゆっくりじっくり岩を削った結果である。足下には、小さな川が幾つかあった。何処へ流れ込んでいるかは分からないが、こう言うのがたくさん集まって、巨大な地下水脈を形成しているのだろう。

神像に近付いてみる。両手を高々と持ち上げたそれは、大きな口を開いていた。もちろん口の中には、大きくデフォルメされた犬歯がある。

この守護神は事前に聞かされた説明によると獅子を模しているという。首都にある、大きなものも実際に見せられた。だが、破邪の性質や猛々しさより、むしろまがまがしさが目立つのは、この洞窟の環境が原因だろうか。両手には松明と剣を掲げている。松明は夜闇を照らす光を、剣は敵を切り裂く力を意味するという。

首からぶら下げているネックレスには、髑髏。この髑髏はほんものだ。白骨には髪の毛までついていて、神像を造った後、気の毒な犠牲の首をちょん切って、はめ込んだことが予想される。酷い話だ。ただ、古代では生け贄は珍しくなかった。近代国家でも、つい数十年前までは、生け贄の習慣が辺境にて生き残っていたと言うではないか。

神像の背中には、小さな翼があった。ただし、やはり作りは全体的に拙い。殆どの造作は模様として刻まれており、多分素材もこの洞窟で調達したものだ。そして、ピラミッド。石段になっていたので、登ってみる。一段一段はとても狭いので、少し注意が必要だった。その上苔がびっしりである。小さなよく分からない虫も、たくさん表面を彷徨いていて、踏まないようにするのが大変だった。

こういうピラミッドや、それに類する墳墓には、表面に土が盛られていたり、緻密な模様が刻まれている事が多いと聞く。しかしこれは、多分盛り上がった大きな石筍の回りに、適当な石を積んだだけのものだ。多分これはフェイクだなと、スペランカーは思った。というか、誰でも思うだろう。

こんな分かり易いところに、黄金をほったらかしておく訳がない。多少ピラミッドでデコレーションしたとはいえ、隠し通せるものではない。

一番上まで登った。何も無し。ゆっくり回りを見回した、その時であった。

ばきりと、嫌な音。

スペランカーの頭部を、巨大な鍾乳石が、直撃していた。

 

ヘルメットを簡単に砕いた鍾乳石が、致命傷を与えたのを、彼は見た。バランスを崩した奴が、ピラミッドから落ちる。転がり落ちて、何度も体を強打。一番下に落ちた時には、腕も首も、あらぬ方向に曲がっており、其処へ更に石筍が落ちた。肉と骨が砕ける音がした。潰れた肉の間から、大量の血が流れ出ている。

これなら、今度こそ。

信じられないほど長い時をかけて。己の物理干渉能力をフル活用して、作り上げた罠がこれだった。

ピラミッドに宝がないことは分かっていても、触らずにはいられないのが人の性だ。だから、その上にある鍾乳石を、少し触るだけで壊れやすいように削っておいたのだ。首が折れ、頭が砕け、更に鍾乳石の下敷きになった。これなら、生きている訳がない。快哉の声を挙げた彼は、続いて勝利の雄叫びを上げた。

侵入者は死んだ。後は、奴が持っている鍵を奪って。扉を閉め直せばいい。そうすれば、再びこの闇の王国に、人間はいなくなる。静かで優しい時がやってくるのだ。しかも奴は死んだだけではなく、死骸が動かせないほど酷い状態になって、ピラミッドの脇に転がって、石の下敷きになっている。仮に生き返るとしても、これならば。どうにもならないはずだ。

近付く。さて、鍵だ。

近付いてみて分かったのだが、どうやら此奴は女らしい。細い体をしていたし、殆ど胸も腰も平坦だったので、少年だと思っていたのだが。まあ、どうでも良いことだ。肉体を失った時に、欲も殆ど消えて無くなった。今では、暗い情熱だけが、彼の存在を支えていた。

死体のポケットに、手を突っ込む。鍵は確か此処に入れていたはずだ。ふと、奴が動いた気がした。

それは、気のせいではなかった。

いつのまにか。目があっていたのだ。大量の血で、ケチャップをぶちまけたようになっていた上、首があらぬ方に曲がっていたはずなのに。奴はいつのまにか、綺麗な姿に戻っていた。

腕を掴まれる。

初めての経験だ。まさか、生きた人間に、物理的な接触を受けるとは。

「ちょっと、ひどいよ。 いたいじゃない」

抗議の声が聞こえた。今まで、忘れていた感情がよみがえる。それは、恐怖。悲鳴を上げながら、彼は床に潜り込み、姿を消した。なんだ、なんだあれは。本当に生き返った。異能の者は今までも見たことがあったが、こんなばかな。これではまるで。いや、こんなことでは。死んだ同胞が、あまりにも哀れではないか。

どうしたらいい。どうしたら、奴を撃退できる。

地下水脈にでも落とすか。しかし、這い上がってきそうだ。潰したのに、あんな短時間で元に戻ったのだ。水死させたところで、すぐによみがえるだろう。ならば殺して殺して、殺し尽くすべきか。

しかし、あの復活速度からすると。それに、腕を掴まれた所からいって。対抗手段を持ち合わせている可能性も高い。

恐怖を鎮めようと努力するが、なかなか出来ない。

それどころか、更にそれが高まる。奴が起き上がるのが見えたのだ。潰してやったのに、石の下敷きにしたのに。あれは普通の人間が動かせる重さではない。重機を持ち出して、初めて動かせるサイズなのだ。

奴の華奢な力で、どうやって。

幸いなのは、リュックが潰れている事くらいだ。だが、服は無事だし、平然と立ち上がっている。潰れてしまったヘルメットを捨てる奴は、栗色の髪をしていた。それにも、血はついていない。ただ、ヘルメットには血がべっとりと貼り付いていた。

「どこ? 近くに居るんでしょ?」

別に声に揶揄や威圧感はない。それなのに、もう失ってしまった心臓が跳ね上がるような恐怖を、彼は感じていた。ゆっくり迫ってくる、恐怖。そうだ、これは。自分が死んだ時の記憶。

雄叫びを上げる。恐怖のまま、必死に奴から離れる。

だが、奴の声は、何処まででも追ってくるような気がした。

 

4、秘密

 

何者かの気配が消えた。視線も感じない。ため息が一つ漏れた。怖がって逃げてしまったのだろう。

好機ではあるが、気が重い。ともかく、時間は稼げたのだ。このピラミッドがフェイクであろう事ははっきりした。この近くに、本物へ通じる何かがあるだろう。徹底的に探さなければならない。

リュックから缶詰を取り出す。タオルに包んでいた缶詰は無事。出した缶切りはさっきの落石の衝撃によって、少し曲がっていたが、充分に仕えそうだ。タオルを取り出して、額を拭く。ボロボロの、父の形見の品だ。

これを出すと、どうしても思い出してしまう。

十年以上、前のことだ。

スペランカーは、人生を決定する事件に巻き込まれた。まだ五歳の時である。

当然、幼い頃の何も知らないスペランカーは、よく起こったことが分からないうちに、それに遭遇し。

そして、神に呪われた。

全てに気付いた時は、遅かった。思春期の頃には、自分がどんな存在になりはてたのか、理解していた。だが、それでも。もはやどうしようもなかった。

神の呪いは、解除できないのだ。それに、父の満足そうな死に顔を思い出すと、今更解除する方法を探すことなど、出来ようはずもなかった。父は本気で、スペランカーが幸せになったと思って、あの世に行ったのだ。もし呪いを解除する方法を本気で探すとなると、スペランカーは父の生涯研究を否定することになってしまう。文字通り、父は浮かばれなくなってしまう。それだけは嫌だ。確かにこの異能に嫌気が差したことはある。だが、解除しようと思ったことは一度もない。

母は、あまり苦しまなくて良いと言ってくれている。もっとも、彼女の場合は、狂的な研究に全てを賭けていた父に、愛想を尽かしてしまっていたのだろう。その上、再婚の邪魔になるスペランカーにも、あまり興味を持っていない様子だった。それどころか、最近は金を集りにまで来る始末だ。

だから、中学を出た頃には、スペランカーはもう自立を考えていた。父は既に亡く、母は帰宅する度に違う男を連れ込んで、自室でなにやら声をあげていたし。居場所はとっくに無く、あるのは父の研究で手にしてしまった異能だけ。日常生活にはまるで役に立たない、意味不明な力しかない。

その上、その異能の副作用によって、スペランカーは無能になりはてていた。どれだけ鍛えても筋肉はつかなかったし、勉強も殆どまともに覚えられなかった。物覚えも良くない。切れ者であれば中卒でも生活することが出来ただろうが、スペランカーにそれは無理だった。

かといって、母の狂態を見ているスペランカーは、体を売りたくはなかった。ありもしない愛とやらをもとめて、最も愛が無さそうな相手に媚びを売り続ける母への反発も、其処にはあっただろう。

必然的に、仕事は選ばれた。

国の異能リストに名を連ねて、もう数年になる。まだ最高難易度のフィールドに挑戦したことはないが、それでも実績はそれなりに積んできた。あまりにも貧弱なステイタスと裏腹な、必ず生還するその奇跡的な姿から、スペランカーと呼ばれるようになったのも、最近のことではない。

タオルをリュックにしまい、サンマの蒲焼き缶を開ける。何も着けずに食べられる美味しい缶詰である。蟹缶はたまに食べるから良いのであって、普段の缶詰はこう言うので良い。レーションのまずさには閉口するが、J国製の缶詰はスペランカー好みで、どれも悪くない。

しばし、蒲焼きに舌鼓を打つ。安らぎの時間だ。それが終わると、おもむろに血に染まったメモ帳を取り出して、状況を確認していく。

何かあるとしたら、このピラミッドの間か、さっきの白骨の園だ。

効率よく探すつもりであれば、重機の類を持ち込むのが早い。だがそれは、死者の亡骸を蹂躙することにつながる。この国の独裁政権が、如何に凶暴な連中かはよく分かっている。前払いで半金を貰っていなければ、スペランカーにも仕事を受ける気はなかったほどだ。もし金のありかが近いと思ったら、どんなことだって平然と実施するだろう。幽霊なんぞよりも、怖いのはなんといっても人間なのだ。

何とか無事だった懐中電灯で、辺りを照らしていく。この部屋は広く、何かがあることを否定できない。まだ物資はあるので、戻らずにもう少し調査を続けた方が良さそうである。

ザイルを取り出したのは、崖状になっている縁に、何かを見つけたからだ。それは、かって大勢の人間が出入りしたと思われる、不自然なへこみ。下は暗くて見えないが、何かある可能性が高い。此処からはザイルを使って、下に降りていくしかない。鍾乳石にしっかり片側を結びつけて、自分のベルトにも片方を固定。シートベルトと同じ作りになっているこれは、降りながらゆっくり固定点をずらすことが出来る便利な品だ。残念なのは、スペランカーの能力が、これを使いこなすに到っていないと言うこと。何度も練習したが、どうしてもへたっぴのままで、時間がたんまり掛かってしまう。どうにか形になった時には、少し疲れてしまっていた。

口にペンライトをくわえると、ゆっくり崖の下に身を入れる。

ザイルは揺れていて、下が川なのか、石なのかもさっぱり分からない。

ただ、あまり深いところにはないだろう。大量の金塊を運ぶとなると、あまりにもリスクが大きすぎる。特に金塊を隠した時には、あまり時間がなかったはずで、これだけ凝ったものを造っただけで、奇跡的だとさえ言えるのだ。

ぶら下がって、完全に足が離れると、やはり不安になる。別に落ちたって良いのだが、あがれなくなるとそれなりに困る。まあ、その時は別の方法を考える。

降りていき、ペンライトで照らしていく。ビンゴと呟いたのは、足場の跡が残っているからだ。壁に不自然な穴がたくさん開いている。これは恐らく、木か何かの足場を造り、放置したのだろう。木は腐って無くなってしまったが、穴だけは残ったという訳だ。

壁を真っ白なごきぶりが這っていた。遠くの空を、蝙蝠が舞っている。

こんな特異な閉鎖空間でも、逞しく生きている、多くの命がいる。彼らには出来るだけ迷惑を掛けずに、全てを終わらせたいものだと、スペランカーは思った。二の腕ほどもある巨大なムカデが壁を這っているのを見た時には流石に吃驚したが、別に彼らに悪気はない。

不気味だという理由で遠ざけられる悲しみは、嫌と言うほどよく分かっている。

だから、何も言わず、スペランカーは静かにザイルを滑り降りた。

 

再び、あの気配。出来るだけ刺激しないようにと思って、スペランカーは手を止める。正体が特定できた以上、倒すことは、可能だ。できれば、そうしたくない。父の末路を見ているスペランカーとしては、なおさらだ。

ゆっくり、再び降り始める。途中、横穴を何度かみつけた。スペランカーの腕力ではとてもではないが飛び渡ることなどできっこない。出来たとしても、何度かに一回は加減を間違って真っ逆さまだろう。だから振り子の原理で何度かロープを揺らし、強引に中に潜り込んだ。そしてそれぞれザイルをゆっくり伸ばしながら、中を調べた。しかしいずれもが外れで、くたびれ損になるばかりだった。

ただ、分かったことも多い。

この辺りには、それなりの規模の足場が組まれて、仕事場になっていたらしい。というのも、朽ち果ててはいたが、横穴の内部には生活の痕跡が見て取れたからだ。今は洞窟に住む生き物たちの住処と変わり果ててはいたが、しかし鍾乳洞の中、壁に穿たれた横穴と、その中の人間が生活した痕跡は嫌でも目立つ。中にはかなり古い型式の、ランプの残骸らしきものさえもがあった。

この闇の世界で、確かに人が仕事をしていたのだ。どんな思いで仕事をしていたのかは分からない。ある横穴は途中からトイレに使われていたらしい形跡があったが、しかし流石にもう糞尿の臭いや痕跡は無かった。

下の方に行くと、朽ちていない足場の跡や、リフトの痕跡も残っていた。どうやらこの崖は、鍾乳石から落ちる水滴によって、足場を腐らせ失っていったらしい。何度かの大崩落で殆どがこけ落ちたようだが、ほんの一部は土台だけが残っていた。金属を使っている様子はないが、それなりに頑強だったようである。多分、国にあった技術をあらかた使ったのだろう。

国が滅びるという時に。こんな洞窟の中に侵略の手を進めて。そして貴重な税金と金山から掘り出した黄金を隠すなんて。

そんな事をしていたから、国が滅びたのではないのかと、スペランカーは思った。

中卒であるスペランカーは、各国の歴史もあまり良くは知らない。だが、異能の者として各地の国でフィールドに挑んだから、知っていることもある。この国は、かって最低の国だった。今はそれを更に下回る国と化している。

この洞窟の中を見て、それを強く思った。今の国も同類だ。フィールドと化してしまっているこんな危険地帯に、コストを浮かすためとはいえ一個中隊もの兵隊を投入して死なせるとは。

ザイルが、尽きた。

だが、足も地面に着いていた。

其処は谷の底。中央部には川が流れているが、あまり勢いは強くない。流れそのものも平坦で、砂は非常に細かい様子だ。ただし、奥からは大きな音も聞こえる。多分、滝になっているのだろう。

河原になっている左右には、無数の残骸。足場のなれの果てだろう。それに混じって見えるのは、やはり白骨だった。それも多少というような量ではない。まるでカタコンベの中身を、丸ごと放り出したかのようだ。

あの野だけではない。此処でも、大勢が死んだという訳だ。

目をつぶって、ザイルをベルトから外す。多分四十メートルは降りただろう。スペランカーの予想では、多分この辺りに目的のものがある筈だ。途中、入れそうな横穴はみんなチェックした。それで駄目なら、底から行ける場所しかない。馬鹿なスペランカーにも理解できる、単純な話だ。

まだリュックの中にはザイルとフックつきのロープがある。ゆっくり足場の辺りを見回しながら、奥へ奥へ。一度川を渡ったのは、崖の上の方の地形を見たからだ。丁度向こう岸の方が、崖の影になっていた。まだ何かがあるとすると、多分そちらだろう。

川の中に入ると、ひんやり冷たい。天井から降ってくる水滴が増えてきた。川を渡りきると、砂の質が変わる。より泥に近くなり、河原に小さな川と水たまりが目立つようになった。

川の中には小さな魚がちらほら見える。光を当てると、びっくりして逃げていく。多分、目が退化してしまっているのだろう。この辺りでは、ちょっとした岩などにも、グロウワームが巣くっていた。小さな虫が飛んでいる。彼らは、光など必要としないから、グロウワームの罠に落ちてしまうのだろうか。

川の中の魚はあまり多くない。こう浅い川では、大型の鰐とか肉食の魚とかは棲息できないだろう。だが、あの大きな蛇の例もある。こういった閉鎖空間では独特の生態系が形成されるとか聞いたこともあるし、幾つかのフィールドでは実際にそれも目撃している。何がいるかは分からないから、やっぱり慎重に行くしかない。

岸壁に到着。そそり立った絶壁で、とても素手では登れそうにない。ロッククライミングの技術など無いのだ。腰に安全装置を付けたザイルなら、時間を掛ければ登れるが。これでは、フックを仕掛ける場所もない。

何か、痕跡はないか。川の上流から下流に沿って、念入りに調べていく。下流に歩くと、滝の音がかなり強くなっていた。相当に深いところにまで落ちているらしい。これに落ちたら、地上に戻るのはかなり骨だ。慎重に行動しなければならない。

皮肉なことに、一定距離を保って此方を見つめている、何者かの気配が指標になった。危険地域に近付くと、殺気が出るので、どうしても分かり易い。さっきよりずっと気配が露骨になっているのは、焦っているのや、此方を怖がっている事があるのだろう。

滝が見えた。此処まで、岸壁に、特に変わったところは無し。

滝というものは、当然川底を削りながら、後退していくものだと聞いたことがある。ひょっとして、滝の更に奥に、横穴か何かがあって、そっちに金塊が治められているのではないのか。もしそうなら、もうスペランカーの手には負えない。異能者の中で、ロッククライミングのスキルを持つ人間を呼ぶしかない。

だが、そういう判断をするのは、調べきってからだ。もしもスペランカーが見落とした所に金塊があったら、報酬に響くどころか、評判を著しく落とすことになる。ただでさえ一流とは言い難いスペランカーなのである。良くて二流の評判を更に落とすことは、そのまま生活が出来なくなる事に等しい。

そうすれば、こんな汚れた仕事さえも来なくなる。

滝の音を聞きながら、岸壁を背に腰を下ろす。膝を抱えて座ったまま、じっと此方を監視している何者かに語りかける。

「ねえ、君、でいいのかな。 怒ってないから、出てきなよ」

返事はない。

最初は消すつもりであった。状況がはっきりして、正体が分かった今は。説得できないかと思っている。まあ、難しいだろうが。リュックに入れてあるあれを使わなければならないかも知れない。それは、出来るだけ避けたい。巧く使えば、あの男でさえ屠れる道具だ。何度か使って、その非人道性にも吐き気がする思いをしている。

「君、上の白骨の野で死んだの? それとも、崖の下に落ちたの?」

やはり、返事はなかった。ただ、若干の動揺は感じられた。スペランカーの実力では、どんな風に心を乱したのかまでは分からない。だが、それでも充分だ。まだある程度の自我は残っているらしい。一番面倒な霊体は、もう自分が何者かも分からず、ただ本能のまま相手を祟り殺すような輩だ。

霊体のまま、この世にとどまってしまっている存在には、他のフィールドで遭遇したこともある。ああいう連中は、沼に潜んで獲物を狙う鰐に近い。もう、人間の残骸と言うよりも、魔物と化した存在だ。特に、霊感のないスペランカーにも感じられるほど強くなっている連中は、もはや殺戮兵器に近い。

だが、さっき三度に渡ってスペランカーを殺した此奴は違う。まだ、対話の余地はあるのではないかと、スペランカーは睨んでいた。

リュックを開けて、缶を出す。今度は何が出るかなと、わくわく。引き出した手の中には、鮭缶があった。骨まで食べられる所が嬉しい缶詰で、ちょっと味はあっさりしているが、軟らかく煮えている骨の食感が大好きだ。普通は取り出さなければならない所を、そのままかじれる所がいい。お醤油を付けると更に美味しくいただけるのだが、今回は我慢だ。そのままでも食べられるのだから。

まだ缶詰はある。お箸は幸いさっきの岩直撃でも折れなかったので、手で食べずに済んだ。もぐもぐと鮭缶を食べるスペランカーは、ずっと視線を感じている。ひょっとして、奴は殺している相手が人間ではないとでも思っていたのだろうか。

あり得る話だ。特殊な環境にずっといると、人間はおかしくなる。外部の存在を、人間だと思えなくもなる。

何処の国でも世界でも、人間なんて大して変わらないものだと、スペランカーをいやいや送ってくれたあの男が、ぼやいていた事がある。幾多の世界と国を渡り歩き、発火能力、飛行能力や巨大化能力、変身能力までも駆使して軍隊と戦い、単身撃破し続けたあの男が言うのである。それは一面の真実なのだろう。文化は違えど、根底の人間は変わらず。確かに、スペランカーにも納得できる話である。

だからこそに。どうにかして、説得したいものなのだが。

今の内に、覚悟は決めておいた方が良さそうだ。鮭缶を食べ終えると、スペランカーは探索に戻るべく立ち上がる。今度は上流に向けて歩いてみる。上流はかなり緩やかな坂がずっと続いていて、砂利は上に行けば行くほど粒が大きくなっていった。このまま上流に向かうと、流れが分岐する可能性もある。何かのヒントは恐らくあるのだろうが。さっきの碑文にはあの戸を開けるに役立つ事以外は書かれていなかったし、何かヒントがあるのに期待するしかない。

ライトで慎重に岸壁を照らしながら、上流へ。やがて、此方でも滝の音が聞こえてきた。しばらく行くと、広大な地底湖が見えてくる。浅いが、しかしかなり広い。水面は鏡のようであり、踏むと何処までも波紋が広がっていく。これは、汚しては行けない場所のような気がする。

滝はその奥にあった。ひょっとすると。

岸壁に沿って、地底湖の縁を歩いていく。魚がかなりの数住み着いているらしく、ライトで照らすと、時々泳ぎ去る影が見えた。深さはそれほどではないらしく、多分突き落とされても死なない。ただ問題が一つある。スペランカーはあまり泳ぎが上手ではないのだ。さっきのババロア皿と間欠泉のような浅い場所ならともかく、足がつかないような所に放り出されると、流石に少し難儀するかも知れない。

滝の近くにまで来る。

ビンゴだった。やはりこの辺りの壁に、何か細工した跡がある。湖底にも、どうやら人間が削ったらしい、不自然な凹みが点在していた。そうなると、この奥はかなり曲がりくねっている事が予想される。リュックを開けてみる。一応、食料は充分。予備のザイルも少し入っている。

金塊があるにしろ無いにしろ。この奥にて、真相がはっきりする。

頬を叩くと、スペランカーは滝の裏を覗く。やはり、その先には。延々と続く、洞穴が広がっていた。

 

ついに、此処まで来た。

彼は、際限のない恐怖に、身を包まれていた。

話し掛けられた時も怖かった。だが、ついに此処まで土足で踏み込まれたことが、それに拍車を掛けていた。

殺せないのではないかという疑念は、今や確信に変わりつつある。強大な武器を身につけた、如何にも強そうな戦士と戦った時も。奴は心臓の鼓動を止めることで、倒すことが出来た。それなのに、三度殺しても、平然とずかずか進んでくるあいつは、本当に殺せるのか疑問でならない。

此処は彼のホームグラウンドだから、罠は色々仕掛けてある。凶暴な生き物も巧く誘導して、飼い慣らしてある。だが、しかし、それでも勝てるのだろうか、疑念が強い。

恐怖が、体を拡散させているのが分かる。憎悪によって保たれていた体が、別の感情によって乱されているのだ。

怖い。彼は今、ただそう思い続けていた。

彼が集めて育てたあれに、勝てる生き物など、いはしないというのに。

 

5、翼持つ砦

 

洞窟を歩きながら、スペランカーは思う。この鍾乳石だらけの洞窟は、人間の住む場所ではないし、入っていいところでもない。だから、あの幽霊も。きっと辛い思いをしているのではないかと。

スペランカーは、異能を一つだけ持っている。

それは、生まれついてのものではない。父によって、授かったものだ。

懐中電灯で辺りを照らす。まるで牙のように、鍾乳石が立ち並んでいる。落ちてくる水滴は、まるで邪悪な音楽を奏でているかのようだ。

あの時と同じ。唇を噛むと、スペランカーは大きな鍾乳石を、よっと声を掛けて乗り越える。

鍾乳石から足を離すと、洞窟が更に狭くなってきていた。狭くなってくる天井と床は、まるで獣の口の中にいるかのよう。いつ閉じ合わされるか、不安さえ感じてしまう。

口、か。

五歳のあの時に、遭遇したあの姿を、スペランカーは一生忘れはしないだろう。

スペランカーは、父が年を取ってから、産まれた子供だった。記憶にある父はおじいさんであった。多分スペランカーが産まれた時から、命を落とすまで、ずっと同じ姿をしていた。

だからかも知れない。スペランカーは父の愛情を深く受けながら育った。何か父がとても怖い研究をしているのは分かっていた。部屋からは変な臭いがいつもしていたし、怖くて目を合わせられない不気味な像が部屋には幾つも飾られていた。友達も父には少なく、学会でもあまり歓迎されていなかったらしいと、結構最近に聞いた。納得してしまったのは何故だろう。好きだった父なのに、孤独だったのは自然な事実として受け入れられるのだから、不思議だ。

あの日。

父に手を引かれて、スペランカーは家の書斎に入った。書斎と言っても二十畳もある其処は、得体の知れない本や道具で埋め尽くされた、奇怪な部屋だった。咳をしながら、父はスペランカーの頭を撫でる。咳がどんどん酷くなっていることを、スペランカーは知っていた。母が父と口も聞かないことも。悲しかったが、スペランカーには何も出来なかった。

床に変な模様が刻まれていることに、スペランカーが気付いた。怖いと言ったが、父は大丈夫だと言う。やがて、父が山羊を連れてきて。その首を、鉈でちょんぎった。

大量の血がぶちまけられるのを見て、スペランカーが悲鳴を上げた。父はまるで顔色を変えず、訳が分からない言葉を呟き続けていた。二頭目三頭目が次々に殺される。床は朱に染まり、鉄の臭いが部屋に充満した。やがて、恐怖が全身を包んだ。何か、とてつもなく危険なものが、その場に来る。

闇そのものが、模様から噴き出してきた。それは父の何十倍も大きくて、爛々と光る目を持ち、巨大な口がスペランカーを丸呑みにしそうな程に、大きく開いていた。硫黄のような臭いが、その口から漏れている。軟らかく動く手が一杯生えていて、海の臭いもした。失神しそうになるスペランカーの肩を掴むと、父はその何かの前に、体を押し出した。

もがくが、離してくれない。パパ、怖い。悲鳴を上げるが、父はやめてくれなかった。

「海底の神よ! 滅びし都市に君臨する異形の者よ! 我は汝を呼び出せし者! 今よりいにしえの盟約に従い、契約を取り交わしたい!」

「内容を述べよ、我を呼び出し、直視しながらも、なおも正気を保つ者よ」

「パパぁっ! やだ、やだああああっ!」

何か、途轍もなく嫌なことをされる。本能でそれを悟ったスペランカーは涙を流しながら首を横に振ったが。スペランカーを愛している筈の父は、枯れ木のような手で、スペランカーの体をしっかり固定し続けていた。

「私の望みは! この娘を!」

いやだ。やめて。やめてお父さん。

「不老不死に! することだ!」

顔を上げる。全身に、汗をびっしり掻いていた。

そう、あの日。スペランカーは神に呪われ。そして、父と、死ぬ権利を永久に失ったのだ。

トラウマに包まれていた。体ががくがくと震えている。

今は、そんなときではないというのに。

気付く。何かが、近付いてきている。

最初に、痛烈な耳鳴りがした。

顔を上げたスペランカーは、殺気の洗礼を受けていた。さっきの奴とは違う。何かもっと禍々しい、ピュアな悪意と殺意、それに食欲を感じた。

人間を喰うような相手、特に大型の猛獣などならば、むしろ気が楽だ。対処もである。厄介なのは、大型ではない、凶暴な動物の群れ。いちいち対処が面倒になることが多い。前に一番難儀したのは、攻撃性の強い超大型のアリの群れだった。あれは思い出したくない。

一応この仕事を始めた時に、戦術や戦略の勉強はした。身を守るために格闘技も訓練した。だがどれもこれも、まるで身につかなかった。これも恐らく、神の呪いの一端だろう。もちろん、スペランカーが無能であるという事も関係しているに違いない。

きいんと、鋭い音。

気圧が変化したのかと思ったが、これは違う。辺りがびりびりと揺れている。吐き気がこみ上げてきた。蟹缶を吐くのはもったいないから、我慢する。岩に、切れ目が入った。羽音が聞こえてくる。間もなく、姿も見えた。

蝙蝠だ。

途轍もなく大きい。それも、一匹や二匹ではない。この洞窟で見かけている蝙蝠達は皆とても大きいが、それが小さく見えてくるほどである。それが多数、群がってきた。大きいだけあってそれほど飛翔能力は高くないようだが、爪も牙も大きく、油断できる相手ではない。リュックに手を入れたスペランカーが、閃光弾を取り出そうとした瞬間に。

全身を、死の手が掴んだ。

近くに、蝙蝠の糞が落ちている。其処から、何かが出ている。

これは。

思考がぐらついてきた。全身が燃えるように熱い。ひょっとしてこれは、途轍もなく強力な病原菌か、或いは毒ガスか。肌が黒ずみ、泡立ってきた。膝から崩れ落ちる。前のめりに、倒れるのが分かった。歓喜の声を挙げる蝙蝠達が、群がってくるのが分かった。

やめて。死んじゃうよ。呟きは、届かない。

 

肉をむしり、食いちぎる。

彼が集めてきた蝙蝠達は、あっさり倒した侵入者に群がると、食事を始めていた。腕の肉を引きちぎる。飛び散る、変色した血液。一番大きいのが、腿にかぶりついていた。きいきいと、歓喜の声がやかましい。

此奴らを発見したのは、この洞窟の片隅である。

やたら大きなその体もそうだが、此奴らのいる辺りには、他の動物が一匹もいなかった。不思議に思い、観察していたら、理由が分かった。フンに近付くだけで、蝙蝠だけではなく、小さな虫までもが命を落としてしまうのだ。

原理はよく分からない。しかし、彼の王国を守る、最後の砦として使えるのは間違いなかった。だから長い年月を掛けて誘導し、この滝の裏の洞窟に、住み着かせたのだ。

今や近親交配で増えに増えた蝙蝠達は、凶暴性を増し、侵入者には見境無く襲いかかり、その毒のふんで殺しては貪り喰らう。さて、どうなることか。固唾を呑んで見守る彼は、呻いていた。

最初に、奴の肉をむしって食い始めた蝙蝠の一匹が、不意に天を仰いで悲鳴を上げたのである。

つづいて、体中に集っている蝙蝠達も、狂乱し飛び回り始めた。肉を吐き出すものも多い。

やはり、駄目か。

僅かな期待は、絶望に変わった。

 

父の願いを聞いた海底の神は、せせら笑った。しかしその笑いに興味が含まれていたのが、今のスペランカーには分かる。

「自身ではなく、娘の不老不死を願うか。 面白い奴だ」

「私には、もう未来がないのだ。 思考は硬直し、社会的にも隔離され、妻にさえ見放されている。 体も病み、心はそれ以上に歪み、何より社会に何も光を感じない。 そんな状態で、不老不死になって何があろう」

「一理あるな。 それで、その娘に、己の全てを賭けて最高の贈り物をしようというわけか」

「そうだ。 不老は、肉体の最盛期に掛かってから。 不死は今から。 そうしてほしい」

「いいだろう」

蠢く腕の一本が伸び、スペランカーを掴み上げる。そうすると、蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなった。口から、その腕が体の中に入ってくる。もがくが、どうにもならなかった。

痛み。電気が走ったかのよう。

体が再生する時、この痛みが全身を包む。最初は酷く難儀したが、今ではすっかり慣れてしまった。

ゆっくり目を開ける。体中に着けられた傷が、少しずつ盛り上がってくる。すぐ側に、最初に噛みついた蝙蝠が、もがきながらのたうち回っていた。

スペランカーは死ぬと、周囲の物質を強制的に取り込んで、再生を行う。正確には神の呪いがそういう機能を有している。肉を食われた場合はもっと反応が激烈で、その肉と、周囲にある物質を根こそぎ刮ぎ採って、体に戻して再生を行う。

つまり、喰った奴は。体の中に、大穴を開けられるのも同じなのだ。

以前、海のフィールドに出た時、巨大な鮫に丸呑みにされたことがある。気がつくと、鮫は腹に大穴を開けたまま海面に浮かび、海鳥たちの餌になっていた。鮫の腹から顔を出したスペランカーに、海鳥たちが驚いて逃げ散ったものである。

体を起こそうとする。

しかし、再び死の手が全身を包んだ。

蝙蝠の糞に、何かがあるのは分かる。突然変異した、とてつもなく強烈な病原菌か、特殊なガスだろう。蝙蝠達が無事な様子を見ると、恐らくは前者。これほど即効性の奴は見たことがないが、フィールドの中では何が起こってもおかしくないのだ。

全身を、死が包んでいく。意識が、また落ちた。

電気が走る。

復活の時に、周囲の病原菌そのものを肉体の構成部品に変換している。だから、永遠に死に続けることはない。だが、つらい。このまま、病原菌の恐怖が収まるまで、しばらく生と死を繰り返すことになるだろう。

気がつくと、死屍累々。

蝙蝠達の殆どは、腹に大穴を開けて死んでいた。よく見ると、奇形になっている者達も多い。これだけ強力な能力を得ていれば、そのリスクも巨大だった、というわけか。

何度か生死を繰り返しながら、少しずつ手を伸ばして、リュックから閃光弾を取り出す。支給品のこれは、一種のグレネードランチャーである。マグネシウム等の複数成分を入れた小さな弾頭を撃ち出し、発火させる。まだ悲鳴を上げて飛び回っている蝙蝠達の中央に、震える手で、狙いを定める。どうせ狙っても、スペランカーの技量では当たる訳もないので、天井近くに適当に刺さって反応すればそれでいい。

二度、失敗した。予想以上に強力な病原菌だ。空気中への拡散が酷い。これは仮にあの幽霊がいなくとも、軍隊は此処を突破できなかったのではないか。酷い話だと思いながら、閃光弾を、打ち込む。

洞窟が、光に包まれた。

 

蝙蝠達が、逃げ散っていく。初めて感じる、強烈すぎる光は、彼らにとってはこの世の終わりを感じさせるものだったのだろう。

滝から飛び出そうとして、勢い余って地底湖に突っ込むもの。飛び出したはいいが、飛行能力が決して高くないことを忘れて、飛び上がりすぎて失速、やはり地底湖に落ちる者。天井で強か注ェを打ってしまい、地面に激突して墜落死するもの。殆どは生き残れそうにもない。

唖然と、その光景を、彼は見守っていた。

ほどなく、蝙蝠達はその場からいなくなった。洞窟の入り口近くまで、死体が点々と転がっている。ただ、それだけ。あまりにもあっけない幕切れだった。戻ってくる奴も、いるかも知れない。しかしその時には、全てが終わっているだろう。

崩れていく。

彼が守ってきた、王国が。砂の城が溶けて壊れるようにして、滅びていく。

もはや、逃げるしかないのか。かって此処に、黄金を隠した者達がそうであったように。だが、それはいやだった。あいつらと、同じにはなりたくなかったからだ。

何があっても。例え滅びても。

同胞達のためにも、この先にある宝は守る。そう再び誓い直すと。彼は、最後の場所へ、音もなく向かった。

 

立ち上がったスペランカーは、まだ体が重いのを感じていた。辺りの空気には、まだ病原菌が含まれているのだろう。

あの神によって作り替えられた体は、脆弱だ。それが、神の呪い。あの海底の神様は、非常な皮肉屋であったらしい。不老不死にスペランカーの体を作り替える代わりに、本当にちょっとした事でも、死ぬようにしたのだ。

来る途中。ジープで激しくシートに体を打ち付けた時に、死んだ。そんな簡単なことでも、魂は一瞬だけ、体を離れる。もちろんそのたびに、電撃のように痛みが走るのだから、冗談ではない。この力を得た時には、死ぬ度に括約筋が緩んで漏らしていた。今ではすっかり慣れたからか、或いは違う理由からか。死んでも簡単には漏らさなくなった。この洞窟に入ってからも。もう四十回以上死んでいる。多分あの霊体は、気付いてはいないだろうが。

学習効率が極端に低いのも、その呪いの一角だろう。他の人間が五分で覚えられることを、スペランカーは二時間かけても覚えられない。体を鍛えてもまるでものにならない。今でも、それは変わらない。その上記憶容量が極めて小さいらしく、何か覚えると他のことを忘れてしまう。複雑な構造のザイルをわざわざ持ってきたのも、腕力が足りないからだ。

ヘルメットを被り直すと、ライトを付けて、洞窟の奥へ向かう。

あの霊体は、きっと近くにいるだろう。これだけ強力な守護者を配置していたのだ。今までのざる同然な警備から言っても、この近くに金塊があるのは、阿呆なスペランカーにだって分かる。

そして、最後の砦が破られた今。体を張って、それを守ろうとする事も。

せめて、自分で彼を楽にしてあげなければならない。彼だと思ったのは、今までの行動からだが、多分外れてはいないだろう。

死ぬ苦しみは、これでも嫌と言うほど知っている。

自分は強力な神の呪いに身を苛まれている。だから死ねない。それが故に。安らかな死によって初めて救われる者がいるならば。それを与えてやらなければならなかった。

 

6、財宝

 

辿り着く。守らなければならない場所に。

彼の王国であり、同胞達の死を呼んだ場所。それが故に、他の人間には、絶対に譲れない所だ。

此処は檻。墓所という名の。

そして、宮殿。土足で踏み入れることは、絶対に許されない場所。

なぜなら、床は同胞達の死によって塗装され、それを誰もが知らないからだ。許せるか。この地底に閉じこめられ、多くの同胞が働かされた。奴隷だからという理由で使い殺しにされ、しかも最後は閉じこめられた。

閉じこめられてからは悲惨だった。どうしても戸が開かないことが分かってからは、食料の奪い合いが始まった。やがて死人が出始めると、それを奪って皆が喰らいあった。悲観して崖下に身を投げる者もいた。毒ガスが出る所へ自ら踏み込んで、命を絶った者もいた。

彼は、そんな争いが嫌で、しかし最後まで生き残ってしまった。同胞達の亡骸を喰らうくらいなら、死を選ぼうと思った。だから、せめて。皆の命を奪った、宝の側に行った。其処には頑強な扉があり、その鍵は此処を造った者によって持ち去られてしまっていた。だから、扉に寄りかかって、今までのことを思いながら、目を閉じた。

ろくな事のない人生だった。産まれた時から奴隷だった。グズだの鈍いだのと言われては、ことある事に暴力を振るわれた。奴隷として酷使することよりも、暴力を振るうことが目的化していた。此処で働いていた同胞達も皆同じような境遇だった。だから、喰らいあうのはいやだった。

空腹感が全身を包んでいたが、それよりも悲しみの方が強かった。やがて、極限の空腹の中、己の中に何もないような感覚が出来てきていた。

気付くと、いつの間にか、魂が肉体から離れていた。死んだと、自分でも分かった。

だが、死ねないと思った。

だから、妄執だけでも、この世にとどまったのだ。

戻ってきた地底の扉には、亡骸が今だ残っていた。既に朽ち果てて、白骨と化している己の体。

死んだ。

だが、まだ消え去る訳にはいかない。

怖いのは確かだ。だが、それでも。此処だけは守らなければならなかった。

 

何度か倒れた。そして死んだ。空気中にまき散らされた病原菌の破壊力が如何に強烈かを、それが示していただろう。

スペランカーは何度か休みながらも、狭い洞穴を下っていった。もう近い。地形が複雑に入り組む中、明らかに鍾乳石を切り出したり、壊したりした跡がある。何者かが此処に何かを運び込んだのだ。

不意に、平坦な場所に出た。

連れてこられた王家の生き残りに、話は聞いている。宝を封じているのは、宝だと。多分それは、これのことだろうとも。

リュックから取り出したのは、四カラットもあるダイヤの指輪である。独特の尖った形状をしており、黄金作りの豪奢なものである。これをどう使うのかはまだ分からないが、しかし。それでも、何とか扉は開けなければならない。

指にはめると、ちょっと重くて、難儀した。祝い事に使うのはいいとしても、普段から着けて歩くのは勘弁願いたい代物だ。

うねり曲がる洞穴の、最深部へ、着いたことに気付いた。

不意に開けたその場所には。ピラミッドがあったのだ。さっき見たピラミッドより、遙かに大きい。多分高さが二倍近くあるだろう。ただこれも、見たところ、元の地形を利用している。大きな岩の塊か何かがあって、その表面を削ったのだろう。

ゆっくり、回りを見て回る。何カ所か、大きく削れている場所があった。天井から落ちてきている水滴が、長年の内に猛威を振るったのだろう。そして、その一角に。階段が付けられていた。

階段の頂点には、予想通りのものがあった。

扉と、それにもたれかかる骸骨。間違いない。あの霊体の、亡骸だろう。

「いるんでしょ? 出てきなよ」

呼びかける。

辺りから、地鳴りの音。多分此処は、あの霊体にとって、一番強い力を発揮できる場所なのだろう。慌ててリュックを降ろして、取り出す。これだけは使いたくなかったのだが。しかし、もう他に方法がない。

周囲から沸き上がってくる殺意。だがその中に、恐怖が混じっていることに、スペランカーは気付いていた。時々、散々こっちを殺した挙げ句に、こういう反応を見せる相手がいる。以前侵入したフィールドで、スペランカーが遭遇した現地住民もそうだった。

悲鳴のような、慟哭のような声が、わきあがってくる。地面から伸びてくる、無数の手。いずれも半透明で、スペランカーを目指して躍り掛かってくる。四方八方から掴まれて、身動きが取れなくなったスペランカーだが。手にはしっかりと、父の形見でもある。最後の武器を手にしていた。

「コロシテヤル」

聞こえ来たそれは、言葉ではない。純粋な殺意だった。

ピラミッドからにじみ出てくるそれは。巨大な顔。血涙を流し、苦悶の表情を浮かべている。

可哀想だなと、スペランカーは思った。

大口を開けて、襲いかかってくる。避けようがない。かぶりつかれると同時に、全身を激痛が貫く。即死した。多分、心臓を止められたのだろう。意識が戻ると、まだ幽霊は噛みついていた。ゆっくり、右手を、引き寄せる。途中、二度死んだ。だが、それでも、やらなければならない。

「ね、楽になろう?」

「いやだ。 同胞達を汚すものを、許す訳にはいかない」

「あの人達の事だよね。 わかるよ。 でも、だからこそ、楽になろう。 もう、残っているのは、貴方だけなんだから」

拒否!拒否拒否拒否拒否!

単純きわまりない思考が流れ込んできた。それは殺意と一緒になって、心臓を、他の内臓を、滅茶苦茶に傷つける。吐血したスペランカーは、また一度死んでいた。電気ショックとともに意識が戻ると、ゆっくり、幽霊に、それを向けた。

一見、それは玩具の銃に見えた。安全装置はついていないし、丸っこいフォルムはまるで昔のSFに出てくる光線銃。当然実弾も出ることはない。

だがこれは。代わりのものを使って、代わりの効果を発揮する、恐るべき兵器なのだ。

「酷い話だよね。 酷い労働で、大勢死んだんでしょ? それなのに、終わったと思ったら閉じこめられて。 こんな国、滅んで当然だよね」

うなり声。悲鳴にも聞こえた。

だから、もう楽になろう。私もつきあってあげるから。そう呟くと、スペランカーは目を閉じ、引き金を絞り込む。

そして、意識が消えた。

 

この武器を使った時には、いつも、同じ夢を見る。

スペランカーが目を覚ますと、体中に巻き付いてた神の手は消えていた。何故か裸で、粘液まみれだったが、気にはならなかった。それよりも。父が、魔法陣から出ようとする神の前に立ちはだかっている事の方が、気になったからだ。

起き上がろうとするが、体がうまく動かない。手を伸ばそうとするが、届かない。スペランカーを蚊帳の外に、悲劇は確実に進行していく。

「契約は果たした。 もう貴様に用はない。 我は自由にさせてもらうぞ」

「悪いが、そういうわけにはいかんぞ、海底の神よ。 娘が不老不死になっても、人間が滅びてしまっては意味がないからな」

「笑止! 汝のような老人が、何をするつもりか!」

父が取り出したのは、玩具のような銃だった。最後に、父が微笑んでいるのが見えた。魔法陣の中で、神が吠えたけるのがわかった。それに対する怒りと、恐怖に充ち満ちていた。

「一緒に地獄にいこうぞ、海底の神よ!」

「おのれ人間! そのようなものを、何処で手に入れた!」

父は応えない。そのまま、引き金が絞り込まれる。

そして、場が閃光に包まれた。

 

目を覚ますと、スペランカーは仰向けに倒れていた。五歳ではないし、裸でもない。周囲に、あの霊体はいない。分かる。かりそめの命を使い果たして。この世界にとどまることが出来なくなり、消滅したのだ。

どうもこれを使うと、あの時のことを思い出してしまう。

父は、己の命を対価として、海底の神を屠り去った。この玩具のような、必殺の道具を用いて。

死の鏡。それが正式の名前であるらしい。

向けた相手の命と、発動したものの命を、その場で等価として、共に消し去る道具だという。低くは虫から、高くは神まで。相手が何者だろうが確実に葬る必殺の武器。しかしながら、欠点も多い。

使えば確実に死ぬし、一度に一つの命しか消すことが出来ない。ゼロ距離で使わないと意味がない。なんと射程距離はわずか十メートル。連射も出来ない。存在を知られたら、まず勝ち目が無くなる。更に言うと、法則をゆがめて存在している相手にしか、通用しない。

狂気の世界によって造られた存在が故に。それの運用規則も、狂気に満ちたものであるらしい。

最近、保存されていた父の書斎で、それらの情報を知った。それまでは、ただブラスターと呼んでいた武器だ。

父は狂気に満ちていたが、それでもスペランカーのことを愛していた。だからこそに。命をかけて、これでスペランカーを守ってくれたのだ。あの海底の神が、死んだのかどうかは分からない。しかし、その場には二度と現れなかった。そして、呪いだけが、スペランカーの体に残った。

体中がだるい。死が日常の隣にあるスペランカーでさえこのダメージを受けるのだ。この「死の鏡」が如何に危険な存在かは、一目瞭然。リュックに入れると、目を閉じて、さっきの霊体に黙祷する。きっと、最後まで、苦しみからは逃れられなかっただろう。

階段を上る。体中から、冷や汗が流れていた。

扉の前には、体を張ってそれを守ろうとする、朽ちた白骨。そして、扉には、小さな穴が開いていた。

わずかにためらった後、指輪を差し込む。

地鳴りと共に。ピラミッドの扉が、動き始めた。

 

7、解き放たれたもの

 

洞窟を出たスペランカーは、さっそく独裁政権のトップの前に通された。

彼はやせぎすの老人で、如何にも高級そうなパイプを吹かしていた。もちろん、スペランカーがたばこを吸うかどうかなど、気にもしていない。何でも、二代続いた独裁権力の長だそうで、実質的な権力は、腹心に握られているという話である。まあ、それも実際に見た訳ではないから、どこまで信用できるかは分からないが。最近の独裁は何でもかなり研究が進んでいるらしく、容易に真実の姿を見せないという話もある。

目の下に隈ができている。頭もはげ上がっていて、健康状態はどう見ても良くは無さそうだ。この国が傾いているのは、誰もが知っている。怨嗟が満ちる中、己だけ豊かな生活を続ける、愚かな老人。欲望だけは人並み以上のこの男のような輩が、あの幽霊のような悲しい犠牲者を世界に作り続ける。

だから、これからスペランカーは、せめてもの仕返しをする。

隣に立っている男が、通訳をしてくれる。彼はスペランカーが怪しい動きをしたら、即座に撃ち抜く用意もしていた。実際問題、死んでも生き返る以外には何の取り柄もないスペランカーは、そうされると打つ手がない。コンクリ詰めにされて海にでも捨てられたら、地上に復帰するまで随分時間が掛かるだろう。だから、暗殺などと言う無粋な真似はしない。

「宝物を持ち帰ったというのは本当か」

「はい」

リュックから、それを取り出す。赤い布に包んで持って帰ってきたそれは。実に380カラットを越える、超大型のスターサファイアだった。しかも美しくカットされており、豪勢な魅力を存分に見せつけている。間違いない。この地に栄えた国で、至宝とされたものであったのだろう。

「おお!」

老人が皺だらけの手を伸ばす。スペランカーはそれを、無感情に見つめていた。

彼は知らない。来る途中、白骨にこのサファイアをかざし続けてきた事を。その結果、霊感のないスペランカーにも分かるくらい、強烈な怨念がサファイアに宿った。この老人は巨大なサファイアに目が眩んでしまっているが、まともな感性の持ち主であれば、絶対に触ろうとはしないだろう。その輝きは美しいと言うよりも、もはや禍々しいの域に達している。

老人の目が、まるで裸の若い娘を前にしたかのようにぎらついていた。

しかも、欲深い老人は、更に愚かな事をほざき出す。

「ほ、他には! 他の財宝は!」

「……」

「どうした、早く言え!」

「それだけです。 後は彫刻類がいくらかと、鉱石寿命が尽きた真珠がちょっと。 黄金はひとかけらもありませんでした」

これは、本当だ。

考えてみれば、かさばる黄金を運び込む余力はなかったはずである。それならば、もっとも価値のある上に、運びやすい他の宝物を隠す方が良い。そして選ばれたのが、この国の特産であるサファイアと、真珠だった訳だ。

そして真珠には鉱石寿命がある。

このサファイアも、桁違いの価値があるだろうが、しかしとてもではないが国家財政をまかなえるような代物ではない。

埋蔵金伝説は、所詮その程度の代物だ。化けの皮を剥がしてみれば、とんだ枯れ尾花である。

唖然としていた老人は、しばし頭を抱えていたが、やがて手でスペランカーを追い払うような動作をした。ため息をつくと、スペランカーは部屋を後にする。約束の報酬を受け取ってから、わざわざ目隠しをされて、独裁者の屋敷を後にした。

目隠しと耳覆いを外して貰ったのは、空港である。遠ざかっていく兵士達を見送るスペランカー。

彼らには、一応伝えてある。非常に危険な病原菌が充満している地域があるから、中には入るなと。それを考慮し、わざわざ洞窟を出てから、すぐに簡易組み立て式のシャワーを運んできて貰って、服も殺菌処理をしたものに替えた位なのだ。用心深い兵士達は、女性兵士を呼んでまで、徹底的にスペランカーをボディチェックした。だから、宝を持ち出すことなど不可能だった。もとより、ちょろまかす宝など、存在はしなかったわけなのだが。

だが、あの残忍で愚かな独裁者は信用しないだろう。ひょっとすると、あんな小娘にも行けたのだからとか言って、親衛隊を連れて洞窟に向かうかも知れない。今でも彼処はフィールド指定されている超危険地帯だ。下手に踏み込めば、死が待っている。だが欲に目が眩むと、如何に危険な呪いが身に降りかかっているかも分からないし、気付く機会さえ失う。多分この国は、近々独裁者を失うことだろう。

独裁者がいなくなったら、国が良くなるなどと言うのは、希望的観測に過ぎない。しかし、いるよりはましだ。すぐに別の独裁者が立つかも知れないし、少しはマシになるかも知れない。

もし、マシになったら。

そうしたら、またこの国に来るつもりだ。そして今回の報酬を使って人を雇い、あの白骨を供養する。それが、今のところの、スペランカーの目的であった。少し待たせてしまうかも知れないが、あの骨達の供養は必ずしたい。

飛行機の搭乗手続きをする。少し時間が出来たので、ロビーの長いすに腰掛けて、ぼんやりして時間を潰す。親子連れが、前を通り過ぎていった。羨ましい話だ。スペランカーは子供が作れないかも知れない。仮に出来たとしても、母乳など怖くて子供には与えられない。自分を喰らった動物がどうなるか、何度も見ているのだ。子供が破裂する所など、絶対に想像もしたくない。

リュックから取り出したのは、鯖の味噌煮缶だった。結構美味しい缶詰だ。

あまり豊かな生活をしていないスペランカーは、缶詰で過ごすことが多い。だから、これは立派な御馳走である。

鯖缶に舌鼓を打っている内に、飛行機が来た。

また、いずれ、この国に来よう。そう思いながら、スペランカーは立ち上がった。自分に出来ることはしたのだ。

今は、ただ、待つ事で。未来の変転を待ちたかった。

 

                              (終)