渦巻く歴史の大河

 

序、KVーα

 

地球人からKVーαと呼ばれるその星の環境は、途轍もなく厳しい。地球人であれば、ほとんど生活していくことが不可能なほどに、過酷な世界だ。

平均気温は、もっとも安定した地上部分でさえ、昼と夜で50℃の開きがある。季節は年に八回。その全てで、著しい気温や湿度の違いがある。火山活動は活発で、場所によっては酸の雨が降る。地球で言う海洋と呼べるものは存在せず、陸地の方が遙かに広い。僅かな海は、酸性度が強く、地球人が入るのには適していない。

このような苛烈な環境で育った知的生命が、KVーα人である。僅かに存在した、タンパク質が誕生しうる環境で産まれた生命は、必死に生存圏を拡げ、進化の修羅場の中でもみ合い、やがて群体生物の傑作とも言えるKVーα人が誕生した。地球人類の二倍ほどの速さで文明を発達させ、宇宙侵出した彼らは、やがて接触するべくして、地球人と勢力圏を接した。

苛烈な環境に育ちあがったからこそ、彼らは同胞同士で争うことが殆ど無かった。少ない資源を有効活用し、必死に宇宙進出した。そして、地球人の存在を知った。地球人類の存在は、脅威だった。

 

首都星クヴルアーシル。地球人がKVーαと呼ぶ星系の、第四惑星である。第三惑星で発生したKV−α人が、現在首都星としている此処は、1.15Gほどの重力と、第三惑星に比べると比較的安定した環境を持ち、宇宙進出に際して首都にするに適していた。現在、多くの都市が建造され、1億ほどのKVーα人が生活している。

首都と言っても、地球人の建造するそれとはだいぶ異なっている。淡い赤の巨大な塩水湖の中央に、灰褐色の山のような物体が建造されている。表面にはよく見ると無数の穴。行き交っているのは、KVーα人の群体だ。所々ある大型の穴は、宇宙船などの機械類が発着するスペースである。

巨大な蟻塚。それがその土地を表す、もっとも的確な表現であるかも知れない。KVーα人にとっての生存可能環境は、地球人よりも遙かに敷居が低い。流石に宇宙空間で生活することは出来ないが、Gも大気組成も、かなり厳しい条件をクリアすることが出来る。群体単位であれば狭い場所に潜り込むことも難しくないし、急激な環境変動にも強い。いざというときには、群体の世代を変えて、抜本的な対策を練ることも可能だ。

首都の辺縁部に、ぽつりとある地球人類風の住宅街と、ビル。それが、ステイ家族を受け入れるに当たり、KVーα人が建造した施設である。それらを見下ろす、小山のような巨大な「蟻塚」の一角で、現KVーα人最大首長、ヴァルギレアルスファレンフォールスは、群体を一杯に拡げて黙りこくっていた。

最大首長である彼は、KV−α人としては限界に近い、57世代を重ねた偉大な母胎である。複数の性を持つKVーα人は、父体であると同時に母胎である事も多く、ギレアルスもその双方であった。三世代ほど前から既にパートナーを持たなくなっている彼は、総重量にして1トンほどにも達する群体を、地球人で言えば十歳児くらいの姿に、コンパクトに圧縮して擬態することが可能である。非常に高い能力を持っているからこそ、国家元首をしているのだ。

群体の一つが、増幅電波を受信した。すぐに思考体が、その意味を解析する。彼の副官をしている、ポートホートフルトアールからの連絡だ。

「ギレアルス最大首長」

「何用かね」

増幅電波を返答すると、すぐにまた返事がある。

「フォルトレート民主立国に派遣しているステイ家族から、連絡が来ています。 フォルトレート民主立国側からの報告と微妙に差異があるため、念のため確認をお願いいたしたく」

「分かった。 メイン生体コンピューターに、データを投射しておいてくれ」

「了解しました」

電波による連絡がとぎれる。群体を早速統率して、無数に空いている穴から地下へ潜り込む。途中から、巨大なチューブ状の空間に出た。エレベーターを使って移動するためだ。外壁も天井もないシンプルなエレベーターには、大量の群体が掴まっていた。ギレアルスだと分かると、親愛の意を示す八の字ダンスをしてみせる群体が多かった。

群体が全て乗ったことを感知すると、エレベーターは音もなく地下へ降りていった。途中、様々な増幅電波による連絡と報告がある。その全てに丁寧に返している内に、ギレアルスは最下層についていた。

此処からは様々な生体認証をクリアしていかないと、目的のメイン生体コンピューターには到達できない。群体をチェックするものから、擬態のレベルを見せなければいけない場所もある。周辺を彷徨く警備ロボットは、DNAで相手を認識するプログラムが組まれていて、側を通る時はかなり緊張する。

メイン生体コンピューターに到着。その時には、既に地球人の子供を模していた。二本の足を使って歩くのは少し面倒なのだが、仕方がない。

巨大な空間を貫くように伸びている、角砂糖で出来た塔のようなもの。それが首都の中央機能を司るメイン生体コンピューターだ。せわしなく行き交う無数の群体を踏まないように、コンピューターに歩み寄る。どの群体も、例外なく政府高官のものばかりだ。そんな中。メイン生体コンピューターのすぐ側で、複数の立体映像を宙に浮かべ、せわしなく映像キーボードを叩いている地球人が一人。地球連邦から派遣されてきている科学者である。

相対性理論を発見した地球人の末裔だとか言う人物で、性別はメス。連邦では有名な科学者だそうだ。髪の毛を団子にまとめていて、長方形の眼鏡を掛けて、一心不乱にコンピューターを操作している。ギレアルスが歩み寄ると、作業を一時中断して、目礼してきた。地球人式としても略型の礼だが、特に不快ではない。

「お疲れ様です、最大首長」

「いや、堅苦しい挨拶はいい。 作業を続けてくれたまえ」

「それでは、お言葉に甘えて」

にこりと笑うと、科学者は作業に戻る。地球のものとは根本的に異なる、このコンピューターを解析するのが彼女の仕事らしい。機密事項に踏み込みさえしなければ構わないと伝えてあるので、最近ではほとんど泊まり込みで、毎日のようにここを訪れている。

ギレアルスは彼女を避けるようにしてコンピューターの側によると、手を伸ばして、触れた。無数の情報を、一気に取得する。確かにステイ家族の報告と、立国の報告に差異が幾つか見受けられる。幾つかは満足しうるレベルの誤差だが、一つだけ看過できないものが含まれていた。

すぐに増幅電波を飛ばして、外交を担当している高官に意思を向ける。少し忙しかったようだが、それでも数秒で返答が帰ってきた。

「何事でしょうか、最大首長」

「すでに立国からの報告に目を通しているかね?」

「はい。 帝国からの侵略確率と、その後の展開について、分析に大きな差があるようなので、今問い合わせをしている所です」

「うむ。 それが分かっているのならいい。 すぐに立国の内情を探り、場合によってはステイ計画を中断することも視野に置いてくれ。 その場合は、向こうに行っているステイ家族を如何に効率よく救出するかが焦点になる。 すぐにシミュレーションチームの立ち上げを検討してくれ」

他の部下達にも増幅電波を飛ばし、対策室を立ち上げさせる。場合によっては立国ではなく、連合にステイの本拠を移す必要があるかも知れない。どちらにしても、相当な資源を浪費する事になりそうで、もったいない。

しばしすると、立国大統領と回線がつながった。生体コンピューターを通じて、ギレアルスの前に、映像が投影される。グレーのスーツを着た大統領は見通しが甘かったことを素直に謝罪、正確なデータを送り直してきた。帝国との開戦は、もはや避けられない状況にあるという。首都星に限定しているとはいえ、ステイ家族に危険が及ぶ可能性も、少ないながらあるそうだ。

「もし帝国に貴国が落とされた場合、ステイ中の家族達はどうなるのか、明確に分かりますかな?」

「いえ、詳しくはまだ分かりませんが、帝国はこの計画に参加していないこともあり、かなりの危険が予想されますな。 その場合は、我が国が責任を持って、ステイ中の皆様を、貴国へ帰還させます」

「頼みますぞ」

回線が切れる。それにしても白々しい言葉だと、ギレアルスは思った。

大統領の言葉は、こちら側にいるステイ中の立国出身地球人達の安否を気遣ってのことだろう。本音は違うところにあるはずだ。地球人の思考パターンについては、かなり研究が進んでいる。本音と嘘の使い分けについてもだ。立国大統領はかなり能力が高い人物だが、それでも嘘は平気でつく。地球人の、どうしても好きになれない一面だ。

シミュレーションチームが立ち上がったと、増幅電波で連絡がある。これから会議室に向かわなければならない。会議室は七層ほど上にあり、また歩かなければならない。部屋の隅にある栄養補給ポットをひねり、蛇口から大量の栄養物質を流し出す。クリーム色をしたそれには、基礎栄養が全て配合されている。地球人にとってはかなりまずいらしいのだが、KVーα人には御馳走だ。疲労が大きい群体にそれを吸わせて、体力を回復した。後で、残りにも分配させる。じっくりで構わない。

そばを歩いていた六本足の昆虫型警備用ロボットを呼び止め、背中に跨る。重要な会議に出なければならないため、少しでも体力は温存したいのだ。そのまま、会議室に向かうように指示。最大首長だから許される特権的行動である。ふと振り返ると、地球人の科学者はまだコンピューターに向かっていた。熱心なことである。地球人はあまり好きになれないが、彼らの外部服飾芸術は好きだ。それに、ああいう熱心な行動も好きだ。種族関係無しに、好感が持てる。

これからの対策次第では、ステイ家族に危険が及ぶ。早めに対策を練らなくてはならない。自国民を守るのは、国家元首の義務である。最大首長は思考の比重を切り替えると、対策を練るべく全力を挙げ始めた。

会議室に辿り着く前に、最大首長は、複数の案を既に練り上げていた。いざ、会議室に。到着した其処は、巨大なすり鉢型のホールである。地球人に擬態した政府高官が、既に百体以上集まっていた。

ギレアルスは最高座に着き、用意されている白い球体を槌で叩く。鋭い反響が部屋中に届く。それが、会議開始の合図となる。めいめい勝手な方向を見ていた高官達が、一斉にギレアルスに向き直った。雑談代わりに飛んでいた増幅電波が止み、静かになる。咳払いすると、ギレアルスは群体を振るわせて、音声で言った。

「それでは、会議を始める」

場合によっては、宇宙艦隊を動かさなければならない。ギレアルスは、緊張を抑えながら、会議の趣旨と、現在の状況を説明し始めた。

 

1,鈴の音

 

賢治が学校に到着すると、周囲がざわついていた。原因は、大体分かっている。帝国がこの国を侵略しようとしていると、既に情報が飛び交っているからだ。屈強な人間が揃っている空手部でさえそうだ。他の人間達がどれほど困惑しているかは、見なくても大体見当がつく。

組み手に混ぜて貰う。数日前、初めて一本を同級生から取ることが出来た。それからまだ一勝も出来てはいないが、練習を急ぐ必要があると、賢治は考えている。いざというときには、体を張ってルーフさんやシャルハさんを逃がせるくらいにはなりたいのだ。そのためには、今の身体能力では不足している。

「聞いたか? 第二艦隊が、首都を出たって話だぜ」

「そうなると、八つ目だな。 本格的に侵攻に備えてるみたいだな」

ストレッチをしながら、同級生達が会話している。既に賢治も、その話はニュースで見ていた。

第二艦隊は、立国の軍の中でも精鋭が揃う所として知られていて、今までの何回かの戦でも、大きな戦果を上げてきている。この艦隊を主人公にしたテレビシリーズも存在するし、子供の時に見たこともある。歴代の司令官達は皆有名な提督で、教科書ではその半分ほどの名前を覚えさせられる。いずれもこの立国の命運を左右した会戦で、勝利をもぎ取った英雄達だからだ。

第二艦隊を出すと言うことは、帝国に対して本気で戦いを挑むつもりだ。立国は連合や帝国ほど優れた軍事力を持ってはいないが、それでも防衛には適切な戦力を充分に保有している。各地にある軍事要塞も良く整備され、宇宙艦隊も訓練を欠かさない。平和とはいえ、戦争を行うことはいつでも出来る体制にあるのだ。

帝国側が立国の侵略に備えると称して、国境におよそ10000隻の艦隊を集めている事は、既に国民にも広報されている。ただし、これには賢治は疑問を感じている。たかが10000隻では、立国を負かすには力不足だ。更に立国には、連合から援軍が来る可能性も高いのである。あのアシハラ元帥が率いた、宇宙最強とも言われる精鋭が、である。これは陽動だろうと、賢治は見ていた。

「よーし、次!」

「押忍!」

空手部主将に呼ばれて、賢治は前に出た。軽い組み手なので、積極的に攻めに出ることが要求される。どちらかが効果以上を取ったら、その場で次に変わる。時間がない事を逆利用した、対効果の高い組み手である。

礼をして向かい合った後、軽くステップをしながら近づく。同級生の空手部部員が、積極的に攻めてくる。手を伸ばして掴もうとしてくる。それを払いのけようとしたところに、蹴りが飛んできた。後ろ回し蹴りの展開が、恐ろしく速い。何とか頭を下げてかわしつつ、タックルを浴びせて床に押し倒す。そのまま寝技に入ろうとしたが、逆に力任せに押し倒されて、関節を極められてしまった。

昔のスポーツ空手と違い、今は寝技や関節技も取り入れられている。実戦系の格闘技は、どれも差が無くなってきている現在、珍しいことではない。ボクシングにさえ、立ったまま関節を極めて相手を制圧する技が取り入れられようとしている程だ。

「はい、そこまで」

「有難うございました!」

汗みずくになり立ち上がると、相手に礼。少しずつ、本気を引き出せてきているのが分かる。まだまだ力不足だが、決して無駄にはなっていない。

幾つかの組み手をした後、主将が号令を掛けて、朝練は終了。めいめい教室に引き上げていく。着替えて道着をしまい、教室に向かおうとした賢治は、携帯端末が鳴ったので、足を止めた。

レイ中佐からだった。周囲に人がいないことを確認して、携帯端末から電話を起動する。

「おはようございます、レイ中佐」

「おはよう。 空手部の練習に混ぜて貰って、順調に鍛えあげているようね」

「そんな、まだまだです。 この間、偶然でやっと一本とれたくらいで。 ようやく人並みに近づけたかなって思っています」

そう弁解すると、レイ中佐はくすくすと笑った。何だか恥ずかしい。本音だが、どこかに驕っている自分がいるのかも知れない。

驕ると、失敗する。それはこの間の障害物走で、嫌と言うほど思い知らされた。だから、同じ失敗は二度としない。自分は凡人並み、或いはそれ以下だと言うことを自覚する。それだけで、ミスは随分減る。

「実は、そろそろスキマ家族の子供二人と、顔を合わせて貰おうと思っているの。 今日の放課後は開けておいてね」

「分かりました。 そろそろだとは思っていましたけど」

「けど、何かしら」

「今、帝国の侵攻で大変なことになっているような気がしたので。 その辺りは、大丈夫なんですか?」

レイ中佐は応えてくれなかった。考えてみれば、レイ中佐にしてみれば、必要なことは向こうからいつも知らせてくれていた。知らせても大丈夫だという情報に関しては、ニュースなどよりも速く教えてくれている。その上、レイ中佐はプロだ。それなのに、このようなことを言っては失礼に当たる。賢治は失言をわびて、携帯端末を切る。急がないと、遅刻してしまう。学業成績は上がってきているから、こう言うところで落としてしまっては損だ。

走りながら、反省一つ。やはり、まだまだ自分はガキだと思う。それは事実。事実を認識することで、先に進むことが出来る。

教室に飛び込むと、挨拶が飛んできた。何人かのクラスメイトが、賢治に友好的な視線を向けている。不思議だ。この間の体育祭で、活躍してから若干周囲の目が変わってきた気がする。無力なマスコットではなく、血の通った人間だと認識してくれたのかも知れない。まあ、それはあくまで推察に過ぎない。過大な期待は禁物だ。

携帯端末をもう一度起動。立花先輩にメールを打っておく。立花先輩は、この間から片手間に噂を調べてくれている。賢治をストーキングしている人間がいるという噂についてである。賢治自身が調査しては逆効果になる可能性が高いので、わざわざ汚れ役を買って出てくれたのだ。良い先輩である。蛍先生には他の仕事があるので、頼めない。藤原先生に頼むのは筋違いだ。

メールが帰ってきた。収穫はないという。肩が落ちる。これからシャルハさんが学校に通うために、様々な準備をしなければならない。軍の人たちは、テロ組織である人類の曙や、帝国の諜報員に備えるだけで手一杯だ。頼む訳には行かない。比較的手が空いている、自分がやるしかないかも知れない。

危険は承知の上だ。先輩に、メールを入れる。

「やはり、僕がやりましょうか」

「いや、被名島じゃあ駄目。 もしストーカーの腕が立つ場合、一ひねりにされるだけだから」

「護身用具を持っていきます。 スタンガンと、小型のショックガン。 それに、この間頂いた閃光弾も使います」

「……どうしようかな」

しばらく待つように立花先輩からメールが帰ってきた。携帯端末を閉じると、女子が話しかけてくる。賢治をマスコット扱いしていた女子の一人だ。

「ねえねえ、被名島君。 今の、誰からのメール?」

「あ、はい。 県外の友人からです」

先輩から、これは既に打ち合わせが済んでいる。その県外の友人については、細かい設定まで作ってあった。不信感を醸造させないための工夫である。だが、それがどうも最近機能していないような気がする。

「嘘ー。 恋人じゃないの?」

「そうだよねー。 いつも熱心に打ってるし」

更にもう一人級友が加わってくる。あまりムキになって否定しても逆効果だし、賢治は歯を見せないように苦労しながら、静かに、柔らかく否定する。

「違いますよ。 それに僕みたいな子供相手に、恋愛なんて出来ませんてば」

「何それ」

「何だか、最近の被名島君、高校生っぽくないよね」

女子達が口々に言ったので、賢治は困った。クワイツが教室に入ってきた。今日も遅れ気味だ。

「おーっす、被名島。 今日も両手に花か?」

「君までそんな事を言う」

「ははは、冗談だよ。 立花先輩もお前を部下扱いしてるみたいだし、ルーフ先輩はちょっと得体が知れないし、それから考えると、確かに女っ気は無いよな」

クワイツの助け船に、女子達は顔を見合わせる。チャイムが鳴って、皆席に着く。先生が入ってきた。HRが開始される。特に変わったことはなかったが、最後に先生は、浮つかないようにと言い残していった。戦争が近いことを示しているのだろう。

首都星まで敵艦隊が侵入したことは、立国の歴史上存在しない。重厚な防御ラインと、攻めにくく守りやすい地形がその要因である。各国から近いという戦略的な有利もある。念入りに作り上げた各国とのコネクションもある。連合の援軍も期待できるし、場合によっては地球連邦も増援を送ってくるだろう。

この国は、簡単には落ちない。

一時間目は蛍先生の授業だ。腰を上げて、教室に向かおうとすると、クワイツが話しかけてきた。

「そういえば、聞いた話だけどよ」

「どうしたの?」

「一年の天才がいるだろ。 飛び級して高校に来た、何て言ったっけ。 お前と時々仲良く話してる、あいつだよ」

「幸広君だね」

そう、そいつだと、クワイツは頷く。最近気付いたが、クワイツはちょっとオーバーアクションな事が多い。気付くと、結構面白い。生徒達の真ん中くらいを歩きながら、クワイツは話し続ける。

「昨日、熱出して寝込んだらしいぜ。 学校来なかったってよ。 同じクラスの女子共が噂してた」

「へえ?」

「天才でも、体壊すことはあるんだな」

「そうだろうね。 結構重い風邪だったんだろうね。 無理をしないように気をつけるように、メール送っておくよ」

年下の同級生を、賢治は純真に心配して、メールを出した。すぐに返事。眉をひそめた賢治に、クワイツが小首を傾げる。

「どうした」

「ん、うん。 何でもない」

何だか、返事の文面が、妙に無味乾燥だった。だから、小首を傾げてしまった。いつもの幸広は、もっと面白そうな文面でメールを飾ってくる。将棋の時と同じように、色々と工夫がされているのだ。それなのに、今日は実に味気ない返事だった。

何かあったのかも知れないと賢治は思い、もう一通メールを入れてみた。そうすると、いつも通り色々と文を装飾した内容が帰ってきた。

安心は出来ない。それどころか、ますます不安が煽られてしまった。これは、ひょっとすると、ミスを悟って慌てて文を切り替えてきた可能性がある。何かしら後ろめたい事がある証拠だ。

少し前から、賢治は幸広に何かひっかかるものを感じていた。僅かな疑念が、ふくれあがっていくことを感じる。メモを起動して、疑念点を書き込んでおく。後でじっくり立花先輩と一緒に検証しようと、賢治は思った。

教室に着く。今日はどんな科学の実験をするのか、楽しみだ。蛍先生は、子供の姿をしたメイドロボットと、いそいそと準備を整えている最中だった。メイドロボットが、髪にリボンをしていることに、賢治は気付いた。

「先生、そのリボン、どうしたんですか?」

「ああ、これは藤原先生が作ってくれたのよ。 リボンを作るツールあるでしょ。 デザインだけして、ぱぱっとやってくれたの」

「そうですか。 良かったですね」

賢治がそう言うと、メイドロボットは小首を傾けて、無機質に返してくる。元々無愛想そうに顔が作られていると言うことで、人気のない型式だけに、妙な圧迫感さえ籠もっていた。

「よく分かりません」

「おいおい、被名島。 ロボット相手に、何言ってんだよ。 そういうことは、気になる女にでも言ってやれ」

「あ、うん。 じゃあ、準備頑張ってね」

にこりともしないメイドロボットの横で、蛍先生が嬉しそうににこにこしていた。この人は、このメイドロボットを肉親のようにかわいがっていると、先輩に聞いた。自分でも確認した。別にごまをする訳ではないが、蛍先生の為にも、そのルールに此処では併せているのである。

改めて教室を見る。机の上には、シリンダーと、それに満たされた液体。それに、ドライアイスが用意される。液体の性質と、ドライアイスの量などが説明され、すぐにそれぞれの班で実験を始めるように指示される。

液体の中にドライアイスを入れると、様々に色を変えながら、膨大な煙を吹き出し続けた。PH値の変動を利用した仕掛けだという。もっとも、大きすぎるドライアイスを入れると、一瞬で色が変わりきってしまい、面白くも何ともない。

酸とアルカリなどは、科学の基本事項だ。だが、それをこういう実験で見せられると、また面白い。黒板に手早く書かれる化学式と理論を、すぐに頭に入れていく。これは現実世界でも、結構使い道のある理論だ。覚えておくことに、損は無い。

今日も興味深い授業だった。実験を切り上げて、次の授業に備えて教室に戻る。その途中、賢治は視線を一瞬だけ感じた。

8組の前だった。何だろうと思って、周囲を見回すが、分からない。クワイツに遅れそうになったので、慌てて歩調を早める。

何だか、無数の悪意が周囲に絡みついているようで、気分が悪かった。

 

頭頂部から、足の先までじっくり眺めやる。

そして、気付かれる前に、さっさと視線を逸らした。他愛もない事だ。他の人間にも気付かれていない。気付かれたところで、何でもない。

こっそり相手を見ることには、慣れている。幼い頃からそうだった。振るわれる暴力の中で身につけたのだから、生半可な技術ではない。

ブロンズ=リーは、様々な意味で問題を抱えた、負のスパイラルに満ちた家庭に育った。父は軍人、母は弁護士。どちらもエリートコースを進む、世間的には「幸福そうな」家庭の出身者である。しかし、両親共に多忙な職業にありがちな悲劇が、幼いブロンズを襲った。

両親は互いに離れることが多い内に、結婚前にあった熱情が冷めた。元々社会上層に行くような人間だから、欲望は人並み以上に多い。「人間的魅力」も並外れている。結果、双方が浮気し合い、最終的には憎悪さえ抱き合う。

そして、子供は邪魔になる。何で作ったのかと、後悔さえする。

そんな事情が、子供に分かる訳がない。幼い頃のブロンズには、両親の勝手極まる事情など分からず、ただ泣くばかりだった。ただひたすらに、愛情が冷めていく両親。プログラムに従って、自分を保護してくれるメイドロボットだけが、ブロンズの味方であった。だがそれも、物理的な味方に過ぎない。何度かの出来事でそれを思い知ったブロンズは、孤独な子供として成長していった。精神的な味方など、何処にもいなかった。

子供の法的権利が整備された現在でも、こういう悲劇は起こる。特に、社会上層にある家庭では、起こることが多い。

ただ、笑いかけて欲しかった。だが、それすら、物心つく頃には、かなわぬ夢となっていた。いつからか、笑顔を向けただけで、父は殴るようになった。気持ち悪いと、母には言われた。あいつに似ているから、気持ち悪いのだと。「罰」として、夕食を抜かれた日もあった。ひもじさと苦しさの中で、徐々にブロンズの中では、闇が醸成されていった。

ブロンズを、周囲の子供は羨ましいと言った。親はエリートコースで、「素晴らしい人たち」だというのが、その理由だった。世間に対する敵意と悪意が、この心ない発言によって、育ちあがっていった。

ほどなく、両親が離婚した。ブロンズは、形式上は、父に引き取られた。しかし、実質的には、ネグレクト(育児放棄)されたも同然であった。

愛情が欲しい。異常に早熟な成長を遂げていく精神の中、その思考だけは、幼い子供のままだった。やがて、育児放棄だけではなく、明確な虐待がエスカレートする。父が連れ込んだ「新しい母」が、気に入らないとブロンズに虐待を始めたのである。「両親」から虐待を受けたブロンズは、孤独なだけではなく、寡黙な子供に成長していった。学校の教師の中には、ブロンズの苦境を見抜いた者もいた。だが、社会的な名士であるブロンズの父は、法にも詳しく、生半可な方法で救うことは不可能に近かった。

幼いブロンズの愛情への欲求は、暴力の嵐と排斥の波の中で、どんどん歪んだ形で育っていった。

小学生の頃だっただろうか。男子生徒に、卑屈な笑顔が気に入らないと言われた。無数の監視システムや、巡回している警備ロボットにより、学校で物理的な虐めなど出来ない仕組みにはなっているが、それはそれ、これはこれである。子供は非常に残虐な生き物だ。相手の精神を傷つけることなど、何とも思っていない。

ブロンズは、表情を消すようになった。自分は気持ちが悪いのだと、いつの間にか認識するようになっていた。

そして、好きな相手を、こっそり観察する癖がつき始めていた。露骨な愛情を向けると、拒絶されると、体が学習してしまっていたからである。

悲劇が重なる。元々優れた素質を持っていたブロンズは、格闘技の才能を、中学に入った頃には開花させていた。卑屈な笑顔が気に入らないと言った男子の腕を躊躇無くへし折ったのは、この頃である。此奴は、既に件の発言を忘れていて、ブロンズから受けた「理不尽な仕打ち」に悲鳴を上げていた。教師の中には、ブロンズに同情する者もいたが、どうにも出来なかった。

まだブロンズには法的責任応力がなかったから、両親に賠償命令が下った。そして、わめき散らしながら殴ろうとした父の肋骨と、継母の足を二本ともへし折った。実に簡単だった。不幸なことに、ブロンズは自分の実力に、気付いてしまった。踏みつぶされたムカデのようにもがき苦しむ両親とやらの無様な姿は、ブロンズに暗い快感を呼び起こさせるに充分だった。

暴力の攻守は、完全に逆転した。自分たちが行ってきたネグレクトとDVがばれることを恐れてか、両親は警察に何も言わなかった。それがために、ブロンズの報復行為は更にエスカレートした。

両親がこそこそと隠れるように家から出て行ったのは、中学二年の時だ。それからというもの、ブロンズは実質上一人暮らしを続けている。学校では目立たないように振る舞いつつ、夜の盛り場で用心棒を始めたのは、高校に入ってからだ。ブロンズの実力であれば、それは実に容易なバイトであった。

そうして、実力を付けながら生活するブロンズは、たまたま被名島賢治に目を付けた。それが悲劇の始まりであったかも知れない。

ブロンズは、単純に賢治が欲しくなったのである。他の人間の愛情と、自分のそれが違っているかどうかは分からない。だが、ただ手元に置きたくなったのだ。性行為をしたいとか、恋愛をしたいとかは、あまり意識にない。ただ所有物にしたかった。ただ自分の側に、飾っておきたかった。

人間に対する愛情など、ブロンズは知らない。だから、他人に対しても、人間に対する愛情を向けることなど出来なかった。ただ独占したい。それは、ショッピングで様々なものを得ようとする心理と似ていたかも知れない。

ブロンズの独占欲は巨大で、強烈であった。だからこそに、賢治の周辺にいる者が気に入らない。独占できないからだ。立花と、その側にいるルーフはかなり強いことが遠目にも分かった、体育祭の時に腕を試してみて、自分よりも強いことが確認できた。此奴らは後回しだ。特に立花は異常なほどに場慣れしていて、簡単には仕留められそうもない。だからこそ、弱いところから潰していく。

この間は、まとわりついていた幸広にプレッシャーを掛けておいた。天才児だか何だか知らないが、所詮はガキだ。踏みにじるのは造作もなかった。次のターゲットは、賢治のクラスメイトの、クワイツになる。能力は決して低くはないが、ブロンズの実力であれば、仕留めるのは簡単だ。此奴をぶちのめした後、後はルーフをどうにかすれば、残るは立花だけになる。その立花も、手段さえ選ばなければ、潰すことは不可能ではない。

あと少しだ。あと少しで、被名島賢治を自分のものに出来る。そう思うと、ブロンズは笑顔を押し殺すのに、多大な努力をしなければならなかった。普段は、無表情で。空気のように存在感を無くし、必要な時だけ稲妻のように動く。

茶道部などと言う地味な部活に所属したのも、それが要因だ。兎に角目立たないようにするため。自分が拒絶されるのは、自然現象的な事実。だからあくまで自分は目立たぬように、静かにしている。そして、欲しいものは影からかっさらう。

家庭内暴力と育児放棄の中、いびつに育ったブロンズは、そんな事を考える娘だった。それは彼女の中からわき出してきた思考と言うよりも、むしろ周囲によって醸成されたものであった。

 

幸広は、8組の前を通り過ぎた後、舌打ちしていた。苛立ちが押さえきれない。

8組は、この間、巫山戯たことをしでかしてくれたブロンズの教室だ。教室の隅で、表情を浮かべず机の上で次の授業の準備をしているあいつが、被名島賢治をストーキングしているのは此処しばらくの調査で分かりきっている。幸広が学内に作り上げたネットワークは、それを既に掴んでいた。

ブロンズは確かに有能だが、所詮一匹狼だ。組織的な目と耳には、どうしても能力が及ばない。地球人類は、集団になって行動してこそ、その能力を発揮できるのだ。如何に個人として優れていても、それは比較的な問題に過ぎない。人間という生き物は、基本的に一匹では無能で低脳で貧弱な存在なのだ。

だが、一匹の人間としても、使い道がある場合は、多々ある。

既に幾つかの罠を張り巡らせている。ブロンズには礼代わりに、その罠の一部となって貰うことにしよう。

携帯端末が鳴る。被名島賢治からまたメールが来た。さっき適当に返したら、とんでもなく鋭い反応を返してきた。此奴の能力は、どんどん上がっている。しばし思考を巡らせると、メールを打つ。上司であるレイ中佐に打つ時のように、油断無く文面を選ばなければならないので面倒くさい。

苛立ちは募る。幸広の周囲にわだかまる闇は、晴れそうもなかった。

 

歩み去る幸広を後ろから見ていたのは、美術教師である藤原ののかである。

ののかは最近幸広の様子がおかしいことを、敏感に掴んでいた。以前から目立たないように自分の能力を隠しているような所があったが、ここ最近はそれに随分苦労しているようである。それに、細かい動作に落ち着きが無くなっている。美術の授業の時も、指先で机の上を何度も叩いていたり、時にはののかの説明を聞き逃していることもあった。

元々の知識が豊富なので、アドリブで応えることが出来るようだが、相当な苛立ちを抱えていることは一目瞭然。他の教師には気付いていない者もいるようだが、ののかはその変調を見破っていた。

幸広が教室にはいるのを見届けると、ののかは形の良い唇に指先を当てて考え込む。教師である以上、生徒の悩みを無視する訳には行かない。しかし、担当の生徒でもないし、無闇な干渉も出来ない。ただでさえ、彼の担任教師は、飛び級の天才児を受け持ったと言うことで気負っているのだ。下手なことを言うと、逆効果になりかねない。考え事をしながら、美術室に向かう。次の授業をする準備だ。その途中、前から声。

「藤原先生? どうしたんすか?」

「あ、立花さん」

被名島賢治と良くつるんでいる立花・S・キャムティールだった。運動神経も優れているが、兎に角勘が鋭い子で、野生の動物並みの危険感知能力を持っているところを、何度か見た。まだ美術部には部長を任命していないのだが、多分この子にしかつとまらないだろうと、ののかは睨んでいる。

「立花さん、一年の幸広君知ってる?」

「はい。 あの飛び級している天才児ですよね」

「うん。 その飛び級している天才児。 なんだか最近調子が悪いみたいで、ちょっと心配なの。 美術部に引っ張り込めれば話は楽なんだけれど、そうもいかないだろうなと思って」

「……それなら、被名島に聞くといいですよ。 あいつら、それなりに仲が良いみたいですから」

少し呆れたような立花に笑って礼を言うと、ののかは美術室に急ぐ。今日も被名島は美術部に来るはずだ。その時にでも頼めばいい。橋渡しさえ行ったら、後は自分で説得する。ののかもかなり苦しい時期があった。大体の相談には、乗ることが出来るだろう。

ののかは気付いていない。この行動が、破滅的なカタストロフを回避する、一歩となることを。

そして、自分が果たした役割の大きさを。

 

2,錯綜する虹

 

帝国辺境のアステロイドベルトに続々と集結する艦隊。既にその戦力は六個艦隊、24000隻に達していた。総司令官であるフリードリーヒ提督は、新たに訪れた第1艦隊の司令官を旗艦にて歓待し、ようやく一息つくことが出来たと胸をなで下ろしていた。

耐真空強化ガラスの窓から外を見ると、アステロイドベルトの各所に、偽装した帝国の艦隊が潜んでいる様が見える。立国の艦隊も集結を開始しているが、この近辺に展開しているのは2000隻ほどである。殆どの艦隊は、陽動の別部隊に引きつけられていた。

戦えば、緒戦は派手に勝つことが出来る。それは、別にフリードリーヒでなくても、分かることだ。ただし敵国の奥へ進めば進むほど、抵抗は激しくなるだろう。補給も整備も、敵は殆ど万全の状態のはずだ。七国家の中で随一の経済力を誇る立国は、あらゆる面で非常に豊かな国家なのである。

それに対して、我が国は。フリードリーヒはリクライニングシートに腰掛けると、手元の端末から、自国の経済状態を呼び出した。やはり悪い。不況にインフレが重なり、国民は皆苦労している。首都のスラムでの悲惨な生活は他国にも漏れ始めているし、一部の金持ちは貴族にでもなったかのような横暴な振る舞いが目立つ。

貧民は経済的な格差しか見ておらず、ヒステリックに声を上げるばかり。上層部はそれを抑えることしか考えていない。マスコミは政府の言いなりか、もしくは金儲けの事しか考えていない連中ばかり。知る権利を振りかざして貧民を痛めつけ、スポンサーのご意向に従って尻尾を振り続ける。政治家は利権しか頭になく、軍人は出世しか考えていない。半分以上の兵士達は大昔の海賊よろしく、立国首都星での略奪を今から楽しみにしている始末だ。

全てが、まんべんなく腐りきっている。

この国は、いずれ滅ぶかも知れない。フリードリーヒはそう考えている。それは妄想と言うにはあまりにも強いリアリティをもって、年老いた提督の心を苦しめ続けていた。滅べば、分裂して、壮絶な抗争が始まるだろう。そうなれば、他の国の干渉によって、帝国は滅茶苦茶になる。

自分の行動は、それをほんの少し遅らせているだけなのかも知れないと、フリードリーヒは思う。更に、それに立国の人々を巻き込もうとさえしている。後の時代に、悪しき国家の愚かな提督として語り継がれるかも知れない。それは武人であるフリードリーヒにとって、とても悲しいことであった。

改めて、周囲に展開している宇宙艦隊に目をやる。いずれも彼の指揮下に入っており、命令を下せばすぐにでも動き出す。アステロイドベルトの各所で息を潜めている艦隊は、さながら深海魚の群れのように見えた。

帝国の戦力は、宇宙艦隊を全てかき集めると65000隻に達する膨大なものだ。ただし、その巨大な戦力を養うために経済力を犠牲にしており、国民にそのしわ寄せが行っている。更に深刻なのは、中国系とドイツ系の住民の対立である。幾つかの惑星では、過去に暴動が発生した。その中には、数日とはいえ、独立を宣言して政府まで設立した所まであるのだ。

住民の生活は苦しい。しかも、ドイツ系住民と中国系住民の間で、かなり大きな経済的格差があり、それが対立の根本的な要因となっている。ネオナチの流れを汲む集団までもが存在していて、年に何回かは中国系過激派の住民と衝突が起こる。

現在、帝国艦隊のおよそ半数が同時稼働している。この宙域に集まる予定の戦力は、これでほぼ結集が完了した。かなり旧式の艦隊も混じっているが、フリードリーヒが指揮する第十二艦隊は最新型が配備されているし、戦力的には申し分ない。かなり面白い戦いが出来るはずだ。

しかし、戦いになれば、民は苦しむことになる。

武人としての自分と、帝国民としての自分。二つの心は常にせめぎ合っている。だが、いざ戦場に立てば、武人として動ける自信もまたある。

政を考えるのは、政治家の仕事。自分は帝国のために、兵を動かすことだけを考えよう。そう言い聞かせて、今までに何度となく迷いを振り切ってきた。ダーティワークだってこなしてきたし、過激派の摘発と称して、貧民街を焼き払うような任務にだって従事した。

だが、ため息も漏れてしまう。落語を見ることが出来るのは、いつになるのか、全く分からなかった。

リクライニングシートの上で情報を確認していると、嫌な奴が来た。チャンだ。此奴が来ると、いつもろくでもない話ばかり聞かされる。大統領のお気に入りだと言うから、あまり邪険に扱う訳にも行かない。フリードリーヒの意識が伝染したか、最近では部下達も煙たがっているようだった。

「フリードリーヒ提督」

「何かな」

「これだけの艦隊を全く乱れなく統率しておられる様子、大統領が感服なさっておいででした。 この戦いに勝てば、必ずや元帥の座が手に届くことでしょう」

「そうか」

なるほど、その時のことを考えての胡麻擂りか。フリードリーヒはこの細い目をした男を、どうしても好きになれなかった。裏で汚い仕事ばかりしていると言うことではフリードリーヒも同罪だが、此奴は何とも言えない、生理的な陰湿さを感じるのだ。

適当におべっかを聞き流していたフリードリーヒだったが、この男が来ると言うことは、何か重要な用件があることを意味する。咳払いして、適当なところでやめさせる。時間は、有限なのだ。

「それで、今日は何用かな。 そんなことを言うために、わざわざ此処に来た訳ではあるまい」

「ははは、お流石です。 実は、今回の侵攻作戦で、必要となる情報を知らせに参りました」

「というと」

「どうやら立国は、不埒なことに、エイリアンとの交流計画を、密かに進めているようなのです」

初めて聞いた話だ。エイリアンがいると言うことさえ、フリードリーヒには驚きであった。

「確かか、それは」

「はい。 しかもこれが、兎に角醜くて気持ちの悪い種族のようでして。 ある程度情報がまとまったら、提督にもご披露しましょう」

「地球人の基準で、そういうことを言うのは感心せんな」

かってヨーロッパ文明圏が、地球上で暴虐の限りを尽くした時。自分たちの文明と違う全てが、嘲弄の対象となったことを、フリードリーヒは知っている。髪型がそうであり、箸がそうであり、住居の形でさえそうであった。それらが命を奪う理由となり、文明を否定する理由ともなった。

地球人はその過ちを、もう一度繰り返してはいけない。そうフリードリーヒは考えている。

タコ型だろうが、虫型だろうが、知的生物である以上、接触は慎重に行わなければならないだろう。地球人類は、宇宙に進出してから、少しは進歩した。そうフリードリーヒは信じている。

いや、そう信じたい。

「ははは、提督は理性的な人ですな」

「さあ、そうではどうだろうな。 ともかく、だ。 あまり無体なことはしないようにしてくれ。 帝国が後世に悪名を残すことになる」

「心しておきましょう」

かって、中国圏では、後世の悪名は死にも勝る屈辱であった。それを考えてこの釘を刺したのだが、はてさて、効果があったかどうか。

チャンが部下達を連れて去ると、リクライニングシートに深く身を埋めて、フリードリーヒは嘆息した。立国も必ずしも理想郷ではないが、しかし侵略が許される訳がない。確かに帝国は貧しい。しかし軍事力を半分に削れば、経済はかなり好転するという試算もある。政治に深く食い込んでいる軍上層部の反対で、成功しないのは目に見えているが。

憂鬱であった。どうあろうとも、戦争は回避できそうにない。

エイリアンが見たら、地球人はさぞ滑稽で愚かな種族なのだろうなと、フリードリーヒは自嘲した。

 

連合宇宙艦隊の主力を為す機動5個艦隊の司令官を務めるアシハラ・ナナマ元帥は、冴えない背の低い女である。ベイツは顔写真を見たことがあったし、背丈などのデータも知ってはいたが、実際に話してみると、印象はまた違った。

伝説の大提督に相応しい威厳というものが、ほとんど備わっていないのである。

動作は子供のようだし、感情の沸点も低い。人見知りもするようで、顔を見ただけのベイツをかなり警戒している様子が、立体映像からもよく分かった。何だか情けない人物だが、天才が例外なく変人であることは、ベイツも経験を通じて知っている。だから、失望することもなく、軽く流すことが出来た。

星間上位ネットを用いての極秘会談は、短時間で終わった。戦略上の不備を幾つか指摘されて、軍上層部に伝えて欲しいと言われた。アシハラ元帥の見込みでは、現在国境に布陣している帝国軍艦隊は、囮の可能性が高いという。そこで、国境の戦力は目減りさせ、縦深陣を領土内に深く敷き、引きずり込んでからの迎撃態勢を整えた方が良いと言っていた。

戦闘シミュレーションチームの見立てでも、確かにその考えはあった。だが、軍の反対によって、却下されたのである。しかし今回はあのアシハラ元帥の指摘である。連中の考えを変えることが出来るかも知れない。

会見が終わった後、大統領に連絡。立体映像に出た大統領は、立派な口ひげを弄りながら、メールを打っているところだった。立体映像通話にもかかわらず、此方を見ようともしない。

「アシハラ元帥はなんと言っていた」

「此方の防御態勢に対する不備を指摘されました。 詳細はすぐにメールでお送りいたします」

そのまま、今の会見の録画映像を添付してメールする。大統領も、立体映像の先で開いたようだ。数分間、大統領は静かに黙っていたが、やがてベイツを見る。皺が深く刻まれているとはいえ、その双眼はいまだ強い光を放っている。

「一理あるな。 すぐに軍幹部と連絡し、対応を協議しろ」

「はっ。 アシハラ元帥の指摘を考えますと、焦土戦術を考慮して、帝国国境から幾つかの星系に関しては、住民の避難と物資の引き上げを急いだ方が良いかと思われます。 いかがいたしましょうか」

「すぐにそちらも手配する。 それにしても、やはり実戦経験が豊富なアシハラ元帥は違うな。 きちんと現実的な理論を出してくる」

大統領の言葉は、正論であった。

如何に豊富な訓練を積んでいるとはいえ、この国の軍人はやはり実戦経験にあまり恵まれていないのだ。年配の提督には交戦経験がある人間もいるし、特殊部隊の出身者などにもいる。だが全体的に見ると、やはり経験不足は否定できない。特にエリートコースを進んできた連中は、頭でっかちでプライドばかり高いことが多い。

「それよりも、不安なのは、帝国得意の内部切り崩し工作だ。 そちらは大丈夫なのだろうな」

「今、内偵を進めております。 何人か、帝国に寝返りうる材料を持った提督をリストアップはしてありますが、いまだ推測の域を超えません」

「交戦中に、背後から撃たれでもしたら話にならん。 もし提督が寝返るつもりであれば、部隊ごと掌握して掛かっているはずだ。 それも考慮して、内偵は慎重に行え。 疑う対象には、例外を設けるな。 どんな高官でも、調査は行って構わない」

「承知しております。 万事お任せを」

ベイツが頭を下げると、大統領は回線を切った。肩がこる。

あまりにも高名な孫子の兵法を例に出すまでもなく、中国文明圏は昔から諜報組織の使い方が巧みだった。それは帝国にも受け継がれている。法国との戦いの時には、諜報部隊の活動により、国内の不穏分子がクーデターを成功させる寸前まで行ったらしいとこの間の調査によって判明した。それを再現させてはならない。

特務部隊はしばらく徹夜が続いているが、人員増強にも応じているし、最新鋭の装備も配備している。此処が踏ん張りどころだ。立国は豊かな反面、様々な矛盾を抱えた国家でもある。しかし帝国に領土を踏み荒らされたら、今よりも確実に酷いことになる。

それにしても、今回の侵攻作戦には、やはり裏があるような気がしてならない。弱体化した法国ではなく、なぜまだまだ充分に国家的に健在な立国を狙ってきたのかが、よく分からない。

携帯端末が鳴る。通話回線のホットライン化を要求している。重要な知らせがあった場合にだけ、此方に連絡するように伝えているから、無視する訳には行かない。机上のPCでメールソフトを開いて確認しながら、通話回線を開く。外務省に勤めている部下からであった。

「ベイツだ。 何かあったか」

「はい。 帝国が、ついに宣戦布告を出す方向で調整に入った模様です。 複数筋から、連絡がありました」

「そうか。 大統領には、もう知らせたか」

「はい。 マスコミへの発表のタイミングですが、どういたしましょうか」

「そちらはまだ知らせなくてもいい」

少し考え込んでから、ベイツは幾つかの指示を出して、回線を切った。栄養剤を冷蔵庫から出してきて、一気に飲み干す。

この時のために、既に何度かの会議が開かれ、参加してきた。対応手順はもう分かっている。だが、緊張はする。何しろ、帝国がこれから全面的な戦闘を挑んでくると言うことなのだから。

民間人の後送を急がなければならない。民間の輸送会社などとても間に合わないから、国境に展開している艦隊に、運んで貰うことになるだろう。後は、戦略的な配置転換のためにも、提督達と話をする必要がある。

帝国のことだから、宣戦布告と同時に全面で攻撃を仕掛けてくるだろう。残り時間は、あまり無い。幾つかの手配をしている内に、また連絡。KVーα星の首脳陣が、戦争になった場合の避難経路について連絡してきたのだ。立国に肩入れする気は無いとも行っていたので、VIPを引き受けてはくれないだろうが、先に知らせてくれるとありがたい。総理大臣に、その辺りもメールで出しておく。

軍高官達との連絡がついた。回線も確保できた。今日も徹夜になるだろうとベイツは思いながら、栄養ドリンクをもう一本飲み干す。体に無理は出るが、仕方がない。

まだまだ、休暇を得られるのは、当分先になりそうだった。

 

夕刻、賢治はルーフさんと立花先輩と合流した。今日、いよいよルーフさんのお子さん達に会う。それと、シャルハさんの登校前のチェックも行わなければならない。今晩は、色々忙しくなりそうである。

夕方の道を歩きながら、雑談する。季節調整のせいで、夕方でも暑い。

「そう言えば、被名島」

「何ですか?」

「藤原先生が、幸広が変だって。 何か心当たり無い?」

「そう言えば、変なんですよね。 それも、何か隠し事をしているような違和感なんですよ」

賢治の言葉に、立花先輩はすっと目を細めた。詳しくと言われたので、頬を掻きながら続ける。

「あ、はい。 幸広とは少し前からメル友になったんですけど、あいつってば必ずこったメールを送ってくるんです。 いつもなら返事にもウィットが効いてるし、それに何だか僕を探ろうとしているような感じなんですよね。 行動の全てが、僕を探るための伏線になっているような雰囲気です」

「それは本当?」

「はい。 別にそれについては何とも思ってません。 天才少年だからかなと思ってはいたんですけれど。 それなのに、この間から様子がおかしくて、いい加減なメールを返してきたり、すぐにそれを取り繕うような事をしたり。 仕事が粗いんです。 そうですね、何か苛々してて、それを隠そうとしているかのような雰囲気で」

「そうか、分かった」

話を聞いていたルーフさんが、嘆息する。何か思い当たる節があるのだろうなと、賢治は思った。それは的中した。

「ひょっとして、それって今後ろにいる人の事が原因ですの?」

「! 例のストーカー!?」

「その定義が、いまいち私には分かりませんわ。 地球人の愛って定義が広すぎて、いまだに理解できませんもの。 例えば私には、お二人は信頼関係で結ばれているように見えますけれど、愛情とは別なんでしょう?」

「……ごめん、そういう話はちょっと後で」

しばらくちらちらと後ろを伺っていた立花先輩だが、やがて舌打ち。逃げたようだ。立花先輩も凄いが、相手は恐ろしいほどの勘を持っているらしいと、賢治は思った。確かに、賢治ごときが手に負える相手ではなさそうである。

「私が話題にしたら、すぐ逃げましたわよ。 距離的に声が届いていたとは思えませんけれど、そうなるとかなり勘が鋭い方のようですわね」

「参ったな。 ちょっとこれは個人的な問題では済まないような気がする。 私が後でシメておくわ」

「ちょっと立花先輩、無茶はしないでくださいよ」

「分かってる。 ていうか、何が重要か分かってないな被名島」

立花先輩はかなり怒っているようで、それ以降ずっと黙りこくっていた。代わりにルーフさんが、にこにこしながら話しかけてくる。

「先ほどの続きなんですけれど、よろしいですか?」

「あ、はい。 何でしょう」

「色々と地球人の「愛」については学習していますけれど、この際だからお二人の意見を聞いてもよろしいですか?」

「ううん、僕に分かる事でしたら」

そう答えはしたが、賢治は困った。愛というものは、正直よく分からない。母の行動に不信感を覚え続けてきたからだろうか。

異性に対する愛も、家族に対する愛も、賢治は経験したことがない。時々他の女の人に異性を感じることはあるが、それは愛とは言えないような気もする。愛情に対する不信感そのものも強い。だが、世の中にはひょっとしたら人間の定義通りの「幸せな家庭」を築いている人もいるのではないかと、ルーフさんを見ていて最近思うようにもなった。ルーフさんとシャルハさんは、とても仲が良い夫婦に思えるからだ。結婚して随分経過しているだろうに。

「そもそも、地球人類の定義にある愛とは自己保存本能に起因するものと判断してよろしいですか?」

「え? ううん、流石に其処までドライなものでは無いような気もするんですが」

「生物学的には、そうとしか判断できないのですけれど」

賢治は立花先輩を見るが、携帯端末からメールを打っていて、此方に構っている暇はなさそうであった。

確かにルーフさんの言葉には一理ある。しかし、どうしてだろう。愛情に疑念を抱いていた自分なのに、どうしてかルーフさんの言葉には納得できないでいる。

「僕は、愛ってものをよく知りません。 だからよく分からないってのが、答えになってしまうかと思います」

「……ふうん、なるほど。 キャムさんはどう思われます?」

「あたしもその辺はよく分からない。 ただ、あたしが恋のイロハも知らないガキだからかも知れないけれど、やっぱり自己保存本能に愛が起因しているってのには、納得できない部分があるような気がする。 てか、着飾ることはよく分かるけど、男女間の恋愛についてはよく分からない」

メールソフトを閉じながら、立花先輩がそう応えた。

こんな曖昧な定義に、結論なんか出ないような気もする。しかし、どうしてなのだろう。少し前だったら、ルーフさんの言葉を全面肯定していたような気がしてならない。地球人類としての誇りが生じたと言うこともなさそうだし、よく分からない。

ベルトウェイはあくまで使わず、立花先輩の家に着いた。周囲に学友がいないことを確認してから、すぐ隣にあるルーフさんの家に。何処にでもある官給住宅だ。家に上がらせて貰うと、奧からざわざわと音がした。

無数の虫が、蠢いているような音だ。

手を叩いてルーフさんが言った。二階から、シャルハさんの声がする。

「二人とも、ちゃんと人間体を取りなさい。 それとあなた、子供達に今日キャムさんと賢治さんが来ることは伝えておいてくれましたの?」

「ごめん、まだだった」

「もう。 自覚が足りませんわ」

頬をふくらませて可愛らしく怒るルーフさん。奧で蠢いていた気配が、急速に消えていく。

衣擦れの音。KVーα人はその気になれば服ごと擬態が出来るという話であったが、ルーフさんの子供達は、流石に其処までの技術はないらしいと、賢治は思った。誰だって子供の時は無知無能なものだ。

玄関に立ちっぱなしもなんだと言うことで、居間に上がらせて貰った。立花先輩は既に何度か此処に来たことがあるようで、落ち着いたものだった。すぐにシャルハさんが降りてきて、コーヒーを入れてくれた。少し疲れているようだが、それは学校へ通う訓練をしていたからだろう。

シャルハさんのコーヒーを入れる手つきは手慣れていて、ちゃんと砂糖もミルクも出してくれた。砂糖を一つ入れ、ミルクを入れる。ブラックコーヒーもいいかなと思ったのだが、今日はこれでいい。

衣擦れの音が止んで、奧の部屋から足音が近づいてきた。最初に部屋に入ってきたのは、長身のお姉さんだった。眼鏡を掛けていて、タートルネックのサマーセーターを着ている。かなり背が高い人だ。180センチに近いだろう。

KVーα人は、年を重ねるほどコンパクトで緻密な擬態が可能になると言う。そういえばこの女の人はとてもグラマラスで美しいが、個性に欠ける所がある。顔立ちは整っているのだが、特徴が無くて覚えられない。そうなってくると、上手く体を縮めることが出来ていないという事なのだろう。

賢治の隣に座っていたルーフさんが、小首を傾げる。そして爆弾発言をした。

「ククルームル、いつもとバストのサイズが異なるようですけれど、ブラジャーは付けていますの?」

「すみません、母様。 すっかり忘れていましたわ」

「駄目でしょう、まだ擬態がそれほど上手ではないのだから。 形を整えるために、地球人類の服飾文化を利用するのは恥ではありませんわよ。 此処は良いから、すぐに付けていらっしゃい」

吹き出す賢治の前から、そそくさとお姉さんが姿を消す。代わりに現れたのは、口ひげを蓄えたダンディーなおじさんだった。

こちらもかなりの長身だ。というか、シャルハさんよりも更に背が高いだろう。彫りの深い顔立ちで、アラブ系の人間のように肌は浅黒い。シャルハさんよりも少し肌の色は濃いくらいだろう。しかし、目には光が少し足りないような印象も受ける。

おじさんは、かなり苦労しながら笑顔を作ると、握手を求めて手を伸ばしてきた。握り返すと、予想以上にひやりとしていた。体温が30℃そこそこしかなさそうな雰囲気である。

「エルデアルデフォートです、被名島賢治さん。 貴方の話は、いつも父母から聞かされていますよ」

「被名島賢治です。 会えて光栄です」

「母さん、何かおかしな所はありませんか?」

「特にありませんけど、もう少し擬態の速度は上げなさい。 今後何があるか分からないのだから」

ごめんなさいと素直に謝るエルデアルデフォートさんを見て、ルーフさんが家庭ではかなり厳しい母なのだと、賢治は知った。いや、母だからと言うよりも、おそらくは家長だからだろう。

賢治も最近は、時々資料をレイ中佐に回して貰って、KVーα人について勉強している。KVーα人は一夫一妻制のシステムを取る種族で、乱交型とハーレム型の中間にいる地球人類とはかなり婚姻に対する考え方が違うのだという。

一見すると、地球の古代時代に各地で見られた家父長制度に近いようにも思えたのだが、どうやらそれとも少し違うらしい。そこまでの強制権はなく、生物本能から来る崇拝が単純に強いようだ。また、年齢を重ねるほど能力が上がるという生物的な特徴も、そのシステムを確固たるものとする一助になっているとか。

文明面でも、KV−α人と地球人は異なっている。それは優劣を決めることではなく、ただ違うと言うことなのだと、賢治は思う。

ほどなく、ククルームルさんという女の人が、部屋に戻ってきた。危うく吹き出しかけたのには理由がある。さっきほどグラマーな体型ではなくなっているのだ。というか、露骨にバストサイズが異なっている。下着のあるなし程度では、此処までは変わらない。やはりこの人達の体は作り物なのだなと、賢治は思った。体の中には、無数の群体が蠢いているのだ。

それくらいのことでは、今更何とも思わないが、地球人類とは違うのだと実感する。そして違うからこそ、仲良くする意味があるのだとも。違って気持ちが悪いから排斥すると言うのでは、地球時代にアフリカで奴隷貿易を行った外道共と同レベルである。今では、賢治はそう思えるようになっていた。

立花先輩はすでにコーヒーを飲み終えていた。そしてエルデアルデフォートさんと談笑を始めている。時々エルさんと呼んでいる。賢治もそう呼んで良いかと聞くと、快く了承してくれた。結構嬉しい。

ククルームルさんはかなり無口なようで、多弁なエルさんとは性格も正反対のようだった。コーヒーを飲むかとシャルハさんが聞くと、首を横に振る。その様子が、少しばかりぎこちない。非常に基礎的な感情表現だが、それも再現し切れていない感じだ。まだまだ、修行中の身という所か。

「まだ擬態が上手くいかないんですか?」

「ええ。 地球人の関節について、まだよく分からないところが多くて。 首の動かし方も、まだよく分からないのです」

声も少しおかしかった。発音が所々上手くいっていない。声質も一定していないし、極小のハウリングが混じっている感じだ。考えてみれば、群体を振るわせることで音を出しているはずで、それで声質を安定させるのはとても難しいはずだ。ルーフさんやシャルハさんがどれだけの離れ業をしているのかは、賢治にもうすうす分かる。だが、じっくり直していけばいいだけの事で、それを理由に難詰しても意味がない。

「それなら観察すると良いですよ。 僕は男ですけど、立花先輩ならククルームルさんとは性別も同じですし、真似すればためになると思いますよ」

「ありがとうございます」

一見するとやり手のキャリアウーマンにも思えるククルームルさんが、そんな風に素直な返事をしてくると、賢治は赤面してしまう。妙に純真な人だと思えた。地球人で言えば、まだ子供だからだろう。ただ、笑顔はまだ下手なようだった。地球人なら純粋な笑みを浮かべるところかなと、賢治はコーヒーを啜りながら思った。インスタントだが、結構美味しいコーヒーだ。

携帯端末が鳴ったので、立花先輩が席を外す。コーヒーのおかわりが必要か聞かれたので、ありがたく頂いた。また砂糖とクリームを入れて飲む。まだ賢治にはブラックコーヒーは早いような気がする。エルさんはブラックでじゃんじゃんコーヒーを飲んでいる。温度は大丈夫なのかと、ふと思う。この間ラーメンを食べた時のルーフさんの苦労は、良く覚えている。だが老婆心に過ぎなかったようで、エルさんは平気でコーヒーをごくごく飲んでいた。よく観察すると、最初から熱を下げる工夫をしているらしい。ルーフさんが笑顔で補足してくる。

「賢治さん、気付きました? エルの熱量吸収は、私よりも上手ですわ。 この年での事だから、一種の才能ですわね」

「凄いですね。 僕には才能なんて無いから、羨ましいです」

「いや、そんな。 それほどでも」

頭を掻くエルさんの表情は変わっていなかった。「頭を掻く」という動作と、「苦笑いする」という二つの動作を、同時には擬態できないのだろう。

外で話していた立花先輩が戻ってきた。難しい顔をしている。あまり良い情報ではなかったのだろうなと、賢治は思った。

それから、冷蔵庫からケーキが出されてきた。円筒形のチョコレートケーキである。特にデコレーションはなく、非常にシンプルな作りだ。ククルームルさんがぶきっちょな手つきで、ルーフさんに言われながら切り分ける。二段に重ねられている生地の間には、ミカンが挟まっているようだった。

それからみんなで食事にした。ククルームルさんはナイフやフォークの使い方にも慣れていないようで、何度もケーキを落としながら、口に運んでいた。

 

楽しい夕食が終わって、立花先輩と一緒に外に出る。ストーカーの件もあるので、フォルトナが付いてきてくれることになった。家から外に出ると、立花先輩が少し声のトーンを落として言った。

「被名島、さっきレイ中佐から連絡があった。 いよいよ、まずいらしい。 近々、帝国が宣戦布告してくるのは確実みたいだ」

「そうなると、戦争になるんでしょうか。 嫌な話ですね」

「嫌な話だが、問題はそれだけじゃあない。 戦になって、もし首都星まで帝国軍が攻め込んできたら、ルーフさん達はどうなるかって事だ。 このステイ計画を帝国の連中は知らないだろうし、場合によっては捕らえられてモルモットにされる。 戦況次第では、ステイ計画を前倒しして、皆に帰って貰わなければならなくなる」

だから今日、少し早いかも知れないと思いながらも、賢治をこの家に招待して貰ったのだと、立花先輩は苦々しげに言った。さっきの連絡は、その確報だという。既に軍の方では、対応で大わらわだそうだ。

「相手は帝国で、しかも総力戦を挑んでくる可能性が高いから、予備役の招集が始まるらしい。 まさかこの星系まで戦禍が及ぶとは思えないけれど、周囲も騒然としてくるだろうね」

「帝国のことはよく分かりません。 でも、他の人の富を奪い取って、自分が豊かになろうって考えは理解できません。 立国だって弱国じゃないし、戦争なんか仕掛けても、大勢の人が死ぬだけなのに」

「さて、それはどうだろうね。 人類社会ってのは、全体が競争で成り立っているんだからね。 中には数百万人が死んでも、最終的な利益が確保できればいいって考える奴も少なくないんだよ。 他の雄の子供を殺すライオンが可愛く見えてくるくらい、利己的で傲慢。 それが人間の現実なんだから」

そういう立花先輩の表情は、ドライに乾ききっていた。正論である。資本主義が成立してからは、特にその傾向が顕著になったと、賢治は歴史の授業で習った。

KVーα人になりたいとは思わない。地球人を止めたいとも思わない。だが、散々摩擦を重ねてしか文明を進歩させられない人類は、やはり問題が多い存在なのだなと、賢治は思う。

今後は特に何が起こるか分からないから気をつけるようにと、立花先輩は賢治に念を押した。立花先輩は剛毅な人だが、それでもどこかで不安なのだろうかと、賢治は思った。支えてあげたい所だが、賢治ごときが余計な事をしても意味がないような気もする。臆病になっているのだろうかと、賢治は思った。どうしたらいいのだろう。

藤原先生のメールアドレスはこの間聞いた。ちょっと相談のメールを送ってみようかと思ったが、止めた。これは自分で解決すべき問題のような気がするからだ。

立花先輩が家にはいると同時に、フォルトナが出てきた。静名に比べて柔らかい笑顔が印象的だ。

「被名島様、帰りましょう」

「うん。 男の子なのに、護衛まで付けて貰うのはちょっと情けないけど」

「被名島様は、優れた能力と将来的な価値をお持ちです。 護衛を付けるのは、それを守るためであって、決して情けないというような事はありません」

「ありがとう。 出来るだけ期待に応えるようにするよ」

フォルトナにフォローして貰って、賢治は苦笑しながら礼を言った。

夜はもうすっかり更けている。夜空は美しい。戦の炎に包まれることが無ければよいのにと、賢治は思った。

夜道を歩く。ふと視線を感じたような気がしたので、振り返った。路地の影をサーチしたフォルトナが言う。

「熱量反応無し。 質量反応無し。 何もいません」

「うん、ありがとう。 ちょっと過敏になっているみたいだ」

「いざというときには、この身に変えてもお守りいたします。 多少の訓練を受けた相手程度なら撃退可能ですので、ご安心を」

もう一度礼を言うと、賢治は夜道を急ぐ。

無駄な負担を、特務部隊の人たちや、フォルトナにかける訳にはいかなかった。賢治は、自覚している。自分がまだまだ弱いことを。

 

自分専用に調達した携帯端末を切ると、幸広はほくそ笑んだ。これで連絡経路は確保できた。後はXデイに、上手く立ち回るだけだ。どこかが勝つという保証はない。情報を誰よりも豊富に確保し、様子を見ながら、負けそうな勢力を切り捨てる。そうすることで生き残ればいい。

エリートコースをひた走る幸広だけあり、既に一人暮らしをしている。家は三階建てで、メイドロボットを五機使い、その内一機に今肩を揉ませていた。残り四機はそれぞれがめいめいに家事を行っている。そろそろセクサロイドを買ってみようかなと、幸広は考え始めていた。性欲を一人で処理するのも、飽きてきたからだ。

不意に携帯端末が鳴る。開いてみると、レイ中佐からだ。何か嫌な予感がした。回線をつないでみる。

「お疲れ様です、中佐。 何かありましたか?」

「お疲れ様。 被名島君から、君の様子がおかしいという話を聞いたの。 それで連絡させて貰ったのだけれど」

背筋に寒気が走った。奴には、幸広が軍の派遣している監視員だという連絡はしていない。なぜレイ中佐にそんな話が行っているのだ。不思議そうに、後ろでメイドロボットが小首を傾げている。

「え、ええと、どうして」

「被名島君は結構優秀でね。 立花さん以上に、細かく学校内での出来事なんかをメールで送ってくれるのよ。 監視をしているシノン達を手助けしてくれているつもりなんでしょうけれど。 その過程で、貴方の様子がおかしいって情報が確認できた訳」

レイ中佐の声が、低くなってきていた。気付いたのだ。幸広に、何かしらの後ろ暗いところがあると言うことに。

「貴方の頭脳は認めている。 将来のポストも既に確約されている。 それなのに、何かくだらないことを目論んでいないでしょうね」

「い、いや、そんな。 そんなことはないです。 ある訳無いです」

「……今日から、貴方の所にも監視用のメイドロボットを一機付けましょう。 先ほど配信手続きをしておきましたから、組み立てはそちらで行うように。 今後、そのロボットから隠れるように何かをすることは禁止します」

蒼白になった幸広が返事をする前に、レイ中佐は回線を切った。

まずい、非常にまずい。パニックになりかける。

何体かのメイドロボットを呼ぶと、記憶のイレイズを行わせる。更に、証拠になりうる書類の幾つかを削除する。覚えているから良い。ログが残るようなものを消しておかないと、極めて危険だ。

レイ中佐がわざわざ連絡をしてきたと言うことは、既に監視がついている可能性さえある。動揺したせいか、胸郭の中で心臓と肺がはね回っていた。こう言う時、年相応のガキだと言うことを、自覚してしまう。

チャイムが鳴る。椅子から転げ落ちそうになった。メイドロボットが何体か表に出る。さきほど予告されていたロボットが来たらしい。組み立てるように命令して、幸広は必死に端末に向かってもみ消しを続けた。

ロボットが稼働した時には、どうにかもみ消しは終わった。ツールを使って綺麗に消したから、おそらくは大丈夫のはずだ。レイ中佐が送ってきたのは、見た目幸広と同年代のメイドロボットだった。知っている。セクサロイドを兼ねている型式だ。ただし、全部のログがレイ中佐の元に送られて解析されると見て良い。つまり手を出す事は出来ない。性行為の一部始終を軍の連中に見られることになる。

冗談ではない。これでは蛇の生殺しだ。

賢治に恐怖さえ、幸広は感じ始めていた。奴の仕事が、それほど緻密なものとなっているとは思ってもいなかった。自分よりしっかりした仕事をしているのではないか。レイ中佐のことだ。良い拾いものをしたと思って、今から軍幹部にするための教育をし始めているのではないか。あの立花についても、恐ろしいほどの戦闘センスを感じるが、それでも被名島に比べると総合面で劣るような気がしてならない。

ぺこりと一礼すると、稼働した監視用の軍用ロボは、幸広を後ろから観察し始めた。しばらくは此奴に全てを知られることを覚悟で、動かなければならない。設定の変更などをしたら即座に軍に知られる。八方ふさがりになったことを、幸広は悟った。しかも、見ていれば分かる。軍用ロボは既にネットワーク回線から、他のメイドロボの支配と情報把握を始めている。もしデータを消し忘れでもしていたら、その場でジエンドだ。

その夜は、眠れなかった。恐怖で身が竦んでしまっていた。ストレス発散には性行為がいいと軍用ロボットは提案してきたが、拒否した。その場で絞め殺されるかも知れないと思ったからだ。軍事訓練はしっかり受けている幸広だが、軍用ロボと腕力勝負で勝てると思うほどバカではない。

翌朝、憔悴しきった幸広を見て、クラスメイト達は心配した。

だが、誰にも助けなど求められはしなかった。

おそらく、レイ中佐は既に自分を怪しいと判断したはずだ。しばらくは、何をするにも最大限の注意を払う必要がある。

恐怖が、神経の末端まで、行き届いていた。

 

3,小乱

 

幸広の状態が良くないようだと、藤原先生が心配していたと、立花先輩から聞いた。あれからしばらくしても、状態が改善する様子はないという。

帝国の侵攻が間近だという破滅的状況においても、運命の輪は回転を止めない。それどころか、回転速度を上げているような気さえ、賢治にはする。学校もかなり騒がしくなってきた。街にも警官が増えてきた気がする。

しかし、街の賑わい自体に変化はあまりない。ものはきちんと売られているし、経済新聞を見ると株価も安定している。犯罪率が上がったというようなニュースもないし、検挙率も下がってはいない。

この国は予想以上に強靱なのだ。

賢治は不安を抱えながらも、立花先輩の家の居間で、待ち続けていた。立花先輩に休日に招かれて、此処に来てから二時間ほどが経つ。先輩は賢治が来るとすぐにとなりのルーフさんの家に行ってしまい、戻ってくる気配もない。自分の家と同じ構造であるし、何度も来た所とはいえ、何だか緊張する。出されたコーヒーはとっくに飲み終わり、三杯目を今注いだ。なかなか良い豆を使っているらしく、とても香ばしい。

携帯端末をチェックするが、メールの返信さえない。何もない空虚な時間に耐えきれなくなって、以前落としてきた電子本を開く。夏目漱石とか言う作家の本だ。猫の目から見た人間の愚かな挙動が書き連ねられた本であり、ふーんと頷きながらページを捲る。感性に通じるところはあるが、全面的に賛同は出来ない部分も幾つかあった。

時計の音が嫌に大きい。いつの間にかコーヒーをまた飲み干してしまっていた。

自分が泊まっていた部屋は何処だったっけと、ふと考えた。今は立花先輩が以前と違う風に使っているだろうから、覗くのは失礼に当たるだろう。だが、気になる。そのままにしてあるという事は幾ら何でもないだろう。ほんの僅かな時間だが、一緒に暮らしたことで、立花先輩への恐怖感は随分薄れた気がする。

コーヒーの四杯目を入れようかと思い、やめる。明日は平日だし、何があるかも分からない。夜眠れなくなって、肝心な時に動けなくなるような醜態を晒すのは避けなければならない。

本を読み終わった頃だろうか。玄関の方から人の気配があった。立花先輩が戻ってきたのだ。

「ただいまー。 待たせたね、被名島」

「お帰りなさい、立花先輩。 うわ、それどうしたんですか?」

「ルーフさんに貰った。 みんな、上がって。 全員が入るスペースはあるから」

立花先輩は右手に高価そうな腕時計を付けていた。携帯端末では無い。今時クラシックな腕時計は、庶民が買える品ではない。立花先輩が付けているのは、最高級とは行かなくとも、相当なブランド品に見えた。ルーフさん達が如何に高額の支援を受けているかというよりも、元々資金をかなり持ち込んでいるのかも知れない。国家的なプロジェクトという点では、KVーα人政府でもかなりの支援は行っているのだろうから、不自然な話ではない。

立花先輩に続いて、ぞろぞろと人が入ってくる気配。スキマ一家全員が入ってきたのだと、賢治は悟った。

ルーフさんは今日ブルーのワンピースに身を包み、足下をレースの白ソックスで固めている。元々容姿が優れているだけに、シンプルな着装でも実に容姿が引き立てられている。右手の手首に付けている赤いミサンガがアクセントポイントであろう。肌が白い(擬態だが)ため、実に目立っている。

続いて入ってきたシャルハさんは、長身の均整が取れた肢体を、白い半袖のシャツとジーンズに包んでいた。露出箇所が非常に少ないのは、やはりルーフさんに比べて擬態の技術に劣るところがあるからだろう。ルックスも整っていて長身のシャルハさんは、普通の高校の制服を着ているだけで人目を引くが、今回もかなり目だった。

続いてきたのが、エルさんだった。元々中年男性に擬態しているだけあり、服はかなり融通が利くようである。今日はサングラスにアロハシャツであった。そのままウクレレを弾き出しそうな雰囲気だ。サングラスは、非常に擬態が難しい部分の一つである目を隠すための工夫であるかも知れない。

最後に入ってきたククルームルさんは、全員の中で一番露出が少なかった。下はジーンズだし、上着も袖口まで黒いサマーセーターで覆っている。どうやらサマーセーターが好きらしいと賢治は気付いた。地球人類の外部服飾文化に興味を示す傾向がKV−α人にはあるようだが、その中でも好みは別れるのだろう。

見かけからすると、どう考えてもエルさんとククルームルさんが親なのに、実態はその逆である。なかなか面白い話だ。

「今日は何をするんですか?」

「今日から、家族全員が人前に出ても大丈夫なように、訓練をするの。 特にエルさんとククルームルさんは、今までろくに人前に出たことがなかったから、今回は重要な訓練になる。 被名島も、心してね」

「はい」

「そんなに大げさに考えなくても大丈夫ですわ」

ルーフさんが横からフォローを入れてくれた。賢治は頭を掻きながら恐縮するばかりである。

立花先輩が、立体映像のプロジェクターを出してきた。エルさんが小首を傾げる。

「それが立体映像のプロジェクター? レイ中佐のところで見たのとは、随分形状が違うね」

「型式が古いからね。 レイ中佐の所も、予算を割ける部分とそうでないのがあるらしくて。 こういう大勢に影響がないものは、出来るだけ予算を節約しようって考えているみたいだよ」

「そうなのかい? それにしても、そうも形状が変わってくるのは、不思議だなあ」

エルさんはまるで新しい玩具を与えられた子供のように、興味津々の様子だった。どちらかといえば引っ込み思案な感じのククルームルさんに比べると、何もかも対照的だ。

ここ数日何度か接したから分かったが、スキマ一家は綺麗に性格が別れる。ルーフさんとエルさんはかなり積極的な性格で、何事にも興味津々である。それに対してシャルハさんとククルームルさんは、かなり慎重な性格で、何事にも簡単には手を出さず、じっくり探ってから踏み出す。

KVーα人が地球人類と普通に交流できるようになる日が来るのかは、賢治には分からない。来るとしても、それは数十世代を超えた後だろう。その時、地球人類とKVーα人がいまだに存在している保証はないし、交友も続いているかは微妙なところだろう。だが、何とか続いて欲しいと、彼らを見ていると思う。地球人類とは異なる部分も多いが、思考して感情を持って行動できる、きちんと生きている人たちなのだから。

「プロジェクターの形状がこうも異なるのは、凄いと僕も思うよ」

「シャルハさんも、こういうの好きですか?」

「というよりも、文化の違いが分かって不思議だと思う。 こういう機械は作り出されてから時も経っていて、技術的に完成されている部分が多いだろ? KVーα星だったら、型式のベースは決まっていて、あまり差が出ることは無いんだ。 それなのに、この機械は、世代が少し違うだけで、別物のように形が違う。 君たちの言葉で言うと、エキゾチックで面白い」

「企業ごとに癖が出るからね。 前にレイ中佐のところで見たプロジェクターは、GSONY製の製品だったけど、こっちはWOS社のだから。 両社はゴリラとアミメニシキヘビくらい仲が悪いから、製品にも差が出てくるんだよ」

立花先輩が、意外に博識なところを披露する。おっかなびっくりククルームルさんが席に着く。長い髪の色が、一部白く変わっていたので、賢治は耳元で指摘。賢治の方を見もせずに頷くと、ククルームルさんは色を変えた。

賢治は席を立つと、全員にコーヒーを入れた。フォルトナが手伝ってくれる。全員に配り終えた時には、もうプロジェクターの準備が終わっていた。

「本当は、みんなで遊園地にでも行きたいところだったんだけどね。 まだ擬態の技術レベルが足りないらしくて、無理だってレイ中佐に言われちゃったから。 今回は、映像だけ」

「すみません。 うちの子達が到らないばかりに」

「気にしなくても大丈夫だよ。 まだ、時間はあるはずだから」

立花先輩の横顔に、影が差すのを賢治は見た。立花先輩も、感じているのかも知れない。不吉な足音が、間近まで迫っていることに。

嫌な予感がするのだ。賢治にもするくらいだから、並外れた能力を持つ立花先輩なら、より確実にかぎ取っているだろう。もし「頭が良い」人間だったら、プロジェクトを外れて、一旦国から距離を保つ方法を考えたかも知れない。しかし立花先輩は、そんなそぶりを見せない。

きっとルーフさんとの関係が心地よいからだろうと、賢治は思っている。賢治も、ルーフさんと接するのは楽しいし、ぎこちないシャルハさんの言動を見ているのも好きだ。擬態は最初怖かったが、今は興味深いと思えるようになっている。

プロジェクターが動くと、部屋の内装が完全に変わった。立体映像が現実の光景を上書きしたのだ。辺りはエキゾチックな建物が建ち並び、ジャングルを思わせる植物が生え、そしてカラフルな蝶が舞い始める。けたたましい声を上げて、派手な彩色の鳥が飛び交い始めた。賢治のすぐ側を、十メートルはありそうな鰐がのそのそと歩いていく。

立花先輩は、しきりに時計を気にしていた。そうなると、まだ来る人がいるのだろうか。それを確信したのは、フォルトナの様子を見てからだ。もう二人分、コーヒーの準備をしている。

「まだ誰か来るんですか?」

「ん? ああ、レイ中佐。 あとフランソワ大尉」

「中佐がですか? フランソワ大尉も、かなり仕事大変そうなのに、大丈夫なんでしょうか」

「大丈夫じゃないだろうね。 ここのところ、仕事も少しはましになったみたいだけれど、家には何日も帰ってないみたいだし。 三日で54時間以上働いてるとかって聞いてるしね」

気が遠くなる話だ。あまり真似はしたくない。

ほどなく、家の前で車が止まる気配。来たと、賢治は思った。これで少しはリフレッシュできるといいのだがとも思った。

 

家族で遊園地に行きたいという希望を蹴った時は、レイミティも悪いと思った。これから、どれだけ時間を採れるか分からない。帝国の戦争が、どれほどの規模に発展するか全く予想が付かないからだ。だから、キャムティールが提案してきた、立体映像プロジェクターを用いての訓練は許可した。

しかし、自分も出て欲しいという提案については、驚きだった。

自分が使っている護衛用戦闘ロボットに車を運転させながら、助手席に座っていたレイミティは自分の肩を揉んだ。後部座席では、幸せそうにフランソワが眠っている。この子はまだキャムティールや賢治とあまり顔を合わせていなかったし、丁度いい機会だから連れてきた。疲れているのは分かっていたから、今回気分転換もかねて連れてきた。この任務が終われば、長期休暇を取ろうとレイミティは考えている。フランソワにも休暇をあげられるはずだ。

この国がその時に残っていて、任務がしっかり果たせれば、だが。

レイミティの元には、KV−α星の状況も伝わってきている。向こうも帝国の侵攻を警戒し、艦隊を動かし始めているという。KV−α星人の保有する宇宙艦隊は、かなり強力だ。仮にこの国が破れることがあっても、彼らまで一機に蹂躙されることは流石にないだろう。しかし援軍を期待することも出来ないのが辛いところで、どうにかしてこの危機を乗り越えるべく、頭を働かせなければならない。

途中、シノンから連絡があった。とりあえず、周辺に異常はないという。車をケーキ屋の前に止めさせる。最近ケーキにこっていて、美味しい店はあらかたチェックしているのだ。今日は外交も兼ねているので、せっかくだからいいお土産を持っていきたいところである。

リニアウェイの隅に車が止まる。フランソワはすっかり夢の中であった。起こすのも可哀想なので、一人でケーキ屋に足を運ぶ。

麒麟ケーキ店という変わった名前。こぢんまりとした店で、ほとんど一般家屋くらいのサイズしかない。しかしながら自動ドアを開けて入ると、驚かされる。お洒落で綺麗な内装が、実に目に心地よい。その上に、店番は人間だった。今時珍しい店である。親子で経営している店だと聞いたことがある。店番をしている人が、恐らく娘さんだろう。まだケーキ屋としては修行中なのかも知れない。

店番の娘は、なかなかの美少女だ。見たところ高校生くらいか。場所からいって、ひょっとしてキャムや賢治と同級生かもしれないなと、レイミティは思った。

「いらっしゃいませ」

目礼すると、早速立体映像の見本をチェック。かなりこった作りのケーキが並んでいるが、今回はシンプルなチーズケーキを選ぶ。此処のチーズケーキは、見かけこそシンプルだが、味の方は折り紙付きと評判なのだ。星間ネットでもかなりの高評価がされていて、中には余所の星から買いに来る者までいるという。

以前、一度だけ此処のケーキを買ったことがある。チョコレートケーキだったが、かなりの美味だった。今日は奮発して、評判のチーズケーキにするのだ。

「チーズケーキを二つ、いただけるかしら」

「ありがとうございます」

料金が提示される。かなり高い。此処の店は素材を自ら足を運んで買い付けているため、ケーキが時価になるのが特色だ。今回は、良い材料を安く手に入れられなかったのかも知れない。しかし、レイミティの給金からすれば、大した額ではない。

それでも、精算すると、ちょっとお財布が軽くなった。

両手に抱えたケーキを、大事に後部ボックスに収納。偏らないように気をつけて並行にする。レイミティが戻ってくると、流石にフランソワは目を覚まして、小さく欠伸した。だが、レイミティを見て、しばらくぼんやりしていたかと思うと、また眠ってしまった。何だか可愛い反応である。かなり疲れているのが、一目で分かる。もうすぐ無理に起こさなければならないのが気の毒でもある。

高速道路に乗ると同時に、カーテレビを付ける。マスコミは右往左往しながら、帝国と立国の戦力分析や、国境に集結しつつある艦隊の様子を流していた。どうも帝国の動きがおかしいと感じるのは、レイミティだけでは無い様子で、軍事アナリストも疑念の声を上げていた。

シャレッタの話によると、既に何カ所かで帝国の工作員との死闘が繰り広げられているという。人類の曙の戦力が低下している今、帝国の工作員がいよいよ表に出てこなければならなくなったという訳だ。追い詰めたとも言えるが、しかし油断できる状況ではない。保有する強大な戦力もあり、とても気を抜ける相手ではないからだ。

欠伸が漏れる。運転をロボットに任せていると言うこともあり、つい自分も集中が切れてしまった。断って、少し寝ることにする。腕組みして眠っていると、すぐに揺り動かされた。

もう付いたのかと目を擦ると、違った。渋滞に巻き込まれている。

今の時代、余程のことがないと、高速道路で渋滞は発生しない。車の高度な制御装置が発展している現在、生半可なことでは事故が起こらないからだ。携帯端末を操作して、警察のDBにアクセス。何が起こったのか、調べてみようとした矢先、携帯端末が鳴った。シャレッタからだった。

「レイ、無事か?」

「大丈夫よ。 何が起こったの?」

「今お前がいる少し先で、銃撃戦が発生した。 あたしの部隊が、帝国の工作員を捕捉してな。 何とか仕留めはしたが、一般人の車両に被害が少し出たし、連中の車に高性能のポータブル爆弾が山ほど積まれてた。 今、無力化作業をしている所だ」

人生万事塞翁が馬という奴か。レイは大きく嘆息すると、キャムに回線をつないだ。遅れる旨を告げる。

シノンにも連絡。警戒を厳重にするように伝えた。

ふと、ケーキは大丈夫か気になった。後部の収納ボックスには冷蔵機能もあるが、あまり長時間放置しておくのも心配だ。ぼんやり渋滞の解消を待つのも芸がない話である。何より、ケーキをさっさと食べたい。

「脇道の様子を確認して」

「今、確認中です」

「いけそう?」

レイミティの問いに、ロボットは淡々と応える。

「少し先の料金所で降りれば。 ただし、目的地到着まで、後二時間ほど掛かることになりますが」

「それで構わないわ」

他の車も、おいおい高速道路から降りているようだった。

今日もシャレッタは徹夜になることだろう。気の毒な話である。後でケーキを持っていって上げようと、レイミティは思った。

 

高速道路で事故が発生したというニュースを見ていたグレーチェルは、カニーネが呼んでいるのに気付いて、慌てて走り出した。タクシーが使えなくなったことが分かったので、どうしようか思案していたため、反応が遅れたのである。

此処はタクシーターミナル。高速を使うつもりだったらしい他の客も、めいめい散り始めていた。カニーネは不機嫌そうに、缶ジュースを口にしていた。腰に手を当てて飲み干すその様子は、実に馴染んでいる。

「はい、何でしょうか」

「グレーチェル。 トラブルか?」

「ええ。 高速道路で事故が発生したようで、タクシーではかなり時間が掛かってしまいそうです」

「何だと? せっかく五月蠅いクラップの言うとおりに来てやったというのに、煩わしいことこの上ないな!」

「はっはっは! そう言う時は、我が輩の筋肉で和むと良いでしょう! はっ! ふん!」

堂々と声を張り上げるカニーネに、路上で怪しいポージングにふけるヘンデル。グレーチェルは困惑する。周囲の客が、怪訝そうに此方を見る。それでますます萎縮してしまう。グレーチェルは元々、かなり気が弱い。この仕事を始める前に、虐めに近い扱いさえ受けていたほどである。馬鹿笑いしているヘンデルが、こんな時は羨ましい。何の悩みもなさそうだからである。

この間から、帝国の活動が本格化して、グレーチェルには厳重な警戒が指示されてきた。危険性はグレーチェルにも理解できたので、嫌がるカニーネを説得して、クラップ中佐との連携を強めているのだ。しかしその矢先にこれである。クラップ中佐とカニーネは、何か運命の悪縁があるとしか思えない。

今日はカニーネの提案に沿って、ルーフの所に遊びに行く予定だ。カニーネは以前気があったシャルハに会いに行くためか、すごく気合いが入った格好をしている。非常にたくさんのフリルが付いたゴスロリスタイルで、足下の黒い靴が高級そうである。目つきがもの凄く悪いので、周囲の人々に威圧感を与えているのがお茶目な所だ。

「それで、クラップからの代替案は?」

「電車を使って欲しいという事です」

「電車ぁ? 保安上の問題があるって、あいつは言っていたような気がしたが」

「確かにそうですね」

言いたいことを言い終えてしまった後は、会話に加わる気がないらしく、退屈そうに欠伸をしているヘンデルを見る。

この筋肉バカが、今回は頼りだ。

まさか帝国の諜報員に襲われる事もないだろうが、いざというときは此奴に頼るしかない。此奴は見かけ通りアホで、その代わりに滅茶苦茶強い。一応合気道を習っているグレーチェルだが、此奴とだけは絶対に戦いたくない。天性の才を持っている男で、今まで何回か参加した格闘技の大会で賞を総なめにしているほどだ。ルーフの所にいるキャムティールも相当な使い手だと言う話だが、ヘンデルには流石にかなわないだろうとさえ思う。

高校三年生になるグレーチェルは、もうほとんど大人に近いところにいる。将来はこの任務で培ったコネを生かして軍に入りたいとも思っている。前線では戦えなくても、参謀としてなら活躍できるはず。

幸いにも、ヘンデルは自分に忠実だ。この単純な男は、頭が自分より良い相手に敬意を払う傾向がある。それを上手く利用して手なずけた。文句をぶつぶつ言いながら、駅に歩く途上、耳打ちする。

「何かあるかも知れないから、気をつけて」

「うはははは、お任せを」

地下に降りる。電車は古代の都市に比べて数はかなり減っているが、それでも現役の交通手段である。携帯端末から個人IDを通して、改札を通る。リニアウェイの上で停止している電車に乗る。多分、クラップ中佐の部下も、既に何人か乗り込んでいるはずだ。

この空間でも、カニーネは目立つ。

「しかし何だ、大勢いるな」

「カニーネさんが、おきれいだからですよ」

「それは当然だ」

この自信満々な宇宙人が、今はグレーチェルの心の支え。

将来を得るのと、もう一つの目標が、この人と共にあること。

弱くて怖がりで何も出来なかったグレーチェルを、堂々と生きていけるようにしてくれたこの人に仕えることが、今の喜び。

電車が動き出す。揺れているのに微動だにしないヘンデルとカニーネ。つり革に掴まらないとまだ転びそうで怖いグレーチェルは、心配しながら、辺りを警戒していた。嫌な予感が収まらない。その上、グレーチェルの予感は良く当たるのだ。

大きな揺れが来たのは、その直後。

灯りが消えたのも、そのすぐ後だった。

 

作戦の事前準備は、着実に進んでいた。動き出した電車の映像を見て、ヴァルケノスは第一段階が終了したことを確認した。

今回の任務は、人類の曙の構成員を陽動に使い、作戦の前段階を進めることである。当初は不安もあった。全く異なる技術体系とのリンクが確保できるかが、最大の懸念だった。だが、確保した協力者から得た情報で、立国首都星のインフラにダメージを与えられることが確認できた。更に、大きめの陽動作戦を行ったことで、電車の一時的な停止からは目を逸らさせる事が出来た。まず上出来という内容である。何事もなかったかのように数分の停止から立ち直り、運行を開始した電車を見て、これが帝国の破壊工作によるものだと、この状況で気付ける者はいないだろう。

指揮車に使っているワゴンを走らせながら、部下達に指示を飛ばす。今回は充分な成果を上げることが出来た。さっさと引き上げさせて、無駄な損害を減らす。立国の特務部隊はなかなかに優秀だ。油断できる相手ではない。幾つか指示を出している内に、携帯端末が鳴る。

人類の曙からの連絡。悲鳴混じりの通信だった。首領のカール博士が、引きつった顔で携帯端末の立体映像に写り込む。どうやら特務部隊に本拠を攻撃されたらしく、頭から血を流していた。這うようにして、必死に逃げてきたのだろう。滑稽で、無様な姿である。

「どうして増援を出してくれなかった! この作戦の危険性については、以前から伝えていたではないか!」

「私が立てた策ではありません。 苦情はもっと上層の人間に言ってください」

「そ、そんな! ちょっと待……」

乱暴に回線を切る。

帝国の諜報員であるヴァルケノスから見れば、この恵まれた立国内で差別思想を持ち、無意味な闘争を政府に仕掛けるような輩など、滑稽なだけである。この国のスラムなど、餓死した死骸を奪い合い、貪り喰らう帝国の貧民街から見れば天国に等しい。貧乏人だって、帝国では富裕層になれるほど金を持っている。これだけ恵まれていて、何が不平等だと、つぶやく。何が偉い学者だか知らないが、愚かな奴である。

ネオナチのよしみだとか、そんな事はどうでもいい。上からも、そろそろ切り捨てるようにと指示が来ている。奴の部下の何人かは既に洗脳してあるので、おかしな行動を見せればすぐに後ろからズドンである。だが、わざわざ指示を出す気にもなれなかった。ゴキブリを処理するのに、指示を出すのも億劫だということもある。

不安要素も多い。せっかく連中の内部に確保した協力者が強力にマークされて、身動きが取れなくなっているのだ。もちろん本隊の進撃が始まったら、混乱に乗じてどうにかするつもりだが、それまでは下手に手を出さない方が良いだろう。

ワゴンは高速に乗り、加速した。銃撃戦が行われた辺りを通りかかる。もう何事もなかったかのように、痕跡も綺麗に消えていた。

この国は豊かだ。人的資源を、警察やインフラ整備に回す余裕があるのだから。文化の振興もすごい。国家に忠実な画一的な事ばかりをやらせて、文化発展を自称しているうちの国とは偉い違いだと、ヴァルケノスは思う。

この国の経済力を手に入れれば、きっとうちの国も良くなるはずだ。そう言い聞かせる。でなければ、心が折れそうにもなる。

携帯端末が鳴る。チャン大佐からだ。チャンはヴァルケノスもあまり好きではない人物である。兎に角やる事が陰湿で、民間人を巻き込むことを屁とも思っていない。夢は秘密警察の長官だと言うことだから、筋金入りである。

「首尾は?」

「作戦は予定通り実行できました」

「そうか。 そろそろカールがごね始める頃だろう。 頃合いを見て消しておけ」

「御意」

回線が切られた。不愉快になったので、無意識にアクセルを踏み込んでいた。こんな奴と同じように考えていることが、これほどまでに自尊心を傷つけるとは思わなかった。

ふと高速道路の脇に林立する立体映像広告に目が行く。新しい化粧品について宣伝されていた。

この国は豊かなのだなと、もう一度思った。

 

4,家族

 

家族交流と言っても、何をして良いのかよく分からない。賢治には、まともな家族の記憶が殆ど無いし、あっても良いものではないからだ。

立花先輩も、そこは同じのはずだ。それなのに、どうしてこうてきぱきと進めることが出来るのだろう。やはり人間的な能力が違うのだろうか。テーブルに座ったまま、賢治はそう思った。

以前も立花先輩の家に集まったことはある。体育祭の打ち上げの時などもそうだった。だから戦略は立てやすい。この部屋にはまだまだ人数的な余裕もあるし、どんな事が出来るのかも分かっている。

林さんの店にでも出前を頼もうかと言ったら、立花先輩は拒否した。折角だから、食事を作るところからみんなでわいわいやりたいのだという。そういって、ルーフさんとククルームルさんを連れて、厨房に行った。一緒にフォルトナがついて行ったのは、この三人じゃあまともな料理が作れないからに違いないと、賢治は思った。

残ったのは、男ばかり三人である。厨房ではわいわい言っているのが聞こえるが、何だか蚊帳の外にいるようで寂しい。シャルハさんは一見すると同年代の男子に見えるが、背は賢治よりずっと高いし、肌も野性的に浅黒い。その割に気弱で、賢治と同じ人種に思えたから、親近感はあった。

しかし油断すると、すぐに足下を掬われる。

「うーむ、地球人類の交友関係って、いまだによく分からないんだよなあ」

「ええと、それはどういう事ですか?」

「君とキャムティールさん、かなり仲がよいように見えるんだけれど、どうしてつがいにならないのかな? ちょうど性別も逆なんだし、さっさとつがいになっちゃえば……」

吹き出した賢治を見て、怪訝そうに小首を傾げる。にこにこと笑いながら、エルさんが言う。

「父さん、地球人類の性成熟年齢と、社会的成熟年齢に差があるから、ではないのかな」

「おお、そうか。 でもこの間、性行為を行う建物に、高校生のつがいが入っていくのを見たけどなあ。 色々資料は見たけれど、地球人はまだよく分からない」

泥の助け船を出してくれるエルさんと、それを一瞬で粉砕して退けるシャルハさん。エルさんは少し話してみたが、シャルハさんよりわずかに知的なイメージが強い。しかし配慮が足りないので、こういう泥の助け船を出してくれるため、却って始末が悪い。臆病で引っ込み思案なククルームルさんの方が、接しやすいかも知れない。

「そ、そんなことより」

「うん?」

「以前カニーネさんとルーフさんとで、シャルハさんを奪い合ってたって聞きましたけれど」

「ああ、そうだよ。 あのときは色々困ったなあ」

軽く笑うシャルハさん。カニーネさんの事は今でも苦手なようだから、ひょっとして怒るかと冷や冷やしたのだが、そんなこともなかった。

何でもKVーα人の社会では、性成熟の年齢と、社会的成熟の年齢が一致しているため、成熟したものから能力的に適した相手に対して積極的にアピールを行い、つがいを作ろうとするのだとか。社会の活性のためにも、もともと繁殖率があまり高くないKVーα人は国家レベルでこの本能を後押ししていて、社会人となると同時に婚姻する事が珍しくもないという。

丁度近所に住んでいたカニーネさんとルーフさんはそれまでも長らく争っていたらしいのだが、それも社会に出るまでだった。社会に出た直後、決戦とも言える激しい争いの末、ルーフさんがシャルハさんを奪い取ったのだという。色々とアピールの方法をシャルハさんは説明してくれたが、どれも賢治には理解不能なものばかりだった。やはりKV−α人と地球人の溝は、思っていたよりも深いのかも知れない。

「地球人の性的アピールの方法は色々とテレビで見たけれど、段階をたくさん踏まなければならなくて面倒だね」

「え? あ、はい」

「どうしてあんなにまどろっこしいことをするのかな」

「それは、地球人の能力だと、婚姻相手の能力を即座に見極められないからかな、と思いますけれど」

迂遠な話ですねと賢治は笑いながら締めたが、内心は冷や汗たらたらだった。立花先輩に聞こえていないことを祈るばかりである。男子が揃うと、性的な馬鹿話になると言う点では、地球人もKVーα人もあまり変わらないらしい。

厨房から良い香りがしてきた。同時に、声が飛んでくる。

「馬鹿話は良いけど、そろそろ出来るよ。 ちょっと運ぶの手伝ってくれる?」

「あ、はい。 すぐ行きます」

最初シャルハさんに手伝いを頼もうかと思ったが、考えてみれば年下のエルさんに頼むのが筋だろう。見かけの年齢が逆だから、混乱してしまう。恰幅のいい中年男性に見えるエルさんが、視線の意味を理解して自分から腰を上げてくれた。

厨房は狭い中四人が動き回っていて、かなり忙しそうだった。プロジェクターでジャングルに偽装しているから、余計混乱する。フォルトナが、困ったように言う。

「料理でしたら、私が運びますが」

「いいの。 こういうのはね、料理を運ぶのも交流の一環なの」

「そうなのですか?」

「そうなの。 被名島、そこのサラダ、もう出来てるから持っていって。 まだつまみ食いしたら駄目だからね」

キッチンの脇に、野菜が不揃いで、ちょっと不慣れな人に作られたことがよく分かるサラダが、ボウルにのせられておかれていた。ボウルは妙に新しい。ひょっとすると、今日のために立花先輩が買ったのかも知れない。

包丁をかなりぎこちなく扱いながら、立花先輩が何か切っている。手に絆創膏が見えたので、反論を避け、賢治はすぐサラダを持っていった。早速手を伸ばそうとするシャルハさんに、触らないように念を押す。エルさんも手を伸ばそうとしたので、賢治は思わず頭を抱えてしまった。

すぐに次が出来る。ククルームルさんが奥で、フライパンを扱っていた。驚くほどに上手だ。ルーフさんがその隣でぶきっちょに鍋をかき回している所を見ると、親よりも料理が上手かも知れない。次に上がったフライ類を持っていくように、エルさんに頼む。食べないようにと念を押す。頷くエルさんだが、動きが少しぎこちない。食欲が勝ってしまっているのか、それとも擬態が限界なのか、判断に迷うところだ。

フォルトナの指示に従って、女子三人が一生懸命作る料理を、居間へ運ぶ。これだけ息が合っているのを見ると、キャンプか何かすると楽しいかも知れないと思う。立国首都星でいうと、南半球のアシマート山脈などが、なかなかのキャンプスポットだ。あまり人には知られていないので、客が少ないのも良いところである。

フライはちゃんと揚がっているようで、どれも食べられる料理には仕上がっているようだ。フォルトナに全部任せるのが一番良いような気もするのだが、それはこういう交流の趣旨に反するのだろう。慣れない様子で立花先輩が一生懸命包丁を振るっているのを見ると、賢治もあまり野暮なことは言えない。

ククルームルさんが炒飯を完成させたので、テーブルに持っていく。賢治が席をはずしか僅かな隙に、エルさんが口をもごもごさせていた。フライを一つつまみ食いしていたらしい。咳払いして、もうやらないように言うと、子供のように縮こまって謝られる。やはり頭の中身は子供らしくて、少し賢治は安心した。

手を洗った立花先輩が、居間に戻ってきた。あらかた出来て、後はビーフシチューだけだという。これも圧力釜で作るので、もうじき出来るのだとか。指先に貼られた絆創膏が痛々しい。強化ナノマシンの回復機能を考慮しても、今晩中に回復することはないだろう。

「予想通りつまみ食いして」

「ごめんなさい、キャムティールさん」

「喝っ!」

謝ったエルさんに一喝。恐怖のあまり硬直したエルさんに、半目のまま顔を近づける。何だか、この頃貫禄までつき始めている気がする。全身からどす黒いオーラを放ち、目を光らせながら、立花先輩は地獄の底から響き来るような低温で言う。

「もう、二度とやっちゃ駄目だよ? 次やったら、ホラ貝に食われるオニヒトデみたいな目にあってもらうからね」

「す、すみません。 二度とやりません」

「分かればよろしい」

賢治も怖かったが、子供の教育に良くないので、平気なふりをしておく。やがて、ビーフシチューをフォルトナが持ってきた。疲れ果てた様子のククルームルさんは、肌の色が彼方此方大変なことになっていたので、ルーフさんに以前賢治が住まわせて貰っていた部屋に連れて行って貰う。

一人減ったが、まだまだ交流は始まったばかりだ。ククルームルさんの分を残さなければならないので、賢治が皿を持ってきて、先により分けた。皿がかなり豊富に用意されているので、賢治は驚いた。

「どうしたの、驚いてるみたいだけど」

「え? はい。 お皿がたくさんあるみたいだから」

「ああ、それはね。 お給金が入るようになってから、いざというときのことを考えて買いそろえたんだ。 だから、どうにか此処にいる全員分くらいはあるよ」

色々考えているんだなと、賢治は思った。まだまだ賢治は思慮が足りない。帰ったら静名に言って、来客用のお皿を何セットか買ってこないといけないだろう。

エルさんが席を外して、休憩に行く。シャルハさんはフォークの向きを逆にして取ったりしていたので、賢治が脇から直して上げた。席に着いたルーフさんは、もうすっかり慣れた様子で、スプーンを動かしてビーフシチューを口に運んでいる。この辺りは、年の功と言う奴だろう。

わざとゆっくり食べた方が良いかと賢治は思い、ペースを落とす。しばらくすると、ククルームルさんが戻ってきた。まだ肌の色が少しおかしい。栄養ドリンクをめいいっぱい飲んできたという。無表情なので、あまり疲労度がよく分からない。

「ムル、大丈夫?」

「なんとか」

「形態の維持が無理になったら、群体を死なせるよりはその場で解除しなさい。 此処にいる人たちは、事情を知っているから大丈夫よ」

「そうします」

親にも敬語を使うんだと、賢治はルーフさんとククルームルさんの話を横目で見ながら思った。或いは、家長の権威は絶対なのかも知れない。しかし、ククルームルさんは無口な人だ。

其処まで考えて、はっと我に返る。

この場で、形態変化をとく。

そう、言った。

背筋に寒気が這い上がる。分かってはいるが、人体が崩れてあのクリップ状の群体に分解していく様子を想像すると、やはり薄ら寒いものがある。助け船を求めて立花先輩を見るが、知らん顔である。

「どうかしましたか?」

「あ、いや、何でもないです!」

不器用に首を傾げるククルームルさん、首の辺りまで肌の色が真っ青になっている。思わず声が裏返ってしまった。

覚悟は出来たと思ったのに。まだ、現実を前にすると、おびえを残している自分がいる。情けない話だ。折角作ってもらった料理の味が殆ど分からない。もう一つ情けない奴だと、心中で自分を叱責する。

呼吸を整えかけた瞬間に、チャイムが鳴ったので、思わず吹き出しそうになった。派手に咳き込む賢治を横目に、立花先輩が玄関に。涙目で見上げた先にいたのは、レイ中佐と、それにフランソワ大尉だった。

「遅れてごめんなさい。 ほら、ケーキ買ってきたわ」

「わあ、ありがとうございます!」

ククルームルさんの肌の色を見て、露骨に吃驚するフランソワ大尉。良かった。仲間がいたと、悪いとは思いつつ賢治は考えてしまった。それに対して、レイ中佐は平然としている。流石である。立花先輩を、しっかり制御するのには、このくらいの胆力が絶対不可欠なのだろう。

フランソワ大尉とは、あまり直接顔を合わせたことはない。何度も立体映像で互いを見てはいるが、至近で会うのは初めてである。賢治の側におっかなびっくり座ったフランソワ大尉は、何だか子供っぽい雰囲気の人だった。賢治と同年代にさえ思える。

ケーキが切り分けられる。エルさんが休憩から戻ってきたのは、ほぼ同時。みんなでテーブルを囲んで食べ始める。小さな喧噪が、テーブルを包んだ。

何だか温かいなと、賢治は思う。学校などで、同級生達とテーブルを囲む経験は何度もある。屋上でみんなで一緒に弁当を食べたこともあるし、マラソンなどで一緒に苦労もした。

でも、何だかこれは違う。此処は暮らしたこともある自分の第二の家で、周囲には苦手な人も含めた身近な人たち。普通よりもちょっと距離が近い人たちで、一緒の食事を囲む。この間は、立花先輩の友達と一緒だったから、今とは感覚が違った。これは、何なのだろう。

不思議な感覚の正体は、よく分からなかった。ケーキは甘くて美味しくて、ついつい欲張って頬張ってしまった。年甲斐もない行動に、自分でも苦笑が漏れてしまう。不器用にナイフを動かして肉を切り分けているククルームルさんに指示。無表情のまま、礼を言ってくる。まだ表情を上手に作れないのだと思えば、苦労が分かる。あまり邪険にしては可哀想だ。気味が悪いなどと思っては失礼だ。

流石に限界が来たらしく、またククルームルさんが休憩に行った。妹の分に手を伸ばそうとするエルさんに、咳払い一つ。意味は通じた。手を引っ込めてくれる。一部始終を見ていたフランソワさんが、一言。

「被名島君、凄いね」

「え? どうしてですか?」

「うん、なんでもない。 年下の男の子がこんなに頑張ってるの見ると、私も頑張らなきゃなあって思っちゃうな」

「え、ええと。 何だかちょっとよく分からないですけれど、有難うございます」

レイ中佐が、やりとりを見てくすくす笑っていた。何だか気恥ずかしくて、赤面してしまう。

楽しい食事が続く。

最初に用意した料理の幾つかが綺麗に片付いたので、賢治は腰を上げた。皿をテーブルに残しておくのも、少し見苦しい。

お皿をフォルトナと一緒に厨房に持っていく。洗うのはフォルトナがやりたいと言うので、任せた。立花先輩も器用に皿を重ねて、持ってきてくれる。ルーフさんとレイ中佐も手伝ってくれようとしたが、立花先輩が謝絶した。どうしてか分からなかったので、賢治は聞いてみた。

「立花先輩、どうして手伝って貰わないんですか?」

「決まってる。 此処はあたしの城だから。 あたしが此処の支配者である以上、料理を作るのはみんなで楽しむとしても、片付けるのは家長がしっかり見るのがマナーってものでしょ」

不思議なこだわりである。それがさっきの不思議な感覚の元になっているのではないかと、賢治は一瞬だけ思った。

チャイムが鳴る。今日は来客が多い日だ。立花先輩が玄関に出て行く。皿を運び終えた賢治が席に着くのと同時に、エルさんがまた休憩に行った。シャルハさんは色々と性的な質問をして、フランソワ大尉を困らせていた。悪意がないので、フランソワ大尉もあまり邪険には出来ないのだろう。いちいち赤くなったり青くなったりしながら、真面目に応えている様子が微笑ましい。

それに対して、妙にルーフさんは不機嫌そうだ。その理由は、すぐに分かった。

「わははははは! 来てやったぞ、ルーフ!」

「うおあっ! カニーネ!」

「呼んでもいないのに、どうして人の家にずかずか上がり込んでこられるのかしら」

「貴様の家ではないだろう、ルーフ! 案ずるな! 人類社会の文明のルールに基づいて、ちゃんと土産は持ってきた!」

やっぱりカニーネさんだった。今日はとてもシンプルなワンピースを着ているルーフさんに対して、とてもごてごてしたゴスロリファッションで、ちょっと目にいたい程である。二人の間に火花が散る。

レイ中佐は冷静にクラップ中佐に連絡を取り、すぐに回線を切った。何も言い出さないと言うことは、問題はないと判断しているのだろう。立花先輩は眉をひそめていたが、カニーネさんが取り出したものを見て、目の色を変えた。

「じゃじゃーん。 見ろ! この国の最高水準水田で作成した、最高品質コシヒカリ10キロ! 土産としては充分だろう!」

「か、カニーネさん! それ何処で買ったの!?」

「わはははは、我に出来ぬ事はない! クラップに言って、取り寄せたのに決まっているだろう!」

喧噪度がますます増していく。その中、静かに佇んでいるレイ中佐の姿が、賢治には印象的だった。

 

夜。限界になったシャルハさんが子供達を引き連れて帰ると、それに会わせてグレーチェルとヘンデルと一緒にカニーネさんも帰宅。後片付けも終わり、静かになった。レイ中佐はあらかた片付いたのを見ると携帯端末を開いて事務を処理し始め、フランソワ大尉は少し眠そうに目を擦っていた。

「僕も、そろそろ帰ります」

「ん、今日は有難うね。 助かったよ」

立花先輩がすんなりそう言った。あまりにも自然に言われたので、賢治は一瞬気付かなかった。だが、気付いてみると、嬉しかった。立花先輩に頼りにされたのだ。

何度となく足を運ぶようになったこの家も、とても居心地が良くなり始めている。不思議な雰囲気があるこの家。身近な人たちと、テーブルを囲んださっきの心地よさ。何度思い出しても胸が詰まる。

「私たちも帰るわ」

「はい。 今日はあまりおもてなしも出来なくて、すみません」

「いいのよ。 それよりも、気をつけてね」

「大丈夫、生半可な相手には後れを取りません」

ぐっと握り拳を作る立花先輩は、力強い笑みを浮かべていた。

そのままレイ中佐が乗ってきたワゴン車に乗せて貰う。中は冷房が効いていて、少し涼しすぎるくらいだった。

音もなく発進する。途中、茂みに伏せていたらしいシノン少佐が、敬礼しているのが見えた。運転しながら、レイ中佐が言う。

「ルーフさんの家族と会って、どう思った?」

「はい、すてきな人たちだと思います。 まだ人間の擬態がそんなに得意じゃないみたいですけれど、根は善良で正直な人たちばかりだと思いました」

「ふふ、そう言ってもらえると、護衛をしている私も嬉しいわ」

賢治の隣で、フランソワ大尉はうつらうつらとし始めている。毛布があったので、掛けて上げた。大尉は寝ぼけていて、気付かない。

「今回私達も来たのは、帝国の侵攻が本格的に始まる可能性が高いからよ。 今でなければ、皆でわいわいやる機会が無いかも知れないからね」

「やっぱり、戦争になるんですか?」

「この国は、とても豊かなの。 それだけで、戦争を仕掛ける理由になるのよ」

我が家に付く。静名が出迎えてくれていた。ワゴンを降りると、レイ中佐が言う。

「貴方達は、私達が全力で守る。 でも、いざというときには、分かっているわね?」

「はい」

「いい、君はルーフさんの盾になろうとか、余計なことを考えなくていいわ。 最期の盾になるのは、あの子の、キャムの仕事。 あの子は軍の特殊部隊並みの近接戦闘能力があるから、信頼性が高い。 でも、ちょっと頭が足りないの。 だから貴方はキャムの頭脳になりなさい。 それで、ずっと効率よく、皆のために戦えるわ」

大きく頷いた。レイ中佐は納得した様子で敬礼すると、ワゴンを発進させる。

寒くなってきた。静名がコートを肩から掛けてくれる。必要とされている事が分かって、賢治は嬉しかった。

これからも必要とされる人間でいたいと、もう一つ思った。

 

4,滅びの始まり

 

帝国が、立国に対する宣戦布告を行った。そのニュースは、稲妻のように全人類社会を駆け抜けた。

帝国は立国内で虐げられる帝国系住民を救うためだと大義名分を掲げてはいたが、もちろん誰もそんな事は信じていない。殆どの国家は、まずはお手並み拝見と、双方の出方を見守っていた。唯一の例外は連合で、早速帝国に抗議の声明を出し、アシハラ元帥率いる精鋭機動部隊を出動させる構えを見せた。

ただし、それは構えだけである。連合も、「結局は」立国の味方をしようと考えているだけで、積極的に自分の血を流そうなどとは考えていない。宇宙最強と自負する機動戦力による加勢によって、出来るだけ多くの利益を得ようと計っているのは明白だった。豊かな資源を持つ星系を割譲させることや、場合によっては属国化させることさえ考えている。それは多少の識見を持つ人間には、ありありと分かる事実だった。

立国が最初から有利なら、それでも連合には都合が良い。帝国に艦隊を進撃させて、領土をぶんどるチャンスだからだ。この戦争に介入することは、連合にとって得なのだ。もちろん、介入の機会を測っているのは帝国だけではない。地球連邦も、法国も、事情は同じだった。

それぞれの国から等距離にある。それが、この複雑な事態を産んでいる。そして、それらを上手く手玉に取ってきたから、いまだに立国は地球人類の社会で存在しているのである。

ただ、そんな状況を快く思っていない者はいる。連合のアシハラ元帥は姉のルパイド元帥と共同で、一刻も早い出兵を連合の上層に働きかけていた。地球連邦に在籍している人類社会屈指の作家であるケドモン=ヘミングウェイは、作家達の連盟に呼びかけて、帝国に一刻も早い停戦と撤兵を呼びかけた。帝国でも反政府ゲリラが活発に行動を開始、彼方此方で燎原の火が上がり始めた。

一機に活性化したかに見える人類社会であったが、炎に紛れ、密かに、だが着実に動き始めた勢力があった。

 

部下達を休憩させ、自室に戻ってきたチャン大佐は、ネクタイをゆるめながら自分専用の携帯端末を開く。最高レベルの対ネットワーク防御が施され、実に四重のパスワードを突破しないと起動できない、電子の要塞である。

今日来たメールの幾つかに目を通すと、マクロを駆使しながら返信していく。やがて、重要度が最大のメールを確認。複数の防壁を展開して、回線を開いていることすら隠蔽しながら、相手につなぐ。

映像は出ない。今時珍しい、ボイスオンリースタイルでの通話である。チャンは表情を整えることもなく、上着を脱ぎながら言う。

「急な連絡ですね。 何か進展があったのですか?」

「それどころではない。 どうやらあのルパイドが、貴様の事に気付いたらしい」

「ほう? 流石に連合随一の切れ者と言われるだけのことはある」

「感心している場合か。 帝国の宇宙艦隊は確かに強力に整備されているが、あのアシハラ元帥と正面から戦うと厳しかろう」

「それは分かっています」

チャンの口元がつり上がる。

彼の真の飼い主は、回線の先にいる相手を含む、複数のスポンサーだ。もっとも、手の内の大半は掌握しているが。今話しているのは、金はあるが、それだけの人物である。非常に気前よく支援してくれるので、スポンサーとしては使いやすい。だから、従ったふりをしている。

飼い主の反応は滑稽だった。この事態が進めば、誰が一番得をするのかは、少し考えればすぐ分かることである。それなのに、ばれるべくしてばれたというのに、こうも狼狽するようでは。

もう奴の国が、人類社会で栄華を掴む事はないだろう。

もちろん、チャンは帝国にも期待していない。帝国は腐りきったリンゴも同然で、食べる場所すらないような代物だ。技術だけは進歩しているが、それも一種奇形的なものに過ぎず、これ以上の発展は難しい程度のしろものだ。

国家に対する忠誠心など、幼い頃にはどぶに捨ててしまったチャンにとって、祖国に実を捧げようとしているフリードリーヒなどは、ただの愚物に過ぎなかった。

人間の海を泳ぎ渡り、最後には頂点に立って見せよう。どんな汚い手でも使い、己の立身に役立てよう。それだけが、チャンの信念。人生の指針。周りは全て利用すべきもの。そして、踏みにじるものだった。

「貴様の役割を忘れてはおるまいな」

「忘れる訳がないでしょう。 その証拠に、今復唱して見せましょう。 出来るだけ立国と帝国を激しく争わせ、五分の戦いを続けさせる。 それで連合にも連邦にも介入の機会を掴ませず、出来るだけ戦いを長引かせる」

「その通りだ。 上手くやれ」

余裕のない声が消えた。回線が切れていることを確認すると、チャンは一人笑い始めた。どいつもこいつもバカばかりだ。チャンに良いように利用されていることにも気付いていない。

さて、この戦役の後ろにいる黒幕は、予定通りの利益を得ることが出来るのだろうか。出来ないのなら、それでも構わない。チャンにとっては、手札の一枚が消えるに過ぎないからだ。

再び高度なセキュリティを施し、回線をつなぐ。

今度の相手は、さっきとはまた違う、チャンのスポンサーであった。今度のスポンサーは、KVーα人の介入も含んで、派手な戦乱が発生することを期待している。このスポンサーの方が、多少優先度が高い。

KVーα人の保有する強力な宇宙艦隊が介入したら、確かに面白いことになるだろう。人類社会と、KVーα人との全面戦争が発生するかも知れない。一度火が付いたら、さぞ面白いことになるだろう。何しろ相手は、「気色の悪い虫」だ。壮絶な殲滅戦に発展し、殺し合いは下手をすると数百年は続くことであろう。

そうなれば、今のスポンサーは喜ぶ。チャンも、それに伴って、より多くの資金を引き出すことが出来る。

チャンにとって、戦争がもたらす惨禍などはどうでも良いことだ。何億人死のうが知ったことではない。ただ自分が、権力を得ることが出来れば、それで良い。

回線を切ると、何食わぬ顔でチャンは部屋を出た。これからフリードリーヒを焚きつけて、少しはやる気を出させなければならない。立国はかなり強力な縦深防御陣を敷いていて、テロに対する対抗能力も高い。フリードリーヒの指揮が上手くいかなければ、国境で押し戻されてしまうことさえあり得るのだ。

全ては、己の掌の上で動いている。そう、チャンは錯覚していた。

 

帝国に飼っているスパイとの回線を切ったその男は、すぐさま携帯端末の回線を切り替える。次の相手は、もう少し手強い。少し気を入れなければならない。

回線がつながる。ボイスオンリー形式だ。落ち着いた大人の女の声。このコネクションをつなぐのに、随分苦労した。

「私です」

「此方鳳凰。 小鳥は予定通り、踊り始めた」

「ご苦労様です。 このまま続けさせなさい」

男は頷くと、回線を切った。

世の中、幾らでも上には上がいる。今話した女でさえ、恐らく人類の全てを把握している訳ではないだろう。

おごり高ぶる子猫を如何に動かすかで、今後の戦局は変わってくる。最後に生き残るためには、せいぜい上手く媚びを売らなければならなかった。

オフィスの窓から外を見る。北斗七星が、夜空に瞬いていた。

 

(続)