絶望の星空

 

序、黒の会合

 

とても明るい部屋だ。

世界でもトップクラスの高度を誇るビル、スターレン・ユニバーサルビル。世界最大の財閥本社であり、創業者一族の別荘でもある建物だ。その最上階であり、全面が硝子張りのトップルームなのだから、無理も無い。

しかし、集まっている人間達は、どういうことなのだろう。

全員が、黒いフードを身に纏っていた。

円卓にはプロジェクタが有り、映像が映し出されている。

邪神ハスターが、葬り去られる画像だった。

「間に合わなかったか」

男達の一人が、無念そうに呟く。

わざわざ戦力を戦う前に抑えさせたというのに。あの連中は、苦も無く四元素神最強の戦闘力を持つハスターを倒して見せた。

それが、地球に対して、どれだけの災厄をもたらすかを知らずに。

正直な話、四元素神がエサである狂気を求めて、少しくらい暴れる事など、何でも無いのである。

もっと恐ろしい事がある。

それこそ、地球の未来が、180°ひっくり返るほどの、恐ろしい未来予想が。

「もはや一刻の猶予もあるまい」

「予言者よ、何か手は無いだろうか」

男達の視線が、ちいさな影に集中する。

同じように黒ローブを被っていて、顔は全く見えないが。それが子供である事は、体型からも分かった。

「ハスターが倒されたことで、残りは土の王、ニャルラトホテプだけとなった。 奴はそもそも自分の生に執着があるかさえ疑わしく、もしもMが本気で駆逐に乗り出したら、ひとたまりも無く屠られてしまうだろう。 このままだと、破滅の未来は回避できないだろうな」

「やはりそうか」

「本来の歴史から、既に一年以上、ハスターの撃破は遅れている。 それでもなお、回避は不可能か」

首を横に振る「予言者」。

黒ローブの男達は、大きくため息をつくのだった。

「確かにMは強い。 スペランカーも、その実力は充分なレベルに達しつつある。 だが、それが徒になるとは」

「観測できる未来が限定されすぎている。 せめて土の王と、もう少し連携が高められれば良いのだが……」

「あー、諸君」

一番年かさの声に、議論が止む。

彼が皺だらけの手を伸ばして、リモコンを操作すると、プロジェクタにある画像が映し出されていた。

「これは、我らの独自技術によって、三日前に撮影された映像だ。 高速で地球に接近しつつある宇宙船を映し出している」

「また侵略宇宙人ですか? この時期にこれ以上トラブルを抱え込むのは良くないでしょうし、悔しいですがN社にでも通報して撃退してもらう他ありますまい」

「いや、どうも違うようだな。 宇宙船は純粋な戦闘機のようだが、小型の可変型で、しかも地球の戦闘機の系統を汲んでいる様子だ」

顔を見合わせる黒衣の者達。

もう一度咳払いすると、長老格の男は、付け加える。

「恐らく未来から来た戦闘機だろう。 ひょっとすると、これが大きな歴史的改変につながるかも知れん」

「なるほど、確かにこれを利用しない手はありますまい」

「すぐに米国にいる特務員に連絡して、N社の介入を阻止させましょう。 問題は、此処からどうMとスペランカーを抑えるか、ですが」

「いっそ、アトランティスにいる連中と接触させるのも手かも知れん」

正気か、と言う声が上がるが。

長老格の男は、至って真面目だった。

「スペランカーは権力欲が希薄で、対話が可能な存在だ。 Mのように戦闘狂でもないし、周囲には自然と人材が集まってきている。 もしも味方に取り込むのなら、スペランカーだろうと、儂は踏んでいる」

「しかし、長老」

黒ローブの老人は、これは決定だと立ち上がった。

非常に巨大な口が、一瞬だけ見える。

子供のような姿をした「予言者」が、頷いた。

「面白い案かも知れん。 権力欲の塊であるKや、戦闘における錬磨を求めるMと違って、スペランカーは身寄りの無い子供を引き取ったり、行き場の無い者を受け入れたりする度量がある。 アトランティスが未来世界での特異点になると分かっていても、スペランカー自身が未来を限定的にでも知れば、確かに打開可能かも知れんな」

飽食者、と予言者は長老を呼ぶ。

ずんぐりと丸い姿が、老人のローブのかげに見えた。

「最古のフィールド探索者である貴方が、どうこの事件を動かすか、期待している。 反フィールド探索者の連中の操作は、誰が行う」

「国連軍に潜り込んでいる反フィールド探索者思想の連中については、私が捜査しておくとします」

挙手したのは、まだ若い男だ。

わずかに、とがった耳が黒いローブの影から見えた。

「魔法剣士か。 良いだろう。 後はニャルラトホテプだが」

「あの性悪は儂がどうにかしよう。 少なくとも今、ニャルラトホテプのコア部分と、Mを接触させる訳にはいかん。 陽動作戦については、幾つか心当たりがある」

「戦車乗りよ、任せよう。 ただし、貴殿は数少ない、友好的な異星の神だ。 命を粗末にしないようにして欲しい」

「心得ている」

それから、幾つかの話を終えると、会合は解散となった。

予言者は全員が去った後も、円卓についていた。

知っている。

この後、本来であれば、何が起きていたかを。

Mは容赦なく、土の王ことニャルラトホテプも駆逐した。その結果、宇宙の門たる存在が、反応した。

そして、この地球に。

宇宙の中心にある白痴が、降臨したのである。

その後のことは、悲劇と言うほか無い。

結果として地球人は生き残ることができたが、それ以外には何一つ残らなかったと言っても良い。

最悪なのは、種としての強さが、失われてしまったことだ。

代償は、あまりにも大きかったのである。

悪夢の未来を避けるため、長い年月を掛けて、古参や、理性的なフィールド探索者から同志を募った。反フィールド探索者思想を持つ連中も取り込んだのは、必要だったからである。魔術師の一部も、今は麾下に組み入れている。

だが、結局の所。

自分の本音が別にある事を、予言者は理解していた。

本当のところ、自分は。

頭を振って雑念を追い払うと、会合場所を後にする。外にいた軍人に敬礼を返すと、エレベーターで一気に一階まで降りる。VIPのみ利用が許されている、高速エレベーターだ。

外に出て、黒塗りのリムジンに乗り込む。

護衛の手練れ達に囲まれているが、いつ攻撃を受けてもおかしくない状況だ。ふとテレビを見ると、「英雄」Mが映し出されていた。

Mは確かに英雄だ。

今後の歴史でも、最大の戦力として、最高の働きをする。

問題は、Mが自分の意思以外では、制御が出来ないと言うことだろうか。それが、悲劇へつながってしまうのだから、皮肉な話だ。

「予言者。 二日後に、アトランティスに宇宙船が降りるように、調整いたします」

「頼む」

既に、賽は投げられた。

取り返しがつかない地獄絵図から、世界を救わなければならなかった。

 

1、異星からの訪問者

 

久しぶりに時間が出来たので、スペランカーはコットンを伴って、アトランティスを見て廻っていた。

以前激しい戦いの末、異星の邪神の支配から解放されたこの移動大陸は、今やスペランカーにとって第二の故郷となっている。戦いの先で、行き場を無くした者達を引き取って受け入れ、今ではフィールド探索者の中でもとびきりの変わり種が、多数住み着いていることでも有名だ。

案内をするのは、半魚人の長老。車に乗って、見て廻る。

かってこのアトランティスで、神に奉仕をするためだけに造り出された種族だ。他にも骸骨やミイラ男の戦士達が、今やこのアトランティスでは、人間に混じって暮らしている。軋轢は当然あるが、それでも今のところは、全体的に見れば平和だった。

「それじゃあ、このアトランティスは、元は宇宙船なの?」

「はい、そう言うことにございます。 現在は機能停止していますが、その気になれば、宇宙に民を乗せたまま飛び立つこともできるでしょう。 現在の地球の規模からは考えられないでしょうが、それだけ異星の神々の力が凄まじい、という事にございます」

ただし、防空機構などは元々異星の邪神の武力に頼るところが大きかったため、今は殆ど機能していないという。

考えて見れば、この大陸は、ずっと海底を移動し続けていたのだ。その間、空気はあったことを考えると。それくらいのことは、できるのかも知れない。

今まで戦った異星の邪神は、いずれも桁違いな強さの持ち主だった。防空を彼らが担えば、半端な戦力では手も足も出ないだろう。

確かに、合理的なのかも知れない。

沼地にさしかかった。

半魚人の猟師が、泥沼に住むドジョウににた魚を捕っていた。唐揚げにするととても美味しいのだ。此方に気付いて、手を振ってくる。笑顔で手を振り返した。長老はずっとにこにこと笑顔を浮かべていたが、咳払いする。

「スペランカー様。 これから、ご案内したい所がございます」

「何か、重要な場所?」

「はい。 いざというときに備えて、スペランカー様には、知っていていただきたい場所なのです」

神殿は、アトランティスに幾つも建造されている。

中心にある場所は、以前ザヴィーラと呼ばれる異星の邪神との決戦を行った場所。そのほかにも、いろいろな異星の邪神を崇める神殿が、古くから建立されていた。後から来た人間の中には、邪神の神殿を残すなんてとんでも無いと言う人もいるようだが。元から住んでいる民達にとって、神殿は今でも、敬愛の対象なのだ。

時々、これが争いの原因になる。

神殿の中には、以前スペランカーが殺さずに受け入れた邪神が暮らしている場所もある。ミ=ゴはまだ恐怖に心をわしづかみにされたままだが、こういった神殿の一つで、静かに過ごしている。心が壊れてしまった邪神シアエガも、同じようにして、神殿の一つで世話されていた。

それが、人々の恐怖を煽ることも、スペランカーは理解できる。

だが、コミュニケーションを限定条件では取ることが可能な証明でもあるのだ。できれば、みんなには、恐怖を殺して、理解を深めて欲しい。それが、スペランカーの本音であった。

向かった先にあった神殿は、かってニャルラトホテプをまつっていたものだと、長老が言う。

四元素神の中では土を司り、もっとも性格が悪く、何を考えているのか全く分からない存在なのだという。

「いわゆるトリックスターでありますな」

「トリックスター?」

「北欧神話の、ロキ様とかと同じだね」

「おお、その通りでございます。 コットン様は聡明でありますな」

長老が満面の笑顔でコットンの頭をなでなでする。

魔術師としての知識を勉強しているコットンは、急速にいろいろな事を覚えている。スペランカーが分からないことも、もうたくさん知っていた。

北欧神話のロキというのは、いたずらを司る神様で、その場その場で悪さをしたり神々の味方をしたり、とにかくつかみ所が無い存在なのだという。

何となく、それで分かる。

ギリシャ風の神殿に到着。ただし、それは見かけだけだが。後で習ったのだが、構造はギリシャ式とは大きく異なる。

円柱の間を通って、神殿の中に。床はつるつるぴかぴかに磨き上げられていて、一歩ごとにきゅっきゅっと気持ちいい音がした。天井もとても高い。そして、誰か人間の技術者が施工したのか、電気によるライトが付けられていて、明かりが一定に保たれていた。思い出す。そういえば、電気を神殿に入れるかで、随分揉めたのだ。スペランカーが、電気が無い場所で転んで死んだという話をした途端、半魚人達が電気の導入に積極的になったが。

死は、スペランカーにとって、日常の隣にあるものだ。

海神の呪いと呼ばれるおぞましい神の祝福によって身を包まれているスペランカーは、不老不死の代償として、著しく身体能力が制限されている。だから転んでもぶつけても、簡単に死ぬ。その度に、電気ショックのような痛みを伴って蘇生する。

死んだとき、欠損があると、周囲から自動的に補う。悪意のある攻撃によって死んだ場合は、攻撃者から補填が行われる。

スペランカーの唯一の武器であるブラスターとあわせて。絶対生還者と呼ばれる所以だ。この能力のおかげで、無能なスペランカーが、フィールド探索者などと言う危険極まりない仕事をしていられるのである。

だから、スペランカーは気にしていないのだが。この大陸の民は、本当にスペランカーを大事にしてくれる。

神殿の中には、たくさんの神像が建ち並んでいた。一つとして、同じものは存在していない。全てが同じ神様の像だというのだから、とても面白い反面、何だか不思議な気分になる。

神像を磨いていたミイラ男の戦士が、深々と会釈してくる。

軽く頭を下げて、奥に。仕事を邪魔してしまってはいけないからだ。

神殿の奥の廊下は曲がりくねっていて、一本道だというのに、迷いそうにさえなった。あまりにひねくれた造りに、怖がってコットンがしがみついてくる。

「もう少し、奥にございます。 何、危険な存在はいませんので、ご安心を」

「ええと、ニャルラトホテプさんだっけ。 どうしてこんなにひねくれた通路にしているの?」

「伝承に寄りますると、ニャルラトホテプ様は、至高なる神の夢の番人という事でございまして」

「……!」

その存在は、確か覚えがある。

以前戦った蜘蛛のような異星の神、アトラク=ナクア。今は力を喪失し、アトランティスの相談役になっている彼女が、倒そうと考えていた神だ。

確か、後で聞いたところによると。

その神様の名前は、アザトース。

「あくまで我々の伝承によると、ですが。 この世は至高なる神の夢に過ぎず、夢を保つために、ニャルラトホテプ様は様々に暗躍なさっているのだとか」

神殿の最奥につく。

其処には、肉の塊があった。

時々脈動している肉の塊には、多くのコードが結びつけられている。そして、コンピュータらしき建造物と、結わえ付けられていた。

空間はとても広い。

ドーム状で、広さは四十メートル四方はあるだろう。肉の塊は、その殆どを締めていて、明らかに、今も生きていた。

「これは……?」

「宇宙船としてのアトランティスの頭脳にございます。 今までは一切手を加える必要が無かったのですが。 もしもの時に備えて、スペランカー様には知っていただきたいと思い、此処に来ていただきました」

「……」

コットンはよほど怖いのか、ぎゅっと強くスペランカーにしがみついている。

「大丈夫だよ。 敵意とかは感じないから」

そればかりか、邪神の力も感じない。

これは恐らく、ただ考えるだけの道具だ。

「いざというときには、どうすれば良いの」

「制御装置が必要になります。 生きた制御装置が」

その場合は、我らの誰かが、そうなりましょうと。恐れる事も無く、半魚人の長老は言った。

勿論、彼らは喜んでスペランカーのために、命を投げ出すだろう。

だがそれは、絶対にさせてはならない事だ。

「分かったよ。 でも、これを絶対に使わないようにしないとね」

「有り難き幸せ。 スペランカー様が我らを気遣ってくださること、今までの神々とは比較になりませぬ。 故に我ら、いざというときには、貴方の盾にも肉にもなりましょう」

この人達の忠誠は、本物だ。

だが、それに甘えてはいけない。此処は、スペランカーの第二の故郷だ。だからこそ、大事にしていかなければいけない。

この人達も、スペランカーが守らなければならなかった。

曲がりくねった通路を通って、外に。

長老が、入り口を念入りに封印する。外では、まだ多数ある神像を、ミイラ男の戦士が磨いていた。

彼らは体が腐敗しているように見えるが、元々そう言う生物であるらしいと、最近知った。ベースになっているのは死体なのだが、形を活用しただけで、今は生きているのだという。ただ、生きていた人間の知識がある場合も少なくは無いのだとか。それは、骸骨の戦士達も同じだそうだ。

一度、車で中枢にある神殿に戻る。

この間、ハスターが倒れたことで、異星の邪神達は活動を沈静化させている。この機に一気に異星の邪神を駆逐しよう、という動きが、フィールド探索者達の間に生まれつつある。主導者は、言うまでも無くMだ。

事実Mは、各地を廻って、小物の異星の邪神を片付けているという。

勿論、素手でだ。

スペランカーも、対話の可能性が無い異星の邪神と戦う事は、仕方が無いと思っている。専門家として、誰よりも多くの異星の邪神を葬り去ってきてもいる。Mでさえ、スペランカーの撃破スコアには及ばないのだ。異星の邪神に限定すれば、の話だが。

ただし、全ての邪神が消えたとき、この大陸に残っている者達は大丈夫なのだろうか。あのMが、スペランカーの話を聞いてくれれば良いのだが。

それも含めて、話し合いが必要だと思っていた。

車を走らせはじめて、三十分ほど過ぎた。基本的に悪路を進むから、揺れは大きい。具合が悪そうにしているコットンを気遣って、声を掛けようとしたとき。携帯に連絡があった。

川背やアーサーからでは無い。

よりによって、国連軍の人からだ。

「今、そちらに所属不明の戦闘機が向かっています。 国連軍の戦闘機の追跡を振り切って、貴国の防空圏に入り込みました」

それは、良くない。

すぐに迎撃について、指示を出さなければならない。戦闘機となると、一個人やテロリストが所有できる武器では無い。何処かの国が出してきたとなると、国際問題も視野に入れないといけない。

いつかは来る事だったのだ。

アトランティスは、公海上に突然できた大陸である。今まで利権問題が発生しなかったのは、様々な状況が複雑に絡み合い、それらが互いに牽制し合っていたからだ。それは非常に脆いバランスの上に成り立っていることで、永遠に続きはしないだろうと、誰もが言っていた。

スペランカーだって、分かっていた。

すぐに防衛のための戦力が動き出す。

今の時点で戦闘機はいないが、対空迎撃の術式を持っている半魚人はたくさんいるし、ミイラの戦士は射程距離が数キロに達する火球を放つことができる。しかもその精度は、近代兵器に全く劣るものではない。

何しろ戦ったのだ。彼らの強さは、よく知っている。

長老は、車を念のために、近くの木陰に隠すように指示。

「戦争が、始まるの?」

「大丈夫。 戦争になんて、させないから」

連絡をしていると、追加で情報が来た。

飛行機の速さは、マッハ6に達しているという。瞬時に防衛線を抜かれたが、被害は無いと言うことだった。此方からの猛攻に対し、反撃しなかったとも。ただし、一発も当たらなかったそうだが。

しかも、此方に向かっているという。

スペランカーが見上げる先の空に。

飛行機雲を引きながら飛んでくる、戦闘機の姿が見えた。予想以上に、とんでも無い速さだ。国連軍の追跡を振り切っただけのことはある。

たった一機だけ。

それも、武装を放棄したらしい。その上、攻撃を受けたわけでもないらしいのに、既にボロボロだ。

ちかちかと発光信号を出している。

運転手が、読んでくれた。

「救難信号です」

「すぐにお医者さんを手配して。 私が見に行くよ」

自分が見に行くのは、事故に巻き込まれた場合、周囲に被害を出さないようにするためだ。

マッハ6なんて速度、普通の戦闘機に出せると聞いたことが無い。

コットンを長老に任せる。最悪の事態に備えて、武闘派を集めるように指示。アトランティスには、いろいろな事情があって住み着いたフィールド探索者も何名かいるが、彼らの中には優れた戦士もいる。

運転手と二人で、着陸に掛かった戦闘機を追う。

車も、飛行機が降りたのを見計らい、止めさせた。

「あの速度で、VTOL機のようですね」

「何かあったら、すぐに逃げて」

「そうは行きません。 命に代えても、スペランカー様をお守りいたします」

今日運転手をしているのは、半魚人のまだ若い男だ。

言葉にはとても強い使命感がある。帰れと言っても、無駄だろう。つまり、彼の命は、スペランカーの行動に掛かっているという事だ。

飛行機は近づいてみると、全長二十メートル近い。

ただし、全体的にとてもずんぐりした形状で、マッハ6などという途方も無い速度で飛べるようには思えなかった。

近くで見てみるが、ミサイルの類は積んでいない。

ただし、レーザー砲のような武器はある様子だった。

半魚人の運転手は、強力な魔術が掛かった槍を、ずっと構えている。稲妻を放つことができる強力なもので、破壊力は近代兵器に全く劣らない。射程距離も相当に長い。

スペランカーが近づいていくと、飛行機の底部が開いて、誰かが降りてくる。

そんな風に、人が降りてくる飛行機は、もっと大きいサイズのものだと思っていた。だが、目の前にいる飛行機は形状がとてもずんぐりしていて、しかも円形でさえなく、どちらかといえば四角形が近い。

降りてきたのは、非常に筋肉質な青年だった。

パイロットスーツの類は身につけていない。ぼろぼろの革ジャンにジーンズと、極めてラフな格好だ。厳しい目で此方を見る青年は、腕に付けている何かの装置を動かす。翻訳機らしかった。

「俺は惑星連合軍第三十七宇宙艦隊十四師団所属、特務大尉のシーザー。 此処は、21世紀の地球で間違いないか」

「ええ。 私はスペランカーと言います」

「おいおい、マジかよ……」

シーザーなる青年は、ぼさぼさの髪を乱暴に掻き回した。

半信半疑ながら、一応言ってみたという感触だ。しかし、それに予想外の答えが返ってきてしまい、困惑しているという風情である。

「武器は持ってない。 けが人を、何名か収容してる。 手当をしてくれないか」

「分かりました。 すぐに手配します」

「いいのかよ、俺の素性聞いただろ? 惑星連合ができたのは……だって聞いてるんだが」

何故か、その言葉は聞き取れなかった。

だが、警戒している運転手に、すぐに現在位置を知らせて、医療チームを手配するように言うと。シーザーという青年は、大きく嘆息した。

「本当にスペランカーなんだな」

「それがどうかしたの?」

「どうかも何も、あんたは俺の知る限り、邪悪な神とつるんで、悪の限りを尽くした極悪人ってなってるからな。 それに、此処はアトランティスだろ? 俺は……で、この大陸そのものと戦ったんだ。 宇宙空間でな」

背筋に、寒気が走った。

如何に頭が良くないスペランカーでも、それがどういう意味かは、よく分かる。聞き取れない場所も幾つかあったが、それはつまり。

このアトランティスが、宇宙船としての機能を使用していること。

そして、それはほぼ間違いなく、未来での出来事であること。

なおかつ、どうしようも無い状態に陥っている事を意味している。

救急車が来た。

まだ警戒していた青年だが、本当に医者が来たのを見ると、けが人を下ろす。非常に筋肉質な大男が一人。意識を失っている様子だった。身長は二メートルに達しているが、全身傷だらけの血まみれで、非常に痛々しい。

他にも、何名か血みどろのけが人がいる様子だった。

「船内での医療設備だと、生命維持が限界でな。 急いで頼む」

「貴方の怪我は?」

「俺は無事だ。 これでもトップエースだからな。 ちょっとやそっとじゃ怪我なんてしねえよ」

自分を親指で指しながら、快活な笑みを浮かべるシーザー青年。

やがて、武装した半魚人やミイラ男が、わらわらと現場に到着した。飛行機を運ぶための、レッカー車両も、である。

「精密機器だ、乱暴に扱わないでくれよ」

「分かったが、まずは話を聞かせてもらう」

「へいへい」

スペランカーの前から、シーザーが連れて行かれる。

これは仕方が無いだろう。専門の人間に、尋問は任せた方が良い。それに、国連軍を振り切って、此処に逃げ込んだ戦闘機だ。

国際問題になる可能性もある。亡命や何かの手続きは、かなり面倒なのだ。それに身の上もしっかり調査しないといけないだろう。

もっとも、状況証拠からして。

あの青年は、未来人に思えるが。

何か、とんでも無い事件に巻き込まれているような気がする。いつものことと言えばそれまでなのだが。

飛行機が運ばれていった後、長老がコットンと一緒に来た。

「スペランカー様、何事も無かったようで、何よりです」

「あの人達に、できるだけ乱暴はしないであげて」

「スペランカー様の望むままに。 既に、医療班は全力で治療に当たっております。 いずれも、命に別状のある怪我をしている者はいないようですし、すぐに意識を取り戻すことでしょう」

運ばれてきた人達も、未来人だったのだろうか。

いずれにしても、はっきりしていることは。

これが、とても大きな事件に発展するだろう。その事だけだった。

 

2、未来の戦士

 

シーザーという青年は飄々としたもので、尋問の最中も「カツ丼」を要求するなど、平然としていた。少なくとも、此方を怖れていない事だけは、確かだった。

尋問に最初に当たった人物は、怒って出てきてしまった。元々忠誠心が強い半魚人の中年男性である。紳士的に接していたら、失礼な態度を取られたので、頭に来たらしい。具体的に、どのような失礼な態度を取ったのかは分からないが、スペランカーの顔を見て答えを伏せたので、大体見当はついた。苦笑いしか浮かんでこない。相手のためも考えると、スペランカーは口説かれても困るのである。性行為などしたら、それこそ相手の命が危ないからだ。

元々忠義心が強いアトランティスの民では、尋問には適さないだろう。二人目も怒って出てきてしまったのを見て、スペランカーはそう判断。

困っていた所に、代わりに尋問をかってでた者がいる。

鼠のお巡りさん、マッピーである。

マッピーは以前、Dr、ニャームコの島で巡り会った、直立歩行した鼠の姿をしたロボット警官である。居場所が無い所をアトランティスに、恋人(という設定で作られたロボット)と一緒に来てもらった経緯がある。

非常に優秀なAIを積んでいて、心に関しては普通の人間よりもよっぽど人間らしい上に、責任感優れた人物である。アトランティスでも紳士的なお巡りさんとして活躍してくれていて、民達からの評判も上々である。

いずれ警官隊を作るときには、リーダーに納まってもらおうと思っている人材だ。今も、実験的に自警組織のリーダーとして活動してもらっている。

マッピーが尋問をはじめて、半日ほど。

休憩も入れながら、不真面目なパイロットのシーザーと根気強く話を続けて、ようやくある程度の事は引き出せたようだった。

スペランカーを見た時に、とても困った顔をしたので、何を話されたのかは、大体見当がつくが。

とりあえず、一通りのことが分かったようなので、会議を開く。

まだ怒っている尋問に当たったメンバーも含めて、円卓に座った。多少心地が悪いが、スペランカーはこういうとき、最上座に座らされる。

資料を素早くまとめてくれたのは、流石にロボットであるからか。マッピーは自身のバージョンアップに余念が無く、そういった意味でも評判が良い様子だ。

「まず彼の名前は、シーザー、アララシオン。 木星のコロニー出身だと言っております」

「木星!?」

「恐らく彼は未来人だと思うよ」

スペランカーが付け加えたので、皆が不安そうに視線を交わし合う。

異星から邪神が攻めてきている世界だ。未来から人が来ても、おかしくは無いだろう。あの飛行機の異常な性能からも、それがうかがえる。

ただ問題が一つある。

「そうなると、スペランカー様が……」

「未来では、本当に悪人として、認識されているという事なのか」

「どういうことだ。 彼は一パイロットの筈だ。 そのような存在にまで名前が知れ渡るほどの悪党だと、未来ではスペランカー様が貶められているのか!?」

「みんな、落ち着いて」

スペランカーが眉を八の字にしてなだめると、流石に静かになる。だが、皆の顔には、隠しきれない怒りが浮かんでいた。

マッピーは、根気強く皆が落ち着くまで待ってくれた。

最初に出会ったときから、理知的な存在だった彼だが。此方に来て、「家庭」を持ってからは、更に落ち着きが増している。AIも進化するのだ。下手な人間の心よりも、ずっと。

「本官が見たところ、彼は本当に未来人のようであります。 ただし、肝心な部分は、直接は聞き取ることができませんでした。 恐らく、歴史が変わってしまう部分については、何かしらのブロックが掛かってしまうのでは無いかと思われます」

「そういえば……」

以前、スペランカーの親友である川背が、未来に行ったとき。同じ現象に直面したことがあるという。

恐らく特別な現象では無いのだろう。

マッピーがプロジェクターを動かし、映像を出す。映像作成ツールで、短時間で仕上げてくれたらしい。

順番に、情報を分かり易く図示してくれる。

それによると、シーザーという人物は、恐らく400年ほど未来の存在。その時代では、既に地球人類は太陽系全域にまで活動範囲を広げていて、惑星連合という政体を構成しているという。

彼はその宇宙軍に所属する、エースパイロットだそうだ。戦歴も豊富で、侵入してきた宇宙人との戦いや、反政府ゲリラとの交戦で、かなりの戦果を上げているそうだ。

そこからが、少し複雑になる。

彼は小惑星帯で、遭難事故が次々に起きる事件を調査するために、最新鋭の戦闘機で出向いたのだという。

以前、その調査には大型の宇宙戦艦が当たったのだが、何かしらの理由で破壊され、情報だけを納めたカプセルが届けられたのだという。

そのカプセルには。

宇宙空間に人工頭脳で稼働する大陸が浮遊しており、それによる攻撃で、無数の宇宙船が沈められている、とあったそうだ。

ぴんと来た。

それは、つまり。未来のアトランティス。

何かしらの理由で、あの人工頭脳を、稼働させる必要が生じたのだ。そして、ここからが問題なのだが。

恐らく未来世界では、もうスペランカーは存在していない。

どうやって、スペランカーが消滅したのかは分からない。だが、もし存在していたら、生け贄を使ってまで、この大陸を宇宙に打ち上げさせるはずが無いのだ。

コットンには聞かせられない話だと、スペランカーは思った。

シーザーはアトランティスの防空システムと激しい戦いを演じたが、その影響か、また別の時代に飛ばされてしまった。

「それが、おそらく20年ほど後の地球のようです。 彼が救助した何名かは、その時代の存在だとか」

「何だか、複雑だね」

アトランティスでの戦いで、彼の宇宙船は特殊な時間航行機能を有してしまったらしい。問題は、それが制御できない、という事だが。

問題として、もう一つ大きな事がある。

「どうやら、彼の世界。 いや、20年後の地球では、フィールド探索者が存在していない様子なのであります」

「まさか、私が、それに関係しているの?」

「それについては分からないのでありますが……。 未来世界では、非常に大きな戦争が発生していて、元フィールド探索者や魔術師が狩り立てられているようなのです。 彼らを殺すための、ハンターと呼ばれる特殊な人間までもが存在しているそうです。 元フィールド探索者達もそれに反発して、蓄えていた資金や元からの人脈を駆使して対抗はしているようなのですが、そもそも国連軍が狩る側の立場に廻ってしまっているので、既に戦況は劣勢なのだとか」

20年後で、その状況。シーザーの時代には、フィールド探索者は、完全に過去の存在と化しているという。

つまり、戦争の結末は、明らかだった。

「ちょっと待て、話を整理すると、どうなる」

「シーザーの話を総括すると、こうであります。 今から数年以内に、とんでもない異変が起きるのです。 それによって、地球の人口の三割ほどが消し飛び、更にどうしてかは分かりませんが、フィールド探索者や魔術師から、異能が全て消えるのです。 それから、地獄の大戦争が始まり、フィールド探索者と呼ばれた者達は、皆殺しの憂き目に遭うのであります」

そうか、それでか。

スペランカーが死ぬ理由も、見当がついた。

この海神の呪いが無くなれば、スペランカーも他の人間と同じように死ぬ。そして、アトランティスに逃げ込んできた者達を、凶行から守るために。誰かが決断し、行動したのだろう。

つまり、誰かが、生け贄になって。宇宙船アトランティスを、動かしたのだ。

誰かは分からない。

もしもそんな事態になれば、恐らく川背はここに来る。彼女かも知れない。或いは、Mやアーサーが抵抗の音頭を取れば、彼らかも知れない。

いや、恐らく違う。

シーザーの台詞が気になる。スペランカーを史上希に見る極悪人だと言っていた。もしかすると、抵抗の旗印として祭り上げられたのは、スペランカーかも知れない。その場合。犠牲になるのを、買って出たのは。

高確率で自分だろうと、スペランカーは思った。

そして400年後の未来、宇宙を漂っていたアトランティスが、シーザーの戦闘機との死闘を演じて。

その結果、シーザーはこの時代に来た。

大まかに言えば、こんな予想ができる。スペランカーが阿呆でも、だ。

別にこんなものは、論理的思考でも何でも無い。

「シーザーさんが連れてきたけが人達は?」

「まだ意識が戻りません。 治療の術に長けた戦士達が、つきっきりで回復術を掛け、医師達も最善を尽くしています」

医療担当の半魚人が、声を押し殺して応えた。動揺が、露骨に声に出ている。彼女は血の気が多い半魚人達の中では、数少ない理知的な存在なのだが。

半魚人達にとっても、既に人ごとでは無い、ということだ。

アトランティスの防衛力は、彼ら邪神に作られた奉仕種族が使える魔術に掛かっていると言っても良い。

それが根こそぎ失われれば、文字通りこの移動大陸の独立さえ怪しくなってくる。喧嘩を売っても勝てる見込みがあるかどうか分からないというのが、この大陸の大きな利点なのだ。

実際、Mをはじめとするフィールド探索者の猛者達と、互角の戦いを繰り広げたのである。生半可な軍勢など、軽く返り討ちにする実力がある。

しかし、魔術が無くなれば、どうなるか。

「マッピーさんは、シーザーさんに尋問を続けて、更に引き出せるだけ情報を引き出して欲しいの。 ただ、シーザーさんは悪い人じゃあ無いと思うから、休憩は適宜入れてあげてほしいな」

「了解であります。 ただ、本官が見たところ、シーザー氏は大変図太く、平然と休憩を自分で入れているようなのでありますが」

苦笑いがこぼれる。

それくらい図太くなければ、エースパイロットにはなれないのかも知れない。

それと、一旦非常事態宣言は解除させる。問題は、国連軍から来ている、領空侵犯した謎の戦闘機に対する説明申請だ。

「それは、儂の方からしておきましょう」

長老が立ち上がったので、頷いて彼に任せる。

勿論、草稿は作ってもらって、皆で目を通すことになるが。

「後の人達は、念のために警備を強化。 みんなが不安にならないようにしてあげて」

「はっ! スペランカー様の仰せのままに!」

戦士達の代表が、勇んで外に出て行く。以前は巫女様とか、場合によってはよりにもよって新神様と呼ぶ者もいたのだが、最近は控えてくれて嬉しい限りだ。

会議が一旦終わったので、疲れたスペランカーは、肩をもみもみ自室に戻る。携帯を調べると、川背から連絡が来ていた。

彼女と、それにアーサー、他に何名かには、今回のことを話しておきたい。

それと、能力の専門家にも、話を聞いておきたいところだ。世界中にいる能力者と魔術師から、一斉に異能が消えるという出来事の可能性と、原因について。

更に、致命的な破壊を防ぐことについても、行動を進めなければならない。

スペランカーは、死を知っている。嫌と言うほどに。誰よりも。死そのものが、能力の一部であるが故に。

このままだと、一体どれだけの死が、世界を覆うか分からない。

阻止できるのなら、必ずしなければならなかった。

 

マッピーがシーザーとの尋問を続けている間に、けが人の何名かが目覚めた。話が聞けそうな状態だったのは、非常に厳つい大男だけである。全身を分厚い筋肉で覆っているだけ有り、大変頑強な人物だった。

ハガーと名乗る彼は、20年後の世界で、市長をしていたという。

年齢からして、恐らく現在にも存在しているはずだ。ただし、本人とあわせるのは、避けた方が良いだろう。

ハガーはスペランカーが面会に来ると、目を見張った。

「あんたが、邪神の巫女って言われた……。 とても信じられん」

どうやら、20年後の時点で、既にスペランカーは悪評紛々であるらしい。

病院での面会についてのマナーは、国によって違っていると聞いている。果物を差し入れると、最初警戒していたハガーは、やがて口が軽くなっていった。

「俺も能力者だったんだが、十五年前のあの日、不意に力がなくなってな」

彼の能力は、老い知らずと呼ばれるもので、加齢によるパワーダウンを生じないという、地味なものだったそうだ。

ただし、元が極めて頑強だったため、年齢と共に凄まじいパワーを得ていたらしく、最強の市長として知られていたそうである。武闘派として、直接悪の組織の本部に乗り込み、壊滅させたことも一度や二度では無かったそうだ。しかしながら、フィールド探索者として活動はほぼしていなかったそうで、スペランカーとは面識が無かったそうである。

現在のハガー氏は髪も髭も真っ白で、どうみても六十を超えているが、それでも非常に頑強な肉体を誇っている。それは、無くなってしまったとは言え、元々の能力の影響が大きいのだろう。

何が起きたか聞いてみるが、やはり聞き取れない。

ただし、聞き取れる部分もあった。

「まだ、アトランティスは、地上にあったよ。 代表はあんたじゃなかったけどな」

「できるだけ、聞かせて欲しいな」

「ああ。 俺は市長職の傍らに能力者の逃走を手引きしていて、アトランティスに亡命したいって奴を、何人も送り届けたよ。 ただ俺の時代には、もう国連軍はアトランティスを本気で潰すつもりだったなあ。 核攻撃が、行われやがったんだ。 その後、アトランティスの情報は、ぷっつり途絶えた。 どうなったかもわからねえよ」

ヒステリックな世論は、もはや抑えきれないところまで来ていたという。

マスコミはそろって能力者叩きをしていた。権力に巣くう怪物、人外の化け物ども。彼らを人間と見なすのは間違っている。

スポンサーがことごとく能力者に対するアンチサイドの人間だった事もあって、マスコミは異常なまでに歩調を揃えていて、市民の意見もそれにおおむね同調していた。元能力者は基本的に戦い慣れしていたから、簡単に狩られる事も無かった。だが、数の暴力は圧倒的で、世界中で悲惨な殺戮劇が繰り広げられた。

元フィールド探索者を殺せば、英雄とさえ見なされた。相手がたとえ女子供であろうとも、だ。

「救いようが無い蛮行が、世界中で繰り広げられてやがってな。 反吐がでたぜ」

フィールド探索者は、所詮人間とは別の存在として、世間では見られている。

現在だって、そうなのだ。

スペランカーは、幼い頃から、世間との隔絶を経験してきている。

今、フィールド探索者が世界的にある程度の地位を持っているのは、長年の苦闘による成果と、何よりも軍でもどうにもできないフィールドを撃破できる唯一の存在だから、だ。それがなければ、どうなるか。

その答えが、ハガーの言う、未来世界の惨状なのだろう。

かって、スペランカーは、間引きのための処刑場として作られたフィールドに挑んだことがある。

現在でも、これくらいの事をしないと、フィールド探索者と普通の人間は、共存することが難しいのだ。

危ういバランスが崩されたとき。

氷山の下を流れていた溶岩は、一気に世界を焼き尽くす。

「俺が能力者の逃走を手引きしているらしいって噂はもう流れていたらしくてな、とうとうあの日、過激派に襲撃された。 丁度孤児院の視察にでたときだった。 素手の俺に対して、突撃銃で武装した数十人が殺しに掛かって来たよ。 孤児院の子供達は何とか逃がしたが、俺に味方したまだ若い警官数人が蜂の巣にされて、俺自身も散々鉛弾をぶち込まれてな」

そこに、シーザーが来たらしい。過激派は、孤児院の子供達も殺す気満々だったとかで、彼が来なかったら危なかったとハガーは言った。

どうやら助けた数人は、この時ハガーが庇った者達らしかった。

口惜しいと、ハガーは言葉を震わせた。

スペランカーには、掛けるべき言葉が見つからなかった。

本当に一体、何が起きてしまったのか。

「本当にあんたが極悪人なのか、見ていて分からなくなってきた。 あんたは俺の時代、邪神に魂を売り渡した、フィールド探索者と魔術師以外は人間扱いしない外道だって言われてやがった。 もう、何を信じて良いのか、わからねえよ」

涙が思わずこぼれていた。

スペランカーを見て、ハガーが複雑な表情で言う。

今は体を治して欲しいというと、差し入れの果物を渡して、一旦病室を後にする。そして、スペランカーは、話すべきだと思った全員に、招集を掛けることにした。

全員で話して、この事態を打開しなければならない。

最悪の未来は、絶対に来させてはならないのだ。

 

最初にアトランティスに来てくれたのは、川背だった。次の便でアーサーも来てくれる。アリスやダーナは、今は丁度仕事中で、来られないという事であった。

いずれも、スペランカーが信頼する戦友達である。特に川背は、スペランカーを先輩として慕ってくれている。アーサーは頼れる兄貴分でも父親分でもある。

二人には、既に大まかな話は伝えてある。

他にも、アドバイザーとして、アトラク=ナクアにも加わってもらう。あらゆる立場の存在から、破滅を回避するための意見が必要になると、スペランカーは思ったからである。

他にも、親交があるフィールド探索者が、何名か集まった。

大まかな状況を説明し終えると、会議室に移動する。会議室は、中央神殿のものを使用する事とした。

今回は、半魚人の長老の他には、現地の民達には外れてもらう。一旦会議で結論が出てから、皆にも話を展開する予定だ。

「アーサーさん。 司会をしてくれると、嬉しいな」

「否、それは貴殿がするべきだ、スペランカー殿」

最初、リーダーシップはアーサーに取ってもらおうと思っていたのだが。すげなく断られる。

今回は、スペランカーにとって本拠地とも言えるアトランティス。

其処に乗り込んできたも同じ形のアーサーが会議のリーダーシップを取っては、立場がおかしくなるというのが、彼の主張だ。

確かにそれもそうだ。

勿論、補佐はしてくれるという事で、安心はしたが。

既に空気は、相当に重苦しいものとなっている。此処にいる者達は、皆フィールド探索者で有り、絶望の未来は誰にとっても歓迎すべきものではないからだ。

会議を進めていくと、アーサーが最初に皆を代表して発言してくれる。

「現時点で我が輩が見るところ、最大の問題点は、その破滅の正体が分からない所であるな。 人類の三割というと、二十億人以上だ。 それほどの破壊となると、一体何が起きたというのか。 しかもその後、フィールド探索者の力が失われたというのも気になるところであるな」

「まず間違いなく、異星の邪神がらみじゃ無いのかい?」

さらりと言ったのは、グレート・マム。

以前共闘した、知能を持つ青い鳥だ。彼女はある島で繁栄している固有種の鳥たちにとって、遺伝子上共通祖先とも言える存在で有り。現在の技術で復活した、大変に知恵のある存在だ。

「この間僕たちが斃したハスターは、四元素神最強を名乗っていました。 それに間違いはありませんか?」

「単純な戦闘力で言えば、間違いないね」

川背の疑問に、スペランカーの頭に乗っているアトラク=ナクアが応えてくれる。

彼女は力を失ってはいるが、異星の邪神の一柱だ。言うことには信憑性が高い。

「現在の戦力で言えば、M氏を含め、ハスターも葬れるだけのものが揃っています。 一体何者が来れば、それだけの事態になると思いますか?」

「四元素神の最後の一柱、ニャルラトホテプは、快楽的で破滅的だけれど、理由も無くそんなに大量虐殺はしないだろうねえ。 問題はその上の存在。 たとえば、世界の門、ヨグ=ソトース」

アトラク=ナクアの話によると、その存在は文字通り世界の門。

現象としての時空間を司る神で、異星の邪神としてはナンバーツーの存在なのだという。宇宙そのものが、この邪神ではないかという説さえもあるほどの、強大な神格。

つまり、宇宙で二番目に強い邪神だそうだ。

四元素神は、ハスターの言葉とは裏腹に、強大な力を持っていても、決して邪神達の中で最高位に君臨する存在では無いという。

だが、ヨグ=ソトースをはじめとする「外の神々」は、違うという。Mでさえ勝てるかは分からないと、アトラク=ナクアは脅かした上で、続ける。

「ただ、此奴は、意思らしいものを持たず、勿論大量虐殺にも興味が無い。 振るわれた触手の一端が悲劇を招くことはあるようだけれどね。 文字通りの現象と言って良い存在で、悪意を持って人間を大量虐殺するような輩じゃあないよ。 もっと具体的に言うと、「やる気」がないのさ。 大体の邪神は愉悦のためだったり食事のためだったりで大量虐殺をするけど、そんなことをするのさえ面倒くさい、って考える奴だね」

「そうなると、残るは一番強い邪神ですか?」

「滅多なことを言うもんじゃ無いよ」

川背の言葉に、アトラク=ナクアが声を伏せる。

それだけ、強大な存在だと言うことか。

「全ての邪神の産みの親、宇宙の中心に座する邪悪なる白痴の塊。 その名前を持って、慈悲深くも隠されし存在、アザトース」

「慈悲深くも隠されし?」

「つまりは、邪神でさえない、もっとおぞましい存在だってことさ」

この存在は、文字通りヨグ=ソトースとさえ格が違うという。

四元素神など、アザトースに比べてしまえば、塵芥も同然。ただし、この存在に関しても、幸い怖れる必要は無いだろうと、アトラク=ナクアは言った。

理由についても、教えてくれる。

「此奴は常に眠っているんだよ。 周囲では取り巻きの邪神共が騒いで起こそうとしているけれどね。 数十億年以上、目を覚ましたって話は聞かないねえ。 眠りながらも余計な事を色々してくれるんだけれど、それも最近は、動いていないって聞いているよ」

「そうなると、当面はニャルラトホテプを警戒するべきか」

アーサーがまとめてくれる。

だが、スペランカーは。

どうも、妙な気がした。何かを見落としている気がするのだ。

挙手して、話を振ってみる。

「仮にMさんとニャルラトホテプさんが激突した場合、どっちが勝つと思う?」

「そりゃあ、決まってる。 Mだろうよ」

「え……」

「ニャルラトホテプはね、神の代行者であっても、戦闘力に関しては他の四元素神に比べてそれほど高い方じゃあ無い。 もしもMに捕捉されたら、それこそひとたまりも無いだろうさ」

やはり、それはおかしい。

川背がスペランカーの疑念に気付いたか、耳打ちしてくる。

「先輩、何か不安なことが」

「うん。 Mさんが今、異星の邪神を片っ端から斃してるでしょ? おそらく、そのままだと、ニャルラトホテプも同じ目に遭うと思う。 おかしいと思わない?」

「……確かに、現状の異星の邪神側の劣勢から考えると、人口の三割が失われるような事態にはなり得そうに無いですね。 可能性としては、上位の二柱が、何かしらの形でやる気を出す、という事ですが」

やはりそれしかないか。

気になることは、他にも幾つもある。

「ニャルラトホテプさんは、話を聞く限り、悪巧みが得意みたいなんだよね」

「おそらくは。 しかも、生半可な次元では無いでしょう」

「だったら余計に変だよ。 どうして、此処までMさんに好き放題にさせているの?」

自分のためだけに動いているという可能性も、最初には考えた。

邪神には仲間意識が無いのかも知れない。

しかし、どうも引っかかるのである。

いくら仲間意識が無いといっても、このままだとみんなMさんにやられてしまうだけではないのか。

そうなれば、自分勝手も何も無い。

何しろ、ハスターが倒れたことで、ニャルラトホテプの劣勢は決定的になった。四元素神の内、残るのは彼(かはわからないが)だけ。

どれだけ身勝手だとしても、生き残るためにはむしろ必死になるはずだ。地球に残っている異星の邪神を集めて戦力化したり、あるいは脱出を考えるのが自然なのでは無いだろうか。

まさかとは、思うが。

好き勝手をさせることが、ニャルラトホテプの目的につながるのではあるまいか。

会議はあまり進展しているとは言えない。

アーサーがいろいろな意見を出しているが、いずれも決定打にはならない。どうも、スペランカーには、敵対的な異星の邪神を全てやっつければ終わるというような、簡単な問題には思えないのだ。

「一度休憩を入れよう」

「分かった、それでは各自休憩に入る」

スペランカーの提案は受け入れられ、めいめいに会議室を後にする。川背だけは残ってくれた。本当はアーサーにもいて欲しいのだが、彼は他のメンバーと話があるらしく、その場を後にする。

皆がいなくなってから、川背とスペランカーの話を聞いていたらしく、アトラク=ナクアが言う。

「確かに、おかしな話だね。 ニャルラトホテプと言えば、人間の思考を蜘蛛の巣のように絡め取る、邪神らしい邪神なのにさ」

「何だか嫌な予感がする。 ひょっとして、このままニャルラトホテプさんをMさんが斃したら、とんでも無い事になるんじゃ無いの?」

「どうとんでも無い事になるのかが分からないのが問題ですね……」

かといっても、ニャルラトホテプを討伐するなと、Mには言えない。

人間に友好的では無い邪神を討伐することは、スペランカーとしても、反対では無いのだ。

アトラク=ナクアのいる此処で言うのもおかしな話だが。友好の糸口が探せる邪神とは、できるだけ仲良くできる路を探したい。だが、戦うしか無い邪神とは、戦うしか無いとも思っている。

それに、最大の問題は。

Mが、スペランカーの話なんて、聞くわけが無いと言うことだ。

理由はよく分からないが、Mはスペランカーのことを最大限に嫌っている。嫌みをたっぷり含んだ敬語をわざわざ使うほどなのである。

会議がまた始まる。

スペランカーは、隠す必要も無いだろうと思い、今の話をしてみる。アーサーが頷いた。

「なるほど、我が輩も違和感を覚えていた。 確かに、このままだと、何かの罠に踏み込みそうではあるな」

挙手したのは、ペンギンの姿をしたグリン。退魔の専門家だった人物で、紆余曲折の末、この姿になった。

今は妻のマロンと共に、アトランティスで慎ましく暮らしている。

「一つ、提案がある」

「なんですか?」

「ニャルラトホテプと接触を図ってみてはどうだろうか」

流石にそれは、考えてはいなかった。

ざわめきが広がる中、スペランカーは頷くと、立ち上がった。

「良い機会かも知れない」

「先輩!?」

「異星の邪神達は、人間の事をよく知っているんだと思う。 でも、逆に私達は、彼らを知らなさすぎるんだと思うよ。 勿論、理解ができるとは限らないし、和解はもっと難しいかも知れないけれど。 一度、話をする機会は、持つべきだったんだと思う。 昔だったら、対等に話をするなんて夢物語だったけれど。 人類がこれだけ押し込んだ状況だもんね。 必ず、話をできる機会は作れるはずだよ」

勿論、単独で会いに行くつもりは無い。

それなりの戦力を整えて、戦いになった場合に備える必要はあるだろう。だが、もしも、何かしらの手段で共存できるのならば。

「過度の期待は禁物だよ。 妾がいうのもなんだけれど、邪神は邪神だ」

「大丈夫。 分かってる」

一度、会議を閉じる。

難しい表情をしていたアーサーは、皆が散っていくのを見送りながら、ずっと会議室に残っていた。川背も、スペランカーも、残る。

この三人だけで、話しておきたいことも、幾つかあった。

「もしも話ができる目処がついたら、我が輩と川背殿を必ず同道させて欲しい」

「うん。 心強いよ」

「そうではない。 貴殿と同じように、我が輩も妙に嫌な予感がしてならんのだ。 未来での悪評、ひょっとして、貴殿が何かとんでも無い事に巻き込まれたことが、原因では無いかと思えてな」

確かに、それはありうることだ。

だが、川背とアーサーが側にいてくれれば。きっと、どんな困難でも、越えられる気がする。

アーサーに礼を言うと、スペランカーは半魚人達に、シーザーを解放するように指示。

川背とアーサーを交えて、一度話しておきたい。未来の技術で作られた戦闘機、もしもニャルラトホテプと戦うのであれば、大きな力になるはずだ。勿論戦うつもりは最初は無い。

抑止力として、強い力は必要なのだ。

 

つれられてきたシーザーは、鎧を着た大男がいるのを見て、面食らったようだった。アーサーの自己紹介を受けて、口笛を吹く。

「ひゅう、あんたが。 噂は未来でも聞いているぜ」

「伝わっているのは、我が輩の武勇かな」

「いや、知らん方が良いと思う」

困り果てた顔をアーサーがしたので、スペランカーもコメントできなかった。きっと未来には、アーサーの武勇以外が伝わっているのだろう。

無理も無い。

フィールド探索者は、未来では存在しないか、もしくは悪の枢軸としてとらえられているのだろうから。

だが、川背やジョーは、未来では勇名を讃えられていたと聞いている。

ひょっとすると、違う未来の話であったのかも知れない。とにかく今は、情報が必要になってくる。

「未来に、宇宙で戦ったアトランティスについて、何か聞かせて貰えないかな」

「じゃあ、カツ丼くれや。 この間差し入れして貰ったカツ丼が、すげえ美味くてなあ」

「川背ちゃん、お願いできる?」

「……あまり得意料理ではないですけれど」

シーザーの視線が、川背の立派な胸に釘付けになっているのには、その場の全員が気付いていたらしい。

特に川背は不快感を露骨に顔に出していたが。シーザーには、それくらいはむしろご褒美のようだった。

キッチンを使って、川背がカツ丼を作ってくれる。

「川背ちゃんはプロの料理人だよ。 期待して良いと思う」

「ひゃっほう! この時代のくいもん、俺の時代とは比較にならんほど美味いからなあ、期待させてもらうぜ!」

「それはそうと、シーザーとやら。 話をしてくれんか」

「まあ、カツ丼喰うまで待ってくれよ。 で、なんであんた、蜘蛛なんか頭に乗せてるんだ?」

不快そうにアトラク=ナクアが警戒音を出したが、シーザーはけらけら笑うだけである。ルックスと言動が全くかみあわない人物だ。同じエース級の戦士でも、ジョーとは随分雰囲気が違う。

ただ、以前ジョーが言っていた。

彼のように寡黙な戦士は、特殊部隊などではむしろ喜ばれないという。部隊のムードメーカーになるような人物の方が、むしろ喜ばれるそうだ。

そうなると、或いはシーザーの方こそ、軍人としては理想的なのかも知れない。

川背がカツ丼を持ってくる。

彼女は気を利かせて、スペランカーやアーサーの分まで作ってきてくれた。しっかり揚がった豚カツに、ふわふわの卵が掛かっており、白身にも火が通っている。それだけではなく、衣にも工夫がされていて、卵がしみていながらぱりぱりの感触を維持していた。

肉自体もとても柔らかくて、あまり高い肉では無いのに、料理人の腕と味付け次第でいくらでも美味しくなると、如実に示している。何より掛かっているたれが絶品で、これを短時間で仕上げた川背の力量がよく分かる。

しばらく、全員無言になる。

最初に食べ終えたシーザーが、実に幸せそうに言った。

「うっめー! こりゃあすげえなオイ! あんた、俺のヨメにならねえか?」

「お断りします」

「何だよ、残念。 それはそうと、こんなうめえもん喰わしてもらったんだ。 一通り、話はしねえと仁義にもとるな」

川背が静かに怒っているのを見て、陽気なシーザーも流石にこれ以上は失礼だと察したのか。

あっさり話を切り替えると、表情を変えた。

戦士の表情だ。

「あの鼠のお巡りさんに大体は話したんだがな、何が聞きたい」

「できるだけ詳細に、アトランティスで何があったのか、教えて」

良いぜと応えると、シーザーは姿勢も改めた。

 

3、死の大陸

 

惑星連合のエースであるシーザーが、ある日上層部に呼び出された。

任務、しかも極秘と聞いて、嫌な予感しかしなかったが。案内された先で見せられたものを見て、多少機嫌も直った。

最新鋭宇宙戦闘機。自分に与えられたそれには、複雑な英字で名前が付けられていた。だが、まだプロトタイプであると聞いたシーザーは、躊躇無く自分の名をそれに付けた。幾多の戦いで敵を屠ってきたという自負もある。出撃のグリーンライトを与えられているトップエースだという誇りもある。

だがそれ以上に、そのずんぐりとした機体を見た時に、感じたのだ。

此奴は凄いが、同時に難しい機体だと。

宇宙時代であるから、大気圏内が主戦場だった頃とは違う。飛行機の形は必ずしもソニックブームを考慮しなくても良い形状で、それ自体は別に珍しくも無い。仮に大気圏内を飛ぶ場合でも、標準的に装備されているエネルギーシールドで、多少のソニックブームは中和できる。

問題はそこでは無い。多くの戦闘機に乗ってきたシーザーは、一目で感じたのだ。全体的に、この戦闘機は非常にとがった設計がされていて、危険性が高い。

だから、幸運に恵まれている自分の名前を付けることで、むしろ厄払いをしようと。

シーザーはエースパイロットで有り、実力に自信を持っていたが、同時に幸運に恵まれていることも知っていた。自分以上の実力者が、冗談のような死に方をした事が、一再では無い。

エースになれたのには、強い運が味方していたからだ。そう考えていたからこそ、名前に自分のものを選んだのである。

改めて、カタログスペックを確認する。

全長は二十メートル弱。両翼には主力となるエネルギービーム砲が装備されており、駆逐艦の主砲に匹敵する出力を実現している。このサイズの戦闘機としては、例外的な大威力だ。単純な威力も大きいが、らせん状にエネルギーを放出する新技術が使われていて、単に熱エネルギーをぶっ放す旧式の砲とは根本的に設計思想が異なっている兵器だ。また、前方の主砲の他に、360°をカバーする副砲も装備されている。対艦用の大型ミサイル六機。エネルギーを著しく消耗するが、ハイパワーレーザーも装備されていた。

また強力なバリア発生装置と、複雑な三次元的機動を実現する大出力のエンジンを搭載しており、その反面極めて大きな負担がパイロットに掛かる。

今だ調整中の部分が多い、文字通りピーキーな機体だ。非常に重武装で、シーザーの腕前なら、小型の戦艦くらいとであれば互角に戦える機体である。ただし、それはあくまでカタログスペック上の話。

最新鋭の技術を惜しみなく盛り込まれてはいるようだが、文字通りのプロトタイプで有り、実戦で力を試すには少々危険が大きすぎるように思える。

事前のミッション説明で、話も聞いた。

行方不明の艦を多数出している宙域がある。具体的には、冥王星の外側にある小惑星帯の一角。非常に小惑星が多く、電波も極めて悪い宙域であると言う。いわゆる彗星の巣、カイパーベルトの一角だ。

大型の戦艦が消息を絶った其処に、戦闘機一機を送り込んで、何になる。最初、シーザーはそう思った。

だが、ミッションの内容は、こうであった。七三の髪型で、いかにも神経質そうな眼鏡を掛けた上官が、説明してくる。サラリーマンと影で悪口を言われている男で、杓子定規な言動が目立つ。ただし、事務処理能力に関しては確かなものがあるそうで、シーザーも馬鹿にはしていなかった。そういう軍人も必要だと知っていたからだ。

「そもそも今ミッションは、敵の殲滅を目的とはしていない」

「ならば威力偵察ですか」

「威力偵察には違いない」

そもそも今回のミッションでは、指定された宙域からの生還者が存在しないことが、問題になっているという。

大型戦艦から最後に送られてきたデータによると、宇宙空間に巨大な大陸が存在しているらしい、という事は分かっている。

そのデータを、可能な限り持ち帰る。それがシーザーの任務、というわけだ。

「まどろっこしい。 大艦隊を組んで叩き潰せばいいんじゃないですか?」

「そうもいかん。 貴官だからこそ話すが、どうも以前の大戦で失われたと言われている、邪神の反応が微弱ながら計測されているらしいのだ」

「邪神……ね」

かっての地球には、外宇宙から来訪した文字通りの邪神が多数存在し、多くの被害を出していたという。

未だに語りぐさになっている事だ。軍でマニュアルを見たこともあるが、基本的に通常兵器はほぼ通用しない相手で、上位の存在になると一国の軍隊を単独で殲滅する実力を有していたという。

能力者が世界から消えた大戦の前後で、邪神もことごとくが撃滅されたと聞いているのだが。

逆に言えば、今では対処法も失われてしまっている、という事だ。

当時の通常兵器が通じなかった相手に、現在の科学力なら平気だろうと、という過信を抱くのは危険だ。根本的に、戦闘の概念が違う可能性が高い。大艦隊を投入したら、とんでもない事態を招く可能性も、確かにある。

「我々が貴官に期待するのは、歴戦の戦士である判断力と生還能力だ。 大規模攻撃が必ずしも効果を示すかも分からない相手であるし、可能な限りのデータを集めておきたい」

「分かりました。 必ず帰還します」

「期待しているぞ」

敬礼をかわすと、事前のミッション説明を他にもうけて、任務に取りかかる。

いわゆる、神風的な任務では無いと分かっただけで、一安心だ。ただし、全面的に信用しているわけではない。

エースパイロットになった事で、色々と余計なものもついて回るようになった。普段意図的に軽い言動を周囲に見せているのは、警戒心を煽らないためだ。英雄が処刑台と隣り合わせに存在していることくらい、シーザーだって知っている。

ただ、近年は、相手に警戒心を抱かせないためにはじめた言動が、少しずつ本気になりつつあって、自分でも困惑している部分が確かにあったが。

普段は、火星を根城にしているシーザーが、招集に応じて、航空母艦に乗り込んだのは、説明を受けてから地球時間で七日後の事。

此処からは、自分で出来る事は、殆ど無い。

数日間掛けて、宇宙航空用マスドライバー装置を経由して、木星へ。更に其処から大重力を利用したスイングバイと、宇宙航空用マスドライバー装置の併用で、冥王星まで移動する。此処までは母艦を使って運んでもらうが、冥王星基地からは、単独での行動だ。

その間に、シミュレーターを使って、戦闘機に少しでも馴染む。

整備も自分で一通りやってみる。最悪の場合は、自分でメンテナンスをしなければならないからだ。搭載しているAIや修復ロボットがある程度の事はしてくれるが、最悪の場合には、自分でやらなければならないのである。

供与された戦闘機は、内部に生存スペースがあり、それなりの物資と十名以上の人員を搭載することが可能だ。

これは宇宙時代の戦闘機としては普通の仕様だが。ただし逆に言うと、宇宙時代は戦闘機一機にも、それだけの金が掛かっている、という事だ。

小惑星帯を人類が掌握している現在、資源の枯渇については、今のところ気にする必要は無い。

ただし優秀な人材となると、どうしても限られてくる。

幾つかの戦役を経て、人類はまだ覇権と呼べるものを確立できていない。太陽系の外から侵略してくる宇宙人勢力もまだ存在しているし、太陽系の外の遙か遠くの宇宙では、途方も無い規模での大艦隊戦が行われているのを、観測しているともいう。

そう言う状態だから、如何に腹に一物も二物も抱えている軍でも、人材の無駄遣いをする気は無いのだろう。

冥王星基地から、物資を積み込んで、カイパーベルトに。

定時通信を送らなければならないのが、少々面倒くさい。

最初の数日は、AIに操縦も任せてしまい、後に備えて寝てばかりいた。宇宙船の中では、する事も限られている。

昔と違って重力は存在しているが、それでも外は基本的に真っ暗である。後方から来ている太陽の明かりも、決して強いとは言えない。

だが、三日目からは、自分で操縦をする事にした。

体が鈍るし、なによりこの辺りから、襲撃の報告があったからだ。カイパーベルトの外側での資源衛星探索は、人類の未来のためにも重要な作業だ。

実際に動かしてみると、シミュレーターとはやはりかなり違っている。

動きがなめらかな反面、射撃にはかなりの癖がある。

大出力のエネルギー砲だからか、特殊な区切り方をして、砲撃をしているようなのだ。計測してみたところ、一秒間に十六連射くらいしているらしい。

昔の機関銃などでは、もっと激しい間隔で射撃をしていたそうだが、これはエネルギー砲だ。

撃つのなら、長時間連続して撃った方がいいに決まっている。

どうしてこのように連射形式を取っているのか調べてみたが、どうやら新採用のエンジンにエネルギーがかなり喰われているらしく、それを補うためなのだとか。

多少納得は行かない所はあるが、小型の衛星を数個破壊してみたところ、確かに爽快な威力を有している。

今までの戦闘機とは、破壊力も速力も、確かに桁違いだ。

単独でのワープ飛行はできないようだが、それでもこの機動力なら、大体の相手となら渡り合えるだろう。

航行中に性能を試し遊びながらも、シーザーは冷静に状況を分析している。

どうもおかしい。

そんな大陸があるのなら、観測に必ず引っかかるはずなのだ。

たとえば、不安定軌道を描いている小惑星の中には、最大で直径二十キロに達するものがある。エロスと呼ばれるものが代表的だ。

これなどは恐竜を絶滅させたとも一説には言われる十キロクラスの隕石の、八倍近い質量を誇る存在で、もしも地球にぶつかった場合の惨禍は計り知れない。多分氷河期くらいは確実に訪れるだろう。

しかし、現在はそれも含めて。カイパーベルト地帯くらいまでなら、太陽系の把握はほぼ済んでいるのだ。勿論、事前に隕石の直撃を防ぐだけの科学力も、人類は充分に有している。

だが大陸クラスというと、最低でも直径数百キロはあると見て良いだろう。そんな程度の小型小惑星とは、比較にもならないサイズだ。

それなのに、今の時点では、レーダーどころか、光学分析装置にも引っかからないのである。

嫌な予感が、びりびりする。

しかも、今は話し相手もいない。AIは基本的に戦闘用だから、話しかけても決まった受け答えしかしない。勿論レクリエーション用の装備類もあるにはあるが、あまりにも熱中するのは危険だから、意図的に退屈なものしか積まれていない。

退屈は、心に負荷を掛ける。

持ってきた録画映像(勿論内容は決まっている)などを見るが、すぐに飽きた。

そして、交戦予定地点に到達。

何もいない。

確かに、戦艦の残骸らしきものが漂っていた。惑星連合で採用されている、最新鋭の戦艦だ。

見たところ、生存者はないし、脱出カプセルの類も見当たらない。凄まじい破壊の有様で、文字通りねじ切られたようになっていた。

しかし同時に、敵とやらもいない。

「敵の痕跡は」

「見当たりません。 戦艦が放出したミサイルや、エネルギービームの痕跡は存在しているのですが……」

「砕かれた岩石か何かはねーか?」

「周囲にあるありきたりの岩石衛星の残骸ばかりです。 後は、人間の死骸が少々」

コンソールに拳を叩き込むと、シーザーは周囲の探索を命じる。

しばらく探索を続けるが、勝ち誇ったエイリアンの艦隊に出会うことも無ければ、浮遊大陸とやらに遭遇することも無かった。

一度、サンプルを射出させる。

破壊された戦艦の残骸から、めぼしいものと。それに発見できた分の人間の死体を、戦艦の残骸から回収した輸送ポットに乗せて、後送した。

非常に電波が悪かったが、一応通信はできた。送り届けた物資は決して多くは無かったが、それだけで軍の上層部は喜んだ。

「まずは第一段階クリアだな。 続けて探索に当たって欲しい」

「アイサー。 もしも相手に勝てそうだったら、潰しても良いですか?」

「深追いはしないように」

それだけを告げられる。

言われなくても分かっている。深追いをするような性格だったら、今頃シーザーは宇宙の塵になっていただろう。

戦艦の残骸自体に、持ってきていた簡易推進装置を付けて、後方に動かす。

これで、数日くらいすれば、危険地域を脱出して冥王星の所属艦隊が勢力圏にしている場所まで辿り着くだろう。小惑星にぶつからないように、軌道計算もしっかりしたから、問題は無い。

仮に何かしらに汚染されていたとしても、いきなり冥王星の研究施設に持ち込むような馬鹿なことをしなければ、大丈夫。

それに冥王星は最悪の場合でも、軍の施設しかない星だ。被害は最小限にまで食い止めることができる。

戦艦のコンピュータに当たったが、綺麗に交戦記録は吹き飛んでいた。

ただ、AIに分析させたところ、戦艦を襲ったのは完全に未知の力で有り、レーザーでもミサイルでも無い事だけは、明らかだった。

何しろダメージ箇所に、痕跡が残っていないのである。

「まるで魔法です」

「魔法か……」

あの悲惨な大戦争の前までは、実際に存在していたらしい数々の異能力。

何故消滅したのかは、今でもよく分かっていないらしい。少なくとも、シーザーは聞かされていなかった。

ただ、分かっている事もある。

その言葉自体が、悪霊の存在のように、タブーとなっている、という事だ。魔法なんて口にしたら、敵意の視線を受けることは間違いない。

ネットなどでは、自分は魔術師だ能力者だと名乗る変わり者がいるようだが、人気を得ることはほぼなく、徒花としてしか扱われないという。

「光学ステルス能力を持っているとすると、近くまでいかないと発見はできないな」

「はい。 怪しいところを、手当たり次第に当たってみますか」

「……そうだな。 小惑星が変に少ない場所は無いか」

「カイパーベルトと言っても、そこら中に小惑星があるわけでもありません。 存在密度はそれほど高くないのが実情です」

カイパーベルトについての講義をAIがはじめそうになったので、シーザーは閉口した。すぐに機体を繰って、自分で目をつけた場所を、順番に廻っていく。

既に思考は実戦モードに切り替えている。

何が起きたかは分からないが。少なくとも最新鋭の大型戦艦を屠った相手が存在しているのは、事実なのだ。

しばらく、辺りを飛び回ってみる。

異変に襲われたのは、それから二日後の事だった。

 

気がつくと、シーザーは知らない空間を漂っていた。

自機を確認すると、かなりのダメージを受けている。何が起きたのか、思い出す事ができない。

頭自体も、酷く痛む。

AIに呼びかけるが、反応が無い。全天型のコックピッドも、半分以上が画像を映し出していなかった。

これは、ただ事では無い。

一つずつ、機能を確認していく。

推進装置は問題が無い。

武装は絶望的だ。半分程度しか生き残っていないし、エネルギーもかなり消耗してしまっている。ミサイルも使い切っていた。調べてみるが、武装自体にかなりのダメージが加わっていて、仮に撃つことができても、途中で爆発する可能性が高い。

AIをはじめとした電気機器類は、半分以上がいかれてしまっていた。

黙々と、宇宙服を着込む。

酸素残量だけは、それなりにある。生成装置も無事だ。

現在位置も、確認しなければならない。手元にある小型のハンドヘルドコンピュータを起動して、計測をさせる。

同時に自身は船外に出て、状況を調査。

計測機器は嘘をついていない。継戦は不可能だ。

無事な画像から確認する限り、幸い太陽系にはいるようだ。

記憶の奥底で、何かがフラッシュバックする。

そうだ、大勢の得体が知れない生き物に襲われたのだ。烏賊のような奴、オウムガイのような奴、巨大な顔、一対の目玉。

それらを必死に撃退していった。

戦いながら感じたのは、どうも意思があるようには思えなかった事だ。怪物達はどれもこれもが、特攻覚悟で攻撃を仕掛けてきた上、死ぬと蒸発してしまうのだった。

おそらくは、大型戦艦も、これにやられたのだろう。或いは、戦艦の残骸を分析すれば、怪物達の正体も分かるのかも知れないが。いずれにしても、今はそんな余裕が無い。

組織的な猛攻は文字通り怒濤のようだった。

シーザーで無ければ。

そして、最新鋭のこの機で無ければ、十回は撃沈されていただろう。

やがて、ステルスされていた、おぞましい大陸が姿を見せる。

逃げるべきだった。

だが、逃げられそうに無いと、本能は告げていた。

本部に敵と交戦開始したと連絡を入れてから、後は無我夢中で戦い続けた。

大陸からは、レーザー兵器らしきものの猛攻があった。ロックオンアラートはひっきりなしに鳴り続け、撃墜を避けるためにも、大陸の地面すれすれを高速で移動しつつ、バリアを展開しなければならなかった。勿論、上空からは怪物の群れの怒濤の攻めが有り、特に悲惨だったのは、岩場の下に潜り込んで、其処からでた瞬間などだった。

とんでも無い数の怪物が、凄まじい猛攻を仕掛けてきたことが、一度や二度では無かったからである。

それでも、シーザーは、歴戦の勘を駆使して進む。

時間にして、それほど掛かりはしなかったかも知れない。実際には、二分か、或いは五分か。いや、それは流石に無いだろう。だが、数日にも感じられた戦いが、実際には数時間だった事は、疑いが無かった。

上空に、不格好な岩の塊が出現して。無数のエネルギービームを放ってきた。凶悪と言うよりも、執拗で、何より必死な攻撃に思えた。

機体を激しく削られながらも、どうにか叩き落とす。

倒した時、悲鳴が聞こえた気がした。

大陸の中心部にまで、激しい戦いの末に辿り着く。巨大な移動型要塞なのだと、その時には理解できていた。

不時着。修復と炎上対策はAIに任せ、飛び降りる。要塞上には空気があったが、勿論宇宙服を着込んだ上で、だ。

手にしている正式銃で敵を薙ぎ払いながら、奥へ。

そして、朽ち果てた神殿のようなものをみつけた。そこで、不可思議な出来事が起きた。

不意に、埃まみれの石造りの神殿の中、妙な映像がわき上がったのである。熱源反応どころか、物体反応さえ無かった。

立体映像にしては、投影装置が存在しなかった。

女だ。

エキゾチックなローブを身につけたその女は、赤い髪色で、おかっぱに切りそろえていた。妖艶と言うには、少し幼い体型だった。

異様なのは、その体、おそらく背中から生えている触手である。

「我らの安息を妨げるな」

誰だと呼びかけるが、女のような怪物のような何者かは、名乗らない。

「此処は、母の墓標。 多くの散っていった迫害されし者達の墓場。 土足で踏みいろうとすること、まかり成らん」

「俺は、ただ調査に来ただけだ。 前の戦艦もな。 問答無用で襲撃しておいて、その言い様は無いだろう」

「「お前達」は信用ならぬ」

強烈な敵意の籠もった視線を受けて、シーザーは口笛をならそうとして、失敗した。

女好きを広言するシーザーだが、今受けているのは、殺気混じりの本気の怒りの視線だ。しかも、相手は未知の技術で、此方に対している。相手への反応次第では、致命的な攻撃を仕掛けて来かねない。

「じゃあ、せめて帰してくれないか。 攻撃してこないって言うなら、おとなしく帰るぜ、レディ」

「和平条約の調印式の日に裏切った貴様らがよく言うな」

女が、手をかざすのが見えた。

其処からのことを、覚えていない。

どうやら、その瞬間に何かされたらしい。ただ、殺される事は無かったということだけは、理解できる。

此方を信用はしていなかったが、ただし帰るといった相手を殺しもしなかった、ということなのか。

本部に通信を試みてみるが、反応は無し。

というよりも、機器類を修復していく内に、AIが回復。後の修繕は任せた矢先に、とんでも無い事が発覚した。

「現在の空間座標に異変」

「何だよ、それ」

「おそらく、我々が存在した時間軸とは違う状態にいます。 太陽の黒点などの位置が、記録された三百数十年前の状態と同じです」

呆然とするシーザーに、AIはとんでも無い事をほざいた。

「我々はタイムスリップした模様。 可能性は100%」

 

冥王星まで数日掛けて飛び、其処からスイングバイを使って加速。

コールドスリープを駆使しながら、海王星、木星と経由して、火星へ。燃料をできるだけ節約するために、バサードラムジェットを使用して、最低限のエネルギーのみで飛ぶことにした。

火星は、真っ赤のまま。

テラフォーミングは一切されていない。

それどころか、幾つも存在していた、惑星連合の要塞衛星も見当たらなかった。本当に過去へテレポートしたのだろうか。

コールドスリープの合間に、正確な年代を割り出そうと、四苦八苦してみる。それによって判明した事実は、想像を絶していた。

今、地球では能力者戦争と呼ばれた、地獄の大乱が発生している時期だったのだ。

謎のカタストロフにより、人口の三割が消滅。能力を喪失したフィールド探索者と、それ以外の人間が、激烈な殺し合いをしている時期。

非常に危険と言うよりも。おそらくWWUをやっていた頃の地球よりも、更に危険な最終戦争時代である。

だが、そんな時代であっても、地球以外に、立ち寄る場所が無い所がつらい。テラフォーミングも済んでいない惑星では、どのみち長生きはできないのだ。勿論、善後策どころでは無いだろう。

地球に向かった所で、どうにかなるとは思えなかったが。しかし、生きるためには、限りある酸素や食糧が尽きる前に、地球に到着しなければならなかった。

ステルスを駆使して、到着したのは、大戦争真っ最中の米国。

戦争は末期で、密かに降り立ったシーザーは、あまりにも悲惨な虐殺を、数多く見ることになった。

街灯には、吊された死体。それに向かって石を投げる人々。

吊されているのは、まだ年端もいかない子供だ。

それなのに、熱病に浮かされたような目で、人々は石を投げている。子供の首には、札が下げられていた。

元フィールド探索者。

黒焦げの死体が、道ばたに放置されている。生きたままガソリンを掛けられて、焼き殺されたらしかった。此方にも立て札がある。残虐なる魔術師の末路。そう書かれている。残虐なのは、一体どちらなのか。

サイレンがひっきりなしに鳴り響き、銃で武装した人々が、殺気だった目で走り回っている。

新聞を拾って、読んでみる。

シーザーでも知っている、彼の時代にも存在する大手新聞だ。だいぶ形式は違っているが、間違いない。

それには、シーザーの時代ではすっかり使われなくなった公共言語である英語で、様々な扇情的記事が書かれていた。読めなかったので、AIに翻訳してもらったのだが、途中で顎が外れそうになった。

大新聞の記事なのに、元能力者を殺し、迫害することを、正当化するような内容なのである。

子供だろうが、女だろうが、容赦するな。

奴らは人類の敵だ。

殺し、焼き尽くせ。

本当に、そう書かれていた。醜く歪められた怪物のような表情の能力者が、街に灯を付けたり、恐怖に逃げ惑う人々を撃ち殺すような漫画も、掲載されている。

唖然とした。これが、マスコミの。しかも、世界的に一流どころと認められているマスコミの記事だというのか。

しかも、加害者は、どちらかといえばこの現状、「普通の人間」ではないか。

ペンは剣よりも強いという信念の元に、真実を書こうという気骨ある記者はいないのか。新聞を片っ端から漁ってみたが、週刊誌に至るまで、そんな記事は存在しなかった。頭を抱えたくなる。

歴史の授業では、聞いてはいた。

だが、此処まで悲惨だったとは、実際に目にするまでは、信じられなかった。

とどめを刺すように、AIがいう。

「分析完了」

「何がだよ」

「この世界に、何故来る事になったのかを、です。 分析の結果、外的要因からではありません。 原因は、貴方です、シーザー」

「おいおい、巫山戯るな……!」

つまりそれは。

この世界でばれたら、即死確定という事では無いか。

シーザーも訓練を受けた軍人だ。生半可な事でやられることはない。ましてやトップエースなのだ。

だが、それが故に分かる。

数の暴力には勝てない。軍を相手にしたら、生き残るのは無理だ。

 

AIと相談する。

孤島に避難するのはどうか。

それでコールドスリープして、安全な年代まで耐える。もしくは能力を解析して、安全な時代、或いはもとの時代に戻る。

最初は、良い案だと思った。AIもそれは賛成した。

だが、AIがネットに接続して調べてみたところ、とんでも無い事が分かったのである。

この時代、孤島など存在しないのだ。

というのも、フィールド探索者や魔術師は、敗色濃厚になると、最初アトランティスに避難しようとした。

だが、そのアトランティスが、核攻撃を受けたのだ。水爆十発以上をつぎ込むという、異常なものだったという。

あの女の言葉が、脳裏によみがえる。

あの宇宙空間にあった大陸が、もしもアトランティスだったとしたら。

平和条約を必死に締結しようとしたところに、核攻撃を受けたとなれば。あの怒りも、無理は無い。

いずれにしても、アトランティスはどこぞへと消えてしまった。

既に継戦状態を維持できなくなっていた能力者達は、彼方此方に散って隠れようとした。だが、彼らの首には、凄まじい額の賞金が掛かっていた。

治安の悪い国では、その賞金目当てに、片っ端から隣人を殺して顔を潰し、国連軍に持ち込むケースまで存在したという。

孤島からギアナ高地、未知の鍾乳洞まで、誰もが徹底的に探した。

欲が、その行動を後押しした。

多くの人間にとっては、金は他の人間の命よりも、大事なものなのだと。この時、世界は思い知らされることになったのだ。

地下深くにあったシェルターまでもが、掘り返されて襲撃されたのだという。

「ステルスを維持するのも、難しいか」

「エネルギーが尽きるでしょうね。 宇宙空間でコールドスリープする手もありますが」

だが、大気圏外を抜けたとして、いつまで身を隠せるか。

シーザーの時代の技術力でも、大気圏外を行き来するには、それなりの燃料が必要になる。何よりこの戦闘機、そもそも宇宙空間での戦闘を、想定した造りになっているのだ。大気圏内では、いずれにしても消耗が限界に来る。

内部にある修復ナノマシンだけでは、いずれ追いつかなくなってくるだろう。物資だって、いつまで調達できるか。

このヒステリックな社会情勢では、国家などにアクセスして、保護してもらう事も期待は出来ないだろう。

話を進めようとした所で、シーザーの目の前に、映像が映し出される。

まだ年端もいかない女の子を、目を血走らせた男が、馬乗りになって殴り続けている。それだけではない。

周囲には、銃火器で武装した連中が、うようよいた。

すぐ近くの光景だ。

今は廃倉庫に潜んでいるのだが、その前の路地だ。警官も噛み煙草をしながら、見物している有様である。

殺せ、殺せ。

凄まじい怒号が響き渡っている。

「おい……」

「関わるのは止めた方が無難かと」

「ふざけんな! あいつらを適当に脅かして追い散らせ! みろよ! まだ子供じゃねーかっ!」

「どうなっても知りませんよ」

そういいつつも、律儀にAIは、ステルス状態を解除。

そして、威嚇射撃で、凶暴化した群衆を追い払った。

わっと逃げる群衆は、いかにも「正義の行いをしているのに、理不尽な攻撃を受けた」と顔に書いていた。

戦闘機を飛び出すと、シーザーは倒れている子供を抱え上げる。

血みどろだが、まだ息はある。

こんな事、絶対に許しちゃあいけない。

シーザーは、戦闘機に意識が無い子供と一緒に飛び込みながら、そう思った。

 

それからは悲惨だった。

追いかけ回されて、逃げ回って。彼方此方で襲われている元フィールド探索者や魔術師を救出して。

能力の制御が出来るようになったと気付いたときには、既に完全に指名手配犯として、追い回されるようになっていた。

軍とも交戦した。

正確には、攻撃から逃げ回った。

当然、この時代の兵器など、シーザーの戦闘機の敵では無い。だが、それが却ってまずかった。

このままだと、見つかり次第、核兵器を使われかねない。

そうAIが警告する。

シーザーも、そう思っていた。しかもこのヒステリックな社会状況、シーザーを殺すために核を使って、それで結果として普通の人を巻き込んでも、正当化されかねない状況だ。これが、戦争の狂気なのか。

シーザーも軍人だ。

実際に殺し合いも経験してきたし、戦場でおかしくなってしまった奴だって、散々見てきた。戦場で狂気を発する奴は珍しくも無く、カウンセリングは軍医の重要な仕事の一つなのだ。

だが、社会そのものまでもが発狂している状態は、はじめて見た。

これは、人間という種族そのものが、おかしくなったとしか思えなかった。本当に此処から、人類は立ち直れたのか。

十数人を救出して、戦闘機は満杯になった。

内部の医療機構をフル稼働させて、彼らの生命維持がやっとの状態になった。女子供から老人まで、本来なら守らなければならない人々ばかりだった。

それなのに、このイカレた社会は。

彼らを殺そうとしている。

女好きのいい加減な人間を演じてきたシーザーも、これだけは我慢できなかった。

何しろ、無差別攻撃から彼らを守ろうとしていた市長までもが殺されようとしていたのである。

逃げ回りながら、戦闘機を大気圏外に出すのが精一杯だった。

一応、地上の敵軍の追撃は断った。

それも、いつICBMが此方を狙って飛んでくるか、知れたものでは無かった。

乗っているのはけが人と女子供ばかりだと、何度も説明した。

だが、魔術師とフィールド探索者という時点で、「普通の人々」には、虐殺が正当化されるようだったのだ。

「俺の能力だってのか、時間転移が」

「その可能性が100%。 ただし、後天的に与えられた力かと思われます」

「だったら、どうやったら発動する」

「未来に戻るのですか?」

その逆だと、シーザーは吐き捨てた。

未来世界では、歴史は枝状に分岐すると言われている。これはタイムパラドックスに対する答えから導き出された理論で、歴史を変えても、シーザーはいなくならない。更に言えば、この時代の、この狂った歴史も、変わらない。

「こんな狂った事が、許せるのか」

「人類は歴史上、集団ヒステリーと残虐性で、多くの愚行蛮行を繰り返してきましたし、大量虐殺の類も枚挙に暇がありません。 この歴史も、人類の一つの歩みであると理解できますが」

「テメーはやっぱりコンピューターなんだな」

「それ以外の何者でもありません」

コンソールに拳を叩き付けると、シーザーはどうすれば能力を発動できるか、分析するようにAIに命じた。

生存スペースでは、うめき声がずっと続いている。

顔の半分を火傷で覆われてしまった女の子は、意識が戻らない中、親の名前をずっと呼び続けていた。此処では生命維持がやっとで、火傷の治療なんて無理だ。

片足を失ってしまった男は、ずっと訳が分からないことを呟き続けている。心が壊れてしまったのだろう。

比較的無事だったハガー市長も、立ち上がる事はできない。

頑強な肉体だが、散々銃弾を浴びたのだ。常人だったら生きている方がおかしいと、シーザーにも判断できた。

市長は苦しんでいる者達を横目に、心底悔しそうに言う。自分の痛みなど、どうでも良いと思っている様子だった。

「クソッタレなこったぜ。 俺としたことが、焼きが回った。 アトランティスがあんなことになるなんてなあ」

「なあ、一体どうしたらこんな世界を変えることが出来ると思う」

「さあなあ。 ただ、邪神が世界から消えた頃、同時に能力の消失現象が起きたのは事実だな」

AIが、以前戦った浮遊大陸は、残存物質などから、アトランティスに間違いないとか告げてきた。

今更遅い。

それに、シーザーにも、うすうす見当はついていた。あらゆる状況証拠が、そうだと告げていたからである。

「そうなると、これから二十年前……か」

きっとこの時代の人間共は、殺戮の限りを尽くして、全てのフィールド探索者と魔術師を殺し尽くした後、歴史の闇にそれを葬るのだ。

そんなくず共の子孫が自分だと思うと、シーザーは反吐がでそうだった。

何が偉大なるご先祖様か。

ICBMが飛んでくるまでに、どうにか能力を使えるように、解析をしなければならない。

もう、逃げ回る力は、残っていなかった。

 

それが、シーザーの語った全てだった。

シーザーはカツ丼のお替わりを注文してきたので、無言で川背が席を立つ。

確かに、話の筋は通っている。

カツ丼を出して話がスムーズに進むのなら、安いというのだろう。

アーサーが腕組みする。

「スペランカー殿は、どう思う」

「……」

ただ、酷いとだけ思う。

ハガーに話を聞いて、地獄については覚悟していた。だが、具体的にシーザーから話を聞くと、その惨禍が想像を絶していることが分かる。

スペランカーは、別にいい。

だが、フィールド探索者そのものが絶滅するまで徹底的に迫害されるというのは、どういうことなのか。

人類史上、フィールドはどうしても存在し続けた。様々な形で。

対処してきたのは、ずっとフィールド探索者だったのだ。誰も、感謝はしなかったのか。異星の邪神や怪物との戦いで、命を落としたフィールド探索者は、いくらでもいる。彼らの犠牲は、無駄だったというのか。

勿論、救助を受けた一般人だって、たくさんいたはずだ。

誰一人、味方はしなかったのか。

それとも。

脅威が去ったら、もう無用。だから死ねとでも言うのか。

「気持ちは分かるが、仕方が無い事なのだ」

「……」

「特殊な力を持たぬ一般人にとって、そうでは無い存在は、災厄でしか無い。 ましてや異星の邪神という分かり易い最大級の脅威が消えたとき、彼らがどう特殊能力者に接するかは、言うまでも無いことだ」

アーサーは現実的だ。

スペランカーだって、知っている。

この一見陽気で脳天気な騎士が、豪放なだけの愚か者では無い事を。むしろこの人は緻密で論理的な考え方をする所こそ、本質なのでは無いかと思えてくる。

知識も深いし、戦闘時の覚悟も一流の武人に相応しいものを備えている。文字通りの、数少ない、本物の尊敬できる立派な大人なのだ。

だから、時々。怖くもなる。

「いにしえのことわざに、こういうものがある。 狩が終わると弓はしまわれ、猟犬は煮られて料理されてしまう。 恥知らずも良いところだが、それが人間という生き物の本質だ」

そういえば、かって世界を何度も救ったフィールド探索者が、引退した途端、周囲の人間が手のひらを返したと、嘆いていた記録があったという。

怒る前に、悲しくなる。

アーサーはスペランカーから視線を外さずに、言う。戦うときの表情だった。

「ただし、我が輩も、このような事を知ったからには、事実に甘んじる気は無い。 我が輩にコネをつなげてこようとしてきているフィールド探索者がかなりいる。 彼らを利用して、対策を練るべく、情報を集めてくるとする」

お願いします、とだけしか言えなかった。

ショックを受けているらしい。自分の状態に、スペランカーは驚いていた。

我ながら、おかしな事だ。今まで、もっと過酷な現実に向き合ってきたのに。敵を倒すときは、いつも悲しかったのに。

それなのに、いつもの悲しみとは、比較にもならないようにさえ思えた。

巨大な、裏切り。

守ろうと、していた人達からの。分かってはいたのに、それがこれほどの悲しみを造り出すとは、思ってもいなかったのだろうか。

コットンが、川背と一緒にカツ丼を持ってくる。

その時。

コットンを見て、シーザーが小さくあっと呟くのを、スペランカーは聞き逃さなかった。間違いない。

アトランティスの頭脳に、生け贄として自分を差し出したのは。

あらゆる状況証拠から言っても、コットンに間違いなかった。

 

4、うねる闇の渦

 

どことも知れぬ闇の奥底。

複数の影が集まっていた。それらはいずれもが人間であったり、そうではなかったり、形が一定していなかった。

「以上にて、定時報告を終える」

「なるほどねえ。 まさかこのタイミングで、未来からの来訪者があるとは思わなかったよ」

けたけたと、若い声。

同じく若い声だが、落ち着いた雰囲気のものが、触手を揺らしながら応える。

「それで、どうするつもりか」

「Mが此処に辿り着くか、スペランカーがそれを全力で阻止しに掛かるか、その勝負になりそうだな」

あのMでさえ、スペランカーを暴力でねじ伏せるのは無理だろう。

それは、そうだ。

何しろ、スペランカーの体を覆っている海神の呪いは、分析の結果、とても面白い事が分かっている。

クトゥルフが面白半分に掛けた祝福は。今や、かの邪神が思いも寄らぬ力へと変じつつある。

単純な暴力では、たとえ門の神でも、宇宙の中心に座する白痴でも、それを屈服させるは不可能だろう。

ただし、スペランカーについては、いくらでも攻略法がある。

「計画を早めるか」

「スペランカー如き、いくらでも押さえ込めよう」

「奴自身はな。 問題は周囲だ」

スペランカー自身は、判断力以外は、さほど警戒しなくて良い。

奴が多数の邪神を葬っている事を無視している訳では無い。無力化の手段はいくらでもあるのだ。

問題は、その左右にいるアーサーと海腹川背が、どちらも相当に頭が切れる、ということである。特にアーサーは、Mに不満を持つフィールド探索者達とコネがある。奴自身は派閥を作ろうとはしなかったようだが、いざというときに備えてコネは確保したままであったようだ。

それをフル活用されると、色々面倒だ。

川背については、本人のスペックが高い。近年は尋常では無い身体能力を実現していることが、ハスター戦で分かっている。文字通り、体だけで一個師団の軍とまともに渡り合える使い手だ。

もう少し能力に応用性があれば、Mの喉にさえ牙が届く使い手に成長していたかも知れない。

それと、スペランカー自身についても、最近気になる報告が上がって来ている。

奴自身は別に良いのだが、やはり周囲を侮るわけにはいかないだろう。アーサーがコネを持っているフィールド探索者達が、早い段階でスペランカーの周囲に結集すると、面倒だ。

「月に吠える者」

「おう」

「貴殿は計画Bを前倒しして実行。 Mを引きずり出して、斃されろ」

「了解した」

誰もが、死ぬ事など全く恐れてはいない。

顔の無い女と呼ばれる同位体が、挙手する。

「ならば私は陽動としてでよう」

「うむ。 ならば嘲笑う噛む者も同道せよ」

「承知した」

順番に、彼の同位体が、その場を離れていく。

名前が無いほど脆弱な同位体も、それぞれに任務を与えられ、離れていった。

彼らの名前は、ニャルラトホテプ。

人格が複数あるのでは無い。無数の存在が精神世界内で結合し、一つの存在となっている、希有なタイプの異星の邪神である。

単独での戦闘力はハスターやクトゥグア、クトゥルフといった武闘派には及ばない。ただし、その強みは、複数並列思考できる事と、何より一度に多数の体を動かせるという特異性にあるのだ。

そして、その目的は。

「中心にある邪悪が、目覚める時が、まさか来るとはなあ」

「這い寄る混沌よ」

フードで体を隠した、その場で唯一ニャルラトホテプでは無い存在が言う。非常に巨大な口が目立つ老人だった。

這い寄る混沌と呼ばれたのは、ニャルラトホテプの中枢思考システム。

それ自体は体さえ持っていない。

この闇の空間、そのものだ。

「分かっていような。 約束は、必ず守れ」

「ああ、分かっている」

返事をしながらも、ニャルラトホテプは知っている。

この老人が、自分など全く信用していない事を。勿論、老人もそれに気付いているだろう。

J国のことわざで言うと、狐と狸の化かし合い、という奴に他ならない。

この老人も、若い頃はMに匹敵しうる使い手だったのだ。今はその老獪な頭脳を生かして影働きに徹しているが、実際に斃すとなると骨が折れるだろう。

ただし、頭脳戦であれば、ニャルラトホテプの方が上だ。

それに関しては、軍の中にて胎動している、かの勢力も同じ事。

そして、スペランカーも、同じように糸に取り込めば良い。何しろ、奴には決定的なアキレス腱がある。

弱点を持たない方が、人間は強い。

信念は、実はとても簡単に折ることができるものなのだ。

そして、操作もたやすい。いい加減に生きているクズどもも、そうでない輩も。人間なんて、実際には手のひらで踊る道化に過ぎない。

だが、それは。

ニャルラトホテプも、同じなのだが。

ニャルラトホテプは、他の四元素神とは違い、直接宇宙の中心にある白痴とつながりがある。そして、その存在する目的も。

だからこそに、ニャルラトホテプは願うのだ。

皮肉まみれに、思うのだ。

誰もいなくなってから、這い寄る混沌は呟く。

「死にたいなあ。 それで自由になりたい」

けたけたと、無数の個が集まり、それでいながら究極の孤独にある邪神は呟く。

既に、門の神は目覚めている。

後は、一手のみ。

それで、全てが終わる。

あらゆる奸計を巡らせてきた、宇宙屈指の邪悪な頭脳は、ただ全ての破滅だけを願い続けていた。

 

(続)