隙間家族

 

序、最後の策

 

被名島賢治は、自分が提案したレポートの細部まで、再チェックを掛けていた。ルパイド元帥が、今日再び会ってくれる。今度こそ、この内容を、連合に承諾させなければならないのだ。

内容のチェックをし終えると、余った時間を使って、保有している情報の再チェックに掛かる。携帯端末を操作して、今回の最重要目的地を立体映像に表す。青い星だ。

太陽系第三惑星地球。言うまでもなく、人類発祥の地である。そして現在は、地球連邦の首都星でもある。

地球人類が進出した地域での統計になるのだが。そのまま地球人類が居住できる惑星は、ほぼ存在しない。ごく希に植物が存在していたりする惑星でも、地球とは根本的に違う大気組成である事が多いのだ。地球型の惑星に限っても、である。殆どの場合は、気温、大気組成、環境の安定、放射線遮断などの処置が必要になってくる。中には極めて悪辣な土着のウイルスや細菌類を、処置しなければならないケースもある。この作業をテラフォーミングと称するが、無論膨大な資材と莫大な金が必要になってくる。このため、初期の宇宙植民では、密閉式のコロニーに住み込む方式がより多く採られた。

しかし今では、テラフォーミングはかってに比べて遙かに安価になり、期間も短縮されている。特に立国のテラフォーミング技術は諸国に冠するレベルであり、それを交渉材料として、法国との致命的な衝突を回避することが今回出来た。

地球人類は、故郷を離れて、銀河系の各地に広がった。超光速航行技術の開発により、人類は資源を食い尽くして滅亡する道を外れる事が出来たのである。

だが、破滅の未来を回避した後も、決してその道は平坦ではなかった。開拓時代と呼ばれる困難な歴史を経て、ようやく安定期に入る事が出来たというのに。今度は各地に乱立した勢力同士が、戦争を始めた。資源にも時間にも余裕がなかった時代は、戦争とは無縁だったというのに。長い戦乱が続き、郡立していた国家は、やがて大きな勢力にまとめ上げられていった。中には、永世中立を主張していた星間国家もあったのだが、それらも強引にまとめ上げられてしまった。

かくして、七つの大国が誕生した。そして、今一つが脱落し、今ひとつが危機に立たされている。

皮肉な話である。数十年前まで、最強と言えば法国だった。しかし法国を打ち破り、最強の座を手に入れた連合が、今度は滅亡に瀕している。連合が滅びれば、立国も危ない。強国が、一瞬にして滅亡の瀬戸際に立たされる。厳しい時代が、到来したものである。

今賢治がデータを閲覧している地球連邦は、滅亡とは無縁な星間国家の一つだ。人口、経済力、保有星系などをチェックしていく。いずれも、七強国の中では上位に入ってくる。しかし、老廃と堕落が著しい。

例えば、ホワイトハウス問題と呼ばれるものがある。

宇宙に地球人類が進出して分かったことなのだが、この星は戦略的な集積地点としては、あまり適していない。長距離ワープ航法のポータルベースとしては、太陽系外縁部にあるカイパーベルト内の準惑星群の方が向いているし、物資の集積を行うにしても位置があまりよろしくない。今時、カイパーベルトに人工太陽の一つや二つ浮かべるのは当たり前のことで、技術面では簡単にクリアできる問題なのだ。

そのため、あくまで首都星地球は象徴的な存在として、観光、政治などの用途に用いられることが多い。実際に地球連邦の機能が集約されているのは、月や火星、さらには木星の衛星群である。ただし、大統領は地球に住むことが義務づけられていて、特に普段は、歴史あるホワイトハウスに常時腰を据えていなければならない。

交通だけではなく通信が非常に不便なホワイトハウスに大統領が居を構えていることが、地球連邦の不利の一つとなっている。このため決断が遅れることや、移動が困難になることもしばしばであった。これをホワイトハウス問題と称する。今までも何度かそれで重要なミスを犯してきたにもかかわらず、なおも歴史あるホワイトハウスに拘泥していることが、地球連邦の老衰と、限界を示していた。

だが、如何に老衰した国家の首都星であっても。歴史的には重要な存在である。今もそれに変化はない。

そして、今回は状況逆転のために、弱点を最大限に利用させて貰うしかないのである。

連合国境では、既に100000隻を超える艦隊が終結し、にらみ合っている。地球連邦と邦商の連合艦隊が約60000。連合の艦隊が40000超という状況だ。連合は宇宙要塞の防御能力を利して少しでも兵力差を埋めようと躍起だが、これだけの兵力が一度に動くとなると、要塞による利も微々たるものに過ぎない。使節団を送ることで少し時間を稼いではいるが、このまま戦いになったら終わりだ。

やはり、最初にレポートで提案した方法以外に、策はない。少なくとも、賢治には思いつかない。

前回の会合で後見として着いてきていてくれたアシハラ元帥は、前線に赴いてしまっている。アシハラ元帥には、既にレポートを見て貰った。賛同は得ている。連合には多少の痛みを受けて貰うことになるが、一連の戦乱で立国だけが打撃を受けたのでは不公平だと、賢治は思う。

部屋の戸がノックされた。時計を見る。そろそろ時間だから、レイ中佐だろう。部屋の外に出ると、やはりレイ中佐だった。既にしっかり軍服を着込んでいる。この間の戦いでボロボロになった一着とは、別のを最初から用意していたのだろう。新品同様だ。

「さあ、行きましょうか」

「はい」

此方も、既に準備は万端だ。紙媒体のレポートも用意してある。

賢治は学生だから、制服が正式な格好だ。こんなに学生服を大事にする事になるとは、思っても見なかった。替えなんかないから、静名にせっせと繕って貰ったのだ。この間の戦いで服がボロボロになったのは、賢治も同じであったから。流石に静名の繕いは完璧で、繕った後は全く外からは分からない。

歩きながら、立国の状況を聞く。国会はかなり荒れたそうだが、大統領が苦心してまとめているという。後の懸念は、邦商がどう出るか、だ。手をこまねいて、見ているだけと言うことはないだろう。

ホテルのロビーには、既に全員が集まっていた。今回は賢治一人が会合を行うと決めている。病室には大勢が入ることは出来ないし、対面して人物を測るという目的は、前回に達成した。ルーフさんは既に復讐をしないことで同意している。蛍先生も、好きな人ではないが、復讐をするほどではないと思っているらしい。

後、問題になるのは、テロだ。この間は、あれほど厳重な警備が敷かれていた軍事要塞内部で、テロを受けることになった。今回は連合でも屈指の精鋭特務部隊が病院の周囲に張り付いていると言うことだが、念には念だ。ギプスが取れたばかりの立花先輩も、ヘンデルも、護衛のために来てくれる。

二台のライトバンに分乗して、病院に向かう。賢治は立花先輩、ルーフさんとシャルハさんと一緒に、レイ中佐が運転する前のマイクロバスに乗る。護衛で乗り込んできた静名は、この間の戦いで大きな損害を受けたが、今はすっかり修復も完了している。尾行がないことを確認しながら、病院へ。すぐに高速道路に乗り、時速は500キロを超えた。リニアカーだから、揺れも殆ど無い。立国の方が少し技術が進んでいるという話だが、体感的な差は無い。

レポートをもう一度見直していると、立花先輩が不意に口を開いた。

「なあ、被名島」

「何でしょうか」

「うまく、行きそうか?」

一瞬の沈黙の後、賢治は頷く。此処は、出来そうだ、では駄目だ。やらなければならないのだ。

立花先輩は、賢治に賭けた。そのために、ヘンデルと一緒に大けがをした。賢治は、その賭を成立させるために、もっと大きな勝負に望まなければならない。そうでなければ、立花先輩が身を挺してまで守ってくれた意味が無くなってくる。

「テロリストは、捕まるのでしょうか」

「そうですね、簡単にはいかないと思います。 戦闘ロボットには、足が着くようなデータは入っていなかったでしょうから、具体的な証拠を拾い出すのが大変でしょう。 ただ、ルパイド元帥がホテルのあの部屋にいる事を知っていた人間は、極めて限られていたでしょうから、犯人の絞り込みだけなら難しくはないのかも知れません」

不安そうなルーフさんを少しでもなだめようと思って、賢治はそう応える。

大体、真相は見えている。法国が軍事同盟から外れたことに焦った邦商の首脳部が、連合内部の不満分子を煽ったのだろう。完全な捨て石だ。結果的にルパイド元帥は生き残り、テロは失敗した。ルパイド元帥のことだから、もう犯人を逮捕させているかも知れない。血で血を洗う闘争に勝ち抜いてきたであろう人だ。それくらいは簡単にやってのけることだろう。

高速道路を降りる。病院はすぐ其処だ。

元々背の高い建物が殆ど無い星で、見渡しは非常に良い。病院に行く途中、何度か黒塗りの車に尾行された。スケジュール通り来ているか、連合特務部隊の人たちが監視しているのだろう。ヘリも飛んでいる。報道ヘリに偽装しているが、多分戦闘用の装甲ヘリだろう。

確かにものものしい警備だ。蟻一匹通さないとまではいかないだろうが、いかなテロリストも簡単に病院には近づけないだろう。

病院の裏手にある駐車場に止まると、サングラスを掛けた黒服の男女が、数名近づいてきた。敬礼したレイ中佐が、身分証とIDカードを見せる。敬礼が返ってきたのは、数分後。彼らのリーダーらしい、ひときわ背が高い男が言う。

「アシハラ元帥から、お話は伺っております。 会合の成功を、此処から祈っております」

「有難うございます」

レイ中佐と一緒に、頭を下げる。

これは、ますます負けられなくなったなと、賢治は思った。もうタイムリミットはギリギリだ。何とかしてこの会合でルパイド元帥を納得させなければ、地球人類とKVーα人の交流の道は閉ざされることになる。

やらなければならない、ではない。やるのだ。

「行くぞ」

「はい」

立花先輩に背中を押される。賢治は決意を籠めて頷き、病院へ向け歩き出した。

 

1,静かな前哨戦

 

社会的立場の高い人間と、一対一で向き合うのは初めてであったかも知れない。だが、緊張はない。

病室に入った賢治は、ベットの上で半身を起こしているルパイド元帥と敬礼をかわして、用意されているパイプ椅子に座る。病院だと言うこともあるし、殆ど化粧はしていないはずだが、それでもルパイド元帥は若々しかった。

此処には、立花先輩はいない。ルーフさんもいない。レイ中佐もいない。だが、みんな部屋の外で待っていてくれている。だから、賢治は戦える。

「紅茶、飲むかしら?」

「いただきます」

折りたたみ式のテーブルを賢治が出すと、ルパイド元帥は気さくにそう言ってくれた。少なくとも、敵意を抱かれてはいないらしい。如何にも高級そうな白磁のティーポットから紅茶をカップに注ぐルパイド元帥は、笑顔を絶やさない。手つきもかなりしっかりしていて、相当な紅茶通である事が伺えた。

香りが実に澄んでいる。あまり紅茶に詳しくない賢治でも、良い香りだと実感できるほどだ。

「病院には、あまり高価な私物は持ち込めないの。 これは来客用としてはギリギリの水準の茶葉だけど、許してね」

「そんな、お構いなく」

来客用としてはギリギリなどと言ってはいるが、最低でも、豪華な昼食を取れるくらいの値がつく葉の筈だ。それを連合のルパイド元帥が手ずから振る舞ってくれるのである。恐縮してしまう。もちろん、非礼だ等と思う訳がない。

人間とは不思議な生き物である。こんなすてきな笑顔を浮かべる人が、あれだけ巨大な陰謀を画策し、実行して見せたのだ。その過程で多くの人命が失われ、それ以上に多くが救われた。最後の最後で油断から小者に足下を掬われたが、それでもその実行能力は比類がない。賢治などでは、到底及びもつかない存在だ。

幸運という要素が、大きな作用を果たしていることを、認めざるを得ない。確かにルパイド元帥は最後でミスをしたが、それでこれほど傷が大きくなったのは、運が悪かったからだとしか言いようがない。それにしても、邦商の首脳部はどうやってこの人のコントロールに気付けたのだろうか。それだけが、今でも引っかかっている。

茶を飲み干すと、最初に話題を切り出したのは、ルパイド元帥だった。流石に、交渉をコントロールする術を心得ている。

「レポートは、見せて貰いました」

「はい」

「案としては悪くないのだけれど、本当にこれを連合が実行したとして、立国が足並みを揃えられる保証はあるのかしら」

「それに関しては、何とかなると思います」

恥ずかしい話なのですがと前置きしてから、賢治は言う。今まで、周りの人たちに支えられて、何度もテロの予測を実施し、未然に防ぐことに成功した。この間は法国に手を引かせることも上手くいった。一応実績はある。既にレポートも、立国大統領の手に直接渡っていて、連合が動きさえすれば、作戦は実行に移せる。

「技術面も、問題はありません」

更に、賢治は付け加えた。既に、帝国のフリードリーヒ提督からは、作戦実行許可の打診が来ている事を、レイ中佐から確認している。後は、連合の、いやルパイド元帥の判断次第なのだ。

とにかく、連合の全軍、帝国軍の一部、それに加えて立国の総力を挙げた大作戦となる。帝国の参加は微々たるものだと言っても、作戦総合規模は史上最大レベルであり、しかも戦闘を極力行わない工夫が必要になってくる。高度な判断力と、柔軟な用兵手腕が、指揮官には求められる。

実戦指揮官としては、アシハラ元帥以外には考えられない。多分何処の誰でも、この代わりは務まらないだろう。出来ればルパイド元帥にも指揮を執って貰いたいところだが、これは実現するかどうか。モアベターではあるが、無くても大丈夫の筈だと、賢治は計算を済ませている。

以上を蕩々と説明した。ルパイド元帥は無言である。茶を一口含む。この沈黙さえもが、相手の交渉テクニックなのだ。だから、賢治は、非常に緊張した。

「被名島賢治君。 貴方がこの年で、これだけの作戦案を考えついたことを、私は高く評価しています。 ただ、危険が散見されます。 私が不安要素と考えているのは、其処です」

下手をすると、アシハラ元帥が戦死するかも知れない。そんな場面が、確かに何カ所かで存在している。ルパイド元帥が指摘してきた、最大の問題点は其処だった。賢治も、それは把握している。

アシハラ元帥なら大丈夫だ等という理屈は成立しない。それは理屈ではなく、一種の信仰だ。確かにアシハラ元帥は現在最強の用兵家だが、だからといってミスをしない訳ではないのだ。実際問題、交渉の際には賢治に主導権を握られていたし、人間くさい所もあった。つまり、絶対はない。

戦争をすれば、どんな分厚く味方に守られた上級士官にも、突発的な死が訪れる可能性はある。ましてや今回は、オルヴィアーゼの周囲の守りはかなり薄くなる上、少数で敵中に突出しなければならない。もしミスが複数重なれば、終わりだ。

「妹を失いたくないという感情は、理由に入っていません。 もしアシハラ元帥が命を落とした場合、この国は命運尽きます。 私だけでは、とても殺到する地球連邦の大軍を、防ぎきれないでしょう。 兵士達も、抗戦意欲をくじかれること疑いありません」

「そう、ですね。 それにアシハラ元帥が亡くなられた場合、地球連邦は無条件降伏以外は受け入れなくなるような気がします」

「更に言えば、地球連邦の軍人達は、内部に多くの派閥を作っています。 現在把握しているだけで十七の派閥があり、大なり小なりの主張が入り乱れ、対立と同盟を繰り返しています」

このレポートでは、作戦遂行後の彼らの行動が、あまりにも画一的に表現されているところが、最大の不安要素だ。ルパイド元帥は、冷静にそれを指摘した。確かに、今主流の派閥がいつまでも主導権を握り続けるかどうか。もしももっと過激な思想の持ち主が地球連邦軍の主導権を握れば、暴走を開始するかも知れない。60000隻近い艦が集団ヒステリーを起こして一斉に攻撃してきた時。破滅は避けられないものとなるだろう。

和平交渉使節団は、出来るだけ時間を稼ぐように厳命されているが、それでも限界がある。レポートの修正をしている時間はない。此処でレポートを通さなければ、全てが終わってしまう。

落ち着け。賢治は自分に言い聞かせる。ルパイド元帥は、今何を基本戦略に据えているのか。それが問題である。直接聞くのはあまり利口ではない。相手の考えを読んで、その先に手を打つのだ。

深呼吸すると、心がクリアになってくる。ルパイド元帥の立場なら、どう考え、どう決断するのか。

一度落ち着くと、見えてくる。ルパイド元帥は、気付いているはずだ。今徹底抗戦を行うか、或いは邦商に対する電撃的な奇襲作戦を行えば、KVーα人との交流が致命的な局面を迎えることを。それを見越して、一旦交流を断ち、秩序の再構築に入るつもりなのかも知れない。此処は大戦争になるのを容認し、数十年後にまた交流を開始するつもりなのではないか。

確かに、総力戦態勢に移行すれば、戦争は泥沼になる。だが、ナナマ姉妹を有する上、しばらくすれば旧帝国領からの支援も当てに出来る連合の底力は並大抵のものではない。どの防衛ラインも頑強な抵抗を行うだろうし、物資の蓄積も豊富だ。人材も多い。故に、最初の一撃さえ耐え抜きさえすれば高い確率で勝てる見込みがある。ただし、連合と地球連邦は共倒れになる形で衰退する可能性がそれ以上に高く、立国もただでは済まないだろう。

より確実な作戦を採るのは、国家上層の人間としては当然のことだ。確かに泥沼になるだろうが、それでも滅ぶか勝つかの大ばくちよりはリスクも小さい。そしてルパイド元帥は、個人の命と国家全体を天秤に乗せるようなことはないだろう。リスクは小さい方を、被害は少ない選択肢を、優先的に選んでいるはずだ。

考え方の根源は、賢治と同じだ。ただ違うのは、KVーα人との今の交流を重視しているか、そうではないか。確かにルパイド元帥は交流を大事に考えているようだが、今にはこだわっていないはずだ。

そして、論理では、この人を崩すことが出来ないような気もする。

最初から困難な交渉だと言うことは分かりきっていた。相手は生きた城と言っても良い。どう崩すか。ルパイド元帥は、賢治の苦悩と葛藤を、見て楽しんでいるようだ。笑顔は変わらないのだが、何となくそれが感覚的に分かった。不謹慎だと怒るのは簡単だが、それは建設的ではない。

「レポートを修正している時間はありません。 しかし、これしか手はないと、僕は考えています」

「どうしてかしら」

「KVーα人は、地球人ではないからです」

ルーフさんは、今回の一件で深く傷ついていた。既に、他のKVーα人の方々も、同じかそれ以上の不信感を抱き始めているはずだ。事実、彼らの長老は、立国に警告をしてきたという。レイ中佐に聞いた話だが、無理もないことだと賢治は思っていた。

地球人類は、早く宇宙に出すぎたのかも知れない。極めて好戦的で、利己的な地球人類は、ひょっとすると地球で滅びるべき生き物だったのかも知れない。だが、様々な理由から、宇宙進出を果たして、滅亡をまぬがれた。それに対して、KVーα人は、宇宙に出るべくして出た存在だった。接してみて、賢治にはそれがよく分かった。

ならば、今が最後のチャンスなのではないかと、賢治は思う。地球人類が変わるための切っ掛けは、今が最後だろうと、思う。

もし、数十年後。新しい秩序が構築されたとして。KVーα人は、地球人類に握手を求めてくるのだろうか。賢治には、そうは思えない。彼らにとって、戦争は忌むべきものであり、歴史の一部である地球人類とは異なる。既に地球人類の都合で戦争に巻き込み、下手をすると死者まで出すところだったのだ。もしこの期に及んで更に大規模な戦争を開始するとなると、愛想が尽きるのではないだろうか。

そして、もしKVーα人が地球人類との交流を拒んだ場合。その後の展開は、容易に想像できる。地球人類はKVーα人を「人外」だとか「クリーチャー」だとかと称して、殲滅戦に入るかも知れない。地球人類の歴史に、核兵器の都市部での使用と並ぶ大いなる汚点がまた一つ加わることになる。

そうなったら、地球人類が、他の異星知性体と、交流を持てるチャンスはなくなるだろう。非常に友好的な上に、地球人類に擬態できるKV-α人と仲良くできないのだ。他のエイリアンと、どう交流を持つというのだろうか。

たまたま、KVーα人は友好的な種族だった。他はそうとは限らないのである。最初から友好的な姿勢を示している相手を殲滅するような存在を、他のエイリアンが認めるだろうか。

それらを丁寧に説明する。ルパイド元帥は、表情を動かさない。

「分かりました。 確かに、その意見も、的を射ているでしょう」

「まだ、考えを変えてくださる気は、無いのですか?」

「いや、今思索中です。 そうですね、あと一つ、何か作戦の成功率を上げる手があればと思っているのですが」

「それなら、僕に考えがあります」

ルパイド元帥が乗ってくる。あと一つだ。これを納得させれば、城は戸を開けてくれる。だが、問題は、まだ通るか分からない作戦だと言うことだ。

それにしても、ルパイド元帥のこの冷静さは、一体どこから来るのだ。感情の起伏が大きいアシハラ元帥とは、正反対だ。

作戦の説明を終える。ルパイド元帥は、カップに残っていた茶を飲み干した。賢治は、背中に冷や汗が流れるのを感じた。

数分の沈黙。

ルパイド元帥が、口を開いた。

 

病室を出た賢治は、腰砕けになりかけて、立花先輩に支えられる。真っ青な顔をしているのだろうと、思った。

「駄目だったのか?」

立花先輩の顔が、至近にある。ルーフさんとシャルハさんも、側にいる。無理して、笑顔を作る。

「何とか、認めてもらえました」

「良かった!」

わっとルーフさんが声を上げて、看護師が此方を睨んでいるのが見えた。シャルハさんに肩を叩かれる。立花先輩が巧く重心をずらして、廊下の長いすに賢治を座らせる。この人には、一生運動能力でかなわないかも知れない。今軽々とやって見せたことだって、相当な運動センスがないと出来ないことだ。

椅子に深々と座ると、疲労がどっと出てきた。本当なら、すぐにでもホテルに戻りたいところなのだが、ちょっとすぐには歩けそうにない。ゆっくり精神の整合性を取り戻していきながら、状況を説明していく。そして、最後に、ルパイド元帥の要求について触れた。紅茶を飲み終えた後に、あまりにもさらりと提案されたそれに。

「ただ、ルパイド元帥は等しく立国にも痛みを受けることを要求してきました」

「というと?」

「僕に、オルヴィアーゼに乗れと言うことでした」

つまり、作戦が失敗した時は、賢治にも死んで貰うという事である。今回の作戦が失敗した場合、まず間違いなくオルヴィアーゼはデブリと化す。アシハラ元帥のことだから、太陽級戦艦を何隻か道連れにするかも知れないが、結果は変わらない。待っているのは、確実な死だ。

あのルパイド元帥が、賢治ごときに、そこまでの高い評価をしてくれていることは嬉しい。それに、多くの人命を救うためとはいえ、危険きわまりない作戦を考えたのは賢治だ。責任を取らなければならないという意味もある。賢治に異存はなかった。

ルパイド元帥の気持ちが、少しは分かるような気がした。しかも、あの人は自分の命で簡単には責任を取れない立場にいる。かなり苦しいのだろうなと、賢治は思った。確かに鉄のような精神の持ち主だが、人間的な要素が皆無だとは思えなかったのだ。

最初にレポートを否定した時、やはり妹の命が危険にさらされることを、あの人は不快に思っていたのだと、賢治は分析している。賢治が今回の交渉を成功させる事が出来たのは、KVーα人であるスキマ一家とずっと一緒にいて、その人となりを理解していたからだ。だから、理をもって感情を抑え込むことが出来た。

感慨にふける暇はない。精神が落ち着いてきてやっと気付いたのだが、患者に偽装した特務部隊の人らしき数名が、ずっと此方を見ていたのだ。彼らの負担にもなる。出来るだけ早めに此処を離れて、アシハラ元帥の迎えを待つ準備をした方がよいだろう。

ようやく足下がしっかりしてきたので、病院を出て、ライトバンに乗り込む。高速道路に入り込んだ頃には、大体の状況が説明できていた。立花先輩は、怒らなかった。ルーフさんもである。そればかりか、即断した。

「なら、私も行く」

「私も、同行させていただきますわ」

「生きて帰れる可能性は、あまり高くはないと思います」

そう言いながらも、賢治は嬉しかった。実は、作戦の最後の段階で、白兵戦がある可能性が極めて高い。だから、賢治としては、皆に同行して貰いたかった。もちろん、賢治も邪魔にならない程度には前線に出ようと思っていた。だが、その時には、一緒に戦い慣れた人に、側にいて欲しかった。

でも、これから行くのは死地だ。だからこそ、あくまで自主的な意思を尊重して貰いたかったのである。

「構わない。 ていうよりも、私にも出来ることがあるなら、やりたいからな」

「私は、地球人類が戦争を回避できるのか、見届けたいですわ。 今回の一件で、地球人類に嫌気も差しましたけれど。 それを払拭したいという思いもありますから」

「ありがとう、ございます」

嬉しかった。ただ、嬉しかった。

携帯端末が鳴る。アシハラ元帥からだった。前線を離れ、護衛の部隊と共にこの星に向かっているのだという。流石に動きが速い。ルパイド元帥はひょっとすると、最初からこの案を飲む気だったのではないかと、賢治は思った。

話を聞いていたレイ中佐が、自動運転モードに切り替えると、携帯端末を操作して立国に話をつなぐ。

大作戦が、地響きを立てて動き出した。賢治は、その案を練ったに過ぎない。だが、それを多くの人が認めてくれた。そして今、世界大戦を食い止めるための作戦に、危険を承知で参加しようとしてくれている。

弱い自分に、コンプレックスがあった。今でもある。払拭できるとは、今後だって思えない。

だが、いつまでも沈み込んではいられない。今後は、細かい調整が必要になってくる。地球連邦軍が、作戦遂行後にどう動くかという不安もある。ルパイド元帥が対応できないとはとても思えないが、賢治も策をしっかり練り込んでおかなければならない。策を立てた人間の義務だ。

ホテルについて、荷物をまとめる。

全員が、結局着いてくることになった。蛍先生も、最後まで見届けたいと言った。カニーネさんは、とても面白そうだと言っていた。

本音だかは分からない。だが、最後まで、一緒にいてくれる人がいて、自分は幸せなのだろうなと、賢治は思った。

 

自室に戻ると、キャムはベットに倒れ込んで、無言で天井を見つめた。一流のホテルらしく、染み一つ無い天井である。ただ平坦で、白い。おもしろみのない場所なのに、ぼんやり飽きもせず視線を送り続けた。

不意に笑いがこぼれる。

また、被名島がやってくれた。まさか本当に、作戦案を通してしまうとは思っていなかった。

危険な作戦だと言うことは知っていた。キャムもレポートを見せてもらったからだ。一種のテロに近いかも知れない。だがそれでも、多くの人命をこれで救うことが出来るかも知れない。

相手が地球連邦でなければ、無理だっただろう。立国だったら、大統領は命を失っても屈しなかったに違いない。それでも、今回は出来る。出来るのなら、今後につなげて、対応できる状況を作っていけば良いのである。

被名島は自分に守られていることに負い目を感じているらしいと、最近気付いた。だが、負い目を感じているのは、本当は自分の方だ。最近は特に、背伸びしているような気がしてならない。

戦闘ロボットと直接戦った時には、嫌な汗を随分掻いていた。死ぬと思った瞬間には、恐怖で漏らしそうだった。恐怖を感じない戦士などいないと言うことは分かっている。身体能力が高いなら、体格が小さくても有利だと言うことも知っている。だが結局の所、コンプレックスが払拭できずにいる。

同じように背が低くて、運動神経も貧弱な被名島が、どんどん飛躍しているのを見ると、苛立ちと同時に羨望も感じてしまう。

被名島を、部下だと言うことで守ってきた。だが、地位は今後逆転するのではないかと思えてしまう。いや、確実にそうなるだろう。あくまでキャムは一人の戦闘要員に過ぎない。奴は世界そのものを動かす立場に、将来はなる。いや、既にもうなっている。ルパイド元帥も、立国大統領も、被名島を認めた。奴は将来、確実に政府の要職に就くだろう。しかも、彼方此方から引っ張りだこになるはずだ。

あの年で、これだけの大規模な作戦を考案した。いくつものテロ事件を未然に防いだ。少ない情報から、正確に事態の黒幕を見抜いて、突き止めた。被名島が成し遂げたことは、枚挙に暇がない。

それに対して、自分はどうなのだろうか。

ただ、武力しか能がない、自分は何処へ行くのだろうか。

人類社会で、一個人の武勇の価値が暴落して久しい。当然のことだ。現在、最新鋭の宇宙戦艦になると、直系二十キロくらいの岩石衛星なら自力で粉砕することが可能だ。理論上では、恒星を滅ぼすことだって地球人類には出来る。そんな時代、どんなに鍛え上げたところで、個人の武力が役に立てる場面など限られている。

地球時代でも、個人の武勇など、大局には何の影響ももたらさなかった。超光速通信が発達し、荷電粒子砲が火を噴く今の時代の戦いに、やはり個人の武勇は、価値がない。その上、ある程度の水準までは、戦闘ロボットに再現可能だ。むしろ、最前線は殆ど戦闘ロボットに支配されてしまっていると言っても良い。

結局、茨の道を歩んでいるのが、今のキャムだ。

強引に、一緒に行くことは承諾させた。作戦の最後の部分では、大暴れする機会もある。今回の件の原因を作った邦商が相手でないのは残念だが、それでも構わない。今は誰でも良いから、叩きのめして、ぶっ潰したい気分だった。

携帯端末が鳴る。レイ中佐からだった。健康診断の結果が届いたのだという。すっかり忘れていた。

この間の戦いで、キャムは戦闘ロボット数機を生身で仕留めた。対ロボットの戦闘経験があったから出来たことだ。その過程で大けがもしたが、異例のスピードで回復した。強化ナノマシンとの親和率の高さが原因だと言うことは分かりきっていたが、それについての情報もあるらしい。

レポートを開いてみる。呻いた。見たこともない数値が並んでいる。以前も高かったが、それを桁一つ、ものによっては二つ凌ぐ内容になっていた。ひょっとすると、今なら星間オリンピックの上位入賞者とも五分以上に渡り合えるのではないか。戦っている時は、ただ動くように体を操っていたから、自覚は無かった。だが、今なら分かる。恐ろしいほどに、身体能力が高まっている。

レポートには幾つかの仮説が載っていたが、一番気に入ったのは、最後のものである。実力的に拮抗した相手と戦い続け、死線を何度もくぐったことにより、生存本能が刺激され、強化ナノマシンが活性したのではないか。同様の事例は過去にもあるという。ただ、キャムの場合はあまりにも極端だと言うことだが。

この作戦が終わった後、データをより詳しく提供して欲しいと、レイ中佐が書き加えている。確かに、この強化ナノマシンとの親和率は異常と言っても良い数値だ。遺伝子データなどを解析すれば、人類はさらなる発展を果たせるかも知れないと言うことは、頭が良くないキャムにも分かる。

宇宙時代に到達して、強化ナノマシンが実用化されて、人類は能力の底上げを行うことが出来た。老化速度を七割程度に抑え、多くの病気を克服、或いは早期の発見が可能となった。知力も体力も最低水準が大きく向上し、社会の稼働率もそれに伴って著しい強化を遂げることが出来た。催眠学習装置の普及によって、更にそれは強化されて、無学の人間は減った。誰でも知る歴史だ。

強化ナノマシンの親和率が更に上がれば、地球人類は存在として更に進化することが出来る。望むところである。ただでさえ、被名島に対するコンプレックスを感じていたところだ。自分の遺伝子が世界を変える事が出来るのなら、言うことは無い。遺伝子バンクにデータを提供するくらい、今時当たり前だ。特に嫌悪感はない。噂によると、アシハラ元帥の遺伝子などは、1000人以上が、子孫に対して組み込んでいるとか。

少しだけ、気が晴れた。再び携帯端末に、連絡が入る。

アシハラ元帥は、明日の昼到着するらしい。宇宙港で待っていて欲しいとある。時間差を少しでも無くすためには、当然のことだ。

死ぬかも知れないと、被名島は言った。だから何だ。今まで何度も死線はくぐった。この間などは、多脚型戦闘ロボットと正面から素手で渡り合うことになった。もう、何が出てきても、それほど驚きはない。

ホテルの地下には、トレーニングルームがある。プールやサウナもある娯楽的な場所だが、いちおう疑似戦闘プログラムもある。正直ぬるすぎるのだが、それでもやらないよりはマシだろう。

部屋を出ると、フォルトナがいた。年上の女性は今でも苦手だ。フォルトナに対する苦手意識も、決して消えていない。相手が戦闘ロボットであっても、同じ事だ。フォルトナを見て、思い出す。別に相手は、シミュレーターでなくても良いではないか。

「フォルトナ」

「何でしょうか」

「ちょっと、地下で戦闘訓練したい。 シミュレーターが弱すぎて肩慣らしにもならなくてね。 相手してくれないかな」

「分かりました」

この間勝つことが出来た戦闘ロボットは、多分最新型ではなかったはずだ。そんなものを持ち込めば、パーツの段階でばれてしまう。技術大国である立国の、しかも最新鋭戦闘ロボットのフォルトナであれば、キャムでも簡単には勝てないだろう。いや、それは思い上がりすぎか。勝てないと見て、最初から戦いを挑むべきだ。

被名島に地下にいることを告げると、さっさとトレーニングルームへ。シミュレーターの脇にある、ミニリングへ上がる。リングの隅に設置されている判定用のロボットに、もっともハードなモードでのルールを設定。必要がないため、人型をしていないロボットは、分かりましたとか人工音声で応えた。最高レベルのハードモードは、実戦形式。人体急所にクリーンヒットを受けるか、ダメージが蓄積して生命反応が危険域に入るか、気を失うと勝負がつく。望むところである。

さっきまで此処でボクシングごっこをしていたらしい金持ちのボンボンが、その様子を見てにやにや笑っていた。どうでもいい事である。

「キャムティール様」

「ん? どうしたの?」

「かなり苛立っておられますか? 精神の波長に、乱れが見られます。 戦闘時に、精神の乱れは敗北を招きます」

「苛立ってるよ。 だから、ストレス発散に、今の内に最強の相手と戦っておこうと思ってさ」

頭を、戦闘モードに切り換える。

既に、殺しも経験した。あくまで戦闘限定での事だが、今更他人の首を折ることくらい何でもない。相手を倒すことに対しては、更に躊躇を感じない。しかし、最近戦時の感覚が、日常に浸食しつつあるのも事実。少しまずい傾向だなと、キャムは思っている。だから、発散の機会が必要なのだ。フォルトナもすっと態勢を低くして、激突の瞬間に備えた。短い叫び声と共に、リングを蹴る。

叩き込んだ拳を、平手で受け止められる。間をおかずに叩き込んだ左からのフックは、軽く下がることでかわされ、頭上から肘が飛んできた。ピッケルか何かを振り落としてくるかのような鋭さだ。急ブレーキを掛けて横っ飛び。勢い余って、リングロープに背中が叩きつけられた。

僅かにかすっただけで、髪の毛を数本飛ばされていた。恐ろしい切れ味だ。常人ならば、頭を砕かれていただろう。フォルトナの遠慮の無さが、キャムの向上を示していた。嬉しいが、戦慄も感じる。

「以前よりも、速度が遙かに向上しています。 打撃の重さも増していますね。 それに、回避能力も。 お強くなられました」

「ありがと」

褒められているのだが、あまり嬉しくない。まだ此奴には及ばないことが、はっきり分かったからだ。あの襲撃から生き残ったのは、偶然ではなかったと言うことだ。強い。本当に強い。やはり、勝てないと思って、死中に活を求めるしかない。

左右に軽くステップを踏みながら、指先で来るように促す。フォルトナは、キャムより背が高い。顔立ちも大人っぽい。年上の女は、今でも苦手だ。その僅かな苦手意識が、やはり動きを鈍らせる。

至近で踏み込んできたフォルトナが、豪快な回し蹴りを叩き込んできた。両腕でガードするが、その上からもろに入る。吹っ飛んで、リングロープに叩きつけられた。息が一瞬詰まる。視界がぶれる。

迫る影。見えるIの字。それが、踵落としの体勢に入ったフォルトナだと、気付く。視界がはっきりする。右腕で落ちてくる踵をはね除けながら前に。体勢を崩したフォルトナの斜め後ろから回り込んで、背中に左掌底を叩き込む。真横に飛び退いたフォルトナの反応が速い。僅かにかすっただけだった。

さっき笑っていたボンボンは、蒼白になって固まっていた。踵落としを弾いた右腕はひりひりしていた。フォルトナは、ゆっくり此方を追い込むように、自然に歩いてくる。普通に歩いてくるから、却って隙が突きにくい。

静が生み出す僅かな空白が、一気に動へ移行した。

手が伸びてくる。つかみに来た。右手で払いのけながら、一歩下がる。次。不意に左のローキックが飛んでくる。飛ぶ。後ろではなく、前に。フォルトナの顔面を掴むと、飛び膝蹴りを叩き込んだ。顔面への膝蹴りは、キャムの切り札だ。あのブロンズも、これで沈めた。戦闘ロボットでさえ、頭に強打を貰えば、僅かに動きが鈍る。

どうだ。キャムはつぶやく。しかし、すぐに舌打ち。手応えがない。膝が、フォルトナの手で受け止められていた。その上頭も僅かに下にずらされていた。直撃しても、額に当たって、ダメージは最小限だっただろう。

自由落下で床に降りるまで、フォルトナは待ってくれない。半回転し、膝打ちを腹に叩き込んでくる。対応しきれない。キャムは翼を持ってはいないのだ。空中では、身動きが取れない。

直撃。

全身を、鋭い衝撃が貫いた。

審判ロボットが、鋭く笛を吹き鳴らした。同時に、マットに背中から叩きつけられる。受け身をとるので精一杯だった。

咳き込む。もしフォルトナが本気だったら、内臓を蹴り破られていた。完全にキャムの負けだ。胃液が喉まで這い上がってくる。吐かなかったのが、精一杯の抵抗だった。フォルトナは、殺す気はなくとも、手加減はしなかったのだ。

呼吸を整えて立ち上がるのを待ってから、審判ロボットが白々しく言う。言われなくても、結果は分かっている。

「クリティカルヒット! 勝負あり!」

「大丈夫ですか? キャムティール様」

手をさしのべてくるフォルトナ。悔しいなと、キャムは思った。強化ナノマシンの親和率がどうこうと言われても、現実はこれだ。現状で最強の戦闘ロボットや、多脚型が出てくると、キャムではかなわない。

武器を使えば別だ。だが、戦闘ロボットは武器の使用精度も人間離れしている。格闘戦が得意なキャムは、そっちの方がむしろ不利になる。

「今回、私は最後の一撃以外にはリミッターを掛けていませんでした。 普通の人間であれば、回避不能な攻撃は三回ありました。 反射速度も、身体能力も、キャムティール様はすでに常人離れしています」

「ありがと」

フォルトナに助け起こされながら、どうしたらもっと戦闘能力を向上できるか考える。明日の昼から、もうこのホテルは離れる。今の内に、もう少しは格闘戦闘能力を高めあげておきたい。

フォルトナに正面から勝つのは難しいだろう。人間である以上、反応速度にもパワーにも限界がある。更に、フォルトナには巨大な戦術データベースという最強の武器がある。だったら、奇抜な戦術や、ロボットでさえ予想外の技を繰り出すしかない。それも、一度しか通用しないだろうが。しかし、大きな問題がある。キャム程度に考えつく戦術など、先人が編み出しているに違いないということだ。

それに、今の実力でも。立国で一度だけ軽く小競り合いしたあいつには、勝てないような気がする。やはり、劣等感は拭うことが出来なかった。どうしたらいいのだろうと、思ってしまう。

「立花先輩!」

被名島の声だ。他の人たちの気配もある。夕食の時間か。ルーフさんが喜ぶのを見るのは嬉しい。出来れば護衛もかねて、行きたいところだ。

「今日はタイ料理を食べに行こうってルーフさんが。 立花先輩も行きますか? もう、お店は良さそうなところを見つけてます」

「そうだな。 すぐに準備する。 ちょっと待ってろ」

「分かりました。 ホールで待っています」

リングロープを飛び越えて、着地。唖然としていたボンボンは、怪物でも見たかのような顔をしていた。相当にお金を持っているのだろうが、この様子では寝所を潰す日も遠くないだろう。

何だか、その反応を見ていて、目が醒めた。こんな生きているだけで金の浪費になっているような輩でも、何かの役に立つことはあるものだ。感謝する気にはなれないが、別にいい。一般人から見て、充分すぎるほどの身体能力を得ていることは、この反応からも実感できた。それで良いではないかと、思った。

今は軽く気分転換をするのが良いはずだ。この作戦は、参加する全員が巧く動かなければ、作動しない。その一助になれればいい。被名島は、今でも一般人程度の運動能力しか持たない。此奴を最後に守るのは、キャムだ。そしてルーフさんを守るのも。気分を変える。負けたなら、次に勝てばよいのだ。そして、自分が勝てない時には、別の奴に託せばいい。

「フォルトナ」

「何でしょうか」

「最後に、被名島とルーフさんと、シャルハさんは私が守る。 でも、私がどうにも出来なかったら、頼む」

「私は貴方の護衛をするために派遣された戦闘ロボットです。 護衛の任務は当然のことですから、お気になさらずに」

笑顔を保ったまま、そう言うフォルトナ。やはりロボットなのだと、これだけでも分かる。人間の心理の機微などは、まだ分かってもらえない。もっとも、地球人類にだって、殆どの場合は分かってもらえはしないが。

シャワーを浴びて汗を流し、着替えてホールに出ると、もうみんな集まっていた。何とレイ中佐までいる。立国への報告がもう一段落したのだろう。結構レイ中佐は食べるので、見ていて小気味が良い。スペックが高い分、エネルギーの消費も大きいのだろう。

タイ料理はバイトを山ほどやっていた時代に、何回か手伝ったことがある。好みでいうと、キャムは中華料理の方がいい。林さんは今頃何をしているのだろうと、それで思い出した。帰ったら安くて美味しいあの中華を、腹一杯味わいたいものだ。

残る時間は、あまり多くない。今は被名島の機転に甘えておこうと、キャムは思った。

 

2,カイパーベルトを越えて

 

生物種としての地球人類の故郷は、言うまでもなく太陽系である。この太陽系に基づく基準は、人類社会の様々な所にある。

例えば、戦艦の等級などは、その最たるものである。太陽級と言えば、人類社会で言う最大の戦艦を示すクラスである。その圧倒的な火力と防御力は、軍の中核にして象徴であり、旗印ともなっている。その補助をする戦艦が、主に木星級と呼ばれる。その下が土星級である。かっては天王星級と呼ばれるものもあったのだが、これは重巡洋艦に立場を取って代わられ、今ではほとんど就航していない。

宇宙学的な点でも、太陽系の影響は大きい。小惑星帯はどこの星系にあろうと、星系半ばにあればアステロイドベルトと呼ばれるし、外部にあればカイパーベルトになる。これにも絶対的な定義があり、最外縁にある惑星の内側はアステロイドベルト、外側ならカイパーベルトとなる。準惑星などの軌道が交差している場合は、どちらにも属する。

度量衡、時間単位なども太陽系の基準がいまだに使われている。これらは人類が銀河系に広がった今では、もはや代え難いものである。

催眠学習で地球人類は最低限の知識を蓄えるようになっている。だから賢治も、その辺りの事情は頭に入っている。だが、知っているのと、見るのとは話が全く別である。

オルヴィアーゼの艦橋。不機嫌そうに草の茎を揺らしているアシハラ元帥の、少し後ろである。皆散っているのだが、賢治はいつも此処にいることにしていた。アシハラ元帥の作戦指揮が、よく見えるからだ。

メインモニターには、太陽系が映し出されている。良くも悪くも安定した、平均的な環境の星系。そして今では、人類社会の中心では無くなり、一国家の首都に過ぎない場所。

「あれが、太陽系ですの?」

「はい」

「随分安定した星系ですのね」

「今では、火星と金星にテラフォーミングが行われて、多くの人が住んでいます。 ガニメデやエウロパ、タイタンなどでも人が住める環境が整備されています。 と言っても、人口からも発展度から言っても、他の星系に比べて進んでいるとは言い難いのが実情なのですけれど」

確かにこの星系は、地球人類が一番長く歴史を積み重ねた土地である。しかしながら、開拓時代を経て広がった人類は、いまだに此処にこだわる訳には行かないのである。地球連邦にはそれをよしとしない者が多く、中には地球に全ての人間が移住すべき等という過激な思想の持ち主さえいる。特に社会上層に過激思想の持ち主が多いらしく、それが様々な軋轢の原因となっている。

地球連邦は新盟と関係が深い国家でもある。これは貧しい第三諸国の人間に資金援助をして、新盟の設立を後押ししたのが地球連邦だからだ。いまだ内部まとまらず、自衛だけが精一杯の状況である新盟だが、それを裏から操っているという噂もある。黒い噂も多いが、旧弊を打開しようと努力している人も多い。単純に悪の枢軸などと決めつけるのは、子供の発想だ。

「此処までは、上手くいったな」

「これからも、上手くいくと良いのだけれど」

立花先輩に、シャルハさんが返している。見かけは精悍な青年だが、中身は極おとなしいこの人は、こう言う時はいつも引っ込み思案な反応をする。悪いことではない。KVーα星人と接していると、地球人類が如何に好戦的なのか良く分かる。

レイ中佐は立国の軍人と言うこともあり、ずっと携帯端末にデータを取っているが、入れてもらえない場所もあって、難儀しているそうだ。一方、民間人である蛍先生は、完全にマイペースを取り戻した。キノカと一緒に彼方此方ふらふら見回っていて、警護の軍人を苦笑させている。

アシハラ元帥は、昨日から休憩を最小限にしている。此処はもう地球連邦の勢力圏だし、当然であろう。およそ4000隻の一個艦隊を、苦もなく潜行任務に従事させている手腕は並みのものではない。

「カイパーベルトに突入します」

「よし、全艦速度を落とせ。 絶対に気付かれるなよ」

立ち上がったアシハラ元帥の目には、鋭い光が宿っていた。いつもの気難しい子供みたいな人は、もう此処にはいない。今指揮を執っているのは、人類最強の用兵家だ。

とはいっても、不安はある。ミスをすれば、即座に全軍が捕捉されると考えて良い。そうなれば終わりだ。この太陽系だけにも、防衛用の艦隊は6000隻以上配置されているのだ。しかも此処で何かあれば、短時間で周囲から4000隻以上が駆けつけてくる。

地球連邦の監視衛星は、既に位置が割れている。それらに近寄らないように、ステルスを維持して進む。哨戒中の艦が、時々いた。ただ、賢治の目から見ても、油断しきっているようだ。

冥王星の軌道圏内に入る。火星の軌道を越えれば、あと僅かだが、まだまだ油断は出来ない。これ以降は身を隠す隕石群も殆ど無い。帝国から提供されたステルス技術はかなり信頼性が高いが、絶対ではないことは、この間の侵攻作戦ではっきりしている。邦商からの技術提供が、此処まで来ていない事を祈るしかない。

「静かすぎるな」

アシハラ元帥が、草の茎を揺らしながらつぶやく。多分注意を喚起するためだろう。リスクが大きい作戦なのは、皆知っている。だが、此処で敢えて気を引き締めさせるのが、アシハラ元帥なりのやり方という訳だ。

土星軌道を越えた。まだ、敵に発見はされていない。

 

ルパイド元帥は、艦橋に看護師と医者を連れてきていた。まだ体調は万全とは言えず、何かあったらすぐに代理を立てるように医者には言われている。だが、そんな余裕があるかどうか。兵士達が、不安げな視線を指揮シートに向けてきているのが分かる。士気にも関わるなとルパイドは思ってげんなりした。

目の前には、地球連邦の大艦隊が終結しつつある。既に和平交渉が決裂した報が入っているのだろう。今攻撃を仕掛けても良いが、それでは作戦が成り立たなくなる。しばらくは敵を傍観しなければならない。

此方の戦力は42000隻。それに対して敵は60000隻を少しオーバーしている。太陽級戦艦パームハームを定座としているルパイドは、重厚に方陣を組んで、敵の攻撃を待ちかまえる風を装っていた。何隻かオルヴィアーゼに偽装した艦も混ぜてあるのだが、さて敵はそれをどう見るか。

防衛戦に手腕を発揮する事で、ルパイドは此処まで地位を上り詰めた。アシハラが攻め、ルパイドが守ることで、連合は勝ち星の山を築いてきたのである。だがそれは、裏を返せば二人の卓越した戦略があったからで、今回のようにどうあっても勝ち目がない状況での交戦経験は少ない。三回、いや四回だけか。

地球連邦の艦隊は陣形を紡錘に整えると、じっくり前進してくる。それにあわせて、ゆっくり後退する。砲撃可能の距離を僅かに外して、等距離を保つ。敵が止まると、此方も停止。ただ、時間を稼ぐ。

良く訓練された部下達だが、いつまでもこんな神経戦は続けられない。出来て二日と言うところか。既に、少しずつ砲火がかわされ始めていた。距離が距離だから大規模な被害は出ていないが、それでも状況は加速度的に悪くなっている。

作戦の第一段階は、地球連邦の主力艦隊を、此処に引きつけること。

不安要素は幾つもある。補充された「戦力」は、今のところ問題のない動きをしているが、それだっていつまで続くかどうか。戦闘経験が圧倒的に少ないのだ。それに、敵はアシハラを警戒して、積極的な攻撃を控えている。だがそれも、当人がいないとなると、どう転ぶか。

彼方此方に散らばって、主に後方に配置されている約4000隻は、立国から派遣されてきた戦力である。もちろん、前回の帝国軍侵攻で、実戦を経験している。そして、それらを配置することによって出来た余剰戦力こそ、今アシハラが率いて地球連邦の内部を進撃している精鋭部隊だ。

「敵艦隊、速度を上げました!」

「両翼を前進。 そのまま進めば、左右から挟撃を受けるように見せかけなさい」

「はっ! 両翼に伝達! 前進を開始せよ!」

一矢も乱れぬ動きで、両翼が動き出す。方陣が瞬時にV字型の縦深陣に切り替わる。敵は即座に突撃を停止すると、ゆっくり後退を開始した。それにあわせて、両翼を下げる。再び膠着状態が訪れる。

ゆっくり後退する敵を、見送るような形で一定距離を保つ。

被名島の策は、さほど独創的なものではない。軍と首脳部の切り離し。首脳部の独自制圧。ただ、それだけだ。ただ、それらがかなりアクロバティックな各国の共同作業によって支えられているということ。

更に言えば、問題になってくるのは、立国と連合の保有するあらゆるものがそれにつぎ込まれると言うことである。

立国からは、無事だった機動戦力。連合は、その全軍。そして帝国からは、前回の戦闘で使用した最新技術。いずれも、歩調を合わせるのは本来困難を極めるものばかり。常識では考えられない程の大胆さだ。被名島賢治というあの青年、並の頭脳の持ち主ではない。この件に巻き込まれるまでは普通の高校生だったと言うが、どこかで過小評価されていたのだろう。

壮大すぎる作戦案である。危険性も大きい。いまだ各国内の派閥に属さず、政策の苦労も知らないだろう若造の考えたことだと、一蹴するのは簡単だ。だが、もし実現した時には、ダイナミックに歴史が動く瞬間を、至近で見ることが出来る。そして、世界大戦を回避することも理論上は可能だ。立国の大統領は提案に乗った。ルパイドも提案に乗った。だから、計画は実現軌道に乗った。

裏側での交渉でも、ルパイドの持つ人脈を使って、強引に反対勢力をねじ伏せた。また、連合内部にいた、情報を漏洩しそうな勢力は、密かに処分した。その中には、連合の元老の一人の息子も混じっていた。この間のテロを主導していたのも此奴だった。裏側から連合を操るルパイドを邪魔だと思っての行動であったらしい。短絡的な、愚かな奴であった。

どのように言いつくろっても、大勢の人命を奪った事実に代わりはない。所詮は血塗られた道だが、しかし、世界大戦の惨禍に比べれば遙かにましだ。地球人類が手に入れた、宇宙で飛躍するための好機をどぶに捨てる訳には行かない。

子供に手を汚させる訳には行かない。もうルパイドは、地球時代であれば老人に脚を踏み込みかけている年だ。

立国の艦を偽装するのに用いているのは、帝国が使ったステルス技術だ。隕石の数を最新のレーダーにさえ誤認させた、すぐれたテクノロジーである。帝国が独自開発したものではなく、邦商から提供された技術に手を加えたものらしいのだが、既に原理は解析が済んでいる。

この新型ステルス、解析および搭載するのに一週間程度掛かったそうだが、問題なく動いている。実戦投入は以前に済んでいるし、不安は小さい。効果も実証済みだ。アシハラ艦隊にも搭載が済んでいるが、これは航行しながらの作業であったから、色々苦労もした。もっとも、和平交渉中に油断しきっていた地球連邦軍は、此方の部隊が入れ替わっていることに、気付きもしなかったが。

敵艦隊の動きを、しっかり見極める。一定以上の距離は開けない。追撃を受けた場合、兵力差による有利は完全に消滅する。良く訓練された連合艦隊に鋭い追撃を受けたら、地球連邦の艦隊などひとたまりもなく崩壊する事は、この戦場にいる誰もが分かっている。それを利用し、距離を保つ。

時計を見ると、戦闘開始から六時間が経過していた。いまだ、双方に大きな被害はない。そろそろ冥王星の軌道内に入ったところかと、ルパイドは計算していた。敵がまた動き出す。今度は部隊を無数の機動小艦隊に分けて、様子見の攻撃を仕掛けてくるつもりらしい。バカにされたものだと、ルパイドは思った。

一度肝を冷やしておいた方が良いだろう。多少の犠牲は、仕方がないことだ。ルパイドは立ち上がると、澄んだ声で指示を飛ばす。

「全軍を三角柱に再編成! 最大戦速で、敵艦隊との距離を詰める!」

 

様子見の攻撃を仕掛けようとした艦隊が、突如として密集突撃陣を組んだ連合艦隊に撃砕され、瞬く間に千隻以上の被害が出た。味方の艦隊は一時後退し、再び両者はにらみ合いに入った。

それ以降は、大きな進展無し。緒戦は、敵有利。

地球連邦の大統領は、苛立ちと共にそれを聞いていた。

大統領は、初老である。当然のようにメイフラワー号でアメリカ大陸に到達した者達の直系子孫で、プロレスラーを思わせる体格を誇る。かってアメリカでもてはやされた「健全な」骨格の持ち主である。もちろん、歯並びは若い頃から矯正をかけ、今でも乱れていない。顎は四角く、眉毛は太く、頭髪はいまだ禿げていない。屈強な男という表現がこれほどよく似合う人物も珍しいだろう。

彼はワシントンという名を持つ。歴代の大統領の中ではむしろ若い部類に属し、「新鮮で柔軟な頭脳」の持ち主だと評されているが、それも比較しての話に過ぎない。所詮ワシントンは初老に脚を突っ込んでおり、思考には衰えが目立つ。これでも事務官だった頃俊英でならしたし、多くの業績も上げたのだが、今は昔の物語に過ぎない。現在のワシントンは、旧弊にとらわれているただの老人だ。

更に、ワシントンの脚を、かってパワーエリートと呼ばれた連中の子孫達ががんじがらめに縛り上げている。パワーエリート共の一部は、開拓時代に邦商設立に関わったが、地球連邦の中にもこうして足場を確保していたのだ。今回の電撃的な同盟成功も、それらパワーバランスが大きな影響を果たしている。

かって、地球連邦の母胎となったアメリカ合衆国では、自立自尊がもてはやされたという。民主主義と並んでそれは一種の信仰だったそうだ。ワシントンは、どうだっただろう。無様なトルーマン元帥の指揮を見ながら、ぼんやりと過去に思いを馳せる。

偉大なる過去の栄光を聞いて育った少年時代。一流大学にトップクラスの成績で入った青年時代。飛び級もした。自分は優秀だと信じていた。古い時代のアメリカンコミックに登場するキャラクターのような体格と頭脳にも恵まれていた。

だが、それらが親の敷いたレールに沿った人生だと気付いたのは、いつだっただろう。ハイスクールの成績は、親が買ったものだった。更に、親友だと思っていた連中も、親の人脈に目を付けたハイエナ共だった。

あきれ果てたのは、周囲の「優秀な」人間達も、皆同じような状況だったと言うことだ。かって自由と民主主義を標榜し、世界の警察を自認した国家。地球連邦の母胎となった最強の存在。その栄えある子孫達が、此処まで腐敗していたとは。

街に出てみた。いまだスラム街は彼方此方に存在しており、人種的な差別も根絶されていない。自由など何処にもなく、あるのは腐敗した社会だけ。マフィアが抗争を繰り返し、軍は内部で政争を行い、個人的に産業と癒着している者も少なくない。

あまりにも醜悪な現実だった。この世界には、アメリカンコミックのヒーローは存在しない。悪は野放しで、法で取り締まることなど出来ないのだ。その現実が、ワシントンを強く打ちのめした。絶望のどん底にたたき落とした。今までの価値観を、全て粉砕してしまった。

しばらくは荒れた。だが、いつの間にか現実に体が慣れてしまっていた。公務員になって、任務をこなしている内に、妻子も出来て、ますます逃げられなくなった。大統領の座は、別に求めなくても転がり込んできた。「民衆」は、彼のルックスと体格に、票を投じたからだ。

そうして、大統領になったのが三年前。いずれ任期が来たら、彼と同じように「社会上層にいる優秀で健全な人間」が大統領になる。この国は、もう終わりだ。内部は権益が複雑に絡み合い、もはや身動きが取れない。軍の技術改新が停滞したのも、それら複雑を極める政争が原因の一つだ。

ホワイトハウスの自室。窓から外を見る。青い空だ。大気汚染は、既に過去の話となっている。何処の海も最高水準の透明度を取り戻し、都会といえども空気は高山と変わらない。遠くに見える山より高い軌道エレベーターが、時々陽光を反射して輝いている。美しい光景だ。それに比べて、地球人類はなんと醜いことか。

手元の回線が鳴る。立体映像投射装置を立ち上げると、緊張した面持ちで、秘書官の一人が出た。

「大統領」

「何か」

「はい。 それが、軌道上の艦隊から、妙な報告が出ております。 おそらくレーダーの誤動作だとは思うのですが、火星近辺に妙な質量反応があると」

眉をひそめたワシントンは、口に手を当てて考え込む。

邦商から、今回の戦いに際して多くの技術の提供を受けた。殆どは前線に配備したのだが、此方にも僅かながら回して貰ったものがある。レーダーの技術も、その一つだ。ワシントンは知っていた。この戦い、もし連合に勝ちの目があるとすれば、地球連邦の心臓部である地球の電撃的な攻略であると。

それを誰にも言えなかったのは、ワシントンの孤独な状況が故であった。言ったとしても、一体何の対策が取れたか。軍の高官達は、みんな前線で如何に功績を挙げるかに躍起になっている。防衛部隊の連中だって、部署がどうの配置がどうので、陰湿な争いを繰り返し続けている。それらには複雑な利権が例外なく絡みついており、大統領といえども簡単には動かせないのだ。

「軌道上の防衛艦隊に警戒するように伝えろ。 第一級警戒態勢だ! 急げ!」

「は。 しかし、何にでしょうか」

「今、我らは北部銀河連合と交戦中だ。 彼らの奇襲部隊に決まっているだろう」

「しかし、連合の部隊は、前線に展開するので精一杯の筈ですが」

秘書官の顔には、嘲弄が浮かんでいた。そういえば此奴の家系は、ワシントンのそれよりも「格上」なのだった。次代の大統領になることは確実視されており、部下も遠慮している者が多い。

貴族制は無くなったはずなのに、名前を変え形を変え、同等のものは今でもこうして存在している。唾棄すべき事実である。何が自由の国だ。階級の国の間違いではないのか。自分自身も、それに染まって、いつのまにか年老いてしまった。自分への怒りが、若い頃に忘れてしまったものが、再びふくれあがってくる。

ワシントンは愛国者ではないと、今自覚した。彼よりもこの国を憎んでいる者は、ひょっとするといないのかも知れない。だがそれでも、彼は大統領だ。責任のある立場にいる以上、それなりの行動をしなければならない。

多くの貧しい民が、この国にはいるのだ。支配者は自分を含めてクズばかりでも、彼らを守るために、最大限の努力をしなければならない。

「良いから、早くしろ! 貴様の家格がどうだろうが、今の大統領は私だ! 経歴に泥を塗りたくなければ、さっさと連絡を取れ!」

声を荒げると、流石に蒼白になった秘書官は動いた。

もし此処に奇襲を掛けてくるとすると、前線から此処までの探査設備や宇宙要塞を、ことごとく欺いてきたと言うことになる。生半可なステルス技術ではない。

そういえば。帝国が立国へ対して行った侵攻作戦で、確か似たような技術が使われたはずだ。だが、帝国からその技術を提出させ、しかも短期間で艦隊に配備したというのか。それに、気になる事はもう一つある。艦隊を出すとしても、一体どこから。

まさか。帝国だけではなく、立国もフルに連合に協力しているのか。しかしそうだとしても、一体何処の誰がそんな作戦案を立てた。何者が実行しているというのか。

「軌道上の艦隊から入電! 敵艦隊発見! 規模は、およそ一個艦隊4000隻! 密集隊形で突入してきます!」

秘書官が泡を食って連絡してきた。すぐに緊急対策室を立ち上げるように命じると、自身は戦略シミュレーション室に移動する。ホワイトハウスの中も何回か改装が行われていて、一応近代的な設備はあるのだ。すぐに立体映像で、地球とその近辺の状況が示された。

地球の周囲には、現在四つの小型人工天体が浮遊している。いずれも自己判断能力を持つ要塞であり、戦略上の拠点としても活動可能である。

その一つが、既に消失していた。

「何が起こっている!」

「解析中です! 火星方向から、大口径の荷電粒子砲での狙撃を受けたものと思われます!」

「地上へ落下する可能性は!」

「それは大丈夫です。 ただ、デブリの拡散が著しく! 今、防衛艦隊が展開を開始していますが、対応が間に合うかどうか!」

やはり、予想は当たった。しかし、遅すぎた。

敵が姿を現す。此方に気付いたのだろう。だが、次の瞬間、またしても防衛衛星が吹き飛ぶ。狙撃地点が違う。敵の艦隊とは、微妙にずれている。

「敵艦隊、殺到してきます!」

「相手は恐らくあのアシハラ元帥だ! 増援をかき集めろ! 守りに徹して、敵の疲弊を誘え! 時間を稼げば、周囲の味方が駆けつけてくる!」

デスクを一打ちすると、ワシントンは叫んだ。すぐにトルーマンと連絡を取る。しかし老元帥は、泡を食った様子で吠えた。どうやら、連合の艦隊に神経戦を挑まれているらしい。此方にアシハラ元帥が来ているだろうと言うことは分かる。そうなると、前線の相手は総司令官をしている姉の方か。

「此方も敵にぴったりくっつかれている! 援護どころではない! 撤退に転じた途端、追撃を受けて全滅するぞ!」

「ならば、周辺星系の防衛艦隊を回せ! シリウスの艦隊も此方に回してしまって構わない! αケンタウリの部隊も此方に来させろ! 急げ!

「若造! 貴様、何様のつもりだっ! 地球連邦の総司令官は、このわしだ! ジョージア家の貴様ごときが、出しゃばるな!」

「若造だろうが、今は私が大統領だ! さっさと指示に従え! こっちが無条件降伏することになるぞ! お前は良くても、地球には兵士達の家族も大勢いる! 彼らを人質に取られたいのか!」

真っ青になったトルーマンが、やっと部下に指示を飛ばし始める。既に軌道上の艦隊は、抗戦を開始したが、元々陣形も整っていない上に、奇襲を受けたのである。見る間に蹴散らされ、潰走する部隊まで出始めている。

「防衛第一艦隊旗艦ゴンドワナ撃沈! 司令部は何とか脱出しましたが、混乱が続いています!」

「第二防衛ライン突破されました! 早すぎる! 対応が間に合いません! 第三防衛ライン、四割消耗! 第四防衛ライン、応援に回ります!」

「全防衛部隊を投入しろ! 何としても持ちこたえるんだ!」

まもなく、第三防衛ラインが突破され、三つめの防衛要塞が火球になったという連絡が届く。

ワシントンは怒りにまかせて、デスクに拳を打ち下ろした。典型的な時間差各個撃破だ。此方の戦力は敵を凌いでいるのに、混乱する味方は連携を欠き、片っ端から潰されている。指揮系統もいい加減だから、混乱からの回復も遅い。それに対して、敵は一枚岩だ。しかもそれを率いているのは、当代最高の英雄と来ている。

ついに、第四防衛ラインが突破された。被害はそれほど大きくないが、蹴散らされた艦隊は右往左往するばかりで、獰猛な攻撃に逃げまどっていた。

「シリウス、αケンタウリ、両星系からの援軍が近づいています。 ただ、到着にはまだしばらく掛かる模様!」

「残存の艦隊を結集しろ! 何としても、制空権は渡すな!」

立体映像が乱れる。すぐに復帰したが、意味は明らかだ。監視端末が一つないし複数破壊されたのだ。つまり、敵は其処まで近づいていると言うことである。

「対宙迎撃戦用意!」

ワシントンは、可能な限り冷静であろうとした。

だが、それは不可能だった。

 

3,ホワイトハウスにて

 

最小限の犠牲。

賢治はそう思っていた。だが、今賢治の前で繰り広げられているのは、紛れもない殺し合いだった。

アシハラ艦隊の動きは鋭かった。立国から貸し出された攻城用大口径荷電粒子砲艦の部隊のステルスを敢えて解除せず、部下に任せると、自身は主力を率いて突撃。接触のタイムラグを測って、集中砲火で最大の懸念であった軌道上の防衛要塞を潰していったのである。混乱する防衛ラインも一つずつ突破し、ついに地球と艦隊の間を阻むものはいなくなった。

だが、今艦隊が制圧しているのは、太平洋の上空辺りである。経済特区である東京の上空も含んでいるが、地球連邦を降伏させるにはまだ足りない。抵抗を続ける地球連邦の艦隊を蹴散らしながら、少しずつ支配権を拡げていく。地上からも対宙迎撃砲火が飛んでくるが、ものともしない。返す刀で、次々に撃破していく。

抵抗が、徐々に激しくなってくる。シリウスとαケンタウリから増援が来るのは確実視されていたから、それを見込んでのことだろう。アシハラ元帥は指揮シートから立ち上がって指揮を続けており、此方を見ている余裕はない。時々直撃弾がオルヴィアーゼにもあるが、全く動じていないのは流石だ。

「このままでは、制空権の確保速度が間に合いません!」

「火力を集中! 指揮を執っている太陽級戦艦から潰していけ! 大気圏内に落ちないよう、気をつけろ! オルヴィアーゼは最精鋭を引き連れて、ホワイトハウスへ突入を敢行する! 総員、白兵戦用意! 対宙迎撃ショックに備えよ!」

「どういう事ですの?」

「制空権を抑えるのは間に合いそうにないので、オルヴィアーゼを突入させて、先に大統領を抑える事にしたみたいです」

集団戦闘については全くの素人であるルーフさんに応える。個人戦ではかなりの力量があることが、ククルームルさんの救出作戦で分かっているが、元々戦争が嫌いなようだし、仕方がないだろう。

昨日、立体映像でククルームルさんとエルさんと会った。二人とも元気そうにしていた。ククルームルさんはもう外を歩けるようになっているそうである。危険を冒してまで通信を許可してくれたアシハラ元帥には感謝の言葉もない。

ぐっとGが掛かった。100隻ほどの艦が、大気圏内に突入を開始したのだ。揚陸艦数隻とオルヴィアーゼの周囲を分厚く護衛艦が固めての突入計画である。そういえば、宇宙港を介さずに大気圏内突入するのは、初体験だ。ちょっと緊張する。

そんなことを考えていられるという事は、それなりに余裕が出来たのかも知れない。立花先輩は既にボディスーツを身につけていて、銃の供与を断っていた。あくまで拳で全てを叩きつぶすつもりらしい。

グローブをはめながら、立花先輩が言う。ツインテールに結っている髪が揺れていた。相変わらず固い髪質だ。

「被名島」

「はい」

「私が、大統領の確保に向かう。 お前は情報の分析と、早期警戒を頼む。 敢えて言うが、しくじるなよ」

「分かりました」

蛍先生が、側に来た。もちろん、キノカを伴っている。少しためらった後、蛍先生はキノカの頭を撫でながら言った。

「被名島君、キノカを連れて行って」

「え? いいん、ですか?」

「ええ。 私は此処で見届けさせて貰うから。 君たちが、ちゃんと成し遂げられるのかどうか」

「微力ながら、お手伝いをさせていただきます」

あまり目つきの良くないキノカが、深々と礼をした。これは、ますます負けられなくなった。よろしくと言って、握手の手をさしのべると、キノカは握り替えしてくれた。小さな手だ。そして、今回を限りに、二度と戦わせてはいけない手でもある。

メインモニターに、周囲の大気が摩擦で燃える様子が映し出されていた。護衛の艦は名一杯にシールドを張っているようだが、猛烈な対空砲火を受けて傷つく艦も少なくないようである。アシハラ元帥は激しく揺れる艦の中で、あっちにふらふら、こっちにふらふら。ぶつかったりしながらも、苦心しながら指揮を執っていた。あまり運動神経が優れていないことは知っていたが、こんな微笑ましい所もある訳だ。転んだ。副官がさっと立ち上がらせている。

大気圏内に、完全に入った。北米大陸が見えてくる。迎撃に出てきた敵の大気圏内戦闘機を、宇宙からの援護が次々に貫いていく。宇宙空間での戦いも、此方が押し気味のようだが、まだ制空権の完全制圧には到っていない。タイムリミットは、近い。

「護衛艦アルテイミス、後退します!」

「揚陸艦シュナイト、突撃続行不能! 制空権確保領域に離脱します!」

「護衛の巡洋艦シドニー撃沈! 乗員、脱出します!」

僚艦が、激しい攻撃で次々に離脱していく。抵抗は激しさを増すばかりだ。元々敵の数の方が多いのだから、当然だといえる。激しく揺動したのは、直撃弾を喰らったからだろう。まさか、都市部に向けてオルヴィアーゼの主砲を撃つ訳にも行かない。音速を超えて飛行している以上、都市部も避けなければならない。まっすぐ進むことが出来ないのが、非常に面倒くさい。

「残り、100キロを切りました!」

「揚陸可能要員は!」

「現在、二隻の揚陸艦が無事です! 当艦とあわせて、二個連隊程度の陸戦要員を展開することが出来ます!」

「良し、着陸の瞬間を絶対に狙撃させるな! 意地でも守り切れ!」

広大な原野が見えてくる。北米大陸には、無秩序な耕地開拓の結果、栄養を使い果たして荒野になった土地が至る所にあると賢治は聞いたことがある。その一つだろうか。略奪農法と言ったそうだが、人類の業であろう。

後二十キロほどまで到達した時点で、高度を下げ始める。陸戦要員に、戦闘準備を促すアナウンス。立花先輩が立ち上がる。アシハラ元帥も、艦長に指揮を任せると、自身は陸に降りるつもりのようだった。指揮車両で、戦闘の様子を確認するのだろう。

速度と高度が、ついにゼロになる。

この辺りは草地になっている。荒野を緑化したと言うよりも、かって大都市だった辺りを、人口減少に伴って区画整備したらしい。その証拠に、草の生え方が妙に規則的で、所々正方形に生えそろっている。行く手に炎と太い幹線道路が見えてきた。炎を上げていたのは、軍事基地。巨大な荷電粒子砲が空に向いていたが、半ば壊れている。他の防衛施設もあらかた火を吹いていて、抵抗できる形跡はない。来る途中に砲火を浴びせて、沈黙させたのだろう。

ドッグへ走る。シャルハさんは残るらしい。カニーネさんとルーフさんは出ると言うことだった。シャルハさんは、蛍先生を守ると言うことである。これで蛍先生との確執に決着がつくと良いのだけれどと、賢治は思った。レイ中佐は請われて指揮車両に一緒に乗るらしい。

兵士達が装甲車両と、ホバーバイクに分譲していく。賢治も装甲車両に乗せて貰った。内部は狭苦しく、一緒に乗り込んだ立花先輩と肩が触れた。ルーフさんも、同じ車両に乗り込む。三人一緒にいられるのは心強い。カニーネさん達三人も、別の装甲車両に一緒に乗り込むそうだ。

「GO!」

揚陸用ドッグが開き、一斉に装甲車両が出る。この辺りにはリニアレールも整備されていないから、車はタイヤで進む。地面のでこぼこがもろに伝わってくるので、地面の上にいる感触がよく分かる。隣の立花先輩の、ツインテールに結った髪が、振動の度に揺れる。

「何見てる」

「え? ええと。 その。 生きて帰りましょう」

「むろん、そのつもりだ。 地球連邦の大統領に一発ぶち込んでからだけどな」

「お願いします。 僕には出来そうもありませんから」

大統領の写真は、着陸前に皆で見ている。初老のがっしりした人物であり、古き時代のアメリカンコミックの登場人物を思わせる。能力的には、見るべき所はないと言われていて、歴代の大統領の中でも決して評判は良くない。無能なのは今までの反応でよく分かっているが、利権と腐敗が絡み合った地球連邦の現状では、手腕など振るえないのかも知れない。

実際に会ってみないと、人となりなどは分からない。それは今までの経験で、嫌と言うほど思い知らされてきた事だった。

揚陸艦の側を通り過ぎる。直撃弾をかなり受けているらしく、傷だらけだった。口を開いた髭鯨という雰囲気で、重武装の陸戦部隊がぞろぞろと出撃してきている。多脚型の戦闘ロボットや、飛行可能な戦車も大勢いた。敵の陸上部隊も、もちろん迎撃に出てきているようだ。

かって米国と言えば、世界最強の海兵隊が有名だった。地球連邦になってしばらくした頃から、海兵隊は弱体化して久しい。ただし、今でも精鋭の特殊部隊の一つや二つは抱えているはずだ。装甲車と併走している戦闘ロボット達の中に、静名とフォルトナがいた。二人とも、かなり大きな銃を持たされている。

戦闘が始まる。ホワイトハウスまでの防衛線を、いかにして突破するかが課題だ。そしてこの装甲車は、防衛ラインを迂回して、少数の精鋭と共に単独行動を取る。高度なステルス迷彩を施しているのも、そのためだ。

激烈な戦闘を繰り返す前線をすり抜けるようにして、装甲車が走る。流石に宇宙戦闘用のレーダーを誤魔化すだけあり、敵が全く気付かない。フェンスが見えてきた。間違いない。ホワイトハウスの敷地だ。

「突っ込むぞ! 衝撃に備えろ!」

装甲車の車長が叫ぶ。

数トンに達する装甲車が、フェンスを力づくでなぎ倒した。

 

防護用のフェンスが突き破られる様子は、ワシントン大統領がいる戦略シミュレーション室からも見えていた。思わず呻いたのは、迎撃部隊は何をしていたのかと思ったからである。

前線が突破されたのなら、もっと大々的に敵が攻めてきているはずだ。此処まで宇宙艦隊が来るのに使ったのと同じステルス技術を用いたのだろうと、ワシントンは結論した。陸上部隊は、何をしていたのだとも思う。それくらいは、予想できて当然であったはずなのに。

「敵がホワイトハウスに侵入! 潜入専門の特殊部隊かと思われます!」

「すぐにヘリを回せ! 脱出の準備!」

ワシントンは、カラになっているヘリポートを見てもう一つ舌打ちした。かって米国の軍は、凶暴であっても優秀であったと聞く。地球連邦に変わって、しばし時が過ぎた今はどうだ。こんな事を指示しなければ、まともに動くことさえ出来ない。無様なまでに弱体化しきってしまったのだ。

そして、弱体化したのは、何も軍のシステムばかりではなかった。

「だ、大統領が、有事にホワイトハウスを離れられるのですか!?」

「今は緊急事態だ! もし私が捕虜になったら、後はどうするつもりだ!」

愚かな形式論を口にする部下を一喝。装甲ヘリが、ヘリポートに来た。すぐに脱出しようと歩きかけた瞬間、モニターの中で装甲ヘリが炎上する。至近から大口径砲の直撃を受けたらしい。最新鋭らしい戦闘ロボットが、対戦車砲を手にしているのが見えた。妙に無表情なロボットだ。ハウスメイドの格好をしているのは、何の冗談か。

「すぐに代わりを! それと、防衛部隊から援軍を回させろ!」

「敵精鋭部隊、ホワイトハウスの敷地を突っ切ってきます!」

「大統領! ど、どうしたら!」

オペレーターの一人が情けない声を上げた。嘆きたくなるのはこっちの方だと、ワシントンは心中にてぼやく。銃を寄こせと、一人に指示。古典的な火薬銃を手にする。ずっしりと重い。

銃を手にするのは、学生時代以来だ。射撃の訓練は、「エリートのたしなみ」として、もちろん受けた。成績もトップクラスだったが、何の役にも立ちはしなかった。今初めて、役に立とうとしている。戦略シミュレーション室を離れる訳には行かない。ホワイトハウスの図面が、立体映像の中に浮かび上がる。赤くなっていくのは、制圧された地点だ。既に敷地内の半分は抑えられ、内部にも侵入が開始されている。

ついに、執務室にも敵が侵入したようだった。ワシントンの脳裏が真っ赤になった。あの部屋だけは、敵に抑えさせてはならないのに。

「ヘリはまだか!」

「まだです! 前線も、混乱著しく!」

もう、敷地を歩いて脱出するのは無理だろう。地下シェルター等という気が利いたものは、何十年も使われておらず、空調やら生存システムやらがまともに稼働するかは極めて怪しい。何より、敵に存在を知られてしまっている。それに、脱出用の地下通路に配備されている車両は、何十年も整備されていないはずだ。まともに動くのだろうか。そう考えた瞬間、上空に現れた敵の戦闘ヘリが、小型のバンカーバスターを射出するのが見えた。

ホワイトハウス全体が激しく揺れる。地下通路に付けられていた監視カメラからの映像がとぎれる。

逃げ道は塞がれた。

「打ち落とせ!」

「対空迎撃システム、敵攻撃により既に沈黙! もはや対応手段がありません!」

「もういい!」

ワシントンは、静かに、だが深い怒りを込めて言った。そして、周囲にいたSP達に言う。

「最後は大統領としてありたい。 大統領のSPとして、最後まで戦いたいものだけ着いてこい」

SP達は顔を見合わせる。そして、六人が着いてきた。

 

立ちふさがった戦闘ロボットに、全く躊躇せず立花先輩が突貫した。地球連邦の戦闘ロボットらしく、黒服を着た長身の黒人を模している。跳躍、壁を蹴って更に高く。もう人間の動きではない。乱射していた銃弾をかいくぐると、顔面に膝蹴りを浴びせ、地面に押し倒しながら首をへし折る。更に動かなくなったその体を引き倒して、別の敵からの銃撃の盾にする。

以前から強い人だったが、此処しばらくの実力は図抜けている。戦闘ロボットを素手で破壊するなど、技が常人離れしている。ただ、立国製の最新鋭戦闘ロボットにはまだかなわないだろうし、単純に此処に配備されている戦闘ロボットの実力が低いという事情もあるのだろう。技術的な立ち後れが、こう言うところにも現れている。

素早く情報を分析する。側でキノカが、辺りの地図を立体投影してくれているので、分析がやりやすい。ロボットの残骸を盾にしながら、立花先輩が問うてくる。

「被名島! 左は何人だ!」

「左は戦闘ロボット一機のみ! それより、通路奥に狙撃手が!」

「任せてくださいませ。 そちらは私が片付けますわ」

ルーフさんが飛び出す。ルーフさんもボディアーマーを着込んでいるが、躊躇無くまっすぐに、である。当然、数発の弾丸が、体を貫く。だが、ものともしない。

弾丸が、そのまま群体の間を通り抜けてしまっているのだ。以前の戦いでは見せてくれなかった技だ。高度な群体の制御が必要になるからだろう。それに、今回のルーフさんはかなり本気で戦っている。なりふりを構わないという訳だ。

唖然とした狙撃手を、ルーフさんのドロップキックが直撃した。同時に、隠れていた自動小銃の射手を、立花先輩が仕留める。ルーフさんを斃すには、薬品か、或いは火炎放射器か。そういったものを使わないと難しいなと、賢治は思った。ただ、瞬発的な動きは苦手としているようだし、必ずしも無敵ではない。弾が体を貫通する度に、群体も僅かながら失っているようだし、逆に言えばそれだけの覚悟をして戦ってくれているということだ。

数発の流れ弾が飛んできているが、キノカが反応して、貸与されている菱形の対弾シールドで防いでくれている。後方は静名とフォルトナが連携して確保してくれているし、心配はない。前に進むことだけ考えればいい。

此処はホワイトハウスの二階である。本来なら一生足を踏み入れることがない場所なのだが、今は複数で侵入させて貰っている。さっき執務室は抑えたのだが、大統領の姿はなかった。今は彼を捜して、他の特殊部隊員と連携しながら、ホワイトハウスの内部を走り回っている。重要地点はほぼ半数を抑えたが、まだ敵の抵抗は頑強だ。

ターゲットである大統領だが、さっき地下はバンカーバスターで潰したという話だし、既に逃げたと言うことはないだろう。バンカーバスターで生き埋めになっているという可能性もある。だが、賢治はそれをすぐに否定した。大統領はホワイトハウスにと言うのは不文律であって、まだ交戦中に、逃げ出すとは考えにくい。

「わはははは、手応えのない奴らだ!」

無線から楽しそうな声が聞こえてくる。カニーネさんが大暴れしているらしいのは、敷地の方だ。ヘンデルとグレーチェルさんを引き連れて、次々に来る増援を片っ端から叩きのめしているらしい。背後は静名とフォルトナに任せているから、後は探していない部屋をしらみつぶしにしていくだけだ。どうにか、間に合うだろう。ホワイトハウスは巨大な建物だが、無限の広さを誇る訳ではない。

宿直室に飛び込む。此処を管理しているらしい老人が、悲鳴と一緒に手を挙げた。赤外線によるサーチに反応は無し。此処には隠れていない。賢治が手にしているセンサーをごまかせる精度のステルス技術は、地球連邦にはない。

「此処にもいないか。 大統領は何処に隠れた」

「後考えられるのは、戦略シミュレーション室くらいですね。 最悪なのは、地下シェルターに逃げ込んで、生き埋めになった場合ですが、その時は後続を待って、重機で掘り出すしかないです」

「いや、私は此処だ」

流ちょうな英語に振り返ると、いた。大統領だ。目に怒りを燃やし、右手に古典的な火薬銃を手にしている。後ろには、SPが六人。

「良くも私のホワイトハウスを荒らしてくれたな。 それなりの償いをしてもらうぞ」

「立花先輩、すみません。 大統領と、話をさせてくれませんか?」

「良いだろう。 ただし、交渉決裂したらすぐに力づくで行くからな」

すっと態勢を低くする立花先輩にいわれて、賢治は頷く。思っていたより責任感はありそうだが、しかし頑迷そうな人だ。交渉を巧く進められるかどうか。

今まで何度か国家上層の人間と話をする機会があった。重要人物という点では、普段から接しているルーフさんらスキマ一家の人たちだってそうなる。しかしながら、国家元首と向き合うのは初めてのことだ。緊張する。

「ワシントン地球連邦大統領ですね」

「そうだが、君は」

「僕は被名島賢治。 立国の学生です」

流石に、ワシントン大統領は驚きを隠せないようだった。銃を構えたままのSP達の中にも、口をあんぐりと開けている者がいる。練度が低いなと賢治は思った。仮にも大統領の護衛をしている訳だから精鋭だろうに、この様子ではまとめて掛かっても立花先輩には勝てないだろう。

「立国の学生だと? どうして学生が、こんなところで作戦に参加している」

「それは、この作戦の立案をしたのが、僕だからです」

「なん、だと!?」

見る間に大統領の顔が怒りに染まっていく。思った通り、単純な人だ。事前にある程度の情報は調べてきてある。

この人は典型的なエリートの家系で、若い頃は将来を嘱望されていたのだそうだ。もっとも、地球連邦の「名家」出身者で、将来の国家上層に上る人間はみんなそうだ。情報が操作されていることよりも、「将来が嘱望される」ルートを歩むことを、若い頃から半強制されるのだ。そのデータ提供を、賢治は作戦構築の段階で、立国の国家機密データベースから受けていた。

気になったのは、若い頃に荒れていた形跡があることだ。もしもエリートである自分を誇らしく思い、なるべくして大統領になったのであれば、荒れたりはしないはずだ。この人は古き時代の良き伝統である自立自尊の考えを強く持っているのではないだろうか。そう賢治は分析の過程で考えた。大統領になってからの政策は平凡そのもので、可も不可も無い様子であったが、それは複雑に絡みすぎた地球連邦の政治権力と利権構造が原因ではないかとも思える。

もしもこれらの考えが正しければ、大統領は餌次第ではつり上げることが出来るかも知れない。

「何のために、連合のイヌに成り下がった! 金か! 女か!」

「どちらも興味がありません。 強いて言うなら、大事な友達のためです」

「何が大事な友達だ! この卑劣な奇襲作戦で、どれだけの人間が死んだか分かっているのか!」

ますます頭に血を上らせるワシントン大統領。あまり怒らせすぎると、会話が成立しなくなる。挑発は此処までだ。何とかして、ある程度感情をコントロールしていかなければならない。

「大統領、あなたこそ分かっていません。 もし地球連邦と連合が本気でぶつかり合うことになったら、被害はこの一万倍ではすまないということが」

「そのために、歴史あるホワイトハウスを、私の唯一の居場所を踏みにじったのか!」

その声には、切実な思いがこもっていた。それに、賢治には分かってしまった。この人が如何に孤独か。少し前までの、自分と同じであるかが。

地球連邦の大統領に、実際の権力が殆ど無いのは、今に始まったことではない。賢治が知る限り、設立当初からそうだったはずだ。腐敗しきった権力構造は、個人の発想や、自由な思考を妨げる。新しい政策を実行に移そうとしても、右からも左からも足を引っ張られ、身動きが取れなくなる。

この人は、それに義憤を感じている。初老になっても衰えを感じさせない肉体が、その証拠だ。もともと自己研鑽の気質が強い人なのだろう。それだけに、気の毒ではある。

「大統領。 少しでよろしいですから、話を聞いていただけませんか?」

「いいだろう。 ただし、くだらない内容だったら、即座に頭を撃ち抜く」

「好きにしてくださって結構です。 ……そもそも、帝国の立国侵攻に始まる一連の戦いの裏に、邦商がいたことには、気付いておられましたか?」

「うすうすは知っていた。 それがどうした」

知っていて、今回の軍事同盟に参加したという事か。そうなると、ルパイド元帥の暗躍にも気付いていたのだろうか。

「ならば、邦商の目的にも気付いておられますね」

「もちろんだ。 連中は世界大戦によって立国の力を削ぎ、経済大国としての地位を取り戻すつもりだろう。 だが、それが何だ。 人類の社会は、胸くその悪い駆け引きによって回ってきたものだ。 今更そんなことに怒りを覚えるほど、私は青くない」

「……それでは、これにも気付いておられますか? KVーα人政府は、地球人類に愛想を尽かし始めています」

「なん、だと?」

意味が分からないと言った様子で、大統領が言葉を詰まらせる。よし、これでいい。一旦思考を乱すと、交渉では致命的だ。今までに何度か行ったネゴシエーションで、賢治はそれを体で学んだ。

「どうして此処でKVーα人が出てくる! お前はどうして、その存在を知っている!」

「僕はステイ計画の関係者ですから」

「何だと! だとすると」

「はい。 此方のルーフさんは、僕の親友で、KVーα人のステイ計画参加者です」

大統領の混乱が増している。此処が、勝負所だ。

一つずつ、順番に説明していく。

今回の大乱の後ろには、邦商ではなく連合がいたこと。しかし、連合の目的は、最小限の被害で、地球人類の足並みを揃えること。

地球人類は、このままでは惰性で宇宙への進出を進めてしまう。もちろん、自分を至高の存在と今でも錯覚しているため、このままでは異星の勢力と接した時、とても交友は出来ないだろう。極めて友好的なKVーα人との交流でさえ上手くいっていない今、このまま歴史を進めるのは危険すぎるのだ。無為に勢力を拡大し、地球人類以上の力を持つ異星人と接触した時には、全て終わる。

だから、連合は地球人類の足並みを揃えることを目的に、行動を起こした。まずは帝国が、それによって脱落した。邦商が戦乱をコントロールしているように見えたが、実は巧妙に連合が糸を引いていたのだ。次の目的は邦商だった。だが、邦商は、「自分が利用されていた」事に気付いた。

其処で、自己保存のために、行動を起こした。法国と地球連邦の上層に直接交渉を持ちかけ、反連合軍事同盟を結成したのである。

「僕も、連合はあまり好きではありません。 しかし、このまま邦商の思うとおりに事を進ませる訳にはいきません。 このまま世界大戦が発生した場合、地球人類の文明は異星との交流どころでは無くなり、最初にして最後の好機を無くすことになります」

「し、しかし、だな」

「ワシントン大統領、今回邦商につく気になったのは、連合に対する脅威論で、パワーエリートから突き上げられていたことが原因なのではないのですか? それでよろしいのですか?」

さっとワシントン大統領の顔が青ざめる。あと少しだ。この人の考えを変えて、「独断」で動くように促せば、この戦争は回避できる。後ろ盾がないのなら、ルパイド元帥がなればいい。

「今、大統領も、最後の機会を握っているのだと思います。 貴方が憎み苦しめられ続けたこの国の腐敗構造と、社会体制を変える最後の好機が、今貴方の手にあります。 此処で停戦を宣言していただければ、貴方は後の歴史に名前を残すことが出来ます。 もしここで全面交戦を宣言すれば、貴方は地球人類の滅亡を促すことになります」

「こ、此処までの事をしておいて、今更そんな理屈が!」

「貴方には、勇気がないのですかっ!」

一喝。はったりを効かせることが、少しは出来るようになってきた。だから、こんな演技も可能だ。本当は怖くて仕方がない。

ふわりと、立花先輩の体が浮いた。同時に、ルーフさんが床を蹴る。

体がぶれて見えるほどの速さだった。立花先輩が、大統領に銃口を向けたSPの一人の顔面に、蹴りを叩き込む。いや、違う。天井近くまで壁を蹴って躍り上がり、踵落としを叩き込んだのだ。着地したところで、やっとそれが理解できた。

殆ど間をおかず、大統領の横を駆け抜けたルーフさんが、SPの一人に双掌打を叩き込む。更に体を旋回させたルーフさんが一人の脇腹に蹴りを叩き込むのと、着地した立花先輩が跳躍と同時に別のSPの顎を蹴り砕くのは同時。巨体が二つ、無様に吹っ飛び、壁に、床に、叩きつけられる。

瞬く間に四人が斃され、最後の二人が叫きながら銃を向ける。撃つなと、大統領が絶叫。しかし、引き金が引かれる。銃口が大統領に向く。大統領が、目を見開いた。賢治が大統領に飛びつく。こうなるのは、目に見えていたのだ。

足に灼熱が走った。続いて、脇腹に。肩にも。ルーフさんがワシントン大統領を撃とうとした一人に巴投げを仕掛けて、地面に叩きつける。立花先輩が、最後の一人の顔面に飛びつくと、滑り込むように背中に周り、腕をからめて頸動脈を極める。もがいていたSPが落ちるまで数秒。

崩れ落ちる賢治を、キノカが支えた。酷い痛みだ。それなのに、冷静に大統領に語りかけてしまう。

「多分彼らは、大統領が余計な判断をしたら、撃ち殺して我々のせいにするように命令されていたんだと思います」

「そ、そんなことは良い! 動脈を撃ち抜かれていないだろうな!」

上着を脱ぐと、大統領は賢治の足の状態を見て、傷口に巻き付ける。肩にも、腹にも。出血は酷いが、命に別状はないだろう。冷静にそう判断するが、思考は鈍り始めている。立花先輩は落とした奴を一瞥すると、こっちに駆け寄ってきた。

「僕が意識を失う前に。 ワシントン大統領、。 貴方にルパイド元帥からの、和平案をお伝えします」

「……っ!」

「五十年間、連合は地球連邦に侵攻しません。 その代わり、地球連邦も連合に侵攻しないでください。 賠償金も無し、領土も互いに要求しない。 書類は、僕の携帯端末に入っています。 それで、どうでしょうか」

「検討、させて貰う」

勝った。賢治は思った。そうなると、不思議に肩の力が抜けた。思い残すことはないというのは、これの事かも知れない。後方の安全を確保した静名とフォルトナが、此方に駆けてくるのが見えた。静名には随分迷惑を掛けた。今も、迷惑を掛けている。申し訳がないと思う。

賢治はいつも守られてばかりだ。守ろうと思ったのに。

静名に担ぎ上げられる。抵抗は弱くなっているようだが、まだホワイトハウス内に、敵は健在の筈だ。それにワシントン大統領も、今ではこの中に潜む主戦派のターゲットだろう。脱出は、一刻でも早いほうがよい。

特務部隊は駆けつけてくるだろうが、問題はホワイトハウスの脱出よりも、地球の制空権の確保と、大統領の声明が発表できる機会の構築だ。思考が乱れてきた。出血がかなり酷いようだが、まだ大丈夫の筈だ。処置はできるはず。装甲車まで戻れば、輸血用のパックが確か用意されていた。

「どけえええええっ!」

立花先輩の咆吼。銃を乱射する相手に、人とは思えぬ速さで距離を詰めると、瞬く間に打ち倒していく。血しぶきが見える。何度見ても、凄まじい強さだ。何発か被弾しているはずだが、動きが鈍る様子はない。ルーフさんはもう息切れしているらしく、フォルトナと一緒にガードに回っている。キノカが、至近に飛んできた弾をシールドで弾く。大統領が、歯ぎしりしているのが、隣で分かった。

「私は、昔、アメリカンコミックのヒーローに憧れていた。 社会的地位と高潔な意思を併せ持ち、屈強な肉体で悪を斃す。 そんなヒーロー達こそ、私の指針だった。 そうはなれないにしても、近い存在にはなりたかった」

独白が聞こえる。血を吐くような、悲しみが籠もっていた。この人は、決して有能な大統領では無かったかも知れない。しかし、賢治は憎むことが出来なかった。一人で出来ることは限られている。この人が任された地球連邦という生物は、あまりにも巨大で、腐敗しすぎていたのだ。

「それなのに、この有様だ。 勇敢で、誰よりも守るべき若者が側で死にかけているというのに、何も出来ない。 私は、何とひ弱な大統領か」

「ワシントン大統領」

「君の話は分かった。 私は和平に賛成する。 地球人類の未来のためにも、それが適切なはずだ。 もっとも、主戦派を抑えられるか自信はないが」

「大丈夫、です。 この国のシステム上、地球を抑えたことは、過大に前線に報告される事が目に見えています。 無能なマスコミは客観性を欠いていますし、政府の機構は硬直化していますから。 統制を失った地球連邦の主力部隊を圧迫して撤退させることくらい、ルパイド元帥なら簡単にやり遂げるはずです」

「そうだと、良いがな」

上手くいく。如何に地球連邦軍の上層が主戦派と言っても、兵士達には地球に家族がいる者が多いのだ。今回の戦争には前線だけで1000万人以上、後方支援を加えると5000万人以上が参加しているはずだが、その多くが地球に家族を持っている。仮に欲に駆られた軍部上層が暴走したとして、彼らが従う可能性は高くない。後は、過激な一部の連中の凶行を、どうにかして押さえ込むことさえ出来ればいい。最大の不安要素が、過激派の暴走だった。それについても、ルパイド元帥は妙案があると、地球に向かう時に言ってくれた。

ルパイド元帥は、賢治を信じてくれた。だから、今度は賢治が信じる番だ。

陽の光。どうやら、ホワイトハウスを出たらしい。ヘリのローター音。装甲車ではないのか。辺りがよく見えない。

誰かが、耳元で叫んでいる。静名から降ろされて、担架に乗せられたらしい。戦艦が降下してくる音がする。陽光を遮っているシルエットだけが見えた。その、勇ましいシルエットには見覚えがあった。

オルヴィアーゼだ。アシハラ元帥に間違いない。オルヴィアーゼが来たと言うことは、前線を完全に制圧したと言うことだ。連合の勝ちは確定したのだ。恐らく、制空権も、まもなく完全に手に入れることが出来るだろう。

「しっかりしろ、被名島!」

どうしてか、立花先輩の声が聞こえた。そうだ。立花先輩が、退路を確保してくれたのだ。血だらけになりながら。後遺症が残るような傷は受けていないだろうか。それが心配だった。

「死ぬな!」

僕は、瀕死の重傷を負っていたのか。

みんなは無事だろうか。意識を失う前に、そう考えていた。

 

4,戦の終わり

 

地球連邦のワシントン大統領が、停戦の発表をしている映像を、ぼんやりとキャムは見ていた。戦争は終わったのだ。被名島が計画したとおり、最小限の被害で。それなのに、心は安まらない。

弱いくせに無理をして。何度も心中で悪態をついていた。弱者を守って怪我をするのは、キャムに出来る唯一のことなのに。また、仕事を取られてしまった気がした。それ以上に、理由の分からないもやもやで、心が痛んだ。

オルヴィアーゼで貸し与えられている船室のベットで、キャムはぼんやりとする日々を過ごしていた。被名島は病院船の集中治療室である。あの時オルヴィアーゼが来なければ、間に合わなかっただろうと言われていた。応急処置は良かったのだが、傷が深かった。弾丸の一つが、動脈を切り裂いていたのだ。

まだ、被名島は意識を取り戻さない。助かるかは五分五分だと言う話だった。

ノック音。緩慢に体を起こして返事すると、レイ中佐だった。地球の制空権を確保したアシハラ艦隊は、いまだ警戒態勢にある。それなのにレイ中佐がわざわざ来たと言うことは、何か重要な変更があったと言うことなのだろう。

「今、良いかしら?」

「大丈夫、です」

戸を開けると、レイ中佐は息を呑んだようだった。そんなに顔色が悪かったのだろうか。レイ中佐の部屋に向かう。もう皆揃っていた。

「幾つか、発表する事があります」

レイ中佐が、皆を見回して言う。ろくでもない発表だろうなと考えてしまうのは、ひがんでいるからだろうか。

「邦商に駐屯していた地球連邦の艦隊が、退却を開始しました。 ただし、軍上層部と兵士達の対立が激化しており、内部抗争が発生してもおかしくない状況のようです。 大きな声では言えませんが、ルパイド元帥のサボタージュ工作によるものでしょう。 どのみち、連合に地球連邦の大艦隊が一斉侵攻することはもうあり得ません。 自分の身を守るためにも、地球連邦軍は帰還の道を選ぶはずです」

緒戦で叩きのめされたこともあり、地球連邦の軍人達は、ルパイド元帥の実力を見せつけられているはずだ。そこに内部分裂の危機が加われば、如何に数が多くても、勝ち目はなくなる。勝てない戦いで、「名声」を傷つけられることを、彼らは良しとはしないだろう。

それくらいのことは、キャムにもでも分かる。ただ、問題がある。邦商はそれを黙ってみているのだろうかと言うことだ。

キャムの疑念を汲んだのかは分からないが、レイ中佐が続けてその話題に移る。

「続けて、邦商の動きですが、混乱を極めています。 というのも、現在邦商の長老格であるティムール氏と、複数の地球連邦高級軍人の間に、癒着関係があることが判明したからです」

それくらいは当然あっただろうと、キャムは思った。だが、確かに発表されるタイミングとしては最悪のものであろう。レイ中佐が飼っている間諜が、暗躍したのかも知れない。そして、罪悪を暴き立てるのは難しくなかっただろう。何しろ、直前までコントロールしていた相手なのだから。

「地球連邦の兵士達には、この戦乱の裏に邦商がいて、一部の高級軍人と金銭面で結託、無茶な混乱の引き金を引いたという噂が流れています。 いつ激高した兵士達が邦商を襲ってもおかしくない状態で、パニック寸前になっているようです」

まあ、全くの事実であるし、自業自得だろうとキャムは思った。確かに裏で糸を引いていたのはルパイド元帥だが、最初から邦商にはこのもくろみがあったとしか思えない。だからこそに、良いように操作されたのだろう。そして今、地球連邦の兵士達によって蹂躙されるとしたら、同情の余地はない。

「世界大戦は回避できました。 ただ、KVーα星政府は、静観の姿勢を崩していない様子です。 このまま安定するまで状況を傍観する、という結論のようですね」

「それでは、ステイ計画は?」

「今の計画は、そのまま続行すると決まったようです」

ルーフさんが、隣で胸をなで下ろしていた。カニーネさんは何を考えているのかよく分からない。

挙手したのは、シャルハさんだった。

「賢治君は、どうなっていますか?」

「被名島君は、今まだ集中治療室から出られない状況です。 失血が酷かったため、肉体へのダメージが大きく、治療が難航しています。 助かったとしても、しばらくはリハビリが必要になるだろうとも、聞いています」

「……無茶しやがって」

吐き捨ててしまう。キャムの肩を、ルーフさんが優しく叩いた。

それからは、重要度が劣る発表が続いた。立国はキャムと被名島、それに今回の作戦参加者全員に勲章を授与することと、将来のポストを約束してくれたそうだが、そんなものはどうでも良かった。最大の功労者である被名島が死んでしまったら、何の意味もないではないか。

そういえば、数日間まともに食事をしていない。ろくに眠ってもいないような気もする。病院船への立ち入りは拒否されているので、側についてやれもしないのだ。何という歯がゆいことだろうか。

何がしたいのか、自分にもよく分からない。ただ、混乱と、不安だけが、キャムの中にあった。

いつの間にか、会合は終わっていた。蛍先生に肩を揺らされて、それに気付く。

「大丈夫? 真っ青だけれど」

「何とか」

「睡眠導入剤を用意して貰ったから、飲んで眠りなさい。 今の貴方には、何よりも睡眠が必要よ」

もっともな蛍先生の言葉だった。反抗する気力も、今は残っていなかった。

カプセルタイプの薬を飲み込むと、水で強引に流し込んだ。流石に薬の効果は絶大で、すぐに眠気が訪れる。それでもなかなか寝付けなかったが、気がつくと日付が変わっていた。八時間程度、一気に眠ったらしい。やれやれと、手元の携帯端末で時間を表示しながら、キャムは思った。

被名島は、まだ起きてこない。フォルトナにそれを告げられて、キャムは大きなため息をついていた。

胃が痛いのは、ストレスで荒れているからだろう。胃調薬をフォルトナに出して貰い、口に含む。他にすることもないので、携帯端末から、ニュースを呼び出し、ぼんやりと見ていた。体を鍛える気も起こらない。今までの出来事か、そんな状態でも、ニュースを把握しようと、最低限頭が働くのがのろわしい。

地球連邦のトルーマン軍司令官が、ニュースの中で、撤退を宣言していた。それを待っていた地球連邦の軍勢は、堰を切ったかのように、帰還を始めていた。素人のキャムが見ても無秩序で、追撃を受けたらひとたまりもないことはすぐに分かる。こんな軍隊が、あのナナマ姉妹を追い詰めたのだと思うと、信じがたい。

邦商にニュースを切り替える。此方は国家崩壊レベルの大混乱に陥っており、ティムール氏が真っ青な顔で、護衛に囲まれている様子が映し出されていた。10キロ近く痩せたと言うが、肉の塊にしか見えない。もっと痩せないと、贅肉は落ちないのだろう。後継の人事を巡って早くも血で血を洗う抗争が開始されていると言い、首都ではテロまがいの凶悪事件も連日発生しているそうである。秩序が崩壊すると、治安もそれに習う。歴史的な鉄則である。

立国は対照的に平和で、事件らしいものもない。それどころか、国民の99パーセント以上は、今回の戦乱に兵を派遣したことさえ知らないだろう。勲章を受けるとか聞いたが、本当は口封じに消されるのではないか。そんな懸念さえ抱いてしまう。

法国にチャンネルを合わせようとして、その気力も起こらず、目を閉じる。まだ、変化は何も起こらない。

被名島は大丈夫だろうか。そう考えて、気付く。そればかり考えていると。

まるで恋人を心配する妙齢の娘みたいだと、キャムは自嘲した。

オルヴィアーゼが動き出したのは、それから数時間後。病院船も、それと一緒に動き出す。

制空権を抑えている連合艦隊の指揮をしているオルヴィアーゼが動き出したと言うことは、事態に進展があったと言うことだ。だが、キャムは、何もする気になれなかった。

 

賢治が目を冷ましたのは、真っ白い部屋の中だった。無菌室だと気付く。徐々に、記憶を整理していく。

名前と、自分のことを少しずつ思い出していく。連合の作戦に参加したのだと、思い出すのに随分骨が折れた。大統領を庇って銃撃を受けて。途中から記憶がとぎれている。立花先輩は無事だろうか。ルーフさんは悲しんでいないだろうか。それが、脳裏をよぎった。

ナースコールを押すと、すぐに看護師が飛んできた。簡単な健康診断が行われる。半身を起こそうとして、失敗する。予想以上に体へのダメージが大きい。二週間は絶対安静だと言われて、賢治は少しがっかりした。折角鍛えてきたのに、かなり衰えてしまうのは明白だった。筋肉の衰える速度は、地球時代に比べるとマシだと言う話だが、それでも何もしなければ最終的な結果は同じだ。

一通りの検査が済むと、携帯端末は返して貰った。無菌室から個室へ移って、側に静名がつく。一度全身を殺菌消毒したらしく、衣服が替わっていた。前のハウスメイドの格好から、同級生の女子みたいな、活動的でお洒落なパンツルックである。衣服を選んだのが誰なのかは、よく分からなかった。レイ中佐かも知れない。

「そうだ。 立花先輩は、怪我をしていなかった?」

「ご無事です。 僅かな傷は、既に回復しておられます」

「それは良かった。 他には、誰か怪我していない?」

「大きな怪我をしたのはマスターだけです。 他の作戦参加者で、マスターの知人に怪我人はおりません」

安心した。それで、立花先輩が、今までどういう思いで怪我をしていたのか、少しだけ分かった気がした。賢治は少なくとも、他人が傷つくよりも、こっちの方が気楽だ。気性が激しい立花先輩もそうだったのではないかと思うと、不思議な親近感が湧く。

ワシントン大統領から、感謝のメールが入っていた。ゆっくりニュースを見ていく。ワシントン大統領の和平宣言から、数日が既に経過していた。地球連邦の軍は撤退を開始。内部で様々な混乱があり、何人かの幹部が粛正、或いは謎の失踪や死を遂げた末のことだ。ルパイド元帥が、部下を暗躍させた事は間違いない。こうなってしまうと、あの人に勝てる存在は、もう地球連邦の軍にはいなかったのだろう。無秩序に逃げ帰る地球連邦軍の混乱ぶりは、哀れなほどだった。

邦商はティムール氏の失脚がほぼ確実で、後継者と、その名前の選定に入っているようだった。今度はイワンが最有力候補だとか書かれていて、苦笑してしまった。こんな時でも、人間は形式や伝統から入るらしい。

ルパイド元帥のことだから、そろそろ戦乱の糸を邦商が引いていたことを大々的に公開するはずだ。武力ではなく、内部から瓦解させるつもりだろう。流石に腐敗に我慢してきた邦商の国民もそろそろ堪忍袋の緒が切れるはずで、この国も、しばらくは立ち直れない。世界大戦の引き金を引くことは、もう出来ない。瓦解した後は、経済的に困窮気味の地球連邦は見向きもしないだろうし、立国か連合に吸収合併されることになるだろう。

何回か休憩を入れながら、分析を終えた。病院食が運ばれてきたが、兎に角味気なくて、歯ごたえもなく、食べるのが苦痛だった。ただ、これは合理的な意味がある。点滴でずっと栄養を受けていた賢治は胃が弱っているので、最初は軟らかいものから食べなければならない。飢饉の時も、最初は薄い粥から与え、徐々に形のある食物に変えていったという史実がある。怠ったものは喉に固形物を詰まらせて死んだと言うではないか。それを思い出して、賢治は餓鬼になったような気分を味わっていた。

最初に面会に来たのは、驚くべき人物であった。何と、アシハラ元帥である。もう作業の峠は越えたらしく、疲労はそれほど顔に出ていなかった。またしても勝利を経歴に積み重ねた元帥は、お土産らしき果物の詰め合わせを静名に手渡す。来客用のパイプ椅子に座った元帥は、賢治の顔を見て、開口一番に言った。

「ワシントン大統領を庇って、その怪我をしたそうだな」

「すみません。 黙っていられなくて」

「もう少し鍛えていれば、怪我をせずに助けられたかも知れなかったな。 惜しい事だった。 あまり運動面での素質はと聞いているが、それでももうちょっとは鍛えておいた方がいいぞ」

「え? あ、はい」

怒られるのかと思っていた賢治は、拍子抜けした。すぐに気を引き締めたのは、わざわざアシハラ元帥が此処に来たからだ。こんなやりとりなら代理でも立てれば良いことで、政治的な話をしに来たと考える方が自然である。

幾つか、細かい打ち合わせをする。状況は賢治が予想したとおりだ。幾つかの政治的な手は、ルパイド元帥が打ってくれた。後アシハラ元帥がやるべき事は、軍を無事に帰還させることだけである。

「撤退は、上手くいきそうですか?」

「ああ。 大体全部、お前の予想通りになったからな」

今回の地球連邦の大侵攻は、経済的、技術的に邦商が全面的にバックアップしたから出来たことである。その邦商が、巨大な負債を抱え、外征どころか、むしろ体制を維持さえ出来なくなった。結果、地球連邦には、もう連合に侵攻する余裕はなくなった。この状況で、アシハラ元帥を殺そうとするのは自殺行為だ。

もはや両国の立場は、完全に逆転した。不可侵条約を破る意味が無くなったのである。その上、今まで国家を掌握できていなかったワシントン大統領は、これで国益を左右する出来る権力を本当の意味で握ることになる。今までの、わずかな目先の利益に右往左往していた国政が、まともな方向へ動く可能性は極めて高い。

地球連邦は確実に得をするが、それだけではない。他の国家群も、今回の条約では損をしない。五十年の不可侵条約の間、連合はゆっくり旧帝国領を手なずける事が出来る。残る脅威は法国だが、しばらくは立国との辺境星系開発に忙しくて、外征をする気にはならないだろう。もともと法国は非常に利己的な国家で、今回の軍事同盟に参加したのも純粋な領土欲からである。逆に言えば、目先の餌で釣れば、簡単にコントロールすることが出来る。

「此処まで緻密な予想が当たるのはなかなかないぞ。 感服した」

「有難うございます」

ちょっと賢治は照れくさかった。当世の英雄に、このようなことを言われて、嬉しくない訳がない。

もちろんこれらの話は、現在の状況だ。いつまでも地球連邦が旧態依然のままいてくれるとは限らないし、エゴまみれの法国にだって超一級の政治家が誕生してくるかも知れない。基本的に外征を考えない立国だって、大統領が替わればどうなるか分からない。

これからは、賢治達の時代になる。国家の行方に、責任を持たなければならない時が来るのだ。

国家中枢にコネクションが出来たこともあり、賢治が背負う責任は大きい。使命感からではない。ルーフさん達と、これからも仲良くしていきたい。だから、賢治は頑張る。立花先輩も、きっと手助けしてくれるはずだ。

「これから、どうするつもりだ」

「ええと、そうですね。 立国に戻って、レポートを提出して。 それからは、高校に戻ろうかと思っています」

「そういえば、お前はまだ学生なのだったな」

「はい。 勉強が少し遅れてしまっているので、一気に取り戻さないと」

苦笑いする賢治に、アシハラ元帥は微妙に顔をゆがめた。恐らく、平穏な生活など、今後はあり得ないだろうから、同情してくれているのだろう。

立国が賢治を買ってくれている事は知っている。今後、立国は更に難しい局面に突入していくことが確実で、賢治は忙しくなるだろう。立花先輩も、体内の強化ナノマシンとの親和率の異常な高さが着目されていて、脳天気な生活を送ることは難しくなりそうだ。

最後に、アシハラ元帥は、少し嬉しくて、だが悲しい話をしてくれた。

「今回の一連の戦闘で、死者の数は、双方を合計しても10万を超えないだろうと分析が済んでいる。 世界大戦を回避できなかった場合の最初の予想は、最低でも26億だったからな。 お前の功績は明らかだ」

「それでも、10万人が、命を落としたんですね」

「バカを言うな。 世界大戦が起こる寸前だったのに、それを回避できて、しかも死者は10万人で済んだんだ。 しかも、民間人の被害は殆ど無い。 民間施設への被害も同様だ。 お前が成し遂げたことは、歴史上のどんな外交官よりも大きい。 むしろ、自分の功績を誇れ。 立国を離れることがあったら、いつでもウチに来い。 私が、直接副官として雇ってやる」

アシハラ元帥が腰を上げる。入れ替わりに、医師が入ってきた。そして、診断結果を告げてくれた。

命に別状は無し。ただし、今後は半年以上、リハビリを行う必要がある。強化ナノマシンの普及前だったら、一生病院から出られないような怪我だったらしい。それから、色々説教された。仕方がないことではある。

先生が帰って、しばらくして。立花先輩が来てくれた。疲労が顔に色濃く出ていた。どうしてなのか、賢治にはよく分からなかった。

「それは私の仕事だって、言っただろう」

開口一番にそう立花先輩が言った。いつもの先輩だと言うことが分かって、賢治は本当に嬉しかった。

これで、何もかも終わった。後は、KVーα人政府がどう出るかだ。そう考えようとした賢治の額を、立花先輩が不意に弾いた。

「バカ。 今は何も考えなくていい。 休んで、体を回復させろ」

「……すみません」

素直に謝る。立花先輩の言うとおりだ。今は休むべきだった。

立花先輩の話によると、立国まで、アシハラ元帥が送り届けてくれるという。二週間ほどで首都星に着くと言うことなので、それまでに勉強の遅れを取り戻さなければならない。後、個室に移ったからと言って、まだ体が治った訳ではない。少しでもリハビリを進めておかなければならない。元々、賢治は運動神経がかなり鈍い。あれだけ鍛えて、やっと人並みのレベルなのだ。遅れを取り戻すのにも、だいぶ時間が掛かるだろう。

リハビリのメニューを、立花先輩が作ってくれた。医師に許可を得たものであり、実に数ヶ月にわたる厳しいものだ。半年という期間を短縮するために、かなり高度なプログラムが組まれている。しかも、ルーフさんとシャルハさんが一緒にいることが前提になっているのだ。しかし、厳しさよりも、もっと優しさが優先されている事が、賢治には分かった。また一から、みんなと一緒に鍛え直せると思うと、とても嬉しい。

「ルーフさんが、林さんの所に食べに行こう、とさ」

「楽しみですね」

本当に楽しみた。立花先輩が、屈託のない笑みを浮かべている。非常に珍しいことだ。ルーフさん以外に、滅多なことでは向けない笑顔が、今賢治に向いている。それだけで、賢治は幸せだった。

戦場を離れ、病院船が立国へ向かう。賢治の苦難も、今一つの節目を迎えようとしていた。

 

終、黄昏

 

レポートを書く。立国から送られてきたデータに、様々な伝手から仕入れた他の国々の最新情報とを足したものである。デスクに向かっていたルーフは、柑橘類から絞り出したジュースを口に含みながら、細部まで推敲していった。細かい部分でのミスを全て取り去ると、既に外は真っ暗であった。時計を見て、苦笑い。

仕上げたレポートを本国に転送したルーフは、階下から自分を呼ぶ娘の声に返事をした。仕事に没頭していたら、つい時間が過ぎるのを忘れてしまった。故郷に比べると、此処の時間の流れはせっかちでならない。

階下に降りると、隣の娘が遊びに来ていた。もう背は見かけの自分のものよりも高くなっている。色々な知人に鍛えられて、すっかり料理が得意になり、今日も振る舞ってくれている。見かけは母親似だが、性格は父親に似たとてもおとなしい娘だ。エルもムルも、この子がとても好きなようである。ルーフも無論好きだ。

立国に来て、二十四年が過ぎている。そろそろ群体の世代を交代する時期が来ている。此方の時間感覚で一年はまともに動けなくなるから、その間は夫のシャルハに全てを任せるしかない。夫も能力がだいぶ上がってきたが、それでもカニーネの補助が必要だろう。部下二人と共に地球人類の国家を飛び回っているカニーネは、恐ろしいほどに情報に精通している。並みの地球人類では、もはや足下にも及ばないだろう。

「今日はビーフストロガノフにします。 ルーフさんは、少し味付けを濃くしますか?」

「それでお願いいたしますわ」

「はい」

素直な返事、屈託のない笑顔。よく似ているのに、同じくらいの年頃の時、魔王と呼ばれていた母とは偉い違いだ。

キャムとは今でも親交が続いているが、若い頃に比べると、随分威厳が着いたような気もする。地球人類が使っている強化ナノマシンの進化発展に大きく貢献し、武人としては史上最強とも言われているのだから、当然かも知れない。素手で戦闘ロボット数機を仕留めた事実は、伝説になっているらしい。そのため、忙しくて、夫共々滅多に家には帰ってこない。その間、子供達の世話をするのは、スキマ一家のもう一つの仕事となっていた。

テーブルを囲んで、食事にする。最初は随分奇妙にも思えたこの官給住宅だが、二十年以上も過ごしていると、愛着が湧くから不思議だ。ビーフストロガノフは、良くルーフの好みに刺激が合わされていて、楽しい。美味しいという感覚はいまだよく分からないので、味は楽しむようにしている。

すぐに食事は終わってしまった。体内に取り込んだ後は、群体が分解して体の各所に運ぶのを待つだけだ。ゲームをしていた子供達と隣の娘の後ろ姿を、眼を細めて見やる。人間の感情表現を再現することは、もう本能的なレベルで出来る。

最近ではエルが、高校に通っている。高校生くらいに擬態できるようになったからである。姿は少し前までのシャルハに良く似せているため、女子高生にとてももてるそうである。エルは大学だ。まだまだ若い姿に擬態するのは難しいので、大学でしっかり勉強をして、不自然さが無くなってから高校へ行くのだという。

結局の所、地球人類はいまだに見かけで相手を判断する生物だ。真実よりも主観を大事にするから、全面的な交流開始には踏み切れていない。第八次のステイ計画が進んでいる現在も、国家間の本格的交流が始まるには、まだ時間が掛かると言われているのが現状だ。本国から、カニーネと一緒に外交を任されているルーフとしては、あまり嬉しくはない事実であった。

本国から返信が来た。すぐに回線を開くようにと言うことだ。夫と子供に仕事をすることを告げて、二階へ。長老から、直の返信だ。自分が対応しなければ失礼に当たる。

最近長老が交代した。新しい長老となった彼女は、地球人類の各国家との交友を積極的に進めており、先代よりもかなりアクティブだ。ルーフの元にも、頻繁に回線をつなげてくる。

回線を開く。擬態を一際せず、本来の姿のまま長老は出た。もちろん、言葉もKVーα人が用いる公用語だ。この辺りのけじめが、先代との違いである。一トン近い膨大な群体を揺らして、長老は音を出す。

「そちらの様子は確認しました。 帝国はほぼ完全に、連合に吸収。 地球連邦は、連合との連立政権樹立に向けて大詰めに入っている。 以上で問題はありませんね」

「はい。 ご認識の通りです」

「世界大戦の恐れはもう無いとはいえ、いまだ足並みを完全に揃えるには時間が掛かりそうですね」

「こればかりは何とも。 ただ、残る火薬庫は法国だけですから。 連合の次代を担う人材も着実に育っているようですし、もう少し待ってみましょう」

もう少し、待ってみよう。もう一度、その言葉を意識内で反芻する。それはルーフの本音だ。

ムルが傷つけられた時、一時期地球人類を本気で恨んだこともあった。だが、やはりキャムを、それに賢治を恨むことは出来なかった。地球人類の進歩を、もう少し待とうという気になれたのは、全力で世界大戦の回避に立ち向かった二人を見てのことだ。

あれからも、二人は全力で地球人類とKVーα人との前面交流に向けて動いている。賢治は立国の高官に若くして就任した。現在の大統領にも頼りにされているばかりか、立国の高官からも時々アドバイスを求められているようだ。噂によると、地球連邦から意見を求められることさえあるという。瓦解した邦商を見事に立国に取り込んだ手腕は、今でも外交の見本として絶賛されている。

キャムは最強の武人として立国のカリスマとなり、中核的存在として、弱体化していた軍を立て直した。時々若手の訓練にも立ち会うそうだが、数人を軽く捻り潰す実力は健在だそうである。戦闘ロボットくらいしか相手にならないと、時々ぼやきメールが来るのが微笑ましい。

地球人類は権力を得ると変質しやすいと言うが、二人は変わらなかった。それがルーフの、彼らに対する信頼を揺るぎないものとしていた。

「分かっています。 ただ、何かあった場合は、即座に此方に連絡を」

「はい」

回線を切る。少し疲れたので、高校時代の友人達にメールを送ってみる。

みんな、今では立派に社会で活躍している。蛍先生は大学で教鞭を執っていて、今でも時々連絡をくれる。藤原先生は立国を代表する美術家になっていて、作品はテレビなどでよく見かける。樋村は二児の母となっていて、今では小さな会社の課長だそうである。多忙ながらも、友情はいまだ健在だ。レイ中佐は、今では中将にまで昇進して、一線で特務部隊の総括指揮を執っている。敏腕は親友であるシャレッタ中将と共に有名で、時々護衛のために部下を派遣してくる。話すことはあるが、流石に老いが目立つ年になってきていた。

メールでのやりとりを終えると、大きく伸びをした。このまま休みたいが、そうもいかない。立国大統領と、明日は会食をしなければならない。今の内に綺麗なお洋服を選んでおかないと、明日相手に恥を掻かせてしまう。

多忙な日々だが、充実していた。ルーフは地球人類が、もう少しましな存在になれると、信じている。だから、もう少し粘り強く行こうと極めていた。

クローゼットを開けて洋服を選んでいる内に、携帯端末が鳴った。緊急ニュースを告げるものだ。すぐに、立体映像を投影してみる。

「新盟で、クーデターが発生しました。 クーデターを起こしたヴァンキン将軍は、辺境分離独立派として知られていて、かなりの混乱が予想されます。 元々混乱下にあった新盟が、この件で空中分解する事は、ほぼ確実視されており……」

携帯端末が鳴る。賢治からだった。この件に関する対応策についてだろう。すぐに長老にもこの情報は行くはずだから、賢治の意見は心強い。

この時期での、火種の増加。しかし、賢治とキャムならきっと何とかしてくれるはずだ。本国をどう抑えようかと思いながら、ルーフは回線を開いた。

地球人類と、KVーα人の全面交流は、いまだ実現していない。

しかし、ルーフは、希望を捨てていなかった。

 

(隙間家族、終)