星の剣道

 

序、憧れの場所

 

子供は、誰もが空に憧れる。

高校に入ったばかりの湯崎かなめも、その一人であった。

地平の果てから、空に立ち上る雲。極めて安価かつ安全なロケット燃料の開発により、宇宙は手の届く場所になりつつある。新しく開発されたこの技術は瞬く間に世界を席巻し、新たなるフロンティアに人類を駆り立てた。月で発見されたいくつもの鉱山が、それに拍車を掛けている。飛来する小惑星も、その餌食になりつつある。

宇宙には、資源が幾らでも転がっているのだ。

今までは、重力の暴虐が、進出を阻んできた。しかし新型ロケット燃料の能力は、それを過去のものとしてしまった。

軌道衛星上には今や国際宇宙ステーションが三十も浮かび、月との中間点にも多数。そして今や、火星への移住計画が本格的に動き出している。短期滞在だけでも、今や宇宙に足を運んだ事のない人間は、少なくとも先進国では少なくなりつつある。

その少数派に、かなめは属していた。

肩まである髪を掻き上げながら、かなめは煙を見送る。近くにある横浜宇宙港から飛び立つロケットの残滓だ。携帯電話と一体化している眼鏡のフレームを押して、思考判別装置を使って検索実施。すぐに今飛んでいったシャトルロケットの名前と、行き先が表示された。

蝉の鳴き声が、五月蠅いくらいに降ってくる。辺りはすっかり夏。巨大な入道雲が空に聳え立ち、だがロケットはそれを軽々と飛び越していく。

薄い唇をぎゅっと噛んで、いつかあそこへ行くのだと、かなめは誓う。もう十年もすれば、無重力で産まれ、無重力で育つ人間も出始めることだろう。月にはコロニーを建設する計画が立ち上がり始めているし、火星のテラフォーミングも決して夢ではなくなりつつある。宇宙の権益を巡る争いも始まってはいるが、未だ銃火を交えるには到っていなかった。

帰路を急ぐ。アスファルトは嫌と言うほど熱せられていて、手足は照り返しで真っ黒に焼けそうだ。後でかなり痛そうだが、それよりも、今日は楽しみな事があった。

未だ木造の、旧時代の遺物のような家にたどり着く。尻尾を振ってじゃれついてくるドーベルマンの頭をなで回すと、かなめは引き戸の玄関を開けた。中は木造だが、しかしクーラーが効いて、気味が悪いほどひんやりしている。風邪を引かない程度に、自動で温度が抑えられているのが、却って不気味だ。

「ただいま」

返事はない。

別に金持ちだから古い家に住んでいる訳ではない。その逆だ。

唯一の財産が、この家と土地なのだ。

居間では、豚のように太った母が、薄型テレビでメロドラマを見ていた。音量は近所から苦情が来ないギリギリのレベルだ。壁の薄い家の中では響いて仕方がない。寝そべってポテトチップスをかじる母は、禁断の恋とやらに現を抜かす男女に見入っていて、かなめに気付きもしない。この分だと、夕食も作る気はないだろう。父は父で、しばらく前から愛人を作って二日に一度はそちらに泊まり込みである。帰ってくれば喧嘩ばかりするので、その方がかなめには心地よかった。

二階に上がると、さっさとベットに寝ころんで、テレビを付ける。メロドラマの何か勘違いした男女の台詞が響いてくるので、ヘッドフォンを掛けて、作業を始めた。

少し古めの液晶画面に、でかでかと映し出されたのは。

剣を持って戦う、古代の戦士達であった。

とある国で大ヒットしたこの作品は、ファンタジーとSFの要素を大胆に取り入れ、なにより迫力のある殺陣のシーンによって名を馳せた。かなめは同時にパソコンも立ち上げると、録画機能が動いていることを確認して、ドラマを最初に巻き戻す。最近の録画機器には、普通についている機能である。

ドラマ部分など、全て無視。大事なのは、殺陣のシーンだけ。

恐らく生粋のファンが見たら、憤激するような鑑賞方法であっただろう。そんな事は最初から分かっている。

かなめはひたすらに動きを分析しながら、実際の宇宙空間でそれを再現するには、どのようにベクトルで力を掛ければいいのか、マウスとキーボードをフル活用して、用意しているツールに書き続けていた。ワイヤーアクションが如何に無理のある力学的な動き方をしているのかが、分析してみるとよく分かる。特撮ではスタントを使った撮影が普通だが、それも部分部分を組み合わせると、力学的には滅茶苦茶だ。だが、宇宙空間では、スラスターによって何かしらの物質を噴射することによって、再現が可能なのだ。

自分で作った立体映像取り込み式のツールはフル稼働を続けている。16TBはこういった作業にはかなり過大のハードディスク容量になるが、それも半分ほど埋まってしまっていた。安いハードディスクだから、足りなくなったら増設するだけだ。黙々と、作業を続ける。

目が疲れ始めた頃、ドラマの分析が終わる。なかなかに有意義な時間だった。

家庭でも学校でも人間関係の構築が希薄なかなめは、自分の作業に延々と打ち込むことが出来た。作業が終わったのはもう夕刻である。次は、十年以上前に放送していたロボットアニメを分析する。

案の定母は夕飯など作る気も無かったので、買ってきたカップラーメンに湯を入れて、それを啜りながら作業を進める。此方も、ドラマ部分など全て無視だ。ロボットの設定資料を取り寄せ、実際にどういうベクトルで力が掛かればアニメの動きが再現できるのか、確認。

アニメでもスラスターからガスを噴射して敵の攻撃を避けているが、まるで参考にならない。その通りにロボットをツール上で動かしてみると、どうやっても回転しながら明後日の方向にすっ飛んでしまうのだ。操縦者が如何に天才であっても超人だろうと、気絶は免れないだろう。

ロボットだけではない。ミサイルや、自動攻撃型のオプションパーツの動きも分析。実際に動かしてみると、一つの噴射口からガスを出すだけでは、とても無理な動きばかりをしている。長細いトマホークミサイルが、実に繊細な調整をしながら飛んでいるのと好対照だ。もちろん、映像的にはそれが美しいのがよく分かる。だが、かなめは無理を承知で実現したいのだ。

数少ない友人達からは、変な趣味だと言われる。そうでない奴は嘲弄のネタにしていた。言いたい奴は勝手に言わせておけばいいと、かなめは考えている。ずっと前に、かなめは諦めた。今後孤独であり続けることは、覚悟している。自分の成果物だけが残ればいいのである。

かなめには、夢がある。これらの分析が完了したら、それを元にして、新たなスポーツを立ち上げるのだ。

宇宙空間、いや無重力に近い状態で、こんな殺陣を再現できる、科学技術の粋を凝らしたスポーツ。

クリアしなければならないハードルは幾らでもある。スラスターの開発もそうだし、多分空間と人間をかなりの精度でリンクさせなければならなくもなる。現行の技術で、クリアできる部分とそうではないものがある。それもより分けて、最終的にはスポンサーを見つけなければならない。それが終わった後は、小規模から着実に初めて、最終的には採算が取れるようにしていかなければならないのだ。

夢はかなわないから夢だという。だが、夢を叶えた者は多く実在している。かなめもその一人になりたかった。

作業が終わると、深夜になっていた。居間で母が大いびきをかいて寝こけている。さっさと風呂を浴びると、パジャマに着替えて、ベットに潜り込む。まだまだ、分析したいデータは山ほどある。少しずつ、処理をしていかなければならない。例え後ろ指を指されようとも。かなめは充実した毎日を送っていた。

宇宙にさえ行ったことがない娘は、大きな夢を見ていた。

それは、長い時を掛けて、実を結ぶ事となる。

 

1、C3コロニーの春

 

外から、声が聞こえてくる。不快感を煽らないように調節された、情報提供バルーンからのものだ。

「本日より、春の気候に移り変わります。 移行期間は昨日で終了。 本日からは、春の気候に移り変わります」

子供の頃から、ずっと聞き続けている声だ。春が終われば、次は夏。夏の次は秋。最後に冬が来て、また春になる。三ヶ月周期で正確に移り変わる気温が、人間の生活を快適にしている。特に日本人の子孫が多く住み着いているこのC3コロニーでは、今後もそれが変わることはないだろう。

生物は、体内に海を作ることで、陸上への進出を果たした。そして今、人類は宇宙に地球を作ることで、勢力圏を拡げているのだ。

寝床から手を伸ばして、眼鏡を探す。今の時代、携帯端末を眼鏡が兼ねるのは当たり前だ。

大あくびしながら、臨は寝床を出た。臨と書いて、のぞむと読む。昨日は、かなり夜更かしをしてしまった。T2コロニーで現在開催されている、星剣道プロKリーグの決勝を、家族全員で夢中になって見ていたら、深夜になってしまったのだ。

しかも昨晩の勝負と来たら、延長に継ぐ延長、白熱した名勝負であった。学校ではさぞその話題で盛り上がることだろう。

今は、無数のコロニーが太陽系に林立する宇宙時代。惑星開発が進み、有り余る資源が活用され、外宇宙への進出までもが始まっている。野球もサッカーも既に過去のスポーツとなり、無重力下で、もしくは低重力下で楽しめるスポーツがそれに取って代わっている。バスケットボールは比較的無重力との相性が良く、未だに生き残っているが、他の多くは地球では人気があっても、宇宙では見向きもされない。

新世代のスポーツには、体を動かすだけではなく、多くの機械的支援があって成り立つものも少なくない。俗に宇宙剣道とも呼ばれる、星剣道もその一つ。特に近年の盛り上がりは凄まじく、プロリーグは四つもある。その盛り上がりを反映するように、どの学校にも必ず星剣道部が一つはあるのが常識だった。学校の授業でも、定番の柔道に加えて、星剣道が取り入れられることさえある。

低血圧の臨が居間に出ると、父母は既に起き出していた。弟はまだ寝こけているようである。

「おはよー」

「おはよう、臨」

「まださとるが起きてきてないの。 起こしてきてくれる?」

「ふあーい」

居間をそのまま、するりと通り抜ける。寝こけているほうが、臨は動きが良くなると、時々言われることがある。無駄に長い髪が、彗星の尾のように着いてくる。弟の扉に手をついてストップ。取っ手を掴みながら、何度かノックした。

「悟、さとるー。 おきろー」

「あーい。 ねーちゃん、ちょっと待ってくれー」

やっぱり、悟も興奮して寝付けなかったらしい。かなり眠そうな声で、返答が帰ってきた。

学校に行くまでは、まだ少し時間がある。起きてきた悟を加えて、朝食にしながら、昨日の興奮の余波を引きずる。

「昨日の決勝、凄かったねー。 私、感動しちゃったよ」

「リッケンは勢いが違うな。 あの延長を制するとは、流石だ」

父が臨に同意する。

リッケン=デアシュタインは、ドイツ系の名選手だ。かつてはフェンシングでも似たようなスポーツを立ち上げる試みがあったのだが、結局星剣道に統合された。リッケンはその際に星剣道に入ってきて、数年で名声を確立。今では絵に描いたようなナイスミドルとして、内外に多くのファンを抱えている。

様々なスキャンダルを引き起こすことでも有名で、スポーツマンとしては様々に問題も多い。お堅いイメージのあるドイツ人には珍しいタイプだが、そのギャップが人気の源泉となっているのも確か。結局の所、実績で批判をねじ伏せるタイプで、そのダーティな所も、年頃の女子達にとって魅力的に映る要因であった。

「カルロスも惜しかったよな。 俺、カルロスが勝つと思ってたのに」

「まあ、カルロスも凄いよね。 もう少しでリッケンに勝つところだったし」

悟に、臨が応じた。カルロスは日系二世で、若手のエースと言われる人物である。大学リーグから去年公式に上がってきた人物で、難易度の高い技を多用することで知られている。ただし、顔はかなりまずく、それが人気を左右する要因となっている。女子人気が低いのと対照的に、男子からはカリスマとみなされていて、恐らく今日学校では、落胆の声が満ちあふれているだろう。

ちなみに臨は、カルロスのファンだ。それを公言すると、マニアックだと周囲に言われる。

どのみち、プロリーグでは何度もカードが組まれることになる。カルロスにもまだチャンスがある。名勝負は、また幾らでも見ることが出来るだろう。

星剣道は空手などの打撃系格闘技に比べると、比較的腕力を使わないスポーツでもある。高い身体制御能力が必要になってくるが、分厚い筋肉そのものはあまり必要ない。始祖である湯崎かなめが細身の女性だったことは良く知られているし、スター選手の中にもとてもスポーツマンとは思えない体つきをしている者が多い。ただし、パワー自体はあれば役に立つし、素人がいきなり始められるスポーツではない。それに、努力しなければ巧くなることも出来ないスポーツでもある。

さっとご飯を胃に掻き込むと、席を立つ。父は薄型の表示媒体で新聞を読んでいた。準惑星である冥王星の近くにあるこのコロニーは、星系外に進出する人達や、逆に帰ってきた者達でトラブルの渦中になる事がある。新聞にも、治安があまり良くないことを嘆く記事が載っていた。

「じゃ、行ってきます」

「いってらっさい」

悟に手を振って応じると、家を出る。

そういえば、今日は転校生が来るという話だった。ふと見上げると、其処に空はない。遙か上にあるのは、逆さに張り付いた街並み。遠心力で外側に引力を作り出している古典的な宇宙コロニーだから、これが普通の光景だ。ただし、擬似的な空を作る計画は、あると聞いている。

人口は三百三十万。中規模のこのコロニーで、加島臨は生まれ育った。現在、高校一年生である。

学校へ急ぐ。途中、級友を何人か見かける。その中の一人。女の子なのだが、髪を短く刈り込んでいる金衣悠木(かないゆき)が、手を振って来た。

「おーっす、のぞむー」

「おはよう、ゆーき」

満面の笑顔で好意を示してくる悠木は、背こそ低いものの、身体能力が高くて、身体計測では常に上位を独占している。外に出ることが多いから、よく体は焼けていて、実に健康的な美に溢れている。

彼女は典型的な星剣道好きで、趣味が高じてロボットアニメにのめり込んだという本格派だ。ただし、現在学校にある星剣道部とは水が合わないため、新しい部を作ろうと画策を続けている。臨もその運動に巻き込まれている一人だ。

今の時代、星剣道部は大隆盛だ。どの学校にもある。中には、二つ以上部がある学校も存在する。

だから、悠木の行動は、異端でも、珍しくもない。

警備用の丸い体を持つロボットが、無数の足を動かしながら通り過ぎていった。通学路には、大体警備ロボットが巡回して、無用のトラブルを避ける。ただ、彼らはさぼった学生も容赦なく捕らえて学校に連れ戻すので、賛否は両論だ。人間なら一発で気絶させる強力な電磁捕獲ネットを始めとする武装と、各機体の緻密なネットワーク連携を持つ彼らのおかげで、犯罪者は通学路に近付くことが出来ない。近付いても、即座に取り押さえられてしまうのだ。多少の武装では、警備用ロボットには歯が立たない。

しかし、守護神の筈だが。子供達には、総じて警備ロボットは不評である。特に優等生とは言い難い悠木は、虫と呼んで忌み嫌っていた。

「何度見ても格好悪いよねー、虫」

「そうだね。 ロボットアニメに出てくるかっこいいのとは、随分違うね」

「ほんとだよ。 警備ロボットがガルゲインのだったら、少しは通学が楽しくなるんだけどなあ」

今はまっているという、六十年前の日本で作られたロボットアニメの名を上げると、悠木は大げさにため息をつく。まあ、二足歩行で原色のカラーリングで、剣を持って羽を生やしたロボットが通学路を徘徊しているのもどうかと臨は思うのだが。

無理矢理に、明るい話題に切り替える。虫の話をしながら通学するのも、それはそれで嫌だ。

「ね、今日転校生が来るらしいじゃん。 どんな人なのかな」

「男子はやだなあ」

「どうして?」

「やだよあいつら。 五月蠅いし、胸とか尻とかばっかり見てるし。 結局考えてるのは、ナニの事だけでしょ?」

一刀両断とはこのことだ。

元々活動的な悠木は、昔は男の子と間違われることが多かった。今は一転して、遊んでいると思われるらしく、脳の容積が幼稚園児程度しか無さそうな男から声を掛けられることが多くて難儀しているという。それらの積み重ねが、いつしか悠木を男嫌いにしていた。とどめになったのは、つい最近にあったある事件だ。彼女の男嫌いは年々酷くなる一方で、特に最近は一刀両断ぶりに拍車が掛かっている。

友人の間では男嫌いを直そうという試みも進んでいるのだが、いずれも上手く行ってはいない。臨は基本的に傍観のスタイルだ。個人の嗜好にけちを付ける気も、絶賛する気もない。

そうこうしている内に、学校に到着。途中から雑談は星剣道の話になっていた。女子の中では珍しく、悠木もカルロスのファンなので、話は弾む。四階建てになっている学校は、標準型の、千五百ほどの生徒を抱えるもので、一通りの設備が揃っている。もちろん体育館もあり、星剣道は三年から授業に取り入れられていた。ただし、敷地が確保できなかったらしく、プールがない。夏は温水プールに出かけていく必要があるのだ。

教室にはいる。温度は一定に保たれているが、少し寒く感じるのは、外の気温が少し上がったからだろう。席に着くと、おのおのの端末を起動する。立体映像を見て、あっと短く悠木が声を上げた。

「しまった。 宿題忘れてたよ」

「あー、今からじゃ間に合わない?」

「無理無理。 ああもう。 飯室のおっさん、怒ると怖いんだよなあ」

頭を抱える悠木を、更に追い打ちするような情報が、端末には入っていた。

転校生は、どうやら男らしかった。

「ゆーき、転校生だけど」

「あー」

心底嫌そうな声を上げた悠木の視線の先には、担任の飯室先生と、それに付き添われて教室に入ってくる、同年代の男の子の姿があった。机に突っ伏すと、悠木は気力が抜け落ちたかのように言う。

「もういいや。 帰って寝ててもいい?」

「そうしたいならそうしろ。 ただし、単位はやらんからな」

顔を上げた悠木の至近に、とても怖い顔を浮かべて名簿を持っている飯室先生がいた。流石星剣道の四段である。近付く気配が全く無かった。ばちーんという凄い音に耳を塞ぎながら、臨はせかせかと授業の準備をする。教卓に戻った先生は、咳払いをする。

「よーし、皆お待ちかねの転校生だ。 挨拶しろ」

「野田縞六(のだじまろく)です。 よろしくお願いします」

教壇の脇でぺこりと頭を下げたのは。何だか眠そうな目をした男の子だった。背は低く、肌も白い。

コロニーによっては、標準重力とされている0.7Gを確保できず、更に満足な日照も得られないような所もある。主に発展途上国サイドの投資で作られたような場所がそれで、悪名高い金星の周回コロニーからは、日々ろくでもない情報が流れ込んでくる。そういった場所では、肌が白くなったり、体が細くなりがちだ。

ただ見たところ、少年は単純にひ弱な感じで、国家とか家族とかの虐待の結果、そうなったとは思えない。

「野田縞はX44コロニーから、親御さんの都合で此方に来た。 前のコロニーでは、主に文学、詩を専攻していたそうだ」

 X44と言えば、日本資本の大型コロニーだ。臨も知っているくらいだから、かなりの有名コロニーである。主に学業に力を入れていると聞いていて、内外で有名な学者を、何人も輩出しているそうである。もちろん、此処出身で専業作家をしている者も珍しくない。しかも、高校生で、専攻となると。

「専攻って言うと、飛び級ですか?」

「ああ。 だが一年飛び級はしたが、どうもあわないらしくて、元の学年からやり直している所だ。 と言う訳で皆とおない年だから、仲良くしてやるようにな」

「はーい」

恥ずかしそうに野田縞が頭を掻いたので、好意的な笑い声が漏れた。どちらかというと、勉学に打ち込みすぎて体を全く動かさなかった、いわゆるもやしっ子であるらしい。ジェンダーフリーの現在、主夫や家の中で仕事をしている男性は幾らでもいる。体が弱い男子に対する偏見も特にはない。

休憩時間中、他の生徒達が野田縞を囲んでわいわいやっているのを、臨はぼんやり見ていた。情報は後で幾らでも入ってくるし、今のところ接点もあまり感じない。古典文学や詩はちんぷんかんぷんだし、何よりひ弱な男の子は好みではない。頼りがいがある方が良いとは言わないが、せめて自分の身は守れるくらいの方が好きだ。

だから、野田縞が話し掛けてきた時は驚いた。放課後、帰ろうとした矢先である。

「ええと、加村さん、ですよね」

「あ、転校生の。 そうだけど、どうしたの?」

「のぞむー、実はねー」

ひょこりと、野田縞の後ろから悠木が顔を出す。そういえば、転校生に突撃しているのを、目撃はした。そして、腐れ縁が続いている相手だから、分かる。これは、ろくでもないことを目論んでいる時の顔だ。がっしり野田縞の両肩を後ろから掴んでいるのは、逃げられないように拘束しているようにしか見えない。実際結構力が強い悠木である。今こそ現役のスポーツ少女ではないが、充分にそれに準じる力はある。野田縞の貧弱な体力では、逃げられないだろう。

「野田縞って、星剣道に興味があるんだって」

「うん。 それで?」

「後二人、キバとるんが加わってくれれば、第二星剣道部、作れる」

そういえば、新しい部を立ち上げる時には、五人の生徒を集めなければならない。だが元々あまり人脈が広くない悠木は、随分それで苦労していた。臨は別に構わないが、まだクリアしないといけない課題は幾つもある。

箱と呼ばれる部屋が星剣道には絶対必要になってくるが、そちらは多分大丈夫だ。ここはかつての東京ではない。プールは確保できなくても、そのくらいの部屋だったら学内に幾つか余っている。常に部活動は定員ではないし、最悪幾つかある倉庫を使わせて貰う手だってあるのだ。

「また急な話を」

「急なもんか。 ようやく念願が叶うってのに!」

「あー。 悠木は良いけど、転入生の。 あんたはいいの?」

「僕はずっと文学漬けでしたから、体を動かすことには憧れていました。 できれば加えていただけると嬉しいです」

何だか心底嬉しそうに言うので、臨は対応に困った。ゆっくりした喋り方も、母性本能を刺激する要素に満ちている。何年か前の弟を見ているような感触である。

「あー、そう。 で、それでさ。 一番の問題が、顧問をどうするかと、あとどう生徒会を説得するかだけど」

そうだ。それが一番の問題なのだ。

理論上は五人揃えば部に出来る。だが顧問の先生は必要になってくる。星剣道は年齢問わずに人気のある部活だが、学校随一の腕前を誇る担任飯室先生は、今存在している部の顧問をしている。他に、経験がある人がいるとは聞いていない。

もう一つ大きな問題が、生徒会に納得させることだ。悠木が今の星剣道部を気に入らないのは、極めて個人的な理由からである。何故現在の部が気に入らないかと聞かれたら、返す言葉がない。もちろん腐れ縁の臨は理由を知っているが、あまり表に出せる内容ではない。気持ちはよく分かるから、悠木に着いてきているのだ。

「そうだよね。 それが問題だよね」

「説得は僕がしてみましょうか?」

「……」

二人して、転校生を見る。にへらにへらと子供のように笑っているこの同年代の男の子は、もともと文学畑の人間だ。人当たりも良いし、相手を不快にするとは思えない。だが、今の生徒会は、豪腕で知られる鬼生徒会長の庭だ。もし威圧的に接されたら、縮み上がらないだろうか。

「まあ、あの二人に説得とか出来るとは思えないし、いいんじゃね?」

「知らないよ、そんな無計画な事でどうなっても」

たしなめるが、悠木にそんな事を言っても無駄な気もする。元々、何か始めた時の集中力が凄まじいのと同様に、軌道修正も難しい子なのだ。既に悠木の脳内では、第二星剣道部を作ることは決定事項らしい。まあ、猪突猛進な所は、友人達で支えてやればいいのだ。随分悠木には助けて貰ったこともあるし、それくらいは構わない。

「じゃあ、善は急げだよね。 キバとるん呼んでくるよー」

「うん。 分かった」

ぱたぱたと掛けていく悠木を視線で見送る。後は、野田縞と二人で教室に残された。気まずいなと思ったが、先に口を開いたのは野田縞であった。

「加島さんは、星剣道が好きなんですか?」

「うん。 ちぃーっと趣味はマニアックだけどね」

「そうなんですか。 スポーツに打ち込めるのって素晴らしいですよね。 僕は今まで、ホワイトボール一つ持ったことなくて。 星剣道も、リーグすらまともに見たことがないです」

ホワイトボールというのは、星剣道と人気を二分する、宇宙スポーツだ。文字通りの白いボールを使って密閉空間で得点を競う。これも星剣道同様、どの学校にも当たり前のように部がある。

「その様子だと、もちろん光剣も持ったこと無い?」

「はい。 だから誘っていただいた時は、とても嬉しかったです。 何も知らないですけれど、頑張ります」

「あ−、あんた男っぽくないから、悠木も平気だったんだろうね」

これは好機ではある。男嫌いでアレルギー持ちの悠木が、この機会に更正してくれるかも知れないからだ。

それに、もし第二星剣道部が作られれば。

臨自身も、星剣道に打ち込むことが出来る。高校に入ってから感じていた退屈も、少しは紛れようというものだ。

すぐに悠木は戻ってきた。満面の笑顔を浮かべている。

「キバはオッケーだって。 るんはもう帰っちゃったから、携帯でメール飛ばしておくわ」

「そっか。 そうなると、どっちみち明日だね」

第二星剣道部に入る人員を募る必要は、これから生じてくるだろう。それと。このクラスにも、何人か星剣道部の人間がいる。彼ら彼女らとは、断絶するかも知れない。その辺りは、覚悟しておかなければならなかった。

かなり遅くなってしまった。警備ロボットが増えた帰路を、急ぐ。三人とも家の方向はばらばらなので、帰路はすぐに別れることとなる。夜になると、コロニーの照明は低めにされて、天井の所々で星が瞬く。立体映像を利用した一種の擬似的な星空の構築なのだが、比較的高級なコロニーにしか備わっていない。一応星天図にそった配置で、星は並べられてはいる。

自宅に着くと、弟はもう帰ってきていた。すぐに夕食にする。やはり昨晩の試合の事で、学校で盛り上がったらしい弟が聞いてくる。

「ねーちゃんの学校じゃ、やっぱり盛り上がったのか?」

「ううん、ちょっと今日はそれどころじゃなくてね」

不安はあるが、希望もまたある。

明日からが、楽しみであった。

今は、既に一学期の半ば。悠木につきあった結果、臨は部活にはいることに出遅れた。だが、既に部活にはいることは諦めていただけに、今回の件は、好機とも思える。それに第二であっても、気の合う連中と星剣道やれるのなら、これ以上の幸せはないではないか。

明日、るんの返事次第では別の希望者を募らなければならないが、それはそれである。

寝床にはいると、また興奮していることに気付く。よく眠れないかも知れないと、臨は思った。

 

2、部活動立ち上げ

 

翌朝。通学の途中で、臨の携帯にメールが入った。

眼鏡と一体化している携帯で、メールと言えば視覚的な情報として処理される。空中に不意に現れるメールマークに触れると、中身が展開された。この時、事故が起こりやすいので、携帯は周辺警戒モードに入る。人や車にぶつからないように、自動で散漫になった注意を補ってくれるのだ。幸い誰にもぶつかることなく、臨はメールを読み終えた。

メールはもちろん悠木からのものであった。るんがオッケーしてくれたらしい。この時間にメールが飛んでくると言うことは、既に学校にいると言うことだろう。活動的な悠木らしい。普段はサボりがちなのに、こう言う時は誰よりもアクティブになる。

歩いていると、噂のるんが手を振って近付いてきた。長い綺麗な髪を持つ、淑女然としたるんは、いつも浮かべている笑顔が素敵である。

「おはようございます」

「おはよう。 何だか悠木が急に張り切っちゃって、今後忙しくなりそうだね」

「そうですね」

るんの本名は水梨音与(みなしおとよ)と言う。音を楽譜記号に見立てて、るんとあだ名を付けたのは、もう別の学校に行ってしまったかつての友人だ。今ではそれが浸透していて、本人が嫌っていないので、半ば公認のものとなっている。

中学時代まで、るんは音楽関係の部活に入っていた。かなり良いところまで行ったこともあり、中学では有名人だった。ピアノを弾く姿は素晴らしくはまっていて、男子にはかなりもてていた。学校での行事として、発表のコンクールに見に行った事も何度かある。他校の生徒からも、名が知られていた程である。

だが色々な事情から、中学三年の時に音楽から手を引いて。それからはすっかりフリーになっていた。高校に入ってから音楽系の部活に勧誘もされたのだが、それらの全てを断ったのは、やはり色々と抱えているものが大きいからだろう。

「それにしても、るんがスポーツ系の部活かあ」

「私も、体を動かす事には憧れていましたから」

「転校生と同じ事を言うなあ」

けたけたと笑うと、うふふと笑い返される。まあ、楽しく部活をするには、これで別にいいだろう。ただし、戦力としてはあまり期待できない。これからしっかり鍛えれば多少はマシになるだろうが、それでも地力の差は補いがたい。

天才なんて、そう転がっているものではない。凡人では、才能の差など知れている。だからこそに、努力がものを言うのだ。小さな頃から努力を続けている人間とでは、埋めがたいものがある。

星剣道が隆盛の今、星剣道部にはそういった連中が集まっている。臨が知っているだけでも、七八人はいるはずだ。第二星剣道部を素人中心で立ち上げる以上、溝は簡単には埋まらないと、覚悟は決めておいた方が良い。もちろん悠木は試合で一勝位したいと思うだろうが。この面子では、かなり厳しいだろう。公式戦をするとなると、五対五が基本となる。一回でも勝ちを拾えれば、儲けものだと思うくらいである。

「ところでその転校生って、悠木が好きそうな感じなんですか?」

「好きって言うか、アレルギー体質の原因にならないって言うか。 何て言うか、草食系な感じだね」

「へえ。 あの悠木が、おとなしそうな男の子に興味を持つってのも、不思議な感じですね」

「もしくっついたら、男女逆転カップルだね」

好き勝手なことを言い合っているうちに、学校に到着。教室の前にいる、やたらでかい影に気付く。手を振ると、小さく頷いた。

「おはよ、キバ」

「お、おはよう」

ぼそりと、それだけつぶやく。相変わらず茫洋とした奴である。

本名、牧場貴子。パン屋の娘だが、そうはとても見えない。パン屋ではなくプロレスラーじゃないかと言われるほど体格の良い両親から産まれた彼女は、はにかみ屋で恥ずかしがりにも関わらず、やたら体格に恵まれてしまった。背も並の男子より高く、顔もかなり男っぽい。女子と一緒に歩いていると、カップルだと勘違いされることさえあるという。結果、女子にはやたらもてるが、男子には見向きもされないという、悲しい状況に陥ってしまっている。中身は普通の女の子だけに、気の毒な話である。

ちなみにあだ名は本名の一部と、特徴的な八重歯から来ている。もっとも、彼女の背丈だと八重歯などと言う可愛いものとは思えないし見えもしないので、キバなどと言うあまりにもあんまりなあだ名がついたのだ。本人は別に嫌がってはいないが、もっと可愛らしいあだ名がないものかと、時々臨も思う。

ほとんど必要なことしか喋らない彼女だが、腕力は同じ背丈の男子顔負けで、スポーツも一通りできる。特に空手は数年の経験があり、実力者として鳴らしていた。同級生を襲おうとした大柄な痴漢を投げ飛ばして撃退してからは、彼方此方の運動部からスカウトされたほどだ。

ただし星剣道は経験がないはずで、あまり高い戦力としては期待できない。しかしながら、元々スポーツで培った下地があるので、伸びは早そうである。

教室を覗き込むと、何人かの生徒が既に来ていた。その中に悠木と野田縞もいる。気の早い悠木は、端末を操作して、部活動立ち上げ申請書を印刷している所だった。指紋認証を通すと、申請書が机の脇のプリンタから吐き出される。これは電子書類ではなく、紙媒体でないと受け付けられないという、面倒な代物だ。

「おはよう、ゆーき」

「おはよ。 あ、丁度いいから、名前書いてくれる?」

「いいけど、何で私から?」

「そりゃあ、部長はあんたが相応しいと思ってるからだよ」

いきなり何を言う。隣でにこにこしているるんは介入してこない。教室に恥ずかしがって入ってこないキバに到っては、視線を向けると顔を赤らめて首を振る有様だ。

「む、無理」

これが小柄な少女だったら微笑ましい光景なのだが。

色々と困った臨は腕組みして首を傾げる。このままでは、本当に部長にされかねない。それにしても、予想外の展開であった。部を立ち上げるのは良いにしても、まさか自分が部長にされそうになるとは。

「何でゆーきが部長やらないの?」

「そりゃあ、私、アホだから」

「理由になってないってば。 私だって、成績なんかそんなに良くないっての」

悠木と臨は、成績的には良い勝負である。どちらもあまり良いとは言いがたい。しかし、最下層と言うほどに低くもない。アホでもなく出来る訳でもないというのが妥当な評価だろう。

「臨が部長だったら、安心できそうなんだけどなあ」

「此処で争っても不毛ですし、部長になっていただけませんか?」

笑顔で野田縞が言う。困った話である。

クラスメイト達が興味津々の様子で此方を見ている。後でこの視線が冷たいものに一変しないか、少し心配だ。

「わーったわよ。 別にいいけど、ただ、あんまり期待には応えられないかも知れないわよ」

確かに野田縞の言うことも一理ある。るんは周囲を引っ張るタイプではないし、転入生の野田縞は論外。キバは怖がりだから部長にはそもそも向いていない。残るは消去法で臨と悠木だけだが、どっちにしても大差はないだろう。

五人が順番に名前を書いていく。キバはすごく恥ずかしそうに教室に入ってくると、視線を浴びて真っ赤になりながら、やたら可愛らしい文字で名前を書いた。るんは逆ににこにこはしているが非常に堂々としていて、字もやたらと達筆である。自分の硯とオーダーメイドの筆を持っていると言うだけのことはある。悠木には副部長をして貰うと言うと、頭を掻きながら凄く嬉しそうに頷いた。よく分からない奴である。

始業十分前のチャイムが鳴る。キバと同クラスのるんが、大柄な彼女の制服の袖を引く。るんはキバの数少ない親友で、そのつながりで悠木や臨ともつるむようになったのだ。

「牧場さん、行きましょう」

「う、うん」

まるで女王とボディガードだなと、歩いていく二人を見て臨は思った。

教室に飯室先生が入ってくる。いつも難しい顔をしている先生だが、教室の空気を敏感に感じ取ったらしい。眉に更に皺を寄せて、教室を見回すと、教卓に立った。名簿を拡げて、名前を呼び始める。視線が何度か悠木と臨の頭上を行き来した。ひょっとすると、此方の目論みに気付いたのかも知れない。

厳しいことで知られる飯室先生だが、結局は公平な人で、ひいきとも嘘とも無縁である。部活動を巡って敵対関係になったとしても、今後臨や悠木を悪く扱うことはないだろうとは思うが、しかし怖いことに違いはなかった。

 

昼食後、最初の授業は体育だ。

今日は座学なので、教室で星剣道のビデオを見ることになった。有段者である飯室先生は、別に楽しそうにするでもなく、淡々と時々立体映像を止めながら、解説を入れていく。皆が緊張しているのは、これがもろにテストに出てくるからだ。

立体映像の中では、箱という密閉空間の中、二人の男が向き合っている。手には光り輝く剣。服装は、古式ゆかしい防具ではなく、普段着に近い和装だ。普段着も許可はされているが、剣道に敬意を表して、和装が推奨されるのが習わしである。なお、スカートを穿く女子はいない。理由はやってみればすぐに分かる。

低重力環境になってから、スカートは廃れて久しい。下手をするとすぐにめくれてしまうからで、特に星剣道のようなスポーツではまともに服の意味を成さない。

男達の服には、姿勢制御用のスラスターがたくさん着いている。正確には三十六個。このスラスターが、星剣道の肝だ。

「見ての通り、星剣道は箱の中で行われる、機械の支援があって初めて成り立つスポーツだ。 普及するまではずいぶんとゲーム的だの武道ではないと侮られた歴史もあるが、奥の深さと抜群の面白さで、批判をねじ伏せてきた。 皆もリーグの選手は一人や二人知っているだろう」

星剣道の歴史など、解説されずとも誰でも知っている。だが、それを承知で、飯室先生は解説を続ける。そしてとんでもない隠し球がテストでは出ることがあるので、油断は出来ないのだ。

先生がビデオを進める。

二人の男が進み出て、礼をする。この礼が、星剣道の最初の関門である。具体的には、実際に剣を握ってみれば分かる。姿勢制御用のスラスターは、殆どガスを出していない。流石だとか、凄いなとか、声が上がる。実習用のビデオに出るだけあって、この二人、相当な使い手である。最低でも三段以上はありそうだ。

特徴的な金属音が響き、試合開始の合図となる。

実習用のビデオだから、すぐに戦いが始まる訳ではない。ビデオを止めながら、飯室先生が言う。

「此処までで、何か質問は?」

返事はない。今時、星剣道に興味が無くても、試合を見たことがないものなどいない。子供でも、此処までの流れは理解している。だが、改めて口に出してみると、随分違う印象を受けることもある。

「それでは、進める。 まずは、基本的な型からだ。 星剣道で使う光剣は、皆も知っているとおり、箱と感覚をリンクすることによって作り出す、擬似的な武器だ。 剣道では実際に竹刀を振るって相手を突いたり殴ったりする訳だから、重厚な防具が必要になってきた。 だが星剣道ではそれが必要ない。 故に、より実戦的に、より攻撃的に、剣を振るうことが可能となった」

かつては竹刀、或いは木刀で本当に殴り合っていたのだからぞっとする。

ビデオの映像が切り替わり、主な型と人体急所が表示される。基本は正中線である。当たりやすい上に、入れば確実に相手を即死させられる。だから、星剣道でも、まずは正中線を抜くことを考えるように教えられる。

続いて頭、胴、足、腕等と弱点の性質が説明される。バーチャルリアリティの空間とシンクロしている星剣道では、ダメージ判定が得点と、試合の続行につながる。判定が深い場合、戦闘不能とみなされ、その場で一本が入る。戦闘不能と判断されない場合でも、傷が深い場合はスラスターの動きに制限が加えられ、著しく不利になる。

精神的な修養と、如何に美しく型を再現するかを重視する剣道では、この辺りの極めて実戦的な仕様が忌み嫌われた歴史があるが、今は武術として充分にこれが成立している。言うまでもなく低重力下での実戦でも非常に役に立つ代物なので、軍では必修科目になっているそうである。

ビデオが、また進められる。向かい合う二人の男に、映像が戻る。

ふわりと、両者が床を蹴る。上段に構えていた右の男を、左の男が下段から迎撃。光剣が激しく火花を散らし、弾きあう。もちろん立体映像だが、これを目くらましに使う高度な戦術もある。下がろうとする右の男。左の男は天井近くまで飛び上がると、天井を光剣で擦りながら加速。スラスターをふかして、回転しながら躍り掛かった。

大振りだが、鋭い一撃を、右の男はかろうじてかわす。床を蹴って、更に壁に張り付いた右の男は、間髪入れずに再び斬りかかる。二度、三度と剣が交えられた。空気をプラズマが焦がすのと、同じ音がする。これはとても良くできた合成音声で、試合を確実に盛り上げる。実力の割には若干動きが遅いように見えるが、これは教材だから、分かり易く動いてくれているのだろう。

激しい攻防だが、不意に右の男の動きが鈍くなる。

飯室先生が、其処でまたビデオを止めた。

「此処で、どうして動きが鈍くなったか。 それはスラスターの燃料には限界があるからだ。 試合には幾つか規格があるが、スラスターの数と搭載できる燃料は昔から決まっている。 右の男は、あまりにも激しく動きすぎて、燃料を消耗してしまったのだ」

ビデオをまた進める。

ここぞ勝負所である。左の男が、踏み込むと、正中線を割り断った。

一本が入る。二人の男は、再び向かい合うと、礼をした。普通なら、此処で両者スラスターの燃料を補給して、二戦目に入るのだが。これはあくまで模擬試合なので、此処で終わりとなった。

幾つか技術的な説明が入った後、授業は終わりになる。悠木が休み時間、隣に来た。野田縞はと言うと、次の授業に備えて、教科書の整理をしている。少し話してみて分かったが、気の毒なくらい生真面目な子だ。折角授業の準備をしているのに、邪魔をしては悪い。

「今日の放課後、生徒会室に行こ」

「そう言うと思って、昼の間に申請は済ませておいたよ。 分かってると思うけど、部長だって言うなら、以降は私がリーダーシップ取るからね」

「お、やる気が出てきたじゃん」

「しょーがないでしょ。 誰かさんが、ここぞって時に尻込みするんだから」

はっきり言い返すと、申し訳なさそうに悠木は頭を掻いた。まあ、無理強いしても仕方がない。此処は、部長になった人間が頑張らなければならなかった。

 

生徒会長は、ずんずん生徒会室に入ってきた五人を見ると、書類から視線を外した。此方を一瞥するでもなく、助手の書記に茶を持ってくるように言う。三つ編みの可愛らしい格好をしている生徒会長なのだが、表情はいつも険しく、声は低く威圧的。辣腕で知られていて、教師達にも信頼されている。成績はもちろん学校一である。結果、ついたあだ名が恐怖のモカ人形だ。ちなみにモカ人形というのは、五十年の歴史がある、女児用の可愛らしい人形である。生徒会長共々、都市伝説の主人公としても、ちょっとした人気者だ。

「星剣道部を新たに立ち上げたいそうだな」

「はい。 部員は揃えてきました」

「確かに書類に不備はないが、簡単に言ってくれるな。 星剣道は、もともと金の掛かるスポーツだ。 新しく部活を作るとなると、箱用の部屋もいる。 幸い最近箱構築用のプログラムはとても安くなってきているが、着替えをする場所や、機材類一式にしても、揃えるには手間も費用も掛かる。 現状の星剣道部に入ればいいだろう」

正面から正論が来た。生徒会長は乗り気ではないらしいと思ったが、すぐに修正する。生徒会長であれば、当然の事を言っているだけで、別に悪気も敵意も無いだろう。むしろ、無理難題を言っているのは此方なのだ。

それに対して、悠木が野田縞を肘で小突く。頷いた転校生は、理路整然と弁を振るってくれた。

「調査してみましたが、当校の星剣道部は既に部として円熟し、規模的にも近隣最大に近いものとなっています」

「それで?」

生徒会長は茶を飲み干すと、露骨に眉根を寄せた。書記の女の子が、真っ青になる。後でこの子が何をされるのか、空恐ろしい気がするが、知らない世界のことだと思って放っておく。

「此処で、校内に新しい部を作ることによって、刺激になるのではないでしょうか。 ただでさえ近年は、大会などでも思ったような実績を上げられていないようですし」

「言ってくれるな、転校生」

「そ、そんなでもありません」

恥ずかしそうに野田縞が頭を掻いたので、ちょっと脱力。別に褒められている訳ではなくて、威圧されているのだ。この少年、ひょっとすると何処か微妙にずれているかも知れない。キバなんかは側から見ていても、露骨にびくびくしている位なのだ。生徒会長も対応に少し困ったらしく、茶を一啜り。本当にまずそうにしながら言う。

「そこまで言うなら、星剣道部にとって刺激になってもらおうじゃないか。 指摘されるまでもなく、最近の奴らはだらけ気味で、飯室先生が嘆いていたくらいだ。 お前達が出てくるまでもなく、元々、部を二つに割る計画もあった」

「え? それじゃあ」

「最初から、部室も備品も用意はある。 それを狙っていたのだと勘ぐったほどだ。 だがな、さっきも言ったとおり、元の星剣道部に活を入れられなければ意味がない。 二つある同一の部は、憎み、競い合ってこそに意味がある」

競い合えさえしないようでは、存在する意味がないのだと、冷酷な生徒会長は言った。確かにそれはある。というよりも、言われるまで考えもしなかった。この辺り、生徒会長になるような人は、ひと味も二味も違うと言うことだろう。

悠木は表情を崩さない。自分の感情的な問題を前に出して生徒会長を説得できはしないと、彼女も分かってはいるのだろう。最初、それを臨も心配はしていた。だが、事態は予想を超える方向へ動き出しつつある。

「期限は、三ヶ月。 それまでに、個人戦か総合戦か、どちらでもいい。 どっちかで、星剣道部から一勝を挙げろ。 それが出来れば、第二星剣道部の存続を認める。 出来なければ、部品は全て返して貰って、星剣道部を分割することになる」

これは大変なことになった。

最初から分かっていた通り、星剣道部には、幼い頃から星剣道をしていたような連中が集っている。学校ではなくとも、地域的なプログラムで、星剣道が行われている時代だ。コロニー時代の初期から、五十年間以上に渡って打ち込んでいるような人だっている。十年以上のブランクは、簡単に埋められるものではない。

「それで良ければ、第二星剣道部の設立を認めるが」

「はい。 やります」

皆の視線が集まる中、悠木が頷く。臨も一つ歎息すると、頷いた。

生徒会長は明日から部室を開放してくれると言う。今日は業者が夜のうちに来て、機材類のセットと箱の調整をしてくれると言うことだ。仕事が早いと言うよりも、こういった作業は、書類の電子化が当たり前になった現在は高速化している。

生徒会室を出る。不安だらけの臨の横で、るんが嬉しそうに手を合わせる。

「良かったですね、加島さん、金衣さん」

「るん、あんた、事態がどれだけ深刻か分かってる?」

「高校生の頃って、一番身体的に伸びるんですよ。 元々やる気のないと嘆かれていた星剣道部です。 一生懸命頑張れば、追いつくことは出来ますよ」

笑顔のまま、途轍もなく楽観的な事を、るんが言った。まるで仏像のような素敵な笑顔なので、水を差すのがためらわれる。

ジェンダーフリーが当たり前の現在、男女の区別はない。当然のことながら、第一剣道部にも、強い女子選手はいる。現状は使い物になりそうにもない野田縞にも選手として出て貰うことになるだろう。

団体戦の場合、五人の中で三人は勝たないと、勝利とはみなされない。剣道の頃からの、決まり切ったルールだ。

「ねえゆーき。 強そうなのスカウトした方がいいんじゃない?」

「いいよ、このままやろ。 三ヶ月って目標があるわけだし、あたしもブランク取り戻すのには、それくらいで丁度いいし」

悠木は考えを変えないらしい。木訥としているキバは、相変わらず辺りをちらちらと見ては、何かに怯えているようだった。今はキバの気持ちが分かる気がする。悠木だって、今はどっかへ逃げたい気分だ。

いずれにしても、賽は投げられた。

これから三ヶ月で、ここしばらくやる気を失っているとはいえ、精鋭が揃っている星剣道部に勝たなければならない。

思った以上に、事態は深刻を極めていた。

 

翌朝。心地よく眠っていた臨は、緊急メールの音にて、無理矢理たたき起こされた。

低血圧で朝には弱い臨である。慌てて眼鏡を探したものの、二度ほど取り落としてしまう。やっと見つけて手元に引き寄せて、メールを展開した時には、完全に不機嫌に陥っていた。

「何だよ、誰だよ」

メールの出し主は、悠木だった。それで、大体内容も察しがついてしまった。苛立ちがこみ上げてくる。

「部室が出来た。 出来るだけ早く見に来て」

恐らくは、昨晩出来たはずの部室を、早起きして見に行って、結果を知らせてきたのだろう。そう思っていたが、見事に適中した。別に箱の構築なんか、今時三流の業者でも出来る。星剣道用の箱構築プログラムなんか三十年も前に完成しているし、重力軽減装置だって、下手をすると一般家庭にさえあるようなものなのだ。

嬉しいのは分かるが、まだ六時半だ。臨の家族も、全員白河夜船である。そしてこういう中途半端な時間に起こされると、後の微妙な時間をどう眠って良いのかよく分からなくもなる。

「良いから、もう少し眠らせて」

メールを送ると、再び寝床に潜り込む。結局いつも通り七時半まで眠ってから、食事にして、臨は家を出た。何度かメールが来たが、全部無視したのは、低血圧なのにたたき起こされて頭に来ていたからだ。

途中、キバとかち合う。キバも朝にはあまり強くない性質らしく、たたき起こされてかなり参っている様子だ。

「おはよう、キバ」

「おはよう」

茫洋とキバは応えた。眠そうな目がちょっと怖い。しばしの沈黙の後、部長と呼んだ方が良いかと言われたので、今まで通りでよいと応える。そうすると、安心したキバは、不器用に微笑んだ。これが普通の背丈の女の子だったらまだかわいげがあるのだが。キバのような図体でやられると、ちいと怖いので問題である。

教室に出ると、悠木が満面の笑顔で迎えてくれた。文句を言えそうな雰囲気ではない。隣では、眠そうな野田縞が机に突っ伏している。どうやら馬鹿正直に呼び出しメールに応じたらしい。るんも居ると言うことは、彼女もだろう。もっとも、るんの場合は血圧が低い訳ではなく、そう辛くはなかっただろうが。

「見てー。 箱の写真!」

どこからどう見ても、普通の箱である。

大会用などとなってくると、流石に精度は0.001%の誤差まで絞り込まれたようなものが使われるが、学校に置かれるようなものだとせいぜい標準規格。どのみち低段位や段も持っていない人間が使うのだから、精度の高い箱など必要ないのだ。

スラスターは最低でも36×5で180必要になってくる。もちろん他に部員が入ることや、予備も必要になるから、300から400はあった方が良いだろう。納入備品に目を通す。スラスターは十人分、360用意されていた。これはまず順当なところだ。光剣も同じく十。後は、着替え用に袴がいる。

「着替えの袴は?」

「あたし、持ってきたよ」

「僕も、昨日のうちに用意しておきました」

昔は廃れていた袴だが、星剣道の隆盛と共にまた普及しつつあり、現在では普通の洋服屋でも買うことが出来る。

口々に手を挙げた悠木と野田縞。るんは笑顔で軽く頷く。キバはと思って視線を向けると、彼女はやはり茫洋とした口調で応えた。

「用意、してきた」

「じゃあ、備品が無くても大丈夫かな」

何を隠そう、臨も袴は用意してきてある。というよりも、昔のものを引っ張り出してきただけだ。

後は着替えだ。ざっと生徒会の資料を確認する。更衣室は、それぞれ専用のものは用意できなかった。まあ、この規模の部活なら仕方がない話である。小規模部活用に、共用の更衣室があるので、それを使うことになる。後で野田縞とるんをそれぞれ案内してやらなければならないだろう。

「さて、これから三ヶ月、か」

「頑張ろうね」

語尾にハートマークを付けて言う悠木。気持ち悪いからやめれと言うと、何故か恥ずかしがった。

そして朝早起きしたツケか、授業中居眠りを続けていた。

 

3、修練の日々

 

星剣道に限らず、どんなスポーツでも絶対に必要なものは決まっている。基礎体力である。

部活動立ち上げの初日から、早速開始したのは走り込み。様子を見ながら、トラックを回る。やっぱりるんと野田縞が出遅れた。臨もしばらくブランクがあるから、200メートルトラックは、20周ほどでばてた。平然としているのは悠木で、三十周しようが四十周しようが、余裕があって、走り回り続けていた。

こう言う時、野田縞が先に買い込んできてくれていたスポーツドリンクのピッチャが実に役立つ。実に気が利く青年である。もう一人入ったらマネージャーにしてあげたいところだ。悠木は反対するだろうが。

朝晩の走り込みに加えて、食事の改造からも始める。プロテインを取るようにすることで、筋肉を付ける。他にも持久力に結びつけるため、食事の制限を指導。おやつなんぞ食べている暇があったら、牛乳と小魚だ。流石にげんなりした様子の悠木だったが、るんとキバは平然としていた。キバに到っては、茫洋としたまま言う。

「平気。 パンでないのを食べるから、むしろ気分転換になっていい」

「そうなんだ」

「キバさんはパン屋さんでしたよね。 余るようなら、僕にいただけませんか」

「分かった。 適当に、持ってくる」

野田縞のまぶしい笑顔に、キバはやはり同じように応えた。相も変わらず、喜怒哀楽が読み取れない奴である。恥ずかしがっているのは分かるのだが、それ以外の感情はまるで見えてこない。

走り込みと肉体改造の他には、まだやることが幾らでもある。

まずは素振りだ。

型が全てだった剣道と違っている。とは言っても、星剣道でも同じように型は重要だ。なぜなら、型は先人の知恵の結晶だからだ。どうやって振れば無駄に力が入らないか。どう握れば、無為に力が流れないか。踏み込みはどうすればいいか。それらの全てが、型には詰まっている。

光剣は、竹刀と丁度同じ重さと空気抵抗に調整してある。特に箱の中で振ることにより、それは完全に竹刀と同じものとなる。剣道の遺産と呼ばれる仕様は他にもいろいろあるのだが、結局の所理にかなっているので、誰も変えようとは言い出さない。

最初は経験者の(といっても、臨は一年、悠木は三年程度だが)二人が箱に入って調整。未経験者がやりやすいように、調整を続けた。

四日目から、素振りにはいることにした。誰も反対はしない。未経験組はむしろ喜んでいたほどである。

スラスターは、吸着装置がついている、ボタンに似ている。袴に軽く付けるだけで、吸着装置の働きで外れなくなる。重さも殆ど感じない程度だ。ただし、段位を得られない内は、着ける場所が決まっている。何故かは、実際に星剣道を少しでもやってみればよく分かる。

箱に指定されている部屋にはいる。スイッチを押して、バーチャルリアリティ構築装置を起動。部屋にはいると同時に、意識のシンクロが行われる。光剣のスイッチを入れると、刀身が現れた。これも段位が出るとカスタマイズ可能なので、後々が楽しみではある。

かつてリアルタイムでシンクロするバーチャルリアリティと言えば、大昔のゲームのように画像が荒い代物であったが、今では全く現実と遜色がない。光剣のスイッチを入れたるんが、黄色い声を上げた。

「わっ。 凄いです」

「最初は楽しいんだよねー。 もっとも、ブランクがある私らも、あまり人のことは言ってられないんだけど」

「そうなんですか?」

「そうなんです。 まあ、腕が上がらなくなるまで振らないといけないから、結構大変なんだよ」

別に脅かすつもりはない。

竹刀と同じ抵抗と重さで作られているので、光剣はかなり振るのが難儀なのだ。その上、箱の中では後々重力を制限するので、更に付加が大きくなる。慣れない内は、スラスターの助けがあっても、振った途端にくるくると回ってしまうのだ。これを俗に新人回りと言う。誰もが通る道である。あのカルロスも、初心者の頃は素振りの度に回って笑われたと、楽しそうに雑誌の取材に応えている程だ。

星剣道は重心を制御するスポーツだと、誰だかが言った。全くもってその通りである。公式リーグで見られるような、高速でのやりとりや、ダイナミックかつアクロバティックな技は、それこそ自分の重心と、体にかかるベクトルを知り尽くしていないと出来ないのだ。

高等技術になってくると、更にそれが顕著になる。床でも壁でも自由に利用して良い星剣道だからこそ、むしろ基本的なルールを如何に守るかが重要なのだ。

三人並んで貰って、光剣を構えて貰う。握りももちろん重要だ。格好の問題ではなく、変な握り方をすると、試合中に光剣がすっぽ抜けることになる。もちろんすっぽ抜けた光剣にも当たり判定はあるので、下手をすると自滅することになる。たかが握り方だが、されど侮れない。型と同じく、これも先人の知恵なのだ。

四回、五回と、握っては構え、握っては構えを繰り返す。そのうち、野田縞が目立って上手になってきた。キバは茫洋としているが、動き自体は理にかなっている。ただし、全体的に遅い。るんはあくまでマイペースだ。だが、期限が限られている以上、あまり合わせてもいられない。

三十回基礎動作を繰り返したところで、一旦休憩を入れる。外を延々と走り回っていた悠木が戻ってきた。既に外では人工照明がおとされ始めている。あまり遅くなると退去させられるので、密度の高い訓練が必要だ。

すぐに野田縞がスポーツタオルを持ってくる。気が利く奴である。相変わらず、マネージャーの方が向いていそうだ。顔をタオルで拭きながら、悠木がぼやく。タオルからは、殺菌乾燥用の微熱風が漏れ出ていた。

「星剣道部覗いてきた」

「どうだった?」

「いや、酷いもんだわ。 主力の何人かはふけて帰っちゃってるし、新入生もだらけきってる。 箱の中で漫画読んでる奴もいた」

「それでも、今の私達じゃ勝てないよ」

緩みそうになる士気を、そうやって引き締めておく。そうだ。それだけ、経験の差は大きいのだ。

「今日は素振り五十入れてから上がろうか。 明日からは、ペースを上げていこ」

「よっしゃ、やるか」

皆はやる気十分だ。少なくとも、士気では確実に星剣道部を上回っている。このモチベーションを維持したまま、三ヶ月後に持っていきたいものだと、臨は思った。

 

風呂場で、筋肉痛が出始めた体を揉みながら、臨は楽しいなと思い始めていた。この感覚、懐かしい。始めたばかりの時の高揚感と、同じだ。

星剣道の愛好家は多い。

臨は元々、町内会で作られている星剣道愛好会に両親と一緒に顔を出して、覚えた口である。道場も近くにはあったのだが、両親と道場主が犬猿の仲で、そちらに通うことは選択肢としてありえなかった。実際拝金主義の目立つ道場で、評判もあまり良くはなかった。今では更地になっている。

サークルは楽しかった。一年ほど通って、高段位の人間と手合わせしたこともある。プロリーグに所属していたこともあるという老人で、確かに桁違いに強かった。回りは大人ばかりだったが、随分楽しい時間であった。

結局、様々な事情が重なって、サークルを離れることになった。それでも、あの頃の楽しい記憶は残っている。悠木の強引な誘いに乗ったのも、それで星剣道が好きになったからだ。有段者である両親にしても、熱心なファンである弟にしても。家族の絆は、星剣道で支えられていると言っても過言ではない。

色々な要因が重なって離れてはいたが、今でも星剣道は大好きだ。

夜更かしをすることも、無くなっていた。風呂から上がり、エアタオルで体を乾かしてからベットに入り込むと、すぐに意識が落ちる。健康的な話である。ただ、三ヶ月後というと、夏休みの直前だ。二回のテストもあるし、そちら対策として、睡眠学習装置にはきっちり入っておかなければならない。これが結構疲れるので、最初は難儀することになりそうだ。

だが、始めたばかりの三人に比べれば楽だと自分に言い聞かせて、我慢する。

底なしの体力を持つ悠木は、平然としていた。別種の生物としか思えないあの肉体は、実に羨ましい。

目が醒めると、もう朝だ。夢を見ている暇もなかった。ここ数日は、以前より一時間早く学校に出ている臨だが、低血圧なのでこれだけは慣れない。

学校に出ると、もう全員揃っていた。皆実にやる気のある部活だ。このモチベーションを維持していけば、かつて悠木が味わったような挫折を、二度と繰り返すことはないだろう。

素振りの回数を、少しずつ増やしていく。

走り込みの距離も、だんだん伸ばしていく。

星剣道部は此方のことなど気にもせず、相変わらずだらけきっていた。少しでも差を縮める、今が好機であった。

朝練が終わって、タオルで顔を拭いていると、野田縞が面白いことを言い出した。

「昨日、星間ネットで面白いものを見つけてきました」

「というと?」

「星剣道部の、試合の様子です。 今部長をしている猪俣さんも出ています」

「というと、去年の国体かな? 確かあいつ、去年からレギュラー張ってる筈だし」

二年も年上の相手をあいつ呼ばわりしながら、悠木がスポーツドリンクを飲み干す。無理もない話である。犬猿の仲どころか、不倶戴天の間柄であるからだ。あいつなどというのはむしろ好意的な呼び方で、場合によっては豚とか狐とか、人間以外の呼び方をしている。

猪俣は実力的には中の上と言うところで、特に目立つところのない星剣道家である。彼よりも実力的に勝る部員は何人もいるだろう。

卓越しているのは、その政治力と、下調べの手腕だ。兎に角相手の弱点を見つけ出すのが上手で、技の癖や、精神的な弱みまで握って、縦横にそれらを駆使して試合にも勝ち残ってきた。

剣道部がだらけているのも、彼による恐怖政治が大きい。何しろ全員が弱点を握られてしまっているため、勝ち目がないのだ。その状況にあぐらを掻いてしまっている猪俣が怠けきっているので、部員達も完全にやる気を無くしている。

この状況に飯室先生が何故黙っているのかは、よく分からない。ある程度の挫折がないと立ち直れないと考えているのかも知れない。どちらにしても、猪俣は星剣道部の癌だ。そして今、第二星剣道部としても、倒さなければならない相手である。素人に完敗したとなれば、権力に対する異常な執着を見せ続けた流石の猪俣も部長から引きずり下ろされるであろう。

「猪俣はあたしがぶっつぶす。 良いよね?」

「駄目」

「どうして?」

「感情的になると、剣は鈍るよー。 どうせ主将として大将で出てくるから、私がやっつけるよ」

そうは宣言したが、簡単ではない。

仮にも猪俣は有段者で、その上初見では対処が難しいトリッキーな戦法ばかりを使うのだ。ただ、ここのところ奴は、トップに立ったことで完全に油断している節がある。誰よりも腕が鈍っているのは、此奴であろう。

もっとも、それにさえ、今は勝てないのだ。

「どっちにしても、今は剣を磨くことだね。 今のままじゃ、誰も星剣道部の奴らには勝てないだろうし」

そう言うと、皆の顔に影が差す。経験者でさえそうなのだ。未経験組に到っては、なおさらである。

まだまだ、修練は始まったばかりだ。

 

高校生の頃は、一月で化けると言う。

恋をした女子は別人のように綺麗になるし、強くなろうと決意した男子は顔つきからして変わってくる。平和な世界でそう顕著な変化をする者はあまりいないと聞いてもいるが、それでもたまに、友人が劇的に変わるところを、何度か臨は見てきた。

残念ながら、第二剣道部の面々に、一月が経過した今、劇的な変化は訪れていない。

ブランクは、大体克服した。走り込みも辛くなくなったし、素振りも体に馴染んできた。上段だけではなく、下段や中段も素振りする。悠木にいたっては、もう箱の実戦プログラムを起動して、模擬戦をこなしているくらいだ。

三人の中で、一番伸びが早いのは、野田縞だった。最初は手を豆だらけにしていたのだが、今ではかなり上手に素振りをこなす。マイペースなるんも決して成長は遅くない。飲み込みがかなり早いようで、今では全く豆を作らずに素振りをこなせるようになっている。キバは体格が良いこともあって、兎に角全ての動作が豪快だ。素振りは若干遅いが、しかしパワーが凄い。剣道では重視されなかったパワーも、星剣道では、使い方次第で役に立つ事もある。男子顔負けのこのパワーなら、軽量級の経験が浅い選手では太刀打ちできないだろう。ましてや、キバは空手の経験があり、戦闘のやり方を良く知っているのだ。それがパワー以上に大きい。

臨は試合が終わったら、段位を取得しようと思っている。元々サークルで初段寸前までは行っていたのだ。かつて継続年数だけを問われた剣道の段位だが、星剣道では様々な電子ネットワークなどによる評価制度を導入していて、実力さえあれば幼くして段位を取ることも出来る。もちろん臨は天才ではないので、もう少し勉強を続けないと、段位どころではないが。

素振りが終わる。皆の疲労も、それほど酷くない。そろそろ頃合いかなと、臨は思った。

「今日から、本格的に箱に入ってみようか」

「本当ですか?」

野田縞が目を輝かせる。これからの修練は、この間の顔見せ的なものとは違う。重力を軽減しての、本格的なものとなる。この飛び級君の事だから、バーチャルリアリティ構築装置とかを使って、自主的な訓練くらいはしていただろうが、きつくなるはずだ。丁度おあつらえ向きのタイミングで、箱から悠木が出てきた。

「ん? どしたの?」

「これから、箱に入ってみようと思って」

「よろしくお願いします」

「よろしく……」

ぺこりと綺麗な角度で、るんが頭を下げる。少し恥ずかしそうに、キバがそれに続いた。まずは着替えだ。今まで着ていた袴の上に、スラスターを着ける。これは指定の位置があるので、それにそって着けていく。もちろん覚えきれるものではなく、サポートプログラムがある。ガイド音声に沿って袴にセット。腕、足、背中などに、まんべんなく着けていった。

着替えが終わると、全員で、ぞろぞろと箱にはいる。入り口で、全員が光剣を手に取る。起動プログラムを入れて、全員の意識のシンクロを実施。光剣を作動させる。重力軽減装置を入れると、箱の雰囲気が変わってきた。

「これからどうなるんですか?」

「それはこれからのお楽しみ」

「何だか、怖い」

キバが不安そうに言う。野田縞は何も言わない。この様子からいって、多分うちでも散々擬似的に経験しているのだろう。

元々、一対一の試合用に作られている箱には、幾つかの特徴がある。

まず、内部には突起物がない。完全な箱になっていて、ねじの頭一本も突起はないのである。これは、有段者同士の戦いになると、かなり高速で駆け引きが行われるため、危険だからだ。敢えて室内に障害物判定を設置する上級者ルールというのもあるらしいが、軍の訓練で使われることが主体で、公式戦には出てこない。壁の間の溝でさえ、丁寧に消し込まれている程なのだ。

完全な平面の中では、照明が完全に固定されて、何処にいても同じ明かりを感じるようになっている。温度は15℃。少し寒いが、体を動かすには丁度いいところだ。重力は0.2G。こちらも意図的に上下させるルールもあるのだが、公式戦で使われることはまず無い。

箱の規格は、十メートル×6面の、正立方体である。五人が入っても、充分な余裕がある。プロ星剣士になってくると、この広い箱の中を縦横無尽に使い、高速かつ立体的な戦闘を行うのだ。

重力軽減装置が、起動シークエンスを終えて、動き始めた。わずかな違和感の後に、体が軽くなる。

「きゃっ!?」

るんが可愛い悲鳴を上げた。ちょっと力を入れてしまったのだろう。体がふわりと浮いて、尻餅をついてしまったのだ。重力というのは厄介なしろもので、少し変わるだけで結構な影響が出る。ましてや今、普通の家庭ではあまり経験しないレベルの軽減が、皆の体を襲っているのだ。手を貸して、ゆっくり引っ張り起こした。転びこそしないが、野田縞もかなり四苦八苦しながら、体を立て直していた。

かつて、テレビゲームというものが一世を風靡した。今でも充分にその余波は残っていて、子供の遊びの重要な一つとなっている。もちろん、大人の鑑賞に堪えうるものも幾つでもある。

この星剣道は、それらテレビゲームの技術が極限まで進化したものと、古来より伝わる武術が結びついたものだ。そして今、それは決して机上の技術ではなく。現実に対応できるものへと変わっているのだ。

「まずは、歩く練習から」

「歩く、事からか」

「そう、歩くことからだよ。 ちょっと重力が減っただけで、どれだけ大変かは分かったでしょ? まず普通に歩けるようにならないと、試合前の礼だって出来ないからね」

俗に、星剣道でごっつんこと言われる事故がある。初心者同士が試合をする場合、礼をする時にバランスを崩して、そのままごっつんこしてしまう事を言う。笑い話のようだが、初心者の内は誰もがこれをする。もちろん試合でこれが起こったら、即座に両者負けが決定だ。初期はあまりにも頻発したので、今では大会規定で決められている。

こわごわ踏み出したキバが、ぽーんと天井近くまで上がってしまった。ここでパニックになってスラスターをふかすと更に悲惨な状態になるので、何も言わずに、敢えて黙っておく。

「うわ、あ、わっ!?」

「おー。 花火だ」

「花火?」

「ごっつんこと同じ、用語の一つ。 私も何回かやった」

手足をばたばたしている内にキバが落ちてくる。幸い、天井に頭を打つことはなかった。床に落ちると、かなり怖かったようで、真っ青になって右往左往していた。

「る、るん!」

「牧場さん、大丈夫ですか!?」

「こ、怖かった!」

「これは、時間が掛かりそうだ」

ぼやきが漏れた。だが、最初からそれは分かっていたことだ。

後、二ヶ月。中間テストと期末テストのことを考えると、もう余裕はあまり残っていなかった。

「最初は壁際に沿って歩くことからだね」

「はい」

「それがこなせるようになったら、外での素振りを百回、箱の中での素振りを同じく百回かな。 それが出来るようになったら、試合をしてみようか」

今後は、帰宅時間もどんどん遅くなるだろう。勉強は授業中にこなしてしまうしかない。臨自身にもかなり厳しい状況だが、星剣道を折角出来る機会なのだ。第一星剣道部をコテンパンにして、此処は是非部の設立を認めさせたい。

そしてどうせやるならば、是非とも全勝したい所であった。

 

4,試合前夜まで

 

箱の中で二人、臨と悠木は向かい合っていた。手には標準的なサイズの光剣。間合いは、試合開始の時から、動いていない。

有重力下で行われていた剣道では、相手の間合いを剥がすために、気合いの声を発しながら短くステップをするのが普通だった。しかし、ベクトルがとても大きな意味を持つ星剣道では、それはない。仕掛ける前は、とても静かなのだ。

悠木が、踏み込んだ。スラスターが、ガスを放射する。

「しゃっ!」

鋭い上段からの一撃。剣を横にして、受け止める。激しいプラズマの燃焼音が、当たりの空気まで焦がすようである。僅かにさがりながら、間髪入れず飛んできた首を狙った一撃を受け止める。二太刀、三太刀、四太刀。受け止めつつ、反撃の好機を狙う。不意に、悠木が突きに切り替えてきた。剣を振るって弾きつつ、懐にはいる。

逆袈裟から、一息に切り上げる。だが、手応え無し。見ると、僅かに体を反らした悠木が、見事に剣の根本で受け止めていた。

弾きあって、離れる。床を蹴って高度を上げた臨に対して、悠木はあくまで体勢を低くして、低い体勢から迎撃に入るつもりだ。

天井、壁と続けて蹴り、加速。次で、勝負を掛ける。スラスターから出るガスが、体勢を無理矢理固定し、一気に距離を詰める一助とする。悠木はスラスターをふかして後退、相対速度を緩和しながら、壁を背にした。上段に構えた悠木と、一気に攻め掛かる臨。攻守は逆転し、最後の一点へと集束する。

交錯の瞬間、勝負があった。

両者共に相手を斬っていた。しかし、臨の剣の方が一瞬だけ早く、それで判定勝ちとなった。この辺りは、まだ実戦的とは言えないところだが、しかしスポーツとしての限界でもある。

所詮スポーツは、相手を殺すためのものではないのだ。

戦術コンピューターが、勝負の分析結果を出す。それによると、悠木は77点、臨は82点だった。ちなみに500点満点なので、まだまだ二人とも素人レベルだと言うことである。

箱を出ると、重力が急にきつく感じるから面白い。重力酔いという現象も起こる。事実それで、キバは最初の数回は、生理の時のようにきつそうにしていた。入れ替わりに、野田縞とるんが箱にはいる。

部屋の隅で座っていたキバが、ぼそりぼそりと言った。

「おつかれ。 二人とも、強い」

「まだまだ。 やっとブランク回復できたくらいだよ」

後一月である。それでどうにか、奴との差を詰めたいところだ。悠木は既にブランクを回復して、その先へ行こうとしている。今回は何とか勝てたが、いつもの勝率は、少しだけ悠木が上だ。

若いというのは育つのも早いと言うことらしい。既に野田縞もるんも、普通に低重力の中で行動できるようになってきている。るんはマイペースだが、スラスターの使い方を一番にマスターして、今はトリッキーな戦いを得意としている。野田縞はと言うと理詰めで最初から最後まで戦えるし、キバはパワーで相手を叩きつぶすやり方を得意としている。段位を取得してカスタマイズが許されるようになったら、長大な光剣を使うと更に伸びそうである。

箱の中で、野田縞とるんが向かい合って、礼をした。スポーツドリンクのストローを口に含みながら、悠木が言う。

「どっちが勝ちそうだろ」

「さあ? 実力的には、良い勝負じゃない?」

「おーおー。 女どもが群れちゃって。 何してるんだ?」

不意に場に割り込んでくる嫌らしい声。とっさに外部からのモニター回線を切る。非好意的な三対の視線が集中する先に。如何にも相手を馬鹿にしきっている表情を浮かべた男が立っていた。

星剣道部主将、猪俣三田男。高校三年生であり、実力よりも策略でのし上がってきた男である。此奴に試合の様子を見せる訳にはいかない。ちょっとしたことからも、弱点を察知されかねない。その能力だけは、本物なのだ。

その場で食いつきそうな顔をしている悠木を、視線で抑える。新入部員歓迎会で酒を飲まされた挙げ句、ホテルに連れ込まれそうになったのだから当然だ。しかも此奴は、同様の手口で女子生徒を何人も食い物にしていると言われている。悠木に到っては、簡単に遊べそうだと思ったからやったとかほざいている有様だ。その場を臨が通りかかったから良かったが、そうでなければ悠木は。

あの件はうやむやのままもみ消されたが、思えば悠木も、その時のことを蒸し返されるのが嫌で部長を辞退したのかも知れない。

一応甘いマスクをしている猪俣だが、その視線は常に胸やら腰やらを行ったり来たりしており、生来の下劣な性格がよく分かる。

「で、部を作ろうとか言うのは、俺様への当てつけか?」

「いいや、別に」

「邪魔だから、帰ってもらえます? 猪俣先輩」

「邪険にすんじゃねーよ。 てめーみたいな尻軽を敢えて口説いてやったんだ。 感謝されこそすれ、恨まれる理由なんてねーんだよ」

不意に、猪俣の体が浮いた。

そして、部屋から消える。外でもの凄い激突音が響いたのは、直後のことだった。

キバが無言で後ろ回し蹴りを叩き込んだのだ。星剣道こそシロウトだが、彼女は空手であれば三年の経験がある。その上生来腕力には恵まれているので、あまり大柄でない猪俣くらいの相手ならこの通りだ。大概の場合、暴漢も独力で撃退できる。もっとも、彼女を襲おうとする暴漢などいはしないが。

部屋の外で逆さになって伸びている猪俣は、完全に白目を剥いていた。スラスターもない有重力下で、星剣道しか経験のない者は無力だ。情けないその姿を写真に収めてから、ドアを閉めて、鍵を掛ける。もしこれ以上部屋に来るようなら、この写真を星間ネットにばらまいてやればいい。

悠木は涙を流していた。このままだと、彼女の男嫌いは、更に加速することだろう。悠木が尻軽だと。この子は今まで男子とつきあったこともない。全て、見かけだ。何もかも見かけで判断されて、勝手な噂がばらまかれる。そして殆どの人間が、その噂を鵜呑みにする。

「大丈夫。 あいつ、私が絶対にぶっつぶして、部長やめさせてやるから」

「……ごめん」

「いいって」

決意を、新たにする。

最初は悠木の悲劇から始まったかも知れない。だが、この戦いは正義だ。猪俣は、間違いなく悪しき敵である。戦いなんかに正義は殆どの場合無いが、今回だけは違う。いかなる手を使ってでも、猪俣は叩きつぶさなければならない。

そして、奴に牛耳られている、星剣道部もだ。

模擬戦を済ませたるんと野田縞が箱から出てきた。鈍そうな野田縞はきょとんとしていたが、るんはすぐに状況を察したようだった。

「何かあったんですか?」

「うん。 絶対に勝とうねって話」

「? ええ、はい」

野田縞が頷く。此処で悠木を慰めてくれれば良かったのだが。

どうやら純真少年は、見かけの通りかなりのにぶちんの様子であった。

どのみち、既に戦いの準備は整っている。後は、奴らを叩きつぶして、正義が此処にあることを、照明するだけだった。

 

初夏に気候が調整されている。六月が終わろうとしていた。

三ヶ月の期限まで、まもなくである。早朝のトレーニングをするべく、ストレッチをしていた臨に、るんが声を掛けてきた。

「加島さん、試合の申請書を出してきましたわ」

「ありがと」

いよいよ、だ。

あれから、猪俣はちょっかいを仕掛けては来ない。先生に状況を話しておいた事もあるのだろう。ただ、裏でこそこそ此方の弱点を嗅ぎ回っているらしく、嫌な話が幾つも飛び込んできていた。

ただ、此方には名家の出であるるんがいる。それである以上、あまり無体なことは出来ないだろう。事実、暴力的な圧力は、今まで一度もない。ただしそれも、試合に負けたら意味がない。

野田縞が、入ってきた。昨日かなり激しい修練をしたので、超回復目的で、今日は訓練を減らしたのだ。

「おはようございます」

「おはよ」

「今朝、ちょっと面白いデータを拾ってきました」

「え? 何?」

野田縞が、周囲を見回してから声を落とす。優れた情報収集のスキルを持つこの男の子は、やはりマネージャーに向いている。今回は、その力をダークな方向へ発揮したらしい。

「少し不正な方法を使いました。 星剣道部の、箱の使用履歴を、ネットからアクセスして探ってみました」

「わお。 それで?」

「ここ三ヶ月、殆どまともに使っていません。 一応道場で素振りはしているようですが、此方を舐めきっています」

それなら、勝ち目があるかも知れない。

ただし、それでも手強い相手である事に間違いはない。星剣道一筋で来ている連中も何人かいるし、ブランクがあると言っても、簡単に埋まるものではない。野田縞もるんもキバも、三ヶ月の猛訓練で相当に力を伸ばしたが、まだ少し足りない気がする。

何か、もう一つ、決定打が欲しいところだ。

猪俣の支配を快く思わない連中も、星剣道部にはいるはずだ。そう言う者達を味方に付けられれば、少しは変わるかも知れない。いや、それは駄目だ。この五人で、連中を潰せなければ意味がない。

猪俣を潰した後に、此方が知っている情報を、全てばらまけば仕上げは終わりだ。奴の居場所は何処にもなくなる。後は下劣な手段を用いて権力を得ることなど出来ず、おとなしく生きていくしかなくなるだろう。

しかし、現実問題として、どうするか。

多分、猪俣は有段者五人を揃えてくるはずだ。スラスターの位置的なカスタマイズを許されている有段者相手に、段位のない五人が挑むのは難しい。星剣道部の主要メンバーは大体分かっているし、戦闘パターンも分析済みだが、何か一つ、手が欲しい。

ドアが開いて、悠木が入ってきた。昨日少し早く帰った彼女だが、何だか疲れている様に見えた。

「おはよ」

「おはよ、ゆーき」

僅かな沈黙の後に、彼女は驚くべき事を言う。

「段位、取ってきた」

「ほへ?」

「だから、段位取ってきた。 次の戦い、絶対負けられないでしょ?」

「でも、いいの?」

あの挫折の時。悠木は泣きながら誓っていた。勝つまで、段位は取らないと。臨はともかく、彼女には充分にその実力が備わっていたのに、だ。だが、その誓いを、破るというのか。

「いいよ。 もう手段なんて、選んでられないでしょ?」

「それも、そうだね」

悠木だけでは無理かも知れない。ブランク分は、充分に取り戻した。今なら、スラスターのカスタマイズにも耐えられるかも知れない。

悠木がこだわりを捨てたことで、臨も吹っ切れた。立ち上がると、皆を見回す。

「今日、悪いけど、少し早く帰るね」

「段位取るの?」

「うん。 もう、私も、選んでられないからね」

段位の取得自体は、あまり難しくない。バーチャルリアリティにて、幾つかの試験をクリアすればいい。今までの訓練で、充分に初段並みの実力には達している自信がある。かならず受かる。

もちろん、初段後の戦闘スタイルについても、既に決めている。迷うことは、何一つ無い。必ず勝たなければならないのだ。

残るは、僅かである。

一番辛い立場の悠木が、最後の決断をしたのだ。部長を任された臨が、此処で尻込みしていては話にならない。

「勝つよ、みんな!」

拳を振り上げて、皆が雄叫びを上げた。

正義は我にある。臨はこれ以上もなく、徹底的に、猪俣を潰すつもりでいた。

 

猪俣三田男は焦っていた。彼は敏感に感じ取っていた。自分が、完膚無きまでに追い詰められている事を。

元々、三田男は知っていた。自分に星剣道の才能がないことを。どれだけ努力しても、巧い奴には勝てないことを。自覚したのは、小学生の頃だ。その頃には既に、やるせない敗北感と絶望が、彼の心を侵食していた。才能の差というのは残酷で、自分の三分の一しか努力していない相手に負けることもあった。直前までへらへら談笑していた相手にまるで歯が立たなかった事もある。

悔しくて、何度も三田男は眠れぬ夜を過ごした。

多くの人間は、そのまま負け犬として、勝負の場を去る。だが、人一倍プライドが強かった三田男は、そうしたくはなかった。負けを認めたくはなかったのだ。

悩んだ彼がすがったのが、故事だった。

すなわち、いかなる手を使ってでも名声と勝ちを拾いに行った男。宮本武蔵である。

一時期極端に美化された事もあった。だが現在では、かの人物は勝つためにはいかなる手でも平然と使った男だという解釈が一般的になってきている。勝てそうにない相手には、家族を人質に取ったり、弱みを握って脅した。隙を見せたら不意打ち闇討ち何でもあり。心理攻撃は当然のこと、どんな奴でも踏み台にする。もちろん弟子を大勢引き連れて、面倒な相手は袋だたきだ。

そのような輩が大いなる歴史的高みに登ったのだ。三十を過ぎてから立ち会いを避けるようになった宮本武蔵。勝てない相手とは戦わない主義の持ち主であった。そうして、彼は不敗の名を築き上げたのだ。

卑劣だと、三田男は思った。そしてそんな奴が、歴史的に大手を振るって歩いている。それを知った時、三田男は天啓を受けた気がした。卑劣で良いのだ。勝てば良いのである。どんなことをしても。バレさえしなければ、法だって破って構わない。どうせ相手だって、隙さえ見せれば突いてくるのだ。そんな事をされるくらいなら、此方から隙を突いてやれば良い。

今までのつっかえが、全て取れた。三田男は自室で高笑いしてしまった。

それから、三田男の、暗くて孤独な戦いが始まった。

どんな相手でも、弱みはある。徹底的にそれを握り、精神的に追い詰めた。闇討ち裏打ち何でもやった。試合が始まる前に、あらゆる手段を講じて、敵を潰した。いざ試合が始まった時には、何もかもが終わっていたのだ。

そうやって、部員も支配した。誰もが三田男に弱みを握られた。とても簡単だった。隙を見せない人間などいないのだ。そして三田男には、相手の弱みを握る才能があった。恐怖と暴力で、才能に勝る相手を支配するのは、無情の快感だった。

だが、気がついた時には。

誰も、心を許せる相手がいなかった。誰もが三田男を恐れていた。家族でさえ、三田男と口を利こうとはしなかった。更に、部長になってからは、勝ち続けなければならないという重圧も加わった。

もちろん、その間も星剣道の修練は続けていた。だが、才能の差は、彼の年ではもう致命的な段階にまで来ていたのだ。下手をすると、一年や二年にも尋常な手段では勝てなかった。遊んでばかりいるような奴に、どれだけ修練を重ねても一蹴される。ただ、才能があるかないかと言うだけで。

ますます三田男は、追い詰められていった。

いつの間にか、彼は魔王と呼ばれるようになっていた。一年でも二年でも、彼を恐れない者はいなかった。そして彼自身も、周囲を恐れた。誰もが、自分を陥れようとしているように思えたのだ。

負の連鎖が重なっていき、いつの間にか三田男は、人並みに好意も示せないようになっていた。謀略でしか相手と接することが出来なくなっていた。周囲は全て三田男の行動を、何か悪事の前触れと取るようになってきていた。

何となく良いなと思った一年の女子が部に入ってきた時も、悪癖が頭をもたげた。酒を飲ませてホテルに連れ込んで、既成事実を作ろうとした。自分でも、何をしているのか、よく分からなかった。感覚が麻痺してしまっていたのかも知れない。しかもそれは未遂に終わった。自分が悪いことは分かっていた。それなのに出てきた言葉は、謝罪ではなく侮辱だった。

そして今。巧く恋愛感情を伝えられなかった相手が。憎悪と共に、完膚無きまでに自分に復讐すべく、迫ってきている。

誰も三田男に味方をする者など、いない。例え何かの事故で三田男が死んだとしても、誰も悲しまないだろう。自業自得だと、全ての人間が言うに違いない。

部員達は、意図的にサボタージュする姿勢を見せていた。誰もが気付いているのだ。三田男が失脚する寸前だと。星剣道家としての誇りはあるだろうから、手は抜かないだろうが。しかし、真剣にやるつもりもないだろう。

誰もが、三田男が消えることを喜ぶだろう。そして一度落ちてしまえば、二度と這い上がることは出来ない。

恐怖のあまり、悲鳴を上げそうになった。

敵は、誰もが認める正義。そして自分は、滅びても同情さえされない、悪とさえいう価値さえ無い存在。

それでも、魔王らしく、三田男は星剣道部で、ふんぞり返っていなければならなかった。

練習をさせようかとも思った。だが、誰も言うことを聞かなくなっているかも知れない。それが怖くて、怠けている部員達をぼんやり眺めるだけだ。

もはや、試合では、自分が相手を叩きのめすしかない。

それしか、三田男に生き残る道はない。

そして、気付いた時には。

あれほど巧みだった、弱みを握る技術さえ。手元から滑り落ちていた。

孤独な魔王の転落など、誰も気付かない。ただ刻一刻と、決戦の時は近づいてきていた。

 

5、決戦

 

決戦の日が来た。土曜日、近くの体育館を借り切っての試合である。見物人は殆どおらず、僅かに教師陣が何名か来ているくらいであった。今までは仮の部活だったから、教師は必要なかったのだが。もし正式に部として認定されると、担任の教師がつくことになる。それが誰になるかで、今後のやり方も随分変わることになるだろう。

飯室先生は、厳しい顔で星剣道部の面々を見ていた。一応主力は来ているのだが、臨の目からもだらけきっているのが丸わかりだ。彼らの頭である猪俣がだらけているのだから無理もない。

奴は大あくびさえしていた。

「光剣で、本当に斬られるんだったら良かったのに」

「本当だよ。 頭かち割って、脳みそばらまいてやりたい」

悠木の言葉に、臨も頷く。どうやら奴だけは、本気で潰さなければならないようだった。生かしてこの体育館から出す訳には行かない。奴が生きていると言うだけで、星剣道部は堕落し続けるだろう。

「臨も、悠木も、抑えて。 戦意は、コントロールしないと、駄目だ」

「分かってる」

キバになだめられた。心優しい彼女も、猪俣の下劣な言葉には本当に怒っていた。だが、今は不思議な目であの低劣な男を見ている。何か感じるものはあるのだろうか。るんは相変わらず笑顔で、平常心のまま正座している。彼女を見ていると、心が落ち着く。

「敵のデータ、持ってきました」

「サンキュ」

野田縞が、敵のチーム編成を持ってきた。別にハッキングしたのではない。単に相手が提出したのを、さっと見てきただけである。舌打ちしたのは、その内容に、本気で腹が立ったからだ。

一年生を二人、当ててきている。しかも高校までは未経験者だ。あの星剣道部にいたのなら、勝てる。初試合がこんなでは不運だが、容赦なく叩きつぶさせて貰う。問題は、残りの三人だ。

一人はやっぱり猪俣だ。此奴は、差し違えても臨がぶち殺す。星剣道家として、再起不能なまでに追い込んでやる。残りの二人だが。一人は副部長である。副将に入っている彼女は、駄目星剣道部の良心とも言われていて、今も一人隅で正座していた。男子部員達を抑えて副部長をしているだけあり、相当な強者だ。もちろん有段者で、かなり特殊な剣術を得意とする。

「副部長は、あたしが倒す」

「よろしく。 問題は、最後の一人だけれど」

そう。有段者の経験者が、もう一人入っている。名前には、見覚えがあった。確か大会でも上位を独占している常連だ。手強い相手である。しかも、筋骨隆々とした、大男だ。キバが立ち上がる。

「私が、頑張る」

「良し、じゃあ組み合わせはこれで行こう」

全員が勝つつもりで行く。だから、順当な組み合わせを、臨は組んだ。

先鋒、野田縞。次鋒、るん。中堅、キバ。副将、悠木。大将は臨だ。

体育館の隅にある箱は、既に動作確認が済んでいる。いつでも戦える状態だ。飯室先生が手を叩いて、生徒達を集めた。

「これから、試合を行う! 第一星剣道部、第二星剣道部、礼!」

「よろしくお願いします!」

殺気の籠もった礼だった。対して、星剣道部の方は、どこかやる気が感じられない。意気だけなら、敵を呑んでいた。

 

先鋒の野田縞六は、頬を叩いて気合いを入れ直すと、鉢巻きを結んだ。今日の試合に備えて、るんが買ってきてくれた、おそろいの鉢巻きだ。

「両者、箱へ!」

「はい!」

「ちーっす」

やる気のない声を、一年生が上げる。いがぐり頭にしている相手は体格から言っても六よりずっと上だが、しかし負ける気はしない。今までの三ヶ月、それこそ寝る間も惜しんで星剣道に打ち込んできたのだ。相手はその十分の一どころか、百分の一も努力していない。

箱の中は、既に温度湿度ともに、完璧に調整されていた。少し暗めの照明が、嫌が応にも戦闘意欲を高める。三メートルほどの距離をおいて向かい合う。正座して、礼。プン、と小さな音がした。試合開始の許可だ。

光剣のスイッチを入れる。

刃が、立体映像として具現化した。

「シャッ!」

いきなり、相手が仕掛けてきた。大上段に振りかぶり、強引に斬りかかってくる。鋭い叫び声。始めたばかりだったら、驚いて剣を取り落としていたかも知れない。だが、今は違う。

スラスターを軽くふかして後退。剣を受け止める。プラズマが燃焼する音が、鼓膜を打つ。冷静に、臨の言っていたことを思い出す。

最初は天井を蹴ったり壁を蹴ったりというような、高等技術は必要ない。型に沿って相手を斬ることだけを考えればいい。相手は六が小さいことを侮り、動きが隙だらけだ。確かにパワーは六よりずっと上だが、だから何だ。二太刀、三太刀と繰り出される斬撃を捌きながら、ふと力を緩める。見事に、相手の体が宙に泳いでいた。

背中から腹にかけて、一刀両断。

まずは、一本だ。

 

「ギャハハハハ、ダッセー!」

野次を上げたのは、事もあろうに猪俣だった。見事に一本を取られた後輩を嘲弄している。箱の中には届かないが、次鋒の一年生は真っ青になっていた。負けたら嘲笑われると思えば、当然だろう。

じろりと飯室先生は猪俣を見た。臨は殺意さえ覚えて、憤然と立ち上がりかけたが、キバに止められる。

二本目が始まった。星剣道の公式ルールでは、勝負は三本。二本先取した時点で勝負がつく。引き分けは存在しない。双方同時に致命傷が入った場合は、仕切り直して同じ試合をもう一度するのだ。

野田縞は頭に血が上った相手選手の猛攻を冷静に捌きながら、またふわりと力を抜いてみせる。性懲りもなく突っ込んだ相手選手は、見事に体が流れ、そこを野田縞に斬り伏せられた。しかも、首を切り落とされる形で、である。

文句なしの一本だ。速度判定も必要ない。相手の光剣は、野田縞の袴にさえ、触れることが出来なかった。そして二本連取である以上、勝負は此処まで。どこから見ても文句の着けようがない、野田縞の圧倒的な判定勝ちであった。

顔を真っ赤にした相手の選手が出てきた。何が起こったのか、未だに理解できていない様子だ。

経験が浅いから、こうなる。この三ヶ月で、少しでも星剣道にまともに取り組んでいれば、こうも無様な事にはならなかっただろう。更に彼を、猪俣の罵声が追い打ちした。

「あんなチビのモヤシに負けてんじゃねーよ、雑魚」

「猪俣っ!」

飯室先生の怒声が、体育館に炸裂。流石に黙り込む猪俣。安心した様子で、キバがため息をついた。相手選手に続いて箱から出てきた野田縞は、息も切らしていなかった。

「お疲れ様」

「ありがとうございます。 僕にもスポーツが出来るんだって分かって、安心しました」

実にきらきらした笑顔を野田縞が浮かべる。るんが笑顔のまま立ち上がると、鉢巻きを締め直した。

「行って参ります」

「頑張って!」

頷くと、るんは箱の中に、歩を進めた。

 

音与は今の環境が大好きだ。幼なじみの貴子と、楽しく何かに打ち込めるこの環境が、である。

昔から、マイペースな性格だった。図体はでかいが臆病な貴子と、のんびり屋でマイペースな音与はずっと一緒だった。彼女と一緒にいると、ゆっくりした時間の流れを感じられるからだ。ただ、二人で何かに打ち込んでみたいなとも思っていた。

だから、今回の第二星剣道部は、絶好の機会だった。

元より、音与は他人を引っ張ることが出来ない。だからこそに、この誘いに乗った。星剣道にはあまり興味がなかったが、ぶっちゃけた話陸上でもホワイトボールでも何でも良かったのだ。そして今では、星剣道が好きになっている。毎日が楽しくて仕方がない。これからの高校生活が、このわくわくで満たされると思うと、幸せで仕方がなかった。

マイペースな分、音与は観察力に優れている。自分のこともよく分かっているし、猪俣が臆病で自縄自縛に陥っている愚かな男だと言うことも見抜けていた。そして、今向かい合っている対戦相手が、さっきの野次でがちがちになっていることも。

猪俣は墓穴を掘り続けている。

彼の行動は、虚言癖に似ていた。嘘を嘘で塗り固める内に、さらなる嘘が必要になってくる。そしていつの間にか、本当のことがなんなのか、自分にさえ分からなくなってしまうのだ。哀れな、嘘で構築された人格。猪俣自身のためにも、それは打ち砕かなければならないであろう。

礼をする。相手は緊張のあまり、つんのめりそうだった。見たところ、身体能力は、明らかに音与よりも上。腕力に到っては、倍以上あるかも知れない。だが、負ける気は、まるでしなかった。

踏み込んでくる相手の顔面に、無造作に打ち込む。首の辺りまで食い込んだ光剣を、相手の選手は呆然と見つめていた。

一本が入る。すぐに離れて、また礼をした。相手は唖然としていて、視線が彷徨っている。悪いが、体勢を立て直す暇は与えてやらない。信条は、あくまでマイペース。だからこそに、他の人間が、どのような状態にあるかは、よく分かるのだ。

踏み込み、顔面に強烈な突きを叩き込んだ。微動だにできなかった対戦相手は、顔を串刺しにされたことに気付いて、へなへなと力なく倒れ込んだのだった。

 

第二星剣道部、二勝目。箱から出てきたるんに、悠木が飛びついた。ちょっとむくれているキバが可愛らしい。

「よっしゃ! お見事!」

「金井さんのご指示のたまものです」

あくまで笑顔のるんは、ちらりと猪俣を見た。ますます態度が悪くなっている猪俣は、相当に苛立っているようで、他の部員達は自然と離れていた。すごすごと箱から出てきた次鋒に、刺し殺しそうな目を猪俣が向ける。だが、飯室先生が咳払いをすると、流石に猪俣も黙らざるを得なかった。

今は、昔のような、子供の人権が腫れ物扱いの時代とは違う。不良学生は、場合によっては学校から放り出されることになり、後の人生を棒に振ることが確定する。子供の人権が過剰保護されることもなく、きちんと学校が機能しているのだ。

「中堅、箱へ!」

「はい!」

気合いの入った声。キバが鉢巻きをして、前に出た。相手の中堅は、体格的にもほとんど互角の相手であり、流石のキバもパワーでは勝ち目がないか。だが、この相手と戦える可能性があるのも、キバだけである。

有段者に挑むのだ。かなり厳しい状況である。だが。

キバは恐れていなかった。

「行ってくる」

「頑張れー! キバー!」

るんが手を振る。少し頬を赤らめると、キバは箱へ足を踏み入れた。

 

牧場と向かい合う三年生梧桐の姿を、三田男はにやつきながら、しかしその実心底冷や冷やしながら見守っていた。

何故、今回このメンバーで来たか。それは、彼の言うことを、誰も聞かなかったからだ。

最初、三田男は主力の二年三年の有段者で、五人を埋めようと考えていた。だが、副部長の浅間と、三年梧桐以外の全員が、結託して逆らったのである。

弱みを握っている相手に逆らわれるなど、猪俣には最初の経験だった。青ざめた猪俣に、クーデター組のリーダーである三年主力の一人青木は、言い放った。

「貴方の恐怖政治は、もうこれで終わりよ。 明日の試合に負けて、無様にこの部から去るといいのだわ」

「えらそうに言うなあ、青木ィ! てめえが二年の時、サラリーマン引っかけてラブホテルに入ったのを、俺がしらねえとでも思ってんのか?」

「そんな証拠は何処にもない! あるとしても、貴方の言うことなど、誰も信じはしない!」

三年の主力の一人、木田がそう言うと、そうだそうだと賛同の声が上がる。木田の弱みももちろん三田男は握っていたが、これではもはや意味を成しそうにない。

そして、青木が造反したと言うことは、今や三田男は、不良達の間に張ったコネクションまでも無効化されていた。青木はどちらかと言えばグレーな人脈の持ち主で、此奴に逆らわれるととんでもない噂を流されかねない。クリティカルな話題だったサラリーマンとの不倫をこう簡単に流されると、手の打ちようがない。

こうなると、元々独裁者である三田男には、手の打ちようがなかった。

二年と三年はそれぞれ軽蔑の視線を向けながら、道場を出て行った。残ったのは呆然としていた一年二人と、何を考えているか分からない梧桐、それに副部長の浅間だけだった。

「年貢の納め時のようね、部長」

「あ、浅間、お前!」

「心配しなくても、明日の試合には出るつもりよ。 ただし」

勝とうが負けようが、貴方は部長を降りなさいと、浅間は冷然と吐き捨てた。

星剣道部の良心と言われるこの女が、実はカミソリ同然の切れ味鋭い頭脳の持ち主だと、知る者は少ない。やりとりを見ていた梧桐は高笑いする。

「じゃあ浅間さんよ、部長はあんたに譲るから、俺は副部長な」

「ご自由に」

梧桐は笑いながら道場を出て行く。猪俣には一瞥も加えないで。

浅間も出て行って、猪俣一人になった。唖然としている彼は、究極的な孤独の中にいることに、今更ながら気付いていた。

我に返ると、梧桐と牧場が礼を済ませた所だった。奴は相当な空手の名手だが、星剣道に関しては素人同然の筈。

だが、この気迫は。

牧場の全身から放たれている、圧倒的な気迫は、一体何だ。

「始め!」

機械音が鳴る。すっとさがり掛けた梧桐に、牧場が脇目もふらず間合いを詰めた。流石に面食らった様子の梧桐は、上段から振り下ろされた一撃を、受け止める。有段者が、気圧されている。

「てえええいっ!」

続けて、二太刀目。今度は横殴りの一撃。青ざめながらも、梧桐は必死にそれを受け止めた。

「あの子、空手の有段者クラスね。 呼吸のタイミングや、力のかけ方を、良く理解しているわ」

隣で、ぼそりと浅間がつぶやく。

実際、光剣をナックルにしている有段者はいる。かなり珍しいタイプだが、それだけに対策はなかなか立てられない、手強い相手だ。あの女も、有段者に成長したら、ナックル型の光剣を使うようになるのかも知れない。

凄まじいパワーに、梧桐が気圧されている。だが、梧桐は有段者だ。着実に剣を受け止めながら、反撃の機会を狙っている。少し、牧場の動きが鈍ったか。同時に、梧桐が鋭い突きを繰り出す。

ふっと、首を曲げて、牧場が避けて見せた。肩をかすったが、効果止まりである。

そして唖然としている梧桐の首をはねるようにして、横一線。首を綺麗に通過した光剣が、鋭い燃焼音を立てた。

「赤、一本!」

「な、何っ!?」

動揺の声が漏れる。

水梨が三田男を見た。そして、静かに。だが抗しがたい声で言った。

「やっと、本音が表に出ましたね。 猪俣先輩」

それは、さながら氷の槍のように。

三田男の肺腑を貫いて。意識を遠ざけた。

立て直す。だが、完全に立て直すには到らない。荒く呼吸をつく。隣で、浅間が鼻を鳴らしていた。

嘲笑された。また、あの時と、同じように。

三分の一も努力してない奴に、へたくそと、罵られた時のように。回り中に、嘲笑われた時のように。

箱の中では、二本目が始まっていた。本気を出した梧桐が、見る間に牧場を攻め立てる。だが、牧場は、一本を取らせない。確実に、有段者の猛攻を捌いていく。優れた動体視力と、空手で培った呼吸と力のかけ方をフルに使っているのだ。

「白、効果!」

必殺の突きが、またかすっただけ。スラスター二つが使用不能判定になるが、致命傷には遠い。全体的には、押し気味だが、しかしこの苦戦は。あり得なかった。梧桐は完全に余裕を失い、ついに、本気を出す。

腰に差していた、二本目の光剣を抜いたのだ。

有段者である梧桐には、様々なカスタマイズが許されている。スラスターの一部を使用しない代わりに、もう一本の光剣を使うのもそれだ。梧桐は脇差しに相当する光剣を使い、流れるような連続攻撃を得意とする。突き一本で仕留められると思っていた牧場にこうも苦戦した事で、本気を出さざるを得なかったと言うことだろう。

「シャアッ!」

鋭い声と共に、梧桐が踏み込む。上段からの一撃。はじき返される。だが、それは予定通り。体を沈めながら、気合いと共に脇差しを振るう。腹を薙がれた牧場が、蹈鞴を踏んで下がる。かなり深い一撃だ。

「白、一本!」

やっと、今日一本が出た。大汗を掻いている梧桐が、にやりと笑う。牧場は何度か光剣の角度を確かめながら、三試合目に入る。礼が行われる。まるで、牧場には動揺している様子がない。

むしろ、目には炎が燃えているようだった。

 

最初から、梧桐は敵のリストの中に入っていた。情報収集を、散々野田縞がやってくれたのだ。箱の使用率を割り出した時とは違い、まっとうな手段で、試合などのデータを徹底的に集めてくれたのである。もちろん、悠木や臨の知識から分析した情報もある。だから、臨はその戦い方を、皆に教えていた。

別に卑怯でも何でもない。それだけ戦いに対して、真摯に取り組んだと言うことだ。それに対して、敵は此方を侮り、調べようとさえしなかった。情報で相手を上回れば、有利になるのは自明の理。元々敵の自力が勝っているのだから、これくらいは当然である。

脇差しを使った二刀流。派手な戦いになりやすい有段者のものとしては、地味だ。だが、太刀で攻撃を受け止め、その間に脇差しで斬るという戦術は、的確かつ対応しにくい。ただでさえ梧桐は大柄な男で、片手だけでも侮れないパワーを持つのだ。

追い詰めた場合は、確実にそれを出してくる。だから、各自対抗策は考えておいて欲しい。

そう告げた。キバも、頷いてくれた。だが、本当に対抗できるのか、不安はある。

隠し球である二刀目の威力は、さっき見ての通りだ。

「大丈夫」

隣で正座しているるんが、核心の籠もった口調で言う。この子の人間観察能力には、信頼が置ける。

「牧場さんは、キバちゃんは、勝ちます」

そう言われると、安心感が抜群だ。それに、どうしてか分からないが、さっきるんが向けた短い言葉で、猪俣は確実に動揺した。行ける。

「頑張れー! キバー!」

聞こえないと言うことは分かった上で、悠木が声を張り上げた。敵はしんとしていて、全く覇気がない。意気でまで飲まれたら終わりだ。一気に此処で勝負を付けてしまうべきなのだ。

礼が終わった。間合いを取ろうとする梧桐に、キバは打ち込んだ。梧桐の体が、大きく沈み込む。同じ手だ。脇差しが動く。

だが、キバの反撃は、予想を遙かに超えていた。

鈍い音。なんと、脇差しを振るおうとした梧桐の手が、キバの足で押さえ込まれていたのだ。

あれは確か、見たことがある。居合い潰しだ。一瞬でもタイミングが遅れていたら、足を真っ二つにされる危険な技だ。だが、空手で有段者並みの実力を持つキバの蹴りは正確無比だった。

そして、星剣道で、体術は禁止されていない。

そう言う意味では、昔の柔術に近い存在だ。

「せえあああああっ!」

キバが吠え、スラスターを全力で噴射する。こうなると、スラスターを犠牲に二刀流を実現している梧桐は耐えられない。一気に押し込まれて、壁に叩きつけられる。パワーにものを言わせ、じりじりと迫ってくるキバの光剣。梧桐の目に、恐怖が浮かんだ。そのままキバは、足を引きながら、一気に光剣を振り下ろしていた。

ガードしていた、梧桐の光剣が回転しながら吹っ飛ぶ。

袈裟掛けに真っ二つにされた梧桐が、蒼白になってへたり込む。これは実戦ではない。だが、それに近い恐怖を、梧桐が受けたのは確かだった。

「赤、一本!」

勝負あった。わっと、声が上がる。

疲れ切った様子で、箱からキバが出てきた。呼吸を整えながら、彼女は、不器用に笑って見せた。

「か、勝った」

「キバー! 素敵ー!」

「あ、うあ。 あう」

悠木に抱きつかれて、恥ずかしそうにするキバ。にこにこしながら、るんがタオルを手渡した。

真っ青になっている猪俣が、帰ろうとしかける。だが、飯室先生が、鋭く叱責した。

「負けは決まっても、まだ二試合残っている! 気を引き締めんか、たわけがっ!」

「で、でも」

「行ってきます。 相手の意気は上がっていますが、せめて星剣道部に恥ずかしくない試合をしてこなくてはなりませんから」

副部長の浅間が立つ。以前見た時に比べて、随分冷淡な反応だ。猪俣を見つめる目も、とても冷たい。ひょっとすると、外評判とは全く違う性格の持ち主なのではないか。悠木もそれを敏感に感じ取ったらしい。鉢巻きを締め直すと、頷く。

「行ってくる」

「行ける? カスタマイズ」

「行けるよ。 そうでなくても、やらなきゃ。 全力で最初からいかないと、とても勝ち目がない相手だからね」

浅間先輩は、現在の星剣道部で、事実上トップの使い手だ。戦闘スタイルは長刀。特徴的なリーチの長い攻撃と、特に足下を狙う鋭い突きで、多くの勝負を勝ち抜いてきた。殆ど星剣道部は箱を使っていなかったが、彼女だけはきちんと修練をしていたことが分かっている。

ここ三ヶ月、悠木は地獄のような修練をしてきた。しかし、少しは差を縮められただろうか。向かい合う二人を見る。るんも、今回ばかりは何も言わない。極めて勝機が薄いことだけは、誰にも分かった。

 

礼をすると、悠木は二刀を構えた。

小太刀の、二刀流。それが悠木が段位を得て、選んだ戦闘スタイルである。右手を若干前に、左手を後ろに構える。それに対して、浅間先輩は、あくまで中段に構えたままである。

浅間先輩の手にしている光剣は、長刀の形状である。その分スラスターを犠牲にしているのだが、リーチの長さでそれを補っている。どうにか懐に入れれば、勝ち目はあるのだが。

その考えが甘いことを、即座に思い知らされる。

「エエイッ!」

気合いの声と共に、長刀が繰り出された。速い。いや、そんな次元ではない。体がぶれて見えるほどだ。しかも、連続して飛んでくる。ふたつの剣で、ガードしながら下がる。だが、それを浅間先輩は読んでいた。

踏み込まれる。間合いを、適切に保たれる。

一撃が、右二の腕をかすった。すぐに判定が出た。

「白、有効!」

スラスターの幾つかが沈黙。それを見て、即座に先輩は死角になった右に回り込んできた。容赦のない、もの凄い攻めだ。振り上げた長刀が、稲妻のように落ちてくる。踏み込もうとするが、それも読まれていた。回転した長刀。石突きが、悠木の鳩尾を容赦なく抉っていた。

痛烈な打撃に、身を折り掛ける。振ってきた刃を、何とか受け止めるのが精一杯だ。浅間先輩は下がりながら、突きを繰り出してくる。経験、力、技、その全てで劣ってしまっている。

ならば、せめて意気だけでも。

胸に刃が潜り込むのを、悠木は感じた。

「白、一本!」

一本を、先取された。再び戻ると、礼をする。追い込まれた。あっという間だ。

未経験者達があんなに頑張ったのに。経験者である悠木が一番情けないというのは、どうなのだろう。せっかくの二刀も生かせていない。悔しくて、血が出るほど唇を噛んでいた。

箱の中での会話は許されていない。だが、その時、確かに浅間先輩が陰湿な笑顔を浮かべるのを、悠木は見た。

ひょっとして、この人は。

猪俣に、部の評判を落とさせるだけ落とさせて。後の美味しい果実を、全て独占するつもりだったのではないのか。

かつて、部活動と言えば、二年末で引退するのが普通だった。今は違う。学習の効率を上げる方法が多数開発されている他、受験の負担が減っているので、誰もが三年末まで残る。更に、部活での実績は、就職してからも役に立つのだ。特に星剣道での実績は、軍に就職した時に、とても役立つ。

この試合で、一人だけ勝ち残れば。その名声は更に上がることだろう。其処まで読んでいるのだとしたら。

なおさら、負ける訳にはいかない。

構えを取り直す。負けたら終わりなのだ。それならば。

不意に、前に出る。浅間先輩は冷静に突きで迎撃してきた。もはや、避けることは考えない。スラスターを全開に、フルパワーで前に出る。

猪俣への怒りを、浅間先輩への敵意へ、全て向けかえる。

確かに、懐に入り込んだ。

「せあああああっ!」

「ふっ!」

それでも、浅間先輩の顔に動揺はない。冷静に長刀を回して反撃に来る。それを、右手の刀で押さえ込んだ。そして、左手の刀を、首に突き刺す。浅間先輩の長刀も、同時に悠木の脇腹に入り込んでいた。

僅かな瞬間、判定が遅れる。かなり際どいと言うことだ。息を呑む瞬間が終わると、判定していたコンピューターが声を上げた。

「白、有効!」

「赤、一本!」

赤とは、悠木のことだ。一本、取った。信じられない。浅間先輩は眉根を潜めると、どす黒い怒りを目に宿す。本性が、現れ出てきた。ほんの表面的にだが。

悠木は確信していた。やはりこの人は、猪俣の暴走を敢えて止めなかったのだ。るんがこの人を怪しいと言っていたが、正しかったのだ。浅間先輩は、後で、全ての利を独占するために、猪俣を放置した。本当の悪はもちろん猪俣だ。だが、この人も許せない。

向かい合って、礼をする。プライドを傷つけられた浅間先輩。多分、次は最初から、最大奥義で来るはずだ。動きが読めているのなら、此方にも打つ手がある。礼が終わると、二刀を双に構えた。浅間先輩は鼻で笑うと、全力で突進してきた。そして、完璧な間合いで、踏み込んだ。

りゅうりゅうとしごかれた長刀が、飛んでくる。上から下から右から左から。舞うようにして。

野田縞の持ってきたデータを研究していた時に、見た。浅間先輩の最大奥義、舞。全方位からの飽和攻撃である。原理は単純だが、その破壊力は凄まじく。これで沈まなかった相手はいない。試合でも、これを出した時には、浅間先輩は全勝している。

その凄まじい攻撃の中、悠木は踏み込んだ。双に構えた剣を、最小限に動かしながら、一撃の実体を探る。来た。上だ。右手の剣を、振り上げる。受け止めた。ぎりぎりと、食い込んでくる。スピードがあるだけあり、エネルギーもまたもの凄い。

ふわりと、剣を動かす。

喉を、狙っての一撃。長刀は、目にも止まらぬ速さで、悠木の首をはねに掛かってきていた。

 

固唾を飲む一瞬だった。

悠木の光剣は、浅間先輩の喉を、確かに貫いていた。だが浅間先輩の長刀も、悠木の首を確かにはねていた。審判のコンピューターも、微妙な判定状況に、悩んでいるようだった。

こんな事は、滅多にない。

肩で息をついていた浅間先輩が、悔しそうに眉をひそめた。悠木は何が起こったのか、分から無い様子だ。しばしの沈黙の後、判定が出る。

「白、有効!」

「赤、一本!」

おおっと、喚声が上がった。

判定の説明がある。どちらも刃が体に入ったのは同時だったのだが、致命点に届いたのは悠木の方が先だったのだという。

精根尽き果てた様子で箱から出てきた悠木に、臨は飛びついていた。きゃあきゃあと周囲で喚声が上がる。勝ったことに今頃気付いた悠木は、涙を流し始めた。だが、はしゃぐには、まだ早い。

飯室先生が咳払いする。箱から出てきた浅間先輩は、もう落ち着きを取り戻していて、静かに正座した。どのみち、大勢に影響はないからだろう。飯室先生は彼女を一瞥すると、声を張り上げた。

「まだ大将戦がある! 気を引き締めろ!」

「はいっ!」

死人のような顔色の猪俣が立ち上がる。臨は鉢巻きを締める。いよいよだ。この戦いに勝てば、全てが終わる。

箱に、入る。自分より頭半分大きい猪俣が、遅れて箱に入ってきた。喉に噛みつきそうな顔をしている猪俣は、三本の光剣を手にしている。

向かい合って、礼。何か言いたそうにしている猪俣。その表情に、余裕はひとかけらもない。

猪俣が二本の光剣を投げ上げた。光剣に突いているスラスターがガスを噴射して、ゆっくり回転し始める。

かつて、国民的なロボットアニメで、この手の自動攻撃装置が話題になったことがある。光剣にスラスターを着けることで、それを再現できるのだ。もちろんそっちのスラスターの制御をする分本体の動きは鈍くなるのだが、しかし。見た目のインパクトと、多角的な攻撃能力は、侮れない。

初見では対処が難しいこの戦術も、猪俣のような外道が部長に居座り続けることが出来た要因となっている。プロにもこれを使う人間はいるが、バランスを考えて、大体三本程度までだ。

そして猪俣は、これについては、徹底的に極め上げているのだ。少なくとも、二年生の頃までは、そうだった。

それに対して。臨の戦術は。

すらりと抜き放つ光剣。二本つなげて、スラスターを着けて重量調整している。そう。それは長柄。

いわゆる、十字槍である。

 

槍と、鎌を足して二で割ったような武器。それが十字槍である。

ポールウェポンの中には、槍と斧を足したようなものが多い。西洋のハルバードがそうだし、東洋で言うと方天戟などがそれにあたる。日本の武具の歴史でも、似たようなポールウェポンは存在している。それが十字槍とか、片鎌槍とかいわれるものである。

腰を落として構えを取る臨は、じりじりと間合いを詰めていく。それに対して、片手をぶらりと下げている猪俣は、微動だにしない。奴の斜め左右上には、回転速度を徐々に上げている光剣が。いつどのように動くかが、戦いの焦点になる。

いうまでもなく、このタイプの戦術を使う場合、スラスターを非常に多く取られるため、本体の動きは極めて鈍くなる。その上、間合いでも勝る槍が、接近さえすれば有利になる。どう戦いを展開するか。

悠木は、最後の戦いを、固唾を飲んで見つめる。るんが笑顔を崩さないまま、だが緊迫を声に込めた。

「猪俣さんは、自棄になっているようです。 このままでは、どうなることか」

「事故を装って、のぞむを怪我させるって事!?」

「可能性はあります。 いやな予感がします」

「最後くらい、星剣士の誇りを、見せればいい、のに」

ぼそぼそとキバがつぶやく。野田縞は身を乗り出して、食い入るように対峙を見ていた。

「あ、仕掛けますよ」

野田縞の声と共に、喚声が上がった。

臨が、鋭い踏み込みから、突きかかったのだ。

猪俣は下がりながら、手にしている光剣で突きを弾く。猪俣の頭上で回転していた光剣が動く。僅かな時間差を付けて、斜めに抉り込むように、臨の頭を割りに行く。

激しい剣劇の音。槍を回した臨が、二本を立て続けに弾いたのだ。だが、それぞれブーメランのように回転しながら、襲いかかる。臨は回転しながら、槍を振るって光剣をはじき返し、間をおかず突き込んできた猪俣の光剣をもかわして見せた。

にいと、猪俣が笑うのが見えた。

「危ない!」

悠木は、思わず身を乗り出して叫んでいた。

懐に手を入れた猪俣が、不意に取り出した光剣を、臨の腹に突き刺したのである。

 

「一本!」

鋭い宣告が入った。臨は、じろりと猪俣をにらみ付けた。相手はあくまでにやにやとしている。

星剣道で、武器を隠すのは最も卑劣な行為とされている。己の戦い方や、何でも出来る故に。心が重要になる武術であるからこそ、皆が誇りを大事にするのだ。それを正面から踏みにじる行為であるがために、暗器は嫌われる。ルールとしては認められているが、プロでやった場合、選手生命がその瞬間に終わるほどに、嫌われる事なのだ。

猪俣はへらへらと笑い続けていた。もう精神が、均衡を保てなくなっているのかも知れない。距離を取って、礼。二本目が、開始される。

空を舞う光剣二本。猪俣は奇声を上げながら、不意に距離を取った。臨に対して連続で光剣を叩きつけ、弱ったところで叩こうという策だろう。いや、違う。地面に這い蹲った猪俣は、いきなり突進してきたのである。懐に、光剣を構えたままで。

どんと、鋭い衝撃が、全身に走った。

一瞬の差で、合わせた。猪俣の顔面を、槍が貫いている。だが、臨の腹は、交錯の瞬間、猪俣が放った蹴りが直撃していた。一本が入ったが、代償として肋骨に罅が入ったかも知れない。体術がアリだとはいえ、まさか一本犠牲にして、此方の負傷を狙ってくるとは。壁に叩きつけられる。鋭い痛みが、全身を走り抜けた。

「ひひひひひ、ひひゃはははははははは!!」

高笑いする猪俣。目にはもう正気は残っていない。審判のコンピューターが、警告を発する。

「私語は慎みなさい」

笑うのをぴたりと止めた猪俣が、じろりと臨を見た。

狙いが読めた。

此奴にとって、自分の負けることなど、どうでもいいのだ。臨に、今後星剣道が出来なくなるほどの、重傷を負わせるつもりだ。

ならば、此方もそれ相応の行動に出るまでだ。

礼をしてから、構えを取り直す。恐らく狙ってくるのは、交錯の瞬間だ。足よりも、腕を折りに来るだろう。

首を鳴らしながら、猪俣は涎を流していた。気持ちが悪いと言うよりも、もはや哀れでさえある。何だか、キバが此奴に同情的な視線を向けていた意味が、分かった気がした。考えてみれば、悪は存在するかも知れないが、此奴も人間であることに、代わりはないのだ。

目を閉じる。

相手の動きを、シミュレートする。何度もやってきたことだ。

段位を取ってから、如何にこの難しい武器を使いこなすか、散々練習した。星剣道の基礎はあったから、動き自体は難しくなかった。だが、その技の多くは、まだ習得できていない。だが、此処でこそ。一つ、試してみたいものがある。

思うとおりにはさせない。

試合開始。同時に、光剣を二本とも飛ばしてきた。はじき返す。小さな周回軌道で、左右から襲いかかってくる。無造作に跳ね返す。速度、動き、共に見切った。槍を振り回しながら、じりじりと進んでいく。猪俣は獣のように低い体勢で、飛びつくタイミングを狙っている。

これが、有段者の姿なのだから、あきれ果てる。

残り、五歩と言うところで。

「けえええっ!」

奇声を上げて、猪俣が躍り掛かってきた。同時に、斜め後ろから、光剣が迫ってくる。不意にバック。首のすぐ横を、光剣が二本とも通過していった。効果の声が上がる。だが、気にしない。

猪俣は、見る間に迫ってくる。軟らかく、槍を突き出す。狙いは頭だ。剣を振るって、軌道を逸らす猪俣。その瞬間。

臨は槍の角度を変え、全力でスラスターをふかし、斜め上に下がった。

着地。槍を振るって、血を落とす動作をする。血などついてはいないが、槍を使ったのだから、せめてもの格好付けだ。

一本が、入っていた。

そう。十字槍の特性を利用しての技だ。下がりながら、鎌の部分で頸動脈を引き裂いたのだ。間合いに入ろうと目をぎらつかせていた猪俣は、何が起こったのか、分からず呆然としているようだった。

「試合終了。 両者、箱から出るように」

冷酷な宣告が為される。機械は嘘をつかないし、ひいきもしない。

「ま、待てッ!」

臨は痛む脇を押さえながら、箱を出た。悲鳴に近い叱責が、中から追ってくる。箱を出たところで、追いついてきた猪俣が、肩を掴もうとして。

その手を、飯室先生が掴んでいた。

「もう、終わりだ」

「で、でも!」

「終わったんだよ。 お前の独裁も、星剣道部長としての仕事もな。 正々堂々戦えば、フォローも入れてやろうと思っていた。 だがお前は、卑怯な手を使った挙げ句、相手の選手生命まで絶とうとした。 その上で、完膚無きまでに負けた。 もう、お前に部長の資格はないんだ」

猪俣が絶叫した。この事態を予想していたらしく、何人かの先生が抑えて、余所へ連れて行く。それを見ていて、初めて臨は、猪俣に哀れみを感じた。

 

喚き散らす猪俣の声には、泣き声が混じっていた。それを冷淡に見送る副部長。沈み込んでいる梧桐先輩。右往左往するばかりの一年生。何だか、星剣道部のどろどろした内情に、今更ながら臨は気付かされていた。飯室先生が、連れて行かれる猪俣を見送りながら、臨に言った。

「肋骨に罅が入っているだろう。 病院に連れて行くから、すぐに来なさい」

「……」

「先生、私も行く!」

悠木が手を挙げる。るんと野田縞は、キバをなだめて、後片付けをすると言ってくれた。二人で、先生のホバーカーに乗り込む。先生らしい、何の飾りもない武骨な車だった。

病院はすぐ近くにある。救急車をわざわざ呼ぶまでもない。自動走行モードにしながら、飯室先生は言った。

「すまなかったな。 猪俣が、迷惑を掛けた」

「いえ、そんな」

「あいつも、昔は真摯に光剣の奇跡を信じる、一人の星剣道家だったんだ。 だが、度重なる挫折に、あいつは耐えられなかった。 それで、いつのまにか、あんな卑劣な事でしか自我を保てない奴になってしまったんだ」

生徒達の弱みを握っての、部の私物化。試合での、闇討ちの数々。既に部員達による証言が上がっていた。話は猪俣の両親にまで行っているという。猪俣はもう、転校するしかないだろうとも、飯室先生は言った。

飯室先生は、表情を殺し続けていた。

星剣道部が腐ったのは、猪俣だけのせいではないだろう。飯室先生は武骨に指導をするだけの人だし、副部長はかなりのくせ者に思えた。何もかもが、部活が腐敗する要因となっていたのだ。

だから、飯室先生は、今回の試合に賭けていたのかも知れない。

ただ静かに、先生は結果だけを語る。

「大学に、俺の教え子で、今六段になっている奴がいる。 猪俣が卒業したら、面倒を頼むつもりだ。 あいつは才能だってそれなりにある。 鍛え直せば、きっと立派に更正できるはずだ」

「そうなると……良いですね」

今まで、卑劣を憎んでいた相手も人間だったことを。悪事の影には、悲しいドラマがあったことを、臨は知らされた。試合中にうすうす勘づいてはいたが、やっとその深層に触れることが出来たのだ。

「第二星剣道部の顧問には、雪野先生が当たる。 一応二段の持ち主だ。 指導くらいは問題がないだろう」

「え? ホントですか?」

「あ、ゆーきには言ってなかったっけ。 昨日、雪野先生に私が頼んでおいたんだ」

今、部活の顧問をしていない先生の中から、臨は当たりを付けて、頼み込んで回っていたのだ。結果、優しいことで知られる雪野先生が受けてくれた。第二星剣道部は、これで問題なく立ち上がる。

病院に着いた。

今時、肋骨の罅など数日で治る。怖いのは粉砕骨折や複雑骨折だが、それも心配する必要はない。

先生は、治療が終わるまで、悠木と残ってくれた。

静かな悲しみが、ただ其処にはあった。

 

6、その後

 

二段に昇格した臨が箱の中で向かい合っているのは、星剣道部主将の浅間先輩である。

そして此処は、コロニー地区大会の決勝。同じ高校の星剣道部同士が決勝で対戦するのは、史上希に見る珍事であるらしかった。

今、勝敗は二勝二敗。そして、互いに一本ずつをとった、最後の試合であった。

この試合が、浅間先輩の、高校最終戦である。譲って上げても良いところだが、浅間先輩にはずいぶんと世話になった。猪俣がいなくなってから本領を発揮した浅間先輩は、柔剛を自在に使い分けて星剣道部を立て直し、以降は様々な嫌がらせも含む圧力を、第二星剣道部にぶつけてきた。五人で結束して、そのことごとくを潰してきたが。因縁の相手であることに間違いはない。

面白いことに、大会で顔を合わせることも多い。最初の戦いを含めると、今まで三回ぶつかって、勝負は二勝一敗。どの戦いも、苦しい展開で、楽な試合など一つもなかった。

そして、最後の、因縁の勝負である。

十字槍を構えている臨に対して、浅間先輩は長刀を上段に構えている。長柄同士の珍しい勝負は、意外にあっさり決着がついた。

 

「お疲れー!」

乾杯の音頭を上げて、皆でジュースを飲み干す。試合そのものは惜しい結果に終わったが、第二星剣道部此処にありと、学内外にアピールできた。来年は、新入部員を期待できる。

悠木と臨が二段。他の三人も、既に初段を取っている。皆が力を合わせて、勝ち残ってきた第二星剣道部。今、気力も実力も充実していた。

「パン、持ってきた」

キバがぼそぼそと、クリーム入りのパンをテーブルの上に出す。他の料理類は、るんが買ってきてくれたものだ。主食がなかったので、キバの好意はありがたかった。

「今年も、これでおしまいですね」

「来年はもっといい年になる!」

野田縞に、悠木が楽しげに応えた。すっかりトラウマを克服した悠木だが、未だ彼が出来たという話はない。野田縞とは殆ど姉弟みたいな関係なので、今後の進展はまた難しそうである。

「そういえば、こんなものが出ていましたよ」

「お、学級新聞だ」

るんが出した学級新聞を、皆で覗き込む。星剣道部と、第二星剣道部が、地区大会の一位二位を独占したと書かれていた。まあ、満足できる内容か。試合内容にはあまり触れられていないのが、残念ではあったが。

「冬休みは、どうしましょうか」

「強化合宿でしょ。 で、どこかに遊びに行く」

「それじゃあ、合宿の、意味がない」

楽しく会話が弾む中、臨は部室を出た。

外は既に照明が調整されていて、擬似的な星空が広がっている。悠木に引っ張られる形で始めたこの部活も、今では楽しくて仕方がない。この五人でなら、何が相手でも勝てそうな気さえする。

きっと部活の醍醐味とは、これの事なのだろう。

猪俣の近況も、この間飯室先生に聞いた。負けたことが良かったのか、付き物が落ちたようにおとなしくなり、転校先で勉学と星剣道に励んでいるのだという。それを聞くと、根っからの悪人ではなかったのだろうかと思えてくる。何か大事なものを、挫折の中で落としてしまった男だったのだろう。そして何かが悪しきものとなって、代わりに彼の心に巣くってしまった。

更正したのであれば、いずれ、刃を交える時が来るかも知れない。

振り返る。

部室の中から、皆が呼ぶ声がした。

小さな箱の中で行われる、今のスポーツ武術。星剣道。

臨に全てをくれたのは、間違いなくこの、新しい時代の格闘技だった。

 

(終)