落日と赤光

 

序、国が終わる時

 

フリードリーヒ提督率いるクーデター軍が、帝国首都星になだれ込んだのは、標準歴で10月の終わり。そろそろ冬になろうという時期であった。帝国首都星はネオベルリン。この名前は、新生ドイツ帝国だった頃の名残である。大陸が全体の七割を占める陸の惑星で、環境は極めて安定している。得に南部はリゾート地としての開発も当初は視野に入れられていたほどだったが、結局実現しなかった。

折角豊かな資源と穏やかな気候に恵まれているというのに。それらを開発も出来ず。ただ腐敗の中にある。それが、この惑星の現実である。一応名目上は立憲君主制だが、議員達は世襲で権力を保持し、事実上の貴族制と化している。旧ゲルマン系も旧中国系も同じで、首相も殆どは「名門」出身者がなる。有能ならばそれでも良いが、殆どの議員は利権漁りにしか興味のない穀潰しだ。

技術者だけは、有能である。だがそれも、不遇と貧困から工夫が生み出されている状況であるからだ。多くの労働者は早死にするほどに、労働環境が悪い。犯罪の発生率は、表向きは七国内で最小値なのだが、現実は新盟と並んで最悪なのではないかと、誰もが密かに噂している。

軍の腐敗も著しい。今回の立国侵攻作戦のような無謀な軍事的冒険が行われたり、占領地での略奪暴行が当たり前である事実を見れば、それがよく分かる。

モラルハザードも進行していて、犯罪にならなければ何をやっても良いと本気で考えている者が大多数を占めている。

この国の寿命は、既に尽きていたのである。

防衛線をことごとく噛み破り、ついにこの惑星までなだれ込んできたフリードリーヒ提督の率いる艦隊は、20000隻にまでふくれあがっていた。降伏した部隊はそのまま許して自軍に編入し、戦力に組み込んだからである。首都星を防衛していた5000隻ほどの艦隊も、四倍の戦力の前には無力だった。防衛艦隊を蹴散らしたフリードリーヒ提督は、その降伏を容認。制空権を確保してから、容赦ない制圧作戦を開始した。

まず捕らえられたのは、皇帝の一家だった。彼らは部下も臣民も見捨てて逃げだそうとしたのだが、すぐに拘束された。国会議事堂も制圧部隊がすぐに抑え、議会の停止命令も出された。主要議員もすぐに拘束された。何人かには、フリードリーヒがそのまま死刑判決を出した。腐敗の根源となっていて、今まで金にものを言わせて法をあざ笑ってきた議員達は、無造作に処刑されていった。法治国家のあり方ではなかったかも知れない。だが、暴力だけが、社会を腐食させてきたエゴの固まりを処分できたのだ。

血の粛清が一段落したのは、およそ二週間後。既に暦は11月に突入していた。臨時政権が設立され、一応の形が整うまで、更に二週間。そして、連合の信託統治部隊が進駐してきたのは、更に二週間後だった。

皇帝は既に退位させられている。フリードリーヒとしては、すぐにでもこの権力を手放したかったのだが、状況が安定するまではそれも難しい。兎に角、帝国が立ち上げられた時のような、清廉な立憲君主制が、フリードリーヒの理想だった。同じ立憲君主制でも、今のように腐敗しきっている状況は、忌むべき事だと考えていたからだ。

だから、フリードリーヒはあくまで軍司令官である事にこだわった。連合の飼い犬とあしざまに呼ぶ者もいたが、意に介さなかった。

どれだけの汚名を受けることも、既に覚悟していたからである。

 

フリードリーヒは、旗艦の艦橋から、ここ一月以上動いていなかった。動くのが億劫なのではない。此処こそが、己の居場所だと感じているからだ。

傍らには、家族の写真がある。混乱の中家屋敷は焼かれ、皆殺された。僅かな金品も、全て略奪されていた。自分の行いの結果だとはいえ、悲しい事であった。遺体は見るも無惨な有様で、既に火葬されている。恐らく下手人は掴まらないだろう。なぜなら、パニックを起こした暴徒の仕業だからだ。

連合の信託統治を受け入れると聞いて、不満を隠さない軍人も多い。しかし、多くの人間は納得している様子だ。フリードリーヒが公開した経済状況を見ての事である。殆ど国家破産に近い状況で、立て直しなどとても今の帝国の政治家達には不可能だ。そのくせ、各地の議員の屋敷には、金銀物資が唸るほど蓄えられていた。

自称、強国。しかし、その内部は不公正による富の不均衡と、腐敗の固まりであったのだ。そして、国家という家屋は、既に倒壊寸前だったのである。その事実が白日の下に曝されると、誰もが慄然とせざるを得なかったのである。

更に言うと、各地に蓄積されていた「議員用」「国家用」の物資を動員すれば、補給は決して不可能ではなかったことも明らかになっている。どの「国家上層にいる人間」も、己の犠牲を惜しみ民衆に全て押しつけた。国家の滅亡は、当然の結果であった。

何とか帝国内部の秩序は確保できている。しかし、秩序を確保する以上のことは何も出来ないだろう。

連合の政治顧問官達は、皆血尿が出るほど仕事をしてくれている。それくらい、今までの帝国の政治が滅茶苦茶だったのだ。連合は別に革新的な政策を採用している訳ではない。単に人材が多く、それをきちんと活用しているだけなのだ。

この国では、それさえも出来なかった。愚かなことだと、フリードリーヒは思った。

リクライニングの上で身じろぎした。副官が来たからだ。彼はフリードリーヒと同等の名家の出身で、今回の一件で同じように財産を失っている。そのため、用心して側に戦闘用のロボットを張り付かせている。彼も自分が疑われる理由を持っていることは把握していて、最近は武器を持たずにフリードリーヒの前に出るようになっていた。

「連合のルパイド元帥から、通信が入っております」

「うむ。 メインスクリーンに投影してくれ」

「よろしいのですか?」

「何も恥じることをしていないと、皆に示しておきたい」

極度に機密性が高い通信の場合は、流石にそうもいかないが、少しずつ全ての情報を公開するように持っていこうと、フリードリーヒは考えていた。メインスクリーンでのやりとりは、マスコミにも公開している。民衆が望めば見られるようにも、処置はしていた。

若々しいルパイド元帥の顔が、メインスクリーンに映し出される。既に五十歳を過ぎているが、強化ナノマシンの働きにより、肉体年齢は地球時代で言う三十半ば程度だ。元帥はニュースキャスターでも出来そうなとても感じの良い笑顔を浮かべる。

「お疲れ様です、フリードリーヒ提督」

「お疲れ様です、ルパイド元帥」

型どおりの挨拶を済ませると、幾つかの情報をやりとりしていく。中には現在の帝国の収入や、予算案もあったので、周囲の部下達は困惑していた。何を困惑する。基本的に、開かれた政府では、どれも公開している情報ばかりだ。

既に、維持が困難になっている幾つかの辺境星系を、割譲する話が出始めている。住民も殆どおらず、治安も維持できず、収入も確保できていない。下手をすれば駐留軍が軍閥化する恐れさえあり、妥当な判断だと言えた。それもルパイド元帥と協議する。

地球時代には、人が住んでいない海上の岩の固まりを巡り、多くの血が流されたこともあった。現在でも、資源のある小惑星帯を巡り、紛争が発生することがある。ここ四十年ほどでも、最低七回の会戦に、原因の一端として資源の奪い合いが挙げられる。人が住んでいない地域でさえ困難なのに、わずかでも人間が住んでいる地域を割譲することが如何に困難かは、言うまでもないことだ。

立国は二つの星系を、連合は三つの星系の割譲を望んでいた。どれも辺境の星系ばかりだが、資源はそれなりにある。軍事要塞も設置されている。その代わりと、ルパイド元帥は、まだ開発が進んでいない別方向の辺境惑星を指定した。そちらの開発支援をしてくれるというのだ。また、割譲予定星系の住民の移住や、税制の優遇も約束してくれた。これらは快い配慮にも見えるが、実質的には開発を効率よく進めるための常套手段でもある。食えない人だと、フリードリーヒは思った。

幾つかの案件は先送りになったが、ルパイド元帥は議会を掌握している訳ではなく、自分はスポークスマンに過ぎないのだと言っていた。確かにそれは正しいだろう。しかし、全面的に正しいとも思えない。

この戦乱の影には、ルパイド元帥が手を加えた跡があるように、最近フリードリーヒは考えるようになっていた。あまりにも手際が良すぎるというのが、その理由だ。アシハラ元帥は無双の名将だが、政治的な事はさっぱりだと聞く。姉であるルパイド元帥は、妹の足りない部分を補ってあまりある人材なのだろう。

「それでは、今回の会合はこの辺りで終了させていただきます」

「先送りになった案件も、出来るだけ早く回答させていただきます。 よりよい関係を、今後も築いていきましょう」

敬礼し合うと、回線が切れた。

艦橋にいる人間は、いずれもルパイドを快く思っていないはずだ。フリードリーヒも、良く思われていない可能性が高い。連合にこの国を売り渡したという、露骨な嘲罵も聞こえるようになっていた。

武人としての人生を送りたかったと、今でもフリードリーヒは思う。だが、一度始めたことを、途中で投げ出す訳には行かない。この国は、放っておけば空中分解して瓦解していた。こうするしか保持する手段は存在しなかったのである。

それが言い訳に過ぎないことは、フリードリーヒも分かっている。彼には強大な力があったのだ。軍人だと自分に言い聞かせて、その行使をためらい続けてきた。不正を見逃し続けてきた。

もっと早くクーデターを起こしていれば、こんな事態は避けられたかも知れないのだ。

軍の部隊はだいたい把握したが、それでもテロは各地でちょくちょく発生していた。いずれも大した規模ではないが、いつも失われるのは無抵抗な市民の命ばかりであった。周囲の警戒を厳重にして、備えるしかない。最大のターゲットは、自分なのだと分かっていたから。

連合の政治顧問官を乗せた艦が、今日もまた到着するという情報が入った。護衛のために、軍を派遣しなければならない。

少しずつ状況は改善している。だが、まだ心休まる日は、来そうにもなかった。

 

1,勝利の日と新たなる謎と。

 

立国首都星は、戦勝ムードに浮かれきっていた。完全に領内から帝国の軍を一掃したからである。しかも、帝国では侵攻軍の指揮官であったフリードリーヒ提督がクーデターを実行し、此方への侵攻の可能性が完全に消えた。戦勝パレードが行われたのも、当然の流れであったといえる。

連合の英雄であるアシハラ元帥を迎えて、盛大なパレードが行われた。三日間にも及ぶパレードであり、各メディアも競ってそれを報じた。その間アシハラ元帥は一度も笑顔を浮かべなかった。周囲の武官や文官達が皆笑顔で上品に手を振っていたのと、対照的であった。

賢治は昼休み、机のコンピューターでその映像を見た。アシハラ元帥が事態の黒幕である可能性もあったからだ。だが、結論は違うと出た。アシハラ元帥は不機嫌そうであり、それ以上に退屈そうだった。この人が、感情の制御がとても苦手なのだと、賢治は聞いた事がある。レイ中佐をはじめとする、複数方面からの情報だ。そうなると、この人は直接的な黒幕ではなさそうだ。

しかしながらこの表情からして、黒幕を知っているのだろう。いつか機会があったら、直接問いただしてみたい所である。何が目的だったかは分からないが、戦争を好まないルーフさん達KVーα人を散々巻き込んだばかりか、下手をすると交戦状態になるところだったのだ。ぶんなぐってやりたいとまでは言わないが、しっかり理由を聞いておきたい。うやむやに流すことだけは、許せない。

賢治は、怒ることが出来るようになり始めていた。ルーフさんの悲しみを思い出すと、今でも腹が立つ。ククルームルさんは、まだ調整の途中で、滅多に顔を出してくれないのだ。それに、死んでいった多くの人々だって、未来を夢見ていたはずなのだ。

しばらく考え込んでいると、隣に座っていたクワイツが顔を寄せてきた。数日前に退院してきた彼は、相も変わらずの行動を繰り返していた。どれだけ女子に袖にされても、めげる様子がない。懲りない奴である。だが、それがクワイツらしくて、賢治は安心もしていた。

「なあ、被名島」

「どうしたの?」

「何だかお前、表情が大人っぽくなったな。 考え込んでることが多くなったし、それも憂いが強くて、男の表情をしてるぞ」

「そうかな。 そうならいいんだけれど」

あまり実感はない。その後、他校の女子達と集団で会う約束につきあわないかと誘われたが、出来るだけ失礼にならないように、やんわりと拒否した。

次の授業はもう間近だ。さっさと準備をしなくてはならない。携帯端末で、必要なデータを呼び出しておく。既に昨晩の内に整理はしてあるから、すぐに呼び出せる。教科書類もさっと並べる。以前よりずっと手際が良くなった。鈍ってしまわないか心配だが、恐らくは平気だ。強化ナノマシンの効果には記憶の保持も含まれている。地球時代の人類に比べると、記憶の劣化もぐっと抑え込まれているはずだ。

ふと、立花先輩からのメールを見ると、最終着歴が二日前だった。毎朝会ってはいるが、何もないのでメールのやりとりをする必要がないのだ。レイ中佐とは報告書の関係で毎日連絡を取り合っているが、それも量がぐっと減っている。いちいち報告することがないのである。

帝国との戦争が終わって、急に暇になった。毎日のように胃が痛い思いをすることも無くなったし、ルーフさん達は毎日朝練で顔を合わせる事が出来るようになった。あれだけのことがあったのに、まだステイが終了していないのは驚異的なことなのかも知れない。立花先輩も喜んでいて、毎日嬉しそうにしていた。良いことである。

数日前から、ルーフさんは学校に復帰してきている。本国の意向で、まだしばらくは学校に来ることが出来るとも言っていた。地球人類を嫌いにならないで欲しいというのは、賢治の願いだったが、それは成就していたらしい。ルーフさんは、賢治が思うよりも遙かに大人だったと言うことだ。

時間は過ぎていき、今日の最後の授業。蛍先生が少し前に復帰してきたので、科学はまた面白くなっていた。蛍先生は腕をギプスで固めていて、いつも以上にキノカがてきぱきと補助をしている。何でも相当酷い複雑骨折だったらしく、地球時代の医療技術ではとても治らなかっただろうと言うことであった。

クワイツと一緒に、ああでもないこうでもないと他愛ない話をしながら、科学室へ向かう。途中、幸広を見かけた。浮かない表情であった。そう言えば、テロだのでばたばたしている間、一度も彼を見かけなかった。声を掛けるのも何なので、放っておく。向こうも忙しいだろうし、それと同等に此方も暇ではないのだ。

「どうした、被名島」

「うん? ああ、久しぶりに幸広を見たから」

「あいつか。 なんか一ヶ月くらい、長期休暇を取ってたらしいぜ。 それでも学業に全く遅れが出ないって言うんだから、すげえよな」

「うん。 天才は出来が違うって事だよね」

結局、ばたばたしていた期間は学校に出られず、その間の分の授業を無理矢理睡眠学習で頭に詰め込むことになり、賢治は地獄を見た。自分の能力が大したことはないことを再確認してへこんだ。他の生徒達も、同じような目にあってはいたが、何の慰めにもならない。

科学室に着いた。キノカが相変わらず険しい表情のまま、機材類を運んでいた。蛍先生は片手で不器用に携帯端末を操作して、本日分の授業内容を呼び出している。音声認識型にして補助をしているようなのだが、それでも細かい部分では手での操作が必要になってくる。思考伝達型だと、ノイズが多くて上手くいかないらしいのだ。

「こんにちは、蛍先生」

「こんちわっす」

「こんにちは。 手が空いていたら、キノカの手伝いをしてくれる? 片手が動かないと、どうしても色々手間取ってしまって」

「あ、はい」

最近、蛍先生は人前でも良くキノカの名前を呼ぶようになっていた。あの事件で半壊したキノカを見て、思うところがあったのだろう。ロボットに「人間的に」入れ込むことはあまり社会的には推奨されておらず、変人と思われる事も多い。だが、それでも構わないと言うことなのだろう。

世間体よりも、自分の大事な存在を優先したと言うことだ。いわゆる大人の行動では無いかも知れない。だが賢治は、蛍先生を尊敬した。

クワイツと一緒に、機材類を並べた。無表情のキノカは、此方の動きを見て、出来るだけ効率的に動ける方法を模索しながら、並べているようだった。あれだけ酷く壊れていたのに、良く治ったものだと思う。笑顔を向けるが、キノカの表情は変わらなかった。

やがて、他の生徒もおいおい教室に入ってきた。もともと残っている仕事も殆ど無かったし、すぐに片付いた。賢治達も席に着く。今日の授業内容は、化学物質の配合により、炎の色を変えてみるというものだった。花火などで使われている技術で、入れる物質によっては、それは面白い色になるのだという。

確かマグネシウムなどは、燃やすとかなり派手に煙が出るはずだ。火災報知器が作動してしまわないか、賢治は不安になった。卓上には強力な排煙装置が付けられているが、過激な実験を好む蛍先生は、今までにも何度か授業でトラブルを起こし、そのたびに校長先生に怒られているという。それでも懲りないのだから、ある意味筋金入りとも言えるだろう。

グループごとに並べられた小皿類には、色々な物質が入っている。それらの配合により、火力や色が決定されるという。あまりマグネシウムを入れすぎて火力を上げると、火はすぐに真っ白になってしまうと言う。配分次第で、実に面白い色が作れるのだとか。面白そうな実験だ。これだから蛍先生の授業は、いつも楽しみなのだ。

それにしてもこれは、何だか地球人類みたいだなと賢治は思った。戦争や陰謀という劇物を入れすぎると、人間の社会はすぐに加熱しすぎてしまう。加熱しすぎると、すぐに単一の思想で埋め尽くされてしまう。集団ヒステリーとも言える状況に、あまり魅力は感じない。ルーフさん達と仲良くするには、もっと他の部分に注力するような、社会的な余裕が必要なのでは無かろうか。自問自答する。誰もそれには、応えてくれない。仕方がないことだ。

バーナーを使って、少しずつ燃やしてみる。三回ほど検証して、すぐにコツは掴めた。オレンジ色の炎。黄色い炎。青い炎。順番に作ってみる。

女子達が、綺麗だ綺麗だと歓声を上げた。蛍先生もにこにこしていた。何だか平和だなと、賢治は思った。

 

学校が終わったのは、夕刻のことであった。予定通りの時間である。学校の出口は、以前と違い警備ロボットが倍に増やされている。爆弾テロが行われたことを考慮しての事であろう。

立花先輩が、ルーフさんと一緒に学校から出てくる。今日は美術部の部活は休みなのだ。途中まで樋村さんも一緒にいたから、気を利かせて別れるまで待った。樋村さんの背中が見えなくなるのを計ってから合流。変な噂にならないような配慮は、いつも面倒くさい。

二三、当たり障りのない話をしながら歩く。ククルームルさんの状態を聞く事が多かったが、あまり進展がないので、最近は別の話題を選ぶようにしていた。ルーフさんの故郷のことも聞いた。それによると、何でも長老格の人物が、ステイ計画の抜本的な変更を模索しているのだという。

もしルーフさん達がそれで帰ってしまうと、少し寂しいなと賢治は思った。でも仕方がないことでもある。ククルームルさんは国家間の争いに巻き込まれ、命を落としかけた。そればかりか、下劣な政争の材料にされかけたのだ。むしろKVーα人政府の態度は、信じがたいほどに寛容だと言える。これが地球人類の国家であったら、戦争に発展していた可能性さえある。

それとも、彼らにも連合にいると思われる黒幕から、情報が届いているのかも知れない。それなら話も分かりやすい。だが、KVーα人は地球人類ほど陰謀も戦争も好まないはずだ。あまり地球人類のホームグラウンドに彼らを引き込むのは、道義的な面からも好ましくないなと、賢治は思う。

「また近いうちに、林さんのお店に行きたいですね」

「楽しいですものね、中華料理。 私も行きたいですわ」

「そんな目で見られても、すぐには無理だよ。 特務部隊の人たちだって、暇じゃないんだから」

楽しいという辺りが、地球人との感覚の違いをよく示しているなと、賢治は思った。最初は困惑ばかりしていた違いが、今では充分容認できるものとなっている。立花先輩はルーフさんにせがまれて、後でお願いしてみると苦笑いしていた。帝国との戦いが終わったが、林さんのお店は相変わらず苦しいだろう。常連を少しでも増やすことで、手助けはしてあげたい。

二人と別れて、家に戻る。静名が既に帰宅のタイミングを測って、夕食を作り始めてくれていた。さっと新聞などのニュースに目を通した後、ネットを通じて情報を収集する。最近はアシハラ元帥の事を調べていた。ルーフさん達を散々苦しめた下劣な陰謀を考えつく人物なのか、知っておきたいからだ。

個人的な情報、得にエピソードが欲しいところである。その人の人格を測るには、やはり普段の行動や、積み重ねた歴史を見るのが一番だからだ。表に出てこないような、影のある過去はもっと重要である。その人の闇を測ることも出来るし、何より生々しい本来の姿が鮮明に出てくるからだ。

静名にも手伝って貰って、しばらく前からアシハラ元帥の情報は集めてきた。今日も幾つか新たな情報があったので、丁寧に目を通していく。他人の過去を覗いていることは自覚している。若干の罪悪感が、胸を刺す。

データを見ていくと、思うことは多い。この人は、連合が法国と激しい戦いをしていた頃に台頭してきた軍人である。法国の名将を戦艦どうしの一騎打ちで仕留めた派手な経歴の持ち主で、姉のルパイド元帥とは名コンビと呼ばれている。実績は間違いなく現在生存している軍人では最高のもので、兵士達に絶対の信頼を受けているという点では、古今の名将として不足のない人物だ。

ただし、同僚達とは、必ずしも折り合いが良いわけではないらしいという情報も入ってきている。

何人かの提督とは犬猿の仲だという話だし、近辺には変人ばかりが集っているとも聞く。この辺り、参考になる。本人が酷く孤独な人物なのかも知れないという推測も立てられる。また、完全な意味での天才肌なのだとも分析できる。天才と呼ばれる人間の中には、幼児並みのコミュニケーション能力しか持たない者も多い。この辺りを補助しているのは、姉のルパイド元帥だと言うことだ。そう言う意味でも、二人は良いコンビだと言えるのだろう。

更に情報を読み進めていく。

養子がいるらしいと言う情報があった。賢治と同じくらいの年だ。どういう経緯で養子にしたのかはよく分からないが、評判の良い人物らしい。もちろん名前や、何処で仕事をしているのかは分からなかった。トップシークレットになる事だろうし、当然であろう。意外と家庭的な側面があるのかと思ったが、そんな事はないらしい。料理が酷く下手だという周囲の証言は、揃えたかのようだった。これだけ情報が揃っていると、本当に下手なのだろう。他の家事関係も、恐らく壊滅的なスキルレベルであることが伺える。ただ、これは今時珍しいことではない。家事など、メイドロボットに任せてしまうのが当たり前だからだ。年頃の女子でも、料理が出来ない方が普通なのだ。

こうして情報を整理していくと、アシハラ元帥は典型的な天才型職業軍人であることがよく分かる。ただしその性格は竹を割ったように単純で、また気も短い。自分を装飾して周囲に見せるようなつもりはさらさら無く、若々しすぎる外見を誇示もしなければ隠そうともしない。自然体と言うよりも、単純に無頓着なのだろう。子供っぽい性格をしているのだろうなと、賢治は思った。失礼かも知れないが、良くも悪くも、この人は子供のまま大人になってしまったのだろう。だから成功できた。

情報を集めれば集めるほど、アシハラ元帥の疑惑は晴れていく。この人が広域に展開した陰謀を操り、戦乱を思いのままに動かしたとは思えない。戦乱に突っ込んで粉砕はするだろうが、糸を引くところは想像できない。しかし、あくまで集まっている情報は精度が低いもので、連合が意図的に流したフェイクという可能性も低くない。

アシハラ元帥は、連合を嫌う人物からは目の敵にされているようで、ネガティブキャンペーンも活発に行われているようだ。無理もない話である。

連合が七国家随一の存在に躍り上がった理由は分かりきっている。国力が高いからではない。政治制度のおかげでもない。ナナマ姉妹の存在があったからだ。小学生でも知っていることである。

逆に言えば、ナナマ姉妹さえいなければ、他の国が覇権を握っていた可能性が高い。不思議なことに、連合の人間にも、アシハラ元帥のネガティブキャンペーンをしている者がいるらしい。自分の首を絞めていることに気付かないのだから、愚かな話だった。目先の利益や感情で全体を駄目にする愚物はいつの時代にも尽きない。地球人類が宇宙に出てからも、だ。嘆かわしい。

情報を切り替える。他の連合の重要人物にも、目を通していく。

連合は決して清廉な国家ではなく、政治体制には腐敗している部分もある。だがそれは是正可能なレベルであり、今の時点では目につくような腐敗構造も見あたらない。何人かの大物政治家のデータを順番に見ていくが、どの人物も大した存在ではない。経歴も実績もナナマ姉妹に比べれば小粒で、これだけ壮大な悪事を働けるとは思えない。

政界を引退し、裏から黒幕として操る人物は、古今に無数の例がある。ざっと調べてみてはいるが、そういう人物の連合における噂はない。連合がそもそも比較的新しい国で、複数の国家が文字通り組み合わさって出来たものだという理由もあろうか。母胎となった四つの国の出身者達の派閥も、現在では消滅してしまっているらしく、政争も他に比べれば穏やかなものである。血で血を洗う政争をしていると聞く新盟などから見れば、天国のような政治環境だろう。

そうなると、誰が陰謀の糸を引いているのだろうか。

興味本位で調べているのではない。しっかり陰謀の構造を把握しておけば、ルーフさん達に被害が及ぶ可能性が出てきた時、素早く対処できる。幸い、レイ中佐をはじめとして、周囲にはある程度力を持った大人が多くいる。更に賢治も、今回の一件でまがりなりにも修羅場をくぐった。今度は、好きなようにさせないという強い決意もある。危険なのは分かっているが、ルーフさん達スキマ一家は、賢治の大事な存在だ。これ以上絶対に傷つけさせはしない。

夜中まで調べて、一息つく。携帯端末に、メールが飛んできたのは、その時だった。開いてみると、蛍先生だ。こんな時間に何だろうと思い、開いてみる。画像つきのメールだった。

画像は、あの忌まわしい、ビルでの出来事だった。襲われた時に、写していたのだろうか。国家機密になるはずだし、あまり感心できない。不安を感じてメール本文に目を通す。嫌な予感がする。

「貴方、この場にいたよね。 一体何があったのか、そろそろ教えてくれないかしら」

「それはできません。 機密になりますし、レイ中佐に確認して見てください。 当たり障りのない部分なら、応えてくれると思います」

素っ気ない返事を、何度か軟らかい表現に書き直してから、送り直す。すぐに返事。どんどん嫌な予感が大きくなる。

「キノカは、一度死んだのよ。 バックアップデータで記憶は戻せたけれど、死んだことに変わりはないの」

「分かっています。 辛かったとは思いますが、悲しい思いをした人は他にもいます」

それだけで、返事はとぎれた。我ながら大人げないかと、賢治は少し悲しかった。キノカが傷ついて、蛍先生はとても悲しかったはずだ。正論でそれをねじ伏せてしまっては、後にしこりが残るような気がしてならない。

蛍先生は色々と手伝って貰ったし、一緒に今回の事件について考えていきたい。だが、蛍先生は、どうもおかしな方向へ行こうとしているような気がして成らない。この手紙にも、深い悲しみと憎悪がにじんでいた。

続いて、またメールが来る。今度は藤原先生からだった。

「蛍先生の様子が少しおかしいけれど、被名島君には何か心当たりがあるかしら。 辛そうにしているし、助けになってあげたいのだけれど」

「やはり、何かおかしいんですか?」

「ああ、やっぱり被名島君も気付いていたのね。 ちょっと情報を送るけれど、何か知っていたら貴方も教えて頂戴」

藤原先生の情報は、いつも細かい上に早い。以前はそれで、幸広がおかしいことに素早く気付くことが出来た。

幾つかおかしかったことが列記されてきた。その中の一つには、いつも以上にキノカをかわいがっているというものがあった。これに関しては、さっき言っていた、一度キノカが死んでしまったという事も大きいのだろう。

身近な人を失ってしまった悲しみは、ルーフさんを見ていて知ることが出来た。家族と呼べるような人がいなかった賢治は、それで初めて身近な人を失う悲しみに触れたと言っても良い。

藤原先生にメールを送り返しながら、賢治はどうして良いか考える。このままだと、藤原先生が危惧するように、蛍先生はどこか危険な領域に踏み込んでしまうような気がして成らない。

ルーフさんが悲しむのを見るのだけで、苦しかった。これ以上身近な人が悲しむのは、もうごめんだった。一応、レイ中佐に先回りして情報を流しておく。それから、立花先輩にも連絡を入れておいた。

だが、それ以上、何をして良いか分からなかった。

 

戦勝パレードを立体映像で見ながら、クリスパー・蛍は、自室のソファでくつろいでいた。何もする気が起こらない。授業の準備は楽しかったが、それ以外には何の気力も湧いてこなかった。

軍から貸与された戦闘ロボットが、紅茶を運んできた。流石に蛍の好みをもう完璧に把握していて、砂糖の量から湯の温度まで最適だった。ぼんやりしながら、カップに口を付ける。キノカが潰された時の事は、どうしても思い出してしまう。

嫌な予感がして、工事現場に出かけた。久しぶりにキノカが日雇いに行った日のことだ。戦争の影響があるからと、自分から給料の天引きを申し出たため、少し金が足りなくなった。だからキノカに行ってもらった。今でも後悔が絶えない。ビルの中に足を運んで、キノカを見つけた時。ビルの奧から、あの忌まわしい怪物が現れた。

キノカが自分を庇って吹き飛ばされ、自分も壁に叩きつけられて。記憶がとぎれる寸前、キャムとルーフがビルに入り込んできたのが見えた。である以上、任務がらみであることは確かだった。軍が治療費は全て出してくれた。キノカもきちんと修繕してくれた。でも、苦しみはその日から始まった。

キノカの中には、諜報用の盗聴器が仕込まれたかも知れない。レイ中佐が色々隠し事をしている事は、蛍には分かっていた。自分が参加している任務の深度の問題以上に、様々な隠し事があり、その一つが今回の悲劇の引き金になった。蛍はそう確信していた。一度不信感を抱くと、それは簡単には消えそうになかった。いつの間にか、紅茶を飲み干してしまっていた。すぐに変わりを持って来るように命じると、不愉快になって立体映像を消した。

この戦いは、蛍にとっては負けだった。だから、戦勝パレードなどは、笑止の極みだった。

キノカは一度死んだのだ。それだけでも、大敗北と言って良いではないか。蛍の訴えなど、誰も聞こうとはしないだろう。それがまたいらだたしい。世間一般の理屈では、そもそもロボットに感情移入して愛情を注ぐ事自体がおかしい事になっている。だから蛍の悲しみなど、理解される訳もないのだ。

「茶をお持ちしました」

「ん、ありがと」

顔を上げた。おかわりを持ってきたのはキノカだった。頭を撫でて、礼を言う。ぺこりと頭を下げて、キノカは退出する。以前と同じ。全く変わらない。だがあの可愛らしい体の中に、盗聴器が仕込まれたかと思うと、吐き気がする。

メールが飛んできた。藤原先生からだ。目を通すと、自分を心配するものだった。適当に返事を返して、シャワーを浴びる。善良な藤原先生には悪いのだが、今は慰めの言葉など糞喰らえだった。何を聞いても不快で仕方がない。熱いシャワーを浴びて、怒りを汗と一緒に押し流そうとした。しかし、上手くいかなかった。

ベットに入ったが、眠れなかった。眠れる訳もなかった。心の奥底から湧いてくる闇が、意識を焼いていた。何度か寝返りを打つが、事態は好転などしない。洗面所に行って、顔を洗う。睡眠薬を取り出すと、乱暴に口に含んだ。

何もかもが、憎かった。だが、特定の誰かを憎いとは思わなかった。あの怪物が憎いとさえ、不思議と思えなかった。

むしろその憎しみは、無能で愚かな自分へと向いていたのかも知れない。それが分かっていたから、余計に苛立ちは募っていた。

しばらく研究は停止していた。キノカがあんな事になってしまって、初めて己の行動を支える金品がどうもたらされていたのか、体で分かった。そのショックで、頭が巧く働かなくなっていた。

レイ中佐から、連絡が来た。任務の契約上のレベルで、あの事件についてのデータが転送されてくる。知っていた情報も多く、満足できる内容ではなかった。だが、その一つに、気になるものがあった。

これは、帝国の仕業だというものだった。

軍の任務に就いている以上、帝国の仕掛けるテロに遭う可能性は、考えていなければならなかった。それは理解していたつもりだった。しかしキノカがそれに巻き込まれてしまった。

ようやく、己のいる場所の危険性が、蛍には分かった。しかし、今更止める気にもなれない。だいたい、契約は途中破棄できるものではない。

むしろ。そんなことを今まで体で理解できなかった、自分の愚かさ加減に、今更ながら腹が立った。

ますます眠れなくなった。憎悪は己を焼くかのようだった。睡眠薬を飲んだというのに、意識は頑強に抵抗し続けた。やっと意識が落ちても、すぐに目が覚めてしまった。浅い眠りと覚醒を、夜じゅう蛍は続けた。

己の愚かさを憎む蛍に、しばらく安息の時は訪れそうになかった。

 

2,微動集結

 

レイ中佐に賢治がメールを送ったのは、考え抜いてのことである。学校から帰った賢治は、シャワーを浴びて汗を流し、浴槽でリラックスしてから、じっくり文面を考えた。今回は、レイ中佐にも、簡単に対応できるとは思えなかった。

メールの返信には、予想通り随分時間が掛かった。賢治が寝る少し前になって、ようやく返事が来た。案の定、文面には驚きが満ちていた。

「さっきのメールの内容だけど、本気かしら」

「はい。 今後の対策を練るには、これしかないと思います。 そして、これは正式には軍属ではない僕か立花先輩にしか出来ないことです」

「確かにその通りだけれど、下手をすると国際問題に発展するわよ。 対処には慎重を期さないと危険ね」

「僕が全部考えたことにします。 いざというときは、全部僕に責任を押しつけてくれて結構です」

何回か修羅場をくぐった今だからこそ、如何にレイ中佐が普段から体を張って仕事をしていたかよく分かる。命を賭けることはもう初めてではないし、帝国の諜報員との戦いでも、運が悪ければ何度も死んでいた。

そして、賢治よりも立花先輩やレイ中佐の方が、遙かに大きな危険を経験し続けて来たはずだ。少しは、賢治もその危険を肩代わりしたい。今までは後方で頭脳労働ばかり担当してきたが、たまには体を張って自分の大事な人達のために頑張りたい。

それに、未成年だという事が、今回は有利に働く。国家としても、あまり賢治に大きな罪を負わせることが出来ない。これはあくまで、表向きはと言うことだ。つまり、賢治の周辺に、迷惑を掛けることがない。その上都合が良いことに、賢治は現在、周囲に肉親と呼ぶべき人がいない状態だ。賢治が死んだところで、悲しむ人は殆どいないだろう。名誉を失っても、困るようなこともない。名誉自体がそもそも無いからだ。

元々無茶な作戦だが、しかし帝国無き今連合に勝てる国家は存在しない。更に言えば、帝国領土を連合が完全に掌握した時には、手遅れになっているだろう。連合が何かしらのよこしまな考えを持っていた場合だが、最悲観論を常に念頭に置くことが、一番重要なのだと今までの事で賢治は学んでいた。

相手のもくろみが分かれば、此方としても手の打ちようがある。もし、連合、その上層部がKVーα星人に好意的な考えの基、今回の作戦を実施しているのなら良い。それを手伝うだけだ。だが邪魔しなくてはならない場合は、相手の根幹戦略くらい把握していないと、話にならない。

レイ中佐から返事を待つ合間に、立花先輩にも連絡しておく。

案の定、先輩は怒った。怒ることは分かりきっていた。いかにして、説得するかが重要なのだ。

「頭脳担当が危険を背負うなっての! それはあたしがやるからいい!」

「たまには僕にも危険を背負わせてください。 いつも先輩が矢面に立つのでは、不公平です」

「不公平も何もあるか! 部下はボスの言うことを聞いておけ!」

「先輩にも、危険は背負って貰うつもりです。 今回はたまたま僕が一番危険なところに立つって言うだけですから!」

しばらくメールでのやりとりが続いたが、しびれを切らしたか立花先輩は直接連絡を入れてきた。

立花先輩の戦闘能力は、間近でよく見て知っている。しかも、銃火器を交えた実戦を経験してから、更に伸びているような気がする。放つ殺気は本物だし、その気になれば人だって簡単に殺せるはずだ。

つまり、その気になれば自分を殺せる相手を、丁寧に説得しなければならない。それを頭の中に入れると、やはり緊張した。立体映像の中の立花先輩は、パジャマ姿だった。それは寝る前だったのだし、当然だろう。

「被名島、なんであたしの言うことが聞けん!」

「今回ばかりは!」

「そもそもこの作戦、危険すぎるじゃないか! 相手の機嫌を損ねたら、一瞬で全員蜂の巣だぞ! それに相手はあのアシハラ元帥だ! 宇宙最強の名も高い用兵家だぞ! こっちのもくろみなんか、すぐにでも見抜かれるんじゃないか!?」

「それは、どうにかしてみます」

調査の結果、アシハラ元帥は戦場では文字通り最強の人物だ。判断力も決断力も鋭く、しかもミスが極端に少ない。戦術のセンスは古今無双と言われており、緻密な計算能力まで有している。歴史上の名将達と比肩する存在であることは間違いない。帝国のフリードリーヒ提督も、人類では十指にはいる用兵家だと賢治は聞いているが、それでも歯が立たなかったのだ。決して無能ではないはずの、立国の提督達がフリードリーヒ提督にいいようにあしらわれていたことを考えると、凄まじい実力がよく分かる。

そんな最強の用兵家でも、当然弱点はある。今までの調査では、私生活面に隙が多い事が分かっている。今回は其処が付け目だ。もちろん元々の頭が滅茶苦茶にいい人だろうから、勝てる見込みは薄い。実際に軍を動かしたら、現在人類の中にアシハラ元帥を凌ぐ人材はいないだろう。だが普通の人間として交渉ごとを持ち込めば、ひょっとしたら何とかなるかも知れない。

それを、何回かに分けて、丁寧に説明していく。立花先輩は終始機嫌が悪そうだったが、最後まで行くと、大きく嘆息した。

「被名島に交渉なんて、出来るのか?」

「交渉にはカードが必要です。 それは何枚か用意してあります。 それに、交渉自体は、あくまで目的の一部に過ぎません」

「それでも、きちんと交渉を仕上げなければ、話は進まないんだろ? まともな神経の持ち主に、交渉は難しいぞ」

先輩の言うとおりだ。一対一の交渉になってくると、特に双方の立場が公平ではない場合、様々なテクニックが重要になってくる。精神的に優位に立つことは基本原則。つまり相手を精神面で圧倒しなければならない。

これは軍事や芸術と同じ、ある意味での異能が必要になってくる。的確に相手の心を読み、隙をついて、約束をねじ込まなければ出来ない。教科書しか知らない国家エリートには難しい仕事だ。むしろこういうネゴシエーションは、社会の修羅場をくぐり抜けてきたような人物にこそ相応しい。

良くしたもので、兵力が多い方がだいたい勝つ事が同じである点も、交渉と戦争は似ている。交渉ではカードが多い方がだいたい勝つ。戦争でも、補給をしっかり整備して大戦力を派遣した方が、殆どの場合勝つ。総合的な戦力が五分の場合のみ、駆け引きが生きてくる。

だが、賢治には、そういうまともな交渉をする気がそもそも無かった。駆け引きという点では、多分アシハラ元帥の足下にも及ばないというのが、その理由だ。だから勝てる条件を、現場に行く前に揃えておく。

幸い、これは奇襲に近い。アシハラ元帥は奇襲を受けたことも何度もあるだろうが、それでも後手に回らざるをえない。その隙を突けば、更に勝機は見えてくるはずだ。

「幾つか案は考えておきました。 先輩に危険を背負って貰うのも、その一つです」

立花先輩が少しずつ冷静になってきたのを見計らい、賢治はカードを提示する。立花先輩は、自分の仕事の一つが、矢面に立つことだと考えている節がある。賢治としては、そこも利用するしかない。

そのまま、矢継ぎ早に案を提示していく。それが終わった時、どうにか立花先輩は納得してくれた。現実的な案であることを、恐らくは理解してくれたのだろう。それに、ルーフさん達スキマ一家のためでもあると言う理由が、一番大きかったはずだ。

ただし、全てを受け入れてくれた訳ではなかった。そう言う意味でも、やっぱり先輩は甘くなかったし、怖い人ではあった。

「分かった。 被名島の案に乗るけど、幾つか条件がある」

その条件は、かなり厳しいものであった。回線を切ると、素早く頭の中で作戦を再編成する。

ほどなく、レイ中佐から返信が来た。立花先輩の出してきた条件も含めて、交渉に入る。もちろんこれは、特務部隊の一存で出来る事ではない。作戦案をきちんとした形で上層部に提出して、それで判断して貰うことになるだろう。どれくらい時間が掛かるのかは、よく分からない。連合の機動艦隊がこの国を出る前に作戦を実行できれば良いのだがと、賢治は思った。

最終的な回答が来たのは意外に早く、三日後の事であった。拒否されることも賢治は想定していたが、すんなり通ったので驚いた。後でレイ中佐に聞いたのだが、これは賢治の実績が考慮されたからだという。

今まで賢治は、何度も帝国のテロ活動を防ぎ、動きを読み切った。あまり自覚はないのだが、それが国家上層まで届いて、評価されているらしい。今回の作戦にゴーサインを出したのも、大統領のかなり上位の側近だそうである。恐縮してしまう。

しかし、ぼんやりしてはいられない。すぐにでも作戦案をしっかり確認しておかなければならない。参加人員はかなり多く、特務部隊の全員と、それによく知る人が何名か、加わっていた。

ふと、気付く。これから作戦が失敗したら、この参加人員が全員ないしほとんど死ぬことになる。

もう一度、提出した案を見直す。何度見直しても、やり過ぎと言うことはないはずだった。

 

最初からこの作戦には、身内を巻き込むことが不可欠であった。だからといって、まさか此処まで大所帯になるとは、賢治も思っていなかった。最寄りの宇宙港で、集まった面々を見て、賢治は驚いた。

普段着のレイ中佐とフランソワ大尉は、何だか学校の先生と生徒みたいである。一方、奧でじっと立っているシノン少佐は、サングラスを掛けて、まるでマフィアの関係者みたいだ。愛想が全くないので、周囲の空気が非常にとげとげしている。特務部隊には軍でも精鋭が集まっていると聞くが、周辺に自然に散って、辺りをうかがっているのは流石である。賢治はたまたま顔を知っているから彼らの隙がない行動を理解できるが、一般人は全く気付かないだろう。

「宇宙に行くのは、久しぶりですわ」

「そうだね。 ちょっと広すぎる宇宙船は、苦手だけど、この面子ならいいかなあ」

暢気に喋っているのは、ルーフさんとシャルハさんだ。子供達はお留守番だという。というよりも、やはりククルームルさんは群体と思考体を引き離されていた時間が長く、まだ人前に出られる状態ではないそうだ。もちろん警護はしっかり行われていると言うことで、その辺りは安心できる。

宇宙では、あのカニーネさんとも合流する予定である。心強い。立花先輩は、搭乗手続きの辺りで、蛍先生と団らんの時を過ごしていた。しかし、蛍先生の目が微妙に笑っていないことに、賢治は気付いていた。蛍先生が協力者なのは分かっているが、連れて行って大丈夫なのだろうかと、賢治は不安を感じていた。

それよりも驚いたのは、ロビーの奥の方でむっつりと椅子に座っている幸広である。彼が関係者だとは知らなかった。しばらく様子がおかしかったのには、危険な理由が想像できるが、大丈夫なのだろうか。

いくつもの不安要素がある。しかし、連合に対するスパイ行為は意味がないし、あるとしたら帝国との内通だろう。ただ、今更アシハラ元帥を暗殺しても帝国には何の益もないから、逆に不安はない。

乗っていくのは、民間船である。というか、ずっといつでも出られるようにして貰っていた、杏さんの船だ。あまり大きな船ではないが、今回の人員くらいなら楽に輸送することが出来る。

この時代に共通していることだが、宇宙に行く場合には、宇宙港を経由しなければならない。これに関しては、何処の国家でも同じだ。

宇宙船は軌道上のステーションに係留されているものと、地上から直に出航できるものがあるが、今回は前者が使われる。大気圏突入能力を必要としない前者の方が、基本的に安上がりになる。軌道エレベーターや、シャトルのシステムが完備されている星の場合、民間の旅行者は殆どの場合こっちを使う。

この首都星に幾つかある起動エレベーターは宇宙船が係留されているステーションと離れているので、まず衛星軌道上へシャトルで移動する。何個かある宇宙ステーションだが、自転の具合によっては、一件離れているように見える航路を使う方が早いことも多い。スウィングバイなどの航行技術を使うからで、今回はそのパターンだ。それから幾つかある軌道外ステーションを経由して、杏先輩の船へ。其処からは、短距離ワープを何回か行って、アシハラ元帥が乗るオルヴィアーゼへ向かう。

行程は片道四日ほどである。特に護衛は無いが、安全が確認されている航路ばかりを行くので、特に問題はない。

それにしても、宇宙港のこの寂れぶりはどうだ。旅行客は殆ど見あたらず、軍人や他国の人間ばかりが目立つ。つい最近まで戦争をしていたのだから無理はないとはいえ、これでは旅行業も流通もダメージが大きいだろう。燃費が著しく悪くなるだろうし、経済復興にも時間が掛かってしまいそうだ。

早めに危険が無いことを確認しないと行けない。この国のためにも、ルーフさん達のためにも。

現在、元帥は一つ離れた星系に艦隊を駐留させ、順番に仕事を片付けている。戦勝パレードからはやっと開放された元帥だが、連合本国からの情報を帝国とやりとりし、信託統治の準備を進めているのだという。もちろん副官や文官達がサポートしているはずだが、元帥には苦痛だろう。

そこが付け目だ。人間、疲労が溜まると、どうしても判断力が鈍る。元帥には悪いが、そこを突かせてもらう。

シャトルが来た。地球時代のスペースシャトルとは違い、強力な電磁式カタパルトを使って途中まで加速、一気に宇宙まで出るタイプのものだ。形状も随分違う。流線型で、ほっそりとしている。軌道エレベーターを使って宇宙に行ったこともあるが、幼い時のことで良く覚えていない。このシャトルを使う方式は初めてなので、とても楽しみである。

通路を通って、シャトルへ。ほっそりした外見に反して中は意外に広く、快適だった。照明もよく考えられている。ただ、それほどの人数は乗り込んでこない。百人乗りのシャトルだが、結局客は五十人ほどしか乗らなかった。かなり席には余裕が出来る。ルーフさんの周囲を重点的に特務部隊の人たちが固めて、後はめいめい勝手に散った。立花先輩の隣には、何と幸広が座っていた。度胸がある。今でも下級生の間では、立花先輩は魔王呼ばわりされていることを、賢治は知っている。

賢治の隣にはキノカが座った。通路を挟んで、蛍先生が座る。席は六列で、二列ごとに通路がある。賢治は窓際なので、キノカに出て貰わないと通路にはいけない。あまり乗り物に乗ることがない賢治は、軽いプレッシャーを感じた。もっとも、シャトルの航行時間は、長くても二時間弱だ。あまりトイレの心配はしなくても良いだろう。

軌道上の太陽電池から送られてくるエネルギーが、宇宙港には常に蓄えられている。後はロケット燃料だが、これも備蓄は充分だ。数万隻の艦隊が離着陸しても余裕があるほどの分量が蓄えられているのだ。シャトルの十機や二十機、宇宙へ飛んだところで何でもない。

宇宙港の名物と言えば、宇宙へ伸びるカタパルトだ。途中から急激に湾曲し、最後は凄まじい勢いで撃ち出される。こういったカタパルトを作るのに、直径数百メートルの小惑星から採れる資源を丸ごと使うという。だから有人惑星に作れる宇宙港は限られている。帝国の首都星には、この星の半分ほどの宇宙港しか無いという話だ。そうなると、帝国の貧しさがどの程度かよく分かる。立国には、そのクラスのポータル星が七つ存在しているのだ。ルーフさんに聞いたところによると、KV-α人はまた違う技術を使っているという。場所によって、事情は色々である。

連合としては、立国を屈服させなくても、この星を抑えるだけでかなり利益を得られるのかも知れない。帝国も、そのつもりだったのだろうか。賢治はリクライニングを軽く倒しながら、思惑を進めた。斜め前に座っている立花先輩の髪が目にはいる。今日は左側にひっつめで結んでいるのだが、それが時々揺れていた。幸広と、色々話しているのだろう。もちろん、世間話をしていると考えるほど、賢治の頭はおめでたくない。あまり無茶はしないと良いのだがと、賢治は心配した。

ふいに、キノカが袖を引いた。顔を見ると、相変わらず愛想がない。

「被名島様」

「ん? なんだい?」

「到着まで、二時間弱かかります。 まだ発進まで七分ありますので、先にトイレに行っておいた方が良いかと思われますが」

「ああ、ありがとう。 大丈夫、さっき済ませておいたよ」

いつの間にか、出来ることは先に済ませておく癖がついていた。良いことだと思うのだが、生活に余裕が無くなってきている気もする。時間があれば、有効活用することを考えてしまうのだ。

キノカは対等に口を利いている賢治を、不思議そうな目で見ていた。疑念が混乱に変わっているのだ。昔の人工知能は混乱に弱く、ちょっと質問の手段を間違えるとショートしたものだが、今はそんなこともない。混乱解決機能は、充分に準備され、活用されている。人工知能の歴史は、昔からあるフランケンシュタインコンプレックスのためか、学校教育に必ず盛り込まれている。賢治も催眠学習を通して、しっかり頭に叩き込んでいる。

蛍先生は、キノカに何か話しかけて、頭を撫でていた。少し疑問に思ったので、聞いてみる。

「蛍先生、キノカとは古いつきあいなんですか? 現在では生産されていない型式みたいですけれど」

「ん? ええ、そうよー。 私がちっちゃい時からのつきあい。 私にはママに相当する人がいなくてね。 パパは研究一筋の筋金入りの学者だったし、子育てらしいことはしてくれなかった。 事実上、キノカに育てて貰ったようなものよ」

聞いてしまったらしい立花先輩が、唖然としているのが、席越しにも分かった。なるほど、これでは感情移入するのも当然かも知れない。

普段は飄々としている、痩躯の蛍先生。キノカが傷ついて、あれほど取り乱した時、おかしいとは思った。しかし、おかしいことなど何一つ無かったのだ。このような過去があったのなら、無理もない。

反省する賢治に構わず、蛍先生はキノカと何か話し続けていた。技術的な会話らしく、聞いても意味が分からない。だがとても楽しそうなので、邪魔する気にはなれなかった。

ほどなく、発進のアナウンスが流れた。

昔の電車は発車する時にがくんと衝撃があったという。今も、古い型式などではそれがある。このシャトルではなく、まるで発進したことに気付かなかったくらいに、すんなり進み始めた。

徐々に加速していく。外の景色が流れていく。やがて、風を切る心地よい音が、船内にも響き始めた。

立花先輩からメールが届く。つまり、口に出しては喋りたくない話なのだろう。

「なあ、被名島。 今の内に聞いておきたい事があるんだ」

「何でしょう」

「整理しておきたいんだけれど、帝国は結局、あんなテロを起こして、一体何がしたかったんだ?」

「そうですね。 立国内でステイしているKVーα人に衝撃を与えることもそうですが、国内に宇宙人が大勢いると言うことに対するパニック反応を引き起こすことが目的だったんだと思います」

「そんなことで、軍の士気が落ちるものなのかな」

少し考え込んでから、賢治は最悪のシミュレーションを披露する。以前レイ中佐に依頼されて、様々なソフトを駆使して作ったものだ。視覚的な部分を工夫しているのは、門外漢にも理解しやすいようにしたためである。

最高のプレゼンは、専門家ではなく、素人に理解させることが出来るものである。立花先輩はかなり頭が良いが、戦闘以外では能力を使いたがらない節がある。だから、それに合わせる。

「ルーフさん達のステイ計画が、最悪のレベルまでゆがめられて報道され、立国の住民がそれを完全に信じ込んだ場合の想定です」

データを送る。此処で味噌になるのは、地球人類に非常によく似た姿をした生物が、身近にいるかも知れないという恐怖だ。しかもそれが、地球人類を襲い、喰らうというような妄想が広まった場合は、何が起こるか。

国家レベルでのパニックと集団ヒステリーが起こったかも知れない。其処に帝国が乗り込み、KV-α人達を駆逐して、救世主を気取る訳だ。立花先輩の怒りが、非常に短いメールに乗って飛んできた。

「外道が」

「そうですね。 僕も許せないことだと思います。 ただ……」

「ただ、なんだよ」

「やっぱり、おかしいです。 今までの戦いから想定される帝国の戦力と能力から考えて、此処まで巧くプロパガンダを展開できるとは思えないんです。 下手をすると、作戦立案さえ出来ない可能性もあります。 やっぱり、鍵を握っているのは連合です。 これから、それをしっかり確かめましょう」

ルーフさんをはじめとするKVーα人と接してきた賢治にも、帝国がやろうとした下劣な策には怒りが禁じ得ない。賢治も男の子だし、最強の用兵家であるアシハラ元帥には尊敬の念を抱いていた。だが、もし彼女が黒幕であったら、それもこれまでだ。

加速は程なくストップして、見る間に成層圏を抜ける。辺りの空の色が、深い藍に変わり、やがて真っ暗になった。窓から覗くと、生まれ育ったフォルトレート首都星が見えてきた。

美しい星だ。思わず、目を細めてしまう。生息している人間共とは違い、星はとても輝いていた。

再び加速が始まる。ステーションまでまだ少し掛かる。目的地ではないリング状のステーションが、ゆっくり回転しているのが見えた。原始的なやり方だが、人工重力を発生させる手段としては、もっとも手軽だ。

軍用だと要塞にしても宇宙艦にしても重力発生装置を使うようになっているが、民間船の中にはこの回転方式を使っているものが多い。

徐々にシャトルは減速していき、ほどなくステーションに着く。リング状のステーションの外輪には、5000人から10000人を乗せる大型船が何隻か停泊していた。その大きさは圧倒的で、このシャトルが小枝のように思えてしまう。つい最近まで戦争をしていたからだろう。ステーションの周囲では、軍艦が何隻か護衛任務に就いていた。この船も、停泊する際には光通信で何かやりとりしていた。

シャトルを降りる。やはりトイレに行く必要は無かった。受付ホールはやはり殺風景で、土産物屋や食料品店もカラっ風が吹いていた。店員も退屈そうにしていたが、流石に賢治ら団体が通り過ぎると愛想笑いを浮かべてくる。

乗り継ぎのシャトルはすぐに来た。このペースで来るのは脱帽だが、しかしペースを起こさないと経営が傾くのではないかと、老婆心を起こしてしまう。ぞろぞろと何グループ化に別れて移動する。見ていて面白いのは、同じグループごとにもうまとまっていることだ。

学校関係者達はまとまっているし、特務部隊の人たちでも、デスクワーク組と前線組では別のチームになっている。護衛班は辺りに気を配りながら動いてはいるが、デスクワーク組は比較的無頓着で、フランソワ大尉に到っては、土産屋を覗いては興味津々の様子であった。

次のシャトルに到着。前のものよりも、かなりエンジンタンクが大きい。大型のカタパルトがないため、自力加速しなければならないからだ。

レイ中佐が色々と手続きをしている間に、ありがたくシャトルに乗り込ませて貰う。さっきのシャトルとはだいぶ内部構造が異なる。席が四列構造になっていて、内側に通路は一つだけだった。また、上部のスペースが大きいが、これは宇宙服を格納しているのだろう。災対用というわけだ。

シャトルが発進するまで、少し時間があった。再び立花先輩と、メールで少しやりとりをする。そういえば、また幸広の隣に座っている。ひょっとすると監視をしているのかも知れないと、賢治は思った。

 

シャトルが到着した星間ステーションには、既に杏さんの船が停泊していた。

あまり大きな船ではない。そもそも角張った形状で、非常にごてごてした外見であった。武装も最小限で、飛来する星間物質を撃退する程度の力しかない。見たところシールド発生装置もあるが、あのサイズだと、大きなデブリになるとレーザーで破砕しないといけない程度の出力しかない。もし軍用のミサイルなど撃ち込まれたらひとたまりもないだろう。つまり、完全に退路は断たれた。

中は、今までの船の中で、一番雑然としていた。彼方此方に荷物類が置かれているし、掃除もされていない。女性の船だとは思えないが、立花先輩の家も前は汚かったと言うし、人それぞれだろう。

話し合った結果、レイ中佐をはじめとする女性陣とKVーα人の方々に、船室を提供することになった。男衆は、空いているスペースで寝泊まりである。賢治に到っては、廊下で布団を拡げて寝ることになりそうで、少しげんなりした。

静名もフォルトナも今回は連れてきている。二人は出迎えをしてくれた杏さんとしばし話していたが、やがて他にもつれてこられている軍用ロボットと共同で、自主的に掃除を始めた。荷物類は一つずつ処理を確認しなければならないが、汚れや埃を取り除くだけでも随分違うのだ。照明類や、配管類も幾つか手早く取り替えていた。杏さんは、費用を出してくれたレイ中佐に苦笑いを浮かべていた。

「いやー、助かるよ」

「今回は無茶を聞いていただきましたし、これくらいは当然です。 他にも足りないものはありませんか」

「それなら、食料庫がちょっと寂しいんだ。 補給をお願いできないかな」

「おやすい御用です。  すぐに手配しましょう。 燃料も此方で補給させていただきますね」

ふと思った。杏さんは、今回が軍務だと気付いているのだろうか。立花先輩にメールを送ってみた。返事はあっさりしていた。

「気付いているに決まってるだろ。 元々、先輩はこの船でかなり粗雑な仕事もしてるらしいし」

「粗雑な仕事っていると、格安での人員運搬とかですか?」

「そうなるね。 まあ、被名島の今の状況でも分かるだろ。 ただこういう船は軍もチェックしていて、密航は難しいらしいけどね。 この船の設備だと、密輸も難しいだろうし、ね」

まもなく、全員乗り込んだ。今回の客は、賢治達だけらしい。静名達が整備して随分綺麗になった廊下で雑魚寝している兵隊さん達を見ると、みんな見知った顔ばかりだった。考えてみれば、杏さんを巻き込んでいる時点で、既に様々な点で問題が多い。ますます負ける訳には行かないと、賢治は思う。

ほどなく、船はステーションを離れた。加速はシャトルに比べるとかなり遅いが、それでも星間航行を可能とする船である。ただ、加速の際にがたがたと揺れて、少しそれが怖かった。

宇宙が見える窓などと言う気が利いたものは無いので、かなり退屈だった。特務部隊の人たちは集まってゲームをしたりし始めている。半分ほどの人員は手分けして何カ所かのチェックをしていた。密航者がいないか確認しているのだろう。賢治は手伝いを申し出るが、拒絶された。素人に触らせるくらいなら、そのまま自分たちでやった方が良いという事なのだろう。

それも終わると、本格的にシフトでの休憩を開始していた。賢治はもとよりすることがない。これから数日、中継のステーションは通らず、隣の星系にまで向かうことになる。大型の輸送船より脚が遅いことを考えると、時間は幾らあっても足りない。

「お疲れ様でーす」

「あ、ありがとうございます」

フランソワ大尉が、軍用ロボット達と共同で、コーヒーを配り始めた。横になっていた賢治は起き上がると、ありがたく頂いた。

「予定通りに到着できそうですか?」

「ええ。 エンジン系にも特にトラブルはないし、大丈夫ですよ」

「それは良かった。 念のために確認したいんですけれど、アシハラ元帥は、しばらく隣の星系に滞在を続けているんですよね」

「ええ、移動するって話はまだ入っていないわ」

そうなると、遅くとも数日以内には、顔を合わせることになる訳だ。もっとも、かの人はしばらく帝国がらみの案件で身動きが取れないはずだ。

幸広が廊下の隅で退屈そうにしていたので、側に座る。幸広は、前とは随分雰囲気が違った。以前は年下であっても、周囲と対等に渡り合えるふてぶてしさがあった。言葉遣いは丁寧だったが、周囲を見下す気配が確実にあった。賢治としては、それを好ましいとさえ思っていた。それなのに、今はどうだ。

今の幸広は、萎縮しきっている。周囲の特務部隊の人たちも、監視対象にしているのが見え見えだった。幸広が連れてきている軍事ロボットは、彼と同年代の型式であったが、守ると言うよりも監視のためにいるのが明白であった。多分ここに来る前にも、ボディチェックをされているはずだ。携帯端末にも軍用の監視プログラムを仕込まれて、念入りに見張られているだろう。一種の懲罰のために、彼は此処に来て、針の筵に座らされている訳だ。

賢治にさえ、今では状況がよく分かる。彼は何かしらの理由で帝国と通じたか、その寸前まで行ったのだろう。そして賢治が、様子がおかしいと報告したことで、それがばれた。天才は挫折すると脆いと聞く。彼はその典型だったのだろう。

気の毒なことをしたと、賢治は思う。密告したという意識はない。だが、賢治の行動で、一人の未来を屈折させたのは事実なのだ。

「何か、あったの? 随分暗いけど」

「何でもありません。 それに、被名島先輩には関係のないことですよ」

「そう? それにしても、以前と随分違うなあ。 前はちょっとしたことでも、気の利いた切り返しをしてきたのに」

どうして帝国と通じたのかとか、野暮なことは聞かない。人にはそれぞれの事情があるはずだからだ。ただ、一つ許せないことはある。

それについては、この場でしっかりさせておきたかった。

下手をすると、殴りかかってくるかも知れない。それでも良かった。彼が諸悪の根源という訳でもない。だが、此処で言わなければならないことは、確かにあった。

「ねえ、ルーフさんとシャルハさんに、後で謝っておいてくれないかな」

「全て分かっていると言う訳ですか」

「うん。 君の事情については興味ないけど、それだけは譲れない。 ただルーフさんがどういう目にあったかは、よく知ってるよね。 だから、後で一言で良いから、謝って欲しいんだ」

しらけた目で、幸広は賢治を見た。なるほど、これが彼の地だという訳だ。以前は丁寧に隠していた部分が、今では良くない形で空気に露出している。微妙に隠せていない辺りが、以前は女子生徒達にかわいがられる要因となっていたのだろうと、賢治は思う。しかしむしろ今は、虐めの要因になりそうだった。

「この際はっきり言いますが、虫と人間は仲良くできませんよ。 体の構造からして根本的に違うんですから」

「仮にそうだとしても、原因は地球人類の方にあると思うな。 一緒にいてよく分かったけど、ルーフさん達KVーα人は地球人類よりずっと理性的で平和的だよ。 見かけや生態が主観と合わないなんて理由で、交友を拒否するのはおかしいよ」

「……は。 偽善者ですね。 地球人類の殆どにとって、相手の全ては見かけで決まるんですよ。 フランケンシュタインの小説を例に出すまでもないでしょうに」

「なんと言われても良い。 ルーフさんもシャルハさんも、僕の大事な友達だよ。 それに嘘偽りは、ないよ」

賢治は立ち上がった。多分彼は譲らないだろうと思ったからだ。天才という人種は、極端に気難しい事が多いと聞く。主観を一般人以上に絶対視することも珍しくないのは、歴史を学べば誰にでも分かる。

どうやら、謝ってくれそうにもない。其処は、一つだけ残念だった。天才とは厄介だなと、賢治は思った。

 

一日目は退屈なまま終わった。二日目、軍の木星級戦艦とドッキングして、カニーネさんが乗り込んできた。カニーネさんは相変わらずもの凄くごてごてしたゴスロリファッションで、しかしそれが不思議なくらいよく似合っていた。ヘンデルとグレーチェルさんとは、随分久しぶりにあった気がする。グレーチェルさんは前と同じく地味な人で、だがとても楽しそうに笑顔を浮かべていた。ヘンデルは変わらず筋肉が凄い。二人に招かれて、立花先輩と一緒に船室に。

幾つかある船室は、廊下と同じくらい雑多な雰囲気だった。広さは、賢治が暮らしている官給住宅の居間程度だろう。船長室も同じくらい雑然としているのだと、立花先輩が嘆きがちに言っていた。ただ、独立したトイレと風呂があるのは羨ましいことだ。廊下に陣取っている者達は、皆二つしかないトイレを共用で使い、大きな風呂場を皆で使い回すのだ。

落ち着いたところで、カニーネさんがソファにでんと座りながら言った。ソファの背に腕を回して、堂々たる傲慢さだ。

「わははははは、ところでルーフの奴は?」

「今は眠っています。 ククルームルさんの再生で随分体力を消耗したらしくて、最近は寝ていることが多いらしいです」

「何だ、根性がない。 私だったら分離症の回復くらい、余裕でこなしてみせるぞ」

どうやら、思考体と群体を引き離されて起こる症状を、分離症というらしい。苦笑する賢治の前で、グレーチェルさんは、最近のことを話してくれた。

最近は軍にしっかりコネを作ったカニーネさんと、彼方此方を飛び回っていたのだという。幸い学校はどさくさで休校になっていることが多く、どの生徒も通信教育で補助をしていたので、出席日数はカバーできるのだそうだ。

「エキサイティングですね」

「ええ、 毎日がとても楽しいわ。 学校を卒業したら、すぐにでもカニーネさんの副官になるつもりよ」

アクティブな人だなと、賢治は感心した。この人は見かけよりもぐっと積極的なのだ。ヘンデルもきっと同じだろう。少し羨ましいなと、賢治は思った。将来をこれほど明確に決めて、夢に向かっている人間がどれだけいるだろうか。

あくまでグレーチェルさんは少数派なのだ。それは悲しいことだが、事実として認めなければならない。

自立かと、賢治は自問自答した。

賢治もいずれ高校二年生になる。そうなると、後輩を指導していかなければならなくなってくる。立花先輩を見ていて、後輩を指導していくのが如何に大変かは、肌で感じているつもりだ。

いずれ此処までの域に到達したい。KVーα人と地球人類の、友好の形が此処にあるとも思う。だが、今の賢治では、まだまだ到達にはほど遠かった。

しばらく歓談した後、カニーネさんが急に真面目な顔になる。

「作戦案は見せて貰った。 少し危険が大きいようだが、大丈夫か?」

「はい、何とかなると思います。 でも、失敗しそうになったら、補助をお願いいたします」

「ふむ、そうか」

「それと、カニーネさんは、地球人とKVーα人の交友については、どう思っておられますか?」

賢治の質問に、カニーネさんは白くて細い腕を組むと、少し真面目に考え込んだ。たっぷり数分考えてから、彼女は言う。

「成し遂げなければいけないもの、だと思う」

「そうですよね」

「私の大事な子分共と一緒にいるためにもな」

何ともカニーネさんらしい理由だった。ルーフさん達スキマ一家の為だけではない。この人や、他のKVーα人のためにも、賢治は頑張らなければならなかった。

幸広が言った言葉も、真実だとは思う。地球人類が、そう簡単にKV-α人と仲良くなれるはずがない。

だが、地球人類は、悲観的な意見も多かった開拓時代を、無事に乗り切った。資源を使いきる前に宇宙進出を成功させ、今滅亡を逃れ繁栄を築いている。あのときの苦労に比べれば、こんな簡単なことを成し遂げられないはずがない。

カイパーベルト帯を抜けて、杏さんの船は外宇宙に出た。此処からは、航路を辿りながらワープを繰り返して進むことになる。

いよいよ、決戦の時は近づいていた。

 

3,英雄との対面

 

整然と展開している連合の宇宙艦隊が、船のメインスクリーンに映し出される。船長室に失礼させていただいていた賢治は、その威容に圧倒された。数は前情報通り、20000隻を超えている。これだけの宇宙艦がもたらす破壊力を考えると、空恐ろしいほどである。

意外なのは、立国の船が、かなり頻繁に連合の艦隊の中を通過したり、アクセスしたりしている事だ。今、帝国の信託統治について、様々な利権の交渉をしているはずだ。帝国の住民を刺激しないように、まだ大規模な艦隊は駐屯していないはずだが、それも今だけなのだとよく分かる。アシハラ艦隊は典型的な機動部隊だし、その気になればいつでも帝国本土に乗り込めるのだろう。

凄まじい威圧感に圧迫されっぱなしだった賢治が立ち直るのと、連合艦隊からアクセスがあったのは同時だった。数隻の駆逐艦が近づいてくる。まずは動力を停止して、光学通信で連絡を取り合う。此処までは、完全に打ち合わせ通りだ。しっかり仕込みもしてある。向こうがそれを受理していることも、確認している。

ふと気付く。杏さんが難しい顔をしているので、聞いてみる。

「何か、手違いがあったんですか?」

「いや、そうじゃない。 この船を係留して調べるって言ってるからさ。 やだなあ、他人に船なんか弄らせたくないよ」

「まあまあ、ただで整備してもらえると思えばいいじゃないですか」

「お前、キャムの後輩とは思えないほどしたたかだな。 まあいいや。 後は私がやっておくから」

杏さんは少し忙しそうなので、賢治は言われるままに船室を出た。廊下に出ると、既に特務部隊の人たちは、臨戦態勢だった。

もう、戦いは、始まっているのだ。

 

駆逐艦に曳航されて、連合艦隊の中枢部へ。時々、巨大な太陽級戦艦とすれ違った。船の全体を戦のための道具で覆ったその巨体は、陽光を浴びて鈍色に輝く。船体には、ナンバーがプリンティングされていた。

4000隻を一艦隊とする連合の軍制は、賢治も把握している。ただ、総旗艦を木星級のオルヴィアーゼが務めていたり、分からないことも多い。太陽級の戦艦が軍の中核だと言うことは知っているが、各艦隊の旗艦の名前や、編成は分からない。軍事マニアだったら知っているのだろうかと、賢治はぼんやり思った。

レイ中佐は廊下に出てきて、皆に色々と指示を飛ばしていた。時々幸広にも指示を出していることからして、彼は元から軍属の人間だったのだろう。嫌々ながら従う幸広と、時々目が合う。

ルーフさんが船室から出てきた。素足のままだ。白い脚が、少し目の毒である。

「いよいよですの?」

「ええ。 そろそろ、オルヴィアーゼにつきます」

何回か、連合の軍人が中に来た。随分固い雰囲気のある人達で、油断無く船内をチェックし、武器の類がないか確認していった。見たこともない器具類で、爆弾も探していた。船長室にも入って、何か調べていたようだ。ロボット達も、幾つか質問を受けていた。質問は緻密で、賢治には口を出す暇もなかった。

「オルヴィアーゼについては、私の方でも調べてみたのですけれど、地球人類の中で一番人気がある戦艦なんですって?」

「ええ。 歴史上で言うと、地球時代の戦艦大和や空母ニミッツ、開拓時代の総合展開艦ヴァルフレイなんかと並ぶ、もっとも人気のある艦ですよ」

「どれもとても愛されている船だと言うことは分かりますけれど、ううむ、戦争に使われるものばかりですわね」

「すみません。 地球人類は、好戦的な種族ですから」

指摘されると、確かにその通りである。開拓時代には、大きな業績を上げた宇宙船が何隻も存在した。その多くは地球に今も保管されている。この立国の博物館にも、テラフォーミングを行った惑星開拓船が残っている。しかし、それらの人気は、歴史上の軍艦に比べるとどうしても劣るのが実情だ。

そもそも、艦船に興味を持つのが、男性の場合が多い。そして男性が興味を持つのは、やはり軍艦であることが殆どなのだ。強化ナノマシンによって能力に差が無くなってきた現在でも、こうした差はまだ残っている。立花先輩も、危険を積極的に背負う気があっても、戦争に強い興味を示すことはない。逆に賢治は頭脳労働が中心であっても、結局戦争に興味を持ってしまっていることに気付いた。

他の種族から見れば、賢治も充分に、戦争を好む地球人類の一員だ。それに気付くと、やはり悲しかった。地球人は、結局同族との殺し合いから逃れられないのだろうか。

レイ中佐が来た。普段の軍服ではなく、若干ラフな服装だ。凹凸がはっきりしているグラマラスな肢体を、民間製の衣服に包んでいるが、配色と言いセンスと言い非常にハイレベルである。木石のように感情を見せなかった辺りの特務部隊員達がどよめくのが賢治には感じられた。賢治自身もびっくりである。

「そろそろよ。 準備して」

「あ、はいっ」

「相手先からは、もう連絡が来ているわ。 アシハラ元帥と会合を持つまで、少し時間があるけれど、今のところ問題は見つかっていないわ。 きっと上手くいくから、心配しないようにね」

まるで児童を諭すようなその言葉に、賢治は恐縮するばかりだった。作戦を立てたのは賢治なのに、まるでこれは引率されてその場に行く児童のようだ。仕方がない話である。実務レベルには、賢治はタッチしていないのだ。それに修羅場をくぐった経験にしても、レイ中佐は比較にならない。

船が、速度を落としたのが分かった。ほどなく、ドッキングする。衝撃は大きかった。廊下にある手すりに掴まらないと、転んでいたかも知れない。

ドッキングした船を見て、少しだけ驚く。オルヴィアーゼではなく、聞いたこともない艦船だ。驚きを見てか、静名がサポートしてくれた。

連合のやり方では、いきなり船をオルヴィアーゼに着けるのではなく、護衛艦にまずつなげるのだという。そしてボディチェックをしてから、オルヴィアーゼにシャトルで赴くのだとか。流石の警備態勢である。更に、会見の時には、人払いをするにしても専用の戦闘ロボットが必ず護衛を続けるのだという。これならば、凶器を持った暗殺者が潜入できる可能性は極めて低いし、実行も難しい。それに、船そのものを用いたテロも起こしにくい。

この場にいる全員に、それぞれの仕事がある。最終的に、全員が生きて帰るまでが今回の仕事だ。一番大きい危険を背負うのは賢治だが、賢治が死ねば他の者達もまず生きては帰れないだろう。ルーフさん達KVーα人だって、どうなるかは分からない。

頬を叩いて、気合いを入れ直す。

さあ、決戦だ。

自分に言い聞かせると、賢治は立ち上がった。

 

連合の宇宙艦隊副司令官アシハラ=ナナマ元帥は、疲労の極地にあった。書類の処理が一段落すると、リクライニングにもたれて、天井を呆然と見てしまう。

サポートプログラムを使っているとはいえ、帝国とのやりとりで、毎日積み上げるほどの書類と格闘しなければならないのだ。これでも全体の二割程度、重要度の低いものが殆どだというのだから、姉の凄まじい事務処理能力がよく分かる。

更にアシハラを疲労させたのは、立国から毎日のように来る客の存在だった。政府の高官達との面会はあらかた終わったが、しかし今では民間会社の社長やら、市民団体の代表やらが毎日詰めかけてきて、挨拶だの要望だのをふっかけてくる。中には、アシハラが直接会わなければならない者も多く、疲労は更に蓄積した。

睡眠は急速睡眠装置で行って、疲労は出来るだけ取るようにしている。しかしそれでも、精神的な疲労まではどうにもならない。お菓子を食べたりもしているのだが、回復しきるのは難しかった。

また、副官が膨大な書類を運んできた。今まで振り回された仕返しとばかりに、恐ろしいほど計算し尽くされたタイミングで運び込んでくる。もちろん、この船にもサポート用の事務要員は乗り込んできている。だが、その補助があって、この分量なのだ。デスマーチをしている気分である。しかも、状況は一週間以上、解決していない。

姉の話によると、信託統治がしっかり走り出せば、状況は改善するという。だがそれもいつになることか。逃げ出したいと思う反面、今まで培ってきた責任感が、それをさせない。酒を飲む時間さえもない。

だから、その言葉についても、あまり疑問を感じなかった。何だか凄く機嫌が良い副官が、にこにこしながら次の用事をつげに来る。

「アシハラ元帥、次のお客様との、面会の時間です」

「あー。 分かってる」

携帯端末を操作して、スケジュールを表示する。頭の中がぐらぐらして、殆ど記憶がなかった。

「ええと、なんだこれは。 学校の関係者達による感謝面談? 一体何の学校だったっけか」

「ええと。 帝国の諜報員によってテロを起こされた学校がありまして、その代表が挨拶をしに来ています。 帝国を追い払ってくれて感謝というわけですな」

「そうか、それでは会わない訳には行かないな」

こういう会合は、結構重要なのだ。何しろ相手は学生で、邪険にすると体面に関わってくる。今後の立国との関係を考えると、出来るだけ民間人とは仲良くしていかなければならない。帝国をこき下ろす必要もあるだろう。本音で言うと、帝国のフリードリーヒ提督は気の毒な人とは思う。しかし、諜報員共にテロを起こされた民間人の気持ちもよく分かる。なぜなら、アシハラ自身が、戦災孤児だからだ。

可能性は極小だが、学生を利用したテロの可能性もある。だから、戦闘ロボットは連れて行く。こう言う時に使う戦闘ロボットはネットワークと最小限の接続しか持たないスタンドアローン型で、最新鋭のものである。アシハラ自身の格闘戦闘能力の低さはよく知られていて、それを補填するための措置でもある。

艦橋を出て、まず洗面室に。専門の技術官が、メイクを施す。疲労が出来るだけ見えないようにするのと、見栄えをよくするためだ。元々地味な容姿で背も低いアシハラだ。素のまま人前に出るのは、あまり望ましいことではない。

ほどなく、「見苦しくない」格好が整った。うっすら化粧もしている。濃すぎる化粧は却って見苦しいが、鏡で見るとよくバランスを考えてある、丁寧な仕上がりだ。いくつか事前に必要な情報を携帯端末から呼び出して頭に入れると、護衛のロボットを伴い、応接室へ向かう。足下がふらつくが、何とか精神力で持たせる。敬礼してくる部下達に、敬礼を返しながら、必死に背筋を保つ。

応接室に入った。まずアシハラは、高級側のソファに座る。最初に対応側が、椅子に座った状態で出迎えるのがセオリーだ。二分ほどして、客が入ってきた。五人。男の子が二人、女の子が三人。女の子は皆背が低くて、アシハラは好感を持った。背丈に恵まれないアシハラは、長身の相手が苦手だ。

男の子の方は、一人が長身で、肌も浅黒い。もう一人は女の子のような整った顔をしていて、如何にも気弱そうだった。この子が、今回の代表らしい。疲労した頭では、それ以上の推測を働かせることが出来なかった。

立ち上がって、握手する。頭を下げた瞬間、意識が覚醒したのは、実に聞き捨てならない事を言われたからである。

顔を上げて、笑顔を作る。それがとても難しいことだ。そして、後ろに作り笑顔で控えている武官と文官に振り向く。

「人払いを」

「は? はあ、しかし」

「いいから、人払いだ」

困惑しながら、連中が部屋を出て行く。どのみち護衛は戦闘ロボットだけで充分だ。かなりデリケートな話題が出てくる可能性もあり、連中に聞かれる方がリスクが大きい。

改めて、今とんでもないことを言った学生を見やる。どうやら、此処にいるのは普通の学生ではなく、死を賭して此処まで来た戦士らしい。外見は気弱そうだが、中身はしっかりしているではないか。息子のことを思い出して、何だか温かい気持ちを抱く。アシハラは少し機嫌が良くなった。随分久しぶりのことだ。

突っ立っていても仕方がない。座るように促し、ソファに腰掛けながら、言う。

「さて、話を聞こうか」

まだ、優位は此方にある。出来るだけその精神的姿勢を崩さないようにしながら、アシハラは戦う姿勢を整えた。

 

握手した瞬間、賢治は最初の攻撃に出た。他には聞こえない程度に声量を絞り、言ったのである。

「今回の一連の事件、裏で糸を引いていたのは、貴方ですか?」

一歩間違えれば、此処で全てが終わっていた。もしアシハラ元帥が、予想よりも気が短かったり。本当は、陰謀の存在に気もつかないほど頭が悪かったり。或いは、陰謀を行ってはいるが、賢治を消す方が有益だと判断したり。

だが、それらはないと、事前に分析は済んでいた。案の定、アシハラ元帥は話を聞く態勢を作ってくれた。まず、此処は上手くいった。

此処からは、一言でもミスをすれば、破滅につながりかねない。元々、交渉をして勝てる相手だとは思っていないのだ。事前に敷いておいたレール通りに、話を進めていく。それしか手はない。

アシハラ元帥は、ソファの背中に腕を回して、多少ぶしつけだが話を聞く態勢を作ってくれている。機嫌も悪くない。此方が子供だからだ。しかも、自分と同年代の子供がいるからだ。此処で無礼だとか指摘するのは、却ってやぶ蛇になる。だから笑顔を作って、話を進めていく。

順番に、説明していく。何故、この一連の事件が、連合の陰謀だと判断したのか。一つずつ、今までの事件を振り返りながら、指摘していく。

アシハラ元帥は、目を細めて賢治の話を聞いていた。じっと静かに、揶揄を入れずに、話を聞いてくれている。見て分かる。この人は、賢治の言動を楽しんでいる。元々子供っぽくて、気難しい人だという。だからこそ、分かり易い。この人は、今の状況も、おもしろがっているのだ。

「以上です。 何か、おかしな事はありますか?」

「いや、だいたいは正しいな」

何の趣味なのか、アシハラ元帥は草の茎を胸ポッケから取り出すと、口にくわえた。それを上下に揺らし始める。

「やっぱり。 それでは、黒幕は貴方ですか?」

「残念ながら、違う。 というか、勘弁してくれ。 英雄だとか何だとか勝手に評価されてるが、私はこれでも、ただの戦争屋なんだよ。 陰謀とか、政治的策謀とか、そういう泥臭いのは好きじゃないし、得意でもない。 今でさえ、膨大な書類を処理するのに、一杯一杯になってるんだ」

その苦しそうな言葉には真実味が籠もっていて、嘘だとはとても思えなかった。やはり、この人は子供なのだろう。ただ、だからといって油断は出来ない。幸広のように、陰謀を企む子供だっているのだ。

それにしても、良かった。どうやらアシハラ元帥は、多くの人が憧れるに相応しい人物であったようだ。話を進める。少しずつ、気は楽になりつつある。

「そうなると、やはり陰謀の震源地になっているのは、連合のルパイド元帥ですね」

「……お前、一体どこからその情報ひねり出したんだ? 立国の国家戦略シミュレーション室は其処まで分析し切れていないって聞いていたんだが」

「今まで、僕は事の渦中にいました。 だから、見えてきたこともあります」

「事の渦中だって?」

眉をひそめたアシハラ元帥に、たたみかける。此処が好機だ。アシハラ元帥は、精神的に臨戦態勢にある。だが、奇襲作戦を繰り出せば、誰にだって効果はある。効果があると分かっていれば、隙を突くのも難しくない。

ルーフさんと、シャルハさんに目配せする。二人は頷く。一歩前に出ながら、ルーフさんはきちんと礼にかなった挨拶をする。

「初めまして、アシハラ=ナナマ元帥」

「ああ、初めまして」

「わたくしの名前は、フィルアルドスルススルーフ。 あなた方の言葉では、十九の世代を重ねた偉大なる母胎という意味ですわ。 こっちは夫のシャルハフォートラ」

それで、アシハラ元帥は意味を悟ったらしい。話が早くて助かる。

「ま、まさか」

「気付いていただけると、話が早くて助かります。 後ろにいるカニーネさんも含めて、三人がKVーα人です。 そして彼らは、みんな僕の友達です。 みんないい人達で、僕にはもったいないくらいの、大事な存在です」

立ち上がり、混乱しているアシハラ元帥に、更に追い打ちを掛ける。この人は戦場では幾らでも冷静になれるはずだが、こういう場では人間らしい脆さも露呈するはずだ。実際に凶行に手を染める人間は、被害者に直接会うことを想定していないことが多い。今回アシハラ元帥は実行犯ではないが、罪悪感はあるはずだ。其処を突く。

あまり大きな声を出すことは得意ではない。だから、一言一言を丁寧に、しっかり刻み込むように発音していく。

「そ、そうか。 それは」

「僕の望みは、ただの一つしかありません。 みんなで仲良く今後も暮らしていくことだけです。 そのためには、連合が国家規模で行って、KVーα人の皆さんを巻き込んでいる陰謀は、脅威以外の何者でもありません。 止めろとは言いません。 恐らく、国家的な戦略に基づいているはずですから。 でも、出来ればKVーα星から来た、善良な人たちを、地球人類の陰謀に巻き込まないで欲しい。 陰謀が止まらない以上、対抗策は練っておきたい。 それには、陰謀の源泉に直接触れて、その意味と将来的な戦略を知っておきたいんです」

「……そうか、そうだったのか」

アシハラ元帥はしばらく悩んだ後、立ち上がり、神妙に頭を下げた。多分自分にではなく、ルーフさんと、シャルハさんと、カニーネさんにだ。

「せっかく余所の文明まで危険を冒して来てくれていたのに、下劣な陰謀に巻き込んでしまって、本当に済まなかった。 非常に渦の中心に近い場所にいた存在として、お詫びさせて貰う」

「頭を上げてください、アシハラ元帥。 貴方が悪いのではありませんわ」

ルーフさんが、笑顔で取りなしてくれる。娘があんな事になったというのに、此処まで出来る地球人類が出来るだろうか。殆どいないだろう。それだけに、アシハラ元帥も思うところがあるはずだ。事実、とても申し訳なさそうな顔をしている。

賢治は表情を崩さないまま、胸をなで下ろした。とりあえず、想定していたとおりに、第一段階は進行した。

さて、問題は此処からだ。

アシハラ元帥を責めても、何一つ解決することなど無い。精神的には「気が済む」かも知れないが、恒久的な対策にはほど遠い。これは、子供の喧嘩ではない。大人の世界の、駆け引きなのだ。

此処までは明確なビジョンが出来ていた。しかし、アシハラ元帥も甘い人物とはとても言えない。これからする提案を、あっさり聞き入れてくれるとは、とても思えない。だから、相手の精神的な態勢が整う前に、たたみかける。

「あまり、酷いことはしないと約束します。 だから、震源地であるルパイド元帥と、面会できるようにしていただけませんか」

「……それは、難しいな。 何とかしてやりたいのは事実なんだが」

「事が、国家の重大戦略だと言うことは分かっています。 しかし、此処にいるルーフさん達は、いずれKVーα政府を背負って立つ人たちです。 彼女らを陰謀に巻き込んだままで、良いんですか?」

腕組みしていたアシハラ元帥は、しばし計算し続けていた。それが、賢治にはよく分かった。その様子を見ていて、幾つか類推できる事もあった。

この人も、ルパイド元帥の陰謀には、あまり良い印象を持っていなかったのだ。それに、KVーα人の境遇にも、かなり思うところがあるのだろう。少なくとも、姉の言いなりという訳ではなさそうだと、賢治は思った。戦場以外では、全て姉の良いなりになっているという最悪の想定は、回避できたことになる。

今までの反応を見ている限り、情に深い人なのだなと、賢治は感じた。だが、そこで手をゆるめてしまってはいけない。此処が、勝負所なのだ。人間社会で展開される陰謀というものが如何に不快なものなのか、此処からもよく分かる。根が善良な人につけ込むことで、勝とうというのだから。

まだ、カードは幾つかある。ダーティなものも用意してきてある。だが、それは出来れば使いたくない。この人には、正面からの勝負で、此方の要求を通したかった。

「僕も、必ずしもルパイド元帥が連合の権益のためや、自分の野心のためだけに、こんな巨大な陰謀を目論んだとは思っていません。 当人と、腹を割って話しておきたいだけなんです。 駄目、でしょうか」

「……」

腕組みしたまま、アシハラ元帥は応えてくれない。賢治の背中を、冷や汗が伝った。

 

レイミティ中佐は、部下達もろとも、オルヴィアーゼの中に散っていた。若い人間は学生に扮し、そうするのに無理がある人間は引率という設定である。どちらにも現役の人間が混じっているので、演技は容易だった。

彼女ら特務部隊の目的は、存在自体がカードとなることである。もちろん火器類は取り上げられているが、その気になれば近くにいる人間を取り押さえて、人質に出来る。今回来ている三十人ほどは、フランソワなど少数を除く全員が、特殊訓練を受けている者達だ。如何に精鋭揃いのオルヴィアーゼのクルーといえど、そう遅れは取らない。最終的な目的は、主砲制御室か動力炉を押さえることだ。そこまで行かないにしても、船内に敵性分子が三十人以上もいるというのは、面白くない事態だ。

もっとも、このカードを使うことになるのは、交渉が完全に決裂した場合である。その場合では、アシハラ元帥の身柄を抑えることを第一に想定する。それが失敗した場合に、船内の制圧を。それも無理な場合には、子供達を何とか逃がすために時間稼ぎをする。文字通り必死の任務だが、この国の将来が掛かっていると思えば、安いものだ。

生徒達を引率するふりをしながら、船内の装備を見回っていたレイミティに、フランソワが見るからに不安げな様子で近寄ってきた。声を落として言う。

「被名島君、大丈夫でしょうか」

「大丈夫よ。 いざというときのために、キャムも着けてるんだから」

「確かに立花さんが側にいれば、大体のことには対応できるでしょうけれど」

「今更じたばたしないで、彼を信じなさい。 彼の作戦案を飲んで、もう此処まで来ているんだから」

フランソワの肩を叩くと、レイミティは辺りの見回りに戻る。見張りの兵士に、時々にこりと笑顔を返す。うっかり気を抜くと、つい癖から敬礼しそうになってしまうので、注意が必要だ。

それにしても、流石にオルヴィアーゼである。船内の警備には隙が無く、重要な施設には、とてもではないが入れそうにない。相手が学生だとしても油断する気はないらしく、見張りの兵士も、片時も緊張を崩さなかった。

艦橋に案内して欲しいと、生徒を装っている小柄な兵士の一人が言った。こっそり幸広の脇腹を、彼が小突く。幸広も同意したので、長身で無愛想な見張りの兵士は、渋々と言う感じで、艦橋に案内してくれるべく手続きを始めた。

会合が開始されてから、既に三十分が経とうとしている。もし一時間を超える場合には、交渉決裂と考えて、行動を起こす手はずになっている。賢治の作戦立案能力と、状況分析能力は、レイミティが一番よく知っている。必ず上手くいくはずだと、鎌首をもたげてくる不安を押し殺す。

針の筵に座るような時間が、ゆっくり、流れていった。

 

4,英雄の後ろに

 

既に、アシハラ元帥は二十分以上も考え込んでいた。流石の賢治も、恐怖を感じ始めていた。

この人に熟考されてしまっては、どんな切り返しをされるか分かったものではない。今までの交渉でしっかり心は掴んだと思っていた。しかし、じっくり考えたアシハラ元帥が、やはり賢治を消す方が得だと思わない保証などない。立花先輩が、目配せをしてくる。いざというときは、先輩がアシハラ元帥を取り押さえる手はずだ。だが、その決断をするのは、まだ早い。

それは、あくまで最悪の事態が来た時に、執るべき手段だと賢治は考えている。事実、それをやればレイ中佐を始め、特務部隊の人たちや、ヘンデルとグレーチェルさんも危険にさらすことになる。ギリギリまで、その決断は保留にしなければならない。人質を取った立てこもり犯人を捕らえる時にも、狙撃は最後の手段だ。普通は、ネゴシエーションによって決着を付ける。

アシハラ元帥が、護衛のロボットに振り返り、茶を入れるように言った。これで四杯目だ。一体何を熟考しているのか。全く読めない。今までにない恐怖が、徐々に賢治の全身を侵していく。

思わず、アシハラ元帥に詰め寄りそうになった瞬間。相手に機先を制された。

「いや、姉さんの所には、連れて行ってあげようと思ってる」

「そう、ですか」

「そう。 だから、少し考えさせてくれ。 私自身も、今回の戦乱に裏があったと言うことは、内心穏やかじゃない。 どうせなら、KVーα人の代表達と一緒に、姉さんに話を聞きにいきたいだろ。 一番良い方法を、今考えてる」

安心した。しかし、気を緩めるのは、まだ早い。油断させておいて、一気に隙を突く方法もあるからだ。常套的な交渉テクニックである。

賢治はここに来る前に、念入りにネゴシエーションについて調べてきた。様々なネゴシエーションの技術については、頭に叩き込んである。知っていれば、対応速度に個人差はあれど、不意を突かれる可能性は減る。しかし、少し身構えてしまっているかも知れないと、賢治は自問自答した。

一番良くないのは、後で回答すると言われることだ。どんな返答がされるか知れたものではない。帰路で撃墜される可能性さえある。アシハラ元帥は、公式の場で、嘘をつくような下劣な人間ではないはずだ。だからこそに、此処で、回答をしっかり得ておかなければならない。

アシハラ元帥が、茶を飲み干した。賢治は生唾を飲み下す音を、確かに聞いていた。いつの間にか、精神的な余裕が消えている。僅かに間を作られるだけで、こうも簡単に優位は揺らぐものなのか。

見せつけるように、その事実を作り出しながら、アシハラ元帥はテーカップを机の上に置いた。そして、賢治の顔を正面から見据える。

「良し、決めた」

「はい」

「少年、ちょっと学校を休んで貰う」

意味を一瞬理解できなかった。思わず殺気立つ立花先輩。それに対し、アシハラ元帥は極めて冷静だった。どうやら、完全にペースを取り戻したらしい。これはまずいかも知れないと、賢治は思った。

「主要人物だけ、オルヴィアーゼに残れ。 今姉さんは、帝国の信託統治を進めるために、連合の辺境まで来ている。 適当な理由を思いついたから、其処に全員で押しかけるとしようか」

「え、ええと。 まさか。 アシハラ元帥が、一緒にルパイド元帥に対して、今回の陰謀について問いただしてくれるのですか?」

「そう言っている」

確約は、取れた。一気に疲れと汗が噴き出してくる。幾つかのカードを使わずに封印できるのは、良いことであった。その一方で、精神的な打撃もまた大きい。この場で倒れそうになってしまうが、何とか意識を保つ。

肩に置かれる手。立花先輩のものだ。どうやら、意識が落ちかけていたらしい。先輩に感謝しながら、交渉の詰めに入る。

「分かりました。 僕としては、異存ありません」

「なら、一緒に来た「学生と引率の教師」達は、もう帰しても構わないな? もし交渉がうまく行かなかった場合、この船を内側から乗っ取りでもするつもりだったんだろ」

「いつから、気付いていたんですか?」

「お前が最初につぶやいた言葉を聞いてからだ」

流石にかなわないなと、賢治は思った。ただ、このカードは、正体が割れていても効果を発揮したジョーカーだ。アシハラ元帥が存在に気付いた時には、もう遅い。使わずに良かったのは幸いであったが。

その後は、幾つか細かい点を詰めて、交渉は終了した。握手を求めた賢治だったが、あまりいい顔はされなかった。

やはり少し気難しい人なのだなと、賢治は思った。握り替えしてきた手は、とても小さかった。

 

応接室から引き上げた賢治達は、そろって客間に通された。そこそこの広さがあり、ビジネスホテルくらいの設備が整っている。ベットもあり、ふかふかだった。

すぐにレイ中佐と連絡を取り、部屋に来て貰う。交渉に参加した面々に、特務部隊の幹部を加えて、交渉が上手くいった事を伝える。ただし、特務部隊の殆どの人たちは、これで帰還して貰うことになることも。具体的に、この船でルパイド元帥の下へ赴く人数は限られている。賢治と立花先輩、ヘンデルとグレーチェルさん。レイ中佐と、それにルーフさんとシャルハさん、カニーネさんだ。護衛用の戦闘ロボットも、あらかた帰って貰う。連れて行くのは、静名とフォルトナだけである。

特務部隊の重要人物の内、フランソワ大尉とシノン少佐には引き上げて貰うことになる。これは、一旦引き上げる特務部隊の人たちをまとめる人物が必要だろうと、アシハラ元帥が考えたからだ。この辺りの配慮は、もう賢治に出来ることではない。ただ、アシハラ元帥としては、船内で破壊活動をされることを、警戒もしていたのだろう。賢治を信頼するにしても、一緒に着いてきているお目付役までは無理というのが、自然な反応だ。アシハラ元帥の判断は、理解できないものではない。

「本当に、大丈夫?」

「アシハラ元帥は、話してみた感触では、信頼できます。 確かに噂通りかなり気難しい方ですが、明言した事を翻すような人物には見えません。 途中で気が変わって、我々が処分される可能性は低いと思います」

「それなら、いいのだけれど」

まだ不安を隠せない様子で、レイ中佐は言った。それにフォローを入れてくれたのは、立花先輩だった。

「レイ中佐、あたしも、アシハラ元帥が信頼できることは保証します。 確かに嘘をつくような人物には見えませんでした」

「貴方の直感が優れているのは認めるけれど、何か根拠が欲しいところだわ」

「そう言われると、弱いところですけど」

「私からも、保証いたしますわ」

今度はルーフさんだ。ルーフさんもかなり緊張したらしく、部屋に戻ってきてからはしきりにタオルで首筋を拭いていた。これは汗を掻いていたのではなく、擬態を部分的に解除し続けることで、疲労を抑えていたのだそうだ。ルーフさんが疲れたと言うことは、交渉の最中ずっと状況を分析し続けていたことを意味する。

KVーα星人は、地球人類と違う感覚のもと生きている。地球人類の中でここしばらく暮らしていたルーフさんは、相手の分析が非常に巧くなっている。単純な思考解析、つまり嘘をついているか本当なのかくらいなら、すぐにでも見抜けるだろう。

それを知っているレイ中佐は、やっと安心したようだった。

「貴方が、そう言うのでしたら、より信頼度は増します。 しかし、何か明文化できる根拠はありますか?」

「あの人の思考パターンは、賢治さんやキャムさんのそれに酷似していましたわ。 恐らく、公式の場で嘘をつくような事はないでしょう。 地球人類にしては珍しいタイプの思考パターンでしたから、すぐに分かりましたわ」

「あ、それは僕も感じた。 賢治君によく似ていたな」

「私も感じたぞ。 ヘンデルやグレーチェルと同じ、正直で、愚直で、好ましい思考パターンだった。 あのものは少し気が短いようだったが、私は気に入った。 それだけで、信用するに値するだろう」

口々に、シャルハさんとカニーネさんも言ってくれた。慎重なレイ中佐も、それでどうやら覚悟を決めてくれたらしい。しばしの沈黙の後、大きく頷いた。

「分かりました。 状況を好ましいものと判断して、意向を汲ませて貰います」

「有難うございます」

「すぐに交渉の経過を報告書にしてください。 私の方から、上司に提出しなければならないですから」

疲れていたのは、皆も同じだ。だが、賢治はまだ休む訳には行かない。立花先輩が、覚えているやりとりについては補助してくれると言ってくれた。

それが、とても心強かった。

 

艦橋に戻ると、アシハラは部下達を集めて、今後の方針を説明した。護衛艦隊を連れて、連合の辺境に向かう。そして、一度ルパイド元帥と合流する。実際に話すことで、幾つかの未解決案件を処理するためだと説明した。幾つかの仕事が滞っていることは全くの事実であったので、誰も異議は唱えなかった。更に、連れてきている艦隊も、順次連合に引き上げさせる。これは全くの予定通りなので、誰も気にしなかった。帝国領辺境に派遣する艦隊は、防衛用の編成が為されたもので、多分姉が自分で率いていくはずだ。守勢に強い姉の手腕は誰もが認めるところだし、何より糸を後ろで引くのも都合が良いだろう。

会議が終わると、自室へ引き上げる。育ててある草の鉢植えを確認し、それからベットに転がる。疲れている脳にはもやが掛かっているが、どうしてか実に愉快だった。

今までアシハラは、天才という人種に何度も会ってきた。

総合力で関して言えば、姉などはその一角に入る。用兵の才では上回っている自信があるが、それ以外は全てにおいて負けている。戦場以外で役立たずなアシハラに対し、姉は陰謀や謀略までこなすマルチな才能の持ち主なのだ。古代に産まれていれば、偉大なる女王として名を残したかも知れない。真の意味での英傑は、自分ではなく姉だとさえ、アシハラは思っている。

他にも、天才と呼ばれる存在は、何度も見てきた。芸術分野にもいたし、軍事分野にもいた。大人になってから、なおも天才と呼ばれる者は少なかったが、それでも何人も知っている。

天才は、平均的な人間に比べて、著しく才が偏った者を指す。だからこそに、その精神は平均的な人間と乖離していることが多い。だから、気が合う者は少なく、良い印象を受けた天才は少ない。

だが、今日対面した被名島賢治少年は、随分違った。

あらゆる状況証拠から、あの少年が、手近な情報をかき集めて、姉の張り巡らせた陰謀の糸をほぼ正確に把握したことは確実だ。周囲の環境に恵まれていたことは否定できないとしても、あの年としては、考えられないほどの識見と判断能力だとも言える。あの少年が、一種の天才であることは、間違いないだろう。

しかしながら、不思議なことに、他の天才と接した時に感じる不快感が殆ど無かった。同族嫌悪と言う奴は、確かにある。宇宙最強の用兵家を謡われるアシハラは、自分が天才という人種に属することを嫌々ながらも認識している。しかし、あの少年は、ひょっとして違うのではないかとさえ思ってしまった。

もし天才でないとすると、何だろうとさえ、考えてしまう。異才と言うべきなのだろうか。

ベットに転がって、天井を見つめる。何の染みもない綺麗な天井である。自分が留守にしている間に、ロボットが掃除しているのだ。綺麗な天井を見て、苦みのある草の茎を噛んでいると、落ち着く。思考を練るにも丁度良い。

不意に、緊急通信が鳴った。緩慢に携帯端末に手を伸ばして、取る。立体映像が、眼前に浮かび上がった。副官でも艦長でもない。この船に乗っている、上級士官の一人だ。線の細い中年男性で、デスクワークが専門の人物である。

「お休みの所、申し訳ありません」

「何だ」

「じ、実は」

様子がおかしい。言葉を詰まらせた士官の回線を確認すると、発信元は女子トイレだ。この士官に、そのような趣味はないはずだ。そうなると。

「お前を捕らえている人物と代われ」

「申し訳ありません」

「気にするな。 私もさっき不意を突かれて、終始会談を好きなようにリードされ続けたくらいだしな」

低い声で笑うと、士官の姿が消える。変わりに移り込んだのは、ワカメみたいな髪の、糸目の女だった。不快である。長身であることが分かったからだ。

「さっき、あの子らと一緒に来た引率の教師だな。 こんなダーティな手段を使って、私に何のようだ」

「用事は一つだけです。 是非聞かせてください。 私は一体何に巻き込まれているんですか? 私の大事なキノカを傷つけたのは、貴方の陰謀が原因ですか?」

眉をひそめたアシハラだが、すぐに大体の事情を理解する。

多分この人物は、完全な一般人だ。正確には、特務部隊の任務に情報公開限定付きで協力している一般人だろう。KVーα人が何だか知らない可能性さえある。

巨大な国家は、圧倒的な存在を誇る。少し動くだけで、踏みつぶされる存在が出る。餌を採れば、膨大な命が失われる。体を揺すれば風が起こり、或いは地震になる。踏みにじられた存在は、気付かれないことさえ多い。当然、その中で駆使される陰謀も、同じように巨大な存在だ。

いつも嘆き悲しむのは、弱者なのだ。

アシハラも、戦災孤児になった時には、同じような目にあった。落ちてきた戦艦が街を直撃して、1万人以上の死者を出したあの日のことは、今でも覚えている。ろくでなしの両親はそれで死んだが、後は苦難だけが待っていた。

戦争だって、本当は好きだった訳じゃない。ただ、特性がこの分野にしか無かったのだ。だから必死にやってきた。いつの間にか、英雄とか呼ばれていた。

そんなアシハラだから、この人の悲しみは分かる。キノカという存在が生きているのか、死んでいるのか。人間なのかそうではないのか。それすら分からないが、一つだけ、しておかなければならないことがあった。

「残念ながら、そうじゃない」

「ならば、誰がこのようなことを」

「それを確かめるために、貴方の教え子達は此処に来た。 頭に来てるのも、身内に被害を出したのも、貴方だけではないと言うことだ。 それに、この陰謀劇に、腹が立っているのは、私も同じだ」

体を起こすと、一礼した。傲慢不遜なアシハラであるが、譲れない一線というものはある。軍人なら持つべきだと考えている、最低限の一線だ。それはプライドを支えている、基礎的な部分でもある。

「すまなかった。 所属する国家に関係なく、民間人に被害を出してしまったのは、我ら公務員の失態だ。 許してほしい。 原因究明は、貴方の教え子達もふまえて、これから行う」

「……」

「このことは、無かったことにしておく。 だから、その男を放してやって欲しい。 上級士官だと言うだけで、貴方の恨みを買う理由のない男だ」

一瞬、士官を放す小柄なロボットの姿が見えた。目つきのきつい、愛想のない家庭用メイドロボットだ。ひょっとすると、あのロボットがキノカなのかも知れないと、アシハラは思った。ロボットを身内同様に愛する人間は少ないが、存在はしていると聞いている。息子のバスターも、幼い頃はメイドロボットに終始まとわりついていた。どういう事情で、ロボットが災厄に巻き込まれたかは分からない。しかし、この場合、責任はアシハラをはじめとする上層部にあるのだ。

多分あの女は、何だかんだ理由を付けて着いてくるだろう。事と次第によっては、この船を爆破しようと目論むかも知れない。だが、それもいい。守りきれなかった民間人の恨みで爆散するのなら、オルヴィアーゼの船運もそこまでだったと言うことだ。

女は女子トイレを出て行ったらしい。調べてみると、蛍という名前だった。正真正銘、あの被名島賢治の所属する学校の教師である。色々と気の毒な目にあったのだろうなと思い、もう一度アシハラは目を閉じた。

環境に戻ると、連れて行く人員が一人増えていることを聞かされた。やはりあの蛍であった。かなり強引にねじ込んできたらしい。どうしようかと聞かれたが、当然笑って参加を許した。あの姉と戦うのなら、少しでも人数は多い方が良い。波乱づくめであったとしてもだ。

少し道程が面白くなりそうだと、アシハラは思った。

 

5,糸の根源

 

妹から来た連絡を見て、思わずルパイド=ナナマ元帥は吹き出していた。相変わらず、短絡思考な妹である。微笑ましいし好ましいが、色々問題も多い。だが、だからこそに、可愛くて大好きなのだが。

地球時代で言う三十代前半の肉体年齢を保っているルパイド元帥だが、更に若く見えると周囲からは言われている。しかし、もう化粧をせずに人前に出るのは難しいし、体の節々には衰えも感じる。何より、思考の衰えは一番深刻だ。こればかりはどうにもならない。強化ナノマシンも、不老不死を実現する訳ではないのだ。

今、ルパイド元帥が取り組んでいるこの巨大プロジェクトは、下手をすると地球人類の未来を閉ざしてしまう。だから、あまり無駄な労力は使いたくないのだ。今回、妹は情報を知らされていないことに腹を立て、どうやったかさっぱり分からないが黒幕である自分の存在を見抜いた高校生達と一緒に押しかけてくるつもりらしい。

別に、それならそれでいい。こう言っては何だが、己の欲を全体に優先したことなど一度もない。そう言う意味で、他者に顔向けできないことは、ただの一度だってしたことはないと断言できる。

しかし、今まで多くのミスは重ねてきたし、予想外の出来事に被害を増やしたこともあった。だから、油断は最後まで出来ない。故に、今回の件は、楽観視できない。それなりに気をつける必要がある。

後は大詰めだ。法国と地球連邦の連携を防ぎ、更に今回帝国を焚きつけた邦商を潰す。邦商を潰すのは、主に立国にやらせればいい。どのみち、邦商は内部が腐食しきった老木だ。人脈という点でも、既に形骸化しており、経済力も過去の遺物に過ぎない。邦商が完全に潰れれば、その領土は立国に殆ど譲ってしまってもいい。得たところで、何の旨味もないからだ。邦商は、ただ潰れてしまってくれれば、それでいい。

帝国は二十年ほど掛ければ完全に併呑できる事が分かっている。元々主要構成員は同じアジア系とゲルマン系なのだ。信託統治を受け入れた帝国を、時間を掛けてじっくり飼い慣らしていけばいい。フリードリーヒ提督が殆ど無傷のまま回収してくれた常備防衛軍は、そのまま膝下に納め、法国や連邦の横やりに対する盾にも出来る。何よりも、連合のしっかりした政治システムを導入すれば、税も安くできるし市民の地位も向上する。反乱が起こるのは、連合が傲慢な態度を取った場合だけだ。

後は立国の手綱を取りながら、法国と地球連邦に圧力を掛けつつ、新盟の治安が安定しないように監視していけば、全ては上手くいく。

地球人類は、七つの安定した国家に別れたことで、大きな戦乱無く此処しばらくの歴史を渡ってきた。だが、KVーα星人との接触という新しい要素に加え、地球連邦と邦商の老化衰退、法国の弱体化、連合の強大化というバランスを崩す地球人類側の問題も重なり、大きな変革を必要とする時期に来ている。

現在、地球時代で言う核兵器のような、極端な破壊力を持つ戦略的兵器は存在しない。恒星破壊用の巡航ミサイルが考えられた時期もあったが、今では様々な技術面で不可能だと判断されている。結局の所、艦隊を組んで余所の星系に攻めていくしか、領土を拡大する方法がない時代が来ているのだ。それはつまり、一度バランスが崩れたら、大混乱の時代が到来する可能性があると言うことを意味している。

急がなければならない。最近は衰えも感じ始めているし、後を頼める人材も今のところいない。

残っている時間は、驚くほど少ない。地球人類の問題を、余所にまで押しつける訳にはいかないのだ。今まで、地球人類は、世界に自分たちしかいないと考えて行動してきた。対等に戦える生物がいなかったからだ。だが、それも終わりが来る。

まともな判断が出来るのは、あと三十年と見積もっている。それ以降は、どうしてもノイズが大きくなる。無敵を誇る妹だって同じ事だ。いつまでも最強の用兵家としては君臨できない。年齢による衰えは、大きいのだ。

地球人類は、まだ「地球」人類の域を超えていない。宇宙に来てからも、まだどこかで、地球にいる意識が抜けていなかったのだろう。開拓時代を抜けた事で、気が緩んでいたこともあるはずだ。だが、それでは今後通用しない。そのままでは、いけないのだ。

立国の大統領には、既に伝えてある。KVーα星人は、始まりに過ぎない。今後人類が生存圏を拡げていけば、他の宇宙種族と次々に接触することになるだろう。地球人類ほど狡猾で獰猛な種族は希であろうが、それでも危険は大きい。

さて、妹と、謎の学生をどうあしらうか。含み笑いを一つ漏らして、ティーカップに手を伸ばした瞬間であった。

「失礼します!」

「どうしたの」

血相を変えて、副官が入ってきた。副官と言っても、中将の階級を持つ高級軍人だ。慌ただしく敬礼すると、頭に白い物が混じり始めている副官は、苦労して心を落ち着けながら言う。

「緊急事態が発生しました」

「何かしら」

「此方をご覧ください」

携帯端末を操作し、立体映像が浮かび上がる。ニュース映像だ。その内容を見ている内に、ルパイドは血の気が引く音を確かに聞いた。

「しまった……!」

先手を取られたのだ。

完全に油断していた。帝国を潰した事で、どこかにゆるみが来ていたのかも知れない。主導したのは、恐らくは邦商の首脳部だろう。ルパイドの所に情報が入ってこなかったと言うことは、恐らくは首脳部同志が額をつきあわせて、直接話し合ったからだ。

考えてみれば、今回の一件は、連中に手を握らせるに充分だった。帝国を膝下に納めたことで、ただでさえ最強を誇る連合は更に力を増した。次は法国か、地球連邦だと思ったのだろう。

立体映像の中には、悪夢が写り込んでいる。

地球連邦の大統領と、法国の首相と、それに邦商の長老が。いずれ劣らぬ醜悪な老怪達が。マスコミのフラッシュの前で、固く握手を交わしている。実際に握手している訳ではなく、立体映像を使ったものだが、インパクトに変わりはない。その上には垂れ幕がある。三国軍事同盟結成と、書かれていた。

淡々と、軍事同盟の目的がテレビから流される。巨大な外敵より身を守るためとある。巨大な外敵!なんと思い上がった言葉だろうかと、ルパイドは呆れた。しかし、呆れてばかりではいられない。現実的な対処を考えなければならない。副官も平静に戻るルパイドを見て、己を取り戻す。

「仮想敵は指定していませんが、我が国であることは明らかです。 早急な対策をしなければ、国家存亡にも関わります」

「ええ、分かっています」

まだ再建途上とはいえ、法国は本来帝国に拮抗する潜在能力を誇る国家だ。其処に地球連邦の力と、邦商の経済力が加わると、無視できない脅威になる。現時点で思い当たる対処法は一つしかない。相手の態勢が整わないうちに、先制攻撃を仕掛けることだけだ。

しかし、先制攻撃を仕掛けたとして、地球連邦と法国を一気に蹂躙するほどの戦力は保有していない。帝国の降伏した部隊と、立国の全軍を計算に入れても足りない。

当然、ルパイドに対して反感を抱いている長老連中は、反発してくるだろう。それを押さえ込む手段も考えなければならない。

さて、どうするか。根本的な戦略をしっかり組まなければ、全てが終わる。そして無能な地球連邦大統領や、野心ばかり先行している法国首脳部が地球人類の主導権でも握ろうものなら、KVーα人を仮想的と設定して共に滅ぼそうとか言い出しかねない。

幾つかの案を、同時に進めていく必要がある。明確だったはずの最終的なビジョンは、再び見えなくなっていた。

 

立花先輩が、部屋に戻ってきた。特務部隊の人たちがいない分、先輩の労働は必然的に多くなる。最低でも、オルヴィアーゼの内部構造くらいは把握していなければならない。先輩はそれくらい分かっている。自分で言っているほど、頭脳に問題はないのだ。むしろ普通の人間より遙かにしっかりしているくらいである。

可能性は極小だが、アシハラ元帥の気が変わって、全員を始末に掛かるかも知れない。その時には、脱出経路や手段を知らなければどうにもならない。だから、先輩は忙しく内偵を進めている。何度か船内でアシハラ元帥と遭遇したそうだ。今のところ、衝突は起こっていないが、賢治はそれを聞いて冷や冷やしていた。

状況報告を立花先輩がして、レイ中佐が記録する。この後、各自の部屋に流れ解散という形になる。レイ中佐達大人が去り、カニーネさんら三人と、疲れたらしいシャルハさんが自室に戻る。立花先輩と賢治と、後ルーフさんだけが残る。ベットに腰掛けているルーフさんが嬉しそうに言った。

「この船、とても快適ですわ」

「そうですか?」

「ええ。 余計な臭いが殆どありませんし、船そのものの動きもとてもスムーズ。 私達には少し広すぎますけれど、それでも快適ですわ」

何でこんな良い船を戦争などに使っているんですのと、ルーフさんは言った。確かにこの乗り心地である。引退後は遊覧船にしたら、客を素晴らしい水準で満足させることが出来るかも知れない。

「アシハラさんも、軍人なんか止めて、旅行会社にでも勤めればいいのに。 このオルヴィアーゼなら、どんな客でも満足する筈ですわ」

「そう、ですね」

ルーフさんはここ数日アシハラ元帥に呼ばれて、色々と話し込んでいた。ルーフさんにとって、アシハラ元帥はそれほど悪い印象を受けない存在らしく、いつも褒めちぎっていた。賢治もそんなに悪い印象を受けない。ただ、余裕がないようだという鋭い指摘に関しては、苦笑いするしかなかった。

ただ、アシハラ元帥が退役することはあり得ない。この人類社会は、彼女の存在が抑止力になり、全体的には平和であると言えるからだ。

その平和で思い出した。賢治は声を低くして、二人を見回す。

「そういえば、気付いていますか? 最近、オルヴィアーゼの周囲に展開している戦力が、増えています。 どうやら実戦隊形を組んでいるようなんです」

「私には隊形とか陣形とかは分からないけど、確かに戦艦が増えてるな」

「やだ、まだ戦争をするつもりなんですの?」

「悲しいですけれど、そうかも知れません。 しかし、今の状況、戦争を連合に仕掛ける国家なんて、思い当たりません。 連合としても、今の時期に戦争をするのは、あまりにも無謀だと思えます」

或いは、ルパイド元帥の計画に、何かとんでもないイレギュラーが発生したのかも知れない。何しろニュースも殆ど遮断させている状態で、星間ネットへの接続も著しく制限されている。判断に使える材料は、あまりにも少なかった。

「何にしても、もう戦争は嫌ですわ。 どうして地球人類は、こんなに戦争が好きなんですの?」

その問いは、ルーフさんが何度も繰り返してきたものだっただろう。言葉にした回数は、それほど多くはないにしても。

賢治は、応えられなかった。

オルヴィアーゼは星の海を進んでいるはずだ。敵対する者を殺し、アシハラ元帥に勝利をもたらすために。

この船は、人類が誇る、最強の殺し合いの道具なのであった。

 

(続)