黒幕の黒幕

 

序、一瞬の交錯

 

バビロニア要塞に依って態勢の立て直しを図っていたフリードリーヒ提督は、敵の不自然な動きに小首を傾げていた。あのアシハラ元帥が妙にもたついているように見えてならないのである。立国艦隊も再編成を行ってはいるようだが、不気味なほど静かで、動こうという気配がない。

此方の武威を恐れた、等と言うことは間違ってもない。そもそも兵力が、既に単独では立国艦隊と渡り合う程度しか存在しないのである。同数の戦力なら負けないなどと言っても虚しいだけだ。豊かな立国と戦う以上、あらゆる面で困難なことは分かりきっていたのだ。その上補給物資は本国から雀の涙程度しか送られておらず、反攻作戦を採る余裕など無い。最初に首都星の奇襲が成功していればと、今更ながら歯がみしてしまう。それも、もう遅い。

それに、もう一つよく分からない事もある。チャンの奴が、あれから姿を見せていないのである。しっかり罠を作って待ちかまえているのに、それが無駄にならないのか不安だ。また何かくだらない策謀を巡らせているのだろうが、表にも裏にも効果は出てこない。せいぜい失敗してしまえと、フリードリーヒは心中で毒づくばかりだった。

ともかく、まだ帰還の許可は出ていない。この空白を利用して、バビロニア要塞を急ピッチで修復した。昼夜兼業で、小破中破している艦艇をドックで少しずつ修復させる。その結果、500隻ほどは前線に復帰できるようになった。

しかしさらなる問題がある。エネルギーも火器も不足気味で、もう何度も本格的なぶつかり合いは出来ないのだ。占領地から搾取した物資を入れても足りないだろう。こういう所でも、無理な遠征だったことが露呈してしまっている。

どのみち、この戦は負けだ。だからこそに、今の内に、せめてやっておかなければならないことがある。

まず、捕虜だ。バビロニア要塞で最後まで責任を持って戦った兵士達は、今のところ制圧した第三惑星に全員移してある。そのほかの、大小の戦闘で捕らえた兵士達も同じだ。本国からは、しきりに此方に送ってくるようにと連絡が来ているが、これは全て無視している。本国などに送れば、強制収容所に入れられるのは目に見えているからだ。送るための艦船が足りないという報告はしている。これは一応理にかなったものではあるはずだ。彼らは、バビロニア要塞を引き払った時に介抱する。非人道的な事を繰り返しては来たが、せめて此処できちんとした礼を持って彼らに接したい。

もう一つは、若い兵士達を本国に出来るだけ帰すこと。もしもう一回戦ったら、どのような戦術を採ろうと負けは確実だ。だから、未来を担う若者をこんなくだらない戦いで死なせる訳には行かない。色々な理由を付けて、兎に角フリードリーヒは若い兵士達を故郷に帰した。それでも、半分にも満たなかったが。

連合の艦隊が近づいてきたのは、どうにか戦闘可能な艦艇が16000隻を超えた辺りだった。立国の艦隊も近づいてきている。いよいよ終わりかと、フリードリーヒは思った。バビロニア要塞の防御力を考慮しても、とてもではないが防ぎ切れはしない。此方がささやかな増強をしている間に、連合艦隊はすっかり戦力を回復し、20000隻に戻っている。立国の艦隊もほぼ同数まで兵力を回復させており、底力を感じさせる。

個々の戦闘では、決して敵に遅れは取らない。だが、こう補給に差がありすぎると、勝負にならない。

「総員、総力戦準備!」

部下達に呼びかける。呼びかけはするが、この会戦はどのみち勝てる見込みがない。バビロニア要塞は元々立国の所有物で、その弱点は知り尽くされていると考えて間違いない。その上此方の新技術も、今ではあらかた敵に解析されていると考えるべきだ。

徐々に、艦隊同士の距離が近づいてくる。この侵攻作戦が開始されてから、既に三人の艦隊司令官が戦死している。後は、本国が撤退命令を出してくれれば少しでも犠牲を減らせるのに。一体何を期待しているというのか。

苛立つフリードリーヒだったが、何度もシミュレーションしたとおりに、艦隊を展開する。バビロニア要塞を中心に、守り抜く態勢だ。立国の艦隊が、巨大な何かを牽引してきているのが見える。恐らく、攻城用の大出力荷電粒子砲だろう。あんな巨大な砲艦は見たことがない。出力はどれほどになるのか、想像も出来なかった。

オペレーターが、ふと素っ頓狂な声を上げた。こんな時に、一体何だと、不満に思わず声を荒げてしまう。

「何だ」

「本国からの通信です! 皇帝陛下が、スクリーンに姿をお見せになっております!」

すぐにメインスクリーンに投影させる。接敵するまでまだ少しの猶予がある。話を聞くくらいなら、問題は無いはずだ。

皇帝は老いていた。枯れ木のように痩せており、髭の重みで前のめりになりそうだ。目の皺は深く、もう光がない。椅子に座ったまま、果ててしまいそうだ。在位実に60年。強化ナノマシンの力を持ってしても、その老いを食い止める力は無いとしか思えない。枯れ果てた肉体の中で、精神がより酷く老化している事が、フリードリーヒには見て取れた。国家の象徴としての皇帝。その無力な有様に、感動する兵士達もいるというのだからおかしい。

「我が、忠勇なる将兵に告ぐ。 まもなく、立国内で着々と進められていた計画が、実行に移される。 立国は大いなる混乱に落ちることだろう。 その時こそ、君たちが反撃に移る時だ」

棒読みだった。老いた喉からは、実に無責任な言葉が蕩々と吐き出され続けた。唾棄すべき事だった。このくだらない脚本を書いたのは誰なのだろう。

何が大いなる計画だと、フリードリーヒは心中で吐き捨てていた。そんなものがあるなら、どうしてもっと早く実行してくれなかった。将兵が一体どれだけ死んだと思っている。既に侵攻作戦が開始されてから、戦死者は80万に達しようとしている。しかも、これから更に増えることが明確なのだ。計画とやらがあるとしても、勝敗を決めるようなものではあり得ないだろうと、フリードリーヒは冷静に分析していた。

「善戦を期待する」

しわくちゃの皇帝の言葉と同時に、映像が消えた。

一つ、分かっていることがある。これからは、逃げることそのものが大逆罪になると言うことだ。今の演説で、退路は断たれてしまった。スクリーンから皇帝の姿が消えると、代わりに迫り来る立国、連合の膨大な艦隊が写り込む。誰かが、万歳、万歳と叫び始めた。喚声が上がる。どうやら狂騒の中で、帝国の宇宙艦隊は滅ぶらしい。フリードリーヒは静かに覚悟を決めた。

連合の艦隊から、降伏勧告。誰も応じようとはしない。

やがて、距離が詰まる。砲火がかわされ始めた。アシハラ艦隊の獰猛な突撃を目の当たりにしながら、さてどうやって兵士達を逃がすかと、フリードリーヒは考え始めていた。味方も善戦はしている。だが、物資の量が違う。あまり長くは、支えられない。

立国艦隊の、巨大荷電粒子砲艦が、火力を開放する。シールド艦数隻が、一度に火球と化した。立国艦隊の動きは、以前の会戦とは比較にならないほど良くなっている。無闇に突撃することはなく、物量の差にものを言わせ、悠然と進んでくる。もう、この会戦を乗り切ることが精一杯程度の物資しか残っていない此方の窮状を、正確に把握しているのだろう。

此処で負けたら、もう後はない。しかし敵を屠る策が、どうしてもフリードリーヒには思いつかなかった。

 

順調に敵を押し崩している味方の奮闘を見ながら、どうも不可解なものをアシハラ元帥は感じていた。口にくわえている草の茎を上下に揺らしながら、敵の出方を見る。どうもあのフリードリーヒ提督にしては、無策のような気がしてならないのである。

今は兎に角確実に敵の力を削ぐ他無いか。油断はしないように味方に言い聞かせながら、敵の前線を着実に潰していく。シールド艦が次々に火球になっていくのを確認しつつ、追い込んでいく。後はバビロニア要塞の攻略だが、それは立国に任せてしまって問題ないはずだ。

負ける要素はない。ただ押していくだけで勝てる。それなのに、不安が募って仕方がない。この間のステルス荷電粒子砲艦の対策もしっかりした。既に対抗戦術は、部下達に伝達してある。それに関しては問題がないが、まだ帝国は隠し球を用意しているのではないか。その不安が、アシハラ元帥の攻撃を鈍らせていた。

捕獲した敵艦から接収した帝国の技術水準は、しっかり確認している。あまり突飛な兵器はないはずなのだが。一体何を目論んでいるのか。今までの帝国が駆使してきた下劣な作戦の数々を思い浮かべる。どれも予想の範囲外にあるものばかりだった。確かに非道ではあったが、裏を掻かれたのもまた事実である。油断は、出来ない。

やがて、帝国の艦隊は後退を開始。必死に前に出ようとする気力を一波ごとに粉砕しながら、じりじりと詰めていく。とうとう、バビロニア要塞が露出した。立国艦隊が、攻城用荷電粒子砲艦で攻撃を開始。もの凄い破壊力だ。たちまち、要塞の数カ所から派手に爆発が起こり始める。

おかしい。脆すぎる。

しかし、敵の手も読めない。一体何を目論んでいる。謀略に不慣れなKVーα星人を巻き込む下劣な策は、この間粉砕してやった。今は立国サイドもそれに警戒しているはずで、同じ手は通用しないだろう。もちろんKVーα星人も、しっかり警戒しているはずだ。

ならば、何を目論んでいる。それが分からない。

思わせぶりなふりをして、攻撃を鈍らせようとしているのか。その可能性は否定できない。着実に敵の戦力を削ぎながらも、アシハラ元帥は深追いを避け、ただ重厚に戦い続けた。

バビロニア要塞が沈黙する。要塞砲による反撃も無くなる。まだ揚陸艦が近づけるほど状況は好転していないが、これで勝利は確定したも同然だ。一気に押すべきだと幕僚達は進言したが、しかし気が進まない。

「油断はするな。 確実に敵を屠れ」

それだけ説明すると、アシハラ元帥は腕組みして、状況の推移を見守る。中級指揮官達に攻撃を任せて、じっくり熟考する。やはり、積極的な攻勢に出るのは、危険すぎるような気がした。

時間だけが過ぎていく。帝国が力尽きたと判断するにはまだ早い。戦闘開始から三日目。前衛と後衛を後退させ、攻撃を繰り返させていたアシハラ元帥の下に、ある情報が届く。舌打ちし、アシハラ元帥は攻撃を一旦中断させた。

やはり、予感は当たっていたのである。

 

1,悪夢とテロ

 

無数の虫が、段ボールの中で蠢いていた。当然動きには統一性が無く、ざわざわ、ざわざわという音だけが響き続けている。

これが「人類」だとはとても思えないが、しかし間違いないのだと、地下迷宮から脱出してきた同志は言った。戦力は殆ど壊滅状態であり、援軍も期待できない今の状況。しかし、これを巧く使えば、一発逆転すらも可能だとも。とても其処まで楽観的にはなれない。目を輝かせている同胞を、哀れみを持って見つめることしか、出来なかった。

帝国の諜報員ヴァルケノス=フォーンがここしばらく使っていた、隠れ家の地下での事である。何とか逃げ込んできた諜報員達は、皆疲弊しきっていた。その中の一人は、チャン大佐に偽装していたが、残念ながら偽物だと一目瞭然である。言動が、あまりにも違うのだ。奴はもっと自信満々で、堂々としていた。

ヴァルケノスは確認する。もう一度だけ、確認しておきたかった。相手は、チャンではなく、彼らのリーダー格である。

「本当に、それは間違いないのだろうな」

「ああ。 帝国の命運は、貴官の双肩に掛かっている」

チャンを偽装した人間は何も言わない。元々チャンは気に入らなかったが、こうなってしまうと哀れであった。本人がどこかで殺されたのは、ほぼ間違いないのだろう。同じ人間は、二人必要ではないからだ。

段ボールの中の虫は、今無力化されていると、同志は強調した。もう一度、蠢く虫を眺めやる。

それにしても、怖気が走る。このような存在が、人間だとは。KVーαという星で発生した、群体知性生物だという。地球人類と、科学のレベルはほぼ互角。今では立国、連合、地球連邦と交流を開始していて、それで此処にいるのだとか。

「それで、この「ニンゲン」をどうするつもりなんだ?」

「出来れば、本国に連れて行く。 そして、政治的な取引の材料にする。 だが、実際には、宇宙にさえ出られそうもない」

「アガスティア大将が逮捕されたという話だったしな」

「いや、それもあるのだが」

段ボールの中の虫を一瞥して、ヴァルケノスの同志は忌々しげに言った。どうやら此奴らは、互いに存在を感知できるのだという。今や宇宙港はあらかた此奴らの仲間が配備され、近づくことも無理なのだという。現に、一度近づこうとして即座に反応され、必死に逃げてきたのだとか。その時に残りの仲間を、あらかた失ってしまったのだという。悲劇だが、何処か滑稽な話だった。

大まじめに、同志は言う。何処かピエロめいているなと、ヴァルケノスは思った。人間は極限状態を一度経験すると、とんでもなく滑稽なことを、真剣に信じられるようになるのかも知れない。

「データだけでも持ち出したいと、今は考えている」

「そうなると、この虫は処分するのか」

「いや、それは望ましくない。 これを処分すると、連合に匹敵するKVーα人政府を完全に敵に回す可能性がある。 連中が30000隻に達する艦隊を派遣してきているのは、既に判明している」

「む、30000隻の派遣軍を可能とする相手か。 確かに、今敵に回す訳にはいかないな」

局面はかなり難しい所に来ている。

フリードリーヒ提督の率いる実戦部隊は既に敗退も同然。協力者はあらかた逮捕されるか沈黙し、人員の補充も、情報の確保も難しい状況だ。

帝国が劣勢になっているのを知るや、協力を打ち切ってきた連中までいる。

いっそ、投降するという手もあるか。もちろん収容所送りを期待しての事で、いずれ脱出すればいい。本気で考えたが、すぐに撤回する。だが、それも今は難しい状況だ。立国は優位に立つやいなや、特務部隊の人員を大増員してきている。その中には、あの悪名高いシャレッタ中尉もいる。奴に捕らえられたら、激しい拷問の末に、ロボトミー手術でもされかねない。

「それで、俺にどうしろというのだ」

「まだ一隻だけ、宇宙に味方を確保している。 宇宙ステーションで働いている、民間船だ。 そちらに向けて、光学通信を行う」

「此奴らのデータを、か?」

「それは既に取得済みだ。 光学通信で飛ばすデータは、ダミーだ。 その間に、貴官には別の目的で動いて貰いたい」

ヴァルケノスの専門は、サイバーテロである。今までも連合や立国の国家機密を、何度も白日の下に晒し、威信の低下を計ってきた。今は著しく難しい状況だが、不可能ではない。ただし、彼一人では難しい。他にある程度の戦力がいる。

「その戦闘ロボットを貸して貰えないか」

「いいだろう。 ただ、それは最後の我らの護衛戦力だから、大事に使って欲しい。 ところで自爆用の手榴弾は持っているか?」

「それは必要ない。 自殺用の拳銃を持っている」

あの悪名高い神風に等しい特攻作戦だ。捕らえられた時の事を考えると、これくらいの準備は絶対だった。それは、此処にいる全員が共有している感覚であった。そのはずである。いや、おかしい。小さな違和感がある。

此奴らは、妙に落ち着いている。それが不可解だ。特攻作戦を命じられる場合、だいたいの場合は落ち着きを無くす。如何に感情を消す訓練を受けていたとしても、何かしらの変化は表に出てくるものだ。それなのに、此奴らは落ち着きすぎている。ひょっとして、助かる見込みがあるのではないか。自分だけが、今死に行こうとしているのではないのだろうか。

疑念はふくらむ。それを打ち消す材料がないからだ。

ヴァルケノスは、何のために働いているのだろうと、少しだけ思った。これが成功して、帝国は勝つことが出来るのだろうか。勝ったところで、どうなるのだろうか。ひょっとして、何かもっと大きな力に、踊らされてはいないだろうか。

応える者はいない。応えて欲しかった。気休めでも良いから、誰かに嘘だと言って欲しかったのかも知れない。

様々な訓練を本国で受けた。それで見いだされた適性が、これだった。死んだところで誰も悲しみはしないのが、せめてもの救いか。それに、毛嫌いしていたチャンも死んだ。少しはそれで溜飲も下がった。

仕事の前に、少しだけ飲むか。そう思い、スコッチの瓶を出した。既にカラだった。今更新しく買うのも気が引ける。仕方がないので、そのまま外に。外には誰もいない。此処は元々、閑静な観光地だ。しかもシーズン外れで、こんな時期だから、管理をしている僅かなロボット以外誰もいない。

隠れ家の外には、いつも仕事で使っているワゴンが止めてある。ワゴンの中には、スコッチの小瓶が残っていた。遅れて乗り込んできた戦闘ロボットは、スラブ系の女性を模していて、灰色の髪で、背が高かった。肌は白く、きめ細かく美しい。もちろんセクサロイドとしても使えるはずだ。しかし、楽しんでいる時間は、もう無かった。

ワゴンを出す。向かうは大出力の電波放出装置と、スパコンを用意してある別の場所。アジトでさえなく、町中なので、非常に危険性は高い。そのための護衛戦力だ。いざというときは使い殺しにする。

リニアウェイを走る。閑静な住宅街をすぐに抜け、高速に入った。雨が降り出す。どんよりと曇った空に向け、宇宙港から戦艦が飛び立っていった。スコッチを口にする。これが最終作戦だ。手元が狂わない程度には、飲んでおきたい。

高速を降りると、もう其処は目的地のすぐ側だ。スコッチの空瓶をダストケースに押し込む。ロボットは既に周囲に最大限の警戒をしているようであった。

「敵影無し」

「あっても、おとなしくしていろ。 攻撃されるまでは、基本的に何もするな」

「分かりました」

それでいい。口の中で、ヴァルケノスは独語した。

この辺りは、ヴァルケノスの庭だ。何処に何があるかは、ほぼ完璧に把握している。検問が張られる可能性のある場所も、だいたい分かる。今のところ、ぶつかっていない。それでも慢心せず、慎重に進む。

何度もカーナビに、合理的ではないルートだと文句を言われた。だが、これで良いのだと、黙らせる。時には路地裏にまで潜り込み、ゆっくり進む。程なく見えてきたのは、朽ちかけた工場だった。

この手の廃工場は、豊かな立国とはいえ、幾つもある。利権が複雑に絡んでいることが多い場所で、隠れるにはもってこいだ。セキュリティは以前同様である事をしっかり確認。入り込むのに問題はない。

KEEPOUTと書かれた看板。鎖で封鎖された入り口。それらを素早く乗り越えて、奧へ。ひょいと身軽に飛び越える戦闘ロボット。しかし、着地すると異音。ふと見ると、何カ所か故障があるようだった。時々、変な機械音がしている。無理もない。散々戦って、最後まで生き残って来たのだろうから。

工場の奧はひんやりとしている。こう見えても、何カ所かにセキュリティ用の監視システムがあるから、油断は出来ない。

がれきを一つずつ、丁寧にどかす。大きな音を立てると警備システムが動いてしまうから、気を使う。ロボットにも手伝わせる。流石に機械だけあり、実にスムーズに作業が進んだ。

階段が現れる。闇へ通じているかのような、深い階段だ。以前夜中に、此処に機械類を運び込んだ時もぞっとしなかった。しかも前とは違い、支援戦力は存在しないのだ。一人で全てやるしかない。

一歩ずつ降りる。鼠が一匹、此方を見ていた。ロボットが不思議そうに鼠を見ている。無視して、地下まで降りた。

電池式のランプを付ける。以前此処に機器類を運び込んだ時に、設置したものだ。電池は理論上数百年は持つはずだが、灯りはもう弱くなり始めていた。いつもこうだ。帝国の技術水準は高いのだが、欠陥も多い。ランプの明かりが安定するのを待ってから、隅にある発電機を付けた。水素を動力にしたクラシックな型式だが、一応安定した電力を供給してくれる。スパコンを起動。そして、大出力の電波発生装置をも起動した。

さて、ここからが本番だ。幾つかのプログラムを並行で走らせる。星間ネットのファイヤーウォールを突破させるためのものだ。普通もっと大出力の装置が必要なのだが、しかし帝国でも秘匿されているこのプログラムを使えば、短時間ながら情報をネットに載せる事が出来る。ただし、立国のネット監視プログラムは優秀で、二度は通用しないから、失敗は許されない。機器類のチェックを終えると、とりあえずは一息。ロボットに入り口を偽装させる。闇の中、僅かな隙間から吹き込んでくる風が、肌に気持ちよい。

後は作戦発動のタイミングだ。シミュレーションを何度かやった後、結果に満足。一度発電機を落として、連絡を待つことにする。綿密な連絡を取り合いながら、勝機をうかがわなければならない。帝国で貧困と闘う民達の為だと言い聞かせて、テロを行うタイミングを計る。

闇の中は、ただひたすらに静かだった。たばこでも吸おうと思ったが、止める。ロボットが顔を上げるのが見えた。誰か外に来たのか。緊張したが、違った。首を左右に曲げたり倒したりしているところを見ると、機能確認が目的だろう。

ショウジョウバエでさえ、意識に近いものは持っていると、ヴァルケノスは聞いたことがある。仮にそれがプログラムのバグであったとしても、微笑ましいではないか。スコッチを口にしようとして、もう瓶は空なのに気付いた。後は、ただひたすら静かに、時を待つだけだった。

どのみちこの作戦が終われば、生きて帰るのは難しい。立国の諜報員達は無能ではないのだ。捕らえられて、あらゆる拷問を受けることだろう。情報を吐けば助かるかも知れないが、しかし帝国の同胞を売る気にはなれない。例え国家体制が腐っていたとしても。例えどんなに余所の国に迷惑を掛けているとしても。同志なのだから。

パトカーのサイレンの音が、近くを通り過ぎていった。緊張に身が固くなるが、すぐに遠ざかっていくのを感じて安心し脱力。まだ何日待てばいいのか分からないのだ。こんな事で気力が持つのか不安だ。

自己を叱咤する。誇り高き帝国の民としての、強靱な心身を保て。言い聞かせる。故国の臣民は、勝利を待っている。普段思ってもいないことを、念じているのだと、ふと気付く。ばかばかしくて苦笑が漏れた。だが、真剣にやらなければ、気力を維持できそうにない。

闇の中にいると、時間の感覚が分からなくなってくる。ふと携帯端末を開いて時間を見ると、まだ四時間ほどしか経っていなかった。気を張りすぎても仕方がない。大きく伸びをして、肺の空気を入れ換える。ごろりと横になると、ロボットを見上げながら命じておいた。

「少し寝る。 何かあったら起こせ」

「分かりました。 お任せを」

「頼むぞ」

人間型の戦闘ロボットは、帝国製のものが一番大柄になる傾向が強いと、ヴァルケノスは聞いたことがある。「健全な精神を示すため」というが、この国の小柄な戦闘ロボットと性能は大して変わらない。技術が漏出した今になっては、特にその差はほぼ無くなってしまっているだろう。

さて、しばし待つとするか。わざわざ自分に言い聞かせながら、目を閉じる。最後の睡眠になるのかも知れないのだ。せいぜい楽しむ他無かった。

 

2,ある晴れた日の急転

 

不安に掴まれて、ずっとふさぎがちだったルーフさんを元気づけようと思って、賢治はシャルハさんと一緒にあらゆる事をした。すでに他のKVーα人達が各地の宇宙港にいる事を考えると、ククルームルさんがこの星を出た可能性はない。今は鋭気を養って、有事に備えなければならないのだ。

時間を見て、古典落語に連れて行った。水族館にも行った。レイ中佐に無理を言って、高級なフレンチレストランにも足を運んだ。今特務部隊の人員が減って補充中であり、仕事も殺人的に忙しいと聞いていたので申し訳なかったが、許可はしてくれた。シフト式の仕事で順番に休憩を回していると聞いたが、それでも苦しいはずなのに。レイ中佐には感謝しても仕切れないなと、賢治は何度も思った。

ルーフさんは何とか少しずつ笑ってくれるようにはなったが、まだ本調子とは言い難い。何事にも興味津々で、パワフルだったルーフさんはどこかへ行ってしまったかのようだ。落ち込んでいる姿を見ると、やっと友人になれたと思っている賢治も、一緒になって気が滅入ってしまう。

レストランから帰って、自宅に戻ってから。どっと疲れに襲われて、賢治はベットに倒れ込んでしまった。

ぼんやりと天井を眺めながら、帝国の次の手について考える。一週間以上、全く動きがないので不安になる。首都星の帝国側勢力はほぼ壊滅していると聞いているが、それでも気を抜くのは早い。その気になれば、人間一人で、大きなビルを倒壊させることだって出来るのだ。爆破魔と言われた伝説的なテロリストは、その短い生涯で、7つの大型ビルを倒壊させ、1000人以上を殺害した事で知られている。優秀な帝国の諜報員達が、それを出来ないと、誰が言い切れるだろうか。

この事件の裏には、複数の国家が絡んでいる可能性が高いことは、既に分析済みだ。レイ中佐にも告げてある。だが、今のところ証拠が挙がっていない。現状の事象だけを元に裏を推測するのは、とても難しい。とんでもなく珍妙な事を時々真面目に考えてしまって、我に返ると恥ずかしくなることも少なくない。

現在、帝国がバビロニア要塞を失陥した事は分かっている。帝国艦隊は更に戦力を失い、ついに国境にまで押し返された。しかし、立国艦隊と連合艦隊が不可解な後退をしたため、いまだ立国領から帝国艦隊を追い出すには到っていない。これについては、レイ中佐からまだ情報を聞けていない。この理由が分かれば、賢治にももう少しましな推測が立てられそうなのだが。何だか、連合艦隊の動きの鈍さも気になる。やはり賢治が知らないところで、まだ大きな勢力の動きがあるとしか思えない。

携帯端末が鳴る。立花先輩からだ。メールの文面を立体映像に呼び出して、さっと目を通す。

「レイ中佐からまだ連絡は来ないんだけど、ちょっと気になることを聞いた。 国籍不明の艦隊が、領内にいるらしい。 しかも、数万隻規模だそうだ」

誰から聞いた情報なのかは気になるが、精度が低ければ、賢治の元にわざわざ送ってこないだろう。少し考え込んでから、返信を入れる。

「もしそれが本当だとすると、此処しばらくの連合艦隊と、立国艦隊の動きの鈍さの原因になっているような気がします。 猛将として知られるアシハラ元帥にしては動きが遅いと思っていたんです」

「一体何処の艦隊だろうな」

「さあ。 憶測では何とも言えないですけれど」

現在、立国領に数万隻単位の艦隊を送り込める国家は限られている。帝国と連合を除けば、地球連邦、法国くらいである。其処まで考えて、そういえばと思い当たる。

「或いは、KVーα星人の艦隊かも」

「そういえば、この状況に、業を煮やして動いてもおかしくないな。 ルーフさんに確認するのも筋違いだし、どうしたものかな」

「レイ中佐に、素直に聞いてみましょうか」

やめておけと、立花先輩は言った。賢治も同じ意見である。やぶ蛇になりかねない。もしKVーα星人の艦隊が動いているとなると、非常にデリケートな政治的問題である。下手に一学生が首を突っ込んで良い話ではない。引っかけた訳ではないのだが、立花先輩がきちんとした見識を持っていて、賢治は安心した。

ただ、KVーα星の艦隊が来ているとなると、幾つか思考に幅が出てくるのも事実だ。もし、その事態を帝国が把握していた場合、政治戦に不慣れなKVーα人を良いように利用する事を考える可能性も高いのである。いや、事実引っかけるように動くのが自然だ。もし賢治が帝国の人間だったら、そうする事を第一に考える。連合と同士討ちでもしてくれれば、言うことがない。

以前考えた、もし邦商が黒幕だったらという説を、此処で当てはめてみる。もしその場合、何が起こるのか。

背筋が寒くなったのは、それで邦商が得をするという事に、気付いたからである。

もし連合とKVーα星が交戦状態にでも入れば、状況は更に混沌の度合いを増すことになる。立国領内は更に荒れることになるし、何より無傷の経済圏として、武器の輸出で大いに儲けることも出来る。更に戦争が長引くことで、儲けは更に増すことが予想される。倫理と人命を無視すれば、邦商にとっては言うことのない作戦になるはずだ。

そこまで地球人類が恥知らずになれるとは、賢治には思えない。しかし、全てが理にかなうのは事実だ。もしそれが本当だったら、どうルーフさんにわびればいいのか、分からなかった。

考えをまとめて立花先輩に送る。すぐに返事。

「その時は、あたしも一緒に謝ってやる」

竹を割ったように、簡潔だった。

勇気づけられた賢治は、すぐに礼のメールを入れた。やっぱりこの人と一緒にいられて良かったと、賢治は思った。

最近は心労が重なっていて眠れず、目覚めも最悪だった。しかし翌日はとてもさわやかに目覚めた。夢も見ないほど熟睡していて、体の疲れも綺麗に取れている。健全な状態の精神が肉体にもたらす効果は、思った以上に大きい。

久しぶりに早朝のトレーニングをした。トレーニングと言っても、静名にペースメーカーになって貰って走り、ストレッチングをしただけだが、気分転換には最適だった。少し前から自宅に戻っているルーフさんの家の前を通ったが、しんとしていて、中に誰かいるとは思えなかった。シャルハさんは他のKVーα人とシフトで監視に当たっているはずだとしても、エルさんは中にいるはずなのに。賑やかだったこの家のことを思うと、怒りと悲しみが一緒に湧いてくる。

学校はまだ休みだから、動きやすい。街を通るが、学生の姿は殆ど見かけない。皆テロが怖いのだろう。帝国の諜報員が壊滅していることは、一般広報されていないという事もある。しかし壊滅されていても、しばらくこの閑散とした状況は続くのだろうと、賢治は冷静に分析した。

今日も、ルーフさんと一緒に出かけたい。ただ出かけるにしても、ワンパターンではストレス解消に限界がある。家に到着。玄関前で、体を伸ばす。静名に背中を押して貰って、屈伸運動をした。最初に比べると随分柔軟になってきていて、楽しい。もっとも、強化ナノマシンが普及している現在は、ようやく人並みの水準でしかないが。

「静名、何か良いアイデアは無いかな」

家に入り、汗を拭きながら聞いてみる。静名は戦闘ロボットとはいえ、レクリエーションに関する一通りの機能は持っているはずだ。以前はババ抜きをみんなでやったこともある。もちろん、助言の機能もあるだろう。

「今までの傾向からすると、ルーフ様のストレス軽減には、いずれもある程度の効果を上げているように思われます」

「そうなのかな」

「強いて言うならば、むしろご学友と、近隣に出かけてみてはどうでしょうか。 ルーフ様は美術部の活動をいつも楽しみにしていたようですし、効果的かも知れません」

「なるほど、それはいいな。 有難う、静名」

無言で頭を下げる静名に、いつも通りきちんと礼を言う。

ルーフさんに連絡を入れてみた。美術部全員を集めるのは無理だろうが、藤原先生と樋村さんくらいは誘いたい。藤原先生は色々アドバイスをくれるだろうし、樋村さんはルーフさんと学校では一番仲がよい。もし時間が許すようならば、ルーフさんを慰めてあげてほしいものである。性別が異なる賢治とはまた違う方法で、ルーフさんの心をいやしてくれるだろう。それを賢治は期待した。

連絡を回してみる。殆どの美術部生徒には拒否されたが、樋村さんは乗ってきた。藤原先生はテロの余波で忙しいと言うことで、今回は駄目だと言われてしまった。残念である。蛍先生に話を聞いてみたのだが、学校ではテロ事件の復旧と対策で追われているらしく、まだ一週間は開校できないそうである。

学校が休みだからと言って、楽が出来る訳ではない。皆には家庭での自習ノルマが出されている。さぼるのは簡単だが、後で催眠学習の負荷が増えることを考えると、ぞっとしない。賢治もぼんやり毎日過ごす合間に、学習を必死に進めてはいた。樋村さんも同じの筈で、その時間を割いて貰うのだから、あまり無様なことは出来ない。

藤原先生から連絡。街の近所で、スケッチに適している場所のリストが送られてくる。これはありがたい。今までも写生会は何度かしたことがあるが、場所を間違うと実につまらないことになる。藤原先生はかなり積極的に創作活動をしているらしく、楽しかった場所だけでも、十ヵ所以上に及んでいた。

今回出られそうなのは、どちらにしても立花先輩と樋村さんだけだから、手間はそれほど掛からない。レイ中佐に連絡して、場所の吟味をして貰う。護衛班などの配置を考えると、難しい場所もあるはずだ。案の定、四ヵ所が駄目だとすぐに返事が来た。それを削除して、皆にメールを回す。

昼過ぎから、集まることに決まった。昼食はそれぞれが取ってくることに決定。写生会が終わったら、皆でどこかに食べにいこうという話にまとまった。少しは楽しくなるかも知れないと、賢治は思った。

 

写生会に選んだのは、街の郊外にある鬱蒼とした森である。といっても、その端っこにある、見渡しの良い坂だ。ピクニック出来る場所として人気があると言うことで、普段は結構にぎわっている。今は非常に静かで、モンキチョウがゆっくり飛んでいた。

ルーフさんに何かあったことに敏感に気付いたらしく、樋村さんは積極的に話しかけてくれていた。これは助かる。賢治はコミュニケーションが下手で、今でも苦手意識がある。樋村さんも同じ筈だが、見かけが同性であるから、随分対処しやすいはずだ。

街が一望できる坂だから、景色はとても良い。ルーフさんが樋村さんと並んで座るのを見届けてから、自分の場所を決める。立花先輩は皆の最後方で、監視しやすい所に陣取った。立花先輩らしい、場所の選択である。

護衛のために、静名にも来て貰っている。フォルトナは、エルさんの護衛として残っている。今の帝国の諜報員の戦力であれば、護衛には充分なはずだと試算されているらしい。特務部隊の人たちもしっかり護衛に入っているし、おそらくは大丈夫だろう。此方も、シノン少佐が護衛に入ってくれているはずで、不安はあまり無い。最近は、監視されていることが前提であっても、あまりストレスは感じない。ただし、苦しかった最初の頃のことは、今でも思い出すと冷や汗が流れる。

それで、思い出す。帝国の諜報員も、人の筈だ。苦しい状況で、不安を感じない訳がない。ひょっとするととても怖い思いをしているのではないかと、賢治は思った。悲しい話だ。

社会そのものとも言える、巨大な経済が蠢く度に、戦争が起こり、多くの人が死ぬ。ルーフさんもそれに巻き込まれてククルームルさんをさらわれたのだ。人間の経済活動とは一体何なのだろうと、賢治は思った。分かっているのは、人類の歴史上、経済は常に人命に優先してきたと言うことだ。人間は主義主張を方便にしながら、己が楽をするために、他の存在を容易に踏みにじる。

スケッチブックを開いて、写生を開始。樋村さんはもう書き始めている。ルーフさんは鉛筆の感触を楽しんでいるようで、少し笑顔が浮かび始めていた。良かったと賢治は思い、自分も書き始める。

空が美しい。雲が散っていて、時々飛んでいる鳥や虫が美しいアクセントとなっている。いずれもこの星の固有種ではなく、地球から移入されたものばかりだ。どの種類も数を注意深く管理され、何種かに到っては採取すると罰さえ受ける。もっとも、普段はあまり気にすることもない。

既に少し肌寒い季節だが、それがまた心地よい。この空を中心に書こうと思い、賢治は鉛筆を走らせた。

しばらくすると、形ができはじめる。立花先輩は腕組みしながら、何を中心に描こうか悩んでいるようだ。ルーフさんと樋村さんは並んでスケッチをしているが、技量の差が歴然で、ちょっと冷や冷やした。樋村さんは美術部に出る度に技量が上がるのが目に見えていて、芸術で食べていけるのではないかと思わせるほどに、最近は凄い絵を描く。ただルーフさんは不快には思っていないようで、樋村さんも快く指導をしている。樋村さんは元々あまり友達がいなかったということだが、そのためか非常にルーフさんに親愛の意を伝える事が多い。この分だと、思ったよりもずっと良いストレス発散効果がありそうだ。

空を流れていく雲は、当然一定していない。賢治には瞬間記憶力など備わっていないので、最初の内に立体映像として残しておいたものを現物と見比べながら、鉛筆を走らせていく。立花先輩はまだ悩んでいる様子で、四苦八苦していた。あれだけ優れた近接戦闘能力を持っているのに、こう言うところは少し微笑ましい。

賢治より先に、樋村さんが絵を完成させたのは、当然の流れであっただろう。ルーフさんも程なく仕上げて、二人で喜んでいた。

つかの間の平和。賢治は嬉しかった。ずっと沈んでいたルーフさんが喜んでくれたのは、ここ最近、一番の吉事だった。

 

全員の絵が仕上がったところで、家に戻る。立花先輩と帰り道に幾つか打ち合わせしたが、いずれも分かりきったことばかりで、問題は一つもなかった。先輩も分かっているのだ。帝国が何か仕掛けてくるのは明白で、どのみち近々対応せざるを得ないと言うことを。立花先輩はともかく、賢治はそれに巻き込まれる可能性が低い。賢治にまでちょっかいを出している余裕が、帝国にないのは明白だから、そう結論できる。積極的に関わろうと思わなければ、今後は何も身辺に起こらない可能性も高い。

樋村さんは帰り道もルーフさんと楽しそうに談笑していた。やっぱり、何かあったことに気付いているのだろう。賢治としてはありがたい話である。

自宅に着く。メールはまだ来ていないと言うことは、何かあったとしても、レイ中佐は把握していないという事だ。或いは把握していても、賢治には知らせる意味がないと考えているのだろうか。その可能性も少なくはない。

兎に角、こんな状況だからこそ。賢治の仕事は、ルーフさんらスキマ一家の接待をすることだ。今日はそれが上手くいったと言うことで、それだけでも良かった。ルーフさんもシャルハさんも、賢治は好きだ。二人がにこにこしてくれていた方が嬉しいに決まっている。

後は、ククルームルさんが無事に帰ってきさえすれば。ルーフさんももっと笑ってくれるだろうに。

メールが届く。慌てて開いてみるが、ルーフさんとは何の関係もない企業のダイレクトメールで、思わずため息が漏れてしまう。即座に破棄。帝国の艦隊が押し戻されている事もあり、最近経済がまた活発化し始めている。それは良いのだが、こういうものまで活発化するのは流石に面倒くさい。続いて、またメールが届く。ルーフさんからだった。此方は、さっきの写生会に感謝する内容だった。

嬉しいと言うよりも、ほっとした。喜んでくれていたのが分かったからだ。次はどんな所に連れて行って上げようかと思い、星間ネットにつなぐ。大手のポータルサイトを立ち上げると同時に、とんでもない映像が目に飛び込んできた。

ざわざわと音を立てて蠢く、クリップのような虫。それが固まりとなって、暗い通路らしき場所にいる。一目で分かる。ククルームルさんだ。どうしたのだろう。画像を保存し、すぐにレイ中佐に連絡する。大手の掲示板サイトにも足を運んでみると、案の定騒ぎになっているようだ。正体を知っている人間はいないようだが、それでもインパクトのある映像であるし、騒ぎは加熱している。調べてみると、彼方此方のポータルサイトで同じ情報がアップロードされているらしく、騒ぎは拡大の一途を辿っていた。

大手のポータルサイトを狙った情報テロは珍しくない。賢治自身も、今までに何度か見たことがある。幾つかのウィンドウを立ち上げて監視を続けている内に、数分でデータは削除されたが、騒ぎは今後更に拡大するのが目に見えていた。入院中のクワイツからも、あれは何だと賢治にメールが来た。適当に返事をしつつ、データを吟味。よく見ると、群体だけで、思考体が分離されているらしいことが分かる。それでは、ただ蠢くだけで、何も出来ないだろう。思考体の安否が気になる。殺されてはいないと思うが。

レイ中佐から返事が来た。ルーフさんには知らせないようにと言われる。今の時点では、仕方がない。調査の結果、様々な情報から、この映像が数日前に撮影されたものだと判明しているそうである。場所等の分析は、軍の技術班が行うという。

立花先輩からも連絡があった。ルーフさんの家に遊びに行くと称して、ネットに触らないように誘導するという。スキマ一家の面々は、あまり星間ネットに興味がないようだが、しかし危険はゼロではない。しっかり側で見ておかないと、どんな事態になるか分からない。

一体何が起こっている。賢治は出来るだけ心臓を落ち着かせながら、思考を進めていく。映像が、帝国の諜報員が流したことはほぼ確定事項だ。それ以外に、こんなデータを流す勢力は存在しない。それが真だとして、目的は何なのか、考えるのが大事だ。

最初に考えられるのは、これが追い詰められた現在の帝国に出来る精一杯の反撃だというものだ。しかし、それは最楽観論ともいうべきであり、対応に重点をおくべき案ではない。主体性がない映像であるし、これでKVーα人の立場が悪くなる訳でもない。放っておけば、謎の映像と言うことで、すぐに騒ぎは収束するだろう。この状況である場合は、行動は一切起こさなくても問題はない。

続いて考えられるのが、陽動作戦というものだ。此方に軍の注意を向けさせて、本命の何かしらの作戦行動を行う。しかし、特務部隊と軍の実働部隊では、部署が違うだろう。そうなってくると、特務部隊の目を逸らさせる必要があると言うことだろうか。特務部隊は、今や完全に帝国の諜報部隊を圧倒しているはずで、それも効果が疑わしい。今では殆どのKVーα人を軍の部隊が協力して護衛している事もあるし、これくらいの陽動で、彼らの動きを鈍化させられるかは怪しい。

そうなると、他にも似たような策を実行していて、それから目を逸らさせているのかも知れない。此方は危険だ。以前、光学通信で何かしらの情報を宇宙に出す事が可能だと、レイ中佐に話した。その作戦を実施できるかも知れない。外に持ち出される情報次第では、危険な事態も到来しうる。

静名にも手伝って貰って、星間ネットの監視を行う。大手掲示板に、新しい情報は上がってこない。かって無法地帯だったネットは、幾つかの法的な整備を受けた今でも、雑多な情報があふれかえる場所としての地位を変えていない。情報のリアルタイム性も変わっていない。内容が、全く信用できないという点も。

静名がデータを幾つか拾い上げて、此方に送ってきた。流石にロボットだけあり、仕事が早い。目を通す。したり顔でどこの何という生物に似ているという連中がいる一方で、帝国の諜報員が何かしたのではないかというものもあった。鋭いが、それだけでは何の意味もない。

結局、ネットで出てくる情報に、有用なものは無かった。他に帝国が流したらしい情報も見つからない。そうなると、やはりネット外にて何かの情報を運搬しようとしているのか。

レイ中佐にそれを中間報告。既に宇宙艦隊にそれは伝達されているらしく、立国首都星から離れようとしている、或いは情報を飛ばそうとしている艦船は入念にチェックされているらしい。民間船もしっかり監視して欲しいと連絡すると、分かっていると返事。

本命は、これから来る。それは予感ではなく、今までの効果の薄さから言っても間違いない。特務部隊が奔走している今来るのか、安心したタイミングを見計らうのか。どちらかは分からないが、しかし不安は大きい。

とにかく。思考体と群体が分離されていると言うだけで、ククルームルさんの負担は限りなく大きいはずだ。帝国の諜報員達がそれを何処まで把握しているかは分からないが、急がないと危険なことに代わりはない。

其処で、ふと思い当たった。何故、群体と思考体を分離した。行動能力を奪うためか。それとも、何か大きな理由があるのか。

ルーフさんに直接聞くのはあまりにも負担が大きすぎるだろうから、まずはカニーネさんに聞く。かの人はしばらく顔を見なかったが、時々中間報告をくれていたので、健在なのは確認できている。回線はつなげなかったが、メールの返事はすぐに来た。

「こんばんは、カニーネさん」

「どうした、被名島賢治。 わははははは、私に何のようだ」

「実はお知恵を拝借したいことがありまして」

盗聴されると厄介だから、何回かに分けて暗号化を掛け、メールを送る。数秒後、返信が来た。文面が珍しく慌てきっている。カニーネさんが慌てる所なんて想像も出来なかったが、確かにそれを文面から感じ取ることが出来た。

「思考体と群体を分離すると、どうなるかだとっ!?」

「やはり、危険なんですか!?」

「たわけっ! い、いいか、被名島賢治! 危険、どころじゃない! いいか、群体は今や、思考体とはほとんど別の生物だ。 思考体の制御があってこそ知的生物の体の一片たり得るのであって、そうでない場合は、非常に危険な捕食者と化す!」

自分は真っ青になっているのだろうと、賢治は思った。すぐに続けてカニーネさんのメールが飛んでくる。

「特に群体が思考体と生きたまま引きはがされた場合、合流するために本能に任せて、ありとあらゆる方法で大暴れすることになる! 数時間なら大丈夫だ。 事実、そうやって群体を彼方此方に飛ばして、偵察をさせるという手段を我らも用いることがある。 だが、数日となるとそうもいかん! 元々群体は非常に潜在的な能力が大きい生物だ! 暴走したら制圧は難しい! 下手な軍事ロボット程度、即座に捻り潰されることになるぞ! すぐにレイミティに知らせろ!」

礼もそこそこに、会話を切った。汗が額から噴き出してくる。

帝国側の狙いが読めた。何という下劣なことを考える。許せない。地球人類とは、どこまで卑劣な策謀を思いつくというのか。自分が地球人類であることが恥ずかしいとまで、賢治は思った。

慌ただしく、レイ中佐に回線接続依頼。事は一刻を争う。もしレイ中佐が知っていれば対応を練っているはずだが。もし知識が特務部隊側になかった場合は。

数度のコール音が流れる僅かな時間。それが、数時間にも思えた。胃の中身が沸騰しそうであった。静名が額の汗を拭いてくれる。コップと鎮静剤を出してくれたので、ありがたく頂いて、一息に飲み干した。

フランソワ大尉が、連絡に出た。レイ中佐は、ようやくさっき眠ったところだと言う。最悪のパターンだ。レイ中佐が休んでいると言うことは、あらゆる手を打ったと考えていると判断できるからだ。もし帝国側の狙いが正確に把握できていたら、そんな行動を取る訳がない。

すぐにレイ中佐は起きてきた。疲れ切っているようで、化粧が乱れていて、本当に眠そうだ。非常に気の毒な話だが、此処から数日は眠れないかも知れない。

群体と思考体を分離した場合の話をすると、レイ中佐は見る間に青ざめた。やはり、データとして知らされていなかったのだろう。そのまま、追い打ちを掛ける。

「帝国の狙いは、群体だけにしたククルームルさんを街中に放置して、暴れる様子を撮影、それを星間ネットに流すことだと思われます! しかも、リアルタイムで、知っているKVーα星人の現在情報と一緒に! 今までのサイバーテロや、宇宙空間への光学通信は、多分捨て石の陽動に過ぎません! すぐに宇宙港に張り付いている以外のKVーα人の方々を、大都市上空に派遣できないでしょうか。 死者でも出たら、取り返しがつかないことになります! 僕の予想だと、帝国の余力の無さから考えて、総合首都のセントラルシティが一番危険だと思います」

「今、対応するわ。 その話、どこから仕入れたの」

「流された映像に違和感を感じて、カニーネさんに確認しました。 群体の生態に対するデータの中で、あまりにも突飛な条件での暴走なので、ひょっとして気付いていないかと思って確認させていただいたんです」

立花先輩には、此方から連絡して欲しいと言われた。礼もそこそこに、レイ中佐は回線を切った。さあ、ここからが本番だ。数時間以内に、勝負が決まると見て良いだろう。二重の陽動作戦の裏に、何という本命の作戦が隠れていたものか。

立花先輩に連絡。回線を開いたので、後ろにルーフさんとエルさんもいる。もちろん、聞いて貰うつもりだ。

丁度連絡が終わった頃に、家の外に車が止まる音。シノン少佐が迎えに来てくれたのだろう。丁度いい。セントラルシティには、ルーフさんが向かうべきだ。此処が勝負所である。もしも群体の暴走が起こっても、実の親なら止められるかも知れない。それに立花先輩なら、帝国の諜報員の精鋭とも、互角に渡り合えるはずだ。

準備を整えて、静名と一緒に家を飛び出す。シノン少佐もかなり疲れているようで申し訳ないが、此処さえ乗り切れれば、もう帝国に打つ手はないはずだ。途中、乱暴に立花先輩と、ルーフさんとエルさんが乗り込んでくる。そのまま、軍基地へ。ミニ戦艦を使っている暇はないから、軍用ヘリで行くしかないだろう。防御能力に不安はあるが、他に方法がない。

間に合ってくれ。賢治は祈った。何に祈っているのかは、賢治自身にも分からなかった。

 

3,悲劇連鎖す

 

セントラルシティに暮らす日雇い工事監督官のレニッシュ=グロウは、退屈に欠伸をかみ殺していた。日の当たらない事務所に用意してある安楽椅子に体を揺らしながら、優雅に雑誌類を読む。どれも面白くない。やせ形の中年男性である彼は、普段は高校の教師をしているが、ギャンブルによって給料をすってしまうことが多く、よくこうして小遣いを稼いでいた。今回もギャンブルによる損失補填が目的である。そろそろ仕事が終わる時間だと思いながら、雑誌のページを捲る。

工事の日雇いは、基本的に家庭用のメイドロボットの仕事だ。持ち主達が暇な時間や、或いはその命令によって、維持費や家計の補助のために、ロボットは働く。仕事が出来る範囲は法によって厳しく制限されていて、人間の職務を犯すことはない。人間はこういう仕事場で、ロボットを管理する以外にやることがない。ある意味非常に気楽な仕事である。ロボットは指示さえしておけば、ミスをすることもないからだ。

今レニッシュが監督しているのは、最近首都星に進出してきた企業の本社ビル工事である。既に鉄骨部分は完成しており、配管類は既に入っているので、これから強化セラミックとモルタルの工事を行う必要がある。また、そろそろ対テロ用にシールド装置も入れなければならない。このビルは十階建てになる予定なので、クラス4と呼ばれる民間用の最低基準品を三つ以上入れなければならない。このビルの場合は、出資者がかなりけちなので、入れるのは既に三つだと決定している。

時計が鳴ったので、事務所から出て、工事の様子を確認に行く。メイドロボット達はさぼることもなく、せかせかと働いていた。背丈も年齢も性別も様々なものがいる。この工事現場の精度だと、二世代前のものも働けるから、かなり痛んでいるものもいた。子供の格好をしたメイドロボットが、いそいそと配管類を担いで歩いていく。手の合成皮膚がずる剥けていて、グロテスクだった。

何気なく外に出て、その途中、ふと足を止める。見慣れない鞄が、入り口に捨ててあったからだ。大きめのボストンバックで、高級な革製だ。もしテロにでも遭ったら面倒だから、側にいたメイドロボットを呼んであけさせる。自身は胸ポケットからウィスキーの小瓶を取り出し、少し離れて様子を見守る。

最初、何が起こったのか、分からなかった。

鞄から、緑色の何かが出てきた。巨大で、不定形で、動きが速い。鞄を開けた小柄なメイドロボットがもがくが、見る間に飲み込まれる。悲鳴を上げながら、ビルの中に飛び込む。バキバキと、機械の体が砕かれる音がした。

事務所に飛び込むと、慌てて警察に連絡。再び悲鳴を上げたのは、「怪物」がビルの中に這いずり込んできたからだ。ホラー映画で出てくるような巨大アメーバーのようだった。メイドロボットが、事務所のプレハブの外壁を叩く。

「避難してください。 危険です」

腰が抜けてしまった。それを見て取ると、無表情のまま、メイドロボットはレニッシュを担ぎ上げ、走り出した。辺りのメイドロボット達は仕事を放棄して、怪物に向かっていく。人命の保持が、彼らのプログラムの、最優先事項だからだ。

怪物が腕を伸ばし、メイドロボットの首がへし折れる。それでもしがみついてくるメイドロボットを怪物は飲み込み、粉々に砕いて、吐き捨てた。鋭い咆吼が上がる。消火器を取り出したメイドロボットが、囲むようにして四方から消化剤を浴びせる。濛々と煙が出るが、それを食い破るようにして、怪物が出てくる。メイドロボット達は果敢な行動に報いられず、蹴散らされていく。或いは首をへし折られ、引きちぎられ、投げ飛ばされ。砕けて、機能停止に陥っていく。

邪魔を排除し終えると、怪物は恐ろしい勢いで追いついてきた。女性の悲鳴が上がる。彼女は眼鏡を掛けた、白衣を着た人物だった。壁に叩きつけられ、身動きできずにいる子供型のメイドロボットに駆け寄る。さっき、手の皮がずる剥けていたロボットだ。その行為が注意を引いたか、怪物が伸び上がり、彼女に躍り掛かった。硬直するばかりで、レニッシュは何もすることが出来なかった。

「蛍先生っ!」

どこかから声。その発生源を見ることなく、ビルから飛び出したメイドロボットによって、レニッシュは運ばれていった。ワゴン車が止まる。中から飛び出してきた、完全武装の軍人達を見て、レニッシュは胸をなで下ろした。だが、それは決して幸運の使者ではなかった。

ワゴンから降りてきた女軍人が、手にガンタイプの注射器を持っているのを見て、レニッシュはもう一つ悲鳴を上げる。身構えるメイドロボットに、一緒に降りてきた軍用ロボットが掌を向けて何かデータを転送。そうすると、動かなくなった。

「少し、眠っていて」

よく見ると、軍人はいい女だった。ただ、疲れ切っているようで、少し肌荒れしているのが気になった。

地面に降ろされ、肩から押さえつけられる。逃げられる、訳がなかった。通行人もいたが、何機か降りてきた軍用ロボットが制止する。首筋に注射器を押しつけられ、引き金が引かれる。薬が動脈に注入されると、意識は数秒で落ちた。

 

「見つけましたわ!」

ルーフさんが、ヘリから身を乗り出して絶叫した。冷静さが完全に損なわれており、表情が硬い。再現している余裕がないのだろう。そのまま街に飛び降りかねない様子だったので、慌てて後ろから立花先輩が抱き留める。

地上から急行していたレイ中佐に、回線を開いて場所を連絡。セントラルシティの中央から少し離れた、再開発地域だ。この地域は、辺境や他の都市から進出してきた企業群のビルが立ち並んでおり、治安も若干悪い。

比較的大きめのビルのヘリポートに着地。エンジンを全力でふかしたロケットのように、立花先輩とルーフさんが飛び出していった。凄い。二人とも、100メートル走で言うと、8秒を軽く切っているだろう。賢治に追いつける速さではない。二機の軍事ロボットと、数名の軍人が一緒に走っていった。

賢治は追いかけて走りながら、ルーフさんが指定してきた、工事中のビルのデータを調べる。まだ工事中と言うことは、中の人員は少ないはず。恐らく工事に参加しているのは、一人ないし三人程度の人間監督官を除くと、後は皆メイドロボットだろう。蒼白になったのは、その中に蛍先生のメイドロボットを見つけたからだ。子供の姿をした、少し目つきの悪いメイドロボット。確か先生は、キノカとか呼んでいた。

幸いにも、丁度今来たエレベーターに飛び乗る。立花先輩達はもう一階にいるかも知れない。一緒に着いてきた軍用ロボットが、地図を表示してくれる。このビルを出ると、数分ほど走らないと行けない。正直少し遠いが、ヘリポートが此処しかないのだから仕方がない。

「推定到達時間は、五分です」

「うん、分かってる」

無機質なロボットの言葉に、賢治は若干の苛立ちを感じた。蛍先生に連絡を取ろうとするが、通じない。それが嫌な予感を、更に増幅させていた。

エレベーターが一階に到着。飛び出す。何事かと此方を見る会社員達。ぶつからないように気をつけて走り、ビルを飛び出す。辺りはもう肌寒くなり始めていて、街灯もつき始めている。

恐らく、近くに帝国の諜報員達がいる。狙撃の危険性さえある。それなのに、賢治は気にせず走る。ヘリが数機、上空を旋回しているのが見えた。フランソワさんから通信。

「急いでください! 被名島君の予想が、当たりました! 指定ビル内部で、群体だけのククルームルさんらしい存在が暴れています!」

「分かりました!」

多分ルーフさんなら止められる。それはいい。問題は、思考体が殺されては元も子もないと言うことだ。

まさか。連合と立国の宇宙艦隊が、帝国軍にとどめを差さずに後退したのは。それをネタに脅迫されたのではないのか。

工事中のビルから、誰か飛び出してくるのが見えた。ロボットに背負われている。中年の男性であることが、見て取れた。多分現場監督だろう。ビルに近づくと、内部で激しい格闘音が聞こえる。ビルの入り口から、拉げたロボットが吹っ飛び、転がり出てくるのが見えた。

再び通信。今度は立花先輩からだ。

「あたしは帝国の諜報員を捜す! 被名島はルーフさんを補助!」

「はい!」

建築中のビルに飛び込んだ。

最悪の光景が広がっていた。一階はかなり広い空間になっており、その隅の壁に、キノカが叩きつけられて機能停止している。その側にうつぶせで転がっているのは蛍先生だ。頭から血を流して、地面で微動だにしない。骨も折れているらしく、右腕の向きがおかしかった。

蛍先生は、この仕事を始めてから、キノカに無理をさせずに済むと喜んでいた。今日はどうして日雇いの仕事をしていたのか。それより何故、持ち主が日雇いの現場に来ていたのか。それよりも。そんなことよりも。

ビルのホールの中、伸び上がるようにしてそれはいた。闇の中に浮かび上がる、巨大なアメーバーに見える存在。天井に届くほどの体積があり、終始ざわざわと耳障りな音を立てている。あれが、本当にククルームルさんなのか。戦慄が走る。長身で、でもおっとりしていて、悪い印象を全く受けなかったククルームルさん。だというのに、その群体が暴走すると、ああも恐ろしい姿になってしまうのか。

ククルームルさんが、何かを勢いよく吐き出した。もはや見る影もなく粉砕された、メイドロボットだった。燃料が床に広がっていき、首が千切れて転がる。あまりにも無惨な光景に、思わず賢治は目を背けていた。

帝国の情報テロは大成功なのかも知れない。もしもこの姿を喧伝されたら、KVーα星人との友好は、本当に成立しなくなるかも知れない。地球人類にとって大事なのは、事実ではなく主観なのだ。立花先輩は違う。賢治も違うと自信を持って言える。だが、大多数の人間は、残念ながらそうなのだ。

もしこれが星間ネットで流されたら。そして、KVーα星人の存在が、歪んだ偏見とともに暴露されたら。

地球人類は繰り返してきた愚行を、またしても再現することになるのだろう。

蠢くククルームルさん。そしてその前に立ちはだかる、ルーフさん。数機の戦闘ロボットが、間合いを計って辺りに展開していた。

「外で防衛線を張って! 一般人を遠ざける事を優先して! それと、監視カメラを壊して! すぐ!」

賢治の声に、ロボット達が振り向く。一機が落ちていたがれきを投げて、監視カメラを粉砕する。残りはばらばらと外に飛び出していった。苦しそうに蠕動している怪物に、ルーフさんがゆっくり近づいていく。

「ムル、私ですわ」

返事は咆吼。ククルームルさんに、声が届いているとは思えない。こうも思考体と切り離された群体は恐ろしいものなのか。ルーフさんに、躊躇無くククルームルさんが、驚くべき勢いで躍り掛かる。駄目だ。殺される。

「ルーフさん、逃げて!」

賢治の声は届かない。ルーフさんの姿は、包み込むように躍り掛かったククルームルさんの中に、消えた。

恐ろしい音が響く。捕食中のアメーバーのように蠕動するククルームルさん。動けない。恐怖のあまり、前に出ることが出来なかった。ルーフさんはどうなってしまったのだ。ククルームルさんの栄養になってしまったのか。

終わった。

何もかも、全て終わってしまった。

賢治は絶望の中、ただ立ちつくすばかりだった。

 

監視カメラをジャックしていた電波を、ヘリにいる内からフォルトナには逆探知させていた。だからビルの状況を確認すると、すぐにキャムは動くことが出来た。

ルーフさんに対する信頼感が、行動を支えている。敵は高精度のカメラジャックを維持するために、近くのビルにいる。それももう、特定できている。走り、ビルに向かう。すでに特務部隊の人たちも、展開を開始しているはずだ。

何度か奮戦して、いつの間にかキャムは充分に実戦で通用すると認められていたらしい。今回も、前線に出ることを許可して貰ったし、こうして活動してもいる。しかし、まだまだ経験が足りないことは百も承知。調子に乗れば、すぐに死が待っていることだろう。相手は少なくなっているとはいえ、帝国の特殊部隊なのだ。

ビルに入り込む。静かなビルだ。テナントは殆ど入っておらず、特に三階より上の階は人気が全くない。KEEPOUTの札が、上り階段の入り口に立てられていた。着いてきているフォルトナが言う。

「人が入った形跡があります」

「おかしいな」

「はい?」

「考えても見ろ、フォルトナ。 そんな痕跡、今までの連中だったら、残しておく訳がないだろう」

もう敵には、細かい工作をしている余力がないはずだ。それは分かっている。だが何かがきな臭い。

真っ正面から行く。トラップの一つや二つ、仕掛けられていてもおかしくない。しかもそれらは、いずれも凶悪な代物である事が予想できる。四階、気配無し。もう一階上がる。五階、気配無し。六階。妙だ。静かすぎる。

当然此方の侵入には気付いているはずだ。だが、おかしい。探知機器の類が、全く見あたらないのである。フォルトナも気付かないほど緻密に仕掛けられているのだろうか。嫌な予感がする。

一体何が起こっている。今まで、何度も奇襲に適した場所を通り過ぎた。七階に入る。気配がある。というよりも、これは。

「血液反応です」

フォルトナに頷き返す。キャムも感じた。鉄さびの臭いだ。自分のでも他人のでも嗅いだことは何度もある。

気付いた。だから、堂々と歩き出す。フォルトナが慌てて着いてきた。七階の一番奥。ぽっかりと空いたテナント用の空間。覗き込む。窓から入り込んでいる光が、全てを露わにしていた。

そこは、血の海だった。

眉をひそめながら、携帯端末に連絡。早速現場保存する必要がある。辺りには幾つかの最新鋭機器類。それらも乱暴に壊されていた。床に転がっている大斧。コンピューター類は、みなそれで叩き割られたらしい。戦闘用ロボットの残骸は見あたらない。

死んだ人間は、皆唖然とした表情で、急所を撃ち抜かれていた。しかも倒れ方から言って、至近距離からだ。裏切り者が出たのか、それとも信頼していた人間に捨てられたのか。いずれにしても、無惨な死に様だった。

「記憶媒体は皆砕かれています。 再生は難しいでしょう」

「ちいっ! こんな短時間に、一体誰が!」

「痕跡を分析します」

すぐに特務部隊の後続が駆け込んできた。シノン少佐は舌打ちすると、すぐにどこかの科学部署を要請していた。部屋にいても、邪魔になるだけだから出る。キャムに出来るのは、結局戦うことだけ。携帯端末から、レイ中佐を呼び出す。

「レイ中佐」

「今聞いたわ」

「何だか腑に落ちません。 内部分裂にしても、一方的に殺されていますし。 それに状況から言って、作戦開始から一時間も経っていないはずです。 何があったのか、さっぱりです」

レイ中佐も腕組みして悩んでいた。問題はククルームルさんの思考体なのだが、ちゃんとあの部屋にいるのだろうか。

賢治も心配だ。階段を下りながら、外を見る。賢治の入ったビルの外は、戦闘ロボット達が的確に封鎖して、観衆をシャットアウトしていた。騒ぎを聞きつけたマスコミの連中も群がっていたが、いずれも相手にしない。

何気なしに、屋上に。殺風景なビルの内部とは裏腹に、外は絶景だった。十三階建てのビルともなると、屋上からは辺りが一望できる。

何気なしに縁に歩いていって、手すりを見る。一ヵ所だけ、不自然に塗装がはげていた。何だかよく分からないが、何かの参考になるかも知れない。状況をフォルトナに立体保存させると、キャムは賢治がいるビルへと戻る。向こうもどうなっているのか、心配なのだ。ルーフさんもいるし、万が一はないと思うのだが。だから却って不安が煽り立てられる。

エレベーターは当然動いていないので、歩いて一階に。もう特務部隊の人たちが、死骸を運び出し始めていた。小走りで賢治のいるビルへ。その途中、だった。

妙な男とすれ違う。長身の黒人で、髪の毛をドレッドにしている。僅かに香る血。そして、不審なバッグ。

向こうも、此方に気付いたらしい。数秒間、にらみ合う。数歩遅れて着いてきていたフォルトナが、先に前に出る。

「申し訳ありません。 先ほど殺人事件がありまして、軍で調査しております。 お話を少しだけでも聞かせてもらえませんでしょうか」

「断る」

「悪いけど、拒否権はない。 あんただろ、さっきビルで五人くらい殺したの」

反応が返ってこない。なるほど、これで読めた。此奴はさっき室内で犯行を行った後、突入のタイミングを見計らい、外から逃げた訳だ。あの屋上の錆の剥がれた部分から、何かしらの手段で降りたのだろう。

不意に、静から動へ、状況が飛ぶ。

避けられたのは、奇跡というほかない。殆ど瞬き一つの間に、キャムの頭があった空間を、男の蹴りが通り抜けていた。飛び退いて避けると同時に、鞠くらいの大きさの発煙弾。辺り一帯が、煙に包まれる。

「待てっ!」

待つ訳がないことを分かった上で、キャムは叫ぶ。味方に知らしめる為だ。フォルトナが駆け出す。発煙弾にはチャフも混ぜるのが一般的だが、それでも何か掴んだのかも知れない。

賢治の事も気になるが、それは後回しだ。此奴は確実に、この錯綜した状況の一部を知っている。ならば、逃がす訳には行かない。

路地裏に入ろうとした瞬間、顔を引っ込めたのは、本能からだ。跳弾の音。実弾だ。悲鳴が上がる。通行人がいようと、お構いなしと言う訳か。

「徹甲弾です。 危険ですので、追跡は中止した方が良いかと思われます」

「そうはいかないだろ」

此奴を逃がせば、全てが台無しになる可能性が高い。この星にいる帝国諜報員の最後の戦力だっただろう連中が、何故こうもあっさり皆殺しにされたのか。一体裏で、何が起こっているのか。それらが掴めなければ、危険は去らない。

ルーフさん達には、出来るだけ快適にこの星でのステイを送って欲しいのだ。今でさえ、危険を背負わせてしまっているのである。これ以上は、とても看過できない。

再び銃声。まだ奴は近くにいる。

対ロボットを念頭に置いている近年の徹甲弾は、よほど高度な防弾チョッキではないと防ぎきれない。しかも反応速度と正確性から言って、相手の腕は超一流だ。一体何者だ。立国の特殊なエージェントだろうか。もしそうなら、攻撃してくる意味が分からない。軍と共同作戦でも採れば良いではないか。

アガスティア提督は既に掴まっているし、軍内部に妙な動きをしている人間はいないと聞いている。そうなると、余所の国の人間だろうか。

考える事はあまり得意ではない。賢治の意見を聞きたいところだ。

路地裏に続く壁に背中を預けたまま、キャムは声を落とす。

「フォルトナ、まだ奴はいる?」

「はい。 何かを待っているかのように見受けられます」

「やっぱり、単独で動いている訳じゃないんだな」

「……単独で、あれだけの事を成し遂げるのは不可能かと思われます」

それにしても、何かを待つというのはどういう事だ。今更移動手段が来たところで、軍もバカじゃない。ヘリを使ってククルームルさんの襲撃班が逃げ切ったことがあったが、同じ轍は踏まないだろう。既にこの辺りは作戦区域となっており、ヘリなどがいたらすぐに大気圏内戦闘機が飛んでくるはずだ。

ふいに、その時は訪れた。軍の装甲車が、大挙して押し寄せてきたのである。援軍かと思ったが、違うとすぐに分かった。奴が銃を捨て、堂々と路地裏から出てきたからだ。あまりにも自然だったので、流石に対応が遅れた。

構えるキャムを、男は一瞥しただけだった。装甲車から出てきた、如何にも階級が高そうな軍人が、男に敬礼する。

「任務、お疲れ様です」

「ああ」

言葉短く答えると、男は装甲車に乗り込む。

もちろん、キャムに説明など、与えられはしなかった。抗議する暇もなく、装甲車はその場を離れていく。

後には、唖然として立ちつくす、キャムだけが残された。

虚脱に包まれるキャム。敗北感が、心にもやを掛けていた。

 

4,光明と、さらなる闇と

 

虚脱から立ち直った賢治が、異変に気付く。遅れてビルに入ってきた静名が叫んだからかも知れない。

「マスター!」

眼前まで、ククルームルさんが迫っていた。体積は一トン近くありそうなほどにふくれあがっている。

駄目だ。死ぬ。絶望が、脚に枷を着けていた。悲鳴を上げることも出来ず、ただ呆然と、眼前に迫り来る死を見つめる。獲物を捕食するように広がったククルームルさん。もちろん、ターゲットは賢治だ。ああ、これは死ぬな。静かに、そう思った。その予想は、外れようがない。

賢治は目を閉じ、その瞬間に備えた。

数秒が、何時間にも思えた。

ふっと消える闇。一点の先に、光明がともる。

「支配完了。 少し癖が強かったけれど、娘の使う群体ですもの。 どうにかなるものですわね」

不可解な声。今のは、ルーフさんのものではなかったか。

目を開ける。そこにいた、巨大なククルームルさんの群体は、停止していた。その巨体が、徐々に縮んでいく。蠕動し、歪みながら、やがて一つの形を取る。

「やれやれ、大変でしたわ」

肩を回しながら、此方に歩いてくるのは、ルーフさんだった。

体積は全く変わっていないように思える。だが、見た感じ、歩調が僅かに重い。へたり込んでしまう。ルーフさんの着衣はぼろぼろだ。せっかくの自慢のよそ行きだったはずなのに。

ルーフさんは、賢治の前で屈む。白い肌が、闇の中で浮くようにしてよく見えた。

「大丈夫。 こんな事で、私は死にませんわ」

「良かった……」

どうやってルーフさんが助かったのか。そんな理屈は、どうでもいい。

今はただ、この人が生きて戻ってきた事を、喜びたい。

落涙しながら、賢治は、絶望が少しずつ晴れていくのを感じた。

 

立ちつくしていたキャムの携帯端末に、賢治からの連絡。辺りに聞いている人間がいないことを確認してから、裏路地に入ってボイスオンリーで回線を開く。賢治の声は、妙に晴れやかだった。

「ルーフさんの力で、どうにかククルームルさんの群体を保護できました。 そちらは、どうなりましたか?」

「よくわからない」

「ええと、それなら、一度集まりましょう。 既に今いるビルの周囲は、野次馬が囲んでいる状態ですし、場所を移りたいです。 それに、蛍先生も、病院に運びたいところですから」

蛍先生は、どうしてあのビルに来ていたのか。メイドロボットのキノカは、あの人にとって家族同然の存在なのだとは、見ていれば分かった。

天を仰ぐ。もうそろそろ夜になる。確かに、一度合流して善後策を練るべきだろう。それにキノカを何とかして上げたい。蛍先生は学校に確保している貴重な協力者だ。キノカがいなくなれば、きっと大きな損になる。

後は、ククルームルさんの思考体だ。それをどうにか出来れば、一通りの決着がつく。そうなれば、後は国家上層の話し合い次第だ。ステイ計画はしばらく中止になるかも知れない。或いは続行となり、しばらくこの星にルーフさん達が残ることになるかも知れない。後者なら良いのだけれどと、キャムは思った。

何だか負け犬のようだと、自嘲する。賢治はきちんと目的を果たした。ルーフさんがいたからと言うこともあるが。それに対して、キャムはどうだ。意味不明の事態だったとしても、敵に逃げられたことに代わりはない。

ビルに着くと、もう救急車が来ていた。やはり蛍先生は骨が折れていて、意識もなかった。キノカも回収される。どうやら、現場監督を庇おうとして、一撃を貰ったらしい。フォルトナの話だと、型式がかなり古いが、何とか治療は出来ると言うことだった。この国だからこそだとも言われた。余所の国では、もう型式が古すぎて、パーツを生産もしていないし、在庫もないのだという。

五月蠅いマスコミ関係者が中をちらちら覗いていたが、もう軍の部隊が来て封鎖を始めていたから、気にしなくて良い。賢治は怪我していなかった。だがルーフさんの服は、彼方此方破れて酷い有様になっていた。

「お疲れ様。 怪我は?」

「僕は大丈夫です」

「私は、群体を5500ほど失いましたわ。 再生に四ヶ月ほどかかってしまうので、少し大変ですわね」

何があったのかと、賢治に視線で促すと、すぐに意図を察してくれた。成長がよく分かって嬉しい。

「ククルームルさんの群体が、ルーフさんを押しつぶしたんです。 幸い内側から支配できたようですけど」

「そんなことも出来るの?」

「普通は無理ですわ。 思考体がいなかったから、出来ただけのこと。 それに私くらい生きていなければ無理だったでしょうね」

「そう。 何はともあれ、良かったよ」

外にワゴン車が来た。シノンさんの車だ。どうやら向こうも処置が終わったらしい。眉をひそめたのはルーフさんだ。群衆を押しのけて敷地に入ってきたワゴン車。ドアが開いて、中からレイ中佐が顔を見せる。

「無事なようね、良かったわ」

「すみません。 群体は保護できましたが、思考体までは」

「ええ、残念な話だわ。 でも、もう敵に戦力は残っていないし、発見は恐らく時間の問題でしょう」

「いや、そう上手くいくでしょうか」

賢治の言葉が気に掛かる。何か此奴、気付いたのかも知れない。最近はレイ中佐も、此奴の分析を頼りにしていることを、キャムは知っている。レイ中佐はエリートだが、秀才官僚であっても、参謀ではない。参謀型の人材は、何処の社会でも縁の下の力持ちとして使えるのかも知れない。

「とにかく、今はどこかの基地ででも休みましょう。 早く乗って」

「分かりました。 ルーフさん、よろしいですか?」

「ええ。 少し休みましょう」

レイ中佐が助手席に移り、最初に賢治が乗った。一番元気が残っているのは此奴だろう。次に、ルーフさんに乗って貰う。何だかワゴン車がぐらりと揺れたのだが、気のせいだろうか。そういえば、群体はルーフさんが支配したと言った。 それはどういう意味なのだ。見た目、ルーフさんに変わりはないのだが。

最後にキャムが乗り込む。仏頂面のシノン少佐は、つまらなそうに群衆を蹴散らしながら路地に出た。後ろから、新聞記者の上げたらしい罵声が聞こえた。路傍の小石に等しい。それこそどうでも良いことである。

車は順調に走り出し、すぐに高速に乗った。レイ中佐が、助手席から話しかけてくる。まず、簡単な報告から。あの特務部隊員達は、やはり光学通信を使い、宇宙へ情報を転送しようとしていたのだという。転送対象の艦船は、現在調査中だが、事前に手が読めていたためにまもなく捕まえられるだろうと言うことだった。

大手柄だと、レイ中佐は賢治を褒めていた。賢治は喜んでいたが、複雑そうな表情である。レイ中佐も、それを見越したのだろうか。表情を改めて、今度はルーフさんに話しかける。

「それで、ルーフさん。 思考体の気配は、セントラルシティに入った時に感じなかったのかしら?」

「そこまで私達の探知能力は精密ではありませんわ。 ひょっとすると、最初から思考体はこの街に来ていないのかも知れません」

「そう、でしょうか」

「被名島、歯切れが悪いな。 何か気になっていることがあるのか?」

キャムも分からないことが多い。皆分からないことだらけでは、正直精神衛生上良くない。一つずつ、明らかにしていく必要がある。

「逆に質問してしまってすみません。 今、軍ではククルームルさんの行方を、どれだけ掴めているんですか?」

「今のところ、私の所に情報は入ってきていないわ」

「……多分、今この国には、帝国以外にも諜報員が入ってきています。 しかも、おそらくは、上層部は同意の上で」

それには、ぴんと来るものがある。さっきの黒人は、余所の国の諜報員だったという訳か。しかしそうなると、解せない。何が起きているのか。

「しばらく考えていて、それで結論は結局一つしか出ませんでした」

「それは何?」

「きっと、この国と帝国を、徹底的に戦争させたい人がいるんです。 今までの事件を見ていると、そうだとしか思えません。 そしてそれが本当だとすると、可能性として一番高い犯人は、邦商だと思います」

レイ中佐はしばらく腕組みして考え込んでいた。キャムよりも、賢治よりも、この人は知識を持っているはずだ。多分キャムに言っていない事も、たくさん抱えているはず。それをこうも考え込ませるほどに、今賢治が吐いた言葉は、真に迫っているのではないのか。キャムも、特に疑問を感じない。というか、よく思いついたものだと感心する。

「そんなことをする理由は?」

「武器を戦争している双方に売りつけて、経済的な不振を回復すること。 そして立国を弱体化させて、経済的な覇者の座を取り返すこと。 戦いが長期的になればなるほど、邦商には好ましいはずです」

なるほど、理にかなう。レイ中佐もそう思ったようで、何も言い返さない。だが賢治は、まだ続ける。

「でも、これでもまだ説明がつかない部分があるんです。 温めていただけの考えですけど、今回の件で笑い飛ばせないと思いましたから、敢えて言います。 この件には、それでも不審なことが多すぎるんです」

「どういう事? 具体的に説明してくれるかしら」

「はい。 もし本気で立国と帝国を戦争させたいのなら、他にもやり用はあると思うんです。 戦争は立国が押していて、恐らく領土内から帝国の勢力が一掃されるのも間近だと思います。 邦商の諜報活動が下手なんだというのならいいんですけれど、こう致命的な事態をいちいち紙一重で回避しているのを見ると、もっと大きな力が側で状況をコントロールしているとしか思えません」

勝ちすぎず、負けすぎずと言うのならまだ話は分かる。しかし状況はどうだ。帝国は醜態を晒しに晒し、卑劣な作戦を採るだけ採って、軍事的にも経済的にも今破れようとしている。各地の星系での映像を見て、立国の世論は沸騰していて、このままで済むとは思えない。しかも、帝国は軍の半数を今回の戦いで繰り出してきており、経済的なダメージは計り知れない。

帝国は、負けるのだ。

そして、邦商の陰謀も、表に曝される。

邦商は経済国家に過ぎず、大した軍事力を持っていない。もし連合なり立国なりが本気で攻め込めば、ひとたまりもない。しかもこの陰謀が表になった場合、味方をする国家は存在しないだろう。邦商の悪辣なやり方は、誰もが知るところであり、しかも今はかってのような技術力も圧倒的な経済力も無いのだ。

そうなると、どこもかしこも損ばかりしているような気がする。この陰謀が成った時、特をするのは何処だ。どうしてもキャムには、それが理解できなかった。陰謀は基本的に、後ろ暗い手段で優位に立つために行うためのものだ。

「それが正だとすると、最終的なビジョンはどうなる」

「恐らく、帝国は弱体化。 今後は各国の侵略に曝されて、領地の半分以上を失うと思います。 邦商も、連合か立国か、或いはその共同軍によって蹂躙されて、同じような目にあうと思います。 立国もしばらくは出費が続いて、経済的にはマイナスに転落するでしょう。 連合は常備軍の内外征用の機動部隊を動かしているだけだから、損害は一番小さいはずです」

「じゃあ、連合に対抗できる勢力は存在しなくなるんじゃないのか」

何気なくキャムは言ったが、レイ中佐と、シノン少佐と、賢治が一斉にこっちを見たので、思わず椅子になついてしまった。

「な、なに?」

「先輩、それです。 そうか、そういうことだったんだ。 やっと、全ての線がつながりました」

顔を上げた賢治は、確信を籠めて言った。

「連合が、恐らく誰か高官が、この事件の裏に大きく絡んでいるんです。 きっと帝国も、邦商も、連合の掌の上で踊らされていたに過ぎない」

「確かに、それなら全ての線がつながるわね。 何て言うこと」

もし連合が全ての糸を引いているとしたら。それを避難することも難しい。帝国を撃退するのには、連合のアシハラ元帥の尽力がなければ無理だったのだから。この戦いで、10万を超える連合の軍人が戦死しているのも、事実なのだから。

或いは、アシハラ元帥はこの陰謀を知らない可能性もある。だが、あの方も、立派な大人だ。大人である以上、人類の社会がきれい事だけでは動かないことも熟知しているはず。そして汚い手を使っているのは、何も連合だけではない。立国だって、影では散々汚いことをしているものなのだ。

「それが本当だとすると、私は誰を恨めばいいんですの? ムルは、誰を怒れば良いんですの?」

黙り込む皆の中で、ルーフさんが悲しそうに言った。

誰も、それに応えることは出来なかった。

 

ヴァルケノスの元に、情報が転送されてきたのは、廃工場に閉じこもってから丸一日が過ぎた頃だった。丁度二食目の缶詰を開けていたところだったが、そんなものは後回しだ。仲間達が、文字通り命を賭けて送ってきた情報に違いないのだから。

後は、ダミーのサイバーテロを仕掛けるだけである。それと同時に、確保してある古いサーバに、データを転送する。それはこの戦いが始まる前から確保しているものであり、いずれゆっくりデータを回収する事になる。本当は即座に回収するはずだったのだが、流石に無理だ。もう人員も戦力もない。

用意されていたデータを、大出力のスパコンに流し込み、転送を開始させる。この場所はすぐにばれるはずだ。外は戦闘ロボットが確保している。スパコンが動作を開始したのを見届けると、辺りを片付けて外に出る。時限爆弾も、しっかり仕掛けた。丁度特殊部隊が突入してくるだろう時間に仕掛けるのは、単なる駆け引きだ。これである程度は時間を稼ぐことが出来る。

さて、後は一旦セントラルシティに潜んで、脱出のチャンスを待つだけだ。生き残れるかは、五分五分と言うところだ。死んだとしても、誰も恨むことは出来ない。任務の過程で、民間人を含む多くの命を奪ってきたのだから。

本国からの通信など、とうの昔にとぎれている。戦術的な判断など許されていないから、後は生き残るために動き、機会を見て本国に帰ることだけを考えるしかない。ただ、雲行きは怪しい。ほとぼりが冷めた頃には、本国が無くなっている可能性も、ありそうだ。

工場を出て、闇の中を戦闘ロボットと走る。時々混じる機械音が痛々しい。此奴も修理してやりたいところだが、設備がない。下手に修理工場などに出せば、一発で身元が分かってしまう。

出来るだけ人気が少ない所を行く。やがて、事前に確保していたモーテルの一つが見えてきた。スラムがあればもっと潜伏が楽なのだが、この星ではそれすら望めない。安モーテルに、ロボットと一緒に泊まる。隣の部屋で盛った男女が激しく交わっている。あえぎ声が薄い壁を通過して漏れてきており、鬱陶しくて仕方がなかった。

工場が爆発すれば、時間をある程度稼げる。後は潜伏先を順番に周りながら、ゆっくり様子を見ていけばいい。パスポートも確保はしてあるが、今宇宙港に行くのは自殺行為だ。何とか、貧しい生活資金でやりとりしていくしかない。

服を脱いでベットに潜り込むと、すぐに意識が落ちていた。薄くても、固くても、ベットは心地よい。泥の中で眠るのに比べたら、天国だ。

故郷の夢を見る。ドイツ風の貧しい町並み。どぶは汚く、空は薄暗く、いつも怒鳴り声と泣き声が絶えなかった。ネットなど一部の特権階級しか触ることが出来ず、管理番号で生活の全てが決定されていた。貧民はゴミも同然で、金持ちは場合によっては殺しでさえ逮捕されることがなかった。中国系住民とドイツ系住民の対立はいつも激しかった。殺し合いに発展することも、日常茶飯事だった。しかも政府は、それを管理政策の一端として利用さえしていた。

完膚無きまでに、腐りきった国。このモーテルよりも、更に汚い、滅ぶべきなのかも知れない国。

そんなところであっても、ヴァルケノスの愛すべき故郷だった。死ぬまでに、一度彼処へ戻りたい。それが、ヴァルケノスのささやかな望みであった。同志達も皆同じ筈だ。死んでいった連中は、皆自分なりに故郷を愛していただろう。

目が覚める。四時間程度しか経っていない。隣はもう静かになっていた。スリープモードになっていた戦闘ロボットが、壁際に座り込んでいた。

まずは、自分よりも先に、此奴を直してやりたいものだ。そうヴァルケノスは思った。体力的には、さほど無理はしていない。動く分には、全く問題がない。

サバイバルは、彼の独壇場である。まずは闇の工場を見つける。パーツは今時そう高くないが、しかし帝国産のものだから見つかるかは微妙だ。大切な資金に手を着ける訳には行かないから、アルバイトでもして稼ぐしかない。敵地でのアルバイトには気を使う。軍属の人間が来ないような場所で働くのがいいのだが、なかなか難しい。

連絡はまだ来ていない。そうなると、生き残ったのはヴァルケノスだけだと見た方が良さそうだ。仲間にさえ知らせていない拠点が、まだ幾つか存在している。早いところ、そちらに移った方が良いだろう。

こんな状況でも、まだ国への忠誠が残っている自分が滑稽だと、ヴァルケノスは思った。移動は早いほうが良い。服を着込むと、戦闘ロボットを起こす。自己修復機能はこの国のものと比べると劣弱だが、何とか現状維持だけは出来るだろう。

「交換した方が良いパーツのリストを、後で俺の携帯端末に転送しておいてくれ。 お前は貴重な戦力だ。 直すための計画をたてる必要があるからな」

「了解しました」

「よし、場所を移動するぞ。 お前にも教えていない隠れ家を、幾つか造ってある。 そちらへ移動して、今後のことを練る」

荷物を背負い直すと、部屋を出る。寝ぼけなまこの主人は、迷惑そうにヴァルケノスを見ていた。

裏路地でも、即座に強盗に遭うことがないだけでも、この国は豊かだ。帝国も、いつかこんな場所にしたい。

もう、一人になってしまったというのに。

ヴァルケノスは、諦めていなかった。

 

5,影のまた影

 

立国最辺縁の国境にまで帝国軍を押し戻したアシハラ元帥麾下の連合艦隊は、不可解な命令で後退して以降、動きを見せていない。立国艦隊は困惑しつつも、同じように後退し、近辺で布陣していた。バビロニア要塞は奪還し、補給と回復の手段は整ってる。既に陥落していた有人惑星の全てを奪還し終え、後はカイパーベルトから帝国艦隊をたたき出すだけだった。

先の戦いで大した損害を出していないとはいえ、もう帝国艦隊には、地の利を生かして抗戦するくらいしか選択肢が残っていない。その上、火力が不足し始めているのも分かっている。それなのに、何故連合機動艦隊は動こうとしないのか。当の連合艦隊の中でも、疑念の声が上がり続けていた。

だが、それでも、誰も動こうとしない。そう、最高責任者の、アシハラ元帥までもが、だ。

複数の視線が交錯する中央。戦艦オルヴィアーゼ艦橋にて、もの凄く不機嫌そうに、アシハラ元帥は草の茎を上下に揺らしていた。こういう時の元帥は、ちょっと話しかけただけですぐ怒ると、周囲の人間達は知っている。親しい者ほど、この人が子供同然の精神構造をしていることを熟知しており、機嫌が悪い時には近づかない。つきあいが長くなってくると、不機嫌を装って人払いしている状況を見抜けると言うが、生憎艦長も参謀達も、そこまでの域には到達していない。

だから、皆戦々恐々としていた。

副官の仕事は大変だ。そんな状況でも、アシハラ元帥に仕事を回さなければならないのだから。咳払いすると、小さな頭が少し動いて、副官の方を見た。冷や汗を掻きながら、副官を務めているショースター中佐は言う。言わなければならない。

「お時間、よろしいでしょうか」

「何だ」

「立国の指揮官達が、面会を求めております」

「用件は目に見えているから、追い返せ。 まだしばらくは、我が艦隊は此処で待機するから、攻撃したければ自分たちで勝手にやれと、付け加えてやれ」

副官ショースター中佐は、この仕事に就いたばかりだ。具体的には、この遠征で初めてアシハラ元帥の補佐に任命された。何名かいる副官の一人として赴任し、当初は希望に胸をふくらませていた。彼はそこそこの特性があり、二十代後半で中佐にまで上り詰めた実践派の士官であり、将来も嘱望されている。

しかし、この仕事を始めてからは、心が折れそうになっていた。がっしりした体格の彼の心を折ろうとしているのは、他ならぬアシハラ元帥だった。ゴリラみたいな巨漢が、胃を痛めかけている。

こんな常識も理屈も通じないような、子供みたいな人をなだめるのが仕事なのだ。確かに宇宙最強の用兵家である事は、ショースターも認めている。しかしそれ以外では、完全にただの子供だ。そして、その子供を、エリート中のエリートであるショースターが、全力でなだめなければならない。なおかつこの子供は不必要なほどに頭が良く、此方が考えていることを即座に見抜く。

教育を受けていない子供ほど始末に負えないものはない。この人は間違いなくそれだ。倫理観念はそれなりに備わっているし、正義感も強い。責任感もある。だが、所詮は感情に基づいて動く子供。すなわち、呼吸する危険物である。

「そのようなことでは、相手を納得させられません」

「納得させるのが、お前の仕事だろう。 私は今、色々と頭を使うので忙しい。 それが分かったら、さっさと行け。 時間を無駄にするな」

なけなしの勇気を動員して言ってみても、けんもほろろに返される。すごすごと引き下がるショースターの背中に、憐憫の視線が複数突き刺さった。振り返ると、アシハラ元帥は草の茎を揺らしながら、超クラシックスタイルの携帯ゲーム機を実に楽しそうに弄っていた。殺意さえ湧くが、此処は我慢しなければならない。

早速参謀や艦隊司令官達を集めて、アシハラ元帥の反応を説明。四人の艦隊司令官達は、ことごとくため息をついた。直営艦隊の分艦隊司令官達も、皆同情の視線を、ショースターに送ってきている。

「気の毒だが、アシハラ元帥がそういう以上、従って貰うしかない」

「しかし、立国側には補給を全て任せていますし、修理までしてもらっています。 それが、こんな誠意のない返答を、どのような顔でしたものなのか」

「あの人は、実際問題こう言う時は何か考えているものなんですよー。 だからきっと、大丈夫です」

一番同情の視線が強かったアータ中将が言う。そののんびりとした口調は、普段は心休まる要素となるが、今は苦悩を増幅するばかりだった。

ともかく、アシハラ元帥が言った言葉は、正論ではある。何とかして、立国艦隊の司令官達を納得させなければならない。連合は今援軍としてきてはいるが、立国とは今後も良きパートナーであろうと考える場合、あまり鷹揚な態度には出られない。当のアシハラ元帥も、普段は丁寧に応対している。しかし、今回は別だ。

普段は、日常生活レベルのわがままに振り回されるのに、耐えるだけで良い。だが今日はあまりにも酷い。こんな使用人みたいな仕事を、軍学校のエリートである私が何故やらなければならないのだ。ぶつぶつ呟きながら、書類をまとめ上げる。

立国の艦隊を指揮しているパーセルヴァー大将がスクリーンに出た。期待に顔を輝かせ、頬をふくらませている。これから告げなければならない非道な事実のことを考えると、申し訳なくて、胃が溶けそうだった。

案の定、パーセルヴァー大将の落胆ぶりは無かった。もちろん、立国としても、これ以上の人員の損失は避けたいところだろう。単独での攻撃には到らないだろうが、しかし不満も募るはずだ。

非常に残念そうにスクリーンから消えたパーセルヴァー大将のことを、アシハラ元帥に報告に行く。まだゲーム機で遊んでいた元帥は、事もあろうにまるで関係ないことをほざいた。

「姉さんのことは知っているな」

「はあ、まあ。 宇宙艦隊司令長官ルパイド元帥が、どうしたのですか?」

じっとアシハラ元帥は、ショースターを見た。数秒視線が停止する。何だか気圧されて、ショースターは視線を逸らした。

「そんなんじゃあ、しばらくは副官だな。 もう少し洞察力を付けろ」

「といいますと」

「話は以上だ。 あ、そうそう。 今日の夕食はクリームシチューだったな。 カリフラワーを忘れずに入れておいてくれ」

アシハラ元帥は何だか更に不機嫌になったようだった。敬礼すると、退出する。自室で胃薬を服用すると、ショースターはベットに倒れ込んで、ふて寝を始めた。

 

小首を傾げて去っていく副官の鈍さに、アシハラ元帥は苛立ちを隠せなかった。前の副官が有能だったからか、余計に鈍さが際だっている。俊英だという評判だったが、結局杓子定規な判断しかできない阿呆だった。まあ、これから伸びるかも知れないし、しばらくは鍛えていかないといけない。

今回、彼女が兵を引かせたのは、先ほど言及したルパイド元帥に指示を受けたからだ。退却の理由は、まだ敵に人質があるからというものだった。それは、誘拐されたKVーα星人の思考体だという。思考体というのは、群体生物である彼らの脳の役割を果たす存在だと聞いている。

今立国に展開して網を張っているKVーα人は、人質を見捨てるような事をしたら、どんな手に出てくるか分からない。確かに、帝国がそれをカードにしてきたら、一度兵を引くしかない。

しかし、だ。妙なことに、帝国がその手段に出る気配がないのである。カードは切らないと意味がない。しかも今の帝国の状態では、どんなカードでも切らなければ行けないはずなのである。

何かが、変だ。調査によると、チャン大佐などと言う小物がやりたい放題に帝国軍を引っかき回し、下劣な作戦を駆使して、結果両国に敵意ばかりを植え付けたことが分かっている。それも気に掛かっていた。全体的に帝国の諜報員は、動きがおかしい。非合理的だという以前に、やはりどこかから操作されているとしか思えない。

多分、邦商が絡んでいることは分かっている。帝国と立国が血みどろの戦いをして、一番得をするのはあの国だ。連合にも、圧力を掛けてきていた。アシハラ艦隊の出撃が遅れたのも、連中が得意とする人脈を駆使しての妨害工作が大きかった。だからかなり強引に出撃することで、力業によって工作を粉砕したのだ。

その工作も敗れた後も、どうしてか「邦商」の行動は止まらなかった。一体何故なのだろうか。それで思い当たったのが、黒幕の存在だ。何かが裏で、綿密に糸を引いているとしか思えない。

しかしその命題が正だとすると、問題がある。あの姉を動かせるほどの人物となると思いつかないのである。姉であるルパイド元帥は、現在連合の宇宙艦隊を掌握している。当然絶大な権力と影響力を持っており、耳に入る情報も相当に精度が高いはずだ。

色々な情報を当たってみた。都市伝説の類も調べてみた。だが、姉をも騙しながら、状況の糸を引き続けられる人物の当てはない。彼方此方の情報通にネットを通じてアクセスもしてみたのだが、心当たりは無いと言うことだった。

ストレス発散のためにゲームもしていたが、あまり役には立たなかった。かなりのプレミアがつく携帯ゲーム機を仕舞うと、携帯端末にメールが来ていることに気付く。姉からだった。

「朗報よ、アシハラちゃん」

「何が朗報だ。 無能生物が」

苛々しながら、文を読み進める。姉の文章は非常に整理された緻密なもので、重厚な人柄に相応しいものである。ただし、文面が真っ黒になるほど字が埋め尽くしているので、読むのに兎に角時間が掛かる。

「どうやら掴まっていたKVーα星人の思考体が保護されたようよ。 立国首都星から、さっき速報があったわ」

様々なデータが、後は精密な説明と一緒に並べられていた。じっくり目を通していくが、疑う理由が見つからない。どうやら、本当に保護されたのだろう。これでKVーα星人達は、安心して本国へ帰れるだろう。

これで、完全に帝国のカードは無くなった。すぐにでもカイパーベルトに出撃したいところだが、まだ止めた方が良い。この間の、KVーα星人艦隊とのニアミスを思い出す。あのような事故だけは、絶対に避けなければならない。

不意にアシハラが指揮シートを叩いたので、艦橋にいた人間が全員注目した。アシハラは立ち上がると、小さな手を横に振るい、空を切る。

「全艦、臨戦態勢を取れ! 偵察艦を派遣し、周囲を徹底的に調査しろ!」

「偵察艦隊、展開準備にかかります!」

「レーダー出力全開! シールド艦、臨戦態勢に移行! いつでも動けます!」

立国艦隊から、慌てた通信が飛んでくる。不意に此方が動き始めたので、困惑しているのだ。最大限の警戒をするように伝えると、陣形を球に再編成する。いかなる方向からの奇襲にも耐え抜く陣形である。

さて、何か黒幕がいるのなら、仕掛けてくるが良い。誰にも聞こえないように小声でつぶやくと、アシハラは全軍に前進を命じた。

 

六度目の補給要請は、またしても無視された。既に食料さえもが欠乏し始めている。フリードリーヒ大将は、無能かつ無理解な本国に、ほとほと絶望し始めていた。

そもそも、増援が来ない時点で、バビロニア要塞を確保しきれないことは分かっていた。だからはじめから捨て石にするつもりで後退し、被害を最小限まで抑えることに成功した。だが、其処までだった。このままでは、じり貧になるばかりだ。もう撤退する以外に策はないとさえ、フリードリーヒは考えている。だが、本国は危機感がまるでない。このまままでは、立国の領土を奪うどころか、本国まで危ういというのに。

不可解な敵艦隊の進撃停止も、いつまで続くか。それに、立国内部の諜報員達は、既に壊滅状態だろう。チャンの奴も連絡が取れなくなっている。幾つか罠を仕掛けて待っていたのだが、拍子抜けだ。恐らくどこかの路地裏で、寿命が尽きた蝉のように呆気なく情けなく命を落としたのだろう。

もう物資も殆ど無く、大会戦を行うのは不可能だ。此処まで命令に従ってきただけで、充分だろう。次に敵の攻勢があるまでに、本国が何も言ってこなかったら。フリードリーヒとしても、独自の判断をする他無かった。

無数の小惑星と星間物質で満たされたカイパーベルト帯といえども、もうあのアシハラ艦隊の攻撃を凌ぐことは不可能だ。部下達をこれ以上死なせないためにも、撤退の他道は無い。降伏するのは嫌だ。最後まで、フリードリーヒは武人でありたかった。

「フリードリーヒ提督」

「何かね」

副官が側で敬礼したので、顔を上げる。近くに来られるまで気付かなかった。精神の摩耗が酷い。もし今暗殺者に襲われたら、自分でも気付かないうちに死ねるかも知れない。それもいいかなと、フリードリーヒは一瞬思ってしまった。責任感が無いことこの上ない。このようなことでは駄目だ。

「本国から、通信がありました」

「それで、内容は」

「……その。 我に余剰物資無し。 そこで乾坤一擲の戦を挑み、敵将の首を取って汚名を雪げ、との事です」

「そうか。 予想通りだな」

これで、腹は決まった。本当に申し訳なさそうに頭を下げる副官。

元々政府に対する不満は山ほどあった。だが、もう我慢するべき時は過ぎた。これ以上は無駄だ。将兵を無意味に死なせる訳には行かない。

「全艦隊に通達。 我らはこれから帝国領に向かう」

「しかし、本国からの命令が」

「本国からの命令だと? 補給の要請も聞こうとせず、蛮行としか思えない作戦案ばかりを指示し、帝国にも立国にも傷が残るような愚劣な命令ばかりしてきた本国の命令など、もう知ったことか!」

凄まじい剣幕に、副官が思わず二歩退いた。すぐに全艦に、フリードリーヒの言葉が伝えられた。

この瞬間、フリードリーヒは反乱者になった。

図らずも、レーダーが接近する連合、立国の宇宙艦隊を捕らえていた。数はおよそ40000。既に二倍以上、いや三倍近い戦力格差が生じている。しかも士気においても装備でも、火力や兵器ですらもはや対抗できない。

「全艦につぐ! これから我が艦隊が最後尾となり、全軍での撤退を開始する! 抗戦は無意味だ! このようなところで、無為に命を散らすな!」

「しかしフリードリーヒ提督! 逃げると言っても、一体何処に!」

「もはや、このような方法で我らを虐げ続けた帝国に、従う理由などはない! 帝国首都星を制圧し、クーデターを実行する!」

各地に散っている守備軍を如何に抜くかが問題になる。国境線の要塞の幾つかがネックになるが、それも奇襲を仕掛ければ抜くのは難しくないだろう。

回れ右をする帝国艦隊を見て、恐らく立国艦隊では歓声が上がっていることだろう。帝国は、これで滅ぶ。元々無理な作戦案で、長期戦になった時点で既に勝敗は決していたのだ。その上早期の撤兵ができなかった時点で、この国が滅ぶのは目に見えていた。

敵は、追撃してこなかった。

軍帽を被り直すと、フリードリーヒは立ち上がり、力強く指示を飛ばした。さっきまでの倦怠感はない。腐りきった国を是正するためなら、鬼にでも悪魔にでも成ろうという気迫。フリードリーヒの全身は活火山のような気力にみなぎっていた。同時に、彼は心の中で、密かに家族に別れを告げていた。

「これから直線的に帝国首都を目指す! 今まで貧民から搾取し続けた官僚共を蹂躙し、物資を奪い取れ! 食料は諸君らの眼前にある! この腐りきった国を、変える時が来たのだ!」

我ながら白々しい指示だと思った。しかし、不思議と、帰ってきたのは歓迎の声だった。だが、それもクーデターが成功している内だろう。失敗すれば、すぐにサボタージュを起こす連中が現れ始める。

瞬く間に国境のザハーク要塞を陥落させると、フリードリーヒ率いる14000隻ほどの艦隊は、脇目もふらずに首都を目指した。その過程で、連合に通信を入れる。フリードリーヒは、自分に政治的な才覚がないことを自覚している。しかし、帝国内部にも、そもそもまともな手腕を持った政治家がいない。

この国は、一度滅ぶしかない。どこかの国の信託統治下に入り、一から立て直すしか、国民が生きる道はないのだ。

途中、何度か迎撃に現れた艦隊を或いは蹴散らし、或いは麾下に加え。フリードリーヒの艦隊は、宇宙空間を驀進した。

 

逃げ去った帝国艦隊の後ろ姿を見ていたアシハラ元帥は、疑惑を確信に変えていた。事後処理を副官に任せると、自室に戻り、超高速通信回線を開く。相手は決まっている。もちろん、実の姉である、ルパイド元帥だ。すぐに、立体映像のルパイド元帥がモニターに現れる。相変わらず若く、そして美しい。

「あら、どうしたの?」

「フリードリーヒの艦隊が撤退を開始した。 恐らく、クーデターを実行するつもりだろう」

「ふふ、そう。 あの真面目なお爺ちゃんも、やっと国のために、名誉を擲つ覚悟が出来たみたいね」

「というか、あんたの差し金だったんだな」

ルパイド元帥は、笑顔を崩さない。どうやら直感が当たったらしいと、アシハラは知った。姉がこういう笑顔を絶やさない時は、ろくでもない事をしているものなのだ。昔から、ずっと変わらない。

「どうしてそう思うの?」

「この戦乱の裏で、邦商が動いているのは分かっていた。 だが、それでもおかしいことが多すぎた。 最初はあんたを操ってる黒幕がいるのかと思った。 だが、あんた自身が黒幕だって考える方が、遙かに自然だ」

一度言葉を切ると、アシハラは考えを整理した。姉はこう言う時、基本的に自分からゲロすることはない。それも分かっている。

元々姉は粘り強い堅実な防御指揮で名を馳せた。速攻粉砕型のアシハラとは用兵のタイプからして異なる。戦場外での役割も異なっていて、軍の整備を行うアシハラと、政治家や官僚との折衝を行うルパイドで、綺麗に棲み分けが出来ていた。

だが、今回は、内容次第では看過できない。この国や立国だけではなく、KVーα人まで巻き込んだのである。下手をすると、宇宙規模の大乱戦に発展する所だったのだ。

「理由を、聞かせて貰おうか、姉さん」

「ううん、だいたい予想は出来ていると思うけれど。 それに、いくら何でも、私が全ての事件の糸を後ろから引いていた訳では無いわよ」

「つまり、認めるんだな。 関与を」

「何を今更。 もう分かっているのなら、そんな野暮なことを聞くものではないわ、アシハラちゃん」

もう一度、姉はくすくすと笑った。

これからどうなるのだろうか。アシハラは不安を抱えながら、通信を切った。姉は善良ではないが、己の利益のためだけに動くような卑劣な存在でもない。だが、そのやり口はいちいち容赦が無いし、手を抜くこともない。一体何を目論んでいるかは、妹のアシハラにも分からない。

これから地球人類はどうなるのか。漠然とした不安が、アシハラの中で渦巻き続けていた。

再び艦橋に戻り、副官から報告を受ける。逃げ遅れた敵はいない。フリードリーヒが名将だと言うこともあるだろうが、此処に置いて行かれたら死ぬという不安が、彼らの統率を高め上げたのだろう。分かったと言うと、まだ警戒を解かないように命じて、アシハラはすっかり萎れてしまった草の茎を捨て、新しいのと取り替えた。

沸き立つ周囲を敢えて止めない。参加できない監視オペレーターは気の毒だが、彼らも交代で羽目を外させてはやるつもりだ。不安はいろいろあるが、勝ちには違いない。もう帝国は、単独で立国に侵攻する力を失った。そればかりか、フリードリーヒが今後どう行動しようが、破滅への坂を転げ落ちることに間違いはない。他の国々から一斉に攻撃されるか、或いは先に連合の信託統治を受け入れるか。それくらいしか、もう道はない。

この戦争は、アシハラの手によって、また勝ったのだ。不敗伝説などと言う実態のないものに、またしても箔がついてしまう。鬱陶しいことこの上なかった。変な崇拝をする人間が、また増えてしまうではないか。確かに今後は勝ちやすくなるが、その代わりいつまでも引退できそうにない。

副官が、また巫山戯た話を持ってきた。立国首都星で、戦勝パレードを行うから、参加して欲しいのだという。何が戦勝パレードだ。怒鳴りつけそうになったが、此処は我慢だ。立国の人々は、今回の戦いが如何に綱渡りに近いものだったか、知らない。戦いが終わったことを祝いたい意味もあるだろう。それらに釘を刺すことは出来ない。仮に平和が、長続きなどしないものだと知っていても。

地球人類の社会は、滅亡を目前としない限り、戦争を絶対に止めない。地球人類にとっては、他人を巻き込もうが、他の種族を滅ぼそうが、知ったことではないのだ。だから、アシハラの仕事は、今後も減らないだろう。

宇宙に出て。地球人類はどう進歩したと、よく議論される。強化ナノマシンによる生物としての強化や、殆どの国で実施されている睡眠学習システムは、確かに人類のスペックを跳ね上げた。ロボットの普及による劣悪労働の排除も、著しい効果を見せている。

だが、愚かさに全く変化はない。アシハラにはそう思えていた。

まだしばらく休むことは出来ない。何がどこから狙っているか、知れたものではないからだ。入念に防御陣形をチェックしながら、アシハラは今後どうしていくべきか、ずっと考え続けていた。

 

ガルーダはモーテルの一室で鞄を降ろすと、噛みたばこを取り出し、口に放り込んだ。唯一の安らぎの時である。彼の先祖が、地球のアメリカ連邦にいた頃から愛用されていた嗜好品は、今でも彼方此方で、細々とながら生き残っている。地球連邦での消費量が一番多いのだが、連合でも入手は出来る。

大柄な黒人であるガルーダは、殆どからになった鞄から、高機密の通信装置を取り出す。彼は、数少ない、連合の中でも具体的な地位を与えられていない間諜だ。もっとも機密性が高い任務にだけ投入される、筋金入りのプロフェッショナルである。任務によって、今まで三十を超える名前を使い分けてきた。ガルーダというのも、もちろん本名ではない。本当の名前は、もう忘れた。

通信先とつながる。噛みたばこを吐き捨てると、彼は低い声で言った。ガルーダが恐れる数少ない人物が、画面の向こうにいるからだ。もちろん、相手の、ルパイド元帥の名前など、出すことは出来ない。

「此方ガルーダ。 目的のものは、予定通りおいてきた」

「ご苦労様」

「後は、生き残ったヘビを消すことだな。 だが此方は穴に逃げ込んでいて、少し時間が掛かりそうだ」

「それに関しては、もう大したことが出来ないのは分かりきっているし、じっくり確実にやってくれれば問題ないわ」

それは、ガルーダも知っている。無力化したという意味も、穴に逃げ込んだという言葉には含まれている。

事実、帝国側が最後にやってきたサイバーテロは、お粗末なものだった。主要なポータルサイトや大手の掲示板を利用したものであったが、映像は不鮮明で、誰にも正体がぴんと来ないようなものにすぎなかった。一応KVーα星人の群体が暴れるものだったのだろうが、ホラー映画の一幕だと言われれば納得しそうな代物に過ぎない。要は何の危険性もない。

後は、下手な情報を掴んでいる可能性がある、一人生き残った帝国の諜報員を消せばいい。今回は楽な仕事だ。立国には堂々と協力を要請できるし、敵は手負いと、壊れかけた軍用ロボットが一機ないし少数。強化ナノマシンで、極限まで身体能力を高め上げているガルーダの敵ではない。発見すれば、即座に捻り殺すことが出来る。

全体的に楽な仕事だった。もちろん、危険な局面もあった。ついさっきなどは、やたら勘が良い立国の飼い犬と、鉢合わせしてしまった。何とか危険は避けたが、もっと事態が悪化していた可能性もある。あの娘は強かった。まともに手合わせをしたら、無事では済まなかった。平和ぼけした国にも、優れた使い手はいるものだ。今後も油断は避けなければならない。

モーテルを出る。朝の空気が気持ちいい。軍の装甲車が、例のものをおいてきた工場へ急いでいた。無事見つけて貰ったのだろう。

後、果たすべき任務は一つだ。朝靄の中、もう一つ新しい噛みたばこを取り出す。今回の仕事が終わったら、リゾートにでも行って、ゆっくり楽しむことにしよう。ガルーダはそう決めていた。

歩きながら、もう一度あの娘のことを思い出す。まだ荒削りだが、そのうち間違いなく強敵に育ち上がるだろう。その時が楽しみだ。滅多に感情を表に出すことのないガルーダは、周囲に誰もいないことを確認すると、含み笑いした。

何だかとても、今日は気分が良かった。

 

遅れてセントラルシティに到着し、調査をしていたというシャルハさんから連絡が来たのは、朝の七時。内容を聞いて、賢治は思わず飛び上がっていた。

ククルームルさんの思考体が見つかったという。しかも、あのビルのすぐ側での事である。

考えられない話だ。すぐ近くにいたルーフさんが、見つけられなかったのである。それなのに見つけられたと言うことは、後から置かれたと言うことなのだろう。やはり、裏で動いている人間の仕業だ。

ともかく思考体が見つかったというのなら、これ以上言うこともない。今日は学校が始まる日だが、もちろんキャンセルだ。すぐに家を飛び出して、立花先輩の所に急ぐ。レイ中佐には、そちらで合流するようにと指示を受けていた。もうこれくらいの距離なら、走ることに何の苦労もない。運動神経は人並みの域を超えていないが、体力だけは少し上回り始めている。

立花先輩の家に到着。もうワゴンが来ていて、ルーフさんもエルさんも乗り込むところだった。立花先輩が、腰に手を当てて言う。

「遅いぞ、被名島」

「すみません。 待たせてしまって」

「いいですから、早く乗って! ムルが、ムルが無事なのか、早く確かめないといけませんわ!」

ルーフさんの声には、困惑と期待がにじんでいる。確かに待たせる訳には行かない。立花先輩と並ぶ形で、後部座席に乗り込んだ。触れそうな距離で、ちょっと緊張した。

「なあ、被名島」

「何でしょうか」

「やっぱり、不自然すぎる。 これは良いことだと思うけれど」

「ええ。 おそらくは、黒幕に何かしらの意図があっての事だと思います。 ククルームルさんが放置されていたところを、偶然シャルハさんが発見した、なんて事は絶対にありません」

考えてみれば当然の話である。幾ら動転していたとはいえ、ルーフさんが血眼になって探していたところを、出し抜ける訳がない。それに発見された場所があまりにもわざとらしすぎる。その上、ククルームルさんは地球人類が言う政争に極めて疎いKVーα人を御する切り札なのだ。恐らく、もう用事が無くなったので開放したのか。或いは開放したことにより、恩を売ったのか。

ああでもないこうでもないと話しているうちに、軍基地に到着。現場で対面する訳ではなく、既に移送された先である、軍基地の中で会う事になったわけだ。ここならば、周囲の目を気にしなくても良いはずである。

上空に向いた、大型の荷電粒子砲が見えてきた。他の軍基地にもだいたいは配備されているらしいのだが、今回の戦役であまり役に立たなかったと聞いている。巨大砲といえば軍基地のシンボルだったのだが、ひょっとすると撤去される日が来るのかも知れない。ワゴン車が何事もなく基地に入り、数分走ると、大型の倉庫に到着した。雰囲気から言って、普段はエンジン類を格納している場所らしい。大型の牽引車両が、辺りに無造作に配置されていた。

ルーフさんにしてみれば、早く親子水入らずの状況になりたいだろうに。迎えに来たシャルハさんに、分厚い護衛と一緒に、倉庫に連れて行かれる。エルさんも連れられて行ってしまった。賢治は立花先輩とレイ中佐と一緒に、ワゴンの中で待たされた。妙に長い時間である。隣に座る立花先輩との距離感が、心地よくもあり、恥ずかしくもあった。

「被名島、黒幕がいるとすると、やっぱりアシハラ元帥なのかな」

「可能性は決して低くないと思います。 違うとしても、黒幕の存在は知っているんじゃないでしょうか」

「そうだよな。 あーあ。 憧れてたんだけどなあ」

心底がっかりした様子で、立花先輩は言った。賢治も、同感だ。今は、アシハラ元帥が、この何の益も意味もなかった戦役の立役者では無かったことを、祈る他無かった。

 

迎えに来た夫と一緒に、ルーフは倉庫の中へ急いだ。高さだけでも80メートル以上はありそうな、巨大な倉庫である。正面には人力では動きそうもない大型のシャッターが着けられているが、入るのはその側の、小さな入り口からだった。

中は薄暗く、一番奥に小さな事務所があった。周囲を十重二十重に護衛が囲んでいる。異常なほどにものものしい警備だ。

「ムルは思考体だけになって心細かったはずだ。 はやく群体を返してやって欲しい」

「ええ。 分かっていますわ」

シャルハは頷くと、発見当時の状況を説明してくれた。

少し前に、帝国の諜報員が潜伏していたらしい廃工場で、爆発が生じたらしい。サイバーテロも其処から行われたことが、様々な情報から判明していた。軍は急行し、そこでムルの思考体を見つけたのだという。

崩れ落ちた工場の隅に、無造作に捨て置かれたずだ袋の中に、ムルの思考体は入れられていたのだそうだ。酷い話である。

小走りになってきた。大型の人員輸送用ロケットが側にあったが、気にせず行く。余裕がある時なら、地球人類の作り出したものだという事で、興味津々だっただろうに。周囲を顧みる余裕は、今のルーフにはなかった。

事務所に到着。敬礼する兵士達に頷き返すと、大股で事務所に入り込んだ。いた。

ざわざわと、地球人用の作業デスクの上で蠢いている。地球人類ので言う、虫のような姿。無数。力が抜けるのを、ルーフは感じた。確かにムルの思考体だ。良かった。本当に良かった。地球人だったら、涙を流しているところなのだろう。歓喜の感情が暴走して、形態を保てなくなりそうだった。

すぐに思考体を抱え込むと、そのまま口の中に注ぎ込んだ。呆然と見ている隣の護衛など無視。慌てている様子の彼に、シャルハが解説している。

「まずは体内に取り込んであるムルの群体と、こうやって馴染ませます。 その後は、馴染むのを見計らって、分離します。 後はムルがしっかりしたリンクを確保して後に、地球人類に擬態することになります」

「そ、そうですか。 何とも面妖な」

「地球人類から見ればそうかも知れませんが、しかし我らは元々多数の独立生物の集合体です。 見かけの姿は、あくまで擬態に過ぎません。 これが一番合理的なんです」

混乱しきっている護衛の士官は、頷くばかりだった。

やがて、ムルの意識が覚醒を始めた。思考体は、基本的に群体から力を貰わなければ、漠然とした意識しか持つことが出来ない。ムルに呼びかける。かなりの長時間引きはがされていた事もあるから、記憶障害に陥っている可能性もあった。

しばし、呼びかけ続けた。

困難なことは分かっていた。だから、念入りに、慎重に、呼びかけ続ける。そして、数分が経過した時。

返事が、来た。

 

(続)