三つどもえの螺旋

 

序、大局と欲望

 

フォルトレート民主立国上層部がそのニュースを知って驚愕したのは、冬の初めのことである。地球連邦、法国、それに邦商が、電撃的に軍事同盟の締結を宣言したのだ。更に、地球連邦に到っては、早速辺境に艦隊を動かし始めているという。

唖然とした立国大統領は、すぐに戦略シミュレーション室に状況分析を開始させると同時に、手足のように使っている秘書達に混乱を抑えるべく手を打つよう指示した。まだそれでも不安だったので、各地の駐屯軍に第一級戦闘配備をさせる。もし法国が全力で攻め込んで来でもしたら、無事では済まない。今の内に、準備を整えておかなければならないのだ。

豊かな立国といえど、総力戦を仕掛けてきた帝国との傷はいまだ癒えていない。艦隊は大きな損害を出しており、機動部隊は一万隻も出せれば良い方である。今回はっきりしたが、実戦経験が少ない部隊では、士気が高くてもどうしても被害が大きくなる。もし五カ国入り乱れての総力戦となると、被害は計り知れない。最悪なのは、立国が軍事同盟の憎悪の矛先である連合の同盟国だと言うことだ。もし連合が攻撃を受けた場合、援軍は出さなければならないだろう。

部屋の中を歩き回りながら、大統領は何度もため息をついた。マスコミ対策、民衆を落ち着かせるべくとる処置、打撃を受ける経済への手当。こなさなければ行けないことは山積みで、しかもすぐに解決しないことは明白である。

立国には、そもそも外征用の部隊が殆ど無い。今回の戦いで機動艦隊は大きな損害を受けたし、その補充もすぐには終わらない。そのような中から、無理をして戦力を引き出せば、必ず国家にがたが来る。法国はそうして滅びかけた。帝国に到っては、滅んでしまった。立国は、同じ道を辿らないようにしなければならない。

だが、最悪の場合は、連合を見限る必要性も生じてくる。如何にアシハラ元帥が当代随一の名将だとしても、圧倒的物量には、簡単には勝てない。その証拠に、今回の戦いでも、提督は敵の戦力が多い状況では交戦を避けている。戦略シミュレーション室が、すぐに第一報告を挙げてきた。予想は、最悪の状況を示していた。もし地球連邦と法国が総力戦を行う準備を整え、邦商がそれに資金援助をした場合。連合は実に1.5倍の戦力の猛攻にさらされることになる。

今の内に邦商を叩くという手もある。事実、この同盟はかなり急なものであったらしく、まだ足並みが揃っていないという情報も届いている。少なくとも、今まで得た情報では。しかし、叩くにしても大義名分はあるのか。侵略戦争のレッテルを貼られたら、猛烈な抵抗を受けることになる。邦商は腐敗しているとは言っても、国家滅亡レベルにまでは到達していない。今侵攻すれば、却って彼らの国情を強固な秩序構築に向かわせてしまうかも知れない。

八方ふさがりとは、このことである。地球連邦の首脳部は、それほど有能だとは聞いていない。法国も連合に敗れて多くの人材を失ってからは、マンパワーの不足に悩まされていたという。どちらにも、このような離れ技を実現する力があるとは思えない。だとすると、これは邦商が手引きしたのか。

混乱の中、次々と追加情報が入ってくる。アシハラ艦隊は全速力で、連合本土に戻り始めたと言うこと。その動きは鋭く、地球連邦が主力を動員したとしても、既に連合は防衛体制を整え終えていることが間違いないこと。法国は再建途上のものも含めて、艦隊を動かし始めていること。帝国方面の戦力が増強されており、そちらからの侵攻もあり得ること。また、帝国が侵攻してきた星系にも、法国の一艦隊が向かっていること。

なるほど。自分なりに状況を把握しながら、大統領は呻いていた。いまだ地盤が固まりきっていない、クーデター後の帝国を突くというのは、良い判断である。上手くいけば、連合統治反対派が蜂起する可能性もある。また、激しい戦禍に見舞われた立国も国境防御力が著しく低下しており、各地の復旧のために無防備な状態になっている星系も多い。この状況でバビロニア要塞を落とされると面白くない事態になる。すぐに機動艦隊と緊急修復用の工兵隊を派遣するように指示を出すと、ルパイド元帥に回線をつなぐように、秘書に指示した。

数分が、恐ろしく長く感じる。連合の首脳部とも、対応を協議しなければならない。何より大事なのは、連合で軍の実権を握っているルパイド元帥と早めに会談の折り合いを付けなければならないことだ。アシハラ元帥はあくまで実戦指揮官であって、総合的な戦況のコントロールは好まない事が分かっている。英雄と呼ばれる彼女ではなく、今回はその黒幕であるルパイド元帥の方が重要な存在となってくるのだ。

史上最大の作戦と謡われた、ノルマンディー上陸作戦も、ヒトラーとロンメルの連絡が上手くいっていれば、成功はしなかったとさえ言われている。今回は多少事情が違うとは言え、連合首脳部と歩調が合わなければ、かなり危険な状態になることが予想できる。必死に現状の把握を続ける内に、続報。戦略シミュレーション室が、邦商に攻撃を仕掛け、陥落させるまでに必要な物資と戦力を計算し終えたのである。

提示された被害予想と消耗物資量に、大統領は思わず呻いていた。確かに邦商を倒せば三国軍事同盟は瓦解する。しかしながら、直接攻撃を行った場合、アシハラ艦隊が主力になったとしても、被害は計り知れない。

邦商は保有戦力こそ小さいが、今地球連邦から旧式とはいえ大戦力の援軍を期待できる上、強力な防御要塞多数による防衛能力も侮れない。技術的にはかなり高度なものも集積される国家である。侵攻を仕掛けた場合、シールドにしても要塞砲にしても、最新鋭にして極めて強力な防衛設備が、手ぐすね引いて待ちかまえていると考えて構わないであろう。事実、今までの侵攻を全て退けた国家なのだ。それが地球連邦の兵力と合わさった時の事を考えると、大きな被害が出るのは確実だ。

何とか戦を避ける方法はないか。そちらでも戦略シミュレーション室に調査させる。難しいという返答があった。そもそも、今回の急な軍事同盟の切っ掛けになったのは、連合の急激な膨張である。連合に帝国の統治権を手放せと言っても承知しないだろうし、今帝国が無法地帯化すると立国が受ける影響も計り知れない。それらを見越した上で、邦商は強気の姿勢を崩していないと判断できる。

ルパイド元帥と通信がつながったという連絡が入った。ようやくかと悪態をつきながら、大統領は老骨にむち打ちながら、端末の回線を開く。焦燥した様子で、ルパイド元帥は敬礼する。若々しい顔にも、流石に疲労が色濃く出ていた。

「お久しぶりです、大統領閣下」

「お久しぶりですな。 早速ですが、時間がありませんでな。 本題に入るといたしましょうか」

口調は友好的なままだが、表情まで保てているか、大統領には自信がなかった。今までも散々危機を乗り越えては来た。だが、今回の件はあまりにも急な上に、予想される災害の規模が大きすぎる。アシハラ元帥も、大統領の苦境を敏感に察したのだろう。表情を改めると、情報交換に応じてくれた。

連合でも、今回の同盟については、察知していなかったという。邦商がいつの間にこれほどの大規模な政治的策謀を準備していたのか、驚いているというのだ。鵜呑みには出来ないが、頷ける話である。ルパイド元帥の顔に出ている焦燥が、それを物語っている。

「それで、対策ですが」

「邦商をどうにかして攻め落とすしかないでしょう。 まだ足並みが揃わないうちに軍事同盟の中核を叩けば、どうにかなるかも知れません」

やはりそうなるかと、大統領は呻く。

実戦力に関しては、連合に一任するしかない。立国は身を守ることで精一杯なのだ。機動戦力は、国境で蠢動する帝国を迎撃するので精一杯である。それを伝えると、ルパイド元帥は嘆息した。

「分かりました。 その代わり、物資の提供をお願いいたします。 此方も補給物資に関しては、心許ない部分がありますので」

「よろしいでしょう。 補給物資だけであれば、何とか準備はいたします。 して、勝率はどれほどになりますかな」

戦略シミュレーション室の判断と、ほぼ同じ数字が帰ってきた。しかし、問題がある。軍事同盟が解消された場合、地球連邦と法国がどういう行動に出るかと言うことだ。連合を恐れて、そのまま同盟を継続した場合。立国は、さらなる戦禍に巻き込まれないだろうか。

大統領の懸念はそれだ。このまま事態が進むと、人類国家全てを巻き込む大戦争になりかねない。新盟にも飛び火した場合、人類社会の秩序は崩壊し、再び大戦乱の時代がやってくるだろう。何時かは来てもおかしくないとは思っていたが、あまりにも早すぎる。

KVーα星人との交流も、先送りにせざるを得ないかも知れない。この状況だと、彼らを巻き込んで利益を得ようと考える愚か者が出てくるはずだ。KVーα星人は、地球人類全てに比べれば確かに保有戦力も小さいが、それでも一国家に対してなら充分すぎるほどの防衛力と攻撃力を有している。

まだまだ、懸念は山積みだ。ルパイド元帥と話し終えても、その幾つかは解決しなかった。

専用回線に再び連絡。思わず、今度は何だと怒鳴ってしまった。秘書が首をすくめるのを見て、舌打ちして回線を開く。心を落ち着けるのが難しくなりつつある。それでも、立体映像が浮かび上がった時には、作り笑顔を浮かべることに成功していた。

「お久しぶりです、フォルトレート民主立国大統領」

「あ、あなたは!」

思わず声がうわずってしまう。映像は、今もっとも混乱を知られたくない相手のものだった。冷や汗が吹き出してくる。まるで悪巧みを知られた子供のように、大統領は狼狽していた。

相手は、KVーα星人の長老である。子供のような姿で、笑顔がまぶしい。しかし、並みの地球人類ではとても太刀打ちできないほどの思考力と見識の持ち主である。しかも、地球人類の常識が通用しない。海千山千の大統領をしても、とても扱いづらい相手だ。

早速長老は、社交辞令を無視して、本題にはいる。この辺りも呼吸をずらされる要因で、大統領は早くもペースを崩された。

「地球人類の社会で、これまでにない大戦乱が発生する可能性があるようですね。 大統領はどういった対策を考えておられるのですか?」

「それは、その。 そうですな、現状もっとも有用な策は軍事同盟の中核を速攻で撃破して、後は各個撃破するしかないと考えておりますが」

「それはあまり感心できませんね。 軍事同盟の核というと邦商かと思われますが、撃破は可能だとしても、その後はどうなりますか。 戦乱が無秩序に拡大して、大混乱の時代が来る可能性が高いのではありませんか? そもそも今回の戦乱も、連合が強大化しすぎたことが原因なのではないのでしょうか?」

「はあ、まあ。 そう言うことになりますかな。 流石に識見が鋭いですな。 感心しましたぞ」

乾いた笑いが漏れるが、相手は反応しなかった。冷や汗が流れ続ける。修羅場を散々くぐり、立国を切り盛りしてきた彼ともあろうものが、そんな間の抜けた受け答えしかできなかったのだ。混乱の中、どれだけ大統領が混乱していたかは明らかだった。

必死に心を落ち着けながら、大統領は苛立ちと感心を同時に覚えていた。元々群体生物である以上、政治音痴のKVーα人は多い。だが、能力主義のKVーα人の中で国家元首をしているだけあり、この人物は桁が違う。もう地球人の行動思考パターンを把握しているとも言える。伊達にもっとも長寿で、もっとも経験を蓄えていないと言う訳か。

地球人類と異なり、KVーα人は年齢を重ねれば重ねるほど能力が上がる。こういった特性は鰐に近い。その死も遺伝子的な限界が来ると言うよりも、己の全てを群れのために還元するという性質を持っており、地球人のものとは違うそうである。そうやって積み重ねられたノウハウが、経験の効率よい蓄積と分析を可能としているのだろう。

大統領は恐怖さえ覚えていた。容赦なくKVーα人長老は言う。

「兎に角、戦乱を収める方向へ話を進めていただけませんか。 我らとしても、これ以上戦乱が拡大するようでは、地球人との交流を見直さざるを得ません」

「そうですな。 今しばらく時間を頂きたいのですが」

「……理性的な対応を期待しています」

回線が切れた。大きくため息をつくと、大統領は不意に突発的な怒りを感じて、拳をデスクに叩きつけていた。情報収集部の無能さ加減を罵るのは後だ。兎に角、今は手を打たなくてはならない。

しかし、手を打つと言っても、さてどうしたものか。立国の総力を挙げて、この危機に立ち向かわなければならないが、具体的な方策が見あたらない。彼自身もずば抜けた能力を持つ政治家だが、それでも限界がある。精神的な緊張が極限に達している今は、なおさらだった。

早速この事態をマスコミが嗅ぎつけて、政府の見解を求めてきているという報告が上がってきた。何が政府の見解だ。怒りが噴火しそうだが、此処はこらえなければならない。如何に無能だと言っても、一定の力を持つ情報窓口である事に違いはないのだ。大統領は、適当に応じるように秘書に任せると、対応策の捻出に全力を注ぐよう、戦略シミュレーション室に命じた。

これは、下手をすると帝国の侵攻とは比べものにならない大混乱を呼ぶ可能性がある。大統領は官給住宅に連絡を入れると、しばらく帰ることが出来ないかも知れないとメッセージをメイドロボットに伝えたのだった。

 

1,波及する混乱

 

戦艦オルヴィアーゼの内部は、明らかに殺気立っていた。「とりあえず」といった雰囲気で提供された部屋に閉じこめられた賢治は、この状況を必死に分析していた。立花先輩とは、半日ほど顔を合わせていない。先輩も閉じこめられているのは間違いなかった。

とんでもない事が起こったのは間違いない。これほど高度な情報封鎖をするとなると、連合に関することは間違いないだろう。現時点での可能性をピックアップしてみる。アシハラ元帥、もしくはルパイド元帥が暗殺されたという可能性は低くない。しかしながら、それだと閉じこめられるだけではとても済まないだろう。今頃苛烈な尋問に曝されていることは間違いない。これはどちらかというと、混乱しているから構っている暇がないという雰囲気だ。

危険は、今の時点では多分無いだろうと、賢治は踏んでいる。事実、半日ほど前に立花先輩と会った時、ルーフさんもシャルハさんも、カニーネさんも無事でいた。賢治とは比較にならない重要人物である彼らがいるという事が、混乱はしていても危険に到達していないことを物語っている。KVーα人の潜在能力から考えて、もし拘束を考えるのなら、彼らから、となるはずだからだ。

自分が驚くほど冷静になっていることに、ふと気付いて困惑してしまった。いつのまに、賢治はこれほど肝が据わってしまったのだろうか。修羅場を多くくぐったとはいえ、こうも自分が変貌していることに、今更ながら気付いてしまう。

携帯端末を使って、幾つかのソフトを立ち上げる。能力ギリギリまでフルに使い、並列計算をさせる。現在の国家状況から、混乱の原因をシミュレーションしてみるのだ。もちろんあまり高度なプログラムは入っていないから、参考程度にしかならないが、それでも何もしないよりましだ。

ベットに横になると、ぼんやり計算されていく大量のデータを眺める。現在星間ネットとつながっておらず、ほとんどスタンドアローン状態とはいえど、今までに蓄積したデータは膨大である。それなりに役には立つはずだ。

お目付役で来ているレイ中佐はどうしているのだろうかと、賢治は思った。あの人が今回の責任者であるから、連絡は取っておきたい。しかし、ほぼ丸一日連絡がつかない状態で、こればかりは不安を感じてしまう。

寝転がっていても、欠伸一つでない。緊張していると言うよりも、つい三時間ほど前まで眠っていたからだ。

携帯端末の計算が終わった。幾つかのデータの中に、気になるものがあった。勢力間同士の均衡崩壊。つい最近、帝国が事実上滅亡して、かなり大きなバランスブレイクがあったばかりだ。この状況で、さらなる勢力間同士の均衡崩壊となると。

まさか、地球連邦や、法国が同盟でも組んだのか。

思考が少し飛躍しすぎている感はあるが、無視できる結論ではない。もしそうだとすると、かなり大変なことになる。今までとは比較にならない超巨大紛争が発生する可能性があり、下手をするとそのまま戦乱の時代に突入する可能性もある。絶対的な戦略兵器が存在しない現在、紛争を妨げるものは、国家間のパワーバランス以外に存在しない。それが崩れた時。人間は容易に戦に手を染めるのだ。

兎に角、今は判断情報が少なすぎる。もしそうだったらと、思考を進めるには早計過ぎる。むしろいざというときに、いかにして此処を脱出するかが重要だ。天井近くに通風口があるが、サイズが小さすぎる。ただ、KVーα人なら、あそこから脱出できる可能性がある。ルーフさんの能力であれば、あそこから脱出して、アシハラ元帥の所まで到達、人質にすることも不可能ではないだろう。

アシハラ元帥をもし人質に出来れば、この艦を脱出するなどと言うしょぼい事を考えずとも、幾らでも大きな外交カードとして使うことが出来る。今連合にとって、アシハラ元帥は至宝とも言える存在で、国家予算一年分と引き替えてもあまりある程の用兵家だからだ。

もっとも、それは最後の手段だ。できるだけネゴシエーションをして、この場を解決することを考えなければならない。それに、このままルパイド元帥と面会できるかも知れない。その時にはまた、以前の台本通り、話を進めていかなければならない。政治的な策謀という点で、ルパイド元帥は今人類の中でもトップクラスの存在の筈だ。アシハラ元帥のように、簡単にはいかないだろう。

緊張はしないが、やはり不安はある。賢治は特殊な訓練も受けていない、一般人に毛が生えた程度の存在に過ぎない。立花先輩のように卓越した戦闘技術を持っている訳でもなければ、幸広のように天才でもない。レイ中佐のように経験も積んでいないし、ルーフさんのようにあらゆる能力が優れている訳でもない。

だが、不安を抱えてばかりでも仕方がない。賢治がやるしかないのだ。だから、賢治は立ち向かう。

ドアがノックされた。久しぶりの面会時間か。思考を中断して身を起こすと、ドアに歩み寄る。戸を開けると、仏頂面の武装兵が、面白くもなさそうに立っていた。無言で促されて、外に出る。兵士の後ろには、立花先輩とカニーネさんがいた。二人とも相当に戦闘能力が高い。銃で武装した兵士の一人や二人なら、難なく制圧してみせるだろう。

視線を交わす。立花先輩は、いつでも動けるとでもいうように、好戦的な光を目に讃えていた。カニーネさんも相当苛立っているようで、むしろ動くチャンスを狙っているようだ。だが、賢治は首を横に振る。他の人がどうなっているか、分からないからだ。此処で動くのは危険すぎる。立花先輩は非常に不満そうだったが、それでも受け入れてくれたようだった。

賢治としては、二人が無事で良かった。似たもの同士の二人だが、接点が無くて、あまり話している所を見たことがない。これは良い機会かも知れない。危険を共有して、交友を深めて欲しいものだ。

やがて、応接室に通された。少し時間をおいて、ルーフさんとシャルハさんも連れてこられる。レイ中佐も、蛍先生も。最後に、ヘンデルとグレーチェルさんが来た。静名とフォルトナは、スリープモードにでもされているのだろう。この場には姿を見せない。

武装した何人かの兵士が周りを固めていて、脱出するのは少し骨が折れそうだ。一人か二人は命を落とすかも知れない。だが、今は敢えて動かないで、様子を見る。レイ中佐もそのつもりらしく、余裕を持って堂々とソファに座った。少し生気が戻ったように見えるのは、忙しい仕事から解放されたからだろうか。

程なく、アシハラ元帥が来た。げっそりとやせこけていて、足下が少しふらついている。元々かなり小さな人だったが、更に縮んだような印象さえ受けた。見ている此方の方が不安になるほどだ。

途中、護衛らしい特注の戦闘ロボットが、歩み寄り掛けた。元々運動神経はそれほど優れていないようだが、脚にかなり来るほど疲労が激しいのだろう。目の下には隈が浮かんでおり、鬼気迫る雰囲気さえあった。酷い状況なのだと、一目で分かる。殆ど休んでいないのだろう。一時期のレイ中佐のような有様だ。レイ中佐も、多分同じ印象を受けていることだろう。

ソファにどっかと腰掛けたのは、単に身体制御が難しくなってきているからだと分析できた。心配する賢治の前で、アシハラ元帥は目の光ばかり強い目で、辺りを見回した。

「少し複雑な状況になっていて、連絡が遅れた。 君たちを放置してしまって、申し訳ない」

「いえ。 それよりも、事情を説明していただけますか? 情報が殆ど遮断されていて、何が起こっているかだけでも知りたいのです」

レイ中佐が言うと、アシハラ元帥は頷く。がくりと頭が落ちかけて、慌てて姿勢を正す。それなりに意味がある会談だというのに、その場で落ちそうになるほど疲労が激しいという訳だ。

言葉が出てくるまで、若干の時間が掛かった。唇が乾ききっているのが、賢治の所からも見えた。護衛の戦闘ロボットが運んできた栄養ドリンクを飲み干すと、アシハラ元帥は本当に申し訳なさそうに言った。

「ええとだな。 邦商が中心となって、地球連邦、法国と軍事同盟が締結された。 現在、我が艦隊は連合に急行中だ」

「何ですって!?」

「驚くだろうが、本当だ。 連合は対応に追われている。 幸い、極めて急な話だったらしく、軍事同盟内部も混乱が著しい。 中心となっている邦商を先制攻撃で潰すか、それともサボタージュを仕掛けて内部崩壊させるか、今必死に協議しているところだ」

「あんな大きな戦争をしたのに、まだやるつもりですの?」

静かな、だが深い悲しみを含んだ声。ルーフさんだ。嘆息したアシハラ元帥は、疲れ切った顔に苦笑を浮かべる。

「申し訳ない。 地球人類は、本当に好戦的な種族なのだ」

「それは知っていますけれど。 どうにか、戦争を避ける方法はありませんの? 家族を失うことを、これ以上許していいんですの?」

血を吐くようなルーフさんの言葉に、責める要素はない。ただ、静かに悲しみを発露している。シャルハさんも、カニーネさんも頷く。地球人類と、KVーα人の一番大きな違いが、此処にあるのかも知れないと賢治は思った。

ルーフさんとそれなりに長い間接してきて、彼女らKVーα人が本当に平和的な種族なのだと、賢治は知っている。カニーネさんなどは気性が激しい部分もあるが、種族レベルでの激しい総力戦を行うところは想像が出来ない。

根本的に違う存在。それでも、完全に考え方が違う地球人類と仲良くするべく、危険を冒してまで来てくれているのだ。事実、娘を失いかけさえした。それなのに、ルーフさんはまだいてくれている。

だが、しかし。その苦労は報われているのか。いや、とてもではないが、そうとは言えない。地球人類は、彼女の苦労をあざ笑うような事ばかりしているではないか。

賢治も不快だった。が、アシハラ元帥を責めるのは、また筋が違う。ルパイド元帥とは、具体的に会ってみないと分からない。

漫画などに登場するような「巨悪」とか「絶対悪」が存在したら、どれほど話が楽だろうかと、賢治は思う。そういう連中を憎んで、全ての責任を押しつけてしまえばいいからだ。だが、現時点ではっきりしているのは、そう言う存在が無いと言うことだけ。やりきれないと、賢治は思う。

沈黙を破ったのは、立花先輩だった。咳払いしてから、アシハラ元帥を見つめる。こう言う時、やはり事態を打開すべく直接行動するのは、立花先輩だ。

「それで、これからどうするんですか?」

「とりあえず、君たちはルパイド元帥の所へ責任を持って届ける。 私も、会談の場には立ち会う。 ただし、状況が状況だ。 少し直接会談の日取りが遅れるかも知れない」

「戦争は、避けられませんの?」

「難しい」

アシハラ元帥の声には、焦燥と怒りと、それ以上の悲しみと疲労があった。ルーフさんは大きく嘆息した。彼女は非常に優秀な頭脳の持ち主だ。アシハラ元帥に責任がないこと、どうにもならないことが分かっているのだろう。

レイ中佐が、細かい状況の提示を求めると、アシハラ元帥は星間ネットの開放を約束してくれた。更に、立国首脳部と、連合の軍用データベースへのアクセスまで許可してくれた。破格の待遇とも言える。これで、一気に情報の遅れを取り戻すことが出来る。そればかりか、おつりさえ来るだろう。

更に、賢治に対して、驚くべき事が起こった。アシハラ元帥が、賢治を名指ししたのである。

「被名島賢治」

「え? は、はい。 何でしょうか」

「ある程度の情報を渡すから、君にも対策を考えて欲しい。 今のところ、我々には先制攻撃を仕掛けて、団結前の敵を各個撃破する選択肢しかない。 もし、何か他に対策があるのなら、提示して欲しい」

「いいんですか? 僕なんかが、そんなことをしても」

今は猫の手でも借りたい状況だと、アシハラ元帥は自嘲的に言った。連合の戦略シミュレーション室もフル稼働しているし、諜報部隊も動いているそうだが、それでも手が足りないそうなのだ。

「人類国家最強なんて言っても、一皮剥けばこの体たらくだ。 君の、あの緻密な策には驚かされた。 二段構え、三段構えの策で私を会談の場に引きずり出し、ねえさ……ルパイド元帥との会談まで取り付けた手腕を、私は評価してる。 是非、その力を、少し貸して欲しい」

「僕の力なんかでよければ。 無意味な戦争を回避できるのなら、僕も全力を尽くしたいですから」

レイ中佐の方を見るが、難しい顔で考え込んでいる。無理もない。これは高度に政治的な問題だ。例えば、立国が連合を見捨てるつもりであれば、賢治の行動は「余計なお世話」という事になる。この場合、今此処にいる立国人の生死は勘定に入らない。特務部隊の長の一人であるレイ中佐にしてみれば、合理的な判断だ。

結局、レイ中佐は何も言わなかった。判断は保留という訳だ。後でレイ中佐に許可を貰うまでは、何をしない方が良いのかも知れない。最低限の情報を得たら、頭の中で思考を進めるだけにしようと、賢治は思った。

アシハラ元帥は、これから催眠休憩システムを使って、眠るという。つまり、それだけ時間がないと言うことだ。かなり切実な表情であった。目を擦りながら、部屋を出て行く。終始難しい顔をしていたレイ中佐が、皆に立つように促す。そのまま、レイ中佐が貸し出されている部屋へ。

終始黙り込んでいた蛍先生が、廊下で重苦しい口を開く。飄々としていた面影が、最近消えつつある。

「……どうなるのかしら、これから」

「このままだと、大変なことになるわ」

レイ中佐が応える。それはあまりにも的確な、外れようもない、未来予測だった。世界大戦。その言葉が、賢治の脳裏をよぎった。

 

レイ中佐の部屋は、もともと外交官などの、上級の来客用のものだったらしい。賢治の部屋よりもあらゆる設備が充実していて、隅には催眠学習装置までもが設置されていた。外交の前に、情報を整理するのに使うのだろう。ちょっとした高級ホテル並みの設備である。

レイ中佐は全員を部屋に招き入れると、早速回線を開いた。つないだ相手は、多分上司だろう。将官級の軍人かも知れない。しばらくレイ中佐は話し込んでいたが、何人か会話の相手は変わった。最終的には、かなり地位が高そうなスーツの文官と話し込んでいた。顔は見えなかったが、声はどこかで聞いたことがある。大臣クラスの政治家か、或いは別の高官か。

レイ中佐の顔が、どんどん緊迫を帯びていくのが、見ている賢治にも分かった。それに伴い、ルーフさんの顔が不安を讃えていく。立花先輩がルーフさんの肩を叩いて、大丈夫と言った。何だか羨ましい。あんな風な行動を取れるようになりたいと、賢治は思う。

回線を切ると、レイ中佐は青ざめていた。しばらく考えを整理してから、中佐はこっちを見る。無数の視線が、レイ中佐に集中していた。

「どうやら、事態は最悪の方向へ動いているようよ」

「具体的に、お願いします」

「まず、立国辺境に、法国の艦隊が近づいているわ。 規模は三個艦隊。 攻撃をする目的ではなくて、恐らくは立国の艦隊を釘付けにするつもりでしょう。 それと同時に、地球連邦の艦隊が動き始めています。 動いている戦力は、30000隻をすでに超えているようです」

地球連邦の宇宙艦隊には旧式の艦が多いと聞いてはいるが、それでも30000といえば相当な大兵力だ。更に、其処に邦商が温存してきた技術やノウハウが加わると、巨大な脅威に化ける。しかも、まだ集結過程なのである。補給に関しては邦商が準備できるだろう。それらを加味すると、確かに最悪の事態だと言える。

「連合は既に防衛体制を整え始めているけれど、帝国の治安維持に派遣している部隊もあるし、彼方此方に割かなければならない兵力もある。 アシハラ艦隊を加えても、総力戦体制で、決戦用の宇宙戦力は45000隻程度しか用意できないようです。 それに対して、地球連邦は、邦商の援軍も加えて、最終的には50000隻を超えることが確実だと予想されています」

「地球連邦の指揮官は誰になるのでしょうか」

「そこまではまだ。 ただ、補給体制も整えているでしょうし、アシハラ元帥が敵になる以上、奇策を練ることもないでしょう。 正面から、隙のない布陣で負けないように戦いに臨むのではないのかしら」

まあ、そうなるだろう。大兵力を整える意味は、そもそもそこにあるはずだ。戦術コンピューターの支援もあるし、催眠学習システムの普及もある。昔ほど無能な指揮官は多くない。堅実に戦うことさえ考えれば、そう簡単に名将でも勝てなくなりつつある時代が到来しているのだ。

それにしても、だ。もし会戦となると、人類史上最大の規模になるだろう。賢治が見たところ、双方の合計戦力は100000隻を超える。一ヵ所の戦場に3000万以上の人間が集結し、殺し合いの技を競うという訳だ。

ルーフさんがついと顔を背けた。無理もない話である。シャルハさんが見かねたか、賢治に言う。

「どうにかならないのか、賢治君」

「考えていますと言いたいところですけれど、もう少し情報が欲しいです。 情報が色々とあれば、カードの切りようもありますから」

「……話を続けます。 立国は今のところ、連合に荷担するか、裏切って軍事同盟に尻尾を振るかで最後の調整に入っているようです」

「なるほど、連合と心中するのだけは避けたいというわけですね」

呆れが声に含まれる。まるで鼻先ににんじんをぶら下げられた馬みたいだと、賢治は思った。

今回邦商がこんな大胆な行動を起こしたのも、恐らくは帝国を煽ったのと同じ目的からだろう。立国を弱体化させ、宇宙規模の戦乱を起こし、それに伴って大量の武器を売りさばいて、最大の経済国家としての地位を復活させる。

邦商の国家戦略が、まだそれに基づいているだろう事は、容易に予想が付く。だったら、立国を放っておく訳がない。連合を潰したら、次は確実に立国だ。それも、多分法国の艦隊によって蹂躙させることだろう。帝国の軍人が通った後は殆ど焼け野原と化していたそうだが、それが立国全土で再現されることになる。

「レイ中佐」

「何かしら」

「まだ、対策は思いつきませんが、軍事同盟に媚びを売る方向にだけは行かないように出来ませんか」

「どういう事かしら」

元々気が進まない様子のレイ中佐だったが、賢治の説明を聞くと、口元を抑えて呻く。ただ、これを納得させるには、レポートが必要だろう。幸い立国の大統領は優秀な人物で、今ミッションの性質上、手元にレポートは届きやすくなっている。巧くすれば、このばかげた茶番劇を、少しでもましな方向へ修正することが出来る。

「すぐにレポートを仕上げてくれる?」

「はい。 今までの蓄積データがありますので、三時間もあれば」

「後は、どうやって根本的な解決策をひねり出すかだけれど」

「レイ中佐。 貴方は戦争が好きですか?」

不意にルーフさんが、話に割り込んだ。昔、こういう行動を空気を読まないとか言った。だが、しかし。ルーフさんの事情を知っている誰もが、何も反論しない。

基本的に地球人類は、相手の事情などどうでもよいと考える傾向が強い。己の主観が全てであり、それで他者を否定することを何とも思っていない。そう言う人間が絶対的多数を占めているのが、現実である。一旦社会的な秩序が失われると、即座に無法地帯になるのも、それを裏付けている。

だが、此処にいる者達は違う。賢治はそう思う。

「私も、戦争はあまり好きではありません。 しかし、今は最悪の事態を想定しないと行けないんです。 ルーフさん」

「分かっていますわ。 それが合理的だと言うことも」

ただ、と短く言葉をルーフさんは切る。

「この状況、一人や二人が戦争を望んでいるからではないと、私には分かりますわ。 悲しい話ですけれど、地球人類と我らは、あまりに出会うのが早すぎたのではないのでしょうか」

「……」

暗い沈黙が、部屋を覆っている。ルーフさんが投じた言葉は、爆弾と同じだったからだ。誰もが思い始めていた事でもあった。

レイ中佐が、どうやらKVーα人の政府も、貴方と同じ考えのようですと付け加えた。流れ解散になった。次に集まるのは、三十分後。暗い表情のルーフさんに、立花先輩が歩み寄って、色々話しかけていた。

今、賢治はレポートを仕上げて、少しでも事態を良い方向へ動かさなければならない。後ろ髪を引かれる思いは確かにあるが、今は自分に出来ることをするだけだ。それに、立花先輩は信頼できる。きっと、ルーフさんをなだめてくれるだろう。ヘンデルの馬鹿笑いが聞こえる。凄く楽しそうで、勇気づけられた。

自室に戻る。今度は、却って孤独が心地よい。ネットワークが開いたこともあり、情報も手に入れやすくなった。

レポート作成用の、幾つかのツールを立ち上げる。合流したグレーチェルさんに貰った特性のツールで、少し使ってみたのだが実に使いやすい。これなら、三時間と言わず、二時間半でレポートが仕上がるかも知れない。

一気に集中すると、賢治は、自分の戦いを始めた。

 

自室に戻ると、ルーフはキャムに言われていたことを思い出していた。部屋はシャルハとも別である。こればかりは保安上の問題から仕方がないと判断できる。不愉快だが、我慢するしかない。

賢治は、必ずやってくれる。そうキャムは言っていた。この絶望的な状況を俯瞰し、必ずや戦争を回避できる策を編み出してくれる。その発言には、絶大な信頼があった。今まで、賢治の能力を間近で見てきたからこそ、言えることなのだろう。愛情だとか恋慕だとかで、産まれた一時的な信頼関係とは違う。共に肩を並べて戦ってきたからこそ、得られる信頼関係なのだろう。そう、ルーフにも分かった。そういった信頼関係を構築できるのも、地球人類の性質の一つだとも、分かっている。

しかし、もう地球人類に対する興味より、不信感の方が上回りつつある。それは自分の中ではっきりとした確信となり、現れつつあった。

戦争は嫌いだ。特に地球人類が繰り広げている、何の意味もない、資源の浪費でしかない戦争は大嫌いだ。だが、わずかな理が、こう言うところから産まれている。あの酷い戦いで、賢治とキャムは、ぐっとルーフと接近したような気がする。今までは接待をする相手に過ぎなかった。どんなに仲良くなったと思っても、結局大きな壁が間にあったのだ。それをルーフは感じていたし、それで良いとも思っていた。

だが、戦争の途中で、ムルがさらわれてから。何かに変化があったように思える。賢治は明らかに全力でムルの救出に思考を傾けてくれたし、キャムは全身全霊で障害を叩きつぶしてくれた。キャムがいなかったら、さらわれるのはムルだけでは済まなかったはずだ。感謝はある。信頼もある。だが、今になって、地球人類そのものに対する不審が、せり上がってくる。

一度宿った不信感は、簡単に払拭できるものではない。極論すれば、被名島賢治は信頼できる。立花・S・キャムティールも信頼できる。カニーネの周囲にいる二人も信頼できる。この面子は、何があっても、此方の味方をしてくれるという確信がある。

だが、他の地球人類は決定的に信頼できない。今、地球人類は1000億ほど存在しているはずだが、その中で信頼できるのは僅か四人だけ。他は表面上味方であっても、状況次第で、裏切る可能性が極めて高い。

地球人類の性質を判断するのは極めて難しい。しかも、年代によって性質も大きく変わってくる傾向がある。今後、継続的に彼らを信頼して良いのか。今回着いてきたことさえ、ルーフは後悔し始めている。

携帯端末にメール。ムルからだった。まだ思考の混濁が続いていると思っていたのだが、どうやら復帰できたらしい。早速メールを開いてみる。文章はかなりたどたどしかった。精神の再構築はまだ途中段階で、未熟な部分が多い。精神年齢もかなり若化してしまっている。

メールを閉じると、大きなため息が出た。しばらくは部屋で一人になりたい。ドアのロックを掛けると、人間形態を解く。ざっと広がる群体。思考体を中心に、部屋中に散っていく。

こうした方が、フルに思考を働かせることが出来る。人間の形態を保っている時は、どうしてもそちらに能力のリソースを振り分けなければならないからだ。部屋中をフルに使って、情報を伝達しやすいネットワークを作り上げる。隅々まで、力が行き渡っていくのを感じる。

やがて、部屋そのものが、ルーフの体内と化した。

第一世代のステイ人員ほどではないが、ルーフはKVーα人の中でもエリートの一人だ。たまたま近所にいたカニーネも並んで、同世代では最高の人員の一人である。だから、能力も大きい。かなり世代を重ねてはいるが、いまだに成長も続いている。立国首都星に来てから、幾つか開発したスキルもある。

例えば、交信を傍受して、そのまま解析することも出来る。今までは無理だった。しかし、長い間で地球人類が使う交信の電波は解析し終えた。ここ数日で、連合が使っている交信電波も性質を理解した。

フルに思考を働かせれば、短時間であれば地球人類の使っているスーパーコンピューター並みの機能を働かせることも出来る。以前、ムルを探すのに使った能力の応用だ。そして、今回行おうとしているのは。

「何をしてる」

不意にカニーネの声がした。ひょっとすると、電波探知を行おうとしている事が、読まれていたか。だが、それが何だ。群体を振るわせて、返答。電波による交信だが、故にレスポンスも一瞬だ。

「貴方には関係ありませんわ」

「連合の情報のやりとりを盗聴するつもりだろ。 やめとけ。 今は、お前が信じる奴らを、信じて待てばいいだろう」

「そうも言っていられませんわ。 あの二人は信じられても、他はそうではありませんもの。 これ以上、地球人類の本能的な殺戮行為に流されて、家族を失うのは嫌ですわ」

「……とにかく、やめろ。 今下手なことすると、更に事態がややこしくなる。 それはお前だって、分かっているんじゃないのか」

カニーネの正論がいらだたしい。まさか、でたらめな行動で知られていたカニーネに、そんなことを言われるとは思ってもいなかった。

黙り込むルーフに、カニーネはしばし時を置く。それから、諭すようでもなく、揶揄するでもなく、淡々と言う。

「少し前から、宇宙に出てただろ。 そうだ。 KVーα人と、連合の艦隊があわや戦いになりかけた時のことだ。 あの時、私は地球人類の政治的やりとりを、随分たくさん間近で見た。 正直反吐の出る話ばかりだったけどな。 だけど、私の部下共は、それでもちゃんと私の側で働き続けた。 それで、戦争だって止められたんだ。 あいつらが尽力しなければ、今頃下手をすると、KVーα人を敵にして、地球人類が団結するなんて最悪のシナリオが書かれてた可能性さえあるんだ。 それもルパイドの掌の上だったのかも知れないが、あいつらが努力しなければ、今頃私達は全員宇宙の藻くずだっただろよ」

「……」

「殆どの地球人類はお前も知っているとおりどうしようもないカスだが、本当にごくごく一部は、少しはましな連中がいるもんだ。 そして、たまにはそいつらが少しは世の中を動かすこともある。 もう少しだけで良いから、信じてやれ」

それで、声はとぎれた。ルーフは、しばしの沈黙の後、連合の電波を盗聴することなく、人間体に戻った。

確かに、あの二人なら信じられる。信じてみよう。そして、今できることを探すべきだ。前向きに、少しずつ考えが変わり始める。

ルーフの心に、光が戻り始めた。

 

2,ルパイド元帥

 

人類の故郷である惑星を有する地球連邦は、衰えが目立つものの、いまだ列強と呼ぶに充分な実力を持っている。地球時代のアメリカ合衆国の出身住民が中心となっている国家であり、かってほどの力はないが、今でも軍事力はトップクラスである。ただし、兵器の旧式化が目立ち、以前のようにテクノロジーを独占していた時代は終わっている。

しかし、旧式と言っても、充分に宇宙戦闘が出来る型式ばかりである。ワープは可能であるし、航行速度もそう最新型の艦に劣らない。同数の戦力で戦えば、流石に力の差が出てくるが、数倍の戦力差がつけばひっくり返されることはない。新技術の導入も容易である。そこへ、邦商が技術提供を行う。兵器を丸ごと入れ替えるのではなく、バージョンアップを行うのである。

続々と集結していく地球連邦の艦隊に、邦商の艦隊が物資を運び込んでいく。邦商辺境をリアルタイムで写した巨大立体映像では、圧倒的な光景が現出していた。ふくれあがる光の帯を見ながら、邦商の長老格であるティムールは、老いた頬をつり上げていた。

彼は国家元首ではなく、肩書きとしては財閥の会長となる。地球時代に存在した多くの財閥が作り上げたこの邦商。そのトップに立つ、金を使って生きてきた者達の長。それこそが、ティムールである。

邦商には色々と独特の風習がある。例えば、歴代の会長は、古代の英雄王の名を拝借することが通例となっている。これは地球時代のビジネス書に、英雄の生き方を会社経営になぞらえたものが多かったからだと言われている。

このため、歴代の会長には、信長、家康、曹操、ナポレオン、チンギス、カール、シーザーなどなど、錚々たる名前が揃っている。基本的に借りるのは名前だけだが、わかりにくい場合はわざわざ姓までも名前にしてしまう。曹操などがその例である。

ただ、それはあくまで慣例である。英雄の名を借りているからと言って、実力が伴う訳ではない。能力は、また別。むしろ、その英雄の悪いところばかり似るという評判さえある。

ティムールは名こそ騎馬民族の精悍な英雄と同じだが、現在の体は弛んだ脂肪の塊で、最近は反重力歩行補助装置を使っている。もちろん、馬になど乗れない。しばらく満足しながら集結する地球艦隊を眺めやる彼の元に、秘書官が歩み寄ってきた。電気を点けて、部屋を明るくする。オフィスと言うよりも、一流ホテルのスイートルームのような、巨大な執務室が光に曝される。

「ティムール会長」

「何かね」

「新たに到着した、地球連邦の艦隊司令官が来ております。 お目に掛かりたいと事でして」

「分かった。 通してくれたまえ」

脂肪の塊と化している体を揺すって、鷹揚に指示。一礼した秘書が下がる。今、地球連邦の機嫌を損ねる訳には行かない。何しろ、まともな戦力は、邦商には無いのだ。侵攻前だったら各地の要塞を利して頑強な抵抗が出来るが、もし領内に入られている状態で、今地球連邦にへそを曲げられたら、全ては終わりだ。

メイドロボットを呼んで、辺りを素早く片付けさせる。来る軍人のデータを調べさせ、分析させる。そして、好みの食物を用意させる。接待はお手の物だ。性格によって、完全にマニュアルが整備されている。真面目な奴を喜ばせるには、質実剛健な。俗物を喜ばせるには、贅を尽くした。頭が良い奴には、単刀直入に。それぞれ、機嫌を損ねない接待方法はある。多くの前例を積み重ねて、マニュアルは作られてきた。

地球人類には、それほど性格のパターンがないのだ。ティムールには、気難しい事で知られるアシハラ元帥だって、満足させて返す自信がある。ただ、唯一ルパイド元帥だけは自信がない。奴は完全に別格だ。接待のプロでも、満足させることは難しい。

ルパイド。その名前を思い出すと、歯ぎしりがこぼれてしまう。

いつだっただろうか。ルパイドに完全にコントロールされていることに気付いたのは。奴はどうやら、連邦主導の統一政権の構築を目論んでいるらしい。邦商は、そうなってくると邪魔だ。事実、一歩間違えば、潰されるところだったのだ。何とかして、裏を掻かねばならなかった。

幸い、コネクションだけはどうにか確保できていた。奴の疲労が溜まる瞬間を狙って仕掛けて、今此処まで来たところである。正直な話、あのナナマ姉妹を相手にするとなると、五割り増しの戦力でも心許ない。だから、打てる手は全て準備しておかなければならないのだ。

軍人が、案内されてきた。均整が取れた肉体を持つ、中年の男性である。偉そうな髭を口に蓄えている。

事前に調べてあるが、表向きは剛直そうだが、裏では欲望の固まりのような人物である。こういう輩は、一件質素なもてなしをしながら、徐々に本題に入っていくと操りやすい。笑顔で相手を出迎えると、テーブルに。出身地と、好みの食事は調べてある。その料理を並べていく。

最初此方の腹を探ろうとしていた軍人は、すぐにゆるゆるの表情になっていった。食事をしながら、甘い汁を吸える話を、少しずつ流し込んでいったからだ。データは間違っていなかった。好みにあった風俗の只券をプレゼントした他、幾つかの高級家具類のセットを譲る話をする。接待は完了だ。

庶民が目を向くような金が動いたが、それこそティムールにはどうでもいい端金である。公金なんてものは、社会上層の人間がむしゃぶりつくすために存在しているのだ。ほくほく顔で帰っていく軍人を見送ると、すぐにメイドロボット達に掃除させる。見る間に、接待開始前と全く同じ状態になった。ペンやメモ紙の配置までもが同じである。この状態が、ティムールにとってもっとも落ち着く状態なのだ。

人類社会は基本的にそうだが、特に邦商では、だまされた方が悪いという価値観が蔓延している。それは半意図的なものである。何故か。弱肉強食の状況で鍛え抜かれた商人こそが、大金を扱うに相応しいからだ。だまされるような軟弱者は死ね。それが邦商の存在理論である。

だからこそに、ルパイドにだまされていたことに気付いたティムールは、それを隠すために必死になった。パニックも起こし掛けたが、どうにか裏を掻くことが出来た。それに、計画の修正も順調である。連合を潰してしまえば、後は地球連邦などどうにでもなる。邦商が求めるのは、統一政権なのではない。大戦乱なのだ。

兵器工場から、報告が上がってきた。最新鋭の兵器類が、約束通り納品されてきたのだ。すぐに地球連邦の艦隊に回すように指示を出すと、ティムールは空気を入れ換えようと、窓を開ける。此処は都心だ。都心の空気が汚れきっていたのは過去の話である。現在では、都心も田舎も、空気の質に大差はない。ただし、生物のにおいがあまりしないという点では、人工的な雰囲気ではある。

邦商の首都星は、広大で肉厚なアステロイドベルトの中にある。このため、宇宙空間は極めて視界が悪い。無数の小惑星が空を遮っており、他の首都星に比べて瞬きの数は非常に少ない。

夜の空は、だから暗い。飛び交っているのは、地球人類の宇宙戦艦ばかりだ。一方で下を見れば、夜も爛々と輝く街の灯り。一時期ほどではないが、欲望にぎらつき、輝いている。行き交う光が、それを象徴しているかのようだ。

この輝きをもっと強くしたい。そうすれば、もっと楽しい世界がやってくる。ほくそ笑むと、ティムールは地球連邦の首脳部と連絡を取るべく、部屋に戻る。ドアがけたたましくノックされたのは、次の瞬間だった。

「ティムール会長! おいでになられますか!? 緊急事態です! 緊急事態が発生しました!」

「何だ!」

慌ただしくリモコンを手にし、ドアのロックを外す。ティムールも生き馬の目を抜く競争世界で生き残り、のし上がった人間だ。世襲でかなりスタートラインの得はしていたが、それでも血で血を洗う競争に生き残ったから此処にいる。だからこそに、危機を察知する嗅覚には優れていた。

飛び込んできた秘書は、蒼白なまま慌ただしく頭を下げると、言った。

「き、緊急事態です。 立国が、立国が!」

「立国がどうした」

今、立国は動ける状態にない。法国の艦隊が迫っている上に、この間の戦いでの消耗が小さくない。艦隊を派遣してくるにしても、10000隻を超えることは絶対にないという試算も出ている。そんな戦力で、どうするというのか。そんな状況で、いかにして緊急事態を演出したのか。

「立国が、法国と同盟関係を締結しました! 立国辺境に展開していた法国の艦隊は、撤退を開始しています!」

一瞬、何を言われたか分からなかった。唖然としていたのだろう。沈黙が、数秒以上続いた。妙な音がした。それが、自分の喉から漏れていると気付いて、ティムールは口を押さえ込んでいた。

ありえない。あの強欲な上にプライドが高い法国が、どうしてそんな提案に乗った。一体何を餌にして、立国は法国をつり上げた。今、一番起こりえない事が、電撃的に発生したとしか思えなかった。

それだけではない。もしその提案が魅力的なものだった場合、法国は軍事同盟を単独脱退する可能性がある。そうなると、立国に対する圧力が消滅、更に連合の負担も小さくなる。当然決戦用の戦力もより多く用意できるはずで、計算が根本から瓦解することになる。

地球連邦は、連合の拡大による恐怖感から、軍事同盟に応じた。しかし、法国は違う。領土欲からだ。もし其処を的確に突かれたのだとなると、かなり状況は悪いと言える。

自分でざっと計算してみて、青くなった。連合が用意出来る決戦用兵力が、数割り増しにふくれあがっている。立国に対する圧力が減少したからである。地球連邦の艦隊に勝ち目があるとしたら、それは数が多いからだ。もし、質が互角に、なおかつ数も互角の条件で、地球連邦と連合が交戦したら。

勝てる見込みはない。ティムールが、それを一番よく知っている。相手はあのナナマ姉妹だ。特に妹は、当世最高の英雄と言われている存在だ。同数の戦力で交戦して、勝てる地球人類の指揮官など、少なくともこの時代には存在しない。

声がうわずってしまう。パニックになりかけながらも、必死にティムールは事態の打開に掛かった。

「す、すすすぐに、詳しい情報を集めろ! 戦略シミュレーション室にも声を掛けて、状況の解析急げ! 行け、行け行けっ!」

「はっ!」

慌てて部屋を飛び出していく秘書。ティムールは、何度も掛け間違えながら、回線をつなぐ。地球連邦の首脳部と、早めに連絡を取る必要がある。法国の首脳部とも、話しておきたい。

慌てすぎて、ペン立てを倒してしまった。慌てて直しながら、ティムールは、自分が泡を吹いていることに、今更ながら気付いていた。

こうなれば、多少強引だが、あの手しかない。すぐに連合内部に確保してある協力勢力に連絡を取る。

時間は、殆ど残っていなかった。

 

オルヴィアーゼが連合領に到着した時、賢治は既にレポートを仕上げていた。最初の三時間で立国が軍事同盟に荷担することが最悪の結果をもたらすことを説明したリポートである。それはレイ中佐に、すぐに本国に送ってもらった。その結果を聞いている暇はなかった。巧く行くことを祈るしかない。

三日三晩、不眠不休で状況を分析した。途中、何とルーフさんがコーヒーを淹れに来てくれた。立花先輩は来てくれなかったが、あまり自分にすることはないと考えていたのかも知れない。そんなことはないのだが、先輩にどう言えばよいのか、賢治にはよく分からない。ただ、ルーフさんを守り、立国を守り、大戦争が起こらないようにすることだけで、頭がいっぱいになっていた。

レポートを仕上げると、書類化して、レイ中佐の部屋に。レイ中佐も不安だったようで、部屋には他の全員が集まっていた。視線が集まる。以前の賢治だったらすくみ上がってしまったかも知れない。だが、今は違った。

「遅れました」

「いえ、予想よりも遙かに速いわ。 初めて頂戴」

レイ中佐は緊張しているようだったが、それでもそう言ってもらえると少しは報われる。呼吸を整えると、丸テーブルを皆で囲む。賢治は書類を立体映像化して、プレゼンテーションを始めた。

レポートの内容は、この状況の打開策である。方法とは、法国に働きかけること。そして法国を動かすカードは、領土しかない。

しかし、連合の旧法国領を返還するのは、あまりにも難しい。既に連合の住民が移り住んでいるし、多くのプラントも拡大している。立国も、辺境は今回の戦乱で荒れ果てていて、領土的な魅力はない。そこで、賢治が目を点けたのは、法国の辺境にあるスレイジェール星系である。

「うわはははは、スレイジェール星系とはどこですかな?」

「ヘンデル、それは此処の星系だ」

指さしたのは、何とカニーネさんである。目を見張ったのは、賢治だけではない。しかも、位置は正確だった。

この人は、もう下手な地球人類よりも、社会情勢に通じているかも知れない。そんな人が、賢治を評価してくれているのだ。これほど心強いことはあるだろうか。いや、ない。

「説明を続けます」

「急いで」

言ったのは、蛍先生だった。不安なのだろう。ずっとキノカの頭に手を置いている。

先生は、普段こそ飄々としているが、本当はかなり繊細な一般人なのだと、最近の出来事を通じて賢治は知った。それは恥ずかしいことでも何でもない。一秒でも早くその不安を払拭して上げるのが、賢治に出来る数少ないことなのだ。

法国領の最外縁にあるこの星系は、二重恒星を持っており、環境が極めて不安定である。木星型惑星が三つだけで、かって地球型惑星だったアステロイドベルトが広がり、カイパーベルトも極めて分厚い。資源は膨大にある事が分かっていたのだが、この環境不安のため、開発が著しく立ち後れていた。それに法国は国内の再建に必死で、この星系を新たに開発している暇がなかった。

此処に、立国が資金援助を行い、開発支援を行う。特に重要なのは、二重星の不安定な重力と、乱れがちな太陽放射線を防ぐ技術だが、これらもブラックボックス化するとはいえ提供する。

この星系が開発できれば、法国は極めて安全な後方資源採掘地帯を手に入れることとなる。下手をすると、ずっと続いている不況に、一気に終止符を打つことさえ可能だ。それは、連合に地球連邦が勝てるか不安を抱えている法国にとって、極めて魅力的な提案の筈だ。この提案に乗れば、法国は労せずして巨大な富と資源を手に入れることが出来る。そればかりか、連合と戦うリスクを避けることも出来る。

法国の現政権は強欲な事で知られており、連合に対する復讐心よりも、得られる利益の方により惹かれるはずだ。

賢治がそう説明し終えると、レイ中佐は腕組みした。素早く計算をしているらしい。賢治は意識が不安定になるのを感じていたが、それでも立て直す。

「行けるかも、知れないわね」

「はい。 確かに膨大な資金を使うことになりますが、戦争をするよりもずっと出費は抑えられるはずです。 それに、これを機会に法国と交流を持てる可能性だってありますから」

「いや、検討はこっちでできるだろ。 被名島、もう部屋で休め」

立花先輩の言葉がありがたい。レイ中佐も頷くと、部屋に戻って良いと言ってくれた。足下がおぼつかない。部屋を出た記憶がない。ベットに倒れ込むと、流石に賢治は燃え尽きて果てた。夢さえ見なかった。

起きたのは、しばし後。立花先輩が、ベットの側でリンゴを不器用に剥いてくれていた。賢治が身を起こすと、椅子に座ってリンゴの皮を処分していた立花先輩が、視線も向けずに言う。

「起きたか、被名島」

「はい。 今、何時ですか」

立花先輩の返答は、レポートを提出した時間の、十時間後を示していた。昔と違い、今は閣僚会議もかなりスピーディに行われる。状況が大きく動いていてもおかしくない。

「どう、なったんですか?」

「今、もう立国では閣僚会議が行われているらしい。 それに、そろそろルパイド元帥がいる星系につく。 出かける準備、しておけよ」

不格好な兎さんのリンゴが、立花先輩の座っていた辺りにおいてあった。バナナもある。朝ご飯としては申し分のない量だ。糖分も取ることが出来る。

バナナを食べ終えると、シャワーを浴びた。歯を磨いて、髪を洗って、出られる準備を整える。静名に手伝って貰って、服装をしっかり整えた。霧吹きみたいのを掛けられた。香水だ。ルパイド元帥は妹さんと違って気さくに接することが出来る相手ではなく、こういう配慮は絶対に必要なのだという。

廊下に出て、船外の様子を写したスクリーンを見ると、巨大な衛星要塞が見えてきた。見覚えがある。あれは確か、有名な連合の要塞だ。確か名前はノルマンディー要塞。名前は言うまでもなく、地球時代の第二次大戦で、「史上最大の作戦」が行われた土地から採用している。

ノルマンディーは直径80キロに達する大型の資源惑星が元になっていて、それをくりぬき終えた後、軍事要塞として改装したものである。宇宙要塞としては最大規模だが、作り方としてはごく一般的なものの一つ。大出力の要塞砲を備えているだけではなく、周辺の四つの衛星と共に支援態勢を作っており、また兵器工場も内部に備えている。非常に強力な戦略拠点である。

ただし、要塞攻略手段が確立されている現在、長期の籠城という事態は起こりにくい。このため、食料生産設備はほとんど存在せず、代わりに倉庫が多数配備されている。数万トンに達する缶詰が積み上げられた様子は圧巻だという。

以上が、賢治の持つ情報である。それだけ有名な要塞なのだ。ただし、「不格好」だと言うことで、軍事マニアにはあまり人気がないらしい。確かに岩石の中に機械が無理矢理埋め込まれたようで、あまり美しい施設とは呼べない場所であった。

オルヴィアーゼも含め、数千隻の宇宙艦が吸い込まれていく。オルヴィアーゼもそれらに習い、ドッグに入港した。ただし、賢治はすぐに降りられる訳ではない。軍人達が続々と下艦する中、自室に残される。アシハラ元帥から、メールが飛んできた。急いで書いているらしく、誤字脱字が散見された。

今、ルパイド元帥に話を通しているところだという。言うまでもなく、今死ぬほど多忙な状態らしく、簡単には時間が取れないそうだ。其処を、無理にねじ込んでくれるという。ありがたい話ではあるが、同時に心配にもなる。疲労が重なると、人間はどうしても鈍る。アシハラ元帥だってそうなのだ。ルパイド元帥も、違うとどうして言えようか。

皆とメールでやりとりする。以前に、散々打ち合わせをしたから、ある程度の下準備は出来ている。以前作った、面会時のマニュアルは、状況の変化に合わせて少し変えてある。今回は蛍先生が強引に参加をねじ込んできたので、それも考慮してある。

今回の面会の少し前に、ルーフさん自身が、蛍先生に事情を全て話した。レイ中佐の承認も得ている。蛍先生は、ずっと、無言だったという。国家機密として、情報が知らされなかった理由も、分かったのだろう。

蛍先生は、はっきり言って今回の不安要素だ。どう動くか分からない。それでも此処にいて貰うのは、既に多くの事が彼女に被害を与えているからである。蛍先生には、今回の件を見届ける義務がある。

不安ではあるが、だから賢治は、蛍先生にはいて貰いたいと思う。

打ち合わせをしている内に、アシハラ元帥からまたメールが飛んできた。面会の日程が決まったという。三時間後。場所は、ドックから出て少し行ったところにある、接待用に作られたホテルである。各国の要人などをもてなすために、武骨な要塞の中に作られた、違和感丸出しの施設だ。

全員降りると、迎えのバスが来ていた。アシハラ元帥は、特注の上級将校用の護衛車に乗り込み、前後を分厚く護衛が固める。その後ろを着いていくことになる。

如何に巨大な宇宙要塞といえども、内部はそれほど巨大な訳でもない。直径80キロといえば巨大だが、電車に乗って一時間もすれば突き抜けてしまう程度の距離でしかないのである。高速道路なら十分程度だろう。だから、ホテルにはすぐについた。

それまで、辺りには店もなく、対空砲だの軍事施設だのばかりだったのだが、ホテルは場違いなほどに豪華だった。三十階建てほどであり、中庭にはライオンの像が、そして噴水がある。裏手には大きなプールがあって、ビルの正面には大きな立体映像モニターがあり、連合で人気だという若手アイドルが大写しになっていた。かなり綺麗な子である。そちらを見ていると、立花先輩から肘で小突かれた。

「さっさと行くぞ。 ぼーっとするな」

「あ、はい。 すみません」

なんか機嫌が悪そうな立花先輩に釣られて、中へ。中は何とギリシャ様式になっていて、ドーリア式の柱が立ち並び、従業員は古代ギリシャの衣服を身に纏っていた。一枚の布だけで出来ているという、あの優雅な服である。しかし、ざっと見たところ、実際には現在主流の洋服をアレンジしたものらしい。細かいところで、構造の差異が見られる。

「おい、こっちだ」

護衛ロボットに囲まれたアシハラ元帥が、手を振ってきた。言葉遣いを除くと、珍しいものに囲まれて目を輝かせている子供みたいで、実に微笑ましい。この人の精神年齢が、指揮手腕に反比例しているのは知っているが、こうやって実例を見せられると何度でも和んでしまう。

蛍先生は険しい表情のままで、ずっとキノカの手を握っている。ルーフさんに対する視線は若干軟らかくはなったが、まだ怒りは収まらないのだろう。

やたら豪華なエレベーターホールに到着。当然のようにシャンデリアが天井からぶら下がり、やたらきらきらした光を放っている。休憩用の椅子は、多分地球産の本物の鰐皮だろう。ナイルワニはほんの少数だけ狩猟が許されているらしく、皮は超高級家具の材料になる。あの椅子だけで、賢治が数年生活できることは間違いない。

静名とフォルトナは此処に残るように命令される。上層には、軍用ロボットは持ち込めないと言うことか。まあ、セキュリティ上の問題を考えれば当然であろう。

エレベーターはもちろん透明のチューブ式で、要塞内が見渡せた。もちろん何層にもなっているので、全てを一度に見渡せる訳ではない。ただ、下の方に見えるプールが素晴らしい。一度泳ぎたいほど、水が澄んでいる。また、プールの形状も良く凝っていて、しかも流れる仕様になっているようだ。

不意に、チューブがとぎれる。赤外線サーチセンサーが、全員を頭から足下までチェック。上昇が止まった。一緒に乗っていたアシハラ元帥が、手を壁に押しつけて、網膜を見せる。更に何度かセンサーがサーチを繰り返した後、やっとドアが開いた。

空気が違う。脳天気なギリシャ様式の建築やら従業員などは影を潜め、辺りにはおもくるしい雰囲気が漂っていた。ボーイらしい人も、スーツでしっかり全身を固めている。一応、美術品などは置いてある。だがどれもがさっきまでとは格が違う、数億単位の値がつくものばかりのようだ。幾つか、賢治も見たことがあるものも展示されている。護衛のロボットも、かなりの数が彷徨いている。僅かに背が高い賢治を見上げながら、アシハラ元帥は言う。

「此処からは高官が使用する本当のVIPスペースだ。 怪しい動きをすると、本当に撃ち抜かれるから気をつけろ」

「は、はい」

なるほど、テロ対策という訳だ。この様子だと、武器など絶対に持ち込めはしないだろう。

少し前から、ルパイド元帥は此処に住み着いているらしい。その表現以外に的確なものが見あたらないほどに、此処での事務処理が多忙なのだろう。もちろんVIP等とも会わなければならないだろうし、体が二つ欲しいという状態なのであろう事は、容易に想像がつく。睡眠時間も、ろくに取れないだろう。

ホテルの中は複雑な構造で、通路は入り組み、曲がりくねって、容易に奥の様子を晒してはくれない。これは重火器を持って侵入してきた相手対策だろう。見れば見るほど、中身は要塞的な構造である。諜報員が入り込んだところで、一人や二人では何も出来まい。文字通り、難攻不落の要塞という佇まいである。

途中から、目隠しをされて、ホバーカーに乗せられた。曲がったりくねったりする通路を進んでいるのだろうが、方向感覚を潰される装置を付けられているらしく、どちらへ向かっているのか全く分からなかった。それほど速度は出ていないようだが、これではどう来たのかさっぱり分からなくなる。やがて、目隠しを外される。前に似たような目にあった時は、本当に怖かった。今では特に何ともない。

何の変哲もない、普通の部屋だった。ロイヤルスイートではなく、ちょっと良いくらいの部屋のようである。というのも、通路の左右で時々見かけた部屋の豪華さと来たら、今賢治が見ているものの、広さにおいても質においても数倍は軽くあったからだ。執務デスクにはうずたかく書類とデータディスクが積まれ、突っ伏すようにして眠っている人がいる。美しい長い髪。多分、この人がルパイド元帥だろう。

待ち時間で、眠っていたという訳だ。アシハラ元帥がつかつかと歩み寄ると、揺り起こす。辛そうに目を擦っていたルパイド元帥は、もう賢治達が部屋に入っているのを見て、仰天したようだった。

「あら? これは失礼」

「姉さん、此方が」

「分かっているわ、立国から来た方々ね。 見苦しい姿でごめんなさい。 少し化粧を直してきます」

そういうと、そそくさと洗面所へルパイド元帥は去った。無理もない話である。正式な外交ではないとはいえ、流石に乱れた化粧のまま、来客に会うという選択肢はないはずだ。強化ナノマシンの作用が強いのか、それでも随分若々しい顔だったが。

十分程度で、ルパイド元帥は洗面所から出てきた。一度顔を洗って、化粧を落としてからし直したらしい。ひょっとすると、作業用のメイドロボットに、化粧のやりかたをプログラミングしているのかも知れない。

その日によって、そればかりか気分次第でも異なる内容を施さなければならない化粧は、かなり高度な技術であり、もっともプログラミングが難しいものの一つに数えられると、賢治は習った。現在、市販のものは下地を作るかサポート用のプログラムが主で、化粧をフルにこなすものでも性能はあまり良くないのだとも。そうなると、外交用として、特別に試用プログラムを渡されているのかも知れない。特権を使っていると言う訳だ。まあ、このくらいの特権使用なら、我慢できる範囲だろう。

レイ中佐が、すっと手を伸ばしたのは、蛍先生を制止してのことだろう。賢治の責任は重大だ。もしルパイド元帥の返答次第では、カニーネさんどころか、ルーフさんさえもが切れかねない。そういう最悪の事態を想定しながら、少しずつ話を進めていかなければならないのだ。

本来、多数が詰めかけて、一方的に一人ないし少数に対して話すというのは、望ましいやり方ではない。一対一で話しながら、相手との妥協点を探る方法が最善だ。だが、今回は、最善の方法を採ることが出来ない。ルパイド元帥はかなり場慣れしている筈だが、それでも不快感を刺激しないように、慎重に話さなければならない。

最初に歩みでたレイ中佐が、全員の紹介をする。それから、賢治のことを紹介した。ルパイド元帥は、既にそれらを知識として得ているようだった。もの凄く忙しい中覚えたのだと思うと、感服する。

デスクの前に、護衛用のロボットが椅子を持ってきた。座るように促される。見た瞬間に分かるが、もの凄く高価な椅子だ。多分地球産のオーク材を使っているのだろう。座るだけで緊張する。

「さて、何から話しましょうか」

「そもそも、今回の一連の事件で、連合は何を目論んでいたのか。 どうしてKVーα人を巻き込む必要があったのか。 それらの全てを教えていただきたいのです」

「ふうむ、そうね。 一つずつ話していきましょうか」

話が早くて助かると、賢治は思った。今、敢えて連合が目論んだ理由を聞いた。此処でルパイド元帥が、目論んだのは自分だとか言い出したら、ペースを掴めた反面、後の流れがスムーズにはならなかった可能性があったのだ。

「KVーα人と地球人類のファーストコンタクトが行われてから、ステイ計画が続けられて、現代は六世代目になります。 立国を主体に続けられてきたステイ計画ですが、実施に伴って大きな問題点が浮き彫りになってきました。 なんだと思いますか」

「地球人類とKVーα星人の、根本的な相性差、ですね」

「その通り。 正確には、地球人類の側の、一方的な選民思想が問題なのだけれど」

ルパイド元帥は苦笑しながら、話を進める。

そもそも、このステイ計画は両生物間に、交流と継続的な同盟をもたらすために始められた。人類が宇宙で始めてであった高度な知的生命との交流計画。これが上手くいけば、地球人類はこの後更に宇宙で発展していくことが出来ただろう。

だが、しかし。ステイ計画を続けていく内に、どんどん問題が噴出してきた。トラブルを起こすのは、常に地球人類の側だった。そればかりか、地球人類の側から一方的に見て問題のあるKVーα星人の生態を、政治的に利用しようとする勢力さえ現れた。邦商である。邦商は、衰えた勢力を取り戻すため、全星間国家を巻き込む大戦乱を計画した。

問題は、邦商だけではない。帝国も、それに便乗して勢力の拡大を狙った。地球連邦も、KVーα人をスケープゴートにして、かっての栄光を取り戻すことを目論んだ。六世代目のステイ計画が動き出した頃には、もう抜き差しならぬ所まで状況は動いていたのである。

そこで、ルパイド元帥は、己を中心とした、新秩序の創設を目論んだ訳だ。

「数世代を掛けて、地球人類の安定政権を作り、それを連合が主導していく方針を、私は立てました。 現在も、その遂行に向けて、動いている所です」

「目的は、KVーα人との交流を進めること、なのですか?」

「正確には、地球人類のためです。 今後勢力を拡大すれば、もっと多くの知的生物と接触することでしょう。 最初に出会うことが出来たKVーα星人と仲良く出来ずに、どうして他の知的生命体と仲良く出来ましょうか」

正論である。ただ、そのためには、幾つか聞いておかなければならないことがある。

「帝国が採った作戦の中には、幾つも途轍もなく下劣なものがありました。 あれらは、貴方が主導したのですか?」

「ええ。 帝国をいち早く滅ぼすには、下劣な作戦を採らせて、自滅させる必要がありましたから。 あれだけの事をした帝国を、誰が弁護するでしょうか。 今、信託統治状態にある帝国でも、感情的な反発はあっても、己の正義を信じるものなど一人も居ないでしょう。 作戦は成功したのです」

「……っ」

「もちろん、KVーα人の皆さんを巻き込んでいる以上、作戦遂行には細心の注意を払いました。 作戦を実施している特務部隊の中には、私の配下を数名紛れ込ませていましたから、作戦の実行状況は逐一耳に入っていました。 幾つかの作戦では、彼らの特務部隊長の権力欲を焚きつけることで、意図的に足を引っ張らせて失敗さえさせています。 ああもちろん、必要が無くなった時点で、帝国の特務部隊長を暗殺したのも、私の指示による所です」

妹が正攻法でいくのなら、姉は搦め手か。賢治は、自分が蒼白になるのを感じていた。この人は、結局の所、賢治とは相容れない人種だろう。今も眉一つ動かさず、数十人の人間を殺す命令を出したことを示唆して見せた。それも、賢治が命令を出した意味を分かっていると、判断した上でだ。それに、大戦初期に、輸送艦隊を攻撃する非道なテロがあった。あの時死んだ人数は1万人を超えていたはずだが、それもこの人は黙認した可能性が高い。

「危うくアシハラ艦隊とKV-α星人とが、交戦状態になる寸前まで行ったのも、貴方の差し金だったのですか?」

それは非公認情報として、この間に聞いた。カニーネさんが直前に阻止したカタストロフだ。考えてみれば、それもこの人の差し金だった可能性が高い。そして、それはルパイド元帥の発言で裏付けられてしまった。

「ええ。 帝国の新技術であるステルス荷電粒子砲艦を使わせました。 そこの私の妹の指揮手腕と、KVーα人の判断能力であれば、問題ないと考えました。 もちろんいざというときのために、幾つか保険は掛けておきましたが」

ルーフさんがカニーネさんを見たので、賢治は理解した。カニーネさんが木製級戦艦を繰って現場に駆けつけることが出来たのも、裏からこの人が手を回して、やりやすくしていたからだと。

「ルーフさんの娘さんがさらわれて、今も後遺症に苦しんでいるのも、貴方の仕業だったんですか」

「ええ。 ただし、早期に救出できるように、手は打ったはずです」

そういえば、あの時、不自然なジェノサイドがあった。帝国の特務部隊は何者かに皆殺しにされており、証拠も隠滅されていた。更に、立花先輩が交戦した、現場から逃走中のエージェントらしい人物がいた。しかもその人物は、立国の軍に保護されて、その場を去ったというではないか。恐らくそれは、このルパイド元帥が派遣した腕利きの殺し屋だったのだろう。

本当に、何もかも、この人の差し金だったのだ。帝国の名将フリードリーヒ将軍も、この人に行動をコントロールされて、追い詰められていったのだろう。

感情的にこの人を断罪するのは簡単だ。事前に、ルーフさんと打ち合わせてある。もし、ルパイド元帥を、命に代えても排除しなければならないような時は。名前を呼ぶと。KVーα人の実力は図抜けている。例え最新の護衛用ロボットに守られているとしても、此処にいる三人が本気になれば、ルパイド元帥を斃す事くらいは簡単だろう。KVーα人の具体的な戦闘力までは、流石にルパイド元帥も知らないはずだ。

だが、それはどうなのだろうか。

多分、立国と帝国の戦争は、考え得る限りもっとも被害が少ない形で終わったはずだ。本当に帝国と立国が前面衝突して、泥沼の状況になっていたら、死者の数は今の数倍では済まなかっただろう。多くの軍人だけではなく民間人も鬼籍に入ったが、それでもまだましな状況だったのだ。更に、事態の打開には、連合の助力も大きく関係している。アシハラ艦隊が来援しなければ、もっと戦況は悪化していただろう。

それに、最初にこの事態を計画したのは、連合ではない。恐らくは邦商のはずだ。邦商を上手に操りながら、連合主体の主導政権を人類社会に成立させようというルパイド元帥を、誰が責められるのだろうか。

同じ立場にいた時、賢治は同じ事をしなかったと、言えるのだろうか。

「話は、それだけですか?」

さらりと言われる。この人の精神は、どこまで強靱なのだろうか。あまり時間はない。ルパイド元帥もまだ仕事を抱えているだろうし、此方だっていつまでも学校を休む訳には行かない。

これが、最初で最後のチャンスだ。賢治は混乱をどうにか押さえ込むと、当初の予定通り、レポートを出す。

何とか、ぎりぎりで間に合ったレポートだ。此処で渡さずに、追い出される訳には行かない。興味深げに眉を動かすと、ルパイド元帥は紙ベースの書類を手に取った。立国の公式文書の体裁を為している。

「これは?」

「この事態の、打開案です」

「どれ、見せて貰いましょうか。 貴方が帝国の行動を幾つか先読みしてテロを未然に防いだことや、其処にいる私の妹を手玉に取ったことは既に調べがついています。 楽しみですね」

「光栄です。 出来るだけ早く、目を通していただけますか?」

流石に、この場で読めというのは無体だ。

一旦休憩と言うことで、隣室に通される。アシハラ元帥だけは、話があると言うことで部屋に残った。

隣室は休憩室になっていて、催眠休憩装置と、ベットが並んでいる。その中の一つには、寝泊まりしている形跡があった。もちろん、この人数が全員休めるスペースがある。戸を閉めて、ルパイド元帥の姿が見えなくなると、レイ中佐が賢治の肩を叩いた。

「お疲れ様。 良く短時間で、効率よくルパイド元帥から情報を引き出してくれたわ」

「いえ、これは僕じゃなくても出来たと思います」

「謙遜するな。 被名島にルパイド元帥は最初から興味を持ってくれていた。 今までの行為の積み重ねが、興味を引き出したんだ。 もうそれだけの実績を、被名島は重ねてるんだよ」

立花先輩が真顔でそうフォローしてくれたのには、嬉しいやら恥ずかしいやら、どう感情表現して良いか分からなかった。

「わははははは、それにしてもカニーネ様! 姉妹でも随分違う感じでしたな!」

「ヘンデル、そんなストレートな」

「いや、私も同感だ。 ほとんど同じDNAの筈なのに、まるで正反対だな。 まるで水と油だ」

カニーネさんがそう言うと、ルーフさんが頷く。目には、心優しい彼女らしくもない、闇が宿っていた。

「臆面も無く、自分が糸を引いていたことを認めましたわね、あの人。 どうして、攻撃を指示してくれなかったんですの?」

「それは……」

賢治は、言葉に詰まる。

ルーフさんはどう思うだろう。賢治が、ルパイド元帥の合理性に、むしろ感心していたと知ったら。もちろん、賢治も怒りは覚えていた。だがそれ以上に、巨人を見ている気がして、圧倒さえされていたのだ。

もしあの人は、自分の命を天秤に乗せる必要が生じたら、躊躇無くそうしているに違いない。多分、手を汚しているという感覚もないはずだ。超合理主義に基づいて、己の命でさえ度外視して事を進めている。連合などと言う小さな枠のためではない。恐らくは、地球人類全てのために。

その存在、あまりにも巨大。小さな枠で判断して良い相手ではない。軍人だの、政治家だの、小さな分類で語るべきでもない。

だが、ルパイド元帥の行動によって、踏みにじられた人は多い。地球人類代表としては、さっきから腕組みして考え込んでいる蛍先生がそうなる。KVーα人としては、ルーフさんとシャルハさんがそうなる。

帝国がこうも効率よく滅亡したことにより、数百万単位での人命が損なわれずに済んだ。だが、その掌の上で、多くの命が消えていった。或いは傷ついた。

怒るべきなのか。感心するべきなのか。悩む賢治だったが、蛍先生の声が、思考を中断させる。

「許せないけれど、仕方がない部分もあると思う。 被名島君、私ね、あの人に憎悪はあまり感じない」

「……」

大人としての、その言葉に、賢治は悩みが少しずつ晴れていくような気がした。蛍先生は、なおも言う。

「事の真相は、人類社会って巨大な怪物の体の一部にはじき飛ばされて、怪我をしたってだけの事だったのね。 一個人の欲望が原因だとか、そう言うことではなくて」

「そう、なるのだと思います」

「やるせないわ。 キノカがそんなことで傷つかなきゃ行けないなんて」

でも、キノカを修復できたのも。その人類社会のガードがあったからだ。蛍先生一人では、とても修復などおぼつかなかっただろう。

正しい、間違っているで判断できることではない。だが、一つ分かっていることがある。

「ルーフさん、シャルハさん、蛍先生」

「何ですの?」

「何だろうか」

敢えて、一度言葉を切る。外交問題になるかも知れないが、この三人には、確実な権利がある。賢治は、それを優先させて上げたかった。それに、ルパイド元帥も、自分が殴られることくらいは覚悟しているだろう。

あの人には、私利私欲は感じられない。自分のしたことが、何をもたらしたかも分かっていたはずだ。それ相応の報いを受けることも、当然考えていただろう。ならば、遠慮する必要は、ない。

「判断は、三人にお任せします。 ルパイド元帥とは、レポートを見た後にもう一度対面することになります。 その時、殴るなり殺すなりするなら、僕は止めません」

ルーフさんが、すっと眼を細めた。このとき始めて、賢治はこの人に恐怖を感じた。この感情表現も、あくまで作り物だと言うことは分かっている。だが、多分。内部に渦巻く感情と、今見せた表情に、乖離はないはずだ。

「ルパイド元帥を擁護するつもりはありません。 ただ、あの人は、私利私欲で動いたのではないと思います。 あの人の考えるように、人類社会をコントロールして、地球人類とKVーα人の未来を作ろうとしただけ。 それに関しては評価できると思います。 しかし、その過程で、多くの命が失われ、踏みにじられもしています。 判断をしたのがルパイド元帥である以上、蹂躙された方には、怒りをぶつける権利があります。 僕は、そう考えています」

それは、賢治の出した、嘘偽りのない結論である。賢治は、正直にこういうどす黒い結論も、披露出来るようになっていた。

蛍先生も言っていたとおり、人類社会は、巨大な獣だ。少し動くだけで周囲に多くの犠牲を出すし、エネルギーを得るために非常に多くの命を喰らう必要がある。いつも犠牲になるのは弱者ばかりのような気もする。

事実、賢治も虐げられていた一人のような気がする。いや、確実にその一人だった。今回、強引にこの任務に参加させられなければ、今でも半引きこもりの状態であった可能性が高い。

だが、だからこそに。KVーα人との修好は、上手くいって欲しいのだ。今まで失われてきた、多くのものを無駄にしないためにも。

「後は、賢治君のレポートが、ルパイド元帥の心を動かすかどうかだけれど」

「難色を示した場合には、幾つかの代案を考えてあります」

妹ほど簡単にはいかないだろうと言うことは、最初から分かっている。しかも今回のレポートには、連合には必ずしも面白くない提案が幾つも入っているのだ。

ただ、勝算はある。現在、星間国家としての力関係は、連合の方が上だ。しかし、今立国に同盟関係を解消されると、連合は窮地に陥ることになる。少なくとも軍事面での実権を握っているルパイド元帥が、それを良しとするとは思えない。

「私も見ましたけれど、合理的な案だと思いますわ」

「有難うございます」

ルーフさんにそう言ってもらえると嬉しい。ただ、KVーα人の感覚と、地球人類のそれとでは、随分異なってくる。外交にも感情や好悪などの要素が入り込んでくるし、力関係は合理性に勝る意味を持ってくる。だから、好意を受けることが出来ても、安心は出来ないのが悔しい。

他にも、幾つかの外交カードは用意してある。

勝てる見込みはある、ではだめだ。勝たなければならないのだ。今でも貸与された官給住宅では、ククルームルさんが苦しんでいる。エルさんが帰りを待っている。学校の級友達だって、この件が失敗すれば、どうなるか分からない。人類全体を巻き込んだ大戦などが勃発したら、暢気に学校など行ってられなくなる可能性が極めて高い。

最後の細かい調整をしている内に、時間はどんどん過ぎていった。隣の部屋から、時々話し声が聞こえる。気性が荒いアシハラ元帥が、何か怒鳴っているようだ。防音構造の此方まで響いてくると言うことは、相当頭に来ているのだろう。

そして、時間は来た。戸が開けられる。げっそりした様子のアシハラ元帥が、椅子に座って頬杖をついていた。ルパイド元帥はむしろ生気を取り戻したようで、にこにこと笑っている。

「続きを始めましょうか」

「お願いいたします」

ぺこりと一礼すると、賢治はアシハラ元帥に席を譲って貰った。元々彼女の体温は高いのか、妙にぬくもりが強く残っていた。

 

3,瀬戸際の外交

 

立国の大統領は、何とか会議を終結させたことで疲れ切っていた。護衛のロボットにコーヒーを持ってこさせる。砂糖をたっぷり入れさせて、疲れた脳の機能を補う。もちろん、クリームもである。

非常に甘いコーヒーになったが、それも致し方ない。ロボットが、まだイエローゾーンであることを警告してきた。補填のために、飴を口にする。舐めている内に、脳の機能がゆっくり回復してきたのを感じる。携帯端末を操作して、さっきの国会の顛末の要点を確認。結果に満足して頷いた。

今噂になっている高校生、被名島賢治の提示した案は見事だった。それに基づいて追加予算案を組み立てて、法国に打診。何度かの話し合いと微調整を超えて、何とか国境の兵を引かせることが出来た。昔に比べて、国会が非常にスムーズに動く時代だから出来た事ではある。星間ネットの整備による高速化が、少しでも人類社会の発展に寄与したことは、こういう事象からもよく分かる。

人間の文明の拡大は、情報伝達の高速化によって行われてきた。最近では特殊なヴァーチャルリアリティを用い、思考加速を行って政務の高速化を果たしている。思考加速は体に対する負担が大きいため、あまり一般人には勧められない上、実際の肉体に反映する技術はまだ完成していない。

だが、その過程で、当然のように多くの反発にもあった。軍需産業からの反発が特に大きく、押さえ込むのに非常に多大な精神力と、忍耐を必要とした。何とか今その作業が終わったところである。

机にどっかと腰掛けて、家族の写真を見る。四日前に産まれたひ孫の写真は、大統領にとっての安らぎだった。出来ればこの子が大人になる頃には、不安定な情勢は払拭しておきたい。それが、大統領のささやかな願いだった。

連絡が入る。秘書官の一人からだった。彼はレイ中佐との連絡役を任せている。ルパイド元帥とのやりとりに、何か進展があったと言うことだろう。一刻でも早く得たい情報だったのだ。すぐに回線を開く。

立体映像に現れたのは、ベイツである。もっとも信頼している秘書官の一人だ。

「大統領、お忙しいところ失礼します。 ベイツです」

「用件は何かね」

「レイ中佐から連絡がありました。 ルパイド元帥との、集団一次交流が終了した模様です。 あくまで非公式での情報ですが、ごらんになりますか」

「見せて貰おうか」

データが転送されてくる。開封された様子はない。それらをツールが確認し、暗号化を解除する。サイダーをロボットが持ってきたので、口にする。飴で、口の中が甘くなっていたから、これで丁度いい。

だが、一瞬後には、そのサイダーを吹き出しそうになっていた。噎せ、ロボットに背中をさすられる。やっと飲み込むと、粗くなった呼吸を整える。

「こ、これは。 本当のことなのか」

「何か、危険な情報があったのですか?」

「うむ。 後で戦略シミュレーション室に回す」

ベイツとの回線を慌ただしく切る。心臓が高鳴る。それを落ち着かせるために、何度も深呼吸しなければならなかった。ナプキンで口の周りを拭くが、その途中にも、咳き込んでしまった。

まさか。これほどの事態が、裏で進行していたとは。

うすうす、大統領もルパイド元帥の戦乱への関与には気付いていた。気付いてはいたが、しかしまさか、殆ど全て掌の上で踊らされていたとは。裏切られた訳ではない。だが、全てコントロールされていたと思うと、穏やかではいられない。どう反応して良いのか、分からない。

もちろんこれは非公式情報だから、抗議する訳にもいかない。外に漏らすことが出来る情報でもない。困惑する大統領は、何度か携帯端末に手を伸ばしかけ、そのたびに引っ込めた。

再び、連絡が入る。また、ベイツからであった。続けざまに連絡が入るというのは、いかなる事か。答えは決まっている。何かを忘れていたか、緊急事態かだ。そしてベイツに関して、前者はあり得ない。

「大統領、申し訳ありません」

「どうした、何があった」

「はっ。 緊急事態が発生いたしました」

身を乗り出す大統領。その前で、ベイツは驚くべき事を言う。

「ルパイド元帥が、テロに遭いました! ノルマンディー要塞に侵入した国籍不明の戦闘ロボット部隊が、襲撃を行った模様です! その場には、アシハラ元帥も、それにレイ中佐もいた模様です!」

「な……!」

なんだとと、大統領は思わず大声を張り上げていた。

 

最初に異変に気付いたのは、立花先輩だった。それで、賢治は何か途轍もなく危険なことが起こったのに、気付くことが出来た。立花先輩が立ち上がり、ルパイド元帥の後ろに控えている戦闘ロボットに向けて叫ぶ。

「何か来た!」

「っ!?」

ルパイド元帥の反応が早い。非礼を詰る前に、すぐに携帯端末に手を掛ける。賢治も、慌ただしく異変を感じ取ろうと、感覚をとぎすます。

「本当だ。 何か来ましたわ」

「数は十、いや二十を超えているな。 しかも雰囲気から言って、地球人類じゃない」

「本当だ。 僕も感じた」

口々に言うルーフさんとカニーネさん、それにシャルハさん。彼らの感覚は、地球人類よりも遙かに上であることが、今までの経験で分かっている。

賢治は立ち上がると、ルーフさんを扉から見て背中に庇う。身体能力から考えると、とても守ることなど出来ないが、肉の壁くらいにはなる。それを見てヘンデルも、カニーネさんに対して同じ行動を取った。全員の視線が、ドアに集中する。其処で初めて、賢治は気付く。僅かな振動があるのだ。

今、部屋にいる戦闘ロボットは四機。机の上に置いてある端末を操作していたルパイド元帥が、目を光らせる。どうやら、フロントにいた護衛兵が応答しないらしい。フロントの人員も、である。何が起こったのか。反乱か。それとも、テロか。特殊部隊が、暗殺のために入り込んできた可能性もある。

アシハラ元帥が、拳銃を抜くが、手元がかなり危なっかしい。賢治は部屋の中にある遮蔽物を確認しながら、アシハラ元帥に言う。

「失礼ですが、射撃は得意ですか?」

「見ての通りだ。 発砲なんか、十年以上した事もない」

「それなら、レイ中佐に渡しては。 レイ中佐は、かなりの達人です。 きっと、エネルギー分の活躍はしてくれます」

「……そうするしか、ないな」

頼むと言って、アシハラ元帥はレイ中佐に拳銃を渡す。型式は立国製のものとだいぶ違うが、扱っている様子から言って、まず間違いなく大丈夫だろう。かなり大胆な行動である。同盟国の人間とはいえ、ルパイド元帥の壮絶な暴露があった直後なのだ。

後は、今後どうするか、だ。逃げるか、籠城か。兎に角、此処は連合の要塞内部だ。敵が余程の大勢力でも無い限り、ある程度耐え抜けば救援が来る。だから籠城という手は有効なのだが。しかし相手の火力と人数次第では、持ちこたえられないだろう。

静名とフォルトナは、どうしているだろう。二人とも戦闘ロボットだが、カニーネさんの言葉が正しいとなると、対応しきれないだろう。不安に駆られた賢治が行動するよりも早く、ルパイド元帥が立ち上がった。

「脱出します。 現時点で分析した限りでは、敵の戦力は戦闘ロボット主体。 数は20ないし30。 今のホテル内の戦力では対応しきれず、この部屋に立てこもっても持ちこたえられません」

「退路は大丈夫ですか?」

「通信回路はあらかたやられていますが、危機回避用の機能はあります。 歩きながら説明しますから、着いてきてください」

ルパイド元帥は、オーダーメイドらしい拳銃を抜くと、率先して歩き出す。賢治の側を通り過ぎた時に気付くが、思ったほど彼女個人には「大きさ」を感じない人だ。アシハラ元帥に感じる、巨大な威圧的雰囲気が無い。行動に対して感じる巨大な威圧感が、生物としての彼女にはない。

この人は、天才タイプではなく、秀才なのだろうかと、賢治は思った。そして、英雄ですらもない。それなのに世の中をコントロールしている。現実とは、案外このようなものなのかも知れない。そして、こういう人でも、社会的陰謀的存在はあまりにも巨大で、世界そのものをコントロールすることも出来る。

案外、世の中はそのようなものなのかも知れない。

廊下に出る。外側の非常階段は抑えられている可能性が高いので、秘密のエレベーターを使って出るのだという。これはVIPしか場所を知らず、突き止められるまでには時間も掛かるそうである。

アシハラ元帥が反対しないと言うことは、戦術的に問題はないと言うことだ。足早に進むが、ルーフさんが警告を飛ばしてくる。

「かなり近づいてきていますわ」

「距離は分かりますか?」

「ざっと後方四十メートルと言うところですわね」

「急ぎましょう」

通路が曲がりくねっているとはいえ、もう抜き差しならない距離だ。銃声が聞こえ始める。護衛のために配置されている戦闘ロボットが、交戦しているのだろう。少しでも時間を稼げると良いのだが。しかし、此処まで侵入されている事を考えると、そう簡単にはいかないだろう。

どこから、どうやって侵入してきたか。詮索するのは後だ。今はまず、逃げ延びることを考えなければならない。最後尾に着いたレイ中佐が、自発的に最後尾に着いたキノカと一緒に、後方を警戒している。いざというときに、真っ先に殺されるのは二人だろう。

倉庫かと思われる部屋の戸を開けて、急げと、ルパイド元帥が叫ぶ。此処が偽装されているエレベーターなのだろう。まず、ルーフさん達KVーα人三人が入る。続いて立花先輩が、そしてヘンデルが招かれた。これは、エレベーターの先に敵がいた時の処置だろうか。

激しい戦闘音が近づいてくる。部屋にはもう全員が入っていた。アナウンスが響いてくる。部屋からでないようにと。エレベーターが戻ってきた。ヘンデルが戻ってきて、向こうに敵影はないと、珍しく馬鹿笑いせずに言う。それと同時に、非戦闘員が全員乗せられる。賢治も、グレーチェルさんと蛍先生と一緒に乗った。後、アシハラ元帥が乗る。

キノカとレイ中佐、それにルパイド元帥は最後まで残ると言う訳だ。

狭いエレベーターの中は、倉庫に偽装されていた。その倉庫が、エレベーターとして本当に動き出した時は、賢治も驚いた。三人は、下でまだ頑張っているはずだ。エレベーターの動きはかなり乱暴で、不安を感じる。蛍先生は蒼白だった。もし、追いつかれたら、キノカが今度こそ死ぬのは目に見えていた。

エレベーターが止まる。外に出ると、屋上だった。既に発煙筒を、ルーフさんが焚いている。蛍先生が、賢治達を押し出すと、エレベーターを戻す。有無を言わさぬ行動だった。最後、一瞬だけ、視線が交錯する。途轍もなく嫌な予感がした。

屋上の縁から下を覗き込むと、装甲車が大勢詰めかけているところだった。ヘリが飛んでくる。ホテルの入り口では、早くも銃撃戦が行われ始めている。ヘリも猛烈な対空砲火を浴びており、救出よりもまず制空権の確保に躍起になっている様子だ。

煙が凄い。救出部隊が此方に気付いていることは間違いない。だが、いつ此処までたどり着けるのかは、分からない。

襲撃部隊は、あの行動速度から言って、ルパイド元帥の位置を正確に知っていたのだろう。この中に裏切り者がいるとは賢治には思えない。連合の中枢か、それに近い位置にいる存在が、手引きしているのは間違いない。

エレベーターが戻ってきた。エレベーターから最初に出てきたのは、レイ中佐だった。右腕を撃たれているらしく、血に染まっていた。いや、まだ断続的に吹き出している。倒れこむレイ中佐をグレーチェルさんが支えると、ヘンデルが上着を脱いで破り、傷を縛って止血に掛かる。

「エレベーターを停止モードにして!」

レイ中佐が叫ぶ。停止モードにしても、敵は戸をぶち破って、シャフトを上ってくるだろう。いつまで持ちこたえられるか。それに、他の人はどうなった。エレベーターの中を覗き込んで、賢治は蒼白になった。

ルパイド元帥は、腹を撃たれたようだった。床に倒れたまま、立ち上がれない。肩は揺れているから、呼吸はしている。だが、意識があるかは分からない。蛍先生は壁にもたれて、キノカの手を握っていた。蛍先生も、脚を撃たれていた。キノカは無事だ。全く動じることなく、蛍先生とルパイド元帥を、エレベーターから担ぎ出す。

「呆けてるな、被名島っ! 格闘戦は出来なくとも、何度もそれなりに修羅場はくぐっただろっ!」

「は、はいっ!」

立花先輩に叱責されて、賢治は慌てて上着を脱いだ。まずは止血だ。袖を引きちぎって、細い布を作る。エレベーターを停止させ、戸をロック。戸の前から、怪我人を移すように叫ぶと、立花先輩は、一人戸の前に立ちはだかる。

弾は体内に残っていないが、しかし傷口が大きい。内臓は何とか無事のようだ。意識を失っているルパイド元帥は、蒼白だった。元々疲労が重なっていた事もある。本格的な処置を早くしないと、命に関わるだろう。

激しい破砕音。もう、来たのか。ヘンデルが立ち上がると、立花先輩と並んでファイティングポーズを取る。

僅かな間をおいて、ロックした戸が、内側から吹き飛んだ。

 

キャムは落ち着いていた。精神が、今までにないほど静かなことを感じていた。

絶体絶命の危地と言うべきなのだろうか。今までも、何度か危ない目にはあった。修羅場もくぐった。並みのロボット相手なら、素手で勝てる自信だってある。

だが、戦闘ロボット相手に、こんな劣悪な条件で戦うのは初めてだった。

隣にはヘンデルの巨躯。奴もいつもの馬鹿笑いはあげず、ファイティングポーズを取ったまま身動きしない。

自分の大事な者達を守るために。多分、考えていることは同じだろう。ヘンデルの戦士としての力量は知っている。何度か肩を並べて戦ったからだ。それでも、今回はどうにかなる気がしない。

戸が、内側から吹き飛ぶ。最初に駆け出したのは、キャムだった。大穴が空いた戸から、顔の疑似皮膚が半分剥がれた戦闘ロボットが姿を見せる。幸い、人型だ。多脚型だったら、絶対に勝ち目はなかった。だが、これなら。

飛び出してくる。一体目。右手に機銃があった。左右にステップしながら、距離をゼロに。奴の銃が此方に向く前に、顔面に膝蹴りを叩き込む。人間とは全く違う、金属的な手応え。僅かに動きが鈍った奴に素早く脚を絡ませると、体を捻って、顔面から地面に叩きつける。首がへし折れるのが分かった。更に、腕を決めて、へし折った。手から離れた銃を、味方の方に蹴り飛ばす。

力が如何に此方より強くても、サブミッションを仕掛ければこの通りだ。だが、そう何度も上手くいかない。特に敵の数が多いと、なおさらだ。

もう一体が出てくる。そいつに、ヘンデルがドロップキックを叩き込んだ。綺麗に吹っ飛んで、今出てきた穴の中に舞い戻る。そのまま、エレベーター下部の穴から出てきたばかりの一体に直撃したらしい。凄い機械の破砕音。そして、断末魔と、落ちていく音。やるなと、キャムは無言で賞賛した。

戸を、内側からの銃撃が叩く。更に穴が大きくなる。敵は、此方の抵抗が激しいと判断したのだろう。

真横に跳ね飛ぶ。ヘンデルの肩を、一発が掠めた。一体が、味方の援護を背に飛び出してきた。キャムの脇腹も、一発が掠める。鋭い痛みが走る。僅かに出来る、隙。そのまま、キャムに組み付いてくる。押さえ込まれたら、おしまいだ。全く感情のないその戦闘ロボットは、ギリシャ風の衣服を身につけていた。ボーイに紛れ込んでいたのだろう。さっき一階で見た中にも、ロボットが混じっていたのかも知れない。

短勁と呼ばれる、密着状態から拳を叩き込む技術がある。それを使って、首筋に、二撃。手応えは、確かにあった。だが、敵はまだ平気で、頭突きを叩き込んでくる。鉛の固まりを、ぶち込まれたような衝撃だった。被名島が此方を呼ぶ声。銃声。奴の動きが、一瞬鈍る。三撃目の短勁。離れる。脚を絡ませて、無理に体を捻って、首をへし折る。身動きしなくなる戦闘ロボット。

跳ね起きる。頭突きを喰らった右脇、恐らく肋骨が折れている。だが、まだだ。血を吐き捨てると、エレベーターから出てきた一体が、ヘンデルと組み合っていた。体格が上のヘンデルと、まともにやり合っている。戦闘経験値の差か、ヘンデルが僅かに押しているが、銃撃での援護があり、何発も体を掠めている。体が大きいだけあり、被弾率も高いという訳だ。グレーチェルが、レイ中佐から受け取った銃を素早く撃って、援護している。だが所詮は素人仕事。味方に当てないのが、精一杯の様子だ。

嫌な音がした。ガシャン、ガシャンと規則的な音。何かが、シャフトを上ってくる。この音は、間違いない。多脚型だ。

最悪の状況である。歩く戦車とでも言うべき多脚型が来たら、もう流石に勝ち目はない。動きが鈍ったのを感じたか、キャムにもう一体が、無表情のまま素早く組み付いてきた。不覚。それは致命的なミス。

一瞬だった。膝を打ち落として、外した時には。左腕をへし折られていた。

電気が走ったような痛みだった。右腕を敵の首に絡ませて、体そのものをてこにしてへし折る。だが、それが最後の抵抗だった。戸を内側から吹き飛ばして、ついに多脚型が姿を見せる。まるで戦車だ。六本の脚が体の左右に生えており、正面には六つのカメラアイ。全体的にはわらじ虫に似ている。形状は、立国の多脚型に似ている。何処の型式かは分からない。分かるのは、勝ち目がないと言うことだけ。

共に戦った時は、多脚型は本当に頼りになった。しかし敵に回すと、絶望の代名詞にしかならない。

ガトリング砲が回転を始めた。終わりだ。キャムは立ち上がると、被名島を見つけた。あの位置なら、一番最後まで生き残れるだろう。

立ち上がる。せめて、最後に一撃を浴びせてやる。血だらけになりながら、組み付いていた一体を潰したヘンデルも、同じ事を考えたらしい。グレーチェルが、真っ正面で腰を落とすと、残った弾を全て多脚型に叩き込む。一発が、正面に着いているカメラの一つを壊した。最後の意地。視界の隅で、被名島が、何かを投げつける。レイ中佐が持っていた、エネルギーがカラになった銃らしい。コントロールは良くなかったが、孤を描いて、たまたま巧くカメラに当たった。

だが、抵抗も其処までだ。ガトリング砲が、火を噴く。吹っ飛ぶ、倒れていたロボット。走り出したキャムは、直撃コースに来たことを、妙にクリアに悟っていた

悪くない。最初に死ぬのは、私という訳だ。

走馬燈という奴が見える。そういえば、高校時代まで、あまり人生は楽しくなかった。両親はろくでなしだったし、こんな過酷な任務に強制参加させられたし。それでも、此処しばらくは楽しかった。ルーフさんがいて、シャルハさんもいて。スキマ家族と一緒にいて。それに、被名島も面白い奴だった。仲良くなってくれば、レイ中佐だって、いい人だって分かった。

特に被名島が、頭を巧く使って色々出来るようになってからが楽しかった。危ない目にも色々あった。だが、それでも悔いがない人生であったと言える。まっすぐ伸びてくる火線。笑みが、浮かんでいた。

横から、何かが飛びついてくる。

それがキノカだと悟った時。

空から降り注いだ火の雨が、多脚型を貫いていた。

煙を上げる多脚型が、炎を吹きながら、ゆっくり倒れていく。装甲ヘリが、ゆっくり屋上に着陸する。ばらばらと、完全武装の兵士達と、戦闘ロボットが降りてきた。エレベーターの中に、次々とロボットが入っていき、抵抗を排除していく。

意識がもうろうとしてきた。キノカは大丈夫か。勇敢だとか、献身だとか言っても虚しいだけだ。そう行動するように、インプットしているのだから。蛍先生が駆け寄ってくる。手には銃があった。何度か援護してくれたのだろうか。

キノカは、無事だった。右足を少し削られているが、このくらいだったら機能に問題はないだろう。頭を撫でてやろうとして、痛みに呻く。そう言えば。腕を一本へし折られていたのだった。

ルパイド元帥が、担架に乗せられて運ばれていく。医療用ヘリが降りてきた。と言うことは、制空権を確保したのだろう。だがしかし、大型で不格好な医療用ヘリには、数発の銃痕が残っていた。その勇敢さが報われたのは、とても良いことなのだろうと、キャムは思った。

看護師が、ばらばらと辺りに散る。アシハラ元帥は無傷で、辺りに指示を出し始めていた。無事だった人員も、すぐに此処を離れるようにと言われる。敵戦闘ロボットが、自爆装置を持っていないとは言いきれないのだ。医療ヘリから降りてきた防御用ロボットによって、シールドが張られる。レイ中佐が担架で運ばれる。立ち上がろうとして失敗したキャムが、膝の下に手を入れられて、担ぎ上げられた。

「ちょ、ちょっと! 子供扱いするな」

「担架が足りないんだ。 我慢してくれ」

被名島も少し怪我をしていたらしい。肩を借りて、医療ヘリに乗り込んでいく。同じヘリには、蛍先生も乗っていた。脚の怪我の手当を受けている先生に、わびる。

「ごめんなさい、先生。 最後に下手打ってしまって」

「……大丈夫。 もう、慣れたから」

悲しそうに、そう蛍先生は言った。

最初、キャムは蛍先生を疑っていた。だが、今はもう違う。申し訳ない気持ちで一杯だった。最後に援護してくれなければ、着弾は早くなっていて、助からなかっただろう。

キノカのパーツについては、立国の政府に頼むしかない。最後まで残って撤退を援護して、キャムの命まで救ってくれたロボットだ。それくらいのことはしてくれるだろう。後は、この先にどうなるかだ。

もちろん、今回の件に対して、連合は黙っていないだろう。キャムには、もう世界的な大戦争を避けることは出来ないようにも思える。しかし、キャムの近くには、あいつが居る。

「被名島」

「はい」

被名島が顔を覗き込んでくる。正直、いつ意識を失ってもおかしくないくらい体中痛いのだが、無様に落ちる前に、これだけは言っておかなければならない。

「頼む。 ルーフさんとシャルハさんのためにも。 他の全てのKVーα星の人たちのためにも。 キノカのためにも。 戦争を避ける方法を、考えてくれ」

「分かっています。 絶対に、何とか良い案を考えます」

「……」

多分、其処が限界だったのだろう。

ぼんやりと、処置をされた左腕を見る。包帯でぐるぐる巻かれていて、添え木がつけられていた。へし折られた時の痛みは凄かったが、今はそれほどでもないような、気がする。それが、覚えている最後の光景だった。

意識がブラックアウトする。

それから、長い夢を見た。

戦争が無くなって、ルーフさん達KVーα人が大勢やってきて、地球人類と交流を始めるというものである。巨大な船団が、宇宙を渡ってくる。護衛に当たっているのは、オルヴィアーゼだ。だがそれも形式的なもので、襲撃をするものなどいはしない。

地球人類は、己と違うKVーα人をごく当たり前に受け入れ、共に発展することを誓う。どこかのホールでは、それぞれの文化交流会が行われていた。ルーフさんは親善大使として、それらを主導するのだ。

夢だと、分かっていた。現在の状況では、とても実現が難しいことなのだとも。だが、被名島がいる。あいつなら、やってくれるかも知れない。地球人類を変えることは、多分無理だろう。だが社会そのものを、KVーα人と共生できる方向になら、向けられるかも知れない。

ただ、実現すればいいなと、キャムは思った。

 

気絶した立花先輩の側で、賢治は決意を固めた。立花先輩と、ヘンデルが、体を張って守ってくれた意味は、一つしかない。これから起こりうる大戦争を、意地でも回避しろと言うことだ。

プレッシャーは感じない。そもそも、そのつもりで此処に来たのだ。案もある。ただ、少しは修正を加えなければならないだろうが。

アシハラ元帥は、ルパイド元帥が乗っている軍用ヘリの方を見ていた。賢治は咳払いして、話しかける。

「アシハラ元帥」

「ああ、分かってる。 出来るだけ早く、姉さんとまた話す機会を作ってやるから、少し今は待て」

「あまり長くは、待てません。 理由は」

「……大戦争を避けたいのは分かる。 だが、一体どんな手がある。 今までだったら、回避手段もあったかも知れない。 だが連合は、今回のテロで世論も沸騰する。 もはや、小手先の外交カードで、どうこうできる状況ではないぞ」

よく見ると、アシハラ元帥も爆発の破片やらで、多少の傷を受けていたようだ。頬には絆創膏が貼られていた。何だか微笑ましいが、今はそれどころではない。

「手なら、あります」

「どんな手だ」

携帯端末を起動して、レポートを呼び出す。アシハラ元帥は半信半疑のままそれに目を通していたが、やがて呻いた。

「……正気か、貴様」

「到って正気です。 ルパイド元帥があんな状態でなければ、すぐにでもこの提案が出来たのですが」

その条件を成立させるには、連合にとってかなり手痛いダメージを受けて貰うことになる。だが、帝国を屈服させた今なら、致命傷にはならないはずだ。帝国はもう独立を維持できる状態ではないし、二世代もする頃には連合の一部になっているだろう。

「分かった。 とりあえず、姉さんの様態次第だ。 今は面会謝絶だし、どれほど短時間で回復できるかも分からん。 最優先で話を回すように努力するが、あまり期待はするなよ」

「お願いします」

頭を下げる。アシハラ元帥は、嘘をつくような人物ではない。だが、それでもあまり自信は持てないのだろう。

二機のヘリは、そのまま病院へ。生活施設はあまりなくても、病院は当然立派なものがある。携帯端末から、ニュースを呼び出す。ホテルの制圧は既に済んだようだが、宿泊客に三十人以上の死者が出ているとあった。ホテルの従業員も、ほぼ同数が命を落としているという。

静名とフォルトナは大丈夫だろうか。賢治の不安は、立体映像を見ていて消えた。静名が、フォルトナを背負ってホテルの入り口から出てきたのだ。携帯端末から、病院の位置を転送。フォルトナはすぐには動けないかも知れないが、静名は此処までたどり着けるだろう。

レイ中佐は大丈夫だろうかと思ったが、そちらは何の問題もなかった。既に片手で携帯端末を器用に動かして、彼方此方に情報を飛ばしているようだった。

今は、皆の回復を待つしかない。歯がゆかった。

ヘリが、病院の屋上のヘリポートに着地する。運ばれていくルパイド元帥は、人工呼吸器を付けられていた。かなり危険な状態なのだろう。連合の医療技術はかなり高い水準にあるはずだが、回復に時間が掛かりすぎると、全てが台無しになる。

或いは、これは一つの報いなのかも知れないと、賢治は運命的な事を考えた。どんな理由があろうと、あの人が戦乱の糸を引いたのは事実なのだから。

兎に角、今は計画の練り直しだ。全面的な修正をしなければならないほどではないが、何カ所かに手を入れなければならない。

終末の時が近づいている。地球人類の未来は、霞の先にあるのだと、賢治は思った。

 

4,激突前夜

 

地球連邦から派遣されてきた主力艦隊が、邦商辺境に集結したのは、丁度年度が替わった二日後のことであった。

実に艦数55000隻。防衛用の艦隊までも殆ど駆りだしての、総力戦態勢である。これに、邦商の艦隊5000隻ほどが加わり、総数では60000隻を超える。これに対し、連合の艦隊は最大でも45000を超えないことが確実視されており、既に楽勝ムードが漂っていた。しかも、地球連邦の艦隊は、邦商が提供した最新技術の武装で身を固めている。もはや、同数の戦力で敵に後れを取ることはないのだ。

総司令官であるトルーマン元帥は、地球時代のアメリカ合衆国大統領の、十世代以上後の子孫である。といっても、既に枯れ木のような老人だ。年齢は100歳を超えており、強化ナノマシンの機能を持ってしても、既に衰えは隠しがたい所まで来てしまっている。既に引退するべき老人がいまだ司令官をしていることが、地球連邦の老朽化を示していたが、それが却ってトルーマン元帥には都合が良かった。権力の保持が容易だったからである。

艦隊はゆっくり連合領に向けて進撃を行っている。連合から侵攻可能な辺境地域の守りはしっかり固めてあるし、念のため帝国国境も守りを固めている。後は、勝手に手を引いてしまった法国だが、それも連合に勝ってみせれば尻尾を振りながら戻ってくることだろう。何一つ心配することはない。

指揮シートに腰掛けたトルーマン元帥は咳き込むと、重厚な陣形を保って進む麾下の艦隊を満足して見つめた。地球連邦の栄光を取り戻すことが出来るという確信と、これだけの規模の艦隊を自分が動かしている満足感。それが、トルーマンの衰えきった精神を嫌が応にも燃え上がらせていた。

戦術コンピューターがフル稼働しているのは、言うまでもないことである。流石にトルーマン元帥も、己の衰えは自覚している。だが歴史上のあらゆる戦術を把握しているコンピュータが稼働中であり、ある程度の判断ミスはそれで補うことが出来る。今は簡単には勝てない時代なのだ。ただ、数で押していくだけで良い。奇策、奇襲の類は、今までの歴史上で出尽くしている。恐れることはない。

「敵艦隊を発見しました!」

オペレーターが叫び、モニターにその映像が映し出される。数は予想通り40000隻強と言うところであろう。整然と並んだ光の点は、接近する大艦隊にも恐れを抱いた様子はない。ただ、まだかなり距離がある。超光速通信で発見はしたが、直接接触するまでは、まだ数時間は掛かるだろう。余裕のまま、トルーマン元帥は側に立つ副官に言う。

「あの様子だと、アシハラ元帥は間に合ったようだな。 間に合ったところで、何も変わりはしないがな」

「は。 ところで、敵の総数は、41000から42000の間かと思われます」

いかがいたしますかと、副官が聞く。押していけば、簡単に勝てるだろう。もちろん、取るべき手は決まっている。

「交戦距離まで到達したら、攻撃を開始せよ。 特に考えずに、押していくだけでかまわん」

「は。 相手はあのアシハラ元帥ですが、それでも構わないでしょうか。 無策で押せば、危険な気もしますが」

「奴は確かに名将だが、少数で多数に勝った場合の戦では、いずれも相手に油断があった場合だけだ。 今は兵士の一人一人までがアシハラ元帥の名を知り、警戒しておる。 下手に怖がらずに、そのまま押していけばいい。 そうすれば、却って何も出来ずに敗れ去るだろうよ」

ひひひひひひと、トルーマン元帥は笑った。念のため、1000回以上繰り返させたシミュレーションで、同じ結果が出ている。こう言う時には、むしろ奇策を採ろうとした時にこそ、敗北するのだ。

敵艦隊から、通信。回線を開くことを要求している。面倒くさいと思いながらも、回線を開いてみる。そして、モニターに、そのとんでもないものが映し出された。スーツを着た、紳士然とした連中の一団である。恭しく礼をすると、代表らしい人物が、自分たちの身分を述べた。

「な……! 和平交渉の公式使節だと!?」

「は。 関係無しに、攻撃いたしましょうか」

「バカを言え。 判断するのは、儂ではないわ」

すぐに一旦後退するように全軍に通達。和平交渉となると、相手方は何かしらの譲歩案を出してきた可能性がある。その内容次第では、地球連邦の首脳部が食いつく可能性が高い。無視は出来ない。面倒な話である。

確かに現状は圧倒的に有利だが、戦闘を行わずに領土や権益をむしり取れるのなら、これ以上の事はない。実際に交戦すると、兎に角膨大なコストが掛かるのだ。上層部の中には、ナナマ姉妹を過大評価している人間もいる。使節を無視すると、後で面倒なことになる可能性が極めて高い。

戦争をするのも、あくまで保身の為である。人を殺して金を稼いでいるという感覚は、トルーマンには無い。大勢の人間を意のままに動かして、己の身を守り、なおかつ利益が得られればいい。それによって名誉も得られるのならば、言うことも無い。ただ、それだけのことである。

俗物だと、罵られることもある。だからなんだと、トルーマン元帥は思う。現世の利益を追求して何が悪いと、彼は考える。金も名誉も、墓には持って行けないのだ。金があれば異性はつかみ取りし放題だし、名誉があればどんな場所でも顔が利くようになる。少なくとも、トルーマン元帥はそういう環境で生きてきた。他の価値観なんか、知らない。だから、己の価値観に沿って、生きるだけである。

使節団が地球連邦に到着するまで、一週間以上掛かる。その後、どうなるかは双方の首脳同士の判断で決まる。それまで、艦隊は相手を警戒する以外にすることがない。邦商の惑星近くにでも駐屯して、兵士達の不満を少しでも抑えることを考えなければならないのが面倒くさい。

まあいい。たかが一週間だ。己にそう言い聞かせることで、不満を抑える。トルーマン元帥は、百を超える年月を生きてきて、その間の多くを我慢に費やしてきた。それに比べれば、一週間など何だ。

副官に指示し、艦隊を分散して、邦商の幾つかの惑星に向かわせる。兎に角、交渉の最中は、士気を抑えることを考えなければならない。法国や帝国の軍隊ほど地球連邦の軍隊はモラルが低くはないが、それでも戦いが長期化すれば話は変わってくる。

後は、特に指示は必要ない。自室に戻ることをトールマンは副官に告げると、艦橋を出た。自室は一流ホテルのスイートルーム並みの豪華さであり、専用のシアターまで着いている。

地球時代の「名作」映画を見るのが、トールマンの密かな趣味である。今日はもの凄くどぎついポルノでも見ようと思いながら、老体はよたよたと廊下を歩いた。

 

一旦後退していく地球連邦の艦隊は、オルヴィアーゼのモニターにも映っていた。アシハラ元帥の隣で、副官が胸をなで下ろしていた。交戦した場合の勝率はアシハラ元帥の手腕を持ってしても二割以下と、戦術コンピューターは無情な計算をたたき出していた。

しかも、和平交渉団を出した以上、此方からの奇襲は出来ない。交戦規定違反になってくるからだ。とりあえず、時間は稼げたと言うだけである。根本的な解決にはなってはいない。

全ては、此処からだ。

「さて、此処からどうするか、だな」

「はい。 和平交渉が上手く行くと良いのですが」

相変わらずトンチキな返答をする副官には応えない。この時期に、慌てて和平交渉をしようとしても、尻の毛までむしり取られるだけだ。そのような愚行を採る意味がない。下手をすると、無条件降伏さえ受諾させられかねない。

姉のルパイドは、意識がようやく戻ったところである。被名島賢治が作ったあのレポートを見せて、許可が取れれば、逆転勝利を収めることが出来る可能性がある。しかし、もし拒否されたら、絶望的な戦いを挑まなければならない。

交渉をするにも、カードを揃えることだ。

一旦此方も兵を引くように指示。連合辺境の、エルアラメイン要塞に依るように副官に告げると、艦橋を後にする。

自室は、ビジネスホテル並みの粗末さである。客室の方が遙かに豪華なほどだ。これは、元々貧しい生活をしていたアシハラ元帥には、この部屋の方が落ち着くという事情がある。ちなみに、自宅はそれなりに豪華だが、これは養子がいるからである。

姉に携帯端末から連絡を入れてみる。意外にも返事はすぐに返ってきた。もう集中治療室は出て、個室にいるという。既に状況は把握しているとのことで、総力戦に向けての準備をするように、彼方此方に働きかけているそうだ。

その返答が来ると言うことは、まだ被名島のレポートは見ていないと言うことだろう。メールを入れておく。

「被名島賢治が、面白い提案をしてきている。 早く奴のレポートを見て欲しい」

「そう。 出来るだけ早めに見ておくわ」

「急いで欲しい。 あまり、時間は稼げない」

携帯端末を閉じると、ため息が出た。口にくわえていた草を捨てると、育てている植木鉢の状態をチェック。どれも問題なく育っていた。メールをチェックすると、息子のバスターから入っていた。

高校のテストで、百点を取ったという微笑ましいものであった。そういえば少し前から恋人がいるのではないかと、疑っている。それが百点をとることが出来た原因かも知れない。

鏡に自分を映してみる。若々しいが、それだけだ。平均よりも遙かに背が低く、地味な顔立ち。

アシハラ元帥はこんな容姿に性格だから、結局この年まで恋人は出来なかった。遺伝子は彼方此方で重宝されて、非公認の「子孫」だったら彼方此方にいる。確かこの間、1000人を超えたとか聞いた。遺伝子バンクでは、姉よりも人気があるほどなのだ。生物的には大成功しているといえるが、時々もやもやしたものを感じることもある。

子供も育てた。子孫も残した。社会的にも大成功している。それでもどこかで満足していない自分は、俗物なのだろうなと、アシハラ元帥は思った。

 

ルパイド元帥がまだ面会停止だと聞いた賢治は、ため息が漏れた。もう、あまり時間はない。現在の政治システムなら、数時間もあれば決断が出来ることは分かっているが、それでも不安だ。時間は有限なのだから。

此処はノルマンディー要塞のすぐ側にある連合の領地。カイネルバーン星系の第三惑星である。

サイズと言い質量と言い典型的な地球型惑星だが、地質資源が貧弱で、テラフォーミングの末に避暑地に改造された場所である。とはいっても、交通の要所でもあるし、人口も多く、1000万人クラスの大都市二つを抱えるカイネルバーン星系最大の都市惑星でもある。もちろん、規模に見合う大型の病院もある。ルパイド元帥はすぐに其処へ搬送された。賢治達も聴取の末に、此処に来ているのである。一応、それなりのクラスのホテルの一室があてがわれているが、特にルーフさんが暇なようで、ここ数日は接待ばかりしていた。

今日も、ルーフさんから携帯端末に連絡が入る。シャルハさんと、立花先輩で、外に食べに行こうと言うのである。

ホテルの中の店は、大体足を運んでしまった。今は外にある外食屋に出かけては、色々騒ぐ日々である。学業も催眠学習できちんと頭に叩き込んでいる。蛍先生にも教えて貰っているが、それだけでは足りないのだ。

豪華なベットから身を起こして、部屋を出ると、もうルーフさんが待っていた。事情を知る連合の上層部から、豪華なお洋服を色々貰ったとかで、最近少し機嫌を直してくれた。はやりの服には目もくれずに、自分の趣味にあった服ばかり貰っているのがルーフさんらしい。今日は淡いピンクの、フリルが一杯着いた服を着ていた。隣のシャルハさんはびしっとスーツで決めているので、違和感がとても大きい。

護衛はフォルトナだけで充分だろう。連合の特務部隊の一個小隊が、護衛についてくれているからだ。正直レイ中佐の部下の人たちの方が信頼感があるのだが、郷に入っては郷に従うしかない。

立花先輩が、少し遅れてきた。催眠学習が苦手だそうで、最近毎日疲れているようである。ルーフさんに比べて、やたらとラフな格好だ。特にダメージ入りのジーンズは、かっこうよさよりも先にワイルドさを感じさせる。ツインテールに結っている髪を揺らしながら、気怠げに歩いてきた立花先輩は、前髪を掻き上げた。吊っている左腕も、もうそろそろギプスを外せるそうだ。医療技術の進歩もあるし、立花先輩の強化ナノマシン適合率が高いと言うこともある。

「ごめん。 お待たせ」

「お気になさらずに。 さて、今日はフランス料理に行ってみましょうか」

「ああ、いいねえ。 イタリア料理も日本料理も食べたし、そろそろフランス料理というのも食べてみたかった」

「分かりました。 すぐに行きましょう」

賢治も二人がフランス料理を食べたいとそろそろ言い出すのは分かっていた。フランス系の人間が多い連合には、本場顔負けのフランス料理店が多い。作法とかもしっかり調べてきてあるし、大丈夫だろう。

出る前に、レイ中佐に声を掛けておく。出来るだけ早く帰ってくるようにと言われる。そのつもりである。いつ、ルパイド元帥と会合がもてるか分からないからだ。それに、もう地球連邦の艦隊は侵攻を開始しているはずで、あまり悠長に食事を楽しんでいる時間もない。

蛍先生にも声を掛ける。先生はキノカの脚が治ったことが嬉しいらしくて、機嫌がとても良い。今日は同行に同意してくれた。後はカニーネさんだが、部下二人と一緒に出てしまっていて、もうホテルにはいなかった。

大人数になったが、出かけるのに問題はない。そればかりか、気分転換には丁度良いではないか。

ホテルを出る。近代的に整備された街だが、ビルは殆ど無い。景観を重視していて、視界を遮るビルを出来るだけ少なくしているのだ。遠くには、薄く雪を被った美しい山が見える。標高5000メートル級の山が、この星には腐るほどある。

「さて、フランス料理店は何処ですの?」

「はい。 三ブロック先です」

楽しそうに歩くルーフさんを見て、賢治は良かったと思った。ずっと沈んでいたルーフさんが楽しそうにしてくれているのだ。歩きながら、ルーフさんは言う。

「ルパイド元帥、あまり好きではないですけれど」

「……」

「ただ、嫌な人でもありませんでしたわね。 早く怪我が治ると良いのですけれど」

どんな表情なのか、賢治には見えなかった。

ただ、何としてでも、戦争を避けなければならないと、更に決意は強くなったのだった。この人を、これ以上悲しませてはいけない。

フランス料理店が見えてきた。

さあ、今は楽しむとしよう。賢治は、そう思った。

 

(続)