血塗られた神話

 

序、砂塵の街

 

治安の悪い街だった。

砂にまみれた道路には、銃撃の跡が露骨すぎるほどに残っている。行き交う人々の姿も見えず、時々見掛ける酷く朽ちた車から主要なパーツが根こそぎ抜き取られてしまっているようだった。

ダーナは思わず、コートの襟を正していた。ジープを運転している無表情な歴戦の傭兵は、此方を一瞥さえしない。空港で合流して以降、一度もだ。迷彩服を着込んでいるミリタリールックの四角い男は、細部の筋肉までも完璧に訓練しているように、無駄な動きを一切しなかった。

「合流地点は、まだなんでしょうか」

「まだだ。 隙さえ見せなければ心配はない」

とりつく島もなかった。強面で四角い顎の持ち主である隣の男は、髪さえも機能的に刈り込んでおり、効率以外の事は興味さえ持っていそうになかった。

たまに、ごくたまに通行人を見掛ける。ターバンを巻いている男が多く、女性の姿は見えなかった。昼間で、しかも大通りでさえ、危険すぎて外を歩けないのだろう。これでは学校など機能するはずもない。

既に滅んだも同然の国だ。現在の、国が滅びにくい世界的な仕組みが故に生き残っている、鬼子とも呼べる奇怪な国の一つなのだろうか。

ジープが大きく揺れたので、ダーナは身を縮めた。今まで、ろくでもない国は幾つか見てきたが、その中でも筆頭とも言える場所だった。絶対に住みたくない。住んでいる人達には、気の毒な話だが。

此処は中東の某国。

一神教の伝承が多く残る土地でありながら、民族紛争の坩堝であり、世界でもっとも危険な地域の一つである。現在も武装組織と政府軍の散発的な戦闘が続いており、国連軍が介入をほのめかしている。通貨価値は紙以下である。

かっては違ったという話もあるらしい。だが、現在の姿がこれだ。ある程度意気のある人間は、成人するとさっさと別の国に行ってしまうと言う。

産業もない。資源もない。石油など、とっくの昔に枯渇してしまった。まともな人材など、あるわけもない。

そして僅かな収入は、武装組織と政府軍が血みどろの抗争の挙げ句に台無しにしてしまう。まさに、地上の地獄と言っても良い場所だった。

ずっと表情を変えない隣の男は、ジョーという。通称スーパージョー。ダーナも所属している業界では、有名な人物だ。歴戦である、ただそれだけの理由で、怪物魔物が跳梁跋扈する人外の空間「フィールド」から生還してくるのである。この間の激戦となったアトランティス攻略戦でも、平然と生きて帰った彼は、もはや超人か何かではないかと、一緒にいるダーナでさえ思えてしまう。

だが愛想もなければ、ユーモアも口にはしない。

これほど助手席の居心地が悪いジープも、そうそう無いだろう。兎に角空気が重いのである。

煙草を吸わないことだけが、救いかも知れなかった。

前回の戦いで肩を並べた仲だが、その時も殆ど口は聞かなかった。今回作戦で共に出ると聞いた時には、息が止まるかと思ったほどである。先輩からの評判はとても良いのだが、ダーナにはわからない。

年上の男性、しかも下手をすると父親くらいの年である相手だ。苦手に思うのは、仕方がないとフォローしてくれる人もいる。だが、一応プロであるダーナが、こんな事でくじけてしまうのは、情けない事この上ない話だ。

道路の痛みも激しく、ジープが何度となく揺れる。

やっと国連軍の基地が見えてきた時、ダーナは思わずため息をついてしまった。

「や、やっとついたー」

「まだ油断するな。 入り口が一番危ない」

歩哨が出てきて、ジョーが身分証を見せる。もちろんダーナも同じものを見せなければならない。三人組の歩哨は油断無く辺りを見張っており、如何に此処が危険な土地なのか、思い知らされる。

軍基地の周囲は監視カメラが設置されており、内部には歩兵戦闘車両や、戦車までもがいる。これらの戦力は、治安維持よりも、むしろ今回「発見」されたフィールドを監視するためのものだ。

ジープを降りると、コートを脱ぐ。この国で、ダーナの姿を見せるのは、あまりにも危険。だから、今まで暑いのを我慢して、コートを着込んでいたのだ。コートを脱ぐと、ビロードのマントを代わりに身につける。

足下には革製の大きすぎるほどの大げさな靴。足は腿までそのまま外気に晒して、体を覆うのはローブと呼ばれる暗褐色の着衣。バスローブなどと若干違い、外を歩くために設計されているものであり、ベルトで固定している。節くれた杖を手にし、そして三角帽子を被り、長めの茶髪をそれに押し込むことで完成だ。何度か鏡を見て、直す。中性的な整った容姿とか言われるが、男か女か聞かれることが多くてまどろっこしい。いつも応え言葉に困るので、もう少しどっちかに偏った容姿になって欲しいと思うのだが、こればかりはどうにもならなかった。

魔法使い。或いは魔術師。

そう呼ばれる能力者集団の末裔こそ、ダーナであった。

 

軍隊でも手も足も出ない凶暴な生物が跋扈し、時には物理法則までもねじ曲げられてしまう恐ろしい空間を、世ではフィールドと呼ぶ。様々な理由で発生するそれらフィールドを撃破沈黙させ、世界の平穏を保つべく動く人間のことを、フィールド探索者と呼ぶ。

今回ダーナがジョーと一緒に訪れたのは、そんなフィールドの一つである。フィールド探索者は会社を作って其処に所属しているのが普通で、ダーナはかなりマイナーなT社の出身である。一方でジョーはこの業界でも最大手の一つであるC社から来ており、本来は彼が主導的立場になるのが普通なのだが。今回は特殊な事情があり、ダーナが主力の攻略者として、このフィールドに足を運ぶことになった。

プレハブで作られた国連軍兵士達の宿舎の間をジョーと一緒に歩き、指令本部へ。此処の指揮官は大佐であるとか、何度か会ったことがあるとか、ジョーが道中で教えてくれた。というよりも、必要な情報をただ投げてくれたようにしか見えない。会話していると言うよりも、足を引っ張られないように、情報を与えてくれたようにしか思えなかった。

本部は小さなビルで、きっと何かの建物を改装したのだろう。国連軍の兵士達は人種も雑多なようで、アジア人もいた。身分証を見せて中に。既にもう一人は来ているという事だった。

ビルの側には小規模な発電施設が置かれ、ヘリポートもある。危険すぎて街で買い物など出来ないし、そもそも送電施設が安定していないのだろう。発電施設は、フル稼働しているようだった。

気の毒な話だが、どうにも出来ない。

魔法使いだから何でも出来るなんて言うのは間違いだ。正確には魔術師だが、殆どの場合は特定の能力に基づいて術式を唱え、それによって奇跡を為す。この業界で最強と言われる魔術師は、剣術でも名を馳せるN社のリンクだが、彼にしても何でもかんでも出来るという訳ではない。

ダーナはまだ修行中の身で、どうしてこんな大変な場所に来てしまったのかと、内心びくびくしているくらいだ。一部の術式に関しては誰にも負けない自信があるが、それは使用方法が非常に偏っており、ダーナ自身がそれほど戦慣れしている訳でもないので、別に凄い訳でも何でもない。

考えれば考えるほど駄目な自分に気付かされてしまう。一人で勝手に落ち込んでいるダーナに、頭一つ半上から、声が降ってきた。

「ついたぞ」

「あ、はいっ!」

思わず帽子を直す。気がつくと、階段は終わり、司令部と表札が掛けられた部屋の前に立っていた。小さなビルである。廊下は無く、階段の正面に司令部が置かれている。一応監視カメラはあるようだが、気の毒なほどせせこましい施設だった。

ドアを開けて真っ先に目に飛び込んできたのは、応接用の席について、J国製らしいカップラーメンをすする二人だった。一人は禿頭の、ミリタリールックに身を包んだ、如何にもな軍人さんである。こっちが司令官だろう。

もう一人は見覚えのある人物だ。若々しいを通り越して顔立ちには幼ささえ感じる、短髪の女性。この間も戦場で肩を並べて戦った、通称スペランカー。絶対生還者という二つ名でも知られる、この業界ではある意味有名な人物だ。

「あ、ダーナ君。 ジョーさん」

「お久しぶりです。 何してるんですか?」

「少し早く着いちゃってねー。 司令官さんに、カップラーメンをおごって貰ってたの」

ちょっと呆れた。

J国製のインスタントラーメンは、戦地では非常に重宝されると噂で聞いたことがある。簡単に作れる上に美味しいからだ。此処の司令官も、多分ファンの一人だったのだろう。ちょっと恥ずかしそうに恐縮するおっさんに、ジョーは冷たい目を向け続けていた。

そそくさとラーメンを食べ終えると、司令官は、手を叩いて部下を呼ぶ。何か気まずかったので、ほっとした。ずっと針の筵に座った気分なのは、どうしてなのだろう。穏やかで心優しいスペランカーの隣に座った時は、心底ほっとした。

大佐が、大きな白板に図を書き始める。

「いやはや、迎えにも出られず申し訳ない。 それでは、早速説明を始めさせて貰いたいのですが、よろしいですかな」

「始めてくれ」

ジョーが、少し機嫌悪そうに言った。

 

1、石の迷宮

 

遙か昔から、この世界にフィールドは存在していた。突然発生するものもあれば、人為的に造り出されるものさえあった。これほど頻繁にフィールドが発生するようになったのは近現代からなのだが、それを考慮から外しても、世界には人が入れない地域が昔から存在していたのである。

中には人々の記憶から忘れ去られ、ずっと放置されてきたフィールドも存在する。

今回、中東のこの小国で、国連軍の調査班が偶然発見した此処も、その一つであった。古文書などには記されていたのだが、長らくその具体的な位置は分かっていなかった。当然の話で、砂漠に近い小都市の、何ら目印もない地下にあったのだから。そしてその特性は、極めて特殊なものだったのである。

「ソロモンの小さな鍵、ですか?」

最初仕事の話が来た時、ダーナは思わずそう聞き返していたことを思い出す。それは、魔術師達の間では、あまりにも高名な魔術書だったからである。

魔術に関して記した書物のことを、グリモワールという。なんだか偉そうな呼び名だが、実際には単なる本だ。様々な魔術書があるのだが、その中でも有名なる存在が、ソロモン王が記したという、一連の書物である。

ソロモン王はそもそも、エジプトの古代文明の後押しがあったとはいえ、中東に一大勢力を築いた歴史上の実在した人物である。ソロモン王と言うよりも、賢王ソロモンの名でより広く知られている。中東では、スレイマンと言う名前はソロモンに起源しており、現在でもこの名を持つ人間は多い。

彼は悪魔を召喚して使役し国のために使用した人物としても、民俗学の界隈では有名な存在だ。一神教で重要な存在のために、実像以上に持ち上げられている人物でもある。一種の神格化を受けており、紹介される時には、晩年失政を行い民を苦しめたことについて意図的に伏せられている事も多い。

歴史学よりも、むしろ民俗学や、更に言えばオカルト関連では極めて高名な人物だ。それが故に、ソロモン王の記したというふれこみの魔術書はたくさん存在している。それら実際にはその辺の無名学者や宗教家が妄想のままに記した「魔術書」は後に統合され、通称「ソロモンの鍵」が作り上げられた。

実際の魔術師の間では、お笑いぐさでしかないその存在なのだが。しかし原書となるようなソロモン王著の魔術書が存在するのではないかという噂は、古くからあった。ダーナも、それについては二度三度と耳にしたことがある。

そして、どうやらその「本物」が、今回姿を見せたらしいのである。

正確には、古文書などに記述されている、鍵をおさめた迷宮が、であるが。

「基地建設の際発見されたこの遺跡は、超音波などの探索によると、実に最大で五十層に達する複雑な構造を有しています。 あなた方歴戦のフィールド探索者を三名も呼んだのは、それが原因でして」

「ちょっと待ってください。 そうなると、この基地は、最初は違う目的で作られたのですか?」

「はい。 此処は政府軍と武装勢力が長年覇権争いをしている焦点の都市でして、国連軍としては早めに抑えておきたい要衝でした。 まず此処から睨みを利かせて、一気に軍を投入、混乱を収束させる予定だったのですが」

フィールドが発見されてしまったとなると、それも今まで通りには行かなくなる。

そもそももしもソロモン王の時代から存在するフィールドとなると、その古さは数千年という規模だ。五十層という桁違いの深さもあって、その危険度は常識外れである。中に何が潜んでいるか知れたものではなく、放置する訳にはいかなかった。

アトランティスでの戦いでも、最深部にはとてつもない邪悪な存在が潜んでいたという。それを考慮すると、このフィールドを放置するのは、確かに危険だった。

スペランカーは足をぶらぶらさせていたが、すっと挙手する。

「それで、どうしてそんな凄い遺跡だってわかったんですか?」

「軍基地を作って、これが発見されてから、専門の調査チームを呼びました。 内部のあらゆる構造、採取物、いずれもがソロモン王の時代の遺跡だと告げています。 浅い階層しか調べていませんが、古文書と一致する特徴も多く見つかっています」

「……」

「先輩、何か気になることがあるんですか?」

スペランカーは頭こそあまり良くないが、とにかく粘り強いし、不思議な勘が働く部分もある。以前共闘した時には、それで随分助けられもしたダーナは、一見ひ弱なこの人を、心の底から信頼していた。

スペランカーはしばし小首を捻っていたが、無言でじっとやりとりを見つめていたジョーが介入してきた。

「考えるのは後にしろ、スペランカー。 ただでさえお前は考えるのが遅い」

「あ、ごめんなさい。 大佐、続けてもらえますか」

「いいでしょう」

ダーナにも、今の空気はちょっとわかった。

大佐は何か知っている。結構面倒くさい事情が、裏にはあるはずだ。

そもそも現在大まかに三つに分かれた一神教は、様々な確執を内部で抱えている宗教である。何か裏で問題があっても、何ら不思議はない。

「此方が、地図になります。 古くから存在する配水管の、この辺りから侵入が可能となっています」

「他の情報は」

「内部は重異形化フィールドで、かなり危険な状態です。 中にはいるだけで生命力が吸い取られるという話もあり、研究員達も奥へは進めませんでした。 奇怪な生物たちも、存在を確認しています」

「そうか。 少し休憩を取ったら、すぐに出撃する」

ちょっと強引にも思えたが、今回ばかりはダーナも賛成だ。スペランカー先輩は、いそいそとヘルメットを被り、リュックを背負い始めた。彼女は身に纏っている異様な呪いもあって、恐らく迷宮の特性である生命力吸収に対しては無類の強さを発揮することだろう。それに、ダーナもそれに関しては、ある程度対応できる自信がある。

地図を、もう一度一瞥した。

入り口と書いてある場所は非常に狭く、本当に偶然の結果発見されたことがよくわかった。いずれにしても、これはそう簡単に進めるものではないだろう。

それに、この様子では。

いや、今から悪い想像を巡らせても仕方がない。それに、多分ジョーもスペランカーも気付いている。敢えて口にするまでもない事であった。

「行けるか」

「ぼくはいつでも」

「では、案内いたしましょう。 多少暗くて狭いですが、フィールドまでの安全に関しては確保しています」

どうだか、と。ダーナは口中でつぶやいていた。

 

暗い配水管は、ジョーが腰をかがめないと歩けないほど天井が低かった。水が彼方此方で漏れていて、鼠や虫の姿も散見される。何しろ古い時代の配水管である。仕方がないことである。

ただ、煉瓦か何からしい壁も床も非常にしっかり組まれていて、隙間はほとんどない。予想外に高い技術でくみ上げられた遺構だ。

自動小銃を構えた護衛部隊と共に、司令官も歩いている。若干雰囲気が柔らかくて、ジョーよりは話しやすい人だ。さっきのカップラーメンを食べていた姿も、人間くささを後押ししていたのかも知れない。

「この配水管も、ソロモン王の時代のものですか?」

「いいえ、違いますよ。 今でさえ中東はこんな状況ですが、昔は世界の文明をリードしていた時期もあったんです。 その頃は、同時代のヨーロッパなんか問題にならない優れた技術と精神文明が花開いていたんですよ」

「そうなんですね」

「まったく、どうしてこんな事になってしまったのか。 現在世界で主流になっている一神教も、原型が産まれたのはこの近辺です。 それを考慮すると、今の中東の荒廃は、悲しい限りです」

大佐が悲しげに言う。

ダーナは何も言えなかった。

後ろで盛大にすっころぶ音。振り向くと、コケか何かで滑ったのか、スペランカーが盛大に転んで顔を水に突っ込んでいた。しばらく身動きしなかったので心配になったが、やがて自力で立ち上がる。

「ぷはあっ! びっくりした!」

「大丈夫ですか、先輩」

「平気だよ。 ダーナ君も、気をつけて」

そういえば、こういう場所では、気をつけなければならないのだった。ダーナはスペランカーを見て和んだか、つい気が緩んでいたことに戦慄する。これではいけない。もっと、気を引き締めて掛からないと、大けがどころではすまないだろう。

ジョーが止まった。

水の流れが変わっている。護衛部隊の兵士達が、さっと前に展開して、腰を落として自動小銃を構えた。水が、小さな亀裂から奥に流れ込んでいる。かなり狭いが、これが例の入り口、なのだろう。

「警備の兵士は?」

「もう少し奥に分岐があって、其処を守っています。 今のところ、フィールドから何か出てくる気配はありませんから」

「……そうか」

リュックを開けると、ジョーが自動小銃をくみ上げた。確か米軍が正式採用している、M16A4アサルトライフルだ。ただし狭い所で使う事を考慮して、かなり銃身を切り詰めた、カスタムタイプらしい。

「先に行く。 少し遅れて来い」

リュックを先に孔に放り込むと、ジョーが先頭を切って中に躍り込んだ。スペランカーがそれにちょっともたもた続く。ダーナは大佐にぺこりと一礼すると、最後に孔に入った。

孔の中は暗かったが、すぐにスペランカーがヘルメットについている灯りを付けてくれたので、光源は確保される。水が滝のように流れていて、かなり不快感が強い。下も横も、ぬるぬると滑り、異臭もあった。するすると降りていくジョーの姿は、もう見えない。

「うわ、流石ジョーさん。 手慣れてるなあ」

「先輩、大丈夫ですか?」

「平気。 ダーナ君、頭うたないように、あいたっ!」

そう言いながら、自分で頭を打ったらしく、しばらく悶絶しているスペランカー。ぬるぬるの床を下にのんびり降りていきながら、それでも確実に進んでいく。

服が濡れる。

ちょっと困ったと、ダーナは思った。

穴はかなり深い。下で化け物が大口を開けて待っていたりしたら最悪だが、多分大丈夫だろう。今のところ、空間の歪みや、邪悪な力は感じない。そういうものは、もっともっとずっと下から感じる。

水の音が大きくなってきた。スペランカーが、さきに可愛い悲鳴を上げる。慎重に降りていくと、膝当たりまで一気に水に浸かる。どうやら、此処が一番下らしい。

「ひえー。 濡れちゃったね」

「先輩、リュックは大丈夫ですか?」

「平気。 私の会社が、最近頑張ってるからって、防水仕様のいいのくれたから。 でも、きっとまた一回の戦いで駄目にしちゃうんだろうけど」

辺りは小さな滝壺のようになっていて、帰りに登ることを考えるとちょっとげんなりした。水はそれほど深くはなく、別の方角へ流れて行っている。

此処は鍾乳洞かと思って天井を見たが、違う。どうやら、とてつもなく巨大な建物の一角らしい。水によりかなり侵食はされているようだが。

「すごい。 こんな凄い建物が、砂に埋もれていたの?」

「エジプトではもっと大きな建物が見つかっている。 別にあり得ないことではない」

ジョーが武器を点検している。彼に見られないように、密かに術式を唱えて、さっさと服を乾かした。

スペランカーはリュックからタオルを出すと、体を乱雑に拭いている。もともと体の凹凸が少ないからか、色気はあまりなかった。もっとも、それはそれで別方向に需要があるのかも知れないが。

「ダーナ君、見ちゃ駄目」

「あ、ごめんなさい」

「あまり大声を出すな。 もう此処は、敵の勢力圏内だ」

ジョーが明かりを消す。建物の中は、うっすらと発光していて、幻想的と言うよりもむしろ禍々しい。

ジョーが伏せている柱の影に、ダーナも移動。杖の様子を確認。攻撃魔術はあまり得意ではないが、それでも身くらいは守れる。反対側の柱に、スペランカーも陣取った。

確かに、周囲には呪いが満ちている。長時間活動するのは危険だろう。

「ジョーさん、術式に対する抵抗力は?」

「無い」

「では、ぼくが対抗術式を掛けます。 この空間に満ちている呪いくらいなら、どうにか防げるはずです。 一日に一回程度掛ければ、充分だと思います」

「わかった。 やってくれ」

こんな巨大な建物が、五十層。

長丁場になる。だが、必ずやり遂げなければならなかった。だから、ジョーを失う訳にはいかない。

詠唱して、術式を展開。ジョーの周囲に、防御の魔法を張り巡らせる。

術者は、基本的に能力者の一種だ。理屈抜きで天然に使いこなしているのが能力者だとすれば、ある程度の素質を素に理論的に使っているのが術者である。ただし、その素質で出来ることと出来ないことが極端に別れてくる。

術式展開終了。ちょっと疲れた。

「疲弊が激しいようだが、大丈夫か」

「はい。 このくらいなら」

「奥はちょっと明るいね。 でも、多分何か居るよ」

スペランカーの言葉に頷くと、ジョーを先頭に、三人は通路に躍り込んだ。かなり長い通路が、何処までも続いている。

壁の両脇に立ちつくしているのは、守護の兵士を象った石像か。いずれもが手に槍を持ち、半裸だった。この辺りの気候を考えれば当然だろう。

リアルな造詣だが、現代とは多分美的感覚が違う。兵士達の顔立ちは、どれも非常にあくがこい作りになっている。

「まるで生きているみたいだね」

「生きていた、かも知れません」

ソロモン王が、本物の魔術師だったという説は、フィールド探索者の間では根強く存在している。兵士を石にして、自分の宝物を永遠に守る万人に仕立てた。晩年の暴政、当時のモラル、それに逸話から伺える残忍な性格を考えると、あり得ないことではなかった。

奥の光が強くなっている。しばらく覗き込んでいたジョーが、手招きしてきた。

どうやら、此処らしかった。

建物は全体的に、大きな円形をしている。そしてその中心部に、部屋がある。後はずっと、塔を降るように、五十層を下がっていく感じなのだろう。

奥の空間は、さほど広いものではなかった。奥行きは二十メートルくらい、天井も十メートル前後だろう。

無数に柱が立ち並ぶ中、違和感が入り込んでくる。まず異常なほどに明るい。壁も床も発光しているのだ。

それだけではない。

「事前の、話通りですね」

「うん。 ダーナ君、大丈夫?」

「やってみます」

空中に浮かぶ、無数の石。黄金色をしているものと、銀色のものがある。いずれもが、直径一メートル半程度。

ソロモンは、賢者の名を持つ王。

だから、その宝と叡智が封じられた場所には、巨大な石を用いたたくさんの知恵の扉が仕掛けられている。

それを突破した者だけが、ソロモンの叡智に触れることが出来るだろう。

古文書に書かれているその文句に対して、様々な対策を考えてきた。ダーナは元々石を扱う術式に関してだけは、誰にも負けない才能を有している。だから、ソロモンの鍵と聞いて様々な組織が裏で動く中、選抜されたのだ。ダーナ自身がフィールド探索者として二流以下であり、魔術師としても著しく経歴が浅いことも、選ばれた理由の一つだろう。

ダーナは、今回。迷宮を攻略しろとは言われていない。

情報だけ持ち帰れと言われていた。

強豪魔術師達は、いずれもが互いを牽制しあい、それぞれのフィールド探索参加を阻止した。彼らのネットワークはフィールド探索者の会社よりも古く、ものによっては国家にも食い込んでいる。N社が介入に入らなければ、多分血を見ていたことだろう。

幸いN社が介入を成功させ、自分も今回は加わらないことを明言して、どうにか事は収まった。しかしながら、結局ダーナが鉄砲玉の捨て駒として使われたことに代わりはない。

あれだけ笑いものにしていたのに、いざ本物かも知れないとなると目の色を変える。フィールド探索者の中でも、魔術を扱う連中には、かなりえぐみが強い者が多い。ダーナが所属しているT社にも色々な圧力があったらしく、社長は焦燥した様子で言ったものだ。

死なないで、戻れと。

色々と複雑な事情があるダーナによくしてくれた恩人である。言葉は、絶対に守らなければならなかった。

巨大な石には、規則性もなければ、特にこれと言った特徴もない。銀と金がひたすらに列んでいるだけである。石の一つに触れてみる。金色のものは、驚くべきことに空間の魔力と一体化している。これは壊すのも可能だし、自力で造り出すことも出来る。一方、銀色の方は恐らく自然石に手を加えたものだ。壊すどころか、例えばあのMでも連れてこない限り、傷一つ付けられないだろう。

石の一つで、光を放つものがある。

ジョーが顔を上げたのは、気配があったからだ。

天井近くの空中に鏡のようなものが出現する。

其処から、黒い影が這いだしてきた。大きさは人間よりも、かなり大きい。人型をしているそれは、徐々に色を得ていった。

巨大に盛り上がった筋肉。口からは無数の牙が除いている。全身は不潔で、茶色い着衣を身につけ、靴だけが少し反り返ったチャーミングなものだった。逆にそれが異様さを際だてている。

「ゴブリン!? でも、普通の何倍も大きいです」

「ゴブリンっていうと、ファンタジーに出てくる妖精とか、そういうの?」

「一般的にはそうなんですが。 ちょっとあの大きさは異常です。 古い時代には、小間使いや奴隷として活用する事もあったと聞いていますが」

此方を見つけたゴブリンが、敵意の咆吼をあげた。殆ど間をおかず、無言で、ジョーが腰だめして、M16をぶっ放した。最初の数発は外れたが、後の全ては顔面に集弾する。更に、胸も腹も血を噴き出した。しかし、ゴブリンは両目を潰され、全身を蜂の巣にされながらも、まだ動いている。無言で歩み寄ったジョーが、至近からM16の弾丸を、容赦なくゴブリンに叩き込んだ。

断末魔の悲鳴。

鏡から、二匹目が現れる。今度は鏡自体にジョーが弾丸を浴びせかけるが、それも効果を示していない。鏡は人間を瞬時に襤褸雑巾にする突撃銃の弾丸を雨のように浴びても、割れるどころか傷一つ付かない。

ちょっと慌てた様子で、スペランカーが叫んだ。

「急いで! あんまり長くは保たないよ!」

「わかりました!」

魔法的な罠は、幸い存在しない。詠唱して、杖をかざす。具現化せよ。短い呪文だが、効果はてきめんだった。

石が、空中に出現する。それは浮き上がることも落ちることもなく、その場にとどまっていた。踏み越えると、次の石を。光を放つ石に、順番に近付いていく。邪魔な石が浮いている。今度は、消滅せよと、短く呪文を唱える。

石は、何事もなかったかのように消え失せた。どれほど強力な酸を掛けても、此処まで激烈な効果は出ないだろう。戦慄する。この迷宮には、とんでもない魔力の力場が満ちているとしか思えない。

一番奥まで、辿り着く。

石の上に、小さな鍵があった。それもまた、自分が魔法の産物であることを誇るかのように、空中に浮かんでいる。這い上がりながら、鍵を掴む。

同時に、部屋の全体が、激しい光を放った。魔法的な衝撃が、部屋全体を舐め尽くしていく。

思わず体勢を崩したダーナは、真っ逆さまに転落。

真下で、走り寄ってきたスペランカーがクッションになってくれなければ、首を折る所だった。

「ふぎゃっ!?」

「あいたっ!」

十字に折り重なって倒れたダーナは、気付く。

鏡から現れたゴブリンの巨大種を、既にジョーが仕留めていたことに。辺りは血の海で、何体ものゴブリンが物言わぬ亡骸となって転がっていた。スペランカーが、体の下で呻く。

「あいたたたた。 気をつけて、ダーナ君。 ダーナ君も、ぺちゃんこになっちゃうから」

「えっ?」

そういえば、スペランカーは特異体質の持ち主だった。呪いなのだが、あまりにも体に馴染んでいるので、もはや体質と言っても良い。聞いた話によると、彼女の肉体は、悪意や敵意によって受けた攻撃をそのまま相手に返すのだ。物理的にではなく、文字通り空間が抉れるように、カウンターは発動する。たまたま今回は悪意がなかったから良かったが、下手をすると彼女が言うとおり、ぺしゃんこになっている所だった。

慌ててどくと、スペランカーは頭をふりふり立ち上がる。

しかし、今の感触。気付かれたか。スペランカーを、ちょっと気まずい目で見る。だが、彼女の反応は、いつもと変わらなかった。

部屋の中央に、魔法陣が出現する。複数の縁が重なり、カバラの秘儀が書き込まれた、移送用のものだ。これを使って、次の階層へ行け、という事なのだろう。

仕組みは理解できた。そして遊ばれていると言うことも。

問題は、此処からだ。多分ソロモン王の事だ。ろくでもないしかけを準備しているに違いない。

「この中に入れば、次の階層に行けます」

「魔術のことは、俺にはわからん。 後ろは俺がどうにかするから、お前は突破に集中しろ」

「お願いします」

ジョーは、相変わらず此方を見もしない。ただ、任務を完遂することしか、興味がないように見えた。

「先に行くぞ」

「はい」

無造作に、ジョーが魔法陣に飛び込む。

魔法陣にはいると、全身を光が包んだ。

落ちていくような、登っていくような不思議な感覚である。エレベーターに乗っていると、時々こんな不思議な違和感に襲われるが、それに近い。音はしない。ただ周囲には、無数の光の粒子が舞っているのみである。

光が消える。

辺りが、見えてきた。先に魔法陣に入ったジョーは、既に壁に背中を預けて、アサルトライフルを構えている。どうやら、魔法陣を抜けると、部屋ではなく通路に出る様子だった。

最後に魔法陣から出てきたスペランカーが、ぽてぽてと歩いてくる。

「ダーナ君、さっきのことなんだけど」

「すみません、そのことは後で話します」

「うん。 でも、こういう場所で、しかも少人数のチームで隠し事は色々まずいよ」

「……先を急ぎましょう」

やはり気付かれていたか。ジョーが一瞬だけ此方を見たが、何も言わなかった。

ちょっと気まずい。だが、今はそれどころではなかった。壁に背中を付けて、部屋を伺う。やはり、同じような大きさの空間の中、石が無数に浮かんでいる。鍵をあの中から探し出さなければならない、と言うことなのだろう。

鏡は、ない。

さっきの様子からして、部屋にはいると、その時点で防衛システムが作動するのだろう。後ろを見ると、魔法陣はまだ存在している。帰りはあの暗い狭い孔を抜ければすぐだろうが、これからこんな風に五十の層を突破しなければならないと思うと、少し気が滅入る。

「人が入った形跡があるな」

「あっ、本当ですね」

部屋の入り口に、かなり古い足跡が幾らか点在している。それだけではない。通路にも、よく見るとキャンプの跡らしいものがあった。

しかし、最近出来たものではない。明らかに、何年も経過している。

罠が生きていると言うことは、多分侵入者は生きて出られなかったのだろう。こういった迷宮は、隠してある宝をコアにして起動している場合が殆どなのだ。だからフィールド認定もされる。

「発見されたのが最近というのは、あくまで我々にとって、と言うことだろうな。 此処のことを知っている連中はいる。 しかもずっと昔から、ということになる」

心当たりはある。

だが、まだ推測の域を出ない。だから、ダーナは、仮説を述べはしなかった。

ジョーは何も言わない。だが、スペランカーは、心配そうに此方を見つめていた。

「退路を、一時的に封じられるか」

「えっ?」

「お前も気付いて居るんだろう? 多分此処を知っている奴が他にもいる。 俺も話に聞いているだけだが、お前達魔術師は能力者に比べて歴史が古い分軋轢もごちゃごちゃしているらしいな。 そうなると、横取りを狙う奴が追撃を仕掛けてくる可能性も高い」

寡黙だが、常に頭を働かせているジョー。その厳しい雰囲気は、いつも必要なことしか言わない。

そして、それは常に重要な意味を持ってもいる。

「追撃されるのは不利だ。 出来るか?」

「かなり難しいと思います。 無理に封じれば、帰れなくなる可能性も高いです」

「そうか。 今回は俺もトラップの持ち合わせが少ないし、ならば休憩を減らしてでも、多少強引に突破するしかないな」

ジョーの言うことももっともだ。と言うよりも、判断力において、勝てる気がしない。

スペランカーはどうかと思ったが、全面的にジョーに賛成らしい。

やはり、何だか居心地が悪い。以前のアトランティス総力戦でも、ちょっとダーナは肩身が狭かった。酷い思いをしているのを庇ってくれたのはスペランカーだったが、彼女は甘いだけではない。しっかりダーナに、現実的にものを見るように誘導もしてくれている。頭は悪いかも知れないが、多分本能で気付いているのだろう。ジョーが、この場において一番正しいことを行っていると。

部屋に飛び込む。

今度は、上下で三層に別れている不思議な部屋だ。足場が丁度部屋の真ん中くらいにあり、奥の方に輝く石があった。彼処が、鍵か。

複数の鏡が、部屋の上部に出現する。

スペランカーは、最後の切り札。この迷宮の最深部にいる可能性が高い存在に対する鬼札として活躍して貰わなければならない。道を切り開くのはダーナの仕事。そして、ダーナを守るのは、ジョーの仕事だ。

この三つが噛み合わないと、この恐ろしい迷宮は、とても突破できないだろう。

どずんと、何か大きな音がした。気がつくと、鬼のような形相をした恐ろしい顔が、鏡から落ちてきて、此方を睨んでいた。

顔は回転しながら、ゆっくり此方に迫ってくる。歯をがちがちと鳴らしているが、あんなものに捕まったらひとたまりもなく噛み砕かれてしまうだろう。どずん、どずんと、次々に巨大な頭は落ちてくる。いずれもが凶悪な形相で目を剥き牙を剥き、此方に迫り来ていた。

「急げ」

けたたましい銃声と共に、突撃銃が火を噴く。海兵隊に正式採用されている突撃銃の火力は凄まじいが、しかし敵の数は圧倒的だ。無数に列んで居る石の間を、走る。走りながら詠唱。

外から見た感触だと、この足下の部分はとても薄い。一つの石を消すだけでも、あの怪物の浸透を防げるかも知れない。仁王立ちし、突撃銃を乱射しているジョーに叫ぶ。

「ジョーさん! こっちです!」

三つ横に並んでいる石を、一つずつ消していく。そして、走り寄ってきたジョーが石を駆け抜けた瞬間、最後の一つを消した。

追撃してきた巨大な頭が、隙間から落下。どすんと、下で凄い音を立てた。次々に、隙間から頭が下に落ちていく。

念のため、もう少し石を消して、隙間を拡げておく。工夫なく進んできた巨大な頭が、次々と隙間から落ちていった。工事現場のように、どすんどすんと下で音がしている。何だか恐ろしいが、それ以上に気の毒に思えた。

「うわあ、下、凄いことになってるよ。 鳥さんの巣みたい」

「怖いから、覗きたくないです」

脳天気にスペランカーが言う。しかし、あの巨大な顔は、さっきの鏡からまだまだ現れ続けているようだし、何が起こるかわからない。何よりも、また、鏡が現れないとも限らないのだ。呼吸を整えながら、光る石への経路を頭の中で組み立てる。

ただ進むだけだが、それでも少し距離があるので、急がないとまずい。今頭上にあの鏡に出現されたら致命的だ。ジョーでも対処しきれないだろう。

肩で息をつきながら、石をよじ登る。体力も腕力もないダーナには、それだけで重労働だ。一番奥に、光り輝く石。よく見ると、上に小さな鍵。

手を伸ばす。

「急いで! また鏡!」

振り返っている暇はない。ダーナは、短い距離を助走して、無理矢理隙間を跳び越えた。

光る石を消去すると同時に、迷宮に光の波動が走る。溶けるように、禍々しい気配が、消えていった。

 

へたり込んでいたダーナに差し出されたのはスポーツドリンクだった。

たった二層を超えただけでこれだ。石を消去するのは難しくないのだが、巨大な怪物が何時現れるかまるでわからないのが恐ろしくてならない。スポーツドリンクを受け取る。スペランカーと思ったのだが、ジョーだった。

「少しは肉を付けろ。 魔術が使えるからと言って、それでは今後やっていけんぞ」

「すみません」

必要なことだけ言うと、ジョーは壁際に戻った。

二度の攻略ではっきりしたが、部屋に入らない限り、鏡は出現しない。と言うことは、得体が知れない怪物に襲われることはないと言うことだ。もっとも、以前ここに入った人間が居るとすれば、多分部屋に入る度に、また怪物は襲ってくるだろう。そうなるとうかうかはしていられない。

スポーツドリンクを飲み干す。水よりも効率よく水分補給が出来るので、フィールド探索者の間では必須だ。鞄からチョコレートを出して、囓る。カロリーが高いチョコレートは携帯食として便利である。

魔法陣の辺りで、ジョーがごそごそと何かやっている。ワイヤーを使って、トラップを仕掛けているようだ。踏むと手榴弾が爆発するえげつないものだが、事前に話はしてあるから、味方が引っかかることはないだろう。

額の汗を拭っていると、スペランカーがいつの間にか側で覗き込んでいた。何というか、この人は弱いかも知れないが、侮れない。とても怖い部分が結構ある。

「ねえ、ダーナ君」

「どうしたんですか?」

「私、あまり詳しくないんだけど。 そもそも、ソロモンの鍵って何? どうして、みんなそんなに夢中になるの?」

「概要は聞いていないんですか」

聞いたけど、よくわからないとスペランカーは言う。

丁度良い機会だし、話しておくのも悪くないと、ダーナは思った。

「一言で説明すると、かって存在したとても賢い王様が作り上げた魔法の本です。 伝説だろうと思われていたのですが、どうやら実在したらしいとわかって、今皆が血眼になっています」

「それが、どうして凄いの?」

「ソロモン王、賢い王様の名前ですが、彼は72柱もの魔神を操ることが出来たという伝承が残っています。 この迷宮にある書物こそ、その魔神の操り方が記された書物なんです」

そして、それには色々な都市伝説が伴っている。

その中の最たるものが、恐らくはこの迷宮に死を厭わず侵入を繰り返している連中の、動機だろう。

「魔神って言うと、悪魔のこと?」

「そんな所です。 普通の悪魔よりも、ずっと偉くて強い悪魔だと思っていただければ間違いありません」

「何だかうさんくさい話だね。 そんな凄い相手を、人間が72柱も操ったの?」

やはりスペランカーは勘が鋭い。その通りだ。

ソロモン王は一神教にとって重要な存在のため、その業績は過大に美化され、なおかつ強大化されている。もっとも有名な魔術書の真相など、実際にはただの紙切れという可能性も否定は出来ない。それどころか、かなり高いとも言える。

「みんなが求めているのは、きっとその強大な力です。 もしも伝承通りだとすれば、現在の軍事力でも何個師団にも匹敵する戦力が手に入れられるでしょうから」

「……」

スペランカーが口をつぐむ。

この馬鹿げた祭りは、早めに収束させなければならない。そうダーナは思った。

「行きましょう。 休憩は取れました」

「大丈夫?」

「これ以上、もたもたしてはいられませんから。 ぼくがこれ以上、みなさんの足を引っ張る訳にもいきませんし」

知ってはいた。だが、やはりスペランカーに言われると、この事態のおかしさが改めて理解できる。

ジョーは頷くと、トラップは仕掛け終えたと言ってくれた。

 

2、ソロモンの小さな鍵

 

八層を越えた辺りから、だんだん階層の作りが凶悪になってきた。

外見上はどれも同じである。円形の通路がぐるりとまわりを取り込んでおり、その中に部屋がある。その部屋の中には無数の石が浮かんでおり、入ると守護者らしい怪物が次々と姿を見せる。

そして、鍵らしき光を手にすることで、攻撃は収まる。

しかしながら、外から確認できる内部構造と、実際に足を踏み入れた時の恐ろしさがまるで異なるのだ。特に鏡の出現位置が恐ろしく、其処から現れる守護者の耐久力もあって、一つとして楽に越えられる階層はなかった。

足音を響かせ、後を追ってくるのはドラゴンだ。全身がオレンジ色で、かなりの小型種である。全高は四メートルほどだが、牙は鋭く爪は長い。翼があるタイプではないが、小さい分動きはとても速い。その上、間合いを計って火球を放ってくる知恵も備えていた。フィールドに出てくる魔物の類としてはそれほど強力なものではないが、何しろ数が数の上に、長丁場である。ジョーが手榴弾のピンを抜くと、放り投げた。ドラゴンが炎を吐く瞬間に、炸裂。ドラゴンの悲鳴がとどろく中に、更にとどめとばかりに銃弾を叩き込む。

ジョーは一度もアサルトライフルのマガジンを交換していない。これが恐らく、彼の能力なのだろう。

表情を変えないジョーだが、じりじりと下がっているのは。やはり、内心では焦りがあるのかも知れない。

「徹甲弾なのに、殆ど通らんな。 あのドラゴン、見かけよりずっと強いぞ」

「もう少し、耐えてください!」

「ジョーさん、代わって!」

煙を切り破って、ドラゴンがその巨体を現す。鋭い牙を剥き出しに躍り掛かるその鱗には、傷はあっても禿げては居ない。あれだけの弾丸と手榴弾を浴びても、倒れる気配はないと言うことだ。

飛び退くジョーに代わって、スペランカーが前に出る。手を広げて立ちふさがるスペランカーを前にして、ドラゴンが、ぴたりと動きを止めた。

以前はこんな事はなかったのだが。どういう事か。しかし、見ている訳にも行かない。階段状になっている石を、ひたすら這い登る。銀色の石が増えてきていて、行動の制限が著しく増えてきているのが不快だ。

ドラゴンが吠える。退け、とでも言うのだろう。知能が高い彼奴は、さっき出くわした時は、普通に石を這い上ってきた。ジョーが肩に掛けていた、グレネードランチャーに切り替えた。

「お願い。 通して」

説得を試みたスペランカーが、無造作に食いつかれた。そのまま振り回されて、放り投げられる。壁に叩きつけられて、トマトが破裂するようないい音を立ててぐちゃぐちゃに潰れた。

殆ど、間をおかず。

ドラゴンが絶叫。全身から鮮血を吹きだし、横倒しになる。其処に、ジョーがグレネードランチャーを叩き込んだ。爆発に巻き込まれたドラゴンの頭部は、今度こそ粉々に消し飛んでいた。

「急げ。 すぐ次が……前を見ろっ!」

ジョーの叱責にはっと顔を上げると、至近にそれはいた。大口を開けた、巨大な蛇の頭のようなものが、壁面一杯に貼り付いている。しかも口の中には、今にも火球を発射しようという光が、禍々しいまでに強く輝いていたのである。慌てて石を造り出すのと、蛇頭から炎が放出されるのは同時。爆圧が石を粉々に消し飛ばし、吹っ飛んだダーナは何度か転がって止まった。

「ダーナ君!」

ずたずたになったスペランカーだが、既に息を吹き返したようで、ふらつきながらも立ち上がりつつある。鏡からは、もう次のドラゴンが具現化しようとしていた。

スペランカーの能力は、不老不死。本人の能力が運動神経も知能も著しく低下するのと引き替えに、死から蘇生し、損失分の肉体は攻撃を受けた場合は攻撃者から、そうでない場合は周囲から奪い取って補うというものだ。瞬間再生する訳ではないし、着衣の再生までは完全には出来ないようだが、結構強力である。

問題は彼女に一つしか攻撃手段がないことである。さっきのような乱暴な攻撃を敵がしてくれればいいのだが、敵の知能が高い場合無力化される可能性が非常に高い。頭を振って、ダーナは石を作成。あの蛇のような頭は、火球を連射できないらしい。其処を突くしかない。

一応、ダーナも火球の術という攻撃手段はある。だがこれは、石をひいひい言って這い登るより体力を使う上に、制限回数がある。ここぞという時しか使えないし、今はその時ではなかった。

石で壁を作りながら、螺旋状に上がる。

また、蛇の頭が火球を放ってきたが、二重に展開した石の壁に防がれ、衝撃はさっきより小さかった。

鍵に、手を伸ばす。掴む。

下で、具現化したドラゴンが、動きを止めていた。

魔法陣が出る。しかし、今回はかなり高い所まで登っていたし、降りるのが億劫だった。しかも、足場を見ると、かなり無理して登ってきている。足を滑らせたら一巻の終わりだったと思うと、背筋に寒気が走る。

ドラゴンは、見ると、石像のように固まっていた。

「見ろ。 牙に衣服の残骸のようなものが引っかかっている」

「人を襲って、食べたんだね」

「先に来た人でしょうか」

「さあな。 いずれにしても、そのまま見逃す訳にはいかん。 人間の味を覚えた獣は、生かしておくだけで災厄を産む」

ジョーが無造作に石になったドラゴンの頭を打ち砕いた。グレネードランチャーをしまうと、再び突撃銃に持ちかえるジョーの動きは手慣れていて、まるで無駄がない。

既に、部屋の中央には、魔法陣が出現していた。

 

廊下に、十二星座を象ったマークが、無数に散らばっている。

壁にも床にも刻まれ、魔術的な配置があるのは明白だった。魔法陣に、再びジョーがトラップを仕掛けていく。

「あまり多くの罠は仕掛けられん。 多人数の追っ手が来ると面倒だ。 三十分で、出来るだけ効率的に休め」

「わかりました」

ジョー自身は、あれから一度も休んでいない。常に最前線で気を張り、敵とも近代兵器で勇敢に渡り合っている。さっきのドラゴンのような、露骨に力が違う相手に対しても、臆していない。

本物の戦士だ、この人は。

能力が如何にしょぼくても、関係ない。恐らくは、勇者というのはこういう人のことを言うのだろう。この人は棒きれ一本しか無くても、ドラゴンに対して有効な攻撃を最後まで試みようとするに違いない。

自分は、どうか。絶対に出来ないだろう。この人と同じ年になった時にも、そこまで成長しているとはとても思えない。ジョーは凄い人だ。スーパージョーと言われるだけのことはある。ダーナはまだちょっと彼の隣は居づらいとは思うのだが、しかし尊敬を抱き始めていた。

膝を抱えて、ぼんやりする。

スペランカーはどうしたのだろう。見ると、横に転がって、寝息を立てていた。随分図太い神経をしている。ジョーはと言うと、部屋への入り口の側の壁に寄りかかり、アサルトライフルの手入れをしていた。

今までの部屋にも、十二星座を象ったマークはあった。それだけではない。様々な魔術的障壁が、彼方此方に仕掛けられていた。石が作れない空間も存在した。そう言う場所は、手を伸ばしたり、跳び越えたりして、無理に突破するか、迂回するしかなかった。

高く積み上げられた石の山の中に、鍵が隠されている場所もあった。

今後は、もっとそれらが酷くなってくることは目に見えている。頭を使わなければ行けない。

考え込んだ末に、持ってきた保存食の中から、チョコレートを取り出す。そして、無言で噛み砕いた。

「私のも、食べて良いよ」

「起きていたんですか」

「うん。 頭を使うのに、甘いものって大事だもんね。 私のリュックにまだ少しあるから、食べちゃって」

「有難うございます。 その分は働きます」

スペランカーは応えない。半分寝ぼけていたのかも知れない。

金色の粉が、不意に宙に舞った。

辺りに、魔力のひずみが出来ている。妖精だ。

顔を上げたダーナの目には、無数の妖精が写り込んでいた。人間よりもだいぶ小さく、背中には羽虫のような羽が四枚生えている。黄色い笑い声が、辺りに満ち始めていた。

「ようこそ、封印の迷宮に」

「ようこそ、乱暴な旅人さん」

無言でナイフに手を掛けたジョーを制止する。

性悪だが、敵意のある妖精ではない。しかし、妖精は気紛れな分下手に刺激すると、非常に危険なことがあるのだ。

目を擦りながら、スペランカーが半身を起こす。彼女は飛び交う妖精達を見て、しばらく固まっていた。

「貴方たちは、この迷宮に住み着いている妖精ですか?」

「そうよ。 私達は此処の住人」

「もっとも、迷宮が出来た時より後から、住み着いたのだけれど」

きゃっきゃっと黄色い笑い声。害意はない。だが、その代わり、悪意が言葉の節々にしみこんでいた。

人間が作ったよりも後から、妖精が住み着いた。それが、そもそもあり得ることではない。この手の妖精というものは、基本的にものに宿った精神が、形を為したものだ。フィールドが出来た時からいるとすると、その時から生きているのが普通であり、すなわち迷宮と存在を共にしているはずである。

それが、後から来たとは、どういう事か。

「貴方たちは、ひょっとして誰かに使役されている妖精ですか」

「そうよ。 私達は哀れな使い魔」

「ただ、この迷宮を知るためだけに、造り出された哀れな命」

「その割には楽天的な妖精どもだな」

ジョーの言葉にも、妖精達は陽気な笑い声を返すばかりだった。ジョーに、慌てて喋るのをやめるように言う。妖精の類は、怒らせると面倒なのだ。

さっきから時々姿を見せているゴブリンも、本来は妖精の一種である。あのようなおかしな姿になることは滅多にないが、それでもああなりうるのが妖精なのだ。人間を罠に陥れて、苦しめて殺すことだけを仕事や生き甲斐にしているような者もいる。

今周囲を飛び交っているのも、もしピクシーだったら面倒だ。ピクシーは、旅人を迷子にさせるのが仕事の妖精なのである。

「あら、ご主人様が来ているわ」

「後ろから、追いかけてきているようよ。 この人達のことを、伝えなくては」

「ちょっと、待って!」

「さようなら、乱暴な人達。 貴方たちが、破滅することを祈っているわ」

目にも止まらぬ速さで、ジョーが一匹を捕まえる。だが、光の粒子になって消えてしまった。

後には、甲高い嘲笑のみが残った。

「話を総合すると、どうやらあの妖精どもを放った連中が、追撃してきている。 そう言うことで、間違いないか」

「恐らく」

「あれはフィールド由来の生き物じゃないの?」

「ごく希に、妖精使いと呼ばれる術者が居ます。 フィールドで発生したごく弱い妖精などを、自分の配下として飼うことが出来るようです。 もう長いこと噂を聞いていませんから、絶滅したという話もあったのですが」

どうやら、生存していたらしい。それも、最悪の形で、だ。

どちらにしても、もうのんびり休んでいる暇はない。襲撃者が居て、それが追撃してきているのは間違いない。しかも此方は、そいつらに存在を知られてしまった事になる。

「不意を突くか、それとも振り切るか。 どちらかを選ぶ必要がある。 この迷宮はやはり、入ればまた罠が作動すると見て良いのか」

「はい。 恐らくは、何度でも」

「ならばもう少し進んで、追撃者を離しておくぞ。 此方には軍基地のバックアップもあるし、そう大した数は送り込めないはずだ」

「私も賛成だよ、ダーナ君。 もしフィールドに入ってきている人が、此方に危害を加えようって言うのなら、少しでも力を削いだ方が良いよ」

二人が言うとおりだ。ダーナは頷くと、さっさと先に進むことにした。

 

ソロモンの小さな鍵には、こんな伝承がある。

この書物は、世界のバランスを司る存在。この書物に触れる事なかれ。

何でも、かって世界は混沌の坩堝にあった。その混沌をおさめたのが、ソロモンの小さな鍵と呼ばれる魔術書である。

しかし、今の世の中は混沌の坩堝である。それは、ソロモンの魔術書に、触れてしまった者達が居るからだ。

だから、守らなければならない。ソロモンの鍵は、闇の奥底に封印しなければならないのだ。

幼い頃から、未だ名前無き魔術師は、それをすり込まれて育った。世界は腐っている。世界は歪んでいる。だから、是正しなければならない。これ以上の歪みを、生じさせてはならない。

暗い部屋で、妖精と遊ぶ技ばかりを磨かされた。幼くして妖精が見えたからか、いろんな所に連れて行かれた。そして、妖精と遊んだり、彼らの力を借りる事を求められた。よくわからなかったが、妖精と遊ぶことは楽しかった。

同世代の友達はいなかったし、同性の人間も見たことがなかった。周囲にいるのはターバンをつけていたり、顔を隠していたりする大人ばかり。笑顔どころか、顔さえ見たことが殆ど無かった。

少しずつ背が伸びてくると、妖精に色々な内緒の話を聞くようにもなった。

自分が女という性別であること。他の女はおしゃれをしたり、美味しいものをたべたり、自由に生きていること。

羨ましいなあとも思った。

だが、頭にすり込まれた伝承は、どうしても消えなかった。それに、もしも逆らおうものなら、食べ物を減らされた。それだけは、どうしてもいやだった。空きっ腹を抱えて暗闇の部屋に閉じこめられると、寂しくて悲しくて涙が出た。

大人に、逆らってはいけない。

それが、名前さえ与えられていない「妖精使い」の教訓だった。

やがて、人も殺すようになった。妖精を使って目的の人間の居場所を探し出して、大人に教える。そうすると、大人が恐ろしい武器を持って出向き、殺してくるのだ。殺した相手は、目の前で切り刻むことも珍しくなかった。首を目の前で切り落とされた時は、大量の鮮血が噴き出す有様を見て、嘔吐をこらえるのに苦労した。

嘔吐は、絶対に出来なかった。食べたものを無駄にするなんて、絶対に許されないことだからだ。

我慢に我慢を重ねている内に、いつの間にか笑えなくなっていた。

大人達に連れられて、歩く。彼らのリーダー格が、不意に言う。ターバンをつけ、顔を隠しているが、その残虐な目の露出までは避けられなかった。

「妖精使い。 連中を捕捉したか」

「十二階層先にいます」

いきなり殴られる。吹っ飛んで、壁に叩きつけられた。床に倒れ込んだところで、顔を踏みにじられた。

「何で見つけた瞬間に言わない。 次にやったら、耳を切り落とすぞ」

「ごめん、なさい」

「ふん、道具の分際で。 おい、此奴の餌を減らせ。 ペナルティだ」

吐き捨てる。

妖精が、耳元で囁いた。この迷宮に住み着いている妖精だ。自分が連れてきた妖精達ではない。

彼女は人間よりも若干小さいほどの背丈がある。魔力もかなり強い。妖精の中でも、何千年と時を重ねた、非常に強力な存在であることは間違いなかった。

「やあだ、乱暴な男。 どうしてあんなのに従ってるの」

「逆らったら、殺される」

「私に任せてくれない? そうしたら、あんな奴、不意を突いて此処にいる仲間達の餌にしてあげるよ?」

妖精のありがたい申し出だが、首を横に振る。

今まで外の世界など知らない状況で暮らしてきた。だから、仮に自由になれても、生きていける自信がない。

それに、知っている。外では人殺しは大きな罪だ。それを散々重ねた自分に、居場所など、ある訳がなかった。

大体、今も遺跡の外では、あの男の仲間達が大勢待っている。仮に此処にいる者達が死んだって、自分は自由になどなれない。

「何だ、あんたって臆病者」

「ごめんなさい」

「まあいいわ。 私達と相性が良い人間って言うだけで、そうそういないし、我慢してあげるんだけど。 ただね、はっきり言うけどあんた、もう少ししたら彼奴らの仲間に犯されて、死ぬまで子供を産むためだけの道具にされるわよ」

背筋を、寒気が通り過ぎた。

具体的に意味はわからないが、大体何となくわかる。連中の仲間が時々何かしているのは知っていた。うなり声のようなのとか、悲鳴のようなのとかが、自分の居る隣の部屋から聞こえてきたこともあった。

怖くて見ることが出来なかったが、きっと怖いことが行われているのだと思っていた。

今、妖精の言葉で、それが具体的な形になった。

「ど、どうしよう」

「さあね。 逃げるしか、ないんじゃないの。 どっちにしてもあの連中、まともな人間じゃないわよ。 チャンス見て逃げないと、文字通り何されるかわかんないし、今後は確実に殺されるよ」

でも、どうやって逃げたらいいのかさえわからない。

名前さえない自分は、きっと外では生きていけない。

前では、凄惨な殺し合いが続いていた。杖を振り上げた男が、石を作って、這い上がっていく。怪物が次々とリーダー格の仲間を襲う中、光る石に手を掛ける一人。阿鼻叫喚が止まった。

リーダー格は身じろぎさえしなかった。どれだけ同僚が死のうが、知ったことではない様子だった。

「何人生き残った」

「此処には十三人です。 七人、後から来ます。 更に増援を呼ぶことも出来ます」

「ふん、役立たずが。 良いか、今回の目的は先に行った背教者どもを消すことだ。 この迷宮は眠らせたままでなければならん。 背教者どもを消したら、さっさと撤収する」

男の目は、ただ血に飢えていた。

 

星空のように、空に無数の宝石が輝いている。だが、それは決して美しいだけのものではない。石を作りながら、急いで拾い集める。

なぜなら、その宝石は罠だからだ。これがあるせいで、その空間には石が作れない。滝のように上からは小型の怪物が降ってきている。グレネードランチャーとアサルトライフルを駆使して、行く手の怪物を次々に撃ち落としてくれるジョーの表情にも、余裕がない。

「もう長くは保たん! 急げ!」

「こっちだよ、ダーナ君!」

手を振っているスペランカー。何時の間に回り込んだのか、上の方にいる。彼女が指さす先には、確かに目映い輝きがあった。

計算する。

彼処へ行くには、どうすればいいか。滝のように落ちてくる敵は、勢いを増すばかりだ。それに、見えた。ジョーの額の汗が酷くなってきている。呪いに対抗する術式が、切れかかっている証拠だ。

焦るな。自分に言い聞かせる。そして、ついに活路を見つける。

指が千切れそうな程の勢いで、石にむしゃぶりつく。そのまま這い上がり這い上がり、鏡の側を通り抜けて、鍵に飛びつく。途中見つけた宝石は、弾いて地面に落とした。そんなものよりも、今は大事なものがあったからだ。

光る石に手を触れると同時に、周囲の魔力が沈静化する。

スペランカーが、大きく嘆息した。

「はあ、しんどかったあ」

「ジョーさん! 大丈夫ですか!」

「問題ない」

かなり高い所から見下ろす感触だが、どうにかジョーの無事は確認できた。駆け上がったが、まさかこれほど高い所まで来ていたとは。改めて下を見ると、足が竦んでしまうほどだ。

床に散らばっている宝石を集めるのは、解析のためだ。ちょっと見たが、サファイヤとしては若干純度が低くて、売ってもあまり良いお金にはならない。魔法陣に歩み寄り、入り口に警戒の目を向けているジョーの側を、光の粒子が飛び回った。

また、妖精だ。さっきのよりもかなり大きい。衣服についている装飾も豪華で、或いは妖精族の王族なのかも知れない。

ジョーは視線ももう向けることはなかった。

「またか。 何用だ」

「人間、追っ手が近付いてる」

「それを言ってどうする」

「妖精使いが、そいつらにこき使われてる。 可哀想だから、ぶっ殺して、妖精使いを助けてあげて」

物騒な話だ。しかしまあ、相手側の事情がわからない以上、どうにもならない。ゆっくりというかもたもた降りてきたスペランカーが、妖精の前に歩み寄る。

妖精が少し離れたのは、やはりスペランカーが纏う異常な呪いに気付いたからだろう。今度のは、さっきのよりだいぶ強いようだし、それくらいは見て判断できるはずだ。

「お前は……恐ろしい。 恐ろしい」

「うん。 私の体には、ちょっと怖い呪いが掛かってる。 それよりも、誰かを助けるために、他の誰かを殺してってのは、ちょっと乱暴だね。 何か事情があるなら、話を聞いても……」

「今はそれどころではない」

ぴしゃりと、ジョーが言う。ダーナはその口調があまりに鋭いので、思わず息が止まるかと思った。

ジョーとスペランカーがにらみ合う。スペランカーは、いざというときは一歩も引かない。以前もあの恐ろしいMに対して、敢然と立ち向かう所を見たことがある。その時は、Mがスペランカーの言い分を聞いたほどだった。あの、フィールド探索者どころか地球人最強を謳われるMが、である。

スペランカーは声を荒げない。叫ぶこともない。だが、いざ引かないと決めた時の口調は、山のような安定感がある。頭一つ半大きいジョーに対しても、小柄なスペランカーは虎に向かうクズリのように引かない。

「待って、探索の助けになるかも知れないよ。 ジョーさん、話、聞こうよ」

「リスクの方が大きい」

「この先、もっと厳しくなるとすると、内通者が居る方がいいんじゃないの? 追撃者が現れるタイミングも計れるよ」

「その妖精が、本当のことを言っている保証は何処にもない」

確かに、ジョーの言い分ももっともだ。しかし、スペランカーは、どうしてか妖精の言い分に正しいものを感じているようだった。

彼女の直感は頼りになる。今まで接していて、ダーナはそれを感じている。だから、ちょっと躊躇した後、彼女に加勢した。

「ぼくも、先輩に賛成です」

「……」

妖精は不安を感じたか、ちょっと距離を取って滞空している。

ジョーは口を引き結んだままだった。そう言えば、この人も今まで怒ることはなく、叫んだのもダーナの危険を感じたらしい一回だけだった。だが、その意見対立は、静かなのに、とても重く恐ろしく感じた。

「わかった。 ならば一旦次の階層に出る。 其処で判断しよう」

「わかりました。 その方が、良さそうだね。 ダーナ君、いこ」

「はい」

スペランカーに手を引かれて、そのまま魔法陣の中に身を躍らせる。

そう言えば、もう半分は越えたはずだ。

魔法陣を出ると、また同じ光景が広がっている。円環状に部屋を取り囲む通路と、それに同じ大きさの部屋。見ると、今度は左右対称の面倒くさい構造だ。

少し前くらいから、何をやっても消えない不気味な炎が部屋中に灯っているようになった。火力は凄まじく、一度これに飛び込んだゴブリンが瞬時に焼き払われてしまった。幸い炎が広がることはないのだが、あれは厄介だ。或いは、炎の形をした魔術による生成生物なのかも知れない。

魔法陣に銃口を向けたまま、ジョーは妖精に言う。

「幾つか、聞かせて貰おうか」

「何よ、偉そうに。 筋肉男」

「ジョーさん、ぼくが話します。 妖精とは、交渉した経験もありますから」

「そうか、なら耳を貸せ」

まあ、相手に聞こえるようでは交渉も何もない。だが、聞こえてきた声は、意外なものだった。

「あの妖精を信じていないのは俺だけじゃあない。 スペランカーもだ。 そのまま、何も言わず、聞いているふりをしろ」

「……」

ジョーの話によると、どうも話がきな臭いという。妖精が誰かを助けようとしているのはほぼ間違いないようなのだが、その裏に何かあるとしか思えない。

例えば、救助対象だけを救って、後の人間は皆殺し、とか。

考えられる話だ。妖精は皮肉屋で残酷な側面がある。例えばあの妖精が、何らかの理由でこの迷宮を守っているのだとしたら。妖精の友人の人間を助けることはあっても、他は皆殺しにしてしまおうと考えても、不思議ではない。

どうやら、ダーナが思っているより、遙かに二人は大人だったらしい。ちらりと見たスペランカーが、ご機嫌そうにリュックから缶詰を出している。まるで子供のような無邪気な表情である。あれは演技なのか天然なのか、ちょっと判別がつかないが。

「わ、蟹缶だ! 社長さん、今回は奮発してくれてるなあ」

「カニカン? 人間、何よそれ」

「美味しいんだよ。 食べる?」

「じゅるり。 しょ、しょうがないわね! ちょっとだけだったら、食べてやってもいいんだからねっ!」

何だか阿呆なやりとりを一瞥だけすると、ジョーは無表情のまま続ける。

まず聞き出すのは、敵が後何階層までに迫っているか。要保護対象はどのような姿をしているか。敵の戦力はどれくらいか。

ほぼ間違いなく敵には能力者が居るとダーナが指摘すると、間違いないだろうなとジョーも肯定してくれた。ちょっと嬉しい。

「わかっているとは思うが、階層を聞き出すのは、相手の嘘を計るためだ。 もしも敵が事前に此処に来たことがあるのなら、進行速度は此方よりも早いと見て良い」

頷く。

積極的に追いかけてきている敵がいて、しかも側に嘘を吹き込むことで、皆殺しを計る者がいるのなら。

その全ての上を行かないと、この場を生き残ることなど出来ないだろう。

頷きあうと、言われたとおりに不平満々という表情を作り、ダーナは蟹缶をがっつく二人に歩み寄っていった。

 

3,魔術師VS一人軍隊

 

スペランカーは、壁の側を歩いていて気付く。水音がするのだ。

外に空間があるらしい。それはいいとして、既に三十数層は潜ってきているはずなのだが、こんな露骨な水音がするのは妙だ。大深度の地下に作られた建造物というのも、当時の技術からすれば、無理がある。

ひょっとしてこの建物、浅い階層にあるものを、数珠つなぎに空間転送で結んでいるのではないのか。

だったら何だという分けでもないのだが、ちょっと興味深い。階層と言うから、てっきりどんどん下に降りているのかとでも思っていた。しかし、この様子だと、ひょっとすると帰りは楽が出来るかも知れない。

さっき、妖精はまだ七階層離れていると言っていた。

つまり、もう至近まで敵は迫っているという事だろう。ジョーは部屋の中をうかがう振りをして、グレネードランチャーをリュックにしまっている。近代火器に知識がないらしい妖精は、ジョーの行動を不審には思わなかったようだ。

次の瞬間。

ジョーが振り向き様に、アサルトライフルをぶっ放した。

魔法陣から飛び出してきた男が、瞬時に蜂の巣になる。穴だらけになって息絶えるその男を盾にして、カラシニコフを手にした男達が次々に魔法陣から飛び出してきた。全員がターバンをしていて、顔も隠している。異様な雰囲気だ。

激しい銃撃戦が巻き起こる。ダーナとスペランカーを部屋の中に押し入れながら、ジョーは手榴弾のピンを口で引き抜いた。

「此処は俺が食い止める。 行け」

「くっ! どうしてこんなに反応が早いのよ!」

「っと、駄目。 一緒に来て」

逃げようとした妖精は、その場でスペランカーが捕まえる。部屋の中にはいると、すぐに周囲を妖気が満たした。

外では、激しい銃撃戦が繰り広げられている。明らかに腕が上のジョーだが、敵は数で押している。緩やかに弧を描いている壁を挟んで、両者の激しい激突は続いていた。時々、手榴弾が炸裂する。だが、敵は減る様子がない。

「もう、支援はないよ。 私が敵をどうにかするから、急いで」

「わかっています!」

ジョーも、何時までもしのげる訳ではないだろう。

やはり、膨大な数の石が列んでおり、簡単には進めそうにない。燃えさかる炎と、大量に存在する鏡。飛翔能力を持つ魔物が、群れを成して、ダーナの前に立ちふさがる。

スペランカーは妖精を抱えたまま、走る。ぽてぽてという感じの頼りない走りだが、それでも一応敵を陽動することは可能だ。

「こっち! こっちだよ! 妖精さんもいるよ!」

手を振って魔物にアピールする。一斉に、翼持つ灰色の魔物達が此方を見た。

視界を漂白するくらいの火球が飛んでくる。慌てて逃げ回るが、やっぱりどうしようもない。直撃。意識が消し飛ぶ。何度も吹き飛ばされたのだろう。意識が戻ると、辺りは粉々に砕けた魔物達の死骸と、黒ずんだ壁だらけだった。

妖精は、あっさり逃れていたらしい。天井当たりをくるくる舞っている。

「あ、あんた、どうしてそれで再生できるのよ!」

「あいたたた、ダーナ君、は?」

視界が、徐々に戻ってくる。

ダーナはさっきよりも、ずっと動きが機敏になっている。石の間を跳び越え、燃えさかる炎をかいくぐり、至近で顔を合わせた魔物に、躊躇無く火球の術を浴びせていた。

まだまだ、スペランカーも頑張らなければならない。

鏡から、当然のようにドラゴンが姿を見せる。凄まじい威圧感だ。だが、どれも品種は同じらしい。翼もない。だが、小さい分、とても動きが速い。

四つ足の強みを生かして、ドラゴンが走る。ダーナも汗をとばしながら、石の間を飛び移った。スペランカーは回り込むようにして、石をよじ登る。体力がそれだけでもつきそうだが、どうにか登り終える。

ドラゴンが、スペランカーを見て急停止した。

手を広げる。

やはりこのドラゴン、さっきの同胞の死を見ている。鏡を通してなのかはわからないが、ダーナを狙っていた辺り、ほぼ間違いない。ゆっくり、スペランカーを見て、右側から回り込もうとするドラゴン。ダーナは。まだ少し手こずっている。どうやら、最後の石の組み合わせが、どうすればいいのかよくわからない様子だ。

もう少し、時間を稼がなければならない。

外の銃撃戦はまだ続いているようだ。円環状の通路だから、走り回ってのかなり厳しい戦いになるだろう。実際、走りながら銃撃をしている音が聞こえてくる。歴戦の猛者であるジョーさんだが、出来れば支援に行きたい。

八方ふさがりの状況で、ついにダーナが動いた。

「これだ!」

一旦飛び降りて、下の石に着地。逆側から回り込むようにして、鍵の場所に到達。雄叫びを上げたドラゴンが、スペランカーの頭上で火球を放つ。しかし、銀色の石に直撃はしたものの、ダーナには火の粉をふらせるくらいで、届かなかった。

見る間に石になっていくドラゴン。

へたり込んだスペランカーは、外の様子を見た。まだ、ジョーさんは頑張っている。ダーナが叫ぶ。

「ジョーさん、こっちに!」

「俺は良いから、先に行け! 敵はさっきから増援を次々に出してきている!」

部屋に後退してきたジョーが、後ろから来た奴を瞬時に射殺した。万歳をするような格好で、射殺された男が前のめりに倒れる。更に一人、額から血を噴いて横転した。入り口は一つしかないし、遮蔽物も多い。此処の方がだいぶ有利だろう。だが、これ以上進ませるのはまずい。特に、部屋の中で魔物との戦闘中に乱入されると、どうなるかわからない。

「スペランカー、行け。 敵は俺が防ぐ」

「ご無事で!」

「お前もな」

敵には、能力者が居る。それなのに、重火器の能力を延長するくらいの力しかないジョーが挑むのは、かなり厳しいはずだ。

だが、それでもこの人は引かない。

スペランカーは頷くと、ダーナを促して、魔法陣に飛び込んだ。

 

二人が行った直後に、妖精も魔法陣に飛び込む。どうやら誰かが居る間は、新しく人間が来ても、トラップは発動しないようだった。

ジョーはそれを見届けると、マガジンに手を触れ、リロードと心中で呟く。それだけで、弾倉に弾丸が補給される。

これが、ジョーの能力。弾倉補給だ。

あまり大きな火器は出来ないが、アサルトライフルや拳銃、スナイパーライフル、グレネードランチャーくらいまでの火器であれば実行可能である。条件はマガジンがついているなど、銃の内部や付属機構に弾丸を装填出来る事。一瞬で新品の弾を補給することが出来る。

長期戦に向いた能力だが、銃の耐久力が上がるわけでもない。ミニミなどの分隊支援火器レベルの大型重火器については補充も出来ないし、連射すると銃にも負担が掛かる。

敵の様子を見ながら、リュックを下ろし、スナイパーライフルを組み立てに掛かった。もう一人、せめて観測手が居れば全然結果は違うのだが。孤独に戦う事自体は、経験がある。

というよりも、この能力が発現した以降、ずっとそればかりだった。

命中精度にひるんでか、敵は部屋に入ってこない。幾つかある石を見て、相手から見て狙撃しにくい位置に移動。入り口だけ見張っていればよいとか、そんな常識が通用するかわからない。フィールド探索者として、いくつもの地獄を潜ってきたジョーは、能力者や術者の非常識ぶりを良く知っている。

敵は余程自信があるのか、堂々と入り口から姿を見せる。

二キロ先からも狙撃が可能なスナイパーライフルで、早速一撃を浴びせる。胸の中央を貫いた筈の弾丸は、他の雑魚と見分けがつかない男の手前で、急停止していた。

手強い相手だ。

「ふん、汚らしい武器を使いおって。 背教者が」

「如何なさいますか」

「お前達は、あれを抑えていろ。 俺が邪魔な蠅を潰す」

今、残っている装備類を頭の中で確認。入り込んできたもう一人の胸を、即応して撃ち抜く。舌打ちすると、男は人間とは思えない跳躍をして、ジョーとの距離を一気に詰めてきた。一発。はじき返される。二発目。はじき返される。そして、三発目を撃つと同時に、横っ飛びに逃れる。

金色の石が、男の繰り出した拳で、木っ端微塵に砕かれていた。

どうやって弾丸を防いだかが、重要な焦点だ。フィールド探索者でも、殺せない訳ではなく、人間であることに違いはない。だから、場合によっては死ぬ。飛び退きながら、今度はさっきピンを抜いておいた手榴弾を放り投げつつ、銀色の石の物陰に隠れる。炸裂音と共に、横っ飛び。入り口から皿に入ってこようとしたもう一人を、持ち替えたアサルトライフルで撃とうとして、一瞬の躊躇が産まれた。

子供だ。

短く髪を刈り込んでいるが、多分女の子だろう。首根っこを押さえられ、頭には拳銃を突きつけられている。

周囲を飛び交っている光の粉。

なるほど、あれが妖精達がただ一人助けようとした相手か。

「よそ見とは、余裕だな!」

手榴弾の爆圧を切り破って現れた能力者が、再び拳を繰り出す。銀色の石を挟んで逃れるが、男の拳は、それさえも砕いていた。これは当たったらひとたまりもない。だが、もっと恐ろしい相手と相対したこともある。

飛び退きつつ、再び至近からM16A4の引き金を引き、至近から鉄の暴風を浴びせかける。男が反応するのが早い。銃弾が、四方八方に吹き散らされる。能力者が、にやりと笑ったように思えた。

だがその瞬間。ざくりと、鈍い音がした。

男の右腕が、半ばまで抉れている。今の時間に仕掛けた、簡単なトラップ。ワイヤーを使ったものだ。

「お、おのれええっ!」

男の咆吼を無視し、左手でデザートイーグルを引き抜くと、振り向き様に二発。

子供を抑えている男の肩を一発目で撃ち抜き、二発目で額を貫いた。更にもう一回転し、腕を押さえている能力者に四発の弾丸を連続して浴びせた。だが、能力者だけあって反応も早い。

デザートイーグルの弾丸が弾かれる。飛び退く。

ジョーが居た地点が、炎に舐め尽くされる。

間違いない。この男、多才な能力展開から言って、能力者と言うよりも術者、つまり魔術師だ。格好からして、宗教関連の原理主義者だろう。

牽制の射撃を浴びせつつ、走る。その間に、デザートイーグルをホルダーに戻す。顔中に血を浴びて棒立ちになっている子供を抱え、今度は一旦部屋の外に。外で中をうかがっていた他の男達がぎょっとする所に、手榴弾を落とし、バックステップして飛び込み直す。爆発。断末魔の悲鳴。

本当は入り口を崩したい所だが、プラスチック爆弾でも使わないと無理だろう。マガジンに触れて、弾丸の補充。子供が、苦しそうに悲鳴を上げた。

「ううっ!」

「部屋の真ん中に、魔法陣が見える。 其処まで走れ」

「う……」

言葉が通じないかと思い、幾つかの言語で話し掛けてみる。この近辺で使われている言葉は、挨拶くらいしか知らない。能力者の男が、天井近くまで、腕を押さえて舞い上がった。空まで飛べるらしい。子供に言葉が通じているかは後だ。

子供の周囲を舞う光の粒子。子供がはっと顔を上げる。

「妖精ども、聞こえているな。 この子供を、あの魔法陣の先に。 援護は俺がする」

理解は出来ないが、何か黄色い声が上がる。おろおろする子供が、光の粒子に導かれて、とまどいながらも走り始めた。振り返り様に、一発。部屋に入ろうとした男の額を撃ち抜く。だが、それが禍し、空から降り注いだ無数の風の刃までは避けきれなかった。

飛び退くが、防弾チョッキの上から全身を切り刻まれる。転がりつつ、体への打撃を確認。

かなり傷が深い。出血も多いが、まだしばらくは動ける。

「貴様、うちの商品に手を出すとは、どうなるかわかっているんだろうなあ。 背教者が、地獄に落とすくらいではすまさんからな」

「安心した」

「何だと?」

「お前の信仰が手前味噌で身勝手きわまりない、信念も裏付けのない、ただのゲスな代物だとわかったからだ。 弱きを救わず利用しておいて何が信仰か。 貴様の考える地獄とやらがあるとしても、俺は落ちてはやらん。 俺はそんな神に興味はない」

見る間に、術者の顔が真っ赤になっていく。

何か吠えた。多分地獄に堕ちろとか、何かそのような意味だろう。デザートイーグルを放り捨てると、M16を乱射しながら物陰に走る。何か喚き散らしながら、急降下しつつ、術者は火球を乱射してきた。

石の間に滑り込み、石を盾にして、火球を防ぐ。そのまま、一気に奥に。

飛来した術者が石の前で止まったのは、トラップを警戒してのことだろう。此方はわざわざ血痕を残しつつ這いずって奥に逃げているのだ。追ってこないのは、それしか理由が思い当たらない。

それにしても、かなり強力な術者だが。残念ながら、技と心は一致しないのだと、見ていてよくわかる。

子供を商品扱いするようなゲスは発展途上国に多くいる。アフリカの貧困地帯では未だに奴隷が、主に子供の、が売買されている。そして、それはプラントの重要な労働源になっている。

文明が発展すれば消え去るべき悪習が未だ残っているのは、無理に文明を持ち込んだこともあるだろうが、資源の不足や貧困も大きな要因だ。

地獄は、散々見てきた。

どんな悪にも、事情がある。この術者にも、何かしらの理由があって、ゲスに落ちたのかも知れない。

だが、それでも。

子供が、もたもたと魔法陣に逃げ込もうとしている。

あれを、支援する。それが、大人としての、ジョーの役割だった。

男の腕からは、血が止まっている。得意の術で直したのだろう。逆に言えば、痛いと言うことだ。傷も負うと言うことだ。

もう一つ、わかったことがある。

男が、炎の渦を手から出して、石の間の空間を焼き払った。ワイヤーを警戒してのことだろう。そして、炎が収まると、鋭く中に飛び込んでくる。

その背中に飛びついた。

今まで、孔を抜けた先の、石の上に貼り付いていたのだ。

血を流しすぎた。精神力が限界近い。だから、すぐに決める。地面に共に転がりつつ、アーミーナイフを引き抜く。

一閃させ、男の手首から先を切りとばした。悲鳴を上げる男の襟首を掴み、頭突きを浴びせる。鼻血を噴いた男のターバンが外れる。やはり、間違いない。この巻き方、偽装のためのものだ。本来ターバンを巻く者達や、彼らの宗教とはやり方が違っている。更に、無事な方の肩にも、ナイフを突き刺す。喉を割くつもりだったが、腕を上げてとっさに庇ったので、切り替えたのだ。

「偽装が下手だな。 もしもお前がターバンを必要とする宗教の信者だったら、背教者じゃなくて、異教徒とか十字軍とか、俺を呼んだだろうよ」

「ひ、ひぎ、ぎいっ!」

ホースのように血が噴き出る手首を押さえて、逃れようとする男。ナイフを鞘に収めると、M16A4で、無造作に男を撃ち抜く。

踊るように銃弾を浴びた男は、すぐに動かなくなった。

さて、後はひよっこを助けてやらなければならない。スペランカーはそこそこ頼りになるから、多分死ぬことはないと思うが、戦力が多いに越したことはない。だがその前に、敵の増援がこれ以上来ないことを、しっかり確認しておかなければならないだろう。傷の手当てにはいる。リュックから消毒剤を出し、傷に。包帯を巻き、止血。もう、あまり時間がない。

栄養ドリンクを口に含みながら、止血を順番にしていく。

痛みが酷い。一部は動脈まで通っていたようだから、当然だ。だが、それに負けていたら、死ぬ。だから、精神力で押さえ込む。

そういえば、最初に戦場に出たのは。今でもよく覚えている。あれは、小さな島を巡って、E国とF国が代理戦争をした時だった。激しい戦いで、どちらも多くが死んだ。E国が誇る精鋭SASでも、原始的な肉弾戦に巻き込まれ、精神の病に掛かってしまう者が多く出た。

この国と、女王陛下のために。

そう信じて、ジョーは軍人になった。中流階級の出身とは言え、愛国心の強い両親の影響を受けて育ち、本気で軍人になれば何かが出来ると思っていた。国を守るために前線に立つのは、紳士の国の男のつとめだと思っていた。

一兵卒として参加したジョーは、もっとも悲惨な戦場の、最前線に立った。敵も味方も、気付くと死体になっていた。銃弾と硝煙と、血と臓物の臭いしか、辺りにはなかった。

どうやって生きて帰ったかさえわからない。

ただ、ジョーは英雄として、持ち上げられていた。たくさん敵を殺したのが、その理由らしかった。

帰ってから、ジョーは名声を投げ捨て、すぐに除隊した。地獄の戦場は、彼が信じていた全てと真逆だった。其処には信念はなく、ただの殺し合いだけがあった。国を守ると信じた兵士達が、利権のために、塵のように使い捨てられる悪夢の場所だった。

親に勘当されて、一人暮らしを始めたジョーは。己に目覚めている能力に気付いた。それは便利ではあったが、世界に存在する無数のフィールドで役に立つかは微妙な代物にすぎなかった。

しかし、人同士が殺し合う戦場には、もう行きたくなかったのだ。今はワンマンザアーミーだとか、スーパージョーだとか言われている歴戦の猛者が、フィールド探索者になったのは。そんな後ろ向きの理由からだった。

一度吹っ切れてしまうと、後は何も怖くなかった。主に紛争地帯にあるようなフィールドばかりを担当した。どんな戦場からも生きて帰ったことから、いつの間にかスーパージョーとか呼ばれるようになっていた。戦闘経験に関しても、いつの間にか誰にも負けないものとなっていた。

あの子供。

隙を見て、ジョーをナイフで刺そうとしていた。

刺させはしなかったが、恐怖からの行動だったのだろう。気持ちは嫌と言うほどわかる。ジョーも、味方が何人も狂っていくのを、見たからだ。普段は鉄のような精神を持っていた男が、帰った時には幼児のようになっていた。明るくユーモアに溢れていた青年が、戻ると殺人鬼に変貌してしまった。

今、ジョーは。

また、たくさん人を殺した。それは、出来れば子供にも、若造にも、させたくはなかったことだった。

深呼吸をする。

輸血パックが欲しいが、そんなものはない。かろうじて止血は終わったので、後は栄養を体に入れて、造血機能に期待するだけのことだ。

若者よ、死ぬなよ。もう、これ以上の敵は俺が通さないから、先に進め。

そう、壁にもたれかかったまま、ジョーはダーナに語りかけていた。

 

4、時間と空間

 

部屋に飛び込んできた子供が、悲鳴を上げる。巨大な頭蓋骨の怪物が、激しく顎を鳴らしながら躍り掛かったからだ。人間を丸呑みに出来そうなサイズで、口の中は闇色となっていた。向こうは見えない。食いつかれたら最後どうなるか、知れたものではなかった。

即応したのはスペランカーである。棒立ちになっている子供を抱きかかえて飛び退く。しかし、飛び退いた瞬間、骸骨に右足を膝の辺りから食いちぎられていた。

ぶちまけられる鮮血。

血まみれでけたけたと笑っていた頭蓋骨の上半分が吹き飛び、粉々になって風化していく。靴は、再生しない。

徐々に再生していく足をさすりながら、スペランカーは無理矢理笑みを子供に向ける。額からの脂汗が、酷い苦痛を如実に示していた。

「大丈夫だった?」

まだ震えている子供。この段階で、足手まといを抱えるのは致命的だ。だが、外に放り出す訳にも行かない。ダーナは跳躍すると、石に飛びつく。体が軽い。多少の無理だったら、平気そうだった。

鍵を取る。

同時に、溢れかえっていた骸骨の魔物達が動きを止めた。地面に転がって、砕け散るものもいた。

「ダーナ君、大丈夫ー?」

「ぼくは平気です。 先輩こそ、足は大丈夫ですか?」

「平気!」

右だけ、素足のままスペランカーは立ち上がる。辺りの石も大きく抉れているのは、彼女の血が掛かったからだろう。

魔物が、情報を共有しているらしいことは、ダーナにも予想が付いていた。だから、それを逆用して、悪いがスペランカーを盾にするようにして動かせて貰った。何だか普段とは比較にならないほどに頭が働いている。さっきも、いつもでは思いつきもしないような方法が、するりと頭の中に浮かんできた。

体そのものもよく動く。魔力も、底力がまるで違う。普段だったら連射できないような火球も、今日は何発撃っても疲れる気がしなかった。

さっきの、ジョーさんは格好良かった。多分、あの姿を見たからだろう。

何だか、今だったら、何が相手でも勝てるような気がした。

部屋の中央にある魔法陣へ歩く。スペランカーはかなり服を破かれたり噛み裂かれたりしていて、ダーナが見ると苦笑した。

「酷い格好になっちゃった。 そろそろ新しいお洋服出さないと」

「服は、再生できないんですね」

「再生できる場合もあるんだけど、ダメージが酷くなってくるとどうもね。 それに、この呪いって気紛れだから、おきにの服に限って駄目なんだよね」

くすくすとスペランカーは笑った。

さて、子供だ。余程怖い目にあったのが、がくがくまだ震えている。周囲を飛び交っている妖精の様子からいっても、この子が妖精使いで間違いないだろう。

髪は綺麗に切りそろえているが、全体的に不潔な着衣が目立つ。目の大きな可愛らしい顔立ちをしているのに、気の毒な話だ。肌は全く焼けていないし、むしろ病的なほどに白い。この辺りの出身ではない可能性が高い。それに、酷く痩せていた。

「この子の名前は?」

「知らないわよ。 というか、「おい」とか「これ」とか呼ばれていたらしいわよ」

「酷い。 どんな犯罪組織だろう」

「多分、見当はつきます。 次の廊下で話しましょう。 この子が逃げてきていると言うことは、ジョーさんがまだ頑張っているはずですし、そのためにも追撃は封じなければならないですから」

スペランカーはちょっと驚いたようだが、同意してくれた。

ジョーならそうすることを願うはずだ。前には進めなくなるが、帰りに回収していけばいい。大丈夫だ。並の術者程度に、あのジョーさんが遅れを取る筈がない。仮に遅れを取ったとしても、敵が無事で済むはずがない。次の迷宮を突破するのは、決して簡単では無いだろう。

女の子の手を引いて、魔法陣に。

次は、また同じ構造だった。円環状の通路と、部屋。部屋の様子を伺い見ながら、ダーナは戦略を立てる。

「こ、この先に、行くの?」

子供が喋った。いや、違う。妖精を介して、喋っている。

その手にはナイフがあった。切っ先がかたかたと震えているが、返答次第では刺す気だろう。

「ソ、ソロモンの鍵に、触っちゃ、駄目。 世界に、また混沌の災厄が、撒かれてしまう、から」

「誰から聞いたの?」

「え、ええと」

わからないのだろう。

名前など与えられなかった子供だ。周囲がまともに接しているわけもない。

ダーナは腰を落として子供と視線の高さを合わせると、言う。

「ギリシャって国のお話に、こういうものがあるんだ。 パンドラっていう可哀想な女性が居て、彼女は決して開けてはならない箱を持っていた。 神様が、パンドラに開けては駄目だっていっていたんだよ。 でもある日、パンドラは興味に負けて、箱を開けてしまう。 箱からは無数の悪意が、世界にばらまかれてしまった」

「似てるね」

「そう、原型は恐らく同じものでしょう。 しかもこれは、明らかに精神誘導のための手段として使われている。 一見すると良さそうな話を餌にして、真意を隠すのは、人間がよくやることです」

ダーナは、表情を改める。

この子を、悲しい刷り込みから解き放つのは、今を置いてなかった。

「きっと君に酷いことをしていた人達も、本当はソロモンの鍵が欲しいだけだったんじゃないのかな。 いいかい、此処にある書物は、72柱もの魔神を操ることが出来るという、伝説のものなんだ。 邪悪な人間だったら、それを悪用して、世界を好き勝手にしたいと思う。 そして、君を好き勝手にしていた人達は、きっとそれが目的だったんだろうね」

子供は、必死に頭を横に振った。だが多分背教者とか他の人達を罵っていたんじゃないかと指摘すると、子供は気付いたように、ナイフを取り落としていた。

涙が大きな目からこぼれ始める。無言でスペランカーが、子供をハグして、ハンカチで涙を拭き始めた。

きっとこの子は、言われるままに妖精を操って、人殺しにも荷担してきたのだろう。それが、大きな心の傷を作ってきた。そして、恐らくはこの子の両親も、更にもっと前の先祖も。

唾棄すべき闇の中に、この子は囚われていたのだ。

心が壊れてしまえば、楽だったかも知れない。しかしこの子には妖精という話し相手が居て、それが精神の最後の支えになっていた。逆に、この子の苦しみを、その環境が増していたとも言える。

「ダーナ君、他にも、色々聞きたいことがあるんだけど」

「おいおい、話します。 この子の後ろにいたのは、きっと一神教の原理主義勢力でしょう。 理由については、大体心当たりがあります。 今は、この迷宮を突破して、全ての悪夢を終わらせましょう」

「うん」

スペランカーが、子供に、戦いが終わるまで廊下で待っているように言い聞かせる。

部屋の中心には、恐らく何かを意味するらしい紙片が浮かんでいた。鍵の前にあれも取っておく必要がある。そうダーナは思った。

 

美味しいお菓子を、女の人がくれた。チョコレートと言うらしい。

妖精使いは、壁を背中に座り込んで、夢中になってチョコレートをかじった。甘くて苦くて、とても美味しい。今まで食べさせられた食べ物がどんなに酷かったのか、ちょっと口に入れるだけでよくわかった。

手についた汚れまで美味しかった。しばらく黙々と口を動かしていたが、美味しいのが終わると今度は悲しくなってきた。

一体、今までのことは何だったのだろう。

妖精達は、あの人達のことをあまり面白くは思っていないようだ。やっぱり彼女らにとって、この迷宮は守るべきものなのだろう。自分で連れてきた妖精達も、考えはあまり変わらないようである。

「なーんだ、卑しいの。 すぐ餌付けされちゃって」

「でも、あの人間、この子に今まで接していた人間より、ずっと優しい」

「そうなの?」

「そうよー。 今までの 人間なんて、この子を子供を産む道具にしようとしてたんだからあー」

妖精達が、周囲で議論している。

この迷宮の、リーダー格らしい妖精は、じっと黙っていた。だが、彼女が手を叩くと、周囲の妖精達はぴたりと議論を止めた。

「王女様、どうしたのおー」

「あの人間達、ひょっとしたら最深部まで行けるかも知れない」

「無理よー。 行けたとしても、空間と時間の壁があるでしょー」

「あっちの、魔法使いの方。 あれ、さっき時間が見えてた。 だから、ひょっとしたら空間も」

もしも、人間が最深部まで行って、この迷宮を終わらせたら。

妖精は皆消える。正確には、ここに住めなくなる。だが、今は妖精使いがいる。

妖精は、人間の中に住むことも出来る。妖精使いが代々血脈を継ぐのも、それが理由なのだ。

「もう、このせまっ苦しい迷宮は飽き飽き。 そう、思わない?」

「でもおー、この人間はともかく、彼奴らは信用できるのー?」

「彼奴らの仲間が、後ろで必死に壁になって、あの嫌な人間と魔術師をみんなみーんなやっつけるの、私みたよー」

後から魔法陣を抜けてきた妖精が言う。口やかましい妖精達が、一気に信じる側に傾くのがわかった。

どうしたらいいんだろう。そう思う妖精使いの前で、ダーナと呼ばれる魔法使いが、鍵を手にする。

迷宮が、無力化された。

部屋から出てきた女の人が、手を貸して、立たせてくれる。ダーナという魔法使いはほそっこいのに、まだまだ先に行けるようだった。

「次! 行きます!」

「よし、あとちょっとだね。 頑張ろう。 ジョーさんと、私が。 絶対にあなたを守ってあげるからね」

女の人に抱きしめられる。薄い胸だったが、悪い気分はしなかった。

 

急ぎ足で駆け抜けてきたから、此処が何層目の迷宮だかはわからない。

だが、仮説は幾つかあった。

円座をスペランカーと、妖精使いの女の子と組む。そして、ダーナは、三角形を二つ組み合わせた六芒星を描いていた。さっきまで、スペランカーには見せていなかったが。時々強い力を持つ石があり、それを消すことによって石版が現れたのだ。一つずつは子供の掌くらいの大きさしかない。

懐から出してみる。既に六つ、集まっていた。

「おそらく、これがこの迷宮の心臓です」

「ええと、何だか何処かで見たことがあるね」

「六芒星と言います。 強い魔力を持った形状です。 ソロモン王が開発したという伝説もあります」

この迷宮は、どんどん地下に潜っているのではない。魔術的な意図を持って、並列に存在しているのだ。それが確信できる。というのも、六芒星が横に魔力を発していたからだ。もしもどんどん大深度へ向かっているなら、縦に魔力を発しているはずである。

しかし、妙なことも多い。

「守護者が、あまりにも弱すぎます」

「え? あれで?」

「いえ、あの程度、です。 もしも伝承に残る72柱の魔神を使いこなしたソロモン王だったら、もっと強力な守護者を配置しているはず。 それこそ、一端撤退してサー・ロードアーサーかMさんでも呼んでこないといけないような、ね」

そう指摘すると、ちょっとスペランカーはむくれた。子供っぽい表情である。

この人は、精神の成長がある程度で止まってしまっているのかも知れない。

「むー。 ジョーさんを侮りすぎだよ」

「あ、そう言う意味じゃありません。 ジョーさんも頼りになる人です。 でも、正直重火器でどうにか出来る相手かどうか」

でも、そう言う相手は今まで現れていない。

「そして、さっき入手したこれ。 ちょっと僕には読めないんですが、古代の文字が書かれている羊皮紙です」

「この迷宮を封じし空間を、この書物に記す。 もしも最深部への扉を開けたくば、時の封印もとけ」

妖精使いが、ぼそぼそと呟いた。

彼女の上に、あの一回り大きい妖精が浮かんでいる。多分、精神をリンクして、喋らせたのだろう。

「それが、この紙に書かれた内容ですか」

「そーよ」

妖精はぶっきらぼうに言うと、光の粉をまき散らしながら、妖精使いの中に入ってしまった。

周囲に黄色い笑い声が木霊する。修行不足である事を実感しながら、ダーナは立ち上がった。なるほど、今の話で、謎が全て解けた。

どうしてダーナにこの羊皮紙が見えたのかはわからない。だが、他の探索者は、これが見えなかったのだろう。

そして、もう一つの仮説が、今は浮き上がってきていた。

今度の部屋は、目映い場所だ。猛烈な数の、消えない炎が部屋中にある。その数は凄まじく、一手でも間違えたら黒こげになりそうである。

スペランカーが、もう半分溶けてしまっているヘルメットを直す。ズボンもシャツも靴もぼろぼろだが、彼女は畏れていないように、見えた。

「言っておくけど、私痛いのも怖いのも本当は嫌だよ。 噛まれると痛いし、転ぶと悲しいし、生き返るときは電気ショックみたいで凄く痛いんだから。 でも、私が我慢することで、助かる人がいるんだったら」

「先輩……」

「さ、ダーナ君。 行こう」

部屋に、踏み込む。

鏡は出てこない。余程この火炎の地獄陣に自信があるのだろう。確かに、越えられるものなら越えてみろと言わんばかりである。

そして深奥。

炎に厳重に、執拗的なまでに守り抜かれた所に、羊皮紙の紙片が浮かんでいる。あれが恐らく、もう一つの封印。時の封印とやらだろう。

しかし、今のダーナには。

脱出の経路が、見えていた。

見ていろ、ソロモン王。いや、この迷宮に、罠を仕掛けた古代の魔術師。

ダーナは助走を付けて、最初の石を跳び越える。下はまるで灼熱地獄だが、恐ろしくも何ともない。

跳躍し、奥へ。時々戻っては、石を消し、或いは作って足場を確保。火を落とすのも、かなり慎重にやらなければならない。退路が確保できなくなる。

スペランカーはと言うと、上に這い上がって、時々違う方向から指示をくれる。外の妖精使いは、じっと不安げに此方の様子を見ているようだ。

「ダーナ君、気をつけて! その石を消すと、上から火が来るよ!」

「! わかりました。 脱出路を再構成します」

外からは、何カ所か内部を確認できる。だからそれを使って念入りに調べたのだが、死角があった。頭に手をやり、思考をフル回転させる。

少し戻り、全体的な高さや炎の位置を再調整する。額に汗が浮かぶ。

ジョーのことも心配だ。この迷宮の呪いに対抗する魔術は掛けてあるが、それもあと半日くらいしか保たないだろう。

汗が、顎を伝って石に落ちた。

駄目だ。此処で、不意に手が詰まった。もしも行くとしたら、炎を突っ切るしかない。しかし、出来るのか。

石に関する術式の他は、これといった技もないダーナである。火炎級の術も、実際にはこれといった切り札にはならない。スペランカーが、上から手を振っている。そうか。まっすぐ進むだけが、能ではないか。

一旦、最初の辺りまで下がる。

見えてくる。一度、大きく迂回すれば。どうにかなるかも知れない。自分で作った足場の下を潜るようにして、行く。大量の炎が床では燃えさかっていて、まるで地獄に迷い込んだようだった。じりじりと、マントが焦がされる。

さっき見ていた通路の真後ろに回り込んだ。此処も死角になっていて、気付かなかった炎の壁が結構あった。

手を伸ばす。

羊皮紙を、取った。次は鍵だ。

だが、胸が不意に苦しくなる。恐らくは、時間が掛かりすぎたのだろう。

目が霞む。無理が祟っているのかも知れない。だが、此処さえ抜ければ。此処さえ突破すれば。

いつの間にか、支えられていた。ついてきたスペランカーが、支えてくれたのだ。

「後、此処を登るだけだね」

「はい。 先輩、ご迷惑をおかけしました」

「やっぱりなあ。 君、女の子でしょ」

ちょっと疲れた笑みを返す。

実際には、そうでもあり、そうでもないとも言える。だが、今は。それを説明するよりも、この恐ろしい灼熱地獄を突破するのが先立った。

螺旋階段状に、石を配置して、それを這い上がる。

時々スペランカーに支えられながらも。ダーナが鍵を手にすると、迷宮に満ちていた重圧が、一気に軽くなった。

炎が全て消え失せて、部屋が涼しくなる。

そして、部屋の中央に。今まで、見たこともない巨大な魔法陣が出現していた。

封印が、解けたのだ。

六つの石版も反応している。そして、夢遊病者のような足取りで、妖精使いが、魔法陣の中心に立った。

「人でありながら、神に近い存在よ。 汝は、真実を求めるか」

「求めます。 それが、どれほど酷いものであったとしても」

妖精使いの口から漏れるは、荘厳なる言葉だった。

気付く。魔法陣の形状が、明らかに今までと違う。これは、多分横への移動ではない。縦、しかも大深度の地下への移動を行うものだろう。

スペランカーが、ブラスターと呼ばれる武器を取り出す。何かが、この先にいるのは確実だった。

「ならば、行くが良い」

魔法陣が、輝く。

意識が戻った時。

其処にあったのは、荒れ果てた、石だらけの遺跡だった。

 

5、隠されていた真相

 

地下にしては、不自然な空間だった。立ち上がったダーナが周囲を見回す。明かりはない。飛び交う妖精達が、明かりの代わりになってくれた。妖精使いを、スペランカーが抱き起こす。消耗が酷いようだった。

「もうちょっと、頑張ってね。 チョコレートあげるから」

スペランカーは勤めて優しい口調で行っているが、あまり余裕がないのがわかった。感じているのだろう。この空間が、如何に異様か。

上の方を見ると、谷に近い。

谷を丸ごと埋めたような場所だ。辺りも砂塵が酷く、何度も咳き込むことになった。何千年も掃除はしていないのだろう。

間違いない。

此処が、最深部だ。

「ほう。 此処まで辿り着く者が出るとは。 暇つぶしはしてみるものだな」

空から、響き渡る声。妖精達が、妖精使いの中に逃げ込んでいく。王様。王様。そんな声が聞こえた。

青白い光が、現れる。それは、徐々に人型を為していく。気難しそうな、痩躯の老人だった。長い髭は腰の前まで垂れ下がっている。頭には王冠。あまりにもできすぎた姿であった。

「貴方は?」

「私は、この墓所を作りし人間の、なれの果て」

「ソロモン王じゃ、ありませんね」

「そうよ。 賢王だとか呼ばれる存在が、如何に残虐だったか、良く知る者だ」

老人の姿は、けたけたと笑った。あまりにも桁外れの大きさだったから、その声も凄まじい。王冠は、霧になって消えた。多分見かけをよくするための小道具だったのだろう。

ぎゅっとスペランカーに抱きついている妖精使いの、怯えた様子が痛々しい。

「外の罠は、貴方が?」

「いいや。 私が作ったのは、お前のような適合者が来るまで時間を稼げるように作ったパズルだけだ。 罠を仕掛けたのは、後から来た連中よ」

「どういう事?」

「きっと、以前来た者達です。 ソロモンの鍵を求めて此処に来たはいいが、結局時間も空間も封印を解けなかったのでしょう。 だから、後から来る連中に、ソロモンの鍵を奪わせないために、魔物を呼び出す鏡の術を、たくさん、たくさん仕掛けていったんでしょう」

術式が、あまりにも新しすぎた。それがそもそもおかしかったのだ。

それに、出てくる魔物も、神代のものというには貧弱すぎた。どれもこれもが、比較的新しい時代にフィールドで存在が確認されたり、神話学に姿を見せた者達ばかり。ドラゴンなど、ソロモン王の時代にはむしろ蛇に近い姿をしていたはずだ。

「何それ……。 酷いにも、程があるよ」

「それが繰り返されて、どんどん迷宮は難攻不落になっていった。 違いますか」

「その通りよ。 こんなくだらん紙切れを隠すためにな」

顎をしゃくる青い影。

確かに、紙切れとしか言いようがないものが、其処にあった。後生大事に獅子らしい動物を象った台座に乗せられ、何枚かに別れて置かれている。

「見ても、良いですか」

「かまわんさ。 お前さんは古代に神の代理と呼ばれた特殊な身体的特徴の持ち主だからな。 あの嫉妬深いソロモン王も、触ることを許してくれるだろうよ」

「それって、どういう意味」

「アンドロギュノスって言葉、知っていますか?」

スペランカーが首を横に振る。本当は脱いでみせるのが一番なのだが、流石にそれは恥ずかしい。

「ぼくは、男でもあり、女でもあるんです。 現在では半陰陽って病気の一種となっています」

「! 本当、なの」

「はい。 古代では、これは神の特性とされていました。 神話には、両性具有の神様がたくさんいますけど、それは完全って意味を示して居るんです。 実際には、多くの場合で生殖能力もない、もっとも不完全な存在ですけれど」

そんな生まれだったから、ダーナは幼い頃から両親から引き離された。正確には、最貧層の両親が、噂を聞いて接触してきた魔術師にダーナを売り飛ばしたのである。魔術の才能は殆ど無く、血を吐くような苦労をしながら、その過程で様々な「師匠」の間を売り買いされた。

裏の社会では、現在もこういうネットワークがあるのだ。魔術師の中には上位のフィールド探索者並の実力を持つ者もいて、ごく一部には政府と太いパイプを作っている者もいる。

幸い、様々な経緯の末に現在ダーナが所属しているT社の社長がフィールド探索者として引き取ってくれたが、そうでなければ妖精使いが所属していたようなろくでもない組織で、邪悪な儀式の生け贄にでもされるか、或いは鉄砲玉になってしまっていたかも知れない。

ダーナを欠陥品と見なしていた「師匠」達に、今回の件は予想外だっただろう。まさかこのような理由で、ダーナが最深部に到達できるとは。ダーナは頷くと、紙切れに歩み寄る。

紙切れに充填されているのは、魔力ではなく、妄執だった。

目を通す。妖精使いが歩み寄ると、側で書いてある内容について教えてくれた。

そして、嘆息して、顔を上げた。

やはり、予想通りの代物だった。

「くだらんだろう。 伝説の現実を見たか」

「貴方は、こんなもののために、守護者として此処に置かれていたんですね」

「そうよ。 さっさと楽にして欲しいのだが、出来そうかね」

「僕には出来ません。 しかし、出来る人を、連れてきています」

頷くと、スペランカーが前に出る。

老人の巨大な霊は、満足そうに微笑む。そして、目を閉じた。

「殺ってくれ。 私はもう、疲れた。 何も思い残すこともない」

 

スペランカーが目を覚ますと、もう迷宮の入り口当たりだった。背負ってくれているのは、ジョーである。

「ジョーさん、大丈夫ですか?」

「多少血を失ったが、問題ない。 敵は全て片付けておいた」

流石だ。敵は武装した兵士が二十人以上はいた上、それに加えて術者もいたように見えたのだが。

ジョーの能力は、弾倉補給というあまり使い出がないものだ。本人が著しく凄まじい経験の持ち主であり、戦闘能力も高いが故に、強い。魔術的な抵抗力の無ささえどうにか出来れば、きっとこの人はフィールド探索者の中でも最強の一人になれるのかも知れなかった。

「もう大丈夫です。 歩きます」

「そうか」

下ろして貰う。まだ足下がふらふらだが、どうにかなる。スペランカーにとって、唯一の武器とも言えるブラスター。自分の命と引き替えに、相手の命を破壊するそれを放つと、どうしてもこうなる。ダゴン神を体内に取り込んだ今でも、それは同じだ。ましてや、今回は非常に疲れた。

ぺたんぺたんと、右だけ裸足のまま歩く。もう迷宮には危険はない。ただの土に埋まった古い遺跡だ。

あのお爺さんは、きっとソロモン王の家臣か何かだったのだろう。そして、あの紙切れを守護するためだけに、彼処に封印されてしまった。恨んだだろう。呪っただろう。それ以上に、悲しかったに違いない。

「ダーナ君、あの紙切れ、何が書いてあったの?」

「妖精達に聞いた話ですが。 どうやら、ソロモン王による家臣の裁定のようです」

「えっ!?」

「多分子孫のために書いたのでしょう。 家臣の誰が何が得意で、何が苦手で、どんな性格で……。 でも、ソロモン王の死後、元々晩年の失政で打撃を受けていた王国は大混乱に陥り、あっという間に滅びてしまいました」

そして、伝説だけが一人歩きした、というわけだ。

確かに家臣の名簿は72人分あったという。誰も彼もが、後に巨大な力を持つ悪魔として勝手に設定されていくとは、思ってもいなかっただろう。

「一神教にとっては、かなり面倒な書物になります。 とりあえず、僕は帰った後N社かC社に赴いて、保護を求めます。 幸い僕には家族もいませんから、何とかなると思います」

「ダーナ君」

「でも、妖精使いのその子は、先輩にお任せしたいのですが、よろしいでしょうか。 ぼくだけでも結構無理があるのに、もう一人を守りきるのはとても難しいですから」

自分の話をされていることに気付いたか、ぎゅっと、妖精使いに手を握られる。

スペランカーは、頷いた。この子を見捨てることなど、出来はしなかった。幸い、この間の一件で、スペランカーはアトランティスに大きな人脈が出来た。彼処に連れて行けば、生半可な勢力では手も足も出せない。

ジョーが歩きながら、相変わらずダーナを見ずに言う。

「なら、俺がサー・ロードアーサーやC社の上層に話を付けてやる。 そうなれば、例え一神教の過激派でも、簡単にお前には手をだせん。 ただし、その腐った紙切れを公開するかどうかは、ずっと後の話になる」

「有難うございます。 酷い事件でしたが、この迷宮で人が死ぬことは、もう無くなるんですね」

「ああ、そうだな」

迷宮の入り口についた。と言っても、入るのに使った孔だが。あのターバンの人達は、きっと別の経路で此処に来たのだろう。

「ダーナ君、これからどうするの?」

「夢が、あるんです。 ぼく、子供を作れるか、或いは産める体になりたい。 現在ではそんなに難しい手術じゃなくて、もう少し、頑張れば、お金も貯まりそうです」

「そうか、頑張ってね」

「はい。 今は、男になるか、女になるか、どっちも捨てがたくて。 考えるのも、ちょっと楽しいです」

ダーナが優しい笑みを見せてくれた。綺麗に整った顔だし、どっちになってもさぞもてることだろう。

それにしても。

スペランカーは、改めてさっきみた紙切れのことを思った。

あんな紙切れのせいで、世界に災厄がまき散らされたなどという伝承を、妖精使いは吹き込まれたという。

大嘘だ。

人間は昔から何ら進歩していない。ソロモン王の前の時代から、ずっと世界は戦争だらけだった。差別に殺し合いに奪い合い。人間の世界に、平和と愛が満ちたことなど、ただの一度だってない。

少なくとも、スペランカーは知らなかった。

あの暗い孔を通って、地上に。時々妖精使いを引っ張り上げる。そう言えば、この子には名前もないのだ。人間のおぞましい業にさらされたこの子に、名前もあげなければならなかった。

配水管を通って、軍基地に。

外に出ると、すぐにジョーさんがヘリコプターを手配してくれた。C社の前線支部で、対応を協議するという。

大佐が、笑顔のままで来る。

「おお、お帰りなさい。 計器類から、フィールドの消滅が確認されました。 流石ですな」

「有難うございます」

外の目映い陽光そのものが怖いらしく、ぎゅっと身を縮める妖精使いの子を、大佐の視線から庇うと。

スペランカーは、早くヘリが来ないかなと思った。

 

(終)